第024回国会 文教委員会 第49号
昭和三十一年九月二十七日(木曜日)
    午前十時四十九分開議
 出席委員
   委員長 佐藤觀次郎君
   理事 高村 坂彦君 理事 坂田 道太君
   理事 米田 吉盛君 理事 辻原 弘市君
      加藤 精三君    櫻井 奎夫君
      下平 正一君    田中 久雄君
      並木 芳雄君    古川 丈吉君
      町村 金五君    山口 好一君
      小牧 次生君    高津 正道君
      平田 ヒデ君    山本 幸一君
      小林 信一君
 出席国務大臣
        文 部 大 臣 清瀬 一郎君
 委員外の出席者
        総理府事務官
        (自治庁税務部
        市町村税課長) 鎌田 要人君
        文部事務官
        (大臣官房総務
        参事官)    齋藤  正君
        文部事務官
        (初等中等教育
        局長)     緒方 信一君
        文部事務官
        (初等中等教育
        局教科書課長) 安達 健二君
        文部事務官
        (社会教育局
        長)      内藤譽三郎君
        文部事務官
        (調査局長)  福田  繁君
        専  門  員 石井つとむ君
    ―――――――――――――
七月二十三日
 委員大西正道君辞任につき、その補欠として木
 下哲君が議長の指名で委員に選任された。
同月二十七日
 委員加藤精三君辞任につき、その補欠として森
 清君が議長の指名で委員に選任された。
同日
 委員森清君辞任につき、その補欠として加藤精
 三君が議長の指名で委員に選任された。
八月一日
 委員平田ヒデ君辞任につき、その補欠として井
 谷正吉君が議長の指名で委員に選任された。
九月十九日
 委員井谷正吉君辞任につき、その補欠として平
 田ヒデ君が議長の指名で委員に選任された。
同月二十七日
 委員塚原俊郎君、木下哲君及び野原覺君辞任に
 つき、その補欠として古川丈吉君、櫻井奎夫君
 及び下平正一君が議長の指名で委員に選任され
 た。
同日
 委員櫻井奎夫君及び下平正一君辞任につき、そ
 の補欠として木下哲君及び野原覺君が議長の指
 名で委員に選任された。
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 文化財に関する件
 宗教に関する件
 教科書問題に関する件
 教育委員会制度に関する件
    ―――――――――――――
○佐藤委員長 これより会議を開きます。
 本日は文教行政に関して質疑を行います。質疑の通告がありますので、順次これを許します。高津正道君。
○高津委員 文部大臣にお尋ねをいたしますが、この間文化勲章について農林大臣やあるいは郵政大臣からは閣議でどんどん押しまくられておるような傾向が見えるし、あるいはまた京都の観光税の社寺側のストが三カ月も続いておるのでありますが、この問題について所管大臣である文部大臣は自治庁のなすがままにまかせて、今やまた農林大臣が飛び出してきて、社寺側二人それから京都市役所側二人、第三者に河野農林大臣の無二の親友である大映社長まで引っぱり出して、そうして調停に乗り出すというように、文部大臣は何がお忙しいのであるか知らないか、こういう自分のほんとうの職務である方面をどことなく軽視して、何かりかれたもののように、一方に日教組征伐というようなことだけが頭にあって、所管行政が非常におろそかになっておるように考えますので、まず観光税の問題からお尋ねをしたいと思います。私たちは、京都の観光客というものの中には修学旅行の学生生徒が非常に少いことを知っておるのであります。修学旅行生というものは観光都市の社寺文化財拝観者の七割を占める、こう社寺側は申しております。たとい五割であっても大きい数字であります。京都市で今問題になっている観光税をこれらの修学旅行生に課することは、教出の延長である修学旅行から徴税をするということになります。およそ国家でも地方自治体でも、学校教育、教室の延長である修学旅行、その意味の教育に対しては保護と便宜を与えるべきであって、この観光税というものは教官の立場から見て非常な悪税であると考えられるのでありますが、文部大臣はいかようにお考えでしょうか、御所見を承わりたいと思います。
○清瀬国務大臣 観光税は従前存在しなかったものでございます。京都市の特別の事情によってかようなるものが発案されたと思っております。すべての租税あるいは手数料は、軽減あるいは必要がなすればなきにしくはないのでありまして、これだけが特に悪税というわけには参りませんけれども、文化施設を観覧することについて重税を取ることは好ましくないと私は思っております。
○高津委員 教育の、教室の延長である修学旅行、それに対して税を取るのは特別の悪税だと思うのですが、特別の悪税だとあなたはお思いになりませんか。
○清瀬国務大臣 特別の悪税というあなたのお言葉の含蓄はどうでありましょうか、私はものことは総体に見なければなりませんので、望ましい税法でないとは思っておりますけれども、特別のという形容詞をつけて言わなければならぬほどのこともなかろうか、弊害を除く道も多々あろうと思います。
○高津委員 今の教育にとって修学旅行というものは非常に大事なことであり、教室の延長である、そこから税を取るというものは教育活動の効果をはばむものである、しからばこれは特別の悪税であると、文部大臣の方からは強く主張すべきものではないか、特別というのはそういう意味ですが、そういう私の説明つきの特別の悪税ということは認めないですか。
○清瀬国務大臣 今のあなたの御説明で、やや了解いたしました。特別の悪税というのは、教育に関係があるから強く主張すべきだ、こういう意味ならば、私も同様に感じております。
○高津委員 それではもう少し角度を変えてお尋ねいたしますが、宗教の中には、医者ではだめだがこの宗教でなおしてやるんだというようなものもあますけれども、普通には超現世的な顔をするので、そこに魅力があり、そこに神聖なと思わせるところがあるのだ、こういうように私は考えるのであります。そういう、宗教法で土地が無税になっている場所で、そういう地域で、一々参観者から税金を取り立てる、芝居や映画の入場税を取るように京都市発行の観賞券という、むろん観光税を取るための切符でありますが、それを買わせて、半分は社寺側が取り、残りの半分を当人に持たせてそこへ入る。ときどき市役所から検査にも来る。この京都市の条例によりますと、社寺側を収義務者にするのであります。これはバイブルを引用するまでもなく、社寺の神主あるいは僧侶が、あのバイブルでやかましくいわれているみつぎ取りになるわけであります。京都のそういう神官や僧侶の非常に誇りを傷つけ権威を台なしにするものでありまして、私はこの観光税はひどく宗教を冒涜するものであって、社寺側で反対するのももっともだと思うのであります。そうして日本の全部の宗教の入っている日本宗教連盟も、こういうような見地から反対をしておるのであります。あなたはそれに対してはどういうお考えでありますか。宗教を冒涜するものである、宗教家の権威を台なしにするものである、宗教家たちをみつぎ取りにするものであると思うが、それでも宗教の権威なんというものはちっとも傷つくものではない、こういうお考えでありましようか、この点をお伺いします。
○清瀬国務大臣 あなたの今のお話の中に、観光税は宗教、ことに信仰に牽連を持っているかのごとき前提でお話でございました。私はそうは見ておらないのです。ただしかし、京都における神社仏閣はおおむね歴史のあるもので、また時代を経ているものであって、一方においては歴史研究の参考となり、一方においては美術の観賞となり、その方面から観光税といっているので、社寺、ことに寺院の主体たる宗教の信仰に関し課税するものでは決してないのです。そんなことをすれば憲法違反です。信仰問題とは全く別で、たまたましかし、京都、奈良のごとき古都における建造物あるいは彫刻、絵画のごときは、一方において歴史を教え、一方において美術の観賞心を養成するといったようなことで、学校の修学旅行もさせておるのです。日本の学校じゃ宗教心の説法はしないことになっております。これと信仰の自由とを一緒に合せてお論じになると話が大へん違ってくる、かように思います。
○高津委員 文部大臣の答えを聞いてみると、京都の観光税は信仰には関連がないので、だから信仰に対する課税ではない、宗教に対する圧迫ではない、こういう御答弁でありますが、それではその点についての私の質問を進めますが、観光税は信者への課税です。また参観して宗教心を深めてこれから信者となろうとする者もずいぶんあろうが、そういう人に対する課税でもあります。また京都の文化財の多くは仏像であるし、それから中には本尊であるし、そうしてまたその本尊をまつってある本堂である場合もあります。実質的にはそれらに対する課税、それらに近寄る者に五円とか十円とか税金をかけることは、それらに制限を加えることになるということは間違いのないことでしょう。幾らあなたでも否定はできないと思うのです。これは礼拝や信教の自由ということに対する経済的制限だと言えないものでしょうか。私は経済的制限だと思います。こう見ると京都の観光税は憲法違反のきらいもなくはあるまいか、文相のこの点に対するお考えを聞きたいと思います。
○清瀬国務大臣 それは私は非常に割り切っておるのです。信仰に対する対価とかあるいはこれに関連した拠出とはちっとも思っておりません。ただ同じ仏像であっても、これを美術品として見る場合が観光税、阿彌陀さんを拝むのに税金を取る、そんなことは考えておりません。
○高津委員 私の言うことを理解されないのか、ことに避けて通られるのか、本尊であり、そうでない場合も仏像であり、それらを保存するためにはある程度の観覧料のようなものは十円とか二十円とか取っておる。二条城のごときは、寺が経営しているわけでもお宮が経営しているわけでもないが、一カ所で六十五円も取っておる。そんなのに比べるとうんと安く取っておると思うのでありますが、それに対して一カ所歩けば十円ずつ一般の観覧者からはみんな取ってしまう。それから中学生などからは五円ずつ取る。四カ所も観覧すれば二十円取る。こういうようにあなたの言う美術を鑑賞する、そして歴史を味わう、愛国心も起るのでしようが、信仰の客体のようなものである仏像だとか本尊とかいうものから税金を取って近寄りがたくする、そういうことはあなた認めないのですか。そこからまず確かめておきたい。
