第026回国会 文教委員会 第32号
昭和三十二年七月二十六日(金曜日)
    午前十時五十七分開議
 出席委員
  委員長代理 理事 佐藤觀次郎君
      加藤 精三君    亀山 孝一君
      杉浦 武雄君    並木 芳雄君
      永山 忠則君    原 健三郎君
      濱野 清吾君    牧野 良三君
      町村 金五君    村上  勇君
      猪俣 浩三君    高津 正道君
      辻原 弘市君    野原  覺君
 委員外の出席者
        文部政務次官  臼井 莊一君
        文部事務官
        (文化財保護委
        員会事務局長) 岡田 孝平君
        専  門  員 石井つとむ君
七月二十三日
 委員赤城宗徳君、根本龍太郎君及び米田吉盛君
 辞任につき、その補欠として稻葉修君、伊東岩
 男君及び八木一郎君が議長の指名で委員に選任
 された。
同月二十六日
 委員野依秀市君、塚原俊郎君、簡牛凡夫君、千
 葉三郎君、北村徳太郎君及び平田ヒデ君辞任に
 つき、その補欠として亀山孝一君、原健三郎
 君、村上勇君、加藤精三君、町村金五君及び猪
 俣浩三君が議長の指名で委員に選任された。
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 文化財保護に関する件
    ―――――――――――――
○佐藤(觀)委員長代理 これより会議を開きます。
 委員長が所用のため欠席いたしますので、その指名で理事の私が委員長の職務を代行いたします。
 まず初めにこのたび文部政務次官に就任されました臼井莊一君より発言を求められております。これを許します。臼井莊一君。
○臼井説明員 このたび私文部政務次官という大任を仰せつかりました。何分にもふなれでありまする次第で、私どもの仕事と最も密接な関係のあります当委員会でございまするし、ことに練達たんのうの本委員会の委員の皆様方のいろいろ御教示また御鞭撻をいただくことが多いわけでございますので、今後よろしく一つお願いいたします。
 簡単でございますが一言ごあいさつを申し上げます。(拍手)
    ―――――――――――――
○佐藤(觀)委員長代理 本日は文教行政に関する調査を進めます。質疑の通告があります。これを許します。野原貴君。
○野原委員 本日は松永新文相の文教政策を私どもお聞きいたしまして、質問をしたいと思うのでありますが、文部大臣がただいま閣議だそうでございますから、その間私は最近文化財の事務局内部に起りました奇々怪々たる事件につきまして、岡田事務局長その他関係者に対し質問をいたしたいと思うのであります。
 私はこの手元に「芸術新潮」の八月号を持っておりますが、この八月号の見出しに、「怪談・文化財事務局」、書いた人は松原正業、しかもその書かれた松原正業君は文化財事務局に今日もなお席のある人であります。この人が堂々と松原正業の名前で文化財事務局の内部の実に許しがたい点を具体的に書いておるのであります。これは事務局長もすでに読まれたことと思うのでございますが、同僚各位にもなお御認識をしていただくために、私はこの文章の書き出しを簡単に読みたいと思います。「私が所有してみる重要文化財・埴輪鷹狩男子像」――昨日の毎日新聞がこれを書いておるのでありますが、この「埴輪鷹狩男子像が、博物館に出品中、私の全然関知せぬうちに何者かによって売却され、しかもこれまた私のあずかり知らぬ所有者変更届が関係当局に提出され、当局がこれを受理したことに端を発し、現在にいたるも解決されてみない奇怪な事件について、これまで私と文化財保護委員会との間でなされた交渉経過、特に同委員会美術工芸課長・本間順治氏がとってきた不可解な態度、及び文化財保護委員会に対する私の要望などについて書かうと思います。」こういう書き出しで書いておりまして、途中を省略いたしますが、その次に「この問題で本間課長と私とが対立したのは昨年五月ですが、それから一年間、文化財の岡田事務局長や清水次長、さらに河井委員長にまで事情を説明して、正しい解決を依頼しております。この点で私がいかに隠忍自重したかは、委員長初め局長や次長も認めてくれるものと信じます。」相当長文の具体的な文章でございますから、全文を読み上げたら経過ははっきりしますけれども、とてもそれはできない。それはできませんから、ここに書かれてあるように岡田事務局長の名が出ておるのであります。岡田事務局長はこの問題に一年前からタッチをしておるというならば、この事情を詳細知っておるはずであります。本日は事務局長から正式にこの事件の経過を、要点でけっこうでございますから、お述べいただきたい。そのお述べいただいた点について質問をいたして参りたい、このように思うのであります。
○岡田説明員 お答えいたします。文化財保護委員会の美術工芸課に勤務いたしておりまする文部技官松原正業君が埴輪の鷹狩男子像というものを持っております。これは昭和十二年に重要美術品に認定され、続いて昭和十六年に国宝に指定されました。ただし現在は、これは新しい文化財保護法によりまして重要文化財というふうになっておるのであります。それにつきまして私が関係いたしましたのは、この約二カ年前からでございますが、それ以前のことは直接は存じませんがいろいろ詳細に調べておりますので申し上げますが、三十一年の六月に、この品物を東京博物館に売りたい、かような申し出を本人からいたしたのであります。そこで東京博物館の方では、これはりっぱなものであるから買いたいものである。かような考えでございましたが、いろいろ調べてみますと、これにつきましては問題がございまして、どうもその所有権がはっきりしないということで、これは所有権がはっきりするまでもうしばらく博物館で買い上げることは保留したらよかろう。かようなことを文化財保護委員会から博物館の方に申し出ました。