第112回国会 法務委員会 第3号
昭和六十三年四月二十六日(火曜日)
   午前十時開会
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   委員の異動
 四月十六日
    辞任         補欠選任
     橋本  敦君     上田耕一郎君
 四月十八日
    辞任         補欠選任
     関  嘉彦君     山田  勇君
 四月十九日
    辞任         補欠選任
     山田  勇君     関  嘉彦君
 四月二十日
    辞任         補欠選任
     上田耕一郎君     橋本  敦君
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  出席者は左のとおり。
    委員長         三木 忠雄君
    理 事
                工藤万砂美君
                鈴木 省吾君
                猪熊 重二君
                橋本  敦君
    委 員
                下稲葉耕吉君
                中西 一郎君
                長谷川 信君
                林  ゆう君
                秋山 長造君
                千葉 景子君
                関  嘉彦君
                西川  潔君
   国務大臣
       法 務 大 臣  林田悠紀夫君
   政府委員
       法務大臣官房長  根來 泰周君
       法務省刑事局長  岡村 泰孝君
       法務省矯正局長  河上 和雄君
   最高裁判所長官代理者
       最高裁判所事務
       総局人事局長   櫻井 文夫君
       最高裁判所事務
       総局刑事局長   吉丸  眞君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        片岡 定彦君
   参考人
       中央大学法学部
       教授       渥美 東洋君
       ジャーナリスト  野村 二郎君
       神戸大学法学部
       教授       三井  誠君
       弁  護  士  柳沢 義信君
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  本日の会議に付した案件
○理事補欠選任の件
○参考人の出席要求に関する件
○刑事補償法の一部を改正する法律案(内閣提出、衆議院送付)
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○委員長(三木忠雄君) ただいまから法務委員会を開会いたします。
 理事の補欠選任についてお諮りいたします。
 委員の異動に伴い現在理事が一名欠員となっておりますので、その補欠選任を行いたいと存じます。
 理事の選任につきましては、先例により、委員長の指名に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○委員長(三木忠雄君) 御異議ないと認めます。
 それでは、理事に橋本敦君を指名いたします。
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○委員長(三木忠雄君) 参考人の出席要求に関する件についてお諮りいたします。
 刑事補償法の一部を改正する法律案の審査のため、参考人の出席を求め、その意見を聴取することに御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○委員長(三木忠雄君) 御異議ないと認めます。
 なお、その日時及び人選等につきましては、これを委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○委員長(三木忠雄君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。
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○委員長(三木忠雄君) 刑事補償法の一部を改正する法律案を議題といたします。
 まず、政府から趣旨説明を聴取いたします。林田法務大臣。
○国務大臣(林田悠紀夫君) 刑事補償法の一部を改正する法律案について、提案の趣旨を御説明いたします。
 刑事補償法による補償金額は、無罪の裁判またはこれに準ずる裁判を受けた者が未決の抑留もしくは拘禁または自由刑の執行等による身体の拘束を受けていた場合については、拘束一日につき千円以上七千二百円以下とされ、また、死刑の執行を受けた場合には、二千万円以内(本人の死亡によって生じた財産上の損失額が証明された場合には、その損失額に二千万円を加算した額の範囲内)とされておりますが、最近における経済事情にかんがみ、これらの額を引き上げることが相当と認められますので、右の七千二百円を九千四百円に、二千万円を二千五百万円に引き上げ、補償の改善を図ろうとするものであります。
 以上がこの法律案を提出する趣旨であります。
 何とぞ、慎重御審議の上、速やかに御可決くださいますようお願い申し上げます。
○委員長(三木忠雄君) 以上で趣旨説明の聴取は終わりました。
 これより質疑に入ります。
 質疑のある方は順次御発言を願います。
○千葉景子君 ただいま刑事補償法の一部を改正する法律案について、その趣旨を説明していただきましたが、まず、この法案の内容につきましてお尋ねをさせていただきたいと思います。
 刑事補償の額の積算方法について御説明をいただきたいと思うんですが、一つずつちょっと区切ってお尋ねしたいと思います。
 一番目ですけれども、拘禁補償額の日額の上限額、これの積算基準といいますか方法、これについてまず御説明をいただきたい。
○政府委員(岡村泰孝君) 今回の改正案によります拘禁補償の場合の日額上限額の引き上げは、基本的にはこれまでの改正と同じような方法によっているところでありまして、労働者の一日平均給与額と消費者物価指数の上昇率を勘案いたしたところであります。もう少し具体的に申し上げますと、昭和二十五年を一〇〇といたしまして昭和六十三年の推定値を求めますと、賃金が三九五四・七、消費者物価指数が七二七・六となっているわけでございます。これを平均いたしますと二三四一・二となりますので、本法制定当時の日額の上限額を二十三・四倍いたしまして九千四百円といたしたものであります。
○千葉景子君 それでは二番目に、死刑執行の場合の上限額、これは二千五百万円ということでございますが、これについてはいかがでしょうか。
○政府委員(岡村泰孝君) 現行の刑事補償法が制定されました当時は、その金額が五十万円であったわけでございます。その後逐次改正されまして、現行では二千万円になっているところでございます。これをさらに二千五百万円に引き上げるというのが今回の改正であります。
 ところで、当初の五十万円あるいはその後の引き上げの金額ということにつきましては、特に計数的にこういう計算方法になるんだというような明確な根拠はなかったわけであります。拘禁補償の金額を引き上げますので、死刑執行の場合のいわゆる慰謝料の金額も引き上げるのが相当である。その場合は、この程度の金額で引き上げるのが相当であるというようなことから引き上げが行われてきた経緯にあるわけでございます。
 今回も同じようなことでございまして、拘禁補償の金額を引き上げるわけでございますので、やはり死刑執行の場合におきますいわゆる慰謝料の金額も引き上げるのが相当であるというふうに考えられるところであります。また、最近の交通事故等によります死亡事件の慰謝料の額も相当多額になっておりますので、こういったものを参考にいたしまして二千五百万円という金額にいたした次第であります。
○千葉景子君 今説明をお聞きしますと、こういう積算でなければいけないというような根拠でも余りなさそうな気がするわけでございます。
 とりわけ、死刑執行の場合の上限額などの説明をお聞きいたしますと、拘禁補償の方も上がるしこちらも上げるべきであろう、あるいは交通事故の慰謝料額なども上昇しているということで、それを参考にされてということでございますが、そうなると、この二千五百万円というのは、これは死刑執行の場合の上限ということになりますから極めて限られた、あるいは何というんでしょうか、あってはならないような場合の補償ということになりますね。だとすれば、この上限額というのはもう少し上乗せをするといいますか、十分な補償額にするということも考えられるんじゃないかと思いますが、このあたりはいかがでしょうか。
○政府委員(岡村泰孝君) 死刑執行後に、再審で無罪になるというような事例があってはならないことはもとよりでございまして、過去におきましてもその事例は皆無であったわけでございます。今後ともこういう事例があってはならないのでありまして、こういう事例のないように慎重にやっていかなければいけないところでございます。
 ところで、法律的には、死刑が執行されました後無罪の裁判がありました場合の補償を定めているところであります。この補償につきましては、いろいろな考え方もあろうかと思いますが、現行の刑事補償法によりますと、死刑が執行されるまでの拘禁の期間につきましては、現行一日七千二百円、改正後は一日九千四百円という範囲内での拘禁補償が行われるわけであります。また、刑事補償法上明らかでありますように、本人の死亡によって生じた損害も、これが立証された範囲におきまして補償されるわけでございます。それに加えまして、この二千五百万円といういわば慰謝料の金額が支給される、補償されるということになっているわけであります。
 この二千五百万円が低いかどうかということにつきましてもいろいろ御意見はあろうかと思いますけれども、従来の改正の経緯等から見まして、また先ほど申し上げましたように、死刑執行をされました場合には、拘禁補償その他の補償もあわせて行われるというような点をあわせ考えますれば、相当な金額であるというふうに考えているところであります。
○千葉景子君 ところで、今回は拘禁補償について日額の下限額、これは千円に据え置かれたままという形になっておりますが、これは先ほどの上限額が上がっている、あるいは死刑執行の場合の上限額も上がったということに比較して、これだけ据え置かれている何か特別な理由がございますか。
○政府委員(岡村泰孝君) 現行刑事補償法は、日額につきまして上限と下限を定めておりまして、その間で裁判所が判断して金額を決定するという建前をとっているところでございます。
 ところで、裁判で無罪になりました事件のうち、いわゆる心神喪失等によりまして責任能力がないということで無罪になりましたような場合は、例えば人を殺害したあるいは放火したという事実自体は認められるところでありまして、責任能力がないという点において無罪ということになるわけでございます。こういった場合につきまして補償を行うのが相当かどうか、あるいは補償を行うとすればどの程度が相当なのかということにつきましては、やはりいろいろな考え方があるわけでございます。こういった場合に余り高額な補償を行うということに対しましては、国民感情に反するという面もないではないと思うわけでございます。
 そういったような事情を考え合わせますと、一口に無罪と申しましてもいろいろな場合があるわけでございまして、刑事補償の実際の運用から見ましても、こういった犯罪事実を犯したことは認められるけれども、責任能力がないことで無罪になった場合は比較的低い金額で補償が行われている事例もあるわけでございます。そういった点を考えまして、今回の改正におきましては下限の方はそのまま据え置きということにいたした次第であります。
○千葉景子君 そうしますと、この制定当時からの日額の変遷を資料から拝見いたしますと、上限額というのは比較的に値上げ率がかなり高い。それに比較いたしまして下限額というのは据え置かれ、あるいは値上げ率というのもかなり低く抑えられているという傾向にあろうかと思いますけれども、今御説明いただいたような理由が、やはりこういうところにあらわれていると考えてよろしいんでしょうか。
○政府委員(岡村泰孝君) そういうことであります。
○千葉景子君 ところで、現在は身柄不拘束の場合には、現行法上は補償制度というのはございませんけれども、身柄不拘束といいましても最初嫌疑があり、結果的には無罪になったというような場合には精神的にもさまざまな苦痛、あるいは社会的にも障害を受けるということがあろうかと思うんですけれども、こういう場合に何らかの措置を講ずるというような必要はございませんでしょうか。
○政府委員(岡村泰孝君) ただいま御指摘のございました身柄不拘束のまま起訴されまして、それが無罪になりましたときに何らかの補償を行うべきかどうかということにつきましても、いろいろな考え方があるわけでございます。ただ、現行法はこういった場合についてまで補償することにはいたしていないところでございます。
 その理由として申し上げますならば、国の公権力の行使によりまして損害がありましたときにこれを補償するということは、その本質は、やはり損害賠償であるというふうに考えられるわけでございます。この損害補償は、本来は損害の発生につきまして公務員の故意あるいは過失がある場合に限って行うというのが一つの基本であろうかと思うのであります。ところが、刑事補償は、公務員の故意過失を要しないで、そういった要件を設けないで、要するに無罪になった場合に補償を行うということでありますので、それだけのやはり特別の理由というものが必要であるというふうに思われるわけであります。
 刑事事件で起訴されました場合に、身体の拘束を受けた場合と受けない場合とでは、やはりかなりの差異があると思われるわけであります。現行の刑事補償法が、身体の拘束を受けました場合においてのみ補償するという建前をとっておりますのは、身柄の拘束が国の行います各種の公権力の行使の中で極めて特殊のものであるということ、すなわち身柄の拘束は刑事手続の性質上、その必要性が肯定されるものであります反面、これを受ける側にとりましては不利益な処分であって損害が重大であるといったことを考慮したものと考えられるわけでございます。
 刑事事件において起訴されました場合に、被告人が物質的精神的な損害を含めましていろいろな不利益を受けるということは否定できないのでありますけれども、いわゆる身柄が拘束されておりません場合の損害というものは、非常に定型化しがたいという面があるわけでございます。現行の刑事補償法が一定の金額を定めまして、その範囲内で迅速に補償するという、いわば定型的な補償ということを考えておりますために、それとマッチしないという面もあるわけでございます。また、他の行政処分等の場合におきます補償というものとの均衡というものも考える必要があると思われるのであります。さらにまた、非拘禁者に対します補償は国家賠償法の手続によりまして、これは故意過失を要件とはいたしますが、この手続によりまして損害の賠償を求めることもできるわけであります。
 さらに、被告人が無罪の裁判を受けました場合には、身柄が拘束されていたか否かにかかわらず裁判に要した費用、すなわち被告人であった者またはその弁護人であった者が公判期日等に出頭するに要した旅費、日当、宿泊料それから弁護人であった者に対する報酬は補償するという費用補償制度が設けられているところであります。
 こういったようないろんな事情を考え合わせますと、刑事補償法が身体の拘束を受けた者だけを対象とするということにつきましては、やはりそれなりの合理性があるというふうに考えているところであります。
○千葉景子君 ところで、刑事補償事件になりましたものの具体的内容ですね。これを若干お尋ねしたいと思うんですが、この補償決定がなされたものの中には、再審で無罪になったもの、あるいはそれ以前に一般的に無罪の判決を受けた場合というふうに分かれょうかと思うんです。それぞれここ数年でもよろしいかと思いますが、どのような犯罪、そしてその無罪になった理由、先ほどの心神喪失というようなこともあるようでございますけれども、その無罪になった理由、こういうものは具体的にはどんな内容になっているでしょうか。
○政府委員(岡村泰孝君) 通常の裁判で無罪とされました事件の無罪理由でありますが、これは大きく分けますと犯罪の証明がないという場合でありまして、これは犯人と認めるに足る証拠がない場合とか、あるいは犯意を認めるに足る証拠がない場合などであります。その次が、いわゆる違法性が阻却されるという場合でございまして、正当防衛などの場合であります。第三番目が責任阻却という場合でありまして、要するに心神喪失等の場合であります。
 次に、再審で無罪になりました事件の無罪理由ということでございますが、これはいろいろ類型があろうかと思うわけでございまして、一概にお答えできない点もございますけれども、再審無罪事件の中で大きな比率を占めておりますのが、いわゆる交通関係事犯におきます身がわり犯人でございます。略式命令が確定いたしました事件のうち、昭和五十七年から六十一年の間に全部で七十件再審の無罪が出ておるわけでございます。この七十件のうちの五十五件が身がわり犯人であるという統計の数字が出ておるわけでございます。そのほかのものといたしましては、例えば自白調書が存する場合におきましても、その内容が不自然、不合理であるとか、客観的事実と合致しないことなどから信用性に問題があるとか、あるいは初動捜査におきます犯行現場の検分や採証活動に問題があるとされたこと、あるいはまた血痕等の鑑定結果の信用性に問題があるとされたこと、こういったことが再審の無罪の理由になっているところでございます。これは一般の無罪の理由ということでございます。
○千葉景子君 こういう無罪の判決がおりるあるいは再審で無罪になるということは、裁判あるいは再審の制度というのがそれなりに機能している。最終的には冤罪といいますか、のままに処罰されることなく罪が晴らされたということになるわけですから、それなりの機能を果たしているということを意味するだろうとは思いますけれども、やはり無罪になった個人にとりましては、その間はえらい迷惑をこうむったり、精神的な苦痛をこうむったりするということは否めないわけでございます。こういう再審無罪、無実の罪になったかもしれない、これを避けるため、あるいはそれに対する今後の対処、こういうことについては何かお考えになっていらっしゃいますか。
○政府委員(岡村泰孝君) 検察庁におきましては、再審無罪あるいは通常の裁判における無罪事件がありますと、無罪の理由ということにつきましていろいろ検討をいたしまして、今後の執務の参考にいたしているところであります。また、かつて死刑囚につきましての再審無罪事件が相次いだ際には、最高検察庁におきまして委員会を設けまして、これらの事件につきましていろいろ検討をいたしたところであります。そして、その結果を資料に取りまとめまして検察官に配付いたしまして、今後そういう事態のないように、十分慎重な捜査を行うように、その際の参考資料としていただくことにいたしたところでございます。
 検察といたしましても、こういう再審無罪というような事件はあってはならないことでありますので、今後とも捜査処理には一層慎重を期するという方針で対処しているところであります。
○千葉景子君 その原因はどういうところに起因するかという問題点についてはいろいろあろうかと思いますが、それについてはちょっとまた別な機会に譲らせていただきます。
 一番問題になりますのは、やはり死刑執行の場合に刑事補償がなされるというようなことがあってはならないわけでございます。そういう意味では、死刑制度そのものが存在するということ自体も、今いろいろな問題があるのじゃないかという気がするわけです。そういう意味で、その死刑制度についてお尋ねをさせていただきたいというふうに思います。
 死刑制度については最高裁などでも一定の合憲性の判断も出されているところでございますけれども、今後もこの死刑制度を存続させる必要があるのかどうかということについては、いろいろな意見あるいは指摘がなされております。それらについてお尋ねをさせていただきたいというふうに思いますけれども、よく廃止論といいますか、死刑は存続させるべきでないという論の一つに、死刑はやはり何といっても残虐な刑罰である、人を殺すのにいい悪いはないわけでございますし、残虐でないやり方と残虐なやり方というのを区別するというのもこれまたおかしいわけでございまして、残虐な刑罰、こういうものを残しておくのは、やはり人間を尊重するという憲法の建前からいってもおかしいではないかという考え方もあるわけですが、こういう残虐な刑罰であるというような指摘に対してはどんなふうに法務省としてはお考えでしょうか。
○政府委員(岡村泰孝君) この点につきましては、既に最高裁判所の判例もあるところでございまして、現在我が国が採用しております絞首の方法によります死刑の執行につきましては、人道上残虐であるとする理由は認められないというふうに考えているところであります。
○千葉景子君 死刑といいますのは、その執行の方法、絞首でやるかあるいはほかの手段でやるか、こういう問題もあろうかと思いますけれども、そもそもこれが残虐でないかどうかは、私も死刑になったことはありませんし、本当に死刑の刑罰を受けた方からは何もお聞きすることができないわけですよね。第三者が推しはかって多分残虐ではないだろうと、こういうことを考えているだけだということだろうと思うんですね。
 さらに死刑というのはそれ以外にも、やはり確定し、そしてそういう死の宣告を受けてから実際に執行されるまでの間の苦痛、こういうものも非常に過酷な、残酷な刑罰ではないかと思うんです。これは例えでございますけれども、今がんの患者さんなどにもがんであることを告知するかどうかというのは非常に大きな問題になっておりますけれども、それも死を宣言されて、それがあした来るかいつ来るかとそれの近づくのを待っているということが、非常に人間にとって残酷であるということでもあろうと思うんですね。
 こういうことを考えると、死刑というのはその方法のみならず、それに至る過程においても非常に残酷さといいますか、人間性に反する、そういう側面を多大に含んでいるのではないかというふうに思いますが、この点あたりはいかがお考えでしょうか。
○政府委員(岡村泰孝君) 死刑は冷厳な極刑でございまして、また究極の刑罰であるということは最高裁判所の判例が、その理由の中で述べているところでございます。確かに、この判例の言いますように、それは冷厳な極刑であり、究極の刑罰であるわけでございます。しかしながら、そういった死刑の判決を受ける被告人の犯した犯罪は、これまた残忍な行為であり、また冷酷な行為であり、非常に凶悪、悪質な犯罪であるわけでございます。
 そういったことをいろいろ考え合わせますならば、正義の実現ということの見地に立ちましても、この究極の刑罰である死刑というものは、やはり存置しておかなければいけないというふうに考えている次第であります。
○千葉景子君 まず正義の実現という今お言葉でございますけれども、人を殺すことは悪い、それが、人を殺さないようにしようというのが一つの正義であろうというふうに思うわけです。それを実現するためにまた人を殺さなければいけない。非常に矛盾した刑罰ではないかと思うことが一つでございますし、それからその犯罪自体も残忍である。
 これは、まさに犯罪そのものを私も許そうという気は全くございませんし、それに対しての十分なる責任を果たさなければいけないということも、これはだれも否定するものではないと思うんですね。しかしながら、それじゃ死をもって刑罰としなければいけないかということには直接つながらないだろうというふうに思うわけです。人を殺したから、そうしたらそれに対しては殺害をもってそれに対抗するということになりますと、それじゃ人をけがさせたらば、じゃまたそれに対しては、何か傷害をもって相対するというようなことにもなりかねないわけでございまして、決して今の御説明は、死刑そのものを肯定する論理にはすぐつながらないだろうというふうに思うわけですけれども、いかがでしょうか。
