第010回国会 文部委員会 第10号
昭和二十六年三月十四日(水曜日)
    午前十一時九分開議
 出席委員
   委員長 長野 長廣君
   理事 岡延右エ門君 理事 佐藤 重遠君
   理事 若林 義孝君 理事 小林 信一君
      柏原 義則君    甲木  保君
      高木  章君    東井三代次君
      飛嶋  繁君    圓谷 光衞君
      平島 良一君    井出一太郎君
      笹森 順造君    渡部 義通君
      浦口 鉄男君
 出席政府委員
        文部政務次官  水谷  昇君
        文部事務官
        (大臣官房宗務
        課長)     篠原 義雄君
        文部事務官
        (初等中等教育
        局長)     辻田  力君
        文部事務官
        (大学学術局
        長)      稻田 清助君
 委員外の出席者
       專  門  員 横田重左衞門君
        專  門  員 石井  勗君
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三月十四日
 市町村立学校職員給与負担法の一部を改正する
 法律案(内閣提出第一〇五号)
の審査を本委員会に付託された。
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本日の会議に付した事件
 宗教法人法案(内閣提出第五一号)国立学校設
 置法の一部を改正する法律案(内閣提出第七八
 号)
 昭和二十六年度に入学する兒童に対する教科用
 図書の給与に関する法律案(内閣提出第九八
 号)
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○長野委員長 これより会議を開きます。
 まず文部大臣に対する質疑について申し上げます。この際お願いいたしたいことは、大臣が当分御欠席になる御病状でありますので、大臣に対する質疑は、これをやつていただき、答弁は文書をもつていたしたいとのことでありますから、これを政府委員より答弁していただきます。よつて御了承を願います。
○笹森委員 それに関してちよつと――。ただいまの委員長の御発言でありますが、むしろ十分に御病気をおなおしになつて、直接に御答弁いただいた方が、かえつて進捗しはせぬかという気がいたします。御承知のように、御答弁をいただきましても、その御答弁によつてただちに了承をいたす場合もありますし、また御答弁によつて御質問申し上げなければならない場合も、実はたくさんあるのであります。ですから、そうすると、文書によるお答えに対して、また質問するということでありますので、結局かえつておそくなりはしないかと考えます。それらの点に関しまして、むしろ技術的には早く御病気をなおして御出席いただくように努力していただく方がいいのじやないか。但し、今の御病気の見通しについて、もしも医師の方の診断でもありまして、時期が非常に長引くということであれば別問題でありますが、その辺のことをお伺いしてみたいと思います。
○長野委員長 お答えいたします。伺いますと、早くても今週中は出席困難の状態でありまして、何か扁桃腺で、非常な発熱をせぬとも限らぬので、そこに警戒を要することになつておるそうであります、一方他の方面からは、なぜこの法案が停頓するかというような心配をしている筋もありますので、かたがた文書なり適当の方法で御答弁を願つて、できるだけ進捗した方がいいような感じもいたしますので、さようにしたらどうかと思つて、皆さんの御意見を伺つた次第であります。どうでございましようか。
○笹森委員 文書でお願いすることはけつこうです、委員長の御気持が、文書によつて了承すれば、それだけでも促進に役に立つのだということは、私ども了承いたしますが、なお最後に質問したいという項目があつたときに、それは前の文書の返答によつて済んでおるということでしりぞけられてしまうのでなければ、むろん異存はないのであります。
○長野委員長 できるだけさような重複、もしくは文書による欠陷のないように、幾らでも労を重ねまして、正確に御答弁の行われるようにいたしたいと思いますから、御了承願います。
○柏原委員 大臣がいなくても、質問ができる部分もたくさんありますから、公報が出たときは、宗務課長さんに必ず来てもらつて、小さいところからでも片づけて、審議をどんどんやつて行くという形で、大きな問題は残してもいいですから、進行していただくように要望しておきます。
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○長野委員長 次に小委員の補欠選任を行います。産業教育に関する法律案起草小委員の小西英雄君が小委員を辞任しましたについて、その補欠として柏原義則君を指名いたします。
 暫時休憩をいたしまして、ただちに産業教育に関する小委員会を開きます。
    午前十一時十四分休憩
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    午後二時五分開議
○佐藤(重)委員長代理 休憩前に引続き会議を続行いたします。
 宗教法人法案を議題として、質疑を続行いたします。質疑は通告順によつてこれを許します。柏原義則君。
○柏原委員 戰時中宗教団体法ができまして、相当宗教の統制をやつたのでありますが、終戰後ポ勅による宗教法人令になりまして、各宗教並びに宗教団体は大幅な自由を獲得いたしまして、いろいろな種類の宗教がふえて来たのであります、もちろんこれは宗教のような大事な、深いまた複雑な問題は、法令で片づけるのでなく、国会で大い議して、われわれ国民の手で、みずから得心ずくで宗教法人法というようなものをつくるのは大賛成でありますが、戰後宗教が相当自由闊達な活動をして来ましたが、今回の法人法によりましては、法人制のような、届出でなくして、認証という形をとつておるのであります。見方によると、認証は一つの許可にも見えますし、認証の主体的な事務を取扱う人の責任は、まことに重くなつて来るのであります。そこでこの認証は、一つの許可のような誤解も持たれますし、また見方によれば、許可ぐらいの力は主務官庁が持つことになるのでありますが、もちろん認証につきましては、宗教の教義内容には触れなくなつておりますけれども、しかしそれを扱うものの心証、どんな気持で扱うかということが、きわめて重大な問題になつて来ると思うのであります。そこで第一番にお尋ねしたいのは、この認証の責任者たる文部大臣が、この宗教活動に対してどんな信念を持つておるかということをお伺いしたいのであります。第何国会でしたか、宗教情操教育決議案が上程されましたときにおいて、時の田中文相は、宗教は法律に理想を与え、道徳に生命を、また世界に平和を、人類に希望を与えるという、きわめて宗教に理解ある態度をもつて臨んでおられました、天野文部大臣は、有名な倫理学者であり、道義学者でありますが、倫理学者、道義学者というものは、へたをすると、宗教をうとんずる傾向になりやすいのであります。過去の日本の教育界におきましても、教育の中に、宗教的な気持を無視したわけではありませんが、取入れることが少かつたために、いろいろな間違いを起しているのですが、責任者であるところの天野文部大臣は、宗教に対してどういう信念を持つておるかということをまず第一にお伺いしたいのであります。これは文部大臣に対する質疑でありますが、認証のような形をとりましたら、従来のような届出でなくして、事務が相当煩雑になりましようし、役所の行事がふえると思うのですが、その際主務官庁におきましては、文部省の中に課がありますが、こういうふうに認証の形をとつた場合、役所の組織において、現状のスケールでやつて行けるか。これは課長さんにお伺いしますが、さらに地方におきましては、県知事がやろうとしますと、知事はその当の認証の責任者ではあるけれども、割合に宗教に対して無関心の人の方が知事になりやすい傾向にあるのであります。それは一つは宗教の責任者でもありましようが、それを扱うものも、宗教の事務を扱う人が県庁におるかおらないか。おらないような状態で、中学を出たようなボーイ程度の人がこれを扱うというかつこうになつておるので、この重大な宗教の問題を扱うにつきましては、その方面に対して、今度宗教法人法というものになるのですが、新しい考慮が考えられておるか、政府はどういうことを考えておるかということを、これは課長さんに御答弁願いたい。御答弁願いましてから、次にまた御質問申し上げます。
○篠原政府委員 ただいま中央、地方についての認証事務に関するお尋ねがございましたが、中央におきましては、文部省に宗務課がございまして、長年の経験も積んでおるわけでございます。員数等につきましても、この認証事務の事務量を予定いたしまして、相当明年度は予算を計上いたしております。
 それから地方の事務につきましては、非常に事柄が、宗教団体自体に大きな問題を持つておる関係上、その人選等につきましても、中央と地方と相連繋の上に、ともどもにこの法人法の実施の面につきまして遺憾のないように、今から研究して、かたがた地方とも連絡をしつつある状況でございます。われわれも、今の御質問の趣旨を尊重いたしまして、十分その事務の円滑化並びに宗教団体の特殊性の尊重をいたした仕組みのもとに、やつて行きいたと考えております。
