第186回国会 文教科学委員会 第15号
平成二十六年五月二十九日(木曜日)
   午前十時開会
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   委員の異動
 五月二十八日
    辞任         補欠選任
     藤末 健三君     那谷屋正義君
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  出席者は左のとおり。
    委員長         丸山 和也君
    理 事
                石井 浩郎君
                二之湯武史君
                大島九州男君
                松沢 成文君
    委 員
                上野 通子君
                衛藤 晟一君
                中曽根弘文君
                橋本 聖子君
                堀内 恒夫君
                水落 敏栄君
                石橋 通宏君
                斎藤 嘉隆君
                櫻井  充君
                那谷屋正義君
                新妻 秀規君
                矢倉 克夫君
                柴田  巧君
                藤巻 健史君
                田村 智子君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        美濃部寿彦君
   参考人
       前郡山市教育委
       員会教育長
       前中核市教育長
       会会長      木村 孝雄君
       東京大学大学院
       教育学研究科准
       教授       村上 祐介君
       元千葉県教育委
       員会委員長
       千葉大学教育学
       部教授      天笠  茂君
       首都大学東京大
       学院社会科学研
       究科教授     伊藤 正次君
       横浜市教育委員
       会委員長     今田 忠彦君
       兵庫教育大学長  加治佐哲也君
       秋津コミュニテ
       ィ顧問
       習志野市立秋津
       小学校PTA元
       会長
       文部科学省コミ
       ュニティ・スク
       ール推進員    岸  裕司君
       日本教育政策学
       会会長
       元明治大学教授  三上 昭彦君
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  本日の会議に付した案件
○地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一
 部を改正する法律案(内閣提出、衆議院送付)
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○委員長(丸山和也君) ただいまから文教科学委員会を開会いたします。
 委員の異動について御報告いたします。
 昨日、藤末健三君が委員を辞任され、その補欠として那谷屋正義君が選任されました。
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○委員長(丸山和也君) 地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案を議題とし、参考人の皆様から御意見を伺うことといたします。
 午前は、前郡山市教育委員会教育長・前中核市教育長会会長木村孝雄君、東京大学大学院教育学研究科准教授村上祐介君、元千葉県教育委員会委員長・千葉大学教育学部教授天笠茂君及び首都大学東京大学院社会科学研究科教授伊藤正次君の四名の方に御出席をいただいております。
 この際、参考人の方々に一言御挨拶を申し上げます。
 本日は、御多忙のところ本委員会に御出席いただき、誠にありがとうございます。
 参考人の皆様には忌憚のない御意見をお述べいただきまして、本案の審査の参考にさせていただきたいと存じますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
 本日の会議の進め方でございますが、まず、木村参考人、村上参考人、天笠参考人、伊藤参考人の順でお一人十五分程度で御意見をお述べいただき、その後、各委員の質疑にお答えいただきたいと存じます。
 なお、参考人、委員とも御発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、まず木村参考人から御意見をお述べいただきます。木村参考人。
○参考人(木村孝雄君) 中核市教育長会前会長の木村孝雄でございます。
 今朝ほど、六時四十七分の新幹線で福島県郡山市から参りました。ちょうど職を辞してリタイアして、ゆっくり時間を過ごしたところでございました。
 福島県郡山市では、大震災で損壊しました建物の解体や撤去もほぼ終わりまして、町のあちこちに数多くの空き地が見受けられます。しかし、子供たちの心の空き地は外側からは見ることができません。今が正念場とみんなで自覚し合いながら対応しております。皆様には、温かい御支援を今までいただいておりますことに感謝申し上げますとともに、明日の日本を担う福島の子供たちのこれからにも御支援をいただきますよう、よろしくお願い申し上げます。
 それでは、中核市教育長会の前会長として、教育委員会制度の在り方について意見を述べさせていただきます。
 中核市教育長会におきましては、平成二十年一月に教育委員会制度の在り方についてプロジェクト会議を立ち上げ、調査研究を積極的に進めてまいりました。十一回にわたる熱心な議論を経た後、平成二十五年一月には、これからの地域主権型地方教育行政における教育委員会制度の在り方について二十ページの提言を取りまとめ、文部科学省関係各局に提言書を提出したところであります。
 本日は、その内容について申し上げ、法案審議の一助にしていただければと願っております。
 一枚目が報告書の概要版になっております。二枚目がイメージ図になっております。
 初めに、概要版の左側中段、(1)の基本的な考え方について申し上げます。
 これまで教育委員会に対して指摘されてきた教育委員会の形骸化や責任の所在の不明確等の課題を解消するためにも、現制度の見直しは必要であり、また、これからの住民ニーズや教育課題に的確に対応した教育行政を実施することのできる地方教育行政制度を構築しなければならないと考えます。そのため、従来取り組んできた教育委員の資質向上と併せて、制度改革に踏み込んだ検討をすべき時期に来ておりまして、ずっと検討を続けてまいりました。
 見直しの観点として、首長と教育委員会の関係、委員長と教育長の関係、地方行政における地域主権の実現を見直すと同時に、留意事項として、教育において非常に重要な価値である政治的中立性や継続性、安定性の確保や、さらに、概要版では省略をしておりますが、様々な教育課題に対して的確かつ迅速に対応できる能力の確保、地域ニーズを反映する住民参加の促進を挙げております。
 次に、右側、(2)具体的見直しの方策について申し上げます。
 地方教育行政における役割と責任の明確化について御覧ください。教育行政に求められる意義、役割として、首長からの独立性や合議制、住民による意思決定などを最低限担保しながらも、地方教育行政における首長、教育委員会、委員長、教育長の特性や実態を踏まえた適切な役割分担とそれぞれの役割に応じた責任体制を明確にする必要があると考え、これらを実現するため、具体的にアからエの四点の見直し方策について提言しております。
 まず第一点目のアでございますが、現行の行政委員会制度を堅持し、首長からの政治的中立性を保つとともに、合議制を維持することにより、中立性や継続性、安定性を担保することとしています。
 第二点目、イとして、議会の同意と首長の直接任命により、これまでの教育委員長と教育長を一体化させた教育委員会を代表して責任を負う常勤の特別職である(仮称)代表責任者を置くことにより、責任体制の明確化を図ることとしています。
 この代表責任者は、意思決定機関である狭義の教育委員会について代表して責任を負う者であり、会議の招集や委員会会議の議長を担うと同時に、事務局の総括や指揮監督も担うことになります。代表責任者が従来の教育長的役割を担うことにより、権限と責任を一致させております。また、代表責任者については、首長が議会の同意を得た上で直接任命することで、首長の責任やリーダーシップの在り方も明確にしております。
 第三点目、ウとして、狭義の教育委員会の役割を市民感覚を生かしやすい事項に係る審議・決定機能とすることにより、教育委員会の主体性や自立性を十分に発揮できる行政運営を実現することとしています。
 具体的には、教育行政の基本的な方針や政治的中立性に特に配慮すべき事項に関する決定、教育行政運営への監視についての役割となることを考えております。例えば、基本的方針、計画、教育機関の設置廃止、議決議案への意見、教科書採択、職員の処分、業務の執行状況の監督などが挙げられます。
 最後に第四点目、エとして、教育行政の基本的な方針等決定時における首長と教育委員会との事前協議の義務化など、首長と教育委員会による連携協働体制を制度化することにより、教育委員会に対する首長のリーダーシップの在り方を明確にするとともに、基礎自治体における総合行政化への対応を図ることとしています。また、首長が前述の(仮称)代表責任者を直接任命することにより、教育委員会の執行体制に係る首長の関与を明らかにしています。
 さらに、教育行政の基本的な方針等決定時における首長の関与方法として、@基本方針等策定時における首長と教育委員会の事前協議の義務化、また、首長と教育委員会共同による教育基本計画等の策定などを想定しております。
 私たちの意見、要望を参考にしていただき、子供たちの夢が膨らみ、どの子も思う存分学べる制度改革になることを切に願っております。
 これをもちまして、中核市教育長会からの意見を終了いたします。ありがとうございます。
○委員長(丸山和也君) ありがとうございました。
 次に、村上参考人、お願いいたします。村上参考人。
○参考人(村上祐介君) 東京大学の村上と申します。
 この度はこのような場で意見を述べさせていただく機会を与えていただきまして、ありがとうございます。
 簡単に私の自己紹介をさせていただきます。私は、東京大学で現在、教育行政学それから教育政策を担当しております。専門は教育行政学であります。今回、この教育委員会制度の議論を行いました中央教育審議会教育制度分科会で臨時委員を務めさせていただきましたので、この間の教育委員会制度の議論に直接携わってきた者でございます。
 今日は、研究者としての立場、それから中教審の委員としての立場から、今回の地方教育行政法の改正案について意見を述べさせていただきます。
 お手元に二ページのレジュメがございます。これに沿って説明をさせていただこうというふうに考えております。まず一点目なんですが、今回の改正案についてです。それから二点目が運用上の留意点、三点目が、これまでの制度改革の議論を踏まえて、少し今まで余り議論をされていないところも含めて少し問題提起をさせていただきたいというふうに考えております。
 まず一点目なんですが、今回の改正案についてなんですが、私自身の意見としては、中教審の経過では、いわゆる改革案と別案という形で事実上の両論併記に近い答申が出されました。改革案というものは、首長に教育行政の責任を一元化をして教育委員会を執行機関としては廃止すると。別案は、教育委員会を維持しつつ、教育委員会と教育長の権限関係や役割分担を見直すことで責任の明確化を図ろうというものでありました。今回の案はその改革案、別案とは少し違う形にはなっているわけですけれども、しかし、私個人としては、教育委員会が独立した合議制執行機関として維持されているということの意義はやはり大きいというふうに考えております。
 それは具体的にどういうことかといいますと、一つは、今の地方自治制度では首長に非常に権限が集中しているのでそれを緩和する、いわゆる執行機関多元主義とも言いますが、そういった役割。それから、政治的中立性、継続性、安定性を一定確保する役割。それから、セーフティーネットとしての行政委員会制度という、そうしたセーフティーネットとしての役割としても教育委員会が執行機関として維持されるということは大きいと思います。
 二つ目なんですが、責任の明確化と政治的中立性、安定性、継続性というのは、これはある種矛盾するところがありまして、つまり、責任の明確化というのはなるべく一人に責任をはっきりさせた方が明確になりやすい。反面、中立性、継続性、安定性というのは一人では保ちにくいところがあって、やはり集団とか合議の方が確保がしやすいという、これ、やや矛盾するところがあるわけです。これをどう両立するかというのが中教審でもやはり非常に苦心したところでございます。この二つの相矛盾する面がある制度理念というものを、地教行法の枠内で可能な限り反映したものであるというふうに評価をしております。これは後で申し上げますが、やはり地教行法を変えるという制約の中ではこの辺りがかなり限界に近いのではないだろうかという印象を持っております。
 そのように私はこの今回の法案を一定評価する立場でありますが、やはりちょっと運用上の留意点とか制度上幾つか申し上げたいところもございます。
 大きく二点申し上げたいと思います。これはいずれもこれまでの衆議院それから参議院の本会議の中でも既に指摘されていることではございますが、重要だと思いますので申し上げます。
 まず一点目なんですが、首長による大綱の策定を行うということが今回の一つ大きな変更点になります。首長がある種専権事項として、総合教育会議で協議、調整はするけれども、最終的には首長が大綱を策定すると。それから、総合教育会議を開くということも大きな変更点であります。
 この総合教育会議で、大綱も含めてなんですが、協議、調整が付かなかった場合、これは改正案の二十一条、二十二条に沿って、首長の権限、教育委員会の権限に戻って、権限がある方が判断をするということになるわけですけれども、この調整が付かなかった場合について、最終的には二十一条、二十二条に戻るわけですが、これをどこまでが合意してどこからが合意できなかったのかということをやはり運用のレベルできちんと明らかにするような手続があった方がいいのではないかと。
 例えば、総合教育会議の場で首長と教育委員会が仮に意見が合意に達しなかった場合、あるいは教育委員会の中でも意見が分かれた場合、その場でそれを確認して記録に残しておく。それから、調整が付かなかった事項については首長と教育委員会の双方が見解を公表するであるとか、あるいは、これは教育委員会としては総合教育会議で決定をする必要はないわけですから、教育委員会会議の前に教育委員会の中でも意見が違っていればそれを公表するであるとか、そういったどこまでが調整が付いてどこからが調整が付かなかったのかということを、きちんと市民に分かりやすい形で公表するというような工夫があってもいいのではないか、必要なのではないかというふうに考えております。
 それから、特に大綱の策定については首長の専権事項ですので、ここについては、やはり教育委員会が首長と異なる意見を持つ場合は、どういうふうに首長と異なるのかも含めて具体的に教育委員会が意見を述べたりとか、あるいは大綱で、大綱のここのうちは合意に達したけれどもここから先は合意に達していないとか、そういったことを総合教育会議の中で、あるいは総合教育会議以外の場ではっきりさせるというような運用上の工夫が必要だというふうに思います。理想を言えば、これは大綱に関して教育委員会の承認を求めるというふうな形が理想だとは思いますが、そうした運用上の工夫もあってしかるべきではないかというふうに思います。
 二点目なんですが、これもよく指摘されることですが、教育長のチェック機能というものがやはりちょっと制度上不十分なところがあるのではないかというふうに思います。これは、今までは一応形式上、教育委員会が教育長を任命する、それから教育長に対して教育委員会が指揮監督権を持つというのがありましたが、これが改正案では削除されていると。教育委員会が教育長の職務執行をチェックする機能が不十分という面もやはりこれは見られるのではないかということです。
 制度的にもし修正ということであれば、例えば教育委員会が教育長の人事、任命、罷免に関与できる例えば承認権を持つであるとか、そういった形が考えられる。あるいは、現在の法のように指揮監督権を教育長に対して教育委員会が持つ。それから、例えば勧告というやり方もあり得ると思うんですね。教育委員会が教育長の職務執行に対して勧告をするというようなことがあってもよいのではないかというふうに思いますが。運用上の工夫としては、例えば教育委員会や総合教育会議の中で教育委員や首長の求めに応じて教育長の職務執行に対して実質的なチェックが行える仕組み、例えば教育長に席を外してもらって首長と教育委員で総合教育会議で教育長の職務執行について話し合うであるとか、あるいは教育委員会議の中で教育長にちょっと外してもらって教育委員で教育長の職務執行について話をするとか、そういった運用上の工夫というものを各自治体で行うことが求められる。もちろん制度を改善するという方法もあり得るわけですが、運用上の工夫もあり得るというふうに思います。
 あと、教育長のチェック機能とか強大化という点に関して、ちょっとレジュメには書いていないんですけれども、改正案の十四条四項の中で、議決方法について、出席者の過半数で決定するというふうに書いてあるんですが、これはちょっと、教育長が可否同数の場合に議事を決することができますので、少し教育長の何というか影響力が強過ぎるのかなと。例えばここは、教育長を外して委員だけでまず投票をして、可否同数の場合に教育長が決するというような、国家公安委員会ではこうした委員長はたしか議決から外れるというスタイルを取っていると思うんですけれども、教育長の力が少し強過ぎるので、議事の中で教育長は最初の議決からは外れるというような方向性もチェック機能の一つとしてはあり得るのではないかというふうに考えております。
 二ページ目の方に参ります。
 これまでの制度改革の議論を踏まえて、これは今までの国会審議の中でも余り指摘されていないのではないかと思う点を述べます。
 三つあるんですけれども、一つは、まず教育委員会制度は、教育行政の問題であると同時に地方自治の問題とも言えるのではないかと。
 つまり、今回一つ問題になったのは、やはり首長が余りにも権限が集中し過ぎるのではないかということがありました。地方分権は進んだんですが、強首長制、日本は非常に首長の権限が強い制度と言われていますので、それで首長への権限集中が必要以上に進んでいて、教育行政に限らず様々な弊害が現れてきているのではないかと。一方で、議会のチェック機能とか議会の選挙制度とか住民自治の制度に関しても改善が余り進んでいない現状があります。
 ですので、教育委員会を廃止して、執行機関の多元主義をほとんどやめてしまうという選択肢ではなく、むしろ今の課題というのは、首長の権限集中を緩和するような地方自治の仕組みがむしろ重要ではないかというふうに思います。
 あと、地方自治法の仕組みとして、合議制執行機関の良さが生きるような地方自治の仕組みになっていないのではないかと。
 例えば、合議体と教育長のような実施責任者というのはその役割分担とか権限を明確にする必要があるんですが、現行の地方自治法では執行機関の権限以外は書けない、補助機関に権限を明示的に与えるということができないという仕組みになっていて、これは実際には、やはり合議体を適切に機能させるには、合議体と実施責任者の権限をきちんと明確にして、合議体が実施責任者をきちんとチェックする仕組みが必要であると。何か非があれば合議体が、つまり教育委員会なり行政委員会なりが実施責任者を交代させられるような仕組みが本来必要なんですが、現行の地方自治の仕組みは、そうした強い首長を緩和する仕組みであるとか、あるいは合議体と実施責任者の役割分担をきちんとさせるような仕組みが整えられていないというふうに考えておりますので、先ほど地教行法の枠内で可能な限りの改革をしているという評価を申し上げましたが、やはり地方自治法をきちんと合議体の良さを生かす、合議制執行機関の良さを生かすように変えないといけないのではないかというふうに思います。
 二番目、責任の明確化なんですが、これは今回のキーワードでもあるんですけれども、教育行政の責任というものは果たして短期的なものだけなのであろうかと。つまり、教育行政というのは後から結果が出てくるものなので、長期的な責任もあるのではないかと。そして、それは政治家や官僚や教育専門職のいずれかが取れるような性質のものであろうかということを指摘したいと思います。
 やはり、長期的な責任というものは、その当時の関係者が責任を取れるようなものではありませんので、そうであれば特定の個人の意向が強く反映されないような、され過ぎないような制度を構築することがむしろ重要ではないかというふうに考えました。
 また、権限と責任の一致が必要という議論があるんですけれども、これは行き着くと行政委員会不要論に結び付くので非常に危険な議論ではないかというふうに考えております。
 最後に、国レベルの教育行政制度も、やはり今後、政治的中立性、継続性、安定性の確保というものを担保する必要がある。よく、国が文部大臣の独任制であるから地方もそれに合わせるべきだという議論があるかと思うんですが、これはむしろ逆でして、国レベルも政治的中立性、継続性、安定性の確保をやはり地方と同様に図る必要があると、そういった議論の立て方もあり得るのではないかというふうに考えました。
 私からの意見は以上です。どうもありがとうございました。
○委員長(丸山和也君) ありがとうございました。
 次に、天笠参考人、お願いいたします。天笠参考人。
○参考人(天笠茂君) よろしくお願いいたします。
 まずは、このような発言の場をいただきましたことを心から感謝申し上げたいというふうに思います。どうぞよろしくお願いいたします。
 本題に入る前に私の簡単な自己紹介を、これから述べることと関わりますので述べさせていただきます。
 まず、私は千葉大学教育学部でお世話になっておりまして、そこでは教育の制度ですとか経営ですとか行政とか、そういう分野に関わる科目を担当しております。と同時に、また関連して大学院もそれに関わって指導しておりまして、大学院生の中には現在県内の教育長さんも一員としておいでになっていて指導しているというふうな、そういう状況であります。
 そういう中で、平成十五年の十二月から平成二十三年の十二月にかけまして、八年間でありますけれども、千葉県の教育委員をお引き受けさせていただきまして、今申し上げた本務と同時に教育委員でということで、その役を務めさせていただきました。そのうち二期とも、いずれも堂本暁子知事の下での教育委員であったわけですけれども、実質的と言うべきか何と言うべきなんでしょうか、後半の二期目については実質的には現在の知事であります森田知事の下で教育委員長を仰せ付かって、三年間ほどでしたけれども、その立場で教育行政等々に関わらせていただいたという、そういうことでありまして、今日はそういう点ではこれから四つ述べさせていただきたいというふうに思いますけれども、そういう申し上げたような経験等々を基盤にしながらお話をさせていただきたいというふうに思います。
 それで、まず一つ目なんですけれども、今回の教育委員会改革の方向性とか内容に関わっての、ある意味でいうと全体像というんでしょうか、あるいはより広く合意形成を図っていく、そういうことの大切さということをまずは一つ申し上げさせていただきたいというふうに思います。
 それで、もう御承知のとおりかと思うんですが、中教審の昨年の十二月に出された答申の中には教育委員ですとか教育長等々の立場の方からの意見がその中に収められていて、大変興味深く拝見させてもらったんですけれども、その中にはこれまでの、教育委員会というのはとかく機能していないというふうな、そういうことで指摘されるわけなんですけれども、この十年ぐらいの間に教育委員あるいは事務局等々も含めて随分意識が変わってきたんではないかというふうな、そういうことがその中に収められていたことが一つ私の目を引きました。また、あわせて、多くの教育長さんが、現在の教育委員会制度でも結構そういう歴史的な背景をした良くできた仕組みではないかというふうな、またこういうこともそこに収められていたことも併せて興味深く拝見したんですけれども。
 まずはこういう意見の存在ということを今回の改革の中にどういうふうに受け止めていくのか、位置付けていくのかということですけれども、関連して、また別のところですけれども、全国都道府県教育委員長協議会、全国都道府県教育長協議会、御承知かと思うんですけれども、ここの中で、この一連の改革の議論の中で、現状のシステムに対する評価等々ということで意見の聴取が求められているわけですけれども、そこではおよそ七割ぐらいの意見が現状のシステムでいいんではないかとか、あるいは執行機関は残すべきではないかと、結果的にはそういうふうになったというふうに受け止めておりますけれども、というふうな意見があったりですとか、また、全国市町村教育委員会連合会のそれを見ても、現状の方向性においてそれを支持するというのが九割に達しているというふうな、そういうふうなこともその中にありました。
 これやそれやの意見というのは一体どう考えていくのかどうなのか、まさに教育行政の一線に立っているそういうお立場の方々の意見ということをどう受け止めて、どう捉えていくかということなんですけれども、ただ、現状のシステムがいいというふうにおっしゃる方々も、じゃ、それで満足しているかというと、やはりそうではなくて、やはり現状手を入れていかなくちゃいけないのではないかと、そういう思いを持っている方もまた私は少なくないのではないかというふうに思っております。
 そういう点で、この教育委員会制度を改革するという、教育委員会を改革するというその改革の方向性とかイメージとか中身ということをもう一度丁寧に捉えて、それをしっかりと受け止めて、そのところが必要なんじゃないかと。要するに、私はこういうふうな捉え方をしているわけなんですけれども、政治の立場に立つ方々は、やはり教育委員会の制度の欠点というんでしょうか、それを捉え、そして、そこのところを動かし改革していくと。それが現在進行中なんだと思うんですけれども、片や、先ほど御紹介したようなそういうお立場の意見というのは、むしろ運用上の工夫、改善ですとか、本当にそういうところにきめ細やかに手を差し伸べていくことの必要性というのがあるのではないかと。ですから、その両者というのは、決して私は対立とかそういうことではなくて、もっとその辺りのところを組み込んだ改革の方向性ということがあるんじゃないかと。
 ところが、現在、どちらかというと、どうしてもやはり制度の改革という方向性が大変強くアピールされ、打ち出され、そしてその方向で動こうとしているわけですけれども、今申し上げたようなそういう立場の人を含めた改革の全体的なイメージとか方向性ということをもう一度しっかりと押さえ、その上で、挙げたような両者の方の調整等々を図りながら、教育委員会改革の方向性を持っていくということの大切さというのがあるのではないかという、こういうことをまず一点目として申し上げたいというふうに思います。
 それから次に、二点目でありますけれども、先ほど御紹介した私の経歴から申し上げますと、今回の教育委員会改革に関わって、教育委員長の存在がある意味でいうと消し去られたというんでしょうか、ちょっと言葉はあれかもしれませんけれども、教育委員長という、そういう立場の存在に対しての理解とか評価が広く得られなかったというのが、そういうことを経験した立場からするとちょっと残念だなというふうに思っております。
 それは、一つは今回の誕生する新教育長というのが随分まさに強大化した存在というんでしょうか、もう少しバランス・オブ・パワーというふうな、そういう知恵というんでしょうか、そういうものはどちらかというと、今回の場合には曖昧さとか責任の所在の散漫な在り方とか、そちらの観点から評価が下されて、結果的にあの法案、改革の方向で打ち出されたということではあるわけですけれども、どちらかというと私の、繰り返しますけれども、そういう経験からすると、そこら辺のところの首長と教育長と教育委員長とのバランス・オブ・パワーの中で、教育行政の方向性とかそれが決まっていくというのもまた一つの歴史的な知恵というか所産という辺りのところもあるのではないかと。そういう辺りのところの評価もやっぱり大切にしていくべきではないかと。