その所有権がはっきりしないということは、いろいろ調べますと、これは昭和二十二年か三年か、その点ははっきりいたしませんが、それが中島喜代一という人の親戚の関角芳雄という人にその名義が一時変更になっております。それはその松原正業氏と関角芳雄氏の二人の連名でもって所有権の譲渡の届出が文化財委員会、当時はまだ文化財委員会ができる前でございまして、文部省でございますが、譲渡の届出があった。つまり松原氏から関角氏に所有権が変ったのである。かような申し出がありましたので、それに基いて文部省ではその名義変更の手続をいたしたのであります。ところがその当時の事情をいろいろ調べてみましても、その書類がございませんで、どうしても詳しい事情はなかなか詳細にわからない。調査のできる限り調べておりますが、なかなかわからないというような事情でございます。本人は、松原氏は、何人か自分の知らない間に自分の名前を使って関角氏の方にこれを売ったものに相違ない、かような申し出をいたしておるのであります。ところがその後昭和二十五年に文化財保護法が制定されまして、古い法律の国宝保存法時代の国宝はすべてこれは新法によって重要文化財というふうに切り変ったのでありますから、そこで古い国宝の所有者に対しては新しい法律によって重要文化財に指定されましたという通知をそれぞれにいたしておるのであります。その際にどういう関係か今度は松原氏の方にその通知が参りまして、貴殿所有の埴輪男子の像は、新らしい法律によって重要文化財に指定されたのである、かような通知が昭和二十五年の十二月に出ております。従って本人としてはそれは自分のものであるという確信をますます強めたことでありますから、本人から申しますならば、これは自分のものであることを重要文化財委員会が認めたのである、かように申しておる。ところが関角氏の方、いわゆる中島氏の方でございますが、そちらの方は美術工芸課長の本間君などがいろいろ調べておるのでありますが、そちらは確かに買ったものであるというような申し出をいたしております。そうしますとこれは所在がどこにあるかということでありますので、その所有権の問題がはっきりするということか必要である。従ってそれがはっきりするまではその品物を博物館に売る、また博物館が買うということも、買いました場合にその代金がどうなるかということでめんどうになるというような話から、もう少しそれがはっきりするまで博物館で買い上げは保留した方かよいだろうということにいたしております。その前に一ぺん昭和二十七年の十一月にもやはり同じような、その品物を文化財委員会に売りたいというような申し出がございましたが、やはりそのときにもこれは所有権の問題でごたごたしているからはっきりするまでは買わない。そのようなことが一回ございました。今回は二回目でございます。
 大体はさようなことになっておりますが、この問題は要するに埴輪の所有権がどちらにあるかという問題でございまして、民間には間々ある問題でございますが、たまたまこれが所有者が国家公務員であるということにおきまして、私どもといたしましては、これはほうっておけないということで、いろいろ本人からのお話も何回か承わりましたので、間に立ちましてできるだけ早くこの問題を解決いたしたい。かようなことで解決法といたしましては、まずこれは所有権の問題であるから、双方があるいは話し合いでこの問題をきめるか、あるいは訴訟によってこの問題をきめる、あるいはまた調停裁判のようなものによりましてこの問題をきめる、まあ、いずれかの方法できめる。しかしながら一番いい解決方法はやはりこれは双方の話し合いによって、その間に文化財委員会が入りまして、そうして話し合いによってこの問題を解決するのが一番いいのであろうということで、本人に対しましてはいろいろ相談相手になっておったのでございます。またずいぶんいろいろな人も間に入りましたけれども、松原氏はそれらの調停者の意見を全部けりまして、そうしてもっぱら自分の主張のみを通しておったのでございますが、ついに芸術新潮に事の詳細を松原君が投稿した、かような事件でございます。きわめて概要でございますが、また御質問によりましてお答えいたします。
○野原委員 そういたしますと、私も実は詳細に調査をしてみたのでございますが、三十一年、昨年の五月、東京の博物館が二百万円で買い上げようとした。そこでこれの所有者である松原正業氏は博物館にこれを売りたい、こういたしたところが、あなたの方から、文化財保護委員会から、所有権に問題があるから買うことはしばらく待て、こういうことでこれが博物館の買い上げについにならなかった、問題はここから発展してきておるように思うのであります。これは事務局長もただいま申した通りであります。一体どういうわけで文化財保護委員会は所有権に問題があるからしばらく待てと言ったのか、まあこれは今事務局長の答弁にありましたように、この所有権は実は松原正業ではなくて、中島喜代一、中島知久平氏の実弟だそうでございますが、もう今はいないようでありますが、中島喜代一さんの秘書である関角芳雄さんの名義にこの国宝の埴輪男子鷹狩像というのが登録されておる、こういうことになっておる。これは一体どういうわけでそう登録されておるかというと、昭和二十三年ごろに所有者の変更届が出されておるのだ、こういうあなたの御答弁でありますが、その所有者変更届というものは今日ないのでしょう。これはございますか。所有者変更届がなくてなお松原正業氏のものでないと主張する根拠は私は成り立たぬと思う。これはどういうことになりますか、その間の御説明をもう一度お願いしたいと思います。
○岡田説明員 その間の事情はいろいろ取り調べておりますが、その書類は確かに現在はないのでございます。一体どうしてその書類がないのかということもいろいろ調べておりますが、現在はっきりいたしません。その書類だけがないのであって、いろいろ文化財行政の所管が文部省から一時博物館に移り、さらにまた文化財委員会に行きまして、また文部省に戻ったというような事情もあったと思いますが、どういう事情かはっきりいたしませんが、とにかく書類がないものがある、その書類がどうしても見当らない。しかしながら確かにそういう届出書を見た者があるのでございます。それは現在も勤めている職員がそういう届出書を確かに見た。従ってそれによりまして名義変更の手続をしたのであるということをはっきり申しておりますので、その事実は間違いないのでありますが、ただその書類が現在ありませんので、その事情は詳しいことはなかなかわからないのが現状でございます。
