第071回国会 法務委員会 第6号
昭和四十八年四月二十四日(火曜日)
   午前十時二十分開会
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   委員の異動
 四月十七日
    辞任         補欠選任
     鈴木  強君     松本 賢一君
 四月二十日
    辞任         補欠選任
     松本 賢一君     鈴木  強君
 四月二十三日
    辞任         補欠選任
     小枝 一雄君     玉置 和郎君
     竹田 現照君     松本 賢一君
 四月二十四日
    辞任         補欠選任
     玉置 和郎君     小枝 一雄君
    ―――――――――――――
  出席者は左のとおり。
    委員長         原田  立君
    理 事
                後藤 義隆君
                原 文兵衛君
                佐々木静子君
    委 員
                斎藤 十朗君
                玉置 和郎君
                中西 一郎君
                吉武 恵市君
                鈴木  強君
                松本 賢一君
   国務大臣
       法 務 大 臣  田中伊三次君
   政府委員
       防衛施設庁長官  高松 敬治君
       防衛施設庁施設
       部長       平井 啓一君
       法務大臣官房長  香川 保一君
   最高裁判所長官代理者
       最高裁判所事務
       総局家庭局長   裾分 一立君
       最高裁判所事務
       総局家庭局第一
       課長       伊藤 滋夫君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        二見 次夫君
   説明員
       法務大臣官房訟
       務部第一課長   木村 博典君
       厚生省児童家庭
       局育成課長    阿部 正利君
   参考人
       菊田産婦人科・
       肛門科医院院長  菊田  昇君
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  本日の会議に付した案件
○参考人の出席要求に関する件
○検察及び裁判の運営等に関する調査
 (新生児あっせんに関する件)
 (北富士演習場の入会権に関する件)
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○委員長(原田立君) ただいまから法務委員会を開会いたします。
 まず、委員の異動について報告いたします。
 昨二十三日、竹田現照君及び小枝一雄君が委員を辞任され、その補欠として松本賢一君及び玉置和郎君が選任されました。
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○委員長(原田立君) 参考人の出席要求に関する件についておはかりいたします。
 本日、検察及び裁判の運営等に関する調査のため、菊田産婦人科・肛門科医院院長菊田昇君を参考人として出席を求め、その意見を聴取することに御異議ございませんか。
  〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○委員長(原田立君) 御異議ないと認めます。
 なお、その手続につきましては、これを委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。
  〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○委員長(原田立君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。
    ―――――――――――――
○委員長(原田立君) 検察及び裁判の運営等に関する調査を議題といたします。
 この際、菊田参考人に一言ごあいさつを申し上げます。
 菊田参考人には、御多忙中にもかかわらず本委員会に御出席くださいまして、厚く御礼申し上げます。これから先生の御意見を承るわけでございますが、ひとつ忌憚のないところをお聞かせ願えれば幸いと存じます。
 それでは、これより質疑に入ります。
 御質疑のある方は順次御発言を願います。
○鈴木強君 きょうは、ただいま委員長からもお礼のごあいさつが述べられましたが、菊田院長先生にはたいへん御多用のところ、なおかつ遠路のところを御出席いただきまして、まことにありがとうございました。
 今月の二十日の新聞に、次のような記事が掲載されました。すなわち、宮城県石巻市内の菊田産婦人科医院の院長が、「堕胎手術を希望する母親を説得して出産させ、別の夫婦に〃実子〃として世話していることがわかった。医師は「子供の将来、母体の健全を願う道義的責任から、違法を覚悟でやった」といい、赤ちゃんの引取り手を新聞広告で募集、この十年間に百人の赤ちゃんを無報酬で、子供に恵まれない夫婦に渡したという。駅のコインロッカーから赤ちゃんの死体が発見されても、あまり珍しくないほど、母子関係の崩壊現象が極限にきたようなこのごろだが、この医師の措置が、正しいのかどうか。〃堕胎天国〃と〃生み捨て〃が共存、子供の被害が慢性的になりつつある世相の中で、この医師の思い切ったやり方は論議を呼びそうだ。」という記事がございました。
 私はこの記事を見まして、このような事件はいま始まったことではございません。今日、わが国の社会情勢の中に深く広く潜行しておる世相の一端が端的に浮き彫りされた事件だと私は受けとめました。そうしてこのようなケースは、現行の法制と現実社会との間に生じている一つの困ったギャップであると思うんであります。そうして、これまでもこういう事件が問題になりますと、そのときは盛んに論議されるのでありますが、時間がたてば忘れられてしまっております。そしていつの間にかうやむやになってしまっております。だれもがあまり触れたがらないというのが従来の例ではなかったかと私は思うのでございます。しかしながら、もうこのような問題は、このまま私は放置することは許されないと思いました。この際、この問題について深くメスを入れ、論議を深めまして、何らかの対応策を見出すべきではないかと私は信じまして、本委員会において先生の御出席をいただき、これを取り上げていただくように委員長にお願いをして、きょうここに開会された次第でございます。
 したがって、きょうは私はその手始めとして、問題を提起されました菊田先生から実情をお聞きしたいと思います。ただし、医師の秘密もございますから、私の質問で、もし行き過ぎがありましたらその点は率直に申し述べていただきたいと思います。
 そして私は、さらにこの次には、医事評論家の方々とかあるいは一般の有識者の方々にもおいでいただいて意見を伺いたいと思いますし、さらにまた、法律専門家の方からもいろんな意見を教えていただいて、そして国会の立場からも、ひとつこの現実と法制とのギャップをどういうふうにして埋めていくべきか、その対応策を考えるようにしたいと思っておるのでございます。
 そこで最初にお伺いしたいのは、この事件の骨格についてでございます。先生は、新聞等で拝見しますと、現行の憲法あるいは医師法に違反することを承知の上でこのようなことをなさったということでございますが、これは事実でございましょうか。もし事実だとすれば、それにはそれなりの私は理由もあったと思いますし、また先生の御決意なり御信念というものがあってのことだと思いますから、まず最初に、その点の御所見を述べていただきたいと思います。
○参考人(菊田昇君) ただいまの質問にお答え申し上げます。
 私は、この行為が明らかに法律に違反しているということを率直に認めております。それじゃどうしてこういう行為を行なったかということを正確にわかっていただきたいために、いまここに、たとえば妊娠九カ月以降十カ月までの受胎している胎児の問題に焦点をしぼるということにいたしまして、生存可能性のある子供がいま死にさらされているときに、これを何らかの形で助ける手段はないものか、それで、もしもこの幼い命を助ける方法があれば、またこれ以外には助ける方法がない場合は、この点においては法を犯すこともやむなしと判断した次第でございます。
○鈴木強君 私はあまり産婦人科のことはよくわからないのでございますが、常識的に考えても、六カ月ないし七カ月以上の胎児を人工中絶することはやはり母体にも悪い影響があるというふうに聞いておりますから、先生がおやりになった、いまお述べになった九カ月から十カ月でございますか。
○参考人(菊田昇君) 七カ月以降と申します。
○鈴木強君 七カ月以降のこういうケースで、何とかその子供を助けることはできないかという、そういうことでおやりになったというお話でございます。私は、医者の立場として、生まれくる子供を、人工中絶をやめさして何とか出生させるということをやるのは、私は医者の責務だと思うのでございますね。ですから、そこまでは私はだれも異論はないと思うのでございますが、問題はそのあと、一体――いま法制的には養子縁組みという方法が一つございますね。にもかかわらず、あえて、実際にAが産んだ子供をBが産んだことにして出生証明書を書き、そしてそれを届け出て、その世話を先生がおやりになったということでございますからね。ですから、そういう養子縁組みという方法をとらずに、あえて法律に違反することを承知で先生のやったような方法をとられたという、そこのところをもう少し伺いたいでんです。
○参考人(菊田昇君) 私は、この問題が養子縁組みとしてとられ得るとすれば、もちろん養子縁組みの道を私自身は選んだということは間違いございません。しかし、そういう状態でこの七カ月以降の生存可能児の命を助けることが不可能なケースだけに限って私の行なった行為でございまして――いまの数字を出したのはでございますね。ですから、養子縁組みの形でもって、皆さん、もらう方も、それからあるいはこの赤ん坊の命を保つことができるということでしたら、私は、もちろん喜んで合法的な形でこれを守ることに大賛成でございます。また、守らねばならないと思います。いかんせん、現実の問題にぶつかりますと、養子縁組みの案を提示した場合には解決しない部分のほうが多うございまして、それでやむなくとった手段と御理解いただきたいと思うのでございます。
○鈴木強君 まあ養子縁組みではいろいろと問題がある、したがって、こういうふうに出生証明書を書いて、実際に嫡出子というふうにして届け出をするわけですね。そういう方法はやむを得ずやった措置であると、こうおっしゃるわけですが、もう少し具体的に――養子縁組みになりますと、戸籍法上も、実際の両親の名前も戸籍に載るわけでございますからね。ですから、そういう点もあったりして従来養子縁組みがうまくいかなかったというようなことを御体験になって、それよりも、法律には違反するかもしれないが、先生がおやりになったような措置をあえてとらなければならなかったという根拠といいますかね、理由がちょっとまだ私にはわからないですね。あえてそれをやるのには、やっぱりそれだけの私は先生の御信念があってのことだと思いますからね、もう少し国民がなるほどというような理由があったらお聞かせしてもらいたいですね。
○参考人(菊田昇君) その具体的の例でよろしゅうございますか。
○鈴木強君 ええ、けっこうですよ。
○参考人(菊田昇君) たとえば、具体的な例を申しますと、世の中には――いま現在、現行の優生保護法においては、現在の法拡大の問題において、妊娠初期の中絶は大幅に緩和されておるということは現実において事実だと思いますけれども、しかしながら、そういう時点を越えて妊娠七カ月まで妊娠が継続した場合に、この赤ん坊を中絶してくださいと言って産婦人科を訪れる例というものもこれまた非常に多いと思われるのも現状でございます。そして、そのときのその原因の大部分というのを四つか五つ具体的に申しますと、予防医学的な意味における性的な無知、性教育の無知と申しましょうか、受胎するケースはありましても二、三カ月ぐらいで処理し得なかった、処理することを知らなかったということで、結局、七、八カ月とか、あるいははなはだしきは十カ月まで受胎していて、産婦人科医を訪れまして人工中絶をしてほしい、ということばの陰には、この赤ん坊を密殺してほしいということばが隠されているわけでございます。
 いまの原因、ケースの問題にまた戻りますけれども、いま激増する交通事故なんかの問題で、すでに子供を二名かかえていて、父親が突然事故にあって死んだ。当然十カ月持っていたんですが突然死んでしまったとか、あるいは一生心身障害のような形でその父親のめんどうまでもみ続けなければならないという状態に追い込まれている御婦人も突如としてあらわれることもございます。それから、いま、いわゆる蒸発時代とか申しまして、突如として一家の父親が蒸発することもございます。それから、最近、いやなことばなんですが、何か内縁時代、同棲時代などということばがありまして、そういう時代で、同棲しているうちに、女の側は、その愛情を長くつなぐために、今後、同棲時代から結婚時代に入るために、子供を持てば愛情がつなげるかもしれないというので、あえて七カ月、八カ月、九カ月まで妊娠を継続させている。そしてその時点で、突然、男のほうから別れ話を出されるという場合にそういう問題、そういういろいろなケースがございます。
 そのときに、七カ月、八カ月で人工中絶をすることは害悪であるからやめなさいと言ってしまえば、この時点でこの母親のたどるべき道はいろいろあると思います。それで、一つは法に従って満期分娩まで持っていって――私生子ということばはなくなりましたが、庶子ということばでもってこれから、いわば、何と言いますか、たとえば男に捨てられた状態だとか、いわゆる同棲時代から新たに新しい明るい生活をしようと思うときに、第二の人があらわれてこれからまじめな生活に入ろうというときに、たまたま、結婚届けを取りに行ってみたら庶子があったんだというような形で、結局、この方の新しい道に行く上にまたこれが破綻になってしまう。そういう状態では、当然、この女性は、七カ月以降において産婦人科医を訪れて中絶してほしいということばの陰には、殺してくださいということが含まれておるものでございます。それで私が断われば、おそらく、一開業医が断われば二、三軒の産婦人科医を訪れると思うんです。自分の子供を殺そうということまで決意したということは、ぼくは、なみなみならない深刻な立場に置かれていると判断せざるを得ません。それで、三、四軒あるいは五、六軒かもしれませんが、どこの産婦人科のお医者においてもこれは違法行為だからそんなことはできないよといって断わられた場合に、その女性は、最終的には、庶子を持って、あと、新しいいわゆる明るい生活に入れない。過去の二、三回の誤りかどうか、そういうものをかかえた上で、もう一生暗い生活に入らねばならないのか。それから、その二、三軒回っている間にも赤ん坊はだんだん大きくなってきます。そしてその赤ん坊が結局満期で生まれたときには、その母親がいままで考え続けてきた、この子供を殺す、殺すというその状態は何ら改善されてない場合は、この子供はやはり殺される運命にあると私は思います。
 それで何とかこの時点で、産婦人科医に訪れるそういう人たちを食いとめて、どうだろう、あなたの戸籍もよごさない――別にに私は戸籍をよごさないことを売りものにしているわけではございません。あなたの希望をよく聞いてみると、どうしても戸籍をよごすんだったら何が何でもこの子供を殺すのかと、そうすると、そうですと言うんです。殺すという表現は穏当じゃないかもしれませんけれども、七カ月、八カ月の人工中絶ということはイコール殺人なんです。ですから、殺すのかと言いますと、やっぱりどうしても追い詰められているからと、そういう返事になるわけです。そのときに私は、どうだろう、もう一度これは考えてみないか、いまこの時点で中絶するということは、要するに戸籍のところで実子とつかなければ、あなたはこの問題は解決するのかと聞くと、そうだと言うわけです。それじゃもう二、三カ月、生存可能なところまで赤ちゃんを入れてほしい、そうすれば、この子供はじょうぶな赤ん坊としてこの世に一つの命を保てる。そのかわり、私が何かその問題でこれを考えてあげるから、ここで中絶するのはおよしなさいということで私は食いとめる、食いとめるというのは、くどいようですが、これがいい方法だからというんではございません。これ以外にない場合は、その方法でもって責任持って食いとめてやらねばならないと私は述べました。そうするとその女性たちは、それならば私はもう二、三カ月おなかの中に入れますと言って、ほとんどのそういう追い詰められた女性は私の意見に賛同してくれておったわけでございます。
○鈴木強君 その点は私たちにもよくわかります。それで、いよいよ生まれたその子供の措置について、子供をほしがっている人たちがおるわけですね、いわゆる引き取り人、それから、子供がほしくないというか、産んでも困るという、いまの産んだお母さんですね、それと、先生が中に入って三者でお話し合いをして、そして三者の合意によってこの問題が解決されていくという、そういうふうなケースだと思うんでございますが、先生のお話ですと、こういう例が十年間で百人でございますか、くらいあったということでございますが、その百人の子供は、男と女と分けたらどのくらいになるのですか。
○参考人(菊田昇君) これはでございますね、百人という表現は、私はこういう事実を統計をとるつもりもございませんので、まあ大ざっぱに見て百人ぐらいあったかなというふうにひとつ御理解いただきたい。それから男女の別については、もういわゆるいまの内閣の調査資料に基づきまして、男女の比率が、分べんのときに、確率の可能性ですね、あの比率と全く同じだと考えてよろしいんじゃないでしょうか。ですから、別に、私のところで、たとえば処置に困って産まれる人の赤ん坊は男が多いか女が多いかというのは、大体全国平均の数と御了承いただければよろしいのではないかと思います。
○鈴木強君 それで、中絶で命をなくするよりも助けてやったほうがいいという御判断でおやりになったと思うのですが、その際、実子でない子供を実子だとして入籍することになるわけですから、その育ての親としての適格性というものがやはり一つ問題になると思いますね。ですから先生が御判断して、この方ならばだいじょうぶというような確信を持たれるのには、引き取り人である御夫婦がどういう方であるか、そしてだいじょうぶかということは、いろいろな角度からお調べになるのではないかと思いますけれども、そういう点に対してやはり一まつの不安といいますか、危惧を持つわけですけれども、その点、どうでしょうか。そしていままで約百組と見ましょう、百組というか百人の赤ちゃんを同様な方法で引き取り人に引き取っていただいているわけですけれども、それらの家庭はしごくうまくいっておるものでございましょうか、どうでございましょうか。
○参考人(菊田昇君) 私はただいまやっていることが一番理想的な形とは現在考えておりませんのでございます。それで、私自身は、あとから触れるかもしれませんけれども、もし公的に許されるならば、もう一人、いわゆる養い親が必ずこの子供を、必ずと言っても未来のことですから、この時点において、まさしくこの子供をしあわせにしてくれる可能性があるかという、私の信念以外に、もう一人、いわば家庭裁判所の判事さんみたいな方が、私の考えに同意した時点においてこれをきめていただければ、医者自身が背負うべき責任の額はぐっと少なくなると思います。
 ですから、これは理想的な形でないとしましても、私の時点で、いわゆる法に隠れてこそこそ秘密の状態でやるときの私自身の判断を申し上げますと、この養わんとする親ですね、いわゆる実子としてもらってくださる親の愛情の度合いが、この時点で一番の判断の基準になりはしないか。このことばを言いかえすますと、ではその愛情をどうして、ぼくがどういう基準でこれを判断するかと申しますと、私自身の考えかもしれませんけれども、赤ちゃんがほしいのですという熱意、とにかくぼくは、ちょっとそういうものはめったに出てこないし、何もまるまる十カ月もおなかに入れてから赤ん坊をくれようなんという親はそんなにないのだから、とてもこういうことは当てにしていてもわかりませんけれども、まあまあ願いは受けておきましょうという段階でいるのに、いや何年でも待つからぜひほしいと何回でも足を運ぶような方は、ぼくは、熱意がある、赤ちゃんがほしくてしかたがないという方は、これはぼくは、愛情に、この子供を必ずしあわせにしてくれるという、私だけの判断ですけれども、何か確信を持てそうな感じがいたします。
 それから、もう一つぜひ御理解願いたいことは、少なくともいま生まんとする母親は、この子供を殺そうという意思が働いている状態なんでございます。で、いま殺そうという意思の働いている母親と、何とかしてほしいほしいという母親を目の前にしたときに、この子供はどのようにしあわせになるかならないかという判断の基準は、私はある意味ではそうむずかしくないというような感じで受けとめております。それで、ちょっと余談になりますけれども、やはりかぐや姫とか桃太郎のお話のごとく、やはり育てようという熱意のある人は、やはり実子であろうと育てただけの親であろうと、育てる過程において愛情が生ずるということをぼくは確信をしております。
○鈴木強君 そうすると、大体百人の赤ちゃんは、何と言いますか、しあわせにすくすくと成長していると、こういうふうに理解していいわけですね。
○参考人(菊田昇君) はい、そのとおりでございます。
○鈴木強君 そこで、先生のところにいらっしゃる約百人の方々は大体あれでしょうか、妊娠七カ月以上たった方がほとんどでございましょうか。それとももっと早い時期に中絶をするというよとなお話があって、そしてそれに対して説得をするというようなケースもあったのでございましょうか。
○参考人(菊田昇君) これは妊娠後七カ月までかえて、それで七カ月以降まで持って、はなはだしきは十カ月まで持ってから中絶したいということは、密殺したいという人はやはり人工中絶総数から見たら、まあごく微々たる数だと思いますけれども、人工中絶全体から見た、人工中絶も底辺が広いだけに、実数としてとらえますと、妊娠七カ月以降の者は、全体の人工中絶の数から見ますと非常に少ないパーセントであるけれども、それじゃ実数はどうかと申し上げますと、人工中絶の実数は非常に多いものでございますから、これまたときによるとあなどれない数になるのではなかろうかという考え方もいたします。
○鈴木強君 具体的に、先生が取り扱われた約百名の御婦人の中で、七カ月以上たって人工中絶をしてもらいたいと先生の門をたたく人ばかりだったでしょうか。それとももっと早目に、百人の中で何人かは、三カ月とか五カ月のときにそういう中絶をしたいという申し出があって、それに対して先生が説得をして産まして、そしてそれを実際に産まないおとうさんとおかあさんに、御夫婦にあっせんするということを伺っているんですから、一般論でなくて、この場合のケースとして伺いたい。
