第010回国会 外務委員会 第3号
昭和二十六年二月六日(火曜日)
   午後一時五十一分開会
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  本日の会議に付した事件
○講和に関連する諸問題並びに国際情
 勢等に関する調査の件(沖繩及び奄
 美大島諸島の帰属問題の件)
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○委員長(櫻内辰郎君) これより外務委員会を開会いたします。 昨日に引続き、領土問題について陳情のために御上京になつておりまする諸君から御意見を聽取することにいたします。最初に沖繩諸島日本復帰期成会の元貴族院議員の伊江朝助君、元首里市長仲吉良光君、都立大学教授東恩納寛惇君但し今日は東恩納寛惇君は御出席になりませんから、更に全国奄美連合総本部の委員長の昇直隆君、弁護士の谷村唯一郎君から御意見を伺いたいと存じます。最初に伊江朝助君。尚ちよつと申上げますが、大体御発言は二十分くらいとしてございます。
○参考人(伊江朝助君) ダレス大使のもたらすところの米国の対日七原則中に、沖繩諸島の軍事基地継続使用條件として沖繩諸島を米国の管理の下に、国際連合の信託統治下におくということを要望されておるのであります。信託統治というものは御承知の通り軍事的信託統治と普通の信託統治があるのでありまして、軍事的信託統治は安全保障理事会の承認を得なければなりませんが、この理事国であるところの英・米・仏・ソ・中国の五カ国が若し一カ国たりともこれを拒否するようなことがありましたならば、この案は廃案になるということは皆さん御承知の通りであります。普通の保託統治は国連憲章によりますと、自治不能の地域の住民に施行せられるのが原則になつておるのであります。もう一つは将来独立するという下に国際連合の指導を受けて独立するということに規定されておるのであります。然るに沖繩は御承知の通り内地の他府県と少しも異ならざる県会を持ち市町村会を持ち代議士も正名の代議士を出しまして国政に参與いたしておるのであります。又文化、社会制度その他におきましてもことごとく日本内地と異なるところがないのであります。これを自治不能の区域の住民と見るということは甚だ穏かならん話と私どもは思うのであります。米国におきましては信託統治として軍事政略的のものであるか、普通の統治かということをはつきりいたしておりません。又我々は祖国を離れて独立しようなどというような考えは毛頭起したこともなければ話合つたこともないのであります。我々は祖国と共に苦楽を共にし、日本再興の一メンバーとして奉公をしたいのが私どもの念願であります。併し敗戰国として無條件降伏をいたしました以上はこれは基地を貸す、日本宗主権の下に基地を設定するということは私共止むを得ないものだと諦めておる次第であります。この点につきましては政府当事者を始めとして、日本の三大政党はこれを支持して頂いたのであります。我々は思い起しまするというと、若し信託統治になりますると、我々の戸簿は殆んどどこの国の人間やらわからないという甚だ悲しむべき状態に陥らなければなりません。又ハワイのごときは、米国が領有以来五十年間に急激の大発展をしたのでありますが、ハワイの在来の住民は今日殆んど行方不明というような状態になつて、我々の子孫の将来を考えますと誠に悲痛な感じがいたすのであります。どうぞこの際におきまして、余計なことは決して申上げません、日本の宗主権の下に沖繩の基地を当分の間、期限をつけて置くということに対して、我々は止むを得ないと諦めておる次第であります。どうぞ皆さんにおかれましても我々の希望が通るように一層の御盡力を仰ぎたいと思うのであります。余り長くなりますとほかの皆さんにもお困りがありましようからして、私どもはただこれだけを申述ぺましてそうして皆さんの御盡力を仰ぐ次第であります。どうぞよろしくお願いします。
 なお御質問でもございましたら歴史、言語、風俗、宗教その他の点につきまして、私の思慮で及ぶだけお答えをするつもりでございます。私の陳情はこれだけにしておきます。
○委員長(櫻内辰郎君) この際申上げておきます。御質疑のある方は最後に一括して御質疑をお願いしたいと存じます。次は仲吉良光君。
○参考人(仲吉良光君) 今伊江さんから述べられました通り、沖繩は日本のいわゆる四十三県の中の一県でありまして、文物制度とも皆日本各県と同様でありまして、自治制度のごときも全国同様で県会があり市町村会があつて、数十年自治を運用した自治能力ある日本人でありますし、又広く日本の政治にも参與権を許されまして、数十年間衆議院に定員五名の代議士を出しますし、又旧制度の貴族院では多額納税議員も定員一人を出しております。それから旧制度におきまする徴兵の義務、就学の義務、納税の義務、これらのものは皆同じ、日本人と同じ制度で一つも差異はないのでありますし、又向うの教育の制度もその通りであるし、高等その他の專門学校に入るにも皆全国の中等学校と同じようなもので、一つも差異はないのであります。