○野原委員 あなたは松原正業氏と話をされたと思うのですが、松原氏は、自分はこの所有者変更届を出した覚えは全然ないと言っている。中島喜代一という人と面接した覚えもない、どういう人かも知らない、いわんや関角芳雄という人間がどういう人間であるか全く自分は知らない。何も知らないのかと言ったら知らないと本人は言っている。ついにがまんができなくて警視庁の方へ申し出ている、捜査を依頼している。しかも松原氏がこの所有者変更届をかりにやったとしても、所有者変更届というのはきわめて重要な書類じゃないのか。国宝の所有者がだれであるかということを、これであなたの方で所蔵するものを確認していく以外にないのでありまするから、このきわめて重要な書類がそう軽々に紛失されるということは一体どういうことなのか、私どもはこの点を特に文教委員会でも問題にしたいのです。警視庁ではないから、この犯罪の捜査その他は警察方面に譲らなければなりません。どういうわけで一体所有者変更届が紛失したのか、紛失したのはこれだけなのか、ほかにもうないのか。これは今や国民がこの一つの件から見ても安心して文化財保護委員会を信用するわけにいかぬのですよ。昭和二十五年に文化財保護委員会が発足をした。そして日本の重要文化財、国宝、そういったものが特に世界でも日本にはたくさんあるわけなんです。そういう意味では日本は世界各国の垂涎の的に今日なっている。そういうことでは安心して所有することすらできない。こういうものの所有は転々として移転をするわけなんです。その肝心かなめの台帳というものがあなたの方ではどんどん紛失していく。そうなるとこれは一体どういうことになるのか安心できない。所有者変更届が紛失したというのは一体どういうことなのか。これは重要書類ではないのですか。どういうわけでこれが紛失したのか、事務局の責任者であるあなたとしてはこの問題についていま少し親切な御答弁があってしかるべきではないかと思う。その他に紛失した書類はないのですか、あわせてその点をお聞きしたいと思います。
○岡田説明員 その当時は、文化財委員会ができまする三年ほど前のことでございまして、先ほども言いましたように、機構がいろいろ変りまして、たびたび仕事をする場所なども変ったのでございます。役所なども変ったのでございます。それから終戦前後のいろいろごたごたもございましたと思いますが、いろいろな事情で多少事務に当時はいろいろ粗漏があったことは、今から考えますとこれは想像できます。ただ文化財委員会ができましてからはさようなことはないのでございまして、これはそういう帳簿等につきましてできるだけ厳密に、また厳正にいたすようにやっておりますので、それ以後はないと思いますが、当時の事情は詳しくただいま調べておりますが、まだはっきりここで申し上げる程度には調査がつきませんので、なお根気よくその当時の事情を調べて、その上でお答えを申し上げたいと思います。
○野原委員 文化財保護委員会ができてからの書類は厳重に保管をしているけれども、それ以前のことば知らないということは、重大な答弁だと私は思う。あなたが文化財保護委員会の事務局長になってからのことを聞いているのではない。これは文部当局、文部大臣はかわっているから前のことは知らぬと言えばそれまでですけれども、私どものこの官庁機構、国の機関に対する責任の追及というものはそんなものではないのですよ。だからそれだけしか言わないならばやむを得ないから、私は次にお尋ねを発展させますが、所有者変更届というものは、松原正業氏はやっていないと言うのだから、印鑑偽造をやられておるに違いない。中島喜代一と二人の連名で届を出しておる。本人はそれまで何も知らなかったわけだ。ところが昭和二十四年の七月になってから、私はここに国宝目録というものを持っておりますが、国宝目録をあけてみますと、東京都松原正業旧蔵工(昭和一六、一一、六)――これは国宝に指定された年月日でしょう。そうして埴輪鷹狩男子像一躯、これが関角芳雄の名義として、昭和二十四年七月には登録になっておる。ところがこの文化財保護委員会が昭和二十五年に発足をいたしておりますが、昭和二十七年の三月に出された重要文化財目録――これは文化財保護委員会、あなたの方から出しておるのですが、これを見ますと埴輪鷹狩男子像というのは松原正業になっておる。昭和二十三年に松原正業は中島に売った、文化財委はこう言っておきながら、昭和二十四年の国宝目録には、これが中島氏の秘書の関角になっておるわけでしょう。ところがその後何ら名義の変更届も何もしていない。所有者変更届があったということを問題にしておきながら、その後二十七年の重要文化財の目録を見てみると、これは松原正業に依然としてなっておる。そして関角芳雄旧蔵とは書いてない。だから昭和二十七年のこの名簿によれば、何ら松原正業は二十三年に所有者変更届も何もしていないじゃないですか。一体これは文化財保護委員会から出しておる目録なんだけれども、これは全く信用できないのですか、お聞きいたします。われわれはこの国宝目録とこの重要文化財目録は、どちらを信用したらよいのか、この辺がどうも私はわからないのでお尋ねしたいと思う。
