第166回国会 文教科学委員会 第16号
平成十九年五月三十一日(木曜日)
   午前十時開会
    ─────────────
   委員の異動
 五月三十日
    辞任         補欠選任
     小泉 昭男君     小泉 顕雄君
     松村 祥史君     二之湯 智君
     櫻井  充君     広中和歌子君
 五月三十一日
    辞任         補欠選任
     小泉 顕雄君     木村  仁君
     二之湯 智君     松村 祥史君
    ─────────────
  出席者は左のとおり。
    委員長         狩野  安君
    理 事
                中川 義雄君
                中島 啓雄君
                佐藤 泰介君
                蓮   舫君
    委 員
                荻原 健司君
                神取  忍君
                木村  仁君
                小泉 顕雄君
                中曽根弘文君
                二之湯 智君
                松村 祥史君
                水落 敏栄君
                吉村剛太郎君
                鈴木  寛君
                西岡 武夫君
                林 久美子君
                広中和歌子君
                水岡 俊一君
                山本 香苗君
                鰐淵 洋子君
                井上 哲士君
       発議者      西岡 武夫君
   国務大臣
       文部科学大臣   伊吹 文明君
   副大臣
       文部科学副大臣  池坊 保子君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        渡井 敏雄君
   政府参考人
       内閣官房内閣審
       議官       山中 伸一君
       総務大臣官房審
       議官       津曲 俊英君
       文部科学大臣官
       房文教施設企画
       部長       舌津 一良君
       文部科学省生涯
       学習政策局長   加茂川幸夫君
       文部科学省初等
       中等教育局長   銭谷 眞美君
       文部科学省高等
       教育局長     清水  潔君
       文部科学省高等
       教育局私学部長  磯田 文雄君
       文部科学省研究
       振興局長     徳永  保君
       文化庁次長    高塩  至君
       厚生労働大臣官
       房審議官     村木 厚子君
   参考人
       京都市立堀川高
       等学校長     荒瀬 克己君
       東京学芸大学教
       員養成カリキュ
       ラム開発研究セ
       ンター准教授   岩田 康之君
       川崎市教育改革
       推進アドバイザ
       ー        内藤  宏君
       明治大学文学部
       教授       三上 昭彦君
    ─────────────
  本日の会議に付した案件
○学校教育法等の一部を改正する法律案(内閣提
 出、衆議院送付)
○地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一
 部を改正する法律案(内閣提出、衆議院送付)
○教育職員免許法及び教育公務員特例法の一部を
 改正する法律案(内閣提出、衆議院送付)
○日本国教育基本法案(西岡武夫君外四名発議)
○教育職員の資質及び能力の向上のための教育職
 員免許の改革に関する法律案(西岡武夫君外四
 名発議)
○地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律
 案(西岡武夫君外四名発議)
○学校教育の環境の整備の推進による教育の振興
 に関する法律案(西岡武夫君外四名発議)
○参考人の出席要求に関する件
○委員派遣承認要求に関する件
○政府参考人の出席要求に関する件
    ─────────────
○委員長(狩野安君) ただいまから文教科学委員会を開会いたします。
 委員の異動について御報告いたします。
 昨三十日、櫻井充君、松村祥史君及び小泉昭男君が委員を辞任され、その補欠として広中和歌子君、二之湯智君及び小泉顕雄君が選任されました。
    ─────────────
○委員長(狩野安君) 学校教育法等の一部を改正する法律案、地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案、教育職員免許法及び教育公務員特例法の一部を改正する法律案、日本国教育基本法案、教育職員の資質及び能力の向上のための教育職員免許の改革に関する法律案、地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律案及び学校教育の環境の整備の推進による教育の振興に関する法律案、以上七案を一括して議題といたします。
 本日は、七案の審査のため、参考人として京都市立堀川高等学校長荒瀬克己君、東京学芸大学教員養成カリキュラム開発研究センター准教授岩田康之君、川崎市教育改革推進アドバイザー内藤宏君及び明治大学文学部教授三上昭彦君の四名の方に御出席をいただいております。
 この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多忙中のところ、本委員会に御出席をいただき、誠にありがとうございます。
 参考人の皆様には忌憚のない御意見をお述べいただきまして、七案の審査の参考にさせていただきたいと存じますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
 本日の会議の進め方でございますが、まず荒瀬参考人、岩田参考人、内藤参考人、三上参考人の順でお一人十五分程度で御意見をお述べいただき、その後、各委員の質疑にお答えいただきたいと存じます。
 なお、御発言は、意見の陳述、質疑及び答弁のいずれも着席のままで結構でございます。
 それでは、まず荒瀬参考人から御意見をお述べいただきます。荒瀬参考人。
○参考人(荒瀬克己君) 京都市立堀川高等学校の荒瀬と申します。どうぞよろしくお願いをいたします。本日は、このような席にお呼びいただきまして、大変光栄に思っております。
 それでは、座らせていただいて、申し上げます。
 ただいまも申し上げましたように、私は京都市立堀川高等学校という公立高校の校長をしております。現場の学校がどのような取組をしているのかということを含めましてお話を申し上げたいというふうに思っております。
 まず、堀川高校という高等学校でございますけれども、これは一九〇八年、明治四十一年に京都市立高等女学校として誕生いたしました。戦後、昭和二十三年、一九四八年に新制高校になりまして、平成十一年、一九九九年に新しい学科を設置いたしましてリニューアルをしているところでございます。来年は百周年を迎えます。申し訳ございません、資料はございません。
 私たちは、平成十一年に、学校を新たに考え直していいものをつくっていこうというところで様々な取組をしてまいりました。仲間の教員とともに学校をつくってきたというふうな自負を持っております。自分たちの子供を通わせたい学校をつくろうと、それが合い言葉でございました。そのために、目標からの評価ということを考えました。こういう学校をつくろうということを話し合って、そして決めた目標に向かって取り組んでいくと。私たちは教員としてのプロという自負を持っております。したがいまして、プロであるならば、目標を立てて、その立てた目標に達したかどうかのみが問われると。よく頑張ったとか、一生懸命やったけれども残念ながらこれこれこんな理由でうまくいかなかったとかいうのは、それは高校生の評価としては正しいけれども、私たちプロとしてはそういう評価に甘んじていてはいけないと、目標を達成しようということで日夜取り組んできたところでございます。
 堀川高校の最高目標は、自立できる十八歳の育成であります。昨今、大学進学者数等が週刊誌などを含めて大変にぎわせております。堀川高校もそういうところで取り上げられることは多々ございますけれども、私たちが願っておりますのは、数字としての結果のみならず、その中身であります。
 十八歳で自立できる青年を育てるということは可能か不可能かと申しますと、現在のところ、十八歳では社会的にも経済的にも精神的にもなかなか自立できるというところまでは参りません。しかし、高等学校の三年間の間に自立しようとする意思を持たせることはできるだろうと。そのためにはどんな力が必要なのかということを考えました。例えば、工業高校であれば卒業すれば直ちに社会の一員としてその身に付けた技術技能を使って社会の中で生きていくことができる、農業高校であれば同じようにまたそういうことができる。ところが、堀川高校のように普通科の高校は、具体的に社会の中で人とかかわって生きていくという際に、そういった技術技能を提供してはおりません。
 そこで、どんな力が必要なのかということを考えていく中で私たちが到達した力というのは、段取りを組む力であります。一つの目標に向かって取組を進めていく、計画を立てて、期限を切ってやっていく、その際に様々な人とかかわって、コミュニケーション能力も必要になってきますし、取り組めば当然失敗するというリスクも負います。その失敗を何とか克服しようという工夫であるとか、あるいは長い時間それを続けるという際の体勢、我慢強さであるとか、あるいはまた、めげそうになったときに元へ戻ろうとする復元力であるとか、そういう様々な力が段取りを組む力という中には必要かと思っております。
 その段取りを組む力をつくるために、私たちは授業の改革をしようと思って、いたしました。具体的に今日はここで申し上げることはできませんけれども、その授業の改革の中身を、毎年十一月半ばに教育研究大会というのをやっておりまして、全国から先生方に集まっていただく、大学の関係者にも集まっていただく、そうして私たちの取組を評価していただくと、そんなことをしております。
 この三月に卒業いたしました三年生、そのうちの一人が高校二年生のときに新聞に投書をいたしました。その年、例のJRの宝塚線の事故がありました。大きく報道され、百数十人の方が亡くなったということで取り上げられました。この、うちの生徒は高校二年生のときにそれを題材にして投書をいたしましたけれども、何を書いたかといいますと、数字の向こうにあるものというテーマでございました。数字を見るとその数字が多い少ないということが言える、しかし、その多いか少ないかということじゃなくて、その数字の一つ一つの向こうに一人一人の人生があったり、人とのかかわりがあったり、あるいはまた夢があったり過去があったり生活があったり、そういうものがその数字の中には込められていると。だから、見えるものを見るというのはとても大切だ、しかし、見えないものを見ようとする意思はもっと大切だと、そういうことを書いてくれた生徒がおります。私たちはその生徒を誇りに思います。
 高校三年間、様々な取組をしていく中で、いろいろと学校には課題があります。学校を取り巻く状況にも課題があります。しかし、そんな中でも生徒は確実に成長していく、日々刻々と子供たちは成長していきます。その成長に向けて私たちがどのように取り組むかということが極めて重要だということを思っております。
 その生徒の取組の基礎になるのは、やはり学力であります。見えない力を付けるというのは大切なことでありますけれども、見えない力を付けるためには見える力がまず必要だと私たちは思っております。想像力、イメージする力も知識なくしては十分にはできません。ですから、きちっとした知識を生徒たちに教えていく、それは非常に重要なことであります。現在、ゆとりか詰め込みかというふうな、まるでデジタルのように、一かゼロのような形で議論がなされる傾向がございます。しかしながら、見える力も見えない力も両方が大切だというアナログ的に考えれば、見えない力を見える力によってつくっていくということが必要ではないかと思います。
 私は現在、中央教育審議会の教育課程部会に入らせていただいておりますけれども、そういう思いの中で具体的に新しい学習指導要領を組み立てていきたいなということを思っております。それらの取組はすべて現場で行います。教育は、様々な外側のいろいろなお声やあるいは支援や、そういったものを受けながら現場で行っております、教室で行っております。
 その点で申しますと、今回学校教育法の改正に向けて新たな職が設置されるということでございますけれども、その新たな職というのは置くことができるという形になっております。私は、その点は非常にすばらしいお考えだというふうに思っております。私の学校には教頭が二人おりまして、二人の教頭のうちの一人を副校長にするということは前々から考えておりました。しかしながら一方で、世間からよく言われますフラットな教員組織、いわゆるなべぶた組織に対する批判につきましては、私は必ずしもそう当を得たものばかりではないというふうに思っております。
 教員は一人一人が教室に行って授業をいたします。様々な組織のありようというのがあろうかと思いますけれども、教員組織というのは納得というのが非常に重要な要素になっております。単に命ずるだけでは、教室に行ったときの教員のモチベーションが上がりません。教員のモチベーションを上げていく、そのためには徹底的に話し合って具体的に納得をするという状態で教室に行ってもらわなければなりません。幾ら頑張っても校長がすべての授業をすることはできません。教頭もすべての授業をすることができません。その意味では、より良い組織のありようというのは、様々な、いろいろな形の中で、その学校にふさわしい、あるいはその地域にふさわしいものを選択するべきだというふうに思っております。
 そういう点で、副校長、主幹教諭あるいは指導教諭といった職が新たに設置されるとしても、必要だと思うところと必要でないと思うところが必ずあろうかと思います。その点につきましては、学校がしっかり考えなければならない。そういう意味では、今後一層校長はその見識を問われていくだろうということを強く思うわけであります。その緊張感の中で本当に一人一人の生徒を育てていく。私のところの学校でいいますと、自立できる十八歳に育てていく、それが私たちに与えられた使命だというふうに思っております。
 カスタマーサティスファクション、舌をかみそうでありますけれども、顧客満足という言葉を以前学びました。私たちにとっての顧客というのは、直接的には生徒であったり、あるいはまた保護者であったり、本校は京都市立堀川高等学校でございますので、京都市民であったり、そういった直接の顧客というものの満足をどのようにして提供できるのかというのを考えるということは、学校にとっても大変重要であると思います。
 ただ一方で、そのカスタマーサティスファクション、いわゆるCSというものと、もう一つ、組織が活性化するためにはエンプロイーサティスファクション、ES、働いている者の満足というものが必要かと思います。特に、先ほど申しましたように、教員はその一人一人が教室に行ってそこで生徒と直接に接します。その点からいいますと、教員自身が誇りを持って満足して仕事ができるという状態、納得して仕事ができるという状態をつくらなければならないと思います。
 現在、国を挙げて教育に関する様々なお取り組みが行われていることは、その点では大変うれしい限りでございます。しかしながら、その前提が、教育がもう駄目になってしまったんだ、教員は駄目なんだというような誤解を受けかねない、そういうことも今あるように思っております。多くの調査の結果、確かに課題はいろいろとございますけれども、必ずしも日本の教育がもう駄目になったんだということではないんだと思います。
 しかしながら、教育再生という、本当にもう何か機能停止したものを新たにまた生きさせる、生まれさせるかのような、それほどの強い意味を持って、この教育をどのようにしていくのか、国家百年の計をどうしていくのかということが国会で論議されているということは私たちにとって大変心強いことでございます。是非とも、教育に本当にしっかりとした百年の、将来を考えられるような様々な支援をお願いしたいと思っております。
 先ほど申しました新たな職に関しましても、新たな職をつくることがすなわち組織の活性化には直接はつながりません。むしろ、その新たな職が機能するためには教員の増ということが必要ではないかというふうに思います。あるいはまた、教育予算の増ということも大変重要であると思います。
 堀川高校は文部科学省のスーパーサイエンスハイスクールの研究指定を受けております。理科離れということが言われました。数学離れ、活字離れということが言われました。でも、本当に子供たちが理科、数学や活字から離れていったのかというと、私はそうは思っておりません。そういうチャンスが与えられなかったんだと。
 子供たちは育てたように育ちます。現在の子供がもし課題を持っているとしたら、それはそのように育てられたからだと思います。子供たちには罪はありません。私たち大人がどのようにしていくのか、その意味で、是非この国を挙げての教育論議が具体的な、先ほど申しました、見えない力を養うためには見える力が必要だということと同じように、子供たちの成長を促すためには、見える具体的な大胆な骨太の施策が必要ではないかというふうに思っております。
 パーソナルコンピューターの父と言われているアラン・ケイという方がこのようにおっしゃいました。未来を予測する最良の方法はそれをつくり出すことである、未来を予測する最良の方法はそれをつくり出すことである。ならば、私たちの目の前にいる子供たちがまさしくこの国の未来であります。その未来のために、是非先生方のお力をもって、より良い方向に、具体的に物的、人的な措置も含めまして、どうぞよろしくお願いしたいと思います。
 私の意見陳述は以上でございます。
 御清聴ありがとうございました。
○委員長(狩野安君) ありがとうございました。
 次に、岩田参考人、お願いいたします。岩田参考人。
○参考人(岩田康之君) 東京学芸大学教員養成カリキュラム開発センターの岩田でございます。どうぞよろしくお願いいたします。
 着席させていただきます。
 私は、教員養成制度やカリキュラムの歴史研究を専門にしております。近年はアジア等中心とした比較研究も手掛けております。また、日本教育大学協会や国立大学協会、日本教師教育学会といった教員養成関係の組織的なコーディネートにも携わっております。昨年の中教審答申で打ち出されています教職大学院、学部の教職実践演習、免許更新講習の内容等を検討する作業部会的なものにもかかわってまいりました。本日は、そうした経験を踏まえまして、教員の資質向上策についての見解を、主に教員免許更新制との関係で述べたいと思います。
 資料として、レジュメ一枚と、御参考までに雑誌記事二点を用意いたしました。
 教員養成の改革を考えるときに、まず注意すべきこととしましては、即効性が望めないということであります。即効性を望むなら、制度改革よりはむしろ行政手続の改変に頼った方が良いと思います。これから教員免許更新制を導入しても、現在の四十代、五十代の先生方は、多少不満があっても一度か二度更新講習を受けるだけです。むしろ、この制度になじんでこれから教育界に入ってくる人材が主流を占めるのは二十年、三十年先です。そこを見据えることが大切な課題だろうと思います。そのタイムスパンの問題がまずあります。
 私が小学校に入学しましたのが昭和四十五年です。このとき、旧制師範学校の最後の卒業生あるいは新制大学の一期生は三十代後半です。また、新制大学発足後も、当初は二年課程の方が定員が多く、その最後の卒業生がこのとき二十六歳です。ですから、当時の状況としては、中堅以上は師範学校出、若手の多くは短大レベル、そして四年制大学卒の教員は若手の中の比較的少数だったと言えます。
 昭和四十三年に改訂された学習指導要領は、いわゆる現代化の名の下に内容が最も過密だったとされていますが、そこで高度成長期の子供の学力を支えたリーダー格の先生は師範学校世代だったわけです。彼らが定年を迎えるのは昭和の終わりか平成の初めごろです。そして、昭和四十五年ごろを境に戦後育ちの四年制大学卒の教員が増えてきますが、同時に、制度設計の穴といいますか、当初は余り顧みられなかった問題が顕在化してまいります。
 その最たるものは、新制の中学校が義務化され、その後高等学校が準義務教育と言われるほどに進学率を上昇させたということのリアルな認識が欠けていたということであります。義務化するということは、必ずしも学ぶ意欲が十分とは言えないティーンエージャーが大量に入ってくるということです。この点が戦前の中学校や高等女学校のように意欲の高い生徒だけが入試で選抜されて入る学校との大きな違いです。しかしながら、この点は戦後改革のときに十分に認識されてはいませんでした。恐らくは旧制中学や旧制高校のイメージが強かったのだろうと思います。その結果として、新制中学・高等学校の基本的な構成原理は旧制の枠組みのままだったわけです。
 例えば、旧制の工業専門学校が新制大学の理工系学部になる、そこの数学科で数学を専攻して中等学校の数学の教員を目指す若者は、基本的に数学が得意で好きで、数学を学ぶということは自明であります。旧制中学ならば、そうした数学のエキスパートが教員になることに問題はなかったわけですが、新制中学の生徒たちの相当部分は、なぜこんなことを勉強しなくちゃいけないんだという思いを持っています。そのそごが高度成長期の詰め込み教育の中で教育問題化してくるわけで、中教審のいわゆる四六答申でもこの問題は認識されております。
 当然、教員にも教科専門のレベルの高さ以外のものが求められてきますが、いったん教員養成の基本的な枠組みができてしまうと、せいぜいその中で教職に関する科目の単位を増やすぐらいの対応しかできないわけです。あるいは、参考資料の理科離れの文章にもございますが、昭和四十年ごろから小学校教員の免許を認定する一般大学が増えてきます。これは開放制、すなわち参入主体の制限が少ない制度が定着してきたことの表れですが、注意すべきは、ここで参入してきた一般大学の大半が文学部教育学科初等教育専攻だということです。当然、入試、カリキュラム、入学・卒業判定、教員人事などはすべて文学部教授会で決まります。こういう一般大学のシェアが増してきて、現在では小学校教員の新採用に占める割合が養成系出身者と拮抗しております。ただ、その過程で理科離れの拡大再生産は着々と進行してきたわけです。これも制度設計時には認識されなかった問題です。
 そうした想定外の事態が生じたときの被害者はだれかと考えてみますと、まず子供です。そして教育に携わるすべての人です。多くの実習生が実習校に負担を掛けるという教育実習公害は六〇年代から繰り返し叫ばれておりますが、これは開放制原則の後の高等教育の拡大と、その中での教員ライセンスの商品化が大規模に進行するというその度合いを読み誤ったことの結果であります。
 これから教育実習に出る学生が多いですが、彼らの多くは実習校で、どうせ君たちは教員になるつもりないんだろうという冷たい視線を浴びます。手間暇掛けて指導する実習生のほとんどが教員にならないという徒労感を味わっている実習校の先生方の負担もよく分かります。どちらも言うなれば制度設計の被害者です。
 それだけでなく、近年の教育問題の深刻化の中で、教員養成の実践性強化をしようとしても、今のままでは実習単位を増加させることに限界があります。かといって、課程認定の強化という形で対応しようとしても、大学と文部科学行政の間でのあつれきを生みます。部分的には課程認定基準すれすれでも、トータルでは立派な教員養成を行っている大学はたくさんあります。ですから、一律に基準強化をするのが適当かは疑問であります。恐らく文部科学省教職員課の方々の負担も大変なのではないかと思います。
 このように見ますと、制度設計の穴は数十年たってから問題として顕在化します。その意味で、教員養成の制度改革は先を見据えて行う必要があります。ただ、教員資質をめぐる世論の関心が高まっており、教員免許の制度疲労が明らかになりつつある現在が改革の好機であることは確かです。そして、これまでのような部分的な修正ではなく、一歩引いて視野を広げた制度改革、例えば教育実習にしても、卒業前は観察のみで予備免許を与え、採用内定を要件として卒業後に長期の実習をして本免許を授与する仕組みを考えるぐらいの大胆さはあっていいように思います。
 こうしたことを踏まえて、今回審議されている法案に関する意見を申し上げますと、私自身は、教員資質の向上策として免許更新制を取り入れること自体はあり得る選択肢の一つと考えております。しかしながら、十年に一度の講習の修了によって一律に免許状を更新することに教員資質の向上策としてどれほどの有効性があるのか疑問も持っております。今すぐに教員免許更新制と名の付く制度を導入することだけを目的とするならともかく、少なくとも数十年先を見据えて公教育の教員資質の向上を確保する基盤を整えようとするならば、まだ審議の尽くされる余地は大きいように思います。
 実は、参考資料の二つ目に用意しましたのが安倍内閣発足の日に脱稿したものです。その末尾に書きましたように、従来の枠にはまらない大胆なプランを少々期待しました。しかしながら、今のところ提案されております法案は余り大胆とは言えず、中教審と部分的にすり合わせただけという印象を持っており、少々残念でもあります。今回の教員免許更新制の議論はアメリカにヒントを得たとされていますが、アメリカの更新制は、参考資料二にもありますように、基本的には研修と免許状のアップグレードの奨励策です。前の更新からの期間にどのような研修をどれだけ経たか、その継続的な職能成長の支援が更新の核になっています。
 免許更新の対象を現職教員に限るのなら、実際の勤務や研修のありようと関連付けることが重要です。今回の政府案にあります指導改善研修はその発想を取り込んではいますが、基本的に講習とその修了認定にウエートを置いている点、そして排除を前面に出している点にまだ若干の難があると思われます。教員の適格性とは継続的な勤務実態の把握を経て認定する方が単発の講習よりもはるかに有効であります。
 一方、民主党案は、基礎資格を修士とし、一般免許状と専門免許状とに階層化させて、後者を管理職の要件にしている点に特色があります。
 基礎資格について申しますと、日本で、特に短大レベルの二種免許が業務範囲の限定なしに設けられているのは国際的にも意外に思われるようです。アジアの発展途上国の方からも、その免許で学級担任持ったり実習指導したりできるんですか、そんな免許がまだ日本にあるんですかと言われることもあります。これは短期大学関係者の利害もかかわる微妙な問題ですが、丁寧に合意形成を図ることを通じて、免許の階層化と下級免許の業務範囲の限定、あるいは更新の制限ということは行われていくべきだろうと思います。
 学校教育法改正の政府案にあります主幹教諭や指導教諭などの職階と免許制度、あるいは基礎資格の関連についてももっと意識されていいように思います。ただ、一度に基礎資格を修士に上げるのは日本の現状では困難であります。当面、修士修了の教員とそれ未満の教員とが学校現場に併存する状況を想定しなければなりません。そのすみ分けをどうするか、この点今後に詰めが必要なように思います。
 なお、業務範囲の階層化ということに関して若干私見を述べますと、管理職か否かという腑分けのほかに、日本の学校の実態と教師の職務の実態に根差した区分もあるように思います。例えば小学校ならば、複式学級の指導というのは大変難しいわけです。ですから、これを上級免許にゆだね、下級免許では一定規模以上の学校のみとする。高等学校でも、進学校ならば教科指導中心の旧制中学のようなスタイルがある程度通用しますが、教育困難校ではそうはいきません。こちらの方が仕事としては難しいわけで、だとすれば、これを上級免許にゆだねて待遇もアップさせる、そのような考え方もあり得ると思います。
 最後に、今後の検討に際しての視点ということで申し上げます。
 従来のこういう教員養成の行われてきたことをポジティブにとらえる部分というのを増やしてみてはどうかと思います。これまで開放制の原則の下で生まれてきた大量のペーパーティーチャーを、無駄だというふうに切り捨てるよりはむしろ貴重な蓄積ととらえる。既存の養成ルートを経ない人材を特別免許状で取り込むことも重要でしょうが、それと同時に、これまでの採用の在り方になじまなかったペーパーティーチャーを積極的に取り込む方がむしろリスクが少ない、学校の活性化につながるのではないかと思われます。
 これにかかわって、現状では採用や人員配置や昇任や分限、さらには研修など多くの権限が都道府県あるいは政令市レベルの教育委員会に集中しておりますが、地教行法を改めるなら、それらを分散させて相互のチェック・アンド・バランスにゆだねるというようなことも将来的に考えられてよいのではないかと思います。
 以上、雑駁ですが、私からの意見陳述とさせていただきます。
 御清聴ありがとうございました。
○委員長(狩野安君) ありがとうございました。
 次に、内藤参考人、お願いいたします。内藤参考人。
○参考人(内藤宏君) 私は、川崎市の市長から呼ばれまして、今教育改革のアドバイザーをしております。それらの経験を基にして少し具体的な話をしたいと思います。
 座ると話しにくいので立ったままで、よろしくお願いします。
 現在、教育の問題でいろんなことが言われていますけれども、一体何を改革したらいいかということなんです。いわゆる、よく見ていますと対症療法が多過ぎるんですね。そうでなくて、原因療法をしなきゃいけない。
 何でこの戦後六十年間の間の教育が失敗したかというと、これは教える教育をしていたからなんです。教えよう教えようと思って教えることが間違いなんです。教育というのは育てようと思って教えることなんです。この基本の考え方が間違っていたのがこの六十年間なんだと。だから、こんな忙しい若者がたくさん出てしまったんです。
 じゃ、どこに、その教えると育てるのが違うかといいますと、それを具体的に例を挙げて話してみましょう。
 まずは、戦後、教えよう教えようと思ってやってきた、そのことは、あるいは教える教育というのは、国が貧しかったりあるいは後進国などの場合にはそれでいいんです。本人がみんなやる気でいるんですから、何とかしなきゃいけないと思っているんだから、ほれ勉強しろ、頑張れという、こんな乱暴なことを言っているだけでも何とかやってくるんです。それが戦後十年か十五年ぐらいまでなんです。
 ところが、国が豊かになってくると、そんなことをしていたんでは教育にならない。その辺で育てるという考え方に変えなきゃいけないのに、変えずにずうっと現在まで来て、現在もそれを続けているというところに最大の間違いがあるわけです。
 では、どこがどう違うのかをちょっと具体的な例を挙げて説明します。
 例えば、子供に九九を教えるとします。そうすると、教えようという考え方だと、例えば、あんた、二の段言ってごらんと。子供が大概、二、七、十四、あの辺は引っ掛かりますからね、あれは間違える。そうすると、二、七、十四でしょうと言うと、子供は言い返して、何回かやりますね。何回かやっていても、二度も三度も同じところで引っ掛かると、あんた、何遍言ったら分かるのと、こうなってくる。それは、なぜ、何遍言ったら分かるのと言うかというと、教えよう教えようと思うから、教える方が自己中心で自分勝手になるんですよ、教える方ですよ。だから、自分勝手な、自己中心的な発想だから、今度はどうなるかというと、押し付けがましくなってくるんです。なかなか分からない。そうすると、子供はうるさいなと思っているんだけど、怖いから、またやる、また間違えると、あんた、何遍言ったら分かるのと、今度、しかられるわけ、怒られるわけです。それが怖さでやっと覚えるんですから、そのときに頭に入ったのは確かに二の段の九九かもしれないが、身に付いたもの、教養は身に付くんです、身に付いたものは何かといったら、うちのおふくろは怖いなとか、何でこんなうるさいことを言うんだとか、冷たい女だとか、そういうことが身に付くんですよ。身に付いたものは教養なんです。だが、この身に付いた教養を、こういうのをマイナスの教養という。だから、二の段を教えたために子供にはマイナスの教養ができているということなんです。
 ここが教える教育の非常に悪いところなんです。これを六十年間もやってきたからろくな子供がいないのは当たり前なんです。
