第098回国会 文教委員会 第3号
昭和五十八年三月二十二日(火曜日)
   午前十時四分開会
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   委員の異動
 三月三日
    辞任         補欠選任
     本岡 昭次君     宮之原貞光君
 三月四日
    辞任         補欠選任
     高平 公友君     仲川 幸男君
     林  寛子君     秦野  章君
     林  ゆう君     世耕 政隆君
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  出席者は左のとおり。
    委員長         堀内 俊夫君
    理 事
                片山 正英君
                田沢 智治君
                粕谷 照美君
                佐藤 昭夫君
    委 員
                井上  裕君
                山東 昭子君
                杉山 令肇君
                世耕 政隆君
                内藤誉三郎君
                中西 一郎君
                仲川 幸男君
                小野  明君
                高木健太郎君
                小西 博行君
                前島英三郎君
   国務大臣
       文 部 大 臣  瀬戸山三男君
   政府委員
       文部大臣官房長  高石 邦男君
       文部大臣官房審
       議官       齊藤 尚夫君
       文部省初等中等
       教育局長     鈴木  勲君
       文部省大学局長  宮地 貫一君
       文部省学術国際
       局長       大崎  仁君
       文部省社会教育
       局長       宮野 禮一君
       文部省体育局長  西崎 清久君
       文部省管理局長  阿部 充夫君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        瀧  嘉衛君
   説明員
       青少年対策本部
       参事官      阿南 一成君
       警察庁刑事局保
       安部少年課長   阿部 宏弥君
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  本日の会議に付した案件
○教育、文化及び学術に関する調査
 (文教行政の基本施策に関する件)
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○委員長(堀内俊夫君) ただいまから文教委員会を開会いたします。
 教育、文化及び学術に関する調査中、文教行政の基本施策に関する件を議題といたします。
 本件について質疑のある方は順次御発言を願います。
○小野明君 先般行われました大臣の所信の表明に対しまして、若干の質問を行いたいと思います。
 まず、大臣の政治姿勢の問願でありますが、文部大臣に就任される前は、大臣は自由民主党の憲法調査会の会長をなさっておられたわけでございますね。現在はその職はどういうふうになっておられますか。
○国務大臣(瀬戸山三男君) 文部大臣就任前までは、昭和五十五年でしたでしょうか、九月ごろから自由民主党の憲法調査会長を担当しておりました。しかし、文部大臣に昨年の十一月就任いたしまして、率直に言って文部行政は素人でございますから憲法どころの騒ぎじゃないのでございまして、調査会長を辞任して今日に至っております。
○小野明君 文部大臣に就任をなさって、自民党の憲法調査会の会長をおやめになった。おやめになった理由というのは、いかがなものでございましょうか。
○国務大臣(瀬戸山三男君) 自由民主党では実際上兼任がなかなか仕事を運ぶのにむずかしいですから、内閣に入る入らないにかかわらず、ほかの担当をしておりましても、また別な重要な担当になりますとその席を交代するのが普通になっております。
 特に、憲法調査会というのはわが党としては重要な場所になっておりますし、またおろそかにできない仕事でありますから、文部大臣というこれまたきわめて重要なしかも多忙な職でありますので、実際問題として憲法調査会の職責を果たすことはできない、こういう関係もありましてその席をやめたと、こういうことでございます。
○小野明君 そういたしますと、文部大臣と憲法調査会の会長という役両方をこなすことはできない、多忙であるからおやめになったと、こういうことでございましょうか。
○国務大臣(瀬戸山三男君) 結論から言えばそうだとも言えるんですけれども、先ほど申し上げましたように、自由民主党内では、ある役職をやっておりまして一年か二年しますと他の役職にかわることがありますから、他の重要な役職を担当するときには前の役職は他に譲る、こういう一つのしきたり、慣習と言いましょうか、そういうものもありますし、特に閣僚につきますとそれに専念する、こういうことがありますから憲法調査会会長をやめたと、こういうことだろうと思います。
○小野明君 そういたしますと、憲法調査会というのはもう人も知る憲法改正を図る、推進をする会ですよね。そのことは大臣のいまの、文部大臣に就任はされたけれども、あくまでも憲法は改正すべきである、こういうお立場というのは変わっていないと、このように解釈をしてよろしいわけですか。
○国務大臣(瀬戸山三男君) 自由民主党の憲法調査会というのはまだ改正案を持っているわけでも何でもありません。
 長くなりますが、昭和三十年でございますか、自由民主党成立、いわゆる保守合同によって成立いたしまして、憲法調査会というのはそれ以来ずっと続いておるわけでございます。憲法は、御承知のとおりいろんな学者の間でも世間でも識者の間に議論がありますから、それをいかにあるべきかということを検討調査して、いわゆる自主憲法制定という党のスローガンを持っておりますが、スローガンといいますか政綱を持っておりますが、国民的な合意のもとにできればやった方がいいんじゃないか、こういう方針で検討をずっと進めておるわけでございます。いろいろ議論がありまして、いかにあるべきかという結論をまだ持っていないわけでありまして、目下なおその検討が続いておる、こういう状況であります。
 私も自由民主党の一員でありますから、そういう立場で憲法については考えておりますが、内閣の一員として憲法についていま議論をしたり担当したりということはやっておらないと、こういうことでございます。
○小野明君 どうも質問に的確にお答えがいただけてないように思いますが、大臣としては、やはり憲法は変えるべきである、このような所信というのは大臣に就任をしても変わりはない、こうい
うことでございますね。
○国務大臣(瀬戸山三男君) かねがねお聞き及びだと思いますが、中曽根内閣、現内閣は、いわゆる憲法改正の問題を今日の課題にしない、こういう方針をとっておりますし、またそういう時期でもありません。私もその立場をとっておるわけであります。だから、大臣として云々と言われますとそういうお答えをするしかないわけでございまして、恐縮でございますが、文部大臣として憲法改正をいま考えておると、こういう立場ではございません。
○小野明君 そういたしますと、現在は文部大臣としては改憲というものは考えていない、こういうことですか。
○国務大臣(瀬戸山三男君) さようでございます。
○小野明君 そういたしますと、大臣、憲法第九十九条ですね、大臣はもう専門家ですから御承知のように「天皇又は攝政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」こう規定してございますが、瀬戸山文部大臣は、国務大臣としては国会議員よりもよりこの憲法を擁護し尊重しなければならぬ、こういう立場で国務大臣をお務めになると、このように解釈をしてよろしいですか。
○国務大臣(瀬戸山三男君) 国務大臣であるから国会議員というよりも、というわけにはまいらないと思います。国会議員であろうと国務大臣であろうと同じことであると、かような立場であります。
○小野明君 それは私もそのとおりだと思います。
 しかしながら、大臣は自主憲法期成議員同盟という会がございますが、この中のメンバーには名前を連ねておられますね。
○国務大臣(瀬戸山三男君) 連ねております。
○小野明君 そういたしますと、「「自主憲法制定」を積極的に御推進いただきたき要請」というのが会長である岸信介さんから中曽根総理に対して提起をされておられますが、この点については大臣もやはり自主憲法制定ということを推進なさると、こういうふうに見てよろしいんですか。
○国務大臣(瀬戸山三男君) 論理的にはそうなりますが、なかなかそういう場所に実際問題として参加しておりませんので、いわゆる認意団体でございまして、時間のある方は参加しておりますけれども、こう言ってはなんでございますが、多忙でなかなかその会議に参加しておるといういとまはございません。ですから、逃げるわけじゃありませんけれども、そういう推進をして運動をするという立場には現にないわけでございます。
○小野明君 そういたしますと、この自主憲法期成議員同盟に名を連ねておられますが、中曽根総理に対する自主憲法制定を積極的に推進すべきである、こういう要請には関与しておられなかったと、こういうことですか。
○国務大臣(瀬戸山三男君) それの会員にはおおむね自由民主党の議員のほとんど大多数は参加しております、政党の綱領にあるわけでございますから。でありますが、実際その運動にといいますか、そういう決定に参加しておる人は少数と言うと失礼でありますけれども、時間的な都合その他で少ないわけでありまして、私はその趣旨がいいとか悪いとかいう意味でなしに、実際問題としてはほとんど参加する機会はございませんでした。
○小野明君 そういたしますと、大臣はこの憲法九十九条に言う「この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」この条項についてはこれを忠実に実行する、あるいは自主憲法制定のこの運動に対しては関与をしていない、このように解釈をしてよろしいですか。
○国務大臣(瀬戸山三男君) 憲法九十九条の規定、国務大臣その他は憲法の条章を守る、擁護する、こういうことを書いてあるわけでございますが、これはまあ当然と申し上げてよろしいと思います。自主憲法期成議員同盟ですか、それに参加しておりますから、それに無関係だというわけにはまいらないと思いますが、現に参加しておりますからね。ただ、実際上それに参加をして議論をし、協議をし、運動といいますか、推進する立場にはないでおると、こういうことでございます。
○小野明君 どうも奥歯に物が挟まったような御発言でございますが、たしか大臣が憲法調査会長をなさっておられたときに中間報告をまとめられましたね、その骨子というのは大体どういう点にございますか。
○国務大臣(瀬戸山三男君) 大分日もたっておりますし、ここに資料もありませんから一々細かい点まで正確な記憶はございませんが、骨子と申し上げますと、結局、先ほども申し上げましたように、政党間ではもとより、憲法に関する学者あるいは評論家その他の識者の中で、いろいろ憲法の各条章等について議論があります。そういう問題を、これは先ほど申し上げましたように、昭和三十年代からずっと引き続いて、時に熱心なときもあるしそうでない場合もありましたけれども、引き続いて検討を進めてきておるわけであります。
 いろんな意見が出され、いろんな資料が膨大なものが集まっております。そういうものを検討して整理をいたしまして、こういう意見がある、こういうところはこうしたらどうかと、こういう何といいますか分科会をつくりまして、一応の中間的な報告をまとめておると。それにはまだ確実な結論を出すという段階にまで至っておらないところがあるわけでありますが、これを出しましたのは、憲法というものは私が申し上げるまでもなく、これは国政の基本法であって、国民の生活の準則でありますから、最も大事な法律であるわけでございます。でありますから、これをどうあるべきかということは、それこそ望むらくは国民全体が理解している、こういうふうな憲法でこういうふうな国づくりをしようじゃないか、こういう理解ができませんと憲法をどう結論づけるということはできないわけであります。
 こういろいろ議論がありますので、意見が分かれておる点はこうだ、こういう点がある、こういうことを研究をしてもらいたいという意味で国民の皆さんに、まあ資料を提供するといいますか問題点を提供し、その問題点については大体こういう考え方があるんだと、こういうことをお示しをするといいますか、参考に、資料にしてもらう、こういうことで出しておるわけでございます。
○小野明君 大臣は会長としてそれをおまとめになったわけですから、もう少し要点を、大体私は三点ぐらいに要約をされるんではないかと思いますが、いま少し具体的に中間報告というものの論点といいますか、問題点を御説明いただけませんか。
○国務大臣(瀬戸山三男君) 御説明するのは、記憶に頼ってやるのはいいんですけれども、何か国会で憲法の話をいたしますと、文部大臣が改憲の議論をしたとなると、いろいろな、曲解と言うと失礼でございますが、誤解されたようなことで世間を騒がしますから控えておるんですが、よろしいでしょうか。
 できるだけこの内閣では憲法の議論は国務大臣からはしないということにしておるんですが、前に衆議院の予算委員会分科会でしたか文教委員会でしたか、他の委員から聞かれまして、私が前に憲法について本を出しておりましたものについてお話がありましたから、それはこういうことで、こういう本を書いておりますという御説明をした、それだけでも何かもう改憲発言をしたとかなんとか言われて、ちょっと真意と世の中の受け取り方が違うもんですから。私は、こう言っちゃ失礼ですけれども、どうしてこう日本の国はこんなにお互いに心の通じ合わない社会になったんだろうかという気がしてならないわけであります。
 憲法のことを考えますについても、どうしたら日本が平和に――平和というのは私は社会、国民の、人間の心にあるものだという私なりの考えを持っておりますが、まず人間の心が平和でなければ社会も世界も平和にならないと、こういう一つの人生観を持っておりますんですけれども、なかなかそういうふうには世間というのは受け取っていただかないので、余り憲法についてはしやべり
たくないんですが。
○小野明君 大臣がたとえば中間報告で、これこれの点は改正しなければならない、こういうふうにお考えになっているのではないかと思いまして、私は大臣が会長として中間報告をまとめられた、そういう点をお尋ねをいたしたわけです。
 しかしながら、大臣としては、いろんな議論があるけれども、中間報告がいかなる報告であろうともそれは一つの意見であって、現在の心境としては憲法は変える意思はないと、こういうことであればこれは私は御説明の答弁を求めません。しかし、どうも中間報告までまとめられて、それが第九条であり、基本的人権であり、天皇の項である、きわめて重要なポイントについてすでにもう発表されておるところでございまして、この点についても大臣としてはその憲法調査会長としての殻といいますか、それの意思が残っておるんではないか、まあこういう推測があるものですから、大臣の憲法擁護の御発言、憲法は改正しないという御発言は確かなものであるかどうか、まあこれはこう言っては失礼になるかもしれませんが、その点が確かめたいものですからお尋ねをいたしたわけです。
○国務大臣(瀬戸山三男君) 率直に申し上げてそういう議論がありますと。だから、結論が出ておるところはほとんどないんです、あの中間報告は。こういう議論があります、こういう説がありますということで、さっき申し上げましたように国民の皆さんがどうこういう問題を考えられるか。私は、憲法は仮に三分の二で議決されましても、それは形式的にはそれでいいんですけれども、そういうものであってはならないと思うんです。民主主義ですから多数決で決めなきゃならぬことはありますけれども、まあそういう場合もないとは言いませんが、事憲法、国をつくる基本の問題は、国民がそうだという気にならなければ、その争いがいつまでも残って、やっぱりいまと同じような結果になる。多少内容は違うかもしれませんけれども、そういうことでは私はならないと思っているんです。これは私の個人的な見解でございますけれども。
 そういう考えを持っておる男ですから、いま直ちに憲法はこうしますなんていう結論を持っているわけではございません。議論があるから、何とか国民全体で一致した国づくりの方針といいますか、考え方というものができないものかと、これはもう正直にそういう期待を持っております。しかし、いまこういう憲法、この点をこう改めなければどうにもならない、こういう考えを持って閣僚になっておるわけじゃない、こういうことだけは御理解をいただきたいと思います。
○小野明君 それでは次の問題に移りますが、非常にいまわれわれの心を痛ましめる問題として非行あるいは校内暴力という問題がございます。この問題について大臣は、戦後の占領政策が誤っていたんだ、こういう御発言があったやに記憶をいたしております。特に、二月二十二日の閣議の後で大臣が、教育荒廃の一番深い根はアメリカ占領政策の影響である。占領政策の指令は日本の道徳、伝統、風俗、習慣などを破壊することであった、憲法にはいいことは書いてあるが、教育現場には反映されていない云々、こういう御発言があったようでございます。アメリカの占領政策の影響が今日の非行あるいは校内あるいは家庭における青少年の暴力と、こういうふうに見ておられるわけでしょうか。
○国務大臣(瀬戸山三男君) 記者会見での言葉遣いがもし適切でない、あるいは誤解を受けるようなことがあったということでありますれば、おわびをするにやぶさかでございませんが、校内暴力といいますか、あるいは校外でもありましたけれども、残念ながら特に最近はいわゆる低学年といいますか、中学校の子供たちの非行が非常に心配される状況にある。これはもう心を痛めるのは当然だと思いますが、これの原因がすべて占領政策にあったという意味では私は申し上げていないわけであります。私は、いまの社会のいろんな問題が占領政策に無関係であったとは言い切れないと考えております。各方面で意見を言われる方の発言にも、占領政策で日本がだめにされたとかなんとか、いろいろありますけれども、私はこういうふうに考えておるわけでございます。
 少し長くなって恐縮でありますけれども、まず、占領政策がよかったとか悪かったとかいうことを申し上げていないつもりでございます。あの当時の占領政策は、小野さんも御体験があったと言いますけれども、それは厳しいものでありました。私はまた、それは当然であると思っております。当然であったと思う。あれほどの大戦争をしまして、それこそ双方数百万、一般国民まで、非戦闘員まで入れると数千万と言われるぐらいの、世界史始まって以来という大戦争があった後でございます。そこで、この東洋の一角といいますか、太平洋の西の一角にあるいまの世界の中の日本と、その当時の世界の中における日本に対する見方、また日本から世界に対する見方とは全然比較にならない姿になっておるといいますか、ですから、その当時の判断と、いまの状態でその当時のことを、過去のことを考えるということは、私の考えで間違っておるかもしれませんけれども、非常にそごするおそれがあると、私はまあそういう見方をしておるんです。
 あの当時は、いま申し上げましたようにそれほどの、世界じゅうと言ってもいいくらいですよ、日本の本当の姿というのはわからなかった。ましてや日本人が世界の姿というもの、状況というものを、ほとんど無知であると言うと怒られる方があるかもしれませんけれども、私に言わせるとほとんど無知であったと思う。国会議員の何人が一体世界の情勢を知っておったでしょうか。本にも書いてありますけれども、私は戦後国会に送られまして、世界各国を回る機会がありました、三十年代の初めに。その当時はまだいまの日本の姿と違っておりましたけれども、失礼でありますけれども、どうしてああいうばかな無謀な戦争をしたのだろうという印象が私の偽らざる印象でありました。
 それで、帰ってきてから郷里に帰りまして、郷里のもと国会におられました先輩のところへ行って、私は世界を回って帰りましたが、世界の状況を見て、どうしてああいうばかげたといいますか無謀な戦争をしたんだろうと感想を述べましたところが、当時は、もちろんそういう方々は海外に行ったことがない。その当時は、御承知のとおり海外から帰ってくると、新帰朝者というのはそれは本当に珍しいことであった時代でありますから、世界を知らないのはあたりまえ。国会議員に何人おられたでしょうか知りませんが、軍部もほとんど海外の事情を知らない人が多かったと私は思いますが、二、三は知っておった人はあったかもしれません。そういう状況でああいう無残な大戦争をした。そのときに私の先輩の元国会議員の方が言われたのは、いや、日本は世界じゅうで一番強いんだ、アメリカの兵隊なんか雇い兵だから、こっちが大砲撃つと軍艦から跳び上がって逃げるんだ、勝つことは決まっておると思っておったんだよというのが簡単に申し上げてそのときの説明でございました。これは私の先輩の三回ぐらい国会議員をされた方の説明。そのくらいに時代が違っておった、いまからもう四十年近くになりますから。ですから、海外からも日本には認識がない、日本がまた海外に対して認識がない、私はこれが一番世の中危険だと思いますけれども、お互いの理解が進まなければそういうとんでもないことになるんだろうと思います。
 そこで、あれほどの大戦争を世界を相手にした日本の国、東洋にそういう国があるかということは世界じゅうがほとんど知らない時代でありました。それがあれほど暴れた。これはとんでもない国だ、ですからこれをたたきつけておかなければいかぬという考えを起こすのも、相手方からすれば私は当然だと言うとまた怒られる人があるかもしれませんけれども、無理もないことだと思っている。
 そこで、占領政策をずっと見てみますると、これはその当時は国民は全部知らされておらなかっ
たわけですから、戦後だんだん歴史が明らかになって、占領政策の資料その他の内容が御承知のとおり明らかになっておりますが、細かくはあるいは正確を欠くかもしれませんけれども、日本の歴史、伝統、風土、習慣、社会習慣、あらゆる点を破壊するといいますか排除するといいますか、そういうことをしなければならない。そして、アメリカ民主主義を徹底的に植えつけなければならない。言葉は正確でないかもしれませんけれども、そういうことが占領政策の眼目であった。したがって、日本の学校教育からは歴史も地理も道徳も、いわゆるその当時の修身、隣組の組織、家族制度からもう全部変えられた。それをいいとか悪いとか言っておるんじゃないんです。そうさせられた。そして、新しい憲法が御承知のとおり昭和二十二年に占領軍から原案を示されてでき上がった。
 何しろアメリカが、その当時はアメリカというよりも連合国が怒り心頭に達したと私は言っておりますが、それもまたあたりまえだと思っている。問題は、その大改革の受け方を日本人自身が、全部とは申し上げませんけれども間違っておったと私は思っている。それは開闢以来負けたことはないなんて言っておりまして、外国に負けたのは初めての体験でどう対応すればいいか五里霧中、お先真っ暗、すがる方法なし、これがあの当時の実情でありました。また、国民はその日をどうして生きていくかという状況でありました。その指導者といいますか、政府といいますか、周章ろうばい、そのすべを知らずというのがあの当時の状況であった。国民は当然でございます。
 でありますから、私は、憲法はすばらしくできておると、こう言いますけれども、そのすばらしくできておるというのは、アメリカ流の個人主義、自由主義結構でございます、そしてまた人間尊重結構でございます、人間の平等結構でございますが、その意味するところを本当に受け入れる、理解するという日本人の態度がまだできていなかったところに今日の誤りの基礎がやっぱり残っておるんだという私は理解を持っておるということでございます。
 これを別な言葉で言いますと、長くなって恐縮でありますが、私は、物事というものはまず最初に、恐縮でございますが、哲学がある、あるいは思想がある、その思想が意思となって言葉となる、あるいは行動となる、こういうものでなければ本物でないと思っている。その当時の改革、いまの憲法も――憲法に触れて恐縮でありますが、あらゆる改革は、初めに言葉ありきで、言葉だけを覚えましたけれども、思想から意思、行動に移ったわけじゃありませんから、本当の意味が理解されておらない。それが今日、自我を主張するだけ、あるいは人権を主張するだけでありますけれども、自我を主張するときには他の自我もあるんだと。憲法にはそのことが書いてある。教育基本法にもそのことが書いてある。「自他の敬愛と協力によつて」ということが教育基本法の第二条には書いてありますけれども、教育の目的に。そういうふうに進んでおらないところにどっかおかしなところがあるんじゃないかということを私は申し上げておる。これは学校教育ばかりじゃありません。経済発展の裏にまさに物質尊重、物質万能、社会連帯の欠如、こういう点が全部そこら辺から来ている、占領政策の受け入れ方が間違っておった、こういうことを私は考えておりますということを申し上げておるわけでございます。
○小野明君 そういたしますと、前段は、あの太平洋戦争は無謀な戦争であった、こういう御認識を御説明になった。そこで、私がお尋ねをいたしておりますのは、やはり今日の非行、暴力の原因は、いま大臣は占領政策に対する日本人の受けとめ方が間違っていた、こういう御発言でございますが、やはり非行、暴力の原因は、占領政策の日本人の受けとめ方が間違っていたんだ、そこに原因がある、こういう御所信でしょうか。
○国務大臣(瀬戸山三男君) 校内暴力及び青少年の非行、これはいろいろ原因がある、これはいま申し上げません。それは家庭にもあるし、学校にもあるし、社会にもある、御本人の素質にもある。いろいろあると思いますが、私があえてさようなことを申し上げますのは、御存じのとおり憲法第三章に、いろんな個人の自由とか国民の自由とか、人権とか、たくさん書いてあります。すばらしいことが定めてあると私は思っておるんです。私に言わせると、これはまさに人間の生きる道を書いておる、さように考えております。
 その人間の生きる道、自由というのはまさに生きる道、あらゆる権利が並べてありますけれども、これは憲法ができたから権利ができたんじゃなくて、だんだん人類が近代化されると権利ということを言っておりますけれども、これは生命を維持し発展するための生命力の作用でございますから、これを抑えたり制限したりしてはいかぬのだということをずっと定めております。しかし、それを何といいますか、自由とか人権とか教えられることは結構なんですけれども、それは人類が発展するためにそういう作用があるんだ、自分だけのものじゃないんだという意識をぜひ植えつけてもらいたいということを、教育ばかりじゃありませんけれども考えてもらいたい。
 それで、憲法三章にたくさん、三十条余り書いてありますけれども、簡単に申し上げると、これは失礼でありますが、わが身をつねって人の痛さを知れ、自分が嫌なことは人に要求するなということに尽きると思っております。そういう精神を植えつけてもらっておったらば、いまのような白昼堂々と自動車で乗りつけて強盗がはやったり、学校暴力で心配されたり、先生を殴ったり、あるいは先生が刺したり、きのうはまた子が親を殺したということをけさ見ましたけれども、わが身をつねって人の痛さを知れという精神が本当によく入っていたら、あるいは自分の嫌なことは人に要求するなという憲法の精神が入っていたらこういうことにはならぬのじゃないかと思います。率直に私はそういうことを常に考えておる、こういうことでございます。
○小野明君 非常に大臣、観念的な御答弁になっているように私は思います。
 それで、非行、暴力の問題についてこれだけ深刻化しておる。中曽根総理にしても、防衛問題から若干、選挙向けかしれませんが、教育問題に発言を向け変えつつあるわけですが、非行、暴力という現状を見て、政治家として大臣、それでは一体どう対処をすればよろしいと、文部大臣としてはどう対処をすべきかという問題について御見解を承りたいと思います。
○国務大臣(瀬戸山三男君) こういう校内暴力等については、あるいは青少年の非行については、いまに始まったことでなく、残念ながらもう過去から相当続いて心配されておる問題でございます。私は文部省に入りまして短かい期間でございますが、前の法務大臣をいたしておりましたときにも、いわゆる青少年の非行、暴力等が、その他麻薬、シンナー遊び、いろんな非行がありまして、心配しておりましたが、したがってこういう問題については、文部省と言わずあるいは総理府と言わず、法務省、大事な問題としていろんな対策を講じておる。文部省の細かい対策がもし必要であれば事務当局から申し上げますけれども。それにもかかわらず、最近、特に横浜で起こりましたああいういまだかつて例を見ないような外部の弱い立場にある人っていうんでしょうか、殺人といいますか、そういうところまで行ったと。それからさっきも申し上げましたように、学校の先生とのトラブルで教え子まで刺す事件が起こった。これはどういうことかというのが私の偽らざる感想でございます。
 いままでいろいろ文部省でもあるいは政府でも対策を講じつつ、それにもかかわらずこういう状況が起こっておるんだから、過去の努力は努力として、さらにどこに一体欠陥があるんだ、どうしてこういうふうな事態になるんだということをもう一遍あらゆる細かい分析をして、足らざるところを補ってやらなきゃいかぬじゃないかということで、文部省として、世間から何かやややゆするような批評が出ておりましたけれども、緊急にそ
れぞれの識者と思われる方の御意見を聞く会を開いたり、省内でもさらに検討会を開いて、そして、先日は全国の教育委員会の教育長さんにお集まり願って、全力を挙げて、これは子供の責任じゃない、大人の責任としてひとつこれに対する対応策を進めてもらいたいと。これは校長先生のリーダーシップが足らないとか、あるいは学校の先生方の協力一致が足らないとかいろいろな問題がありますけれども、そういうものを全部洗いざらい考え直して、学校だけじゃなくて社会あるいは地域とも相談をして進めなきゃならないということを今日やっておりますが、私は政府は政府で、御承知のとおり国民的な課題として将来にわたっての大問題の解決に当たらなければならないと、なかなか率直に言って一刀両断に即決するというような簡単なものではないと考えておりますので、これはどこが悪い、ここが悪いというよりも、みんながこの際、かわいい子供たちのまだ本当に未熟な時代ですから、わんぱくでつい妙なことに走るときもあるわけでございますから、やっぱりたしなめるところはたしなめる、いろいろな手段、方法もあると思います。
 将来の日本をしょって立つ若い国民でありますから、これは全力を挙げて進めなきゃならない。えらい抽象的とおっしゃると抽象的になりますけれども、そういうことを考えておるわけでございます。
○小野明君 私は、政治家というのはどうあるべきか、あるいは大臣としてこれをどう根本的な点をとらえておられるかということを御質問申し上げた。
 それで、家庭という問題、両親もこれは真剣に子供のしつけというものを考えなきゃならぬと思う。教師もまた考えなきゃならぬ。あるいは地域社会もこの問題に真剣に対処しなければならぬ。それらを文部行政の中で補助をするといいますか、それを推進してこの非行、暴力という悲しむべき事態を解決してまいらなければならぬということは、これは当然のこと、あたりまえの話であります。
 大臣は宮崎県の御出身ですが、私があえて政治家と申し上げたのは、先般宮崎県の黒木知事が、大臣御承知のように三千万円の賄賂を受け取ったということで第一審の判決がございましたね。大臣も宮崎県御出身ですからよく御存じだと思います。子供から見れば知事さんというのは大変これは偉い存在だと思っている。学校の先生もそう教えているんです、知事さんは偉い、市長さんは偉いと。教育行政もまた財政的には知事の権限の中にある。そういったことから学校の先生は、知事さんは偉い、こういうふうに――うちの知事さんばかだと教える先生はいない。多分そういう教え方をしてきたと思うんです。ところが第一審判決で三千万円の追徴金、それから懲役三年、これは実刑ですね、こういう判決がございました。