○参考人(菊田昇君) その問題は、幅をそこまで広げますと、今度は優生保護法の問題に発展しそうな感じに受けとめられますので、いわゆる優生保護法自体のところまでまいりますと多少焦点がぼやけてくる、また膨大な問題に発展しかねないものですので、私個人としましては、大体七カ月以降の問題にこの点をしぼっていただきたいとお願いいたしたいわけなんでございますが……。
○鈴木強君 ですから端的に伺って、百人のうち全部が七カ月以上も妊娠をして、たって人工中絶を病院にお願いに来たというのですかということですよ。それともこの百人、先生がおやりになった百人の方々、その中には、何名かは三カ月ぐらいのときに先生のところへ来て、これはあなたは産まなければいかぬ、そう言って話をしますね、中絶はいけませんよと。そういうふうにして、やった方がこの百名の中に何人いますかということ、そこをしぼって聞いているんです。
○参考人(菊田昇君) ございません。
○鈴木強君 それはすっきりしました。それで、百人の方は、中絶を決意するのにはやはりそれなりの理由があると思うんでございます。大ざっぱに分けて、先生もさっきおっしゃっておりますように、日本の場合、フリーセックスとかあるいは堕胎天国なんというようなことが平気で言われておりますし、しかしその内容がどうであるかは国民にはつまびらかではありませんけれども、これはもうたいへんな状態になっていると私は思うのであります。しかしそのことが明るみに出ない。そういう中からこういったものが派生的に起きてくるわけでございますから、これは議論を深めますと優生保護法なり産児制限の問題やあるいは人工中絶の問題やあらゆる問題が論議になりますから、きょうは私も差し控えておきたいと思うのです。ただ、七カ月以上になってどうしても中絶をしたいという方にはそれなりの理由があると思うのです。ですから、先生がお聞きになって胸を打たれ、これはこうやってやらなければいかぬという決意をされるにはそれだけのやはり理由がなければ決意できないわけですから、ここで具体的にどうこう、どうこうということ、ケース、ケースについて伺うことはできませんけれども、おおよそ考えて、性に対する無知とか、あるいは生活が非常に困って、この子を生んでもしあわせに育てられないとか、あるいは不義の中に生まれてやむを得ず処理するとか、そういったケースがあると思うのでございます。ですから、大別したらどんなふうになりますか、もしお差しつかえなければ明らかにしていただきたいのでございます。
○参考人(菊田昇君) 私は、婦人のこの問題については、七カ月以降にしぼりましたものについて申し上げたい。しぼりましたのは、たとえば妊娠二カ月、三カ月で中絶する場合は、母体に対する、いわゆる母体を傷つけたりする危険の度合いが非常に少ないのでございます。ですからそのことと、妊娠中期に中絶するということは非常に母体にも危険性を持ち、傷つく可能性があるし、それからそろそろ胎動も感じ、体外――母体外で生存する確率が非常に高まってきている。そういう状態のものとは、別個にやはり問題を考えていかなければならないのではないか。たとえば非常に初期の妊娠中絶の場合は、経済的にも非常に安くできるわけです。これは値段のことを言ってはなはだあれですけれども、経済的な負担も少ないし、母体を傷つけるおそれも非常に少なうございます。それから、そのころの妊娠初期のことばをいわゆる流産ということばでいままで学問的にも名づけられていたという根拠は、流れるということは、一つの生命というよりは、物理的な感覚も私なりに流産ということばの中に感覚として感ぜられる。しかもそれが何かいままでどなたにも不合理を感じない状態で受けとめられてきた。流産ということばの中には、流れてしまう物質的な要素がある。それで、七カ月以降ですと早産ということばで呼びます。これはたまたまお産が早まったということばで呼びます。そういう意味で、この問題はやや感覚的に、変わった点でとらえるべきだという、これは私個人の見方でございます。
○鈴木強君 先生がこの方法をとられる場合に、新聞に広告を出されたということですね。これはどういうわけで新聞にまで広告をお出しになったんでございましょうか。新聞の報道では、どうも男の子は引き取り手が少ない、女の子のほうが引き取り人が多いというふうに報ぜられておりますけれども、この場合は男の子だというふうに伺っているのですけれども、なぜ新聞にそういう広告を出さなければならなかったのでしょうかね。たくさんの人たちが引き取り人になりたいというお話だとすれば、その必要もなかったのじゃないかと思うのですけれども、この辺はどうでございましょうか。
○参考人(菊田昇君) 私自身も、この問題は、いま現在女の赤ちゃんに関しては私のところには断わり切れないくらいの申し込みが現在来ております。しかし、どうしたことか、男の赤ちゃんはいつでももらい手が少ないというのが、これは現状でございまして、私のほうでは、かりにそういうふうに、女の人のいままあ一つの生命を受けとめてあげるからここで妊娠を持続しなさいと言って、満期産になってどちらが出るかわからないわけでございますね。それで女の赤ちゃんが出た場合には、こういうセンセーショナルな、と言っても地方の小さい新聞――小さい新聞というと失礼に当たるかもしれませんが、発行部数の少ないところで、まあ何と言いますか、おそらくそういう新聞を出してもそんなには――まあいままではそんなふうに思っておりましたが――ちょっと失礼、いまのところ、ちょっとあれですが、要するに男の赤ちゃん、そこで十カ月まで、この赤ちゃんを私の手で必ずしあわせにしてあげると思われる親たちにあげますからと言って押えてきたんだけれども、いざ生まれてみたらどうも男の赤ちゃんだった場合、私は非常に困るんでございます。最悪の場合は、おまえの意見を聞いてここまで持ってきたんだけれども、男の赤ちゃんだからおれはいやだと言われれば、おまえのところへ置いていくからおまえが育てろと言われても、私は今度孤児院を開設しなければならないような始末になります。それで私は、やむを得ず、広告を媒体としてこれをやったわけなんでございます。ただし、もっといい方法がこの時点であれば、私自身はこの方法を最良の方法とも思いませんけれども、ふしぎにも現にこの子供の問題が、まあ今回のことに限りますと、赤ちゃん、男の赤ちゃんと申し上げたら九人の申し込みが来たということは、こういう方法だと、いままでの経験から言うと一番早くこの赤ちゃんが引き取られる可能性というものを私自身経験として持っておりましたので、それで、こういう方法をとりました。
 それから、もう一つちょっとここで申し述べたいことは、私自身十五年間、この法の改正というか、子の命を守るために何らかの形で手を打たれることを、まあいわば国会の場で法制化して、こういう赤ん坊を助けるような法案が成立するのを待っておったわけでございます。しかし、どう待ったところで、十五年間待ち続けましたけれども、戸籍法というのでしょうか、文書偽造というのでしょうか、この問題が全く何らの改善もされていないということも考えまして、私は、実は今回の広告に関しては、今回だけじゃなくて、もう数年前から、この広告に対して一つのかけをしておったわけでございます。それは、あの新聞でも御存じだと思いますけれども、生まれたばかりの男の赤ちゃんをわが子として育てる人を求むと書いたのでございます。わが子ということばには養子という意味も含まれております。それから実子という意味も含まれております。それで、何か地方の新聞の方がいらっした場合には、地方だけでこれを騒がれては、ただ私が悪いことをしていたという事実だけで終わってしまって、私の求めている法改正の段階までは全く解決がつかないものですから、地方紙の記者の方がいらっしたときには、これは君、養子ですよと言ってのがれようという、私はその考え方を持っておりました。それから、もし全国紙の方がいらっしたら、私はこれは実子ですよと言って、この際、今後何らかの形で、せっかく命を助けようという方法があるんだから、これをひとつ、私のやっていることがもちろん法に触れるということで世の批判を浴びるということは当然ですけれども、私もこれ以上法を犯したくないし、かと言って、医者の尺度から考えれば、健康と生命を守るのが、私たち医者が常常何を尺度にしてお前はものごとを考えればいいかということを問われますと、どうしても命と健康を守ってやらねばならないという考え方にぶち当たるわけでございます。
 で、それをどちらを重しとするかということで、結局最終的には命を守るほうを私は医者としてとるのが正しいのではなかろうか。しかし、これが一つの違法であるということのその心の痛みというものも感じておりまして、この際何とかして、十五年待ったけれども何ともらちがあかないから、ここでひとつこの問題を提起して、私が命を助ける、赤ん坊の命をここでぐっと押えてあげるというときに、明るい気持ちで、おれは医者だから当然これはやらねばならないのだという心でやれるような法改正がないのでしょうかと、そうしてまた、私が十五年間一生懸命やってみて、ここで食いとめ得た赤ん坊の命というのは百名に足らないわけですよ。そうすると、これを全国の婦人科のお医者がここで受けとめた場合には、おそらくこの百倍になるか千倍かの当然生きるべき運命の子供をここで助けられるんではなかろうかと、そのように判断したものですから、私はまああえて、今度の広告問題については、その方がいらっしたときに、ぼくは逃げ場は用意してあったのですけれども、これは実子ですと、その新聞社の方に、二人とも東京関係の新聞の方でしたので、それで私はこのことについてもし法のさばきがあっても、もうこういう暗い、何か違法行為という暗い陰に隠れながらやるのは私はいやだから、今後私にそういう違法行為をさせないでその命を守る方法をとらせてくださるように政府にお願いするためには、まず第一段階として世論の喚起を促していただいて、私のやっていることがもし悪いと――もちろん法に触れることは悪いのですけれども、悪ければ、何かいい方法でもって、私が十五年間考え続けてきたことよりもいい方法を議員諸公とか有識者の方々に検討していただいて、私が今後非合法的な形をやめたいという念願をかなえてほしいというわけで、こういう新聞に提示したわけでございます。
○鈴木強君 まあ広告は「生まれたばかりの男の赤ちゃんをわが子として育てる方を求む」という、そういう内容でございまして、いま意見を伺いまして、まあ養子の場合もあるし実子の場合もあるというような幅のあるような内容だそうでございますが、まあ実際におやりになったのは、これはほとんどこの百名というのは養子でなくて、出生届を出生してない方の出生にして証明書を書いてあるという、こういう例でございましょう、この百名というのは。ですから、養子でもいいからというような、そういう申し入れは全然ないのでございましょうか。全部がその実際の嫡出子として、他人さんの子であっても自分の嫡出子として入籍さしたいと、そういうのでこざいましょうかね。
○参考人(菊田昇君) 全くそのとおりでございます。
○鈴木強君 それで、最初にあなたがお触れになった点で、法律的には、これは何と言っても違法ですね。現行の法制上からは違法である。しかしその違法をあえて犯しながらもやらざるを得なかった医者としての立場という、そういう点をお伺いしたわけです。で、その際に何か特例的なものを設けてほしいという御意見も述べられましたね。私もさっきちょっとお伺いしたんですが、これは、かりの話で、かりにそういう方法をとるとしても、ただ単に一医師の判断だけにゆだねるということもたいへん危険性があると思いますから、そういう面では、おっしゃるように家庭裁判所の判事さんも中に入っていただくとか、何かそういう方法をとりたいということでした。
 それで、わが国におきましても、法制上、御承知だと思いますが、昭和三十四年に法制審議会の民法部会がいろいろ検討した課題の中には入ってあるんですね。これは当時、法制審議会の民法部会が、親族法改正の問題点の中に、特別養子という制度を創設したらどうかという提案をしたわけです。これは、法律的には、実の親――実親との関係を断絶させて、全く養親の生んだ子と同一の関係とするだけでなく、戸籍の上でも養親の実子として記載しようというものである、こういう提案をされた。
 ところが、これに対して民法部会のほうではかなり批判がございまして、ここに私その記録を持っているんですけれども、第一は、戸籍に虚偽の記載をすることを公然として認めるのは重大な問題だ、それではすべての戸籍の記載に信頼を置けなくなる。これが一つ。二つ目に、真実の兄妹の間に恋愛関係を生じ、結婚でもすることになったら大きな問題が起きてくる。特に、夫以外の者による人工受精がすでに問題になっているときだけに、それとの関係がむずかしくなってくる。三つ目は、たとえ戸籍の上で真実の子と記載したところで、いつかはわかることもあろう、その場合に子供として受けるショックというのは非常に大きい。こういう点が、大きく分けて反対の立場に立つ人たちの論拠であったわけです。ですから、必ずしもこの問題が全然問題にならなかったのではなくして、法制専門家の中でも、先生のいまおやりになっている点の法制と現実とのギャップというものを埋めるために努力をされたんではないかと思うんであります。
 それから外国の例を調べてみますと、フランスではこういう方法をとっておりますね。それからアメリカあたりでも、州によってはこれに似かよったような制度をとっているところもございます、ですから。日本も現実にそういう必要性があるならば、それはやはり考えなければならぬことだと私思うんでございますが、まあしかし、いま民法部会のほうで問題になりましたような弊害が出てこないという保証はこれまたないわけでありますし、それから例の壽産院事件のようなああいった問題が戦後の虚脱状態の中でございましたからだと思いますけれども、しかしああいうふうなことにならないとも限らない。それから、金をもって金銭で取引するというようなことが起きないとも限らないわけですね。ですから、そういうふうな点をいろいろ考察しますと、にわかに結論を出しにくい問題であることもこれはよくわかる。
 しかし、当初私が申し上げたように、ここまで来れば、この問題にやはり何らかのひとつ対応策も考えざるを得ない時期に来ていると思うんです。ですから、先生自体がこういう民法部会の問題をお知りになっておるか、私、存じてないのですけれども、やはりこのいまの世の中の実際の動きというものに対して、それに対応する措置が適切に行なわれるということもこれは必要で、必然でございましょう。したがって、私も当初申し上げましたように、いろいろこれからも各専門家や法律の関係、あるいは一般の有識者の方々の意見も聞いて、これはもう超党派的に今後その問題に取り組んでいきたいと思うんでございます。
 それから、最後に一つ伺っておきたいのは、けさの新聞にも出ておりますが、まあこれは宮城県警なり石巻警察署のほうでは、当然違法だという立場に立てば、それぞれの取り締まりもやったようでありまして、新聞の報道では、二十日の夜に先生が事情を聞かれておるように伺っております。しかし、けさの新聞を見ますと、刑事責任の追及は非常に困難であるという判断を出しておるようでありますし、問題の公正証書原本不実記載罪の場合は、刑事責任を問われる者は、むしろ出生届けをした親、それから子供をもらった親のほうが先だという法解釈になるようでありまして、なかなかこれはむずかしい、やっかいなことになっていると思うのですが、二十日の夜、石巻の警察から事情聴取をせられたのでありますが、これは取り調べ中のことでございますから、私、ここで内容をつまびらかにしていただくというようなことは考えておりませんけれども、もしお差しつかえがなければ、先生として、いまここでわれわれがお聞きしたようなそういう所見を警察当局に明確に申し上げたのかどうなのか、そういう点だけでももし伺えたらと思うのですが……。
○参考人(菊田昇君) その問題に関しましては、何か非常に早い時期だったものでございますから、私の広告、まあおそらく私なりに推定しておりますけれども、私の広告がですね、たまたま私のところに捨て子かなんかあって、そこに捨てられた子供を、私自身が非常に困りまして、だれかこの子供を引き取ってくれる人をさがす広告を出したのじゃないかというような形でお調べになられたようなムードであったのでありまして、別にその時点でこの問題に深く触れたわけではなかったように記憶しております。
○鈴木強君 じゃ、むしろこの広告の点で事情を聞かれたというように理解していいんですね。
○参考人(菊田昇君) 私自身何かあまり深くは聞かれなかったものですから、それで非常に、どっちかというとあっさり、ということばは適当かどうかわかりませんですけれども、大体参考的にその話を聞くというところにとどまったようでございます。
○鈴木強君 ありがとうございました。終わります。
○玉置和郎君 菊田先生こうしてお出かけくださいまして、われわれにたいへん示唆に富む御意見を先生の体験を通じてお聞かせいただきますことを非常に私たちはありがたいと思っております。
 ことに、いま鈴木委員とのやりとりの中で、私は非常に心を打たれましたものは、あくまでも生命を守る、生命を尊重するというこの大前提に立っておるということであります。私たち立法府の者としましては、いま先生のお話を聞いておりまして、もっと勉強せないかぬなあという感じを受けたんでありますが、そこで先生にちょっとお伺いしますが、先生は生命尊重というものと法律という関係、これはどのようにお考えになっておりますのか、非常に失礼な話でございますが、私たちは、やはり生命を守っていく、生命を尊重するというこのことは法律以前の問題である。法律というのはあくまでもその大前提を犯すものに対して規制をしていくという、こういうものじゃないかと私は実は理解をしておるんですが、その辺のところはどうお考えになっておられますか。
○参考人(菊田昇君) 私自身法律には全く暗いものでございますので、私の言っていることがはたして正しいかどうかわかりませんけれども、私なりの所信を述べさせていただきますと、法律というものはそもそも人間がつくったもので、何のためにつくったかと申しますと、人間とかその国民を幸福に導くための一つの手段として設けられたルール、約束ごとだと私は理解しております。そして、しかしながら、このように目まぐるしく社会情勢が変化する状態において、何十年前にきめられた法律がそのまままだ改正されないからと言って、あるいはだれかがいつか改正してくれるからということで、そのまま放置、時代の推移とともに矛盾をかかえたものをそのままに放置しておくということは、その法律というたてまえから見ると、そこからいつ、何と言いますか、脱落していく人間――それに順応できる人間はそれでいいんですけれども、脱落していく数多くの犠牲者をぼくはつくることだと理解しております。
 そして、結局、現在コンピューターなどというものが非常に発達してきた世の中ですから、何か往々にして私たちは、しろうとの目から見ますと、法改正というのは、きみ、たいへんなむずかしい手続があって、何十年かかるかわからないんだよという答えがいつもはね返ってくるんでございます。しかしながら、いま目まぐるしく変化していく情勢において、たとえば江戸時代の法律が現在までも残っていたようなことだとすると、これは何らかの形で、すぐ手を打っていく、その媒体として、ぼくは、コンピューターとかそういうものがございますから、いち早く立法府の権威者がこれをキャッチして、あくまでも生きている法律という形に立ち向かっていただきたい、これが私、しろうととして、立法府にひとつお願いいたしたいことなんでございます。
○玉置和郎君 先生のお話を承っておりますと、七カ月以後にしぼって、そうしてお話をしていきたい、こういう意思の表示がありました。しかし、先生は医者の立場から、胎児というものをどのようにとらえておられますか、これをお聞きしたいんですが、私は私なりに胎児についての見解を申し上げて、そして誤りがありましたら御指摘いただきたいと思います。
 一九四八年、ジュネーブで、世界医学協会の第二回総会で、十カ条からなるヒポクラテスの誓いというのが、これはもう御承知のとおりだと思いますが、ありました。この誓いは、全世界の医師の医道倫理の基本となっているはずであります。その第九条に、人間の生命を受胎の初めから至上のものとして尊重する、すなわち、胎児も人間ということであります。これは世界のお医者さんの私は一つの倫理、これを規定したものだと思います。
 先生の御意見にもありましたように、胎児は十カ月たてば、必ず自然人としての法人格を備えるべくこの世に出産をするものであります。それだけに、単なる物体でもなければ母体の一部でもないという見解を私たちはとっております。それだけに、日本の民法でも、胎児の損害賠償請求権が第七百二十一条にあります。また、第八百八十六条にも相続能力等を認めております。さらに、国鉄に聞いたんでありますが、国鉄は四カ月たった胎児は人間として扱って、運賃を取っておるんであります。これはどういう根拠かと申しますと、墓地に関する法律の中にあるんです。墓地に関する法律の中には、第二条のところに、四カ月たった胎児は、これは人間扱いをしているわけです。それだけに、この辺の胎児というものは、現場の先生の経験からしてどのように認識をしておられますか。それをお聞きしたいと思います。
○参考人(菊田昇君) このことで一応お断わりいたしたいことは、これは私、母性保護委員会の代表でも何でもございません、ある一人の町医者なんでございますから、私の見解がこれはそういう私が所属しているあの会の見解だとひとつ誤解なきよう、これは全く個人的な見解として受けとめていただきたいということを前もってお断わり申し上げます。
 私、この問題についてもずいぶんいろいろ考えてみたんでございますが、まあ現在のフリーセックスなどということばで呼ばれている世相で、しかも性教育というものが、いまの日本では、フリーセックスということばは、何となくひしひしと周辺から押し寄せてくるような実感として迎えられている世の中に、性教育という問題が全くみんな、いわゆる指導者の方も当惑の目でだけ、うろうろして指針を示していない状態でございますね。いまぼくはそのようにとらえている。その時点で、その現実を踏んまえて、いま受胎した状態では、残念ながらある時点において人工中絶という行為はまあこれもまた必要悪の一つとして取り上げねばならないのじゃなかろうかというふうに感覚として受けとめております。ただし、これは私なりの考えですので、御了承ください。
