第013回国会 法務委員会 第51号
昭和二十七年五月十五日(木曜日)
    午前十一時八分開議
 出席委員
   委員長 佐瀬 昌三君
   理事 鍛冶 良作君 理事 田嶋 好文君
   理事 山口 好一君 理事 中村 又一君
      安部 俊吾君    押谷 富三君
      角田 幸吉君    北川 定務君
      高木 松吉君    高橋 英吉君
      花村 四郎君    古島 義英君
      松木  弘君    眞鍋  勝君
      大西 正男君    吉田  安君
      田万 廣文君    加藤  充君
      田中 堯平君    猪俣 浩三君
      世耕 弘一君    佐竹 晴記君
 出席国務大臣
        法 務 総 裁 木村篤太郎君
 出席政府委員
        法務政務次官  龍野喜一郎君
        刑 政 長 官 清原 邦一君
        検     事
        (特別審査局
        長)      吉河 光貞君
        検     事
        (特別審査局長
        次長)     関   之君
 委員外の出席者
        専  門  員 村  教三君
        専  門  員 小木 貞一君
    ―――――――――――――
五月十三日
 住民登録法実施に伴う経費国庫補助の請願(川
 崎秀二君紹介)(第二六四二号)
 人権擁護局存置等に関する請願(笹山茂太郎君
 外一名紹介)(第二六四三号)
 同(早稻田柳右エ門君紹介)(第二六六四号)
 同(村上勇君紹介)(第二六七九号)
 減刑に関する請願(大石ヨシエ君紹介)(第二
 六六三号)
 福岡地方裁判所大牟田支部昇格に関する請願(
 龍野喜一郎君紹介)(第二六六五号)
 破壊活動防止法制定反対に関する請願(土井直
 作君紹介)(第二六八〇号)
 戦争犯罪者の減刑等に関する請願(青木正君紹
 介)(第二七一一号)
の審査を本委員会に付託された。
    ―――――――――――――
本日の会議に付した事件
 破壊活動防止法案(内閣提出第一七〇号)
 公安調査庁設置法案(内閣提出第一七一号)
 公安審査委員会設置法案(内閣提出第一七二
 号)
    ―――――――――――――
○佐瀬委員長 これより会議を開きます。
 破壊活動防止法案、公安調査庁設置法案、公安審査委員会設置法案、以上三案を一括議題とし議事を進行いたします。
 この際、自由党を代表して田嶋好文君から破壊活動防止法案外二案に対し、改進党を代表して中村又一君から破壊活動防止法案に対し、それぞれお手元に配付の通り修正案が提出されておりますから、まず順次その趣旨の説明を求めることにいたします。田嶋好文君。
○田嶋(好)委員 私は自由党を代表いたしまして、破壊活動防止法案に対する修正案、並びに公安調査庁設置法案に対する修正案、及び公安審査委員会設置法案に対する修正案の趣旨弁明をいたしたいと思います。
 本案は法務府におきまして立案され、立案中にも非常に検討されまして提出されたものであり、なお当委員会におきましても重ねて慎重審議をいたしまして、この法案の欠陥並びに長所等をよく検討することができたのであります。しかし本委員会における公聴会の議論を通しまて、われわれ委員会の知り得たことは、本法案が、一部特殊の反対論は別にいたしまして、つくる必要のあることはひとしく認められたところであります。ただ本法案に対して反対する趣旨といたしましては、必要ではあるが、本法案の運用にあたつて基本的人権を侵害せられるおそれがありはしないか、また本法案が施行にあたつて、職権が濫用せられるおそれがあるのではないか、また本法案はかつての治安維持法的な行き方を官憲がするところの基礎になるのではないか、ということが非常に議論の中心になり、懸念の中心になつておつたように思うのであります。従いまして自由党といたしましても、これらの点について十分なる調査をし、またわれわれ自由党を代表する法務委員におきましても、これらの点につきまして十分なる検討と審査をいたしたのでありますが、その結論といたしまして、かかる懸念があるといたしますれば、この懸念を解消することこそ、本法案をより一層りつぱなものとして、国民の前に出すことができるという結論に到達いたしまして、この心配を是正するためにいろいろと審議を重ね、検討を重ねて来たのであります。
 本法案が職権濫用となり、基本的人権の侵害となるおそれがあるということは、結局この法案に盛られたところの職務執行の人的構成等が、やはり問題になりましよう。運用するものは法にあらずして、人にあるというような立場からこれをながめましたとき、公安調査庁の審理官、調査官等の行います調査において、一応検討を加える必要があるということになり、この点につきまして検討を加えました結果、調査が無制限となり、その無制限になるがために、職権濫用のおそれがあるのではないかという懸念を、われわれは持つに至つたのであります。
 なお本法案につきまして、公安審査委員会が、国会の承認を得るにかかわらず、それが法務総裁の任用になつているばかりでなく、法務府の外局になるのだというような点から、人的構成において多少検討を加える必要があるという意見も出ました。また本法案に最もわれわれが懸念をいたしまた点は、公安調査庁の一方的な調査の資料によりまして、公安審査委員会というものは何ら自己の資料を持たずして、団体に対する死刑とも目される決定を行わなければならないという、重大なる箇所があることを発見いたしました。これらの箇所について検討を加え、これがよりよく運営せられますならば、ここに委員会において懸念をし、公聴会において諸君の述べられました懸念も、おのずから解消することになるという結論の結果、本法案の二十一条に対しまして、かかる修正を加えたわけであります。従いましてこの修正の結果、公安調査庁長官が提出した処分請求書、証拠及び調書並びに当該団体が提出した意見書について、公安審査委員会みずから職権をもちまして、これが調査をすることができるということに改正をいたしました結果は、ここに調査官の調査の範囲、調査官の調査の職権行為等も、おのずから規制を受けることになるのであります。
 また公安審査委員会設置法の改正によりまして、国会の承認を得たる委員が、しかも行政最高責任者たる総理大臣の任命にかかるという権威ある地位を与えられました結果、りつぱな人を選ぶことができ、世の中からさすがだというような声も出る結果になりましようし、その結果なおこの人たちが実質上の調査をするということになりますので、団体の生命を決する、生命に終止符を打つところの大きな責任を持つた委員会の構成、運用の面から考えまして、人権蹂躪のおそれ、その他職権濫用のおそれがなく、国民のこうした面に対する懸念を解消することができるということになり、本法案が一層りつぱなものとして、国会を通じまして国民の前に出ることができるものと確信をいたしまして、この法案に対する修正を加えた次第でございます。
 なおその他一条、三条、六条、三十七条というような改正点があるのでございますが、これはいずれも根本的な改正というよりも、誤解を招くおそれのあるところの条文を、誤解なきように、より一層整備をしたということになるのでございます。ただ三条につきましては、特にこれは、問題になりました教唆、扇動が字句の配列上非常に濫用せられるおそれがあるということを解消するがために、特にハの項を設けまして、これが独立犯としての形を、誤解なきように、また慎重を期せられるように整備をいたしたわけでございます。この整備によりまして、教唆、扇動の独立犯としての性格を明確にし、その他の犯罪との相違を明確にいたして、誤解を解くことができると感ずるものであります。
 以上私は自由党を代表いたしまして、三案に対する修正の趣旨弁明をいたしました。よろしくこの点に対して御検討の上、御採決くださいますことをお願いいたします。
○佐瀬委員長 中村又一君。
○中村(又)委員 私は改進党を代表いたしまして、破壊活動防止法案に対する修正案を提案いたし、その理由を説明するとともに、公安調査庁設置法及び公安審査委員会設置法の制定を必要としないゆえんを、申し述べたいと考えるのであります。
 まずお断りいたしておきますが、わが改進党は、極右極左の団体による暴力主義的破壊活動に対する取締り法規制定の必要は、これを認めておるのであります。これは今日のわが国の国際情勢下に置かれる現実の姿から見まして、遺憾ながらやむを得ないものと申さなければなりません。しかしながらかかる破壊活動に対する取締りは、検察庁及び警察の機能及び構成を充実強化することによつて対処することが最も効果的であつて、系統立つたる筋道に立つものであり、国費を最も有効に役立たしむるところのものであることを確信して疑わないのであります。従いまして、われわれの修正せんとする立場は、これを要約いたしますならば、次の通りであります。
 一、公安審査委員会設置法及び公安調査庁設置法は制定しない。
 二、破壊活動防止法は制定するが、同法案を次のように修正する。
 (1)「公安審査委員会」とあるのを「地方裁判所」とし、「公安調査庁長官」とあるのを「検察官」とする。
  不服申立てに関しては抗告の制度を設ける。
 (2)地方裁判所の裁判の構成及び処分の手続に関する細則は、最高裁判所規則で定めるものとする。
 三、法務府特別審査局を廃止するものとし、法務府設置法に所要の改正を行う。
 四、以上に対応して検察庁及び警察を充実するものとする。
 五、取締り機能さえ充実すれば、破壊活動防止法案中「せん動」「所持」等の字句を設ける必要を見ない。従つてこの字句を削除する。これがわれわれの修正案の立脚する要旨であります。この観点に立ちまして、破壊活動防止法案を修正せんとするものでありますが、修正案が大分広汎にわたつておりますので、速記録にこの案文を挿入していただくことにいたしまして、朗読は省略をいたしたいと思います。
 さていささかこの修正案について諸君の御賛同を得るために、説明を加えておきたいと思います。われわれは、現内閣が昨年来この種の団体規制法律制定の必要を唱え、いわゆる大橋案を幾つか発表せられ、最近また木村案が発表せられ、さらに最後に木村案がおそらく政府原案となりまして、ここに示されておるのでありまして、これを今日まで検討いたして参つたのでございますが、思うにこの法律くらい評判の悪い法律は、私不敏にして今まで見聞したことがないのであります。何ゆえかように評判が悪いか。これすなわち真の意味の破壊活動を取締るために、最も有効であつて、しかもまた基本的人権を不当に侵害しないように、明確に規定するという二つの目的が、この法案において達成されていないからにほかならないためであります。それには従来の法務府の特別審査局の活動及びその性格に対する不信用、不愉快とでも申しまするか、その事実ないしは国民の感覚が多分にこれに働いていることも、現実の問題として考え合せなければならぬものがあろうと存じます。木村法務総裁は、私が個人的に最も尊敬する人物の一人でありまして、その言動に対しましては常に注目して今日に至つておるのでありまするが、この木村総裁が在野時代において、この特別審査局が国民に与える感じをどのようにお考えになつておつたか。私はこの在野時代のお考えこそ最も大切ではないかと信ずるものであります。国家のために、在朝在野を通じて一貫した大局的見地に立つて事に処せられんことを、切にこの機会に熱望しておく次第であります。私どもは本案について十分世論に聞き、また公聴会の公述を聞きまして、かつまた法務委員会におきまして大いに論じて合つたのでありますが、政府の御答弁はいたずらに取締りの必要を説くのみでありまして、何がゆえに検察庁及び警察のほかに、公安調査庁とか公安審査委員会とかが必要であるかを、私どもの合点し得るまで合理的に説明することができなかつたのであります。ただ今日占領下の遺物ともいうべき特別審査局が存在するのを足がかりといたしまして、これを拡大し、看板を塗りかえて、そうして法務府ひいては法務省となるわけでありますが、これの外局として、より多くの人員と予算をもつてなわ張り的な機構を打立てようとしているかのようにも、考えられないことはないのであります。この政府の態度は、決して真に国を憂える者のとるべき態度とは私は考えておりません。取締りのためには、すでに警察もあれば検察庁もあるのであります。しかるにこれをさておいて、強制調査権を持たない公安調査官なる、わけのわからぬ官職をつくり、この調査に基いて、団体の死刑とも申すべき解散を、同じ法務総裁のもとにある公安審査委員会という小さな機関によつて決定せしむるというがごとき構想は実に児戯にも類する事柄でありまして、いかにも特別審査局的臭味に満ちたるものと批評されても、いたし方ないと考えるのであります。
 私どもは、真の意味の破壊活動を取締る目的のために、どういう機関によつて、どういうことがなされることが最も効果的であるかということを、白紙に返つて考え直さなければならぬと思います。と同時に、このことが基本的人権を侵害しないために、どういう機関による処分が最も適当であるかということも、根本的に考え直さなければならぬと信ずるのであります。これは自由党だからどうの、改進党だからどうのと申すことではなく、相ともに、率直に、今日の切迫いたしたる破壊活動に対する抜本的方策といたしまして検討し、これを樹立しなければならぬと思うのであります。よつて私は、一面取締り機関の充実強化を考え、他面団体の規制のために、行政機関によらざる司法処分をもつて、最も適切な措置であると断言せざるを得ないのであります。
 取締り機関の充実強化は、警察と検察庁の機能を強くすることが最も有効であります。公安調査庁のごときを設けることは、いたずらに屋上屋を重ねるばかりでなく、かえつて将来権限争いの弊を招き、国費をむだに費して、少くも取締り機構の強化には相ならぬことを、確信して疑わないのであります。このことは、警察の幹部なり検察庁の幹部なりの意見を聞けば、ただちに裏づけられる事実であろうと、私は思つておるのであります。
 次に、政府が公安審査委員会によつてなさんとする処分は、明らかに司法処分にゆだぬべき性質のものであろうと私は考えております。木村法務総裁は、公安審査委員会を合理づけるために、しきりに準司法機関だとか、準司法処分だとか申されておるのでありまするが、準司法、すなわち司法に準ずるとまで言われるならば、何がゆえに司法そのものにこれを託せられないのでありましようか。この辺に現内閣の法律的潔癖性の欠如を、われわれは痛感いたさざるを得ないのであります。わが改進党は、これを純粋に検察官の申立てによつて、裁判所が決定することによつてを行われねばならぬものと定めるとともに、当事者に対して不服申立てのための抗告の制度を設けることが、最も合憲的であると考えるのであります。
 さらに、この機会においてこそわれわれ日本国民が、平和条約と安全保障条約の二つに拘束さるる以外においては、何らはばかることなく、日本的に、しかも民主主義の線を失わずに、法律の改廃をなし得る絶好の機会に当面いたしておるのであります。この立場からいたしまして、私は、自由党の諸君と虚心坦懐に、従来の行きがかりを捨てて、わが修正案に対しまして御理解をいただくとともに、その賛意をお願いいたしたいものだと存じております。