 それから経済の関係を申しますと日用品その他学用品、あらゆるものが皆こちらからのものを向うで買つて使用していることは、これは全国と同じでありますし、そのほか日本にとつて経済に大して力になりませんが、ただ三つだけ日本として沖繩はなくてはならぬ存在になつていたのであります。これは一つは、いわゆる「さつまいも」であります。「さつまいも」は三百年前支那から沖繩に持つて来て沖繩より薩摩のほうへ行つて、それを青木昆陽先生が全国に広めたわけですが、これは古い話でありますが、丁度日本が戰争の頃にガソリンが不足でそれに無水アルコールを入れ、その無水アルコールの原料が「いも」であつたので、農林省においては非常に向うに力を盡しまして、そうして向うは丁度「いも」に花が咲くのですからその花から実をとつて置く。そうしてこの辺から茨城とか或いは千葉とかその他全国に持つて来て「いも」を植えつけて、東北が昭和八年頃に饑饉のときにやつぱり「いも」を沖繩から持つて来てやつている。そういうふうにしてこちらのいもの改良は沖繩でなくちやいけない。農林省のお話では昭和二十年、二十一年に「いも」が非常に日本では豊作であつた。つまり終戰直後主食として上げたのは沖繩でできたところの「いも」が非常に役立つた。これは感謝するというふうに農林省自体が沖繩県の農事試驗場に委託をさせまして、いい種を持つて来てこれを各府県に出しております。つまり農林一号、二号、三号、七号というものはみんな沖繩でとつた種であります。それは連合軍のほうにも報告をして日本の「いも」の改良は沖繩でなくちやいけないということを言つております。終戦後日本の行政が沖繩に及ばないのでできませんので、鹿児島の揖宿で農林省が温泉地帶がありましてやつておりましたが、自然環境における花を開くところの沖繩に比して効果がないということを結論しております。
 それから第二は生糸であります。生糸の現産地は沖繩で、他では四月から十月でなくちや養蚕ができない。沖繩は温暖だから年中養蚕ができる。それで農林省も試驗場を置きますし、それから片倉の群是製糸などの有力な会社も向うに蚕種製造所を設置し、それから長野県とか群馬県その他の有数な養蚕県はみんな向うでこの蚕種を作つて来て、そうして春蚕の早いものはみんな沖繩で作つたものを農家に配布しているのであります、これは二十数年続けて来た。こういうふうに生糸の改良、「いも」の改良は沖繩でなくちやいけないということになつております。
 砂糖は御承知の通り黒砂糖、粗目、白砂糖もできてこれはいわゆる明治以前幕府の時代から、台湾が日本になる以前はこの甘味料は主として沖繩を中心として四国、九州では宮崎あたりがやつておりましたが、主として沖繩でありまして、これは戰争前までずつと続いているわけなんであります。こういうふうな状態で三点はどうしても沖繩でなくちやいけないということになつております。
 又これより沖繩の人としましては日常の生活のお茶とか味噌、醤油、穀類、それからお魚の類、今日ではアメリカから食糧を配給されておりまするか、そういうところのもう何百年も食い馴れているものに対してはどうしても日本の食糧でなくちやならない。どうしても経済関係は日本本土と繋がりがなくちやいけません。文化もその通りであります。それから占領になりまして、私は戰争中は全部向うにおりましたが、沖繩は文字通り軍官民一致で戰つておりました。女も子供も戰つておりましたし、日本兵がこちらから増援が来ないので、皆向うの十四歳以上四十歳までは補充になつて戰つておつた。これは向うにおりましてよくわかりますが、小学校の子供でさえいわゆる竹槍を持つてやつていた。女も男裝をしてやつておつたし、看護婦になつたり、それから日本が敗けましてからは、沖繩の連中は大分「いも」をやつたり食糧をやつたりしておりまして、この戰争もつまり文字通り軍官民一致でやつておつた。そうして三ヶ月間戰争を続けておつたのです。
○委員長(櫻内辰郎君) ちよつと速記をとめて下さい。
   〔速記中止〕
○委員長(櫻内辰郎君) 速記を始めて下さい。
○参考人(仲吉良光君) どうしても是非日本に還して貰いたい、日本に復帰をして頂きたいということを向うの人が切に感じておられる。五ヶ年間復帰運動をやつておる次第であります。
