第085回国会 文教委員会 第3号
昭和五十三年十月十九日(木曜日)
   午前十時四分開会
    ―――――――――――――
  出席者は左のとおり。
    委員長         望月 邦夫君
    理 事
                後藤 正夫君
                世耕 政隆君
                粕谷 照美君
                小巻 敏雄君
    委 員
                岩上 二郎君
                山東 昭子君
                高橋 誉冨君
                内藤誉三郎君
                増田  盛君
                吉田  実君
                勝又 武一君
                久保  亘君
                松前 達郎君
                宮之原貞光君
                柏原 ヤス君
                白木義一郎君
                田渕 哲也君
                有田 一寿君
   国務大臣
       文 部 大 臣  砂田 重民君
   政府委員
       文部大臣官房長  宮地 貫一君
       文部省初等中等
       教育局長     諸澤 正道君
       文部省大学局長  佐野文一郎君
       文部省学術国際
       局長       篠澤 公平君
       文部省社会教育
       局長       望月哲太郎君
       文部省体育局長  柳川 覺治君
       文部省管理局長  三角 哲生君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        瀧  嘉衛君
   説明員
       文部省初等中等
       教育局小学校教
       育課長      中島 章夫君
    ―――――――――――――
  本日の会議に付した案件
○教育、文化及び学術に関する調査
 (鹿児島県における教職員の人事行政に関する
 件)
 (私立歯科大学の運営等に関する件)
 (教職員の定数問題に関する件)
 (宗教的情操教育等に関する件)
 (学校給食に関する件)
 (同和教育に関する件)
 (大学の管理運営に関する件)
○京都府における高等学校の増設等に関する請願
 (第九号外四八件)
○珠算教育指導者の資質向上に関する請願(第二
 七号外一件)
○高等学校の増設等に関する請願(第二七六号外
 二件)
○養護教諭全校必置等に関する請願(第三六五号
 外一九件)
○オリンピック記念青少年総合センターの存続に
 関する請願(第七〇八号外三八件)
○教育職員免許関係法令の改正に関する請願(第
 七一一号)
○青少年健全育成に関する請願(第八七〇号)
○幼稚園教育振興に関する請願(第八九一号外八
 件)
○私学に対する公費助成の大幅増額等に関する請
 願(第九七九号外一件)
○希望するすべての子どもに行き届いた高校教育
 の保障に関する請願(第一〇〇六号外一八件)
○珠算教育指導者の資質の向上に関する請願(第
 一一二三号)
○高等学校増設等に関する請願(第一二三五号外
 二件)
○養護学校の施設・設備の充実等に関する請願
 (第一四〇三号外三件)
○九州東海大学に農学部設置に関する請願(第一
 四四一号)
○岩手大学大学院の拡充整備に関する請願(第一
 四八九号)
○学校給食における米飯給食の完全実施に関する
 請願(第一五五五号)
○継続調査要求に関する件
○委員派遣承認要求に関する件
    ―――――――――――――
○委員長(望月邦夫君) ただいまから文教委員会を開会いたします。
 教育、文化及び学術に関する調査を議題とし、質疑を行います。
 質疑のある方は順次御発言を願います。
○久保亘君 最初に、文部大臣に所感を伺いたいと思うのでありますが、田中耕太郎氏がかつて文部省におられたころ、文部行政は、本来教育に識見と体験を持つ教育者によって運営されるべきで、純然たる行政官に任すべきではないと発言をされたことがあります。このことは、教育権の独立を主張されるとともに、教育は官僚的統制のみをもってその目的を果たし得ないものだということを述べられたものだと考えております。この大臣の先輩にも当たります元文部大臣田中耕太郎氏の発言について、今日文部行政の最高責任者であります砂田文部大臣は、どのような御所感をお持ちになりますか。そのことをお伺いいたしたいと思います。
○国務大臣(砂田重民君) 田中耕太郎先生がそういう意味のことをお述べになったことは、私も聞いたことがございます。私自身教育者でもなければ、従来も本来的な行政官であったわけではありません。しかし、田中先生のお述べになりましたその趣旨とされるところ、その精神は、文部大臣たる者心の中にしっかり持っていかなければならないことだと考えております。
○久保亘君 続いて、矢内原忠雄氏が東大の学長でありましたころ、国会に参考人として出席され、文部大臣の責任は第一に教育の自由を守ることであり、第二に教育のために予算をとることであると言われておりますが、このことについて、砂田文部大臣の御見解を承りたいと思うのであります。
○国務大臣(砂田重民君) 教育の自由を守る、政治からの中立を守っていく、これが第一であることは私も同感でありますが、二番目が予算であるかどうかはちょっと即答いたしかねます。
○久保亘君 この意味は、教育の自由を守るということと、それから、正確には教育に予算をくれることであるとこう言われておりますね。これは文部省が教育予算をしっかり確保することだという意味だと思うのでありますが、これは、教育基本法に基づく行政の責任である教育諸条件を整備をすることが文部行政の主目的である、こういう立場を主張されたものだと私は思っているのでありますが、そういう立場では、文部省は教育予算を十分に確保すること、そのことが文部大臣の重要な任務であるという意味においては、別にそのことに対する大臣の所見を留保されるようなものではなかろうと思うのでありますが、いかがでございますか。
○国務大臣(砂田重民君) 東大総長という立場からすれば、二番目に予算とおっしゃったその意味が私にはよく理解ができます。教育基本法に明示された教育の目的を明確に踏み外さない施策を立てていくことが大事である、その目的達成の手段としての教育条件整備のために、予算が重要な文部大臣の仕事の一つであることは私も同感でございます。
○久保亘君 最初にこの二人の方の発言を引き合いにして、大臣の所感を伺いましたのは、私が以下質問をいたしますことについて、まず大臣の基本的な意見を伺った上で、お尋ねした方がよかろうと思ったからであります。
 私は、教育に関するすぐれた識見と行政能力を有する人物が、求められて各県教育委員会の責任ある地位につくことを否定をするわけではありません。しかし、今日、文部省から各県教育委員会の教育長や、人事主管課長に就任をされるケースが非常に多くなっております。このことはあながち弊害のみを生むとは申し上げませんけれども、一方では、田中耕太郎氏が主張されておりますように、教育の官僚的統制につながりやすいという面もまた持っていることは事実であります。そういうことの具体的なあらわれ方として、私は幾つかの問題を指摘しながらお伺いをしたいと思うのでありますが、これに先立って、現在文部省から各県教育委員会の教育長に就任されているのは何名ありますでしょうか。
○政府委員(諸澤正道君) 県の教育長が三名、指定都市の教育長が一名、四名でございます。
○久保亘君 また、各県教育委員会の教職員の人事を主管する課長に就任しているのは何名ですか。
○政府委員(諸澤正道君) 教職員の人事を所管する課長としては四名でございます。
○久保亘君 教育長と人事主管課長のいずれもが、文部省から出向した形で就任をしておりますのは全国で何県ございますか。
○政府委員(諸澤正道君) 一県でございます。
○久保亘君 私は、いまからその全国一県の問題についてお尋ねをしたいと思うのであります。この教育長とか、人事主管課長というのは、その身分は文部省によって完全に保障されているのでしょうか。
○政府委員(諸澤正道君) 御質問の趣旨がちょっと理解できかねますけれども、地方の教育委員会に出ます場合には、文部省を一たん退任いたしまして、地方公務員として勤務するわけでございますから、そういう意味では身分は切れるというふうに考えておるわけでございます。ただ、率直に申しまして、文部省から出向いた職員でありますから、また一定の勤務が過ぎますと、通常は文部省へまた帰っていただくというような措置をとっております。
○久保亘君 実態としては、確かに制度上の身分は一応文部省の身分を離れるわけでありますが、実態としてはこれは文部省に保証書つきで席が事実上残っている、こういうのが今日までの実態だと思うのであります。そういたしますと、これらの人々の各県教育行政におけるいろいろなことについては、文部省にも人事の面でも連帯して責任があると考えなければならぬと私は思うのでありますが、その点はしかと御承知いただけますか。
○政府委員(諸澤正道君) 率直に申しまして、役所に長い間一緒におっていろいろ協力し、仕事をしてきたという関係でありますから、その者が県へ参りました場合に、われわれとしてもその者にできるだけりっぱな仕事をしてもらうように、いろいろな面で応援をするということは、これはやってまいっております。
○久保亘君 全国にいま文部省から、実質的に文部省に人事上の籍を保留しながら教育長として出ております者が、県段階で三名、人事主管課長が四名、こういうことでありますが、鹿児島県においては、すでに三代にわたって十数年間の間、文部省出身の教育長が教育行政の責任者となっております。現在はあわせて人事主管課長も同じく文部省出身の、就任当時二十代の青年によってそのポストが掌把されております。私は何もだから鹿児島県に今日のいろいろな問題があると申し上げるわけではありませんが、そのことにも深くかかわって考えてみなければならない問題はあるのではなかろうかと思うのでありますが、一体文部省が県の教育委員会に、文部省出身の官僚を教育長、人事主管課長として派遣されるその目的、任務は何だとお考えになっているのか、その点をひとつ教えていただきたいと思う。
○政府委員(諸澤正道君) 文部省といたしましては、県の教育委員会がその教育行政を、適確、円滑に進めていだだくことを何よりも望むわけでございます。そういう意味におきまして、県から御要請がありました場合には、りっぱな人間を選抜して当該県に行っていただくわけでございますが、その趣旨はあくまでその県の教育行政の振興、充実ということのためであります。
○久保亘君 模範的なお答えとしてはよくわかります。しかし実際には、私はこれらの教育長、人事主管課長の配置というのは、文部省としてもいろいろの役割りを考えながら配置をされるのではなかろうか、こういうふうに考えるのであります。今日鹿児島県において起こっております状況は、文部省から教育長に就任をされた前の教育長の時代に、かなり激しく人事権を武器にした強力な教育現場の統制支配が行われたと、現場の多くの教職員が考えております。そのことによっていろいろな紛争を引き起こしたこともまた事実でありますし、文部省もその紛争の是非についての見解は別にして、そういう事実があったことについては御承知のことであります。しかし、いまその前教育長によってつくり上げられていった人事権を武器にする統制支配という形の中で、今日はその形ができ上がることによって、いろいろな上下の作用が働きながら、行政権力中心の差別行政がかなり進行をいたしております。また人事の情実、腐敗を教職員が実感として受けとめているような、そういう事実が次第に多くなり、教職の場における人間的な信頼や、連帯感が失われていることを私どもは見逃すことができないわけであります。これは単に現場の教師たちに行政不信をもたらして、校長と一般教師との連帯感がなくなっているという問題だけではなくて、県の教育にとってきわめて憂慮すべき事態であると、私はこう思っておるのであります。したがって、これから私が指摘いたします事態について、このような実態が存在していいかどうかということを、ひとつ文部省の方としてもお答えいただきたいのであります。
 まず第一に、たくさんの教職員がいるのでありますから、管理職、一般教職員を問わず、間々不祥事が生ずるのであります。このような不祥事に対する行政上の処分は、鹿児島県においては、私が先ほど申し上げましたような教育行政権力のあり方の中で、だれが見てもきわめて差別的な取り扱いになっていると思わざるを得ない事態がたくさんあります。まず、校長や、つまり管理職や組合に所属しない者の場合には、教育委員会は、いかにして穏便に事を処理するか、寛大な措置をするかということに腐心しているのであります。その実例を申し上げましょう。
 一つは、鹿児島県におけるある中学校の校長が、勤務時間中に学校図書室において女子職員と、ちょっとここで説明いたしかねるような行為に及び、それを他の職員に現場を現認されておるのであります。それが学校の授業時間中の出来事であります。その後この問題は、教育事務所長や、町の教育委員会等もいろいろと事情聴取をしたりしました結果、三カ月後女子職員の方は町の給食センターに配置転換になっております。校長の方は、半年後に一たん休職の扱いとした後、三カ月後−翌年の四月には、教育研習センター研究員となっておるのであります。何を研究されるのか知りませんけれども、そういうような扱いが行われております。
 また、ある小学校の校長は、私がいまからここで提示いたします別紙のような父母の投書により、女子の児童に対して校長室等においてわいせつな行為を行ったことが明らかになっているにもかかわらず、教育委員会は、その父母の投書は、教育委員会教職員課あてにも提出されたにもかかわらず、これを不問に付する形で、翌年の異動でこの校長は別の小学校長に転出し、そこにおいてもいろいろ問題がありまして、翌年の三月末本人が依願退職を申し出たところ、教育委員会はきわめて温情ある措置をとられて、勧奨退職として退職金の割り増しを行って、本人を五十五歳で退職を認めているのであります。
 また、ある中学校の教頭は、その学校に在職中、借家の庭木を、金額にしてもかなりなものと言われているのでありますが、無断で搬出し、はるかに離れた他町の自宅へ運んだのであります。これはその地域で非常に大きな評判となっただけではなくて、地教委や、校長や、最後には県の教育委員会もこのことについて調査を行ったのであります。今日この問題は、警察においてもいろいろと調査をされているように聞いております。しかし、その後、被害を受けた家主も教師でありますが、被害を受けた家主との間に百万円で示談の形をとり、教頭は翌年その隣の地域の中心にあります。番大きな中学校の教頭に、俗っぽい言葉で言えば栄転をしていったのであります。偶然の一致だと思うのでありますが、家主の方は翌年度の管理職試験に合格し、直後組合を脱退をしたのであります。しかしこの事件は、地域の人たちの間ではもう公然のものとなっておるのでありまして、この問題については、今日もなお事件そのものはいろいろのうわさを呼んでいるのでありますが、どういうわけか県の教育委員会はこの事件の処理として、本人を栄転させることによって決着をつけているのであります。
 また、鹿児島県立のある高等学校の某職員は、同僚三人に対して、これは暴行を受ける方が集団でありますから集団暴行じゃないのでありますが、単独で同僚三人に対して暴行傷害に及び、刑事処分を受けたのでありますが、県の教育委員会はこのことに対して一切の行政処分を行わなかったのであります。なお、この人は組合に所属しないのであります。
 また、私が最も不思議に思っておりますことは、ある県立高校の組合に所属せざる教諭が、女生徒に対していかがわしき行為に及んだと言われているのでありますが、このことに関係して県教育委員会は、その教諭の事件について穏便な措置を要請するために、女生徒の親戚に当たる某県会議員の自宅に、御手洗教職員課長、これが文部省から行かれた人事主管課長であります――を訪問をさせて、穏便な措置を頼んでいるのであります。だれがどこで教職員課長に対してそのような措置をとらせたのかは私どもはわかりません。しかし、人事主管の教職員課長が、親戚に当たる県会議員の自宅を訪問して、穏便な措置を申し出たということは、当該の県会議員によって去る十月四日、鹿児島県議会の本会議において明らかにされているのであります。私はその本会議の議事録に基づいていま申し上げたのであります。
 もう一つあります。ある県立の高校では、組合員である教諭が、終業式における校長式辞の途中で、校長は何をしたんですか、もっときちんとした話をしてくださいと発言をしたことを理由に、県教育委員会はこれを戒告処分としたのであります。ところが、同校長は生徒の面前で前任校長及び前任職員を名指しで非難したり、教育に民主主義などはないという話をしたり、暴言、放言を繰り返しているにもかかわらず、こちらの方は県教育委員会は不問に付し、同校長を県青少年研修センターの所長に転出をさしたのであります。
 このようなことが相次いでおります一方で、組合員に対しては、学校運営について民主的な運営を要求した教職員と意見が対立し、校長室で一職員が大きな声で校長に職員会議を続行するよう要求したところ、突発性難聴障害を起こしたということで告発を意図し、県教委は同教師に対して停職一カ月の行政処分を行ったのであります。県議会においてこのことを質問された教育長は、上司に対して大声を出すことは子供たちに対して是非善悪を教えるべき教職員としてどうか、それで処分したと答弁しているのであります。なお、私が調べましたところでは、同教頭はその事件のありました前年、その学校の教頭に赴任しているのでありますが、学校保健室で養護教諭に何回か耳の治療を受けており、中耳炎をわずらったこともあるのであります。ところが突然その組合員である教職員が大きな声を出した途端に、突発性難聴炎を誘発したということで暴行傷害ということになり、執務妨害とあわせて停職一カ月という、公務員としてはかなり重い処分を教育委員会は行っておるのであります。
 また一方、ある小学校においては、勤務時間内にスポーツテストに関する自主研修をやめるよう、校長が別の会議を緊急に計画して、教頭を通じてその会議に出るよう口頭で伝えたのであります。ところが、当日朝の職員会議では、校長が計画したそのような会議は何にも話し合われておらなかったのでありますが、校長はそのことを市教委を通じて県教委に報告し、教職員に対しては職務命令の形式も何にもとっておらぬことは当然でありますし、また、それは職務命令ではないと言いながら、県教委は二カ月後これらの教職員に対して職務命令違反、職務放棄を理由に戒告処分を行っているのであります。また、先ほど私が幾つかの管理職によって行われた非行に対する県教育委員会の取り扱いを申し上げましたが、一方では、男子児童にわいせつ行為に及んだという一般の組合員である職員が、その責任を感じて依願退職を申し出たにもかかわらず、依願退職を受け付けず、懲戒免職、免許状没収の処分を行ったのであります。また同様に、中学校で男子生徒――男子生徒というのはちょっとよくわからぬのでありますけれども、わいせつ行為に及び、当教諭もまた依願退職を申し出たところ、教育委員会は依願退職を受け付けず、懲戒免職、免許状没収の処分を行っております。また、先ほど他人の庭木を多量に勝手に自宅に持ち出した教頭が、いわゆる栄転の形で他の大きな中学校に転出していったその同じ地区において、温泉において入浴客の金品を窃盗をしたということによって、同じ地域の一般の教師は懲戒免職処分、免許状没収の処分を受けているのであります。私が、これらの行為に対して懲戒免職処分、免許状没収の措置が信賞必罰としてきちんととられるなら、それは一つの教育委員会の見解でもあろうと思うのでありますが、一方、管理職や非組合員に対しては寛容な措置をとるだけではなく、教職員課長が穏便な措置をとってもらうよう、県会議員の自宅にわざわざ訪問をするなどというようなことは、これを差別的な行政と言わずして何と言うことができるだろう、私はこう思うのでありますが、私がいま申し上げましたような事例は、まだここで話をしますならば幾らでもあります。
 なお、全く不問に付されたその校長について、父兄から寄せられた手紙はきわめて重要な問題でありますから、私がこれを少し紹介をしておきます。これが全然処分の対象とならず、勧奨退職という優遇措置を受けてやめていった管理職であります。
 私は〇〇市〇〇小学校PTA会員でございます――こう書いてあるんですよ。しかし、私はわざと名前を言わない。
  「御承知かと思いますが、私共の学校は合併新築されて二年目の新しい学校を持っています。最初の校長先生はとても立派なお方でしたが一年で他に移られ、二代目の校長が此の四月から来られた訳です。最初の程は生徒のみんなにしたわれるおやさしい方のように子供の口づてに聞いておりました。何故と申しますなら、休み時間などいとも心やすく校長先生のところに遊びに押しかけるとか自由に先生とお話もし、子供らと校長先生のたのしいお話を聞いていたからでございます。校長室と云へば私共の子供の頃は、そんなにやすやす遊びに行けるものではありませんでしたし、余程子供好きのおやさしい方なのだと信じ切っていました。ところが夏の頃でした。何気ない子供との話しの中で「エッチ校長」と云うのを私は聞きとがめ、子供に訳をたずねて仰天いたしました。開いた口のふさがらぬ思いと申しましょうか、早く何とかしなくてはと一人胸をいため乍ら幾月も経ちました。思い余った私は数名の心ある方に図りました。そして市の教育長とPTAの会長に相談の手紙も書きましたが何の反應もありません。一体何としたことなのでしょうか、両者の間でもみ消されたのでしょうか、校長先生と云うのは、どんなことをしてもだまって許して下さるのか不思議でたまらず、今日は御相談を申しあげる破目になったのです。
  問題の「エッチ校長」のニックネームの由来はこうなのです。校長室には、かねて、五、六年生の子供殆んどが自由に遊びに行っていたそうですか、その中女性の裸体写真を子供に見せたり、子供たちの胸に手を入れてみたり、お尻を撫でたり、ある子供はスカートの下から手を入れたとさわぐなど、聞く耳をうたがうばかりの行動です。我が子の事ばかりでは信用がならずかと云って、さわぎたてもならず、数人のお母様方にそれとなく子供の事をたずねて調べたところ、事実に間違いなく、どのお子さんも一ようにそう申しています。ずばり子供たちは、おっぱいをもみもみするんだ、おしりをなでなでするなど聞くに耐えません。
  世間にはいろいろなお話があります。まじめな学生がことを引き起したり、浪人生が事件を作ったり」そういうことがいろいろ書いてあります。そうして、
  「事を誇張して話しているのではありません。事実を調査の上、速かに校長の追放が出来ますよう重ねておねがいいたします。
  此の書状と一緒に県の教職員課にも同文の書状を送りましたので、よろしくお図らい下さい。」
 こうなっているのであります。県の教育委員会もこの手紙が来たことを認めておるのであります。しかし、この校長に対しては一切の処分は行われなかったのであります。これを差別行政と言わずに何が差別行政なのか。私が聞きますところ、本日の鹿児島の地元の新聞に、県の教育長が談話を発せられて、行政処分などに一切の差別はないということを強弁されているようでありますが、私がいま申し上げましたようなことが事実であるとすれば、これを差別と言わずに何を差別と言うか、文部大臣のお答えをいただきたいと思うのであります。
○国務大臣(砂田重民君) それが管理職であろうとそうでなかろうと、教員の行動というものは、児童、生徒に与える影響もまた大きなものがあるわけでございます。ただいま久保委員は具体の問題を御指摘になりました。委員会の場で御発言になったことでございますから、きわめて重要なことと受けとめます。文部省におきましては、久保委員が御指摘になったような具体の事実をまだ承知いたしておりませんので、実情調査を峻厳にいたしまして、このような信賞必罰にえこひいきや不公正が許されるものでは断じてありませんから、そういう姿勢で調査をして対処をしたい、かように考えます。
○久保亘君 いま私が申し上げましたようなことについて、これが事実であれば、このようなことは許されないことだと、教育行政のあり方として許されないことだ、許されないことを行っている鹿児島県の教育委員会の行政の担当者は、もしこれが事実であれば、その責任を問われるべきものだとお考えになりますか。
○国務大臣(砂田重民君) 具体の事実が明確になれば、そして、信賞必罰がきわめて不公正に行われていたという事実が明確になったとすれば――なったとすればと申し上げておりますのは、久保委員の発言を疑うわけではありません。やはり私どもも責任あることでございますから、文部省の責任で調査の上でという意味で申し上げているのでございます。そういう事実が、具体の事実が明確になれば、これは県民に対しての責任をとられるであることは、私はそうあるべきだと考えております。
○久保亘君 このことがもし明確になりますれば――私もこれらの問題を公開の席で申し上げなければならないことは、特に自分の郷里にかかわる問題で、きわめて私も遺憾なことだと思っております。しかし、これらの問題がこれ以上続くということになりますと、鹿児島県の教育に与える影響はきわめて深刻だと思っているからです。文部省として私はこの問題について、特に鹿児島県は教育長と人事主管課長が文部省から出向させられている全国唯一の県であるだけに、文部省としてもこの教育行政のあり方については連帯して責任をとられるべきものだと考えて申し上げておるのであります。私もこれだけのことを申し上げる以上、かなり慎重にいろいろと調査をいたして申し上げております。
 次に、人事における情実や権力の介入と考えられる問題について指摘をしなければならぬのであります。県内のある中学校の教頭は、本年の三月末、他の中学校の校長に昇任の内示を受けたのでありますが、同日教頭とともに、同校の教職員が夕方送別の意も含めて教頭の宅に行きましたところ、すでにその教頭のうちに教育事務所長が上がり込んでおり、奥さんと一緒に祝賀会の準備に入っておったのであります。そして、その奥さんに対して、校長昇任を知らせるとともに、やがて酒席となり、教育事務所長は、もう自分が校長にしてやったと言わんばかりに、すててこ一枚になって踊りまで披露するというようなことが行われたのであります。私どもは人事が内示されたその日に、教育事務所長が校長に昇任の決まった者の自宅に、しかも本人の留守中にそこへ上がり込んでおって、そしていかにも自分が人事の責任者としてやってやったというような態度に及ぶなどということは、同席した教職員にとってはきわめて不愉快で、不明朗なことであります。その昇任をした校長は、ことしの四月にそこに赴任をいたしまして、六月二十九日、教職員が教育研修会のためにほとんど学校を離れたその時間に、学校放送で生徒である各学級委員を集めて、生徒に調査用紙を配ったのであります。その調査用紙は、教職員の勤務に関して調査を行ったのであります。この問題については地元の一般新聞に、生徒を通じて勤務評価、またある新聞は生徒を使い勤務評定、校長がアンケート、こういう見出しで大々的に報道をされております。つまり、校長に昇任した日に教育事務所長が自宅に祝いに駆けつけてきたこの校長が、赴任早々に行ったことなんであります。この問題に関しては、明らかに行き過ぎであると思われるのであります。その調べた内容は、校長は口頭で聞いただけで、調査用紙などを配った事実はないと言っておったんでありますが、生徒がそういうふうにやられた、こう言うんでありますから、だんだん隠し切れなくなって、その調査用紙を見せろと、こう言ったら、もう焼き捨ててないと、こう言うんであります。この調査用紙には、生徒本人の氏名、家庭の電話番号を記入させたり、担任の先生の長所を書きなさい、担任の先生は授業時間よく指導してくれるか、よく指導してくれないか。道徳の時間は道徳の授業をするかどうか。授業にすぐ来てくれるか、しばしばおくれてくるか。そういうようなことをその調査用紙を使って生徒に調査を行っているのであります。校長と教職員との間の信頼、連帯ということが教育の現場を生き生きとしたものにしていくということは、だれが考えても、まただれに聞いてもそう言うにもかかわらず、こういうようなことを校長が行うということは、一体どう理解したらいいのでありましょう。校長は今後もこのような調査は続けると開き直っているのであります。また、県の教育長は、このことに関して、詳しい事実関係については聞いていないが、一般論で言うと先生がどのような授業をしているか、生徒が授業をどの程度理解しているかを知るのは校長として当然なことであろうと思うということで、この事件に関してコメントを求められて、この校長の生徒を使っての先生の勤務調査なるものを、あたかも支持するような発言を行っておるのであります。こういうようなことが、そういう経過を経て校長になった者の手によって行われた。そしてこの学校に同時に教頭として赴任したのが、先ほど庭木事件で申し上げました教頭であります。
 人事における問題は、まだ幾つもあります。私がここに一通の手紙を受け取っております。
  「昭和五十二年二月五日、鹿児市内某所にお
 いて、第三回マロニエ会が約二十名の会員の参
 加によって開かれました。」
 マロニエ会というのは、昭和四十九年度文部省教員海外派遣団ヨーロッパ班に参加した者によってつくられた親睦会であります。
  「この会の冒頭派遣団の団長であった」、
 いまはそうではありませんが、当時教育次長です。
  「挨拶の中で、「今人事の作業が始まっている
 が、教頭主事になりたい者、転勤したい者は、
 私が何とかしてあげますから、近況紹介の中で
 はっきり言って下さい、私自身も、五十三年度
 は留任することになっています。これは人事担
 当の私が言うのですから間違いありません。」と
 発言しました。
  過去、私達は情実人事の排除、人事による団
 結権侵害の排除をかかげて、人事闘争を行って
 参りましたが、県の教職員人事の最高責任者
 が、こうした軽率な発言を行っている事を直接
 目にし、激しい怒りを覚えました。
  確かに人事は、人の行うものであるから、情
 実が入り込む事はありうることではあるが、人
 事の最高責任者がそれを直接口に出してはばか
 らないという事態は、県人事がいかなる理想的
 な目標をかかげようとも、信頼できない不公正
 なものであると言わねばなりません。人事はあ
 くまで公明正大で、どこからも指弾されないほ
 ど、ガラス張りであってほしいものです。
  又その会の帰途、私はその会に参加したある
 小学校の教頭先生を車で送ることになりました
 が、その車中で、「先生、人事の前に」県の幹部
 の家へ「何か下げて行って来られたら、決して
 悪いようにはしないはずですよ。」と、言われま
 した。これを聞いた時、金品授受による人事が
 堂々とまかり通っている事実を感じました。」
 こういう手紙をもらっておるのであります。文部省が国費を使って教職員の研修のために海外に派遣したその海外派遣が、教職員の研修にも役立ったかもしれないが、情実人事を生む母体になっているとすれば、これはきわめてゆゆしい問題だと言わなければならぬ、私はこう思うのであります。
 まだそのほかに管理職任用標準試験をめぐる弊害の実例も私の手元に届けられております。行政の側にあったある校長は、その学校の教職員を校長室、校長の自宅において、管理職任用標準試験の受験講座を開議して、そこに集めて講習を行っておるのであります。受講君たちは試験が終わった後、それぞれ謝礼金を持ち寄り、届けたそうであります。そのようなことによって、管理職任用標準試験というようなものが、本当に学校の教育に役立っておるのかどうか、むしろいろいろの弊害を生み出しているのであります。
 ある離島に赴任をいたしました教師は、酒の座で父兄に対して、おれは僻地教育のためにここへ来たんじゃない、管理職任用標準試験を受ける資格を取得するために離島に来たんだと、こういう話をしておるのであります。このようなことは、文部省がいままで県教委を指導して行わしめてきた管理職任用標準試験も、弊害を徐々に拡大しつつあるものだと言わなければならぬと思うのであります。
