第165回国会 教育基本法に関する特別委員会 第4号
平成十八年十一月二十八日(火曜日)
   午前十時二分開会
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   委員の異動
 十一月二十七日
    辞任         補欠選任
     福山 哲郎君     那谷屋正義君
     井上 哲士君     仁比 聡平君
 十一月二十八日
    辞任         補欠選任
     二之湯 智君     坂本由紀子君
     藤本 祐司君     浅尾慶一郎君
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  出席者は左のとおり。
    委員長         中曽根弘文君
    理 事
                岸  信夫君
                北岡 秀二君
                保坂 三蔵君
                佐藤 泰介君
                櫻井  充君
                蓮   舫君
                風間  昶君
    委 員
                岩城 光英君
                小野 清子君
                岡田 直樹君
                岡田  広君
                小泉 昭男君
                小泉 顕雄君
                鴻池 祥肇君
                坂本由紀子君
                中島 啓雄君
                南野知惠子君
                舛添 要一君
                松村 祥史君
                浅尾慶一郎君
                神本美恵子君
                下田 敦子君
                鈴木  寛君
                那谷屋正義君
                西岡 武夫君
                林 久美子君
                広中和歌子君
                水岡 俊一君
                浮島とも子君
                山下 栄一君
                鰐淵 洋子君
                仁比 聡平君
                近藤 正道君
                亀井 郁夫君
       発議者      西岡 武夫君
       発議者      鈴木  寛君
       発議者      水岡 俊一君
   国務大臣
       総務大臣     菅  義偉君
       文部科学大臣   伊吹 文明君
       国務大臣
       (内閣官房長官) 塩崎 恭久君
       国務大臣
       (内閣府特命担
       当大臣(少子化
       ・男女共同参画
       ))       高市 早苗君
   大臣政務官
       文部科学大臣政
       務官       水落 敏栄君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        山口 俊史君
   政府参考人
       文部科学省生涯
       学習政策局長   田中壮一郎君
       文部科学省初等
       中等教育局長   銭谷 眞美君
       文部科学省高等
       教育局長     清水  潔君
       文部科学省高等
       教育局私学部長  磯田 文雄君
       文部科学省スポ
       ーツ・青少年局
       長        樋口 修資君
       文部科学省国際
       統括官      瀬山 賢治君
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  本日の会議に付した案件
○参考人の出席要求に関する件
○教育基本法案(第百六十四回国会内閣提出、第
 百六十五回国会衆議院送付)
○日本国教育基本法案(輿石東君外六名発議)
○地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律
 案(輿石東君外六名発議)
○学校教育の環境の整備の推進による教育の振興
 に関する法律案(輿石東君外六名発議)
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○委員長(中曽根弘文君) ただいまから教育基本法に関する特別委員会を開会いたします。
 委員の異動について御報告いたします。
 昨二十七日、井上哲士君及び福山哲郎君が委員を辞任され、その補欠として仁比聡平君及び那谷屋正義君が選任されました。
 また、本日、二之湯智君及び藤本祐司君が委員を辞任され、その補欠として坂本由紀子君及び浅尾慶一郎君が選任されました。
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○委員長(中曽根弘文君) 参考人の出席要求に関する件についてお諮りいたします。
 教育基本法案、日本国教育基本法案、地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律案及び学校教育の環境の整備の推進による教育の振興に関する法律案、以上四案の審査のため、来る十二月一日午後一時に参考人の出席を求め、その意見を聴取することに御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○委員長(中曽根弘文君) 御異議ないと認めます。
 なお、その人選等につきましては、これを委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○委員長(中曽根弘文君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。
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○委員長(中曽根弘文君) 教育基本法案、日本国教育基本法案、地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律案及び学校教育の環境の整備の推進による教育の振興に関する法律案、以上四案を一括して議題とし、質疑を行います。
 質疑のある方は順次御発言願います。
○鰐淵洋子君 おはようございます。公明党の鰐淵洋子でございます。
 伊吹大臣を始め皆様、大変に連日ありがとうございます。私は、基本法に関しまして、確認も含めまして本日質問をさせていただきます。よろしくお願いいたします。
 まず初めに、少し大きなテーマになりますが、伊吹大臣の方に、何のための教育なのか、この教育観について初めにお伺いしたいと思っております。
 今、教育基本法をなぜ改正するのか、これはもうこれまでも様々御説明があったかと思いますけれども、今、子供たちを取り巻く環境は、いじめ、不登校、児童虐待、学級崩壊など、こういった様々な問題も抱えております。その一方で、高校、大学への進学率も高くなってきておりまして、また、政治や経済の面でも、あらゆる面で世界の中の日本、こういった視点も持つことが不可欠な時代になってきております。こういった大きな変化の中で、この教育基本法含めまして、教育の改革が求められていることと思いますが、こういった大きな教育改革を進めていく上で、教育基本法、教育の理念でありますこの審議に当たりまして、私自身、何のための教育なのか、そういった根本目的に立ち返りまして審議を進めていくことが重要であると考えております。
 私自身は、この教育の根本目的、何のための教育なのかという点に関しましては、これは様々皆様も表現、思い等もお持ちかと思いますが、私自身は、やはり子供の幸福のため、また国民皆様の幸福のための教育であらねばならないと思っております。
 また、教育、この言葉はラテン語でエデュカーレ、これは引き出すとか導き出す、こういった意義があるそうなんですけれども、つまり子供たちが持つ可能性を引き出す、また前向きに生きていく、そういった導き出す、こういった意義もあるかと思っております。
 ここで改めて大臣に、大臣御自身が考えます教育観、何のための教育かについて初めにお伺いしたいと思います。
○国務大臣(伊吹文明君) これは、人間百人おりますと百人とも望ましい人間像というのはみんなその人の人生観、価値観によって違うと思いますが、国家という集団を動かしていくためには何か一つのやはり形を作らないといけませんので、私たちは、そこで多数決原則という民主制のルールを使っているということだと思います。
 ただ、理想の人間像というのは、その人の人生観、価値観によって大いに違いますので、自分の考えを押し付けるということにはできるだけ慎重で私はあった方がいいと思いますが、私が考えている何のための教育かということは、日本という国、つまり主権のある日本という国におられる国民や、その他の外国人の方もおられますから、その他の方々が、日本社会と国際社会のルールの中で人間として喜びを持ち、自己の存在を確認し、成長していける基礎学力と規範意識を身に付けていただくことだと思います。
○鰐淵洋子君 ありがとうございました。大変重要な御意見をちょうだいしたと思います。ありがとうございました。
 いずれにしましても、今国民の皆様が教育改革を求められているのは事実でありますし、そういった意味でも教育の理念法でありますこの基本法の審議、今大臣からも大事なお話ございましたが、私自身も子供たちの幸福のため、そういった思いでしっかりとこの審議に臨ませていただきたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。
 では、続きまして、具体的に質問に入らせていただきたいと思っております。
 この本文の中に、第二条、「教育の目標」の中に、幅広い知識と教養、健やかな体を養う、生命を尊び、自然を大切に、伝統と文化を尊重し、こういったことが明記されております。この基本法の中に、言葉こそございませんが、食育、これも重要な教育課題に挙げられると考えております。
 これは、そのほか家庭教育や生涯教育等にもかかわってくる課題になるかと思いますが、この食育につきましては様々御専門家の方の御意見等もあるかと思いますが、今、日本の社会状況の変化の中で、朝食を取らない若い方が増えている、小中学生も増えているという、そういった報告もございます。この朝食を取らないということは肥満につながるとか、またいらいらするとか、集中力が欠ける、こういった、体だけではなくて精神的な心の部分にも影響してくる、こういった報告もあるところであります。
 そのほか、例えば両親と、家族と食事を取ることによりまして、その場でコミュニケーション、家族や両親と対話を進めることによって、そういったつながり、家族のつながり、それが深まれることもできるのではないかと思っております。
 そのほか、例えばおはしの持ち方とか言葉遣いとか、そういったしつけ、教育の場にもつながるのではないかと思っております。
 また、そのほか、この食材、お野菜とかお米を作ってくれた人、また料理を作ってくれた人への感謝の心、そういったことも学ぶこともできますし、また、しゅんの食材を食べることによりまして季節を感じたり、また地域の特色、大臣の御地元であります京都におきましても、京料理、また京料理を食べることによって、この京都の歴史だったり、この地域の特性、良さを感じることができるように、食育といいましても大変学ぶことが多いですし、またこの食育の意義も大変幅が広くて奥が深いものであると思っております。
 そういった意味で、これは、食育といいますのは、人をつくること、また、ひいては国をつくること、これにつながるような重要な課題と思っておりますけれども、まず、この食育について大臣のお考えをまずお伺いしたいと思います。
○国務大臣(伊吹文明君) 安倍内閣においては食育の担当大臣はこちらでございますので、後ほど是非、食育担当大臣のお話も聞いていただきたいと思いますが。
 私の覚えているのは、両親から、お茶わんに入れてよそった御飯ですね、この中の一粒一粒がみんなお百姓さんの汗の結晶だから、決して食べ残してはいけない、御飯粒一つも残しちゃ駄目だと、食べるだけ御飯をよそってもらうということを子供のころからしつけられまして、今もそれを実行しておりますが、自分の孫などを見ると、なかなかこのごろはそういうことはできていないなと、これは先生がおっしゃったとおりだと思います。
 食べるもののバランスですね、そのためには、学校に栄養士を置いて給食の管理をしてもらっているわけですが、同時に、自分の地元、先生がおっしゃった地元で作ったものを地元の給食に使うと。それで地元の農業の営みが分かる、あるいはまた、物を育てていく苦労というものが分かる。それからまた、日本人はこのごろはもういろんな主食を食べるようになりましたけれども、学校では米飯の給食をしております。そういうことを教育現場で少しずつ、食を通じて人間の生きていくしつけのようなことを守っていける日本人ができるということは大変いいことだと思います。
 全体については高市大臣がお答えになると思いますが。
○鰐淵洋子君 ありがとうございました。
 今大臣の方からも食育の重要性についてお話ししていただきましたが、先ほど冒頭にも申し上げましたが、この「教育の目標」の中にいろいろ文言が入っておりますけども、食育については、言葉自体は入っておりませんが、この基本法の中にこの食育の意義が含まれていると解釈してよろしいでしょうか。確認させていただきたいと思います。
○国務大臣(伊吹文明君) 先生の御理解どおりで結構だと思います。
○鰐淵洋子君 ありがとうございました。
 それでは、この食育に関しましては、昨年、食育基本法が成立しておりまして、これを基に基本計画が四月からスタートしているわけですけども、その中でこの教育分野の役割も大変に大きくなってまいりますので、まずちょっと文科省の方に具体的な取組としてお伺いしたいと思っております。
 現在、小学校の学習指導要領には、この食育のことに関しまして、社会科ですと、様々な食料生産が国民の食生活を支えていること、食料の中には外国から輸入しているものがあること、また家庭科では、食品の栄養的な特徴を知り、食品を組み合わせて取る必要があることなどが分かる、そういった形で項目で書かれております。また、同じように、中学の学習指導要領にも、家庭科、理科、こういった形で、また学校行事、こういった中にも明記されているところですけれども、私自身、やはりこの学習指導要領を見させていただきまして、より一層この食育の重要性を明確にして、学校教育の場におきましても、この食育の推進を是非もう少し具体的に、またそして強力に進めていくべきであると思っております。
 この学習指導要領の見直しも含めて、今後どのように学校教育の場でこの食育を進めていくのか、政府参考人の方にお伺いしたいと思います。
○委員長(中曽根弘文君) 政府参考人に申し上げます。
 答弁は的確に、正確に、簡潔にお願いいたします。
○政府参考人(樋口修資君) お答え申し上げます。
 委員御指摘のとおり、学校におきます食育の推進は重要な課題であると認識をしております。このため、現在、中央教育審議会の教育課程部会におきまして、学習指導要領の改訂に向けての審議の中で、一つには学校教育全体での食育の推進の明確化でありますとか、あるいは各教科等におきます食に関する指導に当たっての学校給食の活用の促進、あるいは小学校低学年からの積極的な食指導の実施でありますとか、各教科等におきます食に関する内容等についてもう少しきちんと整理をし、充実をし、そして明確化していく必要がある、こういう御議論をいただいておるところでございます。今後、更に専門的な観点からの検討を深めていただくことを中教審に期待しているところでございます。
 いずれにいたしましても、文部科学省といたしましては、栄養教諭を中核といたしまして、学校、家庭、地域や関係団体が連携協力をしながら学校におきます食に関する指導の充実を図るなど、今後とも食育の一層の推進に努めてまいりたいと考えております。
○鰐淵洋子君 ありがとうございました。
 是非、学校現場におきまして更に充実したこの食育の重要性を学べるような体制づくりということで、是非この専門家の皆様の意見もしっかりと伺いながら、それが反映されたようなものにしていただきたいと要望させていただきたいと思います。
 また、今、学校給食のお話等もございました。大臣の方からもありましたけれども、私自身も東京の日野市の方で、学校給食、地元のお野菜を使ってそれを給食に出しているといった、そういった取組をしております小学校を視察させていただきまして、この学校はもう恵まれた地域でありまして、自分自身でお米だったり野菜を育てて、それを給食に出していただいて食べるという、そういった取組をしている学校だったんですけれども、やはりその子供たちが、このお米を作るのにこんなに大変だったんだよとか、自分はお野菜嫌いだけど、自分が一生懸命作ったからおいしく食べれると、そういった、本当にこの子供たちが喜んでおいしそうに食べている姿が大変印象的だったんですけれども、そういった意味でも、この地域もそれぞれ課題もあるかと思いますが、こういったそれぞれの地域におきます学校給食の取組も更にいろいろな事例も紹介しながら推進していただきたいと思いますので、これも併せて要望させていただきたいと思います。
 今、栄養教諭のお話もございました。食育を更に推進していく上で、また家庭との連携も重要になってきますので、そういった意味で、平成十七年から栄養教諭制度がスタートしております。そういった意味でも、本当、今後更にこの食育が推進していく上でもこの栄養教諭の活躍に期待したいと思っておりますが、最近では肥満やアレルギー、こういった個々に対応する専門性が求められるような、こういった課題もありますので、そういった意味でもこの栄養教諭の配置、しっかりと取り組んでいただきたいと思っております。
 この栄養教諭の配置状況でございますが、十八年の十月のデータを見ますと、全国で三百十二人となっておりまして、これまでも各委員会等でこの栄養教諭の配置がまだ進んでいないのではないか、こういった指摘もされておりますけれども、これにつきましては地域差もありまして、また各地方自治体の皆様の御理解も必要でありますし、課題もあるかと思いますが、先ほども申し上げましたが、学校教育の場においても更に食育を推進させる、また家庭と連携を取るといった意味でもこの栄養教諭の配置が重要になってくると思いますので、その栄養教諭の配置、もう急いで、急ぐといいますか、早急に取り組む必要があるかと思いますが、その点に関して取組等ございましたらお伺いしたいと思います。
○政府参考人(樋口修資君) お答え申し上げます。
 本年三月に策定されました食育推進基本計画にも掲げられておりますとおり、学校における食育を推進するために、栄養教諭は指導体制のかなめの職として重要な役割を担っておるわけでございます。文部科学省におきましても、平成十七年度から、委員御指摘のとおり、すべての都道府県において現職の学校栄養職員が栄養教諭免許状を取得できるようにするための講習会を実施してきているところでございまして、これまで平成十八年の十一月現在の数値を見させていただきますと、二十五の道府県に三百二十名の栄養教諭が配置されているところでございまして、私どもといたしましては、平成十九年度には多くの都道府県において栄養教諭の配置が行われる見込みであると考えているところでございます。
 今後とも、栄養教諭の意義と重要性については、様々な機会をとらえまして都道府県に積極的に周知をしながら、食育推進基本計画に掲げられております栄養教諭の全都道府県における早期配置に向けた積極的な取組を図ってまいりたいと考えておるところでございます。
○鰐淵洋子君 ありがとうございました。
 先週の金曜日の夕刊にも食育白書の閣議決定の報道が掲載をされておりました。今、国民の皆様の間でもこの食育に関心を持たれている方も大変増えてきているかと思います。
 また、この食育に関しましては、世代別また男女別、こういった課題もあるかと思いますけれども、最近特に、特にといいますか、男性の方中心にメタボリックシンドローム、これに関心を持たれている方も増えてきているように思いますけれども、御自分の健康大事であるということで、そういう点ではもう大変重要なことだと思いますが、食育が、自分の健康ももちろんそうですけれども、自分たちの子供の体はもちろんですが、心の育成にも大きくかかわってくる、こういったことまで御存じの方がまだ少ないのではないか、そういった印象も私も受けておりまして、そういった意味で幅広く国民の皆様にもこの食育の重要性を訴えていく必要もあるかと思います。
 先ほども申し上げましたが、やはり世代別に課題があるということで、例えば若い女性はダイエットしたりとか、また今中高生、食事の代わりにお菓子を食べるとか、そういった状況もありまして、やはり世代別のきめ細やかな対応、こういうことも大変重要になってくるかと思います。
 是非、今こそ自分の体、豊かな心を築く上で食育を国民運動として全国に強力に推進していきたいと、いただきたいとも思っておりまして、担当大臣であります高市大臣にお伺いしたいと思います。
○国務大臣(高市早苗君) ありがとうございます。
 今先生の問題意識を伺いまして、非常にこの食育の意義につきまして、家庭づくり、地域づくり、国づくりの観点から、大変もう私も賛同する御意見でございました。
 先ほど、男女別また年代別にいろいろ課題があるとおっしゃいました。確かに、四十歳以上の男性の方二人に一人がメタボリックシンドロームの強い疑いがある、若しくは予備軍というようなことになっておりますし、二十代の女性では五人に一人がやせ過ぎと。まあ個人的にはやせたいなと思うんですけれども、やせ過ぎというのはこれは良くございません。それからまた、お子さんですね、子供さん、小学生で朝食を食べないことがあるというお子さんが六人に一人ぐらいだというようなことで、食育に対する関心もちょっと男女で差があるようでございますが、今関心を持っている国民が約七割といった状況でございますんで、先ほど御紹介いただきました食育推進基本計画に沿いまして、ちょっとでもこの食育に関心を持っていただく方を増やすこと。
 それから、私の場合は食育担当大臣という職名も持っておりまして、総合調整的な役割になります。ですから、例えば文部科学省に対しましては、この間から私もかなり強い問題意識を持っておりますので、まず第一段階、資料請求、説明聴取といった段階で、いろいろ説明を受けたところです。
 先ほどお話があったように、栄養教諭の配置、都道府県でかなりばらつきがありますし、全く配置していない県の方に私、事情を伺いました。そうしますと、やはり授業時間の確保ですとか、まだまだ教員の間に理解が進んでいないとか、どのように教えていいのか分からないとか、それとやはり地元の負担分ですね、費用の問題ですとか、いろいろそういった御指摘もありましたので、伊吹大臣とも協力し合いながら栄養教諭の配置もしっかり進めたいですし、あと地域でやはり運動を盛り上げていただくということも非常に重要でございますので、こちらもいろいろ先進事例の広報に力を入れながら頑張ってまいりたいと思います。
 いずれにしましても、「早寝早起き朝ごはん」という用語についてかなり定着はしてきたかなと思いますんで、これから一年、取りあえず初年度ですね、精一杯頑張ってまいりたいと思っております。
○鰐淵洋子君 ありがとうございました。
 是非、高市大臣のリーダーシップの下、私たちも、公明党としましても全力で取り組んでいきたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。
 それでは、次の質問に移らせていただきたいと思います。第二条、教育の目標についてお伺いしたいと思います。
 「学問の自由を尊重しつつ、」とございますけれども、この学問の自由といいますと、私自身のイメージでございますが、高等教育、大学のイメージを持つわけなんですが、この文言が全体に掛かる形でこの部分に出てきておりまして、学問の自由、この意味と、また、この現行法の教育の方針に引き続いて、この文言がここに入れられた理由をお伺いしたいと思います。
○国務大臣(伊吹文明君) 先生が御指摘のように、御提案申しております法案二条には教育の目標を書いております。
 しかし、この教育目標すべてを通じて、人間が物を知りたい、真理を探求したいという自然発生的な気持ちは何物にも侵されることなくやはり尊重されなければならないと。したがって、大学はもちろんでありますけれども、特定のイズムとか宗教的背景とか、あるいは政治的影響力を持ちながら、その個人が持っている気持ちを侵すということのないようにしながら二条の教育の目標を達成していくという理念を述べたものであります。
○鰐淵洋子君 ありがとうございました。
 私たち一人一人が持っております真理探求、学んでいきたいという、そういった学ぶ自由ですね、そういった意味で、この教育全般に掛かる大事な理念ということで今御答弁いただきましたけれども、では、学問の自由、これが教育全般に掛かる重要な理念ということが分かりましたけれども、では、学問の自由を尊重ということと学習指導要領にのっとった教育内容、授業内容、これがどういう関係になるのか、お伺いしたいと思います。
○国務大臣(伊吹文明君) これは、この特別委員会でもいろいろ議論をされた大切な点だと思いますが、一人一人が学問、真理を探求するということは、これは何物にも侵されない大切な権利として存在すると思います。
 しかし同時に、学校の現場においては、教える方は、学校教育法その他の公務員法全般の服務に服しながらやっていただかなければならないわけでして、特に義務教育においては、国民すべてに共通する規範意識と学力を達成するということを目的として義務教育を動かしているわけですから、そこのところは法律、そして法律に基づく学校指導要領に基づいて教えていただく義務が教師には、公務員としての教師には生じてくると。私立においても同じように、私立学校の設立を認可する条件として当然そういうことが含まれているということでして、この解釈は、よくここで話題に出ます旭川の学力テスト実施についての最高裁の判例でも、私の今申し上げた解釈が最高裁の判決として確認されております。
○鰐淵洋子君 ありがとうございました。特に、義務教育におきましては、機会均等、また水準の確保という意味でも、今大臣がおっしゃったような対応が重要になってくるかと思います。ありがとうございました。
 続きまして、第二条の五に「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。」、このようにございます。現行の学習指導要領におきましても、小学校六年生の社会科では、我が国の歴史や伝統を大切にし、国を愛する心情を育てるようにする、このように定められております。また、同じく中学校、高校の学習指導要領にも同様に規定されているところでございますが、このように学習指導要領にも規定されておりますが、ここであえてこの「我が国と郷土を愛する」、この文言をこの教育の目標の中に一つとして入れました理由についてお伺いしたいと思います。
○国務大臣(伊吹文明君) 現在御提案しております政府案の二条の五号、これは今先生が御指摘になりましたように、まず一番大切なことは、「伝統と文化を尊重し、」ということから始まっているわけですね。ですから、国というものは、領土と、それからそこに存在する国民、そしてその国民が悠久の歴史の中でお互いのかかわり合い、営みの中から積み上げてきた人間の、何というんでしょうか、かかわり合いのようなものがございます。その多くは文化であり伝統であるわけですが、同時に、こうしてお話ししているように、政治という分野もあるわけですね。ですから、私たちは、その積み上げてきた大切な共有財産である文化、伝統をまず尊重すると。
 そして、その文化、伝統をはぐくんできた我が国と郷土を愛する態度とわざわざ言っているのは、内面にできるだけ立ち入らない。内面に立ち入っていい部分もたくさんあります。しかし同時に、政党のイズムとか、あるいはそのときつくられている政府の在り方とか、例えば第二次世界大戦前の日本の国の政府の在り方については、これは評価はいろいろだと思いますし、現在の自民党政権についても評価もいろいろだと思いますから、その内面に立ち至る部分を含んでいる国というものを愛する心と規定するよりも、態度と、伝統と文化を尊重し、それをはぐくんできた国と郷土を愛する態度とやっておるわけですが、しかし態度も、大部分の多くの態度は、それは心があるから態度に表れるわけですから、これはもう教える場合は、そこは一体として私は考えても構わないと思いますし、ただ、今申し上げたような政治的な部分がございますので、そこはできるだけ慎重に扱いたいということを込めての表現としているわけです。
○鰐淵洋子君 ありがとうございました。
 日本のこの郷土、歴史、伝統、文化、これを大切に思うこと、そして日本人としてやはり自覚を持って、誇りを持って世界の中でも重要な役割を果たす日本である、そういった誇りを持ってという、そういう意味になるかとも思いますが、この我が国と郷土を愛するということが教育の目標の一つに掲げられたということで、今後この点につきまして、これもこれまでも答弁いただいているところでもありますが、再度確認ということで、この点につきまして児童生徒にどのように指導して、また評価していくのか。先ほどのちょっと答弁に重なるところもあるかと思いますが、再度お伺いしたいと思います。
○政府参考人(銭谷眞美君) 現在でも、小学校の社会科や道徳で我が国を愛する態度に関連する指導を行っているところでございます。ふるさとの歴史や郷土の発展に尽くした偉人、昔から地域に伝わる行事や地域の伝統芸能、文化財、あるいは我が国の発展に大きな働きをした先人の業績、あるいは世界の中で活躍する日本人といったようなことについて調べたりする学習を行っているわけでございます。
 今回、この法案の趣旨を踏まえまして、各学校における指導が一層充実されるように今後学習指導要領の見直しという作業があるわけでございますけれども、その中で、今申し上げましたような伝統、文化に関する学習の充実ということで具体的に検討していくということになろうかと思っております。
○鰐淵洋子君 ありがとうございました。是非、ここの部分は個々の問題といいますか、心の問題でもありますし、今様々御説明ございましたが、この基本法の趣旨がしっかりと現場に伝わるように、現場が混乱しないように徹底していただきたいと思いますので、その点要望させていただきたいと思います。
 続きまして、この第三条の生涯学習の理念についてお伺いしたいと思います。
 私たち人間といいますのは、やはりこの広い意味での教育によって人間として成長できるのではないかと思っております。そういった意味からも、今回、この生涯学習の理念がうたわれていることは大変にすばらしいことかと思っておりますが、また、よく言われることなんですが、子供は社会の鏡、このようによく言われております。昨今のこの教育に関する諸問題を見ましたときに、子供という鏡に照らしまして、私たち大人が自分たちの生き方、またこれまで築いてきました社会、これをしっかりと見直していく、そこからこの根本解決にもつながっていくのではないかと思っております。
 この子供たちに対して私たち大人が、こういう生き方が大事だよとか立派であるよとか、そういったことを語るだけではなくて、私たち自身の生き方、姿を通して子供たちに示していく、そういったことが重要であるかと思います。という観点からも、ただ単に勉強する、学習する、そういった生涯学習ではなくて、自分自身の生き方を見直して更に向上していく、より良い生き方をしていく、そういった生き方ですね、心豊かな人生を送っていく、そういった挑戦をしていく中で、そういった姿を通して子供たちも、自分たちもどういうふうに生きていけばいいのか、それを学ぶことも子供たち自身もできるのではないかと思っております。
 そういった意味でも、この生涯学習、大変に重要なことだと思っておりますが、この生涯学習の理念について、これもちょっと大きな話になりますが、大臣の御見解をお伺いしたいと思います。
○国務大臣(伊吹文明君) 御提案申し上げております法案の三条に今先生がおっしゃった生涯教育の理念を書いております。
 これは今御指摘になった正にそのことを表現していると理解していただいていいと思いますが、人間はもうその生きているあらゆる時代、段階において常に目標を持って自己研さんを重ねて人間的に成長していくという意欲を持っていなければならないし、また意欲を失うと精神的にも肉体的にも急速に人間は衰えていきます。長寿社会でございますし、昔と比べるとやはり時代の変化というのは非常に速うございますから、人生のあらゆる段階において自分自身の真理探求というか自己成長のステージを保障していくという理念が書かれているということです。
○鰐淵洋子君 ありがとうございました。
 ちょっと私自身の話で恐縮ですが、私は高校に入学するときに恩師の方から、学ぶ喜びを知る人たれ、こういった指針をいただきまして、今大臣がおっしゃったように、私自身はその当時は勉強をすることが楽しいとか喜びを感じられるのかと、その当時は全く分からなかったんですが、今になって学んでいく、こういった喜びとか楽しみ、それを本当に実感といいますか、分かっていらっしゃる方は常に向上されている、成長されている方だなということをいろんな先輩方の姿を通して私自身も感じているところでございます。
 そういった意味で、先ほども申し上げましたが、ただ単に学ぶ、勉強する、そういったことではなくて、自分自身のより豊かな人生を送る、成長、向上といった意味で、この生涯学習の理念を是非国民の中に浸透していきますよう取り組んでいきたいと私自身も思っております。
 そこで、ちょっと具体的にこの部分でお伺いしたいと思いますが、この後半部分の方に、社会の実現が図られなければならない、義務規定のような感じで定められているところがございまして、この部分、これはだれがだれに向けて課した内容なのかを確認をさせていただきたいと思います。
○政府参考人(田中壮一郎君) お答えを申し上げます。
 生涯学習社会の実現をだれがするのかというお尋ねでございますが、生涯学習社会の実現は、国及び地方公共団体を始めといたしまして、学校、家庭、さらにはその各種団体や企業等も含めまして地域社会、正に国民全体でその実現を図っていく必要があるものと考えておるところでございます。
○鰐淵洋子君 ありがとうございました。
 では、この生涯学習社会の実現に向けましては、当然政府としましてもその実現を推進していくわけでございますので、具体的にどのようにこの実現に向けて取り組んでいくのか、具体的施策をお伺いしたいと思います。