○岡田説明員 その間の事情は今いろいろ取り調べておりますが、なかなか最後の断定までには至らないわけでありまして、これは非常に遺憾に思っております。ただいまなお詳細にできる限りの調査をいたしておりますが、どういうわけで一たん関角芳雄氏の方に行ったものがまたさらに松原氏の方になって、そうして二十七年の目録に松原氏のものとして書いてあるかと申しますと、それは先ほど申し上げましたように、二十五年の十二月に、これは松原氏のものであるから指定通知書を送りますということをやって、それに従ってこの目録の方も松原氏の名前が記載されたものと思います。しからばどういうわけで松原氏の方に通知が参ったかと申しますと、これも詳細に取調べ中でありますが、一たん関角氏の方に名義変更になりましたが、その後本人からたびたび自分の所有のものであるという申し立てがありましたので、担当者がこれはおそらく本人の主張が正しいのではないかという認定をいたしまして、そうしていろいろ事務用の名簿等もあったと思いますが、さような名簿を訂正しておったのではないかと予想されるのであります。その間の事情はなお詳細に取り調べておりますので確定的なことは申し上げられませんが、本人がそれは自分のものであるという強い主張をしておったために、関係者は本人に所有権があるものとして、そちらに通知をしたらよかろうということで、名簿も訂正されて本人の方に通知書が行ったのではないかというように考えております。この指定の効力といたしましては、それではこの目録と指定の通知とはどちらが効力が強いかと申しますと、これはやはり指定の通知の方が効力が強い。目録といたしましてはそれほどの効力はないのではないかと考えております。
○野原委員 あなたは私の質問に答えていない。私の尋ねたことに答弁してもらいたい。この昭和二十七年三月文化財保護委員会発行の重要文化財目録(美術工芸品)というものは信用できないと考えてよいのかと私は聞いておるのです。あなた方は、今日これは信用できないという見解であるのかということを聞いておるのだが、これははっきりさせてもらいたい。信用できないならば信用できないということをはっきり早く国民に知らせる必要があると思いますよ。その点について御答弁を願いたい。
○岡田説明員 目録は、所有者が何人であるかということを明瞭にいたしまして、そうして所有者並びに一般の者に対して便宜を与えるという趣旨のものでありまして、私の方といたしましてはもちろんこれは信用していただきたい性質のものであります。ただこの件についてのみ、今から調べますといろいろのいきさつがございまして、果してどちらが正しいかということについて先ほど申し上げたような特殊の事情があるということであります。目録全般としてはもちろん信用していただきたいし、またできるだけ正確を期してまずまず間違いのないものを作っております。この問題についてのみ特殊の事情があるということでございます。
○野原委員 あなたは何を言っているのか私はわからない。この件についてだけと言うけれども、たまたまこの件は松原正業氏が問題にしたからなんですよ。ほかに問題にしたらたくさん出てくる。これは所有者変更届を紛失しておりますが、紛失しているのはこれだけではないのですよ。肝心なものを紛失するようなだらしのない事務局だから、私どもは今日文化財の問題を文教委員会が開かれるたびにやっている。最近の文教委員会くらい文化財を問題にする委員会はない。文化財保護委員会はここ二、三年来というものは実に内部事情が弛緩しておるというか、頽廃しておるというか、私どもは全くこれは信頼できません。本日は河井委員長がおりませんからこのくらいにしておきますけれども、なお経過について私はもう少し尋ねてみたい。
 昭和二十三年ごろであったか、所有者変更届が出された。これも書類がないのですから、いつのころかわからぬのです。しかも肝心の持ち主である松原氏は相手を全然知りもしない。私は全く寝耳に水だ、こう驚いたものだから、しかも変更届があった直後に松原氏が知るわけはありませんから、問題にすることはできないので、しなかった。ところが二十四年七月にこの書物が出たのです。国宝目録というものが出れば、国宝を持っている人はみんな目を通します。国宝目録が二十四年七月に出ましたから、これを見たところが自分の持ちものの埴輪鷹狩男子像が中島氏の秘書関角芳雄氏の名義に登録されておりましたから、彼は非常にびっくりいたしまして、これは何事だというので、直ちに東京博物館の調査課長をしておりました本間順治氏に抗議をしておるはずであります。その本間順治さんは今日文化財保護委員会の美術工芸課長をなさっておるはずです。これが昭和二十四年七月に出された直後のことなんです。今から八年前のできごとなんです。抗議をいたしましたところが、その本間順治課長は、これは所有者変更届の書類が出されておるのだから、こうなっておるのだろう、だからその書類を見てみなければ一がいに君の抗議に対して答弁するわけにはいかぬ、こういうことを申された。書類が出るから待ってくれと言う。そこで本人が、その書類が出ましたか、出ましたか、その書類を見せてもらいたい、私は全くその書類は知らないのだ。それはそうでしょう。国宝の所有者として当然私はしかるべしだと思う。だからそれを再三再四本間課長に抗議をしておるのです。その抗議をしておるうちにやがて一年経過いたしまして、昭和二十五年の八月二十九日文化財保護法が制定をされて、保護委員会が発足をしております。この八月二十九日に旧国宝、旧重要美術品を重要文化財とするということになった。こうなったから昭和二十五年の十二月二十日に文化財保護委員会から指定通知書なるものが松原氏に出されておる。それを見ると「貴殿所有の旧国宝物件は文化財保護法により重要文化財に指定された」とある。これで松原氏は胸をなでおろしたのです。その指定通知書をもらってから、やれやれそれじゃはっきりしたのだな。そうすると二十七年に追っかけるようにこの目録が出た。この目録を見ると、ちゃんと自分の名前が登録されておる。しかも関角芳雄とも書いていない。それじゃ自分が本間課長に抗議したことははっきりしたのだ、あれは何かの間違いだなと、本人はそう思ったのであります。本人は日本でも有数な一、二を争われる埴輪の修理の技官でしょう。こういう殊特な技術を持った人でございますから、やれやれと安心をしておったところが、三十一年の五月、博物館が買い上げたいというので、自分も博物館ならば手放してもよかろうと去年五月出したところが、今度は待ったときた。