○政府委員(岡村泰孝君) 死刑を残しておくべきかあるいは廃止すべきかということにつきましては、いろいろ御意見のあることは承知いたしているところでございます。この問題につきましては、国民の考え方がどうであるかということも考慮しなければなりませんし、国家社会におきます正義の維持といった点も、やはり考え合わせなければならないわけでございまして、こういった点を慎重に検討すべき問題であるというふうに思うのでございます。
 ところで、現在のところ世論調査等によりますと、国民の大多数は極度に凶悪な犯罪を犯した者に対しまして死刑を科することを正当であるというふうに考えていると思われるのであります。しかも、死刑には凶悪犯罪を抑制します特別な効果があるということを国民の大多数が信じていると考えられるのでございます。さらにまた、現実問題といたしましても、凶悪な重大犯罪というものがなお後を絶たない現状にあるわけでございます。こういったいろんな事情を考え合わせますならば、死刑を存置する必要があるというふうに考えられるものでございます。
○千葉景子君 今の御説明も非常におかしいところがあろうかと思うんですね。凶悪犯罪もふえていて減ってはいない。死刑がこれは存在していても減ってないということを逆に言えば示しているということになります。また、国民の大多数が死刑存置については賛意を表しているというようなお話でございますけれども、今死刑というものを一体どんなものかというのを本当に知りながら、これは残した方がいいと考えている人がどれほどいるかといえば、それは私は非常に疑問だと思うんですね。
 その点で、一つはお聞かせいただきたいと思いますけれども、死刑執行というのは大変私たちにとって手続的にも、それから執行そのものについても不明な、わからない点がたくさんあるわけです。まず死刑執行、判決が確定いたしましてから執行がされるまでの手続といいますか、これはどのような流れで行われますか。
○政府委員(岡村泰孝君) まず死刑の判決が確定いたしますと、法務省刑事局におきましては、関係検察庁から死刑執行に関します上申を待ちまして関係の確定記録を取り寄せまして、判決及び確定記録の内容を刑事局におきまして十分検討をいたしているところでございます。その際、刑の執行停止、再審あるいは非常上告に当たるような事由、あるいは恩赦が相当と考えられるような情状、こういったものがあるかないかということにつきまして慎重に検討をいたすのであります。その結果、これらの事由ないし情状が存在しないということが確認されました場合に、初めて死刑執行につきまして法務大臣の命令が発せられることとなるわけであります。
 なお、検討の過程におきまして再審の申し立てとか恩赦の出願等がなされております場合には、それらの点につきましても十分勘案いたしているところであります。
○千葉景子君 死刑執行についてのその上申というのは、これはどこからどこへなされるものですか。手続の一番最初ですね、上申というふうなお答えではなかったでしょうか。
○政府委員(岡村泰孝君) 死刑判決が確定いたしました検察庁の長から、法務大臣あてに上申がなされるわけであります。
○千葉景子君 検討なさいますときに、上申があって検討を始められるということですね。それはどういう形でどこからどこへ上申がなされますか。
○政府委員(岡村泰孝君) それが、例えば死刑判決が東京高検で確定いたしますと、東京高検の検事長から上申がなされるということであります。
○千葉景子君 ところで、今手続をお聞きしたわけですけれども、この執行につきましては、刑訴法によりますと、確定判決がありましてから六カ月以内に執行命令を出さなければいけないということになっておろうかと思うんですけれども、これは過去の例などを私も知る限りで見るところ、六カ月以内になされているとは必ずしもないと言っていいんじゃないかと思うんですが、これはどういう理由によるものでしょうか。
○政府委員(岡村泰孝君) 裁判が確定いたしますと、これを迅速に執行しなければならないということは申すまでもないところでございます。そういう趣旨から見まして、刑事訴訟法は死刑の執行につきましても、「判決確定の日から六箇月以内にこれをしなければならない。」と規定しているところであります。もっとも、この刑事訴訟法も再審の請求等がなされている期間は、この六カ月の期間に算入しないということを定めているところでございます。
 ところで、死刑の執行につきましては、先ほど来申し上げましたように、確定判決が死刑でありましてもこれを執行するに当たりましては、さらに法務省刑事局におきまして慎重にいろいろの角度から検討をいたしているところでございます。そういう点から見まして、何が何でも六カ月以内に執行しなければいけないんだというものではないと思うのでございまして、死刑囚の心情の安定といったことも考えなければいけないであろうかと思いますし、手続にさらに慎重を期するという考えで、この死刑事件に対処をいたしているところから、刑事訴訟法の定めております六カ月以内に執行できない事例も間々、間々といいますか多くあるということであります。
○千葉景子君 今死刑囚の心情の安定ということも考慮してということでございますが、この死刑囚の心情の安定というのは、一体どういうことを具体的には考えられるんでしょうか。
○政府委員(河上和雄君) 死刑囚の心情の安定というのが具体的にどういうことかというお尋ねだと思いますが、人間でございますから、やはり生に対する執着というのは非常に強いわけでございまして、いわば精神的な領域に入るかと思いますけれども、非常に生に対する執着が強くて、人を恨みなにを恨みということでもって精神が安定しないままに死刑を執行するということは、必ずしも国の刑罰権の行使として正しいものじゃないんじゃないか。こういう観点から、やはり自分の犯した罪について贖罪意識が十分になり、そして自分が自分の死というものを冷静に受けとめることができるような状態、そういったものを私どもは考えております。
○千葉景子君 だれでも生に対する執着というのはぬぐい切れないものがあろうかと思いますし、心情の安定というのは、自分が安定しているかどうかというのはその本人だけがわかることであって、なかなかそれは第三者が、今心情が安定している状態かあるいは不安定な状態かはかるというのは、これはおこがましいというか、また不可能ではないかというふうにも思わざるを得ないんですね。こういう非常に不明確といいますか主観的、そういうものが、死刑執行についての一定の要件とまではいかなくても条件の一つになっているというあたりにも、死刑執行の難しさみたいなものがあるのじゃないかというふうに考えるんですけれども、いかがですか。
○政府委員(河上和雄君) 確かにおっしゃるような面が多々あると思います。ただ、自分の精神が安定しているかどうか、必ずしも人間というのは、主観的にそうであるからといって客観的にそうでない場合も間々あるわけでございまして、主観、客観いろいろな面をやはり総合するということになりますと、本人だけの状況ではなくて、周囲からの観察といったものもかなり重要な部分を占めるんだろう、こう思っております。
○千葉景子君 私は最終的に、本当に心情が安定して死刑執行がなされるなんということは、何となくうそのような気がしてなりません。
 これはちょっとここで置きまして、そうなりますと、現在死刑判決確定者というものは、今何名ぐらいいらっしゃいますか。
○政府委員(河上和雄君) 本日現在で三十名でございます。
○千葉景子君 それぞれ判決が確定いたしましてから何カ月ぐらいたっているんでしょうか。一応その基準としては六カ月以内に執行がなされるというのが原則であるということになりますけれども、この基準に照らしてはいかがですか。
○政府委員(河上和雄君) 少しく具体的な話になりますが、およそのところで申し上げますと約三十年近く、それからごく最近のものではまだ一月未満ということでございます。
○千葉景子君 そうなりますと、この三十名の中には、そう言ってはあれですけれども、あすにでも執行されるかもしれないという方も含まれていると考えてよろしいわけですね、可能性としては。
○政府委員(河上和雄君) さようでございます。
○千葉景子君 ところで、先ほどからこの死刑そのものがなかなか国民、我々にはわかりにくいということですけれども、実際にその判決が出たということは報道などでもよくなされます。しかし、一体執行されたのかどうかというのはなかなかわからない事実でございまして、ここ六十一年、二年、三年、ことしはまだ三年、途中でございますけれども、実際に執行された数、これはどのくらいになりましょうか。
○政府委員(岡村泰孝君) 昭和六十年から六十二年の間合計七名でございます。
○千葉景子君 この執行につきましては執行された事実、これはすぐに公開といいますか、一般的に何か知らされる手段は講じられているんでしょうか。
○政府委員(岡村泰孝君) 死刑の執行につきましては、公開で処刑するというような話も私は聞いているところでございますが、少なくとも日本におきましてはそういう制度はとっておらないところでございます。
 死刑が執行されました者の家族あるいはその関係者に与える影響あるいはその名誉、心情、こういったものも考えなければなりませんし、死刑囚の心情の安定ということにつきましても、やはり留意しなければいけないわけでございまして、我が国におきましては、死刑の執行につきましてはこれを公表しないという立場をとっているところでございまして、これがまた相当であるというふうに考えているところであります。
○千葉景子君 執行につきまして公開すべきかどうかという問題とは別に、既に執行がなされた事実、これについては公表なさっていらっしゃいますか。
○政府委員(岡村泰孝君) 死刑の執行がなされたという事実は、公表はいたしていないところであります。公表いたさない理由は、先ほど私が述べたところであります。
○千葉景子君 親族あるいはその本人の名誉などの問題もあろうかと思いますが、これは死刑執行そのものだけではなくて、それに至る間のさまざまな問題でも名誉の問題というのはあろうかと思うんですね。ただ、執行された事実すら公表されない、そして公開はすべきかどうかというような問題はありますけれども、死刑がどういう形でなされているかというのも国民にも知らされていない。こういう中で死刑を存置すべきかどうかというような議論をするというのは、何の材料もなく話をしているようなものではないかというふうに思うんですね。そういう意味では何らかやはり死刑を存置する、そしてこれが必要な刑罰であるということであるならば、この執行された事実等はやはりきちっと国民にも報告をする、そういう責務があるのではないでしょうか。その辺はどうお考えですか。
○政府委員(岡村泰孝君) 死刑の判決が確定するに至りました経緯につきましては、これはすべて公開の裁判によりまして国民の前に明白となっているところでございます。その後の死刑の執行につきましては、先ほど来申し上げているような理由から見まして、これを公表する必要はないし、公表しないのが相当であるというふうに考えているところであります。
○千葉景子君 執行の事実というのは、関係者といいますか例えば親族であるとか、あるいはまたこの死刑のいろいろな背景を見ますと、その被害者側であるとか、あるいは裁判なりに従来関与をしてきた弁護人であるとかこういうものに対しても、この事実というのは知らされませんか。
○政府委員(河上和雄君) 死刑の執行につきましては、本人の通知してもらいたいと希望する親族については通知いたしております。
 ただ、おっしゃった被害者につきましては、これはもう思い出したくもないとおっしゃる、そういう向きもたくさんあるわけでございまして、必ずしもそういう方々に一々御通知申し上げるのかどうか甚だ疑問も多い場合がございまして、現段階では希望する親族だけでございます。
○千葉景子君 被害者の方も、やはり思い出したくもないということがあるというくらいですから、一体死刑が、逆にいえば被害者に対しての被害感情を少しでも和らげるという機能も、そういう意味では果たしていないような気もするわけですね。
 ところで、さらにこの死刑については、一番大きな廃止論といいますか、もうやめるべきだという論の大きなものとしては誤判のおそれ、これは取り返しのつかないことになるという考え方が強いではないかというふうに思うわけです。死刑でなくても、これは冤罪などでは問題は残りますが、死刑となれば全くもう本人が死亡してしまいますから取り返しがつかないのは当然です。こういう誤判のおそれ、こういうことについてはどんなふうにお考えでしょうか。
○政府委員(岡村泰孝君) 我が国の裁判の実情から見まして、死刑の適用ということにつきましては極めて慎重になされているところであります。死刑が宣告されますのは極めて凶悪重大な犯罪に限定されているところでありますし、また三審制が保障されておりまして、裁判所におきまして慎重な審理が行われているところであります。さらに、裁判が確定いたしました後におきましても、再審あるいは恩赦といった救済の制度が設けられているところでありまして、これらの申し出等がなされましたときには、やはり慎重な審査が行われているところでございます。
 加えまして、先ほど申し上げましたように、法務省刑事局におきましていろいろな角度から、確定記録につきまして慎重に検討をいたしまして誤りなきを期しているところでございまして、現在の制度及び運用の両面から慎重な上にも慎重に対処しているところであります。
○千葉景子君 戦後死刑の判決を受けて、その後再審などで無罪になったという例、幾つかあろうかと思いますが、どのくらいございますか。
○政府委員(岡村泰孝君) 三件だけであろうかと思います。
○千葉景子君 それは正確な数字でございましょうか。もしあれならば、後に正確な数字を出していただきたいんですが。
○政府委員(岡村泰孝君) 今のところは三件だろうと思いますが、なお調査いたしまして正確を期したいと思っております。
○千葉景子君 これは、死刑の判決を一度は受けても、その後無罪ということで死刑を免れたということになるわけでございますけれども、こういう例を見ても、死刑の判決を受けたけれども、何か新しく証拠が出るというようなことから無罪になるような例もあるわけでございますね。それがはっきりしたから結果的にはよかったし、そしてそういう三審制あるいは再審の制度などでそういうものが担保されているということは当然のことだと思います。しかしながら、やはり人間のやることですから、どこかに誤りがないとは言い切れない。また、仮に死刑にもう判決を受け執行を受けた方の犯罪事実が、その後そのまま埋もれてしまっているということもないかどうかというのも、これもはっきりわかりません。また、死刑判決と無期懲役というのも非常に、分かれ目といいますか、動機などによって微妙な違い、そういうところで死刑判決と無期判決に分かれるというようなこともあろうかと思うんですね。そういう意味では、本当に一歩間違えば死に至るというような死刑というのは非常に問題を残す制度ではなかろうかというふうに思っておりますけれども、再度こういう問題を含めて、死刑制度というのを考え直していくというような方向性はありませんか。
○政府委員(岡村泰孝君) 冤罪、特に死刑囚につきまして冤罪があってはならないわけであります。その点につきましては、先ほど来からるる述べておりますように、制度面におきましても、運用面におきましても慎重を期しているところでありまして、今後ともそういう事態のないように十分努力もし、慎重を期していきたいと考えているところでございます。
 ただ、死刑制度につきましては、これまでも申し上げておりますとおり、いろいろ考え方はあろうかと思いますけれども、日本の現状に立って考えますれば、国民の大多数も死刑の存続を是認しているというふうに考えられるのでありまして、現段階におきましては死刑制度の存続は必要なものであり、正しいものであるというふうに考えているところであります。
○千葉景子君 法務省が、この死刑制度を今後も存置すべきであると、今国民の意思ということもございましたけれども、最大の理由、先ほど正義の実現というようなお言葉もございましたけれども、その一番の理由は何でしょうか。
○政府委員(岡村泰孝君) やはり極めて悪質重大な犯罪を犯した者に対しましては、究極の刑罰であります死刑を科するということが、正義の実現にとりまして必要であるというふうに考えているからであります。
○千葉景子君 ところで死刑については、その他もちょっとお聞きしたいところはありますけれども、時間の関係もございますので後日にまた譲ることにいたしまして、先ほどお聞きしたところによりますと、現在三十名余りの方が死刑判決確定者として存在している、その中にはすぐにも執行されてもおかしくない、制度上は。そういう方もいらっしゃるということでございます。これにつきましては、最終的には法務大臣が執行命令を下されることによって死刑が執行されるということになるわけでございますね。今やりとりをさせていただきましたけれども、法務大臣としては、この死刑執行についてどういうお考えのもとに今後対処なさっていくか、あるいは執行命令を出さねばならぬような場合もあろうかと思いますけれども、それについて最後お尋ねして、質問を終わらせていただきます。
○国務大臣(林田悠紀夫君) 死刑は、その言い渡しを受けた者の生命を絶つ極刑でありまして、一度執行されますると回復しがたいこととなるものでありまするから、その執行に際しましては、特に慎重な態度で臨む要があるものと考えております。
 刑事訴訟法四百七十五条におきまして、死刑の執行につきましては、他の自由刑や財産刑の執行と異なりまして、法務大臣の命令によることとされておりまするのも、このような趣旨に基づくものと理解をしております。
 特に死刑の判決は、極めて凶悪かつ重大な罪を犯した者に対しまして、裁判所が犯罪事実の認定についてはもとより、犯人に有利な情状につきましても慎重な審理を尽くした上で言い渡されるものでありまするから、その執行命令を発する責務を有する法務大臣といたしましては、裁判所の判断を尊重しながら、関係記録を十分精査、検討いたしまして、慎重かつ厳正に対処すべきものと考えております。
○猪熊重二君 刑事補償法の改正案の審議ということでございますが、個々の改正内容に入ります前に、刑事補償法が憲法四十条の規定に基づいて制定されたものである、こういう観点から憲法四十条についていろいろお伺いしたいと思います。
 どうも政府のいろんな御答弁を伺っていると、刑事補償法にあるからと、それを理由にして憲法解釈をしておられるんじゃなかろうかというふうにも考えられる。問題は、憲法四十条を解釈して、その結果として刑事補償法が果たして憲法規定に適合しているのかどうなのかということが検討されなければならぬ、このように考えるからであります。
 御承知のとおり、この憲法四十条の刑事補償に関する規定は、当初の政府提出の憲法草案には規定されていなかったわけであります。憲法十七条の国家賠償に関する規定も同様であります。憲法四十条及び憲法十七条が政府原案になくして、衆議院において修正加入され、これが衆参、当時は貴族院ですけれども、両院において可決されて憲法の条文として確定したといういきさつがあるわけであります。
 まず伺いたいのは、当時の政府が憲法草案をつくる際に、国家賠償請求権あるいは刑事補償請求権についてどのように考えていたんだろうか。このような権利の存在は認めていたんだろうか、認めていたとしてもなお憲法上の権利として規定する必要がないと考えていた理由とか、その辺についておわかりでしたらお答えいただきたいと思います。
○政府委員(岡村泰孝君) 現行憲法の制定過程におきましては、ただいま御指摘のありましたように、政府提出に係ります原案には現行の十七条、四十条に該当する条文がなかったのでありますが、この点につきまして当時の国会での審議録等によりますと、金森国務大臣は、衆議院での審議の際に次のように述べているところであります。
 すなわち、
  第三章ノ範囲ニ考ヘラレマス権利ハ、特ニ重要ナル国民ノ権利義務ヲ考ヘテ居ル訳デアリマス、併シ世ノ中ニ規定スルコトヲ好マシトスル国民ノ権利義務ハ数多クアルノデアリマシテ、ソレヲ何処マデ憲法ニ採入レルカ、或ハ之ヲ一般ノ法律ニ任スカ、其ノ限界ヲハツキリ決メルコトハ困難デアリマスケレドモ、凡ソ憲法ノ建前カラシテ其ノ重要サヲ検討致シマシテ、主ナルモノヲ茲ニ第三章中ニ取入レタ訳デアリマス、隨テ今御話ニナリマシタ無罪者ノ賠償トカ、或ハ官吏ノ違法行為ニ基ク賠償ノ如キハ、之ヲ法律事項、立法問題トシテ研究スル方ガ、此ノ憲法ノ体裁ニ副フノデハナイカト考ヘテ居リマス
以上のような答弁をいたしているところでございます。
 ところで、その後、衆議院で現行十七条、四十条を加える修正がなされたわけでございまして、その修正がなされました後の貴族院におきまする憲法案につきましての提案理由の中では、次のように述べているところであります。
 すなわち、
 公務員ノ不法行為ニ依ル損害ニ対シテ、国及ビ公共団体ニ其ノ賠償ヲ請求スル権利ヲ国民ニ認メラレル規定ガ第十七条ニ設ケラレテ居リマス、又罪ナクシテ処罰ヲ受ケタ、所謂寃罪ノ場合ニ於キマシテ、国民ガ補償ヲ受ケル権利ヲ認メタ規定ガ第四十条ニ示サレテ居リマス、是等ハ孰レモ第三章ノ持ツテ居ル根本精神デアリマスル所ノ、国民ノ権利ヲ徹底的ニ保障スルト云フ趣旨ヲ、此ノ特殊ノ場合ニ於テ、更ニ明カニスル趣旨デアルト考ヘテ居リマス、
以上のように述べておられるところであります。
○猪熊重二君 昭和二十一、二年の古い話を持ち出したのは、結局当時の政府においてこのような国家賠償請求権ないし刑事補償請求権というものに対して、単に立法事項であるあるいは法律事項であると、こうお考えになっておられたのに対し、衆議院及び貴族院においてそういうわけにはいかない。従前の経緯から見れば、このような国民の権利というものを憲法上の基本権として規定しておくことが大切であるし重要なことだと、このような経過からこの二つの条文が規定されたわけです。
 それで、修正加入であれ何であれ、ともかく憲法の条項として、基本権の一つとして規定された限りにおいては、この二つの条項は他の基本的人権の条項と同じように、憲法上の権利として取り扱うというか、見ていかなきゃならぬと思いますけれども、この点はいかがでしょうか。
○政府委員(岡村泰孝君) そのとおりだと思います。
○猪熊重二君 そこで、憲法四十条の「何人も、抑留又は拘禁された後、無罪の裁判を受けたときは、法律の定めるところにより、国にその補償を求めることができる。」という、この四十条の条文について少し伺いたいと思います。
 まず、この四十条で、「その補償を求めることができる。」というふうに規定している、「その」というのは何を指しているとお考えでしょうか。
○政府委員(岡村泰孝君) これは、抑留または拘禁によって生じました損害ということになると思います。
○猪熊重二君 抑留または拘禁されたことに基づく、それに起因する相当因果関係にある一切の損害というふうに考えてよろしいでしょうか。
○政府委員(岡村泰孝君) 抑留または拘禁によりまして生じた一切の損害ということではなくて、四十条の場合は、抑留または拘禁されたことによって生じました損害につきまして、相当の補償が行われるということであるというふうに考えるわけでございます。これは十七条におきまして、いわゆる公務員の不法行為によります損害の賠償ということについて規定いたしておりまして、これに基づきまして国家賠償法というものがあるわけでございます。この国家賠償法の場合は、公務員の故意過失を要件といたしますけれども、それによって生じた損害のすべてを賠償できるということであるわけでございます。
 ただ、四十条の場合は、抑留または拘禁されましたことによって生じました損害を簡易迅速な手続で補償しようということで、この刑事補償法が設けられているところであります。
○猪熊重二君 私が先ほどから申し上げているのは、刑事補償法が定額的な規定をし、それの簡易迅速な補償を図ることを目的として制定されているというふうな刑事補償法の解釈から、憲法を解釈するような考え方はおかしいんじゃなかろうかということで、私はこの問題を持ち出しているわけなんです。要するに、憲法の条項から、今刑事局長がお答えになったような相当範囲の損害を簡易迅速に補償するんだというふうなことが、この四十条のどこから出てくるのかということについて伺うために、私は一つ一つお伺いしているつもりなんです。
