第026回国会 文教委員会 第34号
昭和三十二年九月二十七日(金曜日)
    午前十時四十九分開議
 出席委員
   委員長代理 理事 佐藤觀次郎君
   理事 伊東 岩男君 理事 稻葉  修君
   理事 高村 坂彦君
      簡牛 凡夫君    千葉 三郎君
      並木 芳雄君    永山 忠則君
      原  捨思君    古川 丈吉君
      保科善四郎君    池田 禎治君
      高津 正道君    辻原 弘市君
      平田 ヒデ君    小林 信一君
 出席国務大臣
        文 部 大 臣 松永  東君
 委員外の出席者
        文部事務官
        (大臣官房総務
        参事官)    齋藤  正君
        文部事務官
        (初等中等教育
        局長)     内藤誉三郎君
        文部事務官
        (社会教育局
        長)      福田  繁君
        文部事務官
        (管理局長)  小林 行雄君
        文部事務官
        (文化財保護委
        員会事務局長) 岡田 孝平君
        日本芸術院長  高橋誠一郎君
        専  門  員 石井つとむ君
    ―――――――――――――
九月二十七日
 委員田中久雄君、野依秀市君及び山口好一君辞
 任につき、その補欠として原捨思君、古川丈吉
 君及び保科善四郎君が議長の指名で委員に選任
 された。
同日
 委員原捨思君、保科善四郎君及び古川丈吉君辞
 任につき、その補欠として田中久雄君、山口好
 一君及び野依秀市君が議長の指名で委員に選任
 された。
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 道徳教育、学校施設の拡充及び日本芸術院の運
 営等に関する件
    ―――――――――――――
○佐藤(觀)委員長代理 これより会議を開きます。
 委員長が所用のため欠席いたしますので、その指名により理事の私が委員長の職務を代行いたします。
 まず文教行政に関する調査を進めます。質疑の通告がありますのでこれを許します。高津正道君。
○高津委員 私は文化財に関して質問いたします。
 最近、文化財保護委員会において欧州巡回日本古美術展が計画されており、英、仏、イタリア、オランダとの間に交渉が進められつつあると聞いておりますが、その趣旨やまたその規模、期間、現在の進行状況について簡単に当局の御説明を承わりたいと思います。
○岡田説明員 お答え申し上げます。昭和二十八年にアメリカの五大都市におきまして日本の古美術展覧会が開催されました。これが非常に成果を上げまして、欧州におきましても非常な反響を呼びまして、ぜひヨーロッパの国々において日本の古美術展覧会を開催してもらいたいという申し込みが続々と参ったのであります。しかしながら文化財委員会といたしましては、アメリカで行われました展覧会の直後でもありますし、また日本古美術品というものが特に保存の点において、非常に慎重な取扱いを要するという点に留意いたしまして、これにつきましては、外務省とも打ち合せの上、慎重な態度で参ったのでありますが、特にフランス側から熱烈な要求があり、外務省におきましていろいろ調整の結果、フランス、イギリス、オランダ、イタリア、この四カ国に限りまして、日本の古美術展覧会を開催するということになって参りました。その間ずいぶんいろいろいきさつがございましたが、これは省略いたします。この四カ国におきまして、一カ国一会場、一会場におきましては、会期二カ月ということで交渉が進んで参ったのでございます。そこで本年の四月からこれを開催するという予定で、すでにその予算も大蔵省からいただいておったのでありますけれども、たまたま昨年スエズ運河を中心といたしまするヨーロッパの情勢に相当不安を感じる点がございまして、外務省といろいろ打ち合せの結果、これを一カ年延期するということにいたしまして、ただいまところでは、来年の四月からこの展覧会を実施するということに相なっております。
 趣旨は、日本の美術品がヨーロッパにおきましては、ほとんど浮世絵以外には見るものがございませんので、非常に関心が薄いのでございまして、この際国際文化交流の上から日本の文化の力をヨーロッパ側に示すという点から見まして、これはぜひ必要なことである、こういう観点からこの交渉を進めておるのであります。だんだんと交渉が進んで参りまして、ヨーロッパ側ともほとんど話し合いが終りまして、八月の三十日に閣議におきまして、この展覧会の開催の件並びにそれに必要な予算といたしまして、本年度の分の予備金約七百万円の支出の承認を八月三十日の閣議で得たのでございます。それに出品いたします品物は、件数にいたしまして九十三件、絵画及び彫刻で、この二つに限りますが、彫刻の中には埴輪、土偶を含むということになっております。合計で九十三件でございます。
 これを運ぶにつきましては、相当慎重にいたしまして、火気の点及び保存の点から、たびたび専門家とも協議をいたし、さらに文化財専門審議会の部会にこれを諮問いたしまして、慎重審議の結果、この結論を得たのであります。なおこの梱包であるとか、あるいは輸送であるとか、そういう点、それからヨーロッパの展覧会におけるいろいろな保存に必要な措置等につきましては、十分にこちら側といたしまして、この展覧会の実施の協定書を作りまして、それによりまして、具体的な展覧会を実施いたすという運びになっておる次第でございます。
○高津委員 今件数と言われたのか点数と言われたのか不明でしたが、九十三という数字は件数ですか。
○岡田説明員 件数でございます。
○高津委員 分けて言えばどうなりますか、件数は幾ら、点数は幾らと。
○岡田説明員 件数にいたしまして九十三件、点数にいたしまして百四十三点、これはたとえば絵のようなものでございますと、一つの画面で八枚もある、あるいは四枚もあるというようなものもございますので、点数はふえております。
○高津委員 日本から持ち出す欧州巡回日本古美術展に対して、それらの国々から交換的に先方の相当の美術品を持ってきて、日本において展覧させるというようなことになっているのでしょうか。
○岡田説明員 これと交換条件に各国から必ず日本側に美術品を持ってくる、そういう具体的な取りきめはございません。ただオランダにおきましては、ずっと前からゴッホの展覧会を日本に持って参るという話がございましたが、それがこの日本側から持って行きまする古美術展が確定しなければ持ってこないというようなことで、事実上の交換条件のようなことになっております。おそらくゴッホ展覧会はこの展覧会が行われたならば必ず日本に持ってきて実施されるであろうと思います。その他の国におきましては、そういう具体的な交換条件はございませんが、これが契機になりまして、おそらくりっぱな展覧会など日本に参るようになる、かように予想いたします。
○高津委員 オランダはゴッホをよこす、こういうことでありますが、これと交換条件ではないが、これが行けばそのゴッホが来ることになっておる、こういうように承わったのでありますが、英仏伊にもこの際こちらからばかり出さないで、今こそ交渉すべきものじゃないんですか。
○岡田説明員 ちょっと申し落しましたが、イタリアにおきましてはルネッサンス展覧会といいますものを日本に持ってくる計画がございまして、これもほんとうの意味で交換ではございませんが、この日本展覧会が行われますならば、それが非常に早められるということは考えられます。イギリス、フランスにおきましては直接にそういう話はございませんが、やはりこの機会をとらえまして、今仰せになりましたようなことは努力したいと思っております。
○高津委員 オランダのゴッホ展、それとイタリアのルネッサンス展、それはいつごろ、どのような規模のものが来るかわかっていませんか。わかっていれば、少しでも輪郭を承わっておきたいと思います。
○岡田説明員 ゴッホの問題はだいぶ以前からの問題でございまして、ちょっとしばらく話が中断しておりますので、最近の情勢はよく承知いたしておりませんので、的確なことは御返事できませんが、ゴッホの非常な傑作をかなり多数、また時期は早ければ来年というふうに承知いたしております。
○高津委員 ゴッホというとオランダの非常に誇りとしておるオランダの最大の芸術家ということになっておるのでありますが、そのどのクラスのものが来るのか。一番いいものは外国へほとんど送らないように私は聞いておるのでありますが、何点来るのか、どの程度のものが来るのか、それはわかりませんか。
○岡田説明員 これも的確な御返事はできませんが、ゴッホの第一級の作品が三、四十点というふうに承知いたしております。しかしこれは先ほど申しましたように以前の交渉でございまして、最近ちょっと交渉がとだえております。また新たに的確の話を聞いてみないとわかりません。
○高津委員 今のお話のようにそれが成功するように私は望んでいるのであります。ゴッホの第一級のものが三、四十点も日本に来るということは今まで全くなかったことであって、非常にいいことだと思います。ところで八月三十日の閣議決定で、予備金から七百万円の金を出す、向うが運搬費から会場費すべての費用を持つ、そういうものじゃないのですか。
○岡田説明員 この経費の分担の点は次のようになっております。この品物を日本側におきまして所有者の手元からこれを受け取りまして、そして一たん博物館に納め、そこでいろいろ点検をし、あるいは場合によりましては補修などいたし、それから横浜の港に持っていく。つまり所有者との出品交渉並びに荷作り並びに横浜まで運びます輸送の費用、それは日本側で負担をする。それから横浜の港を出まして、ヨーロッパ側をずっと巡回いたしまして横浜の港まで帰ってくる、その間の一切の費用はヨーロッパ側で負担する。最後に横浜に帰りまして所有者の手元に返却する費用は日本側で負担する、つまり簡単に申しますと、国内における費用は日本側において負担し、横浜の港を出ましてからはヨーロッパにおいて必要な費用は負担する、そういうことになっております。
○高津委員 一カ国、一会場、二カ月、それが横浜を出て今度日本に帰ってくるまでの期間は、一カ年くらいかかるのじゃないですか。
○岡田説明員 展覧会は来年の四月十五日にパリのオランジェリー博物館で行いますが、それが最初でありましてイギリス、オランダ、イタリアというふうに回りまして、最後が再来年の二月一日までとなっております。従ってその前後に輸送の期間がかかりますので、全体におきましては一年半かかる予定でございます。
○高津委員 その一年半の間に欧州巡回日本古美術展に出品されるそれらの日本の古美術品に日本から何人くらいついていくのですか。またどういう役職の人が行くのですか、固有名詞は必要じゃないです。博物館から行くのか、文化財保護委員会から行くのか、文部省から行くのか。
○岡田説明員 この展覧会に必要な人員につきましてはヨーロッパ側は四人でたくさんである――これはその費用、旅費滞在費等はヨーロッパ側で負担するという大体の約束でございますが、四人でたくさんであるという意見でございましたが、日本側といたしましてはその作品の保存の万全を期する意味におきましてどうしても六人必要である、こういう申し入れをいたし、結局におきまして、その四人の経費の負担の問題でございますが、これはヨーロッパ側で負担し、二名の費用は日本側で負担するということになっております。さように万全を期する意味におきまして六人の者を派遣いたします。それには絵画、彫刻のそれぞれの専門家、文化財保護委員会並びに博物館、場合によりましては文化財研究所の専門の職員を派遣いたしますが、その派遣いたします者の氏名は選考中でございましてまだ決定しておりません。
○高津委員 近代美術館からは行きますか。
○岡田説明員 近代美術館からは参りません。
○高津委員 そうするとあとの二人は七百万円の予算の中から出すのですか、それとも文化財保護委員会の持っている何らかの財源から出すのですか。
○岡田説明員 七百万円の中から出すことになっております。