 その中には、例えば教育委員あるいは委員長からの事務局へのチェックということですとか、あるいは教育行政におけるバランスの問題ですとかというふうなことがあるかと思いますし、改めてそういうことを踏まえたときに、今度改正されるその方向性からすると、この強くなった新教育長あるいは教育長と首長のラインにどうレーマンという立場からのチェックというのを担保していくのか、確保していくのかということは、これは引き続き更に大きな課題としてこれから出てくるのかなというふうに思うわけですけれども、そういうときに、この間、果たしてきた、存在させてきた教育委員長、その評価ということは、もう一度遡ってみると、その辺りのところについては検討していいところがあって私はよろしいのではないかというふうに、こんなふうに思います。
 それから、三つ目でありますけれども、今回の場合に、迅速な危機管理体制の構築ということに、それが打ち出されたわけですけれども、確かに今回の教育委員会改革に関わってのある意味でいうと発端というんでしょうか、出どころの多くが大津市の例の事案にあったわけでありますけれども、そういう経過等々を踏まえるならば、教育委員会改革に当たって、いうところのいわゆる危機管理にどう向かい合うのか、それに対して改革がどういう答えを示すのかということは、多くの国民の方々の立場からすればやはり大きな関心事であるということは、これは間違いないのではないかというふうに思っております。
 そういうふうなところから捉えたときに、責任の明確化という、こういう観点で、先ほど来述べているような教育長と委員長を一本化して新教育長をつくるという、そういうことですとか、あるいは総合教育会議の中で緊急事態に対応することに関わっての協議事項等々を設けていくという、そういう制度上の担保をしたということについては、その限りにおいて一つの方向性を打ち出したというふうなことは言えるのかなというふうに思っております。
 ただ、私は、危機管理ということに関わっては、制度的な不備を補うという必要は当然あるかと思っていますけれども、ただそれだけで十分というところにはいかないんじゃないかというふうに思っております。やはりその立場に立つ方々の危機に対応する個人的な資質というところが抜け落ちちゃうと、危機管理対応というのは非常に難しいんじゃないかというふうに思っております。そういう点では、その立場に立つのは、象徴的には教育長という立場の人になるかと思うんですけれども、そういう立場の人たちへの危機管理に対応する資質、能力の向上をどう担保していくのか、支えていくのか、こちらの面からの対応ということもまた必要なんじゃないかというふうに思いますし、これをどう今後確保していくのか、あるいはどう検討を深めていくのかということも改革に関わっての課題の一つということで挙げさせていただきました。
 最後に、四つ目になりますけれども、民意の反映という、こういう観点から今回の改革ということを捉えたときに、まずは、私は多様なチャンネルで民意を確保していくということがやはりこれからの教育委員会改革の方向性としては極めて大切なところではないかというふうに思っております。
 多様なチャンネルの確保という中に、いわゆるその大きな役割を果たすのが私は教育委員ではないかというふうに思っております。ですから、そういう点からすると、教育委員の多様性をどういうふうに確保していくのかどうなのかということであります。
 ただ、教育委員がそれぞれがそれぞれという状態にとどまっているという、ある意味でいうとこれまでの姿だったとするならば、それをどうまた束ねながら教育行政に対してのチェック・アンド・バランスを取っていくかという、そういう意味において、新たなる改革を提起されたものの中における教育委員の在り方ということが改めて大きなテーマになろうとしているのではないかというふうに思っております。
 そういう中で、教育委員会制度が発足したときには存在しなかったコミュニティ・スクールですとか学校支援地域本部ですとか、そういう地域の方々がより学校の運営ですとかそういうところに関わる仕組みが平成の十年代後半から次第に整い広がりつつあると、こういう制度上の進展と教育委員会制度における民意の反映ということがまだうまく整合されていない状況というのが今日的な状況ではないかと。
 こういう中で、これからの課題としては、申し上げたような観点から、それらのもろもろの学校に近い、あるいは地域に近い、そういう様々な仕組み等々ということと教育委員会の制度とをどうつなぎながら、より民意の多様性を吸収しながら、そして教育行政に反映させていく、そういうための、改めた教育委員の在り方ということについての検討が必要ではないかということを申し上げさせていただきたいと思います。
 以上、私の方から四点ということで失礼させていただきます。どうもありがとうございました。
○委員長(丸山和也君) ありがとうございました。
 次に、伊藤参考人、お願いします。伊藤参考人。
○参考人(伊藤正次君) 本日は、意見陳述の機会を与えていただき、ありがとうございます。首都大学東京の伊藤正次と申します。
 私の専門は行政学、地方自治論ですけれども、特に行政組織の問題に関心がありまして、その一環で自治体における教育委員会制度の在り方や改革課題についても研究を行ってまいりました。
 私は、住民の方々のニーズに柔軟に対応し行政の応答性を高めるという観点からは、教育行政の分野についても、自治体の行政組織の編成に関する自己決定権限、つまり自主組織権を拡充するということが必要であると考えております。そのためには、首長から相対的に独立した執行機関として教育委員会を位置付け、その設置を都道府県、市区町村に義務付けている現行制度よりも、教育委員会の設置を自治体の選択に委ねる選択制を導入することが理想としては望ましいと考えております。この点は、私も委員として参画いたしました第三十次地方制度調査会が昨年六月に安倍総理に提出した大都市制度の改革及び基礎自治体の行政サービス提供体制に関する答申においても言及されているところです。
 もちろん、個人の人格形成や思想の形成にも関わる教育という分野については、他の分野以上にその政治的中立性の確保が重要になるという主張については理解できます。また、教育委員会の設置を自治体の選択に完全に委ねるということについては、確かに教育のガバナンスを不安定にするという可能性も否定できません。
 しかし、今回の教育委員会制度改革の一つの発端となった大津市のいじめ事件に対する対応等をめぐっても明らかなように、教育委員会による教育行政はしばしば内向きの論理で展開される危険性があると思います。つまり、首長から相対的に独立した立場で独立性を保ちながら、非常勤の教育委員で構成される教育委員会が執行機関として存在し、しかし、実態としては教育長を中心とする事務局が教育行政を担っているという現行の教育委員会制度は、教育行政に関する権限と責任の所在を不明確にするばかりか、学校現場の教員とその経験者が多く勤務する教育委員会事務局で構成される一種の閉鎖的な共同体意識、言葉は悪いですけれども身内意識を生み出していく可能性もあると考えております。
 そこで、教育行政の権限と責任を明確化するための教育委員会制度改革としては、教育委員会設置の選択制とまではいかなくとも、例えば教育行政の政治的中立性の確保が特に求められる教員の人事権を持つ都道府県、政令指定都市については執行機関としての教育委員会の設置を義務付ける、そういった限定設置を行う一方で、その他の市区町村については任意設置とするといった仕組みも想定できるのではないかと考えてまいりました。
 その意味で、私の個人的な意見といたしましては、今回の改正案は、教育行政の権限と責任の明確化という観点からは若干不徹底な側面があると考えております。ただし、私は今回の改正案について全面的に否定をするという立場には立っておりません。これから御説明いたしますとおり、改正案で提案されている新たな教育委員会制度は、その運用次第では、首長を中心とする総合的な教育行政を展開することを可能にする余地が、現行制度と比べても大きいと考えられるからであります。
 まず第一に、新たな教育長は、従来の教育委員長と教育長を兼ねるポストとして首長が任命することができるとされておりまして、首長と教育長の一体性が今まで以上に高まることが予想されます。
 従来の教育委員会制度の下では、事実上教育長含みで教育委員として任命しながら、公式には教育委員会によって教育長に選任されるという極めて技巧的な仕組みが取られております。しかし、新教育長は教育行政の代表統括者として首長が公式に任命することで、制度と実態の乖離を解消することができると思われます。また、本来は、教育長の任期を定めず、首長が自らの人事構想に従って随時教育長を選任することが望ましいとは言えますけれども、改正案では新教育長の任期は三年とされておりまして、首長は四年の任期中に少なくとも一回は教育長を選任できる機会を持ちますので、教育長人事を首長の人事構想の中に位置付けるということが現状以上に可能になると思われます。
 第二に、合議体としての教育委員会の意思決定において、恐らくは現状以上に教育長の主導性が高まるということが予想されます。
 従来の教育委員会制度については、非常勤の教育委員と教育委員を兼ねる教育長による合議で教育行政の意思決定が行われるに際し、教育委員会の会議が形骸化しているということが問題になってきました。新たな教育委員会制度の下では、この形骸化あるいは不活性化が更に進行することが予想されます。これに対する御懸念の向きはございますけれども、むしろ強力な権限を持ち、首長との一体性を高めた新教育長は、教育委員会における審議においても、首長の意向を参酌しながら議論をリードするということが期待されるわけであります。
 関連して第三点目ですが、首長が主宰し、首長が定める大綱について協議する場として新設される総合教育会議は、より直接的に住民代表機関としての首長の意向を伝達する場として機能することが期待されます。また、総合教育会議を公開で開催することにより、首長の教育行政に対する姿勢が住民に対して可視化されるというメリットがあると思います。
 このように、今回の改正案は、首長が任命する教育長主導で教育行政の運営を実質的に可能にする素地を広げるという意味において、教育委員会の独立性を相対的に弱め、総合的な観点から教育行政を運営できる可能性を広げるものと思われます。
 また、今回の改正案で設計されている制度は、運用の幅が大きいため、首長は自らの意向を反映させる形で教育行政の運営を行える余地があることから、地方自治、地方分権という観点からも一定の評価ができると思います。
 しかし他方で、改正案に基づく新たな教育委員会制度では、運用によっては、これまで以上に教育委員会と学校などで構成される教員あるいは教員経験者などの共同体の閉鎖性を高める可能性もないとは言えません。この点も含め、改正案には次のような懸念がございます。
 第一に、新たな教育長に求められる専門性のハードルが高まることにより、教員等で構成される教育行政の共同体の閉鎖性が現在以上に高まるということも予想されます。
 改正法案の第四条第一項は新教育長について、当該地方公共団体の長の被選挙権を有する者で、人格が高潔で教育行政に識見を有するものという資格要件を置いております。教育行政の専門人材の育成を否定するつもりはありませんが、仮にこの要件を厳格に解釈し、教育長に何らかの資格を設けるような制度化が行われるとすれば、首長の教育長人事構想に対する制約になり、教育行政が一般行政からますます遊離してしまう可能性もあるように思います。
 第二に、改正案では首長と教育委員会の役割分担については現行制度と変更はないとされておりますけれども、新設される総合教育会議の場では、首長の権限に属する事項を実質的に議論に加えることもできる場合があるかもしれません。
 例えば、大綱を協議する場面において、教育委員の側から、首長が所管する私学行政に関して言及するといったケースであります。最終的に大綱に盛り込むかどうかは別といたしまして、私学行政と公立学校行政に関する事項が総合教育会議というオープンな場で議論される可能性があるということです。もちろん、総合教育会議は首長が主宰いたしますので、首長がアジェンダコントロールを行うことになると思います。また、首長の権限に属する事項を総合教育会議の場で教育委員を交えて議論すること自体は、住民の立場からすれば積極的に評価できる点でもあります。しかし、これはあくまで杞憂にすぎないとは思いますけれども、総合教育会議の運営が不確実性を持つということは、私学関係の方々を始め関係者の方々に不安を与えてしまう可能性もあるかもしれません。
 第三に、国の自治体に対する関与の強化が実効性を持つのかどうか、疑問がございます。
 改正案の第五十条は、いじめ自殺の防止等の緊急の必要がある場合、文部科学大臣が教育委員会に対して指示ができることをより明確化する規定になっています。しかし、そもそも切迫した状況において、文部科学省が現場の情報を迅速に把握し、予防的な措置がとれるのかどうかは不明であります。
 以上をまとめますと、今回の改正案で設計されている制度がどのように運用されるかどうかは、自治体ごとの裁量の余地が非常に大きいと言えます。このこと自体は、首長主導の教育行政を実現する余地を広げ、地域の個性を生かした教育行政を可能にする意味で、確かに積極的に評価できる部分もございます。しかし他方で、教育長を中心とした教育関係者の共同体の閉鎖性が温存される可能性もあります。
 今回の改正案は、いじめ自殺事件への反省から教育行政の閉鎖性を打破することを目的に制度設計を開始しながら、教育行政の政治的中立性を確保することへの配慮から、結果的に各自治体の運用の余地が大きくなる制度となっています。実際の運用の予測可能性が低くなってしまっているのではないかというのが私の率直な感想でございます。
 私の意見は以上でございます。どうもありがとうございました。
○委員長(丸山和也君) ありがとうございました。
 以上で参考人の皆様からの意見の聴取は終わりました。
 これより参考人に対する質疑に入ります。
 質疑のある方は順次御発言願います。
○二之湯武史君 自由民主党の二之湯武史です。
 四人の参考人の先生方、今日はお忙しい中ありがとうございます。
 では、早速質問をさせていただきます。
 私は誤解を恐れずに申し上げれば、日本のこの初等中等教育というのは、かなりの部分うまくいっていると思います。世界的に見ても、例えば子供の学力であったりとか、よく日本の国内だけの視点で見れば、かつてより子供の規範意識が落ちているとか、そういった議論はありますが、でも世界的に見て、やはり日本の子供たちのそういった規範意識というのはまだまだ高い。学力でいえば、PISA等々では世界のトップレベルの学力水準をいまだに維持していると。私は、個人的には高等教育が日本の問題であると、こう考えているんですけれども。
 そういった中で、やっぱりこの大津事件の問題から、こういった制度論における教育委員会改革というところに議論が向いて、そういった中で私は、党内においてはA案ではなくてやはり現在の教育委員会を執行機関として残すという、そういう方向性で議論をした人間なんですが、そういう中で、やはりこの教育の世界における隠蔽体質といいますか、村社会といいますか、そういったものがあるというのは、私はこれはやはり否定できないだろうと。
 私は滋賀県選挙区なので、まさに大津の事件は地元のことでございました。様々な関係者にいろいろ話を聞く中で、特にあの時期いろんな報道がなされるときも、やはり一向に情報が出てこなかったりとか、若しくは御遺族の方とのそういったコミュニケーションも一向にうまくいかないであるとか、いろんな問題ありました。そういった中で、権限と責任を一致させていくというような方向に議論が行ったというふうに私は考えておりますが。
 村上参考人にまずお伺いをしたいんですが、このレジュメで3の(2)ですね、責任の明確化はどこまで可能かと。こういった議論の中で、とにかく権限と責任を一致させて、究極的に言えばそういういじめ等々の重大事案が起これば訴訟の対象になるのは首長なんだと、こういうことを堂々と言い、だから首長に全部権限をくださいよと、こういう主張をされる首長の皆さんもおられます。
 そういった中で、今日お話を聞いていて非常に関心を持ったのが、権限と責任の一致が必要という議論は行政委員会不要論に結び付くと。ここに関する、私も感覚的に言いますと、やはり教育委員会というものはある種のセーフティーネットになっていると、一種の政治的な圧力からの防波堤になっていると。
 しかし一方で、そうやって、私の地元の首長、まさに大津の市長さんなんかも議論したときに、じゃ、最終的に責任誰が取るんですか、私なんですよと。何でと言ったら、私が訴訟、賠償対象になるんですよと。こういう議論になると、なかなか論理的に説得力のある反論というのができにくいなと実感したものなんですが、責任と権限の一致論が行き過ぎるとある意味でいうと危険であるという、さっきお話がありましたが、それ、もうちょっと教えていただけないでしょうか。
○参考人(村上祐介君) どうも御質問ありがとうございます。
 私、ちょっと説明が時間の都合で足りなかったところかもしれませんが、これは、つまり権限と責任の一致を理由にして首長に教育行政の責任を移すべきだという議論は、これは例えば予算を首長が持っているのに権限はないであるとか、あるいは、先ほどおっしゃられたように、訴訟のときに被告になるのは首長であるのにその権限がないというところから、権限を首長に移して権限と責任を一致させるべきだという議論であったというふうに理解をしております。
 ただ、これはそもそも現行の地方自治の仕組みが首長に権限を集中させている強首長制で、そのために、それを緩和するためにある種権限と責任を分散させているようなところがあるんですね。なので、原因は教育行政制度ではなくて、むしろ地方自治制度の方にあると。
 これを、例えば訴訟のときに首長が被告になるので首長に権限を移すべきだとか、予算権を首長が持っているのでそこに、首長に権限を集中させるべきだという話になると、これは警察も同じですので、公安委員会は不要で首長直轄で警察を運営すべきだ、あるいは、究極なことを言うと選挙管理委員会も必要ないというような議論にまで行きかねない。つまり、予算権は首長にあるわけですから、もう行政委員会は必要ないという議論に論理的にはなりかねないということだと思いますので、これは権限と責任の一致というのは、ある種一致できないのは、地方自治の仕組みがそのように首長に非常に集中していて、それを緩和するために分散させているのであって、それをまた首長に集中させるというのはある種議論が逆の話で、現行の地方自治の仕組みである以上、これはある種、権限と責任が分散するのはやむを得ないというふうに考えております。
○二之湯武史君 なるほど。ありがとうございました。余りそういった議論を聞いたことがなかったので非常に新鮮で、ありがとうございました。
 続きまして、先ほど申し上げましたように、結果論だけで言えば私は初等中等というのはかなりうまくいっているというふうに考えておりますが、組織的な、まさにガバナンスの点でやはり教育の世界というのが余りにも閉じた論理で動いていると。例えば人事に関しても、やはりお互いがお互いを身内として意識するが余りに、なかなかそういった問題点を社会や上司、組織内でも上に上げていくといったようなそういう慣習がなかなかない、そういった部分は実際としてあると思います。今回のこの教育委員会制度改革においてそういったものが本当に進んでいくのか、改善をしていくのか。それともう一つ、やはりこのいじめ事件で明らかになったのは、その危機管理の体制が非常に不十分であるという部分だというふうに思います。こういったものも今回の改革において進んでいくのか、進んでいくとすればどういう原理、どういう理由において進んでいくのかということを、皆さんの御評価を簡潔に、これはもう皆さんにお伺いをしたいというふうに思います。
○委員長(丸山和也君) じゃ、順々でいいですか。
○二之湯武史君 はい。
○参考人(木村孝雄君) まず、大津のようないじめの問題なんですけれども、やはり制度面ではなくて運用面での課題が私はあると認識しております。やはり首長と教育長、教育委員会、情報の共有、また信頼関係に大きな課題があったのではないか、そのような推測をしております。ですから、やはり、情報の共有、信頼関係の構築、やはり教育は人で動きますので、そういう点で、その辺の構築が非常に大事になってくるのかな、そのように考えております。
○委員長(丸山和也君) 村上参考人。
○参考人(木村孝雄君) あっ、済みません、もう一点。もう一回質問、申し訳ありません。もう一回。
○委員長(丸山和也君) じゃ、村上参考人、進みまして、天笠参考人。
○参考人(天笠茂君) 失礼します。
 私は、やはり、先ほど来あるような制度の整備をしたということが今回一つの前進だというふうな、まずは受け止めますけれども、片や、危機管理の問題というのは、どうしても個人的な資質というところを抜きにしてそれは対応の中で難しいんじゃないかという、そういう認識を持っております。それは、やはり新しくても旧来の立場であっても、やはり教育長のリーダーシップ、危機に臨む危機管理対応の資質、能力の形成というところがまず一つのポイントになってくるかと思います。
 そういう点からすると、今回の場合は、まだ検討しなければいけないものが残っているんじゃないかというふうに、こういうふうに申し上げたいというふうに思います。
○参考人(木村孝雄君) 済みません、もう一遍、先ほどの件、よろしいでしょうか。一分だけいただきたいと思います。
○委員長(丸山和也君) じゃ、簡単にお願いします。
○参考人(木村孝雄君) はい。
 やはり重大な問題や社会的に大きな影響を及ぼす問題などについては、その都度、やはり首長への報告、連絡、相談、そういうものを徹底して指示や指導をいただくとともに、やはり常日頃から関連する部署との連携を図って、様々な視点や観点から危機に対する予知能力、やはりその人の感性だと思いますけど、あと回避、対処、そういうものをしっかりと検討して対応できる、そういう危機管理体制、その整備が一番大きなポイントになる、そのように考えます。
 以上です。
○参考人(伊藤正次君) 危機管理についてですけれども、先ほどお話ししたとおり、第五十条で文部科学大臣の指示が強化されておりますが、実際にそれが発動されるかどうかというのはよく分からないというのが率直な感想でございます。
 というのも、この間、分権改革後も、この指示に関する権限はいじめ等の事案があるたびごとに強化されてきたわけですが、そして今回更に強化をするということですが、それが後手後手に回っている部分があるのではないかというのが私の感想です。
 もう一つ、総合教育会議において、緊急事態が発生した場合に首長と教育委員会が対応するという規定がございますので、こちらについては、周知徹底の上そうした体制が取れるような仕組みとしてつくられているというふうに理解しております。
○参考人(村上祐介君) 簡単に申し上げます。
 まず、教育長が責任者ということがある程度法的にかっちりしているとはちょっと言い難いところもあるんですが、運用上の責任者であるということが明確になるという点で、その点は改善したというふうに考えております。
 それから、危機管理については、基本的には教育長が行うということでよろしいかと思うのですが、総合教育会議で扱う際に、これは合議体ですので、例えば中で一致しなかった場合、首長と教育委員会の間で危機管理の対応が異なっていた場合に、果たして適切な対応ができるのだろうかというところはちょっと懸念がありますので、総合教育会議で危機管理に関して合意が得られなかった場合にどういうふうにするかということは、やはりきちんと運用上決めておかなきゃいけないというふうに思います。
 以上です。
○二之湯武史君 皆さん、ありがとうございます。
 私もやはり、制度改革がまさに全ての、バラ色の改革であるというふうに私は本当に思っておりません。
 先ほどの文科省の国の是正措置ができるという話ですが、文科省に情報が上がるならば、もうそもそもその現場に情報があるはずですよね。だから、指示は制度的にはできるんですが、やはり、現実的に考えれば、もう恐らく問題が顕在化してから、相当顕在化してから指示という方向になるんでしょうから、やはりそれは私は現実的に考えれば順番が逆なんじゃないかというふうに思っているんです。
 ですので、やっぱり皆さんが共通しておっしゃっておりますように、その運用の面で、この制度改革は制度改革として一歩前進であると、ただし運用が大事だということが、皆さんの、今のお聞きして統一した見解なのかなということで、我々も大変参考になりましたし、私は個人的には、例えばそういう地域に開かれた学校、そして、今、やはり先ほど申し上げたように、いわゆる村社会と呼ばれるようなそういう身内意識というものをどのようにして打ち破っていくかという中で、社会に対する緊張感とか、そういったものの中に、今申し上げたような重大事案の情報がしっかり上がってくるとか、それも最終的には制度論でなくてまさに運用なんだろうという中で、現状の制度の中でも、そういった定期的に首長と教育長がそれこそ週一回、週二回会議を持たれているような自治体もあれば、それがもう全くないと。今回そういったものが法的に必置にされたということは大きな前進だろうと、皆さんがおっしゃるように。
 そういった中で、いかに運用を高めていくかという、まさにもっと具体的な知恵の部分でそういうものがあればというふうに、最後に天笠参考人にお伺いをしたいと思います。
○参考人(天笠茂君) そういう点からしますと、先ほどありましたけれども、新しい制度になると、教育長と首長との意思疎通の在り方というふうなこと、それに教育委員がどういうふうにうまく絡んでいくのかどうなのか、それの多様性と柔軟性と迅速性というのを一つのチームとして、共同体としてそれを運用していく、そういう方向性の知恵を導き出していくこと、浮かび上がらせていくということが一つの方向としてあるのではないかなというふうに思います。
 以上です。
○二之湯武史君 ありがとうございました。
 まさに組織としてのノウハウ、運営ノウハウの蓄積が大事なんだろうなというふうに思いまして、私の質問を終わらせていただきます。
 ありがとうございました。
○斎藤嘉隆君 民主党の斎藤嘉隆です。
 四人の参考人の皆さん、今日は本当にありがとうございます。貴重な意見を聞かせていただきました。
 その上で、個々の皆さんに少しお伺いをしたいと思います。
 私、元々教員でしたし、教育委員会にも籍を置いたことがございます。学校教育の主体というのは、やっぱり子供たちでありますし、また学校現場でありますし、地域社会であります。学校や地域社会の実態に即した教育行政というのを進めていかなければ全く意味がないと思います。
 ややもすると、今、最近の子供たちはこうだとかああだとか、日本の教育はここが駄目だ、あそこが駄目だと、そういうような話がずっと出てくるわけです。私、今日も朝、地元から来てくれた中学生の子供たちと少し話をさせていただきました。日常的に現場の先生方とも話をしていますけれども、彼らの様子を見ていて、本当に今の日本の教育、ここまで言われるほどいろんな意味で弊害が出ているのかというのが、自分には余り理解ができないんですね。
 そういった意味でいえば、今回の法改正について、改正をしなければいけない理由というのが一体どこにあるのか、こういったことは、自分たちも案を出しておりましたので、その案を出す時点から随分ずっと考えてきたわけでありますけれども。
 そこで、木村参考人にまずお聞きをしたいと思いますけれども、教育長として、参考人の場合は、まさに大震災の被災地域で、第一線で、僕は体を張って子供たちを守るために様々な点で活動をしていらっしゃったと思います。地域や現場と一体感を持った施策を進めていく上で、教育長として、あるいは教育委員会としてどんな点が今必要だと考えていらっしゃるのか、お聞きをしたいと思います。
○参考人(木村孝雄君) 震災当時、やはり首長もまず最優先に学校の復旧工事。もう学校も崩壊しました。学校の復旧工事に全ての予算や人材等も派遣していただきまして、それが第一点で、あと第二点目としては、もう毎日歩いたり自転車で校長八十六名が全員集まって、常に同じ方向で協議しながら、全ての学校の子供たちは同じ学校で、母校で卒業式ができた、三月三十一日に。これはあの大変な状況の中ですばらしいものだなと。これはやはり教育委員会と学校、校長先生方との信頼関係、そういうものが非常に大事だな、そのように実感させられました。
 私としては、是非、今後の在り方については、首長はやはり自治体全体の担当をするために、子供のふだんの様子や、今議員がおっしゃったとおり、先生方は本当に頑張っています。あのときももう徹夜で、先生方全て学校に残って避難者の対応をしました。子供のふだんの様子や教職員の日々の努力などを目の当たりにする機会というのは余り、首長さん、お忙しいので、守備範囲広いので、ありません。やはり、どのような制度になったとしても、広いタカの目の視点から総合的に首長には見ていただいて、高所大所から、やっぱり現場のことは現場に委ねてほしい、現場を踏まえた動きは虫の目を持った我々を信じて対応してほしい、これを申し上げたいと思います。
 以上です。
○斎藤嘉隆君 ありがとうございます。
 まさに制度というか運用上の問題なのかもしれません。また、いわゆる人と人との関わり方、あるいは教育委員さんの姿勢の問題とか、そういったことに言及をしていただいたのかなと思います。
