第010回国会 行政監察特別委員会 第6号
昭和二十六年五月十六日(水曜日)
    午前十一時五分開議
 出席委員
   委員長 篠田 弘作君
   理事 島田 末信君 理事 塚原 俊郎君
   理事 内藤  隆君 理事 小松 勇次君
   理事 山口 武秀君
      岡延右エ門君    鍛冶 良作君
      志田 義信君    中川 俊思君
      野村專太郎君    福田 喜東君
      椎熊 三郎君    藤田 義光君
      久保田鶴松君    梨木作次郎君
      高倉 定助君
 委員外の出席者
        証     人
        (根室町警察署
        長)      細川榮太郎君
        証     人
        (油谷炭鉱工
        員)      江川 文彌君
    ―――――――――――――
五月十六日
 委員加藤充君辞任につき、その補欠として梨木
 作次郎君が議長の指名で委員に選任された。
    ―――――――――――――
本日の会議に付した事件
 不正入出国に関する件
    ―――――――――――――
○篠田委員長 これより会議を開きます。
 不正入出国に関する件について調査を進めます。まずただいまお見えになつている細川榮太郎さんより不正入出国に関する件につて証言を求めることになりますが、証言を求める前に証人に一言申し上げます。昭和二十二年法律第二百二十五号、議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律によりまして、証人に証言を求める場合には、その前に宣誓をさせなければならぬことと相なつております。
 宣誓または証言を拒むことのできるのは、証言が証人または証人の配偶者、四親等内の血族もしくは三親等内の姻族または証人とこれらの親族関係のあつた者及び証人の後見人または証人の後見を受ける者の刑事上の訴追または処罰を招くおそれのある事項に関するとき、またはこれらの者の恥辱に帰すべき事項に関するとき、及び医師、歯科医師、薬剤師、薬種商、産婆、弁護士、弁理士、弁護人、公証人、宗教または祷祀の職にある者またはこれらの職にあつた者がその職務上知つた事実であつて、黙祕すべきものについて尋問を受けたときに限られておりまして、それ以外には証言を拒むことはできないことになつております。しかして証人が正当の理由がなくて宣誓または証言を拒んだときは、一年以下の禁錮または一万円以下の罰金に処せられ、かつ宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは、三月以上十年以下の懲役に処せられることとなつておるのであります。一応このことを御承知になつておいていただきたいと思います。
 では法律の定めるところによりまして証人に宣誓を求めます。御起立を願います。
 宣誓書の副読を願います。
    〔証人細川榮太郎君朗読〕
   宣誓書
  良心に従つて、直実を述べ、何事
 もかくさず、又何事もつけ加えない
 ことを誓います。
○篠田委員長 では宣誓書に署名捺印を願います。
    〔証人宣誓書に署名捺印〕
○篠田委員長 これより証言を求めることになりますが、証言は、証言を求められた範囲を越えないこと、また御発言の際は、その都度委員長の許可を、得てなされるようお願いいたします。なお、こちらで証言を求める場合はおかけになつておつてよろしゆうございますが、お答えの際は御起立を願います。
 証人の大体の略歴を述べてください。
○細川証人 お答えいたします。明治三十七年一月四日北海道樺戸郡新十津川村、清助の長男として生れました。いなかの小学校を卒業いたしまして、農業に従事し、二十一才徴兵検査の結果、野砲七連隊に入隊いたしまして、実役現役五年、軍曹であります。昭和五年樺太庁巡査を拝命して、その後終戦時においてソ連に捕虜となりまして、二箇年間シベリヤに抑留をされまして、二十二年の春帰還いたしまして、北海道庁警部補に復職をいたしました。現在の根室町署長になつたのは昨昭和二十五年の七月一日であります。その後現在に至つております。
○篠田委員長 警部補から署長になるのですか。
○細川証人 警部補から累進して警部、警視となりました。
○篠田委員長 紀栄丸事件というのは御存じですね。
○細川証人 知つております。
○篠田委員長 その紀巣丸の船長から根室警察署に届出があつたということを、きのう船長が証人として述べておりますが、その紀栄丸事件について船長から届出があつた、そのいきさつについてひとつ述べてください。
○細川証人 大分前のことでありまして、記憶が一薄らいでおりますので、記録を持つておりますから、それによつてお答えいたします。
 昨昭和二十五年の十二月十七日に、根室町の字琴平町十三番地細の国谷常吉なる者、これは小運搬業者でありますが、小さい船で沿岸小まわし艦業をやつております。これの代理人といたしまして、小田桐芳夫という者から私に対しまして、紀栄丸六トンが、昭和二十五年の十一月二十八日、標津村チエンベツ――これは申告者の間違いで、実は羅臼村チエンペッでありますが、山本宅前の海上において、鎖綱が切れて海岸に押し上げられた。破損箇所が非常に多いので、そこで修理をいたしまして、十二月十三日午前五時、羅臼港より一番国後に近い竜神岬をまわりまして根室に向つた。ところがその後ようとして消息が不明である、こういうような捜索願が出たのであります。むろんこれは小さい船でありまするし、時あたかも十二月、非常なる暴風雨その他の発生する時期であります。航海する時間というのは、一口わずかに二時間か三時間しかありません。私は、これは小さい船だから、機関に故障を起しているうちにいずれかに吹きつけられたのだろうというので、全道手配をいたしました。釧路CIC及び釧路方面警察隊長を通じまして、この所在不明の手配をいたしました。そうしましたところが、十二月の二十日の午後七時、船体及び乗組員が無事に帰航したという報告が鳴海町の巡査派出所から電話で届出がありました。これは冨樫船長が連絡をしたと言つておりますが、これの電話を受けた者は、その声によつて船長であつたかあるいは機関長であつたかということは実は確認しておりませんが、とりあえず帰つたという事実がわかりました。それで即刻ここから一キロばかり離れておりまする根室船入澗に行つてみましたところが、当日の六時零分に根室港に入つておるということが判明いたしました。小さい船でありますが、波が非常に荒いので、船のもあいその他で船を巻き上げる仕事の関係から、一時間の余裕がそこにできたというようなことは確かであります。届出があつたことは間違いありません。
○篠田委員長 その届出の内容は……。
○細川証人 申し上げます。所在不明あるいは遭難、いたしました船が帰つて参りますると、根室地方におきましては、往々ソ連にひつばられておることが多いので、どの船でも岸壁につけないで、沖合いにおいてこれをつかまえまして、船の中を検索することになつておるのであります。そうしてまた任意身体検査をするというような手続をとることになつております。これはある方面からのきつい御要求であります。それでそのときにはもう船長も機関長も実は上陸しておつたのでありますが、すぐその二人とその船に一緒に行きまして、型の通り手続をとつて検索をいたしました。何ら異状はなかつたのであります。そのときにこの二人の報告から、氏名不詳の若い男と、年のいつた男と二人から、途中においてピストルを向けられて脅迫されまして、国後島に行つたということがはつきりわかつたわけであります。本人たちの申しました内容につきましては、マ・ラインを越えるということがわれわれの取締りの一つの対象になりますので、即刻このことを各方面のCIC並びに釧路方面隊長に連絡をいたしまして、その指示を受けたのでありますが、当初といたしましてはこれを刑事訴追の必要があるという考えから、実は二人の調書をとつております。しかしその後海上保安庁並びに地区警察署及びCIC、その方面で調べました結果、これはどうもうまくない。ということは、物的証拠もこれの反証も何らないわけであります。そんなことから私らの方は刑事訴追はいたしておりません。
○篠田委員長 この紀栄丸事件のあとで町警あるいは国警、あるいは海上保安庁その他検察庁の治安機関が集まつて、密出入国という問題について対策を協議したことはありますか。
○細川証人 お答えいたします。はつきりしたことは記憶ありませんが、この後でなく、その以前にそういうふうな通牒が行つておりますし、協議というのではありませんが、連絡その他については時を移さず、関係方面に一番初めに発見した者が連絡するということになつており、そうしてその事案の内容というものは、各自治体あるいは各地区警察署の問題ではないのであります。少くともこれは国家の治安に大きな影響のある問題でありますので、特にこのことについては連絡を密にするよう、お互い協議してやつております。このことはこの報告書の控えがございますのでごらんいただきたいのでありますが、即刻各地の自治体、それから国家地方警察方面隊、CICというように連絡いたしております。
○篠田委員長 紀栄丸の背後関係として徐祐相という人を取調べたことがありますか。
○細川証人 あります。
○篠田委員長 そのいきさつを述べてくださ、
○細川証人 これも書面で申し上げたいと思います。徐祐相と申しまするのは、通称徐洪一といつております。それで本名は許正道という名前だというのでありますが、外国人登録証には徐祐相となつております。三つも四つも名前のある人間なのであります。これが昭和二十五年の十二月十三日、くしくも紀栄丸の羅臼港を出帆した日であります。その正午ごろ、私の管内の根室町字岬町の中元助之という朝鮮人、ここのところから防寒外套ほか数点、時価約二十万円のものを窃取いたしまして逃走したという届出がありました。これが十二時4分に根室発の列車がございますが、これで飛んだということが確実になりましたので、すぐ釧路方面隊を通じまして、ちようど届出がありましたのが午後八時でありますので、帯広附近でつかまえられるという手配をいたしましたところが、彼は帯広に行かないで、釧路に偽名をいたしまして一泊したわけであります。そして遂にこれを逸しまして、青森でつかまえたのであります。その結果、青森で持つております臟品その他によつて手配いたしまして、あそこでもう現地勾留を要求しております。それを私の方で、どうも内容が、この参考人の元使つておりました中元助之なんかの言葉から見ましてぴんと来ない、ふに落ちない点がありましたものですから、身柄をもらいに巡査部長と二人で行つて、持つて参りましたのが昨年の十二月三十一日であります。その後これの取調べをいたしたのであります。当時この徐祐相が拳銃を所持しておるという中元助之の証言もあつたのでありますが、しかし青森で逮捕したときには何ら拳銃その他のものは持つておりません。ただ中元助之方の金の入れ歯とか金側の時計とかあるいは金貨とかいうような貴金属類、それから防寒外套、軍服というようなものを所持しておりましたので、手配によりまして緊急逮捕の上これを処分した。それからいろいろな関係が出ておりまするが、紀栄丸と徐祐相との関係があるということは、私たちはそうではないかという一つの想像はつきますが、これをただちに結びつけて考えるということは非常に危険性を持つことと思います。御承知の通り捜査は推測を許しませんので、相当の資料がなければこのことを考えるわけに行きません。しかしながらこの紀栄丸の事件の日と徐祐相が逃走いたしました日とが合致いたしまする関係から、徐祐相がはるぞる栃木県方面から函館を通過いたしまして根室にやつて来たその目的なんかを考えますと、あるいはそれと関連があるかもしれないという一つのつながりは考えられます。しかし今のところそれも明瞭になつておりません。この徐祐相のことにつきましては、ただいままだ捜査継続中なのであります。ここに書類を持つておりますが、徐祐相の行動、それから徐祐相から出ましたところのいろいろな情報、これについては第三回までありまして、第一項目から第八項目まで明細に書いてあります。しかし私、この内容についていいろいろ考えてみますると、あの事件に関連性があるということも、さらにまだ今捜査中のものでありまして、どういうふうに発展するかということについても、ここでははつきり申し上げられない状態にあります。それでここに書類がございますので、これによつてひとつごらんを願いたい、こう考えるわけであります。
○篠田委員長 捜査に悪影響を及ぼすような問題については、こちらから質問をしたときに、あなたの判断によつて、これはちよつと捜査に悪影響を及ぼすと思うから言われないということで、そういう問題だけは書類で見ましよう。けれども、徐祐相の問題が全部捜査に悪影響を及ぼすということに限らないから、私なり委員なりの質問のうちで、当然捜査に影響がないものもあると思うので、それは全部答えてもらいたい。
○細川証人 承知いたしました。
○篠田委員長 それで徐祐相はその問題で根室簡易裁判所から六箇月の判決を受けたのですか。
○細川証人 窃盗事件によりまして、十二月の十三日に中元助之の不在のすきをねらいまして、防寒外套その他数点約二十万円を竊取いたしました。そして三十一日に根室に身柄を青森から持つて参りまして、一月十八日第一回公判、一月二十八日第二回公判、二十九日に判決の申渡しがありまして、これは二月の十三日に確定するのですが、控訴いたしまして、二月八日に保釈確定になつております。
○篠田委員長 その前に徐祐相は二十三年に何か犯罪を犯して執行猶予の判決を受けておるというようなことはありますか。
○細川証人 その事実はあります。昭和二十三年の四月、日にちははつきりいたしませんが、茨城県水海道警察署管下において窃盗罪で検挙され、下館裁判所より懲役一年、三年の刑の執行猶予という判決を受けております。
○篠田委員長 その刑は満了したのですか。
○細川証人 まだ満了しておりません。二十三年の四月ですから。今年の二十六年の四月までですから、まだ満了していないと思います。
○篠田委員長 執行猶予の期間はまだ終つていないわけですね。それでさらに今度また窃盗を犯したわけですね。
○細川証人 そうです。
○篠田委員長 それでどういうわけで保釈したのですか。
○細川証人 保釈内合については、私よくわかりませんが、本人から保釈の要求がありまして、一万円の積立金を一積んだ。
○篠田委員長 その金は根室の町役場から出たという話がありますが、どうですか。
○細川証人 これは当時捜査に当つておりました私の部下の巡査部長岡川日出男が出してやつたのです。
○篠田委員長 個人で出したのですか。
○細川証人 そうです。
○篠田委員長 それでは一巡査部長が窃盗犯人の保釈金を個人でもつて出して、これを出すというからには、何かそれだけの理由があると思うのですが、どういう理由でそういうことをやつのですか。
○細川証人 その理由については、私当時実は警察大学の現任教養科に行つておりまして、この犯人を十二月の三十一日に連れて来ましたときに即刻私が尋問いたしまして、様子が変だと思いまして、八項目にわけましてこの捜査を警備係主任の岡川に命じておいて、相当長くかかる問題だということで、そのことを次席の佐々木軍治警部に委託しておきまして、私は出発しておつたわけです。ところがわずか三十五日の間に非常なる発展を遂げまして、私が二月の十日に中野の警察大学を終了いたまして出ましたところが、夕刊を配達して参りました。毎日新聞でしたか、読売新聞でしたかそれを見ましたところが、根室町の巡査部長及び巡査の二人が、共産党員の朝鮮人と雲隠れしたというような記事を見たわけです。内容は全然わかりませんので、私はその晩の大時で帰つたわけであります。その後二月の十五日にこの岡川巡査部長が帰つて参りまして、こういう心境を話したのであります。この事件の将来の発展ということは、これはもう非常に重大なことであるし、自分が知り得た情報その他の事実の裏づけというようなことから判断いたしまして、必ず何をかを求めることができるという決心のもとに、署長代理の次席警部と相談いたしまして、ある方面のむろん指示もあつたわけですが、そういたしましてほんとうに秘密のうちに出発したわけであります。本人がむろん保釈になつておりますから、彼に同行する、そういうようなぐあいで出発して来たわけであります。
○篠田委員長 今あなたはある方面の指示によつて秘密に出発したというけれども、この徐祐相を釧路の地警でも一応調べたいという要求が根室の自警にあつたそうですね。それで釧路へ連れて行くということで出発しておりながら、全然釧路に連絡なしに青森の方に連れて来てしまつたので、釧路では、今の新聞の記事にあるように、この付添いの二人の巡査が殺されているんじやないかというので、全道手配をして釧路の地警は捜査に当つたということを聞いているのですが、それはどうですか。警察と警察の間ならば、ある筋の秘密命令があつたとしても、実はこういう秘密命令があつたのだから、そちらへ寄れないというくらいの連絡をとつたらいいじやないですか。
○細川証人 お答えいたします。それは非常な間違いであります。釧路の地警の方、また方面隊方面にも捜査をお願いしたのは、私の署の捜査課長がやつたのであります。というのは、私のところの捜査課長の淺野警部補は、当日一番列車で次席がある方面にそのことについて相談に参つておりました。
 それで署の最高責任者というのはこの淺野警部補一人であつたのであります。そして十二時の汽車で出発いたしまして、晩の六時ごろに連絡することになつておつたのが、その一人の巡査と監督の巡査部長とは別々の汽車で出発しなければならぬことになつたわけであります。これは旅費その他の関係もありまして、釧路で一緒になろうというので、夜の汽車で岡川部長が出発した。それから嶺岸巡査というのがこれと同行して行つたのでありますが、釧路ヘ連絡いたしますにしても、連れておるものでありますから、電話をかけることもできないわけであります。それで次の急行の四時の列車まで――これが八時に釧路を立つのでありますから、それまであの寒い釧路駅の待合室の片すみで二人が並んで静かに固まつておつた。その連絡がとれなかつたということは、むろんこれは、当時の私以下の責任でありますけれども、御承知のように非常に汽車が不便でありまして、一番で行つて十一時四十五分かに釧路に着くのであります。その後打合せをいたしまして、五時の汽車に乗らないと署に帰れません。約五時間かかるわけであります。その間電話でそういうことを連絡するということは、今度の事件については絶対に連絡しておらない。全部書類その他は、逓伝組織をこしらえまして、そうしてお互いに書類を持ちまわつておりました。また釧路地警で調べたい、あるいは方面隊で調べたいというお話があつたということでありますが、これは事実を御調査くださいますればわかると思いますけれども、十二月三十一日に徐洪一を私の警察に連れて参りまして、第四管区の制度になつておりますので、私のところで身柄を勾留しておいたわけです。その間取調べにあたりましては、むろん私のところの主任の巡査部長、それから警備県費である次席が調べたことは当然でありますけれども、釧路方面隊の警備係の宮崎という警部もほとんど連日来てこの取調べに当つておるのです。何かそこに話の行き違いでもあつたんじやなかろうかと思うのであります。あるいは当時もつと調べたいというお気持があつたかもしれませんが、そのことについては私らの方に連絡は何もなかつたのであります。
○篠田委員長 その徐祐相を釈放するのに一万円の保釈金はその巡査部長が出したとしても、身元引受人というものはなかつたようだが、それは巡査部長が自分で身元引受人になつて、自分で金を払つて徐祐相を保釈したのですか。
○細川証人 お答えいたしますが、これは保釈いたしました住所指定は、根室町花園町九丁目十三番地の、同じ朝鮮人であります森田一郎方に起居することに実はなつておつた。それで今振り返つて考えてみますと、旅行する場合には許可をもらつて行くというような手続をとつて徐祐相が旅行すれば、これは問題なかつたと思うのでありますが、何しろ函館において二月三日にあれだけの手入れをいたしまして、そうしてまつたく徐の情報なるものは架空のものであるというようなことが新聞にも非常に報道されたわけです。根室の警察署は署長以下この徐のためにおどらされているというようなひとつの疑惑をもつて見られた。しかし相当の裏づけがあり、あるいはまたただ単に根室の署員ばかりでなく、釧路方面隊の警備係の警部、また札幌管区本駅の伊藤係長なども、その情報の内容についてはやはり相当のよりどころがあるという確信のもとに、函館市における仕事をしたらしいのであります。
○篠田委員長 その情報というのは、結局日共の八幹部の潜伏先を知つている、日共の秘密文書の所在地を自分が知つている、だから自分が案内してそれをとつて来てやると言つたか、ありかを教えるからとれと言つたかわからぬが、そういうことを言つたのですね。
○細川証人 そういうことも言うております。また……。
○篠田委員長 情報というのはどういうのですか。
○細川証人 こういうようなことを言うておるのであります。しかしこれはただ単に秘密文書と言うておるのでありまして、その内容が共産党の書類であるか何であるかということは、いわゆる秘密書類というような一つの言葉のあやからそういう考えを持つのでありますけれども、これはどういう方面の書類であるかということは、私どももまだ確認しておりません。ただ福島県のある相当な人間が根室までやつて来て本人に会つております。これはあとで書類で申し上げます。その人間から書類を預かつておつて、またそれに十二月九日に返しておるというような事実があります。この人間は実際根室に来ておる。来た目的というのが、酒の密造をやるというような目的で参つております。表面はそういうことになつておりますが、しかしただいま根室方面におきましても、ふんだんに酒が出ておりますので、濁酒をつくりましても、検挙される危険こそあれ、決してそう大して利益にならぬ。ですから、大がかりにそこの倉庫を借りて密造をやるというようなことも、これは一つの表面のカムフラージュにもなるわけです。さらにその陰には、三十万円ぐらいの漁船を買い求めるというような話もあつた。しかし考えてみますのに、漁船を買い求めることによつて、ただちに漁ができるわけでないのであります。ことに今三十万円ぐらいの船では漁なんかとてもできません。そういうようなことから考えまして、そこに何らか介在するものがあるということが、私どもといたしましてはうかがわれるわけです。
○篠田委員長 そこでただ秘密文書があるということで、それが何の秘密文書かわからないので出かけたということになるようだが、そうじやなくて……。
○細川証人 そうでありません。
○篠田委員長 もう一つ、日共の八幹部の潜伏先を知つているから、案内するからといつて、あなた方が結局その徐を釈放して連れて行つたのではないのですか。
○細川証人 そうでありません。これにはこういう事実があるのです。いや事実ということはまだ早いのですが、徐は函館に立ち寄つて、それから根室に来たのでありますが、そのときに函館の某有力な同国人から頼まれまして、ある武器を運搬した事実があるということを自供しておるのであります。この事実に対しては、根室あたりは初耳でありましたが、他の方面では相当こういう方面の事実があるというような、何と言いますかぴつたり来るものがあつたらしいのであります。この武器という考えから、すぐ非常に大きく考えますけれども、昔のピストルの密輸入ということも考えられます。そういうぐあいで、私たちはそういうような文書でなく、銃砲刀剣類等所持取締令違反の容疑で令状を執行いたしたのであります。
○篠田委員長 それで徐祐相を逃がしたときの状態を話してみてください。
○細川証人 これは徐祐相を岡川部長と嶺岸巡査が連れて参りまして、二月の九日に出発しておるのであります。そうしてこれの兄でありますところの――これを申し上げる前にちよつと申し上げないと、そのときの状況がぴつたり来ませんが、この徐祐相は実は日本の内地、東京で生れたのでありますが、教育を受けるために朝鮮に帰つておりまして、そうして昭和二十二年に密入国しておるわけであります。ところがどういうぐあいですか、本人は密入国というのに、その事実がはつきりしないで、外国人登録を受けておるというような状態です。それで結局その兄というのが、長兄、次兄、三兄まで、日本の内地に現在搗精業をやつておるものもありますし、それからあめ屋をやつておるのがあります。姉なんかも京都であめ屋をやつておるというようなぐあいで、ずいぶんたくさんな兄弟がおるわけであります。そんた関係で登録されたものと思われますが、そこで長兄のところを一応目当に行つたわけであります。茨城県の土浦市の朝日町徐達城、ここを目当に行つたのであります。
○篠田委員長 それは何しに行つたんだ。
○細川証人 これはそこに武器、ピストルや小銃や小型の小銃、それから手榴弾というようなものを、ある方面から持つて来たということの明細な、保管責任者であるとか、あるいはそれの配分方法であるとか、あるいは運搬方法であるとかいうことを記入したところの書類がある。もつともそれがあれば、これはすぐに捜査に間に合うわけであります。もつともこのことについては、まだ徐にだまされているのかという非難も町の者から現在受けているわけであります。しかし私たちはまだ絶対このことについては一脈の何らかがあるという確信を持つております。