 私がこの機会に一言つけ加えておきたいのは、取締りの強化さえ、検察庁における検察の機能さえ充実強化いたすことができるならば、案文中のいわゆる「せん動」あるいは「所持」という文句のごときも、これは削除しても何ら不便はないのではなかろうかと考えまして、わが改進党といたしましてはこれも削除いたしております。その一つの考え方といたしましては、たとえば教唆のごとき、一般法の考え方といたしまして、本犯が成立しなければ教唆は成り立たないのでございますけれども、本法案から考えてみますると、教唆は独立犯と相なつておるような関係から見ましても、法の運用を適正にいたしまするならば、「せん動」の文句にとらわれることなく、その目的は達し得られるのではないかと考えております。「所持」のごときもまたしかりであります。いわゆる犯罪の段階には準備などの段階もあるのでありまして、法律の取扱い運用によつて、十分これを埋めることができるのではなかろうかと存じておるのであります。
 政府の意図せらるる修正、与党が出しておられまする修正案によりますると、公安審査委員会の委員の任命のごとき、総理大臣が任命するから間違いがない、国民の信頼するに足る手続であるというお考えのようでありまするけれども、これは五十歩百歩であります。総理大臣に公安審査委員会の委員の任命を許すならば、これは法務総裁に任命権を持たすのも同様であります。私はこれによつて、改革及び改善が施されたいわゆる修正案の趣旨としての価値を持つものではないと存ずるのであります。私どもは、国民の利益を奪い、あるいは国民の利益を制限するがごとき処分に対しましては、先にも申しましたように、少くも純司法処分といたしまして、行政権より離れたる、司法権の処分によつてこれをとり行うことが、国民の一番安心し得る方法であるということを、かたく信じておるのであります。広く国民の納得と理解の上に実現し得ることを期待いたしておりまするわれわれは、自由党の諸君もいま一歩進んで、わが党の修正案に御賛成あらんことをお願いいたして、趣旨の弁明をいたした次第であります。
○佐瀬委員長 以上をもつて、自由党並びに改進党の各修正案に対する趣旨説明は終了いたしました。
 これより、本三案及び各修正案を一括討論に付します。討論は通告の順序に従つてこれを許可いたします。鍛冶良作君。
○鍛冶委員 私は自由党を代表いたしまして、自由党提出の修正案並びに修正案を除いたる原案に、賛成の意を表明せんとするものであります。われわれは法律家の一人でありまするところから、かような法案がいいものか悪いものかということを考えまするときには、かような法案のないことを望むことは言うまでもありません。しかしながら現下の日本の実情ということから考えまして、どうあつても必要なものであるかいなやということに着眼せざるを得ないのであります。またこれが必要であるといたしましても、かような国民の基本的人権を侵害するのおそれある法案に対しましては、でき得る限りその危険性を防止するために法案を吟味し、また逸脱するのおそれあるものに対しては、できる限りいわゆるしぼりをかけたいと考えることも、当然のところであると思います。過日来公聴会でいろいろ議論を承りましたが、公聴会に出られるほとんどすべての人々は、そのまま本案には賛成いたさぬようでありました。これはおそらく私が今申し上げましたる、この論拠に立つての議論であろうと考えるのであります。ただ一、二の特別の人は頭から本案を否定してかかりましたが、これはまことにわれわれから申しまするならば、特殊の考えを持つておるもの、またわれわれと相いれざる思想の持主でありまするから、議論の余地のないものと考えるのであります。ことに私がいわゆる学者と称しまするものの御議論を聞いて驚いたことには、全然現実というものに足を踏まえないで、単に頭の中で考えたいわゆる空理、空論をもてあそんでおるという一事であります。名前ははばかつておきますが、皆さんお聞きの通り某東大教授は、本案のごときものを制定しなくても、現行刑法で十分まかない得るという議論を立てた。これに対して私はまことに傾聴すべき議論だからさらに承るが、日本の現状がどうであつて、その現状に即して現行刑法ですべてまかなわれるという議論があるならば、あらためて承りたいと聞いたところが、彼いわく、私は学者でありますから現状は知りません。私は専門は刑法でありませんから、刑法のことはよく知りません。これはまことに驚き入つたものだ。現状も知らなければ刑法も知らないでおつて、しかも刑法で全部まかなわれると言うに至つては、これまことにわが日本の学者として、風上に置けないやからだと断言しなければなりません。かようなものの議論をもつて本案に対する批評をせられるに至つては、まことに片腹痛しと断言せざるを得ないのであります。
    〔「いやにはつきり言うなあ」「薬を持つて来てくれ」と呼ぶ者あり〕
○佐瀬委員長 静粛に願います。
○鍛冶委員 そこでそれでは日本の現状からして、この法律はどうあつても必要なものかどうか。しかもいわゆる基本的人権をある程度制限するがごとき本法案は、憲法上合法と認められるものかどうかという大なる問題が残るのであります。この点につきましては、すでにアメリカの国会においても議論が統一せられておるところでありまして、問題は現に危険性が存在すること、その危険性は明白に現われておるということが、第一の要件であります。第二は、かような法律をこさえなかつたら、これを防止できないという現実がなくてはならぬ。これが第二であります。しこうして第三においては、言論、集会等の抑圧をすることは憲法上最も慎むべきであり、忌むべきことである。忌むべきことではあるけれども、危険防止の重要性から考えるならば、これを防止せなかつたらすべての日本の価値、国家社会の秩序が紊乱せられるという重大なる危険がある以上は、これと対比して、やむなきものならばある程度の制限もしかたがない。この程度においては憲法上許さるべきものであるということは、すでに今や世界の肯定論と申し上げてもさしつかえないのであります。
 かように考えまして、わが日本の現状を見まするときに、これは申し上げるまでもありますまい。昨年来某団体が、あらゆる非合法なる手段をもつて暴力革命の扇動をなし、しかもその実行方法までも指示し、すでに現在においてはこれにならつて、これが実現に着手しつつあることは、私が今ここで一々事実を指摘するまでもない明白なる事実であると考えます。かようなときに今までの刑法によつてこれがまかない得るならば、かようなところまで行つておらない。ことに問題は、新たに教唆、扇動というがごときものまでも認めることは、非常に弊害が出るというおそれがありますので、あえて人から言われるまでもない。われわれもこの点に対して種々なる考えを持つのでありまするが、多くの例をあげる必要はありません。去る五月一日のあのメーデーを機会としたる騒擾において、扇動というものがいかなる役割を果したかは、諸君現実ごらんになつたところです。かような現実を見ながら、このままでやれるとは、おそらくいかなる人も断言できないだろうと思う。この意味におきまして、ぜひともここに新たなる法律を制定することはやむを得ざるものである。しこうして現下の日本の現状からして、このために多少の言論の抑圧があつてもやむを得ない、憲法上許さるべきものであるという断定が、出て来るものと信じて疑わないのであります。
 さらにここで、それでは出ましたる原案そのままでよろしいかどうかということになりますと、われわれは法案そのものの体系については反対するものではありませんが、先ほど来議論いたしましたように、濫用のおそれまたは取締りのために逸脱するおそれのあるものに対しては、できるだけこれをセーヴしたい。さらにまたかような重大なることを調査し、もしくは審査する上においては、これもでき得る限りいわゆる民主主義の原則にのつとりまして、公明なる調査及び審査の結果、これを行うべきものだという考えからいたしまして、この法案に対し十分なる吟味をいたした次第であります。この意味において、われわれは多少の修正やむなしと考えまして、わが自由党から先ほど説明いたしましたような修正案を提出いたしたのであります。
 そこで問題は、ただいま御説明に相なりましたる改進党の修正案であります。修正の意図せらるるところは、ただいまの御説明によりましても、また法案そのものの修正案の内容等を読みましても、その意味はわれわれにも十分くみとれるのではありまするが、遺憾ながらかような修正は、これは修正にあらずして改悪なりと申さざるを得ません。私はあまり時間もありませんからこまかく一々指摘はいたしませんが、この修正の根本要旨は、公安調査庁及び公安審査委員会を廃止して、これを検察庁と裁判所に持つて行け、これが修正の根幹であろうと考えます。さらに実質におきましては、いわゆる扇動ならびに文書、図画等の所持を削除しようという、ここに主要点があるようでございます。まず私は、なるほどわれわれ法律家でありまするがゆえに、かような重大なものを調査し審査する上においては、でき得る限り公平に、国民から、この人が審査したる以上はやむを得ないと、認定されるものへ持つて行きたいという考えは十分持つております。しかしながら、かようなものを取扱う本質から考えまして、これを司法権へ持つて行くことがいいか悪いかというところに、議論の分離点があるのであります。われわれは、この規制及び処分は、すべて行政処分である。また行政処分ならざるべからざるものであると確信いたしております。これはいかなるものも規制は行政処分であるということはわかつておる。その審査をでき得る限り司法処分でやれという相いれざる議論だ。いわゆる行政と司法とを混同したる議論と断言せざるを得ない。
 第一私は検察庁の点で申し上げましよう。検察庁というものは、どこまでも司法裁判の請求を目的とするものである、行政行為の処分を目的として活動すべきものにあらず、この点はいかなる人といえども肯定するところだと考えます。問題は司法処分であるか行政処分であるかというところにある。行政処分だというならば、検察庁はここに足を入れるべきものではありません。ここに第一の問題がひそんでおる。第二に考うべきことは、手続の点から申しましよう。私は裁判所でやるという案を改進党で出されたときに、一体どこの裁判所でやるつもりなのか。それは、おそらくかようなものはそうめつたにあるものでもないし、また重大なることでありまするがゆえに、いずれかの一つの裁判所を特定せられるものである。特定せられるならば、どこの裁判所を特定せられるか、まことに見ものだと思つて見ておりましたら、驚くなかれ各地方裁判所でやるという修正案であります。かようなことにいたしますると、この重大なる規制という行為は、各裁判所、裁判所によつて意見が異なつて来ることを予想しなければならぬ。そうすると、こつちの裁判所では規制すべきものだというが、こつちの裁判所では規制すべからざるものだというかもしれない。かようなときの紛淆をいかにして考えられるか、これに第一の欠点がある。
 その次に根本的な議論は、この規制ということほど大きな政治問題はない。かような政治問題を司法裁判所へ持ち込むに至つては、司法裁判所本来の任務に対していかなる影響があるかを考えてもらいたい。この点の考えが抜けておる。かような政治問題は、どこどこまでも政治的の責任を負う内閣自身の責任においてやらなければならぬことは、申し上げるまでもないところだと確信いたします。ここに根本がある。いわゆる政治責任においてやる。しからば行政処分にほかならない。さらにまた裁判所としての上訴の手続を考えておられまするが、行政処分として行政官庁がやる。これに対して不服がある、違法を唱えようとするときに、初めて司法裁判所の権限をもつてやる。しこうしてこれからさらに司法裁判所としての各階段における上訴を認めることにおいて、初めて上訴の活用ということがあるのでありまして、かようなことで、裁判所だけでやられるということは、この政治的の重大なるものに対する処分を受けたるものの不服の程度を、むしろ制限せられる結果になるものであります。絶対責任を負つて、政治責任を負つて行政処置をやる。しこうしてそれからが初めて純司法の――純というのは糸へんの純――範囲といたしまして、ここに冷静に正大にこれを行うということこそ、本法に対する一つの根本になる、かように考えましてこの点には賛成いたしかねるのであります。
 さらにまた扇動、所持に至つては、われわれも改進党の諸君の御議論を承るまでもなく、十分研究いたしました。研究はいたしましたが、先ほど申しましたように、多くの例はいらない。この間の五月一日のメーデーをごらんなさい。扇動というものがいかなる役割を果しておるか。あの扇動者を特に押えるということでなかつたならば……。
    〔発言する者多し〕
○佐瀬委員長 静粛に願います。
○鍛冶委員 今後起るべき日本の秩序紊乱に対して、とうていまかない切れないものであります。さようなことを言つてはどうか知らぬが、われわれは改進党の諸君といえども、頭から扇動をなくすることを欲しておられなかつたことを承知いたしております。ところが、何人もこれをいかにしてしぼろうかと考えておるが、しぼりようがない。しぼりようがないから、いつそのこと除いてやれという議論で、これは同僚諸君を悪く言つては悪いが、まことにやけつぱちの議論で、これはどうあつても残しておかなければならぬ。残すとするならやむを得ません。そのかわりこの適用については、十分なる監視その他訓練等が必要だと考えるのであります。所持についても、なるほどかようなものは残したくはありません。残したくはありませんけれども、現状から考えまして、あの非合法なる文書が所々に転々として動いておる。これによつて社会の不安を増長することが、明白に現われておりまする以上は、やむを得ない。またこれに反対する人の多くは、治安維持法時代と同様のことが起るという心配をしておられます。われわれはもちろん治安維持法時代と同じものが出ることは、まことに恐れる、かようなことがあつてはたいへんだと心得まするが、第一本法は治安維持法そのものと根本の相違のあることは、答弁において十分明らかにされており、われわれもこの点はでき得る限り追究し、研究したつもりであります。さらにもう一つ大きなことは治安維持法時代の憲法その他これに付随したる人心拘束の法律は、すべて改廃せられておる今日において、これあるがゆえにただちに治安維持法の時代にもどるということは、これはまことに反対せんがための反対論と申さなければならぬのであります。この意味におきましてわれわれも、もちろん今後の適用その他これに対する実際の行動に当るものに対しては、十分なる警戒及び訓練等は必要であると心得ますけれども、これあるがゆえにこれらを全部削らなければならぬという一足飛びの議論は、賛成することはできないのであります。ここにおいてわれわれはわが自由党の修正案を提出した次第でありますが、これは先ほど来田嶋君から詳細に説明せられましたように、第一には第三条の一号イ、ロとあつたのを、これをさらにロ、ハと区別した点であります。(「改悪じやないか」と呼ぶ者あり)これをどうも改悪などというに至つては驚き入らざるを得ない。われわれはこの点につきまして、「この号イに規定する行為の教唆若しくはせん動をなし、又はこの号イに規定する」云々と書いてある。これを読んでみますときに、この「又は」のあとに来る行為があるならば、いわゆる新しい犯罪として文書、図画の所持及び掲示等の犯罪ができると同時に、これが内乱等に関するものが載つておるとするならば、さらに教唆扇動までも持つて行かなければならぬ。法律的に言うならば、これ一つによつていわゆる一所為数罪に該当するものではないかという疑念を持つたのであります。この点を十分研究いたし、政府の答弁を聞きましても、決して一所為数罪にならぬ、こういう確答を得ましたがゆえに、それならばこの点を明白にする。これがいわゆる言論界等において、最も心配しておらるる一点でありますがゆえに、掲示及び所持の犯罪は成立しても、教唆扇動にならぬのであるぞということを、ここに明白に表わしたわけであります。