 そこで、天笠参考人にお聞きをしたいと思います。
 参考人の先ほどの御意見聞かせていただいても、今、法の改正というか、制度の改正よりも運用改善が急務だというような御意見をお持ちでいらっしゃるのかなと思います。二之湯議員の御質問にもありましたけれども、どのような点、改善の余地が、現状の教育委員会制度というか教育委員会の現場で、あるいは事務局の現場で、どんな改善の余地があって、どう改善をしていけばいいと考えていらっしゃるのか、少し具体的にお話をいただけるでしょうか。
○参考人(天笠茂君) 私は、教育委員会の活性化という、そういう言葉になるかというふうに思います、一言で申し上げればですね。
 もちろんそのためには、いろんな制度面の改善とか、そういうのはあるのかもしれませんですけれども、基本的には、先ほど来申し上げた一つの核となるキーワードというかポイントは、やっぱり教育委員の在り方が握っているんではないかというふうに思っております。教育委員がどうその立場を受け止めて自らが教育行政にその立場で関わろうとするのか、そういう環境、状況をどれほどつくり出せるかどうかというふうなことがやっぱり一番ポイントになるのかなというふうに、先ほど御紹介させていただいたような経歴からしますと、思っている次第なんです。
 確かに、既にこれまでさんざん指摘されているように、教育委員会の形骸化ですとか、あるいは事務局主導の、そういう指摘ですとか、そういうことの指摘をいろいろ引き受けながら歴史的に今日に至っているという、そういう歴史を持っているわけですので、ここのところがある意味でいうと手当てされない限りにおいて、それぞれの制度改革もその成果とか効果というのはその限りにとどまるのではないか。今申し上げたところとうまくリンクさせていかないと、あるいはつながっていかないととどまるのではないかと、そんな思いを持っております。ですから、そういう点からすると、改めて教育委員というものに対しての手当てとか、あるいはそれを活性化、活発化していくための手当てとか手だてということについての工夫改善と。
 そういう意味で、中教審の答申の中にあった、この十年で随分変わってきていますというふうな、そういう声ということの大切さというんでしょうか、いい意味でそれが教育委員会の活性化に結び付いていくような形になっていくといいかなというふうに思っております。
 制度改革も、今申し上げたようなことを後押ししていくというか、支えていくような方向でうまくつながっていくといいかなというふうに、こんなふうに思っております。
 以上です。
○斎藤嘉隆君 教育委員が非常勤であって、ほかに仕事を持ちながら、まあレーマンですから、そういった形で活動をすることにはおのずと限界があって、そこのところについても少し構造的にも考えていかなければならないというような御意見であったかなと思います。
 制度の問題、運用の問題はともかくとして、そこで伊藤参考人にお聞きをしたいと思いますが、参考人は首長を中心とする教育行政というものの重要性を先ほど述べられたかと思いますけれども、これは私どもも法案を出させていただくときに、そういった方向性を打ち出しつつも、とはいえ、いわゆる教育の政治的な中立性あるいは継続、安定といった観点から、この教育行政あるいはその内容について一定のチェック機能が今以上に必要だというような観点でいろいろ議論をしてきました。具体的に教育監査委員会というものを外部につくって、そこできちんと議会と並んで教育行政をチェックをしていく、そんな形が有効に機能しないだろうかということで議論してきたんですが、そこで伊藤参考人にお聞きをします。
 今の中立性の問題とか、当然ですが、地域ごとに教育って余り格差が出てはいけないと思うんですね、こういった点の観点とか、いろんな視点でその首長の下で行われる、あるいは今度新しいスーパー教育長が生まれるわけでありますけれども、その下での教育行政のありようについてチェックをする、そのような機能強化というのは必要でないのか。あるいは、必要だとすれば、どのように進めていけばいいとお考えであるのかをお聞かせをいただきたいと思います。
○参考人(伊藤正次君) ありがとうございました。
 今回の改革案では、御指摘のとおり、スーパー教育長ともいうべき非常に強い権限を持った教育長が生まれるわけです。ただ一つ、チェックという観点からしますと、教育長は首長から任命されるということと同時に、議会の同意を得て任命されるということですので、まず事前にその議会の同意という形でのチェックが入るということだと思いますし、場合によっては、教育委員も同時に選任されておりまして、最終的な意思決定はその教育委員を含めた教育委員会で行われるという形で、その点でも一定のチェックが行われると。最終的には、全体の教育行政について何らかの問題が発生した場合には、総合教育会議などでの調整を経て、最終的には責任者である首長が選挙でその教育行政の責任を問われることというのも含めて、チェック機能が働くというふうにも考えられます。
 教育監査委員会のような組織を置くということでございますけれども、私個人的にはこれ議会の文教委員会ですとか教育関係の委員会とどういうふうに役割分担をするのかという問題もあろうかと思いまして、むしろその議会の側がきちんと教育行政をチェックするというのが本来の地方自治の、あるいは教育行政の在り方ではないかというふうに考えております。
 また、政治的中立性の確保が非常に重要だということであれば、仮に教育委員会という組織を取らないのであれば、独立性の高い何らかの第三者機関、審議会を置いて、そちらに勧告権なり、その勧告の尊重義務を課すというような形での制度設計もあり得るのではないかと思っております。
○斎藤嘉隆君 ありがとうございました。
 結構教育行政というのは子供たちの様子に直結をしますし、駄目だったから次もう変えればいいんだというわけにいかないと思うんですよね。だからこそ慎重な歩みが必要だというふうにも思っています。それは僕たちも政治家ですので当選をするためにいろんな、首長さんもそうでしょうけど、いろんなことを言いたがる側面もありますけれども、やっぱり教育についてはちょっとその辺一歩引いて考えていく必要もあるのかなというようにも思います。
 その上で、最後に村上参考人に、先ほどの御発言の中で、国レベルでの政治的中立性を高めていくということに言及をされたかと思います。済みません、ちょっと掘り下げて、具体的に何らかプランをお持ちでしたら、我々は、例えば中央に教育委員会をつくったらどうだというようなこともこれまで申し上げてきた経緯もございますが、最後にその点について村上参考人にお聞きをしたいと思います。
○参考人(村上祐介君) どうもありがとうございます。
 国レベルで具体的な制度ということですが、私も三条委員会のようなやはり行政委員会のスタイルというものは中立性、安定性、継続性を保つ意味で一つの在り方なのではないかと。もちろん国家公安委員会のように、政治家である国会議員が委員長を務めることで政治的なリーダーシップとの調和を図るということもあってはよいと思うのですが、やはり合議制で物事を決めるという側面が教育行政は国レベルでも検討されてもいいのではないかというふうに考えております。
○斎藤嘉隆君 終わります。
○新妻秀規君 公明党の新妻秀規です。
 本日は四名の参考人の方、貴重な御所見ありがとうございます。早速、じゃ質問に入らせていただきます。
 先ほど、天笠参考人の方から教育委員会の活性化について、るる地域に開いた教育について御教示がありました。なので、天笠参考人以外の三名の参考人の方に、教育委員会の活性化が叫ばれておりますが、その現状認識とあるべき姿、先ほど天笠参考人もおっしゃったようなコミュニティ・スクール、また学校支援地域本部、こうした取組とかにも触れながら、三人の参考人の方の御意見を伺いたいと思います。
○委員長(丸山和也君) では、今度は伊藤参考人からよろしくお願いします。
○参考人(伊藤正次君) ありがとうございます。
 教育委員会の活性化という場合、幾つかレベルがあると思います。一つは、狭い意味での教育委員会の審議の活性化ということだと思います。こちらにつきましては、従来形骸化が指摘されておりますし、そのための法制度的な手当てというのも累次行われてきたと理解しております。ただ現状では、多様なバックグラウンドを持つ委員の方々が活発に活動を始めているというふうにも理解しております。その面では少しずつ改善してきているという認識にございます。
 他方、教育委員会全体の活動の活性化あるいは学校現場を含めた活動の活性化ということにつきましては、もちろん様々な取組が全国で行われておりますし、自治体でも様々な活動を行っていると思います。
 ただ、私個人的には、教育の活動の活性化というのは単体を取り出して議論するべきものではなくて、例えば子育て支援との関連ですとか、あるいは全体の福祉の問題との関係、さらには少年非行ですとか青少年健全育成、スポーツ等々を含めた多様な分野での連携を進めながら活性化していくべき課題であると思っています。その際に、教育委員会のみに囲い込まれている教育行政ということがもしその連携を難しくしているということであれば非常に問題だというふうに理解しております。
○参考人(村上祐介君) どうもありがとうございます。
 まず現状認識の方からですが、これは私が実施したアンケート調査では、自らの自治体の教育委員会が機能していると答えた首長さん、教育長さんがおよそ六割から七割を占めていると。重要なのは、十年間でこの数値が改善をしている、およそ五ポイント改善をしているということであります。
 ですので、世間の教育委員会形骸化とか、この十年の批判の高まりと現場の認識は実は逆のところがありまして、現状は、現場の感覚では、教育委員会の活性化というところはまだ課題はあるんだけど、むしろ改善をしているというふうに考えております。
 二つ目のあるべき姿というところなんですが、私は、教育委員会と教育長の関係をやはり明確にするということが制度的に必要なのではないかというふうに考えております。これは運用レベルというよりは制度的に見直すべきところだというふうに思います。
 具体的には、先ほども申し上げたのですが、教育委員会と教育長の権限関係とか役割をきちんと明確にして、教育長に明文化した責任を持たせることができる。ここからは教育長の日常の仕事、ここから先は教育委員会の仕事というように切り分けをきちんとして、で、教育長の職務執行を教育委員会がきちんとチェック、コントロールをして、場合によっては教育長を替えるというようなところまでできるというように、やはり非常勤ですので、おのずとできることは限界がありますので、例えば基本方針の決定とか教育長の人事とか、そういったところを教育委員会がきちんと担当をして、日常業務は教育長に任せるというような権限の切り分けというものがやはり非常勤の合議体を活性化させる上で重要ではないかというふうに思いました。
 以上です。
○参考人(木村孝雄君) 現状認識につきましては、村上委員がおっしゃったように、村上委員が第三十回の教育制度分科会での発表資料の中で、今の教育委員会よく機能しているかという質問に対して六九・三%の首長は機能している、八一・三%の教育長も機能している、また、合議制の執行機関として教育委員会を維持しつつ制度的改善を図ることに賛成としたのが首長の五七%、教育長の六七%でございました。そういう意味で、もう現状認識としては村上委員と同じ認識を持っております。
 その後、あるべき姿としては、やはり制度改革をきっかけに一番直接子供たちに関わるのは、制度改革を踏まえた教育委員会、また教育の活性化でございます。そういう意味で、教育の活性化につきましては、やはり先ほどからもありますように、地域支援本部やコミュニティ・スクールの関係者など、そういう地域の多様な人材、そして、民意が迅速に反映できる、そういう教育委員の人材登用、これが非常に大事になってくるかな。
 また、閉鎖的だという指摘がありましたが、そのとおりだと思います。やはりもっと教育のスペシャリストの行政職員を育成する必要があるのではないか。いや、今、文科省はそれに取り組んでおりまして、私が在籍していた郡山第二中学校に一年間キャリアの方が来ております。そして、教育に子供たちと一緒になって汗を流しております。きっとあれが戻ってから大きな成果を上げるのかな。今、一緒に学びたい先生のアンケートを取ったら、ベストファイブにその文科省から来ている方が入っております。やはり教育は免許も必要ですけれども人なんだな、つくづく感じられています。すばらしい青年です。
 話が横道にそれてしまいました。そういう専門性を備えた行政職員の育成、これが大事になってくるのかな。また、やはり一番はもっと現場感覚を育てる、学校現場や地域に出向いて、そしてフェース・ツー・フェースでいろんな考えを伺ってくる、そういう取組が、そしてそれを吸い上げて教育政策に見えるような形で、住民に見えるような、頑張りが見えないんです、今は。それを見えるような形で示していくこと、これが教育委員会の活性化として大事な部分かなと、そのように考えます。
 以上です。
○新妻秀規君 貴重な御所見ありがとうございます。
 続いて、木村参考人、村上参考人、天笠参考人にお伺いします。
 やはり更に教育のレベル、質を高めるためには事務局の役割、非常に重要だというふうに言われております。一方で、先ほど、大津の事案にもあるように、きちんとした対応ができていなかったんじゃないか、そんなような事務局のそうした機能不全、こんなことも叫ばれております。一方で、非常に高い政策立案能力を持ったような取組を紹介をされておりますが、この事務局の在り方について、現状での課題とあるべき姿について御所見をお願いをいたします。
○委員長(丸山和也君) じゃ、簡潔にお願いいたします。
○参考人(天笠茂君) 私は事務局をどう、何というんですか、全体としてコントロールするかという、そこのところがあるのかどうなのかということがポイントになると思います。直接的には当然教育長がそれなわけですけれども、事務局の各セクション、セクションが、それ自体がある種の自立的な側面を持っていて、時にそれぞれがそれぞれとして動き出したりですとか、それぞれのセクションがそれぞれ意思を持ってそれぞれ動き出すというふうな、そういうことが時に生じるということで、言うならば、ですから個々の政策の進行が個々それぞれ、俗に言う縦割りということも言えるかもしれませんですけれども、教育委員会の事務局の中でそういう現象が起こるときというのが、今度は現場の立場、学校の立場からするといろんなものが次々に下ろされていくけれども、総合的になっていないとかという形で、それぞれが分散していくような形の受け止めになってしまって、結果的に学校現場等々を、それによって力を逆に拡散させたりですとか失わせるというふうな、そういうふうなことが起こっている可能性があるんじゃないかと思うんです。
 ですから、そういう点で、事務局のそれぞれのセクションを相互に連関を図ったり、一元化をしていったり、あるいは総合的にしたり、そういうふうな形のコントロールということが必要だと思いますし、そのリーダーとしての教育長の在り方、あるいは、それを教育委員の立場からのまた関わり、その辺りのところの対応ということがポイントになってくるんではないかというふうに思います。
 以上です。
○参考人(村上祐介君) ありがとうございます。
 大きく二点あります。
 一つは、教育職とあと行政職との融合ということです。やはりその辺が分かれてしまっている。同じ教育委員会事務局にいるけれども、管理系は行政職員、指導系が教員出身者というふうにきれいに分かれてしまってお互いが見えないということも一つ、先ほどの天笠参考人の発言と似ているところがあるんですが、あると思いますので、行政職が指導系の職務にも入る、それから教員出身者が管理系の職務にも入る、そして学校事務職員のような職種も教育行政に活用する、こういったことが重要ではないかというのが一点目です。
 二点目は、事務局がやはり教育委員を尊重するような事務局職員というか、やはり教育委員がちょっと軽んぜられているのかなというところもなきにしもあらずというところがあるかと思いますので、例えば大きな教育委員会事務局では、教育長ではなくて教育委員の秘書的な役割の職員をつくるであるとか、そういった教育委員を大事にするような事務局の体制をつくるということも一つアイデアとしてはあり得るのかなというふうに思いました。
 以上です。
○参考人(木村孝雄君) やはり壁を取り払うということがキーワードになると思います。
 やはり事務局の中でも、首長部局は、先生方だからあと二年か三年で現場に戻るからという意識があるし、先生方も首長部局の方とはなかなか話しにくい。そういう壁を取り払うことが一番大事なのかなと。やはりお互いの仕事ぶりが見えていないんですよね、壁があって。それが大きな課題かなと。
 と同時に、さらに各部局、首長部局との横の連携、それをこれから積極的に教育委員会事務局は連携していくことが大きな今後の在り方のポイントだと思います。それによって、やはり保健、福祉、教育の壁を取り払って同じスペースの中で仕事をしましたら情報が非常に共有されまして、一番成果が上がったのが虐待、いじめ、この問題、情報が、やはり首長部局も持っているんです、保健、福祉なんかは。それと学校がすぐ連携できる。やはり同じフロアで仕事をしながらお互いに連携をする、そして壁を取り払う。この横の連携が非常に、教育の場合は保健、福祉との連携が非常にこれから今後大きくなってくるのかな、そのキーワードは壁を取り払うことかなと、そのように考えます。
 以上です。
○新妻秀規君 それでは、木村参考人と天笠参考人にお伺いします。
 教育委員会を合議制の執行機関として、教育行政の最終的な責任者として今回の政府の法案では残しておりますけれども、位置付けておりますけれども、このことについては、村上参考人は評価をする、伊藤参考人は評価をしないというふうな御意見であるというふうに理解をしております。
 それでは、木村参考人と天笠参考人はそれぞれ、この今の閣法、政府案での教育委員会の位置付け、これについてどのように受け止められているか、御所見をお願いをいたします。
○委員長(丸山和也君) 木村参考人と天笠参考人ですか。
○新妻秀規君 はい、お二人です。
○参考人(木村孝雄君) 教育は、政治を始めあらゆる私は権力から距離を置くことが大原則である。与野党協議の結果、教育行政の最終権限を教育委員会が執行機関として現行どおり持つ、これはやはり政治的な中立性を確保する意味で今回の制度改革の中で最大に私は評価したい、そのように考えております。
 やはり教育は百年の計でありますし、子供たちが豊かな心を持って真っすぐに成長していくためには、やはり偏った教育理念や思想に基づいた教育を受けることの、あの純粋な子供たち、影響は大きいですし、首長の交代で教育方針がぶれると一貫した教育ができません。そういう意味で、教育委員会が執行機関を職務権限として持てたということが非常に大きな今回の成果であると、そのように認識しております。
○参考人(天笠茂君) 今回、私はこの点については高く評価をさせていただいておりますし、ある種のバランスを働かせていった一つの判断をなさったんではないかと、そういう観点からもまた評価をしたいというふうに思っております。
 以上です。
○新妻秀規君 貴重なお時間をありがとうございました。終わります。
○藤巻健史君 お騒がせしております日本維新の会・結いの党の藤巻です。
 私、最初に立場から申し上げますと、教育委員会というのはやっぱり執行機関でなく諮問機関であるべきで、首長が新教育長を選び、新教育長が執行機関であるべきと、いわゆるA案がいいのかなとずっと思っていたんですけれども、そういう立場からちょっと質問させていただきたいんですが。
 まず、せっかく大学の先生方三名もいらっしゃっているのでお聞きしたいんですが、中国の教育、ロシアの教育、北朝鮮の教育、韓国の教育、これ、コメントはよろしいんですけれども、とんでもない教育制度か、それとも普通のまあまあの教育制度か、それともすばらしい教育制度か、その三つのうちの一つ、どれか教えていただければと思うんです。感覚論で結構です。
○参考人(村上祐介君) 私、ちょっと海外の教育の実情というものは、その四か国に関しては正直余り把握をしていないのですが、韓国に関しては、教育自治が非常に守られていて、教育長を公選するというところですので、そういった意味では、様々な問題はあるんですが、教育の専門性というものが日本よりは大事にされている面はあるのかなというふうに考えております。ちょっとほかの国については、済みません。
 以上です。
○参考人(伊藤正次君) 私も海外については不案内でございますが、韓国に関しましては、今、村上参考人がお話しいただいたとおり、教育自治が非常に強い、つまり一般行政から教育行政が完全に分立した国でございます。しかし、受験競争等大変激しく、人材の海外流出が起こっているというふうに認識しております。
○参考人(天笠茂君) 私は、それぞれの国の教育の制度は、それぞれの国の歴史ですとか国柄に反映されてそれが成り立っているものだというふうに思います。ですから、それを全部後ろに置いて並べて、どれが優位かどうかという、そういうような判断というのは非常に教育制度については難しい問題ではないかと、そんなふうに思っております。ですから、そういう点ですと、答えとしては、いずれの国もそれぞれがそれぞれとして存在しているというふうな、そういう言い方になるかと思います。
 以上です。
○参考人(木村孝雄君) 私は、それぞれ各国のコメントは避けたいと思いますが、やはりもっと日本の初等中等教育に誇りを持つべきだと、そのように認識しております。
 以上です。
○藤巻健史君 質問をした趣旨は、最初の中国、北朝鮮、ロシアは、明らかに政治的中立な教育をしているとは、我々の感覚からですよ、思わないわけですよ。要するに、共産主義に基づいた教育をしているんではないかなと、これは単なる想像ですけれども。だからといって、政治的中立を守っていないからその教育はひどいとは言えないですよねということをまず申し上げたんですが。
 もうちょっと申し上げたいのは、やっぱり教育行政を考えるときに、まず政治的中立が第一に来ちゃうわけです。教育の目的というのは、いい教育を与えるということが一番の、第一義の目的であって、そのときに政治的中立、変更しちゃまずいよねという話だと思うんですよ。それは確かに軍国主義とか無政府主義とか、その対極にある主義にやられちゃ困るんですけれども、現状、資本主義であり、かつ民主主義で教育をしている限り、まあいいのかなと私は思ってしまうんですけどね。
 ですから、もっと教育制度を考えるときには、子供たちによりいい制度を、教育を与えるのはどういう仕組みかということを考えるのが本筋であって、まず第一に政治的中立を確保する。極端な話だと全然駄目ですよ。でも、ほぼ真ん中である限り、その多少のぶれはいいじゃないのと、それは二義的な問題じゃないのと私は思っているわけです。それがやっぱり今回の仕組み論で感じることなんですけど、そうすると、やっぱりより良い意思決定をきちんとする、それから責任がある人たちがちゃんときちんとした教育行政をするというのが一番いい制度かなと思って、私は最初に申し上げたやっぱり改革論がいいのかなと思うんですけれども。
 それで、二番目の質問に入りますけれども、まず村上参考人にお聞きしたいんですけれども、先ほど、教育委員会制度というのは地方自治制度の問題として捉えるべきであって、首長への権限集中が余りにもひどいから、それはやっぱり多元主義の方がいいというお話だったと思うんですけど。
 それは確かにそうかなとも思うんですけど、私この教育委員会の議論を聞いていて、何がおかしいのかなと思って聞いていたら、やっぱりもうちょっと大きい問題で、国家賠償法なのかな、要するに国家公務員って自分がどんなミスをしても国が賠償するわけですよ。要するに、責任がないんですね、私に言わせると、民間人だった私からすると。
 要するに、民間であれば基本的に、例えば会社の執行役でもあれば、何か部下でも失敗すれば一発で首ですし、それから個人的な忠実義務があって、個人的に賠償責任を請求されるわけです。ということは、これは極めて高い責任を持っているわけなんです。だからこそ、執行して責任ある判断をしなくちゃいけない。
 例えば、お医者さんで考えたって、例えば私が手術を受けるときにお医者さんに好き勝手にやられて失敗して、勝手に何かいろんなことやっても国家が賠償してくれるというんだったら、そんなお医者さんに私は頼みたくないですよ、手術を。やっぱり、何か失敗したり意図的に変なことをしたら、そのお医者さん自身が罪に問われるというような、そういう責任を持った人に手術を行われたいわけであって、今の、少なくとも国家賠償法が、何というか、公務員には個人の賠償責任がないという取付けになっている限り、やっぱり少しでも責任を取る、責任を取るというのはやっぱりペナルティーを払う。
 例えば、先ほどあった首長であれば被告になるとか、それから少なくともリコールですぐ首が飛んじゃうとか、そういう責任体制のあるところが一応責任を持って、その権限を持ってやるべきかなと私は思うんですけれども、その辺についてコメントをお聞きしたいなと思いますが、いかがでしょうか。
○参考人(村上祐介君) 御質問ありがとうございます。
 公務員個人は、やはりいずれにしても責任というのは、首長が被告になるわけなので、一般行政であろうが教育行政であろうが、そこは変わらないと。教育委員会が仮になくても、公務員個人は直接的にはというか、国賠法の枠組み自体は変わらないということだとは思うのですが。
 だから、首長に集めればいいかというと、これはやはり首長にすごく権限が集まり過ぎている現行制度を、権限集中を緩和するという今の行政委員会の趣旨から考えると、これはむしろ行政委員会の方に予算と権限を持たせて、そちらをむしろ責任主体とすることで、何というか、権限集中を防ぐという考え方もあると思いますので、全てを首長に集めるということを前提にしなくてもいいのではないかと。
 権限と責任の一致のさせ方というものはほかにもあり得るのではないかというふうに思いました。
○藤巻健史君 じゃ、その責任の取り方って、先ほども木村参考人からもお話があったんですけれども、教育委員会の責任の取り方ってどういう取り方があるか、ちょっと教えていただきたいんですけど。
 責任取るというのは、やっぱり先ほど申しましたように、民間だったら、すぐ首になっちゃうとか、それから個人賠償の請求の対象になるとか、そういうのをやっぱり責任を取っているというふうに言うと思うんですけれども、言葉で言うのは簡単ですけど、責任を取るってどういう形の責任ですか。村上参考人と木村参考人にちょっとお聞きしたいんですけど。
○参考人(木村孝雄君) ケース・バイ・ケースによって、本当に誠意を持って迅速に対応していく、それしか私は責任の取り方はないと思います。そういう意味では、やはり腹はいつもくくってこの仕事に当たっております。
 以上です。
○参考人(村上祐介君) これは、やはり職業公務員として職を賭してもちろん責任を負わなければいけない場合もあり得ると思いますので、政治家でない責任の取り方というものは、やはり教育委員会の場合でもあり得るというふうに思います。それは一般行政の公務員でも同じことではないかというふうに考えております。
○藤巻健史君 ちょっと具体的にその責任を取る、私、責任取りますと言ったら、辞めるとかお金賠償しますということを責任を取るというんだと私は思っているんですけど、具体的にはどういう責任の取り方があるんでしょうか。お二人に。
○参考人(村上祐介君) これは公務員法の中で、信用失墜であるとか、あるいは様々なケースで公務員個人が職を辞めないといけないというようなケースはもちろんあり得るというふうに思います。ただ、難しいのは、これは職業公務員というものは、やはりある種の政治的中立性というか専門性を発揮する、それからどのような政治家の下でも同じように働くということを保障するために身分保障というものがやっぱり必要なわけですね。だから、ここは非常に難しいわけでして、ある種責任を取るということと身分保障ということが矛盾するところがありますので、その辺が公務員は難しいところがあるということです。
○藤巻健史君 そうすると、常勤の例えば教育長だったら責任を取る、辞めさせられるというのはまだ分かりますけれども、非常勤の教育委員の方が責任取るといったって、まあ、一種、ほかに仕事があるわけですよね、きっとね。余り大した責任の取り方じゃないですよね。ダメージないですよね。そういう人たちに執行役としてすごい権限与えて、ペナルティーがなかったら、やっぱりやりたいことが、変な言葉ですけど、やりたいことができちゃうわけですよ。それについてはどういうふうにお考えでしょうか。
○参考人(村上祐介君) ありがとうございます。
 これは、職業としてその仕事に就いている人が教育行政をやることのデメリットというのもやっぱりあると思うんですね。つまり、自分の利益とか次の再選とかということをどうしても考えて短期的になりがちであると。非常勤であれば、そうしたことはないので長期的な見方に立つというメリットももちろんあると思うんです。