 私の発想方法といたしましては、たとえば妊娠の二、三カ月から十カ月くらいにこれを分けまして、そうして、非常に変わった論法かもしれませんけれども、もし十カ月で成熟児として生まれた胎児は一〇〇%の人権とこれを仮定すると、人権にパーセントがあるかというお考えもまた当然だと思いますけれども、生存可能性の問題から見て、ぼくはある段階を設けてもよいのではなかろうかと観念的にとらえております。そうしてもしその人権という面でパーセンテージをとらえた場合には、その成熟児で生まれた場合には一〇〇%だと仮定しますと、二、三カ月のような状態で、この状態で外へもし出たら、全く生命生存不可能なものをこの状態で一〇〇%の人権と言えるかどうかということは、ちょっと私何らかの抵抗を感ずるわけでございます。それから妊娠二、三カ月というものは、四カ月になると少し違ってくるのですが、二、三カ月になると、流産というか、あしたに落ちてしまう可能性もあるわけなんでございます。それから、非常に脂肪層が厚い母親においては、二、三カ月においてははたしてほんとうに受胎したのか、子宮の大きさがあまり大きくならないもんですから、ほんとうに受胎したのかどうかの判定に苦しむ場合もございます。この時点でもすでに人権を一〇〇%認めろとなると、まあそこまで持っていくどこれまた極論になるかもしれませんのですが、じゃ、男性の精子が一億から数億あると申します、その数億の精子の人権も認めなければならないかという非常に広大な問題になると、四億の精子を全部受胎させねばならない、生命を与えねばならないかという問題まで、理屈だけでいけばそこまで発展しかねないような始末でございます。
 それで、私はこの点、予防医学的な見地というものを大いに重視する、一つは。ということは、もしできればやはり胎児を――予防医学のことは二番目です。一番最初には人権という問題で、いまここに、少なくとも、さっき申し上げたように、性教育も徹底してない状態で、われわれがフリーセックスの刺激に対して何の抵抗力も、それに国民に指示を与えることもできない状態でもって、受胎したものを、それを、おまえら始末しちゃいかぬ――始末ということばは穏当じゃありませんけれども、いかぬと言うだけでは、この問題は全く解決――現時点ではかえって大混乱になって、これはそれこそたいへんな大騒ぎになると思うんです。現に世界は、もはやこの問題をまじめに考える限りにおいては、この人工中絶というものは、いいことではありませんけれども、どっかの時点でこれを認めていかないともっと大きな問題に発展する。そういうふうな観点から言いますと、ぼくは、妊娠二、三カ月の時点では、人権のパーセントからいうと、これは何%か、まあこれは数字で示せと言われてもわかりませんけれども、私の感覚なりでとらえれば、二、三%かそれくらい――非常に大それたことばかもしれませんが、その非常に少ない人権の状態でこれを犠牲にするのはやむを得ないというのも、これもまた穏当なことばじゃありませんけれども、少なくともいまの時点では次善のことではなかろうかというふうに観念的にとらえております。
 それから第二点が予防医学的な面で、その母体を、せっかく受胎してしまったんだけれども、何か、からだを傷つけないで、健康な状態を保ってあげる状態で何とかこれを処理するのには、二、三カ月ぐらいだったら、早い事態だったら、これはいまの時点としてはやむを得ないんじゃなかろうかというふうに、現場の医師の一人として、私はそう理解しておりますが。
○玉置和郎君 今度は事実関係で、さっき鈴木先生からもお尋ねがありましたが、警察のほうでいろいろやっておられると、しかし、なかなか刑事事件として取り上げていくのはむずかしいという見解でありますが、私は、先生は違法行為をあえて知りながらやったと、こう言っておられますが、私のほうは、先生のやられた違法というその見解は、おそらく公正証書等不実記載、それから医師法の無診察治療等の禁止、こういうことを考えておられると思います。
 しかし、この問題は、かりに違反だとしても、刑法の三十七条の緊急避難の規定に該当するんじゃないかという、実は私はこういう見解をとっておるんであります。それは、七カ月で妊娠中絶をしますと、先生のお話にもありましたように、きわめて危険なものであります。おなかの中の生命というものが完全に断たれるのであります。また、母体への影響もたいへんなものでありまして、一つ間違えば母体の生命にも影響する、私はこういうふうに考えております。それだけに、刑法三十七条の緊急避難に該当するんだという見解をとるものであります。で、もしお医者さんのほうで、その危険性を承知の上で中絶手術を行なって、万が一、妊婦を死に至らしめた場合は、医師は未必の故意による殺人罪に問われやせぬかということも考えております。それだけに、こういうことを考えていきますと、私は、この違法性を指摘するというのはちょっと当たらぬのじゃないかというように考えておるものです。これは先生の御見解を承らなくてもけっこうでありますが、私たちはそういう考えを持っております。
 おそらくこの問題は――私は社労のほうなんで、きょうは特別出演でここへ出てきたのでありまして、それで、特に生命の尊重という立場から、先生に敬意を表しながら、現場の意見をお聞きしたいという形で来たわけであります。社労でもおそらくこの問題は論議されると思いますが、もう法務委員会にはなかなか出てこれませんので、あえて私の法的な見解を申し上げたわけでありまして、私は、そういう意味では、違法性というもの、これは薄いという考え方を持っておるものであります。
 で、それはなぜかと言いますと、先生のやられた行為によってたれも実害を受けた者がないということであります。実際に実害を受けた者がない。むしろ、先生のとられたことによって、お医者さんである先生、それから生みの母親は、刑法上の堕胎罪を免れております。それから、母体の精神と身体の健康が保たれておると思います。子供の生命が救われた、これはたいへんなことであります。しかも赤ちゃんを実子とした家庭は、子宝に恵まれたのであります。幸福な将来が約束されたという事実を見たときに、その行為そのものは、かりに先生が自分で認めておりますような違法性があったとしても、実害がない以上、私は刑事的な責任は問われないという見解をとっておるのであります。阻却される、そういうものは。これは、先生自身の見解をこの際求めたほうがいいのかどうか、私はわかりませんが、もしそれについて先生が、自分はそういう意見についてはこう考えるんだということがありましたらお聞かせ願いたいと思いますが、もしなかったら、もうそこで黙っておられてけっこうでございますので、ひとつそういうことでおまえの言うのはどうかなというふうなことがありましたらお教えいただきたいと思います。
○参考人(菊田昇君) たいへん実はありがたい御配慮だと、私自身は受けとめております。非常にありがたい御意見ですし、もしこれがいまのような形で認めていただく、まあかりに、暫定的な形で、もし私自身のとった行為が、何と言いましょうか、法に――ぼくは、そこのことばはよくわかりませんけれども、まず処罰されないとなれば、全国の産婦人科のお医者は非常に力を得まして、そして、いまこの世の中にあるみどりごおろしのような陰惨な事実、事件は、非常に、絶無というわけにもこれはいかないんでしょうけれども、百分の一以下に――百分の一か、絶無にやや近いくらいにまで押えられるんじゃないかという非常に明るい希望を持ってぼくは向こうへ帰れると思うのです。
○玉置和郎君 やはり立法府のわれわれとしては、そういう先生の考え、それにさらに勇気を持っていただいて、生命を守るというそのことについてがんばっていただくためには、やはり早急に、そういう立場だけでなしに、先ほどから御提唱になっております法の改正、そして救済措置を考慮していくというのが私は最も望ましいと考えております。われわれはわれわれの分に応じたそういう活動をしてまいりたいということを今日お誓いをするんです。
 それで、お聞きしますが、石巻はたしか人口が十万くらいだと思いました。十万という石巻ですらこれだけの養い親の申し込みがあったとすれば、いま先生が言われましたように、全国の産婦人科の医師がこういう問題で勇気を持って立ち上がったというときには、実子のない多くの夫婦のこういう形で子供をもらいたいと希望する者が相当数あると思われます。子供のない夫婦が他人の子供を育てる場合、まあ日本の古いことわざの中に、生みの母より育ての母ということばがありますが、人情としては、養子というより法律的にも実子として育てるほうが私は子供のために非常にいいのじゃないか。こういうところにも法的な欠陥があるのじゃないか。これはあとで述べますが、アメリカのいろいろなものを調べてみましたらそういうことが出てくるわけです。
 で、結婚をしていない婦人が子供を産んで、がしかし子供を育てることを希望しない、養子縁組みに出したという場合、これもまた古いことばですが、わらの上からもらうということばがあります。そこで、これはやはり先ほども触れておりますが、実の親と養い親とが相互に秘匿されて、そして実の親には子を取り戻す希望を断ち、養い親にはせっかく育てた子供を取り戻される懸念をなくすることが、さらに縁組みを円滑ならしむるために私はきわめて必要な措置ではないかというふうに考えております。その先べんをつけられたのが先生であるというふうに理解をしておるわけです。さらに、養子が相当年齢に達するまでは自分が養子であることに気づかせない配慮、私はいろいろな体験的な話を聞いておりますだけに、養育のためにもきわめて望ましい姿であると、こう考えております。
 しかし、現行の民法、家事審判法、戸籍法のたてまえでは、これらのいずれもがなかなかむずかしくなっております。これはこの法務委員会でも後ほど専門家の佐々木先生、皆さん方によっていろいろ究明されていくと思いますが、まず甲の子を乙の夫婦の子供として出生届けを出すには、医師もしくは助産婦の出生証明書の添付を必要とするところから不可能であります。これは戸籍法の四十九条にあります。さらに、戸籍簿の記載を見れば、養い親や養子の身分関係は歴然としてまいります。このようなわが国の法制のたてまえが、わらの上からもらうという養子縁組み、ほんとうのもらい子を育てていくという、しかもその子供の真の幸福ということを考えた場合、その辺にやはり配慮が欠けておるのじゃないかという見解をとるものであります。これについて、先生もう実際やってこられたことですが、先生の見解を承っておきたいと思います。
○参考人(菊田昇君) 私の言わんとするところは完全に玉置先生に理解していただいたというふうな印象でこのお話をお聞きいたしました。全く同感でございます。
○玉置和郎君 これは、ちょっと前の話と重なるかと思いますが、わらの上から嬰児をもらい受けて、そうして実の親との法的関係を断って全く自分たち夫婦の子と同じ法的関係をつくるだけではなく、出生証明書なども自分たちの子として記載する法制度を考慮してはどうかということは私は真剣に考えておる問題であります。
 わが国でも、かって親族法改正が論議された際に、特別養子の制度が検討されたことがあります。これは御承知だと思います。私もここに文献を持っておりますが、そういうときに、兄弟姉妹が戸籍上ややっこしくなる結果、将来近親婚のおそれもなしとしないという理由で否決されております。私はしかし、こういう近親婚というものはきわめてまれなことでありまして、そういう可能性の故に特にこういう養子縁組みを妨げておる、また多くの人命が中絶によって断たれるというようなこういうことは、私は十分検討すべき問題であると思います。その辺が先生のねらいと言ってはおかしいが、そういう考え方もあったのじゃないかというふうに理解を私自身はしておりますが、あとでまたお聞かせいただきたいと思います。
 で、ここで先ほど言いましたアメリカの養子法の内容、これは先生御承知じゃありませんか。
○参考人(菊田昇君) 存じません。
○玉置和郎君 そうですか。私はそれを知って先生やっておられるのかなと実は思ったんです。それを知らないでやっておられるとしたら、これはたいへんな勇気です。よけい私は敬意を表するんです。
 これは州によって若干異なりますが、先生に勇気を持ってもらいたいために私はあえてこういうことを言うんですが、養子縁組みは原則として裁判所の決定によって成立することになっております。裁判所は決定前に特定の公私の社会福祉機関を通じて社会調査を行なわなければならないというふうにしております。次に、裁判所の審理、記録、調査報告書については、厳重な秘密主義がとられております。決定後一件書類は封印されて、裁判所の命令がなければ開封できないということになっております。三番目には、縁組み決定後、子供について新たな出生証明書が交付されるが、これには実の親を示唆する記載はございません。もとの出生証明書は前記の一件書類とともにファイルされて、成年に達した養子の請求により、裁判所の命令によって初めて開封ができるのであります。そこまで配慮されておるのであります。したがって、戸籍の面では養子か何かわからないのであります。これがやっぱり私は一番いいねらいじゃないか、こういうケースについては。実の親と養子との法律関係は、だから縁組みによって一切消滅することになっておると思います。こういった法律があります。
 このような法律のもとに、アメリカでは一九六五年現在、公立が二カ所、私立が二百八カ所、母子福祉施設というのが存在しております。ここで養子あっせん事業を営んでおります。現在もっとふえておると思います。最近のこの調査した資料はさだかでございませんので、私は六五年現在のものを申し上げたわけであります。そうしたものがやっております、その三年前の六二年の時点ですね、一九六二年の時点で、十八歳未満の結婚をしていない婦人の子供約三百万人のうち三一%、すなわち約百万人が養子として育てられております。さらに、その三〇%すなわち約三十万人余りが、これらの施設を通じて縁組みをしておるのであります。これらの施設では、養子に対する需要のほうが、先生と同じことでありまして、供給をはるかに上回っておる事実があります。養子をもらいたいという申し込みをしても、アメリカのそういうところではずいぶん長く待たされるというのが普通だそうであります。
 私はそういうことを調べさしていただきます過程において、先生の今回の措置というものは、アメリカのこういう先例というか、先にできておるこういう施設、そういうものをよく調査をして、そうしてやっぱり先生がねらいとしておられます、人間の生命というものは、一人の生命というものは地球より重いんだと、その大前提に立って法律があるんだという、こういう御見解、これは私たち立法府の者として冒頭申し上げましたが、敬意を表しまして、そして私のこのまあ非常につたない調査でありますが、参考まで申し上げて、それでぜひ先生にもひとつがんばっていただきたいということをお願いしたいわけであります。
 参考人に聞くことがほんとうでありますが、むしろ私たちの意見の開陳に終始しましたことを、私は心から、ぶしつけでありましたのでおわびを、申し上げまして、私の話を終わりたいと思います。ありがとうございました。
○佐々木静子君 それでは、私からお尋ねいたします。
 きょうは菊田先生には、御遠方のところ、お忙しい中をわざわざ当委員会にお出ましいただきまして、感謝のほかないわけでございます。
 先ほど来、鈴木委員あるいは玉置委員からいろいろと御質問がございましたので、私も実はいろいろお尋ねしたいことが山のようにあるんでございますけれども、何ぶん時間の制約がございますので、主として先生がいまお答えになった事柄の中から、時間の許す限りお尋ねいたしたいと思うわけです。
 実は、この間のこの一流紙で先生の記事を拝見いたしまして、正直なところ、私の気持ちは、まあびっくりした。そしてその次には、これはこのままほうっておけないという気持ちがした。これはほうっておけないという気持ちの中には、いろんな気持ちが入りまじっているわけでございます。そういう意味で、こういう機会を得ましたことをたいへんにけっこうだと思っているわけでございますが、先ほど来お話を伺っていて、私、まあ非常にちょっと納得しがたいところは、妊娠七カ月以降になった婦人が中絶を申し込んでくる。これを中絶するとなれば、母体が危険であることは言うに及ばず、胎児の生命、これは事実上の殺人であるというお話、私はそれもごもっともな御意見だと思いまして、先生が勇断をもってその母親の健康とそして生まれてくる新しい生命を守られたということについては、非常にりっぱなことだと思うわけでございますが、ただ、私非常にそこで引っかかるのは、そのためには法を犯さなければならないと先生がおっしゃいますけれども、どうしてまず法を犯さないでその生命を救う方法をお考えにならなかったのか、その点が私まず第一に気になるわけでございます。
 と言いますのは、いま菊田参考人の御意見では、養子であってはなかなか引き受ける者がないというお話でございますけれども、これは私の知っている範囲では、いまアメリカの例がありましたけれど、日本においても、これは養子で、もちろん養子でですよ、子供をほしいと言っている人は山のようにいるわけなんでございますね、私の知る限りにおいても。それから、養子ということになれば、生んだ母親とその子供の身分関係は続くわけでございますね。これは先生はいろいろ言われましたけれども、子供を命がけで生んだ母親にとって、それだけの苦悩を耐え忍んで子供を生むということは、これはあとで子供とのつながりがあるからこそ、それらの苦悩に耐えていけるわけなんでございますね。これは先生のいまのお話では、非常に子供をもらう側の立場に立って、実母の名前が出ないから非常にけっこうだというお話でございますけれども、私はまず第一に、なぜそういう違法な手段のみを選ばれたのかというのが第一点。
 それから第二点に、先ほどから、どうせ母親は子供を殺すのだということを強調されますけれども、大ぜいの中には一人二人は、異常な性格というのは、これは母親に限らずいろいろな人にあります、どの社会においても。けれども、殺したくて殺す親は一人もないわけです。男が捨てたとか、社会情勢が変わったとか、あるいは社会福祉施設が完備してないとかいうようなことで、殺さざるを得ないように追い込まれてやむなく殺すような事件が、まあたまに起こるわけなんでございますね。子供を生む母親にとって、子供が自分の子供であるということ、そのつながりというものは、どの母親だって一番の願いだと思うのですけれども、そういう意味において、先生の先ほど来の御主張を承っておりまして、先生は婦人の肉体については御精通していらっしゃるかもしらないけれども、先生は婦人の気持ちについては、私は失礼ながらおわかりになっておらないというふうに思うわけなんです。その二つの点についてお答えいただきたい。
○参考人(菊田昇君) ただいまの佐々木先生の御質問の第一点につきまして、いわゆる養子ではなぜだめなのかという問題については、これは、私がその子供を受けとめてやるときに、まずぼくがそのいま中絶してくれという七カ月、八カ月、九カ月、十カ月において、その私に中絶してほしいという人に、母親に、養子ではなぜだめなのかと、ぼくはむしろ問うてみたいですよ。そうしますと、なぜだめなのかというと、戸籍に引っかかってくるわけですよ。ということは、いま捨てられた例を先生がおっしゃいましたですね、捨てられたと、それで七カ月まで来ちゃったと。そうしますと、じゃあ養子にすればいいじゃないかと。それはそれで話がきまるものならばね、全くこの問題は成立しないわけですよ。ぼくが何も提起しなくたっていいわけなんですよ。ところが、養子では絶対だめな理由があるんですよ。それは絶対だめだというのは、その人がまああるいはいたずらか強姦か何か知りませんけれども、もうほしくないのだと。ぼくが、養子にしてやるから、現行法で、これを守りなさいと、非常に法律論的に、非常にいわば公式論ですわ、公式論で――ああそうですか、それじゃ私七カ月でなく十カ月で養子にあげましょうかと言って受けてくれる女性がいたらね。それは私、いまの現実にありますという佐々木先生のお考えに対して、残念ながらその方々に、私そういう方々にも会ってみたことはあるんですが、だれも、本来なら実子としてほしかったのだけれども、先生方はだれもそういうことを、いわゆる違法行為のような形でやってくれなかったからそういうふうにしましたと。できたらあなたのような方式でやってもらったらねという、もらうほうの立場ね、これは。あなたね、養子でも育ててみれば同じことでしょう。かわいくないわけではない。だからしあわせだといまの現段階で言うことは、ぼくはそれはそのとおり。そのとおりだと思います。だけれども、その人たちの念願の中に、ひとつ不安が、まあもらう側の立場から申し上げますと、不安がつきまとうんですよ。
 これは私、現実に自分なりに考えてみましたけれども、どういう不安かと申しますと、具体的に申し上げますと、十分時間もあるようですから具体的に申し上げますと、養子でかりに育てたといたします。これは親の側から見ますよ。養子で育てたとしますと、あるいは前にくれた母親が取り戻しに来はしないかという不安が常につきまとうものです。ということは、現行法においては、自分のうちの戸籍を見ると、くれたほうの母親が、あらあの子供はもうだいぶ大きくなったろうなあ、どんな顔になって、どう育っているかなあということがすぐわかるわけですよ、いまの戸籍では。本籍を見ればわかりますから。そうすると、そこへたずねていかれる危険性があるわけです、いまの法律では。それから、突然そのくれたほうの母親の状態が非常によくなった。しかし、何かそのときの分べんの状態で永久に子供を持つチャンスが失われる場合が起こり得るわけですよ。そのときに、突然、かわいい、かわいい、まあ例のかぐや姫の話、どこにもやりたくない、月の世界にもやりたくないと思っているときに、突然、あのときと状態が違ったから戻してもらいたいと言われる恐怖に襲われますね。そういう危惧を抱きながら、養子でようございますという――まずそれに引っかかる。それからもっと最悪の例を申し上げますと、その女性は、まずそういう不始末などをしでかした、社会的にもほんとうに困っているような人ですから、ときによるとこれが暴力団なんかのひもなんかがついた場合に、自分の籍を見ますと、どこへ行ったかすぐわかっちゃうでしょう。それでそこへ行って、さあ子供を返してくれるかお金をよこすかというような問題にも立ち至る可能性もあるわけです。そういう何%かの危険率をあえてこれは認めている状態です、この方法は。
 そうしてそういう状態でもらうということは、まずいまの、本来ならば、何とかしてそういうふうな法律なり、そういうふうに受けとめてくれるお医者さんなりがそこにいてくれたら実子でもらいたいなあという願いが踏みにじられる。踏みにじられるということばは穏当じゃありませんけれども、それじゃあしかたがない、いまの現行法ではこれしかないんだからやむなしと言ったけれども、幸い暴力団もあらわれなかったし、子供を返してくれという人もあらわれなかったから、いましあわせなんですよと先生のところに言っているんだと思うんですよ。
