第118回国会 内閣委員会 第3号
平成二年五月二十四日(木曜日)
   午前十時一分開会
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   委員の異動
 五月二十四日
    辞任         補欠選任
     大島 友治君     尾辻 秀久君
     翫  正敏君     喜岡  淳君
     八百板 正君     村田 誠醇君
     野田  哲君     山田 健一君
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  出席者は左のとおり。
    委員長         板垣  正君
    理 事
                大城 眞順君
                高橋 清孝君
                山口 哲夫君
                吉川 春子君
    委 員
                尾辻 秀久君
                岡田  広君
                田村 秀昭君
                名尾 良孝君
                永野 茂門君
                村上 正邦君
                喜岡  淳君
                角田 義一君
                野田  哲君
                三石 久江君
                村田 誠醇君
                山田 健一君
                中川 嘉美君
                吉岡 吉典君
                星川 保松君
                田渕 哲也君
   国務大臣
       国 務 大 臣
       (内閣官房長官) 坂本三十次君
       国 務 大 臣
       (総務庁長官)  塩崎  潤君
   政府委員
       内閣参事官
       兼内閣総理大臣
       官房会計課長   荒田  建君
       内閣官房内閣内
       政審議室長
       兼内閣総理大臣
       官房内政審議室
       長        公文  宏君
       内閣法制局長官  工藤 敦夫君
       内閣法制局第一
       部長       大森 政輔君
       内閣総理大臣官
       房管理室長    櫻井  溥君
       宮内庁次長    宮尾  盤君
       宮内庁長官官房
       審議官      河部 正之君
       皇室経済主管   永岡 祿朗君
       総務庁長官官房
       長        山田 馨司君
       総務庁恩給局長  石川 雅嗣君
       法務省保護局長  佐藤 勲平君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        原   度君
   説明員
       内閣官房首席内
       閣参事官
       兼内閣総理大臣
       官房総務課長   多田  宏君
       警察庁警備局公
       安第二課長    渡邉 泉郎君
       外務大臣官房儀
       典官       小林 包昭君
       大蔵省証券局流
       通市場課長    若林 勝三君
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  本日の会議に付した案件
○皇室経済法施行法の一部を改正する法律案(内閣提出、衆議院送付)
○即位礼正殿の儀の行われる日を休日とする法律案(内閣提出、衆議院送付)
○恩給法等の一部を改正する法律案(内閣提出、衆議院送付)
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○委員長(板垣正君) ただいまから内閣委員会を開会いたします。
 皇室経済法施行法の一部を改正する法律案及び即位礼正殿の儀の行われる日を休日とする法律案の両案を一括して議題とし、前回に引き続き質疑を行います。
 質疑のある方は順次御発言願います。
○角田義一君 まず官房長官にお尋ねいたしますが、御承知だとは思いますけれども、平成二年の三月七日に参議院の本会議におきまして暴力行為の排除に関する決議というのが満場一致で可決をされております。その中で特に、
 暴力が自由と民主主義の最大の敵であることを改めて表明するとともに、政府に対しては、言論の自由を保障し、あらゆる暴力の根絶を図り、遵法精神の高揚に努め、もって社会秩序の維持に最善の努力を尽くし、国民の不安を除去するよう、強く要請する。
  右決議する。
こういう締めくくりの文章になっておりますが、政府としてこの決議の重みというものについてどういうふうにお考えでございますか、受けとめておられますか。
○国務大臣(坂本三十次君) ただいまおっしゃるように我が国は民主主義の国であります。その言葉からすれば、いかなる立場の方々であろうと暴力、テロなどによってそういう不法な行為に及ぶなどということはもってのほかのことであります。右であろうと左であろうと、暴力でもって言論を封殺するなどということはもうこれはあり得べからざることでありまして、さようなことが行われるなどということはまことに恥ずかしいことであります。そういうことにならないように未然にやっぱりしっかり防止をするということと同時に、もしも不幸にして起こった場合には徹底的にやっぱり検挙すべきである。その方針には政府は変わりはありません。
○角田義一君 私は、特に皇室の問題あるいは天皇にかかわる問題等について自由に国民が意見を述べ合う、開かれた立場でいろいろと意見を闘わすということは極めて大事だというふうに思っておるわけであります。特に、皇室の問題あるいは天皇の問題について発言をすることによって生命を脅かされるとか、あるいはいろいろな圧迫を受けるとかということがあっては日本の民主主義にとって私は非常にゆゆしい問題だと思っておるのでありまして、これでは幾ら経済大国であるとか、あるいは国際社会にこれから一定の責任を負うとかいいましても、基本であります民主主義というものが深く根差しておらぬことには、国際社会においても私は信頼を得られないのじゃないかというふうに思うのでございます。
 そういう意味では、本当の意味で言論の自由を保障するということについて政府は特段のやはり決意なりを持って臨まなきゃいかぬと思いますが、もう一度だけ官房長官の決意を聞いておきたいと思います。
○国務大臣(坂本三十次君) 今あなたのおっしゃるように、民主主義を守るという気持ちにおいていかなる暴力に対しても断固これを排除していくという決心はいささかも変わりはありません。
○角田義一君 そういう政府の立場で、現場でいろいろ御苦労されたと思いますが、警察庁の方はテロ防止といいましょうか、これについて今具体的にどういうふうに対応しておるのでございますか。
○説明員(渡邉泉郎君) 警察といたしましては、いかなる立場からするものであれ違法行為は看過しない、こういう基本方針のもとに右翼に対しまして厳正に対処しているところでございます。特に右翼によるけん銃使用事件の増加に対しましては、本年の二月中旬から二カ月半にわたりまして警察の総力を挙げてけん銃の集中取り締まりを推進した結果、十七丁のけん銃を右翼関係者から押収したところでありますが、今後とも右翼に対する視察、取り締まりを強化するとともに、徹底検挙を図りまして右翼テロの未然防止に最大限の努力をしてまいりたい、このように考えております。
○角田義一君 次に、官房長官にお尋ねいたしますが、皇室の問題、特に天皇にいろいろ関係する問題については国民が非常に開かれた立場で、タブー視することなく自由に議論を闘わすということが大事だというふうに思っております。
 それと同時に、やはり象徴天皇でございますし、しかも国民統合のシンボルということになっておりますので、議論することはこれを保障しなければなりませんが、政府とすれば国論が真っ二つに割れて騒然とするような雰囲気をつくっていくというようなことは私は余り望ましくないというふうに思っておりまして、やはり国民統合の象徴であられる以上、例えば今回の即位の礼あるいは大嘗祭の問題についても国民の合意が得られる、大方の理解が得られる、こういうことで事をまとめていくということが基本になきゃいかぬじゃないかというふうに私は思うのでございますが、官房長官の御見解を承りたいと思います。
○国務大臣(坂本三十次君) 即位の礼初め一連の行事が行われるに当たりまして、私どもはいろいろと前々から有識者の御意見を聞いたり、国民の各界各層の皆様の声も聞いたりしていろいろと見解をまとめ準備もしてきたところでございます。
 それで、国論が真っ二つになるというようなことはもう避けるべきであることはもちろんでありまするが、しかし我々の政府のこの見解も国民の皆さんによくお聞きをいただいて、そして御理解を進めていただきたいと思っております。国論が真っ二つになるというようなことは、誠心誠意私どもも国民の皆様方に御説明を申し上げるというようなことに相なりますれば、さような事態には至らないのではないか、御理解も進んでいただけるのではないか、そういうふうに思っております。
○角田義一君 私は誤解のないように申し上げておきたいんですが、皇室の問題あるいは天皇の問題について国民が自由に議論をする、あるいはそれをまた保障するということと、それはそれで保障しなきゃなりませんけれども、政府とすれば、例えば大嘗祭の問題等につきましては、今までの経過を見ておりまして、もう少し国民的な合意を得る工夫があってしかるべきではないかなと私は今でも思っておるのであります。
 と申しますのは、大嘗祭を国事行為として行うべしというような御議論もございますし、あくまでもこれは皇室の私的行事として行うべきではないか、こういう御議論も国民の中にはございます。さらには、この中間として公的行事というような形で今回位置づける、そのお立場もあるわけでありますが、少なくとも天皇家がいろいろな今までの伝統から考えて大嘗祭をおやりになりたいんだというお気持ちであれば、私どもやはり象徴天皇制をいただいている以上はこれは最大限そこを尊重しなければいかぬじゃないかというふうに私ども思っておるのであります。
 とすれば、その性格づけなりあるいは費用をどうやって出すか、どういう名目で税金から出すかというような問題については、基本的なやはり憲法の政教分離の原則というものをきちっと厳守をした上でぎりぎり一体どこまでが許されることなのかということで最大限の妥協を図るといいましょうか、政治的な決断をするということが私は大事じゃないかというふうに思うのでございますが、基本的には私が今申し上げたような立場は官房長官としては御賛同いただけるのでございましょうか、いかがでございましょうか。
○国務大臣(坂本三十次君) 確かに委員がおっしゃるように、国民の皆様方の御意見の中には、いやもう即位の礼、それに附属する一連の行事は、これはもう象徴天皇としてのいわゆる即位、一世一度のものである、これはもう国事行為でもってやるのが筋だという意見もあります。しかし、今あなたのおっしゃるように、いや宗教色を完全に排除しないと憲法上まずいのではないかという御意見もあって、それは国事行為でない範疇において、まあ俗な言葉で言えば私的行為、国事行為でもなし、それに類する公の行為までいかないでその他の行事と、私的な行事という色彩を強くしろという意見もあります。
 しかし、政府といたしましてはその両方をにらんで、そしてこれは憲法にも規定される即位でありますから、その中間の公的色彩を有する行為であろうというふうに意義づけをいたしまして、そして今皆様方の御審議をいただいておるということでありまして、まあ政府が考えておりまする性格づけというものはよくよく御説明を申し上げれば国民の御理解を得ていくのではなかろうか、またはそうすべきである、そういうふうに私どもは努力をしておるということでございます。
○角田義一君 法制局長官にお尋ねしたいんですけれども、御承知のとおり登極令には大嘗祭ということが明記されております。新しい現行の皇室典範には、即位の礼ということは明記されておりますが、大嘗祭というようなことは一切書かれてございません。この登極令のもとになります皇室令というものが廃止された。皇室令というものが廃止をされ、しかも即位の礼は新しい皇室典範にもちゃんとした明文の規定があるにもかかわらず大嘗祭については新しい皇室典範には明文の規定がない、この辺は一体憲法との関係でどういうふうに解釈をすべきなのか、どういうふうに理解をすべきなのか、どういうふうに法制局としては考えておられるのでございますか。歴史的な経過を踏まえながらひとつ御説明を願いたいと思います。
○政府委員(工藤敦夫君) ただいま委員からお話しのように、現在もちろん登極令は廃止されております。旧皇室典範、これにつきましては旧憲法下におきまして法律とは異なる法体系に属していたということでございます。いわば独立した宮務法という範疇、体系に属していたものでございます。また、今お尋ねの登極令等の皇室令も旧皇室典範の法体系に属していたものでございます。したがいまして、現行憲法のもとにおきましては、こういう法体系、要するに法律以外の法体系というようなもの自体が認められなくなったことに伴いまして、その内容が現行憲法の規定に違反するものであるかどうかということに一応かかわりなく一律的に廃止されたものでございます。
 今お尋ねの、それでは新皇室典範におきましては、今お話しのように、皇室典範の二十四条におきまして「皇位の継承があったときは、即位の礼を行う。」ということで書いてございまして、旧皇室典範のように即位の礼と大嘗祭とを並べては書いてございません。それは御指摘のとおりでございます。現行の皇室典範の二十四条というものは、天皇の即位に伴いまして国事行為たる儀式として即位の礼を行うことを予定したものと解されますが、大嘗祭には宗教的な面があるということも考えまして、これに関する規定は制定当時設けなかった、将来の慎重な検討にゆだねる、こういうことのように考えております。
○角田義一君 要するに旧皇室令、登極令を含めまして、いわば旧帝国憲法とそれから皇室典範を中心とする一つの法体系、こういう二つの法体系は、それは旧憲法下では許されておりますけれども、少なくとも新憲法のもとではそういうことが許されない、新憲法は憲法を頂点とした一つの一貫をした法体系ができているわけですから。そうしますと、その新憲法に、法体系にそぐわないような内容についてはやはり削除されたというふうに理解するのが私は自然ではないかというふうに思うんですが、ちょっとその辺の長官の御見解と私は食い違うんですけれども、理解できないんですけれども、私はそう理解しているんですけれども、この私の理解は間違いでございますか。
○政府委員(工藤敦夫君) ただいまお答え申し上げましたように、皇室典範が制定されますときにそういう議論も一応ございまして、宗教的な面も含まれるということもあって、それは将来の検討にゆだねるというふうな御答弁もあったように私は承知しております。そういう意味で、新皇室典範におきましては二十四条で「即位の礼を行う。」ということに規定されたものと考えております。
○角田義一君 今度の大嘗祭につきましては、法制局としてはその性格づけ等について公に明らかにしておることはあるのでございますか。要するに、政府は、御案内のとおり性格づけについて政府としての見解、お立場というものを述べておられますけれども、法制局としてこの大嘗祭の性格づけであるとかあるいはそういうものについて公的なお立場で表明をされたということはあるのでございましょうか。
○政府委員(工藤敦夫君) 今の委員のお尋ねでございますが、先ほど官房長官からも、種々の事前の検討をした、こういうお答えがございました。そこの中におきまして、いわゆる即位の礼準備委員会というものが内閣に設けられまして、その中にその一員として法制局が入っております。したがいまして、即位の礼関係の、即位の礼、大嘗祭の挙行等についてという閣議口頭了解もございますが、その作成には法制局も一員として加わっておりまして、そういう意味で法制局が独自で何かをしたということはございませんけれども、その中に当方の考え方も入っている、かように御理解いただきたいと思います。
○角田義一君 問題になっておりますこの政府見解でございますけれども、前提といたしまして、天皇が憲法で世襲制ということのもとに存在をしておるわけでございますが、さきの昭和天皇の崩御によって、その崩御という事実によって新しい天皇はその時点で新天皇につかれておる。したがって、一切の儀式等に関係なく天皇の地位におつきになっておる、法律的にはあるいは憲法的には、そういうふうに理解をしてよろしいと思うんですけれども、いかがでございますか。
○政府委員(工藤敦夫君) 今のお尋ねでございますが、私もそのように考えております。多少敷衍して申し上げれば、憲法の二条におきまして「皇位は、世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。」、かように書いてございます。皇室典範におきましては、「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する。」ということでございます。そういう意味で、法律的な観点から申し上げれば崩じたときは直ちに即位する、こういうことだと思います。
○角田義一君 そうしますと、大嘗祭というのは伝統的な皇位継承儀式である、したがって「皇位の世襲制をとる我が国の憲法の下においては、その儀式について国としても深い関心を持ち、その挙行を可能にする手だてを講ずることは当然と考えられる。」、こういうふうに政府見解では述べておられるのでありますけれども、そしてその次に、「その意味において、大嘗祭は、公的性格があり、」云々と、こうなっておるのでありますが、とうもここの文脈が私は続かないんじゃないかと思うんですね。
 要するに、先ほど長官が言われたとおり、憲法上は前天皇の崩御という事実によってもう新しい天皇がおつきになっているわけであります。したがって、いわば伝統的な皇位の継承儀式というものを非常に重大視するということは私は憲法上いかがかなというふうに思うんです。その必要はないんじゃないかなという気がするのでございます。しかも、この文脈を見ますと、突然大嘗祭に公的性格がある云々という言葉になってくるんであって、この辺の論理的なつながりというのが私にはどうも理解できないのでありますが、これはいかがでございますか。
○政府委員(工藤敦夫君) ただいまお答え申し上げましたように、法律的な即位ということはただいま申し上げましたとおりでございます。それに伴います儀式、これをどのように行うか、こういう問題が次にあるわけでございます。皇室典範の二十四条におきまして、「皇位の継承があつたときは、即位の礼を行う。」、こういうことでございます。いわば儀式の面について、皇位の継承に伴って国が国事行為たる儀式として即位の礼を行うということを予定したものと、かように考えております。
 この儀式のほかに、今御指摘の大嘗祭のようなものをどう考えるかというお尋ねかと思いますが、即位の礼を行うというこの即位の礼のほかに、皇位の継承に伴う儀式として皇室がどのような儀式を行われるか、それにつきましては現行法令上特に定めはございませんけれども、法令の規定に違反しないと申しますか、格別の規定がございませんでも、皇室がその伝統などを考慮いたしまして皇室の行事としていろいろの行事を行いますということは何ら差し支えないものと、かように考えております。しかもその大嘗祭なるものは、ここの政府見解にもございますように、「皇位継承に伴う一世に一度の重要な儀式である。」、かような性格があるものと考えております。
○角田義一君 だから、なぜ大嘗祭を行うことが公的な性格を持つのかということについて私は理解ができないのでございますよ。なぜ公的になるのかなと。私は、これはやはり本質的には皇室の私的行事ではないのかというふうに思っておるんです。ところが、政府は公的だというふうにおっしゃるから、公的だと言ってそのためにお金を出すということになる、公の性格を持つと。したがって、私どもとすればいろいろなことを、大嘗祭はどういうふうなことなのでございますかというふうな内容に立ち入って微に入り細にわたってお尋ねをしなきゃならぬ立場になるわけでございます。公のお金を使うわけでございますから、公的という形で。そこなんですよ、私が聞きたいのは。どうして大嘗祭が一体公的な色彩を持つか、性格を持つのか、どうも納得できないんです。
○政府委員(工藤敦夫君) この政府見解にもございますように、大嘗祭はまず国事行為ではない、かように考えております。
 それで、大嘗祭は皇位の継承があったとき、ここの政府見解にもございますように必ず挙行すべきものという歴史的な経緯があり、しかも一世に一度の行事として古来から行われてきたということがあると理解しております。そういう意味と、憲法にございます皇位が世襲制のものである、こういうことで先ほど申し上げましたような即位に伴う儀式の一環と、こういうことでございますので、いわば皇位とともに伝わるべき由緒ある儀式ということかと存じます。そういう意味で、憲法が世襲制ということを規定しております以上、そこに即位に伴いますそういう儀式を行いますことについて公的な性格がある、かように私どもは申し上げているところでございます。
○角田義一君 この前、私が最初に御質問申し上げたときに、この公的性格とは一体何ぞやというときに、長官は、例えば公務員にそれを携わさせるとか、あるいは公のお金も出すとかというような面で公的性格があるんだというような趣旨の答弁をされておったと思うんですね。今の答弁とちょっとニュアンスが違うと思うんですよ。どうでございますか。
○政府委員(工藤敦夫君) たしか昨年の十一月であったかと存じます。委員のお尋ねに対して私はそのようにお答えしました。私のただいま申し上げましたことがちょっと舌足らずであればまことに申しわけなかったわけでございますが、その考え方においては変わってございません。要するに、皇位の世襲制をとる日本国憲法のもとにおきまして、そういう儀式の挙行について国として重大な関心を持つ、そういう意味で人的――これは今委員の公務員云々とおっしゃられたところだろうと思います、人的及び物的側面からその挙行を可能にする手だてを講ずる、かような意味でそういうことが当然である。そういう意味において公的性格がある、これは昨年十一月に私が申し上げたところと変わりはございません。