○清瀬国務大臣 信仰の対象として仏像を礼拝することには税金を取るべきものじゃない。ただしかしながら、わが国の仏像のうちには古代の名匠が作成したものがあって美術的の観賞ということはあり得るのです。現に文化財として指定せられ、あるいは外国、ことにヤソ教国へ持っていってこれを見せるという計画もある。観覧ということと礼拝ということはこれはもうはっきり分かれております。
○高津委員 観覧と礼拝とは違う、観覧には取るのだと言われるが、その区別はどこでつけるのですか。観覧して、近寄って、そうして信仰に入っていくかもしれぬ、宗教家の方からいけばそういうチャンスを与えて、だんだん宗教に近寄せようと思っておるので、観覧することは宗教に入る入口にもなる場合が非常に多いのじゃないですか。そうすると観覧者から税金を取るといえば、宗教に足も踏まない者がその地域に足を入れてくる。柔和な姿の仏像を拝む、宗教の方にだんだん接近していこうとする。それから税金を取るというのでは宗教の活動を制限することにならぬですか。観覧と礼拝はどうして区別するのですか。だれか見張ってそれを区別して一々より分けるのですか。その点を聞きたい。
○清瀬国務大臣 観覧は美術の対象として見る場合が観覧です。礼拝は信仰の対象として見る場合が礼拝であります。
○高津委員 それは言葉の説明で、頭の中で分けるだけだが、実際にはいろいろあろうと思う。百。パーセントの信仰もあろうし、信仰が毛頭なくてもあなたの観賞一本のやりというものもあるので、その間には無限のバラエティがある。これが現実ですよ。どこに線を引くか、人相で区別するのですか。見に来る者の年令で区別するのですか。あるいはその人間の家庭における宗教的な態度、宗教生活があるかないかなどで区別するのですか。みんなそれから取るのですよ。それから信者で特別の者があればそれを例外にするということを京都の条令の中に書いておりますけれども、しかしどうして区別をするか、その区別を文部大臣から聞かないとどうも私にはわからぬのですが、ての区別をまず承わりたい。
○清瀬国務大臣 庭園とか建築といったような場合にはこれは必要あるまいと思います。あなたのおっしゃることはおもに仏像であろうと思います。美術の対象としてこれを見ようという場合は観覧であって、信仰の対象として自分の宗教心を満足せしめようというのが礼拝でございます。礼拝の方には税金を課すべきものじゃないと思います。
○高津委員 あなたのお答えと私の質問とがどうも平行線をたどって、私の言うところをそらしておられるようでありますが、京都の三十三間堂に一千一体のみ仏がある。それは庭園でも何でもありませんよ。しかしどんどん入って近寄って礼拝するとほこりも立つことであろうし、維持するためにはあまり押しかけるので、僧侶の側から見れば九割九分まで信仰者であり、あるいは信仰にだんだん近寄る可能性のある人々であろうけれども、そうどんどん押しかけられては困るので、そこをいわゆる参観料とか若干ほんの少額取っておる。庭園じゃないのです。三十三間堂は……。庭園ももちろんあります。金閣寺、銀閣寺いろいろありますけれども、二十数カ所みんな税金を取ることにしておるのでありましてあなたは庭園で逃げられるが、三十三間堂のたくさんある仏の数に不足はないでしよう。礼拝と観賞とどう区別をつけますか。
○清瀬国務大臣 礼拝をする場合は、信仰心の対象としてやるのであって、これには税金をとるべきものではないのであります。ただしかしながらそれ一方いにしえの名匠の作ったものでのり、また世間で喧伝さるる美術品として見るのは観覧であります。一々の場合について種々適用の困難なことはあなたのおっしゃる通りでありましようけれども、これはどの法律でもその煙りであります。これは御了解を願いたいと思います。
○高津委員 ここばかり押し問答してもしようがありませんが、私は文部大臣及び文部省の所管事項として大いに発言してよい、こういう事件が起きた場合には、あなたが自治庁長官に対し大いに発言をしてもらいたいのであります。今まで何らかの手を打たれたでありましようか。たとえば余剰農産物の問題があってわれわれから見ておると一萬田蔵相やあるいは高碕長官が余剰農産物はこれ以上はアメリカから受けまいと言い、農民を保護すべき立場にある農林大臣が余剰農産物を受けようというようなことを言う。あるいは社寺をある程度特別に同情を持って公平の中にも同情を持ってかわいがるというか、そういう気持で自分の所管を、セクショナリズムは困るけれども、愛するという点が所管大臣になかったらしようがないですよ。全国の五十数万の教員に対して敵意を持つといえばそれは大へんなことであるし、これに対して愛を持っていかなければしようがないです。京都の宗教は主として日本固有の仏教でありますが、町の新興宗教からは足場をさらわれ、くずされ、外国の膨大な資本力を持つ宗教からは日本国内への新式のたくましい伝道――前門にトラを受けるといいますか、気の毒な立場にあるので、文部大臣がこういう問題について、ほとんど自治庁のなすがまま、京都市という自治体のなすがままでなく、もっと私は発言をして仲裁役を買って出るとかしなければ、あまりにもこの問題に対して文部大臣は冷淡であると考えるのであります。自分の所管の問題について理解も足りないし、冷淡であると思うのであります。私はこの問題に対して今までどれだけの手を文部大臣はおとりになったか、調査局長もあるいは宗教課長も――ここがまた変なことをやって、エマニュエル教会から、猪俣法三というのはあまりに立正交成会のことについて乱暴なことをやるから、あれを除名せよというようなことを宗教課の者が言うなどという、そういう要らないところへだけ力を入れて、大事なこういう問題に対してはまったく何のために大臣のいすにすわっておられるのか、宗教の方では、困っておる宗教、同情さるべき側の宗教の人々は非常に頼りないだろうと思う。この事件始まって以来憂うべき現象であろうと思うが、この問題に対して文部大臣の打たれた手といいますか、どのような処置を今日までとってこられたか、それを逐一承わりたいと思います。
○清瀬国務大臣 政治家の発言は大きな声で言うのが強く発言したということでもありません。それからまたたびたびしつこく言うことが任務を尽したということでもない。私はこの観光税の問題については、やはり物事は全体的に考えなければなりませんので、今日日本における大きな問題の一つは地方財政のことであります。この方面からも私の所管には関係があるのであります。一方また今申すわが国の古美術、これを保存することも私の所管に関係いたしております。そこでいろいろ研究いたしました結果、頭で京都の財政いかんにかかわらずこれを拒否すべしという結論には到達いたしておりません。全国どこでもありますが、地方団体のこの財政の状態を幾らかでも助けるならば、弊害のない範囲において考えてやらねばならない、わが国の学校を設備することは多くは地方団体の任務であります。ゆえに地方財源がやはりゆたかになるようには考えなければならぬ。一方また美術品も保存しなければならぬ、また学校教育の中でやる歴史の教育とか、美術の観賞という点についてはこれも関係いたします。これら三つの方面から千思万考いたしまして、自治庁に対しこの観光税はやむを得ずしてとるとするも、なるべくは隠して、その財源はいわゆる目的税として観光施設または美術品の保存に役立つ方面に使ってもらいたい。これを私は一つ考えたい。
 それからまたこの観光ということが学校に関して一つの教材の役をなすような場合は、どうかこれは無税または無税に近い軽い税にするがよかろう、この二つを考えまして大きな声でがんがんは言いませなんだけれども、口頭でも私直接に大臣同士のレベルでもそれを言い、また事務当局のレベルでもそれを申し込んで、ほとんど私の言う通りのことを自治庁は京都市に命じております。これで私は任務は尽し得たと思っておるのでございます。
○高津委員 私は大臣も日教組と取り組んで非常に御多忙だと思うのに、この問題について千思万考したとなかなか大きな形容詞ですが、そんなにエネルギーも時間もこれに費しておるとはわれわれには受け取れないので、大きな声をして言うのが言ったということには限らぬぞ。たびたび発言するのが発言したとは思わぬぞ。声は低いが、トップ・レベルでも会談があり、局長レベルでもやった、こういう弁明でありますが、弊害のない範囲でそれはやるべし。教育の点では無税が望ましいが、軽い方がよい、こういう申し入れを小さい声で、そう数回ではなく、トップ・レベルでも中級レベルでも伝えてある、こういうお答えでありますが、地方財政の窮乏はその責任はいろいろあるので、地方自治体のやり方が悪い場合もあるが、しかしまた中央からどんどんいろいろな事務量の多くなるような仕事、法律などをこしらえて命じたり、その上いろいろな予算の関係で自治体に対する補助金のようなものを少くする。困るのが当然であって、その困った結果が文化に関し、宗教に関する方に被害が及ぼうとする場合に、地方財政の赤字には文部大臣は同情を持たねばならぬ。二者択一の場合は文化の点に重点を置いてあなたが大いに主張されて、自治庁の方はまた自治庁の立場から主張して、それで歩み寄るのならばいいけれども、文部大臣の方が初めから投げてかかるような軽い小さい声で、そうたびたびでもなく、ちょっと言う程度では、それは文化も宗教も教育も守られない、そういうように私は考えるのであります。敵害のない範囲というが、私はさきに弊害を指摘したのであります。たとえば今修学旅行をするのに経費がいかにたくさんかかるか。四つ五円ずつ取られれば二十円でありますが、父兄の立場から見れば、二十円の負担も非常に大きいのであります。父兄の立場に立つ場合には、修学旅行という教室の延長に対して、またそこで金を取られる。これは京都がやれば奈良もその例にならおうと思い、栃木県の日光もこれにならおうとしておるのでありまして、今京都に現われたのは、それこそ氷山の一角で、全国の生徒、学生が行く場合に、ずいぶん大きな負担が父兄にこれだけ余分にかかるのでありますが、京都財政の赤字を埋めるためには、財政が困るというならば文部大臣においてはちょっと注意をしていただけば御異議ございませんというようなのでは困るのであります。宗教の権威を冒涜することにはならぬか、宗教家の権威を冒涜することにはならぬか、それは弊害にならぬか、こういうのです。
