第165回国会 教育基本法に関する特別委員会公聴会 第1号
平成十八年十二月十二日(火曜日)
   午後一時開会
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   委員の異動
 十二月十一日
    辞任         補欠選任
     大仁田 厚君     舛添 要一君
     井上 哲士君     仁比 聡平君
 十二月十二日
    辞任         補欠選任
     山本  保君     浮島とも子君
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  出席者は左のとおり。
    委員長         中曽根弘文君
    理 事
                岸  信夫君
                北岡 秀二君
                保坂 三蔵君
                佐藤 泰介君
                櫻井  充君
                蓮   舫君
                風間  昶君
    委 員
                岩城 光英君
                小野 清子君
                岡田 直樹君
                岡田  広君
                小泉 顕雄君
                鴻池 祥肇君
                坂本由紀子君
                中島 啓雄君
                南野知惠子君
                舛添 要一君
                松村 祥史君
                神本美恵子君
                下田 敦子君
                鈴木  寛君
                西岡 武夫君
                林 久美子君
                広中和歌子君
                福山 哲郎君
                水岡 俊一君
                山下 栄一君
                鰐淵 洋子君
                仁比 聡平君
                近藤 正道君
                亀井 郁夫君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        山口 俊史君
   公述人
       慶應義塾長    安西祐一郎君
       日本発達障害ネ
       ットワーク代表
       全国LD親の会
       会長       山岡  修君
       独立行政法人大
       学評価・学位授
       与機構長
       中央教育審議会
       副会長
       東京都教育委員
       会委員長     木村  孟君
       松山大学人文学
       部助教授     大内 裕和君
       埼玉大学学生   浅野 大志君
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  本日の会議に付した案件
○教育基本法案(第百六十四回国会内閣提出、第
 百六十五回国会衆議院送付)
○日本国教育基本法案(輿石東君外六名発議)
○地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律
 案(輿石東君外六名発議)
○学校教育の環境の整備の推進による教育の振興
 に関する法律案(輿石東君外六名発議)
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○委員長(中曽根弘文君) ただいまから教育基本法に関する特別委員会公聴会を開会いたします。
 委員の異動について御報告いたします。
 昨十一日、大仁田厚君及び井上哲士君が委員を辞任され、その補欠として舛添要一君及び仁比聡平君が選任されました。
 また、本日、山本保君が委員を辞任され、その補欠として浮島とも子君が選任されました。
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○委員長(中曽根弘文君) 本日は、教育基本法案、日本国教育基本法案、地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律案及び学校教育の環境の整備の推進による教育の振興に関する法律案、以上四案の審査のため、慶應義塾長安西祐一郎君、日本発達障害ネットワーク代表・全国LD親の会会長山岡修君、独立行政法人大学評価・学位授与機構長・中央教育審議会副会長・東京都教育委員会委員長木村孟君、松山大学人文学部助教授大内裕和君及び埼玉大学学生浅野大志君、以上五名の公述人の方々から御意見を伺います。
 この際、公述人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
 皆様には、御多忙中のところ当委員会に御出席をいただき、誠にありがとうございました。
 皆様から忌憚のない御意見をいただき、今後の委員会の審査の参考にいたしたいと存じております。どうぞよろしくお願いいたします。
 次に、会議の進め方について申し上げます。
 まず、公述人の方々からお一人十五分以内で順次御意見をお述べいただき、その後、委員の質疑にお答えをいただきたいと存じます。
 なお、御発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、まず安西公述人にお願いいたします。安西公述人。
○公述人(安西祐一郎君) 教育基本法の改正論議に当たりまして、慶應義塾長の安西でございますが、御意見を申し上げさせていただきます。この場を与えていただき、ありがとうございます。
 戦後六十年の間に何が蓄積され、何が日本の成果として上がってきたか。民主的な政治、また豊かな経済力、透明な市場、階級差の少ない社会、行き届いた教育、多様な能力を発揮できる仕事の場、安全で清潔な環境、また長寿命で健康な生活、あるいは信頼できる技術、誇るべき歴史と文化の蓄積、そして豊かな海と四季の織りなす美しい国土、ほかにもあるかと思いますけれども、のっけからこういうことを申し上げたのは、こういった条件を満たす国というのは世界を探してもめったにあるものではない。特に、アジアにおいては日本がやはり先頭を切ってこういった成熟した社会、これを戦後六十年の間につくってきたのだと、そういうことを改めて、我々が胸に改めて持つべきことではないかというふうに思います。
 ただ、一方で、その戦後六十年の間に今申し上げたようなすばらしい成果を我々の先人が生んできた。その一方でもって様々なひずみが出てきた。それが教育の現場に現れてきているのではないかということは最近も多く新聞報道等々でも取りざたされているところでございますが、それではまた歴史を振り返って、幕末から明治にかけて、それと戦後六十年からこれからの時代にかけてそれを比較したときに何が似ているだろうか。そういう見方をしてみますと、江戸時代、まあ例外はあったかと思いますけれども、やはり封建制の世の中で生まれが一生を決めていた、そういう面が強かったわけであります。それが明治維新以降、明治になって、これもいろいろありましたけれども、やはり生まれが一生を決めない、努力して、勉強して、自らの志と実践によって自分の新しい能力を発見して、それを磨いて独立した人間として他者に貢献できる、それによって糧を得ることもできる、御飯を食べていくこともできるし、それによって自分が喜びを得ることができる、そういう世の中、決して明治時代がそうだったと、完全にそうだったとはもちろん申しませんけれども、そういう世の中が江戸時代に比べれば開かれていった。
 それが、戦後半世紀、さっき申し上げましたような成果を生み出してきた一方、制度疲労、それからの教育のひずみ、それが、これからの時代には、やはり生まれが一生を決めない、就職が一生を決めない、学校が一生を決めない、そういう時代が開かれていくであろう。また、それを私は本当に心から期待をしておりますし、それが日本の活力にこれからなっていくというふうに信じております。
 そういうことを申し上げましたのは、それぞれの個人が独立して生きていく力と、それから協力して生きていく力ですね、独立して自分勝手でよければいいというものではない、人と協力して生きていく、あるいは他国との間で協力して生きていく、民族間のあつれきを超えて新しい関係を築いていく、そういう力を持っていかなければならない。今申し上げたようなことを、世界の情報通信技術の発展の中で、極めて変化の激しい、そういう世界の中で日本という国がもう一度それを奮い起こしていくには何としても教育が必要だと。これは私が改めて申し上げるまでもございません。
 私が教育基本法の改正についてこの時点でどうしても賛成をしたいと思いますのは、今申し上げた思いが非常に強いからでありまして、もう待ったなしだというふうに思っております。
 一方で、そういう教育、多様性のある日本の国民がそれぞれに力を持って、自分でもって糧を得、喜びを得て、そして他人に貢献していくようなそういう社会を築いていくためには、どうしてもきめの細かい多様な教育のシステムが必要だろうと。これは、やはりトップダウンの集中的なやり方ではなかなかこれはできない。明治以来、官が先導してつくってきたそういう教育のシステムでは、言わば巨艦巨砲主義と申しましょうか、そういうやり方ではもうこれからの時代には合いません。これからの時代には、教育の仕組みというのは、多様な人材が、活力あふれる多様な人間が生み出されていく、そして多様な価値を生み出していく、そういう社会にしなきゃならない。
 ところが、日本における教育への国の投資、これは本当に貧しいんですね。OECD加盟国三十か国の中で、御存じと思いますけれども、GDP比でもって公財政支出の割合というのは、日本が約〇・四から〇・五%だと思いますが、これはOECD加盟国三十か国の中で二十九位であります。これは高等教育についてのことでありますが、教育全般についても国の投資あるいは地方公共団体のサポートが非常に薄い、これが日本の現実である。
 特に、そういった教育の現実を背負っているのは私立の学校でありまして、私立だけのことをとやかく申し上げる場ではないかと思いますけれども、大学でいえば大学生の七五%、約、これが私立の大学生。それから私立大学の数も、四年制の大学でもって約七五%が私立大学。その私立大学に通う学生、これが、国立大学に比べれば国からのサポート、これのお金が私立大学生一人当たり約十数万円だと思いますけれども、国立に比べて十分の一ぐらいだと思います。
 そういう私立大学の学生、これに日本の教育が、特に大学の教育の場合はおんぶしている。その私立大学の学生の学費を払っているのは、主に私立大学に子供をやっている親あるいは保護者であります。その私立大学の学生の保護者たちは一方で国への税金も払っているわけで、そういうことを考えますと、国立大学もその私立大学の学生の親はサポートしているわけであります。
 そういうことに支えられて、戦後六十年が過ぎてきて、さっき申し上げた、すばらしい国である、そういう成果を生んできたと思いますね。
 そういうことを何とかしていくためには、何としても教育への投資を増やしていかなければなりません。これは国の財政がきつい中で非常に大きな課題になるかと思いますけれども、教育基本法の中で特に教育振興基本計画、これは政府案でありますけれども、基本計画がきちっと掲載されている、記載されている。その基本計画の中でもって国の予算の何%をきちんと教育に使っていくのか、また、地方公共団体はどのぐらいの割合でもってきちっと教育をサポートしていくのかということをはっきり明示していただきたい。これは基本法の中にある振興基本計画の問題でありますけれども、そのことは是非申し上げさせていただければというふうに思います。
 私学、それから、もちろん義務教育、家庭教育等々大事である、大学の在り方、これがやはり今申し上げたとおり非常に大事である、そのことを申し上げたい。教育基本法の政府案、また対案である民主党の案もそうなんでありますけれども、私が極めてすばらしいなというふうに思いますのは、家庭教育、あるいは幼児期の教育、あるいは社会教育、また大学、私学、私立学校ですね、そういった極めて多様な場での教育について言及しているということでありまして、これを基本法にきちっと記載していただくということは、これからの日本の活力に必ず役に立つというふうに考えております。
 ただ一方で、先ほど申し上げました国の予算の問題につきましては、ほかの予算項目も重要だという考えはもちろんあるわけでありますけれども、国の未来を考えれば教育への投資はもう必須である。それが、お手元にお配りいたしました私の資料は、私がある雑誌に連載しているものでございますけれども、特にお手元のその資料の四枚目だったかと思いますが、四枚目をごらんいただければ、これは高等教育の部分でございますけれども、四枚目の「教育目標と国家投資」というところにグラフが載っております。
 そこをごらんいただければ、日本の高等教育へのGDPに対する支出比率は〇・五%、その濃い青い部分でございます。イギリス、メキシコ、オーストラリア、スペイン等々に比べて低いということがお分かりいただけると思いますし、また、グレーの部分が私費負担でございまして、私費負担を重ねてやっと一・〇%を超す、二〇〇〇年度のデータでありますけれども、そういう状況である。日本が私費負担に頼って高等教育をやってきたということがこれで十分お分かりいただけるのではないか。日本が知的レベルが高いというふうに言われているのは、結局のところ家計に頼って、それでこの日本をつくってきたんだということを改めて申し上げさせていただければというふうに思います。
 これからの時代には、明治以来、百数十年にわたる官主導の国づくりから民主導による公の創造へというふうにシフトしなければならない。もちろん官のサポートは重要でありますけれども、そういうふうに考えております。そういう中でもって、今もちろん義務教育等々の年齢層の非常に大きな課題がある、いじめの問題等々いろいろある。そういうことをクリアしていくためには、むしろ大人たちの心と大人たちの時間の余裕が必要であります。しかし、大人に時間の余裕を持たせようとすれば仕事が犠牲になる。そうすると経済の活性化がうまくいかない。マクロに言えばそういうことになるわけで、そういうことをクリアしていくためには、特に地域経済の活性化が肝要だというふうに思いますし、また、仕事を効果的に行えるシステムの確立がやはり具体的には重要になっていきます。
 また、教育の財政基盤の充実、財政的支援が根本であるということは、今申し上げたとおりでございます。
 教育基本法の案をずっと拝見しておりますと、私が今申し上げたことをこれから実現していくためには、基本法の改正がその案を拝見いたしましても極めて重要であり、タイムリーなことだというふうに思っております。
 以上で私の意見表明を終わらせていただきます。
 どうもありがとうございました。
○委員長(中曽根弘文君) ありがとうございました。
 次に、山岡公述人にお願いいたします。山岡公述人。
○公述人(山岡修君) 私、日本発達障害ネットワークの代表で、全国LD親の会の会長で山岡と申します。
 昨年の四月に発達障害者支援法という法律が施行になりまして、自閉症あるいはLD、ADHDといった、従来支援の対象になっていなかった子供たちに対する支援が法律で位置付けられ、国、自治体、国民の責務として位置付けられたということで大変感謝をしているところでございます。
 この日本発達障害ネットワークという団体は、発達障害者支援法の対象である自閉症やLD、ADHDなどの当事者団体、それから学会、それから臨床心理士さんでありますとか作業療法士であるとかいわゆる職能団体、いわゆる発達障害にかかわるあらゆる団体が集まったネットワークでございまして、全国団体が今十四、それから地方の団体が四十一、全部で五十五団体で活動しているところでございます。
 さて、この今回の改正の審議や議論についてということで、私見でございますが、今までの長い検討の期間を経て、今回の議論、審議、そして終盤を迎えているという状況かと思いますが、この中で気になるところは、現在、我が国の教育が抱えている諸問題、例えばいじめでありますとか不登校でありますとか、学力低下あるいは子供のモラル低下あるいは学ぶ意欲の低下といったことがあると思うんですが、これらのその根本の原因というのが、分析がひょっとしたら不十分ではないか。そもそも、そういったものに対して対策を考えるときは、それらの原因をきちっと究明をし、それに対する対応策をきちっと作るべきではないかというふうに思います。
 先ほど、安西先生からもお話がございましたけれども、例えば教育に関する予算、あるいは教員の資質向上あるいは養成とか研修といった問題、あるいは教育にかかわる諸施策といったものについて検討が十分だったのだろうかということですね。逆に言いますと、この教育基本法を改正すればこれらの諸問題は解決するのだろうか。あるいは、現行法の中でできることはもっとあるのではないか。最近、その原因を一つにして、単元論といいますか、そこに原因が犯人捜しのようにいくような傾向があるかもしれませんけれども、例えばそこの根本的な個々の問題を解明しない限り根本的な解決にはならないのではないかというようなことを思いました。
 それから、例えば学力の低下というところで、にわか勉強といいますか、そう深く勉強したわけではございませんが、学力で一番となったフィンランド、こういうところにもヒントがあるのかなと。例えば、フィンランドの場合は教員の資質が非常に高いと言われています。修士を取らなければ教員になれない。それから、地位が非常に高く、非常に尊敬される存在であるということですね、教員が。それから、知識を詰め込むというよりも、自ら学ぶ意欲をそそるような教育が行われている。それからもう一つは、落ちこぼれといいますか、割と低い層のところを引き上げることに非常に力を入れているというふうに聞いております。また、教え込むというよりも、支援する姿勢というのが非常に強いんだというふうに聞いておりまして、こういったことが、現在の教育の諸問題の解決につながるようなもの、そういうことの個別の議論が是非行われるべきだったなというふうに考えています。
 今回、マスコミ等を通じては、愛国心の部分でありますとか、割と理念的なところが結構俎上に上がっていたところでございますけれども、それと今言いましたような諸問題に対する具体的な議論というのを、できれば切り分けて議論をすべきだったのではないか。その辺がちょっと混同されたまま進んできたような気がしております。
 さて、教育基本法でございますが、確かに施行から六十年がたっておりまして、先ほど安西先生からもお話がありましたように社会情勢や、いわゆる情勢は変わっておりますので、改正すべき時期にあるということについては十分理解をしております。ただ、今回の改正案につきまして、ややその理解、論点整理不足、あるいは議論の不足の感が否めないというのが感想でございます。
 さて、この改正案について、先ほど私申し上げましたけれども、日本発達障害ネットワークあるいは全国LD親の会の会長としまして、その立場からそこにかかわる部分についてちょっと意見を申し上げさせていただきます。
 日本国教育基本法案の中で、従来、教育に関しては義務ということが言われておったんですけれども、この案の中では、例えば「学ぶ権利の保障」ということで、一歩踏み込んだものになっているということは非常に評価ができる。そして、私が思うところの子供たちを主体にした教育という論点からいい評価をしております。
 それからもう一つ、政府案であります教育基本法案の中でいきますと、この中で、「障害のある者が、その障害の状態に応じ、十分な教育を受けられるよう、教育上必要な支援を講じなければならない。」というところが新しくできたというところを大変評価をしております。従来この部分がなかったということがおかしいという点でもございますけれども、新設されたことについて評価をしています。
