第046回国会 法務委員会 第14号
昭和三十九年三月十三日(金曜日)
   午前十時四十四分開議
 出席委員
   委員長 濱野 清吾君
   理事 鍛冶 良作君 理事 唐澤 俊樹君
   理事 小金 義照君 理事 小島 徹三君
   理事 坂本 泰良君 理事 細迫 兼光君
      大竹 太郎君    亀山 孝一君
      仮谷 忠男君    四宮 久吉君
      中垣 國男君    中川 一郎君
      馬場 元治君    服部 安司君
      赤松  勇君    久保田鶴松君
      山本 幸一君    横山 利秋君
      吉田 賢一君    志賀 義雄君
 出席政府委員
        警  視  監
        (警察庁警備局
        長)      後藤田正晴君
        法務政務次官  天埜 良吉君
        検     事
        (刑事局長)  竹内 壽平君
        法務事務官
        (矯正局長)  大澤 一郎君
 委員外の出席者
        警  視  長
        (警察庁警備局
        警備第二課長) 後藤 信義君
        判     事
        (最高裁判所事
        務総局刑事局
        長)      矢崎 憲正君
        専  門  員 桜井 芳一君
    ―――――――――――――
三月十三日
 委員河本敏夫君、島上善五郎君及び竹谷源太郎
 君辞任につき、その補欠として仮谷忠男君、赤
 松勇君及び吉田賢一君が議長の指名で委員に選
 任された。
同日
 委員仮谷忠男君、赤松勇君及び吉田賢一君辞任
 につき、その補欠として河本敏夫君、田中織之
 進君及び竹谷源太郎君が議長の指名で委員に選
 任された。
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 逃亡犯罪人引渡法の一部を改正する法律案(内
 閣提出第一一四号)
 刑法の一部を改正する法律案(内閣提出第一二
 八号)
 法務行政及び検察行政に関する件
 人権擁護に関する件
     ――――◇―――――
○濱野委員長 これより会議を開きます。
 逃亡犯罪人引渡法の一部を改正する法律案を議題といたします。
 本案は、去る十日質疑を終了いたしております。
 これより討論に入る順序でありますが、別に討論の申し出もございませんので、直ちに採決いたします。
 本案に賛成の諸君の起立を求めます。
  〔賛成者起立〕
○濱野委員長 起立総員。よって、本案は全会一致をもって原案のとおり可決すべきものと決しました。
 おはかりいたします。ただいま可決せられました本案に対する委員会報告書の作成につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、これに御異議ございませんか。
  〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○濱野委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。
  〔報告書は附録に掲載〕
     ――――◇―――――
○濱野委員長 次に、刑法の一部を改正する法律案を議題といたします。前回に引き続き質疑を行ないます。細迫兼光君。
○細迫委員 私の質問は修正の提案でもあるわけで、ぜひひとつ与党の委員諸君に多数聞いてもらいたいのですから、頭数をもう少しそろえてもらいたいと思います。
 局長にお尋ねをいたしますが、きのうも大竹委員から御質問が出ておったことに関連するんですが、「其財物」ですね、財物に対して「其」という定冠詞をつける必要があるんでしょうか。どの財物だってかまわないんじゃないでしょうか。「其」という定冠詞をつけたやむを得ない必要というものは一体どこにあるのでしょうか。
○竹内(壽)政府委員 これは御意見でございますけれども、やはり「其」という字をつけたほうがいいという考えでございます。その理由を申し上げます前に、「其」の意味を御理解をいただかなければならぬと思うのでございますが、ここに言う「其」というのは「近親其他被拐取者ノ安否ヲ憂慮スル者」を言っておるわけでございます。そして「財物」は、御承知のとおり窃盗罪、強盗罪等、財産犯にありますあの財物と同じでございます。「其財物ヲ交付セシメ」という用語例でございますが、これも今回初めて用いるものではございませんで、現在の刑法二百四十八条を見ますと、準詐欺罪というのがございますが、これにも同じような「其財物」という表現がございますし、それからまた恐喝罪の二百四十九条にも「財物ヲ交付セシメ」というふうな「交付セシメ」という言い方との類似でありますが、そういうふうな表現がございます。もしこの「其」という文字を使いません場合には、仰せのように非常に範囲の広いものになるわけでございまして、この罪の本質から申しまして、前の目的の中に書いてあります親身になって憂慮する者、その人のその憂慮に乗じて取るというところにこの罪が重要な意味を持っておるのでございますので、その人から取るという意味でやはり「其財物」というものを入れませんと、この罪の本質的なものに触れない場合の行為がこの罪で罰せられるおそれがあるということで、やはり取り扱い上の慎重を期しますためには、ここへ限定をしておくのが相当であるというふうに考える次第でございます。
○細迫委員 そもそもこの改正案を考え出された趣旨から申しまして、別に「其」をつける必要はないと私は思うのです。広くなったってかまわない。つまり、こういう悪質な犯罪を警戒する、あるいは警戒心を与えるという目標なんですから、いやしくも近親者の憂慮に乗じて金品を略取しようとする行為を重く罰するということで考え出された趣旨の目的は達するのじゃないかと思うのですよ。別に「其」と限定しなくても、その趣旨は十分達し得るのじゃないか。無理に範囲を狭く限定して、実際にいえば、裁判において無罪をたくさんしてやらなければならぬ必要はないと思うのですがね。これはもし修正の意見が出ましてもあくまで維持していかれる態度ですか。
○竹内(壽)政府委員 あるいは「其」という字を取りましても、私が御説明申し上げたような解釈に到達するというふうに言い得るかもしれないのでございますが、何と申しましても、この要求罪は従来恐喝で処置をしておりましたものを、強盗よりも重い無期刑までもつけるというような非常に重い刑に理解をいたしておるのでございまして、真実安否を憂慮しておる者、その者が憂慮しておるのに乗じてということばがございますので、その解釈を正しく理解いたしますならば、仰せのように「其」という字があってもなくても、やはり「其」という意味になるであろうという解釈になるかもしれないのでございますけれども、こういう重い罪でございますと、やはり「其」という字をつけてその関係を明らかにしておく必要があると思いますのと、それから、この前申し上げましたが、「近親其他」ということばも、実はなくてもおのずからそこへ解釈としては落ちつくのだとは思いますけれども、例示的にそういうものをつけて、その憂慮している者の範囲を限定する、こういう立法政策上の考慮をいたしまして、この運用の乱用にわたらないように考慮したつもりでございます。そういう考慮が不要だというふうにおぼしめせばなにでございますが、ただ「其」を取りますと、やはり解釈で「共」があったと同じような解釈に必ずしも到達しないのじゃないかというふうに私どもは考えるわけでございまして、その点は慎重に御審議を賜わりたいと思います。
○鍛冶委員 関連して。いまのを聞いておると、「其」はいわゆる憂慮させられた者をさす、こういうことですね。所有を意味するのですか、その者の所有の財物、こういう意味ですか、これはちょっと重大だと思うのですが……。
○竹内(壽)政府委員 所有というふうに限定すべきではなくて、その憂慮する者が実際に支配できる、管理しておるそういう財物、こういう意味でございますから、本人の所有のものでなくても、その人が他人から融通を受けて、そしてその金を出す。その金はあくまで融通でございますから第三者の財物でございますけれども、その場合には融通を受けて出すという、つまり憂慮しておる者が管理し得る状態になっておる財物、こういうことでございまして、「其」の意味は、その範囲の「共」というふうに解釈願いたいと思います。
○鍛冶委員 それならば私はこう思うのです。それはその者から財物を取るのでしょう。だれのものであろうとも、借りてこようが、悪く言えば、いざとなれば盗んでこようが、その者より財物を取る。こういう意味だろうと思うが、いかがですか。
○竹内(壽)政府委員 鍛冶先生のおっしゃるように理解していただいていいと思うのです。
○小島委員 関連してちょっとお聞きするのですが、細迫君の言っているのは、むしろ範囲を広げろという意味なんでしょう。それをあなたのほうは、むしろその範囲を狭めなければならぬから「共」としたのであって、あなたの解釈を変えろと言ったって、「其」をとってしまったらなかなかむずかしいと思うのですが、そこらの違いなんだろう。どうなんです、それは広げたらいけないのですか。
○竹内(壽)政府委員 先ほど申しましたように、これは刑が非常に重くなっております。したがいまして、「其」という意味は、先ほど鍛冶先生にお答え申しましたように、そんなに非常に狭い意味を持っているのではないのでございますが、さればといって、それを取ってしまいますと、全く無関係な人からとるやつもこれに入ってくるおそれがないとは保しがたいと思う。もちろん、この背景になっておりますのは、憂慮しておる者から憂慮に乗じてというしぼりがかかっておりますので、おのずから「其」というのがあってもなくても、その憂慮しておる者の管理しておる財物を取る、支配できる財物を取るということの解釈になるという、そういう解釈も立たぬとは限りませんけれども、これがなければ広くなる可能性はあるわけで、そういう点を考えますと、罪の重いこととにらみ合わせますと、必ずしも広くすることばかりが立法政策上策を得たものではないというふうに思うのでございます。
○小島委員 それでわかりました。どうも細迫君は広くしたいらしいし、あなたのほうは刑が重いから狭めるのだという、その意見が違っておるのだ。