 ですから、「国にその補償を求めることができる。」という、「その補償」という言葉の中には、相当性であるとか、簡易迅速なとか、定額だとかという概念は入っておらないでしょう。結局、「その」ということは、抑留もしくは拘禁によって生じた直接的な損害か、それに起因する相当因果関係に基づく一切の損害かは別にして、要するに抑留または拘禁されたことによる損害。「その補償」というのは、その「その」という言葉はそういう意味であろうと私は思うわけで伺っているんです。この「その」という言葉の中に、そんな難しいいろんなものが含まれているとは到底考えられない。
 次に、「その補償」の「補償」ということは、通常どのように考えるべきものとお考えでしょうか。
○政府委員(岡村泰孝君) 損害の補てんという意味であると解されます。
○猪熊重二君 そうすると、この「補償」という用語の中にも、別にある程度だとか相当性とか、そういう内容が含まれているんじゃなくて、「補償」というのは生じた損害の補てんということであるとすれば、通常の感覚から言えば、生じた損害の全額補てんというのがすうっと普通に出てくる解釈だと思いますが、いかがでしょう。
○政府委員(岡村泰孝君) 四十条の規定は、委員も御承知と思いますけれども、「抑留又は拘禁された後、無罪の裁判を受けたときは、法律の定めるところにより、国にその補償を求めることができる。」という規定になっておるところでございます。したがいまして、この「法律の定めるところ」、すなわち刑事補償法であるわけでございます。具体的な補償の中身、手続等につきましては「法律の定めるところにより、」というのが、この憲法の趣旨であるわけです。
○猪熊重二君 局長の方からおっしゃいましたので伺いますが、「法律の定めるところにより、」という場合の法律の定める内容は、どの範囲のことを法律で定められるとお考えでしょうか。
○政府委員(岡村泰孝君) 補償の要件、補償の内容、補償の手続などの具体的な事柄につきましては、法律に委任している趣旨と解されるのであります。
○猪熊重二君 私も、この「法律の定めるところにより、」という用語は、法律の定める手続によりという範囲では、今局長の御説明のとおりに納得できるんですが、補償の程度、内容までが、「法律の定めるところにより、」という法律事項であるというお考えにはちょっと納得しかねるんです。
 なぜかと申し上げますと、憲法十七条の国家賠償の方にも「法律の定めるところにより、」という同じ文言があるんです。憲法十七条の方は「法律の定めるところにより、」という用語の中には、法律の定める手続によりということは内容的に考えられているけれども、この「法律の定めるところにより、」という用語の中に憲法十七条の損害の範囲、程度、内容というふうなものは含まれていないということは、もう一般的に当然のことになっているわけです。そうすると、同じ「法律の定めるところにより、」という用語の中に、憲法十七条の方は、一口に言えば手続規定、法律でその手続を定めると。片方の四十条の方は、手続と同時に内容、程度まで定めることができるというふうに解釈するのは、同じ憲法の条文の中で十七条と四十条に違った内容、同じ言葉に違った内容を持ってくるというのは非常におかしいと思いますが、いかがでしょう。
○政府委員(岡村泰孝君) 憲法十七条は、「公務員の不法行為により、損害を受けたときは、」という規定になっているわけでございます。公務員の不法行為、すなわち故意過失に基づく行為につきましては、その損害が立証されました限りにおきましてはすべてこれを弁償するというのが一つの原則でもあるわけでございます。
 これに対しまして四十条の場合は、「抑留又は拘禁された後、無罪の裁判を受けたときは、法律の定めるところにより、国にその補償を求めることができる。」と規定しているところでございまして、公務員の不法行為といったような故意過失は四十条では要件といたしていないところでございます。その点におきまして十七条と四十条というものは条文の体裁上も違っているところでございまして、四十条の場合は、この憲法の定めますように、「法律の定めるところにより、」「その補償を求めることができる。」ということになるわけでございまして、その間、十七条、四十条によって定められてきますところの法律の中身が違ってまいりましても、それはそれぞれの性格と申しますか、そういったものから見て合理性があるというふうに考えられるわけであります。
○猪熊重二君 ただいまの局長のようにお考えになることも十分理由があることだと私も思います。しかしそうすると、もしこの「法律の定めるところにより、」という用語の中に、補償の手続のほかに補償の程度、内容まで含むということになると、要するに補償の程度は法律で定めれば一日一円でもいいと、死刑の場合も三十円でいいというところまで極論すればなってしまうんですか、どうなんですか。その辺はどうお考えになりますか。
○政府委員(岡村泰孝君) やはり憲法四十条の補償は、憲法の趣旨といたしまするところは、相当な補償であるというふうに解されるわけでございます。したがいまして、非常に低額な補償の場合は憲法上問題があるというふうに考えられます。
○猪熊重二君 私は、やはりこの補償というのは全額補償であるというふうに考えるわけなんです。ところが、この補償という言葉の内容として、補償の内容を確定するに際しては当時施行されていた旧刑事補償法の規定、制度を基礎として考えるんだというふうな当時の法務省のお役人の見解があるんですが、この見解についてはどのようにお考えでしょうか。
○政府委員(岡村泰孝君) 御指摘の点は、横井大三氏の著書の中に出てくるところであると思っております。
 この著書によりますと、公務員の故意過失を問わないで補償をするという点と定額の補償であるという点につきましては、旧刑事補償法と同じ構想に基づくものであるということを述べているわけでございます。他方、旧刑事補償法と新刑事補償法との間には補償請求権というものが認められるかどうかという点につきましては、やはり異なっているということも述べておられるところでございまして、旧刑事補償法につきましてはいわば国の恩恵であると申しますか、そういったことで刑事補償が行われるんだというのが当時の政府の説明であります。ところが、新刑事補償法につきましては、先ほど来から出ております憲法四十条の規定に基づきまして定められた法律でありまして、刑事補償を受ける権利を認めているという点におきましては、旧法と新法との間には相違があるということになるわけであります。
○猪熊重二君 要するに、政府の考え方は旧刑事補償法の考え方とほとんど変わってないところに一番問題点があると私は思うんです。旧刑事補償法については、この法制定の当時の司法大臣が衆議院において「国家ガ賠償スル義務モナシ、補償スル義務モナイノデアリマスケレドモ、国家ハ一ツノ仁政ヲ布キ国民ニ対シテ同情慰藉ノ意ヲ表スルノガ、此法律ノ精神デアリマシテ、」と、こう述べているんです。要するに国民の権利じゃないんだ、まして国家の義務じゃないんだと。国民に対する「一ツノ仁政」にすぎないと。これが旧刑事補償法の基本的な考え方なんです。
 このような考え方に対して、そういうことでは困るということで、憲法改正の際に基本的人権の一つとしてわざわざ当時の議会において規定されているんです。全然趣旨が違うんです。それにもかかわらず、この憲法の補償という用語を解釈するについて「憲法制定の際単に補償という文字を用いて、他にこれの内容を明らかにする規定を置かなかったのは、その当時の補償制度を当然予想していて、それを憲法に取り入れる趣旨であったと解する」なんていう考え方をお持ちのお役人が、こういう新刑事補償法をつくられるとすると、全然そこに発想の転換もなければ、基本的人権に対する配慮というふうなものがうかがえないということになるんじゃないかと思うんです。
 いずれにせよ、この補償という用語が全然憲法四十条に書いてない、こうおっしゃるんですが、おっしゃるんですがというのは当時の横井大三、法務省の何課長さん、立法に当たった方がおっしゃっておられるんですが、憲法二十九条三項には、やはり補償という言葉が書いてあるんです。財産権は公共のために正当な補償のもとに用いることができるという趣旨の規定が書いてあります。憲法には、補償という言葉が四十条のほかに二十九条三項にもあるんです。二十九条三項の補償というものの内容は、どのように通常解釈されているとお考えでしょうか。
○政府委員(岡村泰孝君) 土地収用法に関しまして、最高裁の判例が完全な補償ということを言っております。
○猪熊重二君 今おっしゃられたように、最高裁の昭和四十八年十月十八日の判決では完全な補償をする、補償ということは憲法二十九条三項の補償ということだと、こういうふうに裁判所でもお認めになっている。そしてまた、学者もほとんど完全補償ということが現在においては一般的な見解になっているんです。
 憲法二十九条三項の方の財産権に対する補償の中身は、一口に言って完全補償、全額補償であるとした場合に、それにもかかわらず四十条の補償の方は相当程度の補償でいい。逆に言えば、完全補償、全額補償でなくてもいいということの差異はどこから出てくるんでしょうか。
○政府委員(岡村泰孝君) 先ほど御指摘のありました最高裁の昭和四十八年の判例、私が申しましたように、完全な補償ということでございますけれども、この中身をずっと読んでまいりますと、やっぱり相当な価格の補償というふうな趣旨に読めると思うのであります。
 また、憲法第三章に規定されております補償という言葉あるいは十七条の賠償という言葉、これはやはりそれぞれの条文の趣旨を合理的に解釈して決められるべき事柄であると思うのでございまして、刑事補償の場合は、抑留または拘禁された後無罪の裁判を受けたときは補償を求めることができるという、この規定に従いまして、どういうような補償を具体的に行うべきかということになってまいるわけでございます。これにつきましては、例えば損害の全額を個別に立証させてそれを補償するというのも一つの考え方であるわけでございます。しかし、そういう方法をとりますと、個別の立証という手間、手数がかかるわけでございます。
 それに対しまして現行の刑事補償法の考え方は、標準的な金額の範囲内ではあるけれども、個別の立証を要しないで簡易迅速に補償しようということであるわけでございます。すなわち、定額補償ではあるけれども、そのかわり簡易迅速に補償するという趣旨でありまして、これも憲法の趣旨に沿うところでございます。そういうふうに考えますならば、現行刑事補償法の定めておりますような定額の補償、相当な補償ということもそれ相応の合理性、相当性があるというふうに考えられるわけであります。
○猪熊重二君 今の局長の御答弁、もし私の誤解でなければ、補償ということは全額補償あるいは完全補償であるとしても、それを具体的に簡易迅速に処理するための方策として、現在の刑事補償法が考えられているんだという趣旨にお伺いしてよろしいんでしょうか。
○政府委員(岡村泰孝君) 現在の刑事補償法は、簡易迅速な補償ということを一つの考え方、基本としているところでございます。そのために、定額制という立場をとっているわけであります。
○猪熊重二君 その後ろの方じゃなくて、前の方について私はお伺いしたいんです。要するに、憲法条項等から考えれば四十条で言っている補償は、全額完全補償ということを意味しているけれども、それを実現するために個々的に手続をとっていったのでは非常に手間もかかるし複雑になる。だから、それを簡易迅速に処理するために、相当の程度の定額で処理することとしたのが、現在の刑事補償法なんだという趣旨にお伺いしてよろしいんでしょうか。
○政府委員(岡村泰孝君) 憲法四十条は「抑留又は拘禁された後、無罪の裁判を受けたときは、法律の定めるところにより、国にその補償を求めることができる。」と規定しているのでございまして、この規定の趣旨から見まして、抑留または拘禁されたことによって生ずる一切の損害の補償とまでは、この四十条も考えていないというふうに思われるわけでございます。四十条の規定の仕方から見まして、相当な補償というふうに解するのが相当であるというふうに思うわけであります。
○猪熊重二君 どうも話が抽象的で申しわけないんですけれども、法務大臣、ちょっと私が今から申し上げることについて聞いていて、法務大臣の御意見をお伺いしたい。
 この刑事補償の問題に関して一つの御意見、これは先ほどから申し上げている横井大三さんという方の御意見なんですが、この方の御意見はこういうことを言っているんです。「刑事補償は、不可抗力に基く損害を誰がどの程度負担するかという問題である。この場合、負担する者は、国家か本人かということになり、本人も一部負担し、国家が他を負担することも考えられてよい。そこに補償の内容を全損害額とせず、これらに一定の限界を設けることを許す理由がある」という、これが横井大三さんという人の、元法務省のお役人の御意見なんです。もう一つは、法務大臣も御存じの今回の刑事補償法改正に関して衆議院の参考人、九州大学でしたでしょうか、横山晃一郎先生の御意見です。
 「私どもの犯罪からの安全というのは、警察、検察、裁判所という刑事司法のシステム、」「によって守られているわけであります。ですから、こういうシステムによって犯罪からの安全を守られているところの国民が、このシステムの運用またこういうシステムを維持することから発生したところの損害の賠償の義務を負うというのは当然であるというふうに思われるわけでございまして、こういう損害を、間違って被告人にされた人、間違って受刑者にされた人に負わせるべきでない、これが刑事補償を支えるところの根本理念だと思われるわけです。」
 これは、法務大臣も衆議院の参考人の御意見としてお伺いされたわけですが、この二つの考え方について突然で恐縮ですけれども、法務大臣の御意見をお伺いしたい。
○国務大臣(林田悠紀夫君) 新憲法は、第三章で「国民の権利及び義務」を定めておりまして、人権を尊重するということを非常に重要視しておるわけであります。したがって、この刑事補償は仁政ではなくて、戦後の人権思想によるものである、かように存じます。そこで、ただいま先生のおっしゃいました二つの説では後者をとるのが妥当である、かように考えます。
○猪熊重二君 要するに、私が今まで憲法四十条をもとにしていろいろ申し上げてきたのは、刑事補償は、間違って被告人あるいは受刑者にされた人に対する国民の道義的な謝罪だと私は思うんです。ですから、当然にそれによって生じた損害は全額賠償するべきである、こう考えるわけです。これは、政治的立場がどうであるとかそういうことは抜きにして、国家の財政がどうだとかということを抜きにして間違ってとっ捕まって、間違って服役した人に対しては全額を賠償する、弁償するべきが道義的国家としての当然の義務だと私は思うんです。
 そういう観点から今回の刑事補償法の改正案を見ると、非常に額がちっちゃいというか低額過ぎるんじゃなかろうか、こう考えるんです。ほとんどの私が見聞きした限りの学者の御意見も、例えば今村成和教授、国家補償法では、刑事補償は「不法行為でないとしても、国家賠償に準ずるものとして、完全賠償の建前をとるべきである」。また高田卓爾教授は、「刑事補償法」において、「刑事補償も一種の国家賠償だと解する限り、それは非財産的・財産的な全損害の賠償だと考えなければならない。少なくとも、原則としてはこのような完全賠償を建前とすべきである」。それから早稲田大学の新井隆一教授も「無過失損害賠償責任であるとしても、なにゆえに、金額を定型化することが当然であるのか、明らかではない。国家賠償との比較衡量からも、本条の趣旨からも、完全補償が予定されているものと解すべきであろう」。このように大勢の学者がみんな全額賠償しろ、完全賠償しろと言っておられるんです。
 そして賠償金額も、法務省からお手数かけて一覧表をもらいましたけれども、平均して年間三千万円ぐらいの賠償金額にすぎないんです。再審無罪で、長期の服役後のというふうな特別な場合は別にして、一般的に言えば年間三千万程度の金額なんです。完全賠償にしたからといったって一億円になるかならぬかの程度の金額なんです。こんな金を国が惜しんじゃいけない。間違ってとっ捕まえておいて、ごめんねと言って、ちっとだよと、このちっとじゃまずいと私は思うんです。
 時間ですから、法務大臣どうでしょう。今回の法改正は、これはずっと今までのいきさつがありますからすぐにばっと変えるわけにはいかぬにしても、法務大臣がおられる間に、もう少し根本的に全額賠償するという方向での検討というものはいかがでしょうか。
○国務大臣(林田悠紀夫君) 先生のそのような御意見もあろうかと存じますけれども、この十七条で、不法行為についての損害賠償が規定をされており、そして四十条は不法行為ではなくて、無罪の裁判を受けたときの賠償が規定をされておるということから考えますると、やはり四十条の場合は速やかに賠償をしよう、また相当な補償を簡易定額でやっていこう。こういうようなことであろうと存じまして、その点ではちょっと先生と考え方を異にするものでありまして、まことに申しわけありませんが、私の考え方はそういうものでございます。
○猪熊重二君 いろいろ御意見はあるでしょう。ただ、私は次回のときにまたいろいろお伺いしたいと思いますが、私がなぜこんなにしつこく申し上げるかというと、国家賠償法がほとんど憲法が予想しているような機能を果たしていないという現実があるからなんです。要するに、この十年間、国家賠償を請求された方が五十数名おられて認容された方が二人しかいないということなんです。これはまた、詳しくは次回にお伺いしますけれども、国家賠償法が、同じ裁判官がやることだから警察、検察、裁判官の間違いを故意過失というふうに認めない。認めないために国家賠償法はほとんど実質的に機能していない。こういう状況において、せめて刑事補償の方は満額やったらどうでしょうというのが私の意見でございますが、またこれはこの次にお伺いしたいと思います。
 以上です。
○橋本敦君 まず、法案に即して二、三質問をしたいと思います。
 先ほどからも議論をされておりますけれども、刑事補償については戦前の旧刑事補償法と戦後の新刑事補償法、これは理念の大転換があったということが、まず基本的には認識されねばならぬと思うんですね。その大転換の基本になったのがまさに憲法理念そのものである。したがって、戦前と今日の刑事補償法の違いを、金額の差だとかあるいは補償を求める権利の有無ということも含めますけれども、そういうことにとどまらないもっと大きな刑事司法における理念の大転換だというように、まずとらえる必要があるというように私は認識しておるんですが、この点刑事局長のお考えはいかがですか。
○政府委員(岡村泰孝君) 旧刑事補償法におきましては、当時の政府側の説明といたしましては恩恵的なものであるという考えを述べているところでございます。これに対しまして新刑事補償法はまさに憲法の規定に従いまして、憲法の精神にのっとりましてこれを実現するために設けられた法律であるわけでございます。そういう意味においての違いは認められるわけであります。
○橋本敦君 私が言っておるのは、もっと大きな理念的な違いを認識する必要があるのではないかという意味を含めて言っているんですね。戦前の裁判自体は天皇の名によって行われる裁判であった。しかも、政治構造として主権在民という観念はありませんから、したがって民草、つまり国民に対して天皇の名における裁判が例え誤ったものであろうとも国家としては責任を全然感じない。したがって、恩恵的に補償することはあるけれども、必要的な補償ではないし権利的補償ではない、こういうことです。そういうことが根本的に否定されたのがまさに戦後の憲法そのものですから、したがって、今日の刑事補償法のとらえ方としては、憲法四十条をどう解釈するかということについても、今私が指摘したような大転換ということが理念の転換として考えられていなくちゃならない、私はまず第一にそう思うわけであります。
 そのことをなぜ強調するかというと、先ほどから議論されているように、憲法十七条との関係をどう見るかということにかかわってくるんですね。つまり、国家権力の一機能としての裁判という手続によって無罪であるべき事件が、これが無罪ということでなくて身柄を拘束され、長期の裁判の苦しみを受け、そしてその結果無罪になったという場合に、基本的にこれは国民の人権と主権に対して国家権力の一部が行ったいかなる行為と見るかということ。それはまさに被害を受けた、損害を受けた国民の側から故意過失を立証して、そして憲法十七条に言うような国家権力の不法行為であるということを立証しなければ不法行為にならないのではなくて、基本的にこういった冤罪だとか無罪の判決をせざるを得ないということは、国家の裁判手続における国民に対する権利侵害性として、いわば不法行為性を持っている行為として認識する必要があるのではないか、私が言うのはこれなんですよ。ここのところの刑事局長のお考えはどうですか。これは基本的な問題なんです。
○政府委員(岡村泰孝君) 国の公権力の行使によります損害の補償でございますが、この点は公務員に故意過失がありますときは憲法十七条、これに従いました国家賠償法によりまして、国に対しまして賠償を請求することができるわけでございます。
 ところで、刑事補償の場合は、公務員の故意過失というものを前提といたさないわけでございます。損害の賠償ということにつきましては、本来故意過失というものが前提となるというのが近代法でございまして、その間に一部無過失責任というものが認められてきているわけでございますけれども、この刑事司法の問題といたしましてはそういった無過失責任と申しますか、故意過失を要件としないで無罪の裁判を受けた場合には補償をしようというのが、この憲法四十条の趣旨であるわけでございまして、この趣旨を受けて刑事補償法が制定されているということであります。
○橋本敦君 おっしゃるとおり無過失責任ですね。なぜ無過失責任を認めるかというそのことが、私がさっきから指摘している憲法理念そのものから来るわけですよ。つまり、無過失責任を認めて公権力の行使の不法行為性を前提とした補償を行うという構造ですから、したがって、その補償の内容は、これは相当の範囲でいいというのじゃなくて、こういった憲法の理念に適合して受けた損害の補償をやるというそういうことを、まさに無過失責任としても十七条と同じように、国家権力の側が国民に対して行った責任を補償するという意味において、これは全額補償が当然だというのは、憲法上先ほどから猪熊委員も議論されていますが、私は当然だと思うんですよ。それはそれとして、こういった補償は、国民に対する権利侵害ですからない方がいいのは決まっているわけです。
 そこで、刑事手続の今日の基本原則として、犯罪の捜査を行う場合でも刑事訴訟法の大原則は、その第一条にも示されておりますように、事案の解明は人権の尊重と相まって行っていかなきゃならぬというのは当然ですね。そういう意味からしますと、捜査の基本は強制捜査、つまり身柄拘束を伴う強制捜査が主ではなくて、基本的には任意捜査を基本として身柄不拘束で行うというのが、これはやっぱり私は原則だと思っておるんですが、刑事局長いかがでしょうか。
○政府委員(岡村泰孝君) 在宅で捜査を行うということが基本でございまして、一定の場合には強制捜査を行い得るというのが刑事訴訟法の建前でございます。ただ、現実の問題といたしまして、強制捜査をしなければならないようないわゆる犯罪が少なくないというのも現実の姿であろうかと思います。
○橋本敦君 これは統計的に難しいかもわかりませんが、質問通告でお調べいただくように言っていると思うんですが、起訴前後それぞれ捜査の中で身柄拘束、それは大体どれぐらいの割合になっておりますか、統計的におわかりでしょうか。
○政府委員(岡村泰孝君) 昭和六十一年におきまして、公判請求いたしました人員が十万七千七百九十六人であります。このうち公判請求時に身柄が拘束されていた者の合計は五万二千七百七十四人、約四八・九六%であります。