 また、これにつきまして、例えば日本国教育基本法案の中では、「学ぶ権利の保障」の中で、「何人も、」という言い方をして、教育に関して、「支援され、及び保障され、」ということで、恐らくこの中に障害があるとかないとかも含めて包含されているものということで評価ができるというふうに思っております。
 ただ、この日本国教育基本法案の中でいきますと、最後の部分で、「決定する権利を有する。」という部分については、個人的には、まあ保護者の立場で言うことでもないかもしれませんけれども、その保護者の理解あるいは主張、あるいは個人、お子さんもいますので、その主張が必ずしも正しい場合ばかりではないということで、この辺りの調整は必要かというふうに思っております。
 そしてもう一つ、この教育基本法の中でうたうべきことではないんですけれども、この障害児に対する教育や支援がうたわれておりますので、実は十九年度から学校教育法の改正によりまして特別支援教育というのが制度としてスタートいたします。この辺りのことはこの第二条のところに織り込まれている、中に入っているというふうに理解をしているところであります。
 この教育基本法と来年度から実効になる特別支援教育のところについて、残された時間、ちょっと私見を申し述べさせていただきたいと思います。
 実は、その特別支援教育というのは、百二十年以上の歴史を持つ我が国の特殊教育を見直しまして、従来はその障害の種別と程度に応じて特別な場を用意して指導していたものから、障害のある児童生徒の一人一人のニーズに合わせて適切な支援を行うんだということで、理念をかなり変えたものとしてスタートをしています。
 特別支援教育の理念の中では三つの提言がございまして、一つ目は、LD、ADHD、高機能自閉症等の従来支援の対象となっていた子供たちを含めて支援をするんだということであります。それからもう一つは、この子供たちを含めて、すべての障害や困難を持つ子供たちに対しまして一人一人のニーズに応じた適切な指導、支援を行うんだと。それからもう一つは、乳幼児期から学校卒業までの一貫した支援を行うんだという、この二番、三番が貫かれているところでございます。
 実は、このLD、ADHDとか高機能自閉症の子供たちというのはどのぐらいいるのかということで、文部科学省の方で平成十四年度に全国的な調査を行っています。これは確定診断ではないんですが、全体の六・三%程度いるという調査結果が出ています。要するに、クラスの中で一人か二人いるんだということであります。従来の特殊教育というのは現在一・六%ぐらいのお子さんを対象にしているんですけれども、これからの特殊教育の中では約一〇%ぐらいが対象になるのではないかというふうに言われています。すなわち、今まで通常の学級の中でいわゆる支援とか特別な支援はなかったんですけれども、これからは通常の学校の中でこういった支援が必要だということであります。
 実はこの特別支援教育への転換というのは、特殊教育の転換ではなく、学校教育全体の転換でなければならないというふうに私は思っております。
 この特別支援教育ですね、ちょっとこのレジュメでいくと五番の方に飛びますけれども、実はこのLDやADHD、高機能自閉症の子供たちが何を求めて、どんなことを必要としているのかということでございますが、LDというのは、学習障害といいます。英語でラーニング・ディスアビリティーズと言うんですけれども、ラーニング・ディファレンスという言い方もするんですね、いろいろな学び方をする子供たちであります。
 このLDの子供たちというのは一様ではなくて、みんな様々なことでつまずいています。学科でいいますと、算数でつまずいたり、国語でつまずいたり、読み書きでつまずいたり、聞く力が弱かったりと、いろいろとございます。こういう子供たちが通常のクラスの中で学習面でつまずいているんですね。その一人一人の特性に合わせて先生がいろいろ工夫して御指導いただくことがこれから必要になります。先生はそのときに、スモールステップといいまして、段階を踏んで教えたり、あるいは指導法、いろんな指導法があるので、いろんな方法を試してみてその子に合うものを見付けたりという工夫をしていただくことになるんですね。
 それから、ADHDとか高機能自閉症のお子さんというのは、行動面の障害とか困難といいます。これは注意集中困難であったり、あるいはコミュニケーションや社会性に問題があったりということですね。そういうお子さんがクラスにいた場合に、その一人一人の特性を理解をし適切な対応をすると、そのお子さんはクラスで過ごせるようになります。
 そういうことをやって、そのLDの子供たちに丁寧に教えていくことによって、実はそのLDの子供たちだけでなくて、文部科学省でモデル校とかあるいは研究開発校であった事例でいきますと、実はそのクラス全体あるいは学校全体の学力が上がっているんですね。要するに、今の教育で欠けるところといいますと、一人一人をちゃんと見詰めて、それに合わせた教育をしていく、あるいは配慮をしていく、指導法に工夫をしていく、対応に工夫をしていくということで学力の向上につながるということですね。
 それから、ADHDや高機能自閉症等の行動面にやや問題があるお子さん、難があるお子さんについて、そのお一人一人に配慮をしていくと、実はクラスが落ち着いたり、クラスがまとまったり、クラス全員が結構快適に過ごせる場になります。
 要するに、この特別支援教育で、LDやADHDや高機能自閉症の子供たちに必要と言われているものは、実はすべての子供たちに必要なのではないかと思います。教育が一律一斉授業の中である程度均質でやっていくことはやむを得ないとしましても、実はその中で、四十人のクラスの中で、四十人を固まりで見るのではなく、一人一人を見ながら四十人を運営していくということが実は教育に必要でありまして、実はこのLDやADHD、高機能自閉症の子供たちが求めている教育というのは、すべての子供たちに共通したニーズであり、教育が目指す姿ではないかというふうに考えています。
 そういう意味で、今回の改正案につきまして、冒頭申し上げたところも含めまして、方向性としてはそう異論のないところでございます。
 一方、日本国教育基本法案についてまた読ませていただいたんですけれども、こちらも読んでみますと、政府案よりも根本的かつ原理原則あるいは本質をついた内容が多分に含まれておりまして、実はこの両方を捨て難いところがあるというふうに私は考えております。この二つの案が、どっちか捨てなきゃいけないというのは非常にもったいないなと、実は議論の中でいいところを寄せていただくと本当にいいものができたんではないかというふうに私は考えております。
 以上で私の意見を終わらせていただきます。
○委員長(中曽根弘文君) ありがとうございました。
 次に、木村公述人にお願いいたします。木村公述人。
○公述人(木村孟君) 私、ただいま御紹介賜りました木村でございます。
 本日、この公聴会で公述人として意見を述べる機会をお与えいただきましたことを心から感謝申し上げる次第でございます。
 以下に、政府提出の教育基本法案に賛成の立場から教育基本法改正に対する所見を述べさせていただきます。
 現在、我が国の教育をめぐっては多くの課題があることが指摘されております。大きな社会問題となっておりますいじめを始め、子の親に対するあるいは親の子に対する暴力や虐待、教員の不祥事、子供たちの学ぶ意欲や学力の低下など、問題は枚挙にいとまがありません。これらの問題は、日本社会全体の規範意識、道徳心、自律心の低下、さらには我が国の若い人々が将来に夢を持ちにくい状況になってきているということなどからくるものであると考えます。
 こうした状況の原因は単純ではありませんが、その背景として我が国社会の急激な変化があることは確かであります。こうした急激な変化の時代をたくましく生きる人間を育てるためには教育の在り方も変化に対応したものへと進化をしていく必要があり、これまでも多くの努力がなされているところでございます。
 例えば、かつて中曽根首相が設置された臨時教育審議会は先見的な提案を数多く行い、その後の教育改革に非常に大きなインパクトを与えております。また、小渕首相は教育改革国民会議を組織され、私もこれに参加をいたしましたが、教育の原点は家庭であることを自覚する、一律主義を改め個性を伸ばす教育システムを導入するなどの提案を行うとともに、教育振興基本計画の策定と教育基本法の見直しを訴えたところでございます。
 私が副会長を務めております中央教育審議会では、こうした提言も踏まえまして、我が国の教育の在り方について議論を重ねてまいりました。その結果、新しい時代にふさわしい教育を実現するためには、教育の在り方の根本にまでさかのぼって見直しを行い、新しい教育理念を再構築するということが必要であるということの認識に達し、教育基本法の改正を提言するに至ったものであります。
 答申では、改正の視点として、個人の尊厳、人格の完成、平和的な国家及び社会の形成者というような現行法の基本理念は引き続き堅持した上で、さらに二十一世紀を切り開く心豊かでたくましい日本人の育成を目指す観点から、重要な理念や原則を明確にすべきことを掲げております。
 これらの一連の取組を経まして、今回、教育基本法が国会に提出され審議がなされておりますが、政府案には中教審の提案のほとんどが盛り込まれておりますことは、私にとって非常な感激でありまして、教育基本法の一日も早い成立を願わずにはおられません。
 教育が悪くなったのは教育基本法のせいではないという意見があることについては私も承知をしております。教育基本法を変えなくてもきちんと具体策を講ずればよいのではないかという意見でございますが、私はそのような見方にくみするものではありません。
 私は元々工学の研究者でありますが、工学には必ず包括的な公理というものがあり、その公理の下に具体的な定理があり、その定理に沿って私どもは物事を考えてまいります。そのような分野に長くいたということもありまして、公理がないところではそもそも物事が機能しないという考えを持っております。その意味で、教育における公理が正に教育基本法であると私は考えております。
 現行の基本法も制定された当時は非常に立派なものであったと思いますが、社会の変化などにより、現行法ではカバーし切れない部分が多く出てまいりました。教育の公理としての教育基本法を時代にふさわしいものに変えていく必要があると強く考えております。
 科学技術基本法が制定されました当時、私、自分でこれを英語に翻訳して外国で紹介をいたしましたが、イギリスでもドイツでもフランスでも、日本がそこまで科学技術を大切にしているのか、科学技術によって世界の平和、福祉に貢献しようとしているのかということを非常によく理解をしてくれました。
 これに対して、今の教育基本法は田中耕太郎先生が非常に苦労して起草されたと聞いておりますが、非常に難解でありまして、正直申し上げて翻訳はほぼ不可能であります。日本人が教育についてどう考えているのか、今の教育基本法では世界の人々にこれを理解してもらうことはほとんど期待できないと私は考えております。
 それに比べますと、今回の政府案は極めて具体的で、高いメッセージ性を持っていると考えます。分かりやすい基本法にすることも大事な視点ではないかとかねがね思っておりますので、そのことを付け加えさせていただきたいと存じます。
 以下に、教育基本法の内容について何点か私見を述べさせていただきます。
 私は、今回の改正において、次の三点が特に重要であると考えております。
 まず第一に、公共の精神であります。
 私は、この点こそが今の我々のこの社会に最も欠落している要素ではないかと考えております。国民が社会に主体的に参画していくこと、その前提として、国や社会はだれかがつくってくれるものではなく、互いに助け合いながら、自分たちの力でより良いものにつくり上げていくべきものだという自覚と責任感を共有することが必要であります。例えば、近く裁判員制度が導入されますが、このように国民が公のために参画することは国民としての当然の責任であり、社会の一員として本来当然に求められる行為ではないでしょうか。
 戦前のトラウマのせいかもしれませんが、現在の我々の社会から、個を大切にしようとする余り、こうした公の精神の考え方が欠落してしまっていると思います。中教審でも繰り返し個の尊重を提言してまいりましたが、そのことだけにスポットライトが当たってしまった感がぬぐえません。非常に残念であります。学校でも教師が生徒の個性を大事にし過ぎる余り、指導の腰が引けてしまい、教えることにおけるバランスが取れなくなってしまった面があるのではないかと思います。このことが一面ではいじめあるいは不登校などの問題にもつながっているのではないでしょうか。その意味でも、教育基本法に公共の精神、公の精神を盛り込むことは極めて重要であり、意味のあることであると考えます。
 第二点は、家庭教育についてであります。
 家庭教育については基本法に盛り込むべきではないという意見もありますが、私は考えを異にいたしております。
 家庭での教育が今なぜこれほど問題になっているのか。戦前には少なくとも日本の家庭教育は機能していたと思います。しつけと言われるようなことはきちんと家庭でなされておりました。戦後なぜこれだけ変わってしまったのか、改めて問い掛けてみる必要があります。
 様々な国際比較のデータによって、日本は外国に比べて親が家庭で基本的なことをほとんど教えていないということが明らかになっております。例えば、うそをついてはいけない、友達を大切にしなさいとか、あいさつをきちんとしなさいというようなことを親から教えられた子供の割合は、日本ではわずか八%から一二%にすぎませんが、アメリカでは実に四九から五五%と非常に高くなっております。しばらく英国で生活した経験もございますが、英国の家庭では、すべてとは言いませんが、多くの家庭で非常に厳しいしつけをいまだに行っております。
 平成十二年の教育改革国民会議の家庭教育に関する提言は国民的な議論を呼び起こしました。大多数の国民は教育基本法に家庭教育の条文を盛り込むことについてさほどの抵抗はないと思います。最近、学校に対して様々な批判が集中しておりますが、親は、学校を批判する前に、まず自らの家庭の教育を見直すことから始めてほしいと強く思っております。
 第三点は、グローバル社会の中での共生の視点であります。
 ヨーロッパでは、御承知のとおり、EUとして地域の統合が進んでおりますが、こうした動きが進めば進ほど、自国のアイデンティティーを保つということが意識されるようになっております。自分のアイデンティティーをしっかりしたものにすることがグローバル社会の中で多様な文化を持つ人々と共生していく上で極めて重要なことと考えます。
 例えば外国人から、仏教とはどういうふうな宗教かと聞かれましたときに、それに的確に答えられないということは日本人としては極めて恥ずかしいことであり、グローバル社会の市民たる資格がないものと私は考えております。
 その意味で、今回の法案に伝統と文化の尊重や我が国と郷土を愛する態度、他国を愛し、国際社会の平和と発展に寄与する態度などが規定されたことには大きな意義があると考えます。これらの点は、今後、教育の理念として重視していくべきであると考えております。
 以上、教育基本法の改正について基本的な所見を述べさせていただきました。
 現在、諸外国においても教育改革の取組が鋭意進められていることは皆様御存じのとおりでございます。今後のグローバル社会、知識基盤社会において社会の発展を決定付けるのは人材であり、その人材が持つ知識であります。そのような人材を生み出すのは正に教育によってであり、それが世界的に改めて認識されつつあると申し上げてよいかと思います。
 我が国の教育をめぐっては様々な課題があることは事実でありますが、諸外国から日本は教育大国と認識されており、英国なども日本の初等中等教育を参考にカリキュラムの改革に取り組んでおります。また、教員の養成なども含め、諸外国から多くの点で注目を集めております。であるからこそ、その根本を定める教育基本法を通じ、科学技術の場合と同様に、分かりやすい形で日本の教育の目指すメッセージを世界に発信すべきであります。日本ほど近年教育に投資をしていない国はないと思います。これは、安西公述人もおっしゃったとおりであります。教員の資質の向上を始め解決すべきシステム上の問題は多々ありますが、必要な投資が十分に行われているとは言い難い状況にあります。
 私、一昨日まで英国でブリティッシュカウンシルが開きましたゴーインググローバルという教育問題を議論する会議に出席いたしておりました。英国は、経済が極めて好調であるということもあろうかと思いますが、初中から高等教育に至るまで大幅な予算増を行っており、このままの状態が続きますと彼我の差はますます大きくなり、日本の教育は先進国の中では全く競争力を失ってしまうのではないかと深く憂慮いたしております。
 財政再建という難しい課題はあるものの、戦後日本の経済がここまで来られたのも教育に大きな投資をしてきたからであります。しっかりとした教育振興基本計画を策定し、未来への先行投資である教育予算の一層の充実を心から期待するものであります。
 フルブライトプログラムでは、毎年六百人近い先生をアメリカから来ていただいておりますが、毎回ほとんど全員が日本の初等中等教育の水準の高さに非常に感心し、感激して帰ってまいります。日米の先生たちがこうした交流を通じて互いに理解し、ネットワークをつくっております。こうした交流に参加する日本の教員たちは、自分たちのやってきたことは間違っていなかったと自信を深めております。こういう日本の教育の優れた点をアピールする機会を行政が更に後押しすることも極めて重要であると私は考えております。
 明治の初期に我が国はGDPの一〇%を超えるという世界の歴史の例にないすさまじい教育投資を行い、極めて短い時間に近代国家の仲間入りを果たしました。
 甚だ僣越ではございますが、委員の皆様におかれましては、いま一度その当時国づくりにかかわられた先達の視点にお立ちいただきまして、この国の未来を見据えて教育をいかにするかという観点から教育基本法の一日も早い成立のため御努力いただくようお願い申し上げて、私の意見陳述を終わらせていただきます。
 ありがとうございました。
○委員長(中曽根弘文君) ありがとうございました。
 次に、大内公述人にお願いいたします。大内公述人。
○公述人(大内裕和君) こんにちは。松山大学人文学部で教員をしております大内裕和です。専門は教育社会学という学問です。
 ここでは、政府の改正法案が現在大きな問題となっている格差社会を拡大、固定化させるという危険性について述べさせていただきます。
 教育基本法の重要な理念の一つに教育の機会均等があります。戦前は男女や経済力による教育の格差が明確に存在していました。それに対して、すべての人に平等な教育機会を提供することが教育基本法の理念に盛り込まれました。しかし、政府法案は、教育の機会均等を破壊し格差社会を助長する危険性を持っています。
 今日は、幾つか資料を配らせていただきましたが、その中で私が呼び掛け人をしております市民グループ、教育基本法の改悪をとめよう全国連絡会が作成した資料、「現行の教育基本法と政府の教育基本法案の対照表」というのがありますので、それを見てください。これは、左側に現行の教育基本法、右側に政府法案、そして真ん中に私たちの作った解説が付いています。
 この資料の三ページ目を見てください。左側の現行の教育基本法、第三条、教育の機会均等があります。これはどうなっているかといいますと、「すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないものであつて、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によつて、教育上差別されない。」となっています。それに対して、政府法案第四条はこうなっています。「すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、」となっているわけです。
