第046回国会 法務委員会 第28号
昭和三十九年四月二十一日(火曜日)
   午前十時五十六分開議
 出席委員
   委員長 濱野 清吾君
   理事 鍛冶 良作君 理事 唐澤 俊樹君
   理事 小金 義照君 理事 小島 徹三君
   理事 三田村武夫君 理事 坂本 泰良君
   理事 細迫 兼光君 理事 横山 利秋君
      上村千一郎君    大竹 太郎君
      岡崎 英城君    亀山 孝一君
      坂村 吉正君    四宮 久吉君
      田村 良平君    渡海元三郎君
      中川 一郎君    長谷川四郎君
      服部 安司君    古川 丈吉君
      松澤 雄藏君    森下 元晴君
      井伊 誠一君    神近 市子君
      田中織之進君    畑   和君
      松井 政吉君    松井  誠君
      竹谷源太郎君    志賀 義雄君
 出席国務大臣
        法 務 大 臣 賀屋 興宣君
 出席政府委員
        警察庁長官   江口 俊男君
        警  視  監
        (警察庁刑事局
        長)      日原 正雄君
        法務政務次官  天埜 良吉君
        検     事
        (刑事局長)  竹内 壽平君
        法務事務官
        (人権擁護局
        長)      鈴木信次郎君
        公安調査庁長官 齋藤 三郎君
        文部事務官
        (社会教育局
        長)      齋藤  正君
 委員外の出席者
        検     事
        (刑事局刑事課
        長)      羽山 忠弘君
        文部事務官
        (初等中等教育
        局中等教育課
        長)      渋谷 敬三君
        文部事務官
        (社会教育局社
        会教育課長)  福原 匡彦君
        労働事務官
        (婦人少年局年
        少労働課長)  渡辺  孟君
        労働事務官
        (職業安定局業
        務指導課長)  佐柳  武君
        専  門  員 高橋 勝好君
    ―――――――――――――
四月二十一日
 委員亀山孝一君及び四宮久吉君辞任につき、そ
 の補欠として渡海元三郎君及び篠田弘作君が議
 長の指名で委員に選任された。
同日
 委員篠田弘作君及び渡海元三郎君辞任につき、
 その補欠として四宮久吉君及び亀山孝一君が議
 長の指名で委員に選任された。
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 参考人出頭要求に関する件
 暴力行為等処罰に関する法律等の一部を改正す
 る法律案(内閣提出第九号)
     ――――◇―――――
○濱野委員長 これより会議を開きます。
 暴力行為等処罰に関する法律等の一部を改正する法律案を議題といたします。
 前回に引き続き質疑を行ないます。田中織之進君。
○田中(織)委員 私は、いま議題になりました暴力行為等処罰に関する法律の改正案についてこれから質疑に入りたいと思いますが、議題に対する質問に入ります前に委員長にお伺いをして確認をしたい問題がございます。
 その一つは、本法律案は過去二回本院に提案されましたが、二回とも廃案になった因縁の案件でございます。ことに第四十三国会においては相当長時間審議を行なったことは私も認めるにやぶさかではございません。その結果、政府与党は重要な一、三の点について修正案をまとめられまして、われわれ野党側との間にかなり突っ込んだ話し合いが持たれたというようないきさつもございます。しかし、失対法打ち切り法案の強行等のあおりで廃案の運命におちいったものでございます。したがって、私どもといたしましては、政府が三度目の正直と申しますか、この法案を提案するにあたっては、ことにその成立を非常に期待せられておるだろうと思うのでありますが、当然従来の審議の経過にかんがみて政府原案について相当な修正をして提案をせられるということが私、常識ではないかと思うのであります。しかしながら、原案のままに提案をされております。さらに四十三国会から今国会に至りますまでの間におきましては、衆議院の選挙もございまして国会の構成も変わっておるのでございます。したがって、過去二回と同じ原案が出されておりますが、私どもといたしましては、そういう点から本案については十分審議を尽くさなければならぬ、このように考えておるわけでございます。その点から私ども社会党は九名の委員全部質疑の通告をいたしました。すでに細迫、坂本両委員の質疑は行ないましたが、まだ相当部分の保留した部分がございます。したがいまして、きょうは私が質問することになったわけでありますけれども、私どものほうからこの点は理事会あるいは理事懇談会等におきまして、残っておる質疑者については、時間制限等のことについての与党側からの御注文もございましたので、その点については常識的にわれわれは時間をセーブして質疑を尽くしたいということを申し上げて、委員長もその点については御了承をいただいたと思うのでありますが、その点についての委員長のお考えをこの際はっきりさせていただきたいと思うのが一点。
