第112回国会 文教委員会 第12号
昭和六十三年五月二十日(金曜日)
   午後一時一分開会
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  出席者は左のとおり。
    委員長         田沢 智治君
    理 事
                仲川 幸男君
                林  寛子君
                粕谷 照美君
                佐藤 昭夫君
    委 員
                小野 清子君
                川原新次郎君
                木宮 和彦君
                山東 昭子君
                杉山 令肇君
                世耕 政隆君
                竹山  裕君
                寺内 弘子君
                柳川 覺治君
                久保  亘君
                安永 英雄君
                高木健太郎君
                高桑 栄松君
                勝木 健司君
                下村  泰君
   政府委員
       文部政務次官   船田  元君
       文部大臣官房長  古村 澄一君
       文部省教育助成
       局長       加戸 守行君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        佐々木定典君
   参考人
       お茶の水女子大
       学長       河野 重男君
       日本教職員組合
       中央執行委員会  福田 忠義君
       全日本教職員連
       盟委員長     楡木 定治君
       千葉大学教授   三輪 定宣君
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  本日の会議に付した案件
○教育公務員特例法及び地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案(内閣提出、衆議院送付)
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○委員長(田沢智治君) ただいまから文教委員会を開会いたします。
 教育公務員特例法及び地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案を議題といたします。
 本日は、本案審査のため、参考人として、お茶の水女子大学学長河野重男君、日本教職員組合中央執行委員長福田忠義君、全日本教職員連盟委員長愉木定治君、千葉大学教授三輪定宣君の四名の方々に御出席をいただいております。
 この際、参考人の皆様に一言ごあいさつ申し上げます。
 皆様には御多忙中のところ御出席をいただきまして、まことに感謝、御礼申し上げます。
 当委員会では、教育公務員特例法及び地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案の審査を進めているところでございますが、本日は、本案について皆様方から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の審査の参考にいたしたいと存じますので、よろしくお願い申し上げます。
 つきましては、議事の進め方でございますが、まず、お手元の名簿の順でお一人十五分程度御意見をお述べいただき、全部の参考人から御意見を伺った後、各委員の質疑にお答えをいただきたいと存じます。
 それでは、まず河野参考人よりお願い申し上げます。
○参考人(河野重男君) 河野でございます。今回の初任者研修制度を創設するための法案に関して、私の意見を申し述べる機会を得ましたことを光栄に思います。
 申し上げるまでもなく、戦後の我が国の学校教育は、憲法及び教育基本法の示すところに従いつつ、国民の教育に対する熱意と関係者のたゆみない努力によって著しい発展を遂げて、今日の我が国の発展に多大の貢献をしてきたところでございます。しかし、今後我が国が二十一世紀に向けて、国際社会における期待にこたえて積極的な役割を担っていくに当たっては、教育を通しての人づくりのあり方についてより一層真剣に考えていかなければならないと思うのであります。その場合、よく、教育は人なりとか、学校は教師次第と言われているとおり、学校教育の成否は、直接それを担う個々の教員の資質のいかんに負うところが極めて大きいのであります。このことから、これまでにも、御承知のように、すぐれた教員を確保するため、教員養成大学の整備充実ということに努めてこられましたし、また人材確保法の制定による教員の処遇の改善等、施策が講じられてきているわけであります。この国会に提出されております法案は教員の初任者研修制度の創設を図るためのものでありますが、教員の資質、能力の向上を図るため、この初任者研修制度は極めて有意義なものと考えております。
 以下、私はこの制度の創設に賛成する立場から意見を申し上げたいと思います。
 第一に、今回の初任者研修制度の創設は、教員養成のあり方、そして初任者研修制度、そして現職研修のあり方、この三つを全体的、関連的にとらえて、その中の一環として位置づけられているという点でございます。これは申し上げるまでもございませんが、教育活動は人間の心身の発達にかかわるものでありますし、児童生徒の人格形成に大きな影響を及ぼす極めて重要なものでありますが、その職責にふさわしい資質、能力ということになりますと、教員の養成段階だけでなく、教職生活の全体を通じて次第に形成されていくものであることは言うまでもございません。したがって、その向上を図る施策を講じるに当たってはどれが大学での教員養成に期待すべきものなのか、あるいはどの点は採用後の初任者研修に期待すべきことなのか、さらにどの点はその後の教職生活の各段階における現職教育に期待するものなのか、それぞれの役割と観点を明確にしながらそのことに配慮してそれを全体的に関連のある一貫したものとして考えていく必要があると思います。
 この場合、教員の養成ということでは我が国ではいわゆる開放制の原則のもとで大学教育を通じてそれが行われており、教員免許状を取得するためには教科及び教職一般について大学で科目を履修しなければならないことになっております。この国会に、教員養成の改善のための教育職員免許法の改正も提出されているわけですが、教員に必要な資質、能力のうち基礎的あるいは理論的なものについては大学における教員養成の段階で十分に培われるということに考えられている。しかし、その教員養成の段階で培われた基礎的、理論的なものの基礎の上に立って、本当に先生になるんだということで採用され、入ってきた初任者に対して教員に必要な実践的指導力を十分に身につけさせる、また使命感を持って教員の職務に従事させる、そのようにするためには教員の資質、能力の向上を長期的な目でとらえて、教員に採用後の現職研修により研さんを積むことが適切であり、また効果的であると思います。そしてこの場合、教員として最初に入った学校における教師の活動のあり方がその後の教師のあり方に決定的に大きな意味を持っているといったこと等をも考えあわせますと、実践的な指導力の向上と使命感の確立を図るために、採用後の初任者研修という場を通して、そのために初任者研修制度を創設することのそれがねらいだというふうに理解しております。
 次に、初任者研修の方法についてでございます。教員の職務の遂行はほとんど大部分が独立して学級の、例えば授業という形をとって行われるということから、初任段階にある教員については他の職業以上に組織的、体系的な研修を行う期間が必要であります。この場合の研修期間については、実際に授業とか校務分掌とか、そういう実務に従事しながらの研修であるわけですから、教員としての一通りの実務経験ができる期間であることが必要になります。学校における教育活動は年間指導計画に従って行われております。また、学級担任等の教員の実務も大体一年を単位として行われるものでありますから、研修期間はその意味からして一年間とするのが適当であると考えます。
 研修の方法としては、新任教師が日常の教員としての職務に従事すること、つまり学級担任をする、あるいは教科、科目の授業を担当する、と同時に校務のさまざまな分掌にも従事しながら、先輩教員から指導、助言を受けるという形を基本として、あわせてそれとの関連において一定期間校外研修という形で教育センター等における専門的な知識技能といったものについての研修を受けるという方法が最も効果的であると考えます。
 初任者研修においては教職経験が豊富で指導力にすぐれた指導教員の確保ということが肝要でありますが、指導教員には新任教員が勤務する学校の教頭、教諭または講師をもってこれに充てることになっております。このように指導教員は新任教員と同じ学校に勤務する、そして教職経験が豊富な先輩教員としての立場から新任教員に対して、これは私なりに言わせていただければ、ある意味では後継者を育成するのだという前向きの立場で指導、助言を行うものでありまして、その点から言えばそれぞれの学校の持っている教育の力、教育力を最大限に活用しようとするそういう制度だと言うことができると思います。具体的に指導に当たっては、新任教員の能力とか適性等に応じ、また一人一人の新任教員が成長していくプロセス、過程に応じて系統的でそれぞれの時宜にかなった指導を行うことができるものでありまして、新任教員の力量を高める上で適切なものだと考えるのであります。
 ここで少しつけ加えさしていただきたいと思いますが、今行われております試行の経験の中で、新任教員の指導に当たった教員が、この新任教員を指導していく過程で自分の実践そのものを見直して、一緒に検討していく中で自分の実践力そのものも高まっていくということを実感したというようなことを調査の結果などで指摘されているようでございます。いわばこれは新任教員との共学びとでも言っていいようなプロセスだというふうに思いまして、その点には注目をしたいと思うわけです。もちろん新任教員の指導はひとり指導教員のみが当たるわけではないのでありますが、新任教員に対して責任のある系統的な指導が必要でありますから、指導教員を中核とした学校全体の共同的な体制を整備することが大切だと思います。
 この一年間の初任者研修について、昨年度から各県市で試行が行われております。研修の具体的な内容、方法についてはこれから都道府県で工夫され、引き続き研究され、改善を加えていく必要があると思われますが、少なくとも現在まで調査等で報告されている結果では、各県市とも新任教員の指導力は大きく向上した、また他方、学校全体で新任教員を指導しようとする意識が醸成されてきている、またそのことが学校全体の活性化にもつながったという意見が多いというふうに承知をしております。
 新任教員の負担が過重になるのではないかとか、研修を受けることによって児童生徒と接する時間が少なくなるのではないかという危惧、指摘もございましたが、それを実際の試行の中で、研修内容の重点化を図る、あるいは時間割りの編成を工夫する、さらに校外研修に出かけていくときの時期とか時間について工夫をする、さまざまな努力がなされて克服されておるようでございます。この面については、今後一層の改善の努力を進めることを期待するものであります。また、その試行の過程で、校外研修の一環として他の学校種別や他の教育機関の参観とか企業等を利用した研修などが行われておりますが、このことは教員の視野を深めるという上で大きな意味を持っているというふうに思います。
 次に、この初任者研修の実施に伴って条件つき採用期間を一年とするということについてでございます。
 条件つき採用制度は、申し上げるまでもなく、公務員の採用についてこれを条件つきのものとして、その職員が一定期間勤務をしてその間その職務を良好な成績で遂行したときに正式のものとなるとするものであり、職員の職務遂行能力の実証を的確に行うための制度でございます。ところで、教員の職務は児童生徒の教育をつかさどるという極めて重要なものでありますが、そしてその勤務形態は教室における授業という形態、独立した授業という形態が大部分である等の特殊性を有するものであると考えられます。加えて、一年間の初任者研修を受けるということによって、勤務しながら研修を受けるという特殊な勤務形態をするということになりますから、その職務遂行能力を判断するということは大変難しいことになります。
 そこで、今回の法案については、一年間をかけて職務遂行能力の向上を図りながら、そのことが実証されるということを的確に行っていくんだという前向きの積極的な考え方に立って教育公務員についてその条件つき採用期間を一年とするという改正を提案しているものと理解しております。条件つき採用期間が一年とされましても、その身分自体が変わるものではございません。またその判断基準が従来のものと変わるものでもございません。したがって、条件つき採用期間中の教員の身分が他の公務員と全く異なる不安定なものとなるものではないと考えるものでございます。今後、さらにこの面については教員の職務遂行能力を客観的な基準に照らして判断するという条件つき採用制度の本来の趣旨に沿った適切な運用を図るべきだと考えております。
 最後に、この初任者研修を含めた教員の現職研修のあり方についてであります。
 教員にとって研修はその職責を遂行する上で欠くことのできないものであることは言うまでもありません。そのため、教員としての各時期において必要な研修を体系的に整備していくということが課題だと考えます。例えば初任者研修を終えて教職経験五年程度を経た時期になりますと、初任者研修の基礎の上に立った教科指導力、学級経営の力量の向上を図るというための研修が必要となりましょうし、また十年後、二十年後という段階になりますと、もっと大きい広い学年経営とかあるいは全体的な生徒指導とか、それぞれの段階で期待される役割に応じた研修の機会を提供することが必要だと考えます。
 以上、今回の初任者研修制度を創設するための法案の審議に当たり意見を申し述べましたが、我が国の教員の水準は国際的にもかなり高い水準にあると思います。しかし、その資質と水準を二十一世紀に向けてさらに高めていこうとするのが今回の初任者研修制度の趣旨だと考えるわけです。今回の初任者研修制度が西ドイツ等における試補制度とは異なるものであることもこのことと関連があると思います。私は、この初任者研修制度が我が国の教育風土や国民性等を考慮して極めて有効な特色のある制度となるものと強く確信もし、期待しているところでございます。今回の法案が速やかに成立して、充実した初任者研修が実施されることを願いまして、私の意見陳述を終わります。
 どうもありがとうございました。
○委員長(田沢智治君) 河野参考人ありがとうございました。
 次に、福田参考人にお願い申し上げます。
○参考人(福田忠義君) 参考人の福田でございます。
 私は、かつて小学校の教員の経験がございます。と同時に、本日は、多くの教職員がその持っておる意見や声をぜひ委員会の場で反映をしたい、そういう立場から、初任者研修制度の創設にかかわる教特法並びに地教行法の改正につきまして、その問題点を指摘をしながら意見を述べたいと思います。