 で、この「能力に応ずる」と「能力に応じた」というのは小さな違いではありません。「能力に応ずる教育」は、発達の必要に応ずる教育という解釈がなされてきました。発達の必要に応じて、その時点での能力の格差を是正する方向で教育機会を保障することが目指されてきました。例えば、障害を持った子供に対する教育であるとか、あるいは過疎地域での教育に手厚いサポートを行うなどの方向です。しかし、政府法案の「能力に応じた教育」という文言は、能力に応じて機会を配分する、つまり能力の上下によって教育機会は差別的に配分されることを容認する表現です。これでは教育機会の不平等が促進されてしまうことになります。
 それに加えて問題なのは、同じページ、政府法案第五条の義務教育です。ここでは、現行の教育基本法にはない新たな二と三が設けられています。
 二番目です。「義務教育として行われる普通教育は、各個人の有する能力を伸ばしつつ」となっています。この「各個人の有する能力を伸ばしつつ」という文言は、義務教育における格差拡大をもたらす危険性が高いと言えます。ここでは、義務教育の段階から各個人の有する能力を所与のものとして設定し、それを伸ばすことを明記しています。これでは個々人の能力の格差が教育を通して拡大するでしょう。ここで前提にされている能力は、その個人の生まれた家庭、地域、周囲の環境に強く影響されており、子供が幼いほどそれらの影響は強いです。
 こうしたその時点、小さいころの時点での能力の差をいかにして平等化するのかが義務教育の大きな役割であるにもかかわらず、この政府案によって義務教育の平等化機能は弱まり、格差社会を拡大する危険性は極めて高いと言えます。既に、習熟度別指導の実施や小中学校における学校選択、公立中高一貫校の設置など、能力主義の強化や教育システムの複線化、差別化が進められています。政府法案はこの方向を一層助長するでしょう。
 また、政府案第五条第三項では、「国及び地方公共団体は、義務教育の機会を保障し、その水準を確保するため、適切な役割分担及び相互の協力の下、その実施に責任を負う。」と、義務教育段階での水準確保が掲げられています。これは、現在既に全国各地で行われている学力テスト、とりわけ二〇〇七年四月に実施予定の全国一斉学力テストを徹底的に強制することにつながりかねません。義務教育段階での能力差別が激化する危険性を持つ条項です。
 今お話ししたような政府案の条文、項目について国会ではほとんど詰めた議論がなされていません。しかし、この問題はとても重要です。
 現在、日本における貧困率の高さは広く知られるようになっています。OECDが二〇〇五年二月に発表した「OECD諸国における所得分配と貧困」によれば、加盟国中計測可能な二十七か国の中で日本の貧困率は五位、先進国ではアメリカに次いで二位です。日本社会について一億総中流社会や平等社会といった言葉が近年まで使われていましたが、それは完全に過去のものとなったと言えるでしょう。
 教育扶助、就学援助、これは修学旅行費や学用品の補助ですが、これを受けている児童生徒は、一九九七年の六・六%から二〇〇四年には一二・八%へ増加しています。地域によってはクラスの半分以上が受給しているという事例も耳にします。生活保護受給世帯が百万世帯を突破し、貯蓄ゼロ世帯が二三・八%と全体の四分の一に迫っていることを併せて考えれば、格差社会化は確実に進行し、貧困者がまれに点在していたこれまでの状況から明らかに層として顕在化するようになりました。
 このように、格差社会が問題となる中で、市場競争を原理とする新自由主義教育改革が行われています。その代表的なものが二〇〇七年四月に実施が予定されている全国学力テストです。すべてが参加すれば、小六、中三合わせて約二百四十万人がテストを受けることになります。
 全国規模の学力テストについては忘れてはならない前史があります。かつて、一九五六年度から六六年度にかけて全国学力テストは実施されていました。最初は小中高等学校の児童生徒を対象に抽出、サンプルで実施されていましたが、一九六一年度にすべての中学二年、三年を対象に初めて全員調査を実施しました。この全国学力テストは、自治体間や学校間の競争を激化させました。中には、試験当日に成績の悪い生徒を休ませることも行われ、強い社会的批判を受けて廃止されました。
 この四、五十年前よりも今回の全国学力テストがもたらす事態はより深刻だと思います。現在では、コンピューターを始めとする情報環境が発達し、学校教育を取り巻いています。既に都道府県レベルでの学力テストの学校別成績をホームページで掲載している自治体がありますが、全国学力テストの点数が同様に公開された場合、それは小中学校を序列化するシグナルとして多大な影響力を持つことになるでしょう。
 また、当時よりも比較にならないほど発展した教育産業にとっては、またとない巨大市場が登場することとなります。全国学力テストの受験者は、現在の大学入試センター試験の受験者よりもはるかに多いです。委託される全国学力テスト事業そのものに加えて、テストのための教材作成や模擬テスト、カリキュラムの作成、対策講座の実施など、全国学力テスト関連事業が教育産業に莫大な利益をもたらす可能性は高いでしょう。そうした教育産業の活性化が子供たちの競争をあおり、十分な情報獲得と教育産業を十分に利用できることが可能な階層とそうでない階層との教育格差を一層拡大するでしょう。
 全国学力テストが現在広がりつつある小中学校の学校選択制と結び付いたとき、その弊害は更に拡大します。テストの点数が学校の評価となり、選択が行われるようになれば、現在の高等学校のように生徒の学力水準による小中学校の序列化が明確となるでしょう。それは単に学校間格差にとどまらず、地域間格差にまで拡大する危険性があります。
 これについては、サッチャー政権下でナショナルテスト、全国学力テストを一九八八年に導入したイギリスのケースが参考となります。イギリスでナショナルテストの結果は、リーグテーブルというんですが、学校成績別一覧表、準一覧表となって大手新聞に発表されます。点数の良い学校には入学を希望する親が殺到します。リーグテーブルで順位の良い著名な学校の学区のある家は他の地域よりも高価です、高い値段です。ナショナルテストで高い点数を取った学校に通わせるために、高い階層の人々が通学圏内に移動することでその区域の地価が上昇します。ナショナルテストが人口移動と地価の変化をもたらします。
 学校間格差に敏感な意識が定着している日本社会において、イギリス同様の事態が起こる危険性は極めて高いと言えます。全国学力テストによって学校が序列化され、良い点数の学校に、その地域に高い階層の人々が集まります。移動できない階層の人々は取り残されます。学校ごとに一定の階層が集住することで地域が分断されていきます。こうした動きの結果、地域社会を巻き込んだ階層間格差が顕在化することでしょう。
 こうした一連の教育改革の流れから見れば、今回の与党の改正法案の文言は、格差社会を拡大、固定化させる危険性が極めて高いということを意味しています。
 重要なことは三点あります。
 一点目は、教育の市場主義、新自由主義改革を進めたイギリスの教育改革は必ずしもすべてが成功してはいないということです。資料の中に国際数学・理科教育動向調査二〇〇三年、TIMSSがありますが、ここでのイギリスの点数は国際平均値よりは高いものの、日本よりはかなり低い点です。これは一例ですが、全体的にイギリスは日本よりも国際学力テストの点数が低い傾向にあります。この結果なのになぜイギリスをモデルとするのか、とても疑問に思います。
 もう一方で、習熟度別指導をやめるなど、教育における競争主義を改めたフィンランドは、資料にあるPISA、OECD「生徒の学習到達調査」二〇〇三年のデータにあるように、様々な点でトップクラスの学力を示しています。このことは、競争を強めることが必ずしも学力の向上につながるとは限らないということを意味しています。その点で、政府法案の能力主義、競争主義の強化につながる文言には大きな問題があります。
 二点目です。
 政府の教育基本法改正法案が格差社会の拡大、固定化につながると述べました。しかし、そのことは主権者である多くの人々にまだ認識されていません。なぜかといえば、この問題が衆議院、参議院を通して国会で議論されず、またマスコミでも十分には報道されていないからです。
 しかし、格差社会についての世論の関心はとても高まっています。読売新聞社が二〇〇六年一月下旬に実施した全国世論調査でも、日本社会は格差社会になりつつあるとの指摘について、そう思うとした人は実に七四%に達しています。これだけ多数の人々が危惧している問題について、十分な審議がなされていないことは重大な問題です。教育基本法を変えることが格差社会の拡大、固定化とどのように関係しているのかという論点について徹底した審議が国会でなされる必要があります。それをせずにこの法案が採決されてはならないと考えます。私は、政府法案が格差社会の拡大、固定化につながると考えていますので、政府法案の廃案を強く求めます。
 三点目です。
 資料にOECDの幾つかのデータを挙げておきました。それを見ていただくと分かるのは、日本は、教育機関に対する公的な支出が対GDP比で非常に低く、一方で教育とりわけ高等教育の私費負担の割合がとても高いこと、さらに、小学校、中学校の学級規模、クラス人数が国際的に見てもとても大きいことがよく分かります。これは今に始まったことではなく、一貫して続いている傾向です。
 つまり、端的に言って、日本の教育は貧しいのです。現在の様々な教育問題や教育の困難は、教育基本法の理念にその原因があるのではなく、教育基本法の理念を現実化させてこなかった貧しい教育政策にあります。理念法である教育基本法を変えるよりも、それを現実化させる充実した教育政策こそが今最も望まれていると考えます。
 私の話は以上です。
 どうもありがとうございました。
○委員長(中曽根弘文君) ありがとうございました。
 次に、浅野公述人にお願いいたします。浅野公述人。
○公述人(浅野大志君) こんにちは。埼玉大学教育学部の浅野と申します。
 今日は、このような公聴会の場で意見を述べる場を与えていただき、本当にありがとうございます。
 私は、教育学部で教員を目指しております。今回の教育基本法改正に関して、私は反対の立場です。私は、今回の教育基本法改正は、とても国民的合意が得られる段階に至っていないということを強調したいと思っております。国民的合意と大きなことを申しましたが、このことを教育学部で教員を目指す一学生の立場から申していきたいと思います。
 私は、将来教員になっていくであろう教育学部生は、今回の教育基本法改正で何が変わるのか、その変化に対して自分たちはどのように向き合っていくのかを考える必要があると思い、大学内で教育基本法に関するイベントや勉強会を企画しました。賛成、反対の立場は取りあえずおいておき、まずは教育基本法改正について知ろう、考えようという目的で動き始めました。私は、教育基本法について専門的に勉強を続けてきたわけではありません。勉強会は、幾つかの本、新聞、ネット、それらの情報をつなぎ合わせた本当の手作りの勉強会だったのですが、その中でも、学生内で意見を言い合うだけで、やはりこの教育基本法改正は私たち自身に大きくかかわっているものだと確信しました。
 勉強会内で大きな関心を呼んだのは、教育改革というものは経済が大きくかかわっているということです。日本企業のグローバリゼーションに伴った教育改革、財界の教育に対する提言、そういったものがなされているということにまず驚きました。それは、教育というものは経済と異なった目標を持っていると思い続けてきた教育学部生ならではの驚きだったのかもしれません。
 勉強会に参加してくれる学生たちは教育基本法改正に関心を持っていたわけですが、その人数は決して多くありませんでした。最も多いときで十六人ほどでした。教育学部内にはまだまだ教育基本法改正について知らない学生がたくさんいます。そうした学生に対して、私たちは、教育基本法を考えよう、埼大アクション、埼玉大学なので略して埼大アクションというものを企画しました。(発言する者あり)ありがとうございます。勉強会というのはやはり外から入ってくるのは入りづらいと思ったので、なるべくオープンに教育基本法について考えていけるという場を企画してみました。
 そのイベントの普及活動の中、例えば学生に対して教育基本法改正の条文は幾つ変わるとか知ってるっていうふうな質問をしたんです。そうすると、学生の中には二、三条とか五条くらいという答えが返ってきました。もちろん全面改定です。また、条文を実際に見比べてもらっても、変わるといっても抽象的でよく分からないとか、本当に何が変わってしまうのかといったことがなかなか学生たち自身に分かっていませんでした。
 それでも、そのように条文を見せることのできた私の友人たちは改正案を見たことになります。まだ改正案すらも見たことのない学生は山ほどいると思います。多くの学生は、教育基本法改正に対してまだ賛成の意見も反対の意見も持てない、そういった状態にあると思っております。
 ここで勘違いしてほしくないのは、決して学生たちが教育に対して不勉強とか無関心とか、そういうわけではありません。学生たちは、教育実習やそのほかの活動を通して子供たちと接し、自分の教育を悩みながらも実践していこうとしています。その実践としての教育と教育基本法改正のこの今取りざたされている問題がなかなか結び付いていかないのです。結び付いていかないだけではなく、例えばその学生の持つ悩みというのは、自分の授業はどうしても一方的な教え込みになってしまい、なかなか子供たちの興味、関心を引き出せないとか、どうしても四十人学級になってしまうと一人一人に目が配れない、周りの子たちからはじかれている、無視されている子供たちにどのように接しようか、進み具合の遅い子にどのように勉強をフォローしていこうかなどといった、将来教員を目指している教育学部生は日々問題意識を持って教育に取り組んでおります。もちろん、現場で働いている教員の方々にとっては常日ごろから悩み続けている問題です。そういった問題が、この教育基本法改正によって果たしてこれらの問題が解決策になっているのか、私たちは全く分からずにいます。私たちの問題意識と国会での教育基本法改正の論議がずれてしまっていると私は感じております。
 ずれてしまっているだけではありません。勉強会では、例えば競争原理の導入によって競争が激化してしまったとき、学習の進み具合の遅い子は更に取り残されてしまうのではないか、家庭の環境、例えば経済状況であったり母子家庭であったり、そうした環境がそのまま子供たちに影響してくるのではないか、地域間格差、学校間格差が更に広がってしまうのではないか、そういった不安がたくさん挙げられました。
 改正案の幾つかの条文に対して私たちは不安を持ったのですが、ここで私は改正案第十六条について取り上げたいと思います。
 現行法第十条では、「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである。」とあったものが、改正案第十六条では、「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、」と変わっていました。
 私は、この現行法十条の「教育は、」「国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである。」という条文がとても好きでした。それはなぜかと申しますと、教育はやはり目の前に向き合った子供たちに対して、その目の前に向き合った子供たちに対して教育を行っていくという、そういうことを端的に表してくれる条文だと思ったのです。条文の中の「直接に」という条文が目の前に向き合った者同士というものを見事に表してくれていると私は感じていました。
 その条文が「法律の定めるところにより」となってしまいました。たとえ法律が一つの指針ではあるとしても、この「国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきもの」をあえて外す理由が私には分かりません。もしかしたら、向かい合う教育なのではなく、制度によって行われていくだけの教育になってしまうのではないか、少なくともそのようにとらえられてしまうおそれはないのか、そうした不安があります。
 今回の教育基本法改正は、こうした幾つもの不安を更に増大させるものにもなっているのです。もちろん対策は幾つも練られていると思っております。しかし、私たちにはなかなかそれが届いていないのです。勉強会の中では、ほかに、例えば今最も取りざたされているいじめ問題は、教育基本法改正で果たして解決するものなのかという意見も出ました。
 国会審議では、教育基本法は理念法で、改正したからといってすぐに具体的な教育問題が解決されるわけではないと言われていました。いじめ問題の対応や少人数学級の実現は、教育基本法を改正しなくても可能なのではないでしょうか。なぜ早急に教育基本法を改正する必要があるのでしょうか。教育基本法を改正する理由が不明確なため、多くの学生が法律、しかも教育基本法というものに対してとても遠いものと感じてしまっているように思います。しかし、そうした遠いものと感じている学生の中にも、私たちの活動によって教育基本法改正に関して考え始めることのできる学生がいました。
 今日お配りしたお手元の資料には、「教育基本法改正に対する学部学生からの意見」とあるのですが、これは私が今日の公聴会の公述人ということで昨日連絡があって、今日の午前中の授業のうちに私の教育学部の仲間たちが意見を聞いて回ってくれて、このように届けてくれたものです。なので、僕もしっかり中身は見てないので、もしかしたら賛成意見、教育基本法改正に対する賛成意見もあるかもしれません。しかし、僕にとってはやっぱり、学生にとって賛成、反対を言えるというのはまず第一歩だと思ったんです。そういう意味で、この資料、よろしければ後々、生の声ということなので、是非見ていただけたらうれしいと思います。
 そうしたもので、学生は決して無関心なわけではないのです。ただ、よほど積極的に情報を手に入れようとしない限り、情報を手に入れようと思うような偶然的なきっかけがない限りは、教育基本法改正は遠いものなのです。将来の教育を担っていく教育学部生がこのような状況です。これは、ほとんどの人に当てはまるのではないでしょうか。
 国民的理解と国民的合意が得られないまま教育の憲法たる教育基本法を変えても、国民とは乖離した法律になってしまいます。つきましては、国会議員の皆様は、国民的合意を得るために、審議の時間ではなく、国民の理解、合意をもってこの教育基本法改正を進めていただきたいと思います。
 さて、この国会の周りでは連日のように行われていますが、今各地で教育基本法改正に反対する運動が行われています。これらの活動は、問題意識を持っていない人々にしてみたら、何やら変なもの、怖いものと思われるかもしれません。私自身、そのような活動には一定の距離を置いてきました。
 しかし、ある事柄に関心を持ち、行動するということは、何ら非難されることではありません。そうした教育基本法改正に関心を持ち、しかも行動するということは、とても勇気の要るすばらしいことだと思います。国会前での座込みや集会、ヒューマンチェーン、全国集会、各地の草の根の集会、中には数千人、一万人を超える人々が集まった集会があったとも聞いております。こうした動きが全く報道されないというのは、正直非常にまずいことだと思っております。賛成の動きにしても、反対の動きにしてもです。彼らの行動は、教育基本法改正に関して、考える材料を人々にたくさん与えてくれると思います。
 報道されないだけでなく、例えば国会前の座込みが非難されたという話すら聞いたことがあります。確かに、座込みはイメージが悪いです。しかし、少ない人数でアピールをしようと考えたら、座込み、しかも国会前でというのは、やはり効果的だと思います。もしも数人が各地で声を出したところで、どのほどの人々がその声を聞き、その声に対して反応したでしょうか。少ない人数で効果を上げようとすれば、インパクトのある手段を選ぶのは当たり前だと思います。