○高津委員 私は出品目録を見る機会を得たのでありますが、その中に海外に持ち出してはいかぬだろうというような国宝や重要文化財が含まれておると思うのであります。それは数で言うと十二点です。その中でも等伯筆「松林図」、それから重要文化財菱田春草筆「黒猫図」一幅、それから彫刻で国宝の「銅造観音菩薩立像」、これは一躯でありますが、この三つなどはどうしても海外へ出してはいけないのではあるまいか。ほかにもう九点ありますからついでに読んでみますと、国宝になっておる水墨ですが、雪舟筆「天橋立図」、同じく国宝「秋冬山水図」、重要文化財雪村筆「洞呂賓図」一幅、それから肖像画で「国宝明恵上人像」、それから同じく等伯筆「猿猴図」、浦上玉堂筆「山水図画帖」、そこらは重要文化財ですが、円山応挙筆「保津川図」八曲解風のうち一双とか、彫刻の方で重要文化財「木造男神坐像」、重要文化財「木造上杉重房坐像」、こういうような十二点を数えたのであります。貴重な時間でありますからこの三つだけについて申しますと、雪舟筆の「天橋立図」というのは、雪舟の山水画の中では一番優秀だといわれているし、天橋立の中でも五重塔などがあって、ときに雪舟はいかにも中国の模放だと言う人もあるが、そうではないと区別する最も有力なものであるし、しかも晩年の作であるから、このような重要なものは危険を伴う海外には出すべきでない、こういうように私は考えるのであります。それからまた等伯筆の「松林図」は長谷川等伯の一番の傑作であって、山水画の中では飛び抜けてよいものだという。類品があるとかいうのならばいいのでありますが、このようなものを出して万一のことがあったならば、それこそだれが責任を負うにしても大へんなことである。菱田春草の「黒猫図」はこれも絶筆で、かつ非常に苦しんでたどりついたもので、かけがえのないものだということを聞いておるのであります。そういうふうにかけがえのない日本の宝であるとすれば、いささかの危険にもさらすことなく、民族のためにこれを国内に保存する。その次の品を出すことはいい。富岡鉄斎のように――やはりここにも持っていくようになっておりますが、実にたくさん作品があるから、そのようなものならば何十点一度に持っていってもかまわぬかもしれないけれども、こういうようなかけがえのないようなものをヨーロッパに持っていくということは問題であろうと思う。
 もう一つ落しましたが、銅像、観音菩薩の立像――夢違観音と呼ばれておるもの、これも専門家からいろいろ聞いてみると、奈良朝前期の諸作中の最優秀品だと承わるのであります。こういうようなものは、十二点みなそれぞれ私は聞いて書いたのでありますが、こういう国宝はよほどの条件が具備しなければ出すべきものでないし、またそういう条件はとても具備するものではない、こう考えるのでありますが、当局においてはどうして外国からはあまりいいものが来ないのに、日本だけこういうものをどんどん出す、こういう決定をせられておるのか、お伺いしたいと思います。
○岡田説明員 作品の選定の問題でごさいますが、実はアメリカにおきまする日本の美術展覧会の場合には、相当にいいものが、それこそ第一級のものか参ったのでございます。しかしながらヨーロッパ展におきましては、私どもといたしましては、今お述べになりましたようなかけがえのないようなものはできる限りこれを避けることにいたしたいということで特に慎重審議いたしたのであります。そしてなお保存の万全を期しまして、それとの関連の上におきまして出品の品物についてはまず保存のよいもの、これを持ち出しましても比較的損傷のおそれのないもりを選びました。またこれを外国に持って参るのでございますから、なるたけ外国人に理解のしやすいもの、よい作品で、しかもわかりやすいものというような点に注意いたしたのであります。さようにいたしましてアメリカの場合に比べますと、質から言いますならば、かなり落ちておるというととははっきり申し上げていいかと思います。しかしながらおっしゃいましたように相当の品物もございますが、それらの点につきましては、それぞれ専門家の間におきまして慎重審議されたのでございますから、専門家の決定に待つ以外にない、かように考えております。たとえば今お述べになりました雪舟の作品等につきましては、毛利家にあります「四季山水」これはいわゆる長巻でございまして、第一級のものでありますが、それは持っていかない。そのかわりに「天橋立図」を、これはアメリカ展の場合にも持って参ったのでありますが、非常に外国人にわかりやすいという点で、保存の万全を期しまして持っていくことにいたしたのであります。それから今お述べになりました等伯の「松林図」でありますが、これは特に陳列期間を短くいたしまして、他の作品と交換をいたしまして半分に分けまして保存の万全を期するというような注意をいたしております。また特に絵でございますが、いやしくも退色のおそれのあると思われるようなものは紫外線よけのガラスを用いさせて、ガラス・ケースの中に陳列させるという条件も付したのであります。
 なお全般的に申しまして、最近デパート等において開催いたします展覧会等の際には、これは国宝、重要文化財等の公開取扱い制限品目と申しておりますが、これが第一類、第二類、第三類とございまして、絶対に現場を移動してはいけないものとか、あるいはデパート等における展覧会等には出品できないようなものとか、その他三つの種類がございまして、これが二百五十六点ございます。さような国内において公開を制限いたしておりますものは、今回は一点も選定いたしておりません。
 なお出品物の輸送等については、船の中に積み込む際には特に専門の係官二名がこれに随件いたしまして、そうして自動温度調節装置のあるフランスのMM会社の船で輸送することにしております。なお警備その他も万全を期しております。また展覧会においては一般的な展覧会場の設備の条件、たとえば照明とかそういうもののほかに特に日本古美術展を開くことについての特別の条件を付して、品物の取扱いはすべて日本人の係官がこれを行うというふうにいたし、またその温度、湿度等についても特別の条件を付して品物に対する影響のないようにいたしたいという措置をとることになっております。
 なお出品物の取扱い、ことに輸送の取扱い、梱包であるとか、それを開く場合とか、あるいは展覧会の展示とか撤去等、すべて専門家が取扱う。また陳列のケースは出品物の保全と陳列効果をねらいまして、日本側が設計いたしましたケースを作らせまして、それにおさめまして陳列せしめるというようなことにいたしております。とにかくできる限り万全の措置を講じてこの展覧会に遺憾ないようにいたしたいというふうに思っております。
○高津委員 私は外国に比べて日本がさらに一級品というか、非常に貴重なものを出すのは、劣等感のいたすところであろうと申したのでありますが、ヨーロッパとアメリカと格づけして、アメリカへは相当のものを出したが、ヨーロッパへはこの程度に――その程度でも私はやはり劣等感が支配していると思いますが、あなた方のそのアメリカを一段上にしておられることだけがはっきりしたのであります。
 それから等伯のものは二分の一の期間に縮めたから、半分危険が薄くなった、それはわかりますが、しかし一年半の間ずっと持ち回れば、ノリにしても、古く表装したものもあろうし、新しく表装したものもあろうし、自動温度装置があっても、あるいはガラスの箱に入れて紫外線を防いでも、相当いたむんじゃないでしょうか。科学的に間違いないという自信がありますか。とにかく専門家の議を経てやったのだから、手続に間違いはない、そういう手続の問題をいつも持ち出されますが、ほんとうに一年半さらして間違いないでしょうか。
○岡田説明員 アメリカの場合は特殊な事情がございまして、これは一つの平和条約の記念という意味もございまして、アメリカの方からぜひりっぱな展覧会をやってくれという要望が非常にあったのであります。ちょうど、京都、奈良を救ったのが例のウォーナーさんである、そういう話も伝えられておりますが、そのような方面からも非常に強い要望があり、またロックフェラーの方からも要望がございまして、そういう特殊な経過でもって、かなりこれはりっぱなものを出すことになったのでございますが、それが非常に効果がよかったのでございますけれども、しかしながらいろいろ御心配のように、一方保存の点におきましてかなりこれは主張しなければならぬという点はありますので、アメリカ展の結果をよく検討いたしまして、そして今回のヨーロッパ展の場合も検討いたしたのでありまして、私どもといたしましては、専門家の十分なる審議を数年間経ておりますので、まずその結論によるよりしようがない、かように考えております。
 今紫外線よけ云々のお話もございましたが、これは品物を一ぺん全部国内に十二月ごろ集めまして、そこで品物を全部点検いたし、もしも万一これはどうしても危険があるというようなことを発見いたしましたならば、その際にまた別な決定をいたすことも可能であります。さように特に念には念を入れて、いささかもこれがために危険の起らないように特に注意いたしたいと思っております。
○高津委員 あまり長くなっても困りますから、そういう最後に検査をする場合に、事務的措置で、どうもこれは困るというその中に、今の十二点をぜひお入れ下さることを強く要望いたします。
 これで文化財に対する質問は終ります。
○佐藤(觀)委員長代理 高橋芸術院長が来ておられますが……。
○高津委員 それじゃ続いて高橋芸術院長にお尋ねいたしますが、七月の三十日に日展運営理事会をお開きになって、本年の分は、行きがかりもあり、準備関係があって、従来通りで日展をやるが、来年からは芸術院から日展を分離して運営する、こう御決定になったと新聞は報道しているのでありますが、それは文部省からも分離するのだ、こういう意味はもちろん含んでいるべきだと私は考えますが、院長のお考はいかがでございましょうか。
○高橋説明員 ただいま高津さんのおっしゃいました通りでございまして、すでに日展運営委員会は文部省からは離れることに相なっておりますし、また芸術院からも大体離れているのでございますが、まだわずかばかりのつながりを持っておったのでありますが、このたびこれを切り離してしまいまして、運営会が全く独自に展覧会を開く、こういうことにきめたのであります。なおこれは明日運営会の総会を開きまして、ここで協議することに相なっているのでありますが、その際いろいろ意見が出はしないかと考えているのでありまして、再び文部省との関係を一そう緊密ならしめるというような意見があるいは出るのではないかとも考えておりますが、しかしながら大勢は官展に反対し、また芸術院とのつながりも切ってしまうということに傾くのではないかと考えております。大体理事会の決定通りに総会も通過することと考えておりますが、明日二時から開かれることになっておりまして、どういうことになりますか、ただいまここではっきり申し上げることはできないのであります。
○高津委員 新しい日展において芸術院会員がむろん参加するわけでありますが、その地位というか、関係はどのようになるのでしょうか。
○高橋説明員 もし理事会の決定通り明日の総会で決定いたすといたしますならば、今後の組織運営をいかにすべきか、これは慎重な研究の後にやらなければならぬと存じております。しかしこういうことを考えますのも、まずこれまでの理事会が研究すべきであると存じますので、この理事会の中に委員会と申しますか、研究会と申しますか、こういったようなものを設けまして、ここで十分研究した上のことにいたすことと相なると存ずるのであります。
○高津委員 明日の会議もあることでありますから突っ込んで何も質問いたしませんけれども、芸術院会員の中に全く風上にもおけないというような行動をする人物が現われたり何かした場合に、辞職したがよかろうと言っても辞職しないと言ってずっとがんばり通すというような者がある場合に、芸術院全体の名誉を傷つけるというような者が将来あるいは幾人も現われる場合もあり得ることは予想されるわけでありますから、芸術院は表彰機関でありますけれども、何らかそういうことに対して規約を設ける、こういうようなことを院長としてお考えになったことはないでしょうか。
○高橋説明員 芸術院の会員の中に芸術院会員としてふさわしくない人がありました場合に、除名そのほかの罰則を設けるという考えは私にございませんのであります。御承知のことと存じまするが、芸術院は会員を補充いたしまする場合に、ただ候補者をあげまして大臣に答申するだけのものでございまするので、もし芸術院会員中に芸術院会員たるにふさわしくない人の現われました場合には、これは大臣の方でしかるべき処分もされるでございましょうし、あるいは大臣の方からいかに取り扱うべきであるか、芸術院はどう考えておるかという諮問のありました際には、むろん芸術院の会議を開きまして芸術院の態度を決定すべきであると考えます。しかし日展運営会の理事の中に芸術院会員たる者、そのほかの中にはなはだいかがわしい人物が現われたというような不祥なことがありまする場合には運営会がどうこれを取り扱うべきか、これは今度できまする新しい運営会規則の中に一項を加えるべきであるかどうか、この点は先ほど申しました研究会ができました際に、そこの問題とすべきであると考えております。
○高津委員 芸術院の規則は別に改正しなくても、芸術院会員にもしそういう芸術院の名誉を傷つけるような人が現われた場合には、文部大臣の行政措置でそれは措置し得るような道がある、こういうことを言われたのでありますが、そしてまた繰り返して失礼でございますけれども、日展運営会のようなものについては新たに規約を設けることになるかもしれない、そういう御意見と承わってようございますか。
○高橋説明員 その通りでございます。