 さて、私が初めて教壇に立ちましたときは、戦後の混乱期からようやく立ち直り、教職員も力強く教育復興のために立ち上がろうとした時代でございました。私は、新採用教員の一人として、子供の教育に携わることの誇りと夢を抱いておりました。同時に、一方では子供の指導や学級運営などについての不安も当然ございました。また、校内における先輩の皆さんとの人間関係や父母の皆さんとのつながりをどのようにしたらよいのであろうか、いろいろな思いをめぐらしたことを今でも忘れることができません。四月に着任をしましてからは、それこそ無我夢中で子供の中に飛び込み、どうしたら子供と溶け込めるのか、あるいは子供たちが何を考え求めているのか、また一人一人の子供の個性をどうしてつかんだらいいのか、学級運営や教材研究にどう取り組んだらいいのかなど、時間のたつのも忘れる毎日でございました。必然、いろいろと悩み、頭を打ち、模索することが続いたわけでありますけれども、そのときに助言や相談に乗っていただいたのは、同学年の先生であり、先輩の皆さんであったわけです。
 ただ、後日これは聞いた話でありますけれども、先輩の皆さん方が、すぐ答えやアドバイスを与えないで、新任教員なりの模索や努力をさせた方がよい、そうでないと、人の借り物で、自分自身のものになり得ない、こういう話し合いが先輩の皆さんの中にあったということがわかりました。これは、先輩の皆さんの新任教員に対する、ある面では厳しいことではありますけれども、同時にそれは長い間の体験から得た配慮であったことを思い知ったのでございます。ささやかな私の体験でありますけれども、私はこのような新採用時代を過ごしまして、教員生活を送ってまいったのでございます。
 新任教員は、このように日常的な子供との人間的な触れ合いを通して相互の人間関係を深め、同時に先輩教員からの助言や指導を受けながら、教育実践を積み重ねていくものであります。そして、そのような体験の中から教育の創造性が身につき、教師としての喜びを実感として受けとめることができるのです。まさに、教師は子供と教職員集団の中で育つ、こういうふうに言われるゆえんはここにあると思うのでございます。このようにして、新任教員は育ち、そして後輩に対して、みずからの体験を通してアドバイスを続け、今日の教職員集団が確立しているのでございます。
 にもかかわらず、今回の新採用教員の研修が一方的に義務づけられ、行政の枠組みの中で行われること自体に多くの問題があるにもかかわらず、しかも、なぜそれを制度として創設されなければならないのか、私にはその理由がどうしてもよくわかりません。もちろん、私たちは研修を否定するものではありません。それは新任教員に限らず、現職の教職員についても子供の教育に直接責任を負う立場から、みずからの教育実践力と専門職としての力量を高めるためには研修を続けなければなりませんし、そのことは極めて重要であり、また当然のことだと思います。このようにして、今日まで新任教員を先輩の教職員が激励し、ともに支え合い、協力し合ってきたこの経過の中に、一体どこに問題があるというふうに指摘されるのでしょうか。また同時に、多額の予算を投入してまで新任教員の研修を制度化しなければならないという意義は一体どこにあるのか、大変理解に苦しむところでございます。
 新任教員は、それぞれ大学におきまして教員免許に必要な単位を修得し、しかも一定期間の教育実習を経て採用されています。しかも、大変厳しい採用条件の中で採用された新任教員が赴任したと同時に研修対象者となり、一年間はいわゆる条件つき採用として一人前に扱われないということは、新任教員自身にとっても大変心外であると思います。同時に、その間の身分不安定なことから、指導を受ける立場にある子供や父母に与える不安は極めて大きいものがあります。教員免許状を与える大学の教育のあり方に改善の余地があるといたしましても、新任教員の個々人にその責任を問わなければならない理由がどうしても理解できないのでございます。
 昨年四月から三十六都府県、指定都市において新任教員を対象とした初任者研修の試行が実施されています。文部省の指導としては、年間、校内研修七十日、校外研修三十五日、洋上研修十四日、さらに四泊五日の全員研修となっており、これらの日数を合計いたしますと、実に年間授業日数の半分を超える研修が義務づけられることになるのでございます。
 特に、校外研修三十五日間というのは一週間に一回の計算でありますけれども、新任教員は自分の学級の子供のことが気になりながらも出かけなければならない状況になっています。そして、校外研修の新任教員不在の教室では指導教員がかわって授業を行うというのが実態となっています。小学校低学年の子供たちの素朴な声は、先生きょうも出かけるんですか、僕らの担任の先生は本当はどの先生なのですかというように子供たちには多くの戸惑いと疑問があります。また、経験豊かな教師が指導することと新任教員の指導との差が子供たちには一層不可解な思いを抱かせ、新任教員の担当に対する不信を増大しているのではないかと危惧される面があります。このことは教育的に見て決して望ましいことでないばかりか、子供と教師との信頼や人間関係を阻害する要因ともなりかねないと思うのでございます。
 衆議院の文教委員会におきまして、試行における成果を文部省はいろいろと評価されているようでありますけれども、私たちが全国各県に調査をいたしました初任者研修の問題点を集約した結果が次のとおりとなっております。
 その第一は、研修は本来自主的、自発的、創造的なものであり、いやしくも強制されたり義務づけられたりして行われるべきものではない。第二は、したがって一年間という計画をされた枠組みの中で行われようとする初任者研修は、新任教員の持つ若いエネルギーや創造性やフレッシュな感覚を失わせる結果となり、臨教審答申の言う個性重視の教育改革原則に矛盾するのではないか。第三の問題は、新任教員が校外研修に出る機会が多く、学級運営や教科の進度に問題がある。第四は、子供や教職員との触れ合いに欠け、自信を持った指導に不安が残る。第五の問題は、過密な研修計画によって新任教員の精神的、肉体的な負担が大きい。第六は、学校行事や学校運営に支障を生じ、指定校の教職員は一層多忙化に追いやられているなどとなっています。
 このような批判や問題点を指摘しているのは、ただ私たち教職員のみではありません。全国連合小学校長会の初任者研修の実施状況に関する調査結果を見ましても、全面的に同様の疑問と問題点が指摘されているところであります。さらに、ある県の教育委員会の幹部も、一つには文部省の言うマンツーマン方式には問題がある、なぜ集団指導体制ではいけないのか。二つ目には、全面実施となれば指導教員と非常勤講師の確保が全く困難だ。第三は、出張旅費などの財政負担が重くなるなどの疑問が今から既に出されているところであります。
 さらに、これらの問題点とあわせまして、今回の法案の中には新任教員の条件つき採用期間延長の問題がございます。一年間の初任者研修を実施することと臨時採用期間を六カ月から一年に延長することとの間に果たして必然性があるのであろうかという疑問を持たざるを得ません。初任者研修はあくまで現職研修の一環として行われるものであり、その期間を一年間とするというにすぎず、そのことをもって臨時採用期間を一年間としなければならないという根拠はどうしても理解しがたいところであります。
 さらに問題なのは、昭和六十四年度から六十六年度までの各年度においては、政令で指定する学校の教諭等に対して初任研を実施しないことができるとし、この間、初任者研修を指定されない者は従前どおり六カ月の臨時採用期間、指定された者は十二カ月にするという点については、教育公務員間に矛盾を生ずると同時に、このような条件つき採用期間に差を設けることの合理性が全くないばかりか、大変な問題だと考えます。もちろん、他の公務員との間の不公平を問題にしないわけにはいきません。
 私は最後に、今回の初任者研修制度が全面実施された場合に必要な予算は、文部省の試算によりますと約八百億円、このうち国庫負担分は約二百八十億円と推計されています。私は初任者研修についての問題点を述べてまいりましたけれども、これだけの財源を問題の多い初任者研修に充てるよりも、今学校現場で最も悩み、苦しんでいるいじめや登校拒否など、いわゆる教育荒廃の克服のために日夜懸命の努力を続けている教職員や父母の皆さんの期待にこたえるためにも、四十人学級の即時完結、三十五人学級の実現、大規模校の解消など、教育条件整備と改善のために財源を投入していただくことが、教職員はもとより父母、国民の緊急かつ重要な課題と要求にこたえることだということを十分に御理解をいただきたいところでございます。
 その点を最後に要望いたしまして、私の意見を終わらせていただきます。
○委員長(田沢智治君) 福田参考人、ありがとうございました。
 次に、楡木参考人よりお願い申し上げます。
○参考人(楡木定治君) 参考人の楡木でございます。
 教育公務員特例法並びに地教行法の一部を改正する法律案につきまして、私は、教員生活四十年、そして私どもの組織の集約いたしました意見を踏まえまして、賛成の立場から意見を申し述べたいと思います。
 今回、提出されております法律案は、新任教員に対し一年間の組織的、継続的な研修を行う研修を制度化するもので、教員の資質能力を向上するために極めて有意義な制度であると認めます。以下、賛成の具体的な理由について申し述べたいと思います。
 第一に、初任者研修制度を創設し、教員の資質能力の向上を図ることは、現下の教育諸問題を解決し、学校教育の質的向上を進める上でまことに適切な施策であると存じます。
 御承知のように、現在の学校教育を取り巻く環境は極めて厳しく、鎮静化したとは申しながら、いじめや校内暴力等は依然として深刻な状況にございます。このような問題を解決し、今後の社会の進展に対応した教育活動を進めるには、教員、保護者、行政の関係者が連携して真摯な努力を続けることが基本であります。とりわけ教員は、先ほど来指摘のとおり、日々、子供と触れ合い、その知的、精神的、肉体的成長に直接かかわりまして、その果たす役割はまことに重かつ大であると思います。古くから、先ほど河野参考人も申されたとおり、教育は人にありと言われ、学校教育においては教員に人を得ることがその成否を左右する重要な要素にもなっております。すぐれた教員を確保するためには、大学における養成教育、教員採用、そして現職研修の段階で適切な施策を講ずることが大切であります。
 この制度は、教育活動に従事しながら資質能力の向上を図りつつ、教科指導等に関する実践的指導力や問題解決能力を高める上で、まことに有意義でございます。このような実践に根差した能力によって現下の教育問題を解決し、同様に多様化した社会に対応する教育活動が展開されるものと存じます。このような意味で初任者研修制度の創設は、各方面から大きく期待をされているところでございます。
 第二は、今回提案されている初任者研修制度は、初任者の実践的指導力や使命感を高めると同時に幅広い知見を養うことを目的としており、教員としての全人格的な成長が期待をされております。
 教員の勤務は、子供に対して単に教科等に関する知識を授けるだけでなく、学校における諸活動を通して子供たちの全人格的な成長を促す営みでもございます。このような職責を担う教員には、単に専門的な知識や技術のみでなく教育者としての使命感や人間の成長、発達にかかる深い理解、教育的愛情、広く豊かな教養など幅広い能力が求められております。
 初任者研修制度は、初任者が学校において実際に学級や教科、科目を担当しながら、指導教員の指導を受けながら実務に即した指導能力や問題解決能力の向上を目指しておるわけでありまして、同時に学校外において教育センターの研修を初め、見学や参観、さらに宿泊などの体験的研修活動が計画されておるわけでございます。このように多方面にわたる研修を積むことによって、教育者としての幅広い知見が身につき、教員としての全人格的な成長をも促す有効な制度であると私どもは受けとめております。
 第三は、初任者研修制度が教員の生涯を通じた研修の第一段階として位置づけられておる点でございます。
 言うまでもなく、教員としての資質能力は初任者研修によってのみ完成されるものではございません。それは大学における教員養成、初任者研修、その後の現職研修の過程を通じて次第に向上していくものでございます。教員の職責の重要性、特殊性にかんがみ、昔から、進みつつある人のみ人に教える権利ありと言い古されておりますけれども、教員には教職生活の全期間を通して研さんに励み、みずからの資質能力の向上に努めるよう強く求められておるところでございます。教職生活の中で、初任者の時期は教員としての自覚と指導力を高め、円滑に教育活動に入り、自立の素地づくりをする重要なときでもあります。まさに、鉄は熱いうちに打てという言葉がございますけれども、全くぴったりする時期ではなかろうかと思います。
 初任者研修制度は、この時期に一年間にわたって組織的、計画的に行われるものであります。この研修により教員養成段階で修得した基礎的、理論的知識や実践的指導力の基礎を実務に即して発達させるとともに、その後の職能成長の基盤を培うことが期待されております。その意味で、初任者研修制度は教員養成と現職研修をつなぐ重要な役割を担うものとして位置づけられておるわけであります。このように、初任者研修制度を現職研修の第一段階として位置づけることにより、その後の現職研修についても充実、改善が図られ、教職生活の全期間を通した研修の体系的な整備を進める上でまことに大きな意義があると存じます。
 第四は、指導教員による指導が初任者研修制度の中核として位置づけられておる点でございます。
 初任者研修を効果的に進めるためには、初任者を学校に配置し、実務を担当しながら研修を行うことが大切でございます。従来の新採研修におきましては、責任を持って指導に当たる者が必ずしも特定されず、そのため指導の責任の所在が不明確で、指導の継続性という観点からも問題があったことは事実でございます。今回の改正案はこのような反省に立ち、初任者の属する学校から指導力にすぐれた適任者を指導教員に充て、校長のリーダーシップのもと指導教員が中核となって他の教員の協力も得ながら初任者の指導に当たる、いわゆるマンツーマン指導がとられております。このような指導形態により、初任者の成長過程に応じた組織的、計画的な時宜を得た指導が可能となり、初任者個々人の適性に応じたきめ細かい指導が約束をされております。
 また、試行の結果によりますると、校内においてこのような責任ある指導体制を確立することは、校内の研修体制の整備にも役立ち、教職員全体の中に初任者を育成しようとする雰囲気が醸成され、校内の活性化を促し、学校全体に好ましい影響を及ぼしております。このように、指導教員を中核とした初任者研修は一年間継続して行われますが、学校における教育活動が一年をサイクルとして展開されていることを考えますと、研修期間の一年は研修効果という観点からも評価できるものであると存じます。また、指導教員と関連いたしまして、今回の改正案では市町村立小中学校において初任者研修を実施する場合、その指導教員に充てるために非常勤講師を必要とする場合には都道府県教育委員会に派遣を求めることができるとする地教行法の改正が盛り込まれておりますことは、まことに適切な措置と存じます。
 第五は、初任者研修に伴って教員の条件つき採用期間を六月から一年に延長することとした点であります。
 一般に公務員に条件つき採用制度がとられ、その者が公務員として真に適格であるかどうかを判断する機会が設けられております。教員についても同様の規定が設けられておりますが、今回の改正案では初任者研修制度の導入に伴い、教員の勤務形態が特殊なものとなるために、その職務遂行能力を実証することがより困難になったということから一年に延長することとしております。言うまでもなく教員は、予供の人格形成に大きな影響を与えるものであり、すぐれた教員に出会うか否かはその将来を大きく左右すると言っても過言ではございません。これまで関係者の努力によりまして、指導力にすぐれ、人間的にも魅力のある教員が多数育成されましたことは事実でございます。