○柏原委員 この法案全体をよく見ますと、宗教法人法ですが、世間では、何か宗教自体の法律という宗教法のような感じを受けています。宗教法でなくて、宗教の財産に関する法律案と言う方が、かえつて誤解を解くのではなかろうかというふうに思うのであります。これをかえてくれというのではないのでありますが、それほど一般的に誤解されやすい。そこで宗教の財産に関する法律のようなものでありますが、宗教の物的基礎です。宗教活動本来の姿を見ますと、大きな伽藍が立つているとか、構内地があるとか、境内地があるとか、そういう物的方面ももちろん大事であります。しかし本来は、信者を教化育成するということに、非常に重点を置かなければならぬ。宗教の発達の上から見ますと、教化育成という点におきましては、この間も笹森委員からお話がありましたが、キリスト教の牧師は、最初はお寺が建たない。牧師館という小さなそまつなところにおつて、そこで信者を集めて、家庭的に伝道布教をやつて、実績が上つて、それから伽藍が建つ。もちろん伽藍の温存ということも、大事でありましようけれども、小さい家におつて、そこで育成して、そこから伸びて行く。そこに宗教本来の活動があり、実績があるのであつて、目に見えた大きなところが、必ずしも価値が大きいというものではないのであります。そういう点から見ますと、この法律は、形の上で見えたところは保護するけれども、小さい目に見えざるところから伸びて行くという宗教の活動に対しては、保護というものが少いように思うのであります。植物が大きくなるためには、幹も枝もいるけれども、ほんとうの成長は枝先にあるという意味から、宗教法人法を設定する場合において、借地であるとか、借家であるとか、しかもその小さい構えの中から、ほんとうの教化育成という活動を猛烈にやつておる。本堂とか大きなお寺とかになりましたら、儀式はやるけれども、教化育成はほんの形式に流れておるということから、宗教活動をもつと旺盛にする意味におきましては、その小さいところの末梢の活動をある程度、保護――そうむちやに保護はできませんが、それに対する相当な理解を持つということが、非常に大事だと思うのでございます。その点において、宗教法人法なるものにつきましては、資産がいるのですが、どれくらいの資産があつたらいいか。一坪や二坪では、これは境内地とは言えませんが、どのくらいの限度のものを持つていなければならぬか。この第一条には「財産を所有し」と書いてありますが、財産権の中には、借地権とか借家権とかも入つておるかどうか。また法人などにつきましては、どれくらいのものをもつて一つの尺度にするか。私はかつてアメリカにおつた時分に、布教したことがありますが、その時分には、何もなくても、五十ドルなら五十ドルぽんと出せば、法人になるという形式がありました。これを設定する場合には、法律に簡單に書いてありますが、どういう限度をもつてこれを認証するかということについて、事務当局の御意見を伺いたいと思います。
○篠原政府委員 ただいまの御質問は、宗教団体の物的基礎である宗教財産につきまして「財産を所有し」とあるが、所有権を持たなければならないのかというのでありますが、これに対しましては、必ずしも所有権を持つておるということを条件といたしてはおりません。なおかつ、実際に所有し、あるいは借用し、その他法律の関係で、その建物なり土地なりを、現実の宗教団体の用に供しておるということであれば、けつこうでありまして、その基準が、十坪なければいかぬ、あるいは百坪なければいかぬ、こういう基準もございません。宗教団体として、しかも実際活動しておるその現状につきまして――ここでは法が第二条に掲げてありますように、三つの目的を持つております。かかる主たる目的を有する団体としての活動が、実際に行われておるならば、この宗教法人法では、その宗教団体は宗教法人になり得る道が開かれておる、こういう趣旨でございまして、何らわくであるとか制限などを設けておりません。現実に実質として宗教団体であれば、しかもその活動をするための物的な施設を持つておるならば、それでけつこうでございまして、法定された条件その他のことは、全然ございません。
○柏原委員 次に、宗教団体の定義ということであります。盛んに問題になつておるようでありますが、「神社、寺院、教会、修道院」これらはよくわかりますが、「その他これらに類する団体」というのは、どの限度まで入れるかということが、非常にめんどうだと思います。従つて、これは宗教団体であるということをきめるためには、宗教団体の定義がほしいというかつこうになつて来る。宗教団体の定義は、ここには「教義をひろめ、儀式行事を行い、及び信者を教化育成すること」とあつて、この三つがそろつておればよいというのでありますが、宗教団体でないけれども、類似したものがある。たとえば共産党のようなものは、レーニン廟をつくつて礼拜施設をやつておる。そして礼拜をしなければ首になると言つておる。これは宗教ではないけれども、非常に宗教的で、徳田球一君のごときは、われらの父と言わせておるから、まつたく宗教的なものになつておる。ですから宗教というものは、まことに複雑怪奇な内容を持つておる。宗教自体が非常に神秘的なものですから、その線を引くのに、非常にめんどうだろうと思います。と言うて、ここに疑問を持つておるのですが、宗教本来が神秘的なものですから、なかなか定義もしにくいだろうし、宗教の定義がなければ、これは扱えないのではないかという議論も出て来ておるようでありますが、私は定義は要求しません。定義は宗教哲学の本を読めば、五十でも百でもありますから、それを束にしたものがその通りだといえば、それが結論でしよう。そんなことは学会の問題で、国会の問題でないと思います。ただ実際上の取扱いにおいて、類似団体、こうなりますと、具体的にどんなものがあつて、どういうところで線を引くか。私心配なのは、宗教法人令によつて宗教法人になつておるものが、今度の宗教法人法によつて落される部分が相当あるだろう。その中で、いい悪いは論じませんが、いいものも落ちるかもしれない。また悪いものという言葉は使いませんが、まだはつきりしないものも落ちるだろう。どういう線でやつて行くか。これは認証の事項にまたもどつて来るのでありますが、事務当局としては、どういうふうにその点を考えておられるか、ひとつ御意見をお聞きしたいのであります。
○篠原政府委員 ただいまの御質問ですが、二条の第一号に「礼拜の施設を備える神社、寺院、教会、修道院その他これらに類する団体」とございます。この類する団体というものは、非常に各宗各派名称を異にしておりまして、あげるにも非常にたくさんの例がございます。従つてここでは、神社、寺院、教会と、例示的にここに掲げた次第であります。たとえば一例として類する団体と申しますれば、説教所、あるいは教護所、講義所等の名称で、実質においては教会とほとんどかわりがない物的な施設を持つ団体として、活動しているというものがございます。あくまでもこれは例示として掲げられたものでありまして、なおこれらに類する団体は、先ほど申したような団体をわれわれは予想しておる次第でございます。
○柏原委員 少しはつきりしませんが、また追つていたすことにしまして、その次に神饌田、仏供田、修道耕牧地、これらは現在どんなところにどのくらいあるかということをひとつ御説明願いたい。農地法で、宗教法人は土地を持てなくなつているのですが、だれか農地を寄付して、宗教法人の神饌田等にしたいという場合に、農地からそつちへ移すことができるのかどうか、新たに教会等を設置して、これを神饌田とすることができるかどうか、伺いたい。
○篠原政府委員 ただいまのは、農地法の関係から、神饌田、仏供田というふうなものを境内として設定することができるか、こういう質問と了解いたしますが、農地法の関係の影響を受けますところは、これは別個の法で参りますので、農地法より除外するという意味における神饌田、仏供田といつた境内地を設定しても、効力がそこまでは行かないと了解しております。しかし現実の問題といたしましては、農地委員会等にはかりまして、おのおの各宗教団体がその実情を申し述べ、またはその必要性を力説いたしまして、仏供田あるいは神饌田として、それは多少の範囲はありましようが、所有しておるところは、実例としてございます。
○柏原委員 宗教団体の行う公益事業でございますが、宗教の公益性と特異性を発揮いたしまして、宗教団体が各種の公益事業をすることは、非常に大事なことだと思うのです。国家の手で公益事業をやりますと、どうしても役所式で親切が足らぬ。やはり宗教奉仕の観念で公益事業をしつかりやらせたい。しかし公益事業をやりますと、営利目的ではないけれども、そこに收益というものが出て来るわけであります。これに対しまして、実際宗教団体が公益事業をやつて、その收益に対して、税の点でどういうふうな取扱いを受けておるか。やり方によつては、これは成り立ちません。国の方でやれば、これは税はかかりませんけれども、宗教団体がやれば、同じ公共のためにやつても、そこに税というものが出て来る。たとえば病院のような事業をやりますと、奉仕的にやつておりましても、おのずから收益を生みますので、ここに問題となると思います。この公益事業に対しては、どういう取扱いを受けるのかということの御説明を願いたいと思います。