 さらにまた第十五条の修正は、これを読んでみますると、「審理官が不必要と認めるものは、取り調べることを要しない。」いかにも審理官の専断によつて、何でも拒絶できるように見える。なるほどあとには、不当に制限してはならぬとは書いてあるけれども、不当に制限せられることがないであろうかという杞憂を起す条文でありましたがゆえに、これもわれわれは一体不必要とはどういうものを言うか、この点を十分確かめましたる結果、不必要とは立証趣旨の不明確なこと、事件に関係のないものであること、さらに事件を遅延せしむることを目的とすることの明瞭なるもの、これらのものだという。これならば、客観的に不必要であることは問題ないのでありますから、審理官の認定によつてきめるまでもない。客観的に不必要なものであるならば、これは排除してもよろしいということから、ここに審理官のいわゆる裁量権を狭めて、かような専断のないように防止するために、この修正をいたした次第であります。
 さらに第二十一条の修正に至りましては、これは申し上げるまでもありません。書面審理でやることは悪くないかもしれません。なるほど急速をたつとぶこの処分であるがゆえに、原案作成者の意図もわかるのでありますが、しかし審査官自身がもつとこの点に対して聞きたい、もつとこの点に対して裏づけの証拠がほしいというときに、かようなものをやつていかぬというべきものではない。必要ありと認むるならば、必要な限度において、いわゆる審査を遅延せしめざる範囲においてやるということはとむべきものではない。かように考えましたがゆえに、いわゆる審査の明朗を希求したる結果、この一項の追加をしたわけであります。
 さらに審査官につきましても、法務総裁がこれを選任するよりか、いやしくも国会の承認を得るというならば、内閣総理大臣に任命せしめて、しこうしてこの責任の帰属をどこまでも明確にすることが最もよろしいと考えて、法務総裁の任命を内閣総理大臣と改め、さらに法務府の外局とすることはやむを得ずといたしましても、これに一つの事務局もなく、法務府の官房によつて手のすいたものにまかなわせるというような不見識なことではいかぬから、小なりといえども、独自の事務局を設くべきものだ、かように考えましてこの修正をいたした次第であります。
 そのほかは、大した修正ではありませんが、字句を明瞭にし、条文の解釈に疑いを生ぜないように、しかも第六条に至つては規制をすることは目的でない、やむを得ず規制をするものであるということを、明瞭に表わした次第でありまして、どうか皆様方には、わが自由党から提出したる修正案に御賛同を願い、しこうして修正案を除いたる他の部分に対しては、原案に御賛成あらんことをお願いいたしまして、私の討論を終ります。
○佐瀬委員長 大西正男君。
○大西(正)委員 私は改進党を代表いたしまして、破防法につきましては改進党提案の修正案、並びに修正部分を除く原案に対し賛成をするものであります。そうして公安審査委員会設置法、並びに公安調査庁設置法に対しましては、反対の意図を表明するものでございます。
 申し上げるまでもございませんが、われわれは新しい憲法のもとにおきまして、民主主義を信条とするわれわれの国民生活を助長し、また擁護して行く上におきまして、国の内外を問わず、平和を愛好し、社会の正常な進歩というものを期待し、念願するものでございますゆえに、この憲法に規定されておる民主主義の精神に対して、暴力を振つてこの社会を破壊しようというものがありますならば、そのやからに対しましては、これが与える重大なる脅威に対し、また現実の侵害に対しまして、われわれはこれに対し何らかの反撃をもつてこれを防止し、阻止し、社会の平和と秩序と国民生活の安全を保障すべき何らかの措置を必要とするということは、われわれも常に主張しておるところでございます。しかしながら、かような考え方は、今回政府が提出をされました破壊活動防止法にそのまま賛成するということとは、おのずから別個の問題であるということを明確にしておきたいと思うのであります。
 今回の破防法並びにこれに関連をいたしまする二法案の、わが法務委員会における審議の経過の過程におきまして、私は、政府は二つの弱点を暴露したといわざるを得ないと思うのであります。その一つは、先ほどわが党の中村委員が、わが党の修正案を説明なさいます際にも言われたのでございまするが、この原案によりまするならば、いわゆる規制をいたしまするについて、それを調査する機関と、そうしてまたその調査請求に基いて、規制の処分を決定いたしまするところの委員会というものが、なるほど形の上におきましては二つにわかれておるのであります。しかしながら公安審査委員会なるものは、法文の上におきましては独立という文句を使つてございますけれども、その独立の内容はまつたく無内容といわなければなりません。公安調査庁が調査をいたしましたところの調査に限定をされて、公安審査委員会は調査庁の提出せる資料に基いて書面審理をする以外の、何らの権能を持つておらないのであります。さようにいたしますならば、これは要するに公安調査庁の調査官のすえぜんを、そのまま味わうというだけの権能しかないのでありまして、政府はその説明において、二つの機関をわけたということは、民主主義の精神にのつとつて、大きな民主主義を擁護するために、かようなことをしたというのでありまするが、私は政府の新しい民主主義に対する把握の貧弱さを、暴露したものといわなければならないと思うのであります。
 第二には、先ほど自由党の鍛冶委員は、先般のメーデーにおける暴動に関係をいたしまして、非常にびつくりされたようでありまするが、そういうことがあり得るから、そういう暴力に対して何らかの措置をとらなければならないということは既定の事実であつて、それゆえにこそ、われわれはこの破防法案についていかにすればよいかということを、当初から問題としておるのでありまして、そういう現象が初めて起きたからといつて、あの平家の公達が飛び立つ水鳥の羽音に驚いたごとくに、この法案に対して驚きを発するがごときは、まつたく自由党の認識不足を表現するもの以外の何ものでもないと、いわざるを得ないのであります。さようなわけ合いでありまして、この破防法原案によらざれば、政府は今日の不安な社会情勢に対処することができないとおつしやいますけれども、しかしながら、過去のいわゆる地下に追放されました日共の幹部の人々の捜査に関連をいたしまして、一体いかなる治安能力を発揮されたでありましようか。われわれはかよう破防法案をいくらつくりましても、その根本となるべき政府当局の治安に対する能力がないならば、要するに紙の上に多くの文字を羅列するにすぎないと思うのであります。さような意味合いにおきまして、当初申し上げましたように、第一には、政府は民主主義に対する把握の貧弱さを暴露するとともに、第二には、政府の治安能力の貧弱性を、国民の前に暴露したものといわざるを得ないのであります。この点はまことに遺憾にたえないところであります。私はこの法案におきまして、さような意味合いから、先ほど中村先輩が御説明をなさいましたように、真に民主主義の精神にのつとるならば、かような国民の言論あるいは集会、結社その他の重大な人権を制限をするような、そういつた重大な処分については、改進党の修正案のごとくに、民主主義の精神を堂々と打立てて、その精神にのつとつて、その処分をする役所と、そうしてまた処分を請求する役所との間に、憲法に示されておる三権分立の精神を、この法案においてもどうしても生かさないならば、民主主義の将来における擁護と発展ということを期することは、きわめて困難であるということを痛感するのでございまして、その意味において改進党の提案をいたしました修正点の、機関の「公安審査委員会」を「地方裁判所」に改め、「公安調査庁長官」を「検察官」に改める、この根本方針に全面的に賛成をしなければならないと思うのであります。また本法案におきましては、規制の対象となる、あるいはその原因となる行為につき、また処罰の対象となる行為につきまして、この委員会におきまして種々論議がなされたのでございますが、申すまでもなく、治安立法というものは、まことにもろ刃のやいばと申しますか、蛇を断つべき剣が往々にして人を殺す殺人剣に化しがちでありますことは、これは東西古今の歴史が証明をするところでございまして、さればこそ民主主義の今日におきまして、真に自由を愛好し、また国家社会の前途に対して真に心から憂うる人々の正しい憂国の言論というものを、これをまた反面におきましては擁護をして行かなければなりません。しかるに、この法案におけるところの扇動とか、あるいはまた文書の所持まで処罰をし、あるいはまた規制の原因たる行為にしようということは、まつたく行き過ぎであるといわなければならないと思うのであります。私はあえて自由党を攻撃するわけではございませんけれども、去る三月中旬における自由党の臨時党大会において、自由党の総裁たる吉田現総理大臣は何と仰せられておるか。今日の野党はいたずらに政府を批判しておるが、これは要するに共産党の手先であり、共産党を擁護する以外の何ものでもないということを、あの臨時党大会で言われておるのであります。これはまつたく驚くべき言論でありまして、換言をいたしますならば、かつて平清盛、あの入道の坊主が、平氏にあらずんば人にあらずと言つたが、まことに三月中旬における自由党総裁の言論は、この平家の入道清盛とその軌を一にするといわざるを得ないことは、まことに遺憾にたえないのであります。かような政府がこの法案の原案を、また自由党の修正ぜんとするものを含めての、かくのごとき破壊活動防止法案を運用されましたならば、まことに驚くべき結果を招来するといわざるを得ないのでありまして、しかるがゆえに、いかなる政府が今後成立するにいたしましても、どの政府もこれを国民の前に濫用ができないようにすることが、今日われわれに課せられた重大な使命であるといわなければならないと思うのであります。さような意味合いにおきまして、本委員会が招致してその意見を聞いた公聴会における各界の権威者はもちろん、今日の情勢において破壊活動防止法的な何らかの処置を必要とするということは、大部分の方が認められたが、同時に圧倒的大部分の方が、かくのごとき法案によつては、その濫用の結果恐るべき事態を招来するということを、いずれの人も口をきわめて意見を述べられておりましたことは、私が申し上げるまでもなく、委員各位の十二分に御承知のところでございます。その要点は、わが党が提案をいたしておりまする規制の請求機関と、そうしてまたその処分を決定する機関は、司法裁判所にまかすべきであるとの有力なる議論が多々ありましたことは、各位はその御記憶を御喚起願いたいと思うのであります。同時に扇動や所持につきましては、まことに行き過ぎであつて、その濫用はいかなる結果を招来するかもわからないということも、これまた圧倒的多数の陳述人が申しておりましたことも、私があらためて申し上げるまでもないところであると思うのであります。さような意味合いにおきまして、われわれは、かくのごとき恐るべき結果をのみ招来することが多くて、そうしてむしろ破壊活動防止をするためには、きわめて少い役割しか果さないと認められるところの「せん動」とそうして「所持」を削るという改進党の案は、まつたく今日の有識者の賛成するところであつて、われわれもこれに双手をあげて賛成せざるを得ないのであります。さような意味合いで、われわれは改進党の修正案に賛成をするのでありまするが、翻つて自由党の修正案をつつしんで拝見いたしますときに、これはまつたく修正ではなくして、字句の訂正というも過言でないと思うのであります。鍛冶委員よりるる御説明を賜わりましたけれども、私は、これはまつたく字句の訂正である。かくのごときごまかしをもつて、今日の進歩せる国民諸君をごまかそうとしても、それはあまりに国民を愚弄するものであると、いわなければならぬと思うのでありまして、かくのごとき修正案に賛成するわけには参りません。要するにかような意味合いにおきまして、私は改進党の修正案に賛成をし、しこうしてその修正部分を除いた原案に対しまして、賛成をいたしますとともに、公安審査委員会設置法案、並びに公安調査庁設置法案に対しましては、遺憾ながら反対の意思を表明せざるを得ないのであります。
 以上をもつて私の討論を終ります。(拍手)
○佐瀬委員長 田万廣文君。
○田万委員 私は日本社会党を代表いたしまして、改進党並びに自由党両党から提出せられておりますところの修正案、並びに修正案を除く原案に対し、いずれも反対の意を表明するものであります。