 それはそれでいいとして、私はもう一点関連してお聞きしておきたいのですが、近親その他の者ですね。その他の者の中に、たとえば先般うばだってというような話が出ましたが、現実の社会において、いま大体のうばは自分のあれした子供をかわいがるというのが普通なんですが、もしもかりにそのうばがその子がにくくてたまらないので、あんなものは死んだって殺されたってかまわないのだというような気持ちがあったとすれば、一体それはどうなるのですか。ただ客観的に憂慮しているという事実が必要なのか、なら憂慮するだろうと思う人間でも、全然憂慮しない人間だったらどうなるのですか。そういうときは不能犯みたいになるのですか。
○竹内(壽)政府委員 それは不能犯にならないのでございまして、きのうも申し上げたのでございますが、要求する行為という中にはそういう場合も含めまして、客観的に見て憂慮しておる者であろうと思うそういう者に向かってやった場合には、やはりこの要求する行為の中に広く含まれるわけでございまして、やはり犯罪は成立するという考えでございます。
○細迫委員 いろいろ御説明がありましたけれども、私は法の立法の趣旨、目的からいうて「其」は必要ない、つまり、範囲は、財物の性格を限定する必要はないという意見を撤回する考えはありません。
 問題を変えまして、よく読んでいないのだが、二百二十九条ですか、罪にするという条項がありましたね。これはこの改正案に入っているんですね。身のしろ金目的の誘拐でないものにかかっているのでしょう、この親告罪にするのは。私の質問の趣旨は、身のしろ金目的の誘拐でないものに関することなのだから、そういう親告罪にはしない、親告罪にするということは現行法に付加すべき問題ではないか。現行法は身のしろ金目的の誘拐に触れていないのですから、触れていないものに関する一つの改正とも言うべきものですから、新しい法律にわざわざこういうものを付加するのは立法技術としておかしいのではないか、こういう意見なんですがね。
○竹内(壽)政府委員 十分御質問にお答えできるかどうかわかりませんが、この二百二十九条の改正部分は、条文を整理いたしただけでございまして、実質的に何らの変更を加えていないのでございまして、ごらんのように二百二十九条でも営利の目的に出た場合は除かれておるわけでございます。それで、その営利目的のいわゆる営利誘拐でございますが、この営利誘拐の加重類型として、それが重い場合として今度の身のしろ金誘拐というものを考えたわけでございますから、営利誘拐が親告罪でございませんので、当然身のしろ金誘拐も親告罪でないということをただ条文の上であらわしまして、それに関連のある一連の罪を、やはりそれに関連せしめまして親告罪でないということにしただけのことでございます。本米親告罪としておくべき未成年者誘拐のようなもの、そのほか結婚、わいせつ目的の誘拐のようなもの等はそのままに現行法どおりになっておるわけでございます。
○細迫委員 これでけっこうです。
○濱野委員長 次に、法務行政、検察行政及び人権擁護に関する件について調査を進めます。赤松勇君。
○赤松委員 私は、いわゆる帝銀事件の、平沢の件につきまして質問する前に、ここで未決並びに既決の被疑者及び囚人に対する一般健康管理の問題と関連をいたしまして、さきに重大な選挙違反を犯しまして、そして目下検察庁で取り調べを受けておりました肥後亨なる者が最近獄死をしております。たしか三月の八日であったと思うのですが、検事の取り調べを受けまして、その取り調べが終わって三十分後に、これは死因は何かわかりませんが死亡した。検察庁側では重大な参考人を失ったということで、事件の捜査上非常な困難を来たしておるということがすでに一部の報道関係で問題になっております。これはさようなことは私はないと思うのですが、この死因につきましては重大な背後関係があるのではないか、こういうことが言われております。そこで、それが疑惑であればけっこうなんですが、疑惑であればその疑惑を一掃するために明確にお答え願いたいと思うのです。その当時小菅刑務所におったのですか、巣鴨ですか――巣鴨の拘置所てすね。その巣鴨の拘置所で、たとえば身体の苦痛を訴えたような事実がなかったかどうか、つまり検事の取り調べ直後に彼が死亡した。しかも、それが死亡した後に死亡そのものに多大な疑惑がかけられたということは、私は非常に重大であると思うのですが、この点についての健康管理については、どういうような措置をとっておられますか。
○大澤政府委員 ただいま詳細な診断のカルテ等を持ち合わせておりませんので、概括的に申しますと、肥後亨の入所しました際、直ちに健康診断を拘置所としていたしたわけでございます。その結果、高血圧症ということが直ちに判明いたしました。そこで拘置所といたしましては病舎に収容いたしまして、高血圧症に対する治療を施しつつあったのでございます。その間、高血圧症の症状がおさまったときもあり、あるいはまた高進したときもあり、そのつど適当な措置をとりまして、場合によりまして裁判所出廷等につきましても、医師の意見して出延を取りやめさせたという事実もあるのであります。最近、本年二月末から三月にかけまして、大体平常状態と申しますか、高血圧症は全治はしておりませんが、日常の生活に差しつかえない程度の、いわゆる本人の現在の調子でそのままの生活が続けられる、また人との面接応待ができるという健康状態を維持しておったわけであります。さように診断いたしまして、本人の高血圧症に対する治療を実施したわけであります。
○赤松委員 いまお聞きしますと、すでに本人は高血圧でもってしばしば苦痛を訴えておった。しかし、その後一定の健康状態を保っておった。こういうお話でございましたけれども、それは拘置所側の認定であって、客観的には一定の健康状態を保っておったかどうかということは、これは怪しまれると思うのです。たとえば拘置所の医者が、必ずしも完全な高血圧に関する十分な知識を持っておったかどうかといったような点においても疑問があると思うのです。そういう場合は、逃亡のおそれはありませんから、やった行為につきましては私も非常に憎んでおります。けれども人権は尊重されなければなりませんので、そういう場合には直ちに専門医師の診察を受ける。そのためには逃亡のおそれがないから他の病院へ移送して、そうして十分な手当てを受けさせて、重要参考人としての地位なり生命なりを保存をしておくということの措置が当然とられたくてはならなかったのではないかと思うのですが、どうしてそういう措置をとらなかったのですか。
○大澤政府委員 東京拘置所には医務部長以下十二名の各種の専門の医者がおるわけであります。それぞれ約半数は医学博士の資格のある人であります。われわれとしては十分な医師と心得ておるわけであります。それらが診断いたしまして、私、医学の知識はございませんが、彼らの医学的良心には十分信頼しておるわけであります。高血圧症としての治療を施して拘禁に耐えるという状況であったので、拘置所としての特別の措置はとらなかったわけであります。もちろん本人の病状等につきましては、常々裁判所、検察庁には連絡をしておるはずでございます。
○赤松委員 高血圧という病気は絶対安静を要するのです。いま医者の数は何人なんておっしゃいましたけれども、通常、たとえば拘置所、刑務所の中で病気を訴えましても、非常にそれはお粗末に取り扱われている事実がたくさんあるわけでございます。そこでこれを安静な場所に移して、そして本人の健康を十分管理していくという措置をおとりにならなかったことは、私ははなはだ残念だと思うのですが、きょう突然の質問でありますから、一応その状況を調べて、カルテを添えてひとつ本委員会に、私のところに出していただきたい。それと同時に、本人は拘置所の法で定められた食事をとっておったのか、それとも差し入れ屋の弁当を食べておりましたか。
○大澤政府委員 私、詳細な記録をいま持っておりませんが、私の記憶でございますが、当初差し入れなんかがございましたが、医者が診断しました結果、普通の弁当じゃいかぬというので、病人食を給与したように記憶しております。
○赤松委員 その病人食は差し入れ用から差し入れておりましたか、それとも拘置所自身でつくった食事でしたか。
○大澤政府委員 詳細なものを持ち合わせておりませんが、記憶によれば、高血圧につきましての特別の減塩食、塩を抜いたそういう病人食を給与していたように記憶しております。
○赤松委員 これ以上質問しても、あなた自身実際答弁の知識を持っていらっしゃらぬと思うので、これはひとつ調べていただいて、いま申し上げましたように、彼の死亡の前後の動静報告と合わせて、たとえば検証をだれが立ち会ってどのようにやったかというようなことなどもこれはぜひ私に報告していただきたい、あるいは死亡前の動静報告などもぜひ私に報告していただきたい、こう思いますが、どうですか。
○大澤政府委員 詳細な資料を御提出いたします。
○赤松委員 重ねて言っておきますけれども、世間に疑惑がございますから、この点については、その疑惑を一掃するという前向きの善意な意味で十分な資料を添えて出していただきたい。
 次に、平沢の問題でありますけれども、現在平沢は再審、民事それから特赦三つの請求をしております。そのうち民事の公判は係属中で、四月十七日に第一回弁論が開かれることになっておりますが、私は、この点について弁護団側が平沢との間にいろいろ協議もしなければならぬ問題もあるかと思うのでありますが、前に私は矯正局長に、彼を仙台から一つは健康の理由で温暖の地、つまり千葉かあるいは巣鴨に移送してもらいたいということを要求しました。二つには、いまこのように三つの請求を行なっている関係上、やはり東京に彼を置くことが一番便利だと思うのでありますが、その点についてはいかがでございますか。
○大澤政府委員 平沢が老齢であり、かつまた民事訴訟等を提起しておるという点で東京に移送してもらいたいというお話もありましたことはございますが、われわれとしまして、民事訴訟等につきましては、平沢にはそれぞれ非常に親切な弁護人がたくさんついておりまして、訴訟は民事関係では代理人で行なわれております。さような意味合いで、平沢の老齢なるがゆえに東京に移送するかという問題でございますが、その点われわれとしまして、平沢なるがゆえに東京に移送するということもいたしかねることで、一般の受刑者、死刑確定者と同じ立場に立ちまして彼をどこに置くかということを考える必要があるわけでありますので、大体東京管内で確定する死刑囚が非常に多いものでありますから、東京拘置所の監房あるいは管理能力から見まして、またその執行の場合のことなども考慮いたしまして、順次確定の古い者から特段の事情のない限り仙台に送りまして、その管理の全きを期したいというので移送しておるわけでございます。すでに平沢もいつでございましたか、もう二年ほど前じゃないかと思いますが、移送いたしたようなわけであります。さような意味合いにおきまして、特に健康状態につきましては十分留意しまして、特に現在仙台に置いて差しつかえるというような状況もございませんので、引き続き仙台に置いているわけであります。