 第二点は、今国会におけるこれは最重要法案だということを政府も認めておられるようでございますので、提案の最高責任者としての池田総理にぜひ本委員会に御出席を願って、われわれ野党のみならず、与党の諸君の中においても本案の所期する暴力対策についての総理の所信をただそうというお気持ちがあろうかと思うのであります。四十三国会におきましては、委員会審議に当たる冒頭に総理大臣の出席を得ておるのでございます。本委員会にはまだ総理の御出席がございませんので、この点については、これまたいままでの審議の過程で委員長にも要請をいたしましたところ、総理の御都合を伺って出るように取り計らいたいという点の了承も得られておると私どもは存じておるのでありますが、総理がいつごろ本委員会に御出席願えるか、委員長には総理との御連絡をとっていただけたかどうかということについて、第二点としてお伺いをいたしたいのであります。
 それから第三点の問題といたしましては、この種の重要な案件、これは国民の人権を守るという点からきわめて重要な案件でございまするが、過去の乱用等の問題も私どもが強く指摘をしておる等の関係もございまするので、本案に賛成、反対のそれぞれの立場で国民の意見も分かれておるかと思いまするので、これらのことについてはできれば公聴会、それが時間的ないろいろの制約もございましょうから、参考人を招致いたしまして参考意見を聞くということはぜひこれはやっていただきたい。この点についても理事懇談会等で非公式に話を申し上げておりますが、いよいよ審議も大詰めになったと思いまするので、参考人の招致については委員会の議決を経なければなりませんので、その点についてのお取り計らいをしていただけるか。
 それからもう一つの問題は、本案の審議のためにわが党の松井誠委員その他から資料の提出を求めておるのでございます。ことにこれは政府側がもっばら暴力団対策であるということを申しておりまするならば、暴力団の実態をつかんでおらなければこの法の適用ということには私はならないと思うのであります。その意味から見まして、暴力団の実態についての政府が持っておられる資料の提出を求めておるわけでございます。ところが、今日まで出されました資料では、松井委員の要求いたしておりまする資料にこたえるものは出ておらないのであります。ところが昨日警察庁の各ブロック局長でありますか、局長会議が開かれたことが今朝の新聞にも取り上げられておるのでありますが、そこではかなり詳細な暴力団の実態についての報告がなされておるという記事が、私は毎日新聞だけしか見ておりませんけれども出ておるのであります。先般この資料要求のときにも、竹内刑事局長から、法務省としては十分なものはないけれども、警察庁当局には相当なものがあると思うので、そういうような方面にも連絡をとって提出するように努力するということを約束されたのでありますけれども、新聞紙等ではかなり詳細なものが出るのでありますけれども、本委員会にこの重要な案件の審議にあたって、われわれの手も一とに、団体の数は約六千、団体人員十七万ということがいわれるのでありますけれども、それについての的確な資料が出ておりませんので、これは本案に対する最終的な能度をきめる上においてきわめて重要な問題だと思いますので、その資料の提出について委員長のほうで関係政府当局との間でそれぞれ御配慮をいただいておることと思うのでありますが、審議の関係もございまするので、その資料提出がいつごろになるかというこの四点について委員長のお考えを伺いたい。参考人の意見聴取の問題、あるいは総理の委員会出席の日程等については即答できかねる部分もあろうかと思うのでありますが、この点については後ほど理事会等において協議をして見通しをつけていただきたいと思うのでありますが、この際、委員長のお答えをいただきたいと思います。
○濱野委員長 ただいま田中君の発言による総理の委員会の出席の件、資料提出の件、参考人招致の件、その他重要でございますので、田中さんの質疑終了後、理事会を開いて協議をいたしたいと思います。できるだけ善処したい、こう考えておりますからさよう御了承を願いたいと思います。
○田中(織)委員 委員長のただいまの御答弁を了承いたしますが、私の質問はかなり長時間にわたる見込みでございますので、あるいは午前中私の質疑が一区切りをついた段階で休憩にでもなりますれば、ひとつ理事会をお開きいただきたい、これは私の希望でございますから申し述べておきます。