 それから――これはもらう側のことなんですが、くれる側の場合から見ますと、これはまた一つの、自分なりに、前は例の同棲時代みたいな形であれしたけれども、男に逃げられちゃったと、これからはこれにこりて何か明るい家庭を持ちたいなと思っている人は、このまま父なし子をかかえて――私はいいですよ、ちゃんと暮らせますよという、芸能人のような、何か非常に恵まれたような人は、これは別な問題だと思います。しかし、いまは残念ながらそういう恵まれた女性は数は全く少ないです。もうそういう庶子をかかえた母親のいくべき運命というものは、まあ大体私なりに、ちょっと考えてみればすぐわかることだと思うんですよ。そしてそういう庶子にしない、籍さえよごさなければ――よごすということばはちょっと穏当じゃありませんけれども、そうでなく、そこで、完全にその時点でこちらへ移って、その人が籍がよごれない状態だと、新しい健全な家庭を営むチャンスがこれから何回あるかわからない。何回訪れても、いよいよ今度結婚届けをしようと思って本籍を調べたところが、おれに隠してフリーセックス時代のそれがあらわれてきたと。しかもそのこぶが、悪いことばです、いわゆるそのこぶが何か孤児院にいて、そうすると、あとその女性と結婚すれば今度あなたの子供になるかもしれない、ときによれば。そういうような状態では、もう遺憾ながらこの女性は今度再生の道を閉ざされます。
 ですから私は、そういう受胎して七カ月以降で来た母親に対して、養子であなたいいかと。ぼくはごまかす気なら、その女性をごまかして、ただそこで生命を取りとめさえすればいいのだと言って、ごまかす気ならば養子も実子も同じなんだからいい、いいと。とにかく持ちなさい、持ちなさいと言ってごまかして、十カ月までもたせた上で、さて法律はこうなっているからおまえの実子につけると言うと、そうすると実子って何ですかと。みんな皆さんみたいに法律に明るい人ではほとんどないのですよ。ですから実子って何ですかと言われて、おまえの籍につけるのだよとなれば、私はこの医者にだまされたと、二度とああいう医者の言うことは、うそつきだからあれだということで、結局私はそのときにやっぱり言います。あなたは法律に従えば――従えばというのは申しわけないですが、これは実子となるよと。しかし養子になると、養子でだめかいと。そうすると、養子だったら私はどこかさがしていって、おろしてくれるところさがせば、何もあなたの世話にはならなくてもいいと。そういうふうな……。
○佐々木静子君 時間の都合がありますので、また順番に区切ってお答えいただくことにいたします。
 実は、私先生の考え方というものを頭から否定しているわけでも何でもないのですが、問題点を指摘しているわけなんです。先ほど来先生の御発言に、まず庶子、庶子ということばがありますけれども、庶子なんというものは昭和二十三年の民法改正以来そういうものはなくなっているのですよ。そういう意味におきまして、非常に残念なんですけれども、先生の人道的なお立場はわかるのですけれども、現在の家族法というものについてあまりにも御理解がないのではないか。これは旧民法で使われたことばで、そういう差別用語はいまの民法ではなくなっているわけなんです。かりに先生のお住まいになっている土地とか、あるいは先生の周辺にそういう差別的な意識の人が非常に多いとするならば、これはいまの人権思想を徹底して――庶子なんというものはなくなっているのですよ、四半世紀前にそういうことばは。先ほどから先生は何回もそれをお使いになっていらっしゃるけれども、そこら辺に、いまの民法なり家族法の考え方と――先生のお考えになっていること自身は非常に私けっこうだと思うのですが、少なくもこれを社会学的に見たときに、多少遺憾ながらズレがあるのではないかということを私まず考えるわけなんです。
 それから、私が、自分が法律を多少かじっているからということで法律論を振り回す気持ちはございませんけれども、実親でない親を実親として届けることは、先生は非常に安定したとおっしゃったですけれども、これ以上法的に、氷の上に立っているような状態ですよ。養子であればこれは養親として法律がちゃんと保護しているわけです。実親より養親のほうが親権も優先しているわけなんです。ところが、実親でない者をにせの出生証明書で実親として届けたならば、これは間違っているという指摘だけで一ぺんにひっくり返るんですよ。何の権利もないわけなんです、その親は。これは先生が百人お世話なさって非常にうまくいっているというお話で、私もこれは非常にラッキーなケースだったと、このもらわれた子供さん方や親御さん方のためにこれは祝福しているわけなんです。ですけれども、これは非常に失礼な言い方なんですけれども、たまたま先生のケースが運がよかったんじゃないか、これは渡した母親のほうに多少でも権利意識についての自覚があるならば、あるいはまたもらった親のほうに、あるいはもらわれた子供のほうに多少とも法律知識があるならば、これは自分はこの親子じゃないのだということを主張すれば、あすの日にでも親子関係はなくなるわけですね、いまの法律では。だから、いまの法律がいいと私は言っているわけじゃないんです、必ずしも。ですけれども、そういう法的に不安定な、まことに不安定な、薄氷の上に立っているような事実関係にいま百人のお子さんなり親御さんは立っているんだということ、これは先生御認識いただきたい。
 養親であれば、親としての権利は実親よりも優先するわけです。だからそこら辺でもう少し、非常にいいテーマであり、私もこういう問題について前向きで取り組みたいとは思うんですけれども、そこら辺で、やはりほんとうにもらわれた子供さんなり、あるいは産んだ母親、それからもらう親の立場を真剣になってお考えになったならば、私は必ずしも実親がいいんだという結論は出ないと思う。かりにもし先生の周囲にそういう方がおられるとすれば、実は私、きのうも石巻の御出身の方にお会いして夜もお話ししたのですが、日本全体から見ると、宮城県ですか、岩手県の場合のケースを知っているのですが、非常に閉鎖的な社会なんです。そして近親婚が多い。これは裁判の判決例でも統計が出ているわけです。全国的に特徴的な例として近親婚が多い。それから親族同士の殺人が非常に多いわけです。というのは、非常に閉鎖的な社会なんですね。それから、まあ日本全体から見ると、かなり後進性のあるところだと思うんです。ですから、これでうまくいまのところ風波なくいったけれども、いまこれ全国にこういうことをいまの法律のままやったならば、これは非常に子供さんにとっても、もらった親にしてもあげた親にしてもあぶない状態である。
 これは、私やや自分の乏しい法律家の経験からでも、幾らでもそういうようなのは見ております。これは戦前から、むしろ戦前のほうが多かったのじゃないかと思いますけれども、実の親子関係でない親子関係を届けておる。結婚する前の娘が、あるいはともかく実の親子関係でない、たとえば弟夫婦の間に生まれた子供を姉夫婦の産んだ子供のように届けてある、そういうことは戦前からもざらにございましたけれども、そうなると、これが何十年かたった後に、姉夫婦のほうは、子供は親を養わないといけない。弟夫婦のほうは非常に繁栄している。これは子供のほうから親子関係不存在の確認の訴訟というのが幾らでも起こっております。それから相続関係で、均分相続になっておりますから、子供でない者が一人子供に入っておると、これはほかの利害関係人から……、こういう問題は、先生は十年間、非常に失礼な言い方ですけれども、十年間とおっしゃるけれども、だから生まれた子供さんがいままで育ってる話でもせいぜい高校生にしかなっておらぬから、まだそういう問題が起こっておらないのですけれども、これはいま始まったことじゃなくて、戦前からいろいろせっぱ詰まった事情で、事実と違う婚姻届けを出されていることは山のようにありますし、それをめぐる紛争というものは、これは山のようにあるわけです。
 子供が大きくなって二十ぐらいになった、戸籍上の親が死んだ、戸籍上の親のほかの相続人がこれを排除する、それが相続権がないのだから。そうすると両親の名前は戸籍から消される。ところが自分の親はだれかということでさがす。見つかった。ところが二人とも死んでいるとなれば、これは父も母も戸籍上なくなってしまう。そのために結婚もできない、就職もできないというようなケースもありますし、これはさまざまなそういうケースは山のようにあるわけでございまして、私どもは、むしろ、これは法改正に反対するわけじゃありませんけれども、うその出生届けを出したことが子供の幸福につながるというようなことは、とても私は言えないと思うわけなんです。これは具体的に、多少ともでも法律実務その他に携わっておられる方は、それは百の二百のと知ってらっしゃるわけです。ですからそこら辺で、問題の提起とすると非常にいいんですけれども、なぜ法律のワクの中でも、いまの中でもでき得たんだということにもう少し御努力なさるべきじゃなかったかということをまず思うわけなんです。それから、そういう意味で、全部実子として届けた、養子として届けられたのが一つもないというところに、私はちょっとひっかかるものを感ずるわけなんです。
 それから、まずこれで具体的に伺いますけれども、この親の選定ですね。これは私最初にこの記事が出たときの新聞紙で拝見したんですが、今回の事件で新聞広告をお出しになってその日の夜、もらい手が何人かのうちからなにして引き取られていったというお話なんですけれども、それが、どういう親が一番親として適当であるかという基準ですね。それは、私さっきから伺ってますと、子供をほしいというんだから間違いない――私は先生の善意は非常にけっこうだと思うんですけれどもね。しかし、かりに養子としてもらい受ける場合でも、御承知のとおりいまの家庭裁判所で、いまの制度では、はたしてこれが親として適当であるかどうかということを厳重に審査して、そして却下率はわりに少のうございますけれども、それでも百のうちに五つや六つは却下あるいは取り下げという状態で、事実上あきらめる、親としては、なれない、そういうふうな厳重な基準があるわけです。これは単にそれじゃ九十五は認められているのかというと、そうじゃなくって、家庭裁判所で調べられるぞ、これは親として適当かどうかということを調べられるという事柄自身によって、すでに、あるいはこの子供を育てて自分のところで、自分のところの営業に使おうとか、あるいは親のエゴイズムによる養親の名乗り出ることが、事実それでチェックされているわけですね。そういうとこら辺が、先生は何を基準に、またどういう確信のもとに、それが養親として適当か、または児童福祉施設では、やはり試験期間といって、三カ月一緒に住むとか、六カ月一緒に住んだ後に、これは親として適当だということで、それを認めるというようなこともあるわけなんですが、私非常に驚いたのは、新聞広告を出されてその日の夜に子供をもう渡してらっしゃる。私は先生がいかに万能であっても、どういうことでそこまでの直感で、これがだいじょうぶだと、子供にとってはほんとうの一生の問題ですね、そういうことが結論づけられるのか、まずそのことをお聞きしたいわけです。
○参考人(菊田昇君) その問題につきましては、まず私は法律家じゃないから、何か佐々木先生のいままでの、非常に細部にわたる、そういう問題については正しく答える力を持っていません。ただし、これは私実地家として、実地に毎日そういう悩める、未解決の状態でいる、いまここで、子供を殺すことにきめてきた親に対して説得をしようというときに、佐々木先生のように法理論に通じていて、養子でもあなたの生活は今後幸福になりますからぜひ腹の中へ入れてくださいという、そういう知識は私、残念ながら幾ら法律を勉強しても、私は見出すことができないんじゃないか、ということは、先生は、何かここで命をすぐ助けなければならないという、少なくともここでぐっと押えつけてやろうという危機感に迫られていないんじゃないかというふうにいまのお話から私は受けとめるわけですよ。それで、もう少しじっくり時間をかけて、あなた法律でも勉強して、決してあなたは、庶子とか何とか、これも私わからないからそういうことを言いましたけれどもね、あなたの籍についても、あなたは必ず今度は別な新しいたとえば結婚生活にも入れますし、それからもらう人も殺到するし、だからあなた持ちなさいというだけの、ぼくは力もないし説得力――先生のお話をこれから聞いて、なるほどいまもお聞きしましたけれども、どうも先生のお話をそのままテープで吹き込んで聞かせたところで、その女の人は、おそらくそれじゃあ私持ちますわと、それで籍をつけていただいて養子にしますわという状態は、これは私、石巻が幾らいなかだって、石巻だけ特例じゃないかという感じはいたしません。日本全国、現状――まあ、そういう高いところから対岸の火みたいな形で見た場合はそういう答えが出てくるでしょうけれども、私は、少なくともたとえばそういういま私が述べたような形のケースの場合、また別な場合でも、自動車事故に突然襲われてこうだと、それで養子にやったと、二人の子供がいるけれども、三人目は突然父親に死なれて、この子供でさえもやっとなのにこうなったからといってこれ養子にするからといった問題でも、法律的には確かに先生の御解釈のように養子もしあわせになれるんだということであったところで、今度その子供がある程度大きくなったときに、何でそれじゃあ三人もいる子供のうちでおれだけ養子にしてやったんだと、そしてほかの兄弟はあれで私だけがじゃまで、じゃまでということばはいけないけれども、そういうような、ですから先生のとっているお立場は、何かいまの法律の中で十分にやっていけると申されますけれども、これは実態調査をされてみるとわかると思いますけれども、ちょっと私は先生の御意見は何か、確かに該博なる法律的理論からはうなずけますけれども、少なくとも現実をなまの目で見て、いまたとえば先生の子供さんが、何かふとした誤りで未婚の状態で子供を生んだときに、先生ははたして、これは養子にやればいいから、じゃあ庶子じゃなくて何だかりっぱな名前もあるからそこに入れて、そしてそのままでくれてやりなさいと、それでとてもいいよと、はたしてそういう答えができるかどうか、私は全く否定的な立場に立ちますね。
○佐々木静子君 私もさっきから言っているように、いまの民法が一〇〇%いいと言うているんじゃないと言っているでしょう。それから先生のなさったことが、これは私は是認するというのは、緊急だから、せっぱ詰まった状態だから是認するんで、せっぱ詰まってもいないのにこれをかさったならば、これはもちろん刑事事件になるわけですよ。非常にせっぱ詰まって、しかも人道主義的な立場だからこれは私どもが是認しているというわけで、ですからせっぱ詰まった状態がわからないわけでもないし、それから法律万能だと言っているわけでもないわけです。ですから私の話を十分聞いていただきたいと思うわけです。
○参考人(菊田昇君) はい、わかりました。
○佐々木静子君 ただ法律一辺倒のようにお考えになるかもわからないですけれども、実はこのことが起こってから、私のところに山のように電話が来ているわけです。それは、ほとんど婦人という婦人は、きょうのこの法務委員会に、この考え方はこのままやられたらたいへんなことになるということで、これは法律論というよりも、婦人はこれは全くこれじゃあ――それは個々に助かった婦人もいるかもしれませんよ。しかしこういうことをこういう角度で一般化されたのならば、これは婦人の人権とか人格というものは全くこれじゃあ認められない。
 先ほどから伺っていても、先生の着想もそうなんです。同棲時代とか軽はずみに間違えた、そういう悪い女はと言われるけれども、しかしおろさなければならない、殺さなければならないという社会的基盤ですね。もう少しその女の人に焦点を当てるだけじゃなしに、そうせざるを得ない、もう少し一歩下に下がって、女の人がなぜそういう立場に置かれるのかということに対する洞察力ですね。これは先生がいま形式的に法律に触れることをやっていられるけれども、これは、私どもはそれはちっとも糾弾しようとは思わないというのと同じことですよ。これはその社会的背景という一ものを見ているからです。ですから、先ほど来のお話の中に非常にやっぱり婦人に対する偏見があるわけです、先生の御発言には、はっきり言うて。江戸時代の腹は借りもの思想ですよ先生、それは。
 それともう一つ、たとえば女の子は幾らでももらい手がある、男の子はない、それがどういうわけか先生お考えになりましたか。
○参考人(菊田昇君) これは私なりの考えだとひとつ御推察いただきたい。この女の子が多いというのは、私はこの子供をもらうという、この場合はもらうという側の立場ですからね、もらうという場合ですね。まあ私の立場と考えてもいいでしょう。私がもしもらう立場になった場合に、この子供をもらうということは将来につながってくるわけですね。もちろん、これは自分が死んだあとまでもつながってくると思うのですよ。少なくとも将来、全般に考えて、これはぼくの考え方、非常に素朴な考え方だから、ひとつ笑わないでいただきたいのでありますが、この子供がすくすくと非常にいい状態に育っていけば、これは何のことはないのですよ。しかし、われわれは常にそういう未来というものを想定するときに、最悪の場合を想定しながら行動しないととんでもないことになるというのは、皆さんこれは同感だと思います。最悪の場合がもし発生したと仮定して、男の子をもらった場合の最悪の事態というのは、たとえば実子でないとわかった時点と考えてもいいでしょうがね。ぼくはそういうことは少ないと思うのですがね。要するに男の子を育てて、最悪の場合は、このおやじの野郎と鉄砲をぶっぱなしたり、暴力団に入って金をせびり始まったり、その親をたたいたり、そういう暴力的な形で報われるのじゃないかと、まあこれはまことに素朴な考え方なんですが。それから、女の子が最悪の場合にどういうことになるかというと、親のきめない男と手に手を携えて逐電したとか、どうせ夜咲く酒場の花よみたいな、そういうような形だけであって、実害という面から言うと、やや少ないのじゃなかろうかという観点が一つです。
 それからもう一つは、育てやすい、育てやすいのじゃないか。男の子というのは、やはり反抗するという段階で、とても強いものがあるし、女の子の場合は、まあまあという感じがしますね。それで私、いま素朴な答えで、皆さんにおそらく満足はいただけないと思うのですけれども、感覚的にとらえたところで、そういうものかなあとぼくは問いかけてみましたよ。そうすると、やはりどうも私の感覚はそう誤っていないようですね。例外はこれはいたし方がございません。
○佐々木静子君 先ほどから私、気になっているので、一々、先生がせっかく御意見をおっしゃっているのに、こういうことを言うのはたいへんぶしつけだということは、私よく承知しているのですけれども、たとえば女の子が大きくなって、好きな男をつくって逐電するというのですが、そういうことは、これは明治民法の感覚ですよ。女の子を育てて、それが成人になって好きな人と結婚するということ、これは憲法や民法できまった当然の権利ではないですか。そこら辺にも私は、この先生の問題提起は非常におもしろい問題だと思いますし、何かの措置を講じないといけないかとも思うのですけれども、私は根本的に、先生の女性に対する偏見というもの、私はこのことばの一つ一つから、これは非常に残念ですけれども、感ぜざるを得ない。ほんとうはそういうことを聞かずに、先生のそういうことばがなくって、すらっとした憲法的感覚から出た御発言であれば、私はもっとすなおに受け入れられると思うのですけれども、その点、正直言ってたいへん残念に思うわけです。
 女の赤ちゃんがたくさんもらわれるということは、これはいま先生も非常にざっくばらんな御意見を出されましたけれども、これは、子供のできない親が主としてもらうわけですから、かなり中年以上になっているわけですよ。家のことも手伝ってほしい、老後のめんどうも見てほしいということから、男よりも女を選ぶのであって、子供のためにもらおうというのでなくって、女の子を希望するのが多いということ自体が、すでにそれは親のために、養う親のために子供をもらうというかっこうなんです。社会福祉的な意味からではないわけです。
 これはあとで、後ほど家庭裁判所のほうにも伺いますけれども、家庭裁判所へ養子縁組みの許可を求めてくるのにも、大きく分けると三つのグループがあるわけです。Aグループというのは、これは子供のためにもらおうという親のグループ、第二は、親のために子供がほしいともらうグループ、第三は、家のために子供がほしいと思うグループ、その三つに分かれて、それぞれの傾向というものがかなり特徴的に出ているわけです。で、家庭裁判所のほうで許可を渋るのは、このあと、親のための分と家の分については、これは慎重に調べた上でなければうっかりと許可はできないというのが基本的な考え方なんです。
 先ほど来先生のお話を伺っていますと、実は残念ながら先生の、親の選定が子の人権を守るとか何とかかんとかおっしゃっていながら、御発言ことごとくが親のため家のための範囲に入る御発言なわけです、非常に残念ながら、私は先生のなすったことを否定するわけでも糾弾するわけでもない。非常に人道的なことをなさったということで、これは私は是認しているわけなんです。ですけれども、その着想に非常に私は問題がある、その論理の発展に非常に問題があるんじゃないかというふうに思うわけです。
 それから、たとえば生んだ母親が来ますね、まあ妊娠九カ月なり何なりで、そしてそれじゃ先生の御説得によって、中絶はやめてそしてだれかの実子にもらってもらおうというときに、これは養子縁組みということであれば、きっちりした家庭裁判所の許可もあれば、また養子縁組み届けという親権者の署名捺印がきっちりあって、きっちりした様式行為なんです。様式というのは、要件を備えていなければ成立しない厳密な法律行為なんです。ところが先生のその場合ですね、ほんとうに自分は親として権利一切を放棄して、赤の他人に自分の子供を実子としてあげるのかどうかという意思表示ですね、その確認の方法はどういうふうになすっていますか。
○参考人(菊田昇君) 確認の方法は、殺してくださいということばに対して、それから七カ月から十カ月まで入れる間には、その間だいぶ猶予があるわけですよ。そうしますと、その間に殺したくなくなったりなんかする可能性も十分あるわけですね。まあまあある人は来ないわけね、それで。しかしたとえば二カ月、三カ月殺したいという非常に追い詰められた状態が全く改善されないまま――だれだって生みたくないですよ。生みたくないというのは、それは分べんというものはそれは非常に死を伴いますから、死を伴うばかりじゃなくて、お産によってその後の妊娠中毒症の後遺症やら何やらで、それでいろいろ伴う可能性もあるわけですね。そういう状態になっても、とにかくまず三カ月間も考え続けてさらにその状態でまた私のほうに来て殺したいという状態は、私は遺憾ながらこれは殺したいというふうに認めざるを得ないんですよ。
 それから、親の基準をどうきめたかということですね。いまたとえば私が、家庭裁判所の判事さんを立ち会い人に入れてくださいということをぼくは一応提案をしているわけなんですけれども、ぼく自身がそう思うだけでは多少の危険性があると、それで法律に明るい方にも立ち会っていただいて、片一方は何が何でも殺してくれ、片一方は何が何でもわが子がほしい一わが子というのは広い意味で解釈されてけっこうだと思います。それでその二人が集まって、こっちが殺したい、こっちが何かわが子にして自分が死んだあとも自分の全財産を渡してもいいという状態の人二人集まったときに、この判断はそうむずかしい問題じゃないような、感覚として私はとらえています。もちろん法律学者じゃありませんから、このことについて法律的にどうこう言われても私は何の答える力もございません。