 それからだれが税を取るかといえば社寺の責任者、僧侶や神官が取るのですから、それが徴税人になるわけでありますから、それは宗教に何らの弊害なし、宗教を冒涜せずと言われるのですか。弊害のない範囲内でと言われるが、これらは大きな弊害じゃないですか。私は今とりあえず二つ言いました。父兄の負担を重からしめる点をどうお考えになりますか、宗教家の権威を傷つけることになるであろうということに対して、何ら傷つけることなし、こう言われるか。こういう弊害はうんとありますよ。二つとりあえず指摘してお尋ねをいたします。
○清瀬国務大臣 父兄の負担は軽いのがいいのであります。それゆえに美術品に対する研究的態度による観光には、無税またはなるべく軽減すべきものであるという私の主張は、自治庁もこれをいれ、だんだん承われば審議の際、市会においてもこれを尊重しているようでございます。しかし軽いのがいいといえば、軽いほどいいのでありますから、今の程度でいいとは私は思っておりませんけれども、その意味は尊重されていると思います。今申す通り、第二の問題でありますが、観光税は宗教的信仰の対象として課税するのではありませんので、建築あるいは庭園、あるいは仏像、これを美術の対象として保管者が観覧せしめるために取るのであります。それゆえに宗教活動には関係ございません。美術品の保管者が現に物を見せるということについて観光料を取っている目上は、その取っている観光料の一部を納付せしめるということは、宗教冒涜ということにはなりません。初めから私は仏に仕えている者じゃ、観光料などは一切取りませんという人に取れと言えば、これはいけませんけれども、現に取っている人であります。私はそういうふうに物を見ているのであります。
○高津委員 文部大臣の申し入れによって自治庁は大分考えたと言われますが、それでは、修学旅行にきた中学生に対する課税はしないことになったのですか。あなたのその小さい声の一、二度の発言でそういう結果が得られましたか、明快なる御答弁を伺いたい。やっぱり五円でしようが……。
○清瀬国務大臣 ここに自治庁の通牒がございます。第一項に、「納税義務者に関する事項中、生徒児童については観光財の観覧は、学校教育の一環としてその教材的役割を果していることにかんがみて、新たなる負担を求めないようにすることが望ましいので、観光施設整備に要する費用とにらみ合せて可及的に負担の過重を来たさないように努めること。」こういうことを申し出ているのであります。末文を見ると、絶対無税でなければならぬとはいっておりません。絶対無税が望ましいが、その考えで可及的に軽減せいということで、京都市側もその指示は尊重しているように聞いております。
○高津委員 自治庁長官からの数カ条の京都市側への申し入れば、私も読んでおりますが、高山義三という市長なるものは弁護士で、理屈ばかり言うので、これは一歩も譲るものではないですよ。自治庁長官がそういう通牒を出しておれば、相手は聞いたものだというのはあまりにも――世の中はもっともっと深刻で複雑なものでありまして高山市長にそれで理屈がなくなるでしょうか。それはもうサギをカラスに言いくるめても反駁して参りますよ、弁護士ですから。京都では観光客の七割までが修学旅行者ですから、それを五円を削ったりなどしたら、まるで予算に大穴があいて、予定の金は取れないですよ。それからあなたのお話を聞いていると、教材的役割を果しているから、中学生などについては云々ということがありましたが、この目的税に対しては、実に四億五千万円で国際文化観光会館と称するものを高山市長が建てるというような、そういう金に使うのであります。そうして古美術、文化財の保存のためにはその予算を見ましても、ほんの少しです。それは高山市長が選挙に打って出て相手を倒して自分が市長に当選するためにりっぱな市民会館を建てる、こういう公約をしたが、中央政府からの配付税もあまりよけいはこないし、公約は実現されないことになる。いよいよ人気が悪くなるのでねらいをつけたのがこのいわゆる観光税でありまして、だから古美術保存のためではなしに、その中の大部分の四億五千万円を市長公約を果すためにそこから引き出すという形になるので、こういう場合に文部大臣ががんばるならば、野党の私といえども、この文部大臣そこだけはいいぞと限定して支持に回るのでありますけれども、あまりにも日教組攻撃や古いところばかり出されて、そうしてこういう自分の所管をかわいがる――自分の畑でしよう、スポーツも美術も宗教も教育も……。人間は偏見にとらわれてやっては困る、要職につく人が……。私は町の宗教とそれからまた外国の宗教の猛烈な攻勢とに対して日本固有の宗教が悩んでいる姿を見ると、しようがないなあ、何をしているんだ、僕らの愛国心は、こう筋金を入れてしつかり応援に回りたいような気がする、そういう感情にとらわれるのであります。文部大臣はなるようにしかならぬので自治庁長官に押され、農林大臣に押され、それじやしようがないじゃないですか、しっかりして下さいよ。
 それでお尋ねをしますが、京都に河野農相が出かけて観光税スト問題のあっせん役を引き受けて、その代表構成は市役所側から高山市長、中根助役、そして社寺側からは京都古文化保存協会の三崎良泉、その理事の竹浪正義、中立側からちょっとさきに触れた大映社長のサラブレットの友だちの永田雅一、そして下村寿一、こういう三者構成であすにもその会議が農林省の建物の一室で行われるようでありますが、あの問題は文部大臣が、三カ月にもわたるのだからどうも黙視できぬと河野農林大臣に頼まれたのですか、どうですか。
○清瀬国務大臣 今高山市長が弁護士だからと、いかにも弁護士は悪いことでもする商売のようにおっしゃります。弁護士のうちにもいいのがやっぱりありますですよ。高山さんは本来出身はあなた方と同様の社会党であられて、今は党籍は失われておりますけれども、社会主義者であるのであります。各方面から見て高山のすることだからみな悪いとばかりは私は見ておらないのですよ。それからこのことの地方税の設定についての拒否は、これは自治庁のことであります。私も新聞で見ましたが、しかしながら行政的に自治庁でやるとかあるいは大蔵省でやるとかということのほかに、世の中には非公式にまたいろいろ調整することもあるのであります。新聞にあるようなことは行政あるいは政府活動の範囲外で、私にさるることであると思います。それが一つの案となって仲裁案でもできれば、それを拒否するときに自治庁が関与する、そのときには私がまた意見を出します。今やっておることは私のことでありますから、事の進行上これについて私関与したとかしないとか申し上げない方がいいかもわからない。
○高津委員 あの三者会談はあなたは御依頼になったのですかどうですかと聞くと、関与しておるとかおらぬとか、今言わぬ方がいい、こういう御答弁であるが、御依頼になったというと非常にいいことだと考えるんですよ。御依頼にならなんだのですか。御依頼にならぬのだと思うのですよ。御依頼にならぬのを、関与したかしないかを言わない方がいいというように思わせふりな御答弁でありますが、関与しなかったのでしょう。
○清瀬国務大臣 お答えは前同様といたすのほかはありません。その仲裁案ができた上で、それに賛成するかしないかという立場に閣僚としても関係省としても私ありますので、私が依頼してやったというなら、頼んだことは処置しなければならないし、依頼しなかったといえばこれは反対の立場になります。このことは私のことですから、本来行政も規則ばかりでいかないで、こういうことで進むこともあるのでありますから、いましばらくは申し上げない方がいいかと思います。
○高津委員 そうすると河野農相から清瀬文相に対してトップ・レベルで、あるいは向うの局長からこっちの文部省の局長へ通知があったでしょうか。こういうことを今やっているよ、君のところへつついているよ、こういう報告があったでしょうかどうでしょうか。
○清瀬国務大臣 局長間の報告はなかったと思います。トップ・レベルのとは、今言う通りしばらくは答えない方がいいと思います。
○高津委員 それが悪い結論を出した場合には、自治庁の太田長官も文部大臣の自分も意見を言う場合があると、こういう御答弁でありますが、談判が成立しなかった場合はどういうことになりますか、その場合の文部大臣のお考えは……。
○清瀬国務大臣 そういうことがありますから、今われわれが相談してやったことであるかないかは言わない方がいい、こういうのであります。
○高津委員 成立するような掩護射撃をやる、そういう発言を大臣がするというりっぱな道が残されてあるのに、その道を選ばないで、発言すればすぐかぜでも引くように、何も発言しない方がいい、何も発言しない方がいいと、非常に政治性の乏しい御答弁のように聞くのでありますが、掩護射撃でそれの成立するような御発言はできないものですかね。会談をやる前には何も言わぬのですか。アドバルーンを上げるなり、いろいろな手を使うのではないですか。いい発言をなさい。あなたに私はチャンスを与えているんですよ。
○清瀬国務大臣 この問題については今お答えいたした程度にいたしたいと思います。
○高津委員 それでは私は文部大臣はこの問題に対して怠慢であると思いますけれども、その言葉も強過ぎますから、もっともっと熱心を持ってそういう方面にも、十年でも文部大臣しているぐらいなつもりで、ずっとみんなまんべんに目を配ってやっていただきたいと思います。
 次に今われわれが非常に反対をした教育委員の任令がいろいろな形で行われておりますが、ほんの例外だという合併に取り残された小さい村がある。その村のそういうような場合には、やむを得なければ三人でもいいというようなそういう例外規定が、いわゆる新しい教育委員会法に織り込まれてあるわけであります。ところがそれが予想外に多かった、こういう実情でありますが、現在判明しておる点では五名を選挙した町村の数は、パーセンテージでいえばどのくらいになっておるでしょうか。市町村の数が四千五百にも足りないのでありますが、その中の町村の三名にきめておるところがどのくらいな数字になっておりますか。何月何日現在で……。
○緒方説明員 教育委員の任命は、原則といたしまして十月一日に行われるわけであります。その以前におきましても、現在任期の残っております委員が全部なくなる、辞任したというような場合には、そのときから切りかえが行われますけれども、現在まで任命の行われましたものはきわめて少数でございます。そうしてその内容につきましても、私どもまだ十分把握をいたしてない現況でございますので、五名の委員ができたところは何カ所あるかということは、ただいま申し上げる資料がまだ文部省としてもございません。御参考に任命をいたしました県、市町村の数だけを申し上げますと、今日まで文部省でわかっておりますものに限定しておることで御了承いただきたいのでありますが、都道府県といたしましては三つでございます。これは東京と高知、それから長野です。それから市町村合計十六、そういう状況です。ただいまお尋ねの三名の委員の市町村は幾らかということは、今申し上げましたようなことでありますから、御了承いただきたいと思います。