 そこで本案についての質問に入りたいと思います。だんだん与野党の委員の質疑も進んでおりますし、私、四十三国会には法務委員会の理事として、今度提案されているままの当時の原案については委員会の質疑の状況等も十分理事として伺っておるのであります。できるだけ重複を避けたいと思いまするけれども、この法律はきわめて法三条と申しますか、簡単な改正案でございまするけれども、内容として包蔵しておるものはきわめて重大な問題を含んでおるので、その意味でまずいわゆる暴力対策の根本的な問題についてこの際提案者代表の賀屋法務大臣から伺いたいと思うのであります。それと申すのも、われわれに配られました資料によりますと、昭和三十六年の閣議決定によりまして、政府は当時の暴力事犯に対処いたしまして、これは特にわが党の当時の浅沼委員長が日比谷の公会堂における三党立ち会い演説会で公衆の面前において暗殺をされ、引き続いて嶋中事件等が起こってまいりました当時の情勢の中に、政府は対策を閣議決定をされたものだと了解をいたすのでございまするけれども、その中にはいろいろなことが書かれております。その一つに法制上の対策の整備をされるということから、本案が提案されたということが提案の説明等において明らかになっておるのであります。しかし、これは暴力対策のほんの一部分にすぎないと私は思うのであります。政府の説明をそのまま了承するといたしましても、ほんの一部分にすぎないと思うのであります。したがいまして、自余のいわゆる暴力の総合的な対策の問題について、少なくとも閣議決定があったということは、われわれにも資料として提示をされておるのでありますから、その他の面、総合的な対策で具体的にどういう処置をなされておるか、この点についてできるだけひとつ具体的にお答えをいただきたいと思うのであります。いろいろ項目は羅列いたしておりまするけれども、それがはたして実行に移されているかどうか。私どもその当時から国会議員でありますけれども、多くの問題について閣議決定で要綱をあげでおりまするけれども、実効が伴っていないように実は感ずるのでございます。そういう意味で、まず最初に暴力対策の総合的な施策、それを具体的にどういうように実施されているかということについてお答えをいただきたいと思います。
○賀屋国務大臣 大体私がお答え申し上げまして、なお政府委員より補足いたしたいと思います。
 御質問にありましたように、暴力対策は一方的にただ一部の方面からのみ対策を講ずるのでは不十分である、全くお話しのとおりでございます。これはひとり暴力対策の面のみならず、犯罪その他すべて社会現象でございまして、複合的の原因及びそれから生ずる結果があるわけでありまするから、その一つとしまして、法制上の問題としましては、ただいま御審議を願っております法律案、これは最も重要なものだと私は思っております。そのほかに暴力の発生を防ぐ一番直接のものとしましては、警察の取り締まりでございます。この点につきましては、警察当局よりも特に本年は暴力取り締まり対策を重要にしてやっておるというお答えはすでに申し上げておるとおりであります。さらに暴力が起こりまして、後の検挙にも非常に力を尽くしたい。暴力をふるいまして、その結果が見のがされているということは、同時にまた次の暴力を誘発する原因にもなりますので、このいわゆる検挙、これに非常に力を注ぎ、なお検察方面におきましては、一面無実な者があらぬ嫌疑をこうむりますことを防ぎますとともに、検察陣も厳重に行なっていく、こういう点についても特に力を尽くしてまいっておるわけでございます。
 なお、そういう者があるいは少年法によりまして少年院に送られました場合、あるいは刑務所に収容されました場合、こういう犯罪を犯した者が将来累犯者としての危険が一番大きいものでございます。そういう刑務所の行政におきまして、その自後に対する対策を十分に講じ、少年院におきましてのいわゆる改過遷善と申しますか、同時にまた将来正業につくためのいろいろの訓練に非常に力をいたすわけでございます。それからまた一般の犯罪にも共通の問題でございますが、性格異常、変質者、また精神障害者と申しますか、精神病者というまでに至らない性格的な、精神状態の欠陥と申しますか、自制力がなかったり、衝動的であったり、これがまた暴力犯罪の原因にもなりますので、少年鑑別所その他こういう方面において精神状態の分析、それに応ずる療法と申しますかを講ずるいろいろの科学的方面におきましても力を尽くしてまいっており、これはまた将来大いにこの方面に尽くしていかなければならぬと思うのでございます。保護観察の面におきましても、そういう精神上の欠陥を持ち、あるいは従来犯罪を犯しました広い意味の実績でございますが、これらに対しまして特に危険のある者に対します保護観察等は十分に注意をいたしてまいり、保護司あるいは観察所の職員のみならず、特に警察方面とも連絡をしまして未然に防ぐ注意をいたしてまいりたい、かように思う次第でございます。そのほか一般的に社会現象でございますから、家庭教育とかあるいは学校教育あるいは映画、テレビ、そのほかマスコミの影響、こういうものにつきましては、一般の人づくりとも関係をいたしまして、ことに青少年等に悪い影響を与えないように、また健全なる精神あるいは道義的観念を育成するように力を尽くしてまいる、かような次第でございます。