○篠田委員長 それでそこへ行く途中どういうことになつたのですか。
○細川証人 同行いたしまして、土浦に参りましたところが、徐の兄貴のおるところは朝鮮部落でありまして、町の状態その他が非常に迷路式になつておりまして、そこに行つて前後三回連絡をとつておるわけであります。停車場の待合室、便所の間と言つておりましたが、そこのところで連絡をとるというようなことで、前後三回連絡をとつておる。
○篠田委員長 だれが連絡したの。
○細川証人 徐みずからです。
○篠田委員長 その兄貴か。
○細川証人 兄貴でなく徐です。
○篠田委員長 徐がどこで連絡したんだ。
○細川証人 一旦部落へ入つて行きまして……。
○篠田委員長 離して部落へ入れたんだね。
○細川証人 むろんそうであります。相当離れて尾行しておりますが、家の中へ入ればわからぬわけであります。二人で離して、但し落ち合うところはここだというわけで、三回連絡したわけであります。そうしてその次に、某の持つているその書類を某からいよいよ入手するというときになつて、ぷつつりもう帰つて来ません。
○篠田委員長 安心させるために三回ちよこちよこ出て来たのか。
○細川証人 それはそういうことも考えれば考えられるわけであります。これは本人が執行猶予の一年もあるし、また六箇月ある。そうすると、一年六箇月ある。これを執行されると一年六箇月娑婆の風に当れないというので、警察の喜びそうなことをまことしやかに言つたので、それを警察官が信じたのであるというふうにもとれるのであります。
○篠田委員長 三回連絡に来て、四回目に行つたときは逃げちやつてわからないのか。
○細川証人 そうです。二人で見張つておりましたところが、連れだつて書類のあるところに出て行つたそうであります。その後帰つて来ないのであります。
○篠田委員長 それでついていた部長か刑事か、それはそのときどういうふうにしたのか。
○細川証人 すぐに朝まで一晩中、その付近をくまなく捜査しまして……。
○篠田委員長 二人で捜査したのか。
○細川証人 二人で……。
○篠田委員長 どうして土浦の警察と連絡しなかつたのか。
○細川証人 このことについては、私も実は心外に思つておるのでありますが、むろん保釈中の者でありまするから、何ら強制力をもつてどうこうということもできないので、彼ら二人の者は、どこかで徐が一部の同志たちにつかまつて、そうして非常に因つているだろう、だから必ず向うから連絡があるだろうというふうに考えておつたわけであります。
○篠田委員長 非常に徐を信用しておつたわけだね。
○細川証人 そうです。
○篠田委員長 それでそのときは二人で探したとしてもいいけれども、その後の手配はどういうふうにしてありますか。
○細川証人 その後は徐祐相の立ちまわり見込み先といたしまして、昭和二十六年の二月十五日帰つて参りますと、すぐにその情報を聞きまして、釧路CIC及び釧路警察隊長に十三箇所の立ちまわり見込み元を報告して全国手配しております。
○篠田委員長 それからその連行した刑事の責任はどうなつておりますか。
○細川証人 これは二人ながら非常にねばり強い捜査意欲を持つておるものであるというので、表彰しようと私は考えております。
○篠田委員長 犯人を逃がして表彰つて。
○細川証人 犯人ではございません。
○篠田委員長 犯人でなければ、何のために巡査がついて行つた。
○細川証人 それは一つの捜査をするために、本人と同行したのであります。
○篠田委員長 保釈中逃げたら、それは犯人じやないの。
○細川証人 検事の方から、居所が変更になつた、あるいは所在不明になつた場合、そのことを所轄警察署長から報告するように指示が参つておりますので、所在不用の報告はすぐしております。六月十二日が控訴公判だと聞いておりますが、その以前の、去る四月二十七日に召喚状の発布を願つておるわけであります。
○篠田委員長 保釈中に逃げてしまえば、刑は執行されるのでしよう。
○細川証人 収監状は発送されます。
○篠田委員長 それで刑は執行されることになるのでしよう。
○細川証人 そうであります。
○篠田委員長 それだつたら、少くも刑事被告人じやないの。
○細川証人 その点につきまして……。
○篠田委員長 それを連れて行つて、逃がして目的を達しないで、犯人という言葉はどうかしらぬが、それを逃がして逃がした人間が表彰されるということは、一体どういう常識だ。
○細川証人 お答え申し上げます。これはそのときの状況を、よくお聞き取り願いたいと私は考えるのであります。一時私が不在であつて、すぐ帰つて来たところが、次席の佐々木軍治警部の机の中に、岡川部長と、嶺岸巡査の決心を書いた書類が入つておりました。自分たちは今まさにほんとうに明朗な、何もこだわりないところの気持で出発します。こういう簡単な内容であります。どうぞ御心配してくださいますなという意味であります。そうして出張命令は釧路までという出張命令て、全部自費で捜査に行つたわけであります。そうしてたしか十三日だと思いますが、青森の駅から、失敗した申訳なしという電報が入つたのであります。しかしそのときに本人の書置きのような文面の内容から見まして、実は青森の方へ保護願を出そうと決心したのであります。しかしそれもあまりにおとなげないと思いまして、そのままにしておきましたが、心の中では夜は寝つかれませんでした。何とかして本人たちに帰つてもらいたい。これは責任を感じて、私のよき分身であるところの彼らは、私に対する申訳からあるいは自決するのではないかと私は心配をしたのであります。ことほどさようにこの事件に対しましては真剣にやつておるのです。むろん他の事件も真剣にやつておりまするが、こういうような国家的事案につきましては、ほんとうに心魂を打込んでやつておるのです。往々にしてこういうような事件に手をつけると、まつたく二箇月も三簡月も自分のほかのことは何もできない、あるいはまた身体の休むひまがない、日曜といわず、夜といわず晝といわずでありますが、これらに対しましても、晝間はこういう取調べはできませんので、私が不在中でありましたので、署長室の出人口の戸にエナメルを塗りまして取調べをしておるというような状態、あの酷寒零下二十度の寒いときに、ストーブはたいておりますけれども、そういう方面の仕事に携わつておつたわけであります。ところがそういうような関係からいろいろなデマが飛びまして、徐祐相をずいぶん厚遇しているとか何とかいうようなそしりも私たち受けたのであります。しかしどういうそしりがあろうと、あるいはどういうような非難があろうと、一つの信念のもとにやつた仕事であります。結果から見ますると、非常にまずい形のようになつております。しかしそれは単なる一連の結果から見た状態でありまして、これをやつて行つた本人たちの気持を考えますると、私はよくやつたと実は思つておるのです。
○篠田委員長 君の部下に対する気持、信頼感というものは、あなたの今しやべつたことによつてよくわかつたし、それからあなたの部下が職務に熱心であつて、非常に悲壯なる決心をもつて、個人のいろいろな面を犠牲にしてこの捜査に当つたということもよくわかる。しかし保釈中の、しかも重大なる犯罪の容疑者である者を連行して、それに途中から逃げられて、本人自身が失敗した申訳なしといつて、自分の失敗というものをはつきり認めて電報を君のところへ打つて来ておる。あなた方個人の署長と部下という考え方から行けば、同情もあるだろうし、その間の心境に対しておる程度の尊敬も払つておるかもしれないけれども、しかし目的は一つも達しないで、しかもその結果、あなた方は国家のためにと言つておるが、うまく行けばそれは国家のためになつたかもしれぬが、逆に行つたのだから、結局国家のためということからいえばまずくなつた。しかもこの事件は非常に世間的に大きく伝えられて、その結果は国民に対しても非常に不安を与えておる。またある意味においては根室警察は市民というか、道民から相当の批判を受けておる、その責任者である二人の刑事が、職務的にいかに熱心であつたか、あるいはまた決心が悲壯であつたかは別問題として、表彰するということは一体何によつて表彰するのですか、結果によつて表彰するのではなしに、心境によつて表彰するのですか。
○細川証人 お答え申し上げます。今申し上げましたように、この事件はまだ捜査中の事件であります。それでありますから、今その失敗をすぐつくということも私はどうかと考える。あるいはこのことで全然この事件は打切りである、捜査しないのだということなら別であります。しかしながら、つれて行つた行動あるいは逃走されたということも、私は一つの捜査の延長であると考えております。これは実際その衝に携わつた者の気持でなければ申し上げられないことであります。
○篠田委員長 まだ問題が解決しないのに表彰するのですか。
○細川証人 そうではありません。この問題が解決いたしまするときに、そういう気持でおります。
○篠田委員長 仮定のもとに立つて表彰するというのですか。
○細川証人 そうではありません。表彰するというのは、表彰したいという気持でおるのであります。
○篠田委員長 いつ……。
○細川証人 それはこの事件が解決いたしましたときであります。
○篠田委員長 全部成功したときですね。
○細川証人 成功とか不成功とかいう問題は別であります。しかし努力したということについて、私は何とかしてやりたい……。
○篠田委員長 努力したということについて表彰するということは考えられるかもしれないが、それでは取逃がした責任はどうするのか、それは抜きにして表彰するのか。
○細川証人 取逃がした責任と申しますが、実はちよつと申し上げにくいところがあるのであります。
○篠田委員長 作戦上わざわざ放してやつたのか。
○細川証人 あるいはその当時の考えとしては、そういうことであつたかもしれません。
○篠田委員長 それならなお悪い。作戦の誤りではないか。
○細川証人 そうであります。
○篠田委員長 それを表彰するというのはなおおかしい。
○細川証人 ただいま表彰ということが非常におしかりを受けましたが、これはそういう気持なのであります。
○篠田委員長 責任をどうしたのかということに対して、表彰したいという逆の意見を述べたのだね。普通の常識からいえば、そういうものを取逃がしたり、故意に放してやつたことが誤りであつたということになれば、見込み違いでしよう。責任を、程度はわからないけれども、とるべきが普通である。それを逆に上司たる署長が、悲壮な決心を持つて出て行つたことであるから、失敗しても表彰したいという君の個人的気持はわかるが、それは公私混淆しておるのではないか。
○細川証人 よくわかりました。これは二人の労に対して……。
○篠田委員長 君が個人的に家に呼んで酒を飲ませるとか、慰労するということは君の自由だけれども、しかし署長としてその責任を追究しないで、それを表彰しようなどと思う考え方はどこから割出したら出るかということの一応説明を聞きたい。ただ悲壯な決心であるとか、辞表を持つて出かけたとか――辞表を何のために持つて出かけたのか、国家的重大問題で捜査に行く場合に、費用が足らなければ当然費用を追加するとか、その手続を当然とらなければならぬのに、安月給をもらつておる巡査部長に一万円の保釈金を出させて本人を出して、その上に捜査費用まで出させてやつたということは、署長としては重大なる失態ではないのですか。
○細川証人 私の不明のいたすところですが、私は決して責任がないとは申さないのであります。当時二月十日ごろ中野におりました関係で、帰りました結果はそうなつておつたのであります。
○篠田委員長 なぜ自費で出させたのですか。
○細川証人 これは申しますれば、ある方面から二人に対して幾分の費用が出たのであります。
○篠田委員長 それでは自費ではないじやないか。
○細川証人 そうです。しかし出発するときは、所長代理で残つておつた淺野警部補もこの事実は知らなかつたのであります。これ以上はちよつと私申し上げる状態にはありません。
○篠田委員長 それで徐祐相と日本共産党、朝鮮人の団体というか、共産主義団体との関係は、警察でははつきりしておりますか。
○細川証人 徐祐相との関係――本人の陳述たけは……。
○篠田委員長 本人はこういうふうに陳述しておるか。
○細川証人 本人はこの書類にありますが、かつて、茨城県の筑波郡板橋字門前に――実兄が三人おるのですが、一番長兄の大城という兄のところにをるときに、そこの青年部の何か役員をやつておつた。
○篠田委員長 共産党の青年部の……。
○細川証人 はい、そういうことを本人が言つております。
○篠田委員長 それで、こういうことを世間で言つております。日共の八幹部の潜伏先あるいは秘密文書の所在等について、徐祐相が何か供述した。そこでその捜査をあなたの方で国警に連絡したというような事実がありますか。
○細川証人 八幹部がおるということについては、最初私が調べたときには、どこか千葉県付近におるのではないかということを本人は言つておつただけであります。
○篠田委員長 それについて国警に連絡して、国警が漏らしたために、捜査が不調に終つたということはありませんか。
○細川証人 そういうことはちよつと聞いておりません。
○篠田委員長 国警との連絡はうまく行つておりますか。
○細川証人 国警との連絡は、この事件につきましては、第一回から第八回まで、これは全部第八報となりまして、今御報告申し上げた内容と同じことが報告されております。その控えも持つて来ております。
○篠田委員長 私の質問はこれで終ります。鍛冶君。
○鍛冶委員 この紀栄丸事件についてまず聞きますが、あなた、先ほど申述べについて物的証拠がないというお話でしたが、証拠がないために、言うておることが事実であるかどうかがわからぬのですか。それとも言つておることが大体それよりほかなかろうと見ておられるか。その点をまず聞きたい。
○細川証人 これはその他のいわゆる拿捕事件もそのようでありますが、疑えば、実際において本人があるいは金をもらつておるかもわからぬ、あるいは拳銃でおどかされたと言いましても、実際はあるいはそれが向うに渡ることを幇助して虚偽の陳述をしておるのかもわかりません。それで実は北大の今用某が帰つて来るのじやないかという私たちは薄い望みを持つております。これは今まで向うにいろいろな関係で越境した者が、犯罪がなければ、向うの方の処罰を受けなければ、たいがい一週間以内に帰つております。また処罰を受けましても、越境いたしまして密漁をやつたというかどでも、向うの刑は三箇月ぐらいで帰つておる。中には帰らないのも六隻ぐらいおりますが、ことによつたら今回は帰るのじやないかという薄い望みは持つておつたのであります。ただいままででは帰つて来ておりませんが、先ほど申し上げましたように、当時の取調べといたしまして、調書だけはとつて持つておる。この裏づけといたしましても、実はこれは片方の申立てのみでありまして、ただ単に一週間向うにおつたということについては、その油の量とそれから積荷の状態というようなぐあいから判断する以外に何ものもないのであります。
○鍛冶委員 それで現在でもなおそれに疑問を持つておられるのか、それとも言うておることは大体そうだと思つておられるのか、その点をお聞きしたい。
○細川証人 私のところばかりでなく、国警でも管内に発生した事件でありますから、再三の取調べをしております。また海上保安庁でも取調べております。CIC方面でもやつておるようであります。それからまた検事の方でも取調べをしておりますが、おそらく今本人たちが言つているのに間違いなかろう。ことに宿屋にとまつておつた事実は、向うに渡航いたしました二人がとまつた事実があるから、実在の人間がその船に乗つたという点と符合いたします関係からいたしまして、本人の言つておることが事実であろう、こう考えております。
○鍛冶委員 私が一番疑問に思いますのは、きのう聞いてみますと、最初今川をも乗せることをいやで拒絶した、しかるに十五日までにどうしても札幌へ行かなければならぬ用事だといつて哀訴嘆願されたので、同情してそれを承諾した、こう言つておる。しかるにもかかわらず、乗るときになつて二人来たのに黙つて乗せたことにわれわれは疑問があるのだが、その点に対して、あなた方はどういう見通しをお持ちでしようか。
○細川証人 これは向うの根室方面と申しますか、北海道の名沿岸の、特に交通不便のところの状況を御承知の方はよくわかると思いますが、ちようど十二月ごろになりますと、根室方面の旅行者は、蒙古の沙漠を旅行するような状態なのであります。一寸の乗るところでもあれば、それに乗つて根室に帰る、あるいはまた人家に着く、そういうことをしなければもう一月も二月も帰つて来れないというような状態になるわけです。それで見ず知らずの者でも、あの羅臼沿岸におきましては、知円別からあの付近は、もう沖を通つているものをおいと言えば、寄つて来て乗せてやるというぐあいにしてやる、もちろんあそこには命令定期もあります。しかしこれは非常に補助額も少いし、人件費も高いので、油の関係からして、十二月になると危険もありますから、運航は隔日のやつが一週間も十日もないということであります。そんなことから、これを拒否できなかつたのであろうということは想像つくわけです。そしてああいう単純な漁師でありますから、おい、頼むと言えば、よし来たというような単純な考えで乗せてやつたであろうということを考えるのであります。最初今川が名刺を持つて頼みに行つたときに、実は一応あの機関士の方が断つておるわけです。そのときに、中の方で船長が、寝ておつたものですから、私は知らぬから船長に聞いてくれと言つて一応断つておる、そういうようなことですが、こういうような里人のあたたかい気持を持つておる淳朴な彼の気持から乗せたのであろう。警察といたしましては、知らぬ者は船に乗せるなというようなことは、前々から注意伝達しておりますが、あの田島と富樫というのは、きのう調べておわかりのように、紀の国谷が十月三十日まであの船でいかを運搬しております。十一月一日から突然田島と富樫があの船を借りまして、出ものの小運搬をやり始めた。ですから紀栄丸の運航については、紀栄丸というのは、今使いませんが、廃船同様で私の方の船の台帳にはなかつたのであります。これが漏れておつたというような状況で、注意が行き届かなかつたということについては、大きな失敗であつたと考えております。
○鍛冶委員 先ほど委員長からも言われた通りに、あなたの方で現在、今後進むべき事件のために、ここで公表することをはばかるならば、はばかると言つてもらえばそれ以上聞きませんから、さしつかえない程度で聞きたいか、それではこの事件についてあなた方の方で何かのヒントを得ておられると思うが、ほかの事件に関連してどのようなヒントを得ておられるかを聞きたい。
○細川証人 と申しますのは、この徐の事件でございますか。
○鍛冶委員 いや、すべて。ほかの方でも何でも……。
○細川証人 これはその人の感じ方でありますが、私はこういうふうな考え方を持つております。根室の今の土地の状態から考えまして、日本国中で一番外国と境を接しておる、一衣帶水、まつたく指呼の間に外国と接しておるのは根室方面のみであります。他の方では相当に距離もあるのであります。そういうようなぐあいで、あそこがことに人口も稀薄でありますし、この人口稀薄なところに、警察の定員というものを政令によつて一人八百人というような人頭割による警察官の配置が今行われておるわけであります。そういうような関係からまつたくあそこは警察の盲点である、こういうふうに私は考えております。これは国家地方警察といわず、自治体警察といわず、私の管内にも南と北を合せまして約三十キロの海岸線を持つておりますが、南の方にはわずかに巡査部長一名、北の方には派出所が一箇所というような状態で、あのところが非常に盲点でありますので今後こういうような事件が起るとすれば、まず根室だろう。そしてその起つた事件の内容というものは、単なる密脱出とかあるいは密入国というような問題でなく、それらの持つておるその内容というものは、これは実に大きな国家の治安に影響のある問題だということを私は考えております。署員にもこのことはよく伝えております。こういうふうな事件というものをやることが、われわれに与えられたいわゆる国境警備警察官のほんとうの使命であるというふうに考えております。
○鍛冶委員 そのことでなく、もつと具体的なことを聞きたいのだが、一体乗つて行つた者は何人であつて、どういう目的で行つたかということに対しては、どうお考えになりますか。
○細川証人 これは私のほんとうの考えでありまして、そういうことは現地の署長が別に裏づけをしたわけではないのでありますが、その後ハバロフスクかモスクワの二ュース、どちらかわかりませんが、とにかくソ連から入るニュースが、私のうちのラジオに非常によく入ります。日にちははつきり覚えておりませんが、はつと思つたことがあるのであります。というのは、あのピストルを持つて向うヘ渡つたときに、自分には五万人の同志云々ということを漏らしております。ところが平和署名運動の五万人の名簿が届いたということを、モスクワ放送でちらと聞いたような気がいたすのであります。そんな関係から、今のような向うに密脱出するということが、単なる国外逃亡ではなしに、一つの何か国内との大きな連繋を持つ仕事だ。また人つて来るにいたしましても、そういうような武器であるとか――武器と申しましても、一人が携えて来る武器くらいは問題ではありませんし、また小さな機帆船で持つて来るような武器は問題ではございませんが、そういうような一つの思想的な謀略で、住民が根室に住むことについて非常に不安を感ずるような一つの謀略、あるいはまたかに工船が盛んに拿捕されますが、このことにつきましても、一つの産業破壊謀略というようなことも考えられます。こう考えております。
○鍛冶委員 昨日田島に聞きますと、追放にされておる日共幹部の一人に、写真を見てよく似ておると申しましたが、これについては何かあなた方の方で考えておられることはないか、しかし言いにくいことならよろしゆうございます。
○細川証人 当時やはりそういうことを私たち聞いてみました。どういうような人であるかということを知りたいのでありますから……。しかし乗せた時期が、午前の一番鶏が鳴いたとき目をさましたというので、時計を持つていないからわかりませんが、午前二時であります。当時の状況を見ますと、曇つておつて、月がありません。それからその後において、ピストルで脅迫されたときにおいては、もう本人たちは相当恐怖驚愕しておるわけであります。ですから、本人たちの言う人相は、いろいろ想像によつて聞いて見ましても、この人間だ、あるいはこの人間でないというような確信を、私たちは持てないわけであります。むろんまたわれわれの方にもそういような資料が全然ありません。そういうような状態であります。
○鍛冶委員 それから今度は、先ほど委員長もちよつと言われたのですが、一体執行猶余の期間中に、あらためてまた同様な犯罪を犯す。そして控訴したからといつて、普通ならばそう簡単に保釈は許されぬと思いますが、これは何か目的があつて、特にどこからか保釈をした方がいいというようなことでもあつたのではないのですか。これも言いにくければよろしゆうございます。
○細川証人 これは先ほど委員長さんに申し上げましたように、本人たちにもあとからある方面から若干の旅費が出たというのと同じ意味であります。
○鍛冶委員 それから先ほどあなたがちよつと言われたが、保釈中の者が他に外出するときには、許可を得なければならぬはずだというようなことだが、この許可は普通どうしていますか。所轄警察で許可をすればいいということになつておるのか、また検事の許可がいるのですか、それは実情はどういうことになつておりますか。
○細川証人 これは本人から、許可を直接その釈放指揮をしたところの検事に申請することになつておると思います。警察がこれを取扱うということは今までやつておりません。
○鍛冶委員 そうすると、その許可も、ほんとうは警察自身がそうやつて一緒に行くくらいですから、警察がついて行くときには、まず検事の許可を得ておかなければならぬということはわかりそうなものだが、それらについても許可がなくてもいいというような何かあつたのですか。
○細川証人 これは検事も、釈放して仕事をすることを私は知つておつたと思います。私と非常に親しくしていただいておる人でありますし、またその検事が、この捜査の内容を全然知らなかつたわけでもないのであります。この情報は逐一検事の方にも行つておるわけであります。
○鍛冶委員 大体ほぼ推察されますが、それでは現在まだこの事件は打切つておらぬというお話ですから、今後ともこれに対して相当の発展性を認め、またあなた方としてもやるという確信をお持ちですか。
○細川証人 これは単なる窃盗とかなんとかいうような簡単な事件ではございませんので、私最初の考えでは、少くとも半年はかかるものであると考えておつたのであります。この漁夫の言うことが事実であるといたしますれば、その裏づけというものが――最近ぱつたりやまつたので苦しんでおりますが、旅費その他の関係で他に出て行くこともできないので――あらゆる情報が集まりますと、国家地方警察釧路方面隊の警備と連絡して、あの大きな国家地方検察の仕事としてやつてもらうというふうに、方面隊の隊長とも緊密な連絡をとつております。
○鍛冶委員 それではわれわれとしてはこれ以上はやりませんが、先ほど表彰とか今後のことについては、あなたの言われたことは気持を言われたのだろうが、まだそこまで言うべき筋合いでなかろうと思います。相当の効果を上げるべく自信をもつてやられて、しこうして効果が上るか上らぬかの後に、われわれはまたあるいは聞くことにいたします。私はもうこれ以上はしません。確信を持つて進んで行くことを希望いたします。