 両党の修正案の内容を拝見しますれば、さすがは進歩的保守党とうたつているだけに、やはり改進党に多大の進歩の跡が見られるのでございますけれども、われわれの側から見ればそれは大同小異でございまして、いずれ劣らぬ花しようぶというところでございます。この自由党の修正案のうちで、「法務総裁」を「内閣総理大臣」に変更するという条項がございますが、これはますます反動への証拠でございまして、ワンマンさんにその実権を法務総裁から移す場合において、国民大衆が今までに悩んでおる姿より以上に、大きな被害が国民にかかつて来るということは、明らかに予定されるのでありまして、これは従来の自由党の性格を、率直に修正案において表明したものと思うのでございます。私どもはこの法案を審議するにあたりまして、過日早大事件が勃発した際に、本委員会におきまして、早稲田総長の島田さん並びに厚生部長の瀧口さん、並びに田中警視総監の三人を喚問いたしたのでございます。その際の状況を私つらつら振り返つて考えてみるのに、あの温厚な紳士である島田総長が、涙を流して供述なさつたその内容は、純真なる学生が警察官の集団的暴力によつて血を流された、傷害を受けた、これはいまだ聞かざるところの権力による集団暴行であるというような証言があつたことを、私はその日のことをなお記憶いたしておるのでありますが、この法案の内容は、すなわち権力政治への逆行を物語る以外の何ものでもないというような感じを、深くいたすのでございます。今日皆さんも御承知の通り、学生対警察のこの関係はきわめて深刻なものがあるのでございます。重大問題でございます。その重大な問題を解決する根本策といたしましては、これは真にあるべき姿の警察というものを学生諸君が認識し、学生運動に対しては警察が干渉がましいことをやらない。この両者の限界を明らかに持つところに、警察と学生側との今後の新たな平和な限界運動の点があろうと思うのでございます。今日は、すべて警察力によつてものを解決しようとする、非常に悪い、封建時代の感じが多分に生れつつあるのでございまして、私どもはこの点から考えて、この法案がもし自由党の修正案のごとく、それを除く原案の通り決定されたあかつきにおいては、いかなる事態が国民勤労大衆の上にかかつて来るかと思うならば、あえて反対せんがための反対ではなくして、かような非民主的な反動立法に対しては、心から反対を叫ばざるを得ないのでございます。過去におきまして、治安維持法といういまわしい法律のために、自由人が何百人か獄につながれたことを、私どもは明らかに記憶いたしております。私が尊敬しておりましたところの美濃部達吉博士すらも、この治安維持法によつて弾圧せられた。りつぱな世界的な学者があの治安維持法によつてやられたということを、われわれは終世忘れることができないのでございます。かような法律が議会において立案され、旧帝国議会において論議せられました当時の速記録を私どもが拝見いたしましたのに、その政府側の答弁というものは――この委員会に本案が付託されてから、特審局長の吉河さんなり、あるいはその他の有力な政府委員によつてるる説明がなされておりますが、その説明の一つ一つは、かつての旧帝国議会における治安維持法における政府側の答弁と何ら異なるところがないことを、強く指摘することができるのであります。政府は、決して皆さん心配はいらない。われわれは保障する。しかもこの破防法の第二条においては、規制の基準というものがあるのだから心配無用である。労働組合にしても農民組合にしましても、あらゆる一般の組合と名のつくものはその適用を受ける危険性がないのだから、心配不必要だということをたびたび述べられております。速記録に載つております。しかしながら私どもは、あなた方の説明だけでは、将来この法律が実施ぜられたあかつきにおける実際問題を想像するときに、多大の不安を感ぜざるを得ない。自由党の皆さん方はそれは杞憂であると仰せられるかもしれませんけれども、自由党の今日の長老といわれているところの星島二郎氏すらも、かつて治安維持法に反対せられたという実に明らかな記録があるのでございまして、そのような実態から考えても、私はこの法案には徹底的に反対をせざるを得ないのであります。一部の人は言うでありましよう。破壊活動に対しては、だれしも異議のないところであろうと言われるでありましよう。その点においてのみは確かに事実であります。しかしながら私どもが心配しているのは、申すまでもなく、やぶ医者が病人をなおすために間違つた治療をする。ある一部の病気をなおすために投薬した。これは絶対直るのだ、心配しないで飲んだらよろしい。これを信じて飲んだ患者が、間違つた投薬によつて、一部のために投薬せられたものによつて、からだの九割まで侵害せられるという、いわゆるプラスとマイナスの面から考えたならば、マイナスの面が非常に多くなるということは予見せられております。(「ノーノー」「その通り」)私は明らかにその点を今ここで昭和二十七年の五月十五日、委員会において討論したこの田万の討論が、将来においてやはり田万の討論のごとくであつたという事実が確定した時分に、自由党の諸君はいかなる責任をとられるのか。私はこれすらも考えておるのであります。従いまして、過日委員会において政府委員の答弁に立たれた方々は、皆さんが安全である、心配するなと保障せられておるけれども、もしそれがきわめて不安全な結果を招来した時分には、いかなる責任をとられるつもりであるか、いかなる処置に出られるかということに対しては、曖昧模糊として明確なる答弁をされておらないのであります。かような実態から考えましても、私は本法案が実質的に含んでおる危険性というものを、多分に感ぜざるを得ないのであります。
 なおこの法案の一番大きなねらいとしておりまするものは、法案によつて明らかなごとく、団体によるところの暴力主義的活動の規制にあろうと思うのであります。しかしながら団体の解散といい、あるいは団体の規制という言葉でいろいろ言つておられますが、要は団体の解散にいたしましても、民法、商法、刑法上におけるところの団体の解散というものとはまるつきり違つたところのものでありまして、その意図するところのものは、団体を構成しておる役職員またはその構成員の追放以外にはないのであります。しかもこの法案の罰則の規定において、さような団体の構成員あるいは役職員に対する犯罪としての処罰規定が明らかに載つております。この明らかな処罰規定によつて罰せられるのは人間であります。団体ではございません。懲役に行くのは団体が行くのではない。いかなる団体といえども罰金の対象くらいにはなるかもしれませんが、懲役に行くだけの能力を持つている団体というものは、法人格のあるなしにかかわらず、世界においてさような法律をつくつた例は私ども聞いたことはないのであります。従つて根本の目的は、さような非合法的な行動をやるところの団体の役職員あるいは構成員を、追放するというところにあろうと思うのでありまして、そうするならば現在行われておるところの刑法所定の条項で、完全にこれが処理できるものと考えるのであります。木村法務総裁は現在の状況からいつて、現在行われている刑法だけでは完全なる団体の取締りはできないのだ、だから田万君、君はそう言うけれども、そうは行かないという答弁があつたように私は記憶いたしておりますけれども、見解の相違といえば言えますが、私どもの今日論議しておるものは、法制におきまして、国民の生活と実質的につながりがあるかないか、国民に被害をかける面が多いか、あるいはプラスになる面が多いかによつて、法律のよしあしが判断されるものと思うのでありまして、少くともこの法案の全体から考えるならば、人間それ自体、暴力主義的な行動をやつた者だけ処罰することによつて、完全に法の目的は達成されると思うのであります。その意味からいいまして、私どもは現在の刑法で十分である。現に早大事件におきましても、あるいは騒擾罪で検察当局は取締りに動いておられるということを聞いております。そのごとくすべてが処理できると思うのでありまして、かような特別法をつくつて、しかも御承知のごとくあらゆる労働組合、あるいは農業組合、あるいは婦人団体、あるいは文化団体から、喧々囂々の反対の声に包囲されておるがごとき、この法案に対しまして、何ゆえに強行してこの法案をつくらなければならないか。これは私どもとして多大の疑問を抱かざるを得ないのであります。
 次に申し上げたいことは、この法案はよく見るならば、政治的な意図を持つた法案であると言い得るのであります。その条項において「政治上の主義若しくは施策を推進し、支持し、又はこれに反対するため、」云々という文句がございますが、そういうことがあつたことだけで、それに関連するところの予備、陰謀、教唆または扇動すらも、独立罪として処断することに相なつておるのであります。これを当局が間違つてこの法律をもてあそぶときにどうなるか。正しいところの言論は抑圧され、正しいところの団体行動というものは抹殺せられる危険があるのでありまして、明らかに本法案の性質は時の政府のためにはなるかもしれないけれども、政治の根本をなす主権在民であるところの国民大衆の真の要望というものは、一方的に政府の考えで弾圧、抑制せられるということも考えられるのであります。おそらくそういう結果になつて行くでありましよう。しかも憲法で保障せられておるところの「検閲は、これをしてはならない。」というりつぱな条項がございますが、おそらくこの法案が通つたならば、公安調査庁長官の方へ――罰金をとられることや、懲役に行くことをすかない大衆としては、こういうものを出したいのであるが、これはひつかかりますか、ひつかかりませんかと、一々御意見を伺いに出るだろうと思います。これは現実の問題であります。その際にこれはさしつかえない、この限度まではよろしい、これからちよつと行き過ぎるとこの法律の適用があるぞ、というような一々指示があろうと考える。その指示自身は、任意に提出して意見は伺うものであつたとしても、明らかにこれは検閲制度である。さようなことになる危険性、現実性というものがこの法案にはあるのでありまして、いわゆる公正にして自由なる言論の行動、それが民主主義の基本であるとするならば、それを抑制する憲法違反の検閲制度の復活の危険性を多分に含んでいるこの法案は、われわれはまたその点だけでも納得しがたい点と思つておるのでございます。
 次に反対の理由といたしましては、本委員会におきまして政府委員の方に御質問いたしました。それは従来税務署にいたしましても、警察署にいたしましても、人間でありますからいろいろ間違つたことをやる。悪意なくしてやられることもあるのでございますが、間違つて権利濫用の実態が起きて来ることもあります。さような際において、いまだいわゆる官尊民卑の風があるのでありまして、間違つたことをせられた国民側においては、存外泣き寝入りしておる者が多いのであります。泣かした人間は存外涼しい顔をしておる。この実態から考えて、調査官、審理官、そういうものが間違つて不当な権利濫用によるところの被害を大衆に与える、団体に加えたというような場合には、その加えた責任者がいかなる制裁、規制を受けなければならないかという点に対して御質問いたしたところ、岡政府委員から答弁がありまして、それは国家賠償あるいは刑法の権利濫用罪、そのようなもので救済し得る道があるのだからして、御心配はいらないといつたような話も承つたのでございます。これを言いかえるならば、政府は口を開けば、これは治安立法である、これは特別立法であると言われておるのであります。しからば特に特別の中でも特別の立法であるならば、さような間違つた処分をしたところの権利濫用者に対しましては、特別にこの法律でりつぱにかくかくの制裁規定があるのだということをうたわなければ、公平の観念に合わない。取締る権利の側ばかりを主張して、そうして義務の点に対する記載というものはほとんど皆無であります。これではわれわれはどこをもつて安心してこの法案に賛成できるか。できないのは当然と思うのであります。
 またこれに関連して政府のフアツシヨ的な考えの表現として申し上げたいことは、自由党から修正案が出ておりまするが、本法の十三条と十五条との関連において、十三条は「有利な証拠を提出することができる。」ということがうたつてあります。しかし十五条において「不必要と認めるものは、取り調べることを要しない。」幾分か自由党の諸君の修正案は、それよりは進歩のあとが見えるのでありますけれども、いずれにいたしましても、不必要と認めた場合、あるいは不必要と思われるものに対しての取扱い方に対しては明確を欠いておる。政府は口を開けば、本法第二条において規制の基準が書いてある。あるいは十五条におきましても但書がついておるから、心配はいらないということをたびたび言われております。しかしながら私どもの見るところでは、この第二条の規制の基準といい、あるいは不必要な証拠は取調べる必要はないというがごとき規制基準というものは、一方においては、国民にいかにも本法案が民主的な立法であるかのごとき印象を与えるところのごまかし的なものであり、他面自分自身の処断に対しては、その規制基準によつて裏づけしようとする、きわめて陰険きわまるところの反動立法であるといわざるを得ないのでありまして、私はこの点からもこの法案に対しては、断固反対の意思を表明する次第であります。
 最後に申し上げたいことは、この法律をつくるということだけで、木村法務総裁も一般の治安が確定すると思つておられないという言明がございました。これは私も異議のないところであります。けれども少くとも今日の暴力主義的破壊活動が全国に彌漫せんといたしている事実は、これは国民の生活というものが不安定である。あらゆる犯罪は、この法案に盛られておらない現刑法によつて処断せられる法律の内容というものは、強盗にしても内乱罪にしても殺人にしても、汽車転覆、電車転覆あらゆる犯罪というものは、今日のいわゆる大衆の不安の中から起きておる。不安に乗じてこれにさらに拍車をかけようとするごときものが一部あることは、事実でありますけれども、この不安の生活から、今日の治安の確保はむずかしくなつているということを率直にお認めになつて、この法案をすみやかに撤回し、もつて大衆国民生活の安定のために、いろいろな施策をなさつたらいかがかと思うのであります。この法案においてあるいは特審局を、名前を切りかえて公安調査庁というがごとく、あるいは公安審査委員会というものをつくる。さような莫大な費用があり、しかもその費用は国民生活の安定でなくして、弾圧するごとき意味を持つ多額のばからしいことに使う金があるならば、すみやかにお考え直しになつて、そうして勤労大衆、国民大多数の生活の安定に使われる方が、はるかに治安立法にふさわしいものがあると考えるのでございまして、この意味から私どもは強く本法案並びに自由党、改進党の修正案に対して、反対の意を表明いたす次第でございます。
○佐瀬委員長 田中桑中君。
○田中(堯)委員 私は共産党を代表しまして、ただいま議題になつております三法案並びにこれに対する二つの修正案に対して、反対の意思を表明するものであります。
 すでに先般来からの本委員会の審議によりまして、この法案の意味する内容が何ものであるかということは、もう明らかになつて来ておりますので、法案の内容についてのくどくどしいことは控えますが、大きな点だけをとつてみましても、これが暴力主義的破壊活動なる概念を設けて、実は罪刑法定主義の鉄則に立つておる刑法を裏からこつそりと改正をして、刑法の責任を追究せざる諸行為を、どんどんとこの法律で罰しようという暴挙が行われておること、いま一つは、場合によつては個人の生命価値よりも尊重されなければならないような団体に対する規制手続を、司法処分によらないで単に一片の行政処分によつて、たとえば法人の死刑とも言うべき解散を、簡単にやつてのけることができるような暴挙が行われておる。その他枚挙にいとまがないほど不都合が行われておりまするが、この法案が実施されますならば、終戦後日本において沛然として起きて来た大衆運動、日本の何がしかの民主化促進ということについても、その大きな貢献者であつた大衆運動なるものは、これは逼塞することは必至であります。というのは、多衆集合して騒擾行為がありますならば、第三条の一項二号イに該当して、これは暴力主義的破壊活動となり、それに参加した個人もまたあるいは団体も処分を受けなければならぬ。ところで大衆運動というものが騒擾行為を伴わないということは、万々あり得ないのであります。そもそも大衆行動の権利を近来の法理念が認めて来たということは、実はいわ、ゆる個人主義ブルジヨア法理論では割切れない存在でありまして、すなわち個人を中心に、その生命財産等々の関係を規定しておる個人主義立法に対して、実は一つの力をもつてでも社会の構成、人類の発展を推し進めなければならぬという要請から、団体に対する団結権、団体交渉権、団体行動権、場合によつてはある程度の騒擾行為さえも権利として認めるということに、万国の立法はなり来つておるのであります。これをこの一片の法律によつて、完全にむしりとつてしまうという一点を指摘いたしましても、いかにこれが反動立法であり、これらはややともすると今まで何がしかの民主化が遂げられた、またその芽が出たというところを、急転直下またぞろ昔の暗黒時代に引きもとしてしまつて、ごく少数の特権者が自由自在に大衆を支配するという結果になる。たとえば労働組合というような団体でも、おそらくはこの法実施の後は、戦争中の労働団体であつた産報労働組合のような存在になるでありましよう。