 また、このような教育委員会、それから学校の現場における管理職、校長、教頭、こういうものを縦の糸で結ぶ統制の系列ができ上がっていることが、最近は鹿児島県の離島において不幸な事件を起こしたのであります。これは事務職員に対して教頭が、校長が出張するから車で送っていけと命じたのであります。ところが、その事務職員は車を持っていないので、どうしようかと思っていたら、教頭が、おれの車を貸すから行け、こう言って教頭の車を借りて時間中に校長を送りに行ったのであります。ところが、教頭が貸してくれた車は車検切れ、ブレーキ不良、こういう車でありましたために、その車の運転を誤り、一婦人を交通事故死させたのであります。しかし、管理職の方はこの事務職員に対して、そのことを業務命令だとは言わぬのであります。しかし、事務職員の方は、管理職に命ぜられて、そのことをやはり業務の一環だと理解してしまうのであります。そういうようなことが、今日これはまだ未解決の問題として、すでに鹿児島の県議会においても取り上げられておるのであります。こんなことが次々に起こってくる。
 先ほどは差別行政について人事主管課長のとった態度を一例として申し上げました。私は、人事の情実に少なくとも県の教育長が関係されるなどとはゆめゆめ信じたくはありません。そのことはあり得べからざることであり、ないと私は思っております。ただ、現場の方ではいまのような締めつけが続いてまいりますと、なかなかそう理解しない気持ちが充満してくるのであります。
 現在、鹿児島県で校長をやっておりますある五十六歳の教師は、教頭就任以来二十三年目で待望の校長になったのであります。この校長になった人は、ある教職員の集まりのところで、こんな話をしているんであります。ハブを自分で標本につくり上げて、これを県の教育長に献上しようと思った、教育長に持っていくと物議を醸すかもしれぬと思ったから、わざわざ離島から鹿児島まで出かけて、教育長の公舎に持っていった。教育長夫人が珍しいものをありがとうと言って大変喜ばれた。私はそんなものが、教育長がそのことでどうこう思われたなどということを申し上げているんじゃありませんよ。しかし、そのようないじましい行為が現場の管理職を希望する者の間に起こってくるということを私は遺憾なことだと思っているのであります。そしてきわめて偶然にこの教頭であった人は二十三年目に校長となったのであります。
 このような人事をめぐる不明朗な話がいろいろと広がってきている。このことについても、私はやっぱり人事権を武器にして、純然たる若い行政官が、官僚的に教職員の現場を統制しようとすることが、いま大きな弊害を生みつつある事例だと言わなければならぬと考えておるのであります。私がいま申し上げましたようなことについて、文部大臣のお考えをお聞きしたいと思う。
○国務大臣(砂田重民君) 教育の世界に限らず、人事は公正でなくてはなりません。特に教育の場ではそのことが重要なことであり、一切の私情がまじわるべきでない、さように私は確信をいたします。各都道府県教育委員会の人事の公正を確保する方向で指導してまいりましたけれども、ただいま久保委員は個人の名前は場所柄お伏せになりましたけども、具体の事実を御指摘でございます。この件についても、鹿児島県教育委員会に対しまして、文部省としては調査をして、人事の公正を期する方向で指導してまいりたいと、かように考えます。
○久保亘君 特にこの中で、先ほど私が申し上げました学校長が、生徒を使って教職員の勤務状況について調査を行う、このようなことはいかがなものでしょう。
○国務大臣(砂田重民君) 生徒を使って校長がそのようなことをなさるのは私は行き過ぎだと考えます。校長として御努力なされば、一人一人の教員の資質等は校長はおわかりになるはずであります。それだけの御努力あってしかるべきだと考えます。
○久保亘君 よくわかりました。
 県の教育委員会はいまの文部大臣のような明快な答えがどうしてもできぬのであります。それが私は不思議でならぬのであります。やっぱり管理職といえども、行き過ぎとか、誤りがあったら、教育委員会というのはきちんとやらなきゃいかぬです。何か管理職の方がやると、これは大変だというので、われわれの組の者がやられたぞというようなことで、それでそれを救援に向かう、こういうようなことは、これはどっか関西で行われることでありまして、私も非常に不愉快に思っているんであります。そういうことはないと思います。しかし、何かそうでも考えにゃならぬぐらい、管理職に対しては極端な身内意識が働いてこれを守る、こういうような動きがあるんではないか、こんな気持ちがしてならぬのであります。これらの点においてもひとつ厳重に御調査の上、いまの生徒を使っての教師の調査などというのは、これは教育の責任に携わる者が、行き過ぎというよりも、私どもはやってはならないことではないかと、こう思っておるんであります。いま文部大臣が行き過ぎであると、こういうふうに言われたので、それはそれとして私どももこれに対処してまいりたいと考えております。
 もう一点、今度は教職員団体との関係においても、県の教育委員会はきわめて不可解な指導をしているのではないかと思われるのであります。本県の「鹿児島県学校職員の休日、休暇及び勤務時間等に関する条例」の中に明確に示されておりますのは、「学校運営上特に必要がある場合」には――「場合」というのは運動会などだと、こういうことを書きまして、「勤務時間の割り振りは勤務条件であり、したがって職員団体との交渉事項であるので、運用にあたっては慎重を期すること。」ということが条例の解説に明確に示されております。条例の理解として、教育委員会が出しました文書の中にそうなっておるのであります。ところが、鹿児島県のある県立高校において、運動会の曜日の振りかえをめぐって教職員と校長の話し合いが順調に行われず、校長が一方的に日曜日にやりますということで、いついつやりますということで指示をして、教職員との間に話し合いが持たれなかった。そこで教職員組合の本部が校長に対して、そのことで話し合いたいという申し出をして、その学校を訪ねることにしたのでありますが、そのことを知った教育委員会は、いち早く校長に対して、教職員組合の本部との話し合いには応じないで、逃げるようにという指示をしたのであります。校長は、勤務中にもかかわらず、教育委員会の指示を受けて、その交渉を避けるために校外に遁走したのであります。その後その校長は、県教委が組合の本部と会うなという指導をしたので私は会わなかった、実際は会ってもよかったのだ、こう言うておるのであります。自分たちが決めた条例で、このことは組合との交渉事項ですから、慎重にやりなさいよということを自分たちが決めておいて、そしてその話し合いが持たれるようになると、校長に、学校におらんで外へ出て会わぬようにしろという指示をする。校長はそうすると、PTAの会合が開かれていると、そこのあいさつだけして帰ってきて、あいさつが済んだらまた学校の外へどこかへ消えていくのであります。こんなことを教育委員会が一々指導して行うなどということは、私どもはもういまの教育委員会というのは、法律上認められた教職員団体というものを全く否定しているのではないか、こういうふうに思わざるを得ぬのであります。そのようなことをどうしてもきょうは文部大臣に理解をしてもらいたいと思って、私はここへ持ってまいりました。「ある退職校長の証言」。これはかつての同僚の教師たちが、この退職校長のところへ行ったときに、しみじみとこの元校長が話してくれたのであります。前教育長が来られてから、県下の校長が集められることが非常に多くなった。そして、そのときに言われ始めたことは、「校長は独自の判断をさけ、県教委の指導に従っておればよい。」そういうことを言われた。そして、その中で話し合われることは、近く組合がこういう計画でこういうことをやるから、そのときにはこういうことを対処せよという指導をされるのであります。そして、その教育委員会が指導したことについて、どんなことがあっても口を割ってはならない、組合の指示がコピーされていて、それに従って、前もって教育委員会が対処しているということを口が裂けても言ってはいかぬ、どうしても言わなければならない状況に追い込まれたときには、「これは、校長の判断です」と言え。ここでは校長の判断を尊重するわけであります。こういうような指導が、教育の長い経験を持つ現場の責任者たちに対して、校長会等を通じて非常に強力に行われるようになった、そして、組合の運動に関するあらゆる資料は、集めて持ってこいと言わんばかりのことを指導をされた、だから、この校長はそのときに、われわれは分会長や、執行委員の書類を点検せよとまで言われているのじゃないかというほどに感じた、そんな指導が次々に行われていって、私たちは大変残念であったということを、当時の校長が話をされているのであります。
 それから、主任制度が発足してからは、学校の校務分掌や、進動機構についてサンプルを示し、これは単なるサンプルではない、これから逸脱することは許されないという指導が行われるようになり、最初は校長の多くの者たちが、これでは学校の独自性や、校長の主体性が無視されているのではないでしょうかというふうに考え、反対の意思を表明をしておった、二回、三回と回が重ねられていく中で、次第に校長たちもお互いに牽制し合うようになり、そのような発言をする者はなくなった。いまやめたこの校長は、その当時のことを振り返って、教育のためにこういうことでよいのだろうかと大変憂えているのであります。
 私がこのようなことを考えるにつけても、行政官が人事権という教職員にとってはきわめて弱点となる武器を持っておる、その武器が、全体的に教育の振興のために有効に行使されるのではなくて、そのことがもし、教職員を統制支配するために使われていくということになるならば、このことは学校の現場の息の根をとめることになりはしないだろうか。いま私が申し上げている一つずつの事例などは、そんなに県の教育の将来をどうするというような一つ一つの問題は大きなものではないかもしれません。しかし、そういうことを通じて、いま県の教育の現場にずっと広がってきている空気というのは、鹿児島県の教育という大きな木の根を切り取って枯らしてしまうことになりはしないだろうかということで、私は大変憂えるのであります。こういうことについて、やっぱり長い間、私は最初にお断りをいたしましたように、文部省から教育長や人事主管課長に行かれた方が、そのことが悪いと、そういう人たちが問題なんだということを言っているのではありませんけれども、教育長と人事主管課長が重ねて文部省から派遣をされる、つまり田中耕太郎氏の言葉を借りて言うならば、教育に対する識見や体験というものの――識見はどうか知らぬけれども、少なくとも体験においてはきわめて欠ける、地元の伝統や地元の実情というものについても暗い人が、人事の権限を二つとも握ってしまう、こういうことによって、私はあなた方が意図されたことよりも、弊害の方が大きくなってきているのではないだろうか、こういうことを非常に強く感ずるのであります。私はこれらの問題を調べながらふと思ったのでありますが、野間宏さんが「真空地帯」の中で、正確には記憶をいたしませんが、たしか兵営というのは条文で支配されて、鉄条網で囲まれた一丁四方の空間であって、人間はその中で人間の要素を取り去られて兵隊になると、こういうことを書かれておりますが、いまのような人事権を武器にした官僚的な統制支配が教育の場に持ち込まれることによって、このような教育行政の中で、教師は教師の要素を取り去られて管理職となっているのではないか、私はそのことを深く憂えているのであります。だからここで文部大臣にぜひ御見解を承りたいと思いますことは、たとえば鹿児島県のように、三代、十数年にわたって、文部省から教育長が派遣をされた、それがいまでさえも全国にたった三県しかない、その一つの県に、十数年、三代にわたってそういう行政官の――初代の人は必ずしもそうでありませんが、行政官の教育長が文部省から派遣をされた、その上にそれでも足らぬというので、今度は二十代の人事主管課長を派遣をした、完全に人事権を統制権力として使って、いま私が挙げましたような多くの事例、まだここにこんなにあります。こういうものをずっと積み重ねていくことによって、確かに教育委員会の意図どおりに現場を支配するということについて、現象的には成功しつつあるかもしれない。しかし、そのことによって、教育の現場に起こっている行政不信、その行政不信がもたらす現場における校長と教職員との連帯感の喪失、そのことがもたらす鹿児島県教育の荒廃を私は何とかしなければならぬと思うんであります。この際、このように長期にわたって、文部省出身の若手の官僚が教育長の座を占めているようなところについては、やはり教育長の選任について、ここでどうしろと私は申し上げる立場ではありません。いろいろと反省し、検討をしてみなければならないような実情が起こっているのではないか、こう思うんでありますが、文部大臣の御意見を伺いたいと思います。
○国務大臣(砂田重民君) 文部省から先ほど冒頭の御質問に答えまして、初中局長が御説明いたしましたような、文部省の官僚が都道府県教育委員会等に出て行っているわけでございます。このこと自体を私は決して悪であるとは考えません。やはり文部省で教育行政を将来長く担当をいたしていきます人間が、県段階の教育委員会の場で仕事を持って、県の教育委員会には教壇経験の豊かな方もまた教育委員会においででございましょうから、そういう人たちと交流をしながら、教育現場におきます教育、学校の管理の重要な問題、大切な教育指導の問題、そういうことを十分教育委員会の場で身につけて、将来また文部省へ帰ってくること自体は、私はこれは決して悪であるとは考えません。むしろ望ましいこと、私はむしろそっちの方に思うんです。問題は教育委員会に参りました文部省の役人のその仕事の内容に問題があると思います。また物の考え方に問題があると思います。久保委員は、きょうは幾つかの好ましくないことを事実としてお挙げになったわけでございます。こういうことを調査をお約束をしたわけでございますが、この席で久保委員が御指摘になりましたような事態が、久保委員が御指摘になったような考え方で、人事権をもって学校を統制をするというようなことが行われているとするならば、それは文部大臣としてきわめて残念な、間違った行き方であると考えます。だれがどこへ行っているからそれがいい、悪いの問題ではなくて、その人の心構えの問題であり、その人の仕事の内容に問題があると思いますから、きょう御指摘になりましたこときわめて重要な問題と私受けとめておりますので、文部省自身で責任を持ってこれの調査をいたしまして、鹿児島県はもとよりでございますが、教育現場での教育活動の充実、真の充実の方向に向けての指導をしてまいりたい、かように考えます。
○久保亘君 いま文部大臣が言われましたような立場でぜひいろいろお調べいただきたいと思うんでありますが、また文部大臣が、いま文部省の若い幹部が各県の地方の教育長に行くことは、各県の教育の実態を知ったり、そういう意味でも非常に役に立つというようなことを言われた。私もそうだろうと思っていたんです。しかし、初中局長の方は、私の方からあえて申し上げませんでしたけれども、そういうむしろ一つのある側面から言うならば、教育長という本来の任務ではなくても、ある側面から言うならば、将来日本の文部行政に責任を持とうとする人たちを地方の実態にも十分に触れさせる、そういう目的もあって派遣をされるんであるならば、訪れる者はもっと謙虚でなければいけない。いたずらに、いつでも自分の将来は文部省が保障してくれるという立場に立って、その土地の伝統も歴史も知らず、またその地域で長年努力をしてきた先輩の教師たちの意見に耳をかすこともなく、ただ抑えつけることが自分の任務であるというような立場で動いているとするならば、むしろ地方に行って学んでくることは、行政権力というのはすばらしいものだということしか学んでこぬのであります。それでは日本の将来の文教行政というのは私は暗くなる。そういう意味で地方に出向、派遣せられるこの教育行政の担当官というのは、やはり出発点において謙虚に学ぶということも、自分の教育長としてのまず基本の立場として確立をして行ってもらわなければ困る、こう思うのであります。そういう立場で地方に訪れれば、いま教育委員会に帰ってりっぱな仕事をしておられる方々もたくさんあるんであります。全部がそうだと言っているんじゃありません。しかし、いま鹿児島県にあらわれている実情というのは非常に残念なことであります。
 最後に、教職組合が何かをやろうとすると、直ちにそういう行政権力が作用をして、偏向だどうだと言ってくるのであります。ところが、私は不思議でしょうがないのは、ことしの二月の十一日に県の政治家たちが中心になって、建国記念の日鹿児島奉祝会というのをつくりまして、これは表紙に「君に忠」ということが書いてありますがね。そして一ページあけますと、「尋常小学修身巻五兒童用教科書より」というのが転写してある。「我が大日本帝國のやうに、萬世一系の天皇をいたゞき、皇室と國民が一體になってゐる國は外にはございません。」、昔の修身の本を転写し、あとももう私ども考えると、これは戦前のものではないかと思われるようなものです。そして、これが奉祝会という名を通して、PTAやいろいろな系列に配られている。そしてこの奉祝会には、県知事も出席をして祝辞を述べられるのであります。教育委員会はこのことに対して重大な問題だなどと一度も言ったことはない。子供がここに旗を持って参列をしても、そのことに対して、これはいまの日本の教育の立場からすると偏向であるというようなことを言われたことはありません。ところが、PTA推薦映画である「はだしのゲン」が学校で上映されることについては、県の教育委員会は行政機構を通じて各地において激しく抵抗をさせて、これを中止さしておるのであります。このようなことは、私はいまの日本国憲法や教育基本法に基づく教育のあり方というものが、よく理解されておらぬのではないか、こう思うんであります。
 また、もう一つ、これは鹿児島県の問題でなかったので、どうしようかと思っておったんでありますが、最後に文部大臣にぜひ目にとめていただきたいきわめて貴重な文献がある。これは東京都教育管理職員協議会――管理職員協議会ですから、どの層を含んでいるのか知りません。この管理職員協議会が「ご栄進を祝し参考資料として贈る新任校長の心構え」というので、東京都内の新任校長に配った。これは歴史に残る文献であります。この中に「管理職四つの戒しめ」「酒は飲んでも乱れてはならない。宴席の長短をよく弁え、活用を心掛けよ。」「職場の女性には絶対手を出すな。折角の学校経営が滅茶々々になる。」「公的金銭の使途は常に明確にせよ。疑われるだけでも罪であり弁明できぬ。」、こんなことが書かれて配られている。新任校長に管理職協議会がこういうものを配布しなければならないというところに、いまの管理職体制の悲劇があるんですよ。どうしてこういうことまで事細かくその先任の校長たちが新任校長にお祝いの記念として配付しなければならないような状態になっているのか、このことをやっぱり私はいまの文部省は主任制度を強行する前に考えてみなければならない問題があったのではないか、こう思うんであります。こういう立派なものがもし文部省としても推薦をされる新任校長の心構えであるならば、ぜひ先ほど私が申し上げましたような校長さん方にも配っていただければよかったのであろうと、こう思っております。私がその具体的な幾つかの事例を引いて、今日、そのことだけが原因ではないかもしれぬが、多くの問題がそのことによって引き起こされてきたと考えている。文部省の長年にわたる天下りの教育長と人事主管課長によってもたらされた差別の行政、情実ではないかと思わせるような人事、教職員団体を頭から否定するような指導や、行政のやり方、こういうものがきわめて特徴的にこの県にあらわれているということは、また留意をしなければならぬことだと考えております。文部大臣が先ほど申されましたように、地元の豊かな体験を持たれる教職員、教育者、そういう人たちとの交流をよく配慮をしながら、今後の問題は考えられるべきじゃないか、こういうことなんで、私もその点についてはかなり同感できるところはあります。この際人事でありますから、私どもがここでどうしろというようなことを申し上げる筋のものではありませんけれども、ぜひ慎重な、今日の事態の調査を行われた上で、日本の教育の中の一つである鹿児島県の教育について、文部省がいま何をなすべきかということについて、十分な御判断をなされますように心から希望いたしまして、私の質問を終わります。
○宮之原貞光君 先ほどから久保委員の質問、大臣の御答弁をお聞きしながら、私はこの中で非常に多くの教育行政の根本にかかわるところの問題を感ずるのであります。一県の問題、ローカルの問題として片づけるわけにはまいらないと思うんであります。加えて、大臣は御存じないかもしれませんけれども、五十一年の通常国会の際に、いわゆる主任制度の問題が非常に大きな政治問題化したときにも、実は同県の教育長のこの問題に対するところの取り扱いの問題で、本委員会で相当大きな問題になったんです。それで、参考人として呼ぶという形の論議までやられたことがあるわけでございますが、恐らく文部省としては、その当時の県の行政を若干修復するという物の考え方もあって、また文部省から新しい教育長を派遣されたことだと思うんでございますが、事実は、いま久保さんから指摘をされたように、それに輪をかけたところの形で、非常に教育界に多くの問題点を投じておる。私はこの二代、三代のこのあり方を見ながら、一体、文部省から端的に言えば通称派遣といいますわね、これ。形式的には派遣でないにしても。こういう教育長のそれぞれの県に行っての役割りは何だろうか、このことについて非常な疑問さえ持つんですよ。もちろんいまの文部省の首脳部の中にもたくさん行かれた方がいます。たとえばそこに初中局長などもおられるわけでありますが、なかなかそれぞれの県では実績を上げておるようでございます。それは。しかしながら、最近の皆さんはどうもキャリア組ですから、そこで成績を上げると申しますか、何かそこで功を焦って、非常に無理なことをしておるところの様相がありはしないかということさえも、最近のこの派遣をされるところの人々のいろんな業績の中から感ずるわけなんですよ。
 それで、私は先ほど来の話を聞きながら思ったのでございますけれども、教育の根本にかかわるところの問題というのは、とりもなおさず人事行政を含めたところの管理のあり方、いわゆる教育行政のあり方、さらには職員団体への対応という問題、そのあり方の問題が、私は多くいろいろな具体的な事例の中から指摘されたと見ておる。
 したがって、まず最初に文部大臣にお尋ね申し上げたいことは、そういう基本的な問題について、どういう姿勢を文部大臣としてはお持ちなのか、それをまずお聞かせ願いたい。
○国務大臣(砂田重民君) 宮之原委員の御発言、私はお言葉を返す意味で申し上げるのではありませんが、私は派遣とは考えておりません。やはり文部省の役人が都道府県教育委員会の教育長になる、それは県教育委員会からの御要請があって、文部省が人を出すことになるわけですけれども、県の教育長に就任されたからには、県民に対して県の教育の振興に真剣に取り組む、こういう姿勢で県民に対する責任というものが一番大切なことであって、文部省から派遣をしたという気持ちを私は持っておりません。
○宮之原貞光君 肝心の御答弁を外されたら困りますよ。それはずっと経緯の話であって、私が大臣にお聞きしておるのは、先ほど来挙げられたところの問題の根幹は、人事行政を含むところの教育行政のあり方の基本の問題、さらには職員団体に対するところの対応の仕方という一番大事な問題が混在しておるわけなんですよ。それに対して大臣はどう思いますかと、このことをお聞きしておるのですよ。
 なお、なるほど形式的には派遣じゃございませんよね。しかし、行って二、三年したら帰ってきて、また課長か何かに返り咲くんでしょう。これは体のいい派遣ですよ。いわゆるこのごろ自治省あたりたくさん行っているんですから、これは通称世の中では派遣と言うんですよ。ただ、私はその文字面を大臣と争おうとは言っていない。論争しようとは言っていない。ただ、私がさっきお尋ねしたところの基本的な問題についてどうお考えですかと、大臣の御見解を承りたいと、こう申し上げておるのです。
○国務大臣(砂田重民君) 人事の問題についてはあくまでも公正でなければなりません。先ほどお答えをいたしましたこととも関連をいたしますが、赴任をいたしましたその府県の県民に対して責任を持つわけでございますから、当該教育委員会を構成しておられる方々と十分意見交換をして、人事については公正を守る、断じて公正を守る、そうあってほしいと文部大臣としては願うわけでございます。またそういう指導をしてまいらなければならないことでございます。
 職員団体につきましても、職員団体が法で許された活動をなさることについて、これはそのとおりの理解をしていくべきだと考えます。
○宮之原貞光君 どうも私の質問がまずいせいか、非常に抽象的な御答弁しか願えぬのですが、私は人事を含む教育行政のあり方、平たい言葉で言えば人事管理を含めたところのいろいろな面での管理ですよ。よく管理主義という言葉がございますね。そういう物の考え方なのか、そうでないのか、文部行政のあり方としては。あるいは職員団体の問題については敵視政策なのか、どうなのか、文部省としてはどうお考えになっているのかということを聞いておる。
○国務大臣(砂田重民君) 人事のことについては公正でなければならない。基本的なこれが文部大臣としての責務でございます。いま、宮之原委員の御発言伺っておりますと、人事管理というお言葉をお使いになったように思いますが、その管理というのを、ただ締めつけということだけで御発言になっておられるならば、私どもはそういう考え方を持っておりません。しかし、教育現場である学校、これがやはり管理と、教育指導の面と、二つ非常に重要な柱でありますように、その学校の教育の振興を図ってまいります教育委員会、教育行政を担当しております文部省、これは人事も含めた学校の管理のことも大切な仕事の一つでございまして、これを人事権を含めてということであるならば、それは公正をもっぱら旨とするものでなければならない、かように考えるわけでございます。
 職員団体については、これを敵視するものとは私は毛頭考えておりません。それぞれの持っております問題を理解し合うことが大切なことであると考えております。
○宮之原貞光君 基本法の十条は、教育行政のあり方について明確にしておりますね。やっぱり教育効果を上げるように、さらに教育が発展できるようないろんな条件を整備するというのが、教育行政の、言葉をかえて言えば教育管理のあり方じゃないですか。私は少なくともそう思っているんですがね。それを自分の意のままにさせようというところの締めつけだけが、私は人事行政を含めたところの教育行政のあり方でないと考えておるんですがね。その点はいかがなんですかね。
○国務大臣(砂田重民君) 十条に明らかのごとく、全く御発言と同感でございます。
○宮之原貞光君 実は、先ほど久保委員から指摘をされたところの幾つかの事例は、いまの大臣の御答弁とは全く逆な形にあるところに問題が内在しておるんですよ。端的に言わしめるならば、管理あって教育なしというのが、私はやはり鹿児島県の教育界の実態だと思う。私も同じ県の出身でございますから、全国区といえども若干は知っております。それでまた教育委員長は、私的な問題でございますが、私の旧制中学の先輩ですからよく知っておりますし、教育委員会の諸君もそれぞれよく顔見知りの皆さんなんですね。しかし、この皆さんが県議会で教育行政のあり方の基本的な姿勢は何かということを問われますと、教職員相互の信頼感と、それぞれに対するところの愛情こそが、一番私どもの教育行政の基本でございますと言うのです。私は、まことにりっぱなことだと思うんですね。そのことに私は異議を差しはさむものでない。まことにその言をよしとしなきゃなりません。ところが、そういう方針と、先ほど具体的な事例として挙げられたところの指摘が全く同一だと言えぬでしょう、大臣。相反するものなんです。そこで私は、やはり教育委員の皆さんと教育長との物の考え方に相当ずれがあるんじゃないだろうかと思えてならぬのです。いまさら私から申し上げるまでもなく、地方教育行政の組織及び運営に関するところの法律の十七条の第二項は、明確に教育長の職務権限というものをきちんと決めておるんですね。言うならば、教育委員会の会議、いろんなものに出席をして、議事について助言をするとしか書いてない。ですから本来、もしいま紹介申し上げた、あるいは県会で答弁されているところの、県の教育委員会の教育行政の方針というのを、教育長がそれを守るために助言をするというような姿勢が貫かれておるとするならば、私は先ほど指摘されたところのいろんな問題点は起きてこないと思うんです。ところが、それが逆だということは、私はやはり教育長の教育行政に対するところの基本的な姿勢が、先ほど大臣から御答弁いただいたところの物の考え方と相当な違いがある、雲泥の差がある、あるいは百八十度ぐらい違う、こういうような感じがしてならないんです。これは、私は、私のかつての同僚であるところのある高等学校の校長から、じかに告白を受けたんですけれどもね、教育長というもののあり方について、自分は疑問を持ったと、こう言うんですよ。それは何だと尋ねたら、実は、先般県下の県立高校の校長会があった。それでいろいろな質問が出た。教育委員長に名指しで質問をした。それで教育委員長は立とうとすると、隣の教育長が腕を引っ張って抑えて、自分が立って答弁をするというんですね。これは、私は教育長というのは、この法律から見れば女房的な役割りだと思うんですけれども、かかあ天下じゃありませんけれどもね、どこかの。これぐらい度外れた話はない。しかも、先ほどいろいろな事例がありますように、言うことが頭から押しつけるような物の言い方だと。一体これが教育長というものの役割なんだろうかどうだろうか、こういうことを私に、疑問に感じたということを漏らしたことがあるんですがね。
 こういう教育長の教育行政におけるところのあり方は、法の趣旨から照らしてもどうかと思うんですがね、これ。まさに文部省の威を借ると申し上げると言い過ぎかもしれませんけれども、やり方じゃないかと言われても仕方がないんじゃないでしょうかね。まあ一般論としてでもいいですがね、こういう教育長のあり方を、この法律のたてまえからいってどう大臣はお考えになりますか。
○国務大臣(砂田重民君) いま宮之原委員の御発言になりましたような、県議会で発言のあったという、愛情を持って、そのような教育行政の基本についての私どもの心構え、同じような心構えを教育長が持っていてくれることが望ましいと私は思います。
 そして、久保委員から先ほどいろいろ具体な問題の御指摘がありましたそのこと自体が、久保委員から承ります限り、どうも私どもが考えておりますことと方向の違うことがあるではないかという重大な問題として承りましたので、文部省として責任を持って調査をさせていただきます。そうお答えをしたわけでございます。
○宮之原貞光君 私は、そのことじゃなくて、教育長のあり方としてどうなんですか。鹿児島の問題でなくてもいいですよ、一般論として私はお聞きをしておるんですよ。少なくとも地方教育行政の組織及び運営に関する法律のたてまえから見れば、私はやはり五人なら五人の教育委員の皆さんが、それは助言はあっても――それは物も言わさない、そういう女房役はおらぬと思うんですがね、どうなんですか、そのあり方として。
○国務大臣(砂田重民君) 教育長はやはり女用役であり、助言をする立場でなければなりません。
○宮之原貞光君 実は、教育長がこういう大体の姿勢ですからね、それは教育委員会の事務局の権限、権力というのも、これは鹿児島では大したものですよ。だから、校長とかあるいは地教委というものがそれぞれ学校管理の責任者、それぞれの地域の教育行政の責任者であっても、残念ながら名前だけで、指導力も、あるいは内申力もないんです。ただ何かあるとおろおろして、県から示されたところのものを報告するだけなんです。すべての判断は県の教育委員会の命令でくるというのが実際なんですよね。