○橋本敦君 それから、ちょっとこれは難しい統計ですが、起訴後の保釈というのが、当然刑事訴訟法で権利保釈ということで認められておるんですが、保釈が認められずに判決までずっと身柄拘束を受けているというのと、それからまた保釈ということとの関係がありますので、公判終結まで結局身柄が拘束されて保釈にもならなかったという率はわかりますでしょうか。すぐわからなければまた調べておいていただけますか。
○政府委員(岡村泰孝君) ただいま御指摘の点は、統計上把握いたしておらないところであります。
○橋本敦君 この点を私が聞いておりますのは、捜査について国民の側から見て身柄拘束を受けるというのは、これは大変なことであります。だから、それに伴って無罪が確定すれば、補償ということに憲法四十条に基づいてなってくるのは当然のこととして、身柄を拘束されない場合でもたびたびの取り調べを受け、あるいは社会的に被疑者、あるいはまた公判請求をされれば被告人としてそれなりの目で見られるという、そういった精神的な苦痛もあり、また生活その他いろんな面で、職業的にも起訴されれば当然失職ということあるいは休職ということも公務員の場合は法律上出てくるなど、身体不拘束の場合でもそれなりの損害は、無罪が確定した場合には当然あるわけですね。
 この問題について、不拘束の場合に対する補償についてなるほど憲法四十条は、「抑留又は拘禁された」場合というように規定はしておりますが、憲法の基本的理念からすれば、身柄不拘束の場合に補償をしてはならないということにはならないわけで、この点についてはどういうようなお考えですか。
○政府委員(岡村泰孝君) 身柄が拘束されておりませんいわゆる非拘禁者につきましても、補償を行うべきであるという御意見のあることは承知をいたしておるところでございます。ただ私どもは、やはり拘禁者に限って補償するのはそれ相応の合理性もあり、相当であるというふうに考えているところでございます。
 その理由を申し上げますと、国の公権力の行使によります損害の補償は、その本質が損害賠償であります以上、損害の発生につきまして公務員の故意過失がある場合に限って行うというのが本来は基本であるわけでございます。その場合、故意、過失を要件としないで補償を行いますためには、やはりそれ相応の特別の理由がなければならないというふうに考えられるわけであります。
 ところで、刑事事件で起訴されました場合に、身柄の拘束を受けました場合と受けてない場合とでは、やはり損害の程度が相当異なるものであるというふうに思われるのでございます。現行の刑事補償法が、身柄を拘束されました場合にのみ補償をするというふうにいたしておりますのは、身柄の拘束が国の行いますいろいろな公権力の行使の中で極めて特殊のものであること、すなわち身柄の拘束は刑事手続の性質上、その必要性が肯定されるものでありますけれども、反面身柄を拘束されました側にとりましては不利益な処分である、損害が重大であるということを考慮したものであるというふうに考えられるわけでございます。もちろん、起訴されました場合に被告人が身柄の拘束を受ける受けないにかかわらず、物質的、精神的な損害を含めましていろいろな不利益を受けることがあるということは、これは否定できないわけでございます。
 ただ、現行の刑事補償法は、いわゆる定額補償ということで補償の定型化ということを図っておるわけでございます。身柄が拘束されない場合に、その損害を定型化できるかという点に一つの問題があると思います。また、他の行政処分等を考えました場合に、その行政処分が誤っておった、あるいは後で取り消されたといったような場合の補償という問題との均衡も考えなければならないと思うのでございます。また、身柄が拘禁されておりません場合には、国家賠償法の手続によりまして損害の賠償を請求することもできるわけでございます。また、身柄が拘束されていると否とにかかわらず、無罪の裁判がありました場合には、裁判に要した費用を補償するということを内容といたしますいわゆる費用補償制度というものが、刑事訴訟法の中に設けられているわけでございます。
 こういったいろいろな事情を考え合わせますと、刑事補償法が身柄の拘束を受けた者だけを対象とするということにもやはりそれなりの合理性、相当性があるというふうに考えているところであります。
○橋本敦君 その議論をしていると時間が大変かかりますから。
 基本的に、憲法四十条は身柄不拘束の場合にも受けた損害を補償することは禁止していませんよ。そして、身柄不拘束の場合も局長がおっしゃったように、受ける損害というのは現実にあるんだということは客観的事実だと、ここのところは押さえるのに大事なところでして、今いろいろおっしゃったのはそれなりの理由をおっしゃったわけですが、一つ一つについてまた反論も可能なんですが後日にその点は譲って、その点は納得しておりませんが、きょうは保留をしておきます。
 そこで、こういった冤罪だとか、そしてまた補償ということはできるだけない方がいいというのは先ほども言ったとおりで、そのためには、裁判の実際の中で担当される裁判官が、国民を無実の罪で有罪にすることがないように不断に研修を積んでいただく。そしてまた同時に、裁判官として正しい裁判に対する姿勢、私どもの言葉で言えば憲法に基づいた人権感覚なり、憲法感覚を持って真相の究明と人権擁護のために、まさに裁判官は毅然として職務を遂行していただく必要がある。こう思っておるんですが、最高裁の刑事局長、その点についてのお考えはいかがですか。
○最高裁判所長官代理者(吉丸眞君) 刑事裁判におきまして事実の認定ということ、特に無実の者を罪しないということが最も基本的な問題であるということは、まことに御指摘のとおりでございます。私どもといたしましても、裁判官の間でいろいろな機会に事実認定等の研究を行いまして、できるだけ正しい事実認定を行うということで努力いたしているところでございます。
○橋本敦君 最高裁人事局長にお伺いしたいんですが、司法修習生の指導要綱というのを最高裁は昭和二十九年に定めておられますね。それの第一章総則第一で修習の基本目的、ここに書かれてあるわけです。司法修習生は将来裁判官にも検察官にも弁護士にもなる非常に大事な研修の期間を過ごすわけですが、その第一を読んでみましても、今私が指摘し、かつ刑事局長がおっしゃったような憲法や人権ということについて特に深く研修しなきゃならぬという、この理念がまず第一の理念として出てこないのは、私はどうなっているのかなという疑問を持って見ておるんですが、憲法は余り勉強しなくていいんですか。
○最高裁判所長官代理者(櫻井文夫君) 司法修習生の指導につきましては、今御指摘の指導要綱におきましても「すでに修得した学識の深化及びその実務への応用」ということが言われております。そのほか、一般教養等についても十分に備えなければならないということが言われております。
 司法修理生は、将来裁判官、検察官、弁護士のそれぞれの方向へ進むものであり、そのそれぞれの分野において憲法に関する認識、理解が必要であることは、これはもう申すまでもないことであります。司法修習生になっております者は、いずれも司法試験の合格者でございますし、そのときに憲法を初めとする各科目について十分な勉学をし、かつそれについての能力の検証を得た上で司法修習生に採用されているわけでありまして、司法研修所におきましては、特にそのような憲法のための時間というようなものは設けていないにいたしましても、当然それを前提とした法律家としての修練をさせるように、日常の教育をしているというふうに理解いたしております。
○橋本敦君 わかりました。
 ところで、そういうような憲法とのかかわりで、本当にそうなのかどうか疑わしい事例が起こったので質問をするわけですが、今奥野国土庁長官の発言問題でもかなり政治的な問題になっておるんですが、ことしの一月二十六日に、筑波大学の情報工学系学部教授の中山和彦氏が研修所で講演をされた。全修習生を対象として話をされたことがある。その講義のタイトルは「研究と情報」、こういうことであったんですが、その中で、この「研究と情報」とどんな関係があるのかどうか知りませんけれども、憲法とのかかわりで重要な発言があったのが問題になってきたわけです。出席した修習生の皆さんの話を総合して、修習生がテープもとっていましたから、その部分を起こしてみると次のようにおっしゃっているんですね。
 日本の経済成長を可能にしたのは日本の一般労働者の知的レベルの高さである。これは、明治以降、国が国民の教育に力をそそいできた結果である。日本につぎ文盲率の低い国は、韓国、台湾である。先の戦争は、侵略戦争という意味で悪い面もある。しかし、占領当時、日本がこれらの国に学校を作り、これらの国の国民に日本人に対するのと同じような教育を施してきたので、これらの国の知的水準を世界的レベルにまで上げることができたのである。それが、現在の韓国、台湾のめざましい経済成長に結びついているのである。台湾はその当時、「首狩り族」の国であった。
こういうような発言をされているんですね。この事実は確認されていますか。
○最高裁判所長官代理者(櫻井文夫君) ことしの一月二十六日の司法修習生の一般教養の講演で、中山和彦筑波大学教授の講演がございました。ただいま委員御指摘のとおり、その演題は「研究と情報」という演題でございました。この一月二十六日の午後一時から三時十分という二時間十分にわたる比較的長時間の講演でございます。
 その話の内容は、これは一般教養の講演でございますので、司法研修所としては記録は残していないわけでございます。その意味で、講師の具体的な言葉遣いの詳細までは記録が残っておりませんので承知はしていないわけでありますが、その講演に立ち会った教官等から話の中身について確認をいたしました。
 話の内容は、コンピューターがジェームズ・ワットの蒸気機関の発明以来の大発明である。そして、これが研究あるいは教育の場で非常に有用であるというようなこと、それからさらにコンピューターが利用される高度情報化社会では、これに対応するための教育もしなければならないというような話が中心の講演であったそうでございます。そうして、その講演の中で、話がコンピューターを扱う能力、これをコンピューターリテラシーというふうに表現するんだそうでございますが、そのコンピューターリテラシーの問題に及んで、さらにわき道として、そのリテラシー、文字を読み書きする能力の話に至って、そして読み書きする能力の比率の問題、リテラシーレシオの話に及んだということだそうでございます。その中で、韓国あるいは台湾の教育レベルが非常に高く、そのリテラシーレシオも高いと。そのようなことから、例えばファクトリーオートメーションなども可能であったというような話が述べられたというふうに聞いております。
 講演の趣旨自体は、今申しましたような講演でございまして、これを説明するために、そのわき道の中に今御指摘のような部分があったそうでございます。これも先ほど申しましたように、言葉どおりの記録が残っているわけではないわけでありますが、確認いたしましたところでは首狩り族という言葉は出たということでございます。それから、さきの戦争にはよい面もあったというような言葉での表現はなかったというように、その傍聴した教官からは聞いております。趣旨といたしましては、これは日本が非常に古い時代の台湾に学校をつくったということを表現するために、今申しましたような言葉を使われたということのようでございます。
 全体としての話は今申しましたような話でございますので、一部に不適切な言葉遣いがあるいはあったかもしれないわけでありますが、全体として見れば、例えば侵略戦争を美化するとか、あるいは台湾を中傷するという趣旨で述べられたものではなかったというように聞いております。
○橋本敦君 あなたの結論がぐあいが悪いじゃないですか。台湾は、その当時首狩り族であったということはやっぱり侮辱的な発言だ。戦争もよい面があったと言ったと私は言っていませんよ。しかし、ここで言っているのは、いいですか、侵略戦争という意味で悪い面もある、しかし占領当時、日本が学校をつくって知的水準を上げてやったということを言っていますから、客観的には戦争の反省ではなくて、いいこともしたんだという意味のことを言っているという事実、これが大事なんですよ。御存じのとおり、同じようなことを言って大臣を罷免になった方があるのを御存じでしょう、人事局長ね、藤尾文部大臣。
 藤尾文部大臣も同じようなことを言っておられるんですね。文芸春秋の八六年十月号と十一月号に書かれている。それで、日韓併合の問題について韓国にも責任があるというようなことを言って、そして併合された韓国に対して日本が非常に悪意を持っていたということはないんだと。例えば基礎的な教育についても日本は多大な予算を出した、そういうことで世界の植民地の中で識字率が最も高まったというような側面もあるわけだ、こう言っておるでしょう。こういうことがあの戦前の、戦争に対する本当に正しい反省に欠けるということで大問題になって、新聞論調も大問題になってとうとう総理は罷免までされたわけです。
 だから、基本的に同じようなことがまた研修所の教育で起こっている。いやしくも憲法をしっかり勉強しなくちゃならぬ法曹を養成する研修所の講義の中で、わき道にしろそういうような趣旨の話が出たということは、これは私は研修所として、最高裁として慎重に考え、反省する材料として真剣に受けとめるべきだと思うんですが、どうですか。
○最高裁判所長官代理者(櫻井文夫君) 司法研修所におきましては将来の法曹を養成しているわけでありますので、それにふさわしい教育をするというのは、これはもちろん必要なことでございます。その意味で一般教養の科目につきましても、その講師の選択について、あるいは講師のお話しされる演題等について、十分将来の法律家にふさわしい方を選び、そのような話をしていただくということは必要であろうと考えております。
 今回のその講演につきましては、一部に不適切な言葉遣いがあったということがございましたが、全体として見ますと二時間にわたる講演でございまして、話の全体は先ほど申したような中身であったわけでありまして、その意味で講師の意向としては、侵略戦争を美化したり、あるいは台湾を中傷しようという趣旨の発言をするというつもりではなかったというふうに理解したいと思っているわけでございます。その意味で今回の件については、そのように理解いたしておりますが、先ほど申しましたように、一般教養の講演等については、今後も十分慎重に配慮をして企画を立てるようにいたしていきたいというふうに思っております。
○橋本敦君 この講師を依頼するというのは研修所が決めるんですね。
○最高裁判所長官代理者(櫻井文夫君) 司法研修所規程におきましてこれの四条で、「研修に関し必要な事項は、司法研修所長が、これを定める。」となっておりまして、講師の選択は司法研修所長に委任されているわけでございます。
○橋本敦君 だから、今回の場合も、研修所長が正式に委任をして講義をしてもらったということは間違いありませんね。
○最高裁判所長官代理者(櫻井文夫君) 司法研修所長がこの講師を選ばれて、そして正規に依頼をいたしております。
○橋本敦君 講義の内容は、それはそれぞれの学者が考える自由があるということであっても、どういう講義を研修所の修習生に与えるかという、そのことについての全責任は研修所長にあるわけですね。
○最高裁判所長官代理者(櫻井文夫君) 御指摘のとおり講師の選択、さらには講師が話された内容につきましても、この話の内容はもちろん講師が自由にお考えになるわけではございますが、その研修そのものにつきましては、司法研修所長の責任であるのは当然でございます。
○橋本敦君 だからもっと慎重に、真剣に私が最初に冒頭指摘したように、本当に憲法の正しい理念を身につけてもらうという観点から、講師の選択も責任を持って検討すべきですよ。
 この中山教授はどういう方なのか、最高裁、調べていますか。この方は、世界平和教授アカデミー機関誌に「知識」というのがありますが、この機関誌にも投稿されております。世界平和教授アカデミーというのはどういう団体か御存じですか、人事局長。知らなければ知らないでいいです。
○最高裁判所長官代理者(櫻井文夫君) 承知いたしておりません。
○橋本敦君 韓国の統一協会の教祖である文鮮明という人は有名ですから、人事局長、名前御存じですね。
○最高裁判所長官代理者(櫻井文夫君) 承知いたしております。
○橋本敦君 その文鮮明師がアメリカの上院公聴会において、統一協会問題、勝共連合問題がアメリカでも大問題になって証人として公聴会に出て証言をしておりますが、その文鮮明師は、「世界の人々を独裁主義から解放するため、私は国際勝共連合を設立した。」、こういうことを言っておりまして、そして同時にまた、こうも言っておるのです。「また、私は神の意思を学術界にもたらすため働いてきた。国際文化財団は、科学と絶対的価値について年次会議を主催し、学者たちを、世界平和教授アカデミーに集めている。」とこう言っておるのです。これは文鮮明の証言です。
 だから、世界平和教授アカデミーというのが勝共連合系、韓国の統一協会系の背景を持った団体であるということは、文鮮明の証言で明らかですが、中山教授はその機関誌に投稿されるという関係を持っておられる方なんですよ。いいですか、こういうことは知らなかったですか。
○最高裁判所長官代理者(櫻井文夫君) ただいまお話しのような組織の関係というものは、これは全く承知いたしておりません。
○橋本敦君 ですから、責任を持って講師を選択するという場合に、私はそういう意味では研修所の姿勢というのは十分ではなかった、もっと慎重にやるべきだと思いますよ。
 それでこの問題で、研修所の事務局長と修習生とが講演の後いろんなことで懇談をする中の一つとして、この問題が出てまいりまして、あの講演は、研修所としての正規のカリキュラムとして問題があるんじゃないかということが議論された。その場合に事務局長がどう答弁しているかといいますと、どんな話であっても修習生個人が批判的に考えればいいことなんだと。そして、そういうことで、そういういろんな話を聞いてこうも言っているんですね。自分がその話に不満のある発言であっても、それを聞くというのがこれは一つのトレーニングなんだと、こういうふうに事務局長が言っているんですよ。だから、自分が講師を選択したことについての責任を反省しないで、そんな不穏当な話があってもそれを聞いて、それを聞くのは一つのトレーニングなんだと、こう言うんですよ。そんなことだったらウルトラライティスト、右翼の児玉誉士夫を呼んできてトレーニングで聞かしてもいいのか、こうなりますわな。そういうものじゃないでしょう、研修所が責任持ってやるのは。だから、こういうような感覚では私は、これは問題だと思いますね。
 そこで、この問題については今私が指摘したように、奥野国土庁長官発言も今問題になっておりますが、さきに藤尾文部大臣の発言もあり、その文部大臣の発言で大臣が罷免されるという重大な政治的事件まで起こった後で、研修所でこういうようなことが講義の中で言われているということについて、私はこれは問題だと思うんですが、今後は正しい憲法理念に基づく教育を研修所として責任を持って実施できるようにきちんとして、今回の件を教訓的、反省的にとらえてこういった問題が二度と起こらないように、学者の意見にそれぞれ介入することはできませんから、まさに講義のカリキュラムと内容の講師の基本的な選択を、研修所が正しくやっていくということを通じて間違いのないようにしてもらいたいと思いますが、局長、どうですか。
○最高裁判所長官代理者(櫻井文夫君) 司法研修所の事務局長が修習生に対して申しましたのは、これは長い懇談の中の一こまでございまして、例えば講師の話の中で、一部気に染まないような部分があったとしても退場等の行為をした場合には、それはやはりせっかく呼んできた講師に対して礼儀に欠けることになるという趣旨を申し上げたわけでございますが、いずれにしましても、先ほど申しましたように、講師の選択につきましては司法研修所に責任があるのは、これは当然のことでございますので、今後も修習生にふさわしい講演を行えるような講師の選択、演題の選定等について司法研修所長に十分配慮をしていかせたいというふうに考えております。
○橋本敦君 言うまでもありませんけれども、さきの戦争は、日本の国民三百万の命を失っただけじゃなくて、アジア近隣諸国に二千万を超える多くの人命の被害、そしてまた大変な物質的な損害も与えて、国際的にもあの戦争は、これはまさに日本として許されない侵略戦争であったということで、御存じのようにポツダム宣言でも、無責任な軍国主義の一掃を戦後の日本の民主的再建の柱として据えたわけで、憲法でもその点を深く反省してこういった戦争に対する厳しい見方を憲法は貫いているはずですね。したがって、事憲法を大事に守らなきゃならぬ法曹界、研修所においていやしくも、例え講義の本質ではないにしても、あたかも侵略戦争を、さきの戦争をよい面もあったかのごとくに受け取られるような、そしてまた侵略を受け苦しんだアジア諸国民を、今その当時はどうこうというようなことで侮辱的に発言をするような、そういったことを私は許してはならぬと思います。今後とも研修所として正しい教育を進められるように、ぜひともその点は責任を持ってやっていただきますように強く要求をして質問を終わります。
○西川潔君 それでは私は、まず刑事補償法についてお伺いをいたします。
 過去五年間の無罪犯の数と刑事補償請求人員と、それに補償決定人員の数はどれくらいになっているのか、お聞かせいただきたいと思います。
○政府委員(岡村泰孝君) 最近五年間におきまして全部無罪の言い渡しを受けて確定した人員について、まず申し上げます。
 昭和五十七年百四十七人、五十八年百六十五人、五十九年百二十一人、六十年百十七人、六十一年百十五人であります。
 次に、最近五年間におきます刑事補償の請求人員と補償決定人員を順次申し上げます。
 昭和五十七年が、補償請求人員が四十五人、補償決定人員が四十七人であります。五十八年が三十九人と三十七人、五十九年が四十三人と四十一人、六十年が三十九人と三十五人、六十一年が五十三人と六十二人であります。
○西川潔君 この数字を今お聞かせいただきまして、無罪判決の数に比べて刑事補償の請求の数が、我々が思うのにはちょっと少ないように思うんですけれども、これは何か請求の手続が非常に複雑だとか難しい問題があるのでしょうか。
○政府委員(岡村泰孝君) 請求の手続は口頭でも可能でありまして、決して難しい手続ではないわけでございます。それでは、なぜ刑事補償の請求人員と無罪の裁判を受けた人員との間に差があるのかということについて御説明いたします。
 おおむね、無罪の裁判を受けた者のうち半数あるいはそれ以下の者にしか補償請求をいたしていないという実情にあるわけでございます。その理由は必ずしも明らかではございませんけれども、例えば略式請求事件で、身がわり犯人であるために再審で無罪になったという例がかなりあるわけでございます。
 例えば、五十七年から六十一年の間に略式命令が確定いたしまして、再審で無罪になりました者が総数七十人でございますが、そのうち交通関係の事件で身がわり犯人であったという者が五十五名という、かなりの比率を占めておるわけでございます。こういう身がわり犯人の場合は、みずから進んで自分が犯人であるという虚偽の供述をいたした場合でございまして、こういったものは通常無罪になりましても刑事補償請求をいたさないのが通例でございます。こういった点、あるいは考えられますことは、身柄の拘束期間が短い場合であるとか、あるいは一部無罪の場合であるとか、いろんな事情があるだろうと思われます。
○西川潔君 無罪判決が出た方の中で悪い人ではない。そういう人たちの場合は、今度請求があった場合は現行のように、請求があれば補償するということでなく、私が考えるのには、国の方から積極的に補償さしていただく、してやる、そういうふうな姿勢の方がいいのではないかなと思うんです。特にまた、罰金または科料の執行があった場合、刑事補償法第四条第五項にあるように、年五分の利子をつけて返還するとなっておりますが、同法第七条で「補償の請求は、無罪の裁判が確定した日から三年以内にしなければならない。」とも書いてあります。国が間違って支払わせた金額は、本人の請求を待たずに判決と同時に返してあげるということの方がいいのではないかと思うんですけれども、いかがでございましょうか。