○篠原政府委員 宗教団体が営んでおりますところの公益事業は、非常に各種各様あります。ただいまの設例によります病院等も、その一つでございますが、かかる向きの公益事業は、他の法令との関係におきましても、特別な取扱いを受けていると了解しております。たとえば病院につきましても、社会事業法による社会事業の一つとして営む、あるいは生活保護法による保護施設として営む、こういう場合には、その方面の法の適用を受けまして、税の免除を受けているような次第でございます。その他おのおのの営むところの事業の性質によりまして、その基礎法である、学校ならば学校教育法の適用下に置かれます、公益事業においては、特別の取扱いを受けている次第でございます。
○柏原委員 具体的に收益を生んだ場合に、その收益に対する課税方面のことを御調査願つたことがありますか。
○篠原政府委員 宗教団体が営みますところの公益事業から收益がある。この收益に対する税の関係は、法人税等におきまして、たとえばその事業から收益が百万円ある、そのうち、大体その事業を営んだ経費その他の関係も考慮いたしまして、三〇%はこれを一応課税免除外の形をとつております。そうしてあとの七〇%についてこれを税の対象にする。三〇%はその公益事業のために、または公益事業を営む事業団体のために使用することができる。こういうわけで、三〇%は課税除外の規定を設けておる次第でございます。
 ただここでわれわれの意図するところは、宗教法人が主たる目的のほかに、副目的といたしまして公益事業をやる。その公益事業は、もつぱら宗教目的のために使用される性格から生れて来るわけのものでありまして、従つてその事業收入は、個人的あるいは特殊な目的に使用されずに、宗教団体の主目的なり、あるいは団体の営む諸般の事業の方面にこれを活用してもらいたい、こういう趣旨で、その收益の使用を限定しておる、こういう趣旨でございます。
○柏原委員 以上で終ります。
○佐藤(重)委員長代理 東井三代次君。
○東井委員 大臣にお尋ねしたい二、三の点がありますが、これは大臣の出席を待ちまして御質問をいたしたいと存じます。
 そこでこの法案の第三条にうたわれておりまする「固有」という文字の意義でございますが、これを簡單に御説明願いたいと思います。
○篠原政府委員 ただいまの御質問の「固有」の意義につきましては、宗教団体本来の性質を持つておる、こういう趣旨でございまして、所有権のいかん、あるいは法律上における所有権、こういう意味合いのものではございません。宗教団体の通性といたしまして、性質上かかる向きのものがあるという意味合いに「固有」という意味を了解しておる次第でございます。
○東井委員 そこで第三条の各号に、いろいろ例示をされておりますが、この例示をされておりますこの問題は、一体認定はだれがするか。たとえば第一号の例示による本殿、拜殿、こういう本殿、拜殿というようなものはよくわかりますが、しかし少し字義について、たとえば庫裏とか、あるいは教職舎あるいは信者修行所、こういう文字につきましては、相当な疑義が起るんじやないか。実際の実態と、そうしてまたこの法文の文字の解釈の上につきまして、こういう認定はだれがするかということを、お聞かせ願いたいと思います。
○篠原政府委員 この法律全般につきましての責任者であります文部大臣並びに所轄庁としての地方長官が、法律上は形式的に申しますれば、この法の運行の責任がございます。しかしここにあげましたような本殿、拜殿、本堂、会堂、こういうのは、客観的な事実を例示としてあげている次第であります。たとえばお話のような信者修行所であるとか庫裏であるとか、これも寺院なりあるいは各宗教団体の施設として設けられている向きが多いのでございますから、一応客観的にはその施設を見れば、実質において庫裏に相当するもの、あるいは信者修行所に相当するものということは、一般の概念として考えられております。しかも疑義がございます場合においては、文部省におきましても、あるいは地方庁におきましても、相連携の上で、その範囲なりあるいは言葉の意味なりにつきまして、当然責任をもちまして、十分に本来の意味を説明申し、あるいは連絡の上、万遺憾ないようにしたいと考えております。
○東井委員 それで了解はされますが、実際問題といたしましては、たとえば、私これは後刻大蔵省の当局に一応確かめたいと思うのでありますが、今篠原政府委員は、文部大臣並びに都道府県知事が責任をもつてこれを善処するというような御意見でありますが、たとえば課税の問題につきましては、税務当局とそれからわれわれ当事者、その宗教団体の当事者の意見が一致しないというような場合、もちろんこの客観性というようなことが重大なことになつて参りますけれども、その際でも、文部大臣なりあるいは都道府県知事の解釈が相当力を持ち得るかどうか。またそういう場合に管轄庁としてはどういうようなお見通しをお持ちであるか承つておきたい。
○篠原政府委員 非常にむずかしい御質問でございますが、われわれといたしましては、税関係を担当する政府諸機関なり、あるいは中央地方を通じまして、この問題につきまして疑義がございます場合においては、十分連絡いたしまして、お互いの協調をはかり、かつまた、実際に宗教団体に迷惑のかからないように、相互に連絡調整して行きたい、こういうふうに考えております。
○東井委員 そこでそういう場合に、こいねがわくは第八十四条でございますね、こういつたことが具体的にひとつ考慮されますように、切にここでは希望をしておく次第であります。
 そこでさらに第三条の字義につきまして伺つておきたいと思うのでございます。第一号にたくさん例示をされておりますが、大体ほかの文字につきましては了解をしておるのでありますが、特にここで承つておきたいのは、庫裏という文字があります、それから教職舎、信者修行所という文字がありますが、この三つの文字につきまして、政府当局の解釈を承つておきたいと思います。
○篠原政府委員 ただいまの庫裏と申しますのは、特に一般的に申しまして、信者修行所あるいは庫裏、教職舎、こういうふうに掲げておりますが、仏教なり、あるいはキリスト教なり、あるいは神道なりのおのおのの特殊な、しかも代表的な建物をここに例示としてあげているわけであります。従つてかかる性質の向きのものは、たとえば庫裏的性格を持つているならば、必ずしもこれは仏教のみでなく、各宗教のこの種設備について同じように考えている、こういう趣旨でございます。これはすべての例示につきまして、一般的に申し上げられる点でございます。それで庫裏と申しますものは仏教の施設でございまして、寺院の責任者と申しますか、住職がこの庫裏に居住いたしまして、教化活動のために盡瘁するとともに、また住職は財産一般に対する管理権を行使をするという方でございます。かかる住職が常に居住いたしまして、もつぱら財産なり教化活動の面に当るところの場所というふうに一応われわれは了解している次第でございまして、従つてこの性質が各宗教の教団につきましても、かかる向きの施設ならば、やはり庫裏的存在として取扱つてしかるべきだと、こう考えております。それから信者修行所と申しますものは、信者の教化育成を主たる目的として宗教団体の職責にしております関係上、信者なりあるいは教師なり、もつぱら修行する、あるいは自分の宗教心を向上せしめる、あるいは教化力を強からしめる、こういう施設として一般にございますところのものを、ここで信者修行所、こういうふうに規定した次第でございます。それから教職舎というものは、よく多くの例といたしましては、キリスト教関係の牧師館と通称しておりますが、かかる向きの性格を持つた教師の宿舎、教化育成を中心といたしますところのその教師の宿舎、こういうふうに了解している次第でございます。
○東井委員 その御解釈で、大体は了承はできますが、さらに押して、ただいま御説明の教職舎ということにつきましてたとえば、今キリスト教の場合の例をおあげになりましたが、それは一つの例示であつて、たとえば庫裏でも、ただ單に仏教だけのものじやない、そういつたものは、單に例示にすぎないというような御意味の御発言から考えまして、この教職舎ということもキリスト教だけに適用されるものじやなかろうと、こう思うのであります。そこで天理教あたりでは、一つの宗教団体があり、教会施設を持つております場合に、その教会に奉仕をしております教師の宿舎というようなものが併設されている場合が、相当あるのであります。それが一つの構内地に集合しているような場合には、割合に明確にわかるのでありますが、たとえば遠い地にあるとか、いろいろな場合があろうと思うのでありますが、いずれにいたしましても、そういつた宗教団体に奉仕をしております教師の宿舎というようなものが、教職舎と同じような種類に理解されますかどうか、その点を伺いたいと思います。
○篠原政府委員 教職舎の概念でございますが、その教師の居住するところの宿舎といたしましても、それがもつぱらそのために使用されているかどうかということが、非常に大事なことと考えるわけであります。必ずしも境内地の内外にあるという距離の関係よりも、その現実の使用関係が、もつぱらそれに使用しておるというのならば、この教職舎の概念に入るのではないか、こう考えます。
○東井委員 もつぱらその関係とおつしやる意味は、教師というものは、宗教団体に奉仕する者であります。その教師の宿舎というようなことに使われておる場合も含まれるわけでございますか。
○篠原政府委員 ただいまの御意見の通りでございます。但し、事実関係として、もつぱら使われておるのでなければいかぬのではないかという意味で、もつぱらという言葉を使つたのであります。
    〔佐藤(重)委員長代理退席、委員長着席〕