 私は、一つだけ事例を申し上げましょう、時間の関係もありますからね。実は鹿児島県の姶良郡のある小学校で起きた問題ですけれども、これは先生方が放課後、スポーツテストのことについての自主的な研究会をされておった、放課後ですよ、授業中じゃございませんよ。ところが、教頭から紙切れが回ってきて、直ちにそれをやめて、そして集まれ、調査部長会を開くから来いと、こういう話であった。突然のことで、朝の朝礼でも何もないから、せっかく油が乗り切っているところの体力テストの研究会なんです。この中身は何かと申しますと、「健康の科学」という、これは東京学芸大学の教授の小野さんのものです。体力テストの活用方法、なかなか私も見てみたが権威のあるものですよ。これを一生懸命自分のところの学校でどうするかということをやっていた。それはおまえたちが自主的にやったんだから、校長としてはそれは認めるわけにいかない、直ちに集まれ、集まらなかった。それで翌日、その係の人が校長さんにあれはどういうことですか、校長さんは職務命令でも出したんですかと、こう聞いたら、いや決してそういうわけじゃない、こういうことで話はついたわけなんです。ところが、それが教育委員会にだれか連絡したんでしょう。そう多く出ない間に、職務命令違反だからその研究会に出た者は直ちに戒告をする。ここに文書もありますけれども、いわゆる会議に参加したので、これで職務上違反だからということで六名の者が戒告ですよ。それで八名の者が文書訓告を受けている、校長さんは、いや職務命令でもない、それならばそれでいいじゃないですかと、こういうことでおさまったはずのものが、県の教育委員会からの通知によって直ちにこれをやられる、こういうような、学校でのあり方の問題ですよ。たとえば、新しい指導要領をつくられたときに、一生懸命大臣は、先生方の地域におけるところの、学校におけるところの自主的な活動、創造性というものをうんと尊重するんだ、そういうところをうんとやってもらいたいというのがこれの特徴なんだ、こういうことを相当強調されておりましたですね。けれども、それをやろうとしたらこういうかっこうですよね。一体こういう管理主義と申しますか、一つでも命令に違反する者は、今後の戒めのためにどんどん戒告をするというこのやり方の方式が、一体先ほど申し上げたところの教育行政の姿勢の問題として、許されていいんだろうかどうだろうか、率直に言って私は怒りを持たざるを得ないんですよ。それをどうお思いになりますかというと、またよく調べてからやりましょうと、こう大臣は答弁されると思っていますから、それも調べていただいて、答弁要りません。こういうことなんですよ。こういう事例は数限りないんです。率直に申し上げて。ですから、地教委の、この法律に言うところの、地教行法による三十八条の内申権というものも、あってもなきがごとき存在なんです。これは初中局長は覚えておるだろうけれども、四、五年前ですかね、奥野文相時代に大分この委員会で議論した、以前の初中局長の通達で、内申を待ってというものを待たない場合もあり得ると、こういうことであなた方は強引にやっちゃったけれども、しかし、そのときだって、あなた方は内申を待たないでやれるというものは万万万万一でも、ちょうど有事立法で福田さんが言うようなみたいだったのですよ、それは。だからこれはあくまでも尊重するんですと、こういう答弁されておったんです。私はそのことは間違いないと思うんだよ、いまでも姿勢としては。けれども、残念ながら鹿児島においては、その地教委や校長の具申権というものが尊重されておるかどうかというと、これはほとんど骨抜きになっているというのが実態なんです。
 ここに五十二年十一月の鹿児島県市町村教育長会から、県の教育委員会への要望書というのがあるんです。写しが。それからもう一つは五十三年のものも同じものがあるんですよ。そうすると、これはやはり恐る恐る御上申、要望申し上げるのですからね、文章はなかなか苦労して書いておるのですけれども、言わんとするところはよくにじみ出ているのですよ。たとえば、「人事異動にあたっては、県教育委員会は市町村教育長と緊密かつ適切な連絡をとり、」その上に立っての人事異動してもらいたいと書いておる。裏を返せばそうじゃなかったということでしょう、これは。あるいはまた、第二項にもあるんですよ、「異動作業の過程において、所(局長)は、個々の人事について、市町村教育長との連携を密にし、特に受け入れる教職員についても事前に連絡し、異動が円滑に行われるよう措置すること。」と書いてあるんです。こういう要望書。あるいは「異動は、個人の経歴や学校の実態等を考慮し、教育的な意義のある異動を行うこと。」と、こうあるんですね。あるいはまた「管理職の異動については、市町村教育長と連絡を密にし、適所に適材が配置されるよう努めること。」と、こういうような要望書が出ているんです。これは五十三年度です。五十三年も同じなんです。大体。
 こういうことを市町村の教育長会が決議として要望しなければならないということは、裏を返せば、そのことができておらないと、そこに非常にやはり問題があるということを意味するんですよ、これは、だれがどう抗弁しようとも。私は一々具体的な事例は申し上げませんけれども、こういうようなやはり行政の姿勢、県の行政の事務的な責任者であるところの教育長の姿勢というものが、私は適切なのかどうか、どうお考えになりますか。適切だと、それでもりっぱだとお考えになりますか、大臣は。
○国務大臣(砂田重民君) 幾つもの事例を御指摘になってのことでございますから、いま一つ挙げられました体育に関係をいたします研究会をやっておられたこの問題等につきましても、すでに訓告がなされているようでございます。そういう処置は重要なことでありますから、やはり私どもとしては責任を持って対処いたしますために、具体の事例を調査をさせていただきたい。こういうことが真実であれば、私はいまの市町村教育委員会の御要望に書かれておられることをお読みになりましたけれども、もっともな御意見だと思います。そういうもっともだと私が感じます意見に反するようなことがありましたならば、それは問題が、姿勢としてもございましょうから、十分にひとつ実情の調査をさせていただきたいと思います。
○宮之原貞光君 私はきわめて包括的に申し上げておるのですけれども、大体前の質問者との関連の中で、言わんとするところの意図を、あれだけは、空気だけはおわかりいただけるとは思いますがね。こういうようなやはり権柄ずくというか、権力をかさにかけてというこの管理のあり方、行政のあり方ですから、勢いやはりこれは本当は教職員がしっかりしていればそういうことはないんでしょうけれども、管理職になりたいというお互いの教職員の一般的な心情、いろんな問題から、私はやはりこの権力にこびるようないろんな人事の面に対するところの卑屈な物の考え方、行為、腐敗ぶりが出てくるのではないだろうかと、こう思うだけに、一番大事なことがやはり県の教育行政に対するところの、最初に大臣が答弁されたような基本的な姿勢が貫かれておるかどうか、とられておるかどうかということこそが、一番根本の問題じゃないだろうかと思うんです。久保委員がたくさんの事例を挙げられたから申し上げませんけれども、しかも、その人事のあり方に甲管理職と一般の平教員、あるいは教職員組合に入っているところの組合員と非組合員との間に、それぞれやっぱり報復的な差別というものの人事やいろんな処罰の問題が行われておるから、なお疑心暗鬼を生んで、ますます相互の不信感が拡幅しておるというのが実際なんですよ。
 たくさんの事例が挙げられましたけれども、一つだけ私も事例を挙げておきたい。これはある高等学校の事例ですよ。大隅半島の農業高校で、職員の中でこれは組合に入っておらぬところの非組合員の職員だけれども、その職員が暴力を振って三名の同僚を傷つけたんです。それで告訴された。それで警察から罰金刑を食らった。ところが、何とそういう暴力教員を県の処分は訓告で終わらせているんですよ、訓告というのは注意ですよね、これ。ところが、今度はこれは鹿児島県の大きな地方都市の有名高校の普通高校で起きた事件です。その校長さんはわりに長話が好きだそうですよ、演説が。始業式の日に生徒を集めて大分一時間ぐらい訓話をされたらしいんです。それでばたばた倒れるところの子供が出た。それが終わってから先生が、校長先生ちょっと話が長過ぎるですよ、要領よくやってくださいと、こう言ったら、何を言うかと、こういうことで、これは戒告なんですよ。これはしかも組合員だったそうですね、高等学校の。それを事実として教職員はみんな見ておるだけに、一体暴力を振った者で非組合員の者は訓告、校長さん短くやってくださいと言った者には戒告ですよ。
 こういう人事というものがあるからこそ、先ほどたくさん指摘をされたところの不祥事件が起きてきておるんですよ。こういうやはり物のあり方ということは、私は許されてならないことだと思うんです。それが先ほど申し上げたところの行政をあずかる者の基本的な行政に対するところの姿勢がどうかという、ここを問われておるんじゃないでしょうか。確かにそれは私は文部省から行ったところの教育長だから、すべて悪いとは申し上げない、そこにおられるところの局長みたいに実績を上げられたところの局長もおるんですから。しかしながら、えてして若いキャリア組は実績を上げようというところだけが焦っちゃって教育の実際を知らぬから、抑えつけさえすればこれがものになるんだという物の考え方をされておる、ここに私は問題があるのではないだろうかと思うんです。ですから、職員団体に対するところの物の考え方もこれは敵視政策一本やりですよ。なるほど行政と組合との関係ですから、けんかする者ははでにけんかする場合があるんですよ、それぞれの立場の違いがありますから。しかし、ことごとに敵視をしてつぶしさえすればいいという考えでは、過去三十年間与党の皆さんがやってきたんでしょう、けれども厳然としてやっぱり教員組合というものが存在するんだから、それを幾らつぶそうと、敵視しようったってつぶれないんです。むしろやはり協調するものは協調し、批判するものは批判していくという、こういう中からこそ私は教育は発展をすると思うんですよ。けれども、これは敵視政策一本やり。
 実は、私の手元に教育委員会の職務命令交渉拒否に対する県教委のマル秘指導文書の写しがある。これは本物じゃないけれど写しがあります。この問題は前の山中教育長のときにも若干問題になったんですけれども、率直に申し上げてそれにまたさらに輪をかけておるんですよ。たとえば「職務命令等について」と書いてある。これは何かというと、その職員から「交渉(話し合い)」を求められた場合にはどうすればいいか、そのやり方として、一つは交渉の打ち切りをすぐやりなさい、余り執擁に来るときには、地教委から校長に呼び出しをかけて、校長は地教委に行きなさい。あるいは、朝会、職員会が宣言したにもかかわらず引き続き延ばそうとするときには、業務につくように命令をし、職務命令だと、こう一方的に押しつけなさいというようなくだりが親切丁寧にずっと書いてあるんです。これ。この賃金カットのやり方、何時何分から何時何分まで、〇時間〇分あるいは学校、庁舎からの退去命令をやるところのやり方の場合、駐在所を呼ぶときの場合、皆ずっと書いてある。あるいはまた校長不在で教頭がおる場合に、そういう事態が起きたときにはどうするかという問題、さらに今度は「交渉(話し合い)」と書いてある。話し合いの受け方の問題、その話し合いというのは授業の支障のないようにやりなさい、しかし、時間外は延びない、これは常識的なんですね。しかし、時間外に少し延びるようなことがあったら、すぐにもう交渉を打ち切って、十分したら職務命令を出しなさい、職務を放棄したら、すぐ職務命令を出したならば、教育長に事実を報告をしなさい、こういうふうに微に入り細に入って書いておるんです。だから、これをもとにして校長さんみんなやるんです。
 だから、先ほど久保委員からはある校長の告白というような話がありましたけれども、こういうような形でとにかく教員組合いろんな話を持ってきたらこうやれ、こうやれと抑えつけて、敵視をするということこそが、これは教育行政をあずかる管理者の仕事だという、こういうものの考え方から、私は果たして先ほど紹介いたしましたところの県の教育委員長が、県会で答弁をされた愛情のある、相互信頼のあるという、こういう教育条件が生まれてくるんだろうかどうだろうかということに疑問を持つんです。事実と違うからこそ、先ほど久保氏からも話ありましたところの薩摩郡の宮之城という中学校のある事例として、勤務を生徒に調査をさせるという事態が出てくる。私は悪いのはすべて教育長であり、教育委員会だとは言いません。それは人間の集団ですから教員組合にも間違いもあるし、行き過ぎもあるでしょう。しかし、そういうものを受けて立つところの行政の立場が是は是、非は非として寛容の態度をもって示して、信頼感を得るところの努力をしないことには私は教育行政というものはよくなっていかぬし、そういう努力をすることこそが私は教育行政をあずかる者の責任だと思うんですがね。それをはしの使い方から、動かし方から、はい、ここではしを置きなさい、はい、一口入れなさいということまで、手をとり、足をとって、校長にまで指示をし、そのとおりにするところのこのやり方の中から、本当の教育というものが生まれてくるんでしょうか、どうでしょうかね。私はやはりそういう問題に対するところの大臣の、この教育行政のあり方の問題と関連するところの所見を承りたいと思いますね、いかがなもんでしょうか。
○国務大臣(砂田重民君) いまのマル秘文書なんてものが早くなくなってもらいたいと、私はそう感じました。教職員団体に対しても、宮之原委員がお話しになりましたような是は是、非は非として、理解を深める努力を教育行政の場にあります者もいたさなければならない、さように私は強く信じております。
 また、教職員団体も本来的に持っております職員団体としての枠をはみ出すようなことのないような活動をしていただきたいものだ、かように私は考えるものでございます。
○宮之原貞光君 私は包括的にいろんな問題を申し上げたんですけれども、つづめて言えばそういうところに私はやっぱり集約されると思うんですよ。それだけに先ほど久保委員の質問に答えて、大臣としては文部省としても調査をする、こういう御答弁ですが、私はやっぱり調査だけでは不十分じゃないかと思うんです。調査というのはいままでの委員会の例から見まして、それは皆さんは皆さんの立場からやられるんですから、つい擁護的になりがちなものですよ、これ。ですから、私は調査をされるのは結構でございますけれども、私はこの際委員長にも提起をしておきたいと思いますが、やっぱりこれだけの問題は教育の根本にかかるところの問題ですから、ぜひとも教育長を含めた関係者を本委員会に参考人として呼んでいただいて、まさか皆さん方お聞きの方は、いやそんなにひどいことはないよ、事実は違うよとお思いの方もいらっしゃると思いますんで、そういう是非を明らかにして、みんなで公正な判断をするために、ぜひそのことをやっていただきたいと思うんです。
 そこで、即断はできないでしょうから、ぼくは、委員長の方で引き取っていただいて、理事会でこの問題について検討していただきたい。
○委員長(望月邦夫君) それは理事会で検討します。
○宮之原貞光君 このことを申し上げまして質問を終わります。
○委員長(望月邦夫君) 本調査に対する午前中の質疑はこの程度にとどめ、午後は一時三十分に再開することとし、休憩いたします。
   午後零時一分休憩
     ―――――・―――――
   午後一時三十三分開会
○委員長(望月邦夫君) ただいまから文教委員会を再開いたします。
 休憩前に引き続き、教育、文化及び学術に関する調査を議題とし質疑を行います。
 質疑のある方は順次御発言を願います。
○粕谷照美君 私は、最初に教職員の定数の問題について質問をいたします。
 これは、わが日本社会党としましては、勝又委員が専門家でありまして、五月、八月に質問をしておりますので、内容については文教委員会の中でも十分理解ができていると考えます。
 来年度の定数法改正についてに焦点をしぼって質問をいたします。
 まず最初に、わが国がGNP世界第二位である、経済大国である、こう称しまして、国民もそう思っておりますし、福田総理なんかも国会の中でしばしばそう先進国を誇っておられるわけです。そして、また教育の面では、ついていけない子供たち、あるいは学校ぎらい、自殺、非行の増加、受験地獄などのこの問題を抱えつつも、やっぱりわが日本国の教育は先進国であると評価をされていると、こう思います。それで、評価をされておりますけれども、砂田文部大臣といたしましては、国際的に比較をいたしまして、本当に日本が先進国であるというふうに考えていらっしゃるか、断判をされるとしたならば、一体どこがこういう事情だからそういうふうに判断をするとこうおっしゃるのか、その基準などについてもお考えをお聞かせいただきたい。
○国務大臣(砂田重民君) 教育の水準について、世界の中で日本がどういう位置づけをしているかと、それは量的な面なり、教育の内容の面なり、いろんな見方があろうかと思いますが、私としては、基本的に感じておりますことは、日本の教育が世界にぬきんでているというような思い上がりは少なくとも持ちたくないという気持ちがいたします。
 ただ、量的普及という面で見ますと、やはり戦後の機会均等を目指してスタートをした日本の教育の制度というものは、外国諸国と比べてみても成功してきている、そういう感じがいたすわけでございます。
 量的普及ということについての各国との比較等数字は、事務局からもまたお答えをさせますけれども、量的普及という面では、もう完全に世界の水準以上のところにある、こう申していいと思います。
 教育の内容のことでございますけれども、これもやはり一般的に申しまして、日本の教育の程度というものは非常に高いところにある、かような見方をするわけでございます。しかし、一方振り返って考えてみますと、最近言われているような落ちこぼれの問題であるとか、あるいは非行の問題であるとか、一部の児童、生徒たちにそういう子供たちがいるということも現実問題事実でございます。こういうものを克服をする努力を当然していかなければなりません。そしてまた各様の教育条件の整備についても、今後さらに努力を積み重ねていかなければならないことが、たくさんあるという気持ちが非常に強く私にはいたすものでございますから、日本の教育全体をとって、世界の非常に高い水準のところにあるけれども、どこの国に比べても日本が一番だというような思い上がった気持ちは、持つべきではないという気持ちが私の基本的な考えでございます。
○粕谷照美君 私もこの夏ヨーロッパへ行くに際しまして、文部省の教育指標の国際比較というものを事前の学習資料としていただきました。非常にいい統計だと、こう思っているわけで、この統計を見る限りにおいては、なかなかわが国の教育水準も高いところに条件はあるなと、こうは思っておりますけれども、ただ気になりますのは学級編制基準の面なんです。初中局長にお伺いしますけれども、国際比較で見ますとこの水準はどの辺にありますでしょうか。他の国はどんなものになっておりますでしょうか。
○政府委員(諸澤正道君) 先生御言及いただきましたその国際比較にもあったかと思うのですけれども、学級編制の実態も、基準について申し上げますと、アメリカの場合などは、州や地方学区ごとに決められておりますので、必ずしも合衆国全体が一律ではございませんけれども、たとえばオハイオ州では初等学校三十人、中等学校二十七人というふうに聞いております。イギリスでは、従前は学級編制基準を国が定めておったわけでございますが、一九六九年以降は、それが基準としてはなくなっておりますが、従前の定めによりますと、初等学校四十人、中等学校三十人以下というようであります。フランスでは、学年ごとに上級段階とか下級段階でまた違うようですが、おおむね二十五人から五十人の範囲と、それから西ドイツでは、これはまた州ごとに大分定めが違いますが、たとえばノルトライン・ウェストファーレン州では、各学校、学年の段階によって四十人から二十五人というふうになっておりまして、基準を見ますと、確かにわが国の小・中学校一学級の最高四十五人という基準よりは下回っておるわけでございます。
○粕谷照美君 大臣にお伺いいたしますけれども、いま初中局長がおっしゃったように、どこでも四十人を上回っているというところがないんですね。一つのクラスの生徒が四十人以下である。特に四十というのは数が少ないのでして、大体三十五とか三十とか、いま局長のおっしゃったアメリカの例もありますけれども、逆にカリフォルニア州バークレー学区などに至りましては、一年生から三年生までは二十五、四年から六年までは二十九、七−八学年は二十三、九−十二は二十四以下として、ぐっと低い数字で抑えているわけですが、四十五名と四十人というこの五人、一クラスに入る生徒の数が五人違うということは大したことでないとお考えでしょうか。これはやっぱり一人一人の子供たちの能力を生かす意味では、非常に大きな数であるというふうにお考えでしょうか、いかがでしょう。
○国務大臣(砂田重民君) 四十五人と四十人というその五人の差というものは大きい意義を持っていると思います。
○粕谷照美君 大きい意義を持っていらっしゃるということはよくおわかりなので大変うれしく思うんですが、では一体どのような大きな意義を持っていらっしゃると判断されますか。
○国務大臣(砂田重民君) 学校現場の教員にとって、そのことは一人一人の子供たちの能力を発見するのにも、四十五人よりは四十人の方がやりやすいことでもございましょうし、生徒一人一人の学校での、学校生活の場での生徒行動をよく理解をしていく上にも、それは四十五人と比べれば四十人の方が一人一人の子供たちの学校生活事情というものがよくわかりやすい。四十五人と四十人を比べれば、その五人の差は確かにあると思います。
○粕谷照美君 初中局長にお伺いしますけれども、先回の小・中学校の、そして今回は高等学校の指導要領が改定されましたね。一体その改定をされたという――いつまでも同じ指導要領でいいというふうに私ども思っておりませんけれども、改定されたその一番大きな原因になったものというのはどこにあったんでしょうか。
○政府委員(諸澤正道君) これはいろいろあると思いますけれども、小・中学校、あるいは高等学校の低学年で言えば、やはりできるだけ教育内容を精選して基礎、基本をしっかり身につけさせるというようなことがございます。また、高等学校になりますと、子供の能力思考が多様化しますから、それに応じて教育内容を多様化できるような、そういう学校教育の展開ができるような教育課程にしたいという面もございます。また教育活動の方法、あり方としては、いまのような考えを受けて、できるだけそれぞれの子供の発達段階なり、能力なりに応じて、適切な指導ができるような教育を展開してもらいたい、こういうようなことを考えております。
○粕谷照美君 そういたしますと、問題はこういうことですね、どちらかといえば、いままでは詰め込み型というんですか、教えることがたくさんあったと、したがって、ゆとりを持たせるような教育にして、教材を精選して、子供たちにもっとゆったりとしたというんですか、幅の広いいろいろなことを考えられるような教育をやっていくために、このように変えていったというふうに理解をしていいのではないかと思いますけれども。さて、ここのところで学習内容の精選は終わった、あとは先生の努力だけですよと、こういうようにお考えでしょうか、いかがでしょう。
○政府委員(諸澤正道君) 学習指導要領の改定に伴って、教育課程審議会にいただきました答申におきましても、関連する事項として、たとえば教科書の問題であるとか、施設、設備の問題であるとか、そういうものと並べて、やはり今後も一層教員の資質の向上なり、陣容の整備というものを考えなさいということを言っておられるわけでありますから、そういう施策も総合して考えていくという努力は必要でございます。
○粕谷照美君 私はそれだけでは足りないのではないかと思います。当然教師の努力というものは非常に大事ですし、教師の質が高くなるということも大事なことでありますけれども、ここまで問題が深刻になっていますと、いま一番急がなければならないのは、四十五名の一学級当たりの生徒の数を減らしていくという努力が、非常に重要になっていくんではないんだろうか。落ちこぼれを本当になくしていくんだという、そういう断固たる決意が文部省として私はとらなければならない最大の課題ではないだろうかと、こう思っているわけなんですけれども、この一クラス四十五名の定員を減らしてくださいという形で、自治体だとか、あるいは教育団体などから、文部省に対していろいろな要請なり、要望なり、あるいは交渉なり、ありませんでしょうか、どうでしょう。
○政府委員(諸澤正道君) たとえば学校側、校長さんの団体などは、小、中、高を通じてやはり学級編制の基準をもっと引き下げてくれというような要望もございますし、日教連とか日教組とかいう教員団体からもそういう御要望はございます。ただ、これは率直に申しまして、それじゃ都道府県の教育長会議などどうかというと、これはそういう要望はないんです。ないというのは、やっぱり非常に恐らく教育長もそういうことを強く要望はしておられると思うんですけれども、県の財政の問題その他非常にこれは大きな課題でございますから、そういうことも考え合わせてのことかと思いますけれども、端的に申しまして。したがって、いまのような御要望は、現場からは校長さんも、教員の側からも出ておるというふうにお考えいただきたいと思います。
○粕谷照美君 教育長からないと、こう言いましても、県議会あたりの決議だとか、あるいは市町村段階の議会における決議だとか出ておりませんですか。もし、まだ出ていないとすれば、私は決議が終わったという報告を受けていますので、これから出されてくるんだろうと思います。そういう意味では、教育団体においても大体コンセンサスが整ってきた、それから議会においてもそのような決議があるということになれば、国民的要望というものも非常に広がっている。だから、それにこたえる責任が文部省にはあるし、特にその加点に立たれる大臣のお仕事としては、私は非常に重要なものではないだろうかと、こう考えるわけです。特に総裁選挙がありますね。そうしますと、一般的に、何というんですか、内閣改造なんというのがあるように新聞なんかには出ております。私はまたぜひ、りっぱな文部大臣でありますから、砂田文部大臣が誕生すればいいなと個人的には思っておりますけれども、その辺についてもないわけですから、砂田文部大臣の私は最後のりっぱなお仕事として、これをやっていただきたいという気持ちがいっぱいなんですけれども。
 それで、時間の関係で省いて質問をいたします。
 さて、文部省が今回出しました五十四年度の概算要求の作成に当たって、定員が一万七千五十人増加になると、こう報道をされております。これの内容は一体どのような形になっているのですかしら。
○政府委員(諸澤正道君) これはいつかも文教委員会で概略はお話し申し上げたと思うんですけれども、一万七千五十人のうち一万三千百九名は、児童、生徒の増に伴う教員増、言ってみれば自然増とでも言いますか、そういう増でございます。それから精神薄弱児を主たる対象とする特殊学級を年次計画をもって増設してまいっておりますが、その特殊学級の新・増設に伴う増というのが千七百八十五人でございます。それから、四十九年に教頭が法制化されたことに伴いまして、教頭代替定数の増というのが千二百七十人でございます。それから、教員の長期、短期にわたる研修の際の代替定数の増が千人、以上が増でございまして、それと引きかえに海外日本人学校への派遣教員の定数は、この定数からは切り離して、別途全額国庫負担の要求が学術局の方から出ておりますので、その減が百十四名。合計いたしますと一万七千五十人と、こういうことになります。
○粕谷照美君 その内容については、この間説明をいただいたことは事実でありますけれども、七月七日の、これは朝日新聞ですが、別にこれは朝日だけではなくても、他の毎日だとか読売なんかにも出ていますけれども、小・中学校の学級編成について、四十五人を四十人にしたい、来年度にも実施へと、こう文部省は検討しているという見出しがあるわけですね。これは新聞報道ですから、文部省が、いや、うちはそういうふうに言ったわけではないと、こう言われるかもしれませんけれども、最初の検討のときから、いまお話しになったような自然増だけしか考えない。自然増というのは、これはどんなに努力をしなくてもしても法律にあるわけですから、それだけふえなければ、つまり一万三千百九人ふえなければ、これ法律違反ということになるわけですから、黙っていてもふえる数ですね。そうすると、あとは努力的なものと考えるのは、長短の研修のものだとか、その程度しか特に努力的に入ったなと思うものは私どもとしては見ることができないわけですけれども、最初の検討のときにはそういうことを考えられたのですか。どうでしょう。
○政府委員(諸澤正道君) ことしの五月一日現在で、これも御報告してあると思いますけれども、全国の小・中・高等学校全部について、その教員及び学校の教室の配置等の実態調査をいたしましたけれども、その趣旨は、その調査の結果を待って、次の年次計画を立てたいということでございますから、それ以降において、調査の結果がまだわからない段階で、来年から四十人にしようというふうなことは、計画したことはないわけでございます。
○粕谷照美君 そうしますと、この新聞報道は文部省の意を正しく書いていなかったということになると思いますが、この新聞を見まして、全国のお母さんだとか、先生方、非常に喜んだわけですよね。来年からまた少しは自分たちの負担が少なくなるのか、特に過密学級を抱えている先生方は喜ばれているわけですけれども、そういうにべもない返事でありますと、がっかりする度合いというのも非常に大きくなるわけですが、どうでしょう、文部省が概算要求をいままで出してきた、そして今度本予算が出てくる。概算要求よりも本予算の方が上回ったという例はありますでしょうか、どうでしょう。
○政府委員(諸澤正道君) おっしゃる趣旨は、九月の初めにまとめた概算要求を、予算査定の時期までにさらに上乗せして要求をふくらませたことがあるかと、こういう御趣旨でございましょうか。――そういう御趣旨でございますと、私の知っている限りではございませんです。
○粕谷照美君 昨年、危険校舎だとか、何か非常に学校の設備、施設、こういうようなものに対して、文部省があわてて予算なども増加をしていったというようなことはないですか。
○政府委員(三角哲生君) 昨年度の場合といたしましては、公立文教施設関係の予算におきまして、二度補正予算における追加計上の措置がとられております。
○粕谷照美君 それじゃ、追加計上が二度も行われたというのは、一体理由は何ですか。
○政府委員(三角哲生君) やはり、当時の経済の状況にかんがみまして、全般的に本来の公共事業につきまして、それの追加実行の促進等を図ったわけでございますが、それの措置に関連いたしまして、文教関係の施設につきましても、それに準じた措置がとられたということであると思います。
○粕谷照美君 経済の状況というのをもう少し詳しくおっしゃってください。
○政府委員(三角哲生君) 端的に申しますれば、景気を刺激し、回復するというところが目的であったというふうに理解しております。
○粕谷照美君 景気を回復するために学校のそのような施設だとか、いろいろな設備などについて、予算が上乗せをされたということでありますが、今回の文部大臣、大きな政治的な課題というのは一体何でしょう。経済が七%に回復させるということも一つの課題であるかもしれませんけれども、雇用問題を拡大をしていくというのは大きな政治的な課題ではないんだろうか、こう思いますけれども、いかがでしょうか。
○国務大臣(砂田重民君) 今回の補正予算、そして経済についての総合計画、おっしゃるように、雇用増進が非常に大きな一つの柱になっておるわけでございます。
○粕谷照美君 そうしますと、その大きな柱になっている部分を、文部省としては一体どのように取り入れて、予算の計画の中に積み込まれたでしょうか。そこのところを伺いたいと思います。
○国務大臣(砂田重民君) この問題については労働大臣とも私は懇談をしたところでございます。教育の世界の中での雇用を考えます場合に、それはやはり公的雇用が当面ほとんどのものになるわけでございます。したがって、そのことは、今回の補正予算の中にも組まれ、また補正予算も、その一部をなしております総合経済政策の中で、民間の雇用の増大のことについて、特段の取り組みをしているわけでございますことは、不況地域対策等が物語っているわけであります。
 教育の中での雇用、私は雇用を促進することを目的にして、教育の場での教育に携わる人をふやそうとは考えません。やはり将来の見通しに立っての一つの教育条件の整備、教育の充実振興のために、先生をどう確保していくか、それが結果的には国全体の雇用増進につながっていくことではありますけれども、やはり目的としては教育の拡充充実、そのことを目的にして考えなければならない。
 もう一つは、先ほども申し上げましたけれども、公的雇用の増につながることでございますから、やはりいろんな角度からの検討を慎重にした上で、これは取り組まなければならない問題であって、少なくとも補正予算になじむ問題ではない、そういうふうに考えたわけでございます。