 その裏返しとして、ほかに仕事があるので責任を取らなくていいんじゃないかということがあり得ると思うんですが、これはしかし民間企業でも、社外取締役ではそれは辞めれば済むじゃないかという話になりますが、やはり社外取締役もかなり責任が重い立場だと思うんですね。ですので、これは民間でもそういった社外取締役という仕組みがある以上、非常勤だから責任を取れないということにはならないのではないかというふうに思っております。
○藤巻健史君 ただ、民間の社外取締役というのは、あれは執行機関じゃないんで、私は執行機関でありながら余り責任を取らない体制というのはどうかなと、やっぱりそういう機関は諮問機関であるべきではないかなと私は思っているということなんですけど。
 ちょっと時間がないんで次の質問に入りたいんですが、この前文科大臣とお話ししていたときによく分からなかったのは、文科省の回答ではどうしてもやっぱり理解できなかったんですけど、国の場合はやっぱり先ほど言ったA案ですよね、ほぼね。要するに、首長である安倍首相が教育委員長である下村大臣を選んで、そして中教審は単なる諮問機関であるという国の制度を、どうしてそのまま地方にコピーしちゃいけないのかなと。そのいけない理由。別に政治的中立、今、国の制度が政治的中立であるなんて、批判も聞かないですし、どうして地方に行くと駄目なのかなと思っているんですが、その辺をちょっと四人の方から御回答を聞きたいなと思います。
○参考人(伊藤正次君) お答えいたします。
 国の場合は基本的には議院内閣制という仕組みを取っておりまして、内閣の下に行政権が統合されているという前提に立っておりまして、その場合に行政委員会を設ける場合には特に非常に重要な理由が必要であるというふうに考えております。例えば、市場競争の確保のための公正取引委員会ですとか、警察、治安維持のための中立的な機関としての国家公安委員会等ですね。
 そこの点に鑑みますと、教育委員会、教育行政というのは、国家全体の統治にももちろん関わる部分ですけれども、国民に対するサービスとして質の高いサービスを提供するという一般行政と同じような部分というのもございますので、その点で独任制の省庁の組織が取られているというふうに理解しておりまして、私は、この点に関しましては合議制の組織を取るということ自体は不適切ではないかというふうに考えております。
○参考人(天笠茂君) 私は、とりわけそれぞれの地方、地域における多様性の確保というのがこの国においては大切ではないかというふうに思っております。そういうことを考えたときに、そういう意味における委員会の制度の執行機関として云々という先ほど来のそれについての一つの姿ではないかと、そんなふうに思っております。
 以上です。
○参考人(村上祐介君) 三つあります。
 一つは、国は直接学校を所管していない、国立大学は法人化されていますので。それに対して、自治体は直接学校を所管していますので、より厳密な政治的中立性が求められるという説明が一つあり得ると思います。
 二つ目は、国の場合、議院内閣制を取っていて、分担管理で各大臣に事務権限は分散されているのに対して、地方は首長に集中していますので、そういった権限集中を緩和するという意味で行政委員会が必要であるという説明が二つ目です。
 三つ目は、私の意見でもちょっと申し上げたのですが、そもそも国の方の継続性、安定性、中立性という点で今ちょっと難が出てきているところがあるのではないか。具体的には、高校無償化とかは、良しあしは別として、政権が替わるごとに制度が変わっていて、それで影響を受けるやっぱり子供さんというのが出てきているわけですね。そうしたことをやはり緩和する方向で国の方が制度を変えるべきではないかということもあり得ると思います。
 以上です。
○参考人(木村孝雄君) 私は、繰り返しますが、教育は百年の計であって、知徳体のバランスの取れた子供を育てるにはやはり教育方針が一貫したものがなければいけない。そういう意味では、やはり合議制で、私自身八年間教育長を務めまして、教育委員の皆様の本当にレーマンコントロール、すばらしいものが高い視点からもございます。本当に子供たちを思って一生懸命頑張っていただいております。そういう意味で、教育はある意味での、いい意味でのユートピアであっていいのかなと、そういう考えでおります。
 以上でございます。
○藤巻健史君 ありがとうございました。
○松沢成文君 みんなの党の松沢成文と申します。今日は、参考人の皆さん、お忙しい中、国会までお出ましいただいてありがとうございます。
 私が所属していますみんなの党は、今回のこの教育委員会制度の改革の中で、実は選択制を導入すべきという主張をしておりまして、実はこの法案に対しても修正案を、選択制を導くような修正案を出しているんですね。
 今日は、もう四人の皆さんそれぞれ教育に、アカデミックの分野あるいは現場の教育委員会で経験されてきたそれぞれの皆さんがいらっしゃいますので、ちょっと私たちの選択制についてまず考え方を説明しますので、それに対してどういうお考えをお持ちか、御意見を四人の方から伺うという方法で進めさせていただきたいと思っております。
 実は、私も神奈川県知事八年務めておりましたから、自分で教育委員を任命させていただいて、そして教育委員会ともいろんな形の連携取らせていただいて、教育行政、教育改革を進めてきました。ですから、私自身の経験からいえば、教育委員会の制度が悪いから今の教育が悪いというよりも、これは制度だけじゃなくて運用ですね。やっぱりその教育に携わる、政治家も含めてですけれども、人と、それを運用するやり方、これによっては制度を生かすも殺すも、両面が出るんだなと。
 確かに、大津のいじめ自殺事件というのは、教育委員会制度の悪い面が全て出てしまった。非常に閉鎖的であった、情報を隠してしまう、あるいは教育長と教育委員長あるいは首長の責任どこにあるか分からない、こういうのが一挙に出てしまって、それが一つのきっかけでこの教育委員会制度の改革の議論が急に進んできたわけですよね。
 ただ、全国見てみますと、今の教育委員会制度の中でもかなりそれをうまく運用して教育改革を進めている自治体というのは幾つもあるわけなんです。よく言われるのが福岡県の春日市ですとか、あるいは京都府ですとか、あるいは秋田県なんかは、教育委員会、それと首長あるいは学校がうまく連携して様々な成果を上げています。ちょっと具体的に言うと長くなりますのであれですけれども。
 一方、確かに今回の教育委員会制度の改革の中で、教育委員会の審議が形骸化しているとか、責任がどこにあるか分からない、あるいは危機管理の対応が全然できていないじゃないかという御批判も当然あって、そういうところに陥ってしまっている自治体というのもあるんだろうと思います。
 そういう意味で、一つの制度には必ず、こういう面ではこの制度はいいけれども、こういう面ではやっぱりこの制度はちょっと難しいですねと、必ず両面あるんですね、メリット、デメリット。この制度は全てにわたってメリットだけです、完璧な制度ですというのはあり得ないと思っています。
 例えば、責任の所在とか教育改革のリーダーシップ、これに重きを置くならば、やはり首長とあるいは新しい教育長のような縦のラインできちっと物事を進められる体制をつくることが重要だと思いますし、あるいは教育の政治的な安定性だとか継続性だとか政治的中立、こういうのがやっぱり教育というのは中長期にわたってしっかり行わなきゃいけないのだから大事だと、そうであれば、教育委員会の合議制を中心に、首長からは少し離した存在できちっとやっていった方がいいというのもあり得ましょう。
 そういう意味で、私は、地方教育行政の当事者である地方自治体が、自分たちで議論して、自分たちで選択して、自分たちの教育制度は自分たちで議論して自分たちでつくっていこう、そういうふうに選択をできるようにしていくこと、これこそが地方の教育に携わっている皆さんにやる気を起こさせて、そうだ、これこそ、このやり方で自分たちの町の教育を改革しよう、運営していこうというふうになっていくのじゃないかと思うんですね。
 実は、その当事者である地方六団体、これは知事会とか市長会とか町村会とかですね、こういう皆さんは、これまでずっと選択をさせてほしいと。つまり、教育委員会の必置規制というのをなくして、教育委員会制度でしっかりやりたいというところは教育委員会制度で地方の教育行政をやらせてくれと。いや、でも、教育委員会制度はやっぱりデメリットも多い、自分たちはもう少し地域住民から選ばれた首長を中心に、首長のリーダーシップで教育改革を進めてみたいんだと、そういう自治体にはその方法を取らせてあげればいいというふうに思っているんですね。それこそが地方分権改革だと思うんです。
 地方の教育行政というのは地方自治体の自治義務であります。大きな方針は国が示すとしても、その中で、こういう形で自分たちはやらせてほしいという自主性と選択権を地方自治体に与えていかないと、今回の制度はうまくいきませんでした、じゃ次の制度も、地方にはいろいろ意見があるけれども、国が全部この方法で決めます、それに従って地方はやりなさいと言っている以上、地方の自主性あるいは改革の活力というのは生まれてこないというふうに思っているんです。そういう意味で、地方分権改革や規制改革の点もあると思いますが、私は、教育委員会制度を今後考えるときに選択制というのを導入していく、これ重要だと思います。
 もう一つ、今の日本の公教育をすごく閉鎖的にしてしまっているもう一つの原因は、文部科学省という巨大な霞が関の官庁の指導監督の下に都道府県教育委員会というのががっちりあるわけですね。その都道府県教育委員会の下に、今度は市町村教育委員会があって、その下に学校があるわけですね。巨大な縦系列の官僚組織ができ上がってしまっているんです。ここで指導だとか勧告だとかが全部下りてくるわけです。ですから、教育委員会というのは、上にある文科省と、下でと言ったら失礼ですけれども抱えている学校の上で中間管理職のように、上に気を遣い下に気を遣い、何やっていいか分からない、どうしようどうしよう、でも仕事は増えるばっかり、こういう官僚機構になっちゃっているんですよ。
 ですから、そういう縦系列の官僚機構に風穴を空けるためにも、教育委員会でやりたいところは教育委員会でやる、首長主導でやりたいところは首長主導でやる、そうなっていくことがある意味で教育の自由化、多様性を生んで、それがひいては末端にある学校の改革意欲にもつながっていくのじゃないかと、こういう考え方を持って選択制というのを主張しているんですね。
 是非とも、現場でそれぞれ経験されている方、アカデミックに研究されている方いらっしゃいますので、四人の先生方から、教育委員会制度改革において地方自治体の選択制というのを導入するという改革方針についてどのように考えられるのか、御意見をお聞かせいただきたいと思います。
○委員長(丸山和也君) では、選択制に一点に絞られていますけれども、順次御意見を伺いたいと思います。
○参考人(伊藤正次君) 私、先ほど意見として述べましたとおり、理想としては選択制が最も望ましいと思っております。ただ、その具体的な制度設計にはいろいろな課題がございまして、完全に自由な選択というのはあり得ないわけでございますから、恐らく、その実際の選択制を仮に取り入れるとすれば、幾つかのメニューを示した上で、その中から自治体が選ぶということが望ましいと思います。また、その自治体の規模によってはやはり教育委員会を必置した方がいいという判断もあろうかと思います。
 ただ、具体的にその組織の在り方、教育のガバナンスの在り方を選択するという手続をどう設計するかという問題がございます。恐らく、最終的には住民投票ということになるかと思いますが、ある時点における住民の意思が特定のメニューを選んだとしても、その後の状況変化でそうした在り方が望ましくないといったときに、誰がどのような形でその選択の発議をするのかというところまで含めますと、非常に難しい制度設計だと考えております。
 理想としては私も賛成いたしますが、現実の手続が非常に難しいということを理解しているということでございます。
○参考人(天笠茂君) 目的として捉えるべきなのか、それとも手段として捉えるべきなのかという、その辺りのところも一つ判断によるのかなというのが伺っていてのそれであります。言うならば、それぞれの地方の自治能力を向上させる、そのための一つの手だてとして御説明いただいたそれというのもあり得るんじゃないかというふうに思っております。
 そういう意味では評価していいというふうにまずは思うんですが、一方においては、例えば先ほど挙げられた春日市ですとか京都市というのはコミュニティ・スクールを導入した普及率の非常に高い地域であるわけなんですけれども、片や全くそれについてはノータッチという、御承知だと思うんですけれども、そういう自治体というのも全国的に見れば相当の数に上るというふうな、そういう実情があるわけで、そういうふうに考えたときに、それぞれの自治体にそれぞれ選択的にという辺りのところというのをどの程度のものとして捉えるかどうかという辺りのところについては、なお話を詰めなければいけない点というのがあるように思います。
 やはり、言うならば、今の話というのは今度は地域の格差という話とかぶさってくる問題があって、やっぱり国としては、全体的な底上げとか全体を目くばせするというふうな、そういう観点というのも欠かせないところになるんじゃないかというふうに思いますので、そういう中で今のような点をクリアするような形の選択という場合にどういう姿としてあり得るのかどうなのか、どういう制度設計があり得るのかどうなのか、そういう検討が更に必要なのではないかというふうに聞かせていただきました。
 以上です。
○参考人(村上祐介君) ありがとうございます。
 私も、選択制が望ましい教育制度というものはあると思うんですね。例えば、県費負担教職員制度はやはり県によってかなり事情が違っていて、島が多いところはやはり県がイニシアチブ取らないとなかなか人が回せないとか、都市部であれば市町村同士でやっても済むようなところとかというふうに、そこは何か全国一律の制度じゃなくてもいい場合があるかもしれません。
 が、ただ、教育委員会制度に関しては、これは元々、政治的中立性、継続性、安定性を目的とした制度で、それを選択制ということになると、ある種地方政治で決めるということになるわけです。つまり、政治的中立性のための制度を政治で決めるという、ちょっと逆説的な状況になってしまうと。これは法制的に可能かどうかというところもあると思うんですね。つまり、政治的中立性を目的とする制度を政治自身が決めるということが法制的に許されるのかどうかというところもあり得るというふうに思います。
 あとは、政治によって地方が自己決定をするというのはある種の一つの形だと思うんですけれども、それで本当に機能的な制度になるのかどうかというところも論点としてあると思います。これは政治学の研究等でも、結局、行政組織というものは政治で決まってしまって機能的になるとは限らないというような知見もあるんですけれども、あと、制度には慣性というものもあって、つまり経路依存で、そのときの民意がそのまますぐ反映されるわけではなくて、やっぱり一定程度慣性が働くわけですので、選択制にすると必ず機能的な制度になるかというと、そこはやはり政治で決定するということですので、なかなかそうならないところもあるのではないかというところと、政治的中立性のための制度を政治で決めるという逆説性のものをどういうふうに考えるかというところで、私は、制度によって違うけれども、教育委員会制度は選択制にはちょっと向かないのではないのかなという意見を持っております。
○参考人(木村孝雄君) やはり議員のおっしゃる部分、これからいろいろ踏まえていく必要性のある理念があると思います。その理念の具現のためには、選択制かその議論の前に、やはり今回提案されている総合教育会議、ここに活路を見出していきたいなと。そのためには、やはり細かい制度設計がこれから必要でありますが、この辺に議員のお出しの理念の活路があるのかなと思います。
 じゃ、どちらなんだと言われたら、やはり全国必置が望ましいと考えております。せめて、義務教育は教育の機会均等と教育水準の確保、これがやはり大前提でございますので、必置が望ましい。
 以上でございます。
○松沢成文君 ありがとうございました。
○田村智子君 日本共産党の田村智子です。今日はありがとうございます。
 私は、教育というのは、人格の形成、完成を目指す、また真理の探求、そして文化の創造という言わば普遍的な営みであるだけに、政治からの独立、教育の自主性ということが本当に求められているんだと思います。教育委員会の改革というときも、そのことを大前提、根底に据えた議論というのが行われなければならないということをまず申し上げて、質問をしたいと思いますが。
 まず、村上参考人にお聞きをします。
 御意見いろいろお聞きをしていて、責任の所在の不明確さというテーマを与えられて中教審が議論をしたことで様々な御苦労があったんだろうなと。まして、教育委員会を諮問機関にというような案も出てくる中で、やはり相当にその取りまとめには御苦労があったということをおもんぱかりながら御意見をお聞きをしておりました。
 私も、やはり今回の法案の中で一番懸念として出てくるのは、首長への権限の集中がどういうことを引き起こしかねないのかということだと思うんです。先ほどの村上参考人のお話の中でも運用の工夫ということが提案されていたのも、そういうことへの懸念からかなというふうに聞いていました。
 この首長の意向の反映というのは、それが民意の反映だということも説明をされているんですけれども、やはり教育の、先ほど言った自主性であるとか普遍的な取組ということを考えると、首長の意向の反映というよりも、いかに多様な民意を反映していくのかということにこそ、本来、教育委員会の改革というのは眼目が置かれるべきではなかろうかというふうに思うんです。
 その首長の意向の反映の危惧の中で、一つ私も大綱の問題なんですね。総合教育会議で首長がこれを主宰をし、そして決定権限が首長にあると。参考人からは、教育委員会の承認ということが必要じゃないかという御提案があって、なるほどというふうに感じたんですけれども、教育委員会との協議が調わない場合も首長の判断で内容は決定ができると。これが提案のあったような運用の改善がない場合にどのような問題が起こり得るのかということは、もし具体に懸念されていることがありましたらお聞かせいただきたいと思います。
○参考人(村上祐介君) ありがとうございます。
 中教審では私、一委員なので好きなことを申し上げさせていただいたのですが、大綱にもし教育委員会が従わなかった場合にどういうことが考えられるかということなんですが、やはり首長が専権を持って打ち出すということで、それが一種の政治的アピールになると。それで、首長に従わない教育委員会ということで、ある種、民意に沿わないということで攻撃をされる可能性がある。ただ、それが本当にどちらがより教育のパフォーマンスを上げる上で妥当なのかというのは実は分からないので、その辺がある種の政治的アピールに使われる可能性が大綱にはあるということが一つ問題があり得ると思います。
 それからもう一つは、現実にあった例ですが、予算執行権の停止を示唆するというような権限を首長が行使した場合に、大綱に沿わないようなことの予算は出さないといった場合に、じゃ教育委員会はどうするのかと、これはなかなか対抗することが難しいという問題があり得ると思います。
 その二点です。
○田村智子君 ありがとうございます。
 もう少しちょっとお聞きをしたいんですけれども、首長が様々な、大綱の中に書き込みたいと。確かに教科書の在り方とか教材の在り方とか、あるいは学校統廃合、あるいはより権限を持っている、県でいえば大学、あるいは私立の学校と、こういうところに具体の問題として何かもたらされるような懸念というのはあるんでしょうか。大学や私立の学校の関係なんかではいかがかなと思いますが、あるいは高校とかですね。
○参考人(村上祐介君) ありがとうございます。
 大学、私立、高校への影響というところなんですけれども、具体的にあり得るのは学校統廃合だと思います。学校統廃合というのは、やはり財政を預かる首長にとっても非常に関心の高い事項ですし、教育効果にも高い影響を及ぼし、強い影響を及ぼしますので、そこのところのやはり首長の意向というものはかなり強くなる可能性があるのかなというふうに思います。
 あと、高校に関しては、現実にやや起こりかけていることかもしれませんが、教科書の問題で、教科書採択で何らかの意向が、これは小中学校も同じなんですが、そういったことがあり得るかなというふうに考えております。
○田村智子君 ありがとうございます。
 先ほどの運用の改善というのは、本来は法案の中に盛り込めるようにちょっと今後の審議の中でも頑張りたいなというふうに思います。
 次に、天笠参考人にお聞きします。
 法案は、教育委員長と教育長を一本化するという説明がされているんですけれども、私は、条文に沿って考えればそうではなくて、お話のあったとおり、教育委員長というポストをなくすんだというのが法案の中身だというふうに私は理解をしています。
 責任の明確化が必要だということだったんですけど、これ、衆議院の議論の中で大分そのことは議論になっていて、現行法の下でも教育委員長は教育委員会を代表する立場であって責任者ではありません。教育委員会の委任を受けて、事実上の執行の責任は教育長にあります。それはもう今も明確なんですよね。そこが理解がされていないとか、あるいは、何ですか、分かりにくいというレベルの問題ではなかろうかと。じゃ、それをもって教育委員長というポストをなくしてしまうということが果たしていいんだろうかというのは大変疑問に感じているところです。
 そこで、まず、教育委員長の役割、教育長とは別にもう一人長がいるということのその意味について、御自身の体験も踏まえてでも構いません、お聞かせください。
○参考人(天笠茂君) 今のお話にありましたように、教育委員長は教育委員会を代表するという、そういう点があるかと思いますし、また、教育委員会の事務局へのチェックというんでしょうか、そういう存在ということもあると思いますし、また、時に教育委員会全体をある意味でいうと守っていくというか、代表ということと重なってくるものがあるかと思うんですけれども、そういう多様な側面を持った存在としてあるんではないかと、こういうふうに思います。
 ですから、そういう点からしますと、これまでの果たしてきたその役割についてをどう評価していただいたのかどうなのか、あるいは、これからあるときにそれをどういうふうに考えていったらいいのかどうなのかというふうなことというのは、曖昧さという点でどちらかというと対応されてしまったというか、処理されてしまっているところがあるかと思うんですけれども、そこら辺のところはもう一度御検討いただいてもいい点かなというふうに思っております。
 もう一つ、あれですけれども、教育委員が存在するわけですので、その教育委員をある意味でいうと取りまとめていくとか、あるいは委員間の調整を図っていくとか、そういう機能というのは恐らく委員の間で自律的に発生する可能性というのが今後考えられるんじゃないかというふうに思いますので、そういう点では、これまでとは位置付けとか、それが少し違ってくるかもしれませんですけれども、実質的に、指摘されるところの委員長の機能というのは次への展開の中でまた相応に存在していくんじゃないかなというふうにも見ております。
 以上です。
○田村智子君 ありがとうございます。
 次につながるようなお話もいただいたので、とてもうれしく思ったんですけれども。
 私、事前にいただいた資料の中で、天笠参考人にもう一問なんですが、東日本大震災のときにやはり千葉も様々な被害を受け、また放射能の汚染の問題などで非常に不安が広がっていたと。そのときになかなか教育委員会の事務局の方からの連絡、情報が入らず、平時のままの状態だった。これでいいのかという問題意識も持って、教育委員会の側から事務局を動かしたというような御経験を資料でいただいているんです。それに照らして、教育委員長や教育委員会の役割、やっぱり事務局とは別、事務局のトップではない方がやっぱりトップにいるということの意味なんかを少しお話しいただけないでしょうか。
○参考人(天笠茂君) 御承知のとおり、あの三月十一日はああいうことの状況でありましたので、たまたまそのときに私は委員長という立場でありました。ですので、そういうところからすると、その状況の中において何を判断しなくちゃいけないのかということは当然私自身問われたんだという、そういう受け止め方をしました。
 当然、その時点では、教育長は教育長として、知事は知事としてそれぞれの下で動いていたということでありますし、私もその限りにおいて私の立場とか意見を申させていただいたということで、そのことが事務局との関係の中でというのもその中には含まれていたわけでありまして、そういう中で、例えば定例の教育委員会会議等々でも、震災対応に関連する事項というのはどういうことがあったかとか、あるいは、千葉県下の被災状況等々を私の立場で伺わさせていただくとか、そういうふうなことを通しまして事務局との関わりを持ちながらその状況を対応させていただいたという、そういう経験を持たせていただきました。
○田村智子君 ありがとうございました。
 事前にいただいた資料の中には、どうしても目前のすぐに対応しなきゃいけないところに教育長以下事務局の皆さんが本当に一生懸命対応されていたと。そういうやっぱり一歩引いたところで、より広い学校現場がどうなっているかなという視点からいろいろ教育長さんと連携をされたということも書かれていまして、やはりそういうところに教育委員会の役割もあるんだなということを具体の事例として私も学ばせていただいたところです。
 木村参考人にお聞きしたいんですけれども、私、今日のお話の中とはちょっと違うんですけれども、中核市教育長会がまとめて、今日もお話をされていた、これからの地域主権型地方教育行政における教育委員会制度の在り方、この中で、国、都道府県、市町村の役割分担の明確化ということも提起をされていたんですね。これ非常に大切な提言だなと思っていまして、上意下達の中央集権的行政や教育行政の重層構造を解消するというようなことも提言をされておられました。
 今、政府は本当に様々な教育改革の旗を振り、グローバル人材などの政策誘導的な予算も次々と出していく、一方で地方交付税は相当締め付けがされていて、そうすると教育予算の確保をしようと思うと、国が旗を振るそういう予算の獲得をして国の教育改革に沿ったというようなものになるような力が既に働いているんじゃないかなというように思っているんです。この上、国が教育振興基本計画を作って、地方自治体はその国の計画を参酌して大綱を作ることが義務付けられていくと、いよいよ上意下達が強まるということになると、これはいろんな問題が起きてくるんじゃないかという問題意識を持っています。そういう国との役割分担、あるいは上意下達の解消ということについて御意見を伺いたいと思います。
○参考人(木村孝雄君) 全体的なコメントは今はちょっと差し控えさせていただきたいと思うんですけど、やはり中核市教育長会としては、一番の重層構造、ねじれ現象として地域主権に大きな疎外感を持っておるのが人事権なんです。
○田村智子君 人事権。
○参考人(木村孝雄君) ええ。この人事権につきましては、義務教育の責任は全て市町村にあるんですけど、この人事の権限は県が握っているんですよ。そこに大きなねじれ現象があって、一般社会とは全く違ったそういう構造が厳然としてありますので、その辺を、どのようにこのねじれ現象を解決して、せめて義務教育だけはやはり基礎自治体に権限と責任と、もう当然、責任には権限も付いてきますので、その辺を与えてほしいなと、それが地方分権につながっていくなということで中核市教育長会では今強く要望している、その思いが一番今入っているところでございます。
○田村智子君 終わります。ありがとうございました。特に義務教育の分野でより現場に近い市町村のところを本当に大切にというのは重く受け止めたいと思います。
 ありがとうございました。
○委員長(丸山和也君) 以上で参考人に対する質疑は終わりました。
 参考人の皆様に一言御挨拶を申し上げます。
 本日は、長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただきまして、誠にありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。(拍手)
 午後一時三十分に再開することとし、休憩いたします。
   午後零時二十分休憩
     ─────・─────
   午後一時三十分開会
○委員長(丸山和也君) ただいまから文教科学委員会を再開いたします。
 休憩前に引き続き、地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案を議題とし、参考人の皆様から御意見を伺うことといたします。
 午後は、横浜市教育委員会委員長今田忠彦君、兵庫教育大学長加治佐哲也君、秋津コミュニティ顧問・習志野市立秋津小学校PTA元会長・文部科学省コミュニティ・スクール推進員岸裕司君及び日本教育政策学会会長・元明治大学教授三上昭彦君の四名の方に御出席をいただいております。
 この際、参考人の方々に一言御挨拶を申し上げます。
 本日は、御多忙のところ本委員会に御出席いただき、誠にありがとうございます。