 政治家として私は、まず政治家が襟を正さなければならぬじゃないか、こういう意味を、大臣から哲学的な御見解をひとつ、まあこれはそういう皮肉な言い方ではありませんが、一体どういう御見解をお持ちであるのかお聞かせをいただきたいと思います。
○国務大臣(瀬戸山三男君) 哲学的なと言われても哲学者じゃございませんからあれですが、私どもは、御承知のとおり子供の時代から人のふり見てわがふり直せということを教わりました。学校の先生の後ろ姿を見て先生を非常に偉い方だというふうに見ておったわけでございます。なお、親の後ろ姿で子供は教えを受けておる。私は教育というのは、私、教育者じゃありませんけれども、小野さんみたいに教育者じゃありませんが、言葉や文字だけが教育ではないと思っておるんです。やはり大人の後ろ姿あるいは先生の後ろ姿、それが何といいましょうか、神々しいといいましょうか、ありがたいといいましょうか偉いといいましょうか、そういう気持ちを子供が受けるようになることが率直に言ってすばらしい教育のもとではないかと私は思っております。
 それは親や学校の先生ばかりじゃなくて、世間から言いますと子供の先輩、ましてや政治家、これがやはり姿勢を正すといいますか、行いを正すといいますか、みせしめといいましょうか、それがやはりまず第一に身を正す、姿勢を正す、行いを正す、人の道を外れないようにしなきゃならない。これは非常に大事なことだと思っておるんです。特に民主主義の社会でございますから、世間から代表者として選ばれておる人は特にその点は常に心がけるべき問題である、私はそう考えておる一人でございます。
○小野明君 私は質問の時間が九十分あると思って、そういうことで質問をしていたんですが、けさの理事会で五十四分までと、こういうことなので私の理解違い。質問の五分の一ぐらいまでしか行っていないので大変残念ですが、最後にそれでは一問だけ、四十人学級の問題。
 これは非常に行き届いた教育をすることについて重要な問題だと思います。行き届いた教育をするということが、学校教育における政治家としてあるいは文部省として果たすべき役割りだと思う。しかも、これは五十五年から発足をしておりますが、三年後に見直しになっておる、そういう約束があることも大臣御承知のとおりだ。
 それで、大臣がおっしゃるように、約束は約束としてきちんと守るような現在の政治制度でなきゃいかぬ、そういう自民党でなきゃいかぬと思います。この見直し問題を含めて四十人学級の問題、あるいは文部予算が大幅に削られておりますが、これでは非行や暴力、教育軽視の政治と言われても間違いないと思いますが、これをあわせてお尋ねをいたしたい。
○国務大臣(瀬戸山三男君) 四十人学級の問題は、昭和五十五年であったと思いますが、十二年計画で四十人学級を整備しよう、こういう方針を決められたわけでございますが、その後五十六年になりまして例の国家財政の問題が起こりまして、財政再建といいましょうか、こういう問題からいわゆる臨調の答申などに基づきましてこれがやや三年間ぐらいダウンする、計画が抑えられるという状況で、きわめて残念に思っております。残念に思っておりますけれども、しかし、財政もこれは国民の負担でありますからそう勝手ばかりも言っておられないだろう。その際の野党の皆さんとの申し合わせも承知いたしております。三年以内に見直すという直後に、いわゆる臨調の答申に基づく補助金整理の問題からこうなっておるわけでございますから。
 しかし、私どもとしては、いまおっしゃったようにできるだけ、たとえばよけいなことでございますが、この間の町田の忠生中学校も、聞きますと非常に大きな学校です。生徒数の多い学校です。この間、私は広島にほかの用で行きましたけれども、あそこの府中町というところの中学校、何人だと言ったら千四百人だと言う。大変大きいですねとびっくりしたようなことでございまして、私は田舎育ちですから、小さな学校で教育を受けた経験からいたしますと、いまおっしゃるように、できるだけというとこれは限度がありますが、やはり先生方の目がよく届くような教育の場が私は必要だと思っております。
 でありますから、よけいになりましたが、四十人学級は全力を挙げてでも、多少プランもいまおくれておりますからあるいはそごする場合があるかもしれませんが、進めなければならない。私はこれは非常に荒っぽいこと言って恐縮でありますが、教育の問題はそれこそ国づくりの基礎中の基礎でありますから、将来に及ぶ問題でありますから、余り銭金だけで計算を立てちゃいけないというのが私の一つの考えでございますが、そう勝手にいかない場合があるかもしれませんけれども、ぜひこれはできるだけ早くこの計画を達成させてみたいものだと、これが真情でございます。
○小野明君 予算全体の落ち込みは。
○国務大臣(瀬戸山三男君) 残念ながらことしは五百十億円ぐらい全体からは落ち込みました。しかし、もちろん財政はこういう状況でありましたが、一つは、公立学校、小中学校の整備の費用が二百数十億減額になりました。これは、各市町村
から出てまいりました生徒数の減ということで、統計上あと二年ぐらい先に小学校生徒も大分減るらしゅうございます。そういうことで新増設がダウンしたと、こういうこともありますし、また御承知のように、南極探検の「しらせ」が昨年八十一億であったのができ上がってことしは不用になった、こういう問題等も含めて減っておりますけれども、また財政困難なところでありますが、細かいことも必要であれば後でお答えさせますけれども、新たに新規助成をするというところも出しておるわけでございまして、窮屈な中でもまあ最低限というんでしょうか、まず教育にそれほど支障はないという点は確保した。ただ、私立学校に対する助成をある程度削減をした、こういう問題があることは御承知のとおりであります。
○小野明君 終わります。
○山東昭子君 最近の校内暴力などの少年非行は、都会はもとより地方の小さな町にもさざ波のように押し寄せて、目を覆うばかりでございます。きょうは教育上の最大の課題であるこの件について、文部大臣並びに文部省に若干伺いたいと思います。
 こうした問題を解決して、わが国の教育の正常化を実現するためには、その原因、背景を正確に把握することが前提であると思います。先日の文教委員会におけるこの問題の集中審議において、広島大学の沖原教授は、国際的観点から諸外国の事情を踏まえて、状況や対策について興味深い意見を述べられましたが、その原因、背景の分析については十分な意見をお聞きする時間が残念ながらありませんでした。校内暴力などが起きるバックグラウンドについては、国際的に共通する面と、各国の固有な面が考えられるのではないでしょうか。すなわち、共通の原因としては、たとえば中等教育の普及による教育制度の拡大と形式化によるもの、また子供たちの生活が豊かさから物質や享楽主義に走ってしまっていること、あるいは核家族化や離婚の増加による家庭教育力の低下などが指摘できると思います。これらに加えてわが国の持つ問題として、受験競争の存在、教育界での激しい対立や、校長の権威とリーダーシップの不足などもあるでしょう。しかし、貧富の差が少ない、人種問題もないなどと、教育上やりやすい面もあるのではないでしょうか。今日まであらゆるところでさまざまな指摘がなされており、すでに言い尽くされている感もございますが、まだ国民共通の認識に到達しているともとても言えないと思います。
 そこで、文部省は、校内暴力など少年非行の原因と背景について、一体どのように認識されているのかお伺いしたいと思います。
○政府委員(鈴木勲君) ただいま起こっておりますところの校内暴力につきましては、これが第一のピーク、第二のピークと異なりまして、かなり性格の違った少年非行の問題がその背景にあるということが指摘をされているわけでございますが、私どもが各県等で起こりました事例を調べましたところ、いろいろな原因、背景があるわけでございますけれども、一般的にいま先生がお挙げになりましたような、まず一つは学校の問題があろうと思います。校内暴力でございますので、学校における教育指導の体制あるいは生徒指導の体制の問題を私どもとしては第一に考えなければならないというふうに思います。共通して言われておりますのは、やはり問題の起こりました学校については、校内の生徒指導の体制が必ずしも整備をされていなかったということが各学校の関係者の異口同音の一致した意見でございます。
 それから、やはり日々の授業と申しますか、学習上の指導が不適応を起こさないような細かい配慮に基づいて行われていたかどうか、あるいは進路指導につきましても、一人一人の能力、適性に応じた適切な指導が行われていたかどうかという点になりますと、必ずしも十分ではないというような点が指摘をされているわけでございまして、まず教育の専門機関でございます学校におきまして、きちっとした原因なり背景なりを調べまして対応していかなければならないというふうに考えておるわけでございます。
 また、家庭でございますとか地域社会でございますとか、そういうような一般的、共通的な背景も確かにあるわけでございますけれども、それは個々の子供の成育歴と申しますかあるいは家庭の状況等いろいろございまして、必ずしも共通してこれが原因だということはなかなか申し上げにくい点があろうと思いますけれども、いまお挙げになりましたような核家族化によりますところの少子化に伴う家庭におけるしつけの問題とか、あるいは社会におきます連帯感が薄れまして、地域社会が持っておりますところの教育力が弱っているとか、いろんな面が指摘をされているわけでございますけれども、私どもとしては、まず第一に教育機関としての学校における問題点を正確に分析いたしましてこれに対処しなければならない、かように考えておるところでございます。
○山東昭子君 こうした問題に対する対策については、長期的な観点から改革に取り組まなければならない課題も多くあると思いますが、もっと短期的に早急に対応しなければならない幾つかの問題点があると考えます。
 そこで、文部省は今後どのような方針や計画があるのか、あるいはどのような優先順位で対応するおつもりなのかお聞かせ願いたい。
○政府委員(鈴木勲君) 校内暴力、非行を含めまして基本的な考え方をまず確立いたしまして、それに沿いましてその方針を徹底することを進めると同時に、やはり短期的と申しますか、応急にしなければならない問題もあるわけでございます。
 長期的な観点から文部省として掲げておりますものをまず申し上げますが、それは一つは学校における教育と申しますか、授業その他特別活動等を含めまして学校における教育活動が児童生徒に不適応を起こさないようなものでなければならない、いわゆるわかる授業をする、生き生きとした学校生活が送れるようにするということが第一でございます。
 それから第二は、やはり生徒指導のあり方といたしまして、学級担任とか生徒指導担当者に一任するのではなくて、学校全体の教員が力を合わせまして一致協力してこれに当たるということが肝要でございます。
 第三は、学校のみでこれは処理しがたい問題がございますので、地域社会と連絡をとる。PTAなりあるいは警察なり補導センターなり必要な機関と適宜連絡をとる。この三つの指導方針を五十五年の通知に掲げまして、その指導の徹底をしておるわけでございますけれども、この指導がなかなか徹底しない点があるわけでございます。
 そこで、大臣が申し上げましたが、この横浜市の事件、町田市の事件を契機といたしまして、この問題のよって来るゆえんをもう一度考え直し、さらに対策として改めるべき点はないかという点を検討いたしまして有識者の意見を聞いたわけでございますが、その中で出てまいりましたのはやはり校内体制の問題でございまして、これについては先ほど申し上げましたが、学校におきます生徒指導の組織のあり方、そういう問題について教育委員会なり文部省は、指導の観点と申しますか、努力目標を示して、チェックポイントを示してしっかりした指導をすべきであるということがございました。
 そこで私どもといたしましては、三月十日の都道府県の教育長会議におきまして、問題の起こりました学校に対しまして、校内の指導組織のあり方とかいろいろなチェックをする観点を示しまして、これに従ってひとつチェックをしてもらいたいということをお願いをしたわけでございます。これが第一でございます。
 それから第二は、問題の起こっている学校あるいは起こるおそれのある学校につきましては、教育委員会が重点的に指導を行うということでございまして、これは指導面はもちろん管理面も含めまして、教育委員会が総力を挙げてできるだけ早い機会に指導を行うということが問題の長期化を防ぎ早く解決する要点であるということでございまして、重点的な指導を行うということをまず徹
底してもらいたいということを申し上げたわけでございます。
 そのほか、現在行われておりますところの校内暴力等の問題行動を起こしました生徒に対する措置といたしまして、自宅学習とかいろいろな校長限りの措置が行われておりますが、これが果たして適切な措置であるかどうかという点につきまして実態を調べる必要があるということで、この問題についても早急に実情を調べることを要請したわけでございます。
 そのほか、現在行われております道徳教育のあり方でございますとか授業のあり方でございますとか、そういう点につきましてももう一度そのあり方を見直して、適切な指導をしていただきたいということを三月十日の都道府県の教育長会議におきまして指導をお願いしたわけでございまして、当面はこの指導の徹底をさらに図るために各都道府県の協力を求めたいというふうに考えているところでございます。
○山東昭子君 先日の審議の中でも、校長の適切なリーダーシップによる全教職員の一致協力体制がきわめて重要だが、これらが必ずしも十分に行われていない実情が述べられました。文部省は学校の管理運営の実態を日ごろからどのように把握しておられるのか、また今後その適正化に努めるためにはどうするおつもりでございましょうか。
○政府委員(鈴木勲君) 学校の管理運営につきましては、日ごろからその適切なあり方につきまして都道府県教育委員会を通じまして指導しているわけでございます。
 先ほど申し上げましたように、問題の起こりました学校につきまして調査をいたしますと、やはり第一に指摘されますのが学校の生徒指導体制を中心とする学校全体の運営のあり方が問題になっているという点がございますので、まずその点につきましては、これは教育委員会が責任を持って学校を指導するということと同時に、校長が明確な方針を定めまして生徒指導の組織を整えて、学校が一致協力をしてこれに当たるということをまずはっきりしなければならないわけでございまして、そういう方針を含めて指導をしてまいらなければならないと思います。すべての学校についてということではございませんが、問題の起こりました学校、起こるおそれのある学校等につきましてはそういう点が指摘をされておりますので、その観点を特に重視をして指導していかなければならない、かように考えているわけでございます。
○山東昭子君 ここでちょっと教育委員会のあり方並びに教育長についてお聞きしたいと思います。
 従来からも学校現場の真の姿や数々のトラブルについて教育委員会には全く知らされていない事件も多々あったようですけれども、一体、文部省と教育委員会あるいは学校当局、この三者はどういう形で話し合いをしておられるのか、本来教育委員会の果たす役割り分担について教えていただきたい。
○政府委員(鈴木勲君) 文部省と教育委員会との関係は、これは指導、助言、援助という関係でございまして、そのような観点から基本的な対処方針等につきましては指導通達等を出しましたり、あるいはいろんな会議の機会に指導をしているわけでございます。
 ところが、市町村の教育委員会は、これは学校を設置いたしまして管理をする機関でございますから、学校の運営全体についての責任は負っているわけでございます。そこで市町村の教育委員会、あるいはそれを指導、援助いたします都道府県の教育委員会等が責任を持って学校の管理運営でございますとか、日ごろからの問題につきまして適切なやはり指導を行う必要があるというふうに考えているわけでございます。
 学校と教育委員会との関係が必ずしも円滑にいかないという点はいろいろと見聞するわけでございますけれども、特に問題の起こりました学校につきましては、教育委員会との連絡が不十分であるという点が見られます。これは学校によりましては、やはり教育上の問題でございますので、できるだけ学校内で処理をしたいという気持ちがあるのは当然だと思いますけれども、しかし校内暴力と申しますか、学校内の基本的な関係、秩序が乱されるような問題について学校内で処理をするというのはやはり適当ではございません。そこで、やはり日ごろから教育委員会との連携を密にいたしまして、また問題が起こったものにつきましては直ちに連絡をして、教育委員会の指導のもとに教育委員会と一体となって処理をするということが必要でございますので、そういう点につきましても、過般の都道府県教育長会議等におきまして、市町村教育委員会の責任においてしっかりした指導をすることが必要であるということを申し上げたわけでございます。
○山東昭子君 全国歩いておりますといろいろな形で教育長にお目にかかる機会も多いのですが、皆様もちろんまじめな方も多いのですけれども、中には情熱のない、名誉職的な人材もたくさんいると聞いております。教育長を選考する際はどのような角度からなさるのか、方法をお聞かせください。
○政府委員(鈴木勲君) 教育長は、言うまでもございませんが、教育委員会の権限に属するすべての事務を教育委員会の指揮監督のもとに行う重要な職でございますので、行政的手腕でございますとか、あるいは教育的な識見というふうなものにつきまして必要な資質を備えていることが望ましいと考えております。
 ただ、やはり地方によりましては必ずしも適材が得られないという面がございまして、あるいはいまおっしゃいましたような例があるかもしれませんけれども、私どもとしては、市町村の教育委員会の教育長の任命に当たりまして、これは都道府県の教育委員会がその承認をするという権限がございますので、そういう際に十分に市町村の教育委員会の教育長の選任について、首長の識見を確かめ、適材が得られるような、そういう機会に十分な配慮をする必要があるということを従来から指導しているわけでございまして、そのような指導を今後ともしなければならないと、かように考えております。
○山東昭子君 文部省は指導、助言という形で教育委員会になさるわけですけれども、やっぱりそれをしっかりと受けとめる、本当に筋の通った信念を持った教育熱心な方にやっていただかないと、やはり大切なことですから、今後ひとつ慎重に選考していただきたいと思います。
 また、校長と並んで教頭もまた学校運営上きわめて重要な存在だと考えておりますが、現状は雑用係などと言われたりして、必ずしも十分な役割りを果たしていないところもあるようでございます。そこで、機能していないとすればその原因、さらにどのような役割りを期待しているか、お考えをお教えいただきたい。
○政府委員(鈴木勲君) 教頭につきましては、学校教育法の改正によりまして、これは校長を補佐をいたしまして学校の管理に当たる職責が法律上明定されまして、従来と違った重要な役割りを担うわけでございますので、都道府県におきましても、教頭の選考に当たりましてはほとんど選考試験をしているわけでございますが、その際には教育あるいは行政上の知識のみならず、面接によりまして人物をしっかりと評価をするというような方法もとっているわけでございまして、教頭について適材を得るという努力は各県が一生懸命やっているものでございます。
 ただ、現在の教頭の仕事が、校長と教員の間にありまして非常にむずかしい職責を担っているということは御指摘のとおりでございますけれども、しかし、問題のありました学校等につきましては、教頭が機能するかどうかが問題を解決するポイントだというふうな例もございます。
 私どもとしては、教頭の定数の問題につきましては定数改善計画等におきまして配慮をされているところでございますし、さらに教頭を含め全体の教員の負担軽減のためには四十人学級あるいは定数改善計画によりまして教員の定数改善を行うと同時に、そのような施策を進めることによりま
して、教頭だけが問題を処理するのではなくて、いろいろな仕事を校務分掌組織を通じまして主任等に分担をしてもらいまして、適切な管理運営組織の上で仕事が運ばれるようにしなければなりませんので、その意味で主任等の制度も確立をされているわけでございます。そういう観点からも教頭の職務の適切な運用について指導をしてまいりたいと、かように考えています。
○山東昭子君 最近、授業についていけない子供や非行に走る子供がいる。原因は、教職員の数が足りないからとか四十人学級にするべきだという議論がなされているようですが、私は必ずしもそれだけではないと思います。私たちの年代は一クラス六十名という編制の中で学んできた一人でございますけれども、現在は、施設面でも児童数の点からいっても大変恵まれた環境だと思います。今日の教育の質的充実を図るためには、何よりも教師の資質の向上と指導力の強化が最も重要なポイントだと考えます。
 そこで、教員養成について二、三伺いたい。
 現行のように教科に関する知識教育中心ではなく、人間の成長、発達や成長段階ごとの特色と心理など、人間そのものの理解を深める教育を重視すべきではないのでしょうか。また、教員養成のための教育方法は具体的にどうあるべきか、お考えをお聞きしたいと思います。
○国務大臣(瀬戸山三男君) 教員養成の具体的方法等については局長からお答えさせますが、いまおっしゃったように、私は文部省を担当するようになりまして、学校のいわゆる荒廃とまでは私は考えませんけれども、いろいろなああいう問題が起こります状況を見て、学校の先生方が、一体、この私に言わせると非常に大事な仕事である、仕事といいますか、まあ世間では聖職だとかなんとか言われる、言葉はどうでもいいですけれども、本当に人間、将来の人間を養成する、教え育てる大事な職場でございますから、それだけの真剣な使命感を持っておられるんだろうかどうか。いろいろな非行の原因が並べ立てられておりますし、私も申し上げておるわけでございますが、社会がどう、家庭がどう、いろいろありますけれども、そういう環境の中でも子供をちゃんとしたよい社会人、よい国民として教え育てるという使命感といいますか情熱、あるいはそういう素養を持っておられる人がそろっておられるのかどうかということについて、教育の現場、私よく存じないでこういうことを言っちゃ恐縮でございますが、そういう感想を持っております。
 そこで、文部省の当局に対しては、もう三十数年たっておるわけでございます、この教育制度が立ってから。そしてこういう状況になっておる。過去を振り返って、伝統だけではいけないのであって、もう少し、どこでもいい、大学を出たりあるいは短大を出れば、教員免許状を持てば、だれでも先生になれるというようなことで一体いいのであるかどうか。先生というのは特別な職のように思うし、だからこの採用の問題あるいは養成の問題、あるいは学校の先生、現職の何といいますか、さらに研修の問題、もう一遍考え直してみてもらいたい、それを検討しようじゃないかということをいま提言しておるわけでございますが、細かい問題については局長から申し上げさせることにいたします。
○政府委員(宮地貫一君) 大臣の御答弁を補足して一、二御説明をさせていただきたいと思います。
 大臣からもお答えのございましたように、教育者としての使命感なり情熱を持った教師の養成ということが大変大事であることはもとよりでございまして、現行の免許基準におきましても、たとえば教科専門科目なりあるいは教職専門科目について一定の単位数以上、たとえば教職専門で申しますと、教育原理でございますとか教育心理あるいは教材研究というような、具体的な専門的な科目について修得をするような配慮はいたしているわけでございます。
 ただ、それらの点がなお不十分でないかというような点は、御意見としてもいろいろ伺っているわけでございまして、教職のための基準についてさらに高める必要があるのではないかということについては、私どもも具体的な検討を要する問題点ではないかというぐあいに理解をいたしております。
 なお、第二点でお尋ねのございました教員養成のための教育の内容、方法についてどうあるべきかというようなことについて、大学における研究で具体的に若干御説明を申し上げますと、たとえば教員養成大学学部の教官研究集会というようなものも具体的に持っておりますし、また、日本教育大学協会においても、かねて教員養成のための教育課程というものはどうあるべきかということについては研究協議も進めてきております。たとえば先般、昭和五十六年六月でございますが、小学校教員養成のための教育課程の改善についての研究がまとめられているというような事柄がございます。そして、たとえば先ほど申しました教員養成大学学部の教官研究集会のテーマといたしましては、それぞれ教科教育の、たとえば国語科教育の研究でございますとか理科教育の研究、要するに教育の仕方についての研究について具体的な研究をしているというのが現状でございます。そのほか国立大学について申せば、教育方法改善経費というようなものを教員養成大学学部に配りまして、それぞれ教科教育なり教育実習なり教育相談に関するものなどについて、具体的に教育方法の改善についての研究に取り組んでいる大学についてそういう経費を配るというようなことで、大学における教員養成のための教育の研究なり方法の改善のために従来とも努力はしてきておるわけでございますが、さらにそれらの点について一層私どもも積極的に努力をしてまいりたい、かように考えております。
○山東昭子君 最近、筆記試験の成績だけを重視するのではなく、教育者としての使命感、実践的指導力などを見るために面接や実技試験を重視し、クラブ活動あるいは社会奉仕活動を評価することなどの方針が出されて、教育者としてふさわしい資質、能力を多角的に評価する方法を採用する都道府県などが増加しつつあると聞いておりますけれども、その現状と成果についてお伺いしたいと思います。
○政府委員(鈴木勲君) ただいまお挙げになりましたような点につきましては、かねてから教員の採用方法に改善を加えまして、適性を持った教員を確保する必要があるということでございますので、昨年の五月にはそのような趣旨の通知を出したわけでございます。その昨年の教員採用選考試験の実績を見ますと、いまお挙げになりましたような教員としてふさわしい資質、能力を多角的に評価いたしますために、たとえばクラブ活動でございますとか、社会奉仕活動でございますとか、そういうような経験を積極的に評価するなどの県がふえております。さらに実技でございますとか、論文でございますとか、そういうものも加味されておりまして、総合的に教員の資質を判定するような方法が各県によりまして非常に熱心にとられまして、私どもとしてはこの通知の効果が上がっているというふうに考えております。
 それからもう一つは、採用内定の時期の問題でございましたけれども、これは都道府県におきましては、教員の採用内定の時期が勧奨退職の状況等もございまして、なかなか早期に決まらないということもございましたので、これでは人材を他の分野に流出してしまうということが憂慮されましたので、できるだけ早く内定をする必要があるということを指導いたしまして、このことにつきましては内定時期を早める県が大幅に増加をいたしておりまして、五十七年度は十一月に内定をいたしました県が十一県でございましたけれども、五十八年度は三十三県というふうにふえておりまして、この点につきましてもかなりの改善が見られたというふうに考えております。
○山東昭子君 適正な教員の採用に努めても、教職についた後にどうしても教師に適さない資質の人が出ることは避けがたいのではないでしょうか。たとえば子供が好きでない人、授業内容につ
いて勉強もしない人、情緒不安定で怒りっぽい人、えこひいきする人、あるいは協調性のない人。しかし終身雇用あるいは年功序列の慣行を持っているわが国においてはこのような場合の対応が大変むずかしいと思われます。しかし、これは子供の教育にかかわることなので、本人の希望も尊重しながらほかの行政部門などへも早期に回すことを工夫することが必要ではないかと思うのですけれども、いかがでございましょうか。
○政府委員(鈴木勲君) やはり教育は教師の人柄なり力なりによって行われるものでございますから、資質の問題が一番大事な問題であることは言うまでもございません。いまお挙げになりましたように、途中からあるいは病気によりましてノイローゼになるとか、いろいろ問題が起こりました教員の扱いにつきましては、都道府県教育委員会等におきましても、たとえば精神科医等を中心といたしまして判定をする委員会等設けましたり、いろいろと苦労しているわけでございます。また、人事面につきましても、そのような教員につきましては、休職が可能でない場合には、これは他の部門と申しますか、教育研究所とか研修センターとか、そういうところでしばらくそのような仕事をしながら回復を待つというふうなことも当然とられておりまして、この点につきましては、私どもは指導するまでもなく、各県におきましてそのような配慮を苦労しながらやっているのが実情であろうというふうに考えております。
○山東昭子君 そのために教師のカウンセラー的能力の育成が重要と考えますけれども、今後の対策はいかがでございましょうか。
○政府委員(鈴木勲君) 教師のカウンセリングの問題は、実はこれはこれまで生徒のカウンセリングを中心としてやってまいりまして、この点まではなかなか手が届かなかった点でございます。しかし、五十八年度の予算におきましては、教育相談事業の予算が認められまして、お医者さんとかあるいは教育関係者でございますとか、福祉関係の専門家でございますとか、そういう方々がチームを組みまして県内を巡回する、その際に、学校はもとより生徒なりあるいは父母に対しましてもカウンセリングに応ずるわけでございますけれども、特に教員等の問題につきましても、生徒指導の点から、あるいは精神的な面からの相談を受けてこれに対応するという体制ができているわけでございます。また、これまでカウンセリングのいろいろな講座等やっておりますが、こういう面につきましても、生徒の対応だけではなくて、教師自身に対するカウンセリングの問題等も含めまして、カリキュラムなど含めまして検討してまいりたいというふうに考えておるわけでございます。
○山東昭子君 学校内での驚くべき暴力や非行問題を解決していくためには、学校や教師と父母、そして地域の人々の意思の疎通と協力関係を強化することがきわめて重要であると指摘されております。しかし、学校側に根強い閉鎖性や、父母の側の学校や教師に対する不信感が強いなどを考えると、口だけで三者の協力関係を強調するだけでは容易に実現しないのではないでしょうか。したがって、ことしは世界コミュニケーション年だそうですけれども、すべての地域で、学校も含め関係機関が定期的な協議の場を設けるべきではないでしょうか。
○政府委員(鈴木勲君) たとえば学校と警察との連絡の組織でございます学警連というような組織につきましては、ほとんどの地域におきまして九割近くが組織をされているわけでございまして、この組織の活用が実際校内暴力等の対応といたしましては非常に効果を上げている例がございます。しかし、いまお挙げになりましたようなPTAとか父母とか、一般住民を組織いたしまして、そのような組織を常時教育の問題として関心を持っていただきながらこの運営をしていただくということは大変貴重な御提案でございますし、今後、私どもとしてもそのような観点からできるだけ関係機関との連絡を常時図っていくような組織のつくり方について従来から指導しているわけでございますけれども、その実態も含めて今後検討しつつ指導してまいりたいと、かように考えております。
○山東昭子君 最近の日本では、アメリカほどではありませんけれども、離婚による崩壊家庭の増加、単身赴任による父親と子供とのコミュニケーション不足など、現代文明の中で避けがたい問題が幾つかあると言えましょう。こうした中で、家庭教育の機能をどう回復していくのか、あるいはこのような事態に対応するため、学校教育における基本的生活習慣や基本的価値などを育成する教育機能をどう強化するか、これが今後大きな課題であろうと思います。
 現在の施策の現状とその評価、今後の方針をお聞かせ願いたいと思います。