このくらい奇々怪々な事件がありますか。しかもその間に、あなたも、それから前の委員長の高橋誠一郎氏も、現委員長の河井氏も――河井委員長はことしの三月、あなたは去年の秋ごろからこの問題にタッチしておるはずなんです。タッチしておって、それが依然として今日に至るももたもたとしておる。私がこの書物に書かれておることを読み上げてみましょうか。岡田事務局長が中に入って十万円の金を中島に渡したらどうだ、そうすれば一切解決するのだということをあなたは保坂という人を使いにやって松原氏をくどきおとしにかかっておるのです。ところが松原氏は、なんで自分がそういうことをせんならぬのか、自分は全く無関係じゃないか、たといびた一文といえども自分は売却していないものをその金を出すわけにはいかぬと断わっている。ところがどういうものか、あなたと本間課長は内輪で済まさなければならぬというので、まあまあということで金を五万やったらどうだ、十万やったらどうだ。このくらい奇怪な事件はないと思う。しかも出される書物というものは全く信用できないような、こんなでたらめな本しか出していないでしょう。これで一体今日日本の文化財を担当できると事務局は思われますか。所見を承わりたい。
○岡田説明員 松原氏の主張によりますと、お話のあった通り自分の知らない間に何人かの手によって所有権が関角氏の方に移ったというのであります。おそらく私どもの印象では、本人はうそを申していないと思います。従ってその点につきましては、本人の申し立てば正しい。何人がその間に立って所有権を売却したのであるかということは、先ほど申し上げましたようにできる限り手を尽して調べるだけは調べたのでありますけれども、それはどうしてもわからない。私どもの予想では、これは外部の何者かが間に入ってさようなことをしたものと考えております。内部はできる限り調べましたが、さような痕跡は何らないのでありまして、これは何者かがさようなことをしたものと思います。松原氏といたしましては、もちろん被害者でありまして、松原氏にはその点につきましては何ら関係がないことを認めます。ただ相手方の関角氏がこれを買った。これは相手方の中島氏の方の――現在は未亡人でございますが、そちらの方の未亡人、その弁護士等につきましてもいろいろ調べたのでございますが、中島氏は確かに関角氏の名義で事実は中島氏が買ったのである、従って中島側の方に所有権があるということを現在も申し立てておるのであります。そういたしますと、これはどうしても所有権の所在の争いの問題になりますので、これはいろいろの解決方法があるけれども、やはり所有権を主張する者同士が、あるいは弁護士同士、あるいは本人同士話し合いをしなければ解決しないのではないか。われわれといたしましては、たびたびの松原君の申し立てもありまして、その間に立ちまして、できるだけこれを解決したいと考えまして、双方弁護士を立てていろいろ話し合いをしたらどうかということを申しております。これは法律的な問題になりますので、やはりその方が解決がしやすい、かように申したのであります。弁護士も一度は立ったこともあったようでありますが、松原氏の方はその弁護士を断りまして、現在では弁護士同志の話し合いまではいっておりませんけれども、私はこれは希望を捨てておりませんので、必ず近いうちに弁護士同士話し合いがつけばいいと思いますし、またつかなければ調停裁判あるいは民事裁判に訴えて、いずれにしてもこの問題ははっきり解決するよりほかはない、かように考えております。その前に、何しろこれは職員の所有にかかるものであり、また文化財の部内にいろいろ関係があるものでありますから、部内で処置できればこれに越したことはないというので、本間君もいろいろ間に立ちましてあっせんに努力したようであります。その間に一時売却代金の一部を一はっきり額を私は聞いておりませんが、一部を中島氏側にやって解決したらどうかというような、いろいろな案もあったようであります。ある時期にそれで解決しそうになったということも言っておりますが、その後そういうことでは解決しないということになっておったのであります。
 私が、ただいまお述べになりました保坂君云々といいますか、保坂君といいますのは、松原君の上司でありまして、考古の主査をいたしておりますので、まず上司が間に立って、もし円満に解決できるならば非常にいいことであるというので、保坂君に特に頼みまして、松原君の言い分を十分に聞いて、君が判断して何か解決する方法があったならば努力したらどうかということを保坂君に依頼したことはありますが、私自身が十万円で解決しろ、二十万円で解決しろ、そういうことは一回も申していないのであります。そういう額のことは私は何らタッチいたしませんが、いずれにいたしましても、かりに裁判になりましても、なかなかこれは両方に証拠のないことでありますから、おそらく裁判所も相当手をあげる問題で、結局これは調停か和解かによって解決する以外には方法がないということを法律専門家はいずれも申しております。そういうことならば、もし話がつくならば早く解決したらよかろうということで、本間君あるいは保坂君等がいろいろ間に立ってあっせんしてきたわけでありますが、現在ではこれがまだ功を奏しませんので、さようなことになっておる状況でございます。