○政府委員(岡村泰孝君) 刑事補償を請求する手続でありますが、これは特別の方式がないわけでありまして、書面あるいは口頭で裁判所に申し立てれば足りるという意味におきまして、非常に簡便な手続になっておるわけでございます。しかも、刑事被告事件の場合でございますと、ほとんど弁護士である弁護人がついておりますので、無罪になりました場合には、その弁護人が刑事補償の請求ができるということにつきまして適切にアドバイスをするだろうと思いますし、裁判所もまた無罪判決を言い渡します場合には、その辺の運用ににつきまして十分な配慮をしておられるところでございます。
 また、罰金刑が確定いたしまして、その納付が終わりました後、再審で無罪という裁判が出た場合でございますが、こういう場合は、実務の取り扱いといたしましては検察庁におきまして本人に連絡いたしまして、形の上では請求という形をとらしておりますけれども、実際は検察庁が本人を呼び出しまして、徴収いたしました罰金を返還するという手続をとっているところであります。
○西川潔君 素朴な疑問でございますが、例えばそういう請求をしない人もいるんでしょうか。しない人がおればどれくらいか。請求がなければそのお金は例えばどこへ行くのでしょうか。また現在、請求しないそういうふうなお金がたまっておればどれくらいたまっているのか、ちょっとお伺いしたいと思うんです。
○政府委員(岡村泰孝君) 罰金刑を納付いたしました後、無罪になりました事件がどの程度あるか統計的に把握いたしておりませんので、無罪の裁判があった後、罰金を返還していない例があるのかどうかも正確には申し上げられませんけれども、検察庁の実務の取り扱いは先ほど申し上げましたように、再審の無罪があれば検察庁の方で進んで本人の方に返すような手続をいたしておりますので、恐らくすべての場合に返されているのではなかろうかというふうに推察いたします。
○西川潔君 ありがとうございました。
 次に、刑事事件の対象となる場合は、現実に支払われる補償金の日額を決定する要因といいますか判断基準、それはどのようなものか。そしてまた、過去における補償額の最高はお幾らぐらいで、その年月はどれぐらいかということをお伺いしたいと思います。
○最高裁判所長官代理者(吉丸眞君) 抑留、拘禁による補償につきましては、刑事補償法四条二項に、「裁判所は、」「補償金の額を定めるには、拘束の種類及びその期間の長短、本人が受けた財産上の損失、得るはずであった利益の喪失、精神上の苦痛及び身体上の損傷並びに警察、検察及び裁判の各機関の故意過失の有無その他一切の事情を考慮しなければならない。」というふうに規定されてございますが、実際の実務におきまして裁判所は、これらの事項を総合考慮して補償金の額を決定することになります。
 そして、実際の補償金額がどの程度かということについて実情を御説明申し上げますと、昭和五十七年から六十一年までの間に、現在の補償日額の規定を受けた事件については百七十一例ございますが、そのうち上限の七千二百円を含め六千円を超える金額を支払った例が六十九例、四〇%でございます。それから六千円以下、三千五百円を超える金額を支払った例が七十八例、六五%でございます。三千五百円以下の金額を支払った例が二十四例、一四%でございます。
 今申しましたのは一日の額でございまして、これは拘束が長くなりますと非常に大きな額になります。恐縮でございますが、その最高に支払った額が幾らだったかということは、ちょっと調査してまいりませんでしたので失礼さしていただきたいと思います。――先ほどの最高額でございますが、いわゆる免田事件でございまして、補償金額の合計が九千七十一万二千八百円でございます。
○西川潔君 ありがとうございました。
 時間の都合で重複する部分、また御通知申し上げましたものが飛ぶかもわかりませんが、恐れ入ります。お許しいただきたいと思います。
 次に、子供たちのことを少しお伺いしたいと思うんですけれども、少年が逮捕されて身柄の拘束を受けます。刑事事件に入らず保護処分を受けた場合ですが、実質的に無罪で保護処分が取り消されても、今のままでは刑事補償法の対象とはならないそうですが、保護とはいいましても、身体の拘束を受けた少年の権利保護にちょっと欠けるのではないかなと思うんです。少年院と刑務所は違うというのは、私も現場を回らせていただきましてわかりますが、普通に暮らしている我々にとっては全く同じことで、世間の見る目は変わりません。心に受ける傷もさることながら、子供の収入が一家を支えている部分になっているような家庭も随分ございます。僕なんかももう小学校のときから社会に出てずっと今日まで働き続けているわけですが、そういうことを考えますと、大人と同じような扱いをしてあげられればいいなと思うんですが、少年の場合を見ますと、ここが少しそういう部分では欠けているのではないかなと思うんですけれども、何とかこのあたりを考えていただけるようなことはないものでしょうか。
○政府委員(岡村泰孝君) 御指摘のありましたように、少年の場合は、家庭裁判所から検察官に送致されまして起訴されて無罪になりますと、その間の身柄の拘束につきまして刑事補償の対象になるわけでございます。しかし、保護処分が取り消されたような場合におきましては刑事補償の対象にならないわけでございます。
 この点につきましてはいろいろの考え方もあるわけでございまして、例えば法制審議会の中間答申の中にも、少年のこういった権利保護の面をもう少し強化すべきだという意見もあるところでございます。
○西川潔君 何とか、まあ僕ら身近にそういう子供たちがいるものですから、そういう高校生、中学生もそうですけれども、学校が終わりまして家庭を支えて仕事をしているような子供たちが随分います。人生何かの間違いでそういう保護処分に処せられて、その間ずっと親御さんたちが生活ができない。高利のお金を借りたりなんかして苦しんでいるようなこともございますので、できましたら、また少年の方の法律もよろしくお願いいたしたいと思います。
 次に、刑事補償というものは、本来ゼロであるべきだと思うんですが、誤判が出ない方が一番よろしいんですが、人間のすることですからたまには誤りもある、あってはならないんですが、誤りが全くないというのは確かに不可能だと思います。でも、不可能を一歩でも可能に近づけていただく努力を何を差しおいてでもしていただかなければいけないと思います。人間にとりまして、一日、一日生きていくその歳月は何物にもかえがたく、またとうといものだと思います。今後、誤判が出ないためにも、また捜査段階においてうその自白が出ないよう、またただいまの少年のお話も含めまして、大臣はどのようにお考えになっておられますか、最後に御答弁をお願いいたします。
○国務大臣(林田悠紀夫君) 検察当局が事件を捜査、処理するに当たりましては、自白に基づかずに客観的な事実に基づいて処理していくということでなければならぬわけでございまするが、いずれにいたしましても、できるだけ慎重に捜査をいたし処理をしていくということでなければならぬと存じます。そういう方針に基づきまして検察当局は現在もやっておるわけでございまするが、さらに十分努力をしていくように努めてまいりたいと存じます。
○西川潔君 ただいまの少年の方はいかがでございましょうか。
○政府委員(岡村泰孝君) ただいま私が申し上げました法制審議会の中間答申で、少年の権利保護という面も含めまして、少年法の改正ということにつきましての答申がなされたわけでございますけれども、この中身の問題につきましてはいろいろ御意見がございまして、法務省といたしましても引き続きその作業を続けているという段階であるわけでございます。
○西川潔君 本日はこれで終わります。ありがとうございました。
○委員長(三木忠雄君) 午前の審査はこの程度にとどめ、午後二時再開することとし、休憩いたします。
   午後零時三十八分休憩
     ─────・─────
   午後二時開会
○委員長(三木忠雄君) ただいまから法務委員会を再開いたします。
 刑事補償法の一部を改正する法律案を議題といたします。
 本日は、本案につきまして御意見を伺うため、お手元に配付いたしております名簿のとおり、四名の方々に参考人として御出席いただいております。
 この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多忙中のところ当委員会に御出席をいただき、まことにありがとうございます。皆様から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の本案審査の参考にいたしたいと存じます。よろしくお願い申し上げます。
 次に、議事の進め方について申し上げます。
 まず、お一人十五分程度で順次御意見をお述べいただき、その後委員の質疑にお答えいただきたいと、このように考えております。
 それでは、これより各参考人に順次御意見をお述べいただきたいと存じます。
 まず最初に、渥美参考人にお願いいたします。
○参考人(渥美東洋君) 今回補償額を引き上げられるという御提案でありますが、総合的な判断からなされたと思いますけれども、そう不自然ではない法改正の提案であろうというふうに承りました。その結論が妥当であるかどうかということを皆さんが判断される上で、私が考えました重要だと思われる刑事補償についての幾つかの観点に関して、私の知り得た範囲内で幾つかのことについてお話し申し上げます。
 まず最初に、ここで言う補償は恐らく不法行為を理由とする損害賠償ではないと思われます。通常の刑事手続から生じたコストの分担化あるいは誤審によるコストの分担をどのようなものにするかということに関するものであると思います。そういう意味では厳格に言いましていわゆるロー、法に関するものというよりも衡平上のものと理解できると思います。不法行為を前提とする損害賠償は本来国家賠償によるべきものでありますから、しかもまた、国家賠償手続を経ている場合に長期の時間がかかることから生ずる不利益を解消するために、迅速な解決を図るという点から考えても損害額全部の補てんが行われない事例も出てくるのはやむを得ないだろうと思います。
 ところで、この補償の対象は、四十条を見ておりまして、無罪の判決といいますものが通常の上訴の結果、無罪の判決が下る場合と非常上告あるいは再審というような方法が不服の手段として使われた結果、再審理が行われる等のことによって無罪になる場合、つまり誤審による場合、誤判による場合、双方を問題にしているように思います。
 ところで、この補償の制度に関して現行法は国家がその責めに任ずることにしておりますが、本来、そのような行為を行った個人が、裁判官等が損害賠償義務を負うとした場合どうなるだろうかという問題をめぐって、従来英米では相当長く、古くから議論されておりまして、法運用上の萎縮効果を生じてはならない、さらには裁判官の独立を害してはならないという理由で、英米では裁判官の行った行為については絶対免責が認められております。
 アメリカ合衆国におきましては、その行為は検察官のところまで及んでおりますが、その理由は、やはり公正な法運用が適切に行われること、公正な法運用に関する萎縮効果を発生させてはならないということ、さらにはここにおける通常の手続での誤りは通常上訴の方法によって当然補われる。したがって、コストの分配に当たって個人は責任を負わないということになっているようであります。ところが同時に、その結果こうむる負担を無罪とされた者が何らの補てんも受けずに負うことが妥当ではないという考え方で、法律によらない衡平上の種々の方策が定められてまいりました。例えば、イギリスにおいては全く法律に根拠はございませんけれども、ホームセクレタリーにおいて種々の勘案をしながら、上限を定めず、通常上訴の場合の身柄拘束者の無罪の場合に救済を図る具体的な方法を持っております。しかし、それはいずれも法律上のものではございません。
 アメリカ合衆国におきましては、今申しました裁判官の絶対免責の制度は、合衆国法典タイトル四十二の千九百八十三条の運用、つまり公務員の不法行為責任に関して判例上展開されてまいりました。それがありますけれども、同時にアメリカ合衆国におきましては、上限を定めながら故意過失、不法行為と関係ない不当に有罪とされた者に対する救済を考えております。それは、アメリカ合衆国法典タイトル二十八の千四百九十五に管轄の定めがあり、同じくそのタイトルの二千五百十三条に要件等内容が定められております。上限は五千ドル、その要件は無罪とされたこと、通常上訴またはそれ以外の方法で無罪とされたこと、その無罪とされた裁判を証明書によって立証すること。その無罪であるということは、判例上一般的に、ただ単に合理的な疑いを入れないで無罪となったという場合ではなく、明らかに無罪とされた場合に限定されると解釈されているようでございます。そのほか、各州においても個人責任を問うということを避けまして、あと上限の定めのあります日本よりは、相当に金額の低い保護を与えていると思います。
 イギリスといいますか、イングランド・アンド・ウエールズにおきましては、先ほど申したように運用しておりますが、ただもう一つ最近つけ加わりましたのが国際法上の義務でありまして、これが国際人権規約、市民及び政治上の権利に関する規約の十四条の六に定められている補償に対応するものでありますが、この場合も新証拠の発見で身柄の拘束を受けていて、誤審であることが明らかであるという場合ですから、通常上訴の場合を扱ったものではございません。
 さて、このように種々裁判運営上の萎縮効果を減殺するということや、あるいはまた、さらに無罪の判決を下すことにちゅうちょをするというようなことを避けるために、金額は余り高くせず、絶対的なイミュニティーを与えながら問題の解決を図るという方向がとられているように思います。
 日本においても、今言いましたような種々の観点から総合的な判断を行って補償の制度や額、運用が決まっていくものだというふうに思います。総合的な判断の結果今度の場合、このような引き上げが提案されておりますけれども、その場合、労賃を基準とするもの、あるいは生計費を基準とするもの、その中間をとるもの等々がございますが、今回の提案はその中間をとるものであると思いますが、今申しましたような全体の総合的な判断から考えますと、種々の点に関して配慮をされた上で一定の適当な金額を選ばれたという点で、妥当でない結論であるというふうに言うことはできないだろうと思います。
 さらに、実際上の補償金額を各外国と比較することは非常に難しゅうございますが、先ほど申しましたように合衆国の連邦では上限が五千ドル。州によりましては上限が五万ドルのものもございます。あと英国等々、西ドイツ等々で一体平均がどのぐらいであるかということの御調査をされる必要があると思いますが、私が若干仕入れました知識によりますと、日本の金額は相当高いところに位置しているように思います。現在さらにまた、被害者の補償の問題が起こってまいりますが、その被害者の補償の金額との均衡の問題もありますでしょうし、さらにまた国民全体が不法行為でない場合でも負担をするということになりますと国民全体の負担の限度、財源の限度等々について十分な配慮をしなければならないように思われます。
 ともかく、この補償制度を考える際に一番重要なのは、コストを有罪判決を受けた者にすべてそのまま負担させておくことは公平に反するということと、もう一つは、余りにもこの制度を厳しく運用する結果、法運用に曇りが生じてはならない。裁判官の独立や証拠に基づく適切な判断が曇らされてはならないし、適切な犯罪の解明に萎縮効果を生じてはならないという点のバランスが何といっても重要であるように思われます。日本の制度は、損害賠償を国家賠償で補い、さらに衡平上のものを憲法及び法律で補うという点で相当制度的に整備されているものと思われるのであります。
 先ほど若干お話し申し上げました、被害者補償を含めた全体の刑事制度の通常の運用から生ずるコストの国民全体での負担の問題でございますが、その問題に関しては、犯罪者が犯罪によって多額の利益を得ている場合に、その利益を、犯罪が犯罪によって得をすることは全くないということが皆にわかるようなことも考えて、金銭的な莫大な利益を得ることができるような犯罪に関して、その犯罪による財産上の利益を何らかの形で刑罰として国が取得するような方法というものを考えることも、今後重要であるように思われる次第でございます。
 以上、限られた持ち時間の範囲内で若干のことを申し上げました。
○委員長(三木忠雄君) どうもありがとうございました。
 続きまして、野村参考人にお願い申し上げます。
○参考人(野村二郎君) 野村でございます。私、長い間朝日新聞で司法記者をしておりましたので、その経験に基づいて私なりの意見を申し上げたいと思います。
 刑事補償法の改正ですけれども、私としての結論を先に申し上げれば適切なことだというふうに考えております。国にこういう制度があって、国が行ったことで補償の必要性があれば現実に対応した補償をするのが望ましいからであります。また、刑事補償というのは、刑事司法のあり方、それから国の一つの文化のあり方にも影響するというふうに思いますし、そうした点からも目配りをする必要がある、そういうことは大切なことであるというふうに考えております。
 ただ、無罪ですけれども、この無罪は一般的な意味での無罪でありまして、再審、特に死刑が逆転するようなケースはちょっと先へ行って申し上げますが、一般的な意味で無罪をどう見るかという点につきましては見方がいろいろあることも事実だというふうに考えております。素人から見ますと、完全な無罪、冤罪であるということもあれば、犯罪の証明不十分ということもありますし、必ずしもすべてが、すべての無罪事件が直ちに冤罪に連動するというふうには考えにくいのではないかということも感じております。つまり、捜査とか裁判の過程で故意過失に連動しないということがあるのではないかということであります。ちょっと前になりますけれども、無罪を言い渡した裁判長が、判決の後で灰色を示唆するというふうなことが法廷でありまして物議を醸したことがあります。これは確かに裁判長として越権だというふうに私は感じておりますけれども、こうしたことがあるということも事実であります。
 しかし、私の理解する限りで、裁判での無罪というのは、法廷に出された証拠だけでは有罪を認定できない、裁判所はそういうふうな立場で判断をしたというふうに思っております。したがって、いわゆるシロかクロかを決めるのが刑事裁判ではないと、そういうふうに私は理解しているわけであります。
 しかし、それでもなお無罪であるからには、国の行為として、結果としての誤りがあったというふうに言わなければならないというふうに思います。これは国家賠償法上の故意とか過失とか不法行為とは別の問題であることは言うまでもありません。国家機関には犯罪捜査をする義務があります。適正な範囲内で捜査活動をしてもなお誤りが生ずることがあり得る、これが現実ではないかというふうに考えております。
 したがって、そうした誤りを犯した場合補償するのは当然であるわけです。捜査機関は犯罪捜査をする義務があるわけですけれども、やはりその義務は、有罪認定を得る水準に達するまでの証拠収集をする義務があり、これをなし得なかった誤りがある、そういうふうに考えるわけであります。しかも、適法の範囲内で捜査をしたとしても、容疑者には身体的な苦痛は、これは我々が想像以上のものがあるというふうに考えますけれども、これは十分補償をしなければいけないというふうに考えまして、したがってこういうふうな補償をする制度がある以上、現実に対応した改正をするということは大切なことだというふうに考えるわけであります。
 補償額になるわけですけれども、上限を九千四百円ということのようですが、これは経済事情を考慮した、賃金とか物価の変動を考慮したことと思われますが、刑事補償法が制定された当時を基準としまして現在の水準に適応させるというふうなことで考えますと、それ相当の根拠を持ったものであろうというふうに考えております。もちろん、これには精神的な苦痛をどうするかというふうなことも当然入っているだろうと思われますが、そういう点も含めて考えると、必ずしも十分とは言えませんが、こうした不法行為というものがもし付随していれば、国家賠償で争う以外にはないのではないかというふうに考えております。
 死刑の問題でありますが、これはもう誤りが絶対にあってはならないということは当然であります。しかし、刑事裁判も人間のすることでありますから絶対ということはあり得ませんし、そこでやはり万一を考えての補償額ということを考えておくということだろうと思います。二千五百万円という額が適切かどうかということになりますと、これは非常に難しい問題で、五百万円だけ引き上げるということが適当であるかということについては、私は若干のためらいもあるし何とも申し上げられないというふうな感じがしているわけであります。これもほかの無罪の未決拘禁の日数との関係、そういうふうなところから数字を出したとするならば、それなりの根拠があるのではないかというふうに考えております。
 ただ、先ごろ台湾の戦没者に対する遺族の補償というのが二百万円で可決されたというニュースが出ておりました。これを直接比較するのは適当ではないかもしれませんけれども、あえて申し上げれば、台湾の方もやはり日本国家のために一生を棒に振ったということになったではないかというふうに思われます。そうしたことも考え、国家というのは時に非常に冷酷なことをするものであるということがあるわけです。しかし、国が誤りを犯したときにはできる限りの手厚い手当てをする必要がある、これが国としてのなすべき責務ではないかというふうに考えております。
 これまでに死刑が再審となって無罪になったケースというのは三件あります。近々恐らくもう一件ふえるだろうというふうに思います。これらは捜査に加え、裁判においても国家機関の誤りがあったということになるわけです。
 個々の事件について申し上げる余裕はありませんけれども、これらの事件と現在の裁判というものを比較してみますと、若干裁判の審理の仕方に違いがあるのではないかというふうに考えます。この三つの事件は二十年代、三十年にちょっとかかったのが一件入っておりますが、二十年代の事件でありまして、警察官も検察官も裁判官も極めて人権意識が低い、新憲法が施行された時代とはいえ人権意識が非常に低かった時代の事件であります。しかも、有罪無罪の裁判所の認定の仕方のハードルが非常に低かった時代だというふうに考えております。しかし、現在の裁判の認定の仕方を見てみますと、有罪無罪の認定のハードルが非常に高くなっているというふうな感じがいたします。
 そういう点から考えますと、こうした死刑が三審制の中で確定し、再審が開始され、それが無罪に結びつくというふうなケースはかなり厳格に三審が行われるために、こういうケースが再び起こるということは絶無ではないにしても、余り起こる可能性というのはないのではないかというふうな感じがいたします。もちろんそういうことがしばしばあっては困るわけでありますけれども、可能性としては少ないのではないかというふうな感じがいたします。
 しかし、それでも誤判はあるというふうな前提に立ってなお補償をするとすれば、よほどの事情があるというふうなことになりますし、こういうことを考えますと、死刑に関しては捜査、裁判における誤り、責任として計数では出しにくいものがあるのではないかというふうな感じがします。しかし、法律を施行する以上具体的な数字を挙げなければならないという点から考えますと、この点については、五百万円引き上げるのが適切であるかどうかということについては、私は疑問を持たざるを得ないというふうに考えるわけであります。
 つけ加えて申し上げますと、最近の裁判というのは非常に審理がスピードアップされております。審理が十分に尽くされた上での裁判のスピードアップということは憲法上の要請にこたえるもので、それで結構であるわけですけれども、審理がスピードアップされた結果、それが年月を経た後再審が開始され、またしかも無罪になるというふうなことが繰り返されれば、裁判の使命というものからかんがみますと本末転倒であるわけであります。刑事補償は、十分で適正な捜査、裁判というものが行われて、そういう前提に立ってこそ意味のある制度であることは言うまでもないというふうに思います。そういうふうなことで、一般的な無罪についての刑事補償につきましては適切であろうというふうに思いますが、死刑についてはなお検討の余地があるのではないかというふうに思います。
