第131回国会 文教委員会 第1号
平成六年十二月十三日(火曜日)
   午後一時一分開会
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   委員の異動
 十二月十二日
    辞任         補欠選任
     森  暢子君     堂本 暁子君
 十二月十三日
    辞任         補欠選任
     肥田美代子君     篠崎 年子君
     北澤 俊美君     小林  正君
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  出席者は左のとおり。
    委員長         松浦 孝治君
    理 事
                南野知惠子君
                森山 眞弓君
                会田 長栄君
                浜四津敏子君
    委 員
                木宮 和彦君
                田沢 智治君
                上山 和人君
                篠崎 年子君
                堂本 暁子君
                肥田美代子君
                乾  晴美君
                江本 孟紀君
                小林  正君
                木暮 山人君
                及川 順郎君
                橋本  敦君
   国務大臣
       文 部 大 臣  与謝野 馨君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        青柳  徹君
   説明員
       文部省生涯学習
       局長       泊  龍雄君
       文部省初等中等
       教育局長     野崎  弘君
       文部省教育助成
       局長       井上 孝美君
       文部省体育局長  小林 敬治君
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  本日の会議に付した案件
○教育、文化及び学術に関する調査
 (いじめ問題等に関する件)
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○委員長(松浦孝治君) ただいまから文教委員会を開会いたします。
 まず、委員の異動について御報告申し上げます。
 昨日、森暢子君が委員を辞任され、その補欠として堂本暁子君が選任されました。
 また、本日、北澤俊美君が委員を辞任され、その補欠として小林正君が選任されました。
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○委員長(松浦孝治君) 教育、文化及び学術に関する調査を議題とし、本日は主としていわゆるいじめ問題及び学校週五日制等について質疑を行いたいと思います。
 質疑のある方は順次御発言を願います。
○南野知惠子君 自民党の南野でございます。よろしくお願いいたします。
 いじめの問題に関しての質問でございますが、まず自分の考えを述べさせていただきます。
 日本におきましては少子高齢社会問題が大きな課題となっております今日、子供の生命がいじめなどにより無残にも失われていくことは心痛のきわみでございます。少子社会であればなおさらのこと、生を得た一人一人の生命を大切にはぐくみ、幸せな一生を豊かな人生へと導くことが大人としての役割であると思います。児童の権利条約も制定された今日、子供への関心をさらに深め、生活環境をよくしていかなければならないと思います。
 いかなる場合でも、誕生してくる生命は祝福されるべきであります。それに、準備された妊娠が望ましく、さらにプラス思考によるその受容により、父母となる、親となる学習が具体的に始まり、親と子のきずなを強めていくことが重要であると思います。生命の誕生の場面においても、また日々の育児の一つ一つのかかわりを通しでもお互いの愛情が芽生えていくものと信じますが、親になるのは易しいが親であることは難しいと言われております。
 出産、育児は大変な親業です。赤ちゃんが欲しいと思う若人の中には、生活体の赤ちゃんではなく、お人形の感覚を持つ人もいます。生きている赤ちゃんに対面した親の不安はだんだんとふえていきます。母と子の最初の共同作業と言われる母乳育児は、定着するまで多くの労作、不安を伴いますが、最も愛情を深めるひとときでもあると思います。それらの援助が十分にされていることから、母と子、父と子の共同作業、いわゆる家族づくりが成功に向けてスタートしていくものと思われます。
 今日の新聞などにも、児童虐待の事件、常識ではかり知れない出来事が報道されております。子供の泣き声というのは当たり前ですが、親のせっかんが行き過ぎて死に至らせたり、赤ちゃんがぐずったり泣きやまないことがしゃくにさわり、足をつかんで振り回しショックに落ち込ませ、病院に慌てて飛び込んでも助からないケースなど、さまざまの事例がございます。親になり切れない親権者への教育や親になろうとする若者に対する教育など、人間教育に関する社会支援はどのようであればよろしいのでしょうか、チャイルドアビュースも含めて大臣の御所見をお伺いしたいと思います。
○国務大臣(与謝野馨君) 先生が御指摘になったとおり、子供がこの世に生をうけて初めて接するのは親でございます。そして、社会全体の中に入っていくまで二十年前後の時間がかかるわけでございますが、そういう社会に出ていくまでの間、乳幼児期あるいは少年期、青年期を通じまして親の子に対する影響というのは大変大きいものがございます。そういう意味では、やはり学校教育とは別に、子を授けられた親が社会生活に必要な基礎的な倫理観を小さいころから教える。それは、しかりながら教える場合もあるでしょうし、あるいは褒めながら教える場合もあるでしょう。
 しかしながら、先生が御指摘になられましたように、子供を産むのはいと易しいことでございますけれども、子供を育てて社会に、俗も言葉で言えば一人前として出すということはなかなか容易なことではございません。そういう意味では、子を持つ親というものはそれなりに非常に大きな責任を持つわけでございますから、親になる人間としての高い自覚と責任感を持つ、こういうことが大切だということは私は先生の御指摘のとおりだと考えております。
○南野知惠子君 チャイルドアビュースに関しましても今お伺いできたわけでございますが、日常生活におきましては、親の姿が子供たちに伝達されるとき、親がその親たちに対する対応、尊敬し、大切にする心も伝えられてほしいものです。
 高齢社会の到来により、高齢者アビュースも社会問題となっております。人間として先輩に対するあり方、ともに同じ空間を占め、生活し合う家族のあり方、社会における世代間の支援など人間教育が大切と思われます。少子高齢社会や福祉対策は、厚生省、医療福祉関係のみの問題ではないのと同じく、人を育てる家庭、社会教育は学校教育と切り離して考えられないと思います。高齢者アビュース問題を含め、大臣の御所見をお伺いしたいと思います。
○国務大臣(与謝野馨君) チャイルドアビュースという言葉は非常に幅の広い概念でございまして、ここでは親が子につらく当たるということで使わせていただきますが、子を育てる親の精神状態、そういうものが子供の性格形成に非常に大きな影響を与えるわけでございます。そういう意味では、親となる人間は子供の性格形成に親の態度、所作というものが非常に大きく影響するということを自覚していただかなければなりませんし、親となる方にはだれかがそのことを教えなければならないと思っております。
 それから、高齢者アビュースという問題は、大変日本が貧しかった時代というものは高齢者に対してややどうかと思われるような取り扱いをするというような小説も残されております。しかしながら、これだけ豊かになりました日本でございますし、また我々すべてがいずれは高齢者になっていくわけでございまして、現在生きておられる高齢者の方々にも社会として温かい気持ちで接し、また制度としての福祉も、やはり高齢者の方々が安心できるという制度的な保障というものもさらに私は充実していくべきものと思っております。
○南野知惠子君 ありがとうございます。
 エルグリーアビュースの問題につきましては現実はもっとひどいものがあるようでございます。我々の仲間が高齢者のホームにかかわっておりますけれども、その声でも、危篤だからお見舞いに来てよと言っても、いや、もうそうだったらお葬式を出しておいてというような問題まであります。もっとひどい問題もありますが、きょうはその次に移らせていただきます。
 去る十一月二十七日、愛知県西尾市立東部中学校二年生大河内清輝君が、これがなければいつまでも幸せに生きていけたと思いますという遺言を残し、いじめを苦に自殺いたしました。
 中学校入学のとき、新入生を代表して、「一人でも多くの友達を作りたい」、「もし、友達が困っていたら、おたがい助け合い、将来も、仲のいい友達でいられるように努力したい」とPTA発行の「東中だより」に書いております。別の生徒に対するいじめを見かねてかばったことも、清輝君に対するいじめの原因だったとも言われております。
 このようなやり切れない思いがする事件が二度と起こらないようにしなければなりませんが、大臣の御所見をいただきたいと思います。
○国務大臣(与謝野馨君) 先生のお話しされた愛知県で起きました事件というのは大変痛ましい事件でございまして、通常の中学生等の自殺の場合にはあそこまで詳しい遺書というものはないケースが多かったわけでございますが、今回は非常に迫真力のある遺書が残されておりまして、この遺書を見ますと、解決すべき問題というのが我々にたくさん残されているということを強く感じるわけでございます。
 文部省といたしましては、従来からいじめ問題につきましては、専門家の方にお集まりをいただきまして専門家会議というものを逐次開いてまいりました。先般、日程を繰り上げまして緊急にこの会議を開き、専門家の方に熱心にこの問題を検討、研究をしていただきまして、緊急的なアピールも発表をさせていただきました。必要であれば、その緊急アピールの内容については初中局長から詳しく御説明をいたさせたいと思います。
○南野知惠子君 ありがとうございました。
 いじめの緊急対策の六項目については存じ上げておりますし、またさらに昭和六十年に出されたアピールの問題もよく学習させていただきましたが、このたびの六項目につきましても、ただ提言に対する検討のみでなく、よい方向に向けての行動ができるよう、文部省としては御指導をお願いしたいと思っております。
 次に、八日に発表されました文部省の調査におきましては、平成五年度の公立小中高校の児童生徒の自殺、それが百三十一人に上っています。この調査では、いじめによるとされているものが四年度、五年度ともに数字にあらわれておりません。約半数がその他とされておりますが、どのような原因があるのでしょうか。表面化されにくいいじめではありますが、いじめによる自殺がないとする調査結果について教えていただきたいと思います。
○説明員(野崎弘君) 自殺の原因別状況についてのお尋ねかと思います。
 これは、家庭事情、学校問題、病気等による悲観、厭世、異性問題、精神障害、その他、こういう構成になっております。その中で、学校問題がさらに、学業不信、進路問題、教師の叱責、友人との不和、いじめ、その他、こういう項目に分かれておるわけでございますが、この分類につきましては、主たる理由について一つ選択をしていただく、こういうことになっておるわけでございます。
 自殺の原因、背景というのは大変要因が複雑に絡み合っているということで、特定が困難な場合が多いわけでございます。平成五年度におきます自殺の原因等の状況につきましては、小中高等学校全体で約五割の件数がその他というふうに分類をされておるという状況でございます。
 このその他につきましても、具体的な記述を書いてほしいということで求めておるのでございますが、やはりこの件においてはいろいろ調査しても原因が断定できないというようなことで、不明という形で出てきているものが多いのでこういうような分類になっておる、こういう状況でございます。
○南野知惠子君 再発防止の第一歩としても十分にその原因をお調べいただきたいとお願いいたします。
 子供をいじめ、自殺から救うためには、子供が発進するSOSを大人が敏感に感知し、適切に対応することが必要でありましょう。清輝君の件では、金銭の紛失、顔のあざ、壊れた自転車などいじめの信号があったにもかかわらず気づかれない、むしろ本人の非行としてとらえられたことに問題があったのではないでしょうか。今回このような対応しかできなかったのは非常に残念でありますが、本件についての学校の対応を文部省はどう分析しておられるのか、お伺いします。
○説明員(野崎弘君) 本件につきましてはいろんな形で県の教育委員会、そして市の教育委員会から事情を聞いておるわけでございます。特に、いじめ対策緊急会議におきましても、県の学校教育部長、西尾市の教育長に来ていただきまして、実情についての話もいただいたわけでございます。
 後で考えるといろいろな兆候があっ、たというふうには考えているようでございますけれども、例えば問題グループとの関係につきましても、大河内君が問題グループの一員として使い走り尊させられていたということは把握をしているわけでございます。したがって、問題グループからの離脱を促してもいるわけでございますが、本人が一緒にいると楽しいと、こういうようなことから強く踏み込むことができなかったというようなことがあるわけでございます。
 そしてまた、金銭の要求、暴力、あるいは川でおぼれさせられそうになったなどのいじめについても認識をしていなかったわけでございまして、事件後、校長が、今思えば幾つかのいじめの兆候が出ていた、しかしそれに気づかなかったことが悔やまれてなりませんということを市教委に報告しておるわけでございますけれども、やはりこの辺のところの兆候ということをもう少し早く発見することができなかったのかということが悔やまれてならないわけでございます。
○南野知惠子君 大変難しい問題だろうと思います。いじめなどの発見と問題解決のためにはSOSを察知するアンテナが学校外にも多く存在することが望ましいと思います。教育委員会が所管する教育相談機関の役割が期待されますが、その事業内容と子供からのいじめに関する相談数及びその対応についてお伺いしたいと思います。
○説明員(野崎弘君) 教育委員会が所管しています教育相談機関数は県で二百二十四機関、市町村の教育委員会が所管するものが千百五十六機関ございます。そして、こうした相談機関におきましては、児童生徒あるいはその保護者あるいは学校等からの来所相談、そこに来ての相談のほかに電話相談とか巡回相談を実施しているわけでございます。
 都道府県におきます小中高等学校からの相談件数というのは十万八千四百七十四件になっておるわけでございますが、そのうち、いじめに関する相談が三千六百十六件ということで、全体の三・三%、こういう状況でございます。
○南野知惠子君 相談者のプライバシー保護等に留意しながらも、学校と教育相談機関の連携を図り、協力していじめ解決に取り組んでいただきたいとお願いいたします。
 また、子供を対象とした相談機関は公的以外にもいのちの電話相談など民間で行っているものがございます。これらの存在を知り電話一本かけたらひょっとしてと取り返しかつかないで悔やまれるのでございますが、このような悲劇を繰り返さないためにも、すべての子供たちにこれらの機関の存在を周知させる必要があるのではないでしょうか。入学する時点だとか、または休みに入る前などにパンフレットを配付したり、生徒手帳にそれらの電話番号を載せ、それらの社会支援機関を子供本人が選択できる方法なども考えられたらいかがかと思いますが、大臣の御所見をお伺いいたします。
○国務大臣(与謝野馨君) 子供、親が相談に参れる場所というのは、生徒自身が担任の先生あるいは校長先生に相談するということもできますし、また学校の中では養護の先生もおりますので、学校内ではそういう方々に相談することもできます。また、教育委員会等が持っております窓口もございますし、人権の問題でございますと法務省の人権擁護局の出先というものもございます。また、警察でもやはり少年を扱っている箇所もございます。それぞれ窓口はあいておりますけれども、その窓口が、多分横にきちんと連携はとっていると思いますが、その横の有機的な連携が果たして十分かという問題はやはり考えなければなりませ。
 先生が御指摘になられましたように、果たしてそういう窓口の存在を両親、保護者あるいは子供自身が知っているかという問題になりますと、やや疑問符がつくのではないかと思いますので、そういう学校の中でも相談できない、あるいは両親、友人にも相談できないというような場合、その児童生徒の秘密も守り、事を荒立てないで相談に行ける場所というものの存在をやはり子供に広く知らせておくということは大変重要なことであると思っております。
○南野知惠子君 ぜひ前向きに御示唆いただければと思っております。
 さらに、文部省の調査では、校内暴力、登校拒否は増加し、いじめは小中学校で減少、高校で増加しておると。この結果は不自然のようにも思えますが、教育相談件数で見ると、いじめに関する教育相談の半数近くが登校拒否に関する相談とあわせて行っております。いじめと登校拒否とのつながりを示しておるもので、いじめ、校内暴力、登校拒否の関係については大変重要に関連していると思われます。
 そこで、子供たちにとって、教科を担当する教員には成績のことなどがあり悩みは相談しにくいのではないでしょうか。熱心で責任感旺盛の余り力み過ぎてしまって、ゆとりを持ったカウンセリングマインドでの対応が難しくなるのではないでしょうか。先ほど大臣もお話しになられましたが、不登校児の保健室登校、そういったものに象徴されるように、保健室は子供たちの心のオアシスであり、駆け込み寺のようなものであると思います。子供たちの心と体の健康を支える養護教諭及び保健室は子供の発するSOS信号を察知ずみ重要なアンテナであると思いますが、文部省はこれをどのように位置づけておられるのでしょうか。
 また、養護教諭の資質の向上のため、文部省は従来から養護教諭を対象に講習を実施されていますが、いじめの発見と対応について大きく取り上げていただきたいと思います。それに関連しまして、養護教諭一人配置では講習にも出席できない現状があるとも伺っておりますが、養教の増員、適正配置も含めた今後の御計画、御所見をお伺いいたします。
○説明員(小林敬治君) お答えいたします。
 最近、心の問題を持って保健室を訪れる児童生徒が大変多く見られる状況になってきたということもございますので、私どもといたしましては各種の養護教諭を対象とした研修会を持っておるわけでございます。特に、ヘルスカウンセリング指導者講習会の中では、いじめ等の事例等も取り上げまして、その対策を実践的に研修するという場なども設けている次第でございます。それから、そういう状況でございますので、今年度中に養護教諭の先生方を対象とした手引の作成を今考えているところでございます。今後とも、こうした研修会等の充実を図ってまいりたいと思っております。
 それから、定数につきましては、現在第六次の改善計画でその増員を図っておりますので、これを着実に推進したいというふうに考えておるところでございます。
○南野知惠子君 改善計画の数字などがございましたら教えていただきたいんですが。
○説明員(井上孝美君) お答え申し上げます。