 じゃ、育てるとはどういうことかというと、例えば二の段の場合に、途中引っ掛かりますね。すると、たとえ自分が一度でもって覚えることができたとしても、相手の覚えようとしている、相手の子供に心の姿勢をそろえるということが大事なことなんです。ですからここで自分ができたとしても、ああ、お母さんも随分何回も何回もおじいちゃんにやり直しさせられた、やっと覚えたのよと持っていって心の姿勢をそろえてやれば、子供は安心して、ああ、そうかな、うちのおふくろもそうだったのかと思うわけです。
 そういうふうに安心するから、そのときに頭の中は空になって、その空になったときに集中力が付くから今度は覚えるんです。それで、覚えたときに、あんた、今度お母さんより早く覚えたじゃないと言ってやれば、子供は喜ぶと同時に、じゃ、今度自分で三の段やってみようかな、こうなるわけです。ということは、ここで初めてやる気が身に付いていく。そういうふうに言っていくからやる気が出る。
 だから、このときに大事な点は、親が子供に姿勢を合わせてやるということなんです。いわゆる育てるという考え方はいつも相手中心に物を考えますから、自分が相手中心に物を考えているときには自分の心にゆとりがある。子供もそういうゆとりのある親から教えられていくんだから、子供自身もゆとりができるから、そのゆとりで次をやる、それがゆとりということなんです。全然ゆとりなんていうのは分かってないですからね。だから、教える教育をしていてゆとりを持てというのは無理なんです。これは、ゆとりは持てないんです。育てようとしているからこそお互いにゆとりが持てる。このゆとりが将来役に立つ、いわゆるプラスの教養になっている、それがやる気なんです。そういうことですね。だから、ここが、まあ九九一つでいえばこういうところが違うんです。
 それからもう一つ、こういう例をたくさん挙げていった方が分かりいいと思うから言うんですが、JRの福知山線の脱線事故がありましたね。あれは教える方の上司が間違っているからなんですよ。ATSをくっ付けるとかって、それはいいですよ、くっ付けちゃいけないと言っているんじゃなくて、ATSをくっ付けるのはいいけれども、あれは対症療法なんですよ、ああいう機械を一杯付ける。幾ら付けても原因を直さなかったらば、またやるんです、同じことを。だから、政府の再生会議でいろいろやっているのを全部調べますと、あれは全部対症療法なんです。あれを何遍もやったって教育は改革できないんです。原因療法をしなきゃ駄目なんですよ。
 ですから、これでいうとどこが間違っていたかというと、その上司が新しく運転士を育てようというときに、まあ運転技術を教える。教えてもさっぱりうまくいかないで、ホームをオーバーしたり遅れたりして帰ってくる。帰ってくると、今度しかるのが、日勤教育とかいってしかるわけです。で、何というんですか、ペンキ塗りやらしたり草むしりやらせる。これは学校でいう体罰と同じようなものなんです。できもしない体罰なんかやっていたって絶対に良くならない。これ、今の日勤教育は体罰と同じようなものなんです。そうすると、指導を受けている方の運転士、初めてやるんだから、受ける方はまたその次も遅れる、次も遅れるとなると、もうますますやかましくしかられるわけです。あの日勤教育を三十日もやらせられたという人間がいるんですから。あのとき、事故を起こした者は十三日間だったけれども、厳しいわけですよ。
 そうすると、頭の中でしかられるのが嫌だと思うわけです。上司が怖いから嫌だと思うわけ。だから、またホームをオーバーすると、まず頭に浮かんでくることは怖いから嫌だということ、これが潜在意識に入っているんですよ。ところが、人間は九五、六%は潜在意識で行動しますから、潜在意識でもって、これは遅れたから何とか取り返さなきゃ、そうなるわけです。そうすると、時速七十キロ制限であったあのカーブを百キロを超えて走ったということになるわけなんです。怖いからですよ。それで脱線したんですよ。そしてああいう大事故を起こしたんです。
 だから、このときはどうしたらいいかというと、そういうことを教えるときには、今も言ったように、自分が一度でもって立派な技術がすぐできたと仮定しても、そんなことにはならないんだけど、仮定しても、その子には、まず第一に、あなたは運転士なんだから、お客さんを安全に運ぶんだということをしっかり頭へ入れておきなさい、このことを徹底して教えることなんです。そして、遅れてきたら、いや、そういうことはあるよ、私だって初めて習ったときは大分遅れて上司にしかられたこともある、そんなたまたま一分や二分遅れたからって気にしなさんな、でも、できるだけ早く上手になった方がいいから、そのつもりで頑張りなさいね、頑張りなさいねと。また後から足して、さらに、しかしあなたの仕事は乗客を大事に大切に運ぶということを忘れてはいけないんですよということをまた最後に付け加える。これが育てるということなんですよ。そういうふうにして育てたらああいう事故は起きないんです。これも教えると育てるの間違いなんです。だから、このことを変えることによって教育は幾らでも変わっていく。
 時間がないですからちょっと省略しますけれども、よく新聞なんか見ていますと、親子で殺しっこしたり友達同士で殺人事件を起こしたり何かしている。そうすると、新聞、マスコミを見ているというと、あんなにおとなしくてあんなに素直でいい子がとか書いてある。素直でいい子が人を殺すわけがないんですよ。あれは見掛けの素直さ、ちょっと説明が長くなるといけませんから省略しますけど、見掛けの素直さということと真の素直さを間違っているんです。親はうるさいことを言いながら素直にしようとするものだから、怖さで身に付けた素直さなんですよ。だから、あれを見掛けの素直さというんです。親の錯覚なんですよ。だから、本人は本当に素直じゃない。
 本当の素直さは、反抗させながら素直を教えるんです。省略しますけれども、反抗させながら教えていく。そうしていった素直さは、これが真の素直さなんです。初めは親の素直さをまねして情緒であれしていきますけれども、そのうちに親のすることを見ていてだんだん自分の意思で素直という、説明すると長くなるから省略しますけど、この真の素直さというものは反抗によって育てるというか身に付けさせるんです。だから、子供に反抗するな、いたずらするな、けんかするなとよく言う。そういうふうな育て方をしたらば、これは反抗しないんですから、本当の素直さを教えるチャンスがないんです。
 いい子というのは、いたずらしたり、けんかしたり、反抗する子供がいい子なんです。議論するときでも、相手と意見が違うから、ああじゃないこうじゃない議論するでしょう。元をただせば反抗心なんですよ。反抗心があるから発想するんです、人間は。それを今の子供は、みんなそういうふうにして、けんかするな、いたずらするな、反抗するな、まるでペットか何か育てているようにやる。ペットと子供がもうごっちゃになっているんです。あのペット教育と盆栽教育、枝を切ってしまう盆栽のように格好よくつくる、あれは全部駄目なんです。それが現状なんですよ。
 ですから、もうこれでやめますけれども、要は何をどうするかというと、現在も続けている教える教育、教えようとする考え方の教育を、育てるんだという考え方を普及するんです。
 私は、これでおしまいにしますが、実際に現在川崎でもこういう話を、いわゆる教育の原点として、心から伝える言葉、心言葉、それから育てる心、これを中心にして大分もうこの二年間ぐらい話しています。こんなことに気が付いたのは二年前です。みっともない話ですが、私も二年前に気が付いた。それまでの間は自分でも、皆さんと同じように、そうだろうと思うが、何となく子育てし、何となく教壇に立っていたんです。今の先生だって何となく教壇に立っているんです。これが教育だと思って、分かっていないんですよ。私が分かったのも二年前ごろなんです。
 なぜ私が二年前ごろになって気が付いたかというと、私の教え子には一人として世間を騒がせているような子供はいないんですよ。練馬の鑑別所に行った男は、そこから僕に手紙をよこしたから、出てきてから指導してやって、今は東京で会社の社長をやっていますよ。だから、僕に言わせると、全国の教師が僕と同じような年代のときに全部やってきていたら日本にはワルは一人もいないはずなんです。刑務所なんか建てる必要ないんです。それが僕の、暴論だが、それに確信があるんです。
 ですから、栃木県の大田原市に行ったりあっち行って講演してきますけれども、みんな言ってくれることはこういうことです。もう二度、三度と同じところで行くところもあります。何て言うかというと、もっと早く聞いておけばよかった、もう三十年も早く生まれておればよかった、若い人や先生にも教えてやってくれと、こう言うわけです。
 以上です。これが現状なんですが、とにかく育てる教育に日本の教育を変えてください、皆さんの力で。それが私からお願いしておきたいことです。
 ちょっとオーバーしましたが、失礼しました。
○委員長(狩野安君) ありがとうございました。
 次に、三上参考人、お願いいたします。三上参考人。
○参考人(三上昭彦君) 明治大学文学部の三上昭彦と申します。今日は貴重な機会を与えていただきまして感謝いたします。
 以下、座ってやらせていただきます。
 お手元に「「教育関連三法案」(内閣提出)等に関する意見(要旨)」というのがあります。でも、これは要旨というよりも、私自身の覚書というようなものです。
 今日、意見の陳述を依頼されて、最初から十五分というふうなことは事務局から言われておりました。七本か八本の法律案を十五分で何するのかなと、最初ちょっと分かりませんでした。私のような大学の教員というのは、もう三十年余りやっているんですが、大体九十分が一単位といいますか、それが習い性になっていますので、皆さんのような政治家の方々は、あるときは三分で、あるときは五分で、あるときは十五分できちっと本質といいますか、要点をとらえてお話しになるという特異な才能を持たれているんじゃないかと思いますけれども、やっぱり私なぞはそういう意味ではちょっと不器用かなというふうに思いました。
 それで、ともかくも内閣が提出された三法案だけでも目は通さなきゃいけないというふうに思いまして、必死に通していって覚書を作っていましたら、やっぱり九十分ぐらいの量のあれができました。したがって、こんなものをやっても仕方ありません。私の前に御意見を述べられたお三人の方が比較的触れなかった法案であります地教行法の法案を中心にしながら私の意見を述べさせていただきたいというふうに思います。
 ただ、その前に、第一ページにあります「「教育関連三法案」を通底する特徴と問題点」というふうに一応書いておきました。これは委員の皆さんの前で改めて言う意味もないことでしょうけれども、内閣提出の三法案を見ますと、いずれも提案理由説明のところで、教育基本法の改正の趣旨、あるいはその改正を踏まえて、及び中教審答申等を踏まえてと、こう書かれています。その等というところは、言うまでもなく、今盛んに活動をされている教育再生会議の強烈なインパクトをやっぱり踏まえているんだろうというふうに思いますけれども、そういう形で立案され、上程されたと。そういうことですから、当然、三法案はその限りで改正教育基本法の趣旨を言わばこの下位の関係教育法に具体化していく最初の第一歩ということで、提案者の政府・与党の方々、当然そういうふうに考えられているというように思います。
 これは、まだある意味では序の口ということになるのかもしれません。つまり、教育基本法を改正するという、教育の根本法である教育基本法を改正するということは、その根本法たる新教育基本法を利用して、これまで極めて不安定な状況に置かれていた行政立法あるいは告示などの形式の中で規定されていたものを晴れて教育基本法、教育根本法に規定し直すことによってその強制力といいますか、それを使って現行の教育法体系、制度を再編するという、そういう戦略といいますか、構想だろうというふうに考えられます。その限りでは、私は教育基本法の今回の改正には極めて批判的であります。
 それをここで言っている余裕はございませんけれども、我々教育法なり教育行政の研究者から見ますと、一言言えるのは、今回の改正は近現代の教育と法との関係という原理から見ますと、明らかに余りにも法が教育なり道徳なり、そういうものに踏み込み過ぎていると。言うまでもなく法と教育の決定的な違いは法が強制力を持つということであります。結局そこの部分、我々は長い長い近代公教育の中でそういう言わば法なり、そのときには法というよりも勅令及び行政立法、省令でありましたけれども、それが教育に踏み込んでいくというそういう長い歴史をも十分持ってきたわけで、およそ六十年前になってようやく一般の欧米の先進国と言われた近代の教育と法の関係というようなものに立ったわけですけれども、それがいよいよ六十年たってベクトルは逆方向といいますか、つまり再び法が教育を強く統制するというそういう状況をつくったのが今回の教育基本法改正の一つの側面であると私はとらえています。
 それと同時に言っておきますと、今回の教育関連三法案を通底している基本的なベクトルということを私は読んでみて感じたんですけれども、あえて教育再生という言葉を使うならば、教育再生と教育を創造していく、それの根本的な本源的な力といいますかエネルギーといいますか、そういうものをこの教育関連三法案はいずれも、それをこう引き出す、御存じのように、ラテン語で教育の原語、エデュコーというのは、引き出すというのがつまりエデュケーション、エルツィンクになっていく原語と言われていますけれども、それを引き出すのではなくて、むしろその根源的な力を抑圧するといいますか、それも根源的な力というのは子供自身の中にある力、あるいは教職員の中にある力、あるいは地域住民の中にある力、あるいは自治体、教育委員会、つまり教育にかかわっている諸アクターというか、そういうそれぞれの持っている力を私は引き出すんじゃなくて、やっぱり押し、何といいますか、殺すというとちょっと語弊がありますけれども、そういうベクトルを持っているというふうに思っているわけです。
 さて、そういうあれから見まして、三ページに地教行法の法律の改正案について若干の意見というようなものを述べてあります。
 皆さん御存じのように、地教行法に基づく今日の教育委員会制度、一九五六年から既に五十年ですね、もう半世紀がたったということであります。で、その改革ですね、つまり任命制教育委員会制度と言われる地教行法の下での地教行法体制の改革の必要性が政府関係の審議会で初めて正面から政策課題に挙がったのは、もうこれも二十年前のことであります。いわゆる臨教審の第二次答申の中で政府関係の審議会としてこれだけ厳しく実態を指摘したのは私は初めてでした。恐らく初めてだったと思います。つまり、地域の教育行政に直接責任を持っている合議制の執行機関としての教育委員会は、その使命感とか自主性とか主体性に欠けていて形骸化している、あるいは本来の制度、本来の機能を十分発揮しているとは言い難いというかなり厳しい指摘をやって、その再生と活性化は国民的な課題だと、こういうふうに述べたわけであります。
 それを受けて臨教審は確かに活性化方策を出し、文科省も、文部省も様々な活性化政策をやってきましたけれども、結局いろいろ取られてきた、今日まで取られてきた活性化政策というのは、この任命制教育委員会制度の根幹部分、つまり教育委員の任命制とか、それから教育長の任命承認制はこの間、一九九九年の地方分権一括法によってこの部分は改正されましたけれども、教育委員会自身の対首長に持っている自主性の問題等々、その根本的な制度の根幹に触れてないと。いみじくももうOBになられましたけれども、文部省の教育委員会等にもかかわった、活性化政策の推進にかかわったOBのお一人の方が、活性化、活性化といっても、文部省全体としては教育委員会に手かせ足かせをはめていて活性化せよと言っていたけれども、これはちょっと無理だったんじゃないかというふうに述懐をされているわけでありますけれども。ただ、いずれにしろ教育委員会制度というのは確かになかなか難しい諸要素、複雑な諸要素を持っているということになります。
 今回の改正点について、法案では大きく五つぐらいの分野に分けて展開されています。
 一つは、教育委員会の責任体制の明確化ということで、改めて地方教育行政の基本理念というようなものを規定していますけれども、この規定は、ずっと一貫して教育委員会制度の戦後の歴史をフォローしてきた私から見ますと、やっぱり教育の、地方自治の原則とは教育が基本的に地方の自治事務であるというふうな、そういう根本的な部分ですね、それから教育委員会の本来の理念、一口で言えば公正な民意によって地方の事情に即した教育行政を行うというようなこと、こういうふうなものにはほとんど触れてないということで、非常に格調のない理念が規定されています。
 それから、教育長へのこの事務の委任を禁ずるという、で、合議制の教育委員会が自ら管理執行する必要がある事項を規定しているんですけれども、これは見方によっては何か余りにも教育長に委任し過ぎという現状への批判のようにも取れますけれども、よく状況を合わせてみますと、やっぱりこれは今日の教育長中心の教育行政を現状よりも更に促進させていく、つまり逆に合議制の教育委員会の形骸化が強まる可能性の方が強いというふうに私には読めました。
 それから、教育委員会の活動状況の点検、評価、これはこれとして私は意義があると思いますけれども、しかし、本来、点検、評価すべき主体というのは正に地域における地域住民、保護者、あるいは関係する関係者の知見がやっぱり織りなされて行われるべきであって、それプラス学識経験者ということになるだろうというふうに思います。
 それから、教育委員会の共同設置の問題です。これは教育委員会の共同設置というのはもちろん必要に応じて取られることがありましたし、でもこれは余り広がりませんでした。で、今回はそれを非常に強く推しています。しかし、教育委員会の結局全部を共同設置するということは、まあこれは分かりやすいことですけれども、住民から教育委員会、教育行政が遠ざかっていくということになるわけで、教員人事の協力連携とか指導主事の共同設置などとはわけが違うわけであって、これはやはり非常に慎重でなきゃいけないし、私は余り強く賛成はできないということであります。
 それから、教育委員の研修の問題を今度は国や府県が乗り出してやろうというのが規定されています。これもまた、やはりさっき冒頭に言ったように、まあ国や府県はそれこそ自負があるのかもしれませんけれども、こういうことをやっていては自治は育たないという明確なことであります。どうしてこういう発想がすぐ出てくるんだろうかと、この繰り返しであります、教育委員会制度について見ますと。
 時間がなくなってきました。教育における地方分権の推進、私はこの弾力化というのは大変結構で、前から私たちもそういうふうに主張してきました。六人以上とか三人以上とか、大いにそれぞれの規模、必要に合わせてやることが必要でしょう。
 しかし、私は、教育委員会の歴史を見てきますと、やっぱり今の形骸化しているとか活性化しなきゃいけないという根源にあるのは、やはりこの教育委員会の三つの重要な部分、つまり特にその中で教育委員に住民代表性というふうなものが付与されていない、あるいはそれは権威という人もいますし、その部分が一つ極めて重要な部分としてあるということです。どこの教育委員会を回っても、一生懸命やっている教育委員であり教育長であっても、やっぱり首長です。首長及び議会の方、特にとりわけ首長の方を気にしてその意見を上回ることはほとんどできないですね、現実的に、というふうに思っております。
 教育における国の責任の果たし方の問題、これも極めて重要で、五十条、四十九条等々にありますけれども、伝家の宝刀的なあれで、規定することだけで意味があるんだという、こういう規定の積極的な解釈もあるようでありますけれども、これは相当慎重に、いかなる状況、いかなる事態、過去の事例も含めてこういうケースがイメージできるのかということを明確にして御議論をされる必要があるというふうに思います。
 ちょっと時間が回りましたので、やや中途半端ですけれども、これで終わらせていただきます。
 どうも御清聴ありがとうございました。
○委員長(狩野安君) ありがとうございました。
 以上で参考人の皆様からの意見の聴取は終わりました。
 これより参考人に対する質疑に入ります。
 各参考人にお願いを申し上げます。
 御答弁の際は、委員長の指名を受けてから御発言をいただくようお願いいたします。
 また、時間が限られておりますので、できるだけ簡潔な御答弁をお願い申し上げます。
 それでは、質疑のある方は順次御発言願います。
○中島啓雄君 自由民主党の中島啓雄でございます。
 今日は、お忙しいところを参考人の先生方には御出席いただきまして、大変示唆に富む貴重な御意見を聞かせていただきまして、ありがとうございました。お一人十五分というので大変短い時間で恐縮でございます。
 では、座ってやらせていただきます。
 各先生方にそれぞれお聞きしたいと思うんですが、今の教育の問題、いろいろな課題があるわけですが、一つ日本全体として大きな問題は、少子高齢化、人口減少という問題だと思うんですね。今一億二千七百万人の人口が二〇五五年には九千万人ぐらいになるだろうと。それはそれで、ある程度コンパクトになった方がいいのかもしれませんが、問題は、私、生産年齢人口がそれより非常に速いスピードで減少をしていくと。人口の方は二〇〇五年から五五年で年率にしますと〇・七%ぐらい減っていくんですが、生産年齢人口たる十五歳から六十四歳の人口というのは一・二%ぐらいずつ減ってしまうと。そうすると、仮に生産性が向上せずかつ労働力人口も増えないとすると、毎年一人当たりのGDPは〇・五%ずつ減る可能性があるということで、そういう意味でも非常に人間力を高めていくというのは今後の重要な課題だと思っております。
 それで、学力、まあ学力を高めるだけが教育の目的ではないんでしょうが、学力という面で、PISAの調査とかTIMSSの調査というものを見てみると、やっぱりどうも低下の傾向はほぼ確かなのではないかということから、近年における学力低下の原因と、その対応策として何をやったらいいかというのを、ポイントを一つか二つに絞ってお聞かせをいただければ大変有り難いと思います。荒瀬参考人から順次。
○参考人(荒瀬克己君) ありがとうございます。
 御指摘でございますけれども、やはり私は知識の、指導する量、幅の減少ということが非常に大きな問題であるというふうに思っております。ただ、その知識というのを単に入れ込めばよいというものではもちろんないわけでありまして、その知識をいかに活用するか、そしてその知識を、活用の経験を通して自らが課題を設定してその課題に取り組んでいくか、そういう子供たちを育てなければいけない。それはやはり体験に基づく形で育てていくべきだということを思っております。
 いろいろと課題が指摘されておりますけれども、その意味では総合的な学習の時間というものをいかに活用するかということがこれからの学校の課題であろうかと思います。総合的な学習の時間というのは、知識のきっちりとした定着なくしてはその内容が深められません。その部分をしっかりしていくことが大事だと思います。
 ところが、高等学校レベルでいいますと、その総合的な学習の時間をどんどんやっていくと、いわゆる大学進学などに影響が出るのではないかという危惧があります。しかしながら、堀川高校で実際にやっております形でいいますと、総合的な学習の時間、そういったいわゆる教科の学習ではない学習、堀川高校では探究基礎とか総合探究といった名称でやっておりますけれども、それをやればやるほど生徒たちの学問あるいは将来に対する意思というものがしっかりとしてまいります。すなわちモチベーションが高まるんだというふうに思っております。結果、進学の結果というものも決して落ちていくということにはならないというふうに思っております。
 ですから、冒頭に申しましたように、知識をきっちりと身に付けさせる、そしてその知識を単に知識の、言ってみたら枯れ草を集めたんじゃなくてそれを活用する、その経験を通して自らが主体的な学びというものを自らの中から引き出していく、それが大事だと思います。
 私は、教育は内発を促す外発だというふうに思っております。外発を否定するところの教育というのは成り立たないというふうに思っております。もちろん目指すところは内発であります。その内発をいかに引き出していくかということが重要だろうというふうに思います。
 以上でございます。
○参考人(岩田康之君) 先ほど申し上げましたように、私の専門は教員養成の研究でございますので、主に教師の在り方ということから今の御質問に対してお答えしたいと思います。
 例えば、私の用意いたしました理科離れの雑誌の原稿があるわけですけれども、それの後半の方に、教員になる大学生が実は理科全部やっていないという、そういうことが調査として出ております。実はこれは一九八〇年代、先ほど三上参考人の御発言にありました臨教審以来の自由化路線の一つの結果であると思います。つまり、画一メニューを押し付けるのではなく、個人の興味、関心に応じて学習内容を選択していくということ、これはすばらしいことだろうとは思うんですが、いざ教員になる人の力量形成ということを考えたときに、やはりある科目の内容というものに対して全般的な知識を持っているということは必要だろうと思います。その辺が、高等学校の自由化の中で、大学入学時点で、例えばその理科でも四つやっていないという若者がほとんどになっている。そこのところが恐らく教員になる人の基礎学力のむらとなる、それが子供の指導力に影響するというふうな流れでとらえております。
 その一方で、新しい学力観ですとか、それから既存の記憶的な知だけではなく、それを関連付ける課題発見的な知ということも言われておりますが、そこを担う教員というのがまだ十分に育っていない、そのちぐはぐな状況というのが学力低下というものの背景にはあるだろうというふうにとらえております。
 それからもう一点は、その自由化、多様化ということにかかわりまして、やはり格差が拡大したということがあろうかと思います。これは進学校が進学実績を上げる陰で教育困難校というのはまた深刻な問題を抱えるということがございます。その教育困難校の抱える問題というものを正面から引き受ける教師、それをサポートする仕掛けというものが、実はその多様化というものの陰で、エリート養成は重視されながら、実は教育困難校の方は本気で考えられてこなかったのではないかと、そういう面も否定できないだろうというふうに考えております。
 以上です。
○参考人(内藤宏君) 私が、いつも考えていることは同じことなんですが、とにかく子供を育てることなんです。育てる教育をしていれば、そのときに子供にはやる気とかあるいは意欲とか根性、そういうものが身に付いていきます。それが身に付いていけば、何をしろ、かにをしろ、勉強しろ、何しろと言わなくても、本人がやる気だから幾らでも伸びていくということです。
 それからもう一つは、学校の勉強ということよりも独学の方が人間は伸びるんです。だから、余り学校教育にこだわり過ぎるということも良くないということです。
 簡単ですが、一言それだけ申し上げておきます。
○参考人(三上昭彦君) 今の御質問は三十年ぐらい教育学らしきものをやってきた私にとっても非常に難しい、率直に言って、一言でお答えすることができないぐらい難しい要素を持っているように思うんですね。
 それで、学力低下というもののこの学力論議というのは、実は戦後から本当に一貫して、何といったらいいんでしょうか、ずっと繰り返されてきました。六三制野球ばかりがうまくなりというような辺りの新教育批判から始まりまして、今日に至るまでずっとあります。ですから、この難しさというのは、学力ということによってそれぞれの論者といいますか、人がどういうふうにそれをイメージし、もう少しきちっと言えば内容ですね、それをつかんでいるのかということによって、全然かみ合わないことが出てくるわけですけれども。
 少なくとも九〇年代の中ぐらいまで、あるいは二十世紀の終わりぐらいまでと言っていいかもしれません、日本はPISAの調査にしろIEAの調査にしろ、御存じのように、ずっとパフォーマンスとしては非常に良好な、つまりトップレベルのあれを取ってきたわけですよね。それが、二〇〇三年の二つの調査が同時にあって、それに先行していわゆる現在の学習指導要領が九八年と九九年にそれぞれ告示されて、いわゆる学校完全五日制、それから教育内容の三割削減、それから総合的学習の時間が入り込み、主要科目が時間が減っていく等々の問題もありまして、学力低下が急速に起こってきているし、今度の学習指導要領になればますますそれがあれすると、こういう御議論になってなお今日に至っているように思うんですね。
 しかし、それじゃ学力低下というのはないのかというふうに言われますと、恐らく私はあるというふうに思います。ただそれは、むしろ今日の事態は、私の印象では、つまり私自身が調査していませんから教育社会学者などの調査によれば、むしろ二極化というふうな、つまり格差ですよね、これがこの十年間なり十五年間の間に私は相当広がってきていると、つまり非常に強まってきているという。その中で、特に学習意欲というもの、言ってみればその競争からも降りると、学力競争からも、そういう状況。
 例えば、高校生で家庭での勉強、あれ全国調査ではなかったでしょうか、今正確な資料がございませんのであれですけれども、七割の高校生が家庭での学習時間は三十分以下であるというたしか調査があるわけですよね。そういうのを我々どう見たらいいのかということになります。つまり、学習というものが多くの高校生にとって本当に魅力的なものでない、つまり学習は苦痛であるし面白くない、もっと面白いものがいろいろあるという、つまりそこの問題が失われている部分。
 つまり、日本型高学力というふうなものがずっとつくり出してきたため込み型、詰め込み型のこういう学習というのは、子供たちの中からある意味では非常に好奇心、どの子供にもあったはずの好奇心を奪っていく、そういうことがある。それで、これは私のオリジナルではありませんけれども、学校の学習において問いと答えの間ですけれども、これをできるだけ短くする。つまり、反射的に答えが出るようなそういう勉強をかなりやってきて、じっくり考え込んでいく、複数の答えがある、あるいは答えがないというような問題、そういうやっぱり体験というようなもの、それから実際の活動、興味、生活と結び付いた学びの仕方というようなものがない形で来たというとこら辺も一つの大きな原因であるということで、それをやっぱり克服していくことが一つあるだろうと。
 そういう中で、私はよく学生たちにも言うんですけれども、こういう一つのヨーロッパでの格言があります。教育とは、学校で習ったことをすべて忘れた後に残っているものであると。教育とは学校で学んだことをすべて忘れた後になお残っているものであると。これはなかなか意味深長ですけれども、恐らくこの核にあるのは、言わば教養というようなもの及び自ら考え、自主独立に考えるそういう基本的な力というようなものを指している言葉かなというふうに思います。
 どうも十分なお答えにはなっていませんけれども、以上です。
○中島啓雄君 ありがとうございました。
 続いて、荒瀬参考人にお伺いしたいと思いますが、堀川高校の校長先生として大変な実績を上げ、新しい取組にいろいろ取り組んでこられたわけでございますが、校長の権限が非常に狭いねという話が一般論として非常にあるわけですが、今後の課題として校長の権限を広くするといいますか、今その制度上の、非常にこういうところが制約になっているというような御指摘があれば教えていただきたいと思います。
○参考人(荒瀬克己君) 権限が狭いか少ないか小さいかといいますと、確かに権限は狭くて少なくて小さいと思います、人事に関しましても、あるいは財政的、予算に関しましても。しかしながら、それはやっぱり公立学校というものの一つのありようではないかなというふうに思っております。教育委員会との間で、したがいまして、いろいろな話合いをいたしまして、その中で必要と思われるものを具体的に得ていくというようなことが現在できないわけではございませんので。したがいまして、そういうある種緊張感、財政的にも非常に厳しい状況でもありますので、その緊張感の中でやっていくということができておりますので、したがいまして、私自身は、校長というのが必ずしもその権限が小さいかというと、一般的に言えばきっと小さいんでしょうけれども、私自身はそういうふうな窮屈感というものは必ずしも持っておりません。
 ただ、京都市の場合は、非常に厳しい財政状況の中で教育費というのは純増しているのです。したがいまして、そういう大きな判断に基づいて動いているところがございます。