○田中(織)委員 法務大臣からせっかくの御答弁でございますけれども、私が先ほど指摘いたしましたわれわれの手元に資料として配付されました「暴力犯罪防止対策要綱」昭和三十六年二月二十一日の閣議決定でございますが、これには「第一行政上の措置、第二法制上の措置、第三暴力犯罪防止対策懇談会の開催」と三つに分けまして、さらに「第一行政上の措置」では「一暴力を根絶するための施策を推進すること。」この中に「1暴力排除の国民運動の展開、2総合的な暴力犯罪取締体制の確立、3量刑等の適正化に資するための方策」、それから二といたしまして「順法意識を高揚し、法の実効を確保すること。」これには「順法教育の徹底、裁判の権威の尊重、法の実効を確保するための警察・検察・裁判の機能の強化」の三つをあげ、さらに三番目に「総合的な犯罪防止対策を確立すること。」こういうように「行政上の措置」としてあげておるのでありますが、この中に私も申し上げましたように「量刑等の適正化に資するための方策」として本改正案が出ていることは想像するにかたくないのであります。それから「第二法制上の措置」の点では「暴力を根絶するための法的規制の強化」を第一にあげておりまして、これが一つはいま申しましたように、本案提出のことになっておるのでありますが、この中にも一つ問題になる点がありますので、この点は後ほど伺います。それから二番目に「法の実効を確保すること。」三番目に「総合的な犯罪防止対策を確立すること。」こういうように具体的に項目はあげられておるのであります。
 ところが「行政上の措置」の「1暴力排除の国民運動の展開」の点には、最近これは政府というよりもむしろ国民の側から暴力を排除しようという動きが盛り上がってきていることは私は認めます。ところが、政府がまっ先に行政上でやらなければならない「総合的な暴力犯罪取締体制の確立」という点については、一体何をやっておられるのか。私どもの委員が前々国会以来盛んにこの点を指摘をいたしておるのでございますけれども、現行法でも、いわゆる取り締まり体制というものを確立し強化するということでありますれば、暴力事犯をなくすることのために大きな意義がある、私はむしろこれが一番重大な問題ではないかと思うのでありますが、その点において政府が暴力団対策、暴力対策というものについて最善の体制をとっているというふうにはまいらないと見受けるのでありますが、この点については具体的にどういう御処置をとられておるのか、またとろうとするのか。私はなぜこの問題を取り上げるかというと、先ほど委員長にも資料の点で要求をいたしましたけれども、第一、警察なり検察当局が暴力団の実態をつかんでいないと思うのです。ことに四十三国会でございましたが、当時の警察庁の三輪警備局長は、わが党の坂本委員の質問に対してこういうことを言うておる。暴力団というものが、今日この取り締まりに対して強力ないわゆる防衛組織を持っている。したがって、なかなかとにかくそれに入り込んでいくわけにはいかない。したがって、何らかのやはり刑事上の犯罪というようなものをきっかけとして捜査の手を伸ばすより方法がないのだというような現在の警察のあり方というものは、私は述べることは率直だと思うのですけれども、それではこの第二項にあります総合的な暴力犯罪取り締まり体制を確立するのだということにはならないと思うのです。
 また、なぜ私はこの点を冒頭に取り上げたかというと、たとえば公安関係の問題、今国会には公安調査官の増員、しかもそれは二百名という大量の増員の予算的措置の法案も提出をしてまいりました。予算はすでに成立をいたしております。また今日の警察の中で治安関係であるとか、あるいは公安関係だというような関係の担当の警察官の数というものは、私はおびただしい数にのぼっておると思うのであります。したがって、そういう公安、治安という意味、これはひいては政治団体あるいは労働組合その他の民主団体というようなものに勢い取り締まりの対象が振り向けられてきておるのであります。われわれ国会議員についても警視庁は克明に写真をとって、伺うところによると、リストまでこしらえて三段階に分けて、われわれ社会党であるとか、あるいは共産党であるとか、民社党であるとかいうような野党側の議員の色分けをしているということも私は聞くのであります。同僚諸君が何かの問題のときに警視庁へ抗議にまいりまして、初めて警視総監であるとかあるいは公安部長であるとかいう人に、一面識でございますから名刺を差し出そうとする、これは礼儀だと思う。