 参考人の皆様には忌憚のない御意見をお述べいただきまして、本案の審査の参考にさせていただきたいと存じますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
 なお、暑いですから、もしあれでしたら上着を脱いでいただいて結構でございます。
 本日の会議の進め方でございますが、まず、今田参考人、加治佐参考人、岸参考人、三上参考人の順でお一人十五分程度で御意見をお述べいただき、その後、各委員の質疑にお答えいただきたいと存じます。
 なお、参考人、委員とも御発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、まず今田参考人から御意見をお述べいただきます。今田参考人。
○参考人(今田忠彦君) 今田でございます。
 今日はお招きをいただき、大変光栄でございます。拙い経験でございますが、法案審議の参考にしていただければ幸いでございます。
 簡単なレジュメを用意させていただきましたので、それに基づき意見を発表させていただきます。
 まず、自己紹介でございますが、私は、平成十五年の四月に教育委員に就任をいたしまして、ちょうど十一年を超えたということでございます。平成十八年からは、教育委員会の委員長ということを、お役目いただいております。八年弱になります。
 横浜市の基本データということで書かせていただきました。
 学校数が約五百十校、それから、児童生徒数が約二十七万五千人、ここにはちょっと書いてございません、教職員数ということで、これは約一万六千人ということでございます。大変大きな規模の学校現場があるということでございます。
 教育委員は六人、平均年齢六十三歳、女性が四名でございます。委員会の開催頻度というようなことで、月二回、十時から十二時まで、原則公開でございます。人事案件等は非公開でございます。年度末になりますと、いろいろ人事の関係の議案が多いので、非公開の件数が多くなってございます。毎回傍聴者がございます。別途、その後、次回へ向けて、あるいは懸案事項等の勉強会をやっているというのが実情でございます。これとは別に、委員の自主的な勉強会を月一回、第二金曜日に開催をしておるということでございます。そのほか、スクールミーティングということで、全員での学校訪問、これが年に四回ぐらいございます。それから、各自の自主的な学校訪問。小、中の違い、地域の特性、あるいは校長先生もいろんなタイプの方がおられるんだなというようなことを、我々実態的に感じるわけでございます。
 今回、この現行制度に対する感想ということで書きました。
 私が就任しましたときは、各教育委員の机と椅子というのはございませんでした。教育委員長室というのがあって、大きなソファーと委員長の机はございましたけれども、これじゃなかなか深い議論もありませんでしたし、これでは駄目だなと、まさしく単なる追認機関だなというふうに思いました。各委員に机と椅子の用意をお願いし、自主的な学校訪問、積極的な情報収集等、学校籍に知り合いが少なかったもので、その辺苦労をいたしましたけれども、そういう格好で取組をいたしました。生意気なようですけれども、心ひそかに決して名誉職的な教育委員にはなるまいというふうに思って心掛けました。
 今回、法案の改正が、御議論があって、権限と責任というようなことが、制度論がターゲットになっておりますけれども、私はもう少し多角的な視点からの議論が大事ではなかったのかな、どうすれば公教育の質を高められるというようなことの議論がもっとあってよかったのかなと生意気にも思っております。
 あわせて、中教審の制度部会で、やはりその都市の規模、成熟度、そういうのがいろいろある、これを一律に議論することはなかなか難しいなというふうに思いました。
 現行制度に対しては、一部改善の余地はあるものの、本質的にはかなりよくできた制度じゃないかと。教育長を社長、教育委員長を会長というふうに考えると、大きな組織ではそういうものもあると。いずれにしても、問題は運用する人たちの相互の信頼関係、首長、委員会、学校現場、これの信頼関係をしっかり確立する、その上で真剣さ、緊張感、使命感、責任感、こういうものを持ってやっていくことが大事じゃないかなというふうに思っております。
 二枚目でございます。
 現行制度のメリットということで、大きく三つ書きました。
 教育委員が非常勤で、ある種の身分保障があること。これが首長と一定の距離感、教育委員の立場でより主体的、客観的に判断ができるというふうに思います。
 私の事例でございますけれども、中学校の歴史・公民教科書採択、これが、先生方は皆さん御承知のとおり、教育の世界ではかなり大きな話題を呼んでいる事項でございますけれども、我々も全体での勉強会、読み比べ、各自の自主的勉強、そういうものをやりまして、教育委員としての権限と責任に基づいて判断をいたしました。教育長と異なる採択になりましたけれども、そこで、ある意味で教育委員会の首長からの独立性といいますか、ある意味で、少しオーバーに言うと政治的中立性を確保できたのかなというふうに思っています。
 委員長も、委員長もというふうにあえて書きました、責任者であること。中教審では諮問機関云々というような話もありましたけれども、いずれにしろ、事務局の判断に対するある意味で二重チェックの機能をやっぱり果たす役割がある。
 これも少し我々の事例でございます。身内の恥をさらすようで恐縮なんですが、通知表の誤記載等が頻発しまして、通知表の保護者への事前確認というようなことをこれは事務局の方でやりました。このあれに対しまして、委員長として緊急に教育委員を招集し協議、早急に方針の変更を決定をいたしました。これは、教育委員長としての、ある意味では日頃の事務局とのコミュニケーション不足という大いなる反省もあるんでございますけれども、それを踏まえて議会やあるいは校長会の先生方にもおわびしたということがありました。委員長も責任者であることのメリットの一つであろうと思っております。
 それから、合議制の執行機関であること。これはやはり教育委員、レーマンコントロールということですけれども、その豊かな経験、専門性を生かした広範な角度からの議論の展開、その中で事務局の幹部職員の皆さんがいろんな施策の方向性に関する反省やヒントを学んでいる。委員会が執行機関であるという権威をそこで持っていることに、やはりこういうものが生かし得るんだなと。
 いずれにしても、横浜の場合はとにかく大規模な学校現場、連日何かが起こる。保護者対応、マスコミ対応、そういう意味でいくと、やはり原点に返っての本質的な議論をやる場合には時間的な余裕が必要ですが、そういう意味で、それのサポートというか指導をする役がきちっと今の制度の中には担保されているように思います。
 現行制度のデメリットということで書きました。
 委員長の立場の組織上の分かりにくさ、これが今回の法案の提出の出発点だったろうというふうに思います。教育委員会の職務権限は法律上確かに明記されておるんですけれども、実務上、事務局職員は教育長の教育委員に対するスタンスに大きく影響されまして、情報伝達のスピード、質、量、そういうものに大きな変化がある。これはある意味で、聞いていなかったというような話になって意欲の低下につながるような、この委員長の立場の組織上の分かりにくさというのはあるかなと思っています。
 三枚目でございます。
 改正案についてということで、大きく五つ書きました。
 一番最初に、教育委員会を地方教育行政の執行機関としてとどめ置かれたこと、これはやはり評価すべきだなと思っております。教育という機能の重要さ、影響力の大きさ、奥深さ、そういうものを考えると、政治的プロセスにより任用される首長から一定の距離感を保つこと、このことは先ほど申し上げましたメリットというものをしっかり担保してくれているんじゃないかというふうに思いました。
 それから今回、教育長の任命に議会同意を要することとしたこと、これは既に実態上もそうなんですけれども、それを形式上明確にした。そのことによって議会側も人選の重要性を一段と喚起されたでしょうし、慎重になる。それから、首長さんもある意味で政治感覚を問われるということで丁寧な任命がなされるであろう。選ばれた教育長も学び続ける教育長としての自覚につながるのではないかと。ただ、大きなところですから、なかなかこの人選が、教育と行政の両方の世界が分かる、それを踏まえて謙虚に自信を持ってかじ取りできる人を選ぶというのはなかなか大変かなと思います。
 三番目に、常勤の教育長が教育委員会を代表するとしたこと、これは先ほども申し上げましたけれども、組織のありようとして無理なく自然かな、分かりやすいかなというふうに思います。いずれにしても、権限の所在が明確化になると思います。私自身は、今まで委員長ということでして、自分に言い聞かせましたのは、日常のことは教育長が責任者、大きな方向性に関わることは委員長も責任者というふうなことで自分には言い聞かせて、今まで取り組んでまいりました。
 今回、総合教育会議を開催して実質的な議論を行うということですが、これは違う角度でいけば、民意を得た首長という立場にも配慮された制度のありようかなというふうに思いますが、横浜なんかの場合、既に常時、教育長と市長がある意味で連携をしてやっております。そういう意味で、その丸の二段目に書いてあるような、児童生徒等の身体の保護など緊急事態への対応について協議というのは、少し時間的になかなか調整等が大変だなというふうな気がしております。
 それから、首長が策定する大綱に基づく教育行政を執り行っていくことということ、この場合に、首長と教育委員会の方向性が食い違った場合、現実問題としてどうしていくのかなというふうなことがあって、この辺は制度の運用に当たり一層の配慮が必要かなというふうに思います。
 限られた時間ではしょっておりますけれども、最後のページでございます。法案に明文の規定はないけれども留意すべきと思われる事項ということで幾つか書きました。
 一つは、スペシャリストとしての教育長の育成。これは、教育長の位置付けが一段と高まることに伴い、一層、見識、情熱、覚悟、経験年数が求められる。慎重な人選が必要だということでいけば、やはり今までは、教育問題等については委員長が多少、年のいった部分、教育的立場からのフォローというものがなし得たと思っていますけれども、この両方の世界を分かって謙虚に自信を持ってやっていくというのはなかなか大変。そういうことでいけば、採用時から教育行政職として採用する、あるいは将来の教育長候補として育成する、そういう長期的な戦略というものも是非大事なことなのかなというふうに思います。
 二番、三番は、これはちょっと両方ともリンクする話ですが、これはもう教育委員の使命感、責任感、それがしっかり発揮できるよう、執務環境の問題、それから日頃からタイムリーな情報提供がなされるようなシステムというものをつくっていくことが大事かなと思います。
 それから三番目に、これはもう事務局も、それは教育委員自身がそれだけの専門的な知識を持っているという前提で、知恵を借りる、知見を引き出すという姿勢になる。価値観が多様化した時代ですから、そういう謙虚な取組が必要かなと思います。
 最後になりますが、この改革案の中で是非これは今後もまた考えていただきたいのは、教師の職場環境、処遇の改善。やっぱり学校現場への思いというものを是非これは忘れないでいただきたい。やはり、何といっても、一番最後に書きました、子供たちに最終的に対応するのは学校の現場の先生でございますので、そういう先生が、優秀な若者が教師を志すような職場環境、処遇というものが大事。それらがあって、両者の一体感、連帯感というものが醸成される。
 いずれにしても、横浜なんかの場合には規模が大きゅうございますので、一つのある意味で別の世界になっていますので、単純に権限と責任の明確化が図られて公教育の質の向上というのはなかなか容易じゃない。ここのところには是非またいろんな角度で御支援をいただきたいというふうに思っております。
 あと最後に、職場の環境、処遇の改善ということでいけば、多忙感の解消というような意味で、これは小学校では学校の先生の数、あるいは中学校では部活の問題、横浜の場合はITの整備というものに対してまだひとつ十分ではないところがありまして、そういうところへのまた様々な支援というものはお願いをしたいというふうに思っています。
 時間の関係で、こういうことで取りあえず意見発表とさせていただきました。
 どうぞよろしくお願いをいたします。
○委員長(丸山和也君) ありがとうございました。
 次に、加治佐参考人、お願いいたします。加治佐参考人。
○参考人(加治佐哲也君) それでは、どうも失礼いたします。
 私は、教育行政の研究者として、また現在は国立大学の学長職にあります。国立の教育大学ですので、日本全体の学校や教育行政の改善に貢献すると、そういう立場からも申し上げてみたいと思います。
 レジュメを用意しておりますので、それに即してお話ししていきたいと思います。ページは打っておりませんが、この順番でお話ししていきますので、どうぞ御参照いただきたいと思います。
 大きなタイトルとしましては、今回の教育委員会改革と、特に教育長の、今もお話がありましたけれども、力量向上に焦点を当ててお話しいたします。
 具体的には、次のページを開けてください、二つのテーマを設定いたしました。一つは、教育委員会制度の基本理念であるレーマンコントロールですね、これと新しい教育委員会制度がどういう関わりを持っているのかということです。それから二つ目が、これまでもそうでしたけれども、特により重要になります教育長の力量向上を図るためにはどうしたらいいかと、このことについて少し踏み込んで発言したいと思います。
 教育長の力量向上については、昨年十二月の中教審の答申でも、自己研さんに励むような学び続ける教育長像と、そういうところが提唱されたところでもあります。
 その二つのテーマに入る前に、次のページを御覧いただきたいと思いますが、簡単にちょっと原点に返って、教育委員会制度の理念を振り返ってみたいと思います。もう御承知のことだと思いますが、私は四つほどにまとめております。
 一つは、今回テーマといたしますレーマンコントロールですね。これは合議制教育委員会が具現化しなきゃいけない。要するに、民意を代表する、民意を吸収して教育委員会の意思決定に反映させるという役割であります。
 それから、教育行政の特質は、二番目ですけれども、学校教育に対して専門的な指導が特徴であります。学校の教員も当然学校教育をつかさどりますから専門職ですけれども、それを指導する教育長や指導主事はもっと専門職であると、そういう位置付けが基本的に要るんだということです。これも理念になっているということですね。
 それから、地方分権です。地方の公教育は、全ての自治体に教育委員会を設置して、そこが専ら担当するということになっているところにこの分権化が表れているということです。
 それから、教育行政の一般行政からの独立は、日本では行政委員会として、首長部局から一定の独立を持つ機関として教育行政を行っていると。つまり、教育委員会が行政委員会として行っているというところに表れているということであります。
 私は、この理念のうち一番と二番について検討してみたいということであります。
 それでは、まず一番目のレーマンコントロールと新しい教育委員会制度ということですが、合議制教育委員会の運営の実態、つまりこの合議制教育委員会によってレーマンコントロールが機能しているのかどうかということですね。これはこれまでも物すごく議論されてきたところですけれども、その下に書いてある私の、少し古い本ではありますけれども、私これしっかり研究しまして、はっきり申し上げます。概して機能しておりません。捉え方はいろいろあると思いますけれども、機能しておりません。
 ただし、少数ではありますが、それなりに活気を持って教育長等に影響力を持っている教育委員会がないわけではありません。機能しているところもあります。そういうところの教育委員というのはどういう特性があるかというと、年齢とか女性が多いとか、そういうことではなくて、要するに内面的、本質的特性だと。簡単なことです。つまり、教育委員になりたいと思ってなった人です。それから、なって何をするか、教科書問題に取り組みたいとか、コミュニティ・スクールに取り組みたいとか、統廃合の問題を検討してみたいとか、そういう具体的な目的を持ってなった人がいる教育委員会は当然ながら活気があるということであります。これもある意味当然のことかもしれません。だけれども、はっきり言って、概して機能していないということですね。
 次のところを見ていただきたいんですが、なぜ機能しないのかということですね。
 これは、実はここが非常に大事なところなんですが、はっきり結論を申し上げます、機能しないと思います。なぜかといいますと、一つの理由は、昔と違って、教育行政、学校教育というのは極めて高度化、複雑化、専門化しているわけです。いじめ問題、不登校の問題、解決、簡単ではありません。教科書採択するのに難しい教科書を読み込まなければいけない、何種類もある。ICT教育も導入される等々、さらにはまた、小学校に外国語活動もある。つまり、先生として優れた人はどういう人か、例えばそういうこと一つ取っても、全て高度化、複雑化していて、これをいわゆる非常勤で情報量の少ない教育委員が正確に把握して、一定の判断をして、教育長等に一定の示唆を与えていくということは極めて至難であるということですね。これはある意味やむを得ないという面があると思います。だから、相当優れた人々を集めれば別ですけれども、そうでない限り難しいということですね。
 それから次は、これは少し皮肉的な言い方になると思うんですが、教育行政に政治的中立性はこれは絶対的に大事です。これはもう言うまでもありません。ただし、現行法規にもありますように、教育委員の政治的活動はある程度制限されているわけですね。ですから、おのずと地域の名士ではあるけれども政治的力があるというふうな方は選ばれておりません。教育問題について住民の方々の意見を聞いて、それを教育委員会とかに持っていって意思表明ができるような方というのは、言わば政治的力量の高い方なわけですね。これが皮肉なことに政治的中立性と相入れない。この問題があるものですから、どうしても活気が出てこないということになります。これはある意味もう仕方がないのかなという感じです。ですから、合議制教育委員会はもう現代社会では難しいというふうに思っております。
 ところが、その次にありますように、じゃ、それに国や自治体が手をこまねいてきたかというと、そんなことはなくて、国の方も中教審答申等で様々な活性化策を、そこにずらっと書いてありますけれども、出しているわけですね。自治体によっては非常に努力しているところもあるわけです。毎週のように教育委員会を開いて活気を出そうというところもあります。ありますけれども、それはあくまで少数派であって、極めて限界があるんだということであります。
 そこで、次の紙になりますが、レーマンコントロールと新教育委員会制度ということです。じゃ、この新しい教育委員会制度の下でレーマンコントロールをどう考えるべきなのかということですね。
 合議制教育委員会によってレーマンコントロールが実現できない以上、やっぱりその代替措置が要るということですね。さんざん議論されておりますように、首長は明らかに民意の代表者であります。これがより関与できるようになったということは、その点ではプラスであるということですね。同時に、全ての教育委員が、何といいますか、民意を反映できないということではなくて、一部にはやはり意欲的で就任目的が明確な方もおられますので、そういう方による民意がやっぱり地方教育行政へ反映される可能性はあるということですね。さらには、民意代表者である首長と教育行政の専門職である教育長との協働による効率的で住民に対する責任の明確な地方教育行政も期待されるというところであります。
 それでは、続いて、時間の関係上、その次のテーマですね、もう一つの、教育長の力量向上と育成の方です。
 実は、制度を変えるときには、今回の場合もそうですけれども、誰が決めるのか、つまり首長なのか、教育長なのか、教育委員会なのか、これが争点になるわけですね、政治的中立性と絡んで。そのこと自体も大事ですけれども、もっと大事なのは、その決めたことがどういう結果や成果をもたらすのかということです。つまり、教育行政の場合でいいますと、教育委員会で決められたことが、あるいは首長と一緒になって総合教育会議で決められたことが現場に下りていって、先生方の資質をどう高めたのか、子供たちの学力をどう上げたのか、そこにまで踏み込まないといけないということであります。つまり、アウトカムといいますか、成果が大事なんだということですね。それが検証されていかなきゃいけないんですが。
 ただ、その成果を上げるのに、今回の改革でやはりポイントを握っているのは、先ほどの御指摘もありましたように教育長や事務局であるわけです。具体的に教育行政を遂行する教育長や事務局であるということになります。今回、教育長は教育委員長も兼ねるということになりますので、ますますその重要性が高いということになります。
 教育長に絞ってちょっとその育成の在り方についてお話ししてみたいと思います。
 次のページに教育長の役割、職務ということで二枚ほど、十ページと十一ページ、I、Jということで、六つほど掲げてあります。私がいろいろ法令や実態を見ても、これぐらい広いということですね。極めて広範多様でかつ高度な職務を遂行する職であるということです。これは明らかに高度専門職です。
 次の二のところを見ていただきたいんですが、そういう職務を遂行する教育長に必要な能力、力量を私は四点ほどにまとめてみました。
 一つは、教育長として学校教育、社会教育の改善能力、こういうものが求められるということですね。学校や社会教育機関に対して指導能力がないといけない。もちろん、これは学校の主体性や自律性を生かすということが基本になります。それから、当然、自分が統括する事務局への指導能力も要ります。それから、学校の校長などの管理職とか教職員、教育委員会事務局職員の職能向上を図る能力、こういうことも要ります。
 二番目の能力としては、これが大事だと思います、ますます大事になると思います。要するに、ビジョン創造能力、政策やビジョンを作る能力があるかどうかということですね。地方教育行政機関として教育委員会の政策や予算、将来構想、ビジョン、これを作り出す力、あるいは評価して改善する力ですね。同時に、それが機能するためにはコミュニケーション能力が必要です。共有化しないといけません。
 さらには、三番目には、これが昨今問題になったわけですけれども、合理的組織運営能力となっていますけれども、教育委員会を安全に効率的に運営する能力とか、学校、社会教育機関を安全に効率的に管理する能力、具体的には教職員人事とか学校予算、そういうことになります。さらには危機管理能力ですね。やっぱり教育法規や財務その他等々の知識に、あるいはその応用能力に通じていないとこれはできません。
 さらに四番目が、これが特に今回の改革で必要になると思っていますが、様々なステークホルダーとの関係構築能力、これは言わば政治的能力だと言っていいと思います。首長と協働して、議員、関係団体、地域住民、保護者などと交流し、政策や事業への支持、支援や信頼を獲得する能力ということであります。
 このように、非常に幅の広い高度な能力が求められるのが教育長職です。繰り返しになりますが、明らかにこれは高度専門職だということですね。今回の改正法では、以前になかった教育長の資格要件ができました。これは、要するに教育行政に対して識見があることと、こういう表現になったわけですね。抽象的ではありますけれども、一歩前進であるというふうには思っております。
 そういう教育行政について高い識見を持った方をこれからつくっていかなきゃいけないんですが、それにはどうしたらいいかということですね。戦後すぐは日本にも教育長の資格要件とか免許状というのがあったんですね、アメリカの制度に倣って。これを復活するということもあると思います。そうしかし、簡単にはいきません。それから、教育委員会によっては選考方法を工夫しているところもあります。推薦制、公募制ですね。
 特に私がこれから簡単に申し上げたいのは、現職の教育長の研修を充実させる、特に新人教育長ですね。それから、大学院においてこれからの教育長候補者を計画的に養成すべきじゃないかということであります。
 その下二つにつきまして、次のページから兵庫教育大学の取組ということになります。
 国立の教員養成大学としてこういうことに取り組むことは一つのミッションだろうというふうに考えて今やっているところです。ずっと、時間がありますのでざっと見ていただくだけになると思いますが、教育長能力開発研究、文科省から委託研究を受けましてやっているところです。
 ちょっと注目していただきたいのは、その教育長能力開発研究というスライドの右側のところに縦軸、横軸書いたものがあると思います。つまり、維持、変革、横棒ですね。それから、縦のグリーンが統率、調整ですね。全国の教育長や首長さんにアンケートを取ってこれ分析してみると、こういう結果が出るということですね。つまり簡単に言うと、日本の教育長の過半数は維持型です。変革型は少ないんですね。だから、変革型にまずは変えないと教育行政は変わらないということになります。
 それで次に、学びの流れとありますが、こういうことで、Cプログラム、Bプログラム、Aプログラムですね。Cプログラムというのは大体全員の方に受けていただく、さらに、その中から教育長候補者になる方にB、Aを受けていただくということになります。
 次の紙になりますが、Cプログラムではこういった内容のものをやるということです。さらに、Bプログラムではこういう知識や理論をこういう多様な科目についてやるということです。Aプログラムは実際に実習をやっていただく、インターンシップをやっていただくと、そういうことになります。
 そして、最後の紙になりますが、実施のシステムとしては、兵教、兵庫教育大学を拠点にして、Cプログラムは様々な大学と、あるいはセンターと協力しながらやっていきたいということです。Bプログラムにつきましては、兵庫教育大学の神戸のキャンパスを拠点にライブ講義や、ビデオのオンデマンドの講義等でいながらにしてやるようなこともやっていきたいということです。
 こういう計画的な育成への議員の方々の御理解、御支援をお願いいたしまして、私の報告といたしたいと思います。
○委員長(丸山和也君) ありがとうございました。
 次に、岸参考人、お願いいたします。岸参考人。
○参考人(岸裕司君) 多分唯一の民間人じゃないかと思いますが、今日はお呼びいただきましてありがとうございました。
 僕の資料を見ていただきたいんですが、私は、コミュニティ・スクールをツールとし、その先のスクール・コミュニティを目指すというタイトルでお話しさせていただきたいと思います。
 自己紹介になりますが、私はたまたま幸いにも三人子供を持つことができまして、その子供が通いました習志野市立秋津小学校というところのPTAの役員、会長を含めて七年間経験しました。まず第一点はその立場であるということ。
 それから、第二点の秋津コミュニティといいますのは、生涯学習推進団体を小学校区につくりまして、秋津小学校の中に事務局があって、同時に市との半官半民のようにつくった秋津小学校コミュニティルーム運営委員会というのもつくって、いわゆる余裕教室を四つ、それから子供の減少で生じた花壇、余裕花壇ですね、それから陶芸窯というのが使われていなかったので陶芸窯、この三つの学校施設を借りて運営しています。そこの場所は生涯学習の拠点、そんな位置付けで活動をしています。
 それからもう一方、僕個人の立場なんですが、今申し上げたのは全て地元のボランティアであって食いぶちにはなりません。私は、東京で広告デザイン会社を営んでいるビジネスマンなんですね。ですから、PTAの役員を受けたときにビジネスの発想法を導入しました。どういうことかといいますと、ウイン・アンド・ウイン、私ももうけるけれども、あなたももうけましょう、ですから保護者にもメリットがあり、教職員にもメリットある、そういうPTA団体に改革していったことが千葉県最初のコミュニティ・スクールに、学校運営協議会制度に指定されたところにまで行き着いた大本であっただろうというふうに思っています。
 それじゃ、資料に沿って、一枚目の下段になりますが、国の最新動向ということで、色字で書いたところ、つまりコミュニティ・スクールを一割に増やすとか、それから学校支援地域本部事業、学校、家庭、地域の三者の協働体制の在り方、こういうキーワード、地域とともにある学校づくり、学びの場を核とした地域コミュニティーの形成とか、こういったことは甚だ自慢めいて恐縮ですが、秋津モデル、我々が取り組んできたこととしては全て実施済みだというふうに思っています。
 その実践を前段で紹介し、その後に、これらを推進するための関連の法それから課題というものを概観していきたいというふうに思っています。