 平成五年度から六年計画で進めております現在の第六次公立義務教育諸学校教職員配置改善計画におきましては、大規模校において一名の養護教諭の配置では応急手当や保健指導に十分な対応ができにくいという実情、また心の健康の確保、そういうものにも適切に対応していくということから、新たに三十学級以上の学校に養護教諭の複数配置を行うこととしたところでございます。また、僻地、小規模における養護教諭の職務の重要性も考慮いたしまして、極めて小規模の学校を除き、全校に配置を行うこととしているところでございます。
 今回の改善計画におきましては、全体として小学校で三百五十七人、中学校で百八十五人、合わせまして五百四十二人の増を予定しているところでございます。
○南野知惠子君 ありがとうございました。
 学校の王様は子供でございますので、ぜひ子供が大きな学級であっても小さな学級であっても不平等に扱われることのないように、人権問題をよろしく御高配いただきたいと思っております。
 そこで、学校運営の問題なんでございますけれども、学校事務系は全週週五日制がとられております。このたび二回の学校五日制となるわけでございますけれども、二回の土曜日以外は学校に生徒が来まして授業が行われております。そのときに、学校に訪問者があったり、また学校に電話がかかってくるなどの応対は、クラスを担当していない養護教諭がその任に当たると聞いております。これらの事務作業のために、保健室登校の子供たちに対しての対応も不十分で、養護教諭本来の事務が手薄になると仄聞いたしますが、学校管理運営に対する御所見をお伺いしたいと思います。
○説明員(井上孝美君) 学校の管理運営全体につきましては、学校で校務分掌を定めて適切に対応するようにいたしているところでございます。そういう意味で、事務職員が休日の場合等であっても教頭等がそれにかわって職務を遂行する、あるいは手のすいた他の教員がそれにかわる、学校全体としてそういう校務に対応するということが適切であろうということで、従来からそのような対応をしていただくようお願いしているところでございます。学校においても、そのようにお互いに組織体として協力し合った運営を行っていただくようにお願いしているところでございます。
○南野知惠子君 ぜひ今のことをよろしくお願いしたいと思っております。
 たまたま準備いたしておりますときに、このようなファクスが届きましたので、そのことに関連して読み上げさせていただきます。
 これは東部中学校の人とは関係ないんでございますが、
 東部中学校のいじめによる自殺の件ですが、私たち養教としては、起こるべくして起きた思いです。子供の体がおかしいと言われてから、不登校、保健室登校と子供が子供らしく成長していない現実を一番早く感じ、訴え続けていたのは私たちです。しかし、現実にはそんな私たちの声を真剣に考え、問題としている学校ばとのくらいあるでしょうか。
 教師は、子供の方を向いているより一日も早く管理職になれる方を向いているため、子供の声が見えないのです。
 私たちの声が生かされない。養教は教師の下といった雰囲気の中では、養教のくせにのような思いがあり、子供の変化(サイン)を話に出しても、自分は教師、学級へ口出しされたくないといった偏見、差別があります。それは、私たちの声が校内で生かされない原因の大きな理由は、教諭ではないといった諸々の差別があるからです。学校では子供ばかりでなく養教に対する差別があり、これもいじめの一つではないでしょうか。
 今回の事件を通して、保健室、養教への認識が少しでも変わることができたら、それは子供が救われることになると思います。つまり、保健室は心身の健康についての管理、指導の場ということへの再認識になると思います。そのためにも、子供がいつでも気軽に利用できるよう保健室の充実を図ることが大切ではないでしょうか。保健室が相談室を兼ね、複数の養教が対応できることが要求されます。
 いじめはどの学校にもあります。問題にならないのは、子供も教師もそのことに余りにもなれてしまったからです。そして、自殺しないから、遺書を残さないからです。今回母親が「登校拒否にでもなってくれたら」は、精いっぱいの学校への抗議であり、何と情けないことかと思いました。問題が小さいうちは私たちの声など問題にせず、登校拒否になると、一人だけ相手にしていられない、保健室で何とかと私たちに預ける。私たちは、毎日毎日弱い子供の声を聞き、できる限りの援助をしているわけです。
 私たちの将来を考えたとき、現実の問題からも、四年生大学卒で教諭として直接指導できる立場にならないと、いつまでも赤チン先生のイメージから脱出できません。保健室の充実は子供たちへ必ず還元されるのです。ということでございます。
 さらに、もう一つ「日曜論壇」がございますが、そこで取り上げていることは、養護教諭という職名、これは通常は教員には何年経験を積んでもその名前が変わらないということで、教師であれば主任、教務主任、教頭、校長といった職務内容を示す肩書がついてくるわけです。事務系の方々、学校事務職も主事、主任、事務長と上がっていかれるんですが、養護教諭は新規採用でもベテランでもたった一つの名称しか用意されていない。せめて、養護主任の呼び名が欲しいというようなこともつけ加えられておりますので、そこら辺の御感想をお聞かせいただきたいと思います。
○国務大臣(与謝野馨君) 現在、日本国じゅうには二万五千の小学校と約一方の中学校がございまして、そこでは日々学校全体として心身ともに健やかな児童生徒の教育に取り組んでいるわけでございまして、そのお手紙、論壇の趣旨は恐らく三つのことがあるのだろうと思います。
 一つは、養護教諭の重要性ということをその方が説いておられるわけでございますが、全く同感でございます。学校教育の中で、いろいろな持ち場持ち場がございますが、どの持ち場が大切でどの持ち場が大切でないというようなことはないはずでございます。それぞれ、養護ならば養護を御担当になる教諭の重要性というものは、学校教育全体において不可欠な存在というふうに私は考えておりますし、それはそれなりのきちんとした待遇というものを考えていかなければならないわけでございます。
 もう一つの問題は、いつまでたっても名称が一つであるというような問題は確かにございますので、そういう問題は少し工夫して考える余地は私はあるのではないかと、今先生の御質問で漠然たる私の印象でございますが、そういうふうに思った次第でございます。
 いずれにしましても、養護教諭というのは、英語で言えばスクールナースということで、子供の健康の面を、身体的な健康あるいは精神的な健康と両面をよく見ていただく方でございますので、健全な児童生徒を社会に送り出していくためには不可欠な、もう欠かすことのできない存在でございますので、どうかその分野を担当されている先生方は、そういう社会的な使命感を持っていただいてぜひ御健闘、御尽力を賜りたい、そのように思っております。
○南野知惠子君 ありがとうございました。養護教諭に対する御理解と改善策、さらにその実行を前向きに御答弁いだたきましたことを感謝申し上げます。
 いじめをなくすためには、学校、家庭、地域が一体となって取り組んでいく必要があると思います。保来年度から月二回の学校五日制が実施されますが、その実施に伴い、家庭におけるしつけ、地域における社会性の涵養など、地域、家庭の教育力の回復は、いじめの問題解決のために重要な要素であると思われます。来年度からの月二回の学校五日制の導入を前にして、どのように家庭と地域の教育力を回復していくかは大きな課題と考えます。
 さらに、社会性や豊かな情操をはぐくむために学校行事や体験学習は大きな役割を果たしておりますけれども、二回の学校五日制導入により、教育の授業時間確保のためにこれらの学習時間が削られるのではないかと心配する声を聞きます。子供同士の連帯感が感動する心をはぐくみ、充実した豊かな学校生活を送るためには、このような時間を十分確保する必要があると思います。
 また、今回の事件などからも、正義感や思いやり、規範意識、寛容の精神なとをはぐくむ道徳教育も一層充実させる必要があると思いますが、これらについての大臣の御所見をお伺いいたします。
○説明員(泊龍雄君) 学校、家庭、地域が一体となって教育力の回復ということが大事だという御指摘でございますが、御趣旨は私ども同感でございます。
 御案内のとおり、近年家庭をめぐる環境といいますのも、いわゆる少子化とか核家族化というような諸状況がございます。また、地域社会を見回しても、都市化といったようなことによりまして、いわば地域社会の中における交流とかあるいは体験的ないろいろな活動といったようなものが希薄になりがちであるという指摘があるところでございます。子供の全人的な成長のためには、学校教育だけでなく、家庭や地域社会において基本的なしつけ、あるいは生活習慣の習得といったこと、それから豊かなさまざまな活動体験を通しての社会性を育成していくということが非常に重要だと思っております。
 そのため、文部省といたしましても、例えば親御さんを対象とした学習機会あるいは情報の提供といったようなこと、電話あるいは巡回によるいろいろな相談体制の整備を図るといったようなこと、それから子供たちに学校外でいろいろな活動を活発にやってもらうといったようなことでの学校外活動の充実を図るといったような施策の推進を図り、これで家庭あるいは地域社会における教育力の回復を少しでも図りたいということでやっているところでございます。
 とりわけ家庭ということで申し上げれば、家庭教育につきましては、親子の触れ合い、交流というのは非常に大事でございます。そういったことを考えまして、例えば家庭教育ふれあい推進事業といったようなものを推進する、あるいは同じような意味合いで、特に日ごろ子供との交流が少ない父親というものを頭に置いた職場内の家庭教育講座といったようなものも、これは新規でございますが、今年度から開始をしているところでございます。俗に出前講座と言っているところでございます。
 また、同じように親と子という関係で見ますと、各種の学習機会の中でも一緒に親子が楽しみながら触れ合っていくということが大事だろうというような面も配慮をしまして、例えばファミリーズポーツの推進事業といったようなものも実施をいたしているところでございます。
 同様に、今回、来年から新たに学校五日制が月二回というようなこともございます。そういった背景等も考えますと、地域社会におけるさまざまな活動というものが子供たちにやはり充実したものになっていくような支援をする必要があろうといったようなことで、例えば地域少年少女サークル活動促進事業といったものとか、あるいは青少年交流推進事業といったようなものも現在推進をいたしているところでございます。
 いずれにいたしましても、子供たちの健全な育成を図るためには、学校あるいは家庭、地域社会が十分な連携というものをとりながら総体としての教育力の回復ということが大事だろうと思っております。そのための支援あるいは家庭の親御さん等に対する理解といったようなものも求めつつ、施策の充実にも努めてまいりたいというふうに考えております。
○南野知惠子君 最後に再発防止に対する大臣の御意見をお聞きしたかったのですが、時間が来ましたのでこれで質問を終わります。ありがとうございました。
○木宮和彦君 自由民主党の木宮和彦でございます。
 きょうはいじめに対する集中審議ということでございますので、最初にお断りしておきますが、文部省の事務方はひとつ聞き役に回っていただいて、専ら文部大臣、特に文部大臣には血の通った御答弁を賜りたいと、かように思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
 私も、実は今回質問するということで資料を多少集めましたが、国会の議事録の索引のデータベースを取り寄せました、国会図書館から。そういたしましたら、ここへ持ってまいりましたけれども、これは索引ですから、だれがどこで何をはいいんです。質問者とお答えした人の名前と期日だけです。これだけあります。これがそのデータです。
 そもそもこれはいつから始まったかというと、百二回の国会から百二十八回の国会までの質疑の様態がここに全部データベースとして出ています。これは内容は書いてないんですよ、事柄の索引ですから。この間に質疑が百十九回、答弁が百五十五回、私一生懸命勘定したんです。参考人が五回、公述人が一回、全部で計二百八十回、実はこれだけの審議をされておるんです。
 それだけじゃない。これは百二十八回ですから、それから後、私も議事録で調べましたら、百二十九回には篠崎先生がいじめ問題で質問をされておりますし、また百三十回では久保亘書記長が質問されておりますし、それから前回百二十一回にはただいま質問なさった南野先生が実は質問されております。
 そういうぐあいに、毎回実はいじめの問題については国会でも取り上げております。それに対して文部省からも誠意ある御回答をいただいております。しかし残念ながら、数は減ったかもしれませんが、現実に内容的にはむしろ昔よりもひどいんじゃないかなという私は感がしてなりません。
 どうしてこうなってしまったのか。恐らく本気で現場がやっていない、あるいは文部省がやっていないのかもしれませんけれども、いずれにいたしましても、私はその辺に大きな問題があると思いますので、まず最初に文部大臣に、このいじめの問題の現況、そのいじめの原因は何か、それから今後の対策について、ごく簡単で結構です。私の時間は三十分弱でございますので、よろしくひとつその決意をお話しいただきたいと思います。
○国務大臣(与謝野馨君) 子供の世界の話でございますから、私の子供のころから、例えば私が通っておりました区立の小学校ではやはりいじめっ子もおりましたし、いじめられる子供も現におりました。しかし、それはある一定の限度というものをみんなが心得ておりましたし、そのようなひどいことをする子供に対しては仲間が注意をするというような時代に私は育ったわけでございます。
 いじめの問題というのは、いじめが何で発生するかということは、これは専門家の方に分析をしていただかなければならないわけですが、根本的には、先ほども申し上げましたように、子供が生まれて世に出るまでの間、親がどれほど子供に、あるいは保護者がどれだけ子供にいろいろな基礎的な倫理観を教えるか、この親の責任ということを相当自覚をしていただかなければならないわけでございます。何もこれは学校の教育機関としての責任を免れようとか回避しようとかということではありませんで、子を産んだ親あるいは子を育てている保護者の責任というものは子供の発達段階に応じてそれぞれが大変重要な要素を占めているということをおわかりいただきたいと思うわけでございます。
 それからもう一つは、学校の体制の問題でございますが、校長先生を中心に、いじめの問題等に対して校長先生のリーダーシップのもとで学校が一体となってこれに取り組むという姿勢も大事でございます。また、その学校が存在する地域社会でも、そのようなまさに陰湿ないじめは許さないという社会的土壌と申しますか、社会的雰囲気というもの、あるいはそれを制する力というものが地域社会にも私は求められていると思います。
 また、不幸にもこの種のことが起きた場合には、子供であってもその行動については私は責任があるというふうに考えております。子供の人格ということが主張され、子供の人権ということが主張される。人格とか人権の裏側には責任という概念が当然あるわけでございまして、法によって処断される場合もあり得るでしょうし、十一二歳、十四歳といえども理非曲直については一定の判断力を持っておりますし、それ相応の責任をとっていただくということもまた一つの教育であると私は思っております。
○木宮和彦君 この問題は非常に古い話でございまして、たしか昭和五十八年に横浜市内の中学生を含む非行グループが浮浪者を殺したのが始まりでございまして、六十年がピークで、今文化庁の長官をやっている遠山長官が当時中学校課長でございますから、大分古い話です。もう十年ぐらい前です。そのときに、児童生徒の問題行動に関する検討会議というものをつくっているんですね。もう既にそのときから専門家の御意見を聞いていろいろ実行しておるんですが、なかなかそれが顕著にあらわれない、これがやっぱり問題だと、私はそう思います。
 実は、十二月九日に、ローカル新聞でございますが静岡新聞というのに、でも七十万部くらいは刷っておると思いますが、その夕刊に実は「窓辺」という枠に入れた随想といいますか随筆があります。これは番が決まっていまして、月曜日の番、火曜日の番、水曜日の番、一週間六人の人が一日ずつ書いて、それを四カ月くらいかな、私も実は二十年ほど前にこれを担当させられたことがございますので覚えていますが、そのときそのときの感想なり随筆を書いております。実はきょうここに持ってまいりました。「窓辺」というんですけれども、題は「暴言」という題になっています。この人は、名前を言って構わないと思いますが、佐藤元彦さんです。この人は現在は松坂屋の取締役で静岡の店長をやっております。この人が書いた随筆でございますが、こう書いてあります。大変これは示唆に富んだもので、ひとつ文部大臣もお聞きいただいて御感想を後でお述べいただきたいんです。
 今夏のことである。ほとんどの読者はご記憶にないと思うが、静岡市で中部七県下の中学校長会が開催された。主要なホテルは彼等により占拠されてしまった。
 愛知県の中学校長会長は、あえて名を秘すが、高校時代の親友であり、結婚式の司会も互いにやりあったほどの間柄である。
 会議の前日、彼から電話があった。静岡での夜を二人で過ごしたいという内容のものであった。
 「オー・ウェルカム」
 私は彼のいるホテルヘ迎えに行った。
 ところがである。「仲間の愛知県の校長連中が静岡に全く土地カンがなく、十人程一緒に案内してくれ」と彼から頼まれた。
 旧友と二人の夜を楽しみにしていた思惑がはずれてしまった私は、十数人の先導役となって、七時というのにまだ明るさの残る静岡の繁華街を歩き、とあるバーへ到着した。
 彼等の話ははずんだ。内容はゴルフのスコアの自慢とか、カラオケの持ち歌の数とか、全くたわいのないものであり、校長先生もくつろぎの場では一般人と同じだと、親近感を覚えたものだ。
 今思えば不思議なことであるが、ふと予感がはたらき、私は中学生のイジメ、暴力問題を話題にした。
 彼等いわく、「いくら努力しても焼け石に水のようだ。もぐら叩きのように発生してくる。世相なんだね」。
 私はなぜか無性に腹が立ち、「暴言」を吐き、親友だけを連れて、席を蹴ってしまった。
 そして数カ月後の今、愛知県の中学校でイジメによる自殺という最悪の事件が起きてしまった。本紙の報道、清輝君の遺書を読んで、私は涙をこらえることができなかった。
 もちろん、教育界だけの責任と私は思っていない。しかも私は、その時、校長先生方に対してとった行動を失礼なことと、今まで反省してきたのだ。
 しかし現在、私の言動は正しかったと確信できている。
 「暴言」とは、「世相だからしょうがないとは何事だ。君たちは国民の血税で飯を食っているんだろう」。
 これが、この支店長さんが暴言を吐いて、そして友達を連れて帰って、それでも悪いことを言ってしまったなと反省をしておったけれども、今回こういう事件があって、私ですら気にとめているのに、当事者である校長さんが十人もいてそれに気づかないのはどういうわけかということがこの言葉の中に入っているような気がいたします。これが、全部が全部教育現場の校長さんの態度とは私は思いませんよ、もちろん。思いませんが、しかしそういう素地がこの愛知県の校長会長さんが連れてきた十人の中にあったということをこの人はあえて指摘したんじゃないかと、こう思いますけれども、その辺は文部大臣として今の現場についてどうお考えでしょうか。