○粕谷照美君 いま補正予算に入れてくださいということを私は言っているわけではありませんが、やっぱり雇用を拡大していくということも、非常に重要な政治的課題であるとすれば、私は文部大臣のおっしゃるように、本当に雇用を拡大することが目的で、先生の数をふやしてください、あるいは一クラスの生徒の数を減らしてください、障害の子供一人入れた場合には、だれかもう一人ふやしてくださいということを言っているわけではありません。本当に教育を充実をさせていくために先生をふやしていく、人をふやしていく、職員をふやしていく、そのことによってやっぱり雇用が拡大されていくんだろうという政策を、なぜ文部省が大きく概算要求の中に入れなかったのだろうかという疑問が一つあります。そういう意味で、これから十分な御討議を文部省内でもお願いをしたいというのが第一点。
 二番目にお伺いをするのは、国会における附帯決議というものの意味を、重さをどのように考えていらっしゃるかということですね。特に第四次五カ年計画成立に当たって、衆、参両院において附帯決議があります。特にその中の十一項目目――十一項目目というのは、衆議院の附帯決議の方ですけれども、これはどういうことが書いてあるかといいますと、「以上、各項目の措置を早急に実現するため、これまでのように標準法を五年計画に即して五年ごとに改正する慣行を改め、本法案に基づく五年計画実施中に以上の各項目の措置実現のための法律改正を行うこと。」、法律改正をやりなさいということをこの附帯決議で言っているわけですが、四十九年にこれができて以来、いままでの間どのような努力をされてきましたでしょうか。
○政府委員(諸澤正道君) おっしゃるとおり、これは両院のそれぞれ文教委員会の決議でございますから、われわれ政府当局の事務職員としては、できるだけその御趣旨が実現されるよう努力すべきものと考えております。ただこの定数の問題、私率直に申し上げますけれども、四十九年の標準法が改正になったときと、それからあと例の石油ショックがあって、われわれは去年、ことしあたりの予算要求じゃもう本当に四苦八苦しまして、ことしは一万七千六百名の、粕谷先生は簡単にそれは当然取れるような定員だとこうおっしゃるのですが、その当然取れるやつを計上してもらうために本当に汗をかいたわけでございまして、決して努力をしなかったわけではないのですけれども、そういう社会情勢、経済情勢の変化というのも一つあったことは事実でございますので、御了解いただきたいと思います。
○粕谷照美君 私も、そういう強い言葉で申し上げましたけれども、ほかの公務員の定数は減らしなさいというときに、一万七千人もふやしてくれるのが当然だという折衝をされるのは、非常に文部省としても大変だということはよくわかっているんですよね。でも、わかっておりますけれどもやっぱり私は言わなければならない、こういうふうに考えているから、先ほどから申し上げているわけです。石油ショックで非常に大変だったというのはわかるのですけれども、それでもいまの局長のお答えでは、この附帯決議をどのように努力したかということについては、やっぱりお答えないように思いました。
○政府委員(諸澤正道君) そこで、五十四年度から、本来ならば次の五カ年の計画を立てて、次の改善計画を進行していかなければならなかったわけでございますが、実は五十三年度の予算を要求するその前の段階で、おっしゃるように、この決議もあることであるしというので、いろいろ検討をしたわけでありますが、その段階におけるわれわれの率直な結論としては、やはりいまおっしゃった四十五人、あるいはそれに近い学級の実態というものが、四十一人以上の学級というものが小学校の場合全学級のたしか二五%、中学校の場合は五〇%ぐらいあったと思うのですが、そのほとんどが東京、大阪、愛知という、あの周辺の九県か十県ぐらいに集中してしまっておるというので、関係県の教育長、教職員課長などにいろいろ意見を聞きましても、とてもそれはそういう案をいま出されても、なかなか施設、設備の問題等にも関連して、むずかしいというような強い御意見がありまして、そこで、それじゃ一遍調査をしてみようということが、そのあらわれで、ことしの五月に調査になったということで、結果的に見ますと、もっと早く調査をやればよかったではないかという御指摘はまことにごもっともなんですけれども、われわれとしては、ぜひ前向きでやりたいということできておった。しかし実際の計画の取り組みになった段階で、これはちょっと慎重な態度で臨まざるを得ない、こういうことできておるわけでございます。
○粕谷照美君 調査を待ってとおっしゃいますけれども、調査を待たなくっても、この附帯決議に書いてあるようなことについて、やれることは幾つもあったと思うのですね。たとえば三項目の「養護教諭及び事務職員の全校配置と二人以上配置のための学校教育法の改正を図るとともに現行法の下においても単校数の四分の三という機械的な数字にかえて、例えば、きわめて小規模な学校だけを例外とするような措置に改めること。」、もう実に私から見ればこの附帯決議というのは非常に不満な要項でありますけれども、これなかなかいいこと言っているのですよね。文部省に選択のゆとりを持たせている。それも一つも入れられなかったというのは一体どういう考え方なのか。これは文部省に本当に誠意がないと言わざるを得ないと私は思いますけれども、まず皆さんの御意向を聞いて、人数を減らしましょうというのじゃなくて、人数をまず減らしていくことが非常に大事なんだと、そして、たとえば来年は四十四名にしましょうとか、あるいは、こういうようなところに限ってはこういうふうにしましょうとかというふうに、まず最初に法律を決めて、そしてその法律の中でゆとりを持たせる。たとえば、養護教員は全校配置しなければいけないとこう言っておきながら、しないでもいいというような百三条があるわけですね。そういうようなことだって考えられはしないかと私は思うのですけれども、いま御返事をいただきますと、余りいい返事が返ってこないと困りますが、検討する余地がありますでしょうか、どうでしょう。
○政府委員(諸澤正道君) 一つ一つをとって、たとえばいまの養護、事務職員の問題をまず別に一歩先にやったらどうかというような御提案のようにも聞きましたけれども、やはりここにあります課題は、いずれも標準法の改正という法律上の内容になるべきことでございますから、どうしても全体を一つの法律の中で考えていきたいということはあるわけでございます。ところで、その法律の考え方、枠を決めておいて、実施は情勢を見ながら逐次ということは、しかし実際問題として、法律を決める段階で後年度にわたって、毎年相当多額の財政負担を現実にもう約束することになりますから、この法律を決めるということ自体が非常に政府部内としても時間のかかる作業でございまして、しかもそれはやはりある程度しっかりした基礎資料がないと、関係者の間の合意を取りつけるということは、これは事実上不可能でございます。そういうことがございますので、また話がもとへ戻って恐縮なんですけれども、現段階においてはやはり調査を見て、その調査をもとにして計画を立てるという基本的立場を変えるわけにはいかない、こういうことなんでございます。
○粕谷照美君 調査をされることは結構なんですよ。ぜひその調査をやっていただきたいし、正確なデータなんかも出していただきたいと思います。
 文部大臣、ところでどうでしょう、もう調査が出ましても来年についてはこの数を一歩も出ない、鼻血も出ないと、このようにお考えになって、淡々と今国会を終わられる予定でありますか。それとも、あらゆるところに文部大臣としては精力的に働きかけて、少しでも前進するような形で努力をしたい、こうお考えでしょうか。
 以上お伺いしまして定数の問題の質問は終わりたいと思います。
○国務大臣(砂田重民君) 衆、参両院の附帯決議は、私ども非常に重要な問題をそれぞれお書きいただいている、また十分私ども検討いたしまして、これの実現の努力をしなければならないことだと、非常に強く感じております。定数のことにつきましては、第四次五カ年計画がことしで終了をいたしました。私は次の長期計画というものは非常に重要な意義を持っていると思うのです。四十五人学級編制という基準を持っておりますけれども、全国平均で申しますと小学校が三十三名、中学校が三十七名ということは、三十名を割っている、四十名を割っている、そういう学校も全国各地には非常にたくさんある。そういう過疎、過密の社会増、社会減現象が非常に大きく出てきている。そういうことを今回の悉皆調査でしっかりつかまえて、その悉皆調査に基づいて得たしっかりした資料に基づいて、文部省が将来の教育内容充実を目指しての改善ということで、関係機関の説得にまず当たらなければならないということが一つございます。戦後第二次のベビーブームを迎えるわけであります。来年から始まって四十万、三十万、三十万、三十万という児童、生徒増を迎える。そしてその次には十万、二十万という生徒、児童減の時代を迎えてしまう。こういうことを考えてまいりますと、今後の長期計画というものの期限をどういう期限でとっていけばいいかということも私は大切なことだと思うんです。四十五人よりも四十人の方が、それは教育内容充実のためには私は望ましいと率直に申し上げておきたい。それを実現させるのが、いつの時期から図れるのか、どういう手法でやっていけるのかということも含めて、教員の何年か先のベビーブームを小・中学校が迎えるその後の、児童の自然減にも対応できる体制を、次の五カ年計画ではやはり考えていくべきだと思うんです。非常に大切な長期計画でありますだけに、この悉皆調査の上に立った、しっかりした姿勢を持って取り組みたいということを、初中局長もお答えをいたしましたけれども、私も同じ考えを持つものでございます。そういったようなことを、幸いにいたしまして衆議院の文教委員会には定数小委員会を恐らく引き続いて置いていただけるものとも考えますので、衆議院の文教委員会の定数小委員会とも御相談をしながら取り組んでまいりたい、かように考えるものでございます。
○粕谷照美君 そうしますと、衆議院の定数小委員会における結論というものは非常に大きな意味を持ってくると、こう理解をしてよろしいわけですね。
○国務大臣(砂田重民君) 院の機関でございますから、私どもは大変重い存在と考えております。
○粕谷照美君 私どもも衆議院の定数小委員会に入っていらっしゃる委員を通じまして、私たちもぜひ来年度の定数については前進をするという方向での議論をしていただくようにお願いをいたしまして、その結論が出た段階におきましては、あるいは出なくても、その方向というものが明らかになりました段階においては、文部省としても大臣を先頭に、もう全員一致して、総理大臣、大蔵大臣、自治大臣、あるいは労働省など、関係省庁と体当たりをして、いい方向を出していただくように努力をお願いをしたいと思います。
 時間がありませんので次の問題に移ります。
 実はおととい勝又委員が質問をされた松本歯科大と福岡歯科大の問題に関連をして、私学に対する文部省の姿勢をちょっとお伺いいたします。
 きのう資料を要求いたしまして、福岡歯科大学に対する指導事項はどのようなことであったかというものを拝見したわけですが、大変、八つの項目だけでして簡単過ぎるんですね。私どもにしてみますと、もっと詳しいものをいただきたかったわけです。簡単過ぎるわけですが、特にその第一項「理事体例の刷新等」と、こうなっているんですけれども、刷新ということはどういうことなんですか。これは辞任じゃなくて刷新なんですね。
○政府委員(三角哲生君) 八項目について御報告申し上げたわけでございますが、この「理事体制の刷新等」という項目につきまして、私どもが考えておりますことといたしましては、現在の学校法人の責任者でありますところの理事の責任を明確にして、そして社会的に信頼を得ることのできるような理事体制を確立すること、その際、学識経験が豊かで、社会的信望があり、大学の再建に貢献できる指導力のある人を選任するとともに、教学側の職員を加えるよう配慮すること、また、学外者が事実上学校の経営に関与するようなことは、厳に排除することといったような、そういう意味合いで要請を行った次第でございます。
○粕谷照美君 その内容はよくわかりましたが、私の言いますのは、理事の中にきれいな人がいると、こういうふうに判断をして、あの人は残ってもいい、この人は残ってもいいというようなことになるのか、理事というものは全員責任があるんだから、全員退陣をするんだという考え方なのかどうなのかということです。簡単に答えてください、時間がないので。
○政府委員(三角哲生君) ただいまの御質問は、本質的には当該の責任者であります理来会が一番事柄がわかっておるわけでございますから、当該の理事会がしかるべき判断を下すべきであると思いますが、それからどの人がどの程度に責任が重く、どの人がどの程度に責任が重くないといったようなこともあろうかと思いますが、しかし、理事はやはりこのような重大な事態をもたらしたに
 つきましては、全員何らかの意味で責任があるというふうに考えざるを得ないのではないかというふうに思っております。
○粕谷照美君 設置基準法違反があるわけでしょう、法律違反が。理事に責任がないなんということを言わしておけないと私は考えるのですけれども、あなたはいま理事の刷新だけおっしゃったけれども、刷新じゃなくて、やっぱり全員やめるということが私は原則じゃないかと思いますが、監事についてはどうなんですか。
○政府委員(三角哲生君) このような状況をもたらしたにつきましては、監事につきましても、その機能を十分に果たしていなかった面があるであろうというふうに考えております。
○粕谷照美君 それではこの理事の中に監事と読みかえて入れてもよろしいのですか。たとえば「役員の職務」、こうありまして、第三十七条に「監事の職務」というのが入っていますね、「監事の職務」の中で、いろいろあるわけですけれども、その監事について全然触れていらっしゃらないということはおかしいんじゃないですか、どうでしょう。
○政府委員(三角哲生君) 私どもの指導の項目の中に、「内部監査機能の強化」というのがございまして、この内部監査機能として考えておりますものは、粕谷委員御指摘の監事並びに評議員会などの内部監査機構でございまして、私どもとしてはこれらの内部監査機構の責任も、これを明らかにして、これらの機能を十分発揮させることができるように改善をしてほしいということを求めておる次第でございます。
○粕谷照美君 時間がないので答えはもっと簡単におっしゃってください。
 理事だけではなくて、役員にやっぱり問題があるから、刷新をさせるんじゃなくて、本当に責任をとらせるという態度できちっと指導をしていただきたいと思います。大臣、その点はいかがですか。
○国務大臣(砂田重民君) 人事のことでありますから、理事会がお決めになることでありますけれども、責任の所在を明確にしてもらいたいということは、全員退陣をしていただくことも当然含めてのことで私は言っております。
○粕谷照美君 そのときに松本歯科大学みたいに、また何年かしたら、その人たちがもぐり込んでいたなんていうようなことのないように、今後は十分指導、助言、勧告などもしていただきたいと思います。
 さて、その松本歯科大に対する指導要項の中に、これも六項目挙げられていただきましたけれども、「入学定員の厳守」が挙げられていますけれども、これ本気で勧告されるんですか。私はそんな意地の悪い質問をしてまことに申しわけないと思うんですけれども、文部省からいただきましたこの歯科大の定員を見ますと、みんな定員オーバーなんですね、松本大学なんて九十一人もオーバーしているんです。全く文部省なめられ切っているのに、いまなおこの定員を守りなさいなんていうことを何で事新しく言うのですか。
○政府委員(佐野文一郎君) 御指摘のように全歯科大学を通じて定員超過の状況はございます。これについて逐年私どもは定員の厳守方を強く求めておりますし、五十年度以降の状況を見ましても、全体として定員超過の状況というのは、たとえば五十年度は全体で一・五倍であったものが、五十三年度は一・〇九倍にまで改善をされております。しかし、松本歯科大学の場合には、そもそも五十年から五十二年にわたる三カ年について、入学実員について文部省に虚偽報告をするという遺憾な事態がございましたし、五十三年度一・四九倍、従来は大体一・七五、一・七二、一・七六というような倍数であったものが、一・四九倍まで改善はされてきておりますけれども、これも全体から見るときわめて遺憾な状況でございます。これは私たちは断固として守ってもらう指導をいたします。すでに絶対に守るという念書も大学からとっておりますけれども、さらにこの点だけはほかの大学も守ってきているわけですから、やってもらいたいと思います。
○粕谷照美君 これは文部省からいただいた資料ですから、それを見ましても一〇%以上オーバーをしている大学は非常に多いわけですね。そんなのを野放しにしておいて、ここのところだけをやるわけにはいかないだろう。そして勝手にこんなに大勢歯科大学、医科大学定員を各大学ふやしておきながら、この間私の手元に日本歯科医師会ですか、そこからもうこれ以上歯大生をつくるななんて、つまり暗に考えていけば国立大学において歯学部をつくったり、歯科大学をつくったりするのはやめてくれと言わんばかりの文書が入ってきているわけですね。この辺のところもおかしいわけです。そんな多額なお金を裏から入れなければ入ることができないような大学だけふやしておいて、いわゆる国民の税金でもって、しかもそこのところに補助をしておきながら、そうでなくてやっぱり能力ある者がお医者さんになりたいと言ったときに、入れられるような条件を国立としてもやっぱり考えていかなければならない、こういうふうな発想をやっぱり文部省としてはきちんと持っていただきたいのですが、これについて詳細触れる時間がありませんので、それは意見だけにしておきます。
 ところで、この松本歯大に対する文部省の指導と、福岡歯大に対する文部省の指導、非常に何かランクがあるような気がしますね。福岡には実に厳然たる態度ですけれども、松本に対しては若干弱いのは、どこに違いが出てきているのですか。
○政府委員(三角哲生君) 福岡歯科大学につきましては、数次にわたる調査の結果、一応のまとめとしての措置の要請をしたわけでございますが、松本歯科大学につきましては、先日来新聞紙上、あるいは両院におきまして、いろいろな御指摘がございまして、これまでに数度事情聴取の際に、その際に並行して指導した事柄につきまして、粕谷委員の方に御報告してあるわけでございますが、なお私どものこれまでの調査で十分に理解が行き届きかねている面がございますし、その後も新しいいろいろな要素が指摘されておりますので、今後さらに機会をとらえまして学校側に対しまして調査をし、事実の確認につとめたいと思っておりまして、その上で、一応その段階での要請と申しますか、指導を改めていたしたいというふうに考えておる次第でございます。
○粕谷照美君 ではきちっとしたものがわかれば、厳然たる態度で臨まれるのだと、こう理解をいたします。
 私は両問題が表に出てから、あちらこちらに私たち自身もアンテナを張っているわけです。そのアンテナにひっかかってくる情報が、文部省の入学寄付金に関する通達はもうほご同然になっている、こういう感じがしてなりません。だから、歯大協の昨年度のあの申し合わせ、あれは全く単なるゼスチュアではないだろうか、こう考えざるを得ません。それはなぜかと言いますと、この松本歯大の裏口からお金を出した子供たち、あるいは父兄たち、こういう人たちからの情報をとってみますと、とにかく松本はあれでも安いのだ、一千五百万円。ここに名前を挙げてもいいんですが、確証握ってからいずれまた国会でやりたいと思いますけれども、たとえばG歯科大、O歯科大、これはもっと高いので松本にしたという父母の証言もあります。それからJ歯科大、これは三千万円だと、ことしですよ。去年のものは全然だめなんですね。ですから表に出てきたからいまこの二つの問題は、これは大変だ、しっかりしなくちゃと、こうお考えになるかもしれませんけれども、現実にはもっともっと大変なことが行われているのではないかという私どもは事実を掌握をしています。頭をかしげられて、来年はそういうことがなかったとおっしゃられるならいいんですけれども、調査は該当者にやったってだめなんですから、そこの学校に入学をしたその一年生の父母に対して、一軒一軒電話をするぐらいのきちんとした態度でもって今後やってもらいたいと思いますが、文部省が笑い者にならないためにも。そして、この国会における審議が全然何というのですか、無意味なものであったと言われないためにも、今後再通達を出して、もっと厳しく各大学に対しての指導を行う、それと同時に、歯科大学協会においてももっと話し合いを徹底して、規律を守ってもらいたい。教育勅語はそういうところにきちっと教えてもらいたいぐらいの私は気持ちを持ちますが、そういう中で九月の二日、「朝日」のこれ論壇だと思いますけれども、元文部省社会教育局長寺中作雄さんという方が、真善美というものを学校の目標に出している歯科大学を知っている、こうあるんですね。真善美をあれにしているところと言えば杏林大しかないわけですね。それで元文部省の方が、いろんなことを知っていらっしゃるわけですよ。やみのお金を政治献金に使っただとか、あるいはマンションを建てただとか、大変なことを知っていらっしゃる。そういうニュースがあったときに、なぜ徹底的にすぐ文部省に教えていただかなかったのか、私はこういうことでは非常に残念です。もしそんなことが耳に入っているとしたならば、文部省はなぜ即刻調査をしていただかなかったのか、言われて調査をしますなんということでは困ると思いますが、その点についてひとつお伺いをします。
 最後にお伺いをするのは、先回日本歯科大学の中原理事が四億八千七百万円の隠し金を持っていて、国税庁に摘発されたこの件について久保委員が質問をいたしました。いろいろ調査をしているとおっしゃいましたけれども、その調査が一体どうなったのかという結論も私どもはいただいておりません。それで、中原氏については、私大審議会の審議委員のメンバーになっていらっしゃるわけですね。私はこの私立大学審議会委員というのは、どのような権限を持ち、身分なのかということを法的に調べてみましたら、一般職の国家公務員、非常勤ということになっているわけですね。そうするとこの中原氏は国家公務員であって、このようなことをやられた。それがこのような重要な場所にいらっしゃるということになるわけですね。それに対して文部省としてはまあどうってことない、金はおさまったんだからそれでいいんだと、こういうふうにお考えですか。辞任を勧告をする、あるいは文部大臣がこれは免職をするという規定が第二十一条にありますね、そのくらいの覚悟をお持ちですか、お伺いをいたします。
○政府委員(三角哲生君) 私立大学、あるいは学校法人におきまして、好ましくない事柄がわかりました場合には、私どもは私どもの持っております方法、あらゆる方法を通じて、事実の確認に相努めたいと思っておる次第でございます。
 それで、ただいまの私立大学審議会についての御質問でございますが、日本歯科大学理事長中原氏は、御指摘のように私立大学審議会の委員でございます。で、先般当委員会で論議されました所得税関係の問題があるわけでございますが、この問題につきましては、私ども学校側から調査いたしました結果でございますが、昭和四十八年度から五十二年度までの五年間に、入学時寄付金の一部と見られます四億八千七百万円が、理事長のもとで簿外経理をされていたということでございます。これが理事長への給与と見なされまして、二億八千八百万円の源泉所得税が課されましたが、この当該税金を実質的に学校法人が負担をするということにいたしましたために、手取り額二億八千八百万円を生み出すために、新たに七億一千万円の給与が支払われたという形になりまして、これに伴う源泉所得税四億一千万円が追加され、加算税等も含めまして、総額約九億円の税を学校法人が負担することとなったということでございます。大学側の対応といたしましては、学校法人では四億八千七百万円は簿外経理をしていたものの、本来法人の資金であると申しますか、理事長個人が私の用に供するということで、別途経理をしていたというものではないと申しますか、そういうことでありますので、税処理が終わった段階で、この四億八千七百万円を法人会計に繰り入れております。それから九億の税を負担したことは、これは納税知識の欠如によるものであり、二億八千八百万円の税を学校法人が負担したことにつきましては、これは修正措置を税務当局において検討中であるというふうに大学から聞いておるわけでございます。そういうことでございまして、その後の税務処理の最終結果につきまして、まだ確認をする時期に至っておらないわけでございます。
 そこで、先ほども御質問の審議会の関係でございますが、現在、ただいま御説明申し上げましたように、事件の処理の実態がなお最終的に確認していない状況にかんがみまして、それからこの同理事長が私立学校法第二十条の規定に基づきまして、私学関係団体の推薦によりこの委員に任命されておりまして、当該関係団体からも特段の申し出もない事情等にかんがみまして、同理事長がみずから委員を辞任する場合はともかくといたしまして、現在の時点では私どもとしてはこれに対してどうこうという発言をお控えをしたいというふうに考えておる次第でございます。
○粕谷照美君 じゃ国家公務員はそういうことをしてもいいわけだ。中原さんのは答えてもらいましたけれども、裏金を、もう来年度入学資金絶対取らないと。いま受験生願書出すんですからね。再指導するか。
○政府委員(三角哲生君) 私どもといたしましては、昨年非常に社会的に重大な問題となり、かつ両院でも重大な事柄として取り上げられました結果として、昨年九月七日の通達を出しておる次第でございますので、明年度に向いましても、この通達を厳守していただくように、あらゆる機会をとらえて指導、助言をしてまいりたい、要請をしてまいりたいというふうに考えております。なお、すでに問題となっておりますような学校につきましては、そのほかに、個別にその当該のいろいろ指摘された事実に即しまして、あわせて別途の指導、要請、措置の要求等を重ねてまいりたいというふうに考えております。
○岩上二郎君 おととい大臣に御質問申し上げた際、宗教問題についてどうも大臣は及び腰であるというような御意見がございましたので、もう少し近づいて、もう一度篤と御理解いただきたいために座席を近寄せていただいたわけでございますが、確かに教育基本法の第九条によりますと、特定の宗教教育は禁止されている。この背景も十分承知いたしておりますが、しかし宗教を背景とする情操教育までも禁止されているはずはないと思うんですね。その点大臣はどうお考えになるか、一言お答えいただきたい。
○国務大臣(砂田重民君) おっしゃるとおりでございます。言葉を変えて言えば、宗教的情操教育、これは単校の場においても大切なことだと心得ております。
○岩上二郎君 特に文化と宗教というか、あるいは芸術と宗教、あるいはわれわれの日常生活と宗教とのかかわり合い、これも現実問題として常に宗教の持っている意義というものは深いものだと、このように考えるわけであります。特に人間が合理的な追求をしていけばいくほど、人間はきわめて弱いものであるために、ある一つの人間の思考の限界、それを超える場合に、非常に多くの疑問と悩みを生ずるわけでございまして、やはりそういうものに対して、敬虔にときには祈り、ときには自分を責める、そういうふうなものが非常に大事なものであろう、このように考えるわけであります。こういうひとつの自分に対する厳しさというか、そういうものが根底になくて、ただ単に道徳なり、倫理なり、あるいは道義的な責任というか、そんなものを導入してみたところで、どうも受ける側の心の中には響きがきわめて少ない。先ほど先生から何かとそれぞれの角度から問題を提起されても、なかなかその大学側の理事会としては反省の色があるようなないような、それかといって文部省がそれに対して厳しく指導しても、なかなか思うようにいかないということは一体どこに起因しているのかというと、やはりもっとわれわれの良心の内部に食い入るような、そういうものというものの訓練が足りない。そういうところに私は問題のかぎがありはしないであろうか、このように考えるのです。したがって、外側から社会的な不公正をきわめて厳しく責めていくことも大事なことでありますが、同時に、やはり内側から人間の持っている良心性、それがどう神に対して、あるいは仏に対して、あるいは天に対して反応するかという場合の、そういう一つのしつけというか、そういうふうなものがきわめて足りないところに、今日的ないろんな問題を起こしても結論がつかないまま、むしろ悪貨は良貨を駆逐するというか、そういう方向に流れていく社会世相をわれわれは非常に嘆くわけであります。そこで、やはり宗教的な情操というものをもっともっと培うために、学校教育の中でも十分に取り入れていただきたいと思うんですけれども、教育指導要領の中でもそういう中身の問題については余り書かれていないし、たまに徳とか、あるいは倫理というようなものがぽっぽっと飛び出す程度であって、何か底の奥深いところに、いわゆる倫理や徳のその背景にあるもの、あるいはその奥底に潜んでいるものにまで深く突っ込んでいく、そういう努力がもっともっと私は必要であると、このように考えるものですから、どうも大臣は及び腰であるというお話を伺ったので、いささか私も、これでは一体本当の教育というのは何だろうかということを疑問に思いましたので、その点を私なりの主張を申し上げて、十分に御理解をいただきたいということでございまして、どうかひとつこの問題について、さらに文部省としてせっかく五十五年、あるいは五十六年度実施されます教育課程の実践の面において、もっと深めて御指導をいただくようにお願いをいたしたいと、このように考えます。
 それから、教育基本法、さらに学校教育法をずっと一べついたしてみる限り、小学校、中学校、高校、これについては倫理関係とか、道徳関係というものが文書の上には余り出ていない。ところが、第五章の大学の欄で、五十二条、これには突然として、「大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする。」というふうに、道徳的という言葉がぽんと飛び出してきているわけです。従来日本の文章というのはまくら言葉がとてもきれいだが、しかし、その中身が伴わない、こういうふうな実態ではなかろうかと、このように思いますが、大学における道徳的能力を展開させることを目的とするという、道徳的能力をどのように展開するかということについての、大学のカリキュラムというのは一体どんなふうになっているのか、それをちょっと――これは大学局長ですか、お伺いしたいと思います。
○政府委員(佐野文一郎君) 御指摘のように、学校教育法五十二条で大学の目的を掲げ、そこに御指摘のような条文がございます。もともと大学における教育も、もちろん日本国憲法と、教育基本法の精神にのっとりまして、国家、社会の形成者として、心身ともに健全な人間性豊かな国民の育成を期して行われるものでございます。この学校教育法に定めております大学の目的の規定も、そういったことをより具体的に定めて、一般教育と専門教育を実施をいたしまして、それが究極的には総体として知識、能力の開発とともに、人格の陶冶を目指して行われるべきことをうたったものと考えております。こうした人格の陶冶は、もちろん単に授業科目としてだけではなくて、日ごろの教育研究の場における教官と学生との相互の教育活動を通じて達成されていくものだと考えます。
 ちなみに、大正七年の大学令におきましては、この点について、「大學ハ國家ニ須要ナル學術ノ理論及應用ヲ教授シ竝其ノ蘊奥ヲ攻究スルヲ以テ目的トシ兼テ人格ノ陶冶及國家思想ノ涵養ニ留意スヘキモノトス」と規定をされておりまして、人格の陶冶について大学の目的に「兼テ」としておりましたものを、戦後の新しい学校教育法におきましては、正面から取り上げて、そして新しい学校制度のもとにおける大学の任務というものを規定をし、そういった兼ね合いから、ことに大半における一般教育というようなものについて力を入れていく、そういうことであろうかと考えます。
○岩上二郎君 大学で、たとえば教養課程なんかにそういう道徳的なカリキュラムというようなものが入っているのかどうか、それをちょっとお伺いしておきたい。
○政府委員(佐野文一郎君) 正面から、何と申しますか道徳というものを一つのカリキュラムとして取り上げるというよりも、むしろいま御指摘の教養課程における一般教育の授業科目全体を通じ、あるいは先ほど申し上げましたように、日ごろの教官と学生との交流を通じ、あるいは合宿、研修によるゼミナールであるとか、あるいはスポーツ等の部活動の実施、そういったこと全体を通じて、大学に期待されている道徳的能力の展開ということにこたえているということであろうかと思います。