 それからこれもダレスさんにもお願いをしてありますが、国の議員の選挙権も取られる、こういうことも沖繩の人としては堪え得ない苦痛であります。それから信託統治に若しなるとしますれば、日本の文字、日本の言葉を使う、日本の周囲の近いところに日本人でない日本人が住むわけなんで、これは日本人としても余りいい感情は抱かれないと思うのであります。そういうわけでどうしても日本に還して貰わなければ、経済の発達もむずかしいし、それから一番精神的な打撃があるわけで、自由も失われれば又朗らかな気持も沖繩の人にはないようである。例えば中等学校の学生が運動競技にここらに来まして、又雄弁大会に来まして……、そういうものをみんな取つてしまう。沖繩はあれだけの島だけでただ生活をするというだけじや、人道問題だと我々は思う者であります。どうしても戰争前通りに沖繩県を復帰さして頂きたいと思います。
 それから信託統治は今皆さんがお述べになりました通りで、信託統治になりますれば日本の主権が全部放棄されるわけで、日本人でもない、そうして無籍者になるわけてありますか、それは今のサイパンとか、テニヤンとかいう信託統治下にあるものと沖繩と同一視されちや非常に我々は日本人たる誇りを失うので、あすこはまだ蒙昧の状態から余り進んでいないけれども、沖繩は文化の程度も日本各府県と同様で、日本との文化経済が繋がつておるので今回あすこと同一視されるのは、沖繩人として日本人たる誇りを失うので、信託統治は精神的にこれは服し得ないという考えを持つておりますし、その点でそれでもお願いをダレス氏にもマッカーサー元帥にもお願いをし、又各政党にもお願をしまして、やつと沖繩のこの島を日本に帰属して頂きたいということは、国論を一致してダレス氏に要望されておりますが、これは非常に我々は感謝感激しておる次第でありますが、なお参議院の外務委員会でも一段と御努力、御盡力下されまして早く我々が、沖繩の人が再び日本人たる誇りを再得するように一つ御協力を下されんことをお願いいたします。
○委員長(櫻内辰郎君) 次は昇直隆君。
○参考人(昇直隆君) 私は奄美大島出身の者であります。今回奄美大島の帰属の問題について、歴史上から私の知つている範囲内において純然たる日本人であり、又日本国の一部であることを立証いたしまして、皆さんの御参考に供えてそうしてこの帰属問題について皆さんの御協力を仰ぐ次第であります。
 もうすでに御承知の通り、奄美大島は沖繩と共に随分古い、開闢以来古い紀元を持つておる島であります。人種の上からいつても大和民族の一つの支派であります。大和民族の、尤も移動についてはたびたび行われておりますが、一番最後の第三回目に大陸から朝鮮海峡を経てそうして日向に落着いたのが、一番武力においても智能においても最も優秀な民族で、これを固有日本人という学術名で呼んでおりまするが、その一派が日向、当時の日向といえば日向、大隅、薩摩、ここから南の島々に植民してそれが我々のつまり租先になつておるわけであります。勿論それ以前に先住民族がおりました。アイヌのごときはその一つでありまするが、併しどこまでもやはり奄美人の主体というのは固有日本人で、これは学術上明らかに証明されておるので、僅かにアイヌの血が混つておるというのに過ぎません。その点においては日本全土挙つてアイヌの血を多少とも受けておるわけでありますから、ひとり奄美大島ばかりには限りません。どこまでも主体としては固有日本人になつておるのであります。
 歴史上から申しましても、神代のことはなかなかこれはつまびらかになつておりませんが、併しその当時から大和の植民地として母国との間にいろいろな交渉があつたことは明らかになつておりまするが、有史時代になつて、神武即位から推古天皇の二十四年に至るまでは殆んど欠史時代で、歴史の上に、文献の上に余り現われておりません。けれどもこの間交通のあつたことは事実でありましようが、推古天皇の二十四年、丁度西洋紀元で申しますると六百十六年ですね、このときから明らかに日本の文献の上に、殊に古事記とか、日本書紀、続日本紀、国史学、大抵の古書にはこの南の島々、特に奄美や沖繩諸島のことがよく現われて、毎年のようにその時からは日本の朝廷にずつと貢ぎ物を納めるために向うから特別な使者が来ております。そうしてそれぞれ位や祿を賜わつておることが明らかに古書のうちに散見しておる次第であります。これがいわゆるまあ植民地に次ぐ朝貢時代、朝廷に貢を贈つておつた時代です。ところが丁度文武天皇の大宝元年ですか、あの時に至つて太宰府が九州に設けられましてから太宰府の管轄日に九州と一緒に南の島島も入つております。太宰府としては南の島々を二つの郡に分けて、そうしてその島司を派して統治させておつたのであります。ところが太宰府の管轄に移つてから百二十年も経てからですが、経済上の理由で、と申しますのは、どうも南の島々からは僅かに鹿の皮百枚を献じておるに過ぎない、ところが島司の俸祿は莫大なものである、それと比較にならないからこれは経済上到底引合わないということで、太宰府では南の島々を放棄してしまつたのです。