 以上で終わります。
○委員長(三木忠雄君) どうもありがとうございました。
 続きまして、三井参考人にお願いいたします。
○参考人(三井誠君) 神戸大学の三井でございます。
 刑事補償法における補償額の算定基準となる日額の上限を引き上げる、すなわち無罪の裁判を得た者が身柄拘束を受けていた場合には七千二百円を九千四百円に、死刑の執行を受けた場合には二千万円を二千五百万円にするとの法律案について簡単に意見を述べたいと思います。
 結論を先に述べますと、補償金額の引き上げそれ自体は、昭和二十五年の刑事補償法施行以降の七次にわたる改正と同じく、方向としては前進と言ってよろしいかと思いますが、その引き上げ額が妥当かということになりますと、若干問題を含むのではないかと考えております。
 関係資料を拝見しますと、引き上げ額の算定には従来の部分改正同様、常用労働者一日の平均給与額と消費者物価指数の上昇率を勘案されたようであります。この種の額の決定には、絶対的な物差しとかよりどころというものはありませんので、経済事情を踏まえることは致し方がないことだろうと思います。また今回の法律案は、四十年前に新しく刑事補償法で定められた額を初めて改正しようというのではありません。したがって、昭和三十九年以降二年ないし五年の間を経て順次同様の方法で手直しを加えてきたという経緯に照らしますと、このたびは全く違った方法で算定するというわけにはいきません。また、平均給与額の算定にもかなり工夫が施されているようでもあります。同時に、憲法四十条の補償は、公平の視点から迅速に補償を行うというものですから、憲法十七条に基づく国家賠償とは異なります。制度の本旨からしますと、両制度はシステムとして両両相まって機能していくべきだ、こういうことはなるでしょう。渥美参考人が指摘されたような比較法的な観点からは必ずしも我が国の補償額の定めが低いとは言えない面もあります。
 しかし、平均賃金と物価指数の上昇率を平均化したものを掛け合わせて日額の上限額を定めるということになりますと、労働者の平均賃金の伸び率と物価の上昇率に余りに格差がありますために、どうしても補償金の日額の上限というものは制定当初とは異なりまして、常用労働者の平均賃金の日額を大幅に下回るということになります。今回の改正案では、日額の上限は平均賃金の日額の六〇%弱ということのようであります。
 刑事補償は、違法な公権力の行使に対する国の損害賠償の一種でして、国家賠償と本質は同じだと考えてよいかと思います。国家による慈悲あるいは恩恵といった制度ではなく、補償請求は国民の権利に基づくものだということはほぼ確認されているところかと思います。また、その中身には、物質的、経済的な損失はもとより精神的な損失、いわゆる慰謝料、これも当然に含まれると言ってよいでしょう。同時に、実際上も国家賠償請求が認められるというのはかなり困難なことのようです。この点は、私自身の評価が入っているかもしれません。そういう点からしますと、引き上げられました上限は、やや低額に過ぎるのではないかと考える次第です。
 そこで、算定方法を全面改定するというのは、先ほども申しましたように、困難だろうというふうに思いますが、それにしても若干これまでのやり方を修正してみる。例えば、賃金と物価の上昇率に同じ比重を与えた改正案に対しまして、賃金の上げ幅に三分の二、物価の上昇率に三分の一の比重を与えてみる、こういうようなことを考えてみるのも一案ではなかろうかと思います。そういたしますと、日額の上限は一万一千円から二千円ぐらいになります。一考していただければと願います。
 死刑が執行された場合につきましては、本来上限を定めること自体に無理があるのかもしれません。ただ、過去七回の身柄拘束者に対します補償金の日額の上限の修正に伴って、死刑の執行を受けた場合を比較してみますと、先ほど野村参考人が言われましたように、ややその引き上げが十分でないという感じがしなくはありません。また、自賠責におきます死亡の慰謝料の基準が約二千万円という現状に照らしますと、今回の引き上げ顔には若干の問題を含むのではないかという気がいたします。さればといいまして、明確な算定の根拠はこの点でも持ち合わせてはいないわけですけれども、これまでの改正経緯等に乗っかって勘案しますと、少なくとも三千万円程度の引き上げはあってしかるべきではなかろうかと考える次第です。
 仮に、国家財政の枠などの制約によりまして、今回の改正案でやむなしということでありましても、今後可及的に早く刑事補償金額の引き上げに、当局の方たちが積極的に対処されることを委員会の附帯決議の形ででも出していただければありがたいと考える次第です。
 最後に、次の二点を付言しまして、意見陳述を終えたいと思います。
 第一に、冤罪は文明社会における最大の暴力と言われますように、本人にとりましては大変な名誉侵害行為であります。侵害を金銭で換算するには限度があるかと思います。ある意味では、名誉の回復こそが先決だと言えなくもありません。問題は、マスコミのあり方等論ずべきことは余りにも多いのですが、刑事補償法二十四条にいう補償決定の公示方法の改善などを含めて、名誉の回復方法というものをもう少し考えていただければと思います。
 第二に、刑事補償の引き上げ問題は、これ自体孤立したものではなく、他の補償のあり方あるいは充実ということと結びついて初めて生きてくることだろうと思われます。さしあたり、喫緊に検討すべきものといたしましては、被疑者補償規程の法律化とか、あるいは再審請求段階において要しました費用の補充等々が指摘できるでしょう。これまた、理論的には詰めなければいけない点を多々残しておりますけれども、非拘禁補償制度の導入という問題も、もう少し検討されてしかるべきようにも思われます。
 あるいは、以上の点は、これまた附帯決議の形ででも表に出していただければと考えたりもいたします。
 刑事補償はどうあるべきかというのは、我が国の刑事司法の構造はどうあるべきか、あるいは刑事司法の現実はどうかといったグローバルな視点からもとらえる必要はありますが、持ち時間が参りましたので、その点は機会を改めたいと思います。
○委員長(三木忠雄君) どうもありがとうございました。
 続きまして、柳沢参考人にお願い申し上げます。
○参考人(柳沢義信君) 柳沢でございます。
 このたび刑事補償法の一部を改正しまして、刑事補償金額の最高限を改め、補償の改善を図ろうとするということでございますので、まことに結構なことでございますし、喜ばしく思っておる次第でございます。また、結論の点につきましては、三井参考人が申されたことを引用いたしたいと思いますが、引上額をもう少し上げていただいたらというふうに感ずるわけでございます。
 ところで私、弁護士でございますので、また米谷四郎氏の再審事件を実際に担当いたしまして、再審請求、それから再審公判の弁護をいたしました。再審無罪判決の確定後に、刑事補償の請求、費用補償の請求、それから損害賠償の請求をいたしましたので、その経験と問題点を申し上げまして意見とさせていただきたいと思うわけでございます。
 米谷再審事件の内容は、およそ次のとおりでございます。
 五十七歳の女性が昭和二十七年の二月二十五日の夜、青森市郊外の自宅で何者かによって絞殺されたのでございます。米谷四郎氏は、同年の三月二日にこの事件の被疑者として逮捕されまして、一たん自白しましたが、その後否認したまま青森地方裁判所に起訴されました。青森地裁は、同年の十二月五日に米谷四郎氏に対して懲役十年の判決を言い渡したのでございます。この判決を不服といたしまして控訴しましたが、仙台高等裁判所は、昭和二十八年の八月二十二日に控訴を棄却しております。そこで米谷四郎氏は、最高裁判所に上告を考えましたが、訴訟費用が心配であるということと妻が病気であったために、上告をあきらめて有罪判決は確定したのでございます。
 そこで、刑に服しまして昭和三十三年の二月十八日に、仮出獄によりまして秋田刑務所から釈放されました。
 ところが、東京地方検察庁は、別人の長内芳春氏を同じ被害者に対する真犯人として、昭和四十二年の二月二十三日に東京地方裁判所に起訴をしたのでございます。東京地方裁判所は、昭和四十三年の七月二日に、長内氏に対しまして無罪の判決を言い渡しましたが、なお検察官が控訴しましたので、東京高等裁判所で審理中に長内芳春氏が首をつって自殺したために、公訴棄却の決定がなされて、この裁判は終わったのでございます。
 米谷四郎氏は、昭和四十二年の八月二十五日に、青森地方裁判所に有罪判決に対する再審の請求をいたしましたが、昭和四十八年の三月三十日、再審請求は棄却されました。そこで即時抗告をして、仙台高等裁判所は、昭和五十一年の十月三十日に再審開始決定をして確定したのでございます。この再審開始決定を受けて青森地方裁判所は、再審の審理をして、昭和五十三年の七月三十一日に米谷四郎氏に対して無罪の判決を言い渡しました。そこで確定したのでございます。
 以上が大体事件の概要でございます。
 無罪の判決が確定しましたので、私たち再審の弁護人が米谷四郎氏の代理人となりまして、昭和五十三年の九月二十二日に、青森地方裁判所に対しまして刑事補償と費用補償の請求をしたのでございます。
 刑事補償の請求につきまして青森地方裁判所は、五十四年の三月十七日に請求どおり拘束二千百八十日、これは抑留、拘禁日数が五百五十三日、刑の執行日数が千六百二十七日でございますが、これにつきまして一日四千百円の割合によって合計八百九十三万八千円の補償の決定をいたしました。そして、米谷四郎氏はその支払いを受けたのでございます。
 費用補償の請求につきましては、青森地方裁判所は少しおくれまして五十五年の二月二十二日に、米谷四郎氏に対して二百二十三万千百七十二円を交付する旨の決定をしたのでございます。
 しかし、この決定は、再審請求の費用それから公判前の事前準備期日の、事実上の準備期日があったわけでございますが、この費用、それから現場検証の打ち合わせのための出頭費用を補償しなかった、そういうことと、補償額算定の基準時をこの金を出した出損の時点としまして昭和二十八年当時の価格で旅費、日当などを補償するとしたこと、これが不服であるということで即時抗告の申し立てをしましたが、仙台高等裁判所は、昭和五十五年の三月二十四日、即時抗告を棄却いたしました。
 そこでさらに、最高裁判所に特別抗告をし、この原決定が米谷氏の不服を認めなかったのは刑事訴訟法百八十八条の二、百八十八条の六の解釈適用を誤って憲法四十条に違反すると主張したのでございます。最高裁判所は、昭和五十五年の五月十三日に憲法四十条違反の点につきましては、無罪の判決が確定した者に対してどの範囲の補償をするかは立法政策の問題であって、憲法適否の問題ではないから前提を欠き、その余は単なる法令違反の主張であって刑事訴訟法の四百三十三条の抗告理由には当たらないということで特別抗告を棄却したのでございます。
 刑事費用の補償決定が確定しましたので、米谷四郎氏は、青森地方裁判所に対しまして刑事費用補償金の払い渡しの請求をいたしまして、その支払いを受けました。米谷四郎氏は、刑事補償金の支払いを受けましたが、その額が余りにも少なかったので、昭和五十四年の十一月十三日に国家賠償法に基づきまして東京地方裁判所に対し、国を被告として損害賠償請求の訴訟を起こしたのでございます。そして、誤った逮捕、勾留、取り調べ、起訴それから裁判などに関連する裁判費用五百万円、拘束二千百八十日間の逸失利益分千二百十六万円、精神的、肉体的苦痛の慰謝料として三千万円、合計、これの数字を足して四千七十三万円になりませんが、そのほかのものを加えまして、そこから刑事補償金を控除いたしたその残額、四千七十三万円の支払いを請求したのでございます。
 東京地方裁判所は、五十九年の六月二十四日に判決を言い渡しまして、この逮捕などの各行為時においてこれらに関与した警察官、検察官、裁判官には過失はなかったのでこれらの行為はいずれも違法ではないとして損害賠償の請求を棄却したのでございます。
 この請求棄却の判決に対しまして、私たちは控訴して東京高等裁判所で審理を受けてまいりましたが、本年の二月十七日に結審をして明日、控訴審の判決が言い渡されることになっております。
 米谷四郎氏の刑事補償、費用補償それから国家賠償につきましては、いろんな問題点があるとは思います。
 まず、刑事補償につきまして青森地方裁判所は、刑事補償の決定をした際に、この刑事補償の請求人は満三十歳から約六年間の拘束を受け、その間自己を信頼し出獄を待ちわびていた妻の病死に遭い、それとともに戻るべき家庭を喪失し、仮出獄後は転居をやむなくされたこと。それから、本件の無罪判決までは逮捕後実に二十六年余を経過し、かつ再審請求後も一たんはこれが棄却されて約十一年間を要していること。それから、無罪主張のためやむを得ないとはいえ、長期間にわたり二度被告人の立場に置かれ、再審請求後、改めて九回の再審公判それから三回の期日外証拠調べに出頭したほか、四回にわたって血液型鑑定を受けたり、別件、長内芳春被告事件の証人になるなど、多大な日数、労力を費やしていること。
 こういうことが明らかであり、これらの事情による請求人の精神的、身体的苦痛、経済的損失は極めて多大であると推認される。なお、仮出獄後新たに築かれた家庭、妻と女の子一人がおりましたが、これに対して及ぼした影響も無視できないとして、上限の額である一日金四千百円の割合による補償をなすのが相当であると、こういうふうにしたのでございます。
 この刑事補償決定当時は、昭和五十三年四月二十五日改正の刑事補償法第四条一項によりまして基準日額の上限を四千百円と定められていましたので、その割合により私たちは刑事補償の請求をいたしました。
 青森地方裁判所は、請求どおり刑事補償の決定をし最高限の補償をする理由としまして、ただいま申し上げたような米谷四郎氏の精神的、身体的苦痛、経済上の損失は多大であったと述べているのでございまして、青森地方裁判所としてはやむを得ない決定であったと考えられます。
 しかしながら、今回いただいた資料によりますと、昭和五十三年の刑事補償法改正当時においては、基準日額の上限が常用労働者の一日平均給与額にはるかに及ばなくなって、常用労働者の一日平均給与額は、昭和二十五年の三百二十三円に対して、昭和五十三年には七千六百七十三円、二三・六倍に上昇を示していると推定されております。昭和五十三年の基準日額の上限四千百円は、常用労働者の一日平均給与額七千二百六十三円の五三・四三%でございます。
 最高裁判所刑事局長は、昭和五十三年度予算において、当初基準日額の上限を六千円、下限を千円の要求をしたと言われております。基準日額上限の金四千百円は、予算要求額の六千円の六八・三三%でございます。
 そこで、米谷四郎氏の刑事補償金額を昭和五十三年の常用労働者の一日平均給与額七千六百七十三円の割合により二千百八十日分を計算してみますと、千六百七十二万七千百四十円になります。最高裁の予算要求額の一日六千円の割合により二千百八十日分を計算してみますと、千三百八十万円になります。しかしながら、米谷四郎氏の刑事補償金額は八百九十三万八千円であって、非常に少ないのでございます。このように刑事補償金額が余りに少ないことが問題でありまして、米谷四郎氏は憲法四十条が保証する刑事補償を受けたということはできないというふうに我々は考えたのでございます。
 費用補償の請求につきまして青森地方裁判所は、再審請求手続における審理は、再審請求審または即時抗告審のいずれにおいても公判準備または公判期日における審理とはみなされないから、刑事訴訟法の規定に基づいて再審請求手続の費用を補償することはできないといたしました。しかしながら、米谷再審事件では、再審請求の審理それから決定の告知は、青森地方裁判所で行われております。米谷四郎氏と私たち弁護人は青森地裁に四回出頭し、その間仙台地方裁判所、東京地方裁判所、名古屋地方裁判所でも各一回証人の出張尋問がなされて、これに弁護人が出頭しております。
 即時抗告審の審理決定の告知は、仙台高等裁判所で行われまして、米谷四郎氏は四回、私たち弁護人は五回出頭して、その間、東京地方裁判所でも一回証人の出張尋問がなされて弁護人が出頭いたしております。これがために米谷四郎氏と私たち弁護人は多くの時間を費やしまして、多大な出費をしたのでございます。この再審請求審、即時抗告審におきましては、再審請求人から再審事由を証明する新規明白な証拠、検察官からは反証が提出されて立証が尽くされたというふうに考えております。
 再審開始決定後の再審公判では、再審請求審、即時抗告審で取り調べられた証拠が全部提出されて、それで全部採用されていますので、再審公判で新たに提出された証拠は補充的なものにすぎないというふうに考えております。したがって、再審段階の審理は、実質上再審公判の準備としての役割を果たしているのでありますから、その費用の補償がなされるべきであると考えられるのでございます。その費用の補償がなされない限り米谷四郎氏は、実質的には刑事訴訟法に基づく費用の補償が受けられたというふうには考えないわけでございます。
 次に、青森地方裁判所は、この補償をするにつきまして、先ほど申しましたように出損の時点の価格ということで補償いたしておりますが、二十七年前の価格、米谷四郎氏の日当を計算しますと、一日に百二十円または百八十円で計算したのでございまして、たばこ一箱に及ばない金額でこの後に補償されるということにつきましても、非常に不満を感じたわけでございます。このように物価の値上がりが著しいような場合には、費用の補償額は物価の値上がりを基準にして算出すべきであると考えられます。そうでなければ非常に古いものに対して、値上がりした後においてわずかの補償をしたと言われても、全く名目上のことであって、実質的には補償がなかったのではないかというふうに考えられるからでございます。
 最高裁判所は、無罪判決が確定した者に対してどの範囲の補償をするかは立法政策の問題であるというふうに言われております。また、衆議院の法務委員会では、刑事補償金額の引き上げ等について早急に努力すべきであると、「再審請求手続に要した費用を補償する制度について、更に調査・検討すべきである。」旨の附帯決議がなされているというふうに聞いております。どうか無罪判決が確定した者に対する刑事補償、費用補償の額が適正なものになるよう法の改正をしてもらいたいと考えるわけでございます。
 国家賠償につきまして若干つけ加えさしていただきます。
 米谷四郎氏は、東京地裁に対して国を被告として国家賠償法第一条に基づきまして損害賠償の請求訴訟を提起いたしましたが、もし刑事補償が昭和五十三年の常用労働者の一日平均給与額七千二百六十三円の割合により計算されておったとすれば、また最高裁判所の予算要求額の一日金六千円の割合により計算された額により補償されていたとすれば、果たして私たちが損害賠償請求に踏み切ったかどうか。場合によれば踏み切らなかったのではないかというふうに考えられるわけでございます。
 国家賠償の請求におきまして最も問題でございますのは、国家賠償法第一条は過失責任主義をとりまして、国または公共団体の賠償責任の成立要件といたしまして、当該公務員の職務執行について故意または過失が必要であるとされていること。それからさらに、刑事被告人が無罪になった場合、その起訴などが国家賠償法上違法と言えるかどうかにつきましては、当然違法であるとする結果違法説と、不合理な起訴だけが違法になるという職務基準説がございまして、実務の大勢は職務基準説に傾いていると言われていることであります。
 そこで、米谷国賠事件では、私たちは請求の原因といたしまして、米谷四郎氏の逮捕、拘留、取り調べ、起訴、有罪判決の各違法と、これに関与した警察官、検察官、裁判官の各過失を主張いたしましたが、東京地方裁判所は、これらはいずれも違法ではなく、これに関与した警察官、検察官、裁判官に過失はなかったとして請求を棄却したのでございます。
 しかしながら、米谷四郎氏は、再審請求の結果犯人であるとは言えないとして無罪の判決を言い渡されて確定いたしております。原第一審、原第二審の有罪判決はその効力を失っているのでございます。米谷四郎氏は、誤った有罪判決により刑の執行を受け、無罪の判決が確定するまで約二十七年間も犯人とされ、先ほど申し上げましたように、深刻な精神的苦痛と莫大な経済的損失を受けているのでありますが、それにもかかわらず、その補償についてだれもその責任を負わないというのはちょっと納得できないところでございます。
 このような不合理な結果を生じないようにするためには、米谷四郎氏は国に対して損害の賠償を求めているのでありまして、警察官、検察官、裁判官個人を被告といたしましてその責任を追及したり、それから個人に損害賠償の請求を求めているのではございませんので、無罪判決が確定した場合は国家賠償法上、逮捕、拘留、取り調べ、起訴、有罪判決、これらは原則として違法とし、これに関与した者の過失を推定いたしまして、その損害の賠償をすべきであると思います。なお、そのように国家賠償法第一条を解釈することができないとすれば、速やかに法律を改正して、無罪判決を受けた者に対して適正な補償がなされるようお願いしたいのでございます。
 最後に、以上、米谷四郎氏の刑事補償、費用補償、国家賠償について申し上げましたが、この三つの補償制度は相互に関連していると考えられます。刑事補償、費用補償が適正になされればあえて国家賠償まで考えられなくてもよいと思います。
 米谷四郎氏は、昭和二十八年の八月二十二日に、仙台高等裁判所において控訴棄却の判決を言い渡されて、同月の二十五日に妻の雪枝さんにあてて手紙を書いております。「公判の結果について成田先生から便りあったと思ふ、貧乏だから上告はしない、此の事を思えば残念です。人に笑われない様につらい生活、体のよわいお前に大変と思う、お前のことを考えると気が遠くなりそうだ」と言っておるのでございます。この雪枝さんは、米谷四郎氏が服役中に病死いたしました。
 どうか、このような精神的苦痛を受けている者に対して適正な補償がなされるよう速やかに刑事補償法を改正していただきたい、こう考えまして意見にかえさせていただきます。
○委員長(三木忠雄君) どうもありがとうございました。
 以上で参考人各位の御意見の陳述は終わりました。
 これより参考人に対する質疑を行います。
 質疑のある方は順次御発言願います。
○千葉景子君 きょうは、参考人の皆さん、本当に御苦労さまでございました。
 私の方から二、三お尋ねさせていただきたいというふうに思います。突然でございますので、大変失礼な質問もあろうかと思いますけれども、お許しをいただきたいと思います。
 まず一点目でございますが、三井参考人にお尋ねさせていただきたいと思うんです。先ほどのお話の中で、基本的にはこの刑事補償額の引き上げ、方向としては前進であるということでございますが、いろいろ問題点を御指摘いただきました。その中で、やはり今後の問題としても名誉の回復、こういうものも大変重要なことであるという御指摘をいただいたわけですけれども、この点についてもう少し御説明をいただけますでしょうか。
○参考人(三井誠君) 私の話の中で、最後にということで二点付加しましたが、そのうちの一点についての御質問です。
 これは、刑事補償法の二十四条で、申し立てにより、決定の要旨を官報及び三種以内の新聞紙に各一回以上出すということが定められているんですけれども、特に新聞などに掲げられる際に、それまでその人が新聞等でかなり大きく犯罪行為を行った等々の記事が出ていたものに比すと、掲げられている場所、内容、掲示の仕方等余りにも差があり過ぎるのではなかろうか。したがって、さしあたってではありますけれども、この補償決定の公示の仕方などについて改善方法を講じていただけないか、こういうふうに申し上げた次第です。
○千葉景子君 ありがとうございました。
 次に、渥美参考人にお尋ねさせていただきます。
 いろいろ比較法的にも御説明をいただいたところなんですけれども、今回の改正案につきまして他の参考人の方からも御意見が出ておりましたが、再審の手続の費用あるいは被疑者についての補償、こういう問題については先ほどの時間ではお触れはなられませんでしたけれども、どんなふうにお考えでしょうか。