○政府参考人(田中壮一郎君) 生涯学習の理念を実現するための施策についてのお尋ねでございますけれども、従来より、一度社会に出た後も再び大学等において教育が受けられるようにということで、大学における社会人の受入れの推進でございますとか、放送大学の設置あるいは大学や高等学校におきます公開講座、また社会教育施設におきます講座の充実ということに努力をしてきておるところでございますけれども、今後さらに、この法律に基づきまして、特に各地域における人材に対するニーズとそれからその教育の内容、これをできるだけマッチングさせていくことが重要ではないかというふうに考えております。
 また、これからは団塊の世代が大幅に退職をしていくわけでございますけれども、これらの方々が今まで培ってきた能力、技術というものを地域で遺憾なく発揮する、あるいは学校の支援に役立てていく、そういうための教育サポーター制度といったものも研究に取り組んでまいりたいというふうに考えておるところでございます。
○鰐淵洋子君 ありがとうございました。
 是非、この生涯学習、具体的な施策をお伺いしましたが、再チャレンジのこういった支援にもつながることでもありますし、またこの中に「あらゆる機会に、あらゆる場所において」と、こういったことも規定されておりまして、今働き方の見直しも叫ばれておりますが、現実なかなか仕事がお忙しくてそういった時間が取れない方とか、やはりこの社会環境を見ますとそういった厳しい状況もございますので、国民一人一人の意識変革とともに、ここにありますように、あらゆる機会に、あらゆる場所において学習できる、そういった環境づくりということで、その点もしっかりと、今の社会情勢ですか、環境、それも見た上で今おっしゃったような取組をしっかりと進めていただきたいと思いますので、よろしくお願いしたいと思います。
 その点につきまして、何かありますでしょうか、今。
○政府参考人(田中壮一郎君) お答えを申し上げます。
 ただいま、例えば公民館におきましていろんな講座が開かれておるわけでございますけれども、ややもすれば教養あるいは趣味といったものに偏りがちな嫌いがあるわけでございますけれども、これからやはり社会で活躍しよう、あるいは再び女性が職業に就こうというようなときには、そういう職業に必要な知識や技術が学べるような教育の機会の提供といったものも心していかなければならないというふうに考えておるところでございます。
○鰐淵洋子君 ありがとうございました。
 続きまして、第四条の教育の機会均等についてお伺いしたいと思います。
 この条文は、法の下の平等を定める憲法第十四条及び教育を受ける権利を定める憲法第二十六条の教育基本法における具現化の部分であると思いますけれども、これまでどういった具体的施策によりましてこの教育の機会均等を実現したのか、また今後していくのか、簡潔に御答弁をお願いしたいと思います。
○政府参考人(銭谷眞美君) 御説明を申し上げます。
 憲法に保障されました義務教育の機会均等の保障ということは大変重要な課題でございまして、これまで国は、一つには義務教育の標準法あるいは義務教育費国庫負担法等によります優秀な教員の必要数の確保、二つには習熟度別の少人数指導など個に応じた指導の充実、三点目には、当然でございますが、授業料を無償にしたり、あるいは教科書の無償給与といったことを実施をしてまいったところでございます。また、市町村におきましては就学援助を実施をしているところでございます。
 こういった施策を通じまして、教育の機会均等の保障に努めているところでございます。
○鰐淵洋子君 ありがとうございました。
 今御答弁いただきましたが、すべて国民はひとしく教育を受ける機会を与えられなければいけないということで、本文にもございますが、ここにもありますけれども、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位、こういったことによらず、国民の皆様がひとしくこういった教育を、すばらしい教育を受けられるようにということで、引き続きその取組におきましては充実した取組を要望させていただきたいと思っております。
 続きまして、この第四条の二でございますが、この「国及び地方公共団体は、障害のある者が、その障害の状態に応じ、十分な教育を受けられるよう、教育上必要な支援を講じなければならない。」、こういった新設された条文がございまして、これが規定されたことも大変すばらしいことだと思っております。
 そこで、まず確認をさせていただきたいと思いますが、今、LD、ADHD、高機能自閉症、こういった障害の概念が広がってきておりまして、二〇〇二年のこの文部科学省の実施した実態調査でございますが、小中学校の通常学級に在籍をしている児童生徒のうち、LD、ADHD、高機能自閉症などによりまして、学習や生活の面で特別な教育的支援を必要とされている児童生徒が全国で約六十八万人いらっしゃるということで、これは六・八%程度の割合で在籍をされている、そういった可能性があるということで、そういった資料がございました。これは、四十人学級におきますと、一クラス大体二人から三人いらっしゃるということになるかと思いますが、このLD、ADHD、自閉症、こういった障害はここ数年、学校におきまして、また社会におきましても認識され始めた状況でございまして、今後更にこの児童生徒への適切な教育支援が求められてくるかと思っております。
 そこで、ここの条文にございます障害のある者、ここにつきまして、このLD、ADHD、高機能自閉症、こういったものが含まれるのか確認をさせていただきたいと思います。
○政府参考人(田中壮一郎君) 法第四条第二項に規定いたします障害のある者にどのようなものが含まれるかというお尋ねでございますけれども、これは学校教育法上、盲・聾・養護学校あるいは特殊学級の対象となっている者のみならず、今先生が御指摘いただきました学習障害やADHD等、その発達障害を含めまして広く障害により教育上特別な支援を要すると認められる者がすべて該当するというふうに考えておるところでございます。
○鰐淵洋子君 ありがとうございました。すべて含まれるということで確認をさせていただきました。
 これはもう私が言うまでもございませんが、今申し上げましたこのLD、ADHD、高機能自閉症など、こういった障害を持つ児童に対しましては、先ほども申し上げましたが、きめ細やかなお一人お一人の対応が、そういった支援が求められてきておりますので、平成十九年度から特別支援教育制度を実施されるわけですけれども、再度この現場の状況をしっかりとまた見ていただきまして、このニーズに合った教育支援を進めていただきたいと再度要望させていただきたいと思います。
 続きまして、障害を持つ方の、児童生徒の教育支援とともに、その障害をお持ちの方が卒業した後の次の課題といたしまして、やはりこの皆さんが学んだ後に、自分自身のこの個性、また能力を発揮する場といたしまして、就労がまた次の一つの課題になってくるかと思います。
 これ、厚生労働省におきましても様々取り組んでいただいているかと思いますが、是非文部科学省といたしましても、更に厚生労働省、また企業とも連携を取っていただきまして、障害を持つ児童生徒の皆さんが教育支援を受けて、その後にそれぞれそういったこの力、個性、能力を発揮できる場といたしまして就労の支援を更に連携を取りながら充実させていくことが重要であると思いますが、大臣、御見解、また取り組んでいく決意といいますか、お伺いしたいと思います。
○国務大臣(伊吹文明君) まず、小中学校で障害のある児童の学習上の支援その他は、御承知のように、地方の仕事になっておりますので、これは地方財政の中でやっていただかなければなりません。そのことは文科省として総務省によくお願いをしておるところです。
 それから、今先生がおっしゃった高校を卒業した後の就職の問題については、いろいろなモデル事業とか、障害のある人の学校での就労の支援の、まあ何というんでしょうか、事業というのか教育課程のようなものについて、来年度予算要求でも概算要求をしておりますので、そういうものを合わせて、文科省だけでやるとこれ非常に小さなことになりますから、各省、総務省、厚生労働省とも連携をしながら、今おっしゃったような目的を達成できるように、予算の制約はありますが、頑張りたいと思います。
○鰐淵洋子君 ありがとうございました。
 是非、これは障害を持つ方、またその関係者の方の強い要望でもございますので、強力な推進をよろしくお願いしたいと思います。
 ちょっと順番は変わりますけれども、第二条の四の部分で「生命を尊び、」とうたわれている部分がございますので、それについて最後、大臣にお伺いしたいと思います。
 これは、生命を尊びとうたわれておりますけれども、人間、動植物、また地球上の命あるもの、またその命そのものを尊んでいく、これは私たちが生きていく上で大変重要な課題であると思っております。
 今、学校現場におきましては、これまでも審議されておりますけれども、いじめ問題等深刻になってきておりまして、それが原因で自殺する児童まで出てきている状況でございます。これは、もちろん様々原因、理由はあるかと思いますが、一つは、子供たちの人権、また、ひいては生命を軽視する風潮が社会の中にあるのではないか、また自分自身の生命の尊さ、また周りの人の生命の尊さ、それが実感できていないというか、そういったことも一つはあるのではないかと思っております。
 こういった社会状況の中で、さらに教育現場におきましてこの生命の尊重、これをどのように教えていくのか、訴えていくのか、大変重要な課題になってくるかと思いますが、これをどのように学校教育の場で教えていくのか、最後お伺いしたいと思います。
○国務大臣(伊吹文明君) 御提案申し上げております法律の二条の四項だったと思いますが、教育の目標の中に今先生が御指摘になった命の大切さというのが入っております。これは、自分の命を大切にするとともに、生きている相手の命を大切にする、これは何も人間同士の命じゃなくて、そのほか、この大自然の中にあるすべてのものの命の尊さというものを教えていく。ですから、単にどこかの教科で教えるというだけではなくて、いろいろ学習指導要領の中で生命の尊さ、一度しか与えられない命というものを、自分の命も相手の命も、そして大自然の中にあるいろいろな命の尊厳というものを教えていくという趣旨でございます。
○鰐淵洋子君 ありがとうございました。
 この生命の尊さを学ぶということで、具体的に動物の飼育だったり生物の育成を通してこの生命の尊さを学んでいる、そういったところもあるかと思います。様々、そういう具体的な取組はあるかとも思いますが、動植物もそうですし、私たち人間自身もやはり一生懸命に生きている、こういった姿を通して尊い姿だなって、本当に命って大事なんだなっていうこともまた改めてその姿を通して感じることもあるかと思いますので、そういった意味で、これは今学校現場における取組をお伺いしましたが、この課題につきましては是非、また家庭、また地域、あらゆる場所において、これは社会全体の生命尊重の、これを再度意識を高めていく上で重要な課題であるかと思いまして、そういった各場面におきましてこれが再度確認されるような、またそういった社会づくりも重要になってくるかと思いました。
 是非、学校教育におきましては、先生方の取組も重要になってくるかと思いますので、今後、教員の育成の部分におきましても、生命の尊重、しっかりと学校の先生が、自分なりの言葉で結構だと思うんですが、それを訴えていけるような、そういった教員の育成も併せて要望させていただきたいと思います。
 以上で質問を終わらせていただきます。ありがとうございました。
○広中和歌子君 民主党の広中和歌子でございます。
 伊吹大臣におかれましては、財政とか金融あるいは税制の専門家でいらっしゃいますと同時に、教育問題に関しては非常に御造詣が深いと。そういうことで、このたび文部大臣に御就任なられたことは大変適材適所だと、大変期待していたわけでございますけれども、しかしながら、現在、政治を取り巻くその最重要課題として、いじめによる自殺であるとか高校での未履修問題、あるいは公聴会、タウンミーティングにおけるやらせとかサクラとか、本当に、大臣になられてこういう問題を背負われたということに関して、本当に心から同情申し上げる次第でございます。
 そこへもってきて、教育基本法の審議がこの場で行われているわけですけれども、政府提出の教育基本法は新法ではなくて全部改正とした理由はなぜであるかと、そのことについてお伺いいたします。
 現行法というのは全部駄目だから、引き継ぐなのか、その中でも引き継ぐものはあるのかということ。それから、これまでの教育基本法はどこが問題で、改正法になればその問題は克服されるのか。そして、今問題になっておりますいじめや自殺、あるいは校内暴力もあります。また、少年犯罪などのそうした問題というのは、この教育基本法が通ることによって、そして様々なそれに基づいて施策が行われることによって改良されるのかどうか、忌憚のない御意見をお伺いしたいと思います。
○国務大臣(伊吹文明君) 昨日も同じような御質問がありまして、それにお答えしたことの繰り返しになるかと思いますが、現在の教育基本法というのはやはり普遍的な価値、理念が書かれていて、それはそれで私は高く評価すべきだと思います。衆議院での審議の際も、部分改正にするか、全面改正にするか、新法にするか、当時のあの立法の責任を担っておられた保利耕輔先生から、当時の立法過程を引きながらの御質問がありました。やはり今の法律は、私は立派な法律だと思います。どこへ持っていっても通用する法律であるだけに、やはり日本の法律としては物足りないところもあるということだと思います。
 一言で言えば、昨日の例と同じことを引いて申し訳ないんですが、私どもが子供のころ、つまりこの法律が昭和二十二年にできたころ、日本は非常に貧しゅうございました。そして、戦前の反省が非常にあって、これは当然のことでありますが、お国のためという言葉で個人の権利というのは非常に軽視をされていた。その反省の上に立って作られている部分が非常に多いと思います。そのことは私は何ら間違いじゃないと思います。
 貧しいときに私たちは、卵は栄養があるよ、牛乳はたくさん飲みなさいよ、バターを食べないと駄目だよということを言われましたね。それはそれで今も、卵も牛乳もバターも栄養があるという事実には何ら変わりは先生ないんですよ。ただ、だんだん時代が変わってきて、少ししか食べられないときは栄養のために必要だったものが、食べ過ぎちゃうと先ほど来御質問があったメタボリック症候群になったり、コレステロールがたまったりしてきますから、そのときは、それはそれとして、栄養のあるものだけど摂取は控えようよとかですね、そういうことがやはり時代とともに必要になってくるわけです。
 ですから、民主党さんのように新法という形を取らずに全面改正という立法形式を取ったのは、やはり普遍的な理念、例えば個人の尊厳とか人格の完成とか、平和的な国家や社会の形成を行うとか、こういうことはそのまま理念として引き継ぎながら、時代の変遷とともに付け加えるものを付け加え、抑制すべきものを記述したと、こういう構成になっているわけです。
 したがって、この法律がお認めいただければ、この法律に従ってこの法律の下位に存在する三十数本の教育関係の法律の中で必要なものを改正し、そしてそれに伴う予算措置を行い、あるいは政省令を整備することによって、今、社会の変遷とともにやや、民主党の質問者のお言葉をかりれば、耐用年数が切れてきたと言われる現在の教育の諸制度あるいは教育の在り方に改善を加えていけば、必ず私は現在の病弊は、長い時間が掛かります、これはやはり六十年掛けて出てきた耐用年数の消耗でございますから、だけど時間を掛ければ私は治っていくし、治すために我々は頑張らねばならないと思っております。
○広中和歌子君 憲法でも教育基本法でもそうなんですけれども、立派なことが書いてあるのにそれが守られていないということの方がむしろ問題ではなかろうかと思います。
 例えば今おっしゃった自由の濫用とかそういったことでございますけれども、例えば憲法十二条、自由及び権利、きっちり書き込まれておりますけれども、国民は濫用してはいけないのであってと書いてある。そして十三条には、生命、自由、幸福の追求の権利が書かれているわけですが、ただし公共の福祉に反しない限りということも書いてあるわけです。
 このように、憲法もそうでございますし、それから教育基本法もそうですけれども、立派なことが書いてありながら、中身が本当の意味で実行されていないということが大いに問題ではなかろうかと思います。
 その一つの例として、例えば、長いこと学校で問題になってきた例えば校内暴力であるとか、あるいはいじめの問題、そしてそれに伴う自殺の問題、いろいろございます。そういうときに、私気が付いたわけですけれども、日本の場合には、親が悪い、学校が悪い、教師が悪い、社会が悪いって、本人が悪いってだれも言わないんですよね。本人の責任というものをもっともっと追及しなければならないんではないか、それを教えていくのが学校ではないかと思うんでございますけれども、大臣、どのようにお考えですか。
○国務大臣(伊吹文明君) 先生がおっしゃったこと、私も全く同意見でございます。
 これは、立派なことが書いてあるけれども、なぜそれが守られていないのか。それは、立派なことの舞台で動いているのが人間だからなんですね。この人間力の低下というものがやはり私は最大の問題であって、これはいろんな要素があります。教育論というのは、百人おられれば必ず百人、教育論はできます。それは、その人の人生観、価値観によって違ってくるからですね。よくお勤め帰りのサラリーマンが話しておられるのを聞くと、まず一番多い話題は上司の悪口ですよ。そして最後に議論になって、政治が悪い、教育が悪いというところで議論が終わるわけですね。
 これじゃやっぱり駄目なんで、行政を預かっている者としては、制度はもちろん、本来は、大学の独立法人化のときにも私申し上げましたけれども、大学の先生お一人お一人が本当に国民の税金を預かっているんだという効率意識を持って、そして大学の姿のままで私は運営されるのが一番いいと思うんですよ。しかし残念ながら、学問の平等と管理の平等を履き違えておられて、年末にお金が余ってくるとみんな、教育のプロジェクトのパフォーマンス、研究のパフォーマンスのいかんにかかわらず、同じように余ったお金を分配しちゃうというようなことが起こり過ぎるので、やむを得ず制度を変えたということなんですね。
 ですから、これはやはり今先生がおっしゃったとおりのことなんですが、そういう人間をつくっていくためには、やはり時代に合った基本法を直していかなければ、いいことが書いてあるけれども守れない人たちがどんどん出てくるということじゃないんでしょうか。
○広中和歌子君 基本法とかそういうものはわきに置きまして、例えば今度のいじめでございます。
 いじめが起こった。悪いのは当然のことながらいじめた人ですよね。そうしたいじめが起こり、それが自殺、自殺というのは人が死ぬということです。そこまで至った中で、どのようにいじめた子というのは指導されていくんでしょうか。もしこれが殺人であれば、当然それなりの司法の手が入りますよね。だけれども、学校においてだったらどのような対応がなされるんでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) これは先生、やっぱりケース・バイ・ケースだと思いますね。だからこそ難しいんじゃないんですか。一発で法律で割り切れるような問題であれば、こんなにみんなが苦しんではいないと思いますよ。
 いじめと言われるものの中でも、もし、少年法の範囲を超えて、その人が成人であれば、当然刑法において罰せられる行為もあります。しかし、そうじゃない行為もあるんですね。私たちの社会の中でも、何となくいじめられている、疎外されている、無視されているというケースはたくさんあるわけですから、一概にどうということを言えないから非常に難しいわけでして、だから、いじめによって死に追い込んだという場合でも、自殺の原因というのはもう極めて多様な要因が重なり合って死ぬわけですね。自殺に追い込まれるわけです。ですから、多くの原因がいじめにあっても、そのことがすべての原因だという特定は、先生、やっぱりなかなかこれは難しいのが現実じゃないでしょうか。
 だからこそ、きめ細やかにやらねばならない。やっていると一刀両断の歯切れが悪いという御批判はまたできる、一刀両断にやるときめ細やかさがないという御批判になってくる。
 ですから、これはやはり学校それから教育委員会それから地域社会、御家庭を含めて、やっぱりきめ細やかな対応をしていかねばならないし、そして明らかに成人であれば刑法において裁かれなければならないようないじめについては、これは現在でも既に出席停止措置というのがあるわけで、場合によってはそれは少年法の範囲の中で措置されるものも当然出てくると思います。
 ですから、一概に、先生、これはどういう指導が行われているんだというわけにはいかない問題じゃないでしょうか。
○広中和歌子君 自殺についてでございますけれども、大臣もそうかもしれません、成長する段階で、人は何のために生きるかというような哲学的な悩みを抱えることがございますよね。
 日本の場合、どちらかというと、藤村操でしたっけ、何か華厳の滝から格好よく飛び込んだというようなイメージもあり、日本では自殺を特に悪としないような、そういう印象を持ったものですから、私が、今から四半世紀も前のことでございますけれども、二十一世紀を迎えるに当たって、これから世界はどうなっていくんだろうか、あるいは子や孫の時代にどのような価値を残したらいいのかと、そういうテーマで世界の有識者に、二十一人、二十一世紀にちなんで二十一人の方にインタビューしたことがございます。そのうちのお一人がオックスフォード大学の神学部の教授でモーリス・ワイルスという方でございました。自殺はなぜ悪いのかと。というのは、イギリスでも日本でもそうですけれども、結構成人の自殺なんかもあったわけですね。イギリスや欧米諸国ではキリスト教という宗教によって自殺を悪としているということが関係するのかと思ったり、そしてなぜ、悪だったら、自殺が悪いことであるんならその理由は何なのかということで、ずっとこう突っ込んで聞いていったわけです。そうしたら、宗教的な答えが返ってくるんではなくて、こういうような答えをなさったんですね。
 かいつまんで申しますと、自殺をするということは、本人はそれで死んでいくんだけれども、周りの人に与えるインパクトというのが非常に大きいと。一人の子が亡くなるということは、先ほど本当に、だれが悪いのか、何が問題だったのかというふうな非常な、何というか心の葛藤を生みますし、ましてや親や、それから直接担任の教師であるとか、非常な苦しみを与えるわけですよね。もしかしたらそれは一生にわたるものかもしれない。そのような苦しみを与えるような行為を死ぬということで与えてはいけないんだというような答えをなさったんですね。
 私も非常にそれで感銘を受けたわけですけれども、それについて何かコメントがございましたら。
○国務大臣(伊吹文明君) まず、キリスト教とかイスラムでは自殺というのは宗教上あってはならないことだということを教えておりますね。これは先生おっしゃったとおりで、そういう教えていることのその裏側にあるのは、多分先生が今おっしゃったこと、それがこういう宗教の教えとして表れてきているんであって、日本は簡単に、自殺というのをある意味軽く見ているというお話が、藤村操の話でございましたけれども、やはり日本はある意味ではそういう背景を持った宗教的感覚が非常に薄い。まあそれが日本が社会的には平和であるという事情もあるのかも分かりません、宗教対立がないという事実が。しかし、先生がおっしゃったように、自殺が少ないという、多い少ないというのはやっぱり宗教的な教えみたいなものが長年人間の判断の中に文化として、伝統として、規範として入ってきているという部分があると私は思いますね。
 しかし、自分が命を絶つということがどれだけ大勢の人たちにも悲しみを与え迷惑になるのかということはもう先生がおっしゃったとおりでして、この前、いじめている君へ、いじめを受けている君へと私がメッセージを出したときも、今おっしゃったようなこと、君が生まれたときにお父さん、お母さんは君の命を腕に抱き取ってくれた、その大切な命をということを私が申し上げたのは、今先生がおっしゃったことと全く私は同じ気持ちを持っていたからなんです。
○広中和歌子君 それほど重いものを、子供が安易に命を絶ってしまうということ、もうそれは大きな問題だと思いますし、それの原因として先生も悪いかもしれない、親も悪いかもしれない、社会も悪いかもしれない、みんな悪いかもしれないんですが、私に言わせれば、クラスメートはどうなんだろうかと。そのいじめを見ていたのは、一番多くの目で見ていたのはクラスメートですよね。その子たちがそうしたいじめが存在するそのことを、見過ごしていたのかということはあり得ないとしたら、見て見ぬふりをしていた、知らぬ顔をしていた。そういう子供たちが一杯いるそういう学校、それはどういうものだと思われます。
 そして、そういう人たちがやがて大人になって社会をつくっていく、その社会というのはどういうものになるのか。正義感もなければ、それから何というんでしょう、いわゆる不感症の社会ですよね、世の中悪いことでも何でもやりっ放し、そうした社会が生まれてくるんではないかと。そうすると、もうそれは、もう正に教育の失敗としか言いようがないじゃないですか。学校は何をしてるのかと、文部省は何をしてるのかと、そういうことになりますよね。いかがでしょう。
○国務大臣(伊吹文明君) 教育論は、先ほど私申し上げたように、だれにでも責任を、押し付けると言っちゃいけませんが、だれにでも、だれの責任ということも追及できる分野なんですよね。これは、御家庭と地域社会と、そして学校とが一体になって子供の性格あるいは学力、人間性をつくり上げていくわけですね。
 今の先生の御質問にお答えするとすれば、やはり私は、現在の教育基本法というのは、これは戦前の反省から個人、個人というか人権とかというものを、大変強く権利というものを念頭に置いた作られ方をしていますね。そして、確かに先生がおっしゃったように、憲法にはその権利の使い方についてできるだけ抑制的でなければならないということが書いてあるにもかかわらず、現行の教育基本法には、やはり公益とか、自分たちの権利には必ず公の義務が伴う、そして守るべき自由には規律があるというこの教え方がやっぱりどうしても薄くなる。ですから、日本の伝統的規範意識、あるいは公共への貢献、そういうことが今度の改正法案にはかなり強く出ているわけですね。
 これは、文部科学省が悪いんじゃないかと先生今おっしゃるけれども、それで解決するんでしょうか。私はやはり、国民というか、これからの日本の子供を預かる国会議員みんなが今まで国会で審議をし、国会で積み上げてきたもの、そして学校現場で積み上げてきたものの基礎を少し、これじゃやっぱりまずいということであればみんなが協力して変えていくと、そこに私はやっぱり未来があると思うんですけれども。
○広中和歌子君 大臣のおっしゃることはよく分かりますけれども、それでは、新しい教育基本法ができればどのように変わるのか。二条にいろいろ目的が書いてございますけれども、例えばこのような、要するにいじめがあっても、子供が自殺するほど苦しんでいても無関心なそういう同級生が一杯いるような、そういう子供たちが大人になったとき、愛国心が育つかと。国を愛するといったような、そういう態度を持つことができるのかと。そういうことが非常に、私は別に心配しませんけれども、そういうことは大いに問題だろうと思います。愛国心、人類愛ですよね、それから公正さの感覚ですよね、そういうものが育たないでそのまま大人になると。そうすると、世界から美しいと感じられる国なんかになれるんでしょうかね。私、すごく心配ですね。
○国務大臣(伊吹文明君) 全くおっしゃるとおりなんですよ。だから法案を変えようと言っているわけです。そして、この法案の理念に基づいて、学校教育法なら学校教育法を変えて、そして学校教育法に基づいた指導要領を作成して、公に対して、つまり学校、子供の社会でいえば、自分だけよかったらいいというんじゃなくて、子供の社会のバランスをやっぱり考えられる子供をつくりたいと。
 ただ、これは、先生もそうかも分かりませんが、私は小学校一年生でした、終戦のときは。ですから、私と同世代の者が教育を受けて、結婚をして、そしてその教育に基づいて、教育で教えられたことで、平均的にいえば子供を育てて、そして育てられた子供がまた子供を産んで、そして今また子供を育てていると。そしてその制度の下で教えていただいた我々が学校の先生になって、その学校の先生が教えた人がまた学校の先生になって、そしてその子供、その教え子がまた今学校の先生になって教えている、こういうやっぱり積み重ねがあるわけですね。この積み重ねが少しずつやはり、いいところもあったけれども、先生がおっしゃっているような正に社会の病理が出てきているわけですから、これを変えようじゃないかと申し上げているわけでして、先生がそういう御心配を、私は心配しないと言われちゃ困るんで、心配していただかにゃ困るんですよ。
 ですから、是非我々と御一緒にこの作業に参画をしていただきたい、私はそうお願いしたいと思います。
○広中和歌子君 いや、私が心配してないと申し上げましたのは、いや、大いに心配しているから今問題提起をしたわけですけれども、こうした教育基本法という新たな枠組みをつくったところで、実際にどういうふうに変わるのかと。変えていくのは、それこそ先生であり親であり、そしてコミュニティーであり、あらゆる人たちなんですよね。その人たちを変えていくその力がこの教育基本法にあるかどうかということが今問われているんではないかと思うんですけど、いかがでしょう。
○国務大臣(伊吹文明君) それは、再三申し上げていますように、時代の変遷とともに必要なことを書き込んでいるわけですね、今度は、規範意識だとか公共の精神の重視だとか。あるいは当時は大学にほとんど、大学への進学率は非常に少のうございましたから、大学という記述もございません。だけど、今度は大学の持つ意味。そして、当時はもう当然これは核家族は少のうございましたし、この法律ができたときは、夫婦共働きなどということは現実にはほとんどありませんでした。だけど、今はそれは当たり前になっておりますからね。そうすると、やっぱり家庭が教育の原点であるということももう一度はっきりと再認識しておかなければいけませんから、その条項も新たに付け加わっているわけです。
 だから、先生がおっしゃった地域社会、学校の先生、そして御家庭、そういうものがみんなこの法律によって、二条の目標に従って各法律が整備されながら変わっていく、変えたいと思って基本法を提案していると、こういうふうに御理解いただきたいと思います。
○広中和歌子君 それで、具体的にいろいろ書かれているんですけれども、例えば十七条、政府は、教育の振興に関する施策の総合的かつ計画的な推進を図るため、教育の振興に関する施策について基本的な方針及び講ずべき施策その他必要な事項について、基本的な計画を定め、これを国会に報告するとともに、公表しなければならないと、こういうふうになっておりますし、第十条では、ちょっと戻りますけれども、父母その他の保護者は、子の教育について第一義的な責任を持って云々と。いろいろ書かれているんですけれども、どれだけの、何というんでしょう、強制力があるのか、どれだけの強制力だけではなくて影響力を持って教育を取り巻く環境を変えていくことができるのか、現代という社会の中で、本当に疑問に思わざるを得ないところが一杯あるわけですけれども、どうでしょう。
○国務大臣(伊吹文明君) この法律を変えたから明日から何か突然世の中が変わるというのは、これはもう理念法でございますから、あり得ないことですし、ましてや教育というのは、もう効果が出てくるまで正に国家百年の計と言われるわけでして、インスタントラーメンを作るような作業ではないわけですから、やはりこの法律の理念に従って教育振興基本計画というものを作って、そしてこれは中教審でいろいろこの中に盛り込むべき事項というのは御提案、御提言をいただいております。これはいずれ、できましたら国会にお示しもしなければいけないわけですが、それに従ってやはり少しずつ、これは本当に財政や金融の話のように、金利を動かしたらどうだとか税率を動かしたら明日からどう経済がなるというものじゃございませんので、多分私がもうこの世の中からいなくなって五十年ぐらいたった後、あのとき教育基本法を直した大臣がいたけれども、それはよかったとか失敗したとか、その程度の私は後世の歴史のまあ被告となって引っ張り出される立場だと思ってやっておりますので、教育の本質というのはそういうものだということだけはひとつ御理解をいただきたいと思います。
○広中和歌子君 伊吹大臣が五十年後にもこの教育基本法について非常に指導力を発揮されたということがいい形で残ることを私自身も期待しているわけでございます。
 ただ、社会はどんどん変わっていくといっている中で、様々なひずみが生まれている中での教育ということがあると思います。第十二条に社会教育ということがございます。私もアメリカで二十数年前まで住んでおります中で、社会教育というのが当たり前みたいに導入され、そして再チャレンジの一つのステップになったということで度々国会の中でも発言してまいりました。
 日本の中でその社会教育、いろいろなことあるわけですけれども、いろいろな取組がされているんですけれども、問題は雇用の側なんですね。いわゆる日本的雇用という終身雇用、それも、しかも年功序列といったような古いタイプのそうしたやり方がせっかくの社会人教育で新たな技術を身に付けてもなかなか再就職のチャンスがないと、再チャレンジのチャンスがないと。特に年齢が行きますと、その年齢にふさわしい給料というのが今までイメージとしてあったものですから、なかなか就職ができないといったようなことがあるわけです。
 社会教育ということをやる場合には、是非、日本の産業界と話し合いながら、このような技能を得た者はこのような形で雇用されるといったような、そういう筋道を付けるということも非常に大切だと思うんでございますけれども、いかがでしょう。
○国務大臣(伊吹文明君) 社会教育は、先生がおっしゃっている意味での職業あるいは新しい職業能力を身に付けるという部分もありますけれども、同時にそれだけではないことはもうよく御理解いただいていると思います。これも非常に価値観によって評価が違ってくるところだと思いますが、このごろはやはり日本の経済界も終身雇用を見直すという動きが結構出てきているわけです。これはこれで欠点があることはおっしゃっているとおりです。しかし同時に、じゃ、終身雇用をみんなやめちゃって、今どんどん自由化が進んでいる労働法制どおりやった方がいいという御意見は、民主党は必ずしも私そういう御意見じゃないんじゃないかと思うんですけれどもね。