○野原委員 内々で済ますということが私には解せないのです。あなたは、これは文化財保護委員会に勤めておる者同士のトラブル――本間課長と松原正業氏はともに文化財保護委員会に勤めておる。だから、この間に部外者はいないのだから、何とか局長が中に入ってまとめたい、その気持はわかります。しかしながら、その気持はわかるけれども、中に入ってまとめなければならぬというあなたの考え方の底には、こういうことが対外的に出ると文化財保護委員会が国民から批判される、事務局は腐ったのではないかと国会で追及される、これはがまんできないから、ここで糊塗しようというとんでもない量見ではないかという気も私にはするのです。そこであなたは保坂氏の一件をそういうふうに申されますけれども、芸術新潮の八月号に堂々と、今日もなお籍のある松原正業氏が書いておるのです。あなたはこの書いておることに対して、その後松原正業を呼んで、君けしからぬじゃないかと言って抗議をされましたか。してないでしょう。しかも本間課長は昭和二十五年からこっち、八年間も九年間も書類を紛失した責任がだれにあるかも調べないで、この所蔵をあいまいにしておった責任は一体どうなるのか。昭和二十五年から文化財保護委員会は発足しておるのですから、この埴輪鷹狩男子像という日本の国宝が、だれのものか明確にならぬ状態のまま置かれてきた責任は一体どうなるのか。これをほったらかしにしておる責任は、私はゆるがせにできぬと思うのです。簡単ですから、書いてあることを一ぺん読んでみましょう。「保坂氏は解決案を持って来た。」あなたの答弁によれば当時保坂氏は松原氏の上司だったということです。これは上司の圧力で来たのかどうか知りません。「そしてそれは、中島未亡人に十万円だけやってくれといふのでした。氏の言ふには、「これは本間課長を抜きにして、局長から頼まれたのであり、いはば至上命令でもあるのだから、拒否すればあなたも文化財に居られなくなるだらうし、それに仲介者たるぼくの顔もたててくれ」、といふことでした。私は局長がさういふ依頼を保坂氏にした意味がわからなかったのと、勿論案の内容が承服し難いのとで、その場で拒否しようと思ひましたが、保坂氏の労を多とする気持から、返事は暫く考へた上で、と答へておいたのです。二日程たつと保坂氏がまたまゐりまして、前回同様の案を承知するやう、なんとしたことか、まるで脅迫にも等しい熱烈さで要求したのでした。そればかりではありません、氏は「ぼくが半分の五万円を出すから、これで解決としてくれ」全然関係外の保坂氏が、おれが半分の五万円を出すからお前があと半分の五万円を出して解決してくれ一これは二百万か三百万になるものなんですよ。事実、中島氏のものであればどうですか。十万円くらいで承知すると思いますか。事実、中島氏の秘書のこの人のものであれば、自分が五万円出すからお前も五万円出せ、これで解決してくれととんでもないことに発展してきておるのです。「これには私も驚いた、保坂氏はこの問題の責任者ではないはず、いかに局長から頼まれて来たとは言へ、文化財全体のためを念じて私財を寄進するなどと、私にはなんとしてもその気持が何度できなかったからです。」それはそうでしょう、関係のない保坂氏が五万円寄進するということはそんたくできませんね。しかもその人はあなたが使いにやっている人なんです。だからあなたもその間の事情を知らぬわけはないですよ。ますます奇怪じゃないか、「勿論、「あなたに五万円出してもらふ理由はないから」と言って、その案を拒絶しました。ところがことしの一月文化財で保坂氏と会った際やはり前回の案を繰返すので、「それ程文化財が困るなら、中島側に渡す意志は毛頭ないが、十万円文化財へ寄附しよう、その代り領収証を貰ひたい」と私が言ったところ、保坂氏は、公文の領収証は出せないが局長個人の領収証なら出すと言ふ。私は局長が個人的な領収証を書くといふことがおかしいと思ったので、これも拒否しました。」とある。あなたはこの中に入ってそうして五万円はだれが出すのか知らぬ、五万円まで出して問題を解決しようとした、松原氏は十万円は文化財保護委員会に寄付しよう、博物館が二百万円で買うなら文化財保護委員会に十万円寄付してもいい、だから領収証をくれと言った、公文の領収証は出せぬけれども局長個人の領収証なら出せる、こういうことをあなたは言われましたか。お聞きします。
○岡田説明員 今申し上げましたように、これはずいぶんいろいろな人が間に入りましてあっせんしたのでありますが、本間君は終始一貫何とかしょうということでありましたが、うまくいかない、あるいは前高橋委員長あるいは矢代委員そのほかの方にも事情を訴えて、最後には私のところへ参りましていろいろ早く解決してもらいたいという申し出があったのであります。そうして私といたしましては、先ほど言いました本間君ではこれはもうなかなか解決できないということは見通しは十分でありましたので、保坂君の保坂君とは前から相当親しくしているし、また本人の上司である関係で、保坂氏ならあるいは解決できるのではないかという希望もややありまして、保坂君に――私のところに参ります前からいろいろなことを本人から聞いておった、そんな関係で保坂君に対しましては本人の言い分も十分に聞いて、しかしながらこれは相当めんどうな所有権の問題であるから、本人の主張だけであるいは解決しないかもしれない、その間に何かよい方法があるならばそれは一つ考えてもらいたいということを申したのであります。それで今お尋ねの、私から十万円で解決しろとか、二十万円で解決しろとか、さようなことは一回も言ったことはありません。またお尋ねの公文を出せないが、局長個人なら云々というようなことは私は申していないのであります。ちょっと申し上げますが、保坂君も松原君もずいぶん長い間の案件でございますので、たまにはいろいろ本人も考え直しまして、訴訟もけっこうであるが、もし訴訟がいかなければ何らかの解決方法で多少妥協もして解決したいというような考えも何回かは持ったというようなことも本人からたびたび聞いております。しかしながらどうもいろいろ考え直して、そういうことではいやであるというような心境になったということもたびたび申しておりますので、いろいろな人がたびたびあっせんした場合に、いろいろな案が出たのではなかろうか、さように考えますので、私はただ保坂君に対して、一つ間に立っていろいろ調停してやってくれということをお願いしたのでございます。ただ保坂君からはその経過の報告は受けております。
○野原委員 そこでお聞きしたいことは、名義変更届の重要書類が紛失しておる、その他に紛失したものはないかということに対して的確な御答弁がなかった、この書物を読むとその他にも紛失したように、本間課長がそう言っておると書いてある、これはあなたは事務局長ですから調査をしているはずです。そのほかに紛失しているものはありませんか、お聞きします。