○国務大臣(与謝野馨君) 酒席のことですから、どういうお話があったかよく存じ上げませんし、またそれからすべてがわかるわけではありませんが、校長先生には校長先生としての学校に対する管理の責任があるわけでございまして、学校で起きるいろいろの事柄を世相であるから仕方がないという一言で片づけるということは、やはり責任感が十分とは言えないというふうな印象を与える随筆でございます。
○木宮和彦君 これが出たちょうどその日に、先ほどお話がありましたように、「いじめ対策緊急会議」緊急アピール、緊急が二つ使われていますが、十二月九日、同日にこれが実は発表されたわけです。これには六項目ございます。確かにごもっともな話でございます。私もこれには敬服いたしますけれども、しかし問題はこれで解決しないと思います。これは今までの線上にある言葉であって、決して新しいものは一つもないような気が私はするんです。緊急と言うにはちょっとおこがましいなというような感じが私はしてならないんです。緊急ならもうちょっと緊急らしく表現なり内容を掘り下げてもらいたいなというのが私の感想でございます。
 大臣、義務教育というのは、日本の義務教育は憲法で決められておりますから、親が定めるわけにいかないんです。ほかへ行きたいというわけにいかない。自分の住んだところの学校へ大体行く、都会ならいざ知らず、地方へ行けば恐らく。選択の余地がない。選択肢がないんですね。どうしたって行がにゃならない。子供が行きたくないとわめけば、恐らく行かぬでもいいよと言う親は少ないと思います、中にはいるかもしれませんけれども。無理してでも行かなきゃだめだと怒ってしりをたたいて学校へやらせると思います。しかし、弱い子ですと、じゃ、だれが保護をするのか。受け持ちの先生以外にこれを知っている人はいないと思うんですがね。
 ですから、私はそういう意味で、今の教育、義務教育というのは明治以来大変な効果をあらわしたと思いますけれども、思いますけれども、しかし私はやはり親に学校選択のあれをやらしてもいいんじゃないか。それには、学区を外すなり、特にこういうときにはいいよというんじゃなくて、ある程度、余りそれを自由にしちゃいけませんけれども、やはり選択、父兄がこの子供とこの学校とはどうしても肌が合わないという人が必ずいるんですから、その場合のことをよく考えて、やはり義務教育といえども人権もあるし親の信託を受けてやるんですから、学校が通り一遍でやられちゃ困るんですから。そういう意味では、私立の中学校なりあるいはその他いろんな小学校をやはり多様につくっていかないと、現在のままの義務教育というものが非常に私はいびつなものになっていくような気がしてならない。その辺のひとつお考えをお話しいただきたいと思います。
○国務大臣(与謝野馨君) 義務教育というのは大変数の多い児童生徒を対象にしておりまして、だれでもどこの学校でも行けるというような制度というのは恐らく不可能であるわけでございまして、この地区に住んでいる方はこの地区の小学校に行っていただく、あるいはこの中学校に行っていただく、そういう地域によって通う学校が決まるということは私は必然性のある制度であると思っております。
 ただし、昭和六十年以降は、やはりいじめがひどい、この学校にいると子供が十分な発育をしないというような場合は、お申し出によって教育委員会がその特別な事情を勘案して別の学校に行っていただける、そういう制度もできております。そういう緊急避難的な問題というのは、先生の御質問に全部お答えはできておりませんけれども、緊急避難的に万やむを得ない場合、あるいは児童生徒の心身が危殆にさらされるというような場合には、お申し出によってそういう措置がとれる、そういう制度には今なっております。
○木宮和彦君 制度はあろうと思いますけれども、なかなかそれが運営はできないと思いますね。やっぱり親は人質にとられているようなものでして、なかなかそう簡単に申し出ができない。将来のこともありますし、子供のこともありますので、できればそこにいる方がいいんですから、それが先に立つちゃいますから、なかなかそれができない。もう少し自由に子供と相談して、やっぱり土壌を変えてやるということが私は非常に必要なことだと思います。
 そして、学校というのは特殊な社会でして、いわゆる閉鎖的といいますか、閉鎖社会なんですね、先生というのは。よそのことは余り知らないんですよ。学校のことは詳しいし、学校のことについては一生懸命やっていますよ、現実に。しかし、やればやるほどジレンマに陥るというのが学校の一つの宿命ではないかなと、私はそう思います。
 昔から、古い話ですけれども、中国の孟子のお母さんの孟母三遷という言葉がありますが、これはいじめられたから行ったわけじゃないんですけれども、ともかく学校のそばへ行って、そしてそこのいい環境といいますか、そういう環境を選んだという、これで孟子の将来ができたという話でございます。
 やはり私の経験から言いましても、中学校でもっていじめに遭って、おじいさんは町長、町会議長をやったような方ですが、その孫なんですが、もう学校は嫌だと言って行かなくてどうにもならなくて、そのおやじが、おやじさんはまだ若いですけれども、じいさんが偉いですから、そういうわけで飛び込んできた。私もしょうがないから、高校くらいは出なきゃ困るんだからというので、その子は浜松の在でしたけれども、それで何か特色はないかと言ったら、学校に行っていないんですから勉強ができないのは当たり前なんだ。普通の試験をやったら入らない。音楽が唯一少し好きだと言う。それでは、私のところに、音楽科があるから音楽科の寮に入れてやるからそこへ入れと言って、そして音楽の先生に特別に頼んでその子供を教育したんです。大変喜んで、高等学校を一日も欠席しなくて卒業して、しかも短大の音楽科へ行って今や立派になっていますが、あのときにもしもそのままいじめられていたら、中学校も卒業できなくて終わっちゃったかもしれない。
 だから、そういう意味で、きめ細かい指導をしていただくのが私は非常に大事だと思う。やっぱり今のやり方はどっちかというと逆であって、へたをすると学校と生徒と両方でいじめちゃうようなことがあります。
 人間というのは病気になりますから、病気になれば何か症状が出てきます。症状が出てくれば普通は自分で自覚して、子供の場合には親が、この子はちょっとおかしいと思ったら小児科に連れていくと思います。要するに、症状が出て、そしてそれをお医者さんに連れていって、お医者さんが診察したりあるいは検査して、そして大体病名を決めて、それから治療します。治療の場合にも二つあって、すぐこれは切った方がいいですよという場合と、これは薬で治した方がいいよと。あるいは、同じ薬でもすぐ効く即効薬、点滴のような即効薬と、あるいはそうでなくて漢方薬で、じわじわ食事療法でもって治した方がいいよという、私はお医者さんじゃないからわかりませんが、ともかくそういうふうにいろいろと方法があろうかと思います。
 きょうは今から、私も実はいろいろ何を質問しようかと思ったんですが、どうも読むと、どれもこれも全部質問が終わっているし、全部答えが出ていますからもうこれ以上聞くことはございませんが、あえて私の私見ですが、十項目を私なりに考えてまいりましたのでお聞きいただきたいと思います。もしこれについて御批判があったら逆に私が承って、また何か参考になったらぜひひとつお考えいただきたいと思います。
 まず最初に、長いスタンス、根本的なものです。
 先ほどの六つの、あるいは愛知県の先ほどの学校、この学校でもって子供に対して提言をしています。安心して学校で授業ができること、安心して親が学校へ出せること、そして地域でもって積極的に交流してそういうものを早く発見しよう、この三つを実は校長さんが発表していますけれども、考えてみるとそんなことは当たり前のことです、学校に行くのに。安全でなきゃならぬなんということ自体がもう私は不自然だと思うんですけれども、しかしあえてそこまで言わせなくちゃならないような事態が発生していることだけは間違いないと思います。
 きょうはまず第一に、もう既にお話しいたしましたけれども、今の閉鎖性を何とかして、現状とこれから対策論ですから、その現状を、ぜひひとつ閉鎖性の社会を少し開いて、選択肢や自由競争の原理が働くようにひとつやってもらいたい、これがまず第一でございます。
 それから二番目には、先生や校長先生が、先ほど私が文章を読みましたけれども、非常に使命感に欠けているような気がするんですね。サラリーマン化していると思います。これをなくさにゃいかぬ。
 私は、あるとき品川の女子高校の女の校長先生のお話を聞いたんです。その品川の私立学校の女校長先生が、自分の子供に小学生がいたそうです。近所の区立の小学校へ自分が忙しいからやったと。それで、いろいろ父兄会がある、PTAがある。しかし、自分も校長だからなかなか行けない。だけれども、あるとき時間がちょっとあいたと、その日一日、午後から。それで、受け持ちの先生に電話をして、今から行ってもいいかしらと言ったら、いいですよと。三時ごろ出かけた。そして、教室でもってその受け持ちの先生とお話をした。
 そうしたら向こうも女の先生で、自分も女の教師で校長ですから、話が弾んで非常に愉快だった。小さないすに座りながら二人でもって教育論を交わって一生懸命話をした。四時半になったら隣の先生が来て、先生四時半ですよと、こうおっしゃった。ですからその校長先生は、何か会議でもあるのかなと思って、先生行かなくてもいいですかと言ったら、いいですよ、話をしましょうよと、それでまた話をしておった。そうしたら、また十五分もしたら、今度は男の先生が来て、もう四時半過ぎちゃったからねと、こういう話をした。それでびっくりして、これは何かここにいたのでは悪いのかなと思って、先生申しわけございません、また私出直します、あるいは電話でもって続きはお話ししますから帰ります、そう言ってお別れしたんです。そのときに先生が、いや何にも用はないんです、ただ学校は四時半か五時になると閉めてかぎをかけて、そして後はガードマンに任せにゃならぬので、だから私がいたら邪魔になるからああやって言ってくるんですよと、こうおっしゃったと言うんです。これは本人に聞いた話なんです。これは本当の話なんです。
 次の話はうその話かもしれぬが、これも私が聞いた話なんです。これも東京の話なんです。大臣、東京だからよく御存じだと思うんですけれども、こんなことはないと思うが、これは作り話かもしれません。
 これは大分前の話です。もう十五、六年前ですね。夏です。学校にプールがある。夏休みにプールの監督をしなきゃならぬ。これはプー監というやつだね、プール監督。それを各先生に、あなたは夏休みの何日の午前中、何日の午後というぐあいに割り振るわけです。この役割は教頭さんがやるんですが、どうしてもみんなの意見が合わない、それはだめだ、私はこの日は用があると。職員会議をやって、どうですか皆さんでここでもって何とか決めていただきたいといって、校長と教頭がいる前で全職員を集めてプール監督の時間割をつくろうと思ってやったんだそうですよ。
 ところが、なかなか合わなくてどうにもならぬ。そうしたら、若い先生が一人手を挙げて、本当かうそか知りませんよ、私これは余り自信がありません、聞いた話ですから。見てきたようなうそをつかれたのかもしれませんけれども、ありそうな話なんです。手を挙げて、校長先生いい考えがありますと。何だと言ったら、それはプールに水があるからプー監をやらなくちゃならない。だから栓を抜いて水を抜いちゃったらそんなことをせぬでもいいじゃないですかと言ったら、みんながああそうそうと。校長もしばらく考えていて、ああそうかと言って、教頭にどうすると言った。それでその日はやめた。後ほど校長が教頭に、君悪いけれども今夜栓を抜いてくれやと。それでその夏はとうとうプールを使わなかった。
 本当かうそか知りませんよ。まさに笑い話じゃないですけれども、そういう事態が、たとえうそでもありそうな話に聞こえてくるということは、私は非常に残念なことだと思うんです。これはやはり使命感がないからです。ぜひそういう意味で、長いスタンスでもって、教員にどうしたらリーダーシップが欠如しているのをやるかということは、これは管理者と教員とがお互い信頼関係がないと使命感は生まれてこないし、また教員の資質にも関係します。それからもう一つ、いろいろ外部との交流、特に民間の会社なんかのように十年たったら一年なり二年、先生を世の中に出して勉強させてきてまた戻るというようなシステムをこれから考えるべきじゃないかなと、私はそう思っております。
 それから三つ目が、これもまた大事なことですが、緊張感がない。さっきの話じゃないですが、松坂屋さんの話じゃありませんけれども、やはり校長先生も、酒を飲んだ上だからそうかもしれませんけれども、それにしてもやっぱり事そこへ来れば、もうちょっと緊張感があってしかるべきです。ところが、その緊張感がない。
 特に民間から来た先生方は、学校へ入ると、ここは居心地がいいねと私にそう言うんだから、これはうそじゃない。会社をやめて私の学校の先生になったのが、先生ってこれで給料をもらえるのと。私の学校は随分絞るつもりなんですが、それでもその程度にしか感じていない。これは問題があると思うんですね。やはりもうちょっと刺激を与えなくちゃいけないと私は思うんです。それには自己評価をやる、あるいは客観評価をやる。あるいは勤務評定もあってなきがごときのような勤務評定じゃ困るんでして、ぜひひとつ公立学校の先生方は親方日の丸というのはもうやめてもらって、やっぱり緊張感でひとつぜひやってもらいたい。これが私の三番目のお願いでございます。
 それから四番目は、先生が昔と違って権威がなくなっちゃった。昔は先生様というのは偉い人なんですよね。なぜそうなっちゃったかというと、いろいろあると思いますが、一つには父兄の方が高学歴化しましたから、お母さんが女子大出でもって先生が短大出となるとそれだけではかにしちゃう、残念なことながら。本当はそんなものは関係ないんですけれどもね。むしろ見識があり人徳があり努力している人だったら、そんな学校はどこだって構いやせぬ。しかし、現実はそうなんですね。現実は、短大出の人は最近減りましたけれども、四年制大学、同等だとやはり欠点だけが見えて、なかなか勤務評定なり自己評価ができないというところに一つの大きな原因があると私は思いますので、ぬるま湯につかったような学校じゃなくて、ぜひとも権威を高めてもらいたい。それには先生方が生活態度をしっかりしてもらい、みずから示してもらいたい。
 二番目には、やはり何といいましても服装の問題です。こんなものはどうでもいいというふうにおっしゃるかもしれませんが、先生はやはり聖職だと私は思います。だから、例えば判事さんにしても、あるいはお医者さんにしても看護婦さんにしても、そういう職業の人はみんなガウンを着ます。お医者さんはみんな白衣を着ます。看護婦さんも白衣を着ています。それから、判事さんは黒いガウンを着ています。これは何かというと、人間の臭みをなるべくあらわにしないということなんです。坊さんだってそうですよ。神主さんだってそうですよ。みんなそれぞれその職員に応じての服装というものがある。先生は先生らしいやっぱりある程度の、それは活発に動くときにはそのようにしなきゃいけませんけれども、一たん教壇に立つときにはきちんと、夏はいざ知らず、冬だったらネクタイくらい締めて、たとえ小学校といえども私はやるべきだ。トレーナーでもって一日じゅういるというのはいかがなものかなと、私はそう思います。
 それともう一つ、先生は今後は大学院をなるべくたくさん卒業させて、専修免許状を取って、そして先生の資格をどんどん尊敬されるようにひとつ位置づけていただきたい。これはすぐにはできませんけれども、ぜひお願いしたいと思います。
 それから五つ目は、社会環境が非常に悪くなっちゃった。授業料も自振りです。昔は親がちゃんと月謝を渡して、おまえこれだけ金を払うんだからしっかりやれと、まあ義務教育はそういうことはないですけれども、教科書を買うときにはそうだったです。今はそれがなくなっちゃった。先生方の月給は全部振り込みですから、余り尊敬されない。そのくらいやっぱり世相が変わっているんですよ、本当に。それは校長の言うのも無理もないんです。少子社会でもって、自分の娘のこと、自分の息子のことは関心があるが、それ以外のことには余り関心がない。ですから、これは現代人といいますか、超経済大国となった日本の最大の欠陥がここにあらわれたというふうに私は思う。
 この五つが言ってみれば長いスタンスでもってこれからぜひ行政当局で考えていただきたいことであります。
 まだ五つあるんですけれども、もう時間もあと三分か四分で終わりですからこれは長く話はできませんけれども、せっかく考えたんですからね。
 即効的にやらなくちゃならぬことで、先ほどの六つの中に入っていますけれども、まず一つは信頼感をお互いにつけること。今それがなくなっています。ですから、自信を持っていいことはいい悪いことは悪いと言い切れる先生をつくってもらいたい。こんなことはすぐできますよね、やろうと思えば。
 例えば警察官とやくざもそうですが、一般人がせっかくやくざについての被害を届け出ると余計やられちゃうことがあるんです。下手に警察に訴えたってかえってやられちゃう。子供たちもそうなんですよ。強いやつにやられてそれを先生に訴えると、先生がストレートにそいつを呼んですぐやっちゃうと、そのときはちょっとおとなしいけれども、おまえおれのことを先生に言いやがったな、こっちへ来いとまた前の三倍ぐらい殴られちゃう。本当なんだ、これは。弱い子を救うのが先生なんです。それが逆になっちゃっていますから、弱い子をますますいじめるような結果になっちゃう。これはもう緊急にできますから、ぜひとも自信を持って、いいことはいい悪いことは悪いと。
 それから二つ目は、正義感を子供に植えつけてもらいたい。連帯感。見て見ぬふりをしているんですよ、本当は。あいつはおれには関係ないからいじめられているけれどもいいやというので、子供たちがみんな見て見ぬふりをする。いわゆる正義感が今の子供になくなっている。これが二つ目。
 それから三つ目が、ひとりよがりでもってコミュニケーションが悪過ぎます。最近、静岡でございますが、ある中学校でもって忘年会をやろうと言ったら校長さんにとめられちゃったんです。それは父兄とやっちゃいかぬ。クラブの先生に大分世話になったからあの先生を呼んで慰労しようと思ったら、それもやっちゃいかぬ。やっちゃいかぬ、やっちゃいかぬって、それだったらいつコミュニケーションするのか私にはよくわからない。むしろ校長は、ああそうか、それはよかったな、御祝儀を持っていってやれとか、多少やればいいじゃない。私立学校じゃないからそれはできないのかもしれませんけれども。ぜひそれはひとつ学校の先生と父兄と子供の三者のコミュニケーションをよくしてもらわないことにはだめなんですよ。
 弱い子には、できたら、昔から、江戸時代から目安箱ってあるでしょう、だから学校の中に目安箱をつくって、言いたいこと、あるいは不平のこと、あるいは困ったことがあったらそれに入れて、校長はそれをしっかり読んで受けとめる。そして、これは現場へおろした方がいいとか、これはどうだということをやっぱり、目安箱とかあるいは子供のアンケートとか、あるいは教師同士でもいいんですが、ぜひとも。
 それからもう一つは、さっきもちょっと言いましたけれども、教員も十年くらいたったら民間へ二年くらい、ひとつ会社なりあるいはボランティアでもいいですから、何か違う世界を見てきてまた教壇に立つということが私は、これは言うは楽でもなかなかできないかもしれませんけれども、ぜひやってもらいたい。それをやらないのはやめてもらえばいい。ぜひともお願いしたいと思います。