 しかしながら、このような努力にもかかわらず、問題教員として適格性に欠ける者が存在していることもまた否定し得ない事実でございます。このように、適格性に欠ける教員を誤って学校教育に迎え入れ、子供たちに悪影響を与えることがないよう教員としての適格性の判定につきましては慎重の上にも慎重を期する必要があると思います。また、一部に条件つき採用期間の延長を案ずる向きもありますが、私の体験からは採用直後の教員は新たな気持ちで子供と取り組み、全力投球していささかも不安を感ずるようなことは認めておりません。このことは一年に延長されても変わることがないと確信をいたしております。そのような意味で、今回の条件つき採用期間の延長は健全な学校経営の確立、こういう観点からも適切な措置であると受けとめておるわけでございます。
 以上、今回の改正法案につきまして賛同する理由を述べましたが、いずれにいたしましても教員の資質能力の向上を図るということは、教育関係者はもちろん、国民の要望の強い課題、つまり国民的課題でもありますので、この法案が早期に成立し、初任者研修制度が円滑に実施されるように希望を申し上げまして陳述を終わりたいと思います。
 ありがとうございました。
○委員長(田沢智治君) 楡木参考人ありがとうございました。
 次に、三輪参考人よりお願いいたします。
○参考人(三輪定宣君) 三輪でございます。現在、千葉大学の教育学部に勤務し、教育行政学を専攻しております。また、この二十年来、教員養成の実際に携わり、現在、教員養成研修等の問題を研究する団体の全国教員養成問題連絡会の代表世話人を務め、また教育法の専門学会であります日本教育法学会の理事をしております。
 以下、法案に反対の立場から意見を申し述べます。
 初めに基本的な問題を指摘してまいりたいと思います。
 第一は、法律制定に必要な研究や合意、コンセンサス、関係団体との協議が著しく欠けているということでございます。特に教員政策は、ILO、ユネスコの教師の地位に関する勧告も示しているように、当局と教職員団体との協議、合意に基づいて決めるというのが世界的な常識、慣行でございます。
 第二は、初任者研修の制度化は国の立法措置になじまないと私は思います。教育の世界はなるべく教育の条理、慣習、自治で営まれることが望ましいわけでして、特に公立学校教員は地方公務員ですから、地方の自治、住民自治の本旨に基づきその人事や研修が行われる必要があると思います。
 第三は、教師の力量発揮の条件整備を先行させるということでございます。
 第四に、私の気になるのは、この法案の底に教師や大学不信があるのではないかと思われます。現場や大学の教職員の骨身を削る日常の苦闘が信頼できたら、この制度の構想はなかったと思うのです。初任者研修の暗いイメージが有能な青年を遠ざけて、教職の水準を長期に低下させることが懸念されるわけでございます。
 次に、法案の具体的な問題点を指摘してまいりたいと思います。
 第一に、初任者研修は、法律によって公然と新任教師をこれは半人前扱いにするんだと。最高の教師で最高の教育を受けるべき子供の教育を受ける権利をこれは侵害することではないか。「初任者研修」と表現しておりますが、一年間条件つき採用として、指導教員に職務の全過程の指導を受けるのですから、これは紛れもなく試補制度、あるいはその変形と言うべきですね。ただし、欧米の試補制度は、正規の教師は子供の全責任を負い、試補生は実習生ですから子供や親には説明がつきます。もっとも、試補制度は、これは教員養成不備の時代の産物ですので、最近は各国で廃止、見直しの傾向であります。
 初任者研修は試行段階でも、子供から、僕は先生のモルモットなのとか、なぜ先生の上に先生がいるのとか、ひよっこ先生だとか、教育実習生と思っていたとか、二人の先生がいて迷ってしまうなどの意見が出て、父母の中には、ことしはあきらめたと言い、抗議の電話が新任教員宅に殺到して自宅に帰るのが怖いといった声も出ております。これは初任者研修が新任教師を半人前扱いにしながら、授業、学級は一人前の教師並みに担当させるという矛盾のあらわれなんですね。だれでも半人前のレッテルを張られた先生にかけがえのない教育を受けるのは、これは屈辱です。子供はだれもが最高の教師から最善の教育を受ける権利があり、半人前、見習い教育、実験教育を強いられるゆえんはないわけですね。新任もベテランもすべての子供に全く同等の重い責任を負っています。複雑さや重要さは全く変わりありません。ですから、新任教師を半人前扱いするということは、その教育の質が一番劣るという品質表示なんですね。ベテラン先生がついているから心配ないといったって、これは通用しません。子供や親の抗議はこれは当然ではないでしょうか。
 第二は、新任教師一年間の条件つき採用なんですが、これは極端な身分不安、精神不安に追い込んで、教育や研修に安心して伸び伸びと没頭できなくなる。同時に子供や親もその教師の不安が伝染します。そして、その教育に一年間にわたって不安、不信を押しつけられるわけですね。一年間の条件つき採用が試行ではなくて正式実施の段階になりましたら、この心理的な圧迫は格段に大きくなり、常に職務の全面にわたって監視、評価が行われ、不適格者だとかあるいは職務遂行能力なしの烙印を張られる脅威あるいは緊張に新任教師はさらされるわけですね。そんな状態で子供が伸び伸びと育ち、人格の完成が期せられるはずはないじゃありませんか。
 教育基本法が特に教員の身分は尊重されなければならないと定めておりますのは、それが侵されると教育自体が不安定になって、国民全体の奉仕者としての職責が果たせないからでありまして、教員の身分というのはそれ自体が重要な教育条件なんですね。したがいまして、教員の条件つき採用は一般公務員よりもこれは身分尊重の原理に徹して運用されるべきで、したがいまして教員に特例を設けて六カ月を一年間に延長するというようなことは、これは完全に教育基本法の精神に反しているんですね。
 特に教師は既に採用前に大学で教員養成教育を受け、教員免許状を取得し、その上選考によって学力、人格の審査に合格しておりますから、条件つき採用で職務遂行能力を精査するまでもなく、ほぼ安心、信頼して教育が任せられるんです。初めは技術面で戸惑いがあるでしょうけれども、専門知識は最新、若さという子供を引きつける磁石のような魅力を持っているわけです。四月に教壇に立って困らないだけの教育方法の理論や教育実習、その事前授業は大学が責任を持ってやっております。教職の特殊性は一週間の時間割の繰り返しで教育活動が行われるところにあるわけで、六カ月で十分能力の実証もできると思います。
 第三に、初任者研修と銘打っていますが、教員研修全体をこれは自主研修から行政研修、命令研修へと原理の一大転換を図る、その教員研修の大きな変質を迫るものだと私は思います。二十条の二の条文によりますと、初任者研修は「教員の経験に応じて実施する体系的な研修の一環」とされ、全教師に対する生涯の行政研修体系が規定されているわけですね。そして初任者研修は、教職の入り口で教師の自主的な研修の自覚とか能力の芽を摘んで、いわば行政研修べったりの意識を植えつけ、生涯それに順応服従する教師に仕立てる窓口と言うべきではございませんでしょうか。
 教員研修の特質は、一般公務員、民間企業社員の行政目的、企業目的のための行政研修、企業研修と違いまして、教育行政目的のためではなくて、それとは相対的に別個の教育目的、教職の専門職性に基づく自主的、専門的研修が生命なんですね。法律にも、一般公務員の研修は「勤務能率の発揮及び増進」が目的となっておりますが、教員については、その特例として「その職責を遂行するために、絶えず研究と修養に努めなければならない。」と明記され、行政研修の有無にかかわらず、不断の自覚的研修義務が職責の一環とされております。
 教育基本法は「教育の方針」の第一に学問の自由の尊重を掲げておりますが、この教員研修こそはまさに学問の自由の保障のかなめなんですね。行政事務に携わる一般公務員の研修は行政研修になじむでしょう。しかし教職は教育行政ではありません。教員免許状を持つ教育専門家の専門的職務であって、そのための研修が行政当局に対して自律的であるのは当然ではございませんでしょうか。したがいまして、行政当局による研修行政の基本は、教師の自主的な研修活動に必要な諸条件の整備とその奨励で、教特法の十九条二項も、第一に研修に要する施設の整備、第二に研修の奨励を挙げております。
 第四に、指導教員の初任者に対するマンツーマン方式は、初任者が周囲の教職員から自由に学ぶ、みずからの自覚で学ぶという機会を奪い、研修効果を低下させるということですね。
 日本教育学会の一九八〇年の調査によりますと、教育実践の質を向上させた契機ですね。新任教員に対するアンケート調査によりますと、十三項目のうち三項目を答えることになっておりますが、第一は先輩、同僚教師の個別的アドバイス、これが一番ためになるというんです、六六・四%。第二が子供たちとの交流、これが五一・七%ですね。第三位の校内研修、三〇・一%、以下その他を大きく引き離しているわけです。それぞれの先生からいいところを学ぶ、子供との交流が一番ためになる、こういうんですね。
 それで、マンツーマン方式は初任者研修の範囲を基本的には特定の指導教員に限定する、センターの研修に局限をするということになりますので、したがいまして広くすぐれた教師やその実践から啓発され理解、納得によって身につけることを本旨とする研修の本質が損なわれるということですね。
 五点目に、初任者研修は週二日マンツーマン指導、そして週一日の教育研修センターでの研修など、新任教師と子供との十分な接触を妨げる、そしてまた課題研究や報告書づくりでさらにそのことが助長される。そのために、研究やあるいは授業の準備、整理というものがそれだけおくれて、結局教育のつまづきの原因になってしまうということで、これでは新任教師の力量向上にむしろ妨げになるんではないでしょうか。
 第六点に、新任、初任者研修の目指すところの教師の資質向上というのは、私は真の教育的力量ではない、主として政府への忠誠心とか服従心とかあるいは学習指導要領を忠実に教える狭い教育技術になるのではないかと憂えております。
 周知のように、四十年前のちょうどこの国会で制定された教育基本法は、前文で「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期する」とか、あるいは「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。」というふうに明記いたしました。これは国家のため戦争のために教師の自主性、主体性を奪い、虚偽を教育の名において教え込み、子供を戦場に送った戦前教育の誤りへの痛切な反省、ざんげからいわば生まれた新生日本の教育宣言であったと思います。それはユネスコ憲章の恐るべき大戦争は、人間の尊厳を否定することによって可能とされた戦争であった、教育とは人間の尊厳に欠くことのできないものであるというこの精神と同一の人類普遍的教育理念であろうと私は思います。
 ところが初任者研修は、全国画一的制度のもとで新任教師の個性やあるいは人間的尊厳を損なう、学問の自由不在の命令的研修で平和と真理に貫かれた教育活動を困難にする、教育者としての主体性を根底から揺るがすわけですね。ですから、教育基本法制定四十年後のこの国会で、こういう法律を論議しているということを当時だれが予想したでしょうか。今子供のいじめ、登校拒否、体罰、校則などの管理教育や、人間を点数で差別、選別する教育体制など、学校教育はまさに多くの問題を抱えております。父母、国民もその解決を願っております。また、日の丸、君が代強制など国家主義の教育も浸透してきております。それらは一口に言いますと、人間の尊厳のための教育を提起した憲法、教育基本法の精神の形骸化のあらわれではございませんでしょうか。教育改革のあり方は、いま一度戦後教育の初心を確かめ、その人類普遍的教育理念を実現して国際化に対応していくことではないでしょうか。これに逆行し、再び教育の国家統制あるいは独占ともいうべき状況に道を開くこの初任者研修法案の採決には強く批判、反対をいたしたいと思います。
 そのことを申し述べて、私の意見陳述といたします。
 ありがとうございました。
○委員長(田沢智治君) 三輪参考人どうもありがとうございました。
 以上で参考人からの意見聴取は終わりました。
 これより質疑を行います。
 なお、参考人の皆様に申し上げます。各委員の質疑時間が限られておりますので、恐れ入りますが、お答えはできるだけ簡潔にお願いいたしたいと存じます。
 それでは、質疑のある方は順次御発言願います。
○安永英雄君 まず、福田参考人にお伺いをいたしたいと思いますが、今お話がありましたように長い教師生活の中から、教師は子供と教師集団とともに育つ、こういうお話がありましたが、特に私感銘を受けたわけです。当委員会としましてもこの問題についていろいろ審議を今日やっているわけですけれども、文部省といえども、やはり学校内における先輩、後輩切磋琢磨し合っていく自主研修というものが確立されて、その上にいろいろ勉強を加えていくということは私どもと意見は一致いたしておるところでありまして、この点はまさに言われたとおりだと思います。
 そこで、たくさんありますので、条件つき採用の期間を六カ月から一年とする提案が今度行われておるわけでありまして、初任者研修が一年ということで義務づけをしようとしておるわけでありますが、これとの確かに連動しながら、本来別個の問題でありますものを強いて一つにあわせてと
もに一年、こういう考え方はもちろんこれは別個な問題だと私は思っておりますし、それから他の公務員との均衡というのも、これは簡単に破れるものじゃないんで、公務員制度のその上で臨時採用期間が六カ月というのは、すごい期間を通じ、そして長い討論を経て、そしてこの問題は解決をしておる問題でございますので、これは簡単に他の公務員との均衡というのは破ってはならない鉄則があるわけでありますが、それを破ろうとするのは私は不当ではないか。
 それから中には、今までの陳述聞きますと、まあ心配はない、こういうお言葉がありましたけれども、これは身分の保障上大きな問題を抱えておるわけでありまして、簡単にこの期間安心してよいというふうな言葉が出るのはこれはおかしいんであります。そういった意味で福田参考人の、先ほど供述されましたけれども、しかし改めてこの問題についてのお考えをお聞きしたいと思います。
○参考人(福田忠義君) 今御指摘になりましたように、研修期間を一年とするということと臨時採用期間をあわせてそれに一年にしなければならぬという必然性は私はないということを意見として先ほど申し上げました。と同時に、意見の中でも申し上げましたけれども、やはり新任教員がそういう臨時採用期間を背負って一年間いくということは大変身分上の不安がある。同時にこの臨時採用期間の期間中はいわゆる審査請求権がない。不利益があっても審査請求ができないという、そういう期間になっておりまして、それはますますもって身分の不安に拍車をかけることではないであろうか。
 さらにまた、大学で四年ないし二年の課程で必要な単位を修得をして、一人前の者として赴任をしておる新任教員ですから、それをさらにもう一年間はおまえは半人前なんだというふうなそういうやり方というのは、一年では、新任であれ、あるいは経験豊富な教員であれ、自分のクラスの子供に対しては同等なやっぱり責任を持たなきゃいけぬ立場にある。それがやはりそういう半人前扱いというか、そういうことになるのは大変私は問題だと思うんです。私は、さらにさかのぼって言えば、現在の六カ月の臨時採用期間自体にも私は問題があると思うんです。この点はこれが決定になる国会では相当な大議論があったというふうに私は聞いておりますけれども、そのこと自体にも私は基本的に問題があるというふうに思っておりまして、そういうふうな考え方をこの延長問題については持っておる次第でございます。
