第116回国会 内閣委員会 第2号
平成元年十一月二十一日(火曜日)
   午前十時開会
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   委員の異動
 十一月十六日
    辞任         補欠選任
     野田  哲君     福間 知之君
 十一月十七日
    辞任         補欠選任
     福間 知之君     野田  哲君
 十一月二十一日
    辞任         補欠選任
     中川 嘉美君     高木健太郎君
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  出席者は左のとおり。
    委員長         板垣  正君
    理 事
                大城 眞順君
                永野 茂門君
                山口 哲夫君
                吉川 春子君
    委 員
                大島 友治君
                岡田  広君
                田村 秀昭君
                名尾 良孝君
                翫  正敏君
                角田 義一君
                三石 久江君
                八百板 正君
                高木健太郎君
                星川 保松君
                田渕 哲也君
   衆議院議員
       発  議  者  竹内 黎一君
   政府委員
       総務庁行政管理
       局長       百崎  英君
       厚生政務次官   近岡理一郎君
       厚生省健康政策
       局長       仲村 英一君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        原   度君
   説明員
       内閣総理大臣官
       房参事官     中川 良一君
       法務大臣官房審
       議官       東條伸一郎君
       法務省民事局参
       事官       岡光 民雄君
       文部省高等教育
       局医学教育課長  小林 敬治君
       文部省学術国際
       局研究機関課長  佐々木正峰君
       厚生省保健医療
       局疾病対策課長  松澤 秀郎君
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  本日の会議に付した案件
○臨時脳死及び臓器移植調査会設置法案(衆議院提出)
○参考人の出席要求に関する件
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○委員長(板垣正君) ただいまから内閣委員会を開会いたします。
 まず、委員の異動について御報告いたします。
 本日、中川嘉美君が委員を辞任され、その補欠として高木健太郎君が選任されました。
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○委員長(板垣正君) 臨時脳死及び臓器移植調査会設置法案を議題といたします。
 まず、発議者衆議院議員竹内黎一君から趣旨説明を聴取いたします。竹内黎一君。
○衆議院議員(竹内黎一君) 臨時脳死及び臓器移植調査会設置法案について、その提案理由及び内容の概要を御説明申し上げます。
 現在、医学等の進歩によって、諸外国では、脳死を個体死とする認識が社会通念として定着し、人間愛に基づく生存中の意思により、脳死状態において移植用の臓器を提供しての臓器移植も多数行われており、また、それに必要な社会システムが整備されております。
 我が国においては、臓器移植以外ではその生命を救う方法のない患者の方々、重い疾病により臓器移植を受けることのできる日を待ちわびている患者の方々が多数存在しております。また、医療の現場では、脳死状態からの心臓、肝臓、膵臓等の臓器を摘出して移植を必要とする患者に移植を行いたいという声も多数上がっており、そのため大学附属病院等においては、人的物的設備を整え、あるいは倫理委員会を設置するなどして臓器移植のための体制を整えつつあります。しかし、一定の基準に基づいて診断された脳死は個体の死であるという新しい死の概念については、国民の十分な理解が得られているとは断言しがたく、また、脳死状態からの臓器の摘出が殺人罪に該当するとする刑事告訴もなされております。その結果、死体腎及び親族からの生体腎の移植がわずか年間六百例ほど行われているに過ぎず、他の臓器の移植はほとんど行われておりません。このため、我が国の患者の中には外国に渡って臓器移植を受ける方がおり、外国でも移植用の臓器が必ずしも十分でないという事情もあって摩擦が起きているということも聞いております。
 このような状況の中で脳死及び臓器移植に関する国の施策が確立されないままに推移するときは、大きな社会的問題が生ずるおそれがあります。
 以上の状況を踏まえ、今後我が国が脳死及び臓器移植についてどう対応していくべきかについては、脳死の概念、判定基準、脳死は人間の個体死と認められるか、臓器移植に関する施策のあり方等広い視野から総合的に検討しなければならない問題が多数存在しております。
 そこで、このような諸問題について調査審議していただくため、各界の識見のすぐれた方を委員にお願いして、臨時脳死及び臓器移植調査会を総理府に設置することとし、ここにこの法律案を提出した次第であります。
 次に、この法律案の内容の概要について御説明申し上げます。
 まず第一に、脳死及び臓器移植に係る社会情勢の変化にかんがみ、臓器移植の分野における生命倫理に配慮した適正な医療の確立に資するため、臨時脳死及び臓器移植調査会を総理府に置くこととしております。
 第二に、調査会は、内閣総理大臣の諮問に応じ、脳死及び臓器移植に関する諸問題について、広く、かつ、総合的に検討を加え、脳死及び臓器移植に関する施策に係る重要事項について調査審議して答申するとともに、意見を述べることをその所掌事務としており、また、内閣総理大臣は、この答申または意見を尊重しなければならないこととしております。
 第三に、調査会は、脳死及び臓器移植に関する諸問題についてすぐれた識見を有する者のうちから、両議院の同意を得て内閣総理大臣が任命する十五人以内の委員をもって組織することとしております。
 第四に、調査会は国の行政機関の長に対して、資料の提出、意見の開陳、説明その他の必要な協力を求めることができることとしております。
 なお、この法律は、施行の日から二年を経過した日に失効することとしております。
 このほか、関係法律について所要の改正を行うこととしております。
 以上がこの法律案の提案理由及びその内容の概
要であります。何とぞ、十分御審議の上、速やかに御賛成くださいますようお願い申し上げます。
○委員長(板垣正君) 以上で趣旨説明の聴取は終わりました。
 これより質疑に入ります。
 質疑のある方は順次御発言願います。
○角田義一君 社会党の角田でございます。
 私どもは本法案につきましては、基本的には賛成をするという立場でございます。しかしながら、今提案者の趣旨説明でもございましたとおり、非常に事が重大な事柄も含んでおりますので、やはり慎重な審議を経ていかなければならないというふうに思っておるような次第でございます。私の方から、法案につきまして、概括的なことについて数点提案者にお尋ねを申し上げたいというふうに思います。
 説明にもございましたが、脳死というものが一体どういうものであるか、これが個体死として果たして認められるのかどうか、さらには脳死を判定する基準を一体どうするか、さらにはその基準が仮に確立されたとしてもそれを一体だれが適用していくのか、さらには臓器移植をするプロセスについてもいろいろな問題もございます。さらに、特に私どもは、死というものについてのやはり社会的な一つの合意といいましょうか、歴史的ないろいろな経過もございますので、これはよほど慎重に対応していかなければならないんじゃないかというふうな気持ちが非常に強いわけであります。
 そこで、提案者にまずお尋ねをいたすわけでありますが、この法案の第一条を拝見いたしますと、「脳死及び臓器移植に係る社会情勢の変化にかんがみ、」、こういうことが冒頭述べられておるわけでございますけれども、この「脳死及び臓器移植に係る社会情勢の変化」ということについてはどのような御認識を今日持っておられるのか、その点をまず承りたいというふうに思う次第です。
○衆議院議員(竹内黎一君) お答え申し上げます。
 「脳死及び臓器移植に係る社会情勢の変化」とは、以下申し上げるような社会的変化を指し示すものと考えております。
 まず第一におきましては、諸外国において相当数の国が脳死を人の死として社会的に認知するようになってきたこと。次に、諸外国において心臓移植等の臓器移植が治療方法として確立し、多数の移植手術が行われるようになったこと。三番目に、国内の患者の中には外国に行って臓器移植を受けてくる者が増加し始め、外国で日本人への臓器提供が問題化している例も見られること。四番目に、国内の医療関係者の間に心臓移植等の実施を求める声が高まり、そのための態勢を整えている医療機関も出てきたこと。最後に、日本医師会生命倫理懇談会を初めとする関係の各方面からそれぞれの報告あるいは意見が提出され、国内で脳死及び臓器移植をめぐる論議が高まっていること。
 以上申し上げたようなことが社会情勢の変化の中に含まれるかと思います。
○角田義一君 そういう情勢認識のもとに、今日この脳死あるいは臓器移植について調査会を設置していろんな御調査を願い、その結論が、仮に立法を必要とするのか、あるいは立法までいかなくてもいろいろな事実上の施策でやれるのかということについての何らかの結論を出さないことには、先ほど先生がおっしゃったような情勢に対応していけないんじゃないか、こういう御趣旨で本案は提出された、こういうふうに理解してよろしいのでございますか。
○衆議院議員(竹内黎一君) 私どもは、この調査会がいわば脳死を容認する、またそれに関連して臓器移植をさらに積極的に進めるという、そういうお答えをあらかじめいただけるものという、そういう予断や先入観は持っていないつもりでございます。先生も御指摘のとおり、大変社会的にも重要な問題でございますので、本当にこれらの問題についてどう考えるべきかといういわば指針を示していただければと、こう思います。
 また、今回こういう調査会法案を出しましたそのバックには、脳死及び臓器移植について必ずしも十分に国民的なコンセンサスが形成されているとは思えませんので、そういった舞台を中心に論議が行われることで国民の関心も高まり、そういったコンセンサス形成にも役立つのではなかろうかというのが期待の一つでございます。
○角田義一君 よくわかりました。
 そこで、第二条に「調査会は、内閣総理大臣の諮問に応じ、脳死及び臓器移植に関する諸問題について、広く、かつ、総合的に検討を加え、」、こう書いてございます。調査会に諸問題というのは一体どういう問題だということを一切お任せするのも一つの方法かとは存じますが、しかし、これだけの立法をするわけでございますから、どのような問題があるのかということについて一応の御説明なりあるいは事項なりがあってもいいと思いますので、どういうことを考えておられるのか、その点についてお尋ね申し上げたいと思います。
○衆議院議員(竹内黎一君) 具体的には総理大臣の諮問の内容によることになりましょうが、提案者としては、この調査会においては脳死容認の是非あるいは脳死の概念、脳死判定基準の取り扱い、移植対象臓器の範囲、臓器摘出の要件、臓器移植を円滑に進めるための体制の整備等々が重要事項になろうかと思いますし、またその辺の御論議をぜひ賜りたいと思っております。
○角田義一君 そういう諸問題について検討を加えた結果、いろいろな脳死及び臓器移植に関する施策というものについての答申も期待していると思うんですが、先走った質問でちょっと恐縮でございますけれども、仮に脳死というようなものが認められ、しかもそれからの臓器摘出が認められるという前提に立った場合でございますが、具体的にはどういう施策というようなことを考えておられるのでございましょうか。
○衆議院議員(竹内黎一君) 先ほども申し上げましたように、この調査会がどういう結論を出されるか今から予断を持って申し述べるわけにはまいりません。しかし、私は、先ほども提案者の希望として申し上げたような項目につきまして、ぜひひとつこれからの方針及びまたそういった問題について国民の理解をどう得ていくのか、そういったこと等々に触れていただければいいんじゃないかなと思いますが。
○角田義一君 具体的な問題については他の私どもの同僚議員からまたお尋ねがあろうかと思いますので、私の方は概括的なことをお尋ねしていきたいと思うんです。
 この調査会のメンバーは十五名ということを予定しておられますが、先生御案内のとおり、アメリカのこの種問題についての大統領諮問委員会のメンバーも十一名だったと私思います。したがいまして、数については妥当な数だなというふうな気持ちもいたしますが、問題はどういう分野の方々を予定しておられるかということでございます。特に私は、脳死というのもこれは一つの死でございますから、従前の死の概念といいましょうか、観念と違った概念といいましょうか、の形にならざるを得ないというふうに思います。
 先生御案内のとおり、一九八二年でございますか、死の定義についての委員会というものがスウェーデンでは設置をされまして、そして一九八四年十二月に保健医療大臣にあてて報告書が提出をされまして、スウェーデンでは御案内のとおり議会で審議をされて、人の死の判定についての法律という立法をやっております、先生御案内のとおりだと思いますけれども。そのときのメンバーはかなりいろいろ広い分野の方々が入っておるわけでございます。もちろん医学の専門家、それから法律家、宗教家、そして倫理学者等々が入っておられます。
 私どもは必ずしも、この調査会のメンバーは、どちらかといえば脳死なりあるいは臓器移植を積極的に進めるといいましょうか、そういう積極論者だけではなくて、慎重論者といいましょうか、非常にいろいろな問題が含まれておりますので、むしろ慎重論者的な方も相当私は入れてもらわな
いといけないんじゃないかというような気持ちを率直に持っておるわけでございますので、提案者はどういう分野の方あるいはどういう立場の方にこれをお願いしたいんだという、その基本的なお考えをお述べいただきたいと思います。
○衆議院議員(竹内黎一君) 脳死及び臓器移植という問題の性格から考えましても、委員は医学界だけでなく、法曹界、経済界、言論界など広く国民各層から有識者を集め、国民が信頼できる調査会にしてもらいたいと考えております。したがって規定上も、学識経験者とせず、「優れた識見を有する者」として、広く各分野の人材を委員に任命できるようになっております。
 また、その委員の選考に当たって、脳死についてどのような御意見を持っているかを予断せずに、今申し上げたような公正な御意見の持ち主をぜひひとつお願いいたしたい、こう思う次第でございまして、ですから医学界、法曹界のみならず労働界あるいは経済界、宗教界、それから婦人団体あるいは教育関係者、言論ないしマスコミ界、こういったところから選んでいただければなと提案者は考えております。
○角田義一君 しかもこれは、十五名は国会の両院の同意を得るということでございますから、かなり重要な人事案件になってこようかと私は思います。したがいまして、内閣総理大臣が提出したリストについて、我々としても国会でこれをノーというような形は余りとりたくないというふうに思うわけでございまして、この辺は十分私どもの国会と、人選をするについて、事実上といいましょうか、いろいろの意見を聞きながら私は進めていただくのがいいのじゃないかというような感じも率直に言っていたすわけであります。建前としては国会の同意ということで、拒否権を国会は持っておるわけでありますけれども、人事の問題でございますからその辺はやはりかなり丁寧な一つの作業といいましょうか、が必要だというふうに私は思っておるんですけれども、提案者はどういうお考えでございますか。
○衆議院議員(竹内黎一君) 事柄の重要性にかんがみまして、またその人選自体が国民の目に見えるようなものとするために、委員の任命については国会の同意を必要とすることといたしました。それで、今先生お話しのように、国会の各党関係者にも事実上御相談することになろうかと思っております。
○角田義一君 それから、いわばこの調査会の審議の方法について、この法案の中には何ら明示の規定というものが見受けられないように思われます。先生御案内のとおり、アメリカの先ほどの大統領の諮問委員会等では二つの原則があると、こう言われております。生命倫理の基本問題を徹底的に議論する、そのときの原則が二つございまして、一つは完全な公開である、それから徹底的な討論の場を保障する、社会のあらゆる層からの意見をきちっと聴取する、こういうような原則が幾つかございまして、特に一番大事なのは、いわば審議の公開というものが保障されておるということでございます。
 私どもはこの問題については非常に重大な関心といいましょうか、を持っておりまして、でき得れば条文の中にやっぱり調査会の審議の方法について公開を原則とするというような文字が欲しいというような気持ちも率直にするわけであります。これは調査会の独自のやり方に任せるにしては事が少し重大過ぎはしないかというふうに思いまして、私どもは強く公開を主張するわけでございますが、提案者のその辺のお考えはいかがでございますか。
○衆議院議員(竹内黎一君) 会議を公開とするかあるいは非公開とするか、これはまさに会議運営の基本にかかわる事柄だと思いますので、私どもとしてはそれは調査会の自主的な御判断に任せたいと、このように思っております。
 しかし、衆議院におきましても先生と同じ趣旨の御質疑がかなり多くございました。また、調査会の最後の答えの決め方についても単純多数決というような事態は避けるべきであるという、こういう衆議院での附帯決議もまたちょうだいしておりますので、私、提案者といたしましては、幸いにしてこの調査会法が成立をし、いよいよ調査会がスタートをするという段階になりましたら私一遍出向きまして、国会の諸先生方からこういう意見、注文があったということをぜひ伝達したいと、こう思っております。
 また、仮に非公開ということになりますと、さらに重要な問題はその情報公開だと思います。私は、仮に非公開と決めた場合においては、一層のこと情報公開については調査会に意を用いてもらいたいと、こう思っております。
○角田義一君 私どもも、この法案を審議するについて社会党のメンバーでいろいろ議論をいたしたわけでありますが、今先生がおっしゃった調査会の方の自主的な判断にお任せをしたいというようなことについてはちょっとやはり率直に言って不安が残るわけであります。これはまた理事会等でも議論していただきたいというふうに思っておるのでありますが、私は事柄の性格上やはり国民的な合意といいましょうか社会的な合意、これがどれだけ取りつけられるかどうかというのが大変大きな問題でございますが、できるだけそれを得るように努力しなければならないというふうに私どもは考えております。
 したがいまして、そういう立場から申し上げますと、原則やはり公開で国民の前で堂々と議論がされる、資料等もすべて、アメリカの大統領の諮問委員会じゃございませんが、資料等も全部公開される、こういうことでなければ、この脳死問題についての最終的な国民的な合意といいましょうか、社会的な合意というものは得られないのではないか。それを保障する意味からいっても私どもはこの公開の原則というのはかなりこだわっておるわけでございます。そういう意味で私どもは、先生は仮にこの法案ができたら調査会にそういうことを申し上げるということでございますが、この点については、私どもは強くその辺については主張をいたしたいというふうに思っておりますので御留意をいただきたいというふうに思う次第であります。
 それからさらに、私どもはその調査会で、事が脳死問題でございますから意見を述べたいという国民はやはりそこで、いろいろ物理的な時間的な制約もあるかもしれませんけれども、そういった意見を述べたい国民は原則としてやはり意見を述べられる、こういう自由、権利といいましょうか、そういうものを保障した方がよろしいのではないかとすら思っておるわけでございますが、いかがでございますか。
○衆議院議員(竹内黎一君) 繰り返しの答弁になりますが、私どもとしては、調査会の運営の基本的なことにつきましては調査会の自主的な判断にゆだねたいと、こう思いますけれども、今先生お話しの調査会において広く国民各階層の意見を求める、公聴会とかいろんな形があろうかと思いますが、そういうことや、あるいはまた調査会みずからが世論調査を行うとか等々、私どもとしても調査会が広く国民各階層の意見を聞く場を、あるいはそういう手段をぜひ持っていただければなと思っております。
○角田義一君 それから、これが一応二年という形になってございますが、果たしてこれだけの問題に二年で一応の結論といいましょうか、決着といいましょうか、というのが果たしてつくのでございましょうか。例えば、アメリカのことばかり言って恐縮でございますけれども、そういうある意味では民主的な進んでおる制度でございますので、先生御案内と思いますけれども、アメリカの場合は一九八〇年一月から討論が開始されまして、一九八三年に言うところの総括報告書なるものが出ておりまして、四年ぐらいかかっておりますですね。それで私ども、ちょっと二年というのはいかがかな、これでやり切れるかなと。まあやってもらうんだということになればそれまででございますけれども、これはいかがでございますか。どんなお考えでございますか。
○衆議院議員(竹内黎一君) 本調査会におきましては、脳死を人の死として認めるかどうかという
のが大変大きな議題になるわけでございます。
 そこで、今先生がアメリカの事例にお触れになりましたけれども、これまた先生御承知のところでございますが、あえて申し上げますと、医学、生物医学、行動科学研究における倫理問題調査のための大統領委員会が、第一回会合から「死の定義―死の判定をめぐる医学的、法的、倫理的問題」と題する報告書を提出するまでに要した期間は一年七カ月でございます。また、スウェーデンにおきましても、死の定義についての委員会が発足してから「死の定義」と題する報告書を提出するまでに要した期間は二年六カ月と聞いております。
 そして、提案理由でも申し上げましたが、我が国には現在、臓器移植以外ではその生命を救う方法のない患者の方々あるいは家族の方々、そして臓器移植を待ちわびている方が多数いらっしゃるという、一方にはこういう切迫した状況もあるわけでございますので、私は、内容においてまた回数において濃密頻繁な会議をぜひお願いして、何とか二年以内に一つの私たちに対する指針を示していただければなと、こういうことで一応二年という提案にさせていただきました。
○角田義一君 これはやはりこれだけの調査会を設置いたしますると予算的な問題も当然絡んでまいるわけでございますが、いろいろのものを拝見いたしますと当面一億円程度というようなお話も承っておりますけれども、これは当座のあれでございますからどうということはないと思いますが、先ほどの先生御指摘のアメリカの場合は二千万ドルという膨大なお金をかけておるようでございますし、それから各分野の三百以上の方々から証言を求めるというようなかなり大規模な形で実際にやられておるわけでございます。したがって、仮にこの法案が通った場合、私は、事柄の性格上、予算についてはかなり潤沢でなければいけないんじゃないか、何かちびちびした感じでやっておったのではこれだけの問題に対応できないんじゃないかというふうに思いますが、これについてはいかがお考えでございますか。それが第一点。
 それからもう一つは、きょう厚生省の関係の方が来ておられれば、恐らくこの法案が通ればこの調査会のための予算づけということもしなきゃならないだろうというふうに思いますが、この辺については、ひとつ私どもはやっぱり遠慮なくこれは予算を要求していただいていいんじゃないかというふうに思っておりますので、お尋ねしたいと思います。
○衆議院議員(竹内黎一君) 本調査会がその設置期間の二年の間に相当濃い密度で調査審議を行っていただく必要があります。そのためには、委員手当、旅費、会議費といったものがかなり必要になると思われますし、また外国の実情を調査する費用等も相当程度必要かと思われます。したがいまして、私どもとしては通常の審議会に比べてやや多額な年間一億円程度の経費が必要と考えておる次第でございますが、むしろ私は最低一億円は必要だと、このように認識をしております。もちろんこの問題は今後実務者レベルの間で詰めていく必要がありますが、大蔵省を含め関係各省できちんと取り扱っていただきたいと思っております。
○政府委員(仲村英一君) この法律が通りました暁には、この調査会が今お尋ねの趣旨のように円滑な運営ができるように、総理府と調査会の庶務を担当いたします私ども厚生省が分担して要求をするということで考えておりますが、内容的には今竹内先生からもお答えございましたようないろいろの活動があるわけでございまして、そういうものを詰めまして財政当局と相談してまいりたいと考えております。
○角田義一君 以上で私の質問を終わります。
○山口哲夫君 今我が党の角田議員の方から、法案の具体的な内容について質問がございました。
 私は、立法に当たって関係する諸問題につきまして提出者の考え方についてお聞きしたいと思うんですけれども、その前に、今角田議員から質問のございました内容について、三点ほどちょっともう少し提出者の意見を聞かせていただきたいと思います。
 一つは、この調査会の人数十五名、各界の方々をできるだけ網羅したい、大変結構なことだと思います。ただ、今までの政府のこういった関係する調査会のメンバーを見ますと、大体メンバーを見ただけで方向がわかるんですね。ああこの法案は通すためにこういう方々を集めたなと、もう一目見ただけで大体わかる。今度の問題は、そういう形では私はいけないと思うんです。だから、各界の方々を入れる場合であっても、賛成者がもう半分ぐらいを占めるということでは困るんで、賛成者、反対者がありますし、それに非常に慎重論を唱えている方もいらっしゃいます。ですから、できれば私はきちっと三分の一ずつくらいそういう方々を入れて、そして十二分に論議をする。その方が私は国民に誤解を招かないんじゃないかと思うんです。それでないと、せっかくつくったこの法律の趣旨から、脳死あるいは臓器移植というものを積極的に行うという考えで出したものではないという先ほどの提案の御説明もございましたので、ぜひそういう形をとった方が私はいいのではないかなと思いますけれども、いかがでしょうか。