 それから、あとは目的意識をぜひ持ってもらいたい。今はどうも合理性がいいということで、手づくりをやる気がなくなっちゃった。特に私は文部省、これはしょうがないと言えばしょうがないんですが、日直とか宿直とかこういうものも全部廃止しちゃった。昔は宿直の晩に子供に、先生いるで、おまえおかずを持っていってやれやと言って田舎では全部親がそういうのを持ってきたんですよ。その宿直室で子供とのコミュニケーションが非常に多かったんですが、そういうことが一切、正月も全部閉めちゃう。修学旅行も大体旅行社へ頼んであとは先生は何もせぬ、子供の監督をするだけで夜になったら酒を飲むという、これじゃ困るんです。
 それから最後、もう時間がなくなりましたのでやめますが、ともかくできることはすぐ実践してください。私の経験からいきましても、私の学校からいっても、本当に悪い子をやるのは、受け持ちと生徒指導の先生と教頭の三人がその気になればどんな悪い子だって、その両目に対向して、そしてそこでもって一時間か二時間強引にやれば必ずこれは防げます、いじめは。もし今度やったら、この子じゃなくておれが相手をしてやると教頭がたんかを切れば、それでもって中学生くらいおさまります。女の先生じゃ殴られちゃうかもしれませんが、少なくとも権威のある先生だったらそういうことはあり得ないと思います。
 たくさんお話ししまして、余分なことを言いましたけれども、きょうは質疑というよりも独壇場みたいなことをやっちゃって申しわけございませんが、ぜひ今後、私は私なりの考えを持っておりますので、よろしくどうぞお願いいたします。
○会田長栄君 日本社会党・護憲民主連合の会田でございます。
 まず、大河内君の死に心から哀悼の意を表しながら、二度とこういうことのない対策をどうしても講じていかなければならないという立場で質問したいわけであります。もちろん私の質問は、私が質問する、文部大臣が答える、文部省の局長が答える、こういうことで一件落着させたくない、そういう強い気持ちで、以下、意見を述べたり伺ったりしていきたい、こう思っております。
 御承知のとおり、問題行動あるいは登校拒否あるいは高校の中退問題など教育に携わるこの大きな課題は、絶えず提起をされて、今日まで当然対策もやられてきてまことに久しい。しかし、本来楽しかるべき学校、あるいはともに喜び合う学校、あるいは喜んだり悲しんだりする学校がこういった状態からなかなか抜け出せないでいるというのが今日の現状であろう。大河内君がみずから命を絶って遺書でその問題を提起したということになるのでありましょう。
 まさしく大河内君の家族の皆さんへという遺書の中身というのは、我々にとっても教育者にとっても大変つらく厳しい問題提起が含まれております。ちょっとだけ読ませてもらうと、自分の死を覚悟した上に立って、なおかつ自分の責任であるということを言っているんです。自分さえ金を渡さなかったらこういう結果を招かなかったという自分の責任として家族の皆さんに締めくくっているんです。
 そういうことを考えますと、私は本日の審議に当たりまして、篤と何がそうさせているのかということを中心にして質問したり意見を述べたりしていきたい、こう思っています。
 御承知のとおり、大河内君が自殺をした、新聞に報道される、それが全国的に衝撃となって走る、当然該当する学校では大変な悩みと緊張感の中に走らされている。そして、当然職員会議はやる、PTA総会はやる、生徒全員集会はやる、そして校長の記者会見もやる、教頭の今までの経過についての報告が出される、そして結論は、学校長が申しわけなかったという釈明をする、そして教師集団の能力不足ということで一件落着をするという経過を今日まで自殺問題もたどっている。
 私は、ここに非常に問題があるという受けとめ方をしています。もちろん、文部省もいじめ対策で研究協力者会議を開いて緊急アピールも出しました。しかし、これを読む限り、まことに申しわけありませんけれども、これを読む限り、あえてこの大河内君の死に対して今後どう大人社会が、教育界が対応するかというのには踏み込み不足だと私は見ています。
 なぜそう言うかというと、歌ではないけれども、こんな状態の学校に一体だれがしたんだということが欠けている。もちろん、学校がそういう実態になるわけでありますから、当然教師集団にもうつるし、教師にもうつるし、子供たちにもうつっていく、地域社会も当然そういう社会的な状況下に置かれると私は思っております。申し上げては悪いんですけれども、実はこの愛知県の東部中学校というのは、何を語ろう愛知県教育委員会の生徒指導推進指定校であったというのはなおさら悲劇であります。
 かつて、私は文教委員会で何回か言いました。なるほど時代に合った研究をするというのはそれは一つの使命であろう。しかし、今文部省の進めている研究指定校あるいは都道府県の進めている研究指定校、かつて昭和三十八年、それまで教員がみずから自主的研究をしようということで精力的に自主的研究を進めてきて活発になっていた時代、現実的には文部省の初中局が指導をして小学校教育研究会、中学校教育研究会、高等学校教育研究会と新たな組織再編をしていった、こういう流れがあるんです。私は文教委員会でそのことを言いました。一体こんなに先生方をがんじがらめにしていいんですかと。
 この学校も推進校であった。その前は理科教育研究指定校であった。指定校の繰り返しなんです。これは先生をやらないとわかりませんけれども、指定校になんか一たん指定されたら、学校はちょうちん学校です。それはなぜちょうちん学校になるんだと。研究資料はまとめなきゃいけない、研究公開はしなきゃいけない。当然そういう仕事をやっていけば子供たちから目が離れるのは当たり前なんです。子供と一緒に遊ぶ時間がなくなるのが当たり前なんです。こういうことを私はかつて申し上げました。もう少し校長先生を中心として先生方を自由にさせてあげたらいかがなんですかと、こういう言い方をしました。これは古い話です。
 ところが、そういう問題については協力者会議もさわりません。学校の責任、家庭の責任、社会の責任、こういうことで終わってしまいます。それは全く間違っているとは言いませんよ。まさしくそのとおりであります。そのとおりでありますが、こういうことを繰り返している限りは、私はなくならない。こういう前提に立ちまして、以下、質問もし、意見も申し上げていきたい、こう思っております。
 学校で、もう少し生きたかったなどということを遺書、作文に書かせるなどということは、これは大変なことです。恐らく小学校から中学校にかけて作文を通して子供の生活指導を徹底的にしようという先生に一度でも会ったら、私はなかったと思うんです。そのことが海やまれてならないという立場であります。
 したがって、何が問題か。教師と子供たちの信頼感が欠如しているという受けとめ方。信頼感の欠如というのは何がもたらすのかということがまず第一でありましょう。子供同士が見て見ぬふりをするという、こういう子供社会をつくってしまったというのは一体どういうことなのか。あるいは教師が、それは担任のせいだよ、生徒指導主事のせいだよ、おれの組はそういう問題はありませんよという形の連帯感の薄い学校にしてしまったのは一体どういうことなのか。
 これは本来あるべきは、児童会、生徒会というのは子供たちの自主性、創造性、これを育てる絶好のチャンスであるということで今日までやってきました。しかし、今の学校はまことに形式化でしょう。これは小学校を見てくださいよ。児童会が本気になって、子供たちがみずからの知恵を出してみずからの活動をして、何とか全校生徒にこたえようなどという姿は今日はありません。中学校も同様です。したがって、高校に行ったら生徒会の役員に積極的になる人などはいません。こういう中で実は培われてきたんです。
 したがって、これはPTAも同じです。PTAぐらいは本来的に子供の側に立ってやるべきだから、全国共通などとはおかしいんです。東京もあれば田舎もあるわけでありますから、それぞれの地域でおのずから子供の姿や実態、これは出てくるんです。しかし、どこに行っても今は金太郎あめのごとしでしょう。こんな不思議な現象などはないんです。
 したがって、こういう状態を受けて、子どもの権利条約を批准した国会でありますから、国会で何ぼ議論したってそのことが現実に子供の生活の上に影響していかなければいけないので、以下、私は端的に文部大臣にも質問していきますし、文部省の関係局長にも質問をしてまいります。
 そこで一番目は、問題行動ということを言っていますけれども、いじめというのは先ほど南野議員への答弁で私もわかりましたけれども、学校で子供たちのいじめの現象というのがどうしてもなくならないというのはなぜなのか。その上に、自殺という最終結論をみずから出さなきゃいけないということにつきまして、大臣はどのように御所見をお持ちか聞かせてください。
○国務大臣(与謝野馨君) この愛知県で起きた特定のケースに関してだけ申し上げますと、あの遺書に書かれておりますことは、多分ほとんどのことが真実が述べられているのであると私は思っております。
 仮にそういたしますと、あの中では、たび重なる暴行のようなケースに当たるもの、あるいは恐喝に当たるようなこと、あるいは傷害に当たるようなこと、こういう数々の問題がありまして、学校教育の側面だけではなく、やはりいじめた生徒そのものの責任というものもまず考えなければならないわけでございます。これは、もとより学校教育の責任を回避するというために申し上げているわけではございませんで、子供が何をしても責任を問われないという世界をつくるということは決して私はいいことであるとは思っていないからでございます。
 そこで、いじめがなぜ発生するかということでございますけれども、先生の小さいころ、私の小さいころ、こういうときを考えますと、そのときも確かにいじめっ子、いじめられっ子というものもありましたし、ある程度の、例えば一つのクラスの中で子供同士がグループを組んである種のもみ合いになるというようなケースはあったわけでございます。また、それがある種の社会的な訓練にも実はなっていたわけでございますが、最近のいじめは、その内容において、またそのいじめの程度において、これはもう許しがたいレベルまで来ておりまして、学校教育あるいは学校の中で解決できるものは解決いたしますし、また学校だけでは解決できないものは学校外の諸機関の解決にゆだねる、そういう側面も私はあるのではないかと思います。
 ただ、学校教育で公立小学校、中学校というのは全日本に及びまたその数も大変多いわけでございますから、ある種の画一性というものは免れない性格を私は持っているのではないかと思います。もちろん、そういう中でそれぞれの学校において創意工夫を凝らし教育を進めていくわけでございますが、やはりその中で学校においても校長先生を中心とした教師の方々がこの種の問題について深い自覚と責任を持っていただくということが大変大事なことでございます。
 学校制度は、制度としては画一性を持っておりますけれども、実際の学校現場では一人一人の子供を対象にした教育行為でございますから、そういう面で担任の先生あるいは校長先生初め教頭先生等々は、やはり一人一人の子供に目を配りながら教育を進めていくという心構えで私は臨んでいただきたいというふうに考えております。
○会田長栄君 文部省とかつて日教組が対立緊張関係にあったことがありますね。このごろは協調、提言、参加でありますから、至って少ないですね。この緊張があるころというのは、余りこういう問題は出なかったんです。これは不思議なんですよ。そのことも彼ほどさわります。
 次に、もう一つ伺っておきたいのは、平成元年度以降、文部省はこういう教育白書を毎年発行していますね。実は私の興味と関心というのは平成元年度の白書なんです。非常に丁寧によくできている。そして、問題行動児を含めて具体的に取り組まれていることも知っている。しかし、文部省自身がこの白書の中で「学校教育をめぐる諸問題」として提起しているんです。それは何を提起されているかというと、これは当然今後の初等中等教育としてやるべきことだと言ってきちっと押さえてある。
 ところが、このことがやはり中途半端なんですね。例えば、画一的教育というところから脱皮しなきゃいかぬ、この画一的教育を進めてきたゆえに今日の状況があらわれているということを出しているんです。これは指導内容も画一的だとみずから白書でまとめているんです。
 このように、問題行動児を中心としての義務教育のあり方として文部省が提起してきた問題について何がその壁になっているかというと、結果的には、今日まで高度経済成長期に進めてきた教育というものについてのプラス面とマイナス面というところを整理していないんですね。マイナスなんというのは言いたくないでしょうけれども、私から見れば、いじめの問題なんというのはこれはマイナス面です。そういう点について各局長にお聞きしたいわけでありますが、簡潔にお答えいただきたい。
 まず第一は、大規模校と中規模校と小規模校に分けて、いじめによって自殺するという実態はどの規模の学校に多いですか。
○説明員(野崎弘君) 規模別に見てどうかということでございますけれども、私どもは学校の規模別の調査というのは行っていないわけでございまして、その違いというのはわからないわけでございますが、一般的に学校規模といじめや自殺との因果関係ということを判断することは難しいのじゃないか、このように思っております。
 校内暴力のようなことですと、学校規模が大きくなるほど発生率が高くなるというような傾向が見られますけれども、いじめについてはそういうような顕著な傾向があるのかどうか、なかなか判断が難しいと思っております。
○会田長栄君 私が意見交換したいというのは、小規模校というのはそうないんですね。中規模校も少ないんです。大規模校が私の見る限り多いんです。
 そういう意味では、どうしても高度経済成長期に中学校、小学校を統合させてきたというこの動きというものの、プラス面もあるんですけれども、マイナス面というところをどうするかという問題だと私は思っているんですよ。その点一体、今日このように文部省が精いっぱいやってもやっても学校からこういう状態が消えないというのは、単に家庭の責任だ、社会の責任だと言うだけでなくて、これは教育のあり方が問われている、学校の規模の問題でありますから。
 私、正直にいじめっ子のやろうに聞いてきたんです、きょうあるというので。そうしたら、今の新しい学校は都合がいいと言うんですね。どんなに都合がいいのと聞いたら、先生の目から隠れるように学校がでこぼこにできているんだそうですよ。でこぼこという話はないですけれども、凹凸の激しい校舎になっているんだそうです。昔の学校というのは、大体職員室からちょいと顔を出すと、外れから外れまで見えるわけですね。せいぜい隠れるとすれば便所か昇降口、玄関口しかなかったんです。今は凹凸が激しくつくってあって、あれが使いやすいんでしょう、私も使ってみないからわかりませんけれども。そう言いました。隠れるところがいっぱいあると言うんです。なぜと、こういう質問も出ました。一例を紹介しておきます。
 そこで、この学校の大規模校化ということについて、今文部省はどのように考えていますか。例えば、この間東京の永田町小学校をやめましたね、二百四十人いる。私の県だったら二百四十人いたら学校を統合するなんということはやらない。これぐらいいい学校はないとなって残すんだけれども、やりました。そういうことについて、今の時点でやっぱり学校の規模は適正規模と称して子供は五百人とか七百人とか集めた方がいいと、こう思っていますか。ひとつ局長聞かせてください。
○説明員(井上孝美君) お答え申し上げます。
 公立小中学校の統合、分離につきましては、教員組織や施設設備、学校の持つ地域的意義、学校全体としての活動に関する教育条件等を総合的に判断した上で、規模の適正化を図る観点から行われる必要があると考えているところでございます。
 また、昭和四十八年の「公立小・中学校の統合について」の通達におきましては、「小規模学校には教職員と児童・生徒との人間的ふれあいや個別指導の面で小規模学校としての教育上の利点も考えられるので、総合的に判断した場合、なお小規模学校として存置し充実するほうが好ましい場合もあることに留意すること。」、また「統合後の学校の規模が相当大きくなる場合や現に適正規模である学校について更に統合を計画するような場合は、統合後の学校における運営上の問題や児童・生徒への教育効果に及ぼす影響などの問題点をも慎重に比較考慮して決定すること。」と指導しているところでございます。
○会田長栄君 次に、学習指導要領の拘束性というのが、文部省が通達を出してから大分久しい。そして、今日では弾力化の問題が出ている。この学習指導要領の弾力化の問題について、今時点でどのように考えているか。これは学校五日制と子供の授業との関係でちょっと聞いておきたい。
○国務大臣(与謝野馨君) 学習指導要領というのは文部省の告示という形で出されておりますが、これは先生よく御存じのように、法律学的には法的拘束力があるというふうに解釈をされております。判決、判例でもそのようになっております。
 ただし、国会答弁等で過去文部大臣等が御答弁申し上げましたのは、学習指導要領は大綱的基準であり、それぞれの学校現場においてその大綱的基準という意味の範囲内においてそれぞれ創意工夫がなされるべきだという答弁をしておりまして、現在の文部省の考え方もその線と同様でございます。
○会田長栄君 ちょっとこれは局長にお聞きしますが、今文部大臣から答弁のあったことが現実に教育課程を編成する学校にいってもそういう気持ちというのは尊重されていると思いますか。
○説明員(野崎弘君) 学習指導要領の性格につきましては今大臣から御答弁いただいたとおりでございまして、各学校で具体的にどういう形の授業計画を組むかというようなことを学習指導要領が決めているわけじゃないわけでございます。
 国語の時間、数学の時間というようなことは学校教育法施行規則の中で書かれておりますけれども、その時間の中でどういうことを教えていくかというようなことにつきましては、学習指導要領の枠の中でそれぞれ学校、そして実際に教壇に立っている先生方が創意工夫して授業ができる、このようになっていると思っております。また、私どももいろいろな会議等の指導におきましては、地域の実態等に応じてまさに創意工夫を発揮してほしい、そういうようなお願いもしておるわけでございますので、そういう趣旨は十分学校に伝わっているものと、このように考えております。
○会田長栄君 わかりました。それでは、その上に立ってお聞きします。
 そうすると、これは小中学校、高校を含めて授業時数というものの最低基準が決められています。同時に、教育課程の編成はそれぞれの学校で子供の実態に応じて弾力化の幅もあると。現実にはこれは学校五日制の問題がきたときにはっきりしてきたんだけれども、どうもそうでもないらしい、こういう意見が出て、実は学校の日常生活の時間のどこを削るかというところで大騒ぎをしているという現実ですよ。削るところないんです。したがって、どういうところを削っていくかといったら、子供が自主的活動する分野の児童会というものを実は少なくしていくとか、あるいは生徒会活動の時間を少なくしていくとか、取りようがないとか、あるいはその上に立って時間を、六十分の授業、五十分の授業を五分縮めようかとか、そういう工夫しか行われていないという現実です。したがって、最低授業時数というのは絶対死守という観点が現場の感覚です。
 そういう意味でひとつ聞いているんだけれども、今度は教科書との関係なんです。
 これはよくできているんだな。親から見れば、おまえの先生は教科書の一ページから最後の四百ページまで終わったか。いや、うちの先生はいろんなことをやって教科書は三分の一ぐらい残っているよと言ったら、そこから教師不信が出る。こんなことでは高校入学試験に受からないんではないか、こういうのが出てくるんですよ。そういう意味でありますから、そこにも実は考えなきゃいけない大きな問題が私は潜んでいるということをここで申し上げておきたい、こう思います。
 次に、高校入学の選抜制度の問題です。私は自分の思っていることを端的に言います。