 また、国会議員の皆様には、是非ともメディアに働き掛けてほしいのです。メディアがそうした草の根の活動を伝えていただけるように、また、そうした活動に参加している人々は氷山の一角で、その背後には活動には参加できない、それでも教育基本法改正に対して不安を持つ本当に多くの人々がいると思います。そうした人々も伝えていければ伝えていってほしいのです。そうすることが教育基本法改正の国民的合意を得る前に必要な国民的理解を得るための第一歩だと考えております。
 この公聴会に呼ばれるに当たって、ある議員の昨日のブログを拝見させてもらったとき、昨日の時点で与党側から十三日に締めくくり総括質疑を行いたいとの提案があったとありました。私が公聴会に出るに当たって、教育基本法は改正されるのにそんな反対の意見を言って何になるのという声も聞こえました。
 そんな中、新聞をめくっていたら、過去のなんですけれども、二〇〇六年十二月七日のある新聞の記事なんですけれども、「公聴会直後の採決は疑問」という記事が見付かりました。「公聴会で国民の意見を聴いた直後に、法律を採決するのは好ましくない」、「公聴会には国民の意見を参考にする重要な目的があるが、採決直前に開かれるケースが大半。それでは何のために意見を聴いたのかということになる」とありました。
 私は、教育実習中に中学の公民の授業で国会の部分を見たことがあります。その中で、法律の審議過程の中に公聴会というものがあり、その中では、公聴会の役割は国民の意見を聴き、それを法律に反映させていくというふうに教えられていました。そうした公聴会なのですが、先に締めくくり総括質疑という形が設定されていて我々が今いるこうした公聴会が開かれているとしたら、私は、授業が、あの公聴会というものに対するあの授業が間違っているということになってしまいます。
 私は、公聴会とは国民の意見を取り入れ、更に議論を深め、問題点を浮き彫りにし、その問題点の解決の策を更に練る場だと考えております。最後の参考程度若しくは締めくくりといって私たち公述人はこのようにして意見を述べているのではないと、そう思っております。
 最後に、繰り返しになってしまいますが、国会議員の皆様、国民的合意を得るために、審議の時間ではなく、国民の理解、合意をもってして教育基本法改正を進めていただきたいと思います。
 私のような一学生に意見を述べる場を与えていただき、ありがとうございました。
○委員長(中曽根弘文君) ありがとうございました。
 以上で公述人各位の御意見の陳述は終わりました。
 それでは、これより公述人に対する質疑に入ります。
 なお、公述人の方々にお願いを申し上げます。御答弁の際は委員長の指名を受けてから御発言いただきますようお願い申し上げます。また、時間が限られておりますので、できるだけ簡潔な御答弁をお願い申し上げます。
 それでは、質疑のある方は順次御発言願います。
○岡田広君 自由民主党の岡田広です。
 今日は、五人の公述人の皆さん、大変賛否両論、教育基本法案に対しましての賛否等も含めた貴重な御意見をいただきまして、大変ありがとうございました。
 二十分という限られた時間の中でありますから、すべての公述人の皆様方に質疑することができませんこともお許しをいただきたいと思います。
 初めに、生涯学習の理念について安西公述人にお尋ねをさしていただきたいと思っています。
 今回の教育基本法の中に生涯学習の理念が第一章の第三条に書き込まれました。大変私はうれしかったんです。これは、この生涯学習の理念につきましては民主党案にも入っております。新たに規定した理念として、生涯のいつでもどこでもだれもが自由に学習機会を選択して学ぶことができるような社会を実現するため、これからますますこの理念は重要になってくると思うわけであります。
 昔は六十の手習いという言葉がありました。現代は八十の手習いという言葉が通っております。生涯学ぶことが私は健康づくりであり、生きがい対策であると、そう思っていますけれども、安西公述人は、少子高齢社会を迎えた我が国において、性別や年齢にこだわらず、いろいろな人が活躍できる可能性があり、また活躍してもらわなければならないと述べておられます。安倍内閣の掲げる再チャレンジにもつながる考え方でないかと、私はそう思っているわけであります。
 二十一世紀のIT社会の時代で、私たちが求めるものは物から心へというこの考え方がとても大事であろうと、そう思っているわけであります。
 私は教育基本法案の中の質疑でも先日発言をさせていただきまして、私は水戸ですが、水戸には弘道館という藩校があります。当時日本最大の藩校。ここで学んだ人たちが、萩の吉田松陰、松下村塾つくりました。あるいは薩摩の西郷隆盛、加治屋町で郷中教育というのを始めました。そして、この弘道館の、水戸学の精神は、小泉前総理の米百俵の精神にも表れている、小林虎三郎の長岡の国漢学校、こういう思想にもつながっているんだろうと、そう思うわけであります。正に学ぶということはとても大事なこと、これはもう論をまたないところであります。
 今回の改正によりまして、この生涯学習の理念が明記されることで我が国の生涯学習の実情にどのような変化が起こってくるのか、高等教育機関においてはどのような対応が考えられるのか、またこの改正を機に政府の生涯学習政策に対して安西公述人がどのような対応を期待しているのか、まずこの点についてお尋ねをしたいと思います。
○公述人(安西祐一郎君) 生涯学習の理念が政府案第三条、また民主党案もそうでありますけれども、記述されているということは大変立派なことだというふうに思っております。
 その理由と申しますのは、私は教育の理念を語るに当たって、人間に対して誠実で温かいまなざし、これをやっぱり持ちたいと。その自分の考え方は、人にはやはりいろいろな、個人一人を取りましてもいろいろな力がわき出てくるものだと。これは環境にもよる、学び方にもよる、それから年代にもよりますけれども、そういう人間像を持っておりまして、これからの日本にとっては、人生のいつになっても自分の志と実践によって自分の新しい力を発見して、それを磨いて、そして独立した人間として他者に貢献でき、それでもって御飯を食べることができ、それで喜びを得ることができる、そういう人間が一人でも多く育ってほしいと。やっぱりこれからの日本を支えていくのはそういう人間ではないかというふうに思っております。
 長くなりましたけれども、何が変わっていくかということについては、教育基本法に新しく生涯学習の理念が書かれることによって、私は今申し上げたことが実現されていくということを切に期待をしていると。
 ただ一方で、これまでのところでは、関係省庁を含めて生涯学習についての具体的な政策は私はほとんど見るべきものがなかったのではないかとも思えるんですね。その政策において、この教育基本法、理念法でありますけれども、政策の立案について長期的に良い影響をもたらしていくであろう、そのことも期待もしておりますし、きっとそうなるであろうというふうに予測をしております。もちろん教育振興基本計画において、先ほど申し上げましたように、教育予算を高齢者等々の教育についてもきちっと取っておく必要があるわけで、そのこととも一緒のことでございますけれども、先生へのお答えは私としては以上のようなことでございます。
 ありがとうございました。
○岡田広君 ありがとうございました。
 この生涯学習の規定、生涯学習の社会の構築が広がっていくことを私は期待をしておきたいと思っております。
 二点目でありますが、私立学校についてお尋ねをしたいと思います。私学の教育についてです。
 これは、私立学校は、もう御承知のように、独自の建学の精神に基づいて個性豊かな教育研究を行っております。我が国の学校教育の発展に大きく貢献しているのはもう当然のことでありますが、先ほど公述人も述べられておりましたが、例えば大学では私立学校が占める割合、全体の学校数、生徒数についても約七五%ということであります。日本の教育を支えているのは私学であるということでも過言ではないんだろうと、私はそう思っております。
 今回の基本法では第八条で新たに私学に関する規定が、これも設けられました。これも大変うれしかったことであります。
 しかし一方で、少子化やグローバル化の進展などによって社会環境の変化が著しいわけであります。私立学校の経営環境も、大変私は新たな局面を迎えているんではないかと思っています。
 安西公述人が理事長をなさっております慶應義塾大学も平成二十年を目途に共立薬科大学との統合に向けた検討をなさっているという記事を新聞で伺いました。ほかにも関西学院とか聖和大学が平成二十一年に合併する予定であるということも伺っており、私立学校間の連携協力に向けた動きもこれから相当進んでくるんではないかと思います。
 そういう中でこの教育をしている、大変、私は心ということでいうと、正に私立、私学の精神は忠義の忠という漢字に当てはまるんじゃないかと。これは、口と心が離れないように一本くさびを打った字が忠義を尽くすとか忠誠を尽くすという言葉の持つ意味だと思っておりますけれども、正にいろんな知恵や工夫を出しながら日本の教育をリードしていく。
 そういう中でお尋ねをしたいことは、今後の私学の重要性、これについて、これは安西公述人それから山岡公述人にお尋ねをさせていただきたいと思います。
○公述人(安西祐一郎君) 私は、日本のこれからがやはり民主的な政治、豊かな経済力と透明な市場、あるいは行き届いた教育、あるいは多様な能力が多様な人間によって発揮できるような仕事の場、あるいは安全で清潔な環境、長い寿命、健康な生活、信頼できる技術、歴史と文化の誇るべき蓄積、あるいはやっぱり誇るべき、愛すべき国土、そういったことすべてにわたって一様な教育でもってできるかというと、これはなかなかできないのではないか。私学の基本というのは、それぞれの私学が個性を持って、そして教育を行うということでありまして、もうそのこと自体が、多様性のある建学の精神を持った教育が私学の立場でございますが、これから私学の教育はそういう意味で日本にとってますます重要になるであろう。
 そういう意味でも私学、私立学校ということが教育基本法に明記されるということは日本の将来にとって極めて大切であり、すばらしいことだというふうに思っております。歴史的にも、私立学校が江戸時代からの寺子屋等々をルーツにして百数十年の間、日本の草の根教育を背負ってきた、それがこれからの時代に花開く。そして、多様な教育の場が花開き、多様な活力のある人材が育っていくことによって日本がこれから世界の中で大きな役割を担っていくということが大切だと思っております。
 どうもありがとうございました。
○公述人(山岡修君) 今の教育の中で私立が占める比率といいますか、その重要性はますます必要になっていると思っております。また、その各々の私学が持っている独自の精神でありますとか方法とか個性的なものというのが今の我が国の文化や経済やいろんなものを支える原動力になっているというふうに思っております。
 一方、実は、特別支援教育と我々は申し上げたんですけれども、従来、特別支援教育ということで、国が特別支援教育体制整備事業でありますとかいろんな事業を展開するときに、どうもこの私学の部分が漏れるといいますか、教育行政の中で、教育委員会の管轄が違うとか、いろんなところでいろんな事業の中で漏れているところがございます。今回の学校教育基本法の改正を機にそういったところにも手が行くようなものにつながればいいなというふうに私は思います。
○岡田広君 ありがとうございました。
 先ほど、大内公述人だったと思いますが、三つの視点の中でグローバル社会での視点が大切というお話がありました。このグローバル化という社会環境の変化に対応して、教育面での魅力を高める取組を行っている学校もあるわけであります。数は少ないです。大分県の別府市にある立命館アジア太平洋大学、私も一度現場見てまいりました。すばらしい環境の中で、約五千人近い生徒さんがここで学んでいます。そのうち、生徒の四〇%、教員の四五%は外国人であります。こういう積極的な取組を行っている私立学校はまだまだ少ないですけれども、こういう考え方も広がっていってほしいなと。この私学、私立学校ということが教育基本法の中に明記されたことを契機に是非広がっていただきたいなというふうに考えています。
 今回、明記されて、しかしなかなか、じゃ予算はどうかというと、平成十九年、来年度の概算要求の中でも、もちろん私立学校の助成については増えた予算であります。これ、何とか予算を通過、成立をさせなきゃならないと考えているわけでありますけれども、しかし、それでも私学助成の充実というのは、私学関係税制とか経営改善に関する相談体制の充実とかいろいろ政策項目ありますけれども、国立大学とか公立学校との格差というのが依然としてあるということです。だから、この法案に明記をされたこういうはずみというのはとても私は大事であるし、私学の助成に国も文科省も正にこれは努める、これは国会議員の責務だろうと、そういうふうに思うわけであります。
 次に、木村公述人にお尋ねをさせていただきたいと思います。
 木村公述人は、教育改革国民会議の委員でもいらっしゃいました。今回、家庭教育に対する議論を続けてきたことが問題との認識を示されています。昭和二十二年にこの教育基本法ができたときには、安倍総理も伊吹文科大臣もこの委員会の答弁の中で、こういうときには家庭教育は当たり前ということで項目の中に入らなかったんだろうという答弁をされていますが、そういう考え方からすると、私は半分、家庭教育という項目が入らなければならないというのは少し残念な気もしますけれども、いずれにしても、書き加えられたことはすばらしいことだろうと、そういうふうに思っています。
 戦前と戦後で日本のしつけ、家庭、地域社会に対する、子供に対する接し方が大きく変わってしまった原因についてどのように考えておられるか、あるいは、これを解決する処方せんとしてどのようなことが考えられるか、木村公述人にお尋ねをしたいと思います。
○公述人(木村孟君) 家庭教育の問題は非常に難しい問題であると私自身も考えております。
 私、先ほど申し上げましたように、なぜ我が国でこの家庭教育を改めてこの教育基本法に入れなければいけないかというのは、ある意味では私の個人的な体験にもよっております。
 私、合計四年半ほど英国に住んでおりましたが、ヨーロッパの社会を見ていて、先ほど申し上げましたことでありますが、日本ほど家庭教育を戦後放てきした社会はないというふうに強く思っております。
 例えば、飛行機に乗ります。飛行機に乗って子供を連れてきたときに、ほとんどのヨーロッパの社会で見られることは、子供に、乗ったら静かにしろということをほとんどの間言い続けるということでありますが、日本の場合にはそういう光景は全く見られません。
 それから、日本の大人もかなり、これは立派なビジネスマンであり、その他の社会人でありますけれども、まずトイレに入って、あのトイレの自分の使ったシンクをふく日本人の姿はほとんど見たことありません。外国人は、私はずっと観察しておりますが、大体半分ぐらいの外国人は使ったシンクをきちんとふいております。
 それはどこから来るか。もう完全に家庭教育の欠落から来るものであります。恐らく戦前は、私の記憶からたどりましても、そういうことを親から相当厳しく言われた、そういうことをすることが当たり前だというふうに思っておりましたが、それがやはり戦後、すべてのしつけなりいわゆる広い意味での教育を学校に任せてしまったと、そのことが非常に大きな原因であろうかと思います。
 それからもう一つは、やはり外国、特に名前を挙げると差し支えありますので申し上げませんけれども、外国からの影響を間違って取ったということ。つまり、個性、先ほど申しました個性を、子供の個性を大事にするということに力点を置き過ぎたために親がインターフェアしなくなったということが最大の原因であろうかと思います。しかしながら、その名前を挙げなかった国、先ほど申し上げましたけれども、そこでは厳然とした家庭教育が行われております。
 そういうことで、極めて日本ではそういうことを今後やっていかなければいけないと強く感じている次第でございます。
○岡田広君 ありがとうございました。
 先ほど、三点、グローバル社会の視点は、申し訳ありません、大内公述人じゃなくて木村公述人がお話ししたことでした。訂正をさせていただきます。
 最後に、今回の政府案、これは民主党案にももちろん掲げてあります。民主党案は、「教育の振興に関する計画」ということで六項目にわたって規定をされております。教育振興基本計画についてお尋ねをしたいと思います。
 これは国民会議の提言の目玉ということでありましたが、これは平成十三年における文部科学大臣から中教審への諮問においても、国民に分かりやすい形で具体的政策目標とその実現に向けての主要な施策を示す必要性が述べられております。今回の教育基本法の下で一段の進化を遂げるであろう我が国の教育の帰趨は、正に教育振興基本計画のできふできによって左右されると言っても過言ではないだろうと、そう思うわけであります。
 今回のこの策定に当たってのポイント、特に国と地方、官と民の役割分担の在り方について、安西公述人と木村公述人に御見解をお伺いをして、質問を終わりたいと思います。
○公述人(安西祐一郎君) 教育振興基本計画が教育基本法に書き込まれるというそういう案であることは、これもまた先ほど申し上げたようにすばらしいことであります。
 基本計画の中で、特に私としては、先ほど岡田先生が言われましたように、私学が非常に大きな役割を教育の中で担っているということを改めてきちんと取り上げていただきたい。国全体の財政の問題もありますけれども、私学の、幼稚園から大学だけではない、幼稚園から大学に至る私学の大きな役割というものが言わば保護者、家計の負担によって今まで戦後六十年の間保たれてきたということは是非先生方に記憶いただいて、そして、これからの時代には私学の、さっきおっしゃっていただいた経営の問題と、もうナイフの刃の上を渡っているようなものであります。我々のところでもそうでありますけれども、そういう状況の中で日本の教育立国を担ってきているのだと。それを、これからやはり振興基本計画の中で国の予算の何%をきちんと教育に割くのだと。その教育の中で、特に私学についてはこれだけの額をきちっと割くのだということを明記するように計画をお作りいただきたいということを是非お願いを申し上げます。
○公述人(木村孟君) 私が最もこの教育振興基本計画に期待いたしますのは、やはり教育投資でございます、広い意味で。殊に、私、高等教育の分野におりますけれども、最近、日本の高等教育に対する投資が非常に少なくなっている。例えば、国立大学は国立大学法人になりましたけれども、毎年一%という節減を迫られております。このまま行きますと、恐らく日本の大学の小さな部分はほとんどコラプスしてしまうということで、是非その辺をお考えいただきたいというふうに思っております。
○岡田広君 ありがとうございました。
 以上で終わります。
○鈴木寛君 民主党・新緑風会の鈴木寛でございます。公述人の皆様方、貴重な御意見を本当にありがとうございました。
 私どもも、民主党といたしまして日本国教育基本法案という法案を今回出させていただいております。今日、大勢の公述人からお話がございましたように、今回なぜ六十年ぶりに教育基本法を作り直すのかと。私どもも作り直したいと思っているわけでございますが、その大きな理由の一つに、この戦後五十年のこの教育行政の在り方ということをやっぱり変えていく大きな契機にしていきたいということ。それから、残念ながら、先進国の中で非常に低水準にあるこの我が国の公教育、公財政、教育に対する公財政支出、これを、ああ、あのとき教育基本法を作り直して、あそこからこのV字反転回復をして教育予算が増えていった、そのことによって真の教育立国日本がつくる、そのきっかけになったなと、こういうことを目指して我々もこの考え方を法案という形にさせていただいたわけでございます。
 そうした意味で、今日は多くの公述人からやはり教育投資、二十一世紀に最も重要であるというお話をいただきましたことを大変心強く思わせていただきました。