あれはもはや労働組合ではなかつたことは、政府当局も自由党の諸君もお認めだろうと思うが、そのようなものにみななつてしまう。そういう反動立法であるわけでありまして、どうしてもわれわれはこれは賛成できない。ところがこの賛成の方々も中にはこういうことを言われる。それはなるほどその通りであつても、現実に今暴力主義的破壊活動と呼ばれるに値するような行動が、あちらにもこちらに起きているではないか、ゆえにこれに対処するためには、何としても遺憾ながらこれは必要欠くべからざる規定であるという趣旨の主張があるのでありますが、これにいたしましてもが、かの下山事件あるいは三鷹の電車事件あるいは松川事件、最近は五月一日のメーデー事件、あるいは早稲田の事件、たくさんあるにはある。ところが政府当局はその都度、これは共産党がやつたのである、共産党が陰謀をやつたのでおるというふうに、共産党なるものを国民大衆から切離してしまつて、これだけを弾圧の対象にしようとして、陰謀にでつち上げて来ておるのでありまして、現に私どもが本委員会におきましても、しからばこれこれこれの文書が出ておる。こういう破壊活動がある。これは共産党にどうも因縁があるらしいという発言があるので、証拠があるかと言うと、最後の結論には到達していないと言われる。問題は共産党がいかに扇動や教唆をいたしましようとも、相手たる国民大衆がそんなものを相手にする必要のないほどりつぱな生活をしておれば、火のないところに煙は立ちません。共産党は国民から遊離しておらぬ証拠には、場合によつては共産党は、飯が食えなければ税務署に押しかけようということを言いましよう。あたりまえのことではありませんか。それをやると、それ共産党が扇動したとおつしやる。扇動などでこの忙しい、そしてまた腹の減つておるときに、おかみさんが子供まで背負つて、わざわざ何里という道を歩いて、税務署まで来るようなことはありません。あるいは失業者にいたしましても、今日都会地で二百四十円、いなかでは二百円を下りますが、そのような失業手当でもつて、家族を四人なり五人なりかかえて、一箇月わずかに十五日か二十日しかの働く割当しかない。それで飯が食えるわけがない。そこで盛んにあつちこつちで起きておるいわゆる職安闘争なんかがあるのであります。失業者にいたしましても、りつぱな生活のできるような政治が行われておるならば、笛吹けどおどらず、共産党が扇動しても、教唆したところで、使嗾したところで、だれが立つて来ますか。問題は結局、国民が何とかしなければならぬという問題を持つておる。これを被圧迫階級の先頭に立つておる共産党が、一緒にいたしましようと言つて協力する場合はある。けれどもそういうことによつてこそ、政治の欠陥やまた暴政というものが改革をされ、さらに進んでは革命という事象にもなつて、よりよき国家、よりよき社会に発展して行くわけでありまして、これを騒擾であるとか、お前は暴力主義的破壊活動であるといつて、片ぱしからふんじばつて行きましようものならば、社会の発展も国家の発展もとまつてしまう。こういうことは歴史に事例がたくさんあります。多く例があるが、みな失敗しておる。顕著な例は、たとえばナポレオン戦争の後にオーストリアの首相メッテルニヒが、権謀術数の親方が、前後三十年間にわたつて、憲政の発端であるあの民主主義というものの発展を阻止し弾圧をしようとして、全世界にわたつて陰謀をたくましゆうした。三十年の後にはとうとう反動計画がくずれ、メツテルニヒ自身は気違いになつて狂い死したではありませんか。古くは日本の平清盛でも、あるいは秦の始皇帝でも――秦の始皇帝のごときは、学者の文句はうるさいぞ、言論を弾圧しろというので、学者をつかまえて穴の中に入れて殺してしまい、本を焼き捨てた。平清盛のごときも似たようなことをやつた。それでもつて、その支配機構が続いたか。どつちも一代しか続かない。みんなでんぐり返つた。すなわち人類がおのずから発展しようとするその偉大なる力を、一片の法律や制度でもつて食いとめよう、弾圧しようなどとは、とんでもない話なんです。
 この法案は、政府委員の答弁によれば、決して共産党を目当てにしたものではないということでありますが、しかしこれは一般社会においても、また政府部内においても、言うと言わずと共産党を相手にしておるのだということになつておる。ところで共産党を、それゆえにこそ皆さんは国民から遊離せしめて、共産党だけをやつつけてしまおうとお考えであろう。けれども共産党はそんなものにはびくつきはいたしません。共産党というものは――これは共産党でなければ、革命党という名前にいたしましよう。革命党というのは、これは時の支配権力を恐れたり、弾圧を恐れるということはない。たとえて申しますならば潜水艦のようなものであつて、堅牢なる潜水艦は敵階級の弾圧、空襲がはげしければ、水面下にもぐればいいのではないか。天気晴朗ともなれば、水面上に出て全速力で革命工作に従事すればよろしい。そういうわけでこの法案を適用なさつても、共産党を大して弾圧することができぬことは、大方政府にはわかつておる。そこでそのとばつちりを受けるのは、地上にしよつちゆうおる大衆組織、これがみな被害を受ける。労働組合、農民組合、市民団体、文化団体、宗教団体、ちようどあの治安維持法が、最初は共産党を目がけてやつて来た。しまいには良心的な学者、軍人、宗教家を、ことごとく気違いのようになつてこれをふんづかまえて懲役にぶち込んでおる。こういうことになることは必至でありまして、他の不賛成の方々も、中にはまあ濫用をしてくれなければよかろうなどとお考えになることがおかしい。なぜなら、こういう弾圧法規というのは、濫用が必至の内容になつておるわけであります。濫用することこそ、この法案の内容になつておる。でありますから濫用を避けさえすれば、まあわれ共産党だけがやられて、われわれは安泰ですもうなどと考えることは、たいへんな見当違いである。どんわれやられることになることになるのであります。
 そこでそれはそれにしましても、総じてこのような悪法はいけないという輿論は、もう国民大衆には至るところに沸き上つております。労働組合全国四百万というものが立ち上つて、そうして破壊活動防止法案その他の悪法反対という闘争を起しておるし、言論界も大体においてこういう立法に対しては反対であります。本委員会に呼んで来たあの公述人の諸氏の口頭を通じても、大体においてこういう立法には反対ということが読みとれる。にもかかわらず、政府はどうでもこうでもこれをひとつ強行しよう、あまり評判が悪いから、ちよつとばかり修正しようというので、けさの修正案を拝見いたしますと、笑うにたえたることである。第三条の一号のロ、これを二つに割るということになれば、どつちもひつかかるということになる。一つにしておけば、ひよつとしたら教唆や扇動の予備というものはできないから、予備に当るのではないからという、法廷闘争の逃げ道も一つあるわけです。それをありのすき間ほどのものを発見をして、わざわざ二つ罰つて、教唆、扇動にならなくても、たといその予備行動でも、文書の所持や印刷を全部やつてしまうという。まつたく改悪化されておる。それからまた、これは全部やりませんけれども、審査委員なるものを、この委員長及び委員は法務総裁任命ということを、総理大臣任命としてみたところで、何の相違がございましようか。あずきを大豆にかえたほどの相違もありません。こういうことをして天下の輿論にこたえまするぞ、この通り修正いたしましたなどと言つて、何とか政治的生命の一日も長からんことをこいねがつておる陋劣なる心理が、この修正案でわかる。私は修正案にももちろん反対であります。
 それからこのような内外ともに悪評である法案を、一体いかに蛮勇のおそろいである自由党、吉田内閣といえども、これをどう一体実現しよう、強行しようとなされるか、この点が一番重大な問題であります。そもそもあらゆる法律、法案なるものは、みな政治経済に関係を持つておるけれども、このような弾圧法規、あなた方の言葉でいえば、治安法規なるものほど、政治に直結したものはありません。しからば破壊活動防止法案なるこの法案の政治的バツクは一体何か、これが重要なことであります。吉田政府は国民の意思を裏切つて、サンフランシスコ両条約を大急ぎで成立せしめた。それに基くと称して、行政協定なるものを、これまた国民にはひた隠して、がさがさつと成立せしめた。これらの三条約は一体何を意味するか。同僚が委員会及び本会議において、もうすでに十分に解明しておりますから、私はごく簡単に触れますけれども、結局はアメリカなる資本主義、発展をしてすでに帝国主義、そういう国柄、社会柄の国が、もはや自国だけの経営では、内部矛盾の上にやつて行けない。それはうそだとお考えならば、アメリカ国内の今日の経済指数をごらんになればすぐわかる。いよいよ行き詰まつておる。だからどうでもこうでも、アメリカのあの厖大なる生産力にちようどカバーできるような世界を、自己の勢力範囲、箱庭にしなければ、あの厖大なる生産物を売り出すことも、また反対に原材料を輸入することもできはしない。だから欧州においても東洋においても、何とかしてということを一生懸命考えて、彼らのいわゆる世界政策として打出しておる。東洋においては、四億七千万の中国を一手に占めようとして大いに計画をしてみたが、遂に大失敗をして、完全にアメリカの箱庭の中から逃げてしまつた。そこで執拗にも、まだ日本の一角に残つて、日本を足場にして、何とか中国のあの豊富なる労働力と無限の原料資材とを、わがものにしたいという腹なんだ。南洋方面に対しても同じであります。これはまあ生理的必然と申しましようか、資本主義がそうなることについて、必ずしも私はそれがいいの悪いのと言うのではない。必然の現象である。そこで幸いに日本を占領軍という名前で占領しておつた。いち早く日本だけでも固めておかなければ、朝鮮の事変が大失敗をした。日本の新聞は勝つたとも負けたとも書いていないけれども、われわれはみな知つておる。完全に負けたんだ。どうにもこうにもなりはしない。中国どころじやない。あの朝鮮の半島みたいなところさえも、彼らは何ともしきれなかつた。これはいけないと大急ぎで日本だけは固めておけというので、両条約を結び、そしてまた彼らアメリカ帝国主義が、日本を基地として東洋を侵略しようとする計画、アジア侵略の計画、そのためにこそ日本の国土が必要である。そこで生産力が必要であるし、また勇敢無比なる民族といわれておる日本の壮丁が必要になる。だからこそ憲法を侵してでも、再軍備をやるような方向へ押し進めて来るし、また日本の産業をどんどんと軍事的な再編成をつておる。そういうふうなアメリカの政策の結果、日本の政治経済はどうなつておる。疲弊困憊の極に達しておるではありませんか。労働者が何も立ち上つて、破防法反対などという政治闘争を起さなくてもよさそうなものと、あなた方はお考えであろう。けれども立たざるを得ないところまで追い詰められておる。少数の重工業あるいは軍需関係のものだけは、幾らかそろばんに合うことになつておるけれども、他の平和産業はまるつぶれです。紡績産業の四割操短を初め、ゴムもだめ、鉄鋼工業までももはや恐慌現象が浸潤しつつある。失業者は洪水のように出て来る。ただ繁昌するのはパンパンの商売とパチンコぐらいのものである。まつたく日本の健全なる発展は約束されておらぬわけである。そこで国民大衆、中でも労働者勤労階級は不安で不安でたまらない。だから両条約をやめてくれ。ポツダム宣言で約束した通りに、日本を完全な独立国にする権利があるじやないか。だから吉田内閣もやめてくれ。両条約をやめ、行政協定をやめて、真の独立国日本にしようじやないかという運動を起す。それであつたら、アメリカ様並びにその番犬的性格の日本の政治家諸君は、何にも役に立たない。せつかく国民を、労働者を戦争の肉弾に供しようとして計画して、徴兵制度をつくろう、ここまで来ておるのに、それをやろうとしても、戦争は反対だ、徴兵は反対だということになろうものなら、その目的達成ができない。弾圧が必要になつて参ります。中小業者が、こういうアメリカ一辺倒の政策では、われわれはどんどん倒産するじやないか。やれぬじやないか。だから大陸筋とも、中共とも、ソ同盟とも、どんどんと交易ができるような政治にしたらいいじやないかということを主張しようものなら、それは国家の基本秩序、公安に害があるというようなりくつをつけて、これでふん縛るにきまつておる。そういうことになつて、だれもかれもが、結局真に愛国心に満ちた、民族を独立してほんとうの日本をつくろうという者に対しては、容赦遠慮もなくこの弾圧法規が頭からかみついて来るのであります。またそれをやることがこの法案の真のねらいであります。だから裏から申しますならば、これは日本の立法ではない。日本人の利益を代表する立法ではない。政府委員の言葉は、二言目には国家の基本秩序が云々と言われる。国家の基本秩序を守るためには、これは些少の不便、不利益はあろうとも、やはりこういう法律が必要になるのじやないかということを、しやくし定規に何べんとなく答弁されておる。いうところの国家の基本秩序とは何ですか。これを実質的に解釈してくれ、実質的に説明してくれという要求に対しては、一言半句も答えはない。ただもうばかの一つ覚えのように、国家の基本秩序を守らなければならぬと言われる。国家の基本秩序はアメリカの基本秩序であり、それによつてわずかばかりのおこぼれにあずかれる可能性のある、一部特権階級があるだけである。そんなような国家の基本秩序といつてだんびらを振りまわし、日本民族や国家を売り渡してしまつて、そしてアメリカの東洋侵略政策に一から十まで加担をし、忠勤をぬきんでようというのが吉田政府であり、法務総裁の考えじやありませんか。そういうことをなさつても――私は時間がありませんからやめるが、そういうことをなさつても、これは長続きはいたしません。日本国内だけではなしに、全世界をごらんなさい。しいたげられし者、支配されておる者は、みずからの力によつてでも、どうでもこうでも独立、解放しようというので、フィリピンでさえやつておる。台湾だつて今にやり始めます。ヴエトナムも勝利に近ずいておる。みな民族は自己の力によつて解放しておる。(「どこが解放されている。解放どころじやない。がんじがらめにされているじやないか。」と呼ぶ者あり)そんなことを言うならばおれは言う。それならば諸君は中国の経済状態や政治状態の発展ぶりを見たまえ。中国がもしもがんじがらめになつて、日本帝国主義やあるいはその他の帝国主義が縛つておつた当時よりも、はるかに悪い状態に転落しておるなら、私は話を聞こう。そうじやない。彼らは初めて四億七千万人の自己の政権を打立てて、あの阿片戦争以来、ちやんころ、ちやんころと言うていじめ抜かれたあわれなる民族が、今や一本立ちになつて、完全に民族を解放して、まつたく急速度に生産は拡大し、政治も向上し、文化は発展をしておる。一つもその資料を諸君は知らぬと見える。愚かなことである。そういう自己の力によつて民族を解放して、真の独立国をつくろうというのは、世界の人類の歴史の今やちようど発展の過程にあるわけです。だから自由党吉田反動政府がアメリカの御宣託を受けて、何とかアメリカの植民地みたいなものをここに形成しようとして、そのためにこそ破防法初め刑事特別法によつて、アメリカの悪口を言うようなことは、大体ひつかかる。アメリカの機密を漏らしたとか、あるいはアメリカ人の生命財産の安全に害があるとかなんとかいつて、みなやられてしまう。さればといつて、今度はわれわれは自分の生活を守らなければならぬというので、集団行動を起す。これは暴動でござい、これは騒擾行為でございなどというので、みなひつくくつてしまう。一切合財これを縛つてしまつて、国民全体を恐喝し脅迫して、一言の文句も言えないようにしておいて、唯々諾々たる状態に置いて、国民をアメリカの侵略戦争の肉弾に供して行こうというのがこれなんです。