○東井委員 そこでくどいようでありますが、さらに推してお尋ねしておきたいのは、この信者修行所であります。先ほどの篠原政府委員の御説明で、明確に了承はしておるのでありますが、たとえば、これも天理教の例でありますけれども、天理教におきましては、信者の修行所として信徒詰所というものを所有しておるのであります。これはもつぱら信者の教化育成という方向に現在使つておるのでありますが、信者の修行ということは、相当期間をかけて修行さすという実際の要求もあり、従つてその信徒詰所というようなところには、相当長期にわたつて修行生が宿泊をいたしまして――もちろん、その間には食事もいたしますか、そういう実態を備えた施設があるのであります。これも、先ほどの御説明によります信者修行所に当然含まれておるもの、と理解されますが、その点いかがでございましようか。
○篠原政府委員 ただいまの天理教にございます信徒詰所の意味のお尋ねでございますが、われわれといたしましては、この信者修行所の中に信徒詰所は入つておる、こういうふうに了解しております。しかし先ほど来申しますように、この信者修行所は、もつばら信者の信仰を深めるとか、修行をする施設と考えております関係で、一般的に申しまして、信者修行所というのは、往々にして実際の使用関係が非常に違つておる、ほかの目的に使われておるところがございます。従つて、先ほど申しましたように、もつぱらその用に供するならば、これは天理教で申します信徒詰所も、信者修行所の中に包含されて解釈するのが正しいのじやないか、こういうふうに考えます。
○東井委員 そこで次にお尋ね申し上げたいのは、第三条の第一号に「宗務庁、教務院、教団事務所」というような文字がございます。この字句は、もちろん私わかるのでありますが、この宗務庁、教務院、教団事務所というものは、主として包括団体たとえば教派、宗派、教団なんかの包括団体の事務所である。こう理解するのであります。そこで包括団体ということになりますと、その部属教会と申しますか、部属宗教団体と申しますか、包括されております宗教団体は全国各地にわたつておるのが例であります。そういうことで、この宗務庁なり教務院、教団事務所が持つております本庁並びに全国に部属宗教団体を持つております場合には、全国各地に出張所というような形態のいわゆるブランチ、支所というものがあるわけであります。そういつたものもこの中に含まれておるだろうかということであります。私は含んでおると理解するのでありますが、いかがでございましようか。
○篠原政府委員 この第一号に例示いたしたのは、御意見の通り教、宗派、教団が、もつばら宗教上の事務を取扱うところ、こういうふうに理解しております。御設例の各府県に散在するその出張所、これにつきましては、この法案では別個の取扱いを受けるべき性質のものではないか。すなわち各地に散在するところの出張所が、あるいは宗教団体とし、あるいは宗教法人の適格性を有する場合においては可能でございますが、單に出張所の名においてあるがゆえに、そのことが飛地境内になる、あるいは飛地の境内建物である、こういうふうには、われわれの方では理解しないのでございます。
○東井委員 この飛地に存在している宗教建物、境内建物、そういつたことでなしに、その用途から申しますれば、当然にこれに含まれるというように思うのでありますが、この点はいかがでございますか。
○篠原政府委員 ここでは、もつぱら宗教法人の直接事務を取扱うところということで、各地に散在するたくさんの出張所も、その本部なり本山の支配下において事務は執行いたしましようが、本来の宗教活動それ自体は、その名においてしているわけではございません。ここでは、もつぱら宗教法人とし、宗教団体となつたものが、その宗教上の事務をつかさどるところ、こういうふうに了解しておるわけでございます。
○東井委員 それはわかりますが、ただ大きいために、一箇所で事務がとれない、全国各地に部属宗教団体を包括しておる場合、一箇所ではとても事務がとれないというところから、各地に便宜事務の支所を持つておるわけです。それが直接に事務を行つておるとか、間接であるとかいうのではなしに、組織が大きいがゆえにそれがある、こういうことであります。
○篠原政府委員 ただいまの御意見の、各地に散在する宗教団体というお言葉がありましたが、そこでまた本部の事務も取扱う、そういう向きの施設ですと、これはその教会單位、あるいは宗教団体の單位について考える場合におきまして、その事務の性質から申しまして、御説のように入るように理解いたします。ただ單なる事務の出張所の問題ですと、事務所だけが各地に散在する、それだけで宗教団体あるいは宗教上の団体とは申し切れない。やはり母体の宗教団体なり教会の中に事務所を併設してあるならば、これはわれわれもお説のように理解してさしつかえない、こう考えております。
○東井委員 その点は、私は当然だと思うのでございますが、私の今申し上げておるのは、本山の、たとえば宗務庁だけが認められるというなら、ただ大きいがために各地に散在しておる同じ性質のものが、認められないのでありますか。
○篠原政府委員 ただいまの出張所の性格の問題でありますが、要するにそれが本部の事務を現実にそこでおやりになつているならば、單なる事務の執行所でなくて、本部と同じような性格を持つたものが散在しているというふうに了解される限りにおいては、御意見の通りとわれわれも思つております。
○東井委員 本部と同じようなものとおつしやるが、本質は事務所であります。ここに書いてありまする教務院、宗務庁、教団事務所というのは、包括団体の本山の事務所だと思うのです。その事務所が、包括団体というものは非常に厖大なものでありますから、やはり各地に事務所を持つておる。だから本部は同じで、ただ別に枝になつておる、ブランチであるというような関係にあるわけです。
○篠原政府委員 ただいまの御質問は、本部と同じような趣旨の事務を取扱うという趣旨で、それが單なる地域的に散在して事務分担をしておる、こういう意味に了解してよろしいのでしようか。
○東井委員 そうです。
○篠原政府委員 その限りにおきましては、本部と同じ関係にございます。事柄の性質から考えまして、これは御意見の通りと解釈しております。
○東井委員 よく了承いたしました。
 大分時間が迫つて参りましたので、後に譲りたいと思うのでありますが、もう一、二点きようお尋ねしておきたいと思います。
 先ほど柏原委員からお尋ねになりましたが、文部省におきましては、もちろん予算措置を講じてある。これは第五条の第一項、第二項の問題でありますが、先ほどの篠原政府委員の御答弁では、もちろん文部省におきましては、予算措置を講じて、十分備えをしておる、こういうお話でございますが、各府県におきまして、聞くところによると約二十万にわたる宗教団体の認証を、今度は一定期間にしなければならぬ。これは相当重要な事務であり、また重大な意義を有する事務ではないかと思いますが、こういうことを各都道府県でも相当重要視して、これを愼重に取扱うように、たとえば、ただいまからそういう御構想なり、また全国の何らかの連絡会を開くとか、あるいは文部省の方から協議をするとか、全国の都道府県に何らかの連絡なり、また愼重に取扱うべきものだということを、本省の方から相談をされるようなお考えは、ただいまお持合せありませんか。
○篠原政府委員 御意見の通り、われわれといたしましても、非常に愼重を期しております。従つて本案が成立いたしましたあかつきにおきましては、講習会を開設するとか、あるいはブロツク会議を開くとか、万全の用意はしておるわけでありまして、遺憾なきように実施したい、こういうふうに考えております。
○東井委員 これはたいへん重要なことではないかと私には思われますから、どうか万全の御準備を願いたいという希望を申し上げておきます。
 それからもう一点お尋ね申し上げておきたいのは、八十一条の第三号であります。この第三号からいろいろ判断をする場合に、たとえば礼拜の施設が滅失後二年以上経過はしておるけれども、依然として熱心に宗教活動を続けておる、こういう場合に、ただ宗教施設が復興しておらぬという理由のもとに解散を命ぜられるようなことになるかどうかということを、お尋ねしたいのであります。
○篠原政府委員 八十一条の三号の問題でございますが、ここで規定してございますように「礼拜の施設が滅失し、やむを得ない事由がないのに」そういう言葉を追加しております。従つて、たとえば天災地変とか、あるいは火災とかいうことで礼拜施設が一時焼け、そうして二年間それができなくても、そのできない事情がやむを得ない、しかもなおかつ当該団体が宗教活動を現実にやつておる、こういう向きのもの、たとえば隣の教会の会堂を借りてやつておるとか、あるいはほかの施設を利用してそれを持ち続けておるとか、こういう向きのものは、われわれの方では「やむを得ない事由がないのに」という事項にかけて、ただ單に滅失したという事実のみで、二年間経過したから解散を命ずるというふうには、了解しないのであります。御了承願います。
○東井委員 よく了承いたしました。
 なお第八十四条でありますが、免税に関しまする宗教法人の正当な権利が、事実において一部地方で阻害されておるようなことがないとも限らないように考えられる向きがあるのであります。そういつた場合、これはもちろん、今度税務当局にも一応お尋ねを申し上げたいと思つておるのでありますが、文部当局におかれましても、そういうことをお認めになつておるかどうか。さらに、もし認めておいでになれば、現在なり将来において、何らかの措置を講ぜられる御意思があるか、一応承つておきたいと思います。