○衆議院議員(竹内黎一君) 繰り返しの答弁になりますが、本調査会は断じて、初めに脳死容認あるいは臓器移植ありき、こういうことで設置を考えたものではございません。そしてまた、その委員の人選に当たりましては、これも先ほどお答えしたわけでございますが、脳死についてどういう意見の持ち主であるかということを、そういう予断を持って人選はしたくないな、こう思っております。やはり国民の目から見ましてもこれは公正な審議が期待できるなという、ぜひそういう人をお願いしたい。そういう意味でもまた、国会の御同意を求めるという配慮をしたつもりでございます。
○山口哲夫君 具体的に調査会の委員の人選というのはこれは内閣が行うんですね。官房が直接やるんでしょうけれども、具体的には厚生省あたりから意見が出ていくんじゃないかと思うんですね。そういう意味で厚生省の考え方はいかがですか、今の問題について。
○政府委員(仲村英一君) 今竹内先生がお答えになったことと同様に考えております。
○山口哲夫君 くれぐれもお願いしておきたいんですけれども、この問題に限っては、委員十五名のメンバーが公表されたときに、本当に純粋にこの問題について審議をするんだなと、決して賛成、反対一方に偏ってはいないということがわかるように、くれぐれも、できれば人数の面においては三等分できるような形で委員の任命というものを行っていただくように、強く特に厚生省にお願いをしておきたい、こんなふうに考えております。
 それからもう一つ、角田議員から公開の原則の質問がございました。これは提出者のお答えによりますと、調査会が自主的に決めることである、こういうお話もございましたけれども、これも非常に私が心配するのは、このたぐいの委員会、調査会に任せますと、委員の中からこれは非公開にしてもらわなければ論議はできませんという方がよく出るんです。実際に人権問題でそういう例がございました。私は、特にこれだけ国民的な関心を持っている問題ですから、賛否両論非常にはっきりしている意見を持っておる方が多いと思うんですね、国民の中にも。ですから、少なくともそういう一方を代表して発言される委員の方は、これは非公開でなければ審議できないなんということであっては困ると思うんですね。そういう方を選ばれること自体に私は問題があるんじゃないだろうか、そう思うんです。
 選んでしまいますと、委員の方は、いや、公開にされるんじゃとても論議できないんで、できるだけひとつ非公開でやってくれないかということがよく出るんです。そうすると、委員会あるいは調査会の意見として非公開を望んでいるので非公開にいたしましたという形をとってしまうんです。そういう委員を選ぶこと自体に私は問題があ
ると思うんで、これはやっぱり委員の選任に当たっても非常に慎重を期していただきたいと思いますし、委員会の自主的な判断で非公開になりましたということにならないように、あくまでも公開が原則だということで、公開できるようにひとつ委員の人選についても配慮をしていただきたいし、そういう意見が非常にやっぱり強く述べられていたということについても、調査会に我々の意見というものを反映させていただきたいと思うんですけれども、いかがでしょうか。
○衆議院議員(竹内黎一君) 委員の人選について慎重を期せという先生の御指摘は全く同感でございます。
 しかしながら、これは予想でございますけれども、調査会が調査ないし審議をしているその過程では、あるいは個人のプライバシー、あるいはまた治療方法のまだ秘密とか、こういうような問題もひょっとしたら出てくるかなという気もいたします。しかし、今先生からの原則公開にすべしという御意見は、先ほど述べましたように、調査会の発足に当たっては国会の諸先生のそういう強い御意見があったということを私からぜひ伝達いたしたいと思っております。
○山口哲夫君 ぜひその点よろしくお願いしたいと思います。
 それからもう一つ、角田議員の方から、調査会に自由に国民が意見を述べれるような機会というものをつくるべきじゃないかと、こういう質問がございました。これは全国津々浦々にそういう声というものが私は出てくると思うんです。ですから、調査会として公聴会をやることも結構ですし、ぜひやっていただきたいと思いますけれども、中央だけで行うというのでなくして、できれば、二年間も時間があるわけですから、北海道から沖縄までできるだけ多くの地域で、本当に国民の方々が自由に発言できるような、そういった幅広い公聴会のようなものを私は調査会として考えていただきたいなと、そういうふうに思うんです。
 そこまで立法化されておりませんけれども、ぜひ公開の原則とあわせてそういう配慮も調査会においてはやっぱりするべきでないだろうか、そういうことについて提出者としてお考えはいかがでしょう。
○衆議院議員(竹内黎一君) 私、先ほどの答弁で、公聴会とかあるいは世論調査とかこういうことを申し上げましたが、これは提案者の希望でございまして、その辺のことも一応調査会みずからが御決定になるだろう、こう思います。しかし、本当に広く国民各階層からの意見を求めていくということだと、今先生御指摘のように回数においてもまた地域においてもたびたびやっていくのが望ましい、こう私は考えております。
○山口哲夫君 その点もぜひ提出者の方の意見として十分調査会に反映をさせていただきたい、そう希望しておきたいと思います。
 それでは、立法に当たって関連する幾つかの問題、六つばかりありますけれども、提出者のお考えをまず聞いておきたいと思います。
 まず第一は、脳死の問題と臓器移植の問題、これは理論上は別なものであるというそういう学説が西ドイツやスイスにあるようであります。これを、あえて脳死と臓器移植というものを一本化して立法したお考えについてお尋ねいたします。
○衆議院議員(竹内黎一君) 先生の今御紹介の学説が西ドイツあるいはスイスにあるということは、私も聞き及んでおります。しかし、脳死及び臓器移植の問題は、いずれも近年の医学等の目覚ましい発達によって生じた生命倫理に深く関係する問題であり、また脳死状態の者から移植用の臓器の提供を受けて行う臓器移植医療を一つの社会的なシステムとして認めるかどうかの問題を論ずる際は、その前提問題としての脳死の問題が避けて通れないものであることから、本調査会では脳死問題及び臓器移植問題の両方を検討していただくこととした次第でございます。
○山口哲夫君 二つ目は、この法案で考えていらっしゃる臓器、それについての具体的な、臓器というのはどこまで入れるお考えなのか、それをお聞きしたいと思います。
 それから厚生省に、臓器移植について必ずしも治療方法が全部が全部確立されているとは今限らない、こういうふうにも医学界でも言われているようでありまして、中にはまだ実験段階であるあるいはまだ研究段階である、そういうような考え方を持っているお医者さんもいらっしゃるようであります。もしそういう区分があるとすれば、医学界におけるそういう見解についてちょっとお知らせをしていただきたいと思いますし、あわせて最近の移植手術後の生存率、それぞれの臓器ごとに、できれば各国の例も含めてお答えをいただきたいと思います。
○衆議院議員(竹内黎一君) 移植の対象となります臓器の範囲につきましては、生命倫理の尊重との関係もあり、本調査会の調査審議の対象になるものと考えております。
 しかし、提案者として考えてみますと、その移植が治療方法として確立しておりその移植が人の生命または健康の保持に不可欠なもの、そういうものは対象になり得るんじゃなかろうかと考えます。それから推論してまいりますと、心臓、肝臓、膵臓等の臓器が挙がってくるのじゃなかろうかと思います。
○政府委員(仲村英一君) 臓器移植が実験段階であるか研究段階であるか、あるいは完成された日常的な手技かというお尋ねでございますが、最近は免疫療法あるいは手術法の改良などによって臓器移植というのは非常に発達してまいったわけでございます。臨床的にも、後ほど数字を申し上げますが、成績が向上してきておりますが、まだ副作用がある薬剤を使わなくちゃいけないとか、そういう点では常に発展段階にあるというふうに考えております。ある手技が完成されたというのは、ほかの分野ではよく知りませんけれども、医学の分野では完成というのはあり得ないんじゃないかと、常に改良を加えていかなくてはいけないという点ではいろいろのレベルがあろうかと思います。……
○山口哲夫君 済みません、もうちょっと大きい声で。
○政府委員(仲村英一君) したがって、もう一遍繰り返しますが、ある手技が完成されたということは、ほかの分野ではともかくといたしまして、医療の分野では余り考えられないのではないか。つまり、常に改良改善を加えていかなくてはいけないという意味で申し上げるわけですが、それにいたしましても、例えば肝臓の移植で申し上げますと、外国で既に四千七百例、心臓は一万例を超えるというふうなことで考えますと、非常にこういう例数の多いものは日常化しておるというふうに申し上げてよろしいのではないか。逆に、生体肝移植は、先ごろ話題になりましたけれども、まだ数例しか行われていないという意味では、いろいろな倫理的な側面だけでなくて、まだいろいろ問題があり得るのかなという感じがするわけでございます。
 ただ、臓器移植そのものにつきましての例えば五年生存率で考えますと、一九八〇年以前は約二〇%ぐらいだったということですが、最近は肝臓の場合に六五%にまで向上しておりますし、心臓の場合で申し上げますと、一九八〇年以前の場合には四〇%であったものが最近では八〇%になっておるということが報告されております。
 国別に答えろということでございますが、必ずしも全部そろっておるわけではございませんが、自民党が脳死と臓器移植に関する調査団を派遣いたしました報告書を引用させていただきますと、フランスにおきましては、心臓が六〇%、スウェーデンでは腎臓が、死体腎で八〇%、生体腎で九〇%、スウェーデンの肝臓が六五%、膵臓が六五から七〇%という数字がございます。それからイギリスの例でございますが、生体の腎、腎臓ですが、九五%、心臓が七五%、肝臓が六五%。アメリカでは腎臓は九〇%以上、九一とか九六とかでございます。心臓が八〇%、肝臓が六五%、膵臓が三五から四〇%ということでございまして、
こういう数字からいいますと、膵臓というのはまだそういう意味では成功率が高くないという意味で、まだ発展段階と申しますか改良の余地があるということで考えてよろしいのではないかと思います。
○山口哲夫君 ちょっとお願いしておきますけれども、非常に専門的な言葉が出てきますので、なるべくわかるように説明してください。よく聞き取れない点があるので、大きい声でひとつ済みませんお願いします。
 今のお答えからいたしますと、この法律で考えている臓器というのは心臓、肝臓、膵臓だという、そういうお話でございましたですね。腎臓とか角膜というのは、別に法律があるからそちらの方で対象になっているので、あえてここには入れなくてもいいという、そういうお考えでのお答えなんでしょうか。
 それからもう一つは、今厚生省のお話ですと、心臓と肝臓については大体移植についても日常化されているというか、そういう点では成功率も高い。ただ、膵臓についてはまだ必ずしもその確率は高くない、発展途上というんですか、そんなようなことをお話しだったと思うんですけれども、そういう点では、必ずしも治療方法が全部臓器については確立されているというふうには見られないということでしょうか。まだ実験段階、特に膵臓については実験段階だというふうに考えてよろしいんでしょうか。一応治療方法は確立されているけれども、成功例が非常に少ないという点では不安が残るという、その程度の判断なんでしょうか。
○政府委員(仲村英一君) 成功率が一〇〇でなくてはいけないということではないと思いますので、つまりこういう一つの治療法でございますから、絶対一〇〇でなくてはいけないということは、いろんな事故とか個体の反応とかいうことで常に一〇〇であるということはあり得ないということで申しますれば相対的な問題ではないか。つまり、何%以上ならこれが完成された技術あるいは日常化された技術で、そうでないときは軽々しくやってはいけないとか、そういうふうな意味で申し上げたわけではないのでございまして、確かに膵臓とかあるいはほかにも理論的にはいろんな臓器が移植は可能でございますけれども、例えば脳も理論的には移植は可能だと言う学者もおられるようですが、したがって、こういうのは個々にだんだん経験を積み重ねていくという側面もございますので、そういう意味では、実験段階から今完成の段階になったということを見きわめるのは非常に難しいのではないかと考えております。
○山口哲夫君 医学界で一応治療方法については確立されているというふうに統一されていれば我々も安心できるんですけれども、例えば膵臓については非常に成功例が少ない、パーセンテージが低いということになれば、医学界においてさえまだ治療方法が一つにまとまっていないのかな、実験段階なのかなという不安が残るわけですね。そういう仮に実験段階だと思われるような臓器を臓器移植の対象に法的にするということについては、これはちょっと問題が残りはしないだろうか。これは調査会の中で十分論議してもらわなきゃならない問題でしょうけれども、今の段階でどういうふうに私どもが解釈したらいいのかちょっと判断に迷うものですから、重ねてお聞きしておきたいのです。
○政府委員(仲村英一君) 移植に関する法律をつくるかつくらないかという問題もございますし、つくる際にその法律の中に個別の臓器を列挙していくかどうかという問題も別途あると思います。
 したがって、立法上の問題とは別に今お尋ねだとすれば、私どもとしては膵臓についてまだまだ実験段階だと断言するのも非常に難しいのではないか。つまり、例えば先ほどもちょっと申し上げましたけれども、スウェーデンの病院の膵臓は六五から七〇%の、一年生存率でございますけれどもそういう数字があるし、片方アメリカでは三五から四〇%という数字もありますので、そういう点では一概にある臓器の移植が実験的であるかどうかと判断するのは非常に難しいと考えております。
○山口哲夫君 十分調査会の中でそういう点も論議をしていただきたいなというように思っております。
 三番目は、脳死については立法を前提にしての調査会なのかどうか。それから、立法がなくてもそれを合法的に進めることが可能である、そういう考え方も一部にあるようでありまして、立法化した方がいいのかあるいは立法しない方がいいのか、その長所と短所というんでしょうか、そういう点についてお考えを聞かしていただきたいと思います。
○衆議院議員(竹内黎一君) 本調査会は、あらかじめ脳死を人の死として認めることにするとか、さらには臓器移植をさらにドライブをかけるとか、そういう予断ないし先入観を持っているものではないことをまず御理解を賜りたいと思います。
 したがいまして、調査会の審議の中で、果たして立法を必要とするかどうかの御判断、また立法をするとすればその範囲はどうするか、そして先生御指摘の、現在立法をされておる腎臓及び角膜移植もその内容を一括したものにするか等々、すべてこれは調査会の御論議にかかっているというのが私の理解でございます。
 また、一般的に立法してやる場合としない場合の長所短所という御質問でございますが、これも私素人の考えでございますから決して十分な御答弁にならないかと思いますけれども、仮に臓器移植について立法をしておれば、その中で臓器移植の手続とか、あるいは患者及び家族の同意とか、あるいはそういった臓器移植を行った際の正確な記録とその保存とか、そして特に、いわゆる違法性の棄却というものにかなり役立つんじゃないだろうかなと、こう思うのでありますが、御承知のように医学の進歩というのはまことに目覚ましいものがありますので、立法した場合には、医学界の先端と法律の現実の間にギャップが出るという心配も一方しなきゃならぬのかなという気もいたすわけでございます。諸外国においても、そういうことで、脳死を人の死として定義する法律をつくっている国もありますし、また臓器移植法のみを定めた国があると私は承知しているわけでございまして、多分にこれはその国の風土によって決まるお話かなと思っております。
○山口哲夫君 通告では一番最後に質問しようということで六番目で提出している問題ですけれども、今の問題に関連がありますので先に質問しておきたいと思うんですけれども、脳死を必ずしも立法化しなくても、今臓器移植法というのが角膜と腎臓だけについてございますですね。そこで、そこに心臓とか肝臓等を加えて一般的な臓器移植法にいたしますと、当然脳死というものが可能になるわけですね。おわかりいただけると思いますけれども。そこで間接的に脳死が合法化されるという、そんなような方法もあるんじゃないだろうか、こんなふうに考えるわけです。だから、あえてこの脳死というのを冠して立法しなくても効果としては事実上脳死を認めたということになるわけなんで、それをあえて脳死というのを冠して立法化したその理由についてお聞かせいただきたいと思います。
○衆議院議員(竹内黎一君) 先ほど来申し上げておりますように、脳死を立法化するかどうか、そういった御判断はまさしく調査会の調査審議にかかっていることだと、こう思います。しかし先生御指摘のように、一般的な臓器移植法というものを制定しておけば、その中で脳死を直接的に定義することをしなくても可能ではないかという、確かにそういう方法もあろうかと思います。またそういう立場からの立法をしておる国もあるやに聞いておりますが、挙げてその辺のことも調査会でぜひ議論を深めていただきたいなと、私はこう思うんです。
○山口哲夫君 そうしますと、今私が申し上げたように、調査会で、臓器移植法というのは別にあるんだからその中に心臓とか肝臓とか膵臓も含め
るんだということになれば、おのずから心臓とか肝臓というのは、肝臓は別ですか、心臓なんかは脳死で判断をしなければならないから、おのずから脳死というものはここで認められるようになる、そういう考え方に仮に調査会で立った場合に、そうすると、調査会としては脳死及び臓器移植についての法律というものをつくらなくてもいいんだ、今ある臓器移植というものの中に今言ったような臓器を一緒に含めることによって事実上脳死を認めたことになるんだよというような結論が仮に出た場合には、あえて新しい立法化をしなくてもいいんだという、そういう解釈に立っていいわけですか。
○衆議院議員(竹内黎一君) 先ほど来申し上げておりますように、本調査会におきましての基本的な事項は、まず脳死ということをどう受けとめるかどうかということ、これが基本だと思います。したがって、脳死立法ということに直ちになるのかどうか、これはまさしく調査会の調査審議の中の問題であろう。したがいまして、私たちは脳死立法を前提にしているということではないことをひとつ御理解を賜りたいと思います。
 ただ、先生御指摘のように、あえて脳死というものに正面から挑戦しなくても、臓器移植法という、仮にそういう立法があったらその中で対処することも可能でなかろうかという意見も、私も有力な意見の一つじゃないだろうかと。つまり、脳死というものを臓器移植に限定して考えてはどうかという意見は、私はなかなか有力な意見ではなかろうか、こう思っております。
○山口哲夫君 その辺のところも調査会の中で十分論議していただけるものと思います。
 それから四番目は、二年間調査会で論議をしまして一定の方向づけが仮になされたといたします。脳死あるいは臓器移植ということを立法化した方がいいというような仮に結論になった場合に、それを受けて政府としては直ちに法律を提出するということも考えられるでしょうけれども、ただ、必ずしも調査会で一つの答申がなされたから、それにすぐ応じて立法化しなければならないということでもないだろうと思うんです。ということは、二年間相当各地方でもって公聴会をやっていただいたり、あるいは世論調査をやったり、いろんな論議が巻き起こっても必ずしも国民の世論というのはそう簡単に一本化の方向には向かないんじゃないかというように思うわけです。そういうような時点が仮に出た場合に、社会的に合意が得られるようにするためにはもっと深く各界各層の方々を含めたシンポジウムを開くとか、さっき言ったような地域における国民の意見を聞くとか、できるだけ時間をかけてある程度の方向づけがされるような段階で立法化するということの方が好ましいのではないだろうか。調査会で一定の結論が出たので直ちにそれに政府の方として、国民の世論が完全に二つに分かれているのにもかかわらず立法化をしていくというような性急な考え方でやることはいかがなものだろうかなというように思うわけでして、その点に対する、これは政府の方でしょうか、提出者の方でしょうか、できれば御両人からお考えを聞かせていただきたいと思います。
○衆議院議員(竹内黎一君) 調査会の報告ないしは勧告が出た場合の政府の対応については、実は私からはちょっとお答えしにくい立場でございます。
 しかしながら、私は本調査会のみが唯一の国民世論の形成の場だとは考えておりません。やはり本調査会においてもいろいろと論議をしてもらいたいし、またそれぞれの場所、しかるべき方法でいろんな国民的な論議が行われることはむしろ歓迎すべきことであろう、こう思っております。そういった声をできるだけ聞くべく、先ほど来地方公聴会とかあるいは世論調査とかいうような方法もあるのかなと、こう申し上げている次第でございます。
○政府委員(仲村英一君) もちろん、この調査会が設置されて御議論いただいた結論がどういうものになるかにもよるわけでございますが、その時点で当然対応を考えるということになろうかと思います。
 しかしながら、先ほど公開、非公開の御議論のところでもございましたように、情報を公開するということは非常に大事なことだというふうに考えておりますので、国民の皆さん方に正しく理解をしていただくという努力も政府としてもしなくてはいけないだろう。例えば脳死と植物人間を混同されておられる方も少なからずおられるわけですから、そういう正しく知識を得ていただくという努力を並行してやっていかなくてはいけないのではないか。そういう意味で考えますと、今おっしゃったような、具体的にシンポジウムがいいかどうかはともかくといたしまして、世論調査もあるでしょうし、いろいろ理解を深める、あるいは正しく状況を御判断いただくという努力はやはりしていかなくてはいけないと考えております。
○山口哲夫君 二年も先の話ですから、国民の世論がどういうふうに変わってくるかということもわかりませんけれども、くどいようですけれども、せっかく調査会で御審議をいただいてある程度の方向づけが仮になされたといたしましても、その方向で国民が必ずしも固まっているとも限らない。その時点においても国民の世論というのは、いろんな情報提供をしたことによって随分理解は示しているけれども、むしろ国論が真っ二つに分かれているというようなことだってあり得ると思うわけです。そういう段階で、調査会の答申があるからといって、その答申に基づいて立法化を急ぐということはこの問題に関しては私はちょっと危険ではないかな、そんなふうに思うものですから、二年後のことでございますけれども、そういう時点に立った場合においてはもっと慎重に国民の世論というものを一本化できるような努力を続けることが先決であって、性急に立法化をするということはちょっと差し控えた方がいいのではないのかな、そんなふうに思っているものですから、そこに関する厚生省の考え方というものも聞かせていただきたいなと思ったんです。
○政府委員(仲村英一君) おっしゃるように二年先で、もし法律が通ればその間にいろいろ議論があるはずでございますので、その間にどういう世論の動向があるかということも私どもとしてもできるだけ的確に把握しなくちゃいけないと思いますし、仮に立法化するとなれば、そういう状況を総合的に判断するということは必要だと思います。
○山口哲夫君 総合的と言われると非常に迷うんですけれども、私の意見は御理解いただけると思いますので、余り立法化を性急にそういう時点になった場合にはお考えにならない方がいいんじゃないかなというふうに私は思うものですから、その点も十分ひとつ考えに入れておいていただきたい、こんなふうに思います。
 この問題の最後ですけれども、脳死を認めるということを仮に立法化した場合には脳死に反対する人にも強制力を持つことになる、こういうふうにおっしゃる学者もいらっしゃるわけです。決して強制になるものじゃないよという説もありますけれども、事実上強制力を持つことになるという説もあるわけであります。もし強制力を持つということになるとこれは非常に重大な問題でございまして、強制力を排除する可能性が一体立法上可能なのかどうなのか、そういうことについて提出者の方としてお考えになったことがございますでしょうか。
○衆議院議員(竹内黎一君) いわゆる脳死を人の死と定義する法律の制定に向かうことになるかどうか、これは今から何とも申し上げかねるわけでございます。しかしながら、制定した場合のその制定の影響の度合い、効力の及ぶ範囲等々、それらの問題については恐らく調査会において当然視野の中に入れて調査審議をしていただけるものであろうかと思っております。
○山口哲夫君 医学界のことは私わからないですけれども、いろんなものを読んでみますと、やっぱり脳死というものが立法化されたということで非常に取り扱いが画一化されてしまう、そういう心配があるんだそうですね。例えば人工呼吸器、レスピレーターというんですか。こんなものをお医者さんとしては脳死というものがはっきり決ま
った以上はつけておくことができなくなるとか、そういう心配が出てくる。そういう中から脳死に反対する人に対しても強制力がどうしても出ざるを得ないんだと、現場においては。そういう何か不安があるということが論文でも書かれているわけですけれども、そういう心配というのはこれはどうなんでしょうか。その点について提出者として御論議されたことがあるのかどうなのか、お聞きしておきたいと思います。
○衆議院議員(竹内黎一君) 脳死を認めるということになりますと、それに関連する問題として、例えば先生が御指摘になったようなレスピレーターをじゃ外すのかどうかとか、あるいはもはや医療というものをその段階で打ち切ることにするのかどうかとか等々の、確かに深刻な問題が出てこようかと私も想像しております。したがいまして、必ずしも脳死立法に一直線に向かうというそういう目的の調査会ではございませんけれども、やっぱり脳死の問題を考える際にはそういった問題点あるいは先生御指摘のそういう国民の心配等々も十分に視野に入れた御論議をお願いいたしたいと思っております。
○山口哲夫君 そういう不安が医学界にもあるし患者の方にもあるようですから、十分ひとつ調査会の中でその点もやっぱり論議をしていただきたい問題だな、そんなふうに思います。なお、具体的に医学界の中におけるそういうことに対する不安等については、二十八日に参考人においでいただくことになっておりますので、そこでまた具体的に聞かせていただきたいと思います。
 それでは次に、この法案に直接関係のない問題でぜひ参考にしておきたいと思う諸問題について六点ばかり質問したいと思います。
 まず一つは、最近島根医科大学で行われました生体肝移植に対します厚生省のお考えを聞かせていただきたいと思います。