○高津委員 それでは次に伺いますが――これだけしかないのです。いろいろ審査や受賞について日展において非常に非難があるのでありまして、それで今年はその点は特に審査員長の役を務められる高橋院長が意を用いられることを私は希望してやまないものであります。現に書道の審査員をやり、むろん異色作家でもあった上田桑鳩氏が「日展離脱始末記」というものを書いておるものの中に――芸術新潮の第七巻第六号でありますが、その中にわれわれが見ても全くこれはむちゃだというようなことが責任を持ってしるされてあるのであります。たとえば「芸術院賞の西川寧氏のは当を得た尾上長老の辞であったが、文部大臣賞の某氏のは、大略次のごとき驚くべき説明が、豊道長老からなされた。某君の一昨年の作品は感服したが、」――これは歓迎会の席上でのあいさつです。「昨年のは、はなはだ気に入らなかった。しかるに推薦したのは、推薦担当の自分が、期日を失念し、期限直前四、五十分、文部省より督促され、倉卒として同君推薦の手続をとった。これで主要事項は終り、あとは推薦理由や経過に関係しない辞で濁された。」そうしてまたその作品は非常に不人気であったし、一昨年のには感心したが、昨年のには感心しなかった。これは問題にならぬが、督促されるからその分を使った。それを地方で名作展というか出品した。北海道へ持っていって、同じような歓迎会の席上であんな作品が文部大臣賞になるというのはけしからぬといって、非常に大きな騒ぎが起きたというような問題も伴っておるのでありまして、書道は普通の絵と違ってひな形を先生に書いてもらって、それを五回も十回も数十回けいこして、その流派でその先生のモデルの通りに書いて出すと通るというような、そういう他の絵と違う点があります。おまけにあれだけ書道の出品がされるのに、芸術院会員から出ておる日展運営会の理事はただ一人でありますから、大へんその人の流派だけに片寄るという弊害が、だれ知らぬ者もない事実になっておるのであります。いま一人、尾上柴舟氏の欠員はいつ補充されるのであるか、いよいよ弊害が起ることになります。こういうような弊害が、芸術新潮のような専門の不偏不党の雑誌にずっと始末記が載っておってわれわれが見ても驚くのでありますし、書いた本人に聞いてみてもその話を詳しくするのであります。だから本年の受賞や審査は特に世論にかんがみて慎重に間違いのないようにしていただきたい、今の質問の中に、もう一人芸術院会員を早く作られる用意があるのかないのか、そういう意味も入っておるのであります。
○高橋説明員 芸術院会員の中の書道はただいまお話のございました通り、豊道春海さんただ一人に尾上柴舟氏のなくなられました後はなっております。で、これは近いうちに補充が行われることに相なっております。これははなはだどうかと思うのでありまするが、選考委員としてあげられまする者が豊道氏ただ一人でありまするので、一方に傾くというようなおそれなしとしないということが世間にも言われはしないかということで豊道氏は非常に神経過敏と申しまするか、周到な注意を払っておられますので、今までには全く例のないことでありまするが、今度の会員の補充につきましても多数の書道家の中でしぼりにしぼりまして四人をあげまして、そして内密に私のところに見えられまして、この四人の中のどの人をあげたらばいいのであるか、こういうような質問を受けたのであります。私といたしましてもこの四人の諸君いずれもみなりっぱな書家であるとは考えておるのでありまするが、特にこの方が一番適任であるというようなことを申し上げかねましたので、なおあなたも十分お考え願いたいし、それから第一部の会員そのほかの中には相当書道に明るい方もおられまするので、そういう方たちの意見を聞いて慎重に取り計らっていただきたい、こう申し上げたのであります。おそらく慎重に慎重を期して推薦されることと存じまするのでありまするが、もしこれが一方に片寄るとか不適任者があげられるとかいうようなことでありまするならば、御承知のように第一部全体の投票によりまして大体決定いたすのでありまするからして、そういう方がもしあげられたとしまするならば票数は少いのではないかと存じますし、それからさらに会員全体の意見を聞いて決する、こういうことになっておりまするので、その際にも異論が出るのではないかと考えております。こういうことを申してあるいは恐縮かも存じませんが、書道はきわめて後に入って参りましたものでありまして、日展などでも初めは書道はございませんでしたが、おくれてこれが加わることになりましたので、日展の運営会の理事並びに委員諸君、あるいは芸術院の会員諸君の間には、相当きびしい眼をもって書道を見ておられるのでありまして、豊道さん、それからおなくなりになりました尾上八郎さんなども、相当何と申しますか、つらい思いをしておられるように存じたこともたびたびありましたので、決して専横専断というようなことはないように考えております。
 それから日展の方でございまするか、これもなるほど芸術院会員として日展の理事になっておられまするのはただいまのところ豊道氏一人でありまするが、これには参事が十五人おられますのでありまして、それらの意見を開くことに相なっておりまするので、伏して豊道氏がただ一人で事を決するこいうようなことはないと存じます。今お話になりました芸術新潮所載の上田桑鳩氏の書かれましたもの、私はなはだ何でございまして実はまだこれは読んでおらぬのでありまするが、書道のようなことはこれは実にむずかしいところでありまして、ある人が特選になったとか芸術院会員にあげられたとかいうようなときには、それに対しましていろいろな批評が出るのでありまするので、私帰りまして早速上田桑鳩氏の書きましたものをよく読んではみまするが、果してそれが当っているのかどうか、まあただいまのところでは申し上げかねるのでありまするが、西川寧氏が書道界における地位というものはすこぶるかたいものでありまして、昨年の出品が果してどうであったか、これはいろいろ批評の余地もあることと存じますが、書道方面におきましてはきわめて大きな仕事をしておられる方でありますので、決して西川氏をあげましたことがさほど不当なこととも考えないのでありますが、ときにいろいろな議論が出ますために、豊道氏も西川氏もいろいろ苦慮しておられることと察するのでありまして、どうぞこの点一つ御了察願いたいと存じます。
○高津委員 私の前の半分の質問、今年の審査、受賞、それは一そう気をつけてやっていただきたい、こう言ったのに対する御答弁がないのです。それから今院長のお話の中にもう一点、西川寧氏の芸術院賞が不当だと言ったのではないのです。尾上長老が、その分は当を得た歓迎の辞というか、それがあった。その次の文部大臣賞の分なのです。東京のある人であります。そこは違っておりますから……。それから、参事が十五人いるのだから芸術院会員の理事が一人であっても公平に行われる、こう言いますが、実は政府の任命する審議会とか委員会というものは、任期満了が近寄ると、みんなまた委員に再任されたいから黙ってしまうのです。政府の思う通りに委員が任期満了が近寄るとなると弊害があるのであります。それで参事が十五人おるといっても、参事の任命権は芸術院会員が持っておるのですから、任命権者一というもののにらみは大へんにきくわけです。それから院長が今言われるから、もっと触れれば、西川寧という人のお父さんは豊道さんの先生ですな。そういう関係もありますが、実力のあることは私も認めますよ。だが一党一派の縁故関係、子弟関係で全部独占しておるような非難があるという点は大いに気をつけられる方がいいと思うのであります。あらためて私は釈明して、言葉少くてけっこうですから院長のお答えをいただきたいと思います。
○高橋説明員 先ほども申しましたように、書道に対しましては特に運営委員会あるいは審査委員会の目はきびしく動いておりますので、ただいまのような非難がありましたならば一そうまた審査を厳重にするように相なることと存じます。これは私ははっきり申し上げることができると存じます。
 それから西川寧さんでありますが、このお父さんの関係で豊道さんがどうこうということはどうしても考えられないのであります。西川春洞という方は長く書の方の教科書を書いておられまして、私どもも実は小学校で西川春洞先生の書を学びました。学んだというと、はなはだなんでございますが、そんなふうにしまして、もしわれわれのような者までも春洞先生の弟子といえば、これは非常に多いと思うのであります。豊道さんと春洞先生との関係がどこまで緊密なものであったのか、私は今この席でちょっと申し上げかねるのでありまするが、これによって動かされるというようなことはおそらくなかったのではないか。書道界における西川寧氏の業績を高く買っておられるためではないかと存じます。
○高津委員 私の言ったのは、書道だけ受賞や審査を考慮するというのでなしに、その全般、美術工芸や彫刻や日本画や洋画、それを従来よりももっと、あまり批判の起らないようなことにしていただきたい。そとの部分の答えがまだないのですよ。
○高橋説明員 年々歳々審査は厳密にするということを申し合せておりまするので、今年はことに……。
○高津委員 それでいいです。
○佐藤(觀)委員長代理 辻原弘市君。
○辻原委員 大臣に二、三お尋ねをいたしたいと思います。それは大臣が御就任なすって初めての記者会見であったかと思いますが、その席上で、たしか記者団の方からの質問であったと思うのですが、道徳教育について、一体以前のような特別な科目を設定して道徳教育をやるのかどうか、こういった意味の質問に対して、大臣は肯定をなさらなかったように私は記憶いたしておるのであります。特別な科目を設定することではその目的は達せられない、道徳教育というものを総合的に一つやって参りたい、こういったような御趣旨であったかと記憶しております。ところがその後、私は大臣の御発言を特に注意して拝見さしていただいておりますると、七月の十九日、それから八月の五日、この記者団会見においては、かなりお考えが進歩されたのか後退せられたのかわかりませんけれども、就任早々の発表あるいは御意見とは若干違った向きの御発表がありました。それは特別の科目を設定して道徳教育を推進するということも考慮しておる、こういうふうに発表しておられたように私は思います。その間に私は非常に道徳教育の扱い方についての大臣のお考え方が違ってきておるように思います。そこで一体今その点についてどのようにお考えになっておられますか。簡単でよろしゅうございますから、お述べを願いたいと思います。
○松永国務大臣 辻原委員の御指摘になった通りなんです。私が就任いたしました当時、その日記者団の諸君から、一体道徳教育をどうするつもりかというような質問がありました。その際に私は、そのときまでに私が考えておったことは、現在のように社会科の中で道徳教育も歴史も地理もやはり教えていけばよろしいだろう、ただしかし今までのとは違って少し強化していかなければならぬ、道義心を高揚していくようにもっと教材を強化していかなければいかぬというふうに考えておった。就任いたしましてから、さらにいろいろ研究を重ねてみました。そうすると、これは私のしろうと考えではありますが、どうしても社会科の中で教えるのでは、少し物足らぬのじゃないか。これはやはり独立した道徳科を置いて、そうしてみっちり一つ子供の頭の中にたたき込む必要があるのじゃなかろうかというような気持を起してきたのであります。御指摘の通りです。ですから私は記者団の諸君に申し上げることも変ってきた。なぜ私はそういう気持を起したかと申しますと、どうも社会科の中で教える道徳教育には、おのずから限界がある。すなわち社会科の中では社会道徳、公衆道徳にやはり限られておるような気持がする。そこでそれよりもう一歩掘り下げて、個人そのものの人格を陶冶していかなければならぬ、人間を作らなければならぬ。そうしてさらにその子供たちの是非善悪の弁別心、それを作り上げてやらなければならない。そうするのには、どうしても社会科の中では満足がいかぬのではあるまいか、そこで独立科目を設けた方がいいのではないかというふうに考えまして、それで私は新聞記者諸君にも率直にその旨を申し上げたのであります。ただしかし、断わっておきますが、そのときに私は記者諸君にも言ってあります。私はずぶのしろうとでありますから、そういうことを私が独断専行するというような気持は寸毫もありません。それぞれのエキスパートが文部省でもいろいろ審議会とかあるいはその他の委員会あたりで研究しておられるから、そういう人々の研究にまかせて、強化するその材料はどうするか、及び独立科を設けて、その独立科で子供に教え込んでいくことがよろしいかというようなことは、専門家におまかせして、その判断を仰いで最後の決定をしたい、こう私は新聞記者諸君にも申し上げておきました。今もってそういうふうな気持で、今教材審議会にかけていろいろ検討をしてもらうという気持で進んでおります。
○辻原委員 その点に対する大臣のお考えはよくわかりました。今大臣は、この問題については専門家の手をわずらわして、しかも現在教材審議会にかけて、それぞれ専門的な検討を進めておられるというお話でありますが、私はだれも公衆道徳や社会道徳を国民の間に、また子供たちに教育をすることに反対するものはあり得ないと思います。ただ問題はその方法論とそれから特定の目的をもって、今日の国家の形態に合わないような形のいわゆる道徳教育を押しつけようとすることについての大きな危惧がやはり国民の中にあるわけです。そういう点を払拭するためには、広く各界各層、あるいは政党政派をこえて、その広い良知によってこれらの問題を解決すべきであろう、かように思う。そういう意味合いから申しますると、今大臣のお述べになった、もちろん文部省のエキスパートもおるでありましょう。これはしかし行政官として、あるいは教育者としての範囲におけるエキスパートかもしれません。また教材審議会というものも専門家には違いはありませんけれども、それも一つの狭い範囲のものにしかすぎない。そういたしますると、もっと私は広い範囲においてその意見を聞くという慎重さがあってほしいと思います。文部省にはいろいろなたくさんの諮問機関がありまするので、私ども一々名前を覚え切れません。今これについて慎重に専門家の手をわずらわし、あるいはいろいろな意見を聞きたいという大臣のお考え方を、これを具現していくために何らかの構想がおありになるか、いわゆる文部省で言えば非常に重要な――軽重は各審議会にはありませんけれども、目的によって異なっておりますけれども、常識的に言えば中央教育審議会というものは比較的相当大綱をきめるための諮問機関でありましょう。そういったような非常に国民の衆知を集める、また国民に非常に関心を持たし得るに足るそういった一つの民主的な手続といいますか、世論を聞く機会というものをどういう形に大臣としてはお持ちになろうとしていらっしゃるか、この点を一つお聞きしたい。