○岩上二郎君 一番人間として大事な内面的な問題の集積、これが大学の教育課程の中においてはきわめて空虚なものというか、具体的なものとしては、一般学校教育の中で全体としてとらえて、人格の完成を目指しているのだというふうにお答えがございましたが、こういうことだからこそ、やはり大学側、これは公・私立を問わずでありますけれども、いまの社会世相を反映して、多くの問題を生んでしまった病根があるのじゃなかろうか、こんな感じがしてならないわけであります。たとえば、先ほど御質問ありましたように、福岡、あるいはまた松本の歯科大学におけるいろいろな情実なり、闇入学なり、ちょっと考えられないようなものが表に出されて指弾されておりますけれども、しかし、それはひとり二つ三つの大学だけではなくて、大学全体と言っては言い過ぎるかもしれませんけれども、大学の中身、これが非常に非道徳的なというか、非倫理的なというか、そういうふうな大学の内容になってしまったところに問題があると、このように思われてならないのです。まして、公立大学においてもゲバ学生がどんどん入り込んで、お互いに学園というキャンパスの中で血みどろな闘いをし、あるいは東大のように精神病棟の閉鎖とか、あるいは東大の文学部の放火事件に絡む学生の占拠事件、こういうようなものが後を絶たないで、どんどんと出ているような現実を考えてみるときに、どうしてもやはり一番基本的な人間のモラルとでもいうか、あるいはもっと自分を厳しく責めるもの、そういうようなものの教えが足りないために、あるいはその自覚が足りないために、いろいろな問題を起こしても、なおかつなかなかきっぱりとした結論が出てこない。これは幾ら文部省を責めても、大学側の反省がない限りはなかなか問題の解決にはならない。外国というか、西欧諸国のようにキリスト教という、これは宗教革命後、キリスト教が市民社会の中にぐっと定着して、その上に立って道徳というものが培われてきているという社会と違いまして、日本の場合には神道あり、仏教あり、キリスト教あり、いろいろな宗派が混在している、そういうような中でございますが、しかし、それでもなおかつ神仏とか、天とか、禅とか、
  〔委員長退席、理事世耕政隆君着席〕
そういうふうに自分を超える力というものがあるという存在を認めながら、自分と対比する強い力というものに、宗教的な情操というものが培われてくる原動力があったわけであります。現在でもあるわけです。そんなことを考えてみると、もう少し宗教的な情操の陶冶ということのために、せっかくこういう五十二条ができているんですから、これは教養課程の中でも十分に指導を願う体制が大学側にあってしかるべきではないだろうか、このように考えます。一面むちを持ち、一面愛を持つというか、慈悲を持つというか、それは財政的に私学をもっと救済しなきゃならない。救済の足りないところに不正というものが生まれている現実もないわけではない。しかし、だからといって、不正をしていいはずのものではないわけです。そんなことを考え、ひとつ大学人、とにかく小、中、高、大学、これが学問の最高のところまで子弟を教育する、そういうふうな段階ごとにできたこの学制制度の中に、どうしても一本足りないもの、それは自分を責めるもの、そのものが教育の分野の中において足りないところに、今日の教育の混迷というか、非常に新聞その他指弾されているような現実があることを考えて、この際、宗教情操教育を通し、この道徳、倫理、そういうふうなものにもう少し文部省は力を入れるべきではないかと、このように考えますが、大臣の所見をこの際さらにお聞かせをいただきたいものと考えます。
○国務大臣(砂田重民君) 大変大事なことを御指摘になりました。宗教的情操ということを考えてまいりますと、大学生の段階ではむしろもう遅い。やはり小、中、高を通じて、宗教的な情操についてもっと力を入れていかなければいけないという気持ちが非常に強くいたすわけでございます。現在でも高等学校の倫理社会、小・中学校の道徳等の中で、人間が有限なものであって、人間の力を超えたものに対する畏敬の念というようなことも、まさに宗教的情操というのを中学校等でも指導をしているところでございます。しかし、教える側の教員、教えられる側の児童、生徒たち、その間に真剣にこういう理解の上に立っての教育指導というものが私は大切なことであろうと思うんです。小学校でも「美しいものや崇高なものを尊び、清らかな心を」教えることにしておりますけれども、それがどれだけ生かされているかということが一番大切な問題点であろうと思います。そして、学校教育の場だけで解決できるものでもないような気がいたします。家庭におきますしつけの中においても、社会教育の場でも、やはり同じような宗教的な情操というものを国民の中に広く涵養をさせていかなければならない。一昨日も先生にお答えをした中で申しましたけれども、国際社会の中で尊敬される、愛される日本人、やはりそういう情操を身につけた人たちこそが、そういう資格を与えられていくことでございましょうから、岩上委員の御指摘の点私もよくわかることであります。非常に重要なものであるという認識に立ちまして、このような宗教的情操というものが、言葉だけではなくて、小、中、高を通じて定着していく努力をさせていただきたいと思います。
○岩上二郎君 教育の中できわめて大事な要素であるこの宗教的情操教育という問題は、これはひとり小、中、高だけではなくて、大学の側においても十分に考える必要があるし、指導する必要があるということを特に申し上げて、時間もありませんので次に移らしていただきます。
 福田総理が最近全方位平和外交という言葉をお使いになっておられます。この全方位平和外交の基点というものは一体どこから来ているのだろうかということは私にはわかりません。あるいは現在の平和憲法と言われるものからか、あるいはまた現実置かれている日本の現状の中で、平和以外に生きる道がないと、このような考え方の上に出たのかどうかわかりませんが、せっかく出てきたこの全方位平和外交という、この平和という字を特にお使いになっているということは、非常に私は高く評価をしたいんですけれども、平和というのは一体何かということを考えてみると、非常に意味のある内容を持っているように考えられるわけでございまして、平和というものの中に、絶対平和とか、あるいは相対平和、あるいは西欧の哲学の中から生まれた平和の哲学というのがございますけれども、これは戦争と平和との関係、いわゆる戦争の裏側に平和がある、平和の裏側に戦争があるという、そういう関係のとらえ方があるやに伺っておりますし、日本の場合に、和をもってとうとしとなすという古代社会における聖徳太子十七カ条の憲法にも明らかにされているような、そういう一つの民族性から生まれたものであろうか、あるいは仏教的な背景があって、そういう憲法が生まれたものかはわかりませんけれども、そういう一つの平和を愛好する、そういう歴史的な経過もあったわけであります。だとすれば、やはり私は、この平和という言葉が飛び出した限り、この平和の問題を今後ともあくまでも追求していく、あるいはそういう決意の上に立って、この全方位平和外交というものが生まれたというふうに考える。そう考えてまいりますと、やはり日本の歴史というものは一体何だろうかということもあわせ考えてみて、やはり戦後、ともすれば歴史を軽視しがちな状態をこの際改めて、歴史というもの、これは何も近代歴史だけではなくて、中世から、あるいはまた古代、そういう日本の歴史を振り返ってみる、そういうふうな努力が必要であろうと、このように思うんですけれども、この歴史というものの重要性を十分に文部省は御認識をされて、今後ともこの教育指導要領の中にとらえていく用意があるだろうかどうかということについて、大臣の御所見をいただきたい。
○国務大臣(砂田重民君) 歴史の教育というものは非常に大切なものであると認識をしております。それは国家、社会、そして国民の発展に尽くした先人の業績がすぐれた文化遺産などについてやはり関心と理解を深めていかなければならない。そういう意味のわが国の歴史と伝統に対する理解や愛情を、国民の中に求めていかなければなりません。教育の大事な一つの分野でございます。そして、それはわが国の歴史だけに限らず、世界の歴史を背景として、やはり広い視野に立って、また日本の歴史を理解させる、こういうことが非常に重要なことであると思います。文化の伝承というものが教育の大事な柱でございますから、歴史の教育の重要性については、十分認識をいたすものでございます。
○岩上二郎君 大臣が歴史について重要性を御認識されていることは、非常に御同慶にたえないわけでありますが、前回大臣に御質問申し上げた際に、古文書、あるいは古文書について十分に大臣の、いわゆる文部省の体制を整える必要があると、こんな意味を含めて御意見を申し上げたわけでございますけれども、まだまだ古文書なり、公文書の整備がおくれていることは事実でありまして、わりと目につきやすい物的なもの、あるいは民俗資料、そんなものが最近出てきておりまして、これも結構なことでありますけれども、一般からは余り興味がない。しかし、歴史を重視する側からすれば、記録文書というか、これは非常に大事なものでありまして、その意味で歴史史料保存法というか、そういう一つの法律をつくってまでもぜひ文部省としてはやっていただきたいというような願いを込めた団体が、全国的に大きくほうはいとして生まれつつあるわけでありまして、来月の半ばごろ岐阜の方でそういう会合があるわけでございますが、ひとつ文化庁でも結構でありますし、あるいは文部省でも結構でありますけれども、その全国的なそういう一つの研究団体の集まり等ございます際には、ぜひ御出席をいただいて、皆さんの声を聞きながら、この歴史史料の保存の問題等についてもっと力を入れていただきたい。これは急に来年からどうするということでなくても結構でありますけれども、ひとつそういう際には御出席をいただきたいと、このように考えますが、いかがなものでしょうか。
○国務大臣(砂田重民君) いま全国的なそういう方々がお集まりになる集会、初めてお伺いをいたしましたが、後ほど具体に日にち等承りまして、担当者を出席させたいと思います。
○岩上二郎君 それでは次に移りますが、国語教育の問題でありますが、国語の乱れは民族の乱れとも言われているほど、きわめて最近は一般に日本語の使い方というものが乱れている現実であります。そこで、一番大事なのは、文法、この文法の教育が非常に弱いと、このように言われておりますが、文法にもう少し力点を置いて、正しい国語のあり方を文部省としてはお示しになる必要がある。ついででございますが、国語教育の中に古文なり、あるいは古典なり、こういうようなものの面にまでひとつ教育的なサイドから御研究を願うようにお願いしたいと思いますが、これまた大臣の御所見をいただきます。
○政府委員(諸澤正道君) 小学校からの国語の勉強で、いま御指摘の文法的事項、あるいは文字、語句といったようなことが、ややもすれば軽視されがちである。これは従来は非常に指摘がございまして、今度の学習指導要領の改正でも、そういう意味からわれわれは小・中学校の国語の教育内容のうち、第一番に言語的事項というものを持ってきて、そういう文字とか、言葉の決まりについての学習をしっかり身につけさせるようにということをやっておるわけでございます。それと同時に、教える側ですけれども、これは日本の場合、大学の国文学部なんかでも、どっちかというと国文学の方を専攻し、勉強する方は多いし、そういう方が国語の先生になっておるわけですけれども、いわゆる国語学といいますか、そういう面での人材が教育の場に不足しておるということも事実だろうと思いますので、そういう面での努力もこれからしていきたいというふうに思っております。
○岩上二郎君 単発的で恐縮でございますが、外国語の問題においても同じなんですけれども、外国語の教育というのは、きわめて文法の構成上全く違ったコントラクションを持っているだけに、中学一年生から外国語を教育するというのはなかなかむずかしいんじゃないか。むしろ大脳生理学的にいえば、三歳児、あるいは最高十二歳児のころまでに大体脳の細胞が決まっていくという、こういうひとつの成長過程の現実をとらえた場合に、外国語教育というのを少なくとも小学校六年から採用することをお考えになる必要があるんじゃないか。文部省のお話を前にお伺いしますと、まず国語をがっちりしてから、それから外国語だと、このようなことをおっしゃっておりますけれども、私はそれからではおそいんじゃないか。特に、日本がこれから国際社会の中に大きく伸びていこう、その仲間に入っていこう、平和な社会をつくり上げていこう、国際的な関係を十分に正常化さしていこうとする際に、一番ネックになるものは外国語であります。したがって、この外国語の教育というものは従来から、というのは明治からであろうと思うのですけれども、とにかく中学一年生からという伝統を破って、少なくとも小学校からスタートしてはどういうものであろうか。これは直ちにどうということはございませんが、十分に御研究おきいただきたいと、このように思います。
 さらにもう一点外人教師、これは少なくとも各学校一人ずつなんていったらなかなか大変でしょうから、都道府県に一人ないし二人、これを配置する用意もあってしかるべきではないだろうか、このように考えますが、これまた一つのプリンシプルの問題でございますので、大臣からお答え願いたいと思います。
○国務大臣(砂田重民君) 外国語を小学校からということでございます。これはやはり小学生のいろんな学習の負担の問題もあることでございますので、検討をさせていただきたいと思います。
 それから特に英語、外国語の中でも英語でありますけれども、文法をやはり基礎的に教えていくのが一番大切なことであるという御意見の方もありますし、話し言葉、また聞くということが余りにも日本人は従来拙劣であった、そういうことをもっと学校の場で英語教育でやっていかなければならないということもまたあるわけでございます。いずれにいたしましても、どっちにしても本当の正しい生きた英語、こういうことを考えまして、五十四年度から外国人教師をできるだけ日本にたくさん招いていきたい。これは実は私学等につきましては、ブリティッシュカウンセルにお世話を願いまして、ことし二十数名の英国人の若い教師を日本に招くことにいたしました。こういうことをなお一層拡充していきたい、かように考えております。
○岩上二郎君 大臣から外人教師についてお話がございましたが、お礼を申し上げるのがきわめて遅くなりまして申しわけありませんが、私の経営しております清真学園にオックスフォード大学、特に日本においでの方のトップであるという若い青年教師を御配置いただきまして、この席をかりて厚くお礼を申し上げますが、たびたび外人教師と話をいたしてみますと、物の考え方、これが非常に違うわけです。これはもうやむを得ないわけですけれども、やはり外国から見た場合の日本は非常に異質なものであります。われわれから見た場合の外国、これもまた同様でありますけれども、われわれも中学とか、高校とか、大学等いろんな英語の経験をし、留学をする場合でも、一年も会話を習って外国へ行っても、余り大して十分にフリートーキングができないような現実を考えてみると、やはり外国からもどんどん教師をお迎えすることも大事なんですけれども、外国語の教育というのは、若いうちからやらないとどうもハンディが解消できない、このようなことを私自身の体験からも言えるわけでございますので、十分にひとつ外国語教育をどうするかということについて、お考えおきいただきたいと思います。
 それから、ここ四、五年というか、教育上落ちこぼれという、教育的な角度から見ればきわめて不名誉なことでございますが、この落ちこぼれということの解消ということを文部省はお考えになっていると思うんですけれども、私の感じでは、一定の教室の中に四十名、あるいは四十五名の定員を置いただけで、そして、いま文部省がお考えになっている能力別とか、あるいは習熟度別とか、こんなことをお考えになっても、文部省の期待する成果が上がるかどうかということは、私は非常に疑問じゃなかろうか。そんなことを考えて、むしろ建物からこの教育的な効果を上げていくためにどうすればいいかということをあわせ考えて進める必要がある、このような考えを実は抱いていたわけでありますが、この公式的な、ティピカルな教室の割り方だけで習熟度別、能力別、こんなものをお考えになっておられるのかどうか、そこらあたり、これはどなたでも結構ですけれども、御答弁をいただきたいと思います。
○政府委員(諸澤正道君) 今度の学習指導要領をつくります際に、いま御指摘のありました習熟度別学級編制の実態というものを、各県についていろいろ調査をいたしました。そうしますと、たとえば一クラス四十五名ずつ二クラス九十名のグループを、三つのグループに分けてやるというようなことをやっているところもございまして、そういう場合に、教室が大体日本の場合、いまの四十五人か四十人入る程度の広さで固定してありますから、そこを使ってやらざるを得ないというようなことになりますので、おっしゃるように、ワンルームスクールといいますか、大きな教室、建物を適宜間仕切りをして使うとか、あるいは広いままでグループに分かれていろいろに勉強させるとか、そういうような研究を実際に手がけておるところもあるわけでございますが、全体的にはまだ従来の方式を守っていくという場合が日本では多いだろうと思います。ただ、いま御指摘のような点は岩上先生からも御指摘がありましたけれども、いろいろなところで私どもも言われつつ、あるいは言われ始めておると言ってもいいのかもしれませんけれども、そういう実情にありますので、そういう点をやはり一緒に考えて、いまの能力別編制というようなものも今後はやってまいりたいと、こういうふうに思うわけでございます。
○岩上二郎君 さらに農業教育問題で、きょう突然新しい質問の内容でございますので、皆さん御準備されていたかどうかわかりませんけれども、高等学校の学習指導要領、これを見てまいりますと、文部省当局では農業問題というのを従来より非常に力を入れてやろうとしておりますと、こういうふうなお話でございます。これはそうなれば幸いでございますが、従来文部省でやっております産業教育というものはこれでいいんだろうか、こういうふうな疑問をかねがね抱いていたことがございまして、産業教育の審議会が各県にある際に、その会長さんはほとんどどこかの財界の有力者とか、そんなことで編成されているようで、農業という問題の位置づけ、これがどうもはっきりしてない。だとすれば、むしろ農林水産省所管でやった方がいいんじゃないかとさえも一時思ったことがあるくらいでして、特に最近は農村の環境がどんどんと変わってきてしまって、すでに兼業農家が約七割強を占める、そういうふうな農村の実態の中で、本当に自営者農業が、いまの農業高等学校の教育で守られるであろうかどうか、ここにいささかやはり疑問を感じてならなかったわけであります。やはり自然を相手に、そして古代から今日まで、菜食民族として、農耕民族として、農耕文化を築き上げてきた農民のことを、この際もっと重点的に考える必要がある、それを教育の場で、先生もはっきりとした自覚を持って、できるだけ自営者農業が残るように、重点を指向してやっていただきたいものと思うんですけれども、これについてどなたがお答えになるかわかりませんけれども。
○政府委員(諸澤正道君) おっしゃいますように、日本の農業人口というのが、恐らくここ二十年くらいのうちで、林業なども含めて、第一次産業の従事者が三分の一ぐらいになっているんじゃないかと思うんですけれども、そしてその高等学校の農業課程のうちでも、特に農業、あるいは畜産、あるいは園芸といった、直接生産に携わる学科のあり方、それから将来そういう仕事についていこうという自営者の養成というのは、学習指導要領の改定においても、できるだけ内容を基礎、基本にしぼり、実験、実習等をうんとやらせるというようなことで、子供に魅力を持たせるということが一方で必要だと思いますし、それから、私は農業の場合、入学者の選抜の問題ですけれども、これが従来の実態を見ますと、よく言われることですけれども、高等学校進学希望者を、学校の成績等でふるい分けをして、必ずしもその自営者農業のコースに行きたいという希望を持ってない者もそこへ行かせるというふうなことが全然ないわけではないんで、これがやっぱり一番問題だと思いますんですが、最近の各県の実態を見ますと、特に自営者養成コースについては、将来そういうものになりたいという青年については、優先的に推薦入学の制度をかなりとりだしてきておるというようなこともございまして、そういう面での子供の本当にそういう方向を志望する、志向する子供を連れてきて、そうして勉強させるという、そしてその勉強内容もできるだけ将来の地域の実態に即した教育をするというようなことをしていかないと、特に農業教育の場合は振興しないんではないかというふうに考えて、やっておるところでございます。
○岩上二郎君 農業教育について、文部省が積極的に取り上げて、五十何年度ですか、六年度ですか――から十分にやっていきたいということで、すでに各都道府県に文書通達を出しておるようでございますが、この実効が上がるように、いま注目しながら、皆さん方の農業振興教育がさらに大事な教育であるだけに、ひとしお関心を持って見ていきたいと思いますので、皆さん方の積極的な御努力を心からお願いをしたいと思います。
 それから、私学振興の問題でございますが、これは年々文部省も飛躍的に予算を増額をされて、五十四年度もまた相当大蔵省に対する予算要求の構えを持っておるようで、まことに結構なことでございます。やはり私学の弱点というものが至るところに噴出しておりまして、私学というものはどうすべきか、これは非常に大事なものであろうと思いますが、基本的にはできるだけやっぱり公私の格差をなくしていくというところに目標を置いて進めることが必要であることは申し上げるまでもございませんが、一面やはり私学の内部にひそんでいる、先ほどそれぞれの先生方から御指摘されているような、そういう内容がなぜ生まれてきたのか、それに対する対応の姿勢がどうなのかというところに、まだまだ甘さというか、そういうふうなものがないわけではございません。そんなことから、私学といえばみんな悪者の集まりみたいな印象を与えられても困るわけでございますが、私学に対する振興対策と相まって、文部省の私学に対する何というか、愛情と厳しさというか、両面を構えて、ひとつ十分にお考えおきいただくように、心から御要望を申し上げまして、私の質問を終わらせていただきたいと思います。
○柏原ヤス君 学校給食制度がスタートして三十三年になります。私はこの学校給食をよりよいものにしていきたいという立場から、いろいろとお尋ねしたいと思います。
 現在、学校給食を義務化せよという意見、また反対に廃止せよという意見、非常に幅広い意見が出ておりますが、こうした批判や問題の中で、まず普及上の問題についてお聞きいたしますが、特に中学校の場合に、地域的に普及上の格差があります。都道府県ごとの実施状況を見てみますと、おくれているところが大阪、学校の数で見ますと二四・五%、生徒の数から一二・九%、これに続いて京都三一・四%、生徒は一五・三%という状況でございますけれども、この原因がどこにあるか、この点どのようにお考えでしょうか。
○国務大臣(砂田重民君) 小学校に比べて、中学校での普及率が低いことは御指摘のとおりでございます。これはやはり中学校で、都市部での普及が特におくれているわけでございます。この原因は端的に申し上げますと、学校給食が二十一年に再発足してから、二十年代は小学校のみで実施されまして、中学校については三十年代に始められたというその経緯や、人口急増の都市部の地方財政の問題、そういった問題に起因しているものと考えております。しかし、学校給食の持ちます重要な意義にかんがみまして、文部省といたしましては、中学校の給食推進のために、今後とも一層の努力をしたいと考えております。
○柏原ヤス君 積極的に実施させようとする具体的な計画をお持ちでしょうかどうか、その点いかがでしょうか。
○政府委員(柳川覺治君) 御指摘の都市部の問題につきまして、かつて大都市の給食関係の推進のための教育長の集まり等をしばしば開いて、この面の、要請をしてまいってきておるわけでございます。
  〔理事世耕政隆君退席、委員長着席〕
なかなかに大臣から御答弁申し上げましたとおり、都市部における人口急増、これに伴う学校建設等の問題が大きな課題でございまして、そのような背景もございまして、いま全国的には完全給食で中学校が五五%という実態になっております。ようやくにここ数年の間に五割を超したわけでございますので、これからそれぞれ未実施の市町村につきましての指導を強化し、またそれに応じました施設、設備の補助、施策の推進等を行ってまいりたいと思っておるところでございます。
○柏原ヤス君 いまのお話ですと、余り積極的な計画はまだお持ちでないように思いますので、ぜひもっと積極的な計画を立てていただきたいということを申し上げます。
 次に、学校給食の教育における位置づけ、まあ教育の一環としてどのように位置づけていらっしゃるか、その点お伺いいたします。
○政府委員(柳川覺治君) 学校教育法におきまして、小学校、中学校の教育の基本目標が定められておりますが、その中で、まず小学校におきまして、学校生活、学校の内外の社会生活を通しまして、協同、あるいは自律、自主性を養うということがねらいでございますし、また衣、食、住につきましての十分な知識を持つということ、あるいは調和のとれた人間形成ということがうたわれておるわけでございまして、まさにこの意味が学校給食が持っておる役割りの意味であろうというような観点に立ちまして、現在小学校及び中学校の学習指導要領におきまして、特別活動の学級指導の中に位置づけられまして、その指導が行われておるところでございます。
 昨年七月、小学校及び中学校の学習指導要領の改正が告示されまして、この改正におきましても、従来とってまいりました学校給食の教育上の位置づけにつきましては、変更なくこれを継承しております。さらに、ゆとりある充実した学校生活の中で、人間性豊かな児童、生徒を育成するということが、このたびの教育課程の改善のねらいでございましたので、このねらいの実現に学校給食の寄与するところはきわめて大きいというように私どもは認識しておるところでございます。
○柏原ヤス君 お聞きすれば大変りっぱなお答えをいただくわけですけれども、実際はおっしゃっているようなものじゃないということを、私は痛切に感じているわけです。
 それで、位置づけの問題をお聞きしましたんですが、それについて私もこの指導要領を見ました。ところが、学校給食に関しては、どんなふうに指導要領で扱っているかというと、いまちょっとおっしゃったんですけれども、各教科の中からは除いちゃっていると。ですから学校給食とはいっても、給食というものは算数や国語、その他の学習とは全然取り扱いが別だと、それも重んじて別にしているんじゃなくて、非常に軽んじて別にしている、学校給食にかかわるものを除くと。ところが、実際は給食やっているわけですから、それに触れないわけにもいかない。ちょっと触れているわけですね。「給食、休憩などの時間については、学校において工夫を加え、適切に定めること。」というふうに逃げているわけですね。逃げているという言葉は悪いかもしれませんけれども、ぼかしている。適切とは一体何だろうか。給食の時間というものは、現場へ行ってみますと非常に私は問題があると思っているんですね。その時間については適切という言葉で抽象的だと、一体文部省としてはそれじゃこの適切という時間をどう指導し、どのくらいの時間を適切と思っていらっしゃるか。まあ三十年も給食を続けてきたんですから、そして食べている子供は別に時代が変わったって同じ年齢の子供が食べる。皆さんお互いに子供を育てている中で、一体どのくらいの時間が適切な時間か、豊かなゆとりのある生活をさせるための給食の時間というものはどのくらいが適切なのかということを私はお聞きしたいわけですね。
○政府委員(柳川覺治君) 御指摘のとおり、学校給食の時間につきましては、各学校におきまして、工夫を加え適切に定めることと、学習指導要領にもここで決めておるわけでございます。実態は小学校におきまして四十分ないし四十五分を給食時間にかけておるということの実態であろうと推定いたしております。
 ちなみに、東京都における学校給食のこの面の実態を見ますと、小学校で四十分を決めておりますところが五二%、四十五分が三六・九%、五十分が四・七%という状態でございます。中学校は若干この時間が短くなってございまして、三十五分未満に決めておりますところが四六・四%、三十五分が二五・七%、四十分が二〇・〇%、四十五分が三・四%という状態でございます。
 これらの給食の時間の決め方につきましては、あるいは学校食堂を持ちまして、食堂による給食を実施しておるところ、あるいは単独方式による炊飯の体制をとっておるところ、あるいはセンター方式による形のところ等々、学校の実態が多様でもございますので、その面を配慮いたしまして、それぞれ各学校での御工夫による適切な時間の定め方をしていただくということが、最も実態にかなっておるということから、このような決めをしておるわけでございまして、私どもとしては四十五分の前後のところが、実態としてはふさわしい形で動いておるというように理解しておるわけでございます。
○柏原ヤス君 データの上からおっしゃっておるわけですね。このデータも東京都のデータをごらんになっておっしゃっているんでしょう。全国的なデータというのは東京と同じぐらいだと、同じようなものだというふうにお考えになっているかもしれませんけれども、私はやはり時間というものに対して、データの上から大体この辺が真ん中どころだと、数からいってもそんなものだろうなんじゃなくて、実際に現場へ行っていらっしゃって、その給食の時間というものは、また、給食の取り扱いというものはこれでいいものかどうか。現場の先生方が非常に苦労しているという、そういう中からもう少しこれは検討していかなきゃならないんじゃないかと思っているわけですね。私も東京都内の優秀だと言われる学校へ行って、給食をしているところを見たんですけれども、それこそどたばた給食、がやがや大騒ぎですよ。それも前の時間が理科だったとか、体操だったとかという場合には、もう四十分や四十五分じゃ、とてもゆとりのある豊かな給食の時間を過ごすなんということはできません。また、非常にこのごろは給食の内容もよくなって盛りつけが大変多い。そういう中で、そんな時間でできるか、できておりません。そういう点で、私は給食の時間というものを、そんなデータをちょっと見て、ぎりぎりのところでやっている。このデータの数でそれが適当だなんておっしゃっているんじゃ私はまずいと思いますね。
 しかし、時間をもっと長くしなさいと私は言っているわけじゃございません。長くしたらそれじゃいいかというとそうでもないんですね。これは、私は地方ですけれども非常に給食に力を入れている学校で、しかも、食堂を持っているんです。そこで給食が行われておりますけれども、確かにこの給食の時間は別に長くしてないんですね。ですけど手際よく給食の時間が組まれている。非常にいい給食をやっているわけなんですね。ですから、私は時間を長くしなさいと言っているんでもありませんし、また、このくらいの環境の中で、これだけの設備で、このくらいの時間でやれば、文部省が目標として掲げている給食というものが実施されるんじゃないか。いまの現状ではとてもじゃないけれども、文部省が掲げているそうした目標に及ばない、及んでないということを申し上げたいわけなんです。
 そこで、私は食堂の設置について、これはぜひ食堂というものは学校給食をやる以上は設置すべきだと、また、したい、それが当然だと、こういうふうに思っております。これは常識として食事をする場所がないなんというのは、もう日本の国は、ここまで文化の程度も高くなり、経済力も高まってきたのに、学校の給食だけは依然としてまるで原始的だ。子供たちはあんな取り扱いをしておいてそれでいいだろうか。教室を見ても、学校の校舎の構造を見ても、理科室、音楽室、工作室、体育館、放送室まである。音楽を教えるのに音楽室がなけりゃ、やはりいい音楽教育はできないと同じように、ほかのものは全部部屋があって、給食だけは全部の子供が必ずやる、毎日やる、そういうのに食堂をつくろうとしない。衛生的な面から言っても、はし一本だって熱湯消毒しなきゃならないというふうに厳しく言っていながら、食べる場所は、それこそ便所へ行った履物でその辺を歩いているし、机の上だって決してきれいじゃない。はしは消毒してたって、ああいうところで――教室が必ずしも不潔とは言いませんけれども、あそこで食事をするということは私は改善されなきゃならないと。いろんな給食の、食器の問題とか、いろいろございますけれも、まず食堂をつくるということで、いろんな給食の問題は解決されるんじゃないかと、こういうふうに思っているわけですね。
