第150回国会 法務委員会 第8号
平成十二年十一月十七日(金曜日)
   午後一時開会
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   委員の異動
 十一月十六日
    辞任         補欠選任   
     岩崎 純三君     脇  雅史君
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  出席者は左のとおり。
    委員長         日笠 勝之君
    理 事
                石渡 清元君
                久野 恒一君
                佐々木知子君
                江田 五月君
                魚住裕一郎君
    委 員
                竹山  裕君
                脇  雅史君
                竹村 泰子君
                角田 義一君
                橋本  敦君
                福島 瑞穂君
                平野 貞夫君
                斎藤 十朗君
                中村 敦夫君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        加藤 一宇君
   参考人
       東京都立大学法
       学部教授     前田 雅英君
       龍谷大学法学部
       教授       村井 敏邦君
       弁護士      山田由紀子君
       少年犯罪被害当
       事者の会代表   武 るり子君
       元洋裁学校教師  山口由美子君
       弁護士      千葉 一美君
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  本日の会議に付した案件
○少年法等の一部を改正する法律案(衆議院提出
 )

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○委員長(日笠勝之君) ただいまから法務委員会を開会いたします。
 委員の異動について御報告いたします。
 昨十六日、岩崎純三君が委員を辞任され、その補欠として脇雅史君が選任されました。
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○委員長(日笠勝之君) 少年法等の一部を改正する法律案を議題といたします。
 本日は、本案審査のため、お手元に配付の名簿のとおり、六名の参考人から御意見を伺います。
 初めに御出席いただいております参考人は、東京都立大学法学部教授前田雅英君、龍谷大学法学部教授村井敏邦君及び弁護士山田由紀子さんでございます。
 この際、参考人の方々に一言ごあいさつ申し上げます。
 本日は、御多用のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。
 参考人の皆様方から忌憚のない御意見をお聞かせいただきまして、今後の審査の参考にいたしたいと存じますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
 議事の進め方でございますが、まず前田参考人、次いで村井参考人、山田参考人の順に、お一人十五分程度で御意見をお述べいただきまして、その後、各委員の質疑にお答えいただきたいと存じます。
 なお、念のため申し添えますが、御発言の際は、その都度、委員長の許可を得ることとなっております。また、各委員の質疑時間が限られておりますので、御答弁は簡潔にお願いしたいと存じます。
 なお、参考人の方の意見陳述及び答弁とも着席のままで結構でございます。
 それでは、前田参考人からお願いいたします。前田参考人。
○参考人(前田雅英君) ただいま御紹介いただきました前田でございます。
 このような場でこのような形で発言をさせていただく機会をいただきまして、本当にありがとうございます。
 私は、刑事法学者として、特に統計的なことに関心を持って長年研究してまいった者なんですが、ここ三年ぐらい研究課題として少年法に取り組んでまいりました。それを最近本にまとめさせていただいて、それがお目にとまって呼んでいただけたのかなとも思ったんですが、基本的な流れとしては、レジュメをお配りして、それからグラフをお手元にお配りしておりますので、それを見てお聞きいただければと思うんです。
 まず第一に、日本の犯罪状況というのは世界的に見て基本的に非常に良好である、治安のいい国だという言い方をされてきたし、事実であったと思います。ただ、それが平成に入って間違いなく方向転換してきている。これはいろんなところで報道されているような犯罪現象の実感というのとそんなにずれていないと思うんです。図の一、これが戦後の凶悪犯の認知件数の変化なんですが、戦後、治安状況がよかったというのは減り続けた局面を感じてきたと思うんです。それがついに平成に入って完全に方向転換をしたということです。
 実は凶悪犯の認知件数の変化というのは有罪人員率の変化とか刑務所の収容人員の変化と大体並行している。これはある意味で当然でして、刑事システムの中で軽微な犯罪はどんどん落ちていって、有罪になる人間の核の部分は凶悪犯、重要犯罪ですので、凶悪犯のグラフが、裁判所で感じている犯罪がふえているとか、それから今刑務所の世界でふえてきているというような感じとつながる、まさに平成になってカーブを切ったということだと思います。
 さらに、決定的に重要なポイントは図の三でして、検挙率の低下です。日本は世界に冠たる高検挙率国家であった。これも日本の治安のよさの柱であったわけですけれども、一九九〇年以降、六割だったものが四割になり三割になり、ことしは二五%です。これは欧米以下、アメリカ以下とも言われて、悲惨な状況になっている。特にこれは地域のばらつきがあって、ある県などは一〇%ぐらいに落ちている。十件に一件しか捕まらなくなってしまっている。非常に危機的な状況が起こっております。これは物すごい勢いで進行しています。
 このような中で、またこれがなぜ起こってきたかということも含めて少年犯罪をどう考えていくかというのは非常に重大な課題になってきていると思います。
 ただ、犯罪がふえたという意味では、一番犯罪の基本となる、どこの国でも大体基準とする刑法犯全般、その数字を見てみますと、図二なんです。図二をごらんになればおわかりのとおり、凶悪犯以外のより軽微な犯罪を入れて考えますと、実は七〇年代の終わりまでは減っていた、ないし横ばいだった。八〇年代からふえ始めて、最近の増加傾向は著しいものがあるんです。これは戦後の一番混乱した時期をもうまさに凌駕しようとしています。この凌駕している数の主役が少年犯罪なんです。
 実は七五年を境にして、戦後日本社会が転換したと思いますが、それはきょうの話とはちょっとずれますので先に進みますけれども、外国人犯罪の問題もありますが、これは従たる問題であって、量的に言えば圧倒的に少年犯罪です。少年犯罪が増加しているはずなんですが、ただ一般には、検察統計を見ても犯罪白書を見ても、それから警察の統計を見てもそれほど危機的だと感じてこなかった。これには理由があるんです。要するに錯覚に陥っていた。明らかに図を見ればわかるとおり、刑法犯はこれだけふえているわけです。そして、刑法犯の二分の一は少年なんですから、少しの増減はありますけれども、大体半分はここのところ少年なんですから、少年犯罪がふえていないはずがないんです。ところが、ふえたように見えないのはなぜかというと、図の四なんです。
 図の四で、全刑法犯の検挙人員率を少年と大人で分けてみます。そうしますと、その薄い線が実際に起こっているであろうと推定される。ただ、これは完全なあれではなくて大体の推測ですけれども、これは完全に先ほどの七五年からふえ続けてきている全体の犯罪状況とぴったり符合するんですが、その黒い点はこれは検挙人員として報告されたものなんです。何で黒いものと薄いもののずれが起こるか。これは単純なことで、図の三が原因なんです。検挙率が落ちたからなんです。
 少年と大人は捕まえてみなければ区分けができない。起こっていても少年だとわかるのは捕まった者だけ、捕まったのは半分以下になっちゃったんです、急に。だから、減ったように見えているだけなんです。間違いなく少年犯罪はふえている。これはもう科学的にも言えると思います。そのような中で、今の少年法を改正していくかどうかということを考えていただきたいということなんです。
 時間がありませんので急ぎますけれども、あと、凶悪犯も図六を見ていただければおわかりのとおり、例えば強盗、一番これが少年犯罪で目立つんですが、数としては圧倒的に多いのです、凶悪犯の中で。これは六〇年代から大してふえていないと言う人がいますけれども、見ていただければわかるとおり、確かに年長少年はそんなにふえていないんです。しかし、中間少年、年少少年は五五年の警察統計が始まって以来、子供の年代に分けて始まって以来、今最大の数値になってしまいました。これはもう客観的事実です。特に低年齢化の問題があると思うんです。
 戦後の混乱期と比較して、例えば殺人なんかはそんなにふえていないよとかいう議論をする人がいるんですけれども、これはナンセンスです。あの混乱期の状況で、例えばかつて四十度熱があったことがあるから今三十八度だから平熱だと言っているような議論です。最近は平成から急カーブを描いて殺人も強姦も明らかにふえています。この事実はきちっと認識して議論していただきたいということです。
 それから、日本の少年犯罪の特色、これは図の五ですけれども、要するに中心が十四、十五だということです。それから、その次は十六、十七、中間少年だということです。そして何より、こう書いてみてよくわかるんですが、十二、十三も決して低くない。大人、三十代になると百七十三ぐらいですから、十数倍の率で中間少年、年少少年は犯す。
 一部の議論で、ある程度わかるんですが、年長少年が問題ではないかという御指摘もあるんですが、凶悪犯なんかは、先ほど見たように、やはり中間に抜かれているといっても年長少年の重みはあるんですが、私は世界的に見て、それと比較した観点から見ますと、日本の年少少年の犯罪率の高さというのは異常です。ただし、それが凶悪犯で特に高いというわけではなくて、逆送年齢を下げるかどうかに年少少年の率が高いということが直結するわけではないんです。
 ただ、私は、基本的には今回の与党案が妥当だという立場で発言をさせていただきますけれども、後でなぜ年齢を下げることが合理性があるかということは申し上げたいと思います。
 日本の保護を中心とした少年司法の運用なんですけれども、逆送が今問題になっていますけれども、もともと立法時に逆送を入れたということは保護一辺倒じゃなかったんです。立法時の議論を調べてみますと、やはり戦後の多発化する犯罪状況に対して刑事政策を考えて逆送というのを入れ込んでいった。事実、見ていただきたいのは図の八なんです。犯罪がふえるに応じて逆送がどんどんふえて、一番ピークが一一・二%です。要するに、全送致人員中の一一%、今逆送は〇・四九%ですが、一一%まで逆送を使ったんです。
 それで、その当時の凶悪化した少年犯罪に対応して、グラフを見ていただければわかるんですが、六〇年代後半、少年犯罪はある程度おさまってくるんです。しかし、少年法の前回の改正が始まるころと並行して逆送が落ち、保護観察も減り、少年院送致も減り、全部減って、結局何がふえたかといったら、不処分と不開始がふえたんです。
 そういう中でずっと進行して、七〇年代に入って、少年法改正の終わりに中間報告が出て、それから施設外処遇といいますか、施設内処遇を制限して社会内処遇に移行していくという流れの中で保護観察中心になってきた。その中で、先ほど見たように、検挙人員率というのは、ちょっと補正してありますけれども、一方的にふえ続けてきた、こういう流れが間違いなくあると思います。
 それともう一つは、この七〇年代に特筆すべきなのは、刑事処分をやめていったということと同時に虞犯も減ったんです。六分の一に落ちたんです。保護主義といって重大な犯罪を起こしても刑事罰にしないという、余り治療の必要がなければ長く入れないという面と、軽くても干渉をするという虞犯、例えば家出とか喫煙とか飲酒とかで少年院に送る可能性はあるわけですが、その虞犯が非常に減ってきます。その意味で、片面的保護主義と言ったのは、要するに干渉をしないという方向だけの保護主義、子供だから直してやろうという干渉は消えていくんです。その中で、基本的には少年犯罪はふえ続けた、凶悪犯罪は九〇年代までおさまっていたけれども、九〇年代から急速にふえ始めたという状況にあるということだと思います。
 あと時間がないので、五番ですが、「加害少年のみに着目した「保護主義」の限界」というところなんですけれども、少年の議論の中で、少年法制というのは保護が原則だ、現行の少年法は保護を中心にしている、それはそのとおりなんですが、ただ、保護だけではないんです、先ほど申し上げたように。刑事政策的な観点ももちろん入っている。
 確かに、少年はまだ完成前であって、将来もありますし、可塑性もあるし、大人と同じ処理にすべきだと言う人は与党も含めてだれも言っていないと思うんです。その中で、どの程度刑事責任、刑罰的なものを入れて考えていくのが合理的かということだと思います。そして、これだけ少年犯罪がふえて、例えば強姦罪なんかは少年犯罪ですが、十四歳の少年に将来があるというんだったら、では十歳の女の子が強姦されて一生負っていくトラウマというのはやっぱり一生続くわけです。それに対しては、いや、それは被害者の少女に対して国が手厚くお金を出してやって、そしてカバーすべきだという議論をするんだけれども、それは私は非常に危険な発想だと思います。
 お金さえ出せばいいといいますか、そちらでカバーすればいい、しかし、それによって被害を受けた、それからその親であり、周りが見ている正義感とか感情はどうなるんですか。そこを考えないで、片一方で保護だけを言ってきた少年法制というのは私は非常に問題があったと思います。それが今回ので転換が一部されるというのは正しいことだと私は考えています。やはりここの質疑でも出てきたと思うんですが、応報ということは少年法制にも全くなくなるはずはない、刑の重さが全く影響しないはずはないと思います。
 時間がないので、家裁の審判に関してちょっと申し上げたいんです。
 図の七、これはちょっと数字が間違っています、御指名いただいてから時間がなかったので慌ててつくったものですから。基本的にはこの図で大体いいんですが、審判不開始五六・九%です。不処分一七・二%です。いずれにしろ、家裁に送致された人間の四分の三は何もされないんです、審判不開始か不処分。不処分のときに一定の影響があることはありますけれども、しかしそのほとんどは処分されないんです。処分の中の圧倒的多数は保護観察なんです。
 このようになっていく議論は、やっぱりある意味では当然なんですね。少年のためには少年院に入れるのはよくない、なるべくその社会内で処遇すべきだと。それは少年のためだけだったらそうですよ。しかし、犯罪を犯した少年という部分が消えちゃうんです。犯罪を犯した部分はどうなるのか、それとのバランスを考えなければ。要するに、こういう方向になるのは、一つは家裁調査官の発言権が非常に強い。家裁の判断は裁判官がやっているはずなんですが、裁判官というのは動いていくわけです。それに対して、鑑別所技官とか家裁調査官というのはずっと常駐している、少年の側に立って少年を見ていく側の人、それはそれで正しい判断をされているんですが、一方当事者なんです。
 ちょうど医者なんです。患者を治さなきゃいけないという医者にちょうどこういう問題がある。殺人を犯した精神障害者が措置入院になると、出しちゃうんです。出さないと治らないと。また殺すんですよ。殺したらどう思うんですかと。私は医者だから、患者を治すことしか考えませんからそれでいいんですと言うんです。そういう議論もあるんです。それとある意味で似ていて、観察官の側は少年をいかによくするかしか考えません。というか、それプラス社会のことをもちろん考えて。今のはちょっとデフォルメしています。ですから、要するに片一方の側の判断だということなんです。
 それともう一つ、もう時間が切れちゃったので最後に申し上げたいんですが、アメリカで一九七〇年代から厳罰化の道を選び、その間、少年犯罪は減るどころか増加し続けたことは周知の事実であるとおっしゃった方がいるんです。これは事実が違います。
 図の九を見ていただきたいんですが、先ほど申し上げた犯罪の一番中心になるのは日本でいえば刑法犯です。指標犯罪、アメリカでは全部統計をとっていませんからその主要部分ですが、これも検挙人員数のデータは日本の法務省がまとめたものです。これを見ていただけばわかるんですが、七〇年代の初めに法改正を多くの州がやるんです、厳罰化するんです。その後、八〇年代から少年犯罪は安定したんじゃないんですよ、これでふえ続けたんですか。大人はふえ続けたんですよ、しかし少年は減ったんです。一部殺人を挙げて殺人はふえたとか言いますが、殺人だって一時期は減るんです。凶悪犯もこれに近いグラフです。
 ですから、議論をするときはデータをどう読むか。ほかのファクターを入れてこのグラフをまた読みかえるというのはいいですよ。しかし、犯罪がふえ続けているという言い方はこれは余りにもミスリーディングです。
 これで私の発言を終わらせていただきます。
 時間が超過して済みません。
○委員長(日笠勝之君) ありがとうございました。
 次に、村井参考人にお願いいたします。村井参考人。
○参考人(村井敏邦君) 村井でございます。
 私は、少年法改正法案、今回の法案に反対という立場から意見を申し述べさせていただくわけですけれども、その前に、少しこの改正法案の手続的なところについて御意見を申し上げたいと思うんです。
 私はたまたま現在、日本刑法学会理事長をやっておりますけれども、この厳罰化といいますか、手続面については議論をする時間的余裕があったわけですけれども、残念ながら今回新たに出てきた法案の内容については一切学会の方には議論をする暇がありませんでした。もちろん、意見を問うという形は出されていないわけです。さらには、法制審議会も通っておりませんので、そういった意味での十分な関係者の議論というのが踏まえられていないという点について、これは委員の方々にぜひとも今後の議論の中で徹底した議論をしていただきたいという要望を最初に言っておきたいと思います。
 その上で、私はレジュメを一応出してあります。簡単に私の言いたいところだけを書いておきました。少年法を改正する立法の妥当性という観点から私は意見を述べさせていただきます。
 立法をつくる場合に大事な点は、事実的な基礎があるかということ、立法事実というように言いますけれども、立法するだけの事実があるかということが問題になります。
 先ほど前田参考人の方から意見が言われました。なるほどごもっともな意見でもあるかと思いますけれども、凶悪化と少年犯罪の増加という点に関しまして、検挙率と掛け合わせての数値を出すということの是非については、これは議論を要するところです。したがって、その数値をもとにして議論をするということは差し当たり私は避けたいというふうに思っております。それは一つの見方としてはあり得ますけれども、ただそれの妥当性については議論を要します。
 いずれにしましても、仮に増加、凶悪化ということが一つの事実だとした場合で議論をしていきたいと思うんですが、第一に現在の少年法制定の背景に、前田参考人も言われましたけれども、非行の増加、凶悪化があったということですね。
 レジュメに、第二回国会、衆議院司法委員会での議事録の一部を、趣旨説明の部分を書いておきました。この中で、趣旨説明として、少年法を改正する法律案の提案理由の中では、最近少年の犯罪が激増し、かつその質がますます悪化しつつあるということで現在の少年法を制定する必要があるんだと。これからの新日本の建設に寄与すべき少年の重要性にかんがみ、これを単なる一時的現象として看過することは許されない、その際、少年に対する刑事政策的見地から、構想を新たにして少年法の全面的改正を企て、もって少年の健全な育成を期しなければならないということで現行の少年法が制定されております。
 したがって、現行の少年法というのは、まさに刑事政策的観点は全く無視しているわけではないという御指摘はそのとおりだと思いますが、それに加えて、単なる刑事政策的観点だけではなくして、少年の立場に立ち、少年を保護教育することによって現在の少年犯罪の激増と凶悪化に対応していくという観点を持っていたわけです。
 それが現実的に機能しているかどうかという点については、前田さんのような見方もございますけれども、他方で、前田さんの御本の中でも指摘されておりますけれども、いわば少年の年齢が上がるに従って率が下がっているということ、成人の場合には下がっているということが指摘されているわけですけれども、要するに少年法の仮に犯罪抑止効果ということで考えますと、二度と犯罪を犯さない人がふえているかどうかというのは非常に重要な点です。
 少年院を出た人の再犯率というのは低いというように言われております。この点は既に統計でもここの法務委員会の資料としても出されているところでもあると思いますけれども、こういう点から、元少年院長などには厳罰化で対応する必要はないという意見を述べている人が多いと思います。