○政府委員(仲村英一君) 現在我が国では脳死を前提とした肝臓移植は行われておりません。したがってこのケースの場合には、患者さんはかなり切迫した状態に立ち至っておられたということを聞いておりまして、そうした場合にほかに治療法がないわけですので、生体からでも肝臓移植をすれば子供は助かるのではないかという御希望があったということで、医療側もその手術に踏み切ったという事実があったと思います。そこにつきまして私どもも十分理解できるわけですけれども、一方におきましては、生体肝移植が、技術的な問題でございますとか、臓器提供者にかなり大きな負担を強いるという問題もございますので、脳死からの肝臓移植を優先すべきだという御意見もあるわけでございます。
 そういうことでございますので、私どもこのケース、個別に判断しにくいことではございますけれども、もう少し経過も見たり、あるいはいろいろの御意見を承ってからでないと判断といいますか、行政庁がこういうものを判断するのは非常に難しいのではないかという気持ちでおります。
○山口哲夫君 厚生省としてこの問題についてどういう問題が今あるのか、心配される諸問題があるのか、そういうことについて何か厚生省として論議されたことはないでしょうか。例えば報道関係でもいろいろな面でいろいろ言われるわけです。医学上の問題だけではなくして、例えば親と子という関係の中でのこういう問題について半強制的な形になりはしないかなというそういう不安もある。親としてはいろんな考え方を持っている人もいる。それで、ああいう成功した例があるから、自分もそういう立場になった場合にはやっぱりそういうふうにしなければならないのかなという周りからのいろんな問題も出てきはしないかとか、そのほかこういう一つの実験的な手術によってこれから検討してみなければならないのではないかという問題というのが幾つかありはしないのかなと思うんです。そういうことを厚生省の中で論議したことはないでしょうか。
○政府委員(仲村英一君) いろいろの角度の問題はあり得るわけでございます。今先生がおっしゃったようなことも当然含まれるわけですが、生体から臓器を移植すること自体の是非というのも問題でございますし、その際に提供者の危険の度合いがどうかということも当然全体的な判断の中に加えなくてはいけないと思いますし、あるいは臓器移植しかないけれども、だれそれの肝臓を提供しろというふうな強制にまでいくとなれば大変な問題、人権的な問題もあるでしょうし、あるいは売買にそれがつながるという危険性もあり得るわけでございます。
 あるいは治療法の手技そのものにつきましても、世界で四例目と承知しておりますので、肝臓移植そのものは、先ほど申し上げましたように脳死からの肝臓移植は非常に例数は多いわけでございますけれども、そういう技術的な問題あるいはどういう施設で本当に行われるようになった方がいいのかという施設の方の問題とか、あるいはどういうスタッフでなくてはいけないのかとか、もっと手続的なことで考えれば、院内に設置されておる倫理委員会にどういう形で相談されてどういう判断をされたのかとか、あるいはそういうことをしなかったことの是非とか、あるいは御本人と申しますか、提供者のインフォームドコンセントといいますか、十分な説明をした上で御本人が納得されたその度合いがどうであったかとか、いろんな次元の問題が私どもとしてもあり得ると考えております。
○山口哲夫君 今局長がおっしゃっただけでも五つか六つくらい問題があるようですね。それで世界に四例ですか、今あるというお話だったんですが、具体的にどこの国か私はわかりませんけれども、既にそういうものが日本よりも先に行われているとするならば、そういう生体肝移植ということでは恐らくいろんな問題があるんでないだろうか。そして、それに対して相当論議も深まっていることも期待できるわけですね。できればそういう諸外国の四例の中でどういう問題が起きていたか、それに対してそれぞれの国として、あるいはその国の医学界としてどういうふうに扱ってきたのか。その辺がもしわかれば今後厚生省の方として少しお調べになっておいていただいた方が私どもこれからいろいろとこの問題を論議するのに非常に参考になるというように思いますので、できればぜひお調べをいただきたいものだなとお願いをしておきたいと思います。
 それから二番目は、日本人が海外において行った臓器移植の実態ですね。臓器別、国別、また費用ですね、それに対する各国の反応はどういうものなのか、おわかりになれば教えていただきたい。
○政府委員(仲村英一君) 全数を的確に判断しておるということではございませんけれども、肝臓の移植につきましては大体三十例ぐらい、心臓移植では三例というふうに私ども承知しております。
 国別で申し上げますと、肝臓を海外で移植された方はアメリカで八例、カナダで三例、オーストラリアで二十例、英国一例、西ドイツで一例でございます。心臓につきましては米国が一例、英国で二例ということでございます。
 それから費用でございますけれども、肝臓の場合にはオーストラリアで約九百万円、アメリカで千八百万円から三千百万円。心臓の場合には英国で三百万円、アメリカでは七百五十万円から千四百万円ぐらいということでございますが、渡航費とか滞在費等を含めた総費用というのはちょっと判明しておりません。
 オーストラリアにおきましては自分の国の国民を優先しておるということのようでございまして、例えばそれ以外のケースの場合にもらえるということがあるようでございますし、アメリカの場合に臓器移植をあっせんする機関があるわけでございますけれども、外国人の割合は最大一〇%までに抑えるということ、つまり提供者が少ないという問題もあるわけですが、そういうような状況のようでございます。
○山口哲夫君 費用の問題については後ほど同僚議員の方から質問があると思いますのでそのぐらいにしておきますけれども、各国の反応の点でち
ょっと心配な点があるんですね。金持ち日本とよく言われておりますように、臓器まで金で買うのかというそういう批判なんかも外国ではあるというふうに報道で私たちは耳にしているんです。それぞれの国においても臓器は不足している。今、オーストラリアなんかは自国の国民を優先にするとか、あるいはほかの国では一〇%までは外国は認めるとか、いろいろ基準を設けている国もあるようですけれども、設けてないような国になりますと、金があれば日本人がどんどんそういう外国で臓器の移植ができるということになれば、自分の国でさえ不足しているのに金さえあればほかの国の人でもどんどんできるのかというようなそういう日本に対する批判というのは私たちはやっぱり耳を傾けていく必要があるんじゃないだろうかな、そんなふうに思うわけです。ですから、具体的に臓器移植を外国で行った場合における外国の日本に対する批判等があればお聞かせいただきたい。
○政府委員(仲村英一君) 個別にどのケースでどうというふうなことで私ども直接聞いたことはございませんが、先ほどのオーストラリアのようなケースもありますし、アメリカのように優先の度合いを一〇%で抑えるとか、イギリスの場合にも、行列をしておられるのにそれを先に飛ばすとかいうふうなことで問題があるとかいうことは新聞にも一部報道されたことはございますけれども、そのケースの場合は必ずしもそうでなかったようですけれども、これからもし日本人が外国へ行ってそういうことのためにその相手国の順番を乱すとか、そういうことがあることはやっぱり私どもとしても好ましくないというふうに考えておりますが、公式にどういう抗議が来たとか、そういうことはございません。
○山口哲夫君 よくわからないんですけれども、諸外国でそういう臓器の移植の扱いについて外国人をどういうふうに取り扱っているかということはまだ全部お調べにはなっていないんでしょうか。もしお調べになったものがあれば、質問通告しておりませんので、後刻で結構ですけれども、どうでしょうか。
○政府委員(仲村英一君) 申しわけございませんが、正確に把握しておりません。わかる範囲で調べたいと思います。
○山口哲夫君 将来の論議にも参考になると思いますので、できれば国別に、外国人の臓器移植というものをどういうふうに取り扱っているか、調べられる範囲でお調べいただければ大変ありがたいと思います。
 その次は、我が国の臓器移植の適用症例、その推定年間死亡数、なお外国の例ももしわかればお知らせいただきたいと思います。
○政府委員(仲村英一君) これはなかなか難しいと思いますが、ある学者の報告でございますが、北大の相沢教授の報告によりますと、これは解剖の結果から逆に推定しておられるようですが、心臓が二千八百人から五千人、肝臓は六千百人から二万七百人という数字を推定されておられます。
 なお、心臓でございますけれども、胸部外科学会に臓器移植問題特別委員会というのがございまして、その報告書によりますと、心臓移植の適用基準を満たすような状態に陥っている心臓疾患患者が年間六十人から六百人いるということで推定されておられますので、解剖から逆に推定する場合と大分違うようでございます。
 それから外国の、これは適用症例といいますか待機をしておられる患者さん、ウエーティングに載っておる方の数字ですが、例えばヨーロッパで各国を共通にいたしました移植のあっせん機関がございますが、そこに登録されておる待機患者数ですが、丸い数字で申し上げますと、腎臓で七千四百人ぐらい、それから心臓が二百三十人ぐらい、肝臓が九十人ぐらい待っておられるわけでございます。それからアメリカでございますけれども、腎臓が八千五百人、心臓が三百人、肝臓が四百人、膵臓が六十人という待機患者でございます。
○山口哲夫君 次に、和田札幌医大教授の心臓移植に対する告発事件というのがございましたですね。その経緯と、そのほか臓器移植に対する告発事件があればその状況について法務省の方からお聞かせ願いたい。
○説明員(東條伸一郎君) お答え申し上げます。
 和田教授の心臓移植事件というのは昭和四十三年の事件でございますが、札幌医大の和田教授が、水泳中に死亡したという人の心臓を摘出いたしまして、心臓病患者の方に移植したと、こういう手術を行われたわけでございますが、この事件について一般人から検察当局に告発がございました。昭和四十五年の九月にこれを検察庁で不起訴といたしました。不起訴の理由は、結論的には十分な証拠がないという、嫌疑不十分ということでございますが、心臓提供者に対する殺人罪の告発につきましては、その心臓を摘出した時点においてこの方が生きていたと証拠上認められるということが言えないと、十分なそのような証拠がないということでございました。
 それから、移植を受けた相手方に対しても殺人罪ということで告発がなされております。これについては、手術自体が延命効果を期待した治療目的による手術でありまして、未必的な故意を含めまして殺人の故意がない。さらに、仮に殺人の故意がない場合も過失致死ということが考えられるわけでございますが、当時のその当該治療行為によって過失があったと認めるだけの十分な証拠かないということで、嫌疑不十分という結論に達して処分を行いました。
 この処分につきましては、告発人の方から検察審査会に不服申し立てがなされました。検察審査会において審査をされました結果、不起訴不当という議決が行われまして、札幌地検に再度事件が戻ってまいりまして、札幌地検ではさらに捜査を遂げましたが、昭和四十七年の八月に同じような理由により再度不起訴処分にいたしております。これが和田教授の心臓移植事件の経緯でございます。
 次に、お尋ねの和田事件以外に告発事件があるかということでございますが、現在私どもで把握している限りにおきましては三件ございます。
 昭和五十九年の九月二十六日に筑波大学で行われました脳死状態にある者から摘出した腎臓、膵臓等の移植手術に関するものでございますが、これにつきましては、昭和六十年の二月十五日と六十年の十二月九日に二つの告発がなされております。次の事件は、昭和六十一年三月の八日に東京都立の広尾病院で行われました、これも脳死状態にある者から摘出した腎臓の移植手術に関する告発でございます。六十二年三月三十一日に告発がなされております。三番目の事件は、昭和六十三年五月五日及び平成元年一月九日の二回、新潟県の信楽園病院において行われました、これも脳死状態にあった者から摘出した腎臓の移植手術に関するものでございます。これにつきましては、六十三年十月十四日と平成元年三月十日にそれぞれ告発がなされております。
 告発を受けました水戸地検、東京地検及び新潟地検におきましては、現在それぞれ所要の捜査を行っている、こういう状況でございます。
 以上でございます。
○山口哲夫君 ありがとうございました。
 時間も参りましたので、それでは最後に、一九八七年十月二十三日に日本学術会議の総会で採択された「脳死に関する見解」というのが出ております。それから、翌年の八八年一月十二日に日本医師会の生命倫理懇談会で「脳死および臓器移植についての最終報告」などが出ておりますけれども、そのほかにもいろいろな団体等において見解を発表されているのがあるのではないだろうかと思います。私どもこの二つしかちょっと入手できませんので、もしそのほかの団体で見解を発表しておるものがあるとすれば、それも含めましてそれぞれの団体名と基本的な考え方だけで結構でございますから、詳しい中身は時間もありませんから結構でございますから、基本的な考え方だけをお知らせしてほしいと思います。
○政府委員(仲村英一君) 御意見を表明された団体は幾つかございますが、日本法医学会というの
がございまして、ここで脳死に関する委員会というのがございまして、六十一年に、脳死は医学的に個体死とすることができるという御報告がございます。学術会議の医療技術と人間の生命特別委員会が六十二年十月に、全脳死は医学的に見て個体死を意味するが、医学界の中にも少数ながら異議がある、法的には脳死を個体死と認める見解と否定する見解とが対立しておるという御報告がございます。日本医師会の生命倫理懇談会ですが、昭和六十三年一月に、脳死を人間の個体死と認めてよいという報告をなされております。
 それから、日本精神神経学会でございますが、そこの人権問題委員会は六十三年六月、脳死判定の確定性に疑問がある、社会的弱者が権利を侵害されるおそれがある、脳死をもって死とすることを医学の専門家のみで結論を出すことは疑問とする見解を表明されておられます。日本弁護士連合会ですが、六十三年七月に、日本医師会が出された最終報告に対する意見書で、脳死を死と認める場合は立法あるいは新しい社会的合意が形成されるべきであるということで御意見を述べられております。
 以上でございます。
○山口哲夫君 終わります。
○三石久江君 私は、市民的な立場で医療のチェックについてお尋ねいたします。
 私は必ずしも全面的に医師を信用しているわけではないのです。それは、ある女性が、臓器移植ではありませんが開腹手術をした折にガーゼを体内に残したまま縫合した。二度三度の開腹手術でガーゼは取り出しましたけれども、一応回復をしたということですけれども、その後は余り調子はよくありません。またその上、子供が全くできなくなったということを聞いております。その場合どこに苦情を言っていいのかわからないし、裁判に持っていくとお金がかかるのであきらめたということを言っている方を知っております。
 そこで、現在の医療過誤事件はどのように監督され、またどのように救済、処理されているのか、厚生省の方にお尋ねいたします。
○政府委員(仲村英一君) 医療過誤事件というのはあってはならないことでございますが、やはり発生をしておるのが実情でございます。例数で申し上げますと、最高裁判所の調査でございますけれども、第一審で新規に受理した医療過誤訴訟の件数を申し上げますと、昭和六十二年に三百五十六件、六十三年に三百八十一件ということのようでございます。医療過誤に伴って業務上の過失致死傷害刑事処分を受けた方は昭和六十一年に二件、六十二年に二件でございまして、その後、医道審議会という審議会がございまして、そこで行政的な処分といたしまして、それぞれ処分を受けておるというのが実態でございます。
 医療過誤そのものにつきましては、もちろん患者と医師の信頼関係に基づいて治療が行われるということでございますから、それぞれの当事者同士の話し合いとかいろいろの形があると思いますが、医療過誤を専門に御相談を受けるという機関を厚生省がつくっておるということはございません。
○三石久江君 そこで現行では裁判に訴えるしか救済の道はなく、苦情処理の機構さえ整っていないのが現実です。このようなことが医療不信を助長しているという面もあります。この現実をどう考えておられるのか、厚生省に再度お尋ねしたいんです。
○政府委員(仲村英一君) ある病気を治療するということは、お医者さんの十分な説明と患者側の理解と納得を得た上で行われるということがますます重要になってくるのが最近の傾向でございますし、そういうことで医療過誤そのものがあってはならないことでございますけれども、やはりいろいろ状況から発生しておるというのが実態でございます。医療界の方々は、いわゆるプロフェッションとして十分な倫理的な面からの規制でみずから律するということでございますので、そういう観点からもそういう過誤が起きないように厳しくこれからも対応していただきたいと考えております。
○三石久江君 十分考えていただきたいと思います。
 そこで、先ほど民事上の告発、告訴などの例をお聞きしましたので、そのことをどのようにまた把握されておられるか、厚生省の方にお願いしたいんです。
○政府委員(仲村英一君) 先ほど申し上げましたが、医療過誤事件で裁判を受け付けたものが昭和六十二年に三百五十六件、六十三年に三百八十一件ということでございます。それ以外、個々に医療機関といろいろ話をしているという案件につきましては、私どもとしては現在把握をしておらないのが現状でございます。
○三石久江君 そこで、臓器移植あるいは遺伝子組みかえ実験など新しいことが行われるようになった今日、医療オンブズマン制度など新たな監視機構や救済機構が必要とされてくると思いますが、どのように考えておられますか。これは提案者の方、各党の方にお聞きしたいのです。
○衆議院議員(竹内黎一君) 正直に申し上げまして、医療オンブズマンという制度が妥当なのか、あるいはその何らかの監視機構を設けたらよろしいのか、私にはちょっとお答えがしかねるわけでございますけれども、しかしおおよそ医療というものに対しては当然の大前提として患者と医師の間の信頼関係というのが不可欠のものだと、こう思います。そういう意味では、一人一人のドクターの倫理的な考え方をしっかり持ってもらうことも基本かもしれませんが、やはりまた一つの制度、仕組みとして言われておるところのインフォームドコンセントですか、患者に対する十分な説明、そして患者あるいは家族の理解、納得というもの、こういうことがもっともっと普遍化してくればすばらしいことじゃないかと、こう思います。
○三石久江君 厚生省の方にもお聞きしたいんですけど、今の問題。
○政府委員(仲村英一君) オンブズマン制度のようなものがよいかどうか、いろいろのお考えがあろうかと思います。私どもとしては、現在そういう制度をつくるということでは考えておりません。しかし、先ほど申し上げましたけれども、情報の公開とかそういう時代にもなっておりますし、医師と患者の信頼関係を損なうようなことがあってはならないわけですので、十分な説明と、患者さんが十分に理解、納得をするということが医療現場で漸次行われるようなことが必要だと考えております。
○三石久江君 次に、二つ目ですけれども、諮問すべき課題は具体的にはどのようなことを想定しているかということで、発議者の方に、問題の整理は現時点でしておく必要があると思われますが、一般市民にわかりやすいように概括説明をお願いしたいと思います。いかがでしょう、発議者の方。
○衆議院議員(竹内黎一君) 先ほどもお答えいたしたわけでございますが、具体的に総理大臣がどのような諮問を調査会に対して行うかによってその内容もまた決まってくる問題でありますけれども、本法案の提出者としての希望を言えば、脳死の概念、脳死の判定基準の取り扱い、脳死を人の死として認めるか、また認めた場合の法的な手当ての必要性など、脳死をめぐる諸問題、また臓器移植に関しましては、その手続等を明確にすることとか、あるいはまた記録の十分正確な記載と保存とか、さらにはその費用負担のあり方とか、あるいは全国ネットワークの形成の仕方、あるいはまた国内のネットワークのみならず、海外との関連において、ネットワークあるいは海外からの患者の受け入れをすることがあるかどうかとか等々の問題が考えられようかと思っております。
○三石久江君 そのことはわかりました。
 それじゃ次に、脳死及び臓器移植について生命倫理上各界から指摘されていると思いますが、どのようなことが指摘されているのか、厚生省の方にお尋ねしたいんです。
○政府委員(仲村英一君) 脳死ということと臓器移植ということとは、先ほども御議論ありました
けれども、別の問題だと理解しておりますが、実際上は、脳死という状態が生ずるようになってから臓器移植が行われたのも事実でございまして、そういう点で、脳の死を個体の死として認めるかという御議論と、それ以外、それ以外と申しますのは、臓器移植でなければ助からない患者さんがいるということでの問題点とがあって、そこに接点があるというふうに考えておりますし、その事柄のそれぞれについての問題点は、先ほども専門団体の御意見のところでも申し上げましたけれども、いろいろな考え方があり得ると思います。
○三石久江君 そこで、人の死というものと遺言というのは今でもさまざまな問題を含んでおると思うんです。脳死ではどのような問題点が出てくることになるのかお聞かせ願いたいんです、法務省の方に。
○説明員(岡光民雄君) 遺言につきましては「遺言者の死亡の時からその効力を生ずる。」、そういう規定がございます。また、遺言によって遺産を受ける方、受遺者ですね、受遺者が遺言者の死亡の以前に死亡した場合には遺贈の効力が生じない、こういう規定もございます。したがいまして、遺言者と受遺者いずれが先に死亡したかということで遺贈の効力については大きな違いが生じてくる、こういう問題状況があるわけでございます。したがいまして、脳死をもって死とするかどうかということで、やはりこの場面でも法律効果に違いが生じてくる、こういうふうな問題状況があるわけでございます。
 民事法の分野におきまして死について定義をした規定は別にございません。現在これはまあ社会通念に従って決せられるものというふうな理解が多数を占めておりまして、その場合は医学界の取り扱いがその中で中心的に考慮されるであろうと、このように一般的に言われておるわけでございます。したがいまして、今後脳死をもって個体の死とするという見解をとってきた場合に、それが今の民事法の遺贈の効力にどういうふうに影響を及ぼしてくるかということになってくるわけでございますが、私どもといたしますと、やはり基本的には社会通念によって死というものが決められるべきであるというふうに思っておるわけです。社会通念によって脳死状態をもってその個体の死というようなことが認められるに至ったという状況になれば、それに従いまして民事上の対応も決まってくるであろう。一般的でございますけれども、かように考えておるところでございます。
○三石久江君 ありがとうございました。まだ遺言のことについては詳しくわかっていないものですから、またその折にお聞かせ願いたいと思います。
 次に、三つ目、臓器移植の費用とその負担について厚生省の方にお尋ねしたいのですが、海外での莫大な費用がかかるということもわかりました。しかし、将来日本で実施するとすれば、日本ではどのぐらいの費用が必要なのか。そして、莫大な費用負担を考えると、持てる者と持たざる者の機会不平等になると思うのですが、あえて言えば、命をお金で買える者と買えない者が出てくる問題をどのように考えておられるでしょうか。厚生省の方にお聞きしたいのです。
○政府委員(近岡理一郎君) 医療保障の基本的考え方は、受療の公平かつ機会均等であると認識をいたしております。御指摘のようなことがないように対処をしていく必要があると考えております。
 なお、詳細は局長から答弁させます。
○政府委員(仲村英一君) 我が国で移植をする場合にどれぐらいの費用がかかるかという前半のお尋ねでございますが、これは、もし保険で給付するとすれば診療報酬の点数を設定するということになろうかと思いますし、そうでない方法も御議論の対象になるかもしれませんが、一概に言えませんけれども、例えば心臓の移植の場合には、胸部外科学会で試算されたケースですが、初年度に九百万円から千二百万円。それから肝臓でございますけれども、肝臓を移植いたしますと初年度に五百二十万円というふうなことの数字が推計として発表されております。
○三石久江君 あくまでも命をお金で買うとか買えないとかという問題にならないようにお願いしたいと思います。
 最後に、調査会委員の構成と審議の進め方についてですけれども、第四条に十五名と書かれております。先ほども随分十五名という中身を討議していただいたんですけれども、私は、専門家というだけではなく、市民の感覚を持った委員が必要ではないかと思いますけれども、御所見をお伺いしたいんです。これは発議者の方に。
○衆議院議員(竹内黎一君) 調査会の委員の数を何名にするかというのに私は別段定量的な根拠はない、こう思っております。しかし、過去の例を見ますと、第二次臨時行政調査会の場合は九人、臨時教育審議会の場合は二十五人などの例もあるわけでございますが、本法案の場合は、各界の有識者に御参加を願い、かつ二年間でかなり精力的に調査審議をしていただく必要があることから十五人程度が適当ではないかと考えました。
 また、その委員の人選に当たりましては、先ほども御答弁申し上げた次第でございますが、私はやはり健全な常識を持ち、かつ公平な判断をできる方というのに参加していただくのが大事だろう、このように思っております。
○三石久江君 私は、先ほどからお話を聞いておりまして、十五名というのは余りにも少ないなと思っている者です。教育臨調の方の二十五名というのを今お伺いしまして、これは命の問題ですので、やはりもっと多くの方で市民の声も入れたような中で審議をしていただきたいということを希望として申し上げておきます。
 最後に、先ほどからこちらの議員の方から言われているんですけれども、市民に開かれた審議とするためには公聴会の持ち方や審議の持ち方に格段の配慮が必要だと思います。今同僚議員も指摘をしましたように、審議に関する情報は審議過程も含めてやはり公開すべきだと重ねて強調したいのですが、いかがでしょうか。
○衆議院議員(竹内黎一君) 調査会の審議が公開か非公開かということは、これは会の運営の基本にかかわることでもありますので、その判断は調査会の自主的な判断にゆだねたいと私は思っております。
 しかしながら、今委員御指摘のように、情報の公開ということはまことに大事なことでございますので、提案者の希望といたしましても情報の公開については最大限のことをぜひやっていただきたいと考えております。
○三石久江君 ありがとうございました。
 重なった部分がありましたものですから、これで質問を終わらせていただきます。
○委員長(板垣正君) 午後一時に再開することとし、休憩いたします。
   午前十一時五十六分休憩