 それじゃ、ページを開けていただいて、二ページ目の上の方は今までの歴史です。秋津小学校は、三十四年前の一九八〇年に東京湾の埋立地に幼稚園の併設とともにできました。幼稚園長は校長が兼務いたしております。現在までに特活できるようなことを赤字で書きました。一九九〇年に、市より生涯学習研究指定校になりました。このことによって、保護者研究部会をつくってくださいということが学校よりPTAに要望がありまして、今日までつながる原点になったと。つまり、教職員は三年の研究指定が終わると、言ってみれば元のもくあみに戻るんですけれども、巻き込まれていった保護者や地域住民というのはそこに住んでおりますので、それをより発展したいということを提案して、秋津コミュニティといいます先ほど申し上げた生涯学習推進団体をその後につくり、その具体的な活動場所としてその二年後に、一九九五年に先ほど申し上げたコミュニティルームを開設していただきました。この際に大切なのは、鍵を住民が預かり、現在は五十一人の運営委員のうち十五人が預かり、朝の九時から夜の九時まで三百六十五日利用することができます。
 それらの延長にコミュニティ・スクールの研究指定を、当時の文部科学省、文科省から受けて五年間やりまして、二〇〇六年にコミュニティ・スクールに指定されたと。ですから、コミュニティ・スクールに指定されたからこうなったんではなくて、元々やってきた延長上にコミュニティ・スクールに指定されたというふうに我々は理解しています。
 これらの詳細については、別紙としてお付けさせていただいた秋津小学校と秋津コミュニティの歴史のチラシを持参しましたので、後ほど御覧いただければと思います。
 ここからが我々がやっていることですけれども、秋津実践は大きく分けて三つあります。二枚目の下ですが、第一点は授業や行事を住民と協働して生涯学習を行う。授業や行事の中には、一番下に書きましたが、学習支援ボランティア、環境支援ボランティア、安全支援ボランティア、情報支援ボランティア、大きく四つ分けて、ここにおよそ二百人ぐらいが登録して、年間で延べ二万人が参加しております。
 この在り方は、学校に使われる下請ではなくて、保護者や地域住民の主体的な生涯学習活動であるという位置付けにしております。つまり、学校教育でもあり、社会教育でもある、又は学校教育でもあると同時に地域社会をより良くしていく、この方法を学社融合というふうに呼んでおりますが、その方法を適用しております。
 第二番目に、三枚目の右上になりますが、今申し上げた開放施設を住民が運営して生涯学習を行う。これが年間で使用が一・三万人、人口が七千人ほどなんですが、かなりの数の人たちが使っています。特に、お父さんたちがたくさん出ているのがうちの特徴で、工作クラブというサークルであるとかパソコン倶楽部というサークル、あと、敷地も借りておりますので、うらの畑というサークルで花や野菜作りなどをしています。
 その中の一つに、秋津・地域であそぼう、今で言う放課後子供教室、これも十年続けておりまして、二枚目の下になりますが、十年続けていた結果が、今年高校一年生になった子供たちが、始めた頃は小学校一年だったわけですけれども、子供たちからの要望で、先日、高校入学パーティーというのをコミュニティルームで老若男女合わせて行うことができました。
 つまり、保護者や地域住民というのは、そこに住み続けているので、長らく子供たちの成長を見ることができます。と同時に応援することができます。こういうやり方を私たちはスクール・コミュニティと呼んでいます。コミュニティ・スクールは学校運営だけの改革、我々は学校を拠点にした生涯学習コミュニティーをつくっていきたい、そう考えてスクール・コミュニティという名前にしています。
 四ページ目の上になりますが、防災・被災訓練を兼ねた一泊キャンプというのを夏休みに毎年行っています。一九九五年一月十七日の阪神・淡路大震災の経験から学び、私たちも同じ年にコミュニティルームを鍵まで預かって開設できたので、いざの際に学校をきちっと避難所として使おうということで、一九九七年から今日まで続けてきました。
 その結果、その下になりますが、さきの三・一一のときには、実際に地域住民が鍵を開けてお年寄りを中心に避難所生活を行いました。そのときに先生たちはどうしていたかといいますと、帰宅難民になった保護者の子供、約三十人いましたから、金曜日でしたので、体育館に集めて先生方は子供の世話だけに集中することができました。つまり、住民自治により学校を避難所としてきちっと機能させること。全国に三万の小中学校があるわけですから、恐らくこういう仕事の発想法は首長でないとできないと思います、教育長さんには住民の命と財産を守る義務というのはありませんから。
 それらの延長に、第三番目にやっていることは、子供の縁と書いて私たちは子縁という造語をつくりました。なぜかというと、現代社会は血縁関係は崩壊、地縁関係もほとんど使えない、だけれども子供がいるじゃないか。独り暮らしのおじいちゃんは寂しいです。だから、運動会近くになると、わざわざ学校に電話して、うるせえと言うんですね。だけれども、地域の孫と手をつなげる関係になったら、全く変わります、かわいいなと。こういう縁を我々は子縁として、子供さんがいらっしゃらない人ほどつなげていこうと、そういう場所として学校は一番すばらしい場所です。
 考え方になりますが、それらを行っていくためには融合という発想をしないと難しい。右の下に図がありますが、右の下のウイン・アンド・ウイン、融合と書いた円が二つ重なり合っているところ。学校が困っていること、地域が困っていること、両方を上手に合わせると、両方にメリットが生まれる。両方にメリットが生まれるから長続きする、そういう関係性で一つ一つつくってきました。
 その次のページの上を見ていただきたいんですが、この図は私が作ったものですけれども、横軸が一年三百六十五日、縦軸が一日二十四時間。学校はどれぐらい使われているかといいますと、朝の八時から夕方の四時ぐらいまで、いわゆる公立の小学校の場合ですが。横軸でいうと二百日間、学校完全週五日制。そうすると、一年三百六十五日掛ける二十四時間の八千七百六十時間で割ると、たったの一八%、千六百時間ということになります。逆に、使われていない放課後、さらに年間百六十五日の丸々使われていない時間数を比率でいえば、年間の三六%も使われていません。もったいない。日本全国に小中学校を含めて三万もあるこれらの施設開放を是非進めていただきたい。
 スクール・コミュニティの目的には二つあって、一つは誰でもがいつでもどこでも学ぶことができる生涯学習と生涯スポーツのまち育てに寄与する学校と地域をつくること。第二番目には、誰でもが安心で安全に学び働き暮らせるノーマライゼーションのまち育てに寄与する学校と地域をつくること、こんなふうに考えながら秋津では様々なことを進めてきました。
 時間になりましたのでこの辺で終わりたいと思いますが、関係法として、教育基本法の第三条、生涯学習の理念、それから第十三条、学校、家庭及び地域住民等の相互の連携協力、その具体化の国の施策が学校支援地域本部事業であり、コミュニティ・スクールであり、放課後子ども教室だろうというふうに思っています。
 ありがとうございました。
○委員長(丸山和也君) ありがとうございました。
 次に、三上参考人、お願いいたします。三上参考人。
○参考人(三上昭彦君) 御紹介いただきました三上昭彦と申します。
 本日は、このような発言の機会をいただいたことに感謝したいというふうに思います。
 私は、一九七三年から四十年間、明治大学で研究教育に携わってきました。昨年の三月に定年退職いたしまして、現在は幾つかの教育関係学会などの役員を務めています。一人の研究者として研究を続けていますけれども、専門は教育行政とか教育政策、教育法など、教育の中ではどちらかというと固い部分といいますかハードな部分をやっていますが、教育委員会問題というのは私のずっとライフワーク的なものとして続けてきた一つの大きな関心のテーマであります。
 それで、振り返ってみますと、四十年間ぐらいこの教育委員会問題、研究対象にしてきたんですけれども、教育委員会問題というのはやはりなかなか難しいなという、そういうのを改めて今つくづく感じております。
 それは、教育という問題が、これは全ての子供たちを含め、その親たち、それから国民たち、様々な分野の人たちですね、これの共通のやっぱり関心であることから、当然そこに様々な考え方の違いが出てくるわけです。これは政治と教育という言い方をしますけれども、恐らく政治の問題についてもその限りでは似たような部分を持っているだろうと思います。ある意味では、双方ともある理想を目指そうとしますけれども、しかし、現実はなかなかその理想とのギャップというか乖離といいますか、そういう問題があるわけでして、しかし、教育の問題は、これはいろいろな形で言われていますけれども、やっぱり人間が人間になっていく上でまさに不可欠の事柄ですね。
 つまり、教育を受けること、学習すること、我々の用語で言えば、学習権はまさに基本的人権の中心であるという、つまり、ほかの様々な基本的人権というものがございますけれども、それを責任を持って、あるいは積極的に行使していくということを、主体的に行使していくということを考えた場合に、これはきちっとした教育を受けることなしにそれを十全に行使するということは非常に難しいわけですから、ある人は教育を受ける権利あるいは学習権というのは人権中の人権であると。特に、子供や青年の今発達途上にある者たちにとってはそういうことが言えるんだろうというふうに思うんですね。その教育という事業を言わば、公教育ですね、公共的な教育の事業をどういうふうに組織していくのか、組み立てていくのか、運営していくのか、そういう非常に大きな難しい問題がやっぱり教育行政の中心的な仕事としてあるだろうと思うんですね。
   〔委員長退席、理事石井浩郎君着席〕
 ですから、公教育をどのように組織していくのかと、そうしたときに、そこには様々なもちろんファクターが関与をしてくるわけであって、あるいは、今日の最初の御意見を陳述された今田さんがいらっしゃるそれこそ横浜市は三百七十万ですか、そういうほとんど恐らく四国四県の人口にほぼ近いというような状況ではないかというように思うんですけれども、その巨大な一つの市というようなものが一方であるかと思いますと、他方で、私はちょっと調査で行ったんですけれども、東京都に属している恐らく最小の自治体である青ケ島村ですか、村は今二百名を人口的に切っている、そういう自治体がおよそ千八百足らず、千七百幾つかあるという状況ですけれども、置かれている状況はもちろん違うというそういう問題ももちろんあるわけであります。
 教育の問題は、先ほど言ったとおり、人間形成の問題に絡むと同時に、ある意味では、当然ながら、それぞれの国なり政治なり地域なり様々な分野のそれを主体的に形成していく主権者を形成していくというそういう面もありますし、経済学的に言うならば、それはある種の労働力、リソースといいますか、そういうものとして要求されるということになりますから、それぞれの分野が多様な要求を持ち込んでいく、それをどのように、何といいますか、統一しといいますか、バランスを取っていくのかというそういう問題がもちろんあって、極めて複雑であるというそういうことが当然背景にあるんじゃないかというふうに今思うわけです。
 それで、教育委員会問題というのは、これは委員の方々、既に周知のことかと思いますけれども、今年で六十六年目ということになります。日本に設置されて六十六年目です。ただ、一口に教育委員会問題と言っても、私の言い方をするならば、そこには三つの教育委員会が歴史的には存在したということであります。
 第一の教育委員会は、法律との関係でいえば、一九四八年、昭和二十三年の教育委員会法によるいわゆる公選制の教育委員会制度ということでありました。これは約八年足らずの短命に終わりまして、御存じのように、一九五六年、昭和三十一年に、現在の法律名である地方教育行政法が教育委員会法を廃止して生まれたということになるわけです。
 この教育委員会法から地方教育行政法への変化は、私は非常に重要な極めて大規模な改編であったというふうに考えておりまして、いろいろ見ていきますと、今日問題になっている諸問題の少なからぬ制度的な問題は、この地方教育行政法によって新しく再編、改編されたそういうものに制度的な要因を持っているというのが私の受け止め方ではあるわけですけれども、そのいわゆる任命制の教育委員会制度というものがその後今日まで非常に長い間続いてきております。
 ただ、もう一つ実は忘れてならないものは、戦後、一九七二年まで本土から切り離されていた沖縄において、御存じの方もいらっしゃると思いますけれども、沖縄の独自の教育委員会制度というのが一九五八年から約十五年間、本土に復帰するまで実は存在したわけであります。
 詳しいことはもうとても触れることはできませんけれども、そういうふうな私は三つの教育委員会制度というようなものをやっぱり歴史的に一方で見詰めながら、それぞれを構成している原理というものはどういうものであるかというようなことも少し考えて、ずっと考え続けていたわけであります。
 今日、ちょっと横道にそれまして時間がなくなってきましたけれども、私の基本的な発言の趣旨は、やはり今抜本的な教育委員会の改正が必要だというふうなものが文科大臣による法案の提案理由説明でも言われております。もし、そうであるとするならば、やはり最も重要なことの一つは、先ほど加治佐参考人も触れられましたけれども、教育委員会のそもそもの理念、本来の目的と精神とは何かというふうなものにきちっと立ち返ってみるということはどうしても必要なんじゃないかというふうに考えるわけなんですね。僅か六十六年という言い方もできますし、しかし六十六年は、つまり半世紀をはるかに超える様々な実践なり問題がそこにあったわけで、それからいろいろな改革も積み上げられてきたということになりますから、その基本的な原点に触れながら、六十六年の歩みをしっかり踏まえる必要があるんじゃないかということであります。
 そのときに、私はずっといつも注目しているのは、今から三十年前になりますけれども、一九八〇年代の半ばに中曽根内閣の下で設置された臨時教育審議会、いわゆる臨教審ですね、それが一九八六年第二次答申の中で、おおよそ次のようなことを言っているわけです。
 今、教育委員会の形骸化とかいろんなことが言われていますけれども、既に三十年前に臨教審の第二次答申は、各地域の教育行政に直接責任を持つ教育委員会は、合議制の執行機関としての自覚と責任感、使命感、教育の地方分権の精神についての理解、自主性、主体性に欠けていると。制度として形骸化していたり、活力を失ってしまっているものが少なくないと。この制度の本来の目的と精神に立ち返り、生き生きとした活動を続けている教育委員会の優れた経験を交流し合い、歴史的経験を冷静に踏まえて、この制度を真に再生し、活性化させるための国民的合意の確立が必要であると、こういうふうに提言したわけですね。
 こういう教育委員会制度の現状診断というのは、それまで中教審も含めて一度も出されていなかったわけですから、私はこれはある意味では画期的な、非常に鋭い厳しい指摘だろうというふうに考えました。
 それで、臨教審は、基本的にはその歴史的経験を踏まえて、本来の目的と精神に立ち返って、それで教育委員会の優れた交流をし合って、その中から教育委員会を改めて再生し、活性化していく、そういう国民的な合意を十分な時間、議論をしてやっていくべきじゃないかと、こういうふうに提言したわけで、私はこれに非常にこの基本的な視点について賛成であって、この考え方はまさに今日においてますます必要になっているんじゃないかというのが、私の言わば今日一番言いたかったことでございます。
 しかし、それではそもそもの教育委員会の目的と精神とは何かというふうなことについては、先ほど加治佐さんの方から教育委員会制度の理念というのは四点にわたって出されていましたけれども、これは具体的にはやっぱり教育委員会法の第一条の中で述べられて、旧教育委員会法ですね、言われているわけで、時間がないので改めて読み上げませんけれども、私のレジュメの二ページの下になります。そこに書かれています。
 それから、当時、第二国会になりますけれども、森戸文部大臣、当時の文部大臣が非常に丁寧な教育委員会制度の理念についてうたった説明をしています。そこで我々が注目すべきことは、今日政治的中立性というようなことが盛んに言われていますけれども、教育委員会法の制定過程の中では、教育の政治的中立性という事柄がキーワードとしては必ずしも強調されていなかったわけですね。それに代えて、つまり教育の自主性、自律性という言葉であるわけで、私の捉え方から言うならば、やっぱり教育の自主性というものを保障するために、つまり教育活動の自主性です、もっと具体的に言えば。そのために、やっぱり教育が政治や政治以外の諸問題、様々ないわゆる不当な支配に関わってくるそういう問題があるわけであって、それは官僚的なものでもありますし、これは議論もありますけれども、法というのがどこまで教育を規定できるのかと。つまり、法で規定したものはこれはイコール政治的には中立性だという、こういう議論もどうもあるように思いますけれども、必ずしも教育のこの本質から見たときに、教育の自主性、自律性という問題から見た場合に、つまり、法はどこまで教育を規定し得るのかという、これは教育の特に中身の問題に関わってそういう問題があるということであります。
 時間が来ておりますので、そういう問題を私たちは改めてしっかりと確認して、その原点と六十六年間にわたる様々な実践、少し書いてはおきましたけれども、それに照らして、やはり今、私自身も、教育委員会の本格的な改正が必要だというのが私の立場ではありますけれども、それは先ほど言いました教育委員会のそもそもの本来の理念から遠ざかる方向ではなくて、やっぱりそれを今日の時点でより具体化していく方向であろうと。例えば、教育委員会の住民的な基礎という、あるいは住民代表制ですね、教育委員会全体が。やっぱり政治家が民意を代表するように、教育委員会が教育における民意を代表するという、そういうことを当初のあれに含めてもう一度考える必要があるんじゃないかと、そんなことを考えております。
 以上で終わらせていただきます。
○理事(石井浩郎君) ありがとうございました。
 以上で参考人の皆様からの意見の聴取は終わりました。
 これより参考人に対する質疑に入ります。
 質疑のある方は順次御発言願います。
○二之湯武史君 自由民主党の二之湯武史でございます。
 参考人の皆さん、お忙しい中お越しをいただきまして、ありがとうございます。
 今回の教育委員会改革の流れというのは、やはり午前中も質疑がありましたが、大津の事件以降、いわゆる国民的な問題意識というものが広まったというふうに私は理解をしております。ただ、その一点で教育行政全般を語るというような、ある種の全体的な制度改革というふうに議論が進んでまいりました。
 ただし、やはり各教育委員会において、同じこの法制度下においても運用等々が随分異なると。つまり、現制度下でも非常にうまく運用されているところもあれば、そうではないところもあると、非常に実態も大きく異なるわけですけれども。
 まず、三上参考人にお伺いをしたいと思います。
 我々の党でも、この教育委員会改革の議論の中で、非常にまず大きな原点から、つまり教育行政というものが、いわゆる首長部局に入るべき行政なのか、それとも、こういう教育委員会という行政委員会を首長部局から独立した形で立ち上げて、今おっしゃった、つまりそういった俗の権力、つまり政治というものからある種の独立した行政委員会として執行するべき行政分野なのか、そういう大きなところからの議論がございました。
 そういった中で、例えば権限と責任論という意味でいえば、やはり首長が、責任が最終的にはあるんだから権限も首長に委ねるべきだとか、一方で、そういった、今申し上げたように、政治というものから教育というのはある種独立するべきだと、こういういろんな議論がありましたが、参考人はその世界の専門家として、教育行政の本質といいますか、位置付けというものをどのようにお考えか、これもちょっと簡潔で申し訳ないんですが、お答えいただければと思います。
○参考人(三上昭彦君) 今の御質問については、私のレジュメのようなものの五ページの最後のところに少し触れておきました。
 今の御質問に対して端的に結論的に言うならば、私は先ほど最後にも強調しましたとおり、やはり教育とそのほかの一般行政の違いというのはあるだろうと、これはやっぱり認めざるを得ないだろうと。その違いのよって立つところ、あるいはよって来るところは、やっぱり教育という人間的な営為の持っているそもそもの特質であろうと。
 やはり、ここにちょっと書いておきましたけれども、やっぱり教育という活動、人間的な営為が人間形成に関わり、あるいはその人間形成の中心を成していく価値観の問題とか世界観の問題にも関わっていかざるを得ないものを持っていると。それから、子供の成長、発達という、これはやっぱり専門的な様々な知識や手だてというふうなものの援助を持ちながら、つまり教育者が関わってその子供たちや青年たちとの人格的な交流を通してなされていく、そういう営為であるがゆえに、やはりそういう営為に対する行政もまたそこに特徴を持ち、同時にそれは、教育委員会法の提案理由説明でかつて森戸大臣が言ったように、機能的にも制度的にもやっぱり教育の自主性を担保する、そういうことが是非必要なんだという、これは戦前への強い反省を含めて言ったことであって、これが私はやっぱり教育学的に見ても、あるいは教育行政学で見ても重要な視点であるというふうに考えます。
 以上です。
○二之湯武史君 ありがとうございます。
 続きまして、今田参考人にお伺いをしたいと思います。
 今申し上げたように、この今回の教育改革の大きな流れというのは、あの痛ましいいじめ自殺の事件から大きな国民的議論になっていったというふうに思っております。そういった中で、じゃ、今回の我が党の改革案、今、三上参考人おっしゃったように、そういうものを踏まえて、やはりしっかり教育委員会を執行機関として残すという案を我々は与党の協議として作り上げたわけですけれども、その中で一番大きな問題となった迅速な危機管理、それと、そうした今回のああいった悲劇を生んだ教育の世界にあるいわゆる身内意識というかそういったもの、まさにガバナンスの風土といったものが現場において、若しくは教育委員会事務局内において変わっていく、これももう大いに運用面、またリーダーシップの問題あると思いますが、今回の制度改革がそれに資する改革になっているというふうにお考えかどうか、これも簡潔によろしくお願いします。
○参考人(今田忠彦君) 正直、一番最初の紙に書きましたように、相互の信頼関係というものがきっちりないと、権限と責任の明確化だけ図っても、少なくとも横浜のように学校規模が大きなところは、やはり一つのそこに世界がありますから、やはり常時の日頃のしっかりした信頼関係というものを構築しておくということがまず一番、第一だろうと思います。ただ、教育委員会制度を残していただいたということは、これは教育の本質というような意味において大変意義深いことだというふうに評価しております。
 以上です。
○二之湯武史君 ありがとうございます。
 今の御意見であれば、やはり今回のこの制度改革というのは一歩前進というか、現状においては大きな前進をもたらす、そういった改革になっているというふうに理解をいたします。
 続きまして、加治佐参考人にお伺いをしたいんですが、そういうふうになりますと、今回の改革のもう一つの大きな方向性というのは、つまり新しい教育長ですね。教育委員長と教育長を併せ持った形で、しかも首長から、今までのように教育委員会内の互選ではなくて、市長、町長から直接議会の同意をもって選ばれると、若しくは罷免もされると、そういう位置付けになったわけです。これも、事実上は、現在の教育委員会制度においても、実際的に言えば教育長、事務方のトップである教育長が教育行政に日常的に責任を持って、裁量を持って動かしているということがありますが、それがしっかり法的に担保されたわけでございますけれども。
 参考人のプレゼンの中に、教育長をこれからやっぱり育成していく、そういった教育機関若しくはプログラムが必要だというようなお話ありましたが、私も、現実的にこの社会を見渡して、今現時点でも教育長のなり手というものが、大きな自治体であればある程度確保はできるでしょうけれども、規模が小規模になっていくほどそういった教育長のなり手もなかなか見当たらないと。若しくは、今回の法制度によって大きく裁量を持った教育長たる能力や資質を備えた教育長候補者というものがこの社会に、今千七百余り自治体があるわけですから、少なくとも千七百人ぐらいはいていただかなくてはならないわけですね。
 そういう観点で、加治佐参考人が提示されている教育長になるべきカリキュラム等々こういったものを、現状のこの教育の世界を見渡して、そういった観点で何か懸念、若しくは、要はこれだけの権限を教育長に与えてそれをしっかり行使できる人材が果たしているのだろうか、若しくはそれをいないならばどうしていかなきゃいけないのかというような御所見というか御意見をお伺いしたいと思うんですが。
○参考人(加治佐哲也君) 現在、千七百人の市町村教育長がおられるわけですけれども、私自身は、皆さん見ていて、もちろん全部見ているわけじゃありませんけれども、熱意の高い方々は多いと思います。責任感の強い方も多いと思います。例えば、過去三年、兵庫教育大学は全国から市町村の教育長さんに来ていただいてセミナーを開いております。そこに来られる方の熱意は極めて高い。お互いの情報交換をして、地域の子供たちのために頑張ろうという姿勢が非常に高いと思います。
 ただ、いかんせん、問題は、理念としては教育行政は専門的指導をするんだということが言われながら、その専門的指導をする専門家である教育長や指導主事についてのやはり養成といいますか、資質向上のための養成という視点がなかったということであります。だから、先ほどのいじめ問題もそうですし、それから学力の問題、その他様々な課題が高度化、複雑化している中で、学校の先生の力量を上げ、学校のプログラムを良くしていくためには教育行政の力を上げなきゃいけないわけです。
 だから、首長が決めようが教育長が決めようが、いずれにしろ、教育行政が発する政策や施策、予算というものが優れたもので、あるいは指導が優れたものでなければいけない。そうするためには、やっぱりそういう専門家をひとつ本当に真剣にそれなりの資源を投入して養成すべき時期に来ているんだと思います。
   〔理事石井浩郎君退席、委員長着席〕
 もう一言だけ加えますと、教員を養成する、教員の資質向上を上げることは極めて重要です。ただし、教員を指導する校長の資質を高めることは、数が少ないからまだより容易。さらに、その校長を指導する教育長を養成することは、やっぱり考えようによっては、もっと量的には、何といいますか、少なくて済むということでもあると思います。是非お願いしたいと思います。
○二之湯武史君 ありがとうございます。
 先ほど申し上げた、やはりこういった学校現場というか、教育の世界におけるある種の身内意識というかそういったものが、様々な情報若しくは外部のいろんな空気といったものを取り込む上で障害になっているという現実があるというふうに思いますが。
 岸参考人にお伺いいたしますけれども、その一つの突破口がこのコミュニティ・スクール、要は地域に開かれた学校という選択肢だというふうに思っております。そういったコミュニティ・スクールが進んでいる地域もありますが、全国的に見てまだ目標の三千校にも届いていない状況でございますけれども、今回の法律の関連で申し上げますと、今回の教育委員会の制度改革が、今、参考人がされているようなコミュニティ・スクールを進めていく上でどういった関係があるかというふうにお考えでしょうか。簡潔によろしくお願いします。
○参考人(岸裕司君) 先ほど時間がなくて申し上げられなかったこととちょうど関係しているんですが、資料の一番最後をちょっと見ていただきたいんですけれども、課題のところにちょっと書きましたが、赤字のところ、人生九十年時代、この間、WHOの世界の平均寿命、また日本の女性が世界でトップ、男性も四位かな。つまり、今の教育委員会改革の議論を聞いていると、義務教育教育委員会改革という感じがするんですね、つまり九年間の小中学校の教育委員会改革。だけど、生涯学習の国にしていこうということが中曽根臨教審のときからもう方向性できているわけですから、今こそ小学校、中学校の施設も含めて生涯学習社会の拠点にしていくんだと。上物を造るんじゃなくて、現在ある小学校、中学校の設備を使えば、生涯学習に即転用できるものがいっぱいあるわけですよ。
 そう考えたときに、私は、首長部局はすばらしいと思います。先ほどの防災拠点といったときも、単に指定しているだけでは駄目なんですね、やはり実体化させないと。その実体化させるときに、今の教育長で果たして発想があるかどうか、そこは私は疑問に思っています。
 それと、この資料の中にありますように、現在は、例えば都道府県教育長の状況は教職経験者の割合が三四%、でも、住民に一番近いところの市町村でいうと六九・八%が教職経験者なんですね。僕は教職経験者が悪いということを言うつもりは全くありません。だけど、町づくり、次世代育成、そういう観点まで持って生涯学び続ける人というのをどうやってつくっていくか、そういう観点で考えたときに、私は首長部局も入れていった方がいいだろうというふうに思っています。