 第二点は、少年犯罪が統計的に増加しているというので少年法改正論議がその都度起きてきているわけですけれども、その増加している重点というのが必ずしも時代によって同じではないということです。
 現在、低年齢化ということで問題にされております。確かに、低年齢の少年層の問題というのはあるだろうと思います。しかも、いろいろその都度重大な犯罪などが起きたりすると、まず低年齢少年に対して対応しなければならぬという意見が出てきます。しかし、果たしてそういった形でのそれぞれの時代の移り変わる状況にその都度応じた改正論議というのが将来を展望したものであるか、この点については私は大変に疑問を持っています。
 それから、少年非行、少年の質的変化ということが議論されています。これは、凶悪化、強盗罪がふえている等も一つの論拠になっておりますけれども、数的に果たしてそういうことなのかどうなのかということについては、私自身は疑問を持っております。強盗として認定されているものの中身を見なければいけないということを考えます。その点で、むしろ現在のところ問題になっているのは、種々、十七歳の少年の事件等々大きな事件が起きる、そこで大変に社会的衝撃を与えているというところからそういった事件の解決といいますか、事件を契機として改正論が出てきたというように考えています。それは果たして長期的展望を持ったものかという点について疑問を感じております。
 それから、仮に低年齢少年による非行が凶悪化しているんだ、犯罪が凶悪化しているんだということが言えたとしても、それが直ちに少年法改正を根拠づけることができるのかということが問題になります。立法の妥当性という点で考えてみますと、凶悪犯罪を犯した低年齢少年に対して少年法が対処し得ないということが科学的に証明されなければならないこと、少年法以外に適当な対処方法がほかにある、その方法が少年の保護という観点から妥当であることなど、現行の少年法以外に実証的なデータが示されていないということです。
 そういった意味で、むしろ現在の低年齢少年の犯罪に対して、果たして刑罰をもって対応するのが妥当であるかということを考えてみますと、今回の改正法案の中でも出てきておりますけれども、例えば逆送をして、十六歳未満の少年を少年院に収容して刑罰を科すという形で矯正教育を行うんだということですけれども、刑罰というのは現在懲役刑ですね。懲役刑というのは労働を科す、作業を科すということになっております。この作業を科すということを低年齢の少年に対してするのか、これは大変に問題が大きいわけですね。
 低年齢少年に対する労働作業として強制的に科していくということは、これは従来の我々の考え方とはかなりかけ離れているものです。むしろ、こういう少年には教育こそ必要です。その教育をやってきたのがまさに少年院という場であって、少年法の精神であるわけです。低年齢でいろいろ問題を起こす少年に対して教育を施すということこそ最も重要な点になるかと思います。それを刑罰というのは逆行させる形になる、むしろ問題を深めることになるだろうというように考えています。
 それから、ちょっと時間がもうありませんので他の点は省きまして、法案の具体的な問題点について二、三指摘をしておきます。
 第一は、逆送、検察官に送って刑事処分を受ける少年をふやすということは、むしろ少年の問題を早期の解決ということから困難にしてしまう。特に、長期刑を選択させる、無期刑を選択させるというような改正によっては少年の立ち直りはかえって困難になるだろうということが予想されます。
 それから、原則的に十六歳以上の少年に対しては原則逆送させるということについては、これは捜査段階を変質させることになるのではないかということを危惧します。逆送が原則であるということになりますと、捜査の段階から刑事的な観点からその少年を取り調べる、捜査を行うということになる。少年の特殊性への配慮が失われていくのではないかということを懸念します。その意味で、捜査を通じ、審判の過程も含めて少年手続の刑事手続化が一層進むことによって、まさに少年法、少年手続というものが大きく変質することになるだろうということを今後の少年法のあり方を考える点から大変に危惧を感じます。
 何といっても、低年齢少年への刑の執行というのは、処遇現場にこれが実施された場合の混乱というのはかなり予想されます。処遇現場は大変に当惑しているということを聞きます。
 そういう点を考えますと、今回の法案の中に盛られている基本的な厳罰化、刑罰化という方向については、私は、これからの将来、長期的な展望に立った少年法の問題を考える上から大変に危惧を感じていると言わざるを得ません。
 もう時間になりましたので、終了させていただきます。
○委員長(日笠勝之君) ありがとうございました。
 次に、山田参考人にお願いいたします。山田参考人。
○参考人(山田由紀子君) よろしくお願いします。
 私は弁護士ですので、少年事件付添人をやってきた経験と、それから最近ですけれども、特に被害者の権利が叫ばれるようになりまして、被害者側の代理人ということも多くなってまいりました。そのことと、昨年まで一年間、アメリカで少年司法を見てきましたので、それを踏まえながらお話しさせていただきたいと思います。
 私からは、主として規範意識という問題、それから少年の責任と被害者の権利の関係、これについて述べていきたいと思うのですが、ちょっとその前に別の参考人から出たお話について若干触れさせていただきたいと思います。
 前田先生から統計についてのお話がございましたけれども、私は、少年事件は凶悪化もしていない、低年齢化もしていないというふうに考えております。詳しく述べませんけれども、例えば皆さんのお手元にあります参考資料、資料編の五十二ページに前田先生の論考が書かれておりますが、すぐその隣、五十三ページには全くそれと正反対の結論の出る東大の廣田先生の論考が載っておりますので、後でお読みいただければと思います。
 それから、アメリカの少年犯罪の実情ですけれども、先ほど厳罰化の結果減ったのだというお話がありましたが、統計のとり方が違いますので、原因は私は申しませんけれども、私の手元にアメリカの司法省の統計資料がございます。同じく十歳から十七歳まで、これはバイオレントクライムということで暴力犯罪についての統計なんですが、明らかに八七年からつい最近、九四年になって減るまでの間増加し続けている。各犯罪ごとの、殺人、レイプ、それぞれのグラフも載っております。残念ながら、私はここは反論するつもりじゃございませんでしたので、皆さんのお手元の方にこれが行っておりませんから、もしよろしかったら回覧していただければと思います。
 それでは、本題に入らせていただきます。
 まず、規範意識ということが今提案者の方で問題視されています。少年に悪いことをすれば厳しい処罰があるのだぞということを示すことによって非行をなくすということだそうですけれども、非行少年が規範意識というものをどのようにとらえているのか、二つに分けてみたいと思います。
 一つは、いきなり型非行と呼ばれる、今までほとんど非行歴のない少年についてです。
 実は私も、今までいい子だいい子だ、学級委員もやった、生徒会副会長もやった、そのように言われてきた少年がある朝学校に行く前に台所で包丁を持って母親をめった刺しにしてしまったという事件を担当したことがございます。幾ら調べてもいい子だいい子だという話しか聞こえませんし、本人と会っても本当にそのような印象なんです。私は本当に付添人としてどうしていいかと思いましたが、鑑別所に行きまして鑑別結果が出たときに非常に鋭い指摘がございました。ちょっとその内容を御紹介したいと思うんです。
 少年は、幼いころから周囲にいい子と思われようとして、常に自分を周囲に合わせてきた。学級委員になったのも生徒会副会長になったのも、教師や親の意向に自分を合わせ、いい子と思われたかったからで、自分から選び取ったことではなかった。常に周りの意向を気にする余り、自分が本当は何をしたいのかと自分の内面を見つめることがなく、したがって自己と他者の対立というものも深く自覚しないままに成長してきた。思春期に至り、いつまでも他者に合わせてばかりはいられない自我が成長してきた。にもかかわらず、少年には他者、殊に母親との対立、葛藤を意見の違いを前提として乗り越える問題解決能力が養われておらず、ひたすら葛藤を避けることしかできなかった。その結果、無理なひずみがある日突然無視できないほどに大きなものとなり、少年はパニックに陥ったように本件殺人を犯すに至ってしまったのである。
 私はこれを読みまして、正直申しましてぞっといたしました。私も三人の子供の母親なんですけれども、うちの子供も含めて、ここに書かれていることは日本のほとんどの普通に学校に行っている子供たちに当てはまることなんです。
 この事件の家庭裁判所は次のような決定を出しました。本件非行に至る原因として、少年の対人関係の持ち方や自主性、主体性の欠如に起因する問題解決能力の低さなどの性格上の問題点を指摘することができ、これらの問題点を改善して社会適応能力を高めさせることが少年にとって必要不可欠と考えられる。したがって、少年に対しては、刑事処分をもって臨むよりも保護処分に付し、今後の健全育成に期するのが相当であると。キーポイントは自主性、主体性なんですね。
 このような今までいい子と言われてきた少年は規範意識というものは持っています。何が問題かというと、大人たちの規範に自分を無理やり合わせようとする、そのためにむしろ主体性、自主性を失ってしまっている、それが非行に結びついていると言えると思います。
 先日、不登校の子供たちと一緒に少年法を考える会がありました。そのときに、今は不登校から立ち直りまして活発に前向きに生活しているある少年が言っていました。佐賀のバスジャック事件の少年が親に病院に入れられようとしたときに、親に対して覚えてろよという言葉を言ったそうだけれども、自分はその言葉がよくわかる。自分も不登校だったときに、学校に行けないのはおかしい、病気じゃないかと言われて、カウンセリングを受けに連れていかれたり病院に連れていかれたりした。そのときに同じ思いを持った。今振り返ってみると、自分はただ自分色でいたかった。僕はただ僕色でいたかっただけなんだ。それなのに、どうして大人たちは無理やり僕のことを大人色に染めようとするんだ。少年法もそうだ。子供の声なんかちっとも聞かないで、勝手に大人たちで決めて大人色に染めようとしている。そのように言っていました。
 私は、このような日本の子供たちにさらに厳しい規範を示すことは、何ら非行防止に役立たないだけでなく、かえって子供たちの閉塞感を強めて、いきなり型非行をふやしてしまうのではないかと恐れるものです。
 次に、一応従来型といいましょうか、万引き、バイク窃盗、それから非行グループ、暴走族、そのようなルートをたどるような通常の非行少年について考えてみたいと思います。
 彼らに規範意識が欠けていること、それを養わなければならないことについては私も全く同感です。ただし、その方法については厳罰がそれに結びつくとは思いません。なぜならば、彼らの規範意識が欠けている原因は、一つには彼ら自身が被害体験を持っていること、暴力的な環境で育ってきたことにある。もう一つの原因は、規範が単に上から彼らを縛るものとして与えられているだけであって、彼らの内面から規範が育つように仕向けられていないということです。
 従来型の非行少年の多くは、いじめあるいは恐喝の被害、体罰、親からの虐待をたくさん受けています。皆さんのお手元にあります資料では、二〇〇〇年四月二十八日の読売新聞で、警察庁の調べで補導、逮捕された少年の八割がいじめや犯罪被害に遭っているという資料があります。また、アメリカの統計では、殺人犯五十三人のグループ中八五%は子供のころひどい虐待を受けている。また、その他の重罪犯人についても八五%に虐待の体験が見られた。日本におきましては、笠松刑務所の女子受刑者についての調査があるんですが、その七割が性的虐待を受けた体験を持っていたという資料があります。
 このような体験を持っておりますと、例えば少年がいわゆるカツアゲをやって相手を怖がらせたりけがをさせたりしましても、この程度のけがは、この程度の恐ろしさは自分だって体験している、自分はもっとひどい目に遭ってきた、そんなに大したことではないと思ってしまうわけです。自分がなれっこになっているからです。
 また、彼らは規範というものは学校や親から教えられてはいます。ただし、先ほども申しましたように、決まりは決まりといったぐあいに、なぜそのようなルールが出てくるのかということを教えられることなく上から与えられているために、身についていないということです。
 そもそも規範とかルールとかいうものは、まず自分自身が大切だと思えて、そしてそれと同じぐらい他人も大切だと思えるところから初めてそれを守る気持ちが生まれてくるものです。自分自身を大切に思えない人間は当然他人を大切にも思えず、他人のためにルールを守るということにも結びつきません。五月以来、メディアで取り上げられた大きな殺人事件、十七歳、十四歳、そういった子供たちの特異な殺人事件が世上をにぎわせているわけですけれども、その事件の中にほとんど自己破壊行為であったような殺人が多々見受けられたのもこれに等しいと思います。
 話は変わりますが、皆さんは盲導犬というのがどういうふうに育てられるか御存じでしょうか。盲導犬というのは生まれながらにして厳しいしつけを受けるわけじゃないんだそうです。一年間は里親に預けられて徹底的にかわいがられる。その間は厳しい訓練などはしないそうです。そうすることによって人間に対する信頼感、これを十分に養う、人間は安心できるものなんだと。その上で厳しい訓練をして初めてあの非常に忍耐強い、人間に優しい盲導犬が生まれるんだそうです。私は人間も同じだと思います。
 厳罰化するということは、学校に例えますと、校則を厳しくしてこれを破ったら退学処分にするということに似ています。しかし、学校現場で校則を厳しくすることによって子供たちの規範意識が養われたでしょうか。そうではなく、例えば年間十三万人の不登校児、十一万人の高校中途退学者を出しています。学校の閉塞感がこれらを生んでいるわけです。そのため、厳しい校則につきましては、文部省は八〇年代終わりから一貫して何度も校則の見直しをするようにということを言っております。この同じ過ちを繰り返すべきではないと思います。
 また、厳罰化で有名なニューヨークですけれども、確かに立法者は票をとらなければなりませんので、被害者の声が上がりますと、それにこたえるように次から次へと厳罰化の立法をつくりました。しかし、草の根で少年と接している人たちは全くこれとは別な行動をとっております。これは裁判官もしかりです。
 マンハッタンの刑事裁判所にコリエールさんという有名な裁判官がいます。日本の「家栽の人」のような裁判官が何と刑事裁判所にいるんです。この方は、更生の可能性のある子供を次々とケーシーズという社会処遇をして教育をする施設の方にダイバートさせています、リバージョンさせています。アメリカについてはそういう草の根の運動も知っていただきたいと思います。
 次に、被害者の権利と少年の責任についてです。
 私は少年事件でこういう事件を担当しました。ある少年が路上でガンをつけられたということで、暴走族風の少年を刺してしまったんです。事実関係に争いがありましたので証人尋問をいたしました。証人が審判廷に来て裁判官の質問に答えるとき、その内容は、まず彼は暴走族でも何でもなかった、まじめな学生だった、そしてまた証言の姿勢もいたずらに少年を責めるとか非難するとかそのような態度が全くなく、淡々と公平に事実ありのままに証言していた。
 その顔を横から見ていた少年の顔色が見る見る変わっていきました。あっ自分はとんでもない間違いをしたんだということに気がついたようです。そして証言が終わって証人が立ち去るとき、少年は自分から立ち上がって深々と頭を下げました。証人の方もそれを受け入れてくれました。
 最近は論文でもまたマスコミでも紹介されていると思いますので皆さんも御存じと思いますが、近年、全世界では修復的司法という考え方が各国に広まっております。今十九カ国で実施されておりまして、ヨーロッパで九百、アメリカで三百のプログラムが実施されています。
 この修復的司法という考え方は、犯罪を地域の問題としてとらえる、被害者と加害者と地域とでその回復力をもってみずから修復をしていく、このような手法をとるわけです。
 具体的には、市民ボランティアが司会者となりまして、被害者・加害者調停といって、調停というと一対一のイメージかと思いますが、一対一の場合もありますし、少年の場合ですと親が付き添ってくるので人数がもう少しふえる場合もある。さらに大規模なものとしては、地域の人が参加する、三十人、四十人、時には百人というのもあるそうです。
 なぜそんな大勢で参加するかといいますと、例えば、被害者なき犯罪でも、薬物中毒の少年に対して地域の人が、いや、実はおれも若いころやっていたんだよ、だけれどもそのおかげで家族はめちゃめちゃになったし、自分も大変なマイナスだった、だから君にはそういう人生を歩んでもらいたくないから、だから僕はここに来たんだよという、見ず知らずの地域の人がこのカンファレンス、修復的司法に参加するということもあるわけです。
 少年事件の場合、特に少年の可塑性の点で効果があるというふうに言われています。被害者は、ここで自分がどんなにこの事件でつらい思いをしたか、あるいはその後も後遺症等でどんなに苦しんでいるかということを話すことができます。少年の方は、やってしまったことはいけないことなんだけれども、そうなってしまうについてはこんな事情があったのだということを話したり、今どんなに後悔しているか、反省をしているか、そういうことを話すことができます。
 被害者は通常、加害者というものは悪魔のような凶悪な犯罪者というふうにイメージしているものなんですが、実際に会えばそれは弱いところのある生身の人間であることがわかります。そのような話し合いによって、二人の間、あるいは地域の人も参加する中で、少年が立ち直るためには、あるいは償いをするためにはどのようなことをしたらいいのか、被害者はどうしてほしいのか、これを話し合いまして、最後にこれを書面にしてまとめます。時にはそれをしっかり約束どおり守るかどうかを二回目の会議を開いて確認いたします。フォローアップするということです。
 今、この少年法改正論議の中では、被害者の権利と少年の厳罰化ということがいわばシーソーゲームのようになっている面があります。これは非常に悲しいことだと思います。被害者自身も決して厳罰化そのものを望んでいるわけではありません。ただ、今のように実質的な手厚い、心からの被害者へのケアがない中では厳罰化ぐらいしか言うことがないという悲しい状況に置かれているのが実情だと思います。
 私は皆さんにぜひともこの修復的司法というものを考えていただきたい。そして、これは皆さんのお手元の文書、ペーパーにちょっと書いておきましたけれども、四カ国における詳しい調査研究の結果、被害者の九〇%が満足している。それから、少年の更生につきましては別紙二を見てください。これまでの衆議院、参議院の議論の中で、厳罰化が果たして犯罪抑止に効果があるのかどうかはわからないという状況になっていると思います。しかし、修復的司法は明らかに更生に効果があります。上の欄、メディエーションと書いてあるのが調停を経て被害者と対面した少年たちの再犯率です、一九%。これを行わなかった同程度の犯罪、同年代の少年が比較されたグループで二八%です。計算しますと三二%、修復的司法の経験をした少年たちは再犯率が低いということが言えます。
 時間ですので、私からは厳罰化よりも修復をということを強く申し上げて、終わりとしたいと思います。
○委員長(日笠勝之君) ありがとうございました。
 以上で参考人の意見陳述は終わりました。
 これより参考人に対する質疑を行います。
 質疑のある方は順次御発言願います。
 座ったままで結構です。
○佐々木知子君 自民党の佐々木知子でございます。
 きょうは、三人の参考人の先生の方々、どうも本当にお忙しいところ、ありがとうございました。
 私は実は国会議員になるまで十五年間検事をやっておりまして、現場で少年係もやったことがございます。
 非行なり犯罪なりと一口で言いますけれども、本当に軽微な、一過性の万引きですぐ立ち直るような子もおりますし、もうこれは少年犯罪とは言えないんじゃないか、それはもう枠組みを超えたような残忍非道の強盗殺人というのもございます。だから、どういう少年の非行や犯罪を見るのか、そしてまた原因も非常にさまざまでして、もう一口ではとても言えない。
 保護だと言われている方と、それから厳罰化だと言われている方と、いろいろ意見は分かれていますけれども、そのどこを、少年のどういう犯罪を見ているのか、どういう少年を見ているのかでどうも違っているんじゃないかな、同じものを見ていないんじゃないかなという感じも時々するわけです。
 被害者の保護ということが最近はよく言われております。被害者の保護というのは、金銭的な補償がまず一つ、前田先生がおっしゃいました。それから、心のケア、山田先生もおっしゃいました。それから、刑事司法手続における地位の保障、この三つの側面があると言われておりますけれども、私は、この三つがもし満たされてもなお、これも前田先生が言われましたけれども、被害者なり遺族の正義感情というのは古今東西、人間が人間である限りはやはり満たされなければならないであろう、報復感情というのはどうしても残るであろう、少年法といえども応報、刑という感覚を抜きにしては語れないはずだと私は思っているのであります。