 それからもう一つ、親の基準をどうするかということは、この子供をすべてこちらに渡したほうが幸せだとほんとに信じられるのかという答えとちょっと似ていると思うんですよ。そのことについては、こちらに置けばもう殺す殺す――殺人を考えているわけですよ。こちらについては愛情――少なくともくださいください、もう何とかしてほしんです、ほしんですというその熱意ね、熱意と愛情というものは、親としてぼくは――ですから、ぼくだけが感じればそれで一〇〇%いいんだとは言わないですよ。ですから第三者も立ち会わせてもらうと、この二つをあわせたときに、この子供はこっちからこっちへ行くのがしあわせになるなんということは、そんなに法何条を持ってこなくたってぼくは簡単に――一人の判断はいけません。しかし、ことに法理論の大家である、専門家である家庭裁判所の判事と、ぼくは身近に、殺してくれ殺してくれと言われているこの現状、何とか授けてください――現にあの記事が出たときに、私のところに電話で、あの子供がきまっていなかったらもらいたいと言ってきているのが、札幌、広島、大阪、幾らでも、それこそ十例ぐらいが、あなたのそういう形ならもらいたいと言って――まあ先生は私のほうに何か不利なような――いろんな激励のようなお手紙もらったと申しますけれども、私のところにはそれこそ何千通となく、もうあの報道があってから、私の家は朝の六時から夜の十二時まで鳴り通しで、翌日の、そうです、翌日の三時ごろに大体興奮もさめたようですけれども、一〇〇%絶対負けるな――負けるなという表現はいけません。とにかくおまえ、この石を投げて中途はんぱで退いたらだめだぞと、もし必要とあらば全国運動を展開してやってみせるから、私の住所はこういうものでと言って申し込んでくるというのが殺到しています。うそではありません。ただ一例の反対でも私のところには参らないわけでございます。
○佐々木静子君 きょうは主として御意見をお聞きするということなので、まあ私も承っておるわけでございますけれども、何も対立して言っているんじゃないんですよ。ただものごとというものは、何も一〇〇%――先生自身が言っていられるでしょう、これが一〇〇%正しい唯一絶対の方法だとおっしゃっていないわけでしょう。そのためには、やはりこういう欠点がある、こういう考え方もあるということを指摘し、それだからこそ審議になるので、みんなが新聞で賛成しているからおまえも賛成しろって、それじゃ国会へ来ていただいた値打ちは何もないわけで、そのために来ていただいているんですから、これはいろいろと考え方というものをお互いに披瀝して大いに考えていくということ、私はこれは非常にけっこうだと思っているわけなんです。そういうことで、これは問題としていろいろと実に多くの問題点を含んでいる。そしていまの現行法のままで全部が必ずしも解決できるとは私自身も思っておらないし、また、いまの現行法が先生のおっしゃるほど無力なものであるとは思われない。行政的にももっともっと解決し得る、いまの現行法の中で。いままでの発言の中で児童福祉法の話などは一言も出てきていないわけですけれども、児童福祉法の中でも、これを一〇〇%活用していけばもっともっと行政的にも解決できる問題がたくさんあるんじゃないか、そういうふうなことで、私自身もまた先生の意見に対する問題点をここに披瀝し、またそれと同時に、多くの婦人がこれは簡単に軽率にやってもらっては困る、これは人の一生ということですからね。いまたまたま同棲時代というものがはやっている。新聞でも捨て子のことがよく出る。しかし人間の一生ですからね。いま生まれた子供も平均年齢で七十何歳まで生きるわけですね。そのときの長い間の人間の歴史ですね、それを考えるには、いま新聞に出た、参議院の人が賛成した、負けるな、やれ、どんどん進め、進め進めで進軍ラッパ吹くということは、これは非常に危険なことだと思うわけです。長い人間の歴史ですからね。先生自身も、先ほどから伺っているように、まあそのいまの家族法についての御解釈についても思い違いをしていらっしゃるところもあるわけでございますので、暴走するばかりが能じゃないと思うんです。その点を私はあえて申し上げて、先生の御意見はもうよくわかりました。時間がございませんので、このあたりで質問を終わりたいと思います。
○後藤義隆君 ちょっと先生にお伺いいたしますが、冒頭に、先生は、死にさらされておる胎児を助けるため、法律違反と知りながらやった行為であるというふうにお話しになったようですね。お話の趣旨は大体わかるんですが、死にさらされておるということは、堕胎を、人工流産をするという意味でしょうか。その他に何か死にさらされておるというような理由があるのかどうかということが一つと、それからもう一つは、いまお話しのような場合、いままでに先生のお話しになったようなことになると、子供の意思というものは全然もう無視されて、実際自分の生んだ親はだれであるかということは、子供は知らされないわけでありまするし、それがはたして人道上よいことであるだろうかどうだろうかという私は非常に疑問を持っているんでありますが、その点について先生はどうお考えでしょうか。
○参考人(菊田昇君) 第一点のちょっと質問の要旨がはっきりのみ込めませんでしたので、第二点だけについて申し上げますと、少なくとも私のケースでは、人道上ということばをお使いになりましたけれども、私が扱ったケースに関しては、残念ながら、くれた親をわからせるのに忍びないんですよ。ということは、その子供が大きくなって、戸籍を見れば実子だと、だけれども何か実子でないかもしれないと。そしてまあ知ることが権利という立場から見ますと、確かに権利ということばに入るのかもしれませんね。しかし、ここで、もし知らされたらという面からとらえますと、おれを殺そうと――まあ殺そうと、そこまでは考えなくてもいいでしょうね、おれを捨てた親のやろうはどこにいるかということですね、これを知ることが権利とぼくは思えないんですよ。むしろ、それじゃ知る権利というのは、それは権利として何かことばの中にありますけれども、これは知らないほうが権利と私は解釈しておりますが、これも素朴な見解なので、もし誤っていればひとつ御了承いただきたいと思います。知らないことの権利というものもあるんじゃないでしょうかね。ですから、その点から見ますと、結局家庭裁判所の判事さんあたりが立ち会えば、おそらくアメリカの、さっき玉置先生が指摘されましたように、金庫の中にでも入れておかれれば、ここで人道上非常にまれなケースとして、この問題が、どうしてもこれは知らせたほうがその子供のため、それから双方のためにも利益であると認めた場合に限ってその金庫から引き出すような方法がとられていると。しかもそれはアメリカで、ぼくは全然知らない時点で私の考え方が十分生かされているということを、今回ここへ参りましたことでたいへん意を強うしたんですけれども、そういう意味で、知ることが権利だということの中にはずいぶんいろんなクエスチョンマークがつくんじゃないでしょうか。
 それから、第一点の要旨、ちょっとわからなかったので、もう一度お願いしたいんですが。
○後藤義隆君 第一点は、先生が冒頭にお話しになったのは、死に瀕しておる胎児を助ける、死に瀕しておるから、こういう手段をとることが助けるためには適当であると自分は考えたと。いわゆる死に瀕しておるというおことばを使ったわけなんですが、それでもって、それはいわゆる人工流産をすれば死ぬると、それを、だからあえて人工流産をさせなくて、やらなくてそれを生ませたんだという、いわゆる死に瀕するということは人工流産のことを意味するのか、それともほかに何か死に瀕するような事情が考えられるのかということ、それから、御承知のとおりいろいろ知る権利とか何とかということを最近言われておるが、私のお聞きしたのは、そういう法律上の知る権利とか何とかいうようなことじゃなしに、これは自分の親というものを人道上知らせなくて、また知らなくてそれがいいことなのかどうだろうか、人道上よいことだろうかどうだろうかということを考えて、法律にこだわっているわけじゃないです。
○参考人(菊田昇君) ほんとうの親を知らせるということが、その子供といわば死に瀕しさせた母親と、養っている、実子として――まあ実子としましよう、そういう親を知らせることがメリットになりそうだというケースは非常に少ないと私は思うんですよ。これはむしろ、もっとひどく言えば、ある時点、高校生ぐらいになって戸籍謄本のような問題が出てきたときに、実子実子と思っていたのがたまたま養子であるということが確認された形でその子供が見せつけられた状態と、もう嫁さんに行くとか、嫁もらって一人立ちになったときに、この辺で話してあげても、この子供はもう迷ったり、人間として正確な判断ができる段階でそろそろお話ししてやろうかなということでは、それはそのときは、結局最終的にはその養った親が、自分の長い経験から見てここで話したほうが有利だと思う――有利と言うとまた佐々木先生から、それは親のエゴイズムだと言われるかもしれませんけれども、子供のしあわせということにしぼって――心理的なしあわせですよ、経済的なしあわせじゃございませんよ、そういう確信に立ったときにその人が自然に言ってあげることは、これは何も差しつかえないんじゃないでしょうか。
 ただ、そのときに、それじゃ実の親をさがしたいという場合は、おそらくその子供を殺してくれという親をこれからさがし当てた場合のほうが悲劇が大きいんじゃないでしょうかね。私そのように考える次第です。
○原文兵衛君 関連して二点だけお伺いさしていただきたいと思います。
 一つは一先ほどから菊田先生のお話を伺っておりまして、大体七カ月以上たった女性の場合だけのお話のようでございますが、一番の目的はおかあさんのからだの保護が第一義的な目的なのか。あるいは、生まれるであろう子供の生命、これを尊重するということが第一義的な目的で、こういう先生の行為だと私も非常に敬意を払うのにやぶさかでないんですが、そういうことでこのことを始めたのか。その点が第一点、お伺いしたいと思います。
 もう一つの点は、先ほど来佐々木先生のお話にもいろいろあったんですが、実子でないものを実子としてやったほうが、戸籍に入れておいたほうが予後のためにいいと、まあ心理上の問題もあってですね、そういうようなお考えだと思いますが、私もそれはそのとおりでいけば一番いいと思うんですけれども、もし何らかのきっかけでもって実子でなかった――親のほうは知っているわけですよ、子供のほうがわかった場合に、これはまあ全部が全部とは言いませんが、場合によっては非常に悲惨な問題が起きる可能性もあるんじゃないかということを私もやはり懸念するんです。そういう意味で、十年間で約百人、約百例ほどですね。先生はそういうふうにお世話をされたわけですが、その例の中で、実子ではないんだというようなことがわかったという例は一件もなかったのかどうか、いままで。
○参考人(菊田昇君) ございません。
○原文兵衛君 その二つだけです。
○参考人(菊田昇君) 第一点の質問に対してお答えを申し上げます。
 第一点の問題は、たとえば七カ月以降における母体を主にしたのか、子供を主にしたのかと申しますと、これは両方とも利益であろうというお答えを申し上げますけれども、だけれども、どっちかにしろと言われれば、私はためらいなく子供の命を主にしたいと思います。と申しますのは、母体の場合は必ず死ぬという――幾ら七カ月以降のたとえば人工中絶であっても、それをやったからといって死亡するという例は、確かに母体にある程度の障害を与えるということは確かでも、死亡させるような悲惨な状態になるのは、やっぱりまれなところに属すると思われます。しかし、この点で、子供を受けとめなければ一〇〇%死につながりそうな――一〇〇%ということばは穏当じゃないと思いますけれども、少し強めて言えば、ややそれに近いような数字――と言っても、ちょっとまたおこられるかもしれませんが、何かそれに近いような数字をもって、この子供の命が危機にさらされていますから、比重はやはり私は子供のほうに軍配をあげるべきだと思います。この時点では。
 それから第二点の、実子として育てられていたにもかかわらず実子でないということがはっきりわかるということは、これは皆さん方ちょっと考えてみるとわかりますけれども、確認できるということ――たとえばうわさとかなんとかを気にするというのは、小さい幼稚園児ごろから、もしそんなふうな話を聞けば、そういうことを気にする子もあるかもしれません。しかし、そのときの態度というものは、結局親のことばが正しい、親以上に信頼できるものはないという状態にある。その時期はそういう時期だとぼくは思うんですよ。それからもう少し大きくなってくると、小学校、中学校に入ってきますと、学校の先生の言ってることが、学校の先生の言うことならまず間違いなかろうというのが、大体の感覚として受けとめていいんじゃないかと思うんですよ。さて高等学校へ入るころになると、もしそういううわさがあるとすれば、おやじさんに何かこういうような話をかりに聞いたとした場合に、親は、「おまえ、そんなことを言うんだったら、市役所へ行って戸籍簿を見てきたらいいじゃないか。おまえ何を言うのだ。」と言えば、まあまあそこで大部分の者が救われるのじゃないか。その点では一つの回答になるのじゃないかということを、私は法律的にわかりませんけれども、私の感覚としてはそのように感じております。そして、さて大学生になってきた、嫁さんをもらう段階で、どうしてもこの問題を父親と話したい段階であったら、これは父親の判断で、「実はな」ということがあり得るのじゃなかろうかという見解をとっております。
 これもまた法律に明るい方から言わせると、非常に幼い、何というか、実にばかげたことを申すやつだとおしかりを受けるかもしれませんけれども、私は何となしにそのように受けとめております。
 ですから、これを初めから養子としてつけたときの被害から比べれば、子供に与える大きな衝動から見れば、これによって起こり得る子供に対する影響というものは、もはや相当に周囲の人の意見を聞いても大体理解できるところの状態になったときに、この問題は発生するに違いないということを予測できるものですから、私は、初めから養子につけて、高校生で何のことかわからないようなときに、たまたまそういう具体的に養子になっていたということになれは、――養子になっているということは、非常に大ぴらなことですから、市役所に勤めている人とか、あるいは近所の人たちの「あれは養子なんだから」「いいか、おまえはほんとうのお母さんの子じゃない、もらわれてきたんだよ。」ということを、無責任にもそういうことを言うチャンスは幾らでもあるでしょう。それは養子なんですから、初めから。だから、そういうふうな弊害から比べれば、千分の一の弊害――数字はいけませんけれども、非常に少ない確率でもって起こり得ることであるということを私は感じておりますけれども……。
○委員長(原田立君) 他に御発言もなければ、以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。
 菊川参考人に一言御礼申し上げます。
 本日は、遠路御多用中にもかかわらず、長時間にわたりまして御意見をお述べいただきましてほんとうにありがとうございました。厚く御礼申し上げます。
 午前の質疑はこの程度とし、午後一時五十分まで休憩いたします。
   午後零時五十六分休憩
     ―――――・―――――
   午後二時九分開会
○委員長(原田立君) ただいまから法務委員会を再開いたします。
 午前に引き続き、検察及び裁判の運営等に関する調査を議題とし、これより質疑に入ります。
 質疑のある方は順次御発言を願います。
○佐々木静子君 それでは、午前中には菊田参考人からいろいろと、歓迎されないでこの世に生まれてきた子供さんの措置の問題などについていろいろ意見をお聞きしたわけですが、そういう問題に関連して、午後引き続いて厚生省と最高裁判所のほうにいろいろお尋ねしてみたいと思います。
 これはまず最高裁判所のほうに伺いたいわけでございます。家庭裁判所でいま、民法の七百九十八条により「未成年者を養子とするには、家庭裁判所の許可を得なければならない。」という規定がございまして、家庭裁判所で、未成年者を養子にしようとする申請があった場合に、それに対して審判を行なっていらっしゃるわけでございますけれども、この養子縁組みの許可を求める件数といいますか、これは成年の養子については家庭裁判所のほうにあらわれてこないと思うわけです。養子は未成年の場合に限ると思うわけでございますけれども、これは全国的に一年に何件ぐらいございますか、件数にしまして。
○最高裁判所長官代理者(伊藤滋夫君) 最近の件数を申し上げますと、養子縁組みの全国の家庭裁判所で受理されました件数は、昭和四十五年で一万七百六十八件、昭和四十六年で九千九百六十九件、昭和四十七年におきまして九千四百十六件、大体ほぼ一万件前後でございます。
○佐々木静子君 これはたとえば直系尊属間の養子、おじいさんとおばあさんが娘の産んだ子供を養子にする場合などは家庭裁判所の許可を得ておりませんですね。これは統計的にわかりますか。戸籍等の関係で、どのぐらい家庭裁判所の許可を要しない直系親族間の養子があるのかということ、おわかりでございましょうか。
○最高裁判所長官代理者(伊藤滋夫君) 恐縮でございますが、裁判所の関係ではその統計はちょっとわかりませんのでございますが。
○佐々木静子君 ああそうですか。家庭裁判所で養子縁組みを許可するかどうかということをきめる趣旨ですね、普通の契約であれば、当事者同士の合意でいいものを、どういうわけで家庭裁判所の許可にしているか。これは言うまでもなく、養子になるべき未成年者が、これが養親として適当であるかどうか、この養子縁組みを認めることによって子供の将来のしあわせというものにつながるかどうかということを、これは公的機関であるところの専門の家庭裁判所でお調べになって、不適当なものはチェックしなければならないというために、その養子のためにこういう制度を設けてあるという立法趣旨だと思うんでございますけれども、現実に養子の許可を求めてきた、大体一年において相当な数ございますが、そのうち婚姻による子供と、養子が、あるいは婚姻外による子供とがどのぐらいな比率になっているか、統計的におわかりでございますか。
○最高裁判所長官代理者(伊藤滋夫君) 昭和四十五年度の司法統計によりますと、養子縁組みの関係で認容されました件数が約九千六百件ほどございますけれども、そのうち非嫡出の子の関係ですと、約千六百件ほどでございます。
○佐々木静子君 それからその許可の基準ですね、大体裁判所のほうでどういう点を調査なさって、どういう点にウエートを置いて養親に適当であるかどうかということをお調べになるのかをお述べいただきたいと思うわけです。
○最高裁判所長官代理者(伊藤滋夫君) 許可の基準は、まず基本的に申しますと、一言に申しますれば、この養子縁組みが養子となる未成年者の福祉に合するかどうか、そういうことに一番の重点を置いて審議をいたすわけでございますけれども、その点をもう少しふえんいたしまして具体的に申しますと、その点を判断いたしますために、養子縁組みの動機がどういうところにあるのか、それから、同じことでございますが、目的がどうであるとか、あるいは具体的に養親となるべき者の扶養の能力がどうであるか、あるいは将来養子をいたしました場合に子供と親が一緒に同居をしていくのかどうか、その同居をしていきます場合に、将来にわたってその同居の可能性が長く続くものであるであろうかどうか、あるいは養親の間の夫婦の関係がはたしてうまくいっているであろうかどうか、あるいは養親の性格がどうであろうか、養親と子供との性格のつり合いはうまくいくだろうかどうか、そういうようなことを具体的にいろいろ調べます。場合によりましては家庭裁判所調査官、さらに必要な場合は医務室の技官、そういうようなものも起用いたしまして、子供の福祉という観点に主眼を置きまして、いまのいろいろな具体的な観点から審議をしてまいるわけでございます。
○佐々木静子君 そういう観点からお調べになって、申請のあった養子縁組み許可申請事件のうち何%が認容され、何%が却下され、それから何%が取り下げるか、その三つをパーセンテージに分けてちょっとお述べいただきたいわけです。
○最高裁判所長官代理者(伊藤滋夫君) 厳密に新受件数の申し立てと既済との関係がきちっと符合するかどうかという点が、若干理論的に申しますと問題がございますので、既済総件数の中の割合を申し上げてみたいと思いますが、昭和四十七年度におきましては、養子縁組みの既済総件数が九千三百九十一件でございます。そのうち認容になりましたのが八千五百三十一件でございますので、これを普通認容率と申しておりますが、九〇・八%でございます。逆に申しますと、ほぼ一〇%近くのものが認容されなかったという結果になっております。ちょっといま取り下げ率の統計を手元に持っておりません。――昭和四十一年で、少し古い統計でございますけれども、そのときの取り下げの総数は千六十六件でございますので、先ほどの大体の件数で申しますと一割程度の取り下げがあるということになろうかと思います。
○佐々木静子君 そうすると、私、先ほど午前中の質問で五%ないし六%があるというふうな質問、不許可になる旨の質問をしましたが、実際最近の家庭裁判所ではもっと不許可になっている率が多いということでございますね。
○最高裁判所長官代理者(伊藤滋夫君) 統計の数字から申しますと、先ほど申し上げたとおりでございますので、そのようなことになるわけでございます。
○佐々木静子君 これは大体どういうふうな理由でそれを認めておられないのか、不許可になっている多いような例を二、三おあげいただきたいと思うわけです。
○最高裁判所長官代理者(伊藤滋夫君) この却下になりました区分別の詳しい統計を最近必ずしもとっておりませんので、若干古い統計になりまして恐縮でございますが、昭和三十六年の統計で見ますと、却下の件数がこのときは百十七件でございますが、そのうち多いものを拾ってまいりますと、たとえば子が少なくてさみしいという養親側の理由で申し立てられたようなもの、そのものが三十三件でございます。それから家名を継がせたいというような理由によるもの、そのものが二十四件でございます。そのようなものが比較的却下になりますものの中に多いようでございます。
○佐々木静子君 そうすると、親がさびしいという、主として親の主観に基づいて、親の気持ちの満足から子供をほしがっているケース、あるいは家名を継がせたいというふうな、家という観念にとらわれて子供をもらいたいというケースなどは家庭裁判所ではチェックして却下しておられるということになるわけでございますね。
○最高裁判所長官代理者(伊藤滋夫君) 先ほど申しましたように、子の福祉という点を主眼というふうに考えてまいりますと、いま申しましたような点が却下の理由として多くなってくるということになるわけでございます。
○佐々木静子君 子供をほしがる人、ほしくてほしくてたまらないという人であっても、いまのお話のように親の主観で、親のために子供がほしい、あるいは家のために子供がほしいという人は、これは子供がほしいという願望の、願いの強さを基準とせずに、そのだれのための養子を求めているのかということを基準に判断していらっしゃるわけと承ってよろしゅうございますね。