○赤松委員 私は、仙台にどうしても置かなければならぬ理由がどうもよくわからないわけであります。そのきっかけとなったのは、例の隠しマイクで録音しようとしたあの事件が一つのきっかけになったようでありますが、あの移送についても非常に問題がある。しかし、きょうは言いませんが、私に来た手紙によりますと、その老衰状況が非常に進行しておりまして、向こうの刑務所の医師の診断とは事態がよほど違うようであります。本年彼は七十三歳、逮捕されてから十六年になるわけですね。十六年の獄中生活、そうして年はもう七十三ということになりますと、これは死なないほうがおかしいのであって、むしろ彼は再審になることをただ一つの人生の希望として、それに生きておる。したがって、こういう非常に悪い環境の中でも、老齢の中でも、かろうじてそれで生きているということだと思うのです。先ほど申しましたように、現在再審、民事、特赦の三つの請求を出し、さらに再審公判も、東京高裁刑事六部で薄物鑑定四件、それから心理学、精神病理学の鑑定二件、その他多くの新事実を添えて、ただいま請求中であります。
 こういう状況の中で、この間なくなられました作家の尾崎士郎さんが、人道主義の立場から、中央更生保護審査会の委員でもあり、生前この無罪を強く主張されておりました。こういうように多くの文化人や著名な日本の代表的な名士によって、平沢は犯人ではない、無罪である、こういう声が圧倒的に強く起きてきております。すでにこれは映画におきましても、あるいは演劇におきましても、このことを客観的に国民自身が判断できるような、そういう状態が生まれつつあるわけであります。こういうように国民はあげて――疑わしきものは罰せずということはもちろん原則でございますけれども、それ以前の問題として、何ら自白以外の証拠がない。あとで申し上げますけれども、自白以外には証拠がない。その証拠のない平沢を死刑にする。ところが、実際問題としては死刑にできない状況でしょう、ただいまのところ。やるならやってみなさい、国民が承知しませんよ。これは前の中垣法務大臣、それから賀屋法務大臣も私の質問に答えまして、慎重を期して再審請求中は死刑にしないということをはっきり言っておられます。私は、もし再審が却下されるということになるならば、世論はこれを許さぬと思うのです。前に私は例のがんくつ王の問題で申し上げた。法務当局は、ことに検察庁は、この老人の血の叫びをしばしば妨害し、却下し、そして彼の生涯をほうむり去ろうとした。私は、そのときに、勇気を持ってこれを取り上げなさい、そして再審をおやりなさい。再審をやって、白と出るか黒と出るか、それはあえて私の論ずるところじゃない。しかし、公正な裁判によって黒と出ようと白と出ようと、それによって裁判の威信というものが一そう高まるのだ、勇気を持っておやりなさいということを私は申し上げたことがある。これば裁判所が勇気を持っておやりになって、あの小林裁判長の歴史的な判決が下された。あれで日本の裁判所の威信がどれだけ高まったですか。やはり裁判所はわれわれの味方だ、人権を守ってくれるところだ、こういう信頼が加速度的に高まったのです。
 今度の平沢の、この全く証拠のない無謀な死刑に対しまして、これを執行するよりも、むしろこの際勇敢に再審をして、その実態を明らかにし、公正なる裁判を行なうということが、日本の法務行政並びに裁判制度にとって最も重大なことだと私は思うのです。試みに考えてみなさい。いまぽっくり平沢が老衰で死んだら、この疑惑は何十年、何百年残るのです。残してよろしいか。あなたたちは恩給をもらって安らかに死んでいくでしょう。しかし、再審の機会を失ったこの老人は――笑い話じゃないんだ、なんだ君は、こういうような真剣な私どもの考え方、いま平沢は仙台の刑務所で、きょう死刑になるか、あす死刑になるか、彼が無実の犯人であったならばどんな心境にあるか、そういうことをあなたたちは考えたことがあるのか。もっと人権というものを、ことばの上や法律の上でなしに、心の中で考えてもらわなくちゃいかぬ。
 いま刑務所の中におるけれども、このごろ私に来る手紙では、持病のリューマチがひどくなって足の関節が曲がらなくなった。それから絵や手紙もすわっては書けなくなった、ふとんの中で寝たきりで書いている。リューマチで指が曲がって寒さで痛む。絵をかくときも、口の中に指を突っ込んであたためなければかけない。こういうような手紙をよこしております。それから小管、巣鴨にいるときは、胃が悪く血を三回吐いたことがある。ところが刑務当局は、絶対にそういうことはない、健康管理は十分にしている、中に病院施設があるから、普通人以上に行き届いた管理をしている、こう言っております。ところが、平沢を救う会の森川事務局長がその辺の食い違いを心配しまして、外部から医師を入れて診察することを求めましたけれども、刑務所のほうはこれを拒否しました。どういうわけでこれを拒否するのですか。仙台の刑務所の健康管理に当たっている医師が博士であるかどうか、それは知りませんけれども、一方では自然死が近づいてきておる、老衰は一そうひどくなりつつある。そういう中であなたたちは、やっかいな事件であるから刑務所の中で平沢の自然死を待っている、法務当局は平沢の死ぬのを待っているのじゃないか、だれにでも聞いてみなさい、これは世間一般の通説ですよ。裁判のやり直しを避けて、そうして、あんなのはうるさいからできるだけ早く死んでくれないか、これが法務当局の考え方だというのが、いま国民一般の通説になっておる。そういう疑惑の中で、こういうように訴えておるのに、はがきを書くのに寝て書かなければ書けない、指が冷たくて口の中へ入れてあたためなければ筆がとれない。そこで森川事務局長が外部から医者を呼んで見せてやってくれ、いかぬと言う。石巻の坂病院の高橋院長に依頼してカルテを見せてもらった。カルテには主病に老衰と記されておる。高橋院長が森川氏に寄せました手紙の一部には、「故意の虐待はないようであるが、積極的な診断や処置はとっていないようだ。」こう書かれております。カルテを見た専門医がこういうような判断をしておるというところに、私は問題があると思う。どうして外部の専門医の診断あるいは権威のある――あすこには東北大学があるのですから、権威のある医師によって診断をさせないのか。そういうことをやらせないから、あなたたちは平沢の自然死を待って事件をうやむやに葬るのではないか、こういう疑惑が国民の中に生まれてくるのです。これは平沢一個の問題ではありません。
 私ども犯した罪は憎む、われわれの仲間を落とすために選挙違反をやったやつですから、しかし、人の命は地球よりも重いのですから、あの肥後亨の死についても、私が先ほど言ったように世間では疑惑を持っておる。ところが、彼の健康管理についても、いま矯正局長の答弁では、十分な健康管理はやっていない。こういうずさんな健康管理で、もし無実の者が犯人に仕立てられて、それで刑務所の中で死んでいくというような悲劇があったとすれば、何が民主主義だ、何が民主憲法だ、何が人権だ、何が一等国だ、何が大国だと言いたくなるわけです。どうして外部の権威のある医者の診断を拒否するのですか。その点どうですか。
○大澤政府委員 平沢貞通の健康状態につきましては、われわれ刑務所から月一回報告を聴取しておるわけでございますが、ただいま御指摘になりましたリューマチが高進して足腰が立たぬというようなことは全然聞いていないのであります。しかし、森川さんがお会いになってさような事実があるというお話でございますので、われわれといたしまして、直ちに納得のいく診断をさせたい、かように存ずる次第であります。なお、われわれが受けておる報告によりますと、本人は、もちろん七十二歳の老齢でございまして、身体的な老衰状況は出ておることは出ておるわけでございます。しかし脈摶、血圧あるいは胸部、腹部等につきまして何らの異常もなく、また腱反射あるいは下肢のむくみというものはない。一般的状況は年齢相当の状況であるというふうに報告を受けております。ただ老齢でありますので、肝油とか、塩酸リモナーゼその他胃腸薬、栄養剤等も給与いたしておるわけでございまして、十分な管理をいたしておると確信いたしておるわけでございます。ただいまリューマチがあるというようなお話でございますので、直ちに納得のいく――われわれといたしましても刑務所の康健管理につきましては常に納得のいく確信を持っていきたいと思いますので、その点ただいま伺いましたことに基づきまして、さらに調査いたして、健康管理には十分な措置をとるつもりであります。
 次に、外部の医者ということは、ただいま御指摘の東北大学等権威ある病院でやるということは決してやぶさかではありません。いまさように考えておるわけでございます。
○赤松委員 それではさっそくそういう措置をとってもらうことにして、最高裁のほうに伺いますが、いま私が矯正局長に申し上げた点、よく聞いていらしたと思うのです。そういう事情でありますから、もう七十三歳なんですから、民事訴訟はようやく受理していただきまして、いよいよ公判が開かれ弁論も開始されるのでありますけれども、続いて毒物鑑定その他の重要な証拠を添えて出してあるのですから、この再審についても、いま兼平さんがおやりになっておるのですか、東京高裁の第六部ですね、これはぜひ早急に取り上げて、そうして国民の疑惑を解いていただきたいということをあなたに要求しておきます。その点については、これは裁判のことですからあれしませんが、大体先ほど申し上げました三つの請求についてどういう状況になっておりますか。民事のほうは別として……。
○矢崎最高裁判所長官代理者 お答え申し上げます。三つの、第八番目、第九番目、第十番目の再審の請求が現在まだ結論が出ないで審理中でございますが、いまお話のありましたいろいろな点を裁判所においても十分考慮いたしまして、慎重に審理中であるのでございます。裁判のことに関係いたしますので、この程度のお答えで御容赦いただきたいと思います。