 時間の関係で、どうも前田先生はまだおっしゃり足りないところがあったというふうに思いますが、日本の今の少年法はアメリカの国親思想をもとにしてできているというのは皆さん御周知のことでございますが、果たして先進諸国、例えばイギリスなりドイツなりフランスなりではどのように少年が刑事司法の中で扱われているのかというようなことについて、もし参考に聞かせていただけることがございましたら、前田先生、よろしくお願いいたしたいと思います。
○参考人(前田雅英君) 先ほど時間が足りなくて一番申し上げたかったところがちょっと落ちているので、今のお言葉をおかりして補足的に申し上げます。
 さっきの山田先生の中で私のとずれていると言われたのは、それは明らかにバイオレントクライムのことは私は申し上げていませんので、インデックスクライムのことを申し上げているので、一番主たる統計を見ていただきたいと言っているだけです。
 外国の、あるいはアメリカが一番保護主義だと言われていましたけれども、先ほど申し上げたように一番ある意味で厳罰化して、七〇年代の頭に厳罰化しています。国によってさまざまなので。ただ、私その部分の御下問があるということで用意してきておりませんので、データその他きちっとしていないのであれですが、国によっていろいろあって少年問題は非常に苦労している。
 今一番悲惨なのはドイツで、総体的にイギリス、フランスなんかの方がうまくいっていると聞いています。ただ、それがうまくいったかどうかというのは、先ほどの両先生のお話にもありましたけれども、単純に厳罰化だけではないと思います。社会の力とかですね。
 ですから、私も、単純に厳罰化という言葉ですとあれですが、十四歳に逆送を下げることがなぜいいか、それから重大犯罪は原則逆送とすることがなぜいいかといいますと、先ほど申し上げたように、異様に低い少年院送致率なんです。要するに、十六歳だって今逆送されている人間なんてほとんどいないんです。これが十四歳に落ちたからといって、そんな厳罰化して、十四歳が少年刑務所とか少年院に送られる確率は非常に低いと思うし、ただ少し送致の基準が動いていっていただくことが大事だと。
 なぜそうかというと、裁判官の法的な、要するに先ほど先生も御指摘になった応報とかなんとかも踏まえた判断が調査官とか少年の側に立った方々の議論に引きずられ過ぎていて、司法という観点から、刑事司法も入った司法という観点からの落としどころからいってちょっとずれてきていると。
 ただ、現に逆送は一一%もあったわけですからね。そのときに犯罪は現におさまっていったわけです。それによってそんなに弊害が起こったというわけではないんです。それをもうちょっとまた引き戻すには、私はもう最高裁がどうこうというのじゃなくて、年齢を引き下げるという宣言的な意味というのは非常に大きいと思いますし、それによってそんなに少年が厳罰化で厳しい校則で縛られるみたいな話とはまるで違う。具体的に構成要件を細かくしてとか刑の重さを重くするとかという、そんな単純な問題じゃないと思います。全体としての司法運用の軸をどちらに少し動かすかという問題だということを申し上げたかったんです。
 外国の件は不十分で申しわけないんですが。
○佐々木知子君 私はこれで結構です。
○竹村泰子君 民主党の竹村泰子でございます。きょうはお三人の先生方、御多用中のところ、ありがとうございます。どうぞよろしくお願いいたします。
 先ほど山田先生が規範意識ということをおっしゃいました。私も十一月九日のこの法務委員会の質問の中で、少年の規範意識を強化するということで少年法をお変えになるというか、そのほかの理由もあるんですが、一体、規範意識を強化するというのはどういうことなんでしょうかというふうにお尋ねしたんですが、大臣からも、それから提案者の方からも満足なお答えは余りいただいておりません。私どもも、子供が一個の人間として尊重されるということとは全く逆の発想のような気がしてならないわけでございます。
 それともう一つは、厳罰化という言葉がよく使われます。少年法を厳しく低年齢にも対応できるようにするということでありますが、少年法の今回の改正によって再犯を防止すること、あるいは規範意識を強化することができるというふうにお考えかどうか、できればお三方の先生にお伺いしたいと思います。
○参考人(前田雅英君) 規範意識の強化ということを法務大臣がどういう御趣旨で使われているかというのは私はちょっと存じ上げないわけですが、ただ私は、自分の考え方としては、やはり少年法の改正によって規範意識の強化をすることが必要であるという立場をとっております。
 これは、さっきちょっと出た、要するにもう中学、高校になってから教え込んでということではなくて、社会の中で全体として悪いことをしてはいけないというようなことも含めて、非常にすそ野の広い問題だと思うんです。
 今、少年は何をやっても許されるというような雰囲気がかなり蔓延している。この間、酒を中学生に売って捕まったというような話がありますけれども、そのいろんなすそ野を含めた意味で、少年が悪いことをやってはいけないというそのシステム、これを少し軸をずらしてきちっと確立していくということが私は今一番大事なことだと考えているということです。それは決して少年に愛情を持って接するということと全く矛盾しないので、やっぱり厳しくして、やってはいけないことを小さいときから教えていくということが非常に重要なことだと思います。
 再犯防止という問題は、犯罪抑止という意味ではほんの一部なんですね、特別予防と一般予防という二本柱のうちの再犯防止ということで。再犯防止にとってある程度厳しい対応が効果があるか、より甘い対応、優しくすることが効果があるか、これは非常に難しいところだと思いますね。
 ただ、私は十四歳に下げることがその年齢の再犯を防止する率を高めることをねらっているわけではないと思います。それをやったからといって、再犯率が異常に高まるということもないと思います。
 よく保護観察と少年院で再犯率が違うとか、刑務所に入れたときの再犯率が違うという議論がありますけれども、あれは出てからどれだけの期間の再犯率かとかそれをきちっと見なきゃいけないし、それから入ってくる人の資質が違いますから、ですからそう簡単には比較できないと思いますが、その再犯の防止だけで判断をするというのは誤りだと思います。
○参考人(村井敏邦君) 規範意識とは何かというのは、私もよくわかりませんけれども、規範意識を覚せいさせるために少年法を厳しくするという議論が出されます。その規範意識を覚せいさせる効果というのは少年法にあるのかどうか、私自身はその点はよくわかりませんけれども、むしろ少年法というのは、少年の行動の実質に沿ってこれを考えていくというのが少年法の本来の中核ですので、そこで厳しい模範を示すことによって現実の少年自身の犯罪だとか非行を防止するというよりか一般社会に対して規範を示すんだというのは、ちょっと少年法が本来果たすべき役割とは違うというふうに思います。
 規範なりしつけというふうに言われているのは、それはやはり社会全体の問題であるわけでして、社会全体がどのように考えていくかということで考えるべきことであって、一少年法によっていわば宣言的に、刑罰の宣言的効果を強調する形で改正するというのは、これは決して社会全体の規範の醸成にもならないというふうに私自身は考えております。
○参考人(山田由紀子君) 私にとって規範とはどういうものかというのは先ほども申し上げたと思います。改正案における規範というのは、言ってみれば、非常に砕けた言い方で済みませんが、子供に向かって、あんたそんなことをするとお巡りさん呼んでくるよとか、お巡りさんに怒られるよと言うのと同じだと思うんですね。
 しつけとか子供の教育とかというときに、子供をしかるときに、あのおじさんに怒られるよとか、お巡りさんに捕まるよとか、そういう怒り方をしてはいけないと私は学んできました。いけないことはいけない理由をちゃんと言う。人に迷惑がかかるからとか、ごみが散らかるから、だからだめなんであって、お巡りさんに怒られるからだめなんではないんだということが大事だというふうに思っております。
 先ほど、再犯のことも出ていましたけれども、非行少年というのは、例えてみれば、もともとは人間にかわいがられる飼い犬だったものが、いろんな環境の中で野犬のようになってしまっている状態と言ってもいいかもしれないと思うんです。その野犬をおりに閉じ込めるだけでは、何年閉じ込めても野犬のままなんですね。野犬がもとの優しい犬に戻れるのは、もう一度初めから愛し直してあげて人間に対する信頼感を回復して、それで初めて優しい、人間に人懐こい飼い犬に戻れるので、刑罰で幾ら閉じ込めても心の中にある非行の原因というのは回復しないと思います。
○竹村泰子君 ありがとうございます。お聞きしたいことはたくさんあるんですけれども、もう間もなく時間制限でございますので。
 山田先生が修復的司法のことをお話しくださいまして、私も大変関心を持っております。先日、アンブライト教授もお見えになっていろんな集まりが開かれていたようですけれども、もう少し前でしょうか、アメリカのNGOのアミティという、修復的司法といいますか、被害者と加害者が向き合って、さっき先生がおっしゃいましたように、いろいろな地域の人たちも一緒になって修復的に更生できる方法というふうなお話がございましたけれども、時間が許す範囲でそのことにもう少しお触れになっていただきたいという気持ちがございますが、どうぞよろしければ。
○参考人(山田由紀子君) 日本で修復的司法の話をいたしますと、それは財産犯であるとか軽微な犯罪については役立つかもしれないけれども、殺人事件等の重い犯罪については無理なのではないかとか抵抗があるとかというお話をよく伺います。しかしながら、修復的司法の考え方そのものは軽罪であろうと重罪であろうと同じように適用が可能であります。これはアンブライトさんが非常に強調するところなわけです。現に、アメリカにおきましては、九つの州で既に殺人等の重罪についての修復的司法が実践をされております。
 ただし、違いがどこにあるかといいますと、準備の必要性です。アンブライトさんは講演の際に、修復的司法には三つの重要なポイントがあるとおっしゃいました。一に準備、二に準備、三も準備だと。要するに準備がいかに大事かということなんですが、これが初犯の万引きだとか窃盗だとかというときの準備と重い殺人事件とでは、全くこれは準備の程度、長さ、期間が違うわけです。
 ですから、アンブライトさんが実践されてアメリカのニュースで報道されたものは、これは九年間、息子さんを亡くされたお母さんが心の痛みを抱えて、心理的なケアなども受けて九年耐えた末に、御自身がもうどうしようも、ほかにとる手がない、思い切って加害者と会ってみたいということで、刑務所の中で加害者と対面をいたしました。決して、もちろん心から許すなんというのはなかなかないことです、まれにはありますけれども。しかし、その彼女が言うんですね。私の子供も、あの子は優しい子だったから、私はまだ許すという言葉が出てこないけれども、天国で、お母さんもういいよ、許してやんなよと言っているような気がしますと、最後にそのお母さんは言いました。
○竹村泰子君 ありがとうございました。
○魚住裕一郎君 三人の参考人の先生方、ありがとうございました。
 まず、山田参考人に今の修復的司法について引き続きお聞きをしたいのでございますが、確かに私どもも、少年法改正の問題とは別個にいたしまして、被害者への配慮あるいは心の傷のケアといいますか、そういう側面と、少年の更生、社会復帰にとって物すごく大きな方法論だなというふうに思っておりまして、法務大臣や総理にも進言をし、どうやったらうまくそういう制度といいますか組み立てができるんだろうかということをずっと今考えているところなんですね。
 多く当たってこられまして、先ほどヨーロッパでは六百ですか、そういうプログラムがあるということでございますが、日本でも弁護士会等を中心にしながらボランティア的に一生懸命やっていくことは可能であろうと思うんですね、あるいは少年院とかそういう形で関与しながら。ただ、もう少し行政の立場からといいますか、もう少しかっちりしたそういうような制度というものをやはり組み上げていかないといけないんじゃないかなと。要するに、NGOとかそういうボランティアにお任せしているだけでは、やはり将来に対する大事な財産である、財産と言うと怒られてしまいますが、将来を背負っていく少年に対するものとしては、現大人の世代としては無責任ではないかなというのが私の考えなんです。
 具体的に、修復的司法の制度面といたしまして、先生はこんな少年法の改正よりも修復的司法だよとおっしゃいますけれども、具体的に何か、そういう立法論として、修復的司法としてお考えがございましたら、ちょっと御示唆いただければと思うんです。
○参考人(山田由紀子君) 修復的司法の司会者をだれが担うかという問題で、私は、理想型としては、どこの司法関係でもなく真っさらな状態の市民ボランティアが望ましいであろうというふうに思っております。
 ただ、御指摘のように、暫定的に各機関が修復的司法に近づける努力というのはできるわけで、やるべきだと思っておりますが、理想型を考えた場合に、アメリカのように草の根からNGOが生まれてくれればこれはこれでいいわけですが、やはりそういう基盤が非常に少ない日本におきましては、先生がおっしゃるように、司法機関で協議をして、やや司法のルートとは別なところに置くべきですから、例えて言えば、法律扶助協会のような、司法と関係あるんだけれども、公益法人として、距離を置いた組織としてつくって、そして例えば家庭裁判所は適切な事案であると見ればこの法人に少年事件協議を依頼する、委託する。ここはここで事前準備をしてみて、双方がぜひ対面しようということになれば実践する。この法人というのは、家庭裁判所も利用できる、それから保護観察所も利用できる、少年院も利用できると、どの時期にやってもいいわけですから。こういうことができたらいいなというのが私の夢でもあります。
○魚住裕一郎君 今回、法改正では傍聴は入れていないんですが、余りにもホットな状況のままで被害者側の、例えばおやじさんとかが犯罪をやったという少年を目の当たりにすれば、ホットな状態だから本当に大変なことになりかねないということになるわけですが、時間がたてば冷静になってくる。しかし、いずれにしてもかなり高度な心理学といいますか、人間理解が深まっている専門家といいますか、そういう方が必要なのではないのかなというふうに思うんです、調停役の方が。協議に立ち会う方、もちろん今お話がありました、地域の方々も多数立ち会っていいんだと。だけれども、そのコーディネートする人はやはり少年犯罪とかそういうところに相当の理解をされている方じゃなきゃいけないと思うんですが、その専門家養成について何かお考えはございますか。
○参考人(山田由紀子君) 日本ではよく言われる御指摘なんですね、心理学等の専門家でなければと。しかし、アメリカを見ておりますと、これは国によってはややそういう専門家がやっているところもあるんですけれども、アメリカではほとんどボランティア市民です。
 それで、どのように訓練するかと申しますと、きちっとしたたくさんの事例、たくさんの経験に基づいたマニュアルがございます。ですから、非常に謙虚に、このメディエーター、司会者はここまでしかやってはいけないと。決してカウンセリングするんじゃないんです。ですから、今御指摘のあったような、まだかっかしている、憎くて憎くてしようがない、どやしつけてくるというような方であった場合には、もうそれだけでこの状況ではまだまだ修復的司法になじまない、この件は遠慮しとかなきゃいけないと、こうなるわけです。ですから、何もそれを説得して、おとなしくさせて、そして対面させるということではない。
 それから、対面することそのものに意味があるわけではないんです。準備が大事だというのはそういうことで、お互いが人間関係として修復の可能性を持っている状態まで準備ができている、あるいはその準備をある程度はしますよ、メディエーターも。それで、プログラムの説明とか、ほかの人たちもやってとてもよかったと言っていますよということとかで励ましてあげる、そうじゃないと被害者も加害者も相手に会うだけでも怖いですから。励ましてはあげますが、その状況を変えるというようなことは一切いたしません、それは明確にそういうことが必要な被害者であった場合には心理的ケア、被害者支援の方に回すということがはっきりしておりますから。
 そうであれば、三日間の研修が大体多いです。三日間研修を受けます、このマニュアルに基づいた。ロールプレー等で実地にやってみます。一応、三日間で資格を取ります。その後どうするかといいますと、さっき挙げたような法人の運営センターみたいなところがあるわけですね。ここに入りまして、非常にキャリアのある方とペアで半年間実務訓練みたいな形で学ぶわけです。それで、半年やって初めて今度は一人でメディエーターができるようになる。
 こんなふうですので、専門家というのは逆に、私も弁護士ですけれども、弁護士ですと法律的にどうこうしてやろうとか、医者だと治してやろうとか、こういう目的を持ってしまうんですよ。アンブライトさんたちが非常に強調していましたのは、自分自身をセットバックしなければいけない、控え目に、存在感としてあくまでも被害者と加害者が主人公、私はその人たちが話しやすいように促してあげる、安全な場所、話しやすい雰囲気をつくるのが私の仕事です、それ以上はしませんとおっしゃっています。
 その謙虚さを保つには専門家であることは逆にマイナスなことが私は多いと思いますので、謙虚な素人、私は何もわかりません、だからマニュアルに忠実にやりますという方が望ましいと思っております。
○魚住裕一郎君 ありがとうございました。
 引き続き、いろいろまた御教示いただきたいと思います。
 それで、村井参考人、先生のレジュメの中で抗告権付与ということがあるんですが、これは抗告権は付与というような改正案じゃなくて抗告受理申し立て制度というふうになっておりますが、それでも同じ御意見でしょうか。
○参考人(村井敏邦君) 抗告受理申し立てというのは、抗告をすることができなければ受理申し立てというのもできないのではないかというふうに思うんですね。職権によって受理を受け付けるということなんでしょうけれども、検察官がその申し立てた抗告に対してそれを受け付けるということですから、抗告権というのとどこが違うのかと、私はちょっと理解しかねるところがあります。その意味で、少なくとも受理申し立て権があるということですね。受理申し立て権と抗告権というのはどこが違うのかというのは法案を拝見してもよくわからないんです。
○魚住裕一郎君 では、結構です。上告受理申し立てという制度もまた別途あるわけでございますから、それと類推した形で立法されたものというふうに考えております。
 終わります。
○橋本敦君 本日はどうもお忙しいところをありがとうございました。
 最初に、アメリカで貴重な研究をなさった山田先生にお伺いしたいと思うんですが、先生のレジュメにもお話にもありましたが、厳罰化、刑事罰強化で果たして規範意識が育つのかという問題です。
 私も、本当の規範意識というのは、その少年が自分が罪を犯したというそのことについての反省を人格的にもまた社会的常識としてもしっかりできるという方向に社会が援助をしていく必要がある、こう思うわけですが、それを刑事罰を科すことによって規範意識が育つのかということに重大な疑問を持っておりまして、先生のお話にあったニューヨークの十三歳から十五歳までの少年に一定の重罪を犯した場合には成人と同じ刑事裁判所で裁判にかける、こういう問題が起こったということの中から先ほどおっしゃったケーシーズと言われるそういう努力も出てきたということでは、大変示唆に富むわけですね。
 そこで、先生は、日本はアメリカのこうした轍を踏むべきではないということをレジュメにもお書きいただいております。私も全く同感なんですが、一般に刑事罰強化が本当に少年の保護育成あるいは教育的理念なり福祉的措置なりをしていかなきゃならぬという日本の少年法の理念そのものにも反することになるのではないか、こういう心配をしているんですが、日本の少年法の基本理念との関係でどうお考えでしょうか。
○参考人(山田由紀子君) おっしゃるとおり、もちろん日本の少年法は今お話しのありましたような心からの反省に基づく更生ということを考えているわけで、だからこそ審判というのは懇切にして和やかに行う、裁判官も少年と目線を同じくして人間と人間として話す中から少年の立ち直りを援助していく、こういう考え方ですから、全くおっしゃるとおりだというふうに思います。
 ちょっと補足させていただきたいんですけれども、少年法の影響というのは決して非行少年にだけあるわけではありません。与党の方々もむしろその周辺にいる人たちへの影響ということを強調なさっておられる。
 実は昨日、学校の先生方と少年法について話し合ったときにこういう話がありました。
 既に学校の中では、子供が牛乳瓶を割ったというだけでパトカーを呼んでいるという状況が起きている。窓ガラスを割ったのかといったら窓ガラスも割れていない。投げつけていたずらをした、割れたということなんだと思いますが、それでパトカーを呼んだ。だけれども、少年法が厳しい規範を示すことによって少年に警告を出すんだということでこの少年法が通ると、学校長がそうやって何でもないときにパトカーを呼ぶということがますます広がってくるのではないかと私は心配します。そして、そのことは現に牛乳瓶を割った子供への影響ではなくして、ほかの子供たちが、ああ何かやれば学校はすぐにパトカーを呼ぶんだ、こういう気持ちで学校生活を送るようになる。