 例えば、その一つ例を申し上げますと、堀川高校というのは、平成十一年に新校舎によって新しい教育を始めていこうとなりました際に京都市の高等学校教育のパイロット校という位置付けを受けました。したがいまして、教員の人数なども他校に比べて手厚く対応していただいております。これが見ようによればいわゆる進学校に対する手厚さというふうになっていこうかと思いますけれども、私はやり方というのは幾つかあって、全体的に底上げをしていくというやり方と、一方では今京都市がやっておりますようなパイロット校という形で重点的に配備して、そこでの効果というのを検証すると。それがもしいい効果が出るようであるならば全体に広げていくと。ですから、御批判をなさる方は堀川ばかりがいい目をしているのではないかということでありますけれども、決してそうではなくて、それを全体に広げていくということが大事ではないかなというふうに思っております。
○中島啓雄君 ありがとうございました。
 終わります。
○鈴木寛君 民主党・新緑風会の鈴木寛でございます。
 四人の参考人の先生方、本当にありがとうございました。
 私は、まず岩田参考人にお伺いをしたいと思いますが、私は実は民主党案の発議者の一人でもございます。先生がいみじくもおっしゃいました開放制の議論、これを私どもも相当注目といいますか、そういう観点で今回の民主党案の特に教員免許改革法案を作らせていただいておりますので、問題意識はかなり共有させていただいていると思っているんですが。
 すなわち、やっぱり二十万人ぐらい一年間に、二十万人弱ぐらいですか、教員免許が交付されていまして、ただ実際に教職に就くのは二万人弱程度、こういう中で、今日、岩田参考人からお話のあったような教員実習の実態になっていると。ここはやっぱり変えていかなければいけないなということを私たちも考えておりまして。
 ただ、その中で、時間がなかったのでややはしょられたんだと思いますけれども、私たちが今回の国会に提出をさせていただいております教員免許改革法案ですら、修士を持った新採が入ってき始めるのは二〇一二年ぐらいからですね、ほとんどの人が修士で。それで、教員は百万人いるわけですから、毎年二万人程度の修士が入ってきても、それから、もちろん、大体三十歳ぐらいの教員に対して追加的な教職大学院での修学というものを考えておりますので、それと相まっても、二〇二〇年ぐらいに大体半分ぐらいに、いわゆる修士の比率と学士の比率、もちろん免許制度は検定制度によってちゃんと旧免許体制から新免許体制に移し替えますけれども、実態として申し上げると、修士卒と学士卒の比率は十五年たった二〇二二年でもほぼ半々、恐らく二〇三二年ぐらい、二十五年後ぐらいにおおむね修士という状況になって、完全修士となるのは恐らく二〇四〇年を超える、このぐらいの先の話を私たちが、それぐらいやはり一つの制度を変えるというのは時間が掛かると、こういうことでございます。
 実は私、この六年間、文教科学委員会に所属しておりまして、既に法科大学院の設置に基づく正に法曹制度のいわゆる制度改革、それから薬剤師の六年化、この二つの作業をさせていただいたわけでありますが、いずれにしても、こうしたいわゆる職業と免許制の改革というのはそれぐらいの大変なことだなと。逆に申し上げると、先生からもお話がございましたように、六十年ぶりに教育基本法の在り方を議論する、こういう大きな時期でないとこれぐらいの大改正はできないわけでありまして、もちろん当然これに伴って様々な社会資源も投入をしなければいけない、こういう議論をする私は大きなチャンスだと思って、修士制への移行と、こういうことを打ち出したわけであります。
 それで、お伺いしたいのは、ですから、民主党案とて、当分の間といいますか、二十年近くは学士、修士併存型なわけですね。修士に移行するといっても、この当分の間は学士、修士併存型でございまして、そこはもちろん御存じの上で御議論いただいているんだと思いますが、あえて逆に言うと、学士を残さなきゃいけない理由というんですかね、私たちは二〇四〇年段階では全部修士にしましょうと、こういうことを考えているわけですけれども。上級免許と下級免許の割り振りの考え方は私たちもほぼ同じ考え方というか、非常に今日のことも参考にさせていただいて、同じような方向で対応していったらいいなと思いますので、そこのところの議論は全く異ならないんですけれども、先生は、完全修士型を目指すというよりも、仕上がりの二〇四〇年の段階においても併存型というようなことかなというふうに聞かせていただいたんですが、並列型ということで聞かせていただいたんですが、その理由をお教えをいただきたい。
 確かに、よくフィンランドの例を私たちが引くものですから、フィンランドは小さいからと、こういう話があります。しかし、フィンランドというのは大体面積においても人口においても北海道と同じでありますから、もしも日本の国のサイズが大き過ぎるので本来望ましい修士制というものが導入されないということが理由なんであれば、教育行政というものを完全に道州制にゆだねればいいという話でありますから、日本じゅうがすべてフィンランド並みに道州制のサイズにすれば、フィンランドが可能だということであればそういうことなんで、それは地方分権の議論にゆだねればいいと思っているんですけれども。その辺りの、先ほど少しお時間もなかったのではしょられたと思いますので、この教員基礎資格についていろいろな分析をされていらっしゃいます。私の御質問と、加えて、先ほど説明をもう少しされたかったところもあるんではないかと思いますので、岩田参考人にその辺りのところをお願いを申し上げたいと思います。
○参考人(岩田康之君) 十分な資料が手元にございませんので正確なお答えになるかどうかは分かりませんが、答えられる範囲でお答えいたします。
 ちょっと私の考えといたしまして、基本的にはやっぱり現在の開放制の教員養成というのは大切だというふうに思っています。これは、たとえ一けた多い教員の供給がなされているという実態があるにしても、豊富な人材を教育界に向ける手だてとしては非常に有効だろうというふうに思っています。ですから、この教師予備軍といいますか、教育に関心を持つ市民というのは今後も大事だろうというふうに思います。ただ、それを正規のライセンスという形で保証するかどうかは、今後に検討の余地はあろうかと思います。
 ただ、私がただ単にすぐに日本の教員資格の基礎を修士に置くということを考えておりませんのは、一つには、やはり修士をベースにすると学部段階の開放制ということが崩れていく。やっぱり教員予備軍といいますか、教員の仕事に興味を示す大学生というののリソースを減らしていくことになるだろうと。実際に修士レベルで教員養成を行える機関というのはそれほど多くないだろうということがまずあります。
 それからもう一つは、民主党案ですと、教員の初職に就く年齢が随分高くなります。これは、専門性ということを考えると、長期の養成期間を必要とするのはやむを得ないことでもありますが、一方で、児童生徒を指導するに際しての若さといいますか、これは教師の貴重な力であります。それがたとえ未熟さを含むものであっても大切だろうというふうに考えています。ですから、いたずらに年齢が高ければよいというわけではないということは、例えばドイツなどの例を見ても分かるだろうと思います。
 それから、そうしますと、当面は修士修了の教員と、それから学士の教員との混在ということを前提に私は考えたいというふうに思っているんですが、その際特に重要なのは、やはり学士のレベルではこれだけのことをやる、修士のレベルではプラスアルファしてこれだけのことをやるというような双方の内容の腑分けとそれぞれの充実だろうというふうに思います。
 例えば、私ども教員養成大学で教員養成をやっておりますと、教科指導のところというのは学部段階である程度面倒は見られます。ところが、学級経営ですとかそういうことになりますと、どうしてもやはり短期の実習と学部教育だけでは十分な力を養うことはできません。ですから、そこの部分というのは、例えば一定の経験の後に修士レベルの実践的な教育機関で行うというのは一つの合理性がある考え方のように思います。
 ただ、そのとき少し考えなくてはいけないこととしては、日本の教員というのはヨーロッパやアメリカでいうプロフェッションとしての教師というのと若干違う側面があるというところだろうと思います。つまり、教師というのは英語に訳すとティーチャーですけれども、日本の先生方というのは、実はティーチ以外の仕事というのをたくさんお持ちになっていて、そちらの方が日本の教育問題の一番重要なところなのであります。
 ですから、その教師像の違いというものを踏まえた上で、学士課程あるいは修士課程の教員養成教育の充実を考えていくことが重要だと思っております。
 以上です。
○鈴木寛君 ありがとうございます。
 私たちも、ペーパーティーチャーは無駄だったのかという御議論は、むしろ貴重な蓄積だというふうに思っておりまして、例えばコミュニティ・スクール、これはいろんな定義がありますけれども、要するに地域ぐるみでいろいろなボランティアの力あるいはアシスタントティーチャーのような力も活用しながら教育力を上げていくということも一方で推進をしておる際に、例えばペーパーティーチャーの地域住民のボランティアの方々がそうした地域の教育力を支えていただいているという事実はございまして、かつまたそういう方々をもっと積極的に活用していきたいというのがコミュニティ・スクール構想の背景にもあるわけでありまして、日本の教育学、学士段階における教育学の教育というのは、より力を入れていきたいと思っております。
 これは薬学のときの議論も同じで、日本人に薬理とか病理とか生理についての社会全体のリテラシーを上げるためには薬学教育も重要だ、あるいは法学の話でもそうで、リーガルマインドを持った人が世の中に多く輩出をされるということは非常に重要なことだと思っていますし、とりわけ最近、最も就職がいいのは、東京大学の法学部ではなくて東京大学の教育学部であることからも分かるように、いろいろな組織を運営をしていこうとしたときには、実はその教育学の素養を持った人材というものは、学校のみならず企業でもあるいは社会でも地域でも、ありとあらゆる現場で求められているということは、私も、恐らく岩田参考人も共有しておりまして、そういう意味で、日本人全体が教育学あるいは教育心理とか発達といったことについての素養をしっかり身に付けていただくということは、これは我々も大いに奨励をしたいと思っているんです。
 ただ、開放制といった場合には、正に教員免許をその人たちに付与するのかしないのかと、こういう議論も絡んでくるわけでございまして、その中で、あえてそうした教育学部、学士卒に対して、ですから結局プロフェッションの水準をどこに置くかということだと思うんですね。そういう教育学部を出た人たちが学校現場にいいチームティーチングの一員として入り込むことは、これは大いに結構だと思いますし、そのことは絶対必要だと思っていますけれども、そのチームリーダーというものが恐らく教員だと我々は考えているわけでありまして、そうしますと、岩田参考人がおっしゃったチームを率いる力とか、あるいは教育事務といったときにも、単なる事務能力ということではなくて、やっぱり教育とは何なのかとか教育現場は何なのかという、やっぱり教育学部を卒業した方々が教育事務とか教育行政に携わるということも重要でありますので、そうした中でのプロフェッションという御議論を是非、さらに、今日も非常にいい議論をさせていただきましたので、今後お願いをできればと思いますが。
 ちょっと時間もなくなりましたので、まず荒瀬参考人にお伺いして、もしも時間があれば、後で岩田参考人からまたコメントをいただきたいんですが。
 荒瀬参考人に、私も門川教育長と大変懇意にさせていただいておりまして、堀川高校の本当に実践にはもう敬服をいたしておりまして、今日お会いできて大変有り難いと思います。正におっしゃったようにパイロットだと、こういうことでありまして、京都市としてはこれを京都じゅうにということでございますが、私どもとしてはこれを日本じゅうに広めたいと思っております。
 それで、そのためにはやはり、先ほど見えない力をはぐくむためには見える力ということ、これもおっしゃるとおりだと思いまして、私は、日本の教育現場で、本当に見えない、私も規範意識も必要だと思っております。しかし、この若者たちに規範意識とか高い志とかを身に付けていただくためには、やはり政府として必要な社会資源の投入、人員、人材あるいは予算とか、それからやっぱり、堀川高校もあれだけのハードウエアもすばらしいものを投じているわけですね。そういうやっぱり人、物、金、知恵というのは、これは経営資源の大前提でありますから、それを教育現場にやはり投入をするということが私どもの仕事だろうというふうに思っております。
 もちろん、そういった京都市の御努力による社会資源の投入と、そして現場の先生方のリーダーシップと、それからやはり京都市の場合は政令市でありますから、非常にガバナンスといいますか、意思決定がかなりスムーズにといいますか、現場と教育行政との距離が近い、この二者でほぼ多くのことが決めることができるという、そういうガバナンス上の特徴も有利な点もあろうかと思うんです。
 それで、お聞かせいただきたいのは、例えば人数とか、堀川高校のようなすばらしい教育現場をつくっていくには、やはり一校当たりといいますか、どれぐらいの社会資源、人、物、金が必要なのかと。それを、あと高校の数とかあるいは教育現場の数、掛け算をすれば、我々が財務省に対して頑張らなければいけない数字というのが見えてきますので、そのイメージを少しお教えいただければ有り難いな、教員数でありますとか、そうしたことでございますね、よろしくお願いいたします。
○参考人(荒瀬克己君) ありがとうございます。過分のお褒めをいただきましたが、いろいろ課題も一杯ある学校でもございまして、日夜取り組んでおります。
 今御質問いただきました具体的な人数というのが、生徒数掛ける何・何倍とか、〇・何倍とか、そういったことは、具体的にちょっとまだ出せるといいますか、学校の状況によっていろいろ違うと思います。実際にどういうカリキュラムを組んでいくのかということが学校の一番の仕事でありまして、そのカリキュラムを組んでいく際にどういった人数が必要になってくるのかというのは、それぞれの学校の状況に応じて出てくると思います。その数字を教育委員会が出せるような、そういったことが可能になれば、これは本当にすばらしいと思います。
 先ほども御議論の中に出ておりましたけれども、理科を十分に学んでいない人が小学校で理科を教えている可能性があるということでありますが、それならば小学校に理科の専門の教員を入れればいいわけですね。そういう手だては、具体的に何をすればいいかというのは非常に明白な状態で今あります。それらが解決されていくような教育政策を取っていただけると非常に有り難いというふうに思っております。
 うちは、教員は数がよその学校に比べれば多いのですけれども、実際のところ、しかし、じゃ、教員は楽をしているかといいますと、そんなことはございません。朝七時から夜は十時まで、どうして十時までと申しますかといいますと、十時に機械警備を入れます。ですから、十時にはもう帰りなさいということを言います。生徒がいる間というのは、教員は生徒と接する仕事が主です。生徒が帰ってから、教員が、生徒と接しない、生徒と接するための生徒には見えない仕事というのをするわけです。それは非常に多忙です。手間暇はもう本当に学校は十分に今掛けていると思います。これは何も堀川独りではなくて、いろんな学校でそういうお取り組みはなされていると思います。それを少しでも緩和していただけるような、少しでも生徒と向き合う時間を増やしていただけるような、そういった手だてを是非お願いいたしたいと思っております。
○鈴木寛君 ありがとうございます。
 岩田参考人、もしも。
○参考人(岩田康之君) 教員の、教育学の素質を持つ市民の社会的な活躍ということですけれども、これは、ありとあらゆる場面で広義の教育学というのは私は必要だというふうに考えております。
 ただ、そのことと学校で児童生徒を教えるライセンスを持つということは、やはり区分して考える必要があるように思います。これはやはり公教育を支える人材ということで、一定の教科及び教職に関する経験に対して公的な認定を与えるということですので、そこのところは考えていただきたい。
 ただ、有資格者でありながら教職に就いていない人材、いわゆるペーパーティーチャーの中には、どうなんでしょう、これ条件を整えさえすれば、学校若しくはそれに近いところで働ける可能性のある方というのは相当にいらっしゃるだろうというふうに思います。例えば看護師ですとか保育士などの世界では子育てを終えた中年の方が復帰するというようなこと、あるいは初めてその職に入るというようなことが間々あります。それが教員にないのは、少ないのはなぜだろうかというふうに考えてみることも今後の課題として重要だろうと思います。
○鈴木寛君 じゃ、終わります。時間ですね。
○鰐淵洋子君 公明党の鰐淵洋子でございます。
 四人の参考人の皆様、本日はお忙しい中、大変に貴重な御意見を賜り、ありがとうございました。
 早速質問させていただきたいと思いますが、まず内藤参考人と荒瀬参考人にお伺いをしたいと思います。お二人は長年児童生徒とかかわってこられたということで、是非、ある実態調査を基に御感想というか御認識を伺いたいと思っておりますが。
 先日、一般紙に携帯電話をどのように使っているか、それを日本PTA全国協議会が中学校二年生と、あと小学校五年生、またその保護者の方ということで、計一万人の方に実施、意識調査をされたということでございました。
 その結果によりますと、携帯電話をどのように使っているか、携帯電話を使って親子で会話をしているのか、そういった調査でございまして、それに対して中学生の保護者の方、親御さんの方は約九割の方が携帯を使って子供と話している、そういう認識を持っているということでございました。それに対して中学生自身は、五割以上が親と話していない、こういった認識を持っているということで、親子間の認識のずれということでその結果が浮き彫りになっていたわけでございますが、この結果に対して日本PTA全国協議会のコメントは、子供を信頼することは大切だが、認識にギャップがある現実を直視し、携帯電話の使用内容に一層の注意を払ってほしい、こういったコメントが載っておりました。
 私自身は、親と子供のこの認識のずれというのは、ただ単に携帯電話の使い方だけではないと思っておりますけれども、ここの調査は携帯電話を通じての親子の認識のずれという実施調査が出たわけですが、この認識のずれについて、それぞれ先生方のお考え、また御感想でも結構ですが、ありましたらお伺いをしたいと思います。
○参考人(内藤宏君) それは言葉の使い方、会話の仕方が間違っているんです。要するに、我々はお互いに会話をしますね。そのときに、例えばの話が、おはようございますと言うことがあったときに、おはようございますという言葉は頭に入っている。しかし、それを乗せている響き、このおはようございますという言葉に響きがありますね。言い方を、おはようございますと言うのと、おはようございますと言うのと違いますからね。この響きは、こっちの心の方に入っていくんです。
 だから、親は、携帯であってもなくても何でもそうですが、親の方は話をしていると思っているのは、恐らくそれは自分の言葉を伝えていると思っている。だから、自分は話ししているんだと思っている。その認識にギャップがあるというふうになっていると思いますが、それは、そこにあるんです。子供はじゃどうかというと、言葉で聞いているんではないんです。そこの、親の話ししたその言葉の響きを聞いているんです。
 ですから、もう少し具体的に言いましょうかね。例えば、あんたは何てお利口さんなのと言う場合に、あんたは何てお利口さんなのと言えば、ああ、利口なのかななんていって思うかもしれないが、あんたはなんてお利口さんなのと言ったらば、あれは利口だなんて言っているけど、本当はばかだと思っているんじゃないか、こうなるわけです。それは、響きは利口だと言っていないからです。
 だから、その場合に、九〇に対して九〇じゃなくて半分近くというのは、中には偶然響きも両方良かった会話をしている人もいるんだろうし、そうでなくて、言葉は当たり前だが響きの悪い言葉を使っている。そうすると、子供というのは我々大人よりは情緒が豊かですから、我々は響きなんて余り感じないで話しているくせに、子供はどっちかというと情緒でとらえるんです、言葉を。だから、響きが悪いと、その悪い響きに対する感情で子供は答えるんです、嫌な感じというふうに。大脳はそういうことを忘れない。だから、お互いに会話が通じ合わないと。これは今の社会で親子が殺しっこしたり何かしてみんなやっているのは、もとはこの会話ができていないということ、言葉が崩壊しているために社会が崩壊している。だから、この先、今さっき育てる教育と言いましたけれども、あれを回復させていくのには、同時に言葉の崩壊を立て直さなかったら教育改革などはできないんです。こんなことを全部もう講演して歩いていますけれども、今の場合は、漢字で書いたところの言葉と、その言葉を運んでいる響きの違いだと思います。だから、そこのところがコメントできなかったから細かく書いてないんだけど。
 だから、昔は読み書きそろばんなんて、そろばんは計算ですけれども、読み書きそろばんと言っていたけれども、これからはというよりも、今からでも読み書き話すそろばんといって、話すを入れなきゃ駄目なんです。だから、スズメがあんなに仲よく遊んでいるのは、あれには三十ぐらいの言葉がある。スズメはスズメ同士、スズメの言葉を使って遊ぶからスズメらしくなると、こんなの当たり前の話なんです。だから、そういう響きを大事にして会話するということをやはり普及しないといけないと思います。
 答えになったかどうかよく分かりませんが。失礼しました。
○参考人(荒瀬克己君) 一般的に言いまして、子供と大人、あるいは子供と親、生徒と教師の間には乖離があります。ですから、自分の子供のころのことを考えてみましても、すべて親に言っていたかというと、そんなことは全然なくて、秘密の基地があったりとか内緒事があって、その内緒事を共有している仲間の方がある時期は親よりもずっと大事。でも、それは親によって見守られているからなんですね。
 最近、私が非常に心配いたしますのは、具体的な行為として出てくる現象を、親はあるいは大人はあるいは教師は見張ってばかりいて、本当のところ、見守るという行動になかなか徹することができないということがあるんじゃないかなと思います。確かに、悪意の大人が一杯いて、外で遊ぶこともできかねるというふうな状況があるのは事実でありますけれども、しかしながら、その中でどんなふうな工夫をしていくのかというのが今大人に問われているのではないかということを思います。
 携帯電話も、ちょっと極論を申し上げますと、バイクもあるいはたばこも、そういったものは子供にとって有害であるならば有害であるということで対処するべきなんですね。もし本当に有害であるということが第一義的にあるのであればと私は思います。でも、たばこは大人が吸っているし、バイクはバイクで、私は必ずしも子供がバイクに乗ることについて猛反対をしているわけではありませんけれども、携帯電話もしかりであります。そういう状況、そういう時代の中で子供たちが生きているというのはもう事実であります。その中で、じゃ大人はどうしたらいいのかということが必要になってくると思います。
 子供と携帯電話で親が話しているというその認識自体が非常に驚く話でありまして、私は妻とメル友でありますけれども、こういう事態が大変驚くべき認識でありまして、本来面と向かって、フェース・ツー・フェースで話すということが原則としてあるわけだと思います。その原則が、携帯電話になったところで通い合っていると思ってはいるかもしれないけれども、やはり人間というのは目と目を合わせて相手の体温を感じるようなところで話し合うというのが非常に大事だと思います。そういうのが、これは特別なことじゃ何でもなくて、当たり前のことだと思うんですね。その当たり前の親子の関係、当たり前の大人と子供の関係、当たり前の教師と生徒との関係というのを築いていくことが大事だと思います。
 ただ、子供には、冒頭申し上げましたけれども、子供には子供の都合があります。それは大人ではどうしようもない都合があると思います。しかしながら、良いことと悪いことの区別というのは、これはきちっと教えるというのが、これは大人の責任だと思います。私たちはそうして育てられてきたわけですね。そこの部分を子供の自主性だとか子供の主体性だとか個性だとかいった言葉で逃げて、実際に指導しないというのが大きな問題だというふうに思います。
 以上でございます。
○鰐淵洋子君 ありがとうございました。
 続きまして内藤参考人にお伺いしたいと思いますが、内藤参考人の方から今日もお話がございました。今、児童生徒に対して、子供たちに対して、教えるのではなくて育てていく教育が重要であるということでお話をいただきました。私自身も、やはり児童生徒にとって教師また親というのは最大の教育環境でありますので、本当にこの存在は大変に重要であると思いますけれども、この教える教育から育てる教育に転換するに当たって、具体的な、ではどのように具体的に取り組んでいけばいいのかということでもう少しお話を伺いたいと思うんですが。岐阜県の方でこの教育改革を行ったということで略歴の方にも載っておりましたけれども、そちらの具体的な取組でも結構なんですが、ではどうしたらいいのかというところで、その具体的なお話をお伺いしたいと思います。
○参考人(内藤宏君) 教えると育てるですね。
 岐阜県の方はモデルづくりに行ったんですが、悪口になるからよしましょう。余り協力的でないし、ふまじめだから帰ってきたんですよ。だから、それはいい。今それを川崎で何とか、地元ですから、市長がよく理解してくれているので、川崎で今やっているところです。
 教えると育てるですけど、今さっき話が途中になりましたので、素直ということでちょっと説明させてもらいますけれども、要するに、子供に素直ということを教えるときに、まあ省略して話しますが、あなたはお母さんの言うことを聞きなさい、お母さんの言ったとおりしていればいいのよとか、そういうふうな言い方が非常に多いわけです。これが押し付けがましいというんです。これが教える教育であって、それで、教えよう教えようとするから自己中心の、自分勝手な物の言い方になっているんです。子供はそれで、言うことを聞かないとまたしかられるから、今度は怖くなって、お母さんが何か言うと、はい分かりましたなんて言い出すようになるんです。それを聞くと親の方は、ああ、やっと素直になったんだわ、私の言うことを聞くようになったと錯覚を起こすわけです。
 しかし、そうしてでき上がった素直を、前に言ったようにこれを見掛けの素直さというんです。本当の素直になっていない。子供は何になっているかというと、何だ、うちのおふくろというのはうるせえんだなとか、あんなうるさいんだから、素直にと言うんだから、言うことを聞いて返事しておけばいいんだとか、いろいろそんなことを考えて、結局それを通して要領のいい子供をつくっているんですよ、ずるい子供を。だから、教養として身に付いたのはずるさなんです。ちっとも素直でない。だから、素直でないから同僚を殺したりするわけです。いい子でも何でもない。
 今さっき言ったように、じゃどういうふうにして素直さをつくるかというと、例えば小さい子供と一緒にこれからお使いに行こうといってお使いに出掛けるとします。そうすると、子供は、まあ白い服を着ていたとする。子供はお母さんが白い靴出すと、いや、黒の方がいいって。また白というと黒がいいって。こういうのは、これが全部反抗ですね。それは反抗させておいた方がいいわけです。それを無理に、洋服が白だから白にしなさいと言うのがこれが押し付けがましいんで、これでみんな失敗していくわけです。だから、教えようと思うからなんです。この子を、この子に素直ということを身に付け、素直の身に付いたそういういい社会人に育てよう育てようと思ったら、無理は言わないんです。
 無理言わないから、ここで、子供が黒と言うと、ああそう、じゃ、あなた今日黒なんだから黒履いていきなさいと言って、そんなに無理言わないで親の方が素直に、じゃ今日は黒を履いていきなさいと言うんだから、子供は情緒で親のその素直さを見て、情緒で素直というのを最初に感じ取るんです。それからまた同じようなことやって、いつも黒だからって、いいんです。ああそう、今日も黒履いていくの、どうぞと言ってやっているうちに、子供というのは格好付けて、たまには白履いていってやるかって、こうなるわけなんです。そうしたら、そう、今日は白いのを履いていくの、じゃ履いていったら、白い服と案外似合うわよなんて言いながら履かせていく。そのときに、自分が白を選んだんだから、このときには意思によって決めた。こうなって初めて子供には素直というものが身に付いて、本物になって身に付いていくわけです。これが、反抗を上手に活用した素直さなんです。この素直を身に付けた者はあんな人を殺したりそんなむちゃはしない、面倒なことは起こさない。こういうことです。そこが、教えると育てるの大違いなんです。
 僕もこの年になるまで、二年前ぐらいまでこの違いを正確に分からなかったんだが、二年ぐらい前になって初めてこれは、教える教育と育てる教育はこんなに違うんだということに気が付きまして、それ以来は、これしか教育を改革する方法がないということで、二年間はこれだけを講演して歩いているんです。どこへ行ってもみんな喜んで聞くんですよ。三度も四度も聞くんだから、いいんじゃないんですかね。
 その区別を、我々はうっかりすると、どこまでが教えるでどこまでが、似たようにやるとみんな錯覚を起こすんですが、よく考えたら歴然と区別ができているわけですね。だから、教えようと思ったら教えられないということを知っていればそれでいいんです。よろしいですか。
○鰐淵洋子君 ありがとうございました。
 では、最後になるかもしれませんが、荒瀬参考人にお伺いをしたいと思います。
 昨年末にも大きな社会問題となりましたいじめや未履修問題、こういった問題の対応の仕方とか対応の在り方によってこの責任の所在がどうなのかということで、国や教育委員会また学校の在り方について様々な議論が行われました。こういった問題の対応もそうですし、そのほかの、今後学校をどういうふうにしていこうか、どういった教育をしていこうかという、そういった対応もあるかと思いますが、そういったそれぞれ学校において教育を進めていく上で、国また教育委員会、学校、それぞれ果たすべき役割というものがあると思います。
 基本的に私は、この教育の実施主体は学校であると思いますし、国や地方自治体はサポートする立場にあると思っておりますが、少し大きな話になりますが、これから教育また更にいい方向に進めていく上で、それぞれの役割の在り方、学校、教育委員会、国の責任の在り方、それについて、時間は限られておりますが、何かお考えがありましたら、最後お伺いしたいと思います。
○参考人(荒瀬克己君) ありがとうございます。
 未履修問題でございますけれども、高校教育に影響を与えるものというのは大きく二つあろうかと思います。一つは大学入試であります。もう一つは就職状況であります。もう少し述べましたら、高等学校に対する社会の見方というようなことも言えるかもしれません。未履修問題が起きました背景は、多くの学校が大学入試ということを理由に言っていることからも、非常に大学入試の影響というのが強いかと思います。
 私、この件に関しまして非常に印象深かったことが、中教審の教育課程部会の委員をしているということもありまして取材をたくさんいただいたんですけれども、NHKが取材に来られたときに、直接高校三年生に取材をしたいということをおっしゃいました。その際にうちの三年生の生徒が取材に応じて、インタビューに応じて話をしたんですけれども、大きく三通りの答えを言いました。
 一つは、同じ高校三年生で必履修とされている科目をやった生徒とやらなかった生徒がいると。受ける大学入試は一緒であると。よって、これはずるいと言いました。本当に私は悔しくて仕方がないというふうな論調でずるいと言いました。もう一つは、この後の始末といいますか手だてとして、補習を受けて単位の修得を行うということが決まりました。これは、受けた生徒たちは本当に負担が大きかったと思うんですけれども、そのことに対して言った生徒がおります。どういうことを言ったかといいますと、単位を取るために勉強ってするんでしょうかということでありました。三つ目の生徒の対応といいますのは、世界史のことを指して、自分は世界史は受験では使わないと。しかし、世界史を学んだことによって非常に役に立っていると。そういう三通りの答えがありました。
 私は、教育というのはこの三つすべてを認めていく仕事だと思っておりますけれども、確かに、そのずるいというのは正しい指摘だと思います。それから、単位を取るために学んでいるのではないというのも正しい指摘だと思います。やったことが役に立っているというのは、本当にこれはうれしい指摘だというふうに思っております。