     ─────・─────
   午後一時開会
○委員長(板垣正君) ただいまから内閣委員会を再開いたします。
 休憩前に引き続き、臨時脳死及び臓器移植調査会設置法案を議題とし、質疑を行います。
 質疑のある方は順次御発言願います。
○翫正敏君 質問いたします。
 先ほど、同僚議員の質問に対しまして厚生省の方からの答弁で、脳死と臓器移植は別のことと理解しているという御答弁がありましたが、どういうふうに別なのか、もう少し詳しく説明してください。
○政府委員(仲村英一君) 臓器移植は、ある他の個体から適応の対象になる患者さんに臓器を移すことでございまして、その場合には提供者の方が死体の場合もありますし、生体の場合もあるわけです。したがって、そういう臓器移植そのものについての技術的な問題とかそういうのはいろいろありますが、心臓、肝臓のように脳死状態から臓器移植をするということになって脳死というのが
臓器移植と関連を持ってきたということで申し上げたわけでございます。
○翫正敏君 ということでありますので、つまり脳死というものはもともとは臓器移植の問題というよりも、医療を停止する時期というものを決めるときに重要な問題としてこれが議論されてきた、そういう歴史的経緯があるのではないかと思うんですが、それはいかがでしょうか。
○政府委員(仲村英一君) 確かに、人工呼吸器でございますとかその他の救命技術と申しますか、そういうものが進展することによって、ある種の患者さんにはいわゆる脳が死んだ状態のままある一定期間を経過するという事態が生じてきたという、技術が進んだことによって実際面との差ができてきたということで、脳死状態というのが新たな問題として出てきたというふうに理解をしております。
○翫正敏君 それでは、現在医療機関において脳死患者の方が実際問題として発生しているわけでありますが、それについて、脳死としていわゆる命の回復が不可能とされたその患者さんに対する医療停止の措置というのはどのようにとられているのか、人工呼吸器をどういうときに外すとか、その場合にはどういう基準があるとか、家族の同意がどうとかという、そういうことについて少し詳しく現場の実情を厚生省にお尋ねいたします。
○政府委員(仲村英一君) 脳死というのは、もう御承知のようにすべての死亡にあらわれるわけではなくて、率で言いますと一%以下の方しか脳死状態にならないということでございますし、人間の死というのは非常に連続的な現象として起きるわけですから、脳死の方も最後は心臓がとまって亡くなるということであることは間違いないわけです。ただ、説明の仕方によって、例えばある連続した現象のうち、逆にさかのぼってあの時点から脳死だったというふうに臨床的に考えられるとかいうふうなことをおっしゃっている方もおられるわけでございまして、それからいいますと、ある瞬間に直ちに脳死とわかってその瞬間に治療をやめるとか、そういうふうなことは現場では起きないのではないかと。つまり連続的でございますし、特に脳死と判断するにはかなりの経験のあるお医者さんでないとできないということも言われておりますので、脳死とわかってすぐ治療をやめるとか、そういうことではないと思います。
 しかしながら、現実の問題といたしまして、では脳死の場合はどうかと言われますと、例えばそういうふうなことが恐らく推定できるような時期から血圧を上げる昇圧剤とかそういうものを使わなくなるとか、人工呼吸とか輸液などを最小限にするというふうな例が多いというふうには聞いております。
○翫正敏君 現場の医療の実情といたしましては現在脳死即治療の停止というふうにはなっていない、こういうふうに理解していいんですね。
○政府委員(仲村英一君) 先ほども申しましたが、脳死とわかる瞬間がいつかというのはなかなか難しい問題がございますが、そういう意味では臨床的と申しますか、医療の現場では連続的にいろいろの救命措置が行われるわけでございますけれども、専門の方がごらんになれば脳死状態に近くなったとか、近くなったという表現が正確かどうか問題があるかもしれませんけれども、そういう時点から最小限の治療に移行するのは多いというふうに聞いております。
○翫正敏君 それでは提案者にお聞きしたいんですが、今ほど厚生省の方から御答弁をいただきました脳死と臓器移植はおのおの歴史的にも違う、歴史的という言葉は私が今つけたんですが、とにかく別のことであるという御説明がありましたことについてどのように考えておられるかお聞きしたいんです。
 それと同時に、提案者は外国のいろんなそういう実情についてるる視察をされてこられた経験などがおありだと伺っておりますので、そういう実情の視察状況なども含めて御説明いただきたいと思います。
○衆議院議員(竹内黎一君) 今厚生省の方からお答えのありましたように、私も概念的には脳死と臓器移植は区別され得る、こう思います。しかしながら、実際に臓器移植が行われる場合にはその大前提として脳死の認定というものは避けて通れないわけですから、密接な関連をまた持つ問題であろうか、このように理解をいたします。
 それから、私が外国に調査に行ってきた所感を述べろということでございますが、まずもって私も、心臓の移植治療を受けた方々、あるいは先天性胆道閉鎖症というんですか、ああいうことで肝臓の移植を受けて、そして手術も立派に成功して社会的にも一人前の立派な生活をしている方何人かにお目にかかりまして、そういう意味ではこの治療法、治療のすばらしさというものに感銘したことを覚えております。
 とは申しながらも、ヨーロッパ、アメリカを調査して一番感じますことは、いわゆる脳死とかあるいはそれに伴って行ってくるかもしれない臓器移植とか、こういうものの受けとめ方に日本と随分大きな違いがあるなということも実際に体験をしたわけでございます。それに引き続きまして、この脳死及び臓器移植の日本国内における国民のコンセンサスを形成するということもそんなに簡単なことでもないなという感じを持って旅行から帰りました。
○翫正敏君 国民の脳死の問題や臓器移植の問題についてのコンセンサスを得ていくことはなかなか難しいという見識を御説明いただいたわけですけれども、前半の方でおっしゃった、しかし脳死と臓器移植は密接不可分に関係があるということについてもうちょっと念を押さしていただきたいんですが、つまり臓器の移植ということには生体からの移植と死体からの移植がある。この死の概念については後からまたるる言いますが、とにかく死体からのものと生体からのものがある。一方、脳死という問題については臓器移植という問題と治療停止の時期という問題があるというふうに認識できると思います。そういたしますと、これはやはり密接不可分というより臓器移植と脳死はつながっているところもあるんですが、臓器移植の問題はまた二つに分かれるし、脳死の問題も二つに分かれるわけですから、そうすれば違うところもあるわけで、別々のこととして理解するという方が妥当ではないか、こういうふうに思うんですが、重ねていかがでしょうか。
○衆議院議員(竹内黎一君) 今お答え申し上げたように、私も概念的には脳死と臓器移植というのは区別できると、こう思うのであります。しかしながら、実際論としては密接な関係がある。私は不可分とまでは申し上げません。密接な関連があると、こう認識をいたします。
○翫正敏君 わかりました。
 では、心臓死における死体から臓器移植をするという場合にもなおさまざまな問題が指摘をされておるところでございまして、現在御存じのように死体からの臓器移植は角膜、腎臓の移植の法律があるということなんでありますけれども、実際には目と腎臓以外の移植も行われているわけでありまして、例えば骨髄の移植とか皮膚の移植とか、その他さまざまのことが死体から行われているわけであります。法規定というものが角膜と腎臓においてのみあり、そのほかについてはないという状況の中で、今現に行われている死体からの移植の実情について法制上どのように扱われているのか。それをまず厚生省の方にお伺いして、後で法務省の方にもお伺いしたいと思います。最初、厚生省の方からお願いします。
○政府委員(仲村英一君) 法律に明定されております死体移植は腎臓と角膜でございますが、それ以外のものについて行う場合には、治療を目的といたしました正当業務行為の範囲ということで理解されておるようでございます。
○翫正敏君 同じ問題につきまして、移植の目的で、例えば骨髄を生体からとる場合、死体からとる場合というふうに分けまして、それぞれ刑法上どう位置づけられているのか、法務省にお伺いいたします。
○説明員(東條伸一郎君) お答え申し上げます。
 刑法上の問題を考えますには、まず私どもの立
場といたしましては、いずれも具体的な事実関係を目の前に置いて考えるわけでございまして、一般論として申し上げることは妥当かどうかは若干問題ございますが、お尋ねでございますのであえて申し上げますと、例えば骨髄等の移植について考えてみますと、それが移植医療として一般に定着しているということを前提といたしまして、生体から骨髄をとって他の人に移植するという状況を考えた場合に、まず取り出される人について考えてみますと、これは構成要件としては刑法上の傷害罪ということが考えられるわけでございます。ただし、通常の場合にはもちろん本人の承諾があるのは当然でございまして、したがって違法性が阻却されるということを一応考えなければいけないと思います。
 ただ、傷害罪の場合に違法性が阻却される、それは承諾さえあればそれでいいのかということでございますが、判例上はさらに承諾を得た動機とか目的とか、その傷害の方法ですとか部位ですとか程度などということをいろいろ考え合わせまして、違法性が阻却されるかどうかを考えるという立場をとっているように思います。
 次に、移植を受ける方の人について考えますと、その行為が医療行為として相当であるかどうかということで違法性阻却を考えていくのであろうと、このように考えます。
 次に、心臓死の状態にある死体から臓器を摘出するということになりますと、一応刑法上考えられる罪といたしましては死体損壊罪という罪が考えられると思います。死体損壊罪の保護法益については、死体に対する一つの国民的な畏敬の念というようなものも考慮いたさなければなりませんので、関係者の承諾があっただけで直ちにすべての場合に違法性が阻却されるかどうかは問題でございますが、その取り出し方あるいは目的その他から見て、関係者の承諾を前提として、国民の目から見てそのような形で死体に一種の害を加える行為があったとしてもいいと見られるような状況であれば、これまた犯罪は構成しないということになってくるのかな、このように考えております。
○翫正敏君 次に、死の定義という問題について法務省にお伺いしたいんですが、先ほどの同僚議員の質問に対して、人間の死というものは社会通念によって決まるのだ、こういうふうに法務省の御答弁がありましたので、この社会通念によって死が決まるということをもう少しわかりやすくといいますか、どういう歴史的な経過の中で現在心臓死が社会通念としての死となったのかというようなあたりを少しお話ししていただきたいんです。
○説明員(岡光民雄君) 午前中私の方から社会通念という言葉を出した経緯がございますので、最初に私の方から思っているところを御説明させていただきます。
 歴史的にどうかというお話でございましたけれども、従前やはり脳死という状態が出てくるということは余りなかったものですから、最もわかりやすい人の死亡ということで外形的に見てとらえやすい心臓の活動の停止、こういう状態をもって自然的に見て死亡したんであろう、こういうような考え方がとられてきたんであろうと今理解しておるわけでございます。
 もう一つの先生の御質問でございますが、死をどういうふうに考えるのかという今日的な問題状況について考えているところを申し述べさせていただきますと、午前中にもちょっと答弁いたしましたけれども、民事の観点から申しますと、特に死について定義した規定はない。それで、社会通念によって決せられるだろうということを申し上げまして、その社会通念の中身は一体何ぞやという御質問のようでございますが、それは医学界の取り扱いをベースにして国民一般がそれをどういうふうにとらえていくだろうか、こういったことで決せられるのではなかろうか、かように思っておるわけでございます。したがいまして、社会通念というものの内容が動いてくれば、私どもの方の理解するところの死もそれに応じた形で変わり得るであろう、かように思っておるところでございます。
 刑事局の方からもっとあれば補足していただきたいと思います。
○翫正敏君 補足ありますか。
○説明員(東條伸一郎君) 特にございません。
○翫正敏君 医学界における合意というものをベースにして国民的な社会通念というそういう死の受容というものが行われるということだと理解をしたんですが、この社会通念ということは社会的合意と同じというふうに考えてよろしいのでしょうか、法務省にお聞きしたいんです。医学界の合意というものをベースにしてその上に形成されるということはわかったんですが、社会通念と言われることと死の問題については、社会通念にもいろいろな社会通念があると思いますが、死の問題についての社会通念は医学界の合意をベースにして、その上で国民的、社会的合意が必要なものである、こういうふうに考えておられるんですか。
○説明員(東條伸一郎君) ただいま御説明いたしましたように、私どもとしては、死の判定基準というものは基本的には医学の問題なんですが、医学上の知見というものが国民に一般的に受け入れられるという経緯を経て法律的な死と、法律的に人が死んだというふうに言えるのではないかという考え方を従来からとってきているわけでございます。それでは、国民が一般的に受け入れているかどうかということをどう判断するのかという難しい問題があろうかと思います。
 それで、従来の三徴候死、つまり心臓の鼓動が停拍して自発的に呼吸がしなくなって瞳孔が拡散してくる、これはお医者様がごらんになって、これで人が亡くなったんだよと、これで人が死んだんだよと恐らくお医者様が判断される、それで一般の人たちも、お医者様もそうおっしゃるし、もうこれで生き返ってくる見込みもないからこれでいいなと、こういうふうに受けとめて、それを法律の方で、私ども刑法の分野ではそういう基準で今までは判断してきたということだと思います。
 そこで新しく、先ほど来御説明ございますように、医療の技術が進歩いたしまして、先に脳の機能が停止してしまって、脳の機能が停止しますと、御承知のようにしばらくそのままほっておきますとまず肺がとまりまして、肺から酸素が送られませんから心臓もおのずから停止していくことになるわけですが、その段階で人工呼吸器などを取りつけますと脳の機能は停止したのにかかわらず心臓が動くという状況があるわけです。これが脳死の問題だろうと私ども素人ながら理解しておるんです。
 そのような段階になったときにやはりこれは一つの死である、あるいは人間の死というのは、基本的には脳が死んでしまったときに人間が死んだんだというのがお医者様方の基本的な合意があって、それを国民の一般の人たちが、そういうものならそういうものなのかなというふうに受けとめてくるということになれば、私どもの法律、私は刑法の問題について申し上げますが、刑法の場面でもそういうことで判定してくることにおのずからなってくるのであろう、こういうことだろうと思います。
○翫正敏君 死は社会通念によって決まるという、そういうことについて厚生省の御見解はどうですか。
○政府委員(仲村英一君) そのとおりだと思いますが、非常に死の過程というのは連続的でございますので、しかも不可逆的に連続の場合には、逆にさかのぼってみたときに、もうあそこから脳が死んでいたとわかるというふうなことで、だんだん理解が深まってきたという意味で、脳死と臓器移植は別の問題ということで申し上げたわけでございます。つまり、臓器移植の目的で脳死という状態ができたわけではないということで別個だと申し上げたわけですが、現実にレスピレーターとかいろいろの救命、要するに濃厚治療室でいろいろの救命が行われるようになった結果そういうことがだんだん出てきて、ただし、これも先ほど申し上げましたように、日本国民が死ぬ場合に一〇〇%の方が脳死を経過してなるわけではないわけ
ですから、一般の方々にも非常に目に触れがたい現象であることも事実ですので、なかなか御理解がいただけないという部分もあるのではないか。しかし、
 医学的な領域では、完全に不可逆的で進行しておる場合に救命装置を外せば必ず亡くなるという状態のときにはもう少し前から脳死という考え方を考えてもいいのではないかということでいいますと、先ほど法務省の方お答えになったように、まず医学界がだんだんそういうふうになってきて、それを皆さん一般の方々も理解し、納得されれば、脳死という状態も社会的に理解いただけるようになるというふうに考えております。
○翫正敏君 提案者にもお聞きしたいんですが、死というものは社会通念によって決まる。法律上は現在はないわけですから、社会通念によって決まる。そういうことについて御見解はいかがですか。
○衆議院議員(竹内黎一君) 人間の死を一個の生物の死として見れば、これはあるいは医学的な定義の範囲内の問題かと思いますけれども、私ども人間はいわば社会的存在であり、また文化的存在でもある、こういう面も否定できないかと思います。となりますと、やはり人間の死を受けとめるためには、いわば一般的な社会的受容というのを外しては考えられない。そういう意味では社会通念に従うということに私も賛成でございます。
○翫正敏君 話は変わりますが、総理府、総務庁にお聞きをしたいんですが、脳死及び臓器移植に関する意識調査というものが行われたということで、昭和六十二年六月という資料をいただいておるわけですけれども、このアンケート調査の目的は、やはり社会通念としての脳死または社会通念としての脳死状態での臓器移植の問題、こういうことを調べようとしてなされたのだと思いますが、どういうぐらいの人数を対象にどれくらいお金をかけてお調べになったのか。また、この調査の目的、それをお答えください。
○説明員(中川良一君) お答え申し上げます。
 ただいま御指摘のございました世論調査は、昭和六十二年の六月から七月にかけまして総理府で実施をいたしました「保健医療サービスに関する世論調査」というものがございまして、その中で臓器移植に関する国民の意識と脳死に関する意識というものを調べたものでございます。
 この調査の標本数は五千人ということでございまして、このうち八〇%に当たります四千人の方から回答を得て取りまとめたものでございます。
 経費につきましては、個別の契約の問題でございますので、一般的な形で答えさせていただきたいと思いますが、通常五千サンプルぐらいでございますと約一千万円程度ということかと思います。
○翫正敏君 五千人対象で四千人から回答を得た、お金は約一千万円ほどかかった、こういうお答えですが、この項目の中の両方に書いてございますが、本人、家族の意思に任せるのがよいというのが両方にございますが、この本人、家族の意思に任せるというのはどういう意味でしょうか。本人または家族の意思ということでしょうか。本人及び家族の意思ということでしょうか。このアンケート調査をなさるときにどのようにここを徹底され、押えられてこの調査をされたのでしょうか。
○説明員(中川良一君) お答え申し上げます。
 具体的にただいまおっしゃいました表現で聞いておるのは二カ所ございまして、一カ所は「あなたは脳死をもって人の死とすることについてどう思いますか。この中ではどうでしょうか。」という中の選択肢の一つといたしまして、「本人のそれまでの意思や家族の意思に任せるのがよい」という選択肢がございます。それから、「心臓や肝臓の移植手術を成功させるためには、脳死の状態で臓器を提供することが必要とされています。あなたはこれについてどう思いますか。この中ではどうでしょうか。」という問いに対します選択肢の一つといたしまして、「本人のそれまでの意思や家族の意思に任せるのがよい」、この二カ所で「本人のそれまでの意思や家族の意思」という言葉を使っておりますが、私どもといたしましては、本人のそれまでの意思または家族の意思という意味で調査をいたしたものでございます。
○翫正敏君 脳死ということでなくて、いわゆる死体からの臓器の摘出という場合及び献体というものもございますが、この献体における同意の問題についても本人の同意及び家族の同意というものが原則としては必要だと思うんです。やむを得ずそれが得られなかった場合にどうするかということはまたあるのかもしれませんが、そのまたはということでは、一人の人間の死とかまた臓器の摘出ということについて家族が家族だけの判断で本人の意思を確かめずに決めることができるかのような印象を与える場合もあると思います。ですから、こういうアンケート調査の場合には、国民のいわゆる社会的通念とか合意とかいうことを探ろうとする目的でなされたはずですから、やはりそこは厳格にしていただかなければならなかったのではないか。
 つまり、本人及び家族の意思というものが必要だと、それに任せるのがよいという人がどれくらいいるのか。本人さえ事前に生前同意書を提出していればいいと、つまり本人次第であるという人はどうなのか。それから、そういうことは本人に聞いておったってわからぬことなのでその時点になって家族の判こをもらえばできる、そういうふうに思うのか。こういうふうにちゃんと分けて厳格に聞いて、それぞれがどれだけおいでになるのかということを確かめる中で、この脳死の問題そして臓器移植の問題にどのような国民的コンセンサスが今得られつつあるのかというようなことを確かめるべきだと、こういうふうに考えるんですけれども、この調査について私の今申し上げましたことに対する調査主体の総理府の方のお考えをお聞かせください。
○説明員(中川良一君) お答え申し上げます。
 私どもで実施いたします世論調査でございますが、その内容あるいは設問等につきましては関係省庁からの要望を毎年度とりまして、いざ実施する前の段階でまた当該関係省庁と密接な連絡をとらせていただきまして実施をいたしておるものでございます。この昭和六十二年の調査は「保健医療サービスに関する世論調査」ということで、ほかにもいろいろ保健医療関係の質問を聞く中で一部脳死についても国民の考え方を聞いたということで、必ずしも脳死問題だけを掘り下げて聞くというのが目的でございませんでしたので、余り厳密な意味で細かい内容の調査にまで至っておりませんけれども、今後関係省庁等から御要望がございますればその辺も含めて検討させていただきたいと思います。
 なお、世論調査はあくまでも一般の方々に意見を問うということでございますので、なるべく平易な表現方法をとろうということで、法律の文章のような厳密さを欠く一面があるのはやむを得ないと思いますが、今後ともわかりやすくなおかつ正確な答えが出るような質問票の設定というものに、従来からも心がけているつもりでございますが、今後とも努力してまいりたいというふうに考えております。
○翫正敏君 お金をかけて国民のこういう意識を調査するわけですから、後からそのパーセンテージを見たときによくどういう意味があるのかわかるように、厳格にそしてわかりやすく調査をしていただきたいと思いますが、今後この種の調査のときにはやはり臓器移植問題や脳死問題というのは、家族か本人か、家族も本人も両方かというような問題は大変重要な問題だと考えますので、今後この種の調査をなさるときには、その点についてよく後でわかるようにしていただきたいと思います。今後のことについてはどうでしょうか、ちょっと総務庁にお聞きをしたいんですが。
○説明員(中川良一君) 先ほどちょっと申し上げましたが、私どもの実施いたします世論調査のテーマをどういうものでやるかということにつきましては、全省庁に一応事前に要望をとって、その要望も踏まえて毎年度の計画を決めていくということで、今年度につきましては既に世論調査を実
施するテーマを内々決めてございますので、来年度以降の問題として関係省庁から要望が具体的にございますれば、その時点でまた検討さしていただきたいというふうに考えております。
○翫正敏君 厚生省にお聞きをしますが、二つありますが、一つは、この総理府の六十二年六月の「保健医療サービスに関する世論調査」における脳死及び臓器移植に関する意識調査のこの結果を見て、これがいわゆる脳死をもって人の死と認めてよいかどうか、脳死状態での臓器移植について賛成かどうかというような そういう国民的な合意、コンセンサスというようなものを得ていくということについて、これはそういう方向に結論が出ていると、そういう結果であるというふうにこれを見ておられますか。それともそうでないというふうに見ておられますか。それが一点。
 もう一つは、今後この種の調査をするときには、先ほど私が申しましたような家族、本人というような問題は、いずれかとか両方かということは非常に重大な問題だと思うので、そこを踏まえてなされる御所存かどうか、この二点をお伺いいたします。
○政府委員(近岡理一郎君) ただいまのこの総理府の調査結果に見られるように、やはり脳死については国民の意見が今現在大変まだ分かれている段階ではないかと、このように認識をいたしております。したがって、厚生省としては、国民の理解と納得が得られるよう各方面でさらに幅広い観点から議論が深められていくことを期待しております。したがいまして、この観点から本調査会での審議を大いに期待をいたしておるということでございます。
 詳細はそちらの方からお答えいたします。
○政府委員(仲村英一君) 今後こういう調査を実施する際に先ほどのようなことに注意するかというお尋ねでございますが、先ほど総理府の方からもお答えございましたように、あの場合には非常に幅広くいろいろの観点でアンケート調査をしたわけでございますが、今後脳死に関して、あるいはこういう種類の問題に関してお聞きする場合には、今のようなことが混同されないような形でやっぱり注意して実施することが必要だと考えておりますので、本日の御意見を参考にさしていただきたいと思います。
○翫正敏君 厚生省に脳死の基準ということについてお伺いしますが、竹内基準について政府の考え、厚生省の考えをお聞きしたいんですが、竹内基準というのはどういうものなのかということをお聞きしたいんですが、同時に脳死判定の場合には脳へ血液が行かないという、行っていないという脳血流停止ということを不可欠の条件とすべきではないかというふうに考えるんですが、厚生省のお考えはいかがでしょうか。
○政府委員(仲村英一君) 竹内基準の性格についてのお尋ねが前半だと思いますが、これは研究班を竹内教授に組織をしていただきまして、日本で脳死を考える場合にはどういうふうに考えたらよろしいかということで、現在の医学的知見に基づいて作成したものでございまして、これは研究班の作成したものでございます。したがって、厚生省がつくったものではございませんが、個々の医療行為に関する基準等について行政が積極的にその内容の適否に一定の評価を与えるというのは、やはり学問の世界と行政との関係から見て適当ではないということで考えております。
 したがって、この判定基準は学界でおつくりいただいたものですけれども、現在の医学界においてはおおむね妥当であるという評価が大勢を占めていることでは私どもそういう意味で理解をしております。