○政府委員(宮野禮一君) 御指摘のように、最近の社会環境の変化とか、家族構成の変動等がありまして、家庭で親が子供の教育を十分に行うことがむずかしくなってきているという状況であります。したがいまして家庭における教育の機能を回復といいますか、充実さしていくことは現在の時点できわめて重要なことだと考えております。
 文部省といたしまして、まずいまやっていることを御説明申し上げますと、両親に家庭教育に関する学習機会を提供する家庭教育学級というのを開設いたしております。
 それから二番目に、特に幼少時のしつけが大事だということでございますので、幼稚園等に上がる前の三歳までの幼児を持つ両親を対象とした家庭教育の相談事業というものを実施いたしております。
 三番目に、各県ごとに家庭教育総合セミナーというのを実施させまして、家庭教育の問題につきましていろいろ検討、議論させておりますが、それをもとに広報、啓発資料の作成ということをやっております。
 それから四番目でございますが、文部省が委託いたしまして家庭教育テレビ番組、これは名前は「親の目子の目」と申しますが、毎週これを制作、放送の委託を行っております。
 以上のように家庭教育の重要性にかんがみ、いろいろな政策を講じておるところでございますが、御指摘のように最近の問題につきましていろいろございます。先ほどの問題行動に関する懇談会におきましても、とにかく家庭教育については、まず親の自覚と努力というのが大切である、親の自覚と努力を期待することがまず第一であるということを強調しております。
 続きまして家庭教育に関して、親が学習するための各種の機会の拡充や資料の作成というものは必要であるという提言を行っておりますので、そういった提言の趣旨を踏まえまして、いままで行っております家庭教育の振興の施策につきまして、いろいろ工夫をこらしていきたいというふうに考えております。
 それから特に、先ほども初中局長の答弁にも出ましたが、PTAというものが家庭と学校とを結ぶきずなとなっておりますし、これはいわばある意味で常設の機関といいますか、団体になっておるわけでございます。PTAのこれからの家庭と学校教育に対する活動というのがきわめて重要であると考えておりますので、私どもとしましても、PTA団体に対しましてこの問題についての御協力というのを要請しておる、それぞれの団体におきまして、それぞれの地域、学校において、PTAの活動を充実させることが必要であるということを理解していただくためにいろいろな方策をとらしていきたいというふうにお願いしております。
○山東昭子君 このような意味からも、先ほど大臣がおっしゃいましたけれども、学校における道徳教育というのはますます重要と言わなければならないと思います。それと同時にやはり今日の少年非行の背後には豊かな情操を育てることがおろそかにされていることも無視できないのではないでしょうか。学校教育の中で真の意味での音楽、絵画、詩など芸術教育の充実を図り、またそうした教育が生きるような上級学校での受け入れが必
要だと思いますけれども、どういうお考えなのかお答えいただきたいと思います。
○政府委員(鈴木勲君) 道徳教育の重要性につきましては言うまでもないことでございますけれども、現在文部省でやっておりますのは、三十三年に道徳の時間の特設をいたしまして、これを中心といたしまして、全体の学校教育活動の中で道徳教育を充実するということでございます。しかしながら、現状につきましては地域によりまして必ずしも十分効果が上がっていないというような評価も聞かれるわけでございまして、現在校内暴力等少年非行が非常に重要な社会的な問題となっておりますときに、学校においてその重要な役割りを担うべき道徳教育が十分でないということははなはだ遺憾なことでございますので、この面につきましては今後とも充実するような指導を徹底していかなければならないというふうに考えております。
 さらに、お話のございました情操面における子供の資質と申しますか、そういうものを育成するために、教育課程の中では、バランスのとれた、知識偏重にならないで道徳なり体育なりその他の情操面も含めた教育課程の実施と申しますか、そういう観点からの新教育課程の定着を図っているわけでございまして、まずこの定着を図ることが当面の重要な課題だというふうに考えております。
 なお、高等学校の入試等におきまして現在とっておられます方針は、日ごろの教科の評価を調査書という形で評価をいたしまして、それを各都道府県等が作成いたしまします試験問題、学力試験とあわせまして高校の選抜の評価を行うということをやっておりまして、その中には、いわゆる内申書、調査書の中におきましては、これはこの知識教科だけではございませんで、音楽とか図工とかそういうものも入っておるわけでございます。そういうものを含めて平生の子供の教育活動と申しますか、そういうもの全体を評価をして入試を決定するようにということを指導しているわけでございますけれども、最近は、やはり調査書の活用にいたしましてもともすれば学力の評価に偏るという点もございますので、たとえば平生の活動でございますとか、そういうものも含めて評価ができるような高校入試のあり方全体を今後重要な課題として検討してまいりたいというふうに考えております。
○山東昭子君 最近の一流と言われる私立大学を見ますと、どれも皆まるでミニ東大のような雰囲気になってしまってとても残念でございます。もっとスクールカラーを私学だからこそ打ち出すように指導をしたらいかがでしょうか。まあ、いま申し上げたような形で、外国のハーバード、エール、プリンストンのように管理能力、特技のある者が三分の一、成績優秀な者三分の一、あるいは卒業生、父兄や何かの推薦のある者三分の一というような、そうした形というものはいかがでございましょうか。
○政府委員(宮地貫一君) 私立大学がその建学の精神に基づきまして、特色を持った大学として伸びていくということはまさに本来のあるべき姿ではないかというぐあいに私ども感じております。外国の幾つかの実例についてお話があったわけでございますが、入試の公正確保ということさえ私ども十分保証ができることであれば、能力、適性に応じた選抜を行うということで、その方法はそれぞれの大学が自主的に工夫、改善をこらすべきものだと考えております。推薦入学等につきましても積極的に大いに活用していただくことは、大学が特色ある発展のためには必要なことではないかというぐらいに、かように理解しております。
○山東昭子君 最後になりますが、実際に子供たちに話を聞いてみますと、最近は偏差値に基づく進路指導のあり方、学区制度の問題など、すべて子供たちのやる気を失わせている原因があると認識しております。最近の文部省のスタンスを見ておりますと、まるで気苦労の多い嫁のように、あちらにもこちらにも気を使っておろおろするばかりで、ちっとも前進しないような気がいたします。
 そこで、私どもの大先輩であられる筋の通った瀬戸山大臣にお願いがございます。まあ釈迦に説法でございますけれども、憲法二十六条にも「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」とありますが、授業についていけない子供たちのために、他の能力、個性を伸ばすような学級編制や、昔のように飛び級をさせるとか、思い切った瀬戸山大臣ならではの改革を期待しているのですが、近い将来そのような方策は考えておられるのか、あるいは二十一世紀に向けてこれからの大臣の御意見を伺って終わりにしたいと存じます。
○国務大臣(瀬戸山三男君) 非常にむずかしい御質問でありますが、いまさら素人素人ではいかぬわけでありますけれども、まさに素人大臣でございまして、しかし、私は率直なところ、やっぱり素人の目で見るということがまた必要じゃないかということもあると思うんです。余り専門的に走りますと、自分ではよく理解しておるわけですから他の方に気が配れないという、これは文部行政ばかりではありませんけれども、一般にそういうことはあり得るわけでございます。
 入試の問題、偏差値の問題、あるいは輪切りとか言われる問題、私も非常に不思議に思いまして、これを考え出されたのは、最初はそういうことになるという考えで研究されたんじゃないと思いますけれども、結果においては何かそういうふうに、人間を妙に評価するというようなかっこうにもなってきておると、こういう問題がありますが、これはしかし文部省がやらしておるわけじゃありませんで、まあいろいろ受験の問題、先ほど私立の問題をおっしゃいましたけれども、エリートみたいな学校に行こうという御父兄の、特にお母さん方といいましょうか、非常に教育熱心な余りといいましょうか、そういう点がいろいろ関係があると思います。
 余談でございますが、私はいまの学校の教科書全部見ておりませんけれども、多忙で、小中高を見てみますと、われわれの時代と全然違った詳細これきわめた教科書の内容になっております。これも数年前からいわゆるゆとりある充実した教育ということで、大分軽減された教科書になっておるんだそうでございますけれども、それでも私の素人の目から見ると、こんなにいろんなことを教えなければやっぱり一人前に普通の人間になれないのかなと思うくらいに詳細をきわめております。大変だろうと思います。その上になおかつ御承知のように塾に行かなければどうにもならない。率直に言って私、それはおかしいと思ったんです。
 そういうことをどこかで私が、いまの教科書をよく理解しておればどこかの試験は必ず通るんじゃないかという話をいたしましたところが、もうざっくばらんに申し上げますが、どこかわかりませんけれどもどこかの奥さんから、文部大臣がそういう認識だからだめなんだということを私の留守守に電話が来たそうであります、そんななまやさしい試験じゃないんだと。このくらい世の中はおかしくなっておる、率直に言って。私は、あれほどの詳細な教科書を一応理解しておれば通るような試験で世の中がいく方法を考え出さなければいかぬのじゃないか、そういう問題を含めて、これはなかなか単刀直入にいきませんので、いろいろ機関もありますし専門家もおられますから、検討を進めて、もう少し教育というものが何となくこう明るい感じにと言っては抽象的でございますが、子供たちが喜び――私は遊びながら勉強せよ、勉強しながら遊びなさいと。この間、中学校の二年生から手紙が来ました、余り規則ずくめでどうだこうだという手紙が来ましたから、遊びながら勉強しなさいと言って返事を出した実際に経験があるんですけれども、そう理想的にいくのかどうかわかりませんが、教育熱心もいいですけれども、子供がみんないじけたかっこうになってしまうということは本当の教育じゃないんじゃないかという感想を持っております。
 取りとめのない御答弁でございますけれども、そういう気持ちでもっと検討を進めていきたいと、かように考えております。
○山東昭子君 ありがとうございました。
○委員長(堀内俊夫君) 本件に対する午前の質疑はこの程度とし、午後一時まで休憩いたします。
   午前十一時五十六分休憩
     ─────・─────
   午後一時二分開会
○委員長(堀内俊夫君) ただいまから文教委員会を再開いたします。
 休憩前に引き続き、教育、文化及び学術に関する調査中、文教行政の基本施策に関する件を議題とし、質疑を行います。
 質疑のある方は順次御発言を願います。
○粕谷照美君 午前中の小野委員の質問に関連をいたしまして、政治倫理に関する文部大臣の所信をお伺いしたいと思います。
 二月二十七日の日曜日、午前九時から一時間のNHKの座談会で、非行問題をめぐって数人の方々がお話をされました。その最終的な結びで一言というところに、永井元文部大臣が、この非行の問題については政治の姿勢が非常に大事だと、こういうことをおっしゃったわけでございます。本国会でわが党の飛鳥田委員長は、代表質問のときに、「私たちは一体この事件を純真な青少年や子や孫たちにどう説明したらいいのでしょうか。国政の最高責任者であった者が、破廉恥な犯罪者として起訴されている。しかも、その当人が、この議場内に席を温存しているばかりか、いまなお与党自民党の命綱を握るほどの支配力を発揮している。」と、こう厳しく追及をされたわけでございますが、総理の答弁は私たちにはとうてい納得のいかないものであったというふうに思っております。いまの子供たちは非常にさめた目でこの事件を見ているというふうに思います。
 また、教科書の中で選挙は公明でなければならない、こういうことを先生が教えたとしても、そんなこと言ったって、うちには砂糖が来たとかうちにはジャーが来たとか、こういう問題で選挙が行われることを目の当たりにしているわけであります。買収供応なんというのは日常茶飯事のように子供たちが知っているときに、本当に教師というのは厳しい教え方を強いられていくというふうに思っております。また、賭博ゲーム機なんか使っちゃいけない、こういって教師が指導します。生徒は目を盗んで行きます。そういう問題を取り上げて一生懸命に補導しようとするときに、警察官の賭博ゲーム機の汚職問題が新聞に取り上げられてくるなどというと、世の中が本当にきちんとしていかない限り子供たちを徹底的に直していくなどということにはならないのではないだろうかというふうに思います。
 政治倫理についての大臣のお考えをお伺いします。
○国務大臣(瀬戸山三男君) 政治倫理と申しますか、民主主義、議会政治と言いましょうか、政治の信頼を得るということが一番大切だと思います。国民の信頼を得なければ、国民とともに平和で物心豊かな国を築き上げていくということはそう簡単でないと思いますから、おっしゃるように政治家が姿勢を正すといいますか、後ろ指を指されないようにすることが教育の観点から言いましても非常に大切である。先ほども申し上げましたが、私は、教育は、算数を教えたりあるいは国語を教えたりするのもこれは人間生活上必要でありますけれども、その前に人間として道を踏み外さないように育てるのがわが教育の基本である。どんなにすぐれた科学技術の才能を持っておりましても、人間としての才能が人間として道を外れた人であったら、私は社会人としてはこれは何といいましょうかすばらしいものではないと、こういう考えを持っておりますが、そういう意味で、特にまだ未熟な青少年というのは、まず先生の行い、先生の姿、すばらしい英語力、国語力より以上に先生のマナー、姿、その愛情、こういうものに指導される場合が多い。また、いたいけな子供は親の姿勢に指導される場合が多い。これは大きく言いますと社会における大人の姿勢、先ほども申し上げましたけれども、民主政治で指導、――指導といいますか、国民の政治を担当する者はいわゆる選ばれた政治家でありますから、そういう面で、教育的立場ではございませんけれども、やはり国民に後ろ指を指されないようにするということが国をつくる上では一番大切であろうと、こういうふうに考えております。
 これは横道にそれて恐縮でありますが、ある外国の、イギリス人でありますけれども、いま日本に来ておりますが、若い人の書いた本を持ってきましたから読みましたら、その国の国民を知るにはその国の政治家の顔を見ればわかると、こういうことが書いてありました。民主主義の心底から徹底した国民の見方、なるほどそうかなと。その国の国民の程度、顔というものを知るにはその国の政治家を見れば大体わかるのだ、こういうふうに書いてありましたが、これは裏返せば同じことだという気がいたすわけでございます。
 そういう意味で、政治倫理といいますか、これを正す。政治家が、手本というと恐縮でありますが、重ねて申し上げますけれども、後ろ指を指されてとやかく言われないように心がける、努力する、これが非常に大切なことだ、かように考えております。
○粕谷照美君 大臣のは、一般論としてどなたでもそういうふうに思っていることをおっしゃったというふうに思いますけれども、私は具体的に飛鳥田委員長の質問の例を引いてお伺いをしたわけでありますが、多分文部大臣はそれ以上のことがお答えになれないのではないかとも思いますので、この点についてはこれからの政治家の姿勢というものを厳しくわれわれも見詰めていく、正していくという立場に立って努力をしていかなければならない、こういうふうに考えております。
 次に、予算委員会で問題になりましたけれども、ことしの建国記念日の奉祝式典が非常に宗教的、政治的なにおいがあったということの批判が出されました。それで、丹羽総務長官もそういうことをお認めになって、これからまた考えてみなければならないということになっているわけです。中曽根総理も、たとえばメーデーのように国民みんながというふうな言い方をされて、祝えるようなものであればというようなお話もされているわけでありますが、文部大臣といたしましては、この建国記念の日の奉祝式典、八一年から文部省は後援になっているわけです。ことしで三回目になりますかね。ことしのあり方を見て、この次はどのようになさっていくか、いままでの問題を見て何か対策をとっていくというようにお考えになるか、お伺いをいたします。
○国務大臣(瀬戸山三男君) 建国記念日は法定されておるわけでございますが、どこの国でも、名前をどう言っておるか私はつまびらかにいたしませんが、建国の昔をしのび、われわれの祖先がどういう努力をしたかということを考え、よい国を継いでつくっていかなければならない、こういう記念といいますか、思いを新たにするために建国記念日というものをつくって、決めて、そしてそれは国民が全部そういう気になるといいますか、お祝いをするということは、私はすばらしいことだと思います。建国記念日の制定についてはいろいろ議論がありましたけれども、私は当然なことであるという考えを持っております。
 ただ、ここ三年間、文部省も後援の名前を出しておることになっておりますが、いま申し上げましたように、国民全部ができれば喜び合って集い合うというぐらいのやり方と申しますか、あり方が望ましい。私は直接参加しておりませんから、本当の具体的なことをつまびらかにいたしませんが、伝え聞くところによりますと、何か政治的な面があるんじゃないかとか、あるいはひとつの宗教的な儀式に偏り過ぎはせぬかと、こういう批判がなされておることを耳にいたしております。それがそういうような宗教的なものであるかどうか、あるいは政治的なものであるかどうかということについてはいろいろ見解の相違があるようで
ありますが、そういう議論にならないようなあり方、建国記念日の祝い方というものが望ましい、かように私は考えておるわけでありますが、建国記念日を中心にして国民がいがみ合うなんということは私はこっけいだと思いますから、そうでない姿の、この間総理も、みんなが集まって喜べるような姿が望ましいと、こういうことを発言されておりましたが、私も同感であります。
 まあ来年どうするかこうするかということは、ことし後援する場合にも、文部省はそういう懸念といいますかが残らないような姿でやってもらいたいという文書を出しているんです、あなたたちも見ましたように。来年またどういうことになるかわかりませんが、厳重にそういうことを主催される方々にも申し上げて、そうでなければ、そのときどうするかを考えなければならないと、こういうのが現状でございます。
○粕谷照美君 文部省でも参加した方がいらっしゃると思いますので、そのことを十分に御調査いただきまして、内容について、そして文部省の後援基準には宗教的、政治的色彩のないものというのがあるわけですし、改善、指導する、そして努力をしないときにはこの後援を見直すんだという項目がきちっと入っているわけでありますから、そういう姿勢をちゃんととっていただきたい。いつまでもそんな文書だけでずるずると、このような内容の奉祝記念などというものに後援をするというようなことはやめてほしいということを要望しておきたいと思います。
 青少年非行の問題に関連をいたしまして、二、三質問をいたします。
 先回、この問題については集中審議もやられたわけでありますし、問題点は出尽くしているわけです。そして、毎年のこの青少年白書を私見ますと、昭和五十五年も史上最高のという言葉がついておりました。五十六年も史上最高、またことしも史上最高、そのたびに文部省も総理府も一生懸命にやって、どのようにしていくかという対策をとってきていると思っております。現場の教師たちも、そしてPTAもやっぱりそういう努力をしてきて、なおかつことしは、いま内閣を挙げて取り組まなければならない、こういう結論が出されているわけでありますけれども、そういう毎年毎年の努力にもかかわらずどうにもならない、ことし内閣を挙げて取り組まなければならないという、その情勢判断というものは一体どこにあったのでしょうか。
○政府委員(鈴木勲君) 青少年の非行の問題につきましては、文部省といたしましては、その背景、原因はいろいろ考えられますけれども、教育の専門機関としての学校において起こる校内暴力につきましては、まず学校の授業の内容を十分に不適応を生じないような形で徹底をしていくということでございますとか、あるいは生徒指導の体制を整備をして一致協力をして当たるとか、あるいはPTAなり地域社会における関係機関との連携を図るというふうな基本的な対処方針を決めまして、従来から指導の徹底を図っているところでございますし、それぞれの局におきましても、社会教育局あるいは体育局等におきましても、青少年の健全育成に関する施策を掲げましてやってまいっているわけでございます。
 しかし、特にことしの二月に起こりました横浜市におきます中学生等の集団による弱者に対する襲撃事件、町田市において起こりましたところの暴力生徒に対します教師の刺傷事件というふうなことが起こってみますと、これまで政府においてやってまいりました青少年非行の対策が果たして十分であったかどうかという点を反省を迫られまして、特に横浜市等の事件等につきましては、どのような背景なり原因があるかというふうな観点も含めまして、十分にやはりこの際検討し直す必要があるということから、政府におきましては関係各省の局長を集めまして、いろいろと意見交換を行いまして取り決め等もしたわけでございますし、また文部省としても、従来からの指導方針の徹底とともに、今後の対応といたしまして、足らざる点はなかったかという観点から、大臣の指示もございまして、省内にプロジェクトチームを設けましたり、いろいろな形で対応を迫られておるということでございまして、従来の趣旨の徹底を図りますとともに、さらに決意を新たにしてこの問題に取り組んでいかなければならない、そういう事態であるというふうに認識をしておるわけでございます。
○粕谷照美君 私が伺いましたのは、いままでも文部省はいろいろな対策をとってきた、しかしことし特に目新しくやっていかなければならないこと、やっていること、あの事件を契機にしてこのようなことをやったという新しいものは一体何か、そういうものがあるのだろうかということを伺いたい。
○政府委員(鈴木勲君) 特に横浜市と町田市のケースにつきましては、私どもとしても非常に社会的に衝撃を与えた事件と受けとめておりますので、これの背景等を早急にきわめる必要があるということで、関係の有識者による懇談会を開いたわけでございまして、その中で出てまいりましたいろんな御意見等を見ますと、従来の校内暴力の延長線上にあるというような御意見もございますし、またこれは非常に異例のケースであるというふうな御意見もございまして、この二つのケースを契機として、これからこのようなケースがさらに発展をしていくのかどうかというふうなことにつきましては、有識者の懇談会におきましても、必ずしも見通しはなかなか得がたかったのでございます。
 しかしながら、その中で出ましたいろんな御意見をまとめてみますと、やはりこれまでの対応について検討して対処する必要があるということと、その中においては短期的な対策を立て、さらに長期的な対策を立てて、それを直ちに着実に実行していく必要があるというふうな御提言をいただいたわけでございまして、その御提言の中には、たとえば学校の生徒指導体制を中心といたしますその体制の整備について、教育委員会なり文部省が努力すべき目標を示して、いわゆるチェックポイントを示して、そのような形で問題の起こっている学校についての点検と申しますか、そういうものをした方がいいというふうな御提言もございました。これはいままで一般的な指導はしておりましたけれども、そこまでの細かな指導はしておりませんでして、都道府県によりましてはそのような配慮もしていたところもあろうと思いますけれども、御指摘を受けて問題行動の起こりました学校に対する点検の項目等を示しまして、直ちにこのような観点から学校における体制の見直しをしてもらいたいというふうなこともお願いをしたわけでございますし、また、五十八年度の予算におきまして、教育相談事業というのが認められているわけでございます。
 これは、従来の施策と違いまして、個々の学校でございますとか、あるいは個々の児童生徒、あるいは父兄等にとりまして気軽に相談できるような、県内を巡回して相談を受けるような組織、そういうネットワークをつくるための予算でございますが、これらを生かしまして、本当に困っている学校、因っている教員、あるいは父兄、生徒もございますでしょうが、そういうものに個々具体的に相談に応じて診断をして、このような処方せんをつくるというふうなことも私どもとしては考えていたわけでございますが、そういうような御指摘もございました。かなり新しい御提言等もございますので、それらを含めて将来の、プロジェクトチームでもまだ検討している課題もございますが、総合的な観点から対策を進めてまいりたいと、かように考えております。
○国務大臣(瀬戸山三男君) いま局長からお答えしたとおりでありますが、私の所感をひとつ申し述べておきたいと思います。
 重ねて申して恐縮でありますが、私は教育者になったことはありませんけれども、今度こういう場面を見まして、非常におかしなことだ、非常に遺憾なことだということを痛切に感じております。でありますから、素人の目で恐縮だけれどということで、文部省の専門家の諸君にもいろいろ
お願いをしておるわけでございますが、初中局からいまいろいろ御説明申し上げましたようなことを続けておるわけでございますが、今月の十日に全国の都道府県の教育長さん、それに特別市の教育長さん、急拠お集まり願った席で、素人がこういうことを申し上げて恐縮ですけれども、皆さんは専門家である。従来からも文部省、専門家、あるいは学校等でいろいろ御努力願っておるということを承っておりますけれども、それにもかかわらずこういう事態になっておるということはどういうことですかと。
 重ねて申し上げますけれども、子供はまだ本当に未熟なものです。判断力も何も余りない時期でございますから、しかも精神的にも肉体的にも、精神と肉体とバランスがとれないという時期だと専門家は言われておりますが、そういう時期で、必ずしもああいう非行に走る子供たちがしんから、言葉はちょっと適当でないかもしれませんがしんから悪党、悪人じゃないんです。ちょっとしたはずみでそういうことになって、ちょっとしたはずみで非常に反省をし、より一層真っ当、真っすぐな人間になる可能性を持っておる子供たちばかりであろうと思う。
 でありますから、そういうものに対して、これだけの全国の教育長さんがお集まり願ったんですから、ひとつこれを機に、全国の国民の皆さんが心配しておられるので、学校と相提携して、学校の先生方と結束して、これを将来にわたって根絶するという気持ちでひとつ誠意を傾けてもらいたい、こういうことを私はお願いしておるわけでございますが、そう短兵急にいかぬと思いますけれども、そういう未熟な子供に対して誠意を尽くして、誠を傾けてやると私はそう日本の将来を憂えるような事態にならないんじゃないか、こう考えておるわけでありまして、だから国民全体の皆さんにも、自分たちの民族の子供のために、教育の問題はどういうことかということを考えてくださいと、事あるごとに申し上げておるわけでありますが、ひとつ皆さんの意見も聞きながら、何とかこの事態を改善をしなければならないという決意で臨みたいと、かように考えておるわけでございます。
○粕谷照美君 文部大臣、忠生中学の事件ですけれども、あれだけ報道されて大変な問題になって、教師も一致団結していく、地域も立ち上がる、そういう中で、あのつっぱりの子供たちが卒業式の前の日に置き時計を買いまして、先生に贈って、もう涙ぼろぼろ出しながら、おれたちが悪かったんだと、こう言って謝ったそうであります。卒業式の日に校長先生がその話をされればまた大きく報道もされたり、お母さんたちにもわかっていただけたのに、こう言って残念がっていらっしゃる人もおりましたけれども、子供たちはつっぼっていてもやっぱり学校が好きだし、教師に目をかけてもらいたいと、こういうふうに思っているわけでありますから、そう一つ一つのことに声を荒らげることなしに、いま大臣がおっしゃるように、やっぱり子供を信じて、そしてそういう対策というものを息長く見詰めていくような努力をしていかなければならないということについては賛成であります。
 しかし、先日、教育長を呼びまして、こういうことを点検しなさいと言われたその別添文書を見たんですけれども、たとえば校長、教頭の経験年数、在校在職年数はどうかなどというのはもう早々と出ているわけですから、改めてこんなことを指導する必要もないし、男女構成はどうかなんて、男女構成は半々がいいのか、七、三がいいのか、三、七がいいのかなんていう文部省にきちっとした姿勢もないのに男女構成はどうなっているかなんて、そんなものもちゃんと学期の初めに、学年の初めに出ているわけですから、もつとびちっとした、ここのところが大事だという、そういう指導をなさっていただきたかった。時間がありませんから一つ一つについて言うことはできませんけれども、非常に、何か言っておかなければ非違になる、落度があるなどということではなしに、もっと大事なことをひとつやっていただきたいと思うのであります。
 元参議院議員で文教委員をしていらっしゃいました高田なほ子さんという方は、いま板橋に住んでいらっしゃいますけれども、教育委員をしていらっしゃる。その高田さんは、いつでもふらっと一年に一校一回は必ず歩いていく。自分で歩いてみてあそこのところの雨漏りはどうだ、ここの板はどうだ、こういうことを点検していらっしゃるわけですね。こういう教育委員が果たして何人いらっしゃるだろうか。私は、午前中の山東委員の質問に本当にそのとおりだと思いましたね。教育長さんはわりと実務でお忙しいけれども、教育委員任命された方なんですから、私どもはこの教育委員というのは公選にした方がいい、やる気のある人に本当にやってもらいたいというふうに思っておりますけれども、この教育委員の姿勢などというものについては全然これ書いてないわけですね。下の方だけがんばりなさいという態度では困るというふうに意見を申し上げておきたいと思います。
 さて、文部省はこの問題に関して、問題行動に関する懇談会というものをやって、一生懸命にこの懇談会は努力をされて提言を出された、こういうことを聞いておりますけれども、文部省がいままでに考えてきた以上の新しい提言というものがありますでしょうか。
○政府委員(鈴木勲君) これは端的に申しますと、文部省がいままでやってまいりました基本的な対処方針でございますとか、あるいは具体的な教員の研修、指導でございますとか、いろいろやってまいりましたものを考えますと、全然別の新しい観点からというようなものではございませんが、しかし、角度を変えて、見方を変えて申しますと、たとえばいま先生がお挙げになりましたような点検については、これは通達によりましてこのような指導はしているわけでございますけれども、具体的に私どもが問題行動が起こりました学校につきまして事情を調査いたしましても、教育委員会がそのような学校の状況を十分に把握していないというふうなことがあるわけでございます。したがって、これは私どもかねがねこういう点についてはやはり指導のもう少し細かい点について徹底する必要があるということを考えておりましたが、そのような御指摘がございましたものとか、あるいは忠生中学校におきましても、問題行動を起こしました生徒に対して自宅研修あるいは校外実習というような形で、この問題行動を起こした生徒が学校に来ないで何らかの措置を受けている。こういうようなことは、これまで出席停止という措置について若干調べたケースがございますけれども、こういうような学校限りの措置について、義務教育を受ける権利という観点からこれは慎重に取り扱う必要があるというふうな御指摘でございますとか、いろいろまあ御提言の中には中長期的なもの、あるいは緊急に取り組むべき課題といたしまして耳を傾けるに必要な貴重なものがございまして、そういうものを取捨しながらいま対応をしているところでございます。
○粕谷照美君 私の時間、あと五分ぐらいしかありませんので討論をしている時間がないわけですけれども、たとえば出席停止の問題でも、いろいろ考え方があるわけですね。慎重にしていかなければならないということと、やっぱりそういうことはきちっとやれという考え方と二通りあるというふうに思います。