 そういうふうな法案に対して、われわれは絶対に賛成することはできません。またこの法案に対してだけではなしに、自由党提出の修正案に対しましては、これは先ほど触れましたから省略しますが、改進党提出の修正案、これは自由党の修正案よりも相当いい点が含まれております。おりますけれども、問題は、この案をいかようにいじつてみましても、以上私が説明いたしましたように、こういう法案を運用しようとする政治的主体、政治的バツクなるものが問題であつて、これに変更がない限りは、文字の上で多少これを改正しようが修正しようが、意味ないことでありまして、われわれはそういうふうな単なる文字の遊戯的な修正案にも同調しかねる。すなわち修正案にもんまた原案にも、一括してわれわれはは反対をいたすものであります。(拍手)
○佐瀬委員長 猪俣浩三君。
○猪俣委員 改進党の修正案は相当進歩的なあとが見られるのでありますが、これは修正案というよりも撤回案じやないかと思われるのでありまして、改進党が竿頭さらに一歩を進めて、われわれのような撤回並びに反対のお立場になつたならば、首尾一貫したのじやないかと考えられるのであります。私は、自由党の修正案並びに政府提出の原案を一括いたしまして、その反対の意見を申したいと思います。
 先ほど自由党の修正案の賛成意見といたしまして、鍛冶委員がるる述べられたのでありますが、その中に、刑法でまかないきれないことがあつたから、かくのごとく治安が乱れたのであつて、本法を必要とするのだというような説明があつたと思われます。これは政府並びに自由党の本案提出の根本理念といたしまして、私はまことにいみじきことを言つてくれたと思うのであります。一体治安の乱れるのを法律の不備に帰するということは、いかなる思想に基くことであろうか。この社会現象を経済的あるいは政治的に解剖いたしまして、それから治安の乱れる根源をつくということが最も大切だと存じます。しかるに、治安立法さえ完備するならば、治安は立ちどころに治まるがごとき考え方は、実にこれはいわゆる権力中心の思想でありまして、民主主義国家において採用すべからざる理念だと考えられるのであります。中国に古くから法匪という言葉があります。法匪と申しますのは、法令によりまして時の支配勢力を温存せんとして、そのためにあらゆる民衆に対して弾圧をして、これに対しまして弾圧せられまする民衆の反抗的な言葉として、法匪という言葉があるのであります。さすが文字の国であつて、いみじきことを言つたと思うのであります。そこで今私は政府の説明並びに自由党諸君の説明を聞いておりますと、この言葉が自然に思い出されて、はなはだ失礼かも存じませんが、この言葉を思い出さざるを得なかつた。どうも法匪的態度じやないかと思われるのであります。なぜならば、今日一般世論がこの法案をどういうふうに見ておるか、これはよく御存じであろうと思う。労働組合を中心といたしまして、日本学術会議あるいは日本文芸懇話会、あるいはその他の文化団体二十有余が連合いたしまして、本法案に猛烈なる反対を表明いたしております。なお院内におけるその輿論の声といたしましては、先般十八人の公述人によつてその意見が述べられた。みな各階層を代表いたしまする人格識見のすぐれた人たちであります。この人たちが一体どういう意見を言つたかというと、原案に賛成したと思われる人はだだ一人しかない。しかもその人は、本法案を作成するにつきまして、特審局に非常な協力をなされた方だそうであります。その人一人が賛成した。あと修正案で賛成された方が四人、反対及び撤回論が十五名、ほとんど大多数は本法に反対と申さなければならぬのであります。一体さような輿論が起つている際に、なお本法を押し通そうとする際には、どうも法匪という言葉が思い出されて来るのであります。
 なぜかように輿論が本法に反対するかと申しますならば、何も騒擾したり放火したり殺人したりすることを歓迎する人は一人もありません。反対の根本的理由は、長い間の日本の伝統として参りました官尊民卑の思想及び行政機関――日本ではある種の行政機関を官僚というが、この官僚に対しまする一般大衆の不信用から来るのであります。それはいなむことができない。信用しない方が間違つておると言うことはできない。治安維持法下二十年の実績がいかなる結果を示したか。これは申すまでもないことであります。かようにして一旦法律ができますと、できた法律は、政府委員の説明のいかんにかかわらず、生きものとして活動し、その第一線に活躍せられる官僚どもは、いわゆる人民の権利というようなことに対しましては、あまり考えを深くせず、そしてまたその政権が反動政権であるといたしますならば、政府に忠勤をぬきんずるがごとき思想から、果敢なる法律の実施をやる。かようなことから、憲法が保障いたしております各種の自由、人権というものは抑圧せられて、その極点が太平洋戦争となつたのであります。しからばこの官僚がどの程度思想がかわつたかと申しますと、ちつともかわつておらない。先般早稲田大学で行われましたる警察ファツシヨの実情をつぶさに御点検くださいますならば、警察官なんというものは、終戦以前よりもまた勇猛果敢になつてしまつた。無抵抗な人民の頭を打ちのけ、しかもそれは夜間の学生であります。昼間勤めておりながら、夜学ぶという篤学の人たち、その逃げるやつに追いすがつて、これを乱打し昏倒せしめたという、まことにこれこそ暴力的破壊活動をしたのであります。かような諸君の予期するような警官というものは、まだ多分に温存せられ、これが今盛んに活発に動いて来ておる。こういう実情を見まして、私どもはこの法案に対して非常な危惧の念を感ずるのであります。
 先ほど鍛冶君は学者を冷笑いたしました。東大の学者は刑法も知らぬ、現実も知らぬと言つた。その教授の名前は大体わかりますが、これはおそらく謙遜された言葉だと思うのであります。しかし刑法やその他一般の法律については、鍛冶委員よりはその教授の方が権威者だと私は思います。それを真に受けて、刑法を知らぬで、これに反対するのはけしからぬとおつしやることは、常軌を逸していはせぬかと思う。ただこの中で、現実を知らぬと言つた。これは現在再軍備論におきましても、平和論を唱える者を現実を知らぬというふうに説明する。これは合理的な、科学的な論理に対して対抗できない一つの逃げ場所であります。学者が正々堂々と論理を展開するに対しまして、これと太刀打ちできないので、なあにあれは現実を知らぬのだ、そういう思想から真空説が出て、これが再軍備論の根拠になる。(「向うが言つたんだから、しようがないじやないか。」と呼ぶ者あり)向うが言つたつて、それを引用して攻撃するのは非常識だ。そうしてまた治安の現実を知らぬのだという。その現実とは何か。現実に対する分析を考えていただきたい。なるほど諸君の言うような現実は、政府あるいは自由党だけしか知らぬ現実でありましよう。そういうことが一体現実であるか。現実とは何ぞや、これは政府がつくる現実であります。自由党が頭の中にかもし出す現実であります。今にも暴力革命で、ここに暴力的政権が樹立せられるがごとき宣伝をやつておる。そうして平安な人たちの心を乱し、またこういう治安立法をどんどんつくり出す。今にも中共が日本に侵攻して来るがごとき宣伝をして、真空説を唱え、そうして再軍備をやろうとしておる。ここに私は陰謀があると考える。かような現実なるものは、もつと冷静に分析してかからぬと、現実を知らぬと東大の学者が言うたのは当然だ。私も諸君の言うような現実は知りません。いずれにいたしましても、そういう論理によりまして、本法案は提案せられております。
 そこで具体的に一、二点申し上げますならば、本法案の根本的欠陥は、第一に行政処分と刑罰の補整とを混合してつくつてある。これは非常に重大な点だと私は思うのであります。それがために法案そのものとしては、技術的には実によく練つてつくつてある。水も漏らさずつくつてある。まさに法匪の資格十分なりと申さなければなりません。しかしながら実に危険きわまるのであります。なぜならば、行政処分の言葉として最初に取上げたものを、第六章の罰則以下にそれをそのまま刑罰の構成要件の中に入れてしまつておる。これは法務府特別審査局の説明書にちやんと書いてある。三条の破壊活動の説明、これは行政上の観念であつて、刑事上の観念でないのだ。すなわち破壊的団体の規制という行政処分の原因となる事実を言つているのだと言うて、破壊活動なるものの定義をくだされて、それをそのまま今度は罰則の方面に使つて、刑罰を課しておる。こういう故意にやつたか、過失だつたか知りませんが、私は故意だと思う。こういうごまかしをやつておる。ここに非常に重大なる点があるのであります。私どもは、刑罰の規定をどうしても補整しなければならぬならば、刑法の改正としてすべきものだと思う。団体の行政処分をどうしてもしなければならぬならば、これは行政処分を中心とした法律をつくり、ここに刑罰と行政作用との混淆を避けなければならぬので誓事。こ濃いろいろ意味におきまして重大なことなんです。何がゆえにかようなことをしたのかと、いろいろ憶測をたくましゆういたしますならば、どうも刑法の内乱罪あるいは騒擾罪等に予備、陰謀あるいは教唆、扇動、そういうものをくつつけ、しかも政治上の主義、施策を推進しこれを支持する、こういう言葉をくつつけて刑罰を重くするならば、非常に目立つのであります。これは刑法の条文を考え、そのわきにとういう破防法に盛られてあるような箇条を置いて考えるならばすぐわかる。政治上の主義、施策を推進するという言葉があると、二年のものが五年にはね上るという規定は、これを刑法の中に入れると非常に目立つ。こでこういうところに補整という形で出されたのではないかと私は思うのであります。かようにいたしまして、行政処分と刑罰の補整とが混淆しておる。しかも行政処分としては団体の行動を規制する、なおこれを解散するということを規定しておりますが、しからば真に解散するのであるかというと、そうでもない。たとえば日本共産党を解散するといつても、日本共産党という団体を解散するのじやない。その構成員を処罰するか規制するかだけである。するとその構成員ならざる者が日本共産党という名前を使つて、機関紙を出すなり宣伝活動をやるのは、これを取締ることはできないのだという説明でありました。行政処分といたしましても、はなはだ未完成である。こういうことから考えると、どうも行政処分にあらずして、刑罰を中心としたのだが、それではぐあいが悪いので、行政処分というものを出したのではないかと思われる。どうもそこに観念の混淆がある。実に不完全な法律である。しかし諸君から見れば、実に緻密に、大衆をごまかすには完璧のようにおつくり上げになつたと思いますが、見る者から見ると、実にこれは不完全である。さような欠点があると思うのであります。そこで刑罰の補整と称しますが、刑法によつても取締れるのじやないか。現に五月一日のメーデーも、騒擾罪として諸君は処罰しておる。しかるになぜこういう補整をしたか。そこがいわゆる文化団体、言論人が一齊に反対する中心点でありますが、予備とか陰謀とか、予備陰謀というものは非常に浮動性のあるもので、刑罰の対象としてはごくまれにこれを規定するものであることは、刑法の一ページを調べた者にはよくわかることである。この予備、陰謀及び教唆、扇動――扇動というようなことは刑法にない。教唆のごときもこれは独立罪としておらぬ。これは日本の刑法がやはり自由主義的人権保護の立場から、刑罰の法定主義をとり、そうして公共の福祉と個人の自由、人権の保護とを調和させたためであります。そこで予備、陰謀というものに対しましては、ある程度の必要欠くべからざるときだけを規定し、また未遂もしかり。そうして教唆というものも独立罪としないで、いわゆる危険刑法という立場に立ちまして、これによつて刑法ができておることは申すまでもない。その主義を打破いたしまして、いわゆるナチスの拡張共同正犯論、意思刑法に置きかえたのがこの破防法であります。これによりまして教唆、扇動までもみな独立罪としておる。もし教唆、扇動が独立罪でありますならば、その教唆、扇動または教唆の幇助ということが刑法の総則から出て来まして、いもづる式に多数の人間をひつぱることができる、かような規定を置いた。元来ナチスのファツシヨ思想、このフアツシヨ思想というものが、刑罰におきましては、意思刑法の理論と共同拡張正犯論という論拠に立つて、ナチスの政権を温存し強化した。そうしていわゆる指導者原理、一人の人間の指導によつて大衆は動くという原理をとつて、権力中心主義、権力さえ確立するならば治安は治まるという思想、こういう権力第一主義及び意思刑法主義、拡張正犯論、指導者原理、これはファツシヨ思想の中核であります。この破防法においては、かようなるフアツシヨの思想をことごとく実現せしめておる。さきに言うたように、これは刑法さえ完備するならば、こういう法案さえ完備するならば、治安はおのずから治まるという見解、それから一人の人間があると、そういう扇動、教唆によつて大衆は動くという見解、土地がひからびております際には、雨が降りましても洪水はなかなか出ません。しかしさみだれのようにしとしと大地に雨がしみ込んでおります際に、大雨が来りまするならば、一ぺんに溢水するのが自然現象であります。そのように、ここに一人の指導者がかりにあつたといたしましても、その扇動により、騒擾が起るというようなことは、その扇動それ自身の結果ではありません。そういう騒擾が起るような社会不安が存在する、社会実情が存在する、経済上の環境が存在するから起るのであります。その点が重大でありますが、いわゆる権力思想、指導者原理の諸君は、そういうことを考えない。権力によつて弾圧するならば治安は全し、こういう考えを多分に持つのであります。さような考えから、すべてナチスの拡張共同正犯論という刑法理論を応用いたしまして、そうして日本の刑法がこの人心の自由と権利、いわゆる共同の福祉と調和いたしましたる原理を破壊してしまつて、こういう乱暴な法案を提出されたと思います。これがわれわれの反対する点であります。
 第四点といたしましては、行政機関にこの審判をさせるということ、この点につきましては、私は改進党の諸君の考え方を是なりとするものでありまして、しかもこれは憲法の第十三条、二十一条、二十三条、二十八条等の、憲法の大原則に非常に抵触するところの内容を持つておる法案でありますのみならず、本法の第四条及び第六条を見ますると、現在行われた行為に対する規制にあらずして、将来行われるであろうという推測のもとに、ある団体の規制を行われるということで、刑法の行為主義の理念を完全に破壊した規定がある。かような憲法に違反いたしまして、しかも将来の危険を予測して規制を行うというような、大胆なる行動を行政機関にさせるということは、根本的に間違いだと考えるのであります。なおまたいわゆる連帯責任論をこれには問われておると思う。ある団体の行動に対しまして、団体の行動だということになりますると、それに賛成しなかつた者までも、その構成員たるがゆえにみな規制を受けるという、これは一種の連帯主義であります。最も復古的な思想であるこういう連帯主義をとつておる。かような危険なる主義の上に立ちましての規制であるとしますれば、まずもつて慎重にしなければならぬから、現在最も不信用を買つておりまする行政機関にこれをまかせるということは、私どもは賛成がいたしかねるのであります。