○福田(喜)委員 証人に一つニつお尋ねしたいのであります。一番初めに紀栄丸の事件でございますが、状況からお尋ねします。現地におきましては、国後島と根室ないし羅臼の地図を見ますと、ちようど熱海と初島みたいな距離があるらしいのですが、現地におきましては一衣帯水の国境地帯でありますので、ソ連を控えまして、住民のおびえと申しますか、恐怖と申しますか、そういう気持がどの程度にあるか。それから出入国につきまして、紀栄丸自身が、今あなたの証言によりますと、廃船であつたという事実と、その行為の事実を、実を言うとあまりよく知らなかつたというふうな状況でありますが、こういうふうな廃船あるいは小型の伝馬船みたいなものによりまして、密出国あるいは密入国というものが、知らざる間に相当行われておるのじやないか。こういうことが推測されるような事実がございますか。
    〔委員長退席、島田委員長代理着席〕
○細川証人 まず第一にソ連領との関係でありますが、根室の町に立ちますと、まつたく鼻の先に国後が見えておる。春になりますと山が青くなりまして、青々とした草木がほんとうに新鮮にわれわれの目に迫つて来るのであります。ことに根室には国後、歯舞二島から引揚げた引揚者が相当ありまして、これらの島に帰れというような歌までつくつて、一日も早く帰ることを願つておる状態でありますが、これが実に大きな望みなのであります。ところが最近いろいろな新聞なんかの報道を見ますと、国後にある兵力が集中されておるというようなことから、また一面ある方面の一つの宣伝と申しますか、根室を戦場にするなというような宣伝でありますが、こういうようなことは、よくもののわかつておる人は、郷土を戦場にするなという気持はわかるのでありますが、簡単に考える住民は、いかにもその戦争がすぐ始まるんだというような気持から、相当不安の念を持つておるということはいなめない事実であります。その一例を申し上げますと、これはほかにいろいろな原因もありましようが、根室に対する学校の教官、それから警察の署員の希望者がほとんどなく、定員に満ちたことがありません。いつでも欠員であるという状態であります。さらにまた、これは根室の産業にも相当原因がありますけれども、昭和二十年の終戦時よりも人口が約二千くらい減つております。当時二万三千有余といわれておつたのが、去年の十月の国勢調査では二万二百四十何名ということになつております。これはむろん島を失いました関係から、奥地の方へ入つて行つたという事実は間違いないのでありますけれども、一つはやはり、そういうような心理的な影響も決して見のがせないと考えております。しかし根室で長く父祖重代漁をしておりまする者は、いわゆる海の男子の魂のしつかりしたものを持つておりますので、あの危険な三海里の沿岸漁業、それから太平洋の漁田を開拓しまして盛んにやつておりまするが、どうしても今のソ連に対する対外的な関係が深刻になつて参りますと、産業の面に及ぼす影響が非常に大きい。ただいま二十二箇所のカン詰工場がございますが、これは毎日ほとんど半分くらいしか煙を吐いておりません。半分くらいは操業ができないという実情であります。
○福田(喜)委員 住民に対する国境地帯の影響というものはおよそわかりましたが、密出入国というのは、いかに監視の目を光らせても相当あるというのは、われわれは認めていいことですか。
○細川証人 密入国は今までは絶対にないという確信を私は持つております。それはこういうことから申し上げることができるのであります。これは漁師とかその他の海を渡る足を持つている者の訓練が大切であります。私のところでは漁師の点々と沿岸におります者を警備補助員として十二名委嘱しておりまして、町費から年額一人二千円出しております。さらにそのほか密入国監視員というものを、これも委託いたしまして六名持つております。それで南北の海岸に特別警邏船を設定いたしております。これは二人組のパトロールでほとんど毎日この補助員の間を連絡するという仕事をさしておるわけであります。結局他の海のないところの町なんかに比べまして非常に負担が多いのでありますが、これもわれわれといたしましては、もし密入国あるいは脱出があつたという場合には、これは何といつても国民に申訳ないという観念から、この間の田島信申氏の事件におきましては、大きな失態であつたということを痛感しておりまするが、今後は極力そういうことのないように、この方面の警戒を厳重にするために、むろん小さな計画も立てておるわけであります。
○福田(喜)委員 あなたのさつきの証言によりますと、土地の習慣上、漁師なんかの間には、船に乗せるということが、土地の仁義といいますか、温情といいますか、人情風俗として行つているということである。とすれば、取締り上、国境地帯であるこういうところには――外国、たとえばスイスあたりでは、フランス、ドイツ、イタリアと国境を接しているので、女中さんまでもパスポートを持つている。パスポートを持つていなければ電車にも乗れないという現状なんですが、そういうような乗船証明、一種のパスポートですが、そういうものがなければ船の乗船、下船をさせないような制度が必要と思われませんか。
○細川証人 ちよつと余談を申し上げますが、北海道あたりでは例の山火事の危険がありますので、山にものをとりに入る、きのこであるとか、あるいは草の実、野草類の採取の場合に、入林許可証というのを出しておりました。現在でもやつておるはずであります。私ども警察でもやつておつたのであります。こういうように臨時の乗船証明書というようなものを発行するということも考えておりますけれども、これはそういう警察官の配置のあるところはむろんいいのでありますが、しかしながら先ほど申し上げましたように、今度の事件は、あそこは巡査部長派出所があつて巡査が一人おるのでありますが、百六十キロもあるこの長い沿線に巡査部長派出所がたつた一つしかないのでありますから、これを要求する方が無理だと思います。
○福田(喜)委員 問題は、警官がいなくても、船の運航をしている人、交通の要衝にあたるところの人にそういう一応の調べをさせるために、身分識明のようなものを携行させるということを必要だと考えられませんか。
○細川証人 そういうふうな法律の制度ができまして実施されれば、われわれとしては非常に取扱いやすいのであります。そういうことの実現が可能でありまするならば、やつていただきたいという希望は大いに持つております。
○福田(喜)委員 それからさつきあなたが言われましたが、いろいろ捜査の過程にあたつて、武器が相当動いている模様があるのじやないかと思われますが、これは相当の確証というものが考えられますか。確かにそういう気配があるということは、われわれは新聞でも聞いております。休会前の委員会においても出ましたのが、深川で強盗を捕えたら、持つておつたのがソ連製の拳銃であつたという事実がありますから、これは動いておるのは事実であると思いますが、捜査過程においてそういう事実があつたかどうか。これは答えられなければいいです。
○細川証人 お答えいたします。徐祐相が雇われておりました、先ほど申し上げました古物商の中元助之という朝鮮人が、徐祐相が十二月十三日の逃走をする前日に、ブローニングのような拳銃を持つておつたと申しておりました。ブローニングというのはどんな形だつたかというと、平ベつたい警察の拳銃より少し大きいのだというので、これも両方対決までさせたのですが、しかし本人は、持つていなかつた、そんなものは見間違いだというのです。中元助之は、お前は持つておつたじやないかというのですが、これはお互い朝鮮人同志の水かけ論になりまして、私にこういうようなことを進言したのであります。電気を爪の中に入れて、そうして電気をかければあの男は白状するのだというようなことまで中元は進言いたしました。しかしそういうことのできる問題ではありませんので、結局このことは本人は絶対に拳銃は持つていなかつた、あれは書類だつた、あれは武器を配分したり、あるいは運んだりするところのいろいろな計画書であつたということで、この事件が発展して来たのであります。
○福田(喜)委員 あなたのお考えでは、かりに武器が動いているとすれば、その目的――御承知のごとく一月ほど前の週報にも、北辺人民政府というような記事があつたのでありますが、何かそういうような動きと武器の動きの模様を結びつけて考えられる節がございましようか。
○細川証人 お答え申し上げます。これはああいうような記事もありまして――その事実というものはどの程度信じていいかわかりませんが、ああいうような活字になりますと、私たちはどうしてもそれを信じたくなるわけであります。また新聞に載りますとどうしても信じたくなるものですから、結びつけて考えまして、武器がある方面からこの国内に流れ込んでおるということについては、数量とかあるいはその方面とかいうことについてはわかりませんが、どうも徐の情報を総合してみますと、彼らにはこのことがほぼわかつておるのだ、あるいはこの中にもありますけれども、北鮮方面との連絡なんかもやつておるのだということを本人は言うておるのであります。それはだれがやつたということは、これに名前が書いてありますからごらん願います。
○小松委員 一、二お尋ねしたいのであります。昨日紀栄丸の船長のお話によりますと、船に乗せた二人の人の名前は、その当時はわからなくて、後においてこれがわかつた、かように申しておりました。この人たち、今川さんと村尾さんというこのお名前は、警察のお調べによつてこれがはつきりしたのでありますか、それとも船長や機関長の報告によつて、この人々の名前がはつきりしたのであるか、まずそれを伺いたい。
○細川証人 この今川というのは、富樫船長が名刺を一応もらつたのであります。しかしこれは返したとたしか申し立てておりますが、そのときに今川ということだけを知つておつたのであります。その今川というのが根室支庁に寄つて、十五日札幌に会議があるので、それまでに帰らなければならぬということを漏らしておつたというので、私どもでは支庁を調べてみましたが、支庁の方にはそういう人は何ら寄る用件もなければ、連絡もなかつたということから、その今川というのが札幌だというようなことから、国警の釧路方面本部と連絡いたしまして、札幌管区本部の方から北海道大学の方を調べてみました。そして今川英男がはつきりしたのであります。そうして写真も入手いたしました。さらに村尾というのは、これは宿帳によつてたしか国警の方で当りをつけたと思つております。私どもの方ではこの村尾というのは国警本部の方から、一人はこういう名前だということの連絡をもらつております。
○小松委員 今川さんのはさような関係でよくおわかりになつたのでありますが、村尾さんというのは、宿帳によつてお調べになつた。それでこれはあなたの方でお調べになつたのではなくして、国警が調べたのですな。もしあなたの方で宿帳をお調べになりましたならば、そのときに宿屋の人たちにこの人たちの人相もよくお聞きになつただろう。こういう人たちの人相がどういう人相であつたか、今手配中の人々の人相によく似ておつたかどうかということもお調べになつただろうと思いますが、そういう点についてひとつお聞かせ願いたい。
○細川証人 ただいまのことについてお答え申し上げます。実は国警の釧路方面隊の方で調べたというのは、乗船いたしました地点が標準地区警察署、すなわち釧路方面隊管内、国家地方警察の管内なのであります。紀栄丸で船長、機関長の二人が点のところから国家地方警察の管内に仕事に行つておつた。そうして事件が国家地方警察の管内で発生して、私のところへ帰つて来ておるわけであまりす。それでこれは共同捜査をやつて、船長と機関長並びに船の方は私の方ですぐに捜査して、CICの命令によつてこれを連行しております。それから乗船した者の人名、人相その他の調査は、これは国警の釧路方面本部の方で隷下の警察署に命令して捜査しておるのであります。
○小松委員 村尾啓一郎という人の現住所がどこであつたかというようなことは、宿屋の帳面に書いてあつたろうと思うのですが、そういうことについて釧路管内の署で調べたとしても、あなたの方に、そういう人物がはたしているのかどうかというようなことの連絡は、その当時なかつたのですね。
○細川証人 お答え申し上げます。村尾は私の管内には来ておらぬのであります。羅臼と根室は陸路にいたしまして約四十里も離れております。それから入つて行くところの鉄道線路が違うのでありまして、原床、中標津方面からまわつて入つておりまして、私のところを通過しておらぬのであります。そんなところからこの捜査は速球に国家地方警察と自治体警察とで共同捜査という状態になつたのであります。
○小松委員 あらたの方は御調査なさらなくても、共同捜査として重要な事件であるがゆえに、いろいろそういう人たちの人相とか、あるいは住所等について連絡があらなければならぬと私は思うからこれをお尋ねしておるわけです。全然そういう連絡がないのですな。
○細川証人 それはどちらの方から……。
○小松委員 調べた警察から……。
○細川証人 それははつきり連絡が来ております。国家地方警察の方からこういうような人相であつたという連絡も来ておりますし、私の方から船の状態をむろん連絡しております。むろん富樫、田島の二人は私の署で――同じ建物の中の署でありますから、私の方でも調べ、上でも調べておるというぐあいで、両方で調べております。私の方でも連絡しております。
○小松委員 その人相は今捜査しなければならないような、たとえば日共の幹部というような人に似たような人相の人でなかつたのでありますか、さようにあなたの方では思わなかつたのですか。
○細川証人 やや似ておる人が一人おるのであります。しかしこれは田島の言うのと船長の言うことが違う。田島の方はこの人によく似ているという。そうすると船長の富樫の方は、いや全然違うと言うのであります。ある方面からの写真を見せてもらつたところが、それがそうだといふことを言うております。しかし私はその写真は実は見ておらぬ。ある方面と申しますのは、こちらの方からもいろいろ資料が出ておるわけであります。何だか私の方ではこのとき乗つて行つた人間を把握しておらぬというような関係になつておるのてありますけれども、私らの方も何とかしてこれをつかみたい、把握したいという気持であつて、努力は十分にしております。また事件が国警の管内であり、ことに調査する場所が国警の管内であり、相当範囲が広いのでありますから、これは私のところである情報を得ましたならば、釧路方面隊に連絡いたしまして、そうしてその方面でやつてもらうということが非常に仕事も早く、スムーズに行くわけであります。そんな関係で、私のところから出張してあの管内に行つて調べるようなことをしておりません。ただ、ごらん願えばわかりますが、ここに逐一当時の状況は報告をしております。
○小松委員 だれかにやや似ておるというその人相は、どういう人に似ておるかをここでお話願えませんか。
○細川証人 申し上げておけつこうでございます。これは田島が言うのですが、あごの付近、口のしまつておるあたりは竹中恒三郎さんに似ておる。それからめがねをかけておるところは紺野与次郎さんに似ておる。こう言つております。
○小松委員 まあその点はそのくらいにしておきます。それから徐の問題でございますが、徐の保釈金をあなたの署の岡川巡査部長が個人で一万円をお立てかえになつた。決して立てかえたことがいいとか悪いとかいう問題ではありませんが、この立てかえた保釈金は、その方はその後において自分でまたおとりになつているのですか、そのことはお聞きになりませんでしたか。
○細川証人 これは没収になつたと思います。そうして実はこの岡川巡査部長が出しておりますが、この事件のために、非常に奥さんも本人のそういう決心を見てからだを痛めまして、遂に流産いたしまして、この間入院いたしましたが、公安委員会の一人が、それはおれが出してやるからというので、私のところの公安委員会の委員が一万円を先日出してくれて、本人は損耗を受けておりません。
○小松委員 あなたのお話のうちに、この事件に関連しまして福島県の有力な人が、いろいろ深く御関係になつておるというようなお話があつたのですが、それは一体日本人なんですか朝鮮人なんですか、どういう方なんですか、名前をおつしやれればひとつ伺いたいと思います。
○細川証人 これは書面で御報告いたすことになつておりますが、日本人も一人おります。それから朝鮮人も一人おります。二人おります。あとで書面でごらん願いたいと思います。
○内藤(隆)委員 紀栄丸というのは、あなたのさいぜんの証言では、廃船同様になつておつたとおつしやいましたが、そのとおりですか。
○細川証人 はあ。
○内藤(隆)委員 そこでその廃船同様のものを十一月に冨樫と田島が借りた、こういうことになるのですか。
○細川証人 そうです。
○内藤(隆)委員 その借りた目的は何でしようか。
○細川証人 これはわずか六トンの船でありまして非常に水が入る。それで使用するのに非常に危険だというので、紀の国谷がいかの生積みをやつたあとまこうということになつておつたのを、この若い二人がこの際もう少しやろうというので、何でも機関士を十二月一ぱいで一万五千円かの契約で乗り込ませまして、そうして富樫が箱を持つて行つて生魚を積んで来るという仕事に携わつたのであります。ところが十一月二十五日に出て行きまして、知円別に行つたとたんに、ボロ船でありますから、とうくしけのためにまかざるを得なくなつた。そこで陸に十何日も仕事をしないで上げておつたわけであります。そうして修理をいたしまして、十二月の十一日に知円別から三十六個の引揚げ荷物を積んで、そうして羅臼に入つて天候の回復を待つていたわけであります。
○内藤(隆)委員 そうすると十一月に借りて十二月十三日ですか、羅臼から出発するまでの間、一ぺんしか航海していないわけですな。
○細川証人 これは一回ではないと思いますが、今のところはつきりその記憶はございませんし、そういうことが何回か回数を調べたことはございませんが、何でも魚箱を積んでニ回くらいやつておると思います。しかし魚の箱を積んで参りましても、魚がない場合には、魚のとれるのを待つておるわけであります。ですから魚を積む人夫とか、その他の者をなるたけ減らしておるから、働く時間がかかるのであります。そんな関係であまり回数はやつておらぬと思います。
○内藤(隆)委員 十一月に借りたときから十二月のころは、漁場は一番盛んな時分ですか、または閑散な時分ですか。
○細川証人 十一月に借りたときは、漁は、いかにいたしましてもほとんど最終であります。但しあきあじが南の方へ――南の方と申しましても、羅臼からずつと南の方に行きますと、川口でありますけれど、もうほとんど…………。
○内藤(隆)委員 そうすると、そういうボロ船を、ことさらに漁場が閑散になるのを目がけて借りたということになるわけですね。
○細川証人 まあそういうことに…………。
○内藤(隆)委員 そういうようなふうに見てもいいですね。そこで昨日田島機関士の前身を聞いてみたところが、郵便局の配達人をしておつたということを御本人は答えておられましたが、さうでしようか。
○細川証人 これは小学校を卒業いたしますと郵便局の配達をしております。その他いろいろの仕事に携わつておるが、まあ船乗りが一番長いのであります。その船乗りと申しましても、大きな船でなく。沿岸通いのほんとうのポンポン発動機船、これの飯たきなんかやりながらだんだん一人前の漁師になりまして、今は共同でやる分方の仕事をしておるというような状態であります。
○内藤(隆)委員 田島という男は、一時全逓、というと、共産党が非常に牛耳つておつたのですが、そういう組合にでも入つておつたようなことはありませんか。
○細川証人 そういうような前歴は持つておりません。持つていないということは確言はできませんが、少くともそういう方面で動いておつたというような人間ではないのであります。
○内藤(隆)委員 郵便局の配達をやめたのは、要するに漁業をやろうということが目的でやめたのですか、何か他に職をやめた理由がありますか。
○細川証人 それは申訳ありませんが調査をしておりません。結局漁師をやることによつて非常に収入が多いというような関係から――郵便配達なんというのは実際言うとあまり収入のいいものじやありませんし、それからおやじが船乗りでありますし、兄も船乗りであります。一家全部海に生きておる。こんな関係であつたと思います。
○内藤(隆)委員 ここで私の想像ですが、紀栄丸という廃船同様の船を、ことさらに漁場が閑散になるのを目当にして、一万数千円で借り受け、しかもこの紀栄丸は、羅臼から根室の間を一回か二回しか仕事をやつていないのでありまして、ここにこの船を借りた目的を考え得るものがないかどうかということをお聞きしたい。
○細川証人 今のような條件から考えますと、まさにその通りであります。しかし船長の富樫、機関士の田島という人間は、どういうふうな仮面をかぶつておるかわかりませんから全面的に信用するわけには行きませんが、この二人の状態から考えまして、むろん切上げ近くなつておるのですから、仕事があまりたくさんないことは想像されるのであります。しかし海さえしけなければ、根室の北でとつた魚は全部根室の市場まで持つて来なければならないのであります。しかも何十トンもある大きな船で運ぶほどとれません。結局あのポンポン船の小さいのが非常に有利な仕事ができる。何百トンという大きな船、あるいは三十トン、五十トンという船になりますと、船員も少くとも六、七名はいります。ところがあれならば三人でけつこう三十個、四十個の荷物を積んで来ることができる。結局は海における馬車追いです。北海道では馬車追いと申しますが、陸で米を二十俵か三十俵積んで運んでおります。この海における馬車追いです。
○内藤(隆)委員 この船はすべて登録か何かされるわけですか。
○細川証人 されます。
○内藤(隆)委員 そうすると廃船できるようになる場合には、やはり一応届出をしなければならぬのですか。
○細川証人 そうです。
○山口(武)委員 初めに紀栄丸の方の問題で証人にちよつとお伺いしておきたいのですが、あなたの警察の管内で今までソ連の船から拿捕されているというような事件は何べんもあるのですか。
○細川証人 表を持つて来ておりますからちよつと申し上げますが、昭和二十一年度からただいままでに、五月十日現在で五十八隻拿捕されております。そのうち本年のは六ぱいでありますが、これは今のところ未帰還と決定しておりませんが、二十五年度までの間に未帰還の船は五隻あります。
○山口(武)委員 拿捕の理由は何でしようか。
○細川証人 お答え申し上げます。拿捕の理由はマッカーサー・ラインの不法越境ということになつております。しかしこれが論議の中心になるのでありますが、マッカーサーラインを越えて漁をするという場合に、これは底びき網であるとかあるいは流し網であるとかいう場合は別でございますが、かに船の場合は、マッカーサー・ラインを趣えて漁をするということは絶対に考えられないのであります。御承知のようにかに船の持つておりますかに網と申しますのは、一反の長さが三十間くらいありまして、幅が八尺ないし十尺、網目が一尺平方くらいの網目になつております。足は鉛、アバがついておりまして、さらにその上に梵天が波の上に二間ばかり出ておつて、それに標識、名前がついております。これを六十ひなろいし百ひろの海中に沈める。だからマッカーサー・ラインの上にこういうような手型を置いて来るということは、これはもうおそらく考えられない。最近盛んに不法拿捕というような言葉を使つておりますが、ああいうような言葉を使うことを私はどうかと思います。またソ連に対する影響ということも考えないではありません。しかしこれはまた一般に拿捕された者が、不法拿捕だとみずから言うので、ああいうことになつております。その他濃霧のために迷つて行つたというようなものは、たいがいその事実がわかれば三日ないし一週間で帰つて来るのです。しかし今年のごときは、かに船に対しては一隻も帰つておりません。ただいまことしの四月の二日から五隻かに船がとられておりますが、五隻ながら帰つて来ておりません。
○山口(武)委員 マッカーサー・ラインを越えると、かに船の漁が特によくなるということは考えられませんか。
○細川証人 お答え申し上げます。マツカーサー・ラインを越えて国後あるいは志発その他の島々の近海に行きますと、漁が多いことはこれはもう明瞭な事実であります。しかしそれは多いというのは、終戦前において漁業をやつておりまして、その当時の経験からの推測であつて、実際はそこに行つて漁をして来た者がないのでありますから確言できませんが、漁師はそれについてマッカーサー・ラインの延長といいますか撤廃といいますか、そういうことをほんとうに熱願しておる次第であります。
○山口(武)委員 そうしますと、かに船以外の船がマッカーサー・ラインの以内で拿捕されたということがあるのですか。