 先日もちょっと雑談を理事会のときにしていたんですけれども、長野市の私立高等学校旭高校ですね、生徒がどうしてももう学校嫌だと、こう言って出てこない。いろいろの非行もあって出てこない。それではおまえはもう学校に来ないのかと、こう言ったら、行きたくないと言うけれども、しかしやめさせることに忍びなくて、じゃ、学校に来なくてもいいけれどもその間何するんだと、こう言ったら、すし屋になりたい、こういうわけで、じゃおまえはすし屋に行けというので、校長先生がわざわざ連れていって、すしの職人に頼み込んでいくわけです。職人になったらすぐおすしを握らしてもらえると思って行ったら、そう
じゃなくて、その辺を掃除せいとかこの辺を拭けだとか、あれを洗えだとか、もう手厳しい下積みの仕事から始まって、びっくりして学校へ戻ってきて、自分の考えていたように世の中甘くないもんだということでしっかり勉強するようになった。
 だから、一つの非行を見たからすぐ切り離してしまうということについては私はどうも批判的だということを校長はおっしゃっておりましたが、しかし、そうやってすし屋に行っている間も出席とみなすんだということはこれは法律違反なんだ。法律違反だけれども教育の面で非常に大きなことをやった、これを一体どうやってとっていくかということについての判断というものは非常に大事なものがあるんではないだろうか、こういうふうに考えているところでございます。したがって、このような問題についても十分な論議ができるように、私、後で文教委員会でも提案をしていきたいというふうに思います。
 次に、非行問題に関連して青少年白書をずらっと見ていきます。どうもおかしいのではないかなという感じがするんです。総理府の統計などについても私はちょっと疑問に思うことがあるわけです。
 たとえば総理府の統計によれば、自分のうちの子供のしつけ、家庭教育、これは非常にうまくいっている、こういうふうに答えているのが八三%あるわけですね。うまくいっているという人たちが八三%もあるのに、学校で生活面の指導をやってもらいたい、そういうしつけをしてもらいたいというのが五二%もある。何か矛盾しているというふうに思うわけです。だからこれは正しいアンケートだとは言えない。うまくいっていますよと、それだったら何も学校でそんな基本的な生活面での指導などというものは圧倒的にしてもらいたいなどという数字は出るわけがない。
 そういう中で一体何を望むかということについては、すぐ、教員の資質向上だと。私は教師が資質を向上しなければならないということは当然のことだというふうに思いますけれども、しかし、そのアンケートの一番先頭に教員の資質向上が出てくる。選択肢の最初に持ってきている。何か質問の組み立て方が非常に意図的なのではないかという感じがしてならないわけであります。こういう点について文部省としてどのようにお考えかということについて、もう時間がありませんから、疑問の点だけを指摘をしておきます。
 最後に、大臣にお伺いしたいんですけれども、青少年白書、これは五十六年版ですけれども、五十五年版も同じなんですけれども、「性非行」というところがあるんです。この性非行のところに出てくる表は全部「性非行女子少年の学職別状況」とか「性非行の年齢別状況」と、こうなっているんです。性非行というのは女だけで性非行になるんでしょうか。性の非行というのは、男があり女があるから非行になるわけなのに、なぜ女子だけが性非行の統計に挙がっているのかということについてもう全然わかりません。
 そういうことも含めまして、いま二十歳以下の子供たちに非常に中絶が多い。安易に中絶し過ぎるというような批判も込めまして、優生保護法の中から経済的という項目をとったらいいじゃないかという動きがいまあるわけであります。大臣は生命尊重国会議員連盟というのにお入りになっていらっしゃるか。と同時に、あの中から経済的条項というものをとったときに、一体学校の中では、そういう妊娠した子供たちを受け入れるというような状況にこれから置かなければならないわけですね。アメリカなんかは妊娠した高校生のためのわざわざ教室がつくられているくらいでありますから、そういうようなことも含めまして優生保護法の、私どもは改悪と言うのですけれども、経済的条項を取るということについてどのようなお考えを持っていらっしゃるかお伺いしたいと思います。
○国務大臣(瀬戸山三男君) いまの問題にお答えする前に、先ほど粕谷先生からお話がありました総理府の統計でございますか、これは私も、自分のところのしつけは十分だというアンケートの反面、学校のしつけが足らないというような統計が出ておりまして、ちょっと矛盾しておるようだと思います。
 それは別として、これは私が文部省に入る前の資料でございますから、五十七年三月に校内暴力等についてのアンケート調査をいたしております。いろんな項目がありますが、それを見ますると、校内暴力等の非行の原因ずっと序列してこう見ますと、一位が家庭における教育、しつけの不足ということで、学校教師の指導不足が三位になっております。この統計ではこういうようになっております。
 それからいまの優生保護法の問題はこちらの担当でありませんから、詳しく私も研究しておるわけじゃありません。政治家としての感覚で見ておるわけでございますが、いまの優生保護法にもまあいろいろ意見がありまして、これはもう少し改めなけりゃならないという意見も相当にある。かと言って、いまおっしゃったような経済的条項があるからけしからぬのだというだけでも済まない環境にある。でありますから、経済的条項を――その前に、いま生命尊重の議員連盟というのに入っておるかというお話でございますが、私は入っておりません。
 といいますのは、生命尊重というのは人間の最高の責任でありまして、連盟が余りはやりますから私はあんまり連盟に入らぬことにしておるのですけれども、連盟に入ったから生命を尊重するとかしないとかという問題じゃなくて、生命尊重のためにわれわれはいろんな苦労をし、政治をしておるわけでございますから、そのために人間は生き、努力をしておる、こういう私は一つの哲学を持っておりますので、連盟に入っておりませんが、それはまあ自由でありますけれども、生命はこれは尊重しなきゃなりません。しかし、その生命を尊重するのに、いろんな状況でその生命を全部優生保護法から外してしまうといいますか、守るというんでしょうか、それが一体人間社会で本当に適当であるかどうかということを、いろんな要件を総合的に検討しないと一概には私はあの法律は結論は出せないんじゃないか。細かく検討しておるわけじゃありませんが、私の感想はそういう感想でございます。
○片山正英君 過日、文部大臣の所信の表明がございました。したがいまして、私はその表明されたそれにつきましてひとつ御質問を申し上げたい。
 結論を申しますと、大変抽象的でございます。まあ所信ですからやむを得ないと思いますが、抽象的であります。私はその抽象的なものをできるだけ具体的な課題として取り上げて、私も父兄の一人でございますから、そういう意味で、父兄がわかりやすい、中曽根総理の言っているように、行政も立法も国民にわかりやすいようにするのがこの内閣の使命だとさえおっしゃっておりますから、そういう意味において私は具体的にわかりやすい御回答をいただきたいために、抽象的な問題を取り上げてひとつ御質問を申し上げます。
 まず第一点は、冒頭に書かれてあります初等中等教育問題についてでございます。
 第一項目に書かれている内容を要約しますと、改善充実を図るということを強調しまして、その改善充実の内容は、「ゆとりのあるしかも充実した学校生活」こういうことに目標を置いておると、こういうふうに書かれております。したがって、このゆとりある充実した学校生活とは何を意味するのか、そしてその具体的方針は何なのかということを、抽象的にはよくわかるのですが、具体的に、あるいは現実の問題と比較したときに何かちょっとわかりにくい点があります。したがってその点を御質問するわけでございます。
 その前に私もちょっと説明させていただきますと、私の記憶によりますと、昭和五十五年、五十六年、五十七年度から、小学校、中学校、高校の時間数が減少されました。それは結構だと思います。しかし見方によっては、人によりますと、その盛られている内容の表現は決してわかりやすく
はなっておらぬと、こういうことを言っている人がおります。また一方、大変大切だなあと思われるそういう課題が削除されております。これは後で私もお願いしたいと思いますが、ここでは抽象的に言いますが、削除をされております。そのためかどうかは知りませんが、最近の中学校、小学校の生徒を見ますと、塾通いということが圧倒的に多くなっております。そして、義務教育である中学であっても、塾に通えば月に一万、二万、こういう経費を出しながら塾に通う生徒が圧倒的に激増しておる実態が目の当たり見られるわけであります。こういうことが本当のゆとりのある充実した学校生活と言えるのか、生徒の日常のこういう姿が望ましいものと言えるのか、この点をまずもってお伺いいたしたいと思います。
○政府委員(鈴木勲君) 片山先生お尋ねの点は、新しい教育課程の基本となっている問題点についての御指摘かと思いますが、これは御承知のように、従来の教育課程が小学校、中学校、高等学校という学校体系全体から見ての一貫性という問題でございますとか、あるいはただいま御指摘がございましたように、いまの児童生徒の発達段階に即応して教育内容が過度に知識の詰め込みに偏っていないかというふうな観点等が中心になりまして諮問をいたしまして、その結果、教育課程審議会の答申に基づいて新しい教育課程に基づく指導要領が改定されたわけでございまして、その一つにゆとりあるしかも充実した学校生活を送れるようにするという一項目がございまして、新教育課程の一つの中心のセールスポイントと申しますか、そういう形で大臣の所信の中には記載さしていただいているわけでございます。
 この意味するところは、ゆとりあると申し上げますのは、実質的には従来の授業時数等をかなり思い切って削り込んだという点がございますのと、その一面におきまして、道徳でございますとか、体育とか、そういうものはそのままにしております。したがって、総体の授業時数としては削り込んでおいて、知育、徳育、体育についてはある程度バランスを保った。知徳体と言っておりますのはそういう趣旨でございます。
 そこで、ゆとりというのはどういう意味かと申しますと、そのような実際これまで一定の教育内容をかなりの時間をかけて詰め込んでいたというものを時間的に削減いたしますとともに、同時にその教育内容についてはもう一つ小中高等学校を通じまして一貫性を持たせると同時に、内容については基礎的、基本的な事項に精選をするということをうたってるわけでございます。したがって、指導要領等につきましても従来の三分の一ぐらいの内容に圧縮いたしまして、学校が工夫をして弾力的に運用できるような余地も残しましたし、その指導要領に書いてある事項は基礎的基本的なものにしぼったわけでございまして、したがって中身の方からは精選された教育内容を教え込む、時間的には余裕ができる。したがってその精選された教育内容を時間をかけてしっかりと教え込むというのがこのゆとりと充実した学校教育という内容でございまして、その中には一つの事柄について時間をかけて考えさせるゆとりを持たせるとか、いろいろな意味合いがあろうと思いますが、そういう全体的な配慮と申しますか、そういうものが入っているわけでございます。
 学校生活が、少なくとも学校内においてはそのような時間的精神的にゆとりを持って、しかも充実した内容が身につくというのが今度の新教育課程の改定の基本的なポイントだというふうに考えております。
○片山正英君 いま局長のお話で、内容を縮めました、そして基本的な事項のみに精選をいたします、こういうこと、まことに私は結構だと思うんです。しかし、先ほど言った難解な問題が相当入っているんです。だからこそ塾通いしなければやっていけない、こういう実態というものもあるということをひとつ含んでいただいて、ここはもう少し検討の余地があるんじゃないか、義務教育についてはもう少し簡明に要点だけを明確にすれば成り立つんだというような基本的な見直しが必要なんじゃないだろうか、疑問を持ちます。以下ちょっと例題を後で触れますから、そのときお答えをいただいて、この項目は一応これでとどめます。
 次におっしゃっておることは、「児童生徒一人一人の能力と適性に応じたよりきめ細かな教育を行い」、こういうことが書いてあります。一人一人の能力と適性に応ずる、こういう言葉は何をこれまたやろうとしておるのか、これがちょっとはっきりしないんです。
 そこで現状をまた申し上げます。現在、偏差値という、こういう言葉がございます。言葉というよりも評価ですね。評価がされております。そして、この偏差値という問題がいまや子供たちと言わず学校も含めて、家庭も含めて吹き荒れている。こういう言葉がいいかどうか知りませんが、非常に過大評価されている、吹き荒れている、子供たちの心の中にまで吹き込んでいっている、大きな問題を投げかけているんじゃないだろうか。したがって、私はここで偏差値の是非についてちょっと考えてみたいと、こう思うのであります。
 文部省はこの偏差値による評価のあり方をどう見ているのか、これが一人一人の適性に応ずることに関連してこの偏差値というものは必要なのかどうか、大事にする必要があるのかどうか、まずこの点を先に伺っておきます。
○政府委員(鈴木勲君) 偏差値につきましてお尋ねがあったわけですが、これは文部省がどうこうということではございませんで、いわゆるその学習の評価でございますとか、あるいは進路指導に当たってどのような資料に基づいて適切な指導をするかという観点から偏差値が一応考案されまして、それが非常にその生徒指導に当たって的中率が高く有効であるという観点からこの偏差値による資料が使われているという実態でございまして、文部省としては、偏差値の是非というよりも偏差値そのものの使い方が適正でなければならないという観点から、これは従来から偏差値のみによる進路指導と申しますか、そういうものは適切ではない、これはやはり教師自身が一人一人の児童生徒の適性、能力を確かめまして、それに見合った進路指導をすべきであるという観点から、その際に一つの資料として偏差値を使うということはあるかもしれないけれども、業者のつくったそれのみによって指導をするということは適当でないという指導をしているわけでございます。
○片山正英君 偏差値は決して文部省が指導したものでもないけれども、偏差値の適正な使用というのですか、そういうものについては文部省としてもいま考えておると、こういうような御答弁のように承ったんですが、そこでちょっとお伺いするわけですが、偏差値は学校差、学校が、いろいろなばらばらの学校ですから、この学校をひとつ統一して一つの基準のもとに見るという、こういう面は確かに私は一つの利点だと思います。ある学校が非常に程度が低くて、たとえそこで一番であってもほかの学校で比較すると相当程度が低いんだと、こういう比較論には非常にいい一つの判断だろうと思います。
 しかし、その偏差値のいまの実態を見ますと、たとえ民間の会社がやったものであれ、学校にとってはこれが一つの基準になって、生徒に対しておまえはここの学校にしか行けませんよ、おまえはここの学校にしか入っていけませんよ、こういう比較的強制と言っちゃ語弊があるかもしれませんが、そういうランクづけをしておる。そのこと自身がいい悪いはちょっと問題があるかとも思いますが、とにかくそういう実態がある。そしてその場合、生徒が受けた場合に、現在生徒は格づけをされておる。一つのランクづけですが、格づけをされておる。その格づけは将来にも影響するかもしれぬ格づけとさえ考えられる諸情勢になっておるというところにこの偏差値の問題が相当大きな課題として浮かび上がってきている私は一つの原因だろうと、こう思っておるんです。文部省が一つの基準に考えるということはあえて私は否定はしませんが、何かこれが相当のウエート、将来にわたってまで影響するかもしれぬと思われるよ
うに運用されておるのではないか、少なくともそういうふうに考えている父兄が非常に多いという実態に対して私は少し問題を考えます。
 そこで私は、先ほど申しました適性に応じたきめ細かい教育、これと偏差値を重視するという、こういう現状、これはどうもちょっと相入れない、少し食い違いがある、適性に応じたきめ細かい教育ではない、こういうふうに考えます。その原因は何だろうというところに文部省の御検討をいただきたいことを私は提案したいのです。
 それは高校の入学試験がございます。これは、私の聞いたのが間違っておれば訂正をいたしますが、科目が七科目、これが全国一律に行われる、同様に。そこに私は画一的な、どこでも行われる画一的な文部省が採用しているこの七科目試験制度、それを基準にして偏差値というものが作成される、ここに問題があるんじゃないんでしょうか。したがって、私は数学は得意だけれども漢文は下手だという人もいるでしょう。また反対のいろいろな場合もあるでしょう。そういうバラエティーに富んだ試験の方法だって考えてもいいんじゃないだろうかと思います。昔、旧制の高校でもそのようなバランスはあったはずです。文科と理科も違いました。高等学校によっても若干違ったはずです。そういうことがあってもいいのじゃないだろうか。何も偏差値、偏差値といって偏差値にこだわる必要はないんじゃないだろうか。すべて七科目だと。
 試みに、ある本に書いてあったのがおもしろいんです。偏差値以下で大変成功した有名な外国人、日本人を含めて名前が列挙してあったのを私読みましたら、おもしろいんですね。メンデルでもダーウィンでもピカソでもロダンでも、それからゾラでもトルストイでもエジソンでも、日本人では川端康成、古賀政男、これが全部いまの偏差値でいけば落第点の方だそうですよ。こういう人が生まれておる。ですから私は、偏差値というこういう制度を助長しているのは、高校入学試験の画一性ということにあるんじゃないだろうか。こういう点は文部省として御検討いただけないのかどうか。したがって、試験科目の統一の意義は何にあるのか、これを強行しなければならないのはどこにあるんだろうか、そういう点が適性に応じた個々に教育をするという、それと矛盾はしないのかどうか、こういうことについて、試験科目の画一性の検討をする余地ありやなしや、この点をお伺いをいたしたいと思います。
○政府委員(鈴木勲君) 公立高校の入学者選抜についてでございますが、これは従来学力試験を中心といたします選抜について、文部省が昭和三十年代は統一的な指導をしていたわけでございますが、四十一年になりまして進学率が非常に向上してきたというような実態を踏まえまして、以後、たとえば試験する科目につきましても都道府県に任せるという形で四十一年の七月の十八日に都道府県の教育委員会に通知を出しまして、文部省が従来から指導しておりました、先生のお言葉ですと画一的な指導ということになると思いますけれども、そういうような指導を改めまして都道府県の教育委員会に一任をしたわけでございます。したがって、従来は九科目でやっておりました県が多かったわけですけれども、最近はこれがほとんど五科目に減ってまいりました。まだ九科目実施をしている県が一つございますが、これも間もなく五科目の方に移ってくると思います。それから国、数、英という三科目だけでやっている県もございます。したがいまして、従来から申しますとかなり教科の科目数については減ってまいりまして、都道府県が工夫をしてきたという点がございます。
 それから試験の仕方につきましても、国語について聞き取りをいたしますとか、英語についてヒヤリングをいたしますとか、あるいは職業の教科につきましては推薦入学制をとるとか、いろんな形で公立学校の入試のあり方については各都道府県がそれぞれその実態に応じて工夫をしてきているところでございまして、まあかなり改善はされていると思います。
 そこで、偏差値の問題ですが、これは実際に進路指導する際にできるだけ中学浪人を出したくないという学校側の考え方と、それから父母にとりましても、とにかくどっかへ入れてほしいというふうな要望がございまして、それが合致をして、できるだけ正確なデータによってというのがたまたま利用されておりますのがこの偏差値でございまして、学校によっては、やはりそれぞれの生徒が、日常の観察から見てこういうところの方が適当であろうというふうな指導もいたしますが、その際、やはり父兄と十分話し合っていかなければならないという観点もございまして、父兄の要請と子供自身の希望とそれから中学浪人を出したくないという、そういういろんな要素が重なりましてこれを利用しているという点があるわけでございます。実態としてございますが、その点が、過信いたしますとやはり日常の生徒に対する指導なり評価というものがおろそかになる。そういうことではなくて、やはり学校独自のテストでございますとか、指導でございますとか、評価の方法をやはり工夫をいたしまして、それぞれの子供に適した進路指導をする、またそれについて父兄の御理解を求めていくという努力がさらに必要な時期にきているというふうに考えるわけでございます。
 それからもう一つは内申書の問題ですが、これは偏差値ではございませんけれども内申書の、調査書を内申書と言っているわけですが、それを学力試験と同等に扱うとか、あるいは内申書を特にウエートを置いて評価をするというふうなこともございまして、いまの公立学校の入学者選抜は、学力試験とそのような調査書の記録とを大体半々で評価をしているというような感じでございまして、その点では日常のいろんな教科をあわせて評価をしているという面があるわけでございまして、その基本的な原則はやはり崩さないで、どのような工夫が必要かという観点から検討はしなければならないというふうに考えております。
○国務大臣(瀬戸山三男君) 片山さんからせっかく課題を出されまして、実は私も文部省を担当するようになりまして、毎日のマスコミその他に、偏差値だとか輪切りだとか、まるで人間の子供を物扱いするような印象を与えるような、私にすれば何か余り気持ちのよくない言葉がはやっておりまして、嫌なことだなという感じを私持っておったんですが、そこでいま初中局長から御説明申し上げましたように、これは文部省が別に奨励しておるわけでも何でもない、ただ学科の、どの程度の実力を持っておるかということをいろいろ民間等で試験をして、その標準を決めて、これは統計学上の言葉だそうでございますが、それが便利だということで利用しておる。一部有効に、子供指導の面もあるんだと思いますけれども、問題はやっぱり試験の内容。先ほどお話がありましたが、試験制度そのものに直接関係があるんじゃないかという気がしております。
 でありますから、こういう教育行政なんていうのは始終変更しても大変ですから、そう簡単に朝令暮改みたいにいかないと思いますけれども、やっぱり、非常に子供の教育、子供の将来に関することでございますから、いま局長が申し上げましたように、いろんな知恵をしぼって、どうすれば一体いいのか、どうすればもう少しゆとりのあるといいますか、人間らしい気持ちで学問といいますか、教育ができて、社会人となれるのかということを中心に検討をしてみたい、かように考えております。
○片山正英君 大臣の御答弁もいただいて、私もわかるんですが、試験制度のあり方という問題にやっぱり端を発している。局長の御答弁で、決して画一的ではないんだというお話を承って、私もそうかなといま初めて気がついているんですが、父兄はどうもそのように思ってない、少なくともわれわれのところに言ってくる父兄は。したがって、五科目も三科目もあるんだということでございますから、その実態を、後でで結構でございます、どのくらいのバランスになっておるのかお教えをいただきたい、こう思います。
 次の課題は、「学校教育の成否は、実際に教育に携わる教員の資質と指導力にかかっている」こういうことを大臣がおっしゃっております。まさしく私もそのとおりだと思います。そこで、その指導の基本となるべき教科書について種々問題があると私は実は思う。過日、対外――韓国、中国問題で大変な議論を沸かしましたけれども、私はそれのみにとどまってはおらない、こう思っております。
 その一つの例を引いてお伺いするわけでございますが、一般的に教科書の傾向がこういうふうに表現されております。非常に権利関係の表現が多い。たとえば権利関係に関する表現が三十ページぐらい書いてある。ところが、それの義務関係の表現というものはその十分の一にもすぎない。半ページくらいしか書いてないんですよ。権利と義務はうらはらのはずなのになぜ権利関係だけがこんなに主張されるんでしょうか、義務観念の主張がなぜ少ないんでしょうか、こういう問題が提起をされております。また一つは、教科書全体がどうも暗い印象を受ける教科書が多い。私、全部教科書を読んでおりませんからわかりません。そう表現している人がおります。もっと明るい教科書に編成がえはできないものだろうか、こういう何というんですか、素朴な意見を言う人もおります。
 そこで、教科書に対して検定制度がいま行われておるわけでございますが、これは、検定制度はいかなることを行う権限を持っておるんでございましょうか。外国の問題でも大変いろいろ議論がございましたが、大体、検定制度というものはどういう方向でどういうことをやるのかという、要点だけをまずお伺いをいたしたいと思います。
○政府委員(鈴木勲君) わが国が戦後、小中高等学校通じまして、教科書制度につきましては検定制度をとりました趣旨は、やはり、従来の国民学校におきまして国定教科書を使っておりまして、教育が画一的に流れたというふうな反省もございまして、できるだけ民間の創意を生かして、それによって著作された教科書につきまして国が一定の見地から、たとえば教育の内容が適正であるかとか、あるいは義務教育なり高等学校教育の水準を維持するのに適当であるかとか、いろいろな観点があるわけでございますけれども、そういう観点から検定を行いまして、その検定を行った結果、学校において使う主たる教材として適当であるということを認めるわけでございまして、それが、文部大臣が検定の権限を与えられまして検定を行うという趣旨でございまして、そのような見地から検定を行っているわけでございます。
○片山正英君 それではさらに聞きますけれども、大臣表明の中には、教科書の記述が適切となるように最善の努力をしていると、こういうふうに書かれております。そこにまあ検定制度の意義もあるんでしょうが、たとえばこういうものはどうなるんでございましょうかお承りしたい。
 まず、表現が間違っておるもの、不適当なもの、これは当然削除はできますね。それが第一点。できるか、できないか。それからもう一つ、誤解を受けやすいようなもの、これは削除というわけにいかぬのだと思いますが、教科書を書いた人と相談をして訂正をする、こういうふうにわれわれ聞いておるんですが、そういうふうに理解していいか、第二点。三番目、バランス上非常にこれは不適当だというもの、さっき言った権利ばかり書いて義務は書いてない、そういうものは、義務項目というものを権利と同等のように押し込んでいく、教科書を基本的にバランスのとれたように訂正していく、こういう要請。
 こういう三つのことが検定制度の中でできるのかどうか。最初は削除、後は合意、最後は強制的にもこれはバランス上入れていかなくちゃいかぬ、バランスのとれないのはおかしい、こういうような意味でやっていけるのかどうか、この点をお伺いしたいと思います。
○政府委員(鈴木勲君) 一般論としてのお尋ねでなかなかむずかしいわけでございますが、バランスの方から申し上げますと、権利が多く義務が少ないというのをどのような観点から比較するかというのが一つあろうと思います。
 社会科の指導要領等におきましては、日本国憲法の基本的人権の問題についてよく知らせる、教えるというふうなことがございます。日本国憲法を調べてみますと、これは基本的人権に関する項目が非常に多いわけでございます。義務に関しては、勤労の義務と納税の義務とそれから教育の義務と、三つしかないわけです。そういう見地から、いずれにいたしましても日本国憲法を中心といたしまして、基本的人権を中心に深めさせるというふうなことになっておりますので、その場合には、やはり憲法にございますようないろいろな権利を教えるというようなことが教科書にはウエートを占めてくるというふうなことになっているわけでございますが、しかし、義務についてもこれは当然教えなければなりませんので、特に政治、社会、公民等におきましては、権利と責任、自由・権利と責任・義務というふうな関係で、これは社会生活の基本として正しく認識させるというふうな項目もあるわけでございまして、そういう意味でバランスがとれるようにしてございますけれども、いずれの見地をとってバランスかということになりましては、それぞれの教科書の内容でございますとか、記述の仕方によって変わってこようというふうに考えております。
 したがって、機械的に権利のうらはらとしての義務が記されていないということでバランスをとるということは、教科書におきましてはそれぞれの教育内容なり記述の仕方によって異なりますので、一概には申し上げにくいということが言えるかと思います。しかし、基本としてはこの教科書におけるバランスという問題は非常に大事な観点でございまして、バランスという観点を保持して適切な教科書づくりをやっているというのが検定の一つのポイントでございます。
 それから、表記が適当であるかどうかという観点、これは間違いがあれば、たとえば正確性という観点から、間違いがあればそれを直させるということは、これは修正意見という形で、これを直さなければ教科書としての合格にならないという観点からの意見をつけまして直させるということは可能でございまして、そういう趣旨の検定もやっているわけでございます。たとえば数字でございますとか、明らかに間違っているというふうなものについては、そういう形で修正をさせることが可能なわけでございます。
 それから誤解を与える記述というのは、これはなかなか具体的な記述になりますとむずかしい点があるわけでございますけれども、たとえば争点がいろいろ分かれているというふうな場合に、一方的な見地だけを書くというふうなことがあっては誤解を与えるという見地から、別な考え方もあるというふうなことをつけ加えさせるとか、そういう意味で誤解を与えないような形の修正と申しますか、そういうものも可能でございまして、現にそういう形で検定を行っているというのが実情でございます。
○片山正英君 抽象的にはわかるんですけれども、憲法に従って権利義務というものを明確にしておると、これはそのとおりであっていいと思いますが、私はまだもっと広い意味において、決して憲法も否定はしてないと思いますが、人間性として、社会生活をする一員としての権利義務という、権利と義務はうらはらの問題ですから、そういう意味の私は記述があってもおかしくはないんじゃないかと思う。単に憲法だけを引き出して言うんじゃなしに、一般社会通念の問題としてそういう検討をしてもらってもいいんじゃないだろうか。そういう意味のバランスも必要なんじゃないだろうか。これは時間があればやりたいので、非行問題にも私は関連してくるんじゃないだろうかとさえ実は思います。そこで、そういう点の権利義務の見直しを要請をしておきたいと思います。
 それからバランスの問題で、ちょっと変な例でございますが、読んだ本に、吉田茂元総理大臣、この人の名前は小学校の社会科にはほとんど出てないそうでございます。同じようなときに、憲法
の擁護、文化的生活を人間は享受する権利を持つという、こういう憲法の条項を盾にとって訴訟を起こした、名前が非常に似ているんですが、朝日茂という先生、この先生の名前は教科書にずらっと出ているんだそうですね。七つの教科書のうち五つの教科書はこの表現を使っている。ところが吉田茂、日本を左右した、単独講和か全面講和か大変日本の岐路であったと思います。いろいろな議論もあったと思います。しかし、日本の大きな運命を決定したことも事実でしょう。そういう名前は一つも出てこない。これがバランスのとれた教科書なんだろうか。むしろ反対じゃないだろうかと、常識じゃないんじゃないだろうかとさえ私には思える点がありますから申し上げておるわけであります。