 与党のおっしゃる規範を示すということは、普通の子供たちにそういう効果をもたらすということを知っていただきたいと思います。
○橋本敦君 次に、修復的司法の問題ですが、私も、罪を犯した少年が本当にそのことを自覚するという面でも、加害者として反省をするという面からいって、被害者の方にあるいは関係者に直接会ってその苦しみなりその気持ちなりを直接聞くということは本当の反省をする上で必ずプラスになるという、そういうことは開かれるだろう。そういう意味で、修復的司法というのは、これは検討に値する大事な手法であるというように思って、この委員会でもこの少年法改正案の提案者にそのことについての見解を尋ねたんですけれども、提案者の方は、被害者の方は報復的感情が極めて強いから、だから会わすと大変なことになりはせぬかと、極端な場合は被害者がピストルで加害少年を撃ったということさえあるんだということで、私の質問に対してはそういう態度をとられるんです。
 しかし、山田先生がおっしゃったように、私も必ずやれと言っているんじゃなくて、よく準備をし、よくカウンセリングをし、準備していけばいいわけですから、先生のおっしゃった一にも二にも三にも準備をした上でというのは大変示唆に富むんです。
 そういう意味で、その準備というのはどういうことを中心にやられているのか、お話しいただければと思います。
○参考人(山田由紀子君) その前提なんですが、もう一度確認をしておきますが、被害者と加害者が会うというのは双方が望んで初めて会うわけで、裁判所が会わせるとかだれかが会わせるとかそういうものではないので、今の会ったらピストルかもしれないなんというお話は全く修復的司法とは別な話だということを念を押しておきます。
 その上での準備なんですけれども、まずそもそもシステムとして修復的司法が取り入れられているところでは、例えば警察、例えば家庭裁判所、例えば保護観察所がそもそも対応している事件の中から修復的司法に向くであろうという事案を頼んでくるわけですね。その段階で既にセレクトされております。被害者が被害感情が非常に強くて仕返しをするかもしれないなんという事件を選ぶわけがないわけです。それでも、当事者にしてみれば、被害者と加害者が会うプログラムということ自体、今まで全く知らないかもしれないわけですね。
 まず、手紙を出します。このようなプログラムがありますということの手紙を出します。手紙が着いたころに、メディエーター、コーディネーターは被害者に電話をします。そしてアポイントをとります。ミネソタでやっているやり方は、メディエーターの方が被害者の自宅まで被害者の都合に合わせて訪ねます。そして、一時間ぐらいかけて、まずは被害者の話を十分に聞くわけです。泣いたりするかもしれません。いろいろ訴えてくるかもしれません。それを聞きます。よく聞いた上でプログラムの説明をします。まだそれでもちゅうちょしているようだったら、ほかの人がこういうときにこんなふうに加害者と会ってみたんだけれども、後でこんな感想を言っていたよ、やっぱり会ってよかったと。先ほども紹介しましたように九〇%は満足しているわけですので、そういう話をすると、それじゃ会ってみようかなというふうになるわけです。
○橋本敦君 ありがとうございました。
 時間がなくなってきたんですが、村井先生に一言だけお尋ねさせていただきますが、今度の少年法の改正で刑罰厳罰化の一つの方法として原則逆送という問題がございます。
 この原則逆送ということが実際改正法どおりやられるとすれば、先生のレジュメには「捜査段階から少年の特質への配慮を失わしめる危険性がある。」、つまり「少年手続の刑事手続化をいっそう進行させる。」。家裁が実は刑事裁判へのトンネル化されてしまって、家庭裁判所の社会的調査の機能がかえって後退するんじゃないかという危惧をお示しいただいていると思うんですが、私もそう思うんです。
 そこのところは、先生のお考えもそういう意味で、少年の特質への配慮を失わしめる危険性があるというのはどういう意味でおっしゃっていただいているのか、簡単で結構ですが、わかりやすくお話しいただければと思います。
○参考人(村井敏邦君) 今おっしゃったとおりなわけですけれども、原則逆送というのは二つのやり方があり得ると思うんです、あり得るということを推奨するわけではないんですけれども。
 一つは、アメリカの場合にはオートマチックトランスファーというので、事件を受けて、ある一定のカテゴリーに入っていればすぐに送ってしまう。これは二重の危険の観点からそういう方式がとられたわけで、この場合には審理を一切しないわけです。そういうのは、もうある意味では刑事手続優先という形になります。
 今回のはどうも審理をした上でやるようですけれども、しかし原則逆送ですから、審理をして、結局どうも保護手続の方がよりよいということが立証されないことにはだめだということになりますと、付添人がついて、付添人がそれを主張しないとだめだということになります。立証責任というのが逆転するわけです。
 そうしますと、調査を十分にやってというよりか、むしろ付添人の方が一生懸命そういう資料を集めなきゃならぬ。ところが、そういう資料を集める手だてがなかなか難しいと思います。その意味で、調査官の機能というのはかなり低下してしまうだろうと。捜査段階での点をレジュメで出しましたけれども、現実にアメリカの場合のプロベーションオフィサーが非常に戸惑っているわけです、プロベーションオフィサーの機能がかなり低下してしまったということで。
 ですから、それは同じように、今、日本の少年審判においてある意味で最も特色のある家庭裁判所の調査官というものが、結局は法律スタッフのために席巻されてしまうと。実際上、少年の気持ちに沿った調査というのができなくなるだろう。できなくなるというか、事実上やってもむだだという形になってしまう。そういった、何というんでしょう、むなしい気持ちというのが蔓延する可能性、危惧を感じております。
○橋本敦君 ありがとうございました。
 時間が来ましたので終わります。
○福島瑞穂君 社民党の福島瑞穂です。
 きょうは本当にありがとうございます。
 山田由紀子さんの、厳罰化ではなくリストラティブジャスティスを、修復的司法をというのはそのとおりだと本当に思います。
 アメリカや世界じゅうで取り組まれているさまざまなプログラムで、再犯率がそれによって低くなっているということを話していただいて、将来的に日本でそういう制度を何とかして導入したいというふうに思っているんですが、法務省や与党提案の国会議員に聞くと、日本でも修復的司法をやってきたというふうにおっしゃるんです。
 地域でやるのは、コミュニティーでやるのはもちろん理想なんですが、修復的司法的考え方を日本でも徐々に、あるいはさまざまな方法によって取り入れることは可能ではないかと思うのですが、何か御提案、考えがおありでしたら教えてください。
○参考人(山田由紀子君) 純粋な修復的司法というものは、やはり公平な第三者といいますか、司会者といいますか、そういうものが必要だと思いますので、それ自体ができるとは思いません。
 けれども、先ほども繰り返しましたけれども、弁護士のレベルであれば、私が付添人の弁護士であると、被害者の方にはやはり弁護士さんがついている。そのときに、お互いに修復的な考え方を尊重する代理人であって、加害者も被害者もそれほど感情的にはなっていないというのであれば、十分な準備をした上で双方の弁護士が付き添って当事者を会わせるということは可能だと思いますし、また家庭裁判所の調査官が、最近では被害者からの申し出があって被害者の話を聞くという機会を持っているわけです。それを調査官が聞くだけでなくて、例えば在宅の少年とかいう場合に、まだ被害弁償も済んでいない、謝罪もしていないというのであれば、少年の状態と被害者の話をよく聞いて、状態が整っていれば、調査官が、では会ってみますか、どういうふうな償いができるか話し合ってみますかということは可能だと思うんです。
 ただし、その場合、どこにも中立な第三者はいません。例えば少年院の場合でも、少年が帰省する際の、退院する際の環境調整の一つとして地域にいる被害者と会って和解をして、そして帰るということになりますが、この場合には必ずかかわっている人間は、少年の更生のためか被害者の権利の擁護のためか、どちらかなんです。これは修復的司法とは言いません。言わないけれども、せめてそれに近づける努力という点では決して悪いことではない、大いに結構なことなので、それは各機関がどんどん実行していっていいというふうに思います。
○福島瑞穂君 ありがとうございます。
 では次に、村井参考人にお聞きをいたします。
 いただいたレジュメで、「厳罰化というのは立法を根拠付ける理念たり得ない。実際の効果ではなく宣言的効果を少年法に求めることは不適当。短期的な解決にはなるかもしれない不寛容、排除の論理で立法を行うことは、長期的には社会問題を深刻化させ、取り返しのつかない事態を招く。」というふうにあります。
 よく原則逆送をした場合、そんなにふえないよ、改正してもさほど刑事処分はふえないと予測される、ただ裁判官の裁量を若干今は甘いので変えるのだという意見があったりするのですが、ならばなぜ原則逆送にするのかとか思うんです。
 立法理由そのものもこの審議をしながらわからないんですが、このレジュメで書かれたことについてちょっと説明をお願いします。
○参考人(村井敏邦君) 法の宣言的効果ということは、法律によっては宣言的な意味がある場合もあると思うんですけれども、本来、法という、特に少年法というのは内実が必要なわけで、その内実のない形でのただ宣言をすればいいという、いわば刑罰化ということを示せば、現実に刑罰が科されたりあるいは刑罰が執行されなくてもいいんだ、それは一つの意味がある、先ほど言いましたように社会全体に規範意識を強化させる意味があるんだという、いわばこれは一種の見せしめなり、先ほど来山田さんがおっしゃっておりますけれども、いわば子供に対してしかるぞ、しかるぞ、お巡りさんに言いつけるぞと同じような意味、現実にお巡りさんに言いつけなくてもこういうことをやればお巡りさんに言いつけられるんだということで、みんなが行為をやめてくれればいいということなんですけれども、そういうのは、やはり本来少年法が持っている、少年の気持ちに沿って、まさに少年に本当に反省してもらうということですね。
 今度、内省を促すというのが入ってくるような法案になってきますけれども、現実にもう少年手続の中では内省を促す手続をやっているわけですよ。そこが重要な点なわけです。非行事実を認識させて、自分がやった行為について何がいいのか悪いのか、よくなかったのか、その点を十分に自覚させる、山田さんがしきりにおっしゃった点ですけれども、そういうことを必要とするわけです。
 そういうきめ細かな、いわば少年法というのは、ある意味では非常に厳しい道を歩んだ法律だ、採用した法律だと思います。少年と一対一に向き合って厳しくその少年の内実に迫っていくという法律なわけです。それがそうではなくして、ともかく一般的に宣言すればいいというのは、まさに少年法をがらっと変えてしまうものになるわけです。
 その意味で、私は最初にも言いましたけれども、大変に大きな問題を今度の改正案は含んで、単に一部に保護主義と妥協をさせたものだというのではない大きな深い問題を内在しているわけでして、その意味でこれが実施された場合には少年のこれからにとって大変大きな影を落とすことになるだろうというように思っております。
○福島瑞穂君 ありがとうございます。
 少年法改正案の審議をしていてだんだん本当に思うようになったんですが、これは少年法改正案、改悪案という議論ではなくて、少年法廃止法ではないかというように思ってきました。
 与党の提案者の議員の中には、少年法一章を、要するに少年法一条が入っている一章までも改正したかったけれども、そうはならなかったという意見もあります。それについて山田参考人はどう思われますか。今の改正案についてもうちょっと聞かせてください。
○参考人(山田由紀子君) 少年法廃止案ではないかという御趣旨は、少年法の一番根本的な大事な理念である少年の健全育成そのものを崩してしまうという御趣旨だと思いますね。それは本当にそうだと思います。そもそも少年法にはおどして罰するとか、あるいはおどして決まりを守らせるという発想はなかったわけですから、その根本理念が違うと思います。
 と同時に、福島先生は少年法廃止案だとおっしゃったけれども、私はこれは一つの困った教育法なんだというふうに思います。今、教育改革国民会議の提案であるとか教育基本法の改正意見とかいうものが出ておりますが、本当にそこと軌を一にして、子どもの権利条約に言うような子供の最善の利益とか子供の発達成長とか子供の意見表明権とかそういうものとは全く正反対の方向の教育観というものが出てきているので、この少年法改正案は一つの教育観の大きな転換になるんだというふうに考えます。
 ですから、一つ非行少年だけの問題ではない、先ほど来強調しておりますのも、学校現場にも教師にも普通の子供たちにもこのような教育観が法案化されることは非常に大きな影響を与えるので、そこをぜひとも慎重に考えていただきたい、教育現場の声も聞いていただきたいと思います。
○福島瑞穂君 ありがとうございました。
○平野貞夫君 自由党の平野貞夫と申します。
 非常に初歩的な質問をして申しわけございませんが、これは前田先生に教えてもらった方がいいでしょうか、非行少年とか少年の非行という言葉をずっと我々も無意識に使っているんですが、非行というのはどの程度のことをしたことを、いわば非行の定義といいますか。
○参考人(前田雅英君) 法律家というのは形式的な答えになってしまうわけですが、少年法上の定義としては、やはり犯罪を犯した者、いわゆる刑法犯に代表されるような犯罪を犯した者で、少年であれば非行少年で、十四歳未満であれば触法少年です。そのほかに、犯罪として普通の大人が犯してもつかまるようなもののほかに虞犯というものがその周辺にございまして、さらにその外側に警察が補導する非行という行為態様がございます。
○平野貞夫君 そうしますと、非行というのは何か語源的にはどんなものか、非なる行為というのを縮めたものなのか、あるいはもう非行というそういう言葉なのか、何か御存じの方がありましたら。
○参考人(前田雅英君) 私はちょっと存じ上げません。
○平野貞夫君 三人の先生方のお話を聞いていまして、そんなに本質的に対立した意見というふうに私は理解しておりません。
 私は、自分の体験からいいますと、今、前田先生がおっしゃった刑法犯は犯したことはありませんが、世間一般で言う非行はやっていました。そういう広い意味の非行少年であったという体験から申しますが、今の凶悪非行少年の犯罪の原因と違うと思うんですが、私は昭和十年生まれで、小学校六年のときが昭和二十二年のいわゆる終戦直後でございまして、物もないころなんですが、自分が学校なり親なり社会から、その周辺からおまえは不良で非行だという指摘をされたときには、必ず理由は私なりにあったわけでございます。
 私は高知県の土佐清水市という田舎の学校でございますが、そのころ珍しく新しいドッジボールを学校が買いまして、このドッジボールは十二月一日から使用するということが発表された。ところが、クラスが二組あって、片一方の先生がちょっとインチキして二日ぐらい早くそのクラスだけ先に使ったわけなんです。私はかあっとなりまして、こんなものがあるからルールが破られるんだという自分の理屈で、ナイフでそのドッジボールをめった切りにして使えなくしたんです。それからみんなに怒られまして、こいつは不良だ、非行だということで、おやじは医者で、兄弟八人いまして末っ子なんですが、とうとうお医者さんの家にも落ちこぼれというかくずが出たと言われまして、それから何年間か社会から烙印を押された生活をしました。
 それで、立ち直りました。正直言いまして、立ち直ったのは、中学校の三年生の先生が非常に理解があって、おまえは家庭でも学校でも、あるいはこの社会の中でも一つの存在の意味があるんだということを親切丁寧に教えてくれたからでございます。そのころ、ちょうど少年法が成立したころじゃないかと思いますが、昭和二十三、四年ごろでございますので。
 自分の体験からいいますと、確かに前田先生がおっしゃるように、少年法が厳しくて、知っていたらあんなむちゃしなかったかなという部分もあるんですよ、正直言って。しかし、やっぱり立ち直ったのは先生とか社会とかそういうもののおかげだという気持ちを今でも持っております。
 ですから、私は自由党でございますので、少年犯罪の被害者の救済という立場からこの法律は改正すべきだという問題意識があって、改正の推進論者なんですが、ちょっと議員立法で出されて、おやおやと思っている状況なんです。
 だけれども、今のところ、率直に言いまして、やっぱりある程度もう当時の十四、五歳というのもある意味では精神的には、私はちょっとませていたかもわかりませんが、大人の感じもわかりましたし、ある程度のペナルティーがあるということはやっぱり必要だと思いますが、しかしペナルティーだけで決して非行が直るものではないということは自分も体験をしているんです。
 それについて、ちょっと前田先生、感想を聞かせていただければ。
○参考人(前田雅英君) 私も時間の関係で早口でいろいろ申し上げたのであれですが、おっしゃるとおりだと思いますね。
 まず一番基本は、少年が立ち直るということがより大事だというのはそのとおりで、ただ、立ち直るだけで、被害者のことを一切考えないでとか、社会の正義を一切考えないでいいという議論が間違いだと申し上げているだけで、立ち直ることは物すごく大事なことだし、そのために今むしろ一番大事なのは、さっき御指摘がありましたけれども、少年法改正の問題ではなくて、教育の問題であって家庭の問題であって学校の問題だと思います。さっき御指摘があったとおり、私は、この少年法改正の問題というのは、一少年法の世界の問題だけにはとどまらない、やはり教育観なり世の中の考え方が大きく転換しつつある、その象徴だと思っています。
○平野貞夫君 私たちが義務教育を受けたころは、先生は、でもしか先生と言いまして、ほかになるものがないから先生にでもなろうかという、そういう先生が多い時代でございました。しかし、先生という職業の中での一種の官僚化といいますか、ヒエラルヒーといいますか、そういうものはなくて、実に一人一人の先生が伸び伸びと、生徒とけんかをしたり生徒をしかったり褒めたりという時代だったんですよ。内申書なんてないんですよ、はっきり言って。
 それで、私なんか中学校三年のときに田舎からぽんぽん船で別府に修学旅行に行きまして、余り都会がおもしろいものだから、集団交渉して十人ぐらいでもう一晩おると言ってだだをこねて、先生は困って、一人つけてくれて、ほかの人は帰って我々ちょっと非行の連中が一晩余計に泊まったようなこともやったんですけれども、学校でも問題にされないし、地域でも問題にされないし、実に、むしろある意味で、悪い意味の非行はいけませんけれども、非行の勧めといいますか、ある程度少年が非行的なものを持っている方が、社会のバイタリティーといいますか活力といいますか、余り非行を社会的に否定すべきじゃないというのが私の論理でございますが、山田先生、ちょっと感想を聞かせてください。
○参考人(山田由紀子君) もちろん大賛成です。
 子供というのは、滑ったり転んだりして立ち上がって、また走ってまたすっ転ぶという権利を持っていると思います。それが子どもの権利条約に言う子供の発達成長権であるとか子供の最善の利益の環境というものだと思うんですね。少年法の理念というのもまさに、子供は失敗して立ち直って、またそれを繰り返しながら少しずつ成長していく、それを見守って援助して立ち直らせてあげようという考え方に基づいておりますので、私はおっしゃることがまさに少年法の理念だというふうに思います。
○平野貞夫君 ありがとうございます。
 私は今でも永田町では非行政治家と言われておりますので。
 終わります。
○参考人(山田由紀子君) そういう方の方が大切だというふうに思います。
○中村敦夫君 まず、少年法改正の賛成派の前田先生にお聞きしたいと思うんですが、刑事罰の年齢引き下げというのが一つの大きなポイントになっています。これは十四歳、十五歳に適用するということですね。
 しかし、この十四歳、十五歳ということはどういう意味かといいますと、これは思春期の真っ最中ですね。人間の体が急速に大人に変化していく、そしてそれに伴って精神もついていく、あるいはついていけない、知力もある者は伸びある者は停滞するとか、非常に年齢的にバランスが崩れる情緒不安定になる時期であると思うんです。これをどう乗り切るかということでいろんな大人になっていくという大切な時期、そういうことが考慮されて私は今の法律があると思うんです。
 ところが、ただ少年犯罪がふえているからという、この統計の問題も私は疑問に思っておりますし、少年犯罪がふえているからというのと凶悪少年犯罪がふえているからといういろんな言い方をされて、一体何を言っているのか私にはよくわからないんですね。データ的にも、びっくりするほど周りでふえているというふうにはとても思えないし、特に最も凶悪な殺人に関しては長い間ふえていないということがあるんです。