○最高裁判所長官代理者(伊藤滋夫君) あくまで先ほど申しましたように、主眼が子の福祉ということでございますので、先ほど申しましたようないろいろな事情を全体として考慮していくということになろうかと存じます。
○佐々木静子君 それから、話が変わりますが、家庭裁判所に親子関係不存在確認の調停とか、審判の申し立てというものがかなりあると思うんです。これは、先ほど来、お話に出ておりました、事実と違う虚偽の出生届けによって戸籍上親子になっている、こういう人が日本には、まあ昔から日本ではかなりそういうことがルーズに行なわれておりましたので、相当あると思うんですけれども、それがたまたま事件となって、家庭裁判所に親子関係不存在の確認の調停なり審判というものが、一年において事件数にして全国でどのくらいございますか。
○最高裁判所長官代理者(伊藤滋夫君) 現在、御承知のとおり、家事審判法二十三条の事件という形で親子関係不存在確認の事件が出てまいるわけでございますが、昭和四十七年でそれを見てみますと、審理の件数が、親子関係不存在確認の理由による二十三条事件は二千七百四件でございます。
○佐々木静子君 これは事実関係をお調べになって、真実親子関係がないということがはっきりした場合は、これはほかの事情から見て親子関係があったほうがいいとかりに思われるような場合でも、これは真実の、科学的に事実が親子関係がなければ、親子関係がないという審判が出るわけでございますね。
  〔委員長退席、理事原文兵衛君着席〕
○最高裁判所長官代理者(伊藤滋夫君) 親子関係を、二十三条審判をいたします場合に、いろいろやはり慎重に調査をいたすわけでございますが、親子関係がないということになれば、その旨の二十三条審判をするということになるわけでございます。
○佐々木静子君 これは私の体験しているようなことでも、たとえばいい子供だと思ってもらったけれども、思いのほか頭が悪くて、学校の成績も非常に悪い、あるいは健康な子供だと思ってかわいがっていたけれども、自動車にひかれて不具になった、まあそういうふうなことで、養い親のほうから、実は真実の親子関係は存在しないのだということで、親子関係不存在の訴えが起こされているケースというものは、私も幾つかこれは体験したわけなんですけど、代理人なり何なりで。そういうケースも家庭裁判所に、その中にはかなりにございますね。
○最高裁判所長官代理者(伊藤滋夫君) いま申しました事件の中にそういうような事件もあるわけでございますけれども、正確にそれが何件あるかということまで現在申し上げる資料を手元に持ち合わせておりません。
○佐々木静子君 この虚偽の出生届けによる親子関係不存在の確認の訴えというものは、これは別にいつまでに出さなければならないという期限もないし、一方、親が死んでしまってからでも出せるわけでございますね。そういうこと、これは一定の期限の制約が私はないと思うんでございますけれども、無効の確認ですから。親が死んでからも出せるのか、そしてまた、そうなると、虚偽の出生届けを出してある場合は、いつ真実の親子関係がないということで、関係人だれからでも、その不存在だという確認の訴えを出される状態に置かれているのかどうか、そういうことをちょっとお述べいただきたいと思うわけです。
○最高裁判所長官代理者(伊藤滋夫君) 家庭裁判所の関係で申しますと、御承知のとおり、家事審判法二十三条の事件ということで係属することになるわけでございますが、二十三条事件を提起するための別に期間の制限というものはございません。
○佐々木静子君 それから家庭裁判所にもう一つ、先ほどの、まあいまの親子関係の問題に関しましてもそうですが、この養子縁組みの許可の件なんかにつきましても、これは専門のケースワーカーとしての家事調査官が、専門家としていろいろとその真偽のほど、あるいは適当かどうかというようなことの専門的調査をされるわけでございますね。
○最高裁判所長官代理者(伊藤滋夫君) 先ほど申し上げましたように、種々のファクターを考慮して、家庭裁判所として適正な判断をするべくつとめるわけでございますが、その際に、ケースに応じ、必要に応じまして、家庭裁判所調査官、場合によりましては医務室の技官の診断も求めて審理をするということになるわけでございます。
○佐々木静子君 それでは、厚生省にちょっとお伺いをしたいんでございますけれども、先ほど来、望まれないで生まれた子供さんの処置というようなことについて、午前中からいろいろと審議が行なわれたのでございますけれども、児童福祉法の規定によりますと、第一条で、「すべて国民は、児童が心身ともに健やかに生まれ、且つ、育成されるよう努めなければならない。」「すべて児童は、ひとしくその生活を保障され、愛護されなければならない。」という、まあ第一条にその児童福祉法の目的がうたわれておりまして、そして児童相談所その他で児童福祉行政として、いろいろと適当な保護者のない子供さんなどの保護の問題がきめられているわけでございます。この児童福祉法の二十七条の一項三号によりますと、里親制度というものがきめられているわけでございますけれども、現在、厚生省のほうでいろいろ恵まれない子供さんに対する里親制度というものは実施されておられるわけでございますね。
○説明員(阿部正利君) 御趣旨のとおり、児童福祉法の規定に基づいて現在里親制度というものが実施されております。
○佐々木静子君 この里親制度というのは、具体的にどういうかっこうで子供さんを預かって養育されるのか。先ほど来、虚偽の出生届けを出すとか、あるいは養子縁組みがどうのこうのという話がございましたが、法律的な、里親がまあ法律的にどういうかっこうで子供さんを育てられるのか、それをお述べいただきたいと思います。
○説明員(阿部正利君) 里親制度は、保護者がいないか、あるいはまた、保護者がいてもその子供の監護に欠けておるというような場合、その子供を自分の家庭に預かって、そうして養育していくということを希望する方が、都道府県知事の認定によって、里親というふうな形で登録されるわけでございます。それで、登録するにあたっては、都道府県知事は都道府県の児童福祉審議会の意見を聞いて認定するということになっておるわけでございます。そこで、登録された里親を一応置いておきまして、その登録された者について、具体的に里子として適当な者があれば、ここに初めて養育の委託が行なわれるということになっておるわけでございます。
○佐々木静子君 そうすると、子供を育てたいという親を、申し込みによって、そしてそのうち適当であるかどうかということを審査されて、そして適当であるということになれば里親として登録するという制度でございますね。現に里親として登録されている方は何人ぐらいいらっしゃるんしょう、いま日本で。
○説明員(阿部正利君) 登録されておる里親の数は、昭和四十七年の十二月末現在でございますが、里親の数が一万三千二百六十人ということになっております。
○佐々木静子君 いま里親が一万三千人余りということでございますが、それではその里子ですね、その里親に養ってもらう子供さんはいま何人ぐらい、まあ里子として預かられているわけでございますか。
○説明員(阿部正利君) 先ほど申し上げましたのは、登録しておる里親の数字でございます。この一万三千人のうち、実際に子供を預かっている里親の数は三千六百四十三人でございます。この三千六百四十三人の里親に、子供の数は四千三百三十八人預けられている。したがって、一つの里親家庭で二人ないし三人預かっておるというケースも中に入っておるということでございます。
○佐々木静子君 これは子供を預かるときに、一人で預かるよりも複数で預かったほうが子供にとってもしあわせだというようなことで、一緒に預かるほうが教育上好ましいというようなことで預かられるということをよく聞いておりますので……。いずれにしましても、里親の希望者ですね、里親として申し込んでいる数のほうが現実の里子の数よりも相当数が多いというわけでございますね。私の知っている人も、里親として何年越しか申し込んでいるのだけれども、まだ育てさしてもらう子供さんにめぐり会わないというふうな嘆きをよく聞くわけなんでございますが、現実は、預かられる子供よりも、なかなか里親全部に子供さんが当たらないというのが現在の実情でございますね。
○説明員(阿部正利君) 登録里親と委託里親、子供を預かっておる里親との間にずいぶん開きがあるわけでございますが、これは、やはり親側のほうでそれぞれ、こういう子供さんがほしいというような一つの条件みたいなものがございます。それから、その親の希望するような子供さんがなかなか得られないというような形において親と子の結びつきがうまくいかないような場合に、長い間登録していただいても実際の子供さんが預けられないというような形であるわけでございます。
○佐々木静子君 そうしますと、現実にその場合、いろいろとこのごろは性道徳が乱れたり、またいろいろな事情から子供を養い切れないというようなケースもたくさんある一方、養いたいという親はそれよりもずっとたくさんある。これは私も、これだけ生活に余裕ができてきて、いままでのように食べるに困っているというふうなことで国民が追われていた時代から相当ゆとりのできてきた時代に入ったわけですから、里親希望はかなりふえていくんじゃないかと思うんですけれども、現在でも、捨てられた子供よりも育てたいという親のほうがはるかに多いというわけでございますね。そしてこの里親に対しまして、国とするとどういう監督を行なっておられるのか、また経済的にはどういうことを国の負担でやっておられるのか、簡単でけっこうですから、お述べいただきたいと思うわけです。
○説明員(阿部正利君) 里親に対しては、先ほど先生のお話もございましたように、児童相談所というものがございます。その相談所の中にこういったケースを担当するケースワーカーとしての児童福祉司が現在おります。その児童福祉司がときどき里親の家庭を回って、適切な助言なりあるいは指導なりというようなことで相談にあずかっておるという形で指導が行なわれておるわけでございます。そして、現在里親に対して国の補助金が都道府県を通じて交付されておるわけでございます。これは毎年少しずつ内容の改善がはかられてきておるわけでございますけれども、おおむね、現在、先ほど申し上げました里親を対象にして、これは子供を預かっておる里親が対象になるわけでございますが、国の予算が、十分の八の額でございますけれども、約八億一千九百万円ばかり計上してございます。大体里子一人当たり考えてみますと、これは子供の教育費等も含まれておりまして、必ずしもこのとおりにいきませんが、大体大ざっぱに一人当たり年間考えてみますと約二十万二千円程度のものが国の補助金として交付されて、このほかに約十分の二のものが都道府県負担という、こういう形で補助金が交付されておるということでございます。
○佐々木静子君 実は午前中あなたはおられなかったかと思うのでございますけれども、実は参考人の、これは産婦人科のお医者さんですが、歓迎されない子供が生まれた。その生まなければならないその場合に、虚偽の出生届けをしてでも、実子としてだれかもらってくれる親をさがさなければその子の命は救われないというようなお話であったわけでございますが、いまの厚生省の児童家庭局のお仕事として、こういう場合は、ほんとうにその子供は死ななくちゃならないのか、どういうことになっているんですか、ちょっと説明していただきたい。
○説明員(阿部正利君) 子供を欲しない母親から生まれた子供さんを他人に預けるというようなケースだと思いますけれども、やはり私どもとしては、その子供が、その家庭で両親の愛情と信頼を受けて、そうして育てられていくということは、やはり児童福祉の基本の問題だろうと思います。しかしこういうふうなことが許されないような環境にある家庭の子供につきましては、やはり先ほど申し上げましたように、いまの里親の委託とか、あるいは児童福祉施設として乳児院というのがございます。そのほか養護施設等もございます。あるいは身体に障害がある子供であれば、そういうふうな施設が用意されているわけでございますので、こういった福祉施設への入所の措置をとる、こういうことになるわけでございます。しかし真に子供を理解しておって、そうして理解しておる養育者があった場合の養子縁組みということもあり得ることだと思います。
○佐々木静子君 この里親として登録されている方のうちから、その里子を養子にされたケースというのはかなりあると思うんですけれども、法律上の養子に。それはどのぐらいのパーセンテージになっておりますか。
○説明員(阿部正利君) 里親に子供が委託されて、委託された子供が解除した時点において、養子縁組みが行なわれると解除ということになるわけでございますけれども、これは最近、昭和四十六年度一年間の数字でございますが、里親を解除した子供の数が全体で千百四十二名ございます。そのうち養子縁組みという形で解除されたのが五百十四人で、大体四五%くらいになろうかと思います。
○佐々木静子君 これが先ほどの参考人のお話を伺っておりますと、非常に御心情はよくわかるわけなんですけれども、日本において福祉行政というものが全くなされておらない、ゼロであるというような印象を私ども参考人の御発言からは受けざるを得ない。そういう点においては、いまお話を伺っておるように、児童福祉法というかなり完備した法律があって、生まれてきた児童はともかく保護される状態にあると私ども思っているんでございますけれども、それが案外善意な方々にも十分に知られておらない。そこら辺に相当大きな問題があるんじゃないか。新たな立法というものもむろん考えなければならないことかもしれませんが、現にある児童福祉法というものの中身を充実して、そうしてこれを全般の国民に周知徹底したならば、もう産んで殺すか、他人の子にして親子の縁を切るか、それ以外に方法がないというようなことばかりでは私は決してないと思うわけなんです。そういう意味において、厚生省のほうで非常に児童福祉行政に力を入れていらっしゃるということはわかるわけなんですが、残念ながらそれが一般の方々に十分に知られておらないということを、私、今度の事件を通じても非常に遺憾に思ったわけなんです。そういう意味におきまして、厚生省が全く受け身の立場だけじゃなしに、もう少し積極的にいろいろな、あまり幅狭く限定的に解釈なさらずに、児童福祉法の第一条の精神から言いましても、すべての児童は健康で文化的に育てられるような国家の責任があるわけですから、もう少し幅広く能動的に仕事をしていただきたいと私思うわけなんです。それで、児童福祉法の三十三条の五とか、三十三条の六あるいは三十三条の七、これは親権者、このごろは、午前の発言でも、親が子供を顧みないケースが多いというようなこと、これは私一般的なことじゃなくて、そういう特異なケースがあるというだけのことだと思うんでございますが、父親が子供をせっかんし過ぎて殺してしまうとか、母親が子供をほっぽらかしにしているとか、そういうような親権者としてふさわしくない親権者がいる場合に、これは親権の喪失の宣告の請求、これは児童相談所長が、これは権限で家庭裁判所に申し立てができるようになっているわけでございますが、これは一年のうちに何件ぐらい児童相談所として、全国的に、やっておられるかどうか。
○説明員(阿部正利君) このようなケースについては、先ほど申し上げましたように、児童相談所で相談、あるいは福祉施設への入所、里親への委託の措置というふうなことが行なわれておるわけでございますけれども、この親権喪失宣告の請求件数というのは、私どものほうで特別の統計をとっておりませんのでちょっとお答えしかねるわけでございます。しかし若干はあるというふうに考えられます。
○佐々木静子君 これはわざわざ最初にできた法律を改正して、児童相談所長にそれだけの多くの権限を与えたわけなんでございますから、こういうせっかく厚生行政の上で持っておられる、子供のために行使できる権限、こういうふうなものをやはり厚生省としたらフルに活用していただいて、常時子供の福祉ということについて能動的にやっていただきたい。そうしなければこういうふうなものが死文になる。そうすると、せっかくある児童福祉法というりっぱな法律が、先ほど午前の発言のように、そんなものあるのかというふうな印象を世間の人が持つに至るということで、私は午前の審議を通じても、もっともっと厚生行政の面でそういう権限をフルに、いい意味に活用していただきたいと思ったわけです。
 たとえば児童福祉法の三十条に、四親等内の児童以外の児童を、その親権を行う者から離して三カ月以上預かったときには、これは届け出なければならないというふうになっておりますね。こういうふうなことは児童福祉法にきまっているけれども、実際世間ではこのことを知らない人がほとんどじゃないかと思うんです。これは親戚の子供を預かって育てるとか、あるいは知り合いの子供さんを預かって育てるようなことは世間に幾らでもありますけれども、それはかなり社会福祉の面に理解のある人でも、こういう届け出義務があるということは知られておらないわけですね。ただ、しかし、私はこれをお役所仕事で、これなぜ届けぬかというふうな処理のしかたじゃ、これはせっかくのこの児童福祉の精神が生かされない。やっぱりこれはもっと能動的に児童福祉行政として、進んで向こうから言うてくるという状態に役所の雰囲気を変えなければ、いまのようにお医者さんなり何なり個人がその責任を負って、そうして、そう言うと非常に失礼な言い方だけれども、狭い知人の範囲内で全く私的に処理しなければならない。そういうことは、広い目で見て国の行政の大きな欠陥であると同時に、処理される子供にとっても、狭い範囲内での処理ですから、これは決して広い意味での、大きな意味でのしあわせと結びつくものではないと思うわけなんです。そういう意味において、午前中の審議と現在の厚生行政というものは私は決して無縁じゃない、非常に関係の深い事柄ではないかと思うわけです。
 この届け出義務が履行されると、厚生省のほうとすると、その子供さんが安全な状態で養育されているかということをこれは定期的に検査――検査というか、それとなくお調べになるというようなことから届け出義務というものが出ているんだと思うんでございますが、実際にそういうことはやっていられるのか、また、これ、届け出ない場合は罰則の規定まであるわけなんですけれども、この罰則の規定を設けてあることがいいか悪いかは別として、そういうことを、これは法律では一応きまっていることを厚生省はこれを実践していられるのかどうか。届け出件数が一年間にどのぐらいあり、届け出なかったからといって罰則規定を行使されたことがあるのかどうか、そういうことをちょっと伺いたいと思うわけです。
○説明員(阿部正利君) たいへん申しわけございませんが、届け出の状況等については、特別の統計調査ということを行なったことがございませんので、はっきりした数字は掌握いたしておりませんけれども、やはり先ほどの親権喪失宣告請求事件と同じような形でこのケースはあるものと考えております。
 それからまた、これによって罰則の適用された件数は、いまのところ私どもは伺ってはおらないような状況でございます。
○佐々木静子君 最後に。
 結局、児童福祉法といういい法律があるのに、それを厚生省のほうで私は残念ながらフルに活用していただいていない、それを非常に残念に思うわけでございます。でございますので、そういうみぞの中にはまり込んでいる人たちが何とか自救手段を考えなければならない。だから法律を曲げてでも、違法なことであってもあえてやらなくちゃならないという問題が起こってくるし、これはきょうの午前中の参考人の方はきわめて善意でやっていらっしゃるけれども、これは私ども非常に憂えるのがアメリカなどでの胎児の売買の問題ですね。いまブラックマーケットというような問題で、生まれてくる胎児が一部の悪質医者とかそういう人たちによって高い値で売られている、そういうことまで起こってくるわけでございます。
 日本はエコノミックアニマルとか言われている状態ですから、そういうふうな厚生行政なりほかの行政面の手の行き届かないところ、そこへ自救手段を考えなければならない。それに手を差し伸べる人が善意の人とばかりは限らない。そういうようなことで、場合によるとこれはベビー・ブローカーというようなものも、いまのお話のように、それはもう育てたい人のほうが育てられる子供の数より圧倒的に多いんですから、これはへたをするとベビー・ブローカーというものがばっこする。先日来商社がいろいろ生活必需品の買い占めをしていますけれども、商社のベビー買い占めだって起こらぬとも限らぬです。労働力が不足しているのですから、そういうふうなおそろしい問題とこれはつながらざるを得ない。
 そういう意味において、これは法律がないならともかく、児童福祉法というようないい法律があるのでございますから、この法律をぜひとも一〇〇%十分に活用していただいて、そういうふうな、まあこの法律でどうしても律し切れないものがあればまた立法を考えればいいのでございますから、ともかくあるいい法律をフルに活用していただくということを特にお願いして、厚生省に対する質問を終わります。
 大臣お越しいただきましたので、一言お伺いしたいと思いますが、午前中はお差しつかえで、いらっしゃいませんでしたけれども、実は午前中に、百人ほど望まれずに生まれる子供さんを取り上げた産婦人科のお医者さんが、その子供さんの将来なりを考えられて、虚偽の出生届けを出されて、その子供の実親として育ててもらう親を見つけた、まあそういう処置をとっていられるというようなことがいま大きくクローズアップされているわけでございますが、そういう問題に対して、私どもも、どうしてもいまの法律で律し切れない問題があるならば、これは特別養子なり何なり立法をまた御検討していただかないといけない、われわれも考えなくちゃならないと思うのでございますが、いまの法律のたてまえからいっても相当の面が救済できるんじゃないかと思う面もあるわけなんでございます。特に、これをただ人の善意、個人の善意だけにまかすといろんな問題が起こるのではないか。そういうことで必要な意味での牽制ということも、これは単に必要悪ということだけでも律し切れない問題ではないかと思うのでございますが、大臣とすると、この問題についてどういうふうにお考えになっているのか、簡単にお述べいただきたいと思います。