放棄というよりはまあつまり大隅のほうに附けてしまつておりますけれども、併しほんの名目上で事実はまるで統治のかなたに放棄されたようなものでありましていわゆる無所属状態を来たしております。これが約二百年間ぐらいに及んでおりまするが、その無所属時代になつたものですから奄美大島にはいろんな強者、豪族が興りました。これには無論あの当時の倭寇ですね、八幡船の跋航でたびたび来襲を受けたものですから、それに対する防禦手段として強者、豪族が起つて防衛に当つたのがだんだんこれが勢力を得て酋長になつて、各地に酋長が跋扈するようになつて非常な乱世時代に入つております。そのうちにやつぱり沖繩のほうへ内通する者がある、勢力争いから酋長の中には沖繩の王様に内通する者があつて、とうとう西洋紀元で申しますと一二六六年の沖繩の属島になつておるわけでありますが、それまでは全く純然たる日本領で直接大和朝廷と交渉しておつたのであります。琉球時代になつてから約三百四十年間琉球の支配になつておりますが、下つて何年になりますか薩藩時代一六〇一年かそこいらでしようが、薩藩のために沖繩が征服されて、その時奄美大島諸島は割讓して薩藩に入れたわけなんでありますが、爾来二百四十年間全く薩藩の直轄の下に生存して来たので、明治維新になつて廃藩置県の時に鹿児島県に属するようになつたのでありまするが、そういう極く概括的な歴史上の事実から申しましても、これは純然たる日本領であり特に終戰前までは鹿児島県の一郡として来ておりますので、その点において沖繩とは多少趣きを異にするだろうと思うのです。ところが今月奄美大島は琉球群島とか或いは沖繩列島といううちに含まれているかのように思われます。現に新聞紙ですら沖繩列島のうちに含まれていて、殆んど奄美大島は別扱いにしておりません。たまたま沖繩の表題で書いている記事を見るとそれが全く奄美大島のことを書いているのにしばしば出つくわすことがありまする。そのくらいどうも認識不足と申しまするか、新聞社のかたでもその点を明らかに認識しておりませんし、外国でもどうもこれは奄美列島と沖繩列島とを区別しないで、あそこは本来宝群島と奄美群島と琉球群島の三つの群島から、成り立つているのに、奄美群島だけはやはり琉球列島のうちに含まれているように思われます。この点を先ずもつてはつきり明らかにして置く必要がありはしないかと思うのであります。
 それからもう時間がありませんから端折つて申しまするが、民俗、つまりホルクローアいわゆる土俗の上から申しまするともう明らかに日本の一地方ということははつきりしております。ばかりでなしに日本の文化にとつて最も大事なところなんです。日本ではもうすでに古い神代から上代にかけての風俗習慣というものは大抵湮滅しております。たとい残つておつても幾度かの変遷に出会つてもとの意義が分らなくなつているのでありまするが、併し沖繩や大島においては現在それがつまり生きて使われているわけです。古い古い風俗習慣が今日奄美大島や琉球に依然として残つているのであります。一々これを例証を挙げて申上げることはむろんできますけれども、省きます。言語にしても同じことです。もう古い大和言葉が、つまり神代に奄美人がその母国から南の島々に植民した当時使つておつた古い言葉をそのまま今日使つているわけなんです。ですからとうに日本の今日の標準語からは消滅して死んでいる大和言葉が、今現に奄美大島や沖繩において生きて使われている。この一事を以てしても古い時代から日本の領土であり、又日本文化をそのまま原始形態のまま今日まで保序している唯一の方面だと思うのであります。日本文化にとつても非常にこれは意義の深い形のある宝であるのであります。それが今日まで沖繩の方面は学界に随分紹介されておりますけれども、奄美大島だけはまだまだそういう点が研究されず、紹介されていないので皆さんに親しまれないのかも知れませんけれども、事実は今申上げた通りであります。
 そういう点から申しましても、或いは又宗教は沖繩時代に沖繩のつまりノロクロイが来てそうして開いておりますが、このノロ宗というのは本来これは古神道と同じで、その祭神は、伊江さんなんかは御承知の通り実は日の神、天照大神を神体として仰がれている宗教で、その祭祀といい唱える文句といい皆古い大和言葉で綴つて、これがオモロと言つて現代大きなものになつて保管されているのでありまするが、そういうふうで宗教から申しても日本と大体同じでまあ自然教と申しますか、多神教と申しますか、いろいろな八百万の神々があつてそれを拝んでそれに五穀豊穰を祈り、天下泰平を祈つておるわけであります。