○松永国務大臣 御承知の通り大きな問題ですから、衆知を集めて皆さんの御意見に従ってやりたいというふうに考えておるのであります。そこで特に私がそう考えるのは、もう七十近いじいさんがまた復古調だなんてよく言われるのですよ。だから決してそんなことじゃない、頭ははげておっても気持は新しいのだということを言いますが、それではなかなか納得してくれない。そこで私が一たび修身という口を開けば、やあじいさんも復古調だ、もとの修身を復活するつもりかということで非難する人があります。また非難してもかまいませんが、誤解をする人もあります。そこで私は一切修身ということを口にしないということで、道徳とか徳育とかいうことをいっている現状なのであります。従って私の考えは、復古調なんて、もとのああいう修身を復活しようなんで、今は夢にも考えるものではない、要するにああした修身教育で押しつけていったためにこの国を誤まったのです。ですから今の現状に即応し、しかも国際情勢に即応した人類の共栄共存の実をあげる基盤としての道徳教育を仕込まなければいかぬ、こういうふうに私は考えておるのですけれども、なかなか誤解しておりまして、私が年をとっておるから、そこでやあ復古調だ、昔の修身教育をやるのだ、教育勅語の復活をやるんだなんてひどいことを言ってくる人がありますよ。絶対にそういうことはありません。だがしかしそういうふうに変に思われておるだけに、慎重に衆知を集めてやりたいと考えて、今現に研究しつつあります。しかしとりあえず教材審議会あたりにかけて、今役所に現存しております審議会にかけて、それで一つの案を作ってもらうというふうに今やっております。さらにまたこれから進んでどういう審議会を作るかとか、あるいは委員会とか衆知を集める方法を作るかということについては現に研究を重ねておるところであります。御了承を願います。
○辻原委員 道徳教育について大臣と議論をするのが趣旨ではございませんので、意見も申し上げませんけれども、ただ独立をさしてもいいという考え方はこれは必ずしもわれわれ賛成できがたい点があるわけです。それは現在の社会科、これはたしか大臣が社会科のいろいろなあれをおやりなすったと思いますけれども、私もこれらの問題についての一つの考え方をまとめる意味合いにおいて、一応見てみました。やはりしさいに見てみますと、その社会科の中でやはり随所に各界の協力を得てやるという仕組みにはなっております。しかしそれをどうとなしていくかというところに一つの方法論の問題があるのではないか。取り出して言うならば、非常に簡単なんだ。われわれが習った時分を思い出しますと、私はちょうど「ハナ、ハト、マメ、マス」の時代にかかっておった。修身の第一は「木口小平は死んでも口かららっぱを離しませんでした」というあの項から始まっている修身を習ったのです。それらをずっと思い浮べてみますと、やはりそこに一つの国家的思想といいますか、与えんとする一つのイデオロギー、思想というものが今振り返ってみますと如実に出ておるわけです。そこでそういう特設科目をやった場合に、そこに目的をもってやろうとするならば、その教科の編成その教材の取り上げ方というものは非常に安易である。それが大臣のごときお年を召しておってもきわめて気の若い進歩的な方がそのいすにおられる限りは心配はございません。しかし年相応の頭を持つ方がするならば、そういう場合においては私は非常に機械的にしてきわめて安易に切りかえができるというところに今日やはり修身科という、あるいは名前を何とつけましょうとも お目としては徳目を羅列して、その穂日ごとに一つの思想を織り込んでいこうといったような一つの目的を文教の行政の中でやろうとするならば、それは私は行い得る可能性な持つ、そこに一つの危惧があるわけです。社会科の中で総合的にやるということは技術的にも非常にむずかしいし、私は教育者それ自体の資質にも関するし、教育者それ自体非常に高い識見とみずから率先していく意欲がその中になければ、やはりその安易な方法に堕する危険がある、従ってもし文教の府においてよりよい方法をかりに困難であってもとろうとするならば、私はその安易な道を選ぶよりはもう少しその方法論において考慮すべき点があるのではなかろうか、おそらくそういう意見が今日少くとも半分の意見であろうかと思います。従ってそれらの点について私が今申し上げましたように、やはり広い意見を聞くということに大臣がちゅうちょなくこの問題については進まれる必要があると思います。同時に道徳教育にも深い関係を持つのですが、教育課程の変更ということを文部省はかねてから考慮をして、そうして現在審議会にかけられておるようであります。これは相当広範に上っておりますし、当然文部省が諮問をした中には、いわゆる道徳教育の振興という命題をいかに教科の中に織り込むかという点について、一つの中心的な問題としておるようであります。ところがかなり年月がたっておるのでありまして、いまだにその審議の内容がどのような形に進んでおるのであるか、またそれらの帰趨を見て、文部省がどういう形にその教科の編成を行おうとしておるのであるか、こういう点についてはきわめて不明であります。しかもまた審議会のそれらの顔ぶれを見ますと、これは各界の人が入っておりますが、先刻大臣の言われた専門的な知識を持った人も入れるという必要性から見ますれば、審議会自体の構成においても若干不十分な点がある、こういうこともあわせ考慮するのであります。ところが任期の完了はたしか二月か四月であったと思いますが、それ以来絶えておったのを去る九月何日でしたかに新しく任命になっております。そういう点がこの審議会においては考慮されておりません。しかも前の委員会の関係と今度の委員会の関係の引き継ぎはどうなっているのか、そういう点もさだかではございません。従って現在教育に対するいわば大本のスローガンがありますけれども、その中身が場合によってはがらっと変るのじゃないかというような非常に重要な仕事を今日これがやっているわけです。それに対して国民が何ら知悉するところがないために、あなたの言われるような誤解が起っております。それが知らされざるために誤解が起るということは世の中に多いと思う。そういうことを大胆率直に世の中に訴えることが、官僚の政治じゃなくて、政党から出られた大臣のほんとうの意味における政治のあり方ではないかと思う。従って今までの大臣方をとかく言うのではありませんが、少くとも実に虚心たんかいに、淡々として文教をやっていきたいというお考えをお持ちの松永大臣におかれては、こういう重要な問題は中間の発表でもよろしいから、やはり世論に対する反響を知り、ことに世論の動向を見きわめるという意味において、公表されるのが適当な方法ではないかと思います。その点についての御見解を承わりたいのと、この教科課程の編成について、今日どういう経過をたどっているのか、その結論はいつごろ出て、いつごろ実施に移す考えであるか、その一番の中心と文部省が考えている点はどこにあるのか、この点を一つ承わりたいと思います。
○松永国務大臣 御指摘になりました私のいろいろの構想の中では、決してイデオロギー的にこうしょうとかああしようという考えを持っておりません。従ってそうしたイデオロギーに引っぱっていこうとか何とかいう考えは寸毫も持っておりません。しこうして衆知を集めた方がよろしいじゃないか、その通りに私は今進んでおります。従って私が決心したことを決して黙否したり何なりはいたしません。もうすぐこういうふうにしたいということは何の隠し立てもなく世間に公表して、世間の批判を受けるという態度に出ているのであります。
 今仰せになりました審議会の進行過程については、局長からこまかく申し上げることにした方がよろしいかと思います。けだしそれは私は最近就任いたしましたし、その前の経過並びに新しい人との引き継ぎあたりは内藤局長から御答弁させた方が一そう明確になると思います。
○辻原委員 私が伺いたかったのは――新しく教育課程審議会の委員の選任をなさったのは九月の十四日であります。ですから大臣の御就任後、大臣の手元においてこれを発令なさっておられる。私の意見としては、相当長い約半年くらいの間この審議会は半身不随といいますか、委員の任命がなかった。相当慎重に考えられたのだろうと思いますけれども、そのほかに専門家等の意見を参酌するという人材配置を考慮せられなかったのはどういう理由か、それから諮問をしたのは前の委員会からでありますから、引き継いで――私の漏れ承わっているところによりますと、いろいろ聞いてはおります。おりますが、そういうように象のしっぽを取り巻いて、ヘビみたいなものがどうだとかこうだとかいうような話にならないように、これだけの長い期間をかけ、しかもこれについてはあるテンポを考えて実施に移していこうという構想が当初からあるわけですから、長い期間ということは一体どうなることやら、芸能科というのはどっちを向いて走っていくのか、一体どういう科目が飛び出してくるのやら、あるいは入学問題がどういう関連において、小中高と関係を持つのやら、そういうことがかなりの長い期間においていろいろ話題となり、それを実践していく人たちにとって揣摩憶測の材料になったりするということは、それ自体率直に言いますと、その間教育についてのある種の熱意が入らない。六・三制の検討とかいろいろなことを言い出してから、新教育に対する熱意がかなり喪失されております。そして新しい時流に乗るようなものについてえてして関心を持ちたがるのであります。それで現実の教育がおろそかになっていると思う。ですからそういうことについての誤まりのない判断と方向を与えることが行政最高の責任であるという意味合いにおいて、ここらあたりで一度取りまとめられた中間の結果を発表せられてはどうかと私は大臣に申し上げております、御進言を申し上げている。その点についてのみ大臣の御所見を伺い、あとの経過は局長の方から承わりたいと思います。
○松永国務大臣 わかりました。中間報告をなし得る時期に到達いたしますれば報告いたします。
 それから今の、なるほど九月になってから新たに委嘱しました審議委員でありますが、これは実は私はどの人がりっぱな人か、どの人がそういう方面に練達たんのうな頭を持っているかということは知りません。ほんとうのずぶのしろうとでございます。そこで省の方でこういう人がりっぱな人だ、ああいう人がりっぱな人だということを承わって、なるほど経歴やら何やら見るとりっぱな人だと思いまして、それで委嘱した、こういうことでありまして、なるほど経歴等もりっぱな人のように見受けて九月、何人でしたか、たしか五十人近くやったということであります。あとこまかい点は局長から答弁いたさせます。
○辻原委員 私はこの機会に一つ大臣に御期待を申し上げるわけですが、今大臣が審議会の委員の選任についてお述べになりましたことは、これは大体常識的だろうと思います。そんなことを知らぬで何で任命したかなんてやぼな開き直りはいたしません。そのままで大体大臣としてはまあまあ普通だと思います。しかし私はあなたがさっき言われたように、いつでも重要だ重要だということを何回も聞くのです、ところが率直に言えば、重要なことをやってはいないのです。私はこの大本をきめるような、また相当世論の動向を決定するような、今後の国民の考え方を方向づけていくような教育の重要問題等についての諮問の機関というものは、やはり大臣が詳細にわたって色を抜いて――もう大臣もお年でいらっしゃいますので、色はできていると思いますが、そういう色を抜いて、ともかく公平な人物を各界から網羅する、私はそれを痛切に思う。決して文部省を誹謗するわけではございませんが、ずっと終戦後において各種の委員会の委員の人選の動向を見ておりますと、あに文部省のみならず、歴代の保守党内閣の中においていろいろニュアンスが出ているのです。率直に言いますと、好ましからざる人物をなるたけ入れぬという主義なんです。それでは世論の全般の動向を聞くということは言えません。少数意見であろうとも聞くのです。多数を持っていながらそれくらいの度量、雅量がなければ私はこの重要な文教行政の大本を新しく打ち立てることはできないと思います。非常に私はそういうやり方の因循こそくさを嘆かわしく思っております。そういう意味からもあるいは地方教育審議会の委員なり、あるいはそういったような重要な教科内容を設定する委員会においてはやはり大臣は少くともそれらの人々が各界を網羅しているそれにふさわしき人物であるかということの御検討をやって――いたずらに事務当局がお出しなさった案についてその考えを聞いて、そうかそうか、よかろうと言って判を押されるというようなことでは、幾ら大臣がテーブルをたたいてわれこそは日本の文教を改革するのだとやられましても、中身はやっぱりそれは官僚のデスクの中で全部作られるということに相なるのです。だからそういう弊を打倒することが、これが政党政治の私は目的であろうと思うのです。そういう意味合いにおいて、たくさん審議会があります。私はすべての審議会においてそういうことをやれということはこれは無理な注文でありまするが、せめて中央教育審議会とか、こういったような重要審議会等については心して一つ委員の選任をやっていただきたい。そうするならば、私はかりに反対党であろうともあるいはそのことについて反対の者であろうとも、少くとも意見は公平に徴した、世論は公平に徴した、しかしその結果は少数意見であったということになる。ところが初めから、のっけからそういう者を除外しておいて、自分たちだけのホーム・グラウンドででっち上げようとするから非常に問題が複雑になる。共通の広場、共通の広場と言いながら、一向に共通の広場を作らぬのは政府みずからである。そういうことを一つこの機会に申し上げて、大臣の今後の文教のあり方について是正をしていただきたいということを強く要望いたしまして、あと経過は一つ内藤局長の方から簡潔に承わります。