○細川証人 これは事実マッカーサー・ライン内である、あるいは外であるということの調査は非常に困難をきわめます。と申しますのは、これが二点観測、二点の地点から前方交会法による観測でもできれば、その地点がはつきりわかる。それから三点の前方交会法の観測をやればはつきりわかるのでありますが、そういう設備は今のところ警察にもどこにもありません。ただ納沙布の燈台にありますところの一箇の望遠鏡によつて、ほぼあの付近がマッカーサー・ラインだから、あの付近が危際区域だという、この縦の線一本だけしかわからない。それから北あるいは東の方におけるラインというものは、このラインを横に見ておるのですから、船が越えておるか越えていないかということに対する観測というものは、これはもう本人の陳述以外には全然確証は得られません。それにまた越境して漁をしておつたということがソ連から確認されまして拿捕されたものは、必ず向うで処罰されております。その事例は二十五年三月十七日に大量拿捕がありました。私の方の管内で十六隻つかまつたのでありますが、このときにはまさに向うに越えておつたわけです。わずか半マイルかそこらですけれども、そのことによつて向うで全部刑を申し渡されて、その刑の執行を受けて帰つて来ております。そんな関係で検察庁においてもこれを取上げましたが、一時外国において処罰を受けておるものでありますので、起訴はいたしておりません。その他のものにつきましては、その越境の事実というものは、もうほとんど不可抗力といつていいと私は考えております。たとえばこの紀栄丸の脅迫によるところの越境、あるいはまたあの咫尺を弁じないところの濃霧の中におけるところの越境、あるいは発動機の故障によつて吹き流されました場合の越境というものは、まつたくマッカーサー・ラインすれすれのところで漁をしておるというようなところから、そのような事件が起るということはこれはいなめないのであります。またそんな危険な区域に行つて漁をしなくてもいいじやないかという考えも起るかもしれませんけれども、今のあの根室の近海としましては、何としましてもあの国後方面の漁田、これがだんだんとこのラインの外に入つて来るのであります。それと南の方の太平洋の漁田、これにすがるより方法がないのであります。内地船がどんどんやつて来て、釧路の方から厚岸、また根室の沖まで押し進めて来ておりまして、結局根室の漁民は、生きんがためには危険区域すれすれまで行つて漁をするのもやむを得ない事情になつております。
○山口(武)委員 私がその問題を聞きましたのはこういうわけです。あなたはさつきかに船が拿捕されるのは、産業破壊の謀略のために行われるのではないか、こういうような私見を述べておられる。ただいまのお話を聞きますと、マッカーサー・ラインすれすれに行つておつて、濃霧のために認識がよくできないという問題、そのような理由から越境するということが不可抗力の問題として起ることがあるのだ、ことにかに船の拿捕という問題について、あなたは一週間も標識を明らかにしておくのだから、なかなか越境はできないということを言われましたが、一週間も標識を明らかにしておくから越境と認められて拿捕される事実が多いのではないか。だとすれば、そのことをあなたのいう産業謀略というふうに考えていいものかどうか、この点を聞いたわけですが、いかがですか。
○細川証人 お答え申し上げます。これは各人主観の問題でありますが、かに船が拿捕されまして一隻も帰つて来ないという事実に、必ずしも拿捕された全部が越境しておつたとは私は考えません。というのはその後においてます船が一隻拿捕されましたが、そのます船は三日にして帰つて参りました。当時の状況をその帰還したところの乗組員から聞きますと、かにの網をさしてあるところというものは、七マイルもマ・ラインのこつちである。その七マイルも内方で仕事をしているところへ、向うの監視船が遊弋して来て、連れて行つたというようなことを言うておるのです。これは現地でこれを見ておるのでありますが、これははつきりした測距儀を持つておりません。観測機械を持つておりません。ただ単にこういう小さな一箇三百五十円か四百円の羅針盤だけで、表針で出て行つて裏針で帰つて来るというような状況でありますから、はつきりしたことは申し上げられませんが、少くとも彼らの言うことを聞きますと、相当マ・ラインから何マイルというような内面のこちらの方で仕事をしておる、また実際網がそこにささつておるそうであります。このことも海上保安庁と連絡いたしまして、その網のささつておる状況を一体視察してもらつたらいいじやないかという話を伺つておるわけであります。産業謀略ということはこれは私の主観であります。
○山口(武)委員 念のためにもう少しお伺いしますが、はつきりした測定器も持つていない。それから全体の問題としてあなたは今の一例をあげられたのじやないということはわかります。それでもなおそれを産業破壊謀略というようにあなたが考えていいものですか。
○細川証人 これは私の主観でありますから、もしこういうことを言うことが何らか責任を問われることになれば、私はやむを得ないと考えます。
○山口(武)委員 それでは事実をお聞きしましよう。徐祐相の事件につきまして、取調べの問題その他のことにつきまして、先ほどからいろいろ応答があつたようでありますが、その話の間に一番重要な問題として出されておりますのは、保釈の問題がきわめて不朗朗である。それから保釈金の一万円ということも少くとも普通の正気のさたではないような形において行われておるわけではありますが、この際よくあなたの言われておるある方面、ある方面というのはどういうことですか。ある方面では一向にわからない。これではどんなごまかしもつくのです。ある方面ということを具体的に明瞭にしてください。
○細川証人 お答え申し上げます。いろいろな事象の中には――捜査中のものでありまして、そういうことを言うことによつて非常なる妨害を来す場合があるのであります。私は警察官を二十一年何箇月やつておりますが、決して昔の警察官の行き方というようなことは考えておりません。しかし捜査の面というものはやはりこれは同じであります。新聞にすつぱ抜かれるということが――むろん国民は警察のやつておる仕事の内容、その他についても知りたいでありましようけれども、しかし機熱さざるときにおいてすつぱ抜かれるというようなこと、あるいはまたある方面と申しましたことによつて、もし御推察がつかなければ私はやむを得ないと考えております。それによつてもし責任を問われるならば、私は潔く責任をとります。
○島田委員長代理 ちよつと申し上げますが、大分時刻も過ぎておりますが、あなたの通告順は遅かつたので、お気の毒だとは思いますが、午後にもう一人証人を喚問しておりますから、ごく簡単に願います。
○山口(武)委員 私の方は委員が一人なんです。それでたまたま順番をあとまわされたわけです。あとにまわされて私だけに時間を制限されるというやり方はうなずけない。
 事件の内容について、なるほど問題の機密は保持しなければならないというようなことはあり得ると思いますが、私は先ほど来ある方面方面ということについで聞いておりますのは、それは仕事の指揮の問題じやないかと思うのです。どこから仕事のさしずが出ておるということの問題だと思うのです。仕事のさしずがどこから出ておるという問題が、事件の発展のため、あるいは捜査のためにどのような支障を来すか、これは了承しがたいことです。この点を明らかにしてもらいたいと思います。
○細川証人 私はどういう方面と申し上げることが、事件の捜査の上に障害があると考えます。
○山口(武)委員 たつてある方面ということを明らかにしないなら、明らかになる時期もあるでしよう。それはそれでよろしいのですが、あなたは先ほど委員長からの再三の質問のあげく、徐祐相をわざわざ離してやつたのかと言われましたところ、そういう意味もあるというようなことを言つておりましたが、これはちよつとわれわれに了解できないわけなのですが、これは先ほどの答弁のように、わざわざ離してやつたというような意味を持つているのですか。
○細川証人 わざわざという意味ではないのでありますが、これは本人の行動というものをわれわれの方で束縛する何ものも持つておらぬのであります。委員長さんから御質問がありましたので、私非常に進退きわまつた状態になつておりましたが、実際において、本人が一旅行をいたしましても、その許可を得ないからというようなことのみをもつて、すぐにこれに対して警察が緊急措置をとるということは、これは認められておらぬのであります。その点本人の自由意思によつて行動してもらうということで、結局つかず離れずおつたのですが、これで逃げられてしまつた。あるいは当時岡川部長が、本人のほんとうの意思で、本人だけを離してやつてみたいということを、私の代理であるところの次席警部にも言つておるような事実がありますので、私はその点までは追究しておりません。しかし今だに何かそこに得るものがあるという確信を持つて捜査を進めておるということだけはひとつ御得心を願いたいこう考えております。
○山口(武)委員 徐祐相が保釈になつたということになつておるのですが、この保釈につきましては、警察の部長が保釈金一万円を出しておる。それから身元引受人というものも正常の状態ではない。それからこのことに関しては、ある方面でも、検事も事情を知つておるのだというようなことを言われておりましたが、元来保釈というものはそういうことでやるものではないだろう。どうも普通の保釈とはこの保釈は受取りがたい。徐祐相というものを警察のスパイとして使うために、保釈という形式とつたのだ。われわれにはこういうふうに受取れる。あなた方のその後の行動におきましても、この徐祐相に対する扱い方というものは、そういう解釈を生むようなことになつておるのです。これはやはり正常な保釈として考えられますか。
○細川証人 簡単にお答え申します。正常な状態であるかということ、それからこれは非常に矛盾のある状態であるということについては、そういふうにお考えになる向きもありましようけれども、当時の状態といたしましては、この警察の方でとつた措置というものは、これ以外に手はなかつたということに盡きるのであります。
 それからまた今のお言葉の中に、スパイというお言葉がありましたが、私はスパイという言葉につきましては、実に情ない気持を持つておりまして、そういう言葉は今の警察、むろんその他の官庁、あるいはその他のあらゆる機関、日本の国内には、スパイという言葉は私はないと信じております。
○山口(武)委員 どういうわけでそれならば警察の部長が一万円の保釈金を出すというような、非常に普通にあり得ないようなことがとられたのです。
○細川証人 ただいま申し上げましたように、この手段が最上のものであつたのであります。
○山口(武)委員 それはこの徐祐相というものを使つて次に事件を発展させるというような、徐祐相に対する利用価値の問題を考えてなされたとしか考えられませんがどうですか。
○細川証人 それはそういうふうにお考えになつてもやむを得ません。私はこれに対して何も申し上げません。もし私のとつた行為について御叱責があるならば、私は潔くこれをお受けするつもりで本日出頭して参りました。
○山口(武)委員 今言われましたが、質問に対して答えられぬというのはどういう意味ですか。
○細川証人 私が今申し上げましたのは、この事件につきまして私の失態がありましたならば、潔くこれをお受けする覚悟で出て来たと申し上げました。答えられませんとは申し上げません。何事でもお答え申し上げます。
○山口(武)委員 私はあなたの失態を問題にしておりません。そういう質問を初めからしていません。なぜこのような、きわめて特殊な形において保釈がなされたかということを聞いているのです。それは徐祐相に対する利用価値というものが中心になつて保釈がなされたのではないか、正常な意味で保釈ができたのではないのじやないか、この点を聞いておる。
○細川証人 くどいようでありまするが、この取扱い方が最上のものだという確信のもとにやつたのでありまして、これ以上申し上げることはできぬのであります。
○山口(武)委員 これ以上申し上げることができないということじやないのです。それなら答えないということになるのです。私の言つているのは、これは正常な形における、普通の刑事被告人に対する保釈という形なのかということを言つているのです。ところが普通の形における保釈というのにしては、あまりに問題がおかしなことがあり過ぎる。正常でない手続、形がとられている、この点について聞いている。
○細川証人 これは先ほども何回も申し上げましたが、私は私の最も信頼するところの、根室町の警察を持つているところの地元の町民からも、警察は徐祐相のためにおどらされているという非難を受けております。また新聞その他を見ましても、徐祐相の言によつて、根室自治体警察署おどるというようなことも言われておるのであります。ですから、その点については私はいましばらくこのことを、どんな非難でも甘んじて受ける覚悟であります。
○鍛冶委員 議事進行について……。捜査の秘密に対しては、職務上の秘密があるのですから、言うべからざるものがあるので、われわれも遠慮しているのに、それをつかれたら、どれだけやつておつても切りがありませんから、今後は委員長から注意してもらいたい。
○島田委員長代理 鍛冶君の議事進行に関するただいまのお説はもつともだと思いますから、どうぞそのつもりで山口君、あとはもう簡単に願います。
○山口(武)委員 私は正常な形における保釈であるか、それとも徐祐相に対する利用価値を考えての保釈であるのか、この点を聞いておるわけです。この点に対して答えがなかつたということだけを明確にしておけばよろしい。
 なお次の問題を聞きますが、徐祐相と日本共産党の関係の問題につきまして、本人の陳述だけがはつきりしている、こういうことを言われておる。それで共産党の青年部の役員をしていたということを先ほど答えておられる。私も共産党員なんですが、共産党に青年部というようなものがあるということを私は知つていない。これはどういうことなんです。こういうような不確かな取調べをしたのですか、それともあなたが言い間違つたのですか。
○細川証人 本人がそう言うております。あらゆる情報というものは、本人以外には何ものもないのであります。但しそうでないかというある一つの、かすかながらも裏づけのある事実があつたから、国警方面も動いたものと私は確信しております。本人が言つた情報であります。本人がそう言うております。
○山口(武)委員 あなたはそういうことを言われますが、そうしますと、全然架空なことを言われても、それはそうだということで聞いておるわけなんですね。たとえば日本共産党に青年部があるかないかということは、その関係を調べてみれば、あるかないかというぐらいは、当然あなたとして知らなければならぬ。
○細川証人 私、新しい警察法によつて誕生した自治体の署長であります。政党なんかのことについては私たちは全然門外漢であります。
○山口(武)委員 それでは申し上げておきまするが、あなたの取調べというのはきわめてあいまいな、わけのわからない調べである。このことだけ御注意申し上げておきましよう。
○島田委員長代理 他に御質問がなければ、細川証人に対する質問はこれにて終ります。証人には遠いところを御苦労さまでした。
 暫時休憩いたします。
    午後一時十六分休憩
     ――――◇―――――
    午後二時二十九分開議
○篠田委員長 休憩前に引続き会議を開きます。
 証人の尋問を続行いたします江川文弥さんですね。
○江川証人 そうです。
○篠田委員長 ただいまから不正入出国に関する件について証言を求むることになりますが、証言を求める前に証人に一言申し上げます。昭和二十二年法律第二百二十五号議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律によりまして、証人に証言を求める場合には、その前に宣誓をさせなければならぬことと相なつております。
 宣誓または証言を拒むことのできるのは、証言が証人または証人の配偶者、四親等内の血族もしくは三親等内の姻族または証人とこれらの親族関係のあつた者及び証人の後見人または証人の後見を受ける者の刑事上の訴追または処罰を招くおそれのある事項に関するとき、またはこれらの者の恥辱に帰すべき事項に関するとき、及び医師、歯科医師、薬剤師、薬種商、産婆、弁護士、弁理士、弁護人、公証人、宗教または祷祀の職にある者またはこれらの職にあつた者がその職務上知つた事実であつて、黙秘すべきものについて尋問を受けたときに限られておりまして、それ以外には証言を拒むことはできないことになつております。しかして証人が正当の理由がなくて宜誓または証言を拒んだときは、一年以下の禁錮または一万円以下の罰金に処せられ、かつ宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは、三月以上十年以下の懲役に処せられることとなつておるのであります。一応このことを御承知になつておいていただきたいと思います。
 では法律の定めるところによりまして証人に宣誓を求めます。御起立を願います。
 宣誓書の朗読を願います。
    〔証人江川文弥君朗読〕
   宣誓書
  良心に従つて、直実を述べ、何事もかくさず、又何事もつけ加えないことを誓います。
○篠田委員長 では宣誓書に署名捺印を願います。
    〔証人宣誓書に署名捺印〕
○篠田委員長 これより証言を求めることになりますが、証言は、証言を求められた範囲を越えないこと、また御発言の際には、議事の整理上その都度委員長の許可を得てなされるようお願いいたします。なお、こちらから質問をしておりますときはおかけになつていてよろしゆうございますが、お答えの際には御起立を願います。
 証人の略歴を述べてください。
○江川証人 メモを持つておりますが、よろしゆうございますか。
○篠田委員長 ええ。
○江川証人 大正十三年北海道後志国寿都町に生れまして、その後寿都尋常高等小学校を卒業し、昭和十六年十月横浜海員養成所へ入りまして、十二月船員としまして、日本郵船株式会社に入社いたしました。その後郵船会社の南洋航路の近江丸、その他船舶十一ぱいくらいをかわりまして、昭和二十二年四月ごろ日本郵船株式会社を退社いたしました。その後昭和二十二年六月ごろ西日本石炭輸送株式会社へ入社いたしまして、昭和二十三年二月ごろ西日本石炭輸送株式会社を退社いたしました。昭和二十三年二月日本共産党若松地区委員会に常任として上りまして、その後若松地区、若松港区または北九州五市地区委員会、北九州五市海上区の責任者となりまして活動しておりました。昭和二十三年八月北海道へ船による海上区オルグとして中央から派遣され、その後北海道におきまして党活動に従事し、昭和二十五年六月日本共産党を脱党いたしまして、その後現在に至るまで芦別にて炭鉱夫をいたしております。
○篠田委員長 あなたは、この北海道新聞に、見出しは北海道新聞がつけたと思いますが、私が見た日共の実態という記事が出ておりますね。
○江川証人 ええ。
○篠田委員長 あなたが北海道新聞の記者に直接話したものでありますか。
○江川証人 私から北海道新聞の記者に直接話しました。
○篠田委員長 それはあなたの方から発表するということを言つて話をしたのですか。
○江川証人 そうです。
○篠田委員長 あなたがこれを北海道新聞に積極的に発表した動機あるいは心境というものを簡単に述べてください。
○江川証人 そのころの……。
○篠田委員長 そうです。
○江川証人 一昨年の六月ごろ、私が日本共産党を脱党いたしまして、脱党いたしましてより一昨年の末ころまで……。
○篠田委員長 あなたはさつき二十五年六月脱党したと言つておつたが、一昨年ですか、一昨年は二十四年になりますが。
○江川証人 昨年です。昨年の十二月ごろまで、日本共産党の党員または芦別地区の委員長がしよつちゆう私のところへ参りまして、そうして入党勧告をし、入党勧告がいれられなかつたときには勧告状をつきつけまして、私に対して脅迫めいたことを言つておる。またそういうことを述べて来る。それに私は過去私のやつて来ましたことに対して大きな批判をもちまして、このままやり過しておいたのであつては、ますます海上の不正が、共産党の不正というものが伸びて行くばかりだ。私は今後共産党と闘うことによつて、またこれを大衆に暴露することによつて、大衆が共産党のやり方、または民主主義というものをはつきりつかみ、それによつて大衆にもう少し大きな目を開かせようということが私の眼目であつたのであります。
○篠田委員長 それであなたは日本共産党九州地方海上区議長永山正昭君といつごろ知り合いましたか、その知り合つた時期並びにそのときの事情。
○江川証人 終戦後私北海道の函館で運営会所属の大正丸といいます連絡船に乗つておりました。その連絡船は国鉄との契約が切れ、そうして船舶運営会に返りまして、その船が今度九州のの方へ就航するようになりました。そのときは昭和二十一年の春だつたと思いますが、若松港におきましてその船の機関長の問題を取上げまして、私が主唱者となつて闘争を巻き起したのであります。そのときに海員組合にいろいろ連絡に行つて海員組合の支持を受けておりました。そのときに永山正昭君は海員組合の若松支部におりました。その後私が洞南丸に乗り移り、洞南丸でずつと船内委員をしておりましたので、ずつと海員組合の方とは連絡がとれておつたのであります。そして海員組合に連絡に行くたびに永山正昭と会い、永山正昭のうちをたずねるというふうにして、彼とは非常に深いつながりができて来たのです。
○篠田委員長 あなたは日本共産党に入党しておつたのですね。
○江川証人 はいそうです。
○篠田委員長 その入党の時期及び動機というものは、一体どういうものですか。
○江川証人 私は日本郵船におきまして、そのころ下級船員の火夫としましては、非常に古い方におりましたために、下級船員の方ではある程度の掌握力を持つていたのであります。そのころ海員組合のあの全国闘争が始まり、そのときにその闘争に積極的に参加し、また船内委員としていろいろ船内の掌握力が強かつたものですから、永山正昭氏の方でも私に対しては意識的に入党させようとして、いろいろ私に意識的に話かけ、意識的に働きかけておつたのであります。私としましては、終戦当時の、何と言いますかスランプ状態、私自身のスランプ状態から何か刺激を求めて行つたと思うのであります。そういうことから、そのころの共産党といえば、何かはでな、そしてやりがいのある、男気のあるというような、単なるそういう気持から共産党に飛び込んで行つたということであります。そうして、昭和二十一年の十二月ごろ洞南丸乗組中、日本共産党に対する入党のただ口頭での承認をいたしました。その後昭和二十二年六月ごろだと思いますが、海員オルグとして若松に参りまして間もなく署名捺印いたしました。
○篠田委員長 そうすると、あなたの共産党に入られた動機というものは、あなたの当時の個人的な心境においてスランプであつたということ、それからいろいろな船内の委員として闘争に参加しておつた、それで共産党自体のやり方がはでであり、またやりがいのある仕事である、とこういうふうに感じて入つたのであり、別に理論的に唯物弁証法であるとか、あるいは唯物史観であるとか、あるいは余剰価値説とか、そういつたような共産党の理論から入つたわけじやないんですね。
○江川証人 はい。
○篠田委員長 その後そういう理論について、だれかから教わつたり、あるいは研究したりしたことがありましたか。
○江川証人 それは昭和二十二年ごろ、永山正昭の家におきまして、若松の西日本石炭輸送株式会社に親睦団体としてあります同志会、その同志会の中に青年部というものがありまして、その青年部の労働学校というものを、永山正昭の家で永山正昭が主催して開いておつたのであります。それで私も永山正昭の勧めによりそこに行きまして、そこでいろいろ教育を受けました。
○篠田委員長 そうすると、その後理論的に入つたわけですね。
○江川証人 はい。
○篠田委員長 理論的に自分で大体わかつたと思つていますか、それともわからないと思うか、どうなんですか。
○江川証人 理論的に完全に自分でわかつたということより、いろいろなその中におけるまあわからないこと、また矛盾というものを、私自身が私に無理に納得させようとしていたということが言える。
○篠田委員長 それでは問題をあれしまして、永山正昭氏は九州地方の海上区の議長をやつておるようですが、海上区というのは一体何ですか。
○江川証人 海上区といいますのは、日本共産党は、組織といたしましては、中央集権制をとりまして、中央委員会、地方委員会、地区委員会、その下に細胞というようにわかれているのであります。だが、海上は陸上と違いまして、非常に大きな特殊性があります。それは海上では、きよう入つた船の乗組員はきよう出て行く、そこで掌握してもそこの党員となることができない。どうしても、海上区の党員に対しての動きは全国的な動きをなさなければいけないのであります。そういうことから九州地方におきまして、全然中央で海上に対して認識のない、または地方地区で海上に対して全然認識のないそして特殊性というものを全然知らぬ人たちに指導された場合には、非常に大きな行き違いがあるということから、われわれはわれわれのみで新しい組織を持たなければいけないということになりまして、九州で永山正昭が中心となりまして、若松港に若松港区を置き、それから門司、佐世保、長崎、鹿児島というふうに港区を設定いたしまして、そこの上部機関としまして、九州に九州地方委員会と全然別個に九州地方海上区というものを設立しました。そうして、その海上区の議長には永山正昭が就任いたしました。
○篠田委員長 海上区というのは、そうすると正式な名前ですね。
○江川証人 そのころ正式な名前です。
○篠田委員長 これはそのころと言いますが、今かわりましたか。かわつていませんか。