 今日の過度の受験競争というのはどこから来たか。これは文部省自身がかつて、これも過去の話ですが、生徒の通学区域の拡大ということを決断したところから始まった。いわゆる通称大学区制への移行です。これで過度の受験競争というのが始まっていったんです。したがって、どんなにゆとりある学校生活をさせようとしたって、今中学校、高等学校のおおよその教師の主力というのは、もう全国大会への連動の部活動か大学進学させるための学力をつけるか、ここに焦点が絞られていますよ。
 したがって、研究指定校と相まって忙しくて、そういうちょっと列から外れた子供の方にやる時間が大変少なくなってきていみということもこの問題で言える、このことだけ申し上げておきます。
 同時に、これは労働省と関係あります。いわゆる企業の採用、高等学校を卒業して企業に採用されるときに、有名校というところを推薦採用するという傾向がある。これは労働省なんですよ。もちろん、有名校というものを推進してきたのはいわゆる日本の教育だから、その教育の中で企業も大いに活用してこの有名校と言われる高等学校の子供たちを採用していく、こういう風潮ができ上がってきたんです。
 これは今日スポーツ界でそのことが端的に示されているでしょう。全国高校野球大会といったら公立高校であそこに行くなんというのは珍しい。もう小学校のときから野球のうまいのを青田刈りしておかないとなかなか勝てるものではない、名声を上げるのにはということでほとんど私学に結集されているでしょう。その自由があるからいいんです、私学は。そういう意味も含まれていますから、ここに問題があります。
 もう一つは、これは教職員の研修といった問題について私はさわっておきたい。
 これは局長にお聞きします。教特法の第十九条一項、二項によって学校の先生が自主的研修というものを学校で、地域の中で活発に行われていると思いますか。
○説明員(井上孝美君) お答え申し上げます。
 教員の研修につきましては、先生御指摘のように任命権者である各都道府県・指定都市教育委員会が多様な機会を提供しておりますが、教員の資質、能力の向上を図るためには教員の勤務時間外における自主研修も大きな役割を果たしているところでございます。このため、都道府県・指定都市教育委員会では、かねてから公立学校の教員が小規模なグループや一定規模の団体を結成して教育研究活動を行う場合に助成を行っており、文部省もこのような都道府県、指定都市の取り組みを奨励、支援しているところであります。
 平成五年度の実績を見てみますと、約千三百のグループと約五百の団体を支援しているところであります。これらのグループ等では、指導法の改善、情報教育、生徒指導などさまざまな分野に関する自主研修を行っておりまして、文部省としては今後ともこのような教員の自主的な研修活動を支援していきたいと考えております。
○会田長栄君 私が一番最初に申し上げたでしょう。それはもう今や教師の自主的研修ということの範疇から私はずれているというんですよ。教師がこういう子供を前にして、今自分がこういうことで研究しなきゃならないというのが自主研修というんです。東京で研究の主題を決めて、各県に行って、その主題を受け取って、例えばどこどこ県のことしの小学校研究会はこれが主題です、これが研究テーマです、これを二年かけてやるんですと県におろす。県は各郡、市町村にそれをおろす。おろされたら各学校がそれをそのとおりやると。これは私は一面では自主研修だという面もある。面もあるけれども、そのことは率直に言って教師が自発的にこの子供を前にしてこの学校でこのことを研究しようということではないんじゃないか、こう思っています。
 そこで、一つだけお聞きします。今、文部省の研究指定校、小中高合計で結構です、それから各都道府県の研究指定校、小中高合計、そして全国各都道府県の小学校教育研究会、中学校教育研究会、高等学校教育研究会の研究指定校というのは合計幾つあると把握していますか。
○説明員(野崎弘君) ちょっと今指定校の数等資料が手元にございませんので、申しわけございません。
○説明員(井上孝美君) お答え申し上げます。
 教科別のそれぞれ研究グループとしては、小学校が例えば国語、社会、算数、理科、生活、音楽、図画工作、家庭、体育と、それぞれグループをかなり持っておりまして、全体で小学校で二百七十、中学校では今申し上げましたような教科ごとの研究グループは八十四グループ、それから高等学校では教科ごとの研究グループは九十八グループというような状況になっております。
    ―――――――――――――
○委員長(松浦孝治君) この際、委員の異動について御報告申し上げます。
 本日、肥田美代子君が委員を辞任され、その補欠として篠崎年子君が選任されました。
    ―――――――――――――
○会田長栄君 これは私の意見として申し上げておきます。
 国が指定する、都道府県が指定するという形のものがある。これは小学校教育研究会といって文部省が指導してつくった研究会なんです。これでいくだけじゃなくて、実は都道府県教育委員会が研究指定させたら、その下に市町村教育委員会がまた研究指定校をつけるんです。これはもう大変な錯綜ですよ。だから、このことに実は追いやられているというのが今日の学校現場の実態なんですよ。教職員が子供の目の高さで、子供の姿でなんという余裕はないんです。最初申し上げたとおり、もう少し学校の校長先生を信用して自由にしたらいかがですかと、こう言っているわけなんです。そうすれば間違いなく私は前進すると思いますよ。
 時間でありますから、最後にひとつ文部大臣、総括として聞いていてください。これは私はいじめの背景として、小学校の教務主任の先生から聞いてきました。一
 まず一つ、教育現場の現状から。
 一つは、新しい学力観を具体化する授業の研修に振り回されている。要するに、そういうことが忙しくて子供と触れ合う時間が実は少なくなってきていると言うんですよ。官製の研修会、研究会、いわゆる官製という言葉はこの先生が持っている言葉で、わかりやすく言えば行政の主催する研修会、行政が共催する研修会、研究会、こう思ってください。それから、学校での現職教育の資料づくりで毎日が目を白黒です。これは教務主任ですからその点では荷は軽いはずなんですけれども、こう言っています。
 二番目、新しい学力観の授業を実践化すると現在の指導要領の内容、標準時数の見直しをしなければならない。体験を重視した授業、問題解決学習の授業は大変時数を要するので内容を精選するのも大変であります。
 それから三つ目、学力向上と相反する実態。学力は中学、高校進学に向けていけば知識偏重にならざるを得ない、新しい学力観とは矛盾すると言うんですよ。現場の悩み、行政の悩みもここにあろうと言っているんです。高校、大学の入試制度の改革がどうしても求められると言っています。したがって、新しい学力観を考えていくなら現在の学力偏重にならざるを得ない。そういう学校体制にメスを加えてもらわなけりゃ、このいじめ問題というのはなかなか積極的に解決する方向には行かないということを申されています。
 四番目は、子供と触れ合う、子供の生活をよく見て分析して考えていく時間が現場にはない。学校が忙しくなるというのは、本来は子供に学力がついて、体力がついて非常に健康になってよくなることでしょうと言ったら、全然違うんですね。学校が忙しいというのはなかなか子供に影響しない。それは影響する人もある。その点はプラス面もある。しかし、マイナス面の方が大きいとこの先生もおっしゃっている。したがって、何としても学校の先生にゆとりある、自主的に活動できる雰囲気とシステムをつくってもらわない限り、それはなかなか容易ではないのではないかという御意見です。
 二番目の問題は、今の学校は進学や高学力の方にだけ目が向けられている。それはそうなんだ。例えば一例を言うと、福島県で言えば有名高校を大学進学指定校という形にしていますからね。それ以上に、進学率が高い学校になおかつそういう名称で助成を出しているという現実ですから。これは今全国的に普及していますよ。拍車をかけているんです、現実には。だから、先ほど言ったように大学の入試制度を改革しなきゃだめだというのはここから出てくるんでしょう。
 子供の人間関係、子供の心の問題が全教師の課題となっている、こういうところで研究が不足していることは確かだと。もちろん、こういう子供たちの実態にこたえるような若い先生は、今日なかなか適応できるような先生はちょっと入ってこない。もっとも先生になるのもエリート教育だけ受けてきた子供たちですから、エリートでなきゃ今先生になれませんから当然こういう姿が出るでしょう。そして最後に、教師の研修のあり方を抜本的に変えない限りだめですと、こう言っています。
 私は最後に言います。どうしてもこのいじめのような問題行動のある学校を地域からなくしていこうとするなら、それは大人社会にも責任はありますよ。今の地域の人たちというのは、人の子だから、我が子ではないから、音とここが違うんです。地域の子は我が子と同じ、こういう考えは地域にはもうない。そういう意味では新しくこれから問われる問題でありますから、当然そこにメスを入れなきゃいけない。
 それから、これは大人社会の中で、家庭でももちろんあります。しかし、正直言ってこの緊急会議、私は隣のお母さんに見せました。まさしくよくまとまっていますねと言った。やっぱり偉い先生がまとめるとこうなるんでしょうと。しかし、そこから一歩踏み出して、本当にこういう問題を起こす子供たちに首を突っ込むかとなったらそれはちょっとできない、こう言っています。
 そういう意味でありますから、どうぞこの協力者会議というもので徹底的に高度経済成長期における教育のあり方としてのマイナス面というのを大いに語ってもらってください。プラス面はいいですから、このマイナス面のところに子供たちが生きている背景というのがあるわけでありますから、そこをどうしても解消していかない限り、問題が起きれば学校長の責任、先生の責任、これで終わってしまいます。これは一人の校長に責任を持たせるというのには、私はちょっと荷が大き過ぎると思っています、先生にも。これは今やもう全体で解決していかなきゃいけない、こういうところに来ています。
 二つ目の問題は、ここまで徹底してしまった研究指定校のあり方、もう一度これをぜひ検討してほしい。そして、研修に明け暮れて子供たちにさわれないというのではどうにもなりません。これは本末転倒でありますから、その点ひとつ検討してほしい。私の持っている本当の考えは、なくしてくれ、こういう意見なんだけれども、経過があるからそう簡単になくなるものではないが、ちょっと検討して減らしてみてはいかがですかという意見にしておきますから、これは検討してください。
 三つ目の問題は、子供たちに見て見ぬふりをさせないようにしていくためには、学校での子供の自主活動というのを保障できるような時間的余裕を学習指導要領の中で持たせてください。これはどうしても大事になってまいります。これは学校です。
 それから、地域社会とか大人の社会に対する問題については時間が来ましたのでこの際提起をしませんけれども、随分この文教委員会でもいじめ問題をやっている。しかし、二度とこういうことで議論するのではなくて、この議論の結果を受けて一歩二歩と前進をして、まさしく子供たちがすくすく伸びられるような学校の雰囲気になってきたというように、これは地域社会にもあるいは家庭にもぜひ大いに働きかけてほしいということを申し上げて、私の意見と質問を終わります。
 最後に、今現場の先生が言われた問題について文部大臣の御所見があったら聞かせてください。
○国務大臣(与謝野馨君) 先生が言われた幾つかのことの中で特に私が感じますことは、学校の先生になられる方というのは、大学を出ましていろいろな資格をお取りになっていきなり学校現場に行かれる。そこで直ちに、初任者研修というものがあるにいたしましても、子供たちを教えるという大変重い責任を負うわけでございます。そういう意味では、私どもとしては初任者研修が非常に重要であるということを改めて認識をさせられます。
 また、その後も、先生の御指摘あるいはお手紙の御指摘では、研修研修ということでなかなかいろいろな他の活動すべき分野の時間がなくなるということでございますが、広い意味での研修ということを考えますと、他の社会、例えば岐阜県、千葉県等で例がございますけれども、いろいろな会社に出向いてそこの社員として社会的な経験をふやす、そして再び学校現場に戻るとか、そういう学校内でのいわゆる研修というもののほかに、他の経済界、実業界等々へみずから出向いてそこの現場で働いて、その体験を生かして児童生徒に当たるというようなやはり新しい物の考え方もさらに広めていく必要があるのではないかと思っております。
 先生のおっしゃったいろいろなことはそれぞれ大変説得力のあることでございますので、拳々服膺いたしまして今後の施策に生かしてまいりたいと考えております。
○会田長栄君 頼んでおきます。最後のお願いです。どうぞ先生方を子供の世界に返してください。どのようにすれば先生を子供の世界に返すことができるか、これはひとつお互いに今後追求していってほしい、こう思いますので、どうぞその点よろしくお願いして、終わります。
○小林正君 きのうの朝、テレビのモーニングショーを見ておりましたらこの問題が取り上げられておりまして、主題が五つございました。まず一つが、なぜ学校は有効な手だてがとれなかったのかということでございます。二つ目は、なぜ子供はいじめの状況から抜け出せないのかということ。三つ目が、なぜ死ぬことしか選べなかったのかということです。
   〔委員長退席、理事会田長栄君着席〕
 四つ目が、子供の世界で今何が起きているか。そして最後は、いじめはなくせないか。こういう五つの柱で、参加されていたのは、現場を取材された記者の方、自分のお子さんがいじめに遭った経験を持っているお医者さん、そして現場の教師、こういう構成で進められていたわけです。
 そのやりとりを聞きながら私もいろいろ考えさせられたわけでありますけれども、そこで指摘をされておりますのは、まず子供の群れるところいじめありということを前提に考えるべきだという指摘でございました。そして、いじめのあるところ死に至る場合あり得るということです。
 そして、なぜいじめを発見できないのか、事実確認ができないかというような問題について、先ほど来教師と子供の信頼関係、親子の信頼関係あるいは心の通い路といったようなコミュニケーションの問題も指摘をされておりましたが、そういう点もこの中で言われていたわけですけれども、根底にやはり教師への不信感というものがあるのではないか。
 まず教師が、おまえそこどうしたんだ、青いあざができているじゃないかという、これは子供とともに語り合うという場ではなくて、聞き取り、尋問という形になってしまう。そうすると、子供はおびえてなかなか言えない。そして、仮に言った場合に結果がどうなるかということを子供は一番よく知っているわけです。
   〔理事会田長栄君退席、委員長着席〕
 そこで名前の挙がった生徒を教師が呼び出して、そしておまえやったなと、必ずこういう話になる。呼ばれた生徒はいじめられた子のところに戻っていって、おまえチクったなと、こういうことになる。そうすると、先ほども出ていましたが、二倍、三倍お返しか来る、こういう状況ではないのか。ということであるならば、そのことは隠しちゃう。
 そしてまた、自我が形成されていく過程ですから、できるだけ自分の秘密というものは守り通そうとする防御的な姿勢の非常に強い年齢ですから、それも相まってそういう傾向になっていくんではないかということです。したがって、再発の防止というのは大変困難な年齢層で、しかも環境があるということではないかということもございました。
 と同時にまた、いじめについては十年前、二十年前からあったじゃないかという話もありますけれども、いじめの中身が全く変わっているという指摘ですね。したがって、かつて対教師暴力とか子供同士の暴力抗争というのがありましたけれども、今はバブルを経た世相の反映というお話もありましたけれども、確かにそういう傾向があると思うんです。その中で、何でもありの風潮といったようなものがバブル期から今日まで続いていて、そのことを子供が敏感に受けとめている。そして、自分の欲望を満たすためには手段を選ばないというところから弱い者に金銭を強要するというような結果につながっていくんじゃないか、こういう指摘でございます。
 それから、勇気を持って親に言うべきだ、教師に言うべきだといっても、いじめの状況の中では頭の中が真っ白になっちゃっていてとてもそれどころではないというところから、なかなかその状況から抜け出すことが困難だというような指摘もされておりました。つまり、大人が感じているような生易しい恐怖感ではないんだ、そのことがどこまで理解できるか、あるいは受けとめられるかということにかかわっているんだという指摘もあったわけであります。
 それから、なぜ死ぬことしか選べなかったのかということについて、親は、義務教育だ、学校へ行きなさいと言う。学校で待ち受けているのはそうしたいじめです。行きたくない、しかし親は勇気を持って頑張って行ってこいと。待ち受けているのはいじめっ子。その板挟みになっちゃうわけです。そうすると、抜け出せないから死を選ぶしかない、そういうことの繰り返しだったんじゃないか、こういう指摘でございました。
 それで、いろいろなこの対策の問題もあるわけですけれども、今度の問題の中で文部省が出されました緊急アピール、子供、家庭、学校、国、地方自治体というのが整理をされて出ておりますが、そういうことの中で、まず私は根本に立ち返って考えたときに、一番最前線にいるのは親と子だし、同時にまた親と担任の教師という関係だと思うんです。
 親の方は学校に対して、学校は安全なところで、しかも将来にわたって子供の生きていく上での必要な知識と技術というものを身につける、そしてまた友情を発見する場として期待しているわけです。ところが、学校の実態というのはそういう状況になっていない。それからまた、親が教師に期待していることと教師の実態との間にもギャップがあるわけです。つまり、学校の存在と親あるいは社会が認識しているその認識との間に大変大きなギャップがあるということを痛感したわけであります。
 学校の現場代表の先生が、教師に子供の魂の救済を求められてもそれは無理ですということをはっきりおっしゃっておりました。それは教師の仕事ではない、こうも言い切っているわけです。ところが、親御さんは教師に何を求めているかというと、実はそういうことも含めて教師の仕事として求めているわけです。そのことがまさに不幸の始まりじゃないかなと私は思います。
 そこで、余り時間がないのであれですけれども、改めて文部省にお聞きしたいのは、教師の仕事というのは何なのかということです。学校教育法では、児童生徒の「教育をつかさどる。」というふうに書いてあります。そして、学校事務職員の皆さんは「事務に従事する。」と書いてあります。この教育をつかさどるという仕事と事務に従事するという仕事、この関係はどう違うのかということについてお答えをいただきたいと思います。
○説明員(井上孝美君) お答え申し上げます。
 学校教育法の二十八条に、学校に置かれる校長、教頭、教諭、養護教諭、事務職員等について規定があるわけでございまして、教諭につきましては、小学校については「児童の教育をつかさどる。」という規定がございます。この規定におきまして教諭につきましては、もちろん小学校は原則として学級担任制でございますので全教科について児童の授業を展開していくということがまず中心的な仕事でございます。それとともに、児童一人一人の興味、関心、能力等に応じた適切な指導を行うということと、また生活指導の面につきましてもやはり十分考慮した生活指導を行っていくということ。それから、子供たちに対する教育を展開する上で教育活動、全体的な校務分掌に参加して、学校全体の教育計画あるいは教育目標が達成されるような積極的な参加を行っていくという、そういう仕事ももちろんあるわけでございます。