○松永国務大臣 御注意ありがとうございます。そのつもりでこれから進んでいくつもりであります。ただ一言申し上げておきますが、私は少数派とかなんとかいう考えは一つも頭の中にありません。次代をになう青年を、子供たちを作り上げて、われわれのあとを継いでもらって、世界どの民族にも負けぬようなりっぱな民族にしなければならぬ。それには、党派、少数派とか多数派とかというそんなことは一つも眼中に置いておりません。超党派的にやらなければならぬ文教政策であるとかたく信じております。どうぞ御了承を願います。
○内藤説明員 教育課程審議会の経過について簡単に御説明をいたしたいと思います。
 実は昨年度から教育内容の改善に着手いたしたわけでございますが、ちょうど新学制が発足されてすでに十年にもなりますので、教育課程を途中で占領中に一度改訂しましたけれども、終戦後、独立国家になってからどういうふうに日本の教育内容を改善するかという点は、昨年来の懸案でございました。そこで過去一年間教育課程審議会で諸般の問題について意見を承わっておって、その議事録は整備しております。そこでいよいよ今度ちょうど一年たちましたので、任期も切れましたし、委員会のいろいろな審議を整理することが一つと、それから私どもとしては問題点を一応整理いたしたのです。これは国会開会中でもありましたので、約半年にわたりまして、小・中学校、教科別に問題を全部一応洗いました。そのために非常に手間取ったのでありまして、一応私どもの問題点の整理が終りまして、最近の機会に新教育課程審議会が発足したわけであります。この新教育課程審議会の人選に当りましては私が選考についてその責任を持ったわけでありますので、もし間違いがありますれば私責任を十分明らかにしたいと思っておりますが、私どもはこの選任に当ってはあまり教科別の専門家を入れると、とても各教科でがんばられますと妥当な教育課程ができない。どういう人間像を描くかということが教育の目的だと思うのです。各教科がばらばらにモザイクのように主張されますと、人間を作るという大きな大本が薄れてしまう。こういう点から教科別の専門の方は今度全部御遠慮願う。それからもう一つは、広く人材を求める。こういう意味で選考いたしました。ただ先ほど大臣がおっしゃったように、次代の国民を育成するという広い観点に立って公正中正な人たちを選んだのでありまして、右にも左にも片寄っていない人たちを選んだつもりでございます。そういう意味で多少前の方とあとの方については重複しているものもございますし、入れかえをしたものもございます。審議会の第一回の経過につきましては、これはすでに新聞、ラジオ等で放送もされておるし報道されておるわけでございまして、大臣のごあいさつと、私から諮問事項の問題点について説明を申し上げました。その要点をかいつまんで申しますと、第一点は道徳教育の振興の問題、それから国語、算数等の学力調査の結果必ずしも思わしくなかったという点で、基礎学力の向上をいかにするか、第三点としては、科学技術教育の振興、この三つが中心の柱になるわけです。それから各教科に関連した共通問題としては、小、中、高の一貫性が十分とられていない。これは特に占領中司令部が小学校、中学校、高等学校とばらばらになっておったので、その一貫性が十分考慮されなかった。この内容における一貫性を保つことが第一点、それから第二点は、各教科における重複が非常に多いので、この重複を整理してできるだけ系統的に学習を強化していきたい。第三点は、指導要領の基準が従来明確でないので、この基準を明確にいたしたい。いわば一つの国家基準と申しますか、たとえば授業時間、授業日数そういう一週間の時間配当表、こういうような点の地位なり性格というものを明確にしたい、この三点を中心の問題点としてお示ししたわけであります。そういう意味で、私どもは毎週一回ずつこれから審議を進めていく。来年の三月を目標に教育内容全般にわたって御審議をわずらわしたい。大体一月に原則として三回をこれからやっていくということで、三月までに大体の教育内容改善の方策を御検討いただいて、その後に八月ころまでに指導要領の改訂を行いたい。その後教科書の検定が出願されるわけでありますが、検定の出願が三十四年になると思いますが、三十五年に展示されて、新しい教育内容は、順調にいっても三十六年から、教科書を使用する、こういう段取りになっておるのでありまして、教育課程審議会にもその時期についての御注文も申し上げておる次第でございます。
○辻原委員 道徳教育の問題がやはり審議会に文部省が諮問をした一つの問題にもなっておりますし、審議会自体の審議内容の重要項目にも上っておるようであります。前の任期満了以前における審議会がかりに当時中間発表をしたとするならば、この道徳教育の問題についての審議会の動向、どういう見解を持っておったか、それを一つ承わりたいと思います。
 それから道徳教育といいますか、この種の教育を教科の中に盛り込むという問題も、結局においてはやはり三十六年というふうに受け取っていいわけですか。教科内容全般を改善するという中においてこれを実現していく、こういう構想であるというふうに受け取って差しつかえありませんか。
○内藤説明員 前の審議会ではこれは決をとりませんで、大体の意向について承わっておった。それは、各教科の専門家が全部いらっしゃるわけです。こういう点でまとめるということはしませんでした。ですから方向として承わった。そこでこの前の審議会で本全会一致道徳教育の強化については異論がなかったわけです。ただその方法についてはいろいろと御意見があった。これは独立の方がいいとかあるいは社会科初め全教科でやるのがよろしいというような意見はあったのですが、道徳教育を強化するという点については異存がなかった。
 それからあとのお尋ねでありますが、三十六年から各教科とも新教育課程で発足するわけでございますが、道徳教育につきましては大体の大綱がきまりますれば来年度からでも逐次実施できるものはしていきたい、こういう方針で諮問しておるのでございます。
○辻原委員 前段の問題ですが、私があるいは象のしっぽをつかまえているかもしれません、耳をつかまえているかもしれませんが、私が聞いた範囲によりますと、大体においては大臣当初御発表なさったように、独立の教科を設定していくという方法については、委員諸公は賛成しておらなかった、そういう見解を聞いているわけであります。私は先ほど審議会のお話をなぜしたかといいますと、相当うがった見方をするわけです。私がするのではありません世間がしておる。それは前の審議会では、どうも文部省の諮問した、いわゆる文部省方針に合致しない結論が出そうだ、そこで今度の審議会委員の顔ぶれを相当かえたんだ、こういうような見方をしておる。あるいは教科の専門家をなぜ入れなかったか、教科の専門家を入れるならば、その教科に固執するという弊害はもちろんあろうけれども、やはり教科についての一つの識見、今日の教育体系の中でどういうふうにやっていくかという識見は、やはりその専門家に遠く及ばない。これは文部省のお役人でも教育委員会のお役人でも、やはりその専門家に及ばない。そういう点の一つの配慮もあったんじゃなかろうか、こういったいろいろな誤解が飛ぶわけです。もし今内藤さんのおっしゃられるように、そうでないとするならば、私は公式の席上でおっしゃることに間違いのあるはずはないと思います。そういった一つの受け取られ方があるとするならば、やはりその経過を精細に発表して、何も秘密にしておく必要はないと思うのです。秘密保護法じゃあるまいし、こんなことはどんどん公表して、こういうような意見が出ておる、そういうような点についての批判を仰げばいいんじゃないか、そういう意味で中間発表をおやりなさったらどうか、こういう意味合いのことを申し上げたのです。
 それから第二の教科の改訂の中でやるという限りにおいては、独立科を特設する限りは私は三十六年になると思うのです。しかし実施するならばどういう方法でやるか、これも聞くところによると、何か道徳教育大綱ですか、名前は当っているかどうか知りませんが、そういうものを文部省が作成して、これが一つの覊絆で、教育勅語に置きかえられるか置きかえられぬかわかりませんけれども、そういうような一つの覊絆的なものを全国に通達をして、それに準拠さしてこの道徳教育をやるという一つの考え方もあるやに聞いております。今内藤さんがお述べになられました、やれるものからやっていくというのは、そういう一つの大綱、サンプルというものを文部省が出して、それに準拠さしてその道徳教育を進めるという構想に立っておるのか。その場合は現在の社会科なり各教科の協力を得てやるという意味合いにおける道徳教育、これは広い意味の道徳教育であります。そういう教育じゃなしに、かなりの徳目をあげて、現在設定されておる、たとえば中心担当の課目である社会科以外の特別な時間等を設定して、その大綱によってやらせるという、そういう考え方であるのか、この点を伺いたい。
○内藤説明員 大体今のところ道徳教育に関する特別の時間を設定する――もちろん社会科や一般の国語その他の教科でも道徳教育をやっておるわけでありますから、そういう部分の協力を得て中心的な時間を設定し、そこで道徳教育を系統的に教えていきたい、こういう考え方であります。そこでもちろん指導要領とかそういうものができるだろうと思いますけれども、指導要領というようなまとまった形でなくても、来年度からはできるだけその要旨を地方の学校にお配りして、それに沿うように御努力願いたい。現に生活指導なり特別教育活動で各学校でもやっていらっしゃる、現在やっておるのを一そう強化して充実する方向へ持っていきたい、こういう考え方であります。
○辻原委員 その場合に特別の時間を設定するということにおいて他の教科が犠牲になるようなことはないかという問題、そういうことがあり得るのではないかと私は想像いたします。それはたとえば芸能とか体育とか、そういうような時間数に影響を及ぼすというふうなことも場合によっては考慮されておるのではないかということを見るのです。そういうような心配はないかどうか。
○内藤説明員 道徳教育によって他の教科が圧縮されるとか変更を受けるということは私どもは今考えておりません。ただ先ほどちょっと申し忘れましたが、中学校の半分以上の者が中学だけで社会へ出てしまう。残りの約半分以下の者が高等学校から大学に進むという二つの性格を中学校は持っておるので、社会人としての養成の問題と高等学校から大学へ進む者の進学の問題、この二つの養成を中学校で現にやっておるのであります。もう一つ進路特性に応じた弾力性があるように中学の三年あたりではすべきではなかろうかという意見を私どもは持っておるわけであります。これも先ほど申しました教育課程審議会に諮問をしておるところであります。そこでその場合に中学の三年の段階になりますと多少他の教科にも影響が及ぶであろうということは想像されております。