○赤松委員 ただ、こういうことは言えませんか。もう七十三歳の老人だ、したがっていつ自然死するかわからない状態である、しかも刑務所という環境の中にある、そういうことを十分考慮して善処したいと思う。これはあたりまえのことです。だれでも人間として言い得ることですが、この程度のことは言い得ませんか、いかがですか。
○矢崎最高裁判所長官代理者 刑事局長としてお答え申し上げることは、もちろん御趣旨は十分よくわかるのでございますが、高等裁判所のほうの当該部で審理中でございます。当該部においても、もちろんそういう御趣旨を十分よくわかって慎重に審理中だと確信いたしておる次第でございます。
○赤松委員 刑事局長の竹内さん、検察庁側では、またがんくつ王の場合のようにいろいろ妨害したり、そして却下をするようにいろいろなところに働きかけをするということはないのでございましょうね、この事件については、再審についてはどういうような考えですか。
○竹内(壽)政府委員 いま最高裁の刑事局長からもお答えになりましたように、検察庁側からことさら妨害をして却下になるような側面的な工作でもするというような意味での御質問でございましたならば、さようなことは絶対にございません。もっぱら訴訟手続に乗せまして、手続として関与いたしておるのでございます。
○赤松委員 昭和三十七年十一月十日、本委員会において私はあなたに質問をした。それはどういうことであるかというと、二十三年十月八日に出射検事が東京拘置所に取り調べに来たかどうか、これがいま弁護団側で問題になっているいわゆる出射検事の調書は偽造である、たしか六十回から六十三回までの調書は、これは白紙に平沢は拇印を押させてあとで書いたものだ、たしか大村鑑定だと思いますが、鑑定の結果それが出ている。これがもし偽造されて、高木検事が書いたものを、出射検事が拘置所に行って、自分が調べて調書をつくったんだ、こう言っておりますけれども、当時御案内のように磯部弁護士から法務省の人権擁護局を通しまして、そして巣鴨の拘置所の所長に聞いた。所長は、出射検事は来なかったという公文書を、これを法務省の人権擁護局に公文書として提出した。後に至って言をひるがえして、それはよくはわからない、こういうことになっている。私は、この問題について昨年の十一月十日あなたに質問をした。そうするとあなたはこうおっしゃっている。昭和二十三年の十月八日及び九日でございます。「拘置所の保存しております人型索引カードというのが、これは最近になって発見されたわけでございます」、最近になって発見された、あわててつくったのかどうかわかりませんが、最近になって発見された。昭和二十三年以後問題になっておるのに最近になってそのカードが発見された。「平沢が昭和二十三年十月八日に入監して、その当日である十月八日及び九日の両日検察官の取り調べが行なわれたことが、明らかにその人型カードによりますと現在うかがわれるのでございまして、この人型カードと申しますのは、写真にも写して参りましたが、出廷の際に、検察官や裁判官の取り調べに際しては、看守が参りまして、その人が人違いかどうかということを確かめるために人型の――これは古いやり方なんでございますが、こんなような人相書きのようなもの」であります。「それから平沢入監当時の刑務所の担当看守でございますが、山本貞助、当時は磯部弁護士は酒井寅夫というふうにおっしゃっているわけでございますが、そうではなくて山本貞助というのが担当の看守でございまして、山本貞助氏の記憶と当時第三舎房の担当の看守部長をしておりました竹中麟之助、これはいずれも現職のものでございますが、その者の当時の手帳の記載によりますと、平沢は昭和二十三年十月八日午前七時三十分、パトカー四台で拘置所に護送されてきたが間もなく検事の来所があり、取り調べが行なわれ、午後これが終わって舎房に入房さしたものであるということがその記載によって明らかにうかがわれるのでございます。」、こうあなたが私に答えた。私は、あなたの答弁には納得できぬ、さらにこれを調査して後日質問をするということをあなたに申し上げた。竹内さん、検事が朝七時半に拘置所に被疑者の調書をとり来たなんて例は私は聞いたことがありません。そして第一、七時半になぜ来なければならぬのか、七時半から取り調べを行なった、こういうことですね。平沢が拘置所に来たのは昭和二十三年十月八日午前七時三十分、パトカー四台で拘置所に護送されてきたというふうに承知しているとあなたは答えております。そうすると検事は、七時半という時間を期してその被疑者と同じ時間に向こうへ行ったということになる。ところが、ここで疑問が生ずるのは、竹内さんは御存じないと思うのだが、あの鉄製のとびらを開いて中へ入る。それで第一に何があるかといえば、われわれ平服のままですっと入って、そして検事の取り調べを受けるのではないのですよ。まず所持品を調べる、私物を管理してもらう手続をとる、その手続は少なくとも三十分かかります。そして今度は獄衣に着がえて、戒護課へ行って、そこで一応入所の手続をやる。これも一時間かかる。さらにその他の手続を踏むと、自分の舎房に入るのは二時間半かかります。そうすると、あなたの当時の記録だとこうおっしゃっております。担当看守は出射という検事が来た覚えはない、初めはこう言っておった。ところが、あなたが突然最近になってこのカードが出てきた、そのカードによればこういうことになってきた。そのカードによれば七時半に平沢が来て、検事が七時半に来てそして取り調べを始めた。冗談じゃありませんよ。それは志賀君だって刑務所の経験がある。ぼくだってある。ぼくも四年おってずいぶん見て知っていますよ。あなたは刑務所のしきたりを知らないからです。しかも検事が来るときは、検事はすすっと入って取り調べ室に行くのではないのですよ。刑務所は、御承知のようにちょっとそこへ行くのにも全部かぎをあけて入らなくてはならぬ。すべてかぎがかかっています。検事は一人で行くわけにいかぬ。しかも検事が来たときには、所長なり戒護課長なりがちゃんと迎えに出て、そして取り調べ室に案内するわけです。それを刑務所のほうは検事は来ていないと初め言っておった。最近になってカードが発見されてきた、いつ来たか、平沢と同じ二十三年十月八日午前七時三十分、それから取り調べが始まった、こんなばかげたことが信じられますか。
 それから当時法務省の人権擁護局が、これを東京拘置所長にどうだと聞いたら、拘置所長は出射検事は来なかった、こういう公文書を出している。そうすると人権擁護局がうそをついたのか、あるいは東京拘置所長がうそをついたのか、後にカードが発見された、検事が来ればちゃんと記録がありますよ。刑務所ですから、検事がかってに入ってかってに出てくるのではないのだ。これは一体どういうことですか、こういうばかげたことは。検事が来ていないとすれば、来ていない検事がどうして調書をとったか、第六十回から第六十三回までの調書は明らかに偽造である。よくやるのですよ、検事が。警察でもやるんだ。成智警部が言っておるじゃありませんか。帝銀事件の主任捜査官だ。当時警視庁は藤田刑事部長も成智主任捜査官も平沢は犯人ではない。高木という青っちょろい検事が、初め殺人罪で引っぱったんじゃない。これはたしか詐欺罪か何かで北海道へ行って引っぱってきた。これは警視庁の指令じゃないのです。藤田刑事部長も知らない、成智主任捜査官も知らない。全然お門違いな警部補がだれかの命によってさっと行ったんだ。警視庁じゃないんだ。それは別のルートだ。そして北海道におった平沢をつかまえて、これを高木検事が詐欺罪でぽんと引っぱってきた。マスコミが一斉に帝銀犯人だ、帝銀犯人だと――初めは殺人犯で引っぱったんじゃないでしょう。そうしてとうとう彼は帝銀事件の犯人にでっち上げられた。あとで私は申し上げますけれども、これは満州において細菌兵器を使って、ペスト菌やコレラ菌を使って中国の軍隊を殺しておった石井部隊の七三一部隊――私の調査したところによると、当時一審公判で、捜査幹部も、進駐軍関係の捜査資料は提出しないものがあると言明しておる。当時はアメリカの占領下であって、やむを得ない事情があったのかもしれないけれども、その際に提出されていない駐留軍関係の調査資料は、捜査のごく初期のものにあらわれておる。それは帝銀事件の際に、現場の近くの相田小太郎という伝染病発生の家に来ていた第八軍のアーレンという兵隊がおる。その当時の犯人と思われる者が、いま駐留軍が相田家に来て消毒中ですと言った事実、これは時間がぴったり合っている。また他の未遂事件の際にも同じように、米軍のジープが近くの伝染病発生の家に消毒に来ていると犯人が言っている。アーレンというのはまず第一に共犯の嫌疑または他の理由で捜査しなければならないはずなんです。ところが、このアーレンについては全然取り調べていない。それからアーレンと一緒に行った豊島区役所の衛生課の医者は、当時共犯の疑いで取り調べを受けて非常に迷惑をこうむったということが明らかになった。それから白昼三時に十数名を殺す銀行強盗計画が単独犯で行なえるかどうか。これは私は前の委員会で指摘したように、おもしろいことには梅干し大の青酸カリを売ったところがないのですよ。それで平沢が買ったというところに調べに行ったら、そんなものは売った覚えはありませんと向こうは言う。そして梅干し大の青酸カリを――これは〇・三グラム以下は死なない、ちょっとでもオーバーすると死ぬのだそうですか、これを十何ばいコップに分けて十何人に一ぺんに飲ませて、そしてさっと逃げる。あとでどこでどのような死体があったかということをちゃんと平沢が書いている。おそらく書かされたと思うのです。これをごらんなさい、十何人殺して、そうしてこんな現場のこれが全部掌握できますか。どこに死んでおる、こう死んでおる、こんなでたらめな話がありますか。しかも絵かきですよ。絵かきが梅干し大の青酸カリ、〇・三グラム以下ならば安全、〇・三グラム以上ならばすぐ死んじゃう、それを十何ばいのコップにすうっと分けて、自分も飲んだ、それは〇・三グラム以下だから死なない。ほかのは〇・三グラム以上にしてさあっと飲ましておる。そうしてどこで死んだか、死ぬまで見ておったか。それであとになってここに死体、ここに死体という、これは全部検事が書かしているのじゃありませんか。こういうむちゃなことがありますか。その当時の警視庁の動静報告書をごらんなさい、この前私若干ここで明らかにしたが、朝の八時から夜の十時、十一時まで取り調べる。成智警部も言っておりましたけれども、誘導尋問をやるわけだ。ここに死体があったろう、ここに死体があったろう、朝から晩までそれをやるわけだ。それを十日も二十日も一カ月もやられたら、たいてい頭の中に、どの辺に死体があったかという錯覚が起きてくる。こうしてつくられたものだといわれておる。