 そこで、現在食堂がどんなふうにできているか、どのくらいできてますか、学校。それから、この一、二年でどのくらいふえたか、この点を教えていただきたいと思います。
○政府委員(柳川覺治君) 御指摘の学校食堂の設置につきましては、それなりに努力を重ねておるところでございますが、昭和五十三年五月一日現在で、小学校で三百六十三校、中学校六十六校、計四百二十九校が学校食堂を設置しておるという、まだきわめて不十分な状態ではございます。
 そこで、昭和五十二年度におきましては、九十九校が食堂の設置を見ました。また、今年度は、五十三年度は九十六校が設置をする予定で現在補助内定をしておるところでございます。食堂施設設備につきましては、昭和四十五年度から補助率二分の一の補助を実現してまいりまして、毎年一応申請につきましては、全部補助対象にできておるという状態でございます。
○柏原ヤス君 そこで、すぐに全部にというわけにはいかないと思います。市町村の負担も相当かかりますし、学校の数も多いわけですから。そこで、新設校の場合は、学校の施設基準の中に食堂を取り込むと、食堂の設置を義務づけると、こういうふうに考えますが、この点、いかがでしょうか。
○政府委員(柳川覺治君) 本年度から小学校、中学校の給食の施設につきましては、公立文教施設の中に計上するようにいたしまして、学校の新築あるいは改築等の際に、給食施設の整備が、学校施設として一体化して整備されていくようにという方針をとっておる次第でございます。御指摘のとおり、学校の食堂が学校給食の場として、また、この食堂がいろいろな意味で多目的な教育施設として使用が可能でございますので、今後学校食堂を学校施設の補助基準に取り入れるということにつきましては、市町村の食堂建設への意欲等の要請等も考慮しつつ、検討してまいりたいと思っておる次第でございます。
 何分従来、学校給食につきましてもそうでございますが、なかなかに学校の施設が生活の場、子供たちの一日の生活の場という観点からとらえるというようなことの面が、急増等のことでなかなかしにくうございました。また、一般にわれわれの生活も寝食を供にするような生活の構造でございまして、この辺のことも背景がございまして、いま学校食堂の補助基準への算入が実現いたしておりませんが、今後の課題として十分検討させていただきたいと思っておるところでございます。
○柏原ヤス君 大臣いかがです。
○国務大臣(砂田重民君) やはり学校給食を教育の一環として私どもとらえているわけでございますから、学校に食堂が設置されていくスピードがもっと早まってほしい、そのような考えを持つものでございます。五十四年度も市町村からことしなどに比べて大分大きなものの御要望が出てくるんではないだろうか、そういうことに対応をしたいと心がけての概算要求をいたしております。
○柏原ヤス君 そこで、この食堂の問題でひとつ申し上げたいのですけれども、中学校に給食を実施したいという議論が非常に出た、賛否両論。その結果、食堂をつくったと。これは私が申し上げているそういう食堂じゃなくて、外部から食堂を入れるわけですね。いわゆるレストラン的食堂、これができたというのですね。これは大阪の守口市の中学校なんですけれども、九つの中学校の中で二校ができたと、今後どんどんつくっていくと、全中学校に食堂を設置する計画を立てている。実際ふたをあけてみたら、二五%ぐらいの生徒が利用すればいいと思ったら、二九%も利用して非常に好評だと、こういうような記事なんですね。こういう食堂はどういうふうにお考えですか。好ましいと思っていらっしゃるかどうか。
○政府委員(柳川覺治君) 詳細実態を把握いたしておりませんが、お聞きした範囲でお答え申し上げますが、いま中学校につきましては、学校給食としての取り組みはまだ実現しておらない。その場合に実際に弁当を持参できない生徒がいる。その生徒に対する措置として、そのような形のことがとられたのではないかというように判断するわけでございますが、私どもとしては、よく実態もさらに調べまして、できる限り中学校における学校給食の実施ということに発展するような考え方で対応してまいりたいと思う次第でございます。
○柏原ヤス君 好ましいか好ましくないかというようなこともまだはっきり言えないということですね。しかし、そういう食堂が学校のいわゆる給食の食堂じゃなくて、お金払ってそこで好きなもの、ライスカレー食べるとかなんとかという、そういう食堂を中学校につくるということ、それは直感的にどうですか、こういうもの。
○国務大臣(砂田重民君) いいか悪いか余り簡単にお答えがしにくいんです。しかし、それは学校給食ではないことは明確なんです。やはり、私どもは学校給食を中学校に普及をさせることが急がれるべきであって、努力をしていかなければならないと考えておるんですが、守口市のその中学校で、何かいろんな事情があって、学校側も家庭の側も皆さんその方式がいいと言ってお決めにあるいはなったのかもしれません。それだけにいい悪いと簡単にどうもお答えがしにくい点がございます。
○柏原ヤス君 次に移ります。
 給食の問題を現場の先生方にお聞きしますと、私たちはいまのやり方では雑務に追われて反対だという意見が非常に多いわけです。私も現場の先生が給食に反対だと言われることに非常にショックなわけなんですね。しかし、よくその先生方にお聞きしてみると、やり方が余り教師の負担にかかり過ぎていると、問題が多いと。この問題が解決されれば給食というものはいいというふうにお考えになっているわけなんですね。そこで、とにかく教育の場として考えられる学校給食が、やはり先生方から受け入れられるような内容じゃなきゃならないと思います。
 そこで、とりあえずこの問題は解決しなきゃならないと思って申し上げるのは、学校の栄養職員の問題なんです。これは定数改善計画というものができているようですけれども、この状況はどうなっているんでしょうか。
○政府委員(柳川覺治君) 現在公立の義務教育諸学校における学校栄養職員につきましては、いわゆる標準法によりまして、児童、生徒数二千五百人に一人の割合で配置されることになっております。昭和四十九年度に市町村費負担から県費負担に切りかえたわけでございますが、この切りかえの以前におきましては、昭和四十八年度国庫補助人員が四千六十四人でございました。当時定められた、当初の四十九年度から五十三年度までの教職員の定数改善第四次五カ年計画が進んだわけでございますが、この中で、学校給食実施校の増加の分も見込みまして、五十三年度に六千六百二十二人の学校栄養職員を配置する予定で計画を進めてまいりました。しかし、学校給食実施校の増加が見込みより若干少なかったというようなこともございまして、本年五月一日現在の標準法上の学校栄養職員の定数は六千三百三十人でございます。実数につきましては、五十三年五月一日現在で六千百九十人の栄養職員の方が全国に配置されておるという実態になっております。
○柏原ヤス君 見込み違い、非常に欠員があるわけですね。それに対して中学校の給食を実施する学校が思ったほどふえなかったためにこうなったんだという、非常に責任を向こうにおっつけているような、そういうお話で、計画はまあまあというところだと言わんばかりのお答えだと思うんですね。これに対してもうよかったと、こういうふうに思っていらっしゃるんですか。
○政府委員(柳川覺治君) 一応二千五百人に一人の割合での配置というような線に沿いましての施策は進めておるわけでございますから、その線に沿いまして置こうとするところにつきましては、それに対応できたというように考えております。ただ、いま御指摘のとおり、実施校の増加の見込みで、若干その辺の三百人近い栄養士の配置状態が進展していないということは、遺憾だというように感じております。
○柏原ヤス君 いまのお答えは数だけを合わせて言っているわけですね。それで、その数の食い違いは、中学校の給食実施校がふえなかったからだと。しかし、現場を見ますと、一人の栄養士が三つか四つ受け持っているんですね。小学校は三・六校に一人、中学校は三・三校に一人という、非常におかしな配置になっているわけです。これは二千五百人に一人という基準でやっているからなんですね。二千五百人に一人の栄養士というこの基準がこのままで、そして定数計画をどう立ててみても、私は現場はよくならないと思うんですね。この二千五百人に一人という基準は本当におかしいと思いますね。栄養改善法には、百食以上の食事を供給する集団給食施策には栄養士を置くように努めるべきだ、こう言っていますけれども、また努力していますなんという程度の取り上げ方じゃなくて、やはり二千五百人に一人という基準、こういうのはやめた方がいいと思いますね。また、百食以上の食事を供給する集団給食施設には栄養士を置くべきという、こういう栄養改善法に基づいたならば、学校には一人栄養士は置くべきですよ。ですから、こういう二千五百人に一人などという基準をやめて、学校数に基づいて設置基準を決めるべきだと。一校に一人というそういう基礎的な基準のもとでこういう計画を立てるなら、私はもっと現場はよくなると思うんですね。ですから、一つの学校に一人の栄養士の方がいれば、先生方にかぶさってくるいろいろな仕事が楽になるわけですね。そういう点で、現場をよくすると、いい給食を実施するためにはまずこの問題をぜひ解決していただきたい、こういうふうに思っております。どうですか。
○政府委員(柳川覺治君) いまの二千五百人に一人の割合で学校栄養職員を配置するという補助基準ができ上がりましたのが、四十九年度市町村費負担から県費負担職員に切りかえるという際に実現したわけでございまして、それ以前に文部省といたしまして、学校給食の円滑な実施、先生御指摘の教員の先生方の負担もできる限り軽減していくというような趣旨からも、栄養職員の配置を各市町村に進めるという補助策を講じてまいりました。その際は五千人に一人ということの基準でございまして。
○柏原ヤス君 そんなことわかってるのよ。二千五百人がだめだと言っているのに、五千人の話なんか出したら話にならないじゃないの。それで計画、計画って、現場に一つも喜ばれないような計画を立てて、それで数だけ合わせてすましていたんじゃだめじゃないの。
○政府委員(柳川覺治君) ですから、五千人に一人を二千五百人に一人というように、倍増する方向のいま実現を図りまして、改善計画が進んだわけでございます。さらに、今後御指摘のとおり学校栄養職員の配置につきましては、その算定につきまして、学校規模等さまざまではございますが、大いにこの配置が進むという観点に立ちまして、御指摘の点を十分心得て検討してまいりたいと考えております。
○柏原ヤス君 大変時間がたってしまいましたが、栄養士だけじゃなくて調理従事員ですね。いわゆる給食のおじさん、おばさん、そういう方の配置基準、これもどうなんですか、直す姿勢があるかどうか、そのこと一言お願いいたします。
○政府委員(柳川覺治君) この問題につきましては、今後施設、設備、あるいは献立、調理方法等の改善の問題等とも勘案しながら、慎重に検討してまいりたいと思っておりますが、いま財政の面からのいろいろな制約もある課題でございますが、御趣旨の線に沿った努力をわれわれとしてはすべきであるというように考えております。
○柏原ヤス君 最後に、給食についてお尋ねしたいことは、義務化すべきではないかという意見がございますが、これはどういうふうにお考えでしょうか。大臣にお聞きしたいと思います。
○国務大臣(砂田重民君) 現在学校給食は、学校給食法第四条で、「義務教育諸学校の設置者は、当該義務教育諸学校において学校給食が実施されるように努めなければならない。」となっているわけでございます。小・中学校を比較いたしますと、小学校はほぼ一〇〇%に近い完全給食の普及が行われておりますが、先ほどお答えいたしましたように、中学校の普及率が大都市においておくれておりまして、これは戦後の学校給食の発足時期のずれも原因になっていると考えられますが、その他にやはり地方財政の問題、教職員の理解の問題等もまた複雑に絡み合っていることでございますので、文部省としてはおくれております普及率を高めることに努力をしていこうと。
 学校給食の義務化については、やはり地方自治体としての財政負担の問題、関係者の理解、また合意等解決すべき問題もございます。中には先ほど御指摘のあった守口の中学校のようなこともございますので、いま直ちに義務化というふうには考えないで、おくれている普及率を高めることに努力をしたい、かように考えております。
○柏原ヤス君 そこで、実質上は小学校の場合は一〇〇%に近い実施率、今後ここまで普及している給食をどう改善していくかということを考える場合には、やはり実態を知るというところから出発していかなければならないと、こう思います。時間の問題一つにしても、また食器の配置はどうなっているかという、そういう細かいところをやはり知る必要がある。一〇〇%近い実施率ができたわけですから、きめ細かく実態を知るということがよりよい改憲になると思うんですね。
 そこで、文部省にそうした資料をお願いしたんですけど、ありませんということなんですね。これじゃだめじゃないか、ほんとは持っているのかもしれませんけど。現状をつかむことから始めなければならない。文部省はそういうことについて、どういうお考えなんでしょうか。
○政府委員(柳川覺治君) 学校給食の実施状況、あるいは栄養摂取の面から見た食事内容の状態等、毎年度学校給食につきましての調査をいたしております。ただ、学校給食の仕事が各種多様な面にわたっておりまして、先生御指摘の、たとえば逐一学校で使われている食器の実情等につきまして、私どもも単校給食の実態、実際に学校給食の現場に参りまして、その食事も子供たちととり、また実態をお聞きしてはきておるわけでございますが、それらの面につきまして、統計的にまとめるというようなことを必ずしもしてまいりませんで、その面は十分実態の上で理解をし、またその改善の方向を、方図を図っておるというように進めてきたわけでございます。
 今後、学校給食の問題につきまして、米飯導入を初め、また新たな課題があるわけでございますので、常によりよく楽しい、明るい学校給食の実現を目指した施策の推進を図りたいと考えておる次第でございます。
○柏原ヤス君 ぜひやっていただきたいと思います。
 そこで、文部省としては、学校給食の検討をどこでやっていらっしゃるんですか。
○政府委員(柳川覺治君) 文部省に置かれます保健体育審議会がございます。この審議会の中に学校給食分科審議会がございまして、こちらの方で学校給食の基本的な問題につきましての御審議を賜っております。
○柏原ヤス君 この学校給食分科審議会という会の内容ですが、どんな方たちがそのメンバーかということをちょっと調べてみました。実際に学校給食を担当している現場の方が入っていません。現場の方が一審苦労して子供のために努力しているわけなんです。そして、それはほとんど女性です。ところが、女性が入ってない。また、今後の学校給食の改善の中の一つの問題点は、母親の関心と認識といいますか、そしてその協力だと思うんですね。ただ親が給食費を出していればいい、給食費が高いとか安いとかということだけを言っているんじゃなくて、どんな給食が行われているか、また国、地方自治団体でどんな努力をしているか、現場の方たちがどんな苦労をしているかということをお母さん方あんまり知っていない。そんなことを言うと怒られますけれども、事実なんですね。先割れスプーンを使っていたということを初めて知ったなんて言っているお母さんも少なくないわけなんです。便宜主義の学校給食に甘んじているという母親であってはならない。そういう点で本当に学校給食に対しては、学校でやるけれども、自分の子供が食べる給食である、自分が食べさせるべきものを学校で教育的な問題として取り扱っているということに対して、私はやはりお母さんの関心をもっと高める。それにはやはりそうした働きかけというものをやっぱりしなきゃならない、そういう意味で、この学校給食分科審議会の中に現場の方たち、またお母さん方、主婦、そうした人たちも入れてやっていかなきゃならないんじゃないか。こういう審議会にそうした人たちは入れられないというんだったら、別に組織をつくって、学校給食について全面的な見直しをやるべきじゃないか、こういうふうに思いますが、いかがでしょう。
○政府委員(柳川覺治君) 分科審議会の委員の構成につきましては、いま御指摘の、実際に学校給食に携わっている人がいないという御指摘でございますが、この中には全国学校栄養士協議会の会長で、現に教諭であられる方にお加わりいただき、また、つい最近まで校長として学校給食に大変な熱意を持って取り組まれました女子の先生にも入っていただいておるということでございます。また、PTAの役員という立場で、PTAの会長さんにもお入りいただいて、その面から父兄の立場での御意見もいただいておりますが、たまたま会長が男でございまして、その辺の女性の方の代表ということにはなっておりませんが、いま現場の校長先生がお二人、また女性の方がお二人というような構成でもって進めておるわけでございます。
 先生御指摘の問題につきましては、各方面の父兄、あるいは父母、あるいは学校、それぞれの実態に即した意見の聴取につきましては、いろんな意味で努力をしてまいりたいと思っておるところでございます。
○柏原ヤス君 いま申し上げたのをもう少し、よりよい給食の改善ができるために私申し上げているわけです。この審議会も女が入ってないじゃないですか、一人も。正会員というんですか、半分ぐらい女にした方がいいと思いますよ。本当はもっと率で言うと多くってもいいんですよね。それから、偉い人ばかり並べていいというものじゃないでしょう。PTAの会長の何か一番偉い人が入っているからとか、栄養士の偉い人が入っているとか、偉い人も要ると思います。それだけじゃだめだと、私が言っているのは、もっと実際にやっている人、母親の代表、そしてそういう人がこういうところに入っていることによって、学校給食の関心が一般の国民にもっと高まるように、お母さん方の関心がもっと高まるように、そういう母親たちをリードするような、母親たちに関心を持たせられるような、そういうメンバー、組織。これでいいと思っていらっしゃるんですか、それじゃ。大変りっぱな御説明がありましたけれども。
○国務大臣(砂田重民君) 御意見承っておりまして、柏原先生の御意見、私もごもっともだと思います。今後の審議会委員の構成、専門委員の方々の構成通じまして、御趣旨を体して検討させていただきたいと思います。
○柏原ヤス君 次に、日中平和友好条約が承認され、新しい時代がスタートしたわけでございますが、何といっても今後は日中双方の友好関係の実践であると思うんです。そういう中で、大変いい方法の一つは留学生の交換だと思います。これは各関係委員会でも取り上げられておりますが、基本的な問題として政府間に文化協定、あるいは留学生交換協定、こういうもののない状態での留学生の交換には限界があると、こういう指摘をしている方もいらっしゃいますが、この点大臣いかがでしょう。
○国務大臣(砂田重民君) 二国間の文化交流協定、日本が今日諸外国と締結しておりますこの種の協定はきわめて包括的なものでございますから、それがなければ留学生交流ができない、そうは考えておりません。
○柏原ヤス君 こういう協定は必要ないとおっしゃるんですか。
○国務大臣(砂田重民君) 必要ないと言っているんではございません。日中の文化交流協定が締結されることが望ましいことだと思います。文化交流協定がないから留学生交流ができないというものではない、そうお答えをしておるわけです。
○柏原ヤス君 そこで、一昨日のこの委員会でも問題に取り上げられましたが、留学生を受け入れる際の、特に中国の留学生を受け入れる際のネックになっているのが日中両国の学制、日本は六・三・三、中国の五・三・二との違いがある。これはどういうふうに今後解決しようとしていらっしゃるのか、その点お伺いいたします。
○国務大臣(砂田重民君) そのことが問題になりますのは、日本の大学の学部に留学生を受け入れる場合に、やはり調整をしなければならない問題としてまだ残っているわけでございます。先般、三日から十三日まで滞日をいたしました中国の教育代表団のお話によりますと、日本で言う高等学校ですね、中国の。それを卒業した後、日本の大学の学部に留学させるまでの閥に、補習的な学校を設けたい、そこで日本の六・三・三と比べて足りない年数を埋める、そういうふうな構想を持っておられる御説明を承っております。そして、そういう補習的な学校に日本人の教師を招聘したいというお話もまたございました。しかし、実は二年足りないのか、一年半足りないのか、中国の今日の現状は実はまだなお明確でございません。そのためにわが国としてどう対処をするかという、最終的な答えがまだ得られないでおるわけでございます。両国の間でもう少し意見交換を続けながら、これの調整をどうすればいいか検討をしたい、かように考えております。
○柏原ヤス君 そこで、現在すでに中国から留学生を若干受け入れているわけですが、それはどこでどういう分野で教育研究をしているのか、この学制の違いというものをどのような形でカバーしているのか、現状を教えていただきたいと思います。
○政府委員(篠澤公平君) 現時点におきまして、中国からの留学生と申しますか、二十三名受けております。この二十三名でございますが、七名が東京大学、外国語大学、大阪大学、そのほかに創価大学があるわけでございますが、東京大学の七名は大学院レベルの研究生ということで、留学生ではもちろんありますけれども、正規の学生ではございません。特に自然科学系の研究をされております。それから外大関係、あるいは創価大学もさようでございますけれども、この方々はやはり正規の学生ということでなくて、研修生ということで、日本語の勉強をしておられると承っております。
○柏原ヤス君 一昨日の外務委員会でわが党の渋谷議員が文部大臣に御質問申し上げて、お答えをいただいたんですが、中国側の希望の人員として急いでいるのは大学院の研究生で、四百名ぐらいであるという推測をつかんでいる、これに対して来年度から受け入れても、特別施設その他心配なく受け入れられると、こういう御答弁でございましたね。自信を持ってお答えになられて大変結構と思いましたが、本当に大丈夫なのか。受け入れても留学生に悪い印象を与えてしまってはかえってマイナスだ、こういう点で慎重に対策をしていただきたい、こう思ってもう一度お聞きするわけです。
○国務大臣(砂田重民君) きわめて慎重に対処しなければならないと思っております。わが国としては日中の友好親善に資することもその目的としての留学生受け入れでございますから、一人一人の学生に大切な教育を提供するわけでございます。留学生の期待を裏切ってはなりません。そこでもう総論ではなくて、日本の文部省と中国の先般お見えになりました教育代表団との間の、各論の協議の詰めに入るわけでありまして、四百名程度なら受け入れられるんではないかと私ども考えておりますその前提になることが、理工系の学生という御説明だけでは、どこの大学の何学部にその大学と文部省の間で協議を進めればいいか、まだわからないわけであります。それはいずれ詳細答えましょうという御返事しかまだいただいておりませんので、非常に限られた分野の学科を専門的に希望される方がもし非常に数多いとすれば、大変むずかしい状態も出てくるだろうと思います。ただ、理工系というだけでは、実は心もとないと申しますか、ここから先へ私どもが大学に受け入れていただくその協議を大学側とする資料がまだございません。そんな問題が幾つか残っておるわけでございます。そういうことを十分に協議をして、当方も万全の体制を整えて迎えたい、まかり間違えば日本に対して悪感情を持たしてしまうおそれもあることでありますから、そういうことを慎重に準備をしてかからなければなりませんので、残された問題を引き続いて協議をする合同委員会を持つことはいかがでしょうかと提案がしてございます。その合同委員会を持つということについての御返事も、先般の代表団が帰国後問答をいただくことになっておりますので、それをいま待っている段階でございます。
○柏原ヤス君 中国側からの要望というのは、理工科系を望んでいる、いわゆる中国の四つの近代化、これを促進する対応としての考え方だと思います。けれども、日本としては、日本のありのままの文化、生活実態、歴史、こういうものを知ってもらうことが、日本をよく理解する上に役立つ、こう思いますので、むしろ文科系の留学生の方に重点を置いて、受け入れるというような考慮が非常に大事じゃないか、こう思いますので、ぜひ文部大臣もその点をしっかりと踏まえて、留学生が本当に日本をよく理解する、そうした教育が行われるようにしていただきたいと思います。いかがでしょうか。
○国務大臣(砂田重民君) 中国から日本へ留学生を受け入れてくれないかというお話の中で、中国側は中国の近代化のためにということをおっしゃっているわけであります。わが国としては、中国の近代化にお役に立とう、同時に日中の友好親善のために、そう私どもは考えているわけでございますから、文部大臣の気持ちとしては、友好親善のためにということを念頭に置きます限り、いま先生の御指摘になりましたように、日本語を、日本の歴史を、日本の文化を理解をしてくださる方もまた来ていただきたい、こういう気持ちを私も持つものでございます。人文系の勉強等をしてくださる留学生が派遣されることが、日中友好親善のためにと考える限り、そういうことを期待いたしますけれども、今日ただいま、すぐ中国側にそういうことを言っていいかどうかは、いま少し検討しなければならないなあと考えているのがいまの時期でございます。
○柏原ヤス君 最後に、わが国から中国へ派遣する留学生の問題はどのようにお考えでしょうか。
○国務大臣(砂田重民君) いま民間から民間団体を通じて中国に勉強に行っておられる方が相当数あると伺っております。政府としてやりますは、制度的にそういう道を開いてございますけれども、大学からのお申し入れによって、希望によって、若手研究員が外国の大学に勉強に行くとか、そういう制度の道が開いてありますけれども、今日まで大学からはそういうお申し入れがなかったわけでございます。先般も代表団に対しまして、日本からの留学生も将来受け入れていただきたいというお願いをいたしまして、歓迎をするという御返事をいただいておりまして、まだいわば総論の段階でございます。
○小巻敏雄君 今般十月六日付をもって文部省から心身障害のある子供の教育措置について通達を出されたわけでありますが、このことについてお伺いをまずいたしたいと思うわけです。いずれこの問題については、いまから三月まで非常に重要な時期に当たっておりますですね。現に学級に通っておる子供が、新たに養護学校に行く先を変えなくちゃならぬかというようなことで、手紙が私のところにもやってくるとか、現在就学している家庭でも、いまから就学する家庭でも、非常に関心の強い問題でもあり、きょうのところは簡単に問題点を伺っておきたいと思うわけです。
 すでに前回の質問の際にも、発達診断表の問題等を通じて、幾つか御質問をいたしましたときに、局長の方で、障害の程度を判別する第一の基準は、学校教育法施行令の二十二条にある抽象的な基準であり、これに関する昭和三十七年通達、三十八年通達、今度廃止になっておるわけですが、どっちかといえば抽象的な基準である。こういうような点と、そして子供には能力分野における発達の個人差というものが相当あるようだから、あれこれの物差しを金科玉条にして、おまえは養護学校に行け式の議論になりかねませんので、その点十分に弾力的な判断をもって利用していただくようにと、これは前の発達診断表ばかりでなく、すべての問題にわたって言えることだと思うわけですが、その点についてお伺いをするわけです。
 今度の通達でもって、幾らか――幾らかというのか、かなりに指導内容が精細になり、緻密になり、あるいは就学指導委員会等について、初めて通達の中に登場した等の改良の点があると思うんです。その中で就学免除の措置については書き改めておりますけれども、この措置についてはどういうふうな変化を期待されるのか、どういう見通しを持たれるのかというのが第一点ですね。
 次に、二番目には三十七年、三十八年の通達を廃止をされて、今度出されたものについて仔細に比べてみるのですけれども、いわゆる画一的な振り分けに対する不安をこれが解消するものであるか、それとも内容が精細にはなったけれども、依然として基本的には同様であるのか、軽度、印度、重度と、そしてこれに対する発達上の所見と、これらの勘案して定めるという点で、今回の措置によって弾力化が大きく生まれたのか、それらの点について、ひとつ簡潔にお答えをいただきたいと思うんです。
○政府委員(諸澤正道君) 猶予、免除の件に関します指導通達でございますが、これはお読みいただけばおわかりのように、義務制の施行になりました段階においては、まずその本人の障害の回復とか、あるいは生命の維持ということが何にも優先するというような状態の子供については、これは学校教育を受けさせるということは無理でありましょうから、そういう例外的な子供さんを除いては、できるだけ猶予、免除という措置は差し控えるように、特にこの免除の場合は慎重にというような意味を込めてこれは書いたわけでございます。
 それから、今度の義務制になった場合の障害の程度をどういうふうに考えるかということでございますが、やはり施行令の二十二条にある程度の者は、養護学校へ行ってもらうというその基本的考え方には変わりがないわけでございまして、ただ、その障害の程度を現実に判断するその判断のプロセスにおいては、就学指導委員会等の専門家の意見を十分聞いて、的確な判断をしていただきたいと、こういう趣旨でございます。
○小巻敏雄君 再三生命にかかわりあるような場合と、特別な場合を除けば免除措置は大体なくなると、猶予の点については本人の状況とあわせて、これはだれしも必要と認めるところでしょうし、その点は、おおよそはわかるんですが、こういう話をしているんですね。従来の不十分な状況下で、どうしても学校へ入れてもらえなかったと、施設の中にいた、十五歳になってしまったというわけですね、義務就学の年限が終わってしまった、いまからではもう学校へいく道はないのか、この際にこれらの者について考慮する余地はないのかというような点があります。それ一つお伺いしたい。
 それからもう一つ、せっかく通達を見直しをされても、非常にしばしば父母のパニックを呼び起こす特殊教育執務ハンドブックに出てくる「就学義務の履行」の問題ですね、盲、聾の学校にいかなければ就学義務を履行したことにならないと、養護学校の場合には、義務化されれば当然それに準じて行かなければ不就学ということになる。非常に文章表現についても、現在では小・中学校へ行っても就学義務を履行していることになる、養護学校へ行ってもみなされるとか、感じが悪いんですよ、率直に、この表現等については。それから、これがいわば養護学校不要論の方々の一つの武器になりまして、もしいま養護学級へ行っている者も、来年以降はなじんでおる学校から遠いところの、まだ様子もわからない学校でマイナスの効果があるかもしれないところに強制隔離をされて、それをやらなければ不就学で罰金を食らうか、何か罰則があるんだというような話も出ておるわけです。これらもすべての問題が丁寧仔細に取り扱われる今日、こういったハンドブックの問題なんかももう一遍検討を加えられてしかるべきではないかというのが一つです。
 それからもう一つは、ぼくもこれ読んでみますと、従来あったものよりも丁寧に、たとえば盲、聾に続いて身体障害の児童、生徒の問題については、発達と、それから生活環境実態に即して総合的に見るように、総合的見地から慎重に行えというふうな記述もあるわけですね、「(身辺自立、運動機能、社会生活等)についての調査並びに家族、友人、学校等本人の発達に影響をもつ環境の分析などを行った上で」、この部分では教育上の見地、あるいは生活環境の勘案、それを見るのに、十分なだけでの就学指導体制というようなものについての指導を深めて、基本的には父母のいやがるものを無理強いするのでなくて、納得の得られる体制まで持っていこうというふうに考えておられるのかどうか、その点もお伺いしておきます。
○政府委員(諸澤正道君) ただいまおっしゃいましたその解説番の問題につきましては、なるべくわかりいい内容にする方向で検討をさせたいと思っております。