○辻原委員 今の話によりますと中学の三年だけにしかその影響が及ばぬというお話であります。私はその時間数の配当の問題等のこまかいことを申し上げるのではなくて、これは後刻も質問をしたいと思うのでありますが、教科書の問題等において、そういう徳目的教科に重点を置くのあまり、ほんとうの広い意味における、従来われわれが強調し、またあなた方も強調されてきた一つの芸術教育とかあるいはスポーツ振興とかいう面に、何がしかその暗い影が及んでいくように今度の教科改訂なり最近の方向を見て私は感ずるのであります。かねてから高津委員が相当な時間をさいていわゆる芸術振興の論議をここでやられておる。それと逆行するような一つの教科設定なり指導要領あるいは指導方法というものが生まれようとする傾向がその中にはらまれておるのではないかということを私はおそれておるのです。まあそれは音楽の時間を一時間減して直ちにその効果がどういうふうになるかというような算定はできません。しかしそういうものが長い年月の間に積み重なり、国民の間に浸透していくことは、そういう文化的な情操の教育を怠って逆に道徳教育がそういう面でこわされると思うのです。ほんとうの道徳教育なんていうものは、そういうスポーツを振興し、あるいは音楽あるいは図工、こういった情操教育を徹底していくうちに健全な社会の姿というものが生まれる。私は口先だけではなしに、先年中国等に行ったときにもあの青年があるいは老年が喜々としてスポーツや相当高度の音楽あるいは演劇というものになじんでおる姿を見て、その社会のあり方は別といたしまして、その現実に見る社会の中に一つの健全さというものを発見したのです。そういう意味からいいますと、音楽の一時間や図工の一時間、体育の一時間を減して、五十何科目にわたる徳目教育をやれば道徳教育が振興できるのだという考えは、いかにも近視眼的であり過ぎると思います。そういう心配がないのかどうか、ほんとうにないならばけっこうでありますが、スポーツあるいは情操教育、こういうものの軽視の傾向が今後出てきはしないかということについて、私は主管の局長であられる御賢明な内藤さんにとくと申し上げると同時に、さらに御賢明な大臣におかれても、この点について慎重に真剣に考うべきであると思います。情操教育などというものは一朝一夕にその成果が結ばれるものではなしに、じりじりそれが堆積されるものであります。そういう行き方から考えると、むしろ情操教育なりあるいはそういうスポーツ振興というものを、教科からではなしに、社会教育の部面において、あるいは国民全般の動きの中において、もっと大きく文部省あたりが指導的な何になって、どんどん振興策をはかっていくというようなことが、いわゆる社会道徳を確立する基礎になると私は思う。たしか審議会のある委員のお言葉が新聞でしたか、私は聞いたのですが、今日道徳教育が非常に叫ばれなければならぬ、またわれわれが間々単なる社会の人間関係の中におけるエチケットが欠けておる、あるいは子供たちの頭の中にそれすら知らないというその原因が一体どこにあるか、それを指摘するのに、社会の環境が安定をしていない、教師自身のその点についての考え方自身が安定をしていないということを指摘しておったと思うのです。そういう意味からいってこの重要な一番の基礎になる健全な社会の確立ということにおいて、学校教育の面からそれと逆行するような方向をたどっていくことについて、私は絶対に賛成できないのです。そういう意味で将来そのために教科を改訂なさる場合には、ただいまの内藤局長さんの言は食言としてこの委員会に持ち出すことあることを申し上げておきたい。
 それから同様な問題として、今ついでにその問題が出ましたので、教科書の問題でありますが、年来かなりの国において無償制度が実施されておる。ですから私どもはやはり無償を実現したいということで法案等も提出をいたしたのでありますが、今度文部省は何か貸与制を考えられておるということを聞いておる。しかも明年度の予算要求をなされておるということでありますが、この中においても選ばれた教科は芸能科であります。芸能科をのみ貸与制にしようということである。私はアメリカの各州あるいはデンマークですか等にこの貸与制がやられておるということを聞いておりますが、貸与制もけっこうであります。また日本でアメリカのモデル・スクールをやった中においても、この貸与制がかなりうまく運営されておるのを見ました。しかしそれはこまかいことになりますが、備付じゃなしに、やはり子供らが自分で買ったと同じように自分のものとしてそれを尊重できるような貸与制でなくちゃならぬという意味からいって、ちょっと今度の貸与制についての文部省の構想については、にわかにけっこうであると双手をあげるまでにはいかない。三年ごとに更新をする。そして芸能科は別にうちに持って帰って予習も復習もしないから、自分の教科書はあってもなくてもよかろう、極端に申せば、はっきりいえば、そういうことになる。そこに芸能科軽視の傾向があると私は指摘する、どうでしょう。
○内藤説明員 今の辻原さんの御意見は少しうがち過ぎておるのじゃなかろうかと私は思う。今度実は備付制度を考えましたのは、これはアメリカでも欧州でもそうですが、大部分の国が学校の備品なんです。備付なんです。ですから教科書無償ということが実現されておるわけです。この場合に私どもとしては試験的に芸能科、特に習字、音楽、図工この三教科から始めたいという希望を持っておるわけです。もちろんこの結果によって他の教科に及ばしたいという気持なんです。とりあえず最初に今御指摘の芸能科から始めたいわけであります。何か芸能科を差別待遇をしたいというわけではもちろんないわけです。ですから三年持つには相当装丁もりっぱでなければならぬ。装丁をりっぱなものにして、耐久力のあるものにしていかなればならぬと思います。今後この成果を見まして他の教科にも及ぼしていきたい、こういう趣旨でございまして、芸能科軽視なんという考えは毛頭持っておりません。
 それから先ほど御指摘になった道徳教育によって芸能科の時間がくずれるというような御心配がおありのようですけれども、そういうことも毛頭考えておりませんので、この点は御安心していただきたいと思います。
○辻原委員 うがち過ぎておると、こういうふうにうがち過ぎておりますが、なぜそういうことを言いますかといえば、かつて無償教科書を配布したときには何をおやりなさったか。これは算数と国語をやったのです。少くとも常識的に中心の一つの教科だという意味合いにおいてでしょう。そうして算数と国語を与えた。それならばそういう行き方をとればよろしい。ただそれを金の面、経済的な面、中身が割合に変らなくてもいいだろうという非常に行政的な頭があると私は思うのです。少くとも体育の先生であろうが、芸能科の先生であろうが、そういうものの言い方をすれば怒るのじゃなかろうか。算数や国語は、つど必要な改訂を加えていくが、芸能や体育はそういう必要がないなどということを、もし教育の府にある者が口にするということになると、それはその内容を知らざるものという突っ込み方をされると私は思う。しかしはっきりいえばそういうことなんです。あまり中身を変えなくてもいいだろうという常識的判断、三年持つだろう、そうすると一年に一度買わぬでも三年間は国が金を出さなくてもいいからその三ヵ年だけは始末できる、その経済観念に立って教育をやろうとしておる。そのほかに理由はないでしょう。ならば、そういうことがないというなら、そこでそれは学校備品でけっこうです。それならば別にそこから始めなくても、前の無償教科書を配布したと同じように、子供は、時間数の多い、なじみの多いものは、何人といえども人から借りてくることができません。そうして一番手ずれがしておる、譲り受けることもむずかしい。だから備品として算数や国語を与えてやる。これはりっぱに理屈がつくのです。その程度の理屈なんです。芸能科から始めるということは、そうしてそこから備品として備え付けて子供にうちに持って帰らしてもいいじゃないですか。そうして本を尊重するという気風をそこで養える、粗末にできない。みんな競争する。表紙にカバーをかぶせて大事にしておる。一年たって、そうして子供が物を大事にするという気風もそこで養われる。同じことなんです。そうして一年たったあとは、もとの備品として学校に全部整備をして備え付けて、次の者に譲るというこのシステムでもできるのです。それを子供にうちに持っていかせないから、音楽の予習も復習もできないで、うちで勝手に歌を歌っておる。本は三年間要る時間だけそこから持ち出してやるという考え方です。それだから私は芸能、体育の軽視だと言うのです。違いますか。
○内藤説明員 大体アメリカでは主としてその学校に備え付けております。ですから、日本のように子供がうちへ書物を持っていかない、こういう習慣は日本ではまだついていない、日本では確かに習字とか音楽、図工のようなのは、子供もうちへ持っていっていない、学校に置いておく。ですから、持っていかなくてもいい、こういう点なのであって、とりあえず芸能科から始めたい、こういう気持なんです。しかしあなたのおっしゃるように、芸能科を改訂しなくてもいいという意味じゃない。私どもは国語、算数、その他でも改訂の制限をしたい、これは先般の教科書法にも出ております。ある程度改訂を制限いたしまして、姉さんや兄さんの教科書が弟、妹にも使えるようにという趣旨であって、何も芸能科だけに限った思想ではないのであります。ですからこの前に国語と算数を無償のときやったじゃないかという御質問ですけれども、これは子供にくれたのです。国が入学祝いに、お祝いにごほうびとして差し上げたわけです。この思想と今回の教科書備付の制度とは精神的に非常に違うと思う。今度のは義務教育無償という線から学校に備え付けて全教科に及ぼしたい、とりあえず芸能科から始める、こういう趣旨で、この芸能科の結果を見て、国語、算数その他の教科に及ぼしたいという希望を持っておるわけです。ですからこの前の制度とは本質的に非常に違うということを御了解願いたいと思います。
○辻原委員 議論すると時間が長くなりますが、図工や芸能科の教科書を持って帰らぬというのは、あなたは知らぬからです。私も子供が学校に行っておりますが、うちへ持って帰ってオルガンをひいて勉強しておりますよ。そういうようなことは、もしそんなことがあるなら、それこそ文部省は通牒を出して指導してもらわなければならぬ。やはりこれは少くとも、アメリカは知りませんよ、アメリカはともかく、アメリカン・スクールを見た範囲内においては、教科書のみならず教具も大体において全部貸与しておりました。そこで一定のものはそれこそ無償の精神が実現されておるのです。しかも学校教育の範囲内で教育をやれるようなシステムになっておる。日本はそうではなくて、相当うちへ帰って自学自習をやる、そういう行き方をとっているのです。そういう行き方である限り、やはりうちへ持って帰るというのが通例なんです。だから、この教科書はあまり持って帰らぬからいいだろうというようなことは、あまり高邁なお考えではなさそうです。それと、無償教科書はほうびにくれたんだ、それは、あなたの説明になったのは法律の趣旨ですよ。しかし、そもそも何がゆえにほうびを与えたかというと、父兄の負担を軽減する。これは義務教育無償の精神の延長の一環として、ほうびとして与えた。ただ単にほうびとして与えるのだったら、教科書以外のものでもほうびとして与えられるのです。教科書をほうびとして与えるということは、やはり教科書無償の精神の延長である。それをあなたが否定されるということは、大きな誤まりの初めです。そこらあたりになりますと、お互いにへ理屈の延長になりますから申しませんけれども、しかし、だんだんとそういうことを言いますると、結局理屈のつけ方のいかんは別としまして、何がしそこに私はやり方においてそういったような一つの軽視のほのかな現われ――見えるか見えぬかわかりませんけれども、将来大きくなるであろうという予想のそういう現われが、今日これらの問題をめぐってあるということを申し上げておきたいと思います。この点は一つ心して今後取り扱っていかなければ教育万般のあり方の中に相当違った面が現われてくるということを懸念いたします。
 時間がございませんので次の問題に移りたいと思いますが、ことしの予算委員会でありましたか、私、学校施設の問題について御質問を申し上げておきました。それは、年々歳々ともかく国が相当の補助金を出しておるにかかわらず、今日の学校施設の改善が今なお目立って進んでおらないという現況、ところが国の方で措置をしている法律等を見ますると、これはもちろん恒久立法もありますけれども、中には文部省がかつて立案をせられた五カ年計画というもので、きわめて臨時的な立法によって補助を与えている危険校舎の補助金等のものがある。しかし少くとも危険校舎の改築等の観念も今日においては、これは五年間でやりおわせておれば臨時的措置で完了されたかもわからない。しかしそれが七年、十年たつならば、始めた当時は健全であったものが十年後においてはすでに老朽の域に入る。そういう悪循還が今日学校建築においてあるのじゃないかということを申し上げておいた。そうするならば、こういう形の臨時立法をそのまま放置しておくということは、いかにも現実に合わない。だからこれを一つ根本的に促進、改善できるような、そういう恒久的な方途を文部省は定むべきではないかということを申し上げておいたのです。それについて、これも承わりますると、かなり文部省等においてもそういった面も検討せられておるやに聞くのでありますが、現在どういうような構想に立たれておるか、これを一つ文部大臣から承わっておきたいと思います。
○松永国務大臣 御説の通り、ああしたちぐはぐな法律が幾つも出ております。しこうしてその補助の数額も、あるいは三分の一あるいは二分の一というふうにちぐはぐになっております。御指摘になった通り、五カ年計画で完了していっておるのならそれでよろしゅうございますけれども、なかなかそうは参りません。そこでこれはどうしても一本化しなければいかぬというので、今一生懸命に成案を急いでおりまして、大体次の通常国会には御協賛を仰ぐようにできようというふうに思って準備をいたしております。御指摘の通り、これは何としても一本化せなければいかぬということで、私就任以来一生懸命になって法律の整備をやらしております。