 安西公述人にお伺いをしたいと思いますが、私どもも安西公述人から御指摘がございました、やはり教育振興基本計画、教育振興計画を政府案でも私どもの案でも作るということになっておりますが、とりわけ私どもの案の第十九条では、正にGDPに占める比率というものを一つの指標として、まあこれを国民の皆様方に、今こういうことになっていますよと。そして、もちろん税金は、その使い道は最終的には国民の皆様方のこの世論によって決めていくわけでありますが、その材料として、あるいは議論の指標としてこうしたものを御提示をするということが、その教育立国のために、貴重な税金を使っていくということに資するのではないかということで、先生の御提案も入れさせていただいているところでございます。
 実は、先生も御承知のように、ちょうど六年前ほど、私は慶應義塾大学で教鞭を執らさせていただいておりまして、大変に有意義な日々を送っておりました。したがいまして、この永田町にお誘いを受けまして、まあ正直迷ったというか、残りたかったとかですね、まあ正直なことを申し上げると、永田町に来るのはどうもなと逡巡をしていたのが正直なところでございます。
 しかしながら、この最後、私が永田町に挑戦をする決意を固めたのは、田中耕太郎先生が教育基本法の立案に貢献をされたことは大変有名でございますが、実は慶應義塾の理財部長をされておられました高橋誠一郎先生が教育基本法を審議をしたときの文部科学大臣であり、五月三日公布をされたときの文部科学大臣も高橋誠一郎先生でありまして、慶應義塾で正に一番責任あるこの学部長をお務めになった先生が、そこでの御経験、そこでのこのお知恵というものを踏まえて、正に教育行政の最高責任者として戦後日本の教育の礎をおつくりになったということ。まあ、私はもちろん高橋誠一郎先生には足下にも及びませんけれども、やはりそうした思いで日本の教育を立て直そうと現場で頑張っておられる先輩、同僚の皆様方の代弁者なっていくということも生きる道かなと思ってまいったわけであります。
 一貫いたしまして、私は正にそのコンクリートから人づくりへこの税金を使っていくんだと。とりわけ、今日、安西公述人もお話がございましたように、今格差社会といったことも言われております。ここで今、日本が一番必要なのは、正に福沢先生の教えをもう一回思い起こすことでありまして、人は生まれながらにして一生は決まっていないというお話がございました。正に、学問によってすべての人々に人生の可能性が開けていくんだということで、福沢先生が「学問のすすめ」を著されたと思いますし、実は民主党の日本国教育基本法案の解説書も「教育のススメ」とさせていただきましたのは、そうした福沢先生の精神に少しでもあやかりたいと、こういう思いでもございます。
 そこで、お尋ねをいたしたいのは、私はこれ国会にいる限り、奨学金の問題というのはライフワークにして頑張ってまいりたいというふうに思っております。
 残念ながら、我が国の奨学金というのは諸外国に比べますとまだまだ十分とは言えない。とりわけ、奨学金というのは給付と貸与とこれ両方あるわけでございますが、給付といった奨学金制度については極めて貧弱な状況にございます。その結果、我が国の高等教育に占める家計比率は、これは先進諸国中最高水準の六割ということでございまして、アメリカなどと比べましても、アメリカは三割程度でございますので、はるかに高い。このことが、正に学ぶ、学問をする機会の平等ということが損なわれているという極めて本質的かつ根源的な問題だというふうに思っておりますし、この知的社会に向けてこの点を克服しなければ正に後世に申し訳が立たないと、こういうようなことを思っているところでございますが、この奨学金の充実等々について安西公述人の御意見をお聞かせを賜りたいと思います。
○公述人(安西祐一郎君) 今、特に福沢諭吉のことに言及していただきましたけれども、本当に今は教育のすすめ、また新学問のすすめの時代だということであります。そういう中で、奨学金の問題につきまして、やはり人にはそれぞれいろいろな能力があって、それを人生のあらゆるところでもって生み出していく、見付け出していくことができる。それは学校の先生もできれば国会議員も一生の中でいろいろにできる、そういうことを見付け出していってもらいたいと、人は。
 ただし、そのためには、セーフティーネットといいましょうか、人それぞれその一生の中でいつでも勉強ができるためのサポートのシステムが絶対に必要であります。その大きな一つが奨学金であって、しかも給付の奨学金が非常に大事であります。この給付の奨学金の原資について、これがやはり先ほど申し上げた教育予算とのかかわりが出てくるんでありますけれども、日本は余りにも貧しい。このままでは、大学レベルになれば、それこそほかの国の大学で学んだ方がましだと、そういう人たちが出てくる、そういう状況にもあるかと思います。
 その原資を講ずる手だてというのは基本計画の中できちっとやはりセットしていただきたいというふうに思いますけれども、今は本当に日本の学生が学びにくい。また、社会にいったん出て、また学校に戻りたい、一時的に戻りたいと思っても一時的に戻ると職がなくなる、一時的に戻ろうと思っても教育費を負担しなければならない、その教育費が例えば所得控除云々の免除にもならないと。そういう状況では、またもちろん育児あるいは障害を持った方々のそういった人生設計、そういうことのサポートをきちっとやっていただくことがやっぱり政治の一つの大きな役割だと思いますし、私どもの方でもそれに向けてもう万全の努力をしていかなければいけないと思っております。
○鈴木寛君 ありがとうございます。
 これ、教育基本法を作り直す、これはもっともっといいものに私どもしていきたいと思っておりますが、当然学校教育法あるいは私立学校法といったことについても六十年ぶりに再点検をし、再構築をしていかなければいけないというふうに思っております。
 私も、国立大学法人化のときに文教科学委員としてかかわったわけでありますが、お聞かせをいただきたいのは、私学と官学といいますか、これどういうふうに役割分担あるいは連携をしていったらいいのか。安西公述人おっしゃるように、日本の特に高等教育は明らかに私学に頼っているという現状がございます。そういう現状を踏まえて、私どもも九条の中で、建学の自由はこれは最大限保障されるということと、私立学校への助成及び私立に在籍する者への支援ということを明記をさせていただいているわけでございますが、これは本当にいろいろ悩ましいのは、例えば先ほど奨学金のお話がございましたが、ハーバード大学は四百万円以下の年収の御子弟が約一割ぐらいいらっしゃるそうでありまして、そういう方々に対してきちっとその大学、もちろん国家がそれをサポートしている、あるいは税制でサポートしているということでありますが、大学がきちっとそうした方々にも十二分な支援をすることによってそうしたことが可能になっております。
 一方で、これはいろいろな調査がありますので俗説の部分もあるかもしれませんが、東京大学の御家庭が一番年収が高いということが言われております。事実は確認されておりませんが、そのような傾向は私もあろうかと思います。
 それから、更に申し上げますと、現段階で申し上げますと、慶應義塾大学の文科系の大学院の学費と国立大学の大学院の文科系の学費は慶應義塾大学の方が安いという現状がございます。これは慶應義塾大学の経営努力と教育に対する大変前向きな姿勢の表れだというふうに思っておりますが。
 国立と私立、じゃどうやって役割分担をしていったらいいのかということと、それから、私どもこれ憲法の議論にもかかわるわけでございますが、憲法八十九条がありまして、私学には公金を二分の一しか入れられないと。これは全然、まだ十分の一ぐらいしか入っておりませんから枠はまだあるわけでありますけれども、しかし、そういう制限の中で、私学助成金というものについての一定の制度的なキャップというものがあります。その中で私立大学に対して支援をしていこうということになると、学生に対して直接補助と、こういう合わせ技、そういう中でさっきの九条の設計になってくるわけでありますが、そうしたことが入り乱れて、国立大学は今度は国立大学法人になっていくという中で、この高等教育の主体の在り方について御示唆を賜れば有り難いなと思います。
○公述人(安西祐一郎君) 私立学校、特に私立大学とそれから国立大学法人の違いですね、これは国立大学が法人化されて以降、私の見解でははっきりしなくなっているというふうに思います。そのことが言わばタブーと言うといけませんけれども、議論されないままに来ているということが非常に大きな高等教育における今問題であると。国立大学の方はやはり国費からの投入分が相当にある、もちろん運営交付金が徐々に減少しているという面はありますけれども、私学の方も減少しつつある。そういう状況の中で、私学、それから公立の学校、それから国立大学法人の役割というのは一体何なのかということは全く議論がされないままに来ているということを是非先生方には申し上げておきたい。
 恐らく、私はこれからの日本では、私学のような個性を持って歴史を持って教育研究に携わる、そういう教育研究機関が言わばベースになっていくのではないかというふうに思っております。これは日本が成熟した民主社会になってくるにつれてそういう方向に行くのではないかと思いますが、一方で、国立大学法人の役割も、これもやはり基礎的に重要であると思います。ですから、併存していくというふうには思っております。
 それから、手短に申し上げますけれども、私学と国立の学費の違いでございますけれども、今、鈴木先生が慶應の方が安いのではないかと言われましたけれども、それは授業料を比べるのと、それからそれプラス入学金とかいろいろな周りの附帯経費を足して比べるのとでは違いまして、やはり慶應の方が高いのではないかと思われます。
 また、理工系、医学系等々については、私学は国立と違ってその大学の中で違いがありまして、私の手元の資料では、特に理工系のたまたま資料があるんですけれども、学部においては、国立大学は標準で五十三万五千八百円、慶應義塾の場合は百三十三万円でございます。早稲田が百三十九万円、立命館が百三十三万六千円。大学院におきましても、国立は五十三万五千八百円、慶應義塾は百十七万円というのが理工系の数字でございます。文系はもっと私学も安いんでありますけれども。
 ただ、私、国立大学が安い安いということを申し上げたいわけではない。国公私立を通じてやはり教育への支出が余りにも貧しい、それがいろいろな問題を生み出しているんだということは申し上げたい。
 あと一つだけ。ハーバードにつきましては、二兆円以上の運用資産を持っていると言われておりまして、二兆円以上の運用資金をアメリカの利回りで回せば、恐らく年に一千億円程度の利息が入ってくると思われます。これは、そういうことを人件費、施設等々に使っていけば、それはうらやましいほど幾らでもいろんなことができるわけで、ハーバードがそれを積み上げてきましたのは、やはり寄附の文化、やっぱり民に根差した教育を民でもって草の根的に持ち上げていこうという、そういう文化があったからなんですね。日本も恐らくこれからは一つ一つ着実にそういった文化の方へ、寄附税制の改正もいろいろにやっていただきながら進めていくべきだろうというふうに思っております。
○鈴木寛君 私が申し上げたかったのは、国立大学と私立大学の差を広げていいということではないんだと思うんですね、恐らく。私立に通おうと国立に通おうと、同じように学習権はやっぱり保障すべきだという方向化の中で、しかし国立大学がどんどんどんどん、一方で国立大学というのは非常に経済的に奨学の必要な、就学機会保障の必要な若者に対する機会の提供という任務を負っているにもかかわらず、そこを負い切れてないんだということも一方では非常に難しい問題でありまして、これは私学経営の問題と、それから学ぶ権利の保障の問題というもので非常に難しい制度設計の中で、また是非御指導をいただきたいというふうに思っております。
 それから、時間もなくなってまいりましたので、山岡参考人にお伺いをしたいと思いますが、山岡参考人は特別支援教育の理念や障害のある人に対する支援を政府案の教育基本法の中にやっぱりきちっと条項を立ててと、我が党案で言う十三条のようなことを想定されているんだと思いますが、御要望をされました。
 何というんでしょうか、やはり北欧などにおけるこうした特別支援教育、あるいは障害教育における位置付けと、まだまだやっぱり我が国におけるそうしたノーマライゼーションのような、あるいはインクルーシブ教育についての国民的な理解、そういった理解を促進をしていく、あるいはそれを改善をしていくと、そういうことにやはり教育の最高法規である教育基本法の改正というのは非常に重要な啓発効果というものを想定しておっしゃったんだと思いますが、そうしたことについて御意見を賜ればというふうに思います。
○公述人(山岡修君) 先ほど申し上げましたけれども、我が国において特殊教育の対象というのは一・六%程度でございます。アメリカは約一一%ぐらいのお子さんがそちらの対象になっているんですね。またもう一つは、日本の文化の中で、単一民族でやや違うものを排斥したりというようなちょっとカルチャーがありますね。その中で障害を持つお子さん、あるいはちょっとクラスの中ではみ出てしまうお子さんに対して、周りのお子さんからいじめの対象になったり、差別があったりということが実際にございます。このLD、ADHDとか高機能自閉症というお子さんは一見してよく分かりにくい障害でございますが、そのお子さんがクラスの中にいてちょっとはみ出た行動をして、そのことによっていじめられたり、あるいは教員の方から叱責を受けたり、また実は御家族からも、お母さんとか保護者も気付いてないようなケースがあります。そうしたことによって自己有用感を失ったり、そしてそういったものが二次的な障害や不登校につながるケースがあります。
 日本の中でちょっと違いがあることを認めるような文化あるいは考え方というのが教育を通して醸成され、クラスのみんなや周りの保護者の方、そして社会一般で見てあげられるというような社会になっていくためにも、この基本法にこの障害に関する文言が入るということは非常に価値があるというふうに思っています。
○鈴木寛君 どうもありがとうございました。
 もう時間がありませんので、それでは終わりたいと思いますが、本当に公述人の皆様方、ありがとうございました。
○風間昶君 公明党の風間でございます。
 本日は、お忙しいところお時間をつくっていただきまして、おいでになっていただきましたことを心から感謝を申し上げます。
 まず最初に、浅野さんに、本当に勇気ある、また非常に見識の高い御意見いただきまして、ありがとうございます。
 ちょっと二点ばかりよろしいでしょうか。
 私を産んだのは親であると、しかし私を人たらしめるのは教師であるという言葉がございます。師匠を持たない人ほどむなしい人生はないというふうにも言われておりますけれども、今そういう意味では、僕は昭和二十二年生まれですけれども、やはり自分が習った先生に対しては非常に今も尊敬し、お付き合いをさせていただいていますけど、かなりのやっぱり人格的にも見識的にもすばらしい先生だったと私は思っておりますが、今、教育界の中で先生自身が、広い国民一般の方々やあるいは自分の教え子にきちっとしたお話ができる先生が少なくなってきているような感じも否めません。そういう意味で、学生さんの立場から師匠とは一体何なのかということを話す場面があってもいいんではないかというふうに思っておりまして、そのことについてお考えがあればお聞かせください。全然法律に関係ないことで申し訳ありません。
 もう一点いいですか、もう一点。
 現場の学校では、非常に学校の先生が教えるということ以外にやらなきゃならないことが非常に多くて、それからもう一つは、ある意味では親からの、保護者からの注文で大変な状態に今なっているのも現実だと思います。そういう意味で、現在はしかしいじめや不登校や様々な問題が生じているのも事実でございます。そういうことからすると、私はこの六十年間の教育、今の現行の基本法の中にあるその理念がきちっと生かされていない、ひずみがあるんだなというふうに思いますことから、私は教育基本法を改正していくことに賛成なんですが、新しい観点に立った日本の教育システムが大事だというふうに私は思っておりまして、それを是非、お考え、どうお思いになるか、伺いたいと思います。
○公述人(浅野大志君) 質問ありがとうございます。
 じゃ、第一の質問の師匠とは何かということについて、これは全く私自身の考えですので、そこら辺は御了承ください。
 師匠とは何かといったときに、私の頭の中にも何人か浮かぶ先生方いらっしゃるんですけれども、それはきっと外から見たら分からないものだと思います。しかも、その当時だったら、僕はやはり部活の先生というのが大きな師匠という役割を持っている、意味を持ってしまうんですけれども、その当時は本当にもう、あれほどの練習を何でそんな、強制、別に強制されているわけではないのですが、半ば苦しい目に遭わされて、もう足の皮もむけて病院に行っても、休めと言われても休めるわけがないという形のをずっとやっていたわけなんですけれども、ずっとその当時は恨み恨みという形だったんですが、もうやはり卒業してしまってから、その後に会ったときの先生の私に接してくれる仕方というのが、やはり部活のままではなくて、それを乗り越えたという形に対しての僕に対するその接し方というものと、やはりつらい中にも、まあ自分で言うのも言いづらいんですけれども、愛情というのがあったというのがやはり後々になって気付いたというものがあります。
 僕にとって師匠というのは、今接していたら気付かないんですけれども、後になって気付くという、そういうふうなものだと思っております。
 二点目のことで、今、学校の先生方は教えること以上に仕事が多くて、それを達成させるためにはやはり教育基本法の見直しという点なんですけれども、実際、私も教育実習を経験するときに、やはり非常に学力的には大変な学校というのを一度経験しました。そうしたとき、先生方は何をしていたかと申しますと、小学校に比べて中学校というのは、教材研究と言われる授業に対する自分の勉強ができる時間がある、教科制なので。小学校の場合は全部ずっと一つの学級を持つんですが、中学の場合はそういった教材研究ができる時間があると言われたのですが、そこの先生方は、やはり自分の空いた時間に何をしているかといったら、ある学生、ある生徒がいなくなったといったときにその生徒を捜して回ったり、どこどこで器物破損というか何かが壊れたといったらそれを修理しにという形で非常に忙しいというのを見ました。
 正直言って、僕は、その忙しさは教育基本法を変えるというそういう問題ではなくて、やはりその場に接した私たちがどのように取り組んでいくかという部分が非常に大きいものだと思いました。まずそこから始めて、もしもその過程で法律の制度的に突破できないものがあるとしたら、そこは改正するという部分で見ていけばいいのかと思ったのですが、最初に、やはり現場の先生方が何が忙しくて、その忙しいためにはどのような政策が必要かというのをしっかり確認しないうちは、ただ、まず教育基本法という一番でかい部分を変えるというだけでは今の問題は解決できないと、そう感じております。
○風間昶君 ありがとうございます。
 今お話がありました教材研究にちょっと絡みますが、安西公述人にお伺いしたいんですが、恐らくもう大学入試必要ないぐらいに、この少子化の中で高等教育、大学、恐らく全入時代に突入すると思われます。
 そうなると、ますます高等教育の持つ意味といいましょうか、その研究が一方では必要ではないかというふうに思っておりまして、教育研究と言ったらいいんでしょうか、このことについて、どうつくっていくのかということについて若干御示唆いただければ有り難いと思います。
○公述人(安西祐一郎君) 大学の数というのが、今は四年制だけで七百以上ある、国立大学等を含めましてあるのではないか。十八歳人口の約五〇%が大学に進学をしております。これが一九六〇年のころには、大学の数は短大を含めても約五百、今は短大を含めますと千二百ぐらいだと思いますが、大学への入学者数は約二十万人。今は、約五〇%と申しますと七十万人ぐらいでございます。そういう意味で、大学と一言で言いましても、一九六〇年のころと今とでは全く中身が違う、そのことは御理解いただきたい。