○角田義一君 そういう形で公的性格論が進んでいきますと、今後いろいろ皇室行事について歯どめがかからないんじゃないか。皇室がいろいろおやりになることについて公的性格を持つということで、いわば憲法で規定されておる国事行為以外の行為が公的性格を持つということでどんどん行われていく、そういう私は憂いを持っているんですけれども、いかがでございますか。そういう心配はありませんか。
○政府委員(工藤敦夫君) 私どもといたしましては、これが今御心配のようにいたずらに拡大していくというふうなことはないものと考えております。と申しますのは、ただいま申し上げましたように、憲法あるいは皇室典範、あるいはその他の法令の規定と十分見比べながら、その限定、範囲といいますか、そういうものを考えていっているところでございます。そういう意味で単に公的である、公的であると、こういうふうに申し上げるだけでは、それは確かに委員御指摘の、御心配のような面もないわけじゃございませんけれども、そういう意味で私どもは現行の憲法なり各種法令というものとの関連におきましてそういう説明を申し上げておりまして、そういう意味で決して拡大していくとか歯どめがなくなる、かようなことにはならないものと考えております。
○角田義一君 私はその説明では納得できないんですけれども、またほかの先生方からもお尋ねがあると思いますから、問題提起というような意味で申し上げておきたいというふうに思います。
 最後に、官房長官にお尋ねいたしますが、私はこの大嘗祭について、先ほど申し上げたとおり天皇家がいろいろ伝統もあっておやりになりたいということであれば、これはあくまでも私的行事として内廷費を充てるべきではないのかなという感じを持っておるんです。
 しかしながら、内廷費というのは、御案内のとおり一定の金額でございますからこれではどうにも賄い切れない、したがって、先ほど申し上げましたとおり国としても何らかの配慮をするのは当然だろうということで、単年度に限り、この大嘗祭だけに限り特別内廷費を妥当な金額を増加して、そして大嘗祭をやっていただく。しかも、そのことによって憲法が求めておる政教分離という大原則が貫かれるんじゃないか。政治はやっぱり最後は決断でございますから、そういうことであればぎりぎり何とか国民の大方の御理解が得られるんじゃないか、そこまでお考えにならなかったのかなというふうに私は思うのでございますけれども、官房長官いかがでございますか。
○国務大臣(坂本三十次君) 予算委員会でもそういう御意見も承りましたが、先ほどから法制局長官も申し上げておりますように、やはり象徴天皇が即位の礼に伴って、そして一世一度の即位の礼に伴う伝統的な行事として大嘗祭を行うというような観点からいたしますれば、皇室のある私的行事ということは私は適当ではないのではないかなと。大嘗祭は国事行為ではございませんけれども、しかしやっぱり公的色彩を有するものであって、それを一般の日常の経費に使われる内廷費というところから出されるよりも、公的色彩を持つものでありまするから、いわゆる皇室費から出すのが適当なのではないかなと、そういうふうに私どもは思っておりまして、政府の考え方でもございます。
○角田義一君 最後に。
 長官が過般、ほかの委員会だったと、ちょっと間違っておったらお許しいただきたいと思いますけれども、いわば国民の祝日に当たります日に国民として祝意をあらわすようにお願いをしたいんだというような趣旨のことを言っておられた。新聞に出ておりました。例えば企業なりあるいは国民の皆さんに全部祝ってくれよというようなことをお願いするのは、もしそういうことをお考えになっているとすれば、これはちょっと筋違いじゃないかなというふうに私は思うのでございますが、祝意を表してもらうように協力を求めるというのはどういう趣旨なんでございますか。
○説明員(多田宏君) 今回の法律でお願いしておりますように、国民こぞってお祝いができるようにという基本的な考え方で即位の礼というのは行っていくわけでございますので、それに即しまして、できるだけ皆さんに祝意を表していただくように御協力をお願いするということは当然のことだろうというふうに考えております。ただし、強制にわたるようなことをするという考えは全くございません。
○角田義一君 最後に一つだけ。
○委員長(板垣正君) もう時間ですから。
○角田義一君 一点だけ。
 私は、それは非常に慎重にやってもらわなきゃいかぬと思うんですよ。日本の民主主義の程度の問題、あるいは政府がそこまで個人の良心に踏み込むことは私はできないというふうに思っておりますので、よほどその辺は慎重にやってもらわないとこれはえらいことになるということだけ申し上げて、私の質問を終わります。
○三石久江君 三石です。
 初めにお断りとお願いをいたします。私は至って庶民的な議員です。もし言葉が貧しかったり御無礼があるかもしれませんので、どうぞそのときは広い寛容な心と御容赦をお願いしたいと思います。そしてまた、わかりやすい言葉で御答弁をいただきたいと思います。よろしくお願いいたします。
 まず、皇室典範第一条について御質問いたします。
 皇室典範によれば、「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。」と定められておりますが、歴史的に見ても、どんな理由があったにしても女帝が即位されたことがあるんです。男子に限ることは伝統ではないと思います。恐らく江戸時代までは明文化されていなかったものを明治憲法制定当時の社会状況から男子に限定されたもので、新憲法でもそのまま踏襲したにすぎないと思います。皇室典範はいつ定められたのか、お答えいただきたいと思います。
○政府委員(宮尾盤君) 皇室典範はいつ制定をされたかという御質問でございますが、現在の皇室典範は昭和二十二年の一月十六日に公布をされまして、日本国憲法施行の日、つまり昭和二十二年五月三日でございますが、その日から施行をされております。
○三石久江君 そこで二つ目に、皇位継承はなぜ男子でなければならないのか、お尋ねしたいんです。
○政府委員(宮尾盤君) 現在の皇室典範の一条の規定についてのお尋ねでございますが、日本の皇室の制度というものは我が国古来からの伝統といたしまして男系の男子が皇位を継がれる、こういうのが基本的な考え方になっておるだろうというふうに思われます。
 もちろん、先ほどお話にございましたように、歴史上女帝という方が十代八方あるということになっておりますが、これらの女帝が皇位におつきになられたときのいろいろな状況というものは、皇嗣が大変年齢が若くてまだ天皇の御地位につかれるのには幼少過ぎる、あるいはそれ以外の特別の事情があった場合に限られておりまして、そういう意味では歴史上の女帝というのはそういった事情がある場合の臨時あるいは例外的なケースであろうというふうに考えられるわけでございます。
 御承知のように、憲法におきましては皇位が世襲のものであるというふうに定められておりますので、憲法のこういった規定は、皇統に属する男系の男子が皇位を継承するという古来からのいわば伝統というものを背景にして憲法が制定されておるというふうに考えられますので、それを受けた現在の皇室典範におきましても、そのような趣旨を踏まえて皇位継承者を男系の男子に限る、こういうふうに定めているものというふうに理解をいたしておるわけでございます。
○三石久江君 先ほども申し上げましたが、どんな理由があったにしても女帝が即位をされたという事実があるわけですね。
 そこで、皇位継承を男子に限定した根拠はどこにあったのかをお尋ねしたいんです。
○政府委員(宮尾盤君) ただいまも御答弁申し上げましたように、まず現在の憲法におきましては皇位が世襲のものである、こういうことになっておるわけでございます。
 そこで、そういう憲法の規定の趣旨というものを考えた場合に、日本の古来からの伝統的な制度といたしまして、皇統というものは男系の男子がこれを継がれていくというのが基本的な考え方であり、そういうことになっておる。ただ、先ほども御指摘がありましたように、例外的に女帝というものはございましたけれども、それは特殊事情に基づくものであって、それ以外の、十代八方以外の方はすべてこれ男系男子が皇位を継承されておられるわけでございます。そういうことを踏まえて憲法の規定があるであろう、こういう考え方から現在の憲法に基づく法律として制定されております皇室典範ではそのような男系男子が皇位を継承する、こういうふうに定められているものというふうに理解をしておるわけでございます。
○三石久江君 私は、その男系の男子というところにとってもこだわっているんです。男系の男子というのは遺伝的、生物学的に何かあるのでしょうか。
○政府委員(宮尾盤君) 長い伝統を受け継ぐ制度でございますから、そういう伝統というものがどういうことでこれまで来たかということが一つの基本になっておるわけです。ですから、先ほどからくどくど何回も申し上げますように、日本の皇室制度におきましてはそういう考え方が基本になって現在までに至っておる。それをそういうことで世襲という天皇の地位を憲法はお認めになっているわけですから、それに基づいて、では具体的に皇位継承というものをどういうふうに法律で定めるかというのが皇室典範の規定になっておるわけでございます。そういうふうに御理解いただきたいと思います。
○三石久江君 私が考えますのは、男系の男子ということが生物学的、遣伝学的には何にもないんですね。ですからそこにこだわったわけです。
 そこで、先ほどから伝統、伝統ということをおっしゃるんですけれども、ちょっと申し上げたいと思うんですけれども、私の考え方ですが、伝統という言葉は現在必要以上にプラスイメージに受けとめられております。しかし、古くからつくられたものの中でいかに多くの間違いがあったかということでしょう。例えば女性差別もその一つです。伝統というものが時代の波に洗われ、人権意識で洗われて変容して初めて生き残ることができるというふうに考えています。伝統というのは、つまり古くからあるものを踏襲するだけではなく、時代の風を取り入れながら変わってきています。悪い伝統は廃止し、よい伝統をつくり出していく、そういう考えで憲法に沿ってその部分を変えることを考えられませんでしょうか。
○政府委員(宮尾盤君) ただいまの先生がおっしゃいました伝統ということについての一般的なお考えといいますか、それは私どももそう考え方が違っておるわけではございませんが、御質問の一番基本的なところは皇位ということについての問題でございますから、皇位については国法の最高法規でございます日本国憲法というものに世襲ということを明確に定めておるわけでございます。しかも、憲法に基づく国会で御制定になっておる皇室典範にそれを、憲法の趣旨を踏まえながら日本の伝統と言うとあれでございますが、長い皇室の伝統というものを踏まえて、そういう法律でそこを明確に規定しておる、こういうことでございます。
 ですから、伝統一般論としてはそれは御質問のところはわかりますけれども、最高法規に定められている規定を法律でどういうふうに規定をしていくか、こういうものとはちょっとそこはいろいろ事柄が違う面があるんではないかというふうに思っております。
○三石久江君 ちなみに、諸外国で女王がおられる国の規定はどうなっているのかお聞かせいただきたいんです。
○政府委員(宮尾盤君) すべての王国といいますか、王国すべてを網羅して調査といいますか、そういう知識を持っておりませんが、ヨーロッパの主な国で私どもが得ておる状況を申し上げますと、外国で女王を認めている国は、今のヨーロッパの主要国に限定をしますが、デンマーク、オランダ、スペイン、スウェーデン、それから英国、こういうふうに承知をいたしておるわけでございます。現実に現在女王が王位につかれておられます国はデンマーク、オランダ、英国、こういったところかと思います。
○三石久江君 それは私ももう少し調べたいと思います。
 もう一つつけ加えさせていただきます。庶民的な考え方、とても単純なんですけれども、男系の男子――ここで申し上げるのは大変失礼かと思うんですけれども、私のきょうだいは九人あります。その九人の一番上から八番目までは女性なんです。それは昭和の初めからですから、たくさんの子供を産んだなと思うわけですけれども、もし天皇家に男のお子さんがなかったら、御兄弟もなかったらどういうふうに考えられるんでしょうか。
○政府委員(宮尾盤君) それは仮定の議論でございますので、そういう仮定の議論についてどうするかということはまことにお答えしにくいし、差し控えさせていただきたいと思うんです。現在、皇太子として浩宮殿下がおいでになりますし、そのほかの皇族さん方も現におられます。したがいまして、そういう心配は今のところないということで御理解いただきたいと思います。
○三石久江君 もう少し将来のことも考えていただきたいと思ってですが、次の質問に変えさせていただきます。
 次は、皇室経済法施行法の一部を改正する法律案に関して質問いたします。
 資料をいただいたのですが、その資料の中の「宮家別皇族費一覧」を見ますと、例えば常陸宮様の場合、殿下が改定前定額相当額で二千三百六十万円、妃殿下がその半額の千百八十万円、計三千五百四十万円。改定後は、殿下が定額相当額で二千七百十万円、妃殿下がやはり半額の千三百五十五万円、計四千六十五万円となっております。単純な疑問ですが、なぜ妃殿下は半額になるのですか。
○政府委員(永岡祿朗君) この定額算定計算の経緯でございますけれども、昭和二十二年の当時におきまして、それまでの事情をもとにいたしまして、代表的な親王家の経費というものを想定いたしまして、それは親王及び親王妃のお二方の御一家ということをモデル的に考えました。それで、品位を保持しつつ御生活に要する経費を算定いたして、まず親王家の経費を決めます。共通する部分を親王さんの方に乗せるということでございます。ですから、簡単に申しますと、三等分いたしまして、親王さんの分、親王妃さんの分、それから共通部分、その共通部分を親王さんの方に乗せる、こういうふうにお考えいただければよろしいかと、そう思うわけでございます。
○三石久江君 それは積算根拠という、そういうふうに聞いておりますけれども、積算根拠であるということで、一家、家ということでそれを計算したんだと思いますけれども、それは計算上の形式であって、私が申し上げたのは妃殿下がやはり半額と書いてあるんですね。要するに、お金の行き先は同じなんだと聞こえます。しかし、憲法の第二十四条には「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として」とあります。この条文を見ますとき、たとえそれが形式的なものだとしても、女性、妃殿下だからということで半額になっているのではないでしょうか。
○政府委員(永岡祿朗君) 確かに計算の算定根拠でございます。事実そのとおりでございまして、妃殿下は独立の生計を営む親王殿下の半分でいいと決して思っているわけではないわけでございますので、その辺はひとつ御理解を賜りたいと思います。
○三石久江君 それでは次に、皇室経済法第六条三項の一です。「独立の生計を営む親王に対しては、定額相当額の金額とする。」とあります。そして三項の三、「独立の生計を営む内親王に対しては、定額の二分の一に相当する額の金額とする。」とあります。現在は独立の生計を営む内親王様はいらっしゃいません。けれども、この条文はまさに女性差別の条文であると思いますが、いかがですか。
○政府委員(永岡祿朗君) 確かに今御指摘のように独立の生計を営む内親王様は現在はいらっしゃいません。
 これは先ほどの委員の御指摘のあった皇位継承資格というものがもとになるのでございますけれども、このように皇位継承資格というものが限定されておりますと、内親王様というお立場で独立の生計をお営まれになられましても、皇族としての御活動の量と申しますか範囲と申しますか、やはり多少の違いはあるのではなかろうかというようないささか具体にわたるような判断が加わってこういうふうになったのではないかというふうに考えております。そういうわけでございます。
○三石久江君 私はそこが納得いかないんです。独立の生計を営むということにおいては親王も内親王も一緒であろう、そう思うわけです。そして、それが内親王、妃殿下というところでほとんどが妃殿下は半額。妃殿下は半額というところだけが私は頭に残るんですね。日本社会の女性差別をそこで正当化することにならないか。こうしたことの一つ一つにこだわることから真に基本的人権が確立されるのだと思われるんです。天皇陛下も、日本国憲法を守りと言われております。また、本当に開かれた皇室、皇族を目指すなら、まずその人たちの生活から民主主義の何たるかを示していただきたいと思いますが、いかがですか。
○政府委員(宮尾盤君) 内親王様の場合には親王様の場合と違った額によるということになっておりますのは、先ほど皇室経済主管の方から御説明がありましたように、皇位継承資格が男子に限られておる、こういうことからであろうと思われます。
 現実問題といたしまして、内親王が独立の生計を営むというのは極めて例外的なケースでありまして、さらに、仮にそういうことがあった、そういう独立の生計を営む内親王様というものがおられた場合でありましても、やはり皇位継承権を持った男子皇族の方のいろいろな御行動の範囲や量というものとはおのずから実際問題として少ないであろうと。現実にもそういうことでございます。そこで、そういうような考え方から男子皇族の場合の二分の一ということになっておるわけでございます。
 それで、じゃそれは何か女性差別の問題になるんではないか、こういうような観点からの御質問と思いますが、これは今申し上げましたように皇位継承資格というものに基づいてそういう差異を設けておるということに由来をしているというふうに考えられるわけでございます。そうしますと、その皇位継承資格というものはいわゆる一般的な基本的人権には含まれる問題ではないわけでございますから、これは憲法あるいは皇室典範におきましてその皇位継承資格というものを限定しておるわけでございますから、そのように差等を設けたとしてもこれが男女差別になるということにはならないのではないかというふうに考えておるわけでございます。
○三石久江君 私はやはり男女差別だなと思ってしまいます。この条文はここのところだけは何とか変えていただきたいなと強く思っている次第です。この質問は終わります。
 次に、即位の礼について御質問させていただきます。
 即位礼正殿の儀はどのように行われるのか、またその即位礼正殿の儀の費用は十四億三千五百万円となっておりますが、その費用の内容、つまり正殿の儀の儀式の具体的中身とそれに対応した費用を御説明いただきたいのです。また、式次第もあわせて御説明をお願いいたします。
○政府委員(荒田建君) 即位礼正殿の儀でございます。まず予算的なお話から申し上げますが、十一月に予定しております即位の礼の中心的な儀式でございます正殿の儀に必要な経費といたしまして十四億三千五百万円を総理府本府に予算計上してございます。
 正殿の儀の具体的な内容でございますが、内外の代表約二千五百名の参列をお願いして、宮殿の松の間におきまして陛下が即位を内外に宣明をされるということが中心となる儀式でございます。具体的な式の次第につきましては、内閣総理大臣を委員長とする即位の礼委員会におきまして今後儀式立ての細目について検討し、決定していく段取りで考えております。今のところまだ細かい式の内容は決まっておりません。
○三石久江君 費用の内容を御説明いただきたいのです。
○政府委員(荒田建君) 即位礼正殿の儀の費用の内容でございます。先ほど正殿の儀で十四億三千五百万円と申し上げました。大きく分けまして三点ございまして、一つは、即位礼正殿の儀を行うために宮殿の改修その他施設の整備関係がございまして、これで三億五千万円、それから二番目に、即位礼正殿の儀で用います高御座、御帳台の修理、それが四億二千百万円、それから三番目に、同じく即位礼で使いますいろいろな儀式用品が必要になります。あるいは装束の関係、これにつきましていろいろな装束を用意しなければいけないわけでございますが、その儀式用品と装束関係の経費を合わせまして六億六千四百万ほどの予算を予定してございます。
○三石久江君 そこで、先ほど御答弁ございました具体的な式次第は今検討中ということでございますけれども、即位の礼を国事行為として決定し、総理府本府として三十三億八千五百万円の予算まで計上しているのに、具体的な式次第がいまだに未決定というのは何とも理解ができないんです。象徴天皇として初めての即位礼であり、旧憲法下の儀式とどう違うのかということは国民の知りたい重大事であると考えているわけです。ですから、どのような方針でいつ決定するかを重ねてお伺いいたします。
○政府委員(荒田建君) ただいまも申し上げましたように、即位礼正殿の儀につきましては、憲法の趣旨に沿いまして、かつ皇室の伝統を尊重して行われるわけでございます。もちろん、今先生おっしゃいましたように三十三億有余の予算を計上いたしまして執行するわけでございますが、いろいろな式の関係の基本的なところはもう去る一月に一応決めてございますが、細目になりますといろいろまた今後検討すべき点が多うございますので、まだ実はこれから検討を鋭意進めて式の次第を決めていくという段取りでございますので、それで御了承をいただきたいと思います。
○三石久江君 先ほどの御答弁ですと、憲法の趣旨に沿って、かつ皇室の伝統などを尊重したいものという基本線を踏まえてとおっしゃったと思うんですけれども、皇室の伝統など、ほかに何かあるんでしょうか。
○政府委員(荒田建君) などと申し上げたのは、皇室の伝統等を尊重したというような形で考えてございます。
○三石久江君 尊重したいもの、これは言葉のあやかもしれませんけれども、尊重したいものというのが私とても頭の中で考えてわからないんですね、尊重すると言われるとわかるんですが。
 それともう一つ、基本線は憲法の趣旨なのか皇室の伝統なのか、これをお伺いしたいと思います。
○政府委員(荒田建君) ただいましたいと申し上げましたが、尊重したものということで考えてございます。そこで、憲法の趣旨に沿い、かつ皇室の伝統などを尊重したものということでございますが、もちろん両方の要件を満たすものということで考えてございます。
 そこで、先ほどの等でございますけれども、などを尊重したものということでございますが、やはり憲法の趣旨ということが一つございますし、また象徴たる天皇にふさわしいものかどうか、あるいは国民感情に沿うものであるかどうか、あるいはその時代時代、それと国民感情に沿うかどうかということも絡むと思いますけれども、時代時代の要請とかそういったものにふさわしいものであるか、そういった点などを考慮して行っていきたい、こういうことでございます。