 しかも重大なことは、そのときに読売新聞がGHQのイートン中佐と警視庁の藤田合同捜査本部長との立ち会いのもとに、この事件については、つまり石井部隊の追及はやめろ、取材をやめろ――これはたしか当時の読売新聞の社会部の次長をしていらっしゃる大木さんという記者です。現にいらっしゃる。この人が「探偵実話」昭和三十二年の十二月号の六十八ページにその事実を全部明らかにしている。これは証拠がある。本人が書いている。そのときのGHQは、「石井部隊は米国側の対ソ戦に備えて現在保護を加えて温存しているわけで、おまけに石井中将は戦死したことになっているが、都内某所に手厚い保護を加えられてりっぱに生活している。これを読売新聞であばき立てられては非常に困る。帝銀事件そのものから手を引けというのでなく、石井部隊を洗うことをやめてくれぬか、そのかわり司令部に入った情報は全部読売に提供する。」こう言っている。どうですか、これは重大な問題です。表面石井中将が戦死したことになっている。ところが死なぬ。某所に手厚い保護が加えられて生存している。そして読売新聞は帝銀事件全体の追及をやめろと言うのじゃない、石井部隊の追及だけはやめてくれ、それは対ソ戦に備えて細菌兵器を使わなくてはならない。千葉の軍の学校にそれを温存して、朝鮮戦争でアメリカが使ったじゃありませんか。したがって世間の疑惑は、これをやらしたのはGHQの特務機関であり、その特務機関が石井部隊を使ってやったのだ。つまり細菌兵器を専門に使っておる当時諏訪中佐といわれておった――これはわれわれは追及したけれども、残念ながら死んでいる。石井部隊の諏訪中佐、石井部隊の中をずっと洗ってみると、石井部隊の諸君も、あの男しかやれないだろう、これは何分かの間に十何人一ぺんにさあっと殺しちゃうのだから。それで結局帝銀の銀行員の諸君はモルモットになったわけだ。テストされたわけだ。それを朝鮮戦争で使っている。私はこの間朝鮮に行って博物館をずっと見たが、軍事博物館に、使った細菌兵器が全部陳列されておる。こういう背後関係というものがこの公判において全然明らかになっていない。警視庁の刑事部長も主任捜査官も彼は犯人でないと言っている。そして藤田刑事部長の命令で成智警視はあの高木という検事のところに行って、彼は犯人じゃありませんと言っている。そうしたら、よけいなことを言うなと一喝を食わされている。それでとうとう彼は死刑の宣告を受けた。こういうことになっておるわけでございます。こういう状態で、いわゆる隠匿された米軍関係の事実が明らかにされていない。
 私がここで要求したいのは、警視庁に留置されておった当時の平沢の動静報告書をぜひひとつ委員長にとっていただきたい。いかがでございますか。これは政府に要求します。動静報告書、警視庁の留置場に留置されておるそのときには動静報告書がちゃんとあるわけです。それをぜひ私に資料として出していただきたい。よろしゅうございますね。
○竹内(壽)政府委員 警視庁の保管しております書類でございますので、私のほうからお引き受けするとかしないとかいうことは、いまちょっと確答申し上げかねるわけでございます。
○赤松委員 それじゃ委員長のほうからひとつ要求してください。
 なお数点。私はここで毒物の鑑定について明らかにしておきたいと思うのであります。この毒物の鑑定についても、荏原の未遂事件の犯行で使われた毒物は茶褐色の溶液であった。帝銀の椎名町で用いられた青酸化合物は白濁していた。これは目撃者の証言で明らかになっています。ところが平沢の自供では、初め塩酸から青酸カリに変わり、梅干し二つ大の青酸カリを持っていて、荏原のときはその中から耳かき約一ぱいを用い、きかなかったので、帝銀のときは残り全部を用いたらたまたまきいた、こういうことになっておるわけです。これが死刑判決の根拠になっている。検事側は慶応の中館教授に鑑定させた。中館博士は「市販の青酸カリはナトリウムもしくはソーダを半分ほど混入している。風化すると茶褐色になったり白濁したりする」との鑑定をして、裁判所はこれを記拠として採用、判決を下した。ところが、再審弁護団は東京工大名誉教授の秋谷七郎博士、代々木病院副院長の中田友也博士、東北大学の岡野博士の三人に鑑定依頼を出したところ、秋谷博士は、市販の青酸カリは工業規格で、純度九〇ないし九五%を要することになっている。この比率からいくと、青酸カリは着色することはない」という結論を出している。さらに東北大学岡野博士は、青酸カリを水道の水に溶かしたという平沢の自供に基いて、水のほうから着色する可能性はないかという点を追求した。そして「水溶液のほうに鉄イオンを含む場合は着色するが、水道の水の中には鉄イオンは含まない。したがって水質のほうから着色することはない。」こういう結論を出しておる。また中田博士は、「青酸カリ、水質、双方から着色する可能性はない。他の場合で着色したのならその説明がなければならないが、平沢の自供及び判決の双方に、その説明がない。」こういうように指摘をしている。こういう点についても弁護団側から重要な証拠物件として裁判所のほうに再審請求をする根拠として出しておるわけです。
 こういう点をいろいろ勘案をされて、この事件は以上のような全くやみに包まれた、黒い霧に包まれた事件でございますから、第一には、彼が獄中で死なないうちに再審をして、そうして事態を明らかにして、日本の裁判の威信を高めていくという措置をぜひ講じていただきたい。繰り返して申し上げますが、私が、あのがんくつ王の問題であなたたちに、この事件の裁判のやり直しをすることのほうが日本の司法制度の威信を高めることになる、勇気を出しておやりなさいと言った。とうとう名古屋高等裁判所は勇気をもってあのような判決を下しました。平沢は七十三歳、きょうあす死ぬかもわかりません。そういう老人でありますから、一日も早く再審をしていただいて、世間の疑惑を解くと同時に、日本の裁判制度の権威を守っていただきたいということをお願いして、なお私はこの問題についてはいろいろ質問がございますけれども、これを後に残しまして質問を終わりたいと思います。
○濱野委員長 志賀君。
○志賀(義)委員 昨年十二月十七日の臨時国会で、当法務委員会において賀屋法務大臣に松川事件の無罪判決を尊重するかと、私がお伺いしたときに、これを尊重する、こういう御返事がありました。尊重するならば、現に三人の国鉄従業員が死んだ松川駅付近の列車転覆事件というものは動かしがたい事実で、別に真犯人はあると思うが、その真犯人を追及するか、こう伺いましたところ、賀屋法務大臣は、「何さま年月の経過も長いことでありまして、追及し得るやいなや非常に苦慮いたしておるところでございます。」、苦慮するというのはほったらかしておくのかという私の質問に対しては、「苦慮しておりますから、ほったらかしてはおりませんが、事実上は捜査が困難じゃないかと思いまして、せっかく検察当局におきまして、いろいろいま考究をいたしておるところでございます。」、こういう御答弁でした。そこで私は「その研究の結果は、追って通常国会で伺うことにいたします。」と言ったのですが、この通常国会のきょうこの委員会において、検察当局ではどういう考究をされたのか、竹内局長から御答弁願いたいと思います。
○竹内(壽)政府委員 検察当局の考え方は、大臣が述べられたとおりでございまして、私は詳しいことはわからないのでございますけれども、承知しておりますことは、何か二、三の投書書もあったようでございまして、それらに基づきまして裏づけ捜査と申しますか、そういうようなことをやっておるように聞いております。しかし、その捜査の結果がどういうことになりましたか伺っておりませんが……。
○志賀(義)委員 捜査はしておるのですか。
○竹内(壽)政府委員 はい。そういう捜査を投書等に基づきまして警察当局もやっておられるようでございますが、検察当局も関心を持ってその捜査に協力しておるということでございます。
○志賀(義)委員 これまで時効が迫って、時効寸前にあるいは特効の前日に真犯人を逮捕できたというようなことがときどき新聞紙上にも出るのでありますが、この事件は、御承知のとおり八月半ばには時効が完成することになっておりますが、それまでにはどういうめどを立ててこの問題を取り扱われるつもりですか。局長のほうにおわかりでございましょうか。
○竹内(壽)政府委員 内偵調査をいたしておりますものの、状況によりましては、仰せのとおり八月中旬には時効になりますので、その時効にならないうちに手当をしておかなければならないのでございますが、その辺の具体性というようなものにつきましては、私詳しく承知しておりませんので、どういうめど、どういう計画でいくかというようなことは申し上げかねます。
○志賀(義)委員 昨年九月三十日から十月一日にわたって全国の検察官の会同がございました。その町上あなたは松川事件についてこういう指示をされております。「この事件の終結にあたり、その捜査及び公判活動の全般を顧みますとき、あるいは長期裁判、裁判批判等の問題について幾多の論議が行なわれ、あるいは証拠品の取り扱いなどについても若干の批判を招いたことは御承知のとおりでありまして、これらのうちには検察運営の基本に触れるものとして深い関心を払わざるを得ないものもあると存ずるのであります。」云々「いわれなき論議、批判に対してはき然たる態度で、主張すべきは主張し、いやしくも検察の公正に関し世人の疑惑を招くことのないようにつとめ、もって将来の検察運営にいかんなきを期せられたいのであります。」あなたはこういう指示をなさっておる。そうしますと、この問題について、当法務委員会で問題になりましたが、あなたはここで質問のあったことについてどういう指示をなさったか、またその指示についてどういう回答が検察庁側からあったか、その点を伺いたいと思います。これは確かにあなたは、いま私が読み上げたようなことを言われましたね。
○竹内(壽)政府委員 私は、会同の際に、法務大臣の命を受けて指示をいたしております。しかしながら、その指示は部外には公開しないものでございまして、検察の何と申しますか、秘密に属することでございまして、先生がどうしてそれを手にお入れになったか、私は存じませんが、しかし、そういう趣旨の指示をいたしましたことは間違いございません。そのとおりかどうか私はわかりませんが、そういう趣旨の指示をいたしました。