 ですから、これから学校で具体的にその授業を組み立てていく上での学習指導要領が考えられていきますけれども、その際に、高等学校の裁量というのは、各学校の裁量というのは非常に重要だと思います。しかし一方で、これからこの国を担っていく若者たちにどのような教養を身に付けさせるのかという部分のやはり全国的な我が国としての合意というものは、これは欠かせないだろうと思います。そのバランスをどのように取っていくのかということが今非常に大きな課題としてあろうかと思います。
 先ほど先生がおっしゃいました国、教育委員会あるいは都道府県、それと学校の責任ということでありますけれども、学校教育の担い手といいますか、それはやはり現場であります。それが最もいい形で動いていくように、是非とも、都道府県あるいは教育委員会そして国は大きな大きな支援を、目に見える形の支援を是非していただきたいと思っています。
 教員は、申し訳ありませんが、少したたかれて、学校も少したたかれて疲れております。基本的に教育に携わる者は楽観的でありますけれども、それは生徒の未来を信じているから楽観的なんですけれども、しかしながら、その楽観的なところをやはり守っていただけるような、そういう政策を是非お願いしたいというふうに思っております。
 以上でございます。
○鰐淵洋子君 ありがとうございました。
○井上哲士君 日本共産党の井上哲士です。
 今日は四人の参考人の皆さん、本当にありがとうございます。
 まず、三上参考人にお伺いをいたします。教育委員会制度についてお聞きをいたします。
 教育委員会の形骸化ということが様々叫ばれているということは今日もあったわけでありますが、そういう中で、教育委員会そのものをなくしてしまったらいいんではないかという議論もあります。ただ、地方分権の法改正などを受けて、中には非常に活性化をしている教育委員会なども見受けられるわけですね。
 そこで、研究されてきた立場から、教育委員会制度の持っている今日的な意義はどうお考えか、そして、それがやはり発揮できていない形骸化の原因、そして活性化の方策ということについてはどのようにお考えか、まずお願いをしたいと思います。
○参考人(三上昭彦君) 今、井上委員にお答えしますが、教育委員会の意義ということですけれども、そのベースはやはりあれじゃないでしょうか。先ほど私、法と教育のことでちょっと言いましたけれども、やっぱり教育というものの営みの、政治、経済その他と比べたときの一つの独自性といいますか、やっぱり非常にそこに、自主性といいますかあるいは多様性といいますか、そういうものがベースにしてあるということがあることと、やっぱり教育というのは、ともかく人間の人格的な交流を通し、しかも人類の文化遺産というようなものを材料にしながら、それを伝えつつ子供や人間の諸発達を図っていくという、そういう性格を持った仕事ですから、やっぱりそこには最大限の自主性といいますか、それが保障される必要があるということになるだろうと思うんですね。
 政治と教育の、しかし、同一性といいますか、共通性というのを大分一面では議論されているわけですけれども、その現実的な歴史的な推移を見ますと、日本だけの経験からいっても、いわゆる政治がひどい状況のときに、そこにすぐれて、優れた教育が制度としてあるいは面として広がり得るかというと、これはなかなか難しい側面があるわけですから、したがって、そういう意味では、政治とか行政と教育との関係、教育実践、教育行政との関係ということは、私の今までの理解では、やっぱり基本的に教育と政治が対立するような状況というのは、これは恐らく好ましくないということ、自主性があるとしてもですね。やっぱりその自主性を認識できるような政治とか行政というようなもの、そういうものが不可欠のものになるのかなというふうには思っています。
 それから、済みません、もう一つ後半の。
○井上哲士君 その上で、今日その本来の役割を果たしていない形骸化の要因と活性化の方策についていかがでしょうか。
○参考人(三上昭彦君) 先ほど私ちょっと言い掛けたんですけれども、教育委員会というのは、一応テキスト風に言いますと、教科書風に言いますと、三つの原則というふうに日本に導入されるときに説明されました。
 それは、一つは、教育委員会というのは、教育の言わば住民統制といいますか、民衆統制といいますか、別の言葉で言えば教育行政における民主主義というこのファクター、それは、住民が選挙によって選ぶということも含めて、住民代表性といいますか、そういう面、つまり教育行政の民主主義、民主化ということですね。
 それから二つ目が、それの一つの形態になりますけれども、教育という仕事、教育行政が基本的には地方の自治事務であり地方の仕事であるということで、教育行政の地方分権化ですね。
 分権化した上で、なおその分権化された自治体の中における組織内分権といいますか、そこにおける政治部局、行政部局、一般行政部局からの独立性といいますか、自主性というようなもの。
 その三つが一応その教育委員会の理念というふうに言われ、それから制度原則としては、これも最近ちょっと言われ始めておりますけれども、再び。そういうふうに見てきますと、しかし、教育は同時に一方で専門性というようなものを要求されます。しかし他方で、先ほど言った教育の民衆統制とか民主化ということは、言わば地域住民なり保護者の、すべての一般の素人の人たちにとっても教育は非常に重要なあれだし、この教育要求なり教育への願い、あるいは教育行政に参加するというふうな、そういうレーマンコントロールとプロフェッショナルリーダーシップを一つの統一したものとして、あるいはそのバランスを持ったものとして一応制度化したのが教育委員会制度だというふうに、大体そういうふうにテキスト風には習ってきたわけです。それで、しかし、それは、確かに私は現在においてもかなり重要なファクターであると思います。
 私は、今の教育委員会制度が言わば形骸化、すごく形骸化してきたと言われているその最大の契機は、やはり先ほどもちょっと冒頭の発言の中にもあったとおり、やっぱり一九五六年の地教行法体制への転換であったというふうに思います。その背景とか要因は一応おいておきまして、つまり、そこで何が変わったのかというところの一つは、先ほど言いました、言わば教育委員を含めた教育委員会自体の住民代表性といいますか、あるいはその民衆的な基礎といいますか、あるいは市民的な基礎といいますか、やっぱりそこが非常に、何といいますか、希薄になったということです。教育委員自体も任命されていくわけです、間接的なあれは働いているにしても、代表性は、直接的なあれが。
 私は、中野の準公選制は合法か違法かという大きな議論もありましたけれども、あれをずっと調べていて一つ分かったことは、住民代表性というのは、例えば準公選という、一応区民投票によって担保された準公選制というふうなものが住民代表性というものをまず教育委員自体に与えるんですね。これは、教育委員が自分たちの使命感とかそういう、何といいますか意欲とか勇気とか、そういうものを自分の中につくり出す内発的な要因に、住民から選ばれているといいますか、それがあると。と同時に、教育委員及び教育委員会、あるいは事務局も含めて、それに対する、住民代表性というか、あるいは権威といいますか、それも同時に、何といいますか、つくり出していたというようなことがそのときちょっと気が付いたんですね。そういう意味で、一つはそれが大きく欠落したということ。
 二つ目は、やっぱり教育委員会自体の首長部局との関係性において従来持っていました権限というのが、ある意味ではほとんど首長部局に吸収されていったわけですね、教育予算、教育条例案の原案送付権というようなもの。
 それからもう一つやっぱり大きかったのは、何といっても教育の地方分権と言われたときのやっぱり国、都道府県、市町村のこの関係、このファクターがやっぱり非常に弱まったと。
 ですから、その三つのファクターは、私は、やっぱり教育委員会制度を考える上で非常に重要なことでありますから、その意味ではこれを今日の形でどういうふうにまずは新しくつくり出していけるのかという、そういう問題があります。
 ただ、そのときに、私は思うんですけれども、民主党の案もいろいろ興味深いところはあるわけですが、例えば今回の政府法案で、教育委員の定数、これはそれぞれの何というかフレキシブルな、そういうのを導入しましたね。私は今、例えば教育委員の選出、選任の方法を、これが直ちにすべて何というか一律に公選制がいいというふうには必ずしも思わないんですね。むしろ多様な何といいますか方式というのが、実はこれまで日本の中だけでも、沖縄なんかも含めますと何種類かあるわけですから、そういうようなのも含めて、それぞれの地方の創意といいますか、知恵というようなものを含めた形でやっていくというような、手法としては私はそんなふうに考えております。
○井上哲士君 ありがとうございました。
 次、荒瀬参考人にお聞きします。
 主幹制度などの新しい職についてお聞きするんですが、最初のお話の中で、教員がいわゆるなべぶた組織と言われるのは必ずしも悪いことではないと、やはり教員は納得が必要だし、徹底した議論があってこそモチベーションがわくんだというお話を非常に興味深く聞いたんですね。
 既に主幹制度が導入されているところなどを見ますと、どちらかというと学校経営などはそういう新しい管理職がやって、先生方はとにかく職員会議なども余り議論をしないというような形が起こっているわけで、私はどうもこういう管理職を多くつくるということが、そういう徹底した議論でモチベーションがわくということからは逆行するんじゃないかという危惧があるんです。
 それから、自由に置けるというお話でありましたが、いったん主幹、主任と違いまして主幹の場合は職になりますと、ほかの学校へ行っても主幹になりますから、校長の裁量ということになかなかなっていかないということもあるわけで、この辺の点はどのようにお考えでしょうか。
○参考人(荒瀬克己君) 冒頭申し上げましたように、私はなべぶた組織につきましては極めて合理的な組織であるとさえ思っております。教員はある一つの専門的な職を持っている極めて、言い方がちょっと誤解を受けるかもしれませんけれども、職人的な、専門職といいますか、納得によって動くという、そういうところがあります。したがいまして、無原則ではないにしても、時間を本当に注ぎ込むという、土曜、日曜も含めて子供たちの教育のために注ぎ込むということさえあります。ですから、それが少しでも緩和されるように物的、人的な措置をお願いしたいということを思っているわけでありますけれども、そういった教員というのはやはり納得が必要でありまして、その納得なしに動くということは、これは極めて難しいと私は思っております。
 既にもう任命主任制というのが定着をしておりまして、校内的には、管理職ではありませんけれども、各パート、パートの代表として主任がおります。これは交代可能であります。ただ、それは私の知る限りの話でありまして、例えば県によって、あるいは学校によって、そういった職階を導入することが必要だ、それが学校の経営、もちろん学校の経営といいますのは児童生徒がより良く学び成長していくということが大前提にあるわけでありますけれども、それに必要だと思われるところがあるとしても、私は別段不思議ではないと思っております。
 ですから、先生おっしゃるように、主幹教諭というのはいったん置きますとこれは職が当たりますので外せないということもありまして、私のところでは現在それは必ずしも必要とは思ってはいないということであります。しかしながら、必要だと思っていらっしゃるところも、これはいろんな方とお話をしておりますとおありになるようでして、したがいまして、置くべきだと思われるところが置かれるのは、それはそれでいいのではないかなというふうには思っております。
 いずれにせよ、教員の組織というのは、基本的に参加するとか参画するということ、学校の経営に関して参加する、参画するという姿勢をつくっていくことが重要で、その姿勢をつくっていくときに、なべぶた組織の方がより姿勢がつくりやすいという学校の歴史とか文化とか状況とかのある学校と、いや、階層的な、職階を入れた方がつくりやすいんだと思われる学校があるということではないかというふうに私は理解をしております。
 以上でございます。
○井上哲士君 ありがとうございました。
 岩田参考人にお聞きします。
 いわゆる更新免許制が導入をされますと、そのいわゆる更新講習、それから認定は主に教員養成大学が担うことになるわけですね。ただ、新しく免許を付与するための今までの大学の在り方と一定のキャリアを積んでこられた方に対する講習ということは、中身的にもかなり違うことが求められると思うんですね。そういう内容の問題。それから、これを担うとなりますと、認定も含めますと相当の人的体制も必要になってくると思うわけですが、現在の教員養成大学でこれが十分に可能なのか、足らざるところがあるとすればどこであり、それはどうすればいいのかお考えでしょうか。
○参考人(岩田康之君) 私自身、中教審の答申の後で発足しました免許更新制導入に関する検討会議のメンバーとして、更新講習の具体的な内容などを検討するところに参画しております。参加しながら大学人の一人として思いますのは、これは導入されると私を含め課程認定大学の教員にとっては大変な労務強化になるんだろうというのが正直な実感であります。ただ、検討会議のメンバーの中で大学教員は少数派でございますので、その辺りは大学がやるのは当然だろうという筋論が優勢なのではないかと見ております。
 内容の問題ですけれども、実を言いますと、現在考えられております更新講習の内容というのは、基本的に学部のカリキュラムの中に導入されようとしている教職実践演習のフォーマットにのっとっています。四つの領域があって、それについて数時間ずつの講習というふうなフォーマットが検討中でありますが、ただ、当然入職前の学部学生のものに関しては、それまでにやったことの総まとめといいますか総復習、振り返りの機会である。それから、十年の更新講習ということになりますと、その間の十年間の実践経験を踏まえての振り返りということになるだろうと思いますので、当然内容ですとか組立て方というのは違ってくるということは予想されます。つまり、我々にとっては性質の違う二つのものを同じ枠組みで担うということになろうかと思います。
 ただ、これはプラスに考えようと思えば考えられなくもありません。といいますのは、私ども教員養成に携わっている人間にとって、実際の教師の営みということを考慮に入れた上で教員養成教育を行っていくということは非常に重要なことでございますので、更新講習というものをもし積極的に生かすとするならば、我々にとっても教育内容を考え直すいい機会になろうかと思います。
 ただ、更新講習で担保できる教員の適格性というのは非常に限られたものでしかないということもまた同時に検討会議に参加する中で感じてもおります。つまり、適格性の判定というのを修了認定のペーパーテストでできるのかといったら、これはなかなか難しいといいますか、そういう問題があると思いますので、更新制だけに期待するのではなく、そのほかの施策も含めてトータルに教員の資質向上ということを考えていく必要があるものと考えております。
○井上哲士君 一方で、運営費交付金に競争原理を入れた教員養成大学などはもう九割ぐらいなくなるというような試算もこの間出ておりまして、こういう議論が行われる一方でああいうものが出てくるというのは大変困ったことだなと私は思っておりまして、今の御意見もこれからの大いに議論の参考にさせていただきたいと思います。
 今日はありがとうございました。終わります。
○委員長(狩野安君) 以上で参考人に対する質疑は終わりました。
 参考人の皆様に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただきまして、誠にありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。(拍手)
 午後一時二十分に再開することとし、休憩いたします。
   午後零時二十二分休憩
     ─────・─────
   午後一時二十分開会
○委員長(狩野安君) ただいまから文教科学委員会を再開いたします。
 委員の異動について御報告いたします。
 本日、二之湯智君及び小泉顕雄君が委員を辞任され、その補欠として松村祥史君及び木村仁君が選任されました。
    ─────────────
○委員長(狩野安君) 参考人の出席要求に関する件についてお諮りいたします。
 学校教育法等の一部を改正する法律案外六案の審査のため、来る六月七日午前十時に参考人の出席を求め、その意見を聴取することに御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○委員長(狩野安君) 御異議ないと認めます。
 なお、その人選等につきましては、これを委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○委員長(狩野安君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。
    ─────────────
○委員長(狩野安君) 委員派遣承認要求に関する件についてお諮りいたします。
 学校教育法等の一部を改正する法律案外六案につき、現地において意見を聴取するため、委員派遣を行いたいと存じますが、御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○委員長(狩野安君) 御異議ないと認めます。
 つきましては、派遣委員、派遣地、派遣期間等の決定は、これを委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○委員長(狩野安君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。
    ─────────────
○委員長(狩野安君) 政府参考人の出席要求に関する件についてお諮りいたします。
 学校教育法等の一部を改正する法律案外六案の審査のため、本日の委員会に、理事会協議のとおり、内閣官房内閣審議官山中伸一君外九名を政府参考人として出席を求め、その説明を聴取することに御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○委員長(狩野安君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。
    ─────────────
○委員長(狩野安君) 学校教育法等の一部を改正する法律案外六案を一括して議題とし、質疑を行います。
 質疑のある方は順次御発言願います。
○吉村剛太郎君 自由民主党の吉村でございます。
 私も参議院議員になりまして約十五年になるんですが、この文教科学委員会に所属するのは初めてでございます。しかしながら、いずれの委員会また立場にありましても、この教育問題といいますのは、私にとりましても、またすべての日本国民にとりましてもやはり一つの大きな課題であると、このように思っております。
 そして、くしくもといいますか、約六十年ぶりに新しい教育基本法を成立させることができました。その画期的な時期にこうやって文教科学委員会に所属するということは、大変私にとりましても名誉なことでございます。さらに、こうやって質問をさせていただくということを大変光栄に思っている次第でございます。現在、私も自由民主党の文部科学部会の部会長として、自民党の教育全般にわたりまして若干走り使いをさせていただいておる立場でございます。
 このところ、安倍政権が誕生いたしまして、ある意味では当然でございますが、安倍政権の最大の政治課題、テーマといいますのが教育の再生、教育の充実、確立ということにあるわけでございます。歴史的に見ましても、折々の政権も決して教育のことを念頭から離したことはないと思いますし、地球規模でも長い間、それぞれの国々がそれぞれの立場で教育といいますものを真剣に考え、そして取り組んできたと、このように思う次第でございます。
 そういう中で、申しましたように、安倍政権の一つの大きなテーマでございます教育ということ、そしてそれをどう改革していくか、また充実していくかということで、いろいろな分野で検討もされておりますが、教育再生会議といいますものを設置をいたしました。これは閣議の決定の下に設置されたものと承っておる次第でございます。ところが、いろいろと報告も、第一次報告ありました。また、折々いろいろな情報も耳にする次第であるわけでございます。
 ただ、先般の、これは日経新聞だったと思いますが、社説に、これは五月十八日の日経新聞の社説に「教育「井戸端会議」なら全くいらない」というような社説が載っておりまして、これは若干再生会議をやゆしたものではないかなと、こんな思いも私はするわけでございます。
 しかしながら、私は、井戸端会議というのは決して悪いものではないと。私も選挙区に参りまして、長屋のおかみさんたちのいろいろなお話、また小さな集会に積極的に参加をさせていただいて、いろいろな話を聞いたり、また議論をしたりしております。そこにはやはり生活に密着した大変率直な意見といいますものも多々ございまして、私は大いに参考にさせていただいている次第でございます。
 しかしながら、教育というのは、そして、今般の安倍政権での教育の再生、確立ということは、今後日本の百年の大計の基礎をつくる一つの大きな課題であるわけでございます。それが井戸端会議というわけには私はまいらないと、この新聞記事は確かにやゆかもしれませんが、やはり井戸端会議というわけには私はまいらないんじゃないかと、このように思うんですね。やはり、そこには理念とか哲学とか今までの検証とかがなければならないと、私は率直にそのように思っております。
 しかしながら、新聞がこのようにやゆ的に書きました。そして、私自身も党の中で与党の検討会議その他にも出て一番やはり思うのは、その根底にある理念、哲学、どういう基本的な考えの下にいろいろなことが検討されているのかというのが実は残念ながら私はよく分からない。いろいろな情報が出てくる、報告が出てくる。そして、それがある意味ではマスコミに載る、場合によっては世論になるということ、これは私はいささか危険ではないかなという感じを率直に持っております。
 そういう中で、いろいろと話し合っていただきます、再生会議で話をしておりまして、教育とか理念とかというのは分からない。それと同時に、これは閣議で決定された諮問の会議なんですね。諮問のボードなんですよ。だから、当然、予算とも絡みが出てくる、それからいろいろな法案との絡みも出てくるんですね。そういうものを総合的に考えて、検証して、いろいろな論議がされ、それが報告として出てきているのかどうか、その辺が私はよく分からないんです、正直言って。
 文部大臣、御出席をされているんでしょうが、どうか分かりませんが、どういう論議が交わされているかどうか。これは、秘密会、公開しないということになっておりますからね。公開しないんです。
○国務大臣(伊吹文明君) 議事録は公開しています。
○吉村剛太郎君 議事録は公開する。いやいや、審議の過程は公開しないということになっておりますから細かいことは分かりません。分からないので言っておるという無責任な点があればお許しいただきたいと、このように思っておりますが、まず、この教育再生会議についての大臣のお考えをお聞きしたいなと、このように思います。
○国務大臣(伊吹文明君) 先生、これは大変難しい御質問で、安倍内閣の一員としてはなかなか答えにくい御質問なんですが。
 まず、再生会議の私もメンバーでございますが、私が出席をいたしておりますのは総会だけでございます。ほとんど今報道されたりテレビに出たりしておりますのは、分科会といいまして、幾つか目的を分けてやっておられる会でお話をされていることが、山谷補佐官が統一的に記者会見をしておられる内容ではなく、個々の委員の方々にぶら下がられたときに、率直に言うと、我々のように新聞記者にぶら下がられる経験の少ない方がついついお話しになることが再生会議の意見として報道されて、またそれにかっかとして反応されると、だんだんだんだん再生会議の存在が実は逆に大きくなっていくように私は思っております。
 それで、法律的に言えば、これは国家行政組織法による会議ではなく、先生が御指摘のように、閣議決定でできましたものです。ただ、安倍総理は教育再生を自分の内閣の最重要課題と言って、いろいろな立場の方々の御意見を聴く場としてこれを設けられたわけですね。ですから、政治的な意味はやっぱり非常に大きいというふうに理解しなければいけません。
 しかし、井戸端会議という御批判もございましたが、井戸端で言っていることもやはり耳を傾けて、現場感覚、庶民感覚ということも大切な部分もありますから、ここで出てきた御意見の中でどれを取るか、あるいは、いい意見なんだけれどもどういう方法でやるのか、これはやはり内閣が責任を持って判断を取捨選択しなければなりません。
 そして、それを実現するためには、今御指摘がございましたように、法律改正も要ります。それから、予算も必要でございます。ですから、言いっ放しのホームルームじゃないわけですから、予算の裏付けがない話を幾らされても実現はできませんので、それらをすべて内閣で料理をして、そしてやはり国会という場へお持ちをして、予算にしろ法律にしろ国会の御議決を経なければ日の目を見ないというのは、これ日本国憲法の明記しているところでございますから、そういう位置付けだとお考えいただいて、内閣がしっかりしておれば、どれを酌み取るか、どれをどういう方法でやるか、そして国会がしっかり御議論をいただくことによってそれが実現をしていくし、国民にその中でまずい点があれば御理解をいただけるというようなものかなと私は実は考えております。
○吉村剛太郎君 今の大臣の御答弁で安心をいたしました。是非、文部行政の長は伊吹大臣でございますから、ここできちっと整理をしていただいて、あるべき日本の教育といいますものを、もろもろの意見はございます、それを取捨選択していただきまして確立をしていきたいと、このように思っております。
 それと同時に、この再生会議の皆さん方、それぞれの分野での大変優れた方々が人選されたんだろうと、このように思っておりますが、役割というのは、確かにいろいろと論議をして、今大臣がおっしゃいましたように報告を上げるということがメーンだと思いますが、それ以外に、実はいじめ問題で、大変悲しい出来事でございましたが、私のふるさとの地元の筑前町というところで中学生が亡くなりました。自殺をしました。私の地元でございますから、もう数回にわたり地元に入りました。再生会議の方もすぐ来ていただいたんですね。
 それはそれで使命感を持って来ていただいたということだろうと、このように思っておりますが、実は本当に私の地元なものですから、いろいろとお話を聞いていますと、若干そこに地元の皆さんの感情と、どういう雰囲気でどんな調査なり行動がされたかというのは私分かりませんけれども、どうもちょっとそこに行き違い、感情の食い違いがあったようにも実は感じておりました。これは大変残念なこと、双方にとって残念なことだったと、このように思っておりました。どういう立場で、教育を是正するために、充実するためにそういう現場に行かれること、これは大変重要なことだろうと、このように思っておりますが、そこにちょっと、それぞれの立場の違いかどうか知りませんけれども、食い違いがあったのは大変残念だなと、このように思っております。
 そして、この問題のときに各党、それから当委員会からも何人か行っていただいたと、このように思います。私も行きました。それから、マスコミがどっと押し寄せたんですね。この静かな田園地帯にあれだけのマスコミが入って、そして取材合戦。その取材も、これは私も現場を見ておりませんが、何人かから聞くと、まあこんな取材の仕方でいいのかなと。特に教育問題、子供の問題、そういうときに、ちょっと細かいことは言いづらいんですけれども、取材の態度、それから、田園地帯ですからトイレも何もないんですよ。報道の車がどっと来て、何十人のマスコミの関係の方が、トイレも何もないものですから、いや、行儀悪いこと行儀悪いこと。これは我々も含めて、こういうときのやっぱり規律といいますか、これは大変必要なことではないかなと、こう感じております。
 そこで、御答弁は必要ございませんけれども、再生会議もスタートしたばかりのときだったからいろいろと戸惑いもあったんではないかと、このように思っておりますけれども、再生会議の方も含めて、我々も含めて、マスコミも含めて、教育に関するときはやっぱり教育的な配慮をして、そして臨まなければならないんではないかなと、これは私の感想として申し上げさせていただきたいと、このように思っております。
 これも漏れ聞いたところでは、第一次報告でしたかね、再生会議の。学力が低下しているんじゃないかということで授業時間を一〇%上げるというようなことが報告されております。OECDとか幾つかの調査で確かにランクとしては下がっておるようでございます。それが授業時間を増やせばいいのかどうかと、なぜ落ちたのかと。だけれども、平均的に落ちたのじゃなくて、どうも二極化の傾向があると、こう言われておりますね。いい者はいいけれども、この二極化。で、これに対応するのに一〇%授業時間を上げると。じゃ、ゆとり教育というのは何だったんだろうかと。ゆとり教育のいいところと、それから欠陥があったのか、その辺の検証がなされたのかどうか。その検証の上に立ってそういう提言がなされているのかどうか。この辺も非常に私はよく分からないところがございまして、大臣、何か御所見がありましたらよろしくお願いしたいと思います。
○国務大臣(伊吹文明君) これは、ゆとり教育とそれから授業時間数の増というのは、ちょっと私は直接は結び付かないと思うんですね。
 文部科学省はゆとり教育という言葉は一度も使ったことはございません。基礎学力を十分教え込んだ上で、それを現実に応用する力、実社会で生きていく力を養うためにという建前で総合学習という時間を実は取ったわけです。総合学習を皆さん、ゆとり教育と、こうおっしゃっているわけですが、この考えは私は間違ってはいないと思うんですね。
 ただ、現実の運用で残念ながら、ゆとり教育と言われる学習指導要領は、点数も付けませんし、比較的自由な時間なんですね。ですから、基礎的な知識を十分身に付けないまま、やや子供の主体性や興味本位あるいは関心本位に先生がその時間を流されたという、流されたというか使い流されたという指摘が一部にあることは確かです。
 ですから、そのことに問題があるんであれば、ゆとり教育と言われる総合学習の在り方を学習指導要領の中で少し変えていくとか、あるいは総合学習の時間を少し少なくして、そして基礎の学力の時間を増やしていくと。これは全体の時間数は増えないんですよ、このやり方をやっても。
 もう一つ、再生会議や何かで言っておられるのは授業時間数そのものを増やしてくれと、こうおっしゃっているわけですね。そうしますと、土曜日に授業をするか、一日の授業数を増やすか、夏休みを短縮するか、どれかしかないんですよね。
 ところが、一応週四十時間労働というものもございます。それから、労働基準法はもちろん地方公務員には適用されませんが、地方公務員法の中で労働基準法に代わるような裁量労働制の在り方だとかいろんなものがございますので、これを本当に再生会議がおっしゃっているとおり表から取り組むんであれば、教員の数を増やしていただかない限りできないんですね。あるいは地方公務員法を変えちゃって裁量労働制の期間を拡大するとかですね。
 ですから、私どもは、再生会議でおっしゃっているのはアイデアはちょうだいしますと。そのアイデアをどう実現するかはやはり我々の知恵に任せていただかないと言いっ放しになりますよということを申し上げていますので、授業時間の問題も、先生が御指摘になったいわゆるゆとり教育の問題もいろいろ切り口がございますので、子供の学力をともかく上げていくためにはどうしたらいいかを、国会の御議論も踏まえながら、学習指導要領の中で考えさせていただきたいと思っております。
○吉村剛太郎君 先ほど私が申しましたいろいろな再生会議の御提言、いろいろな法律の関連する、予算とも関連するというのはそういう意味でございまして、今大臣からそのような御答弁をいただきまして、私も安心をした次第でございます。
 ただ、このゆとり教育という言葉がいいか悪いかは別としましても、これで十数年になりますかね、結果がどうだ、確かに学力調査でそういうことは出ました、若干低下した、二極化した。出ましたが、これはこれとしてやはり十分に検証しなければならない。
 こういうものも、時間が少ないからそうなったのか、ただゆとり教育というのが、言葉が先走って、どうもゆとりというので、じゃ、ゆったりすればいいというような、そうではないんですね、これは。そのゆとりが次のばねになっていかなければならない。その辺がどうも説明不足といいますか、文部省としても説明不足があったのかどうか私も分かりませんけど、この理念は私は決して間違ってないと思うんですよ、理念は。ただ、それを遂行するやり方の中に、どうも若干説明不足とか、何といいますか、いろいろな不足する点があったんではないかと思うんですが、大臣はいかがでございますか。