 それからもう一点、これは私の手前みそになって恐縮でございます。農林水産省という名前になったとたんに教科書から――農業は書いてあります。漁業は書いてあります、小学校の五年の教科書に。林業は残念ながら外されました。いまや緑の問題は日本国ばかりじゃなしに世界的課題として大きな問題として伸びてきているわけです。世論としてまであるんです。そういうときに何で林業だけが小学校の教科書から外されなければならなかったのか。私はこういう点が、むずかしいのは書いてあるんだけれども、本当に教えてほしいのをなぜやめるんだろうか。これは教えてもらいたい。山の人だけ知っておかなくていいんです。いまや都会の人にも知ってほしいんです、林業というものは。そういう時代だと私は思っております。そういうものが抜けておる。御検討いただくことになっておりますけれども、どうか、一、二の例を引いたにすぎませんけれども、私はこういう点を基本的に見直す検定制度、こういうものであっていいんじゃないだろうか。いずれ中間答申も出るやに伺っておりますから、どうかひとつよろしくその点は御高配のほどをお願いをしたいと、こう思います。もっと議論をしたいんですが、時間がありません。それで省略をいたします。
 それでは、学校の青少年の非行、暴力の問題についてちょっとお伺いします。
 これは警察庁の人に来ていただいてお話を伺ってから質問するのが当然でございますが、時間がありませんから警察庁の資料に基づいて私が御質問をいたします。
 警察庁の資料によりますと、非行、暴力の実態は中学校においては国公立が一〇〇%、私立には一校もございません。最近の実例であります。それから高校で調べてみたんです。中学は義務教育ですからちょっと違うと思いまして、高校で調べてみました。そうすると、高校では国公立関係の暴力行為は九〇%、私立が一〇%、こういう比率であります。やはり圧倒的に国公立の方が多いわけでございます。これは否めない事実であります。そこで、内容を見ますと、中学は三年、高校は二年生が主体であります。発生の場所は教室が中心であります。こういう実態であるわけでございますが、この暴力行為が国公立が中心である実態、これは文部省はどういうふうに考えておられますか。そしてその原因は何だと考えておられますか。そこに非常に差があることを私は奇異に感ずるんですが、その点はどのように判断をされておりますかお伺いをいたしたいと、こう思っております。
○政府委員(鈴木勲君) これは過日の当文教委員会におきます校内暴力の集中審議におきましても、御審議の一つのテーマであったと聞いておりますが、やはり私立学校につきましては、これはいろいろな私立学校がございますけれども、就学義務という観点から申しますと、懲戒によりまして退学が認められているわけでございまして、その際、私立の学校を退学された者は公立に来るわけでございまして、公立学校はすべての児童生徒をともかく引き受けて教育をしているという観点があろうかと思います。それから、やはり非行の起こります割合と申しますか、現在の中学校で申しますと、生徒の割合で申しますと二・八%でございます。そういう観点もあろうかと思いますが、私立に全然なくて公立にだけあるということではなくて、私立にもやはり問題としてはあるはずのものでございますけれども、いまの制度から申しまして、公立学校の方で最終的には引き受けているという観点と、それから比率の問題があろうかと思います。
 なお、そのほかいろいろ検討いたしますと、私立の場合には多く中高一貫教育という形で、生徒指導が中高貫いて行われているというふうな観点でございますとか、あるいは教員がその学校の卒業生が多いとか、愛校心において非常にすぐれているとか、いろんな観点があろうと思いますけれども、そこのところはまだ十分分析しておりませんので、一般的な考え方を申し上げたわけでございます。
○片山正英君 何か私の期待するお答えはどうも得られなかったようでございますが、時間がありませんからもう少し先に進みたいと思います。
 警察庁の非行の原因は何だというのが私には不思議に感ずるんですが、警察庁では、原因は先生が注意をする、厳しいしつけをする、こういうことが非行の最大の原因と書いてあるんです。これは僕は非常に不思議に実は思っておるんですが、そう報告されております。一方また横浜であるとか町田のあの例を見てみましても、逆に無抵抗、弱い者いじめに非行が爆発していく、相反する面がどうも見られるわけでございます。
 そこで、さきに参考人で沖原という広島大学の教授の御意見を伺ったわけでございますが、その教授のお話によりますと、対策は何かという点にお触れになりましたが、学校の規律の回復、それから家庭との連携を主張されておりました。それから、アメリカの例をお引きになりまして、アメリカの国民の世論調査を行ったと書いてありますが、その世論調査では、規律の欠如、教師の権威と尊敬の欠如、これが非行の原因であるように言われておる、こういうことを伺ったわけでございます。
 そこで、文部省のこれに対する見解と、しからば具体的な対策をどうするのかということをお伺いしたいのと、時間もありませんからもう一つ続けて、五十八年三月十日、つい最近ですね、鈴木初等中等教育局長の通達を見ますと、校長を中心として全教職員が一致協力する体制の確立にかかっておる、こういうことをおっしゃっております。私もそのとおりだと思います。また、参考人でこの間おいでになりました鈴木誠太郎氏、これは若林中学校の校長さんでありますが、この校長さんは、校長のリーダーシップの必要性を強く強調されております。したがって、私は校長のリーダーシップというものを、現状はどうなっておるのか、そして、もし校長としてのリーダーシップがとり得ない原因があるとするならば、それはどういうためなのか、それを打開する方策は何なのか、最初の規律問題と関連して、二点お伺いをいたしたいと思います。
○政府委員(鈴木勲君) アメリカの御指摘は、これはギャラップの世論調査によりまして、毎年教育問題、公立学校についての世論調査をしているわけですが、そこで、父兄が一番アメリカの公立学校に希望するものは何かというのは、やはり規律の確立ということであったというふうに私ども調査をしておりまして、アメリカにおきます非行なり校内暴力の直接関連ということかどうかわかりませんが、非行、校内暴力も含めまして、アメリカの公立学校における最大の課題はやはり規律の確立だというふうに前から言われているわけでございます。アメリカにはやはりそれなりのバックグラウンドがございまして、あるいは人種問題でございますとか、失業でございますとか、いろんな問題があろうかと思います。
 わが国の場合に、警察庁の調べましたのを一つの資料としてお挙げになりましたが、それはたまたま校内暴力におきます対教師暴力の引き金となったものが、恐らくその先生の厳しい指導に対する反発というふうなものであろうかと思いますけれども、それが一つではございませんで、深く考
えますと、学校全体の指導のあり方でございますとか、平生におきます授業のあり方とか、そういうものが全部絡んでおるのであって、直接の引き金になったものは何かという点ではそのような資料であるかと存じますけれども、私どもとしてはやはり学校全体の指導体制のあり方が一番問題ではないかというふうに考えております。
 そういう観点から、個々の児童生徒あるいは個々の教員のあり方だけではなくて、この問題については、少なくとも校長を中心とした校内の教師の一致協力した体制が必要であるという観点から、従来から指導しておりますと同時に、三月十日の都道府県の教育長の会議におきましても、この点を重ねて要望いたしまして、さらにこの問題行動の起こりました学校についてのひとつの努力目標と申しますか、チェックポイントとして、そういう観点も含めて早急に点検をして、改めて、学校の体制全体を立て直し、早急にこれに当たっていただきたいということをお願いしたわけでございまして、この点が大変重要な指摘だというふうに考えております。
○片山正英君 最後に一問だけ伺って、時間も参りましたので終わりにいたします。
 青少年の校内暴力について抽象的に、大臣の所信表明は、「学校、家庭、社会がそれぞれの教育的役割りを十分発揮しながら、」あるいは「豊かな心を育てる施策を総合的に推進し、」というような表現で結んでおられます。ごもっともな方針でございますが、これまたいささか具体性に欠けておると私は思います。したがって、私は、戦前のことを言ってはちょっとこの場でおかしいのかもしれませんが、お許しをいただきたいと思います。たとえばでの表現で申します。戦前は教育勅語というのがございました。現在はそれにかわるものとして教育基本法あるいは学校基本法というもので示されております。至極もっともだと思っておりますけれども、一点、前者、いわゆる教育勅語におきましては、これは具体的な表現がなされております。ここで言う必要はありません。そして、先生も生徒も父兄もあるいは国民も、一つの同じ目標にそれは向かっていっていることは間違いなかったはずであります。
 ところが、教育基本法あるいは学校教育法を見ましても、これは法律体系であるだけで、法律専門家が読むとわかるかもしれませんが、大変事務的な、一般的にはなじみにくい文句であります。第一条を読むまでもありませんが、要約すると、心身ともに健康な国民の育成、平和的な国家及び社会人の形成、こんなことが書いてありました。これはもっともなんです。しかし、法律用語としてあるいは法律の一つの条項として、目的としてこれは理解できるんです。だけれども、父兄なり法理を読まない人たち、生徒なり大衆なり国民なりが一つの目標を私はこれによって見出すことはできない、こう思います。そこに問題点があるんではなかろうかなと思います。私は、できればわかりやすい、だれにでも理解できるような、座右の銘と言っては語弊がありますけれども、そういうものがばちんと示されていいんじゃないだろうか、教育勅語にかわるものがあっていいんじゃないか、何かあっていいんじゃないか、こう思います。
 ときたまたま、昔のことになって恐縮ですが、ある本で見たら例が引いてあったので、ここでちょっと言うのは適当かどうか私もわかりませんが、田中元総理がこの問題に触れております。どういうことを言っておられるかと申しますと、五つの大切、十の反省というのを子供の生活の規範としなさいということが書いてある。その五つの大切、十の反省というのを、当時の田中総理、いろいろいま問題の議論はございますけれども、内容を私は改めて言いたいのでございます。
 そこで、五つの大切というのは何だというと、「人間を大切にしましょう。自然を大切にしましょう。時間を大切にしましょう。物を大切にしましょう。社会を大切にしましょう。」これが五つの大切。十の反省は、「友だちと仲よくしたか。弱い者いじめをしなかったか。お年寄りに親切であったか。生物や草花を大事にしたか。約束したことは守ったか。交通ルールを守ったか。親や先生など、人の意見を聞いたか。食べ物に好き嫌いを言わなかったか。人に迷惑をかけなかったか。正しいことに勇気を持って行動したか。」これが十の反省です。
 私は、だれが言おうとかれが言おうと構わない。この問題は、こういう提案こそ本当に教育の、父母もわかり、生徒もわかり、そうしていくべき方向もわかり、皆が一致する方向じゃなかろうか、こういうものの欠如がいま問題を提起しておるんではなかろうかと私は思うんですが、そういう点につきまして、文部大臣、この具体的な生活教育方針というものを検討して、これでなくていいんですよ、別途に検討して提示すべきだと私は思うんです。もっとたくさん聞きたいのです、私立と公立の学校の比較とか聞きたいんですが、最後にこれだけを大臣からお伺いして、私の質問をやめます。
○国務大臣(瀬戸山三男君) 私はしばしば申し上げておるわけでございますが、教育は教育基本法に基づいてやると書いてあります。また、教育基本法は憲法の精神をもとにしてやると書いてあります。そうして教育基本法は条文は少ないのですけれども、書いてあることはすばらしいことが書いてある。いま一部お読みになりましたが、さように考えております。でありますから、教育基本法に従って憲法の精神を教育の基本としてやるということはすばらしいことなんですけれども、言い過ぎかもしれませんけれども、私が感じておるのは、それから三十五年たっておる。それにしてはあの精神が生かされて社会の中に生きておらないなあというのが実感でございます。
 でありますから、いまおっしゃったように、昔の教育勅語の話や田中元総理の言われたことなど引用されましたが、小学校、中学校あるいはそれ以下の幼稚園もそうですけれども、むずかしい言葉、むずかしい文章では私はなかなかわかりにくいのだろうと思うんです。ですから、やはり簡単な標語みたいな、始終それが頭に入る、記憶に残っておる、それが自分の日常行動を支配するといいますか、規制するという、これが大体人間の社会の生物というものの実態ではないかと思うんです。でありますから、徳目はどういうものがいいか、現代社会には現代社会の徳目はあるわけでございますから、実際に合った徳目を衆知を集めてわかりやすく、子供にもあるいは大人にもでございますけれども、示せる方法があれば、これはいいことじゃないかと思っております。
 ただ問題は、それは文部大臣がつくったとか文部省がやったとかいうことではこれなかなかおさまらない。これは衆議院の予算委員会でもお話が出たわけでございますけれども、願わくば国民のルールでございますから、国民の代表者のお集まりの国会でそういうものをおつくりいただくと、日本の将来はもっとすばらしいものになるんじゃないか、こういうふうに考えておりますが、文部省がそういう提案をするということはちょっと、よほど慎重に考えぬと、それこそ逆効果になるおそれが出やしないか、こういうことを心配しておるわけでございます。お説には全く賛成です。
○高木健太郎君 まず初めにちょっとお断り申しておきますが、皆さんもよく御存じのように、教育の効果というものはそう一年や二年で出るものではなくて、数十年たってからそれまでの教育がどうであったかということがわかるというところにほかのものとは違った非常に長い時間的のファクターがあるわけでございます。そういうわけですから、最近やかましく言われておるいろいろの青少年の非行であるとか校内暴力というようなものも、最近それが表面に出てきただけでありまして、実際は非常に長い間の教育効果がここにあらわれている。それは教育ばかりではなしに、環境その他多くのものが関係しているでしょうが、そういうものが関係しているわけでございますから、いますぐここでこの対策をあわてて立てるということはかえって私は大きな誤りを犯すという危険がございますからして、文部当局におかれま
しては十分ここで踏ん張って、過去あるいは現在を分析して、そしてその対策を練られるようにされることが私はまず大切なことではないかと思います。
 それに対するいろいろの審議会その他の調査研究機関もございますけれども、それらを単にある二、三の審議会の意見だけに頼らずに、本式にこれを研究する、そういう機関を設けられまして専門的にこれを研究するというふうにされてはいかがかと。いわば社会科学というものも科学の中にいまは入っておりますが、教育科学というようなものをここでひとつ確立されまして、その原因と結果との相関関係を十分に練られることが私は大切かと思います。
 後でもお話し申し上げますが、教育モニターのアンケート調査がございます。現在、父兄なり先生なり社会なりがどう思っておるかということをここに集めたものでございますけれども、それは、現在その人たちが考えている一つの原因でございまして、ある原因はどの時点で働いて、それがいまどう響いているか、いわゆる時間的のファクターというのがこの中には入っていないわけです。
 わかりやすく言いますと、一種のこれは病気でございますけれども、たとえば結核という病気がございましたけれども、結核の疾患が現在減っておることは事実でございます。しかし、その原因としてそれの、原因といいますか、役に立った療法として、まずたとえばコッホが結核菌を発見した、あるいはダイアジンみたいな薬ができた、抗生物質ができた、あるいは栄養がよくなった、いろいろのファクターがあるわけでございまして、その総合結果として結核が減っておりますけれども、よくその減るカーブを見てみますと、抗生物質が発見されたから一度に結核が減ったというわけではないわけでございまして、われわれは普通一般に考えますと、いかにも抗生物質が結核減少の最も大きな原因であるかのように思われますけれども、これを十分に解析しますというと、それだけではないということがはっきりするわけでございまして、このように結核菌で起こるということがはっきりしている結核という疾患に対しましても、その要因ということを調べるのは非常にむずかしいわけでございます。その他の現在の高血圧であるとかあるいは糖尿病であるとか、その他の成人病におきましても、あるときは食べ過ぎ、あるときは食塩とかと、いろいろな要因が挙げられておりますが、そのうちのどれであるということをはっきり決める、あるいはどういうコンビネーションで起こるかということを決めることはきわめて困難な仕事でございます。
 まして教育というような非常に大きなたくさんのファクターがあるようなものは、これを十分に解析しなければいきなり何かをここでやるということは私はかえって、非常に危険である、そういうようにまず最初に思いますのでいま申し上げたわけでございまして、後でいろいろ申し上げますけれども、そういうことを含んでこれも一つの考えの中に入れておきましょうというぐらいのつもりでお聞き取りを願いたいと思います。
 文部大臣は大変いいことをおっしゃいまして、非常に率直に、これまでの文部大臣と違って原稿もごらんにならずに自分の思うことを率直におっしゃるということは、私非常にうれしく思いますし、こういうものが委員会の本当の姿であろうと思っております。その中でも、たとえば、教育といっても教えるということばかりじゃなしに、その人の後ろ姿でもやはり教育のうちに入るというようなことは私が常日ごろ考えておることと同じでございまして、確かにそうであると思います。
 いままた片山委員からお話ございましたが、権利と責任というようなもの、あるいは権利と義務というものがバランスがとれていないというようなこともあると思いますが、そのときにちょっと気になりますのは、言行一致でなくてはいけないということで、これは午前中粕谷委員からもお話がありましたように、政治倫理が守られないような状態で幾ら子供に口で言い聞かしてもそれはむだではないか、私もそういうふうに常に思っております。代表質問でも申し上げましたように、上に立つ人が直くなければ下に立つ人は直くあるはずはない、こういうふうに思いますので、政治家はもちろんとして、教師も親も、また一般の社会の人も裏表がないようにしなければいけない。口での教育は実際は本当の役には立っていないのだ、こういうように思います。これらだけをまず最初に助言のような形で申し上げておきたいと思います。
 次に大臣の所信表明のところに移りますが、最初のところで、これは文句で、あるいは訓詁的なことでよくないかもしれませんが、ちょっと私にひっかかるところがございます。一般に、これは片山委員も言われましたように、非常に抽象的でございまして、その意味では非常にきれいごとが並べてありまして、何をしていいかわからないというところは確かにございます。私もそう思いますが、しかしこれ以上は言えなかったのではないかという気もいたすわけで、所信というものは元来こんなものかな、そういうふうに受け取ってもよいと思いますが、ちょっと一ページのところのちょうど真ん中ぐらいのところからでございますが、「一方でわが国の未来を担う健全な青少年の育成を目指すとともに、他方では、国民が、複雑に変化する社会環境の中で、生涯にわたってその個性、能力を伸ばし、自己の啓発向上を図り、生きがいのある充実した生活を送ることができるよう、」と、こう書いてあるわけです。どうもこの文章は変化する環境の中でというのとその後の文句がつながらない。
 私はこういうふうに言われた方がいいんじゃないかと思う。もう少しはっきり、変化する環境の中で生きるためには、あるいはりっぱに人間として生活していくためには、生涯にわたってその個性や能力を伸ばして、自己啓発の向上を図ればこれに対応ができる、こういうふうに言われればもう少しはっきりするのではないか。また、国民が進展する国際社会の中で信頼と尊敬を得て活躍ができるように図っていくことができる、こういうようにした方が私はいい。で、このように教育をすることが文部行政の基本であると考える、このようにした方が何かはっきりする。何もかもがあるようにあるようにという願望だけではなしに、こうすればこうなるというような書き方にされれば、私はこの点はもう少しよくなるなるのではないかと思うわけです。まずそこの点を申し上げたいと思います。
 次に、青少年の非行と校内暴力の背景ということでございますが、先ほど申し上げましたように、これに時間的の関係が入っておりません。それで新聞でもあるいはいろいろなものでも、アンケートでありましても、そこに何年にこういうことが出た、そしたらば、そのときに非行がどれぐらいふえた、こうやったらば非行が減った、そういう時間的なものがない。だからしてなかなか分析はしにくいと、こう思いますから、要因分析に時間関係を入れていただきたいと思いますが、さしあたり現在分析をしておられるいろいろな人の意見を要約しますと、第一は家庭のしつけ、第二は教員の資格、資質の向上、第三には物質主義、こういうものが大きな原因のように見えます。
 そこで大臣にお伺いしたいと思いますが、家庭のしつけというようなことはどういうようにお考えでございますか。こういうことです。第二には教員の資質向上ということをどのようにしておやりになりますか。第三には物質主義というようなものが言われておりますが、それが悪いのかいいか。あるいはもしそれにかわるものがあればどういう支柱を考えておられるか。現在は精神的支柱を国民は失っておりまして、そのために空虚感がある。まあ片山委員もおっしゃったように教育勅語のいいところは残してもいいじゃないか。ところがそういう精神的な支柱がない、あるいは君主政治というものがなくなった、そして民主主義というものになった。しかし、民主主義というものは漠然としておって、それが精神的な支柱になり得ていない。何となく国民は空虚感を持ってい
る、不安感を持っておる、あるいは国民が全体として宗教というような形のものが日本には少ない、こういうものがありまして精神的な支柱を失っておって、現在物質主義な国民が多いわけでございますが、これに対してどう思われるか。いわゆる家庭のしつけ、教員の資質向上、物質主義に対してどのようなことをお考えになっておるか、まずお聞きしたいと思います。
○国務大臣(瀬戸山三男君) まず最初に高木さんから教育の問題、非行の問題等の対策は短兵急にやっては間違いを起こすおそれがあると、こういう趣旨の御注意がありました。私もさように考えます。
 教育の問題は、過去から現在、将来にわたって、まあ国民といいましょうか、人間の真価をはかるためのものでございますから、一時の現象によって妙な対策をとるととんでもない間違いを起こす場合もありかねない、こういう感じを持って慎重慎重で何もしないという意味じゃありませんけれども、周到にやっぱり検討しなきゃならないと、こういう立場でおりますことも申し上げておきます。
 それから所信表明の文章、どうもいろいろ教えていただきましてありがとうございました。それから、ただいまの、私も専門家じゃありませんから私なりの感じを申し上げるわけでありますが、私は、妙なことを申し上げて恐縮でございますが、人間も自然の一部である。自然の一部であるということは、他の動植物と生命体としては同じである、こういう考え方を基礎にしておるわけでございます。植物は別にいたしまして、他の動物が子供を育てます姿をいろいろお互いに見るわけでございますが、鳥が子供を育てるのを見ておりますと、卵から出てきて、まあ鶏のひよこなんかは産まれてから間もなくすぐ小さなアワ粒ぐらいのを自分でつつきますけれども、その他の特に生きたえさを食べるような鳥の姿を見ておりますと、小さいひよこのときには小さなえさを親がしきりに働いて持ってきて食べさせておる。だんだん大きくなるに応じて大きな虫や、あるいは魚を食べる鳥なんかは大きな魚を持ってきて食べさせる。その時分にはだんだんもう羽が伸びて両方の翼も相当大きくなってきておる。そしてだんだん大きくなりますと、巣から外に出てひょろひょろ歩き出す。羽を広げて飛ぶまねをする。そして飛ぶようなかっこうをしてみせるという、あれが私は教育だと思っております。
 人間も同じことでありまして、まず乳を飲ませる。最近は乳を飲ませることが何かよけいなことのような感じを持っておられるお母さん方が、失礼でありますけれども世の中におられる。便利な哺乳瓶をころがして与えておけばそれでいいと。あれは私はもう教育、子供を育てるという問題じゃないという感じを持っておりますが、まあ社会が変化したからということでしょうか。こういう社会でいいのかどうか。私は余りいいとは思いませんけれども、いずれにしても、そういうことになっている。そういうことをちょうど、失礼でありますけれども、動物が子供を育てるあの愛情、それこそ私、この間、よけいなことでありますけれども、よくNHKその他で自然の動物のことを放映いたしますが、ハイエナの、これはなかなかどん欲な動物のようでございますけれども、親が子供を六、七匹持っている。それに大きな何かシカか何かとってきて、小さいときには小さくかみ砕いて、腹の中に入れて、それを一匹ずつ与えている。大きくなりますと、大きな肉のかたまりを与えてやっておる。これは先ほどお話ししたとおりでございます。そして走ってえさを見つける動作を教える。
 結局、教育というのは生きる道を教えることだと思います。生きる道を教える。まず生命を維持し、そしてそれが平和のうちに発展して伸びるすべを教える。そのためには、近代社会になりますと読み書きもできなければならない、新しい技術も覚えなければならないということで、だんだん内容が高度になってくるわけでございますが、その姿はちっとも動物の社会と人間の社会と違わない。
 そういう心がけでやはり家庭が、少なくともよちよち歩き出す三、四歳までは、それから小学校を卒業するぐらいまでは、だんだんもう羽ばたきができるなというところまではよほど注意してもらわないと。もちろんそれから先はこれはだんだん人間が進歩してきましたから、学校の制度をつくる。昔は学校の制度なんかなかったわけです。みんな親が、やはりほかの動物と同じように山の中や川のふちでえさをとって与え、えさをとることを教えて教育したんだと、こう思いまするが、いまや組織をつくって、組織的な学校というものでやる。これは国民の子を国民が教育して育てておるんだと私は考えておるわけでございますが、そういうことを頭に置いてもらいたい。家庭教育まで文部省や何かが入っていくわけじゃないですから、そういう点をできるだけ機会あるごとに指導というと失礼でありますけれども、いろいろな集まりをしたり、あるいは印刷物を配ったり、あるいは学校の先生方との連絡をとってもらって、そういう生命というものを育てて後を継がせるんだという、こういう精神がないと、ただ子が生まれたからこれを何とかしなければならぬという簡単なことじゃいけない、私はそういう精神でおってもらいたいと、こう思うわけでございます。しかし、なかなかいまの社会は必ずしもそうでないように私受け取っておりますが。
 それから教員、教職員は、そういうことも今度は社会共同の責任として組織的にやる。昔は寺小屋でやりました。インドあたりに行くと学校もありませんからテントの中でやっているところもありますけれども、日本は非常に教育が進んで学校施設までできた。そこに集まって、特別なそういう職責を持つ先生方をお願いしていわゆる国民の後継者を育ててもらう、そういうことでありますから、そういう使命を持ってひとつやってもらうようにしてもらわなければならない。ただ英語が上手だから、あるいは数学がうまいからだけでは先生としての資格はまだ不十分だと私は思っております。まずその前に、教育というものはどういうものなのか、どういう子供を育てなければならぬかというその使命といいますか姿勢が前提でなければ、幾らうまい技術を教えても、幾ら英語を上達させても、人間が根本的にだめだとこれは物にならないわけです。私はそういう考えの先生になってもらいたいし、また将来はできるだけ、いままでも努めてもらったかもしれませんけれども、ただ大学を出た人を集めさえすればそれで教育者だというのはちょっとおかしいんじゃないかと私は申し上げておるんです。
 それから物質主義、これも勝手なことを申し上げますが、何のために物質が必要なのか、何のために科学を研究しいろいろな先端技術を開発するのだ、これはまさに人間が平和のうちに物心あるいはそういう生活が豊かで後の生命がよく続くように必要な資料を、材料をつくるためでございます。ただそういうものをつくりさえすればいいというんじゃなくて、本当に人間そのものがすばらしい生命を保っていける必要な範囲でやるべきである。ところが、このごろは物質が先になりまして、心を忘れてしまっておるというような感じを持っている。したがって、一体経済が発展することは人間に幸せなのか。もちろん発展することはいいんですけれども、余り極端に経済経済と発展することは、逆にいまの社会の姿を見ておりますと人間は幸せでない。欲望が出てきてそこで戦争になっておるんじゃないかという気がしておるのが私の感想でございます。
○高木健太郎君 おっしゃるとおりでございますが、いまの中学生の母親というのは、戦後四十年近くたちましたので、戦後の教育を受けた母親でございます。いまおっしゃった動物に愛情があるかどうかは別といたしまして、本能的に育てるものを持っているわけですけれども、このごろの母親はその本能を少し軽視しているというかそういうことがあるので、本能的なものに戻せという意見もあるわけです。それよりも私は、母親はどのように子供を育てたらいいかわからないのではな
いか、しつけるといっても、余り勉強させればまたいろいろ非難が上がりますし、丁寧にすれば過保護と言われますし、そういう意味で母親というのも非常に迷っているのではないかというふうに思うわけです。別に母親は、塾にやってそして子供に勉強を強いるというようなことはしたくはないでしょうけれども、そうしなければならないような世の中になっておるので、人間形成をやらなきゃならぬというきれいな言葉を聞きながら、それに従っていけないというのが母親ではないかなというふうに思うわけです。
 すなわち、本能的なこともある程度忘れて、たとえば子供が生まれて、こちらが話しかけても何にも言わないから、この子は何も言わないといって物を言わない母親がおります。その子供は小学校に入っても物が言えなくなる、こういうことさえあると聞いておるわけです。いろんな病気が、母親が原因で起こっている病気も多いんで、母原病という名前もあるわけです。だから、母親というものが自然科学というものと本能との間に挟まって、そして社会というものとの間にまた挟まりまして行くべき道に非常に迷っているのではないかというふうに私は思われてならないわけです。それははっきりした支柱がない、精神的な支柱がないからであろうと思います。よその子が学校に行けば自分の子もやりたいというただそれだけでやっているのではないか。あるいは将来幸せになってもらいたいというためにできるだけ上の学校にやりたい、こういうことで、理屈はわかっておってもやむを得ず塾にやる、こういうことになっているのだと私は思います。
 次に教員のことですけれども、学校もたくさんふえましたし、若い先生方、すなわちまだ社会のことが余りよくおわかりにならない先生方が多いと思います。私の孫には中学の子供がたくさんおりますが、先生が生徒の前で泣いたりするわけです。あるいはまた怒るときにはかんしゃくを起こしてたたく、いわゆる教育的に叱責をするというのならいいんですけれども、感情的にたたくとか、そういう先生方がおられる。実生活を知らないということに問題があるのではないか。あるいはまた心理学とか教育心理学というようなものだけではなしに、もっと本当の意味の人間社会というものの経験が少ないのではないか、それが一番大事な子供を預かるというところに問題がありはしないかと思いますので、教員になった先生方をもう一度いわゆる卒後研修といいますか、あるいは休暇をとらしてそこで勉強をさせるというふうな、そういうシステムを考えられてはどうかなと思うわけです。
 神戸の方で健康科学大学というものをつくろうという企てがあると聞いております。それは教員の方を二年なら二年修士課程に入れまして、そこでより生物学的なものも教え、実社会も勉強させる、こういうふうにしてまた職場に戻す、そういうふうにしたらどうだという考え方なんです。同じことは養護教員についても考えておられるようでありまして、このようにすれば、ちょうど医者が、学校では習ったが、実際に患者を診る場合にはインターンに行かなければ本当の患者は診れない、これと同じような意味で、そのようなところに研修にやられてはどうであろうかというふうに思うわけです。