 それから、国際的に見てどうかということでよく言われるわけでございますが、国際的に見てもかなり厳格だというふうに言われておるというふうに理解しております。
 脳の血流停止をもって脳死とすべきではないかという御意見もあるということは承知しておりますが、現実に脳死を判定する基準というのは各国でもばらばらの部分がございますし、同じ国の中でも病院ごとに違うとかいうこともありますので、すべてを細部にわたって統一する必要はないというふうに理解をしておりますから、血流停止も一つの御意見というふうに考えるべきだと思います。
○翫正敏君 厚生省のお考えはわかりましたが、提案者にお聞きしますが、脳死の場合には脳血流停止というものが必要条件というのか、とにかく極めて重要な不可欠の条件である、こういうふうに私は考えるものですが、提案者はどういうふうにこのことについて御見解をお持ちでしょうか。
○衆議院議員(竹内黎一君) 同じ竹内でございますけれども、私は決してこの問題の専門家でないわけでございますので大変お答えしにくい御質疑をいただいたと思いますが、しかし私が今まで自分で勉強した範囲内の知見を申し上げれば、竹内基準についてはおおむね妥当という評価が多いのかなと、こう見ております。しかしながら、先生御指摘のようにあれだけでは不十分だ、こういうものをプラスしろ、こういう御意見もございますし、やっぱりそれは補助手段として認めてもいいんじゃないかなという御意見もあるようでございますが、何しろ私は素人でございますのでこれ以上の御答弁はしかねます。
○翫正敏君 私も医学には全く素人なんですが、なぜそういう脳死について竹内基準よりもさらに厳格な判定基準を幾つか加えるべきだと私が考えるかというと、脳死から蘇生をした人がおいでるということが物の本に幾つも紹介されているからであります。
 例えばこういうふうに書いてあるんですが、医者にもう死んだと言われてから生き返った人の体験を聞くとよくそういう例がありますが、医者が御臨終ですと言う声を本人が聞いていたり、肉親が泣いていたりするのを聞いていたりする。そういう外見上生きているような要素は全くない。意識も全くなく、刺激に対しても何の反応もなく、瞳孔も開いている。それでもそういう体験がある。こういうことも書かれた本もございますし、さらにまた別の例を見ますと、ある方が、娘さんが大学の脳外科で脳死と診断されたが、現に回復して歩き、手紙を書いたりできるようになっている、こういう脳死からの蘇生、回復という事例があって、この場合はこのお母さんは「生きるってすばらしいね」という本を出してこの事実を書いておられるということであります。さらにはもう一点、これは日本でも外国でもあるそうですが、脳死と言われた方が子供をお産みになった、こういう事例も幾つもあるというふうに物の本に書いてございます。
 こういうようなことについて厚生省はどういうふうにお考えかお聞きをしたいと思います。
○政府委員(仲村英一君) 前段の方でございますが、脳死から生き返るということはあり得ないことでございまして、それは脳死という診断が間違っておったと理解せざるを得ないと思います。必ず亡くなるということが脳死の、必ず最後は亡くなるというのが――失礼いたしました。人工呼吸器をつけておればまだ生き続ける、しかし外せばもうすぐにでも亡くなる可能性があるということが脳死でございますから、もしその生き返った患者さんが人工呼吸器をつけておらなかったら、それはまず絶対間違いだったと私は理解しております。
 それから、脳死状態であっても、今申し上げましたレスピレーターをつければ一週間ぐらい生きるわけでございますから、妊娠末期の御婦人が脳死状態になって、一週間以内にお産する時期だとすれば、理論的に、理論的と申しますか、実際上出産する可能性はあり得るわけでございまして、例えば現実にスウェーデンでは脳死判定基準によって脳死だと判定された場合は、すべての治療を中止しなくちゃならないということになっておりますけれども、家族の申し出により胎児の生命を救う目的か、移植用臓器の摘出の場合のみ例外が認められるというふうなことが定められておるようでございまして、後段の方は理論的には例があり得ると思います。
○翫正敏君 仏教の古い経典などを見ますと、人間の死というものは体が冷たくなることである、こういうふうに書いてあります。先ほどの社会通念ということにも関連するんですけれども、数千年か、数千年ほど古くないかもしれませんが、相当千年以上はあると思います。そういう昔からずっと伝えられてきたような古い宗教の、日本の国内で伝えられてきた宗教である仏教の経典の中にそういう言葉が見られるわけですから、やはりそういうものをずっと受け継いできた我々日本人の中に人間の死というものは、これは体が冷たくなることであるというふうに考える人が圧倒的に多いとして私は不思議ではないと思うわけであります。
 一方、脳死というものは先ほどのお話のように、脳死から生き返らないというお話でございましたけれども、それは私はそれ以上わかりませんので言いませんが、少なくても子供さんが産まれたという事例はあるということであります。
 さらには、脳死状態は心臓が動いているわけでありますから、体の中に血がめぐっている、体が温かい、こういう状態でございますから、そういう方から心臓をいただくとか肝臓やその他をいただくとかということは、これは私は、日本人の死生観というもの、古くから伝わってきたそういう生命観、死生観というものからは極めて社会的合意というものは得にくい、こういうふうに思うわけであります。その点について厚生省の御見解、引き続いて提案者のこのことについての御見解をお尋ねしたいと思います。
○政府委員(仲村英一君) おっしゃるように、体は温かいのにもう死んでいるというふうに判定されて心情的になかなか御理解いただけないということは、日本に限らないのかもしれませんが、非常に日本の文化と申しますか、精神的風土に根差したものだと思います。
 ただ、医学の世界では、先ほども申しましたけれども、レスピレーター等が発達してきて救命技術が進歩したことによって、脳が死んでおっても若干期間生かしていけるということができてきて、そこで脳死という新しい臨床医学的な概念が生まれてきたということでございますので、心情的にはなかなか理解しにくくても、実際医学的と申しますか、科学的には脳が死んだら個体が死んだというふうに考えてもいいということも私としては理解できますが、先ほどのアンケート調査にも示されますように、政務次官からもお答えいただきましたように、すべて国民がみんな理解しているというふうに私ども思っているわけではございません。
○衆議院議員(竹内黎一君) 先生、先ほど体が冷たくなる、こういうお話でございましたが、確かに私も日本人の死の一般表現として体が冷たくなるとか、あるいは息を引き取るとか、脈が触れなくなるとかという、こういう表現があることは私も承知をしております。また、この脳死を指して温かい体の中の死んだ脳とか、脈拍が触れる死体とかという、こういう表現もあるやに私も聞いております。
 これは日本人の死生観とか遺骸観ということになると先生の方がむしろはるかに御専門なわけですけれども、あえて私から若干そこを申し上げますと、やっぱり日本人は亡くなられた方、あるいはその遺骸については尊崇の念を抱いているように私は思います。そしてそういう意味では、そういうものを余り傷つけるようなことをすべきではないというのがまた日本人一般の心情でもあろうかと思います。
 したがいまして、本調査会におきましては、私が今申し述べたような従来日本人一般が抱いてきたと思われます心情と、新しい科学的知見と申しますか、そういうものの接点としてこの脳死をどう理解するか、あるいは脳死の概念というものをどう定めるか等々について重要な問題としての御議論をぜひ願いたいし、その論議を通じて我々にも、一般国民にも指針を示してもらいたいと期待するわけでございます。
○翫正敏君 では、日本医師会の生命倫理委員会の最終報告というものがありまして、これを見ますと、またこれを読んだ一般の方が脳死の容認というふうに解釈されている向きもあるやに聞いておるわけでありますけれども、しかし私はこの最終報告は決して法律的な効果とか効力とかという明確なものを持っているものではなくて、一専門家団体としてのそれなりに尊重しなければならない意見というふうに考えるわけですけれども、法務省としてこの日本医師会生命倫理委員会の最終報告、これが脳死問題についての何らかの法的効力を持っているのかどうか、それをお答えください。
○説明員(東條伸一郎君) お答え申し上げます。
 先生御指摘のとおり、日本医師会の生倫懇の報告書それ自体が一般的な法的拘束力を持つものではないというふうに私どもも考えております。先ほど来申し上げておりますように、ただこの問題は医療のあり方などを含む医学の問題が中心にあるわけで、それと同時に、先ほど来御指摘のような国民の感情とか生死観といった問題とも関連してくる事柄でありまして、一つの専門家の団体が出された結論というものは世論の形成その他の上で無視できるものではございません。そういう意味合いにおいて、私どもとしては私どもなりに各種の団体からの意見表明というものを一生懸命フォローしているというところでございます。
○翫正敏君 るる質問させていただいてきましたけれども、今までの議論を踏まえまして提案者にお尋ねしたいんですが、この臨時脳死及び臓器移植調査会設置法案を見ますというと、組織としてこの「調査会は、委員十五人以内で組織する。」というふうになっておりまして、「委員は、脳死及び臓器移植に関する諸問題について優れた識見を有する者のうちから、両議院の同意を得て、内閣総理大臣が任命する。」と、こういうふうになっておるわけであります。
 私は今ほどるる議論してきたことからも明らかなように、脳死の問題ということは脳死の問題なりに疑問もあり議論もある問題であるし、また臓器移植の問題は移植の問題として極めて重要な、またいろんな議論や問題点もある問題だというふうに認識できるわけです。
 そういたしますと、このできます調査会においては委員十五人以内でこの両方を一緒にしてやるということではなくて、むしろ先ほどの同僚議員の質問の中にも教育臨調は二十五人でやったではないかと、こういう命にかかわるような重要な問題だからもっとお金も思い切って使って、そして防衛費を削ってでもここへ回していただいて、そしてお金を使っていただいて、委員の数もふやしていただいて、命にかかわる問題ですから、そういう意味で二つに分けて、そして脳死の問題に関しては脳死の問題でいろんなお医者さんもおいでになりましょうし、社会学者もおいでになりましょうし、宗教家も必要ならば入らなければならないかもしれません。そういうような方がこれはこれで独自にやはり十五人以内というか以上というか、それぐらいの委員の方に入っていただく。
 そして一方、臓器移植の問題は移植の問題でまた大事な問題なわけですから、生体からの移植もあるし死体からもあるしということでいろいろあるわけですから、これはこれでまた別途に十五人の委員の人になっていただいて、合計三十人ぐらいにして、予算も思い切って使って、そして最終的にその意見を二つまとめて国会の方や内閣の方に報告をしていくというような、そういうふうにすべきだと、こういうふうに思うわけであります。提案者はそういうふうにお思いにならないかどうか、ひとつぜひお答えいただきたいのです。
○衆議院議員(竹内黎一君) 調査会の委員の数を何名とするか、絶対十五名でなきゃならない、それ以上でも以下でもいかぬと、そういうふうな私は定量的な根拠は実はないと思っております。まあこの辺が適当な数字かなというようなところが本音でございます。
 しかし、今先生が脳死は脳死で、臓器移植は臓器移植でと、こういうぐあいにいわばセパレートした審議というものも必要ではないかと、こういうお話でございますが、私は、調査会が審議を始
めましたときに、その審議の必要性等々からまいりますと、そういうような専門部会を設けるというようなこともあり得るのかとも思っております。となりますと、専門部会を設けますと、また専門委員の委嘱という道も出てくるのかと、そういった方法については政令にゆだねるということで、多様の道も開いておりますので、そういった論議をする場合に、さらに人の追加が必要だという場合には専門委員とかそういうような道もあるので、十五名ということで一応御理解を賜ればと思います。
○翫正敏君 重ねて、意見になる部分もあると思いますが、述べますが、やはり人数はもっと思い切ってふやして、予算ももっとふやして、そして公開ということについても逐次この会議を公開して、そして国民の世論の喚起をして、社会通念としての合意を図っていくということがなければならないわけですから、立法化を急いだり臓器摘出を急ぐ余りに脳死の審議を、そういうものの結論を急いでいくというようなことがあってはならないと思うわけであります。
 それぞれに独自の影響分野を持ち、その範囲も大きく複雑で、しかも系統の違う問題点をおのおの持っている二つの大きな問題であるところの脳死問題、そして臓器移植問題、それぞれ二つに分けて徹底的に調査をし、そしてそれがまた二つ一緒になって慎重に議論をしてやっていくという、そういうことは私はこの問題の国民的合意、社会通念を形成していく上には不可欠のことだというふうに思いますので、そういう意味でもう一度、今お考えになって、その方がベターだとお思いにならないかどうか、重ねて提案者の御見解をお伺いしたいと思います。
○衆議院議員(竹内黎一君) ただいまのお尋ねに対しましては前に述べたような答弁になるわけでございますが、これも午前中にもお答え申し上げましたが、この調査会法案の審議をめぐっての国会の重要な論議あるいは指摘、こういうようなものについては私から調査会にしかるべき方法で伝達をし、また考慮を要望してまいりたいと思います。
○翫正敏君 終わります。
○吉川春子君 日本共産党の吉川ですが、提案者並びに関係各省庁に質問をいたします。
 本法律案は、政府の附属機関として臨時脳死及び臓器移植に関する調査会を設置するものでありますが、提案者は調査会の審議を通じて社会的合意の得られる一助ともしたいと述べておられます。そうだとすれば、審議が国民の目に見えるようにする必要があり、審議状況、議事録、資料などすべてにわたって公開されるべきだと私も考えます。この件について提案者は衆議院の審議で、それこそ調査会自体で決めることというふうに答弁しておられるわけですが、そこで伺いますが、調査会自身が公開と決めればそれに対しては干渉はしない、こういうことですね。
○衆議院議員(竹内黎一君) お答え申し上げてきておりますように、会議を公開にするか非公開にするか、これはまさしく会の運営の基本にかかわる事項だと思いますので、調査会の自主的な決定にゆだねたいと思いますが、仮に公開という方針を決めたら、それはまたそれなりに結構なことでございまして、もともと私どもが干渉すべき事柄でもないと思います。
○吉川春子君 同時に、公開かどうかということは調査会が決めなければならないことではなくて、法律で原則として公開とするとすれば会はその条件のもとで運営されることになると思うんですけれども、総務庁いかがですか。
○政府委員(百崎英君) これは一般論でございますが、審議会の議事内容を公開するかどうするかということは、その審議会の設置目的あるいは所掌事務、性格等に応じまして個別に決められるべきものというふうに考えております。例えば私どもが事務局をいたしました臨時行政調査会などにおきましても、そういったことから特別法律の中には審議事項を公開するというような規定は盛り込まずに、臨時行政調査会の、審議会自体の判断にゆだねられたということでございまして、その審議会において委員さん方がいろいろ御意見を出されて、審議会として議事は公開しない、原則として公開しないということを決定したというような経緯もございます。
○吉川春子君 公開されてないところもあるけれども、公開している審議会も結構あるわけですね。私は、やっぱり国民の知る権利あるいは民主主義という立場に立って考えるならば、政府の決定した政策についてだけ国民に知らされるのではなくて、その政策の決定過程についても国民に目が届くようにされなければならない、こういうふうに考えるわけです。この法律で公開ということを法律条項としなかったのは、調査会が、調査会の会議が非公開であってもやむを得ない、まあ非常に善意に言っているんですけれども、非公開であってもやむを得ないというふうにもお考えになったからですね。
○衆議院議員(竹内黎一君) 何遍も繰り返しお答えしているわけでございますが、公開にするのか非公開にするのか、こういうことはまさしく会の運営の基本にも関することでありますので、調査会の自主的な判断にゆだねたい、こう思います。したがいまして、公開にしたからクレームをつけるとか、非公開だからそれでよかったなんという、あらかじめそういう予断は、先入観は私は持っておりません。
○吉川春子君 仮に、選択の余地を残したわけですけれども、非公開にしなければならないとしたら、それはどういう理由からですか。
○政府委員(百崎英君) 例えば、実際の実例を一つ二つ申し上げてみたいと思いますが、先ほど例に挙げました臨時行政調査会あるいは現在ございます行政改革推進審議会、これは法律上はそういった公開非公開の規定はございませんけれども、審議会自体において議事は原則として公開しないということを決定されたわけでございますが、その理由といたしましては、特に臨時行政調査会あるいは行革審議会のようなところは行政改革という非常にある意味では機微にわたる事項をいろいろ御審議になるところでございますが、そういった場合に、各委員の識見に基づいて何物にもとらわれない自由闊達な御議論を確保していただく、そういう観点から議事を原則非公開というふうに決定されたものと理解いたしております。
 ざっくばらんに申し上げまして、行政改革のような話はいわば総論賛成各論反対というようなそういった場面がしばしば出てまいるわけでございますけれども、そういう問題を議論する場合に、各委員の皆様方がいわば御出身の分野といいますか、そういったことに一切とらわれずに自由にいろいろな御議論をいただく、そういったことで初めていわば行政改革に関する思い切った答申が出せるわけでございまして、そういった立場からやはり議事は公開しない方が適当であろう、こういうふうに御判断になったものと考えております。
○吉川春子君 そちらの行政調査会の方についても私たち反対したんですけれども、それはさておきまして、今度の脳死・臓器移植臨調について、委員の方の人選については「優れた識見を有する者」というふうにされているわけですね。ですから、秘密会でないと意見が述べられないというような方は、この限りではやっぱりそういう方は委員としてふさわしくないんじゃないかというふうに思うんですけれども、どうでしょう。
○衆議院議員(竹内黎一君) 公開だと自分の思っていることを率直に述べられない、非公開だとそれが保障される、私はそういう判断基準はいかがかと思うのであります。
 私ども委員の人選の基準としては、先ほど来お答えしておりますように、すぐれて医学的な問題ではありますけれども、医学界だけでなく法曹界もあるいは経済界も、言論界、婦人団体からも広く参加をしていただきたい。ですから、私なりに選考の基準というのを一言で示せと言われれば、私は、健全な常識を持ち公正な判断ができる人、これを基準にしたらよろしいかと思いますが。
○吉川春子君 そうしますと、会議を秘密にしなければならない理由というのは余りないのではあ
りませんか。
○衆議院議員(竹内黎一君) これからの調査会の会議の中身を私がいささか推測で申し上げるのはいかがかと思いますけれども、あるいはその論議の中で患者のプライバシーというような問題がもし出てくるような場合になると、これは慎重な配慮を必要とするのかなという気もいたします。あるいはまた、治療法の秘密というのはあるんでしょうか、そういうものもあるいはひょっとしたら出てくるのかなという気がします。
 しかし、今の二つのことの理由でもって直ちに私は非公開とも言うべきものでなく、まさしく調査会の自主的な判断におゆだねをしたいと思うんです。
○吉川春子君 確かに今先生がおっしゃるように、プライバシーに関する問題のときは、そのときだけ秘密会にすればいい。だから原則公開という方法もできるし、企業の秘密を守るために会議が非公開というのもそれは確かにおっしゃるように理由にならないので、そういうふうにしていきますと、調査会の自主的な判断にゆだねる、そしてその場合に秘密会にならなければならない理由というのはほかに何かあるんでしょうか。
○衆議院議員(竹内黎一君) 今も申し上げましたように、これからの調査会の論議の内容について私が推測を述べるのはいかがかと思います。かえって、そういう推測を述べると誤解を生ずるんじゃないかなという気もいたしますが、しかし何といっても公開か非公開かというのは会の運営の基本にかかわることでございますので、やはり第一義的に調査会の自主的判断がよろしかろうかと思うんです。
○吉川春子君 御答弁をいただいた中では、どうも会議を秘密にしなきゃならない理由というのはないようですが、この法案に委員の守秘義務についての規定がございますね。なぜこれは必要なんでしょうか。今の御答弁のように、自主的に公開と決めればそれに干渉しない、そして三つぐらいの理由を挙げられて、それも必ずしも会議を秘密にしなければならない決定的な理由にはならないとすれば、公開ということは、必要性からいってもまた理屈からいってもそういうふうになると思うんですけれども、そのときに一方で委員に守秘義務が課せられているということは、調査会の自主性に任せるとは言いながらこの規定が一つネックになって非公開ということになりませんか。
○衆議院議員(竹内黎一君) なぜ委員に守秘義務を課したかということですが、最近の立法例には多く守秘義務を置いておるという、この規定を一つの念頭に置いたわけでございます。調査会が審議の中身で、いわばさっきも申し上げたようにあるいは患者のプライバシーというような問題が出てくるかとも思いますし、また調査会が各方面に資料提出の協力を要請した場合に、その内容を公開しないことを条件に出してくるケースもあるいはあるのかなと、こうも予想もされます。そういう意味で、守秘義務の規定をとりあえず置くということは本調査会の円滑運営上やむを得ない事態に対処するためのものとひとつ御理解を賜りたいんです。
○吉川春子君 法律上、守秘義務を課せられている職業というのは幾つかありますね。そういう一般規定だけではなくて、特別にこの調査会で委員に守秘義務を課さなければならないという理由は今の説明では私は納得できないんですが、同時にこういう規定を設けることによって、実際上会議の非公開ということを促すことになるんじゃないか、その辺はどうですか。
○衆議院議員(竹内黎一君) 守秘義務を課したことによって会議の非公開につながるんじゃないかというお尋ねでございますけれども、私はそうは判断いたしません。やはり、会議の非公開か公開かという判断の基準は、むしろ調査会が審議対象に取り扱う事項、そういうようなところからの御判断だろうと思います。
○吉川春子君 殊さらこの法律にわざわざ守秘義務というものを大げさに設ける必要は、私はいささかもないと思うんです。むしろ公開で会議も行われるべきだ。そして高い識見をお持ちの方が全部委員になるわけですから、提供されてほかに流してはならないような資料をあえて流すというようなこともなさらないような方を委員にするんでしょう。そういうことを考えますと、こういう規定はあらずもがなの規定だというふうに思うんです。
 続けて伺いますけれども、アメリカの大統領倫理委員会はすべて公開で行われると聞いていますが、そうですか。厚生省、お見えになっていますか。
○政府委員(仲村英一君) アメリカの大統領委員会とおっしゃったのは、医学及び生物医学、行動科学研究における倫理問題検討のためのアメリカ合衆国大統領委員会をお指しになっていると思いますが、この委員会は公開で行われております。
○吉川春子君 そうですね。審議も議事録、資料もすべて公開されているわけですけれども、アメリカでできることがなぜ日本でできないんでしょうか。できないというか、そういう立場でしっかりおやりになろうとしないんでしょうか。
○衆議院議員(竹内黎一君) 先ほど来同じことを申し上げてまことに恐縮に存ずるわけでありますが、まさに会の運営の基本にかかわることでございますから、私どもの方から公開という指示をしたりあるいは非公開という指示をしたりするのはいかがかと、あくまでもこの調査会の自主的決定にゆだねたいと、こう思いますけれども、これもまた先ほど来お答えしているわけでありますが、この調査会法案の論議を通じて国会の先生からの有力な意見として原則公開にすべきではないか、こういう意見のあったことは私からもしかと調査会に伝達したい、このように考えているわけです。
○吉川春子君 提案者におかれましては、このアメリカの大統領倫理委員会がすべて公開、つまらないというか、そういう資料まで含めて全部公開しているということなんですが、こういう事実は御存じであったわけですよね。それにもかかわらず日本の場合はそういう全部公開という立場に立たなかった理由、立っていないわけですから、その理由について伺っているわけなんです。
○衆議院議員(竹内黎一君) アメリカでできていることが日本でできないわけはないじゃないかという御指摘そのものを私は否定するつもりは全くございません。
 また、私どもの今までの答弁を通じて、もう何となく非公開をあらかじめ予断している、こういうぐあいにお受け取りになったとしたら、そういうことはございませんので、それはひとつ御訂正を賜りたい。あくまでも会の自主的な決定に任せたいということでございます。
○吉川春子君 何か繰り返しのテープが回っているような感じになりますので、もう一つ次の質問に行きたいと思いますが、昨年の一月、日本医師会が「脳死および臓器移植についての最終報告」を出されました。この最終報告が国民の納得が得られなかったわけですけれども、この理由、これについて厚生省はどうお考えですか。
○政府委員(仲村英一君) 脳死及び臓器移植についての日本医師会の生命倫理懇談会の最終報告書について、いろいろな御意見が出たことは事実だと思いますが、そのこと自体が、むしろこの懇談会もいろいろ議論していただくということのねらいもあったと思いますので、そのようなことがむしろ行われることがいいのではないかと考えます。
○吉川春子君 日本医師会長の諮問機関である生命倫理懇談会、加藤先生が座長ですけれども、この答申について日弁連がどのような論議をしたか、こういうことについても、国民もそれから医者さえも知らされていない。結論だけが出てくるわけです。その審議過程でどういう議論が出たのかということは全然わからず、結論だけぼんと出てくる。そういうことが国民から信頼をかち取れない大きな原因であるというふうに指摘されているわけです。やはり最初にも申し上げましたけれども、どういう結論になったかというよりは、そ