○国務大臣(田中伊三次君) いま仰せのような事情で生まれてきた子供をおっしゃるような処置をすることがよいのか悪いのかという問題でございます。私の立場から申しますと、生まれてきた子供はすべてどのような事情、立場にある子供といえども健康で幸福な育て方をしてもらいたい、それがかた苦しいことばを使いますと子供たちの人権であろうと存じます。そういう事情で生まれました子供を育てていくのに、子供の幸福である生き方、子供の人権を守る子供の幸福な育て方というものはどういう形で進められることが一番よかろうかという、この子供の幸福ということを基準に置いて考察をいたしまして、そうしてその善悪の判断をしてみたい、こう考えるのでございます。したがって、あながち手続を踏まずにわが子として、いわば法律上申します公文書不実記載などという、そういう姿でこの子供が引き取られていくということ、これがまことにけしからぬものだという、法律をもって、罰則に照らして厳罰にしなければならぬものだということを簡単に言い切るわけにもいくまい、どういう事情でこの子供が生まれて、どういう事情でそういう養父母のもとに引き取られたのかということの事情をつぶさに検討してみて、それが子供の幸福になるという観測ができます場合においては、荒立てて取り締まるべきものではないのではなかろうか、こう考えるのでございます。先生お尋ねの問題は、まあ人生の問題にとりましてこれほどむずかしい、しかも深刻な問題はなかろう、取り締まる面から申しましても、罰則の適用の面から申しましても、子供の幸福ということを念頭に置いて考えなければならないと、こう一応考える次第でございます。
○佐々木静子君 それでは、この問題につきましてはまた別の機会に、委員会で大臣その他関係者の方にお尋ねさせていただくことにしまして、私の質問は本日は終わらせていただきたいと思います。
○鈴木強君 大臣、いまの問題に関連して私もちょっと伺っておきたいんですが、大臣も現実に法律と実際行為の中におけるギャップというものはお認めになっているわけですね。そこで、きょうの菊田病院の院長が、確かに法律上違法であるということは承知しているんですよ。承知しつつもなおかつやらざるを得なかったという心境をよくわれわれも伺ったわけです。その際に、何とか現状を打開するためには特例的な法律をつくってほしいというような御意見がありました。それはやはり実際に中絶に来た人を説得し、おかあさんに赤ちゃんを産まして――産ましてというとあれですけれども、赤ちゃんが生まれますね、その生まれた子供の措置を医者が中に入って引き受けるわけですね。そして他の夫婦に、その夫婦の嫡出子として出生したことの証明書を書いて、戸籍に入れるわけですね。ですから、そういうふうなことをやる場合に、ただ単に医者の判断だけではわれわれも非常に危険だと思うんです。ですから先生も、何とかここに家庭裁判所の判事さんでも中に入って、そして引き取る方の将来に対する保証、十分であるかどうか、だいじょうぶかどうかということまで確かめて、そして渡すようなことをしてほしいという強い要望があったわけです。それで午前中申し上げたんですが、三十四年の法制審議会民法部会で民法の親族に関する部分の改正が問題になったときに、特別養子制度というのをつくったらどうかという提案がなされまして、そして論議されたんですね。ですから法制的にも、やはりもう十四年前にそういう点が検討されてきているんですけれども、留保条件になって今日に至っているわけですね。ですから大臣のおっしゃるような点がしかりとするならば、何とかこれはもう早急に、現実の問題に何とか適応できるような法制度の改正ということを、これはもう党派を乗り越えて考えていく必要があると思うんですね。ただその際に、そのことによって生ずる弊害もあると思いますから、そういう点を十分に考えながらやっていかなきゃならぬと思いますが、いずれにしてももう放置できないところまで来ていると私思いまして、大臣にも、もう一つそこのところを突っ込んで真剣に政府のほうでも考えてほしいと思うんですけれども、その点いかがでしょうか。
○国務大臣(田中伊三次君) 御承知のように、この深刻な問題を法律制度――不備な点を法律制度を完備をして、法律制度で救っていこうということも一つの方法でございましょう。方法でございましょうが、私の感想をありのままに申し上げますと、この種の問題を法律制度だけで筋を立てて解決をしていくということが先ほど申し上げます児童の幸福になるのかどうか、これもひとつ考えていかねばならぬ、先生仰せの欠点もあると仰せになるのはそういう点であろうと存じます。そこで、やはり児童の幸福が、どの道を選ぶことが児童の幸福になるかということを考えながら、また一面、先生が仰せのように、法制的に完備した手続を踏んで、子供をもらい受けてこれを育てるということも必要な事情も出てまいりましょう。そういう手続を踏まないほうが幸福であると考えられます場合もございましょう。そういうことがございますので、考えるおとなの私たちのほうもひとつ深刻、真剣に児童の幸福の立場に立って考えてみまして、制度をつくっても、その制度以外の道を踏む場合においてはまかりならぬ、罰則があるといったようなねらいの法律ではいけないのではなかろうか、場合によればその法律の適用もできるような余地のある、ゆとりのある法律制度をつくらなければならぬのではなかろうか。まだ確定的な事柄を申し上げることができないのは申しわけがないのでありますが、そういう気持ちでこの問題はひとつあらためて取り上げて、民法部会等にも相談をいたしまして、まず第一、私の属する法務省内はどうこれを取り扱うことが子供たちの幸福になるかということをまず検討をいたしまして、見通しをつけました上でそれぞれの機関に相談をいたしまして、仰せのように真剣な姿勢でこれを検討していきたいと存じます。
○鈴木強君 どうぞよろしくお願いします。
 それでは防衛施設庁長官がおいでいただいておりますから、最初に、われわれがかねて内閣委員会、予算委員会で問題にしておりました、北富士演習場の中にあります国有地に入り会い権があるかどうかという問題を何回か論議をしてまいりました。それで、政府の統一見解というものが示されることになっておりましたが、それが示されない間に使用転換がきまるというような、きわめて非民主的な、国会から見ると問題もございました。きょうは、そういうことはまた内閣委員会でやりますから別にしまして、ここでお伺いしたいのは、この政府の統一見解というものが出されましたけれども、この政府の統一見解は当然閣議の決定を得ておるというふうに判断をいたしますが、そのとおりでございますか。
○政府委員(高松敬治君) 閣議の決定は得ておりません。前回の統一見解、つまり四十七年八月に出しました統一見解につきましても、閣議の決定は得ていないのでございます。ただ、関係各省庁の大臣決裁を得ている。今回の場合にも、その手続にのっとりまして関係の各省、つまり法務省、大蔵省、林野庁、内閣法制局、それから防衛施設庁、この関係の大臣の決裁を得て、そうしてこの統一見解を提出いたしましたわけでございます。
○鈴木強君 法務省とどこですか。
○国務大臣(田中伊三次君) この入り会い権の問題でございますが、これは民法上の権利に属する問題でもあるということで法務省が関係を持ちます。それからもう一つは、単なる入り会い権という問題を考えてみましても、判決の内容で示されておりますように、防衛施設庁だけではこの問題の判断が十分でないと考えられる節が当時ございました。現に起こっております訴訟については、私のところの訟務部が訴訟の、あれでございます。訟務部がこれを担当しておるというような二つの事情がございますので、この統一見解を作成するにあたりましては、法務省が一枚加わりまして、統一見解の作成に協力をしたという事情でございます。詳しい事情につきまして、必要がありますれば、ここに訟務部の一課長が出てきておりますので、その実情は御報告を申し上げます。
○鈴木強君 高松さんね、いま大臣からお答えをいただきましたが、その前に、政府の統一見解というのは、私は、少なくとも閣議のちゃんと了解を得て、決定を得て、そうしてやるべきものだと思いますよ。ところが、あなた方のほうでは、関係各省が相談をして、その関係のある省だけが意見の一致したような形で大臣の判をもらってやっているというところにちょっと問題があるんじゃないですかね。もし従来、そういう形で出したとすれば、これはおかしいですよ。政府の統一見解である以上は、やっぱり閣議の了承を得て、内閣として、政府として統一した見解を出すというのは、これは筋道じゃないですかね。いままで各関係省だけでやっておったとすれば、それはおかしいですよ、これは。将来これは直してください。それから、関係した省はどことどこですか。法務省とどこですか。
○政府委員(高松敬治君) 各関係省庁の大臣決裁で、大臣まで決裁を上げて、それで政府の統一見解とするか、あるいは閣議了解までとるかということにつきましては、従来もいろいろ慣習があるようでございます。御承知のとおり、四十六年の際には、最初は事務段階での統一見解というものが出まして、それが一つの問題になりました。で、各大臣までの決裁をとって出せと、こういうお話になりまして、当時それで統一見解を提出したわけでございます。今回も、その手続にのっとりまして各省庁間の意見の一致を見た、関係各省庁間の意見の一致を見たと、こういうことで統一見解を出したわけでございます。この点につきまして、法律上の解釈の問題について閣議了解という形までとるかどうかということは、もう少し私どもとしては研究をさしていただきたい。ただ、従来の慣行からいうと、必ずしも閣議了解というところへいかなくて政府の統一見解というものはしばしばいままで出ているように私は承知いたしております。それから、関係のあります各省庁は、いま法務大臣が申されましたように、訴訟事件の関係では法務省官房訟務部、それから民法の解釈については法務省民事局、それから財産の処理につきまして大蔵省理財局、それから農林省の林野庁、それから内閣法制局、それから防衛施設庁というのが大体の関係省庁でございます。
○鈴木強君 これは非常に問題があるんですね。われわれは、北富士演習場内にある国有地に入り会い権あるなしの問題は、もう数年にわたって論議をしてまいりました。そこで、先般の青森裁判が、最高裁判が示されまして、一体北富士はどうなるんだということを質問しても皆さんお答えできなかったんだね。政府の統一見解というものをまとめるからと言って逃げておった。その統一見解が示されない間に判こを押してしまった、使用転換の。だから、この点はもう、私も予算委員会でかなり強く防衛庁長官にもあなたにも申し上げたはずですね。それで統一見解がどういうふうに示されるか、われわれもいろいろと見守ってきたんですけれども、十七日に統一見解が示された。これは政府の統一見解ですからね、政府の統一見解であれば、これはやっぱりちゃんと閣議の了解を得る必要が私はあるんじゃないかと思うんです、これは形式行為ですからね。と思うんです。それで、この点は、大臣はあれですか、閣議で特に了解を得て政府統一見解にする場合と、そうでなくて関係各省の大臣間で相談をしてやる場合と二色あるんじゃないかと思うんですけれども、これはそもそも入り会い権あるなしの重大な私権に関する問題との関連ですから、少なくとも私は、あれだけ争われた問題であれば、ちゃんと閣議の威信をもって、了解を得、決定をして示すべきであると私は思うんですよ。この間の問題は最高裁まで争われた法解釈に対する最終審判ですからね。これをはたして北富士に適用するかしないかは、これはたいへんな問題なんですから、それくらいの慎重さがあって私はしかるべきだと思うんです。これは、防衛施設庁長官は国務大臣でないですから、ここであまり言ってもしようがないですけれども、私は形式論だけではないですけれども、やっぱりそういうふうにちゃんとすべきではないかと思うんですよ、中身の問題が非常にこれは重いですからね。これは大臣どうですかね、その点は。
○国務大臣(田中伊三次君) 施設庁から、いまお話がありましたように、四十六年に出しました統一見解は事務的段階における統一見解でございました。この統一見解も閣議の了承は得ていない統一見解でございます。そういう事柄について、新しい判決を受けました後に、本年統一見解を出すことになりましたので、これも閣議了解は得なかった、こういう単純な事情ではなかろうかと思うのでございます。
 閣議の了承を得たから政府に責任が濃厚にある、閣議の了解を得ていないから政府の責任は比較的に希薄なんだというような意味の区別はないものと了解をしております。いやしくも関係閣僚が集まりまして問題にある政府の態度について協議が行なわれた、そしてそれが決定して公表されたということになりますならば、閣議の了承を得てあるないにかかわらずこれは政府の責任が生ずるものと、こういうふうに解釈をしております。
○鈴木強君 これは内容的にはそうでしょうね。私は形式的なことを言うんですけれども、形式的なことの中には、さっきから申し上げているような重大な問題を含んでおるからでありまして、もう少し慎重に扱ってほしいという私の気持ちがあるから申し上げたんです。
 それでは、今後、この統一見解を政府の少なくとも統一見解としてお出しになる場合に、やはり大臣として、政府の統一見解であれば閣議のやはり了解を得るというのが一般的に見て筋ではないかと私は思うんですけれども、そういうふうにしたほうがなおベターだと思うんですが、その点は考える余地がありますか。
○国務大臣(田中伊三次君) 出しました統一見解の重み、効力、影響力などということを離れまして、その統一見解を出しました事柄の内容、その内容自体が複雑であり重要なものは閣議に報告をし閣議の了承をとる、そうでないものは関係各省庁でやっておる。しかし、そうしてそれが公表せられました結果は、そこに政府の責任が生ずるということについては区別はないんだと、こういうふうに私は解釈をしておりますので、いま先生お尋ねのこの北富士演習場の国有地の入り会い権などという問題は、あれだけ問題になった問題でございます。また、二転三転、最高裁判所の判決についても経過のあった問題でございます。こういう重要な問題は、やはり閣議に報告して了承を受けておったほうがよりベターであったんではなかろうかというお説には、私も賛成でございます。今後はそういう重要内容を持ちますものについては、閣議了承を受けた上で公表するようにしていくべきものだと、私は官房長官ではございませんけれども、そういうふうに私は一国務大臣として観測を持ちます。
○鈴木強君 よくわかりました。今後そういう取り扱いをしていただきたいと思います。
 そこで、この「北富士演習場内国有地の入会について」という統一見解をまとめられたんですけれど、まあ法務省としては訟務部と民事局のほうがこれに立ち会われたようですね。そこで、この案文そのものは、すでに防衛施設庁のほうでつくられて、問題点を煮詰めて、そして最終的に法務省の判断を求めてきたものか、それとも両者が最初から、この最高裁の判決の判例に従って北富士の入り会い権をどうするかというふうに、最初から相談をして、積み重ねてこういう結果になったのか、この点はどちらなんですか。
○政府委員(高松敬治君) 本件につきまして前前からいろいろ御議論があり、それから三月十三日の最高裁判決というものがございまして、関係省庁担当の者で寄り寄り相談をいたしておりました。それから、これの統一見解をまとめるにあたりましては、防衛施設庁が中心になりまして案文を一応つくりまして、その案文をもとにいたしまして関係の省庁といろいろ御相談をした。で、関係省庁のほうにもいろいろな御議論がありまして
  表現の問題その他で議論がございまして、それらを最終的に取りまとめまして、そうして共同的な検討と申しますか、私のほうで取りまとめた案文をいわば共同的に検討いたしまして、そうしてその結果でき上がったものがこれでございます。案文をまとめましたのは私のほうでございます。
○鈴木強君 そうすると、法務省は防衛施設庁がまとめられたその内容について、特に意見を述べたということはないんですか。もし述べたとすれば、どの点が一番問題になりましたでしょう。
○国務大臣(田中伊三次君) 法務省の訟務部第一課長からお答えいたします。
○説明員(木村博典君) 原案は先ほど防衛施設庁長官のほうから御説明ございましたとおりでございまして、私のほうでは、もっぱら新しい最高裁判所の判例の趣旨を読みながら、解釈的に間違いがないかどうか、事実関係がどういうことになっておるのかということと照らし合わせながら検討したわけでございますけれども、原案と特に違った見解というものがございませんので、字句的な修正にとどまったという点で、特にどの点について法律的な見解上これを変更したという点はございません。
○鈴木強君 それからもう一つは、国会でこの入り会い権の問題については長い間論議をしてまいりましたが、法務省としてはこの国会における入り会い権問題をめぐる論争について、議事録なり何なりにおいて検討されましたか、どうですか。
○説明員(木村博典君) 十分検討いたしました。
○鈴木強君 それでは、具体的にこの内容についてちょっと伺いますが、前文の中に「政府は、昭和四八年三月一三日の最高裁判所判決の趣旨にかんがみ、標記に関する見解を左記のとおり改める。」と、こういうふうに述べておりますが、問題は、この北富士演習場内の国有地については、一つは、明治初年の地租改正の際、官民有の区分によって官有に編入されたものと、公有または民有に編入されたものと二つあるんですね。そのうち、また国が買収したものがある、これが一つですね。
 もう一つは、官民有区分によって民有に編入され、その後国が買収したものがあるわけですね。それで、従来国有地には入り会い権なしという政府は見解をとってこられたわけですね。ここに言う「標記に関する見解を左記のとおり改める。」というここのところはどういう趣旨なのか、ちょっと私理解に苦しむのですけれども。
○政府委員(高松敬治君) この前の統一見解がそうでございましたが、従来地租改正の際の官民有区分によって官有地に編入されたものについては入り会い権は存在しないのだというのが大審院の大正四年の判決でございました。それを前提にしてこの前の統一見解は述べられておったわけでございます。つまり官民有区分によって官有地に編入されたということだけで、もう入り会い権はすべてそこで消滅をしているということを前提にして、その後の問題についてはいわばそれを述べるまでもないこととして、その後の問題については触れていなかったわけでございます。ところが、先般の最高裁判所の判決によりますと、そうではなしに、官民有区分によって官有地に編入されたものの中にも入り会い権の存続するものもある、それから存続しないものもある、そういう二つの型があるのだということをはっきり指摘されました。で、青森の屏風山の当該事件はその入り会い権の存続する場合に該当するのだと、こういう判決があったわけでございます。そこで、私どもとしては、そういう最高裁判所の判決の趣旨を尊重するということを、その趣旨に従うということを従来から申しておったわけでございまして、したがいまし、その点についての、官民有区分によって直ちに官有地に編入されたものはそれだけで入り会い権が消滅するという従来の見解を改める、こういう趣旨でございます。
○鈴木強君 その点はわかりました。それで、先般の最高裁の判決は、ここに言っているような――区分はそうですね、区分はそうです。しかし、入り会い権ありなしの問題については、要するに地租改正の際、官民有区分によって官有に編入されたもので引き続き入り会い慣行が存続していたということですね、要するに入り会い慣行というものが。続いていたものは即入り会い権があるというふうにこれは裁判が出ているわけでしょう。今度北富士の場合には、いろいろ経過はあります。あなた方ここにいろいろなことを書いてありますけれども、経過はありますが、終始入り会い慣行というものは認められてきているわけですね。あなた方が言うように、それは県有地なり民有地なりを国が買収して演習場にする際に、いろいろここに当時の承諾書なんかがございますけれども、この中にも、われわれが見るとちょっと非常に問題になるような点がございますよ。たとえば、所有権の移転前であってもその土地を使用してもいいというようなこういう文面がある。これはかつて軍国主義の時代で、陸軍が絶対的に権力を持っている時代ですから、こういうふうな承諾書に判こを押しているということもいまになってみると非常に問題ですが、そういう時代でございますね。しかし、いずれにしても入り会い権というものは、旧陸軍も入り会い慣行を認めておったわけでしょう。ですから、この裁判からいうと、官有地に編入され、引き続き入り会い慣行が認められているところは入り会い権があるのだということになっているのですね。皆さんは大正四年の大審院の判決をただ一つのよりどころにして、そうして北富士にも入り会い権なしだと、こういうことを言ってきたわけですから、ですからわれわれはこの判決というものは一つの判例になり、この判例は北富士演習場内の国有地、公有地にも適用される、こういう解釈をとってきているわけですね。しかも、皆さんもこの入り会い慣行はちゃんと認めてきたわけでしょう。ずっと認めてきている、これは。そうであれば、この判決が即北富士に適用するということは明らかなんだ。それをあなた方の都合のいいような解釈をして、そしてこういう統一見解というものをまとめたのであって、多分に政治的なにおいがふんぷんとしておる。正しく法律を解釈したものでないと私は思うんですね。その点、どうですか。
○政府委員(高松敬治君) この統一見解と従来の入り会い慣行を今後とも認めない趣旨であるかどうかという問題につきましては、私どもは、従来の入り会い慣行というものは、その実態が存続し実際上の損害がある限り、これは十分尊重をするべきものであるというふうに考えております。
 で、いま御指摘の、今回の最高裁の判決によって、北富士にも当然入り会い慣行があるというふうに認めるべきだという点につきましては、この統一見解はいささか異なっているわけでございます。
 先ほどもちょっと申し上げましたように、今回の最高裁の判決では、確かに一方においては「官有地に編入されたとはいえ、その地上に村民の植栽、培養を伴う明確な入会慣行があるため、これが尊重され、従前の慣行がそのまま容認されていた地域もあり、このような地域においては、その後も官有地上に入会権が存続していたものと解される」と、こういう指示をしておりますが、その反面に、その前段において、「もつとも、その後官有地上の入会権を整理し、近代的な権利関係を樹立しようとする政策に基づいて、従前入会権を有していた村民の官有地への立入りを制限し、あるいは相当の借地料を支払わせて入山を認めることとした地域があり、このような地域においては、従前の入会権が事実上消滅し、あるいはその形態を異にする権利関係に移行したものと見られる」、こういう指摘をしておるわけでございます。
 ところで、問題の北富士演習場の国有地につきましては、私どもは、その統一見解の前段のところに書いてありますように、一ページ、二ページ目の後段のほうに書いてありますように、まず土地に関する入り会い利用が非常に変わってきている一そしてそれは陸軍が買収するその前に、すでにこの判決で言う、従来の入り会い権が事実上消滅し、あるいはその形態を異にする権利関係に移行しているというふうに見られる状態が大正初年から昭和の初期にかけてずっと事実上あった、現実に認められているということが一つ。それからさらに、陸軍が買収した場合に、国に対して、一切の権利の付着しない完全な所有権を移転することを承諾している、この二点から踏まえまして、国有地には入り会い権が、やはり、最高裁の判決が出ましたけれども、むしろ最高裁の判決の前段で指摘している事実関係に該当している、こういうふうに判断したわけでございます。