○安永英雄君 三輪参考人にお伺いいたしたいと思いますが、現行の教特法十九条の二項、ここでは明らかに研修の「実施に努めなければならない。」というふうに行政の責任をここに明記いたしております。このたびこの点につきまして、任命権者がその採用の日から一年間初任者研修を「実施しなければならない。」と義務づけておるわけです。これは憲法あるいは教育基本法、それから教特法それ自身の趣旨、精神というものを逸脱しているというふうに私は思うんですけれども、三輪参考人の御所見をお伺いしたいと思います。
○参考人(三輪定宣君) 教特法十九条二項の趣旨は、教員の自主研修を保障するための条件整備としての研修行政のあり方を定めたものというふうに考えられますね。ですから、第一に先ほど申しましたように施設の整備、第二には研修の奨励、その他の計画の実施義務も規定されていますけれども、それはあくまでもそうした条件整備や奨励の補完的な行政でございまして、今回のように完全に自主研修が困難な状態にして行政研修を前面に出してくるような、そういう法的根拠ではないというふうに思っております。その意味では、この法自体が教特法の現行規定とも抵触をするというふうに思っております。
 なお、先ほども申しましたように、教育の命は真理、真実を教え、その真理、真実を通して子供たちは精神的に発達をしていくわけですね。その真理、真実は権力公認のカリキュラムを教えることによって決して保障されない。学問、研究の厳しい研さんの中から専門家たる教師が身をもって究明して、責任を持ってその真理を子供たちに教えていくということが大事なんですから、何よりも学問の自由の保障が貫徹されるべきですけれども、とりわけ教員の研修にそれが必要なんですね。その意味において教特法は自主研修の原理を定めているというふうに解釈すべきだと思います。
 それともう一つ、教育基本法は、先ほども申しましたように不当な支配に服さないで国民に直接に責任を負うという立場の教育を教師に求めているわけです。ですから、何よりも教師の力量の根幹は教育者としての主体性であり自主性であるわけですね。そういう教育者としての主体性や自主性はみずからの自主的な研修を通して初めて形成されるのでして、そういう自主性や主体性が上からの行政研修によってつくられるというものではございません。その点も自主研修権の保障にある教育基本法の精神として私は大事に考えていただきたいと思います。
○安永英雄君 河野参考人にお伺いをいたします。
 先ほどいろいろお説を承りました。その中で、いわゆる大学における教員養成機関の問題に触れられました。当委員会におきましてもこの問題に多少触れたわけでありますけれども、文部省当局としましては、結局実践的な指導力、使命感、こういったものが新規採用者、いわゆる新卒に限っているということで、今度提案されたこの初任者研修制度の提案の大きな一つの理由になっておるわけです。極端に言えば、そういった力が今の新規採用にはない、だからこれやらなきゃならぬという趣旨の答弁ばかりであります。
 そこで私は、随分教員養成大学について実地に学校に行ったりいろいろな各方面を回ったり、あるいは資料を集めて検討をいたしました。そこで私は、当然教員養成大学の中で実践的な指導や使命感というものを、ここで培わなければならない使命が大学当局にあるのではないか。むしろそこのところにないから研修をしなければならない。むしろ私は、大学当局として反省すべき点がたくさんあるのではないか。初任者研修制度を礼賛するよりも、まずみずからの使命というものを果たさなければならぬのじゃないか。私の調査の結果では、専任教員なんというのは満足に置いていない。これはあなたの学校のことを言っているわけじゃない。一般論として調査をして言ったんですが、非常勤講師ばかりでやっている。設置基準すれすれ。ひどいところは設置基準に違反している。専任教員なんていうのは欠になっているところがある。
 あるいはまた授業の形態、講義の形態等も、これは設置基準で五十人というふうに決められておる、クラスが。それがオーバーしても二百を超えてはいけないというふうに規制をしてある。それが全部二百を超しているんですよ。皆講堂に集めて一斉にとにかく集中講義をやって済ましておる。こういう現在の教員養成大学の欠陥というものを文部省当局も補わなきゃならぬし、それから大学当局も努力をしなきゃならぬ。私の知っている大学の学長さん二、三名にもこの問題について会いましたが、すべて皆、相済まない、確かに我々責任がある、こういう話でありましたが、お茶の水とは指しませんけれども、先生のこの点についての反省はないかという問題についてお聞きします。
○参考人(河野重男君) 大学に問題があるのではないか、反省はないかということでございますが、御指摘のとおり、これは私の大学も含めて、やはり今回の考えられている改善とも関連させながら、大学での教員養成は一体どういうことをどのところまでやるのかということについて、もう少しこれは明確にしなければならないんじゃないかということは考えられ始めていると思います。
 一番初めに私申し上げましたが、今回の初任者研修制度が大学における教員養成の開放制の原則、これを維持するということとの関連が一つある。確かに大学が教員養成の点でいろいろ不十分な点を持っていることは御指摘のとおりでありまして、これは改善されていかなきゃならない。し
かし一方で教育内容の高度化、教育技術の高度化、そういうものを考え合わせた場合、また教育実習を充実するということはいいけれども、教員養成の段階で教育実習をどの程度のところまで一体充実していくのかということになりますと、全体的な関連を考えますとなかなかこれは難しい面もあるのではないか。
 そこでやはり大学における教員養成を、先ほど御指摘のありました実践的指導力、そして使命感の基礎を十分にこれは大学でやる。それを教育実習を通し、教職科目を通し、専門科目を通して身につけていくんだ。その上に立ってほとんどと申しましょうか、かなりの者が教員免許状を取っていく。そしてその中で、本当に教師になろうとして教師に入ってくる者に対して実際に授業をしながらさらに指導教員とともに実践的な指導力をそこで身につけていくという、まあ口幅ったい言い方になりますが、むしろそういうつながりを持ったものとして考えて、その中に大学の教員養成が何を中身として焦点化していくのか、そういう点からいえば、私は、やはりこれから大学における教科科目、教職科目、そして教育実習のあり方について実践的指導力、そして使命感の育成の基礎とは何かということを大学としても内容的に詰めていかなければならないんじゃないか、そういうふうに思っておるわけであります。
○安永英雄君 河野参考人に聞きますけれども、今から研究しなければならぬという立場のものですか。今おっしゃったような形で教員養成機関で教員を養成するといった場合に、もう直ちに使えるというふうな一〇〇%の要求を私は考えているわけじゃないんです。あそこで完全な一つの仕上げられた教員ができるというふうなことは要求しないし、大学当局もそうは考えていないだろう。これは私は当然だと思います。しかし余りに、一〇〇%でないにしても、あなたがおっしゃる実践的な指導力あるいは特に使命感、こういったものは教員養成機関できちっとやっぱり方向づけておかなければならぬと思うんです。むしろ私が心配するのは、今のような言い方であれば、大学の方の例えば教育実習、これあたりもとにかくわずかな期間でお粗末な内容なんですよ。これはもうあなた自身知っていると思うんです。これあたりが、卒業すればまた一年間研修の機会があるからということで、逆に教育実習の期間あたりをますます縮めてみたり、無責任にやってみて、卒業してからそれから先は法律に基づいてやるわいというふうな手の抜き方をやっちゃならぬと私は思う。そういった意味で、今の私は教員養成をする大学というものについてもう少し反省というものがないかということを再度お聞きします。
○参考人(河野重男君) 反省をしているからいろいろ申し上げたわけでして、私なりの答えを言わせていただければ、そういうことをいろいろ考えながら、例えば教育職員養成審議会等でもさまざまな論点を詰めていって、今回の初任者研修のあり方、現職教師のあり方と同時に、一方では教育職員免許のあり方、そういうことを詰めていったときに、これは大学における、大学のこれからのあり方等をも考えながら審議していったと思います。そのことだけお答えしておきます。非常に反省し、これから改善していかなきゃならないということは十分に考えております。
○久保亘君 先ほど三輪参考人から冒頭に、今度の法案決定に当たって関係者との協議が著しく不足しているという御指摘がございましたが、この点に関して福田参考人にお尋ねいたします。
 文部省は今度の法案の提出に当たって国民の各界各方面の意見を聞いたということを強調されておりますが、この研修を義務づける側と研修を受ける側、特にその研修を受ける側の教員の主なる組織であります日本教職員組合に対して今度の法案決定に当たって意見を求められたことがございますか。
○参考人(福田忠義君) 大変残念でありますけれども、そういうことが一切ないのでございます。
 実は私は、二月の初めに日教組委員長として就任をいたしまして、日教組には今まで例がなかったそうでありますけれども、私は就任をいたしました以上はぜひ文部大臣にお会いをしてあいさつを申し上げたいというふうに思いましたので、担当の者で文部省にかけ合ったんですが、国会等の関係があって会えないということで、あいさつ自体も実は正直言ってできないような状況に実はなっております。聞きますと、文部大臣もどこかの何か記者会見で、日教組が会いたいというなら会ってもいいよというふうなことを記者会見の席上でおっしゃったというふうに私は実は聞いているのでございますが、私どもが文部大臣にお会いをしていろいろ話をしたいということが、私はどこかパイプが詰まっているんじゃないか、本当に文部大臣のお耳にそのことが入っているのかどうかということを、むしろ疑わしいような気も実はいたしております。
 今、久保委員がおっしゃいましたように、私は決して自画自賛じゃありませんけれども、我が国の最大の教職員集団としての日教組の理解なり協力というふうなものがない限りなかなかいろいろな問題が前に進まないということは、これは極めて当然だというふうに思っておりますし、今回の初任者の研修の問題は、私はすぐれてやり方の問題のところに焦点が今あるように正直言って思っております。やり方の問題であれば、粘り強くお互いに話し合えば、どこかやはり打開の道は開けるのではないかという、私はそういう思いをしておりまして、本院でもいよいよ初任者研修問題が大詰めになっておるように思いますけれども、いまだに文部大臣とお話ができないということは返す返すも大変残念な思いをいたしておるところでございます。
○久保亘君 先ほども御指摘がございましたけれども、一九六六年のユネスコの特別政府間会議におきます教員の地位に関する勧告は、その第九項において、教員団体は教育の進歩に大きく寄与し得るものであって、したがって教育政策の決定に関与すべき勢力とし認められなければならない、このように明らかにいたしております。私は、今福田参考人が文部大臣に話し合いを求めても、拒否されているのかどうかわかりませんが、会うことができない、こういう事情を御説明になりましたことに対して大変遺憾に思っておりますが、この初任者研修制度の決定に関してもし文部大臣が日教組と事前に協議を行うということであれば、福田参考人としては今日においてもそのことを十分協議を尽くしたい、相互に理解を深めたいということについて、強い御意思をお持ちでありますか。
○参考人(福田忠義君) 私は、今申し上げましたように、文部省自体も日本の教育をやっぱりよかれともちろん思われておるだろう、日本の子供の教育をどうすればいいかということを思われているだろう。私ども日教組もそういうふうに思っています。そうであるならば、やはりお互いに話し合って知恵を出し合っていけば、いろいろな打開の道があるというふうに今でも思っておりますから、御指摘のようにあすにでもひとつ会わないか、こういうふうにおっしゃれば、私は喜んでお会いをして、いろいろと意見をぜひ交換したいと思うんです。特に、今回の臨教審関連六法案の問題につきまして、政府の皆さん方は戦後教育の総決算ということを随分言われてまいりまして、私どももまさしくこの関連六法案という問題は戦後教育の総仕上げだというふうに大変重要に実は思っておりまして、今後の教育の将来にとって大変大きな課題ですから、そういう課題がいろいろ国会で議論をされているにもかかわらず、文部大臣と何らの意見交換ができないということは、将来のやはり日本の教育のあり方の問題をめぐりましても私は非常に残念でならないというように思います。
○久保亘君 次に、河野参考人にお尋ねいたしますが、先ほど条件つき採用の期間を今度の法案によって一年に延長しようとしていることについて、たとえ一年に延長しても教育公務員としての身分自体は何ら変わるものではないという御意見がございました。何ら変わるものでなければ延長する必要はないのではないかと私は思うのでございますが、何ら変わらないものをなぜ延長する必要があるでしょうか。
○参考人(河野重男君) 私、先ほど申し上げましたのは、教員の研修をしながら勤務をするという、ここが一つの特殊な形態を持っているので、それが一年間を見て、職務能力を的確に実証できるかどうかということは一年間かけなきゃわからないんじゃないか、そういう意味で前向きというふうに申し上げたわけです。ですから、そこのところまでは前向きに、一年間かけてある水準のところまでは一緒に高まっていきましょうという考え方で一年間を申し上げたわけです。
○久保亘君 身分は何ら変わらないとおっしゃったのは、これはそうすると何か間違いでございますか。
○参考人(河野重男君) そういうことについての位置づけといいますか、そういうことについては変わらないんだ、だから、そのことの運用については慎重に綿密に検討されていかなければならないということを申し上げたわけです。
○久保亘君 きょうは御意見を伺う立場でございますから、これ以上申し上げませんけれども、少し私は疑問が残ります。
 それから、それぞれ学校の種別は違いましても、長年の教職の体験をお持ちの参考人の皆さん方ばかりでございますが、どなたもいわゆる初任者研修を体験された方はないと思うのでございます。それで、初任者研修の機会を与えられなかったみずからの教職体験を振り返って、初任者研修が不可欠である、こういう御主張をなさいますことは、教師の資質についてのある意味では自己否定、自己反省ということにつながるのかなと私思いながらお聞きしたのでございますけれども、私も短いのですが教職の経験がございます。それで、私、新採用の教師として高等学校に赴任をいたしましたときの新しい感動や、沸き立つような情熱というのを今でも思い出すことができます。
 そういうものと、経験豊かな教師との相互のお互いに学び合う関係というのが学校の中で非常に大きな活力になっていったように私は今でも確信をしているのでございまして、何か文部省の説明を聞いておりましても、新任教師というのはどうも物足りない、不満がある、こういうことを繰り返し言われているわけですが、そういう新任教師を育てて学校の現場に送り出す側に立っておられる河野参考人、三輪参考人、皆さんが養成して卒業させて学校の現場に送られる教え子について、物足りないとか不満とかいうものをお感じになっておりますでしょうか。端的にお答えいただきたいと思います。