○二之湯武史君 今のお話をお聞きしますと、やはり新教育長というのは、今まで以上に様々なバックグラウンドとか経験、スキルといったものが必要になってくる、若しくはそういうことを備えなければこれだけの裁量を生かしていくような、そういう能力、資質というものがなかなか実行していくことができなくなると、そういうお話で大変参考になりました。
 どうも皆さん、ありがとうございました。終わります。
○大島九州男君 どうも、民主党の大島九州男でございます。
 四人の参考人の皆さん、本当にありがとうございます。
 まず、今田参考人と岸参考人に御質問をさせていただきますが、首長が今回教育長を任命するということで、先般も大臣に確認したのは、それだけ任命責任が大きいんだと、今までは教育委員会が教育長を選んだんだから、問題があったときに、いや、私は関係ありませんよということは言えなくなるんだと、まさにその首長、あなた、ちゃんとしっかりそこら辺のところは腰を据えてこの教育行政に当たりなさいよという、そういうメッセージですねという確認をさせていただきました。
 そこで、その教育長、そしてまたその任命する首長とメンバーで構成する総合教育会議、まさにそこにはいろんな人の「意見を聴くことができる。」というふうになっておりますが、私の思いはそこにいろんな人が入ってもらいたいと。どういうメンバーを入れると非常に民意が反映されていいのかというふうにお考えなのかというのを二人の参考人にお聞きしますので、まず今田さん、お願いします。
○参考人(今田忠彦君) ちょっとその質問の捉まえ方が、私の場合、総合教育改革会議、これは横浜のような大きなところでやろうとすると、正直なところ、これは実務上の話になって恐縮ですけれども、正直なところ、オールウエーズに教育長と市長との連携を図っておれば、今先生がおっしゃったような感じのことが本当はどこまで必要なのかなというのは、多少私、この総合教育改革会議に対してはちょっと懐疑的なところもございまして、そういう意味でいくと、やるにして、教育委員会そのものの中でも必要な方の意見を聞くことは当然あり得る話ですので、もちろん市長と総合教育改革会議の中で識者の意見を聞くということも、法律の中にもそういう参考の条文のようなものがあるようですけれども、それはそのことも必要だと思いますけれども、これは都市の規模によって生かし方というのがいろいろあるんではないのかなというふうに、私の方はちょっと質問に対する正確な答えになっていないかも分かりませんけれども、そういうふうに思います。
○参考人(岸裕司君) まず、マネジメント感覚がしっかりした人。そのマネジメントというのは、例えば、この一番最後の赤字のところに書きましたけれども、例えば学校体育施設開放事業は九八・三%の公立学校で推進されているんですね。ところが、校舎内施設開放というのはほとんど進んでいません。
 習志野の秋津小学校の場合は、当時の教育長が施設開放についての責任者というふうに英断してくれたんですね。ですから、校長の管理施設外、学校施設の中にあってもですね。ですから、校長先生も放課後も休日も帰ることができる。そういった大胆なマネジメントが現行法の中できちっとできるんだということを常に学び、住民全てのために公共施設である公立の学校の財産を運用できる人というふうに思います。
○大島九州男君 ありがとうございます。
 三上参考人と加治佐参考人に御質問させていただきますが、今の流れを聞いて、総合教育会議で民意を反映させると。やはりその役割をここにしっかり担ってもらわなくちゃいけないというのが私の考えなんですね。というと、首長が任免をする教育長やその教育委員でいくと、非常に狭い民意だと。はっきり言うと、その首長の裁量ぐらいしか広がらないという思いがありまして、だから私は、そこにコミュニティ・スクールや学校支援地域本部のメンバーのような人たちが常に関わっている方が民意が反映されて、そして本当に地域に根差した大綱だとかそういうものができていくんじゃないかと思うんですが、そういう考え方はどうでしょうか。三上参考人から。
○参考人(三上昭彦君) 総合教育会議の問題ですけれども、私はかなり批判的です。
 今委員がおっしゃったように、しかし、地域の教育問題というのは文字どおり、様々な知恵や人々の意識や協力を本当につくり上げない限り、現状の中で、地域の中で子供が育つなんという、そういう条件が本当に崩れてきていることは確かです。だから、その意味では、それは教育委員会も首長部局も首長も、これは当然協力するということは私は絶対的に必要だと思うんですね。
 そのときに、今この改革案で構想されているものは、教育委員会の、だって現状を見てくれば、直接任命される教育長なりが首長に対してきちっと本当に言えるかと、意見が自主的に。つまり、首長と同じような意見の方向であればいろいろ言うでしょうけれども、もし違った場合に。もちろん一致することは大事なんですけれども。
 ですから、あえてもしこの制度を少しでも良くするならば、総合教育会議は首長と教育長の共宰にすればいいですよ、共宰に、対等に。もちろんそれはうんと開いていく必要があると思います。
 そういうふうな、第一次安倍内閣のときに、教育再生会議には、国民総掛かりという言葉でしたっけ、余り総掛かりというのは好きじゃないんですけれども、しかし、中身的にはそういうことが本当に必要だということはもう多くの人が実感はしているとは思うんですよね、そういうのを本当に開いてやりなさいと。
 でも、どうも衆議院の議論なんかを聞いていますと、いざというときにはというか、首長と教育長だけで決めてもいいんだとか、それはもちろんそういう場合も例外的にあるかもしれませんけれども、そんなことは全く、何といいますか、もう現状を更に問題化するようなことだというふうに私は思っています。
○参考人(加治佐哲也君) 総合教育会議が設置されたのは意味があると思います。
 これまでも、首長部局が主体になってその自治体全体の将来計画を作り、その中の重要な一部分が教育の将来計画なわけですね。その教育の将来計画の原案を誰が作っていたかというと、それは教育委員会、教育長や事務局が作っていたわけですよね。それが要するに今度はフォーマルな形で、つまり、制度化された形でそういうものが、ちゃんと作る機関が位置付けられてつくられるということは、その総合教育計画の位置付けというのが私は高まるんだろうというふうに、そういう意味で評価しています。
 それで、やっぱりこれまで以上にいい人々が入るべきだと思います。気になりますのは、首長主宰はいい、それから教育委員会が入るのはいいんですが、ただ、横浜市とか大規模なところはいろんな人材がおられるのでよろしいんですが、小規模なところになりますと、なかなかその人材が確保しにくい。
 総合教育会議のメンバーに教育委員会の教育委員がなりますけれども、あれ、首長の被選挙権を持つという人に限られていますよね、教育委員が。だから、そうすると、その地域住民ということだけになりますよね。ちょっと、これも私はある意味、その観点からはもう見直してもいいんじゃないかということも思いますし、かつ、先ほど、実際教育に当事者意識を持つ人々、コミュニティ・スクールの方々もそうだし、いろんな方々をやっぱり広く入れるべきだというふうには思いますですね。そのことによって、学校教育なり教育行政のステータスを上げるいい機会になるんじゃないかと思いますね。
○大島九州男君 また今田参考人と岸参考人に御質問しますが。
 今日、私、岸参考人、現場の方に是非来てもらいたかったと。それはどういうことかというと、子縁とありましたが、子供の縁に触れて、そういう独り暮らしのおじいちゃんたちが学校との縁を結んで、体育祭に不満を持っていた人が変わっていく、まさにそういう触れる縁によって変わるわけですよね。
 そうすると、横浜のように、ちょうどすばらしい教育委員さんと首長がやれば大丈夫だという、そういう考え方も一つあるかもしれませんけれども、そうじゃなくて、本当にその学校、地域に直接関わる人がそこに入ることによってこの総合教育会議の暴走を止めると。まさに、首長とその首長から任免をされる教育委員が行くといっても、間違えた方向へ行っちゃったら、とんでもないところに行ってしまうと。今の政権の傾向を今回のこの法案でも示しているのかなという部分に対しては、やはり民意をしっかりと反映をさせるということも大事だと。それであるならば、今言うコミュニティ・スクールであるとかそういったものをしっかりと活用することが必要だと。要は、そういう本当に現場に、子供に直接関わり地域の運営に関わっている人たちがそこに入っていくことによってより良い会議にしなければならないという、そういう視点なんですね、私の考え方は。
 今田参考人、どうですか。
○参考人(今田忠彦君) コミュニティ・スクールの問題、それぞれの学校ごとにその学校の特性というものを踏まえて、その地域の中にあるコミュニティ・スクールが学校当局と一緒になって学校をつくっていく、そういう中で特性を持った学校経営がなされていくような、そういうものの積み重ねが、集大成が、ある意味で横浜の場合トータルでの横浜の公教育ということになろうと思います。
 一点一点、一つ一つのところがある意味でしっかり機能していけば、何も教育委員会がそれなりに機能していると自負するわけではないんですけれども、何か今の我々の感ずるところでいくと、多少、横浜の場合、その総合教育会議というのが屋上屋を重ねることになりはせぬのかなという、そういう違った見方も多少あるもので、先ほど先生の御質問に対して明確には答え得なかったんですけれども、私は、それぞれの学校でコミュニティ・スクールができていくことによって集大成としてのものがある。だから、何も総合教育会議にコミュニティ・スクールの代表者が入らなくても、それはそれで一つ一つができてくれば当然その総意というものが委員会の議論の中ででも組み込まれて総合教育会議に反映できるんじゃないかな。入っちゃいけないということではないんです、ないんです。そういう意味を申し上げたつもりでございます。
○参考人(岸裕司君) ビジネス界とか又は民主主義社会又は自由主義社会というのは、権限と責任が社会化され内在化されてバランス取れていると思うんですね。そう考えたときに、コミュニティ・スクールは、保護者と地域住民代表がまさに一定の権限と責任を付与させて運営されるわけですね。このことは大いに経験すべきだと思います。歴史遡れば、明治五年の学校教育制度以来初めてですから、民衆に権限をこれまで百四十二年間与えてくれたことはありませんから、だからこれは大いに使うべきである。そのことを通して、改めて民衆が、今先生がおっしゃったような自覚、責任を持つ、この経験なくして先行き難しいと思います。
 それともう一点は、余りにも保護者と地域住民は先生に責任押し付けばっかりです。現状を考えたときに、先生の、特に義務教育の先生の数はどのくらいかというと、たったの七十四万人なんですね、小中学校。つまり、一億二千七百万人のうちの〇・六%。何言いたいかというと、百七十人がたった一人の人に寄ってたかって、あれもやれ、これもやれ、これが百四十二年の歴史だったと私は思います。
 ですから、保護者や地域住民にどうやって責任と権限を行使するのか、自立した住民になっていくのか、そういうことを訴えられるコーディネーターというのは私は必要だと思います。
○大島九州男君 ありがとうございました。
 時間になりますので最後ですが、今回、この委員会の制度改革六十年ぶりだと、大改革だと言われるその意味は、本当にそういう地域の人たちが、自主的なそういう自覚と、そういうものを持って、そして首長と一体となって地域の教育を担っていく、まさにその一歩を踏み出すというんだったら私は納得しますよと。だから、そういう意味で、総合教育会議に本当に地域の声を入れて、そして本当は地域一体となって将来的にはその地域が独自の学校をつくるぐらいに変化をするための改革だというふうに言ってくれたら納得しますというふうに大臣に言ったんですが、まさにそういうふうな改革にしていくような努力をさせていただかなければならないなというふうに感想を持っております。
 また、いろいろ御指導いただければと思います。本日はありがとうございました。
○矢倉克夫君 公明党の矢倉克夫でございます。
 四人の参考人の先生方、お忙しいところ、大変にありがとうございます。それぞれの御経験と御識見に基づく非常に貴重な御意見、大変参考になりました。
 時間もありますので早速お伺いさせていただきたいんですが、今回の改正案の一つのポイントは、教育長と教育委員長を一体化するという点があると思います。責任の明確化や、また判断の迅速化等が趣旨であると思うんですが、まず、今田参考人、加治佐参考人、そして三上参考人にお伺いをしたいのですが、この教育長と教育委員長を一体化させたことに対する評価、御意見をいただければと思います。
○参考人(今田忠彦君) 私、自分の陳述の中でも申し上げましたが、一つは、組織のありようとして、責任のありようみたいなことでどこか一つになるというような意味での分かりやすさというものがあるというふうに思います。
 しかし一方で、私の横浜の経験でいきますと、これだけ大きな現場があり、そして教育という非常に大きな世界、奥深い世界、それの責任が何か一方に偏っちゃうというか一人だけになっちゃう。今までは、行政の部分は教育長、あるいは教育の少し大きな部分というのは委員長がフォローするというふうな格好で、大きな組織ですからそういう両方の協力でなっていたものが、一人教育長という格好になるということは、なかなか教育長になる人は力量がかなりないといけない。
 そういう意味でその育成の大事さということを申し上げたんですけど、私は、この辺は本当は、都市の自主性、規模とか成熟度によって両方設けるというのも一つあるのではないかなというふうに個人的には思っておりまして、中教審の臨時部会でもそういう発言をさせていただいたことがございます。
○参考人(加治佐哲也君) 教育委員会制度というのは、元々いわゆるレーマンとプロフェッショナルの調和といいますか、そういうもので成り立っているわけですね。ですから、原則論からいうと、専門家が教育委員、つまり素人、レーマンを兼ねるということはあり得ないわけですね。アメリカの制度はそうなっているわけです。それが戦後日本に移入されて、当初はそうだったわけです。つまり、都道府県も市町村も教育委員と教育長は別です。教育委員長を兼ねるなんていうのはとんでもない、その当時は、ことであって、それが地教行法改正によって市町村は教育委員であって教育長になるようになったと。さらに、その後、都道府県についても、教育委員として特別職になって教育長を担当すると、こういうことになったわけですね。私は、制度理念からいうと全く矛盾していると思います。そのことは文科省もこれまで指摘してきたと思います。
 ただ、最初に申し上げましたように、しかしながら、合議制教育委員会というのはもうどう考えても、私申し上げました、機能しません。実態としては、やはり教育委員でもある教育長が事実上地域の教育行政を取り仕切っていると、こういう現実があるわけですね。これは、理念からは反するかもしれないけど、日本的実態からいうと、もうこれ、致し方がないことなのだろうなというふうに判断せざるを得ません。
 そこで、合議制の下では責任の所在がはっきりしないということですから、実質的にもう担当している教育長にそういう教育委員会の、教育委員長というよりも教育委員会を総理するということですよね。だから、そういう役割を与えたこと自体は決してもう間違っていないというか、ある意味仕方がないなというふうな思いをしております。
 それによって、住民、民意を反映する教育委員と専門職である教育長という矛盾が解消されて、教育長が純然たる専門職だということになるということだということなんで、まあそれはそれでそういう面では前進かなという評価はしております。
○参考人(三上昭彦君) 私は加治佐さんとは全く違う評価ですね。反対でございます。
 日本の教育委員会制度は、先ほど私の最初のあれでも言いましたけれども、一九五六年の地方教育行政法によって本当に理念もぐちゃぐちゃにされたというのが私のあれですよね。なぜかといったら、先ほど加治佐さんもおっしゃられていましたけれども、確かに教育委員会制度はアメリカで発達して日本に紹介されて、この行政委員会制度というのは確かに国際的に見てもそんなに数があるわけではない、やっぱりユニークな制度ではあると思います。その一つの理念がレーマンコントロールとプロフェッショナルリーダーシップと言われていますけれども、しかし、もしそれでいくならば、一九五六年の地方教育行政法は教育長は教育委員の中から、一般の市町村についてはですね、都道府県と政令指定都市は違いましたけれども、あの法律によって教育長は教育委員の中から選ぶという、つまり教育長は教育委員を兼ねるという制度を導入して、非常に理念的に訳が分からなくなってきたわけですね。
 その流れでいいますと、しかも地教行法は、現行法がそうですけれども、教育長は教育委員長を兼ねられないというのを明記していますよね、現地教行法は。それを今我々のテーマにしているといいますか審議している一部改正法案は、教育長は事実上教育委員長と一本化するわけですから、兼ねるわけですよね。確かに、教育長は教育委員ではなくなるわけですけど、それは一本化という意味がどうも私もはっきりしないんですが、教育委員長というのはいなくなるわけでしょう、いわゆる。教育長が教育委員会を代表してその責任を持つわけですから、これは明らかに、教育委員会を開いて広く議論をしていくと、四人ですか、通常で四人の教育委員会は、教育長に対してはもう今まで以上に本当に影が薄くなると思いますよ。
 もし影を薄くしないための唯一の方法があるならば、この教育委員に住民代表制を与えるということですよ。もしそうであるならば、しかもその教育委員が、やはりある一定の識見を持って、それから地域の教育問題についてもきちっとした現状分析と、それに対するやっぱり積極的なあれを持てるというふうな、これを教育委員も持つならば、これは教育長と大いに議論ができるでしょうけれども、今のまま、現在の今回の法案ではとてもそれは駄目です。マイナスの方向に行くだろうと。
 つまり、教育委員会は、首長プラス教育長なんですね。独裁とまではいかないにしても、それが完全に主導する教育委員会になると、これは本来の制度から明らかに更に後退していくと、そういうふうなのが私の意見でございます。
○矢倉克夫君 ありがとうございます。大変参考になりました。
 私個人的には、これまで教育委員会の形骸化と言われているのは、教育長の下に事務局があって、そのラインとは別のところに教育委員会があったことで情報の伝達等もなかったという部分も仮にあったとしたら、今回の一体化はそれを解決に資するものではないかとも思ってはおります。
 ただ、今御指摘いただいたとおり、そもそも兼用することで、やはり一人きりになるということで濫用というおそれも出てくる可能性もひょっとしたらあるし、専門家がレーマンを兼ねるということがそもそもできるのかという部分もあり、結局は教育長がどのような方が養成されていくのかというところ、そこがやはり非常に大事になってくるなというのを今改めてお伺いしました。ちょっとそこを具体的に更にお伺いしたかったんですが、ちょっと時間がありませんので。
 次、岸参考人にお伺いをしたいんですが、コミュニティ・スクール、ツールにしてスクール・コミュニティ、この方向性、本当に非常に大事であるし、お取組の一つ一つ、本当にすばらしいなと思いました。
 ただ、現状、いろんな自治体がこのコミュニティ・スクールを何とか促進させようとしてもなかなかそれに幅が広がらないというところがあるかとは思っています。例えば、空き教室を使うとかという話、今の学童保育の問題とかでも出てきたりしているんですけど、何が問題かといえば、現場の教育委員会がなかなかそれに応じなかったりとか、あと、何といっても保護者との協力関係とかそういう部分での連携というのが大事であるなと思う。
 その点では、教育現場とも保護者とも非常に連携が取れた形をされているんじゃないかというふうにお話をお伺いして改めて思ったんですが、このような教育委員会、若しくはまた更に保護者との連携の辺りで、ここは大事だと思うようなところがありましたらアドバイスをいただければと思います。
○参考人(岸裕司君) 僕がPTAの役員になったときに一番おかしいなと思ったのは、保護者が文句ばっかり言っているんですね、PTA。で、役員になりたがらない。つまり、僕は民間人ですから、PTAという団体は任意加入の社会教育団体なんですね、しかも大人の保護者と教職員が入る。嫌だったらやめればいいのにって。やめる勇気もなくて文句ばっかり言っている、こんな主体性のない親じゃ駄目じゃないかっていうのが第一点だったんです。だけれども、マーケティングしないと、ただ怒っただけになっちゃう。そこで、学校をいろいろ調べるわけですよ。
 そうすると、例えば登下校、登下校というのはお城さんですよね、いまだに登下校って言うんですから。登下校時に子供が事故に遭ったときに責任誰にあるかって、学校にあるんですね。だから、寄り道するなと言うのが先生の仕事になっちゃうんですよ。で、さっき言ったように、百七十人が寄ってたかって一人の先生に文句言うよりも、その中の一〇%、例えば十七人でも登下校時に立とうよと言えば、ああ、そうか、先生大変なんだねって、じゃ、立とうねってなるわけですよ。
 つまり、ウイン・アンド・ウインという考え方、学校だけがメリットを求めちゃ駄目なんです。関わる保護者、地域住民も一緒にメリットを求めていく。その中で主体的に動こうとする人が自分を鍛えて、そういう住民に秋津の人たちはどんどんなっていったと思うんですね。
○矢倉克夫君 岸参考人、あと、教育委員会とかそういうところとの連携についても、もし御意見があればいただければと思います。
○参考人(岸裕司君) 実は、年間一万三千人使っているコミュニティルームの教育委員会支出は年間三万円なんです。あと、水道光熱費は全て学校メーターですから我々の税金であると。
 なぜ三万円で済むかというと、全て、四十ぐらいあるサークルは自己完結型で運営しているんですね。生涯学習というのは自分にメリットあることですから、例えば陶芸で粘土を使うとなれば自分で粘土買って当たり前ですよね。そういうふうなやり方をしながら、だから教育委員会にもメリットがあるから教育委員会も積極的に施策を進めてくれるわけです。
 逆に言うと、三万円だったら要らないと言ったことがあるんですが、行政施策なので受け取ってくださいと言われたんです。だったら受け取りましょうということで、来年で二十年になりますが、開放して、もうずっと三万円です。行政にもメリットないと、新しい仕事はやりません。
○矢倉克夫君 ありがとうございます。
 教育委員の人選の在り方にしても地域とのつながりにしても、やはり今後運用をどうしていくのかというのはまた非常に大きな視点であるなということを改めて教えていただきました。大変にありがとうございました。
 以上で終わります。
○柴田巧君 日本維新の会・結いの党の柴田巧です。
 今日は、四人の参考人の皆さん、本当にどうもお忙しい中ありがとうございました。そしてまた、それぞれ貴重な御意見を賜りまして、感謝を申し上げたいと思います。
 まず最初に岸参考人にお聞きをしたいと思いますが、先ほど、これまでの取組をお聞きをして、このスクール・コミュニティ、本当にすばらしいなと感じたところであって、大変感心をしましたし、これが全国的に広まっていけばいいなと願うところですが、そのためにも、先ほどもありますように、いわゆるコミュニティ・スクールをツールとしてということでありますが、御案内のように、今三千校を目指して取組をしておりますが、今のところ千五百七十ほどでしょうか、実際に設置されているのは。まだまだ広がっていないというのが現実であります。
 岸参考人はこの文科省のコミュニティ・スクール・マイスターもされておられるということですけれども、この文科省のコミュニティ・スクールの普及拡大策の何が問題だと、どこが足りないというふうに感じていらっしゃるのか。あわせて、やはり広がらない一つの理由は、地域住民、保護者の皆さんの必要性が余り感じられていない、岸参考人の言葉でいうと、ウイン・ウインの関係が感じられないというところなのかなと思ったりしますが、そこの面も含めて、これからどういう推進策であるべきだとお考えになっておられるか、まずお聞きをしたいと思います。
○参考人(岸裕司君) 文科省の方では大変力を入れてコミュニティ・スクールのパンフレットを作って、それから我々を含むマイスターを紹介し、国の予算で派遣してくれるんですね。今年で僕は三年目になりますが、この間、北海道から九州まで随分あちこち行ってお話ししてきました。お話しした感触では、是非やりたいというところがかなり多いです。
 一番問題なのは、一番危惧しているのは、逆にいうと、普及していない県というのがまだあるんですね。普及していないところは県の教育委員会がびびっているんです。なぜかというと、人事についてという項目がありますから。だけど、人事については意見を述べることができるということなので、述べなくたっていいんですよ。そこのところの理解が全くなっていないですね。
 それと、僕は秋津小学校のコミュニティ・スクールの当初の規約を作ったりするときの委員をやりました。秋津小学校はどうなったかといいますと、人事については、人を付けてください、増やしてくださいということで、加配が可能になったんですね。つまり、保護者や地域住民を疑わないでほしいと。自分の地域の学校を悪くしようなんという人は委員になりません。先生が困っているんだから、是非人を付けてほしいと言うような人がほとんどですよ。ためにするような人は余りいません。
 それから、僕の認識では、コミュニティ・スクールの指定校は進んでいないとは思っていないんです。むしろ千五百四十校までよくぞ増えた。まだ発表されていませんが、四月一日現在は千九百を超えたんですね。ですから、僕は目標の三千は到達できると思っています。日本の小中学校の一割、三千校できれば、ほかはばたばたとやりたがります。新しいことは苦手ですから、でも、ある程度行くと、じゃうちもやらなきゃ、うちもやらなきゃとなるんですよね、面白いところですから。だから、心配していません。
 もっと勉強すべきです、コミュニティ・スクールの法律文言、内実、余りにも一般の先生が勉強していないと私は思っています。先生にとって助かるシステムである、ここのところを僕は強く訴えていきたいですね。
○柴田巧君 どうもありがとうございました。
 私の地元の富山県にもまだ一つもないので、今のお話聞いたら何かできるような気がしてきました。ありがとうございました。
 次に、加治佐参考人にお伺いをしたいと思いますが、先ほどもお話があったように、教育長の育成というか教育行政職の育成といいますか資質の向上って非常に重要にこれからまさになると思います。そのいわゆる変革型に教育長をしていかなきゃならないということをおっしゃいましたが、そういう例が海外であるのかどうかということですが、あれば教えていただきたいんですけれども、そういう変革型の教育長、教育行政職の育成に力を注いでいる、特にこれからの日本の教育長の在り方にとって、育成の在り方にとって極めて参考になる、そういう海外の事例があれば教えていただければと思いますが。
○参考人(加治佐哲也君) いわゆる先進国では、校長もそうですけれども、教育行政職も専門職という見方をしているところが多いと思います。それはアメリカはもちろんですが、本学が新たに協定を結んだヘルシンキ大学、フィンランドですね、それからイギリス等々もそうです。
 ちなみに、アメリカの例を申し上げますと、教育長は基本的に博士号が前提になっております。教育行政の博士号を取るということですね、これが前提になります。多くの場合、大体教員を、これは全てのということじゃありませんが、こういうケースが多いということで聞いていただきたいと思いますが、まず学校の教員を経験しまして、それから何年かやって実績を上げて、管理職試験を受けて学校の管理職になって、四十代で大学院に通う。そこでみっちり教育長としてのトレーニング積んで、免許を取ります。ほぼ公募制ですから、教育長は。最初は小さな町のところに行って、そこでまたそれなりの学力向上に貢献するとか問題解決に貢献したら、何といいますか、トレードじゃないですけど、だんだん大きなところ、あるいはより課題の重いところに移っていって、よりキャリアを高めていくと。そういう人が大学にも行ってまた教えるとか、大学院、そういうケースがあると思いますですね。
 ただ、いかんせん、その免許制度は確立はしておりますが、私、この教員を養成する立場からなかなか申し上げにくいんですが、養成する大学によってその質が大分差があるということもまた事実なようです。
○柴田巧君 どうもありがとうございました。
 先ほどもお話あったような能力を持つ教育長がこれからたくさん日本でもできてくることを期待をしたいとは思うんですが、その一方で、この法案の審議の中でもいろいろと懸念の一つとして出されるのは、そういう巨大化する教育長ということが今度できるわけですけれども、ややもすれば暴走、独走をするということもあり得るのではないかと。
 だとすると、今、いわゆる罷免要件というのは今までの教育委員の罷免要件と何ら変わらないわけですけれども、それだけ巨大な力を持つ教育長が誕生すれば、これは加治佐参考人にお尋ねをしたいと、済みません、思いますが、そのいわゆる教育長の罷免要件の緩和をすべきじゃないかという考え方、意見もこれまでの審議の中で出ておりますが、こういう考え方についてはどのようなお考えでしょうか。