 それから、一番問題になります障害の程度に応じた学校をどこへ通わせるかという問題ですけれども、この点は制度的には御承知のように現在小・中学校にすでに在学している者が、義務制移行によって必ず養護学校に行かなければならないかというと、それは別の通達にもありますように、特別の事情があるため、引き続き小・中学校に就学されることが適当である者については、引き続きその学校でもよろしいんだ、こういう指導をしておりますが、その趣旨とするところは、やはり現在小学校におって、小学校でも受け入れる体制があるし、本人もそこでやりたいという、そういうことが前提になっておると思うんでありますが、しかし、これから義務制施行によって養護学校へ入ろうとする子供につきましては、やはり私は法令のたてまえに従って、養護学校へ行ってもらうということで指導をしてまいりたい。ただ、先ほども申しましたように、その障害の程度の判断に当たっては、十分慎重にやってもらう、こういうことでまいりたいと思うわけでございます。
○小巻敏雄君 大臣にお伺いしておきたいわけですが、私は、一般的に言えば子供の教育が学校教育を離れて、本当の成長発達を保障することは現在至難であろうと思うわけです。しかし、特別な例としては、たとえばヘレン・ケラーというような方が、特別恵まれた環境の中で、学校教育ではとうてい機械的判別など行えば成長発達を助けることができないというような状況をはるかに越えて、発達をされておるような例もあります。その恵まれた子供にとってはあり得ることです。これを少なくとも学校教育が引き下げるようなことにならないようにということは、どうしても考えておく必要があると思うんです。実は私のところに来ておる手紙でも、たとえば松葉づえをついてなら歩いて通うことができるにもかかわらず、それは措置上どうしても養護学校行けというようなことでずいぶんと努力をして、ようやく学級に通わすことができた、その後の発達著しいというような具体例とか、あるいはそのほかにも幾つかの知的発達のかなりに見通すことのできる施設にいた子供などで、むしろおくれたところに一緒にされたら遅滞に陥るであろうというような意見を周辺で持つにもかかわらず、これが実らなかった例とか、幾つかのケースがあると聞くわけです。ぼくは願わくは、今回のこの出されておる生活環境、もしくは友人、親との総合的見地から慎重に行うという状況の中で、少なくともかなりに立ちおくれたようなところでは、学校つくったのに学級に空きができては困るから駆り集めをやるというような、そういうパニックを起こしておるところもありますから、教育的見地から弾力的にこの点はあくまでも。
 それから、就学指導委員会も方針は出てもまだ充実しておるわけではありませんから、この点については弾力的な運用を可能とするようにまあ御指導を願いたいと思うわけです。いかがでしょう。
○国務大臣(砂田重民君) やはり義務化ということの法制化の意義を原則に置きつつ、まさに総合的見地に立っての判断が適切に行われることを、私としては期待しておるわけでございます。
○小巻敏雄君 続いて、奈良県でいまかなり多数の学校が特にこの春以降、部落解放同盟の傘下の諸君の要求によって、狭山裁判再審請求の集団行動ということを、学校がまあ行事的に取り組むことを要求されてきておるわけであります。ところが、まあこのことに対して非協力であったという理由から、特にまあ平群中学校という単校が四回にわたる糾弾と、不出席であるから重ねて、校長はその都度出席しておるわけですが、糾弾と。そしてまあこれに従わないので、生徒のストライキ、そうして同推の教員の解任要求というような、まことに健全なる常識で見れば耳を疑うような教育介入が行われて、まだ決着がついていないというふうに聞いておるわけです。この点について文部省ではどのように承知をしておられるのか、簡潔にこれも御報告いただきたいと思うんです。
○政府委員(諸澤正道君) 所管課を通じまして県の方からいただきました情報によりますと、ただいま先生が御指摘になったような児童の同盟休校、あるいは集団登校というようなことがあり、学校の校長、教頭等を呼んでの集団回答もあったのでありますが、その後九月の二十二日に学校が正常に戻って、その過程で学校と、学校当局と同和地区の生徒の話し合い等もあり、あるいは学校と保護者との話し合い等があって、十月十二日以降はゼッケン着用、集団登校というものも取りやめになったと、こういうふうに聞いております。
○小巻敏雄君 もともと平群中学校の教職員諸君が糾弾を要求されたということの原因は、狭山裁判の再審請求のために若井という部落の子供たちがゼッケンをつけ集団登校をすると、これに対して学校が協力をせよということの要求を履行しなかったというところに始まってるんです。そのときの協力要請の内容については御存じですか。
○政府委員(諸澤正道君) その際に学校でこういうことをしてほしいという内容としては、いろいろ、幾つも挙がっておりますが、たとえば校庭に、例の中学生の集会に、学校は石川青年――これは例の狭山事件の被告だと思いますが、まあ無罪だ、中学生も差別に負けぬようがんばれと激励してほしい、あるいは五月二十二日当日、朝七時三十分に隣保館に様子を見にくるようにしてほしいと、五月二十二日当日、校長は校門で、生徒は全校集会を開いて集団登校生を迎えてほしいとか、まあこういうようないろいろな要求があったようでございます。
○小巻敏雄君 私の聞いておるところではもう一つ抜けておると思いますね。教材としてこの問題を用いて、形はどうあれ、全学級で話し合いを持って、そこで作文をみんなにつくらせなさいということがもう一つ加わっておるわけです。この狭山裁判について、部落解放同盟の諸君が、これは再審請求をやるというのは、これは一つの社会上の運動でしょうけれども、そのときに学校にも協力してもらった方がありがたいと、こういうことで申し入れがあったのを受け入れるべきとお考えになるのか、それはお断りをするのが正しいというふうにお考えになるのか、大臣の考えをお伺いしたいと思うんです。
○国務大臣(砂田重民君) 文部省といたしましては、従来から同和教育資料を各県等に送付をいたしておりますことはもう御承知のところでございますが、その中でも、同和教育と政治運動や社会運動との関係を明確に区別をして、教育の中立性を守ることを指導上の最も重要な柱としているわけでございます。今後ともこの方針のもとに県当局と十分な連絡をとりつつ、こういった問題の解決に取り組みたいと考えております。したがって、政治問題、社会問題から教育の中立を守ろう、そういう基本方針でございます。
○小巻敏雄君 文部省の言われる方針に対してですね、平群中学の先生方はよく正しい路線を堅持をして、正しく対応したものだとお考えになりませんか。いかがですか、大臣。
 後で若干触れたいと思いますけれども、多数の学校では学校長も出席して、全学集会その他で石川無罪とともに叫んで、シュプレヒコールをやったり、他の地区出身でない子供も朝から集団登校させて、そうしてゼッケンをつけると、シュプレヒコールをやるというようなことを、相当要求を受け入れてやってきたわけです。まあ大抵のところは初めはそういうことを受け入れるのをちゅうちょするわけでありますけれども、しかし、便所に落書きが一つあったと、こういうことで糾弾会が行われて、そこで狭山裁判について協力せよと詰め寄られる。まず校長がオーケーをし、教育委員会が見て見ぬふりをし、そしてこれに対して反対をした者は引き続き追及をされて、全学態勢として受け入れるようになっている数多くの学校があります。しかし、平群中津校は、そのことを取り上げて糾弾をすると言うのに対して出席することなく、これらの問題については、正しくない行動には協力をしないということで、教育の場は学校で決めるということでやってきたわけです。その点はどちらが正しいのでしょうね。
○国務大臣(砂田重民君) ゼッケンを着用して集団登校するとか、同盟休校があったとか、そういう事態が中止されたということは、教育の中立が守られたものと考えております。
○小巻敏雄君 いや、ゼッケン、同盟休校ではなくてですね、最初に学校はゼッケン、同盟休校その他になる前にですね、同盟の申し入れによって、協力せよと言うのをお断りをして、教材化はいたしませんと、学校長がこれを支援するような訓話を全校生徒を集めてやるというようなことはいたしませんと、それからこの問題で糾弾すると言われましても、そういうような一方的な糾弾には出席いたしませんと、こういう態度をとったわけでありますが、その点は正しかったのではないでしょうかとお伺いをしているわけです。
○国務大臣(砂田重民君) 政治運動や社会運動から教育の中立を守る姿勢としては、正しい姿勢であったと思います。
○小巻敏雄君 それだけでは済まなかったのがこの学校の状況であります。そういうふうになりますと、それではというので、この地区の子供は学校に出席をさせないというので、親の同意書を取りつけまして、それでも学教へ行きたいから子供は行こうとするのですけれども、登校途上で持ち伏せをして、そして学校へ登校をすることを阻止をして、隣保館へ集めてここで中一、中二、中三いろいろ学習という名で他校の部落出身の教員諸君を、これは授業中でありますがそこに集めて、そして塾学習をやらせて、そして狭山学習をやる、こういうところの中から差別者教師を糾弾せよということを生徒諸君につぎ込むわけです。ここで非常に教育上の困難事項が起こってきておる。その結果やってきておるこの同盟休校、学校内でのハンスト、座り込みというのは、どういうふうに行われたかと申しますと、背中に「三大闘争勝利」「三里塚空港闘争勝利」「狭山再審」「同特法促進」と、こういうものをつけて中学生たちが座り込んで、教員たちを糾弾に出ないのはけしからぬと言うて、子供たちが教師に対してぼろくそに言うわけですね。こういう状況というのは、教師と生徒の関係というのが著しく損なわれるものであります。糾弾に出席をすれば、これは生徒たちが糾弾をするということも含まれておるわけであります。こういったふうなことは私は行われてはならぬことだと思いますし、あえて尋ねませんけれども、文部省大臣もかようなことが正しい教育だと思われることはないだろうと。ところがこういう状況をやめてもらうためにというので、教育委員会側ではこれをやめてもらうためには解同側の要求をのむということで、学校の体質改善、他の学校のようにこれを受け入れる障害にたるものとして、同推の教員をこの学校の同推から排除するという要求を出してきたわけです。人事介入であります。こういったふうな要求というのは、学校に対して外部の団体が行うものとして正当な要求であるのかどうか、これについてひとつ見解を伺いたいと思います。
○政府委員(諸澤正道君) 学校の運営は校長がその長として責任を持ち教員の協力を得てなすものであり、またその学校に置かれる、いまおっしゃったのは恐らく同和教育推進教員というようなものが、奈良県には各校一名ずつあるようでございますが、これも正道を言えば、校長の職務命令としてそういう仕事を特定の教員に分担させるわけでありますから、校長の責任と判断においてその担当を変えるなり、何なりするというたてまえでなければいけないであろうと、かように思うわけでございます。
○小巻敏雄君 さまざまな不当な要求が――他の地域では、一時兵庫の南但馬の地域においてこういうことが荒れ狂ったことがありますけれども、おおよそ本場の大阪でも、こういう状況は一定の範囲では終息をしておるわけですね。ところがなぜこういうだれが見ても理不尽な要求がまかり通って、ここだけ行われるのかというと、私、実はほかの状況も見なければならぬわけでございまして、ほかの地域で幾つか同様な問題が起これば、ほとんどことごとくそれは解同の要求が受け入れられておる。この学校だけ受け入れられないのではこの地区としてのメンツが立たぬとか、いろんな問題が起こってくるわけです。その状況全体を改善することなしに、こういう問題を直していくことはむずかしいと思うわけです。
 具体的に二、三の例についてお伺いをするわけですが、大和高田市の片塩小学校というところで、いわゆる差別事件というのがございまして、そして糾弾を受けておるわけですが、この事件の内容について御承知ですか。
○政府委員(諸澤正道君) 私は承知いたしておりません。
○小巻敏雄君 係の方は知ってるでしょう。報告聞いてませんか。
○政府委員(諸澤正道君) 担当課長は聞いておるそうでございます。
○小巻敏雄君 簡潔に報告してくださいよ。
○説明員(中島章夫君) 御説明申し上げます。
 大和高田市の片塩中学校というところで、実は五月に差別発言がございました。その差別発言に対しまして、差別発言を受けた同和地区の子供二人が、約五日ほど後で教室の片隅でその発言をした子供を殴ったという事件がございました。一部の方から、これは集団リンチがあったということと、それから殴った子供を解放同盟の人たちがこれを評価したと、こういうお話がございましたが、調査をいたしましたところ、いま申し上げましたように、教室の片隅で殴ったと、こういう事件でございまして、その後解放同盟の支部でも、いかなる理由によっても殴るというような暴力事件があってはいけないと、こういうことで、その後殴った方の子供の父兄と担任の先生が、殴られた方の子供の家庭に参りまして陳謝をいたしまして、その後事件はおさまっておると、こういう事件がございました。
○小巻敏雄君 それはかなり変造、改造をされた報告になっておるわけであります。実はこの差別発言をしたという事件は、一人の子供が何かのときにお茶くみを命じられておったら、ほかの友だちが茶くみ、茶くみと言ってひやかした。そのひやかした方に部落出身の子供がいたので、報復のために差別用語を吐いたというわけですね。そのことが直ちに教師の目に触れて、この大和高田というのは独特の同和教育政策を持っておりますから、直ちにこれを糾弾してくださいということで学校側から解同にお願いをいたしまして、差別事件として教員側から提起をされたわけです。ところが、そういう状況で、学校では教育的に取り扱うという教育上の措置を一方で行いながら、解同の糾弾を受けるという状況にあったわけですが、その一両日の後にか、その状況に刺激をされて、この差別の発言をしたという二人の子供がリンチを加えられて傷害になってけがをしたんですね。ところが、それに対して報復をすることはいけないという学校で指導をした途端にその指導方針が糾弾をされたわけです。結局差別事件について学校の教員の問答を求めると言われて、片塩中学校では「差別事件回答書」というのをつくっておりますが、私どもの常識では理解しがたい驚くべき回答書であります。いわゆる報復事件は何であるか、なぜ起きたか。この事件を報復ということで報告したことは教師自身の取り組みの浅さ、差別性をあらわしたものだ。実はいま教師は合意で何を決めたか。リンチを加えた集団の仲間入りをしなかった生徒は弱い生徒で、報復リンチを加えた者は差別を克服する点で勇気のあるすぐれた生徒であったという評価が欠けておりましたと、こういうふうなことになってくるわけなんですね。私は驚くべき非教育的な問題であり、子供に合理性を教えるよりも、戦闘力をつけることが、教育目標であるかのような状況になっておる。
 こういう状態にならなかったのが、それが平群中学でありますから、平群中学はいわば理性的教育から、こういう状況に体質転換を行うための糾弾を受けているということなんです。実はこの学校は、大和高田市の同和教育実践の趣旨に基づけば、そういう見方をするのが正しいということになるんです。ここも集団登校に参加をいたしますが、大和高田市の教育委員会が発行しておる「同和教育研修ノート」というのがあります。これは市費で、税金でつくられたものなんです。これの中には、たとえば狭山差別裁判の問題、こっちがノートになっておりまして、教員は全員これを研修を受けるわけですね。そのテキストがこっちにあって、狭山事件再審請求、狭山の差別性を許さないというのが市の出す方針の書かれたものの中で、テキストとして使われておるわけです。こういう状況の中に多くの幾つかの市教委が落ち込んでおるということですね。
 桜井も同様です。大和高田のこの中学の場合には、まだ糾弾に出席をしない半数くらいの教師がおるわけですけれども、こういう状況で、中はもう読や上げませんけれども、狭山事件再審請求、裁判の差別性を許さないという立場に立って、市教委の同和教育指導が行われていると、こういう状況があるわけです。これ、どうお考えになりますか。御承知ですか、局長。
○政府委員(諸澤正道君) いま係から見せられまして見ておるところですから、承知しておるというわけにはまいりませんけれども、いま先生御指摘のようなことが書いてありますとすれば、適当でない部分があるんじゃなかろうかというふうに思うわけでございます。
○小巻敏雄君 先般の全解連の文部交渉の中で私も初めてこの資料をもらいまして、その後読んで、非常に問題があると思っておるんです。その点は、私は担当課長の方で、少なくとも局長とともに、これについて質問の通告はすでにいたしておるのでありますから、速やかに検討をまとめておかれるべきであったと思うわけです。この点については、先ほど文部大臣が答弁されたところと、この市教委の方針は著しく食い違っており、逸脱しておると思うんですけれども、いかがですか。
○政府委員(諸澤正道君) いま課長に聞きましたところでは、奈良県においても、この「研修ノート」の中には、記述において一部不適切と思われる部分があるので改定の方向で指導をしてまいりたいと、こういうふうに言っておるようでございますんで、よく私どもの方も検討いたしまして、県と連絡しながら、適切な指導をしてまいりたいと、かように思うわけでございます。
○小巻敏雄君 桜井市というのも、大体これと同様な市教委は方針をもって、かなり強烈な、大体全市的に狭山再審支持の全学行動に入るような状況に置かれておるわけであります。桜井市では、初瀬小学校という学校がいわゆる差別糾弾を受けておるわけですが、これは御存じですか。
○政府委員(諸澤正道君) 小学校教育課の方でも聞いておらないそうでございます。
○小巻敏雄君 これもまあ、教職員の責任があるとはとうてい思えない事件で差別の判定をされて糾弾を受けておるんですね。PTAの副会長が、同特法ができて以降、先生が部落出身の生徒を大事にするから、一の子が二になって、二の子が三になったと、おまえらは法律のおかげで地区出身の子供は成績が上がっているんだと、ほかの子も大事にしてくれというようなことをPTAの副会長がしゃべった。そこで、教員が糾弾を受けて、差別をやりませんというあかしとして何を求められたかというと、「全学集団登校へのとりくみ」というので、これは県教委も一緒になって構成をしておる奈良県部落解放研究集会という九月二十三、二十四日の集会で、誇らしく報告されておりますね。「全学集団登校へのとりくみ 桜井市東中学校区同推協」の署名でレポートが挙がっておるわけです。この中で書かれておるのは、「われわれはこの重大なときに「第二・第三の石川さんを出さない」だけでなく、 親と子と教師が一丸となって 国民的世論を大きく巻き起すことにより狭山の勝利を含めた部落の完全解放への道が開かれるのである。」というふうに同推協で書きまして、この五月二十三日の「全学集団登校成功へのとりくみ」ということがずっと書き記されてあるわけです。「中学校は三会場に分かれ、小学校は十カ所の基点から出発し、一会場にそれぞれ結集をした。」 「冠旗を先頭に「解放歌」と「狭山裁判うちくだこう」の歌を全員で合唱しながら集団登校を実施した。」 こういうことで、「八時三十分より講堂集会をもち、学校長より同和教育の問題を鋭く見つめ、差別を許さないなかま集団を創造していく必要性を説かれた。」 これが奈良県の草案になっておれば、これは平群中学校が異質のものとして糾弾されるのも当然かもしれないんです。どっちが正しくて、どっちが間違っておるのか、このことは県教委の手によって当然ただされなければならぬものであります。私はこういう状況の中で、ぜひとも事情調査をやっていただいて、これに対しては、こういう不正常な状況が正常に戻るための御指導をいただきたいと思うわけですが、その点は大臣、いかがでしょう。
○国務大臣(砂田重民君) 同和教育と政治運動や社会運動との関係を明確に区別をしてまいらなければなりません。そうでなければ、教育の中立性という非常に重要なことが守れなくなってしまうからであります。その方針のもとに、ただいま御指摘の点も県当局と十分な連絡をとりつつ、県当局によりますこの問題の解決を見守ってまいりたいと思います。
○小巻敏雄君 現在までこれらの状況に対して、県はどういう指導をしておったのか、担当の方では掌握をしておられますか。
○政府委員(諸澤正道君) ただいまも大臣からお話がございましたように、県の教育委員会としては、そもそも同和教育というものは、政治運動や社会運動などとは明確に区別をして、純粋な教育活動とし、そして、そのねらいとするところは、あくまでも一人一人の生徒が人間としての尊厳を持って、基本的な人権が尊重されなければならないという、その立場を教育の場でも貫いてほしいのだと、こういうことで、各市町村の教育委員会を通じて小・中学校の現場にその趣旨の徹底を図るように教育をしておるということでございまして、具体的にいまおっしゃったようないろいろな紛争のケースについては、ケース・バイ・ケースで、いま申し上げたような基本的立場に立って指導をしてきておるというふうに聞いておるわけでございます。
○小巻敏雄君 指導をされておる以上は、奈良県の「同和教育の推進についての基本方針」の文書は読んでおられますか。
○政府委員(諸澤正道君) これも先ほどちょっと休憩時間に読んだので恐縮ですけれども、「同和教育推進についての基本方針」というのを奈良県教育委員会でつくって、これは関係者に配っておるようでございます。
○小巻敏雄君 先ほど言われた内容は、文部省の指導方針であって、決して同和教育の推進についての奈良県の指導方針には記入されておりません。奈良児の基本方針の冒頭の文章は、「同和教育は、これを民主教育の中核としてとらえ、その推進につとめなければならない。」となっておる。「民主教育の中核」というのはどういうことでしょう。
○政府委員(諸澤正道君) 主文のところにはそうございますが、私さっき読んだとき記録したんですが、何といいますか、同和教育を推進するために下記の事項に留意しろというその第一には、「日本国憲法、教育基本法の精神を体し、人権意識の高揚と、その実践をはかるための具体的な目標と方法を明確にして、その指導につとめる」ということがございますから、私どもが出しております同和教育の資料に掲げてある精神とやはり考え方は同じであるというふうに思うわけでございます。
○小巻敏雄君 そうすると、文部省も民主教育の中核であると考えておるわけですか。
○政府委員(諸澤正道君) このくだりは、ちょっと私もどういう趣旨か、もう少し聞いてみなければわからないことでございますが、いま私が申し上げましたのは、その方針の1に掲げてあるところが文部省の方針と同じではないかと、こういうふうに申し上げたわけでございます。
○小巻敏雄君 方針を読むときには初めからしまいまで読まなければ、ナチスの憲法と日本の憲法とだって部分的には一致したところがあるんですよ、それはね。何も私はこの方針がナチスの方針だと言っているんじゃありませんよ。それは何とか会の方針でも、人情愛をうたったりする部分はあるわけなんです。初めからしまいまで、根本はどうで、具体的はどうかということを読まなければならぬ。民主教育の中核とか原点とかいう言い方がある時期に運動場の方から流れたことがあります。私は教育の原点は教育基本法であろうと、こう思うわけです。原点が二つも三つもあったら、問題はむずかしくなってしようがないわけであります。中核というのも、ある時期に言われた原点というのと、それの後踏襲した考え方であろうと思うわけでありますが、これがてこになって、糾弾のときはもう必ず中核というのを認めるかというのが一人ずつの教員に詰められるわけであります。それだから、文部省の方針ぐらいでとろとろしておったらここでは務まらぬぞと、こういうことになるわけでありますから、これらの問題はやはり異質なものを内包しておると見る必要があると思います。同時に、文部省の掲げておる中心的な課題で、こっちの中へ出てこないものは、文部省の同和教育の推進については、「1、日本国憲法と教育基本法の精神にのっとり」から始まって、一の終わりには「合理的精神を尊重する教育活動」、このことが同和教育の基本には特に立ちおくれて、非合理社会に落とし込まれたものを解放しようと思えば、合理的精神というのが重要だというのが文部省の一つのかなめになっている。みずからの出した方針知ってなくちゃだめですよ、これは。そういうものはかけらも出てこないんです。合理精神というものよりも、具体的指導では、先ほどありましたように、リンチを加えた子供は告発に対する勇気ある子供で、それに従い得なかった子供は落後者だということを、教員が教育の立場から言わなければならぬというところまで偏向される。こういう基本方針には決して合理的精神などは書いてないわけですね。これはひとつ奈良に聞いてみなければならぬ問題だと思います。
 それから、特に八鹿高校問題等、南但馬の状況以降、非常にこの問題は全国で強調され、兵庫県の教育委員会などはかなり方針を是正したのでありますが、文部省の第三の項目にある「同和教育と政治連動や社会運動との関係を明確に区別し、」、「運動そのものも教育であるといったような考え方は避けられなければならない。」と。これ決して触れていないです。文部省に聞けば、反対でありません、そのようなことを留意してやっておりますと言うのであって、基本方針には当然あのように問題の連続して起こるべきところでは、私はもう御指導なさるなら、この点は重点として明記するかしないかは、奈良県の方針でありましょうけれども、文部省と一致するのかしないのかというのは、その辺のところでも、問題は明らかになってくるんじゃなかろうかと思うわけです。
 最後に、文部省の方に書いてないようなことがこっちに書いてあるのは、こういう部分があります。一二三四五六七と具体的な項目が奈良県の方針にありますけれども、その最後の部分に、「つねに児童・生徒や地域の実態をはあくして、その問題点をあきらかにし、これが解決にみんなでとりくむとともに、関係機関・団体と密接な連けいをはかる」、これがてこになって、そして運動体としての解同と地域の場においては密接に連絡を図らなければならぬというふうに解されておるんです。たしか文部省の記述も以前にはこの点あいまいなところがあったんだと思いますけれども、今日では運動体のこと書き入れずに、社会教育のラストのところで、「学校における同和教育、同和対策を行っている行政機関、社会教育関係団体の活動等と密接な連携のもとに」と、こういうふうに、これは教育関係の関係団体、そうして社会教育関係の団体との連携、実践は書いておりますけれども、教育は教育の場の中で決着をつけるんですね。この点も今日の状況を反映する以前の非常に立ちおくれた状況でこの記述があり、ここのあいまいさの中で、たとえば大和高田市教委のような指導方針が出されておるわけです。これらの点についてはひとつ詰めて明らかにして御指導いただけるのかどうか。これは局長にひとつお伺いしておきたいと思うんです。
○政府委員(諸澤正道君) 文部省の方針の2にもありますように、「具体的展開の過程においては、地域の実情を十分把握し」云々ということがございますから、同和教育の基本的な考え方として憲法、教育基本法に言うところの基本的人権の尊重というものを中心に据えますけれども、個々の県がどういうふうに対応するかという方針のつくり方、あるいは重点の置き方というようなことになりますれば、私はやはりこれはそれぞれの県で多少振幅があるのは当然だろうというふうに思うわけでございまして、そういう実態を踏まえながら、文部省としてもその実情に応じて、非常に常識に外れるような行為がないようにというふうな指導をいたしますけれども、何から何まで文部省の考えどおりにやれというふうなものではないだろうというふうに思うわけでございます。
○小巻敏雄君 何から何までやる必要はないと思うのです。しかし、たとえば奈良県というところでは御所という町で、市長が選挙に当選したら、選挙中の言動をもって糾弾をされて、そうして孤立無援糾弾を受ける中で市長を辞任する、いま選挙に入るというような状況も起こっております。選挙民から選ばれて、特定の人の糾弾で市長をやめなければならぬということは、議会制民主主義のわが国としては特別異例なことであります。しかし、もし同和が原点であるならば、それは議会制民主主義を上回る問題として許されるかもしれない。しかし、憲法、基本法を守るというのはさようなことが起こらないことでなければならぬと私は思うわけです。そういう状況の中で、特に指導上の留意点は、運動と教育とが混同しないようにするというのは、他の地域にすぐれて、秀でて、ここでは教育委員会によって守られなければならぬ問題であろうと私は思うわけです。ところがその点を他府県以上に回避して、表では文部省に対して指導を受け入れたと言い、バックでは二壁構造で底抜けになって、そして狭山裁判の協力をしたところは無難であり、しなかったところは教育委員会から含めて、全体に冷たい扱いを受けるというようなことになれば、正義が貫かれないと思うのです。私はそういう点で、いまの局長の答弁ではこういう状況は容易に改善されないのではなかろうかと思うわけです。
 最後に、時間も来ておりますから、念を押しておきたいと思いますが、先ほど引用しました桜井市の解放教育研での報告は、これは正式文書として解放教育研究会の総括文書に分散会の報告として載っておるわけであります。これの共催者になっておる同推というこの組織はどういうものであるのか、把握しておられますか。
○政府委員(諸澤正道君) ここに奈良県同和教育推進協議会研究大会というものの通知のビラがございますが、これで見ますと構成団体として奈良県公民館連絡協議会、奈良県子供の会連合会等々、幾つぐらいありましょうか、三十ぐらいの、教育関係団体だけではございませんが、各種団体が連合してできました同和教育推進のための協議会であるというふうに認識いたします。
○小巻敏雄君 この集会は解同、奈同協、郡山市役所の部課長は郡山を会場としたので、職務命令で全員参加し、それから保母が参加をし、障害児解放研究会が参加する中で、同推協とPTAと教育委員会とが共賛者として登録されております。同権協という組織の会長は県教育次長であります。これらの共賛の集会の中で、かような研究が推進されておる。こういうことでは運動と教育の混同と、あるいは偏向教育がここでは大手を振って主流の教育意見として通用し、そうして教育学の立場に立つ者は、圧迫されながら暮らさなければならないと、こういう状況になっておると見るのが至当であろうと思うわけです。ただされるべきは、教育委員会の手で指摘をしたら注意をしましたけれども、この大和高田市の教育委員会の者ばかりではありません。物証にも満ち満ちておるわけであります。こういった点、ある時期に県教委が偏向的な指導を犯した結果、兵庫県の南但馬でどういう状況が起こったのか、直轄学校の八鹿高校で問題が起こりましたために、むしろ大きな犠牲を出して、是正のきっかけになりましたけれども、今日ではむしろ県教委の手で隠蔽をされ、市教委の、場合によっては公然と、そして正しい行動をとった者は、目に見えるところではやられませんけれども、見えないところで病められて、人事でまでこれが圧迫を受けるということになれば、ゆゆしい大事ではなかろうかと思うわけであります。この点については十分な御指導をいただきたいと思いますし、重ねてその報告を得たいと思うわけでございます。ひとつもう一遍大臣の方から御意見を伺っておきます。
○国務大臣(砂田重民君) 私どもが作成をいたしております同和教育資料の中の、同和教育の推進について、ここの部分で述べておりますことに基盤を置きまして、教育委員会を指導してまいります。
○小巻敏雄君 最後にお伺いをするんですが、一昨日の委員会の際、和歌山の市教育委員会のいわゆるスト参加者氏名公表という、例を見ない行政行為のことについてお伺いをしたいわけです。
 時間も少なくて、文部大臣の御答弁をいただくことができませんでしたが、私はああいう問題は日本で初めてですね。行政当局の手で行われて、二度とエスカレートしてあちこちで行ってもらいたくないと思っているわけですが、文部大臣の御所見はいかがであるかということが一つと、もう一つ、やっぱり何としても公然と教育長が、制裁を加えるためにということを広報紙で書きあらわしてとった態度でありますが、これらの点も少なくとも県と相談もしないで、これは明らかなことでありますから、県と相談もしないで、しかも文部省には相談をかけて、県教委が行ったというふうに言っておるわけでありますが、その点についてどうもあいまいでありましたから、そういうことがあったのかどうか。それから県を通じて行うのであって、直接さような異例の行為について、文部省がそれはやっても差し支えないとかどうだとかいうような指導類似の行為は行うべきでないと思いますが、その点はいかがですか。