そうすると、名刺は要りません、あなたは何々先生でしょう、こういうことをもうすでに知っているだけ適確にこれはやられておる。これは事実なんです。ところが、今日治安及び公安にきわめて重大な関係があるということで、是が非でもこの法案の成立を期さなければならぬという政府当局において、暴力団の問題については、約六千団体だ、その人員は約十七万だということが大づかみにいわれておりますけれども、はたしてそれが的確な数字であるのか、どういう仕組みになっているのかというような点については、私はわれわれの手元に出された資料ではきわれて不十分だと思うのです。そんなことで、暴力団を中心とする暴力対策をやるのだというかけ声をして、今度の法律案があたかもその暴力団対策の打ち出の小づちのようなことを宣伝されますけれども、それによって私は暴力対策というものが講じられるということにはならないと思うのです。そういう観点から、いまお伺いをいたしましたように、あなた方が掲げておる総合的な暴力犯罪取り締まり体制の確立という行政上の処置は、一体具体的にどういうようにとられているのか、この問題を取り上げてからの部分が進展したのか、この際明確にしていただきたいと思うのであります。
○賀屋国務大臣 いま昭和三十六年の閣議決定につきお話がございましたが、その第一の一の1「刃物追放運動のような国民運動を推進する」これも法制ではございますが、鉄砲刀剣類の取り締まり規則ができました。直接にはそれは法制でございますが、それらに関する論議等によって、国民の間にこういういわゆる凶器中の性質の悪いもの、この取り締まりが大事である、こういう考え方も相当に広がってきたと思うのであります。そのほか言論、出版、放送、映画等でございますが、これらのものを、何と申しますか、専制政治のように、チャンバラ劇はいけない、西部劇はいけない、一つ一つこれを規制するという行政措置はあまり適当な方法でない、あまりじゃない、あるいは行き過ぎが非常に多いのでございます。それでこれらの方法は各界の協力を得ましてその自制を待つほかない。それでございますから、一面は非常に不鮮明なようでございますが、しかし映画界におきましても相当な自主規制をしようという機運もありまして、焦燥気分にかられますとなおなお不十分なようでございますが、これはまあある程度やむを得ないことである。法的にぎゅっと押えるというのは適当な方法でございません。相当に各方面におきましてもそうしなければならぬという御論議も盛んで、また実行も緒についておると思うのでございます。それから府県等につきましても、いろいろいま条例を定めておるものがほとんど過半数じゃないか、これらもだんだん世論やマスコミが、悪い影響がありおかしな出版物なんかを取り締まらなければならぬ、こういう方面に対しまして急速に進んでおりますことも、やはり国民一般の間に暴力否定の、あるいは暴力以外の青少年の非行などに対する関心が深まっているということでございまして、この第一の点は社会全体の認識の進みを待つという点がございましてなんでございますが、昨今、このただいま御審議の法律に関しましても世間の認識が非常に進んでまいりましたので、相当に暴力に対する世間の認識が進んでまいるように思うのでございます。それで、現状でよろしいというのではない。ますますこれを進めたい。今回の暴力法案に対する提案なども非常に私は一般の気分を進めてきたと思うのでございまして、こういう制度と相まちまして、その気分がだんだん浸潤してきたように思うのでございます。
 法案関係のお話がございましたが、これは日本で破壊活動がなかなか潜在的に進んでまいる面が多々あるのでございます。しかもこういうものは一朝一夕でございません。長い間の運動、計画その他のものが思わざる不測の結果をあらわすわけでありますから、その点において破壊活動防止のための調査には力を入れております。しかし、今年は二百人の公安調査官の増員の予算も御審議を願っておったわけでございますが、これは人数からいたしましても、暴力取り締まりなどの警察の人数から比べましたら、もとより少ないわけでございます。こういう潜行的なものに対する調査などは非常に苦心を要します。なかなか表にあらわれたものをとらえることができないのでございまして、非常に骨が折れるわけでございます。ただいま諸先生方が警察などにおいでになった場合にわかると思いますが、これは何もこういう調査の結果じゃないのです。そういう方々が大いに議会で御活躍になって、有名人であるから警視総監もよく知っているわけでありまして、何もそのために調査をやったような次第ではないわけです。かような次第で、非常に誠意を持って進んでいまして、ただいま法制的に高圧的にできるような点でないことにおきまして、一面もどかしいのでございますが、われわれもそのもどかしいという気分を持ちまして、さらに努力を続ける次第であります。