○参考人(河野重男君) 物足りないということがどういう基準で言われてくるのかよくわかりませんけれども、私は、最近の大学を出て先生になっていく者については、例えば教科についての専門的な知識にしろ、あるいは教員の技術にしろ、これはかなりのものを持って出ているというふうに思います。しかし、先ほども申し上げましたように、やはり教育内容の複雑性ですとか、それから父兄と子供たちの心理の状況だとか、さまざまのことが非常に大きく変化してきております。これについてどうかと言われれば、その点ではまだまだ我々は不十分なまま送り出しているということは認めざるを得ない。それは条件とか、さまざまなことを考えてそう言わざるを得ないと思います。
 しかしそこを、私先ほど、これはやはり今までの我が国の教育風土の中で非常に強かった後継者を育成していくんだという観点に立って一緒に高め合っていこうではないか、こういう考え方で指導教員を中心にして学校全体で新任教師の指導に当たっていただきたいというのが私の願いでございます。
○参考人(三輪定宣君) 私は国立の教員養成大学学部でこの間養成をやってきましたんですが、最近の事情、御察しのとおり児童生徒数が急減しまして教職員の需要も極端に低下して、首都圏では二割とか三割くらいしか、小学校課程を卒業しても教職につけないという状況になってきておりますので、したがいまして、非常に教職に意欲があり、また学力が優秀でないと実際には今の現場に立てないわけです。そういう点では御心配のないような、そういう学生がたくさん現場に今は出ていると私は思います。
 それから、教育学も私ども三千名ほどで日本教育学会を組織しておりますが、この四十年間、戦後の民主教育に支えられながら学問的にも大きく発展して、そういう発展した学問の蓄積に立って現場との交流を深めながら、実践的な教育の実態も理論化しながら教育学を高めてきておりますので、そういう到達点に立って一線で教員養成をやっておりますので、従来以上に基本的にはすぐれた学生を送り出しているというふうに思っております。
○仲川幸男君 私から申し上げておいて、時間がございませんから、各先生方にお一人ずつ後ほどお示しをいたしますものについてはお答えをいただきたい、こう思うのであります。
 まず、初任者の問題につきましてはいろいろお話がございました。本音と建前もあるなと思ってこちらで承知をいたして聞いておりました。初任者というのは、もうずっとそれこそ昔からやっておりました。六十二年に二十二億初めてつけた試行のところまで、初任者研修について本当の予算のついたことはないわけであります。私もちょっと、昭和二十六年からその周辺を関係をいたしております三十幾年の間で、高等学校、中学校の科目別になりますと、高等学校になるとのぎへん科長がおったりしますから、これはいろいろまた変わった状態の初任者になろうと思いますけれども、まず来年から小学校をやっていくということでありますから、そのあたりの周辺の話でお話をしてみたいと思うわけであります。
 学校へ新しい先生が来ました。校長先生が、古い有能な先生を呼んで、おい、おまえ、あれちょっと一年面倒見てやってくれよ、こう言うんですよ。もう先生もやられた先生方が皆おいででございますから十分、そうして、私たちはそれをえぼし親などと言って、それの兄貴分として決めておったわけであります。そして、それは新任の先生を自分のうちに連れてきて、奥さんが手料理をこしらえて食べさしながら人間教育も、そして先生としての力をつけておる。これがずっと長い間、長い長い歴史があるわけでございます。が、言いかえますと、これはボランティア活動であった。このことについては御異議を挟む方はないと思うのであります。
 小学校の四年生が帰ってきまして、弱った弱った、今度の学期は新任の先生だった、女とか男とかいうことは言いませんが、そういうことを夕食のぜんで言いました。お母さんが、さあちいと塾でもふやさないかぬなと言いました。ところが、それから二、三日して帰ってきまして、これは私の知る範囲内の話でございますが、恐らくどこにも同じようなことがまずあったと思うんです。二、三日して帰ってきて、きょう先生が新任の初めての学級であいさつをしましたと。私はきのうまであなたたちと同じように先生に教えてもらいよったんですよ、それをきょうから先生が教えるので、あなたたちもわからぬことが多いだろうけれどもひとつ我慢して一緒にやってね、教頭先生がね、わからぬことがあったら聞きに来い、だれだれ先生が私の面倒を見てやろうと言った、どうぞ皆さんわからぬことがあったらみんな一緒に話しましょうねと言ったんで、それで一遍にその新任教師で弱ったという話が吹っ飛んだわけなんですよ。これほど教育というのは、子供の心というのは非常に刺激に強いわけであります。
 そういう中で、そのボランティア活動であった新任の教員の教育をするために、あの渋ちんとまでは言いませんが、あれほど予算を出しにくい大蔵省が来年二百億に余る予算を出そうとしておる。要求をしておる。ことし五十三億出したんでしょうかね、去年二十億ですが。今やはり教育の現場、皆さん十分御承知の方ばかりでございますから、予算がいかに欲しいかということを十分御承知のとおりでございます。そこで、今初任者の研修制度を待っておる人たちが、大変教育界もちろんでありますが、この教育界というのは地方の都道府県、市町村でありますけれども、関係者が待ちに待っておるんですよ。そして、私たちのところへひとつ早く通してくださいよと言ってきておる、こういうことであります。
 また、校長さんやその学校を運営している幹部の方たちも、定員がその中へ一人多くなるんですね、手法としては。私は初めから何でも一人で、そこへ古い校長さん、三代前の校長さんが来て座ったら、いすはどこへ置くんだと言って、そのことには大変抵抗を文部省へもいたしましたけれども、それはみんなが育てる、育てるためにはどんなに割り振りするかは別として、そのためにはそこへその育てるだけの授業の時間を現場へ渡すわけなんですよ。今度の予算で渡そうというんですからね。その点おわかりいただけると思うのです。いろいろこの問題には学説や評論じゃないんですよ。現場の本当の今言う新任の先生方と、そしてそれを運営しておるもろもろの教育管理者というのにはおかしいかもしれませんが、管理者に準ずる人たちのその周辺の問題であります。私はある意味ではよくこの制度を、臨教審が物を言った中では私はある程度点数を高くつけるものの一つであったと、こう思いますが、このことを一つお聞きをいたします。後でまたその上に立って二、三お聞きをいたします。
 それでは、先生方にお尋ねをいたしたいことが四点ございます。
 初任者、そういう意味での、その手法は別ですよ。予算をとって、初任者研修は現在のこの教育の中で必要でしょうかどうでしょうかということをお尋ねいたします。
 もう一つは、現在このことを教育関係社会の大変多くの人が望んでおると思いますが、いかがでございましょうということであります。
 もう一つは、ちょっとこれストの件でありますが、日教組の運動方針の中にストライキを含むこの件についての反対の闘争があるというものを何かで、間違うておったら委員長もおいでになっておりますから御訂正ください。私は、そこに鹿児島でかれこれ御活躍をしておった久保先生がおいでの当時に私も少々関係をしておりましたので、よくお互いにそのことも承知をいたしておると思うんですけれども、その時代の感覚の日教組と管理者というものの感覚は、少しこのお話の中にあるストの件が日教組の運動方針の中に書かれることとはちょっとそぐわない感じがするし、時代が変わっておる。流れておるのではないでしょうか。これは管理者側もそうでしょう。日教組のお話の中に、もう一つそれも私が散見したものの中ですけれども、これは書記長のものであったと思うんですが、この初任者研修は新任教員の日教組入りを阻害するものだということか、ないしはそれに似たようなことが出ておりましたことを散見しておりますが、ちょっとそのあたりになりますと少し飛躍をしておるのではないだろうか。
 このことについては特に福田先生、当面の責任者でもございますので、そのあたりのところを建前でない本音のところで少しお話をいただければ大変参考になると思います。私たちもその当時は肩怒らしてやったものでありますけれども、現在は認め合いながら、その中でまたいいものをとりながらやっておるわけでありますから、私はもしこれで現場でストが起こるようなことがあればこれは大変残念なことだというふうに思いますので、そのストの件についていかがでございましょうかという、第三点であります。
 第四点は、初任者研修の中で管理者というか、それに準ずる人たちが現在の手法、文部省、現在の手法を改善するところがあれば、手法が十分おわかりいただいておらぬかもわかりませんが、かなり新聞が詳しく伝えておりますからおわかりであろうと思いますが、文部省が現在初任者の手法を改善したいと思うところがあったらお聞かせを願いたい。
 この四点を、限られておる時間の中で、私は二十五分与えられておるわけでございますから、もうたくさんありません。いや、ありませんといっても大変謙虚なことで申し上げたので、まだまだ十分針が真っすぐ上になるまでは大丈夫でございますので、ひとつお答えをいただきたいと思います。
○参考人(河野重男君) 第一の初任者研修は必要かという問いに対しては、初めに申しましたように、これは必要で、ぜひこれは実現していただきたい、これがお答えであります。
 それから、それを望んでいる人が多いと思うが、いかがかということについては、私なりに承知している限りでは、やはりこれはだんだん理解も得られてきて、これをぜひ実現してもらいたいという声が私の承知している限りでは多いと思っております。
 第三の問題は、この段階では私にはわかりませんのでお答えいたしかねます。
 それから第四の、現在の手法で改善すべき点ということについては先ほども申し上げましたが、現在のこの試行のあり方の中でも、例えば教育センター等で行われる研修については、これは非常に画一的にこれこれこういう科目を必修科目みたいに用意してやるのではなくて、あくまで一人一人の初任者が自分はこういうことを突っ込んで系統的に勉強をするんだ、あるいは例えば教育工学なら教育工学のこういう面を専門的に突っ込むんだ、そういうふうに選択してとらえることができるように、多様な科目を教育センター等で用意するというふうな工夫しているところがかなり出てきております。
 そういうふうな形で、やはりこれからこの初任者研修を考えていくときに、画一的な行き方、内容、それではだめだと思います。これをやはり一人一人の初任者が、自分の適性とそれから興味、関心に応じて選択して高めていくことができるように、それを指導教員と相談しながら一緒に考えていく、あるいはその面についてその学校の中に得意な人がいればその方と一緒に指導も受ける、助言も受けるというふうな形で、かなりそれこそ言うところの多様化、そして選択的ということが出てくるような方向に改善されていく面はいっぱいあるんじゃないか、そう思います。
○参考人(福田忠義君) まず一の、初任者研修は必要か。必要だと思います。初任者研修といいますと、初任者の研修しなきゃならぬということは大変必要だと思っております。
 それから二つ目に、関係者が望んでいるという、その関係者という範囲はわかりませんけれども、望んでいる方もかなりいらっしゃるだろうと思います。ただしかし、そのやり方の問題についてはかなり、先ほども意見で申し上げましたように、全国の小学校長会の連絡会ですら私どもと同じような結果の報告をなさっているというところを見ますと、やり方そのものについては相当問題はやっぱりお感じになっているというふうに私は思います。
 三つ目に、ストライキ問題が実は出てまいりまして、これは仲川理事さんの方から特に、日教組が時代が変わっているにもかかわらずいまだにストライキかと、こういうふうにおっしゃっていますが、現時点で私どもストライキをまだ指令をしていないんです。一応予告をしておる段階、もしかの場合の予告であります。これは決して逃げる意味で申し上げているわけではありません。私は公務員のストライキ問題というのは、これは大変大きな課題になっていることは御承知のとおりだと思うんです。裁判におきましても、十年、十五年ぐらいかかってこのストライキ問題大議論やって、しかしなかなか対立が解けないという大きな課題ですから、私は決して逃げませんけれども、限られた時間でおまえ一体ストライキをどう考えるのか、こういうことになりますと大変お答えがしにくいと思いますので、もし許されまして、またこの本院文教委員会でひとつストライキ問題を取り上げるから、おまえ来てひとつ十分意見を言え、こういうことなら私積極的に喜んで参らせていただきまして、皆さんの御批判を得たいと思っております。
 ただ、今回の問題につきまして一言申し上げますのは、先ほど久保委員さんの御指摘の文部大臣との問題がありまして、大変残念な状況に実はなっております。当事者に物が言えない、要求ができない、私どもの要望が言えない、そういう状態で一体私どもはどこに何をぶっつければいいのかという、大変もどかしさが正直言ってあります。何をもって意思表示をすればいいのであろうか、そういう状態だけはひとつぜひ御理解を賜りたいと思うんです。ストライキの問題については、御批判があることを十分承知をしておりますけれども、決して私どもストライキは目的でもありませんし、ストライキをやりたいなどとさらさら思ってもいないんですけれども、私どもの意思表示の場が、今回に限っては文部大臣ともお会いできないというような状況ですから大変残念ですけれども、一つの意志表示の場として今予告をいたしておる、そういう段階でございます。
 それから、最後にありました改善すべき点でありますけれども、私はぜひひとつ委員の皆さん方に、これはもう言わずもがなだと思いますけれども、現在は試行の段階であります。試行の段階であれば、これは試みなんですから、各県がさまざまなやっぱり工夫をしております、正直言って。例えば三十五日の校外研修を三十日に縮めるとか、そういう工夫をいたしておりますけれども、それは試行の段階だから各県が多様にやっぱり工夫ができると思っているんです。しかし、これが法律で制度化された場合に、その法律が生きている限りにおいて各県が各県ごとに多様なそういうふうな具体措置ができるかと言えば、大変私は難しいと思うんです、正直言って。そういう意味で、それは今各県がやっているのは、一番大きい問題は私も言いましたけれども、いわゆる臨時採用期間延長の問題です。これも一つあります。さらに、校外研修の日数はやはりできるだけ圧縮した方がいいというふうなことで今試行が行われております。あるいは夏休みの期間に洋上研修十四日間、一体夏休みで子供がいないから洋上研修で船に積み込めばいいというのは私は大変暴論だと思うんです。なぜかといいますと、新任の教員が一学期間を過ごして、夏休みという期間は一学期間の反省の上へ立って二学期をどうやっていこうかという最も充電をしなきゃならぬ期間だと思うんです。子供がいないから、だから研修に引っ張り出してもいいというような短絡的な問題ではない、そういう問題もございます。ですから、そういうことをやはり各県が……
○仲川幸男君 時間がありませんので簡単にひとつ、お尋ねした事項だけで結構でございますから。
○参考人(福田忠義君) そういう今試行の段階で多様にやっている状況を見れば改善すべき点はおのずからおわかりだと思います。
○参考人(楡木定治君) ただいま初任研の必要性についての質問でございますが、これは必要でございます。速やかに成立をしていただきまして実施されることを希望いたします。
 第二は、初任研を望む者が多いかどうかということでございますが、私どもの全日教連といたしましては、もう全面的にこの必要を認め、希望をいたしております。なお、私どもの知り得た範囲内におきましては、この初任研の実現を望む保護者の声が非常に多い、圧倒的に多いという事実であります。