○高津委員 合併した大きな町、実際には農業世帯が九割五分を占めるようなそういう市もあり、それから町というものもまた相当大きくなり、農業地帯をうんと含んでおる町ができておるのであります。市は今しばらくおきまして、町や村で三人にきめると予定しておるその数字くらいは、文部省はつかんでいなければならぬと思いますが、三人を選ぶことに今のところ予定をしておるその数字はどのようになっておりますか。
○緒方説明員 新制度はちょうど十月一日の一斉発足でございますが、この二十七、八、九、三十日、この辺が一番任命の議会が開かれまして同意を得るという手続を今とっている最中でございます。そういうことでございまして、全国の市町村のそういう状況は、ただいまのところ全然わかっておりません。都道府県につきましては、これは四十六都道府県でございますので、割合状況はわかるのでありますけれども、市町村の数は相当ございますし、それがどれくらいあるかということは予定でありましてわかりません。
○高津委員 一つの県で町村長会を開いて、そうして本県の場合は町村は三人にしよう、こういうような申し合せをした県があることは、知らぬは亭主ばかりなりというか、新聞を読む人はそれさえ知っておるのであるが、予定のそういう府県がどのくらいあるか。それを自分は知らぬとこういうのですか。少し親切に答えなさいよ。野党でも親切に、親切に。
○緒方説明員 お話の通り、法律の趣旨は三人はあくまでも例外でありまして、原則は五人であります。この趣旨は、私ども法律成立以来地方に対しまして十分指導したつもりであります。全国の町村会におきましても、この趣旨を十分取り入れまして申し合せをいたしております。各府県で町村会が三人を原則とするというふうに申し合せをしたということは、私は十分聞いておりません。大部分の県におきましては私は五人を原則として、むしろそういう申し合せをしておる状況ではないかと考えています。三人はあくまで例外として取り扱いたいものと私は考えております。それ以上は、先ほどお話のようにどれくらい予定しているかという推定は実際つきかねますので、その点は誠意を持ってお答えしているわけであります。
○高津委員 それならば岡山県の町村長会の決定は知らないですか。町村で五人を原則ときめましたか。
○緒方説明員 聞いておりません。
○高津委員 そういうのはあなたの課長はどうです。課長もそういうことを知らないですか。
○緒方説明員 課長が知っておれば、私その一話を聞くと思いますけれども、聞いておりません。おそらく課長も知らないのじゃないかと考えます。
○高津委員 それでは、教育委員の三人の例外が、法案によれば例外でありますけれども、その例外が合併した町村にまで行われておる。これに対して文部大臣が記者会見などにおいて意思表示をしておる事実があるが、文部大臣はそれを気づいてこれを憂うべき傾向として多少でも小さい声で発言をしておられるわけであります。この問題について文部大臣からの御見解を承わりたい。
○清瀬国務大臣 われわれはこの法律か成立いたしましてからいろいろの方法で法律の趣旨を説明することに努力いたしております。その説明の趣旨は五名が原則であるということは強く言っております。しかしながら例外たる事情のある場合には五名でも法律違反ではない、こういうふうに説明しておるわけであります。
○高津委員 任命制の教育委員というものは任命権者である首長の方をいつも見ておる。そうして教え子や父兄の力を見ないうらみがあるということは、だれから見てもそれが常識でありますが、教育というものは一般行政に隷属するかのような状態になるということが、今度の選挙の結果を見て、使いやすいような、あるいは保守的な党派心のある人間がたくさん現われたり、教育はあの法案によってずいぶん右寄りにされ、ずいぶん教育の発言権が、予算であろうが、内容であろうが、縮小されるというか、圧迫をされるというか、みじめな状態に追い込まれておる。われわれはこれを非常に憂えておるのでありますが、文部大臣は総括的にいっていい結果である、いい現象が起りつつある、こういうようにお考えになっておるか、御所見を承りたいと思います。
○清瀬国務大臣 地方教育行政の組織並びに運営に関する法律の施行は十月一日でございます。それゆえに、その以後になりませんというと、現にいかなる結果が生じたかということを推定も認定もいたされないのであります。ただしかし今まで一部施行、すなわち委員の選任だけを、先刻局長が申しました通り二、三の府県でやっております。その成績は私は大体よかったと思っております。むろん言論機関は批判の自由で、いろいろ私どもは批判を受けておりまするが、東京都の委員のごときは大体どの新聞も、あれでよかったのだ、選挙制度でやっておったらああいう人は得られなかっただろうといったような、賛辞じゃありませんけれども、悪口は言っておらぬ、こう思っておるのです。しかしながらよかったか悪かったかはやってみた後のことです。細工は粒々の言葉のことしでありまして、一日以後にまたあらためて申し上げたいと思います。
○高津委員 教育はモルモット的にそういう試験的な考えで、やってみた上でというのはあまりよくないと思いますが、私たちの辻原委員がこの問題は詳しいのでありまして、私たちの辻原委員がこの問題は詳しいのでありまして、私は教育委員の問題については質問をとどめます。
 早稲田大学に、ミシガン大学と早稲田大学との協定によって、二人のアメリカ人の教授が、一人は変名で到着し、一人は来ておるのだか来ておらぬのだかという状態が今現われております。国際協力局というものが二億円というような資金を出して、早稲田からは三十名の教授をミシガン大学に送り、ミシガン大学からも十名ばかりをこちらに迎え、そうしていわゆる生産性向上の諸問題を研究する、こういうことになっておりますが、私はアメリカの国際協力局というものをよく知っておりますし、その意図も知っておりますし、教育の世界へそういうものが入ってくることは後に大いに問題を残す、日本はエジプトにもう少しものを学ばなければならぬ、こう考えておるのであります。アメリカのドルで日本の大学へそういうひもつきの教授を入れるということに学生が反対するのはもっともである、こう考えますが、文部大臣はこの問題についてはどうお考えになっておりますか。
○清瀬国務大臣 私は学生の反対が無理じゃと思います。学問は皆さんが始終おっしやるが、自由でもっと大きな度量でやらなければなりません。現にわが国は各国とともにいわゆるユネスコで教育文化を共通にするための会議にも入っておるのです。現にただいまこの時間においてプリンス・ホテルでは、教授の交換、学生の招聘等の方法ありやという研究をいたしておるのでございます。私も国の方針としても東南アジアの学生は来てもらって教育してあげる方がいいという考えを持っておりますが、アメリカから教えてもらうものだから悪い、悪かったら学ばなかったらいいのです。そんな偏狭なことを言っては世の中は進歩しませんよ。それは非常な偏狭です。われわれはロシヤの遺伝学者もこの間呼んで研究をしました。ミチューリンの説は大へん参考になりました。そのときに同時にアメリカの説も学んだ。学問の世界においてそんな偏狭なことを言ったら進歩はありません。これは学生は間違っております。
○高津委員 しろうとが聞くとまるで名答と聞えるかもしれぬが、私はその御答弁ではとても了承ができない。遺伝学会にソ連の遺伝学者を呼んできたのと、腰を落ちつけて早稲田大学に乗り込んできていろいろなる問題について発言をする、そういう者がアメリカ資本で入り込んでくるということとは事が違いますよ。ちょうど中国の見本市に見本を出品するのと貿易するのとは違うでしよう。海外に移民として入り込むのと海外を旅行するのが違う、そういうように違うのだと聞いたことがありますが、ソ連の遺伝学者はちょっとの旅行であり、これは移民で大学べ乗り込んで来ていろいろ発言することになっておるのであります。日本は小なりといえどもアメリカの競争国でしよう。経済上の競争国である日本をどうして生産性向上に金をどんどんつぎ込んであんなに熱心にやるのか。そこには何らかの理由があるに違いない、こうはお考えになりませんか。あれはどういう底意があるのか、そのくらいは大臣たるものは十分考えてもらわねばならぬと思います。おわかりにならなければ私から申す、そういう伏線でまずこれを聞くのでありますが、どういう意味があるのでしょうか。競争者の日本がどんどん生産性向上をしてアメリカに追いつく、追い越すということになった場合にはどうなるのですか。どうして競争者をどんどん強めようと生産性向上をやるのでしょうか、その意図いかん。文教をあずかる、ことにミシガン・早稲田の協定という問題がひしひしと文部行政にまで迫りきたっておる場合に、文部大臣はそのような点をも十分にらんでおってもらわぬと私は困るのでありますが、どうお考えになりますか。矛盾じゃないですか。日本をオートメーションにまで持っていくようにどんどん育成する、そうしたらアメリカは参ってしまう。それなのになぜどんどん金をつぎ込むのか。その矛盾をどうお考えになりますか。
○清瀬国務大臣 今の発言の前段の点で、短かい間だからロシヤの学者を呼んだのと、早稲田大学が数年を限って学者を呼ぶのと違う、こうおっしゃったのですが、そのことは、悪ければ短かくてもいけない、毒があればちょっとなめてもいけない、これと同じことなんです。
 それから競争ということは、相手を倒すのが競争であるのは戦争だけです。競争しつつ相手を助けるのです。ことに学問の世界においては、発明発見の競争とは言いながら、友だちにも競争の結果を与える、スポーツと同じことです。競争だから日本を倒すのだと考えるのは幼稚な考えであります。学問の世界でますますいいことを発見し発明し、これをヒューマン・レース、人間全部の役に立つようにするのが文化の向上であります。アメリカのゴーディ、ページ両教授がどういうことを研究し教えてくれるかわかりませんけれども、間違っておれば信じなかったらいいのです。大学ともあろうものが間違っておってもページの言うことだからみな聞くというような一部の進歩主義者のようなことを言わぬでもいいです。間違っておったら反撃したらいい。しかしこれが日本で講義しようというのを、それは聞かぬといって耳をふさぐというのは、これは私はとらぬ。さようなのが私の心境であります。率直に申し上げます。