○三石久江君 次に、これまでの皇室の伝統は旧憲法下のものであり、主権の存在が新憲法では国民に移っているという大変革があったわけですので、憲法の趣旨に沿って皇室の伝統を尊重するということは具体的にどういうことかお答え願いたいのです。今おっしゃいましたけれども、もう一度。
○政府委員(荒田建君) 憲法の趣旨というのは、もちろん国民主権を定めておる憲法の規定がございますし、さらに国民主権を定めると同時に、先ほど来御答弁申し上げておりますように、象徴天皇制というものを規定している憲法でございますから、両方相矛盾しないような形でやっていかなければいけないわけでございます。そういうようなことで、憲法の趣旨というのはおっしゃるように象徴天皇制ということと国民主権制。皇室の伝統というのは、歴史的、伝統的に皇室の伝統行事ということでいろいろ行われておるわけでございますから、そういった伝統を考慮に入れて尊重してということでございます。
○三石久江君 ふなれなものですから何度もお聞きしております。
 天皇の地位を憲法で象徴として位置づけ、皇位が世襲であることは皇室典範で認められてはおりますが、明治憲法における神聖天皇と新憲法における象徴天皇との間、政教分離の原則などに照らして具体的にどのような伝統が伝えられなければならないのかと思うわけです。例えば高御座を使用するのかどうか。儀式の形態、例えば宗教的色彩、服装などはどうするのか、また天皇のお言葉、そして首相の祝辞の内容など、一月十九日の即位式に関する閣議決定以来四カ月ほど時間的にかなり経過しておりますので、どのあたりまで検討が進んでいるのかをお示しいただきたいと思うんです。
○政府委員(宮尾盤君) 国事行為として行われる即位の礼の関係は私どもでお答えするのはどうかと思いますが、ただいまの伝統ということにもいろいろ関係をしての御質問でございますので申し上げますと、政府見解にもありますように、即位の礼は「憲法の趣旨に沿い、かつ、皇室の伝統等を尊重したものとする」と、こういうことで、先ほど御答弁がありましたように大きな骨組みというのは決まっておりますけれども、具体的にその儀式というものをどういうふうにやっていくのか。例えば今お話しがありましたように装束等は具体的にどうするのかとかいう細部の点は今後の検討になっているはずでございまして、これは政府として即位の礼委員会というものがございますから、その場で今後鋭意詰めていくということになると思います。
 ただ、この基本的な考え方にもありますように、皇位継承儀礼というものは長い伝統があるわけでございますから、そこで今お尋ねがありましたように、例えば高御座をどうするのか、こういう点については、予算のところでも御説明がありましたように、高御座、御帳台というものを修理して使う、こういう考え方がありまして予算計上をされておるわけです。そういう考え方。それから、例えば装束の費用も計上されておりますが、その装束をどういうものにしてだれとだれが着るのかとか、お言葉といいますか、はどうするのかというようなことはこれから具体的に詰めていくと。
 その基本的な考え方というものは、一つは皇室のいろいろな伝統的なやり方というものがありますから、即位儀礼でも伝統的にありますから、それを一つの参考にして、しかしそれは憲法の趣旨に沿わないようなものはぐあいが悪いわけですから、その場合にはそういうことがないように検討しながら具体的に今後詰めていく、甚だ抽象的ではありますけれどもこういうふうに御理解をいただきたいと思います。
○三石久江君 お聞きしますと、まだこれから検討するということですね。検討するということをお聞きしました。それでは、まだの場合、それが決まりましたらすぐにお知らせいただきたいなと思うわけです。いかがですか。
○政府委員(宮尾盤君) 現にいろいろ事務的には検討をいたしておりますし、それから正式にその検討結果というものが決まるのは政府に設けられておる即位の礼委員会、これは総理が委員長になっておるわけでございますが、そこで最終的にこれでよろしいということにならなければ決まらないわけです。ただ、いろいろ事務的には検討しているということは申し上げておきます。そこできちっと決まれば、恐らく政府としては何らかの方法で、こういうふうにやりますということは一般国民にもわかるような形で発表することになるんではないかというふうに考えておる次第でございます。
○三石久江君 やはりでき次第、決定次第お知らせ願いたいと思います。
 また、重ねて大事なことですからお伺いいたしますけれども、高御座の性格、即位礼正殿の儀で高御座を使用するという意味はどこにあるのですか、お伺いしたいと思います。
○政府委員(宮尾盤君) 高御座でございますが、これは奈良時代以前から天皇が即位をされましたときには即位儀礼の中で用いられてきたものというふうに言われておるわけです。いろいろな奈良時代以前のことにつきましても、日本書紀等にマツリドノとか高御座というような言葉が出てまいりまして、そういうものがあったということがわかりますし、奈良時代以降今日、この前の先例に至るまで高御座というものが即位儀礼に使われておる、こういう歴史的な事実があります。そこで、そのように高御座というのは歴史上皇位と結びついた大変古式豊かな調度品として今日まで伝承されてきておりますので、今回もその皇位継承儀式の伝統的な形にのっとりまして即位礼正殿の儀におきまして調度品としてこれを用いるというふうに考えておるわけでございます。
○三石久江君 それでは、その答えは、歴史的に、伝統的にということでお使いになるわけですね。
○政府委員(宮尾盤君) これまでの長い歴史を振り返ってみると、皇位継承儀礼の中に高御座、その形状は非常に古い時代と最近とではいろいろと違うかもしれませんが、少なくともそういうものが即位儀礼の調度品としてあって、そこに天皇が上ることによって一つの象徴的な儀式というものをやった、こういうことになっておりますので、そういう意味合いで今回も調度品としてこれを使う予定である、こういうことでございます。
○三石久江君 調度品として使われるということがよくわかりました。
 次に、大嘗祭についてお尋ねいたします。大嘗祭については国事行為としない理由として、従来の御答弁を引用させていただきますが、「趣旨・形式等からして、宗教上の儀式としての性格を有すると見られることは否定することができず、また、その態様においても、国がその内容に立ち入ることにはなじまない性格の儀式である」、したがって「国事行為として行うことは困難である」と言っておられますが、宗教上の儀式である、だから国事行為にはできないんだとどうして直接的表現で言えないのでしょうか。
○政府委員(工藤敦夫君) まず、今の政府見解を引いての御質問でございますが、そこで大嘗祭につきましての「意義」ということが書いてございます。それでさらに「儀式の位置付け」ということで、今その「儀式の位置付け」の中の部分を御引用になりました。それで、やはり意義なり儀式の位置づけというものを書いてまいりますと、「宗教上の儀式としての性格を有すると見られることは否定することができず、」、大変回りくどくて申しわけございませんが、どうしてもそういう表現になるわけでございます。なお、それを「国事行為として行うことは困難である」というふうに結んでおりますのは、もう委員御承知のとおり、憲法の二十条三項といった規定を念頭に置きましてかように書いているわけでございます。
○三石久江君 私は、庶民の皆さんが後ろにおりまして、大嘗祭ってというお話をちょこちょこするんですね。そうすると、この文章をよく見られている方々が、否定できないのであれば肯定するしかないのに、「国がその内容に立ち入ることはなじまない性格」「困難」と言うのではなく、できないとなぜ言えないのですかとよく聞かれるんです。易しい言葉でもう一度おっしゃっていただけませんでしょうか。
○政府委員(工藤敦夫君) 大嘗祭の歴史的な経緯等につきましてはあるいは宮内庁の方からお答えするのが適当かと思いますが、ここに書いてございますように、大嘗祭というもの、これの儀式の意義あるいはその趣旨というふうなものを考えますと、そういう趣旨、形式等からして宗教上の儀式――宗教というのが実は非常に難しい定義上の、学者によりましてそれぞれいろいろなことをおっしゃられるわけでございます。そういう儀式としての性格を有すると見られることは、そこまでは否定することはできない、こういう意味でございます。そうしますと、憲法の二十条三項のいわゆる政教分離といったような規定から見まして、それを国事行為として行うことは難しいと申しますか、そういうことで書いているわけでございます。
○三石久江君 次に、国事行為ではないがその費用を国費で支弁する理由として、皇位が世襲であることに伴います一世に一度の極めて重要な伝統的皇位継承儀式としての公的性格があると考えられて、その費用は宮廷費から支出することが相当であるとのことですが、伝統的皇位継承儀式につきましては後ほど問題にするといたしまして、宗教性を認め国事行為として行うことは困難としながら、国が内容に立ち入ることはなじまないとしながら、公的性格があるから宮廷費すなわち国費で支弁するというのは、至って庶民の私にはわからないんです。
 総理府本府の予算でなく皇室費の中の宮廷費にするのは、宗教性を認め、皇室の私的行事と判断されるからではありませんか。
○政府委員(工藤敦夫君) 今の国費の支出のお話でございます。
 私どもは、まず基本に置いておりますのは、昭和五十二年に出ました三重県の津におきます地鎮祭に関しましての最高裁判所の大法廷判決でございます。
 多少長くなって恐縮でございますが、この判決によりますと、いわゆる憲法二十条三項、先ほどから申し上げておりますが、これによって禁止されている宗教的活動とは「およそ国及びその機関の活動で宗教とのかかわり合いをもつすべての行為を指すものではなく、」「当該行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為をいう」、いわゆる目的・効果論と呼ばれているものでございます。ある行為がそういう右にいうような宗教的活動に該当するかどうか、これを検討するに当たっては「当該行為の外形的側面のみにとらわれることなく、当該行為の行われる場所、当該行為に対する一般人の宗教的評価、当該行為者が当該行為を行うについての意図、目的及び宗教的意識の有無、程度、当該行為の一般人に与える効果、影響等、諸般の事情を考慮し、社会通念に従って、客観的に判断しなければならない。」、これが今の地鎮祭判決のこの部分に関する概要でございます。
 それをいわゆる物差しといたしまして考えてみました場合に、大嘗祭は、この政府見解にもございますが、宗教上の儀式としての性格を有すると見られることは否定し得ないけれども、大嘗祭は皇位の継承があったときには必ず挙行すべきもの、一世に一度の儀式として古来から行われてきた極めて重要な儀式である、先ほどからも申し上げておりますように、皇位の世襲制と結びついた即位に伴う儀式の一環をなすものだ、こういうふうなことで皇室に伝承されてきたものでございます。いわば皇位とともに伝わるべき由緒ある儀式、こういうことでございます。そういたしますと、皇位の世襲制をとっております日本国憲法のもとにおきまして、その儀式の挙行について国として関心を持つ、人的、物的側面からその挙行を可能にする手だてを講ずる、かようなことが当然と考えられる、その意味において大嘗祭は公的性格がある、かように申し上げたわけであります。そういう津の地鎮祭判決と大嘗祭の公的性格、こういうものを踏まえますと、大嘗祭は皇室の行事として行われるものでございまして、国または国の機関が行うものではない。
 それから、その挙行のために必要な費用は、こういう大嘗祭の公的な性格の面に着目して宮廷費を出すものである、支出するものである。そういう意味で、支出の目的が先ほどの地鎮祭判決などに照らしまして宗教的意義は持たない、特定宗教への助長、介入等の効果、これを有する行為を行うことになるとは到底言えないであろう。したがって、これが結論でございますが、国が大嘗祭のための費用を公金から支出いたしましても憲法二十条あるいは財政関係の憲法八十九条、いずれにも抵触するものではない、かような考え方でございます。
○三石久江君 ただいまの御答弁の中で、大嘗祭は必ず行われてきた、ここはちょっと違うような気がいたします。
 公的性格であって、宗教性が少しあってもと、認めているわけですね。認めていらっしゃるんですか。
○政府委員(工藤敦夫君) 大嘗祭につきまして、政府見解でも、宗教上の儀式としての性格を有すると見られることは否定できないと、かように書いてあるとおりであります。
○三石久江君 それでは、新嘗祭と大嘗祭の祭祀の違いを御説明ください。大嘗祭は、天皇が即位の後に初めて行われる新嘗祭のことをいい、その後毎年行われるのが新嘗祭と理解してもよろしゅうございますか。
○政府委員(宮尾盤君) 新嘗祭と大嘗祭の違いということでございますが、新嘗祭におきましても大嘗祭におけると同じように新穀をお供えになって御みずから召し上がる、それから皇祖、天神地祇に対して安寧と五穀豊穣などを感謝し、祈念される、こういう点は新嘗祭も大嘗祭も同じであります。
 よく言われておりますように、非常に古い時代には新嘗祭と大嘗祭というものは必ずしも区分をされていなかったと、こういうことが言われるように、その淵源もある意味では同じであります。ただ、大嘗祭というのは、よく言われますように天武天皇の御代から新嘗祭と区分して即位儀礼の一つとして行われてきておる、こういう歴史的な沿革を持っておりまして、毎年行われるそういう新嘗祭のような行事とは違いまして即位に伴ういわば儀式という形で大嘗祭は行われてまいっておりますし、そういう形で行われるわけでございます。そういう意味で重要な一世一度の伝統的な皇位継承儀礼として新嘗祭と同じようなことが行われますが、位置づけは全くこれは違うわけですね。毎年行われるものと即位儀礼の一環として行われるものと、ここに基本的な違いがある。
 したがいまして、全く同じではございませんで、その儀式といいますか、そのやり方等についても、悠紀殿、主基殿を設けるとか、あるいは大嘗宮をつくってそこで行うとかというようないろいろな違いはあるわけです。ただ、共通した性格を持っておるということは確かですけれども、そういうやり方が少し違い、しかも基本的に違うのは、毎年の儀式、行事というようなものと、即位儀礼の一環であると、こういうところが基本的に違うというふうに考えておるわけでございます。
○三石久江君 以上の説明では、儀式としては新嘗祭と大嘗祭の違いは余りない、少し違うだけだ、いずれも五穀豊穣と国民の安寧を祈るということで全く同じことになると思うんです。大嘗祭は天皇の一世一度の極めて重要な伝統的皇位継承の儀式と言われますが、天皇が即位して初めての新嘗祭としか受けとめられないんです。いかがでしょうか。新嘗祭でも同じ儀式を行うということでは一世に一度とはならないのではないか。ただ伝統的に皇位継承儀式として受け継がれてきたものというのではちょっと説明が不足なように思いますけれども。
○政府委員(宮尾盤君) 先ほども申し上げたわけですが、上古、非常に古い時代は新嘗祭と大嘗祭というものは名称とか儀礼内容もほとんど区別はなかったというふうに確かに言われておるわけです。だから、新穀をお召し上がりになったり五穀豊穣を感謝されるというような、そういうところにつきましては共通点は当然あるわけでございますね。
 あるわけですが、七世紀末、天武天皇の時期から、これは新嘗祭はもちろん毎年行われてきておるわけですが、即位なさったとき、御即位の後一世一度の重要な即位儀礼といたしまして大嘗祭という形で新嘗祭とは区分して行うということが歴史上始まったというふうに、そこが初めてかどうかは知りませんが、少なくとも歴史書にある一番最初の記述というのは天武天皇のときからだと。それ以来大嘗祭ということが新嘗祭とは区分されて、新しく天皇が即位をされたときに必ず行われるということになってきておるわけでございます。そういう歴史的な事実を踏まえておりますので、新嘗祭と大嘗祭、やや共通しているところがあるではないかと言いますけれども、基本的に考え方が違う、こういうふうに御理解をいただきたいと思います。
○三石久江君 私の頭ではちょっと理解ができないんです。
 大嘗祭の中心的な儀式は、神事をつかさどる掌典職の関与のもとに、大嘗宮において天皇がみずから皇祖アマテラスオオミカミ及び天神地祇、天つ神、国つ神、やおよろずの神に対してお供えになり、みずからも召し上がって、皇祖及び天神地祇に対して安寧と五穀豊穣などを感謝されるとともに、国家国民のために安寧と五穀豊穣をさらに祈念される、天皇がみずからお一人で主宰されるという儀式であると聞いているんです。間違いありませんか。
○政府委員(宮尾盤君) ただいまお述べになったことはそういうふうに理解をいたしております。
○三石久江君 そこで、政府並びに宮内庁では、即位の礼委員会で、皇室行事に明るい歴史学者あるいは儀式担当者によって種々御検討の上、結論を出されたことと思いますが、私が知る限りでは、新嘗祭と大嘗祭の違いは、新嘗祭では宮中の神嘉殿で、かつては朝廷または公の公有田で収穫した稲穂を、現在では各県の篤農家から献納された米及びアワ並びにそれからつくられた御酒を供えるのに対して、大嘗祭では悠紀、主基の国を定め、その両国の中の斎田で栽培した稲及びそれをもとにした白酒、黒酒を主な供え物にすることと、大嘗宮で悠紀殿、主基殿のそれぞれで大嘗宮の儀が行われることと承知しておりますが、いかがですか。
○政府委員(宮尾盤君) おっしゃったところで尽きるわけでございますが、その点について基本的な違いといいますか、そういう点をもう少し整理して申し上げてみますと、主な違いは、大嘗祭ではまず悠紀の国、主基の国というものが定められまして、そしてその両国の斎田でとれました新穀をお持ちになる、こういうことになるわけですが、新嘗祭では、悠紀の国、主基の国というようなものを定めて斎田も設けるというようなことはないわけでございます。
 それで、現在の新嘗祭のやり方といたしましては、各府県の篤農家からそういう提供の申し出があれば、各県の篤農家から個別に受けると、こういうことで斎田というものを設けない、新嘗祭の場合はそういうことになっておるのは確かでございます。それから、大嘗祭の場合には大嘗宮というものを特別につくるということになっておりまして、そこで悠紀殿、主基殿の儀というものが行われるわけですが、御質問にありましたように、新嘗祭の場合には皇居の中にあります神嘉殿において毎年そこをお使いになってとり行われるということになります。
 それから、新嘗祭には皇后陛下を初めといたしまして妃殿下方のお出ましというのは一般的にないわけでございますけれども、大嘗祭の場合には皇后陛下初め妃殿下方のお出ましがある。これはやはり即位儀礼という面からの一つの違いかと思います。
 それから、大嘗祭の場合には、これは非常に細かい儀式の仕立てになるわけですが、稲春の儀というようなことを行います。これはお米をついて精米にするというようなことを意味する儀式があります。それから、それぞれ悠紀、主基地方の風俗歌というようなものを奏するというような行事もありますが、新嘗祭ではこういった行事はありません。それから、大嘗祭には庭積の机代物というものを置くことにいたして、これはこれまでの先例等を見ますと、庭積の机代物、これはどういうものかといいますと各県の特産品です。これは農林水産物で主に食料品と考えていただいてよろしいわけですが、そういうような各県の農林水産物の代表的なものを庭積の机代物という形で置きますが、新嘗祭ではそういうことはございません。
 それから、その他大嘗祭についてはいろいろな一連の儀式等があるわけでございますが、毎年行われる新嘗祭についてはそういうことはないというようなところが大きく違うわけでございまして、やはりこの違いというのは、基本的にどこが違うかといえば、どうしてそういう違いが出てくるかといえば、毎年恒例のこととして行われる新嘗祭と、それから御即位のときに一世一度の大きな即位儀礼として行われる大嘗祭というものでそういう違いが出てきておる、こういうふうに御理解いただきたいと思います。
○三石久江君 一世一度と違うということがわかりました。
 次に、大嘗祭のもう一つの重要な意味は、単に収穫感謝あるいは国家国民の安寧祈願のみにあるのではなく、天皇が天孫降臨の際に皇祖アマテラスオオミカミからニニギノミコトに授けられた斎庭の稲穂を受けて、皇祖と一体になり、皇祖皇宗の霊威を身につけるという神話に基づくもので、日の御子、すなわち現人神としての霊性を備えられる儀式であり、即位式のみでは皇位継承にならないという言い伝えによるものではありませんか。大嘗官の中のお祭りは秘儀として記録はないようですが、伝えられる神座、御座、お襖から真床追衾の神事がたとえ儀式として儀礼化されているとしましても、大嘗祭の意義は先ほど申し上げたとおりではありませんか。
 皇室の伝統的行事が日本の文化的遺産として受け継がれていくことに私は反対はいたしませんが、新憲法の精神のもとでは主権在民、政教分離の原則を遵守するのが私たちの使命であり、天皇が再び神格化されるのを恐れる次第なのです。
 大嘗祭の意義についてどのように位置づけされているのか、御説明願いたいと思います。
○政府委員(宮尾盤君) 大嘗祭の意義につきましては、これは政府の準備委員会で取りまとめた結論の中にも記してあるわけでございまして、これは十分お読みになっていただいておると思いますけれども、少し長くなりますがもう一度申し上げてみますと、「大嘗祭は、稲作農業を中心とした我が国の社会に古くから伝承されてきた収穫儀礼に根ざしたものであり、天皇が即位の後、初めて、大嘗宮において、新穀を皇祖及び天神地祇にお供えになって、みずからもお召し上がりになり、皇祖及び天神地祇に対し、安寧と五穀豊穣などを感謝されるとともに、国家・国民のために安寧と五穀豊穣などを祈念される儀式である。それは、皇位の継承があったときは、必ず挙行すべきものとされ、皇室の長い伝統を受け継いだ、皇位継承に伴う一世に一度の重要な儀式である。」、こういうふうに記されておるわけでございます。これが政府の基本的な考え方でございます。
 そこで、いろいろこういう見解があるではないかというようないろんな角度からの見解の御披露がありましたけれども、大嘗祭につきましては非常に長い伝統的なものでございますので、それについていろいろな立場から、例えば教学上の立場からあるいは哲学的な立場から、そのほかいろいろな立場から学問的な研究論文として出ているものもありますし、そういうものでないにしてもいろいろな考え方があるわけでございます。ですから、そういう諸説というものは、それについてこうであろうああであろうというような解釈、学説等については、これは今申し上げましたいろいろなものがあるということは私ども承知をしておりますし、それが一種の教学的な立場あるいは哲学的な立場から述べられているものとすれば、それについて私ども政府としてどれが正しくてどれが正しくないというようなことを申し上げることはやはり差し控えた方がよいであろう。