○江川証人 私脱党するまではかわつておりません。その後はわかりません。
○篠田委員長 その海上区の組織あるいは編成、連絡方法及び海上区の目的は。今あなたの言われた海上区にいる党員の党活動のためにやつているということはわかつたけれども、その組織、編成、連絡方法はどういうふうにしておりますか。
○江川証人 組織といたしましては、ただいま申し述べたことは九州のことでありまして、そのほかにそれに準じた組織が関西地方それから関東地方それに北海道、私の知つている範囲内では正式なものは四つできておりました。そうしてそれの連絡の方法といたしましては、普通の地区委員会、細胞では、必ずその地方の地方委員会を通して連絡しなければならない、または細胞が直接隣の町の地区委員会に連絡するということは、党ではできないのであります。だが海上は、きよう若松で細胞会議が開かれまして、その決定とか、またはいろいろな連絡というものは、そこの町の陸上の地区委員会、また陸上の地方委員会を全然通さずに、海上区の事務所から海上区の事務所に直接持つて行くことができるのであります。
○篠田委員長 その組織はどういうふうになつておりますか。たとえば議長の下にどういう……。
○江川証人 議長が一人おりまして――ただいままで議長と呼んでおりますのは、九州だけなのであります。その議長と申します九州の永山正昭は、その議長になる前は、中央委員会派遣の全国オルグとして、九州の海上を担当していたのであります。それが海上区が設立されるとともに議長となり、そのほか北九州にはちようど陸上の県委員会と同格な北九州地区海上区というののが設立されまして、その責任者としては、門司の江副誠二という方が就任しておりました。その下に各地区オルグがおりまして、その地区オルグが各その中の地区をまわり、地区を指導して歩いておるのであります。その下に一つの港を受持つている港区責任者、俗にいう港区オルグというものがそこにおります。
○篠田委員長 そうすると、その議長の場合はどうですか、どのくらいな格に当るの、地区責任者くらいの格。
○江川証人 いいえ、地方委員会議長と同格です。
○篠田委員長 ああそうですか。あなたは海上区をつくつたのですか。どこかで、北海道か何かで。
○江川証人 北海道でつくりました。
○篠田委員長 北海道の場合と九州の場合とは、どういうふうに違いますか。
○江川証人 九州と北海道との違うところは、九州は、議長ははつきりしておりまして、組織が非常に大きなはつきりした組織になつておるのであります。たが北海道は、海上に対して今まで非常に関心がなかつたことと、陸上の方で海上を全然手をかけていなかつたこと、それに北海道へ海員オルグとして私がただ一人行きまして、そうして北海道におりました期間が非常に少かつたことから、組織の大きさにおいても、おのずからかわつて来るのであります。北海道におきましては、まず私が小樽、函館、釧路、室蘭、この四つを目標にきめまして、この四つに必ず各海上区を設立しなければいけないということになりまして、函館におきましては、まず函館にあります北部機帆船を大量に掌握することによつて強力な海上区を運営できるということから、函館へ私が行きましたころ、アカハタの責任者であつたか、配布者をしておりました才門勘志露というのがおります。その才門勘志露が前に機帆船に乗り組んでいた。また青函連絡船の曳ボートに乗つていた、また海員免状を持つていることから、海上の経験が非常に多いことによりまして、私が彼を推薦し、そうして函館区委員会で会議を開かせまして、そこでその地区委員会の決定としまして、彼を函館の港区責任者として確認いたしました。そうしてその確認は私から地方委員会、中央委員会に報告をしまして、地方委員会、中央委員会の承認を得ております。また小樽におきましては、昭和二十二年八月ごろ小樽の港で闘争を起しました日本郵船の延慶丸という船の二等機関士でありました秀山一止が下船いたしまして、私の推薦で小樽の港区責任者をしておりました。そうして私がおもに月の半分ぐらいは釧路、室蘭をまわり、あとの半分ぐらいは函館、小樽をまわつておりました。
○篠田委員長 そうするとあなたは北海道の海上区の責任者というわけですか。
○江川証人 はい、そうです。
○篠田委員長 それで小樽、函館、釧路、室蘭と、この四港の組織されたる海上区の党員はどのくらいあるのですか。
○江川証人 ここに海上区の特殊性、または全国的な組織でなければ掌握のできないところがあるのであります。それは私が小樽で入党させ、または北海道の海員オルグが北海道で獲得した党員を北海道の籍に入れて、そこで掌握することはむずかしいのであります。その船が間もなく航路変更となりまして九州へ行き、永久的に九州から北海道へ帰つて来ないという場合もあるのであります。それで北海道で掌握した党員といいますものは、おそらく基地が確定しております機帆船以外につかめないのであります。それで函館におきましては、私が八月ごろ行きまして十一月ごろまでの間に、海上の機帆船の党員を十名ぐらいだつたと思いますが、獲得しております。
○篠田委員長 それであなたは月のうち半分をこちらにおるとか、あとの半分を向うにおるとかやつているのだが、そういう場合、あなたの生活は党から保障されておつたのですか。
○江川証人 はい、そうです。
○篠田委員長 どのくらいもらつておつたのですか。
○江川証人 北海道へ参りまして、北海道の地方委員会から支給された金額は……。
○篠田委員長 月でよいです。大体毎月どのくらい。
○江川証人 月二千五百円程度のものであります。
○篠田委員長 それであなたは妻子はないですか。
○江川証人 ありません。
○篠田委員長 二千五百円で生活をしておつたのですか。
○江川証人 それは各港とかまたは各地区にオルグとして行きました場合には、宿泊または食事は党員の宅でとつておりました。
○篠田委員長 タバコはのむんですか。
○江川証人 のみます。
○篠田委員長 タバコ代ぐらいだね、それじや。
○江川証人 そうです。
○篠田委員長 汽車賃なんかはどうして……。
○江川証人 汽車賃は全部党の方から支払われました。
○篠田委員長 別にね。
○江川証人 そうです。
○篠田委員長 それであなたは密航者をしばしば朝鮮に往復させたというような事実があるんですね。
○江川証人 はあ、あります。
○篠田委員長 それはどういうふうにして往復させたのですか。
○梨木委員 委員長、証人はメモを見て証言するのではなく、記憶のままを述べるように言つてください。
○篠田委員長 記憶で確かでない点がありますから、そういう点はメモを見ていいです。かまいません。
○梨木委員 そんなのは証言にならぬよ。
○篠田委員長 それはあとで君が質問したらいいだろう。
 いついつか、たれを送つたとか、そういう詳しいことはあなたも記憶にないだろうし、メモにも書き切れないけれども、大体何回くらい、どういうような人をどうして送つたかということだけひとつ……。
○江川証人 お答えいたします。私自身は手をかけて送つたというのはないのであります。それは未遂に終つたことは一度あります。そのほかは二十一年のころだと思いますが、九州の若松の朝連に朴という常任がおりまして、その朴から海上区の方に話がありまして、海上区の永山正昭の方から、朴といろいろ相談してくれ、彼が何か話をしたいことがあるらしいというので会いました。そのときの朴の話では、現在朝鮮から、非常に弾圧されて、日本へ向うのわれわれの同志が入つて来ている。それでその同志を再び教育して朝鮮に帰してやらなければいけないということから、現在九州の博多で――現在というのは、ただいまの現在ではなくて、そのころ話をしたときのことですが、現在九州の博多でそういうような党員を常時三十名くらいずつ教育をしている。その教育された党員を再び送つてやつたり、また向うから連れて来なければならないから、それに対していろいろ協力してくれ、そして船とか、船員を世話してくれろと言われまして、私は朴に対してそのときどきに、今こういう船が入つておる、またこういう船が入つておる、この船の乗組みにはこういう人間が乗り組んでおる、だから、話をしてはどうか、頼んでみたらどうだということで、船員または船の紹介をいたしておりました。それに昭和二十二年の四月ごろだと思います。春早くだつたということは確実なんでありますが、朝鮮の釜山港に私が洞南丸乗船中に行きました。そうしたら、そのときに朝鮮の方でも連絡員がはつきりきまつておるのであります。向うは自分では党員だということは言つております。その者から連絡がありまして、そして実は日本へこの人間を送り込まなければいけないのだ。この人間を送り込んでくれないかということで相談を持ちかけられまして、私が承認しました。そうして船へ積み込みまして、出航する寸前、その洞南丸の操機長の小林新衛という方に発見されまして、その積み込んだ人間は下船させられました。それで私はその船で若松に帰りまして、すぐ下船命令が出まして、神戸へ参りました。そうして神戸でそのとき水上署に連行されまして、二時間くらい水上署で尋問を受けました。それでそのときに日本郵船も一緒に退職したのであります。
○篠田委員長 それからあなたは椎野悦朗氏から密貿易を指令されたというが、それはいつごろで、どういうような密貿易をどういうふうにしてやれと言つたか、そのときの事情を説明してください。
○江川証人 昭和二十一年の春と思います。月は何月か今のところは記憶はいたしておりませんが、そのときに私が若松地区委員会に行きましたら、永山正昭氏が、実は椎野氏が君と会いたいと言つておる。それであす晝ごろまでにここへ来て椎野悦朗に会つてくれないかという話が出たのであります。それで私もそれを承認いたしまして、次の日の夕方、夕方と申しましてもまだ明るいうちでございます。地区委員会で私と椎野悦朗氏、それから永山正昭氏に、それからもう一人は名前は今記憶がよみがえられないでわからぬのでありますが、折尾という駅の購買部のそのころ責任者だつたと思いますが、その人と四人で会いまして、椎野悦朗から、現在の党の財政は、君も知つておる通り非常に苦しんでおるのだから、君もひとつ力になつてくれということなんです。その力になるということに対して、具体的なことは、と私の方から質問しましたら、今日本から船員がどんどん向うの方へ品物を持つて行つたり、向うから持つて来たりして売つておるということを聞いておる。それに相当利益があるらしい。だから、君の方でそれをやつてくれないかということになつたのであります。それで私どもとしましては、それをやることにいたしましても、いろいろこまかいところまで、方法とかそういうことを聞かなければ危険でできないということを話しましたら、向うの椎野の方の条件としましては、なるべく党員を使わずに、非党員を使うように、そうしてもし一つの船、または一人の船員が、そのことによつて逮捕された場合には、全然党の方に影響がないようにつながりをつけておくな、それから朝鮮に持つて行く品物は、折尾の売店の責任者がそのころ九州において集めるからということなんです。それで連絡さえあればいつでも持つて行つて自分が船員に渡す、また向うから来た品物は連絡さえあればいつでも若松の方へ持つて来て、そこで取引をするということなのであります。
○篠田委員長 どういうものを持つて行つて、どういうものを持つて来ましたか。いろいろなものを持つて来たのだろう。
○江川証人 大体そのころ日本から持ち出していたものは電気器具、それから金、錫、タングステン、それに部分品、化粧品、それから文房具類がおもでありました。
○篠田委員長 品物は全部向うで手に入れてあなたの方へ持つて来るだけあなたの方というか、船へ持たしてやるわけですね。
○江川証人 そうです。
○篠田委員長 それから持つて来たのは……。
○江川証人 向うから持つて来たのは、そのころは主としまして進駐軍から朝鮮へ放出になりましたサッカリンまたはのり、またはめんたいの子、それからフェナセチンといわれます薬局の類、そしてそのほかに一、二度非常に高価なものを受取つたということを聞いております。その高価なものは何かといえば麻薬だといいましたから、私の感じとしましてモルヒネかコカインじやないかと判断したわけであります。
○篠田委員長 それでピストルとかそういうものを持つつて来たようなことはないのですか。
○江川証人 そういうようなことは確認しておりません。
○篠田委員長 何年間に一体どのくらいの額に上る密貿易をやつたかということはわかりませんか。
○江川証人 その金銭の授受とかまたは品物の授受というのは、私がただその人たちを紹介したり船を紹介するということでありまして、私が直接携わつていないために金銭の方はわからないのであります。
○篠田委員長 樺太から祕密文書がいろいろ輸送されたというようなことがあるらしいけれども、特に戸畑丸、あがた丸の場合について詳しく話してください。
○江川証人 昭和二十二年の秋ころに北海道の小樽港を出港しまして、名前は忘れましたが、樺太の港に入港しました日本郵船株式会社の戸畑丸という船があります。その船が樺太から日本に帰港しまして、十一月ころだつたと思います。非常に寒かつたときです。十一月ころ私が戸畑丸に行きましたら、戸畑丸の通信士の矢島昇というのが、実は大事なことがあるので、海上区に一緒に行つてくれないかということで、私が海上区に行きまして、永山正昭のところでいろいろお話しましたら、実はこういうような書類を預かつて来ているということで、その書類を出しまして――その書類と申しますのは、白い大型の角封筒なのであります。厚めの封筒です。その上の方には、日本共産党中央委員会書記局とはつきり非常にうまい日本字で書いておりました。裏の方には何かマークのようなものが書いてありまして、私にわかるようなものは全然書いてありませんでした。それを九州の永山正昭のところに持つて行きましたときに、それを完全に渡したという証明に私が立ち会いまして、矢島昇から永山正昭に手渡しました。そして次の日間もなく永山正昭が中央委員会に行つて渡して来るからと言つて若松を出まして、それから四、五日して帰つて来たと思います。そしてそのときに永山正昭は、実は中央の田中松次郎が立会いとなつて伊藤に渡して来たということを言われておりました。
○篠田委員長 伊藤というのは伊藤律氏ですね。
○江川証人 伊藤律です。
○篠田委員長 それからその内容はもちろんわからぬですね。
○江川証人 わかりません。
○篠田委員長 それからあがた丸の場合は……。
○江川証人 新聞記者に私の記憶によつて話したので、船名があがた丸となつておりますけれども、その後私が小樽の海員組合に行きまして、その船はあがた丸であつたかということを確認に行きましたら、あがた丸でなくて大安丸でありました。
○篠田委員長 その場合はどうですか。
○江川証人 昭和二十四年の春、四月ごろだつたと思います。その船が小樽を出港しましてやはり樺太の港に行きまして、再び小樽の港に帰つて参りました。そのときに、その船に乗り組んでおります事務長の有馬敬という党員が、私が船に行きましたら、実はこういうものを頂かつているのだ、これは大事だから、どういうふうにして上部機関に渡したらいいかということを相談されまして、私はそれは大事だから絶対人に見せるな、すぐ今上陸しようじやないかということで、上陸しまして、すぐその足で札幌に参りました。それで札幌の北海道地方委員会をたずねまして、北海道地方委員会のそのころの議長でありました西館仁にそれを私が立会いで手渡しました。その後どこへ行つたか確認してないのであります。
○篠田委員長 この大安丸というのは何トンくらいの船ですか。
○江川証人 トン数は記憶しておりません。
○篠田委員長 大体……。
○江川証人 大体二千トン級です。
○篠田委員長 二、三千トン級の事務長といえば高級船員ですね。
○江川証人 高級船員です。
○篠田委員長 その人が党員であつたわけですね。
○江川証人 そうです。
○篠田委員長 あなたの今までの説明で大体わかりましたが、あなたは北海道新聞に、党のために結婚を強制されるというようなことを言つておられるが、それはどういうことですか。
○江川証人 お答えします。それは私が若松に行きましてから――若松の新地四丁目に地区委員会の事務所があります。その事務所は馬越丈太郎という方の二階を借りておるのであります。それで馬越丈太郎から夜おそくまで会議を開くとか騒ぐということで、非常に文句を言われましたのですが、そこの二階が事務所になつておりまして、家主の娘、その娘の養子が共産党員なのであります。共産党としましてこの若松の地区委員会を設立するころに、どこへ行つても事務所を貸してくれない、事務所がないということで、非常に苦しんでおつたということであります。それで馬越丈太郎の娘と長岡がどうも仲がいいというようなことから、向うの馬越の方から養子に来てくれという話が来ておつたというのであります。そうしたら党の方としまして、そのころ地区委員会を開いて、君は結婚する條件として、そこのうちの二階を党の事務所に提供するように、またその二階を事務所にするためには、君は結婚しなければいけないということで、地区委員会の決定として結婚さしたということを、私は本人からはあまり詳しくは聞いていないのですが、そのころの西日本石炭輸送株式会社のキヤツプをしておりました千田教文とか、酒田というのから聞いております。また私が北海道へ参りましてから、おととしの夏ごろだと思いますが、小樽に陸志丸という船が入港しまして、その船の乗組員で實川虎雄という党員がおるのであります。その實川虎雄が、実は大下が結婚した、若松地区委員会の、若松海上区の大下が結婚した、それは、相手は配炭公団の女の党員で、名前は忘れましたが、大下がそのころ船に乗りたいというようなことを口に出していたそうなのであります、それで大下のような優秀な党員を船に乗せると、あとの補給が非常にむずかしい、それでどうしても大下を若松に残しておかなければいけない、彼を結婚させることによつて残しておくことができるということで、海上区の決定として結婚させた、そしてその結婚したということを、その實川虎雄に、自分は愛情も何もない結婚をして、今後悔しておるということを話したということを實川虎雄が小樽へ入港して私に伝えております。
○篠田委員長 それで、さつきあなたは共産党を脱党した理由について述べましたから、大体わかつておりますが、こういうような事実を聞くと、普通の神経の者なら脱党したくなると思うのだが、結局あなたはこういう事実を通して、自分のやつておることに対する反省から脱党されたのか、あるいはまたそのほかにも理由があつたか、もう一度脱党の心境を、さつきのように簡単でなく、もう少し詳しく話してもらいたい。
○江川証人 私が去年の五月か六月ごろだと思いますが、芦別で活動しておりまして、朝日新聞を読んだのであります。そうしたらその新聞の記事に、函館から出航しました第三旭丸の北鮮の密輸事件に対する文書が載つておりまして、私はそれを読んで行きますうちに、才門勘志露が船長で乗つて行つているということと、それから党員である高田繁一がそれに乗船しているという事実を私がつかみまして、そのころは芦別地区炭鉱の方面に派遣になつておりましたけれども、北海道の海上区を設立し、またつくり上げた私としましては、あくまでも責任があると思いまして、それで才門勘志露に関しては、私が推薦し、私が確認の手続をとつたということから、非常に大きく責任を感じたのであります。そうして間もなく私の今までやつていたこと、またそういうことと関連のある密航、密貿易というものに対して、深く考えまして、共産党の地方委員会に質問状を提出したのであります。その質問状の内容といたしましては、実は自分は現在まで椎野から指令を受けて、九州でこういうようなことをしておつた、また北海道ではこういうような事件が持ち上つておる。これに対して党としてどういうような態度をとるか、どういうような責任をとるかということを、意見書並びに質問状を出しましたら、党の方で私に対しては何も返事がないのであります。返事がないどころか、それから一日、二日ぐらいだと思いますが、少し遅れてアカハタに堂々と才門勘志露は党とは全然関係ないのだということを大きく発表したのであります。そこで私たち党に入つてから脱党するまでは、いろいろな教育におきまして、共産党のアカハタ、前衛、そういう機関紙はあくまでも日本で一番権威のあるものだ、あくまでも忠実であり、あくまでも権威のあるものだ、このアカ八タに載つておることは、どんなことでも間違いない、君らは、このアカハタを信じて、アカハタを一つの指令として活動しなければならないとまで、われわれは植えつけられておる。そのアカハタにそれだけの欺瞞が完全に載つておるのであります。そこで私は再び共産党の実体というものを私の胸に刻み込みまして、これだつたらどうしても党と一緒にやつて行くことはできない、私はそのころの心情といたしましては、単に脱党するということでなく、私が党を脱党して、そうして状態によつては、私が入党さした党員に新しい目を開かせるために、私が再び海上に出て行かなければならないというような気持もありまして、そこではつきり脱党するというような決心がついたのであります。
○篠田委員長 要するにあなた方の信用していたアカハタというものに、あなた方の過去の経験からいつて、まつたく欺瞞が載つておつたから、あなたは正直だから、それには耐えられなかつたというのですね。
○江川証人 そうです。
○篠田委員長 それが動機になつて自己批判を始めた。
○江川証人 そうです。
○篠田委員長 わかりました。だれか御質問ありませんか。
○椎熊委員 証人にお尋ねしたいのですが、証人は北海道海上区の設立の使命を帶びて北海道へ渡られた。その北海道へあなたが派遣せられる当時の状況です。日本共産党のどういう機関があなたを派遣したか、具体的にどういう人からあなたは、その命令を受けたか。
○江川証人 私が北海道へ参りますにつきまして、九州地方海上区議長の永山正昭からすぐ中央へ行くようにという指示でありました。それで中央に参りまして、そこで私が信任状を出しましたら、そのところの若松の信任状に署名しておる署名、それから若松の印鑑の登録がまだ来ていないというのであります。それでだれか知つた人がいたら、知つた人に会わして、そして確認するということになりまして、紺野與次郎氏に会いまして、紺野與次郎氏が間違いなく江川だということで、二階に上つて行きまして、そのころ海上の全部の責任者をしておりました田中松次郎氏に会いまして、彼からいろいろな指示を受けました。それで北海道地方委員会に指令を持つて参りました。
○椎熊委員 北海道にあなたが渡られてから、主として函館の北部機帆船の組合等を根拠として十名くらいの党員を護得したと言われたが、小樽、室蘭、釧路ではどの程度の党員ができましたか。
○江川証人 そのころ室蘭におきましては、専任の海上オルグもおらなかつた関係と、それから港から地区委員会に行きますのに汽車で四十分以上かかるのであります。そういうような環境から、室蘭では直接入党した党員というのはおらなかつたのであります。室蘭で入党する党員は、小樽なり函館で入党するようになつております。それから小樽におきましては、大型般の――たびたび一人二人と入党さしたので、総合した数が今記憶にないのでありますが、まず非常に大きく入党させましたのは、引揚般宗谷丸の乗組員を十二人集団入党さしております。そのころ函館におきましても十何名入党さして、そして小樽へまわつた。それですぐ小樽で入党しまして、そのころ二十五名くらいの党員が宗谷丸におりました。それから小型船では、小樽で四名の入党者がありました。そのほか釧路は海上の直接の入党者は認められませんでした。
○椎熊委員 あなたは中央で紺野与次郎氏の指令を受けて北海道に渡られて、党活動にただちに着手したのでしようか。北海道に参りますと、一番先に札幌の地区委員会と連絡をとつて、それからやるのですか。それともすぐ函館に来て単独で運動を開始したのですか。
○江川証人 お答えいたします。これは党から派遣になりましたときには、北海道地方委員会あての文書を持つて参りましたので、直接札幌に来て、そうしてそこから新しい活動を開始するのが至当なのであります。そのとき私は北海道の海上というものは全然わからないために、函館で連絡船を下船しまして、汽車の待時間がありましたから函館地区委員会に寄りました。そうして公式にでなく、非公式にそこの状態を質問しました。そのときちようど西館氏が函館に来ておりましたので、地方委員会に持つて行く書類を彼に渡しましたら、彼は封筒を切つて、それを読みまして、すぐこれを地方委員会に持つて行つて、地方委員会の指示を受けるようにということで、地方委員会に持つて行きまして、地方委員会ではすぐ受付で上の方に連絡をとりまして、あの日は廣谷俊二がおりましたが、廣谷俊二に会いましてから、具体的な北海道の海上の状態を聞き、指示を受けたのであります。
○椎熊委員 北海道地区委員会では西館君が委員長ですか、世間では廣谷君のように聞えているのですが、現在は西館君ですか。
○江川証人 北海道におきましては、私の参りましたころは、議長としまして西館仁でありました。西館氏が逮捕されまして、そのあと佐貫氏が議長になつております。
○椎熊委員 廣谷というのはどういう立場ですか。
○江川証人 そのころの廣谷氏は、単に後志方面を担当する北海道地方委員となつております。
○椎熊委員 あなたは毎月二千五百円ぐらいの金を地方委員会から受取つておるけれども、それはだれから受取るのですか。