 ですから、やはり経済界に理解を求めてやらなければいけない部分についてはお話をしなければいけませんし、特に社会教育以外にいえば家庭教育というのを今度新たに設けておりますね。これは、子供さんがいる限りはできるだけ早く戻してもらわないと困るんですよ。これも経済界にどこかで私はお話をしなければいけないと思っておりますので、先生がおっしゃった意味で職業教育的社会教育を受けた人が入りやすくなるような雇用形態も必要でしょうし、同時に、生涯その企業で仕事をするというのが雇われる側にも安心感がある。そして、雇う側もこれは最大の設備投資をするわけですからね。その間にいろいろな研修を、技術研修、英語の研修、何々をやってぱっと替わられちゃ、これは経営者としてはかなわないわけですよ。
 だから、その辺のやっぱりバランスをよく取ってやっていただくようには、私からも是非相談はしたいと思います。
○広中和歌子君 清少納言や紫式部を勉強するのも大変な楽しみでございますけれども、まだ子育て終わって四十、あるいは三十五、四十、あるいは一つの会社に勤めて二十年、別のことにチャレンジしたいと。そういうふうに、この長寿社会におきましては、非常に本人自身も変化を求めるということもあるし、また社会の要請として、グローバル化であるとか、それから景気の変動、そして雇用の流動化と、そういうようなことがもういや応なしにあるわけですよね。
 文部省というのは、もちろんきちんとした大きな流れで方針を立てていくべきところだろうとは思いますけれども、余りにも社会の動きに対して、何というんでしょう、後れがちというのか、そういうような感じがして仕方がないんですね。例えば、社会人教育の話が出たのは一九七〇年代ですよね。ユネスコのラングラン、御存じのとおりだと思います。
 そういうふうに、世界が変わっているのに日本だけが後れていて、しかも今、不公正な正規雇用と非正規雇用の格差であるとか、いろいろな問題が起こっているわけですよね。こういう問題に対しても、文部省だけではなくて、今、日本の公務員制度というんでしょうか、官庁が非常にいろんな形で批判されている中の一つは縦割りであろうと思います。そのような状況をとらえながら、もっともっとここの部分に関しては積極的に口を出していただきたいと、そんなふうに思うわけです。
 特に、同一価値労働同一賃金というんでしょうか、というような形で、正社員の人はやたら働かされ過ぎ、そしてほとんどプライベートな時間がないと、片や非正規雇用の人たちは安い労働で結婚もできないと、結婚してもなかなか家庭がうまくいかないほどの安月給であるというような、そういう状況。これもやはり、文部省の守備範囲からは離れるかもしれませんけれども、社会教育というのをそういう視点に立ちましてもっともっと企業との話合いの中で追求していただきたい。
 そして、プロフェッショナルな資格というんでしょうか、プロフェッショナルと言うとちょっと何か高級なイメージしますけれども、それこそ手に職というものの資格制度、もうそれは既にございますんでしょうけれども、再就職し、その能力にふさわしい給料が得られるような、そういう社会をつくっていくことが、やはり社会の中に安定感を与え、家庭の中に安定感を与え、そして幸福な安定した満足した親からはいい子が育つと。そして、いい子が集まっていい学校をつくっていくと。また、いい先生もそういうところに集まってくるといったような、いい、何というんでしょう、循環が生まれるんではないかと、そんなふうに思っている次第でございますけれども、いかがでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) おっしゃっている部分は、そのとおりという面と、それから、率直に言って先生は大変な知的エリートでいらっしゃるから今のようなお立場は堂々とおっしゃられるんだけれども、必ずしもみんなそうじゃない人たちもいるわけで、今の人たちがどういう気持ちでいるのか、どういう希望が多いのかということを十分やはり把握して、そして、先生のおっしゃっているように、時代の流れに取り残されるような鈍感なことをせずに、感性を持って経済界とも話をしたいと思います。
○広中和歌子君 ありがとうございます。
 最後の質問をさせていただきます。
 幸か不幸か子供の数が減っていって、先生は今までどおりの数であればだんだん少人数学級ということが可能になるわけですよね。ところが、実際には行政改革推進法で児童生徒数の自然減を上回る教職員の純減を規定しているなどということが言われているわけでございまして、やはり私ども、私の世代は五十人学級でそれでも何とかやってきたわけですけれども、やはりアメリカの例とかフィンランドの例とか見ておりますと、少人数学級の方がいいに決まっていると思います。
 それで、そういうことで学校の先生の数に関して、私は給料のことはあえて申しませんけれども、こういうことに関しては国の予算を減らさないように是非お願いをいたしまして私の質問を終わりたいと思いますが、いかがでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) 今おっしゃった行政改革推進法の運用というのは当然教職員の数と教える子供との間のバランスで決まっているわけですから、それを超えて切り込むなどということはもう当然あり得ない。むしろ、今の御質問はそれを切り込まずに置いておけば一学級当たりの人数が下がってくると、これはある意味では理想だと思いますね。しかし同時に、一方で、これは納税者があっての話で、我々もやはり税を払っているわけですから、そことのやっぱりバランス、これは昔のようにお殿様が一方的に年貢を取り立てて自分勝手に使っちゃうというのは民主政治ではありませんので、取ったものは必ずお殿様である主権者へ返ってくるわけですから、ここのバランスで決まってくることだと思います。
 私の願いとしては先生と同じで、これは公共事業よりも将来投資の一番果実を結ぶところですので、私としてはできるだけ努力をして、今先生のおっしゃったように今年末も頑張りたいと思っておりますので、ひとつ先生もよろしくお助けをいただきたいと思います。
○広中和歌子君 終わります。
○浅尾慶一郎君 民主党・新緑風会の浅尾慶一郎です。
 今日は教育基本法の改正案につきまして条文ごとにいろいろと質問をさせていただきたいというふうに思っておりますが、最初に総論として、これまでいろいろと議論が出てきております直近の課題で、いじめ・自殺問題について一、二点伺わさせていただきます。
 来年度、いじめの実態調査を全国的に行うということを聞いておりますけれども、いじめといじめによる自殺、それぞれの定義をまず教えていただけますでしょうか。まず、文科省がとらえているいじめとは何か、いじめによる自殺は何かということの定義を伺いたいと思います。
○国務大臣(伊吹文明君) 事実関係ですか。
○浅尾慶一郎君 多分、副大臣まではお求めしておりますが、政府参考人はお願いしておりませんので、よろしくお願いします。
○委員長(中曽根弘文君) 速記止めてください。
   〔速記中止〕
○委員長(中曽根弘文君) 速記を起こしてください。
○国務大臣(伊吹文明君) これはもう是非、理事会の御決定ですから私が御答弁いたしますが、事実関係とかこういうことは私が必ずしもすべてをつまびらかにしているわけではございませんので、その点は御了承をいただきたいと思います。
 まず先生、いじめの定義をまずやらなくちゃいけませんね。
 文科省のいじめの定義というのは、自分より弱い者に対し一方的に身体的、心理的な攻撃を継続的に加え相手が深刻な苦痛を感じているものとして、個々の行為がいじめに当たるかどうかということを判断をしてもらいたいと。そして、表面的、形式的に行うんではなくて、いじめられていると訴えている子供の立場に立っていじめかどうかを判断してもらいたいということを文部科学省の定義として各教育委員会に調査をお願いしているということです。
 それから、自殺については、調査時点で学校が把握している自殺の主な理由の一つを報告させる方式を取っているわけで、自殺というのはもういろいろな心理的要因が重なって自殺に追い込まれるわけですから、その大きな理由として自殺に追い込まれたのがいじめであるという場合は、選択肢の一つとしていじめがあるということを報告してくださいということを申し上げているわけです。
○浅尾慶一郎君 ありがとうございます。
 一応申し上げておきますと、事前の質問通告段階で、まあいつものことなんですが、政府参考人は、新しい国会の対応が決まってから、私としては求めていないと。したがって、副大臣、政務官は結構ですと、大臣お一人じゃ大変でしょうからということはもう申し上げておりますので、そのことを付言させていただきたいと思います。
 今御答弁いただきましたので、その二番目ですけれども、今までいじめといじめによる自殺、自殺については様々な理由があるという御答弁をいただきましたが、様々な理由がある、理由っていうか原因ですね、原因が様々あると。したがって、それが、そのいじめが主な原因でないと判断されていたから今までいじめによる自殺というのが報告されていなかったのか、それともそこを、何というんですかね、まあ違う理由の方を主にしたかったのかということが質問の一点目と、統計上いじめが減っていると、その減っている理由という、その二点についてまずお願いしたいと思います。
○国務大臣(伊吹文明君) 先生、まず国会でございますから、当然政治家同士の議論をするというのは私は大賛成で、ほとんど私もだから役人の書きました想定問答は読まずに答弁いたしております。ただ、やはり国会でございますので、政治家同士の議論という、質問がやっぱりお互いにやり取りをするということで、余り役人的なことは私は答えられませんので、その点は御了承ください。
 今の御質問について私なりの感じを申しますと、確かに多様な原因があるから自殺の原因がいじめだということを認定しにくいという理由は一つあると思います。しかし、それ以上に、これはテレビの番組等で学校の先生や教育の評論家の方々とも私お話をする機会があってなるほどと思いますのは、やっぱり学校は学校なりの良く言えばプライドですね、教師は教師、担任の教師は、あるいは校長は校長なりのプライド。自分の指導がうまくいかなくていじめが出たとか、あるいは学校から自殺者が出たということを、あるいは更に上に行くと、把握していても教育委員会がそういうことを出したくないという、やはり私はモチベーションは否定できなかったと思います。
 ですから、再三文科省も注意はしておるんですが、これは不十分だったと私は思いますのは、いじめが少ないのがいいことではなくて、いじめを把握して、そして事を大きく至らないように処理した学校あるいは担任を評価するという方針で教育委員会が対応してほしいということを申し上げているわけですが、これが必ずしも十分行き届いてなくて、まあ人間だれしもそうでしょうが、己を飾りたい、繕いたいということの表れが、残念だけれどもこういう数字になっていると思います。
○浅尾慶一郎君 ありがとうございます。さすがに政治家同士の議論ということで、本音の話をしていただきました。
 私もおっしゃるとおりだと思います。それぞれの学校現場でのプライドもあるでしょうし、教育委員会でのプライドというものが報告の阻害要因になっていると。今大臣お答えになられたとおりだと思いますので、そこを変えていくというのが求められていることだと思いますが。
 通告の三番はちょっと大した話じゃありません、飛ばしますので、四番のいじめ、自殺に関して、そういう意味で大臣の責任ということでいうと、まあ恐らくお答えはそういうことになるんだと思いますが、今おっしゃったように、教育委員会あるいは学校でもって本当の理由を、隠すんじゃなくて見付けて報告をするというのを、それを求めるのが責任だという理解でよろしいでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) 責任というよりそれは私の職務の一つでして、責任、あえて責任と言えば、まあ率直に言えば今のような指導をしているにもかかわらず、例えば警察庁の資料あるいは法務省の持っている自殺の資料と、自分たちのところへ上がってくる、各教育委員会から上がってくる統計数字に乖離があるじゃないかということを気付く感性がない役人を、その感性を自覚させる指導ができていなかった大臣ということだと思いますね。
○浅尾慶一郎君 かなり本質的な話をしていただいたんだと思うんですね。
 警察あるいは法務省が持っている数字と文科省が持っている数字が違うじゃないかということに気付いてなかったのが問題だと、まあ端的に言えばですね、今までの問題でいえばそういうことだということだと思いますが、今後は、じゃどうやって気付かせるのが大臣としての。
○国務大臣(伊吹文明君) 気付いてなかったのか、まあそういう統計があるということも知らなかったのか、気付いていたけれどもまあ何の手を打たなかったのか、いろいろあると思いますよ、それは。
 しかし、もうそれは済んだことは済んだこととして、これからはどういうふうにするかといえば、やはり役人としての感性を磨かせるより仕方のないことなんですね、これは。国民の税金をもらって仕事をしているわけですから、常に緊張感を持って、縦横ですね、報告、連絡、相談、そして、やったことの最後の確認、これは私が九月に文科省に行ったときに最初に役人の皆さんにお願いしたことです。報告、連絡、相談、確認だけはしっかりやろうよと、これさえできていれば、あとの責任は私が取ると。しかし、これができていなくて私を国会で立ち往生させるということは駄目だよということを言ってあります。
○浅尾慶一郎君 役人としての感性を磨くということですが、これはちょっと、我が党の同僚に事前通告をしていない質問をあえてさしていただきますが、今の制度ですね、教育委員会制度というのが、先ほど伊吹大臣の方で、そことしてもプライドがあったんではないかと。ですから、本省の役人としての感性というのも必要だと思いますが、制度を若干、民主党案では学校理事会制度をつくることによって変えていくこともできるんではないかということを主張しているわけですが、今のいじめ自殺の問題に即して、学校理事会制度をつくるとどういうふうにそれが機能するかということを、提案者、ちょっと、事前通告ないですけれどもお答えいただけますか。
○鈴木寛君 お答えを申し上げます。
 私どももいろいろないじめの現場に行って教えていただきますと、今問題になっております感性といいますか、感度ですね。要するに、教育現場で何かやっぱりシグナルは小さいながらも出ております。やっぱりそこに気が付くのか、あるいは気が付いていてもそのままにほっておくのかと。そういったことについての感度あるいは感性というものが非常に足らなかったということを痛感をするわけであります。もちろん、そこを、感性を磨く、感度を磨いていただくということは非常に重要でありますが、じゃ、それをより制度論でどういうふうに補完をしていくかということも併せてやっぱり我々非常に重要な課題と思って考えております。
 私どもが今回御提案を申し上げております学校理事会というものが置かれますと、例えば保護者の方がこれはおかしいと。今回も担任の先生に相談に行っているというケース多うございます。しかし、そのときに受け止める側の担任あるいは学年主任の感性、感度がいま一つであった場合に、今の状況であるとそこで止まってしまうわけであります。そこで我々は、学校理事会を設けて、その中に地域の代表、そして保護者の代表、そしてその代表者が過半数を超えるという制度を用意をいたしております。
 そうしますと、保護者は、地域の代表なり保護者の代表に、こういう問題起こっているんだけれども学校側で対応してもらえなかったと、これ十分対応してもらえないかということを直接申し入れることができるわけですね。そうしますと、その日にでも緊急に学校理事会を開いて、この問題をどう対応していくのかということが学校の機関として、学校の意思決定として行えて、そしてそれが直ちに学校関係者によって実行がなされると。
 こういう制度を用意することによって、いわゆる感度、感性の低い、あるいは鈍っている方であっても、その行動様式を変えていくという制度を用意をさせていただいているというふうに御理解をいただければと思います。
○国務大臣(伊吹文明君) 今のことだけに限って言うと、学校理事会というのは非常にいいと私は思います。しかし、衆議院の審議の際に、学校理事会の在り方について御党の前原議員とやり取りをしたときに、理事会には人事権、人事の上申権を与えるということをおっしゃっているわけですね。これは藤村先生も同じ意見でした。そのときに、どういう方がここへ入ってこられるのかということと、学校現場の教育の中立性というものがどう担保されるのかという、このこととは違う大きな考えなければいけない問題があるわけです。
 ですから、教育行政でどう担保するかというのは民主党の提案者がおっしゃったとおりの問題意識を私たちも持っております。ですから、今文部科学省がいただくのは、調査の依頼をした結果の数字をいただいてるわけですね。これは西岡大先輩も同じようなお考えのようですが、やはり義務教育の最終責任は国が負うと。これは民主党案にも書いてあるわけです。だから、学習指導要領その他、このいじめの問題等も国が最終的責任を負うわけです。
 それをどう担保するのかと。担保するのは、御承知のように、これはもう予算権と人事権とあるいは法律の執行権によって担保しなければならないわけですね。そこをどう組み立てていくかということは、これは民主党案にも我が方の案にもそこはまだ明確に打ち出せていないんですが、そこをやはり将来的には、かなり共通点がありますので、協議をして、今のような変な数字が上がってこないような行政の仕組みを私はつくり上げるべきだと思っております。
○浅尾慶一郎君 私どもも、理事会制度というのは、単に案として出しているということよりは、より良い学校現場をつくるというために出している案でございまして、そういう意味で協議をしていただけるというのは大変有り難いということですが、鈴木提案者にちょっと、今の先ほどの説明に加えて、協議ということも含めてお答えいただきたいと思います。
○鈴木寛君 補足で申し上げますと、これは大臣も御承知の上で今のような御答弁されていると思いますが、現行の地方教育行政法でも学校運営協議会というのがもう盛り込まれて、そして幾つかの地域ではもう具体的に実践がされているわけでございます。それを見ますと、やはりおおむねそうしたその地域の声あるいは保護者の声をとらまえた学校運営が行われていて、そしてそのことが子供たちにとって、いじめ問題も含めて、非常に好影響を与えているのではないかというふうに我々は評価をしております。
 そういう中で、任命権者についての、上申権についての、先ほど大臣がお話になった点も既にこの学校運営協議会の中で行われていて、これを評価しながら、より全体の公立学校制度に応用、適用をしていこうというそういう文脈の中で、私どもは学校理事会制度を御提案させていただいているということを併せ御答弁申し上げたいと思います。
○浅尾慶一郎君 どうもありがとうございました。
 それでは、法案の前文について伺っていきたいと思いますけれども、午前中最後の質問になると思いますが。
 「公共の精神を尊び、」との文言が付加されておりますけれども、これはどういう理由でしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) これはやはり個人の権利あるいは人権というものは、これは当然尊重されなければならないんですが、権利には必ず義務が伴うと、守るべき自由には規律が必要だと、これが人間社会の原則なんですね。そして、我々が乗っている共通の船である日本という国あるいは世界、地球というものは、この公共の精神、同じ船に乗っているんだという気持ちがなければ、いずれ自分も船とともに沈んでしまうと、その意識をやっぱりしっかりと持つ教育をしたいということでございます。
○浅尾慶一郎君 同じ船に乗っているんだという意識を持つ教育をしたいという御答弁でありますが、それと同じ文言なのかどうか、ちょっとこの新聞記事しかないものですから文脈が明らかではないんですが、河村元文部科学大臣が、今の自民党の政調会長代理だと思いますが、沖縄タイムス紙のインタビューで、個人の尊厳だけの教育では自己中心的な人間ができるという認識を示しておられますが、今御答弁いただいた大臣の御答弁もそういう同じ文脈ということでよろしいですか。
○国務大臣(伊吹文明君) 先生も新聞だけだとおっしゃったんですが、私は今初めて、率直に言って先生からそのお話を伺いました。河村さんがどういう意図でそれを言ったか分かりませんが、まあ、彼の話もよく聞いてみないといけませんが、私が申し上げたのは、やっぱり個人の権利、人権というものは公共の精神を発露することによって担保されるんであって、個人の権利だけなどということは本来人間社会にもあり得ないんですよ。現在の法律においても、今回御提案しております法律よりは記述は必ずしも明確ではありませんけれども、当然個人の権利だけを書いてある法律なんていうものでは今の法律もないわけでして、私は、河村さんはそこはよく分かって発言しているんじゃないかと思いますけど。
○浅尾慶一郎君 もう一分ありますんで、じゃ、最後、前文だけ終えたいと思いますが。
 それだけということはないと思いますが、公共の精神の尊重が教育基本法の改正の趣旨でしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) それも多くの改正の趣旨の一つでございます。
○委員長(中曽根弘文君) 午前の質疑はこの程度にとどめ、午後一時まで休憩いたします。
   午前十一時五十九分休憩
     ─────・─────
   午後一時開会
○委員長(中曽根弘文君) ただいまから教育基本法に関する特別委員会を再開いたします。
 休憩前に引き続き、教育基本法案、日本国教育基本法案、地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律案及び学校教育の環境の整備の推進による教育の振興に関する法律案、以上四案を一括して議題とし、質疑を行います。
 質疑のある方は順次御発言願います。
○浅尾慶一郎君 午前中に引き続き、質問をさせていただきます。
 午後は条文ごとの細かい点について逐条ごとに伺っていきたいと思いますが、第一条には教育の目的ということで、教育は人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な素質を備えた心身とともに健康な国民の育成を期して行われなければならないと第一条に書いてありまして、第二条は教育の目標ということで様々書いてあるわけでありますが、目的と目標の違い、これはどういうところですか。
○国務大臣(伊吹文明君) これは用語の説明のようなことになりますが、私は提案者ですから、立法意図という形で御説明をいたしたいと思います。
 一条は、何を目指してどういう人間を育てるかということを記しております。そして二条は、この目的を達成するための今日的に重要と考えられる具体的な事柄を記したということです。
○浅尾慶一郎君 という御説明でございましたが、一条に「必要な資質を備えた」と書いてあります。必要な資質を備えることが言わば目的ということだと思いますが、その必要な資質というのは二条で細かく規定されておりますところで具体化されていると考えてよろしいんでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) 重要な要件として二条に規定していると御理解いただいて結構です。
○浅尾慶一郎君 それでは、この第二条の中で現行法との比較で質問をさせていただきたいと思いますが、現行の教育基本法は、第二条、教育の方針、現行は方針なんですけれども、「教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するため」「学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、」と書いてあるんですが、今度の政府の教育基本法案は、「学問の自由を尊重しつつ、」になっているんですね。「学問の自由を尊重しつつ、」というのが改正案であり、現行は「尊重し、」ということで、言葉じりをとらえるわけではありませんが、「尊重し、」というのと「尊重しつつ、」ということでいうと、「しつつ、」の方が少し弱いんではないかなというふうに思うんですが、それは弱めることではないということでよろしいんですか。
○国務大臣(伊吹文明君) 学問の自由というのはいつにおいても大切なことでありますから、立法意図としては、特に現行法に比べて弱めるという意図は全くございません。それは昨日も御質問がありまして、同じようにお答えをしておりますが、「しつつ、」というのは英語で訳せばウィズ・ザ・コンディションだと思いますがね、それを条件としてということだと思います。
○浅尾慶一郎君 じゃ、もう少し具体的に伺ってまいりたいと思いますが、この第二条の中で、「学問の自由を尊重しつつ、」が「尊重し、」との「つつ、」のところとどう重なってくるかということでいいますと、例えば、いろいろ書いてあるんですが、「公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度」と「学問の自由」というのは、まあ基本的に私は重なると思いますが、公共の精神の解釈によっては重ならない場合もあるんではないかなというふうに思うんですが、そこも学問の自由の方が尊重されるということなのか、それとも公共の精神の方が優先するのか、その点について伺いたいんです。
○国務大臣(伊吹文明君) これは、その事案その事案、具体的な事案に即してやはり解釈されるべきことだと思います。
 多くの場合、これは二律背反的なことではないと思いますが、先生がおっしゃったようにですね。しかし、このことを、解釈によって、学問の自由が優先するではないかという解釈をした場合に、有権解釈権は御承知のように法律の所管をしている内閣にあります。その解釈がおかしいという場合は、これは司法で争うということです。
○浅尾慶一郎君 おっしゃるとおりなんですけど、仮にこの法案が成立した段階というか、今は作成過程ですね。立法者の意図としてはどういうことになりますか、今のことでいうと。
○国務大臣(伊吹文明君) ですから、適正に運用されれば、これは二律背反的なものではないということを申し上げているわけです。
○浅尾慶一郎君 適正に運用されればということでありますが、実は、少し質問が飛ぶかもしれませんが、戻ってくるという前提で申し上げておきますと、この「公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度」というのをまず伺っておかないと、そのことと「学問の自由」というのが二律背反するのかしないのかというのが分かりませんので、これは通告してあると思いますが、どういう態度ですか。
○国務大臣(伊吹文明君) それは、午前中にお答えしたように、我々が共通の社会の一員であるわけですから、例えば個人の人権の主張あるいは個人の権利の主張と公益とのバランスというのは、これはいつも論じられることでございます。
 それと同じように、公共の精神と学問の自由、学問の自由という言葉で、何をしても学問の自由かというと、それはおのずから各法律の制約の下にある、憲法の制約の下にもあるわけですから、当然そこは個々のケース・バイ・ケースに当たっての運用の問題、それをどう理解していくか、あるいはその理解あるいは運用に対して自分は違う考えを持っているという場合は、これは裁判に訴えて司法の判断を仰ぐということができるというのが我が国の統治のシステムですよね。
○浅尾慶一郎君 犯罪にならない前提で申し上げていきますと、例えば無政府主義という考え方が哲学上あります。これは、それを実力行使をもってすれば、これは犯罪になると。無政府主義の考え方を教えることは、公共の精神に基づいていることに合致をするから、これは学問の自由とも合うんだということになるのか、それとも無政府主義の考え方を教えること自体が、哲学的なアナーキズムというものを教えること自体が、公共の精神に基づいて主体的に社会の形成に参画することに反するんで、それは学問の自由の尊重にはならないのか。具体的にとおっしゃったんで、そういう場合はどうでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) これも率直に言うと、教え方、教える中で組織的な、何かアナーキズムの活動に組織をしていくとか、そういうことがある場合には、既に国会で議決した各法に触れてくる場合がありますね。ですから、学問として、例えばレーニンが革命のために国家を憎めと言っているということを教えるということは、別に公共の精神に反することではなくて、一つの学説としての教えをしているわけですから。ただ、そのことが今度、国家を例えば転覆させるとか、今の先生のお言葉で言えばアナーキズムの国家運動になるというようなことは、むしろこの法律の範囲を超えて、既に国会で議決をしている各法において裁かれるということじゃないでしょうか。
○浅尾慶一郎君 この法律ではなくて、ほかの法律に触れるものにおいては当然そういうことだと、それは理解をいたしますが、この法律で新たにというのがあるのかないのかということで、個別の、この二条で定めている様々なことについて伺いながら、また学問の自由の方に戻っていきたいと思いますが。
 質問通告をさしていただいている順番に戻りまして、例えば「豊かな情操と道徳心」ということが二条の中に書かれていますけれども、これは何であるかということと、どのように養うかと。
○国務大臣(伊吹文明君) まず、情操という言葉で立法意図が表しているものは、自分より優れたもの、あるいは自分が非常に小さなものという、美しいもの、あるいは自分より大きな存在、自分が及ばないもの、そういうものに対する一つの、何というんでしょうか、感動する心、心根というか、まずそういうものでしょうね。
 道徳というのは、いわゆる人間社会の善悪、こういうものの判断基準として、ここはまた学問の自由との間で先生が御質問をされる可能性があると思いますが、一般的に受け入れられている、じゃ、一般的に受け入れられているものは何かと。社会の中では少数だけれども、そういうことをやった場合はどうだという御質問は多分あると思いますが、一般的に我々の社会の中で、法律はもちろんですが、法律を超えて、英国流に言えばコモンローと言うんでしょうか、祖先の営みの中で、法律には強制されないけれども進んでやるべきこと、法律には禁止されていないけれども恥ずかしいからやらないこと、こういうものに従おうとする気持ち、これが道徳心だと思います。
○浅尾慶一郎君 もう一点は、どのようにそれを養うということなんでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) これは、やはり過去にそういう情操に触れたような祖先のいろいろな事案、あるいは道徳を守ることによって社会が維持されてきた事実、そういうものをやはり教えていくということだと思います。
○浅尾慶一郎君 学問の自由との絡みで、分かりやすい例でちょっと伺っていった方がいいかと思いますんで、少し飛ばしますが。
 国を愛する態度というのがございますが、これ事前に文部科学省の方に立法者の意図としてレクを受けてまいりました。大臣の主張と違うかもしれません、違っていいんですが。そのレクの中では、例えば政府の施策に反対する合法的なデモ、要するに施策に反対して国を愛するがゆえにデモを行うということもあると思いますし、あるいは祝日に日の丸を掲げないという態度とか卒業式で君が代を歌わないという態度、こういうのは国を愛する、こういうのも含めて国を愛する態度になるのかどうかということをまずちょっと伺いたいと思います。
○国務大臣(伊吹文明君) ちょっと私の聞き違いなら許していただきたいんですが、君が代を歌わない態度とか国旗を掲げない態度が国を愛するということになるとおっしゃったんですか。
○浅尾慶一郎君 もう一度。事前に伺って、私のちょっとレクが違っていればそれは違っていたということでいいんですが、そういうものも含めて、要するに国を愛するがゆえに、中にはですよ、別に日の丸を認めないという人もいるでしょうし、君が代を歌わないという人もいるでしょうと。まあ、それはそれで一つの考え方でしょうし、それからデモも、合法的なものであれば国を愛するがゆえにデモに行くというのもあるんで、それも含めて国を愛する態度だということを聞いたんです。だけれども、それは正に立法者である大臣がそうでないというのであれば、それはちょっと伺っておきたいということです。
○国務大臣(伊吹文明君) それはその人の信条の問題ですから、そこへ立ち至るってことはできませんよね、国家といえども。ただ、多くの人たちは多分そういうふうには思わないでしょうし、今度、そういう態度や姿勢を教えるということは、この法律というよりも、例えば公務員としての規律というのは、これは当然学校教育法の指導要領ですか、大臣告示である指導要領に従ってもらわなければならないというのは、これは日本国の法律の体系ですよね。
 ですから、どうするかってことを、現場でどういうことを教える、教えないという、これは教育基本法のこの委員会ですから、教える、教えないかということと個人がどう思っているかということとはおのずから違ってくるんじゃないでしょうか。だから、心の中へ入り込んで、それは駄目だとか法律でこうだとかっていうのとこれは少し次元の違う問題だと思いますね。
○浅尾慶一郎君 もう少し、日の丸・君が代とデモとはちょっと違うと思いますので分けて考えたいと思いますが、私は、繰り返しになりますが、合法的なデモに参加するのは、私はこれは、場合によってはですよ、場合によってはというか本人からすれば、当然、国を愛するがゆえにデモに参加しているということですから、これも国を愛する態度と理解していいと思うんですが、それも含めて大臣はそれは国を愛する態度としてこの教育基本法の二条が定めている教育の目標とは合致しないということでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) その人はそう思っておられて、国を愛する、自分は国を愛しているから合法的な、合法的などういうデモなんでしょうか。そこのところを少し教えてください。
○浅尾慶一郎君 私も実はデモに余り行ったことないものですから、何が合法的なデモか分かりませんが、一応、届出をしてあるデモというものは合法的なデモだということだと思いますが、そういうものに参加するのは、その個々人の、自由主義の日本の下において、考え方、日本の国がこういうところが悪いからそういうデモンストレーションをするんだという発露だと思います。それは国を愛する態度だと理解してもいいんではないかと。それも含めて国を愛する態度ではないんだということになると、それはちょっと教育の目標としては私は違うんではないかなと思いますが、立法者としてはどう思われるかということをお伺いいたします。