○国務大臣(砂田重民君) 一昨日の小巻委員の御質疑の中にあったことでございますが、和歌山市教育委員会が立て看板を立てたとは聞いておりません。和歌山県教育委員会を通じて、和歌山市教育委員会の様子を聴取をいたしましたところでは、事前にストをやめてくれるように、父兄側とともに教員を説得をした。それをあのような形でのストがあった。そのことについて学校長、そしてPTAの役員の方に限って公表をしたということは、和歌山市教育委員会の行ったこととしては、私はやむにやむを得なかったことであろうと考えます。
○小巻敏雄君 ちょっと聞き捨てならぬ私は答弁だと思うんですが、全国で四十七都道府県があり、その傘下には多数の市町村教育委員会があるわけですね。あえてそういうことをした教育委員会はありません、ほかには。ところが、スト参加に対して賛成した教育委員会もないと思うんですね。やめてくれと言い、その後で起こった状況については、それなりに勧告を出すなり、戒告を出すなり、文訓を出すなり処置をしておるわけですね。それに対して和歌山がとったああいう特別な行動はやむを得ない行為であったというのは、大臣のこれは所見であるわけですか。
○国務大臣(砂田重民君) ああいうような行動をといういま御指摘でありましたが、ああいうような行動ということが立て看板を立てて街頭に出したということであるのならば、それは和歌山市の教育委員会のやったことではないと聞いておりますから、学校長並びにPTAの役員以上の方にその氏名を知らせたということは、初めからの経緯を考えるならば、私は和歌山市教育委員会としてはやむにやまれぬことであったと理解をいたしております。
○有田一寿君 きょうは大学改革の問題についてお伺いするつもりですけれども、その前に、けさ出ておった事柄について、文部大臣の姿勢を伺いたいと思うことがあります。一昨年でしたか、偏差値の問題がいろいろ新聞にも取り上げられて議論になったときに、文部省の責任を問われ、そのときそのことについて議論が起こったわけですけれども、この県教委と文部省との関係であります。責任には権限が伴う。したがいまして、いろいろな全国各地で起こる小、中、高の問題等について、文部省は教育委員会に対して指導助言を行うということは承知しておりますけれども、それも行き過ぎになれば私はいろいろな弊害を生む。これはきょう久保委員も質問しておられました、それに逆らう意味ではありませんけれども、ある県でいろんな問題が起こる。もっとはっきり言えば、教育長を出してある県が三つあるとけさ言うておられました。福岡県もその一つである。ところが、これはその教育委員会が知事とも話し合った上で、どうしても適当な人材がいないので、文部省からできうべくんば適切な人材を割愛してくれませんかという希望を受けて文部省は出したと思うんです。出した者が本当に悪ければその県教育委員会はそれを了承しないはずです。了承した限りは向こうに責任は移った。それはその教育長をやめた後、文部省に帰ろうと帰るまいとそれは別問題です。教育長を文部省が出しておるから、そこで教育長の監督不行き届きその他があったときは文部省も共同責任ではないかという、この理論の進め方に私は反対をしているわけで、そうではない、それは県教委の責任であるというふうに私は思うわけです。何もかにも最近は文部省の責任を問うということですけれども、そうしたらしかるべく検討いたします。あるいは呼んで事情を聴取いたします。いろいろ言われますけれども、文部省が責任を感じられるのはよろしい。それは教育と名のつく限り、直接にかまた間接にか、それは責任は全然ないとは言いません。しかしながら、それを責任と言えば大変体裁がいいけれども、これは裏から言えばやっぱり権限につながっていくわけで、やっぱり行く行くは中央集権に私はつながっていくと思うんです。何のために教育行政を地方分権にして、それぞれ県教委、市教委を設けて、そこで自主的になるべく住民の意思を受けて教育問題に取り組んでいこう。それに対して文部省は指導助言をすることはあっても、監督命令はしないことになっていると思うんですが、そこら辺ちょっと伺っておきたい。そうしないとどうも姿勢がはっきりしません。
○国務大臣(砂田重民君) 県の教育委員会に対して文部大臣は指揮命令権を持っておりません。指導助言を行うのが私どもの役目でございます。したがいまして、文部省から派遣した教育長という御発言がございましたけれども、文部省が派遣した教育長でないことを、お答えを明確に私はけさ申し上げたつもりでございます。府県から御依頼があって、文部省の人を教育長に採用したいんだという御要望を受けて、文部省の職員をやめて県の職員になった人でございますから、どこまでもいまの有田議員のお言葉で言えば、責任は県教育委員会にあるわけでございます。そして、県教育委員会の責任でございますから、教育長がやられる教育行政一般のことも、県民に対して責任をもってやっておられることでございまして、そこのところはけさ私お答えの中で明確にしておいたつもりでございます。
○有田一寿君 それは深追いをしません。願わくばそこら辺ははっきりして、文部省の限度を心得られて、指導助言をなさることが、結局それぞれ自主的につくられている教育委員会が育っていき、りっぱな判断をするようになっていくもとになるというふうに考えますので、どうぞいま大臣がお答えになったような姿勢を崩さずに、ここまでは限度、ここまでは積極的に指導助言をするというようなことをかみ分けられて指導なさることを希望いたします。
 次に移りますが、大学紛争が起こりまして、大学の運営に関する臨時措置法というものができました。何年であったか、昭和四十四年であったかとも思いますが、あれは時限立法であったと思うんです。その取り扱いは現在どういうふうになっておりますか。
○国務大臣(砂田重民君) 大学の運営に関する臨時措置法は、その附則の第五項に「施行の日から五年以内に廃止するものとする。」と規定されております。すでに四十九年八月に期限を迎えたものでございます。政府としては、期限到来に伴います法的措置を種々検討をしてきたところでございますけれども、結論を得るに至らず今日に至っております。今後の同法の取り扱いに関しましては、学園の状況その他の事情を勘案しつつ、できるだけ早期に適切な措置を講ずることとしたいと、かように考えております。
○有田一寿君 実は法務省からも来ていただいて質疑をしたいとは思ったのですけれども、法務大臣でなければ恐らく責任ある答えもできないと思って。そういう要請をせずに文部大臣にお聞きしていくわけでありますが、私は法治国で法を守れということを国民に強制する限り、政府、国会ともにやはり法を尊重するという気風がなければいけない。都合のいい法律は、時限立法の場合はこれで期限が来ましたからもうこれは廃案になりますと、しかし別な思惑があれば、そのまま黙っておけば、あれは自然延長になるようになっていますね。だから、そこについて私は不明朗な感じがするわけです。なお、大学紛争がまた起こるかもわからない。そのときにまた立法することは大変だから、せっかくあの当時できた法律だから、波風立てずあのまま延長、延長でいきたいというのが現在の姿勢ではないかと思いますが、私はそれはおかしい。廃止するものは、五年で廃止しますという時限立法で国会で了承されたものを、それをあえてそのことを皆さん承知しておられながら、なぜ知らぬ顔をしていくか。いま研究とおっしゃいましたけれども、四十九年の八月からですから、五十、五十一、五十二、五十三、四年間これを引き延ばしてそのままにしておくということはどうしても了承できないんですが、どう思われますか。
○国務大臣(砂田重民君) 四十九年八月、期限を迎えましたときに何らかの措置ができていないことを私は遺憾に思います。臨時措置法というものは、いまお話しいたしましたように、廃止の措置を講じておりませんので、今日も法律としては存続している、こう考えなければならないと思います。ただし、法制同等にも意見を求めてまいりましても、同法の改正に関する法律案を政府が国会に提出しないで今日に至っているこの状態におきましては、同法に定めます文部大臣の諸権限の具体的な行使はきわめて慎重を要する、こういうふうに考えるわけでございます。いま、将来学校紛争がまた起こるかもしれないという御発言ございましたけれども、現在全国の大学はおおむね平穏であると申し上げて過言でないと思います。一部の大学において施設の不正常な使用の状況、遺憾な状態がございますけれども、いまの状態は同法が対象といたします学生による大規模な教育、研究の阻害とは性格を異にしていると思います。しかし、同法を廃止する、そういう廃止をすることについては、同法が果たしてまいりました紛争抑止の機能に留意する要がございます。対策なしに廃止しがたいものがありますけれども、同法にかかわるべき措置については、事の性質上慎重な対応を要すると考えまして、いまこれらのことについて検討をしているところでございます。
○有田一寿君 実は私が申し上げておるのは、五年たったら廃止するということで国会が了承してできた法律であるならば、五年たったらそれを廃棄して、必要があれば新たな、結果的には同じようなものであろうとも、新たに国会に諮ってつくるべきではないかということを申し上げているわけです。
 いま大臣、大規模な紛争はないとおっしゃいましたがね、ぼくはこれそんなに詳しくないんですけれども、大学の運営に関する臨時措置法の中にいろいろ、たとえば第三条の二項には「当該大学の管理に属する施設、設備その他の財産が本来の目的に従って管理され及び保全されるように適切な措置を講じなければならない。」と、またそういう正常でない状態が起こっておる場合は、これを紛争と認める。だから、紛争というのはどの程度が紛争と言うかここではあいまいであります。したがって、そのことについて、もっと、遠回りでなくはっきり言いますが、たとえば東大の精神病棟は占拠されてるという言葉でいいと思うんですけれども、あの占拠はこの紛争には入らないということを積極的にこの法で規定しているところがありましょうか。
○政府委員(佐野文一郎君) 臨時措置法には、二条に大学紛争の定義がございまして、「「大学紛争」とは、大学の管理に属する施設の占拠又は封鎖、授業放棄その他の学生による正常でない行為により、大学における教育、研究その他の運営が阻害されている状態をいう。」ということになっております。長期にわたる精神科の病棟の状況というのは、教育、研究の面におきまして、その阻害が生じているということは言い得ますけれども、学生による行為によって生じているものでない、その点においてこの臨時措置法の対象とする大学紛争に該当をしない。かつて地震研、応微研等の紛争にしましても、その点において臨時措置法の適用が困難であるという問題があったわけでございます。したがって、大学の運営に関する臨時措置法にかわるべき措置を検討するということにつきましても、学生による行為だけではなくて、その他の者が加わった場合であっても、それを大学紛争としてとらえるという点が当時課題になった経緯はございます。
○有田一寿君 これは、先年起きた大学紛争が学生によるいわゆる紛争であったことを受けて、この法律ができたと思いますので、そういうことであろうと思いますけれども、大学は研究生、助手、副手、いろいろ学生以外にもずいぶんと人数は多いわけですが、そういう人たちが授業放棄をするとか、それから施設を占拠するというようなことがあった場合は、これは紛争でないということで、ここに書いてある報告を求めるとか、そういうことには該当しないわけですか。
○政府委員(佐野文一郎君) 御説明が足りなくて大変恐縮でございますが、学生の中には、法律の規定におきまして、「これに準ずる研究生等を含む。」とございます。これは大学との関係で教育を受ける立場にあるもののすべてを指す。したがいまして、学部、大学院、短期大学、専攻科、別科の学生のほかに、特定の事項について教官の指導を受けて、一定期間研究に従事することを目的とする研究生、あるいは聴講生等を含むものでございます。
○有田一寿君 その精神病棟の占拠の問題もありますが、先般文学部の火災がありました。別に自然延長になっている法律に該当するからどうすべきだというようなことを私が質疑する自体がおかしいことであります。そのことはだから別問題と思ってお答えをいただいて結構なんですけれども、文学部の火災も、私も現場にも行ってみましたし、話もいろいろ聞いてもみましたが、やはりこれ簡単に考えれば考えられるようですけれども、これは、私は国有財産、国民の税金でつくられた、しかも国立大学、しかもシンボル的な意味ですね、へ理屈を言わずに言えば、東大と言えば。そこでこういう事態が起こるということは、もうこれはゆゆしき問題だというふうに私は思うんですよ。しかも、その背景にあるいろいろな事柄を考えれば。この学生の処分ということにもつながるわけですけれども、刑事訴追とは別に行政処分というようなことを大学はいまやっておりますか。それで、たとえばこの文学部の火災事件についてはどういうふうに進行しておりますか。
○政府委員(佐野文一郎君) 東京大学は火災事件の発生直後、火災発生に係る文学部長室等の施設につきまして、管理責任軒以外の立ち入りを禁ずる措置をとっております。と同時に、文学部の教授会の中に学生の処分あるいは責任、それと当面の大学の施設の管理の上での問題を処理するための対策委員会を設置をいたしまして、この対策委員会は現在積極的に機能をいたしております。さらに、大学の評議会の中に管理責任者の処分を検討するための特別委員会が設置されまして、それが非常にピッチを上げて審議をいたしております。問題は管理責任者の責任を明確にして、これに対して厳正な処分を行う。これは大学の学長、あるいは半部長というような教官サイドの責任もございますし、また事務局長以下の事務局の職員の責任の問題もございますが、それらを合わせて現在大学、あるいは文部省において、その措置を検討いたしております。できるだけ早くその結論を得たい、またそれを得ることができると考えております。
 そのほかに、学生の処分の問題、それから学生に対する損害賠償の請求の問題がございます。これらについても大学に厳正な事後措置をとるように指導いたしておりまして、大学側もその問題を問題としてとらえて検討をいたしているところでございます。
○有田一寿君 学生の処分がいつも問題になるんですけれども、管理責任者等の処分はできると思うんです。これは新聞で見たところですけれども、文学部の場合はわりに前向きの姿勢でこの処理に取り組むということですから、いずれ文学部長の責任等はっきりすると思いますが、常に学生の処分ということは、騒がれることを恐れてなかなか手をつけ得ないというのが実情ではないかと思うんですよ。東大の今度の文学部の火事の場合はどういうことでしょうかね。いま大学局長にどういうことでしょうかと質問するのもおかしいけれども、非常に私は不安、不満があるわけですよ、そういう学生に対してネグレクトするということについて。やっぱりきちっとした姿勢を示すときは示すという必要があると思うんですが、どうでしょうか。
○政府委員(佐野文一郎君) 御指摘のとおり、今回の事件の事後措置において非常に重要な問題は、学生に対する責任の追及の問題であると考えます。東京大学は四十四年の大学紛争以降、学生に対する処分を一切行っておりません。いわゆる破廉恥な行為をした者に対する措置というのは行われておりますけれども、これも学則上の処分としてではなくて、いわゆる自主退学、諭旨退学という形で処理をされてきているのが実態でございます。しかし、今回の事件につきましては、およそ例を見ないきわめて遺憾な不祥事でございますし、これに対する学生の責任の追及ということをおろそかにしては、きわめて説明のつかない事態に大学自体がなるわけでございます。文学部はその認識を十分に持っておりますし、文学部の強い姿勢を、基本的な方向としては大学の評議会もまた承認をいたしております。具体的に学生の処分をこれから大学側が進めていくについて、御指摘のように管理責任者の処分の場合のような形で事がてきぱきと進んでいくかどうかについては私も危惧を持っております。しかし、事の性質については、大学当局も十分に認識をしているわけでございますから、学長以下に対して、この件に関する処分、学生の責任追及については厳正に実施をしてもらうように強くお願いをしてまいるつもりでございます。
○有田一寿君 大学のキャンパスの中における自治と自由を守るということは、外部からの政治的圧力その他に対して守るということ、これは当然でありますけれども、同時に、内部からの違法、あるいは紛争行為等、あるいは紛争といってもそれが国有財産の滅失につながるような行動等の場合、これは自治と自由を内部から破壊しているわけで、これは教授会なり評議会は、その誇りにかけてもやはり信賞必罰、学校の本当の意味の内外の自治、自由を守るために私は立ち上がってやるべきだと思うんですけれども、これは歴史的な経緯があるから、外部からの圧力に対して守るということに非常な比重が置かれているということ、これはわからぬことはありません。しかしながら、同様にこれからは甘えた内部からのそういう違法に対して、きちっとして大学の自治と自由を守るという姿勢がなければ、大学というのは外からは安全だけれども、内部からはやられてしまうというようなことさえ私は恐れるわけであります。
 それで、この国立大学について、いろいろこのごろ出てきますね。医科大学の問題も、金沢ですかありましたが、今度宇都宮大学の選挙の問題もありました。一応大学紛争は静かな姿になっておると大臣は言われましたが、いわゆる大がかりな学生主導の紛争はそうかもわかりません。しかし、自治会が果たして本当に静穏になったのかどうかも私はわかりませんし、それとそういう教授自身の方の、あるいは助手、副手、助教授を含めて、そういう真ん中におるようなところの人たちの違法行為等が目立って仕方がないんですね。だからこれは大学の姿勢が緩ふんになっているんじゃないかという感じがしてならない。これは決して外部から圧力を加えるとか、管理体制を強化するという意味ではなくて、自由を守るために自主的に御自分たちがやるべきことで、それをやらないということはまことに勇気がないし、ひきょうだ。それはずいぶん学生紛争のときに批難されたことです。けれども、改革案が四十幾つぐらい私が見ただけでも出ましたけれども、ほとんど実行されてない。もう波が去ってしまえば依然またもとのもくあみというのが現状ではないかという気がしてなりません。しかしこれはこれ以上言っても、そういうことで指導しますと言われればあれですから、問題をもう次に移して、時間の関係もありますので、主任制度のことについてちょっと伺います。
 主任手当月五千円程度、しかし組合の方はこれを拠出闘争といいますか、受け取らないということのようですね。各県これは対応もまちまちのようですし、組合の出方もまちまちのようですが、これはいろいろ賛成、反対ありましょう。ありましょうけれども、一応この文教委員会でも議論の末決定した主任制でありまして、それを受けて文部省も各県に通達を出して、そしてその実行、定着を図っている。それが適当であるかないか、そういうことはもう議論の段階を過ぎたと私は思うのです。
 現在、お伺いしたいのは、拠出闘争、それを受けた教育委員会、あるいは受けないという教育委員会等あって混乱していると思いますが、そこのところを御報告をお願いしたいのですがね。
○政府委員(諸澤正道君) 現在主任手当が現実に支給されております県では、全部拠出闘争といいますか、それを大なり小なり展開いたしております。そしてその金額は、推計でありますが約十億ぐらいになるであろうというふうに言われておるわけでありますが、この拠出自体は、形式的に言いますと、組合のメンバーである各先生が、支給された手当を一たん自分のふところに入れて、そのうち何割かを拠出するわけですから、これ制度上それをやめさせるということはできないわけでございます。ただしかし、それを今度は毎月継続的にそして組織として集めて、教育条件の改善等に充てるということでありますと、これは寄付の申し出を受けた方はそういうことを受け取るのは適当でないということを私どもは指導しているわけでございます。そこで現実には寄付したいという申し込みがあっても、大部分のところは断っておるわけでございますが、現在寄付を受けて、テレビとか、百科事典などを贈られておるというのは、福岡県の嘉穂郡の数カ町村と、それから私の記憶ではたしか長崎県だと思いましたけれども、これは一町です。それだけでございまして、あとは徳島県と愛媛県で、これは教育関係ではなくて社会福祉施設に金品を寄付をしたというのがございますが、これはちょっと教育委員会の行政の範囲外でございますから、若干の金額でありますが受け取っておるというふうに聞いております。
 以上でございます。
○有田一寿君 この問題は各人の恣意によることですから、自分が受けるけれどもそれを改めて寄付するといえば、若干の税金問題はそこに発生するかもわかりませんが、それを解決すれば出すということはできますが、今度受ける側から言えば、受けるか受けないか。その金の性質がわかっておって、受けるか受けないか。これは目的は手段を正当化するということにはなってはならないと思うので、いまの文部省の見解は、私はそれが正しいのではないかというふうに思いますが、それならば、やはりこれも先ほど最初に申し上げましたように、教育委員会に対して余りに強く指揮命令するということはやめていただきたいので、それは良識に待つべきでありますから、それ以上強くとは私は要請をいたしませんけれども、この主任手当は御苦労賃であるということを、ここで永井文相のときにいろいろやりとりがあって成立したわけですけれども、その目的から言えば外れているわけですよね、はっきり言えば。仮に月五千円であろうとも外れている。だから、そのことについては、今後ともどうかいろいろな各教委の処理を注意深く見守り、極端に逸脱したところがあれば、それは指導助言をなさってしかるべしというふうに思いますので、それ以上いたしません。
 それから最後に、国連大学のことについて伺いますが、日本がすでに七千万ドルは拠出している。この五十三年度予算、これは一千万ドル計上してありましたが、例年二月にしか出さないのでそれをなるべく早期に出すということに現在なっているわけです。しかし、これは御承知のように、国連大学は基金であって、基金の果実をもって運営するということになっていますから、それが三カ月でも早く出るか、遅く出るかは、粗計算しても日本円で二千万から二千五百万ぐらい三カ月でも違うわけですから、なるべく早く出してやってもらいたいということ。それから、五十四年度予算には措置するということになっておりますけれども、これは例年ずっと一千万ドルできて、ことし分で八千万ドルですね。そうすると五十四年度分の措置というのは、私は一千万ドルと思っておるのですが、ここに外務省か大蔵省の人来ていただければはっきりすると思いますが、文部大臣のそれに対するお見通しをお伺いしたい。
 それとあわせて、アメリカでこれが先般上院で拒否されましたが、次の補正予算でもう一度議員立法で出て、あるいは通るかもわからないというような見通しを伺っておりますけれども、それについては文部大臣はどういうふうにお見通しでしょう。
 以上二つ。
○国務大臣(砂田重民君) 先生のいまの最後のところのお見通し、実はそういうことに私どもも期待をしているわけでございます。昨年のアメリカの議会で反対だった方が、賛成に変わってこられた方もあるわけでございます。委員長は大変熱心に推進をしようとしていただいたせんだってのアメリカの議会の経緯もございますので、補正予算でということに実はいま期待をかけているところでございます。
 それから、外務省から私ども聞いておりますところでは、五十四年度の概算要求をしていないということを聞かされまして、なお外務省と財政当局に文部省としては考えを変えていただくような積極的な働きかけを続けていきたい、こう考えております。国連大学の招致国として、何とかして国連大学の活動を活発にしていただきたいと思うものでございますから、諸外国に向かっては、国連、ユネスコ会議等を通じて、国連大学の維持を訴え、加盟各国の協力を引き続いて、要請をしてまいらなければなりません。十一月初めにパリでユネスコ総会がございますときに、私も出席をすることにいたしておりますので、私のスピーチにもそこに一つの重点を置いて各国に訴えたい。また、各国代表の方々とも懇談の機会がありますから、ひとつ全力を挙げて各国の協力をお願いをしてきたい、かように考えております。
○有田一寿君 いつも国連大学の問題しつこくお尋ねして、ある意味では恐縮に思っておりますけれども、四億ドルの基金をもって国連大学を運営するということで、ユネスコと国連総会で合意をして、それはホストカントリーとして日本に来たと。そして仮住まいからいよいよ本格的なところに入ろうとしておるわけですけれども、それについてはアメリカも日本と同じく約一億ドルを拠出するということでこれはスタートした。日本は今度八千万ドルまで出した、アメリカはゼロ、そしてこれを二回も三回も議会に国務省は出したけれども、いろんな紆余曲折はあったにしても最終的には否決されていると。それは原因は、ベトナムの難民に対する日本の救済態度が消極的であるという不満、あるいは国連に対するアレルギー、第三世界の発言権が強くなったということに対する不満等、それはいろいろあるとは思いますけれども、もしここでアメリカも出さない、したがって、ヨーロッパも出さないということになれば、これは私はゆゆしき問題だと。しかもこの国連大学に関してのみは共産圏も賛成をしているわけですね。これは中国もソ連も賛成をしている。国会の中でも二百数十各の推進議員というものは、共産党も自民党も含めて全部の党がこれに参加しているわけでありまして、また、日本に国連機関が来たというのもこれが始めてでありますし、今後また何が来るかわかりませんけれども、これを野たれ死にさせないということは、やはり日本の外務省なり、文部省にとっては、私は大事なことではないか。したがって、どうしても向こうが出さないというのなら、二億仮に日本とアメリカの出資限度とすれば、あとの一億二千万ドルぐらいは私は目をつぶって日本が出すべきだということは、この国連大学の研究テーマというものは、発展途上国にプラスするテーマがもうほとんどなんですから、それはある意味の発展途上国、中進国等に対するサービスだと、日本の。ここでよそが出さないから日本も出さないんだよというような場当たりの考えじゃなくて、私はそこまで包み込んで日本が出す。そうすればよそも黙っておれずにやがて二、三年、四、五年たつうちには出し始める。だからここでやめずにやってもらいたいという気持ちでありまして、もうこれがもしアメリカも出さない、どこも出さぬということなら全くのジャパン・ユニバーシティーになり、しかもそれは学生を収容しない大学ですから、これはもう一研究所にすぎない。それならもうインスティチュートという名前をつけて、大学という看板をおろすべきです。しかし、そのときの日本の置かれた立場というか、これは私は変なことになるのではないかという気持ちですので、これは文部大臣も非常に理解があって、積極的にやろうということのように私も伺ってますので、これは窓口は外務省ですけれども、そう言わずに、文部省も外務省に劣らず、積極的な姿勢で出ていただきたいということを御要望を申し上げて、重ねて最後に大臣のお気持ちを伺って終わりたいと思いますが、どうぞそれだけをもう一回おっしゃってください。
○国務大臣(砂田重民君) よその国が出さないならば日本が出してと、そういうもどかしい気持ちに私もならないではありません、率直に申し上げますと。しかし、そういう考え方をしてまいりますと、それは国連大学の趣旨に背くことになってしまいます。国連大学ではなくなってしまうわけでございますから、そういう割り切り方はまだするべきではないんではないかと私は考えまして、各国の理解を求めていくことをひとつ懸命に取り組む、もちろん外務省に負けるような気持ちは毛頭ありませんで、文部省がむしろ外務省に先駆けて、積極的な姿勢で各国の了解を取りつけることに全力を尽くしたいと、かように考えるわけでございます。ユネスコ総会でも各国の皆さんにお目にかかれると思いますので、その感触等また御報告ができる機会があろうかと思います。
○有田一寿君 私はそれだけをお願いしたがったので、いま大臣がおっしゃったシャパン・ユニバーシティーにせずに、執念深く外国の出資を持っていって、名実ともに国連大学にしたいということは私も同様でありまして、ただそれおのずから間がブランクができちゃって、ここで野たれ死にするようになったときはみとって、これはホストカントリーとしての責任上、どうせ対外経済協力をするぐらいなら、これを救い上げとってもらいたい。その前になるべく努力することは全く同じ考えでございます。よろしくお願いをいたします。
 終わります。
○委員長(望月邦夫君) 本調査に対する質疑は、本日はこの程度にとどめます。
    ―――――――――――――
○委員長(望月邦夫君) これより請願の審査を行います。
 第九号京都府における高等学校の増設等に関する請願外百五十五件を議題といたします。
 速記をとめてください。
  〔速記中止〕
○委員長(望月邦夫君) 速記を起こしてください。
 第八百七十号青少年健全育成に関する請願外二十二件の請願は、議院の会議に付するを要するものにして、内閣に送付するを要するものとし、第九号京都府における高等学校の増設等に関する請願外百三十二件は、保留と決定することに御異議ございませんか。
  〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○委員長(望月邦夫君) 御異議ないと認め、さよう決定いたしました。
 なお、審査報告書の作成につきましては、これを委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。
  〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○委員長(望月邦夫君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。
    ―――――――――――――
○委員長(望月邦夫君) 継続調査要求に関する件についてお諮りいたします。
 教育、文化及び学術に関する調査につきましては、閉会中もなお調査を継続することとし、本件の継続調査要求書を議長に提出いたしたいと存じますが、御異議ございませんか。
  〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○委員長(望月邦夫君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。
 なお、要求書の作成につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。
  〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○委員長(望月邦夫君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。
    ―――――――――――――
○委員長(望月邦夫君) 次に、委員派遣承認要求に関する件についてお諮りいたします。
 教育、文化及び学術に関する調査のため、今国会閉会後、委員派遣を行いたいと存じますが、御異議ございませんか。
  〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○委員長(望月邦夫君) 御異議ないと認めます。
 つきましては、派遣委員、派遣地、派遣期間等の決定は、これを委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。
  〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○委員長(望月邦夫君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。
 本日はこれにて散会いたします。
   午後六時九分散会
     ―――――・―――――