 それはともかく、こういう要するに十四歳、十五歳という人生の非常に特別な時期というものを考慮して少年法があるわけですから、それを普通の成人の刑法並みに、とにかく抑止力のために、あるいは規範意識のためにというような機械的な形で引き下げにするというのはいかがなものでしょうか。
○参考人(前田雅英君) 御指摘は非常にごもっともな面を含んでいらっしゃると思うんですが、十四、十五でも非常に個人差がありますよね。その中で、ですから現場の人なんかの意見を聞いていても、もうこれは大人以上の悪だというのもいるわけですよ。これだけ人を何人も殺して、これだけのというのを刑罰の対象にしなくていいのかというのも、ごくごく例外だと思いますけれどもあり得るということが一つですね。大部分の十四歳、十五歳に対しては非常に慎重に扱わなきゃいけない、これはもうおっしゃるとおりだと思います。
 ただ、データ的に、私が出しているのは個人的なものが加わっているのでも何でもなくて、日本の世の中で犯罪を犯す率が一番高いのが十四、十五であるというデータはこれはもう客観的な事実ですので、それは踏まえていただかないと困るんですが。
 だから、犯罪を犯しているから即刑罰を科していいかどうかというのは政策判断だと思いますね。ただ、刑法典というのは十四歳で切っているわけです。それより上は処罰していいという考え方をとっています、刑法というのは。それに対して、戦後つくった少年法というのは十六のところに持っていった。これも一つの政策判断です。ただ、その中で世の中の価値観とかが動いていって、こういうところでいろいろ意見を聞かれて、国民の声を聞かれて、まさに十六を十四に下げるのが国民の納得いく線かどうかを先生方に御判断いただくという問題だと思うんですね。
 そのときに、先ほど佐々木先生ですか、御指摘になったように、どういう少年犯罪を見てきたかとか、どういう立場で物を見てきたかで、我々も立場性があります。ですから、いろいろな参考人を呼んでいただいて、それをひとつ上から見て評価して、今の日本全体の中で十四歳に下げる必要があると国民全体が考えていらっしゃるかどうかというところをきちっと把握していただきたいというのが私の意見なんです。
○中村敦夫君 今、おっしゃったように、確かに個人差が出る非常に難しい年齢なんですよね。ですからこそ、家裁というのは保護観察にしたり、初等少年院、中等、特別あるいは医療少年院と非常に細やかに、社会的判断や心理学的な判断というものを取り入れながら、教育的措置というものを基軸にデリケートな配慮をしているわけですね。
 だけれども、先生は賛成論者ですから、国民の判断を仰ぐというんじゃないと思うんですね。十四歳でいいと言われているんじゃないですか。
○参考人(前田雅英君) 私は賛成であって、ですから心理的なものを入れてやっていくというのももちろん大部分そうですが、一定の部分、十四歳、十五歳でも刑事罰の対象になる人間がいると思いますし、それについては刑事罰を科していいし、それに対しての今度の与党案を見ましても、少年院で処遇するとかきちっと考えていらっしゃると思うんです。
 あともう一つ、中村先生の御指摘のとおり、少年院もいろいろ工夫されています。ですから、一番ある意味で問題解決で重要なのは、何でこんなに少年院送致率が低いかということなんですね。
 現場ではまず不処分にする、それから何度目かになると保護観察にする、保護観察からやっと少年院になるけれども、調査官の人たちなんかはもう少年院に送ったらおしまいだというような議論をしているわけですね。現場ではもっと送ってもらって教育的にきちっと立ち直らせたいと言っているわけですよ。その辺の基準が、そこにデータで示しましたように、少年院送致率は二・三四%しかないんですよ。初等の少年院でも非常に工夫がなされています。
 そういうことも考えて、この軸を動かしていく意味での宣言的効果というのは私は非常に重要だと考えているところです。
○中村敦夫君 それは送致が少ないからいけないんだということなんですか。それが家裁の非常にデリケートな判断とそして少年たちの立ち直りの可能性の判断として出てきていると。それとも、そういう家裁の今のあり方、制度や人材のあり方は間違っているということなんでしょうか。
○参考人(前田雅英君) 間違えているというのはちょっと言葉がきついんですが、やはり処分をどうするかというときに、先ほども申し上げましたように、七五%は何の処分もないわけですね。処分される中の大部分は保護観察で家に帰っていいと。最近話題になったような保護観察例がありますけれども、施設処遇というのは非常に少ないということです。それはやはり裁判所の側から見たら、少年院に送ったらおしまいだと、それで再犯率が非常に高いんだというような議論が一部あるわけですよね。だけれども、本当にそうなのかというようなところの見直しです。
 ただそのときに、なぜそうなるかというのは先ほど申し上げたんですが、少年を保護の対象として直していくという観点だけで見て、犯罪を犯した少年という視点がある意味で私は弱過ぎるんだと思うんです。そのバランスを考えていけば、もう少し少年院に送る率がふえていくだろうと。
 先ほど示しましたように、今の数値というのはどんどん落ちてきて今に至っている。そこのところを戻すきっかけとして、宣言的な意味というのは私は今度の改正においてあり得るんだと思っているんです。
○中村敦夫君 少年院に送る数が少ないというだけでふやさなきゃいけないという話にはならないと思うんですよ。今うまくいっているかどうか、そういう現状認識、現場の認識というものが重要でしょう。
 私は総じてうまくいっているんじゃないかなと、いろいろなデータや報告からそういう感想を持っているわけです。要するに、それは再犯率が非常に低いということでも結果があらわれていて、十四歳、十五歳というのはそういう年ごろなんだということの考慮があるからこそ、こういう結果が出ているんじゃないかと思うんです。
○参考人(前田雅英君) 再犯率が低いか高いかは評価の問題なんですけれども、ただ現実にうまくいっているかどうか、国民の側から見てというか、一番感じるのはやっぱり犯罪がふえているかふえていないかですよ。
 その前提として、中村先生と私には食い違いがあるかもしれないですけれども、私がお示しした例えば図の六、これは何の操作も加えていない、検挙率が何だということも一切加えていません。これを見て、要するに中間少年や年少少年が一九五〇年代のころに比べてもそれよりもっと高い犯罪率を示すようになってしまっている。しかも急激にふえています。ですから、これについてやはり何らかの手が必要だというふうに考えるのは一つ合理的な根拠があると思います。
○中村敦夫君 この改正案がそもそも出てきたということは、凶悪少年犯罪なんですね。それは多分、九七年の神戸の酒鬼薔薇幼児殺しという非常に衝撃的な事件が起きて、これがかなり世の中にショックを与えた。新しい現象の事件だったと思います。その後、連続していろんな、その性格は違いますけれども、過激な事件が出てきたということが引き金になったと思うんですよ。
 少年犯罪がふえていると言っても、九〇%は軽犯罪ですよね。内容はもうほとんど自転車泥棒とか単車泥棒とかという段階なんですね。ですから、私は、果たして本当に凶悪と呼ばれている犯罪がふえているのかどうかというのを現実でやらないと、マスコミはそれはもう売れますからどんどんエスカレートするんです、売れなくなるまでね。
○参考人(前田雅英君) ですから私は申し上げているのでして、強盗罪というのは凶悪犯罪の典型ですね。それがこれだけふえているということ。
 それから、殺人はふえていないと、さっき廣田という人の名前が出ましたけれども、彼は殺人だけを取り上げてふえていないというような言い方を書いているんですが、ここ十年間で九割ふえています。それと、もっと重要なのは、殺人というのは要するに、いやもう九割というのは大変なふえ方なんですが、殺人というのは大人の犯す率の方が少年が犯す率よりも高い唯一の犯罪だったんです。ついに少年の方が率が高くなったんです。間違いなく少年の殺人はふえています。
 ですから、どこから少年の凶悪事件がふえていないというふうに先生が御認識になっているか。私、本をお送りしますので、ぜひきちっと読んでいただきたいと思います。
○中村敦夫君 これはデータで出ているわけですよね。一〇〇を過ぎた、一一〇ぐらいまでの数字がずっと低レベルで推移しているんですね。
 それで、大人の殺人の方が少ないとおっしゃいますけれども、それは少年と大人との比率で言っているんでしょうかね。
○委員長(日笠勝之君) 前田参考人、時間になりましたので簡潔にお願いいたします。
○参考人(前田雅英君) はい。
 人口十万人当たり何件犯しているかという率で大人を超したということです。
○中村敦夫君 少年と呼ばれるのは年数が少ないんですよね。
○委員長(日笠勝之君) 中村君、時間です。
○中村敦夫君 はい。
 年数が少ない。大人は二十歳から何十歳までもあるわけでしょう。そんなところで比率で出すということ自体ばかげた話じゃないかと私は思うんです。
○参考人(前田雅英君) いや、でも同じ人数で比較しているということです。
○委員長(日笠勝之君) 以上で各参考人に対する質疑は終了いたしました。
 参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、お忙しいところ大変貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。当委員会を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。
 速記をとめてください。
   〔速記中止〕
○委員長(日笠勝之君) 速記を起こしてください。
    ─────────────
○委員長(日笠勝之君) 次に御出席いただいております参考人は、少年犯罪被害当事者の会代表武るり子さん、元洋裁学校教師山口由美子さん及び弁護士千葉一美さんでございます。
 この際、参考人の方々に一言ごあいさつ申し上げます。
 本日は、御多用のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。
 参考人の皆様方から忌憚のない御意見をお聞かせいただきまして、今後の審査の参考にいたしたいと存じますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
 議事の進め方でございますが、まず武参考人、次いで山口参考人、千葉参考人の順に、お一人十五分程度で御意見をお述べいただきまして、その後、各委員の質疑にお答えいただきたいと存じます。
 なお、念のため申し添えますが、御発言の際は、その都度、委員長の許可を得ることとなっております。また、各委員の質疑時間が限られておりますので、御答弁は簡潔にお願いしたいと存じます。
 なお、参考人の方の意見陳述及び答弁とも着席のままで結構でございます。
 それでは、武参考人からお願いいたします。武参考人。
○参考人(武るり子君) 本日は、私にこのような話をできる機会をいただきまして、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。きょうはどうぞよろしくお願いします。話を聞いてください。
 私の息子の孝和は、平成八年十一月三日の高校の文化祭の日に同じ十六歳の見知らぬ少年に因縁をつけられました。相手にかかわりたくないために何度も謝っているのに待ち伏せされ、逃げたにもかかわらず一キロ近く追いかけられて一方的な暴行を受け、十二日後の十一月十五日に亡くなりました。
 私は、この日まで主人と三人の子供たちと五人家族で、少しぐらいの悩みはあっても元気で幸せに暮らしていました。こんな事件に遭うまでは、私は命にかかわる事件はたとえ少年であっても正しい法のもとで裁判があり、少年も自分の犯した罪に対してちゃんと償うと思っていたんです。被害者に対してもひたすら謝っていると思っていました。
 ところが、実際に私が経験したのは、それまで思っていたことをすべてひっくり返すようなことばかりでした。少年に罪そのものがなかったかのような手続で進んでしまい、死んだ者はどうでもいい、それまで生きていたことさえなかったかのような扱いだったんです。
 私の息子の事件は十一月三日にあったのですが、そばにいた友人たちは、少年の仕返しが怖かったために自転車で転んだと言っていて、事件だと知ったのは二日後の十一月五日の日でした。事件とわかり、主人はまず学校の先生と一緒に警察に被害届を出しに行くことになりました。夕方の五時過ぎでした。警察はそのとき、被害届はきょう出してもあした出しても同じだと言っていたそうです。
 そのとき既に息子は人工呼吸器をつけ、さわっても何の反応もなく、ほとんど脳死に近い状態でした。命がかかわっている事件なのに警察はすぐに動いてくれないのかと怒りが込み上げてきました。でも、その怒りをぶつけることはできませんでした。それは被害者側は弱い立場にあるからです。警察にはちゃんと調べてもらわないといけないと思うし、悪い心証を与えてはいけないと思うからです。
 事件から十二日後、十一月十五日の昼ごろから息子は危篤状態になりました。主人はたまらなくなり、早く捕まえてくれと警察に電話しました。加害少年を逮捕するのは二、三日先と聞いていたからです。夕方になって少年の身柄がやっと拘束されたことを知らされました。主人はすぐに各新聞社にファクスを流すように私に言いました。事件だとわかったときからそうしたかったのですが、加害者を逮捕するまでは捜査の邪魔になるからしないように警察にとめられていたんです。私は、主人に言われたとおり、事件の概要と息子の状態を書いてマスコミ各社に協力をお願いしました。
 犯人が捕まったその夜、それを待っていたかのように、午後十一時四十三分、息子は意識を取り戻さないまま、痛いとも言えず、悔しいとも、死にたくないと叫ぶこともできず息を引き取りました。
 十一月三日、診察室に入ったとき、きょう約束あるから行くでと言うので、私が何言ってんのといつもの調子で交わしたのが最後の言葉になってしまいました。死因は左後頭部の内出血でした。どうにか息子の命を引き戻そうと大声で叫び続けましたが、届きませんでした。
 そのとき、主人は混乱状態の中でこんなことを私に言ったんです。おれたちは見せ物パンダになってもいいな、もうプライバシーも何もないぞと私に言ったんです。私は混乱状態でしたが、わかった、いいよと返事をしました。それは何物にもかえがたい息子のことだったからです。でも、神戸の児童殺傷事件が起こって少年法のことが問題になるまでは、息子の事件のことはマスコミに取り上げてもらえることはありませんでした。
 息子が亡くなった直後、警察の人は病院で混乱状態にある主人にこう言ったそうです。日本は法治国家であり、個人の恨みを晴らすとかかたき討ちをすることは許されない、そして少年法という法律がある、加害少年にも人権があり、立ち直る可能性と将来があると。この言葉の中に、たった今亡くなっていった、殺された息子のことは全く入っていませんでした。これがたった今大事な息子を亡くし、気も狂わんばかりの親に最初に言う言葉でしょうか。命も人権も将来も、さっきまで息子にあったんです。私たちは、腹が立ってもつらくても、ここでも強く言い返すことはできませんでした。
 そして、家庭裁判所ではこう言われました。ここは加害少年の将来を考えるところで、事実関係をどうのこうのするところではない。親御さんの心情を聞きたいわけではないと言いました。
 そうなると、自分たちで調べるしかありませんでした。私たちは息子の事件に関する情報を求めるチラシを一万二千枚つくり、新聞に折り込んだりもしました。でも、少年法を守りながら調べられることには限りがあり、事実を知り、責任をはっきりさせるため、平成十一年十月二十九日に民事裁判を起こしました。三年の時効の直前でしたが、私たちにとって残された唯一の方法だったんです。
 民事裁判は公開で行われ、かたくなに教えられないと言われ続けたものが少しずつわかってきました。ここで思ったことは、だったら最初から教えてもいいはずではないか。私たちの場合、加害者には最初から弁護士が三人ほどついていました。ほとんどの情報が入っていたようです。ところが、私たちは加害少年がどんなことを言っているかもわからないので言い返すこともできませんでした。息子が髪を茶色に染めていて見るからにけんかが強そうだったなどといううそは親に確認すればわかるのに、その確認すらありませんでした。審判までにそれは違いますと息子のかわりに言えなかったことはとても悔しい思いです。
 現在、私のところは少年犯罪による被害者やその家族の窓口になっています。死亡事件だけで約三十家族と連絡をとっていますが、加害少年は複数のことが多く、直接手を下した少年だけで約百五十人います。その中で、逆送されて刑事裁判になったのはわずか六人。あとは密室の審判で片づけられてしまいます。さらに、十四歳未満の場合はその審判さえもなく、事実も責任もうやむやにされたままなのです。そして、加害少年から本当に誠意のある謝罪があったという話を私はまだ一人も聞いたことがありません。少年の親は倍近くの二百八十人ぐらいいます。そして、その中で、人として、親として本当に申しわけないことをした、一生をかけて償っていくと最初から誠意ある謝罪を続けているのはまだたった一人しかいません。それが現実です。
 それにはやはり少年法が大きくかかわっていると感じました。加害者が少年だから、未熟だから、可塑性に富んでいるから保護しなければいけないと、その部分だけが前面に押し出され強調されてきたことに問題があると思うのです。事実認定をしっかりすること、犯した罪をしっかり見詰めさせること、責任を教えることなど、人として一番大切なことが抜けているのではないでしょうか。
 社会で騒がれる事件が起きるたびに少年法改正問題が話題になります。でも、私たちのような少年事件は、死亡事件であるにもかかわらず、特殊性や話題性がないという理由でせいぜい新聞に一度載るだけです。そんな死亡事件の方がはるかに多いんです。そこにまではなかなか目を向けようとしてもらえません。真の問題は、各地で起きながら埋もれてきた少年事件にも目を向けないとはっきり見えてこないのです。
 息子のとうとい命を物以下に扱われた親として、殺された子供たちも平等に扱ってほしい、せめて人を殺した加害少年並みの権利が欲しいと必死の思いで訴えてきました。今ようやく少年法の一部が改正されようとしています。これまで全くなかった被害者の権利が条件つきですが盛り込まれたことはとても画期的なことだと思います。けれども、運用によってまた外されるのではと強い不安があります。
 例えば、条件つきで記録の閲覧や謄写が認められ、条件つきで意見陳述が認められましたが、家庭裁判所の判断次第で認められないことも出てくるのではと不安なのです。そして、被害者側が望む場合は審判や裁判に優先的に参加する権利がまだありません。加害者側に無条件で与えられている権利と比べてみると、まだ平等ではありません。
 それから、今までの少年法でも、禁錮以上に当たる罪の事件は検察官送致しなければならないとなっていて、死亡事件はここに入るはずだと私は思っていました。ところが、その後に、その罪質及び情状に照らしてという文章がついているため、その情状の部分だけが拡大運用され、犯罪少年の九九%以上が逆送されないというおかしなことになっていたのです。今回もまた、検察官への送致のところにやっぱりただし書きがついているため、不安になるのです。改正されても運用をちゃんとしなければ今までと同じです。一部だけを拡大解釈することのないように切にお願いしたいと思います。そして、改正後の検討を怠ることなく続けて、重ねて改正を続けていってほしいと思っています。少年法の理念である健全な育成は加害者だけにあるのではないと私は思っています。
 どんなことをしても私の息子の命はもう戻ることはありません。悲しみは変わりません。でも、被害者にあるべき権利が与えられたとき、初めて私たち親もこれから生きていくスタートラインに立てるんです。だけれども、私は権利が与えられたとしても、それを振りかざすことはしたくありません。これからも自分は人間らしく生きていきたいからです。
 ありがとうございました。
○委員長(日笠勝之君) ありがとうございました。
 次に、山口参考人にお願いいたします。山口参考人。
○参考人(山口由美子君) 私は五月のバスジャック事件に遭ってけがをした山口でございます。ここで話をさせてもらうことをありがとうございました。
 私は、五月三日、子供たちの恩師である塚本先生と二人で、福岡天神行きのバスに乗りました。高速道路を走り出してしばらくしたら、一番前に座っていた少年が立ち上がり、包丁を振り上げ、このバスはおれが乗っ取った、荷物を置いてみんな後ろへ行けと言い始めました。何事かとびっくりしながらも、荷物を座っていた座席に置いて後ろに行きました。そのときの少年の無表情な顔、愛情を感じさせない顔を見て、私は少年をとてもかわいそうだと思いました。
 一人だけが居眠りをしていて気づくのがおくれた方がいらっしゃって、おまえは後ろに行っていない、おれの言うことを聞いていないと言って、その方が移動された直後に首を刺しました。そのとき初めて、私は少年は本気なんだと思いました。今、少年の心は本当の心ではない、本当の心に戻りますようにと思って、そのとき必死で、祈るような気持ちでした。