○高津委員 国家が競争をしておっても、知識だから、学問によって得た知識というのはどんな秘密でもそれを相手国に教えるのがいいのだ――教えていないことがずいぶんありますよ。第一あなたの言われることはそこが違う。それから、どうして日本に生産性向上運動を持ち込んで金をどんどんかけるのかというと、アメリカは今や日本の大事な産業へ投資しておりますから、その投資した会社が損をされると自分が損をするので、それで日本の産業を高めて自分の投資が損をしないようにしておるのである、これが経済専門家の見ておる解釈であります。もう一つは、オートメーシヨンにだんだん歩んでいくわけであるが、一たんアメリカの機械を買い入れて日本の古い設備を更新して新しく合理化をやれば、今度はまたそのうちにはアメリカがもっと進むのであるから、そうして、アメリカの部分品のこともあるし、習得した技術もアメリカ規格だから、それをまた入れることになる。ちょうど日本の海上、空中及び陸上の自衛隊がアメリカの一番進んだ分の次のものをはけ口として、アメリカの軍需会社が新たにたくさんの注文がとれるように、要らないものを日本がはけ口としておるように、アメリカ産業における最高のものの次のものの売れ口を日本に求めて、アメリカの独占市場にしようとしておるのだ、これも経済専門家の考え方であります。そうであるならば、会社に技師として入り込む、そういう人々の苗しろである大学にまで乗り込んでいって、そこもアメリカ規格のもの――ちょうど自衛隊がアメリカ式号令でやるように、アメリカ規格、アメリカの商品の名前を覚えさせる、こういうことに手を出してくるのは当然のことであります。労働組合の幹部が、個々の組合員は忙しくてものがわかりにくい、しかし専従の月給をもらっておるから、組合員の目となり耳となって触覚を働かして、そうしてちゃんとこういう意図を労働組合の幹部はつかむ。文部大臣は教育の最高の責任者でありますから、どの大学にどういう虫か食いかけておるか、日本の学問がどういうようになっておるか、アメリカがどういう意図でどんなことを今日本にしかけてきておるか、そういうことを、高い見地から、タカのように、ぐっと下をよくするどい目で見てもらわねばならぬと私は思うのに、まるでのんきな父さんで、学問は競争するほどいい、悪ければ学生が反駁すればいい――いくら少くても毒は毒で、これは大へんなことですよ。ここに毒――アメリカの魔の手を見出さないならば、将来非常に大きな問題になるだろうと私は思います。そのアメリカが日本を援助する理由、生産性向上に対してあんなに本気になる理由、それはアメリカの利益を守るためであり、その副産物として日本が多少の利益をその産業だけが受ける、こういうことが偏見なき経済学者の到達しておる最大公約数の結論である、こう思われるのでありますが、文部大臣は、毒などはない、ない、アメリカさんだ、アメリカさんだと、二人の教授を迎えてむつまじくやれ、こういうお考えらしいが、私の質問をお聞きになって多少その点も考慮しようという御答弁がいただければ私は満足する。そういう考えで質問しておるのであります。
○清瀬国務大臣 あなたのお問いに対する答えはごく簡単です。日本にはアメリカの資本ばかりで経営しておる会社はないのです。しかしながら、資本を共通にしたのはあります、終戦後の外資輸入法で――その数もごくわずかです。そこで早稲田でゴーディ先生の話を聞いた者が、その会社ばかりに行くという前提なら、これは疑いが起るのです。おそらくそういう会社へ行くのはごくわずかでしよう。ここでオートメーションのことをやるかどうか知りませんが、それを研究して日本全体に利用して日本人のためになるようにしていく傾向は、プロバビリティは非常に大きいのです。今の産業で、オートメーションはきらいだ、原子力はおそろしい、そんないなか者みたいなことを言っても通用しませんよ。それは人間の労力を省いて最大の効果を得る、これが文化というものです。文化は自然を克服して、人類に価値を与えるのです。 (「高津君は反動だ」と呼ぶ者あり、笑声)それは非常に反動です。原子力はきらいだ、オートメーションはこわいなんというのでは、国は進みません。文化は新価値を創造することです。オートメーションは非常によい文化です。
○高津委員 もうやめようと思ったが、どうも御答弁を承わって黙っておれぬ。オートメーション一般に対する否定のようにものをとってはいかぬですよ。オートメーションという言葉を規定する前置詞が私にははっきりついておるのです。どういうのかと言えば、アメリカ式の、アメリカの野望のある、そういう古いオートメーション、自分の持っておるものが一番最高で、その次のオートメーション、こういうことを言ったのです。オートメーション一般を否定する、そういうものではないのですよ。
 それからもう一つ、早稲田の研究所から、ちょうどアメリカ資本が何割か入っておる会社に行くとは限らぬ。それはよそへ行けばなおけっこうですよ。卒業した者が、アメリカ規格の、アメリカの教えようと思う、宣伝しようと思う分をどんどん覚えて、それが他の会社に散れば散るほどますますアメリカは喜ぶのです。あなたは簡単にものを考え過ぎますよ。ゴーディやページ、そういう人から聞いた者が散れば散るほどアメリカは喜ぶわけですよ。それが必ずアメリカ資本の入ったところへ行くとは限らぬ。他に散るに違いない。あなたはそういうことを全然考慮しないでものを言っておられるが、アメリカの文化的支配、その中に映画もあれば、宗教もあれば、教育もある。アメリカの日本に対する文化的支配、経済的支配、政治的支配、それらを大臣たる者は十分気をつけていなければならぬ。私は答弁を求めないで、次の質問者に譲りますが、エジプトを文部大臣といえども外務大臣に劣らず十分御研究になるように。武力も持たず、そして主権を回復していくあのエジプト、ナセル大統領あれをもっともっと御研究下さいますように。これで私の質問を終ります。
○佐藤委員長 高村坂彦君。
○高村委員 私は文部大臣に簡単にお尋ねをいたしたいと思いますが、宮城県の石巻市曹洞宗の松岩寺寺院規則認証の問題に関しまして、訴願の容認の裁決を得た事件がございますが、これは問題は具体的な一つの問題でございますけれども、他にもいろいろ影響があると思いますので、具体的な問題を通じましてお尋ねいたしたいと存じます。
 私の聞きましたところによりますと、宗教法人に基きまして、松岩寺は新しい宗教法人となるための認証申請の最終日である昭和二十七年の十月二日に宮城県知事に対して単立寺院としての認証申請を行なっておるのであります。これに対しまして宮城県知事は、認証期限の最終日である昭和二十九年の四月一日に、単立寺院たるべき要件の被包括関係廃止の通知の存在を証するに足る証拠がないという理由でこれを不認証と決定いたしたのであります。これの決定に対しまして、同寺の住職であります松山岩王氏は、同年の同月二十五日に、宮城県知事に対しまして再審査の要求をいたしました。これに対して宮城県知事は、再審査の結果再び不認証の決定をいたしております。そこで松山住職は文部大臣に対しまして訴願の提起をいたしました。文部大臣はその訴願に理由ありと認めて容認の裁決を下しましたが、このために前の宮城県知事の裁決はくつがえされる結果と相なっておるわけであります。
 文部大臣がこの訴願の容認の根拠とされましたおもな事項は、大体次のように承知いたしておるのでございます。すなわちその第一は、松岩寺が曹洞宗本山との被包括関係を廃するに当って、法律上必要としているところの廃止通知は認証申請の要件でない、または少くとも通知を証する証拠は、認証申請における必要なものではない、これが第一。第二は、通知が認証申請の要件であるとしても、次の諸点を総合して判断すると、通知が有効になされていると文部省当局では認定をしていられるらしいのであります。すなわち昭和二十七年の八月十五日付離脱の通知普通郵便を投函したという投函者である松山岩王氏の徒弟某の証言、次は離脱通知に関する証明として松山岩王氏及び法類寺院住職北村魏堂氏外五名の認印のある昭和二十七年八月十五日付の証明文書、昭和二十九年四月一日、四月十四日及び四月二十日付で松山岩王氏から曹洞宗の管長並びに宗務総長にあてたもので被包括関係廃止通知の普通郵便が相手方へ到達したという事実の確認を求めることを内容とした内容証明郵便、松山岩王氏から曹洞宗本山宗務庁へ電話で通知をした事実かあるということについての第三者の証言、曹洞宗事務局下部機構でありますところの石巻地区教区長北村魏堂氏への通知があり、それは本山宗務庁への通知として有効であると認定したこと、その他松山岩王氏の宗務費の不払いその他、対本山関係における事務の停滞等の事実によって、当然松岩寺が被包括関係廃止の意思を持っていたと本山側において確認すべきであったこと等、こういうことを総合判断されまして、文部省当局は有効な通知があったものと認定されたように聞き及んでおるのであります。しかしこれらの点に関しまして、私は若干の疑問を持っておるわけで、ございまして、この点に関し文部大臣の御見解を伺いたいのであります。
 その第一点に関しましては、宗教法人法の第十三条、第二十六条第三項末段及び附則第十四項三号によりまして、宗教法人が被包括関係を廃して単立法人となるためには、通知が法律上の要件であることはもちろんであって、従ってその存在を証明する証拠は、当然に訴願する場合には提出の要があると存じます。もしその証拠の提出がないならば、その訴願を受理した行政庁において当然にその論点になっておるところの通知の到達の事実があったかいなかを十分調査した上で裁決をしなければならないはずであると思うのであります。この場合被包括関係を廃するという通知が到達した確証が、容認される際にあったかどうか、この息についてまずお伺いをいたしたいと思います。第二の点に関しましては、被包括関係廃止通知のはがきについて、徒弟の証言のみによって投函の事実を認定することは、私は妥当でないと思います。かりに徒弟の証言のごとく投函の事実があったといたしましても、それが相手方本山に到達したという証拠がない以上、発信だけによってその効力が発生するものではないと存ずるのでございます。相手方のある意思表示でありますから、やはり到達しなければ効力が発生しないのではないかと思うのであります。曹洞宗本山においてその通知の到達を否定しておることは、この際注目すべきことではないかと思います。