 それから最後に私どもが反対することは、これは私が前にも申したことでありまするけれども、こういう法律案によりまして侵害せられましたる無辜の民を救済するところの規定が何にもない。諸君は、本法は集団行動を主としたものである、刑法にはいわゆる団体を規制するところの規定がないから、本法を出したのだと申すのでありますが、しからば一体職権濫用罪でも、これはやはり個別的の責任を追求する法律であります。早稲田事件で見、るように、一つの系統ある指揮によりまして集団暴行をやつたような場合じやないのだ。刑法のあの個別主義に立脚いたしました職権濫用を適用いたしますならば、非常に困難な場合が出て来ると思う。一体ああいう警官という一つの組織体の、しかも警察官等職務執行法第七条を逸脱いたしましたる、ああいうふうな暴行に対しましては、集団暴行としてこれを刑法の規定以外に、つり合いをとる意味におきまして、本法に規定しなければならなかつた。ところが本法においては、何々してはならぬ、何々してはならぬと規定しておりまして、ことごとくこれは訓示規定である。あとのことは刑法でやる。単に懲戒法である。これは個別的の責任から成り立つておるものであります。そこで政府の説明は人民に対する立場と官憲に対する立場とにおいて、はなはだ説明が違つて来ておる。均衡を失しておる。かような点におきまして完全ならざる、不完全な法案と考えられるのであります。
 以上申しましたような諸点から、私どもは自由党の修正案並びに政府原案に対しまして、いずれも反対の意を表するものであります。
○佐瀬委員長 世耕弘一君。
○世耕委員 私の同志の中には本案に対して反対の意見を持つ者もありますが、私はこの機会に、自由党の修正された案に対して賛成の意見を申し述べたいと思うのであります。まずその理由といたしまして、二、三指摘して結論を申し上げたいと思うのであります。
 本案は立法の面から見ましてなお不十分な点が多々あると思います。しかしながら今日の社会現象からながめまして、一応この案を通過せしむることが妥当なりという結論を得たわけであります。先般私は本委員会においても申し上げたがごとく、現在の日本の状況は、ちようど革命の前夜の様相を呈しておる、かように私は指摘しておきました。皇居前の事件あるいは東大、最近は早大事件、また本日の新聞では広島地方の公判廷におけるところの被疑者の奪取事件等は、これを単なる一時的現象とわれわれは判断できないものと、かように考えるからであります。しかしながら一面において、われわれはかくのごとき問題を、単なる感情的あるいは安価な涙や興奮をもつて処理しては相ならぬ、あくまでも冷静な立場において、祖国の前途の安全なる道を確保することに努力しなければならぬと、私は特に注意を喚起したいと思うのであります。早大の事件について他の委員からも論議されておりましたが、私は多年大学に関係を持つ者の一人であります。ストライキあるいは学校騒動には、数十回の実は経験を持つておるものであります。早大事件が単なる警察と学生との衝突事件であると、そう簡単に結論づけられない深い根があるものと、私は指摘したいと思うのであります。
 次に申し上げたいのは、この破防法の本来の精神は、結局破壊活動を防止する。防止ということはすなわち未然に事案を食いとめるということが、主眼であろうと私はかように思う。しからば未然に防止するのには、少くともその活動を開始する前の予備、陰謀等の原因、動機あるいは行動等に関して、根本的な調査が私は必要であろうということが考えられるのであります。この意味において現場の調査員、調査に当る人物の人選が、本法律を円滑に運用する上において重大なるわかれ目であると、私は指摘しておきたいと思うのであります。言葉をかえて申しますなれば、調査員の人格識見が大切である。はたしてこの人格識見のある人物を調査員に入れられるかどうか、集められるかどうかということに一抹の不安があるのであります。もしこの人格識見のない者をかりにこの調査員に選んだとするなれば、とかくの非難ある、いわゆる昔の特高に堕落する、こういう結果になりますから、特にこの点を私は強調しておきたいと思うのであります。
 なおもう一つは、いかに人物達識な者を集め得たといたしましても、非常に調査費用がかかるであろう。行動の上においてあるいは調査の上において、予算がなかつたらほんとうの目的が達成できないではないか。かえつてずさんな結果がここに大きな人権蹂躪等の問題を発生せしめはしないか。これはよほど法務総裁のごときは力をここに置かれて、財務当局との折衝の万全を期せられたいということを、私は要求してやまないのであります。
 次に申し上げたいのは、民主主義であります。民主主義は往々にしてはき違えられておる。今この機会にこまかい民主主義理論を私は述べる必要はないと思いますが、少くとも民主主義は、わが民族の基礎の上にまず育成して行かなくちやならぬと思います。この意味において、本法を適用する上においても留意が肝要だと私は思います。祖国愛を忘れ、祖国に対する忠誠を外国に売り渡すようなやからが、かりに同胞の中にあつたとするなれば、これは厳に取締る必要があると思う。本法の大半の目的がここにあるであろうということも想像できるのであります。私はこの意味におきまして、特にこの点も施行の上において留意されたいということを、お願いする次第であります。
 次に破壊防止の第二段といたしまして、国民の時局的認識を高めて行かなければならぬ。従来政府は国民に対して、国際情勢あるいは時局の認識に対して消極的であつた。かようなことは決して破壊防止の手段として適当じやない。この意味におきまして、できるだけあらゆる機会に国民に、あるいは世界の実情、国際情勢等を文書、図書あるいは電波、講演その他の指導をもつて、あらゆる機会をとらえて健全なる国民思想の発達を、これは重要な項目の一つとしてあげなければならぬと私は思うのであります。いかなるりつぱな法律といえども、あるいは施策といえども、善良なる国民の協力なくしては私は効果はあげられないものと、かように考えるがために、特にこの点を強調するものであります。
 次に申し上げたいのは、調査の範囲が目的主義ではいかぬ。ある一つの目標をとらえて、その範囲で活動するということは、往々にして誤解を生ずる。私は調査は広汎にわたるべしということを主張したい。あらゆる面において総合的な調査を行つた場合に、初めて公平な結論が得られるのであります。一例を申しますれば、東大事件にしても、あるいは早大事件にいたしましても、部分的なものを取上げてみますると、警察の行き過ぎがすぐわかる。しかしながら、さらにもう一段根本的に掘り下げてみると、そこに何ものかがあるということがすぐわかつて来るのであります。最近はあらゆる社会運動がきわめて巧妙で、そうして合理的に、しかも微細にわたつて策謀が行われておるのであります。そのわなにかかつて調査を進めるようなことがあつたら、思わざる結果を来すことを、私は注意を喚起したいと思うのであります。この意味におきまして、総合的な調査を進めねばならない。この例を申しますれば、たとえば官権の濫用、綱紀の紊乱、国民の不満の爆発する根拠がいずれにあるか。あるいは一例を申しますなれば、火炎びんを善良なる市民の手によつて投げ込まれたとするならば、その市民の感情はどこから爆発するに至つたのか。最近まだ完全なる能力の発達しない若い無邪気な学徒が労働者の先頭に立つて、あらゆる過激な行動をしておることは、現在も目撃しておる通りであります。その若い血に燃える学徒が、なぜさようなものの先頭なり手先になつて働くか。ここをついて行かなければ、根本的破壊の基礎は防止されぬのではなかろうか。この調査が一番主眼でなくてはならないのではないか、かように申し上げたいのであります。
 さらに進んで申し上げたいのは、政治的貧困であります。政治家が一旦こうと天下に声明したことを、弊履のごとく捨てて責任を一向に負わない。かくのごときことは国民の信頼を失う。こういうことがたまりたまつて、かえつて暴動化するということは、これは洋の東西を問わないことであります。でありまするから調査機関が拡大されて、厳正公平な調査をする上においては、この面にも触れて来ないとほんとうの思想的な分析ができないということを、私はここに指摘しておきたいと思うのであります。
 前段におきまして、私は現在の日本は、いわゆる革命の前夜のごとき観があるということを申し上げたが、その実例を申しますなれば、ほとんど今日われわれの知るところは、裁判所も検察庁も各官庁も大学も地方庁に至つても、新聞社もラジオ、放送局も、あらゆる機関に、私は、過激思想といつては適当じやないかもしれぬけれども、何か不満と、その爆発する機会に対して好感を持つておる人々が多数網羅されておるということを、私はきわめて慎み深い言葉で言い表わすことができると思う。最近においては、一番平和であるベき宮内庁にすらその人が出て来たということは、すでに御承知の通りだと思います。かようなことを考えてみますと、私が前段において、日本の国内は、すでに革命の前夜であるということを指摘したことは、別に過大な言でないということが証明していただけるだろう、かように思うのであります。革命はいつも多数の人によつて実行されておりません。これはフランス、昔のロシヤ、あるいはドイツ、イタリア、アメリカ等の実例、東西の革命の歴史をひもといてみましても、少数者の原動力によつて行われておるということは、りつぱに史実によつてこれが証明されております。私はかようなことを考えまして、まことに日本の現状は憂慮にたえません。この意味において、私は本案に対して、はなはだ不十分ではあるけれども、何かの対策の一助にというような意味で、賛成の意を表する決意ができたのであります。
 なお最後に申し上げておきたいことは、本法案と予備隊との関係であります。この関連性もいずれ他の法案と、運用する上においてくふうするかと思いますが、かりに日本に非常事態が発生したと仮定いたしてみるなれば、総理大臣は立ちどころにどつかへ拉致されることができるようなかつこうになつている。これはなぜかと申しますると、非常事態の宣言は、公安委員長から総理大臣に申請して、そうして総理大臣が非常事態の宣言と同時に予備隊を繰出す、こういう形をとつておるものと考えられる。もし頭のいい革命家があるとするならば、その手続の間隙を縫つて総理大臣を拉致するくらいのことは朝飯前にできる。ここに大きな欠陥がある。幸いにして総理大臣が今日安泰であることは、国家のためにまことに幸福と言える。こういう点に非常事態に処する対策が欠けておるということを申し上げると同時に、非常事態に対する国民の権利義務に対する立法がまだありません。この点も大きな欠陥であるということを、私はこの機会に指摘したいのであります。でありまするから恐れ多いことでありますけれども、日本の天皇を暴動によつてどつかへ拉致することもできる。監禁しておくこともできる。ちようど巧妙な手段を行えば、私は下山総裁のような結果を生み出しはしないかということを憂うる。この辺に対しても十分な考慮が払われておらないと、私は指摘いたしたいのであります。もちろん総理大臣をつかまえて、こつそりどつかへ持つて行くくらいのことは何でもない。総理大臣官邸に押しかけて来た時分には、総理大臣はいなかつたということになる。非常事態宣言はどつかのところから無理やりにしなくちやならぬというようなことは、警察のつるし上げがはやるあの手を運用すれば何でもない。こういうことも憂慮の一つであります。私はこの意味において、特にこの活用を敏活にするように努力してほしいということを申し上げたいのであります。
 次にもう二点で結論をいたしますが、近ごろの世論は、警察に対する国民的感情が非常に悪くなつて来ている。これは国民の感情が悪くなつて来たその反面に、警察官の素質の低下も一応はわれわれは確認しているものでありまするけれども、それ以上に反感が高まつているということをわれわれは考えなくちやならぬ。そこに原因がある。ところで通俗的に申しまするならば、警察をこわがるものは、どろぼうだとわれわれは思つている。そのどろぼうとやみ屋が警察を一番こわがつておると思つておつたところが、近ごろは大学で警察を非常にこわがつている。これはおもしろい現象であります。私が申し上げたいことは、大学へ警察が入つてなぜ悪いかという結論を私は持つておるのであります。どこの学校でも、夜間の大学を持つている大学では、必ず夜学の学生に多数の警察官が勉強に来ていると私は思う。これらから考えますと、警察に勤めている者が夜間学生に来ていけないということになれば、教育基本法にもとり、大学校に違反するということになる。機会あるたびにあらゆる階級の者を教育するということが、教育基本法の根本精神じやないか。もし万一それが右派であり、あるいは左派であつて、極端な過激な思想を持つておるとするならば、そういう者はできるだけつかまえて、学校が懇々と教育するところに大学の使命があり教育者の使命がある。こわがつてどうしてその目的が達成できるかということを私は言いたい。そこに大きな世間の誤解があるのではないか。私は教育者の一人として、そういうことに対して納得の行かないところがあるのであります。ことに学問に秘密はないと私は思う。学問は世界的であり、社会的であり、自分の研究していることをば、かりに調査員が来て調査せられたからといつて憤慨するところがなぜあるか。むしろ自分の研究していることが、調査員によつて調査に来る機会を与えられたことをいいこととして、自分の理論を普及し、場合によれば調査員をして自分のその思想に化せしむるところの熱意と努力が、教育者にあつてしかるべきである。もちろん大学の教授は当然のことであります。これを何だか見るとこわがるというところに、ややこしい思想が伏在しておると私は指摘しておきたいのであります。要するに近来の大学教育には、教育自身をはき違えておる者がある。私は過般文部大臣にも申しましたが、学者必ずしも教育者じやない。教育者は少くとも人格識見を持つことを前提条件としなくちやならない。いかがわしい人格と扇動性を持つた教育者をして、その首脳部に立てることは、往々にして大学の本来の自治を破壊する結果を生み出すことを、私は憂うる者の一人であります。この意味において、私は大学の使命というもの、大学の自治というものをはき違えないように、いたずらに大学の自治ということにおびえて、調査すべき権限をかえつて躊躇するようなことのないように、私は特に力説しておきたいと思うのであります。
 最後に、本案はにわか立法である。しかしながら現段階においては、一応承認しなくてはならない。しかし実施にあたつて、その結果をまつて、さらに改正をする機会をすみやかに持つことを要望する。またできれば本法案が実際的に活用されることなくして、日本の国内の治安がりつぱに維持される機会のあることの早からんことを望む。特にこの際申し上げたいことは、善良なる組合活動あるいは団体活動を誤解することなくして、育成助長に努めて、本法律の厳粛な気持においてすみやかに実施せらるることを希望して、本案の賛成討論といたしたいと思うのであります。