 バスの運転手の方がいろいろ考えてくださり、トイレ休憩も必要じゃないかと言われて、トイレに行きたい者、と少年が声をかけ、一人目の方がトイレに行くためにバスをおりられました。しばらく待っていましたが戻ってみえないし、バスの前に車がとまりましたので、少年は驚いたのでしょう。運転手に早く車を出せ、あいつは裏切った、早く出せと怒りました。そして、私の前に来て包丁を振りかざしました。
 私は顔を切られ、顔を覆った両手首を切られ、後頭部を切られて、座席から通路にしゃがみ込みました。しゃがみながら必死で、出血多量にならないように左の手首をひじかけにかけ、倒れないように右手を下に置いて、少年を殺人者にするわけにはいかないと思いながら耐えました。そのとき、少年に対して怖いという思いはなく、ただ少年の心がこんなにしなくてはならないくらい傷つけられていたんだと感じました。
 その後、塚本先生が刺されて亡くなられたんですけれども、このバスジャック事件は、テレビの画面に映し出されたためショックが大きく、多くの方々に恐怖心だけが残ったと思いますが、どうして少年が事件を起こさねばならないように追い込まれていったか、その背景を考えてほしいと思います。
 今、不登校のこともいろいろ問題になっておりますが、資料二の方に、鹿児島大学の内沢先生が書いていらっしゃる意見がすごく私と気持ちが一致したので読ませていただきます。
子どもの不登校自体にはじつは何も問題はありません。問題は、不登校を否定的にしか見ることができない大人や社会、これを直そうなどと考える親や教師、また治療の対象にする専門家のほうにあるというのが私たちの考え方です。今回の事件も背景の一つは、不登校自体にではなく、それを肯定できなかったことにありました。
  この少年の不登校は高校に進んでからのようですが、いじめがあったので中学時代も気分は間違いなく不登校でしょう。けれどもそのことが親から認められた気配がまったくありません。親はいじめのことで再三担任に訴えることがあっても、「いじめが続く学校には行かないで、家でゆっくり休もうよ」とは言っていないでしょう。保護入院後、少年が退院を求めたことに対して、「退院させないで欲しい」と提出された両親の意見書には、「中三の夏頃から、いままでの性格が一変したかのように」と少年に対するマイナス評価が列挙されていきます。その最初は、「勉強に対する意欲の喪失」です。以前からいじめなどもあって苦しかったろうに、親の目はそこに向かずに、勉強をしなくなったことが一番の重大事だったのです。そして「ことばの暴力」「物を投げたりこわしたり、ときに家庭内暴力までに」およんだと続いていきます。
  とは言うものの暴力は誰だって怖いし、やはり不安がないと言えばうそになります。けれども、ここはふんばりどころです。子どもの辛さや苦しさを受けとめることができるのは親をおいて他にいません。息子、娘がかわいい、いとおしいと思えるのも親だけです。まず、この気持ちがあればできます。そして、不登校を否定的に見ないことを大前提として、この子はどこもおかしくはないし悪くもないと思えるようになれば、あとは時間の問題です。ただしその時間は相手があることですし、以前子どもを苦しめた時間が長ければ長いほど、相当の覚悟が必要です。しかし、どんなに時間がかかっても、親がわが子を信じ切って向きあうならば、暴力から逃げても訴えから逃げなければ、必ず気持ちが通じあうようになると言い切ることができます。
このように書いてくださっています。
 実は、うちの子も不登校になりました。小さいとき私の愛情のかけ方も不足していたし、接し方も悪かったのじゃないかと反省しました。娘と私は二人で育ち直しをやりました。だから、子供は親さえ変われば幾つからでも変わっていけるというのが私の実感です。
 少年法の件で、刑事罰対象を十六歳から十四歳に引き下げるということですが、十四歳といえばまだ義務教育の年齢です。教育が必要と国が定めているのに、何か事件を起こしたら親や大人が責任をとるのではなく子供が責任をとるのですか。
 子供の心は、赤ちゃんのとき真っ白の状態で生まれてきます。アマラとカマラのオオカミに育てられた子供がいたことは御存じと思いますが、オオカミに育てられたらオオカミみたいになるのが人間の子供です。望ましい環境の中で育てばどの子もすばらしい人間になり、社会に役立つ人となっていくと思います。
 資料三で、亡くなられた塚本先生が「幼児室だより」として書いていらっしゃる中に、環境ということを書いていらっしゃったのでお持ちしました。中ほどに、
 子供は発達過程で人間の能力、力、知性、言語を獲得するばかりか、同時に環境の状況に応じて自分の存在を築き上げます。子どもは成人とはちがった心理形態を持っているからです。子どもは私たちとは異った形で環境との関係を保っています。成人は環境に驚きを示したり、またあとでそれを思い出したりすることもあるのですが、子どもはそれを自己の中に吸収します。子どもの場合は、見たものを思い出したりはしませんが、見たものが精神の一部を形成します。見聞するものが自分の内で血肉となるのです。
大人と子供の環境のとらえ方の違いというのをきちっとここに書いてくださっています。
 私たち被害者や遺族は、厳罰ではいやされません。事件直後は私の主人も厳罰をと言っておりましたが、時間を置いて冷静に考えられるようになるとだんだん考え方も変わってきて、一生かけて償ってほしいと言うようになりました。私も少年が心から悪かったと謝ってくれることを一番望んでいます。だから、犯罪を犯した少年の心をそういう心に育てるためにも、望ましい環境の中で人として教育していくことこそ大事なことではないでしょうか。そのことが再犯を防ぐことになっていくと思います。今、目の前のことではなく、子供たちの将来のこと、ひいては国の将来のことまで考えて、時間をかけて丁寧に審議してほしいと思います。
 今回改正の被害者への配慮の法案はとてもありがたいことだと受けとめております。
 最後に、この事件に遭って私が考えたことを述べさせていただきます。
 この事件をきっかけにして、いろいろなところが本当に動いてほしいなと思っております。例えば、私はこの事件に遭ったためにカウンセリングを受けておりますが、その先生が、佐賀にフリースクールがあったらこんなことにならなかったかもしれないねとおっしゃいました。その言葉は私の心にかなり響きました。だから、不登校の子がたくさんいる現在、公的なフリースクールをつくらなければいけないんじゃないかとか、病院側がよくなかった、そうしたら病院ももっとそういう人に対する対応を変えなくてはとか、医者が足りないならふやそうかとか、学校はどうだろうか、個性を大切にと言いながら一クラスの人数が多過ぎはしないか。
 責任をとるということも大事ですが、今悩んでいる子供たちをどうサポートしていけばよいのかを具体的に大人は考えていかなければいけないのではないでしょうか。お金のかかることですけれども、子供たちにこそお金をかけてほしいと思います。
○委員長(日笠勝之君) ありがとうございました。
 次に、千葉参考人にお願いいたします。千葉参考人。
○参考人(千葉一美君) それでは、少年問題に多く接することのある弁護士として、本法案について意見を述べさせていただきます。
 先に述べられました被害者の方々がおっしゃいますように、今回の法案については、被害者への配慮ということで、記録の閲覧、被害者等に対する通知、それから被害者の意見についても聴取できるといった被害者救済の規定が入ったことは、これはとても前進としてとらえるべきだと思います。今回の少年法改正の議論を通して、被害者の方々のいろいろな思いがこうやって国民の間に浸透して、それらが国会等で審議されるようになったという状態はとてもプラスの面だったと思います。
 さらに、被害者の方としては、司法手続への参加ということで、審判にも出席して、実際にどのような審判が行われるのか見てみたいといった希望も非常に強いと思います。
 これにつきましては、少年の審判手続ということに対する理解というものを一つ私はここで述べさせていただきたいのですけれども、少年の非行事件が起こった場合には、まず逮捕、それから取り調べを受けますけれども、それから家庭裁判所に回されまして調査官の調査、それから鑑別所における技官のいろいろな心理分析、鑑別が行われて、それから審判ということになります。
 刑事手続と違うところは、これらの審判手続の中では、すべての事実認定及びその少年に対する調査なども、少年の保護矯正をやりながら事実認定を行う、そういった特殊性を持っております。一つの事実については、これがあったかなかったかという問題だけではなくて、そのときに少年はどういう気持ちだったのか、あるいはどういう事情からこういう行動を起こしたのか、そういった背景を探るということも含めて、それから少年の心を開かせるといった技術も含めて、いろんな審判手続が行われます。
 したがって、最後の審判廷でも、やはり裁判官が一対一で少年と向き合って、少年の心を開かせて、それから少年の反省を促す、そういった手続も同時に行われるものですから、やはりそこに被害者の方がおられると、なかなか少年の心も乱れて素直な反省がそのまま出てくるかどうかといった心配もございますので、非公開という原則はそのまま持続させていただきたいと思います。
 しかし、現在の時点でも、矯正の現場に被害者の視点を導入する。例えば、被害者への手紙を書くとか、あるいは矯正施設に被害者の方に来ていただいて、被害を受けたときの心持ちがどういう状況だったのか、被害者の方としてはどのようなこれからの行動を少年に対して望むのか、そういった指導方法も導入されるというふうに聞いております。さらには、実際に被害者と対面して、そのときの被害者の気持ちを聞く、それによって自分がどういう犯罪を犯したのかということを自覚する、修復的司法というふうに呼ばれていますけれども、そういった手続も採用されるということで、私どもも考えております。
 被害者救済、被害の回復といった、これは犯罪被害者共通の課題があります。実際に、身体的それから精神的に受けた損害に対する賠償問題、あるいは精神的な後遺症に対してカウンセリングなどのケアを行うこと、そういった問題につきましては、少年非行だけではなくて、犯罪被害者一般に共通する問題として今後も国民のすべてが考えていかなければならない問題だと思います。
 私としては、法律家の立場としては、現法案については、ただ、今まで述べたような前進性はあるにしても、そのほか非常に問題がある点が多いというふうにも考えております。そのことについて述べさせていただきます。
 まず、厳罰化に対しまして、少年は凶悪化している、したがって厳罰で対処しなければ今後どうなるかわからないといった議論がされました。しかし、まず量の問題として見ますと、さまざまな統計資料が出ておりまして、今回もこの参考資料の中に、「少年犯罪の現状」とか、あるいは法制審議会でも詳しい統計資料なんかが出ております。
 それを見ますと、やはり全体としては、実際この議員提案による改正をしなければならないほどの凶悪化、量的増加というのは認められないのです。これについては、例えば殺人が去年に比べてことしの方がふえているとか、あるいは凶悪犯というのは殺人、放火、強姦、強盗の犯罪を言いますけれども、この中で強盗は近時増加ぎみであるとか、そういった一部的な動向はあるにせよ、全体の動きとして見るならば、決して今改正を早急に急ぐほどの増加はないと私は考えておりますし、一般的にもそのように言えるのではないでしょうか。
 しかし、これに対して質の問題としましては、現在、昨日までは普通の子供と思われていた層から、突然の非常に問題となるような犯行をするという事態が起こっております。これに対しましては、裁判所調査官などの現場などではボーダー論と言いまして、日常生活の中では見えないけれども、生育とかそれからいろいろな育ち方の過程で特殊な考え方しかできない人格を持つ子供というのがふえている。そういう人格の偏りを持った子供がふえていて、それがある一つの要因をきっかけに爆発的な犯行を起こす、そういった傾向が見られるようになっております。
 さらに、被害者から加害者への転化という問題もあります。平成十二年四月二十八日の読売新聞の記事によりますと、補導、逮捕された少年の八割が過去にいじめとか犯罪被害の経験を持つと。そういった従来いじめを受けた側の少年たちが今度は加害者として転化していく、そういった事態も存在します。
 これに対してどういった対策を講ずるべきかといいますと、これについては、こういった少年が育つ基盤の問題ではないかと思うんです。一つは、やはり現在の家庭とか親子のあり方、あるいは学歴社会の中で教育のゆがみが生じていて、その教育の中で生ずる人格の偏りだとか、それからさまざまな文化的な問題だとか、あるいは両親が夜遅くまで働くことによって子供たちが家庭において保護されない、そういった労働状況の問題など、これは大人がつくり出した基盤から生じている非行、そういったとらえ方をすべきではないかと思います。
 さらに、先ほども申しましたボーダー的な少年たちの処遇対象としては、従来的な矯正と、それから医療少年院へ送ってそこで精神病的な病質について治療するといった対処ではもう足りなくて、その中間的な新しい処遇形態を考案しなければならないんではないかと思います。それについては、やはり調査官とか専門家の育成とか分析、それから専門家の処遇が必要になってくるのではないかと思います。
 先ほど申しましたように、被害者とか地域的なつながりを持った修復的司法の導入と、それから専門家による分析、処遇という、この二つの両立した二輪のうまい兼ね合いによって少年の非行というのを処遇していくべきではないかと思います。
 さらに、この法案についての問題と思われますのが刑事処分年齢の引き下げ、それから原則逆送などの厳罰化の問題だと思います。
 先ほどから出ていますように、厳罰というのはどういう意味なのかということが一つ問題になります。従来、この提案なんかを見ますと、刑事手続は厳しい罰で、それから審判手続は軽いんではないか、そういったふうにとられている向きもあるし、国民もそういうふうに考えているところがあるんではないかと思います。
 しかし、私どもから見ますと、刑事手続は確かに公開の法廷で、それから検察官に糾問的に突き詰められて、それは少年にとって非常に厳しい罰ではないかというふうに一見は見えますけれども、少年自身の内面からは非常に受動的な処遇なんです。少年は、いわばこれは頭を下げていれば通過できる儀式と言っても過言ではない面があります。
 それに対して、審判手続というのは、先ほど申しましたように、実際に調査官の面接、それから鑑別所での技官との面接調査、それから裁判官との面接、その間に常に自分の犯した犯罪についての意味とそれに対する自分の自覚、あとそれに対して今後どうしていくかといった問題提起がされるわけです。本当に厳しいということを考えるならば、やはりこれは常に自分の犯した非行と向かい合わさせられる、そういった審判手続の方がより高度な厳しい罰だというふうには考えられないでしょうか。
 それから、先ほど山口さんの御意見にもありましたように、刑事処分年齢の引き下げの問題は、これは中学生を少年刑務所に送るということを意味します。結局、中学生というのは義務教育であり、国家が責任を持って教育をするという年齢であります。それに対して、教育の現場から引き離して少年刑務所に送ってしまうというのは、これは国家がもう教育権を放棄したということになるのではないでしょうか。
 これに対して、十六歳までは少年院に置いて、十六歳を過ぎたら少年刑務所に送るといったフォローがなされているようですけれども、これはちっともフォローにならないと思います。刑務所に行かなければならないという前提として少年院に行った場合、これは少年の心として、素直に自分がここで一生懸命反省して、それで自分の反省によって社会に出ていこうと、そういった気持ちになれないからだと思います。やはり少年院の方としましても、実際の少年院でやる矯正とあと少年刑務所に行っての矯正というものの連続性がなかなか難しいものになるのではないでしょうか。これらの接ぎ木的な処遇では決して少年の矯正にはならないというふうに考えます。
 次に、原則逆送の問題ですけれども、これはこれまでの家庭裁判所の判断に対する非常に不当評価じゃないかと思います。これは裁判所が怒らないのが私は不思議なような気持ちがしています。
 これまで日本における少年非行の再犯率は非常に低いです。これははっきり言って低いし、諸外国に比べても低いです。それから、少年院出所後の再犯率も二〇%前後に抑えられています。五人のうち四人はきちんと矯正を受けてそれから社会に復帰しているといった状況をあらわしています。これらはやはり家庭裁判所の保護処分がうまくいっていることの結果ではないでしょうか。
 家庭裁判所の例えば逆送と逆送しないという判断については、実際に判断が間違っていて矯正がうまくいっていない、それであるならば逆送と逆送でないものの原則と例外を逆転させろといった議論は当然出てくるんだと思います。ところが、実際に処遇がうまくいっている、その前提としての逆送、非逆送という判断も正しいという前提であるならば、何でこれを逆転させなければならないのか。そういったことに対して、提案者の提案理由は全く合理的ではないというふうに考えます。
 それから、今回の法案では、二十条一項で調査の結果判断した場合は逆送できるというふうにしながら二項で原則として逆送しなければならないといった、非常に矛盾した規定の仕方になっていますが、その二十条一項に対して家裁調査官の調査が原則的に入るのかどうなのかというところも、これは議員の方々にははっきり確認してほしいところなんです。
 現在は家庭裁判所の調査というのはほぼ全件に入って、その家庭裁判所の調査官の調査とそれから裁判官の判断によって逆送か逆送しないかというのが決まっています。であるならば、家庭裁判所の調査官の調査が入るのであればそこで妥当な調査が行われるはずですから、それを無理に原則逆送しなければならないといった形で無理やり逆送させることの意味はどこにあるのかというところをはっきりさせていただきたいと思います。
 それから、先ほど武さんの方から出ましたように、事実関係をはっきりさせたいと、被害者の方は本当にそう思われると思います。それについては、一つは現在の少年非行、少年犯罪については事実を争う事件がほとんど二割以下であって、あとは大体事実関係については問題がないという状況になっております。したがって、事実をはっきりさせたいということの多くはこの審判過程についての情報を与えられることによって知ることができるのではないかと思います。
 あと一割から二割の非常に事実認定が困難な事案、それについては確かに、山形マット事件以来、裁判所からも言われておりますし、それから現場の裁判官あるいは弁護士なんかでもそういった議論をしている面はあります。これに対しては、実際、今の例えば審判手続でも、裁判官の研修あるいは裁判官のいろいろな配置、それから調査官の調査活動をもっと自由に認めることによってフォローできるのではないかといった意見もあります。
 これに対しても、非常に事実認定が困難あるいは少年が事実を争う場合には、やはりこれについては場合によっては今の審判手続ではなくて新しい制度を考えた方がいいかなと私なんかは思うこともあります。ただし、それについては、今回の法案のように検察官を審判の補助者として参加させるあるいは合議制をとるといった方向は誤りだと思います。
 なぜかと申しますと、一つは合議制自体がやはり少年の心を開くのを難しくさせるのではないか、そういうふうに考えています。従来のように、裁判官と一対一で裁判官の働きかけに応じて少年も心を開いて自分の犯した罪を語っていくという形態がなかなか三人だととれなくなるのではないか、そういった疑念が生じます。
 さらにその上に検察官が関与するということになると、もうこれはもってのほかだと思います。検察官という職業は犯罪の追及者です。犯罪を糾問するのが仕事なわけです。検察官を協力者として審判廷に入れた場合、実際はもう裁判官が検察官の意見に非常に影響を受けて左右されると、そういった現実的な状況になっていくのは明らかではないかと思います。
 一つは、少年の審判には、実際、大人の刑事手続で認められている証拠法則とか、あと起訴状一本主義、それらの保護規定は全く適用されていません。それはなぜかというと、裁判官が少年の保護者的立場に立って、すべての事情を考慮した上で、それから少年の将来の保護育成に対してどういった処遇が一番妥当なのか、そういう高所の観点から判断できるようにということで排除されているわけです。
 ところが、実際に今回のもし改正が実現しますと、捜査の書類はもう際限なく裁判所に上がってきているんです。その書類を見ますと、付添人たる弁護人が見てさえも少年の悪性というか、それに対する立証資料がもう山ほど上げられるわけですね。しかも、その証拠能力については全く限定がなくて、すべての資料が上がってくる。それに対して検察官が審判廷に参加して少年の非行について糾問するわけです。こういう図式は、大人の犯罪者よりも非常に不利な立場に少年を追いやることになります。そうしますと、これはもう憲法三十七条一項に言う公平な裁判所とはとても言えないというふうに私は考えます。さらに、やはり子どもの権利条約で認められている公平な裁判を受ける権利、あるいは三十七条に認められている権利なんかにも抵触するおそれがあるのではないかと思います。
 したがって、もしこの法案が実現していくようになりますと、実際、例えば弁護士の立場としては、憲法違反あるいは子どもの権利条約に違反している、抵触している、場合によってはそういった問題提起をしていくことになるのではないかと思います。