 一方、事務職員は学校の事務、それは給与とかあるいは人事その他の人的な管理に関すること、あるいは経理関係等庶務的な事務もございますし、また学校の施設設備の管理等、そういう教育活動が円滑に行われるような事務に事務職員が積極的に携わるというような非常に重要な仕事にも参画しているわけでございます。
 そういう意味では、学校の教諭、事務職員はいわば車の両輪的に学校運営全体について協力、協調体制のもとに学校の教育目標の達成に向けた活動に参画していただいているというように認識しております。
○小林正君 教諭として教育をつかさどる仕事というのは、事務職員の皆さんは免許状は持っておりませんよね。教諭は免許職種であるわけです。そうしますと、市町村立学校の場合の服務監督権との絡みで言いますと、地方教育行政の組織及び運営に関する法律、いわゆる地教行法上の服務監督権者である市町村教育委員会が今度の事件について指摘をしておりますのは、教師の未熟さということを市教委も県教委も議会答弁しているんですね。
 私は、免許状を持った専門職種であって、しかも一般的にはスペシャリストだと思われている教師、これは洋の東西を問わず教師像についてさまざまな文学作品がございますけれども、教師と子供の間の人格的な触れ合い、啓発というものについて非常に感動的なお話もたくさんございますし、同時にまた、文化大革命以前の中国では教師の仕事は魂の技師である、こういうことも言われておりました。つまり、人格形成過程にあって全面開花を図っていくプロセスにいる子供たちと出会う大人の一人としてそのことが求められているんだという自覚と責任みたいなもの、そのことがやはりベースにないと教育というのは成り立たないということだろうと思うんです。
 そういう意味で、免許職種として専門職種である位置づけがなされているわけですけれども、どうでしょうか、例えば裁判官とか医者とかそういう人たちが同じスペシャリストとして未熟であるというレッテルを張られた場合には、むしろその職にあることの不適格者ということになりかねない、そういう重い意味を持っているというふうに私はこの問題を理解しているわけでございます。
 当然、教師もまた、日々研さんを積みながらより完成に近づいていく途上にある人間であることにおいて変わりはないといえばそれまでではありますけれども、こうした命にかかわるような重大なことに日常的に触れるという専門的な分野の中で仕事をしている立場からすれば、一体どうなのかということが問われてしかるべきだというふうに思うわけです。
 したがって、先ほど会田先生の方からも研修の問題についてさまざまな御指摘がございました。私はその一人の教師なりその学校の職員の皆さんを批判したり糾弾したりする立場で言っているのではなくて、そういう重大な仕事であるがゆえに何が求められているかといえば、その専門職としての自覚や責任や誇りというものを果たせる条件を整えるということが、やはり親や子供たちが期待する学校、あるべき姿に近づける努力そのものではないかというのが私の考えでございます。
 そういう点に立って考えますと、非常に日常的に多忙の中で、本来、会田先生もおっしゃいましたけれども、子供との触れ合いこそが一番求められている教師の仕事の中で、そのことがなおざりにされがちな日常、教育実践というものは非常にやっていて歯がゆい、そしてまた残念な思いを日々せざるを得ない。それが日常化していくとだんだん慢性化し麻痺してしまう、そこから事件が起こるという、そのことの繰り返してはなかったか、このようにも思えてくるわけでございます。そういう意味で、精神論ではなくて具体的に条件整備をするということが必要だというふうに思います。
 そして、魂の救済に必要なこと。一つはカウンセリングの問題も出ておりました。担任の教師が親にカウンセリングを受けてはどうかとおっしゃったという話も伝わっておりますけれども、私はそれは違うんじゃないかと思うんです。本来、カウンセリングの技術も専門職として当然修得をし、さらに養成課程でこのことが行われると同時に、現職教育の中でも一人一人の教師が教師の仕事としての必要不可欠な部分として身につけていくということがなければ、なかなか親の期待する魂の救済にまでは手が届かないようにも思います。
 そういう点で、学校に一人とか、今度の文部省の予算上は各県に一名配置というようなお考えのようでありますけれども、そういうことではなくて、一人一人の子供と触れ合う教師が、基本的に専門職の不可欠な一部として、そうした子供との接し方、そして解きほぐしていくための具体的な技術的な面も含んでどうしたらいいのか、そのことはぜひお考えをいただきたい、このように思います。既に教師になられた方については、現職教育の場を通してぜひ一人一人の教師が研修を積んでいただきたい、このようにも思うわけでございます。
 もちろん、チームティーチングの問題が出てまいりまして、第六次計画の中では複数配置の問題もあるわけですが、かねて私も指摘をしてまいりましたけれども、非常に不十分であります。少子社会の中で、今度の文部省のこの「我が国の文教施策」の中に一人一人の子供に着目をするということが述べられておるわけですから、一人一人の子供に手が届くような教育条件整備とは何かということは、やはり文部省が先頭に立って主張していただかなければならない課題ではないかなというふうに思います。
 きょう、村山内閣では文部省を初め法務省や自治省そして厚生省等、関係閣僚会議もお開きになって、この問題について積極的に推進されるというふうに伺っておりますけれども、文部省が平成七年度予算の中でより具体的に、そうした悲劇の再発防止だけではなくて、二十一世紀を目指した教育の充実、そのためにかけがえのない人材養成の非常に大事な場である義務教育、国民教育の最低限ですからそこをがっちりと守り切っていただきたい、そのこともあわせてお願いをしておきたいというふうに思います。
 このいじめの問題については、親御さんたちの中には既に、この間の大河内君の場合で言えばお母さんが、そういう危険な学校については子供を登校拒否させる、そういうことも考えた方がいいということもインタビューに答えておられました。NHKの番組の中では、こういうことも言っていました。防衛的不登校という表現を使っておりました。つまり、我が子の命を守るためには防衛的に学校に行かせない、そこまで対策を講じなければならないというような話まで出てきているわけです。まさに公教育の危機と言わなければならないんだろうというふうに思います。
 国会図書館でこういう本を借りたんです、「いじめ撃退マニュアル」。この帯のところに「先生も買って読め」と書いてあるんですね。「「うちの子は友達づきあいがヘタで……」と親が思っていても、実際にはその約九割が「いじめに遭っている」という現実がある。いじめ解決のために、親と教師の腹のくくり方を初めて記した」と、こう帯に書いてありまして、学校とのいろんな関係をどうするかというので具体例をもって書いておられますが、最後は極めて痛烈な皮肉で、学校に対して念書を取れと。「右の者、本校在学中、如何なる形においても、死に至らしめる事(自殺をも含む)の無さよう、取り計らう事を、お約束致します。尚、不幸にして、右約束を履行できなかった場合には、如何なる処分制裁でも受ける事を認めます。」と、子供を送り出している親が学校側にこういう念書を書かせてはどうかという痛烈な皮肉です。
 つまり、学校と親との関係というのはそこまで今いきかけている。そのことをどうするかというのがまさに緊急の課題でありますし、精神論じゃなくてより具体的な対策を展開していくということが求められているんだろうというふうに私は思います。
 学校とそれを取り巻く家庭を含んだ地域社会と行政、この三者の中で特に一番問題になっておりますのは、学校の閉鎖性ということだと思うんです。
 その学校の閉鎖性ということが言われる中で、先日の当該中学校がマスコミに対して出しました二次災害云々という文書であります。あの言葉は大河内君の自殺が一次災害という位置づけです。そして、マスコミの取材を通して二次災害の起こる危険があるので遠慮せよと、こういう言い方であります。つまり、あの自殺という問題をそういう一次災害として受けとめている精神構造そのものの中に、問題の本質なりあるいは原因というものを見る思いがするわけであります。
 私は、学校というのは常に開かれていて、どんな意見や相談事、そして小さいことであっても、地域の皆さんから学校へのさまざまな要望、意見というものが伝えられて、そして結果として悲劇が未然に防げるというような状況、それをつくり出していくようなコミュニティースクールといいますか、本当に地域に根差した学校というものをつくることによってしかこの問題解決はなかろうというふうにも思います。何事でも学校へ相談できる、そして先生もまた地域に溶け込んで地域の問題も一緒に考える、そしてまたそうした関係を地域の行政がサポートしていくという環境をどうつくるか。閣僚懇談会もきょう開かれたということを受けまして、文部大臣の御決意を伺って私の質問を閉じたいと思います。
○国務大臣(与謝野馨君) 先生は御経験に基づいた御見解であられるので、傾聴をいたしていたわけでございます。
 一連の議論がなされておりますが、どうも従来は、こういう問題が起きますと、学校が悪い、社会が悪い、大人が悪いということで、最後には議論があるいは責任が拡散をしてしまうというところで一連の事柄の結末を迎えるという傾向にあります。やはり私は、こういう問題が起きましたときにはきちんと責任をとるあるいはとっていただくというけじめをつけるということが教育上大事なことではないかと思っております。
 担任の先生あるいは校長先生は、私は詳しく報告を聞いておりませんが、やはり一生懸命やってくださったものだと信じております。なかなか発見できなくてどうだったのかと言われましても、この種の難しい問題をわずかな兆候で発見するためには非常に豊かな人生経験あるいは教師としての体験が必要でございまして、そういう意味では私は現場の方々をあしざまに言うつもりは実は全くないわけでございます。
 しかしながら、従来こういうことが起きたときにとかく見逃されますのは、実はいじめた子たちの責任であります。これはもう十二歳、十四歳になりますと、あらゆる情報がテレビ等から入ってきます。あるいは少年雑誌、あるいはあらゆるマスコミから入り、あるいは親からも教わり、教師からも教わり、十三歳、十四歳の段階ではやっていいこと悪いことという判断がある程度はついているはずだと私は思っております。そこで、十三歳、十四歳のときに何をしても責任を問われないという世界をつくることは必ずしも教育上は好ましくないと私は思っております。
 この件で申し上げるわけではありませんが、一般的に人をいじめるということは悪いことであって、それがあるいは暴行傷害、恐喝に至る場合にはやはり法律によって処断される場合が当然あるということを教えるということもまた私は一つの大事な教育である、そのように思っております。現場の教師がまさにそのように子供を本当に愛情を持ってしかる、しかしながら言うことを聞いてくれないというときにどのような手段を教師が持てるのかということは先生方にもよくお考えをいただきたい。
 特に、今は少なくなったでしょうが、例えば学校の教師が非常に体格のいい中学生に暴行を加えられるというような場合、これは果たして教育の問題として処理できるのか、あるいは法律の問題として処断すべきかというのは一つの考えどころだろう、私はそのように考えております。
○木暮山人君 新進党の木暮山人であります。新緑風会を代表いたしまして質疑をさせていただきます。
 ただいまこの文教委員会におきまして、いじめというまことに我が国の文教の中におきます恥部がここにさらけ出されてきたわけであります。こういうことにつきましては、遠因、そしてまた複雑な内外の政治環境の矛盾、それに未解決な問題、またまた政治不在のはざまにこれは誘発されて起こる必然的な現象であって、単なる対症的な解決策で解決できる問題ではないことを私はまず前提として考えていくべきだと。いろんな問題を聞きますと、あれが悪いこれが悪いと言っているわけでありますが、いいのは言っている御本人かもしれないけれども、政治家として、こういう大欠陥をさらけ出したということは政治家も相当悪いんじゃないか、こんなふうに考えておる次第であります。
 この中で、社会的にモラルといいますか、いろんなものに対応する、そういうことが非常に欠けてきまして、人間が精神的に不安定になり、また野獣的な欲望とかそんなものを満喫するような、そしてまたそれがいいか悪いか、正邪善悪の基準すら失われてしまう。
 こんな中で、じゃ教育というものはどうなるのかということを考えていきますと、私はやはり社会のさまざまな要因と政治の無策、家庭的そしてまた内外の道規範及び慣習の廃退、学校における管理体制と教学体制の不統一、それに加えまして能力の低下と無責任化、これらさまざまな要因が複雑に絡み合って起きてきているので、遠因は世界のほかり知れないところの野望と覇権が内政に対しまして常に不安定で、これに対応する国の政治が国民の民意に離反し、民意を失望の底に追いやるようなことがあっては、その影響が低年齢層にまで波及し、あらぬ姿になってあらわれる現象の一つがいじめの姿であるのではないかと考えさせられております。
 若者でありますから、よくリードすれば理解もできる、方向を定めてやればその方向を間違いなく進むことができるのであります。しかし、その教える立場、リードする立場の人間が無責任であり、その技術が非常に低下し、尊敬を失い、そして法律的に言うならば、いわゆる法規範に沿って時間というものに対して自分が義務を果たせば、あとは責められることがないんじゃないかというような気分が満喫する日本の今の教育であります。
 日本には学校のほかに予備校というのがございまして、学校教育を補てんしております。義務教育がフォローされているのであります。私は、まことに情けないことだとこの点も考えます。しかし、行政の立場としては、それもまたよいではないかと是認しているようなところも見かけられて、ますます義務教育の課程が那辺にありやというような疑問を投げかけられても答えるすべがないというような私は現況ではないかと思います。
 こういうような現況に対しまして、江本の次代を背負う若者を導く、教えはぐくむ立場を所轄しているところの文部省の大臣におかれましては、これをただ単なる事象ととらえずに、やはり国家百年の大計の上に立ちまして、日本の教育というものはこうあるべきなんだと、大臣にだけではありませんけれども、行政の方々にも、これが本当の将来に示せる日本の教育の姿であるというふうなことがありましたら、ひとつお聞かせ願いたいと思います。
 また、過般、「生徒指導上の諸問題の現状と文部省の施策について」というのが平成六年十二月、文部省初等中等教育局中学校課で出されております。私は一生懸命これを読んでみました。確かに、データの上では減っております。しかし、減っておるのは生徒も減っているから減ったのかもしれませんけれども、そこいら辺は後でゆっくり考えるとしましても、現状はつぶさにデータとして報告されておりますが、減ったという理由、そして施策はこういう施策を施したからこうなったと。こうやって考えてみますと、六十八ページある中でただデータを羅列したにすぎないような状況でありますが、ここいら込もう少し何とかがっちり施策を説いて、施策をこうやったからこれがいいんで、これはこんなぐあいにしたからあんまりよくなかったというようなところを具体的に、せっかくこんな膨大な立派な資料を出されておるのでありますから、ひとつ御説明をあわせて願いたいと思います。
○国務大臣(与謝野馨君) 木暮先生の御質問に全部お答えできるかどうかわかりませんが、対症療法ではなくて根本の部分がどこにあるのかと、こういうことでございます。
 私が小学校に入りましたのは昭和二十年でございまして、これはまだ戦前の教育の段階ですが、その年の八月に新しい教育の時代の幕あけとなったわけでございます。そこで、それまでは修身と呼んでいたものが今度はだんだんと道徳教育ということに変わっていくわけです。
 私はいわゆる道徳というものを押しつける気は全くありませんが、やはり人間が社会の中で生きていくための最低限のルールというのは私はあるのだろう、またなければ社会というものが成り立たないのだろうと思っております。そういう意味では、社会でたくさんの人が生きていくための最低限のルール、例えば物を盗むな、人を殺すな、人を傷つけるな等々というのはやはり普遍的な原則でございまして、こういうものはどこかで子供たちに教えるという作業をしなければならないわけでございます。
 動物の世界の中でもあらゆるルールを教育しなければならないというのは多分人間という世界だけなんだろうと私は思っておりまして、動物の世界は本能の中に恐らくそういうルールというものが書き込まれているんだろうと私は想像をしております。生きていくため、社会生活をしていくためのそういう最低限のルールを一体だれがどこの時期で教えるのかということが、長い目で見たこの種の問題に対する非常に重要なポイントだと私は思っております。
 私は、そういう意味で、先ほどから答弁をする中で繰り返し申し上げておりましたのは、子供が生まれて育っていく、またある年齢に達しますと幼稚園、小学校に入っていく、いろんな段階があるわけですが、子を産んだ親あるいは子の保護者となっている方がそういう基本的なルールをしっかりと子供に教える、教育するというのがまず第一歩であると私は思っております。
 また、学校教育の中においては、道徳というものあるいは教師が一般教科を教える中にも、やはり物事の考え方としてある種の基本的な倫理観に基づいた言動というものが長い間の積み重ねとして生徒の基礎的な倫理観になっていくと思っておりまして、にわかに一人の生徒を矯正するという対症療法的なことも大事でございますが、生まれた瞬間から親は子に対して責任を持っていろいろなことを教えていくという普通の人間的な営みというものが大変重要なんだろうと私は思っております。
 それと同時に、見逃してならないのは、今回のような事件が起きましたときに、先ほども答弁の中で申し上げましたように、やはりいじめた側というものの責任というもの、これは私は何も刑法上の責任ということを申し上げているわけではありませんが、いじめた側が何の責任も問われない、何をしても責任が問われないという世界をつくるということは決して教育上好ましいことではないということを申し上げたいと思うわけでございます。
○説明員(野崎弘君) 文部省の指導のどの部分が徹底をしてどういう効果があったかと、これはなかなか判定が難しいわけでございますが、例えばこの資料の中で出ておりますけれども、「いじめの問題に対する対応」ということで、いじめの問題についてどのような取り組みを行ったかということをここに掲げております。
 順番で申し上げますと、中学校で申しますと、「職員会議等を通して共通理解を図った」というところが二八%ございます。「児童・生徒会活動や学級活動において指導した」というのが二三%。それから三番目が「教育相談の体制を整備した」というところで一六・六%。その他「家庭や地域と協力して取り組むための協議の場」を設けた、「学級通信等で取り上げ、家庭との協力を図った」というようなのがございます。この中で「全校的な実態調査を実施」したというのがパーセントとしては低いわけでございます。
 いじめの問題について私ども考えるわけでございますが、いじめの問題というものが発覚をして、その後いろいろな対策というのは全校的に体制を整えて対応していくということが可能になると思いますが、何と申しましても、いじめの問題があるのかないのか、ここが一番ポイントになる点ではないか。今回の緊急アピールでも、そういう意味で、いじめがあるのではないかという問題意識を持って総点検を行うようにと、こういうことでございます。