 政府として大嘗祭の意義は、先ほど長々とお読みいたしましたこの考え方によっておるというふうに御理解をいただきたいと思います。
○三石久江君 意義をお聞きしたのではなくて、その意義をどのように位置づけるかということをお聞きしたんです。
○政府委員(宮尾盤君) 意義をどう位置づけるかというのは非常に難しいわけですが、私どもは大嘗祭の意義は政府の見解に書いてありますような意義として受け取っておる、そういうふうに理解しておるということでございます。
○三石久江君 じゃ次に、大嘗祭を皇室の公的行事として位置づけ、国の費用を支出することにしたのは、私の考えですけれども、大嘗祭に関する人件費を捻出するためではないのですか。これが本当の理由ではないかと思うんですが、いかがですか。
○政府委員(宮尾盤君) 大嘗祭が公的性格を有するという政府の考え方につきましては、先ほど法制局長官から詳細に御説明がありましたわけでございまして、私どもも同じ立場で考えておるわけでございます。
 ただ、人件費を捻出するためにそういう性格づくりをしたのではないかというのはちょっと、私どもはそう考えておりませんので、やはり政府としてはこういう大事な、しかも公的性格を持っているものであるから人的な面でも十分お手伝いをしなければいけない、こういう基本的な考え方でおるわけでございます。
○三石久江君 そう言いながらも、そうでないのかなと思うんですけれども、現在、内廷費から皇室の儀式のために給与を支払っている職員は、掌典職員七名、内掌典五名、計十二名の方がいらっしゃいますね。この職員で宗教儀式と言われる大嘗祭は十分実施できるのではないかと思うのですが、いかがですか。
○政府委員(宮尾盤君) 大嘗祭のお手伝いをするのに掌典職十二名ですか、それで十分ではないかというお説ですが、大嘗祭にはいろいろな準備行為がありまして、大嘗宮をつくるというようなこともありますし、それから例えば大嘗祭にもある程度の人数の参列者もお願いをしようかというようなことも予想されております。そういうことがありますから、両陛下を初め皇族さん方のお世話をすることも必要ですし、参列者のお世話もしなければならない、あるいはそういういろんな施設をつくったり管理をしたり、儀式を円滑に取り進めるためのいろいろな役割もだれかがやらなければならない、こういうことになりますので、掌典職十二名ですか、それで十分ではないかということにはならないわけでございます。
 全体として大きな行事を円滑にするために国としても、政府としても事務的な面からもお手伝いもしなければならない。その具体的な主力というのは、これは皇室のお世話を申し上げる宮内庁が担当することになるわけでございますので、宮内庁が中心になっていろいろなお手伝いをする、こういうことに実際はなるわけでございます。
○三石久江君 結局、人件費のほかにもかなりの宮内庁職員の方を初め公務員の参加を要する、そういう公的行事であるということですね。
○政府委員(宮尾盤君) そういうことが必要であり、またそういうふうにすることが当然と考えられるからということがこの政府の見解の中にも述べてありますが、どうしてもそういう必要性がありますし、だから当然そういうお手伝いを申し上げるということになると思います。
○三石久江君 それでは、宮内庁及び法制局にお伺いいたしますが、昨年十二月二十一日の即位の礼準備委員会がまとめた報告書によりますと、大嘗祭は皇位の世襲に伴う一世一度の伝統的皇位継承儀式としております。憲法第二条にいう皇位の世襲には大嘗祭も含むと解釈できるかどうか、御答弁をお願いしたいんです。
○政府委員(工藤敦夫君) まず法律的な側面からお答えを申し上げますが、先ほど角田委員にも申し上げましたように、法律的な側面から申し上げれば、憲法の二条あるいは皇室典範によりまして、前天皇が崩ぜられたときは直ちに即位するということでございます。いわば法的な即位という面で申し上げればそういうことになると思います。
 ただ、先ほどからのお話の、宮内庁からもいろいろお話しございましたように、法的な意味におきます即位と、即位に伴う種々の儀式、即位の礼もその一環でございますし、それ以外の大嘗祭等々もそうでございます。即位に伴う儀式、こういう整理になろうかと思います。
○三石久江君 即位に伴う儀式、それが皇位の世襲には大嘗祭も含むというふうに解釈できるんですね。
○政府委員(宮尾盤君) 法律的なお答えはちょっとなかない難しい、私どもが申し上げるのはいかがかと思いますが、この政府の見解の中にも述べておりますように、大嘗祭というものは、先ほどからいろいろ御説明を申し上げてきましたように、天皇が御即位の後、一世一度の極めて重要な儀式としてこれは伝統的に行われてきたわけでございます。そういう意味で皇室にとっては非常に重要な儀式であるわけです。
 他方、憲法には皇位の世襲制ということが書いてありますから、そういう建前をとる我が国の憲法のもとにおきましては、そういう皇室が長い伝統を踏まえていなさる、そういう重要な儀式というものについて深い関心を持ち、挙行を可能にする手だてを講ずるということが必要であろう、こういうことをこの中に述べておるわけでございます。ですから、そういう意味で、大嘗祭は公的性格がある、こういうふうに述べておるのがこの政府の基本的な見解であるわけです。
○三石久江君 私のお聞きしたのは、憲法第二条にいう皇位の世襲には大嘗祭も含むと解釈できるのでしょうかと。
○政府委員(宮尾盤君) これは、法律解釈というよりも常識的な御答弁というふうに御理解いただきたいと思いますが、皇位が世襲として代々受け継がれてきた、こういうことは歴史的な事実でございますね。それで、代々皇位継承があった際に大嘗祭が行われた、こういう長い伝統があるということも、これは事実であろうと思います。ですから、世襲制の中に大嘗祭を含むという言い方は、ちょっとそういうふうに申し上げていいかどうかわかりませんが、皇位が代々世襲という形で継承されてきた、そのときにそういう中で皇位継承があったときには大嘗祭が重要な儀式として行われてきたというのは歴史的な事実である、こういうふうに御理解いただければよろしいんじゃないかと思います。
○三石久江君 最後になりましたが、皇室行事として伝統的祭祀儀式とされている大嘗祭は明治の登極令によるものが基礎になっていると思いますが、律令以前あるいは以後においても固定されたものではなく、時代の政治体制、社会的情勢によって幾多の変遷を経ています。戦前の天皇制国家の反省から新憲法が制定された経緯を踏まえて、旧憲法下に行われた大嘗祭に固執することなく新しい態様をとるべきだと考えます。
 これまでの政府並びに宮内庁の御答弁でも明らかにされているように、大嘗祭は神道の形式による宗教的儀式であって、その起源は天皇が神になって統治者としての資格を備えることを本質とする儀礼であります。古くは、大嘗祭を何らかの都合によって行われない場合には半帝と呼ばれたこともあるとか聞いておりますので、即位式と切り離せない皇位継承儀式の一部として重要な皇室行事であると思います。皇室におかれて天皇が皇祖と一体となられ、祖先を祭られることは尊敬に値しますが、それをもって現人神として国民の前にお出になる、あるいは国民の感情の中に神の意識が芽生えることを危惧するものであります。大嘗祭の意義、目的にはその危険性がなきにしもありません。
 伝統には、よい伝統、悪い伝統、これからつくり出す伝統などがあります。伝統といえば何事にも優先するように思いがちですが、伝統というものは古くからあるものを踏襲するだけでなく、時代の波に洗われ、時代の風を取り入れ、人権の意識によって変革されて初めて生き残ることができるものと思います。皇室に伝わる伝統も、国の変革に応じて、時代の波に洗われて変容してこそ新しい伝統になるのではありませんか。即位の礼における高御座を初めとして、大嘗祭の悠紀、主基の国、大嘗宮における儀式の数々は天皇陛下を再び神、すなわち天つ日嗣として天皇制国家への道を歩み始めるためのものではないかと懸念いたします。
 再度申し上げますが、一世一度の皇位継承の儀式を皇室の伝統を尊重して行うのであれば、天皇家の私事として行うのが最も妥当と考えますが、宮廷費を使用して公的行事として行うならば新憲法に沿った新しい伝統的行事とすべきではありませんか。皇位継承儀式であるからとの理由だけで公的性格として位置づけることは、以上のような理由から、主権在民、政教分離を基本とする憲法に抵触するものと思います。特に、予算がかさむのであれば内廷費の臨時的増額を行うという形ででも憲法の趣旨に合わせるとか、儀式を縮小して奉仕する人員を抑えるなど、新しい大嘗祭を模索することが陛下の御意思に沿うことになるのではないかと私は思うのです。官房長官、いかがでしょうか。
○国務大臣(坂本三十次君) 新しい憲法で象徴天皇でございます。大嘗祭を行うということは、今るる御説明を申し上げましたように、ずっと古い時代から、決して諸外国の各国の皇帝に見られたような武威といいますか、力でもって君臨するというようなそういうお考えはございませんでして、もうひたすら国家国民の安寧と五穀豊穣を祈るというその性格、それがずっと続いてきた。それでやっぱり国民的にも、その時代時代がございましょうけれども、私は国民的にも認められてきた伝統的な行事であろうかな、こう思うておるわけでございます。
 大嘗祭においていわゆる安寧、豊穣をお祈りになる、この気持ちは、私はたとえ時代がいろいろ移って新しい象徴天皇の時代になっても国民の皆さんからは受け入れられるものではないかなと思います。それで、大嘗祭の神道的な性格も色彩もございましょうけれども、それ以上にやっぱり国家国民のために平和とそして豊かさを願うというそのお気持ちが私は国民には理解されるのではなかろうかなと。そして、主権在民の今日でありますから、国民の皆さんにおかれても、まして天皇におかれても、かつての神格を大嘗祭で復活をさせようなどということはもうどなたも考えておいでにならないことだろうと思うております。
 先日、植樹祭にも私も参りましたけれども、長崎県の皆さんが非常に明るいリラックスした姿で、非常に気楽な気持ちで陛下をお迎えになっておられましたが、象徴天皇としては民主的な今のあり方というものについては非常に気を使っておられて、決して神格的なかつての天皇制に向かおうなどという気持ちは私は全然感じられなかった。国民のサイドにおいても天皇のお気持ちにおいても、そんな昔に返るような気持ちは決してないと思うので、先ほどから宮内庁、法制局長官その他いろいろ御説明申し上げましたように、そういう古い伝統、国のためにお祈りをする、国民の幸せを願うというそういう伝統を生かして、それが一世一度の即位の式にこれは関連をするということでありますので、公的な色彩を持つものであるので宮廷費から出すということも私は国民的サイドからは認められるのではないだろうかなと、そう思っております。
○三石久江君 神格化はない、安心をいたしました。しかし、やはりもう時代が二十一世紀に向かうわけですから、日本の国の伝統ということに新しいことを入れていくという方向で考えていただきたいと思います。
 質問終わります。
 それと皆様に、大変ふつつかな者に大変やさしく御説明いただいたことを感謝いたします。
○委員長(板垣正君) 午後二時に再開することとし、休憩いたします。
   正午休憩
     ─────・─────
   午後二時一分開会
○委員長(板垣正君) ただいまから内閣委員会を再開いたします。
 まず、委員の異動について御報告いたします。
 本日、八百板正君、翫正敏君及び野田哲君が委員を辞任され、その補欠として村田誠醇君、喜岡淳君及び山田健一君が選任されました。
    ─────────────
○委員長(板垣正君) 休憩前に引き続き、皇室経済法施行法の一部を改正する法律案及び即位礼正殿の儀の行われる日を休日とする法律案の両案を一括して議題とし、質疑を行います。
 質疑のある方は順次御発言願います。
○吉岡吉典君 最初に答弁者にお願いしておきますけれども、私、速記録を丹念に読みましたので、皆さんの答弁、大体今まで答えられているのはわかっておりますので、できるだけ簡潔にお願いしたいということを申し上げておきたいと思います。
 それから、私この速記録を読み、またこれまでの論議を聞きまして、事は憲法の根本原理にかかわる問題が論議されているという感じを強く持ちました。そこで私は、最初にそういう点に関して一、二、これは法制局になるかもしれませんけれども、お伺いしておきたいと思います。
 国民の中にはいろいろの天皇観があります。それは国民の自由であり、何人も干渉すべきものではありません。しかし、天皇の国事へのかかわり方、また国家の天皇や天皇の行事へのかかわり方、これは厳格に憲法の規定に沿って行わなければならない、この点はもちろん異存ないと思いますが、御答弁をお願いします。
○説明員(多田宏君) 憲法の定めるところに沿ってやるというのが基本的な考え方だと思います。
○吉岡吉典君 そこで、次に確認しておきたいんですが、憲法を厳格に守って行うという場合に、明治憲法と現行憲法とでは根本的な変化が行われている。特に、主権者がだれかという問題、及び天皇の地位、権能、これらに根本的な変化がありました。主権在君から主権在民に変わり、主権者は天皇ではなくなり国民主権の原則が明確に憲法で確立されております。したがって、この象徴天皇の地位というものは従来の皇祖皇宗あるいは神勅に基礎を置いたものから、主権者、国民に基礎を置いたところへ転換した、こういう根本的な変化があったということをお認めになるかどうか、これをお伺いします。
○政府委員(大森政輔君) 委員お尋ねの件につきましてはそのとおりであろうかと思います。なお、若干付言いたしますと、天皇の権能、地位という点について見てみますに、次の二点について根本的な違いがあろうかと思う次第でございます。
 その第一点は、旧憲法下における天皇は国の元首であって統治権を総攬する地位にあられたということになっておりましたが、現在の日本国憲法のもとにおける天皇は「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、」「憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。」というふうに規定されているところでございます。
 次に第二点でございますが、旧憲法下における天皇は、その地位はいわゆる神勅にさかのぼるというふうに言われておりました。これは帝国憲法制定の告文、あるいは憲法発布勅語にもあらわれているというふうに言われておりましたが、現在の憲法下における天皇は御指摘のとおりその地位は日本国民の総意に基づいておられる、これは前文及び第一条に書かれていることでございますが、そのような規定になっております。
○吉岡吉典君 今基本的には憲法に沿って、私が指摘した点お認めになりましたので、その上に立って、私はこれは官房長官に答えていただきたいと思いますが、お伺いしたいと思います。
 天皇の地位の根本的な変化があったということになれば、天皇にかかわる儀式、これもすべてその根本的な変化があったことを前提にして実行しなければならない。要するに、憲法尊重ということを優先して行わなければならないというふうに思います。まさか否定なさらないだろうと思いますが。
○政府委員(宮尾盤君) この秋に行われます諸行事につきまして、即位の礼は国事行為として行われるということになっておりまして、これは憲法の趣旨に沿い、かつ皇室の伝統等を尊重して行われる、こういう考え方のもとにとり行われることになっておりますので、この儀式は現行憲法下における天皇の地位に沿ったものというものになると考えております。
 なお、このほかの儀式がいろいろあるわけでございますが、皇位継承に伴います諸儀式として皇室行事として行われるものにつきまして皇室がどのような儀式を行うか、こういうことについては、現在の憲法その他法令上特段のもちろん定めはないわけでございますけれども、法令に違反しない限り法令上の根拠がなくても皇室の伝統に従って行い得るというふうに考えております。もちろん、先ほど申し上げましたように憲法の精神に反するようなものであってはならないというふうには考えておるわけでございます。
○国務大臣(坂本三十次君) 委員のおっしゃるとおり、憲法の規定及び精神にのっとって行われるべきは当然であります。
○吉岡吉典君 今官房長官は明確にお認めになりましたけれども、その憲法の趣旨と伝統ということもありましたが、これは後から論議したいと思います。
 今おっしゃいましたから念のためにここでも確かめておきたいと思いますが、その憲法の趣旨と伝統とおっしゃったことは、憲法の原理を厳格に守らなくちゃならない、つまり憲法優先にということに異論があるということであるのか、そうではないのか、その点だけ確かめておきます。
○政府委員(宮尾盤君) 「憲法の趣旨に沿い、かつ、皇室の伝統等を尊重」してと、こういう場合に、これは並列的に書いてあるわけでございますが、皇室の伝統等々が憲法の趣旨に反するようなことがあった場合にはそういうものは行えませんというふうに考えておるわけでございます。
○吉岡吉典君 憲法優先ということをお認めになったと思います。
 そこで、次の問題ですが、それが厳格に守られておれば問題はないと思います。つまり、主権在民の憲法が貫かれておれば問題ございませんが、実際はそうなっていない、問題がさまざまな分野にある。
 まず最初に、私は国民休日の日の問題をめぐってお伺いしたいと思いますが、今、日本の国民の休日の日は十三日あります。そのうち八日までは旧憲法下の天皇に関係する休日を名前を変えたもの、あるいは現在も皇室行事が行われておる日と重なっております。時間がありますから、一々挙げても結構ですけれども、省略させていただきたいと思います。私は、十三日のうち半分以上の八日までが天皇にかかわる休日ということになっていることは、これは休日にあらわれた国民主権でなく主権在君のあらわれだというふうに思わざるを得ません。
 外務省にお伺いします。君主制をとっている国で君主の誕生日を国民休日にしている国はどこでしょうか、わかっている範囲で結構ですから。
○説明員(小林包昭君) お答えいたします。
 君主制をとっている国において君主の誕生日を休日にしている国は、タイ、ネパール、モロッコ、ジョルダンであると承知しております。
○吉岡吉典君 今何カ国になりますか。
○説明員(小林包昭君) 四カ国です。
○吉岡吉典君 今世界におよそ百七十の国があります。そのうち君主制をとっている国は私の数えたところでは二十八カ国であります。そのうち君主の誕生日を休日としている国は今外務省の述べられましたように四カ国。この四カ国というのは、例えばネパールなどに例をとれば、今民主主義をめぐって大変な問題が起きている。こういう国と同列の国民休日が国民の休日の多くを占めているということは、この新しい憲法のもとで主権在民が確立され、天皇の地位、これが根本的に変化したことが国民休日の上であらわれていないというふうに私は思いますが、政府はどのようにお考えですか。
○政府委員(櫻井溥君) 国民の祝日に関する御質問でございますが、先生御案内のとおり現在の国民の祝日に関する法律は議員立法に基づいた法律でございます。したがいまして、当時の記録を見てまいりますと、現行の国民の祝日の法律ができる前のいわゆる祝日につきましては、古くは太政官布告あるいは達しあるいはまた勅令に基づいて実施されておったわけでございます。その内容とするところは、御案内のとおり皇室行事を中心といたしました日をもってその都度祝日というふうに定め、これが官庁の休日と重なりまして国民の間に広まっていった、こういうような経緯があるわけでございます。
 そこで、御案内のとおり新憲法が施行されました後、このような内容の休日でよろしいのかどうかということが問題になりまして、当時、昭和二十二年のころでございますけれども、内閣の方から衆参両院の文化委員会の方に、今後の国民の……
○吉岡吉典君 経過はいいですよ。
○政府委員(櫻井溥君) じゃ、経過を省略いたしまして簡単に結論だけ申し上げますと、結論としまして、衆参文化委員会の方で十項目にわたる基準を定めたわけでございます。その基準の中の主な点をちょっと御紹介いたしますと、第一番目に新憲法の精神にのっとること、それから世論を尊重すること、あるいはまたしきたりを重んずること、それから単なる休日と区分して国民に意義のある日として広い意味の社会教育に役立たせること等々の十項目の基準を衆参双方の文化委員会で基準を定めまして、それに基づいて現行の国民の祝日に関する法律が制定された、こういうことでございます。
○吉岡吉典君 いろいろ説明ありましたけれども、日本の休日というのは先進国には見られない休日のとり方をとっているということです。
 これに加えて、今度は即位礼正殿の儀の行われる日を休日にしようというわけで、私はこの面からも戦後の憲法の上にあらわれた主権在民の大きい原理が貫かれていない姿を見出さざるを得ません。しかし、これは私は答弁を求めません。
 そういう主権在民の憲法下でこれに逆らう方向、これが最も顕著にあらわれているのが今問題になっております即位の礼あるいは大嘗祭ということをめぐっての論議だと思います。
 まず、先ほども問題にした点ですが、即位の礼について国の儀式として憲法の趣旨に沿い、かつ皇室の伝統を尊重して実行するということが言われております。さっき問題にした点でもありますが、先ほどの答弁の中で、この「かつ」ということで結んでいるのは二つの要件を備えていなければならないという趣旨の答弁がありました。従来の答弁で、憲法の趣旨に沿わないことはできないということがありましたので、私は憲法優先という立場だと思っておりました。先ほどもそういう答弁がありましたので、それはそれで結構ですけれども、この前のこの委員会で山口委員から、「かつ」というのは二つか、憲法優先かというのがあったときに、憲法の趣旨に沿うんだという答弁があったのに、きょうは二つの、両方の要件を満たすものという答弁がありました。こうなると国事行為の基準として憲法と伝統ということを同列に置くことになります。この答弁でいいのかどうなのか、私は改めてお伺いしておきます。
○説明員(多田宏君) 即位の礼準備委員会が取りまとめた文書の中に、「憲法の趣旨に沿い、かつ、皇室の伝統等を尊重した」という基本的な姿勢が出ているわけでございます。憲法の趣旨に沿うということが大前提でございまして、その趣旨に沿う範囲内で皇室の伝統等を尊重するという考え方でございます。
○吉岡吉典君 先ほどの午前の答弁でありました両方の要件というのは不正確な答弁であったというふうに今の答弁によって私は受け取らせていただきます。