○参考人(渥美東洋君) お答えいたします。
 再審の問題ですが、再審手続の費用をどうするかというのは、被告人であった者というのをどう解釈するかという日本法の解釈の問題がありますけれども、それはそれといたしまして、先ほども申しましたけれども、誤審による場合と、ミスキャリッジ・オブ・ジャスティス、誤審による場合と、それから通常の上訴で救済された場合とでは、恐らく補償の仕方等について違った考え方が導入をされなければならないのだろうと思います。
 一審制にするか、三審制にするか、国情によっていろいろ違いますが、その手続の中で無罪の判断が下されて、処理されてその人の名誉が回復されれば、それなりにその制度ほうまく動いていたというふうに言えるわけですから、その場合に生じた損失に関しては、さきほど申しました裁判官や法運用に当たる者の法運用活動に萎縮効果を与えないようにするということとのバランスで考えなければなりませんが、しかし明らかに新しい証拠が出て、前下った判断が誤ったものであったということがわかった場合には、その場合とは違いまして、このときには完全に誤った裁判が下された、みんながやった結果誤ったんだという前提で救済を図るべきだろう、そう思います。
 そういう点から言いまして、現行の規定によりますと、再審請求をした者が、再審が開始決定されて被告人になった後のものについては補償を受けますが、その以前の段階において補償を受けないということになりますけれども、その前の費用であっても、最終的にその者が誤判の犠牲者であったということがはっきりした場合には、その点に関する救済を行うのが恐らく筋だろうというふうに思われます。これは、現行法の解釈の問題じゃありませんで、立法改正を要する問題だと思います。
 次が被疑者の補償の問題ですが、これは非常に難しゅうございます。
 というのは、日本では種々の理由で被疑者を訴追いたしません。その訴追しない理由には、言えない事情がたくさんあるぐらいいろんな基準がございます。千葉さんも実際に弁護士として、さらにまた修習生として検察の段階での起訴猶予決定、不処分決定、不起訴決定等々の実情を御存じですからよくおわかりだと思いますが、そこでは非常に難しい問題が起こります。基準を明確にすると、それならば補償しなければならなくなるんだとすれば、訴追をするというんです。訴追をされることが日本の全体の法運用にとってプラスであるか、その個人にとってプラスであるかどうかという問題は、また別に考えなきゃならない重要な問題を生み出します。したがってそれらの問題等々、この被疑者補償については実に難しい問題がございまして、法律によって明確な基準を立てることは相当に困難であろうというふうに思われます。
 したがって、運用の場合に、場合によれば今まで日本では通常考えられないことですが、何か議会の関与するような制定法的な道具なんというものを考案しまして、法執行とその監督に当たる機関とよく相談をしながら、こういうような場合には明らかは補償を高くすべきだというような運用を考えられるのがよくわかりますけれども、これをすべて法律に移してしまうということになりますと、ひずみが出てくるように思います。補償をすべき場合が補償されなくなるというようなことが起こったり、あるいは訴追すべきでない事件が訴追されるというようなことが起こったりしますので、この問題は非常に難しゅうございまして、私などが今の段階でどういう結論がいいかということを出すことができないもののように思います。
○千葉景子君 大変難しい問題のようでございますし、今後のまたさらに検討課題ということになろうかと思うんですが、野村参考人にお尋ねさせていただきます。
 以前に、朝日の司法記者をなさっていたということでございますので、そういうお立場も含めてお尋ねさせていただきたいと思うんですが、先ほど三井参考人の方からも名誉の回復というような問題も出ていたようでございますけれども、今の現状から見るときに、やはり犯人とかあるいは被疑者として逮捕されたというようなときの扱いと、それから無罪になり罪が晴れたというようなときの扱いというのはいろいろ違いがあるように思うんですね、バランスとしても。そのあたりについてはどのようにお考えでいらっしゃいますか。
○参考人(野村二郎君) 無罪になった場合、新聞は、これはもう欠かさず全国版に載せるという考え方をとってそういう編集をしているわけです。ページ数が少なかった時代もそういうふうなことをやっておりまして、無罪の場合は事件に相応して、事件というのはつまり社会的な関心が大きいであろうという判断のもとに、事件の発生のときにニュースとして大きく取り扱う場合もあり得るわけですけれども、それに相応するような形でニュースとして、あの事件は無罪になったというふうな報道をしているわけです。
 それは、なぜそういうふうにするかといいますと、この十数年来やはり被疑者、被告になった人たちの名誉の回復、人権ということを非常に強く新聞社自体も意識するようになりまして、そういうふうなことで、新聞でも事件の発生当時に見合うぐらいの大きなスペースを割いて救済を、名誉の回復に努力をする。むしろそれは新聞としての務めであるというふうな認識のもとに、特にこの五、六年の間再審があって、死刑判決が逆転するというふうなケースがあってそういうふうな編集、取材をし、幅広い名誉回復という新聞制作をしているわけです。
 ただ、無罪判決で刑事補償の公告ということが出ますけれども、これは極めて味もそっけもない。三井参考人が先ほどおっしゃったように非常に味もそっけもない形の刑事補償をした、それを公告するということだけでありますから、その点についてはもう少し、やはり刑事補償をするからには国としての温かさという文言を考えていいのではないかというふうに考えておりますけれども。それでよろしゅうございますか。
○千葉景子君 それでは、柳沢参考人にお尋ねさせていただきます。
 先ほど、直接携わられた米谷事件に関連して問題点を御指摘いただいたわけですけれども、この経過を見ておりますと、やはり再審無罪というものを本当にかち取るといいますか、実現するまでには大変長い道のり、いろいろな困難や御苦労というものをひしひしと感ずるわけなんです。そういう意味では再審制度などについてもいろいろなお考え、感慨をお持ちかというふうに思いますけれども、再審制度はついてはどんなふうにお考えでしょうか。もう少し窓口といいますか広げた方がよろしいんではないかとか、あるいは手続上こんな問題点があるというようなことがございましたら、教えていただきたいと思います。
○参考人(柳沢義信君) 私たちは米谷事件を実際にやって無罪判決をいただいたわけでございますが、やはり白鳥決定以来、再審請求段階におきましても疑わしきは被告人の利益にという刑事裁判の鉄則が適用されるというふうに言われておりますので、それ以来再審の流れが一つ変わってきたのではないかと考えられます。
 実際に、私たちが再審請求をいたしておりまして、青森地裁で第一回に再審請求棄却決定を受けたわけでございますが、このときは実際に、本当に目の前が真っ暗でございましたんです。米谷事件を見ますると、やはり誤った物的証拠、日本手ぬぐいで逮捕されておりますが、これは逮捕して起訴されるまでにもう被害者のものであるというふうは言われております。それから血液型鑑定がまた有罪の裏づけにされておりますが、これも余り裏づけにならない。それから目撃証人というのも、こういうものも皆証拠にならないと言われているわけでございますので、再審請求の方で新規明白な証拠という点につきましては、この流れをずっと維持していただきたい。そういうふうに考えておるわけでございますので、それでやっていただく限り今は結構ではないかというふうに考えておるわけでございます。
○千葉景子君 今回の刑事補償法改正案におきましては、補償日額上限につきまして引き上げがなされているわけでございますが、下限については今回は特別な措置はとられていない。そういう内容になっておりますが、渥美参考人と三井参考人にそれぞれ、この下限について引き上げあるいはその額、どのようにお考えでいらっしゃいますか。御意見がございましたら教えていただきたいと思います。
○参考人(渥美東洋君) 非常に難しい御質問ですが、上限を上げるなら下限も全体に労賃あるいは物価上昇に応じて上げるべきだという考え方ももっともだというふうに考えられますし、他方、何といいますか柔軟性の幅というものがある程度要るのかということも考えてみなければなりません。ただ、御指摘のように私の感じとしては、上限だけ常に上げる、下限を上げないというのは、もともとの基準が一応妥当なものだと考えられた場合には、全体を勘案して下限の上昇ということは当然考えられてもいいものだろうとは思います。
 あとはよくわかりません。
○参考人(三井誠君) 下限の問題につきましては、一番難しいのは責任無能力者に対しても刑事補償がなされるという点です。
 現在下限に集中していますのは、今申しました心神喪失者についてでありまして、その点についてどういうふうに考えればよいのかというのを私自身まだきちっとまとめかねておりますので、仮にその問題を横に置くとしますと、下限も上限同様引き上げはしていただく方が望ましいだろうと、このように考えております。
○千葉景子君 いろいろ伺わせていただいたわけなんですけれども、やはりできればこのような刑事補償、こういうものが使われないことが一番望ましい姿なわけです。ただ万が一、人間のやることでございますから、そのときのためにこういう刑事補償制度というものも設けられている、これも人間の知恵の一つかと思うわけですけれども、一番基本となる裁判の誤り、あるいは誤判、冤罪、こういうものをできるだけ防いでいくために、今の裁判制度あるいはいろいろな社会的な情勢、いろいろあろうかと思います。それぞれの参考人の皆さんは、この誤判を防いでいくためにどんなことに注意をし、あるいはどのような問題点あるいは制度の充実が今後必要であろうか。その点何か御指摘がございましたらお聞かせをいただきたいと思います。
○参考人(渥美東洋君) 私は、現在の社会で捜査をかなり緻密に行わざるを得ないのは無理はないと思うんですが、それに引きかえて私の持論ですけれども、公判における訴追に対する徹底的な審査というものがそれに見合わなければならないというふうに思います。
 そういう点からいいまして、多くの場合の証拠の開示であるとか、あるいはできる限り弁護人側といいますか、被告人側が裁判に直接参加して訴追に対する批判を徹底的に行うことができるように手続に関与する機会を多くするとか、一番重要なのは恐らく証拠の開示をすることだろうと思います。その点についてもう少し徹底的な審査を行って、若干危ない事件であっても――若干危ないというのは若干嫌疑が残る事件であっても、バランスをとりながら無罪の判決が下るというような大胆な判断というものが、今の社会では必要ではないだろうか。しかし、同時に他方で、強調いたしますが、現在の社会でこのように証拠を集めにくい、証人を集めにくい段階では、そういう状況では捜査を手抜きするということは、社会秩序の維持の上から考えて余り妥当ではないだろう、私はそう考えております。その点で、公判の抜本的な改善といいますか、それについてはなすべきことが非常に多いというふうに思っております。
○参考人(野村二郎君) 私はやはり捜査を完全にするということで、理想的なのは捜査の段階から弁護人がつけられる、もちろん私選弁護人は現在もつけられるわけですけれども、国選弁護人は公判段階、起訴された以降ということになっております。しかし、捜査の段階から弁護人をつけるということになれば非常に多大な経費を伴うことでもあるし、それから弁護士の人員がそれは適応するだけの数がない。非常に大きな問題になるわけで、現実的には不可能であろうと思います。しかし、捜査の段階では検察官が当然関与してくるわけですから、検察官が捜査の適正な指導というかそういうふうなことを徹底して行うこと、それから令状主義を徹底するということ。現在、令状主義というのはほぼ完全に近い形で行われておりますけれども、それでもなおかつ違法性が問われるような場面がなきにしもあらずというふうなことでありまして、そういう点を徹底させることが大切だろうと思います。
 それからもう一つは、渥美参考人がおっしゃったように、やはり証拠開示を、公判の段階になったらこれを徹底させる。十分な被告に対する防御権を与え、そしてその上で綿密な審査をする。裁判で大切なのは、二審それから最高裁に行ってより、やはり一審で徹底的に犯罪の成否ということを検察官、弁護人双方が行うということでありまして、そういう点からいって、現在証拠開示というものは部分的には行われていますけれども、全面的に行われていないというふうに思いますので、やはり現在の刑事訴訟法の枠内で行うとするならば、証拠開示というものを全面的に認める方向へ進むのが冤罪、無罪事件の中での誤判を防ぐ一つの手だてになるのではないかというふうに思います。
○参考人(三井誠君) 比較法的に見ますと、恐らく我が国の刑事手続の運用全体が起訴の前に比重を置き過ぎているという点が問題だろうと考えております。証拠開示の点は、渥美、野村両参考人が言われたとおりですが、そのほか立法及び運用面を含めて起訴の前について問題点を指摘するとしますと、第一は被疑者の取り調べをできるだけ可視化する、ビジブルにするという点と、もう一点は刑事弁護の充実ということにあるだろうと考えております。
○参考人(柳沢義信君) ただいま他の参考人が申されたとおりでございますが、特に被疑者段階では国選弁護人がおりませんので、被疑者段階にぜひ国選弁護人をつけるようにお願いしたいと思います。
 それからもう一つは、考え方でございますが、非常に気になるところでございますけれども、米谷事件で我々は国家賠償を請求して、先ほど申し上げましたように、警察官、検察官、裁判官の過失を主張しております。法制度がそうなっておりますので、それを突破しないと賠償が得られないわけですが、こちらが求めているものは金銭の補償でございますので、先ほど申しましたように個人の責任を追及しているという感じは余りしないわけでございます。その辺で、先ほどちょっとお話に出まして、国が賠償すれば何かそれに関連した人が責任があるんだということで萎縮されるということは非常に困るわけでございますので、その点は基本的な考え方で、金銭の補償とそれから個人の責任問題は切り離してお考えいただきたいというふうに考えるわけでございます。
 また、そういう点からいきましてもう一つつけ加えさせていただきたいのは、米谷事件で血液型が大変問題になりました。分泌型、非分泌型というような点が問題になりましたが、一つはやはり今鑑定に頼り過ぎている面があるではないか。また、古い鑑定は新しい学問、科学の発展の結果間違いということがよくわかってくるわけでございますので、その当時の関係者としては、その鑑定を信じたからということでそういうことにされたということ、有罪になったということになるわけでございましょうけれども、米谷事件の例で恐縮ですが、幾つかの、血液型とかあるいは目撃者とか間違った物的証拠、日本手ぬぐいというふうなものが重なっているわけでございますね。どれか一つじゃなくて幾つか積み重なった結果が冤罪なり、そういうことに連なっていくという点につきまして、どうか十分な補償がなされるようにお考え願いたいと思うわけでございます。
○千葉景子君 どうもありがとうございました。
○猪熊重二君 時間がありませんので、一、二点ずつお伺いさせていただきたいと思います。
 最初に、渥美先生にお伺いしたいんですが、今柳沢先生もおっしゃったんですが、私も渥美先生のお話をお伺いしていて、どうしてもちょっと理解できないというかわからない点は、この刑事補償制度を余り拡大強化というか完全補償的な方向へ持っていくと法運用に曇りを生じる可能性がある、あるいは裁判官でしょうか、検察官でしょうかそちらの態度が萎縮するようなことがあってはいけないというふうな趣旨のことをおっしゃられたと思うんですが、衆議院で松尾浩也先生も何か似たような趣旨のことを言っておられるんです。
 私に言わせると、仮に万一間違ってもきちんと一〇〇%完全補償しているんだからいいやというわけじゃないけれども、むしろ萎縮するのじゃなくて自由にいろいろおやりいただけるんじゃなかろうか。ところが、刑事補償あるいは国家賠償を含めてこちらの補償が余り完全でないということになれば、逆に裁判官にしたらもし間違ってえらいことになったらえらいことになるなと。萎縮するというのはむしろ逆じゃないかと思うので、その辺いかがなんでしょうか。
○参考人(渥美東洋君) やはり無罪判決を自分が生み出した場合、それについて国が負担をするとか自分が非常に負担をさせられるということになれば、そういうことがないように行動するのが常だということも言えるんじゃないかと思うんです。その点考えて、特に英米では絶対的免責というのを考えたんですが、日本の場合には、先ほど柳沢参考人もおっしゃられましたように、それをちょうどうまいあんばいで処理をしまして、個人に責任を追及するよりも、憲法十七条で国または公共団体が国家賠償の責任を負うというふうにいたしました。それによって大分影響力が少なくなるだろうということになりますが、今度は逆に考えますと、国または公共団体が責任を負えば、その後ろに隠れて実際におかしなことを行っていても責任が追及されないじゃないかという問題が残っていくんですね。ただ、単に求償をするというだけでそれで果たして十分だろうか。
 だから、公務員が本当に限界を超えた重大な過ちを犯した場合には、個人に対する責任もやはり問題にしなければならない。それらの全体のバランスをやはり考えざるを得ないと思います。
 今申し上げたように、国が払うんだから無責任にいろいろなことをやるというようなことも考えられないことはないし、国がちゃんと払ってくれるから自分自身は誤った場合にでも心安んじて誤らないように行動をして、その結果国が補償してくれると思うこともあるでしょうけれども、しかし現実に一番大きな問題というのは、無罪判決を書きますと、それに対して相当多額の刑事補償がされるということになると、公判での訴追に対する審査は、国庫負担が余りにも多くなるとすると、どうしてもうまく動かなくなってしまう危険はあるだろうと思うんです。そのあんばいが問題で、そのあんばいをうまくするところに先生方が御議論される重要な中心があるのじゃないかと思うんです。それらの事情のうちの一つとして萎縮効果というものが必ず働くだろうというふうに申し上げたのであります。
○猪熊重二君 次に、野村先生にお伺いします。
 先ほどお話をちょっとぼんやりしていてよく伺ってなくて申しわけなかったんですけれども、要するに憲法四十条で無罪の判決があった場合にはという規定になっておりまして、この無罪の判決には実際からいうと真っ白な無罪もあるだろうし、あるいは心証的に非常に合理的疑いを超えるところまでいかぬけれども、この辺ならばという無罪もあるかもしれないし、あるいは先ほど柳沢参考人でしょうか言われたように、責任能力の問題としての無罪もある。
 お伺いしたいのは下限の問題なんです。現在の刑事補償法制定の際は、御承知のとおり上限四百円、下限二百円、こういうことで出発しまして、その後の第一回目の改正のときにもおよそその線でいったわけです。それから、しばらくして下限は据え置きになって千円がずっと来ておりまして、今回のも下は据え置きなんです。据え置きの理由として、責任能力による無罪の場合を考えると千円というのもというふうなことがどうも政府の御意向のようなんですが、憲法で言う無罪の判決を受けた場合という中に、責任能力による無罪というものが入るのか入らないのか、入るとしたらそれを区別するのが妥当なのかどうなのか、それを区別することのために千円という下限を現在でも維持していくということが果たして妥当なんだろうか。この辺についての御意見をお伺いしたいと思います。
○参考人(野村二郎君) 私は、この下限について責任能力の問題が当然絡んでくるわけで、下限がそのままでいいかどうかということについてはやや疑問はあるんです。やはり国家の補償ということを考えれば、特に経済変動の激しい現代の社会の中にあって、それに見合うような形での改正というものが当然行われてしかるべきではないかというふうに考えるわけです。
○猪熊重二君 三井先生にお伺いします。
 この法制定当時の上限四百円、下限二百円というものを制定するに際して、その当時物価と平均賃金というものを考慮して決めたんだと、こういうふうなことが当時の政府答弁等にあるわけでございます。今回は、上限の問題でございますけれども、もし平均賃金的なことだけで申し上げれば約四十倍になるということになるわけです。ところが、物価指数の上昇率が七倍ちょっとということで、これを両方あんばいして約二十三倍と、こういうことで、昭和二十五年当時に比べて二十三倍というふうなことになっているわけなんですが、私はこの物価上昇率を考えるということの妥当性ということについてお伺いしたいわけなんです。
 戦後の食うや食わずのときの平均賃金と物価ということを考えた場合、戦後はもう食うのに精いっぱいですから、平均賃金と物価ではまごまごすると物価の方が上へ行っていたかもしれない。でも、そのときに平均賃金と物価というもののバランスをいろいろ考えて四百円、二百円と決めたと。戦後四十年たった現在、物価の方の上昇率は非常に少ないんだ、だけれども賃金はこれだけ上がった。賃金はそれだけ上がったにしても物価の上昇率がそれほど行っていないから、その真ん中をとっての倍数という考え方は非常におかしいんじゃなかろうか。戦後の食うや食わずの段階に比べて、現在それだけ物価に比べて賃金の上昇率の方が高いということは、一口に言えばそれだけいわゆる国民生活のレベルがアップしたのであって、それにもかかわらず物価の方で引き下げてくるということの考え方の妥当性についてお伺いしたいと思います。
○参考人(三井誠君) あるべき姿としては、今お話しのようにあるいは刑事補償の上限額というのは平均賃金をもとにして定めよ、こういうことになるのかもしれません。そのあたりのことをもう少し詰めて考えたいと思いますが、先ほどお話ししましたように、この改正というのは突然出てきたわけではなく、昭和三十九年以降七回にわたって順次物価と平均賃金とを兼ね合わせたような形で手直しを加えてきた、こういう経緯があるわけですね。そういう経緯を踏まえますと、今すぐに平均賃金をもとにして定めよというのは困難ではなかろうか。しかし、先ほど言いましたように、平均給与額と物価指数の上昇率が余りにも格差が出てきたので、これまでの計算方法を若干修正するということでどうだろうか、こういうふうに申し上げた次第です。
○猪熊重二君 それから、もう一点三井先生にお伺いしますが、先ほど憲法十七条と四十条と根本的な性質としては、国の国民に対する賠償という意味においては同性質のものだろうとおっしゃられたように思うんです。そして、この四十条と十七条が両々相まって被害を与えた国民に対する補償という制度だというふうにおっしゃられたように思うんです。十七条の方は、いわゆる故意過失ということの立証ができるかできないかは、その問題は非常に難しい問題はございますけれども、十七条自体とすれば、よって生じた損害の全額賠償ということになっているわけです。それに対して四十条の方の刑事補償の場合は、一口に言って全額完全補償ということに対してどんなふうにお考えでございましょうか。
○参考人(三井誠君) 十七条と四十条の関係につきましては、今お話しいただきましたとおりなんですが、四十条というのは、公平といったような観点から迅速に補償しようということで、十七条と比べますと幾らか限界があるのではなかろうか、こういうふうに考えております。
 ただ、先ほど申しましたように、現在の国家賠償の運用状況等々を踏まえて考えれば、できるだけ四十条を、完全補償とまでは言えないかもしれませんけれども、広く補償するという方向で考えていった方が望ましいのではないか、こういうことでございます。
○猪熊重二君 柳沢先生にお伺いします。
 結局刑事補償が本当に機能すれば、難しい故意過失があるのないのということで、裁判所で請求棄却される国家賠償よりもよろしいというふうな御意見が、先ほどあったようにも思うんですが、確かに私もそのように思うんです。刑事補償の補償の内容について、先生としてはどんなふうにお考えでございましょうか。