○江川証人 阿部徹志氏であります。
○椎熊委員 会計をやつておる人ですか。
○江川証人 そうです。
○椎熊委員 西館はかつて北海道新聞の記者であつたですか。
○江川証人 その点はわかりません。
○椎熊委員 では別な点を承りたいのですが、北海道地区に、委員ですか、広谷のほかに荒井英二、瀬戸川というのがおるようですが、これらはどういう立場の人ですか。
○江川証人 北海道地方の地方委員であります。
○椎熊委員 それは廣谷君などと同じような立場の人ですか。
○江川証人 そうです。
○椎熊委員 あなたが北海道地方委員会に党を批判したような質問書を提出した後、あなたのそういう行動が非常に共産党の批判の的となつて、あなたをそのまま活動させておいたのでは、共産党のために不利益である、何かこれを沈黙させるか、活動ができないようにするために、あなたを極端な神経衰弱あるいは狂人扱いをもつて病院に入院させて、軟禁してしまうという計画があつたように聞いておりますが、そういう事実はありますか。
○江川証人 お答えいたします。昨年の五月か六月ころだと思います。私が第三旭丸の問題でいろいろ質問書を出したり何かしているときに、どうしても党に対して不信を持ち、不満を持つたら、いくら職業革命家であつても党活動は十分にできないのであります。それでそのころ毎日のように芦別地区委員会でぶらぶらしていたというような状態が一時あつたのであります。そのころ空知地方の空知対策の委員長だつたと思いますが、鯰江というのがあります。この鯰江氏が芦別地区委員会に参りまして、大橋次郎という地区委員長と面会して帰りました。鯰江氏は私と小樽時代よく知つておるのですが、そのとき会わないで帰つたわけです。それから一週間くらい始終大橋次郎、またそこの家を貸しております竹原勇、彼らが私の顔を見ると、このごろ顔色が悪いなあ、からたが悪いのかということを口に出すのであります。私もみなに顔色が悪い、からだが悪いのじやないか、元気がないと言われると、精神的にその気持になつてしまうのであります。私もひよつとすると悪いかもしれぬということを話しましたら、それでは砂川に勤労者医療協会がある、そこの医者は同志だから、そこに行つて診察してもらつたらどうだ。それでもし君のからだが入院するほど悪いのであつたらすぐ芦別に帰つて来い、君は芦別に派遣されて来たのだから、芦別で責任持つて入院なりまたはその治療なりをしなければならないということで、私は行くことを承認したのであります。そうしたら、行くときにちよつと岩見沢の鯰江のところに寄つてこの手紙を渡してくれと言われて、一通の文書を預かつたのであります。私はそれを持つて汽車に乗つて行きましたけれども、途中でどう考えてもやはりふに落ちない面があるのであります。そのふに落ちないということは、砂川の診療所に私が行く前に鯰江のところに寄らなければならないが、それよりは芦別から直接信任状が出せる。そういうような状態から非常に疑問を持つて滝川の駅で下車したときに封筒のうしろをなめてあけてみますと、その中の文書といいますのは、文書全文そのままはちよつと記憶的に言えないのでありますが、概要を申し上げますと、先日鯰江同志と打合せた江川の件、きよう江川をそちらに差向けます。ちよつと体が悪いと言つているから診察を受けさしてくれ。また今後の江川に対してのすべての対策は鯰江同志に一任する。それで打合せの上よろしく処置されたいということでありました。ただそれだけの手紙であれば私としても、いや、これはありがたい、私のからだに対してこれだけいういろいろな人が心配してくれているということが考えられるのであります。だがそこに問題となるのは、私が出る前に私に言いました大橋の言葉、悪かつたらすぐ帰つて来い、芦別ですぐなおしてやる。そう言つたすぐあとに書いた手紙に、私を一任する、私のことは今後すべてまかせるということに大きな食い違いがあるのであります。これで私が砂川の診療所に行つたらどうなるかわからない、おそらく帰つて来られなくなるのじやないか。現在の法治国家であれば、いくら共産党でも、人間としての私を拘束したりまたは監禁することは合法的にはできないのであります。だが一番合法的に事を運べるのは、その人間を病気と思い込まして入院させることが一番たやすいのであります。そうしてそのころの共産党の言辞といたしましては、一年後には革命が遂行される。二年後には革命が遂行される。革命は近いんだ。そうして勝利はわれわれのものだという空気が非常に高まつていたのであります。だからそのころの党員の当然の考えといたしましては、情勢のかわるまで私が表に出ない、だれかと会わなければ、私の今までやつて来たこと、党のやつて来たことがわからないで済むと思つていただろうというふうに私は理解したのであります。
○椎熊委員 あなたが北海道へ行つた使令は北海道海上地区設定が主たるものであつたように申されましたが、芦別は炭坑地帯であつて、海上地区の組織内容とは構成分子もまつたく違う。そこへあなたを差向ける。少くともあそこへしばりつけるような方法をとつていたのだとわれわれは想像するのですが、どういうことからそういうことになつたのですか。
○江川証人 派遣を命ぜられました当時は、私としては疑問を抱いていなかつたのであります。それというのは、そのころ共同闘争または戦線の統一ということが非常に強く叫ばれていた。現在日本で完全なる職業オルグを持つているのは海上だけであります。そのほかのオルグは完全な政治性を高めて、きようは国鉄で闘争があつたら国鉄の闘争の指導に行つて、そこで完全な国鉄の闘争を指導するような人物でなければいけない。またその人間が、あす農村へ入つたら農村のことを完全につかんでいて闘争を始め、国鉄の従業員と他産業の従業員またはあらゆる面の従業員を闘争へ結びつけなければいけないということになつていたのでありますが、私ははえぬきの海上関係者なんであります。それで陸上のことは非常常に暗い。北海道でも、炭坑のストライキは直接荷物とかそういうものの関係で船に影響を与える。また船のストライキは直接炭坑に影響を与える。そこに闘争をまき起したときには関連性をつけなければいけないということを言われておつたのであります。そして行きましたけれども、あとになつてから私のそういうような疑問のなかつた考え方がだんだんかわつて来たような次第であります。
○椎熊委員 あなたのしばらくおられた芦別の炭坑は、北海道の炭坑のうちでも共産党員の非常に多いところと私どもは理解している。それで、去年の参議院議員の選挙あるいはその前の衆議院議員の選挙等におきましては、ある地区では共産党の投票が大よそ千二百票です。判で押したように同じなんです。しかるに今回の地方選挙においては、共産党員の町会議員二名が立候補していることはあなたも御承知であろうと思う。その両名とも落選して、投票数を合せると三百足らずと私は記憶する。そうすると、その芦別における共産党の党員組織あるいは人、そういうものに非常な変化が起きたであろうと私は相像するのですが、そういうことがあつたのですか。たとえば共産党員が多数脱党したりあるいは転向した、あるいは党に対する批判を持つた。あるいは社会党に党略上まとめて投票をやつたとか、何かそういう大きな変動があつたのではないでしようか。
○江川証人 私が脱党するまでの期間は、ちようど私脱党したころは参議院議員の選挙のころであります。そのころは非常に順調だつたのですが、その後の党の動きというものは全然つかんでいないような状態であります。それに最近地方選挙がありまして、その直後に阿部という頼城で貸本をしている党員に会いまして、「いやに今度は投票数が少なかつたな」と話したときに、かれは「いや、投票数はふしぎなことに党員数より少なかつた」といいました。
○椎熊委員 そこで岩見沢にいる鯰江君というのは、あなたの身柄に対する非常な権威を持つているように外部からは批評されている。あなたの身体の活殺自在の権はかれにあるということを世間では言つている。どうしてそういう権力をあの人が持つているか。党ではどういう立場の人ですか。たとえば共産党の地下組織の中の非常に有力な幹部であるとか、あるいは本部から直接命令を受けて北海道地区の者を監視しているゲー・ペ一・ウー的な存在の人か、世間ではそういうふうにうわさしているのですが、あなたはあの人をどういうふうに考えますか。
○江川証人 お答えします。鯰江氏との関係は、私が小樽におりましたときに、鯰江氏は一時小樽の委員長として参つたことがあります。そのときに鯰江氏といろいろ話をしたり協議をしたことがありますけれども、その後は鯰江氏とはあまり会つていないし、また鯰江氏は特別に私に対する権限とか権威というものは全然ないと思います。私も全然それは感じていませんでした。
○椎熊委員 最近北海道における地方の委員と称する、たとえば廣谷敬三、これは特殊な事情があつて廣谷の家庭の事情を私知つているのですが、彼は最近選挙の直前から地下に潜行せざるを得ない事情にあるので、家庭を分離する。彼は父の家におつた。父は私と特殊な関係のある人ですから、家庭の事情はよくわかるのですが、選挙の直前から地下に、潜行せざるを得ない事情にあるので、父に迷惑を及ぼすことは自分の本心でもないから別個の家庭をつくる。それはひとり廣谷だけでなくて、北海道における地方委員会というものはもはや逼迫せる情勢を感知して、地下に潜行する運動を開始しつつあるということを私は想像するのだが、共産党員たりしあなたはどういうふうに考えられるか。
○江川証人 私が共産党に入つて北海道で活動していたときには、大体合法的な動きをしていたのであります。だが私が脱党する前後から、共産党の中央委員が追放されましてから、共産党の動きはどういうふうにかわて行つているか、また組織としてはどういうふうにかわつて行つているかということは、私は脱党してからは全然わからないのであります。
○椎熊委員 あなたがまだ脱党しない前だと思うが、北海道では代議士柄澤登志子君を除名したということを聞いておるが、そういう事実があつたかどうか。
○江川証人 それは私が脱党してからなのであります。そのころ芦別の党員から柄澤登志子は何か党の審議会にかかつているけれども、除名はされていないということを聞いております。
○椎熊委員 あなたは密入国、密貿易等に多少の関係を持たれておつたが、これは主として朝鮮との関係のようだが、千島並びに南樺太との間のそういう関係はなかつたのですか。
○江川証人 千島や南樺太との密貿易の関係は、私は全然確認してないのであります。ただここにはつきり申し述べてあります文書の連絡だけであります。
○椎熊委員 あなたが九州の地区から信任状を持つて上京されたが、その際九州地区から本部へいまだ通知がなかつたということで、個人的折衝で紺野與次郎氏に面接した。共産党ではあなたのような重要な党員は、何か党員だけが知つておるような符号のごときものがあつて、そしてあなたを江川なら江川と確認できる方法があると聞いておりますが、そういうことによつて確認されたのですか。
○江川証人 そのころは私の知つている範囲では、符号は使つておりませんでした。中央委員の紺野與次郎氏は九州におつた人なんです。それで紺野與次郎と私とは始終顔を合わせていた関係上、彼が確認して承認したわけです。
○椎熊委員 あなたが北海道へ行つてからアカハタなどの欺瞞的記事を見て、共産党の不信行為をみずから感じたというが、そうではなしに、共産党の持つておる理念の問題で、あるいは中央の共産党が争つておるような主導派であるとか、国際派であるとかいわれておるが、あなたはそういうものに関係をお持ちなんですか。たとえば自分は国際派と称せられる方の意見が正しいと思うとか、あるいは主導派の意見が正しいと思うとか、どういう批判を持つておられますか。
○江川証人 国際派または主流派という問題が大きく出て来たのは、私が脱党するころからであつたと思います。私はそれに対しては深く感じていなかつたのでありますが、海上区におきまして永山正昭、大阪の水野、それから中央にそのころおりました田中松次郎、これの三人の背比べという問題、非常に空気も違い、意見も違つていたということから、何か三人がしつくりしなかつたという面はありました。私が北海道へ行きましてからも、いろいろ話をしますと、船で入港しました党員の当時無線の局長級の山科二郎とか赤羽というような人は、君のやり方は永山のやり方そのままだ。永山なんかの言うことは徹底的に間違つておる。彼は九州の永山天皇といわれておるではないか。田中松次郎というのは、単に肩書をつけたがつている人間だ、あれは中央に海上の対策とか何とかいつて送つたのではない。単に書記局の書記として送つた。それがああいうように出しやばつておる。だから君なんか直接田中に対して文通してはいかないとまで言われたわけです。そういうようなことから海上では非常に分派的な争いが起つておつたと思います。
○椎熊委員 あなたは党からも非常に批判されておるし、現在は党を脱党しておるのですが、あなたのその後の社会的行動はかなり大きな打撃を党に与えておる。従つて北海道地区の今残つておる共産党員は、あなたの行動にかなりの注意を持つておると思う。私はむしろあなたの身辺が一つの危害に、何か逼迫した環境にあるように思う。そのことがあなたをして芦別に置いている理由になつておるのではないですか。あなたはみずからの身辺を保護するために、あたのほうとうの心境を知つておる多くの人々のおる芦別で安住しておる。そういう状態なのではないでしようか。
○江川証人 私が脱党してから間もなく、芦別の頼城という所にあります村上徳二郎氏の経営しておる村上工務所に坑内夫として勤めました。そうしてそこにおるときに、私は体はあまり丈夫でないということから事務をとつておりました。そうしたらそこへちようど私が小樽で活動しておるときに始終顔を合せておりました神威内の党員の川村柳二というのがおるのでありますが、彼が私のいないときに、うちの方に採用してくれということで来まして、採用することにしたのであります。それで私よそから帰つて来ましたら川村がおる。そうして彼といろいろ話しておりましたのですが、その後彼が君はひつくり返つたのだ、君は裏切り者だ、君は今後そういうことをしたらねらわれる、気をつけた方がいいということを忠告とも感じられるし、また脅迫とも感じられるような言辞を吐いております。それから同じに村上組に坑内夫として働きに来ました、一昨年ソヴィエトから引揚げて来ました河渡健二という男があります。私が寮の方に行きましていろいろ話をしましたら、現在の共産党はそういうようななまやさしいものじやない。権力は法律を無視し、すべてを無視してわれわれに対してこんな大きな弾圧を加えておる。これはもう暴力だ。今の共産党は、一歩後退二歩前進の、二歩前進しかかつたのだ。それだからもう彼らが血をもつて向つてくれば、われわれは血をもつて進んで行かなければならない。暴力で来るものに対しては暴力だ。そこに出刃庖丁かなんか皮をむく庖丁のようなものがあつたわけですが、そうしたら、君もそういうような動き方をしていると、こういうふうにやられるのだと笑いながら話をしたが、私はそれを私に対する脅迫の暗示として受けていたわけであります。それから小樽の向うに茅沼というところがありますが、茅沼地区委員会の委員長をしておる大高貫八というのがおります。それは私が小樽におるころにしよつちゆう顔を合せておつた男なのですが、新聞に出て一日か二日目に芦別に来ております。芦別の村上組に兄貴がおつてそれが十二月死んだから、そのために来ているというのであります。その日汽車の中で彼と会いまして私が寮に帰りましたら、寮の者はみんな非常におそれておる。江川さん、たいへんなことになるのではないか。あなただけたいへんなことになるならいいけれども、おれらまで巻添えを食つたらたまらぬということで心配しておるのです。そうしたらその晩に、夜十時過ぎだと思いますが、二人か三人して――寮の付近にはあまり家がないのでありますが、それなのに、人ががやがや話をしながら家のまわりをまわつている。みんな、来たんじやないか、来たんじやないかと言つておりましたけれども、私は、大丈夫だ、そんなばかなことは共産党でもしないと思つておつたのです。そうしたら今度は部屋をのぞいて歩いた。女中の部屋をのぞいて、のぞくときに手をかけたのです。そしたらがたがたと鳴つたので女中が起きてみたら、人がのぞいていたので、女中がキヤーツと大きな声を上げて騒ぎ出したのです。それで私も騒ぎ出したらどうすることもできない。またこれをうやむやにしておいたら、次に何か起きたときに困るということで、すぐ警察に連絡をとりました。そのときに頼城の隣の旭という所の派出所から巡査が二人来て、その窓のそばにある足跡、そういうものを確認して行きました。それから皆が非常に心配しまして、もし君が今ここにいたらあぶないんじやないか、こういうこともあるからといつて、私に姿をどこかへ隠すことを勧めるのであります。私としては、共産党が私にそういう危害を加えるということは、記事に対する裏づけのようになるんじやないか、そういう考えなしばかりいる共産党じやない、大丈夫だと言いましたが、おれらも夜眠られないというので、私のなしたことがもしほかの従業員の仕事とか、そういうことに関するようなことがあればこれは重大だ。それじや私は姿を隠しましようといつて、現在の油谷炭鉱の佐々木虎十郎のところに行つて働いておるのであります。そうして先月の八日に、私が油谷炭鉱から用事がありまして頼城へ来まして、頼城で一晩村上さんの寮でとまりまして、次の日芦別へ参りました。そうしたらその日は雨が降つて道が悪く、バスがとまつておつたので、油谷炭鉱まで二里くらい歩かなければならない。晝歩いたら私が油谷炭鉱にいることがわかると思いまして、夜薄暗くなりましてから芦別を立ちまして、途中、歩いて行つて、油谷がもう近いという所に踏切りがある。その踏切りのそばまで来ましたら、うしろから「恐れ入りますが……」と言われましたので、私は「何でしようか」と答えました。そうしたら「ここから上芦別へ行く道はどちらですか」と言うので、私は「線路をまつすぐに行きますと、トンネルがあります。そのトンネルを越したらすぐ上芦別です」と言つたら、「ありがとうございます」と言つたが、すぐ離れない。それで「お気をつけて行きなさい」と私が振り返つたら、「ざまを見ろ」と言つて、すばつと何かで額にさわつたような感じがした。私が額に手をやりましたら、どろつと血が出ている。これはたいへんだと、すぐ油谷へかけつけて行きまして、手当をいたしました。そのきずが現在残つていると思うのです。
○椎熊委員 最後に、これでやめますが、余市に共産党だけでやつている病院がある。そこは、あなたのように党を批判したものを軟禁する場所だと世間では言つておる。あなたのような態度でそういう境地に置かれているような人があるのですか。あなたはそういううわさを聞いたことでもありますか。
○江川証人 そういううわさは全然聞いておりません。
○鍛冶委員 今椎熊さんからちよつと尋ねられた、樺太からそういう文書なんか来ておるところをみると、あなたは御承知ないか知らぬが、ほかのものも入つておるんじやないかという考えは持たれませんか。
○江川証人 ただいまの質問にお答えいたしますと、私自身の考え、また私自身の想像ということは、単なる想像であり、単なる考えであると思うのであります。
○篠田委員長 想像はいいじやないですか。本人は文書だけを持つて来たのであるから……。
○鍛冶委員 それじやよろしい。あなたが関係して朝鮮と九州との間に貿易されたのは、相当の数に上つておる。それらが今まで発見されなかつた。発見されぬためにはよほど注意されたものですか。また取調べ機関が不十分なために、こんなことでは絶対発見せられぬと思つておりましたか。
○江川証人 先ほど私が申しましたように、特に党員を使わないように、またその乗組員に対しては全然党からのそういうものではないというふうに見せかけておるというところで、ある程度逮捕された人もおりますけれども、それが党の指示でやつたということは一度も明るみに出ておりません。それからただいまの不備という問題でありますが、若松へ入港しまして、また若松から出港します際の税関の検閲、または水上警察の検閲というものは非常に精密に行われ、非常に厳格に行われて来たのであります。だが朝鮮におきましては、それと全然正反対なのであります。
○山口(武)委員 先ほどの証言の際に一応明らかになつたことでありますが、さらに念のためにお伺いしておきたいと思いますのは、昭和二十五年三月九日付北海道新聞に証人の記事が出ておりますが、これは証人自身がしやべつたものに間違いないですね。
○江川証人 はい。
○山口(武)委員 そうしますとこの記事自体については責任を持てますね。
○江川証人 お答え申し上げます。それに対してここでいろいろかわつている面を私が発見しましたことは、年月日が非常にかわつております。それにあがた丸と大安丸の違いがあります、それから一番最後の強制結婚、本人から直接私が聞いたということは、先ほど証言しましたように、私は若松で聞き、もう一つは小樽港で、その船の乗組員から聞いたということです。
○山口(武)委員 あなたはこの年月日が違つておるということをあらかじめ申しませんでしたね、今初めて言いましたね。
○江川証人 お答え申し上げます。年月日が違つているということは、あらかじめ申し上げませんでしたが、私の証言といたしまして、ただいまここでいろいろ質問されたときに、やはり新聞の日にちと、私の今新しく記憶にあります、またいろいろそのころから計算してみまして出ました日付がかわつて来ておるわけです。やはり私はここで証言しまして、正しいものを出したい、初めから質問は新聞のこの記事に対する、また新聞のこの日にちに対することでなかつたと思います。
○山口(武)委員 これはあなたが発表したいと思つて新聞にしやべつたことですから、発表になれば当然この記事が正確であつたかどうかということは、特に丹念に読む立場になつている、そうだつたろうと思う。だとすると、しかも内容において、日にちの点について重大な違いが幾つも出ておる、そういうことについてあらかじめあなたが気がついていたら、これが一番重大な問題だが、この点が間違つているということをなぜ言わなかつた、あるいは新聞社にその申込みをしているのかどうか、この点をお聞きしたい。
  (発言する者あり〕
○篠田委員長 静粛に願います。委員長からの質問は、ここにあります通り、昭和二十五年三月九日付北海道新聞に証人の記事が出ておるが、これは証人が語つたものであるかどうかということを聞きまして、その次になぜ新聞に発表したが、その動機、心境を述べろということを言つたのでありまして、委員長は日付の点について質問をしておりませんでした。もしその点について間違いがあつたとすれば、今の証人の言われたことを速記録にとどめまして、訂正しておきます。
○山口(武)委員 ちよつと議事進行についてあらかじめ申し上げておきたいことは、私の質問中にほかの委員がかつてに証人としやべつておりますが、こういうことは委員長の方で取締つてもらいたい。
○篠田委員長 承知しました。
○山口(武)委員 それから私が先ほど質問した二点について、証人からまだ答弁がないのですが、この先ほどの二点を答弁してもらいたい。
○篠田委員長 質問の要領が証人にわからないようです。もう一度御説明願います。
○山口(武)委員 これはきわめて重大な日にちの違いということでありまして、私はこの発表は、単に新聞記者に証人が聞かれて発表したのでなくて、本人みずからが新聞を通じて発表したというような積極的な意図をもつてなされたものであるし、ここに間違いがあれば、あらかじめ証人の方で新聞社へもこの点が違つておるというような訂正は当然なすべき立場にある。それがなされてなかつた。こういうような関係に置かれた問題でありまして、どこが違つておるかと申しますと、先ほどの証言によりますと、本人の共産党入党は二十一年十月で、口頭で話をした。二十二年の六月に文書で入党した。これは共産党の建前から申しまして、文書で入党するのが当然でありますから、入党は二十二年の六月になるわけであります。ところがこの新聞によりますと、二十年の十一月に入党しておる。この間の日にちの違いというものはきわめて大きな関係を持つておる。というのは当時における共産党の活動状況、発展状況から見て、きわめて矛盾しておるものが幾つも出ておる。さらに翌年の二月に若松地区委員会の常任委員になつていたということを申しておりますが、先ほどの証人の証言によれば、このときには証人はまだ全然入党もしていないし、あるいは口頭で入党したということもなされていない。こういうような問題です。さらに密貿易を椎野氏が指令したという問題について、昭和二十年の夏永山を通じて当時党本部統制委員の椎野氏に会つたと言つておる。昭和二十年の夏というのは終戦の年である。戦争が終つた年である。このようなときにこのようなことがあるべき道理はないわけです。しかもなお当時の統制委員のいうことを言われておるが、当時統制委員というものはなかつたはずだ。少くとも椎野氏はそういうものではなかつた。それにもかかわらずこういうような記事が出ておる。これは単に日にちの違いだけだというような問題であるかどうか。さらに先ほどの答弁に、椎野氏から話があつたのは二十一年の春だと言つておる。これは単なる日にちの違いではないだろう。二十年の夏というのが二十一年の夏というのならば、それは一年の言い違いということもあるかもしれない。しかしこれがまるきり違つておる。二十一年の春というのと二十年の夏というのとは、何らの関連性もなければ、誤るべき性質のものでもない。こういうような幾つかの違いが出ておる。この点について聞いたわけです。