○鈴木強君 この点はあくまでもわれわれと皆さんとは平行線をたどると思うんですよね。まあそこが定保条約上日本が提供しなければならない施設・区域であるという、その点も従来皆さんも強く主張してまいったわけです。ところが、その使用転換という一つの新しい事態に立って考えた場合に、日米安保協議会等も開かれて、日本における米軍の基地全体について再検討を加えようというような新しい事態の中に来ているだけに、われわれとしては、あまり、安保条約上の問題だけでなくて、もう少し富士山という特殊的な立場にある地域、これを全面的に平和的に利用しようとする県民の願い、こういうものからしてぜひ県に返してもらいたいという、そういう強い願いを持っておっただけに、非常にショックを受けているわけですし、皆さんがああだこうだといっていろいろなへ理屈をつけてやっておられるけれども、まあわれわれとしては、従来の国会の経緯からしても、あそこには皆さんが特に貸してそこに植林をした地域もありますよ。青森裁判で指摘しているようなところがあるんです、これはね。それを何か一方的に解釈をして都合のいいところだけをここに書き上げて、そうして統一見解として入り会い権なしというような、そういうものをつくり上げたんではないかと私は思いまして、心から皆さんのやっていることに対して憤激もしているし、承服できないし、まだまだこれは問題として残っていくと思います。
 それで、まあきょうは私はこの問題についてあまり深く論議しようということじゃなくて、特に法務委員会ですから、法務省の皆さんがこの統一見解をきめるに際して相談にあずかっているということを承知しておりますがゆえに、この点についてだけを法務省に伺っておこうと思ったわけです。ただ、議事録等も十分に見て、国会の論議も承知した上でやったとおっしゃるんですけれども、これはもうたいへん法務省としても、もう少し私は国会の論議というものを慎重にもう少し検討してほしかったと思うんです。いずれまた、内閣委員会のほうでこの法解釈についてはもう少し詰めた論議をしてみたいと思いますから、きょうのところは簡単にいたしておきますが、それで、ちょっとついでというと失礼ですけれども、この論議はもうあくまでもわれわれとしては承服できない統一見解ですから、今後あらゆる機会に、法廷闘争も辞さずやっていきたいと思っております。
 それで、これは施設庁長官ね、北富士演習場を自衛隊が使用する場合の使用条件の中に、地元関係者が生業のため立ち入りできる期間を、「原則として毎週日曜日」、それから「毎年五月から九月までの各月に連続五日間」、土・日を含むときめてありますね。またその「演習に支障のないときは、防衛庁は、あらかじめ立ち入り区域を明示し、関係者の立ち入りを認める」、「立ち入り区域の明示方法については、現地段階で別途協議する。」ことになっているとありますね。これは立ち入り区域というのはどの程度を考えておられるか、それから別途協議する現地の協議はどういう方法をとられるんですか、立ち入りの場合ですね、生業のために立ち入る場合。
○政府委員(平井啓一君) 立ち入りの区域とか、立ち入りの扱い等につきましては、御存じのように四月十一日から、いわゆる地位協定上の二条四項(b)の施設として、陸上自衛隊がこれを管理使用しながら、米軍にも必要のつど使わせるという形態に変わりましたので、これらの詳細につきましては、目下横浜防衛施設局と県、地元、それから米軍のほうとも協議を、検討をしている段階でございますが、たとえば立ち入りの範囲等につきましては、従来からも問題になっておりましたんですが、着弾区域等につきましては、やはり不発弾等が残置されている可能性もございますので、そういった危険区域等は、今後も立ち入りの際には危険区域であることを明示して、立ち入り区域から除外するような点も考えなきゃならぬと思います。そういった点がこの中の中身になろうかと思います。
○鈴木強君 そうすると、これはいつまでにきめるという方針ですか。
○政府委員(平井啓一君) 大体米軍の二条一項の施設・区域であった時代から、こういった点はお互いに話し合いで現地において協議され、立ち入り等が実施されていたわけであります。あらためて自衛隊の管理する施設に変わった機会に、こういった点を確認するということでございまして、立ち入り等も、引き続き参ることでございますので、できるだけ早くそういった点についてまとめたいと思っております。
○鈴木強君 問題があるだけに、そういったできることは早くやってくださいよ、これはね。
 それからその次にもう一つ、その使用条件の中に、防衛庁は、演習に支障のない限り演習場内の荒廃した森林区域の復元に必要な植林、再植林、保育、伐採及び搬出、こういうようなもの、それから保全事業を実施することを認めておりますね。そして、その区域及び期間については同様に現地で協議するということになっているんですが、この区域ですね、それから期間は、大体どういうふうなことを想定していますか。
○政府委員(平井啓一君) この「演習場内の荒廃した森林区域」と申しますのは、主として山梨県の県有林、または一部いわゆる地元の恩賜林組合の組合有地がございます。それらが所有していられるところの林地が、従来もかなり撫育管理のための立ち入りは行なわれていたんでありますが、荒廃している部分もございますので、今回の使用転換に伴いまして、それらの荒廃した森林について、ここに掲げていますような、復元とかその他の保全措置を将来にわたってとっていくべきであろうということで、これから山梨県、恩賜林組合、その他、恩賜林組合の中には地元三市村も入るわけでございますので、そういった地元の関係者と十分に協議していきたい。しかし、これらの点は、一気に行なわれるような事業じゃございません。かなり長期にわたって行なわれる事業であろうと思いますので、十分に検討した上で、成果のあるように取り進めていきたいと考えております。
○鈴木強君 期間は。
○政府委員(平井啓一君) ただいま申し上げましたように、これはかなり今後長期にわたって、演習場であるがゆえに、よりそういった演習場の中の森林といえども、保全事業に着意していく必要があるということで、やはり今後長期にわたってのことでございまして、特定の期間を限っての保全事業ということで考えておるわけじゃございません。
○鈴木強君 それから、今度二百十ヘクタールが、国有地が払い下げられますね。これらの払い下げの方法その他については、予算委員会でもかなり論議をされておりますから、ここでは繰り返しませんけれども、こういうふうに解釈していいんですか。密約等がありましたね。ありましたけれども、これは国有地の管理が大蔵省に移ったし理解していいわけですね。としますと、今後これを払い下げることについては、だれにいつ幾らの価格でということは、すべて大蔵省が担当してやっていく、したがって、密約というのはもう消えていると、こういうふうに解釈してよろしいですか。
○政府委員(高松敬治君) 米軍からは、去る九日に返還の通知書が出ました。したがいまして、四十日の予告期間をおきまして、来たる五月十九日ごろになると思いますが、大蔵省に引き渡しをするように、いま私どもとしては準備を進めております。それで、大蔵省に引き渡されましたあとのことにつきましては、、ただいま御指摘のようにそれは大蔵省のほうでいろいろ検討になっておきめになると、こういうことでございます。
 いわゆる山上覚書問題というものは、その際に防衛施設庁として、当時の問題として、もしそういう返還が行なわれたならば、防衛施設庁としてはそういう払い下げにできるだけ御協力をいたしますということでございまして、もちろんこれは、大蔵省の専決に、専属管轄に属する事項について、当時の施設庁長官として、できるだけ御協力を申し上げるという程度の意味を申しておったのにすぎないというふうに私は考えております。
○鈴木強君 いずれにしても、私が指摘したようになっているわけですね。
 それで、地元のほうでこういう心配があるんですね。この二百十ヘクタールが払い下げられた場合、まあ密約なんかのこともあるでしょう、これをまた転売したり転貸したりするようなことがあってはいかぬと、こういう心配があるわけですね。ですから、この国有地の払い下げ後の移動ということについては、何回もこれは各委員会でやられてきているんですけれども、この点はどうですかね。もうあとは自由でございますという形をとるのか。あるいは、そういうものはもう転売しちゃいかぬとか、そういうときには国がまた買い戻すとか、あるいは公共施設が第一義的に使うとか、そういうふうなひとつ歯どめをかっておいてもらいたいと思うんですが、その点どうでしょうか。
○政府委員(高松敬治君) 三月三十日の閣議了解、つまり「北富士演習場の使用に関する措置について」という閣議了解がございます。その中に、「林業整備事業を実施するため、国有地約二一〇ヘクタールの払下げを行なう。」というのが一項入ってございます。目的は、「林業整備事業を実施するため、」ということがこの閣議了解の内容でございます。大蔵省が今後払い下げをされる場合に、どういふうな条件をつけ、どういうふうな条件でそれをやられるか、ちょっと私にはわかりかねるんでございますけれども、ただ、この「林業整備事業を実施するため、」「払下げを行なう。」という閣議了解の趣旨に沿って行なわれるものであることは間違いないと、かように考えております。
○鈴木強君 いやそれはね、あなた方、それはそれとしてもう私もわかっていることですけれども、問題は、大蔵省に五月十九日にこの管理権が移っていくと。そうなりますと、大蔵省が、これをどういうふうな方法で払い下げるかということは検討されるわけでしょう。その際に、さっき言った密約については、一つの約束であると。しかしこれは、おそらくあなた方は引き継ぐんじゃないですかね、向こうへ。そういうことがありましたからひとつ大蔵省はよろしく頼みますという、ね。――じゃないんですか。
 それはまあそれとして、いま問題の国有地が、二百十ヘクタールはこれは少ない、少ないんだが、返ってくる。この返ってきた二百十ヘクタールをどう使うかということについて、あなた方も一つの希望を持つんじゃないですか。もう大蔵省にまかして、大蔵省がどうやろうとそれのままでいいですよということになると思う、筋書きとしてはね。理論上はそうなると思うんだが、一方のほうは、恩賜林組合のほうにやってくださいという密約があって、その密約をやっぱり果たさないと、地元からだいぶやられるでしょうね。それはおそらくいろんな形で、ここでは言われなくても、皆さんはやると思うんだ。そうであれば、その払い下げた土地について、やっぱり一つのひもをつけて、そうして少なくとも、あとから国会でまた論議されるようなことのないようにしてほしいということぐらいは、防衛庁としてやっぱり向こうへちゃんと言っておく必要があるんじゃないですか。――きょうはまあ大蔵省から来ておりませんからね。
○政府委員(高松敬治君) 大蔵省からの御出席がございませんので、私が、これについての方針はこうだということを明言申し上げるわけにもちょっとまいらないように思います。
 ただ、先ほど申し上げましたように、閣議了解でそういう目的、払い下げの目的というものが非常にはっきりしているということ、それから、これの払い下げにつきましては、あるいは県なり、恩賜林組合なり、演対協なり、あるいは地元の各市町村なり、それぞれいろんな御意見があるだろうと思います。それらをいろいろ踏まえて、大蔵省のほうで最終的な決定をなさるのがこれが筋道でございます。私どもとしてそれについての意見を申し上げるか申し上げないか、まだはっきりきめておりませんけれども、しかしこ意見を申し上げたところで、それは、一つの意見として大蔵省のほうでお考えになるべきものであるというふうに私は考えております。
○鈴木強君 まああなたはそうでしょう。事務官僚としてお答えをするとすればそれだけのことしかできないんですが、しかし、いま土地が非常に問題になっておるし、特にこの二百十ヘクタールについては、どこかの会社に貸そうという動きが出て、非常に地元ではおこっていますよ。あなたのところにも、そういうことをしちゃいかぬという抗議の申し入れに行っているはずですよ、防衛施設庁に。そういうことは知っているんじゃないですか。だから、そういうことを踏まえて、やはり統一見解を出して――政府だといっているんだが、内容を見ると各省がやっているような、まあそういうところはなかなかうまく連携をとっているんですね。ですから、こういう土地については、少なくとも、大蔵省がもちろん処理されるんですけれども、深い関心を持っている国民にこたえるためには、あなた方も、少なくともこういう問題が再び国会の中で、それを貸したとか貸せないとか、くだらない払い下げをして、またそれが、登記が移動していくというようなことのないように願うのはあたりまえじゃないですか。そうでしょう。そういうことを私は言っているんですよ。
○政府委員(高松敬治君) この二百十ヘクタールの返還問題というのは、私ども非常にこれについては苦心いたしました。米軍と折衝してこれだけの面積をひねり出していく。約六十数万坪の土地でございますが、ああいう国道に沿った一番いい場所のそういう広い土地の返還でございまして、これにつきましていろいろ苦心をして、苦労をしてまいりましたが、それだけに私としては、この土地がりっぱに生きていくように、いろいろな、もっと多く返還せよという地元の御希望がずいぶんありましたけれども、それにはいろんなことで、演習場の機能を保持する上からいってもどうしても無理だという結論になりまして、それは地元の御希望には沿いかねるところがございました。しかし、この二百十ヘクタールというものを、とにかくこれが地元に返還できたということなのでございますから、私としてもそれは、もうぜひ地元の方々に一番いいように、あるいはこの土地があの地域において一番いい働きをするような利用方法をぜひやっていただきたい。せっかくのものがそういう妙な形になることは、それはもとしてもとうていたえ切れないところでございます。そういう気持ちで、私の直接の所管、権限の事項ではございませんけれども、これの今後の処置については、私としてもそういう意味での関心を持って、これがいい方向に使用されていくように期待しながらこれを見守ってまいりたいと、かように存ずるわけでございます。
○鈴木強君 まあその御意見なら私もよくわかります。
 それで、法務大臣、たいへん恐縮ですけれども、あなたも国務大臣でございますから、ちょっとお願いしておきたいんですが、いま防衛施設庁のほうにいろいろと私、意見を出したんですけれども、せっかく払い下げられます二百十ヘクタールが、何かある会社に貸すというような話もあるんですね、払い下げたものを。それでたいへん心配をしているんです。そういうことのないように、やはり閣議の了解事項もあるわけですし、その線に沿っておやりになるならなるように、きちっと、安心できるような方法をひとつ考えていただきたいと思うんです。それでなくても払い下げた国有地がいろんな形に、転売されたりいたしまして非常に国民のひんしゅくを買っているんです。ですから私は、もう国有地の払い下げについては、将来までやはりある程度の歯どめをするような法律規制でもしなきゃいかぬくらいに私は思っているんですよ。これはひどいものですよ。国有地を払い下げたそのものがいろんな形でぼろもうけするような、不動産業者に何回か何回か転売されて、うまい汁を吸われているようなことがあるんですね。ですからそういうことのないように、少なくともこの土地についてはしっかりした管理をしてもらいたいということを願っているわけです。ですから、ひとつ閣議でもありましたときに、ぜひ大蔵大臣にもそういう点を伝えていただいて、善処していただきたいと思いますが。
○国務大臣(田中伊三次君) 承知いたしました。大蔵大臣にその旨を伝えまして、検討をすることにいたします。
○鈴木強君 最後ですが、まあ使用転換されまして、せんだって初めての演習が行なわれました。地元ではこの演習に対して実力阻止という行動にまで出ているわけですが、依然として全面返還、平和利用ができない限りにおいては、地元の抵抗というのはますます激しくなっていくと私は思います。そういう中で、これから自衛隊管理の、二4(b)の基地として自衛隊が管理をし、日米が合同で使うという形に変わっていくわけですけれども、この日米の合同の使用について、使用条件の中にいろいろと制限がございます。ございますが、できるだけひとつ米軍と自衛隊が実弾射撃をどういうふうに使うかということについては、早い機会に演習の計画を明らかにしてもらいたいんです。先般も予算委員会でいろいろと、治安行動に必要なような訓練までやるということでたいへん問題になったんですが、当面、できるだけ演習はやってほしくないんですよ。この計画はどういうふうになっておりますか、自衛隊あるいは米軍の演習計画というのは。その訓練の計画を示してもらいたいんですよ。
○政府委員(平井啓一君) 四月十一日から、先ほど御説明申し上げましたように、自衛隊が管理し使用すると同時に、地位協定二条四項(b)に基づく米軍の使用を認めるという形に北富士演習場は姿が変わったわけでございます。ちょうど隣の静岡県側の東富士演習場がその形になっているわけでございます。この東富士演習場におけると同じような形で、日米、米軍と自衛隊の演習の計画の調整が事前に行なわれるわけでありまして、それに基づきまして、今度は米軍の演習も自衛隊の演習も含めまして、自衛隊側が十分調整をした形で、地元のほうに演習通報の形で御連絡する。また、地元の立ち入り等につきましても、自衛隊が射場を管理する立場で事前に十分調整を行なうという形で、東富士演習場は非常にそういった点の射場管理と地元利便との調整が今日までうまくいっていたわけでございます。北富士も今後そういう形になっていくことができようかと思うわけでございます。したがって、そういった点を地元の皆さん方もおいおい実態を御理解いただくにつれて、演習場問題の、あるいは演習場をめぐる地元関係の円満な安定化というものをはかることができるんじゃないか、またそれを私どもは期待しているわけであります。
 そこで、具体的に今後の演習計画でございますが、何ぶんにも四月十一日から自衛隊の管理する演習場になりましたので、陸上自衛隊のほうといたしましては、四月中に関しましては実弾射撃を伴います演習計画はいまのところございません。米軍に関しましては、すでに演習通報等が地元に知らされておると思いますが、すでに十八日から始まりまして二十六日に終わります六日間の演習計画が出ておりますが、それ以後につきましては、今月はない予定でございます。五月以降につきましては、今後の日米間の調整になろうかと思います。
○鈴木強君 これはアメリカさんがお使いになるんで、そのつど皆さんと協議されると思うんですが、これからおいおいシーズンに入りまして、富士山の岳麓地一帯というのは観光客も多くなるわけですよ。ですからひとつできるだけ演習をやってもらわないように、強い態度でひとつやっていただけませんかね。こういう点はもう少し防衛施設庁なり防衛庁というものが強い態度に出られないものですかね、これ。
○政府委員(高松敬治君) 演習場として自衛隊が使用し、あるいは必要に応じ米軍が使用するということでございます。それで自衛隊なり米軍にとりましては、そこで演習訓練をするということは、それぞれのふだんの訓練から申しましても、これはもうやむを得ないことであります。それを私はこの前にもほかの委員会で申し上げましたが、おそらくは米軍の演習自身も昨年よりはふえるであろう、それから自衛隊の演習も、従来非常に窮屈に東富士だけを使っておったものが、若干これまたふえてくるだろうと思います、という答弁を率直に申し上げておきました。実際にはそういう形で、演習回数の増加という不満はやむを得ないところがあるというふうに私は考えております。ただ、使用条件の中にもありますように、七月から九月までの間、つまり非常に富士山の登山シーズン、あるいはあそこで一番行楽シーズンである期間は、小火器を除き、できるだけ実弾射撃訓練を制限する、こういう規定を入れております。これは東富士の場合と同じでございまして、したがって、七月から九月までの間は実弾射撃訓練はできるだけやらない、あるいはできるだけ少なくする、こういう方針で、これは自衛隊も米軍もこの点は承知しているわけでございます。
○鈴木強君 だから私は、そういうお話を承りまして、従来よりむしろ地元は不安を持っているんですよ。どんどんと演習をやりますということですね、端的に言ったら。それじゃかなわぬですよ、これは。なるほど基地があれば、その基地において演習をするというのは、皆さんのほうからいえばそういうことも言えるかと思いますが、ただ単に問題なくしてあそこまで来ている基地と違うわけですからね。特に日本が管理をするようになってから演習の回数がふえたということになったら、これはやっぱり問題ですよ、地域住民の感情としても。だからそういう点はもう少し政治的な高度の配慮も必要じゃないですか。ですから、できるだけ米軍にも演習を遠慮していただくようなことも一面では考えながら、ましてや自衛隊については、使用転換された直後で、もう鉄砲玉を撃ち込んでいるというのは、こういうことはどうなんですかね。全く地域住民の感情というものを無視したやり方じゃないですか。もう少し配慮が必要じゃないかと私は思うんです。だから皆さんの立場は立場として、私がどう言おうと、基地である以上は必要があればやるんだ、それが基地だという、そういうしゃくし定木な話が返ってくるのは私承知していますけれども、もう少しその点を配慮してくださいよ。
○政府委員(高松敬治君) 先ほどふえるということで、多少舌足らずでございましたが、私がふえるであろうと申しましたのは、昨年は、いろいろなことがあって演習が現実に実施できなかったという事情が非常に多うございました。たとえば民法六百四条問題、それから暫定使用協定、その延長というふうな問題がいろいろございまして、その期間米軍の演習自身も非常に少なかったというふうな事情がございますし、また、北富士につきまして、自衛隊が演習をするということにつきましては、訴訟問題になったような問題もございます。つまり、転貸しではないかということでの問題があった。たとえば、八月以降は自衛隊は北富士では演習は全然行なっていない。そういうふうな事情がございまして、そういうところから見まして、ややこう平常化と申しましたらおかしいかもしれませんけれども、昨年のそういう一つの異常な事態で演習回数がある程度少なくなっている。それを考えると、ことしはやはり多くなるのではなかろうかと、こういう予想を申し上げたわけです。むやみやたらにたいへん多くなるというふうには私も考えておりませんけれども、昨年に比べると、そういうふうないろいろな事情がありまして、やはりそこに回数は増大するのではなかろうかと、かように申し上げたわけであります。
○鈴木強君 入り会い権の問題は平行線でございまして、しかし、これはまた内閣委員会でもう少し詰めた論議をしてみたいと思いますから、きょうはこれで終わります。
○理事(原文兵衛君) 本件に対する質疑は本日はこの程度といたします。
 本日はこれにて散会いたします。
   午後三時五十三分散会
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