こういうふうで、どういう点から申上げましてもこれが日本国の純然たる一領土であるということははつきりしておるし、なおその古い上代の文化の尊い遺産がこの島々に残つておるとすれば、将来日本にとつてもその点から非常な有意義な価値ある文化財を保有しておるわけであります。この際はつきりしますれば、我々は琉球列島の中に含まれておるとすれば、どうも或いは委任統治とか信託統治とか租借とかああいつたようなふうに一緒になつて行くかも知れませんし、或いはこれは別扱いしておるとすればその心配がないかも知れませんけれども、その点が一向我々にははつきりしておりません。たびたび陳情はしておりますけれども明らかになつておりませんので、皆さんにも一つこの点を特に強調してはつきり区別をして頂けるならば、四十万島民にとつては非常にこれは喜びとするところであります。みんなが今日非常に心配しておるのはつまりその点でありますので、幾らか将来に希望を属しながらもなお且つどうも憂慮に堪えないのであります。いわんや郡民全体から申しますれば今日もうこの本土と奄美諸島を合せたら恐らく五十万くらいになりはしませんか。これだけの人々が日本帰属を切に熱望しておる次第でありますから、この点を今月特に強調して皆さんに何分ともよろしくお願いいたす次第であります。
○委員長(櫻内辰郎君) 次は谷村唯一郎君。
○参考人(谷村唯一郎君) 私も奄美大島の出身であります。大島の歴史その他につきまして、只今昇さんから詳細に申上げましたのでこれを省略いたします。郷土の内地帰属につきまして考えておりまする希望、要望につきましては、先刻沖繩の代表のお二方から述べられたお気持と同一であります。同じ悩みを持ち同じ憂いを持つておる、この点においては私どもといたしましても共通の立場にあるのでありまして、できますことならば同じような解決点を見出すことができれば非常に結構だと思うのであります。ただ大島の特殊性につきましては昇さんからもお話が出ましたが、多少琉球と事情を異にする点があるのでありまして、若し大畠が琉球列島たるか故に琉球と運命を共にしなければならんというようなことでありますれば、これは一つその点を明らかに御理解を願つて置く必要があろうかと思うのであります。先ほど昇さんからもお話がありました通り、近頃新聞紙等でも琉球列島の中に入れて取扱つておる。こういうことでありまするが、これは恐らくこの占領後いわゆる北緯三十度以南の島嶼といたしまして、沖繩と一緒に軍政が布かれておるのであります。それを契機としてすべて沖繩軍政部の所管でありまするが故に、現在の状況におきましては沖繩と同等に取扱いを受けておる、こういう点から発足しておるのであろうと思うのであります。大島郡は非常に島嶼が多いのでありまして、十島村という十島で一ヶ村を作つておつたような小さい島々もあるのであります。従いまして北緯三十度で線を引きましたがために、その一部は大島の本土から切り離されて以前の通り鹿兒島の行政区域に帰つておるのがある、いわば蛇が両断されたような形になつておるのであります。これらも見ようによつてはちよつと不自然のように思うのであります。それでありますだけ大島郡は従来いろいろ歴史上の変遷については昇さんからお話がありましたが、例の島津藩になりまして以来は引続きいわゆる鹿兒島県の一部としてすべての政治が行われて来ておる。島津時代におきましても内地との交流が無論非常に多いのであります。交通、経済、風俗その他の関係におきまして、鹿兒島内地とちつとも変つたところがないのてあります。予算の関係から見ましても初めのうちは一時大島独立会計というような制度で、予算なんかも編んでおつたということでありまするが、その後はすべて鹿兒島県内地と共通の予算、政治的に見ましても衆議院の選挙区といたしましても鹿兒島県の第三区に属しておる。そして肝属郡と大島郡で第三区を作つておりまして、定員三名のところ大島から二人の代議士を出すというようなこともあるくらいであります。さようなことでとにかく鹿兒島とはもう切つても切れんという環境にあるのでありまして、すべての関係から申しましてもそつくり鹿兒島とはもう一連托生の立場にあるのであります。大島の人口が只今幾らあるかはつきりよく分りませんが、内地におりまする大島出身だけでも三、四十万の多数に上つております。恐らく在島の員数を加えますると数十万の多数に上ると思うのでありまして、沖繩と比較して人口の点においても幾らも違いはなかつたというような時代があつたのであります。