 それから離脱通知のあったことの証明書はほかにもいろいろございますけれども、その証明書の署名者中に松山氏、川原田氏等がございますが、これらの人はこの事件の関係者であり、北村氏初め他の第三者等もございますけれども、どういう理由で発信投函の事実を証明したのか、その辺がどうも明らかでございません。ことにそういう人たちに通知の到達を証明するに足るどうも十分な地位がないように考えられるのであります。ことにこの署名者中の北村氏は法類寺院の住職であり、その他のすべては被包括廃止運動の委員であるという立場にございますから、この点はそういう点も考えてみなければならぬと思います。
 それから、本山あて内容証明郵便は離脱通知、はがきが相手方へ到達の確認を求める松岩寺の要求を内容とする文書にすぎません。曹洞宗宗務長はその要求を拒否しているので、通知の到達を確認すべき証拠とはならないと思う。またこれを附則十六項の規定の通知の追完とかまたは新たな通知として有効と認めることは、これらが認証の最終の期日たる昭和二十九年の四月一日以後になされているので、問題にはならないと思うのであります。さらに電話による離脱通知の存在に関する第三者の証言は、いわゆる伝聞証拠にすぎません。その証拠力ははなはだ疑わしいといわなければならぬと思うのでございます。
 以上いろいろございますが、私は離脱通知の存在、ことに到達の事実を認定することは、以上の理由で困難であると考えておるのでありますが、これに対しまする文部大臣の御所見をまず伺ってみたいと存ずるわけでございます。
 なおこの容認の裁定をされるにつきましては、宗教法人審議会は再審査のときと訴願のときと同一事案に対して異なる答申をしているのではないかと思いますが、これはいかなる理由で再審査のときと訴願の裁定のときと異なる内容の答申をしておりますのか、この点も文部大臣の御所見を伺ってみたいと存じます。まず第一間として以上につきまして伺います。
○清瀬国務大臣 今のお問いのうちでもわかる通り、この件は非常な、まあ複雑な込み入った問題なんです。私の就任前にすでに訴願に対する裁決が与えられまして、それに対して訴訟が起っております。これらのことを答え得る範囲において、担当の局長より答えていただきます。
○福田説明員 ただいまるるお話が、ございましたように、この件は法律問題でございます。非常にこまかい点にわたっておるようでございますが、目下この問題に関しまして訴訟がいろいろ起きております。従って訴訟に影響を与えるような事柄につきましては、現在の段階では申し上げることを差し控えたいと思いますので、その点は御了承をいただきたいと思います。
 ただいまお話のございましたように、宗教法人松岩寺は石巻市にございます。もとは曹洞宗所属の由緒ある寺院でございました。これはさきのお話のように、昭和二十七年にこの宗教法人百法による切りかえをいたします際に、曹洞宗から離脱して単立の宗教法人になるというような考えを起しまして、同法による公告あるいは離脱通知等必要な内部手続を経まして、昭和二十七年の十月に宮城県知事にその認証申請をいたしたのであります。
 その経緯を申し上げますが、宮城県知事はこの申請に対しまして昭和二十九年の四月に、宗教法人法に定めておりますところの被包括関係の廃止の手続、すなわちこれは宗教法人法の附則の第十四項三号の「被包括関係を廃止しようとする旨を通知しなければならない」という離脱通知の問題でございます。その離脱通知がなされていないので、単立宗教法人としては規則を認証できないというので拒否をいたし心た、そういう理由で不認証といたしております。ところで同寺はその後宗教法人法の第十六条に基きまして県知事の処分に対しまして再審査の請求をいたしております。同年十二月でございますが、当時いろいろ調査をいたしたのでございますけれども、当事者は離脱通知を普通郵便で行なったと言っておりますけれども、法規則第十四項第三号に基くいわゆる被包括関係の廃止の手続として適法になされたかどうかということはまだ確認することができないというような事情でございました。従ってそういった理由で不認証の決定を受けたのでございます。松岩寺はこれを不服としまして法の定めるところによって昭和二十九年に文部大臣に対して訴願を提起いたしたのでございます。さっきお述べになりましたように、訴願の提起がございましたので、文部省としましては宗教法人審議会にこれをかける意味で十分慎重に調査をいたしました。また宗教法人審議会でもこの事案につきましては特に慎重に審議をいたしました。ところでこの離脱通知でございますが、いろいろ調べておりますうちに、本件に関係しますところのいろいろな証言あるいはまた曹洞宗の教区長等につきましていろいろ事実を調査いたしました結果、新しい事実も出て参ったのであります。従って事案としましては、宗教法人審議会は、宗教法人法の附則第十四項三号に申しますところの離脱通知は普通郵便で行なっても差しつかえないのは言うまでもないことでございます。しかしながらその所属宗派たる曹洞宗に対して十四項による離脱通知を普通郵便で行なったという事実は、訴願書に貼付された資料によって確認ができるのでございます。また一方曹洞宗側が本件離脱に関していろいろ意思表示をいたしております。そういった点、あるいは離脱の通知があったかないかというような点につきまして、曹洞宗側としていろいろ責任者に聞いてみますと、宗派当局が十分知り得べき状態にあったという事実を確認できるのでございます。それぞれ当事者の交渉の経過等に照らしましてそういった点が確認できますので、宗教法人審議会としては、これは訴願を認めて差しつかえなかろうという結論を出しました。そうして昭和三十年の九月に訴願の容認の手続をとったのでございます。従って先ほど御質問ございました点の宗教法人法の第十四項三号の被包括関係を廃止しようとする旨を通知しなければならないという規定でございますが、この点につきましては、先ほどちょっとお述べになりました点で、文部省が、離脱をする場合に通知をすることが前提要件として必要でないという意味にお述べになったように私は受け取ったのでございますが、そういうことを申しましたことはないのでございます。やはり法の定めるところによりまして通知をしなければならない。その通知が普通郵便であろうと何であろうと、事実上通知する意思がはっきりすればよろしいという解釈になっております。従ってこの松岩寺に関します問題は、宮城県知事は宗教法人審議会の答申に基いて処分をいたしたのでございます。従って昭和三十年の十月に宗教法人として松岩寺の設立登記が行われたのでございます。たまたまこういう経過の途中におきまして、曹洞宗側で昭和二十九年の四月に松山岩王という住職を罷免して、後任として永井という方を主管者に任命しております。従ってそれらの問題に関連しまして、この松岩寺の規則の認証を永井さんの方から宮城県知事あるいは文部大臣を相手取って、それぞれ訴訟が提起されました。この訴訟が現在進行中でございますので、訴訟にいろいろ影響のあることは避けさしていただきたいと考えます。
○高村委員 いろいろお話を承わりましたが、先ほど申し上げましたように、通知がほんとうに到達しているかどうかということについて関係者はやっぱり納得しておらぬのです。そこで審議会の方ではいろいろなことで通知があったものと認定をされてそういうことになったと思いますが、この点は、お話のように訴訟も起きているそうでございますから、その結果に待たなければならぬと思います。
 ちょっと最後にお触れになりました罷免の問題ですが、これは大多数の檀信徒が松山住職不信任による解職請求書を提出したことに基いて行われているわけです。不信任の理由としては、現在の檀家の墓石を無断で他に売却したとか、あるいは常に不在で宗教活動が十分に行われておらぬとか、その他いろいろな松山住職の非行をあげて行われたものであって、住職の単立化運動を理由とするものではない。そこで文部省当局では、この罷免が宗教法人法の第七十八条の不利益処分に該当するから無効である、こういうふうに解釈しておられるようでありますが、この点若干疑問があるのです。法の解釈として第七十八条の不利益処分に該当する、こういうふうな解釈というものが果して妥当であるかどうか。これは将来ほかの事案にも関連すると思いますので、御見解を一つ伺っておきたいと思います。
○福田説明員 ただいまの御質問の点でございますが、不利益処分に該当するかどうかという点は訴訟にも非常に関係してくると思います。また裁判所の解釈というものも具体的に出てくるかもしれませんが、われわれが申し上げておりますのは、そういう連中において主管者の罷免の問題がありまし出た、その罷免のありました主管者は、一方のいわゆる新宗教法人松岩寺の主管者という建前に一応なっております。ところで、この主管者でありますところの松山という住職と、あとで曹洞宗側で任命されました永井という方との関係、これはやはり訴訟問題でございます。従って永井というあとで任命された方が国を相手取り、宮城県知事を相手取って訴訟を起しておりますので、そういった関係から松山住職との関係も当然生じて参ります。従って七十八条の解釈問題になりますけれども、やはりそういった事案のある際にいろいろな問題を生ずるということは、七十八条との関係においてその精神に触れるおそれがある。こういうような考えはわれわれは持っているわけであります。これはしかしながら行政的な解釈であります。実際のそういう解釈につきましては、これは地方裁判所の決定に待たなければならない。以上のことを申し上げておきます。
○高村委員 いろいろ御答弁がございましたが、こういう問題は檀家等も相当たくさんあって、そういう人たちの利害あるいは宗教に非常に関係するところが深いのですね。従って私はこういう問題になるような訴願等に対する裁決というものはもう少し慎重になさるべきでなかったか、こういう気がしてならない。しかしこのことは別としましてどうも今お話を伺ってみても、これは単に松岩寺の問題にとどまらず、近来宗教法人等の認証または認証の取り消し等の問題に関して多くの問題があるようです。そこでこれは宗教法人法というものに不備の点あるいは不適当な個所があるためではないかと考えるわけなんですが、宗教法人法そのものについて将来文部省としてこれを再検討して不備欠陥を改めていく、こういうようなお考えを大臣お持ちでございますか。この点を一つ最後に文部大臣の御所見を伺っておきたいと思います。