 第三点につきましては、直接私ども全日教連にかかわりはございませんけれども、私どもは全国の第二の教職員団体といたしまして、今後二十一世紀に向けての教育の問題を考えておりまして、私どもは違法な行為は一切やらないということで進んでおりますし、今後も進む所存でございます。
 第四点の現在のやり方について改善の必要があるかどうかということでございますが、この原案については私ども大賛成でございますが、ただいま去年とことしと試行をやっておりますので、その試行の結果の調査等によりまして、必要があるならばこれは改善の方向で努力すべきであると、そのように考えております。
○参考人(三輪定宣君) 第一点の初任者研修についてですが、法案のような立法措置による初任者研修は、先ほどのような理由により反対でございます。ただ、初任者が自主的に研修をすることを奨励する、特に子供の教育に対する責任もありまして、教育専門家としての力量を身につけるための自主的な研修の援助やあるいは助言というのは大変大事だと思います。教師というのは決してつくられるものではない、みずからがつくり出していくものだ。教師の自己形成の原理というのが教育基本法の精神だと思いますので、そういう精神を体して、よりよい教師を目指してみずから真剣に初任者も自主的な研修に励む、そういう意味の初任者研修は極めて大事だと思います。
 それから、第二点の国民の要求度でございますが、私の行った一九八六年六月の三十歳以下の全国の青年教師二千八百七名のアンケートによりますと、初任者研修に賛成の者はわずか七・八%でありまして、反対が六三・八%、その他二八・四%でありますので、研修を受ける者は大変な緊張で今臨んでいる、そういうことは明らかであろうと思いますし、また教職に入って間もなくの経験の五年、十年の青年教師がそういう意向を持っているということも明らかであります。
 それから三点目は、憲法に勤労者の労働基本権は保障されているわけですから、これは教職員についても法的に、全面的に保障すべきだと思います。その権利をどう行使するかはそのときの事情や考え方によりますので、十分にそういう行使の必要でない状況をつくれば行使の状況は恐らく避けられると思います。
 それから、第四点の現行の試行についての考えですけれども、私は現行の、というより委託研究から始めますと三年間の、委託研究二年の試行がございますので、その実績を研究素材にして、この二年間は十分に研究する、教育学会もその分析には参加いたします。いろいろなところが参加して、本当に実施をしてもいいのかどうか、そういうことを十分に研究する期間をぜひ設けて、その上で可能性があれば、方向性が出れば立法措置に踏み切るというようにしてほしいと思っております。
○仲川幸男君 ちょうど二分ですから、時間が来ましたけれども、一言だけ。
 私がさっき、誤解があるといけませんが、ストライキ反対だのいうお話をしたんではございませんから、誤解のないようにしてください。ストライキはなじまないのではないだろうか。この初任者研修とはなじまないのではなかろうか。そもそもストライキにはもちろん心情としては反対でありますし、現在の教育界ではあってはならないと思っておりますけれども、きょうの先生方に申し上げたお尋ねの中にそういう意味で申し上げたんではないことだけを、失礼があっては大変申しわけないと思いますから、ここであえて申し上げます。
 ありがとうございました。
○高木健太郎君 順序逆になりますけれども、三輪先生からまずお伺いいたしますが、三輪先生が季刊雑誌の「教育法」という雑誌の昭和六十二年の秋の雑誌に「条件附採用を理由とする新任教員の分限免職処分とその法的問題点」を書いておられます。それについてちょっとお尋ねいたしたいと思いますが、これは京都府の木下という教諭の場合でありますが、目下係争中でありますから、私見ははばかられるところもあるかと存じますが、差し支えのない範囲で先生の御意見を承りたいと存じます。
 京都府の教育委員会によって突然に免職をさせられた。これは「むしろ「初任者研修」の全国的浸透を促進するための「見せしめ」処分の疑い」がある、こういうふうに書いておられるんですが、それはどのような先生のお気持ちか、その点をまずお伺いいたしたいと思います。
○参考人(三輪定宣君) 見せしめ処分の疑いがあるということは、確かに明記いたしました。ちょうど時期が時期でございまして、臨教審で条件つき採用を一年にして初任者制度を導入するという
ことが議論になっているさなかに行われたことですので、その初任者研修なるものがどういう条件の中で行われるのかということを具体的に事例として取り上げるということは政策的には大変有効であるわけですね。そうしたいわば時期的な問題とか、それから条件つき採用の分限免職処分とか、そういう問題の類似性からして、これはそういう効果が出てくるということを指摘したわけでございます。
○高木健太郎君 お書きになったものを拝見いたしますと、この先生は子供からは大変慕われておる先生らしいです。しかし、言葉はなかなか乱暴なお言葉をお使いになるというようなことですが、あるいは反抗的であるとかというようなことを言われているわけです。それからまた、教科書を使わないというようなことも言われている。ちょうど戦争中には物理学、化学というのはやめになりまして、物象一、二という教科書になりました。これは全くインターナショナルなものではなくて、物理、化学というものはインターナショナルな学問なんですけれども、それが全く日本的に書きかえられておりまして、私も物理を教えておりましたので、こういうものはけしからぬと思って、教科書のとおりには教えませんでした。かえってそれは、今私から習った生徒は大変喜んでいると思います。
 教科書のとおりでなくてはいけないとか、あるいはちょっと乱暴な言葉を使ったというようなことで、あるいは反抗したというようなことで、この条件つき採用期間中にこの人が分限免職になるということであれば、まことに私は恐ろしいような気がするわけです。もちろんそれが本当かどうかわかりません。わかりませんけれども、もしも将来そういうことが起こるとすれば、これは大変私は恐ろしいことであるというふうに思うわけですが、先生はどのようにこれをお受け取りになっているか、お差し支えのない程度で御意見を承りたいと思います。
○参考人(三輪定宣君) この種の問題は、具体的な資料は用意しておりませんので、的確なことは申し上げられませんし、細かい話をしますと無責任になるし、また関係者にも御迷惑になると思います。
 ただ、私はほとんど裁判関係の資料も取り寄せて検討いたしましたけれども、その限りにおいてはやはり非常に教育熱心な先生で、その熱心な余り、やっぱり従来の管理の枠に十分はまらないという点はあったと思います。例えば、校長が組合には入るなというのに入るとかいうこともございます。そういう意味においてはやはり非常に青年教師らしい教師であって、そういう若さの可能性をおおらかに育てていくということが初任者を育てていくということではないかと思うんですね。ただ、もちろん言葉の使い方とか、あるいは日常の作法の面で、まだ大学を出たてで若いということからくる未熟さというのは確かにありますね。それらの点については分限免職処分という極刑で決着をつけるというのではなくて、周囲の同僚たちの助言、指導によって十分回復、直すことができるわけですね。そういう見込みのある、可能性のある芽を摘んでしまったという点で、大変この処分は私は残念だというふうに思っております。
○高木健太郎君 今度のいわゆる初任者研修というものには指導教員という者がつかれまして、その方が中核となってという言葉を絶えず使われるわけですが、マンツーマン方式であることは間違いがないわけです。そのマンツーマンのマンが、片一方のマンが片一方のマンに気分的に合わない、あるいは非常に厳しい指導教員であるとか、そういう個人的ないろいろの折り合いの悪さというようなものがその新任教員の評価に非常に大きく響いてくるおそれがあるということで、私も本会議では、一人の人の判断がその人の一生を左右するというようなことは非常にこれはデリケートな問題で危険を含んでいるというようなことを申し上げたわけです。
 この木下という教員のだれがマンツーマンであったかどうかわかりませんが、そういうことでもしあるとすれば、このマンツーマンという方式が実施されるということになりますと非常に大きな問題になってくるんではないか。校長が任免権を持っておりますけれども、校長がその人についているわけではありませんから、結局はその指導教員の報告によるものではないかというふうに思うんです。あるいは、それを中核として大勢の先生が協力してと言われますけれども、小中学校の先生は大変お忙しくて、自分の担任学級の指導、あるいは面倒を見るということだけでもかなりの大きな負担を持っておられる。それが新任の教官を取り囲んでいろいろ面倒を見るというようなことは、口では言えるけれども現実的にはなかなかそれはうまくいかないんじゃないか。それを私は非常に心配をして、指導教員が二人ないし三人というような形にしたらどうかというふうな提言もしているわけです。
 四人の参考人の方々の御意見の中にどの方もマンツーマンということについてちょっとお話が出ているわけです。
 河野参考人は、巷間言われるように、マンツーマンのべったり張りつきの指導でないということを対談でおっしゃっておられます。また、福田さんもマンツーマンは疑問があるということも言っておられます。楡木さんはマンツーマンの指導だというふうに言っておられます。あるいはまた、三輪参考人はマンツーマンは自由に学ぶことを妨げるんじゃないかということを言っておられるわけですが、私、こういう行政的な指導といいますか、取り決めというようなものは、確かに何か縛るという感じはあるわけです。学問も教育も同じだと思いますけれども、自分が学問しながら教育をする。先ほども、学びつつある者が本当に教える資格があるというようなお言葉も聞きましたんですけれども、もう少し自由な空気でないと本当の教育はできないのではないかというのが私の信条なんです。どうもマンツーマンで朝から晩までというわけにはいかぬでしょうけれども、朝から晩まで何かそこにしょっちゅう監視の目が光っている。へたすると、それが自分の身分にもかかわってくるというようなことは何か自由な空気が失われる。
 例えば楡木先生のお言葉にありましたけれども、指導体制という言葉があるわけですね。あるいはまた、使命感という言葉があるんです。使命感といって、私は学校の先生やそういうのが使命感というよりも、子供を教えたい、子供の反応を見て自分が喜ぶとか、自分のやったことに効果があったというような、そういう気持ちの方が先でして、使命感で何かやるというような、そういう重々しい空気では私は本当の教育はできぬのじゃないか、そういうことは、これは私の気持ちですから、皆さん方にちょっとお聞きしておきたいと、こう思いますのは、マンツーマン方式というのは、実際はどのように行われるか、ひとつ四人の参考人の方々にそれぞれ御意見をお伺いしたいと思います。
○参考人(河野重男君) マンツーマンという言葉はよく使われているわけですが、これは先ほど先生の方からむしろ御紹介していただきましたが、私はやっぱりこれが一人に一人がべったりと張りついて二六時中というような意味に受けとられるとしたら、それはむしろ問題なんじゃないか。ねらいは、ねらいというか、一番大きな点は先ほどからしきりに言われている責任の中心になっていく人だということだと思うんです。例えば一人一人の初任者が、自分はこうこうこういうことをこの期間中に勉強していくんだ、身につけていくんだということについての、ある程度研修計画みたいなのを自分で立てるだろう、そのときに相談相手になる。それから、例えば授業のあり方も初任者の人が展開される授業にずっとつきっきりでついていて、その後であれこれあれこれと、こういう形には決してならないだろうと。一緒にほかの先生の授業を参観したり、あるいはほかの学校の先生方と交流し合ったり、そういうことをしてやっていくわけですから、その際にはいろいろな人と接しながら、結局はさっきから言う言葉で言
えば、学校全体としてその初任者の勉強といいますか、研修に協力していくんだ、その中心になる人が指導教員なんで、そのことを私はマンツーマンというふうにとらえたい。だから狭くマンを一つにとらえてしまいますと、むしろ間違った結果になってくるんじゃないかなと思います。
○高木健太郎君 ちょっとお答えの途中ですけれども、先ほどは私は三輪先生にお聞きしましたですね。結局、分限免職にもつながる、いわゆる条件つき採用期間でありますから指導教員という人が決まれば、その人が責任者であるとかいうことになりますと、その人のいろいろ印象であるとか報告というものが片一方の初任者の方の印象を非常に強める。校長なんかが決めるのは形どおりはやりますけれども、その人のことが決まるから、そういう意味で私申し上げているので、そういうことにならないかどうかということを聞いているんです。どなたが大体どんな基準で結局分限免職というようなところまでもっていこうとするのか、これは非常に私は問題が大きいと、こう思うのでお聞きしているので、そのつもりでお答えいただきたいと思います。
○参考人(福田忠義君) 高木委員さんの今の御指摘、私もそういう危惧を正直言って持っております。これはマンツーマンと今河野さんはもっと幅の広いマンツーマンだというふうにおっしゃるけれども、事実文部省の指導というのは試行の段階でマンツーマン方式だったわけですよ。私はやはり今評価の問題を高木委員さん御指摘でありますけれども、これはうまくいけばいいんですけれども、例えばその指導担当の教員になった人の人生観とか、あるいは教育観とか、あるいはそういう指導能力とか、指導のあり方とか、そういうものは新任教員には生の形でやっぱりいくというふうに思うんです。うまくいけばいいけれども、それが逆になった場合には大変な問題を残すのではないかということと同時に、人が人をやはり評価をしたり裁いたりできるのかということは、教育の現場の中では、つまり新任教員もベテラン教員も同じ責任を持ってクラスを担当しているわけですから、それが新任だからベテラン教師がそれを評価をする、そういうふうな点は大変問題があって、今の分限免職の話じゃありませんが、私は大変問題のある方式だ、こういうふうに思っております。
○参考人(楡木定治君) 先ほど申し上げましたとおり、従前行われておる、現在もなお行われておりますが、初任者研修の反省に立って今度の初任者研修の指導者のマンツーマン方式が考え出された、こういうことでございますので、この指導者は人間的にも、あるいは専門的にも非常にすぐれた、しかも児童生徒の指導力にもすぐれた人物をこれに任命をいたしまして、校長のリーダーシップのもとにこれが行われるというのがこの初任者研修の制度の大もとでございます。そういう点から考えますと、さらにこの初任者研修を進める校内のやり方につきましても、初任者を育成しようという周りの全体の教職員の力もかりつつ指導教員を中核として行うということでございますので、この方式については心配は要らないというふうに私は考えます。
○参考人(三輪定宣君) 先ほどの御質問の中で事例を出されましたけれども、木下先生の処分でも教頭メモというものが具体的な分限処分の証拠資料になっているわけですね。これはコピーを全部見せてもらいましたけれども、六月のある時点からもう毎日のように本人の挙動、言動がノートに記録され、しかもほとんど他の教員のことは抜きにして、その方のことばかりが記載される。公私にわたって、言葉は適切ではないかもしれませんけれども、いわばスパイ行為まがいのことがやられておりました。そのような克明なメモを収集しておきませんと一年後の条件つき採用の可否を決めるときの資料にならないわけですね。また、そこが抜けていたらなぜ資料は収集していないかということで追及されますので、当然指導教員は公表するしないは別として絶えずその種の観察をしてメモを記録することになるだろうと思います。四万人の初任者がいればそれに相当する指導教員が要るわけで、立派な方が選ばれるのかもしれませんけれども、やはり人間の間の折り合いの悪さとか、そういうことがあって、その関係のこじれからさまざまな本人の客観的な能力とは別な評価をされた場合に、決して公正な評定にならないというおそれがございますので、一人で評定をするとか指導をするということほど、これは危険なことは人間の世界の中ではないと私は思っております。