の過程でどういう論議が行われてこうなったのかということが国民に知らされることが必要なんです。調査会がいい結論を出したとしても、審議過程が余り十分国民に伝わらないとすれば、国民の合意を得にくいんじゃないか。だから私は、国民合意を得ようとすれば調査会は原則公開でなくてはならない、こういうふうに信じるわけです。先ほどの御答弁の中でも非公開にこだわっているわけではないというようなこともありましたけれども、やはり公開で行うべきだ、このことを主張しておきたいと思います。
 人選ですけれども、調査会の構成についてですが、これまでの臨調のやり方から見て、公正な人選が行われるかどうか私は疑問です。任命権者は総理ですけれども、実際の人選はどこで行われるんでしょうか。各政党の代表も入るんでしょうか。
○衆議院議員(竹内黎一君) 委員の人選の実際の事務は、総理大臣官房が中心になって関係省庁もこれに参加していわばリストアップをする、こう思います。しかしながら最終決定、国会に同意を求めるまでの最終の段階においては、事実上、私は国会の各党に対しても御相談になるだろう、こう思っております。
○吉川春子君 各党に相談するということは各党の代表も入れるということですか、ちょっと聞き取りにくかったんですが。
○衆議院議員(竹内黎一君) 各党に御相談をするということでございまして、相談というのを、では各党の要求を全部入れるのかというと直ちにそこまではいかがかなという気もいたしますが、そこで各党の皆さんもなるほどこの人ならというような委員候補の絞りができれば幸せだと思います。
○吉川春子君 どういう人を選ぶかということで先ほど来、同僚議員の質問にも答えておられるわけですけれども、十五人の中で、例えば八人ぐらい脳死とか臓器移植に積極的な人がいれば、もうそれで答えははっきりしちゃうわけです。だから、さっきも比率についての質問もありましたけれども、その構成も非常に客観的に、どっちかの結論に偏らないようなそういう構成にしなければならないと思いますが、その点はいかがでしょうか。
○衆議院議員(竹内黎一君) 委員の構成を公平公正にしろという御指摘は、私も全くそのとおりだと思います。
 ただ、といってあらかじめこの人は賛成の人、この人は反対の人、それを半々入れるとか、先ほどは何か三分の一ずつではいかがかという御意見もありましたけれども、私は、あらかじめ脳死あるいは臓器移植についてどういう意見の人かと確かめる、そういう判断の仕方でなくて、そこで申し上げるわけでありますが、健全な常識と公正な判断を期待できる人、こっちの方が基準ではなかろうか、こう思うわけであります。
○吉川春子君 大体人選する場合に、この人はどういう考えを持っているかということもよく調査して普通選ぶわけで、めくらめっぽうに選ぶわけではないと思いますので、やはりその点の公正さを特に要求しておきたいと思います。
 それで、これは二年間で会議を終わらせるということなんですけれども、二年間で結論を出してこの会を解散する、こういうことですね。
○衆議院議員(竹内黎一君) 御指摘のとおりでございます。
○吉川春子君 脳死とか臓器移植については、これだけ議論が国民的に沸騰している問題ですので、二年たっても合意が得られない、論議がまとまらないということもあり得るんではないでしょうか。したがって、二年という期間に固執するんではなくて、まず論議を尽くすという立場に立てば、調査会の延長ということもあり得るんじゃないですか。
○衆議院議員(竹内黎一君) 先生も御承知のように、臓器移植以外にもう生命を救う方法はない、そういう患者あるいは家族の方々が一日も早く脳死並びに臓器移植についての指針を示してもらいたい、できれば臓器移植の道をさらに広げてもらいたい、こういう方もたくさんいらっしゃるように私もお見受けいたします。
 したがいまして、事柄の重要性あるいは微妙さからいって果たして二年という期間がそれで十分なのかといえば、この調査会の仕事をお願いする委員の方々はなかなか大変でしょうけれども、できるだけ二年の間に濃密かつ慎重かつ公正な、そういう指針をひとつ私どもにお示しを願えればと、こう思うのでありまして、さて二年たっても一つの方向性がなかなか出ない、さらばこれを一年あるいはもう少し延長すべきかどうかということになりました際には、むしろ調査会の方からひとつまた政府なりあるいは各党にそういう御意見をちょうだいして、そこで我々も対応を考える、そういうこともあり得るのかなという私は今感じでおります。
○吉川春子君 例えば、結論が一つにまとまらなくて、両論併記のような答申が出た場合に政府はそれを尊重するんですか。
○政府委員(仲村英一君) 御意見をいただければ、それに対して当然のことながら慎重に対処をしたいと思います。
○吉川春子君 両論併記の場合でもそれを尊重するというふうに受け取っていいんですね。
○政府委員(仲村英一君) その対応をどうするかというのは今から私が予断を持って言えないことでございますが、先ほど申し上げたようなことで対処をしてまいりたいと考えます。
○吉川春子君 この問題は非常にデリケートな、そして国民の考えも多岐に分かれる問題ですので、拙速ではなくて、国民合意が得られるような十分な論議を尽くすべきだと、そして、尽くせるような調査会であるべきで、いわゆる臨調方式というものに対しては私たちは重大な疑問を持っているということを指摘したいと思います。
 次の質問に移りたいと思いますが、私、雑誌「世界」の対談で臓器移植の問題について多方面からの論議を拝見したんですけれども、その中で日本移植学会理事の岩崎洋治筑波大教授は、この方は進める立場にお立ちのようですけれども、こういうふうに言っておられます。「私ども医者は、できれば将来、臓器移植でなくて、病気の予防であるとか、あるいはより簡単な治療法を開発するとか、いろいろな努力が必要だろう」。
 今、臓器移植についてはマスコミなどで大変華やかな脚光を浴びておりまして、世間の目もそこに集中しがちです。しかし、仮に移植を認めるとしても、それは最後の手段であって、何よりも病気の予防、あるいは万一病気になった場合には早期発見、早期治療ということが医療の基礎でなければならない。そういう基礎研究の重視も必要だというふうに思いますが、国としてこちらの方面に十分力を入れて仮にもおろそかにしてはならないと思いますが、いかがでしょうか。
○政府委員(仲村英一君) お尋ねのように、他人の臓器に頼らずに何らかの有効な治療方法があれば、それにこしたことはないのではないか、あるいは人工臓器ということも考えられますでしょうし、こういう時代ですのでいろいろの先端技術あるいは新しい材料、素材などを含めた研究というのは非常に重要だと思いますし、私どもも臓器技術の開発費というのも新たに要求したりしておりますので、そちらの方の努力も当然のことながら考えなくちゃいけませんし、御指摘の病気の予防、予防にまさる治療はないわけでございますので、全般的に予防にさらに力を入れるということも重要だというふうに考えております。
○吉川春子君 既に現行法で腎臓については移植が認められているわけですけれども、ここ二十年間の腎臓病患者の発生率、それから人工腎臓透析患者数、腎臓移植数、そして腎臓病による死亡率、これを明らかにしていただきたいと思います。
○説明員(松澤秀郎君) まず、腎臓病患者のここ二十年間の発生率でございますけれども、この問題につきましては、日本じゅうにどれだけ新たに患者が発生したか、こういう質問に置きかえます
と、実質的にこの部分は正確な把握は技術的に困難でございまして、一応私ども手持ちはございません。ただ、患者数の推移はどうでありますか、こういう質問でございますけれども、腎臓病の患者数を見ますと、直近の六十二年現在で言いまして約三十万人以上、これは患者調査の結果でございます。ここ十年ぐらい数自体はさほど変動しておりません。
 それから人工透析患者数でございますけれども、これは昭和四十四年に三百一名でございました。これが六十三年、昨年末で八万八千人とふえております。
 それから腎臓の移植数でございますけれども、これもここ約二十年間を見ますと、昭和四十五年には死体腎移植六例、生体腎十四例の計二十例でございましたけれども、直近の昨年一年間におきましては死体腎百八十八例を含む合計七百三例でございます。
 それから、先ほどちょっと言い落としましたけれども、この二十年間の腎臓病患者の死亡数でございますけれども、昭和六十三年現在で腎臓病の死亡者実数で言いますと一万四千三百二十九名、これは人口十万当たりでいきますと十一・九人となりますけれども、昭和四十五年の死亡数は九千百八十八名でございますから、倍までいきませんけれどもふえておるというのが実態でございます。
○吉川春子君 医学関係者の努力あるいは医学の進歩にもかかわらず腎不全になる患者が減少していないし、死亡率は倍近くになっている。
 脳卒中について、患者数の発生率、死亡率、どうでしょうか。
○説明員(松澤秀郎君) 先ほど申し上げました理由で脳卒中患者の推移につきましては、昭和四十五年の患者数は三十六万一千百名でございます。これが昭和六十二年で言いますと百十五万四千八百名で三・二倍にふえております。現在がんがトップで、脳卒中は三位になっておりますけれども、この間死亡者数で言いますと、昭和四十五年当時十八万一千三百十五人が、六十二年現在で十二万三千六百二十六名と三二%減少しております。
○吉川春子君 脳卒中の場合は死亡率、死亡者数というのがすごく減っているわけですね。これは食生活の改善とかさまざまな予防措置があって、その結果こういう一つの成果に結びついているんじゃないかというふうに思うわけです。
 厚生省の腎不全対策推進会議は一九八七年に腎不全対策と題する中間報告をまとめました。この報告は予防対策とか医療対策なども書かれていますけれども、腎移植の推進ということに最も重点を置いておりまして、これに対しては雑誌の「健康保険」その他で、最優先の課題は病気の予防にこそあるのではないかという批判がなされているわけですね。腎臓病の患者が透析になりますと、もう再びは戻れないということで、何とかそういうところに立ち至らないうちに防ぐということが患者さん自身にとってももちろん一番いいことなので、そのためにはさまざまな予防手段を講じなければなりませんし、食生活の指導、そういうことにも力が入れられなければならないと思うんです。
 だから、私は厚生省の最大の重点が移植の推進ということにあるというこの報告書についていろいろな批判があるということを今言いましたけれども、まさに予防とか早期発見、早期治療、そういうところにお金もうんとかけて、とにかく患者さんを出さないということが最重点ではないのかというふうに思いますけれども、そのお考えはどうでしょうか。
○説明員(松澤秀郎君) 確かに中間報告の中に御指摘の部分というのは、これは死体腎でございますけれども、ございます。ただ、予防、早期治療につきましては、従来から早期発見、早期治療を目的といたしまして尿検査を行っております。これは厚生省を初めとする各省が世代に合わせまして、乳幼児、学童、妊産婦、成人に対する健康診断の中で実施しているところであります。
 また、ここにかかわる研究につきましては先ほど一部健康政策局長も述べましたけれども、進行性腎障害の原因、治療法の研究、あるいは小児腎疾患の進行阻止等長期管理のシステム化に関する研究等々の研究業務を行って鋭意、予防、早期治療の確立に向けて努力しているところでございます。
○吉川春子君 腎臓移植とか透析というのはもう本当に最後の手段ですので、学問の基礎研究を含めて予防、それから早期発見、治療、そういうところに全力を挙げてもらいたいというふうに思うわけです。
 移植についてもなかなか難しい問題があるわけですが、これは一般論ですけれども、例えば移植が成功したとしても、腎臓の問題とはちょっと切れますけれども、患者さんは一生拒絶反応抑制剤を飲み続けなければならないというふうに聞いています。アメリカでは移植を受けた人のうち四分の一が精神障害になるという調査結果もあります。社会復帰もなかなかままならない、相当多くの人にとっては社会復帰は不可能だ、こういうような実態を聞いているんですけれども、その辺の調査はされていますか。
○政府委員(仲村英一君) 移植そのものが成功したことによってその患者さんのクォリティー・オブ・ライフと申しますか、生命、生活の質というものは非常に向上することは事実だと私ども考えております。
 ただ、いろいろな問題があることは一方において事実でございまして、例えば移植後の患者さんの生活でございますけれども、個々の状態で異なる部分もありますけれども、定期的な外来あるいは入院、定期的な検査のほかはほぼ正常な生活ができるという意味では非常に画期的な治療法でございますが、一方、免疫抑制剤等の服薬を一生続ける必要があるということでございますとか、そういうものの副作用とか拒否反応に対する不安感とかいろいろの精神的な問題を担っている患者さんもいることも事実でございます。
○吉川春子君 米国ではドナーは圧倒的に黒人が多いというふうに聞いているんですけれども、その理由は何でしょうか。
○政府委員(仲村英一君) そのような統計はちょっと見ておりませんので、お答えいたしかねるわけでございます。
○吉川春子君 経済的な理由が多いようですね。脳死の判定、脳死と判定された直後からもう医療行為が打ち切られるわけですから、レシピエントが面倒を見るという形で謝礼が出るからではないですかね。だから事実上、臓器売買につながりかねない、こういう危惧があるんですけれども、この点についてはいかがお考えでしょうか。
○衆議院議員(竹内黎一君) 先ほど来、提案者の希望としてこの調査会においてはこういう事項について審議、調査をお願いしたいと申し上げましたが、先ほど述べたものにつけ加えますと、一つは何といっても患者なり家族の人権の尊重ということ、そしていま一つは臓器の売買禁止という原則をはっきりと打ち立ててもらいたいというのが私の願いでございます。
○吉川春子君 アメリカの例ですけれども、レシピエントは米国ではお金持ちで意志が強くて、長期間にわたる待機に経済的にも耐えられて、そしてまたその知識がないと成功しない、こういうふうに言われているわけですけれども、これでは本当にエリートとか金持ち医療につながるわけですね。だから、そういう問題についても大変大きな問題があるということを私は指摘しておきたいと思います。
 それから、死についての法的な問題についてお伺いいたしますが、脳死の概念を認めるということは臓器移植のために考え出された概念のようですけれども、そのほかにも何かメリットといいますか、この概念をつくり出す利益はあるんですか。
○政府委員(仲村英一君) 先ほどもちょっと触れましたが、臓器移植をするために脳死という概念を設定したのではないと理解しております。
○吉川春子君 それでは、その脳死という概念を新たに設けることによってどういうメリットがあるんですか。
○政府委員(仲村英一君) ちょっとメリットの意味がよく承知いたしかねますが、一九六〇年代の終わりごろからレスピレーターが臨床に非常に普及してまいりまして、呼吸機能の悪化した患者にそれが広く用いられるようになりました。例えば重傷の頭部外傷などの患者が治療中に症状が悪化して脳死状態に陥っても、人工呼吸器をつけておけば機械的に呼吸が続きまして心臓が動き続けるという状態ができたわけでございまして、そういうふうなことからある一定期間脳死状態が続くということが新たな問題として出てきたわけでございます。ですからそれを認めることによって、メリットというのを私どもとしては延命医療の価値をどう判断するかとか、そういう意味につながることだと考えております。
○吉川春子君 死という言葉が記載されている法律はいただいた資料によりますと五百六十で、条文の該当件数は三千三百八十一件にも及んでいます。それだけ死というものが法的にも重要な問題だと思います。脳死という概念を認めてそれを個体死、つまり死亡と判定するときに、どの時点が死亡時点なのかという微妙な問題を生ずることが考えられます。自然的な死ではなくて人為的に死というものを決められることは現行法の死をめぐる法体系に混乱を与えないのかどうかという問題についてお伺いしたいと思いますが、例えば脳死を認めないと脳死者から臓器を摘出して移植するということは殺人罪になる、こういう考え方もあるんですけれども、その点どうでしょうか。
 それから、現行法では死を瞬間的なものととらえているわけですけれども、例えば脳死のように一定期間そういう状態が継続する場合にその人を例えば刺したというような、それが原因で呼吸がとまったというようなときに、これは殺人罪なのか死体損壊罪なのかという、こういうような問題についてはどういうふうにお考えでしょうか。
○説明員(東條伸一郎君) お答え申し上げます。
 再三申し上げておりますけれども、死の判定の問題は基本的には医学の問題ですけれども、私どもは国民の生死に関する考え方あるいは倫理観とか宗教観その他で深いかかわりのある重大な問題であるというふうな認識でおりまして、従来私どもの刑事法の分野では、お医者様方もそう言っておられたと思いますが、いわゆる三徴候があらわれたときに死を認定するという形で死の判定が行われ、それが裁判でもそういう形で運用されてまいりました。
 今のお尋ねは、具体的にそれでは脳死という概念を認めたときにどうなるかということになろうかと思います。脳死を死と認めるということになりますと、例えば今の御設例で、臓器を移植するというところで、その状態にある人はいわば人が死んでいる状態になっておりますので、臓器を摘出した結果心臓がとまったことになったとしても殺人罪にはならないということになると思います。ただ、それではもう一つ後の設例で、脳死状態にある人間を臓器移植とは関係なく攻撃を加えて、その結果心臓がとまってしまった、こういう場合にどうなるかという問題だと思いますが、これは脳死を死と認めることと、それから従来とらえてきた死という認定基準による死というものとの関係をどう考えていけばいいんだろうかということではないかと思うのです。それで私どもとしてはそういうところに非常に難しい問題が生ずるであろう。
 例えばそういう臓器移植との絡みだけで脳死状態になった人を死んだというふうに見た場合に、それはその限りで殺人罪の問題は起こりませんということは言えるんですが、それ以外の場面で一体どうなんだろう。それ以外の場面では依然として心臓死をとりますよということになりますと、いわば加害行為である場合あるいはレスピレーターを医師が外すという行為、その結果死んでしまう、そういうものが依然として殺人罪として評価されるのであろうかという問題が出てくるわけで、おっしゃるとおり大変難しい問題が出てくるのだろうと思うんです。
 ただ、これは私素人考えでございますけれども、結局は医学の方でどの器官、人間の器官はいろいろあるわけでございますけれども、どの器官がいわば機能を完全に停止したときに人間というものが死んだんだというふうに見るのかという理屈の問題でいきますと、恐らく従来から三徴候というのも、呼吸がとまれば心臓もとまる、心臓もとまれば脳の機能も終わる、その三つが、脳の機能が終わった部分は瞳孔の拡大というところで出てきたんだろうと思うんです。そういうことで、理屈として一体心臓が大事なのか脳が大事なのかという問題になるのかなという感じもしておりまして、今後どういう形で認定基準を設けていくのか。スウェーデンのような単一基準でいくのか、アメリカの統一法案の考え方のように並列基準でいくのか、それはこれからも私どもとしても考えていかなければいけない、少なくとも刑事法の場面でも考えていかなければならない問題であろうと思います。
○吉川春子君 民事法の問題についてもちょっとついでにお伺いしたいんですけれども、脳死という概念を認めたときに、それではどの時点で相続が開始するのか、遺言の効力が発生するのか。そして、例えば今の医学では、一週間とか十日脳死状態が続いたときに、相続人の数の変化ということも起こり得るんじゃないか、そういう問題についてはいかがでしょうか。
○説明員(岡光民雄君) 民事法の場面でも基本的な考え方は大体同様でございまして、何をもって個体の死と認めるかという、そこの確定作業から入らざるを得ないと思います。
 私どもの考え方といたしますると、社会通念という言葉で説明さしていただきたいと思いますが、それが何をもって死というふうに考えておるのかという、どういう状態をもって死だと、個体の死だと、こういうふうに社会通念が受け入れるか、それが先決問題でありまして、脳死をもって死としてよろしいというようなことが社会通念になっておるということであるならば、それに従って御指摘の相続の問題とか遺言の効力の問題を考えていくことになりましょうし、やはりなお心臓死をもって個体の死であるということが社会通念でまだあるということであるならば、それに従って対処していきたいと、変な答えかもしれませんけれども一応そういうような扱いにならざるを得ないかと思います。
 ただ、一言お断りしておきたいと思いますのは、実際問題として相続とか遺言の効力が結果において異なるような事例というのは案外少ないというように聞いておりまして、つまり、夫と妻がどちらが先に死亡したかが非常に際どいような事例においてこそ、初めて今の問題が切実な問題として出てくるわけでありまして、脳死なのか心臓死なのか不明であったとしても、例えば夫がそういう状態である時期にお亡くなりになった、それと違った時期に奥さんが亡くなったということであるならば、相続の問題に関してとりたてて現実問題として困るということはないということがありますものですから、多少理論の問題になるのかなという感じもしてはおるところでございます。
○吉川春子君 いずれにいたしましても、三徴候死にかえて脳死という概念を民事法、刑事法にも導入するということになれば、またそこにはさまざまな複雑な問題が起こり得るということは避けられないと思います。
 最後に、医師の問題について、脳死、臓器移植などの判定や手術を実際に行う医師の問題についてお伺いしたいと思うんですけれども、日本の医師は一般的には家族や患者に医療行為について余り詳しくは説明しないというふうに言われています。秘密主義も存在しています。また日本のお医者さんは忙し過ぎて患者とゆっくり話す時間がない。同時に医療内容を患者に話さずに、黙って治療だけ受けていればいいんだという考えの医者も多いわけです。しかし、信頼関係が欠如している状態で法律ができても、脳死の判定や移植に関し
て患者の納得が得られるかどうか大変疑問です。家族が医者から殺されたというような疑いを持つようですと、それはそれで問題だと思うんです。人間の生命とかそれから倫理というものに対して余りよくはわかっていないんじゃないかという医師がいるのではないか、こういう指摘も一方ではあるわけですね。
 ともあれ、医療に携わる医師自身の倫理観というものがこれからますます重要になってくるというふうに思うわけです。全国の医学部、医科大学では医学概論とか倫理教育というのが教育の場で余りなされておらないということです。最近医者になった人に感想を聞きましたら、医学部の授業というのは職人を養成するようなもので、いきなり各論に入る、医学概論もなかった、こういうふうに漏らしていた人もいました。そういう点で、大体今の大学の中で一般教養の軽視という問題が私はあると思うんですけれども、きょうはお医者さんの問題に限って聞きますけれども、人間としても立派な人でないと困るわけで、そういう意味で技術教育、職業教育だけの狭い方向にいくんじゃなくて、やっぱり幅広い教養を身につけた、倫理観も身につけたそういう医者を養成する必要があると思うんですけれども、この問題について文部省はいかがお考えでしょうか。
○説明員(小林敬治君) お答えいたします。
 医学部における医学教育でございますので、将来医師になるために必要な知識あるいは技術あるいは医療に携わる者としての思考力、創造力あるいは研究的な態度、そういったものが当然必要でございますけれども、やはり基本に倫理教育と申しますか、そういったものが非常に大事だと思っております。
 私どもが調査したところを若干申し上げますと、医学部のさまざまな一般教育を含めた教育課程の中で医学概論で特に配慮をしているというものが七十九大学中で六十大学ございました。それからその他の講義、例えば哲学ですとか倫理学、宗教学、法学、社会学、医療心理学といったふうな、どちらかというと一般教育というカテゴリーに属する科目等の中で、それから実習の中におきましても例えば解剖学実習でありますとか、病理学実習あるいは実験、動物学実習、看護学実習、こういったものとか、さらに課外活動の中でもそういった観点からの諸活動を取り入れてやっておるというふうになっておるわけでございます。そうしたお答えをいただいたのが約八割以上に上っておるわけでございます。
 実はこの問題、私どもの方で先般、医学教育の改善に関する調査研究協力者会議というものを持ちまして御議論をいただき、その結論を昭和六十二年の九月にいただいたわけでございますが、その中でも特に数項目の具体例を挙げていただいて、倫理教育といいましょうか、医の倫理あるいは生命倫理と申し上げてもよろしいこの分野の教育を重視すべきであるというふうな御提言をいただいております。したがいまして私どもとしては、今後医療あるいは医学がますます高度化をしてまいります、その高度化に伴って倫理教育の重要性というものもますます重要になってくるというふうに考えておりますので、そういう趣旨で今後適切な対応をとってまいりたい、こんなふうに考えておる次第でございます。
○吉川春子君 時間がもうなくなりましたので、私は最後に、期間を二年間と切ってそして結論を誘導するかのような臨調方式、こういうものは脳死それから移植という問題について国民的なコンセンサスを得る上では大変問題だと、国会の上にそういう審議会を設けるというやり方、従来から批判してきましたけれども、この問題についてもやはり大変問題だと、そういうことを最後に申しまして、次回の質問に譲りたいと思います。
 終わります。
○高木健太郎君 一九八三年に本会議で私が中絶問題に関連して脳死の取り扱いについて政府に質問をいたしました。林厚生大臣は直ちに生命倫理懇等をおつくりいただき、また竹内委員会も発足しまして、その二年後に脳死判定基準ができたわけであります。その後、御存じのように、日本医師会、学術会議、あるいは各種医学会、その他日弁連等でこの脳死の問題がいろいろと討議をされましたが、現在に至るもまだまだ脳死是あるいは非どちらともつかない状態が続いているわけでございます。
 しかし、こういう情勢下で移植以外に救済の道のない患者は外国に治療の方法を求める、そして諸外国はこれに対して人道的立場から救済の道を開いておりますけれども、次第に日本の脳死拒否の態度に対して理解が困難である、あるいは疑問視する、あるいは批判の声が聞かれるようになってきたわけであります。こういう日本人の脳死あるいは死というものに対する考え方というのは諸外国と少し違うのではないかという気がするわけでありまして、それは非常に日本人独特の情緒的な倫理意識あるいはまた死の概念あるいは強い身内意識、こういうものがその根底に横たわっているように思います。