 さような事情で、我々出身者並びに大島出身の全住民が内地所属を熱望してやまないのでありまして、これにつきましては、数年来やはり沖繩と同じくいろいろ陳情いたし、或いは渉外運動もいたし、それぞれマッカーサー元帥或いは政府当局にも陳情運動をいたしておる次第であります。今回ダレス特使の御来朝に際しましても、我々の意のあるところを書面を以て詳しく陳情をいたしたような次第であります。現下の国際情勢から見まして、やはり大島を軍事基地として使用しなければならないというような事情がありますれば、まあ最小限度においてこれは止むを得ないと思われるのでありまして、この点については郡民も成る程度いたしかたがないだろうというような考えを持つておりまするが、要するに領土問題に対しては、どこまでも日本領土として、そして内地に帰属させるように熱望いたしておる次第でありますので、どうぞ皆様の御高配を煩わしたいと思うのであります。
○委員長(櫻内辰郎君) この際御質疑がありましたならば、陳情されましたかたがたに対する御質疑及び政府委員としては草葉外務政務次官、それから倭島管理局長、説明員の高橋條約課長、高野管理局の総務課長も出席されておりますので、御質疑がありましたらこの際願いたいと思います。
○曾祢益君 これは主として政府委員に伺いたいと思うのでありますが、只今の奄美大島並びに沖繩の御出身のかたがたから切々たる日本帰属に対するお訴えがありまして、我々も心から御同情申上げており、常日頃から連合国に対してこのことを陳情しておるものでございまするが、さてこの領土の帰属の問題について私は只今政府との間に如何なるダレス氏との間に話合いがあるか存じませんし、又この問題について今日研究するのは差控えたいと思うのでありますが、ただ信託統治という問題につきまして多少法理的な研究というものを我々がしておく必要があるのではないか。これは我々勿論領土の日本への帰属ということを強く希望するということと何ら矛盾しない、一つの研究に過ぎないのでございまして、その意味にお受取り願いたいのであります。
 この信託統治に関連いたしまして、特に我々がはつきりしておく必要があると思うのは、先ず信託統治の場合に、領土権、主権というものはどうなつておるか。これらのことについては、勿論国際連盟の委任統治のような場合もございましたが、全く新らしい観念である。殊に先ほど伊江さんもおつしやつたように、国際連合の規約にあるところの第二次世界大戰後の敵国から分離される領土の信託統治ということは非常に新らしい観念である。従つてこれらのことにつきまして、我々の参考として一体どういう領土権、主権がどういうふうに見られておるか、こういうことを研究して見る必要があるのではないかと思うのであります。
 まあ私の一応の見解を以てすれば、どうも信託統治区域の領土についてはつきりしておらない、先ほど御指摘の通りだと思う。併し逆に言うならば、いわゆる受託されるほうの国、ここに領土権がないという解釈のほうが正しいのではないか。そうなつて来れば来るほど先ほども御指摘になつたように、全く領土権がない、領土権がない区域だといつたような観念が一体法的にあり得るのか、どうか。この点は非常に重大な問題だと思うのであります。そこでこれにすぐ関連いたしまして、これ又御指摘になつたところの住民の国籍の問題であります。これはむしろ国際連盟時代の委任統治の場合と同様に、はつきりと受託国の国籍がないということは、より一層はつきりしておると思う。そうなればなるほどその天下の無籍者というような事態を考えざるを得ないのであります、考えられる。併し逆にかかる場合を通じて、果して旧領土権国の主権なり或いは国籍というものを認められるというような解釈が、一体成立つのかどうか。この点をはつきり突きとめる必要があると思う。これに関連いたしまして今一つの問題を考えて見たいと思うのは、いわゆる受託国と申しますか、施政権国という言葉を使つておるようでありますが、一体施政権国というのは、これは国連の憲章の中に書いてございまして、委任統治の場合と違いまして一国でなくてもいい数国だという問題。その中には国連自身が受権国に、施政権者になり得るというような規定もあるようでございます。これらのことをめぐりましていろいろな複数の、それから場合によつては旧領土権国が、いわゆる施政権者になる場合、かような例があるやうに聞いておるのであります。これらの点についても如何なる程度まで、この何と申しまするか、国際法の研究という見地から一体外務省はどういうふうに考えておるか、このことを一つ。
○政府委員(倭島英二君) 今の曾祢委員の御質問に対しましてお答え申上げたいと思いますが、実は諸般の現在行われておる事務の関係上、直接の責任者の條約局長その他の政府委員が今出席できませんので、私から代つて一応お答え申上げたいと思います。