 この松川事件につきましては、私も国会でしばしば御質問を受け、私自身もほんとうに考えてきたわけでございまして、私は検察の威信のために、前向きにこの事件を善処して、これを決してただ単なる非難というふうにとらないで、検察をほんとうに考えて、もしも改むべきものがあるならば改めていかなければならぬという私の熱意をそこに表明したつもりでございます。そういうことの反響かと思いますけれども、法務大臣といたしまして、この事件の調査等を考えておられたわけでございますが、まだそれを言い出さないうちに、最高検察庁では、私のほうで調査をいたしますということでございまして、その調査を自発的に現在やっております。その調査を期待しておるわけでございますが、検察当局も意のあるところはよくわかっているはずであります。
○志賀(義)委員 ことしはこの松川事件だけでなく、予讃線事件、それから下山事件、三鷹事件、当時共産党がやったと政府側が進んで宣伝された事件がみな町効になります。これらの事件の中で、ほぼ真犯人がだれであるというところまでしぼることのできた事件もございます。いずれもこれらのことは、遺憾ながら検察庁においても警察庁においてもそのままにされておるわけでございますが、これらの事件がみんな今日ひっくり返っておるのでありまして、共産党がやったものでないことは、三鷹事件を含めてはっきりしております。それで、私どもがそういうふうに、非常に逆宣伝を受けて迷惑したばかりでなく、それを口実に多くの労働者が職場から追放されて、言語に絶する苦しみをなめてきたのでありますが、法務大臣が、その最高裁の松川事件に関する判決を尊重すると言う意味は、元被告であった人たちが真犯人ではなかった、別に真犯人はある、こういうことを認めて尊重すると言われたんだと思いますが、その点はいかがでしょうか。次官に伺います。
○天埜政府委員 刑事局長からお答えいたさせます。
○竹内(壽)政府委員 大臣のお考えを推測いたすほかないのでございますが、私は、捜査に当たりました者、あるいはこの公判維持につとめました検察官は、おそらく犯人は違うというふうに思いながらこの事件を維持につとめたとは思えないのでございまして、その人たちの熱心にやってきたことに対しまして、大臣がこの判決を尊重するということでピリオドを打つぞという、大臣としての御見識をそこに示されたものと思うのでございまして、そのお考えが、裏返して、犯人はほかにあるということを大臣が確信をされてそういうふうにおっしゃったか、あるいはその点は結局わからないことになってしまったけれども、この事件について努力は努力として多とするけれども、もう今後この事件についてかれこれ批判がましいことをあとからぐずぐず言うなという意味の、ここでピリオドを打って、最高裁の判決によって検察官はここで一応ピリオドを打ってしまったということの大臣の見識を示されたものと私は推測するのでございますが、その辺は当時の大臣の真意というものは私はわかりませんけれども、さように推測いたしております。
○志賀(義)委員 大臣の答弁は、ここでピリオドを打つ、検察当局もぐずぐず言うな、それは確かに一面にあります。しかしながら、「せっかく検察当局におきまして、いろいろいま考究をいたしておるところでございます。」先ほども引用しましたが、こう言っておる。そうしますと、検察当局に対する質問は、いつも刑事局長のあなたを通じての御答弁をいただいているわけです。そうしますと、いろいろと研究しているというのは、どういうことをやっているのかわからない。研究はしていると思われる、こういうことではわれわれ満足できません。一体どういうことを研究しているのか、来週までにひとつ責任を持って御答弁願えますかどうか。きょうはこの事件については最初の質問でありますが、それに移る前に、ちょっとそのことを伺っておかないと事態は明らかになりません。そこをはっきり御答弁を願います。
○竹内(壽)政府委員 それは、この事件をもう忘れてしまおうというような、そういう意味ではなくて、この事件の捜査、公判の過程を通じて、検察官に向けられました不信の念と申しますか、そういうものの原因はどこにあったか、検察官の取り扱いの中に不当なところはなかったか、また、これはもう法律的に違法であるとかなんとかいうことは別としまして、検察の威信に関するような処置があったのではないかということを前提といたしまして、その点についていろいろと考究するという、内容は調査をいたしまして、是正すべきものは是正をする。それから、もし誤解であるということがわかるものは、場合によっては誤解であるということも解かなくてはなりません。そういうような点についての考慮をめぐらしておられるということを大臣はそこでお話しになったかと思うのでございます。私も全くその点は同感でございます。したがいまして、こちらの委員会の御要望の次第もありましたし、私どもは御要望がなくても、法務当局の立場で、この事件を通じて、検察の運用そのものにつきまして再検討をしてみたいという考えでおりましたやさき、先ほど申したように、最高検みずからが特別の検事を指名しまして、徹底的に洗ってみますからということでありましたので、それに期待しておる、これがいまの実情でございます。
○志賀(義)委員 ではこの次にそれを御報告願います。
 ところで、昨年九月十二日、最高裁の無罪判決の日に、松川弁護団から、真犯人だという人物からの手紙を発表し、これに関する若干の資料もあわせて発表しましたが、当局ではそれに関して検討あるいは調査されたかどうか、それを伺います。
○竹内(壽)政府委員 私自身は、もちろんその内容を検討しておるものと考えております。
○志賀(義)委員 きょうは警察庁の新井次長に御出席を願ったのでありますが、御都合で出られないそうであります。新井次長は松川事件の当時、福島県警察本部長ですから、あるいはきょうは逃げられたかなと思っておるのですが、この次にぜひとも出ていただきたいと思うのです。
 ただいまの真犯人だとみずから言う人から投書が来ている、手紙が来ている。このことについては警察庁のほうではどういうふうな処置をとられたのでしょうか。
○後藤田政府委員 昨年の九月十二日の夜、弁護団のほうからそういうお手紙の発表があったのでございます。この手紙は三十三年の日付のものでございます。つまり投函せられた時期は最高裁の上告審判決が出る前のものでございます。それが一体なぜ数年たった昨年御発表になったのか、やや理解に苦しむところが私どもとしてはあったのでございますけれども、やはりこういうものが発表せられました以上、一応その事実について調査をする必要があるということで、愛知県の警察のほうに調べてもらったのでございます。しかしながら、調査の結果は、有力な端緒となるようなものは何ら認められなかったというのが結論でございます。
○志賀(義)委員 そうすると、手紙の端緒が得られなかったということで終わられたのか、これが一点。もう一つは、あるいはこれは単なるいたずらと見られたのか、そういう点はどうでしょう。
○後藤田政府委員 有力な端緒となるような面が判明しなかったということで打ち切ったものでございます。
○志賀(義)委員 この手紙の問題についてはあらためて伺うことにしまして、さて、先日松川事件の弁護団から出た報告書があります。それの四「真犯人追及に関する新たなる資料と見解、日本少女歌劇団の周辺、松川事件弁護団」というのが発表されております。こういう書類でございますが、ごらんになりましたか。
○後藤田政府委員 聞いていただければ、あるいは……。
○志賀(義)委員 これを要約しますと、松川事件の起こった八月十六日の夜、松川町の松楽座で日本少女歌劇団というレビューの興行がありました。このレビュー団は突然、予定にもなかったのにその晩松川で興行をして、事件のあった翌十七日には松川を去っております。このレビュー団について事件発生当時捜査をされたかどうか、この点警察庁に伺います。
○後藤田政府委員 事件の発生当時は、地元福島の国警といたしまして、実は非常に幅広い捜査をいたしております。そういうようなことでこの少女歌劇につきましても、見に行った者及び劇場関係者、こういうものにつきましては、その当時捜査をいたしておるようでございます。
○志賀(義)委員 レビュー団については。
○後藤田政府委員 ただレビュー団につきましては、当時捜査線上に浮かんでこなかったというようなことで……。
○志賀(義)委員 いまのところちょっと聞き漏らしましたが、どういう理由で捜査線上にのぼらなかったのですか。
○後藤田政府委員 それはその当時劇場関係者等について調べまして、その結果、劇団員については線上にのぼらなかったといったようなことで、劇団員の捜査はその当時はいたしておりません。
○志賀(義)委員 松川事件で、その当時あの近所で調べられなかった者は、小さい子供か足腰の立たないじいさんばあさんだけだといわれているのです。いまあなたのおっしゃったことを見ても、このレビューを見に行った人たちも捜査されたのですね。ところが、レビュー団だけは捜査されていない。そこで弁護士があとで聞きましたところ、レビュー団の団長であった勘幹雄という人、それから団員の二、三が、なぜ調べられなかったのか不思議だと言っておりますが、どうも捜査の常道からはずれているんじゃないでしょうか。新井さんがおられたら一番よく御存じだが、肝心のときどうも逃げられて残念ですが、どうです、こういう捜査のしかたってありますか。われわれしろうとからしても、一番くさいなとにらむのが普通だと思いますね。その点いかがでしょう。
○後藤田政府委員 もちろん劇場主等について調べておりますので、おっしゃるように、くさいということであれば、これはもう何をおいても捜査しなければならぬことは当然でございますけれども、その当時の捜査の実情から見て、捜査線上に浮かんでこないものである、こういうことで捜査からはずれたのでございます。
○志賀(義)委員 昭和三十四年八月十日、最高裁で一、二審判決を破棄し、仙台高裁に差し戻しを命じたあとで、当局はにわかにこのレビュー団に関する捜査を始められた。事件が起こった当座は捜査線上にのぼらなかった。最高裁から差し戻しになってからにわかに捜査を始めたら、あらためて捜査線上に浮かび上がった何らかの理由があるのですか。捜査をしたかしないか、捜査をしたとすれば、何か捜査線上に浮かび上がることがあったのかどう
 か、この点を伺います。