○参考人(加治佐哲也君) 教育長の暴走というのは誰に、教育委員会に対してということでしょうか。
○柴田巧君 この場合は、首長と要するに別の方向に行ってしまうと。
○参考人(加治佐哲也君) 私がこれまでの地方教育行政や、教育長の方々と話して持つ実感としてはあり得ないと思いますけれども、首長を無視して独走できるような、そんな高い能力を持った教育長はおりませんよ。首長が選挙で選ばれて住民の直接意思を受けていることの意味合いは物すごく重いです。だから、むしろ私は、そういう首長に今度は直接選ばれるわけですよね、議会の同意を得て。このことによってステータスは上がると思うんです。
 だから、実はこれ皮肉でもあるんですが、兼任制になったわけです、先ほどのお話ですけれども、教育委員として特別職になって教育長になったわけですね。教育長単独であったら、これ一般職なわけですよ。教育委員を兼ねることによって特別職になったんですね。そうしたら、よく聞きますのは、都道府県や政令市ではそれまでならなかったようなよりレベルの高い人材が教育長になるようになったと言われているんです。聞いているんですよ。だから、恐らくそういう、より資質の優れた人材がなる可能性がむしろあると。それが首長に対して暴走することはあり得ないと思います。多分、その首長が罷免すべきだと思います。
○柴田巧君 ありがとうございます。
 次に、今田参考人にお聞きをしたいと思いますが、先ほどの意見陳述の中でも、今度できるであろうと言われている総合教育会議のいろんな御懸念を示されておられましたが、私も同感するところがあるわけですが、今、この法案が通るとして、総合教育会議ができるとして、例えば先ほどもありましたように、このままではいわゆる緊急対応がしっかり本当にできるのか、あるいは教育委員会と首長の意見が異なってなかなか調整が整わなかったということがあり得ると、それによって非常に混乱を来すということ、十分あり得ると私も思いますが、これができるとして、そういうことが懸念されるがゆえにどういう工夫なり運用の在り方なりというものが必要だとお考えになっておられるか、ちょっと先ほどと重なる部分はあるかもしれませんが、御見解をお聞きをできればと思います。
○参考人(今田忠彦君) できることに懸念を感じている人間ですから、ある意味で教育委員としての自負たるものを持って取り組んでいくことによって、総合教育会議のようなものができなくても事が足りるようにやっぱり常時取り組んでいくことが必要であって、たまたま今回いろんな経緯の中で、民意を得た首長の立場というものも含んでそういうものができるということになったんだろうというふうに思っていますので、私なんかの気持ちでいけば、教育委員がしっかり対応することによって、全部が全て事がそれで足りるわけじゃありませんけれども、必要な識者の意見をもちろんいただく場合もあろうかと思いますけれども、できるだけ教育委員と首長との連携の中で、本当なら既存の中で事が対応できれば、スムーズに臨機に対応ができると、多少これは本当に先ほど申し上げるように、何か屋上屋を重ねるような気がしなくもない、そんなふうに、生意気なようですけれども、私はそういうふうに思っています。
○柴田巧君 それから、今田参考人は教育委員会の現場にも長らくおられるので率直なお考えとしてお聞きをしたいと思いますが、今度、教育長の任期というのは三年ということになりますね。これが、いわゆる首長が任期のうちには一回任命できるという仕組みになったんですが、ところが場合によれば、前の首長に選ばれて、教育長の任期の途中に今度は首長が替わるということはもちろんあり得るわけですね。そのときに、先ほどの話じゃありませんが、首長と教育長と全く考えが違って、任命されていませんから、非常に混乱を来すというようなことなどがあり得るんじゃないかと思いますが、この三年の任期ということ、このことについてはどういうお考えでしょうか。
○参考人(今田忠彦君) これもいろんなことを考えての上で、いっときは二年という話もありましたけれども、こういう中でいろんなことを絡め合って三年という結論を出されたわけで、それはそれでいろんな知恵の集大成の中での三年間ということだろうから、それはそれでいいんじゃないかなというふうに思っております。
○柴田巧君 これで終わります。どうもありがとうございました。
○松沢成文君 みんなの党の松沢成文と申します。
 参考人の皆さん、今日はお忙しい中ありがとうございました。
 まず、加治佐参考人にお伺いします。
 ちょっと確認も含めてお伺いしたいんですが、加治佐さんの提案は私もちょっと目からうろこで、これからの教育行政の改革を進めるには本当のプロフェッショナルな教育長、これはもう逆にそういう人材をつくるためにも、大学でもコースをつくって積極的に人材育成からやっていくべきだと、そうしないとこの制度に堪え得るしっかりとした教育長は生まれないぞという問題提起、本当に私ちょっとびっくりしまして。
 ただ、スーパー教育長ですね、これ。ある意味で、教育にも造詣が深いのは当然ですし、あるいは地方自治や地方行政についても識見がある、さらにはステークホルダー、いろいろ先生方とかPTAの方とか、あるいは政治家、そういうところともうまく調整して一つの教育政策を進めていく。こういう人材が育成できたらすごいなと、むしろ市長や知事ができちゃうんじゃないかなと思うぐらいに私はちょっとこの発想に驚いたんですね。
 じゃ、そこで、参考人が考える今後の地方の教育制度の在り方、同時に、参考人は、教育委員会制度は今機能していないと、この合議制が。だから、むしろ市民から選ばれた首長が民意を代表しているわけですね。その首長がしっかりとした教育長を任命して、この二人のリーダーシップで教育改革を引っ張るんだと。だから、今の教育委員会のようなものは、もう必要ないと言ってはあれですけれども、むしろ執行機関としての教育委員会よりも、首長、教育長主導型の教育行政執行と、必要であれば、地方議会とかあるいは教育監査委員会みたいな、今度チェック機能の、執行機関じゃなくて、をつくって地方の教育行政を進めていった方がむしろ改革は進むんじゃないかと、まあ比較論ですけれども、こういう認識でよろしいんですか。
○参考人(加治佐哲也君) 今、松沢先生がおっしゃったことは、これまで大きな議論になってきたんだろうと思います。
 正直申し上げて、昨年十二月の中教審の案では、あるいはその前の教育再生実行会議の案では、教育委員会はもうなくなるんではないかと。あの中教審答申でも、A案、B案があって、A案でもうなくなるということだったんですね。私どもはそうだろうなと思っておりました。ただ、何といいますか、はっきり申し上げて、日本人のまだ感覚というか考え方がやはり、どういいますか、首長一本に任せるところまでは気持ちが固まっていないということ、それから、政治的中立性というか、そういうものに対するやはり非常に敏感な部分がまだ非常に強いということがあって残ったんだろうというふうに思っています。
 ただ、私はこういう法人化した大学の経営をしておりますので物事を常に前向きに考えるようにしておるんですが、であれば、やはり教育委員会、合議制教育委員会は残りましたので、今、委員もおっしゃるように、より教育長がもう今度は積極的に首長に進言していい人材を選ぶと。はっきり言って、自分のブレーンというかな、ブレーンというかアドバイザー、そういうふうになるような人材というのを教育長の方がやっぱり事実上選ぶと、要するに首長に進言して首長から選んでもらうと、そういう専門性も教育長に求められるんだろうというふうに思っています。
○松沢成文君 次に、今田参考人に御意見をお伺いしたいんですが、私も神奈川の知事をやっていましたので、横浜という三百七十万の巨大な自治体の教育行政をまとめ上げる難しさというのは、私も脇から見ていて大変なものだなと思っておりました。
 今田参考人のお話だと、横浜市においては、教育委員会と、あと市長さんですね、かなり連携も密にしていて、制度改革をして無理に総合教育会議みたいなものをつくる必要もなく、今も連携は取っていますよと。そしてまた、教育委員会もそれぞれいいプロフェッションを持って、レーマンコントロールもきちっと利いて、横浜においては教育委員会、例えば教育委員長と教育長の役割も会社で例えると会長と社長みたいなものだと、広い視野から方向性をしっかり指導する委員長と、逆に教育の専門的なところもきちっと管理をして運営をしていく教育長、この役割分担もしっかりできているんじゃないかと、こういう御意見でした。
 そこで、実は私、よく例に使うんですが、神奈川県にも様々な基礎自治体があるわけですね。一番小さな基礎自治体が清川村といいまして、人口三千人です。一番大きなやはり同じ基礎自治体が横浜市、人口三百七十万ですか。ここは十倍どころか百倍、千倍も人口が違うんですね。ですから、横浜には恐らく教育長適任者のいろんな人材もいると思いますし、教育委員になってほしい人もたくさんいるわけです。そして、事務局もしっかりしたテクノクラートがそろっているわけですね。でも、片や清川村は人口三千人、いや教育委員を探すのも大変ですよね。
 これだけ人口規模も違って、あるいは教育文化も異なる多様な基礎自治体があるのに、なぜ、国が一つの制度を中央で決めて、今の教育委員会制度は駄目だから、今度こういう新しい制度にしますよ、はい、地方はこれでいきなさい、全員従いなさいと言って上意下達にやらなきゃいけないのか。私は、県知事としてもずっとそれ疑問に思っていたんです。ですから、今回も、横浜市は今の教育委員会制度でうまくいっていると、だからこれでそのまま続けさせてほしいという地方の声があってもいいと思うんですよね。
 そういうことで、私は、国が一つの制度に完全に決め付けて、それをこれだけ多種多様な、また地域性の違う基礎自治体全てに同じ制度を押し付けるというのはかなり限界があると思っているんですが、日本一大きな基礎自治体の横浜市の教育委員長さんとしてその辺りはいかがお考えでしょうか。
○参考人(今田忠彦君) 今、松沢先生がお話しいただきましたけれども、私も、実はこの教育制度分科会の臨時委員ということでメンバーにしていただいて、いろんな市町村の首長さんを含めて議論をさせていただいたときに感じましたのは、小さなところでは、小学校三校、中学校二校のようなところ、そこだと教育長さんはもう全部学校の雰囲気ももちろん細かく分かる。それと、横浜のように五百校もあって、小学校三百五十校もある、そうすると校長先生の顔も教育長は全部は分からない、そういう中でどうなんだろう。そんなことで、四年前に方面別の東西南北の事務所をつくりました。その事務所でも一個当たり百校を超える学校を所管する。そういう意味でいくと、その都市の規模とか成熟度とか、そういうものに応じて、一律に制度論を議論をすることの難しさというものを正直感じました。私の立場ではそれ以上のことは申し上げませんでしたけれども、お国はお国の立場で、余り制度を複雑にするというのも大変なんだろうということで、きっと悩みながらの中で今回の案が出てきたんじゃないかなと。
 ただ、いつかの時点ではこれはやはりもう少し分けて、私は意見発表のときも制度論として、委員長と教育長と両方置くというのも制度論としてあるんじゃないかと、それは主体性に任せてもいいんじゃないかというようなことは少し柔らかく申し上げましたけれども、今先生がおっしゃったとおりだというふうに思っております。
○松沢成文君 そこで、教育行政の専門家の三上先生にお伺いしたいんですが、こうやって教育行政の専門の先生方、あるいは教育現場で汗を流している現場の皆さん集まっていても、今回の改正案については様々意見があるんですよ。ですから、今の教育委員会制度、結構うまくやっているからこのままの方がいいという方もいれば、抜本的に、教育委員会制度はもう機能していないと、もう少し市民から選ばれた首長を中心として地方教育行政をつくり直した方がいいという方もいれば、今回政府案として提案されたのは、その両方をうまく酌み取っているというか、悪く言えば、足して二で割った妥協案とも言えるわけですよね。
 それで、これだけ意見が違うのに、なぜ国が、あるいは文科省が、あるいは国会が一つにまとめて、日本の制度はこれなんだから全部自治体はこれに従いなさいと言って上意下達に制度設計を一方的に押し付けるというのは、私は地方分権から完全に逆行しちゃっていると思うんですね。
 先生は先ほど、教育の政治的中立というよりも、教育の自主性、自律性が大事だと言っていました。それは、恐らく教育委員会の中において様々な運営のやり方があるじゃないかと、それを認めろということだと思うんですが、もう一つ範囲を広げて、地方の教育制度、教育委員会中心制度でいくのか、あるいは首長、教育長中心制度でいくのか、あるいは第三の案でいくのか、三つぐらいひな形を作って、どの制度でいくのがこの地域に最もふさわしいか、地域の教育文化にふさわしいか、地域の人材に合っているのか、それを地方が、つまり首長や議会や地域住民が自分たちで議論をして、そして判断して、そして運営していってこそ初めてそこに責任も生まれるわけですよね、自分たちで決めていますから。それで、自分たちでつくった制度なんだからうまく運営しようという、運営に対するインセンティブも生まれてくるわけですね。
 私は、今後の日本の教育改革を進めるには、地方の選択権というか自主性を制度の中にもきちっと認めていかないと、国から一方的に押し付ける制度では、うまくやるところもあるけれども全然失敗するところもあるし、不満が残ると、こう考えているんですが、先生の御意見はいかがでしょうか。
○参考人(三上昭彦君) ただいまの松沢委員の御意見の、フレキシビリティーといいますか、地方の様々な多様性を可能な限り導入すべきだと、その点に関する限り、私は賛成です。
 まあしかし、これまでの議論の中で、特に全国市長会を中心にして教育委員会を任意設置にしろと、必置規制を、地教行法、自治法のあれを解いてですね。それはほかの地方制度調査会にしろございまして、現在も続いているんじゃないかというふうに思いますし。
 それから、実は触れませんでしたけれども、戦後、直後はこれは準備がなかなか進んでいないということもありまして、御存じかと思いますけれども、一九四八年に教育委員会を設置した市町村、そのときは実は法的に任意設置だったわけですね、一九四八年。義務設置は都道府県と当時の五大市、横浜市を含めた五大市です。任意設置だったんですけれども、やっぱり当時、条件がなかなか整わなかったし、教育委員会って一体何なのかということも分かりませんでしたから、実際に一九四八年に設置したのは僅か四十六、当時一万を超えていましたけれども、そういう状況で、その事態が一九五二年まで、つまり四年間も続いたという、これはまあ、やっぱりちょっと例外的なあれだったというふうには思いますけれども、私は、任意設置にして例えば教育委員会はなくしちゃうところがあってもいいと、これはやっぱりちょっと、ちょっと待ってくれというふうには言いたくなりますね。
 つまり、そのときには、繰り返し私が言っているように、先ほども委員がちょっと復唱していただきましたけれども、やっぱり本当に教育の生き生きとした自主性とか自律性とか、そういうのを担保できるような制度、代替する制度、そういうものを工夫してやると。つまり、首長部局に一本化するということではないあれというのは何かもしかしたらあり得るかもしれないと思うんですね。
 というのは、制度として、思想としては実はあったわけで、先ほどレーマンコントロール云々のことも出ましたけれども、例えば、ほかの国でも、専門家、つまり教育関係の専門家と一般との同数委員会のようなあれとか、それから職種代表なりを含めるとか、私なんかはもっと本当にフレキシブルに考えていいと思うんですけれども、例えば、確かに今の教育委員会は教育長を除いたら全部非常勤ですから、これでこれだけ大きな課題を本当に責任を持ってやれるかと言われると、私もやっぱり、まあ研究者としてやってきたあれから見ればちょっと難しいだろうと。
 となれば、例えば、半数の教育委員を常勤的、常勤的なものというか、あるいは従来の、これはどこかの団体が言っていましたけれども、少なくとも教育委員長は常勤化するというふうな、いろいろなそういう、少なくとも制度内でのフレキシビリティーというんですか、工夫ですよね、実際にやってみると。そういうふうなことは私はあり得ていいというのは私の考え方であります。
○松沢成文君 どうもありがとうございました。
○田村智子君 日本共産党の田村智子です。
 四人の参考人の皆さん、本当に勉強になりました。ありがとうございます。
 まず、三上参考人にお聞きしたいと思います。
 お話の中で、教育委員会改革は目的や方向性が最も問われるんだというお話でした。法案は、元々中教審への諮問も、テーマが責任の所在の不明確さ、これを解決するという言わばレールが敷かれて、それで諮問が行われた以上、諮問機関はやはりそれに沿った検討を行い、答申をしなければならないと思うんですが、私たち議会の側はやはり全く立場は違うわけで、法案の改革の目的や方向性ということについて政府から独立した立法府としてやはり真剣に議論をしなければいけないなと、こういう立場でまずお聞きをしたいのは、教育委員会の形骸化というのは確かにずっと言われてきた。では、その要因というのはどこにあるのかということが、ほとんど、長が二人いるから形骸化なのかというと、それは違うでしょうというふうに私はすごく思うんですね。その形骸化の要因についてお考えをまずお聞かせください。
○参考人(三上昭彦君) 先ほど冒頭でも発言しましたけど、かなりの教育委員会が形骸化しているんじゃないかという、そういう指摘、分析が、初めて、私の言うところ、政府関係のしかも総理大臣の諮問機関ですね、その臨教審でなされたわけです。そのとき臨教審の分析は、それは言わば教育委員や教育長なり首長の意識の問題、それから使命感、特に教育委員の使命感の欠如の問題とか、そういう意識の問題というようなものを非常に臨教審はうんと言って、教育委員会制度の持っている制度の根幹部分についてはほとんど触れなかったわけですね。
 なぜ形骸化しているかということは、それはなかなか個別に見ていく必要はあるんですけれども、私は、先ほど言いましたとおり、やっぱり一九五六年の地教行法の改正が法制度的には私は決定的に教育委員会の豊かな発展を抑えてきたというのは、私の分析から出てくる結論であるわけです。
 その後の流れをずっと見ていますと、実はいろいろ挙がってきている問題は、ほとんどある部分、例えば教育委員会を公開制にしなさいと、これは一九四八年の教育委員会法では当然だったわけですよ、会議の公開なんていうのは。それを地教行法で、法文上、公開制を削除しちゃったわけです。公開は各教育委員会の判断に任せるという、それが答弁ですよ、政府答弁。例えばそういうこと。それから、先ほど言った教育長と教育委員長を一緒にしちゃったとか、それから、これはなかなか難しい点はありますけれども人事権ですね、市町村教育委員会が持っていた教員の人事権を都道府県教育委員会に吸い上げるといいますか、そういうことをやる、それから、教育長の任命承認制を導入すると。
 つまり、先ほど私が言いました教育委員会の三原則なら三原則と言うかな、当初のですね、これは確かにそのとき十分に開花したとはとても言えません、公選制時代にですね。とても言えません、そんな状況もなかったわけですけれども。やっぱりそれを粘り強く、何といいますか、少しでも発展させていく方向じゃなくて、残念ながら地教行法と教育委員会法を比べてみれば、確かに一定程度整備されている部分もありますけれども、大事な部分は私はずっと後退、三原則という点で言えば後退してしまったと。
 そういう制度的な要因の問題と、それからそれと深い関係を持っている意識の面とか運用の面。制度問題の一つ、制度問題を考えるときの本当に難問は、どの制度もそうかもしれませんけれども、やっぱりその制度自体が持つ、そこに内包し内在している問題というのはどういうものなのかと。しかし、どんな制度もそれを運用するのは運用主体であって、その主体の意識、力量、それから情熱、使命感、そういうものはもちろんあるというようには思うんですね。
 今回のこの議論というものは、例えば大津のあれを契機にしたというふうに言われていますけれども、しかし、これは大津のあれで言えば第三者検証委員会が明らかにしているとおり、直接的なやっぱり大きな問題は、教育長、事務局、これが教育委員にも、ほかの、もちろん首長にもそうだったと思いますけれども、この大問題についてきちっと情報を報告をし、教育委員会を招集するように教育委員長に連絡するとか、そういうのをやっぱりやっていなかったというんですね。
 つまり、言ってみれば、今日の教育委員会制度というものがやっぱり教育長を中心的なものとして動いてきて、その要因になったのは、私は繰り返し言っていますけれども、本来、教育委員というのはやっぱり首長とともに住民から選ばれる、あるいは何らかの形で住民代表性を持って、推薦制にしろ何でもいいですよ、様々な形で持つということを、住民代表性を欠いてしまった場合には、これは、ここにいらっしゃる議員の方々だって恐らく御自分の中にある一つの誇りとか使命感というのは、やっぱり国民から選ばれたという、これは確かに大事なプロセスであり契機だと思うんですね。ならば、何も首長だけが住民代表というふうなシステムに終わらせないで、教育委員や特に行政委員会の最も重要なあれは、憲法九十三条にもちゃんと明記されているわけですから、議員や首長以外に地方の吏員はやっぱり住民の公選にするという規定もあるわけですから、唯一のそれが教育委員会の公選制だったので、ほとんど。まあ農業委員会は若干あれです。私は本当に強く思います。
 それを強く実感したのは、今から三十年近く前になるんですけれども、十五、六年続いた、これは皆さんの中にはもちろん評価の議論はあると思いますけれども、私は身近にいてずっと見てきたんですけれども、やっぱり中野の教育委員の準公選だったというふうに思うんです。あの委員たちはなぜあんなに一生懸命やったのかというと、直接的に言っていますよね、保守の方も言っています。やっぱり自分が住民から推薦されたというこの力は自分の意識を変えさせたというようなことを、恐らく自民党系とか保守系の、これは産婦人科の第一期のお医者さんでありましたけれども。
 私の実はあるイメージにあるのは、あれなんですね。ですから、オルタナティブの一つの選択肢としては、やっぱり現在あるもう今の状況というのはもっと何といいますか、それができるある種の条件というのはあるような気もするんですけれども、そんなふうに考えていますね。
○田村智子君 次に、今田参考人にお聞きをしたいんですけれども、今田参考人は、最初の資料のところで教育委員に机も椅子もないのかということで、まずその机と椅子をそろえさせた。実は、私たちも、やっぱり教育委員が本当にその役割を果たす上で余りにもそういう当たり前の条件も整えられていないじゃないか、全く同じ意見を持って、改革の提言を出したときに、机も椅子もパソコンも資料の置場もないと、これでいいのかというのを問題提起しておりまして、今田参考人とは立場はいろいろ違うんですが、そこは共通するところがあるなという思いでお聞きをしておりました。
 それで、お聞きしたいのは、先ほど総合教育会議、これはなかなか絵に描いた餅になってしまうんじゃないかという危惧をお持ちなんだなということがよく分かったんですね。やはり非常に多忙な首長さん、教育長さんも今度は教育委員長の職務も兼ねると、教育委員会を代表する、一層多忙になるということは、これは目に見えているわけです。
 そうすると、そういう方が集まって、教育委員も集まって、本当にかんかんがくがくの議論で大綱というものを作ることができるんだろうかと。もし、それがしっかりとした議論が物理的に取れないというような状態になって形式的な議論で決定されるようなことになれば、これは作られたもので一応協議が調ったとみなされたものは尊重義務が生じるので、教育委員会、教育長はこれを執行しなければならなくなっていきます。そうすると、形式的な議論でそうなっていくと、やはり結果として教育委員会の役割は今よりも薄まりかねないんじゃないかなというのは、具体に即したお話を聞いて非常に危機感を感じたんですけれども、今田参考人、現状と照らしてどうでしょう、御意見をお聞きしたいと思いますが。
○参考人(今田忠彦君) 法案を作るに当たっては、きっと文科省の方もオールジャパンでいろんな事例を見てこういうことに、総合教育会議の必要性というものを感じられたんだろうというふうに思います。
 私ども横浜の場合に言わせていただくと、先ほどから大島先生の話にも少し歯切れの悪い答弁を申し上げたんですけれども、多少ともそれなりの機能をしていると。何をもって機能しているかというのはなかなか難しいんですが、二十七万人の児童生徒がいて一万六千人の先生がいますから、何らかのことがあることはありますけれども、それなりに機能しているという立場からすると、お国の方はこういうオールジャパンの観点から定められたんでしょうけれども、横浜の場合は正直少しちょっと煩わしいなという気は正直しています。
 ただ一方で、教育長になる人は、本当に今も多忙なのに、先生がおっしゃったように、教育委員会を仕切っていく、会議をリードしていくということになると、これはなかなか正直大変だろうなと。今は、教育委員会の会議は私なんかの方がリードする立場ですから、そのときは少し、聞く役ではないですけれども、比較的ゆっくりなところがあるわけですけれども、これからはそれも、今度は我々もまた違った角度でいろいろ意見を言っていくようなことになると、なかなか大変になるなというふうに思います。
○田村智子君 ありがとうございます。
 岸参考人、よろしいでしょうか、お聞きしたいんですけれども。
 とても、学校の運営の中に、学校の中に本当に住民の皆さん、保護者の皆さんが関わっていくというのはすばらしい取組だなということで経験をお聞きしていました。
 私は、教育委員会もやはりそうあってこそ活性化するだろうと。いかに住民の意向、保護者の意向、学校の中で起きている問題というのに、そこにアンテナを張って、上から来る、文科省から来る、何というか、通知とかそういうところではなくて、いかに現場の問題を酌み取って、そしてそれを教育長さんとか首長さんとかにも提起ができるだろうか、ここに教育委員会が懸かっているんじゃないかというふうに考えているんですね。
 そういう意味で、今の教育委員会の制度をより良くしていく、活性化していくためにどんなことが必要か、御自身の経験からでも構いませんので、御意見をお聞かせいただきたいと思います。
○参考人(岸裕司君) やっぱりマネジメントだと思うんですね。マネジメントも、例えば教育委員会の中に、大きく分けると学校教育部署と社会教育部署、この反りが悪いんですよ。何で同じ教育委員会なのに、僕は行政内融合と言っているんですが、又は首長部局と教育委員会と。例えば、首長部局に青少年何たらかんたら部署があって、そこで市民のメンツ同じ人を集めて何かイベントをやるんですよ。教育委員会も同じようなことをやるんです。つまり、マネジメント、チープガバナンス、ここですよね。これができる体制なのかどうか。それは、やっぱりずっと住んでいる住民として見て、おかしいのいっぱいありますよ。
 それともう一つは、やはり議員さん皆さんが国会で法律作るんだけれども、ますます先生忙しくしているわけですよ。例えば、食育基本法を作る。それから今、食べ物アレルギー問題。食べ物アレルギー、クラスに一人子供がいたら、給食のときに先生、担任一人がみんな注意するんですよ、全ての食べ物を、実際に亡くなった方がいたから。いじめでしょう、この四月からまた学校内組織をつくって忙しくしているんですよ。そういう声が届かない。
 だから、百七十人側にいる保護者や地域住民が学校の中に入って、先生の声なき声を我々が理解して、多数側の方が先生を応援しなかったら、究極的な子供の教育は良くならない。ここなんですよ、多数決民主主義ですから。地域は多数決できないんです。五十一人が賛成したら四十九人切っていいかといったら、そんなことはできないんですよ、地域は。
 だから、コミュニティ・スクールという権限と責任を担うことを我々が経験して、江戸時代に戻ることはできないけれども、江戸時代には我々の庶民の子供の教育は寺子屋がやっていたんですから、それをあえて取り戻そうと。又は、明治二年に京都が番組小学校を造った。金も含めてみんな町民が出したわけですよ、六十四の学校も造った。それ以降、お上に全部預けて百四十二年来ちゃったのが僕は義務教育学校の在り方だったと思うんです。それを根本的に変えようという時代が今だと思います。
 ですから、住民も変わらなきゃいけないけれども、教育委員会の職員もやっぱり変わっていただきたいと思います。
○田村智子君 ありがとうございました。
 終わります。
○委員長(丸山和也君) 以上で参考人に対する質疑は終わりました。
 参考人の皆様に一言御挨拶を申し上げます。
 本日は、長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただきまして、誠にありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。
 では、本日はこれにて散会いたします。
   午後三時五十九分散会