○篠原政府委員 ただいまの御質問でござざいますが、八十四条は、御質問の本来の意味におきまして、この規定が設けられておるのでございます。従つてわれわれといたしましても、この法の適用あるいは運用の上におきましては、この方面の関係官庁とも十分連絡し、かつまた、御承知のように、税法関係が種々雑多にわかれておるという関係から、いずれも宗教団体に関する限り、十分調査研究いたしまして、関係方面とも連絡し、あるいは地方との関係におきましても、密接に連絡しつつやつて行きたい。なおわれわれの趣旨といたしますところは、地方税法等につきましても、区々にわたつては困る、やはり宗教団体が公平あるいは平等の原則の適用を受けている関係上、当然そういうような趣旨の徹底まで行かなければならない、こういうふうに考えておる次第であります。
○東井委員 この法律の一つのポイントもここにあるようにも思われますので、どうかひとつ十分にこの第八十四条につきましては、善処していただきたいと希望申し上げる次第であります。
 時間も迫りましたが、最後にもう一点文部当局にお尋ねをしておきたいと思います。これは私は次回に労働大臣にぜひお聞きしておきたいのでありますが、文部当局の御意見もこの際承つておきたいと思うのであります。それは宗教団体の大きな事務所につきまして、現在労働基準法というものが適用されておるのであります。私は労働基準法という法律の本質から考えまして、たとえば宗教団体の事務所で働いておるその状況が、客観的に労務者というふうに見られるにいたしましても、この労働基準法を適用されるについては、不適当じやなかろうかというように思うのであります。さらにこれは委曲を盡してもう少し申し上げると、あるいははつきり議論もできるかもわかりませんが、私は少くとも宗教団体に対しては、今の事務所に労働基準法というような法律は適用すべきものじやない、こういうように信じておるのであります。この点につきましては、私は労働大臣と一応よく検討してみたいと思いますが、これに対して、もし文部当局の御意見がおありとすれば、どうか一ぺん聞かせていただきたいと思います。
○篠原政府委員 ただいまの労働基準法に関する問題でございますが、その事柄が宗教活動自体の面に属する限り、労働関係としての設定は、われわれといたしましても、信教自由の関連性から申しまして、行き過ぎではないか、こういうふうに考えております。従つて、個々の事例につきまして、問題が出て来るだろうと思いますが、一般的に申しますならば、宗教活動それ自体の面との関係において考える限り、文部省といたしましては、労働関係というふうなことでは、規定できないと考えております。
○東井委員 どうかひとつ労働基準法につきましても、さらに綿密な御検討を願います。私は後刻また労働省当局と議論したいと思いますが、ただいまの御議論を承つて、了承しておく次第であります。これで終ります。
○長野委員長 渡部義通君。
○渡部委員 宗教法人法案が出されるということには、非常に重要な意味があると思うのです。今日のように、経済的な窮迫や戰争の危機から来る人心の焦躁といつたようなことを、社会的な環境としまして、いろいろな形の宗教が続出して、中には明らかに取締らなければならないような邪教までが、続出する傾向にあります。従つて一定の宗教法人法案というものが提出されることは、重要な意味を持つわけでありますが、その場合に第一に問題になるのは、先ほどから問題になりました宗教の定義の点であります。この第二条に「宗教の教義をひろめ、儀式行事を行い、及び信者を教化育成することを主たる目的とする左に掲げる団体をいう。」とあつて、第一号に「礼拜の施設を備える神社、寺院、教会、修道院その他これに類する団体」という点でありますが、この「礼拜の施設を備える」という形容詞によつて限定されますと、現在礼拜の施設を持たないところの宗教、しかも相当有力な宗教があるわけです。たとえばキリスト教にしましても、ユニテリアンといつたものは、そういう特別の施設を持つておらない。それから仏教におきましても、禪宗といつたようなものは、必ずしもそういう施設を持つておらない。のみならず、最近では仏教の新しい動向としまして、われわれの知つている限り、原始仏教に返れというような運動、つまり仏体に返れというような運動がありまして、この原始仏教の形においては、こういうような特別な拜礼的な施設というものを持たないことになるのです。そうすると、これをわれわれが文字通りに解釈するならば、こういうものは法人的な保護の圏外に立たざるを得ないというような憂いがあるわけです。それはどういうふうに理解したらいいのですか。
○篠原政府委員 ただいまの御質問ですが、宗教団体としての存在なり活動ということはけつこうでございますが、この宗教法人法案におきましては、宗教法人になる道を宗教団体に開いておるというので、たとえば物的施設なり、あるいは財産なり、こういつたものをよりかかりの基準として考えておるわけであります。その法人格を取得するだけの理由が、はたしてそこにあるのかどうかということが問題になるだろうと思いますが、今のお話の向きの団体のごときは、おそらく法人たり得る必要性が少いのではないか、こういうふうにわれわれは考えておるわけであります。法人としての物的な施設を保護するがため、あるいはそれを基準として活動するため、こういう必要から一般にはできておるわけであります。その一般の例によりまして、ここへ規定している次第であります。
○渡部委員 しかしながらユニテリアンにせよ、禪宗にせよ、原始仏教にせよ、これらが宗教的な活動を行う場合には、一定の物的な基礎を持たなければならぬし、また財源なくしては、そういう活動ができないわけでありますから、一定の財産を所有しているわけなんです。こういう宗教団体が、あるいは宗教的な組織が、法人的な保護の外に置かれるということになると、非常に不公平である。あなたは、何らかの施設とおつしやいますけれども、ここには明らかに「礼拜の施設を備える」というふうに書いてあるので、礼拜の施設を備えていないものは、法人的な保護を受くべき要素を持つておりながら、それを受けることができないということになりがちだと思うのです。その点はどうですか。
○篠原政府委員 ここの「礼拜の施設」という言葉は、われわれといたしましては、宗教一般の通性といたしまして、礼拜を中心にしておる関係で、礼拜という言葉を使つたわけなんでありますが、その宗教団体がもつぱらその活動のために使う施設でございますれば、おそらく礼拜施設といつた概念の中に入るのじやないかと私は思います。むしろ單なる中心的な礼拜という概念に統一した、あるいは中心的な意味から宗教施設という意味を、持たせたいという気持から、礼拜の施設という言葉をここへ掲げた次第でございまして、おそらくお説のような財産を有し、それを管理する必要がございますれば、もつぱら宗教団体のために使われる限りにおいては、当然ここでいう「礼拜の施設」というカテゴリーの中に入るのではないか、こういうふうに了解するのです。
○渡部委員 そういうふうな御理解であるならば、礼拜の施設というような形容詞のある規定を用いるということ自体の中に、将来具体的にそれが処理される場合に、誤解を生ずる憂いがあるのであつて、宗教の中心が礼拜であるというふうな考え方は、宗教の特質に関する一定の僻見的な規定になつてしまうのであつて、必ずしも礼拜施設を備えているのが、宗教の特質的なものであるというふうなものじやないと思うのです。神道であつても、現在は神社も設けられておるが、われわれ歴史的な見地からしますと、原始神道というものは、そういう神社的なものは少しも持つておらなかつた。礼拜の特殊な施設というものはないのであつて、至るところで移動しながらなされておつた。現在においても、禪宗的なもの、それから原始仏教的なものは、依然としてそういう形をとるのであつて、固定された施設というものはない。こういう規定を設けておくと、それを処理する場合に、法人的な保護の圏外に立たなければならぬという取扱いを、たとえば地方の吏員あたりにやられても、やむを得ないという結果にさえなると思うのです。こういう規定をとつて、適当な、妥当な言葉を用いる必要があるのではないか、この点はどうですか。
○篠原政府委員 「礼拜の施設」の用語でございますが、これにつきましては、神仏基おのおの非常に問題がございまして宗教団体あるいは宗教界に一応相談いたしまして、いわば礼拜の施設と申しますと、一般宗教界では、先ほどの説明のような次第で、その宗教団体中心の建物、こういうふうに理解されるのであります。これにつきましては、十分われわれも考慮たしまして、宗教界のおも立つたものと相談いたしまして、設けたわけでありまして、必ずしも文部省だけで設けたわけではございません。宗教団体全般の要望とともに、こういうような言葉になつたということを御了承願いたいと思ます。
○渡部委員 しかしそれは、やはり同じキリスト教であつても、カトリツクの場合は麗々しい礼拜の施設を持つておるが、ユニテリアンの場合は持たない。こういう形式は必ずしも礼拜という規定を設けることにおいて、同一になるとは考えられないし、單に施設の問題だけでなくして、宗教の特徴的なものが礼拜の施設にあるというふうに考えられるところに、宗教というものに対して、ある宗教というものは重んじ、ある宗教は軽んぜられるというような概念があつたのではないかというふうに考えられるのですが、そういう点はどうですか。