○国務大臣(伊吹文明君) 先生の御指摘のとおりだと思いますし、であるからこそ、これから総合学習の在り方というものを指導要領の中でどういうふうに書いていくかということにむしろ重点を置いて私は考えたいと思っております。
○吉村剛太郎君 それで、指導要領の中で工夫をしていく、しかし理念としてはゆとり教育というものは決して間違っていないと。それを、ゆとりを次のばねにしていこうと、こういうことだろうと思います。それにはやっぱり先生方の協力が必要ですね、それとレベルアップが。
 今回の免許更新制度、私は大変いいことだと。それから、教師の方々にも、それからこれから教師になろうという方々にも大変大きな刺激に、いい意味の刺激になったんではないかと、このように思っておりますが、これを実施するときに、これは役所側にもお聞きしたいんだけど、この資質を向上させる、これは採用試験は若干ハードルを高くするんですか。そういうことはないの。採用試験のレベルを若干高くする、そういうことも含まれているのかどうか。
 それから、そのレベルを確保するためにも、試験だけを難しくしてもしようがない、やはりその前段の大学の、要するに教員養成大学並びに一般大学の教育学部等々の教育まで踏み込むのか、そしてそのカリキュラムをもう少し変えていくのか等々のことまで踏み込むのかどうか。その辺はいかがですか。
○国務大臣(伊吹文明君) まず、教員の資質向上というのは免許の更新制だけでできるものではございません。これは御指摘のとおりです。ですから、養成段階をどうするか、それからその後の採用段階ですね、それから、特に本当に教壇に教諭として立っていただくまでの間の試験任用期間の運用の仕方、その他いろいろなことによってかかわってまいります。
 ですから、民主党が御提案になっている案は、むしろ先生はそのお考えに近いのかなと思って私伺っておりましたが、修士を条件としてかなり採用まで時間を掛けて、実地の教壇での研修というのか、のようなものを重視しながら、これはこれで非常にいい案だと私思います、民主党案は。
 ただ、現実問題として、四年で現在先生を養成しているのを六年掛けるということの人事管理上の問題、つまり今六十歳定年ですから、二年分の定年延長をしないと穴が空いちゃうのかなという気もしますし、これはかなり膨大な予算が要るということもございますので、当面はこの教員免許の更新と、それから、養成段階では大学段階で教員に必要とされる基礎的な資質を磨いていただくようなカリキュラムの改善、それから、教壇に立った場合に自信を持っていただけるように実習をどういうふうにしていくかということ、これらを、御承知のような教職大学院制度というものも発足いたしますので、これを活用してやっていきたいと。
 それから、採用段階でもいろいろ工夫をして、現在、試験任用期間は御承知のように一般は六か月ですが、教員の場合は一年を取っております。これも身分が非常に不安定になるという反対論も一方にございますが、一年を取っておりますので、そういうことも活用しながらやっていく。
 そして、何より先生、やっぱり大切なのは、我々政治の世界もそうですけれども、先輩の議員の方々に日ごろ鍛えられながら、何回も何年も当選回数を重ねて、悪いことを覚えちゃ困るんですが、いいやり方を覚えていくと。だから、学校の現場で教諭という名前が付いたら同等なんじゃなくて、やはり先輩は後輩のことをきちっと教えると、面倒を見てあげると。そういうことのために今回主任教諭だとか何かという、ある程度の職階制のものを今お願いしていると、こんな仕組みでございます。
○吉村剛太郎君 よく分かりました。
 今日の午前中の参考人の先生方との話合いの中でも、民主党さん、どなたでしたかね、全部修士にするのに四十年掛かるというような計算をされていましたね、四十年。これはそのとおりで、岩田先生という方も、二年ちょっと遅れて教育の現場に入るわけですから、生徒との年齢差とかいろいろな問題があるんではないかと。考え方は私もすばらしいことだと思うんですけれども、現実に絡むと私もそんな思いがするわけでございます。
 この問題は以上でございますが、随分私も質問事項を挙げておりまして、幾つぐらい、十ぐらい挙げておったんですが、まだ二つしか、時間がないものですから、若干カットをさせていただきますが。
 この新しい教育基本法第二条の五「教育の目標」に伝統、文化の尊重というのがございます。これは大変必要なことだと、そして新しい、前の旧法にはなかったんですね、明記されたものはなかったです、精神は読み取りますけれども、きちっと明記をされておりましてね。
 ちょっと話は飛びますが、大相撲で白鵬が横綱になりましたね。日本の伝統、国技、伝統文化の大相撲でモンゴル出身の白鵬が横綱になって、同じモンゴル出身の朝青龍ですかと当然張り合うわけでございます。大変すばらしいことだと、このように思います。
 大相撲の土俵というのは、あれは私も何回も見ておりますし、それから部屋の土俵ですね、あれは土俵祭りというのがあって、あの中心にちっちゃな穴があって、そこには米とかするめとか昆布とか勝ち栗とか埋めてあるんですよ。そして、神をそこにお迎えするんですね。だから、あれは神殿なんですよ、神殿。だから、大相撲では、力士が礼をして、そしてかしわ手を打って、ちりを切って、そして相戦うんですね。神聖な行事なんですよ。そして、勝っても負けても礼に始まって礼に終わると。今はそうじゃないんですけどね。かつては、勝っても負けても表情に喜怒哀楽を表さずに淡々として引き下がっていったんです。これが神殿での礼儀作法なんですね。それは相手を敬うということなんですよ。相手があるから相撲ができる、自分は鍛えられる、だから勝っても負けても相手を敬うという気持ちがあるんですね。
 ところが、最近ちょっとその辺が乱れてきたんではないかなと思う。勝ったらちょっとガッツポーズしたりね。あれ、昔はなかったと思う。先般は、横綱が、終わって、負けたときに座布団が来たのをけ飛ばしましたですね。こういう態度は私は余り良くないんではないかと、こんな思いがするわけでございます。これもやはり日本の歴史、伝統なんですね。
 これちょっと我が身内を誹謗するわけでも何でもないんですが、大臣もごらんになったかどうか分からないが、平成十三年の夏場所、東横綱貴乃花、西がたしか武蔵丸、優勝決定戦しましたのはごらんになったかどうか分かりませんが、貴乃花は前日、大関の武双山との一戦でひざを亜脱臼したんですね。しかし、それを押して最終日に武蔵丸とやった。本割ではあっさり負けましたけど、それで十三勝二敗の同率になって優勝決定戦したんです。そして、けがを押して見事に勝ったんです。これはすばらしいことだったと、このように思います。表彰式のときにその当時の小泉さんが、よく頑張ったと、感激したと。だから、日本国じゅう感激したと思うんです。
 ただ、先ほど言った神殿で、相手がいるんです。で、まだ神様がここにおられるんですね。相手がおるんですよ。相手がいるんです。相手の気持ちをおもんぱかると、これはいかがなものかという感じがするんです。これが日本の歴史や伝統じゃないかと、礼儀作法という気を私がするんです。
 こんなことを言うのは余りいないかも分かりませんが、昭和三十八年だったかな、私、若干柔道しておりまして、早慶戦、柔道も早慶戦やっていたんですよ。それで数年ぶりで勝ったんですよ。そうしたら、喜んで先輩がぱあっと、まだ選手が礼を交わす前にその試合場に跳び上がって抱き合って喜びを表したんですけどね。その夜の祝勝会、数年ぶりに勝ったけど説教ですよ、おまえらの態度は何だと。
 そういうことがずっとあったんだけど、今それがもうほとんど薄れているんではないかと、こんな感じがしまして、歴史や伝統を重んじるというのはやはりそういうところから、そしてそれが日本人の規範意識につながっていくと。
 私が申しましたように、柔道は若干礼儀作法が乱れております、残念なことにね。剣道は、まだやっぱり試合前に竹刀を交わして、そして、全日本選手権なんかは、試合が終わった後、分かれて、そして向こう正面で面を外して、そして手ぬぐいをきちっと畳んで置いて、そして正座して手をついて礼をするんですね。
 私は何でこんなことを言うかといいますと、福岡で柔道の大会と剣道の大会、高校の金鷲旗という大会と、それから玉竜旗という大会があるんですよ。これは今全国的に大変大きな大会でして、みんなそこにあこがれて出てくるような大会で、私も高校時代は参加もさせていただいたんだが、やっぱり剣道のこの礼を重んじるというのと、若干柔道では乱れたというところに大きな差が出てきているんですよ。
 というのは、そこのスポーツセンターの清掃を請け負っている業者とこの間、まあちょっと前ですけど、いろいろ話しておったら、先生、柔道の大会の後と剣道の大会の後は全然汚れ方が違うというんですね。全然汚れ方が違うというんですよ。これ、正にそういう教育の中に今度入れた歴史や伝統を重んじるということ、礼を重んじるということが、やっぱりずっと響いてくるんですね。だから、歴史や伝統を重んじるその心をこうやって教育基本法にうたっているということは大変重要なことであり、これがやはり日本人のそういう規範意識につながってくるんではないかと、このように思っておりますが、大臣、御感想は。
○国務大臣(伊吹文明君) やはり相撲も柔道も剣道も、本来、相撲道であり剣道であり武道であると。昨日も御答弁を申し上げましたように、道という字が付いているのは、やはり単なるスポーツを超えて、今先生がおっしゃったような、礼儀、伝統的規範を究めるという側面を持っているということだと思いますね。ですから、武士道においてもやはり敗者に対する思いやりとか、それから己の誇りを傷付けられたときの対応の仕方だとかいろいろなことを教えておりますよね。
 ですから、武蔵丸と貴乃花のときも、最後に優勝決定戦で貴乃花が武蔵丸を引き付けて、よくあの亜脱臼したひざであれだけの回転を利かせた投げを打ったと私は思いますね。そのときの貴乃花の顔つきっていうんですか、これが写真に写って仁王様という表現が、新聞に表現が付いておりましたね。ですから、貴乃花もよくやったと、しかし武蔵丸も優勝決定戦までよく持ってきたねと、本来そう言ってあげるべきだったんだと思うんですが、ワンフレーズですからね。ですから、ちょっと長いのは言いにくかったんだと思います。
○吉村剛太郎君 正にそのとおりで、若干付け加えさせていただけば、あのときの武蔵丸は闘争心はゼロですよ、けがした相手と。そこをやっぱり思いやるというのが武士道であり、日本の伝統ではないかな、相手を敬うということではないかなと、私は個人的にそんな思いがしておる次第でございます。これで、まだ三項目、二項目ぐらいしか、あと二、三時間欲しいんですが、せっかく西岡先生おられますので、ちょっと御質問もさせていただきたいと、このように思いますが。
 実は、私は昭和五十年に福岡で県会議員になりまして、福岡県の教育現場というのは荒れに荒れておりまして、それはなぜかというと、組合との闘争なんですよ。もう闘争で終始したんですね。
 これを何とかしなければならないということで、そのときの自民党の文教の中心におられたのは西岡先生なんですよ。上には坂田道太先生がおり、海部先生がおり、河野洋平先生がおり、森先生がおり、藤波先生がおり、西岡先生。人確法とかなんとか練りに練って全国に我々地方議員が散ってああいう法律を作って、何とかしようということで今日まで来たと、このように思っています。その中心に先生が座っておられたと。
 そして、私は、その当時のやっぱりその対立というのは、国際状況も東西冷戦構造、我が国の政治も五五年体制、イデオロギーとイデオロギーがぶつかって、それぞれやっぱり信念に基づいて行動したんだろうと、このように思っておりますが。私はそのころは県議会の文教族だったんです。闘いのもう本当に第一線で闘ってきた経験を持っております。
 そして、今、我々が自信と誇りを持って出した、そして成立をさしたこの新しい教育基本法、そして民主党さんから出された教育基本法、私は、民主党さんのこの内容もすばらしいと思う。いや、本当にすばらしいと思うよ。私は、これはやっぱり世の中が変わってきたんだなと。かつて対立、対決の時代から、今や切磋琢磨の時代に入ってきたんだと思うんです。対立と対決と切磋琢磨というのは違いますよね。私は、やっとここまで来たなと。願わくは、あの教育基本法も、お互いに話し合って、そして平和裏に作ればよかった、作りたかったなという思いを持っております、私はね。そして、今度は憲法もやっぱりそうなっていかなければならぬではないかと、このように思うんですね。そして、この委員会で伊吹大臣と西岡先生並んで時々雑談されておりますけれども、いやいや、いいんです、それは。何の違和感も感じない、私は。
 そして、この委員会に、中川先生ここにおりませんけれども、この人は道議会の議員のときに、日教組の道議会の組合ともう本当に闘った人なんですよ。佐藤先生は組合出身だけど、中川先生とこの議会運営のためにぶつかるところはぶつかっていると思うんですよ。だんだん、ぶつかっていると思うけど、お互いの信頼関係の上でこうやって本当にいい委員会が、これから分かりませんよ。しかし、これは議会だから、与党と野党だから。だけど、お二人の信頼関係というのは、僕はもう本当にすばらしいと見ているんです。だから、この信頼関係の上に立った対立、意見の違いとかなんとかというのは全く心配要らないんですね。だから、そういう時代になったなと。
 僕は、そういう面では、西岡先生が民主党さんの中におられると。だけど、もうそういう時代になったんだなということで大変喜ばしいことだと、こう思っております。
 何か御感想ありますか。
○西岡武夫君 委員お話しのように、昭和四十年の前半から後半にかけての大学紛争、そして今御指摘のございました五十年前後の、福岡県ではたしか校長着任拒否闘争というのがございまして、私もそこに、現地の調査に行ったことがございます。激しいものでございました。
 私はその後、いろいろな施策に微力ながらかかわってきたわけでございますけれども、今私が持っております感想は、大学紛争のときの学生のあのエネルギー、方向はいろいろ問題があった、しかしエネルギーがあったと思いますね。それからまた、日教組の皆さん方も、まあ私は今も、自民党所属の国会議員も含めて、私が一番日教組の皆さんと、あるときは闘い、あるときは日教組が私を応援、選挙のとき応援していただいても罰は当たらないだろうと思うぐらいの取組もやってきたという、そういう経験から申し上げますと、日教組もだんだん勢力が衰えてきていると。そうなると、どこにも属さない先生方が増えておられる。そういう状況の中で、学校の先生方のエネルギーというものも、前の昔の日教組のようなことをやられると困りますけれども、日教組ももっと力を持っていただきたいなと。
 私がこういうことを申し上げるのは変な感じがするんですけれども、やっぱりエネルギーがなきゃ駄目だと思うんですね。そういうエネルギーをやはりみんなで持ち寄って日本の将来のために教育改革に取り組むべきではないかという意味では、委員御指摘の点については全く賛成でございます。
○吉村剛太郎君 全く同じ考えでして、日教組さん、衰える必要ないんですよ。いやいや、本当なんです。そのエネルギーを、本当に日本の教育の確立のために力を合わせて、これは与党も野党もないんですよ、今後を築く子供たちのために、対立は何も生みません。対立は不毛です。だけど、私が言いましたように切磋琢磨して日本の教育の確立のためにお互いがエネルギーを出し合うということであれば私は何ら問題ないと、このように思いますが。
 ただ一つ、西岡先生でいいと思うが、あれはどうなったんですかね、日教組の教師の倫理綱領というやつは。あれはどうなっているんでしょうか。西岡先生は御存じですか。
○西岡武夫君 私が知る限りでは、教師の倫理綱領は、日教組の綱領として倫理綱領は今なお存在しているというふうに記憶をいたしております。
 ただ、時代の変遷とともに、その倫理綱領についてこれをどのような場面でどのように活用するかといいましょうか、それを解釈してそれに基づいて行動されるかということは、自民党の長い政権の中で憲法においてすら解釈しながらいろいろと現実に対応をしてこられるということを考えますと、日教組が倫理綱領を改定していないからといって今直ちにどうであるということを申し上げるのは早計ではないかと、このように考えます。
○吉村剛太郎君 もうこれ以上は申し上げません。
 仲よく、仲よくというか、仲よくけんかするということですよ。仲よくけんかするということ。切磋琢磨するということだと思うんですよね。そういうことで、かつては対立、対決した間柄であるが、同じ日本人で、同じ我々の子供たちのためにそのエネルギーを本当にささげるというのが私は必要ではないかと。その時期に伊吹大臣、文部大臣として、いろいろあると思います、いろいろもうそれは金絡みのこともございますが、要るものは要る。是非そういう面でも大臣のお力を大いに発揮していただきたいと、このように思っております。
 実は、幾つこなしたかな、まだまだたくさんあるんで、まだこの後、何回かこの委員会も開かれると、このように思いますので、一つ一つ質問もさせていっていただきたいと、このように思いますが、もう一問しますとちょっと中途半端になりますのでここでやめたいと、このように思います。
 ありがとうございました。
○林久美子君 民主党の林久美子でございます。本日はよろしくお願いいたします。
 今ほどは大変大きな、そして格調高い御議論がされておりましたけれども、私はちょっとまた視点を変えまして、一人の母親という観点から質問をさせていただきたいというふうに思っております。
 特に、今日は学教法そして免許法についてお伺いをしようと思っているんですが、私事で恐縮なんですが、私にもちょうど今四歳の息子がおりまして、正にこの四月から幼稚園に通っております。言うなれば、私は今保護者として幼稚園教育を体験しているわけでございますけれども、正直、子供の成長を見ていて思うのは、いわゆる幼稚園教育というのはやはり遊びが中心なんですね。遊ぶことで土に触れ合い、生き物に触れ合い、友達とけんかをしたりする中で、一つ一つできなかったことができるようになったり、知らなかったものを知っていったり、興味を持っていなかったものに興味を持つようになっていくと。日々本当に成長をしていく四歳児、五歳児の子供たちの姿を見ていると、この就学前教育の重要性というのも改めて感じているところでございます。
 そういった意味では、今回学教法が改正をされまして、もちろんこれは教基法の改正に伴うものですけれども、幼稚園教育が一番最初に持ってこられたりという中で、非常に保護者の一人としても期待をいたしております。しかし、一方で不安に感じるところもありまして、今日は、この就学前教育がどういう方向に向かっていくのか、さらには、そこで働いている先生たちがどういうふうな研修などを受けて子供たちと向き合っていくのかということについてお伺いをしてまいりたいと思います。大臣におかれましては、どうか母親の声としてお耳を傾けていただけると有り難いと思います。
 それでは、早速なんですけれども、まず学教法の改正についてお伺いをいたします。
 まず目次についてなんですけれども、目次、これ第一章総則、第二章義務教育、第三章幼稚園、第四章小学校、第五章中学校というふうに章立てがされております。このような章立てを、順番にされた理由というのは何かおありでしょうか。
○政府参考人(銭谷眞美君) 今回の学校教育法の改正案におきましては、まず総則の次に義務教育という章を設けたわけでございます。これは、義務教育が憲法第二十六条、そして教育基本法第五条に基づきまして行われる教育でございますので、それぞれの学校種が特定をされていない概念でございまして、正に国民の権利を保障するための制度としてあるので、この義務教育については各学校種の規定よりも先にまず持ってきたということでございます。
 それから、これまでの学校教育法におきましては、小学校、中学校、高等学校とまいりまして幼稚園が後ろの方に規定としてあったわけでございますけれども、この幼稚園につきましては、改正教育基本法の第十一条に、幼児期の教育は生涯にわたる人格形成の基礎を培う重要なものであると、こういう規定が設けられ、かつ改正教育基本法の六条の二項で、学校においては教育を受ける者の心身の発達に応じて体系的な教育が組織的に行われなければならないと、こう規定されましたことを踏まえまして、まず最初の教育の機関でございます幼稚園を最初に置きまして、幼稚園から規定をすることとして、幼稚園の章を第三章というふうにしたところでございます。
○林久美子君 相当しっかりと考えてお答えをいただけたのかなとも思うんですが、改めて確認をさせていただきますけれども、幼稚園は義務教育でしょうか。
○政府参考人(銭谷眞美君) 幼稚園は義務教育ではございません。
○林久美子君 先ほど局長は御答弁の中で、この義務教育というのは学校種にとらわれない概念であるからここに持ってきたんだというお話がございました。しかしながら、今もう一回確認をさせていただいたんですが、幼稚園は当然義務教育ではありません。普通に考えますと、やはりこれは総則、幼稚園、義務教育、小学校、中学校と並べるのが自然でないかなと思うわけですね。でないと、私はこれ、正直言って幼稚園は義務教育ではないかという錯覚を与えるというふうに思っています。この点についてはいかがでしょうか。
○政府参考人(銭谷眞美君) 先ほども申し上げましたけれども、義務教育というのは憲法第二十六条からその規定の根拠があるわけでございますが、さらに教育基本法第五条におきましても、学校の種類は特定せずに義務教育の目的について規定が設けられているわけでございます。
 このように、憲法と教育基本法におきましては、義務教育という事柄自体が各学校種よりも、言葉が適当かどうかですけれども、上位の概念となっております。このような憲法や教育基本法の考え方を踏まえますと、義務教育の章につきましては、幼稚園から始まります各学校種の章よりも前に置く方が適当であると、このように考えたところでございます。
○林久美子君 禅問答みたいになってくるかもしれませんが、私は、正直言ってこの義務教育、教育基本法の改正のを見ていますけれども、新しいやつを。確かに学校種は限定をしておりません。でも、先ほど局長はおっしゃいました。幼稚園は義務教育ではないとおっしゃいました。その上で重ねて、幼稚園は義務教育ではないけれども、義務教育はより上位の概念であるという御答弁だったかと思いますが、でも、これはやはり憲法があり、教育基本法があり、学校教育法があると。要するに、どんどん具現化している法律なわけですね。その中でそういう、禅問答みたいなことをしていてもあれなんですけれども、本来であれば幼稚園は義務教育ではないのだから、やはり幼稚園、義務教育、小学校、中学校という章立てが自然であるというふうに思います。
 もう一つ言わせていただきますと、これあえてこういうふうに並べられたとするのであれば、これは将来的に幼稚園を義務教育化しようというふうに考えていらっしゃるという理解になるかと思いますが、いかがでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) 禅問答じゃ困りますので。林先生、母親としての御意見を私は伺っているんじゃなくて、見識ある国会議員としての御質問を受けておりますが、その中で立派なお母さんだなと思ってお話は伺っております。
 それで、政府参考人が申しましたように、教育を受ける権利、受けさせる義務というのは憲法二十六条と教育基本法五条に書いてありますから、これは小学校とか中学校とかいう概念よりも、もっと崇高なというとおかしいんだけれども、もう一段高いものなんですよ、義務教育という概念は。
 だから、先生のような今の御質問で、まず順番からいけば、幼稚園を書いてから義務教育を書けということになりますと、義務教育の後に小学校、中学校、第六章は高等学校というのが来ているんですよ。後に来ているから高等学校も義務教育なのかということになっちゃうんじゃないんですか。これはやっぱり立法技術というのか、法律を作る側の、何を概念として、高いものはまず先に出すかという法制局的議論であって、特段、将来幼稚園を義務教育にするから義務教育の後に幼稚園を置いたとか、そういうことは全くありません。
 だから、義務教育の後に幼稚園が来ているから、幼稚園はそれじゃ将来義務教育になるのかといえば、順番からいうと、幼稚園が三章に来て、四章が小学校、五章が中学校、六章が高等学校、じゃ、高等学校も義務教育になるのかと聞くのと同じようなことなんですね、それは。
○林久美子君 さすがの伊吹大臣、非常に、さすがすばらしい御答弁だと思いながら伺っておりましたけれども。当然、大臣もお聞きをいただければ、そういう趣旨で私が伺っているわけじゃないということぐらいは御理解を私はいただけていると思っております。
 その上で重ねて伺いますが、それでは幼稚園、今いろいろな形で就学前の教育を子供たちは受けております。そうした中で、いろいろな調査の結果でも、行っている子供もいれば行っていない子供も当然いるわけでございますけれども、これは先ほど、この章立てとは別にちょっと個人的に、個人的にと言うとあれですけれども、お伺いをしたいんですが、大臣はこの幼児期の教育について、義務化含めてどういうふうに考えていらっしゃるのか、少しお聞かせいただけますか。
○国務大臣(伊吹文明君) これは、義務化という限りは無償でなければならないですよね、保護者に。それはしかし、保護者は無償だけれども、老人保健制度と一緒で、一割しか本人負担はないけれども、お医者さんは一割で診てくれているわけじゃないんで、国民の税金がそこに投入されているから三割負担じゃなくて、三割と一割の差の二割の税金が投入されているからお医者さんは診てくれているわけですよね。それと同じで、義務教育の期間の延長、例えば幼稚園の方へ下ろしてくるか高等学校の方へ上げていくかという問題も、やはり財源とのバランスをもって考えなければなりませんね。
 ですから、私は、今のところ、今の国民の負担、あるいは国民間に定着しているということを前提とする限りは、下へ下ろしてきたり上へ上げていくということは考えておりません。しかし、国民が下ろしてもらいたい、あるいは上へ上げてもらいたいという意欲が非常に強く高まってきた場合は、当然その国民負担をお願いした上で動かしていくことの方が子供の発達あるいは日本全体の基礎学力の向上のためにいいという国民世論が起これば、またそういうことがいろいろなデータから検証されれば、将来はそういうことがあるということがあっても私は構わないと思います。
○林久美子君 ありがとうございました。
 では、続きまして、今回の法改正は昨年の教育基本法の改正を受けて行われたものでございますけれども、教育基本法の第十一条では幼児期の教育について次のように書かれています。「幼児期の教育は、生涯にわたる人格形成の基礎を培う重要なものであることにかんがみ、国及び地方公共団体は、幼児の健やかな成長に資する良好な環境の整備その他適当な方法によって、その振興に努めなければならない。」という、要は努力義務というふうになっております。
 一方、じゃ、今回の学校教育法ではどうなっているかといいますと、「第二十三条 幼稚園における教育は、前条に規定する目的を実現するため、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。」ということで、こちらは義務規定になっております。もちろん学教法の旧法ではこれ努力義務でございました。
 ある意味ではこれ義務規定により強めた形に変更がなされているわけですけれども、これはなぜ義務規定にされたのでしょうか。
○政府参考人(銭谷眞美君) 改正教育基本法の第二条に教育の目標に関する規定がございます。この改正教育基本法第二条では、教育は次に掲げる目標を達成するよう行われるものとするという規定ぶりになってございます。
 今回、学校教育法の改正案を提案をする際に、この改正教育基本法二条の目標の規定に合わせまして、各学校種の教育の目標の規定につきましては、例えば今お話しの幼稚園について、「幼稚園における教育は、」「次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。」という具合に、各学校種の目標の規定の在り方を整理をいたしました。
 この「目標を達成するよう」という規定ぶりであることから、これは達成を義務付けたものではなくて、現行の幼稚園における教育の目標を定めている現行学校教育法七十八条、これは「目標の達成に努めなければならない。」と、こう書いてございますけれども、この規定と同様に、教育を行う者にとっての努力の目標規定をしたというふうに私どもは考えて、この規定ぶり、すなわち目標を達成するよう行うものとするという、こういう規定にしたものでございます。
○林久美子君 つまり、教育基本法の第二条の「教育の目標」と、これは、ちょっと整理させていただきたいんですが、今局長がおっしゃったように、この二十二条については、子供が達成するべきものではなくて、教育にかかわる者が達成すべき目標だとおっしゃったように伺いました。
 では、この教育基本法の第二条も、当然これを引きながらおっしゃったわけですから、子供たちの達成目標ではなくて、子供たちにかかわる大人の達成目標ということでいいんですか。
○政府参考人(銭谷眞美君) この教育の目標、教育基本法を含めましてでございますけれども、それは教育を行う側についてそういう目標を達成するよう行うということで規定をしているものでございます。
○林久美子君 済みません、これ理解が間違っていたら申し訳ないんですが、これ教育基本法を変えたのも、より良い人材を育成していくという観点ですよね。そこに主役である、成長過程をたどる子供から、小学校、中学校と成長していく人たちでなくて、既に今大人である人たちが達成すべき目標としてこれを掲げていらっしゃるというのは、そもそも教育基本法の理解そのものとしておかしくないですか。
○政府参考人(銭谷眞美君) それは、教育を行う側が教育指導上の課題としてそういう目標が達成されるように教育を行うものとするという意味の規定でございます。
○林久美子君 どちらが主役なんですか。子供たちの成長を支えるための教育基本法ではなくて、教育にかかわる先生たちに押し付けるための教育基本法だということですか。今の局長答弁だとそうとしか受け取れないんですが、確認させてください。
○政府参考人(銭谷眞美君) 繰り返しになって恐縮でございますが、教育基本法に目標として五項目示してございます。それから、今回の学校教育法につきましては、幼稚園につきまして目標の項目がそれぞれ各号で示されております。こういったことが子供たち、教育を受ける側において達成されるように、教育を行う側がその目標が子供たちによって達成されるように行わなければならないという意味で、教育をする側がそういう各号に書いてあります目標を達成するように教育を行うことに努めなければならないという規定でございます。
○林久美子君 今おっしゃいました達成するこの五つの目標は、達成すべき人は子供なのか先生なのか、どちらですか。
○政府参考人(銭谷眞美君) 教育を行う者にとっての目標でございます。
○林久美子君 ということは、先生ということですか。大臣、いかがですか。
○国務大臣(伊吹文明君) 教育を行う者ですから、先生はもちろんですけれども、子供に対して教育を提供する側、地方自治体も含めて、国民、納税者という意味です。
○林久美子君 ということは、要するに子供にかかわる社会全体が、子供たちがこういうふうに育っていくように子供にかかわっていきましょうということになるわけですよね。ということでいきますと、先ほどの局長の御答弁のところで、もう一度整理をしてお答えをいただきたいと思いますが、局長、よろしいですか。お願いします。
○政府参考人(銭谷眞美君) ですから、教育を行う側、つまり国民全体が、そういう目標が達成されるように教育を行うという意味で規定をしているものでございます。
○林久美子君 分かりました。
 そして、その中の幼稚園においては、幼稚園の子供たちがきちっと、いわゆるこの中で掲げている目標、五項目あるわけですけれども、この学教法の中に掲げる五項目をちゃんと達成できるようにいわゆる幼稚園という場所においてかかわっていきましょうということでよろしいんですか。
○政府参考人(銭谷眞美君) これは、先ほど来申し上げておりますように、「目標を達成するよう」との規定ぶりでございますので、その達成を義務付けたものではなくて、教育を行う者にとっての努力の目標を規定をしているというものでございます。
○林久美子君 そうしたら、努力を規定するんだと、「行われるものとする。」という義務規定にする必要はないんじゃないかなと正直思うんですけれども、まあ結構です。
 ということは、じゃ、そもそもこの幼稚園教育というのは、これ、義務規定じゃなくても努力義務でもいいみたいな話になっているような気がするんですが、この二十三条に掲げている五項目を幼稚園で学ぶすべての子供はいろんな周りの人のサポートを受けながら達成をするという前提でよろしいんでしょうか。