 さて、即位の礼ですが、即位の礼というのは確かに皇室典範には規定されております。しかし、だからといってどのような形で行ってもいいということにはならないと思います。国事行為として行うからには主権在民、政教分離の憲法に沿って行わなければならない。ところが、きょうの答弁でも、即位の礼には宗教的要素がない、こういう答弁がありましたが、私はそうは思いません。
 例えば高御座という問題、これはきょう調度品だという答弁だったと思います。しかし、高御座の淵源は、本によれば、アマテラスオオミカミが皇孫ニニギノミコトを天つ高御座につけ、神器を授け日本国統治の神勅を賜った、このことに由来するものだというふうに書かれております。ですから、このことを見てもやはり即位の礼にも宗教的要素がないどころか大いにあると私は言わざるを得ませんし、またもう既に行われたことですが、剣璽等承継の儀というふうな明白に宗教的な神話に基づく行事がこういうふうな点で行われております。即位の礼には一切宗教的要素というものがないというふうにおっしゃるんですか。
○説明員(多田宏君) 私ども宗教的色彩は持っていないというふうに思っております。
○吉岡吉典君 これはここで論議しても答えは出ないでしょうけれども、アマテラスオオミカミに淵源を発する行事が何ら宗教的要素がないなどと言ったってこれは通用しません。そのことだけ申し上げておきます。
 それから、主権在民の原則に関連してですけれども、例えば今度行われる即位の礼、これは午前の論議でもありましたが、宮殿の上に高御座を置いて天皇がそこに座って行事が行われる。先ほど聞きましたら、この宮殿は床までの高さが三・六メートルだそうですね。その上に高さ六メートルの高御座を置いてその上に座るということになれば十メートル近いぐらい上に上がっての行事と。これは国民を見おろす儀式だ、形の上においてそうならざるを得ない。主権在民時代における即位の礼ということを皇室典範に沿ってやるにしても、こういうやり方というのが主権在民の精神に沿ったやり方だとは思いません。これで主権在民が貫かれているというふうにおっしゃいますか。
○説明員(多田宏君) 高御座の高さが六メーターというようなことでございますけれども、これは高御座の一番上の飾りのところまではかった高さのことでございます。したがいまして、都合十メーターという高さで、その上に陛下がお乗りになるという意味ではございません。
 それから、宮殿そのものの高さというのは、これはもう宮殿のつくりがそういうことに基本的にはなっておるわけでございますので、それで非常に高いところから見おろしているという感じとは私どもは思っていないわけでございます。
○吉岡吉典君 十メートルか九メートルかは別として、大同小異です。私はこういうやり方そのものが新憲法を本当に厳格に守ろうという姿勢がないから平気で行われているということだと思います。
 そして、二つ目には伝統だという答えが出てくるわけですね。憲法で皇位が世襲制となっているからといって、伝統的なすべてのものを継承するということではない。私は、確かに憲法が世襲制を認めてはおりますが、皇室典範で即位の礼などを定めているといって国民主権でなかった時代の世襲に伴う諸儀式まで継承しているということを憲法が認めているものではないと思います。どうですか、この点は。憲法は世襲に伴う旧来の諸儀式まで全部継承することを認めたものだ、こういうお考えですか。
○政府委員(大森政輔君) 委員御承知のとおり、憲法第二条は、皇位が世襲のものであるとともに、皇位が「国会の議決した皇室典範の定めるところ」によって継承される旨を規定しております。そして、これを受けまして、皇室典範の第二十四条は、「皇位の継承があつたときは、即位の礼を行う」として、皇位の継承に伴い、国が国事行為たる儀式として即位の礼を行うことを予定しているというふうに解されるものであります。
 この即位の礼の儀式のほかに、皇位の継承に伴う儀式として皇室がどのような儀式を行うかにつきましては現行法上何ら規定はないわけでございますが、法令の規定に違反しない限り、法令上の根拠がなくとも皇室がその伝統等を考慮して皇室の行事として種々の儀式を行うということは現行憲法上何ら差し支えないことであると解しております。
○吉岡吉典君 私がお伺いしたのは、大嘗祭の問題等は次に質問しようと思っておりましたけれども、世襲ということがあるからすべて伝統を受け継ぐんだという答弁があるから、世襲制を認めたということイコール旧天皇、旧憲法時代の諸儀式まで全部継承するということかどうかという憲法の解釈についてお伺いしているわけです。もう一度答弁してください。
○政府委員(大森政輔君) 同じお答えをして恐縮でございますが、憲法第二条は確かに皇位の継承について規定しているものではありますが、皇位の継承に伴いましていかなる儀式を行うことができるのか、行うのかという問題は、先ほど申しましたように、現行法令に違反しない限りは現行法令の根拠がなくとも行える性質の問題であるということでお答えとしては尽きようかと思います。
○吉岡吉典君 私は憲法論で現行法規一般を論じているわけではありません。それはそこへ置きましょう。
 大嘗祭の問題についてお伺いします。大嘗祭については法的根拠がないということはもうこれまで繰り返し論議になり、お認めになっております。したがって、そのことについて私はここで触れようとは思いません。結局は伝統によるということしか答弁ができなかった。大嘗祭一般を私は言っているわけではありません。もちろん、大嘗祭が公的性格を持つとして国庫資金を出すということが論議の対象になっているということを前提として答弁もお願いしたいと思います。
 そこでお伺いしたいと思いますが、法制局長官は、大嘗祭は皇位の世襲があったとき必ず実行される一世一度の儀式だということをずっと言い続けておられます。大嘗祭は必ず実行されたということ自体が私は事実に反すると思いますが、これは午前に確認された点ではありますが、大嘗祭を行わなければ憲法第一条に規定する象徴天皇になれないということではないと思いますが、この点もう一度はっきりさせていただきたいと思います。
○政府委員(大森政輔君) 本日、法制局長官からもお答えしたところであろうかと思いますが、憲法上は「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。」というふうに規定をしております。そして、これを受けまして皇室典範は、天皇が崩じたときは皇嗣が皇位を継承するという旨を規定しておりますので、御指摘のとおりであろうかと思います。
○吉岡吉典君 これはわかり切った問題ですから、当然お認めにならざるを得ないと思います。
 そこで、繰り返し言えば、今答弁にありましたように、天皇の世襲、これは即位の礼があろうとあるまいと、大嘗祭があろうとあるまいときちっと憲法の規定によって天皇の地位につく、こういうことですね。そうすると、即位の礼及び大嘗祭はどういう関係にあるか。これをやらなければ神様にはなれないかもしれませんけれども天皇にはなれるんだということ、今も法制局も御答弁になったことを前提にして私はお伺いしたいと思います。
 即位の礼、これは皇室典範の規定があります。しかし、大嘗祭についてはその規定さえもない。これはもうさんざん論議されてきました。その根拠として持ち出される伝統ということは、結局は旧登極令及びその附式というのがあなた方のおっしゃる伝統に沿うことということではないのか。この点、どうですか、端的に答えてください。
○政府委員(宮尾盤君) 皇位の継承があったときに必ず大嘗祭を挙行すべきものとされた、こういうふうな説明を私どもいたしておるわけでございますが、これはいわゆる大嘗祭につきましては歴代の天皇の方々の中で大嘗祭を現実に行えなかった方もあります。そういう例外はございますけれども、皇室の長い伝統の中では、そういうどうしてもやってできないような状況にあった場合は別といたしまして、必ず挙行してきましたし、そういうやるべきものだという考え方が基本的にあるわけでございます。
 そこで、大嘗祭は旧登極令によってやるのか、こういうことでございますが、旧登極令というのはもちろん明治末に制定をされたものでありますけれども、この制定に至るまでの過程というものは、古くは貞観儀式とかあるいは西宮記というような奈良以降続いておりますいろいろな古い制度というものを十分踏まえまして、明治の未年に登極令というものを定めたわけでございます。したがいまして、いわゆる登極令に基づいてやるということではありませんで、登極令ももちろん十分参考にいたしますし、古制も参考にいたしますが、登極令そのものがそういう長い伝統に基づいた制度を、そのときにそういうものを参考にしながらつくり上げたものである、こういうことを基本的に御理解いただきたいと思うわけでございます。
○吉岡吉典君 私は、旧登極令の附式と、それから大正天皇から昭和天皇への継承の際の一連の儀式と、それから今回の一連の儀式とか、一覧表を全部丹念に比較してみました。そしてわかったことは、今回行われようとしている儀式の大部分は旧登極令に事細かに規定されている儀式、それがほとんど取り上げられている。したがって、今回行われようとしている儀式の大部分、これもまた大正天皇から昭和天皇への即位のときの儀式とほとんどが同じだ。若干の違いはあるにしろ、言いかえをして、大体それをそのまま受け継いでいるというのが実態であり、結局は旧登極令及びその附式に定められたものにのっとって行われているということは、これはもう比べてみれば歴然としているじゃないかと思いますが、そうでないんですか。
○政府委員(宮尾盤君) 先ほども御答弁申し上げましたように、旧登極令というのは非常に古い時代からの皇室の伝統というものを明治時代にいろいろそのときに合った形での集大成をしたものである、皇室令であるというふうに私どもは考えておるわけでございます。したがいまして、この皇室が行われます行事につきましては、皇室の伝統あるいは先例等を参考としながら行っていこう、こういう基本的な考え方でございますので、その参考とする大きなよりどころに旧登極令がなっているということは、これは否定をするつもりはございません。
○吉岡吉典君 そこで、私は旧登極令についての今の宮内庁の答弁に関連して再度尋ねたいと思います。
 これまでの国会の論議でその趣旨のことを詳しく述べられております。私、簡単に言いますと、こういうことになっていると思いますね。大嘗祭の規定があった旧登極令は新憲法施行と同時に廃止になった、この事実はお認めになっております。しかし、形式的には法的根拠を失ったが、その内容は皇室とともにいろんな諸行事をやる場合の一つのよりどころとしていくことは何ら差し支えない、こういうふうに答弁しておられますし、今の答弁もそういうことだと思います。廃止されたものですよね、廃止されている法令、登極令ですね。これが、その廃止というのは形式的なものであって実質的には有効だと言わんばかりの議論、そういうものを大嘗祭を合理化するために持ち出すというふうなことは、これは私は法治国の法律のあり方、法律の見方としては全くとんでもないことだと思います。
 だからこそ私は、新しい憲法に即した天皇と国家とのかかわり合いというものが必要だということを最初に言いました。一般論としてはそれを認めながら、具体的な儀式をどうやるかということになると既に廃止された明治、大正時代のものでそれを受け継いでやる、そういうことがあるんですか。今も廃止は形式的であり、実質的には有効だという立場ですか。はっきりしてください。
○政府委員(宮尾盤君) 法律の専門家ではございませんが、私どもが理解をいたしておるところを申し上げますと、旧皇室典範というのは旧憲法下の一般の法律とは異なる法体系に属していたというふうに言われておりまして、いわば宮務法の体系に属していた、こういうふうになっております。したがいまして、この旧登極令等の旧皇室令も旧皇室典範の法体系に属していたわけでございます。
 ところが、現行憲法の施行に伴いまして、現行憲法では旧憲法下におけるような独自の、旧皇室典範のような独自の法体系というものが認められなくなったことに伴いまして、当然存在根拠といいますか、基礎が失われて、すべて一律に廃止をされた、こういうことでありまして、その内容が現在の憲法の規定に違反をするかどうかということには全くかかわりなしに一律に廃止になった、こういうふうに理解をいたしておるわけでございます。
 したがいまして、そこで大嘗祭については、私ども皇室の伝統とかあるいは先例等を参酌して皇室の行事として行っていく、こういうことになるわけでございますので、その旧登極令、これは形式的には失効をいたしておりますけれども、古い、長い伝統というものをある程度集大成したものというふうに考えて、その中でそれによれるべきものはそれを一つの参考として行っていって何ら差し支えないではないか、こういうふうに考えておるわけでございます。
○吉岡吉典君 憲法が改正された、そのときの旧皇室典範の廃止は、内容が問題じゃなくて法体系上の問題だという今の答弁、そういう答弁は確かに皇室典範委員会でも行われております。しかし、私はその答弁は憲法において天皇の地位が根本的に変わったことを認めない見解だというふうに言わざるを得ないと思います。そして、伝統を集大成したのが旧登極令だと、こういう答弁ですね。そしてもう事ごとに伝統、伝統とおっしゃる。つまり、伝統ということ以上に、例えば大嘗祭に公的性格を持たせようという根拠がないからそうおっしゃっていると私は思います。しかし、それでは伝統が旧登極令そっくりそのままなのかというと、それは私はその学問的研究の到達点に照らしてもそうではなかったと思います。
 例えば、前近代では天皇の譲位は認めるのが普通だった、こう学問的研究では言われております。しかし、旧皇室典範でも今度も譲位は認めない。伝統と言いながら、その伝統のうちの一部をそういうふうに取っている。即位と大嘗祭との関係についても、これは古くは一体のものではなかった。時期も違って出発している。即位の礼は大嘗祭よりもかなり早くから始まっていた。それがこの登極令の附式では一体のものとして日付まできちっと行われている。奈良時代から明治初年までは、大嘗祭は即位の儀の後、早くて翌年、数年後に行われた例も珍しくない、こう言われております。明治天皇の場合にも四年たっている。そういうふうに両者の間はかけ離れていた。
 今度この登極令、そしてそれを受けた今度の行事というふうなものは、こういう一連の流れ、六十数項目の行事が、儀式が並べられておりますけれども、これはもうそっくり旧登極令の附式に沿ったもので、しかもその旧登極令というのは伝統をはっきり受け継いだものだということではなく、明治時代になってから明治の天皇の神格化、そして天皇の権威づけのために制定されたものであって、長い、古い歴史を持ったものだというふうには言えないと私は言わざるを得ません。旧登極令が歴史、伝統のすべてを正確に受け継いだものだというふうにおっしゃるんですか。
○政府委員(宮尾盤君) 御指摘のとおり、古くからの伝統というものと旧登極令とが全く同じであるということもございませんし、また私どもが旧登極令について、今回の例えば大嘗祭をそっくりそのまま旧登極令に書かれておるとおりにやろうというふうに考えておるわけではありません。
 ただ、そこに盛られている中身というものをいろいろ当たっていきますと、それは非常に古い伝統を基礎にしながら、まさにおっしゃるとおり明治の時代につくられた一つの皇位継承儀式のやり方をまとめておるものだ、こういうふうに私ども理解しておるわけです。したがいまして、それは非常にそういう意味で明治時代のものではありますけれども古いものもまとめたものになっておりますから、それをそのとおりということでなくて、そういうものを参考にしながら、その中で十分今回もやっていけるものはそういう伝統に従ってやっていこう、こういうふうに考えておるわけでございます。
○吉岡吉典君 私さっき譲位の問題等々幾つか挙げましたように、古い伝統そのものではないんですよね。明治時代になってから、明治天皇、天皇制の神格化、権威づけのために新しい儀式のあり方がここできちっと定式化されたというものです。
 特に、私が皆さん考えていただきたいと思いますのは、この明治時代の憲法が新しい憲法に変えられ、そして憲法原理、これに根本的な変化があったと冒頭法制局もお認めになりましたように、主権在民、そして天皇の地位の根本的な変化、政教分離も重要な原理の一つです。天皇の地位が根本的に変わった、国民の意思を基礎に置いた天皇に変わった。日本の伝統というのは、新しい伝統はここから出発するんです。旧天皇時代と今の天皇と地位が全然違う時代にやられたことを伝統だと言って持ち込む、こういうふうなものは新しい憲法を認めない重大な憲法無視だ、私はそういうふうに言わざるを得ません。
 国民主権下の象徴天皇制のもとでは、こういう即位の礼にしろ、この世襲というものは初めての出来事です。初めての出来事には、憲法にふさわしくその初めての出来事としてのあり方があると思うんですね。象徴天皇の伝統というのはこの憲法から始まるわけですよね。象徴天皇制のもとで伝統と言えるようなものはないわけです。それを私は皆さんに考えていただきたい。もっと端的に言えば、大体、新しい憲法ができたときに世襲を認めた以上は、その世襲に基づく儀式、これをどういうふうにするかということまで法律化されておれば、ここでこういう論議をやるまでもなく、新しい憲法にふさわしい儀式が行われたと思います。それをやらないで、もう全部政府及び一部の委員会ですか、こういうところで決める、これは私は国会軽視だというふうにさえ言わざるを得ないというふうに思います。
 象徴天皇のもとでの伝統という私の今の指摘に異論があればおっしゃってください、私はそれが新しい憲法下の本来のあり方だと思いますが。
○政府委員(宮尾盤君) 大嘗祭についての基本的な考え方の問題になろうかと思うわけでございますが、憲法というのは国の最高法規でありますし、国のいろんな法律面での一番背骨になる法律であることは間違いないわけでございまして、その法律の中に天皇が日本国の象徴であり日本国民統合の象徴である、こういうふうに規定されておることもそのとおりであります。それと同時に、憲法の中では皇位の世襲制ということを認めておるわけでございます。
 今回行おうとする大嘗祭は皇室の行事として行うということで、基本的に皇室の行事というのは憲法あるいはその他の法令に違反しない限り皇室としての御判断でなし得るし、やって差し支えないものだと。そうしますと、現在の皇位というものは世襲に基づいて受け継がれてきておりますから、そういう意味では、歴代天皇がおやりになって、非常に大切な行事だということでなされてきた大嘗祭というものも皇室の長い伝統に従って皇室行事として行われる。こういうことが皇室としても非常に大事なことでありますし、国という立場から見ましても、そういうことについて深い関心を持ってとり行われるような手だてを講じていくことが必要である、こういうふうに私どもは考えておるわけでございます。
○吉岡吉典君 私は、天皇が全く私的に内部で行われる行事を問題にしていないということをさっきも言ったばかりです。それをまたそういう一般論にされる。これは何とかして現行憲法下でも旧時代の天皇を守ろうという立場のあらわれだとしか言いようがございません。
 それはさておいて、そういう新しい憲法下で天皇の問題をめぐって主権在民が貫かれていないいろいろな問題がある。時間がありませんけれども、私一つ天皇の財産に関連してお伺いしておきたいんですが、天皇は有価証券、株や債券を持っておられる。これは国会でも何回も確認されているところですが、お認めになるか、どの程度保有しておられるか、お答え願います。
○政府委員(永岡祿朗君) お答え申し上げます。
 昭和二十二年に憲法が施行されました際に、従来皇室の持っておられた財産は、財産税及び憲法八十八条によりましてすべて国に属しているわけでございます。ただその際、不時の用に充てるためということで、当時の金額で千五百万円の預金が内廷に残されたわけでございます。その後、この運用から生じる金融資産がございまして、その中には、委員がおっしゃいましたように株式もございます。ただ、その具体的な額につきましては、何分私経済にわたることでございますので差し控えさせていただきます。
○吉岡吉典君 その株は名義はどうなっていますか。天皇の名義になっていますか。
○政府委員(永岡祿朗君) 内廷の会計のお世話をするという立場から、内廷会計主管何某という名前になっております。
○吉岡吉典君 そうすると、所有者自身の名義ではないわけですね。
○政府委員(永岡祿朗君) そのとおりでございます。
○吉岡吉典君 そうだとすると、私は大蔵省にお伺いしたいと思いますが、株式の仮名取引についての通達というものが出ておりまして、所有者以外の名義での株式の取引というのは禁止されているはずです。天皇の場合はこの通達に従わなくてもいいんですか。
○説明員(若林勝三君) お答えいたします。
 一般に投資家が参加いたします証券市場におきまして取引の公正性を確保するという観点から、証券局長が証券会社に通達を発しておりまして、仮名であるとわかった場合には、そういう株の売買を受託しないようにということを指導いたしておるところでございます。
 それで、今御指摘の点につきましては、本件通達の趣旨があくまで公正性確保ということで、証券会社にどなたの取引であるかということが明らかにわかっておる、そういう御本人の明らかに委任を受けてやっておるということが明確である場合は、この通達の趣旨からいって特に問題はないものと考えております。
○吉岡吉典君 またもや天皇には特権的な例外が認められていることが明らかになりました。時間が来ましたので、私は税金の問題等々あらゆる分野で天皇にはやはり主権在民になった現行憲法下において国民と違った特別の取り計らいが行われているということを、時間が来てもう質問する時間がありません。
 結論的に、私はきょうの午前の論議も含めて指摘しておきたいと思いますけれども、きょうの最後に憲法解釈の拡大や天皇の神格化などはやらないという官房長官の答弁がありました。しかし、即位の礼にしても、大嘗祭も公的性格があるとして国庫金を出すというふうな一連の問題、またこの間の一連の答弁を見ますと、これはもうどこからどう見ても憲法解釈の拡大、憲法違反の合理化と言わざるを得ないものに満ちております。
 例えばきょうありました憲法第二条の「世襲」というのは、皇位に属する男子という伝統を背景として考えられる。これは明治憲法の解釈には男系ということが書いてあるんですよ。現行憲法の解釈を明治憲法の条文に沿って行う、これが認識だとすれば全く新しい憲法の立場に立っていないということが明確になると思います。