○江川証人 お答えします。この新聞に出しますときには、新聞記者に、私は記憶をたどつて話しますからということで、記憶をたどつてずつと話していたわけであります。それから新聞に発表になりまして、その新聞を芦別で一度か二度すつと目を通しました。そうして油谷炭鉱という所が夕刊に出ておるのですが、油谷炭鉱は夕刊は一部か二部より入つていないのです。それで新聞の記事もはつきり確認しておりませんでしたが、先ほど何か昭和二十年の十月ごろか十一月ごろという記事が載つておると言いましたが、それは完全に間違いだということは、私は昭和二十年の十二月ごろ――終戦は昭和二十年ですね。昭和二十年の十一月、十二月ごろは、先ほど話しましたように大正丸という船で青函の連絡船に乗つていたそのころになつております。それでこの記事の日にちの違いというものに対しましては、あくまでも新聞の違いでありまして、私はきようここで権威のあるものをはつきり述べることが正しいし、また述べなければならないと思うのであります。
○山口(武)委員 証人の話はきわめてあいまいで、私はあなたの言うことは何を言つているのかわからない。少くとも自分が新聞社へ行つて積極的に発表したものを、あとでちらつと見たとか、それからここへ来て言うのが、正しいとか正しくないとかいうことを私は聞いているのではない。あなたがそれほど積極的な意図をもつて発表した記事を、なぞあなたはよく見なかつたか。見ないというようなことは普通の常識からみて判断できない事実である。しかも見ていれば、たといすつと見ても、自分の発表したことがはたして正しく載つているかどうかということを当然注意しなければならない。今言われて日にちの違いに気がついた、ここへ来て初めてどれが正確であるか気がついた、こういうような話はないだろう。一体どういうわけですか。あなたの言うことは、われわれには全体として何を言つているのかわからない、信用できない。それだからそのときの動きを何をしたかということをはつきりしてもらいたい。
○篠田委員長 質問だけにしてください。――要するに山口委員の質問は、日にちの違いをなぜそのときに訂正しなかつたか、こういう質問です。だからそれだけについて、なぜ訂正できなかつたかということを、あるいはそれほど積極的に意思がなかつたか、とにかくしなかつた理由について山口委員は、質問しておるのです。
○江川証人 北海道新聞の記事……。
○山口(武)委員 そんなことを言つているのじやない。
    〔「おどかすなよ」と呼ぶ者あり)
○篠田委員長 北海道新聞の記事ですね。山口委員に注意申し上げますが、それは今証人が新聞を読んで確認をしておるわけだから、そういうことまでする必要はない。
○山口(武)委員 それがわからぬ。自分の発表した重大な問題で、本人でさえ一番大きな社会的な問題だ。(「また脅迫か」と呼ぶ者あり)おかしいじやないか。(「君らの方がおかしいんだ」と呼ぶ者あり)たよりない話だぞ。しかも国会へ来ているんだぜ。
○江川証人 いや私の今新聞を見ているのは、北海道新聞とそれから西日本新聞と、その日にちの違いがないかということを確めているのです。
○山口(武)委員 北海道新聞のことだけ聞いているんだよ。西日本新聞のことなんか聞いていはしないよ。
○江川証人 お答えします。この日にちが非常に食違いがあるということは事実であります。それを私が取消さなかつたということは私の不注意であります。はつきり申し上げます。
○山口(武)委員 私はあなたに注意するとかしないとか、そういうことを言つているのじやないのです。注意とか不注意だとかいうような問題じやない。少くともあなたが積極的に新聞社へ行つて発表した事実に対して、あとで読み返さないというようなことがあり得るものじやない。(「あり得たのだからしようがない」と呼ぶ者あり)あり得たということは、少くとも常人のことではない。しかもそれを読んでいながらわからない。今ごろになつてそいつをここでまた読み始めておる。こういうようなことはどうしてもわれわれの常識からいうと納得できない。そのようなことをするとすれば、あなたの言うことは何を言つているのだかわからないとわれわれは判断する。少くとも常人の言うことじやない。なぜあなたは読み返さなかつたか、なぜ違つていたら違つていたで新聞社に積極的に発表するなり、この点が違つているということをあらかじめ言わないか。
○江川証人 お答え申し上げますが、私が当委員会に出席いたしましたのは、あなたは常人のさたではないということを言われましたが、そういうようなことで来たのじやないと思うのであります。常人のさたでないと言われると、それに対しての答えはできない。私としましてはそれに対するお答えとしましては、先ほど申しましたように私の不注意であつたということと、今後帰つたら私はこれに対しての訂正を新聞社に責任をもつて申し入れます。
○篠田委員長 今の質問は、大体証人の証言によりまして不注意だつたということがわかつておりますから、それ以上常人のさたであるとかないとか言つてみても、これは事実の証言を求めるために証人を呼んでおりますから、あなたのお考えを言わずに、事実に対する証言を求めていただくようにしていただきたいと思います。
○山口(武)委員 私が言つたのは、この委員会に出て来たことが常人のさたでないというようなことを言つたのではない。証人の態度というものがそうなんだ。それから本人が今から帰つて新聞社に行つてどうこう話をして訂正する、そういうことはわれわれの関知しないことである。われわれはそういうことを調べようとも言わないし、そういうことを言おうとも思つていない。少くともあなたのこの記事に対する態度というもの、これを発表されているあなたの態度というものは、少くとも客観的に見て常人のさたとはわれわれは普通には考えられない。
○篠田委員 われわれとおつしやるけれども、山口君個人の見解じやないのですか。われわれと言うと委員会全部をさしますから……。
○山口(武)委員 しかしながら私一人だけではない。
○篠田委員長 山口君に御注意申し上げますが、きようはこの事件に対する証人の事実に対する証人を求めているのであつて、証人に対する批判あるいは先ほど鍛冶君に注意しましたが、想像というようなものを聞いておるのではありません。その点をよく御認識の上御質問願いたいと思います。
○山口(武)委員 私の聞いておりますのは、その事実と、それからその周囲の状況というもの、そういうものを明かにしないと、証人の証言というものに対して信憑性が疑わしい点が出て来た。
○篠田委員長 だから不注意と言つておる。
○山口(武)委員 不注意というような問題ではない。注意、不注意というようなことは本人の心がけの問題で、そういうことではない。われわれはそんなことに関知しない。本人の言うことがきわめてあいまいで、態度がはつきりしないから私は聞いている。それでなお私はその点に納得行くことができなかつたということだけ明かにしてその次に移ります。
 証人の先ほどからの話によりますと、証人は大分刑事上の問題にもひつかかつて来るようですが、これについて、取調べられたことがありますか。
○江川証人 お答え申し上げます。これに対して刑事上の問題で取調べられたということは、この問題で私がはつきりつかまつたとか、また逮捕されたとか、発見されたということは、私自身の問題は、先ほどお話ししました洞南丸に乗つておりますときに、朝鮮で発見され、そうして神戸へ帰りまして、神戸の水上署に二時間くらい連行されまして取調べを受けた。それ以外にはありません。
○山口(武)委員 その後において、証人がこの新聞発表を行つたその以前においてありませんか。
○江川証人 お答え申し上げます。この以前においては、それ以外はありません。だが以後におきまして、北海道の芦別へ特審局から参りました。それから当委員会から今立調査員が参りました。そうしてそのときの内容と申しますものは、この発表したことについて、これは間違いではないかいうことを言われまして、いや、私としては決して間違いではありませんと答えただけであります。これ以外の詳しいことは私も話しませんでしたし、向うの方でも聞いていなかつたと思います。
    〔委員長退席、内藤(隆)委員長代
  理着席〕
○山口(武)委員 多少先ほどの質問にもあつたようですが、私にはなお不明な点がありますので、さらに詳細に、正確に聞きたいと思うのですが、このような問題があつて、刑事上の問題も多少出て来る。そのようなことがあつて、証人がことさらに新聞に発表の方法をとつたということについては、なぜ新聞の発表というような方法を選ばれたのかどうか、この点についてお聞きしたい。
○江川証人 お答え申し上げます。それにつきまして私の現在までにやつていたこと、その動きは、私の動きでなくて、私は党員としての動きであつたために、党としての動いていた行動なのであります。そうして私の感じとしましては、脱党した以後も、やはり共産党がそういうふうな動きをしているときに、大衆が知らなかつたら大きな問題である。また私一人が、炭鉱夫として働いている経済的にも恵まれない私が、私のそばの人に口で言うということは、そばの人に納得させるだけにすぎないのではないか。それよりは新聞は公平な立場に立つて大衆に伝えてくれます。大衆に私の心理、また現在までのなされていたことを大衆に知らすために出したのであります。
○山口(武)委員 私、この問題を特に聞きましたのは、先ほど委員長の質問の際に、本人の入党の動機があつたのでありまして、この本人が共産党へ入党するときの動機というものが、普通の共産党員の入党の動機とはきわめてかわつておる。共産党がはででやりがいがあるから入る、男気を感じて共産党へ入る。普通共産党に入るのには、私はこういうふうな動機があつて入るということはあまりないだろうと思う。きわめてあなたは軽率だつたと思う。それで今回のこの新聞発表の問題につきましても、新聞発表というような、また例のはでな、あなたの表現では男気のある、こういうようなことから始まつたのじやないかと思う。少くともあなたかもう少し慎重に、もしあなたが間違いを起したと考えるならば、もつと謙虚になつて、謙虚な方法があつたのではないか、これでは入党のときと同じように、相もかわらず浮かれているような気持をわれわれに感じさせるのであります。
○江川証人 これに対してお答え申し上げます。私の発表が何か浮れておるようなことだということを、ただいまお聞きいたしましたが、実は私が党を脱党いたしましてから今年の三月まで、非常に月がたつておるのであります。その間十分考えて考えて考え抜いた末に発表しておるのであります。それでその発表をする前も、党の方から私に会いに来ておる人がおります。その人とも私はひざを交えて話しておるのです。そのことについて詳しく申し上げますれば、去年の十月――八月から十月ごろだと思いますが、月ははつきりわかりませんが、芦別の大橋委員長があす上部機関から人が来るから、私に会つてくれないか。(「新聞社になぜ発表したのだ」と呼ぶ者あり)出すとなつた気持がやはりそういうことによつて……。
○山口(武)委員 よけいな点でなく、問題点だけ……。
○内藤(隆)委員長代理 それでは詳しく聞かなくてもいいのだね、浮かれているかどうかということを、浮かれていない、慎重にやつておるということを証人が言おうとするのだが、聞かなくてもいいのだね。
○山口(武)委員 いや、聞かなくてはだめだ。
○江川証人 ではお答え申し上げます。それでそのときに、大橋委員長が上部機関の人に会つてくれと言われましたが、私も承認しました。そうしたら今ここであなたにこれに対しての脱党届とかいろいろなものに対してのことは全然聞かない。聞かないけれど、あす来たら言おう、そういう話をしようということで来ましたら、そのころ北海道地方委員会で主婦新聞というのを出しておりました責任者の若松という女の同志が参りました。そうしてそこでいろいろ話をしておりましたが、その中で私がこの密輸入という問題を大きく出しましたら、いや、それは大きな声でここで話さぬでくれ、ここの人はみんな非党員ばかりなんだから、非党員にこういうこうを聞かれたら撹乱になるから、そうして大橋君の言うには、だが今の状態では、君も知つておる通り密貿易はやむを得ないのじやないか。現在党の財政がどうなつている、こうなつているということは君も知つているだろう。現在日本の権力は、党に対しては法を無視し、法律を蹂躪し、すべてのものを蹂躪して弾圧して来ておる。そのときにわれわれだけが法律を守つて、はたして闘つて行けるか。向うから品物を持つて来て、その金でわれわれが闘うということは大衆のためになるのだ。持つて来たということは、向うから品物を持つて来た場合には、何も大衆は困らぬはずだ、その金で大衆のために闘えば大衆のためになるということを言われましたが、私はそこではつきり申し上げました。私はあなたがそう言うのであれば、日本共産党を義賊とみなす。私はあくまでも義賊の味方はできない。昔義賊といわれた石川五右衛門でも、そういう人たちは大きな金持の家の倉庫を破つて、そこから金を持つて来る。これは何も大衆は痛いことはないのであります……。
○山口(武)委員 私の聞いておるのは、そういうことを聞いておるのではない。なぜ新聞に発表されたかという問題です。
○内藤(隆)委員長代理 山口君、あなたのお聞きになつたのは、証人の新聞に発表した態度は、まことに浮かれておるような気持だ、こうあなたは聞いたのでしよう。そこで証人は、そうでない、自分は断固として慎重を期しておる、その道程を説明しておる。
○山口(武)委員 その説明になつていない。
○内藤(隆)委員長代理 なつているかいないかは、みんな聞いておる通りじやないか。
○山口(武)委員 客観的になつているか、いないかだ。
○内藤(隆)委員長代理 それではこの証人の答弁は、やられては困るのですか。
○山口(武)委員 答弁は質問以外のことを言つておる。要点を一向言つていない。
○内藤(隆)委員長代理 あなたの要点に触れようと思つて、今盛んに一生懸命にやつておるのじやありますんか。
○山口(武)委員 それは委員長まじめにそんなことを考えておるのか。
○内藤(隆)委員長代理 まじめに考えておる。
○山口(武)委員 ぼくはそんなことをちつともまじめには考えていない。先ほど日にちの記憶を聞けば、あいまいで、何を言つておるかわからない。しかも新聞発表の態度のきわめて不明確である。それから先ほど一番初めから質問されておるのを見ると、答弁できないで、たびたびメモを開いて見ておる。そういうふうな態度でありながら、椎熊君の質問で、関係のなような共産党の党内問題、あるいは柄澤君の問題などが出ると、得々としてしやべり出す。私の質問に対しても、何ら要点に触れないで、脇道を話す。この被告……(笑声)いや、証人というものは、私としてはどうしても納得できない。
○内藤(隆)委員長代理 あなたの納得行くような質問をもう一ぺんやつてください。
○江川証人 その前に、これはちよつと委員長にお伺いします。ただいま委員が被告という言葉を使いましたが、これは証人としまして……。
○内藤(隆)委員長代理 絶対に被告ではありません。証人であります。ただいま向うは取消しております。続けてください。山口君に対する答弁を。
○江川証人 それで私は、これは義賊だ、義賊的な行為に対してはあくまでも相いれることができない。それはこういうことから来ておるのであります。密輸入をして密輸入品を持つて来ても、それは大衆に何も害を及ぼさない。その金で大衆のために闘えば、それこそプラスじやないかということです。それから見ると、昔の義賊というものはどういうものか、大きな金持の家の倉をこじあけて、千両箱を出す。それは何もそこらの貧民階級は全然痛くない。その中の何割かをそういう大衆――というのは、もう大抵働いておるような人です――その人たちに分けてやつたら、それは神様のように思うでしよう。そうすれば、それは何も悪いことじやなくて、言葉の上では合理化できる。だがわれわれは言葉の上で合理化させるのではなくて、あくまでも法律は法律、憲法は憲法として守らなければならない。石川五右衛門でも、大衆には石川五右衛門さん、石川五右衛門さんと言われていても、彼は罪人して処断されたということを、私はそこではつきり出しまして、私はこれでもう党とは完全に切れるということになつたのであります。そういうところから私の新聞で発表するということは、私自身よりも、より強く彼らの方からも拍車をかけて来たのでございます。
○山口(武)委員 一番終りの十秒か十五秒で言えることを大分前置をつけたようですが、私の聞いているのは、そういうような問題があるならば、新聞発表というような、いわゆるはでな方法をとらないで、証人は前の入党のときにもきわめて軽率な入党をしておるのであるから、なぜ相談すべきところへ相談に行かないか、そういうような方法がとられるべきではなかつたか。
○江川証人 お答え申し上げます。相談しに行くところに、どうして相談に行かなかつたかと言われますが、私が若松へ参りまして――若松へ来るまでは非常に長く船乗り生活をしておりましたので、各港には相当知合いもおりますけれども、芦別の町におきましては、党の活動以外はあそこにいないのであります。それであそこの近所で相談する人といいましたら、おそらく党員ばかりであります。それで党員とは、前に証言しました通り、大橋が私の方からでなくて、向うの方からも会つているような状態であります。
○山口(武)委員 それではだれかに相談してみようかということを考えたが、知合いがないので、そういう方法をとらなかつた、こういうことですか。
○江川証人 もう一度証言します。この新聞に出すということに対しましては、相談といいますか、直接その人にあつて相談したことはありません。だが文書で一度連絡をとつた人はいます。
○山口(武)委員 連絡をとつたのはだれですか。
○江川証人 それは全日本海員組合の組合長蔭山さんであります。
○山口(武)委員 その相談は、新聞に出すことについて相談したわけですか。
○江川証人 新聞に出すということに対してでありません。私の入党さした党員が現在海上に相当数いる。またそういう党員の中にも、無理に入党さした人もおるということから、ほんとうの海上の民主化という面を考えまして、私は少くとも最小限度の私の責任としては、私の育つた海上をまず手をかけなければいけない、その海上の大衆にこれを訴えたい、また海上の大衆に対して正しい見方を伝えたいから、これに対していろいろ機関紙に出すとか、またはどういうような方法で出したらいいか、もし便宜がありましたらお知らせください、とやつただけです。
○山口(武)委員 その回答はどうなんですか。
○江川証人 申し上げます。その回答としましては、あなたの気持はよくわかつておる、そして海上の民主化のために自分の信念通り闘つてくれ、そしてまだいろいろ私のきたこととか、大衆に訴えたいということに対して、前の手紙では具体的じやないから具体的な面を教えてくれという手紙が参りまして、それに対しては私まだ返事を出しておりません。
○山口(武)委員 相談する人がなかつた、知合いがなかつたということを言われておりまするが、知合いがなかつたということを言うならば、新聞社にも私は知合いがなかつたと思う。相談する人ということで行くならば、知合いのなかつた新聞社にわざわざ何するということがあるならば、その地方の町村長にも知合いがあるだろう。あるいはここにいる椎熊氏というようなこういう人にも相談すればできることなんです。こういう方法を選ばれないで新聞発表という方法を選ばれたことが少々納得しかねるところがあると思う。
○江川証人 お答え申し上げます。だれそれに会つて出すとか、またはだれそれに相談する、またこれは相談しなくても出さなければいけないというようないろいろの気持は、そのときの状況または環境、または一番大きく支配するものは、私の精神的な環境によつてだと私は思います。
○梨木委員 あなたは先ほど九州の若松地区委員会で、二十一年の春に椎野さんに会いましたと言いましたね。それは間違いありませんね。そのとき、椎野何と言いましたか。
○江川証人 椎野悦郎です。
○梨木委員 椎野悦郎氏をどういうように紹介されましたか。その会う以前には椎野悦郎氏とは面識はあつたのですか。
○江川証人 お答えします。ただいまの記憶ではその前に会つているかいないか、私はわからないのです。
○梨木委員 その二十一年の春に若松地区委員会で会つたときは、今の記憶では初めて会つたと記憶しているか、その前に椎野悦郎氏に会つたと記憶しておるかどうか、どちらですか。
○江川証人 おそらく会つていない。これは単なる記憶です。漠然としております。
○梨木委員 メモを持つているようですが、もう一ぺんはつきり確認してみてください。
○江川証人 二十一年の春ころ。
○梨木委員 そのあなたのメモはどういうところからつくられたのですか。何か日記とかそういうものから抜き出して来てつくつたものか、それともあなたの記憶を書いたものか、どつちですか。
○江川証人 記憶でございます。
○梨木委員 あなたは先ほど二十一年の十二月に日本共産党へ入党することを口頭で話し、さらに二十二年の六月に書面で入党申込をした、こう言いましたね。
○江川証人 ただいま、前に申し上げましたのは二十一年の夏……。
○内藤(隆)委員長代理 椎野君に会つたのは、ただいまの君の証言では二十一年の春ころと言つた。
○江川証人 はつきり申し上げます。先ほどの二十一年の春と言いましたのは間違いです。取消します。二十二年の夏です。二十一年の春大正丸ということを上に書いていた、それをちよつと見誤つたのです。
○内藤(隆)委員長代理 二十二年の夏に椎野君に会つたのだね。
○江川証人 はい。
○梨木委員 だからはつきりメモを見なさいと言つた。メモを見ても二十一年春、しかも入党したのは二十二年六月、その前に椎野悦郎に会つたと言つている、今取消したけれども。あなたはそのときに、さきの証言では椎野さんから党の財政が非常に困つておるから力になつてくれ、こういうことを言われたと言いましたね。そのときに具体的には、朝鮮へ品物を持つて行つたり、あるいは朝鮮から品物を持つて来るというようなことに力を貸してくれというような話に結局はなつた、こういうことを言われましたね。ところで日本から持ち出した数はどのくらいありますか。
○江川証人 数と申しますのは、どのくらいか、月に一ぺんとか、または一年に何べんというようなことだつたらはつきりわかりますけれども、数というのは私にははつきりわかりません。
○梨木委員 そうすると、あなたは直接運搬をしたわけではないのですか。
○江川証人 そうです。先ほどから証言しております通り……。
○梨木委員 よろしい。あなたは直接運搬しておらないのですね。
○江川証人 椎野氏と会つて、椎野氏に指示されたものに対しては私は直接携わつておりません。
○梨木委員 直接自分が運んだものはないのですね。
○江川証人 はい。
○梨木委員 そうすると、どういうものを運んだかもあなたは知らぬのですか、知つておるのですか。
○江川証人 そのころは九州から持ち出された品物、また朝鮮から持ち込まれた品物というものは、党の指示で動いた船でなくても一定しておつたわけであります。それに九州の福岡にドムという喫茶店……。
○梨木委員 それはあとで聞きます。とにかくあなたは持つて来た物、持つて行つた物を直接見たことはないのですね。持つて行くのを直接目撃したとか……。あなたは直接運んだことはないと先ほど言いましたね。そこであなたが直接運んで来たりしたことはないとすれば、人が運んで行くのを直接目撃したことがあるかないか、そういう事実があるかどうか聞いておるのです。
○江川証人 それは折尾の、先ほど申しました人が品物を駅まで持つて行くときか、また日本から朝鮮に持つて行く品物を船員が受取つて船に持つて行くときは、たまたま見たことはあります。
○梨木委員 中身は見ましたか。
○江川証人 中身は見ません。
○梨木委員 それではどういう中身のものかわかりませんね。
○江川証人 それは向うの方から来た船員が、大体今度はどういうものを持つて来たとか、また今度こつちの方からどういう品物を持つて行くからそれを伝えてくれぬかというようなことから、私が想像できるのであります。
○梨木委員 そうするとあなたは直接持つて行つたり、持つて来たものの中身は見たことはないが、船員たちの話から想像して、どういうものが持ち運ばれたり、持つて来られたりしたと想像しているわけなんですね。こういうことに聞いてよろしいのですか。
○江川証人 そういうことに想像してよろしいことと、それから……。
○梨木委員 いや、ぼくの聞いたことにだけ答えてもらつて、またあとで聞いて行きますから……。とにかく船員の……。
    〔「それじや誘導尋問だ、言おうとするところを途中で切つてしまう」と呼び、その他発言する者あり〕
○内藤(隆)委員長代理 静粛に……。当時あなたは党員だから、党員として船員から聞いたのですね。
○江川証人 そうです。
○内藤(隆)委員長代理 その点きつぱりもう一ぺん言つてもらいたい。
    〔「誘導尋問」だと呼び、その他発言する者あり〕
○内藤(隆)委員長代理 静粛に……。梨木君、今明瞭に答えますから聞いてください。