○高木健太郎君 福田先生に最後にお聞きしておきたいと思います。
 現在、教育の荒廃ということが言われておりまして、登校拒否、偏差値輪切りとか陰湿ないじめ、そういうものが教育の荒廃ということなんでしょう。その教育の荒廃というものが、何かしら私たちの印象では、その原因はある種の教育集団にあるんじゃないか。はっきり申し上げると、日教組というそういう組合が何かそれに関係があるのじゃないかというふうに思っている人がいるんじゃないかと思うんです。この際、先生は、教育の荒廃というものについて、自分たちも反省することはあるでしょうけれども、どういうふうにお考えになっていますか、あるいは将来どういうふうにすべきだと。今度のいわゆる初任者の研修というものも、しかもそれが行政的に決められるというようなことも、結局学問の自由とかあるいは自主的というようなことを少し抑えつけてでも初任者研修をやろうというその気持ちの裏には、日教組というようなもの、あるいは教員というもの、そういうものに対する不信任があるんじゃないか。この際、先生の御見解あるいは自分の信条があればひとつ聞かせていただきたいと思います。
○参考人(福田忠義君) 私は、今学校教育あるいは教職員に対しまして、ほぼ国民の皆さんから大変厳しい注文なり意見なり批判があるということを承知しております。私はそういう批判や注文についてはやはり教職員が逃げてはいけないと思います。真正面からそれを受けて正すものは正すという姿勢をどうしても一本持たなきゃならぬというふうに思っております。同時に、この教育の荒廃という問題は、これはもう先生も御存じのように大変複雑な構造的なものですから、ここのところを一つ押さえればあしたからすぐなくなるというような問題ではない。しかし御指摘のように、その中でやっぱり日教組がかんでいるから教育の荒廃に拍車をかけているんじゃないかと、そういう声があると思いますけれども、まあこれはこれからの日教組の運動をぜひ長い目でひとつ見ていただきたいと思うんです。
 私はこの教育荒廃の克服の問題でぜひことしの運動方針にも重点として掲げたいと思っておりますのは、やはり子供の人権をどう保障するかという問題を大黒柱に据えなきゃならぬと思っております。しかし子供の人権をどう保障するかということに取り組む以前に、教職員みずからがどのような人権感覚を持っておるのか、人権意識があるのか、そして学校の主人公は子供なんだよという、そういう認識、再認識するといいますか、そういうところからこの問題を取り上げていきませんと、教職員みずからもやはり反省、自覚、そういうものがないところには、いろいろ新聞でも出ております教師の体罰問題とかというような問題が出てくるのはやはりそういうところにあるのではないか、そういうことではやはり厳しく教職員みずからも自己反省をやるし、そういうところで運動にぜひ取り組んでいく方向を、ことしは運動の最重点として取り上げてまいりたいと、こういうふうに考えております。
○高木健太郎君 どうもありがとうございました。
○佐藤昭夫君 私の持ち時間は御答弁を含めて十五分ということで非常に限られておりますので、四人の参考人の方々全員のお方に質問するのが時間的に無理かと思いますので、そういう事情だということをひとつあらかじめお許しいただきたいと思います。
 それで、まず三輪参考人に二つお尋ねをいたしますが、初任者研修制度というものは政府の戦後の文教政策の脈絡の中で一体どういう歴史的背景があるのかということが第一点。二つ目に、外国にも同様の制度があるという説がありますけれども、先生の御研究では例えば西欧の実情はどうなっているのか。二つ御説明いただきたいと思います。
○参考人(三輪定宣君) 私どももこういう進行する教育政策については、研究者のくせと申しますか、絶えず歴史的な背景とのかかわりで考えるという態度をとりますので、そのような問題意識の中で私の考えているところの一端を申し上げてみたいと思います。幾つかの例を、点でございますが、挙げさせていただきます。
 まず明治十年代の例で申しますと、教員政策が急速に強化されてきますのは、自由民権思想の教育を取り締まるということが転機になりまして、明治十四年には文部省が小学校教員心得というものを出して、教師の資質として尊王愛国の志操というものを第一義的に求める、そしてさらに同じ年には小学校教員品行検定規則というものをもって、そういう志操に反する者については、汚行のある者として免許状没収の処分にするというようなことを定めて、自由民権運動が学校を拠点に広がっていくのを取り締まるということが行われました。その時期には教科書も自由発行、自由採択でしたけれども、十年代には届け出制になり検定制になるというように、教科書と教師の対策が同時進行で進んでおります。
 大正期の例で申しますと、大正デモクラシーのさなかの大正八年には日本最初の教員組合である啓明会という組織が結成をされまして、教育改造の四綱領というようなスローガンと運動方針を掲げて教育改革の運動に立ち上がるわけでございます。そのさなかの大正六年に、首相直属の臨時教育会議という教育審議会が結成されまして、そこで今後の方策が述べられております。例えばそこでは「国民思想ノ帰嚮ヲ一ニ」するため「国体ノ本義ヲ明徴ニシ」「我国固有ノ淳風美俗ヲ維持シ」「建国ノ精神ニ基キ正義皇道ニ依リ世界ノ大勢ニ処スル」というようなやや神がかった内容の教育改革の方向が述べられております。そしてそのためには教師の対策が最も重要だということで、答申の文章によりますと、「小学教員ヲ改善スルタメ」「教員講習」、これは現在の研修に当たりますが、「講習ノ方法ヲ改善シ」「適当ノ考試ヲ行ヒ」「視学機関ヲ完備シ」云々というように、特に教員対策に傾斜した内容になっているわけでございます。
 また、昭和期の例で申しますと、昭和十二年に設置されました、これも首相直属の教育審議会が、答申によりますと、「国防ノ根基ヲ培養シ」「八紘一宇ノ肇国」、これは始めるという意味の「肇国精神ヲ顕現スベキ次代ノ大国民ヲ育成」するという、こういう目的のもとに教員政策が打ち出されておりますが、その一端に、教員採用に「六箇月ノ試補期間ヲ設ク」とか、「教員ヲシテ凡ソ五年毎ニ相当期間ニ亙リテ研修ヲナサシメ」云々といった内容のものが見られるわけであります。
 このような戦前の例とか、あるいは戦後になりますと、一九五六年、昭和三十一年に教育委員会が任命制になりまして、そのいわば初仕事として教員の勤務評定が実施をされた時期、一九五八年には中教審が答申を出しまして、一般大学卒業生の「教員採用については仮採用の制度を設け」「一定の勤務期間、所定の実習、研修を課する」ということが述べられております。また最近では、一九八一年の自由民主党の「教員の資質向上に関する提言」で、「採用後一定期間、いわゆる試補としての実地経験等を経ることが望ましい」というようにも述べているわけですね。
 点を描いてみたわけでございますが、これ中身をさらに詳しく説明しますと相当時間がたちますので省略いたしますが、要するにこれらはいずれも教育の国家主義あるいは国家統制の強化を目指す社会のいろいろな変動の中での教育改革の機運の中で提起をされてきているということが言えると思います。それと同様なやはり基調が現在の教育改革をめぐる状況の中には感じられますので、ですから、最初の段階は無難な形でスタートしても、この制度が三十年あるいは五十年というように効果を発揮し出したときに日本の教育がどうなるかということについて、私はそうした歴史的な背景の中で大変憂慮しているわけでございます。
○佐藤昭夫君 それで二つ目のヨーロッパの実際の実情どうなっているか、できるだけ簡略にひとつ。
○参考人(三輪定宣君) 外国の試補制度の現状でございますが、最初のところでも申しましたように、試補制度というのは教員養成がまだ未整備な段階で教員の身分を保障するために制度化されていったという歴史的な経緯があるわけですので、したがいまして、教員養成が充実して、特に年限が延長し、またその中で教育実習も充実していくようになりますと、当然これは試補を廃止していく、そういう見直しの機運が出てくるのは当然でございますね。
 例えば、フランスでは一九八六年からこれまでの試補制度を廃止しまして、教員養成についてはすべて四年制の大学で行うということになりましたし、また西ドイツ、イギリス等でもそういう動きがずっとこの間ございます。西ドイツは、一八二六年といいますともうフロイセン帝国時代からこの制度が実施されているわけですが、もちろんこの初任者制度のように国が一律に決めるというのではなくて、十一の州が全く別々で、まさに地方自治の本旨に基づいて行われているという特徴がございます。
 しかし、これだけ長い制度でも、先ほどのような背景の中でいろいろな弊害が出てきまして、例えば一九八四年から五年にボン大学のクラウス・シュテルマン教授が調査したところでは、現場教師の勤務年数が四年以下という若い教員がどう見ているかという調査をしておりますが、それでは六七・四%、約七割の者が試補制度に反対しているわけですね。その理由は、点数を気にしておどおどして教師が無気力になるとか、子供の疲労が大変大きいとか、いろいろな理由が挙げられております。しかし、こういう問題を抱えておりますけれども、西ドイツの試補制度をとっても運用には大変特徴がありまして、例えば試験の監督、出題者には大学教員が必ず参加をしたり、あるいは試補の評定には教職員の代表が参加をして、そして審査を当事者に公開をして異議申し立てを受けるというようないろいろな工夫がされておりますので、現在の試補でもそういうさまざまな運用の特徴がみられるということですね。この点は初任者研修の運用の点で全くそうした配慮も今の法案の内容はないわけですので、同じ試補制度でもそういう工夫がこらされている、そういう慣習の中で運営されているということは大変参考になるのではないかと思います。
○佐藤昭夫君 それでは、もう余り時間が残っていませんので、福田委員長にはいつでもお話しできますのでちょっときょうはお許しいただいて、河野参考人と楡木参考人に一問ずつお尋ねしますので、注文をつけるようで悪いですけれども、それぞれ一分ぐらいずつで答えていただきたい。
 河野参考人ですが、今次法案には全面賛成だと表明をされていますけれども、しからば大学の新任教員ですね。大学の新任教員ですと、恐らく助手または講師、ときには一気に助教授で新任、着任ということがある場合もあろうかとは思うんですけれども、いずれにしてもそういう大学の新任教員についても基本的に同様の初任者研修制度が必要だというお考えに立たれるのかどうか。いや、それは小中高とは別だということになるのか。もちろん大学というのは学術の研究とそれから学生の教育と二つの任務がある。だけれども、しかし学生の教育という任務があることは間違いないわけですね。この点においては小中高の教員と同じように資格があるだけじゃない。実際にそういう教育力を実践的に身につけるためにという、こういう論も成り立ち得るわけですから、そこはどうなのか。しかし大学に初任者研修なんというものを持ち込んだら、それこそ今度は学問の自由のかかわりで大問題になるという面もあるんですけれども、ちょっとそこの点のお考えをお聞きしたい。
 それから、楡木参考人ですけれども、臨教審がまとめましたこの冊子の中で、いわゆる臨教審答申の二次答申、それが出た段階で「審議経過の概要(その三)」、これに対する教育関係団体の意見ということで、全日教連が提言をなさっております。その文書があるんですけれども、その中で「学校の管理運営の改善等について」ということで、まあ一部教職員団体の偏向教育を問題にされている。しかし私は、偏向教育を言うならば、特定の政治目的による教科書検定とか、あるいは日の丸、君が代教育の押しつけなどとか、こういう文部省が進めているここの政策をこそ最も問題にすべきではないかと思うんですけれども、そのことが、あなたの団体のここのところの提言の部分には全くないと言っていい感じがするので、ちょっとその点についての御見解を聞きます。
○参考人(河野重男君) 簡単にということですから、誤解を受けるかもしれませんが、私はやはり大学の場合には難しいと思います。それは大学はー学問研究とそれから教育という面からのとらえ方もできるでしょうけれども、現実に免許制ということをとってないということが一つあるし、それから、研究業績とそれから教育者としてのという両面を加味し、非常に厳しい選考をして、先生を選考で選んでいるという、そういうことがあるということが一つの経緯。それからもう一つは、教授、助教授というシステムがあって、助教授は教授を助けるということもある。だから、少し教師集団の構成、成り立ちが違うという面があると思います。
○参考人(楡木定治君) ただいま私ども全日教連の多分それは第二次答申のときの答申に対する談話ではなかったかと……
○佐藤昭夫君 「提言」という表現です。
○参考人(楡木定治君) 提言ではなかったかと思いますが、これは、私どもといたしましては、全日教連の結成の方針がとにかく中正不偏の教育を進めるということでございまして、これは根幹的には議会制の民主主義を尊重いたしまして、とにかく法を守って、遵法ですね、遵法の態度でとにかく貫いていこうということでございます。したがって、そこで述べたものは私どもの決意表明をあわせて多分述べたものと考えております。
○勝木健司君 三輪参考人にお伺いしたいというふうに思います。
 先生は日教組の機関紙の中で、教師を学校に閉じ込め、父母、住民との連携を断ち切っている学校管理体制という表現を使われておりますが、例えばある県で、昭和五十九年十月二十六日ですか、日教組が人事院勧告の完全実施を求めてストライキを行われたときでありますが、その当日、ある小学校では五年生のキャンプを実施していたそうでありますが、引率教員の一部の方でありますが、途中から児童に対する指導を放棄した、そしてストライキ集会に参加をしたというふうに伺っております。なお、新聞報道によりますと、この三教諭は午後四時五十分ごろ同センターに帰ってきたけれども、スト解除時刻の午後五時まで職務につかなかったというふうに報道をされております。PTA役員によりますと、午後五時までは子供たちが先生、先生と声をかけても相手にしなかったという、そういうふうに記載されております。こういう事態についてどう三輪先生お感じになるのか、御所見のほどをお聞かせいただきたいというふうに思います。これが本当の保護者、児童生徒の立場に立った先生の行動とお考えでありましょうかどうか、簡潔にお伺いしたいというふうに思います。
○参考人(三輪定宣君) 事例の一端をお話しいただいてすぐ正確に答えるということは非常に至難なことでございます。ですが、今の問題については、当然、子供に事故等のないという配慮は、これは必要であろうと思いますね。しかし同時に、そういう行動をとらざるを得ない原因についてはまた反省を要するわけでして、そういう態度をとらざるを得ない形で教員政策なり教育政策なり労働政策なりが進展していくという、そのあたりの意思疎通の欠如が現場にいろいろな混乱を引き起こしていくということは間違いないことでございますし、ですから、その意味でも、今回のこういう問題については教職員団体と十分協議して、合意が成立したところで実施できるものはしていくということにしますと、学校でも職場でも地域でも、それほどこういう混乱はないと思います。そこのところの条件ができない段階ですと、やはり子供にも親にも大変な苦悩や不安やあるいは動揺をこれからも多く引き起こしていくと思いますね。そういうことを見通して十分国のレベルでも慎重に審議をしていただく必要があるのではないかと思います。そのことが何よりも教育の現場において教職員と父母が信頼を回復していく一番基本的なことだというふうに思っております。