○篠原政府委員 ただいまの御質問ですが、われわれといたしましては、何ら他意あつて礼拜という言葉を用いたのではありません。この点は宗教団体と十分熟議した上でここに規定するようになつたということを御了承願いたいと思います。
○渡部委員 その点はそのぐらいにしておきまして、次に、さつきも問題になりました認証の点であります。設立の手続を見ますと、認証する事項が、一般に宗教団体の、またはその宗教の根本的な性格とか、活動とかいうような具体的な内容に関するものじやなくて、主として設立さるべき法人団体の形式的な面が、認証のための関係事項になつておるように見えるのですが、そうだとすると、宗教団体の実際の認証を行う場合に、そういう形式的な面だけが重視されておるのか、その宗教の特質、その宗教の性格といつたようなものがやはり重視されておるのですか、その点はどうなんです。
○篠原政府委員 ただいまの御質問ですが、形式的な意味において、われわれは認証事務を取扱つて行こうと思つております。あくまでも法の上では宗教団体が主体であつて、実質的に宗教団体でないものがあるならば、これは困る。しかしながら、申請する以上は、宗教団体であるという関係から、再審査あるいは訴願、その他の愼重な配慮のもとに、われわれの方で認証事務の行き過ぎがあつたら困るということで、十分な注意を払つておる次第でございます。認証事務は、あくまでも形式的審査というところに、われわれは力点を置いている次第であります。
○渡部委員 そうすると、認証の場合に、その宗教の性質とかいうものは問題にはならない。たといそれが邪教的なものであることが、世間一般の見方によつて明らかなような場合にも、法人として設定される場合には、問題にならないということですか。
○篠原政府委員 たとえば、邪教的あるいは淫祠邪教的という言葉は、それ自体われわれとしては非常に注意しなければならない問題だと思つております。従つて、宗教それ自体の内容は、問題にはいたしたくないと思います。ただそれが他の法令との関係において――おそらく御説のような向きのものですと、各種の刑法その他の関係から、秩序維持あるいは公共の福祉に反するという面から、他の法令にも抵触することになるのではないか、そういう向きの面から規制を受けて行く、こういうようにわれわれは了解しておる次第でございます。
○渡部委員 形式的な面のみが設立対象になるとしますと、たとえば、経済的な利益を追求するために、宗教的な仮面をかぶつて法人組織を設定して行こうというようなことがないとも限らないし、現にそういうことが、世間には多くあり得るわけですが、こういうことを防ぎ得ることにはならないじやないですか。
○篠原政府委員 申請主体が実際宗教団体でないのに、宗教団体として形式上書類を持つて来るということがはつきりしているならば、これはあくまでも法の対象にはならないと思います。なおかつ、たまたま書類審査の関係で、そういう向きの団体が宗教法人になつた場合におきましても、この法案におきましては、何人に対しても、その宗教団体でないという証拠をあげて申請するならば、所轄庁におきまして、も一年の期間を限りまして認証の取消し、あるいはその以後におきましては裁判所に請求して、宗教団体あるいは宗教法人としての法人格を失わしめる、こういう配慮はしておる次第でございます。
○渡部委員 この前の新聞にも出ましたように、たとえば千葉あたりに淫祠邪教的な、しかも厖大な金を擁しておる宗教団体があつて、これには手入れが行われたかどうかは知らないが、とにかく非常に世間的にも、官庁方面においても、問題になつたわけです。し、かしこういうふうな団体が設立事項を備えて提出されるような場合に、單に形式的な面だけが重視されるとすれば、ああいう官庁なり、あるいは世間なりから、淫祠邪教的な、あるいはインチキ宗教として取締らなければならぬといわれておるようなものまでも、認証されなければならない、そうして法人保護を受けるということになる、そういう結果になりはしないですか。
○篠原政府委員 なお八十九条等におきましても、申請書類の不実の記載の場合には、罰則の規定もございますし、先ほども申しました認証取消しの原因といたしまして、宗教団体でないということがはつきりするならば、これは何人といえども、その証拠を添えて出してもらえば――現在の宗教法人令下においては、その用意はございませんでしたが、御説の向きの点については、宗教法人法案におきましては、宗教団体でないものが、かかる保護を受けるために申請する場合の用意はしているわけでございます。
○渡部委員 宗教団体であるかないかということは、先ほど柏原委員からも言われたように、非常に限界がむずかしいのであつて、形式的な面からのみ、それが設立認証の対象になるということになると、いろいろな問題が起きるということだけを申して、次に進みます。
 宗教団体が認証上の処理について、不当な取扱いを受けた場合に、これを審議会に申し出る、そうしてその審議会というものが文部大臣に具申して、文部大臣が決定権を持つということになつておるわけですね。そうするとやはり限界線を決定するものは、終局的に一応文部大臣にあるというふうに理解するのでありますが、宗教に対する性格その他をはつきり見詰めて、これに対して最後的な認証を与え、宗教法人の保護のもとに置くという最後の決定権が文部大臣にあるということになるわけですか。
○篠原政府委員 形式的に申しますれば、その通りです。しかし、宗教法人審議会が設置された意味合いのものは、御承知のように宗教団体の要望もあり、かたがた委員の構成などにつきましても、十分愼重を期して参りたい。従つて、その意見に反対するような問題の決定は、あり得ないと思います。実質的には、宗教法人審議会の意見を十分尊重した上でやるということは、ほかの審査委員会の例におきまして同じことだと、われわれは存じております。
    〔委員長退席、佐藤(重)委員長代理着席〕
○渡部委員 そうすると、それほど重大な宗教審議会の選定、あるいは構成ということになるわけですが、文部大臣が宗教審議会を任命するということになりますと、結局文部大臣が、自分の立場あるいは自分の見識に基いて、一定の宗派なり、学識経験者なりから一定の委員を選ぶという結果になるわけですね。そうすると結局は一定の幾つかの宗派が、あるいは一部の人たちが、これについての宗教の審査の上の決定権を持つということになりまして、これは宗教二十万団体があると言われておる宗教各派の上からいつて、非常に問題になるのではないか、もつと合理的な方法があるのではないかと考えるのでありますが、そういう点について、具体的にいろいろな案がありましたか。
○篠原政府委員 この宗教法人審議会は、諮問機関としての性格を持つておりますので、他の例によりまして、これを設けたわけでございます。ただいまの委員の選任の問題は、七十二条にその範囲としまして、宗教家あるいは宗教に関する学識経験ある者、こういう限度を設けておりますとともに、実際の選任にあたりましては、十分宗教連盟、あるいはその派でありますところの神道教派連合会、仏教連合会、あるいは神社本庁、あるいはキリスト教連盟、こういつた各団体がございます。宗教上の問題については、常にわれわれは慣例といたしまして、かかる団体と連絡しつつ、すべての事務を取扱つておる次第であります。この場合におきましても、そういう方面の要望に沿い、あるいはその団体から推薦された者につきまして文部大臣が任命する、実質においてはそういう形になるだろう。しかもなお、文部大臣が任命という言葉は、御承知のように国家公務員法に基きまして、公務員たるものの任命権は、おのおの庁の長官がやることになつておりますので、形式的に文部大臣が任命するという形に、形としてはそういう形になつておる次第でございます。
○渡部委員 私はどういうような宗教団体からの委員の選び方が、最善であるかということについては、宗教団体の人たちにもつとよく聞くべきだと思います。もし單に一部の有力な者からだけそういう委員が選ばれて任命されて、それについて文部大臣が決定するということになりますと、非常に不公平が生じて来て、結局信教の自由ということが、宗教自体によつて制約される結果になるおそれがあると思うのです。たとえば、こういう方法もあるのじやないか。宗教候補者を相当多く公示して、そうしてこれを世間の輿論ことに宗教界の輿論に訴えて、そうしてその輿論が結集されたものの中から人を見出すというような形をとるとか、何か適当の方法をとることなしには、有力団体の利益になる憂いがある。この点は、よほど考えなければならないと思う。こういう事柄については、宗教団体その他の意向を十分に考えられたいと思います。
○篠原政府委員 ただいまの御意見につきましては、宗教団体との連携をとりつつ、こういう規定になつた次第でございまして、宗教団体の要望を反映しておる次第でございます。
○渡部委員 そうしますと、宗教法人というものの最終的な認証は審議会の諮問の上申による文部大臣の決定であるということが結論されるわけですが、そうなりますと、今度はそういうふうに、文部大臣によつて公認された、言いかえれば法人的保護を受けておるようなはつきりした宗教団体が、第八十一条によりますと、これに対するいろんな裁判所の干渉権的な規定をされております。そうしますと、裁判所は審議会と無関係に判定することになるのか。言いかえれば、文部大臣が妥当な宗教団体として認めているものを、文部大臣や審議会の意向を無視した形で、裁判権が作用されるのかどうかという点をお伺いします。