○国務大臣(伊吹文明君) それは先生、届け出てあって許可を受ければ合法的なデモになると思いますが、何を訴えるデモなんですか。そして、それが既存の法律その他において認められないことを訴えるデモであれば合法的にならないですよね、まず。そこのところはどうなんですか。
○浅尾慶一郎君 何を訴えるというのは、要は合法的なことですから、繰り返しになりますけれども、そのデモでもって非合法なことを、中身も含めて非合法なことを訴えるということではありません。具体的に言えば、例えば、(発言する者あり)今、今ちょっと障害者自立支援法という声が出ましたけれども、障害者自立支援法の再改正を求めるデモに参加するという、これは正に国を愛する、あるいは地域社会を、これはここで書いてあります郷土を愛するということから出てくる態度ではないかなというふうに思うんですが、それも含めてこれはその態度に含まれないという解釈なのかどうか。
○国務大臣(伊吹文明君) その障害者自立支援法に反対するデモに参加するということが愛国心の発露であるかどうかは、これは非常にやっぱり意見のあるところじゃないでしょうか。
○浅尾慶一郎君 いや、それは意見があるところかもしれませんが、私はその今のお話で少し危険だなと思うのは、その愛国心の発露を時の有権解釈者が決めると、このデモは愛国心の発露でないと決めるというのは非常に危険な考え方ではないかと思いますが、いかがでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) これは、だから合法的であると先生がおっしゃったことが、正に決めていることをおっしゃっているわけでしょう。合法か非合法かは届出の受理かどうかで決めるんですから、そこでね。ですから、そこで合法と決められたものについては当然合法であるでしょうし、非合法と決められたものは、今正におっしゃった、時の権力者が非合法と決めることについて不服があれば司法で争えるというのが日本の仕組みじゃないんですか。
○浅尾慶一郎君 いや、ですから、中身は合法的なことなんです、届出をすると。ですから、伺っておりますのは、国を愛する態度の中には、事前の役所のレクではそういうのも含まれますよということであったんですが、どうも大臣の御答弁ですと、そういうものは含まれないんだという認識ですか。
○国務大臣(伊吹文明君) それはちょっと、どういう理解を先生しておられるのかあれなんですが、その合法的なデモの内容を教えていただかないと……(発言する者あり)いやいや、さっき言ってないでしょう。いや、障害者自立支援法が、国を愛する心の発露として障害者自立支援のデモが行われているかどうかということであれば、それは今の愛国、国を愛するということとの関連で御質問いただいても結構だと思いますが、障害者自立支援法に反対するというデモが許可をされたからといって、それが国を愛する心に合致するかしないかというのはちょっと内容が違う話なんじゃないですか。
○浅尾慶一郎君 じゃ、要するに大臣の、この法案の発議者としてのそれは違うんだという考え方だと思います、今おっしゃっているのは。で、違うということを、少しその議論を、多分、鈴木寛さんなんかは私と同じような考えだと思いますので、あえて、これも通告していませんが、分かりやすくするために答えてもらいたいと思いますけれども、私の考えは、合法……
○国務大臣(伊吹文明君) いや、質問の意図がよく分からないんですよ。
○浅尾慶一郎君 いやいや、いわゆるデモというのじゃよく分からぬということでしょうか。例えば、日本の例ではありませんけど、インドのガンジーが非暴力主義ということでこれはデモを行ったと、ただし、それも含めて、それは国を愛する、インド、日本じゃありませんが、態度の発露だと私は思います。しかし、今の御答弁によりますと、それは違うんではないかということじゃないかなと思うんです。
○国務大臣(伊吹文明君) 今の例で、少し私はよく分かりました。
 障害者自立支援法と国を愛する心というのは、ちょっと私はやっぱり無理があると思いますね。これは今のガンジーのこの例であると、ガンジーがどのような意図を持ってあのデモを組織したのか、そしてそれがそのときの何というんでしょうか、その国との関係でどういう立場でそのデモを行おうとしたのか、そういうことを総合的にやっぱり判断するんじゃないでしょうか。
○浅尾慶一郎君 私は、今の大臣の御答弁でよく、逆に大臣の考え方が分かりましたけれども、私自身は、国を愛する態度というものは、もちろんある態度があって、それはそれ自体に問題が、国を、日本という国を私自身も愛しておりますから問題があるということは全く思っておりません。しかし、問題は、あること、その人にとってはそれは大切なことを、正に地域社会のために行動することをケース・バイ・ケースで判断するということ自体の方が私は問題なんではないかなというふうに思うんですが。要するに、内容の判断を時の為政者がすることが問題ではないかと思いますが、その点についていかがでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) これは何度も申し上げているように、まず合法か合法でないかによってデモが認められるか認められないかということはまず入ってくるわけでしょう。認められた場合は、これは合法としてのデモを時の為政者というのか、時の政府が認めているからデモが行われるわけですから、そのこと自体に私は立ち至るべきではないということを言っているわけです。
○浅尾慶一郎君 そのこと自体に立ち入るというのは問題であるというのはそのとおりだと思います。
 したがって、教育基本法においても合法的なデモにおいてはそれは立ち入るべきではないと、ただし、何となく聞こえてくるニュアンスからすると、そもそもデモに参加すること自体がどちらかといえば国を愛する態度というものとは合致しないというふうに聞こえる……(発言する者あり)いやいや、聞こえて、それであれば……
○国務大臣(伊吹文明君) それは全く私の表現力が拙劣なのか先生の理解力が私に及んでいただけないのか分かりませんが、デモに参加することが国を愛する態度と矛盾するなどということは私は一度も言っておりませんよ。
 だから、やはり、まず合法か非合法かということは、デモがそれこそ許可されるかどうかによって、そこで許可されるということは合法だということでしょう。そして、その中で今度は国を愛する態度と合致するかしないかとおっしゃったから、私は、障害者自立支援の法律に参加することは国を愛する態度と結び付けて考えるというのは私はややどうかなということを申し上げたわけです。
 だけど、ガンジーの例を出していただいたのでよく分かりました、先生の意図しておられること。すると、ガンジーは、あのときガンジーはデモの許可があったのか、あるいは許可がないけれどもやったのか、これはやっぱり史実によってきちっと判断しないといけないんですよ。調べないといけないんですよ。そして、そこで、もし当時の植民地インドの法律によって許可をされていたのであれば、それはガンジーのやった行為は国を愛する気持ちとして当然私は認められるべき行為だと思いますよ。(発言する者あり)
○委員長(中曽根弘文君) 速記止めてください。
   〔速記中止〕
○委員長(中曽根弘文君) 速記を起こしてください。
○浅尾慶一郎君 繰り返しの議論ではいけないんで少し進めますけれども、今のそのデモの話というのは、私は、あることを訴えるというのは国ないしは地域を愛するということの発露の可能性も十分にあるんではないかなというふうに思っておりまして、そのこと自体をもって、その中身で判断するというのがやはり問題があるんではないかなというふうに、例えば障害者自立支援法はちょっとどうかというのは正に中身の話になりますから、障害者自立支援法であっても、それはデモに参加されている個々人の内心の自由、内心の自由に合わせて、あるいは地域社会における障害者が非常に苦労をされている、新しくその法律ができた結果苦労するようになったと。そのことが国を愛する態度なのか、ここで言うところの郷土を愛する態度なのか分かりませんが、その発露としてデモに参加することも十分あり得るんじゃないかと。
 そもそももう一歩踏み込んで言いますと、そもそもそういうある行為をすること自体に論評をするのは問題があるんではないか、この法案の中でですよ。そのデモ自体が合法的であれば、それ自体でもってその人が国を愛する態度の発露なんではないかと私は思うんですが、そこは見解が違うなら一言で結構です、見解が違うと言っていただければいいです。
○国務大臣(伊吹文明君) 先生、デモの内容によって善しあしを私言っているんじゃないんですよ。先ほど来からお話ししているように、先生がお挙げになったそのデモの内容が国を愛する態度に結び付く事案なのかどうなのかについては、先生は障害者自立支援も郷土や国を愛する態度に結び付く発露だとおっしゃるけれども、私はそうは理解していないということを言っているわけです。
○浅尾慶一郎君 そういう理解をされていないということであれば、しかし理解は、そう理解はしないけれども、そのことをしたからといってその生徒が、じゃその場合はこの教育基本法の教育の目標に反しているのか、反していないのか。
○国務大臣(伊吹文明君) それは、ここの私の理解で言えば、そもそも障害者自立支援の法に反対というこのデモは、そこに参加しておられる方の気持ちとしては、この法律によって障害者の立場が非常に苦しくなる、あるいは自分たちの今まで受けていた福祉サービスが受けられない、そういうお気持ちを、よろしいですか、ちょっとよろしいですか、そういうお気持ちの発露としての運動であって、今先生がおっしゃっている国や郷土を愛する態度ということと結び付けてという、私はそれは結び付かないんじゃないかという理解をしているということです。だから、先ほどのガンジーの話で私はよく分かったと申し上げたのはそういうことです。
 ですから、別に障害者自立支援反対のデモに参加をされても、それが合法である限りはその方の心の問題ですから、私はそのことに対していい悪いの判断をするべきじゃないということを再三言っているわけです。
○浅尾慶一郎君 じゃ、国を愛するということではなくて、「公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度」というのもここの目標の中で規定がされておりますけれども、まずその主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度というのはどういう態度になるんでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) 自分たちが当然自分たちの属している共同体の一員であるということだと思います。
○浅尾慶一郎君 具体的に伺った方がいいと思いますので、例えば、投票に行くことは当然そういう態度になるわけですね。
○国務大臣(伊吹文明君) それは当然そうだと思います。
○浅尾慶一郎君 選挙に立候補することも、その主義主張にかかわらず、そういう態度という理解でよろしいですか。
○国務大臣(伊吹文明君) 国の他の法律で非合法とされていない限りは、非合法とされている団体の推薦、政党の推薦その他があるとすれば、それは当然国の法律としては許されませんが、そうでない限りはもう当然そうだと思います。
○浅尾慶一郎君 公共の精神ということで、よく公共の利益という言葉が使われますが、例えば都市計画に地権者として反対の意見を述べるということは、その今の公共の精神に基づき主体的に社会の形成に参画する態度と言えますでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) これはケース・バイ・ケースじゃないでしょうか。まず、教育基本法の更に上にある憲法というものを先生よく御理解しておられると思いますが、財産権は当然私権として尊重されねばならないけれども、それはやはり公共の福祉の範囲の中であって、そして濫用してはならないということも書かれていることも御承知のとおりですね。ですから、それがまず憲法に抵触するかどうか、憲法の規定によって。いつも問題になるのは土地収用法を発動する場合の要件ですよね、正に。そのケース・バイ・ケースによって判断さるべきことじゃないでしょうか。
○浅尾慶一郎君 では、その公共の精神に基づき主体的に社会の形成に参画する態度というのはどのように養っていくんでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) それは過去のいろいろな事案によって、自分の、例えば私のふるさとで言えば、明治維新のときにみんなが私有財産を提供して初めて尋常小学校ができたのは京都です。そういうことをやはり多く教える。あるいは、自分が犠牲になることがあっても公共のために尽くしたというような事案がたくさんございます。そういうことをやはり一つ一つ理解してもらいながら、そういう心を養っていってもらうということだと思います。
○浅尾慶一郎君 ちょっとこの目標の中の号を行ったり来たりしていて恐縮ですが、この中に「勤労を重んずる態度」というものがございます。勤労を重んずる態度の中で、例えば中高生がアルバイトをするというのは、これはまあ勤労を重んずることなのか、それとも学問を優先すべきなのか、そこは、まあそこまで立ち入らないということなのか、そのことも含めてどういうふうに考えておられるか、伺いたいと思います。
○国務大臣(伊吹文明君) 勤労というのは本来勤勉に働くという意味ですから、殊更問題を難しく解釈することはないんで、学校の現場においてはやはり学校教育、学校教育法の下に行われている、特に義務教育においてはですね、全国民共通の学力とそして規範意識を維持してもらうために国民の税金を投入しているわけですから、そこではおのずから学問を十分修めた、その最低の基準を修めた上でアルバイトをされるということは、別に勤労を、何というか、重視するという規定には当たらないでしょうけれども、責めらるべきことではないんじゃないでしょうか。
 ただし、ただし、やはり学校には学校の法的な規律がありますから、この範囲内で、範囲を超えてアルバイトをなさるということには、学校の現場を預かっている教師はおのずからそれなりの対応をしていただかねばならないという義務があるということですね。
○浅尾慶一郎君 勤労を重んずる態度ということで、別の具体的な質問をさせていただきたいと思いますが、昨今、ニートという、まあ、学問もしていない、訓練も受けていない、そして働いてもいないという層の若い人が増えているというふうに言われておりますが、このニートが増えるということは勤労を重んずる態度というここで定める目標に反すると考えてよろしいんでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) それは、何というんでしょうか、今の教育にやはり欠けている規範意識その他の結果として起こっていることであって、その現象が勤労を重んずることと反するかどうかというのはちょっと比べるあれが違うんじゃないでしょうか。ですから、教育のやり方としては、できるだけやはりニートの人たちをつくらないような教育をしていくということだと思います。
○浅尾慶一郎君 できるだけニートの人をつくらないことが教育の目標だということですから、ニートが増えた、あるいは仮にこの法案が可決した後更に増えたとすると、法案の二条で書かれている目標と合致してないことが社会現象として起きているというふうに理解してよろしいですか。
○国務大臣(伊吹文明君) これは、ニートと言ってもいろいろありますから、先生がいろんな意図をお持ちになりながら質問しておられるというのは私よく理解して答弁しているんですよ。それは、本人の価値観の問題ということを必ずおっしゃると思うんですが、価値観の問題もあります。しかし同時に、ニートという立場の方は、結局だれかがこの人を、生きていることをサポートしているわけでしょう。働きもしない、そして学校にも行かないということは、だれかの汗と勤労の結果でサポートをされているから生命を長らえておられるわけですね。ですから、そういう方が増えていかないように教育をつくっていく義務があるということがむしろこの目的に書かれていることじゃないでしょうか。
○浅尾慶一郎君 そんなに深い意図は実はなくて、私自身は、勤労を重んずる態度ということをここに書かれるんであれば、ニートの問題は、価値観ということもあるかもしれませんが、それはおっしゃるようにあるかもしれませんが、それができるということもあるのかもしれませんし、そこまで、もっと言うと、しかし諸外国を見ても、ニートに対する対策を打つというのはどこの国でもやっていることだと思いますから、なおかつここに書かれているんでしょうから、単純にこの法案が通った後は、仮にそういうことが増えた場合には、その内心まで入ってどうこうということではありませんが、教育の目標としては目標に達してないという理解でよろしいのかどうかということを再度確認させていただきます。
○国務大臣(伊吹文明君) だから、増えていかないように教育をするということが目的でございます。
○浅尾慶一郎君 大分、大臣も何か警戒をされた御答弁をしていますが、教育の目標としては、仮に増えた場合にはそれはこの目標と反するというふうに理解をさせていただきたいと思います。
 次に、「生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度」ということもここで規定がされておりますが、これは具体的にどういう態度でございましょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) これは、自分の命はもちろんですが、相手の命、それから人間だけではなくてこの世の中に生命をうけてきたもの、このすべての生命の尊厳というものをやはり大切にしてもらいたいということでございます。
○浅尾慶一郎君 具体的には、これも大切にした人の事例を教えることによって養っていこうということでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) 大切にした人の事例を教えると同時に、例えば、午前中も御質問がありましたけれども、食育などということも大切な一つの要素ですね。植物にも命があるという判断をするかどうかということは非常に難しいと思いますが、少なくとも動物の命を絶って自分の命を維持しているわけですから、そういうことに対する感謝、尊敬の念、これもやっぱり教えていかないといけないでしょう。
○浅尾慶一郎君 大分持ち時間が限られているんで次の質問に移らさしていただきたいと思いますが、第三条の関係で、生涯学習の理念というのが第三条で規定されておりますが、生涯学習の理念を掲げた趣旨というのはどういうところにございますでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) やはり、現在の法律が制定された二十二年ですか、私は小学校一年生でございました。先生はまだ生まれておられなかったから、その時代がどういう時代かは書物でしか御理解がいかないと思いますが、これはもうとても大変な時代で、自分が自己研さんをしながら自分の自己成長を実現していくなどという余裕はとてもなかったです。ですから、このことは残念ながら今の法律には明確には記されていません。
 しかし、人生今や八十年、八十年になんなんとする平均寿命の時代ですから、ですから、あらゆる人生のステージにおいて我々人間は自己を成長させ人間的な達成感を持つと、そしてそれは職業教育という面もあるでしょうけれども、例えば実社会をリタイアした後でも自分の生きる目的として物を究めたいということもあるでしょうし、あらゆる場面でそれを可能にするような社会にしたいと、そういうことでございます。
○浅尾慶一郎君 私もこの理念は賛成であります。
 それで、私の質問の趣旨をよく分かっていただくために、民主党案の発議者に民主党案の中に含めてあります財政支出の話も含めてちょっと伺わせていただきたいと思いますが、今大臣が言われた生涯教育ですね、生涯学習ということですけれども、もちろん学校現場だけがその現場ではないかもしれませんが、高等教育ということを考えた場合に、大学、大学院その他の高等教育ということを考えた場合に、大学、要するに社会に出てから大学に行く人の割合がアメリカその他諸外国の方が日本より、これは数字を持っておりませんが、高いような気がいたします。GDPに占める公財政教育支出の高等教育だけを取っても、日本は〇・五%、アメリカが一・二%、最も高いフィンランドが一・七%と日本よりかなり高くなっていると。
 ですから、今のことを実現するためには、初等中等教育ももちろんでしょうけれども、高等教育にいったん社会人になってからも財政的な支援をしていったらいいんではないかなと思いますが、そのことをプログラム規定で書いております民主党案のまず趣旨を説明していただければと思います。
○鈴木寛君 お答えを申し上げます。
 私ども民主党は、まず民主党法案の第二条でもって学習権というものを定めておりまして、何人も生涯にわたって学びを十分に奨励され、支援され、保障されると、こういうことをうたっております。これは、私ども民主党法案の極めて重要な考え方を表した条文だというふうに我々思っております。
 そうしたことを正に実現をする上での環境整備を行うということが、これは国のあるいは公の使命でありまして、そのことが、先ほど浅尾委員からもございましたけれども、例えば特に高等教育においては、お示しのあったような、日本が先進各国に比べて明らかに低い水準に高等教育の公財政支出があるという事態にも反映をされているんだろうと思いますし、あるいは国際人権規約の十三条二項の批准が後れているということにもあるんだろうと思いまして、こうした事態を、せっかくあのとき教育基本法の議論をして作り直したんだから、あの二〇〇六年あるいは二〇〇七年からあの議論があって、日本がそうした生涯学習社会そして学習権を本当に真の意味で保障する社会に変わっていったんだなと、ああいい議論をしたなと、こういう議論にしたいということで、私どもはこの第十九条の中で教育の振興に関する計画ということを定めまして、そして、政府は、国会の承認を得て、教育の振興に関する基本的な計画を定めなければならないとともに、これを公表、国民の皆様方に公表すると。そして、その計画がちゃんと進捗しているのか進捗していないのかということをきちっと国民の皆様方が検証し、そしてそのことを基に、もちろん限られた貴重な税金でございます、それを何にどのように、いずれも重要な政策課題でありますが、こういう状況であれば更に高等教育に、あるいは教育につぎ込んでいかなければならないなという御議論を喚起するためにも、GDPに占めるこうした財政支出の比率なども含めて国民の皆様方に明らかにしていくということを考えております。
 もう少し実態だけ申し上げますと、やはり私どもが大変危惧をいたしておりますのは、高等教育費における家計の負担割合でございます。日本はOECD加盟三十か国中最高のといいますか最悪の、家計の負担比率が六〇・三%に上っております。これは、アメリカですら三分の一、ドイツ、フランスということになれば、これはもう学費はただでございますが、今の数字は生活費も含めてということでございますが一割程度でありますし、フィンランド、デンマークは三・六%、三・三%、スウェーデンに至っては完全に家計、自己負担というのはゼロ%になっていくと。これが理想でありますけれども、少なくともアメリカ並みの水準にはきちっと毎年予算を確保しながら、こうした方向に向けて実現をしていかなければならないのではないかと。
 この教育基本法が施行されている中で、国立大学の授業料の急激な上昇というのが、これは非常に重要な問題だというふうに思っておりますし、そういう中で、私どもも毎年、これは委員御存じのとおり、政府の予算案に対して民主党の予算案というものを対案として毎通常国会、予算委員会に提出を、お示しをさせていただいております。
 例えば、平成十八年度民主党予算案、これは私も次の内閣の文部科学大臣としてその立案に参画をいたしましたけれども、政府案よりも文教科学費で申し上げますと八千億円増額という形で私どもは対案を示させていただいて、その中に、奨学金の充実あるいは高等教育費の拡充と、国立大学及び私立大学に対する助成や運営費の増額ということをうたっているところでございます。
○浅尾慶一郎君 伊吹大臣に伺いますけれども、今、民主党案で公財政教育支出の割合を発表し、増やしていくと、アメリカ並みにしていこうということが説明がありましたけれども、この第三条で定める生涯学習の理念を実現するために、大臣としては財政的措置はどのようにとっていこうと考えておられるのか、伺いたいと思います。
○国務大臣(伊吹文明君) これは、各々の生涯教育に入ってきたいと思われる方々の所得の状況その他勘案して、必要な措置があればそれはとらないといけないと思います。
 一つ申し上げておきたいのは、やはり私たちは政権を預かっているわけですから支出のことだけを言うわけにはいきません、これはね、予算というのは歳入と歳出のバランスの上に成り立っているわけですから。
 ですから、私も教育予算は今の御説明のように増やしたいと思っているわけですよ、文科大臣として。しかし、その中で民主党さんがGNPの何%ということをおっしゃるんであれば、それをどのような租税構造によって国民負担で賄っていくのか、それから、あるいは租税を増やさないんであればどこを減らしてそれを、六千億ですか、何か今おっしゃった六千億、七千億を賄っていくのか、そのことをまず明らかにすると同時に、国民にマイナスになるところには皆さんこれだけの痛みを強いますよと、租税を取るところにはこれだけのことになりますよということをやっぱりはっきり申し上げて、私たちもそれがいいと思えばそれに乗りたいと思いますから。
○浅尾慶一郎君 じゃ、鈴木委員、お願いします。
○鈴木寛君 平成十八年度の民主党予算案の対案の概略についてだけ、お時間もございますから申し上げます。
 民主党案は、歳出総額が七十九・三兆円ということになってございます。政府案は七十九・七兆円でございますから、政府の総額の歳出よりも〇・四兆円、四千億カットしたそうした予算の中で、先ほど申し上げましたように文教科学振興費については八千億プラスをしていくと、こういうトータルの案をお示しを国会で、さきの通常国会の予算の議論の中でお示しをしております。
 じゃ、どこを減らすのかと、一々申し上げませんが、私どもはやはり公共事業関係費等々を、正にコンクリートから人づくりへというのが私どもの予算編成方針でございましたから、そうしたところを削って教育等々に振り当てていくと、こういった予算の考え方できちっとトータルの総額をお示しをしているところでございます。
○浅尾慶一郎君 コンクリートから人ということで案を作ったということでありますが、次の条文の方に移っていきたいと思いますが。
 先ほど、障害者自立支援法についていろいろ議論をさしていただきました。この教育基本法の第四条の二項、国及び地方公共団体は、障害のある者がその障害の状態に応じ十分な教育を受けられるようにって書いてありますが、これは、その障害のある者が障害に応じて十分な教育というのは、健常者と同じ内容の教育を目指すのか、それとも障害に応じた内容になるのか、これを個々具体的にできればお答え、障害者といってもいろいろな障害者の方いらっしゃるんで、お答えいただきたいと思います。
○国務大臣(伊吹文明君) 個々具体的に御質問していただきたいと思います。
○浅尾慶一郎君 例えば、身体障害を抱えておられる方の場合はいかがでありましょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) 私も、実はボランティアとして京都の身体障害者団体の連合会の会長を務めておりますが、現在の教育の状況は、必ずしも同じように教育が受けられているという状況ではございません。そして、願わくば、理想的な形としては、いわゆるインクルーシブの理論に沿って、御一緒の教育は受けられるというのは、これは理想だと思います。
 しかし、いろいろな制約の下で行政というのは動かさざるを得ない。一番の制約はやっぱり財源ですね。財源というのは、打ち出の小づちがあるわけじゃありませんから、必ず相手から出してもらわねばならない。だから、コンクリートから人へというのも結構なんですが、民主党の皆さんも随分公共事業をやれという陳情に我々のところへ来られるんですよね、具体論になると。やっぱり、そういうところを言行一致できちっと努力をしながらお互いにやっていくということだと思います。
○浅尾慶一郎君 公共事業をやってくれという陳情、行かれた人がどなたか私は把握しておりませんが。
 今の身体障害というのを抱えておられる方は、最近はパソコン等もかなり発達をしておりまして、障害のある方も、多少それは財源的な支出負担があるかもしれませんが、十分健常者と同じような教育を受けられることも可能なんではないかと、そこは是非お願いをしていきたいなというふうに思います。
 それから、これはやや難しい具体的な質問ですが、精神的な障害を抱えていられる方は、もしかすると時間のスパンを、抱えてない方と同じで見ると難しいかもしれないんですが、長く取れば、これは同じような教育を受けることもできるんではないかと思いますが、その点はどう思われますか。
○国務大臣(伊吹文明君) 今のは、知的発達障害の方じゃなくて精神障害の方ですね。
○浅尾慶一郎君 精神障害です、はい。
○国務大臣(伊吹文明君) これは、率直に言って非常に難しいですよね。つまり、精神障害のある方は、御家族を含めて、なかなか精神障害があるということを表に出したくないというお気持ちの方が非常に多いです。私もその関係の仕事を長くやっておりますからよく実態分かっているんですが。別に何の問題もない時期と突然問題が出てくる時期がありますから、ですから、多くの方々との間のバランスを取りながら公益を重視してやっていくということだと思いますが、今の社会の流れ、日本の行政の流れとしては、従来のような閉じ込め型の教育やこのケアは良くないということでやってきているわけですから、私は将来の理想としては先生のお考えに賛成です。
○浅尾慶一郎君 時間ですから、ちょっと最後の質問に簡潔にお答えいただきたいんですが、健常者と同じか、それともそうではないのかということについて、一人当たりの障害者に掛けるお金が健常者と同じでは多分同じ教育は受けられないと。どの程度までが許容範囲として考えておられるかということをちょっと伺いたいと思います。
○国務大臣(伊吹文明君) それはちょっと私も具体的に計算、一人当たり、お金で計算したことはないんですが、できるだけその努力をするということに尽きると思います。
○浅尾慶一郎君 誤解のないように申し上げておきたいと思います。私は、これは技術もかなり発達していますから、できるだけというのはかなりの幅を持って努力をしていただきたいということを申し上げて、時間になりましたので質問を終わりたいと思います。
○下田敦子君 民主党・新緑風会の下田敦子でございます。
 伊吹大臣始め、連日の御答弁、お疲れのことと存じます。よろしくお願い申し上げます。
 スローフードからメタボリックシンドローム、本日はまたインスタントラーメンまで登場をさせてくださいまして、かみ砕いたこの忍耐強い御答弁にまず敬意を表したいと思います。失礼ながら、カルシウムが不足してきますと非常に短気でいらいらして切れやすい。これはもう今の子供たちにも言えますが、多分そういう意味では大臣はとてもバランスの良い食事をしていらっしゃるのだと、そう思います。
 ここのところ、世はいじめ問題、それから未履修の問題、タウンミーティングの問題やらで教育現場の抱えるその矛盾が相次いで表面化しまして、本論の教育基本法改正問題へ十分な議論、審議がされてない状況に思われてなりませんでしたが、ここのところ少しくそういうことに入っていけるようになりました。どうぞ根本議論を十分尽くされるように願ってやみません。
 さて、西ドイツの元首相だったヘルムート・シュミット氏が日本は民主主義国家になりませんとおっしゃいました。それから、福沢諭吉はかつて、日本は政府ありて国民なしだと断じられました。伊豆の下田に黒船が来て、その後、欧米の文明礼賛、西洋に追い付け追い越せの明治、大正、昭和、考えてみますと、官僚に支えられて、枠組みを与えられた中での政治と議会であったのではないかなと、そういうことを感ずることもあります。
 そして、戦後、国権の最高機関であります唯一の立法機関の国会、社会科の教科書にもありますような民主主義の政治とも思えないような数の論理の場で追認機関になっているという声もこのところ聞かれます。
 さて、このような中で戦後六十年、私は思うのですが、特にこの委員会でも感じますけれども、戦後失ったものは大きいなということをつくづく感じます。それから、殊に教育、倫理、人心に関して元に戻すには百年掛かるという言葉も聞かれるわけでございますが、教育というのは結果が出るまで時間と労力が掛かります。
 ここで、私事で恐縮ですが、兄が戦争に参りました。父からいたしますと、たった一人の長男に召集令状が来まして、戦に死に行く者に対してめでたいと言って、一族郎党が日の丸に寄せ書きをして送り出しました。私、五歳のときに、昭和二十年八月十五日、お昼、正午でございましたが、幼稚園の板の間の遊戯室で玉音放送を聞きました。もんぺ姿の先生方が正座して泣いていた姿が忘れられません。あわせて、あのB29の、太い胴体のあの灰色の飛行機が五機、六機と編隊をなして来ますあの爆音は、今もってその恐怖は忘れ去ることはありません。そして、御存じない方も多いかもしれませんが、戦争が終わったというのに小学校の一年生のときまでは、校庭にあった奉安殿、大臣は御存じかもしれません、奉安殿に、天皇陛下のお写真に毎朝一礼して教室に入ったものであります。
 そういうことで、次の質問をさせていただきます。
 日本の国旗のデザインはすばらしいといいまして、明治七年ごろだったと思いますが、イギリスが日の丸を譲り受けたいという申込みをしてきたといいます。大変すばらしいデザインであったのだと今も思います。しかし、日清、日露、第二次世界大戦と、この日の丸は血に染まりました。また、国歌もまた時に国民の悲しみを思い含むものと言われても仕方がない歴史が今まで重ねられてきたと思います。
 私は思うのですが、現在、これらの反動の日々が、積もり積もったものが今ここに繰り広げられているのではないかと、深くそういうことを感じます。いまだその傷のいえないこの現場があって、世界的にも国旗・国歌に誇りを思えない民族があるとするならば、これは大変悲しむべきことだと感じます。
 東京地裁が九月の、都教育委が学習指導要領に基づいて国歌斉唱などを強要した通達、処分は、教育基本法の禁ずる不当な支配を、法律に定めるところにより行われるべきとの規定が追加されました。