 要するに、これを考えてみますと、この所信表明には「人格形成」と、こういうふうに書いてございます。私もそのようにしょっちゅう言うわけでございますが、現実の教育というのは非常に実用本位でありまして、知識偏重である。ある本によりますと、日本ほど唯物史観的な国はない、こういうふうにも言われておるわけでございまして、人格形成とは言ってもそれは理想であって、名だけのものである、現在こういうことになっているんじゃないか。だから、もっと基本的なことを考えなければこれはなかなか治らない病気ではないかなと思っております。
 もう一つは、学歴社会といいますが、それは日本は工業化社会になっているわけでして、その工業化社会に順応する人間だけが選び取られていくという形になっているんじゃないか。私は左脳優先社会と、こういうふうに言ったらどうかなと思っております。だから右の脳の芸術的な、あるいは情緒的な人間というものは振り落とされる、そして左の脳の計算ずくの人間だけが上へ上がっていく、こういう形の世の中がいつの間にかできておって、それが子供、家庭にまで押しつけられていくというのが現在の日本の状況ではないか。教育がそういう社会のために非常に大きくひずみを受けているというふうに考えられてなりません。
 もう一つ具体的なことですが、これは片山委員もおっしゃいましたし、文部大臣もおっしゃいましたが、現在の教科書は非常にむずかしいと思うんです、私も。私は生物学者であり医学者でございますが、私が読んでもよくわからないです、高等学校の生物の本は。それから教養部の先生が高等学校の教科書を見て試験を出しますが、その試験の問題の出し方が違っている。これはかなり高等な技術を持った人でなければ実証できないようなことが本に書いてある。多分教えている高等学校の先生もそんな実験をやったこともない。その実験をやったこともないようなことが教科書に書いてございますからして、本当に空虚なことを教えている。だから先生が熱を入れようと思っても全然熱が入らない、ただそこにあるものを教える。そうすると子供はどうなるかというと、子供は一種の知的オウムになっておりまして、詰め込まれるだけ詰め込まれておる。全然物を考えるという子供ができ上がっていない。こういうことが現在の教育の非常に大きな欠点であると思います。
 いわば私は教育というのはたくさん物を教えて知識を詰め込む、百科事典にしてしまうというのが教育ではなくて、学校における教育、特に初中の教育におきましては、ある事に当たってそれを十分自分で考え理解する、こういう子供をつくればいいので、何を知っているというようなことはもうパソコンがあればだれでもできる世の中になっていると、こういうように思いますので、ぜひ自分で考え判断する子供に中学を卒業したときには、義務教育を終えたときにはなっている、このような方針に切りかえなければいけない。ここでたくさん知っている子供の偏差値がよかったり入学試験にそれが通ったりということになりますので、それでは教育になっていないんじゃないか。こういう教育の根本にさかのぼって私は考えてはいかがと思うのでございます。
 また、教科書がむずかしいということのために落ちこぼれが出てくるのではないかと思いますが、これに対して、瀬戸山文部大臣はこういうこともお好きかと思いまして、この間ある人から教わって宮本武蔵の五輪書というのを読みました。この五輪書を読みますと、わが兵法を人に教える場合には、初めてこれを学ぶ人に対しては、その人が習いよいようなわざからまず習わせ、早く理解できるような道理から教え、初めは理解できかねるような点については、その人の境地が進むに従って、次第に深い道理を教えていくように心がけていく、そういうふうに宮本武蔵は言っておるわけです。私も、教えるのは、初めから入るか入らないかわからない、理解できないようなものをただ詰め込むということをやめて、入るところから入れていくというような教育をもう少し考えていただきたいと思うのでございます。
 以上が非行と暴力に関する私の感想でございました。私の意見ばかり申し上げましてまことに失礼でございましたが、以上申し上げておきます。
 次は、この所信表明の、ページは打ってございませんが六ページのところに、「学術研究の振興について」というのがございます。行革がございまして大変予算も窮屈なところで、ほとんど昨年並みあるいは昨年よりもやや増しているというような科学研究費をつけておられるということは私は評価いたします。しかも、この中に書いてある文句としては「独創的、先駆的な学術研究」というふうに書いてありまして、この文句は非常にいいわけでございます。ところが残念なことには、御存じのように、日本では独創的な研究が余りな
いわけなんです。大抵向こうの焼き直しの研究が多いわけでございます。
 それの一つの証左になるかどうかわかりませんが、ここにノーベル賞自然科学系の受賞者の数がございます。それを見ますと、もちろんアメリカやイギリスが多いということは論外でございますが、アメリカは物理学で四十七。全体で、アメリカは百三十、イギリスが五十九、それからドイツが四十九、フランス二十二、スウェーデン十五というふうになっておりまして、日本は四なんです。これだけ教育施設あるいは設備の整った、あるいは力を入れている、まずアメリカに次いで、あるいはアメリカとほとんど肩を並べるぐらいに力を入れておるのにたった四しかない。しかも、そのうちの物理学が三でございますが、物理学の朝永さんと湯川先生お二人は亡くなりました。それから江崎さんとか、あるいはこの間も国会に来られた福井さんももらわれたと思いますが、どうも残念なことにはそういう自然科学者というのは、ノーベル賞の研究をやった場所が実は日本ではないんですね、外国でやっているわけです。そうして、ノーベル賞をもらっても日本には帰ってこないわけです。どういうわけだろうかと私は思うわけです、どうしてそう嫌われるんだろうか。
 私の友達でもノーベル賞をもらうとうわさされたりっぱな男がおりました。彼に、日本から君のようなりっぱな仕事をする人ができて私は非常に嬉しい、また誇りに思うと言ったら、彼が私に言った言葉は、自分は日本には入れられないんだ、おれをアメリカにしか住めないようにしているということは日本の恥ではないか、こういうふうに私に言ったことがございまして、私は非常にそのときにびっくりいたしました。しかも、残念に思いました。何が原因だろうと。もちろん学閥というふうなこともいろいろあると思いますが、とにかく向こうで研究する方がやりやすいということでございまして、これについて後で担当の方から御意見を伺いたいと思います。
 もう一つは、現在科学研究費が非常にふえておりまして、大型の科学研究費も、一つ一億円というふうなものも三年継続でついております。あるいは一般研究費というのはたぶん一千万円以上だと思います。それだけ大きな科学研究費を出しておられることは非常に私はいいことだと思うのですが、実はその費目が決まっておりまして、これは設備とかそういうものしか買えない、人件費には一切使えないとこうなっているわけです。しかし、一千万円の研究費をもらいまして、何かりっぱな機械を買いましても本人が動かしているというわけにはいかないわけでして、御存じのように大学では一、一、二という定員しかございません。その半分以上は教育に割かれておりますからその機械を動かそうと思えばだれか人手が要るわけです。また、りっぱなデータが出ましてもそれをまとめていく人が必要なわけです。ところが、人件費には使えない。欧米諸国ではそういう研究費というもの、あるいはファンドというようなものはみんなそれに対して人件費もついておるわけでして、人件費に使ってもよろしい、そのように学者の自由を認めておるわけでございますが、これ何とかしてその人件費に使ってもよいように、いろいろ支障はあるのでございましょうが、これをどういうふうにすれば使えるようになるのか、ひとつ前向きに御検討をお願いしたいと思いますが、いまのノーベル賞のことと人件費のことにつきましてひとつお答えをいただきたいと思います。
○政府委員(大崎仁君) ノーベル賞の件につきましては、先生御指摘のように、日本で自然科学関係の賞をお受けになった方は確かに四名でございまして、欧米諸国に比べましてかなりの差があるわけでございます。ただ、先生方のお話等をお伺いをいたしますと、福井先生のお話がいまございましたが、日本の場合には国内での研究発表が直ちに世界には認められない唯一の先進国で、どうしても外国へ行ってみずからの業績を発表しないと国際の学会において明確な業績と認められないというようなハンディが片やあるようでございまして、そういうことを考えますと、四という数字あるいはノーベル賞の数字自体が研究水準をそのままあらわしているということではないとは存じますが、しかし、そういうことを勘案いたしましても先生御指摘のように独創性、創造性のある研究業績が比較的少ないということが言われておるのは事実でございます。
 これにつきましては、一般に言われておりますのは、一つはわが国の場合には全般の研究水準あるいは研究条件というのがある程度の水準までは参っておりますし、また、各研究者の御努力によりまして多くの分野で世界の一流の水準に達しておるわけではございますけれども、さらにそれを、ずば抜けた成果を上げるという上で、非常にすぐれた学者に特に研究条件で優遇するというような仕組みがとれないということが一つの阻害要因になっているのではないかという御指摘もいただいておるわけでございます。そういうようなこともございまして、実はただいま御質問にお触れになられましたような科学研究費補助金の中に相当額の経費を、研究費を使うことができる特別推進研究といったような費目も設けておるわけでございますが、引き続き学術審議会その他研究者の御意向をよく伺いながら、私どもとしてどういう措置が講じられるかということにつきまして真剣に努力をさしていただきたいと思う次第でございます。
 それから第二点の、科学研究費の補助金から人件費が出せないかという点でございます。これにつきましても、先ほどの第一点との関連もございますが、ある研究プロジェクトを推進する際に、人間を集中的にそこに、研究に従事するような仕組みにできないということが指摘をされておりまして、かねてから懸案になっておる問題でございますが、どうもわが国の雇用慣行その他を考えますと、そこに踏み切りました場合に円滑に機能するかどうかという点につきましてなお自信が得がたいという点がございまして、現在のところは補助者、資料の収集というようなものに対する謝金等でその点は補っているというのが状況でございます。
 ただ研究プロジェクトに応じまして研究者が機動的に研究に従事できるようにするということは大きな課題でございまして、まあ先生御指摘の点につきましても引き続き検討課題とさしていただきますが、並行しまして客員部門等の措置によりまして研究者の流動性を高めるための工夫をあわせて今後とも努力をさしていただきたいと存じておる次第でございます。
○高木健太郎君 この件、ぜひよろしくお願いいたします。われわれ、私自身もそうでございましたし、現在若い人たちで非常に有能な人たちがその点で非常に困っておる状況でございます。また、一部にはもう大学というところは教育専門にするんだ、研究するところではないんだというようなうわささえ出るようになっておりますので、これはという人には十分なひとつ研究費と人件費の補助を使えるようにしていただきたいと思うわけでございます。
 次に、全然問題が違いますが、スポーツ振興ということは非常に大事なことで、所信表明にもございます。ただ、一つはスポーツの振興のために非常に負傷が多い、前から言われておる骨折も多いと。ところが、統計が非常にはっきりしないんですが、文部省の方ではどのようにつかまえておられますか。たとえば、整形外科学会なんかで聞きますと、骨折は漸次減っている、いや全然ふえてもいないし昔から同じであると。しかし、ある一部の整形学者は、いやそうじゃない、明らかにふえているんだと言っておるわけですね。それから、これはいわゆる食物の関係である、いや無理な運動が問題であると、ここでも非行と同じようにいろんな要因が挙げられておりながらはっきりしたことがわからない。だから対策もはっきりしない。この点をまずお聞きしたいということが一つ。
 もう一つは、スポーツというのはいろいろの効用があるでしょうが、その一つとしては健康とい
うことがスポーツの大きな効用になっているわけです。ところが、どうも見てみますと、専門的なスポーツ選手の育成ということにものすごく金が費やされているんじゃないかというような、これは勘です。別にそろばんはじいたわけではないんですが、ばかに選手養成ということに意を用い過ぎていやしないか。
 それからコマーシャルが、そういうスポンサーというようなもののくっついているスポーツというものがだんだん多くなる傾向がありはしないか。ということは、教育の本質から外れていくのではないか。このことについてひとつ御意見を伺いたいと思うんです。
○政府委員(西崎清久君) 先生から三点お尋ねがございましたが、まず第一点の障害に関する統計の問題でございます。たとえばということで骨折のお話がございましたが、確かに骨折についての受傷が多くなっているか少なくなっているか、いろいろな統計調査があるわけでございます。私どもとして一番的確に考えられます調査資料としましては、御案内のあの日本学校健康会で、災害事故が起きた場合に給付を行うわけでございますが、その災害事故にかかわる中での骨折がどのくらいの事故であるか、この件数などでの調査をかつてからやっておるわけでございますが、四十七から四十九には若干減っておりますが、四十九年度、五十一年度、五十三年度という統計調査では若干ずつふえておるわけでございます。
 それからまた別の調査では、たとえばかつての埼玉県などで行われた調査では、いま私が申し上げました調査資料よりもうちょっと増加傾向が大きいというふうなことがございます。また先生がおっしゃいました整形外科学会で、たとえば神奈川で行いました会等ではいろいろ御意見ありまして、栄養の関係が問題であるという御意見もありますが、千葉大学の先生の御意見では必ずしもそうではない。確かに御指摘のとおりいろいろ意見が分かれるところでございます。
 そこで、私どもといたしましては、昭和五十六年度につきまして、学校健康会においての災害の事故の中から、たとえば骨折ということを中心といたしまして、どういう場所で事故が起きたかとか、どういうケースで起きたか、事故が起きた場合とかケース、そして子供の側におけるいろいろの諸条件、環境条件、もう少し細かく分析をいたしまして、五十六年度分についての調査検討を詳しくいま進めてもらっておるところでございます。この七、八月ぐらいには結果が出るのではないかというふうに考えておりますので、これらの点を含めまして、われわれも対処方針について的確な考え方をまとめていきたい。ただ、お話しのように栄養の問題とかいろいろ、一つの原因によらざるところが多うございまして、なかなか一義的な対策がとりにくいという点はございますが、基本といたしましては安全指導という点を中心に据えてやってまいりたいというふうに思う次第でございます。
 それから第二点の、昨今におけるスポーツ振興の施策が、選手養成という意味で大変専門的な選手強化にのみ片寄りがちではないかという先生の御指摘でございますが、私どもスポーツ振興の基本といたしましては、確かに日本全国におけるスポーツ水準のレベルとか、国際的なスポーツにおけるレベルというその水準の問題として競技スポーツの振興ということが必要であるとは存じておりますが、もう一つ私どもは、生活スポーツと申しますか、国民スポーツと申しますか、名前はいろいろでございますが、要するに国民全体が運動に親しみ、スポーツに親しむという姿でのスポーツ振興が必要であると、言葉をかえて申しますならば、生涯スポーツの振興という立場でのスポーツ振興が必要ではないかというふうなことを従来から施策として考えておりまして、その面でも努力をする必要がある。選手強化のみに偏るスポーツ振興ではなくて、両々相まってのスポーツ振興が必要ではないかと、先生の御指摘のとおりに考えておる次第でございます。
 それから第三点の、スポーツにつきまして、俗に冠大会というふうに言っておるようでございますが、企業その他が資金援助等を含めてそれに参画する代償として、そのスポーツ大会に名前を冠するということが行われておる実情が確かに御指摘のとおりございます。この点、たとえばオリンピック等におけるアマチュアリズムの問題とか、世界陸連が必ずしもアマチュアについての規定を厳格にしないで若干の緩和方向にあるとか、いまスポーツ界におきますアマチュアと専門プロとの間の考え方は揺れておるところが実情でございます。日本国内で行われておりますいろいろなスポーツ大会で冠大会が行われておる内容につきましては、やはりそれぞれの主催団体が必要経費を賄う上においてやむを得ず企業における資金援助を仰ぐというふうな姿において行われているというふうに私どもも聞いておるわけでございまして、その細かい実情を私どもが把握しておるわけではございませんが、やはり今後の方向として、そういうアマチュアリズムの問題とプロ的なスポーツの問題、そしてアマチュアスポーツにどの程度の企業等の参加がしかるべきかということは、たとえば体育協会とかいろいろ民間団体における討議等も必要になろうかと思うわけでございまして、私どももその方向でいろいろな討議のプロセスにおいて対処をしてまいる必要があるのではないか、こういうふうに考えるわけでございます。十分なお答えではございませんが、以上でございます。
○高木健太郎君 せっかく特殊法人として安会会と給食会が一緒になって学校健康会というものをつくったわけです。非常に問題があったのにあれをやったというのは、二つが一緒になって健康をやろうと、そういう意図であるということで議員の皆さんも御賛成になった。こういうスポーツで骨折を起こすとかいうことではなしに、それからまた、子供を余りに選手養成すると、そのためにかえって健康を損なうという隠れた犠牲もあるかもしれません。そういうことのないように十分この特殊法人を生かしてもらいたいと私は思います。
 時間もございませんので、最後に一つ申し上げたいと思います。
 校内暴力あるいは学校の青少年の非行という問題がございますが、その対策を見ますと、経済同友会の方でも、国民の個性ある創造性とか活気ある多様性とか、国際感覚の養成とか、もう言うことは同じでございます。同じですが、なかなかうまくいかないでこれが空念仏に終わっているということが現状であろうと思います。いわゆるそれは理想にしかすぎないというふうになっておるわけです。そこで、乱暴なことですけれども、提言を一つ申し上げまして、あと、大臣の御所感を伺って終わりといたしたいと思います。
 それは、いろいろ学制改革の問題もあろうと思うんです。たとえば六・三制の見直しということもあります。あるいは六・三を一緒に続けてやろう、あるいは義務教育年限を小学校までにしようとか、そういう話もございます。いろいろのことがあろうと思いますが、そういうことをやる前に、私は、この日本という土壌の中で、先ほど片山委員からもお話がございましたように、りっぱな人格を持った人が輩出しているわけです。こういう方がどういう経緯をとってそのようなりっぱな人になられたかということを詳しく調査研究をされて報告を受けられる、これがまず最初じゃないかなと思うわけです。悪いことの方を一生懸命お探りになることも大事ですが、非常にりっぱな人、それは何も世間的にりっぱな人でなくても、りっぱと言われる人、そういう人は、どういうふうな教育を受け、どういうふうな家庭で育ちというふうなことをまずお調べになったらどうか。それから改めて教科書をさわるなり学制改革の方へ向かうなりされることがいいのではないかなと私は思うわけです。
 それから道徳の問題ですけれども、道徳を上から押しつけるということは私は反対でございます。道徳というのはもっぱら自主性の問題でございまして、先ほどもお話がございましたように、
政府が言うのは問題だとおっしゃったが、確かにそのとおりでございまして、政府が強要する、上から下へそれを押しつける、そういう発想は非常に私は問題があると思います。かえって道徳の観念を植えつけるのに阻害をする因子になるのかと思いますので、そういうことはぜひやめていただきたい。そして、教育は暗記するものじゃなくて、先ほどからも申し上げましたように、理解をする能力をつけるということを教育の基本に置かれてはいかがかと思うわけでございます。
 もう一つは、どうしても体罰を加えなければならないというところがございまして、親が体罰を加えるのは私はちっとも差し支えないと思うんですが、先生が加えられるのは暴力だというふうに子供からも言われますので、暴力は私は余りよくないと思いますが、いろいろ話を聞いてますと、かなりの学校で、暴力じゃありませんが、いわゆる体罰を加えているわけですが、その体罰は絶対に首から上をたたかないというふうにしてもらいたいんです。びんたを食らわすという、こういうことは、非常にその人の誇りを傷つけますし、また危険ですし、それから侮辱感を持ちますし、反感を持つ。私は、おしりをたたいてもらいたい。これは非常に具体的なことですけれども、おしりをたたくぐらいのことが私は一番いいのではないかと思っております。家庭でも学校でも、しつけの場合にはしりをたたくというふうにしていただきたい。非常にこれは具体的なことですが、私はそれがいい、これは生物学的に見てもそれがよい、こう思っておるものですから申し上げるわけです。だから、そういう体罰を加えざるを得ない場合にはそうされてはいかがですかということです。
 最後に、猫もしゃくしも大学に行くということ、何とかしてこれをとめないと、結局はいろいろな、入学試験とかということで子供が大変苦しむわけです。それで、結局伸びる人間も伸びないということになりますので、私は思いますのは、猫もしゃくしも行かないようにするためには、大学を卒業したというためのメリットを下げるということしかないと思うんです、現在のこれ応急の措置ですけど。そして、たとえば一つは、卒業証書をやらないということですね。卒業証書というものを各大学で出さない、あるいは一律に国家試験をしちゃう。そうすると、何かどこでも出ればいいというようなことではいかないというようにメリットをひとつ下げる。もう一つは、大学を出たからといって給与が上では絶対にないということですね。要するに、経済的なメリットが少ないというふうにする方がいいんじゃないか。あるいは、同等であるというようにしてはいかがかと思うわけでございます。
 こういうことによって、大学がいいという既成概念をどこかで取ってしまう。この、大学がいいというのは、エリート族をつくった明治の初めの一つの概念でございまして、現在においてはこれは通用しないはずなのが通じているわけでございますから、大学卒の人のメリットを、経済的にか名誉的にか、資格の上でか、そういうものを取ってしまう、あるいはそれを少なくするというようにされてはどうかと思うのでございます。
 文部省というのは各省の中では一番弱い、こんなことを言っちゃ怒られるかしれませんが、そういう話を聞いております。しかし私は、教育というものこそが国の根本だと思います。そういう意味では、日本をりっぱにするために教育により大きな省としての力、あるいは皆さん方の御努力をぜひお願いをいたしたい、こういうふうに思いまして私の質問を終わりたいと思います。
 何かお答えいただければお答えいただきたいと思う。
○国務大臣(瀬戸山三男君) いろいろ貴重な御意見ありがとうございました。
 先ほどお話しの、過去における、あるいは現在もでしょうけれども、社会有用ないわゆるりっぱな人物と言われた方々の業績といいますか、生い立ちといいますか、そういうものを調べてみたらどうかと。教育は、実物教育というのは一番私はわかりやすいのじゃないかと思います。そういう意味において非常に、こう言っては失礼でございますが、おもしろいアイデアだという感じを持っております。ただ、これも文部省が調査することがいいのかどうかという問題もありますから、この点はひとつ検討をさしていただきたいと思います。早急にできる問題ではありませんけれども、確かにまあいろいろ人物の伝記その他が大きく子供を刺激してよくする場合もあるわけでございますから、検討さしてもらいたいと思います。
 それから、道徳の話がありましたが、先ほど申し上げましたが、道徳の押しつけなんというのは道徳にならないと私は思っております。おのずから人間の道というのは社会で醸成されるということでないと本物にならないという感じを持っておりますことだけを申し上げておきます。
 それから、教育は理解を基本とする。まさにそのとおりでなければいけないと思います。私は素人で学校の本はどんなふうになっておるのかと見るのですけれども、まだ全部見ておるわけじゃあれませんが、当たらぬこともあると思いますが、余り詳し過ぎるのじゃないか。小学校の五年か六年、上に行くと前のことわかっておらぬから幾ら教えても進むはずはない。頭が苦しいだけでいやになって飛び出してみたりする、われわれもそういう体験がありますけれども。そこら辺がやっぱり非常に大事なところです。だからそこら辺は、教科書は五十五年ごろからだんだん簡略にしたと先ほど説明しておりますが、これもまた朝令暮改で始終教科書変えてもいけませんと思いますから、これも、何とか時間をかけてももう少し検討する余地があるのじゃないかと思います。
 それから、体罰。学校では体罰はいけないと学校教育法には書いてあります。ただ、しつけのときにどの程度が体罰かということは非常にむずかしいと思いますが、おしりを殴る、外国ではほとんどおしりを殴るというとおかしいが、おしりをたたいてやる。そのぐらいのことはかえって教育的にいいのじゃないかと思いますが、特に親御さんたちが、頭はたたいてはいかぬと、最近は、しかし手が近いものですぐ頭をたたく、こういうことは適当じゃないと思います。
 それから、大学のメリットをなくする云々というのは、これまた大問題でございまして、まあ企業などではいわゆるエリート主義じゃなくて実力主義にだんだん変わっていく。やっぱりこれは時間がかかるのじゃないかと思います。明治以来エリートを集めて役人をつくる制度がずっとくせになってきておりますから、なかなかこういうのは一朝一夕にいきませんが。卒業証書を出さぬというのも、これまたちょっと世間では理解がいかぬかもしれません。
 いずれにいたしましても、そういう意味で私はみんなが同じ大学に行かなければいかぬという、これはすばらしい教育国家で結構だというふうに見えますけれども、そんなにしなくてもいいのじゃないかということを、私、文部省に入りましてから、おかしいのじゃないかと、それで、専修学校というものを……。それぞれ人間にはだれしも、だれもまねできない長所があるものだと、私はそう見ております。だれもまねのできない長所、一カ所や二カ所必ず人間にはあるものですから、そういう好みといいますか、に応じて、教養も積みながら技術も積んでいくという制度をできるだけふやした方がいいのじゃないかと思う。みんな大学を出ておかしなことばかり考えるようになったら世の中おもしろくないのじゃないかと思います。
 こういう感想だけを申し上げて、どうもありがとうございました。
○高木健太郎君 終わります。
○佐藤昭夫君 まず、非行、暴力問題の原因のとらえ方に関して大臣にお尋ねをしておきたいと思います。
 中曽根首相は、先日の参議院予算委員会で校内暴力問題について、日教組などの大会スローガンを見ると、反核、軍縮の闘いを強めるということを書いている、こういうことを言うから子供が暴
力的になるのじゃないかというふうに発言をしているわけでありますが、これは暴力の原因をすりかえるきわめて不当な見解だと思います。戦前みずから教え子を戦場に駆り立てたその深い反省に立って、戦後、「教え子を再び戦場に送るな」を合い言葉に、学校の教師たちが反戦平和の運動を進めてきているわけでありますが、一体この運動が子供を暴力的にしたということになるのか。核兵器反対、軍備縮小のこうした運動は、子供たちの命と教育を守る教師としての当然の使命感、これに基づくものではないかというふうに私は思うんですが、まず、文部大臣のこの点の見解を聞いておきたい。
○国務大臣(瀬戸山三男君) 中曽根総理が、いつの場でか日教組のいろんな活動、運動について触れられたことはありますが、それは即暴力の原因だというふうにはおっしゃっていないんじゃないかと思いますが、問題は、まあ私の感想で言いますと、日教組、学校の先生方でございますから、いろいろ運動されることは、これは自由な場面もありますけれども、いろいろな言動の中に、中学校あるいは高校の生徒、小学校の生徒あたりで先生の行動そのものに対して尊敬を失う場面があるんじゃないかと、率直な意見でございます。これはもう教師というのは尊敬を失ったらおしまいじゃないかと私、思いますが、その先生の姿勢あるいは後ろ姿というんでしょうか、行動そのものに対して非常に尊敬する、慕うという心がないと教えられる内容もなかなか頭に入りにくいんじゃないかという感じは私も持っておりますが、そういうことがつい学校に興味を失ってほかの方に走るおそれがある。こういう関係が必ずしもないとは私は言い切れないんじゃないかという気がいたしております。日教組の活動そのものが即暴力というふうには、そういう表現には私は受け取っていないわけでございます。
○佐藤昭夫君 中曽根総理の答弁の弁解を求めているわけじゃありませんので。
 それならば重ねて聞きますが、昨年の十一月十五日、長野県の高等学校の校長会、校長先生方の集まりでありますが、この会がその総会で全員一致で核兵器廃絶、世界の平和に貢献するという声明を発表をされています。さっきも触れたわけでありますが、平和教育、平和主義、この考え方は憲法、教育基本法の基本理念でありますし、教育の目的でもある。こうした点でこの高等学校校長会の声明、それは一体間違っていると思われるのか、教育の基本精神に照らして当然の方向だというふうにお考えになるのか、どうですか。
○国務大臣(瀬戸山三男君) 私は率直に言って、ソ連やアメリカが何であんなばかなことをしておるんだろうという感じを持っておるんです、本当に。
 私は昭和三十一年に世界を回りましたときに、よけいなことをまた申し上げて恐縮でございますが、あの当時はプロペラの飛行機でゆっくりだったんですけれども、インドの西部からずっとアラビア地域、地中海を通ってアフリカに行く間ほとんど砂漠、もうそれこそ砂漠も砂漠、木一本ないというような赤茶けた砂漠の上です。そのとき感じましたのは、当時はアメリカはアイゼンハワー大統領、一方の方はフルシチョフ首相でございます。そしてお互いに核兵器、核実験というのをやっている時代でございましたが、私の本にも書いてありますから、これは宣伝で言うわけじゃありませんけれども、何でアメリカ大統領、ソ連の首相が核兵器なんかつくって大騒ぎをしておるのか。これほど地球にはまだ不毛の地域があって、人間が非常に困難をしておる。それだけの余裕があったら、なぜこういうところに水を引いてきて、あるいは木が生え、あるいは農作物ができるようにしないのかということを率直に感じまして、そういう文章も書いてその当時世間に発表しております。
 これはよけいなことですけれども、私は、人類が何のために科学技術を研究するんだと。科学技術の研究というのは自然の破壊です。自然の調和を破壊するのが科学の研究なんです。ただ、これは、自然の調和の原理をいかに人間に有効に利用するかという意味で非常に利益するところがありますが、その副作用といいますか、あるいはその結果というものを十分に見きわめてやってもらわないととんでもない結果になると、私はいつもそういうことを申し上げておりますが、その最たるものが現在の核兵器。そして四十五億の人間が、戦々恐々、右往左往しておる、まさにばかげたことだと、こういうことを私はいつも考えておるところでございます。
○佐藤昭夫君 アメリカ、ソ連の核兵器拡張競争、これが全く無謀なばかげたことだということをいま尋ねているわけじゃないんです。そういう現実のもとにあって、学校の先生方、教職員の方々が、教育の使命感に照らして平和の運動を進めるということは間違っていますかと、この点について答えてください。
○国務大臣(瀬戸山三男君) そういう、平和を唱えて運動されることは、間違っておるとは全然思っておりません。
○佐藤昭夫君 初めからそういうふうにすぱっと答えてもらえば時間が能率的にいくんですけれども。