 特に、伝統が最高法規に規定されているという答弁もありました。これは宮内庁次長の答弁ですけれどもね。これはどこにありますか。私は言語道断な答弁だと思います。こういうことを見ると、せっかく主権在民の憲法ができ、天皇の地位の根本的な変化があったということは一般論としては認めながらも、実際上は旧憲法時代のままの天皇観に支配された一連の行事が行われ、そしてまたそういう認識に貫かれているということを私は指摘せざるを得ません。特に、私は伝統が最高法規に規定されているという答弁については聞き捨てなりませんので、これはどこに、何条にどういう形で書いてあるかを答えていただきたい。そして私は取り消しを求めたいと思います。
○政府委員(宮尾盤君) 私は今御指摘を受けたような趣旨で申し上げたつもりではなかったんですが、もし間違ってそういうことを申し上げておれば訂正をいたしますけれども、私が先ほど御答弁を申し上げましたのは、憲法には皇位の世襲制ということが規定をされておるということを申し上げたわけです。
 その世襲制というものはどういうことかといいますと、代々皇嗣がその皇位を受け継ぐと、こういうことで……
○吉岡吉典君 そこまででいいです。
○政府委員(宮尾盤君) これは過去の例からいいまして歴代天皇が、今度は大嘗祭ということに関連をして見た場合に、大嘗祭は必ずやるべきものということで皇室の長い伝統になっているから、その伝統というものを皇室行事として行う場合にそういう伝統は尊重していく必要があろうと、こういう趣旨の答弁を申し上げたつもりでございます。
○星川保松君 初めに内閣官房長官に御質問をいたします。
 日本国憲法の規定によりまして「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」ということで、皇室典範の第二十四条がこれを受けて「皇位の継承があつたときは、即位の礼を行う。」ということになっておるわけでございます。それで即位に関するいろいろな儀式が行われるということであります。
 それに関して、今回即位礼正殿の儀の行われる日を休日とするということでありますが、この即位を内外の代表がことほぐ儀式だと、そして国民こぞって祝意を表するためと、こういうことを説明なさっておるわけでございます。まさにこの内外の代表が心からことほいでいただける儀式でなければならない、そしてまた国民こぞって祝意を表する儀式でなければいけない、こういうふうに私は思うところでございます。そこで、政府の方でも即位の礼検討委員会をつくり、また準備委員会を設置し、さらには即位の礼委員会をつくって今進めていらっしゃるわけでありますけれども、こうした内外の皆さんが本当に心からことほいでくださるような儀式、国民こぞって祝意を表していただく儀式とするためにどういう配慮をなさいましたか、そのことについてまずお尋ねしたいと思います。
○説明員(多田宏君) 即位の礼は国事行為として行うということでございまして、この国事行為として行う基本的な考え方は、憲法の趣旨に沿ってやる、そして皇室の伝統を尊重するという、そういう考え方で整理をしてきているところでございますが、具体的にどういう儀式立てをしていくかということについてはなお今いろいろと検討中でございます。
 趣旨としては先ほど申し上げたような趣旨、そして先生がおっしゃるような国民こぞってあるいは内外こぞって祝意を表していただけるような方向で儀式立て等も考えていくということにいたしておるところでございます。
○星川保松君 そういうことで、この儀式が本当に皆さんに喜んでもらえるものにしなければならないというわけでございますが、いわゆる内外ということでありますが、やはり内外の皆さんに気を配らなければならないわけでございます。この即位の儀式というのは、内外の一般の皆さんから見れば、お父さんの天皇さんが亡くなられた、それで今度は私がかわって日本の天皇になりますということで内外の皆さんによろしくと、平たく言えばそういう儀式だろう、こう思うわけでございます。そういう儀式を国民の各層の皆さんがどういうふうに見ておるかということで私もいろいろと各方面に聞いてみたわけでございます。
 まず年齢によって天皇観が大きく違っておるわけでございまして、今進めておられますような形の天皇の即位ということについては、いわゆる明治憲法下の前の天皇について知っている人はかなり理解を示すようでございますが、新しい憲法下の天皇しか知らない若い人から話を聞きますと、どうもぴんとこないなということなわけでございます。そういうことで、今日本の国民の年齢層を見た場合、以前の明治憲法下の天皇を知っている古い方々と新憲法下での新しい天皇しか知らないという人口比率はどういう状況だとお考えでしょうか。何対何ぐらいで結構ですよ。
○説明員(多田宏君) 申しわけありませんが、ただいまちょっと手元にございませんので、後ほど調べて御報告をさせていただきます。
○星川保松君 私ごとですけれども、私は前の明治憲法下の天皇のもとでいわゆる軍国少年に育てられまして「海行かば」の道をたどった一人でございます。その私でさえももう還暦を迎えたわけでございます。そういうことを考えますと、圧倒的に新しい民主憲法下の天皇については皆さんよく理解をしているだろうけれども、前の明治憲法下の天皇について御存じの方は非常に少なくなっているのではないか、私はこう思うわけでございます。そうしますと、やはりその若い人々に対しても理解のできる、親しんでもらえる、ここであなた方の言葉で言えば心からことほいでもらえる儀式にやはりしなければならないのではないか、こう思うところでございます。
 午前中にも質問が出たわけでございますが、私はある若い女性の方に天皇の即位の儀式があるということをお話をしましたら、その方から、どうして男系の男子しか天皇になれないんだと。今の新憲法には性別で差別をしてはならないという基本的人権を掲げておるわけでございます。ところが、皇室典範の方では男しかだめなんだということでは、国民の統合の象徴である天皇がまず憲法の男女平等にどうもそぐわないのではないかというような疑問が出されるわけでございます。これについては日本国憲法の男女平等の基本的人権と皇室典範の男系の男子のみというのがどういうふうに関係しているとお考えなのか、法制局からひとつお聞かせ願いたいと思います。
○政府委員(工藤敦夫君) ただいまの委員お尋ねのいわゆる男系の男子が皇位を継承するという点でございます。この点に関しましては、昭和二十二年、現行の皇室典範制定時にもかなり議論が行われたと承知しておりますが、現在の憲法の二条、これは「皇位は、世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。」と、かように規定しております。この規定は、午前中も宮内庁の方からもお答えございましたように、皇統に属する男系の男子が皇位を継承する、こういう伝統を背景として制定されたものでございます。したがいまして、憲法の二条は皇位継承者を男系の男子に限る、こういう制度を許容しているものと、かように考えております。
 その意味におきまして、また同時に御指摘ありました憲法十四条の問題、これのいわば特則をなす規定であると、かように解されます。したがいまして、皇族女子の皇位継承を認めないという現在の皇室典範第一条の規定、これは法のもとの平等を規定しました憲法十四条に違反するものとは考えておりません。
○星川保松君 いわゆる日本国憲法の人権宣言事項といいますか、男女平等というのはイギリス、フランスの方から入ってきたんだと思いますけれども、その基本的人権の発祥地といいますか、非常に歴史的に大事にしておるところはクイーンというのを認めておるわけですね。クイーンを認めているというよりも、認めざるを得ないということになっているんじゃないかと思いますね。そういう人権宣言の流れを取り込んだ日本国憲法が、なぜイギリスやフランスやあっちのような男女の取り扱いをしないで日本独特の男系の男子ということがやれるのか。それは国際的に基本的人権という立場からすれば問題があるんじゃないか、こういうふうに私は思います。
 特に今回は内外の皆さんにことほいでいただくということで、外国の皆さんにも理解をしていただくというようなことから考えた場合はこれまた非常な矛盾ではないか、こう思うんですが、どうでしょうか。
○政府委員(宮尾盤君) 女帝問題についての外国の制度というのは、私どもも専門的に詳しく調べておるわけではございませんが、午前中にもちょっと御答弁を申し上げましたように、ヨーロッパの主要な王国等でそういう制度を認めているところがあるわけでございます。
 ただ、まず第一に、天皇というのは、例えばイギリスにおける女王とかそういうあれはそれぞれのやはりお国柄というもの、そういう長い伝統を受け継いできている一つの制度でありますから、必ずしも日本の天皇制というものが外国と全く同じでなければならないという考え方はいかがなものであろうかということが一つあります。
 それから、外国で女王を認めておる場合にも、それは全く男女差別なしにということも、そういう国もあるようでございますけれども、例えばイギリスの場合にはやはり男系が優先をして、男系の方がおられない場合に女系に、女系といいますか、女子の方がお継ぎになるというような、そういう仕組みをとっているところもあるわけでございまして、全く男女完全に平等でなければいかぬというようなのがすべての王制の姿であるというふうに私ども承知をいたしておらないわけでございます。
○星川保松君 男系の男子が日本古来の伝統であるというようなお話なわけでございますけれども、私はそうでもないのではないかと思います。大体アマテラスオオミカミ様は女神様でございまして、それで卑弥呼という倭の国の王ですか、おりましたですね。これもやはり女子でございまして、この卑弥呼という王様が亡くなって、死後男の王を立てたけれども日本は治まらなかったと。国じゅう服せず、それで卑弥呼の身内の壱与という十三歳の女王を立てて治まったということがあるわけですね。その後はずっと平安時代は女系家族なんというのもあったわけでございまして、ということからして、やはり男系の男子でなければならないというのは日本古来の伝統ということは言えないんじゃないか。
 それから、男系の男子だけが果たして天皇になってきたかと。私はよく調べてみたことありませんが、いわゆる女系の男子ということもあったのではないかと思います。その点についてははっきり男系の男子しか天皇にはならなかったんだということを原則として言い切れるのかどうか、これもお尋ねしたい。
○政府委員(宮尾盤君) いわゆる神話と言われるような時代のお話、あるいは歴史的にもなかなか十分記録が――今の卑弥呼なんかが歴史にもあるわけでございますが、そういうこともあったわけでございますが、少なくとも現在に至るまでの御歴代の中で、日本の皇室の制度といたしましては、男系の男子が皇位を継がれるというのが原則として我が国の古来の伝統だというふうに私どもいつも申し上げておるわけでございます。
 それで、卑弥呼とかアマテラスオオミカミというお話はちょっと別にいたしまして、しかし歴史書には、例えば推古天皇とか持統天皇だとかいうような女帝が十代八方おられたわけでございます。ですからこれは男系男子が皇位を継ぐということからいえば例外になるわけでございますけれども、この十代八方の女帝の場合には、いずれもその皇嗣の方が大変若くて小さくて御幼少であってすぐ皇位にはおつきになれないとか、あるいはそのほか特別な事情があって女帝というケースが何代かあった、こういうことでございまして、まさに私どもそれは臨時的あるいは例外的に、言葉は悪いかもしれませんが、中継ぎの意味で皇位をお継ぎになったというふうに考えておるわけでございます。しかも、この方々はいずれも男系から出ておられる方々でございまして、女系というケースは全くないというのが実際の姿であろうというふうに思っております。
○星川保松君 それから、日本国民の中には、宗教、信仰は自由でありますから、いろんな宗教の信者がいらっしゃるわけでございます。そういう方々も、そのどの宗派、信条、そういうものにとらわれずにやはりみんながお祝いを申し上げるというようなものでなければいけないと思うのです、今回の即位の儀式というのは。そういうことから考えてみた場合に、即位の礼の方はそう宗教には関係ないんだ、大嘗祭の方は宗教的な色彩が強い、こういうことでございますけれども、一つの宗教の形式に乗ってやった場合は他の宗教の皆さんはやはりそっぽを向いてしまうというのは当然じゃないかと思うのですね。ですから、国民みんなが喜んでもらえるような儀式にするには、そうした日本の国民の皆さんの宗教感情といいますか、その信徒の皆さんにもやはり配慮をしていかなければならない、こう思うわけでございます。
 今日本国民が、例えば神道系とかあるいは仏教系、キリスト教系とかこう言いますけれども、大体どういう構成になっているんでしょうか。
○政府委員(宮尾盤君) 御質問の趣旨が日本の宗教宗派の何か大別みたいな……
○星川保松君 信徒の数の比率みたいなもの。
○政府委員(宮尾盤君) 私はそういう方面は直接タッチをしておりませんので、例えばいわゆる信徒と申し上げても、我々の家に神棚もあれば仏壇もあるというケースをどちらと考えるかとか、いわゆる日常のそういう姿というものをどういうふうにカウントするのか。それから、例えば典型的な通過儀礼の中にあらわれますように、御葬儀等を仏式で行うのか神式で行うのかキリスト教で行うのか、いろいろあれがありますので、そういう意味での御質問についてはなかなかこれは分類も難しいし、的確にお答えを申し上げるような知識も全く私は持っておらないわけでございます。
○星川保松君 そういうことも十分調べて、これにやっぱり配慮をしてそういう儀式というものをやらなければ、あなた方のおっしゃるような国民がもろ手を上げてお祝いをするような儀式にはならないのではないか、こう思うわけです。
 実は、念のために文部省の方に私聞いてみたのでございますが、それによりますと、文化庁の宗教年鑑の平成元年版、六十三年現在でございますが、神道系が五一%、仏教系が四三%、キリスト教系が一%、そして諸教が五%という把握をしておるわけでございます。こういうことになりますと、神道系の形式で即位の礼をやれば、それは例えば仏教系の皆さんとかキリスト教系の皆さんはやはりそっぽを向いてしまうということになるのではないか。そうすれば、国民こぞって本当にお祝いをしてもらえる儀式にはならないのではないか、こう思うわけです。
 ですから、憲法に規定する政教分離云々ということもありますけれども、私はむしろこっちの方が大事だと思うんですね。法の解釈についてはいろいろあなた方はつけられるかもしれません。しかし、こういう国民がどう受け取るかということはあなた方の力ではどうにもならないことでございますね。だから、憲法の解釈よりもこういうことに配慮をして初めてみんな国民こぞって祝ってもらえる儀式になるのではないか、こう思うところでございます。これについて官房長官、今後どういう御配慮をくださいますか。
○説明員(多田宏君) 閣議決定をいたしまして内閣の助言と承認によって実施をされる即位の礼につきましては、全く宗教色をなくしたものとして実施するという考えでおります。
○国務大臣(坂本三十次君) いろいろな宗教を信じておられる方が国民の中にいろいろたくさんおいでるから、その方々にも理解をしてもらって、みんなで喜んでもらえるような即位の儀式を初め儀式にしてもらえればどうかと、そのあなたの気持ちは本当に私もよくわかるような気がいたします。
 今初めてあなたからこの信徒のパーセンテージを聞きましたですけれども、これを見れば大分ダブっておりますね、全部ダブっておる。私のうちでも神棚にお参りして、その隣の部屋は仏間で、またお参りをしまして、それやりますよね。それから、結婚式は神式でやっても葬式は仏教でやるとか、キリスト教で結婚式をするとか、いろいろあるようでございまして、まあこれは私だけの考えでございますけれども、日本人はどうも宗教に対する何と申しましょうか、外国のように私はこの宗教だからこれ以外はもう認めないとか、そういうような気持ちは非常に日本人は大らかなんじゃないでしょうか。近い先祖を仏様で、遠い先祖は神様でというぐらいなようなつもりでおいでの方も多いんじゃないかなと思います。ですから、宗教にいろいろ分かれておるからなかなか難しいではないかとおっしゃいますけれども、非常に信心の特別深い方々は別といたしまして、私は日本人一般についてはもっと宗教の境目についてはおおらかな気持ちを持っておるんじゃなかろうかなと。
 しかし、やっぱり国民に愛されるような式にしなきゃいかぬ、儀式もそれについて考えろというあなたのお気持ちにつきましては全く同感でございますけれども、できるだけ政府の見解を今御説明申し上げておるわけでございますが、これを国民の皆さんにもひとつわかりやすくお伝えをし御理解をいただくように政府としても努力をいたしていきたいと思っております。
○星川保松君 ぜひそうした国民に対する配慮をしていただきたい、こう思うわけでございます。
 それから、今まではいわゆる日本国民、内外の内の方の問題を取り上げたわけでございますけれども、外の皆さん、外国の皆さんにもやはり理解をしていただく、ことほいでいただくものにしなければならない、当然なことでございます。
 そこで、外国からいらっしゃる皆さんというのは天皇の即位の礼というのは一体どういうものだろうと思って来るか。例えば大統領しかいないところでは大統領の就任式みたいなものだろうということを頭に置いて来るかもしれませんし、それからいわゆる元首としての完璧な形の王を持っているところはまたそういうものだろうと思って来るだろうし、いろいろあると思います。それらの皆さんにも、日本の天皇というのはこういう形のものであるということを印象づける大事な機会になるのではないか、こう思うわけでございます。
 かつて戦争で、天皇の軍隊ということで皇軍と称していろいろと近隣諸国等に迷惑をかけたりしたわけでございますので、そういうことを受けた、被害を受けた諸国の皆さんというのは、日本の天皇というのはどういう今度姿になるんだろうということで、なったんだろうということで見ているのではないかと思います。そういう皆さんにかつての天皇のような印象を与えたとしたらこれは大変なマイナスになると思うわけでございます。そうじゃなくて、かつての日本のあの天皇とは全く違うんだ、民主憲法下の民主天皇、国民のシンボルとしての天皇なんだということをきちんと印象づける配慮をしなければならない、こう思うのでございます。
 まず、この天皇という名を外国の皆さんが何とお呼びしているか、英語圏とドイツ語圏とフランス語圏、ロシア語圏あたり、おわかりでしたらひとつお聞かせ願いたいと思います。
○政府委員(宮尾盤君) 外国、例えば英語、ドイツ語、スペイン語というような種類に従ってどういうふうに翻訳をしているのかというのは、私も実はそこまで外務省なりあるいは外事関係の正確な知識を今持っておりませんので、間違ってはいけませんから、後刻またわかりましたらお知らせを申し上げたいと思っております。
○星川保松君 このぐらいは御存じだろうと実は思っておったんですが、だれもいないですか。――私も少し調べてみたのでありますが、英語圏ではエンペラーと称するそうですね。ドイツ語ではカイゼルだそうでございます。これはマスコミの呼称でございます。それから、ロシア語ではインペラトールと言うんだそうですね。それから、韓国ではイルホァン、イルウァンということで日王と書くんだそうですね。今韓国大統領がいらっしゃって、日本の植民地時代の問題で謝罪問題が出ておるわけでございますけれども、韓国では日王、あるいはこれは日皇と書いて「にちおう」と読んだ方がいいでしょうか。そうしますと、日本の総理大臣が謝罪をしてもどうもそれは平たく言えば勘弁できないと、これは日王というふうに伝わっているものですからね。やはり日本の王様が謝罪してくれなきゃ本当の謝罪にはならないんだという国民感情があるんじゃないかと思うんです。
 そういうことになっていますと、やはり難しい国際問題等が起きやすいわけでございますけれども、例えばドイツ語のカイゼルと呼ばれる皇帝ですか、こういうのは今いらっしゃるんでしょうか。
○政府委員(宮尾盤君) ドイツにカイゼルといいますか、皇帝が現在あるのか、そういう制度があるのか、こういう御趣旨でございますか。
○星川保松君 いや、ドイツ語圏で現在カイゼルと呼ばれる皇帝がいらっしゃるか。
○政府委員(宮尾盤君) またこれも正確な知識を持ち合わせておりませんので、答弁を差し控えさせていただきたいと思います。
○星川保松君 エンペラーの方はどうですか。英語圏でエンペラーと呼ばれる、天皇と同じ名前で呼ばれる人がどのぐらいいらっしゃいますか。
○政府委員(宮尾盤君) まことに申しわけありませんけれども、そういう知識をちょっと持ち合わせておりませんので、また後刻外務省等に問い合わせて、必要があれば御報告を申し上げたいと思います。
○星川保松君 この点も非常に大事なんじゃないかと思います。宮内庁で外国に出す文書に、例えばドイツ語圏のところに出す場合はカイゼルと書いて出すのか、英語圏の場合は天皇をエンペラーと表現して出すのか、これはどうでしょうか。
○政府委員(宮尾盤君) 専門的にはこれは外務省の協力を得まして失礼のないように、またその相手に誤解を与えないようにきちっと間違いのない翻訳をして出しておるわけでございますが、そういう方面を専門にやっておりませんので、その点は恐縮でございますがまた後刻御報告させていただきたいと思います。
○星川保松君 これも外国から来られるお客さんに対してどういう印象を与えるか、それから日本で即位の礼とそれに付随する儀式をやったものが外国にどういうふうに広がっていくかということによって日本の天皇というのがどういう形なのか、どういう存在なのかということを理解させるのに、結局こういう言葉で伝わっていきますと、やはりこれが全くの明治憲法下の天皇のような形に伝わるかもしれませんし、ですからやはり象徴天皇であるということが正しく伝わるようにそういうことにも配慮をしてほしいということでございます。
 次に入りますが、問題は、先ほどまでもいろいろと指摘がされておるわけですけれども、天皇という呼び名は同じでありますけれども、明治憲法下までの天皇とそれから新憲法下における天皇というのは中身が大きく変わったということだと思います。
 それで、いわゆる明治憲法下の天皇は、先ほどもお話があったわけですけれども、大日本帝国憲法の中に、告文のところに「皇朕レ謹ミ畏ミ 皇祖 皇宗ノ神霊ニ誥ケ白サク」というところから始まるわけですね。そして憲法発布勅語、これは「国家統治ノ大権ハ朕カ之ヲ祖宗ニ承ケテ之ヲ子孫ニ伝フル所ナリ」というふうにあるわけです。つまり、いずれも皇祖皇宗から受け継いでこれを子孫に伝える。皇祖皇宗から受け継いだということは、私たちも子供のころ習ったんですけれども、いわゆる高天原の神様からずっと受け継いできたんだということで、いわゆるこれは王権神授説ということになろうと思いますが、その点はどうでしょうか。