○篠原政府委員 宗教法人審議会は、もつばら宗教団体であることの認定に当ることを義務といたすことは相なるだろうと思うのでありますが、この宗教法人法が目的といたしますところは、宗教を容認する、あるいは特定の宗教団体を応援するとか、援助するとかいう趣旨でありますので、もつばら事務的に宗教法人を対象にしようというところにありますし、たまたまそれが宗教団体との関連、ひいては宗教との関連があるために、重々愼重を期したいために、宗教法人審議会あるいはその他の規定を設けたわけでございます。もつぱら対象といたしますところは、物的な宗教法人の基礎となるところのものを考えたいというところに、ねらいがあるので、宗教それ自体を問題にしていないということと、それから八十一条の関係におきましては、これは一号から五号までにわたつて書いておりますように、もつぱら法令の違反、あるいは事実がないという角度から解散をする次第であります。これは必ずしも宗教法人審議会に諮問する必要はないと、われわれは考える次第でございます。
○渡部委員 そういうことになりますと、せつかく信教の自由な育成ということを、重要な目標としているこの宗教人法が実現されたあかつきでも、裁判所が宗教に干渉するというような事柄が非常に起り得る。現に以前からも、信教の自由ということは認められておるのでありますけれども――たとえば、ここに天理教の方がおられるから、一つの例として引いてみましても、戰前、戰争中、天理教に対するいろんな彈圧が加えられた。しかし戰前の天理教と今日の天理教というものは、天理教の本質的な姿において、また本質的な動きにおいてはかわりがないはずであつて、もしかわりがあるとするならば、それは天理教というものが変質するのであるから、天理教自体でなくなると思うのでありますけれども、とにかく戰時中は教祖の書いた教典が天地創造に関する部分において、古事記の神典といわれていた内容を冒涜するものであるといつて、まず彈圧されておる。さらに教理ではなしに、活動内容、すなわち世直しというような、天理教にとつては重大な内容をなすようなものが、徹底的な彈圧を加えられて、治安維持法にまでかけられておる。それから戰時中本門法華教というものが彈圧されて、大審院まで行つて、しかも大審院もこれを拒否して、そうしてとうとう投獄されて、獄死さえした者がある、こういうことがあらゆる宗教にあつた。真宗もそうであつたし、その他の仏教もこういうふうに彈圧を受けております。今日も、やはりこういうふうに、裁判権が宗教の性質や動きに関連して用いられる。しかも宗教法人法というものが、明らかに法的な保護を與えておる宗教団体に対して、用いられる危惧を残すような条項が出されているということは、信教の自由ということに対する逆な面を、ここに描き出しておるのじやないかと、われわれは憂えるわけです。この点どうですか。
○篠原政府委員 ただいまの御質問ですが、信教の自由に関して、非常に愼重な配慮をすることについては、われわれも非常に賛成をいたす次第であります。事柄が、戰前の例を引かれておりますが、現行の法令なり、あるいは治安維持法その他の関係は、全然戰前と異なつております。しかもなお憲法のもとにおいては、信教の自由というものが非常に強調され、かつこの法令におきましても、他の法令におきましても、まず信教の自由保全の面は、規定を持つておる次第であります。おそらく戰前の例をもつては、戰後の状況は律し得ないと、私は思つております、これはあくまでも法令違反。あるいは公益侵害といつたような場合には、信教の自由といえども、これはやむを得ないという角度からの規定でございまして、よくよくの規定であるということを御了承願いたいと思います。
○渡部委員 戰前の憲法においても、信教の自由というものは、一定の限度内において保障されておつた。たとえば天理教の世直し活動というようなものが、当時の状況からいつて法律にかかるような性質のものじやなかつたし、また天理教の古典的な著述が、歴史的な内容から見ても、古事記の本質を冒涜するといつたようなものじやなかつたわけです。しかし、こういうものが彈圧され、さらに法華教とかその他仏教各派が非常に強力な彈圧を受けたというのは、憲法において信教の自由を保障されておるというような、こういうところから来ておるのではなくして、当時の政治が、日本をどう動かして行こうとするかという、政治的な目的から来ておることは明らかだと思う。もしそうでなかつたならば、天理教あるいは仏教、あるいは神道――神道は当時圧迫されなかつたかもしれないが、今日でも政治動向のいかんによつては圧迫されるかもしれない。こういう危険性のある場合に、公共の福祉というような点で宗教に対する干渉が起るとすれば、公共の福祉とは何ぞやという問題が起きた場合に、やはり今までのように各宗派に対する彈圧が起きないとも限らない。そういう場合に、こういう条項を設けておくことは、信教の自由に対する危険性を持つものになると思いますが、その見解はどうですか。
○篠原政府委員 ただいまの公共の福祉の観点でございますが、非常に広く解釈し得るおそれもありましよう。従つてこの法案では、第一号に、單に公共の福祉を害するということでなくして「法令に違反して、著しく公共の福祉を害する」というように、信教自由の保全のためには、十分配慮した規定となつておる次第でございまして、戰後における各法令も、新憲法の趣旨に則つて制定され、あるいは改正されている現在の法体系のもとにおきましては、御心配の向きも、かつての場合と違うのではないかと考えております。
○渡部委員 宗教と政治との関係におきましては、依然として、かつての場合と同じ動きを持ち得る可能性が常に存在するということ、これはやはり確認しなければならぬと思う。政治が常に宗教に対して一定の見張りをしているということは、これは認めなければならぬと思います。そうしますと、やはりこういう規定を設けておくことは、信教の自由に対する危険性を内包しておるといわざるを得ない。たとえば、現在労働階級を中心とする全勤労者が、全面講和と再軍備反対のために強力な闘いをやつておる。これは民族の独立を守る上には、どうしても必要だからやつて行くのであり、それなくしては、生活もまた守れないというところから、この運動をやつておるのに、これに対して彈圧する。ところが問題は、現在やはりこのような運動が、宗教の本質から、宗教団体の中から、あるいは宗教的な活動の中から、こういう運動が起きておるわけです。たとえば現在ミツシヨン離脱問題が起きておることは、御承知でありましよう。つまりアメリカからの資金や、アメリカからのいろいろな干渉のもとに、日本のキリスト教を進むべきじやない、日本のキリスト教は日本人自身のクリスチヤンの手によつて進むべきであるという見地から、ミツシヨン離脱問題というものが起きて、これは日本キリスト教系の横浜とか大森とか北海道では、教会自身が立ち上つて、この運動を強力にやつておる。そういうキリスト信者の中で、平和の会というものが、今、広汎に動いております。これはあなたも御承知でありましよう。こういう平和の会は、どういうことを主張しておるかというと、やはり全面講和、再軍備反対ということを、平和を愛する宗教者の立場から、これを強力にやつております。今に天理教もやるでしようし、それから神道もやるでしようし、仏教もどんどんとこの平和運動というものをやるでしよう。平和運動を現実にやるには、再軍備に反対し、全面講和をやらなければならぬという動きが現に出ておる。その動きは、非常に強くなる傾向にあります。そうすると、再軍備反対、全面講和という国民的な運動の中の一環としての宗教家の当然の活動が、政治的な動きのために、この法文にひつかかる危險性がある。それを公共の福祉を害するというような規定によつて、ただちに解散を命ぜられるというような憂いがある、信教の自由に対する侵害の憂いがあると思われるので、この点についての見解を伺いたいと思います。
○篠原政府委員 これにつきましては、かつての宗教団体法あるいは現行の宗教法人令につきましても、解散規定はございます。しかもその実例は、宗教団体が公共の福祉を害する法令に反するということによつて、解散された事例はございます。従つて、この宗教法人法は、おそらく宗教団体の活動自体が、かかる公益侵害である、あるいは法令侵害といつたような向きにまで行くことは、ほとんどないことを、われわれは確信しておる次第でございます。やはり法人格を取得する以上、公益性を持つた法人でございますから、従つて、一般の法人と同じように、少くとも法人格の喪失に関する規定は、いずこの法人につきましても設けておるわけです。ただ本法におきましては、信教の自由なり、あるいは宗教団体の関係から、特殊な配慮をいたしておる次第であります。その以外には、一般の法人と同程度の自由を掲げておるわけです。今のお説のような場合も、あるいは先ほど来問題になつておりますような場合も、宗教法人令、あるいは宗教団体法自体の問題ではなくて、治安維持法その他の関係から、そういう動きが出て来たことはございます。いわば政治上の諸般の関係から、できて来たのかもしれませんが、われわれといたしましては、もつぱら――他の法令あるいは政治的な判断ということは、非常に困難でございますが、宗教法人法案に関する限りは、最後の備えとして、公益を守る、あるいは法令を守るという線だけは、この程度でよろしいのじやないかという趣旨から、規定した次第であります。