○田中(織)委員 法務大臣は私の質問に直接お答えをいただきたいと思うのです。暴力対策のうちで、あなた方が閣議決定をされておる総合的な暴力犯罪取り締まり体制の確立ということはうたい文句だけで、実際に何をやっているか、われわれは了解できないのです。そのことについて、具体的にどういう措置をいままでとられてきたのかということを私は伺っておるのです。
 それでは角度をかえて伺いますが、暴力対策のために配置をしている警察官というのは現在何人あるのですか。これは従来からの審議の経過から見ますと、いわゆる刑事犯罪だ、確かにそれには違いございません。そういう点から刑事警察でやっているんだとお答えになるでしょう。しかし、その刑事警察というものが今日十分でないということは、これは先般来の吉展ちゃんの誘拐事件であるとか、その他いまだに天下を聳動したような事件で犯人があがらないような、そういうような関係から先般来ライシャワー大使刺傷事件で責任をとられましたけれども、早川君が国家公安委員長という立場で新年度においては刑事警察官の増員をやるというようなことが発表されたように私は新聞で承知をいたしたのでありますが、これ自体、やはり刑事警察の面においても私は十分な体制ではないということを公安委員長の立場において私は認められたのだろうと思うのです。必ずしも刑事警察官を増員することによって、刑事犯罪を絶滅するということには役立たないということは私も承知しています。しかし、取り締まりという立場で、いろいろな刑法なり取り締まり法がある限りにおいては、やはりその法律の適用の観点から見まして、私は取り締まり当局を整備するということ、そういう立場から日常特に組織的な暴力をふるうところの暴力団というものについては内偵を進める体制をとらなければならないことは自明の理だと思うのです。警察庁の長官にも実は出席を求めたのでありますが、長官が出ておられるかどうか。おられれば長官自身が刑事警察の面、特に暴力団対策、暴力対策の意味において、暴力団関係の内偵査察というような関係に現在の警察官の中でどれだけのものが振り向けられておるか。民主的な大衆団体のやるデモであるとか、あるいは集会であるとかいうようなことについては、実に機動的なものを発揮しておりまするけれども、暴力団のやる犯罪については、何らかそういう目立ったものが出てこなければ警察が動けないというのが実情だということを当時の三輪警備局長が委員会で答弁をされておるが、それが実情ではないかと思うのです。その点を強化することが、やはり暴力対策としてまず政府自体でやられることで、またやらなければならぬことではなかろうかという意味で伺っておるのであります。その点は法務大臣からは問題をはずれた答弁しか得られませんが、警察庁長官は、取り締まりの第一線の立場において、その点についてどういうお感じを持っておるか、率直にお答えをいただきたいと思います。
○江口(俊)政府委員 お答えをいたします。いま御指摘のとおり、暴力対策ということになりますると、第一義的には刑事警察官が当たるということで従来やってきたわけであります。刑事警察官というのは、全体の十三万幾らの警察官のうちで、その専門は二万人あまりでありますが、なおこれでは足らないということで、単に暴力団だけではございませんけれども、いわゆる刑事対策として本年度の予算から、一年では達成できませんけれども、約五千名の刑事警察専門の増員ということをお願いいたしたわけでございます。こういうふうに刑事そのものをふやしますと同時に、第一線に出ておりまする外勤警察官にいたしましても、また、ただいま指摘になりましたような警備警察官にいたしましても、また防犯少年等を扱っておりまする保安警察官にいたしましても、全部ひっくるめてこの暴力対策というものに統合しなければならないという考えをもちまして、現在におきましては、警察庁自体にもそういうものを総合しました暴力対策本部を置いておりますと同時に、これを受けまして警視庁初め各地方におきましても、おのおの総監なり、本部長なり最高の責任者を長として、あらゆる部門を網羅した部隊というものを結成いたしておりまするので、何人暴力対策に従事しておるかというふうにお聞きになるといたしますれば、私は総括的に言えば、十三万の人間がこれに従事しておる、こういうふうに言わなければならないのではなかろうかと考えます。
 また、暴力団について私たちが実態を把握いたしておるかどうかという御質問でございますが、これは三輪君がかつて答えたということを御引用になりましたが、実際上暴力団に属するものに手入れをするには具体な事件がなければできないということを申し上げたのであって、私たちとしては六千団体、十七万というのは、単なる抽象的な数ではなしに、どこのだれべいというところまでもちろんつかんでおります。しかし、これはおのおの何々組だとか、何々会という名前を名のっておるのでございまして、暴力団何々というものはもちろんございません。これは一般に公表して、どういう組の何の何がしを十七万のうちの一人であるというふうには、具体の事件が起こらないと指摘できないというだけであって、私たち自身としては、どこの何それが暴力団の一員であるということは、ある程度的確につかんでおるつもりでございます。