 いわゆる学習指導要領は法律でないという見方もございますが、大臣は先刻、大臣告示だから法律の一部だとおっしゃられました。これも理解はできます。ただ、法律を制定すれば根本的に解決ができるのでしょうか。六十年前の深い傷をいやして、誇りを持てる日本国家にするためには大臣はどうあるべきと考えられますか。これをお尋ねしたいと思います。
○国務大臣(伊吹文明君) 大変大切な御意見を伺って、私は先生と同じ感慨を持っております。
 先生は私よりお若いですから、私は小学校一年生でした。当時やはり、あのときに申し上げましたように、それまでの日本が良かったかどうかというのはいろいろ近代の、この歴史の評価にかかわってくることですけれども、日本の歴史をずっと振り返って、異民族に日本の統治をゆだねたというのは終戦後からサンフランシスコ条約までであったと思います。もちろん日本には国会もございました。しかし、多くのことは総司令部の許可がなければ行えなかったということは事実です。
 その間にやはり日本の祖先の営みというか、日本人の営みが、あえて言えばその営みが文化であり伝統であったと思いますが、そこで一度途絶えたという、それが、その反動と先生はおっしゃった、それが出てきたのか、その行き着くところが病理として出てきたのか。そしてまた、逆に非常に、途絶えたことによっていいことがあったということは私認めないといけないと思うんです。それは、日本が気が付かなかったいろいろな価値観が日本に入ってきて、そして、日本人が勤勉であったという従来の価値観と相まって日本は大変な経済成長を遂げましたからね。ですから、当時の平均寿命は終戦直後は六十歳に満たなかったんじゃないでしょうか、今八十五歳の日本になりました。
 その中で、失ったものを取り返すという表現がよろしいかどうかは、ちょっとこれはいろいろ、その人の価値観の問題ですが、私は、いいものを引き継ぎ、足らざるものを足していくというのが今回の教育基本法の基本理念だと考えております。この基本理念に従って、今先生がおっしゃった、もう一度取り戻すべきものを取り戻すと。そして、不必要なものを切り捨てていくと。そして、日本が将来に向かって進んでいく。そして、この教育で、多分小学校一年生で教育を受けた人が、今ですよ、四十、五十年ぐらい後にここで答弁をうまくしてくれる人が出てくればいいなと私は思っております。
○下田敦子君 大臣にお願いがあります。私はこの場で、ティーチャーでもありませんしバチェラー・オブ・メディスンでもございません、委員で結構でございますので、よろしくお願いいたします。
 それから、民主党の日本国教育基本法における、日本を愛する心を涵養しという表現されましたけれども、具体的施策をお伺いしたいと思います。
○西岡武夫君 お答えいたします。
 民主党の日本国教育基本法案の中にございます日本を愛する心を涵養するということは、日本の長い伝統文化、これを児童生徒に正しく教えていかなければいけない、こうしたことを通じて、涵養という言葉に表しておりますように、非常にかなりの長い時間が掛かると思うんです。涵養という言葉は水が土にしみ込むようにということを表しているわけでございますが、そういうような形で日本の国を愛する心というものを子供たちの心の中に育て上げていくということを民主党としては考えて日本国教育基本法案の前文の中にうたわせていただいたと、このように御理解をいただきたいと思います。
○下田敦子君 ありがとうございました。
 それでは、時間もありませんので次の質問に入らせていただきます。
 スクールカウンセラーと連鎖自殺対策についてお尋ねいたします。
 連鎖自殺、狭い意味では群発自殺と定義されていますが、これはアメリカでクラスタードスイサイドという社会病理の研究をした方の言葉だということはこのごろつとに知れ渡ってきておりますが、ただ、インターネットにいわゆる自殺サイトというのが多数ありますが、自殺予防のためのサイトに比べますと自殺サイトが圧倒的に多いのが我が国の特徴だと言われています。
 そこで、インターネットだけじゃなくて、マスメディアもその群発自殺が拡大していくことに何らかの影響をしていると思われます。ちょっと余談になりますが、一流の記者がいる国は一流の国だと、そう言われていますので、この辺もマスメディアにもちょっとお願いをしていかなければなりませんが、昨日もたまたまくしくも自民党の岡田委員がおっしゃっておられましたように、最近、精神科医の高橋祥友氏によりますと、非常に我が国の報道が諸外国の、特に欧米のマスメディアとちょっと質が異なるということを大変明確に書いてくれております。
 重立ったことを申し上げますと、過剰な報道を抑えるようにしなきゃいけない。それから、単純な因果関係の説明を控える。例えば、自殺を誇張したり美化しない。それから、あくまでもこれは絶対守らなきゃいけないけれども、自殺の手段を詳細に報道しない。それから、日ごろから地域の精神保健の専門家と連携を緊密にするなどなどまだたくさんあるんですけれども。
 そこでお伺い申し上げたいんですが、スクールカウンセラーの配置校、これは特にアメリカは最近、各校に精神科医あるいは警察官も必置義務があって置かれているようでありますが。伺いますと、平成十九年度の概算要求額、補助率でスクールカウンセラーの配置率がどのぐらい向上するのか。それから、カウンセラーの職務内容、伺いますと、職務形態が毎日ではないとせんだっての御答弁にもありました。ですから、そういうことをどういうふうにまた向上していけるのか。何よりも、学校単位で、地域社会に精神科医も入った対策チームをつくる考えはないのか、これをお尋ねします。
 それから、あわせて、教育再生会議でようやくここを書き表していただいたかと思って大変私は安心しましたが、いじめた側の子供の出席停止を進めると。これは、やはりアメリカ辺りは犯罪としてきちっとけじめを持って出席停止をしている例をよく聞きます。これは我が国の場合に、この再生会議の議を受けて全国的にいつから始める予定なのか。そしてまた、保護者に対してはどのような対応を考えているか。特にちょっと心配なのは、子供の学習権があります。これをどう保障されていくか、これをお尋ねします。
 それから、この問題で、再生会議のところでちなんでお尋ねいたしますが、何やら報道によりますと、有識者メンバーの中で体罰の一部容認論も出たという話が報道されています。これのことで大変驚きの声が聞かれるわけなんですが、この有識者メンバーの扱いを大臣はどうお考えでございましょうか。
 以上でございます。
○政府参考人(銭谷眞美君) それでは、私の方から事実関係をまず御説明をさせていただきます。
 スクールカウンセラーの派遣、配置の状況でございますけれども、平成十八年度の配置計画では、中学校を中心に、小学校、高等学校を含めて九千九百七十八校に派遣をいたしております。来年度、平成十九年度につきましては、これを全公立中学校約一万校に派遣できるように今概算要求をしているところでございます。また、問題が生じた場合に緊急派遣できる要員について拡充のお願いをしているところでございます。
 それから、スクールカウンセラーの職務あるいは勤務の形態でございますけれども、スクールカウンセラーの職務内容は、児童生徒へのカウンセリングと教職員、保護者に対する助言ということになっております。
 スクールカウンセラーになる方は、圧倒的に多いのが臨床心理士の方でございます。このほか、精神科医の方、あるいは心理学系の大学の教授、助教授の方などが派遣、任用されている状況にございます。なお、このほか、臨床心理相談業務について経験を有する者をスクールカウンセラーに準ずる者として配置をするということも可能といたしているところでございます。
 それから、勤務形態でございますけれども、ただいまお話がございましたように、スクールカウンセラーは非常勤でございまして、週に八時間から十二時間、年間三十五週勤務をするということになってございます。なお、スクールカウンセラーは、例えば臨床心理士の方がお一人で二校を兼ねるとかそういうケースも通常見られるところでございます。
○国務大臣(伊吹文明君) 再生会議についてのお尋ねについてお答えいたしたいと思います。
 まず、二つのお尋ねがあったと思いますが、一つは、いじめをした子供の出席停止を提言しておられます。そもそも再生会議というのは、閣議決定でできた安倍総理への意見具申のグループという理解でよろしいんじゃないかと私は思いますが、いじめをした子供のこの出席停止というのは、これは内容によって先生非常に、先生と言っちゃいけないですね、非常にこれ多岐にわたっております。当然、少年法の適用を受けない年齢になったら刑法で完全に罰せられるべき行為をしている者もおりますし、子供の中のせめぎ合いというのか、昔でいえばよくけんかをしたというところのたぐいのものまであるわけです。
 だから、これはまあ、安倍総理に対していずれ提言をされるんでしょうが、安倍総理から私にどういうお話があるかをよく承って、そしてきちっとやるべきことは、先ほどお話があったようにやらねばやっぱりいけないと思いますし、現在でも出席停止ということは文部科学省が既に広く教育委員会に通知をいたしておりますから、現在でもできるんです、これは。
 ただ、どこまでやるかについては若干、一律にやるということは私は慎重でありたいと思います。教育権の問題、おっしゃったいろいろな問題があります。それから、今度、出席停止から戻ってきた場合のその子供のグループの中での位置がどうなるかということがあります。
 それからもう一つ、もう一つは、あれでしたですかね……
○下田敦子君 体罰。
○国務大臣(伊吹文明君) 体罰ね。体罰は、これはもう御承知のように、法律で今禁止されているわけですから、法律に反することは法律を改正しない限りできません。
 ただ、体罰ではないけれどもしっかりした指導をしていく教師はやっぱりバックアップをしていけるという体制をつくりませんと、このごろいろいろ教師の悩みを聞きますと、かなり立ち至って親心を持って指導をすると人権侵害だとかという親御さんの反応があるようなことも聞きますし、やりにくいことにならないように、体罰は法律で禁止されておりますからこれはともかくとして、一生懸命指導してくれる教師はやっぱりバックアップしていくと、これが文科省の基本的姿勢でございます。
○下田敦子君 じゃ、次の質問に入らせていただきます。
 レーマンコントロールについてお伺いいたします。
 現在の教育基本法の十条は、教育は国民全体に対して直接責任を負って行われると、いわゆる直接責任条項をうたっています。これが改正案にはありません。この直接責任は、国民からいえば住民による学校教育のコントロールを基礎付けるものであると受け取られます。この直接責任の条項をなくした理由をまずお伺いいたします。
 それから、レーマンというのは人格が高潔で幅広い識見を有する方々ということで、都道府県、市町村におられますが、いわゆる単なる素人ではなくて、一般的な学識経験が豊かで教育の専門家でないということを指しているようでありますけれども、この任命権は知事及び市町村、首長さんが持っているようで、議会の同意を得ての任命権でありますが、これを住民による選出をする考えはないのか、お尋ねをしたいと思います。
 取りあえずそこまでお伺いいたします。
○国務大臣(伊吹文明君) お示しをしておりますこの法案の中で、国民全体に対して直接責任を負って行われるというのが抜けているのはなぜかという御質問ですが、もうこれは申し上げるまでもなく、憲法二十六条は国民に教育を受ける権利を明記いたしております。そして、この権利の保障のために教育が全国民に対して直接責任を負って行われるということは、もう憲法上明白なことでございますので、この趣旨をより明確にするために国民全体の意思が表された国会で決められた法律によって行われるということを明記をしたというのが今回の御提案でございます。
 それから、もう一つの公選制でございますが、これはかつて公選制であった時代がございます。これは御承知のとおりでございますが、定数五名という、五名あるいは五名以下のところもあるんですが、やはり選挙になりますと非常に党派色が出てくるんですね、教育委員の立候補の方々に。特定政党がこれ推薦をするというようなケースが多々あって、そのときにはやはり政治色の排除ということを重く考えて、公選制を実は取りやめたんです。
 もう一度戻すかどうかということについては、これは少し幅広い国民の御理解が得られませんと問題でございますし、民主党さんの提案のように、もう教育委員会も廃止するんだというお考えも今のところありますから、どういうやり方がいいか、これは教育行政の一つの筋というか流れの大切な部分ですから、よく、当然民主党の皆さんの御意見も伺いながらやらねばならないことで、今のところ、私どもとしては公選制に戻る意図はございません。
○下田敦子君 ありがとうございました。
 それでは次に、職業教育のことに入らせていただきます。
 伺いますと、与党間においてももっと議論を要すると言われていた職業教育の内容であります。特に、来年の通常国会を目指して法改正をうたわれております社会福祉士及び介護福祉士法の法律、特に介護福祉士の養成について、高等教育の在り方についてお伺いいたしたいと思います。
 高等学校における福祉コース、いわゆる高等学校の基礎科目千百九十時間、それ以降の専門科目、しかも社会科の時間を社会学に読み替えたり、厚生大臣指定養成校の教授には教授歴、論文の数、それから著書の数、そして臨床経験、持っている免許など、厳しい基準がございます。
 で、教育施設に対しても指定基準、あるいは施設による現地実習などが課せられておりますし、同じ資格を目指してその勉強をしていくのに、高等課程においては高校という枠の中でしかございません。しかし、その卒業後、受験により最終資格が介護福祉士という同一の国家資格を取得する意味で、制度上矛盾が今指摘されています。
 法律、この法制度をいたしました、斎藤十朗厚生大臣のときに大変お急ぎで、海外から、国際福祉会議のときに指摘を受けて、異口同音に指摘されたことを受けて、大変急いでつくった資格でありますが、当時わずか二、三校、これは例外中の例外で、高等学校の福祉コースを認めましょうということで、そういうスタートだったようですが、現在これが二百五十五校です。ですから、老健局では資質を高めていく環境を整えるということを答弁でよくおっしゃるんですが、非常にばらばらです。大学の、その四大だけではありません、修士課程まで終わっても介護福祉士であり、また高等学校終わっても介護福祉士と。これは、世界的にこういう類例はございません。大変全国的に混乱を生んでいる現状がございます。
 で、伺いますが、文部科学省と厚生労働省の話合いは、今日ここまでどのような話合いを持たれてかれこれ二十年の間過ごされたのか、お尋ねをいたします。
 それから、あとは文部科学省の医学教育課にお尋ねをいたしますが、これ高等学校において福祉を勉強するのは良いことであります。ですが、十八歳前後で介護福祉士の資格を得て、実習経験、現場の実習経験のないままにその専門的な仕事に就くということに対して、医学サイドから様々な介護による事故が起きています。そういうエビデンスも今はまだありません。そういう中で、海外との格差が非常に生じています。
 これについて、どういうお考えがありますかをお尋ねいたしたいと思います。
○政府参考人(銭谷眞美君) それでは、私の方から介護福祉士の資格の問題につきまして御説明をさせていただきます。
 現在、介護福祉士の資格取得の道としては、養成施設ルートと実務経験ルート、福祉系の高校ルートの三つのルートがあるわけでございますけれども、これは若年層の育成あるいは介護経験者の活用等、多様な人材の確保の観点から、介護福祉士制度発足以来設けられてきた仕組みだと承知をいたしております。
 先ほどお話がございましたように、この福祉系の高校についてどうするのかということは、私ども文部科学省と厚生労働省でいろいろとお話合いはさせてきていただいております。今後の介護ニーズの増大、変化に対応するために、今年の七月に厚生労働省の介護福祉士のあり方及びその養成プロセスの見直し等に関する検討会、ここが報告書を出しております。この検討会にも文部科学省、いろいろと参加をさせていただいております。この検討会の報告におきましては、この三ルートは多様な人材の確保の観点から残すということになってございます。これを踏まえまして、現在社会保障審議会において審議が行われていると承知をいたしております。
 ただ、福祉系の高校につきましては、今後、その授業時間数をどうするのか、それから教育内容の充実をどうするのか、それから教員の要件等についてどうするのか。つまり、その水準の担保につきまして更に検討が必要であるというふうに思っております。
 今後、文部科学省としては、社会保障審議会における審議状況を踏まえつつ、厚生労働省ともよく相談をしながら、福祉系高校につきまして検討を進めてまいりたいと考えているところでございます。
○下田敦子君 大変重要な時期でありますので、よくその辺のお話合いをお願いを申し上げたいと思います。
 それで、大臣にこれはお願いを申し上げたいんですが、我が国のこの職業教育というものを考えたときに、次のような事例がございますので、あえて今日は大臣に申し上げたいと思います。
 かつて、立教大学の野田一夫教授、恩師でありますが、アメリカのニューヨーク州にありますコーネル大学、イサカという小さい町にありますが、そこの大学のような経営学に伴うサービス学を我が国において後期高等教育の場で是非必要と考えて、その学部の新設を当時文部科学省、文部科学じゃないですね、文部省にお願いに行った時期がありました。そうしましたところ、御答弁は、大学教育のアカデミックな場にサービス学など不要であると、それはにべもなく言われたと聞いております。ようやく最近、医学教育の場でもインフォームド・コンセントとかエクスポージャー、こういうのが出てきまして、いわゆる接遇の技法とか行われています。
 それから、せんだってIPU会議でジュネーブに参りましたら、ローザンヌという町に古い百二十年のホテル・レストラン学校があるんですが、そこでもやはり大変な人間教育が行われています。それから、木工の学校の教師は全部修士課程の御卒業でございます。そういう中で、大変、例えばヒルトンさん、ヒルトン翁は今から八十年も昔からこの大学に学んで世界じゅうにホテルを造られたという経緯がありますが、我が国のその経営学のレベルというのは、ちなみに申し上げますと、幼稚園のレベルであると、欧米は大学院だと。非常に後期高等教育に対する情報が不足なのか、そういうことに対する理解がインターナショナルでないのか、大変失礼なことを申し上げますけれども、少しそういうことを目を見開いていただかないといけないのではないかと思います。
 そのローザンヌの学校には銀行マンの求人が来るそうです。なぜかというと、ホテル・レストラン学部なのに銀行マンが求人に来るということは、接遇とかいわゆるしつけの教育、ジェントルマンとしての教育、これを省けるから銀行としては非常に節約になるんだということでございました。そういうことで、私が参りましたときも、いわゆる会計学のアカウンティングからポーションコントロールから色彩学からいろいろ幅広く教えられて調理師や栄養士が育っていく、管理学を覚えるなどなどであります。
 あわせて、今のFTAとかEPA、これに対してのフィリピン等々から来る看護師、ケアワーカーのレベルを単純労働者としてとらえているこの我が国の情報不足が私はとっても心配です。決して決してそういうレベルではない。日本のいろんな職業団体がそういうことで何か看護師のレベルがダウンするんじゃないかとか心配しておられるようですけれども、実は大変高いものを持って、フィリピンの外貨の収入は一番得ているということを聞いております。
 ちょっと時間がないので次に移らせていただきます。
 最後に、教育の機会均等についてお伺いいたします。
 我が国では国際人権規約の第十三条第二項の(c)の定める高等教育の漸進的な無償化条約の批准をいまだに保留しています。この条項を保留している国は、百五十を超える同規約の批准国の中で、わずかルワンダとマダガスカルと日本のみだと聞いております。この点から、国連からも速やかに是正あるいは保留を解除して批准するように勧告もなされています。その回答期限が二〇〇六年の六月末であったにもかかわらず、我が国政府は何らの改善の意向も示しておりません。民主党は再三にわたり政府に再考を求めましたけれども、なぜ改善の処置がとられなかったかをお伺いいたしたいと思います。
 それから次に、お手元に資料を差し上げてございます。日本の高等教育の家計負担割合、その横線の棒グラフをごらんいただくと分かりますが、我が国の家庭における負担が何と五六・九%、大変高いものになっております。そういうことで、高等教育の無償化に対して約三十年間も消極的だった自民党長期政権下の中で、高等教育に占める家計の自己負担率は約六割です。ですから、先進諸国の中で最も高い数字となっていることをここで申し上げたいと思います。
 この間、先ほどもお話ございましたけれども、国公立の授業料の大幅な値上げ等々もあります。どのようにこの教育費の負担格差をお考えになるか、お尋ねします。
 先ほど、それから、浅尾委員の方からも同じくありましたので、次は要望にとどめさせていただきたいと思います。
 欠格児童、いわゆる障害のある子供たちの障害の教育、義務教育の在り方なんですが、これは、ノルウェー、スウェーデン、デンマーク、それぞれが普通教室に補助教員を一人入れて、視覚障害、聴覚障害、様々な障害に専門とする補助教員を入れて授業をしていると。
 これは何が一番プラスになるかというと、健常児が障害を理解できて成長できるということであります。休み時間になりますと一緒にお手洗いに連れていってあげる、あるいは休み時間に一緒に体育館で遊ぶ、障害が何であるかが理解できて育ちます。このことがノーマライゼーションのスタートであるのに、日本は囲いの教育をしているということに私は特殊学校教育の一番の問題点があると思います。
 大変恐縮ですが、差し障りがあるかも分かりませんが、いろんな会合に参りますと、私の地域は特にそうです、点字ブロックの上に黒塗りの車が駐車しています。こういうことではやはり問題です。分離教育から特別支援教育の移行ということを強く私は大臣にお願いを申し上げて、予算以前の問題だと思いますので、このことをお願いして要望します。
 併せて質問でございます。よろしくお願いいたします。
○国務大臣(伊吹文明君) 一番最初に先生が御質問になりました国際人権規約第十三条二項(c)の問題でございますが、これは、おっしゃっているとおり、日本は批准をいたしておりません。
 アメリカはこの条約自体に大体参加していないわけですね。日本の場合は、外務省も含めて非常に私は律儀に考えていると思うんですよ。これは、多くの批准をしている国がこの条約のとおりになっていないですよ、見てみますと。ところが、日本はそれを非常に律儀に考え過ぎて、できないということだと思うんです。
 特に、高等教育の無償化、高等学校を含めて、普通教育、高校、大学を含めての無償化の問題は、これはやはり、義務教育は中学校で終わりますので、中学校を終わって働きに出て源泉徴収をされている人とのバランスがございます。ただ、高等学校進学率がもう一〇〇%近くに近づいてきておりますので、一つ考えなければいけない点であるということは御指摘のとおりなんですが、これを今度無償化しますと膨大な財政負担が来るんです。これを国民にどう理解してもらうかということも併せて一つ考えなければいけないと思っております。
 御要望のいろいろな点は、今日は伺わせていただきましたので、また我々の行政の参考にさせていただきたいと思います。
○下田敦子君 どうもありがとうございました。
○水岡俊一君 民主党の水岡俊一でございます。
 連日委員会審議が続いておりまして、委員長を始め委員の皆さん、また政府の皆さん、そして事務局の皆さん、大変御苦労さまでございます。貴重な時間を私も本日与えていただきましたので、早速質問に入ってまいりたいというふうに思います。
 まず最初に、今日は多文化共生社会についてということから質問を始めてまいりたい。
 連日の特別委員会において、いじめ、それから自殺の問題等について質疑が続いているわけですが、このいじめ問題が深刻化をしているという問題の背景には、異質な存在それから同調できない者をやっぱり受け入れないという、そういう体質があるんではないかというふうに私は思うところですね。そこで、そんな中で苦しんでいる子供たちというのは、外国人の児童生徒もその中に入ると私は思っております。
 そこで、総務大臣にお越しをいただきましたのでお尋ねをしたいんでありますが、現在、我が国には二百万人を超える外国人がお暮らしになっていると、そしてそれは十年前と比べると四六%増、約一・五倍にもなる増加率であるというふうに聞いております。そういった意味からすると、外国人の定住化が非常に進んでおって、共生者としても生活の中に同じ生活者として入ってきている、そして地域住民だというふうに言えるかというふうに思うんですね。そういったグローバル化した社会、非常にこの多文化共生という問題を私たちは現実の問題としてきちっととらえなきゃいけないという時代に入ってきていると私は思うんです。
 そこで、総務省では多文化共生推進プログラムの提言というのを本年の三月におまとめになって発表されたというふうに聞いておりますので、その多文化共生推進プログラムなるもの、また総務省のお考え、そういった辺りで大臣の見解をお聞かせいただきたいと、こういうふうに思います。
○国務大臣(菅義偉君) 委員御指摘のとおり、今の外国人登録者数、我が国はもう二百万を超えておりまして、今後のグローバル化、そうしたものを考えたときに、特定の地域だけの問題でなくて、やはり全国の問題としてこれは考える必要があるだろうと、そういうふうに私どもは認識をいたしております。
 そういう中で、やはりこの国籍、民族の異なる人たちが互いの文化的差異を認め合いながらも地域の中で共生をすると、そういう多文化共生の地域づくり、このことが極めて大事であるというふうに思っています。そこで、昨年度、多文化共生の推進に関する研究会を設けまして、研究会の議論を踏まえ、地方公共団体にも多文化共生施策の推進に関する施策の策定を依頼する、このようなことを現在行っております。
 具体的には、例えば日本語の言語の学習だとかあるいは居住の支援、あるいは教育あるいは労働環境、医療、福祉、防災と、そういう意味の多くのこうした生活支援と同時に、地域社会に対する意識啓発、日本人住民の意識の啓発とか交流イベントなど、そういうものを開催しながら、そうした異文化の人たちがともに共生できる、そういう地域社会というものを全国にできるように努力をいたしております。
○水岡俊一君 ありがとうございました。
 今、私、冒頭に申し上げた言葉は、明治大の山脇啓造教授がおっしゃっている言葉でもありまして、この山脇教授がこの研究会の座長をなさったというふうにお聞きをしているわけですね。非常に私もプログラムの内容を読ませていただいて、精力的に今の課題に取り組んで、そして国あるいは地方公共団体あるいは企業も含めて、これからの課題というものをお示しになっているというふうに思うわけですね。
 そこで、総務省としては、その提言を受けて、今後の進む方向としては何か具体的なことがあるんでしょうか。また、十九年度の予算の中で何か総務省としてお考えになっていることがあれば、是非お聞かせをいただきたいと思います。お願いします。
○国務大臣(菅義偉君) ただいまのこの研究会の議論を踏まえまして、地方公共団体に対して多文化共生政策の推進に関する指針の策定、そういうものを是非作っていきたい、こういうふうに思っています。
○水岡俊一君 さらに、詳しくお聞きをしたい部分もございますが、またの機会にお願いをしたいというふうに思います。
 官房長官には大変長らくお待たせをいたしましたが、是非御登場いただきたいと思いまして、官房長官にお尋ねをしたいと思います。
 実は、このプログラムの中にこういうくだりがあるんです。多文化共生施策の推進体制として、国は、外国人住民に係る課題を総合的、省庁横断的に取り組むための体制の整備を検討する必要がある、こういうふうに書いてございます。そういった意味からすると、官房長官としてその意見を受けて何か見解をお持ちでしたらお願いをしたいと思います。
○国務大臣(塩崎恭久君) 今先生御指摘のように、外国人を日本の地域で正しく受け入れるというのは大変重要な課題だと思っております。政府全体としても重要な課題であるというふうに認識をしておるわけでありまして、今、菅大臣の方から御説明のあった総務省でまとめられたものに対して、安倍当時の官房長官から、この報告を踏まえて省庁横断的な取組を行うために、外国人労働者関係省庁連絡会議というものがかねてからありますけれども、ここで検討を進めて、去る六月二十日には中間整理をまとめております。
 基本的な認識は、適法に外国人も受け入れた以上、社会の一員として日本人と同じような住民サービスを享受できるようにしていくことが求められていると、こういう認識の下で今、年末をめどにこの取りまとめを行っていこうということで、各省の局長クラスで今検討を進めているところでございます。
 なお、この外国人労働者の全般の問題について、もちろんその家族を含めた地域の在り方については、私はこの間まで外務副大臣というのをやっておりましたが、副大臣会議の中に外国人労働者のワーキングチームというのができまして、そこでまとめたものがございます。その際も、当時の山崎総務副大臣から、この今、菅大臣から御説明のあった、地域における外国人の受入れの在り方について御報告があり、我々としてもそれを含めて議論をして、外国人のまあ言ってみれば正しい受入れ方というか、そういうことについて議論してペーパーをまとめたのがありますので、もしよかったらお届けをいたしますので、ごらんをいただきたいと思います。
 なお、安倍内閣はオープンとイノベーションというのが一番の柱の政策でございます。やはり良い人、良い物、良い金にはオープンにしていこうと、こういう心広く世界に開けていく日本にするために頑張っていこうということでございますので、問題意識をしかと受け止めて頑張っていきたいと思います。
○水岡俊一君 省庁横断的という言葉がありましたので、そういった意味では総務省だけにとどまらず政府全体での取組課題というのはこれから更にたくさん明確になってくるし、積極的にその課題に取り組んでいかなきゃいけないと、こういうふうに思うわけですね。
 それで、今御答弁の中に、地域で、地方でどういったふうに受け入れていくかというお話もありました。これは非常に大切なところであるし、地方公共団体としてそのことに真剣に取り組んでいる県が今たくさんございます。そういった一方、国としてこの問題にどういったふうに取り組むのか。それは地方に対して的確なアドバイスをするということもそうかもしれませんが、国としてはどうなのかというふうな観点においては、官房長官は何かお考えございますでしょうか。
○国務大臣(塩崎恭久君) 入国管理で、まず入ってくるところで一回関所があるわけですね。ここで正しく入ってきていただきたい方には入ってきていただこう、どんどんと、こういうことだろうと思います。
 いったん入られて、適法に在留をしていただいている限りはいいわけでありますけれども、そうではないケースも間々あって、これは御案内のように、今一部の刑務所では外国人が三分の一ぐらいいるというようなことが起きて、外国人による犯罪もかなり増えているということで、地域で受け入れようというのと逆に、問題はあるので何とかしないとまずいんじゃないかという両方あるわけですね。
 したがって、先ほど申し上げたように、適法に在留する外国人については、地域でもしかとサービスも享受していただいて日本を楽しんでもらおうと、こういうことだろうと思うんで、国としてということであれば、今申し上げたように、在留管理は法務省、警察、いろいろかかわってきますし、もちろん地方のお手伝いもなければいけないということでありますから、そこのところのきちっとしたコーディネーションをして、日本で楽しく住んで楽しく働いて楽しく学校へ行ってもらって楽しく人生を送ってもらうということを、国としてそのフレームワークを整えるということが大事なんではないのかなというふうに思っています。
 まだその管理も十分できないままに不法滞在になっている人もたくさんいるわけでありますから、両方をきちっとやっていかないといけないんではないのかなと思いますが、いずれにしても、これは国がきちっと音頭を取らなければ、元々入るときから国で管理をしていることでありますから、それについてコーディネーションをきちっとしなければいけないと思っております。
○水岡俊一君 適法かそうでなかったかという問題も、これは政府側としてはきちっととらえておくべき問題だろうというふうに私も理解はします。
 ただ、これまでから、文教科学委員会の方で審議、論議をしてきた中で私たちも申し上げていたのは、適法か適法でないかというのは、これは親といいますか、労働者のサイドの問題であって、子供にはその瑕疵はないんではないかと。ですから、その子供をいかにして救っていくのかということは我々の課題としてとらえておかなきゃいけないねという論議はしました。しかし、それは今論議をここの場でするべきことではないと思いますので、それは置いておきます。
 今官房長官から踏み込んだ御発言もいただきまして、そこで私たちも非常にそのとおりだなと思うのは、やはり法によってきちっと受け入れた労働者をいかにそのケアをしていくのかということは、これは政府としてしっかりと取り組んでいかなきゃいけないという、そういう観点で、この後、教育問題について質問を続けていきたいと、こういうふうに思っております。
 伊吹大臣にお願いをしたいと思うんですが、今総務大臣あるいは官房長官からも御答弁をいただいた内容についてでありますが、外国人登録者が二百万人という中で、活動内容に制限のないという言い方がいいんでしょうか、そういう在留資格、ほとんど日本国民と同じですよと言われる方々が百三十万人もいらっしゃるというようなことですから、もうある意味では一つの移民としてとらえるべき部分も僕はあるというふうに思うんですね。そういった中で、こういった外国人の児童生徒の教育、これを日本国政府としてはどういうスタンスでとらえていくかと。これは大臣の御見解を聞かせていただきたいと思います。
○国務大臣(伊吹文明君) 今先生が御指摘になりました数字は在日韓国の方々も入れての数字ですか。それを外してそんな数字にはなっていないと思いますが、いかがなんでしょうか。
○水岡俊一君 これは入っていますね。
○国務大臣(伊吹文明君) 入っていますね。
 ですから、これはすべて移民という位置付けがいいかどうかは私は非常に問題があると思います。
 先ほど官房長官が答弁をいたしましたように、日本の外国人労働者への扱いとして、技術のある人はこれどんどん入ってくださいと。それ以外の人は極めて制限的に運用しているというのは、これは日本の外国人労働者に対する入国管理の扱いなんですね、ざくっと言ってしまえば。ですから、それにのっとって入ってきておられる方についてはやっぱりそれなりの義務があるということを言っておるわけです。