○佐藤(重)委員長代理 渡部君に申し上げますが、時間もずいぶんおとりになつたようでありますから、なるべく簡單に願います。
○渡部委員 この点は、非常に根本的な問題でありますから、大臣の出席があつたときに、あらためて質問するとして、技術的な点について二、三お尋ねいたします。
 解散あるいは認証取消しの場合に、解散と認証の取消しというものは、どういうふうな関連があり、あるいは区別があるのでしようか。
○篠原政府委員 認証の取消しの方は、行政行為として認証したという関係から、従つて、その行政行為の内容であつた認証された宗教団体が、宗教団体でなかつたということがあとで発見されたような場合には、その行政行為が行き過ぎであつた、あるいは対象が宗教団体でないのに宗教法人としたという関係から、認証の取消しということが考えられるわけでございます。解散の場合は、ここに解散事由が掲げてございますように、特定の事由がある、特に一号から五号まで掲げておりますが、その認証の取消しとの関連性から申し上げますならば、認証の取消しが一年間に限つております。その後においてそういう事態が発生した場合にはどうなるかということで、裁判所の解散との関連ができて参りまして、八十一条の第五号におきましては、二年以後においてしかるべき状態が発生した場合においては、裁判所が解散の手続をするという関係が生じて来る次第であります。
○渡部委員 そうすると、解散命令によつて、法人としては解散されてしまつたけれども、法人外の宗教団体としては、依然として存在し、かつ活動を続けることができるということになりますか。
○篠原政府委員 その点につきましては、認証の取消し、並びに裁判所の解散命令は、共に解散事由としております。しかしながら、それによつて宗教団体でなくなるとか、あるいは宗教活動ができなくなる、こういう趣旨ではございません。法人格が喪失されるという限度において、御了承願いたいと思います。
○渡部委員 そうすると、法人として登記していない宗教団体が、第八十一条第二号における逸脱行為をした場合、この第二条の適用を受けるのかどうか。
○篠原政府委員 宗教法人になつていないものは、解散の関係、あるいは認証の取消しその他、この法でいうところの制限は受けません。宗教団体が宗教法人となつて宗教法人格を取得してからの問題に、すべてが規定されておる次第であります。
○浦口委員 第六大条について、もう一度お尋ねしておきたいと思います。この間も抽象的にちよつとお尋ねをして、御答弁をいただいておりますが「公益事業以外の事業を行うことができる」ということが、どうも実際問題としてまぎらわしいと思います。これは私の意見でありますが、これを削つてはどうかと考えるわけであります。この間の御答弁の中にもありましたように、実際問題として非常に営利本位のものがあるということに対して、遺憾の意を表されておつたわけでありますが、法文上「その目的に反しない限り」とうたつてありますことは、收益が正しく宗教法人の目的達成のために使われる場合は、公益事業以外の事業を行うことができる、こういう解釈に立つのかどうか、その点をお答え願いたいと思います。
○篠原政府委員 この法の趣旨とするところは、その通りと了解いたしておる次第であります。
○浦口委員 そういたしますと、そのあがつた收益の使途が、この宗教法人たる性格に相反しない限りは、その営業の種類は問わない、こういうふうに結論づけてもよろしいかどうか、その点をお尋ねいたします。
○篠原政府委員 先ほどの法人としての趣旨に沿わないという限度におきまして、おのずから宗教法人とし、あるいは宗教団体であるならば、事業の種類もその目的から限定されるに違いないと思います。その関係から考えますときに、お説の通りと、われわれは了解する次第であります。
○浦口委員 なぜそういうことを申し上げるかと申しますと、いわゆる新興宗教といわれるものの一部の中に、非常に金もうけ主義のものがあるということから、そういう疑いが出て来るわけでありまして、その新興宗教が奉じております教義そのものが、かりに正しいものであつても、――その行つておる事業が、公益事業である場合は、もちろん問題はございませんが、今申し上げた公益事業以外の事業であつて、しかもそれが宗教法人が行うべき事業としてはふさわしくないものが事実ある。その場合、教義そのものに対しても非常に世間の疑惑を招くということになります。しかもどの程度それがいわゆる宗教法人としての性格にふさわしいか、あるいは逸脱しているかという限界は、非常にむずかしいのであります。事信仰という人間の最も崇高な面でいわゆる教化育成を担当する宗教団体に、そういうまぎらわしい、しかも非常に解釈の幅の広い法文を設けることは宗教団体そのものに対しても、むしろ結果において不親切なことになりはしないか、こういうふうに考えるのでありますが、その点いま一度御答弁願います。
○篠原政府委員 ただいまの御意見は、われわれとしても同感する点が非常に多いのであります。この法は、先ほど申し上げたような趣旨で置かれておるので、現実の問題といたしまして、正常なる公益事業以外の事業を営んでおる向きもございます関係上、これを制限するということは非常に行き過ぎである。現実の事実を押えて、かつまた行き過ぎないための根拠ともなろうか、そういうふうな配慮から、ここに規定された次第でございます。
○浦口委員 そのおつしやることは、よくわかりますが、十八条の「その保護管理する財産については、いやしくもこれを他の目的に使用し、又は濫用しない」という条文もありますので、これに照し合せましても、この宗教法人が所有しております建物は、おそらくその拜殿とか、あるいは非常に崇高なる行事を行う建物の周囲にあるものであるということも考えられるわけでありますので、この点私は、この条文は削るべきだ、この法案の建前からいつて、巖重に考えられる方が、むしろ宗教団体そのものに対しても親切ではないかと考えるわけでありますが、これは意見としてお聞き願つておけばけつこうであります。
    〔佐藤(重)委員長代理退席、委員長着席〕
 その次に、その事業が実際に公益事業であるか、あるいは公益事業以外かは別といたしましても、それから生じました收益、あるいはその事業の運営については、相当関心を持たなければならぬと思うのでありますが、その経理の方法、あるいは監督について、政府は具体的にどういうふうな方法によつてこれを指導監督して行くかということをお尋ねいたします。
○篠原政府委員 ただいまの公益事業並びにそれ以外の事業につきましても、その管理運営につきましては、宗教法人の規則に定めを持たせることになつておりますし、なおかつそういう事業を営む向きのものにつきましては、御承知のように、收支計算書とか、貸借対照表とか、そういうものを備えつけなければならないことになつておる次第でございます。その点法人として事業を営む場合のほかの例でも、同じような規定が設けられておるのであります。この点は、事業面に関する限りは、宗教法人であろうとも、同じような方針で出ておる次第でございます。
○浦口委員 それでは問題を別にいたしまして、お尋ねをいたします。この法案の場合、教義そのものの根本には触れないということは、繰返して承つておりますし、また私も承知しております。もちろん教義そのものが信仰の的になるということは、当然でありますが、しかしそこにおのずから教義を信者に説き聞かせる教祖、あるいは教師というものの人格、あるいはその行動というものが、非常に重要な要素になつて来ると思います。すなわち経典の言葉はわからなくても、あるいは文字の上に現われなくとも、教祖の一挙一動が信仰の対象になるということが事実あると思うのであります。そこで教組の生活態度、あるいは行動というふうなものに対して、これがもしかりに八十一条の公共の福祉を害するとか、あるいは社会の安寧秩序を乱すというふうな懸念がありました場合には、これに対してはどういうふうな処置をとるか。もちろん、これが刑法その他で法的にはつきりと罪せられた場合は、問題でないと思いますが、その点一応承りたいと思います。
○篠原政府委員 その教相の言行あるいは教師の言行が、全体の団体としての宗教法人の活動になり、しかもそれが法令違反になるならば、解散事由の一例に相なるかもしれませんが、しかし個人的な場合が多いのじやないかと思います。なおかつ、ここでは、あくまでも宗教法人としての、団体としての活動が対象になつていることを、御留意願いたいと思いますし、單なる公益侵害のみでなく、法令に違反して、なおかつ著しく公共の福祉に反するという場合に、初めて解散ということになるというふうに八十一条は規定しておりまして、特別に信教自由の配慮をいたしておる次第でございます。
○長野委員長 それでは、宗教法人法案に対する質疑は、本日はこれだけとしまして、次に国立学校設置法の一部を改正する法律案の質疑は、明日続行し、なるべく明日これを打切り、討論採決に入りたいと存じております。
 次に昭和二十六年度に入学する兒童に対する教科用図書の給与に関する法律案の質疑は、本日御通告がないようでありましたので、明日はこの法案に対する質疑の通告を受け、でき得れば、明日討論まで行きたいと存じます。いずれ理事の諸君と御相談をいたします。
 なお明日、宗教法人法案の公聽会の公述人の選定を行いたいと存じます。明日は午前十時より開会いたします。
 本日はこれにて散会いたします。
    午後四時三分散会