○佐瀬委員長 佐竹晴記君。
○佐竹(晴)委員 私は社会民主党を代表いたしまして討論いたします。私は、地下日共を主軸といたします破壊活動に対しては、適当なる対策を講じなければならぬと考えますが、しかし本法律案は、それに対処するに効果的な法案とは見られないのみか、一般的に基本的人権を侵害するおそれが大でありますので、原案にも修正案にも賛成いたしがたいのであります。以下その主要なる理由を明らかにいたしておきりたいと考えます。
 まず第一に、本法案を提出するについては、政府はその一つとして、明白にして危険なる事態が現に存在するか、二つには、現行法規をもつていたしましては、それを取締まることが絶対に不可能であることを立証する責任があると考えます。
 しかるに本委員会においてはその一の、明確にして危険なる事態が現存するかどうかという点については、政府は幾多の資料を提出いたしまして、暴力的破壊活動の態様、事件数、破壊行為の手段、用具、攻撃目標、闘争の状況等を説明せられたのでありますが、その内容はすべて抽象的であつて、われわれをして納得せしむるに足る具体的なものではなかつたのであります。次いで政治的、組織的軍事行動、武装蜂起等、暴力革命の企図を明らかにいたしました不穏文書の存在する事実をあげられたのでありますが、これがいかなる団体のいかなる組織活動に関するものであるかということについては、いささかも明白にされなかつたのであります。さらにまた、暴力的活動の個々の事例をおあげになりましたが、これまたいかなる団体の行動であるかについて明白にいたしませず、かつ継続的に反復して、将来さらに団体的活動として、暴力的破壊活動を行う明らかなおそれのあることを認むべき根拠については、遺憾ながら明確にされたと認めることができません。その他政府委員は、この危険の事態の現存について極力弁解にお努めになりました。しかしその説明によれば、何々と伝えられるとか、何々が結成されたと思われるとか、何々と疑われるというふうに、もつぱら主観的推断をされまして、かつ、こうした暴力的破壊活動は共産党の活動と見るかとの問いに対しまして、極力調査研究中であるが、まだ結論に達していない旨をお答えになりました。すなわち、本法案の目標たる暴力的破壊活動というものは、一体いかなるものであるかという点についてさえも、これを明白にされなかつたのであります。
 次いで二の、現行法及び現在の機構で、これを取締まることが不可能であると思われないという点であります。すなわち、現に本法案において最も問題となつております内乱や騒擾の扇動について、ごらんいただきましても、今回惹起されましたメーデーの騒擾事件において、宮城前広場に集まれ、とこういう扇動が行われたことが伝えられております。しこうしてその扇動を明文化しておかなければ、検挙に困難であるかのごとき態度を、政府は示されておるのであります。しかしいかがでありましよう。神宮外苑において、宮城前広場に集まれ、といつて扇動いたしました者を、ことごとく現在の法規によつて検挙されておるではありませんか。ことさらに本法案の扇動罪のごときものを規定いたしませずとも、明確にこれを取締ることができることを身をもつて実践されておる。しこうして、おそらくそれは扇動者としてお取締りになつておるのじやないでしよう。むしろそれが正犯とし首謀者として、検挙されておるに相違ないと見る。後日これが扇動罪であつたといつて、本法案が成立しておらなかつたから不便であつたとは、おそらくおつしやらないことを、私はここに明言をいたしておきます。あるいは、本法律案は団体行動に対する行政規制が重点であつて、現行法制ではその目的を達することができないからであるとおつしやるかもわかりません。しかりといたしまするならば、行政的規制のみを切り離しまして、しこうしてその取締ろうとする目標を具体的に明示いたしまして、より効果的にして、しかも濫用のおそれのない案の立て方があると私は考えるのみならず、本法案では、刑法補整規定というものにまた重点を置かれて立案されたものであるということも、争うことのできない事実であります。政府といたしましては、これを除外いたしまして提案する考えのなかつたことも、おのずから明白でありますので、かような法律案を根本より建て直しをせられません限り、私どもの意見との間には大幅な食い違いがありまして、とうてい賛同することができないのであります。
 第二に、本案は、一部少数の団体の暴力主義的破壊活動を取締ろうとするために、一般的な言論の自由や正常なる組合活動を抑圧する結果となるおそれが多分にありますので、賛成いたしがたいのであります。政府は、本法律案の第三条において、暴力主義的破壊活動の定義を明らかにし、かつその内容を限定いたしておるから、何の危惧もないと弁解これ努めておられます。しかし、本委員会における各委員と政府との間にかわされた具体的諸問題についてお考えをいただきましても、いわゆる暴力主義的破壊活動と正常なる言論活動、適法なる組合運動との間において、しかく簡単に区別のできるものでないデリケートな問題が、日常たくさんに起つて来るということを、当委員会において実証されておるのでありますが、政府与党とせられましても、この事実を否定することはできないと私は考えます。本法案第二条においては「思想、信教、集会、結社、表現及び学問の自由並びに勤労者の団結し、及び団体行動をする権利その他日本国憲法の保障する国民の自由と権利を、不当に制限するようなことがあつてはならない。」、「この法律による規制及び規制のための調査については、いやしくもこれを濫用し、労働組合その他の団体の正当な活動を制限し、又はこれに介入するようなことがあつてはならない。」とございます。人権を尊重しなければならないということを明記いたしておりますが、しかしこの文句の反面には、正当な制限ならできるということを意味しておられます。それなら、正当なる制限とは一体何かと申しまするならば、政府委員は答弁して申されおる。結局、憲法十三条に規定する公共の福祉に反する場合は、個人の自由や幸福追求の権利を制限することができる、という趣旨に帰着すると申しておられるのであります。ところが公共の福祉というのは、一体それなら何でありましようか。時と所と立場を異にいたしまして、これはいかようにも解釈される問題であります。この点は委員会でも申し上げたのでありますが、当時、大臣もお見えになつておらなかつたし、他の委員の方々もお見えになつていられなかつた方が多かつたのでありますが、私がさらにこれを強調しておきたいのは、独占資本主義時代における反動独善政府下の政治では、一般勤労大衆の自由と幸福を犠牲にいたしまして、金融資本や独占資本擁護の立法や、その他の国政が強硬に遂行されるのは当然のことであります。これが公共の福祉でございましよう。こういう政治下においては、大衆は住むに家なく、せめてひざを曲げるに足るところのすみかをほしいと思つても、容易にその幸福を与えられません。ところが他面、鉄筋コンクリートの大ビルディングは至るところにそびえ立つております。政府や物持から見れば、それが公共の福祉でありましよう。一般大衆が住むに家なく路頭に迷つておることが、それを犠牲にすることによつて大ビルディングがどんどんわれ建つことが、それらの階級から見れば、それが公共の福祉でありましよう。かつて池田大蔵大臣は、白い御飯は金持が食うのだ、貧乏人が麦飯を食つているのはあたりまえだとおつしやる。しこうして時の政治勢力は、米の統制撤廃を断行いたしまして、金持は白い御飯食いほうだいというようにしようとなさいました。しかし、これは反対にあつて立枯れになつた。これは大蔵大臣や金持階級の側からごらんになれば社会福祉かもわかりませんが、勤労大衆の世界ではたいへんな不幸でありましよう。今、英国で労働党が政局を担当いたしておりましたときのことを顧みますると、目の悪い者にはめがね、歯の悪い者には入歯、これを全額国庫負担でやるべきものであるというぐあいに、国民大衆の生活安定のための社会保障制度を中心といたしまする国政が運用せられて来ました。ここでは、それが公共の福祉に相違ないでありましよう。かように公共の福祉とおつしやいましても、時と所と立場を異にすることによつて、必ずしも一定いたしておるものではございません。だからその解釈いかんによりましては、われわれの正当なり信ずる公共の福祉、幸福追求の権利も、みな、他面、われわれと反する立場におりまする人々の、公共の福祉に反するという事由によつて蹂躙されないと、だれが保証いたしましよう。今日、日本の独占資本主義のもと、反動政治によつて、ひとりよがりの公共福祉の観念に基いて、憲法の保障する基本的人権が規制せられるということになれば、一般国民大衆は、何によつて個人の自由と幸福の権利を確保することができましようか。かような次第でありますから、この法案の解釈、運営いかんによりましては、一部少数の団体の暴力主義的破壊活動を取締ろうとするこの法律案が、一般的言論の自由や、正常なる組合活動を規制する結果となるおそれのありますことは、きわめて当然でありまして、われわれは容易にこれに賛成いたしがたいのであります。
 次いで第三に、治安維持法的弾圧立法への足がかりとなりはせぬかと言うのであります。この法案自体がただちに治安維持法的存在であると言うのではありません。治安維持法的弾圧立法への、また逆もどりの足場になりはしないかと言うのであります。政府は、断じてその憂いはないとおつしやいました。ことに今回の法案では、民主的に運営する方法を講じているから、そのような憂いはないと御説明になりました。しかしまず第一に、歴史的の教訓はいかがでありましよう。周知の通り、治安維持法の前身は大正十四年に制定されました。国体の変革または私有財産制度の否認を目的といたします結社組織を禁止する法律でありました。これでは、共産主義や無政府主義団体の結成を禁止する点に、重点が置かれておつたのであります。そうして刑罰も、最高が十年の懲役または禁錮となつておりました。ところがその後、昭和三年及び十六年と二回にわたつて改正されまして、刑罰の対象たる行為も極端に拡大されまして、今回の法案で心配されておりまするところの扇動、さらにまた宣伝までも罰するの規定を設け、刑罰も新たに死刑と無期懲役が加えられたのであります。そうして治安維持法違反事件の控訴審は二審制度となり、弁護人も制限され、予防拘禁制度も設けられたのであります。次いで、今次破防法案の立案状態を考えてみまするのに、この治安維持法への復活が意図された跡が歴然たるものがあります。一般の反対にあつて書き直すこと実に二十有数回、名称も国家公安保障法、次いで団体等規正法、次いで特別保安法、次いで今回の破壊活動防止法と、四回にわたつてかわつて参つております。今その内容を見るに、当初の構想では、憲法の保障する言論、集会、結社、居住の自由等、基本的人権を不当に侵害し、三権分立における行政権の優位と裁判における採証制限をするばかりでなく、罪刑法定主義を破壊し、封建的連座制にまで及ぶ、きわめて峻厳なものであつたことは否定することができません。しかしてその構想を練つた同じ政府によつて提出され、しかも同じ政党によつて擁護されて、ここに成立を見ようといたしております。破防法はその第一段階であります。情勢いかんでは、改悪の第二段階に進まないとだれが保障いたしましよう。すでに政府内部におきましても、ある有力な方は、このような法律はいかなる譲歩をしても成立せしめんければならぬと言つている。一旦橋頭堡をぶつ立てることができたならば、その次の改正は楽だと言われておる。まことにさもあるべきことでありましよう。堂々とこれが報道機関によつて報道される。活字となつて世間にそれが伝わつておる。過般のメーデー事件までは与党も「せん動」という文字は削つてもよいと伝えられておつたが、しかるに一たびああいう事件が起りますと、たちまちにして硬化し、「せん動」も無修正でここに押し通そうとなさつておる。一たび何かしらんちよつぴりした事件が起ると、との法案をただちにまた修正へ持つて行こうとするところの空気が、この法案の審議中にも動いておるではありませんか。もしこの法案が成立いたしましたならば、将来第二の宮城前の騒擾事件のごときものが起ると、たちまちにしてさらに法律改正が行われ、だんだんやつて行くうちに、元の治安維持法という弾圧立法に復帰しないと、だれが公言することができましよう。かように一般的人権制圧の危惧ある本法案は、この際その成立を阻止することが最も賢明であると私は思うのであります。少くとも取締ろうといたします目標を明らかにし、堂々と何々対策という目標を明らかにいたしまして、案の練り直しと、先ほど私が申し上げまするごとく、地下日共なら地下日共を取締る必要があるとするならば、ただちに効果的にこれを取締り得るだけの威力を発揮し得られるところの、有効適切なる法案に練り直して出直られる方が賢明であると、私は思うのであります。よつて本修正案並びに原案全体に反対いたします。(拍手)
○佐瀬委員長 以上をもつて、討論は終局いたしました。
 これより採決に入ります。
 まず破壊活動防止法案を採決に付しますが、本案に対する両修正案には共通事項がありますので、先にこの共通事項、すなわち『附則第一項中「日本国との平和条約の最初の効力発生の日」を「公布の日」に改める。』という部分について採決をいたします。この共通事項についてその修正の通り決するに賛成の諸君の起立を求めます。
    〔賛成者起立〕
○佐瀬委員長 起立多数。よつて両修正案中、共通事項は可決されました。
 次に共通事項を除いた、改進党を代表しての中村又一君提出の修正案を採決いたします。これに賛成の諸君の起立を求めます。
    〔賛成者起立〕
○佐瀬委員長 起立少数。よつて共通事項を除いた中村又一君提出の修正案は否決されました。
 次に共通事項を除いた自由党を代表しての田嶋好文君提出の修正案を採決いたします。これに賛成の諸君の起立を求めます。
    〔賛成者起立〕
○佐瀬委員長 起立多数。よつて共通事項を除いた田嶋好文君提出の修正案は可決されました。
 次にただいま議決されました修正部分を除いた原案に賛成の諸君の起立を求めます。
    〔賛成者起立〕
○佐瀬委員長 起立多数。よつて修正部分を除いては原案の通り決しました。
 これにて破壊活動防止法案は修正議決されました。
 次に、公安調査庁設置法案、及び公安審査委員会設置法案を一括採決に付しますが、まず本改正案に対するそれぞれの修正案を一括採決いたします。この修正案に賛成の諸君の起立を求めます。
    〔賛成者起立〕
○佐瀬委員長 起立多数。よつて右各修正案は可決されました。
 次にただいま議決されました修正部分を除いた各原案に賛成の諸君の起立を求めます。
    〔賛成者起立〕
○佐瀬委員長 起立多数。よつて修正部分を除いては、各原案通り決しました。
 これにて公安調査庁、設置法案、及び公安審査委員会設置法案は修正議決されました。(拍手)
 ただいま議決されました三案の委員会報告書の作成については、委員長に御一任願いたいと思いますが、御異議ございませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○佐瀬委員長 御異議なしと認めます。よつてさように決定いたしました。
 本日はこれをもつて散会いたします。
    午後二時二十七分散会
     ――――◇―――――