 ただ、これは日本国の憲法、これはもう先生にこんなことを私が申し上げるより先生の方がよく御承知のことですが、日本国の憲法あるいは日本国の教育法規は、日本国籍を持っている国民に対して将来の日本のために教育を施すということが基本になっているわけですね、基本に。ただし、それ以外にだんだんそういう人たちが多くなってきている現実を踏まえれば、国際条約その他から人道的な扱いはしなければならないというのが今までの考え方ですよ。
 ですから、日本の義務教育を希望される方については義務教育に受け入れると。しかし、それだけで十分なのかねと多分おっしゃると思いますね、言葉の問題その他がありますから。だから、適法に入ってこられて適法に居住しておられる方については何らかのことをやっぱり考えなければいけない数になってきているということは、先生の御指摘はよく分かります。
○水岡俊一君 大臣ね、私いろいろ調べてみますと、我が国は一九七九年に社会権規約、通称社会権規約、詳しく言いますと経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約というのを先ほどから引用されておりますので、その国際人権規約というものを批准をしております。
 その中で、十三条において、教育についての権利、2の(a)、「初等教育は、義務的なものとし、すべての者に対して無償のものとする」と、こういうふうにあります。これは明確に書いてあるんですね。そして、子どもの権利条約第二十八条には、教育の権利、第一項として、「締約国は、教育についての児童の権利を認めるものとし、この権利を漸進的にかつ機会の平等を基礎として達成するため、」次のことを行うと、「初等教育を義務的なものとし、すべての者に対して無償のものとする。」と、こういうふうに書いてあるんですね。要するに、国民というとらえ方、これは日本憲法、そして現行の教育基本法にはそういったとらえ方があるわけですが、条約はそうではないと、こういうことなんですね。
 そこで、大臣にお聞きをしたいんですが、実は私、高等学校で政治・経済という教科を選択した数少ない人間の一人なんでありますが、その政治・経済を勉強したときには、条約というのは、これは法的拘束力を持つんだと、こういうふうに習ったと思うんですが、そういった意味からすると、先ほどの下田委員の質問にお答えになった大臣の御答弁の中では、まあ律儀に考えていると、日本は。アメリカはそうじゃないところがあるじゃないかというような……
○国務大臣(伊吹文明君) アメリカじゃない。
○水岡俊一君 じゃないですか。いや、そういうようなお考えの中で、必ずしも条約は誠心誠意履行しなきゃいけないものではないというかのような御答弁があったように聞こえたんですが、それはどうなんでしょう。
○国務大臣(伊吹文明君) 法律と条約は違います、これは。しかし、国会でラティフィケーション、つまり条約の批准の議決を受けた場合は対外的にその義務を日本が負うということです。私が先ほど申し上げたのは、アメリカが律儀じゃないと言っているわけじゃないですよ。アメリカはもう全く律儀過ぎるほどできないと言って断っているわけですから。むしろ問題は、批准をしている国がみんな完全にその条約の中に書かれていることを国内的な義務として果たしているかどうかということになると、必ずしもそうじゃない国がたくさんあるということを申し上げたわけです、私は。だから、アメリカは一番律儀なんですよ、そういう意味からすると。
 ですから、今の先生の御質問について言えば、日本は先生が今お挙げになった幾つかの条約を国会で批准しておりますね、議決しておりますから。だから、対外的な義務が生じてまいります。その義務を国内的な制約の上でどこまで果たしていることが許容されるかという問題なんです、これ、国際法上の。だから、日本は批准をしたらできるだけ果たしたいということがあるから先ほどのような答弁をしたわけですが、先生の御質問は、であるならば批准をしているのにどうなんだということでしょう。ですから、それは義務教育に受け入れているという事実はあるわけですよ。だがしかし、今度は言葉が通じないじゃないかと、その言葉をどうマスターさせて義務教育の場へ入れていくのかと。そこまでを条約が義務付けているかどうかという今度は議論になってくるわけですね。
 私は、おっしゃっていることに反対しているわけじゃないですよ。できるだけその方向にやりたいと思いますが、予算やいろんな制約がありますから、その範囲の中で義務教育にはきちっと受け入れるという門戸は開いているということは先生が一番よく御存じのことです。
○水岡俊一君 大臣、そこで、先ほどの下田委員の質問は高等教育の問題、これは日本は留保をしているという状況にありますね。今私が説明を申し上げたのは、留保はしていないんです。つまり、これはやっぱり誠心誠意、日本の国としてそれに向けての努力をしなきゃいけないというふうに私は感じるところですが、それについていかがでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) それは私が先ほどの後半の答弁で御答弁したと思いますが、確かに今先生がおっしゃった二つの条約については日本は国会で批准をしているわけです。ですから、対外的な義務が生じております。義務が生じておりますから、その義務をどのような形で果たしているかと。だから、義務教育には希望をして手を挙げられる外国の方は、それに、日本の義務教育へ受け入れるという門戸を開いているわけです。
 ただし、先生の御質問は、多分、それはそれで分かったよと、しかし言葉も通じない者を義務教育へ入れるといったって入れないじゃないかと。だから、実際ははみ出している人間がいるじゃないかと。そうすると、外国人に対して日本語教育をすべて日本の納税者の負担で実施をして、そして義務教育に日本の児童と同じように入れられる状況までにするかどうかということを条約がその締結をした国に強制をしているのかどうなのかという議論に法制的にはなりますよと。
 しかし、私は先生の言っておられることに反対じゃありませんよと言っているのは、だんだん国際化も進んでくるし、日本もこれは本当に国策としてやった、日本国内へ研修生として入れてきた方が、官房長官が言ったように、その御子弟なのか、あるいはそうやって入ってこられたけれども今度は、きちっと入ってこられたけれども今度在留期間が過ぎたのにおられる人なのか、いろいろありますよ。だけど、人道的な立場からはいろいろなことをしなくちゃいけないというのは、私は先生の意見に何ら反対じゃありません。
 しかし、国内で法違反の保護者の下にいる子供が、これは国際法上の法理的解釈ですよ、人道的解釈じゃなくて、法理的解釈としてその条約の対象になるのかどうなのかということは、国際法上かなり詰めなければいけないことだと思います。
○水岡俊一君 その件については、人道的あるいは人類愛にあふれた大臣のことですから、それはもう積極的に取り組む姿勢を示していただけるものと期待をするところですが、問題は、そういう細かいところまで行かなくて、もっと手前の問題で、国際人権規約ではこれは無償のものとするというふうな形で積極的にそれは受け入れなきゃいけないと、こういうふうに規定をしているわけですから、これは、今の日本の取っている体制というものはこれは不十分、あるいはもっと言えば不十分極まりないと私は思うんですね。ただ、今後どうしていくかという問題は、やはりそれはいろんな知恵を出してやっていかなきゃいけない。
 さて、そこで、大臣、今度の教育基本法の政府の改正案には、このことについてはどこかくだりがあったり、その考え方が示されているんでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) いや、ですから、先ほど来申し上げているように、現行基本法も改正基本法も日本国憲法も、日本国民に対するこれは法規なんですよ。だから、外国の方については国際条約上の先生が御指摘になった扱いなんですね。だから、民主党さんはそこの対案は、そこのところを国民とは書いておられないわけですね。これは一つの考え方です。これはどういうふうにこれから国会がそれを判断していくかということだと思います。
 それで、義務教育に門戸を開いているということは先生も認めていただかないと困るわけですよ。ただ、義務教育を受ける条件を整備するということについて不十分だということをおっしゃっているわけですよね。だから、そこのところまでを条約が義務付けているかどうかということは、これはやっぱり少し詰めないといけない問題じゃないでしょうか。
○水岡俊一君 もう一度伺います。
 今のこのお互いにお話をさせていただいている問題について、政府案の中には書いているくだりがあるんでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) 何度も申し上げているように、政府案は、これは日本国民に対する教育基本法という形の方向性になっているということです。
○水岡俊一君 つまり、書いてないということだろうというふうに思います。
 それで、昨日の審議の中だったかと思うんですが、教育というものをどういうふうにとらえるのかという論議の中で、この教育基本法、政府案が日本の教育を要するに表しているというふうなお話があったように思うんですね。そういった意味でいうと、日本は外国人の児童生徒についてどのように教育をしていくのかということをこの政府案は記していないということで、つまり外国人の児童生徒の教育の問題は、今の政府、もっと言えば文科省の教育の対象ではないという考え方になるんでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) それは違うんじゃないでしょうか。法律はそういうことは規定いたしておりません。教育基本法はあくまで日本国民に対する教育の基本を定めているわけです。
 しかし、日本は国際社会の一員として、先生がおっしゃった条約に対する署名をして、そして国会に対して批准を求めて国会が批准をしたということですから、これはその人たちをどのように受け入れるかということについては、基本法より下位にある教育各法、あるいは政令、通達、予算その他において措置していくことであって、そういうことはたくさん私は方向性としてあると思います。憲法に書かれていないけれども、下位の法律においていろいろ人権が守られたり、あるいは会社の行動が保護されたりするということはよくあるわけですから、これは立法政策上の問題だと思いますね。
○水岡俊一君 大臣としてそうおっしゃられる気持ちは私なりには理解はできるんですが、実は外国人児童生徒の教育をどうするのかということにかかわっての法律は私はないように思います、今の日本には。ですから、今の立法の一つの体系の中でとらえていくというのは現時点では難しいというふうに思います。
 それで、一つ、これは日本の国としてその条約をいかにとらえていくかという問題にかかわるということですから、それ以上押し問答しても仕方がないというふうに思いますけれども。
 ただ私は、今日冒頭にお伺いをした多文化共生推進プログラムというものは一つの表れとして、日本の政府としてこういった問題をとらえていかなきゃいけないという姿勢は表れていると思うんですね。ですから、総務省もそして厚労省も、本当に積極的に子供のそういった教育プログラムをどう扱っていくのかということはきっちりとらえているんですよね。
 ですから、文部科学省がこのことについてきちっと考えを今示さないというのは、やはりこの問題に対しての姿勢が足らないんじゃないかというふうに私は思うんですが、いかがでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) これは先生、教育の部分だけではなくて、外国人の、今おっしゃった共生ですか、それについてどのように日本政府がトータルの、まあ移民政策というのはよくないと思いますが、外国人を国内に入ってもらって、そして、日本は伝統的にいえばいろいろな在日で日本国籍を取っておられる方その他ありますけれども、日本の国の成り立ちとしては、どちらかというと単一民族、単一国家、単一文化という国で来たわけですから、そこのところの大きな、大きな流れを国民としてどういうふうに位置付けて理解するかという国民の共通の理解の上にその今の問題も論ずべきことだと私は思います。
○水岡俊一君 教育基本法の政府案についてやっぱりしっかりと論議をしていきたいという思いから、今日は私、こういうお話をしたんですが、政府案の中には、提案理由を説明いただいた中で国際化という言葉はちゃんと入っているんですね。しかしながら、条文の中にはそういうことがない。それから、それに付随をしていく、あるいは同時に提出される法律もないというのは少し、といいますか、この提案の趣旨を説明された内容と中身とは僕はずれているように思いますが、大臣、いかがでしょう。(発言する者あり)
○国務大臣(伊吹文明君) これは、いろいろ不規則発言がありますが、これはやっぱり提案者が提案の意図を御説明しなければならないんであって、国際化という文字を使いましたのは、グローバルな社会になってきて、日本がかつてのように東洋のちっぽけな戦いに負けた国である二十二年のときと、国際社会、地球上における立場も全く違ってきていると。であるがゆえに、日本人が日本人としてのアイデンティティーを持つと同時に、海外の文化その他については日本人が理解をしていかないと、日本人の教育基本法として書いているわけですから、それは困るよという趣旨の国際化ということを入れているわけです。
○水岡俊一君 大臣、正確な数字というのは私も持ち合わせてはおりませんが、例えば、外国人の児童生徒は一体、じゃどれぐらいいるのかという問題を調べてみると、私の知るところによると、昨年の集計によると全国に十二万三千人ばかりいるんじゃないかと、こういうお話があるわけですね。
 しかし、その中で日本の小学校や中学校へ来ている、今大臣がおっしゃった、日本の学校が受け入れているよというふうにおぼしき人数を調べますと約六万二千人なんです。つまり、半分程度しか日本の学校には受け入れていないわけです。
 それで、ここが調査の難しいところなんですが、外国人学校というのがありますね。ブラジル人学校であるとか中華学校であるとか、そういったところに行っている人たちを調べてみても二万五千人ぐらい。つまり、あとの残りの本当に数万人、もっとありますね、全部でいくとかなりの人間、その子たちはどうしているのか、こういう問題が出てきますね。
 これは、想像するに、不就学という問題が出てくるわけですね。
 つまり、日本の国に暮らしながら、その子供たちに責任がないのに日本で教育を受けることができていない子供たちがそこに四万人も五万人もいるということが現実としてあるんではないかと私は思うんです。それを国際化という時代の中で、政府もそういうふうにとらえている、そして大臣の言葉でも国際社会の一員としてというとらえ方の中で、これでいいんだろうかというふうに私は思うわけですね。
 ですから、まあ民主党の案を私がこの立場上聞けないということなんで大変残念ですが、いや、そういった意味からすると、(発言する者あり)いや、ああいいんですか。そういった意味でいえば、それじゃ委員長、よろしいでしょうか。
○委員長(中曽根弘文君) 委員は発議者でありますので、民主党提出の法案の中身については熟知していると思っておりますが、そのことを踏まえた上で御質問して結構です。
○水岡俊一君 はい。
 それでは、せっかくの機会でありますので、今論議をしてまいりました学ぶ権利でありますとか、あるいはその学校教育をどういうふうにどういった形でとらえていくのか、第二条、第三条、第四条、第七条、いろいろとありますけれども、できましたら我が同僚の鈴木寛議員にお願いをしたいと思いますが、いかがでしょうか。
○鈴木寛君 お答えを申し上げます。
 私どもは、正に国際社会の中で国際社会の一員としてそうした条約を最大限実現をしていく、そういった意味でも国際社会のリーダーになりたいという思いを持ってこの法案を作らさせていただいております。
 したがいまして、第二条におきましては、何人も、生涯にわたって、学問の自由と教育の目的の尊重の下に、健康で文化的な生活を営む、学びを十分に奨励され、支援され、保障されると、こういう条項を盛り込んでおりまして、これは日本国民のみならず日本社会すべての人々にこうした権利を保障していきたいと考えておりますし、第三条の主語も、何人も、その発達段階及びそれぞれの状況に応じた、適切かつ最善な教育の機会及び環境を享受する権利を有するということ、それから第四条で、学校教育におきましては、すべての国民及び日本に居住する外国人に対して、意欲を持って学校教育を受けられるよう、適切かつ最善な学校教育の機会及び環境の確保及び整備に努めなければならないという条項を盛り込まさせていただいておりますし、また第七条でも、何人も、普通教育を受ける権利を有すると、こういうことを盛り込まさせていただいているところでございます。
 このことが、やはり日本社会の健全な発展に極めて、今委員のおっしゃった不就学の児童の問題を放置するということは、日本社会全体の教育の在り方にとって極めて望ましくない状況だという判断の下でこのような条項を整備させていただいているところでございます。
○水岡俊一君 ありがとうございました。
 民主党案では、何人もという主語を使う、そして、日本に居住する外国人という言葉も使いながら、日本がこれから取るべき姿、方針を一生懸命表しているというふうに御理解をいただきたいというふうに思います。
 そこで、今、不就学のお話を申し上げましたが、それだけの数の、あるいはもっと多いかもしれません、不就学の児童生徒がいて、そしてこれに対して効果的な施策が行えないとすると、これは何年かしますとその方々が成人をしていく、その中で働くことも難しいかもしれない、さらに、厳しいその生活の制約が出てくるんではないかということが想像されるわけですね。
 そういったことについて、大臣、ちょっとお考えがあればお聞かせください。
○国務大臣(伊吹文明君) 今からもう、そうですね、三十五年ほど前なんですが、私は四年間英国に駐在していたことがあります。英国は日本とは違って植民地国家ですから、特に労働力が非常に不足して、海外からの人を入れてきているんですね。これは、国策として入れてきておったと思います。しかし、不況になると必ずトラブルが起こるんですね。社会不安が起こります。特に、英国のロワークラスの人と外国から入ってきた人との間に一番激しいフリクションが起こる。
 日本はそういう国にしてはやっぱりいけない、これは先生と私と共通の思いだと思いますね。やはり世界各国を見ましても、外国から人を入れてくることについての大きな国策がまず表に出てこないと、教育の問題、福祉の問題についての扱いもきちっとできないんですよ。これは立法政策上の問題として、基本法に、国家の憲法だとか教育基本法という基本法に、これは調べてみないと分かりませんよ、私が知っている範囲では、外国人のことを書いているということは極めてやっぱり少ないと思います。それは、それ以下の法律においてその現実をどう担保するかということだと思うんですね。
 だから、先生の人道的な温かいお気持ちは、私は決して反対じゃありません。しかし、国家を預かっている立場からすると、外国人の労働者という、外国人の方で日本へ来ていただく方を全体として日本国家がどういう形で迎えるのか、制限的にやるのか、それから国際条約も、今は、先ほど先生がおっしゃった数の足し算引き算からいうと、確かに何のとがもない子供がそれだけ不就学であるという数字になると思いますが、同時に日本の教育基本法は、日本の国民について、保護者は受けさせる義務があると、こう書いているわけですね、御承知のように。そうすると、保護者というものが違法な状態で、日本の法律上違法な状態で国内に存在しておられるとした場合ですよ、その人の保護の下にある子供さんをどう扱うかという、これは人道上のことはよく分かります。しかし、これは国際法上、かなり詰めないとやっぱりいけない問題を含んでいるということは理解してください。
○鈴木寛君 お答え申し上げます。
 法律には、属地主義と属人主義という、この二つの大きな考え方があろうかと思っております。で、我々は日本社会における教育のありようを議論をしておりまして、もちろん外国人をこれ受け入れる受け入れない、これは教育政策の範疇外の話でありますが、結果として不就学の多数の児童が存在していて、それが同世代の日本の国民の教育に対して極めて大きな影響を持っているという観点も我々は十分踏まえさせていただいております。
 それから第七条で、民主党教育基本法案では、義務教育を受けさせる義務は、「国民は、その保護する子どもに、当該普通教育を受けさせる義務を負う。」ということで規定させていただいているところでございます。
○水岡俊一君 大臣、最後に、私一つ勉強してきた中で分かったことは、憲法第二十五条に「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と、こう書いてあって、すべて国民はということに対象がなっているということはここからもよく分かるんですね。ところが、憲法三十条に「国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。」と、こう書いてある。これも国民なんですね。ところが、在日の外国人労働者は、同じようにやはり納税をしているわけですね。
 そういった意味からすると、納税をさせながらそれに対する手だてを、やはり一部、少ないということであれば、それは問題があると思うんですね。やっぱり国際化の中で、それは日本の、先進国の一つの大きな代表的な国として、その問題はやっぱりきちっととらえていく必要があるんだというふうに私は思うので、今後のまた論議の中でもお示しをいただいたらというふうに思います。
 これで私の質問を終わります。
○仁比聡平君 日本共産党の仁比聡平でございます。
 まず、どうすればいじめ自殺をなくせるのかという問題について、大臣は、二十六日のNHKの「日曜討論」で、文科省の指導にも若干問題があったと反省していると述べられました。私も聞いておりまして大変印象的だったのですけれども、いじめがゼロである学校が良い学校だという打ち出し方をすると、みんな良く見てもらいたいと思い、教師はそれを隠すし、教育委員会は報告しないという現象が起こってくる、教育行政の評価の在り方を変えないといけない、こうお述べになられたかと思います。そういうお考えに間違いございませんでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) 先生、聞いていただいてありがとうございました。
 私が申し上げたのは、平成八年に私の言っているようなことを既に文科省は通知しておるんですよ。しかし、なかなかそれが徹底されてなかったと私は思います、現実を見ますと。ですから、いじめが多いのがどうも何か学校の評価、あるいはいじめを止められなかった教員の評価にかかわってくるんじゃないかという意識をどうしても持ちがちであるようだから、平成八年のその通知をもっと徹底して、平成八年の通知というのは、いじめの多寡以上に、いじめをいかに迅速かつ適切に対応し、いじめの悪化を防止し、早期に真の解決を図ることが大切であるという指導をしておりますから、それをきちっと徹底しなさいということを私は担当の局長にも言ったということなんです。
○仁比聡平君 いじめ対策を数値目標で評価するというやり方が現場に困難をもたらすものだということをお認めになったということだと思うんですね。
 我が党は、いじめの件数が多いか少ないか、これで学校と教員を評価するという全国で起こっている現実がいじめの実態を見えなくさせて、教師集団が一致協力してこれに対処するということを困難にさせている原因の一つになっているということを厳しく指摘をしてきました。私は、こういうやり方は、いじめを克服する上で有害なものであって、早急に正されなければならないと思うわけです。
 そこで次に、十一月十二日に起こりました北九州での、市立皿倉小学校という学校がございます。この小学校の校長先生が自ら命を絶たれたという大変痛ましい事件について、大臣にお聞きしたいと思うんです。
 この件は関係者あるいは国民の皆さんの中に大きな衝撃を広げています。この小学校をめぐりまして、十一月、今月十一日にある新聞が、こういう大きな報道があったわけです。「小学校がいじめ隠し」という大きな見出しで、五段抜きの記事ですけれども、五年生の女子児童に対する同級生らのたかり行為をいじめと認識しながら、市教委には児童間の金銭トラブルと報告し、いじめの実態を隠していたことが分かったという報道なわけです。
 この先生が自殺されて間もない今月十五日の衆議院文科委員会で大臣は、教育長が校長を叱責をされたということ、それから児童間の個人的な金銭トラブルだと言って児童に救いの手を差し伸べなかったのは問題があるという旨の御答弁をされています。私は、この御認識が今も同じなのかということをお尋ねしたいんです。
 というのは、私もこの件について現地調査をいたしまして、マスコミ報道も一連精査をしてまいりましたけれども、当初報道されたいじめの事実を隠していたというのは、経過を正確に表現したものではないように思うわけです。
 亡くなられた校長先生は、朝、門前で登校する子供たち一人一人に名前を呼んで声を掛けて、掃除時間には御自身長靴を履いて先頭に立たれるというその姿から、子供たちからは長靴先生と、そんなふうに親しまれておりまして、保護者からも先生たちからも大変信頼の厚い方だったわけです。
 経過をよく見ますと、九月の二十六日に被害児の保護者からの訴えで判明した、子供たちの中で起こった金銭の受渡しを伴った問題のこの件についてもすぐに対応をされまして、関係教員の先頭に立って関係児童からの事情の聞き取りや事実確認を進める一方で、関係保護者間の調整を図りつつ、市教委にも随時報告をしながら、子供たちが学校に出てこれなくなることがないように、どの子も、関係の児童が学校に出てくることができなくならないように、解決に向けたリーダーシップを私は取ってきたと思います。大臣、いかがでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) まず、先生、それにお答えする前に、文部科学省のやっていたことが間違っていたことをお認めになったという御発言がありましたが、何か赤旗でも志位委員長が私のNHKの発言をとらえてそういうことをおっしゃっていますが、私が申し上げているのは、平成八年に既に通知を文部科学省が出しておるんですよ、しかし、それがそのとおり徹底していなかったということについては更に徹底をさせなければならないということを申し上げているわけで。
 それから、今の御質問についても、これは多分そういう御質問になるだろうと思って私は議事録を正確に持ってきておりますから、これを読ませていただきます。そうじゃないことを私が言ったように言われると困りますから。
 御党の石井郁子先生の御質問に答えて、教育長が叱責されたと、何もいじめがあったから叱責されたわけじゃないんですよ、これは児童間の個人的な金銭トラブルだといって児童に救いの手を差し伸べられなかったのは問題があるんじゃないかということを言われているんじゃないですかと私言っているんですよ。私は、問題があるなんて一言も言っていませんよ。そんな違うことを公の場で言われちゃ困ります。
 ここに言っていることは、教育長さんが叱責をされたということは、いじめがあったから叱責されたんじゃ、どうなんだということを石井先生がおっしゃっているから、教育長が叱責をされたというのは、何もいじめがあったから叱責をされたわけではないんですよ。これは児童間の個人的な金銭トラブルだといって児童に救いの手を差し伸べなかったのは問題があるんじゃないかということを言われたんじゃないですかということを申し上げているんです。私の価値判断は一つも入っておりません、そこには。
○仁比聡平君 まず、その数値目標の問題について、以前の伊吹大臣の御答弁を私も拝見をして、これ会議録、読み上げることはいたしませんけれども、私どもが、いじめの多寡によって評価をするということが、そういう数値目標で評価をするということが実態を見えにくくしているのではないかという趣旨の質問に対して、いろんな見方があるという御答弁をされていたと思うんです。
 そういう意味では、そのいろんな見方があるという御答弁と、今大臣が御答弁になったように、八年前ですか、その文科省の、問題は多寡にあるのではないというその趣旨が徹底されていないという御認識は、これ違う御答弁のように思いますので、先ほどのように私の受け止めを申し上げたわけです。
 それで、その十一月十五日の先ほど引用をされました衆議院の会議録ですが、私も拝見をしておりまして、今大臣がその趣旨は、つまり教育長さんがそういうふうなことをおっしゃったということを紹介したのだと、御自身の御判断は含まれていないのだということをお述べいただいたのは私も安心をいたしました。
 それで、私はその御答弁の中で、児童に救いの手を差し伸べなかったのは問題があるんじゃないかというこの言葉が、確かに教育長さんの言われたことの紹介ということなのかもしれないんだけれども、国会での大臣の御答弁として、御答弁の中の内容として、そういう事実認識が残っていますのでね、ですから、そこが、つまり児童に救いの手を差し伸べなかったというのは、これは今から見れば、これは事柄の経過を正確に表現したものではないのではなかろうかと思ってお尋ねをしているんです。いかがですか。
○国務大臣(伊吹文明君) 余り日本語の解釈のことをここでやっていてもいけませんが。
 事実関係は、私からお答えするよりも、北九州の方に聴取をしておりますから、正確に事務の政府参考人からお答えをさせますが、これ、我々が聞いているのは、これは児童間の金銭的なトラブルだといって児童に救いの手を差し伸べなかったのは問題があるんじゃないかということを教育長さんが言ったんではないかということを私は言っているわけですよ。私が何か問題があるとかないとかって、私の判断を示しているわけじゃないんです。
 私がこれを伺った背景はどういうことであったかということを聞かせておりますから、それは今政府参考人からお答えさせます。
○仁比聡平君 新聞報道でも、今お話のある教育長さんがこういうインタビューをされています。児童間での金銭のやり取りがあり、学校はまず保護者を交えて解決を図ろうとした。これは間違いではない。あるいは市教委と学校、教育委員会と学校現場が頻繁に連絡協議をして情報は共有をしていたというような状況が報道もされているわけです。それをも踏まえて、であれば局長に御認識を伺いたいと思います。
○政府参考人(銭谷眞美君) 本件につきましては、九月の二十六日に、金銭を要求された子供の保護者から学校に話があったということでございます。
 学校の方は、その後、言わば金銭を強要したという子供たち、その親、それからその金銭を要求された子供、保護者、これ、数がいろいろたくさんいるわけでございますけれども、そういう保護者を中心に校長先生あるいは教頭先生、いろんな先生が事情を聞いたり、あるいは双方の話合いの場を設定するなどずっと対応を行ってきたのは事実でございます。
 ただ、なかなか双方の保護者間の事実認識に差がございまして、解決に時間が掛かっていたというのも事実でございます。九月二十六日にお話がございましてから、連日のように保護者間の話合いを学校が持たせていたということでございます。ただ、十月の二十三日の報告では、この件をいじめであるというようなとらえ方はどうもしていなかったようでございまして、その点、認識について課題があったのではないかということも私としては感じているところでございます。
○仁比聡平君 今局長の答弁にありましたように、十月二十三日には文書で北九州市の教育委員会にも詳細な報告が上がっているわけです。
 つまり、学校としては発覚をして以降調査を、子供たちとの間での調査を進めて、該当する子供さんの親御さんたちとも継続的に話合いを続けていたと。いじめであるのかどうかという判断も含めて、解決に向けて努力をしていたということだと思うんですね。私は、子供たちに直接責任を負って、子供たちに向き合って解決への教育的な努力をしてこられたということなのではないかと思うんです。
 先ほど文科省の方針というお話がありましたが、この間、現場に徹底をされようとしています「学校におけるいじめ問題に関する基本的認識と取組のポイント」という文書がございますけれども、この中でも学校を挙げた対応をということで、先ほど大臣が御紹介されたいじめの問題については、その件数が多いか少ないかの問題以上に、これが生じた際に、いかに迅速に対応してその悪化を防止し、真の解決に結び付けることができたかどうか、これが重要だという観点と、もう一つ、各学校において、校長のリーダーシップの下に、それぞれの教職員の役割分担や責任の明確化を図るとともに、密接な情報交換により共通認識を図りつつ、全教職員が一致協力して指導に取り組むという、この点を強調しておられるわけですね。
 私、この皿倉小学校の校長先生や教員の皆さんは、もちろん完全な解決には至っていなかったし今も至っていないわけです。それは先ほど局長からお話があったけれども。だけれども、その解決に向けて努力をしていたと、そのことは間違いないのではないかと思っています。大臣、いかがでしょうか。
○政府参考人(銭谷眞美君) 先ほど申し上げましたように、九月二十六日に金銭を要求された子供の保護者から相談があってから学校は校長先生を中心にその保護者あるいは金銭を強要した側の子供の保護者等と話合いは続けてきたわけでございますけれども、まあこれは結果論かもしれませんけれども、保護者の間にはやはり学校の対応が不十分だということで市教委の方にも話しに行ったりした経緯もあるようでございます。
 ですから、学校がこの問題の解決のために意を用いて実際に話合いの場を設定をしたりしていたということは、これは間違いございませんけれども、事態のなかなか解決には至らなかったということでございます。
○仁比聡平君 そのことがさきの国会答弁で教育長の発言として紹介をされた救いの手を差し伸べなかったということになるんですか、局長。
○政府参考人(銭谷眞美君) 市の教育委員会の方としては十月の二十三日にまとまった文書で報告ももらっているわけでございますけれども、言わばその学校からの報告書におきまして、例えばこの事案をいじめとして報告をするということは学校の方はしていないわけでございまして、そういった点についてやはり学校の指導に、対応に課題があったという認識を持っていると承知をいたしております。
○仁比聡平君 これも新聞報道で申し上げますけれども、教育委員会も記者会見ではなくて新聞記者の取材に対して、いじめと思わなかった理由についてというふうにこの記事は書いていますが、金銭トラブルの側面を重視して学校と調査をしていたが、被害者側と加害者側で話が食い違うなどして時間が掛かったためであるというふうに教育委員会自らが言っていますよ。その学校に責任を押し付けるかのように今の、先ほどの局長の答弁聞こえたんですが、そういう御趣旨ですか。