 そういう変容した大学という名前の高等教育機関において、非常に多様な学生が多様な学び方をするようになっているということが、これが今、日本の現状であり、また非常にむしろ重要なことで、さっきから繰り返して申し上げておりますように、多様な教育の場があるということがこれからの日本にとって大事だということであります。
 今の教材あるいは教育の仕方につきましても、やはりそれぞれの大学あるいは大学のグループ等々が、これは私学を含めまして、やはり切磋琢磨して新しいものを生み出していかなきゃいけないというふうに思っておりまして、その方向というのは既に、今の少子化の中で大学間競争も非常に激しくなっている中で既に出てきているというふうに思うんですね。どういうふうに教えたらいいかということについて、ファカルティーディベロップメント等々のことも含めて、今かなりそういう方向の努力というのは大学によって行われ始めているというふうに思います。
○風間昶君 ありがとうございます。
 少子社会の中で、木村公述人は、一つの柱に家庭の役割ということをお話ししていただきました。
 家庭の教育力を付けることは非常に大事なんですけれども、むしろ私は、どういう家庭をつくれる、つくれない人が今は多くなってきている、家庭をつくることの方の問題を先に解決していかないと家庭の教育力というのは高まっていかないんでないかというふうに思っておりまして、この点で、この新しい教育基本法案の家庭教育、わざわざ社会教育と家庭教育を分離して条項を入れたわけでありますから、その家庭をどうやってつくっていったらいいのかということまで、理念法ですからあれですけれども、もうちょっと具体的にしていかなきゃならないんではないかというふうに思っておりますんで、その部分について木村公述人に御意見いただきたいと思います。
○公述人(木村孟君) 先ほど申し上げましたけれども、家庭教育の問題、非常に難しい問題でございます。
 委員も御指摘のように、家庭をつくるという問題でありますけれども、世界的に見て、委員も御承知のとおり家庭の在り方というのは非常に多様になっております。
 こういう場で申し上げていいのかどうか分かりませんけれども、いわゆるシングルマザーの問題、それから離婚の問題、非常に家庭の在り方は多様でありますが、そういう状況を踏まえた上でも、家庭で子供の教育がきちんと、家庭並びに家庭を支援する部分も含めて家庭の教育を、つまり子供の教育をきちんとやっていくというシステムが私は必要ではないかというふうに思っております。例えばスウェーデン、非常にそういうシングルマザーの数で有名でありますけれども、あの国でも、でもという表現は良くありませんけれども、子供に対するしつけというのはきちんと行われているんですね。
 ですから、そういう見地からやはり子供の教育というのを見るべきで、教育基本法の中では、我々も中教審で家庭の教育の重要性ということを言いましたけれども、その問題は絶えず出てきておりまして、いろんな家庭があるという前提で子供の教育を、その支援者も含めてきちんとやっていくということが大事なのではないかと私は個人的に考えております。
○風間昶君 もうちょっと、少しグローバルな話になりますけれども、中教審の議論をずっと平成十二年から続けてこられて、そういう意味では、今回の教育基本法案には非常に画期的に盛り込まれた部分が多々あると思うんですね。
 ただ、盛り込まれなかった部分もあると思うんです。この部分は、これから具体的にどう理念法の下の実践法として持っていくかということが極めて大事な次のステップになってくるんではないかというふうに思いまして、中教審の中で盛り込まれなかった部分で、これは是非現下やらなきゃならないという問題点が、課題があるとするとどんなものがあるのか、何点か教えていただければ、木村公述人にお願いしたいと思います。
○公述人(木村孟君) ちょっとにわかに今の御質問にはお答えできませんが、委員、何か御指示をいただけますれば、それがどうしてそうなったかということはお答えできると思いますが、ちょっと今、私の印象では重要な点についてはほとんど盛り込まれたというふうに理解しておりますが、いかがでございましょうか。
○風間昶君 一つは、今ほど鈴木委員からも質問があったんですけれども、私もこれは安西公述人にもお伺いしたいんですけれども、教育投資の部分で、先ほど安西公述人は振興基本計画の中で国はこのぐらい、地方はこのぐらいというぐらいのことも必要でないのかというちょっと御発言ぶりだったと思いますし、また木村公述人も、ペーパーの中では教育に金を使うということが結論の六つ目か五つ目の中にきちっと盛り込まれましたから、この部分についてちょっと議論をさせていただきたいと思っていますけれども、今の一般会計の国の予算の中で五兆円ぐらいが教育、一般会計の方ですけれども使われておる中で、小中学校、義務教育には三兆円ぐらい、そして高校には交付金とわずかなと、あと高等教育、大学に一兆円ちょっとでしょうか。
 この配分の部分も含めて、むしろどっちの方にウエートが大きくすべきかどうかということよりも、むしろ今のままでは全体にパイが足りないと私は思いますので、ざっくりこのぐらい必要でないかということ、これは国民の皆様方からの税金でやっていかなきゃならない話ですので、御意見いただければ有り難いと思います。
○公述人(木村孟君) 先ほどの安西公述人のこの資料にもございました、OECDのパーセンテージが出ておりましたが、安西公述人の十五ページでありますが、私の考えでは少なくともイギリス並みには是非していただきたいというふうに考えております。
 十五ページをごらんいただきたいと思いますが、ページとしては十五ページ、上から四枚目、それの一番左が日本ですね。これは高等教育だけでありますけれども、英国は御承知のとおり、これ実際にこれよりもはるかにまだ増えております。三〇%最近増やしましたので、GDPレイシオでありますと非常に高くなっておりますので、せめて高等教育についてはイギリス並みというふうに私は個人的に思っております。
 それから、初中教育についてもアメリカ並みには、アメリカは意外にお金を使っておりまして、アメリカ並みにはしていただきたいというのが私の希望でございます。
○公述人(安西祐一郎君) 軽々には申し上げられませんけれども、ざっくりということで言えばやはり今の倍は必要だろうと、これは本当にざっくりでございます。ただ、それは、理由は、今の木村公述人も言われておられたように、公財政支出、高等教育への公財政支出がGDP比で約〇・五%、これを一%にしていただくということを考えると、もう物すごく粗っぽく言って倍だろうと。
 その中には、今、日本で本当に欠けていると思われる、さっきありました奨学金のことですとか、学ぼうと思っても学べない人へのサポートですね。そういうことは相当にやっぱりお金が掛かるわけで、これはもちろん大学の一番トップレベルといいましょうか、先端的な知のところを、知力のところを伸ばすということもそうですけれども、やはり日本全体の、私学も含めて、また小中高、幼稚園等も含めて底上げをしていくにはそのぐらいやっぱり考えるべきじゃないかということで、私の気持ちも入っているというふうに御理解いただければというふうに思います。
○風間昶君 済みません、山岡公述人に。
 一昨年でしたか、発達障害支援法の成立に対しては本当に貴重な御意見をいただきまして、おかげさまで成立をさせていただきました。ありがとうございました。
 それで、先ほどの特別支援教育は、特殊教育の転換ではなくて普通教育の改革の一環として進めるべきだというお話ありました。
 私の近くにもLDとADHDと混在した子供さんがおいでになって、本当に、時々家内から話聞いても、お母さんが大変なんです。それで、要はその子への、学校での、学校の先生がからっと替わると、つまり一番前に出してあげて、それで常に自分でなくて友達から声掛けしていくことによってその子は物すごい生き生きとして、全く音符見ないで楽器弾けるようになったんですけれども。
 そういうように理解をして配慮していくということは極めて大事なんですが、問題はやはり先生方がどれだけその支援に加わっていけるかということが、特に都道府県レベルより市町村のところで物すごい大事だと思っておりまして、これが本当にこの教育基本法の中で具体的に生かし切っていくことが物すごく大事だと思っています。それで、その人的支援を具体的にどのようにしていったらいいのか教えていただければ有り難いと思いますが。
○公述人(山岡修君) 確かに、通常の学級に一人二人そういう方がいらっしゃるときに、通常の学級の先生に頑張ってください、やるべきです、配慮してください、理解してくださいは言えるんですけれども、実際には難しいことです。
 一つは、学校の中に今は校内委員会でありますとか特別支援教育コーディネーターというものが配置されるようになっています。そのように、担任の先生一人だけではなく、チームでまず支えるということが大事ということですね。
 それから、学校の中に、やや、例えば補助教員の方ですとかボランティアとか、あるいは心理とか医師とかの専門家であるとか、学校の中に人が入って、その他支えるような者、それからさらに、教育委員会でありますとかセンター、あるいはその地域のネットワークの中に専門的な知識を持っている方がおります。ですから、教員の方をまず養成をしたり研修したりすることは大事ですけれども、そのほかに、先生頑張ってくださいだけではなくて、その先生たちを支えるようなシステムをネットワークとしてつくっていくことが大事だというふうに思っております。
○風間昶君 ありがとうございます。
 じゃ、終わります。
○仁比聡平君 日本共産党の仁比聡平でございます。
 今日は、公述人の皆さん本当にありがとうございました。
 浅野公述人からお尋ねをしたいと思うんですけれども、先ほど現行十条を引用されて、教育は国民全体に対し直接責任を負って行われるべきものという条文がとても好きだというお話を私も大変新鮮に受け止めました。好きだという言葉が良かったと思うんですけれども、私もここの条文大好きでございまして、お話を伺っていて、皆さんが不勉強どころか本当に真剣に子供や教育のこれからのことを考えておられるということが伝わってまいりました。その皆さんの問題意識と国会の審議、ここがずれているという御指摘は大変大事なものかと思うわけです。
 その中で、浅野公述人の冒頭の部分に、教育は経済とは異なる目標を持っているという皆さんの思いにそういうずれが出発しているのではないかというふうにお伺いをしたんですけれども、その教育は経済とは異なる目標を持っているのではないかというような辺りの思いが皆さんの実践の中などでありましたら、もうちょっと聞きたいと思うんですが。
○公述人(浅野大志君) 教育と経済が違う、異なる目標を持つのではないかというのは、私たちがどのように思っているかという質問に対して答えさせていただきます。
 やはり教育というのは、先ほど申しました師匠にもかかわってくるのですが、時間がたって後にやはり、成果と言うのも何だか私自身は嫌なのですが、現れてくる、分かってくるものだと思っております。
 しかし、経済というものは、やはりその場その場である一定の業績を収めなければ、それは会社であり、そういった企業であればその場で、なるべく短期の間に業績を上げなければつぶれてしまうとか、そういったものがあるので、目の前の利益というのはやはり大事にしていかなければいけない。
 しかし、教育というのは、目の前の利益だけではなくて、その先にある、もしも目の前の利益というか、目の前の、目先だけだとしたら、僕は先ほど言った師匠と思っている方をその場だけで言ったら、とんでもない先生だ、僕たちをこんなに苦しめてというふうな視点でとらえたと思います。しかし、そうではなくて、時間がたった後に教育というものは成果が現れる。その先生は良かったというのも一つの成果だと僕は思いますし、例えば、ほかの教科の普通の成績であったとしても、小学校、中学校ではなかなか得られなかった成績というのがまた後々いつか、もしかしたら二十歳かもしれないし、三十歳かもしれない、いつかは分からないですが、ほかのときに現れてくるかもしれない。そういうふうに未来に可能性というものを持って教育を見ていると、そう思っています。
○仁比聡平君 ありがとうございます。
 もう一つ、こういうテーマも考えておられたらということでお尋ねしたいんですけれども、家庭教育についてなんですね。皆さんの世代で、公述人、二十二歳というふうに資料で拝見をしましたけれども、親御さんや、あるいはおじいちゃん、おばあちゃん、祖父母などから、やってはいけないこと、あるいは人間として本当に大切なこと、これを皆さんが何にも伝えられていないというのは、これは随分違うんじゃないだろうか。皆さんも親御さんやあるいはおじいちゃん、おばあちゃんからそのようなことを伝えられてきているのではないかと思うんですけれども、どうです。
○公述人(浅野大志君) 本当に、私は、例えば母から一番、うそはついてはいけないということを強く子供のころ言われていました。本当、一度はもうぼこぼこに殴られるかというぐらい、うそをついたことによってやられたわけなんですけれども、実際そういうふうなことは受けてきましたですし、僕の周りのほかの同世代の学生たち、ほかの友人たちもやはりそうしたしつけというか教えというか、そういったものはしっかり受けていると思います。
 しかし、やはり僕たちがニュースを見るに、ニュースというのはやはり問題になってしまったところが大きく取りざたされるので、我々の実感以上のところがメディアを通して流されているというのは実感しております。
○仁比聡平君 山岡公述人に次にお尋ねをしたいと思うんですけれども、特別支援教育の問題と現場での御苦労について、本当に心から敬意を申し上げたいと思います。
 通常の学級に多くの障害のある子供たちが在籍をしているという状況の中で、その一人一人の教育的ニーズに応じた適切な教育的な支援が必要とされているわけです。法案が国会でかかりましたときに、私ども、特に必要な取組に対して教職員の配置を明記をするべきだという修正的意見を申し上げてきました。
 障害があるその子供たちのニーズに対応するためには抜本的な教職員配置を進める必要があるのではないかと思います。それが現実には果たされてこなかったという今の現状の下で、親の皆さんも、あるいは子供たち自身ですね、それから先生や学級のほかの子供たちも随分な苦労をしておられるのではないかと思うんですが、どんな現場の御苦労があるのか、少し御紹介いただけたらと思います。
○公述人(山岡修君) 例えば、一つはLDとかADHDとか高機能自閉症というお子さんの場合、現状でいくと通級という対象になったりします。このお子さん方の学級を設置するためには、一定人数が集まらないとなかなかできないというようなこと。
 それからもう一つは、ADHDとか高機能自閉症のお子さんはちょっと行動面に問題があるところがあります。そうすると、あるお子さんについてはクラスから飛び出してしまうことがあったり、あるいはなかなか休み時間に帰ってこれなかったりというところで、例えばその介助人のような方が、これは教員資格がなくてもいいと思うんですが、こういう介助人のような方が付いて連れていただくケース、あるいはそのボランティア的なもの、あるいは最近は学習支援員という名前で教員資格のない方が付いたりすることがあります。ただ、それらが付かない場合というのは、場合によって保護者の方が終日付かなければいけないとか、そういった苦労があるかと思います。
 一方、この教員の特別支援教育については、先ほどお話しいただいたような特別支援教育コーディネーターの設置でありますとか、あるいは通級の増員ということで、実は昨年の暮れに、第八次教員定数改善計画ということで平成十八年度から二十二年度まで約一万五千人のその配置の要求を文部科学省からお出しいただいたんですけれども、十二月の今ごろ、もうちょっと前ですかね、第八次教員定数改善計画はやらないと見送りになりまして、そういった中にこの障害を持つお子さんに対する教員の配置だとかいうものも盛り込まれておりました。
 もう一つ懸念は、こういったものの使い方の中で、特定の障害児に対する教育に使おうとしたのはちょっとやや一般財源化されようとする傾向がございまして、それらも含めて、この教育基本法に障害児のことがうたわれたことが大変すばらしいことだと思いますし、教育振興基本計画の中で計画的に進めていただくようなことになっていけばというふうに思います。
○仁比聡平君 やっぱり抜本的な教育予算の増額が必要だということかと思うんですね。
 本当は安西公述人にここで伺いたいんですが、先にちょっと大内公述人に伺ってからというふうにさせていただきたいと思うんですけれども、浅野公述人の御友人が今日午前中に集められた声があるという資料があるんですけれども、私これ拝見しまして、改正賛成の意見は私が見る限り一つもございませんでした。
 その中で一つちょっと紹介をして、大内公述人にお伺いしたいんですが、資料でいいますと二枚目の上から四番目の意見なんですが、私は「教育の目標」第二条に疑問を持っています。小学校のころからテスト、通知表と数字で評価され続けた私たちは、効率よくということを強く意識させられてきました。競争をすることで伸びてきたということもあると思います。しかし、教育の目標を政府が決めるということは結果を求めることにつながらないだろうか。内面を数値化して評価をすることは子供の内発的な感情すらをコントロールしてしまうのではないか。そして、その上でこの方は、私が子供であったら良い評価を受けるために良い子のふりをするかもしれない、こういうふうにおっしゃっておりまして、私はこの若い世代の皆さんの鋭い感性と指摘なのではないかと思うんですね。
 まず、端的に大内先生の感想を聞きたいと思います。
○公述人(大内裕和君) 今御指摘あったように、私はこの意見というのはとても今の子供たちの感覚というものをよく、子供たちが受けている感覚というのを示しているというふうに思います。
 つまり、本当に小さいころから選抜というものが入ってしまう。高校入試はこれだけ全体として競争体質になっている国というのは珍しいですし、今それが中学校、小学校という段階に入ってきている。しかも、評価される項目は、これは内申書その他を見れば学力だけではなくて様々なそれこそ内面にかかわる、これは新しい学力観によって関心、意欲、態度といったものがこれは小学校から通知表の中に書き込まれています。
 ということは、これは何らかの形で評価をされるわけですから、良い点数を取ろうと思って自分の関心や意欲や態度を無理やりにでもいい点数を取るために学校の方針に合わせるとか、あるいは教員の方針に合わせるとかということが起こり得る危険性を持っていると思います。すると、子供たちとしては、自由濶達に表現するのではなくて、むしろ評価で良い点数を取るために様々な無理をしなければならないんじゃないかということを危惧します。
○仁比聡平君 別の点なんですけれども、先ほど御意見の中で、政府案の第五条「義務教育」の三項についてちょっと伺いたいと思うんですが、いわゆる水準の確保ですね、この「水準を確保する」という条項案にかかわって学力テストの弊害をお話しになりました。
 私、出身福岡なんですが、いじめ自殺の事件が起こりました三輪中学校の学校経営要綱というものがありまして、そこの中に学力向上プランというのがございます。そこには、学力検査などの校内平均を二、三点引き上げ、県平均以上を目指す。その中で、理科では県平均よりも一〇%アップさせるという、こういう数値目標が学校の経営要綱の中に書かれているわけです。既に福岡で先行して学力テストが行われていて、ここの町ではすべての子供たちを対象にして学力テストをやって、その結果に基づいて県平均以上を目指せという、こういう考え方で教育を行うと。平均はあくまで平均ですから、みんなが頑張ったら、頑張っても頑張っても平均以下の子というのは必ず生まれますよね。こういう序列化というのが学校現場にどんな影響を与えるだろうかという点について御意見伺いたいと思います。