 しかし、医療は国際的に広がっております今日、いつまででもこのような倫理観に固定しているというわけにもいかない。あるいは全く従来までの倫理観に固執して、そして全く閉鎖的な医療にするかどうかということが今問われている、そういう状況にあると思います。こういう日本人的、日本独特な意識というものは、生命倫理のみならず日米の貿易摩擦その他外国とのいろいろの摩擦の根底に潜んでいるように思うわけでございます。こういう調査会が今度つくられまして、そしてその結果何も結論が出ない、今までどおりであるということであるならば、私は世界から非常に非難を受け、あるいはまた孤立するということもあろうかと思いますから、調査会をつくる以上実りある成果というものを心から期待しているわけであります。
 そこで、まず最初に調査会のことについて申し上げたいと思います。
 その前にもう一つ、最初に法務省に対してお話を聞きたいんですが、告発事件が先ほど三件あると言われましたけれども、それはそのままいつまで置いておかれるおつもりですか。何かのきっかけを待っておられるんでしょうか。それをちょっとお聞きしたいと思います。
○説明員(東條伸一郎君) 先生御指摘のように、三件の告発事件を現在検察庁で捜査いたしております。御承知のように医学上の手術に絡む事件でございますので、それ自体、私どもいわば素人の検事が判断をしていく上でいろいろと証拠上の問題を判断するに当たっても勉強しなければなりませんし、それからそれぞれの問題について専門家に御意見を伺う、これは法律的には鑑定ということになると思うんですが、そういうことでもいろいろ時間がかかっているということで、捜査は今のところ継続中ということでございます。
 そのほかに先生の今の御指摘のように、先ほど来申し上げておりますように、死というものをいかに認定していくかということについて、現在新たに脳死という新しい問題が出てきていて、これについての国民の意見というものも必ずしもまだ固まっていないような状況にあるということで、その間の動向についても注意を払わなければならないということであろうかと思います。
○高木健太郎君 こういう告発事件というのは何も日本だけであるんじゃなくて、アメリカでも臓器移植をやった当初にはたくさんあったわけでございますし、スウェーデンでもありました。各国とも同じような経過をなめたわけでございますので、日本だけでこれが論議されない、いわゆる起訴するかどうかも決めないということはちょっとおかしなような気もするんです。その点もひとつぜひお考えいただきたいと思うんですね。これから先もまたこういう問題も起こるんじゃないかなと思います。
 また、生体肝移植がございましたけれども、生体に傷をつけるということは医療の目的であれば許されるけれども、そうでない限りはどうもその本人にとっては医療ではないということでは、私は少し考えるべきこともあると。これもだれか告
発をすれば問題になることじゃないかと思いますので、何か決まるまではやらないというんじゃなくて、やはり法務省の力を集めてこの件について勉強していただくということが大事だと思います。
 次に調査会のことでございますが、竹内委員会がありましたときに私は実は傍聴を申し入れたわけでございますが、拒否をされました。どうしても聞いてはいけないと、中に入れない。実は私の仲間がやっているのだからぜひどんな意見か聞きたいと言ってもそれは許可されなかったということでございまして、初めから公開にしておけばよかったじゃないかなとそのときにつくづく思ったわけなんです。先ほど吉川委員からもお話しありましたように、アメリカでも公開にしておりますので、先ほど竹内先生がお話しになりましたように、自分たちはここの委員会では公開原則ということを非常に主張しているということを今度の調査委員の先生方にぜひ強くお話しをいただきたい。
 それからもう一つは、選任の仕方がやっぱり問題になっておりまして、これは非常に難しい問題であろうと思うわけなんです。教授を一人選んだり、あるいは大臣を一人選ぶのもなかなか大変なことでございますから、十五人人を選ぶなんていうようなことはそれは人間わざじゃないと私は思うわけですが、いろいろの御意見がございましたから、そういうことをひとつしっかり頭にとめて、厳正中立、円満な常識、また決断力のある人ということのようにお聞きしましたが、そのようにお進め願いたい。
 私が一つ注文したいのは、名前ばかり偉くて暇もないような人、あるいは勉強もしないような人、そういう人は余り入れてほしくない。できれば若くて自分自身で関心があって勉強するという人、それから余り人の顔を見て発言するんじゃなくて自分の言いたいことを本当に話をする人、いわゆる自己確立ができている人、そういう人を委員に入れていただいてその調査会の議論が活発になるように、そういうふうに私はしていただきたいと思います。
 また、先ほどお話しありましたように、ぜひ濃密にやっていただきたい。アメリカでは四年でしたけれども、一回のときに二日間やっているわけですね。大抵臨時調査会というと二時間ぐらいしかしないそうですけれども、そんなことをやって二十四回やりましても四十八時間しかやらない。その間何も、あとは全然勉強しないということになると全く実のないものになりそうですから、大いに勉強する人で関心のある人で若くて馬力のある人で発言をする人、そういう人をひとつお選びいただければありがたいと思います。
 次に運営方法でございますが、私ばかりしゃべって質問ということになりませんが、しかし時間がないものですから次にお伺いしますが、調査会の会長がいろいろの運営をおやりになると思うんですけれども、先ほどからおわかりのように大変たくさんの問題があるわけですね。公聴会を開く、中間報告をやらなきゃいかぬ、あるいはまた証人を呼ぶとか参考人を呼ぶとか、やれば幾らでもあるし、それからやる事柄がまた非常に多いわけです。そういうことで、ただ会長御一任、委員の意見を聞いて進めるというのではなくて、できれば事務局にある程度の事項をおろして、大事なことは、それをどういう順序でやるかということが私は非常に重要だと思うんです。何から先にやっていくかということがこの際非常に重要だと思いますので、そういうことも会長あるいは委員の方々と御相談の上、十分初めに頭を使ってやっていただきたいとお願いをいたします。
 今までお話しにならなかったことで私ちょっと気になることがございますが、脳死というのは先ほどからお話しのようにすぐれて医学的なものでございます。しかし、脳を実際に見たこともないような人が委員におなりになる、あるいは脳死の患者もごらんになったことがない、そういう方が委員の中に大多数を占められるんじゃないかと思うわけですが、そういう意味ではできれば私は脳死の現場をひとつ見学されたらどうか。あるいは移植の現場もごらんになったらどうか。あるいは脳死というものの病理解剖をごらんになって脳がどんなになっているのかということもぜひごらんになって、いわゆる臨床症状と病理解剖との間にどういう関係があるか、こういうことも、口でしゃべってもそれはとてもだめなわけですから、そういう機会をおつくりになっていただければ一番いい。あるいは、それが不可能であるならビデオでも撮りましてそれによって皆さん学習をしていただく、こういうこともひとつお考えになってはいかがか。あるいは、外国に行ったら割合にこれは見やすいわけでございますから、海外に視察においでになるというようなことも一つの方法でないかと思います。
 あるいは脳死の判定基準ですね、そういうことではこれは全委員が集まってやるというよりも、できれば私はこれは専門委員会でもおつくりになる方がいいのではないかと考えておりますが、いかがでございましょうか。
 それからまた事務局でございますが、アメリカでは約二十名ですね、それから非常勤十名、学生のアルバイトが十四名、これだけ大勢ですね。それからそのお金の額も、先ほどお話しになりましたように二千万の予算をとったんですが、実際に使われたのは五百万と聞いております。そういうことで、事務局は何人でおつくりになるか知りませんが、そこの辺もひとつお考えがありましたらお聞かせいただきたいと思います。
 ここまででお答えになれるところがございましたら、ひとつお答えいただきたいと思います。
○衆議院議員(竹内黎一君) まず委員の人選に当たっては、看板だけでなく若い勉強する人、また自己確立のはっきりした人を選べという御注意は、私もごもっともだと思います。この声もぜひ調査会の方に伝えたいと、こう思います。
 それから、確かに委員に選任される方の中には医学に全く無縁、知識のない人も選ばれる可能性もあろうかと思います。そういう意味では、そういう人たちが内外の医療の現場を見たり、あるいは先生お示しのビデオを見たりというような勉強は、私は当然調査会としても考えてくれることかと思っております。
 それから、事務局はとりあえずは厚生省が担当いたすわけでございますが、そのスタッフの数とかあるいはそれにプラスのアルバイトとかいうようなことはこれから検討してまいりたいと思いますが、そちらの方から会議の進行に悪影響が出ないように、私としても厚生省の全面協力を今から要望しておきたいと思います。
○高木健太郎君 次は脳死の判定基準でございますが、竹内基準あるいは大阪大学その他の基準には、小児の基準が入っていないのです。これを今度の調査会でもぜひつくっていただかなきゃならぬのじゃないかなと思います。そうでなければ、小児の胆道閉鎖症の子供、そういうことは結局は父親のあるいは母親の肝臓の部分移植しかないわけです。これは生体に傷をつけるという、何も医療的目的はなくてその人には医療にはならない。そういう意味で生体に傷をつけるのは極力避けなきゃいかぬと。これはどうしてもやってはいけないことじゃないかなと私自身思うものですから、やはり死体からもらった方がいいということであれば、小児の脳死判定基準もぜひつけ加えてやっていただかなければいけないことではないかなと。
 次は、脳死というものがもし立法化されるとします。あるいは全然この調査会では何もできないということもあるでしょう。それはまことに残念なことになるかもしれませんが、もしも脳死というものが個人の死であるということで一つの立法化されたとします。そのときに、脳死一本立てにするのか、脳死と心臓死の二本立てにするのか。アメリカは二本立てにしてどうやってやっているのか。そこら辺何かお調べになったことがございますかどうか。
 私は、二本立てになるというのはまことに民事的にもあるいは刑法的にも非常にぐあいが悪いことであると。あるいは家族の申し出によって、も
う脳死になったけれども、それから先まだ人工呼吸その他の医療を続ける、その医療費は一体それじゃだれが払うのか。保険から払えるのかどうか。あるいはまたそのときには今度は相続その他の問題はどうなるのか。これは非常に面倒なことになるのではないかと思います。また脳死宣言のときを死とするのか、あるいはそれから六時間あるいは十二時間の後に死とするのか。脳死の時期ですね、それもはっきりさせておかなきゃいけない。そうでないといろいろの問題が私は起こってくると思います。
 そういうことで、私はできればスウェーデンのような方式、いわゆる脳が死んだときに人間が死ぬ、心臓がとまった、しかし脳が生きている間はまだ生きている。そして三分後なら三分後あるいは四分後に、心臓がとまってから脳の機能が全くなくなった、不可逆的に機能が喪失されたそのときをもって死とする、こういうように一本立てにスウェーデンはしているわけですね。だから、脳というものは人間あるいは生体の統合的な中枢でございまして、ここがなくなったときに人間として生物としてすべてのものが失われる、そういういわゆる死の概念というものを、スウェーデンがやりましたように死とは何だというようなことをやっぱり最初に打ち立てて、そこから問題を始めていかないとうまく回らないんじゃないかなということも思っております。これはもう一つよく会長から、竹内議員からお話しがいただければありがたいと思っております。
 それから次は、本人の生前の意思とそれから親族の意思が医師会なんかではあいまいもことなっておりますし、先ほど社会党の委員からお話がありましたように、献体でも本人の意思と家族の意思ということが両方書いてあるんです。それで、私も献体に関係しておりましたので、やっぱり家族の同意がなくちゃだめかというようなことを聞いてこられる人があります。そうすると、やっぱり決まらなくなるわけですね。だから私は、やはり人権ということ、生前に我々は人権を持っていると同時に、自分の死は自分で決めるというその個人の決定権というものを最優先するという思想が私はこの際大事じゃないかと思っておりますが、この点もお考えがあったらお聞きしたいと思います。
 それから世間の人、一般国民では誤解をしている人がありまして、脳死になったらば全部臓器をとられちゃう、あるいは肝臓でも何でも好きなものを皆持っていく、とられちゃうんだというふうに思っている人があるんですね。だから、脳死になってもその人あるいは家族、その人が意思表示して家族がそれを承認しない限りは臓器移植なんてしませんよというようなことをはっきりしておかないと、だれでもかれでも臓器をとられると、そういうふうに思っている人がたくさんございます。そういうことで、私は個人というものの選択、あるいは個人の自己決定権というようなものがこの法律をつくるとすればそれの基本になるものではないか、こういうふうに考えております。
 それから、さっき申し上げましたように、社会党あるいは共産党の吉川さんからお話があったと思いますが、臓器売買がフィリピンで問題を起こしました。日本人がそこで囚人の臓器をとってきたりしました。あるいはアメリカで黒人を優先するというのは私知りませんでしたけれども、最初にアフリカで手術をされたときには、あれは白人の心臓をとったんですね。だから黒人じゃなかったんです。南ア連邦でやりましたけれども、そうではなかった。だから、そういうことは私はアメリカではないんじゃないかなと思いますけれども、貧富の差がここで出てくるというようなことであって、その結果売買が行われるというようなことがあるとこれは大変なことでございますし、そうなりやすい傾向にもありますから、衆議院の参考人になられました鎌田さんが言われるように、もし保険でそれが見られないということであれば財団でもつくるとか、そうして貧富の差がここで出てこないようにすることは、これは非常に重要なことであると私は思います。
 それともう一つは、WHOで臓器の売買を禁止しようじゃないかというのが昨年の総会で決まっているわけです。日本はこれに賛成しておられますか。
○政府委員(仲村英一君) ことしの総会でたしか西ドイツからだったと思いますが、決議案として出まして、日本は保留をしております。
○高木健太郎君 売買が起こりましてからじゃ遅いので、ぜひそれも御検討していただきたい。調査会の議題になるかどうか知りませんが、これもお考えをいただきたい。
 それから、先ほど申し上げましたように、自己決定権、自己選択権というものが非常に私は優先さるべきであるという観念からちょっとお話し申し上げますと、ある人がアメリカのスタンフォード大学の外科医に会ったときに、日本は十分な医療技術の水準を持ちながらなぜ心臓移植が進まないのかという質問を受けた。そうしたら彼は、脳死や臓器移植の社会的コンセンサスが十分できていないのでと答えた。その外科医は変な、何だという表情を見せた。そのわけを今にして思い当たる。つまりこうだと言うんですね。例えば税制や医療保険制度をどうするかを決めるのは社会的コンセンサスであろう。けれども、個人の死――人間は個人として死ぬほかはない。全部一緒に死ぬことはない。個人の死における認識や土壇場における治療の手段の選択は、本質的には社会的コンセンサスとはかかわりがなく、当事者個人の意思、あるいは選択と言っても自己決定権と言ってもよいんですが、個人の意思にかかわる問題ではないかというのがその彼、スタンフォード大学の外科医が言いたかったことではないか。
 こういう意味で、私は個人の意思を先決にしたい。だから、死は全部に来ますから全部の問題ではあるんですけれども、しかしその臓器を取り出すとかあるいは移植をするということは、これはもう全く個人の問題である。そして、他人がこれに容喙すべき問題ではないと私は思っております。これは私の考えを申し上げました。
 次いで、ちょっとお聞きしますが、現在でも尊厳死協会というのがありまして、約六、七千名の会員がおります。それは、何カ月も不治の病にあって意識もない、他人から世話してもらわなきゃ生きていけない、そういう状態に自分がなった場合には自分が医療を拒否する、要らぬ医療はやめてください、こういうことを、いわゆる尊厳をもって死にたい、デス・ウィズ・ディグニティー、そういうふうな意味で尊厳死ということを言っております。あるいは昔は安楽死と言っておりました。これは昭和三十七年に名古屋でそれの判決が最初に出たわけでございますが、そういうのが今はしっかりした同じ考えを持つ人の団体として成長しております。
 もし、その人たちに、その人が生前にその意思を表明しているときに、医師が例えばここから管を入れて食物を与えることをやめちゃった、あるいは注射をするのはやめちゃった、そのために早く死んじゃった、そういう場合、あるいはまた私が脳死になったならば私の臓器は差し上げますよということを生前に書いておった場合、その場合に医師がその脳死を認めて、現在は法律がありませんが、その臓器を取り出したという場合に、これは法律上違法性になりますか、違法性阻却になりますか、それをお聞きしておきたいと思います。
○説明員(東條伸一郎君) 二つのお尋ねがあろうかと思います。
 第一のいわゆる尊厳死の問題でございますが、尊厳死につきましては、もちろん法律上何をもって尊厳死というかという定義はございませんが、先生がおっしゃいましたように、本人の元気である間の意思に基づいて、人工的な生命維持装置によるほかは延命の道がないような状態になった場合には、そのような措置を施さないか、あるいはまたは既に施している場合はこれをストップして、尊厳に満ちた自然な死につかせるというようなものであろうというふうに私どもは理解しております。
 この問題は、基本的には末期医療をいかに行うかという医学の問題であると思いますけれども、医学ばかりではなくて、道徳観とか宗教観とかいう一つの非常に深刻な問題で、生命の尊重ということを基本としながら、本人あるいは家族の意見それから精神的、経済的な負担なども考慮しながら、基本的にはそのあり方を探っていかなければならないかと思います。
 お尋ねは、現実の問題としてそのような意思を表明された人について、例えば生命維持装置を積極的に施さないとか、あるいは既につけてあるものをとってしまうというような行為に出た場合の刑事上の責任ということであろうかと思いますが、医療義務をどこまで認めるのかという問題とのかかわりを含めて、非常に犯罪の成否上難しい問題があると申し上げざるを得ないと思います。
 お尋ねの中で安楽死についての昭和三十七年の名古屋高裁の判決にもお触れになりましたが、この判決でも違法性が阻却されるような安楽死というものについて六つばかり条件を並べまして、これについてはいろいろ学者の間にも議論はございますけれども、少なくとも具体的な基準を並べて、その要件に合致した場合には違法性が阻却されるというような言い方をしておりますので、同じように尊厳死の問題につきましてもそれぞれのケースについて考えていかざるを得ないのかなというふうに考えております。
 次に、脳死段階に立ち至りますと、先ほど来先生がおっしゃっておられますように、脳死を死と認めれば殺人等の問題は起こらないわけでございまして、それはこれからの、例えば調査会が設置されましたら、その間の議論等によっておのずから明らかになってくるところではなかろうかと思います。
○高木健太郎君 いろいろ議論はあると思います。しかし、自分は脳死は死と認めてもらっていい、こう言っている場合の話で、まあいろいろお考えいただきたいと。これも一応尊厳死、安楽死とともにこの委員会で私は考えておかなきゃならぬ問題ではないか。既に五千人とか六千人の人がその協会に入って、私は要らない治療を受けてみっともない姿をさらしたくないという人がかなりいるということをひとつ認識しておいていただきたい、こういう意味なんです。
 それで最後に、せっかく文部省の方お見えになりましたのでちょっとお聞きしますが、先ほど吉川委員からもお話しありましたように、医師の倫理観がだんだん少なくなったと、そういうことで医学概論なんかを、講座が七十のうち六十幾つかあるというお話でしたけれども、そんなにあるかな。講座じゃなくて何か時間をやっておられるんでしょうね。講座を置くお気持ちはございませんか。あるいは特別な非常勤の時間を何時間というきちんととるというようなことをやっておかなければ、実際それはおくれてしまう。というのは、アメリカのワシントンにはケネディの生命倫理研究所がございます。それからニューヨークにもヘスチングスの生命倫理研究所がある。そこにはいろいろの法曹関係その他の各州の関係の人が入って生命倫理を研究し、その人たちが各大学に行って講義をしている。今そういう生命倫理を本当に勉強した人が少ないわけです。だから大学で講義してますなんといったって、自分のささやかな経験だけしか話していない。そんなことでは本当の生命倫理は私はわからないと、こう思うんですね。あるいは宗教人を呼んできてお話を聞くというようなこともしているのかどうかもあいまいもことしている。そういう意味で私は、生命倫理研究所というものをつくるお考えはないかどうか、あるいは将来つくるようにぜひお願いしたいと、こういうふうに思います。文部省の御所見をお伺いしたい。
○説明員(小林敬治君) 前半の生命倫理に関する講座をつくるつもりはないかと、こういう御指摘でございますが、現在のところ私どもとしては、すべての教育課程全体を通じて生命倫理をいろんな角度からやっていくというふうな考え方で考えております。したがいまして、今直ちにこの講座という形をと言われましても、ちょっと即答できかねるような状況にございます。
○説明員(佐々木正峰君) 研究所の件でございますけれども、生命倫理に関する研究につきましては、御指摘のように、医学のみならず幅広い分野の専門家が協力して研究を進めるということが極めて大事であろうというふうに思っておるわけでございます。と同時に、そこで得られた研究の成果というものが広く提供され、また情報交換が行われるということが必要なことだというふうに基本的には考えておるわけでございまして、そういった意味におきましてそのような研究を行ういわば機関の必要性、こういったものについては私ども十分理解ができるわけでございます。ただ、国立の機関の設置ということになりますと、これは従来から国内外の学術研究の動向であるとかあるいはその構想の熱度、さらには財政事情等を総合的に勘案して設置を進めてまいってきておるわけでございます。そんなわけで、この研究所につきましても、そういったさまざまな角度から慎重に検討してまいりたいというふうに考えておるわけでございます。
 なお、生命倫理に関する研究を推進するための方策につきましては、今申し上げました点も含めましていろんな角度から文部省として対応してまいりたいと考えております。
○高木健太郎君 終わります。
○星川保松君 どういう状態をもって個体死とするかという人の死に関する大変重要な問題を調査する調査会の設置について審議をするわけでありますが、提案者の提案理由の説明によりますと、諸外国では脳死を個体死とする認識がもう社会通念として定着している国が多い、それに従って臓器移植の必要な社会システムも進んでおるということでありまして、それに比べて我が国の場合は非常におくれておるという御指摘があるわけでございます。それで、そのおくれている日本人の一人として、なぜおくれているんだろうと私なりに自問自答してみたわけでございます。
 そこで、いわゆる臓器移植ということを自分の身で考えてみた場合にどうだろうかということでありますが、まあ提供者の立場に自分を置いてみた場合、私ども死亡いたしますとだびに付されるわけでございまして、焼却されてしまうわけですね。そういうことを考えますと、これは少しでも自分の臓器が命を長らえたいと、病気で苦しんでおる方々のために役に立つならば、これはやはり使っていただいた方がいいのではないかなと、こう思うわけでございます。焼いてしまうのはもったいないなという気がするわけでございます。しかし、先ほど翫委員からも御指摘がありましたように、いわゆる脳死状態という中で、いわゆる出力は全然なくなってしまって、ただかすかでも入力の方が残っておるというようなことになりますと、御臨終ですという声を聞いたりいうような形で内臓をとられるということになっては、これはまたたまらないなという気がするわけでございまして、やはりそうなるとここのところはしっかりと確かめてやってもらわなければならないし、そのためにこの調査会というのは大事だなと、こう思うわけでございます。
 また今度は、私が臓器を移植してもらう立場に立った場合にどうだろうかと、こういうことを考えてみますと、これは私どもやはり日本人は寿命という考えが非常に強くあるものでございますので、私も六十年近く生きたからそう言えるのかもしれませんが、もうこれは寿命だと、だから人様の臓器をいただいてまでも長生きしようということは、これは考えるべきではないのではないかというようなことを考えたりいたしますけれども、これがまた若いまだ将来のある青年や子供さんのことを考えますと、やはりそういうわけにもいかないだろうというような考えになるわけでございますが、ただ私がそう思いましても、果たして私が平均的な日本人としての考えに立っているのかどうかわかりませんので、竹内先生のそういう自分の身を置いた場合のお考えをひとつお聞きしておきたいと思います。
○衆議院議員(竹内黎一君) まずもって臓器を提供するということは、これは私は大きな人類愛に基づく行為だろうと、このように理解をいたします。
 私が先般ヨーロッパに調査に参りました際にも、ある方から、臓器を提供するということは自分が人生の最後にできるいいことだと、こう受けとめていますという話を聞いて感銘を覚えたことを今想起するわけでございます。といって、もちろんドナーになることを強制すべきものではありません。ドナーになるかどうかについては、本人あるいは家族の私はそこに自由な選択があってしかるべきだと、こう思います。
 また一方、先生は寿命観といいますか、これに触れられまして、私もうなずくところがあるわけでございます。人様の臓器をもらってまでも長生きしたくないなという気持ちもよくわかります。しかし、自分の子供がもはや臓器移植以外に救命の方法がないというときに、もし私がその立場に立ったら何とかそういうチャンスを与えてもらいたいと祈るような気持ちになるんじゃないかなと私も想像いたします。
○星川保松君 念のため、厚生省の局長さんに同じことをひとつお聞かせ願いたいと思います。
○政府委員(仲村英一君) 臓器移植でなくては助からない患者さんが現におられるわけで、そういう方たちはわらをもつかむ思いで、いろいろ基金などを募ったりして外国へ行っておられるという現実が一方にあるわけでございますので、脳死という条件が整えばやはり臓器移植で助かる患者さんを助けてあげたいという気持ちは個人的には持っております。