○岡田説明員 先ほど申しましたように、目下調査中でございますので、調査ができましたならば御答弁いたします。
○野原委員 それでは今のところわからないということですね。紛失しておるかどうかもわからない。調べてもいないという意味ですか。
○岡田説明員 ほかにもあるようでございますが、どの程度にどれがないかということは、今のところではまだわかっておりません。できる限り調査します。
○野原委員 どうもおかしなものですね。重要文書というものは、ナンバーくらい打って保管されなければならぬものだと思う。金銭にも増してこれらのものは経済的価値がある重要文書でしょう。これは何といったって何千億円というものになるのですよ。それがそのほかにあるかもわからないと、この書物ははっきりいっておる。私もあるのじゃないかと思う。この問題が起ってからずいぶん久しいのであります、八年か九年。あなたが手がけてからでも一年間になるんだから、ほかに紛失しておるものはないかどうか、係官にでも調べさせるか、あなたがじきじきでも調べるのが当りまえなんだ。そして一体どれが紛失しているか、紛失していないのか、はっきり調べて、本日あたりは紛失しておるものがあるならある、ないならないと答弁があってしかるべきなのに、紛失しておるかどうか、今から調べなければわからぬということではどうなりますか。これはとんでもないことでしょう。あるんでしょう。あるけれども、あなたは今ここであるということになると大へんなことになるから、言わぬのでしょう。いつまで待てば言えますか。こういう書類というものは一見してあるかないかわかるはずなんです。調べなければわからぬというはずはなかろうと思うのです。ここに問題点があります。河井委員長が見えてからこの問題は徹底的に追及しなければならない。私は単に松原正業の個人的な私財の紛失ということを問題にするわけではない。この点を通じて、文化財保護委員会事務局のまことにずさんな、まことに綱紀の弛緩した状態に今日置かれていやしないかということについては、これは当然文教委員会としては責任があるわけでございますから、この問題を契機に糾明するだけは徹底的に追及をしたい。同僚委員とも相談をしたい、このように考えておるわけです。そこでお聞きしますが、こういう重安文書の保管並びに整理、これは一体だれがやっておるのですか。しかもこういう重要文書というものはどこの官庁、会社でも年に一回、二回検閲ということを局長なり責任者がやることになっておるのですが、そういうことは全然なさらないのですか、そこら辺の仕組みを御答弁願いたい。
○岡田説明員 当時、昭和二十三年ですから、委員会ができる前でございまして、文部省の文化課とそれから博物館の調査課と両方でもって文化財行政の事務を分担しておったと思いますか、かような書類は当然文化課でもって処理いたしたのじゃないかと思っております。それで文化財保護委員会ができましてからはそれぞれの書類は全都委員会の事務局が引き継いで、それぞれの担当課において、たとえばこの書類でありますならば、美術工芸課において、その責任者が保管しております。それに対しましては、係長あるいは課長の責任のもとに処理いたしております。
○野原委員 そこでその問題はまたあらためて究明するといたしまして、このあなた方のミスの点についてはっきり申し上げておきたいのでありますが、所有者変更届を紛失したということも非常なミスならば、二十五年にこの指定通知書を送付したこともミスでしょう。それから二十七年に重要文化財目録の名義変更をしたということもミスでしょう。肝心の台帳がないものを一体どういうわけでやるのか。ほんとうに中島氏にこれが移転されておるものとすれば、二十七年に載るわけがないじゃないですか。これを私はみんな写してきておりますけれども、「考第二三号重要文化財指定書 埴輪鷹狩男子像一躯 総高二尺五寸 群馬県佐波郡妥女村淵名出土 右を重要文化財に指定する昭和二十五年八月二十九日文化財保護委員会印」そしてこの指定書を松原正業に昭和二十八年八月二十九日に渡しておる。片一方では二十七年に渡している。それで開き直られたら一体どっちのものかわかりません。こんなだらしのない話はないのです。こういうようなミスが次々と出ておる。松原正業氏の言うことがうそならうそで、これは二十三年ころから問題になっておるのですから、早く黒白を決すべきではなかったのか。しかも文化財保護委員会が発足した二十五年からでも決すべきではなかったのか、あなたが事務局長になってから何年かたっておる、そこでも決すべきではなかったのか。それがいつまでも延ばされて、五万円で話をつけろ、十万円出すからお前はうんと言え、こういう取引がされているに至ってはこれはまことに奇々怪々と言わざるを得ないのであります。
 そこで私は本日はこの程度にしておきましょう。これはいずれ河井委員長が参りましてから重ねて究明をしたいと思います。本間課長に責任があるのか、岡田事務局長の責任はどういうことになるのか、この間の事情をいま少しく詳細にあなたも調査されて次の文教委員会で御答弁ができるようにしていただきたい。
 以上、申し述べてこの質問は終ります。
○高津委員 岡田事務局長にお尋ねしますが、松原正業氏と関角芳雄氏と両方が所有権を主張している。それを仲裁する方法として五万円あるいは十万円を松原氏の方が関角氏に出すように文化財保護委員会の事務局でお取り計らいになっておりますが、元来これは時価二百万円以上といわれるものであって、双方の調停をするについて双方対等に所有権があるとするならば、二百万円のうち百万円向うへ渡すとかすべきで、五万円か十万円で解決しようとするのは、これは松原氏の主張が八、九割正しい、こう認めておられる証拠ではないか、この点に関するお答えを願いたい。