 では、事実認定にはどのような裁判所がふさわしいのかということにつきましては、私の方で資料に出しておきました「行財政研究」の一番最後から二ページ目に「「フルセット型」家庭裁判所モデル」という形で家庭裁判所のあり方というのが図式に示されていますけれども、これから家事事件については、人事訴訟については、地方裁判所で行われている訴訟を家庭裁判所におろしてくるという、そういう人訴移管の問題が今議論されるようになってきています。それとリンクする形で、少年事件についても裁判部を家庭裁判所に設けたらどうか、そういった構想があります。そうしますと、審判部と裁判部の間の送致の関係とか、あるいは送致されても、現在少年法五十五条で逆送された事件でも審判に戻すという規定がありますけれども、実際に今は死んでいるわけです。それがもっと柔軟に行えることができるんじゃないかと。
 それから、家庭裁判所の調査官というのは少年事件に関するプロなわけですけれども、実際、逆送されてしまうと、地方裁判所では家庭裁判所の調査官が関与できないといった問題があります。ところが、この形によりますと、逆送された事件についても調査官が調査に入ることができる、そういった利点があります。こういった形もいろいろ考えることができるのであるから、今拙速に少年法を改正して、先ほど言ったような憲法違反とか子どもの権利条約の違反とか、そういった火種を抱えるような法案をそのまま通すことがあってはならないと思いますので、よく慎重に審議していただきたいと思います。
 以上です。
○委員長(日笠勝之君) ありがとうございました。
 以上で参考人の意見陳述は終わりました。
 これより参考人に対する質疑を行います。
 質疑のある方は順次御発言願います。
○佐々木知子君 自民党の佐々木知子でございます。
 きょうは参考人の方々、どうもありがとうございました。特に武参考人と山口参考人は本当に大変な思いをされたことと心からお察し申し上げます。
 特に武さんにお聞きしたいんですけれども、私ちょっと聞き逃したような気がするんですが、加害者の生徒というのは何人いて、幾つの少年で、その後どういう処遇になったのか御承知であられますか。通知制度というのはその当時なかったですから、どういう形でお聞きになったのかちょっとわかりませんけれども。
○参考人(武るり子君) うちの事件の場合は、手を出したのは一人なんです。その横にけしかけるような子がいたので二人、グループとしては六人いたんです。
 処分はその手を出した子だけが受けました。その子は長期処遇ということでした。実際は一年弱で出ていました。けしかけたその横にいた子、うちの息子を助けようとした友達をけったりとかした子は何も処分は受けていないようでした。そして、最近民事裁判をしてわかったんですけれども、再犯をしていました。やはり同じような暴行や恐喝やそういうことをしていました。
○佐々木知子君 幾つだったんでしょうか。
○参考人(武るり子君) 十六歳です。
○佐々木知子君 主犯の少年も、それからけしかけた少年も十六歳ですか。
○参考人(武るり子君) はい、十六歳です。
○佐々木知子君 多分、中等少年院の長期処遇相当という形でいって、二年ぐらいなんですけれども、仮退院というのが普通ありますから一年二、三カ月で出てくるので、多分その処分になったのではないかと思いますが、私は本当に遺族の方にとったら軽いなというふうに思われているだろうと思います。
 私は、前の職業に絡みまして被害者の方々とは随分いろいろやりとりがあったんですけれども、PTSDというのが最近よく話題になっておりますが、特に子供さんを亡くした母親がこれが一番きついということを聞いております。
 直接話を伺ったんですけれども、子供が亡くなったとき、これはひき逃げでも過失でも同じなんですけれども、もちろん故意で殺された場合はもっとすごいことになりますけれども、時間がとまったような気がして、そして今生きている時間とそのときの時間と何か二重の時間を持っているような気がすると。何か楽しもうと思ったときに何かすごく、息子は殺されちゃったんだ、死んじゃったんだと思ったら、何か自分が楽しんじゃいけないような気分になって引きつってしまうと。
 それで、どう言うのか、人を責めているとしんどいものですから、人間というのはどんどん自罰的、自虐的になってきて、私が悪かったのかもしれないと、何かそういうふうに思う傾向がある。そういうことによって慰謝をしていくというようなことを私もちょっと涙ながらに聞いたことがあるんですけれども、多分そういうようなお心持ちでずっと時間がとまっているような感覚をお持ちなんだろうと私はそう思うんです。
 それで、主犯の少年なりかかわった少年なりから謝罪があったのか、それからその親も含めて、多分掛ける二いるんでしょうけれども、何かそういうような形であったんでしょうか、お伺いしたいんですが。
○参考人(武るり子君) うちの場合は謝罪というか、本人とも民事裁判をして初めて会ったんですけれども、民事裁判は時効が三年なので、私たちはその三年まで待ったんです。誠意を待ちました。待ったけれども、三年間なかったので、時効が来るために民事裁判を起こしたんです。
 民事裁判を起こして、法廷では謝罪はありました、本人からごめんなさいと。親からも謝罪らしきものはありましたけれども、私たちはそれは謝罪とは受け取ってはいません。裁判官の目の前ではそういうことをしましたが、その直後に出してくる書類、書面などでは、あれはけんかだと主張してくるし、一方的な暴行というのは見ている子供たちがいるので間違いないんですけれども、あれはけんかだ、うちがけしかけたと。そして、うちは軽いんですけれども血友病を持っていたものですから、その血友病のせいにもしてきます。そうしたら、法廷で見せたごめんなさいは何なんだろうと。私は謝罪とは受け取ってはいません。
 そして、その前にも接触はありました。今振り返ってみると、審判が出るまででした。審判が出るまで三回ほどの間接的な接触はありました。でも、審判が終わった途端、その三年弱の間は全くありませんでした。私、この二日前に四回目の法事をしたんです。四年目を迎えたんです。そして、そのときも全くありません。あのとき民事裁判でごめんなさいと言いました。そういう姿を見せたけれども、今回も全くありませんでした。
 私、先ほど言ったように、母親というのは、たとえ人の手によって子供が殺されても、一番責めるのは自分なんです。私はやっぱり気がつくとお母ちゃんだけ生きていてごめんなと、そう語りかけながら、気がつくとそうやっています。でも、私には下に子供が二人いるんです。生きていかなければいけないんです。だから、スタートに立たせてほしいんです、平等に。
 私は、荷物に例えるといけないと思うんですけれども、悲しみとか寂しさとかは年々募ったりするんです。それは自分で乗り越えないといけないというのもわかっているんです。でも、私たちの場合、加害者が少年だということで責任をだれも負わなかった。厳罰化にしてくれというのじゃなくて、そのやったことに対しての責任、その罰がついたことが厳罰化なんでしょうか。私はそうではないと思います。それに合った罰が必要だと思いました。
 ですから、厳罰化というのはすごく間違った使い方をされているなと思うんです。本当に何か、何て言っていいかわからないんですけれども、たくさん言いたいことがありましたけれども、済みません。
○佐々木知子君 金銭的な補償というのはまるでないというふうにお聞きしてよろしいですか。
○参考人(武るり子君) 加害者からのですか。それは全くありません。全部自分です。
○佐々木知子君 お葬式代から何から含めてということですね。
○参考人(武るり子君) はい。全部自分です。
○佐々木知子君 今回、記録の閲覧権、謄写権というのが盛り込まれたということで、ただ傍聴をする権利というのはまだ盛り込まれていないんですけれども、いかがですか、もし傍聴をする権利というのが盛り込まれていれば審判を傍聴したいというふうに思いますか。
○参考人(武るり子君) 私はしたいと思います。
 私は正直言って本当に怖いです。相手を目の前にするのも怖い。事実を知ることも怖いんです。本当は逃げたいです。だけれども、親は子供の最期を知らなければいけないと思います。その最期にかかわったことを私は自分で知り、受けとめて、そこからスタートしなければいけないと思うので、傍聴したいです。
○佐々木知子君 多分、少年に殺された場合だけじゃなくて、全般的に言われることでしょうけれども、被害者の権利というのは私は今まで随分なおざりにされてきたと思うんですが、あと一言、言い足りないこと、何か訴えたいことがあればおっしゃってくださいませんか。
○参考人(武るり子君) ありがとうございます。
 私は本当に被害者の権利は全くなかったと思っています。そして、被害者の権利をいつも考えるときに、私たちの場合しかちょっとわかりませんけれども、いつも加害少年のことを気にしながらしか被害者の権利を考えてもらえないんですね。加害少年の方のことを考えるときに被害者のことは一切考えてもらえなかったんです。でも、今回やっと被害者のことを考えましょうというときにさえ、加害者の何々に気をつけながらとか加害者に配慮をしながら、一歩も二歩も下がったところでしか被害者はまだ考えてもらっていない、まだ平等ではないと感じています。でも、画期的なことではあると思います。これをスタートにして平等まで持っていってほしいと思っています。
○佐々木知子君 ありがとうございました。
 ではもう一点、千葉参考人にお聞きしたいんですけれども、検察官を立ち会わせると子どもの権利条約違反になるというようなことを何かちょっと言われたような気がしたんですけれども、イギリスでもドイツでもフランスでも、すなわち日本がほとんど例外であって、少年の裁判については検察官が全部立ち会って対審構造でやっておりますが、どこが子どもの権利条約に違反する、どこに検察官立ち会いを認めてはいけないと書いていますでしょうか、ちょっと教えてください。
○参考人(千葉一美君) ですから、それは対審構造のもとに検察官がもちろん関与するのは全然構わないんです。私も対審構造にして検察官を関与させたらどうかと、そういうふうに言っているわけです。現在の審判廷に検察官を入れるのはやっぱり子どもの権利条約に違反すると、そういうふうに言っています。
○佐々木知子君 わかりました。
 もう一点、検察官が犯罪追及の立場であるというふうに言われましたけれども、被害者がいる場合は被害者の立場も代弁しているというふうにはお考えになりませんか。
○参考人(千葉一美君) 一面、やはり検察官は被害者の声の代弁者というふうに考えている検察官もいると思います。ただし、本件で検察官が入るのは、事件を選んで入ってくるんですよ。すべての事件について入ってくるわけではなくて、やはり耳目を集めた事件とか、それからこれについてはやはり非常に厳しく処罰しなければならないと、そのように検察官が考えた事件について入ってくるわけです。したがって、それは非常に恣意的なことであって、それは被害者の声の代弁者としてのみの役割というふうに判断することはできないと思います。
○佐々木知子君 見解の相違というふうにお聞きしておきましょう。
 ありがとうございます。
○角田義一君 民主党の角田義一でございます。
 参考人のお三人の方、本当にありがとうございます。
 武参考人にお尋ねいたしますが、最愛の御子息を失われて、大変な悲しみを乗り越えて、きょう来ていただいてまことにありがとうございます。
 若干お尋ねしたいんですが、先ほどの経過を聞いておりまして、警察の対応やあるいは家裁の対応は非常にまずかったなと私は思っております。まだこういう対応をしているのかなというような気持ちもいたしますが、それはそれといたしまして、一つお尋ねいたしたいのは、参考人は被害当事者の会の代表をやっておられるわけでございますが、今日こういう少年法の改正もございますけれども、当事者の会としては今の改正以上にどういうものをしてほしいと、先ほど被害者の権利というか平等の立場にしてほしいというふうにおっしゃっておられましたけれども、もうちょっと具体的にどういう要求をされるのか、お尋ねいたしたいと思います。
○参考人(武るり子君) 私たちがいつも言っていることは、まず犯罪を分けてほしいということです。ですから、軽微な犯罪、万引きだとか、私が思うのは弁償できるものだったらいいんです。でも、命というのは弁償できないんですね。だから、せめて命にかかわる事件はやっぱりちゃんと事実認定をしてほしい。それは日本では裁判しかないと思うんですね。原則逆送がすごくいけないとおっしゃるんですけれども、私は今の日本では裁判が一番いいと思います。いけないというのであれば、そこをもっと考えればいいと思います。
 ですから、私たちは、少年事件が起きたときに、少年だからとか何歳だからとか分けるのではなくて、何をやったか、何が行われたか、その事実をまず見てほしいと思うんですね。そして、命にかかわる事件はせめて裁判にしてほしい、それで裁判で事実認定をしっかりしてほしい、そしてだれにこれだけの罪があるという事実認定、罪の認定をしっかりやってほしいということですね。その後で、少年だから教育が必要だ、少年だから教育と罰が必要だ、そこから年齢で分けるのだったらわかるんです。だから、私たちが大事に考えてほしいのは、何があったか、命が奪われたんだということをまず前提に置いてほしいということなんです。
 それから、工夫をしてほしいと思うんですね。私は年齢は関係ないと思っているんです。たとえ小さい子供であっても人を殺してはいけないというのは知っています。だから、せめて命にかかわる事件は年齢に関係なくまず裁判にしてほしい。でも年齢が低いから顔を出してはいけない、名前を出してはいけないんだったら、工夫をしたらいいと思います。
 事実の認定、事実の公表は大事だと思います。それで、その起きてしまった事件の事実の公表がないと予防策は生まれないと思います。どこに問題点があるかもだれも見えないと思います。そこで問題点を見つけて予防策を考え、起きないような子供たちを育てるべきだと思います。
○角田義一君 それと、当事者の会の皆さんは、先ほどちょっとお話が出ましたが、今盛んに外国等で言われております修復的司法というんですか、被害者と加害者がいろいろな条件を整備した上で対面して、加害者の立場、また被害者の少年の気持ちも聞く、こっちも訴えるべきは訴える、いろいろ準備は要ると思いますけれども。先ほど傍聴を希望されておりましたが、それはそれとして、そういう被害者と加害者が本当にいろいろな準備をした上で対面をしていろいろ話し合うというか、もちろん第三者のもとでやるというようなシステムが今非常に外国でも考えられているわけですが、御子息を亡くしたお立場でそういう形で被害者と対面をするというようなことはいかがなんでしょうか。非常に難しいことだとお思いになりますか。
○参考人(武るり子君) 私が知っているのは、外国でも死亡事件というのは私はまだ聞いたことがないんですね。死亡事件の被害者と加害者が向き合うというのはまず少ないような気がします。私が見たビデオによりますと、まだ犯罪の質が軽犯罪だったです。軽犯罪の場合は加害者と被害者が向き合い、言い合ってできると思いますが、私たちのように殺されてしまった場合、特に少年犯罪の場合は事実認定もされていない、そして裁判にもならない、そしてだれも罰を受けない、そういう段階はないので、段階ができた上では考えられることもあるかもしれませんけれども、そういった裁判だとか事実の認定、罪の認定、罰はどうなる、そういうものがしっかりした上でないと私はできません。
○角田義一君 それから、山口参考人にお尋ねいたします。
 きょうのお話やらあなたのお書きになったものを拝見いたしまして私が非常に感銘を受けたのは、あれだけの被害にお遭いになっておりながら、そのときに、この少年はこんなに病んでおるのかなと、そこまで気持ちがいくということは、これはもう人間として大変なことだなというふうに私は思って非常に感銘をいたしたわけです。
 先ほどのお話をずっと聞いておりまして、厳罰だけで被害者というのは救われるものじゃない、本当の謝罪ということと、あともう一つ、やっぱりこういう少年を生み出さないためにどうしたらいいかということについていろいろ御提言もありましたけれども、自分の御経験からいって、もうちょっとその辺の提言があれば言っていただきたいということと、それから今言った修復的司法のようなことをお考えになっておられるかどうか、その二点についてお尋ねいたします。
○参考人(山口由美子君) 最初の方は、我が子が不登校をやっていたというために彼の心がわかったんですね、つらいというところが。それと、やっぱり塚本先生から、子供たちは環境で育っていく、母親がとっても大事なんだということの教育を受けてきたもので、子供が悪いんじゃない、周りが悪かったんだというふうに受けとめられたと思います。
○角田義一君 修復的司法はどうでしょうか。
○参考人(山口由美子君) 二番目の修復的司法は私も主人も大賛成です。何かそういうふうに話し合って、お互いにこうしてほしいとか、こんなにつらかったよということを相手に伝えることで、犯人の方もそういう被害者の気持ちがわかって、犯罪者もこういう感じでどうしようもなかったということを聞いたら、お互いにやっぱりそこでいやされるということが絶対あると思いますので、それは大賛成です。
○角田義一君 最後に、千葉先生にお尋ねいたします。
 今回の少年法改正、先ほどからずっと聞いておりまして、確かにいろいろ問題はあるわけなんですよ。検察官関与の問題やら逆送の問題だとかいろいろございますけれども、少年法の本質的な部分について、これは変わってしまう危険というか、お思いでしょうか。それとも少年法の理念なりは運用によってはやっぱり堅持されると、私は堅持すべきだと思うんですけれども、専門家のお立場でその一番大事なところはどういうふうにとらえておられますか。
○参考人(千葉一美君) 私はやはり変わってしまうと思います。
 先ほど申しましたように、原則逆送という形になりますと、裁判官の考えもそれから調査官の調査もおざなりになってしまって、本当に書面と、あとはもう犯罪行為の重さ、それでもうどんどん逆送していくといった形で処理されていくんではないかということを非常に危惧しています。
 それから、先ほど申しましたように、審判廷に検察官が関与するというのはもうこれは本当に重大な変質になるというふうに考えています。
○角田義一君 私、時間ですから、これで。
○魚住裕一郎君 公明党の魚住裕一郎でございます。三人の参考人の皆様、貴重な御意見を本当にありがとうございました。
 まず、武参考人からお聞きしたいんですが、本当に胸にずしんとくるお話でございました。今回の少年法改正案の提案者の皆さんにお話を聞きますと、今話に出ました原則逆送という内容につきまして、失敗は取り戻せても命は取り戻せないんだとどなたかおっしゃったようですが、こういう思いで、故意の犯罪行為によって被害者を死亡させた場合に原則逆送としましょうねと、立場によってはこんなのは原則になっていないと言う人もいるんですが、そういうような立法になって提案されているところでございます。
 また一方、少年の悪性等を考えた場合に、殺人罪、つまり故意に人を殺そうという、その犯罪で死亡という結果をもたらした事件だけを原則逆送にしようというようなお考えもあるように思うんですが、先ほどのお話を伺いますと、私どもといいますか、提案者の思いと同じようなお考えかなと思ったんですが、この加害少年の悪性等も考えた上で、故意の殺人というのは変な話ですが、殺人罪だけに限定した方がいいかどうか、その辺はいかがでしょうか。
○参考人(武るり子君) 少年事件の場合は本当に集団が多かったりするんですね。二時間も連れ回して、もう息をしてないのを確認して、心臓が動いてないのを確認してもまだ暴行するという例もあります。その後におしっこをかけたりいろんなことをする例もあります。でも、殺人罪にならないんですね、殺人にはならないんです。だから、私たちは、本当に命にかかわる事件はということで絶対傷害致死とか、ほとんど傷害致死になってしまうので、だから殺人と書かれるとすごく不安なんですね。ほとんど殺人にはならないです。だから、命にかかわる事件は原則逆送としてほしいと思っています。
○魚住裕一郎君 続きまして、千葉参考人にお聞きしたいんですが、先ほど新しい処遇形態、私どもも少年法を改正するだけじゃなくて、その後の少年の処遇というのは、社会復帰あるいは少年の更生というのは非常に大事だなというふうに考えておりまして、先ほど修復的司法という御提案もございますが、これなども積極的に何とか制度としてできないかなと思うんです。「新しい処遇形態の考案」というふうにレジュメに書いていただいておりますが、中間的処遇形態とも先ほどおっしゃいました。具体的にはどういうことなのかもう少しお教えいただけますか。
○参考人(千葉一美君) これにつきましては、中間的というか従来の矯正施設、少年院が主ですけれども、その少年院におけるいろんな矯正的あるいは教育的な施設のほかに、それでなければもう医療少年院と、その二つしかないわけですね、今、処遇形態として。やっぱり普通の矯正施設は一般的に通常の範囲で私たちが理解できて、犯罪動機もそれなりに環境等を合わせればこういう犯行に至ったのもわかるかもしれないと、そういったレベルの少年たちを矯正する施設だと思うんです。