 ここの点がもし何らかの端緒で発見ができるということであれば、その後の対応というのはそれぞれ、学校におきましても地域におきましても家庭におきましても対応していただけるものと思っておるわけでございますので、「全校的な実態調査を実施」というところが傘として低いというあたりは今後の我々の課題として十分受けとめていかにゃいかぬと、こんなふうに思っております。
○木暮山人君 人にやさしい政治、道徳的規範による社会の統治能力の見直し、国家百年の大計に立脚した基本理念の確立は政治家の責任として期待と信頼をいただくことにいたしまして、即今回のような痛ましい事件を繰り返さないためには、現象抑止の観点からも、具体的指導内容について改めて全国の学校に周知徹底し、全校を挙げてこれが防護策を確立し、総点検すべきではないかと思いますが、それらについての所見をお伺いしたいと思います。
○国務大臣(与謝野馨君) 今週の十六日に、全国都道府県並びに政令指定都市の教育委員会の教育長を東京に招集いたしまして、ただいま先生が言われましたような内容を徹底させる、そういうことをいたしたいと考えております。
○木暮山人君 いま一つ、強力な処分体制を確立することは、先ほど大臣からのお言葉の中からもお伺いすることができました。
 まず、全国的にこれら不祥行為の再発生のないよう国を挙げて防護体制を臨時的にでも確立し、いじめの芽を徹底的に摘み取り、この憂いを本日より教育の場から除去する行動を即起こしていただきたいと強力に要請をしていきたいと思います。
 時間もありませんもので、終わりに臨みまして、西尾市立東部中学校の皆さん、私は今、皆さんを初め全国の義務教育の場所で教育を安心して受けることのできるよう、すべての悪いこと、教育の妨げになることをすぐさま取り除く行動を起こします。一日も早く心に安らぎを取り戻し、児童の本分を全うすることのできるよう努力するよう切望いたします。また、私はこのことを大臣及び行政の皆様に切にお願いいたしまして、参議院文教委員会での質疑を終わらせていただきます。
 どうもありがとうございました。
○浜四津敏子君 公明の浜四津でございます。
 愛知県西尾市立中学の大河内清輝君が過酷ないじめに耐え切れずにまだ十三歳の若さでみずからの命を絶った今回の事件、どれほど無念だったか、またどれほどの絶望だったか、それを思いますと本当に心がえぐられる思いがいたします。また、同じ時代に生きる大人の一人として重い責任を感じざるを得ません。
 ことし、この大河内君の自殺のほかにも、わかっているだけでも八件、子供たちがいじめで自殺をしております。ある子は首つりをし、ある子はマンションから飛びおり、こうした子供たちの自殺は後を絶ちません。
 本来、能力を伸ばし、あるいは友達と一緒に成長し、楽しく学び合える場である学校でこうしたいじめに遭って死にまで追いやられる、こういう子供たちを見ますと、余りの学校の荒廃、教育の荒廃、それからそれを生んだ日本の社会の荒廃、あるいは精神の荒廃に本当に心凍る思いがいたします。
 ある教育学者はこう言いました。教育の目的は人間の幸福にある、知性と人格を磨き、そして価値ある人生を送るための教育である、こういうふうに言われております。この教育の目的と何とかけ離れた教育になってしまっているんだろうか。これを痛感いたしました。
 しかし、先ほどからも指摘がありますように、これは今始まった問題ではありません。昭和五十年代の初めから、子供たちが病み始めた、学校がそして教育が荒れ始めた、こう言われました。それが年々悪化いたしまして、もちろん文部省としてもさまざまな対応策がとられたこととは思いますけれども、それがほとんど功を奏さずにこれほどのところまで行き着いてしまったわけであります。約二十年前から、このいじめを初めとして、学校の中での校内暴力、あるいは体罰、あるいは登校拒否、さまざまな問題について警鐘が鳴らされ続けてまいりました。
 今から十五年前に、昭和五十四年に埼玉県の中一の男の子が集団いじめで自殺いたしました。そして、この昭和五十四年に既に教育の現場では、シカト、無視をする、こういう陰湿ないじめがはやっている、こう指摘されております。
 その後も、昭和五十八年にはさらにさまざまな場所でこのいじめの深刻さが指摘されました。しかし、そのとき大人たちは、これは昔からある子供の社会のことである、いじめで強くなるんだと、こういうふうに言ったりいたしまして、こうした楽観論、あるいは積極的、消極的な無視、大人側の問題意識と対応の立ちおくれ、極めて立ちおくれまして、それが問題をこれほど深刻化させた一因であると言われております。
 数年前に、弁護士会の中にも、このいじめの問題、あるいは体罰の問題、あるいは登校拒否の問題はとても看過することができないということで、子どもの人権一一〇番といういわば命の電話を設置いたしました。私自身もこの子どもの人権一一〇番の担当をいたしまして、そこにたくさんかけてくる子供たちの悲鳴あるいは絶望の声を聞いてまいりました。
 これはさまざまなところで言われておりますけれども、こうしたところに寄せられる声の一例を挙げますと、小学生、中学生の子が多かったんですが、体育館の隅に連れ込まれて下着を全部取られてしまう、そして隠されてしまう。あるいはトイレに連れ込まれて便器の水に顔を突っ込まれる。あるいは食べ物を、例えばバナナとかほかのお菓子とかをその便器の水につけたものを無理やり食べさせる。そのほかにも、汚いとか死ねとか、あるいはあほとかでぶとかいろんな悪口を言われたりののしられたり、また無視をされたり、それから教科書とか持ち物とか、上履き、靴や何かを隠されてしまう。そして、それで困っている姿を見て周りの子たちがおもしろがっている、こんな光景がこうした声から浮かび上がっておりました。
 また、その後、昭和六十年、この年はいじめ大量発生の年と、こう言われました。鹿川君事件を初めといたしまして、自殺者が九名出ております。そして、今から数年前にはこうした川柳が言われたりしました。「ラブレター書く年ごろで遺書を書く」、本当は思春期の心躍るこうした年代の子供たちがラブレターではなくて遺書を書く、こういう遺書を書かせるような社会になっていたと。
 こうしたいろんな方面からの警鐘も、結果的に、振り返ってみますと、ほとんどこうした深刻な事態を解決することはできなかった。この約二十年間の警鐘に対して、事あるごとに正確な実態の把握が必要である、それから早急な的確な対応が必要である、幾度となく取り組みの提言と、そして真剣な取り組みへの約束が繰り返されてまいりましたけれども、現実にはこういう結果となっております。こうした状況でもう既に二十年がたっております。
 先ほど大臣は、責任を拡散させるのはよくない、何かあるごとに学校が悪い、あるいは教師が悪い、社会が悪い、大人が悪い、こういうことで責任の拡散をさせてきた、これも反省しなくてはいけない、こうおっしゃいました。しかし、これは責任の拡散ではなくて、やはりこうしたいじめの背景には私たち大人がつくっているこの社会のありようが存在していることは紛れもない事実であるというふうに思います。
 大人の社会のさまざまな問題点、人間らしい心のゆとりがなくなっている。人が倒れていようと困っていようと知らぬ顔、競争が激しい中で人をけ落とすことが普通、こんな大人の社会をつくってきた。私は、これは責任の拡散ではなく、あらゆる立場の私たち大人が真剣にこの反省に立ち、それから責任を感じなければいけない、こう思っておりますが、大臣、この二十年間の経過を振り返りまして、反省そして責任をどのようにお考えでしょうか。
○国務大臣(与謝野馨君) 確かに、先生がおっしゃっておりますように、社会的な背景というのは少しずつ変化をしてきたことも間違いありませんし、また我々が育ったころよりも肉体的な子供の成熟は早いということも間違いない事実でございます。それでは、例えば中学生なんかの場合は、昔よりも非常に生育が早いというときに果たして精神がそれと並行してついていくかという問題は、やはり考えていただかなければならないことの一つだと思っております。
 昔のいじめ、今のいじめという比較が本当にできるかどうかは別にいたしまして、昔私どもが小学校、中学校に行っていたときもやはり多少のいじめっ子というような、あるいはいじめられっ子というようなものもございましたけれども、限度を超したいじめというものは私の記憶ではなかったように思うわけでございます。
 非常にすさんだ心と申しますよりは、基礎的な倫理観を家庭あるいは学校の現場において教えることに余り成功しなかった結果がこのようなことに結びついているのであって、家庭においてもあるいは学校においても、人とともに生きる社会の中で最低限守るべきルールというものを教育する、ここがやはり私は長期的に見まして一番大きなポイントである、そのように考えております。
○浜四津敏子君 先ほどから大臣は、いじめた子供の側の責任、これもきちんと追及するべきである、こういうお話をされました。子供がきちんとした責任をとっていない、こういうお話でしたが、これはちょっと事実と相違するのではないかと思っております。年齢に応じましてさまざまな処分がなされておりますし、また小さいときに図らずも加害者の側に回ってしまった子供たちがその後どれほどの精神的な重荷を負っているかということも、私も何人かの子供から聞いております。
 学校の現場で、先ほどから指摘がありましたが、能力第一主義あるいは管理主義、こうした教育の中で、いわゆる勉強ができないという子供たちは先生からもあるときは疎まれ、あるいは邪魔な存在なんだと認識させられ、つまりできる子供たち、強い子供たちだけが真っすぐに生きられる。そこから外されてしまう子供たち、そういう子供たちが、行き場がなくていろんな形で外れた行動に出るということもあります。
 必ずしもそれだけの責任というふうに言うつもりはありませんけれども、少なくとも私は、こうした教育のあり方、本来子供たちは学科の能力だけではなくて、人間はさまざまな分野の多種多様な能力を持っているわけですけれども、それが十分に引き出されない。教育は、その語源からいたしましても、物を教えるというのではなくて、その子が持っている能力をいかに引き出すか、それが教育であると言われておりますけれども、その能力を引き出される可能性すら与えてもらえなかったそういう教育現場で加害者の側に回ってしまったという子供も何人もいるわけです。
 そういう子供たちに対して、おまえが悪いんだ、ルールを知らなかった、そしてルールを破ったおまえが悪いんだということでその子供たちに厳しい責任を負わせるというのは、もちろんそれなりの責任あるいは反省というのは大事だと思っておりますけれども、そこに重点を置いて、そこに焦点を当てて今後取り組むんだというのはちょっと私は異論があるところでございます。
 それから、「生徒指導上の諸問題の現状と文部省の施策について」、これをいただきましたが、これによりますと、平成四年度の公立学校総数中のいじめの発生学校数、小学校では二万四千四百八十七校中二千八百八十三校、中学校では一万五百九十六校中三千四百四十校、高等学校では四千百六十六校中九百八十二校だと。学校によっては全くいしめが把握されていないところもありまして、むしろその方が多い、こういう結果になっております。これは、現場のいろんな声を聞いてみますと、どうも現実に余り即していない数字ではないかというのが率直に受ける感じでございます。
 例えば、これは十年前ですけれども、一九八四年、法務省が中学生人権作文コンテスト、こういうものを実施いたしました。三十一万八千編の作品が寄せられた中で、いじめをテーマにしたものが最も多く、十年前ですら全体の約四分の一、二五・五%を占めておりました。また、一九八五年の五月に東京都の教育庁が行った実態調査では、これは東京都の小中高でございますけれども、約八割の学校でいじめがある、こういう調査結果が出ております。そして、これら学校が把握したもの以外にも相当数のいじめがあると言われておりまして、このときに既にいじめが極めて日常化、一般化している、こういう報告がありました。
 そして、どうも事実どおりの数字ではないんじゃないか、文部省が学校から吸い上げる情報というのは、どうもその数値は現実と多少離れているのではないか、こういう声がありますが、この問題をどうお考えか。それから、仮にそうであるとすれば、幾ら今後実態を把握するために調査いたします、こう言ったとしても、どうも余り意味がないんじゃないか、こう思います。正確な現実を把握してこそ、それに対する適切な対処というものが出てくる。より現実に即した結果を得るためにどうすべきとお考えか、お聞かせいただきたいと思います。
○国務大臣(与謝野馨君) これは調査でございますから、先生がおっしゃるように少な目に出ている可能性はありますけれども、やはり統計的にはある種の傾向を示しているという意義は私は当然あると思います。
 先般の専門家会議の緊急アピールでも、もしかしたら我が学校にそういういじめがあるかもしれない、そういう問題意識を持ってそれぞれの学校で学校内でのいじめの存否を点検していただきたいというアピールがございましたので、そういう問題意識を持って各学校においてこの事件を契機にさらに詳細に点検作業がなされると、いずれその統計が集計されてまいります。
○浜四津敏子君 ただいま大臣がおっしゃいましたいじめ対策緊急会議の緊急アピールでございますが、ここの第一項目目に、「いじめがあるのではないかとの問題意識を持ってこ、こういうふうに表現されております。これがもう一つちょっとわかりませんが、これはいじめというのはどこの学校にも起こり得るものだという認識に立っているんでしょうか。
 平成四年に実は不登校、登校拒否についての見方を文部省は転換されたわけでございます。これはどこの子にも起こり得る、こういうふうに転換されましたけれども、このいじめの問題もどこの学校にも起こり得るものだという認識というふうに理解してよろしいんでしょうか。
○国務大臣(与謝野馨君) どこにでもあるということではなくて、ないはずだと思っていた自分の学校にもしかしたらあるかもしれないという問題意識を持ってそれぞれ学校で御点検くださいと、そういう意味でございます。
○浜四津敏子君 それでは具体的な解決策、どのように考えていったらいいのか、どう解決していくべきなのか。いじめの背景というのはさまざまな要因がございますから、特効薬というのはもちろんないわけですけれども、一つは緊急にとるべき対症療法。それからもう一つは、先ほども指摘がありましたが、病んでいる教育、荒れている学校、やはり教育そのものの問題。もっと抜本的、根本的な療法を考えていかなくてはいけないのではないか。この二点からお伺いいたします。
 対症療法といたしましてよく言われますが、何しろいじめについては早期発見、そして即時対応が必要である、これも繰り返し指摘されてまいりました。そのためには何が必要か、これも議論されてきたわけでありますけれども、学校の中で先生がいじめを把握できない、発見できない、これは事実だろうと思います。
 もう少し一生懸命気を配っていてくれたらあるいはわかったんじゃないかと思われることもありますけれども、先ほどもお話がありましたように、本当に現場の先生というのはこれほど忙しいのかと思うくらい忙しい。それも何で忙しいかといいますと、子供たちの教育のために忙しいのではなくて、さまざまな会議とかあるいは研修に出なくてはいけない、あるいはさまざまな書類をつくらなくてはいけない。つまり、上を向いていなくてはいけない、あるいは教育委員会とか文部省を向いていなくてはいけない。そういうことに時間をとられて子供たちの方に向いている時間が余りに少ない。これが、先ほどもお話ありましたが、現場の先生の声でございます。
 そこで、先ほどの「生徒指導上の諸問題の現状と文部省の施策について」、これの四十六ページに自殺の原因について学校に聞いているその報告があります。
 その中では、平成四年度、五年度ともに小中高、自殺の原因としていじめはゼロでございます。これは先生が本当に知らなかったということもあるでしょうし、あるいは学校をかばう、こういうこともあったかもしれませんけれども、いずれにいたしましても、こうしたことがいじめ発見、あるいはそれに対してどう対応するかと、こういう行動に移れない。やはりそのためには、これもさまざまなところで指摘されておりますけれども、教師と子供の間のコミュニケーションが余りにも足りない、信頼関係を確立することが不可欠だと。
 私も子どもの人権一一〇番のさまざまな子供たちの声を聞いていまして感じたことは、子供たちは先生から声をかけてもらいたがっている、でもかけてくれない、こうした問題が起きたときに、自分が悩んでいることを本当は先生に相談したいけれども相談ができない、こういう子供たちが大変多かったというふうに覚えております。
 やはり、教師自身が日常のどんな不正あるいは暴力も見逃さずに最後まできちんと責任を持って指導していく。そして、子供たちの目から見ると、あの先生は絶対に信頼が置ける、絶対に頼りになる、いわば正義と人格の守り手、こういうふうになっている場合には、そのクラス全体の集団の質がいいといいましょうか、大変そのクラスの中が自由な雰囲気になる。仮にそうでないと、閉ざされた集団になってしまう。それがいじめっ子にとっては大変いじめをしやすい空間をつくり出す、こういうふうに言われております。
 この信頼関係を確立するというのは大変抽象的で難しい問題ではありますが、指摘されているように、やはりここから始めなくてはいけないと思っております。これは何も学校関係者あるいは文部省だけの責任とは思いませんが、文部省としてはこの点に留意してどのような具体的な方策をとっていかれようとしているのか、お答えいただきたいと思います。
○説明員(野崎弘君) 先生のお話にございましたけれども、いわゆる熱血先生といいますか、そういう先生のいるクラスでは起きないんだというようなことを私どもよく聞きます。やっぱりこの問題というのは、個々の担任ももちろん大事なわけでございまして、担任がしっかりしていただくことが大事ですけれども、全校的にどうこの問題に対応していくか。先ほど養護教諭の先生の話もございましたが、そういう養護教諭の方の力をかりるとか、あるいは教頭、校長、そういう指導体制のもとに全校的に取り組んでいくということが大事なわけでございます。
 先般のいじめ対策緊急会議の座長が、坂本昇一先生でございますけれども、やはりこの傾向として、これは自分のクラスでなくてよかったというような、そういう認識が果たして学校の中にないだろうか。あるいは子供たちの中にも、加害者と被害者と、それを取り巻いて被害者がいろいろいじめを受けていることを、まあ喜ぶということはないんでしょうけれども、それに付和雷同している者、それと全くそれに興味がない、あるいは無関心、そういう四つの類型があるけれども、この全く無関心、そしてその周りにいてそういう者をはやし立てている、これもある意味ではそういういじめのグループに加担している者だと、そういう認識を持ってこの問題に取り組む必要がある。いじめられている者が悪いんだ、いじめられている者にも問題があるんだというようなことでこういう問題に決して当たってはならないというような御指摘もいただいております。
 そういう学校の中で、これは先生方の一致協力体制も大事ですけれども、生徒を含めたそういう共通の問題意識というものを持って取り組んでいく必要があるんじゃないか、このように思っております。
○浜四津敏子君 時間がなくなりましたので、少し簡単な指摘だけさせていただきます。