 今、曾祢委員の御指摘になりましたように、領土権だとか国籍だとかそれから施政権者の問題等に関しましても、それぞれ今御意見のありましたようなことで、政府といたしましてもはつきりしておらない状況であります。第二次世界大戰の後でイタリーの例、或いは我が国でも曾つての委任統治の関係がございまするが、その関係に関しましても結局協定の中に今御指摘のあつたような点がはつきりすべきだろうと思いますが、実は従来までの政府の研究でははつきりしておりません。更にどういうわけではつきりしないかというような点は、又主任の政府委員が参りまして適当な機会に御説明申上げたいと思います。
○曾祢益君 只今主任の政府委員がおられないそうですから、今日はこれ以上私は政府委員には問い質すことをやめたいと思うのでありまするが、今申上げました点のほかに更に軍事的施設の問題、それから信託の期限の問題についても、一つの研究として当然に外務省においてはいろいろな御研究があるだろう。これは適当な機会に更に質問をするということで、私は政府委員に対する今日の質問は打切りたいと存じます。
○委員(櫻内辰郎君) 外に御質疑はございませんか。
○團伊能君 今日我が国民といたしまして、今日までともに一つの国民として参りました沖繩、琉球その他のかたがたと或いは袂をわかたなければならないような、極めて国民として考えて悲劇であるこの問題につきましての御陳情を伺い、皆様の御趣意、我々全く肝に銘ずる次第でございます。
 ここに私一、二お伺いしたいのは、只今伊江先生その他からの御説明に対して、もう少しよく伺つておきたいという問題がございます。只今奄美大島についてお話になりました、いわゆる今日日本の統治から離れている事情、一九四六年の一月二十九日総司令部覚書で日本のとにかく統治から離れているということは、必ずしもこれは講和会議におきまして日本の所属から離れるというようなこと、或いは信託統治に入るというようなこととは別個の問題と考えますので、私がこれは考えているので、事情はわかりませんが、なぜかと申しますと、これらの離れました土地で今日何ら問題にならずそのまま日本に復帰すると考えられる島も相当ございますので、その辺のことは我我は存じませんが、又どういうわけでこの三十度線というものが引かれたのか、これも甚だ納得いかないところでございまして、若しも、日本そのものと沖繩というものは一つでございますが仮にこの界があるといたしますれば、私どもは二十六度線或いは北緯二十七度の線あたりがいわゆる沖繩と日本というものの界として考えられろものかと存じますが、これはいろいろ軍事的な意味もあろうかと思いますのでその辺は私らの計り知らざるところでございますが、これはいずれ復帰するものと考えられない点もないかと思いまして、いろいろ私ども陳情いたしております次第でございますが、今日お伺いいたしたいのは、しばしば今日の陳情を承わりますと、殊に琉球につきまして伊江先生及び中吉先生のお話でございますと、日本に復帰したいという考え、島民一同非常に熱烈なるものがあると承わりますが、私どもが他より仄聞いたしますところによりますと、又これは一つの観念的なものかも知れませんが、前欧州大戰後におきまする講和会議の時代に、少数民族の独立ということが非常に強く申されまして、そこでこれは琉球のかたでないかも知れませんが、同じ少数民族独立という観念の上から琉球は琉球人の手にというような掛声もあるかと伺いますので、今日琉球の島民諸君の各層に亘り、又今日選挙もいろいろしておいでになりますので、各政党に亘つて皆一体でこのお考えでありますか。或いはその中に琉球の独立と申しますか、そういう観念で動いて行かれる方がありますかどうか、御事情を伺わさして頂きたいと存じます。
 その次は非常に簡單な問題でございますが、今日日本といたしましてポツダム宣言を受諾いたしましたる以上、この降伏條件によりましてこの帰属如何につきましての発言は持てない状態でございますので、これは日本といたして満腔の御同情を申上げ、又我々同胞の問題として非常に深く考えさせられますが、併し今如何ともなしがたい問題でございますが、これは具体的な問題でございますが、沖繩人は従来非常に航海を以て外国に発展された歴史をもつておられる。殊に米国方面においても相当に移住されたかたもあり中には有力者もあるかと聞いております。これらの在外、在米沖繩人と本島人との間に何か御関係があつて、或いはこういう事情をもう少し、日本を通すよりも直接にワシントンその他外国にわからせるというような御努力がありますかどうか、その点二つお伺いいたしたいと思います。