 それでは質問を進めますが、昨年の、一九八二年の中学校での対教師暴力事件八百二十五件、この五年間に五倍近くに激増したというふうに報告をされているわけでありますが、この点について文部省も、昨年の三月、「生徒指導資料」、このパンフレットです、これで次のように指摘をしています。「いかなる種類のものであっても、暴力行為は、一刻も早く止めなければならない。教師に対する暴力は、教師と生徒との基本的な教育関係を破壊するものであり、このような行為は、直ちに制止する必要がある。」こう書いているわけであります。また、最近大きな話題を呼びました東京の町田市立忠生中学校の中里校長は、三月十八日の卒業式で、「私たち人間は話すことでお互いに理解し合うことを知っています。暴力によるのではなく、人間の知恵を使って問題を解決し、これからの人生を強く歩んでください」というふうに生徒たちに式辞を述べたと報道されています。
 そこで、まずお尋ねをしますが、学校の中であれ学校の外であれ、いかなる口実であっても暴力は許されてはならない。これが民主主義社会の根本原則として貫かれなければならないというふうに私は思うのでありますが、その点、文部大臣どうでしょうか。
○国務大臣(瀬戸山三男君) もちろん、暴力は否定しなければならない、こういう立場でございます。
○佐藤昭夫君 そこで、昭和五十五年十一月二十五日の文部省通知、「児童生徒の非行の防止について」という通知でありますが、そこでも、「ささいな暴力行為等についても、これを看過することなく、きぜんたる態度をもって生徒指導に当たること。」と、こう述べているわけですが、ここで、ささいな暴力行為等でも、なぜ見逃すことなく、許してはならないのか。この点についての文部省の見解、これは局長に答えてもらいたいと思います。
○政府委員(鈴木勲君) 御指摘のように、この通知の第二項の(3)におきまして、「学校は生徒指導に当たる方針を明確にし、これが児童生徒に十分理解されるように努めるとともに、」と、そのお引きになりましたような点があるわけでございますが、やはり、その生徒指導の方針を明確にして、校内暴力はいけないというようなことを徹底してやっていく際に、これを少しでも、ささいというふうなことで見逃すということがありますと、一体学校のとったこの基本方針がどうなっているんだということで、生徒に対する指導としては、そういう点から不信を持たれるということもあって、きちんと方針を立てて、この方針に従わない者については、少しのものでも看過することなく、きちんと指導していく必要があるということを言っているのでございます。
○佐藤昭夫君 ところで、生徒も教師も、他人の暴力による危害が切迫をしている場合、これに対
して緊急避難とか正当防衛の措置をとって暴力行為を制止すること、これは生徒の教育を受ける権利、生徒、教師の基本的人権を急迫不正の侵害から守る行為として当然あり得ることではありますが、しかし、それは行き過ぎた過剰なものとなってはならないということも当然のことでありまして、こうした立場について、先日、私どもの党の提言をこうしたことも含めて発表をしたところでありますが、この問題について文部省の見解を少し尋ねてみたいと思います。
○政府委員(鈴木勲君) 緊急避難とか正当防衛というのは一般の法理でございまして、そういう事態が発生いたしました際に、これは生徒であろうと教師であろうと、その法理に従って緊急避難なり正当防衛をするということは、一般的な法理という見地からは当然のことだというふうに思います。
○佐藤昭夫君 総理府、警察庁、おいでになっていますか。お願いをしたいと思いますが、昨年の六月の二十五日、総理府に非行防止対策推進会議なるものが設置をされて、本年の三月の四日、同会議の名として、当面とるべき五項目の措置、この申し合わせが発表されています。この推進会議の議長は総理府総務長官、庶務は青少年対策本部ということになっているわけでありますが、そこでお尋ねをしたいのは、青少年の非行防止のために、先ほど来私が言っております暴力否定の考え方を、この推進会議としてもどのように国民的に徹底をさせていくかというこの問題と、この五項目の中の一つに触れられておりますが、この問題とあわせて、青少年非行と深いつながりのある暴力団の解体のためにどのような方策を強めていくのか。こういった二つの点について、総理府と警察庁、それぞれにお尋ねをしたいと思います。
○説明員(阿南一成君) お答えいたします。
 先生いま御指摘の、総理府として暴力否定の思想をどのように普及させていくかということでございますが、私どもとしましては、毎年七月を青少年を非行から守る全国協調月間、それから十一月を全国青少年健全育成協調月間ということにいたしまして、この期間に関係省庁とも連携を保ちながら、集中的に青少年自身、それから青少年を育成する立場にある家庭、学校、地域社会の大人たちの理解と自覚を促す広報啓発活動を実施をいたしております。
 また、今後、先生御指摘の趣旨を踏まえまして、国民各層に青少年の健全育成に対する理解と自覚を一層促すように広報啓発活動を積極的に推進してまいりたいと考えております。
 それから、暴力団が関与しておる事例等についての御指摘でございますが、青少年の中には素行不良者等を含めました者の甘い甘言に誘われまして被害を受け、これを契機として非行に陥っておる事例も見られます。したがいまして、これらのことにつきましては、先ほど申し上げました七月、十一月の両月間を中心に青少年みずからの自覚を促すとともに、家庭、学校、地域社会が一丸となって青少年の健全育成、非行防止に取り組んでいく広報啓発活動に努めておるところでございます。今後とも関係省庁と連携、協力いたしまして青少年の健全育成に努めてまいりたいと考えております。
○説明員(阿部宏弥君) お答えいたします。
 暴力に関する考え方につきましては、先ほど総理府から御答弁がありましたとおりでございまして、私どもも政府の機関の一環といたしましてそういう活動に全面的に協力してやっていきたいと考えておりますが、特に暴力団との関係でございますけれども、いろいろな形で少年非行なり、あるいは少年に関連してくるのでございますけれども、当面、少年を食い物にするような、私ども福祉犯という形で呼んでおりますけれども、福祉犯の取り締まり強化という形で対応する方法が一つございます。五十七年中でございますけれども、一万三千四百人、こういう少年を食い物にする福祉犯の被疑者を検挙しているわけですけれども、このうち暴力団員が千二百八十三名ということでございまして、全体の約一割を占めております。この福祉犯の中でも最も悪質と言われておりますいわゆる人身売買的な福祉犯、あるいは中間搾取とか、あるいは少女に売春をさせるような行為だとか、子供に淫行をするような行為といったようなものについて見ますと、暴力団の占める割合がさらに二四%というぐあいに高くなってきている状況でございます。
 警察といたしましては、このような少年を食い物にするような事犯、特に暴力団がこれに絡むような事犯につきましては徹底的に取り締まりを推進していきたいということでございますけれども、あわせまして関係機関、団体等と連絡を密にいたしまして、暴力団の悪性等につきまして広報活動を積極的に進めていきたい。国民の暴力排除機運を高めていきたいということでございます。同時に、警察の総力を挙げましてこのような暴力団に対する取り締まりを徹底していきたい、このように考えておりまして、今後ともさらにこのような形で対応してまいりたいと考えております。
 以上でございます。
○佐藤昭夫君 暴力団との関係について、数字を挙げて具体的に御説明があったわけですけれども、私がお尋ねをしておるのは、三月四日の推進会議で改めて五項目の中の一つとしてこの問題の重要性を位置づけをして今後一層進めていきたいということで、この暴力団の解体、根絶に向けて何を一体さらにやろうとするのか、ここをお尋ねをしている。
○説明員(阿部宏弥君) 五項目の中で、私どもの方で特にお願いをしておりますのは、暴力的非行集団の解体捕導ということでございます。そのほかにもいろいろな形で関連してまいりますけれども、特に、暴力団の方に少年の側から近づくような非行という形態もございますので、そういう形のものも含めまして、警察としては暴力団に対する徹底的な取り締まりをまず第一義に考えていきたい。
 あわせまして、地域活動なりあるいは国民運動の推進ということもしておりますけれども、その中で暴力排除機運というものを警察としても高めるように働きかけてまいりたいというふうに考えております。
 以上でございます。
○佐藤昭夫君 時間がありませんので次の問題に移りますが、先ほども議論に上っておりました校内暴力との関係での体罰問題であります。この問題の考え方としては、たとえば横浜の浮浪者襲撃事件を起こしたあの中学校ですね、あのグループを生んだ中学校、ここでは体罰が広範に行われていたということが今日明らかになっておる。この点からもこの体罰問題の位置づけというのははっきりさせていく必要があろうと思いますが、さっきちょっと言われたその言葉じりをとらえるわけではありませんけれども、顔や頭をたたかなければいい、こういう問題ではない。
 たとえば先日も新聞に報道されました千葉県のある小学校の例ですね。規則を破ったということで、四年生の女の子を十四日間にわたって机といすも取り上げて床に正座させて授業を受けさせたとか、床に座ったままで給食を食べさせたとかいう、これは、頭、顔をなぐってないからそれでいいかと、当然こういう議論にもなるところだと思いますけれども、そこで、文部省としても体罰を否定をされているわけではありますけれども、どうもその点を徹底していく点について弱さがあるんじゃないか。いまどういう方向での指導をやっておられますか、文部省。
○政府委員(鈴木勲君) 体罰が禁止されておりますのは、これはもう学校教育法に規定されておりまして、新任教員の研修でございますとかあらゆる機会に服務上の問題として徹底しているわけでございます。
 ただいまお挙げになりましたように、生徒指導要領の中にもございますし、私どもとしては当然のこととして指導をしているわけでございますが、ただ、その具体的な、いまお挙げになりましたような千葉県のケースが体罰かどうかということになりますと、新聞報道等によりますとそのよ
うに書いてございますが、実際のその教師の生徒に対する指導の状況というきわめて具体的なケースでございますから、それをどういうふうに判断するかということは簡単には言えない面がありますけれども、やはり生徒指導上必要な範囲内で懲戒を行うという権限が教師にあるわけでございますから、そういう権限の行使については教育的な配慮を加えて適切にやる必要があるということと同時に、法に禁じられておりますような体罰にまで及んではならないということ、両面をやはり指導しなければならないというふうに考えておりまして、その点はいろいろな機会に指導をしているところでございます。
○佐藤昭夫君 確かめる意味で質問をしておきますが、十八日の衆議院の文教委員会でのわが党の栗田議員の質問に対して鈴木局長は、教育は教師と生徒の信頼関係で進められるもので、体罰は学校教育にあって望ましくないと、こういうふうに答弁をされたというふうに伺っていますが、昭和三十二年七月十六日付の文部省の通達、体罰問題を含むこの通達が出されておるわけですが、そこでも明記をされているように、一切の暴力行為の根絶のために、「いかなる場合においても体罰を用いてはならない」というふうに述べているわけであります。だから、望ましくないということでなくて、用いてはならないということですね。
○政府委員(鈴木勲君) 体罰を禁止しているその考え方についてのお尋ねでございましたので、そういうことで申し上げましたので、これは法に禁じられているところでございますから、当然そういうような懲戒に当たって体罰に及んではならないというところを明定しているわけでございますし、私の申し上げたのもその範囲内のことでございます。
○佐藤昭夫君 私があえてきょうこの問題を取り上げておりますのは、たとえば昨年の三月行われました日本世論調査協会、ここの世論調査でいきますと、頭や顔を平手、げんこつでなぐられたという、これは六%という数字でありますが、何らかの形で体罰を受けたという子供の親の数二六%、四人に一人は自分の子供が体罰を受けた、こういう体験をしている親ということの世論調査の結果になっておる。これは親がそのことを知ったということですからこれがすべてではない、まだ一部だろうと思う。いま教師による体罰は、これは信頼関係があればやむを得ないということで八四%の人が肯定をしているわけですけれども、果たしてこれが本当に教育的手法か、果たしてこれが校内暴力をなくしていく、このことに役立つ手法かと、こういう点でもう一遍深く考えてみる必要がある問題として私は提起をしているわけであります。
 そこで、これは三月十日の毎日新聞でしたか、報道されているんですが、警察庁、ちょっと関係ございますが、最近、暴走族のオートバイ騒音に悩まされていた商店街住民が、オートバイで商店街を通り抜けようとした中学三年生二人を含む少年六人を暴走族と間違えて数人で暴行を加え、少年二人にけがを負わせた。その後、被害者である少年四人と事件に無関係の少年一人――中学三年生三人それから職業を持っている少年二人、合わせて五人、これが警察署に呼び出されて、深夜外出は悪いと説教され、無関係の少年も含む三人の頭をバリカンで刈り、坊主頭にされた、こういう報道であるわけですけれども、教師、父母、一般市民、警察挙げて、少年の教育、補導のあり方として、体罰を許してはならぬ、こういう基本的な考え方に立って、その考えを徹底をすべきだというふうに思うのでありますが、まず、この点について文部省の考え方を伺います。
○政府委員(鈴木勲君) 具体的なケースにつきましては、その状況が必ずしも私ども明らかでございませんので申し上げられませんが、一般的な考え方といたしましては、やはり懲戒として行う指導でございますから、教育上の適切な配慮を用いて、これが教育上効果があるという観点からの方法でなければならないというふうに考えております。
○佐藤昭夫君 さっき引用いたしました新聞には、朝日警察署長の話という談話も出ており、適切ではなかった、署員が配慮が足らなかった、こういう談話も新聞には書かれておるわけですけれども、警察庁として何か見解ございますか。
○説明員(阿部宏弥君) お答えいたします。
 二月十九日の事件でございますけれども、少年補導に伴いまして、少年を坊主刈りにしたというような状況でございます。
 まず、その一般的な状況でございますけれども、いろいろといきさつがございまして、十三日にさかのぼって実はございます。十三日深夜午前零時半ですけれども、一一〇番が入ってきまして、いま酔っぱらいがけんかしているという少年からの訴えでございました。そこで現場に急行したんですけれども、たまたま少年二名しかそこにいなかった。どうしたんだと聞きますと、何でもないということでございまして、それでは帰りなさいということで帰したということがございます。四日後の十七日に、商店街だったわけですけれども、その商店街の会長と副会長が警察署に訪れまして、実は毎週土曜日、暴走族が商店街をぐるぐる暴走して困る。ところが十九日、この当日でございますけれども、土曜日でございます。この日に相当のグループ数が集まりまして商店街の中を走り回る、あわせて商店街に火をつけるというようなうわさもあるというような訴えがございました。
 そこで、その内容をいろいろと聴取いたしまして、実は十三日のトラブルの件もございまして、それに関連しました商店街の人たちにも来ていただきまして、すぐ翌日、いろいろとどういう少年かということの割り出しをしたわけなんですけれども、そこには学校の先生も来ていただきまして、実はこの少年だということがわかったわけでございます。実は五名でございましたけれども少年がわかりまして、もうその翌日の十九日にはそういう不穏なうわさがあるということでございますので、事前に手を打つ必要があるということで、十九日の午前九時、この少年を父兄ともども警察署に招きまして、いろいろと事情を聴取いたしました。
 結果的には、暴走行為をしない、そういう放火というようなこともいたしませんということになったわけですけれども、その際に、少年のうちの保護者が、実はこういうようなお騒がせをしたことについては、親としても大変申しわけないことである、この際、ぜひ頭を丸めておわびしたいということを言い出した。まあ警察の方としては、何回もそれを引きとめたのですけれども、本人が容易に言うことを聞かないということでバリカンを貸してやったわけですけれども、そこで保護者が自分の頭を刈り出したということでございます。
 刈り終わって、その子供に、おまえもこの際ひとつ出直したらどうだ、この際父親と同じように頭を刈れというようなことになりまして、たまたまそのうちの二名が――三名が中学生なんですけれども、その中学生の保護者でございまして、その中学生三名が皆それぞれ卒業を控えておりまして就職先も決まっていたというような状況もございまして、しかも大変長髪でいろいろとパーマをかけたり、あるいは着色をしていたというようなこともございまして、この際どうだろうという話になりまして、子供の方も刈っていただきたいと進んで申し出たというような状況もございます。
 そこで、少年係の担当の警察官でございますけれども、保護者それからもう一名は学校の先生がついて来たんですけれども、この少年が当日の二月十三日トラブルがありましたときの暴走行為には直接関連しておりませんでしたけれども、実はそのグループに入っておりまして、しょっちゅうそれ以外のときには暴走を繰り返していた少年でございまして、グループのリーダーが刈っているということで、おれも刈りたいと言い出したという状況もございます。
 そういうような状況下でございましたので、私どもの方といたしましては、決してこれが不適切
になされたものであるというような考え方はいたしてございません。そのときそのときの状況に応じて、子供たちの最もよい方法を周りの人たちがとっていただく、これが少年警察の観点からも必要じゃなかろうかというような考えでおります。
 以上であります。
○佐藤昭夫君 もう時間ですけれども、事件に関係のない子供が含まれておったということをあなたもお認めになっておる、その子供の頭を丸坊主にしたというこのことについて、何の心を痛めることもないんですか。
○説明員(阿部宏弥君) その少年が実はおくれて参りまして、先に四名その署に招いて父兄ともども来ていただきましていろいろと指導したわけですけれども、そこで、先の四名のうち二名が有職者、二名が中学生ということでございまして、その中学生について頭を刈っていた。その後、学校の先生に連れられてその少年が来まして、自分も刈っていただきたいということで、先生もそれに了解をしたということでございますので、警察といたしましては、本当にその少年に立ち直ってもらいたいというそういう気持ちで出た行為でございますので、私どもの方としましては決してこれが不適切であるといったような感じは持っておりません。
 それからなお、その後、この少年たち非常に素直な子供たちでございまして、非常に学校内外の清掃活動とかそのほかの活動に、地域活動に積極的に参加するようになって、大変周りの人たちも喜んでいるといったような状況も伺っております。
 以上でございます。
○佐藤昭夫君 ちょっと不満ですけれども、時間ですので終わります。
○小西博行君 大臣の所信の文章をいろいろと読ましていただきまして、いままでの、昨年の小川文部大臣と比べましてもほとんど内容的には変わらないというように私は考えております。数点だけ、ちょっと削除されたような部分がありまして、その辺のところ後で御質問させていただきたいというように思います。
 まず一番最初に、実は去年の予算委員会の中で、非行、校内暴力という問題が年々ふえている、もし来年の予算委員会でそれがまたふえるようなことがあったら、大臣はやめていただけますか、文部省の機能が全然ないんじゃないですかというお話を申し上げましたら、ふえたらやめましょうと、実はそういうお話でございまして、私も非常に関心を持って見ておりましたら、すでに中曽根内閣ということになりまして、そのとおりかわってしまったわけであります。
 しかし、ずっと文部のいろいろな行政なんかを見てみましても、何か特徴がないのではないかという感じがするわけです。確かにいろんな広範な分野に文部行政というのはわたっておりますので、一概にこれだけ特にということはないかもしれませんが、しかしベテランの大臣がせっかく就任されたわけでありますから、まずこの辺だけはどうしても重点的にやつていきたいと、当然大臣の在任の時代ということになりますから、ひょっとしたらことしの六月ぐらいには終わってしまうかもわかりませんが、何か、具体的に私どもはいろいろ約束しても、大変その辺では情けない気持ちがしてならないわけでありますが、その辺、先ほどの責任じゃありませんけれど、含めて回答願えたらと思います。
○国務大臣(瀬戸山三男君) 残念ながら私がいつまで文部大臣を担当するかわからないんですけれども、しかし長い短いは別といたしまして、先ほども申し上げましたように、長い歴史と伝統を持っておる文部行政でございますからそれは尊重しなければならない、教育の問題はそのときそのときで思いつきでやるべき問題ではないと思っております。
 しかし反面、私は、やはりその長い伝統と歴史があればあるほど、どうしてもこれは人間の一つの欠点というんでしょうか、性質というんでしょうか、社会の情勢とかけ離れてくる場合がある。時勢に合わない場合がある。専門家の集まりでありますと、みずからはよく理解しておってもなかなか世間にわからぬようになってしまう場合がある。こういうことを私は常に物事を考える場合には感じておるわけでございまして、長い歴史と伝統とはもう特に世界でも有数と言っていいすばらしい教育国家になっておるわけでございますが、世の中の、時勢の変化に応じて弊害も出てきておる、最近のように。でありますから、ここら辺でもう一遍ずっと、直ちに、急激に変更するという意味ではなしに、もう一遍あらゆる問題を洗い直してみてくれないかということを私は文部省の専門家にお願いしておるわけでございます。それは当面の問題もありますし、あるいは今後の問題もありますし、あるいは将来に向かっての政策の転換もないとは限らない。世の中で言われますように、学校の事件とか、何といいますか学歴社会とかいろいろ言われますけれども、いろいろな点でやっぱり考え直してみる必要な時期に来ておりはしまいかと、こういうふうに見ております。
 要するに私は、せっかく常に出てきておりますように、憲法の精神あるいは教育基本法の精神であると言うならば、お互いこの社会あるいは国内あるいは世界を見て、助け合い尊重し合う社会、そういう気持ちを持つ人間をつくり上げるといいますか、そういうことでないと、先ほども申し上げましたように、いかに科学技術が進んでも決してなごやかな社会にならない、こういうふうに私は、これは教育行政につながるかどうかわかりませんけれども、平素から考えておりますので、そういう意味で、教科書を見てみましてもいろいろいいことが書いてあります。まさに憲法の条章に沿うようなことが書いてありますが、むずかしいことは要らないから、よけいなことでありますけれども、わが身をつねって人の痛さを知れということが腹に据わるような教育をしてもらいたい、自分の嫌なことは人に要求するなという人間、子供を育ててもらいたい、こういう念願で、この間も、先ほど申し上げましたように全国の教育長さんにお集まり願ったときに、あなた方は専門家だからひとつ素人の言うのもたまには聞いてくれぬかということを頼んでおるというふうな状況でございます。
○小西博行君 大臣の哲学は私も先ほどからいろいろ聞かしていただきまして、私自身もなるほどというように理解はしておるんですが、具体的な議論になりますとなかなかはっきりしたものが出てこないので大変残念なんです。いまの御意見ですと、もうここに書いてあることそのものだというような感じもいたしますから、質疑をしても余り効果がないような感じも実はいたすのでありますけれども、ただこの文章を一つ一つ読んでみますと、非常にいいことを書いておられると思うんです。
 たとえば国づくり、国際的な国際協力だとか国際協調というようなことをうたってますね。それはやっぱり日本人を、国際人として優秀な人材が育たなければいかぬという、そこに教育の本質を定めているんじゃないかというふうに思うんです。たとえば国際人ということになりますと、何も私は言葉だけというふうには思いませんけれども、やっぱり語学の問題というのは前から実は大きな問題になっておるわけですね。たとえば英語教育という、それから会話を中心にした教育というのができないものだろうかということも、もうこれは再三言い古されている問題だと思うんですけどね。
 そういうものが具体的にカリキュラムの中に、あるいは外国人教師を具体的にこうやってふやしていって、何年ごろにはこれだけになるんだという、そういう一つの見通しを立てた上で教育行政を語っていかないと議論にならないんじゃないか。善処していくということだけではこれは一向に変わらない。そういう非常にもどかしい感じが私はするものですから、特にその辺を例に挙げてお話をさせてもらうわけなんですけれども、これはどうなんでしょうか。
○政府委員(鈴木勲君) 所信の中には具体的なも
のもございますけれども、やはり文部省の考え方の、施策の基本方針と申しますか、それを掲げてあるわけでございます。したがいまして、その中で五十八年度予算におきましてどういう施策を具体的に進めるかと申しますのは、お尋ねのございましたようなたとえば英語の教育で申しますと、具体的には都道府県の教育委員会が、指導主事助手といたしまして現在三十名のアメリカからネーティブスピーカーを招いているわけでございますが、五十八年度はこれを七十名にふやしまして、各県に配置をするというふうなことが現実に予算の中では積算されておりまして、そういう方向で一歩一歩私どもとしてはこの所信にございますような基本方針に沿って、施策の内容を促進しているということでございますので、そういうふうに御理解をいただきたいと思います。
○小西博行君 とにかく早くがんばっていただきたい。これは予算の関係もありますから、予算も大いにひとつ大臣にとっていただいて早くやらないと、なかなか私どもが生きておる間に実現しそうにもないような感じも実はするものですから、がんばっていただきたいというふうに思います。
 それから、次にまたこれ非常に私感心しているわけですが、「個性、能力を伸ばし、自己の啓発向上を図り、生きがいのある充実した生活を送ることができるよう、」と書いてある。この生きがいというのは、一体どういうふうに文部省のお役人の方は考えていらっしゃるのかなということを考えるわけですが、どうなんでしょう。これ、大臣でも結構ですが、この生きがい教育ということについて。
○政府委員(鈴木勲君) 学校教育において目標といたしますのは、これからの日本におきます国家社会の有為な形成者としての次代の国民ということでございまして、それにはおのずから今後の社会の中で、その社会を形成していく力を持った人間ということでございますので、いろんな資質が必要なんでございますけれども、ことに昨今の情勢にかんがみまして、ともいたしますと物質的な文化の中で目標を失ったり、あるいはそういう目標を求めていきまして、いかにして生きていくかというふうな、そういう目標を持った人生がなかなかむずかしいというふうな中で、学校教育の中においてはそのような、たとえば進路の指導におきましても、学校教育の内容におきましても、自分の生きている社会の中で責任を果たし、それが役に立つというふうな形で生きがいを求めていくような、そういう社会人あるいは次代の国民というものが必要とされるという意味でこのような表現をしているのだというふうに考えております。
○小西博行君 つまり生きがいというのは、その人々によってずいぶん内容的に私は異なるんじゃないかという感じを持っているわけです。ですから、生きがいを満たすためにはどうしても欲求を満たしていく、具体的に言えば欲求を満たすということになるんではないか。そして、その欲求となるとどうしても経済的な欲求といいますか、先ほどから意見が出ておりますように、物質的な欲求を満たすことが欲求を満たし、生きがいを満たす、こういうふうにすぐ理解されるんですが、そこが実は大きな間違いがあるんではないか。一番簡単なのは、毎日生活していくわけですから、当然食べるものあるいは寝る場所、こういうものが安定する、私はこれは当然だと思うんです。
 だんだんそのレベルが上がっていきますと、最終的には自己啓発といいますか、自分がいままでやったことのないことに挑戦して成功する、それを褒められる、こういうのが実は精神的な欲求として非常に大切な問題じゃないか。教育も実はそこに問題があるんじゃないか。だから、できない子はできないなりに、やさしい問題でも答えを出し、それを先生に認めていただく、そのことによって喜びを感じる、こういうことに私はなるんじゃないかなというように思うんです。
 余り生きがいということを大きくとらえてしまうと、さっぱり目的がぼけてくるものですから、もっと私はこういう中に具体性があってもいいんじゃないかな。小学校の中での生きがい教育、あるいは中学の中、あるいは高校の中での生きがい教育、どういうカリキュラムを編成していくか、どういう教え方をするか。結果の評価についてはどう考えていくかというような、非常に大切な部分を私はもう少し検討されるべき問題じゃないかなというふうに感じたものですから申し上げたわけです。御意見があったら、どうぞ。
○国務大臣(瀬戸山三男君) 先ほど来お話しのように、生きがいというのはそれぞれ人々によっていろいろ考えが違うのじゃないか。いま各小中学校の、あるいはその他の学校の教科に、それにふさわしい生きがいを感ずるようなカリキュラムをつくらなきゃいかぬ、非常に私は適切な御注意だと思います。
 人間生きがいがあるとか生きがいを感じないとか、よくいろいろの場合に言われますけれども、私が生きがいと感じておりますのは、これはやっぱりそれぞれ人間はそれぞれの立場、職場で人間としての働きをしなきゃなりません。人間必ずだれしも、先ほど申し上げましたけれども、一点か二点はだれもまねのできないすぐれた才能を持っておるものだと思います。その職場職場、立場立場でみずからの職責に喜びを感じる、仕事をすることあるいは勉学することも結構ですが、喜びを感じる。それがやっぱり社会に裨益し、大きく言えば世界、人類に稗益するというものにつながる喜びを感ずるというような、何といいますか、人生、生き方。何か嫌々ながらやる仕事、嫌々ながらやる勉強なんていうのはこれは全然身につかない。ですからそういう意味で、それに喜びを感じながら、自分がやっていることはこれほどのものと、あるいは社会に、国家に、あるいは世界に利益するものだ、もちろん人間でありますから自分にも利益しなければいけませんけれども、そういう人間になってもらいたいというのが私は生きがいある生き方じゃないか、生きがいある人生じゃないかという考え方で申し上げておるわけでございます。
○小西博行君 いま大臣がおっしゃったように、どなたにも一点二点は必ずいいところがある、すぐれているところがある。実は教育はそれをうまく刺激をされた人、恐らく文部省の皆さん方は、数学だとか英語だとかあるいは国語とか、それぞれの科目において、先生からその得意な部分を刺激されたから非常にその先生を好きになり、そしてその科目を大変好きになったから今日があるんではないかと私は思うんですね。残念ながら、一点二点いいものを持っておりながらそれを一度も刺激されたことがない、人の前で見つけてもらったことがない、そこに非常に教育の弱い部分が私はあるんじゃないか。特に落ちこぼれた人というのはみんなそういう形で、一生それで終わってしまうというのは、極端かもしれませんけどあるいは存在するかもしれない。そのように私は思うわけです。
 時間がないものですから次へ移ります。
 もう一点ですが、「学校、家庭、社会のそれぞれの教育機能を充実強化し、」というのがこの中にあるわけです。その中で、特に家庭での教育機能の充実強化というのはどういうふうに考えておられるのか。私は、非行問題をいろいろ調べてみればみるほど、その家庭での教育あるいはしつけという問題が一番欠けているような現象を幾つか見てきたものですから、これから先どういう形でそういう家庭の教育強化を図っていくのか、文部省としてどういう指導がとれるのかどうか、その辺をちょっとお聞きしたいと思います。