○政府参考人(銭谷眞美君) 私どもが把握をいたしておりますのは、十一月十一日の読売新聞の報道について、北九州市教育委員会から聞いておりますのは、この報道について教育長が記者会見を行うために、校長から学校の対応及び新聞記事の内容について事実確認を行うとともに、学校経営における児童の問題行動に対する危機管理について指導をしたということを承知をいたしております。
 したがって、学校としてはこの問題に取り組んできたのはこれは間違いないことでございますけれども、市の教育委員会としては、やはり学校が本件をいじめであるというふうにとらえておらず、事実関係の把握が、努力はしたんでしょうけれども十分ではなかったと、こういうふうに考えているということだと思っております。
○仁比聡平君 つまり、今の局長の御答弁は、教育委員会からそのように今の段階で聞いているという御趣旨だと思いますので、そういうものとして受け止めた上で、つまり、問題解決のために努力をしていたということは、私は大変大事なことだと思うんですね。それは私は、児童を救うために何もしてなかったというような、救いの手を差し伸べていなかったということとは私は違うと思います。
 今の局長の答弁の中にあった十一月十一日の報道、冒頭に御紹介しましたが、これの途端に学校に対する市教委の態度は一変、対応は一変いたしました。それまでは情報を共有して、一緒に言わば取り組んでいたということであったにもかかわらず、その報道のその朝、教育長から校長先生は呼ばれまして、それまでの努力をすべて否定される形だと思いますけれども、なぜこういったいじめを報告しなかったのかと叱責をされて、その午後には孤立無援で記者会見をさせられています。
 私も映像を見てびっくりしましたが、校長先生が一人で長時間質問にさらされているわけですね。こういう場合、よく教育委員会の責任者が同席をされたり、あるいは代わりに教育委員会が記者会見をしているという姿はこのごろ見ますけれども、校長先生がマスコミにさらされる、その姿は手が震えて大変緊張した面持ちでございます。その中で、いじめと認識していながら報告していなかったのは怠慢だったという言葉を繰り返し求められて、追い詰められる中で、翌日準備をされていた学芸会の延期、あるいは関係児童宅への家庭訪問に奔走され、深夜まで。で、翌朝行方不明になられて、午後には遺体で発見されたわけです。
 大臣はこの、つまり報道後の市教委のやり方についてどう思われるでしょうか。先ほどの文書にあるように学校を挙げた対応をという、この学校を挙げた対応を励まして支えるのが私は教育委員会なのではないかと思いますけれども、逆に現場の教育的努力を否定する言わば評価が行われた端的なケースではないでしょうか。いかがですか。
○国務大臣(伊吹文明君) これは校長先生がお亡くなりになっていますので、極めて痛ましいことですから、よほど言葉を選んでお話をしなければいけないんですが、同時に、情緒的な話をしてしまうと事の真相が不十分になりますから。
 実は、九月二十六日から始まって十月をまたいでどういうやり取りがあったかというのはずっと私手元に持っております、警察をも含めて。その間、なお金銭が動いているという事実もあります。ですから、校長先生が御努力をなすったということを私は別に否定はしてませんが、結果的にこの来ている報告から見る限りは、お金を取られている子はなおお金を取られ続けているわけなんですね。これはどういうふうに評価をするんでしょうか。
 そして、だけどこれは、まあこのお金をねだるという、お金を取るということは、この読売新聞の十一月十一日の記事の一番最後に法政大学の先生が言っておられますが、これは典型的ないじめだと、学者の立場から見て、なぜいじめというその報告はなされなかったんだろうかということを言っておられますね、先生が持っておられる。
 ですから、これはもう校長先生は御努力をなすったということ、しかしその間に金銭のやり取りがずっとなお続いていたこと、いろいろなことを考えて、まあ何というのか、校長先生の御努力は私はそれで認めればいいと思いますし、学校を指導している教育委員会も校長先生一人で記者会見をさせるなどということは、私が教育長だったらいたしませんね、それは。
○仁比聡平君 事実関係の問題については、私がここで大臣と議論すべき問題ではそもそもないだろうと思います。
 ただ、ちょっと私が知る限りで申し上げますと、加害児とされる子にほかの子供が金銭を求めたというのが発覚後あるようですけれども、それはいわゆる被害児からではないというふうに私は承知をしています。その点は、是非局長、更に調査をしていただければと思いますが。
 今大臣の御答弁にあった法政大学の尾木直樹教授は、この件について、少し後の十一月十三日の新聞の取材を求められて、こう言っています。校長自殺の背景には、文部科学省が二、三年前から進めている教育の構造改革の影響がある、教育現場に競争原理、成果主義が導入されたため、校長はこれまでのように教育委員会に相談できなくなった、今は校長が孤立して問題を抱え込んでいる、競争主義の中で校長と教育委員会も先生たちも子供たちもばらばらになって、優しく連帯する一番大切なものが吹き飛んでしまっている。で、NHKの「日曜討論」で大臣が御一緒された日本教育大学院大教授の河上先生は、校長一人の責任としてさらしものにするのではなく、何が起きたかを冷静に検証する必要があると。これ、大臣が先ほど述べられたのと同じ御趣旨だと思いますけれども、こういう識者の見方なわけですね。
 私は、この校長先生は、そういった意味で、ゆがんだ教育行政の犠牲者ではなかったかと思わざるを得ません。北九州でも、教育行政をめぐっては教育改革プラン、教員評価システムが本格実施をされる中で、学校現場への管理がこれまで以上に強められてゆがみが深刻化をしています。
 現場で聞きますと、第一に、校長や教頭など管理職への評価と管理が一層進む中で、校長先生は市教委には相談できない、学校のことは、こういうふうに言われる事態がある。
 二つ目には、現場の教員集団を信頼してそこでの知恵を生かすというのではなくて、現場を無視して市教委のトップダウンが進んでいるということです。ある校長先生は、市教委の方針はまずマスコミが知って、校長が知るのは最後だと、こんなふうにおっしゃっています。
 第三に、教員評価制度によってあらゆることが評価の対象とされ、教員同士の分断、精神的圧力が強まる下で、例えばクラスで子供に何か起こっても、ほかの教員や、まして管理職には相談できないという状況がつくられている。この声が出ている北九州の教員評価システムというのは、平成十五年度に文科省が委嘱をして作られて、数年間の試行を経て今年度から本格実施されたものなわけです。こういう評価システムを主導して、北九州を文部行政の実験場にしてきたのは私は文科省だと思います。その委嘱もそうですが。
 新たな教員の評価システムの最終報告書というのがありまして、これは北九州の方で作っているものですけれども、これを見ますと、教員に対する業績評価は教員の配置や研修、そして給与、お給料、この処遇に生かすべきものだというふうにされて、指導力不足教員、いわゆる不適格教員の判定と一元的に運用すべきものと。にもかかわらず、その評価、つまり重大な評価になるわけですが、これに対しては、教員からの苦情相談に対応するのは、学務部長が指定する者で構成される審査機関、これを教育委員会の事務局内に置くというわけです。この学務部長、つまり人事を一手に握っているこの人は文科省からのいわゆる出向、天下りですよ。こういうシステムを主導してつくってきたのは私は文科省にほかならないと思います。こういう形で学校現場をゆがめて、教師集団が一致協力して取り組むことを困難にさせるやり方はやめるべきだと思います。
 こういう実態がある中で、教育基本法の改悪案は、十六条、そして十七条の教育振興基本計画、既に中教審答申が出されて、そこではひな形の中で教員の能力、実績の評価システムの導入が掲げられています。教育の自主性、自由を保障する憲法、教育基本法に反したこういう実態を合法化し、強化し、推進する、そういうやり方は私はきっぱりやめるべきだと思いますし、きっぱり廃案にすべきだということを申し上げて、質問を終わります。
○近藤正道君 社民党・護憲連合の近藤正道でございます。
 今日はいじめの問題を中心に質問をさせていただきたいと思います。
 最初に、今ほども御議論がありました子どもの権利条約、この問題から入っていきたいというふうに思います。
 十二年前にこの条約の批准が行われました。条約が批准されたわけでありますので、憲法に次いで条約、そしてその下に法律と、そういう構造になるわけでありまして、法律をも規定をすると、こういう大きな力を持つわけでございます。
 そこで、今回、教育基本法の改正法案が審議されるに当たって最初にお尋ねをしたいのは、この子どもの権利条約、この諸理念、これはその改正法案のどこにどのように生かされているのか、具体的にお聞きをしたいというふうに思います。
○政府参考人(田中壮一郎君) お答えを申し上げます。
 児童の権利条約の理念が改正法のどこに生かされているかということでございますけれども、児童の権利条約で規定されております内容につきましては、批准のときに日本国憲法や現行の各種の法令等によって既に保障されているところでございますけれども、今回、教育基本法の作成に当たりましては、児童の権利条約等国際条約との整合性にも留意して検討を行ったところでございまして、児童の権利条約の精神とも合致するものとなっているものと考えておるところでございます。
 特に、今回の法案に新たに盛り込んだ規定の中のうち、障害のある者への支援、あるいは教育に係る家庭の責任など、これらは児童の権利条約の規定と同様の趣旨の内容のものを盛り込んでおるところでございます。
○近藤正道君 一部取り込まれたものもあるということでありますが、先ほどの議論にもありました外国人の子供、外国人児童の教育を受ける権利につきましては、憲法は国民の権利ということでありますんでそこから一部外れると、それを立法政策でどうやってカバーするかという議論がずっと続いてきたわけでありますが、子どもの権利条約を批准をした以上は、より明確に具体的に、子どもの権利条約の中にその趣旨を明確に具体的に規定するのが私は筋だというふうに思いますが、この多元化のグローバルな時代の中でなぜこういう重要な視点を盛り込まなかったのか、お尋ねをしたいと思います。
○政府参考人(田中壮一郎君) ただいまお答え申し上げましたように、児童の権利条約は、これを批准するときに日本国憲法あるいはその当時の各種の法令等によってその内容は保障されているということでございました。特に、今回の教育基本法の改正に当たりましても、その整合性は当然検討させていただき、新たな条項も加えておるところでございますけれども、児童の権利条約が批准された時点でその内容は我が国の各法令によって保障されているということでございます。
○近藤正道君 分かりました。これは、分かりましたというのは言葉が分かったという意味で、理解したということではありません。私は、やっぱり立法政策の点からもいろいろ問題があるなと思っております。
 この子どもの権利条約を批准いたしますと、五年ごとに政府は国連の子ども権利委員会に対して履行状況を報告をすると、こういうシステムになっているようであります。そして、現に日本の政府はそのことをやっているわけでありますが、それに対して国連の子ども権利委員会の方では、報告書に対してこれを評価、点検をして、そして勧告を出すと、こういうシステムも取っております。かなり詳細な報告が、勧告がこの間二度、日本政府に対して出されておりますが、その中で、とりわけ子供の教育制度について大変シビアな厳しい指摘がございます。
 最初の一九九八年六月の勧告を見ますと、こういうふうに言っています。児童が高度に競争的な教育制度のストレスの結果として、余暇、運動、休息の時間が欠如していることにより発達障害にさらされていると、こういう指摘。そしてまた、締約国における高度に競争的な教育制度並びにそれが児童の身体的及び精神的健康に与える否定的な影響と。そして、〇四年二月の勧告の中でも、やはり教育制度の過度に競争的な性格が児童の心身の健全な発達に悪影響をもたらし、児童の可能性の最大限な発展を妨げることなどという、そういう規定があるわけでございます。
 政府としては、こういう厳しい勧告、つまり競争的な教育制度に対する国連子ども権利委員会のこの勧告をどう受け止め、どう対応されてきたのか、お尋ねをしたいと思います。
○国務大臣(伊吹文明君) 先生も法律家でございますから御存じのように、この勧告というのは別に強制力を持つものではありませんけれども、条約をラティフィケーションした限りは真摯に受け止めなければならないものであると私は理解しております。
 その上で、今おっしゃったような勧告を受けて、例えば学習指導要領を見直してゆとり教育を導入したわけですよ。その結果、今大変な非難に国内的にはさらされています。学力は低下してきているということ。私は、ゆとり教育というのはむしろ運用の面で非常に不幸な運用をされちゃっているんじゃないかという評価をしているんですが。ですから、そのようなこととか、教育相談体制を充実するとか、文科省としては一応勧告には沿った施策は取ってきたということでございますが、強制力がないものでありますから、今のような国内世論の下で学習指導要領を見直すときにどっちを取るのかということは、やっぱりこれは政治が決断しなければならないことだと思います。
○近藤正道君 そういうことでありますと、こういう質問をせざるを得ないんですが、五年に一度報告を国連子ども権利委員会に出すと。今度三度目の報告を出さなければならない。もう既に出さなければならない期限がついこの間もう来ているということの中で、今政府はどういう報告を出すのかいろいろ検討中ということでございますが、二度続けて、非常に競争的な教育制度だと、そのストレスが子供たち、子供が発達障害にさらされているなどという、そういうどぎつい表現をされているんですが、三度目はどういう報告を出されるんですか。
○国務大臣(伊吹文明君) これは、私も詳細をまだ事務局から伺っておりませんし、外務省との協議の内容も伺っておりませんが、国際条約に基づいて国際機関へ出す内容でございますから、ちょっと私が、率直なところ、私は詳細は存じません、今のところ。まだ私のところに上がってきておりませんから。ただ、知っておってもここではやっぱり申し上げられないと思いますね。
○近藤正道君 分かりました。
 今いろいろ議論をやっているところということで、なかなか言えないということは、それは了解をいたしましたが、しかし二度続けて厳しい指摘を受けているわけでありますので、法的拘束力の有無とはかかわらず、やっぱり政治の責任としてこの指摘に対してきちっと正面からやっぱりこたえていくと、そういう報告であってほしいと、こういうふうに思います。
 そこで、またこれに関連してお尋ねをいたしますが、今ほども言いましたように、二回の、九八年の六月と〇四年の二月に二回勧告が出ておりますが、大変厳しいことを言っている。高度に競争的な教育制度、それがもたらすストレス、そして発達障害、あるいは心身の健全な発展に悪影響を及ぼすと、こういうふうに言っておりますが、こういう国連子ども権利委員会の認識、日本の子供の置かれている現状についてのこういう認識について、文科大臣としてはどういうふうに受け止めておられますか。全く的外れなことを言っているというふうにお思いですか。それとも、ちゃんとそれなりに日本の政府の報告に基づいていろいろ調査をして評価をして出された勧告なんだから、それはちゃんと重く受け止めるという立場なんですか。どっちなんでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) 国際機関の一つの勧告ですから、教育行政をやっていく上の参考にすると。しかし同時に、国民世論の赴くところはどこにあるかということもバランスを取りながら、しかし、何より大切なことは、世論や国際機関どおりやっちゃって子供がそれで一番困ったら困りますから、その三つのバランスを取りながら考えていくということだと思います。
○近藤正道君 報告書はそうなんですけれども、私がお聞きしたいのはそうじゃなくて、国連の子ども権利委員会が示したあの日本の子供を取り巻く現状認識について、大臣自身は同じ認識に立たれるんですか、それとも違う認識なんですか、どっちなんでしょうか。そこを聞いているんです。
○国務大臣(伊吹文明君) これは総論としてそういうことが言えるのかどうなのかということはかなり検証しないと私はいけないと思いますが、指摘があったという事実はやはり受け止めて、どこに、各教育現場のどこにそういう事実が現れているのか、そしてそれが現れているんであれば、そこを埋めていかなければ我々はいけないわけですから、そのことを荒唐無稽だとかどうだとか思っているわけではありません。それは大切なものとして受け止めているということです。
○近藤正道君 私は、やっぱりここのところを、大前提ですので、しっかりと、同じ認識に立つのかどうなのか、ここはやっぱりやらなければならない。そこら辺のところがやっぱりあいまいだったんではないか。法的拘束力がないということを言わば奇貨として、その辺の現状認識についての受け止めについてどうなのかというきちっとした議論がなかったというのはやっぱり問題なんではないかな、是非ここはしっかりしていただきたいというふうに思っております。
 そこで、今の高度に競争的な教育制度、そこから出てくるストレスという、この脈絡で聞くんですが、今この国ではいじめの問題が自殺者をたくさん出す大きな問題になっているんですが、このいじめの背景、原因と、この国連の子ども権利委員会が指摘している高度に競争的な教育制度、そしてそこから様々なストレスに子供たちが覆われているというこの関係を、大臣、どういうふうにお考えでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) 国連の勧告どおりの現実があるとすればいじめに影響が全くないとは私言えないと思いますが、いじめは何も学校に限ったことじゃありませんよ、現在起こっているいじめは。各社会のどこにでもあるわけですね。そして、それの学校現場のことについては我々が逃げずにそれに対応していかねばならないということです。したがって、やはりこれは豊穣の中の精神の貧困というのか、現在の病理、社会的な病理の現れだと私はいじめの問題はとらえております。
 特に児童でいえば、少子化が進んで、都市化が進んで、共働きになっておりますから核家族がほとんどの家庭では当たり前になって、同時に、家族が親、父親、母親を含めて家族の対話をする時間が共働きですから非常に少なくなっている。同時にローカルコミュニティーというものが崩壊を始めている。一方で、昨日も御質問がありましたが、携帯というものが結構普及しちゃって、姿の現れない、従来であればよく目に付いたのに、現れないいじめというものがたくさん出てきておる。いろんな要素が絡まって、そしてあえて言えば、自分のことを重視して、自分の権利ということをずっとやってきておりますから、コミュニティーの一員である、義務だとか権利だとか共生していく感覚というのが昔から比べると非常にやっぱり落ちてきている。
 そういうところから出てきた問題であると思いますが、先生の御指摘をそこに併せて考えれば、精神的なストレスのはけ口として、いじめというものにそのはけ口を求めているということがないということは否定できないです。
○近藤正道君 いろいろ私も分からぬことがたくさんありまして、いろいろ人の話を聞いたり本を読んだり、どうしたらいじめを少しでも減らすことができるか悩んでおりますけれども。
 いろいろの議論で、二ついろいろお話が出まして、この国は千九百七、八十年代ぐらいから子供たちがいろいろ暴れ出して、最初は言わば対教師に対する暴力、かなりたくさん出ました。それがいろいろそれなりに学校側も体制を取って少し沈静化をする。今度は子供、生徒同士の、児童同士の言わば暴力があって、その言わば流れの中でいじめの問題が出てきている。こういう流れは統計の上でもそれなりに肯定することができる。それなりに表に出たものについては力であるいは規則で抑えることができても、必ずどこかにまた別な形で、それが別な、形を変えてやっぱり出てくる。こういうことを見るときに、果たして、押さえ付けるあるいは管理を強化する、それだけでいいんだろうか。それが逆にある意味でいじめを大きく生み出した一つの要因ではないかという話が一つと。
 もう一つは、先ほども少し議論がございましたけれども、この数年、学校教育法令の改正で小中、それ以前に高校もあったようでありますけれども、学校設置基準、こういうものが作られて、一定の目的あるいは評価が定められて、そしてそれに従って学校をやっていくと。それで、これができないときには、学校だとかあるいは教員の評価がかかわってくると、こういう制度になりました。それはそれなりに意味があったんだろうというふうに思いますけれども、事いじめの問題についていきますと、何とか外面を取り繕うということで、それはやっぱり表に出てこない、そういう雰囲気がある意味で出てきた。また、中教審の最終報告の中でいじめ半減目標、こういうものが掲げられたということもまたあったと。
 こういう中で、一方で力で押さえ付ける、そして一方で評価システムが出てきた。この二つがやっぱり、いじめがたくさんあるにもかかわらず、それが表に出てこない大きなやっぱり要因ではないかと、こういうことを言う人がたくさんいるんですが、大臣はこの評価についてどういうふうにお思いでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) 我々の法治国家においてもいろいろ違法行為、あるいは違法行為じゃないけれども社会規範に反する行為をする人はたくさんおりますね。これをどういうふうに、防圧というのか、止めることによって、社会の秩序を守って全体の公益を維持していくかというのはやっぱり二つの方法がありますよね。一つは、教育や何かを充実をしながら、恥ずかしいことをしない。そして、犯罪を犯した人はもう一度社会復帰ができるように矯正をしていくと。しかし同時に、一方において厳しく、これは法律違反をした者については警察権力、検察、裁判というペナルティーを科しながら取り締まっていく。これで近代国家が維持されている。
 私は、いじめの問題についても同じだと思うんですよ。ですから、すべていじめをした子供は出席停止にしろとか、体罰を加えろというのはちょっとやっぱり乱暴な話であって、一つ一つのケースについて熟達をしたやはり先生、それから御家庭、地域社会がきめ細やかに対応していくということが必要なんで、先生の今の御質問でいえば、厳しくやることが原因だとは私は思いません。それも必要です。しかし同時に、厳しくやればいいというものではないという謙虚さを持って厳しくやらねばならない。
 それからもう一つは、先ほど来おっしゃっている評価ですね。これはやはり学校というものは天から降ってきたお金でやっているわけじゃありませんから、国民の汗とあぶらの結晶の国民負担で運営されているわけですから、効率的に運営してもらわないといけないんですね。
 この効率的ということはどういうことかということです。私の感じでは、最小限の国民負担をもって最大限国民が期待しておられる日本人をつくり上げていくということだと思います、抽象的に言えばね。しかし、これもなかなか難しい、率直に言うと。
 だから、評価制度というものが悪いんではなくて、評価制度がなければやっぱりいけないんで、ただし、その評価の基準として、先生がおっしゃっているような、私もいじめがゼロだという数字を出してきた学校が一番いい学校だという評価は駄目だよということを言っているということは先生も御理解いただいていると思うんですが、評価の基準に不適切なものがあれば、私は御指摘のように直していくべきだと思いますが、評価そのものを否定するということになると、これはもう我々が生きているこの日本社会あるいは自由と民主という価値を共有している社会を否定することになりますから、そこは慎重にやりたいと思います。
○近藤正道君 聞いておりまして、少し私はやっぱり心配ですよ、大変。いずれにしても、これから出席停止だとか、あるいは体罰などという話も一部出ているようですので、非常に力で押さえるという、あるいは排除するという、こういう考え方が出てくる。
 しかし、一方で、やっぱりなぜそういういじめが起こるのか、国連の子ども権利委員会は、今の高度に競争的な教育制度が生み出すストレス、こういうことを言っております。これは学校だけじゃなくて、あらゆるところに、社会にはびこっていることなんだけれども、ここのところにやっぱりそれなりにきちっとメスを入れなければ、あるいは学校の中でも、今学力低下というんだけれども、それはむしろ、なかなか付いていけない子供がどんどんやっぱり増えてくる。それで全体の学力が下がるというのが大体データで出ておりますけれども、そこの子供たちをどうやって引き上げるかという視点は余りなくて、逆にできる子を更に伸ばすという、こういう方向での流れが進み、かつその評価は、私は基本的に駄目だなんて言っていませんけれども、要は基準なんですけれどもね。その基準が本当にみんなが納得できる基準かどうかといえば、必ずしもやっぱりそうではなくて、結局やっぱり子供たちを追い込んでいくような、そういうものに使われはしないかと、そういう不安がありまして、これは今の法案の十六条だとか十七条のことを調べれば調べるほど、一層この競争制度、学校の中における競争がこれから激しくなって、この国はより高度に競争的な教育制度になっていくんではないか、子供を取り巻くストレスは更に加速するんではないかと、そういう思いが非常にする。
 皆さんは、政府はいったんゆとり教育を取り入れたと、こういうことなんだけれども、どうもこれも事実上もう修正、風前のともしび、これもなくなるわけですから、ますます子供たちはストレスの充満した社会で、あるいは学校で高度に、より高度に競争的なところで生きなきゃならぬと。これではいじめは、更にいじめの土壌というのは拡大するんではないかと私には思えてならない。どうでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) 先生のお立場で、先生の価値観でそのような判断を下されるということについては、私は別に反論するつもりはありません。
 私の価値観はちょっと違うと思いますね。これは、やはりその人の持っている教育の在り方、特に国民負担を投入してやっている公教育、義務教育において、どこまでその、何というんでしょうか、評価というものを前提に国民の納得を得ていくかということはやっぱり考えなければならないわけで、これはもうイズムの違い、価値観の違いでしょうから、先生のおっしゃっていることに対して私は反論するつもりはありません。
○近藤正道君 前内閣でありますけれども、小泉前総理は米百俵ということでスタートいたしました。私は、地元は米百俵のところでありますが、米百俵の発想というのは、今、伊吹大臣がおっしゃったようなそういう発想ではないんではないか。そういう計算で、あれでやるんではなくて、教育にはもっと本質的な、あるいは先を見通したやっぱり価値があるんだと、懸ける価値があるんだと、そういう発想で私はあったんではないかというふうに思っておりまして、そういう言い方は少し私としては、これ以上申し上げませんが、釈然といたしません。
 いずれにいたしましても、これから、いじめ自殺については今までの政府の、文科省の統計というのは誤っているということで、過去七年間ゼロ、いじめ自殺ゼロ、これを見直すということであります。一年間に大体百二、三十名の子供たちが命を失っておりますが、これをどのぐらいの期間で見直しをやるんですか。かなりの数量になると思うんですね。該当者は千人近くになると思うんですけれども。いつぐらいまでに、この中にいじめで自殺した子供がいるかどうかの調査をいつぐらいまでに完了なさるんですか、それが一つと。
 こういう見直しをやる、つまり、同時に、いじめの方針について、今まで結果としてやっぱり押さえ込んできた。そうではなくて、やっぱり出ていただいても結構なんだというふうに方針を変えたと、調査をやっぱり徹底的にやるということでありますが、これは取りも直さず文科省は今までのやり方の誤りを認めたことになるのかなと、こういうふうに私思えてならないんです。
 私は、地教行法で、皆さん、文科省には、文科大臣には強大な権限がありますよ。今回のあのタウンミーティングのやらせ見ましてね、物すごくやっぱり文科省あるいは政府というのは強大な権限持っているんだなと私は非常に思いましたよ。単に、法律、条文の言葉では、助言だとか調査だとか指導だとか監督などという、大したこと書いてないけれども、しかし物すごい権限持っている。その権限の裏付けを持ちながら、その助言、調査、指導、監督やってきて、そしてこういう言わば結果が出ているわけですよ。
 このことからすれば、私は、やっぱり文科省としては、今までのいじめ防止対策、これはやっぱり誤っていたと、間違っていたと、こういうことをやっぱり言えるんではないかというふうに思うんですが、率直に言って、皆さんのこの間のいじめ防止対策、誤りはなかったと、地教行法上の権限をもうきちっと行使をして全く問題なかったと言い切れますか。
○国務大臣(伊吹文明君) これは、もう既に、先ほどもう御答弁を申し上げたように、この調査の数字は、単に教育委員会が、あるいは学校当局がいじめと認識したものを出すんじゃなくて、児童から訴えがあったものは必ずいじめとして出してくださいと、そしていじめが少ないのがいい学校ではなく、いじめをいかに処理したかということが、うまく処理したかということが多い学校がいい学校だということは、文科省は既に再三通知をしておるわけなんですよ。ただ、それが十分行き届いていなかったということです。それは、私もここへ来てみて、なるほど、これはもっともっと口が酸っぱくなるほど言わにゃいかぬことだよということを言っているわけですね。
 そして、先生は、強大な権限を持っていて逆らえないということをおっしゃったけれども、それならなぜ文部科学省が示している学習指導要領に沿わない高等学校があんなにたくさん出てくるんですか。これは、そのときにペナルティーを与える権限がないんですよ、我々には。調査権限はありますよ。私は、なぜタウンミーティングのときにあれだけの人が出てきたのかよく分かりませんけれども、率直に言って、今度のいじめの問題、未履修の問題を考えてみるときに、学校現場に立ち入れない、この点は私は西岡先生などと意見を同じゅうしていますが、現在の教育行政の筋の、水の流れというのは、どうもやっぱり文科省としては、最後の責任を取るには与えられている権限が不十分だとむしろ思っております。
○近藤正道君 私はそういうふうには思わないですよ。皆さんすごいやっぱり権限持っている。こういうことを、未履修の話をしましたけれども、あれだって学習指導要領は、例えば日の丸・君が代などを強制する場合は、皆さん強烈な指導を発揮するじゃないですか。一方で、未履修の問題についてはいい加減だ。つまり、皆さんの御都合主義というかダブルスタンダード、見事に出ているわけですよ。そこは、権限がないなんてとんでもない話だ。
○委員長(中曽根弘文君) 時間が参りました。
○近藤正道君 むしろ、強烈な権限を持っているのに、この機会に乗じて更にその権限を、まあ焼け太りなんと言う人もいるけれども、更に強大な権限を持って、人の心の中に、あるいは都道府県の中に入っていこうと、そういう思いがしてならないですよ。
 だから、私は、そこの実態から見れば、皆さんは強烈な権限を持っていながら、これをやっぱり行使ちゃんとしなかったと、適正に行使しなかったと。だから、皆さんも責任を負うべきだと、責任はあると、これはもうはっきりしていると思いますよ。
○委員長(中曽根弘文君) 時間が参りました。
○近藤正道君 時間が来ましたんで、以上申し上げまして、終わります。
○亀井郁夫君 国民新党の亀井でございますが、大臣、ありがとうございます、毎日質問ができましてうれしゅうございますが、これからちょっとの間、お付き合い願いたいと思います。
 まず最初に、いろいろ議論されましたが、未履修問題が多数取り上げられて、この委員会でも議論されましたが、この背景に無免許の問題があるんですね。無免許というのは、無免許授業ということでございますから大きな問題でございますけれども、そういう問題について触れてみたいと思います。
 文部科学省では多くの県で無免許問題が未履修問題の背景にあることを知っているのかをお尋ねしたいと思います。文科省に、答えてください。
○政府参考人(銭谷眞美君) 高等学校におきましては、各教科の免許を持った人が授業を担当するということが原則でございますので、いわゆる免許を持たない方が指導するということについては、具体的には承知をしていないところでございます。
○亀井郁夫君 文部科学省は建前の議論だけでこうやっているから大きな問題が起こるんですね。やはり、現実には無免許の授業をしている先生がたくさんおるんだということを知ってもらわなきゃいけない。私の地元の広島でもそうでございますけれども、私は大きな問題だと思うんですけれども、大臣はどうお考えですか。
○国務大臣(伊吹文明君) これは、もう私なんかよりはるかに文教政策に精通しておられる先生に申し上げるのもなんですが、教員免許法の附則第二条の免許外の許可を取っていない限り、そういう授業をすることは、これは禁止されているわけですから、明らかに違法行為でございます。ですから、そういう事実があれば法律の所管省として、それは厳正に処分、処分というか対処をするということ。ただ、対処をするときにこれはまた教育委員会にお話をしなくちゃいけないという筋道がありますので、大変まだるっこいところもあるわけですが、先生の御指摘のような事実がありましたら、それは法違反として処理をしなければならないと思います。
○亀井郁夫君 大臣、文科省が模範的な県であったと言っていた兵庫県の例なんですが、現実に指摘したわけですが、次官が通知を出しておったものが、例えば職員会議は校長先生の下にあるんだと、上にあってはいけないんだよと。そしてまた、学校評議員制度も、これは校長先生が決めるものだから職員会議じゃないんだよと言って通知を出したのに、出したのはあれは平成十四年ごろですかね、三年か四年に。そうしたら兵庫県の教育長は、わざわざ県下にですよ、県の各市町村に全部手紙を出して、違う、全く逆で、校長先生の上にあるんだということを言っているんです。そしてまた、学校評議員は、何も校長が順位決めるんじゃないと、職員会議に諮ってやるんだということをやっておったんですね。私はこのことを文教委員会で指摘したことを思い出すんですけれども、そういうことですから、大臣、心掛けてやってくださいね。だから一概には信頼できませんから、よろしくお願いしたいと思うんです。
○国務大臣(伊吹文明君) 役員がですね。
○亀井郁夫君 役員が。