○後藤田政府委員 最高裁で破棄差し戻しになって、仙台高裁で審理をせられるということになりました時期に、この問題が新聞あるいは週刊誌等で取り上げられたのでございます。そこで事柄の性質上、当然これは警察としても事実を明らかにしなければならぬ、こういう意味で捜査をいたしたのでございます。
○志賀(義)委員 では、その捜査の結果はどういう結論になりましたか、それを伺います。
○後藤田政府委員 捜査の結果は、本件には関係がないということが判明をいたしておるのでございます。
○志賀(義)委員 ところが昭和三十六年ごろ、島レビュー団団長は、福島県警にプログラム、人員編成表、巡業日誌など提出したそうです。いまだに返してもらえないと本人は言っているが、現在それはどこにあるのか、正式に領置してあるのか、それを伺います。
○後藤田政府委員 お話の巡業日誌等につきましては、三十六年六月十三日、仙台高検に送致をいたしてございます。
○志賀(義)委員 これは何ですか、昭和三十四年に調べられたときに提出を命じたものを昭和三十六年に提出されたのか、昭和三十六年にまたあらためて警察が提出を命じたときに、 レビュー団のほうからとられたものかどうか、それを伺いたい。
○後藤田政府委員 昭和三十六年の三月ごろから捜査をしておりましたが、六月にそれを高検に送致したものでございます。
○志賀(義)委員 おかしいですね。ただいままでのお話を伺いますと、最初捜査線上に浮かばなかった。それで最高裁で差し戻しがあった昭和三十四年八月以降に直ちに新聞、週刊誌に出たから調べた。そのときにもおかしいことはなかった。ところが、いま伺えば、三十六年の三月から六月にかけてですか調べて、これを提出した。じゃ、昭和三十六年の三月からまた捜査線上に何か浮かび上がったのか、どうもあなたのおっしゃることはつじつまが合わないが、そこを御答弁願います。
○後藤田政府委員 この件についての調べは、三十六年三月から調べに入っております。そして先ほど申し上げた時期に仙台高検に送致をした、こういうことでございます。
○志賀(義)委員 わかりました。そこで私が伺っているのは、あなた方が事件の発生当時レビュー団が捜査線上に浮かばなかったから、そこへ見に行った者は調べたが、レビュー団は調べなかったと言われた。次に三十四年八月十日に最高裁から差し戻しになったときに新聞、週刊誌に書かれたから捜査したが別に何もなかったと言われる。では、昭和三十六年三月に第三回目ですが、これを捜査されたときに、なぜこのときに捜査する理由が発生したのか、その理由を伺いたいと言っているのですが、その点の御答弁がありません。それを伺います。
○後藤田政府委員 島の調べは三十六年にやっておるようでございます。それ以外の人について差し戻し審当時に調べておる、こういうことになっております。
○志賀(義)委員 どうも御答弁になりませんが、では、なぜ昭和三十六年三月になって島団長を調べ、これらの文書の提出を命じたのか。何が動機でそういうことを三十六年三月になってやられたか、動機があるに違いない。それをはっきりしてくださいと伺っているのです。どうもその御答弁がないのです。
○後藤田政府委員 プログラムであるとか、人員編成表とか、巡業日誌というようなものはやはり重要なものでございますので、そういった捜査を徹底しておかなければいかぬということで三十六年にその時期がなった、こういうことであろうと思います。
○志賀(義)委員 なぜ三十六年にそういう書類を――最初は捜査線上に浮かばなかったと言われ、差し戻し審のときにジャーナリズムに書きたてられたから調べられたが、それはそのままにしておいて、なぜまた三十六年になってそういう書類が重要なものだと認められるようになったのか、何か動機があるでしょう、差し戻し審からまた二年近くたっているときですから。それはどういう意味かと伺っている。ほかのことはいいからその点だけを答えてください。
○後藤説明員 その点はいま局長からお話しを申し上げたところに大体尽きるわけでございますけれども、当初事件当時においては容疑と言いますか、いろいろな者を調べましたけれども、劇団関係については一応容疑をかけるに至らなかった。しかし、差し戻し審が始まるに及んで新聞、雑誌等の話もありまして、劇団関係者を調べるという段階になった。最初は劇団を興行せしめた当事者というのが福島の市内におりますので、こういう関係を調べておったわけでございます。それからさらにその周辺も調べたわけでございますけれども、これらについてはただいま局長からお話しを申し上げましたように、関係がないということで一応調べを終わっておったわけでありますけれども、さらに差し戻し審の進行過程におきまして、もう一度さらに念を入れてその他の資料をできるだけ収集する必要がある、こういうことで島という社長にも会ってその調書もとっておるわけでございます。この調書は昭和三十六年三月二十三日にとっておるわけでございます。その際に、ただいまお話しの日誌であるとか、あるいはプログラムであるとかいうようなものを提出をしてもらいまして、領置をしておるわけでございます。そのプログラムなどを特にとりましたのは、これは事件の内容で関係がございますが、当然当夜犯行の現場におもむいた下手人たちが、途中でその劇団がはねた時期に会ったであろうというふうなことも問題になったわけでございますので、そういうことがあり得たかどうかということを当夜のプログラムについて瞬間関係を調べる必要があるというようなことで、捜査がさらに深化していった、そういうことでございまして、特に何らかのきっかけがあってということではなくて、その捜査をだんだんに深化させていったというふうに私ども考えておるのでございます。
○志賀(義)委員 いまのお話だと、事件が起こったときに松川の人を全部洗っていますね。レビュー団を見物に行った人までも調べている。調べた結果、あなた方はレビュー団そのものは捜査線上に浮かばなかったと言われるのだが、レビュー団そのものをそのときに調べて、これは関係ないと、本人たちの、レビュー団関係者の言うところから結論されたのか。初めからこれは調べなくて、周囲を調べてみて、これは問題ないとされたのか、どちらなのか、これが一番肝心な点です。
○後藤説明員 それはおよそ捜査の常道から言いますと、その事件の当日その現場周辺におったあらゆる人々に一応当たるのが筋であろうと思いますが、御承知のようにこの劇団は各地を転々としておる劇団でございますので、そういう関係で、まずもって先に調べなければならない関係者というようなものがたくさんございますので、そういう人々をまず調べた上で、しかる後にという捜査の順序もあったものと考えておるのでございます。
○志賀(義)委員 一番肝心な点を調べられなかった。週刊誌や新聞が書き出したから調べ始めた。そのうちにだんだんこの問題が重大になってきたので、また第三回に調べた。あなた方は、いま言ったようなことが捜査の段階で起こっている、このことを考え直してみられたことがありますか。転々とするもの。そうしてその当夜突然そこで興行したもの、予定になかったものがそこで突然興行することになった。これはあとでも言いますが、それならば捜査当局としては、ほかはおいても、この転々として移っていくものを、まず何かあるのじゃなかろうかと調べられるのが当然だろうと思うのですが、捜査過程においては、当初そういうことは問題にならなかったのですか。
○後藤田政府委員 結果として考えてみますれば、差し戻し審になってから週刊誌、新聞等に出て、調べなければならなかったというような事柄である以上、これはやはり事件発生当時調べておくべきであったということは、これはさように考えております。ただ当時は、先ほど言いましたように、劇場の関係者、見物人等に当たって、捜査の線上に浮かばなかったということで調べなかったわけですけれども、これはやはり結果として考れば、それはその当時に調べるほうがよかったということは、これは私は当然だと思います。
○志賀(義)委員 そうしますと、劇場関係者は調べた。しかし、レビュー団は当初調べなかった。しかし、差し戻し審になってみれば、これは調べておくべきだったということが明らかになったと言われますと、捜査上そこのところに手抜かりがあったということになりますね。その点いかがですか。
○後藤田政府委員 この件のみならず、私は松川事件の捜査の進め方等を、公判の審理経過あるいは判決の内容等を見て、これはやはり警察としては反省すべき点は反省する、改めるべきところは改めにやならぬというふうに考えておる点はございます。御指摘のような点もあるいはその中に入る一つであるかもしれません。この点については、私どもも現在この事件の過程と警察としても真剣に検討をして将来の警察運営の資料にせにゃならぬということで、現在まだその検討をいたしておる段階でございます。
○志賀(義)委員 検討もけっこうですが、時効が間もなく完成するときですから、これは急いでいただかなければなりません。というのは、三人の犠牲者が出ましたね、列車転覆のため。その機関士の奥さんは、いまだに無罪になった人々がやったのだろう、こういうふうに考えている。それどころか、最近出ました文芸春秋を見ると、有名な諏訪メモに作成者諏訪親一郎君が、あの不完全なメモで無罪になったのがおかしいようなことまで書き出している。こうなれば、なおさらあなた方がここで努力していただかなければならないのですが、そこで伺います。八月十六日夜、島団長と女子団員十数名は松川町の旅館ます屋に宿泊したようです。このます屋の宿帳も警察に提出したようですが、これは領置してありますか。返したとしても控えがあるでしょう。その点はいかがでしょうか。何名、だれとだれが泊まったということが明らかになるでしょう。
○後藤説明員 宿帳の点は領置はしていないようでございます。
○志賀(義)委員 それは一応写しをとって返したのですか。全然とらなかったと言われるのですか。私どもの聞いたところは、宿帳をます屋のほうで提出したということになっておりますが……。
○後藤説明員 おそらく捜査の過程におきまして取り調べがあったと思いますけれども、ただいま私どもの聞いておるところによりますと、その宿帳を提出を求め、領置したとか、そういうことはございません。
○志賀(義)委員 その他興行に際しての主食の配給、税務手続等に関する書類も警察に提出しているはずですが、これはどうなりましたか。
○後藤説明員 それも同様でございまして、これは調べないとわかりませんけれども、領置はしておらぬと思います。