○政府参考人(銭谷眞美君) 先ほど来、繰り返しになって恐縮でございますが、これは教育を行う者がそういう目標を達成するように教育を行うものとするという、こういう規定でございまして、すべての幼児がこれを達成しなければならないという、いわゆる到達目標、幼児にとっての到達目標の性格を有するものではないものでございます。
○林久美子君 到達目標でないのであれば、わざわざここを「行われるものとする。」にしなくてもよかったんじゃないですか。
○政府参考人(銭谷眞美君) ですから、「達成するよう」という表現にしているわけでございます。
○林久美子君 それは達成するよう努めなければならないじゃなくて、何で「達成するよう行われるものとする。」に、じゃ、されたんですか。これ、努力義務と義務規定、今更申し上げるのも釈迦に説法で恐縮ですが、全く違うと思うんですけれども、そこをしっかりお答えいただきたいと思います。
○政府参考人(銭谷眞美君) 先ほど来、同じような説明になりますけれども、「次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。」という規定でございまして、これは教育基本法の目標規定もそうでございますけれども、ある意味では努力目標を規定をしているものでございます。
○林久美子君 じゃ、義務規定じゃなくて努力義務でいいんですね。
○政府参考人(銭谷眞美君) つまり、努力目標を書いてあるという意味で、そのように解していただいて結構でございます。
○林久美子君 きちっと確認をさせてください。これは、じゃ、義務規定ではないということですね。
○政府参考人(銭谷眞美君) 努力すべき目標を規定をしているということでございます。
○林久美子君 そうかそうでないかという簡潔明瞭なお答えでお願いいたします。
○政府参考人(銭谷眞美君) 達成すべき目標として努力すべきことを規定をしているということでございます。
○林久美子君 委員長、質問できませんよ、こんなんじゃ。ちゃんと注意……
○委員長(狩野安君) 局長、きちっと答えてください、分かりやすく。(発言する者あり)
○政府参考人(銭谷眞美君) 「次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。」と、こういう規定でございますので、努力義務規定でございます。
○林久美子君 最初からそうやってすんなりお答えいただければ次へ次へと進めるのでございますが。ありがとうございます。
 ということは、幼稚園に通うすべての子供たちは、じゃこの五項目を必ずしも達成しているかどうかは分からないと。ただ、その子供たちに向き合う大人がそういうことの達成に向けて努力をしていくんだと。努力しなきゃ駄目だよということじゃなくて、努力してくださいねと、みんなで頑張りましょうという、いわゆる枠の中での話だということですねと理解をさせていただきました。
 ただ、やはり先ほども少し申し上げましたが、この就学前の教育については、かなりその御家庭の保護者の皆さんの働き方であったり、置かれた環境であったりして、いろいろその子供の居場所というのは違うわけです。例えば、三歳児に関して言いますと、幼稚園に行っているのが三六%、保育所に行っている子供が三八%で、家庭などということでまあ二六%。いろいろ伺いますと、要するに幼稚園とか保育所、どこにも行っていない子供も大体およそ四%いるということも伺っております。
 やはり、これは私の考え方ですけれども、子供たちは、同じ年齢の子供たちは同じように質のいい居場所が、あるいは教育が、保育が提供されるべきであるというふうに実は思っています。だから、かねてから私たちは幼稚園と保育所一本化すべきというような話もしているわけですけれども、そんな思いを持っております。
 この努力目標であったにしても、この五項目ですね、二十三条に書かれている五項目、先ほどもお話ありましたけれども、規範意識とか、こういうものの達成に向けて幼稚園教育が行われるということでございますけれども、ある意味、これ、じゃ幼稚園に行っている子供たちはこういう五項目の目標の下にそういう教育を受けられる環境にあるわけですね。しかしながら、幼稚園に行っていない子供たちはこういう五項目の達成目標というものがない中で、やはり違った形の教育、保育を受けるわけです。本当に最悪のケースになったら、そういうもの全く受けれないということもあるかもしれない。これひとしく日本人、日本に生まれ育ち、在住をしている、そして日本で成長していく子供たちがいい教育を、いい保育を受けていこうと思ったときに、じゃ幼稚園に行っていない子供たちはある意味不利益を被るということにもなってしまうんじゃないかと思いますが、この点はいかがでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) つい、今先生が御質問になったようなことをおっしゃるだろうと思って、さっき私は不規則発言をしてしまいました。
 先ほど来、政府参考人から御答弁を申し上げておりますように、教育基本法の第十一条は、幼児期の教育は生涯にわたる人格形成の基盤を養う重要なものであることから、国及び地方公共団体は云々云々で、その振興に努めねばならないと、これは義務規定なんですね。そして、改正教育基本法第十条の家庭教育の二項に、国及び地方公共団体は家庭教育を支援するために必要な施策を講ずるよう努めねばならない、これは努力規定なんですね。そして、今先生がおっしゃっておられる、現在お願いしている学校教育法の二十三条の、幼稚園における教育は次の目標を達成するために、学校として、学校種としての幼稚園は達成するようにやるんだよということを言っているわけで、これは義務規定ではないわけですね。
 ですから、義務規定ではありませんが、二十三条どおりやってもらうとこういう五項目の資質をある程度備えている子供ができてくると。一方で、保育園に行っている子供さんもいらっしゃいますよね。保育園に行っている子供さんは、保育園というものの成立の過程からいって、実際はもう保育園も幼稚園も現場で行われていることはほとんど違いはないと言って私はこのごろはいいと思いますが、その出発点からいうと、これは福祉政策としての措置として行われているものなんですね。この両方にも参加していない御家庭で育っている子供さんもいらっしゃるわけですね。そのすべての子供さんにかかっているのは、改正教育基本法の十一条がかかっているわけですね。そして、努力義務として十条の二項がかかっていると。そういう子供さんを、小学校というのは一定の年齢に達した子供を受け入れる場として、満六歳に達した日の翌日以降における最初の学年の初めから就学させる義務があるというのが今回お願いしている十七条の規定です。
 ですから、幼稚園でやっていた人が少し違う能力を、能力というか資質を持って入ってこようと、保育園でいた人がまたそれよりは別の観点から優れた素養を持って入ってこようと、御家庭だけでのしつけとしてしっかりしたものを持って入ってこようと、そのこととは関係なく、改正学校教育法、現在お願いしているものの十七条は、子供を受け入れるということを規定しているということです。
○林久美子君 先ほど大臣が幼稚園と保育所ではほぼ同じ実態があるとおっしゃいました。多分、五領域のことを言っていらっしゃるんだと思います。この幼稚園教育要領と保育所保育指針……(発言する者あり)実態は、でもそういうことじゃないんですか。同じ五領域を目標に掲げてやってきているということで、私が伺っているのは、だから現場で教育目標がすり合わされてきているんだということを伺っています。ただし、これをごらんいただくと非常によくお分かりいただけるんですが、かなり内容にはまだまだ違いもあったり、書きぶりにも違いがあります。
 そういうことでいえば、昨年施行されました認定こども園でも、やはり幼稚園型こども園あるいは連携型こども園の幼稚園部分はこの法律の対象になるけれども、保育所型こども園あるいは地方裁量型こども園、そうしたものは対象にならないということがあるわけですね。だから、そこら辺の整合性を私はやっぱり取っていかなくちゃいけないんだというふうに思っています。
 先ほど大臣は、二十二条が努力目標だと、なるべく達成することを目標にみんなでやっていくんだという理解でいいというお話でございましたけれども、特にこの二十二条では、「義務教育及びその後の教育の基礎を培うものとして」という書きぶりもされておりまして、いわゆる小学校部分から始まる義務教育をにらんだ書きぶりになっているかと思います。
 で、お伺いをしたいんですが、小学校における教育というのは、これは二十一条の項目が目標だというふうに学教法では作りがなっていますけれども、この小学校教育において、小学校に入ってくる幼稚園児は既にこの二十三条に掲げられる五つの目標を達成してきたという前提でもう入学をしてくるんじゃないですか。
○国務大臣(伊吹文明君) それは、達成して入ってくる幼児もいるでしょうし、「行われるものとする。」と書いてありますから、幼児がこれこれを取得しなければならないとは書いてないわけですから、ましてや小さな子供ですから、そういう教育をしたからといってみんながこの素養を持っているとは限りませんし、御家庭におられる方でも、何というんでしょうか、例えば保育園に通っておられる方でも、家庭教育手帳とか保育所の保育指針だとか、できるだけ合わすように省庁を超えてやっている部分もあるようですけれども、そのことが小学校に入ってくる条件には何ら関係はありませんよということを申し上げているわけです。
○林久美子君 当然私、それが条件になるとは申し上げておりません。ただ、その前提として、小学校教育が行われる前提としてこの二十三条の五項目を達成してきているということで行われるんじゃないかということを申し上げているわけですね。
 ちょっとお待ちください。といいますのも、なぜかというと、じゃ達成してこなくてもいいんだよと、それは前提じゃないんだよということであれば、ここの二十一条に掲げられているこの十項目の目標に何ら二十三条に掲げられている五項目と重なるところはないわけですよね。だから、就学前の子供たち、幼稚園の子供たちが達成してくるべき目標と義務教育段階に入ってきた子供たちが達成すべき目標が重ならないとすれば、既に幼稚園教育で目標としてきたことを達成して小学校に入ってくるという前提でとらえているんじゃないかということを伺っているわけです。
○政府参考人(銭谷眞美君) 先ほど来御答弁申し上げておりますように、幼稚園教育については、これは幼稚園教育を行う側がこういう目標を達成するように教育を行うわけでございまして、子供たち一人一人が幼稚園教育の目標を達成しているかどうかということを問うわけではないわけでございまして、小学校というのは、入学前に幼稚園教育を受けているかどうかを問わず、原則として六歳に達した四月に皆、幼稚園の卒園児、保育所の卒園児、あるいは幼稚園、保育所に通っておられないお子さん、そういうものを差別なく就学をさせる学校でございますので、小学校の教育を受けるに当たっては、繰り返しになりますが、子供たち一人一人が幼稚園教育の目標を達成しているかどうかというのを問う、そういうものではないわけでございます。
○林久美子君 いや、問う問わないの話をしているんではなく、スタートラインが違う、差が付いちゃうんじゃないかということを申し上げているわけですよ。
 今更申し上げるのも恐縮ですが、保育所ですね、児福法に定められていますね。保育所は、日々保護者の委託を受けて、保育に欠ける乳児又は幼児を保育することを目的とする施設だと書かれているわけですよ。目的が全然違う、幼稚園と。
 いろいろな環境で、就学前のいろいろな環境に置かれた子供たちが、用意、スタートで小学校に入ってくるわけですね。幼稚園は五項目という目標を達成しなきゃならぬということではないけれども、それを目指して教育を受けてくる。小学校から続く義務教育の目標の中にそれが入っていないということは、既に達成してきたという前提で行われるのであれば、そこで達成してきていない子供たち、あるいは幼稚園に入っていない子供たちのその権利はだれがどうやって保障するのかということだと思うんですけれども、いかがでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) これは先生、今回の学校教育法の二十一条は、義務教育として行われる普通教育は、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとすると二十一条に書いていて、そこの十番までは、これはその後の第四章の「小学校」、小学校は「義務教育として行われる普通教育のうち基礎的なものを施すことを目的とする。」と。そして次の四十五条の「中学校は、小学校における教育の基礎の上に、心身の発達に応じて、義務教育として行われる普通教育を施すこと」とすると。だから、四十五条と今の二十九条で、この先ほど来先生がおっしゃった二十一条の十項目を達成するわけですから、それは小学校の普通教育の目的としてはここに書いてあることを小学校と中学校で実現していくわけであって、ここは幼稚園というのはこういうことを教える、教えるというのか、こういうことを目標に行うんですよ、幼稚園というのはそういうものですよということを書いているのが二十三条なんですよ。だから、政府参考人が何度も申しておりますように、幼稚園に入っていた人が、もっと具体的に言えば、一つ一つ議論していくとあれですが、二十三条の一、二、三、四、五がこの今申し上げた十項目の中のどれかに溶け込んで記述されているということになるんじゃないんですか。その社会生活を一緒に送っていくためのどうだとか、いろいろ書いてありますよね。ここの一、二、三、四、五項目は当然そのどれかの中に更に進んだものとして包含されていると考えてよろしいんじゃないんですか。
○林久美子君 エッセンスとして読み込むことができるということだと思います。であれば、要するに、必ず達成しなくちゃいけない目標でもなければ、幼稚園に通っていた子供じゃなくても小学校に入った段階で中学校までの期間を通してこの義務教育の目標を達成していくんだということであれば、私は、これだけいろいろ多様化をしてきている時代であり、人間の暮らしぶりもいろいろ多様化している中で、幼児教育にその達成目標という形でわざわざ五項目載せる必要もなかったんじゃないのかなと私は正直思います。
 そうしたら、達成する、しなくてもしてもいいというような、そういうファジーな話であれば、ということであれば、私は、本来であればきちっと達成をしてきて小学校に入って積み上げていくんだったらまだ分かるんですけど、いや、そうじゃなくて、何でもどこに行っても、幼稚園教育だろうと保育だろうと、児童福祉法は変わらずにそのままできていても、認定こども園の幼稚園部分でだけ目標達成するんだみたいな話になっても、小学校に入ったらみんなスタートラインは同じで、義務教育の間でこの十一項目かな、を達成していこうということであれば、もっと私は現場で、地域によったり子供によったりして特性があるわけだから、弾力性を認めるという選択肢もあるのではないかなと思います。
 済みません。もう時間がないので次に行かせてください。
 第二十五条なんですが、第二十五条には「幼稚園の教育課程その他の保育内容」と書かれていますが、このその他の保育内容とは何を指していらっしゃるんでしょうか。
○政府参考人(銭谷眞美君) 改正法案の第二十五条には、幼稚園の教育課程その他の保育内容に関する事項は二十二条及び二十三条の規定に従い文部科学大臣が定めると、こう規定をいたしております。このその他の保育内容というのは、いわゆる預かり保育のことを指しております。現行の幼稚園教育要領においても教育課程に係る教育時間の終了後に希望する者を対象に行う教育活動であるいわゆる預かり保育について規定をしておりますが、これを学校教育法上その他の保育内容ということで今回規定をするということにしたものでございます。
○林久美子君 実態、かなり、公立の幼稚園でも四四・六%の園で預かり保育も行われていると。私立になると八七・六%で預かり保育も行われているということなんですが、当然預かり保育が行われるということは時間が長くなるわけですね。幼稚園は通常四時間保育と言われていますが、延びてくると。その際の人員の配置はどうなっているんでしょうか。
○政府参考人(銭谷眞美君) 現在、地域の実情や保護者の要請等を踏まえまして、いわゆる預かり保育は国公私を通じますと約七割の幼稚園が実施をいたしております。
 人員の配置につきましては、施設の状況に応じまして施設が適切に判断をすべきことではございますが、実態を申し上げますと、預かり保育を実施をしている国公立の幼稚園におきましては四六・七%の幼稚園で預かり保育担当者の人員確保を行っているという状況でございます。
○林久美子君 四六・七%で何らかの担当者を置いているということでございました。
 実際これ現場を聞かせていただきますと、幼稚園の先生がやっていらっしゃるところもあれば、保育士の資格を持った方がパートでやっていらっしゃるところもあったりして、事前にお伺いしましたところ、じゃ、そのうちの何割が幼稚園の先生がやっていて、パートの方がやっていらっしゃるのか、そこまでは把握をしていらっしゃらなかったかと思います。ただ、実態はそういう形で行われているということで、先ほどの午前中の参考人のお話にもありましたが、やはり人と財政的な支援というのが非常に大切なことであると思います。
 現在、この預かり保育について一つの幼稚園当たり幾ら国が手だてをしていらっしゃるのか。文科省さんと総務省さんにそれぞれお伺いします。
○政府参考人(磯田文雄君) お答えします。
 預かり保育を継続的に実施する私立の幼稚園に対して都道府県が補助を行う場合、国がその二分の一を補助する預かり保育事業を実施しております。私立幼稚園一園当たりの補助額は平成十八年度実績で約八十四万二千円、うち国庫補助相当額が約四十二万円となっております。
○政府参考人(津曲俊英君) 幼稚園における預かり保育に対するニーズの高まりを受けまして、平成十四年度より公立幼稚園において預かり保育を実施するために必要となる経費を交付税措置しております。平成十九年度の交付税の算定におきましては、預かり保育のために公立幼稚園一園当たり約三十三万円の措置をしております。
○林久美子君 大臣、これ十分な額だと私言えないと思います。特に、私立でも一園当たり年間八十四万円、一か月八万円ないわけですね。公立の幼稚園だったら年間で三十三万円ぐらいということで、一か月にしたら本当にもう三万円を切るような状況で、やはりでもこの預かり保育のニーズが高まっていて、人を手だてをしなくちゃいけない、子供たちにより良い居場所をつくっていかなきゃいけないというときに、やはりもっともっとしっかりと財政措置を講じていかなくちゃいけないというふうに思います。
 今回、わざわざいろんな必要性があって法律に位置付けられたと思うんですけれども、これどういう形で預かり保育を今後担保していかれるのか、お伺いをします。
○政府参考人(銭谷眞美君) 預かり保育につきましては、私どもの方でまとめました預かり保育の参考資料集などの事例を見ますと、やはり指導員の確保ということが非常に大きな課題になってくると思っております。非常勤の職員により預かり保育を実施をしている場合も多いわけでございます。また、その担当する方の資格の問題でも、幼稚園教諭の免許を持っている方の指導と責任の下で行うという体制をやはりつくっていく必要があろうかと思っております。
 こういった観点から、私ども、各幼稚園がそういう方向で預かり保育を実施していただきますように促してまいりたいと思っておりますが、公立幼稚園については、先ほど来お話ございましたように、全般的に実施率は私立幼稚園に比べますと低い状況があります。平成十八年の状況でいいますと四五%ぐらいの公立幼稚園が実施をしているわけでございますが、これは平成五年には五%であったものがここ十数年でかなり上昇してきているという実態もございます。私立幼稚園は今八八%実施をしておりますので、公立幼稚園における預かり保育につきましても今後上昇していくことを期待をし、促していきたいと思っております。
○林久美子君 これは、要は預かり保育をなるべく増やしていこうということかと思うんですが、その際に、じゃ現場で幼稚園の先生が預かり保育をすることになるのか、あるいは、これまでのようにパートの方がされるのかという辺りは現場の判断にゆだねられると、それはこれまでと同じ形だというふうに考えていいんでしょうか。
○政府参考人(銭谷眞美君) 預かり保育は、通常の幼稚園の保育時間の終了後に地域の実情や保護者のニーズに応じて実施をされるものでございまして、かつ、週当たりの実施の日数とか実施時間については一律に定まるものではないと考えております。そのために、預かり保育を実施をする者につきましても、地域の実態等に応じた対応が可能となることも一方で考慮する必要があろうかと思います。
 このため、地域の育児経験者を補助者とするといったようなことも考えられるわけでございますが、預かり保育につきましては、幼児の生活の連続性や幼稚園が行う教育活動であるということを踏まえまして、やはり幼稚園教諭の指導と責任の下に行われるということが、先ほども申し上げましたが、必要ではないかと考えております。
 この預かり保育の在り方については、今回、法律案にも規定をしたところでございますし、今後、改正法案がお認めいただければ、国会での御審議も踏まえまして、預かり保育が適正に行われるように、私ども、この点について更に検討し、必要な指導あるいは措置というものを講じていきたいと思っております。
○林久美子君 分かりました。
 では、民主党の考え方についてお伺いをしたいと思います。
 本当に今非常に子供たちをめぐる環境が多様化していて、その一方で、やはり人間形成のベースである幼児期の教育の重要性というものについてはだれもがもう認識をしているところであると思います。そうした中で、それを社会全体で、あるいは大人が、先生が、地域が支えていこうと思ったときには、やはり人と財政的な手だてが重要なのではないかなと思います。
 特に、いろいろな調査を見ても、意外と、保護者の方の子育てに関するニーズでいえば、幼稚園とか保育所の費用の免除とか、そういうことのニーズって高いんですね。やはり、それだけいろんな意味での支援を求めていらっしゃる現状があると思うんですが、民主党の案では、法案を出していらっしゃいますけれども、人とか教育にかかわるそうした支援全体としてはどのようにお考えでしょうか。
○西岡武夫君 お答えいたします。
 私ども民主党におきまして日本国教育基本法案を提出しているわけでございますけれども、その中の第六条に幼児教育という項目を設けまして、「幼児期にあるすべての子どもは、その発達段階及びそれぞれの状況に応じて、適切かつ最善な教育を受ける権利を有する。」というふうに定め、「国及び地方公共団体は、幼児期の子どもに対する無償教育の漸進的な導入に努めなければならない。」というふうに規定をいたしております。
 私どもが今国会におきまして学校教育法の改正を提案をいたしておりませんのは、実はかなり以前から、満五歳から義務教育化すべきではないかという議論がずっと今日に至るまであっているわけでございます。それと、現在の六三三四という学校制度、学制についても、これは改めなければいけないという考えを私どもは持っておりまして、そういうことを一か月やそこらの間で結論を出すのは非常に難しいと。国民の皆様方のお考え方も十分承りながら、この学制全体をどうするのか、満五歳から義務教育化していいのかどうか、そのときの学制の区切り方をどう考えるのか。
 あるいは、日本の場合には、これは先ほど吉村議員が御質問になりました、当時の、昭和五十年前後のことなんですけれども、当時も満五歳から義務教育化すべきではないかという議論があったんです。委員御承知のとおり、先進諸国においては現在大体満五歳から義務教育化されているということもこれあり、我が国においてどうだろうかと。
 ところが、当時の議論としては、日本の場合に満五歳から義務教育化してしまうと、現在の幼稚園でのもっと子供たちを遊ばせるということを考えたときに、義務教育化すると小学校の延長に当然なるわけでございますから、余り詰め込み的なことになるとまずいのではないかと。したがって、幼児期の教育の在り方というものを根本的にやはり教育内容について考える方が先だろうというふうなことで今日まで結論が延び延びになってきていると。
 それと、今ここに御出席の政府の参考人の皆様方、文部科学省を構成する役所の皆さん方は、それぞれ幼児教育についても私学についても非常に熱心でございますけれども、かつて文部省時代、昭和五十年前後、幼児教育ということについては、委員御承知のとおり、ほとんど私学に任せていたわけですね。そのことが、当時の文部省として幼児教育を自分の責任でどうするかという意識に欠けていたということが率直に申し上げて当時からの大きな流れでございまして、今日ではそうではないと思いますけれども、そういう意識に立って幼児教育を文教行政としてどうとらえるかということを真剣に考えなければいけないのではないかと。これがなければ、私は幼児教育の問題を論ずることはできないのではないかというふうに思っております。
 したがって、私どもは今回、これは教員免許法の改正の中で養成制度を抜本的に変えると。そのときに、幼児教育についての先生方も、初等、小学校と幼児の教育については免許を一本化するという案を提案をいたしております。これは、考え方によっては、人確法という法律を立案する過程の中で私自身が取り組んだときの基本的な考えは、大学の先生方は、それは高い最先端の知識、学問を身に付けておられるわけですから非常に高いレベルであると、しかし、幼児、子供たちを教える、特に就学前の子供たちを教えるという幼稚園の先生方の方が場合によっては大学の教授よりも多くのことが求められるのではないかと、そういうことも考えまして、教員養成の抜本的な改革の中で、幼児教育に携わられる教師の皆さん方の資格も高いレベルにしようということを考えた次第でございます。
○林久美子君 ありがとうございました。
 本日はもう少し伺いたいこともあったんですけれども、本当に私は今正に幼児教育が重要だなというのを目の前で感じているわけですね。先ほど預かり保育についても伺いましたが、いろいろ子供をめぐる環境も変わっていく中で、子供と向き合っているお母さんたちもいろんなストレスを抱えている。だから、幼稚園が今回、その他保育というふうに法文上は位置付けられたり、いろいろな子育て支援の話もあったりということで、地域のいわゆる幼児期の子育て支援センター的な機能を兼ね備えているということは非常にいいことであると思っています。
 ただ、そのときには、きちっとそれが機能するような仕組みをつくっていかなくてはならないし、いろいろな事情の中でいろいろな場所に子供たちがいることを考えれば、これは、先ほども申し上げましたが、今認定こども園というものが始まっている以上、しっかりと厚生労働省さんともお話をしていただいて、児童福祉法の改正も含めて、やはり一元的に、子供たちにとってより良い場所が提供できるように、より良い教育、保育が提供できるように御努力をいただきたいということをお願いを申し上げまして、質問とさせていただきます。
 ありがとうございました。
○蓮舫君 民主党・新緑風会の蓮舫でございます。どうぞよろしくお願いをいたします。
 まず冒頭に、今朝の毎日新聞で報道されておったんですが、タイトルが「小中学校統合を推進」という。これ財政制度等審議会、これは財務相の諮問機関なんですが、六月にまとめる建議に、学校規模の最適化と題して公立小中学校の統合推進を盛り込むことが分かったという記事で、実際、財務省に確認をしたら、すべて事実というお答えが返ってまいりました。
 大臣、まだお読みになってないかもしれませんが、簡単に中を申し上げますと、これは学校運営費の削減による財政再建が目的だと。建議原案によりますと、全国の公立小学校の児童数、ピーク時の八一年度に比べまして〇六年度が四〇%減少している、その一方、学校数はわずか九%減、中学校もピークの八六年度に比べて、生徒数は四四%削減したものの学校数は三%減であると。財務省が、〇五年四月に統合した全国の公立小中学校二百二十一校、これ統合前に比べたらもう半分になっているんですね。これについて調べると、統合によって学校運営費が単年度で百七十億円削減されたと、だからその財務相の諮問会議の建議書としては、どんどん統廃合を進めていって財政再建を行っていけばいいんではないかという意見を出されたということなんですが。
 これは私は、教育の場所である学校、子供たちに学びを保障する学校という場所が規制改革とか合理性とか市場の原理で論じられて、いわんやその上で、法改正で統廃合が行われていくというのはあってはならないことだと思っているんですが、大臣はどのようにお考えでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) 毎日新聞の記事は私も車の中で読みました。
 率直なところ、国の財政再建にどの程度、地方が設置する学校を統合するということが財源の削減になるのかなということはよく分かりません。私も主計局で長く仕事をしておりましたけれども、国家財政を再建する限りは、地方に出す交付税が減る場合と国が出す補助金が減る場合でない限り歳出のカットはできないんですね。だから、先生の数が減れば義務教育国庫負担金が減ります。それから、学校の新設の数が減れば学校の補助金だとか交付金は当然減りますが、何を考えているのかなという気が、一般管理費だとかそういうものが徐々に減っていくということを考えているのかも分かりませんね。
 大体、こういうものはいろいろ見方があって、先生の御意見と財務省の意見の真ん中辺りが正しいところだと思いますね、現実は。
○蓮舫君 そういう意味では、伊吹大臣は財務省の考え方も十二分に理解できるし、かといって今や文部科学大臣でおられますから、中間と言わず、文部科学大臣としてこんなことがあってはいけないんだとはっきり明言をしていただきたいというのが私の希望的観測ではございますが。
 ただ、はっきり申し上げたら、私からしてみたら、こういう資源が乏しい日本において、何よりも人材なんだと。特に、今の安倍内閣におかれては美しい国をつくるとおっしゃられていて、その軸は人材なんだと。その人材をはぐくみ育てていく学校、教育現場というのを、財政再建の視点で切っていけばいいんだという観点は、私は承服しかねます。
 一方で、こういう人工的に統廃合を進めていけばいいんだという意見が出る一方で、これは自然的に、自然というか、財政的な問題で統廃合せざるを得ない場所も今いろいろなところで出ております。その一番最たるものが夕張だと思うんですね。夕張が総務省に提出した財政再建計画書を見ますと、ここは何と教育費が昨年度に比べて五三・八%削減しているんですよ。五三・八%削減するということはどういうことかというと、夕張市内に四校ある中学校が一校に統合される、七校ある小学校については計画上一校に統合することにしている。これ、十九年度中に整理して検討するということになっているんですが、その結果、小学校が一校に統合されますと、統合された場合、一つになった場合、一番遠い生徒で、十八キロ離れた道のりをバスで三十分掛けて通わなければいけなくなってくるという事態が訪れてくるんですね。
 私、市の財政破綻というのは、その町で生まれた子供、育っていく子供たちには何の瑕疵もないし、そこでの学習権とか教育の権利というのは、市はもちろんですけれども、国が保障していくべきだと思うんです。特に、国が責務を負う教育機会の平等という部分で、ちょっと簡単で結構なんですが、大臣は、この夕張の学校の統廃合の現状はどのようにお考えでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) それにお答えする前に、先ほど私は真ん中辺りに答えがあるんじゃないかと申し上げたのは、やはり学校というのは子供の教育の場所ですから、お金だけの理由で統合したり廃校したりするべきではないんですよ。
 しかし、同時に、それから一定規模のやはり児童を一緒に教育をする、それから通学の時間が余りにも長いとか、こういうのはみんな、例えば学校教育法の施行規則の十七条に、小学校の学級は十二学級以上十八学級以下を標準とすると、こう書いてありますね。それから、義務教育諸学校等の施設費の国庫負担等に関する法律の施行令を見てみると、一、学級、おおむね十二学級から十八学級、通学距離は、小学校においてはおおむね四キロ以内、中学校においてはおおむね六キロ以内と。
 そうすると、私は京都の出身なんですが、昔は京都市内は大変な人口がいました。だから、百メートル置きに小学校があります。しかし、今やドーナツ現象があってほとんどの人は郊外に移っちゃって、昼間人口は大変ありますが、夜間人口はほとんどありません。ですから、そういうところはやはり子供のためにも統合した方がいいんです。そして、跡地を有効に利用した方がいいんです。だから、ケース・バイ・ケースなんですね。