○岡田説明員 これは形式的には、現に松原君が指定書を持っておりますし、それから以前から松原君の所有であります。一時他に移転いたしましたけれども、本人の申し立てによれば、これは何物かのしわざによって自分の知らない間に転記されたと申し立てた。その申し立てにおそらく誤りはないと思いますので、これは当然松原氏の方の所有に歩のあるものと私どもは考えております。しかしながら相手方もまたこれは買ったのであると主張しております以上は、相手方の意向は訴訟なり何なり申し立てることもやはり可能だと思います。従ってその所有権の根本問題はどうしても訴訟、調停あるいは話し合いによってやるほかない。私どもできる限り調べてもどうしてもこれははっきりしないので、それ以外に方法はないと考えます。またいろいろこの間に立ちましてあっせんをしようという人がありまして、その人々から相手方に幾らやるというような案も出たのでありますが、現在におきましては、本人はさようなことで解決いたしたくないと言っておりますので、私どもといたしましては、さようなことでは解決しない方がむしろいいとすら現在は思っております。従って解決の方法といたしましては、松原本人が相手方に、つまり裁判によることが一つの解決法でありますが、裁判をいたしまして、そうして何らかの判決があればそれに従うほかはないけれども、裁判所でもこれはおそらく非常に持ち扱いにくい事件だと思いますので、さような場合には二つの方法が考えられる。一つには松原氏から何がしかの金を出して、それでもって解決する方法、あるいは中島氏が所有権を放棄する――放棄といいますか、いわゆる松原氏の方に返す、さような方法によって解決をする二つの方法しか考えられない。しかしながらそのいずれによるかは当事者同士が話し合いをするほかないのでありますが、私どもこれはできる限り間に入って、解決できるならば早く解決いたしたい、かように考えております。
○高津委員 重要書類の保管は文部省の国際文化課かあるいは博物館の調査課か、そのどちらにあるのでしょうか。どっちが所管しておるのか。両方同等ですか。
○岡田説明員 その当時の国宝の所有権の移転関係の書類は、当時文部省の文化課で保管いたしました。現在は文化財保護委員会の美術工芸課で保管いたしております。
○高津委員 松原氏は上司に幾ら訴えても正しい解決が得られない、思い余って芸術新潮にあのように詳細をきわめた発表をして世論の支持を得よう、こういう態度に出ざるを得なかったのでありますが、あなたの部下としておりますけれども、この松原君を首にするとかいじめるような、そういうようなことはしないということを私は一ぺんここで聞いておくといいと思うのでありますが、あまり意地悪しないですかね。
○岡田説明員 松原君は埴輪の修理につきまして、非常な特殊な技能を持っております。実は他にさような技術を持っておる者はないと思います。さような意味で非常に貴重な人でありますので、私どもは松原君の技術はどこまでも生かして国宝修理のために尽瘁していただきたい、さような考えを現在も持っております。そういう意味から、松原君が所有権を主張することは非常にけっこうであるが、そればかりに夢中にならないで、平素の仕事に一つ十分力を入れ、その特殊な技能を発揮してもらいたいということは常に申しております。さような見地から、私どもも間に入りましてできるだけ本人の身の立つように、仕事を将来ずっと続けることができるように、そしてまたこの事件もできるだけ早く解決するように、かようなことを考えております。
 ただちょっと申し上げますが、私どもが委員長を初め誠心誠意この問題を解決いたしたい、さように考えて、たびたび懇談いたし相談いたしておりますが、遺憾ながら事実はまだ解決いたしませんけれども、さような気持ででき得る限り努力いたして今日まで話し合いをいたしておりますが、突如として雑誌に経過を投稿し、そして云々ということを言われましたので、その事実を知りましたので、委員長を初め内部の関係者は本人を呼びまして、それは国家公務員の身分として他の雑誌にさような学術上の研究論文ならば非常にけっこうでありますが、さような事柄に対して書いて、そして上司を非難するようなことは、これは国家公務員として穏当じゃない。そういう身分をやめたならばそれは別でありますけれども、国家公務員としてやることは適当でないということは、本人には申しております。これに対しましては、公務員として一つの規律を破ったのじゃなかろうかというような観点がございますので、それに対してどういう処置をするか、これは別途に私どもとしては研究いたしたいと考えております。
○高津委員 公務員としては、規律を乱したものと認めているのですか。
○岡田説明員 その疑いが多分にございますので、それらの点は別途に研究いたして、その上で処置いたしたい。
○高津委員 そのようにして目下処分を検討しているということでありますが、幾ら上司に言っても上司が扱ってくれない場合に、やむを得ずして世論に訴えるという行為に出ても、それはやはり公務員のやるべきことの範囲を出ているというので、首にならねばならぬということは、私は非常に残念なことだと思います。もう一つ役所のやり方で、これに夢中になって仕事に専心できないようなことがあっては困るという、その分の口実で、仕事を少しサボっているからというような点で、転任にしたり首にしたりする、そういうような手を使う場合がありますが、文教委員会で今この問題を扱っているのでありますから、そういう処置に出られないことを望んでおきます。
 私は関連質問でありますから、きょうは質問いたしませんけれども、なお文化財保護委員会やあるいは博物館、国立近代美術館における奇々怪々なうわさを鑑定について聞く。あらゆる資料の提供を受け、われわれはまた大へんなことをいろいろ聞いております。さらにその資料を整理して十分伺いたいと思いますが、関連でありますからきようはこの程度にとどめておきます。
○佐藤(觀)委員長代理 この際暫時休憩して、午後一時二十分より再開いたします。
   午後零時八分休憩
     ――――◇―――――
  〔休憩後は開会に至らなかった〕