○辻原委員 管理局長にちょっと伺いますが、われわれ地方におりますると、実際弱小町村の大きな仕事といいますれば学校を建てることであります。しかも一番父兄が関心を持つのも、りっぱな学校に自分の子供を通わせたいという親心であります。そういう親心の発するところ、必然的に相当な父兄負担を覚悟してでも学校を建てたい、そうしてりっぱな校舎にしたい、危ない校舎に子供を入れたくない、こういうようなことで、全国から非常に大きな要請があると私は思います。大蔵省や文部省がかつて調査をされておったような程度じゃなくして、実際はその改築の必要度、建設の必要度というものは相当高いのじゃないかと思いますけれども、一体本年度予算に照らしてどの程度のいわゆる充足のパーセンテージになったか。全国各地から文部省に要請があって、文部省に集まるまでにはおそらく各府県あるいはまた各町村においてすでに第一段のセレクトが行われておると思いますが、そのしぼられた形において、文部省に到達した数字が実際の国で計上した予算とどの程度の数字になっておるか、これを一つお示しを願いたい。
○小林説明員 予算の配分と申しますか、実際に建築を実施する学校に対する補助の方法でございますが、これは大体予算のワクというものが国会できまるわけでございます。従ってあまり膨大な要求があってもそれに応ぜられないということから、大体私どもとしては常識な範囲で要求してくれということを府県の方に話すわけでございます。たとえば非常に競争の率の激しい学校統合というようなものにつきましては、一県当り一校ないし三校程度の範囲内で申請をしてくれいというようなことを頼むわけでございますが、それについてやはり府県としてはいろいろな事情があると思いまするけれども、私どもの意に反して七校、八校というような数字が出てくるものもございます。学校統合についてはたしか本年度は七倍程度になったと思います。その他のたとえば小学校の整備あるいは中学校の整備、危険校舎、これは大体中学校の整備がほかより多少低くて二倍程度であったと思いますが、小学校の整備並びに危険校舎については大体三倍ないし四倍程度の倍率になっておった、そう思っておる次第でございます。
○辻原委員 おそらく国が補助金を交付する金以外に学校建築に投資される市町村あるいは直接父兄の負担というものは、それぞれかなり膨大な額に上っておると思います。従って私はもちろん補助率を高めるということ、これは直ちに予算に関係することでありますが、そういうことと同時に、少くとも国が認めて、それを改築あるいは建設すべきであるという種類の学校建築に対しては、その総事業量を少くとも確保するという方法をやはりここらで講ずべきじゃないか。そういたしますると、現在欠けている点は、一つはまず土地の買収費であります。土地の買収費は、これはかつて七・一八水害のときにわれわれが特別立法した以外に国がその補助金を与えたという例はなかったと思います。しかし最近の人口増加あるいは都市における人口の集中度合い等から見て、土地の取得について非常に苦慮をしておるし、土地の取得に対して非常に金額がかさむという例が、これは社会の趨勢から生まれておるのであります。そういう点から土地の買収費を入れるということがやはり一つの問題であろうと思います。それから弔う一つは、それぞれの法律の施行規則によって定められている生徒児童一人当りに対する坪基準の引き上げの問題、これが現状に合わないのであります。これはもちろん六三建築当時はいわゆる逐次建築をしていくということで年次を追ってそれを引き上げていくという方法を国がとってきたと思うのです。しかし今日十年近い年月がたって一応曲りなりにも形が生まれてきておるという判断をして、そこから出発をするのが私は正しいのじゃないかと思う。そういたしますと、現状に合う一つの坪基準というものを設定する、そうでなければ、常に国が補助金を交付しようが、あるいは起債を交付しようが、それは全事業量の何十パーセントにしか相当しないという結果が全般の傾向として現われてくる。そうじゃなしに、少くともその坪基準が現在建てられておる学校の生徒数、それから持っておる建築面積等に見合う程度の坪基準にまで少くとも引き上げるということが、ほんとうの施設拡充、施設充実の第一歩だと思うのです。そういう点から今度のいわゆる構想をまとめられる中では、私は世論に徴すればそれこそ非常な支持があると思います。同じことなんです。税金でとったものを国民に交付する。父兄から直接それに投資させる。国の全体の経済から考えれば同じことなんです。おそらく私はその程度のことをしたからといって何百億の金がかかるとは思いません。その程度の基準の引き上げを私はこの際大臣のお力でもって大きく一つ打ち立てられて実現をしていたたきたい、こういう考え方に立つのであります。大臣もいろいろ御研究をなさっておられるようでありますから、私のそういう現状に合う一つの国の援助方策をこの際作るべしという見解についてこのような御努力をなされるおつもりであるか一つ承わりたいと思います。
○松永国務大臣 お説の通りこの問題はどうしても達成しなければならぬ。さっき申し上げた通り法律を一本化すること、さらに必要な補助金はどうしても国から出してもらわなければならぬ。それについてはやはり予算を文部行政の方にうんと要求通り出してもらわなければならぬというので、今一生懸命折衝を前もってやりつつあります。どこに行けば出るか、どこの方をつつけば何とかいってくれるかという急所をいろいろ探りまして今やっておるところであります。
○小林説明員 大臣の御説明を補足して申し上げますが、たしかにお尋ねの中にございましたように、全体の事業量の確保と申しますか、獲得ということは非常に大事なことでございます。そのためにお尋ねの第一点にございましたような土地の買収費に対する補助につきましては、文部省としてもできるだけ努力をしたい、明年度の予算に何とか形を具現したいというふうに考えております。
 ただ第二番目の基準坪数の引き上げの問題でございますが、これは御承知のように昭和二十九年に従来の〇・七坪を、小学校は〇・九坪に、中学校は一・〇八坪に引き上げたわけでございます。私どもといたしましては、たしかにこの現在の基準で満足しているものではございません。不完全なものだと思っておりますけれども、ただ現状でも、この現在の基準坪数でも、相当不足坪数といいますか、比較坪数が残っておる状況でございまして、私どもとしては最低限度の保証をまずしなければならぬというふうに考えておりますので、基準坪数の引き上げということにつきましては将来検討しなければならぬ問題だとは思いますけれども、明年直ちにこれを改訂するということは非常に困難なのではなかろうか、こんなふうに考えておる次第であります。
○辻原委員 それからこれは内藤さんの初中局の方にも関係がありまするし、それから大臣のきのうでしたか、お述べになりました義務教育水準の確保、このことに私は、学級定員を減らして、不正常なものをなくして適正なものにする限りにおいては、その入れる校舎を整備するということは結びついたものであると思うのです。ですから大臣が第一にあげられた大きな問題はこの点にもあるということを一つお考え願いたい。これは初中、管理、両方に共通する問題として、文部省はこの機会に真剣に取り上げていただきたいと思います。義務教育ももちろんそうでありますが、ただ最近一つおそれることは、地方財政の貧困々々ということがともかく通り相場である。これを根本的に治療しなければ、今日の再建整備法等の程度においては、事業が自主的にやれるまでにはなかなか地方団体は至らぬであろうと思います。せいぜい今の日本の国際収支と同じように、病気をしても注射を打たぬで、飯も食わぬで、少し金を残そうという程度であって、やせ衰えて黒字を残しておる形でありますから、事業をやれる程度にはなかなか進みがたいと思う。そうしますと、地方が主管しているそれぞれの学校の教育というものにも相当の影響を来たしておる。先ほど管理局長の御発表の中に、高等学校の数字があげられておりませんでしたが、私の聞く範囲、また見る範囲においては、高等学校の校舎というものが実に最近――私は都会はあまり聞きません。私はいなかなんです。いなかの高学等校、私どもの母校な見ますと、伝統ばかり自慢にするわけです。あの校舎はおらが時分に建てたと言って白髪のじい様が自慢しておる。新校舎だと言うが、この新校舎は突っぱり棒の根が腐りかけておる。それで新校舎だ。そういう高学等校が今日随所に見られておる。県は地方財政が困窮しておるので、国から補助金が来なければとてもできないということを言っておる。そういうことで高等学校の校舎の改築というものが相当むずかしい域にきておるのではないか。この点も、もちろん義務教育の面ではありませんけれども、何か義務教育と違った方法においてもこれは解決しなければならぬ問題です。これは地方で建てるのだからというそういう建築量的頭ではなしに、やはりこれは教育問題として義務教育と同率にはいかぬけれども、何か方法を講じないと、それこそ高等学校の教育というものは一つの陥没地帯になるという危険があります。大臣はこの点についてどうお考えですか。
○松永国務大臣 一々御指摘のことは私とうから考えておりまして、何とか一つ高等学校も――これは義務教育ばかりではありません。これを改善し、これをりっぱな教育機関として作りあげぬけりゃなりません。そこでそれに対する予算あたりも何とかしなければならぬというので、今省内でも一生懸命研究しております。やがて成案を得て、そうして方法をあなた方にもお見せするような機会もあろうと思っております。
○辻原委員 通例の補助金では、これは多々ますます弁ずで、全く知恵のない話です。通例の補助金ではいろいろな社会教育にしろ何にしろ文句のつけたいものばかりです。社会教育の面を言えば・十万、二十万の補助金をこま切れにして、そうして大して効用のないところに当てがって、これが文部省の補助金配分かとくさしたいようなものがずいぶんあります。いずれも足りないのです。だから通例の補助金で当てがっていこうとするところに一つの無理があるのではないか。それでは大蔵官僚は文部大臣が御老体をひっさげていってもなかなかうんとは言わない。そこで何かやりやすいような方法をここらで考えるということが適切ではないか。かつて文部省で学校施設の公庫制というものを立案せられたことを記憶しておりますが、私は当時公庫というものは、まあ悪口をいえば、どうも役人の逃げ場所ではないか、うば捨て山ではないかということも言われておりましたし、また公庫を作るとどうもおかしなことが出て困るというような議論も一つは耳を傾けなければならぬのではないかと思って、大して関心を持たなかったのでありますけれども、しかし今住宅公団とか、何でも公団々々で、公庫もずいぶんできましたし、そういう一つの構想も私は学校建築なんかに、こういう状況にまでくれば一つ当てはまるのではないかというふうに考えるのです。そうして国の補助金だけを当てにするのではなしに、毎年次そういうような金と、それから一つ運転できる金でもって、必要なときに当該町村がその建築に充当される。そしてある程度の年限をもってそれに償還をするというふうな一つの仕組みもここらで研究なさってはどうか。私はあとでこれは内藤さんに伺いたいと思いますけれども、義務教育費国庫負担法の構想というものを、どうも片りんを聞くだけでさだかでありませんので、その点も聞きたいと思いますが、私は義務教育費国庫負担法なんか作る場合に、歩を一歩進めれば、そういうことも可能じゃないか。教材費と人件費だけを含む義務教育国庫負担法もそれはけっこうでありますけれども、そのほかも同じように国の補助金を出すならば、それを恒常的に計画的に国が負担金によって交付をしていくという形も、これは一つ私は考慮できるのじゃないか。そういったことをいろいろ少くとも専門家の皆さんがお考えになれば、何かの方法がつくのじゃないか。五年や三年で学校建築の片がつくものじゃなしに、おそらくこのような一つの行政の仕組みをとっていく限り、私は恒久的なものだと思うのです。そうするならば、やはり恒久的に、あまり毎年補助金獲得闘争をやらなければならぬような形じゃなしに、一つその制度を作って、そこで合理的に運営できるようなものを作ることの方が、結果においては早道じゃないか、こういうことを考えるのですが、そういう点に立っての御構想が何かございませんでしょうか。
○松永国務大臣 一々御説はごもっともであります。実は私も何とかせぬければならぬ。あなたが不平不満を持っておるばかりではない。文句は私が一番つけたいのです。これはどうするんだ、これはどうするんだといって全く不平不満だらけです。終戦後十二年もたった今日、教育行政は再検討せぬければならぬことは、もう論を待ちません。そとで何とかせぬければならぬが、そのうちにどうしても今何が何でもやらなければならぬというのは、きのう申し上げたことですが、義務教育水準の向上です。そこで予算がない予算がないとみんないってしり込みしておりますが、文部省も少しは勇気を起せというので、私は事務当局のしりをひっぱたいておるのです。それは岸内閣は文部行政は重点的に認めるということでアドバルーンを上げているのですから、そのアドバルーンに従って私が大いにやらなければならぬということは、これは文部行政を担当しておる私としては当然のことじゃありませんか。そこで私をどうも二階にのっけてはしごをとるようなことは、まさか岸内閣はすまいと思っていろいろ計画を立てているのですが、御説のような何か方法はないかというので、今研究いたしております。そこで文部省内の衆議を集めまして、あなた方のお耳に入って、なるほどそれはよろしいというような協賛を仰ぎ得るような問題を一つ作ろうと思って、一生懸命今研究しております。そうせぬければ、文部行政こそ、なるほど金はかかりましょう。金はかかりましょうけれども、民族百年の大計を立てるのには、どうしても今からやらなければなりません。そういうことで、一生懸命研究を続けております。その点だけ御了承願いたいと思います。