 こうした荒れる学校の中で本当に的確な子供たちの教育をするために、教員の資質向上とかあるいは教員採用基準の見直しということも言われているわけですが、殊に学校外での職歴や経験のある人、あるいは多様性のある人をもっと積極的に教員として採用していただきたい、年齢制限もむしろ必要ないのではないか、こういうふうに思います。
 そしてもう一つは、現在、町田市あるいは神奈川県の逗子市等の全国の数市において学校ごとのいじめ個票の公開が行われている、または行われることになっておりますが、これによりまして親が、自分の子供が通っていたりあるいは通おうとしている学校のいじめの調査の結果を入手することができます。そして、それに対して親としてどう対応していくか、こういう手段も講じられるわけですけれども、これはまだ全国にわずか数市でございます。また、条例に基づく開示請求なしで情報公開するのは町田市のみとなっております。
 こうした情報公開、大変有意義なことだというふうに思いますので、プライバシーの侵害をしないような慎重な取り扱いのもとに、文部省としてもこれを積極的に全国的に進めていくべきではないかと思いますが、いかがお考えでしょうか。
○説明員(野崎弘君) 一般にこの情報の公開につきましては、それぞれ地方公共団体が情報公開条例等を制定しておるわけでございます。そういう情報公開条例等に基づいて地方公共団体の判断で行われるべきものと、このように考えております。ただ、御指摘の関係者のプライバシーの問題、こういう点についてはもちろん十分配慮する必要があると私どもも考えております。
○浜四津敏子君 それでは最後に、これは抜本的な教育のあり方を変えなくてはいけないのではないか、こういう問題について少しお話しさせていただこうと思ったんですが、時間がほとんどありませんので、質問できるようでしたら簡単にさせていただきます。
 人間教育の必要性、人格教育あるいは精神教育の必要性というのはさまざまなところで主張されておりますけれども、現実には日本の子供たちは、学校に限らず、家庭であるいは社会でこうした豊かな人格をつくる、あるいは本当にすばらしい人間性を引き出す教育というのはなかなか機会に恵まれていない、こう思います。
 その結果、正義派あるいは良識派の子供たちが少なくなっている、ほとんどいない、こんなふうにまで言われております。自分さえよければいい、あるいは自分には関係ない、こうした自分中心的な、先ほどおっしゃった観衆、いじめを見ているだけ、あるいははやし立てる、こうした子供たちも生んでいるというふうに言われております。今は精神の空白時代だと言われておりますけれども、人格の高潔さとかあるいは最高の人間性をどうやって子供たちに植えづけていくか、それが最大の課題であろうと思います。
 数年前にロス・オリンピックで、柔道の種目で日本の山下選手とエジプトのたしかラシュワン選手が決勝戦をいたしました。日本の山下選手は、右か左か忘れましたけれども片足をけがしておりまして、このままではその足をねらわれると勝てる見込みがない、こういうふうに言われておりました。そのときに、エジプトのラシュワン選手は山下選手のそのけがをした足だけは絶対ねらわなかった。こういうことで、結果としては山下選手が優勝し、ラシュワン選手は銀メダル、こういうことになったわけです。その後でラシュワン選手は、自分は金メダルよりもフェア精神をとうとぶんだ、こういうふうにおっしゃいまして、その言葉が大変感動を呼んだわけでありますけれども、私はこうしたときにこういう行動をとる子供たちが果たして日本にはどれだけいるんだろうか、こう思いました。
 これはほんの一例ですけれども、こうした本来は私たちだれもが持っているフェア精神とか誠実さとか正直だとか、あるいは人のために尽くす生き方とか、あるいはよりよい社会を求めてと、こういう大変開かれた人格あるいは豊かな人格、人間性、ヒューマニズム、こういうのを持っているはずですけれども、残念ながらそれを引き出していない、私はこれが最大の課題であるというふうに思っておりますが、大臣、一言感想をお話し願います。
○国務大臣(与謝野馨君) 人間はそれぞれ行動の美学というものを持っているんだろうと私は思っております。それをどの段階で自分の中に取り入れたか。それはやはり親から受けたいろんな教育、学校の先生から教わったこと、あるいは社会に出てから経験したこと、あるいはみずからが読んだ本寺に出てくる話、あるいは、今先生が例を出されましたけれども、例えばスポーツでの大変なフェアプレーの精神を見た、それに感激をした、感銘を受けた、そういう行動の美学について自分も同化する、そういうようなさまざまな事柄から人間の人格というのは完成してまいるわけでございます。今学校におります児童生徒につきましても、そういういろいろな知識、体験、経験あるいは教育、こういうさまざまなことで一人一人の子供の人格が完成していくものだと私は信じております。
○橋本敦君 大河内君がいじめに耐え切れなくて、まだまだ長く生きたいという気持ちいっぱいの中で、ついにみずから幼くして命を絶たざるを得なかったという問題はまことに痛ましい悲しい出来事でありますが、同時に、教育の場でこういうことが起こる、そのこと自体が一体どういうことなのかという根本に立ち返って私どもは検討していく必要があるということを痛感いたします。
 文部省の調査によりましても、九二年度でいじめの件数が二万三千二百五十八件あった、九三年は若干減って二万一千五百九十八件ということでありますが、しかし実際の数字はこれより多いということは容易に想像される。なぜなら、その文部省の調査自身が明らかにしておりますように、小中学校でこのいじめについて担任が見つけた割合が、小学校では三六%、中学校では三〇%、こういった状況が報告されているわけですね。ですから、この数字よりもまだまだ多いということも頭に置いて問題を考えていかねばならないということが一つであります。
 同時に、幼い子供がみずから命を絶つという数が一体どれくらいかということですが、九二年の調査でも百五十九人という数に上っています。実に痛ましいことであります。
 今、大河内君の自殺について沈痛な気持ちで議論をしている最中でありますが、報道によりますと、きょうもまた愛知県の岡崎市の中学校一年生の子供が首をつって死んだということが報道され、これはいじめだとははっきり原因が明らかになっておりませんけれども、自殺ということで動機などが調べられているという報道に接しております。
 子供が前途未来多い着やかな命をみずから絶つという問題は本当に深刻な問題でありますが、一体、人間を大事にするという教育、そういった教育の根本問題から立ち返って見るなら、文部省がこれまでやってきた文部行政の中に、文部省自身がみずから反省をし、またみずから解明をしなきゃならない、今日までの教育の中に責任を明らかにしなければならない問題がないのかどうかということを、文部大臣自身がそこを深めていただくというお気持ちがあるでしょうか。まず、その点伺いたいのであります。
○国務大臣(与謝野馨君) このような悲痛な出来事が起きるということに関しましては、私自身は非常に遺憾に思っておりますし、責任も感じているところでございます。
○橋本敦君 教育論というジャンルで我々は議論をしっかり踏まえる必要があると思うんですが、そういう点で考えますと、そもそもいじめとは一体何だろうかということを深刻にとらえざるを得ないと思うんです。
 いじめ保というのは、一口で言えば、相手方の人格と人格の尊厳を踏みにじる行為である。同時に、相手の自由な意思を抑圧して、そして特定の人に対する軽べっと侮辱をつくり上げていく仕組みである。つまり、人間的に耐えられない行為をいじめというように私どもは考えざるを得ないですね。だからそういう意味では、まさに子供の人間的な成長を期待する教育という場ではおよそあってはならない矛盾も甚だしい現象が教育の現場で起こっているということを、一体教育の場でどうとらえていくのかということが私は問われると思うんです。
 そこで、教育の目的、教育とは何かということをもう一遍私は教育論として考えてみる必要がある。そうなりますと、先ほど大臣もおっしゃいましたが、まさに教育というものは本来が人間的なものである。人間が人間らしくあるために教育ということが大事だ。だから憲法二十六条は国民の基本的人権として教育を受ける権利を保障している。
 だから、あれこれ言いますけれども、私は教育というのは、結局は人間を大事にする、命を大事にする、そこのところがやっぱり理念としての根源にあって成り立っている、そういうものだということを私は教育の理念の根本の問題としてもう一遍この際、教育行政を預かる文部省の責任ある立場として立ち返って検討を深めてほしいと思うんですが、大臣、いかがでしょうか。
○国務大臣(与謝野馨君) 教育基本法の第一条に書いておりますように、日本の教育というのは知識偏重でもなければ、あるいは職業教育偏重でもないわけでございまして、教育基本法の第一条に書いておりますのは、「人格の完成をめざしこというところが私は戦後一貫した教育思想だと思っております。
○橋本敦君 大臣が御指摘のように、教育基本法はそう書いております。そう書くと同時に、「教育は、人格の完成をめざしこということを書いてすぐ続いて、「平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとびこ、個人の価値をたっとぶそういう国民の育成を目指すものだと、こう言っていますね。だから、個人の価値をたっとぶ、つまり個人の尊厳をしっかり守る、人間を大事にするということに共通のグルントがあるわけなんですけれども、そういうものとして法でも明定をしておるわけです。この教育基本法の前文はさらに、個人の尊厳を重んずると同時に、「真理と平和を希求する人間の育成」、こういったことも教育基本法にはっきり書いてあります。
 私はここで思うんですが、この人間を大切にする教育ということが、同時に平和を愛する教育、平和教育と深くかかわって論ぜられてきたところに戦後の教育基本法下における教育の非常に大事なところがある、こう思うんです。なぜなら、真理を愛する、つまり戦前の教育に対する厳しい反省が一つはそこにありますが、同時に平和の問題についても戦前に対する厳しい反省がある。と同時に、戦争というものと人間性というものを考えた場合に、私は戦争というのはまさに人間性を抹殺する凶器であり最大の暴力の体系である、こう思います。ですから、人間を大事にするという教育の根本理念に立つならば、当然暴力を憎み、いじめを憎み、そして最大のその体制である戦争を許さないという、こういうことに通じると思うんですね。
 そこで問題は、まさにそういった戦後教育の基本理念が、今日まで文部省が進めてこられた教育行政全体を通じて本当に真剣に人間を大事にする教育ということが貫徹されてきたんだろうか、そうならない幾つかの問題点が実際は起こってきていたのではないか。そういった問題を今日多面的な面からしっかりと深めて、いじめがあった学校の局限的な問題にしないで、今日の日本の教育そのものの根源にかかわる問題としてこの問題を教育の基本理念からしっかりと考え直すという姿勢と、そういう姿勢に立った上で文部省自身が今日までの文教行政をしっかり見直して、そこから酌み取るべき教訓と反省があるならしっかり酌み取るということを進んでおやりいただくという姿勢に立っていただくことが、私はまず緊急アピール六項目以前の文部省としての重大な責任にかかわることだと思いますが、大臣、いかがですか。
○国務大臣(与謝野馨君) 緊急アピールをつくっていただきました専門家会議のときに専門家会議の方々にごあいさつ申し上げましたのは、当面のこの問題も解決しなければなりませんし、この問題から幾つかの大事な教訓を学び取って、それを今後の教育行政に生かしていくということが大事でございます、ぜひ皆様方のお考え、お知恵をおかりしたいということを申し上げましたので、当面の問題の解決ということは愛知県の教育委員会等が行っておりますけれども、私ども文部省としては、この中から幾つかの教訓を学び取る努力をするという姿勢が私は大事だと思っております。
○橋本敦君 具体的な問題を検討する上でも今私が指摘したことは大事になってくると思うんです。
 いろいろな信号がありながら、なぜいじめを発見できなかったのかという問題が論ぜられました。これは非常に大事ですね。だから、清輝君が先生に対してどう答えたかというと、いじめがあったとは決して言わなかった。教師の方は、いじめられているという認識はないわけですから、問題児童から抜け出すように、問題児童の一人として見て話をしているわけですね。それに対して清輝君は、仲間といると楽しい、こう言った。私は、これはまさに清輝君の悲痛な思いだと思うんです。本当は、先生、僕は問題児の一人じゃないんです、いじめられているんです、仲間から抜け出しなさいじゃなくて助け出してほしいんです、このことがわかってくれませんか、こう言いたかったかと私は思いますよ。なぜそれが発見できなかったかということを教育の問題として我々は真剣にやっぱり追及していかなきゃならぬですね。
 そうなりますと、今大臣にお話しした人間を大事にする教育が貫徹されてこなかった一つの姿として、私はここを見るんです。
 例えば、なぜ発見できなかったかということについて言えば、一つは、担任任せになって、教師集団の連帯と教師集団全体による問題の解明というところへいっていなかったという問題がある。じゃ、なぜ教師集団の連帯にならないのかといえば、これはもう時間がないから私の方から言いますが、今の文部省の管理主義教育の中で教師の目は上を向き子供に向いていないというそういう状況がつくり出される側面があり、そして研究あるいはその他さまざまな課題で多忙であるために、教師が連帯をして一つの事に当たるという努力が阻害される状況がつくり出されている。
 それからもう一つの側面で言えば、先ほどからも議論されておりますように、教師の教育労働条件というのは極めて多忙であるということでゆとりがないという状況がある。これが教師の側にあるということがあるでしょう。それからもう一つは、そういうことで教師が生徒の方にきめ細かく心の通う教育として日常入り込んでいけないという状況がありますから、今度は逆に生徒からの信頼度が薄れていきますから、生徒は本当のことを言えないという状況がある。
 生徒の側をとってみますと、受験競争に追われ、それから内中でどう書かれるかということに気遣いをし、教師によく見られたいということで、仲間をチクっているというようにとられたくないという思いから見て見ぬふりをするという、そういったところに落ち込んでいく子供ができるのも今の教育状況の一つの欠陥としてとらえねばならぬでしょう。
 だから、私たちは子供たちに、友人を大事にし、友情を深め、友達を愛し、友達が苦難なときには我がことと思って勇気を持って立ち上がる、そんな子供に育ってほしいと皆さんも先生も思うけれども、しかし今の子はそういう環境にあるかというと、成績主義、受験競争、偏差値第一主義の中でいじめられていますから、ストレスもたまり、そうなっていない、こういう教育の現状があるでしょう。
 そういう意味では、教育基本法が示している人間を大事にする教育を本気になって文部省が進めてきたならば、改善しておかなきゃならぬ問題がいっぱい山積みになっている中でこれが起こっているんですよ。そういう視点から考えますと、現在のこのいじめ問題について、文部省としての行政を預かる立場での責任を私は否定してはならぬと思う。
 それから、先ほどから言われたゆとりのある教育が大事だと、そのとおりです。ゆとりのある教育をするためには三十五人学級の実現も必要でしょうし、大規模校の解消も必要でしょうし、皆さんが議論されたように教育条件の整備もこれまた必要でしょうが、そういう面については本当に進んでいるかというと、いろんな課題が残されっ放しでしょう。
 だから、このいじめという問題について教育論ということに立ち返って考えていくならば、正しい、人間を大事にし平和を愛する教育を進めることを阻害しているいろんな条件というものをもう一遍文部省は真剣にみずからの責任として、現場の意見も聞き、真剣に洗い直して、そこから教訓と反省点をしっかり酌み取るということを文部省自身の仕事として、この際、私はしっかりやってほしいと思うんですが、大臣いかがですか。
○国務大臣(与謝野馨君) 文教行政についてはかねてから歴代の文部大臣が常にしっかりと見直しをしながらやってまいったわけでございますが、こういうことが起こったことを契機にということではなくて、常にみずからを省みる、そういう姿勢で進みたいと考えております。
○橋本敦君 私は現場の教師集団からの声を一つ紹介したいと思うんですが、そういう点でこう言っています。
 「本来の教育をとりもどそうと努力する学校や教師にたいして、管理と統制がつよめられ、文部省・教育委員会のマニュアルどおりの学校運営と教育が強権的におしつけられ、教育の自主性が奪われてきました。学習指導要領の「法的拘束力」や官制研修のおしつけ、教育の条理や教職員の合意をふみにじり、処分をテコにした「日の丸・君が代」の強制こ、「いっそう管理と抑圧の場にされてきています。さらに加えて、過密学級や超過大規模校の放置、教師の管理・統制と結びついた多忙化、権利の抑圧は、教師が一人ひとりの子どもの心にふれた指導をおこなうことを困難にし、安易に管理主義的「指導」におちいる傾向をも生み出しかねません。」、こういった問題があるということを指摘しておりますが、今私が言ったことのまさに中身としてこの問題も大事な提起だと私は思うんです。
 それで、文部省がきょう発表された平成六年度の教育白書でありますが、この中で、こういった方向に向かう一つの視点となるのかどうかということで私は注目しておりますので伺ってまいりますが、この教育白書では、我が国の教育が国際的にも教育程度、普及度等で高い評価を受けるに至ったけれども、しかしながらその一方で、今日の初等中等教育の現状は、受験競争の過熱化、いじめや登校拒否の問題、こういうことでさまざまな問題が提起されている。そこで、このような初等中等教育をめぐる諸問題を解決し、社会の変化に的確に対応し得る力を育成していくためには、一人一人を大切にした教育を行っていくという基本に立ち返る、これが大事だということを指摘されていますね。
 まさに、本当に文部省はここのところをしっかりと立ち返って、一人一人を大切にする教育を今こそ進める、それを阻害する諸条件は改善をしていく、そして文部省としての人間を大事にしていく教育の理念の推進を担う立場としての責任を果たしていく、このことをしっかりやっていただきませんと、私は緊急アピールを出し、あるいは九年前にもありましたが、そういう建前を幾らやっても進まないだろうと思う。
 そういう文部省の責任の自覚と体制のもとで、現場の教師が、父母がみんな力を合わせて、こういったいじめは絶対に許さないというかたい決意と、そしてこうしたいじめをやった子供に対するすぐれて教育的、指導的なことでいじめを許さないということをしっかりと踏まえさせていく、そういったことをやっていかなくちゃならぬ、こう思っております。
 もう時間が参りましたからこれで終わりますが、大臣の御所見がありましたら伺って、質問を終わります。
○国務大臣(与謝野馨君) 質問の冒頭に読まれた先生のところに参りましたお手紙の内容については賛成はできませんが、後段の部分については、やはり一人一人の子供を大切にしながら、教育現場においてもまた教育行政においても、一人一人を大切にするという視点を大事にしながら進むということは当然のことであろうと私は思っております。
○橋本敦君 大臣が賛成できないと言われた部分をさらにしっかりと議論していかなきゃならぬということだと思います。
 終わります。
○委員長(松浦孝治君) 本日の委員会はいじめ問題を中心に質疑を行ってまいりましたが、時間が参りましたので、これで終わります。
 本日はこれにて散会をいたします。
   午後四時五十五分散会