○政府委員(工藤敦夫君) 私も、王権神授説、確かにそういう説明がなされることもあると存じます。今委員御指摘のように、旧憲法下におきます天皇はその地位がいわゆる神勅にまでさかのぼるわけでございまして、万世一系の天皇としての地位を持っておられたということがあろうと思います。それからまた、旧憲法下におきましては国の元首として統治権を総攬される地位にあった、こういうことだろうと思います。
 ただ、現在の日本国憲法のもとにおきましては、その第一点目につきましては、あくまでもその地位は日本国民の総意に基づくということ、それから第二点目につきましては、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、非政治的な地位にあられる、こういう点で大きく変わっているということだと思います。旧憲法下におきましては、先ほど御指摘のようにいわゆる神勅にまでさかのぼる、こういうことだろうと思います。
○星川保松君 そういうことで今度私が天皇になりましたという即位の礼をやる。その即位の礼が、王権神授の明治憲法までの天皇の場合はこれはあくまでも皇祖皇宗の方に向かって御報告をするという儀式が当然だと思うんですね。皇祖というのはアマテラスオオミカミで、皇宗は歴代の天皇ということなわけですね。ですから、即位の礼の際は皇祖皇宗の方に向かって報告をするというのが即位の礼のあり方だったと思うんです。
 ところが、今の平成天皇は神から天皇の地位を授かったわけじゃないんですから、あくまでも新憲法によって天皇につかれたわけでして、あくまでも国民の統合の象徴なわけです。そうならば、私が今度天皇になりました、よろしく願いますということならば、これは皇祖皇宗の方に向かっちゃいけないと思うんですね。これはやはり国内外の皆さんに対して向かわなくちゃいけないと思うんです。ですから、儀式もそういう儀式でないと、どうもまた国民もそれから海外の皆さんも、おかしいな、こう思ってしまうおそれがあると思うんです。
 ですから、今回はかなりの国費を使ってこういう儀式をやるわけですけれども、お披露目の儀式をにぎやかにやる、皆さんに喜んでもらうということはこれは結構だと思うんです。ただそのやり方が、伝統が大事だということで皇祖皇宗の方に向かっちゃいけないと思うんですね。皇祖皇宗の方に向かって盛大にやるということは、これは今の新しい憲法下の天皇ではなくなってしまうわけです。そういう印象を当然皆さんが受けるわけですね。ですから、もっと国民とそれから外国の皆さんも含めてそっちの方に向かって、そして天皇の地位についたということを皆さんに喜んでもらう、そういう儀式に持っていかなければいけないんじゃないかと思うわけですね。
 ですから、そういう面から見ますと、やはりこの高御座という高い台の上にお着きになって、それは天にいらっしゃる皇祖皇宗の方に近いから高いところに上るのかどうか知りませんけれども、それから今度は大嘗祭ということで天皇がたった一人ですか、奥の方に入ってまいりまして、そして皇祖皇宗の方に向かって即位の儀式をするというのはちょっと方向が違うんじゃないだろうか。そうじゃなくて、国民の皆さんそれから外国の皆さんに向かって、こっちに向かって皆さんに喜んでもらえるような、拍手を浴びるようなそういう儀式が本当のあり方ではないか、こういうふうに思うんですけれども、どうでしょうか。
○説明員(多田宏君) 国事行為として行われます即位礼正殿の儀につきましては、高御座という由緒ある調度品を使うことは予定しておりますけれども、これは別に宗教的色彩というようなことではなく、要するに由緒ある調度品としてそれを使用するというふうに考えておりまして、まさに先生がおっしゃるとおり内外の方々に向かって即位を公に宣明するという儀式でございますし、また内外の方々からこれをことほいでいただく、そういう儀式として行うことにいたしております。
○星川保松君 それから、大嘗祭というのはどういうことをやるんだということを高校に行っている少年から私は聞かれまして、これは五穀豊穣をお祈りするんだそうだ、こういうことを言ったわけです。そうしたら、その少年は農業高校に行っておったんですが、天皇陛下がお祈りをすると本当に五穀豊穣になるんでしょうか、こういうことを聞かれましてびっくりしたわけでございます、天皇というのはそういう神通力を持っているんだろうかということを聞かれまして。これは皆さんはどうですか。
○政府委員(宮尾盤君) 大嘗祭は、天皇が御即位後初めての秋の収穫期を迎えまして、いわゆる安寧と五穀豊穣を感謝する、そしてまたそれを祈念する儀式だというふうに言われておりますし、私どももそういうふうに思っておるわけでございます。
 これは天皇という現在の憲法で言えば日本国の象徴、日本国民統合の象徴、こういう大切な地位におられるわけでございますから、そういうお立場において国内の安寧と五穀豊穣ということを祈念されますように国民の福祉というものを感謝しお祈りをする、こういうことでございまして、これは時代がもっとさかのぼった昔におきましても、天皇というお立場においては常に国内の安寧、五穀に代表されます産物の豊かな実りというものを敬けんにお祈りになる、こういうことをなされてまいったわけでございまして、非常にそういう意味では天皇という地位にふさわしい、またそういうお立場における厳粛な、敬けんな行事であったというふうに私どもは思っておるわけでございます。
○星川保松君 宮内庁は、厳粛な、立派な行事だと、こうおっしゃいますけれども、私が言っているのは、初めから一般の国民の皆さんがどう受けとめておるかということをお話ししておるわけでございます。
 その農業高校の生徒が、お祈りして五穀豊穣になるんならおれたち毎日お祈りしていればいいんじゃないか、こういうことを言われまして私は困りました。土をつくって肥培管理をきちんとしなきゃ五穀豊穣にならないぞと学校で教えられているわけでして、そういう科学的な教育をしているのに、こういうことになりますと私ども返答に困るわけなんですよ。ですから、教育上もこれは問題あるなと思った。そういうふうにとる若い皆さんが日本の場合はどんどんふえているということです。ですから、そういう方々にもわかりやすいような儀式をやりませんとみんなには喜んでもらえない。ただ、休みだからいいなといってみんなごろ寝するということになってしまうわけですね。ですから、そういう細かい配慮をやはりしていっていただきたいということのこれは一つの例でございます。
 それから、伝統、伝統ということで大変伝統を大事になさっておられるようでありますが、どうも私は必ずしもそうではないんじゃないかという気がするわけです。といいますのは、今まで即位の礼、それから大嘗祭も、これは皆京都でやっておったわけですね。それで、今でも京都には紫宸殿という看板をかけた御殿が残っておる。歴史的にずっと、一番最初は大極殿というんですか、そこで儀式をやってきた。ところが、それが焼けてですか、なくなってからこの紫宸殿ですべてやってきた、こういうことなんでございます。そのがあるのにもかかわらずやらないで、伝統を無視して東京でやるということについて京都に住む田中良三さんという方の話がある本に載っておりました。「京都の市民にとりましては、京都は今も都であって、天皇さんが東京へ行っておられるのは、仮の京都、東の京都という所に行っておられるのだと京都人は解釈している。その大きな理由は、政府が東京遷都の宣言をしていないこと、もう一つは建礼門の奥の北側の紫宸殿の鴨居のところには、現在も「紫宸殿」と書いた額がのこっている。これは京都が現在も都であることを意味していると京都人は思っている。大多数の京都の町人は天皇さんが京都にお帰りになるのを百年以上もお待ちしている。」ということが書いてあったわけでございます。
 それで、伝統、伝統ということをおっしゃる皆さんが、なぜこの千年の伝統のある京都の紫宸殿で儀式をやらないで皇居の方でやるということになったのか、このことについて京都の皆さんに一言でもお話をなさって了解をとったのかどうか。
○政府委員(宮尾盤君) 大嘗祭は、旧典範にも京都でということが規定されておりますように、長年京都で行われてきたということは確かにそのとおりでございますが、長年というのは、一つには京都に御所がずっとあったから明治前までは京都で行われた。明治天皇のときに東京で行われたわけでございますが、やはり長年京都で行われたということになりまして、その後、旧範典に定められているように京都で行うんだ、こういうことで大正、昭和の先例はそういうふうに行われたわけでございます。
 今回、そういうことをどうするかということでいろいろ検討をいたしました。また、ただいまお話にありましたように、京都の方々が非常に熱望しておられる、そしてそういう方々のいろいろな御意見も私どもにも寄せられたわけでございます。それらいろいろ他の事情等も総合的に勘案をいたしますと、今日京都で行うということになりますと、例えば国政事務の面あるいは経費の面、警備の面その他もろもろの点につきまして解決をしなければならない大きな問題というものがあるというような諸般の事情を考慮いたしまして東京で行うことが適当である、こういうふうに判断をされたわけでございます。
○星川保松君 最後に要望ですが、あくまでもこの儀式は内外の皆さんが今度の新しい天皇というのはどういうお姿なのだろうということで大きな関心を持って見ておるわけでありますから、それらの皆さんに誤解を与えないように、特にさっき言いましたように、皇祖皇宗の方に向かっているのではなくて、内外の国民に向かって皆さんに喜んでもらえる儀式にしていただきたいということを要望して終わります。
○田渕哲也君 まず初めに、法制局にお伺いしますが、皇室典範の第二十四条には「皇位の継承があつたときは、即位の礼を行う。」と規定されております。この皇室典範にいう即位の礼とはどういう儀式を指しているのか、お伺いをしたいと思います。
○政府委員(工藤敦夫君) ただいま委員御指摘のとおり、皇室範典の二十四条には「皇位の継承があつたときは、即位の礼を行う。」という規定がございます。これは皇位の継承に伴いまして、国事行為たる儀式として即位の礼を行うことを予定したものと解しております。
 この場合に、いかなる儀式がその即位の礼の中に含まれるかということは、憲法の趣旨に沿いまして、かつ皇室の伝統等を尊重したもの、こういう観点から内閣がその責任において決定すべき範囲、かように考えております。
○田渕哲也君 旧憲法下においては旧皇室典範に基づいてつくられた皇室令の中に登極令が定められておりました。そして、その中に践祚、即位の礼の範囲が定められておったのでありますけれども、現在の憲法下におきましてはこの登極令は廃止され、そして皇室典範第二十四条にいう即位の礼の範囲を定めたものはないのであります。
 そこでお伺いしますが、昨年一月七日に皇太子明仁親王が皇位を継承された後に国の儀式として剣璽等承継の儀、それから即位後朝見の儀がそれぞれ宮中で行われました。この二つの儀式は即位の礼の範囲に入るのか入らないのか、お伺いをします。
○政府委員(工藤敦夫君) 昨年の一月七日、天皇が御即位になられました直後に剣璽等承継の儀が行われました。また、一月九日には即位後朝見の儀が行われたわけでございます。これらはいずれも即位の礼の一環として行われた、かように考えております。
○田渕哲也君 ことしの一月十九日に海部総理を委員長とする即位の礼委員会が「「即位の礼」の挙行について〔大綱〕」を発表しました。これによると、即位の礼の範囲は即位礼正殿の儀、祝賀御列の儀、饗宴の儀の三つと定められております。先ほどの剣璽等承継の儀、それから朝見の儀は入っていないわけでありますけれども、この点はいかがですか。
○政府委員(工藤敦夫君) 確かに今御指摘の一月十九日の大綱におきましての文書はそのとおりでございます。
 ただ、なおつけ加えて申し上げますと、昨年の十二月二十一日に即位の礼、大嘗祭の挙行等についてという文書がございます。そこの中におきまして、いわゆる「国事行為たる「即位の礼」で、喪明け後に行われるものについては、次の儀式を行うのが相当である。」、こういうことで、今述べられました即位礼正殿の儀、祝賀御列の儀、饗宴の儀、こういうのがございました。したがいまして、即位の礼の一環として行われました。そのうちの喪明け後ことしの一月以降行われるものとして今のような儀がある、かように考えております。
○田渕哲也君 剣璽等承継の儀と即位後朝見の儀というのは国の儀式として行われたわけですね。ただ、剣璽等承継の儀につきましては、これは多分に宗教色があるといいますか、神話に基づく儀式であると考えられるわけでありまして、これを国の儀式として行うことについて違法性はないのかどうか、お伺いします。
○政府委員(工藤敦夫君) ただいま御指摘の剣璽等承継の儀でございますが、これは皇位を継承されました新天皇が即位のあかしとして剣及び璽を承継される、あわせて国事行為の際に使用される御璽及び国璽を承継される、こういうものでございます。
 今神話に基づくというふうな御指摘もございましたが、この剣及び璽につきましては、いわゆる皇位とともに伝わるべき由緒あるものと、こういう評価がなされておりまして、そういう意味でこれは決して神話ということでなくて、皇位とともに伝わるべき由緒あるものとしての剣及び璽、それから国事行為の際に使用される御璽及び国璽、いわゆる印鑑でございます、御璽及び国璽、これを承継される儀式でございますので、そういう意味で憲法に違反するというようなものではない、かように考えております。
○田渕哲也君 登極令に定められておる剣璽渡御の儀、それから践祚後朝見の儀、これは名前が変わっただけで、内容は登極令と同じような形式で行われたわけですか。
○政府委員(宮尾盤君) 剣璽等承継の儀、即位後朝見の儀のやり方でございますが、いわゆる登極令に基づいて行ったということではありませんで、そういうものをもちろん参考にはいたしておりますけれども、国事行為にふさわしい儀式立てとしてこれらの儀式を行ったわけでございます。ただ、剣璽を新天皇が承継をされる、こういうことは、そのやり方といいますか、それ自体は同じものをお渡しになられた、こういうことでございます。
○田渕哲也君 登極令に定められた剣璽渡御の儀、それから践祚後朝見の儀というのは非常に宗教色が強くて、そのまま行われるというのは現在の憲法にそぐわない、そういう意見があるわけですけれども、したがって今度新たに行われた剣璽等承継の儀と即位後朝見の儀は登極令に定められたやり方とは違ったやり方でやっておるということも伺っておるわけですが、具体的にどのように違っておるのか、お伺いできればお答えいただきたいと思います。
○委員長(板垣正君) 官房長官、席を外していただいて結構でございます。
○政府委員(宮尾盤君) その剣璽それから御璽、国璽ですが、これが新しく御即位をなされた天皇陛下の御前の案、こういう机の上に置かれるという、そういう儀式の基本的な形式というものは変わっておりません。ただ、先ほど法制局長官からも御説明がありましたように、剣璽等承継の儀という形で国事行為を行う、その基本的な考え方というものは先ほど長官から御説明があったとおりでございます。
○田渕哲也君 そうすると、基本的な行事のやり方というのは昔と変わらないということですか。
○政府委員(宮尾盤君) いわゆる剣璽、引き継いでいただくわけですから、そこに出てくる、引き継ぎを受けるものは由緒物である剣璽とそれから諸儀式等に使われますいわゆる印鑑、御璽、国璽でございますね、こういうものを引き継がれる、こういう儀式をなされるわけでございまして、そういう儀式立てそれだけについて見れば基本的には変わっていない、こういうことでございます。
○委員長(板垣正君) 午後四時三十分に再開することとし、休憩いたします。
   午後三時五十九分休憩
     ─────・─────
   午後四時三十分開会
○委員長(板垣正君) ただいまから内閣委員会を再開いたします。
 まず、委員の異動について御報告いたします。
 本日、大島友治君が委員を辞任され、その補欠として尾辻秀久君が選任されました。
    ─────────────
○委員長(板垣正君) 休憩前に引き続き、皇室経済法施行法の一部を改正する法律案及び即位礼正殿の儀の行われる日を休日とする法律案の両案を一括して議題とし、質疑を行います。
 質疑のある方は順次御発言願います。
○田渕哲也君 それでは、引き続いて質問をやりたいと思います。
 当内閣委員会における法制局の答弁によりますと、登極令が廃止されたのはその内容が現行憲法に違反するかどうかということにかかわりなく法体系上の問題として一律に廃止された、したがって登極令の内容が現行憲法に違反しておるかどうかはその内容ごとに判断する必要がある、こういう答弁をされておるわけであります。それでは、法制局が現行憲法の趣旨に沿って登極令の内容を一つずつ判断して、どの内容が現行憲法に違反し、どの内容が現行憲法下においても合憲と判断しているのか、見解を示していただきたいと思います。
○政府委員(工藤敦夫君) 登極令が廃止されました件につきましては、さきのこの委員会におきましても、また本日の午前中におきましても私からお答え申し上げておりますが、現行憲法の施行とともに旧皇室典範あるいは登極令等の皇室令、こういうものの法体系自体が認められなくなった。そういうことで、その内容が現行憲法の規定に違反するものであるかどうかにかかわりなく一律に廃止された、こう申し上げているところでございます。
 ところで、登極令の規定につきまして逐条網羅的に検討をしているわけではございませんので、すべての規定について申し上げるのは困難ではございますけれども、例えば登極令の中の二条、三条といったところに元号の規定がございます。天皇が元号を改めるというふうなところでございますけれども、御承知のとおり新憲法下久しくいわゆる昭和という元号が事実上のものとして使われ、その後元号法が制定されたというところから見ましても、憲法の趣旨と相入れないものとして考えられていたというふうに思いますし、あるいは大嘗祭を国の儀式として行うという部分につきましても、新皇室典範におきましてその部分を取り入れなかったというふうなことでございます。そういう意味で、今のような規定が問題になると申しますか、新憲法下におきます検討としてはあるのではなかろうか、かように考えております。
○田渕哲也君 即位の礼に関連する事項でやはり国民の意見が一番分かれておるのが大嘗祭についてではないかと思います。
 政府は、昨年十二月二十一日の即位の礼準備委員会で、大嘗祭の趣旨、形式等からして宗教上の儀式としての性格を有することは否定できない、ゆえに大嘗祭を国事行為として行うことは困難と、こういうふうに述べられておるわけであります。しかし、国民各層の意見としまして、大嘗祭は宗教儀式であるから皇室の私的行事として行うべきで、公的行事とするのは政教分離の原則に反する、こういう意見もあります。しかし、反面、皇室神道という言葉はあるけれども、皇室は憲法二十条にいう宗教団体とは言えない、大嘗祭はどの宗教団体、宗教界とも無関係で、一宗一派の宗教儀式でなくて古い伝統的な習俗と見るべきだ、したがって国事行為としてやることは差し支えない、こういう意見もあるわけです。政府の方針はこのどちらでもないわけでありまして、これらの代表的な二つの意見に対する政府の見解というものをお伺いしたいと思います。
○政府委員(宮尾盤君) 今御質問にありましたように、大嘗祭は宗教的儀式である、したがって私的な行事として行うべきであるというような御意見、それから、いやそうではなくて、宗教儀式ではなくて古い伝統的な習俗だ、こういう御意見があるということを述べられましたが、私ども有識者の意見をいろいろ拝聴する中でもそのような御意見が確かにございました。そういうことを踏まえて幅広くいろいろな御意見等も参考にしながら、政府といたしましては昨年準備委員会の結論としてまとめたものを政府の見解として発表をいたしたわけでございます。
 これは何度も申し上げておりますのでこの全文をまたここで申し上げるということは避けますが、大嘗祭の意義につきましては、この見解にもありますように、確かに大嘗祭は稲作農業を中心とした我が国社会に古くから伝承されてきた収穫儀礼に根差していると、こういうものでありますが、その安寧と五穀豊穣を感謝されると、こういうことを中心にした僕式でありまして、その趣旨、形式等からいって宗教上の儀式としての性格を有すると見られることは否定することができない、こういうふうに政府の基本的な見解は述べておるわけであります。
 そういうことから、この大嘗祭につきましては国事行為として行うことは困難である。しかしながら、大嘗祭は皇位継承に伴う非常に皇室の重要な伝統的儀式でありますから、それを皇室行事として行うことはこれは当然できるわけでございまして、そういう皇室行事として行う場合に、皇位の世襲制ということに着目をして、一世一度の本当に重要な皇位継承儀式でありますから、その儀式について国としても深い関心を持ち、挙行を可能にする手だてを講ずることが当然だ、こういう立場に立ちまして大嘗祭には公的性格がある、こういう基本的な意義、性格をこの大嘗祭についてはとっておるわけでございます。
○田渕哲也君 大嘗祭に対する国民の世論、これは毎日新聞が一月の終わりに調査したものがありますが、国の儀式としてやるべきだという答えの方が三〇%、公的な皇室行事として行うべきだというのが二九%、私的な皇室行事としてやるべきだいうのが一六%、関心がないが二三%、こういうふうに言われておるわけです。
 これを見ますと、政府のとった公的な皇室行事というのはちょうど中間的な位置づけなので、国の儀式としてやるべきだという人からも、私的な皇室行事としてやるべきだという人からも不満はあると思いますが、中庸をとったというような感じがするわけですね。だから、私は常識的には妥当な線ではないかと思うんですけれども、しかしもう少し突っ込んで詰めておく必要もあるのではないかという気がします。
 したがって、まず政教分離という観点から見ますと、政教分離を定めた憲法二十条との関係ということになるわけですが、憲法二十条の第一項にいう「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。」、皇室はこの宗教団体に当たるかどうかということが一つあると思います。
 それからもう一つは、第二項は「何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。」。これは恐らくこの即位の礼にしろ大嘗祭にしろ強制されることはないと思いますから問題はないと思いますが、私はやっぱり第三項ではないかと思うんですね、一番ひっかかりがあるのは。「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」。ただ、これにつきましては、津の地鎮祭に対するいわゆる目的・効果論というような判決がありまして、この判決の趣旨から見た場合に、これを国の行事として行う場合にはやはり法律的に差し支えが出てくるのかどうか、この見解をお伺いしたいと思います。