○政府委員(宮野禮一君) 家庭教育につきましては、何よりもまず家庭の中で心身ともに健全な子供を育てる、そのためには親の自覚と努力がまず大切であるということは、先ほど私どもの方で開催いたしました問題行動に関する懇談会の提言でも指摘されております。親の自覚と努力が大切であるということでございます。
 文部省としましては、このような親の自覚と努力を助けていくために、家庭の果たす教育機能の充実というのを図っていきたい、親を助けるという立場でございます。親の家庭教育に関するいろ
いろな学習する機会というのがさまざまの形でございますけれども、それらをなるべくさらによりよく充実させる方向に持っていきたい、また、いろいろな親の学習のために必要な指導資料等も考えていきたいという観点から家庭教育に取り組んでいるわけでございます。
○小西博行君 大変それはむずかしいんですね。ある程度理解のある、あるいは学校へしょっちゅう来てくれる親の場合はいいわけでありますけれども、めったに来ない、呼び出しをしても来てくれない、こういう親御さんが非常に多いから問題がある意味ではあるんじゃないか、私はこういうふうに思っております。
 具体的に一点お聞きしたいんですが、教員の免許を持っている方がたくさんいらっしゃるのじゃないか。現実に教師を停年でやめられるとかあるいは途中でやめられる、そういう方の中に、地域の中での何か教育活動的なまとまりというのが私は非常に大切じゃないか。たとえば、ある親御さんは全然教育には熱心でない、子供さんの非行化という問題も進んでおる、こういう場合に、どうしても地域の団結の中で直していこうという努力が非常に大切だと思う。そういう意味では、かなり教員の資格を持っていらっしゃる方が各地域の中にいらっしゃるんじゃないか。一体、何%ぐらいの方が資格を持っていらっしゃるのか、これをお聞きしたいと思います。
○政府委員(宮地貫一君) 免許状を持っている者が全国民の中でどのくらいいるかというお尋ねでございまして、その数について正確に私ども実は把握はいたしておりません。現在、免許状はそれぞれ都道府県の教育委員会で授与をしているわけでございまして、しかも同一人が複数免許状を取りますとか、あるいは免許状の授与の中には従来下級免許状でございましたものが、上進といいますか、上級免許状になった場合の授与件数なども含まれるわけでございまして、最近の数字で申し上げますと、たとえば都道府県別の免許状の授与件数が、五十六年度でございますと件数としては三十三万四千件余りになっております。そして、各大学ごとに大学の卒業者の学校種別の免許状取得状況というのを調査もいたしておりますが、その数字で申し上げますと、取得者の数としては約三十万という状況になっております。これらを免許法ができました戦後から今日までの累計についておおよその推定をいたしますれば、おおよその数としては三百万人強ということではないかというぐあいに理解をいたしております。ただし、先ほど申し上げましたとおり、正確な積み上げの数字でないということだけお断り申し上げます。
○小西博行君 お聞きのとおり、教員の資格を取得して卒業された方というのは非常に多いわけであります。それと同時に、私は、これは数字はないと思いますけれどもOBの方ですね、教員を実際に何年か経験された方々がそれぞれの地域の中で大分おられると思います。私の近くでも小学校の先生方、奥さん方が最近ずいぶんやめられて、そして家庭に引きこもっているというのがずいぶん大ぜいいらっしゃいますので、そういう方々の力をかりながら地域の中で教育活動といいますか、そういうものをやっていかないと、現在ではただ学校だけで勉強を教えるだけでは、とてもこの非行問題の解決という方向には行かないんじゃないかという感じがいたしますので、ぜひともこれは、自治大臣はいらっしゃらないですが、自治省ともよく相談されて、具体的なそういう方策について何か考えていただきたいなと、このように思います。
 次へ参ります。時間がちょっとしかありませんが、もう一点は、義務教育ですね、中学で義務教育を終わるわけですけれども、この中学のときに非常に非行問題が多いということなんですね。私はどうも、この非行問題が解決した後、たとえば高等学校の非行の発生率ぐらいであればまだわかるんですけれども、一番発生率の高いところでぽんと義務教育終わりという感じに実はなるものですから、それに対して文部省はどういうふうにお考えでしょうか、考え方を聞かしていただきたいと思う。
○政府委員(鈴木勲君) 義務教育の、たまたまその段階の中学校で問題が起こっているということが現実の問題として起こっているわけでございますが、その原因にはいろんな背景がありまして、これを義務教育の最後の段階で、退学がないからというふうな指摘をされる方もございますし、また非常にこの年齢は情緒的に不安定な時期であるということからいろいろと問題が起きるというふうなこともございます。しかし、大部分の健全な生徒はしっかり勉強して、自分の進路を歩んでいくということをやっているわけでございますから、そこのところを、義務教育だからということではなくて、やはり私どもとしてはこの問題の起こっている背景なり原因というものをしっかりと究明をして、これをなくしていくということに現在努力をしているところでございますし、そういう方向で今後もやっていきたいというふうに思います。
○小西博行君 最後に文部大臣にお願いしたいんですが、私学の振興助成法ですね、ここの部分が大変今度は簡潔になっておるわけです。これ比較していただいたらすぐわかると思いますが、瀬戸山大臣の場合は、「私立学校がその使命を達成できるよう引き続き私学助成の推進を図り、」と、非常に簡潔にうたっているのは、やっぱり予算が少ないからこういうふうにうたっているんでしょうか。私は、私学の果たす役割りというのは、今日までもあるいはこれから先も、非常に大きな役割りを果たしていくと思うんですが、どうも最近、また法案がこちらへぽつぽつ回ってくるんじゃないかと思っておりますが、国公立の方はどんどん大学院なんかもふやしていく、私学の方は非常に厳しい、こういう感じがするものですから、その辺をちょっとお聞きして終わりたいと思います。
○国務大臣(瀬戸山三男君) 私学は、私から申し上げるまでもなく、日本の短大、大学に至りますとほとんど大部分が私学で教育をしておる、こういう実情でありまして、しかもそういう私学を出た人材が各方面で活躍をしておる。それが今日の日本の隆昌を来した大きなまた要因でもあると思っております。でありますから、言葉遣いがどうであったか私も細かくはいま記憶しておりませんが、決して私学振興助成法の精神を忘れたわけではありません。今後ともあの精神で私学の助成振興を図っていかなければならぬ。ただ、財政上いろんな問題がありますし、しかも私学の中でも残念ながら学校教育の場としては不謹慎だと思われるところもありまして、抑制措置もある程度とりましたが、それはそれとして、そのほかに、必要な私学の教育施設等については新たな項目を設けて是正措置を講ずるというようなこともしておるわけでございまして、決してトーンダウンする気持ちじゃございませんから、御理解をいただきたいと思います。
○小西博行君 どうぞよろしくお願いします。
 終わります。
○前島英三郎君 いろいろ教育問題が論議されておりますけれども、私はきょうは最後になりますが、いま義務教育を終えて、大変な受験戦争を勝ち抜いて、悲喜こもごもという季節でございますけれども、先ほど文部大臣は、教育とは生きる道を教えることである、こういう言葉を述べられましたので、その部分を胸に秘めながら、実はけさ私の家に一通の手紙が参りました。これから読みますので、文部大臣の率直な感想をまず伺いたいと思うんです。
 拝啓 突然見知らぬ者から手紙を受け取られ驚かれたことだろうと思います。
 私は、手足の末梢神経が悪いため、車椅子を使っている身障者です。小学校のときまでは普通学校に通っていましたが、中学進学のとき、階段と教室の移動が多いということで、養護学校の訪門部に入学しました。それから週に二回で三時間の授業を受けてきました。でも、私も中学三年生となり高校進学の話しが少しずつ出てくるようになりました。具体的な話し合いにな
ったのは去年の夏休みの終りごろでした。その場で将来の進路として考えられたのは@田主丸か赤坂の養護学校に行く
ここはしかし大変遠いんです。ここは約二、三時間かかるということですね。
A通信教育を受けるB福島高校の定時制を受ける、の三つでした。
 通信教育は月に何度か福岡市の方へ行かねばならぬ上、人との触れ合いがほとんどないのです。それでは家の中にばかりいて、生きがいすら見つけられないだろうと思いました。結局は、車で五分ほどで行け、人との触れ合いがあり、授業時間も少なく体力的にも大丈夫だろうと福高の定時制を選びました。そして養護学校の校長先生は県の方に何度も何度も話し合いに行ってくださいましたが、学校の設備問題などを理由に色よい返事はもらえませんでした。そして今度は福島高校との話し合いになりましたが、こちらも県と同じことと、安全面、体育の単位などの問願がありました。でも何度も話し合いがあり、試験だけは受けられるようになりました。
それはちょっと教育委員会に問い合わせましたら、教育委員会としては、受験を認めないのはよくない、しかし特別の手だてはしないで同一条件で受験させるようにという指導をもらったものですから、受験だけはさせたんですね。
 試験の日学校に行くと、小学校の頃の友達が「わぁっ、お久しぶり、お元気だった」と言いながら何人も来てくれました。それまで私は、どうしても学校に行きたいと思っていましたが、友達に会い、よけいそう思うようになりました。
 試験は普通の生徒と一緒に受け、自分で答えを書きました。
 次の日新聞に載っていた解答で自己採点したら、二百点満点中百四十五点はとれていたと思います。でも十七日の合格発表は不合格でした。「なぜ不合格だったのか」と聞かれたそうですが、理由は答えられないと言われたそうです。でも、私自身それでは納得ができないのです。学校に行くために勉強をがんばってきたのですから。二十五日にまた二次募集の試験を受けます。
 この手紙書くこと少し考えました。大きな問題になりはしないか。三年間受け持ってくれた先生に迷惑はかからないか。でも私、学校に行きたいんです。先生に迷惑がかかるのはいやだけどいろいろ書いてしまいました。
というふうなお手紙なんですね。つまり、教育というのは生きる道を教えることだということですけれども、この十五歳の子供が、一番進学という喜びの季節、みんなが喜んでいる季節に、何かわけがわからなく門戸を閉ざしてしまう。私は、いまの教育の中でも、最も大臣の生きる道を教える部分と相反した一つの姿がこの手紙の中に脈々と書かれているように思うんですね。このお手紙をまず冒頭お聞きになって、大臣はどのように率直な感想をお持ちになりましたか、伺いたいと思います。
○国務大臣(瀬戸山三男君) その手紙の文面を聞きまして、本当に気の毒だという感じがしておりますが、ただ、体のぐあいの悪い方々それぞれに応じた教育がうまくいけるかどうかという考え方も、教育委員会あるいは学校にあるんじゃないかと思います。試験の成績がそういうことであって、どこで適当でなかったのか、判定が私わかりませんけれども、それぞれの体の都合に応じてできるだけ、率直に言って生きる道を与えるといいますか、教育してもらいたいというのが私の念願でございます。
○前島英三郎君 実は苦痛の手紙だったものですから、私もいろいろ八方電話をしましてその事情を伺いました。養護学校の先生は、学力的には内申書も試験も問題はないと思っている。理由は要するに車いすであるということなんですが、なぜ夜間をその子供さんは選んだかといいますと、全日制ですとこれは体も大変だ。自分はすぐ社会に出なければならない。しかも、夜学だと昼間働いている仲間たちと机を同じうできる。自分も、社会で自分の残された能力を発揮するために、そうした働きながら学ぶ人たちの中で学びたかったんだ。しかも、そこは全部一階であるということで、何ら車いすということでのハンディキャップはないというようなことだったんです。
 試験は受けさせる、ただし合格はさせないという、そもそもの入り口の部分が十五歳のそういう子供たちを痛めつけている。世が世であれば、普通の子供でしたらここで非行化に走っていくところですけれども、障害がある上に非行さえもできないという部分で、悶々としてこれからまた春を迎えなければならないんですけれども、そういうことでも、私は、確かに一つの制度はありましても、やっぱり本当にその子がどういうところで教育を受けたいのか、また受けた方がその子にとってプラスであるかということを、やはり軽々にそうした言葉だけで、あるいは文言だけの中で振り分けてしまうのは大変どうかと思うんです。
 そこで、足立区の金井康治君という大変重度の脳性麻痺の子供が、普通中学校へ今度入学が決まりました。これはなかなか長い、まあ闘いと言えるかどうかわかりませんが、中曽根総理からはこの間予算委員会で、心からお喜びを申し上げる、金井君がんばれという励ましのお言葉もいただきまして、本当は同じ言葉を文部大臣からもいただきたいところだったんですが、きょう改めて文部大臣から当然そのお気持ちは総理大臣と同じであろうと、こう思いますので、ひとつお言葉をいただければと思うんですが。
○国務大臣(瀬戸山三男君) 総理大臣と同じ言葉を申し上げる前に、私はできるだけいろんな教育の現場といいますか、施設を見せていただきたいと思いますけれども、なかなかまだそういう時間がとれない。たまたませんだって、何月でしたか、練馬区の大泉学園小学校の給食状況と、その近所にあります都立の大泉養護学校ですかを見せていただきました。まさに胸痛む感激を覚えてきた。
 小中高まであるわけでございますが、それぞれの身障者の方で、言葉のできない人、両手がうまく動かない人、いろいろな状態で、極端な方は、みずから体を動かすことができないということで網の上に乗せて先生が始終体を動かして運動をさしておる。その姿を見まして、身障者の方、非常につらいんだろうと思いますけれども、それこそ生きる力を発揮しておられる。そしてその顔に喜びを感じておる。先生がマン・ツー・マンみたいな、一対一みたいな熱意を持っていろんな指導をしている。あの姿を見て、現場の学校の校長先生その他にもすばらしい教育をやっておられますねということで感謝を申し上げたわけですけれども、やはり体の状態状態に応じて、問題はその子供さんが中心でございますから、子供さんが教育を受けて、そして何とかそれに応じた生きる道をみずから手につけるといいますか、習得するといいますか、それが根本でありますから、その状態はどういう教育施設、どういう姿のところでやらした方がいいかということ、いろんな立場から、方面からやっぱりみんな知恵を出さなければいけない。
 そういう意味で、いまお話しの金井君ですか、これは皆さん相談をされて、親御さんの希望も入れられてそこに入学ができて、本人がそういう体ながら普通中学に入られたと、これはもう本当にすばらしいことだと思います。しかし、みんながみんなそういうことが適当であるかどうかということは、それぞれの状態に応じて皆さんが相談して判定してもらわなければ、一概には申し上げられないと、かように考えております。
○前島英三郎君 まさしくそうだと思います。ですから、そのための養護学校、そしてまた憲法二十六条にのっとって、いままで勉強しなくてもいいという子供も教育を受ける権利があるという、その趣旨がそもそも養護学校の義務化だろうと僕は解釈しているんです。
 そういう意味では特定の子供を、その子供がど
こで学びたいか、また、この子にとってどこの場がいいかという最大のよき相談相手というのはやっぱり親でありますから、そういう部分で、子供の希望が、地域の学校に入りたいのか、あるいはそうした医療と教育という部分の養護学校に入りたいかという一つの判断をやはり親がなすべきではないか。それが単に文部省から加えられた一つの規定で特定の子供を排除したり、一定の線を引いて選別したりして、その上で成り立ついわゆる公的義務教育というものはあってはならないような気がするんですね。そうした部分の選別方式というのはやっぱり差別を生んでしまうし、あるいは障害を持った子供を指さして、また、学校が過熱した受験戦争になりますと、あんた勉強しないとあの子のようになっちゃうのよ、普通の学校に入れないのよ、遠くの学校まで行かなくちゃならないよみたいなおどかしの中で、障害児が非常に偏見の目を持たれているというような部分を考えますと、私は養護学校は否定はもちろんしてないんです。やはり養護学校で、医療と教育という部分でその子の残された能力をマン・ツー・マン方式で育てていくというやり方、あるいは地域の子供たちと一緒に松葉づえをついたり、車いすを押したり押されたりしながら生きるための強さをそういう中で養っていく、しかもそれはまた健康な子供たちにとっても物すごいメリットもあるような気がしてならないんですね。
 ですから、私はそれぞれレアケースがあるにしてもいろんなケースがあるだろうし、現実に普通学校で学んでいる障害を持った子供たちも多いんだから、そういう子供たちはどういうメリット、デメリットがあるかというのを文部省に二年ほど前に調査をしてくれと、こういうことを申し入れたことがあるんです。その後、その調査はどういう方向になされたか、ひとつ伺いたいと思うんですけれども。
○政府委員(鈴木勲君) 一昨年の予算委員会でそういう御質問があったことは承知しております。そのときには調査をしていないというふうにお答えを担当局長がしたわけでございますが、この問題、私ども検討いたしたわけでございますけれども、やはりこれが個々の子供にとりまして、あるいは関係者にとりましていろいろな問題を持っている、お挙げになりましたような非常なまれなすぐれたケースもございましょうけれども、いろいろと問題がありまして、プライバシーの問題でございますとか、いろんなことが考えられることと、あるいは調査の技術上のいろいろな問題がありまして御指摘のようなことにつきましては調査をしていないわけでございます。
○前島英三郎君 ですから、調査もしなくて、ただ、普通学校に入ると障害児マイナスだみたいな答え方、何も子供にとっての教育でしょう、だからこれは健康な子供にとってマイナスみたいな部分ももし一面にあるとしたら大変それは間違いだと思うんですね。一昨年の鈴木前総理の答弁はその点を的確に述べておりまして、障害児がどの学校に就学するかについては本人や両親の希望も聞いて、決してしゃくし定規にやってはならないと思う、教育というのは学校だけがやるのではない、家庭と地域と結びついてやるのが本当の学校教育だと、こういうふうな答弁をされておりまして、その後、田中文部大臣は若干修正的な発言をしたんですけれども、私はこういう意味では弾力的に運用を図るということが大変大切だと思うんです。
 それから、就学指導委員会というのがあって、そこが判断をすることになっているんですけれども、子供の将来に対して、結果としてこの就学指導委員会は重要な影響を持ってしまうわけですね。就学指導委員会が実際に障害児に触れ合い、判断をするという経験が少ないということも現実にあるわけです。しかも一回や二回の面談でその子の障害のすべてがわかるはずもないわけでありますから、やはりその子にとってどの学校がいいのかという部分は私はやはり親御さんの意見を尊重しながら、そしてその就学指導委員会のあり方ももっと向上させるようなそういう施策を私は期待したいと思うんですが、その辺はどうでしょうか。
○政府委員(鈴木勲君) 就学指導委員会の判定はその子供の将来に大きな影響を与えるわけでございますから、非常に重要な機能、役割りを持っているわけでございます。そこで、この構成につきましては医師、教育者、福祉関係職員などの専門家によって構成するよう指導いたしておりまして、具体的なその障害の状況の判断に当たりまして、これは大ぜいの方がいろんな医学的な、あるいは心理学的あるいは教育的な配慮を含めまして総合的に検討していただくという観点からそういう構成にいたしているわけでございますし、またこの委員の力を高めると申しますか、そのための研修と申しますか、そういうものは毎年度就学指導研究協議会を開催いたしまして努力をしているところでございます。今後ともその方向でやってまいりたいと考えております。
○前島英三郎君 ぜひ努力をしていただきたいと思うんです。
 一度その判定を受けて、それでもやっぱりどの学校に就学すべきか通知をもらった後、親がどうしても納得できないタイプというのがあると思いますし、そういう事案は幾つかそれぞれの教育委員会にも届けられているんですが、その判定が不服であると申し立てる方法というのはどういう方法になりますか。
○政府委員(鈴木勲君) これは、どうしても親に納得いただけない場合には、やはりその教育委員会が最終的には責任において判断いたしまして措置するわけでございますけれども、それになおその教育措置に不服があるという場合につきましては、現在の法制におきましては行政不服審査法に基づきまして不服申し立てをする道が開かれているわけでございます。
○前島英三郎君 それは行政不服審査法ということですね。それにのっとってやるのは必ずしも何かなじみにくい面もあるような気がするんです。これは何らかの再判定の道を開く必要があるような気がするんです。
 と申しますのは、たとえば三カ月後、半年後、あるいは学期の区切り目にフォローする体制を整えて再判定するような形をルール化するという方法もあると思うんです。ただ、不服申し立てをするにしても、それがどっと先々行っちゃうものですから、結果的にはただ形だけの不服申し立てみたいになります。子供は一日一日大きく成長していくわけですから、親の希望を入れて、まずとりあえずは普通学校に在籍さして、そこでやっていきながらしかも親が困難だと判断すれば、その子にとって普通学校がマイナスであるとすれば転校するというような形があってもいいような気がするんです。もう決めたところで、それであとは不服申し立て、それも半年、一年と先送りになっていくと自然と子供は長じていってしまうわけですから、まず親の希望するところへ入れて、そしてその中で不服審を申し立てをしながら地域の学校へなじませる、そうすることによってその子にとってやはり普通学校が無理だと親が判断をしたら、そこで養護学校に転校とかというやり方もあると思うんですね。
 ただいきなりぴしゃっと入口を閉めてしまう、一日たりとも通学させないみたいなかたくなな部分がますます何か硬直化しているような気がしてならないんです。やっぱり教育というのは生きる道を教えるんだと文部大臣がおっしゃるように、障害を持っている人たちもそれぞれ自分の残された能力で生きる道を模索するのが教育であり、またその出口を探してあげるのがまた教育だという気もいたします。あたら七歳、六歳あたりですでにその人間の進路を一定にはかられてしまうというのはどうしてもノーマルに考えて僕は納得ができないんですけれども、文部大臣、その辺はいかがでございますか。
○政府委員(鈴木勲君) その前に、ただいまのお話でございますが、これはやはり制度のたてまえといたしましては、それぞれの障害に応じまして適切な教育をするというのが現在の心身障害児に
対する教育の制度のたてまえでございまして、そのためには先ほど先生から御指摘がございましたように、判定委員会等の資質向上をするとか、いろんな慎重な配慮をしなければならない。そういうものを同時にいたしましてできるだけ親の希望とかそういうものもしんしゃくいたしますと同時に、総合的にその子供の将来を考えて、どういうところへ行ったらよろしいかということをこの就学指導委員会に判定をお願いしているという制度のたてまえになっておりますので、そこで決まって、たとえば養護学校へ行った場合に、仮に障害の程度がよくなりまして、普通学校へ行きたいという場合には、逆に転校の道も開かれておりますので、やはりそういうたてまえで私どもとしては制度の慎重な運用をしながらその子の将来の問題を十分に考えて、関係者話し合って、やはり最終的にはこの枠の中で処理をしていくことが適当ではないかというふうに考えておるわけでございます。
○前島英三郎君 転校の道が開かれているといまおっしゃいましたけれども、学期末になりますと普通学校にいる障害児を転校させるという、変な言葉でわれわれはそれを障害児狩りと言いますけれども、こういう状況があるんですよ。だからいま大変重要なお答えをされたように思うんですけれども、以上で、障害児問題はまたの機会に触れたいと思いますけれども、今後もそういう意味では障害を持った子供も一個の人間としてその出口を探してあげる、それをするには普通学校でもいいではないか、そして養護学校ももちろん重度の子供たちの教育の場として育てるように、ぜひ、そろそろいい意味での見直しを、やわらかい姿勢を私は文部省に期待しておきます。
 次に、共通一次の問題につきましてちょっと触れておきたいと思うんですけれども、共通一次試験にいろいろ投書がありまして、たとえば、新聞の投書欄などを見ますと、大学入試センターから発表されている平均点が本来の点ではなくて、内密に事後調整された点数があったというようなことが取り上げられておりましたし、二月十日付に福島県の高校教師の投書がありました。二月二十四日には入試センター副所長がその回答をして、三月十四日にお茶の水のある大学の助教授が出ておりまして、つまり五教科七科目の総平均が十二点も水増し発表されている、科目別では政治経済は八点かさ上げされているというようなことが、誤った平均点であるというようなことが出ておりまして、これによって三十万人を超える受験生が右往左往しながら二次試験の受験校を選定しているという、まあそら恐ろしいというか、事件的感じがしてならないんですが、文部大臣のお考えをお伺いしたいと思います。
○国務大臣(瀬戸山三男君) 採点を左右するなんということは私、想像ができないのですけれども、それは事実かどうかわかりませんが、共通一次は御存じのとおり、各大学の入試がいろいろむずかしかったりなんかすることで、もう少し試験の科目を少なくするような意味で共通一次試験、まあ資格試験みたいなのを一応やってみてそれから進路を決めるという制度で、御承知のように五回目が済んだわけでございますが、これについてはいろいろな方面からいろいろな意見があります、改革意見と申しますか。そういうことでございますから、いま審議会等で検討してもらっておりますので、その結論を見て、改革すべき点があったら改革しなければならない、かように考えておりますが、いずれにしても採点を左右するなんということはこれはとんでもないことでありまして、そういうことあったかどうかわかりませんが、それはどういう制度をつくりましてもそういうやり方をしたんじゃこれは話にならないと、こういう感想を持ったわけでございます。
○政府委員(宮地貫一君) 従来からそういうことが報道されたりしておりまして、私どもその都度そのことについて入試センターからも十分御説明をしておる点でございます。特に、昭和五十六年度の共通一次試験の採点において、大学入試センターが人為的な操作によって科目間の配点操作をしたというような疑いを一部に述べている者がおりまして、センターでは評価専門委員会においてあらかじめ配点基準を設けておりまして、採点は厳正に行っているというところで、そのような事実は全くないということを御説明しております。さらに、それらのことについて全国の教育委員会、高等学校、各大学に対して文書で通知をして誤解の解消を図っているところでございます。
○前島英三郎君 それはまあ入試センターの一方的な発表かもしれませんし、これは私も、数学の専門家が、統計学の先生が理論に基づいてちゃんと人的操作がある、疑いがあるというようなことを述べておりますから、この辺も、たとえば高校のある先生なんかは入試センターの発表内容なんか私たちは信用してないんだというようなことを軽く言ってのけちゃうんですね。ですから、これはいずれにしても、入試センターを一回参考人として国会にでも呼んでもらってこの辺は究明しませんと、十六歳前後の子供たちがそういう不信のもとに振り回されているなんという現実があるとしたら、これは大変問題だと思うんです。ぜひその辺の調査をお願いします。
 先ほど大臣もおっしゃいましたように、この共通一次はなるべく改善しなければならないという部分がこれもまたいろいろ報道されてますし、いろいろ欠陥が多いという、余り評判がよろしくない部分というのは、これはもう確かだろうと思うんですね。そのために文部省も努力をされているようですが、昨年の十二月二十四日の参議院予算委員会で、昭和六十年度からいわゆるアラカルト方式を取り入れるとおっしゃっておりますけれども、いままでの画一的な方式を取りやめて、受験生の個性と各大学の自主性を尊重した欧米並みのアラカルト方式というのは大変私もいいと思うんですけれども、この辺はいつごろをめどにこういう方向になると文部省は考えておりますか。
○政府委員(宮地貫一君) いま十二月二十四日の予算委員会でのやりとりの点について御指摘がありましたので、若干そのときの答弁の、質問者と答弁との間のやや食い違いがありました点もございますので、正確に申し上げておきたいと思います。
 実は高等学校の新しい学習指導要領が五十七年度の高校入学者から適用されることになったわけでございまして、その年度の入学者が昭和六十年度以降大学に進学することになるわけでございまして、その大学の入学検査の実施教科科目の範囲を新学習指導要領に即したものにする必要が生ずるわけでございまして、五十七年四月に入試改善会議の検討を経て、昭和六十年度以降の国公立大学の二次試験と私立大学及び国公私立短期大学の入学試験を通じての学力検査の実施教科科目について通知をいたしたわけでございます。その点を文部時報の七月号に解説をした。それを取り上げて御質問があったわけでございますが、その点は、国公立大学の部分について申し上げれば、第二次試験にかかわる部分の内容でございます。したがって、共通一次試験については国大協で検討した結果に基づいて、それをさらに入試改善会議の審議を経て実施要綱に盛り込むというような手順になるわけでございます。したがってそこの点は、若干当時の質疑のやりとりについては、質問者と答弁したことについてややずれがあったということがございますので、この際申し上げておきたいと思います。
 なお、共通一次そのものの出題教科科目についていろいろ御指摘がある点は私ども十分承知をしておりまして、それぞれメリット、デメリットがあるわけでございます。教科科目をどうするか、あるいはそのほかただいま御指摘のようなアラカルト方式というようなものをどのように考えていくかとか、いろんな点について、これは私どもも大学関係者その他にも十分御議論をいただき、特に国立大学協会の方でも直接いろいろ御検討いただいているところでございます。いずれにいたしましても、共通一次の問題は、これは受験生並びに社会全体にも大変与える影響が大きいわけでございまして、関係者にも十分それらの点は慎重に
検討いただきたいと思っております。
○前島英三郎君 そういう意味では、報道をうのみにしているわけじゃないんですけれども、六十年にはということ、国大協の方では大体六十二年だと、そこにはもう二年のずれがあるわけですね。昨年の四月二十六日には文部省の方からアラカルト方式を示唆する通達を出しているんですね。ですからそういう意味じゃ、こういうときがまさに改革への機運を高揚させる発端になっているわけですから、この際勇断をもって、六十年と言わず五十九年、すなわち明年度からアラカルト式に切りかえると文部省がばんと言っちゃいますと、それぞれ大学が自主的な改善に動き出すと思うんです。
 九十数校の国立大の大学長さんが入ったって、九十数人がそれぞれ九十数通りの意見があるんですから、こんなものはまとまりっこないと私は思うんです。六十三年が六十四年になり、六十五年になり、ずるずるとこういういまの欠陥の多い共通一次の中に子供たちが振り回されている。その部分を見ただけでも、学校で何となく暴れたくなっちゃうという、こういうことを漏らす子供さえもいるわけですね。そういう意味では、文部省が毅然とした態度で、もう五十九年度からやる、あとは自主的に各学校でアラカルト方式でやれというような勇断を持つことが瀬戸山文部大臣の大臣最後の僕は御奉公のような気がするんですが、いかがですか。
○国務大臣(瀬戸山三男君) せっかくのお励ましでございますが、入試制度というのは非常に影響するところが大きいです。関係者も多いわけでございますから、何とか入試制度を、私もいまのままじゃどうもいかぬという頭を持っておりますので、検討を進めたいと、かように考えております。
○前島英三郎君 続きはまたあさってやらしてもらいます。
○委員長(堀内俊夫君) 本件に対する本日の質疑はこの程度にとどめ、これにて散会いたします。
   午後五時十九分散会