○参考人(伊江朝助君) 只今團さんの御質問でありますが、我々は終戰当時から、仲吉君が私より事情に詳しいのでありますが、仲吉君を中心として、私どもはマッカーサー司令部及び政府当局に陳情して復帰運動を続けているのであります。それに対して一部の人間、ここで申していいか惡いか知りませんが、いわゆる共産党の諸君が独立運動をしているのであります。共産党の宣伝で以て琉球は独立するということをほうぼうに宣伝している。併し我々はこういう問題に対して一顧も與えないものだといつて始終刎ねつけているのでありますが、共産党以外の人間で日本復帰に反対している人間は殆んどおりません。併し最近又いわゆるアメリカの信託統治になるであろうという声が大分盛んになりましたために、御承知の通り共産党はアメリカ嫌いでありますからして、又日本に復帰運動をするということでやつております。彼らのやることは始終自分本位でやつしている次第であります。なお又米国におりまする沖繩出身の有力なる連中がことごとく我々に同情してくれまして始終鞭撻をしてくれるのであります。しまいにはお前がたは運動費がないだろうから、幾らでも運動費をくれるがどうだというようなことまで言います。併し私どもはこの点については余り運動費も使いませず、ただ我々の希望を以て努力をしておりますから一厘たりとも補助を受けておりません。そうして向うにおります国務省のいろいろの人、殊にあのラジオの米国通信をやる坂井米夫君が断えず盡力してくれている。そういつたような按配で、独立運動というようなものは先にも申上げましたが、我々は夢想だにいたしません。独立しようはずはないのであります。我々は飽くまでも祖国本位であります。祖国と共に苦しみ祖国と共に楽しみ、そうして国家再建に盡したいのが我々沖繩県出身の者一同の殆んど全部の希望であります。
○参考人(仲吉良光君) 今團さんのお話ですが、外国の話ですが、ハワイそれから米国本土、ブラジル、アルゼンチンなどに沖繩人が行つておりますが、御承知のようにあそこには日本人会というのがあります。日本人会に沖繩の人は無論入つております。若しこれが日本から離されるということになると、海外にいる沖繩の移民たちが日本人会におられなくなりましてそのかたがたの非常な悩みになつているのであります。それで私、毎日新聞社におりましたが今、日日新聞社におります鈴木君というのがアルゼンチンから帰つて参りましたが、大分沖繩の連中と非常に親しくなりましたが冗談さえ言えない。同じ日本人で、敗戰後ここはアメリカだというので冗談に言つても沖繩の人はまじめになつて怒つてしまう、私たちはまだアメリカ人ではないというので。こういうふうなわけで日本人会から離されることで海外におる沖繩の人が一番今苦しむのでありまして、ハワイからも今皆さんのお話のように昨年ですか、向うに西本願寺の教師として行つている僕たちの先輩の人が、非常に心配しておいでになつているわけでありますし、それから地元の沖繩でこの陳情書なんかで余り運動はしておりませんが、これは速記をやめて頂きたい。
○委員長(櫻内辰郎君) 速記をとめて下さい。
   〔速記中止〕
○委員長(櫻内辰郎君) 速記を始めてください。
○参考人(伊江朝助君) 甚だ恐縮ですが、御承知の通り徳田球一君は沖繩の出身者でありまして徳田球一君なんかの考えは、アメリカの委任統治になると共産党の復帰はできない、宣伝ができない、そういう意味で独立といえば共産党の温床になる、こういう思想でおるのであります。
 それからもう一つは、先程仲吉君が知事の選挙があつたと言いましたが、共産党から一人立ちましたが殆んどものにならん、一万何千かあつたそうであります。十九万と八方と一万何千こういうような状態でありまして、徳田球一君の管下で一万人ぐらいは或いはおるかも知れません。それだけは一つ附加えて申上げておきます。
○曾祢益君 伊江さんにちよつと伺いたいのですが、これは言葉の問題でございますが、先ほど伺つていると日本の宗主権のもとにということを言つておられましたが、あれは主権、領土権とこういう意味で使つたのですね。
○参考人(伊江朝助君) そうでございます。日本内地にアメリカの軍事基地を置くという話もよく聞きますので、琉球の沖繩のほうもアメリカの日本における軍事基地として取扱つて頂きたい、その代りに日本の統治権のもとに、そういう希望なんであります。やむを得ざる希望なんでございます。
○委員長(櫻内辰郎君) ほかに御質問はございませんか。御質疑がなければこの程度で散会をいたします。どうも有難うございました。
   午後三時七分散会
 出席者は左の通り。
   委員長     櫻内 辰郎君
           徳川 頼貞君
           曾祢  益君
   委員
           團  伊能君
           野田 俊作君
  政府委員
   外務政務次官  草葉 隆圓君
   外務省管理局長  倭島 英二君
  事務局側
   常任委員会專門
   員      久保田貫一郎君
  参考人
   元貴族院議員  伊江 朝助君
   元首里市長   仲吉 良光君
   全国奄美連合総
   本部委員長   昇  直隆君
   弁  護  士 谷村唯一郎君