○参考人(柳沢義信君) 先ほど来、この補償は適正な補償というふうに言われておりますが、この適正とは一体何だろうかといつも考えるわけでございます。
 庶民感覚といたしましては、やはり交通事故による損害賠償は一定の額を補償いたしております。一般にすぐそれを比較するわけでございます。それから無罪の判決を受けたような場合には、実際に積極的損害ですか、要した費用とか、それから消極的な逸失利益とかいろいろありますが、こういう計算方法がほかと余りに違い過ぎる、またその結果が余り額が違い過ぎるということでございますので、一体適正とはどういうことなんだろうかというふうに非常に疑問に思うわけでございます。
 先ほどの再審請求段階の費用あるいは慰謝料などを考えるわけでございますけれども、これに対しましては交通事故の損害賠償で一定の考え方が大体固まってきているわけでございます。何よりも疑問に思いますのは、交通事故というのは十分の何砂かの瞬間の過失によって発生した結果について、いろいろ賠償が云々されるわけでございますが、逮捕とか勾留とか裁判とか起訴とか、これは人の行為が積み重なっておると同時に、その行為をするときには十分な熟慮時間もあるわけでございます。そして、人の行為によって相当の継続的な時間の余裕のある、そういう行為の結果によって大きな被害が発生したという場合、この場合には交通事故に決して劣らないのではないか。それから再審で無罪になったような場合には、交通事故の慰謝料を考えるどころの問題ではないのでございまして、非常に莫大な費用、本当に申し上げるのも計算できないぐらいの費用がかかっております。
 冤罪事件の場合でも、鑑定も何回もいたしておりますし、弁護人が五人組みましたが、東京から青森あるいは仙台、名古屋と出張しているわけでございますが、こういうものは全然補償されておりません。苦痛といいますものもけがをしたよりは、比較もあるでございましょうけれども、その悩みは非常に深刻でございますので、この適正はもう少し高く見てよろしいのではないかというふうに考えるわけでございます。
○猪熊重二君 柳沢先生に、またもう一点お伺いします。
 先ほどから、再審請求手続に要した費用を何とかどっちかの刑事補償あるいはそのものとして、もしくは刑事補償なり場合によっては国家賠償なりということで請求したい、あるいは補償するべきだと、こういうふうなお考えのようでございますが、刑事補償の概念の中に、再審請求手続に関する費用が入りにくいとした場合にも、国家賠償の方でうまく賠償していただければいいわけです。憲法十七条があるにもかかわらず国家賠償がほとんど機能していないということでございます。
 昭和五十三年から六十二年まで、無罪事件の国家賠償請求が五十二件ありまして、この中で現在までに認容されたのがわずか二件しかない。そして、十九件はまだ一審で審理中だそうでございますので、五十二件中十九件を除けば、三十三件中認められたのは二件しかない。しかも、とっ捕まって無罪になっただけの話なんですから、そんなにこちらとして難しいことがあるわけじゃないけれども、故意過失という点で、全然裁判所の方で国家賠償を効果的に認めてもらえていないという段階において、この再審請求手続に莫大な費用がかかる。これをどこでどういうふうにして国が補償するというか、弁償するというか、この点について簡単で結構でございますが、先生のお考えをもう一度お伺いして終わりにいたします。
○参考人(柳沢義信君) 費用補償、刑事補償、国家賠償、三つの制度が関連していると思います。
 まず、費用の補償ということになりますれば、再審請求の費用ですから費用補償で本来やるべきではないかというふうに考えられるわけでございます。しかも実際に、その解釈の問題で公判準備なりに入らないと言われているわけでございますけれども、先ほど申し上げましたように、再審の裁判で実際の証拠はほとんど請求段階、米谷事件の場合で言いますれば、全部検察官請求の証拠は無条件に同意いたしまして信用性だけに絞って争われているわけでございます。そんなようなことで全部裁判の役割を果たしておりますので、それは本来費用補償で補償されるべきである。
 あと、刑事補償あるいは国家賠償、どちらでも補償されていただければ本人は助かるわけでございますので、よろしくお願いいたします。
○猪熊重二君 四人の先生方、どうもありがとうございました。
○橋本敦君 本日は、それぞれ貴重な御意見をいただきましてありがとうございました。
 まず私は柳沢先生、それから三井先生にお伺いしたいと思うんですが、今もありました憲法十七条に基づく国家賠償は、大変な御苦労もお話で出ましたように、全面的な挙証責任あるいは主張立証責任が原告側にあるものですから、逮捕され、拘束をされ、社会からも家族からも弁護人からも隔絶されて、どういう状況で捜査が進展しているかをつぶさに、到底知ることのできない立場にあるという特殊な者が、官憲側の捜査を含め、また裁判手続も含めて過失、故意なんというのはもちろん大変なことですが、主張立証するというそのこと自体が難しいことは、もう一見明白ですね。したがって、今も猪熊委員からお話がありましたように、認容されるケースというのは希有に近いことになるわけです。
 私の考えでは、この刑事補償というのは、憲法四十条と同時に十七条もやっぱりにらんでいるはずのものですし、確定判決で無罪あるいは再審で無罪になるということは、そのこと自体が無罪判決を受けた者については、むしろ国家権力の作用の側において正しくなかったということが客観的に推定されておる。こう見ていいわけですから、無罪判決を受けたことによる国家賠償請求事件では、いわゆる挙証責任の転換論ということをいろんな判例その他で言ってまいりましたが、そういう趣旨で過失はなかった、故意はなかったということは、むしろ国側に主張立証責任があるというような、こういった挙証責任の転換論が法理として適用される可能性が研究されてもいいんじゃないか、議論されてもいいんじゃないか。こういうように思っておるんですが、柳沢先生の実際の御体験からあるいは、これは民事訴訟手続ですが、三井先生から、学者の立場から見ていかがであろうか、御意見をいただければと思います。
○参考人(柳沢義信君) 実務家でございますので感覚的なことを申し上げて済みませんが、実際に人を死刑にするとか自由を拘束するという、裁判が間違っていたと言われた場合、これはやはりどうしても感覚的には違法だというふうに私たちは受け取っておるわけでございますので、やはりそういう重大な結果が出た場合には、その結果をつくった者は違法であったというふうに評価をしていただきたいと思うわけでございます。そうすると、結果は違法でございますから過失を推定いたしまして、そしてこの被告人なり被疑者あるいはその無罪判決を受けた者に、特別作為があった場合にはもう補償されなくてもやむを得ないわけですけれども、そうでない限り補償できるような制度にしていただきたいと思うわけでございます。
○参考人(三井誠君) 冤罪あるいは誤判の問題についてのみ過失の推定あるいは挙証責任の転換といったようなことをせよということになりますと、恐らく他のもろもろの公権力の違法行使との比較で、なぜこれだけそういうふうな理論構成というのが可能かという問題が残るように思われます。この点については、行政法、民法、民事訴訟法等々の理論との絡みで考えざるを得ませんので、すぐにお答えすることはできません。
 したがって、さしあたってはこれまでの理論どおりのやり方で訴訟手続を進めながら、過失の認定というのが幾らか緩やかになれば、あるいは認定というものが裁判所の方で積極的になされればと、こういうふうに思っているだけです。
○橋本敦君 まだまだ、おっしゃるような問題も含めて、我々自体も検討する必要があることは私もそのとおり考えております。
 その次の問題として、名誉回復に関連をして野村先生と渥美先生に御意見を承りたいと思います。
 現在の刑事補償法の建前によります無罪の公告ということになりますと、二十四条の規定で、基本的には無罪になったのでこういう刑事補償を決定しましたよと、こういう公告ですね。ですから、先ほどから議論されているように、それで名誉回復が十分かどうかということは問題になるわけです。したがって、これの工夫は要るわけですが、その問題は問わないとしてもう一つ問題がありますのは、身柄拘束で裁判を受けそれで無罪が確定した、こうなりますと、その刑事補償決定それ自体がなかなか出てこない。しかしながら、無罪になったというそのこと自体の名誉回復の権利は、これはやっぱり私は大事だと思うんですね。
 だから、そういう名誉回復措置ということになりますと、身柄不拘束の場合の無罪確定の場合の補償はどうするかという、金銭補償は別として、せめて無罪確定の公告ということで、名誉回復措置を検討するということは必要ではないかというように考えておるんですが、その点両先生の御意見があればいただきたいと思います。
○参考人(野村二郎君) 先生のおっしゃるとおりだと思います。身柄不拘束ですと、先生おっしゃるとおりのことで何ら外部に無罪になったということが公告されない結果になってしまうわけで、したがって、捜査機関の捜査を受け、裁判を受けているということが多くの人に知られる可能性もあるわけですけれども、その結末が必ずしも公的な機関によって公告されないということは、人権、名誉ということから考えると適切ではないし、それなりの手当てをする必要があるのではないかというふうに思います。
○参考人(渥美東洋君) 再審で明らかに新しい証拠で無罪になった場合、この場合には特別にその旨を示して名誉回復のためにできるだけの措置を構ずるべきであるということはよくわかるんです。ところが、通常事件で無罪になった場合、有罪判決よりもそれ以上に十分公告をすべきかどうかということになりますと、刑事手続に巻き込まれることによって種々の名誉を失墜する場合は、起訴されただけではございませんで、普通の裁判を進めていくときに義務として裁判手続に関与をさせられた証人とか、そういう者たちの名誉も問題になります。また、そういう者たちは証言を行った結果、被告人に不利益な証言をして後ほど無罪になりますと、その点に関する損害賠償の請求ということも受けることになるんです。
 それらの際に、特に普通の手続の中から不利益を受ける人間は非常に多うございまして、特別に無罪になった人間だけについて、本当に無罪だという事実は公告すべきですけれども、それにつけ加えて何か行うべきかということになると、それを特にそうさせなければならない理由を発見することも案外難しいように思うんです。
 というよりも、もっと考えますと、刑事手続に加わっている人間たちで裁判を受けた者が、それだけで非常に不名誉であるとかというような考え方、それ自体を改めるといいますか、それの方がかえって重要ではないか。だから、最初の事件の扱い方を新聞等でどうするか、社会全体がどう考えるかということと連動してくるので、再審無罪の場合は明らかに誤審であったということがはっきりしますから、それについて理論的に説明できます。そうでない場合は、特に無罪の者だけを処理する、特別に扱うということはほかとの関連からいってかなり難しいようにも考えております。
○橋本敦君 いろいろ議論があるということですが、私はちょっと今の先生の御意見と違って、筋を通して方法はないかということを考えたいと思うのですね。
 もう一点、これは各先生に、ごく簡単で結構ですから御意見を承って将来の参考にしたいと思う問題ですが、いわゆる精神的慰謝料の問題。これは私は、特に死刑判決を受け、そして再審無罪になる。それまで、確定するまで死刑の恐怖が常にずっと継続されるわけですね。死の恐怖というこの問題は、特別に精神的慰謝料として一般的な慰謝料以上に大きなものではなかろうか。あの日航機の墜落事故で三十二分間の死の恐怖ということが非常に大きく言われておりまして、損害賠償請求でも、この死の恐怖料ということでの特別の慰謝料問題がこれからも議論になっていくように思いますが、そういう死刑囚とされた人の日々の精神的不安、苦痛、恐怖、こういうことを考えますと、そのことを独自に見た慰謝料というものを加味するということの合理性があるように思えてならないんです。この点、ごく簡単で結構ですが、それぞれの先生方の御意見を参考のためにいただきたいと思います。
○参考人(渥美東洋君) 死刑のための拘置は、特別に考えるという橋本委員のお考え方に私も賛成です。
○参考人(野村二郎君) 精神的慰謝料というものを計数的にどういうふうに算定するのかということになると、非常に問題は難しいことになるのではないかと思います。やはり死刑確定、再審即無罪というふうな経過をたどった人に対するものについては、別個に精神的な苦痛ということを考えられるかどうか。そういうふうな合理的な算定の方法があれば別ですけれども、私は今の制度からいいますとちょっと難しいような気はするわけです。ただ、先ほど申し上げましたように、計数的に金銭にかえがたいものがあるという前提に立って、その補償ということを考える必要があるというふうに思います。
○参考人(三井誠君) 算定方法が困難かという問題は残りはしますけれども、そしてまた、現在の刑事補償の枠内で考えるかどうかという点は検討しなければなりませんけれども、方向としては望ましいものだと考えております。
○参考人(柳沢義信君) ただいまの三井参考人の意見どおりでございますが、問題は先ほど来申し上げておりますが、再審請求段階の費用が補償されないこと、刑事補償では平均賃金の半分近いものということで、その中で現在の制度からいけば慰謝料的なものは全く考えられておらないというように私たちは解釈しておりますので、その点は、額の問題では私はないと思います。そういう死刑判決を受けた人、身柄の拘束を受けた人に、これは慰謝料分ですよということを出していただけるような制度にしていただきたい。それは、額が算定困難だということで先送りになっていますと、やはり間違ってもだれも責任を負わないというふうに受け取っておりますので、姿勢の問題であろうかというふうに私は考えております。余り額は問いませんので、慰謝料的なものも補償されるようなところまで御努力していただきたい、そういうふうにお願い申し上げたいと思います。
○橋本敦君 終わります。
○関嘉彦君 きょうは四人の参考人、お忙しいところをどうもありがとうございました。 私は法律の専門家じゃないので、あるいはプリミティブな質問になるかもしれませんけれども、御了承願いたいと思います。
 まず第一に、先ほど猪熊委員も指摘されたように思いますけれども、下限を上げることですね。これが一番最初二百円だったのが千円まで上げられてからそれ以上はストップしている。これをストップさした理由は、心神喪失者なんかの行為の場合にそれを補償するのがいいかどうか、そういうことから上げないで、つまり一番最低のところでそういうときはやろうということになっていると思うんです。今度の改正に私は間に合わないと思いますけれども、第三条で「裁判所の健全な裁量により、補償の一部又は全部をしないことができる」という項目がございますですね。その中には「捜査又は審判を誤まらせる目的で、虚偽の自白をし、又は他の有罪の証拠を作為することにより」等々と。この中に、心神喪失によって起きた事件については、裁判所の健全な判断により、裁量によって補償の一部または全部をしないことができると、そこにつけ加えれば下限もずっと上げることができるのじゃないかというふうに私は考えるんですけれども、そのことはいかがお考えでしょうか。どなたでも結構ですけれども、渥美参考人。
○参考人(渥美東洋君) 理屈の上から申しますと、憲法十七条と四十条が同じであるというふうに考えれば本当の無罪というのじゃない場合を含みますので、特に心神喪失による無罪という場合はそういう場合ですから、補償はうんと最低にすべきだという議論になりかねません。しかし、そうではなくて、何という言葉を使っていいかわかりませんけれども、やはり刑事裁判を動かしていく上で、過失もなかった、何もなかったけれども、それらの人々に不利益を与えた衡平上のものだというふうに考えた場合には、その理屈を貫きますと心神喪失の人だろうと何だろうと、不利益をその人が受けたことには違いがないわけですから、したがって補償は相当十分に与えるべきだという議論になります。
 本来私が考えるのには、四十条と十七条は違っていると思うんです。各国の補償についての制度の発展を見ましても、一方では本当に不法行為による責任を問う、しかし他方はそうではなくて、刑事手続の運用上犠牲を負った人に対しては何らかの救済を行うべきだという、何と言ったらいいかわかりませんけれども、日本で恩恵によると言うと怒られますけれども、エクスグラティア、何と言ったらいいんでしょうか、そういう内容のものだ、こういうふうに言いますと今のような場合が救われてまいります。したがって、これらの問題についてもう少し、やはり四十条と十七条の制度を、両方をきちんと運用する、両方いいかげんに運用しないという方が、僕は将来の発展にとっていいんじゃないか、そう思っております。そういう考え方から四十条を考えますと、先生御指摘のように、それを考えてもいいということになるのじゃないかと思うんです。
○関嘉彦君 今の問題について違った御意見の方があれば、どなたか。なければ次の質問に移りますけれども。
○参考人(三井誠君) 三条一号に当てはまる場合もあり得るでしょうが、むしろそれは例外的と考えられます。また、「心神喪失者ノ行為ハ之ヲ罰セス」ということですので、本来起訴されるべきではなかった、にもかかわらず起訴されたということで、それに伴う不利益というのはあるかもしれませんが、ただ捜査の過程ですべてそういう点について明らかにして、その種のものをきちっと起訴不起訴の段階で見分けよというのも大変困難な気がいたしますので、若干先ほど言いましたような懸念を感じておる次第です。
○関嘉彦君 柳沢参考人、米谷事件の経過とそれから一番最後に言われたことですね、私は非常に同感するんですけれども、これは再審、特に再審の場合ですけれども、個々の警察官なり裁判官なりの過失ではなしに、国家権力全体としての過失といいますかね、衆議院段階での審議の過程を見ていますと、安倍(基)委員の方から、これはシステムな過失なんだと。したがって、個々の公務員の故意または過失を取り扱っている国家賠償の中でも特異なものなんであって、したがって先ほど橋本委員も言われましたけれども、挙証責任を転換するとか、あるいは国家賠償法の中に入れるのではなしに、そこのところだけ引き出してきて、刑事補償法の中で何か規定を新しく設けたらどうかというふうな感じもするんですけれども、まず最初に柳沢参考人にそのことをお伺いしたいと思うんです。
○参考人(柳沢義信君) 先生のおっしゃるとおりでございますので、特に被害者の立場から見れば、自分の一つの損害でございますですね。これが費用補償、刑事補償、国家賠償というふうに三つに分かれていることが非常に困るわけなんです。しかも、裁判所も違う、法律も違うということになっておりますので、やはり国家補償法というような本も出ておりますし、一つのまとまった補償にしていただきたい。そして、それがいろんな法律の言葉にところどころに出てまいります適正なものである限り、そういうふうに補償していただけるような制度にしていただければというふうに考えるわけでございます。
○関嘉彦君 何か、それについてもし別な御意見の方があればお伺いいたします。
○参考人(渥美東洋君) 私は少し違った考え方を持ちますが、やはりシステムとしての責任ということを考えるということになりましても、裁判の場合は上訴制度までありまして、しかも犯人がだれであるかということは、最初の段階では誤ることもございます。それらの活動をする際に、それらが本来過失なんだ、本来構造的な誤りなんだというふうにおっしゃられると、そのシステム全体を否定しなきゃならないということになるのじゃないかと私は思うんです。したがって、やはり通常の過程において生じたものは、過失というよりもそうではないものだけれども、衡平上救済をするという基本的な考え方になるので、特別に何か明確な基準が定まっていたにもかかわらずそれに違反した場合は、これは過失を推定するとか、そういう個々的な推定規定を置くことには賛成ですけれども、制度全体がそこから結果さえ誤れば、全部常に過失があるという考え方をとるのは相当に困難だろうというふうに思います。
○西川潔君 最後になりました。長時間本当に本日はありがとうございます。
 私は、法律に至っては全く素人でございますが、今先生方からいろいろと御質問が出ました。僕は子供たちのことからひとつお伺いしたいと思うんですが、少年が逮捕されて身柄の拘束を受けても刑事事件に入らずと、保護処分を受けた場合ですけれども、実質的に無罪で保護処分は取り消されても、今のままでは刑事補償法の対象とはならないわけです。保護とはいっても身柄の拘束を受けた少年の権利の保護に、少し欠けるのではないかなというふうに少年の場合思うのでありますけれども、皆さん方の御意見をお一人ずつお伺いしたいんですが、よろしくお願いいたします。
○参考人(渥美東洋君) 健全な常識をお持ちの西川委員がおっしゃるそのとおりです。ところが、保護処分というのは少年の利益のためのものであるという前提で、そういう哲学で進んできました。したがって、利益の者について保護救済する必要はないじゃないかという理屈になるんです。これは抜本的に考え直してみなければならない問題なんです。ですから、その問題を考えなければなりませんので、少年法の理念それ自体をもう一度再検討するという、そういう厄介な手続を経なければならないと思います。私もどちらかといいますと西川委員がおっしゃられたように、実態は不利益であって、その問題はもう少しよく考える必要がある、少年法についてもう一回抜本的に検討し直す必要があるというふうに考えております。
○参考人(野村二郎君) 西川先生非常に鋭い御指摘だと思いますけれども、少年法そのもの自体がやはり渥美参考人がおっしゃったように、少年の保護ということが前提になっておりまして、それを補償というふうな形で金銭面の補償をするということになりますと、問題は少年法の保護の本質に触れる問題になると思いますので、やはりそれについては、今にわかに私はどういうふうな意見を持っているかということをお尋ねになっても、ちょっと申し上げる材料を持ってないということでございます。
○参考人(三井誠君) お二人の参考人の御意見と同じで、少年法の精神と刑事補償法のねらいというものが若干異なっておるものですから、保護処分と無罪を同列に置くことができない。したがって、おっしゃったような問題点があるようには思われますけれども、今すぐに無罪判決と同様の効果をあるいは刑事補償という観点から考えていくというのが妥当かということになると、なお検討すべき余地が多々あると考えております。
○参考人(柳沢義信君) 私は西川先生のおっしゃられたとおりだと思います。
 結果的に保護すべきでなかった人を少年院なり何なりに送って、それが事実が違ったという結果が出た場合に、そこに損害が発生したらやはり賠償しなけりゃいけないんじゃないかと考えられます。
 それから、もう一つこの機会に申し上げておきたいのは、科学も何も発展してまいりますので、人為の及ばないところで結果だけが間違ってくる場合があるわけですが、その一つの例として米谷事件で血液型問題を申し上げているわけでございますので、そういうものが重なって結果が間違った場合、これはやはりひとつ補償していただくようなことをお考え願いたい、そう思います。
○西川潔君 ぜひひとつよろしくお願いいたします。
 これで終わります。
○委員長(三木忠雄君) 以上で参考人に対する質疑は終わりました。
 参考人の方々に一言お礼を申し上げます。
 本日は長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただきまことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚くお礼を申し上げます。(拍手)
 本案についての審査は、本日はこの程度にとどめます。
 本日はこれにて散会いたします。
   午後四時三分散会