○辻原委員 大臣の非常に御熱意のある将来に対する御意見を聞きましたので、こまかいことはこれ以上お伺いいたしません。
 次にもう一つ大臣の御熱意でぜひ御解決を願いたい問題を提起いたしたいと思いますが、それは高知県において今高等学校の入学試験をめぐって、父兄と教育委員会当事者との間に若干の紛争を巻き起しております。これは御承知だろうと思います、私が承知しておるくらいなのでございますから。その問題の原因は、結局従来ほとんど全員入学させておった高等学校をことしから選抜の方式をとろうというのです。もちろんただ常識的に考えると、何も選抜悪くはないじゃないかという議論も成り立ちますけれども、しかし今この選抜の過酷さといいますか、この与えている影響、それぞれ大学の入学のために高等学校が果してどうなっておるか、高等学校の入学のために中学校がどうなっておるかを考えたときには、私はそのままほっておくべき問題でない。今の施設の問題にも関係がありますが、この高等学校程度は、今日まずこれは普通教育の範疇に入ると思います。それならば全員入学ということを理想としてやってもらわなければいかぬと私は思いますが、大臣はどのようにお考えになりますか。
○松永国務大臣 この問題も御説の通りでございます。ことに子を持つ親――もう私の子はそんな入学する適齢期ではありませんが、孫です。これはもう毎年困っているのですよ。だからお説の通り、これはほんとうに義務教育の続きですから、全員入学させるというようなことが理想です。何とかそうしたいと思います。さらにまたそうした問題に関連して、今の大学の入学試験、これも考えなければならぬ。さらにまた今日の卒業生の就職問題、まことにこれは御承知の通り科学技術を卒業した連中は引っぱりだこです。ところが法文系の卒業生は、去年卒業した人、ことし卒業した人、おととしあたり卒業した人が履歴書を持って――私のところあたりへもやはり毎日一通かそこらの履歴書がとび込んで来る。この状態をわれわれは傍観するわけにはいきません。何としてでもこういう問題から解決していかなければならぬというので、今文部省の各局長に命じまして、根本的の解決をやれ、もし来年度からできないとしても、こうやるのだというわれわれの方針だけは打ち出しておかなければいかぬじゃないかというので、今一生懸命やっております。私はこれは身近に体験した問題で、御説の点は十分承知はしております。御説のように一つ文部行政を改善していこうというので今一生懸命研究を続けておることを御了承願いたい。
○辻原委員 大臣のお考え、だんだんごもっともでございまして、私も今のお考えを承わって全く意を強うしたのでありますが、具体的に起っておる高知県の問題、なぜ私が高知県をあげるかといいますると、今大臣も理想としてぜひ実現したいという全員入学のケースとしては、だんだん少くなって、高知県が今残された一つの理想に近いものじゃないか、こういうように考える。そういたしますると、何とか――しかも最近高知県の様子を私も聞いてみますると、高等学校も増設しているようであります。そういたしますと、ここで全員入学の方途は必ずしもとれないことはない、従来もやってきたのですから。だからそういう一つの理想の方針によってこれこそある種の指導と助言を行うべきじゃないかと思うのでありますが、そういう点について現在あるもの――これからしていくということは非常に至難な問題ですから、せめてあるものだけでも残すという御努力をやっていただきたいのです。これはいかがなものですか。
○松永国務大臣 まだこまかなことを承知いたしておりません。しかし御指摘によって初めてよくわかりました。一つ省内全部係を集めて協議してみたい、そして善処したいと思っております。
○内藤説明員 ただいま大臣が全員入学が理想であると申され、私どももさように考えて指導して参ったわけでございますが、ただ入学志願者が入学の収容能力を超過した場合、これは選抜をせざるを得ないのでございます。すでに文部省令で志願者が収容能力を超過した場合には選抜試験によるということがきまっております。
 今御指摘の高知県の問題は、私非常に特殊な例だと思います。と申しますのは、むしろ選抜権をめぐって中学校側と高等学校側に対立があると思うのです。これは先般神奈川県で起きた問題です。中学校の方は中学校の推薦した者をとれ、高等学校の方は高等学校が入れるのだから、選抜権は高等学校が持つのが当りまえだ、こういうところに問題の焦点があるのじゃなかろうか。高知県の場合は昨年一校増設したのであります。ですからさらにもう一校増設ということは困難ではなかろうかと思うのです。そうして収容能力が超過すれば、選抜試験が起われるのはやむを得ないと思うのです。その場合選抜の主体性はあくまでも私どもは高等学校にあると考えているのであります。ですから高知県の場合にも、良識をもって解決されるように私どもは期待しておるのであります。
○辻原委員 時間が切迫しておるようでありますので、あと一、二点ですが、今の問題でたしか学校教育法の施行規則五十九条にこの点があるから、選抜試験が可能になったわけです。これはあとで挿入したものだと思うのです。もちろん全員入学というのは理想であって、収容能力その他も勘案しなければならないと思いますから、過渡的な一つの取扱いとしては、今内藤さんがおっしゃったようないわゆる入学試験の考慮が高等学校にあるというのです。もちろん入れる方にあることは違いないと思うのです。これは大学の場合を見ればよくわかる。高等学校の教科内容、いわゆる高等学校の学習のテンポというものを無視して、間々大学の入学試験が課せられている。ある大学のごときは極端にいえば高等学校で教えていない英語あるいは数学を試験の課題として出しておる。そういうことも私は聞くのであります。ですから入れる方の側にだけあるということを強調したならば、かえって弊害が出てくるのじゃないか。そのために、たとえば中学校でいえば、大体中学校の五〇%は就職するのです。そしてあとの五〇%が進学をするわけです。結局進学をする者のために、中学校しか行かない者が、その日常の教育の中で片隅に追い込まれているということも、私は義務教育として考えるべきじゃないか。だからやはりこの大学入試の問題については、今までもずいぶん問題になりましたし、指導もなすっていると思われますけれども、一つ全員入学の点について文部省も検討されて、あえて無理して学校の格を高めるとか、あそこはだれでも入れるのだというのでは学校の格がないのだと思うような旧弊な考え方は人間の潜在性としてあり得るかもしれない。もしそういう点があったとしたら、そういう点を是正してもらって、正しい姿は全員入学なんだという点で、無理がなければ理想の線に落ちつかせるという指導をしていただきたいと思います。
 最後に一点内藤さんに給与の点について伺っておきたいと思うのですが、今度の新給与法の改訂に当って各府県の状況を見ますと、大よそ二十二府県が解決を見ておるようであります。ただしかし残っておるのが再建団体の府県で、いまだに国が定めたその基準にも給与の改訂が行われていないという現状、先般私自治庁の長官にも直接プライベートにお会いいたしまして、実情を話して自治庁の方のこれに対する早期の解決をお話し申し上げたのであります。その当時の自治庁の御見解としては、たしか私はこういうふうに受け取ったのであります。一つは各府県で理事者とそれから当該公務員との間に話し合いができたその給与の決定については自治庁はとかくのことを言わない。それからもう一つは、三月が切りかえでありますから、この三月の切りかえの際に、従来昇給をストップされて既得権を侵害されておった分を復元するということもあえて差しつかえない。しかし再建団体については個々の財政状態を考慮してできるだけ無理のないようにする、こういう話だったと思うのです。ところが再建団体といえども最近黒字になってきているところがずいぶんありますし、都道府県の当局がそれを認めたならば、しかも文部省も通達をされておるようでありますが、大体国の基準に近いという形であるならばそれを国の方で認めていくという方針を推進していかないと、せっかく給与の改善としてされた措置が一年もおくれるということはみっともない話だと思う。そういう点については文部省は自治庁当局と交渉されておりますか。地方に対して指導されておりますか。これについてお答えを願いたい。
○内藤説明員 先般の給与の切りかえにつきましてすでに国家公務員については大体八月に完了しておると思います。地方公務員の分は、交付税の配付等もございまして実はおくれていることも事実でございます。そこで文部省としては、御承知の通り地方の先生は国立学校の教員の給与の例による、これを基準とすることになっておりますので、文部省としては、国立学校の給与を基準として実施するようにという通達を出しております。
 それからさらに、最近起きた事情といたしましては、地方公務員が国家公務員よりも有利に改訂しておるといううわさもあるわけであります。と申しますのは、たとえば昇給期間が十五カ月のところを十二カ月にしたり、あるいはさらに国家公務員にはないところを、頭に二、三号のせるというような、国家公務員よりも有利に措置するというような事態が起きておるとも聞いておりますので、教員は国家公務員にもちろん準じなければならぬのだけれども、地方公務員との均衡はあくまでも保つようにという通達を重ねて出したわけであります。自治庁ともよく相談しておりますが、お話のように再建団体についてはいろいろと問題があります。自治庁は再建団体について国家公務員並みという線をまだくずしていないと思います。一般公務員について国家公務員よりは不利にはしないというのが自治庁の基本的の見解でございます。この場合に文部省側としても地方の教員が国立学校の先生よりも不利にならぬようにという線で指導をいたしまして、自治庁ともこの点については双方一致した意見でございます。
○高津委員 時間も一時半になっておりますからただ二つだけ文部大臣にお伺いします。昨日の文部大臣の御答弁によりますと目下勤務評定の基準案を作る作業中だということでありましたが、勤務評定はきわめて重大な問題でありますから、その案ができ上った段階ですぐこれを実施に移すことなく、もう一度衆議院のいろいろ専門家の集まっておる当文教委員会に御報告をなさるべきであろうと考えます。それでこそ文部当局が重大問題を取り扱う妥当な態度であると言えましょうし、またそうなさるならば、松永文部大臣は民主的なやり方をなさる、こうも言えるかと存じます。御見解を承わりましょう。
○松永国務大臣 高津さんのお尋ねですが、今ここで私が、それじゃ衆議院にかけますということもはっきり言えませんし、いずれはその内容を見ました上で何とか国民から御納得のいただけるようなことをしたいというふろに考えております。
○高津委員 今のお答えを聞けば約束はできない、違反のないようにやる、職務権限内でやるんだ、こういうように私には響くのでありますが、この重大な勤務評定の問題については文部省内あるいは省関係の委員会に諮問されるのでありますか。それ以外に公聴会を開くとか、あるいは新しい審議機関を作ってそれにかけるべきであると私は思うのでありますが、これに対する大臣の御所見を承わりたいと存じます。
○松永国務大臣 高津委員の御主張と同じような御主張を昨日も承わりました。そこでこれは何とか善処しなければならぬと考えまして、その後研究を進めております。ただ問題は、Aの勤務評定の内容には私は納得いかぬ点がまだありますので、それが何人にお見せしても、何人に聞かせても、全く正鵠を得たものだというようなことでありましたら、それはもうすぐやるということもできましょうけれども、なかなかそうはいかぬと思います。ですから私はできるだけ皆さんにも一つお諮りして、そうして御納得のいくような案ができたらばですけれども、よく協議してやっていきたいというように考えております。
○高津委員 現在のやり方でいくというようにもとれるが、あまり無理なことはしない。われわれに諮るかのようでもあるし、どうもはっきりしないのでありますが、この内閣の一番大事な政策が労働政策で、石田労相がそれを担当しておられる。それからもう一つ文教政策を松永文相が担当しておられる。これは大へんなことになっておると思いますが、われわれはその行き方に反対でありますから、せめてその行政的なやり方だけでも民主的である、これは妥当であるというようにやられないと大きな問題が起る。どうも今の行き方というものはまことに遺憾千万であって、私はこれを速記録にとどめて他日十分質問をしたいと思います。本日はこれだけで私の質問を終ります。
○松永国務大臣 お説の御趣旨をよく承わりまして、できるだけ御納得のいくようにやってみたいと考えております。いずれはその案ができました上でどうするかということを決心したいと考えております。
○佐藤(觀)委員長代理 本日はこの程度にとどめます。
 これにて散会いたします。
   午後一時三十一分散会