○田中(織)委員 刑事警察が暴力対策を直接的にはやっておるのだ。その刑事警察官が十三万のうち二万だ。本年度から五千名をふやしてやられるということです。最近警視庁はじめ各警察の中には、暴力取り締まり本部なる看板があがりました。しかし実態は、ここに閣議決定の中に書いてあるような取り締まり体制の確立という線にはほど遠いものだ。すでにこれは行政措置であなたたちはやろうとすれば、昭和三十六年の二月二十一日の閣議決定でありますから、いままでにできていなければならぬものだ。まあ、この国会で暴力法案を何としても成立させなければならぬ、そういう点からきのうも警察局長会議を開いて組織暴力の問題について発表されておると思うのですけれども、それは全く私どもから言えば火事どろ式と言いたいけれども、どろぼうを見てなわをなうということばもございますけれども、全く申しわけ的なことだと思う。具体的な事実を申し上げる時間がございませんけれども、ある意味から見れば、取り締まりに当たる警察と暴力団とのつながりがいろいろな面で国民の間から指弾をされておるということを警察当局なり、あるいは法務当局は考えなければならぬと私は思うのです。ことにいろいろな犯罪の関係の情報を入手するために、警視庁の関係においても、地方の警察関係においても、暴力団関係の者を情報入手の手段としてあなたたちが使っているという事実はないということをはっきり言えますか。あるいは警察官であった退職者、退職してからの生活の保障、就職の保障というようなものまでは、これは警察は考えられませんけれども、相当多数いわゆる暴力団というものの中に警察の退職者が入っておるというふうなことも言われておるのです。そういう点について、少なくとも取り締まり体制を確立する、暴力事犯に対する姿勢を正すという観点から、そういうようなことについて実情をお調べになったことがございますかどうか、まずこの点についてちょっとお答えいただきたい。
○江口(俊)政府委員 私も戦前の警察というものは知りませんけれども、聞くところによりますというと、情報を得るためにある程度親分あるいはその中の幹部と称する者とふだんにつき合っていて、何かがあればそれから情報を得るというようなことが皆無ではなかったと聞いておりますが、現在の警察におきましては、皆無であるかどうかということになりますと、私、一人一人について絶対そういう事実はございませんと、こう申し上げるのはいかがかと思いまするけれども、私たち自身の方針としては、そういうことはないと信じてもおりまするし、また機会があるごとに、そういう方式はとらないという方針で教育をしておるつもりでございます。
○田中(織)委員 その点については取り締まり当局の姿勢を正すという観点から見れば、少なくとも警察に職を奉じていた者が、退職後といえども暴力団に関係を持つというようなことは、これはやはり正さなければならぬ。その意味から見れば、まず実態をお調べにならなければならぬ。長官も、全然暴力団に関係しておらぬということをきっぱり申し上げることはどうかと思うと正直な答弁をされております。小さい問題のようにあなたたちはお考えになるかもしれませんけれども、これは堤が切れるのもアリの一穴からということばがあるのでありまして、暴力団対策ということをあなた方は今日ほど大きく国民に訴えて、国民の協力を得られようという立場から見たら、私は、これは正さなければならぬ重要な問題であるということを申し上げておきます。
 それから、暴力団の実態については、長官は、第一線の警察の元締めとしてかなり的確につかんでおるつもりだ、こういうことでございます。ところが、私どもに配付されました資料の中には、暴力団の幹部クラスの人々の中には、地方議会の議員の地位を占めている例もあるがということばがあるのであります。私も、明らかに暴力団の親玉だといわれる人が県会議員あるいは市会議員になっている事例も知らないわけではございませんが、資料の中にこういう問題も指摘をされておりますが、そういう関係で地方議会等の議席を持っておるいわゆる暴力団関係者というようなことについてお調べになったことがございますか、実態はどうなっていますか。