 だから、お金のためだけに統合するというのはどうも私は反対だなと。しかし、統合は何でもいけないよという、私はそうじゃありませんというのはちょっとどうかなという意味で申し上げたということです。
 夕張のケースも、やはり義務教育の場合は、北海道から沖縄までどこに住んでいても、基本的にはシビルミニマムとしてここまでは満たしてくださいということを決めているわけですね。それの決めたいろいろな教育、福祉、いろいろなものを決めたのは基準財政需要というものですよ。そこで、自主財源でカバーできるものとのすき間、ここを埋めているのが交付税なんです。
 だから、多分、二つ考えられると思うんですが、夕張は、従来は基準財政需要以上のことをしておられたのを基準財政需要に戻しておられるか、財政を再建しないといけないから、基準財政需要ということでお金をもらっているけれども、地方自治体の予算の編成権としてその基準を満たさないような予算編成をしておられるか、どちらかなんですね。
 これは、基本的には学校の設置者の判断にゆだねる、ここにまた口を出したら国家統制と今度は御批判を受けるわけですから。だから、これは基本的には設置者が決めるということになっているんですが、子供にツケを回して、大人の失敗のツケを回すということはやっぱりあっちゃいけませんから、できるだけ、総務大臣にもお願いをして、特別交付税措置や何かを講じてあげてくださいよということはお願いしてあります。
○蓮舫君 確かに、現行教育行政で考えますと設置者が決めることであって、国が直接そこに対して指導することはできないとは思うんですが、ただ国家として、子供のひとしく学ぶ権利を保障しなければいけないといったときの国の責任というのはあると思うんですね。
 今回の政府の提出した教育関連三法案を見ておりますと、タイトルだけを見ると、地教行法を改正して国の責任の果たし方を定める、学教法を改正して学校教育の充実を図っていくんだと。やはり、これは国がしっかりと子供たちの学力を維持して子供たちの学ぶ権利を保障していくというふうに見えるんですが、ただ私は、その先にある、学校がどういうふうに具体的に変わっていくのかという絵が残念ながらまだよく見えていないんです。
 私ども民主党が提出している日本国教育基本法案に沿って、あるいは関連三法案に沿って、学校をしっかりと現場に権利を持たせて、権限を持たせてつくらせていただけるんであれば、それは地域立学校で、本当に地方分権で学校が地域を主体として子供たちの学びを支えていく絵が、私は少なくとも民主党案の方が、まあ立場が立場なんですけれども、見えると思うんですが、まず西岡先生にその部分、発議者として御説明をいただいて、文部科学大臣には是非お聞きをいただきたいと思います。
○西岡武夫君 蓮舫委員にお答えをいたします。
 委員が御指摘のとおり、夕張の問題というのは非常に国の義務教育についての責任の取り方ということについての典型的な例であると私は思っておるわけでございまして、伊吹大臣もおっしゃったように、大人の都合でそういう教育環境が悪い状況になるということは許されないことであるということであれば、私どもの日本国教育基本法の中で、国が最終的な責任を負うということを具体的な政策として打ち出すべきであると。
 今、実は私ども民主党としては、夕張について具体的な何らかの方法はないのか、特別措置の方法はないのかということで立法作業に入っているところでございまして、財政再建期間の間、国が全責任を義務教育について負うというやり方がどこまでできるのかということについて検討をいたしているところでございます。
○蓮舫君 恐らく民主党のおっしゃっておられる、国が財政破綻に陥った市を一時的にせよ国所有にすることに対しては、今進んでいる地方分権に対して、中央集権により戻すんじゃないか、国の教育に口を挟む権限をより強めるんじゃないか、いろんな議論があるところだとは思いますが、最終的には子供の学ぶ権利を保障するという部分の真摯な議論は、是非これから先もさせていただきたいと思っております。
 そこで、伊吹大臣にお伺いをしたいのは、今回、国の責任の果たし方も新たに提案をされておられますけれども、今までの教育行政の弊害というのは責任が一体どこにあるのかと。国があって、都道府県の教育委員会があって、市区町村の教育委員会があって、学校がある。それぞればらばらじゃないか、どこにこの問題が行けばいいのか。たらい回しにされて子供が悩んでしまうということが私はあってはいけないと思うんです。
 今回、政府案において国の責任というと四十九条と第五十条というのが象徴的だと考えられるんですが、この四十九条、五十条、その意図するところを教えていただけますか。
○国務大臣(伊吹文明君) これは率直に言いますと、政権をお預かりしておりますから、従来の連続性の中で混乱を余り来さずにやはり国の責任の果たし方を模索しなければならないという、ある意味では足かせがあるんですね。
 そういう中で、平成十一年でしたでしょうか、地方分権一括法ができまして、そのときに国と地方との間の関係がかなり大幅に変わりました。そして、地方がやっておられる仕事というのは、本来の地方が独自でおやりになる地方自治事務というのと、国の仕事なんだけれども法律でもって地方がそれを引き受けている法定受託事務というのと二つに分かれたんですね。
 教育は、私はちょっとそのときなぜこういうことになったのかなと率直な感想を持っているんですが、地方自治事務になっているんですよ。その地方自治事務が、地方分権という大きな流れの中で、これを戻すということは現実問題としては非常に難しゅうございます。ですから、地方自治事務の中で、他の法体系もございますけれども、文部科学大臣がそれはちょっとやり方が困るから直してくれないかというのが是正の要求です。これは地方自治法にも一般則としてございます。ございますが、もうこれは先生よく御承知のように、これは直してくれということは言えるんです。しかし、具体的にこういうふうに直してくれということは言えないんですね、一般則は。今回は、具体的にこういうふうに直してくださいということを言いますと。
 それからもう一つは、自治事務である限りは、国会で決めた指導要領どおりやっていないとか、子供の命にかかわるようなことを隠ぺいしているとかいう学校あるいは教育委員会があるんなら、地方自治の力を発揮して直してくれないと困るわけですから、こういう是正要求をしておりますよということを教育委員を任命された首長とその承認された議会に送るというのがこれは一般の地方自治法と違うところです。
 それから、指示は、これは生命その他に関する非常に緊急的なことですから、これも地方議会にもそのことを送るわけですが、これも一般則として各法律において、自治法なんだけれども、各法律の中で指示することができるという法体系がほかにもございますので、それに倣ってやったということです。
○蓮舫君 大変分かりやすい説明をいただきましてありがとうございました。
 更に言うと、大臣は、常に教育行政は謙虚に公正中立でなければならないと御答弁をされておられるので、軽々に国が地方の教育行政に口を出す、手を出すということであってはならないと思うんですが、確認をさせていただきたいんですけれども、今回のこの四十九条、五十条の条文を読むと、未履修を起こさないようにするんだとか、いじめなどによって生徒の命が危険にさらされてはいけないんだという立法意思が読むことができるんですけれども、そのときの条件として、四十九条も五十条も教育委員会に怠りがある場合という前提を置いているんですね。この怠りとは一体どういうものなのか、これ政府委員の方で結構なので、簡単に答弁いただけますか。
○国務大臣(伊吹文明君) これは先生、私は極めて、いつも申し上げているように、抑制的にやりたいと思っております。その点はまず前提として、一般論として言えば、法律の第一次的有権解釈権は法律の所管省にあります。ですから、この場合でいえば文部科学大臣ですね。何度も教育基本法のときにやり取りをしたように、不当な介入その他のこととこれはやっぱりかかわってくるわけですね。私は抑制的にやり、私が怠りがあったからと思ってやっても、そうじゃない、怠っていないという不服を持たれるところがあるということはこれはあり得ることなんですよ、私は抑制的にやるつもりですが。その場合は司法で争うと、これはもう当然の日本の統治のシステムなんですね。
 ただ、怠りというのはどういうものかというのはやっぱりケース・バイ・ケースですから、ただし、教育委員会の言い分もやはり聞かなければならないでしょうし、関係者の御父兄あるいは学校現場の意見も聞きながらやっぱり慎重に怠りがあったかどうかということは判断していくと、ケース・バイ・ケースによってですね。
○蓮舫君 伊吹大臣のおっしゃる私は抑制的にやりたいと、これは私どもは信頼関係も持っております、審議を通じてそれは信頼をさせていただくんですが、ただ、大臣が替わった場合に担保される言質ではないんですね。そう考えると、この法律要綱の条件というのはきっちり確認をさせていただきたいんですが。
 文部科学省に事前にお伺いをしたときにペーパーでお返しをいただきました。怠るとはどういうことか。教育委員会が何らの措置も講じないことを意味する。何らの措置も講じないこと、これ確かに怠りでしょう。ただ、考えていただきたいのは、何の措置も講じない教育委員会、だけど、学校から情報が上がってこないときは何の措置も講じ得ないんですよ。これは怠りにじゃ当たらないのかというと、学校が隠ぺいした場合に教育委員会は動きようがないときを、でも、結果として、いじめ自殺が出たり何らかの想定外の問題が出たときに教育委員会はどうなんだと見たら、知り得る立場にいなくて、じゃこれは怠りじゃないんだ、どっちなんだというふうに難しいと思うんですが、これはどうなんでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) 蓮舫先生から厳しい御質問が予想される際に、そういうものを紙で出したということを報告をしているのを怠っているというのは非常に困るんですね。私に報告をしなければならないと思います。
 今のように、報告してないというから私は全く知りません。しかし、今いろいろなところからいろんなことを、例えば御質問で聞いたときに、これはきちっと報告をしなければ駄目じゃないの、言ってくれないと困るよといったときにも、なおかつ報告をしなければ怠りになりますね。
○蓮舫君 後の報告でもう取り返しが付かない事態というのがあるんですね。子供の場合には、特に生命にかかわるときの場合、あるいは学習権にかかわるときの場合。
 つまり、四十九条、五十条を読んで、良くできている法律だと思うんです。いろいろな要件を掛けて、この要件を認めていかないと国は地方教育行政に対して指導要求をしていくことができないと。緊急の必要があるとか、あるいは生命、体の保護のためだとか、ほかの手段では何ら助けることができないとか、いろんな要件は課しているんですが、その大前提となる怠りというものが教育委員会が何らの措置も講じないと定義付けをしてしまうと、それは、情報が共有されてない地域においては、この四十九条、五十条が想定していない何らかが起きたときに、四十九、五十条では文部科学大臣が責任を取ることができないんですよ。ここはいかがでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) しかし、どうなんですか。教育委員会は何らの措置をとっていないということが分かっているから是正要求をするわけでしょう。
○蓮舫君 ではお伺いしますが、文部科学省はこの怠りがあるという事態をどうやって知るんでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) それは、教育委員会は、例えばいじめの問題一つ取っても、学校ぐるみで隠していた、あるいは教育委員会もこちらに言ってきていなかったと。しかし、いろいろこちらに情報提供がある、あるいはマスコミからいろいろな話がある、お地元の先生からも御質問が出てくる。あらゆることにやはり耳を澄まして、そして、学校、教育委員会は何も言ってきていないけれども情報がこちらに入ってきている、これは困るよと。
 先生に何か紙渡したのに私に全く言っていないというのは今分かったわけですから、それと同じようなことはよく起こると思います。
○蓮舫君 いや、実はこれ、衆議院の教育特で銭谷局長がもう御答弁されているんですよ。その御答弁は、どうやって怠りがあることを文科大臣が知るのかということに対しての答弁は、銭谷局長は、教育委員会に対する各種調査やヒアリングと言っているんです。つまり、教育委員会にヒアリングをしても、教育委員会が学校から情報が上がってきてなくて知らなかった場合には怠りがあるかないかというチェックができないんですよ。
 そう考えると、ここは潔く、四十九、五十条は、やはりこの怠りという定義をきっちりと何にも動かなかったときということにするんではなくて、もう一つ知恵を考えた方がいいんではないかと思いますが、いかがでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) ですから、やはり私は政治家ですから、役人のような答弁を先ほど来してないんですよね。法律の一義的解釈権というのは所管省にあります。ですから、怠りと私が判断をしたときにこれは怠りになるということです。
○蓮舫君 つまり、その怠りという要件をある程度片付けて形にしておかないと、大臣が替わったときに変わってくるんですよ。伊吹大臣が幾ら聡明な御判断を下されたとしても、次に間違った大臣がなった場合とか、あるいは御判断がぶれたりすることがあってはいけないんです、教育行政においては。だから、ある程度のイメージで形をつくりたいと私は思っているんですけれども。
 つまり、怠りの判断をつくらないと逆になるんですよ。地方分権をどんどん進めたいと思っておられる文科省さんと違う判断を実は地域の教育行政がするようになってはいけないんです。つまり、自分たちが是正要求を受けてはいけないから怠りに当たることをしないようにしようと。じゃ、怠りに当たるのは何なんだと。大臣が判断するのか。じゃ、これはどうですかと一つ一つ市区町村の教育委員会は都道府県の教育委員会に聞いて、都道府県の教育委員会は文部科学省に聞いて、文部科学省が判断をして下りてきて、上意下達の今の教育行政のばらばらと実は変わらないんではないか、逆に中央集権を強めるんではないかと私は理解をしているんですが、いかがでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) これは、従来は是正要求権とか指示権というのはないわけですから、現時点では、地方自治法の一般則しかないわけですから、それはある意味では国の権限を強めるという法律であることは当然なんですよ。強めるという観点があるんだけれども、それによって大きな公益を担保するために強めるというケースがあって当然なんです。だから、怠るという定義はこれはあらかじめできないんですよ。抑制的にやっていくということはだれが大臣になったってそうでなければならないし、抑制的でないと、こういう是正要求をされるということは不当だという場合は、これは司法で争うんですよ。
○蓮舫君 司法で争うということを前提に議論をしてしまうと、今立法作業をしているときに、やはりある程度これは司法で判断を任せる事態になるであろうという議論以前に、司法に行かないで済むように立法の途中経過で議論をしたいと私は思っているんですね。
 その部分で民主党の発議者にお伺いをいたしますけれども、例えば政府案を見ていて、私はこういう、もう少し文言をきっちりと定義付けていった方が、せっかくの法案だからもったいないと思うところが幾つかあるんですが、そのことについて、まあ民主党の発議者に聞くことではないんですが、どうお考えになるのかというのが一つと、民主党の国の責任の在り方、これ決定的に違うと思うんですが、それについて御説明いただけますか。
○西岡武夫君 お答えいたします。
 私ども民主党の基本的な考え方というのは、教育行政についてどこが責任を持つのかということを明確にしなければいけないということを日本国教育基本法の中ではうたっているわけでございまして、その点が政府が提案をされました教育基本法とは大きく違うところでありますし、違っているからこそ、それに基づいて出てきている関連の法案がなかなか思うように機能しないであろうと言わざるを得ないわけでございまして、やはり教育行政の基本的な責任の取り方というのは、この前の委員会でも申し上げましたように、予算の編成権がある、そして執行権がある、そして人事権がある、この三つがそろわないと、あらゆる今のいろいろな問題が起こったことを学校から吸い上げるといっても、教育委員会としてはそれは現実問題としてはなかなか機能しないだろう。
 同時に、学校現場における、私どもは理事会というものを、保護者の皆さん方、校長先生、教師の皆さん方の代表、地域の代表、学識経験者、そういう方々で学校理事会というものを形成して、その中で学校の運営は責任を持ってもらおうと。こういう形にいたしますと、日々の学校で起こったあらゆる問題はその理事会を通して報告されてくるだろうという仕組みを民主党としてはつくっているわけでございまして、そうしなければいけないのではないかと思いますし、残念ながら、どうも教育基本法という大きな問題を改正したとはいいながら、今回提案しておられます教員免許法にいたしましても学校教育法の改正にいたしましてもちょっと貧弱なのではないかと、もっと時間を掛けていいわけですから根本的なことに触れていくべきではなかったかと、このように私どもは考えております。
○蓮舫君 午前中に、自民党の先輩である吉村委員も、これからは対立ではなくて一緒に切磋琢磨、構築していくんだと、そういう部分においてはまだまだ構築できる場面が私は幾つもあると思うんですね。まだまだ審議を尽くさせていただきたいと思います。
 時間になりました。ありがとうございました。
○山本香苗君 公明党の山本香苗です。
 まず冒頭に、法案審議に入る前に、学校施設の耐震化についてちょっとお伺いをさせていただきたいと思っております。
 以前、本委員会におきまして、学校施設の全国の耐震診断結果が取りまとまったら、それを踏まえて今後の耐震化の進め方について有識者会議を立ち上げて検討したらどうかということを御提案申し上げましたら、池坊副大臣から、即座に、早急に立ち上げますという力強い御答弁をいただきました。その後につきまして、実際立ち上げていただいたんでしょうか、その検討状況についてお伺いをさせていただきたいと思っております。
 また、併せましてお伺いをさせていただきたいんですけれども、今、毎年四月一日時点のいわゆる耐震診断実施率や耐震化率の状況というのは調査、公表をされておるわけでございますが、今回調査するに当たりましては新しい調査項目を設けていただきまして、実際、設置者が学校ごとの公表を、耐震化の状況を公表しているかどうかとか、また、耐震化がないといった中でもどれぐらいないのかということをきちんと、いわゆる耐震性能まできちっと調べていただいたというふうに伺っておりますが、今後この新たな調査項目も当然のことながら公表していただけるんでしょうか。
○副大臣(池坊保子君) 三月二十九日に山本委員から、専門家を交えた、役所だけでなくて会議を立ち上げるべきではないかという御質問をいただき、すぐに、私どもは四月に有識者会議を立ち上げました。公立学校施設耐震化推進計画策定ワーキンググループというものでございます。これは、四月に一回、五月に一回、二回開催をいたしました。このワーキンググループは、耐震化の観点から緊急に整備すべき学校施設の範囲、改修を中心とした整備の方策など、様々な課題について議論をいたしております。
 例えば、議論の主な方向性としては、学校施設の耐震化は何らかの中期的な目標を国が示し、計画的に行っていくべきではないか。また、計画には、判明した耐震性能を踏まえ、特に緊急性の高いものについてある程度の期間を定めて整備する旨、明示すべきである。また、特に緊急性の高いものとは、阪神・淡路大震災等の被害状況も踏まえ、例えば構造耐震指標、Is値〇・四未満の建物とすべきであると。ある程度の、じゃ期間というのはどうするのか、教育振興基本計画も視野に入れるべきというふうに考えておりますので五年間とすべきではないかというような議論を今して、まとめているところでございます。
 そして、今、二つ目の御質問はこれはもうちょっと、来週ぐらいにはプレス発表するつもりでございますので今ここで申し上げるのは、資料はしっかり持っておりますが、ちょっと控えさせていただきますが、細やかに都道府県、学校別という資料もいたしておりますし、またどの程度の耐震なのか、その性能についてもきちんと調べて把握いたしております。
○山本香苗君 なぜ今の段階で聞かさせていただいたのかというと、六月議会、地方で開かれている中で、こうした詳細なものが出てきますと、やはり命にかかわることですから、大変財政厳しくても、しっかりやらなくちゃいけないということで議会で訴えていただけるんではなかろうかと、地方議会におきましてそういう流れが加速されるんじゃないかと思いまして質問をさせていただきました。集計急いでいただきまして、既にあるという話かどうか分かりませんが、可能な限り早く出していただけるようお願いしたいと思っております。
 教員免許制度の導入につきましてちょっと質問をさせていただきたいと思っておりますが、今回の制度導入目的というのは、この間の委員会の中でも何回も繰り返し御答弁がありましたけれども、教員が社会構造の急激な変化等に対応して最新の知識、技能を身に付け、自信と誇りを持って教壇に立つことができるようにするためであって、教員として日常の業務を支障なくこなしていて自己研さんに努めているんであれば更新できるんだよということを何度も答弁いただいております。
 私は、大半の先生はもうこのように日常、教育現場で起こるような問題に直面しながら、悩みながら日々研さんをされていらっしゃると認識しておりますので、今回の免許制度が導入されることによりまして現場で負担が増えることがあってはならない、必ず先生方を手助けできる、サポートできる方向で実施していただかなければならないと考えておりますが、この更新の際に受ける講習内容というところにおきまして、どういったものになるのか、どのようにして決められるのか、また最新の知識や技能を身に付けるということでございますけれども、最新の知識、技能を身に付ける、この最新の知識、技能というものは具体的にどういうものを想定されていらっしゃるのか、お伺いさせていただきます。
○政府参考人(銭谷眞美君) まず、免許更新講習の内容でございますが、昨年七月の中教審の答申の中では、第一に使命感や責任感、教育的愛情等に関する事項、第二に社会性や対人関係能力に関する事項、第三に幼児児童生徒理解や学級経営等に関する事項、第四に教科、保育内容等に関する事項、こういった各事項を含めることが適当とされているところでございます。
 今回の改正法案の第九条の三におきまして、免許更新講習の内容等につきましては省令で定めることになっております。この省令で定める際に、国会での御審議を踏まえつつ、中央教育審議会の御意見も何らかの形で伺いながら策定をしていきたいと、こう思っております。また、これは法律に基づく命令又は規則の制定でございますので、行政手続上、パブリックコメントを行うこととされておりますので、広く国民の御意見も聴きながら策定をしていきたいというふうに思っております。
 それから、免許更新講習において取り扱うこととなる最新の知識ということでございますが、これは例示でございますけれども、例えば、子供理解や教育方法、教育の技術に関する最新の知識、各教科や道徳、特別活動等の指導法に関する最新の知識、キャリア教育やカウンセリング法などに関する最新の知識、対人関係や学級経営などに関する最新の知識等が考えられるところでございます。
○山本香苗君 事前にお伺いしたときに、いわゆる今いろいろと例示として挙げていただきましたけれども、よく言われるADHDだとかLDだとか、発達障害に対する知識を身に付けるといったこともそういった中に含まれるんでしょうか。
○政府参考人(銭谷眞美君) 発達障害は最近の教育において大変大きな課題となっております。したがって、発達障害につきましても、障害に関する知見や指導方法などの最新の知識を習得することは重要でございまして、講習において適切に取り扱われることとなると考えております。
○山本香苗君 実際、今申し上げました発達障害につきましては、局長がおっしゃっていただきましたとおり、重要な課題であり、また発達障害者支援法ができてから全国で先生方が研修を受けていただく、でもまだまだ対象が限られている状況でありまして、本当に、発達障害をお持ちのお子さんの保護者の方々からは、もうすべての先生に発達障害についての正しい知識を持っていただきたいという要望がよくなされているところであります。
 他方、この件について現場の先生方にお伺いしますと、受けたいんだけれどもなかなかそういった時間も取れなくてという声もありまして、免許更新時にこうしたこと、現場で本当に求められているような知識が身に付けられるのであれば、先生にとっても、また生徒にも保護者にとってもプラスになるのではないかと思います。
 その時々に身に付けることによって、現場がスムーズにいくようなしっかりとした知識を身に付けていただくといいのではないかと思いますが、であれば、現場のニーズをきちんと把握して講習内容に反映していくという、生かしていくという工夫が必要ではないかと思いますけれども、どういった工夫をしていただけますでしょうか。
○政府参考人(銭谷眞美君) 免許更新講習の質を確保するということ、それから受講者のニーズを反映をするということは、大変私ども大切なことだと思っております。
 免許更新講習の実施に当たりましては、講習開設の認定基準というものを作りますので、この認定基準によりまして質を確保をすることに加えまして、受講者のニーズを反映した内容を確保をするということも講じていきたいと思っております。
 このため、例えば更新講習の受講申込みの際に受講者に対する事前のアンケート調査を実施をいたしまして、どういう講習内容を期待をしているのか、あるいは講習の修了後、事後評価を行っていただきましてその結果を公表することなど、その講習内容の質の向上ということを図るための様々な工夫を検討していきたいと、こう思っております。
○山本香苗君 ということは、実際受ける前にいろんな形でニーズも踏まえてということなんですけれども、教員免許と一口に言ってもいろんな各種免許があって、ニーズも恐らく非常に異なってくるんではなかろうかと思いますが、いろんな免許もある中で一律の内容では必ずしもスキルアップが図れないという状況になると思うんですけれども、免許状に応じた講習というものも、じゃやられるということでしょうか。
○政府参考人(銭谷眞美君) 免許更新制実施に当たって、その更新講習の際はその時々で必要とされる最新の知識、技能を刷新をするということを目的としているものでございますので、およそ教員として共通に求められる内容というものを中心に据えるということがまず第一点ございます。
 それに加えまして、教科につきましては、これも必ず講習に含まれるものと考えられるわけでございますけれども、教科はいろいろございます。したがって、学校段階や教科によって様々な講習内容が必要になってくると思っております。
 実際には、講習を開設するに当たりまして、その免許更新講習の対象とする学校種や教科の種類、講習内容の概要、開設の時期、こういうものがあらかじめ分かるようにし、これらについてホームページ上において周知をいたしまして、教科内容に関する多様な更新講習の中から受講者の方が選択できるような、そういう工夫をしていきたいと考えております。
 いずれにいたしましても、その免許更新講習の内容については、改正法案の九条の三におきまして省令で定めるということになっておりますので、この共通に求められる内容、そしてその教科に応じてまたそれぞれの受講者の必要に応じた内容が受講できるような、そういった工夫を行うことについてよく検討していきたいと思っております。
○山本香苗君 ちょっと局長、確認をさせていただきたいんですが、今いろいろやるものについてホームページ上、受講者の方にお知らせするとおっしゃったんですが、ホームページ上って何のホームページ上に。
○政府参考人(銭谷眞美君) 私ども文部科学省のホームページでこういう更新講習が開設をされていますということをお知らせできるような、そういうことを今検討いたしております。
○山本香苗君 今おっしゃっていただいている話を聞くと非常に壮大なものに感じるんですが、講習というのは基本的に教職課程として認定を受けている大学で行うことということが今回の法案の中では想定をされているんですが、三十時間の講習であれ、今言ったようなすごいいろいろ準備をしなくちゃいけないとなりますと、かなりの人と、またノウハウというものを要するんじゃないかと思います。
 午前中に今日参考人質疑をした中で、実際それに、教職課程をつくっておられる方が現場からの声として、大変な労苦になるであろうなというようなお話をしておられましたけれども、本当に今聞いていて大変なことになる、壮大なことになるなという感触を持っているわけなんですが、こうした講習が今後、今言っていらっしゃったようなものが全国の大学などで地域の偏在なくきちんとできるんでしょうか。
○副大臣(池坊保子君) 今、山本委員がおっしゃいましたように、講習を受けさす側、そういう大学が様々な負担を負わなければならないというのは確かに事実だと思います。一つは今おっしゃったような人間、人の配置です。それからノウハウはどうするのか。その人件費を含んだ私は財政支援、経費負担ということをきっちりと大学にしていかなければならないのではないかというふうに考えております。教員免許というのは個人の資格ですから、これは免許更新講習の開設に関しては費用は教員個人の負担にしたらどうかという声もございますけれども、これは私は教育上の観点から、法律で決められて教員の更新講習をするのですから、一定の配慮が必要だというふうに考えております。
 一定の配慮というのは、じゃどのぐらいをするのかということは、これから国会においてもしっかりと議論いたしまして、講習開設のための体制整備を含めた財政支援の在り方についてはこれから検討していかなければならないと思います。一人につき三万円掛かると言われておりますから、それは多分人件費にも掛かるでしょうし、それからノウハウについても、先生方は労力を費やしてそのような講習のカリキュラムをおつくりになるのですから、それに対しての手当ても当然あるべきというふうに考えております。
 それから二つ目の、じゃ東京都のような交通アクセスのいいところはいいけれども、過疎地とかへき地にいる先生方はどうするのだということに関しましては、確かに不利だという点はございます。でも、夜間や週末における講習あるいはサテライト教室の開設による講習の実施、放送やインターネット等の多様なメディアを活用した遠隔教育、通信教育の実施など、弾力的に履修形態については検討したいというふうに思っております。
 今、放送大学というのがございまして、その卒業式に参りますと、過疎地それから離島の方々もこの放送大学で勉強していらして大変感動を受けますので、こういうものの利用などということもできるのではないかと思いますので、様々な工夫を凝らしながら、へき地、過疎地の方々、そういう先生方がお困りにならない方法を考えていきたいというふうに考えております。
○山本香苗君 とにかく地域の偏在なく、何らかの形で手当てをしっかり考えていっていただけるということと同時に、いわゆる人の面だとかノウハウだとか、そういったところも法律が成立後にきちっと検討をしていただいて、全く個人だからって個人の形にするということではないんだというスタンスを持っていただいているということで御理解させていただきたいと思います。
 実際の免許というもの、私もいろいろお伺いする中で、免許状というのはいわゆる免許状を授与した都道府県の教育委員会に原簿というのがあって、いわゆる実際勤務していらっしゃる学校の教育委員会とはそれが異なるケースが非常に多いということなんですけれども、実際、免許更新となりますと、そこの、原簿があるところの都道府県の教育委員会と今いらっしゃるところの教育委員会との間で、いろいろ紙でやり取りしたりとか何だかんだ、この免許状の管理の関係で新しい事務が生じてくるんであろうなと思うわけなんですが、こういった事務というものも軽視できないものだと思いますので、そういった事務負担の軽減の観点から、全国でこういったデータベース化、共通化したようなものをつくってやることも考えてもいいんじゃないかと思いますが、いかがでしょうか。