○勝木健司君 そこで、福田参考人にお伺いをしたいというふうに思います。
 日教組は、今年度の運動方針を見てみますと、ストライキを含む全国統一闘争を組織して、このたびの初任者研修制度創設のための教特法改正を阻止するという立場のようでありますが、公務員たる教員のストライキというものにつきましてはお互い意見の分かれるところでありますけれども、このことにつきましても、臨教審の最終答申とも真っ向から反対するもの、相対立する考え方だというふうに思いますけれども、福田参考人の御所見をお伺いしたいというふうに思います。
○参考人(福田忠義君) 先ほど仲川理事さんに同旨の問題をお尋ねいただいたときに申し上げましたように、ストライキが、一体公務員のストライキというのはどういうものかということについてはとても短い時間で述べることはできないと思います。
 さっき私申し上げましたように、これだけ将来に重大な法案が今提起をされている。私どもも問題だ、こう言っている。しかし、なかなかその法案の原案を提示されました文部省との、私どもは話し合いと言うんだけれども、会えない。一体私どもがどこの場で私どもの意見を開陳をしたり意思表示をしたらいいのか。そういうことで、確かに、仲川理事さんの方からはなじまないのではないかという御指摘も確かにありました。ありましたけれども、私どものやっぱり意思表示というのは、最後はやはりそういう統一行動というような形で、もうやむを得ずやっぱりあらわす以外にもうないというように思って、しかし、これはできるならば、決して私どもその行動を望んでいるわけじゃありませんから、本当に先生方の御努力をいただいて、私どもが指摘している初任者研修の問題点について解明ができるならば、私どもは喜んで統一行動は中止をして、終止符を打ちたい、こういう気持ちで率直におります。
○勝木健司君 そこで楡木参考人にお伺いをいたします。
 先ほどの陳述の中でも、現実に問題教員として適格性に欠ける者が存在するという御意見を述べられておられましたが、もう少し具体的にどういう教員なのか、お教えいただきたいというふうに思います。
 また、時間の関係でもう一つ。条件つき採用期間が一年に延長されることにつきましても賛成だという立場で御意見を述べられておりますけれども、それはどのような理由からなのかということで御説明をいただきたいというふうに思います。
○参考人(楡木定治君) 第一の条件つき採用の期間を六月から一年に延長をするということについて賛成の意見を述べたわけでございますが、これは私の体験から申しまして、採用直後の教員は、もう新たな希望と、それから新しい気持ちで子供たちと真剣にもう朝から夕方まで取り組んでおりまして、いわゆる全力投球で毎日の教育活動を行っておるのが事実でございまして、いささかも不安を感ずるような、そういう新任の教員には出会ったことがございませんし、そのようなことも聞いたこともございません。したがって、従来六月というものを今度新たに初任者研修を加えることによって勤務の特殊性がそこに生まれたということでございますので、一年に延長されたとしても、それは初任者研修の意識、つまり不安を感ずるようなことは認めないというふうにこれは確信をいたしているわけでございます。
 それから第二点は、問題教師のことでございますが、大変恐縮でございますが、私も四十年間教師の生活をいたしまして、約二十年間管理職等の仕事をさしていただいたわけでございますが、私がこの四十年間を省みまして、結論として今言えることは、大変道徳的なことも入って恐縮でございますが、とにかく学校の教師は学校を休まないということ、それから間違いを教えない、そして三点は、好ましくない感化、影響を子供たちに与えないということと、もう一つ最後に、法を守ると、こういうことではないかということで、私はこの教員生活を反省いたしまして確信を持っているわけでございます。で、問題教師と私がここで申し上げたのは、この法を守らない教師、つまり遵法精神に欠ける教師ということをここでは申し上げたわけでございます。
○勝木健司君 条件つき採用期間が一年ということで、具体的な理由についてはよくわからないわけでありますけれども、もう一度また理由がありましたら述べていただきたいと思いますが、時間の関係で、最後に河野参考人にお伺いをしたいと思いますが、先生は教育学の専門家でいらっしゃるわけでありますけれども、この初任者研修というものを円滑かつ充実した内容を持って行っていこうという場合に、どういう点に留意をして実施をしていけばいいのか、この試行の反省も含めて、留意をしていくべきだというふうに思われますか。時間も限られておりますけれども、お伺いをしたいというふうに思います。
○参考人(河野重男君) 時間の関係がありますので、一つだけ申し上げさしていただきます。
 もう御承知のように、これから学習指導要領が変わり、教育課程も変わるでしょう。この方向は個性的なものを重視していく、したがって、個性的な授業、これを重視していくという方向だけははっきりと言えるだろうと思います。そうした個性的な授業のできるということに向けて初任者研修というのも恐らく行われることになるでしょうし、またそうなってほしいと思うわけです。そうしますと、いわゆる指導教員のかかわり方もそういう点から非常に変わってくるんじゃないか、やっぱり指導教員も自分なりの個性的な授業についての考え方を持つでしょう。それと初任者の持っている個性的な授業に対する考え方をお互いにぶつけ合ったり、話し合ったりして進められていくような指導教員と教師のかかわり方になっていくのではなかろうか、そういうことが出てくればこれはかなり生産的な前向きの方向で初任者研修制度が生きて働いていくことになるのではないか、そういうことで今我が国の教育が志向している個性化、多様化、したがって自分でいろいろなことを選択してやっていくんだという、これが結び合わさっていくように、先ほどもおっしゃった言葉ですが、やり方を十分にこれから創意工夫をしていくことが必要ではないか、その一点だけお答えとして申し上げておきます。
○勝木健司君 時間がありますので、楡木参考人、もう少し具体的に一年延長したがいいという賛成の御意見ですので、一、二分時間がありますからどうぞ。
○参考人(楡木定治君) 先ほども申し上げましたように、学校のサイクルが一年間を通して行われるわけでございます。これは教育課程と申しまして、教える中身についてもそうでありますし、また学校の諸行事あるいはクラブ活動等につきましても一年を単位にして計画を立てていくということでございます。したがって、一年間回れば一応学校の実践的な経験が得られると、こういうことでございまして、このことについては、先ほど申し上げたとおりでございます。
 それともう一つは、従前でありますと勤務についての評価というか、勤務について今まで問題になってきたわけでありますが、今度初任者研修の導入によりまして勤務の形態が変わってくる、これが一番大きい論点ではあろうと思います。つまり勤務の形態が今度新たに研修という中身が入ってきた、こういうことでございますので、従前の六月の条件つき採用期間に加えて一年にそれを延長してその間の勤務の実証を得るということは、これは極めて合理的だというふうに私どもは考えておるわけでございます。
○勝木健司君 ありがとうございました。
○下村泰君 私は前職が漫才という演芸専門にやっておった人間なので、ほかの委員の方と違いまして、この法案についてずっとこれが委員会にかけられてからお聞きもし、私自身もお尋ねしたこともあるんですけれども、何となく賛成のできないのが、この初任者研修を指導する側の方ですね。
 私らの芸能界の方では、例えば落語にしても講談にしても漫才にしても浪曲にしても、その演じている方が好きで、そしてその方の芸風に打たれて弟子入りするわけです。これはこっちが選ぶんです。つまりこの場合初任者の方が選ぶんですよ、指導員を。ところが、この場合は初任者が選べない。例えば今こうして傍聴席にもたくさんの方がいらっしゃいます。ここにも議員さんがたくさんいらっしゃいます。この中に五人、十人集まると絶対に波長の合わないやつがおるんですよ。で、その人間と別にけんかをする気持ちはなくても、その人の一言しゃべることがかちんとくるんですね。テレパシーが合わないんですよ、これは。
 そういう人間で形成されている人間社会で、この初任者の方は不幸にして指導員を選べないんです。押しつけられる。文部省の方に聞いたんです。この場合初任者の方が指導員を選べるのか、そうしたらできるというんです。校長先生のところに泣きついていけばいい。どうもあの人に教えてもらっているとおれはえらい方向へ行きそうだ、いい教師になろうと思って来たのに悪い教師になりそうだということを例えば校長に訴えてかえてもらったとしたら、果たしてこの人一年たったら先生でいられるかどうか、これは恐らくわからないですよ。大体人間のテレパシーの合わない同士というものは最初から合わないんですから。こいつは必ず指導員の方はいいことを言いませんよ。そうすると、かわいそうに、テレパシーが合わないばかりにこの初任者は最初からえらい方向へ行っちまう、こういうことになるわけですね。しかもこの一年間というのは何かえさを預けられておるように、鼻先にえさをつけられて走るドッグレースみたいなものだ。ほかの角度から考えると、かつての吉原の遊廓みたいなものだ。あの苦界に身を沈めているお女郎さんの状態と同じだ、この一年間。そんなことで果たしていい先生ができるのかなと思うんですが、まずこれが私の一番不思議に思っていること。こんな法案を出した文部省の神経というのは私にはわからぬのです。
 そこで、独演会じゃありませんから、四人の先生方にそれぞれお尋ねします。
 まず教員の資質、これは時代によっていろいろと変わってくるでしょうし、それから求められるものでしょうし、また時代によっては逆に求められるものでもあると思います。それから教員の現状、基本的に教育はどういう環境が必要なのか、また現状として今の教員はどういう状態になっておるのか。この二つを河野参考人から順にお答え願って、私の質問は終わります。
○参考人(河野重男君) 教員に望まれる資質、能力はということですが、教科等についての専門的知識もさることながら、何よりも子供が好きだということだと思います。子供が好きで教育という仕事にやりがいを感じて、それに打ち込むということなのではないかと思います。
 その点についてどうかというお尋ねですが、これは一概にその点で十分だとかそうでないとか言えない、人によって違うと思います。したがって、これをやはり何としたらこういう先生でいっぱいになるように教育界、学校にしていくかということを考えていかなきゃならない課題が出てきているというふうに思います。答えは、立派な先生ももちろんおられますけれども、不十分な先生もまたおられる、子供が幾つかの条件を当てはめた場合に、ある面ではそれはいいわけですけれども。そういうことです。
○参考人(福田忠義君) 教員の資質とか望ましい姿というのは、今河野さんがおっしゃったことと大同小異でして、特につけ加えることはございませんけれども、ただ、もう言うまでもありませんで、教員も生身の体の人間ですから、決して教師だからといって完璧であるわけはないんです。さまざまな個性を持った教師集団があるからこそお互いに切磋琢磨ができ、お互いに不足を協力、共同してやっていく。そこにまた新しいいわゆる教師というもの、人間というものが育っていく芽というのはそういうところにあると思うんですよ。同じような性格で、同じような個性で、同じ型にはまった者がいれば教育というのは大変私は問題になってくるというふうに思うんです。そういう観点でやはり教師の資質とか能力とかあり方というものを私は考えるべきじゃなかろうか、こういうふうに思います。
 それから現在の教育環境ですけれども、五十年の主任制度が導入されまして以降、確かに職場は、一口で管理体制と私ども言っているんですけれども、こういうものが進行していろいろと職場で本当に物が言えない、あるいは言いたいけれども我慢をしておこうかというような状況が出ていることを大変私ども残念に思い、これは大変なことだというふうに思っております。私ども教育行政としてぜひ望みたいのは、やはり教職員が安心して教壇で実践できるという教育条件の整備こそが最大の任務だ、教育行政が教育の内容にくちばしを入れることはもうまかりならぬ、こういうふうに思っておりまして、そういう環境整備こそ今最も急がれておるというふうに思っております。
○参考人(楡木定治君) 第一の問題につきましては、私具体的な理由の第二で申し上げたとおりでございますが、教育に関する深い専門的知識と申しましょうか、それから第二は、教育的な愛情と使命感、先ほどおしかりを受けましたが、使命感という言葉がぴったりでございますので、申し上げるわけでございます。それと教育的ないわゆる指導的な実践力、この大きく分けて三つではないかと考えております。
 それから第二の教育の現状と申しますか、資質に欠けている点というふうに受け取らしていただきますというと、社会の急速な変動に対応し切れないという問題が一つと、それから第二の問題は、やはり実地に即した実践力といいましょうか、そういう点があるいは不足しているのではないかと思います。そういう点で今度の初任者研修の制度が実施されますというと、こうした点がさらに一歩前進するというふうに受けとめております。
○参考人(三輪定宣君) いろいろ教員の力量については考え方がございます。私は資質という言葉はどの辞典を見ても同じように定義ございますが、生まれつきの性質という定義になっているわけですね。こういう発展性のない言葉をこういう重要な政策の基調に据えるということ自体に政策の貧困さを感ずるわけです。教育という仕事は、要するに基本的には人間をつくっていくことだし、人間自体が教育によってつくられていくわけですね。ですから、その教師は何よりも人間らしさが必要だと思います。それが一番の基礎だろうと思うんですが、しかし、それは自由で、人間連帯の豊かな、人間的な職場でこそ初めて形成されるものですから、その状況づくりというものに教育行政は配慮が必要だというふうに思います。
 それと特に、今回の現状の中で本当に心を痛めますのは、実は八六年の三月に国民教育研究所で、私どもが全国の五千二百三十三人の教師にアンケートをいたしました。一時間の授業に教材研究等の準備が一時間以上必要だと答えた先生は、小中高で八五・一%です。いい授業をやるために、一時間の授業に一時間以上の教材研究等をしたいというのが現場の教師のほぼ一致した願いだと思うんです。ところがそれがほとんどとれてないという先生が七二・八%ですね。職場が忙しくてじっくりと教材の研究もできないような状態で今授業をやらざるを得ないわけです。クラスサイズも大きいですけれども、もっとせめて教材研究が十分できるということを保証したら、今の先生方の力量はすばらしく発揮できると思います。そのことが第一の先決課題ではないでしょうか。一点、御指摘申し上げます。
○委員長(田沢智治君) 他に発言もなければ、参考人に対する質疑はこれをもって終了いたします。
 この際、一言ごあいさつ申し上げます。
 参考人の方々には、長時間にわたりまして貴重な御意見をお聞かせくださいまして、まことにありがとうございました。委員会を代表し、厚く感謝、御礼を申し上げます。本当にありがとうございました。(拍手)
 本日はこれにて散会いたします。
   午後四時九分散会