 そうじゃなくて、このごろ起きている、例えば人を殺してみたかったとか、あるいは殴るとどのくらいの打撃があるんだろうかとか、注意されただけで教師を刺してしまう少年とか、そういった実際に人格的にかなり偏りがもう発生してしまっている、そういった少年というのが今後ふえてくるだろうと思うんです。それは一つは文化的な問題もあるし、やはり日本という国自体が非常に今高度な、いわば爛熟の文化に向かって進行しているような状態で必然的に発生してくる犯行、犯罪形態かもしれませんけれども、やっぱりそういったいろいろな要素が絡まってそういう層というのはふえてくるんじゃないかと思うんです。
 そういう層に対しての処遇が今の矯正施設では非常に無力ではないかというふうに考えておりまして、やっぱりそこには専門家を投与して、高度な専門的知識を持った専門家による分析と処遇ということを考えた方がいいかなというふうに思っております。
○魚住裕一郎君 私どもも中間施設といいますか、少年院から出てすぐ家に帰るのではなくして、まさに中間的な段階で環境整備をしたり、何かグループホームというような形で中間施設を設けて、そこでまた、施設処遇をされた者だけではなくして、虞犯少年までも通所させてみたり、そういうことが何とかできないかなと考えておりまして、またいろいろお教えいただきたいというふうに思います。
 それで、また千葉先生にお聞きしたいんですが、先ほど厳罰の意味ということで、審判手続というのは軽いのかというようなところで、刑事事件になったら少年は頭を下げて事が終わるのを待てばいいぞと、逆に審判の方が一つ一つの犯罪行為の意味内容が問われて、欠陥を目の前に突きつけられて大変きつい作業ではないのかというようなお話がございました。
 それで一方、一部困難で複雑な少年事件の認定につきましては、いや対審構造もあるんではないかと。確かにそうだとは思うんですが、事実を争うような場合はまさにそういう手続もあってもいいかなと思うんだけれども、あえて争う人もいるわけであって、そうなってきますと、あえて争って頭だけ下げてじっと我慢をするというような、非常に楽な道を選ぶ少年も出てきませんか。
○参考人(千葉一美君) 実際に対審構造をとって少年が争うという場合になりますと、少年にとっては非常にやっぱり不利益は大きいんです。なぜかといいますと、まず期間が非常に長引きます。
 現在の少年法だと、今回延長されましたけれども、例えば従来は一カ月の鑑別所の処遇、それから審判の期日という形でなるべく終わるようにするわけですけれども、これを争うということになると、これはもう決着がつくまでやらなくちゃならないので、少年にとって非常に負担が大きい。
 それから、裁判についての負担が大きいと同時に、やはりその間、少年が学生であるならば学生としての期間が失われていくわけですし、それから仕事を持っているのであればその仕事場も失われていく。そういった不利益な状況が非常に課されることがもう目に見えていますので、逆にその道を選ぶというのは、やはりあえて自分の無罪を晴らしたいと、そういった事件にある程度限定されてくるのではないかというふうに考えております。
○魚住裕一郎君 終わります。
○橋本敦君 きょうは、参考人の皆さん、本当にありがとうございました。
 武さんの場合は、最愛のお子さんを亡くされて、その悲しみをしっかり踏まえながらいろいろと御活躍もいただいておる様子で、私どもも被害者の皆さんに対するもっともっと手厚い、正しい救済を国の責任であるいは社会の責任でやっていかなくちゃならぬという思いを強くしております。
 今回の改正法で、そういった一定の前進はありますが、被害者の皆さんの立場や真の救済ということを考えますと、そして同時に加害少年の更生のためにも、正確な事実認定の上に加えて被害者の皆さんの思いを本当に受けとめられる、そういう子供たちにしていくためにも、被害者の皆さんの権利やあるいは救済という問題をもっともっとやっていかなくちゃならぬという思いを強くいたしております。
 また、山口さんからお話がありましたように、本当に子供の心をどう開かせるか。親の責任もあれば、環境、社会の責任もある、そういった問題での指摘も本当に感銘深く伺わせていただきました。
 まず、千葉先生にお伺いしたいと思うんですが、そういった点で、今回の改正法では、今お述べになった被害者救済という点で何がまだ足りないのかという点について、もう少しわかりやすく、どういうようにすべきだということで御意見がありましたら、まず最初にお伺いしたいと思います。
○参考人(千葉一美君) 先ほど武さんがおっしゃっていましたように、加害少年の保護との関係からさまざまな条件がついてはおりますので、そこのところの運用状況がどういうふうになるかということについては不安が非常に大きいと思います。ですから、それについては、非常に難しい問題なんですけれども、被害者の要求とか意見などはもう原則として認めるという方向での運用がなされていくということを期待するというふうに思っております。
○橋本敦君 それで、私は武さんのお話を聞いて、警察の最初の態度は本当にけしからぬと思ったですね。もっともっとあなたの立場に立ち親切に、事案の解明をあなたの立場に立って積極的にやるべきだと思います。
 この間もこの委員会で私は警察に、現在の少年事件の運用と被害者への情報開示等をどうやっているかと、こう言いますと、捜査状況の進展、それから加害者が決まったときに、それについての報告、氏名、年齢等も含めてきちんとやっておりますと、そういうことを答弁するわけですね。しかし、私はあなたのお話を聞いて、国会での形式的な答弁ではまだまだ足りないという思いを強くしておる次第です。
 それと同時に、これは千葉先生に伺いたいんですが、本当に正しい審判をし少年を更生させていく上でも、正確な事実認定が大事ですね。ところが、少年事件でも、草加事件に見られるように事実の認定が大変な争いになって、誤判、誤審、そういった状況もないわけじゃない。本当に正しい事実の認定がなければ少年は本当に正しい反省ができないわけです。そういう意味で、警察の捜査がずさんであり、あるいは子供たちは大人のような判断力も何もありませんから、そういう未発達な子供たちに対して自白の強要あるいは事実の押しつけ、こういうずさんな捜査をやられれば、本当に少年法の正しい理念も生きないし、被害者の皆さんの思いも生きないし、そしてまた子供にとって正しい反省もできないわけですね。
 そういう意味で、私は、実態として警察のずさんな捜査が許されないという問題はもっと厳しく国民的にも指摘する必要があるんじゃないかと、こう思っておりますが、御意見はいかがですか。
○参考人(千葉一美君) それについては本当にそのとおりで、私が担当した事件についても、その事件は身柄拘束されていませんでしたので、最初の取り調べのときから立ち会うというか、警察に一緒に行ったんですね。そうしましたら、実際の警察の要綱には、取り調べの際には親権者とかそれに類する人を立ち会わせなければならないというか、立ち会わせるべきであるという要綱があるにもかかわらず、弁護士はもちろん、両親も絶対立ち会わせないと言って頑張るわけです。だから、私は、そんなことはない、ちゃんと要綱にこう書いてあるじゃないかということでそれを交渉しまして、とうとう時間切れで担当の捜査官の方がもうしびれを切らしまして、もう親だろうが何だろうが立ち会わせろということになって、立ち会わせることができました。
 後でいろいろその内容を聞いてみましたら、親が聞いていてもう聞くにたえない言葉でいろんなことを言われたと。親はもうひたすら黙って聞いていたそうですけれども、取り調べの状況がああいう状況では、とても子供の方は萎縮してしまってなかなか本当のことは、本当のことというか、警察官にこうだろうと言われたら、それになかなか違うとは言えないような状況だったというふうに聞いております。
 それから、実際に調査官が調査している過程で初めて少年がその調査官に向かって心を開いて、実はこれは実際はこういうことだったんだということが明らかになって、調査官の段階で改めて事実が違うということで捜査をし直すということもかなりあると聞いています。
 したがって、根本的には、やはり少年法の事実認定の迷走事件の多くが捜査段階できちんとした捜査がされていない、もう何でもとにかく送ればいい、そういった乱用がまかり通っておりますので審判での混乱が生じている面というのもあります。したがって、捜査については現状を改善していくことが第一に大事だと思います。
○橋本敦君 時間がありませんので、最後に千葉先生に二点伺いたいと思うんです。
 一つは、二十条一項の調査についてお触れになりました。非常に大事なことだと思います。この家庭裁判所の少年調査官の調査ということが少年審判で非常に大きな役割を果たしている、また効果を上げてこられたことは事実なんですね。ところが、原則逆送となりますと、形の上で調査の結果あるいは調査ということを言いましても、外形的な犯罪のそういう基準から、どうせこれはもう逆送になるんだと、裁判官はそう判断するだろうと。こうなりますと、調査がそれだけ軽く扱われてしまって、家庭裁判所の本来の調査の意味が、形だけ少年調査官に調査させると言っても機能しない心配があるのではないかということが一つ。この点、お考えはいかがか。
 それから、二番目の問題は、十四歳、十五歳の少年の受刑の問題で、先生の言葉をかりれば、初め少年院に入れておく、ところが満十六歳になった途端に今度は少年刑務所へ移管しますから、そういう接ぎ木的な処遇というのは、これは処遇自体として矯正の効果が本当にあるかどうか問題だという御指摘がありました。この点、私もそういう問題意識は持っておりますが、どういう具体的な問題で現場の状況が適正にやられない心配があるのか、お考えがあれば。
 この二点についてお話しいただきたいと思います。
○参考人(千葉一美君) 法文上は家庭裁判所の調査と書いてありますけれども、ほかの条項では、例えば家庭裁判所の調査官に被害者に対してのケアをさせるとか、そういう条項にはちゃんと家庭裁判所の調査官と銘打っているんですね。ところが、今回の二十条一項の調査には全くそういった限定がないわけです。そうすると、調査というのが一体どの程度の調査なのかというのは非常に不安に思っております。だから、そこにおいて、形式調査というか書面調査で、この犯罪を犯したならばもう原則逆送であるといった形での処理が行われるのではないかというふうに心配しております。
 あと、実際に少年刑務所では刑務作業を行わせるんですね。その刑務作業というのは、確かに労働の習慣をつけるということについては有効な方法かもしれませんけれども、少年が実際に犯罪を犯して、それを自分の責任として自覚していく、そういう過程をつくらせるといったことには全く無力だと思うんです。
 それで、少年院の間は矯正するからいいじゃないかというふうにも考えているようですけれども、実際に少年にとって主体的に考えてみれば、自分はいずれは少年刑務所に行くんだといったような前提状況の中で、本当に自分がみずから反省して、きちんとした責任を持って自分が社会に出ていこうといった自覚にまで至るかどうかについては非常に疑問だと思います。
○橋本敦君 ありがとうございました。
 終わります。
○参考人(武るり子君) 今ので一つよろしいでしょうか。
○委員長(日笠勝之君) はい、武参考人。
○参考人(武るり子君) 済みません。
 ずさんな捜査のところで、私、一つ言わせてほしいことがあるんですけれども、今は少年事件というのはもうほとんどが裁判にならずに審判で片づけられていくという流れになっているんですね。ですから、これが命にかかわった事件は原則逆送となれば捜査も変わってくると思います。実際そういう声も聞きました。
 そして、家庭裁判所の調査のことをさっきから言われているんですけれども、私たち、家庭裁判所の調査官と会うことがありまして、何百人かの上に立たれている調査官の話を聞いたことがあるんですけれども、最近は調査がしにくくなっていて、調査ができないようなことをおっしゃっていました。加害少年の人権だとかプライバシーとか言われることで調査がはっきり言ってできない、机の上だけのケースワーカー的なことしか今はできなくなってきていると話をしていました。そうしたら、命を奪ったようなそんな事件を机の上だけのケースワーカー的なことで片づけるのには無理があると思いました。
 済みません、ありがとうございました。
○福島瑞穂君 福島瑞穂です。
 きょうはどうも本当にありがとうございます。それぞれにお聞きしたいことがあるので、お願いします。
   〔委員長退席、理事石渡清元君着席〕
 まず、千葉参考人にお聞きをしたいと思うんですが、与党案の被害者への配慮のことなんですが、私は現行法の運用によってもこれはかなり実現できるのではないかと思っておりまして、例えば被害者から事件に関する意見の陳述の申し出があるときはこれを聴取するものとするというのも、聴取をすることはできるわけですし、最高裁規則によっても、これはいいかどうかは別にしても、審判廷に出席することも可能ではないかというふうに思うんですね。
 それから二つ目の、家庭裁判所から被害者等に対し少年審判の結果などを通知する制度を導入するというのも、現行制度のもとにおいて通知の制度を導入すれば、通知をするということを採用すれば、通知することが法律違反だということはないわけですから、現行法の運用によっても、確かに被害者はどうなっているか全然何もわからないというのはすごく不安になると思うので、通知をするとか、こういうことは現行法のもとにおいても可能ではないかというふうに思うんですね。ただ、謄写、閲覧などについては法律改正が必要かどうかはちょっと私は自信がないのですが、それについてはいかがでしょうか。
○参考人(千葉一美君) 確かに通知するということについてはそういう方法で可能かと思います。
 それから、審判の内容についても、実際にもう現に神戸事件なんかでも審判の要旨についてはマスコミに対しても発表されていますし、当事者も知ることができますので、裁判官あるいは調査官の運用によってそのような措置に変えることは可能かと思います。
○福島瑞穂君 ですから、私も、少年法を改正して被害者のとやるよりも、現行法の運用でできるわけですし、きょうのお話を聞いても思うんですが、例えば精神的なケアを被害者、被害者の遺族に対しても行うとか、例えばセクシュアルハラスメントの裁判などを民事で起こすときは、だれか精神科医についてもらってケアをしてもらいながら裁判をやったりということはよくあるわけです。
   〔理事石渡清元君退席、委員長着席〕
 ですから、もっと別の制度が、例えば被害者のための、ここでも被害者救済法や補償の問題などはよく議論をするんですが、そういうことをもっと根本的にやらない限り、今の改正案だと現行法の運用でもできる。もう少し踏み込んで、いろんな制度は別にきちっと、少年、成人に関係なくというか、もちろん少年事件も重要ですが成人事件でももっと盛り込むべきだと思いますが、いかがでしょうか。
○参考人(千葉一美君) それについては私のところの被害者救済の第三点として述べていましたように、やっぱり犯罪被害者にとってはもう本当に共通の重大なことだと思います。
 やはり武さんが言われたように、もう本当に生命を侵害されたことに対する慰謝料その他が全然されていないといった事態もあると思いますので、それについては早急な法的手当てが必要で、それは少年事件だけに限定されなくて、早急に国会などで議論されるべきことだと思います。
○福島瑞穂君 次に、山口参考人にお聞きをいたします。
 山口さんのメディアの中での発言を聞いて、ああこういうふうに思われる人もいるのだと実は私は非常に感動したというか、感銘を受けたんです。先ほど角田委員も質問をされましたが、修復的司法、もちろんこれもかなりケース・バイ・ケースだと思うのですが、私自身は絶対に嫌だという人はもちろんそのとおりなんだけれども、例えば殺人や強姦といった逆に重いケースで、アメリカの例で遺族が囚人に会いに行って話をしたということなどが、逆に話ができたことで、一方にとってはもちろん反省になるし、一方にとってはいやしになるというようなことなどが報告されているのです。
 端的にお聞きしますが、山口さんは犯行を犯したとされる少年と話し合いをしたいとか思われますか。
○参考人(山口由美子君) しばらくは思っていてもやっぱり会いたくないという気持ちがあったんですけれども、やっぱりこれは時間が必要だと思うんですね。時間がたつに従ってそれがだんだん自分の中に定着してきて、本当につらかったろうなと、そのとき感じたこととまた別の意味で深く感じてくるので、できたら本当にそういうふうにしていただけたら、私たちの体のつらさも犯人はわかるだろうし、塚本先生の遺族の方たちとも話したら、あっちの方もすごく受けとめていらっしゃるんですね、塚本先生の御子息さんたちも。だから、この事件の場合は話し合いというのはすごくいい方向に行くんじゃないかなと思っておりますが。
○福島瑞穂君 先ほどお嬢さんが不登校だったというふうにおっしゃいましたけれども、お嬢さんはお母さんが傷を受けられたことやいろんなこの事件についてどうおっしゃっていらっしゃいますか。
○参考人(山口由美子君) 私がこの事件をみんなに話すときに、あなたの不登校のことをしゃべらないことにはお母さんはこの事件を話せないということを娘に相談したんですよ。あなたの不登校があったからこそ、彼がこんなふうに傷つけられていたということがわかったんだし、そういうことをしゃべれるけれども、それがなくて、お母さん、ただ傷つけられていたんだなと言ったって説得力がなさ過ぎるし、おかしいんじゃないかって逆に思われるからと言ったら、そうだね、私もつらかったけど彼もきっとつらかったんだよね、彼も被害者かもしれないと言って、話していいよと言ってくれました。
○福島瑞穂君 では、武参考人にお聞きをいたします。
 現に民事裁判が進行中ということで、今も非常にストレスの多い裁判を抱えて、物すごいストレスの多い日常生活を送っていらっしゃるというふうに思います。
 それで、殺人事件を、ごめんなさい、傷害致死とおっしゃったので、勝手に殺人とか言うのは失礼かもしれませんけれども、殺人事件や傷害事件や、場合によっては、私はもちろん大嫌いですが、強姦事件などを犯すような少年たちは、すごくいろんな問題を抱えているわけですよね。ですから、私たちも、犯罪をなくするために何とかその少年たちに変わってもらわない限り、一生閉じ込めておくことはできないわけですから、どうやったらその少年たちに届くようなこと、本当の意味で届くようなことができるだろうかというふうに思っているんですね。
 ですから、息子さんが亡くなられてつらいというのはよくわかるんですが、私自身は、特に子供の場合、泥棒をやった少年と殺人をやった少年、どっちも悪い。でも、もしかしたら殺人をやった少年、例えば覚せい剤でも物すごく何かを抱えているかもしれない。そうすると、ある程度心の中に入っていくようなことや、先ほど調査官がなかなか仕事ができないということを聞いて、そうでない調査官もいるとは思うんですが、そういう重大事件の加害者の少年に対してどうしたらいいかということについてはどうですか。
○参考人(武るり子君) 私は加害者の少年にどうのこうのと言うのはまだできないですね。
 ただ、私は、事件に遭うまで本当に福島さんのように、少年が本当に悪いことをするのは何か原因があるので、愛情で包めばいいとか、この子供たちは周りの人たちが包み込めば絶対いい子になるんだというふうに思って生きてきたんですね。そして、子供にもそういうふうに教えてきたような気がします、悪い子はいないんだよと。
 でも、悪い子がいたんですよね。うちの子は謝って逃げました。それで、逃げたのを追いかけられて、またそこでも謝ったけれども暴行されました。二、三発殴られるのをじっと我慢していたようでした。きっとそんな悪いやつはいないんだよと思ったかもしれない。
 私は間違っていたなと思ったんですね。でも、本当に人を殺すまでする子がいたというか、私は今回自分でそれを経験して、それには愛情、もちろん親の愛情、周りの愛情、環境の工夫、それはすごく大事なことだと思うんですけれども、一番悪いのはやった本人だから、本人に責任を負わすことが一番大事なことだと思うんですね。刑務所がいけないとかそういうことではなくて、やっぱり命を奪ったような事件を起こした加害者は、裁判になり、裁かれ、これだけの罪にはこれだけの罰が来るんだよというのは示さなければいけないと思います。そして、それがあった上での、少年だから保護しましょう、少年だからこの子に愛情をかけましょう、では地域の人たちもかかわりましょう、そういう問題は後で来るものだと思うんです。
 けれども、私は、今加害少年たちが三十家族にして百五十人ほどいるんですけれども、本当に悪かったという姿を本当に聞いたことがないんです。これが現実なんですね。やっぱりそれは責任を感じていないから、責任をこれだけだよと突きつけられていないからだという、そこが大きいと思いました。
○福島瑞穂君 時間ですので。
 ありがとうございます。
○委員長(日笠勝之君) 以上で各参考人に対する質疑は終了いたしました。
 参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、大変お忙しいところ貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。当委員会を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。
 本日の審査はこの程度にとどめ、これにて散会いたします。
   午後四時四十五分散会