○江川証人 お答え申し上げます。それに対して私の方からも、船員にどういうような品物を持つて来たかということを質問したこともあります。それで答えてもらつたこともありますし、また折尾の責任者が、コーヒーとか、ココア、それからサッカリン、そういうものを博多または小倉の喫茶店に入れたということを私に言われております。私は直接その中を見て確認したのではなくて、その人たちからはつきりそう聞きました。
○梨木委員 それからあなたは先ほど麻薬も朝鮮から持ち込まれたということを聞いたと言われましたね。その麻薬というのは、モルヒネとか、コカインだというのは、自分の想像だと言いましたね。そこで麻薬の実体は、モルヒネかコカインかということは、これは自分の想像だ、こういうように聞いてよろしいのですね。
○江川証人 そうです。
○梨木委員 そうするとあなたは、日本から朝鮮ヘ持つて行つたり、それから向うから持つて来たものは、どういうように処理されたかということについて、直接には関係しておらないのですか。
○江川証人 直接関係ございません。
○梨木委員 この新聞の記事を見ますと、一回の密貿易で十七、八万円が党の資金にまわつたというように書いてありますが、これはあなたの想像ですか。
○江川証人 お答え申し上げます。私が船に乗つているころからいろいろ判断しまして、大体持つて来れる範囲というのはきまつている。船の中で一人で持つて来る範囲は大体きまつている。それから見まして、一人で一航海このくらいの品物を運べるということからの想像であります。
○梨木委員 次にお伺いいたしますが、樺太から入航して来た船で文書を運んで来たということの証言がありましたね。それに関連して聞きたいのでありますが、それはいつごろでありますか。二十三年の十月ごろとかこの新聞には出ておりますが、そのころですか。それは間違いないですか。
○江川証人 お答え申し上げます。戸畑丸が持つて入りましたのは、二十二年の秋ごろと思います。十一月か十二月です。それから大安丸が小樽に入港しましたのは、二十四年の春ごろです。
○梨木委員 そうすると、そのころは樺太にはまだ抑留されている日本人がおつて、引揚げを継続中であつたかどうかということについて記憶がありませんか。
○江川証人 戸畑丸のころはよくわかりませんが、引揚げが継続していたと記憶しております。
○梨木委員 二十四年大安丸の時分も引揚げが継続されておつたと記憶しますか。
○江川証人 継続されていたということは、私の記憶でありますが、記憶としましては、そのころ小樽港に樺太の引揚船が入つていたために――終つてから入つていたためにそういう記憶があるのか、樺太の引揚げをやつていたと記憶しております。
○梨木委員 そうすると最初の戸畑丸の場合は、封筒の表紙には日本共産党中央委員会と書いてあつたんですね。
○江川証人 はい。
○梨木委員 裏には何と書いてあつたか。
○江川証人 先ほど証言しました通り、今記憶がよみがえつて来ないのですが、マークといいますか、何かそういうようなものと思います。
○梨木委員 マークというのは、何か印刷したものですか。それともどういうものでしたか。
○江川証人 いえ、筆記したものです。
○梨木委員 書いたものですか。
○江川証人 そうです。
○梨木委員 それは大部のものですか、それともそう部厚なものじやないのですか。どういうものですか。あなたは見たのですか。
○江川証人 はあ、見ました。白い大型の角封筒に入つていた。こうして持つてちよつとしとつとするくらいです。
○梨木委員 それを渡すために持つて来た人はどう言つておりましたか。
○江川証人 そこの港の名前は忘れましたが、そこへ上つて行きましたら、軍人と言つていましたが――今ちよつと出て来た記憶なんですが、中尉か何かやつていたと思います。将校だと思います。
○梨木委員 どこの将校ですか。
○江川証人 ソビエトです。
○梨木委員 ソビエトの将校が渡したのですか。
○江川証人 ええ。
○梨木委員 だれに渡したのですか。
○江川証人 戸畑丸の矢島昇です。
○内藤(隆)委員長代理 通信士でしたね。
○江川証人 通信土です。
○内藤(隆)委員長代理 その矢島昇に渡したというのですか。
○江川証人 そうです。
○梨木委員 それで矢島氏は、これは秘密の文書だと言われて持つて来たのですか。
○江川証人 向うから受取るときは、秘密と言われたか言われないか、それは私にはわかりません。だが日本へ入港しまして、外地から帰つて来た船は、サーチと言いますか、船内検査があります。それでそのときも当然持つて上れないので、そういう場合も隠して来た。それが私たちはソビエトから来るとか、また外地からの文書は非常に大事なものだと思い込んでおります。それでこういうような大事なものはみんなに見せられないから、そつと隠して持つて上るということで私たちは秘密に扱つております。
○内藤(隆)委員長代理 ちよつと江川さんに聞きますが、さいぜんあなたの証言の中で、矢島昇なる通信士は共産党員だとおつしやいましたか。
○江川証人 はい。はつきり共産党員と申し上げます。
○梨木委員 その次に、大安丸の場合はどういうものですか。
○江川証人 この大安丸の場合は、やはり封筒は同じ白い封筒でありますけれども、表書きはやはり中央委員会あての表書きです。裏書きには何にも書いてありませんでした。
○梨木委員 それを西館氏に渡したというのですか。
○江川証人 そうです。
○梨木委員 西館氏はこれをどうしたかわからないのですか。
○江川証人 わからないのです。
○梨木委員 あなたは北海道新聞に「日共の実体を世に訴う」という記事を提供されたということでありますが、その記事を提供した後において、警察か検察庁の取調べを受けた事実はありますか。
○江川証人 先ほど証言いたしましたように、警察、検察庁の取調べは受けておりませんが、特審局から参つております。
○梨木委員 私さつき席をはずしておつたので聞き漏らしたのですが、特審局はどういうことを聞きましたか。ちつと簡単に。
○江川証人 それはこの記事のこととか、また密航、密貿易が事実かどうかということです。それで私としましても、そのころまだ官憲とかそういうような関係の人に対して、自分の気持を打割つて話をするような心境でなかつたために、あまり詳しいことは話していないのです。
○梨木委員 もう一つ先ほどの点で聞き漏らしたのでありますが、あなたは日本から朝鮮へ、朝鮮から日本へ渡つて来るということをせわしたことは、一回未遂があつただけだと言われましたね。一回だけですか。
○江川証人 私直接手をかけてせわしたのは一度だけです。それは未遂に終りました。
○梨木委員 さつき未遂とおつしやつたのは、日本へ連れて来たのでしよう。
○江川証人 朝鮮で出航の寸前おろされたということを話しました。
○梨木委員 そのことであなたが首になつたのですか。
○江川証人 はい。
○梨木委員 椎野さんから、朝鮮から物を運んで来る場合、これはどういうふうにして朝鮮で品物を調達して日本へ運んで来るかということについての話がありましたか。
○江川証人 それに対しまして、朝鮮の状況は、そのころの朝連の朴いう人にいろいろ相談すると、向うの状態がはつきりわかる。だから向うの方に行つて、それをやる前に詳しく状態を聞いて、そしてその中から分析してやつてくれということを言われました。
○梨木委員 ではその朴君からどういうことを聞きましたか。朴君に会つたのですか。
○江川証人 会いました。
○梨木委員 会つたなら、会つてどういうことを聞いたか、それを簡単に。
○江川証人 実はこういうようなことを言われて、こういうようなことをやれと言われた。それに対して向うの方では、どういうような方法が一番やりやすいかということで話しまして、向うの朝鮮の方には李福祥という人が釜山におります。その李福祥という方は、前に日本におりまして、終戦後朝鮮に渡りまして、朝鮮の釜山で本屋をしておりましたけれども、今度本屋をやめまして、船舶の食糧積込み業をやつているわけですが、パス・ポートを持つているために、いつでも出たり入つたりできるわけです。それでその人はある程度朝鮮の官憲を買収しているために、船に品物を持つて来たりするのが非常にやさしい……。
○梨木委員 そこまではわかりましたが、品物を調達するのにはやはり買うのですか。買つて来るのかどうかということ聞きたいのです。
○江川証人 ここらから持つて行つた金では買えないのです。それでこつちから持つて行つた品物と物々交換というような状態になります。
○梨木委員 そうすると、あなたは先ほど日本から品物を運ぶなり向うから品物を運んで来ることは義賊だと言われましたが、物々交換なら盗んだことにならないのじやないですか、そこはどうですか。
○江川証人 お答えいたします。私が先ほど義賊だと言いましたのは、盗んだとか盗まないということが罪になるということよりも、法律を破ると当然罪人となるというのであります。
○梨木委員 どういう法律を破ることになるのですか。
○内藤(隆)委員長代理 ちよつと梨木君。義賊ということは単なる比喩で言つたのです。
○梨木委員 あんたに聞いているのじやない。証人に聞いているのです。どういう法律を破るのですか。
○江川証人 お答え申し上げます。終戦後朝鮮は日本の国ではないのであります。それで日本から朝鮮へ品物を持込む場合には、当然これは密輸出になる。また向うから持つて来る場合は密輸入になります。私は法律の方ははつきりわかりませんが、税関法とかいろいろそういう法律があると思います。また密輸出、密入国という問題になればこれは朝鮮と日本という違つた国の間の国際的な問題もあるのじやないかと思います。法律的に。
○梨木委員 そこで聞きたいのでありますが、あなたは最初に椎野さんから、そういうぐあいに力を貸してもらいたいと言われたときには、やはり法律を犯すんだということを考えておつたのですか。
○江川証人 お答え申し上げます。考えておりました。そのころの私は、やはり教えられた通り、また自分がいろいろアカハタとかそういういうような新聞を読んで、現在の共産党をどうしても守り通さなければいけないから、自分を犠牲にしてまでもというような気持がありました。
○梨木委員 それでは自己を犠牲にして日本共産党のために活動するという心境が、その後になつて――自分をも含めてこういうことをやつたと新聞に発表しておるそうですが、これはどういう心境の変化なんですか。
○江川証人 それは先ほどの証言で何べんも述べているのです。
○梨木委員 じやこういうぐあいに聞きます。あなたがさつき述べられました昨年六月函館港で第三旭丸ですかの密貿易事件が発覚したということですね。あなたはこれには自分の知つている人が関係しておつたのに関係がないとアカハタで発表した、こういうわけですね。それがけしからぬということで心境が変化したということになるのですか。そこのところがちよつとわからないのです。
○内藤委員長代理 ちよつと梨木委員に聞きますが、これは詳細に述べぬと……。あなたは心境を聞いておるのですか。
○梨木委員 そうです。
○江川証人 お答え申し上げます。九州におりますときに、同じ海上の仕事をしておりました私の上の人がたくさんおります。江副誠二とか永山正昭、海上の党員でも優秀なのがたくさんおりまして、しよつ中討論をしておりました。私が党に対しての忿懣または矛盾を少しでも感げるようなことがあれば、徹底的に党独特の批判をされるわけです。そういうことから、党の決定その他党のものはすべて絶対的に正しいのだ、絶対に守らなければならないというふうに感じておりましたために、私としましても、党のそういうような矛盾に対して深く考える気持はなかつたわけです。それが北海道へ参りましたら、海上のことは私の責任においてある程度私がやらなければならない立場になつた。前九州にいるときは、これはこうなつているがどういうような対策を立てるかということは永山さんとかそういう人に相談したが、今度は下の党員から相談を受けるというような立場で、今まで無批判的であつたのが、自分で批判して納得してからそれを遂行するというような方向にかわつて、そのころから自分に対する批判的な面も出て来たし、党に対する批判的な面も出て来たわけです。そのころからずつとめばえたものが、先ほどもお話しましたように第三旭丸事件、そういうようなものでますます強くなつた、拍車がかけられたというのです。
○梨木委員 あなたの先ほどの証言によりますと、椎野さんからはなるべく非党員を使えというように言われたと言いましたね。それは結局そういう仕事と党の仕事は切り離すようにしなければならないというようにあなたは考えておつたのですか。
○江川証人 お答え申し上げます。当然私に対して指示をした椎野氏、またそれを財政的に取扱う人、九州の財政に関係しておりました同僚の方、また私に対して、党の資金はということを提議されたこと、それから非党員を使つたということは、全然それと切り離せる仕事というのではなくして、相手方には当然資金獲得のためにということをわからせないようにするためとか、また相手が検挙された場合には全然党と関係ないというような状態に持つて行くためにやつた……。
○梨木委員 そうすると、あなたの今の証言によりますと、あなたは椎野さんから――つまりあなたが言われたような仕事と党の仕事は別のものだというように対外的にはしなければならぬものだということは承知しておつたわけでしよう、そのときから。どうです。
○江川証人 お答え申し上げます。党のものと、それからそのものと別個に考えなければならないということは考えませんでした。現在もそうでしようが、そのころの党の規約によりましても、党の財政としてつくり上げるということはあくまでも党の仕事であり党のやつていることなのです。
○梨木委員 ちよつとぼくの聞き方が悪いのであなたに通じないらしいが、つまり私はこういうことを聞きたいのです。いろいろ今の証言を聞いておりますと、あなたは北海道に行つてから自分の責任においてやるようになつた。そこでいろいろの仕事についても批判的になつて来た。しかし直接の動機は、第三旭丸の密貿易事件が発生して、その中に自分の知つておる党員がおつた。ところがそれはアカハタではまつたく関係がないと発表された。これは党はけしからぬ、こういうことで拍車をかけられたとあなたはおつしやるのだが、そのときにそういうことで非常に憤慨されたというのは、私にはちよつと理解しにくいのであります。なぜかというならば、当初からあなたが聞かされておつたところによつては、もし発見されたら、これは党と関係がないようにしろと言われておつたように言われる。だからいまさら第三旭丸のときに、そういうような処置がかりに行われたといたしましても、そのことを非常に憤慨するのはどうも私は納得が行かないのですが、いかがですか。
○江川証人 お答え申し上げます。これは先ほど証言いたしました通り、これに乗つておりました才門勘志露というのは、普通の船員ではなくて、函館なんかではみんながわかつている党の海員オルグなんです。それに私が地区委員会に出しました質問状に対しまして全然答えがなく、そしてアカハタに党と全然関係がないということを発表した。私は党のアカハタは絶対的なものだということを教えられている。今後私たちの指導者――もし党が非合法に入つた場合には、中央から直接指令が届かないかもしれぬ。その場合には非合法時代でもガリ版でまでアカハタが出されていた。アカハタそのものがわれわれの指導者であり、われわれの指令でなければいけないということがしよつちゆう言われておる。そういうようなアカハタに対して信頼性が持てなくなつたら、全然活動できなくなる。私はそういうすべてのものに裏切られたということなんです。そういうことから強くなつた。
○梨木委員 そこの裏切られたという感じが私には非常に不自然なんであります。あなたが当初椎野氏から言われたと称するその仕事の部面からいいましても、第三旭丸の密貿易事件について、かりにそこに党員が関係しておつたといたしましても、またさようなアカハタの記事が出たといたしましても、それはあなたにとつては非常に思いがけないやり方だということから、たちまち党に対する信頼がなくなるというようなことは、それだけではなくして、ほかに何らかの動機だとか、いろいろな原因があつたのじやありませんか。
○江川証人 先ほども証言いたしましたように……。もう一度言つてください。
○梨木委員 その点はそれくらいにして、そこでその次に、あなたの考え方からいつても、法に触れるようなことをやつた。しかも法に触れるようなことを堂々と新聞に発表して、検察庁、警察から何らのおとがめがなかつたということはどうもおかしい。あなたは、実際は初めから共産党の内情をスパイするために共産党へ入り、そのためにこれを暴露したけれども、検察庁、警察において何らおとがめがなかつたのだと思いますが、その点はどうですか。
○江川証人 お答え申し上げます。私がどこかのスパイじやなかつたかというようなことを言われておりますが、私の党員時代は、おそらく私の無二の親友がスパイであつても、私は摘発するくらいの気構えを持つてやつておりました。全然そういうようなことはありません。
○梨木委員 そこでとにかくこの事件を発表したけれども、警察や検察庁から何の調べもなかつたことは、これは間違いないですね。
    〔「特審局がやつた」と呼ぶ者あり〕
○江川証人 お答え申し上げます。新聞記事を書いたときに、頼城の警察部長の一人が来ておりました。だがその人は私に対して調べるような言辞は全然使いませんでした。
○梨木委員 第三旭丸の密貿易事件というものはどういうように処理されたか、御存じですか。
○江川証人 お答え申し上げます。ただ才門勘志露、それから高田繁一が懲役を宣告されまして、そうして内幌の刑務所に入つたということは聞いております。その後はわかりません。
○梨木委員 あなたはこういうことを発表したら、警察や検察庁から、第三旭丸の密貿易事件もこういうぐあいにして検挙されておるんだから、自分のところにも手が延びるというようなことについては、どういうような見通しを持つておりましたか。
○江川証人 申し上げます。私の見通しとしましては、おそらくこれを出しまして、警察とか検察庁で捜査するだろう、もし捜査をして裏づけができたら、私が処罰されるものであつたら処罰されるだろう、処罰されないものであつたらこのままでおるかもしれぬというような気持でありました。
○梨木委員 あなたはこの新聞発表をするについては、共産党の不正を暴露して、徹底的に共産党というものをやつつけなければならぬという動機から新聞発表をされたということでありましたね、その通りでありますか。
○江川証人 はい。この新聞に記事を発表することによりまして、そして大衆に現在の共産党というもののやり方、やつておることを敢然と訴え、そして今後情勢いかんによりましては、私も出かけて行きまして、彼らと闘わなければいけないような情勢になるのではないかということは自覚しておりました。だが現在私の経済的な事由とか、または環境的な理由によりまして、今のところはどこへもぽんぽん飛び歩くようなことはできない。
○梨木委員 あなたは共発党の不正というのは、結局こういう密貿易のようなことをやつておることが不正だとおつしやるのですか、まだほかにありますか。
○江川証人 お答え申し上げます。この新聞に出ておる密貿易、密航、こういうような問題が自分でキャッチした、はつきりしたものであります。それからこれは法的には不正という言葉は使われないかもしれませんけれども、現在の党員――少くとも私が入党さしました党員は、ほんとうに彼らに理論的なものをつかまして入党さしたり、ほんとうに革命的な気概をもつて入党さしたりしたのではなくて、どうだ、とてもいいから入党せぬか、いいところだから入党せぬかといつて、何か口の先で言葉を弄して入党さして、そうして入党さしたら、彼らが少しでも変な動きをしたとか、不満を持つとか、動けなくなつたら、君はひより見主義者だ、または君は分派主義者だと言つて徹底的にたたくことによつて、彼らは脱党もできないし、弱いことも言えない、そういうふうにして育てて来た党員が相当数海上におるのであります。それでそういうような間違いもこれによつてなくさなければいけないということからです。
○梨木委員 そうすると、あなたの先ほどからの証言も、やはり共産党をやつつけるための意図からさような証言をなされておるのですか。
○江川証人 私の意図は、これは直接共産党に関係してのことは共産党と闘わなければならないと思いますが、私はこれを、単に共産党と闘うために私が何か生在している、今後生在するというような間違つた考えをつけてはいけないと思いまして、はつきり言いますが、私は日本共産党であろうと、また権力であろうと何であろうと、不正またはごまかし、虚偽というものに対しては、やはり日本人として徹底的に闘つて行かなければならないし、また闘つて行く。
○梨木委員 この新聞の記事の中に「ところがこの紹介状の分厚さにまた疑いを持つた同氏がこれを開封して読んだところ、江川氏の党に対する反抗が細々とかかれ、この診断によつて同氏を入院加療を要する病人として処置されたい旨が述べられていた。」これは事実ですか。
○江川証人 それは先ほど証言しました。
○内藤(隆)委員長代理 梨木君、ちよつとあなたに申しておきますが、さいぜんのあなたの証人に対する質問の中に、ここを公産党をやつつけるための闘いの場面にしたかというような意味の質問があつたのですが、それはそうじやないので、本日のこの証人は不正入出国に関する件に対する証人として来ておるので、決して共産党をやつつけるために来ておるのではない。それを申し上げておきます。
○梨木委員 それはわかつております。ただそういう心境で供述したのかということを聞いたのですが、もうこれで終ります。
○内藤(隆)委員長代理 他に御質問ありませんか。
○福田(喜)委員 一点だけお聞きします。ソ連から機密文書を預かつて来てあなたに渡した大安丸の事務長の有馬という人は党員ですか。
○江川証人 党員です。
○福田(喜)委員 現在は高級艦員ですか。
○江川証人 高級船員です。
○福田(喜)委員 現在も事務長をやつておるのですか。
○江川証人 現在はわからない。私が海上から脱けて来るまでは完全に事務長をしておりました。
○福田(喜)委員 現在話に聞きますと横浜の通信協会に勤務しておつて、それの方の連絡をしておるという話でありますが、あなたはそういうことは聞いたことはないですか。
○江川証人 有馬敬氏のその後の動向については全然わからぬです。
○福田(喜)委員 それからこれはだれか質問したかもしれませんが、こういう密入国、密出国の犯行が連続して行われているのに、それが捜査当局の間に問題として上つて来たことが非常に少いということは、何かその間にあなた方がその当時においておかしいと思われることはないか。つまり官憲の腐敗とか、その他相互の連絡、つまり自治警、国警、海上保安庁あるいは税関等において、何かおかしいと思われるようなことは感じなかつたですか。
○江川証人 その点につきましては先ほど証言いたしました通り、九州若松の近所の警察、またはそのころの海上保安庁というのはあまり大きくなかつたので、目立たなかつたのですが、税関は非常に厳密な捜査をしておりました。それに船員が陸上へ何か持つて上つておるというようなときには、水上警察の警察官だけでなく、陸上の警察官も同じに取調べておりました。私の感じといたしましては非常に連絡がとれていたのではないかと思います。それと反対に今度は日本から出て行つたということについては、そういうように一生懸命取調べても、取調べる人より船員の方が船内の構造に詳しい。それとまた日本から積み込むときと日本でおろすときに気をつければ朝鮮はもう問題にならない。朝鮮におきましてはどういうような官憲の取調べがされておつたかというと、私が洞南丸に乗り込んでおりますときに、朝七時ころ入港したのであります。そうしたら八時ころにセビロを着た人がランチで船に来まして、どうだ、内地から品物を持つて来たのなら売らぬか、揚げてくれぬかというので、関税のサーチもまだ済んでいないからだめだというと、いや税関の方の話はおれがつけるから大丈夫だというので、船員としては税関のサーチのある前に陸に揚げてしまえば絶対安全ですから、それじや頼むというわけで、少し安くその人間に渡した。そうして八時か九時くらいに税関からサーチに来ましたが、そのときに来た税関の人はだれかというと一時間か二時間前に品物を買つて行つたその人間が胸に税関のマークをつけて来ただけにすぎないのです。それから朝鮮の釜山におきましては、われわれはライター五つ、万年筆五本という言葉が合言葉のようになつておつたのです。それは朝鮮の釜山の岸壁に出入りするところの、または中で監視しておるところの警官とか、そういう人たちにつかまつたら、何でもライターを出す、ライターで苦い顔をしたら万年筆を出す、そうすると十中八、九までオーケーで通つておるいう状態であります。そうしてそのころ朝鮮には朝鮮の普通の警察官の上に特察隊というのがありました。その特察隊の――名前は忘れたが、その人がおれに何々の品物を売つてくれと言うて船に来ましたときに、それはどこそこの人が持つて行つたと言うたら、よしそれじやおれがぶんなぐつて持つて来るというようにしたり、ほかの警察官がその警察官の向うを張つたら徹底的にやつつけられるということで、非常に恐れていた。だがら向うの方では持つて上ることも持つて出ることも、どんなことでもできる。
○内藤(隆)委員長代理 他に御質問がなければ、江川証人に対する尋問はこれにて終ります。証人には遠いところ長時間御苦労でありました。
 本日はこれにて散会いたしますが、なお次会は明後十八日午前十時より開会いたします。
    午後五時五十一分散会