○政府委員(工藤敦夫君) 二十条三項につきましての御質問でございます。二十昭三項の政教分離の点につきましてはこれまでもたびたびお答えしているところでございますけれども、津の地鎮祭判決を私どもは一つの、一つのといいますか、最も重要な尺度としております。今、目的・効果論というふうなお話もございました。午前中、津の地鎮祭判決についての概略を申し上げたところでございます。そこの部分は繰り返さないことにいたします。大嘗祭というのが宗教上の儀式という性格を有するということはやはり否定し得ないんではないか。そういう意味で国または国の機関の、この二十条三項の考え方からいきますと、国の儀式として行うときにはやはり問題がなしとしない、こういうふうに考えております。
○田渕哲也君 即位の礼と政教分離の原則を考える場合に、外国の例を見ますと、比較的我が国に近い政教分離をきちんと定めたアメリカの場合でも、大統領の就任式は宗教色を持ったものになっておる。また、イギリスにおける戴冠式は全く宗教行事と言っていいほどの形式で行われておる。こういう点からみてどう考えられますか。
○政府委員(工藤敦夫君) 御指摘のように政教分離の原則の具体的適用と申しますか、というものが国によって多少のといいますか、ある程度の相違があることは事実だろうと思います。したがいまして、これをもって唯一の政教分離原則というふうなもの、世界に共通するといいますか、そういう形のものはなかなか言いがたいとは思いますけれども、我が国におきまして最高裁判所が判断を下しましたものでございますから、そういう意味で、我が国としての考え方といいますか、我が国の憲法との関係においての考え方というのはやはり津の地鎮祭判決を中心に考えるべきである、かように考えます。
○田渕哲也君 そうしますと、大嘗祭を国事行為としてやる場合にはやはり何らかの宗教的な効果というもの、効果を及ぼすというふうに考えておられると見ていいわけですね。
○政府委員(工藤敦夫君) 政府見解にもございますように、やはり収穫儀礼に根差したものではございましても、「天皇が即位の後、初めて、大嘗宮において、新穀を皇祖及び天神地祇にお供えになって、みずからもお召し上がりになり、皇祖及び天神地祇に対し、安寧と五穀豊穣などを感謝されるとともに、国家・国民のために安寧と五穀豊穣などを祈念される儀式」、こういうところから見まして、いわゆるその趣旨なり形式等から見まして「宗教上の儀式としての性格を有すると見られる」、これは否定できないんではなかろうかということでございます。
○田渕哲也君 それでは次に、大嘗祭の意義づけというものについて質問したいと思いますが、即位の礼準備委員会において、大嘗祭について「その中核は、天皇が皇祖及び天神地祇に対し、安寧と五穀豊穣などを感謝されるとともに、国家・国民のために安寧と五穀豊穣などを祈念される儀式」である、このように述べられておるわけです。ここはまず「中核は」というふうに書いてあるわけですけれども、そのほかにどういう意味づけを考えられておるのかお伺いします。
○政府委員(宮尾盤君) ここの「位置付け」のところで述べております「その中核は、」といいますのは、御承知のように、大嘗祭の中心的な儀式というのが、大嘗宮におきまして悠紀殿供饌の儀、主基殿供饌の儀というのが行われるわけでございますが、これが一番中心的な儀式であるというふうに考えておるわけでございます。もちろん、大嘗祭というのは、別名大嘗会というような呼び方もございますように、悠紀殿、主基殿におけるその中心的な儀式が終わった後、いわゆる今回は大饗という形でのいわば節会といいますか、饗宴が行われる、そういうものも含む概念もあるわけでございます。そこで、政府が取りまとめた文章の中の「その中核は、」という意味は、悠紀殿供饌の儀、主基殿供饌の儀、こういうものを頭に置いてこういう文章を書いたというふうにお考えいただきたいと思います。
○田渕哲也君 大嘗祭の本来の意義として、政府の見解にあります豊年を祈念する意義も当然あるわけですが、それとともにやはり天皇神格化あるいは服属儀礼、こういった面も含むというふうにされておるわけですが、この点についてはどう考えておられますか。
○政府委員(宮尾盤君) 今の神格化あるいは服属儀礼というような御議論ですが、これは、大嘗祭というものについてのそれぞれのいろいろな立場からの学説だとかあるいは解釈だとかというようなものにいろいろ述べられておることであろうというふうに思います。いわゆる教学的な立場、あるいは哲学的な立場、あるいはそれ以外のフォークロアというふうな立場、いろいろな立場からの大嘗祭をめぐる見解、学説があるわけでございまして、そういうことにつきまして、私どもそういう立場にあるわけではございませんで、行政としての立場でありますから、それについてとかくの解説をすることは避けたいと思っております。いずれにしても、今のようなお話というのは、学問の世界あるいは宗教学の世界、あるいは大嘗祭に関するいろいろな立場からの見解の問題だというふうに考えておるわけでございます。
○田渕哲也君 大体、大嘗祭の意義づけというのは、これはどこが決めるべきものなのですか。内閣が決めるべきものなのか、あるいはその持ち方について内閣がどの程度関与できるものなのか、お伺いをしたいと思います。
○説明員(多田宏君) 大嘗祭の意義づけを即位の礼準備委員会が検討をいたした際に、国事行為として行えるかどうかという観点で幅広く検討、討議を行ったわけでございますが、その検討をするに当たって、基本、中心となるその中核は一体どういう性格のものなのかということについては、いろいろな角度から過去の資料等を検討いたしまして、そしてこういう性格のものだというふうに理解をして、それであればこういう位置づけだということを準備委員会が結論づけたということでございます。
○田渕哲也君 大嘗祭については「国がその内容に立ち入ることにはなじまない性格の儀式」だということがあります。したがって、これは本来、皇室が主宰される、あるいは天皇陛下が主宰されるという行事。だから、内閣が勝手にそういう意義づけをやってもそれでどのような効果があるのか疑問ではないかと思いますね。天皇陛下もそう考えておられるのか、皇室もそう考えておられるのかということがないといけないんじゃないかと思いますが、いかがですか。
○説明員(多田宏君) 先ほども御答弁申し上げましたように、国事行為として内閣が助言と承認のもとに国の行事として実施をするにふさわしいものかどうかという角度から検討するに当たって必要な性格の理解をした、こういうことでございます。
○田渕哲也君 天皇の行為の種類には国事行為、皇室の公的行為、それから皇室の私的行為とあるわけですが、予算あるいは費用の出し方も、国事行為の場合は内閣の予算、各省庁の予算でやる、皇室の公的行為の場合は宮廷費でやる、それから私的行為の場合は内廷費でやるということになっております。それから、内閣がどの程度関与するか。国事行為の場合は内閣の助言と承認によってやる、私的行為の場合はもちろん内閣は何ら干渉しない。
 ただ、宮廷費でやる皇室の公的行事の場合はどの程度関与でき得るものか、またするのか、お伺いしたいと思います。
○政府委員(工藤敦夫君) 公的行為の一般論という形で申し上げたいと思いますが、公的行為と呼ばれるものは天皇の象徴としての地位に基づいて行われるわけでございます。国事行為以外ということでございます。国事行為でございませんから内閣が助言と承認という形で関与するものではございません。
 それから、その内閣のかかわり方というふうなことでございますが、その行為にかかわります処理の仕方といたしましては、それは行政の分野に属すると考えられますので、憲法の規定に従いまして行政を預かります内閣、これがそれについて責任を負うべきものというふうに思っております。また、いわゆる公的行為は原則として公開すべきものというふうに思っております。
 なお、大嘗祭につきましては、先ほど申し上げましたような宗教上の儀式という性格もございますことから、そういうふうに見られることが否定できない、あるいはその態様においても内閣がその内容に立ち入ることはなじまない、こういうことでございますので国事行為として行うことは困難でございます。ただ、大嘗祭は極めて重要な伝統的な皇位継承儀式でございますから、午前中官房長官からもお答えがありましたように、全くの私的性格のものとして内廷費で支弁するというのは適当ではないのではなかろうか。そういう意味で公的性格を有する皇室行事ということで宮廷費、一部は宮内庁費でございましょうが、そういうものを使用して行われるということでございます。
○田渕哲也君 そうしますと、内閣が大嘗祭の意義づけについてこういうものを決めるということは、皇室あるいは天皇陛下は当然これに従ってその儀式が行われるというふうに解釈していいわけですか。
○政府委員(工藤敦夫君) 先ほども主席内閣参事官の方からお答えございましたように、即位の礼準備委員会におきましては、むしろ新憲法施行後に初めて行われるということを考えまして、その際に憲法の趣旨に沿ってかつ皇室の伝統等を尊重し、そのときにいわゆる国事行為として行える範囲あるいは行い方というふうなものを検討したわけでございます。そういう意味で、当然そのときの検討の視野の範囲にはそういう大嘗祭といったようなものまで含めて検討した上で、やはりその部分は国事行為としては行うことは非常に困難だ、そうすると即位の礼をこういう三つの儀式とするんだ、こういうことでございますから、いわば検討の過程においてそこまで入り、そこの儀式なり位置づけをした上で国事行為としては無理だと、こういうふうにこのペーパーをお読みいただければ幸いでございます。
○田渕哲也君 その点はよくわかるわけですけれども、問題は、この大嘗祭の意義づけとか持ち方というのがやはり国民の関心が持たれると思うんです。したがって、この政府の見解のように五穀豊穣を祈念するというのがそれの最大の意義づけである、内閣がそういう意義づけをした場合に、当然皇室、天皇はこれに従って行われるという解釈でいいかどうかということを聞いているわけです。皇室や天皇は自分たちの行事、独自の行事だから内閣がどう位置づけしようが主宰者は天皇であり皇室であるということになると、内閣はそこまで関与できるのかということをお伺いしておるわけです。
○政府委員(宮尾盤君) こういう見解をまとめるに当たっては、大嘗祭というのは長い伝統のある皇室の儀式でございますから、どういう内容をもって行われてきたかというようなことも十分検討いたしたわけでございます。そして、それは皇室の行事としてこれから行われる場合にも皇室の伝統というものを踏まえて行われるわけですから、我々は政府という立場であるいは宮内庁という立場で長い伝統はどういう意味合いを持っていたのかということを十分検討してここにあるこういう考え方をまとめたわけでございます。ことしの秋に行うことを予定しております大嘗祭もそういう伝統的な儀式でございますから、そういう伝統にのっとって行われる限りこういうものとして意義を持って行われるであろう。
 また、この政府がおまとめになった基本的な考え方につきましては、皇室をお手伝いをする我々の立場で宮内庁も入ってそういう検討をいたしておる、こういうふうに御理解いただきたいと思います。
○田渕哲也君 私は、伝統を重んじてこういう儀式が行われるというのは非常に重要なことであり、賛成するものでありますけれども、先ほどからお伺いしておる点は、大嘗祭の意義づけとかそういうものも時代によっては教学的にいろんな説が出てきたり、あるいは国策上いろんな意義づけをしたりすることが歴史的に行われてきているわけですね。したがって、この新憲法下で初めてこういうものが行われるならば、それの意義づけとか考え方というものは国でやっぱり統一しておかないとまずいと思うんです。
 だから、これは主宰者である皇室や天皇陛下も、内閣も同じ認識に立ってやらないとまずいのではないかということを申し上げているわけでが、これは公的行事として宮廷費で出すわけでありますから、天皇は憲法を守るということも言っておられますから、それに従って内閣が一つの考え方を出した場合には当然それに沿ってその行事は行われるというふうに理解してよろしいかということをお伺いしておるわけです。
○政府委員(宮尾盤君) 皇室の諸行事をいろいろな意味でお手伝いをする立場にあるのは宮内庁でございますから、宮内庁も参加をいたしまして政府の委員会という場においてそういうものをまとめてきたわけでございます。こういう政府の委員会がこのような即位礼、大嘗祭についての見解をまとめたということは陛下は十分御承知になっておられるというふうに理解をいたしております。
○田渕哲也君 時間がなくなりましたので次の質問に移りますが、恩赦についてお伺いします。
 昨年、昭和天皇が崩御された場合には恩赦が行われました。この恩赦制度というものの意味ですね、これをお伺いしたいのですけれども、歴史的にこれは君子の慈悲の大権とされて、国家的慶事に際して君子の喜びを臣下とともに分かつために行われたというふうに言われているわけですが、旧憲法下においては恩赦は天皇の大権事項とされて、皇室の慶弔時には実施されることがほとんどである。現在の憲法では恩赦の決定権は内閣にあるわけです。したがって、天皇はこれを認証されるというだけであります。したがって、内閣の権限でありますけれども、これまでの実施の例を見ると、皇室一辺倒ということではありませんけれども、皇室の慶弔との関連が極めて深いと思うんです。
 ことしの十一月十二日に新天皇の即位の礼に際して内閣は恩赦を行う考えがあるかどうかお伺いをしたいと思います。
○政府委員(佐藤勲平君) 申し上げます。
 御質問のことしの十一月十二日の即位の礼に際して恩赦を行うかどうかという点につきましては、現在全く白紙の状態でございます。
○田渕哲也君 昭和天皇が亡くなられたときにも恩赦が行われましたけれども、天皇崩御という出来事と罪を犯した者が許されるということの関係は一般国民にとっては必ずしも理解できるものではないと思うんです。やはり国民主権の平和憲法のもとでは恩赦制度の性格は昔とは変わってきておるのではないかと思うんです。恩赦は皇室に慶弔があれば必ず実施しなければならないものかどうか、この点はどうですか。
○政府委員(佐藤勲平君) 申し上げます。
 委員申されましたとおりに、恩赦は戦前は天皇の大権事項でありまして、天皇の恩恵的行為というふうに考えられたわけでございますけれども、現行憲法下におきましてはいわゆる刑事政策的配慮というものが強く要求されておるというところがございまして、そのような観点から法的安定性というものを具体的妥当性という理念で修正するというような性格があるものと承知しております。
 ところで、御質問の皇室の慶弔があれば実施しなければならないものかどうかという点につきましては、特に必ず実施するとかしないとか、そういうような定めはございません。ただ、必ず実施しなければならないというわけではございません。
○田渕哲也君 恩赦は行政権による司法権に対する介入ということも言えるわけであります。独立した司法権が決めたものを行政の権力によって変えるわけですから、この制度の運用は慎重でなければならないと思うんです。
 それから、今も御答弁にありましたように、私も恩赦を全く否定するつもりはありません。例えば戦後の例を見ましても、平和条約発効のときの恩赦、これはやはり占領下において罪を犯した人は、新しい制度になるわけですから、当然そういう修正というのは意味があると思うんですね。それから沖縄復帰のときの恩赦、特に沖縄で米軍進駐下で刑罰を受けた人に対するそういう恩赦というものは意義があるだろうと思いますが、そのほかのケースは本当にどういう意味があるかよくわからない場合が多いのでありますけれども、そういう点はやはり慎重に考え、そして合理的な理由というものがなければならないのではないかと思いますが、いかがでしょうか。
○政府委員(佐藤勲平君) 申し上げます。
 委員仰せられましたとおりに、恩赦は内閣の責任で行政権の裁量として司法を修正するというような効力を持っておるわけでありまして、これを実施する上におきましては、先ほど私も申し上げましたように、刑事政策的な配慮というようなもとで合理的な理由によって行われてきておりまして、またこれからもそのようなものであろうかと思います。特に有罪の言い渡しを受けた者の事後の行動、行状等に基づく裁判の変更とか資格の回復、事情の変更による裁判の変更というような機能がございますので、そのような点も考慮して行われるべきものだというふうに理解しております。
○田渕哲也君 終わります。
○委員長(板垣正君) 他に御発言もなければ、質疑は終局したものと認めて御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○委員長(板垣正君) 御異議ないと認めます。
 それでは、これより両案について討論に入ります。
 御意見のある方は賛否を明らかにしてお述べ願います。
○吉川春子君 私は日本共産党を代表して、皇室経済法施行法の一部改正案及び即位礼正殿の儀の行われる日を休日とする法律案の両案に反対する討論を行います。
 初めに、皇室経済法施行法についてです。本案は内廷費、皇族費の引き上げを図ろうとするものですが、現行でも高額に過ぎる内廷費及び皇族費は引き上げの必要は全くありません。例えば、非課税になっている内廷費の二億九千万円を給与所得とみなして推計すると、国税庁が行ったように、地方税を除き国税と社会保険料だけを考慮した試算でもその税込み総収入額は約五億四千万円となります。これは総理大臣の年俸の十五・四倍、国家公務員の平均年俸の何と百二倍以上に相当します。また、内廷費に剰余金が生じていることは、前天皇の遺産の課税価格十八億七千万円の大部分が内廷費の剰余金を運用した果実によるものとみなされていることでも明らかです。
 今、国民が消費税に生活を圧迫されている状況のもとでの内廷費、皇族費の引き上げは、国民生活を無視しても皇室の特権階級としての地位を経済的に強化するというものにほかなりません。また、戦前、皇室財政が国民の目の届かぬところに置かれ、いわゆる皇室の財閥化の弊を生ぜしめた教訓を踏まえて設けられた憲法八条及び八十八条は、皇室財産を国会を通じてガラス張りにすることを要請しているのです。宮内庁が引き上げの妥当性を証明すべき説明や資料の提出を拒否していることはこの憲法の趣旨に反するものです。
 次に、即位礼正殿の儀の行われる日を休日とする法律案についてです。
 天皇の即位礼の日を休日にして国民に強制することは、憲法の国民主権、思想及び良心の自由など民主的諸原則に反するものです。また、それは国民の日常生活にも多大な影響を及ぼすことは明瞭です。前天皇の大喪の礼の行われた際に、自粛という名の強要によって国民生活へのさまざまな影響があったことは記憶に新しいところです。
 しかも、国事行為とされ即位礼の中心儀式である即位礼正殿の儀は、戦前の絶対主義的天皇制のもとで天皇の神格化を図るために制定され、戦後は廃止された登極令に基づく即位紫宸殿の儀を京都の紫宸殿から東京の宮殿に場所を変更し、言いかえただけでそのまま踏襲するものです。
 即位した天皇が高御座なる高い壇に上って、主権者として日本を統治することを臣民に宣言するこの儀式は全くの時代錯誤であり、憲法の国民主権、政教分離の原則を真っ向から踏みにじるものです。
 以上、両案に反対する理由を述べ、討論を終わります。
○委員長(板垣正君) 他に御意見もなければ、討論は終局したものと認めて御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○委員長(板垣正君) 御異議ないと認めます。
 それでは、これより採決に入ります。
 まず、皇室経済法施行法の一部を改正する法律案について採決を行います。
 本案に賛成の方の挙手を願います。
   〔賛成者挙手〕
○委員長(板垣正君) 多数と認めます。よって、本案は多数をもって原案どおり可決すべきものと決定いたしました。
 次に、即位礼正殿の儀の行われる日を休日とする法律案について採決を行います。
 本案に賛成の方の挙手を願います。
   〔賛成者挙手〕
○委員長(板垣正君) 多数と認めます。よって、本案は多数をもって原案どおり可決すべきものと決定いたしました。
 なお、両案の審査報告書の作成につきましては、これを委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○委員長(板垣正君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。
    ─────────────
○委員長(板垣正君) 次に、恩給法等の一部を改正する法律案を議題といたします。
 まず、政府から趣旨説明を聴取いたします。塩崎総務庁長官。
○国務大臣(塩崎潤君) ただいま議題となりました恩給法等の一部を改正する法律案について、その提案理由及び内容の概要を御説明申し上げます。
 この法律案は、最近の経済情勢等にかんがみ、恩給年額及び各種加算額等を増額することにより、恩給受給者に対する処遇の適正な改善を図ろうとするものであります。
 次に、この法律案の概要について御説明申し上げます。
 この法律案による措置の第一点は、恩給年額の増額であります。
 これは、平成元年における公務員給与の改定、消費者物価の上昇その他の諸事情を総合勘案し、恩給年額及び各種恩給の最低保障額を、平成二年四月から二・九八%引き上げようとするものであります。
 その第二点は、寡婦加算及び遺族加算の増額であります。
 これは、普通扶助料を受ける妻に係る寡婦加算の額を、平成二年四月から、他の公的年金における寡婦加算の額との均衡を考慮して引き上げるとともに、遺族加算の額についても、戦没者遺族等に対する処遇の改善を図るため、同年四月から、公務関係扶助料受給者に係るものにあっては十一万四百円に、傷病者遺族特別年金受給者に係るものにあっては六万四千三百円にそれぞれ引き上げようとするものであります。
 以上がこの法律案の提案理由及びその内容の概要であります。
 なお、この法律案では、経済事情の変動等に伴う恩給年額の増額等の措置は平成二年四月一日から施行することといたしておりましたが、衆議院においてこれを公布の日から施行し、本年四月一日から適用することに修正されております。
 何とぞ、慎重御審議の上、速やかに御賛同あらんことをお願いいたします。
○委員長(板垣正君) 以上で趣旨説明の聴取は終わりました。
 本案に対する質疑は後日に譲ることとし、本日はこれにて散会いたします。
   午後五時十二分散会