○政府参考人(銭谷眞美君) 文部科学省におきましては、今回の免許更新制の導入ということを一つの契機として、現在各都道府県教育委員会が個別に管理しておりますこの免許情報を、全国の免許管理システムという形で一元的に管理できるような、そういうシステムの導入に向けた検討を開始をしているところでございます。平成十九年度、システム開発に向けました調査、準備試行等を行うための経費を計上しているところでございます。
 今回の改正法案が国会でお認めをいただきました場合、平成二十一年四月の改正法の施行に向けまして、私どもこの免許更新制が円滑に実施できるように、ただいま申し上げました全国の免許管理システム、これの構築に万全を期していきたいと思っております。
○山本香苗君 先日の委員会でも出ておりましたけれども、この講習、全員が受けるわけではありませんよと、免除される方もいらっしゃいますよという話でありましたけれども。
 そこで、ちょっとこの間の議論でいろいろありましたが、もう一回、どういう基準で免除することになるのかということをお伺いさせていただきたいと思います。
○政府参考人(銭谷眞美君) 改正法案の第九条の二第三項に、「知識技能その他の事項を勘案して免許状更新講習を受ける必要がないものとして文部科学省令で定めるところにより免許管理者が認めた者」は、免許更新講習を受講することなく免許の更新ができることとなっております。
 今後、改正法案が成立した際には免除に係る省令というものを定めることとなります。省令の内容につきましては、国会における御審議も参考にして、今後十分検討してまいりたいと考えておりますが、現在、免除の対象者として想定されているのは、優秀教員として表彰を受けた方、校長、教頭など教諭を指導する職にある方、そして勤務実績を勘案して、もう最新の知識、技能を身に付けているということで受講する必要がないと認められる方などを規定をするといったようなことを今考えているところでございます。
○山本香苗君 ちょっと確認なんですが、と認められる方という形にしているのか、ただ単にこの職の人だからこうというわけではないということですか。
○政府参考人(銭谷眞美君) 例えば校長先生などはその職にあれば免除の対象者となりますが、勤務実績等を勘案して受講免除となる方は、これは任命権者等において受講する必要がないと認める方になろうかと思っております。
○山本香苗君 前回御答弁、前回というかおとついですね、の委員会におきましては、関係者の納得が得られるような免除基準というものを今後きちんと検討していきますということでしたけれども、この職だったら必ず免除という話じゃなくてということですね。
○政府参考人(銭谷眞美君) 省令をこれから作るわけでございますけれども、その免除の基準等につきましては、私ども、国会の議論も十分に参考にしつつ、皆様方の納得が得られる案を策定をしていきたいと思っております。
○山本香苗君 とにかく、関係者のみならず、一般にもきちんと納得が得られるような基準にしていただきたいと思います。
 十年ごとの免許更新ということのスキルアップも大事なんですけれども、現場で先生が困ったとき、技術的に何かサポートが受けたいなと思ったときに駆け込めるような、つまり、不断にその資質向上を目指そうとするときにサポートしてくれるようなところがあればいいなという声も現場にあるわけでございますけれども、いかがでしょうか。
○政府参考人(銭谷眞美君) ただいま先生がお話がございましたように、実際に教鞭を執っておられる先生方が困ったときにいろいろ相談できるところ、これは必要なことだと思います。
 通常は同僚の先生や校長先生、あるいは教育委員会の指導主事の方などにいろいろ御相談をするといったようなことが考えられるわけでございますけれども、多くの教育委員会では、それらに加えまして、例えば各都道府県にございます教員研修センター、あるいは教育センター、こういうところの施設開放等を行いまして、そこに人を配置をしたり、あるいは資料を用意したりして先生方の相談に応ずるようにしているところでございます。
 例えば、一例を挙げさせていただきますと、大阪府では、今年の四月から教育センターの中にカリキュラムNAViプラザと、こう称するプラザを設けまして、教員の相談に応じるなどの支援を行っていると承知をいたしております。
 私ども文部科学省といたしましても、こういった取組が一層それぞれの教育委員会で進められることを期待をしているわけでございますが、各教育委員会が個別に行っているいろいろなこういう支援策を情報を共有できるように、いろいろとまた紹介をするということも行っていきたいと思います。
○山本香苗君 とにかく、免許更新制だけじゃなくて、いろいろと日常的に先生方がスキルアップを図れるような仕組みというのを同時に充実していかなければならないと思いますので、各都道府県におけますいろんな取組ありますけれども、文部科学省もどうだという声も先ほどありましたが、そういった体制、これだけで何かなるというわけではないというスタンスに立って施策を進めていただきたいと思っております。
 次に、指導が不適切な教員の認定及び研修につきましてお伺いしますが、今回、この教育委員会における指導改善研修が法律で明記されますけれど、もう既に各都道府県で行われているわけです。
 じゃ、文部科学省としてこの実態をどのようにまず認識をされていらっしゃるのか、適切に指導改善研修が行われていらっしゃるという認識でいらっしゃるのか。また、今後、指導改善研修の質の担保という点ではどういうことをお考えになっていらっしゃるのか、併せてお伺いします。
○政府参考人(銭谷眞美君) まず、現在、各都道府県教育委員会等におきまして指導改善研修を実施をしているわけでございますが、それは個々の事例に応じまして様々であると思います。
 私ども把握をしておりますのは、一般には、教員研修センター等におきまして研修計画をまず立てるわけでございます。その研修計画を立てるに当たりまして、対象となりました教員の方が、これまでの自己の教育実践を振り返り、御自分の課題や欠点を認識をし、意欲を持って研修に取り組むことができるような配慮をした上で計画を立てるということが行われていると思います。
 また、二つ目には、その研修の対象となります当該教員の課題に応じまして、例えば、その先生が指導方法に関する知識が不足をするといった場合には、具体的な指導方法に関する講義を受講させたり、あるいは児童生徒との関係を適切に築けないといったようなことで研修に入ってこられた先生にはコミュニケーションに関する研修を行うとか、そういった課題に応じた研修が行われていると思っております。
 さらに、こうした一定の受講期間を経て、校長先生や指導主事の方が付き添うなどの一定の条件の下、学校での授業に補助的に加わって指導力の改善状況を確認するというように、教員の職務への復帰を支援するような観点も踏まえて実施をされているというふうに認識をいたしております。
 今回の教育公務員特例法の改正案の第二十五条の二の第三項におきましても、任命権者に対しまして指導が不適切な教員の能力、適性等に応じて計画書を作成をし、その上で指導改善研修を実施をすると、こういう仕組みを設けているところでございます。
 私ども文部科学省といたしましては、法案をお認めいただければ、速やかに各任命権者の参考となるようガイドラインを作成することといたしておりまして、その中で指導改善研修の在り方について提示をすることを通じまして指導改善研修の全国的な水準の確保を図ってまいりたいと考えております。
○山本香苗君 じゃ、不適格教員の認定及び研修、この一連のプロセスの中で、指導が不適切だと、不適切な教員と認定される方の意見を聴く機会というのはその中に盛り込まれるということなんでしょうか。
○政府参考人(銭谷眞美君) 現在でも不適切な教員の認定に際しましては本人からの意見聴取などが行われているわけでございます。今回の教育公務員特例法の改正案の第二十五条の二第六項では、事実の確認の方法その他認定の手続に関して必要な事項は教育委員会規則で定めるということになっております。
 文部科学省としては、今回の改正案をお認めいただいた場合、指導が不適切な教員の認定に当たりましては、教員本人から書面又は口頭によりまして意見を聴取する機会を設けることについて教育委員会規則で定めるよう各教育委員会に通知をし、適切な運営がなされるようにしてまいりたいと考えております。
○山本香苗君 今回の二十五条に関連するところでございますけれども、この二十五条の五においては、指導が不適切な教員の認定に当たって、第三者の意見を聴取することが義務化される規定が新たに入ったわけですが、私はこれを読みまして、ただ単に意見を聴取するというだけじゃ不十分なんじゃないだろうか、単に意見を聴きましたというその事実だけという形になるんじゃなくて、やはりこの認定の客観性であったり恣意性を排していくためには、ここをきちっとルール化するとか、第三者で構成されたようなところでその合意事項を認定に反映するような形にすべきではなかったのかと思うんですが、この点はそういった御検討をなされなかったんでしょうか。
○政府参考人(銭谷眞美君) 今お話のございました教特法改正案の第二十五条の二第五項におきましては、認定が公正かつ適正に行われるように専門家や保護者の意見を聴かなければならないということにしているわけでございます。その際、今先生からお話がございましたように、個別に意見聴取するのではなくて、会議といったような場を設けまして、そういう専門家や保護者の方が一堂に会して意見を述べる機会を設けるということは、総合的、多角的に判断する上で有効と思っております。
 こういった趣旨を、法案がお認めいただいた際には、各都道府県教育委員会等に対して通知もいたし、このような運用上の工夫について周知を図っていきたいと思っております。
○山本香苗君 意見を聴取するということを書いているわけですけれども、今おっしゃられた、御答弁されたような形で、そういった会議体も想定しながら恣意性を排していくんだよというスタンスを文部科学省としてはお持ちで、これからしっかり周知していくということですね。
 あと少し、五分しかなくなってまいりましたので、ちょっと先日、佐藤理事もお伺いをされておりましたけれども、一点。
 今のいわゆるはしかの問題で、実際六月に本格的に始まる教育実習に影響が出てくるんじゃないかということで調査をしていただいているというふうにはお伺いをしているわけなんですけれども、調査して実態をきちんと把握していただくのはいいんですが、それをもって具体的にどうするかというところを早く示していただきたいと不安な声も上がってきておりますので、是非、こうするんだという文部科学省のスタンスを具体的にお答えいただきたいと思うんですが、いかがでしょうか。
○政府参考人(銭谷眞美君) 教育実習は、五月の末から六月中ごろに行われる場合が多いわけでございます。現在、関東の大学を中心にはしかが流行していることから、その影響が懸念をされているわけでございます。
 私ども、基本的な考え方としては、はしかに罹患をしている学生については完治するまで教育実習に参加をさせないこと、第二に、はしかに罹患したことがないワクチン未接種の学生や免疫がない学生については教育実習前に予防接種を受けるよう指導すること、こういったことを徹底していく必要があると思っておりまして、先般、教職課程を有する八百五十の大学に対しましてこの旨依頼を行ったところでございます。
 なお、現在、教育実習生を介しての感染の例というのは現在承知をしていない状態でございます。ただ、今後も事態を注視をしてまいりたいと思っております。
 また、はしかに罹患をし、教育実習に参加できない学生が生じる可能性がございます。以下のような対応を今検討しているところでございます。
 一つは、はしかの影響について、大学、校長会それから教育委員会等から情報を得る体制をきちんと取るということでございます。第二に、校長会、教育委員会等に対しまして、はしかの影響で春の教育実習の機会を逃した学生について、安全が確認された場合は秋以降柔軟に教育実習に受け入れていただきたい旨要請をしてまいりたいと思っております。また、大学に対しましても、秋の教育実習のシーズン、これ十月から十一月ごろございますけれども、学生のワクチン接種等徹底をし、秋以降感染のおそれのない学生を実習に送り出していただきたいということを要請をしてまいりたいと思っております。
 いずれにいたしましても、実習先での感染拡大を防ぐとともに、学生の教員免許状取得に影響が出ないように対応してまいりたいと思っております。
○山本香苗君 とにかく、今の学生さんたちが混乱しないように実態をよくフォローをしていただきまして、速やかに対応を図っていただきたいと思っております。
 以上で終わらせていただきます。どうもありがとうございました。
○井上哲士君 日本共産党の井上哲士です。
 今日は、地方教育行政法改正案についてお聞きします。
 今回の改正案では、教育委員会が教育長に委任できない事項を新たに定めております。教育に関する事務の管理及び執行の基本的な方針に関することなど定めたわけでありますが、この趣旨は何か、まず大臣にお聞きしたいと思います。
○国務大臣(伊吹文明君) それは、一言で言えば、教育合議体の執行機関である教育委員会を構成する教育委員一人一人に使命感と責任感を持ってもらうということです。
 御承知のように、現在の地教行法は、二十六条一項に、教育委員会の権限に属する事項は、教育委員会規則の定めるところにより、その一部を教育長に委任することができると書かれておりまして、何を教育長に委任するかというのは、教育委員会によっていろいろ違ってきております。
 ですから、教育委員会の会議の形骸化あるいは責任の欠如という問題が指摘されておりますので、今回、基本的な方針の作成とか、教育委員会規則の制定、改廃、あるいは学校の設置あるいは廃止、教職員の人事、活動の点検、評価、こういうものについては教育委員自らが行ってもらうんであって、地方教育官僚のトップに上り詰めた人が教育委員と兼務というんでしょうか、している教育長に委任すべきことではないということを明確にしたということです。
○井上哲士君 教育委員会の形骸化などを正していくという趣旨が言われたと思うんですが、しかし、教育長に事項を委任し過ぎているから、今、様々な問題が起きているとは私はちょっと思えないんですね。今現在でも、それぞれの教育委員会は教育長に委任できない事項というのを自ら定めていると思いますが、今回のこの地教行法の改正案で規定したような基本的な事項まで、現在、教育長に委任をしているような教育委員会というのが実在するんでしょうか。
○政府参考人(銭谷眞美君) 各都道府県教育委員会等におきます教育委員会規則を見てみますと、教育長への事務委任については、職員の任免その他人事に関すること、これは一部教育長に委任をしている例が見られます。ただ、それ以外は、今回、第二十六条第二項で規定をする事項については教育長には委任をしておりません。
 ただ、ここで一点申し上げますと、今回、委任できない事務として、今回の改正案の第二十七条で新たに規定をされました教育に関する事務の管理及び執行の状況の点検及び評価、これは新たな教育委員会の仕事として明記をしたわけでございますので、これは当然、現在、教育委員会規則で規定をされていないわけでございます。
○井上哲士君 私も国会図書館にお願いをして四十七都道府県の教育委員会の規則でどうなっているのかということも見たんですが、今回の法案に盛り込まれたような基本的なことまで委任をしているというところは基本的にないわけですね。むしろ、今回規定されたことはもちろん、それ以上の事項をそれぞれの教育委員会が話合いで決めているというのが現実なわけです。そうしますと、一体、立法事実があるんだろうかと。
 こういう新たな今回の規定を設けることで、教育委員会の会議の形骸化が解消されたり教育委員の責任感が高まるということと私はつながるように思えないんですけれども、この点いかがでしょうか。
○政府参考人(銭谷眞美君) 今回の改正案は、教育委員会、特に合議制の教育委員で構成する教育委員会の責任というものを明確化し、各教育委員の方に使命感をきちんと持っていただくという趣旨で委任できない事務を規定をするものでございます。
 したがって、この改正法案の第二十六条の二項で規定をする事務は、これは教育委員会の委員の合議体の責任においてしっかり事務執行に当たっていただきたいということが明確になったわけでございますので、各教育委員の方はそういう観点からこれから職務を行っていただけるというふうに考えるわけでございます。もちろん、ここの第二十六条第二項に規定をする以外の事務について教育長に委任をするということを促すという趣旨ではないわけでございます。
○井上哲士君 私も、責任感を持っていただくこと、そして会議の形骸化をなくしていくことは必要だと思うんですが、これがそれにつながるんだろうかと。今おっしゃいましたけれども、むしろ今回の改正で、これだけは委任できないということを決めたことによって、それに決まったこと以外は教育長に委任ができるということになって、現行よりもむしろ委任することが促進をされるんじゃないかと。そういうつもりではないという御答弁でありましたが、しかしそれが促進されるという私は懸念があると思うんですけれども、それはいかがでしょうか。
○政府参考人(銭谷眞美君) 現在は二十六条の一項におきまして、一部の事務を委任することができるとただ書いてあるだけでございまして、その範囲等については規定をしていないわけでございます。
 今回、新たに二十六条二項で、委任できない事務、すなわち教育委員会自らが行うべきと考えられる重要な事務について、これを明らかにすることによりまして、教育委員で構成をされる合議制の教育委員会がやはり自らの責任で管理、執行をするということが求められるわけでございますし、それ以外の事務については、教育委員会の適切な判断の下、教育長や教育委員会事務局との役割分担を担っていくと。その点は前と変わらないわけでございます。
○井上哲士君 今日の午前中の参考人質疑のときにもこれについての意見陳述がありまして、今回のこの規定は狭過ぎるんじゃないか、これでは教育長中心の教育行政が現状より更に促進をされて、逆に合議制の教育委員会の形骸化が強まるんではないかという学者の方の御意見があったわけですね。
 今基本的なことまで教育長に委任をしているというふうなところがあるんならともかく、それは先ほど言いましたように実際ないわけですね。むしろそれより広いところを実際には自ら議論をしてやられていると。それをこうやって狭く明確化することは、やはりこれまで以上に、この際教育長に委任しちゃおうかということが広がって、今日その参考人の懸念にあるような形骸化が進むおそれがあるんではないかと。それはやっぱりそう思うんですけれども、重ねてどうでしょうか。
○政府参考人(銭谷眞美君) 繰り返しになりますが、現在、地教行法の二十六条一項におきまして、教育委員会はその権限に属する事務の一部を教育長に委任させることができるとだけ書いてあるわけでございます。
 今回第二項を設けまして、「前項の規定にかかわらず、次に掲げる事務は、教育長に委任することができない。」ということで、この事務はきちんと教育委員会が責任を持って、自らの責任で管理執行してくださいと。それ以外については今と同じ状態なわけでございますから、私どもといたしましては、教育委員の方々が従来以上に使命感、責任感を持って教育委員会の事務の執行に取り組んでいただけるものと考えております。
○井上哲士君 現状ではそういう規定しかないのに、教育委員会の皆さんがこれは自分たちの責任だと、正に自らの責任感で基本的な事項については委任せずにやっていらっしゃるわけですね。それを、現にそうやって責任感を持って基本的事項については議論をしているのを、法定化したからといってより責任感が高まるとは、幾ら聞いてもそう思わないんです。
 教育委員会が活性化をするのにはどうしたらいいんだろうかと、これはいろんな議論がされてまいりました。教育委員会制度を検討した中教審の部会でも、二〇〇四年の九月に教育委員会制度及び県費教職員制度の運用に関する調査というのが発表されております。これは教育長、教育委員長、首長にアンケートを行っているわけですが、この中で、教育委員会の会議が不活発な理由として、トップで挙げられているのはどういうものになっていますか。
○政府参考人(銭谷眞美君) 今お尋ねの件は、平成十六年九月の中央教育審議会地方教育行政部会において教育委員会制度調査研究会から報告をされた、教育委員会制度及び県費負担教職員制度の運用実態に関する調査、その結果についてでございます。
 その中で、教育委員会の会議での議論がどのような場合に不活発になると思うかという点について、都道府県・市町村教育委員長へのアンケート結果が示されております。
 結果を見ますと、今お尋ねのトップは、通達、通知で国や県の方針が決まっているために議論のしようがない場合、これが六一・六%でございます。次いで、議論をするための前提となる情報が不足をしている場合、これが五二・九%というふうになっております。
○井上哲士君 今ありましたように、通達や通知等で国や県の方針が決まっているために議論のしようがないというのが六割以上というのが、これは中教審が調べた結果なんですね。この調査結果をまとめた文書では、これは形骸化と言われる状況の背後にある制度的な問題として看過できない、制度的な問題として見過ごすことができないと、ここまでこの中教審の調査報告は言っているわけですね。ですから、この間もありましたが、国が教育行政のはしの上げ下ろしまで口を出してきたということがやはり教育委員会が活性化しない根本原因だということをこの調査でも私は出していると思うんです。言わば、看過できない制度的な問題と言われていることが今回の法改正で一体解決するのかどうか。これ、大臣いかがでしょうか。
○国務大臣(伊吹文明君) これは先生、何事も法律を変えただけでは解決しないんですよ。しかし、法律を変えなければ解決しないんですよ。ですから、それ、当事者のやっぱり意識なんですね。教育委員あるいは教育長になる人がしっかりしているところの教育委員会はやはり活性化して動いているんですね。
 ですから、今回いろいろ御指摘が先生からありましたけれども、やはりこの分野においては、教育長あるいは教育官僚機構に委任するんじゃなくて、皆さんの責任でやってくださいということをまず明確化して、そしてあとは、教育委員の方々にも失礼なことですが、教育委員の、委員会の評価、教育委員の研修、その他、そしてこうしてここで御議論をいただいていること、こういうことがすべてやはり教育委員の方々の意識改革に結び付いていくことですから、私は、それでそういうことは当然改善していけると思いますし。
 先ほど先生がおっしゃった教育委員会の会議の議論がどのような場合に不活発になるかと思うアンケートについて、一番目は、通達、通知や国の、県の方針が決まっていて議論のしようがないというのが一番目に来ていますが、二番目を見ると議論するための前提となる情報が不足しているというのが来て、通達や通知ですべて決まっているから議論できないと言ってはおられるんだけれども、情報としての通知や通達がたくさん来ているわけですから、それを前提に議論していただいたらいいんですよ。
○井上哲士君 これは全然違う話でありまして、実際の教育現場がどうなっているかとか、他の自治体でどういうことになっているかとか、そういう情報を要するに教育委員の皆さんは求めていらっしゃるんですね。そして、それに基づいて、やっぱり自分たちの考え方でこの地方自治体に合ったような教育の方向をどうしようかということを考え、方針を決めたいけれども、しかし、もう通達や通知でもう決まっているということで、もう言わば裁量の余地がないと、議論のしようがないと。
 私は、むしろ責任感を持ってやろうとされているからこそこういう御意見が出るんだと思うんです。そして、そういう思いでやってきたけれども、しかし、そういう現実にぶち当たっていろんな無力感に襲われている方もいらっしゃるかもしれない。ですから、ここの問題を解決せずに、何か委任できない事務をああいう形で明記することによって形骸化が防げるとはとても思えませんで、ここに一番の問題があると思うんですね。
 そういう角度から更にお聞きをいたしますと、これは単に教育委員会の会議だけではありませんで、これも衆議院の参考人質疑でありましたけれども、文科省の影響力が強過ぎたことが教育委員会がそれぞれの町ごとの教育の地方自治を展開することを困難にしていると、こういう指摘がございました。地方分権の流れというのはこの間できてきたわけでありますが、それでもずっと長いこと、言わば文科省の顔色をうかがうという体質などが教育委員会の中に残ってきたんじゃないか。そして、それが今の指導、援助という中でもやはり十分に地方教育委員会に対して強い影響力として機能しているんじゃないかと、こういう指摘もございました。
 例えば衆議院の参考人質疑を見ておりますと、今回の例えば学力テスト、ベネッセが事前調査をした段階で、教育長の一二%以上の人が否定的な答えをし、校長の三分の一はやはり否定的な答えをしているけれども、しかし国の方針ということで決まれば当然なんだということで、事務局報告だけで実施してしまったところも少なくないと、こういう指摘もされておりまして、ここにやはり大きな問題があると思うんですね。
 それに加えて、今回、是正の要求、是正の指示を盛り込むということになりますと、今やっぱり教育委員会が形骸化が言われているような、そこの原因にあるこの問題にむしろ逆行して、教育の地方自治の展開を困難にするんではないかと、こう思うわけでありますが、この是正の要求、指示を盛り込むことがやはり地方自治、教育委員会がやっぱり自ら自分たちの地域に合った教育を進めていくという流れに逆行するんではないか。この点、大臣いかがでしょうか。
○政府参考人(銭谷眞美君) 地方における教育というのは、やはり各教育委員会が責任を持ってやっていただくということが基本であると思っております。特に義務教育を考えました場合には、国、都道府県、市町村がかかわるわけでございますけれども、設置者である市町村の教育委員会の果たす役割、責任というのは私は大変大きいと思っております。これまでも、平成十一年の地方分権一括法、あるいは平成十三年の地教行法の改正等によりまして、各市町村の教育委員会が責任を持った教育行政を行えるように私ども地方分権の考え方に即して対応してきたところでございます。
 一方で、国は憲法で保障する国民の権利を守る責任を持っているわけでございます。地方自治体が、教育委員会が自浄能力を発揮せず十分な責任を果たし得ない場合には国が必要最小限の関与を行って是正、改善を図るということは国の、私どもの重要な役割であると考えております。
 今回御提案申し上げております地教行法の改正案の第四十九条の是正の要求、これは地方自治法の第二百四十五条の五の是正の要求を行う際の方式を定めたものでございまして、地方自治法が認める国の関与の原則の範囲内というふうに考えるわけでございます。また、地教行法改正案の是正の要求を行った場合は首長及び議会に対してその旨を通知することとしておりまして、よりむしろ地方自治の力に期待をするという立法政策上の配慮も行っているところでございます。
 地方教育行政は、市町村教育委員会、都道府県教育委員会、そして国というところが役割分担、そして協力をして実施をするものでございますが、やはり設置者である市町村教育委員会、ここが教育委員会としての体制を強化をし、教育委員の使命感、責任感というものをしっかり今回の改正等において強めて当たっていただくというのがやはり大事ではないかと思っております。
○井上哲士君 この間の議論でも伝家の宝刀なんだというお話も出てきたわけでありますが、これも参考人質疑で出されてきたあれですが、伝家の宝刀を行使されないように頑張らなくちゃいけない、結局文部科学省の御意向はどうなんだろうかと、こういうことを見るような教育委員会ということになれば、先ほど来指摘しているような今の形骸化の問題ということが一層むしろ拍車を掛けるということに私は非常に懸念を持っております。
 具体的に聞きますけれども、今回は新しい改定教育基本法に基づいて教育振興基本計画が今後決まるわけですが、地方自治体はこれを参酌して基本的な計画を定めるように努めなくてはならないとしておりますが、この地方自治体が決めた基本的な計画が政府の基本計画に沿わないというような場合というのは、これはこの是正の対象ということになるんでしょうか。
○政府参考人(銭谷眞美君) 改正教育基本法の十七条におきまして、政府が定める教育振興基本計画を参酌して、各地方公共団体は地域の実情に応じて教育の振興のための施策に関する基本的な計画を定める努力義務を規定をしているところでございます。
 この地方公共団体が定める基本的な計画が、法令の規定に違反をしていたり、あるいは、それによって子供の教育を受ける権利の侵害が明らかな場合には、地教行法の四十九条の是正の要求の対象となるということは、それは概念上はあり得るかとは思いますけれども、それはすべてケース・バイ・ケースかと思いますけれども、私、今、考えますのには、通常そういう場面は想定しにくいなと思っております。
○井上哲士君 じゃ、更に具体的に聞きますが、先日の質疑の中で、全国学力テストについて、これを教育委員会が実施しないという判断をしても、これはこの是正の要求の対象にはならないんだと、こういうことでありました。
 じゃ、この全国学力テストが国の教育振興基本計画に盛り込まれた場合、地方の教育委員会がやはりやらないという判断をした場合というのは、これは是正の対象になるんでしょうか。
○政府参考人(銭谷眞美君) 全国学力・学習状況調査は、小学校、中学校を設置をいたします市町村の教育委員会等が文部科学省からの要請を受けまして、その判断に基づき、調査に参加するか否かを決定するものでありますから、地教行法改正案の第四十九条に規定する是正の要求によりまして、国が地方公共団体に参加を要求するということは、これはできないわけでございます。
 ただし、教育委員会が全国学力・学習状況調査の実施を決定した場合、教育職員が妨害しているというようなことがあるにもかかわらず教育委員会が放置をしている場合には、是正の要求を行うことがあり得ると思っております。
○井上哲士君 私聞いたのは、教育振興基本計画に盛り込まれた場合どうなのかということなんですが、いかがでしょうか。
○政府参考人(銭谷眞美君) 結局、その是正の要求というのは、法令違反又は事務の、先ほど来話題の怠りということになるわけで、そして、児童生徒の教育を受ける権利が侵害をされている場合ということになるわけでございますが、国が教育振興基本計画に全国学力・学習状況調査を位置付けた場合のその全国学力・学習状況調査の根拠等をどういうふうにするかということに懸かってくるわけでございますけれども、現在のやり方で行った場合には、これは是正の要求の対象には通常ならないと思っております。
○井上哲士君 ちょっと分かりにくいんですが、現在のやり方で行った場合というのは、要するに、今は国が要請をして地方教育委員会が決めるという仕組みになっていますね。そうじゃなくて、基本計画でこれは国全体でやるんだと、そういうふうな形の盛り込まれ方をした場合にどうなるのかということを聞いているんです。
○政府参考人(銭谷眞美君) 教育振興基本計画自体は政府として決定をし、国会に御報告をするものでございますので、その内容等についてはこれから詰めていくわけでございますけれども、少なくとも現在の全国学力・学習状況調査自体は、先ほど申し上げましたように、市町村教育委員会等が文部科学省からの要請を受けて、その判断に基づき調査に参加するか否かを決定するものでございますので、地教行法の四十九条に規定をする是正の要求によって国が地方公共団体に参加を要求することができないというところで判断をしていくということになろうかと思っております。
○井上哲士君 教育振興基本計画を国が作るのは、これはいわゆる法令というものとはまた違うんだと思うんですね。ですから、そこに盛り込まれた場合であっても今と同じという考え方でないのかと思うんですが、それちょっと確認、大臣、いいですか。
○国務大臣(伊吹文明君) これは、教育振興基本計画と国権の最高機関である国会との私は関係によると思います。現在の教育基本法の法構成からすると、作成をして、そしてそれを国会に御報告をすることになっていますね。国会が例えばそれを承認するという行為がもし付いていれば、これはやはり私は是正対象になると思いますが、報告をするということになっておりますから、先生の御解釈で私はよろしいんじゃないかと思います。
○井上哲士君 教育振興基本計画に盛り込まれた場合であっても、それはあくまでも国会の承認事項なので是正要求の対象にならないんだという御答弁で……
○国務大臣(伊吹文明君) いや、報告事項です。
○井上哲士君 失礼しました。報告事項なのでならないということでありました。分かりました。
 今日はこれで終わります。
○委員長(狩野安君) 本日の質疑はこの程度にとどめ、これにて散会いたします。
   午後四時五十三分散会