○志賀(義)委員 それじゃ、その調べた結果をわれわれにお知らせ願いたい。というのは、これから真犯人追及の上において、弁護団のほうではそういう資料が警察から公開されると、あなた方のほうも事態を明らかにするためにいいでしょうし、弁護団のほうでもせっかくこの問題を熱心に追及しているのでありますから、弁護団にお示しになるか、あるいはもうこの事件は済んだといわれるのでどうされるのか、あるいはこの法務委員会にひとつ参考のために提出していただけるのかどうか。そうでないと、やはりそこに疑惑が残ります。その点ひとつ伺いたいと思います。
○後藤田政府委員 事件の捜査をやる場合には、直接事件に関係のあるものもあるし、それから事件に関係のないものも非常に広い幅で調べるわけでございますが、事件に関係しているものにつきましては、調書のみならず、証拠品一切検察庁に送致をする、こういうことにいたしておるのでございます。事件に関係のないものにつきましては、本人の名誉という点もございますので、これを私のほうからそちらに出すということは実際問題として困難である、こういうように考えます。
○志賀(義)委員 刑事局長に伺いますが、検察庁に御連絡の上、いま警察当局の言われたとおり、領置したものを検察庁に送付するということを言われましたから、どういうものを送付されているのか、そういう点についてお調べの上御報告願いたいと思います。よろしゅうございますね。
 次に、松楽座の持ち主は阿部という人ですが、この松楽座の管理を一切まかされていた野地タケという人が当夜松川でやった興行について、福島の北島源一という、これは東北地方の興行界では最も有力者だそうですか、この人から予定のコースが狂ったので、一晩打たせてくれと話を持ち込まれ、突然興行することになったと言っておりますが、この北島源一という人、これを調べ、あるいは北島と島との関係について調べられたことがあるかどうか。
○後藤田政府委員 野地という人につきましては、事件の発生当時の調べ、それと三十六年になって二度調べております。ただ、その調べに際しまして野地タケという人は、ただいまお話しになりましたような点は警察では申し述べておりません。
○志賀(義)委員 島というレビュー団長は、松川での興行の前仙台で警察関係の人と会ったと弁護士に言っていますが、この点については警察は御承知でしょうか。仙台でどの警察の人に会ったのか。松川興行の前にですよ。どんな関係でどんな用事で会ったのか、お取り調べになったことはありますか。
○後藤説明員 その点は調べてないようであります。
○志賀(義)委員 ひとつそれを調べていただきたいと思います。私どもの聞き及んだところでは、その人は当時の宮城県国警隊長といわれております。宮城県に来る前に島日本少女歌劇団の生まれたところ、島という人の住んでいたところの宮崎県の国警隊長をやっていたということも聞いております。だれであったか、いま何をやっておられるか、こういう点もあわせてお調べ願いたいと思います。
 さて、いまの野地タケという劇場管理人の婦人です。この人は、いままでの経過から見ると、被告といわれた人々にとって不利な証言をしております。検察側にとって有利な証言をしております。というのはバール、スパナを盗み出したという自白の問題ですね。これに関連して松楽座の終演時間をはっきりさせることが一つの争点になっておりましたが、その点では野地タケという人は、決して被告に有利な証言はしていない。非常に不利な証言をしている。検察側に有利な証言をしている。しかるに何十回となく調べているにもかかわらず、ついに一度もこの野地タケという婦人を証人として検察庁側が喚問していない。これはどうも私ども不可解千万なことでありますが、なぜ野地タケという検察側に有利な証言をした人を証人として呼ばなかったか。調べなかったのならともかく、何十回となく調べておいて、この野地タケを証人として喚問しなかったのはどういうわけか、この点をお聞かせ願いたいと思います。
○竹内(壽)政府委員 まことに申しわけないのですが、私はその点を確かめておりませんので、調査をいたしましてお答えいたします。
○志賀(義)委員 それではあとでお問い合わせの上御答弁願います。
 そこで、いよいよ問題の核心になりますが、レビュー団の元団員たちの証言したところによりますと、当夜松楽座に泊まったのは、少女歌劇団ですから女の子がおりますが、それは別といたしまして、男子十二、三人ということですが、野地タケという人の証言はこれと違います。人数に食い違いがあります。その食い違いの人数が現場に行っていたという人数とほぼ一致するわけであります。人数だけですよ、それがどうこうということは私は申しているのではありません。というのは楽士、バンドマンの人たちが松楽座の楽屋の泊まるところが気に入らない、福島のほうに泊まりに行ったと言っております。野地タケの証書です。そして当夜手伝いに来ていた野地タケのむすこ野地栄は、楽士十人近くが車で福島のほうに行ったと言っております。福島かどこか知らないけれども、とにかくこのむすこはそういうように言っている。この点についての野地タケの供述はあるのかどうか。その点の証言を数十回検察庁から警察でとられておりますが、これがあるかどうか、その点もお調べ願いたいと思います。
○後藤田政府委員 野地タケの供述かどうか私ただいまわかりませんけれども、お話の点につきましては、松楽座関係者について捜査いたしておりますが、楽士が十人くらい車二台で福島に行ったという事実はないようであります。また三十六年の劇団員の調べの際にもそういった事実は認められておりません。野地タケも調べましたけれども、警察の取り調べに対してはそのような事実は述べておらないのでございます。
○志賀(義)委員 では警察のほうで、その点を局長お調べを願いたいと思うのです。
 そこで島団長は、当夜松楽座に泊ったのは、女は別として男は二十人と言っております。他の団員たちは十二、三人泊ったと今日証言しておられます。七人の食い違いがあります。この七人前後の食い違いという点が一つの重要な問題になってくるのでありますが、この七人はどこに行ったのか、だれとだれであったのか、この問題の解明のかぎが数十回にわたって調べられた野地タケの証言にあると思います。ここまで申し上げておきますから、その点をお調べいただきたいと思います。団長と団員の二、三の君たちの証言、二十名あるいは十二、三名というので食い違いがあるのであります。これはだれとだれであったか、またどこへ泊ったのか、福島方面に行ったというのですが、その福島がどこの福島やら、経路はどういう経路をとって行ったのか、車に乗せた人もあるでしょう、そういう点をお調べ願いたいと思うのです。島それから北島源一、野地タケ、その他関係者の供述書、捜査復命書及び警察で領置してあるはずのいろいろな書類その他全部、ひとついままで申し上げたのを、委員長、私どもにも見せてくれるように、なかなか委員長ものわかりがいいからその点をお願いいたします。ひとつ出してくださいよ。もしこれらの点について捜査がなかったとしたら――先ほどから伺ってみると、どうもあなたは認めないような認められるようなことを言っておられるが、捜査上の大失態だと思います。その点をどうかよろしおく願いしたいのです。
 なお、日本少女歌劇団長島幹雄、本名を富永朝太郎といいますが、この人物は当局でお調べになったはずです。いかなる人物でいま何をしており、また当時アメリカ軍政部、CICなどと関係が深かったように思うがその点はどうか、この点をお答え願いたい。
○後藤田政府委員 ただいま私が承知をしておるのは、この富永なる人物は宮崎県興業の社長である、こういう点だけでございます。
○志賀(義)委員 そこにホテル・ニュージャパンという大きいホテルがあります。それの八百六十八号室をずっと借り切ってこの人がおります。いま東京に来ているはずであります。私どもの調べたところでは、その部屋の長谷川達という人の名義でこういうパンフレットが出ております。これは「自衛隊父兄会協力会隊友会の友、内外情勢研究会、東京都千代田区永田町二丁目二十九、ホテル・ニュージャパン八百六十八号」これを出しているところが、島君がずっと借り切っているところです。東京では何をしているのでしょうね。これは当然、あなた方は初め知らなかったのは手落ちでなかったかとも言われているので、この人物について、いま東京に来ているのについてお調べになったことがありますか。
○後藤田政府委員 いろいろな人がございますが、私はその人については調べておりません。むしろ志賀委員のほうが、ただいまのお話を承れば、私どもよりは詳しく御存じのようでございます。
○志賀(義)委員 捜査権というものを全然持たない一人の法務委員でさえもこれだけのことが調べられるとすれば、あなた方は強大な国家権力を持ち、膨大な予算を持っておやりになるのですから、お調べのできないはずはないのです。きよう申し上げたようなことについてお調べの上、このことは検察庁のほうでも十分できるだけお調べ願いたいと思うのであります、検察庁の責任でありますから。何でもかんでも死刑に持っていこうとあれほどがんばったのだから、罪ほろぼしのためにも必要ですよ。こういうことになっておりますので、私が申し上げた点提出してくださるということでありますが、松川事件の元被告が十数年の間ありとあらゆる苦難をなめ、ついに無罪になったということは、いかなる理由があろうとも、これは検察庁及び警察庁の責任が重大であるといわなければならないと私は思います。先ほども否定はなさったが、あるいはそういうことを言ったかもしれないという検察官の会同で、あなたは検察運営の基本にも融れるものという意味のことを言っておられますが、この点はきわめて重大でありますから、こういうことをお調べになった上で、私どもそれを伺ってやめたいと思います。とにかく警察当局以上に私が調べ上げているというようなことを言われるのはどうかと思います。後藤田さんに申し上げておきます。新井さんは当時の福島県警の本部長でもありますから、このことはひとつ逃げたと思われないように、ぜひ出てくださるようにあなたからもお伝えください。それから委員長、今度はぜひとも新井次長を出すようにしてください。
 次官に申し上げておきますが、きょうのことは大臣によくお伝えの上、この次また大臣から御答弁を伺います。
 こういうことを前提といたしまして、この次また質問に入りたいと思います。きょうはこれだけにしておきます。
○濱野委員長 本日の議事はこの程度で、次会は来たる十七日午前十時より開会することとし、これにて散会いたします。
   午後零時五十四分散会