 ただ、私が臓器を提供するかどうかということになりますと、年齢制限とか型が合わないとかいろいろな条件がやっぱりあるようでございますので、それはまた個別の問題になろうかと思います。未来のある方がそういう治療法でなくては助からないという現実はやはり大きな現実だと考えております。
○星川保松君 次に、今までは、先ほどからお話しになっておりますように、人の死というのは呼吸がとまって心臓がとまって脳の働きがとまる、いわゆるこの三徴候でもって死というふうに社会通念では見ておったということでございます。ところが、今度脳死という新しい死の概念ができるというようなことになっておるわけでございます。こうなりますと、今から想定しておかなければならないことがありまして、それは死の判定が二つ出てくるということになるのではないかと思います。したがいまして、普通の一般のいわゆる死亡診断を出す場合は、開業のお医者さんなどは社会通念でこの三徴候を見て死亡診断の時刻を記入して出すということを今やっておるわけでありますが、そうしますと、今度脳死の場合は、今までに出ております例えば竹内判定ということになりますと、非常に詳しいいわゆる判定をやった後にその死亡の判定をするということになるわけであります。
 この厚生省の竹内基準と言われておりますのを見ますと、一番に深い昏睡、二番に自発呼吸の喪失、三番に瞳孔が四ミリ以上ですか開くこととか、四番に、脳幹反射の喪失についてはまた細かい判定をするわけでありまして、五番目に平たん脳波、六番目はさらに時間的経過ということになって初めて脳死と判定するということになっておりまして、今後どういう基準が出るかわからないとはいってもやはり真っ暗ではなくて、こうした竹内判定に近いものか、あるいはさらにそれに詳しく加わるかというようなことになろうかと思います。そういたしますと、今まで社会通念としてやっておりました三徴候でもって一般的に死と判定しておったというのと、この脳死の判定、非常に細かい判定をする死亡の判定ですね、その二つが出てくるのではないかというふうに思われるわけでございます。
 そうなりますと、先ほどは法務省の方でも医学を基礎にするということで、それをいわゆる死の判定に使うということになって一本にするということになりますと、これは大変な面倒なことになるんじゃないかと思うんですね。そういうことで、二本立てみたいなことになりはしないかという心配があるわけでありますが、この点についてはどうお考えでしょうか。
○衆議院議員(竹内黎一君) 御指摘のとおり、脳死をもって人の死として認めるということはまさに死の新しい概念を追加することになります。となりますと、在来の心臓死と脳死という二元化でこれからの事態に対処していくのか、そうではなくて、例えばこれは私の私見でございますけれども、脳死というのは極めて限定的な死だというその程度の位置づけにとどめるのか、まさしくこういったことについて本当に調査会の論議を期待したいわけでございます。
○星川保松君 その二本立てになるかもしれないということについて、法務省はどういう見解をお持ちでしょうか。――いないですか。じゃ、厚生省。
○政府委員(仲村英一君) 実際上の取り扱いについては、どういうことが起きるかということで考えますと、脳死状態になる人は非常に少ないわけでございまして、一%以下だという現実が片方にあるわけでございますし、脳死と判定するには我々、我々というか、普通のお医者さんはできない。よっぽど経験のある方が二人以上のお医者さんがそういう判定をするということですから、臨床の場においては、法律的な問題はともかくといたしまして、臨床の場においては二本立てというより、脳死を是認する立場に立てばそこが脳死と判定したときがもう死亡の時点だというふうに割り切れるのではないかと思いますが、その他の社会的な問題とかそういうことになりますとちょっと、いろいろ今竹内先生から言われたようなことでの御議論を期待したいと思います。
○星川保松君 そういうことで二本立ての死の判定が行われるということになりますと、やはり医学の面だけでなくて民法上も刑法上もいろいろ関係してくるんだろうと思います。そういうことでこの極めて医学的な問題の調査会が管轄として今回総理府の方に置かれたというように理解してよろしいのでございましょうか。
○衆議院議員(竹内黎一君) この脳死をめぐる問題が広く多方面に関係していることは先生御案内のところでございます。法令の数だけでも、先ほどお話にありましたように、政令まで加えますと五百ないし六百ということで、本当に所管をする各省庁がたくさん出てまいります。
 また一方、総理府が総理府として任務として持っておりますのに、そういう他省庁にまたがるようなことは総理府が窓口になるとかあるいは中心になるとかという、こういう一つの職務もあるわけでございますので、今回私どもはこの調査会は総理府に設置をする、こういうぐあいに判断したわけでございます。
○星川保松君 前にも少し話が出たようでありますけれども、いわゆる人工臓器の問題でありますが、今のところ腎臓の場合は透析という方法がありますので、これは移植をしなければもう方法がないというものとは違った、少しはゆとりがあると申しますか、別の方法があるということで、透析をしながらその機会を待つということもできるわけでありますが、心臓とか肝臓とかという方も、もしそういう人工臓器が開発が進めばもう少しゆとりを持ってその機会を待つというようなこともできるのじゃないか、こう思いますのですが、その人工臓器の開発にもっと私は力を入れてやるべきだと考えますけれども、厚生省ではどういう取り組みをし、どういう段階まで今進んでいるのでありましょうか。
○政府委員(仲村英一君) 非常に難しい御質問だと思います。
 まず、人体の機能それ自体が最終的に究極的に解明されておらないという事実が片方にございますので、それに置きかわる人工臓器、代用臓器を開発するということは非常に難しいことでございますが、例えばペースメーカーのように一部体内に埋め込みで心臓の律動を発信してうまく規整す
るという機械もあるわけですから、人工心臓もヤギなどの場合には相当期間生かせるというふうなことが片方にあります。したがって、どんな臓器でも人工臓器ができればこの臓器移植の問題は起きないわけでございますけれども、実際上はなかなか科学の進歩、それも単にメカニズムだけじゃなくて材料、材質の問題とか拒否反応の問題とか、やはりいろいろ難しい問題があるわけでございます。
 ただ、そうは言っても、私どもとしても代用臓器の技術開発というのは非常に重要なことだと考えておりますし、医療機器とは違った角度で開発研究を行いたいということで現在研究費も出しておりますが、なかなか実用化に至るまでには至っていないというのが現状でございます。
○星川保松君 それは、先ほど予算要求も必要だというようなお話でしたが、どのぐらいの額をことしは来年度予算として要求していらっしゃいますか。
○政府委員(仲村英一君) 今も若干は実は研究費としては持っておりますが、千万のけただったと思いますが、これを億のけたに直したいということで要求をしております。
○星川保松君 ぜひそうした人工臓器の開発に力を入れて進めていっていただきたいと思います。
 それから、先ほどもこれもお話が出たのでありますけれども、脳死と植物人間とを取り違えて理解をしておるというような話があるということで私も少し調べたんですが、それは一般の人だけでなくて何かお医者さんの中にもそんな誤解をしているなんという話も聞いたんですが、そんなことがあるんでしょうか。
○政府委員(仲村英一君) お医者さんは少なくとも御理解いただけていると思いますが、先ほどもどなたかおっしゃいましたように、実際に脳死状態を見ているお医者さんというのは非常に数が少ないと思います。全体で〇・四%から一%ぐらいの推定で発生するということですし、発生する場所は救命救急センターとかICUの中とか非常に限定されておりますから、したがってよくなれた、脳死の状態になった方を見なれた方でないとなかなか診断がつかない、しかもそれが二人以上でやれというのが竹内基準に書いておるように。実際上ただ目で見ただけでこれが脳死でこれが植物人間かという区別はなかなかつかないわけですが、先ほどもちょっと申しましたけれども、人工呼吸器がついてなければ脳死ではありません。だから、そういうふうなことでの理解は普通のお医者さんはお持ちだというふうに私どもは考えております。
○星川保松君 いずれにしても、大変重要なことを調査する調査会だと思います。
 それで、脳死と臓器移植ということになりますと、世間の人はいろんなやっぱり心配をしておるようでございます。
 一つは、医は仁術だと言われておりますけれども、どうも算術だというような批判もあるわけでございまして、そういうところでいわゆるずさんな判定のもとに生命侵害などが行われてはいけないというようなこと、また、先ほど出ましたように、臓器売買なんということも起こりやすくなるのではないか、あるいは犯罪等がこれを利用したりはしないだろうか、それから大変なお金がかかりますので金のある人が提供を受けて金のない人が提供するようなことになりはしないかとか、まあいろんな世間での心配があるようでございますので、そういうことの心配のないようなひとつ方法をしっかり調査会ではやっていけるような、そういう調査会であるようにということを強く提案者の皆さん、関係者の皆さんにも要請をいたしまして、私の質問を終わります。
○衆議院議員(竹内黎一君) 今先生からいろいろと御注意がございましたが、しかと承ったつもりでございます。特に私は情報の公開ということにはこの調査会も最大限の意を用いてまいりたいと思っております。
○田渕哲也君 大分時間も経過しましたので今までの質問とダブる点はできるだけ省略しまして、簡潔にお伺いをしたいと思います。
 まず第一に、我が国では臓器移植を必要とする患者がかなり多い。また希望する方が多い。ところが、実際に行われておる臓器移植の例は角膜、腎臓以外はほとんどありません。その理由ほどこにあろのか、厚生省にまずお伺いをしたいと思います。
○政府委員(仲村英一君) 角膜、腎臓につきましては、御承知のように法律があるわけでございますが、心臓、肝臓、膵臓などにつきましては、脳死状態から臓器を摘出しなければいけないという前提があるわけでございまして、脳死に関しての皆様方の意見が一致していないということが現在我が国でそういうような臓器が移植されていない理由ではないかと考えます。
○田渕哲也君 我が国で今まで脳死状態が臓器移植のために臓器を摘出した例は幾つぐらいありますか。
○政府委員(仲村英一君) 日本移植学会がアンケート調査をされた結果を発表されておられますが、昭和五十九年から六十三年までの腎臓移植例のうち、百三十五施設の七百四十五例中二百三十三例、三一・三%は脳死状態であったというふうに御報告がございます。
○田渕哲也君 脳死状態で臓器移植を行うこと自体は違法ではないわけですね。
○政府委員(仲村英一君) 先ほど法務省の方からお答えになった告発をされた中には、脳死状態で腎臓を移植したことが告発の対象となっておる事例がございます。
○田渕哲也君 法務省にお伺いしますが、今まで臓器移植で告発されたのは、先ほど御答弁をいただきましたように札幌医大の件、筑波大学の件、東京広尾病院の件、新潟信楽園病院の件、四つの件数が伺えました。そのそれぞれについて、告発の理由をまずお伺いしたいと思います。
○説明員(東條伸一郎君) 順を追って申し上げます。
 札幌医大で行われました心臓移植手術に関連しての告発事実は、水泳中の事故により仮死状態にあった男性の心臓を摘出して同人を殺害したという事実と、それから患者の心臓を摘出して、先ほど摘出された心臓を患者に移植して、拒絶反応によって死亡させ、あるいは心臓移植の適応患者でない患者に対して不必要な心臓移植を行った過失により患者を死亡させたと。これは罪名的に言いますと殺人、もしくは業務上過失致死ということで告発がなされました。
 それから筑波大移植の告発事実の概要は、脳死状態にある女性の腎臓、肝臓、膵臓、脾臓などを摘出して殺害したという事実が主要な事実でございます。
 それから次に、広尾病院の手術に関連いたしました告発の事実は、脳死状態にある患者から両方の腎臓を摘出して殺害したという事実で告発がなされております。
 それから最後の、信楽園病院における手術に関連いたしましては、二つ告発事実がございますが、第一の事実は、頭蓋内出血でいわゆる脳死状態にある男性から、まだ心臓が動いているのに二つの腎臓を摘出して殺害したということ。それからもう一つも、やはりクモ膜下出血で入院中の男性で脳死状態にある者から、左右の腎臓を摘出して同人を殺害したというこういう、いずれも殺人等の事実で告発がなされております。
○田渕哲也君 札幌医大の心臓手術の件は、これは嫌疑不十分ということで不起訴になっております。それで、嫌疑不十分ということは、仮死状態の状態が、本人が死亡していなかったという証拠がなかったからだというふうに言われておりますが、その場合の死亡というのは、従来の通念である三徴候説に照らした死亡という意味で証拠を調べられたわけですか。
○説明員(東條伸一郎君) 札幌地検におきましては、果たして摘出時に摘出をされた方が亡くなっていたかどうか、当然それが一番大事なことでございますから捜査をいたしておりますが、その当時の考え方であります三徴候死を前提としての死
ということで捜査を遂げたと聞いております。
○田渕哲也君 それから、筑波大以下の三つの件につきましては、これは脳死状態にある状態から出したこと自体が殺人罪として告発されておるわけでありまして、それで現在いろいろ捜査中ということでありますが、筑波大の場合はもう既に四年以上も経過しておるわけです。したがって、この場合の捜査は、例えば証拠を調べるにしてもどういうことを調べられているのか、やはり三徴候死に照らして死亡しておったかどうかということを調べられておるわけですか。
○説明員(東條伸一郎君) 現在捜査中の事案でございますので、その捜査の内容について具体的にお答えを申し上げることはお許しいただきたいと思いますが、先ほども申し上げたかと思いますけれども、捜査対象事項が、例えば脳死説をとった場合でも、脳死の状態にあったかどうかということも含めて多岐にわたるということ。専門的なことでございますので、専門家の御意見もいろいろ聞かねばならないということ。もう一つは、先ほど来御議論の出ております脳死を果たして死と認めていいのかどうかという問題も視野に置きながら検討せざるを得ないという状況にあります。そういうことで慎重に検討して時間を経過しているものと聞いております。
○田渕哲也君 これは、刑事的な判断ということでは、やっぱり社会通念として定着をしていない。死亡という概念が確定しない、こういう説に立ちますと、脳死というものは現在、社会通念として定着していないと思うんです。そうすると、これは法務省の側からすると、脳死状態から臓器を出した場合にやはり殺人罪に該当するのか、この点はどう判断されますか。
○説明員(東條伸一郎君) 大変厳しい御質問でございまして、そこのところをいわば私どもは苦慮しているわけでございます。この問題については、何回も申し上げて恐縮でございますけれども、基本的には医学とそれに基づく社会通念が決まって、それで法務省といいますか、刑事事件の方向が決まるという筋合いの問題であるという認識を持っておりまして、検察の方でそのようなものをいわば先取りして結論を出すというのはいささか重要過ぎる問題ではないかというふうに考えておりまして、したがいまして、今の御質問も従来の三徴候説によれば当然ではないかと、論理的にはそのようなことになるかと思いますけれども、それだけでは割り切りにくい問題があるということで御理解いただきたいと思います。
○田渕哲也君 しかし、実際は脳死状態で臓器を摘出して臓器移植をやるということは行われておるわけであります。その場合に、どういう手段をとればこの違法性が阻却されるのかということが重大だと思います。
 現在では、大学の倫理委員会とか、そういうもので審査をしてというような手続も踏んでおるようでありますけれども、そういう手続を踏んで行う場合には大体いいと判断はされるわけですか。
○説明員(東條伸一郎君) 脳死状態にある方から臓器を摘出する問題につきましては二つの考え方があろうかと思います。一つの考え方は、脳死についての見解が社会的通念も定まったということで、いわば脳死が人の死であるということを前提として物事を考えていく考え方が一つあろうかと思います。もう一つは、脳死をもって死とするかどうかはともかくとして、今先生お尋ねのような、一定の手続ないし慎重な判断が加わって、その結果、その臓器を利用して行われる治療行為という問題も含みながら、全体として見れば許される行為ではないかというふうに考えていく考え方も当然あるわけでございます。
 ただ、私どもといたしましては、事柄が人の命という問題でございますので、人の命があるという状態で、どのぐらいの手続をどのように尽くしたらそれが合法化されるのかというのがなかなかに難しい問題だと思います。
 御承知のように、自分の命だからどうにでも処分できるのではないかというお考え方もあろうかと思いますが、刑法は承諾殺人と申しまして、殺されることを承知の上でもなお殺した方はかなり重い刑で処罰されるという仕組みというか法制をとっておりまして、被害者の承諾といいますか、それだけではもちろん決められない。そうしますと、それ以外に一体どういう要件があれば、いわば違法性が阻却されるような事態が出てくるのか。ここがいわば難しい問題で、今の、倫理委員会の手続を経て、そこで慎重に判断をされた上で、具体的に認定をされて摘出及びその後の手術が行われたということは、違法性の問題を考えるときに非常に重要なファクターではあると思いますが、それだけでいいのかということを今お尋ねいただきましても、すぐに自信を持った回答はできかねるような状況でございます。
○田渕哲也君 厚生省にお伺いしますが、生体からの臓器移植についてであります。
 腎臓移植の場合は、死体腎を利用することもできるのでありますが、我が国では大体七五%ぐらいが生体腎である。ところが外国の場合は逆でありまして、ヨーロッパ、アメリカでは大体八〇%、九〇%が死体腎、こういう違いは一体どういう理由で来ておると思われますか。
○説明員(松澤秀郎君) 御指摘のように、直近六十三年一年間の腎移植数のうち死体腎移植は二六・七%でありまして、欧米諸国と比べて低い数字であります。その理由につきましては、正確な分析をしているわけではございませんで、一概に申し上げることは難しゅうございますけれども、国民の間における腎移植の理解が必ずしも十分普及しておらないということも一つあると思います。また、救急病院等腎提供者が発生する医療機関と移植を行う医療機関との協力体制が十分でないことも一因と考えております。
○田渕哲也君 それから、先般島根医大で生体部分肝移植が行われましたけれども、これに続いて九州大学でやはり生体部分肝移植についての倫理委員会への審査申請が行われたという報道がございました。東大でもその動きがあると聞いておりますが、こういう傾向についてどのように考えられますか、厚生省にお伺いします。
○政府委員(仲村英一君) 生体肝移植については、学界のみに限らずマスコミの方でもいろいろ御意見があるように理解しております。
 島根医大のケースは、ああいう形で、非常に切迫した状況で家族の御理解を得て移植に踏み切ったというふうに理解しておりますが、うまくいくことを望むわけでございますけれども、今お尋ねのように、今後一般的に生体部分肝移植をやっていくことについてどうかと言われますと、これもまた一概にその是非を行政庁の判断として申し上げるのは非常に問題だと思います。
 個々の医療行為につきましての是非を行政当局が判断するのはいかがなものかと思うわけでございますが、例えばお尋ねの、九大とか東大もそのような動きがあるというお尋ねですけれども、倫理委員会でいろいろの角度からの検討をいただくということについては、一般的に言えば非常に好ましいことではないかと考えております。
○田渕哲也君 先ほど高木先生の質問の中にもありましたが、生体に傷をつけることは極力避けるべきだという御意見がございました。ところが、我が国では、腎臓のように脳死でなくても死体移植ができるのにかかわらず、これだけ生体移植が多い。今のように、脳死者からの臓器摘出は非常に困難ですね。下手をすればすぐ告発される危険性がある。そういう状態の中で、この島根医大やあるいは各大学の動きは、私は肝臓移植について生体の臓器移植がどんどん広がっていくのではないかという危惧を持つのですが、この点はいかがですか。
○政府委員(仲村英一君) 非常に実験段階の手技でございますし、個別の状況というのがどういうふうになるかによってもいろいろの判断があり得ると思います。
 九大などは現在個別にまだ症例がないけれども、将来にわたってこれを議論してもらおうということでのお申し出だというふうに理解しておりますが、これが今直ちにどんどん連鎖反応を起こ
してふえていくかということにつきましては、現在の島根の症例の経過もまだ浅いわけでございますので、何とも言えないというお答えをせざるを得ないと思います。
○田渕哲也君 竹内先生にお伺いしますが、従来から我が国では、個体死の概念は伝統的な見解である三徴候説がとられてきたわけです。したがって、これからの時代は、やはり脳死が個体死であるという概念を確定していくということが医療上のいろいろな環境から見て必要だと思うんですが、このように脳死が個体死であるという概念を確定するためにはどういうことが必要なのか。例えばどういう状態になればいいのか、あるいはどういう手順が必要なのかお伺いをしたいと思います。
○衆議院議員(竹内黎一君) 脳死を果たして人の死と認めるかどうか、まさに調査会のいわばこれは中心の課題であり、それだけに真剣かつ精密な論議を私も期待する一人ではございます。
 御承知のように、今までは死の三徴候説というので対処してまいったわけでございますが、それはまさしく医学的な知識をベースにして一般社会の方もそれを受け入れてきた、こういうことで今日社会通念となっているというぐあいに言われているだろうかと思います。そういう社会通念を形成するのにいかなる方策、手段があるかということになるわけでありますが、私は、この調査会の論議がまた国民の間にこの問題に対する関心や理解を高めるのに一つの大きな効果が期待できるのじゃないだろうか、こう思いますが、本調査会のみが私は唯一の国民的コンセンサス形成の場だとは考えておりません。この調査会以外にも、国内において広くいろんな形で、シンポジウムとかあるいは対話とかいうようなことで、私は調査会以外にも広く全国でこの論議が高まってくれば、そしてそれが次第次第に一つの方向に集約されていけば、いわば社会的通念というものに近づいていくのかなという感じを持っております。
○田渕哲也君 この法律案の第三条に、総理大臣は調査会から答申または意見を受けたときはこれを尊重しなければならないと規定されております。総理大臣が調査会から答申または意見を受けた後にどういうことをすべきであると期待されておりますか。
○衆議院議員(竹内黎一君) 御指摘のとおりに、内閣総理大臣はこの答申を尊重しなければならないわけであります。そして、その勧告内容がどういうことになりますか今から予測はできないわけでありますが、その勧告内容に従って政府としてとり得る措置というものを私は真剣に検討してもらいたい。それがまた場合によっては立法ということにあるいはなるのかもしれませんが、私は、政府としては最大限の誠意をもってその勧告を実現化する方策を検討していただきたい、こう思います。
○田渕哲也君 この法案では調査会は二年間、法案自体二年間の時限立法でありますが、調査会が予断を持たずに死というものについての概念あるいは医療上の問題について検討されて、さらにそれが国民の理解を得、コンセンサスとなるにほかなりのやっぱり時間が要るのではないかと思います。
 調査会の結論を出すのは、一定の限られた人がやるわけですから、二年で結論を得ることは不可能ではないと思います。それが社会の通念とならなければ、法律的な措置をとるにしてもやはり難しいだろうと思うんですね。それを得るには、やっぱり二年後にそれができるというのはちょっと難しいのではないかという気がしますが、この点はどうお考えになりますか。
○衆議院議員(竹内黎一君) 果たしてその二年の調査会の調査審議を通じていわばコンセンサスが形成できるかどうか、私も絶対にできると申し上げるだけの自信はございません。しかしながら、一つのこうした公のいわば調査会の論議、審議というものが、私はまた国民の間の本問題に対する関心や理解や、あるいはまたそれに対するさまざまな意見の表明というものの、十分ないわば一つの刺激剤にはなり得るだろうと思いますし、それから先ほど申し上げておりますように、私は調査会としてもできるだけ国民各階層、全国の人から、しかるべき公聴会とか世論調査とかいうようなことでぜひ意見の聴取もやってもらいたいし、こういうことでございまして、二年をもって必ずでき上がると私も断定はいたしませんけれども、しかし私は少なくともかなりの前進は期待していいのじゃなかろうかと思っております。
○田渕哲也君 最後に一つだけお伺いしますが、社会通念としてそれが認められるというのは大体どういう状態をいうのか。国民の中からそれに反対する人がなくなる状態なのか、あるいは世論調査をやって何%、圧倒的な多数が賛成するのか、あるいは国会で多数の賛成が得られるのか、どういう状態を言われるのですか、お伺いしておきたいと思います。
○衆議院議員(竹内黎一君) 何を指して国民的コンセンサスなり合意が形成されたかといいますと、私はこの方法でそれが証明されたという唯一のものだけではないような気がいたします。
 ですから、今、先生がおっしゃいましたように、世論調査の賛否の度合いも一つのメルクマールでしょう。あるいは国会において立法がなされるかどうかというのも一つのメルクマールではあろうかと思います。私は、この調査会はそういったことも一つ念頭に置きながらの御検討をしていただけるんだろうかと、こう思っておりますが、本当に社会通念とかあるいは国民的コンセンサスの形成は何ぞやという、その定義を求められるとしますと、私も十分にちょっとお答えできかねます。
○田渕哲也君 終わります。
○委員長(板垣正君) 本案についての質疑は本日はこの程度にとどめます。
    ─────────────
○委員長(板垣正君) 参考人の出席要求に関する件についてお諮りいたします。
 臨時脳死及び臓器移植調査会設置法案の審査のため、来る十一月二十八日午後一時から、参考人の出席を求め、その意見を聴取することに御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○委員長(板垣正君) 御異議ないと認めます。
 なお、その人選等につきましては、これを委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○委員長(板垣正君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。
 本日はこれにて散会いたします。
   午後四時二十五分散会