○清瀬国務大臣 この問題は今高村君のお考えと全く同じように考えております。事宗教に関することは非常にむずかしい。先刻京都の問題に牽連してお話がありましたが、ああいうこともありますし、それからまた今新しい宗教の布教の方法についてもいろいろ問題を起しております。ところが所轄は文部省だというものの、認証の行為と、非常に悪い時分に裁判所に解散を請求する権利と、この二つしかないのです。解散を請求するのであれば、前提たる調査の方法を与えてくれぬというと自信をもってできません。それからまたいきなり解散を請求しないで反省を求めることもあり得ると思うのです。私まだその考えはようきめておりませんが、幸いに十月六日に宗教法人審議会が開かれます。宗教界の長老ばかりでありますこれらの人に、公式または非公式に聞いてみようと思うのです。これでいいのであろうかどうか。こういう程度であります。もし案でもでさましたら、むろんこれは国会で御討議をわずらわさなければならぬ。これは非常にデリケートなものでありますから、軽率に立案はできない。そういう状態であります。
○佐藤委員長 辻原弘市君。
○辻原委員 午前の時間がだいぶ経適しておるようでありますので、質問をあるいは中断するかもわかりませんが、その点を御了承願っておきたいと思います。
 最初に、質問を申し上げたい事項をちょっと申し上げておきます。第一番に教科書について二つの点をお伺いしておきたいと思います。それから最近問題になっております、主として映画倫理規定管理委員会をめぐっての取扱いの問題と文部省の態度について。それから先刻高津委員が触れられました新教委法に基く教育委員の選任の問題について。次に教科課程の取扱いの問題で最近新聞紙上をにぎわしておりますので、この問題についてお伺いをいたしたいと思います。その次に、これも非常に大きな問題になっておりますが、学校統合に関する問題、内容といたしましては二つ伺っておきたいと思います。一つは学校統合についての文部省の態度、いま一つは統合に関する予算措置その他の問題、これは主として施設の関係であります。最後に、これも文部省の企画だといわれておりますが、全国小中学校長会議開催についての問題、母上であります。
 最初に教科書について伺いたいと思います。すでに二十四国会でわれわれも相当論議を重ねましたので、大臣が持っている教科書についての構想は明瞭になっておるのでありますが、すでに教科書法案は廃案になっております。しかしながら、どうもその後の文部省の態度、検定事務等の取扱いを見ておりますと、廃案になった教科書法案に対する執着が非常に強いように見受けられる。大臣がどこやらの選挙の応援に行って談話を発表された中に、教科書法案についての新しい大臣の所感というものを発表されておるようであります。私はあらためて大臣にこの点を伺っておきたいと思いますが、再び次期国会にこれを提案なさる、そういうお心組みでおられるやいなや。
○清瀬国務大臣 その心組みでおりまする
○辻原委員 次の国会ということはおそらく通常国会の意味だろうと思いますが、そうですが。
○清瀬国務大臣 これは重要な法律でありますから、たとい短期の臨時国会が召集されましても、通常国会を選んで出そう、かように思っております。
○辻原委員 あらためて教科書法案を提案するというこの考え方は、前に提案をされたときの趣旨のごとく、現行の教科書制度に不備がある、これでは大臣が考えるいわゆる教科書の行政はやれぬ、こういうつもりで出されるのだろうと思います。そういたしますと、現在ではあの教科書法案に盛られたような、いわゆる教科書の行政運用はできない、そういうことの運用はむずかしい。言いかえてみますれば、現行の教科書制度は、文部大臣は権限は持っておりますけれども、内容に対しては特に文部事務当局においてはこれにタッチすることはできない。主として、設けられている検定審議会においてそれの決定、内容等の取扱い、検定審査パスについての取扱いが事実上決定される、大臣はただそれらの答申に基いて承諾を与えるという、そういった程度にしかすぎない。これは私は厳密な法律論争をやるのではありませんが、そういうことに従来の国会の答弁もなっておるはずでありますが、そうだろうと思うのであります。そうしますと、教科書の内容その他についての指導、検定についてのそれを左右する権能というものは、文部大臣は現在のところ明らかに持っていないと私は考えますが、いかがでしょうか。
○清瀬国務大臣 あるいはあなたの御趣意をよく了解し得なかったこともありますが、あの過日出しました教科書法案は教科書に関する包括的なコードのようなふうに書きましたから、本来立法事項でないことも前後の続き上書いております。それからただいまやっておりますと同じことも重複して書いておる点があります。これらにかんがみましてあの教科書法案に書いてある事柄で、新たに国会の承諾を得なければできないことは、これはもうやろうはずはないのであります。しかしながらあれに触れたことでも、行政措置でできることはやはり国のために最善を尽してやりたい、かように思っておるのでございます。例をあげてみますれば、採択のことです。これはやはり立法を要するので従前と同じ手続を本年はとったのであります。しかしながら検定というのは文部大臣に法律からすでに委任されておるのでありまするからして、検定は公平にかつまた周密にやればやるほどいいのでありますから、それは改善の余地はあると思いまして、現在よりも進んだ検定の方法を希望いたしておるのであります。定価をきめることもあの中になくたって行政でできることでありますから、きめていったのであります。こういうことであります。
○辻原委員 採択については法律の措置がなければできない、しかし検定については現行よりも進んだ方法がとれるんじゃないかと期待をしておる、こういうことでありますが、前回提案いたしました法律の中で特に強一調いたしておりました点は、検定についての、俗な言葉で言えば、事前に、検定審議会の議に諮る前に、文部省が一応それを事実上審査できるごとく立法した、こういう点が非常に問題であったように思う。そのことと同じようなことが行政措置で行い得ると大臣は今お答えなさったのでしょうか。その点を明瞭に一つ伺っておきたいと思います。
○清瀬国務大臣 それも検定の方法の一つでありまするから、できぬこともありますまいけれども、そういう今までと大いに違ったことはやらないつもりであります。やはり従前通り受け付けまして、調査官の方法で調査をいたして審議会で調べる、こういうことにしたいと考えております。
○辻原委員 そういうことはやらない、こうおっしゃるのですね。
○清瀬国務大臣 その通りであります。
○辻原委員 やらないということだけでなしに、そうすれば、現在は従来やっておった方法通りにおやりなさっておる、形式的手続、取扱い等においてそれ以上の域を出ていない、こういうふうにおっしゃったわけですね。現在は今までと違った形態、新しいニュアンスが加わるような検定方法は採用していない、また将来あなた方のお考えによって立法がなされるまではそういうことはやりたくない、こういうふうに今おっしゃったわけですね。間違い、ございませんか。
○清瀬国務大臣 少し違いがあります。今言ったのは、あの法律の何条でありましたか、審査会において正式の審査をする時分に、いかにも企画に合わないものとか、とうてい見込みのないものは却下をして、むろんこれに異議があれば不服の申し立ての方法は認めております。検定を早くしようという七条だかはありましたが、あれはやらないということです。しかしながらそれ以後の方法については、従前欠点があったのですから、第一、審査も一そう丁寧にいたしまするし、それからまた審査委員会も今よりも充実して、たとい法律がなくても行政措置でできることはりっぱにやってみたい、かような考えであります。
○辻原委員 少しこまかく入りますけれども、問題は第七条と同じような取扱いをやっていないかどうかという点が私の質問の重点であります。そこで、今大臣はそのことはやらない、しかし従来の審査を丁寧にやりたい、もう少し精密にやりたい、これはわかります。その精密、丁寧をどこでおやりになるか、それは調査会というもの、あるいは審議会というもの、こういうものの機構、その場合に従来やっておった検定審議会、ああいう諮問機関の中でこれをやるということは従来と同じである。その中で丁寧に精密におやりになる、これはまことにけっこうであります。しかし問題は、いわゆる文部事務当局の中で、それを申請されて、窓口の役割をしておる中でそういった親切、丁寧ということが行われるとすれば、それは親切、丁寧ではなくして、場合によればそれは審議会の手を離れて事実上文部省で検定の事務を扱っておるというふうにとれるわけです。そういうことはやっておりませんか、こう私はお尋ね申し上げたい。
○清瀬国務大臣 それはやっておりません。
○辻原委員 大臣も御承知だろうと思いますが、これはだんだんと考えていけば、やはりわれわれの非常に心配しておったような事柄が事実において現われると思っております。それは先般実教出版社における東大助教授の執筆拒否をめぐっての問題、それから中教出版社、これも御承知だろうと思います。これは主として社会科の問題でありましたけれども、前者はそれぞれ新たな出版関係者等の協力によって問題は発展いたしませんでしたけれども、その後の中教出版社における会社側の執筆拒否の問題は、遂に執筆を取りやめるというような事態に至っております。また昨日の新聞によりますと、さらに中教出版社では新たに四名の執筆者の執筆拒否という事態を巻き起しております。新聞の伝うるところによれば、その原因はかつての自民党の憂うべき教科書に端を発して、主として社会科にメスを入れていく、こういうふうに書いておるわけです。ところがこれをよく考えてみますと、従来社会科でその問題の対象になった「明るい社会」、これはどんどん出ているわけです。ところがにわかにその執筆を取りやめて内容を改訂しなければならぬ、編集者をかえなければならぬ、こういり動きが出たということは、どこからもそういう一つの力が加わらなければこういう事態にはならないわけです。何らかの作用が、この教科書会社等に対して行われたのではないかということは、常識的に考えてみれば気がつくわけです。私はその問題をいろいろあっちこっちひねくり回しておりますと、やはり心配になるようなことがありました。だからこの点は、先ほどのお答によりますと、文部事務当局としてそういうことはやっておりません、こういうお答えであったが、果してやりてないかどうかについて厳重にお調べを願いたい。それは、私はここに教科書協会から出ておる会報を持参いたしておりますが、この会報によりますと、こういう記述があります。社会科教科書に関する説明会、八月二十日教科書課長から検定取扱い専門委員長に内示があって、席上関係発行者に対する説明会を依頼した。その結果、八月三十三日にそれらの説明会が文部省の要請によって持たれた。これに出席をいたした文部省の関係者は、安達教科書課長、原田、吉久、久世各事務官が来会をして、それぞれの関係の発行会社十七社が集まった。それから以下が問題であります。内閣調査にかかる社会科教科書について取扱い方針の説明を受けた後質疑を行なった、こういう会報の報告でありますが、簡単でよろしいですが、この事実があったかどうか、これだけまずお聞きしたい。