 特に、こういうことになったのはどうしてかというと、十数年前に社会科が二つに分けられたんですね。これが、教科が公民と地理に分かれたんです。公民の資格を持ったのは地理は教えられないわけですね。そういうことから、公民は政治と経済、倫理、現代社会に分けると、科目を分ける。そして、地歴の方は日本史と世界史、地理に分けるということになりますから、公民の先生が地歴を教えちゃいけないんですよね、と思いますよ。免許状が違うんだからね。それを勝手にやっているところがたくさんあったということは大きな問題で、各県とも全部そうだと思うんです。そういう意味では、これは是非とも、今さっきはないと言って文科省は答えられたけれども、あるのが事実なんですから、そこはひとつよろしくお願いしたいと思いますが、いかがでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) 先輩の貴重な御意見として受け止めさせていただきます。
○亀井郁夫君 ありがとうございます。
 特に、先ほど申しました問題は非常に大きな問題で、学校の先生の、公民や地歴の先生は増やさなきゃいけないんですね。増やしていけば解決するんですけれども、先生を増やさないでいろいろやるもんだから結局こういうことをしなきゃやっていけないというのが実態で、校長先生もいい加減に教育委員会に報告し、教育委員会は県の教育委員会にいい加減に報告していくと。だから問題がない問題ないでずっと来ている面が多分にあるわけで、それについては十分考えていただきたいわけでございますけれども、是非ともこの無免許の授業はなくしていただきたいと思います。
 今回は……(発言する者あり)捕まるはずなんですが、黙っているから今まで捕まっていなかった。文科省、だまされているんですからね。これは大きな問題ですよ。
 同じようなことは養護学校にも言えるわけで、養護学校では体育の先生を配属しているケースが多いですね。これもやっぱり無免許で体育の先生が養護学校で授業をしているというふうなことですから、これもおかしいと思いますので、もうよろしくお願いしたいと思いますけれども。
 それからまた、広島県の場合は、五年前に未履修の問題が問題になりまして、海田高校ですけれども、それからまた三年前には皆実高校で問題になって、二十四校ばかり分かりましたから、それについてはいろいろと是正されたから、今回の調査では余りたくさん出ておりません。
 だけれども、現在の状況でも、府中高校を始めとして何校かが問題になっておるわけでございますけれども、府中高校も、市長が替わって教育委員を替えてうまいことやっていると思っておったんですけれども、その教育委員会をだましている先生がおったわけですね。だから、校長先生は、かつてはもう学習指導要領を守らぬでいいと、守らぬことが誇りだと思っておったのが、いつの間にか試験を受けて校長先生になっておる。それはどうしてかというと、教頭になるのには組合の推薦がなければ教頭になれないんですから、そうすると、教頭が校長になるんですから、校長先生がみんなそうだということで、是正指導されてから大分良くなりましたが、是正指導三年で終わって、その後は何もしておられないわけですから、そういう意味では、みんな適当にやればいいといって随分広島も緩んできつつありますから、文科省も十分考えてもらわないといけないと私は思いますけれどもね。
 だから、そういうことで、指導要領を守らなくていいというのは、広島県だけではなくて、多分よその県でも守らなくてもいいという形になっていると思いますけれども、どのようにお考えでございましょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) これはもうここで何度も何度も出ている議論ですが、指導要領はやはり守っていただかなければ全国共通の学力あるいは規範意識というものを担保できませんから、これはもう我々としては当然守っていただくものだし、また、守っていただけるように仕組みをつくらねばいけない問題だと思います。(発言する者あり)
○亀井郁夫君 今、不当の支配という声が出ましたけれども、確かにそういうことを言われて、広島ではそれは不当の支配だと、教育委員会の不当の支配だということで、守らないことが不当の支配に屈しないことだということですから、不当の支配に屈しないためには守らないという形で、守られていないケースが多分に過去においてはあったと。現在まだ残っておるようでございますけれどもね。まあ非常に問題なところが多いので、心を引き締めて対応してほしいと思うわけです。
 こういうことを申しますと、ほかにも美術や工業や農業なんかの問題についてもやはりたくさんあるんですね、現実に。よろしくお願いしたいと思います。
 特に、この問題は大学まで問題が行っていて、大学で教えると、地理が分からない、全然地理が分からないとか、あるいは歴史を習ってないんで江戸時代から昭和時代へ飛んだり、明治、大正がすっ飛んじゃってなくなっちゃってる。笑い事なんですけれども、笑い事じゃなくて、大学の方がこれは困るという思いでいろいろ頑張っているのがあるんです。だから、これはやっぱり、しっかり文科省は頑張ってほしいと思います。
 特に、ゆとりの教育の問題で、英語と理科がかつては五時間あったのが今三時間になって、二時間は総合的学習時間という形になってしまって、学力の低下は著しいものがあるわけですけれども、これなんかもやっぱり考えてほしいと思うんですが、そういう意味では学習指導要領を見直していくということを具体的にお考えでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) いずれ、先ほど来もいろいろ議論が出ておりますが、国際機関からの勧告というのも一つの意見ですし、国民がどのようにお考えになっているかというのも一つの意見ですし、特に民意の集約の場である、一番大切な集約の場である国会でのいろいろな先生の御質問の内容、こういうものを考えて、やはり時代に合う、しかし必要なことはきちっとやれる学習指導要領に見直しをしていかなければならないと思いますし、これは不断に見直しをしていかなければならないんです。
 ただ、子供の立場がありますので、一年生、二年生、三年生と段階を追って、特に小学校五年、六年と行きますから、途中でひょこひょこ変えるわけにはいきませんから、このことは十分念頭に置きながら、先生のお考えも受け止めさせていただきたいと思います。
○亀井郁夫君 ありがとうございました。
 学習指導要領の変更といっても、大臣がおっしゃったようにいろいろと難しい問題があることはよく分かりますけれども、そういう問題を、難しい問題を乗り越えてすばらしい教育が実現するようにやってほしいと思います。
 随分と今日は公の場で広島県のことを言って申し訳なかったんですが、こうしなければ実際なかなか問題にされないものですから、あえて問題にさせていただきました。どうもありがとうございました。
 今日はちょっとこれで失礼いたします。ありがとうございました。
○坂本由紀子君 自由民主党、坂本由紀子でございます。本日は自由民主党が最後の質問者になります。よろしくお願いいたします。
 昨今の我が国におきましては、自分に対する肯定的な評価ができない、あるいは自らの社会や国に誇りを持てないという人が多い状況になっております。これらは、我が国の歴史や伝統文化、こういうものについての認識の欠如でありますとか、自虐的な社会の風潮というようなものが根底にあるので、教育の基本に立ち返って、求められる人材像を再構築していくことが必要ではないかと思います。そういう点で、今回提案されている政府提案の教育基本法の中に、教育の目的、目標が的確に記載されておりますことについては賛同するものでございます。
 しかしながら、現在発生している教育上の問題の中には、例えば読み書きそろばんのような基礎学力が身に付いていない、高校生になっても九九ができない子供さんがいるというような問題がございまして、これらは現行の法律の中でもしっかりとした対応をして解決できる問題ではないのかというような思いもいたします。
 そういう点で、文部科学省が国としてこの教育行政を担当してこられた中で、課題があったかと思いますが、こういうものについてどのような御認識をされ、また今後どのようにお取り組みをしていくかということについてお伺いしたいと存じます。
○国務大臣(伊吹文明君) 教育の目的、理想の日本人像というのはやはり、何度も申し上げていますように、その人の価値観、その人の人生観によって随分違いますので、教育論というのはだれでもできるんですね。それだけになかなか結論が出しにくい分野だと思いますが、今多くの方々から言われているのは先生が今御指摘になった基礎学力ですね、これがやはりだんだん日本の場合は低下してきていると。数学と化学、これはOECDの調査で見ましてもまだベストファイブに入っております、世界各国の。ところが、残念なのは、自国語の表現力、読解力、これはもう極端に落ちてきていて、OECDの調査でも真ん中辺りということです。
 ですから、なぜこういうことが起こったのかというのは、一つは、やはりプラグマティカルなコンピューターだとかどうだとかというものが発達してきて、コンピューターの中に組み込まれているソフト、つまりどういう物の考え方で答えが出てくるのかということをなかなか教え込めないということは一つあると思います。
 それから、人間同士のコミュニケーションが、やっぱり核家族、共働きで家族とのコミュニケーションも少なくなってテレビとのコミュニケーションが非常に多い。それから、人間同士も携帯で話をするというようなことがありますから、表現力とか、人に対して自分をどう表していくかという機会にやっぱり恵まれないんですね、このごろ。
 そこへゆとり教育ということをやりました。私は、ゆとり教育という考えは私自身は間違ってないと理解しているんですが、実際の運用はかなり不幸にゆとり教育の時間が使われているというようなこともございます。
 いろいろなこの現在の欠陥を是正していくために、いろいろな方々の御意見を伺いながら学習指導要領に手を入れていかねばならないと思っております。
○坂本由紀子君 ありがとうございます。
 やはり基礎学力というのは社会人として活動する上での基本になるものでありますので、そういうことが学校教育の場で確実に身に付くということは大変大事なことだと思います。
 今大臣がおっしゃったそのコミュニケーションの能力というようなものは、これは何も学校教育だけではなくて、基本的には教育空間は家庭教育があり、そして社会教育もあるわけですので、家庭教育の点をしっかりと整えていかなくてはならないと思います。そういう点で、今回の教育基本法は家庭教育について記述をしたのは大変大事なことだと思います。
 私は静岡の出身ですが、静岡県では十年ほど前に草柳大蔵先生に会長をお願いして、人づくり百年の計委員会というのを取り組んでおりました。その中で特に強調されておりましたのは、やはり教育の三つの空間、家庭教育、学校教育、社会教育というものをしっかりとやっていく。家庭教育の問題については、これはその教育の崩壊をいろいろ批判をするということではなくて、むしろ一人一人の人たちがどうしたらいいかということを語り合い、取組を進めていこうということが大事だというふうに結論付けまして、県内の中で様々な呼び掛けをいたしました。
 その中に、家庭で子供を教育するということは人間としての仕付け糸を付けることだと、仕付け糸がしっかりしていないと、学校でも社会でも一着の着物が縫えませんということが言われておりまして、正に家庭教育というのはそういう仕付け糸に相当するものではないかと思うのであります。
 今回、先ほど申し上げましたように家庭教育について記述をしていただきましたが、学校教育の中でも保護者という存在が学校教育の担い手として大変大きいわけでございますが、昨日の新聞にも報道されておりましたが、例えば給食費を家庭が困窮しているのではないけれども払わない方がいるというように、今の保護者の方の意識は非常に多様であります。そして、その中には教育を行う上でむしろマイナスに働くのではないかという心配の事案もあります。
 例えば、授業参観で親が私語を交わしていて子供たちの授業の妨げになるとか、あるいは子供がしかられたといって学校にすぐに抗議をしてくる親御さんがいらっしゃるとか、あるいは子供が悪いことをしたので前に出てきてみんなに謝りなさいといって、なかなか出てこないので手を引っ張って連れてきたら、それが体罰だといって問題にするような方もいらっしゃる。このようなことが続きますと、教師は本来指導すべきことが生徒に対してしっかりと言えないと。これは、その子供にとっても必要な教育指導を受けられないということになって、子供にとってもマイナスになるのではないかと思います。
 そういう点で、学校教育の中で保護者の存在をどう位置付け、また教師と一体となって保護者が子供の教育をより良いものにしていっていただくためにどのようにこの点ではお取り組みをいただこうと考えていらっしゃるのか、大臣のお考えをお伺いしたいと思います。
○国務大臣(伊吹文明君) PTAといいますか、地域の学校協議会といいますか、こういうものはもう学校教育の中で必須のものなんですね。今回、家庭教育ということを入れたのは立派なことじゃなくて、私は非常にむしろ残念なことだと思っているわけです。
 昭和二十二年の法制定のころは、これは当たり前のことであったわけですね。ところが、核家族化と共働きが進んできて、家庭での、先生がおっしゃった基本的なしつけというものが今非常に難しくなっております。どうしてもやっぱり家庭を教育の原点と位置付けて、学力よりもむしろ規範と生活習慣を教える、これが一番大切なことなんですね。ですから、それをわざわざ明記しなくちゃいけない現実であるということです。
 しかし、共働きを否定したら、もう日本社会はひっくり返っちゃいます、今はね。女性が社会に出てしかるべき役割を果たしておられるから日本社会は成り立っている。ですから、先生の御専門の労働法規等ももう少し整備をして、そして子供さん、特に小さな子供さんを持っておられる御両親はできるだけ早く帰せるようにしないと私はいけないと思うんですね。
 そういうことをやっていきませんと、結局、今先生がおっしゃったような保護者に育てられた子供は保護者と同じことをまたやります。今の保護者も多分そういう保護者に育てられていたんじゃないでしょうか。これが、だから、私は戦後の、今の教育基本法の教育を受けた者ですが、一年生でした、私は、小学校の。そして、私の今もう息子の子供が学校へ行って、中学だとか何かの年齢になっているわけですから、これはもうだんだんそういう教育は伝わっていくわけですね。
 ここのところにやっぱりメスを入れて、きちっとした体制をつくらないといけませんから、家庭教育ももちろんですが、社会教育も含めて、やはり一人一人が規範意識を身に付けて、自己実現と自己成長が可能な社会にしていきたいと思っております。
○坂本由紀子君 大臣から、共稼ぎになったこともあって家族のコミュニケーションの時間が少なくなったことも家庭の中におけるしつけが不十分になってきた一因だというお言葉がございました。私も共稼ぎで子供を二人育てましたが、子供のしつけというのは、時間ももちろんあるんですが、親がいかに意識を持って密度濃く子供たちに語り掛け、しつけをするかということも大事だと思いますので、共稼ぎだから悪いというよりは、時間がないことを親が子供たちに接するときの心構えとして十分それを補うだけのことをきちっとやってこなかったとしたら、そこが問題ではないかと。
 それは共稼ぎだけではなくて、家庭にいても、どちらかというと自分のことがしたいという親も中には残念なことにいるかもしれませんので、家族全体が、父親も含めてもっと子供を育てることについて責任感を持って取り組むということが大事なことではないかという思いがいたします。
○国務大臣(伊吹文明君) 率直に言いますと、それは先生のような立派な方だからおできになるんですよ。普通のやはり子供とのコミュニケーションというのは、やはり生まれた子供を抱いてやる、そして何も教育水準は高くないけれども、子供に乳房を含ませてやる、そして父親は時には厳しく子供をしかる、母親が、いや、そこまで言わなくてもと言ってなだめてやる、そういう中から人間というのはできてくるんだと思うんですね。
 ですから、どう育てようかという意識を持って本来やるものではありませんので、私の感じではやっぱりある程度の時間を、家族としての時間をつくって、共働きがいけないなんて私一言も言ってないんですよ。ですから、できれば家族が一緒におれる時間を長く取れるようなひとつ社会の仕組みをつくっていきたいということを申し上げているわけです。
○坂本由紀子君 私も家族が一緒にいる時間が多いということは誠に大臣のおっしゃるとおりで賛成でございます。そういう意味で教育と経済界とのかかわりというのは大変大きいと思います。
 一つは、今大臣がおっしゃったように、家庭教育の中に両親がちゃんといて、子供と一緒に家庭をしっかりと営めるようにするという意味で、特に男性の働き方の見直しというのが大きい課題だろうと思います。
 それともう一つ、教育は社会の鏡であろうと思います。ですから、今、日本の教育の多くが、中学校では高校入試の準備でありまして、高校が大学入試の準備に追われていて、そして最終的にいい企業に就職したいというような目標がどうも多くなってきているように思います。このことは教育の場において知的好奇心をかき立てられて学ぶ楽しさを味わうということとは少し遠いところにあるように思いまして、そういう意味では、企業が人を採用するときの基準といいましょうか、考え方に学校歴、どこの学校を卒業した、通常は学歴と言われていますが、そういうものを偏重するというようなことを見直していただくとか、あるいは学校を出て社会の入口に立ったときに、きちっとした働き方ではなくて、非正規のような形で社会の中に不安定な形で入っていくというようなことは、これは見直していただかなくてはいけないことではないかと思うのです。
 そういう雇用労働関係は厚生労働省の所管ではありますが、そこにつながる教育行政というのはそこから大きな影響を受けますので、やはり経済界に対して、教育が本来あるべき役割を果たせるためには、やはり経済社会の中の人材に対するどういうニーズを求めているかということが大きいことを踏まえて、文部科学大臣として経済界への働き掛けをしていただくなり、あるいはこれからどのようなお取り組みをして理解を得ていくかということについて御所見を伺いたいと存じます。
○国務大臣(伊吹文明君) ちょっとこういう表現はいけないかも分かりませんが、経済界というのは基本的にはやはり市場原理で動いている世界ですから、損益計算書を一番大きくするために頑張っておられるという感覚だけで動いておられる経営者もおられますし、いや、損益計算書の利潤を超えた価値が発揮できる企業としてブライトネスを表示できるんだという経営者もおられるわけです。
 ですから、どういう人を採れっていったって、これはもう向こう側にその採用権があるわけですから、私は、むしろ大学の教育の在り方、それから高等学校の習熟度の検証の仕方、それがつまり大学にどういう形で入っていくか、そして大学をどういう形の能力を持っている人を出すのかということを考えた方が現実的じゃないかと思うんです。
 もちろん、青田刈りをするなとか、もう少し学問に尽瘁させるような環境を与えろとか、教育のために早く帰してあげて、御主人も奥さんもですよ、特に御主人を早く帰すことが私は必要だと思うんですけど、帰してあげてもらいたいとか、そういうことは私も話をしますし、多分それをやると大衝突をするわけですよ。つまり、超過勤務手当をペナルティーのように高くするということをしない限りは、彼らは早く帰さないですよ、多分。あるいは法制上ペナルティーを与えるということですよね。
 これは市場原理というか利潤を追求するところとは必ずしも相入れない要請なんですね。しかし、教育にはそういう分野があるんだということをやっぱり自覚して、私は経済界の方と対話をしたいと思っております。
○坂本由紀子君 企業は競争原理で動いているということは事実でございますが、やはり企業は人でもっているということも事実でございますので、いかに優れた人が教育の中で育って、それが社会を支える側に回るか、その教育の在り方に企業なり経済活動が影響を与えているとすれば、そこの部分についてはやはり企業のためにも見直していただくということがあるべき姿だろうというふうに思うのです。
 それで、競争原理に関連して教育と競争原理のことで一点お伺いしたいのですが、教育再生会議でバウチャー制の導入が議論されていると伺っております。教育に過度の競争原理を性急に取り入れるということは、私は教育にとって果たしていいものだろうかということについては懸念を持っております。
 もちろん、教育といえども、特に公教育は国民の税金を使ってやっておりますので、その投入した税金に見合った、しっかりとした成果を上げていただくということはもとより当然のことであろうと思います。
 ただ、例えばバウチャー制のような形にしますと、保護者が学校を選ぶときに、本当にその子供の人間としての成長をどういう目で見ているかといったときに、例えば受験勉強第一だとか、あるいはいい企業にというような偏った見方から脱却できないとすると、その選ばれた教育機関が、適正という言い方がどうか分かりませんが、本当にいい教育をしているのにそういうところが選ばれないというところが出てくるのではないかと思いまして、教育機関の淘汰という点で適正に働くかどうかということについては心配な面も持つのでございまして、その点について大臣はどのようにお考えでいらっしゃいますでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) 今教育をめぐって先生がおっしゃったバウチャー制度、それから学校選択制、教員の免許制、それから学校の内部評価、外部評価ということは言われますね。これすべてその市場メカニズムを通じてか、あるいは外部のランク付けを通じてか、ともかく学校を評価していくということを言っているわけですよ。これはなぜこういうことを世論がこのバウチャー以外にもいろいろな評価のことを持ち出してきているかということは、私はやっぱり重く関係者みんなが受け止めなければならないと思います。
 その上で、私は重く受け止めた上で、市場原理というものは教育には余り適当じゃないと私は思っております。ただし、効率化という意識を失ってもらっては困るということですね。最小限の税金で最大限の教育効果を上げていくためにみんなが努力をするという意識を持つと。この意識がないというふうに世論が考えているから、今言ったようないろいろな提案が起こってくる。しかし、その提案をそのまま入れたときに副作用等を勘案すると、先生がおっしゃったように、少し深呼吸して考えてみたい部分もかなりあるなというのが私の考えでございます。
○坂本由紀子君 大臣のおっしゃるとおり、効率化は必要でありますし、そのとおりだと思います。
 市場原理については、十分慎重に考える、適当でないというお話もいただきましたので、この点も踏まえて、関係者においては、税金で運営している教育についてはしっかりと効率化を図りつつ、国民の期待にこたえるように頑張らなくてはいけないものだという思いを新たにいたしました。
 次に、教育の機会均等についてお伺いいたします。
 昨年末に、自由民主党が憲法改正の草案を発表いたしましたが、その中には、法の下の平等に新たに障害の有無を追加をいたしております。
 教育におきましても、基本的には同じように障害の有無によって教育の機会が狭められるというようなことがあってはならないことだと思いますが、今回の規定の仕方は、障害の有無というのは入っておらないんですが、この点についての解釈をお伺いしたいと思います。
○政府参考人(田中壮一郎君) お答えを申し上げます。
 現行の教育基本法第三条におきましては、憲法の規定も踏まえまして、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されないということで、新しい四条にもこの同じ条文を規定しておるところでございますけれども、これは憲法十四条の法の下の平等におきましても、ここに例示されていない障害の有無によっても差別はされてはならないんだという、これまでの判決も出されておるところでございまして、私どもといたしましても現行の教育基本法第三条の教育の機会均等の中でも障害の有無によって差別は許されないという解釈を取っておるところでございます。
 さらに、今回の法案の改正では、第四条に二項を新設いたしまして、より積極的に障害のある者がその障害の状態に応じ十分な教育を受けられるよう国や地方公共団体が必要な支援を講ずべき旨を規定しておるところでございます。
○坂本由紀子君 そういう建前の中で、それでは障害者が高等教育機関にどのくらい在籍しているかということについて見てみますと、独立行政法人の日本学生支援機構が約千の学校を対象にした調査によりますと、それら大学、短大に在籍している障害のある学生の割合というのは〇・一六%、四割の学校には障害のある学生はいなかったということでございます。
 この状況は、障害者についてもその能力を生かして地域の中で自立をできるようにというような障害者自立支援法が施行されている状況の中で、果たして障害者にとって必要な教育環境が整備されていると考えていいものかどうか、政府全体の障害者施策を統括しておられる高市大臣から御見解を伺いたいと存じます。
○国務大臣(高市早苗君) 今御指摘のありました数字ですね、障害を有する学生の全学生数に占める割合、〇・一六%、率直に申し上げて非常に少ないと思います。全人口に占めます障害者の割合が約五・四%ですから、やはり割合としては少ないだろうと思うんですね。
 現在は障害者基本計画に基づきまして、特に後期の中等教育及び高等教育への就学を支援するため、各学校や地域における支援の一層の充実を図ることとされていまして、例えば大学のセンター試験、入試のときのセンター試験ですね、これ試験時間を長くしたり、それから代筆解答を認めたり、それから入学した後もノートテーカーの配置をしたり、それからまた、定期試験なんかの時間を長くしたり別室で試験の対応をしたりと。それから、ハードの方でもバリアフリー化の施策が取られていまして、財政的な措置もなされております。しかし、まだ割合が非常に低いということですから十分じゃないのかもしれません。
 これから着実に実施をしていくとともに、私は、実際にハードのバリアフリー化、それから授業を受けやすくするということが実現されたら、必ずしもそれで障害者の方が高等教育を受けることにチャレンジされようとするのかどうか、その辺の本当の生の声を聞きたいなということを大臣としては考えております。
○坂本由紀子君 その辺の意識というのは、多分保護者の方の意識も大きいと思うのです。
 それで、日本では障害者というと保護されるものというような位置付けがなされていて、この子が社会の中でやがて社会の担い手として社会の中を生きていくんだという意識が割合希薄なように思います。
 官房長官、通告していなくて恐縮なんですが、官房長官は随分前から障害者に対して様々な取組をしておられて、この問題については随分御造詣が深いと思いますが、こういう障害者の今置かれている状況と我が国、そういう状況を改善するための教育の今のありようというのをどのように認識しておられますでしょうか。
○国務大臣(塩崎恭久君) まず、施策としてあらゆる場に障害者の方が当たり前のようにいていただくというのは、ノーマライゼーションというのはそういうことなんだろうと思うんですが、なかなかそれが進んでいない。雇用の場においても法定雇用率がありますけれども、たしか最も成績が悪いのは教育現場ではなかったかなというふうにも思うわけであって、私はアメリカに高校のときに行っていたときに、カウンセラーは車いすの方でありましたし、授業には全盲の方がいてみんなが助け合いながらちゃんと普通に卒業するという、そういうノーマライズされた教育というものを目の当たりにして、ですから、こちらの悩みを打ち明ける相手が障害者だということでありますから、そういうのが当たり前のようにある、そういう世界をやはり我々もうちょっと日本でも実現せにゃいかぬなと思っておりますが。
 これはしかし、べき論だけ言ってもいけないので、やっぱり政策でやっていかなきゃいけないし、法定雇用率などの問題にもそうでしょうが、一番大事なのは、やっぱり心の中のノーマライゼーションというのが政治家にも行政の人たちにもあるかということが大事であって、その心の中にいつも何となくバリアがあれば障害者の皆さんを一緒に統合しながら社会の中で一緒にやっていくということはできないんじゃないかなと思いますので、心の中のノーマライゼーションをどうやってやっていくか、それを裏打ちする法制なり制度をどうやってつくっていくかというのが、我々これ行政とそれから国会の役割ではないかというふうに思っております。
○坂本由紀子君 ノーマライゼーションの実現というのは政策的課題としてあります。障害者の教育については文部科学省も大変最近熱心に特別支援教育に取り組んでおられまして、そういう意味ではいろいろな教育機会がこれから増えてくるということで期待をいたしております。
 ただ、私は障害者の教育について、原則はやはり障害の有無にかかわらず同様の教育機会を持つということではないか。障害によって特別に支援を必要とするという方について、それを付加して特別な支援が行われるというのが原則ではないのかと思うのであります。つまり、統合教育にプラスして特別支援教育というような在り方ではないかと思います。
 現実には、日本では盲学校、聾学校があります。それでは、もし盲学校でなければ十分な教育ができないというのであれば、じゃその盲の方の盲の大学というのはなぜないんだろうかというふうにも思うのでありまして、それはそうではなくて、一般の大学で就学支援の手だてを講じながらやっていこうというのであれば、この点は義務教育のところにさかのぼって、在り方というのを十分御検討いただいていい時期に来ているのではないかというふうにも思うのであります。
 特に、障害者を別の場所で別の形でだけ教育しているということになると、障害者というのが特別な存在であって普通の人とは違うんだと、そういう意識が教師だけではなくて保護者にも、そして障害者にもそういう意識が染み付いて、ほかの人と同じように自分たちも社会の中で働いていく、あるいは高等教育を受けていくというような意識がやや違ってきているところがあるように思いまして、そういう意味で、心の問題を解決するためにも形の問題を取り組んでいくということは必要ではないかというふうに思うのでございますが、大臣の御見解はいかがでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) 私は、もう二十年来ボランティアとして京都の身体障害者団体連合会の会長をしておりますが、したがって、かなり障害を持っておられる方の実態は知っているつもりですけれども、現実はなかなかそうきれい事のようにうまくいっていない、これは私もよく存じております。
 一番大切なのは、やはり先生がおっしゃったインクルーシブな形でやるのがこれはもう理想なんですよね。ただ、一般の人たちの教育に掛けているお金とその効率を考えて、どちらかというと障害者は、私が障害者の会長をしているからというわけじゃないですが、まあ同じ人間としては犠牲になっているわけですよ、ハンディキャップがあるから。ですから、将来の姿としては先生のおっしゃったような形が理想だと思いますが、そこへ近づいていくために、例えばハンディキャップを持っておられるような方々は一般校の分校的な扱いをして、運動会や何かは一緒にやっていくとか、やっぱり突然いいことに、一〇〇%いいことに飛び付けないのが現実ですから、今おっしゃったような理想を掲げながら現実を踏みしめて歩くということだと思います。
○坂本由紀子君 ありがとうございます。理想をしっかりと確かなものにしていただいていれば歩む方向が間違いないだろうと思いますので、よろしくお願いいたします。
 先ほど官房長官のお話にもございましたが、その障害者の問題について、実は教育委員会は、特に都道府県の教育委員会は障害者の雇用について非常に低いという状況がございます。二%というのが法律が定めた雇用義務なんですが、それをクリアしているのは大臣の選挙区である京都府だけでありまして、ほかは全部法律の水準を満たさない状態がずっと長いこと続いているのであります。
 一方で、最近のことですが、金沢美術工芸大学で知的障害を有する方が非常勤講師となって教壇に立つということが出てきているのであります。そういう個人の能力に着目してそういう形を取られたというのは、私は特筆すべきことではないかと思います。私の静岡県でも全盲の方が普通中学校の先生をしていて、子供たちに大変大きな教育効果を与えているということもございます。
 なぜ雇用率が満たせないかというと、そういう教員資格を持っている障害者の方が少ないんだということがあるんですが、これは先ほど高市大臣に申し上げました、そもそも学校、大学に行けている障害者の方が少ないという問題があって、これは鶏と卵なのかもしれませんが、こういうことも含めて、私は、この問題は単にそういう法律があるから守るということだけではなくて、障害者に対する教育の在り方も含めて非常に大きな問題として、都道府県の問題ではありますが、文部科学省としてお取り組みをいただきたい問題だと思うのですが、大臣のお考えを伺いたいと思います。
○国務大臣(伊吹文明君) 京都は、先生おっしゃったように、私が障害者の会長もしておりまして、るるお話をして、単に教育委員会だけじゃなくて、公的な機関はかなりこのことへ配慮した採用をしていると思います。
 今おっしゃったように、教育委員会の職員は大部分が教員でございますので、教員免許を持っておりますので、まあ先生が御指摘になったようなことはあるんだと思いますが、ハンディを持っている人も教育免許が取りにくいというようなことがあってはいけませんし、あとは、やはり遵法精神をどこまで維持しながら工夫をしていただくかという、やっぱりこのつかさつかさにいる人の感性なんですね。だから、そのことは私どもからも、また各教育委員会や各学校に先生のような御意見があるということをお伝えしたいと思います。
○坂本由紀子君 ありがとうございます。よろしくお願いいたします。
 私たちが今抱えている教育の問題というのは、一刻も早く国民全体が問題を共有化して解決に向かって行動していくことが必要だろうと思います。教育基本法の改正というのはそのための土台をつくるものでありますので、決してイデオロギー的な対立にこれを持ち込むというようなことではなくて、真摯にやっていかなくてはいけない問題ではないかということを最後に申し上げまして、所定の時間が参りましたので私の質問はこれで終わらせていただきます。
○委員長(中曽根弘文君) 本日の質疑はこの程度にとどめます。
 次回の委員会は明二十九日午後一時から開会することとし、本日はこれにて散会いたします。
   午後五時二十九分散会