○公述人(大内裕和君) 今のようなことが、これは福岡県だけでなくて、既に都道府県の水準ではほとんどすべてのところで行われています。しかも、その点数が、私の話にもありましたように、様々なところ、ホームページその他で公開をされているわけですね。ということは、点数至上主義というものが広がっていくだろうと。
 これは、日本の教育について、公立学校について競争が余りないのではないかということが言われておりますが、それは違っておりまして、実際にはこの公教育の予算が少ないことから、元々それは、教育システム全体としては塾、予備校、その他のところで激しい受験競争があったわけですね。それが続いていく中で、なおかつ学校でも同じようなテストが増えるということで、これ私、競争がすべていけないというふうには思いませんけれども、一つは過剰な競争はやはり様々な問題を生むだろう、もう一つは不公正な競争はやはり問題を生むだろうと。で、一つは、その今言われたことについて言うと、このテストの問題というのは過剰な競争であって、点数至上主義を広げることにつながるということをとても危惧します。
○仁比聡平君 その点数至上主義が子供たちにとってどんなふうな影響になるだろうかということについて、例えば競争による、あるいは激しい競争によるストレスが子供たちの成長や発達に大きな障害があるという御意見が強く伺うこともございます。その子供たちにとってどうなのかということについて、もうちょっと先生の御意見を伺えれば。
○公述人(大内裕和君) 競争しない自由があって初めて競争するときにも頑張ろうとかいうことがあるわけですよね。しかし、これ、塾の論理みたいのが学校の中に入ってくれば競争体質で固められてしまうわけですよ、子供たちの方は。やはりその圧迫感というのはとても強いだろうと。
 もう一つ私が感じるのは、これだけ公教育予算が少ない中で、実際には費用を負担できる家庭が有利なわけですね。となると、競争のストレスプラス、ああ、あの家に生まれた子は有利だけど、自分はもうどうせ駄目だという理不尽な感覚というのが広がっていく。
 ですから、現在のような予算の体制でこういうことをやっていけば、過剰な競争によって子供たちがすごくストレスを感じるということと、もう一つは、どうせこんなふうなところにいるんだから自分は将来どうせ駄目さみたいなことをかなり小さいときから持たざるを得ない。そういうことが将来の絶望感とかいうのにつながることがとても問題であるというふうに思います。
○仁比聡平君 別のまた角度で、なのになぜイギリスかという問題提起ですね、先ほどの。大変感銘を受けましたけれども、サッチャー教育改革の失敗の原因について、ちょっと時間がなくなってきましたので短めにお願いしたいと思うんですが。
○公述人(大内裕和君) 失敗については、失敗は点数を発表したことです。発表したことで人口移動が起こって、不動産価格が二割上がったとか。それから、これも実例です。多くの学校で、テストとは無関係の美術や音楽などの授業数が極端に少なくなっていた、未履修問題ですね。また、不正事件が続出。教員がテスト用紙を事前に見て、生徒に解答を教える。答案用紙を試験後に生徒に返し、間違えているところを書き直させる。これは日本の五〇年代の全国学テでも起こったことです。そのような弊害。つまり、テストを行うこと自体が問題ではなくて、それを公開し、それが選択制と結び付いたことが最大の問題だったと思います。
○仁比聡平君 先ほどの御意見の中にはなかったんですが、大内参考人に最後、この国会の審議の中で政府案といわゆる自民党の新憲法草案との関係というのが議論のテーマになって、その中で、自民党案との整合性はチェックをいたしておりますという答弁が政府からなされているんですが、このことについて先生、御感想をお持ちなら伺いたいと思います。
○公述人(大内裕和君) そのことは、現行憲法の中でそういうことが言われれば、とても大きな問題だというふうに思います。つまり、それは立憲主義の根幹を揺るがす大問題だというふうに考えます。
○仁比聡平君 安西公述人に、ちょっと時間が短くなって申し訳ないんですけれども、伺いたいと思うんですが、先ほど山岡公述人にも伺いました教育予算の拡充の問題ですね。これ、先ほど他の委員の質問に対しても、倍はというようなお話もございました。本当に抜本的な予算増が、あるいは公的支援の増が私学助成を含めて必要だということだと思うんですが、少し思いを聞かしていただければと。
○公述人(安西祐一郎君) 私はこの教育基本法案が、生涯学習、また家庭教育、義務教育、社会教育、あるいは私立学校、大学等々、非常に多様にきめ細かく、いろいろなこれからの多様な教育の場が必要だということをうたっているように見えるんですね。また、一生を懸けていろいろなことを学んでいくというのがこれからの時代の日本の人たちにとって大事だというふうに思っておりまして、そういうことを総体的に考えると、さっき倍と申し上げたのは、思いが入っていると申し上げましたけれども、やはりそういったことすべてについて、特に学ぼうと思っても学べない人たち、その学びの場がやっぱり非常に違いがやっぱり地域によってもあり、いろんなことで違いが出てくる。それをできるだけやはり少なくしていこうというふうに考えると相当のお金が必要だろうと。それはただ、それを超えて初めて、それを使うことによって初めて日本の未来が開けるというふうに思っております。
○仁比聡平君 ありがとうございました。
○近藤正道君 社民党・護憲連合の近藤正道でございます。
 今日は五名の公述人の皆さん、大変御苦労さまでございました。貴重な御意見をいただきまして、これからの審議に是非反映をさせていきたいというふうに思っています。
 とりわけ公募で手を挙げていただきました浅野公述人、二十二歳の若さで、私のその年のころを思い出しながら、浅野公述人の勇気ある応募に心から敬意を表したいというふうに思っています。
 現行の教育基本法の十条の直接責任、これが好きだというお話がありましたが、私が参加をいたしました新潟の地方公聴会で、現場の教師がこの十条の直接責任が正に自分の教師としての誇りの根拠になっていると、こういう意見を述べられまして、正に浅野公述人と同じような問題意識を持っていたんだということを今更ながら思い知りました。教育実習で公聴会のことについて子供たちにお話しになったということでありますが、是非、浅野公述人がおっしゃったことがそのとおりになるように、私たち議員も精一杯頑張っていきたいというふうに思っています。
 いろいろ今ほどお話がありましたけれども、浅野さんに一つお聞きしたいのは、皆さん、今大学で教職を目指して頑張っておられる仲間の皆さんと国会の議論との間にそごがあるという話がございましたけれども、国民の合意あるいは国民の関心を更に深めるため、かなり大詰めの場に差し掛かっておりますが、今、国会として一番何が必要なのか、もしこの点だけは是非にという点がありましたらお聞かせをいただきたいというふうに思います。
○公述人(浅野大志君) じゃ、もう端的に述べたいと思います。
 様々にある具体的な教育問題に対するその対策というものを、本当、こういうものを目指している、そのためにはこの部分、教育基本法をこの部分を変えなければならないということを提示していただくことが最も私たちの興味、関心並びに国民的合意をつくる一番のものだと思っております。
○近藤正道君 ありがとうございました。
 大内公述人にお尋ねをしたいと思いますが、教育格差の話を今日していただきました。余りこの国会で論議のなかった、そういう角度だったというふうに思っておりまして、大変感銘を受けたわけでございますが、政府法案が格差社会の拡大とかあるいは固定化につながるという、こういうお話だったというふうに思っています。
 この格差の話は昨年から今年にかけて国民の大きな関心事であります。公述人のお話は教育の格差が格差社会の拡大、固定化につながるという、こういう私は話で貫かれているというふうに思いますが、先ほど来の話の中で少し更に付加をしてお話しになりたいという点があるんならば、せっかくの機会でありますので、少し加えてお話しをいただきたい、こういうふうに思います。
○公述人(大内裕和君) 格差社会の拡大、固定化につながるというのは本当に大きな問題で、主権者の関心も非常に高いと思います。多くの保護者、子供が教育について関心を持つときにも、この問題についての関心はとても強い。
 で、なぜ格差社会の拡大、固定化になるのかというと、現在、それこそ、先ほど話しましたように、生活保護世帯の問題とか、あるいはNHKスペシャルで「ワーキングプア」という番組がこれだけの反響を得るという形で貧困が顕在化し、格差はかなりはっきりと分かるようになってきてしまっているわけですね。
 そうすると、そういう背景を持った家庭の子供たちが今の初等中等に通う。そのときに、先ほど言った能力に応じてクラスが分けられたり能力に応じて学校間が分けられたり、あるいは能力に応じて中高一貫校とそれ以外というふうにいった場合に、それは明らかに格差、現在の格差社会の上位の出身の子供が有利に、つまりそれは教育を媒介にしてより次の世代で格差を拡大してしまうわけですよ。元々の出身があってその差があるのに、教育を媒介にしてその人たちがまた高い位置に就くということは格差の拡大になってしまう。
 もう一つです。つまり、それは豊かな階層の子供が当然また豊かになる、社会的地位に就くということになれば、これは明らかに格差社会の固定化になってしまう。それは、一つは社会的公正や正義という観点からいってもとても大きな問題ですし、これはとても理不尽なことです。
 なぜかというと、どういう家庭で生まれたのかというのはその子供自身に責任はないし、その子供自身の努力といったって、小学校、中学校ですよ。それは様々な環境に制約されている。その行った学校がたまたまレベルが高いとか、あるいはいい友達がいるとかいうことによって差が付いてしまえば、それは本当に格差社会の固定化としていってしまうだろうと、それは恐らく社会の活力をも大きく奪っていくだろうというふうに考えます。
○近藤正道君 もう一つ。
 この格差の問題の一つの柱として教育の機会均等、現行法でも教育の機会均等はございますし、政府案の中にも一応教育の機会均等ということは盛られているわけでございますが、大内公述人の先ほど来のお話によりますと、現行法に比べてより教育の機会均等が政府案では少し危うくなるんではないかと、こういう趣旨のお話があったやに私は受け止めているわけでございますが、そこのところをもう少し詳しく、なぜ現行法に比べて政府案が機会均等を危うくすることになるのか、御説明をいただければ有り難いというふうに思います。
○公述人(大内裕和君) 先ほど来、高等教育の問題については日本の政府予算がもう圧倒的に少ないということですね。ということは、もう既に現在の時点で教育の機会均等は守られていないわけですね、大学教育については、これだけ私費負担大きいんですから。プラス、この政府案は、義務教育にまで先ほど言った各個人の有する能力を伸ばしつつ、これはとても問題になる文言で、各個人の有する能力といったって、義務教育というのはむしろその各個人の能力の基礎をつくる場所で、その時点で現れている能力を前提に伸ばしていくんであれば、現在進んでいる初等中等段階での振り分けを強めてしまう。機会均等は、これは小学校、中学校は義務教育ですし、高校の場合はほとんど九〇%超えていますから、学校に行くという点ではそれは達成されているわけです。
 しかし、私が言っている初等中等、つまり小学校、中学校、高校での均等の問題というのは、その質の問題ですね。つまり、どういう小学校なのか、あるいはどういう小学校の中のどのクラスなのか、あるいは中学校は複線化すれば中高一貫校なのかそうでないのかということによって受ける教育の質が違ってしまう。それは、例えばその子がどの地域に生まれたのか、あるいはどういう家庭で生まれたのかによってとても決まってしまう。とすると、機会の均等というのは、単に行っているかどうかだけじゃなくて、同じだけの水準の教育を受けられるかということですね。
 しかし、初等段階、義務教育の段階でこの文言が入って、その時点での能力に応じて教育が振り分けられてしまえば、それは機会の均等を実質的には守ったことにならない、むしろ機会均等が裏切られていくというふうに言えると思います。
○近藤正道君 大内公述人の先ほどのお話の中で、イギリスの教育改革の話、そしてこの対極としてのフィンランドの話、二つございました。イギリスの話につきましては今ほど仁比議員の質問に答えて少し敷衍してお話しになられましたんで、私はもう一つのフィンランドのことについてお聞きをしたいというふうに思うんです。
 フィンランドにつきましては、山岡公述人からも少しお話がありましたし、この間、地方公聴会の中でもフィンランドの教育実践について学者の立場から御意見を述べられた方もございました。つまり、競争というものを言わば制約をする、抑えるということによって学力が高くなったという例でありまして、この国はイギリスに倣って競争のピッチを上げると、そういう方向を今突き進んでいるわけでございますが、その言わば対極にある国のケースとしてフィンランドが挙げられました。
 フィンランドでなぜ学力が向上したのか。競争を抑えて、なおかつ学力は世界トップクラスにあると。この辺の原因、背景、大内公述人はどういうふうにお考えなのか、そしてこのフィンランドの教訓、学ぶべき点は一体何なのか、所見ありましたらお伺いしたいというふうに思います。
○公述人(大内裕和君) フィンランドというのはとてもイギリスとは対極的な教育改革を行ってきました。学力テストというのは十六歳までの義務教育期間では基本的には大規模な形で行われていません。
 特に違うのは、一九八五年に国を挙げて、これは日本はどんどん今広がっているんですけど、習熟度別指導ですね、この授業を全面的に中止しました。それは、習熟度別授業というのは、できる子には取り立てて良い影響を与えず、できない子にとっては何らプラスにならないというふうな分析結果が出たからです。これはフィンランドだけじゃありません。ヨーロッパの教育学者、これは共通見解として習熟度別指導というものが、学力の格差を生むということは立証されていますが、学力を向上させるということは立証されていないですね。ですから、それをやめたわけです。
 フィンランドの特徴は、これは学力を見ても分かりますように、低学力の層は少ないということです。選別をせずに子供の能力をサポートしています。ですから、全体的な平均値が高い。ということは、先ほど私は格差の問題を強調しましたけれども、フィンランドは格差のないことが全体の学力の質の高さにつながっているわけですよ。ということは、競争によって格差を拡大することが学力を上げるんじゃなくて、フィンランドの教訓は、これは教育だけじゃありませんで、全体的な社会的平等もそうなんですけれど、平等というものと質というものは両立し得るということです。それはとても大事なポイントですね。
 つまり、現在の日本の格差社会化をほっておけば、これは学力の向上というのはとても困難、むしろ下がっていくだろうと。ですから、とっても政府は矛盾していると思います。学力の向上をこれだけ言っているのに、格差を助長してしまえば学力すら向上しないだろうということをフィンランドの例というのは示していると思います。
○近藤正道君 今ほどの大内公述人の中に一部もう答えが出ているような気もするわけでございますが、ここは日本の国会でございます。日本において教育の格差をいかに是正するか、とりわけ今政治の大きな関心になっております学力低下、これについてどういう政策を取ったらいいのか、最後にお聞きをしたいというふうに思います。
○公述人(大内裕和君) 今の話との関係でいいますと、その高等教育予算や公教育予算というのをとても出しているのがフィンランドなわけですね。日本において一番の問題というのは、やはり今日多くの話題になったように公教育予算が少ないということなんです。これは、客観的に国際的な比較のデータを見れば私費の負担が高い。つまり、これまでの日本の学力の高さは、一つは家計が教育費を負担していた。もう一つは、これはクラスの人数大きいんですから、学校も大きな負担をしていたんですね。この両輪で何とか学力を維持してきたわけですけど、現状ではそれはとても困難なわけです。
 これは、完全雇用の体制終わってしまって非常に格差が拡大している。家計は傷んでいます。事実上、これ、教育のお金を出すことに精一杯とか、それも出せないという人たちが増大している。学校の方も様々な困難を抱えていると。
 こうなれば、絶対に出てこなきゃならないのは政府のサポートであって、財政的サポートが増大しなければ格差の是正も学力の向上もないであろうと。つまり、フィンランドの方向というものはそれを示している。なおかつ、フィンランドは何と日本の教育基本法をモデルにしているということが言われております。つまり、公教育予算を増やすということ、今日話題になりましたけれども、それは現行の教育基本法で十分できるわけです。
 なぜかというと、教育基本法の第三条、教育の機会均等ですよね。機会均等ということは、それは公教育予算を増やさなければ実現しないんですね。つまり、今日これだけ公教育予算の少なさが話題になっているということは、既に現行の教育基本法は守られていないわけです。つまり、今の三条をちゃんと守るんであれば、絶対に今よりたくさんの高等教育予算が出なければならないし、こんなに少ない全体の教育予算も改善されなければならない。
 つまり、私は、教育予算の拡充というものが現行教育基本法で行われ得るし、現行の教育基本法はそれを全く禁じていないわけですね。ということは、そうした現行の教育基本法の下で公教育予算を拡充することが、最も現在の格差社会や学力の問題を解決することにつながると考えます。
○近藤正道君 今日はそれぞれ立場の異なる公述人六名お見えでいらっしゃいますけれども、立場が違うというのは教育基本法の改正についての立場が違うということなんですが、しかし、おしなべて共通している点が一点ございます。
 それはやっぱり、この国の教育予算、余りにも低いと。ここはやっぱり何とかしなければならない。これはもう私は、はっきりおっしゃる方と必ずしもはっきりおっしゃらない方おられるかとは思いますが、全員がその点では完全に一致していると、こういうふうに今拝見をさせていただきました。これは、この種の公聴会でほぼ皆さんが同じようにおっしゃるということは、ある意味では画期的なことなんだろうと思います。
 そこで、先ほど来、安西公述人と木村公述人が、これを何とか打開するために教育基本法を改正をすると。今回のその政府案の十六条、十七条、とりわけ十七条が教育予算を増大させるその言わば特効薬というか切り札的なものではないかという、そういうニュアンスでお答えになられまして、安西公述人では、基本計画の中でGDP比何%みたいなものが是非盛り込まれるといいなと、こういうお話をされておられました。
 民主党案だと法案の中にそういうGDP比がもうあらかじめ書いてあるんですが、政府案だと果たしてこれが教育予算増額の確固たる根拠になるのかどうか、私は本当にこれ疑問に思うんですよ。
 教育内容に政府がいろいろミニマムスタンダードという形で介入するという形はびっしり貫徹しているんですけれども、教育財源の確保というところは非常に私はあいまいもことしているんではないか、こういうふうな思いがありまして、果たして安西公述人あるいは木村公述人がおっしゃるように、この十七条で教育財源はちゃんと確保できるんだ、今度は大丈夫なんだと、そういうふうに胸が張って言える条文になっているのかどうか、私は率直に言ってかなり疑問を覚えている一人なんですが、代表して安西公述人、私の意見、本当にこの十七条で大丈夫なのか、私はそうは思わないんですけれども、改めて御所見をお伺いしたいというふうに思います。
○公述人(安西祐一郎君) まず第一に、近藤先生がおっしゃる振興基本計画があるからこの基本法に賛成しているというわけではありませんので、そのことは御理解ください。
 やはり公共の精神、あるいは男女の平等、あるいは多様な教育の場、学びの場ということがきちんと書かれているということがやっぱり自分にとっては非常に大きなことでございます。