○清瀬国務大臣 当日立ち会ったという安達課長がここにおりますから、足りなかったらいずれ詳しく詳明すると思います。あれは教科書検定でも審査でもないのです。ただ好意的、任意のことでございまして、私ども教科書は大へん重要なものと思いまして、また学習の重要な基礎になりますから、及ばずながら私自身が教科書を読んだのです。だいぶ骨が折れました。そうすると、はなはだしきは楠木正成は大和の吉野で死んだとか、またポツダム宣言はフランスが発したとか、とんでもないことがあって、心配でなりませんから、各省に分けて運輸関係のことは運輸省、それから皇室に関することは宮内庁にも見てもらいました。厚生省、外務省にも見てもらいました。そうしましたら驚くべし一千四十数個の誤謬を言うてくるのです。その誤謬をまた本の原本について私自身が調べてみたのです。全くの誤植も非常に多くあります。それから輸出と輸入の数字があべこべになっておるのがあるのです。しかし今教科書は非常にむずかしいから、うっかりこれに手をつけると、きっと国会でも政府の圧迫という
 ことをおっしやるだろうから、そういうことにはならぬように、また世間で言う思想問題偏向といったようなことは、これはまた問題だから、それも除いて――千四十の中にはやはりそれもあるのですが、しかしそういうところは除いて、全く年代の違い、数字の違い、人名の相違、距離の長短、そういうふうなことを教科書会社に来てもらいまして、こういうことがあるがという話をさせたことはあります。また今も残りはしようと思っております。こういう事実なのです。検定とか審査に関係ありません。むしろ印刷の誤りといったような点ばかりでございます。
○辻原委員 大臣が巧みに長々とやられましたので、聞く人をしてそうかと思わしめるかもしれませんが、この点は問題を非常にかもしております。誤植だ、史実の誤りだ、こういうものであるならば、私もあえてこの問題を委員会の席上まで持ち出しはいたしません。しかしながらそういう言葉の裏に隠れて、そうして内容に相当タッチしておるという点が歴然としております。いわば誤植に藉口をして、史実の誤りに羅臼をして内容にタッチしておる、これはまことに近道であります。実際人間のやりそうなことであります。特に私は役人という地位にあられる方々がやられる最も常套手段であると思うし、弱い立場に置かれておる編集者、こういうものは、やはり教科書会社というものが営利企業である限り、その教科書会社の意向に従ってそういうような内容を指示されて、あえて心ならずも自分の考えというものを曲げなければならぬといったような、これは風吹けばおけ屋がもうかるという式ではないけれども、だんだんとそういうふうに追い込められていっているわけであります、少し私は結論を言い過ぎましたけれども。そこでこれは次の段階について私は伺いたいと思いますが、大臣が言われるように単なる史実の誤まりであるかどうかについては、後刻私はそれらの資料を提出してもらうつもりにいたしております。今大臣が言われた千数百カ所というようなことになれば、これはまた事のいかんにかかわらず、別個の重大な問題であります。巷間何億と出ている教科書の中に、さほどの子供が見てもわかるような誤まりがあるとすれば、これまた重要な問題であります。これは文部当局の責任上取り上げざるを得ないと思います。従ってほんとうにそういうものがあるのかどうか、これはやはりわれわれとしても心しなければならぬと思いますが、これは一つ資料を御提出願いたい。その上に立って私はさらにこれを論じたいと思います。ただ事実について一、二次に触れておきたいと思いますが、二十三日にその協議会をやられてそしてかくかくの内容の誤まりがある、そういうようなことを例証にあげられて説明された。その後各会社を個別に文部省では呼ばれましてそして指摘をされて改めるよう、これは歯にきぬを着せなければ、指示をしているわけです。言葉のあやはいろいろありましようけれども、やっていることはこういうふうに書きかえなさいと指示なさっている。すでにもう相当進んでいると思いますが、大体その進捗の状況はどうであるか。それから今大臣が言われたように、これは大臣は、あるいはそう事務当局から細部はお聞きになっておらないと思うので、そこは私は事務当局でけっこうでありますが、今大臣の言われたように、ポツダム宣言がフランスから発したとか、そういう式のものであったのかどうか、この点を一つ明瞭に承わりたい。
○清瀬国務大臣 それはよほど注意しまして、誤植の類のものばかりです。ここで私が覚えておりますが、奈良に正倉院というのがありますね。正倉院は東大寺のものだと書いているのです。それが多くの教科書に転載したから同じことが書いてある。これはそうではありませんね。そういうものをさしておるのです。それから数字が非常に違っております。もっとも何年調べということを書けば昔そういう数字のあった時代もありましようけれども、それが非常に違っておるのです。そういうことで大臣としてそんな事務に携わることははなはだ私も恥じたのでありますけれども、その限界というものが非常に微妙で、もし限界をこえたら政治問題にもなろうと思いまして、一々私が指摘して、誤植の類のみに限っております。
○緒方説明員 ただいまお尋ねのどの程度訂正が進捗しているかというお話でございますが、これはあくまで私の方としましてはその誤まりの点を会社に示しまして、これは私は大事な教科書でございますから、そういう誤まりが明らかにあるなれば示すのが適当であろうと考えますし、権限としてなくても、示して会社側に注意を与えるということはこれは親切な行政取扱いだろうと考えますのでそういう意味で示したわけであります。決して訂正を指示した、権限をもって指示したということではございません。従いまして、それに対しまして会社が訂正するかしないかということは、これは会社の判断に待つわけであります。会社ではいろいろと調べまして、文部省が知らしてあげた誤まりがなるほど訂正すべきだと考えられましたものは、あるいは新しい検定の際に改めるとか、あるいは修正を願い出てくるということはあるでありましょう。しかしこれは今申しましたように、行政手続としてこれだけ改めなさい、いつまでに改めなさい、こういう示し方ではございません。その進捗状況というのは一々調べてみればわかると思います。これは普通の事務の取扱いの線に沿っているのであります。それとの関連につきましてはここで申し上げる数字的なものはございません。
○辻原委員 誤植とか、通例常識的に考えられる親切な誤まり是正という範囲であるのか、ないしはそれを逸脱して法律で立法までしてやろうとした、いわゆる「うれうべき教科書」がものした偏向を是正するのだというような心組みでやったのか。この点は非常にデリケートであると同時に、これは大切な問題だと思います。前者であるならば、それは文部省の行政として親切な措置であろうとも考えられる。しかしもしその中にそうではない意図がある、事実においてはそうではない事柄が出て参るとすれば、これは立法以前にすでに世間から非常な問題にされた、文部官僚によるといいますか、あるいは国が統轄した一つの教科書の統制という問題に触れてくる。だからその事実の有無について、先刻私が申し上げましたように、一つ後日の参考のために、大臣も目を通されたのでありますから、当委員会に資料として、何々の教科書のどこが誤まりだ、どういうふうに指導したという、その指導の経過、誤まりの事実を提出することを私は要求いたします。
 それからもう一つただしておきたい点は、内閣調査ということであります。大臣の平たい御説明によりますと、文部省からそれぞれ各省の所管事項について問い合せされたというふうに簡単に説明されておりますが、私は不敏にして、教科書の事柄について内閣自体が調査して、それに基いて文部省が――これは内容を規正したかどうかはわかりませんけれども、たとえば誤植といえども、これは内容にタッチしているわけですから、そういうふうな、いわゆる文部行政を離れて内閣調査というような、そういうモメントから教科書の内容が動かされてくるというような事柄が、これが正常な教科書行政であるのかどうか、この点について一言文部大臣に伺っておきたいというのと、その内閣調査というものはいかなるしろものであるか、私は非常に不勉強でわかりませんので、伺っておきたい。
○清瀬国務大臣 ただいまの御質問、私は指導したということはないのですよ。出版会社に注意しただけのことです。しかしながら今までの教科書がどんなものであったかということをよくごらん下さるために、喜んで出します。子供たちがこんなことを覚えておったかということで、私はびっくりしているのですよ。とんでもない数字の誤まりがあります。それから各省に委託するのに、文部省では連絡が悪いから、そこで向うで委託をしてもらったのであって、別段行政上のものじやありません。私ども一個で調べては思い違いがあってはいかぬと思って、日本の運送の数量は運輸省とか、あるいは外交の歴史のことは外務省とかいうところへ照会したのです。もっとも役所が必ずしもオーソリティじやありませんけれども、確かなものを得ようという手段にすぎません。何も内閣が教育の権利を持っているわけでも何でもありません。
○辻原委員 資料を提出していただけるということでありますので、一つできるだけ精細に資料を提出していただきまして、その上でそれらの点について心配なきやいなやをわれわれも知りたい。心配なければけっこうであるが、親切の場合も行き過ぎた親切もあります。情けの場合も深情けもあります。いろいろありますので、その点について事実をわれわれは知らなければなりませんから、一つ漏れなくお出しを願いたい。漏れておればわれわれからも指摘する場合もありますから、その点も含んでもらって全部出していただきたいことをお願いいたしまして、委員長からも時間の督促がございますので、残余の質問は明日にいたしたいと思います。
○佐藤委員長 本日はこの程度とし、次回は引き続き明日午前十時より開会いたします。
 これにて散会いたします。
    午後一時十一分散会