 その中で、まあそれは申し上げておいて、振興基本計画の中に民主党案ではGDP比というのが明記されているんですけれども、政府案では明記されていない。これについては両面あるのではないかと私も思います。
 ただ、教育基本法のこの政府案は、理念法ということを考えると、例えばGDP比だけが尺度というわけではない。恐らく多様な教育の場についての予算ということを考えていくときには、マクロにはGDP比というのは分かりやすいんでありますけれども、いろいろなことを考えていかなきゃいけないだろうと。
 私は、財源とか予算という言葉が入っているといいなとは思いますので、先ほどから申し上げてはおりますけれども、是非先生方には、さっき倍額と申し上げてびっくりされたかもしれませんが、それなりの、それだけのおなかに力を入れて是非お考えをいただきたい、そういうふうに是非お考えをいただきたいということであります。
○近藤正道君 まあ、私どもはかねてこの国の教育予算は余りにも貧弱であると、GDP比、OECDの中のGDP比最低ラインである、これは非常に恥ずかしいことであるということで、そのかさ上げ、底上げを強く望んでおるんですけれども、なかなか現実の政治はそうならない。せめて法システム、制度としてしっかりとしたその確保策をやっぱり書き込みたいという思いがありましたけれども、今の政府案は必ずしもそうなっていない。幾ら頑張ってもやっぱりそこのところでうまくいかないんではないかなという、そういう思いがありましたので、最後に意見をお伺いしたところでございます。
 今日は、本当に貴重な時間、御意見をいただきまして、ありがとうございました。
 終わります。
○亀井郁夫君 国民新党の亀井でございますが、五人の公述人の皆さん方、御苦労さまでございます。
 私は最後でございますから、もうちょっとだけ付き合ってください。済みません、よろしくお願いしたいと思います。
 最初に聞きたいのは、大内先生が、大内公述人が言われた格差の問題ですね。確かに、この間もワーキングプアのテレビを見ましたけれども、だれがこんな社会にいつの間にかしたのだと大きな声を出して叫びたい気持ちがしたわけであります。中央と地方との格差、中小企業と大企業との格差、いろいろな点に今格差が非常に大きくなってきていることは事実であります。
 そうした中で、今日は先生から教育の格差についていろいろとお聞きしたわけでございますが、この問題は非常に大きな問題ですので、五人の方に、立場は違いますけれども、それぞれお話を聞きたいと思いますので、教育の格差についてお話し願いたいと思います。
○公述人(安西祐一郎君) 私は、教育格差というものについて、先ほどから申し上げておりますように、学ぼうと思っても学べない人、それから教育の場といいましょうか、学びの場ですね、それがやっぱりいろいろな違いがある。地域によってもいろんな違いが出てくる可能性はあるというふうに思いますので、それにつけてもきちんとした予算を講じて、そういうことはできるだけ少なくなるようにしていっていただきたいというふうに本当に願っております。
 また、一生の間にいろいろな自分の力を自分で引き出していけるような、そういう社会、システムをつくっていきたい。それには、やはり今申し上げたような予算、何度も予算措置と言って申し訳ありませんけれども、そういうことが是非必要であって、何度も何度もチャレンジというんでしょうか、挑戦していく、そういう中でもって、教育格差と言われていることが、私は人一人の中にいろんな能力が隠れていると思いますので、それが引き出されてくるような、そういうシステムを是非早くつくっていただければというふうに思っております。
○公述人(山岡修君) 格差といいますと、さっきからお話が出ておりますように、所得あるいはいろんな地域とかいうのが出てきております。例えば、地方分権化の時代を迎えまして、こういうふうに国の方でいろんな施策を打ったとしても各自治体によってやや取組が違うというようなことで、地域ごとに格差が出ています。また、同じ県の中でも市町村によって差が出たりしています。
 恐らくいろんな施策を打つときに、さっき安西先生なんかがおっしゃっているように、求めようとしたときにできないというような理不尽なようなところはなくさなくてはいけないと思いますし、それについてはきちっと助成をしなくてはいけないと思います。
 一方、地域とかいろんなものの格差についてはある程度国の中で、国でミニマムなスタンダードを定めて、その最低限のところは守ると。一票の格差も同じですけれども、多少の凸凹はどうしても出てくる、それを全部駄目だと言ってしまっては進まないと思いますので、その中でどういった最低限のものを確保することが大事だと思うんですね。要するに、日本じゅうのどこにいてもこれだけの最低限のは受けれるんだというところは、この教育の中では確保していくべきだというふうに思っております。
○公述人(木村孟君) まず、教育格差の問題でありますが、OECDの例が取り上げられましたが、私もOECDで仕事をしておりますが、日本の場合は非常に統計データを取るのが難しい。
 御承知のとおり、例えばスウェーデンのような国では、国民の所得、それから、それとその子弟が行っている学校の種類、その辺が非常にはっきりと分かっております。国として統計を持っておりますが、日本の場合には、研究者といえども、そういう研究をすることがほとんど不可能です。今度初めてお茶の水大学がそういう研究に挑戦するということで、私は非常にいいと思っております。
 そういうことでいうと、私、全部OECDのレポートを読みましたけれども、必ずしも私自身は納得ができません。それが一つ。
 それから、さはさりながら、ここのところのいろんな政治状況で確かに格差ができていると思います。その格差を、例えば英国の例が出ましたけれども、英国はそれを今一生懸命解消しようとして努力しております、その辺はお触れになりませんでしたけれども。
 例えば、すみ分けみたいなのが起きています。そうすると、当然、そうでない貧しい人が集まるところが出てくると、そういうところの学校に集中的にいい教師を配置して、そしてその学校をリカバーさせるということ、もちろんその結果クローズするということもありますけれども、やっております。私は、英国の事情はかなり知っておりますので、その辺はつぶさに見ております。BBCでミセス・シャロンという校長先生のプログラムをやりましたけれども、あれも、物すごく劣悪な学校へ派遣されて、それを見事な学校にリカバーさせてプライムミニスターアワードをもらったということですから。そういう努力をしております。
 と同時に、英国がやっておりますのは、先ほど岡田委員お触れになりましたけれども、生涯教育なんですね。生涯教育は、ただ暇ができたから年取っていろんなことを勉強するということではなくて、英国が考えておりますのは、一遍、例えば経済的に恵まれない、あるいは学習しようという動機が少ない、そういう連中が世の中へ出ていったときに、出ていって、また勉学意欲を持ったときに帰ってこれるようなシステム、そして、それを世の中がそこで持ったサーティフィケートなりディプローマを認めるというシステムがほぼでき上がりつつある。であるからこそ、私がおりました最初の、六〇年代の終わりのころ、もう英国はどうしようもない状態でしたけれども、見事に経済的にリカバーしたのは、それが非常に、そういう社会システムを苦労してつくったことが非常に大きな動機になっております。
 ですから、いきなり最初に入口だけで議論するということは非常に危険でありまして、またリカバーするようなシステム、それをつくる。それが英国人は生涯学習というふうにとらえておりまして、私は、この教育基本法にそれが、今度我が国でも生涯学習が入ったということは、リカバーできるシステムがまたできたということで非常にいいことだと思っておりますが、さらに、これを一体どうやって具体的な政策に結び付けていくか、その辺は相当考えないといけないというふうに思っております。
○公述人(大内裕和君) 教育の格差の問題というものは、社会の格差と違った位相を持っているということですね。それはなぜかというと、教育の格差というのは社会に出るスタート地点ですから、明らかに機会の格差、機会の平等とかかわっているわけです。とりわけ、現在のように格差社会が拡大している中で、教育を不平等化するとか格差を拡大することは破壊的な影響をもたらしてしまうというふうに考えます。
 生まれによって将来が決まるということ自体が民主主義の根幹を揺るがすと考えます。再チャレンジとか生涯学習とかいうことは重要なんですけれども、その再チャレンジや生涯学習を受けるときにだって、そのもとになる力というのは義務教育時代の力に影響を受けています。ということは、元々のところで階層差を付けてしまえば、後でチャレンジしようと思ったってそのときにそれが埋められないということですね。
 教育の市場化ということが言われていますけれども、義務教育の市場化というのは本当に問題です。だって、学校は商品のように取っ替え引っ換えできないんですよ。六歳から十二歳でたまたまそういう学校に当たったら、もう一回六歳から十二歳やれないんですから。だからこそ、同じ水準の教育をやることがとても重要です。
 せっかく日本は、これ戦後、教育基本法の下の教育政策の中で、初等中等についてはかなりの程度教育の平等を実現してきました。だからこそこれだけ社会が発展をし、民主主義もある種実現してきたんだと思いますね。それをここで投げ捨ててしまうのかと。重要なのは、格差社会になっているからこそ公教育が重要なんですよ。元々の階層がそれほど差が付いていないときだったら、ある程度市場化していってもまずまずいけますけれども、今みたいにこれだけ差が広がっているときに公教育の平等を守らなかったら、本当に子供たちが小さいころから分けられてしまうということですね。それが非常に大きな問題だと思います。
 ということは、つまり、大学は重要なんですけど、大学に到達する前に差はもう出てしまっているから、変な話、高等教育予算の充実は大事なんですけど、プラスそこにたどり着くまでの平等も考えなければ、これだけ大学入試までにお金が掛かる状況をほっとくんであれば、それはとても問題だろうというふうに考えます。
○公述人(浅野大志君) 教育現場を見ているに当たって、やはり格差というのはとても広がっているように感じております。
 例えば、実際、習熟度別学習というのは行われているんですけれども、塾に行っている子と行っていない子で見事に習熟度別では上と下にそのまま分けられるという形になっています。その下の子たちに、やはり点数が悪いわけですから、何としてもちょっとでも良くなってほしいということで声を掛けるわけなんですけれども、私は塾に行っていないから解けない、できないよという形で、半ば最初からあきらめているというふうな形も見受けることができました。
 そして、今広がっている教育の市場化、例えば学校選択制もそうですが、学校の評価などによって学校を選べることができるというわけなんですけれども、それが学校単位での習熟度別みたいな形で広がっていくのではないか、それがまた地域にも広がっていって、それが地域間格差に広がっていって、それは地方への財源移譲などによって、やはり地域色によって教育に熱を入れる場所、入れない場所って出てきたときに、更にそれが地域レベルで格差が広がっていくというふうに感じております。
 今の段階でこうなのですから、これから先、教育への市場化というものが進んだら確実に格差というものは広がっていくと感じております。決して私たちは、教育に従じる者として、そのような格差固定につながるような教育というものをしていきたくはありませんと思っております。
○亀井郁夫君 ありがとうございました。
 戦後六十年たちましたけれども、私たちが小さいときは、私自身は中国山脈の山の中の四反三畝の百姓の息子ですけれども、こうして現在があるのは、そういう格差がないから、あるいは多少あったとしても小さな格差だから乗り越えて今日を迎えることができたんだろうとつくづくと思うわけで、それだけに、今言われたように格差の問題は非常に大きな問題だろうと思いますので、格差是正のために頑張っていきたいと思っています。本当に変な世の中になってしまいましたね。だれがしたんだというふうにもう一度言いたい、本当。ですから、それに負けないで頑張っていくのが我々の仕事だと思います。
 その次にお聞きしたいのは、今日もいろいろ意見が出ましたが、この法案は戦後六十年直すんですから、非常に大事な法案だと思うんです。そういう意味では超党派で議論していくべきだったと私は思うけれども、ところが、実際には肝心の自民党でも議論が進まなかったわけですね。ちょうど木村さんがやっておられる中教審の答申案が出ましたね。あれは十五年の三月だったと思いますけれども、それを契機として自民党と公明党で研究会つくったけれども、それは党のトップの人が五人ぐらいずつ集まってやっていて、それは極秘でやっていたわけですね。六十回勉強したと言うけれども、配付した資料も見せなきゃ、一切見せないんだから。自民党でも一切話しちゃいけないということで、それまではいろいろと愛国心の問題や宗教的情操教育の問題、いろいろなものを議論しておったんです。一切言えなくなったんですね。
 そうして、去年の春提案されて、政府提案として出されて、わずか、わずかのちょっとの議論をしましたけれども、ほとんど議論されないままに国会に提案されたと。自民党の人たちも党員の人たちも、みんな不満に思っておりますよね。だから、亀井さん頑張れよって言ってくれる人が多いんですけれどもね。それこそ私は去年暮れまで自民党におりましたから、自民党のそういうことがよく分かるわけです。
 そうして今度、参議院にかかっているんですけれども、民主党からもいい案が出ているから、せっかくいい案出ているんだったら足して、ちゃんと悪い点を直して、両方からいい点取っていきゃいいじゃないかと私は思うんだけれども、それも失敗しました。多分だから原案どおりいくんでしょうから、非常にむなしい思いがしておるわけです。こうして皆さん方に聞いても聞いただけのことになってしまいはしないかと。多分そうなりますね、明日で終わるんだからね。だから、本当に残念なんです。
 だけど、こうした重要な基本的法律をこういうふうな形でやってきたことに対しては、皆さん、どう思われますか。五人の人に聞きたいと思います。
○公述人(安西祐一郎君) 教育の議論について、これは例えば企業組織等々の経済の問題とまた違いまして、もうそれぞれ日本のあらゆる人たちがあらゆる意見はあるというふうに思います。
 そういう中で、やはり戦後六十年を期してこれからの時代に対して、もっともっとやはり教育の多様性ですね、先ほどから申し上げておりますのは。戦後半世紀の間、極めてやはり一律化してきた教育の場というものをもっと多様な場にしていきたいと、そういう日本の大きな転換期にあると思うんですね。
 そのときに、もちろん議論を尽くしてということは、これはもう非常に重要なことでそのとおりだというふうに思います。一方で、それでは日本のこれからの教育の一番理念に近いその法律のところをいつ実施すればいいのかということについてもやはり考えていかなければいけないのではないかと。そこの言わば均衡というんでしょうか、そういうことではないかというふうに思いますが。
 私自身は、やはり幕末から明治にかけての転換期と同様のことが今の時期の日本には起こっているというふうにとらえておりますので、この教育基本法の改正というのは、やはり非常に大きな、また議論を尽くしていないかいるかというのは私には軽々には判断できませんけれども、非常に大きな時期にあるということは申し上げさせていただければと存じます。
○公述人(山岡修君) 先ほど私申し上げたとおりなんですけれども、二つの案を読ませていただいて、私はどちらに賛成という立場というのは言っていないんですけれども、読ませていただいたところ、二つの案の中に非常にいいところがたくさんあって、どうしてこのいいところをこっちに持ってこれないのかというのが非常に残念だと思うんですね。
 先生おっしゃったとおり、超党派あるいは審議会のようなものをオープンにやった方が本当はよかったのかなというふうに、私の個人的な意見でございます。
○公述人(木村孟君) 私も民主党の案を見せていただきましたが、本当にいろんな広い視野で書かれていると思います。
 しかしながら、全体的に見ますと、少なくとも私、中教審にかかわった身から申し上げますと、やはり中教審で非常に長い時間掛けて出した答申が十分に、先ほど申し上げましたけれども、今回の政府案に盛り込まれているということで、その点では結構ではなかったかというふうに思います。
 いずれにしても、私は、教育というものは非常に大事なものであるというふうに思います。これはもう言うまでもないんですが、私、今、安西公述人、江戸の末から明治の話をされましたけれども、ペリーが来ましたときに、今恐らく俗説になっておりますのは、日本は通商条約ではほとんどペリーにやられたというふうに思われていると思いますが、前の横浜市立大学の学長でいらした加藤祐三先生が「幕末外交と開国」という本を書いておられまして、百五十種類ぐらいの新しい文献を発掘されて、従来の説を覆されております。
 それによりますと、林大学頭、その交渉係でありましたけれども、それはほとんどの場面でペリーを議論でやっつけております。それから、いろんな脅かしをやりましたけれども、それが全部うそであるということを即刻見破っております。それは、どうしてそういうことができたかというのは、あの江戸の三百年という、徳川時代の三百年という時代、日本人が物すごく勉強したということなんですね。その結果、そういうものがうそである、それから中国の情報も正確に取った、アメリカの情報も正確に取った、オランダの情報も正確に取った、そういうことができたのでありまして、であるからこそ、今、私、この国があると思っていますので、教育を是非ないがしろにしない、そういう点でこの今回の政府案の教育基本法案、非常によくできていると私は思っております。
○公述人(大内裕和君) 今御議論の中で、これが終わったらすぐだろうという話ありましたが、浅野公述人も言われたように、この公聴会自身が意見を聴いて、法案審議を深めるということなんですから、是非とも審議をもっと深めていただきたいというふうに思います。
 とりわけ、今日、私がお話しした格差社会の問題についての議論は明らかに不足しています。なぜ、国民はこれだけ大きな関心を持っているのに、その問題が十分に議論されないのか。タウンミーティングもいじめももちろん重要ですけれども、それと並ぶぐらい、あるいはそれ以上の重要性を持っているというふうに考えます。
 教育の在り方というのは、社会のこれからの在り方を決めるわけですね。ですから、このところで教育の在り方を十分な審議をせずに決めてしまうことはとても大きな問題であるだろう。
 とりわけ、格差社会の問題というのは、今年になってからクローズアップされているわけです。ということは、この法案ができてきた過程のとき以上に問題は鮮明になっていますね。今この格差社会になっている中で、今日言った問題点、今日、私は時間がありませんでしたので一点に絞りましたけれども、同じような論点を何十も出すことができます、各条文について。条文ごとの議論は非常に不足しているというふうに私は考えています。是非とも徹底審議をお願いします。
○公述人(浅野大志君) 先ほど僕が申しました、公聴会直後の採決は疑問と申したのは、言ってくれたのは河野洋平衆議院議長でございます。
 公聴会には国民の意見を参考にする重要な目的、我々が今、僕自身が、学生が来るというのはとても珍しいことだったと思います。そうした意見を聴いた皆様も、その中に新たに生まれた思いがあると思います。それを踏まえるならば、やはりまだ審議時間必要だと思います。国民の参加をお願いします。どうも。
○亀井郁夫君 どうもありがとうございました。
○委員長(中曽根弘文君) 以上をもちまして公述人に対する質疑は終了いたしました。
 この際、公述人の皆様に一言御礼申し上げます。
 本日は、長時間にわたり御出席いただき、貴重な御意見をいただきまして誠にありがとうございました。委員会一同を代表して厚く御礼申し上げます。(拍手)
 これをもって公聴会を散会いたします。
   午後四時十九分散会