 よく右翼と特に政府与党とのつながりということが問題にされるのであります。過ぐる昨年十一月の総選挙に、これは落選しましたけれども、自民党の公認の候補者でありますが、自分には別に知恵もない、また金もない、あるのはこれだけだ、と立ち会い演説で堂々と、とにかくこれを――これはいわば暴力、そういうことを立ち会い演説で堂々と言うところの自民党の候補がおったのを私は知っております。そういう関係から、地方議会等に議席を持つというような関係の問題については、これはもちろん選挙民が悪いんだ、極端に言えばそういうことになるかもしれません。しかし、そういうことについては、いわゆる暴力団対策というものについての取り締まり当局、あるいは暴力犯罪の防止という見地から、そういう人たちに対する警察当局の態度というものがおのずからあれば、私は有権者のほうで正しい判断ができると思うのでありますが、資料の中にも、地方議会の議員等の地位を占めておる者もあるということを書いておるのでありますが、どのくらい全国にございますか。
○江口(俊)政府委員 地方議会の議員で、しかもわれわれが暴力組織と見ておるのに所属しておる者はある程度あるということは私聞いておりますけれども、これが事件を起こして検挙されたという数しかただいまのところわかりません。
○田中(織)委員 少なくともそういう人たちの前歴を調べてみまするならば、過去においてやはり暴力犯罪の前科があった。もちろん公民権があればこそ立候補できるわけでありますけれども、私は、やはりそういうようなことについては、地方議会等の議席を持ったということから暴力団のいわゆる活動にそれがいろいろな意味において便宜を与えるというようなことになってはならない。そういう意味で、議員として議席を持つというようなことについては十分調査をして、その動向を見きわめなければならぬ。先ほど法務大臣は、潜在的な破壊的活動のおそれがあるので公安調査庁の二百何名を強化したということをしゃあしゃあと言っておられますけれども、問題は、暴力犯罪そのものがある意味から見れば、私は自分の主義主張を掲げて堂々と政治運動をやる者よりも、社会をむしばむ率というものは警戒しなければならぬ重要な意味を持っておると思うのです。そういう点から見て、総合的ないわゆる暴力犯罪の取り締まり体制の確立ということをうたいながら、それがきわめて不十分だということを、私は以上の質問を通じて確認せざるを得ないことをきわめて遺憾に思うのであります。
 そこで次に移りますが、私どもは現行法でも十分取り締まれるではないかということが前提になっているわけです。さらに昨夜も三田村委員とともにあるテレビで、短い対談でありますけれども暴力法で出ましたときにも私は申し上げたのでありますが、私ども社会党は、暴力対策、暴力団対策という点においては、政府あるいは与党の諸君に劣らないところの積極さを持っておるのであります。しかし、それは現行法でも、これを正しくまたきびしく適用してまいりまするならば、もっと私はこの種の犯罪を押えることができるという考え方の上に立っておるのであります。その点から、法務大臣が言われるように、一つは今度の改正において、暴力行為に対する科刑が非常に低いから、特に銃砲刀剣類によるところの傷害及びその傷害未遂を罰することにし、さらにその下限を引き上げた。それから常習暴力についての刑罰強化をはかるのだということが言われています。私は、それ自体政府が説明されるように、ある程度の効果を上げるということは私どもも否定するものではございません。しかし、その点を考えまするならば、これは先々国会でありますか、与党の林委員等も指摘をされたところでありますけれども、大体現行法のもとにおいても、第一検事の求刑が低いのではないか。あなた方は、裁判の結果まあ六カ月あるいは従来、今度はなくなりますけれども罰金というようなケースが暴力犯罪の場合にある。そういうようなことが簡単に暴力事犯を繰り返すことになるのだ、こういうことを言われているわけでありますけれども、私はこの点については、いわゆる検察当局が、やはりきびしく暴力事犯に対処するのだという観点に立ちまするならば、検事の求刑というものが引き上げられてくる、それを受けて裁判官というものが判決をするのだ、この点についてはいまいなくなりましたけれども、与党の小島委員も、四十三国会でありましたが、今度下限を引き上げたということは、ある意味において暴力事犯に対する現在までの判決が低過ぎるから、それを極端なことばで言えば裁判所を牽制するところの響きを持ちはしないかということを小島君も指摘されておるのでありますが、取り締まり体制の強化という点から、これは法務省所管になりますけれども、検事のこの種の事犯に対する求刑についてきびしく臨むということについて何らかの対策を講じられておるかどうか。確かに交通事犯等については求刑そのものが重い。そういう関係から、交通事犯というものは車がふえる関係から、混雑する関係からのいろいろの犯罪はございまするけれども、それでもやはり交通違反取り締まりの立場から見るならば、ある種の効果を上げているということを私は認めるにやぶさかではないのでありますが、そういう点における努力が最大限度のものをやっているかどうかというところに一つの大きな問題があると思うのです。どなたでございましたか、長島参事官でございましたか、この間の事情についてはなかなかその立証が困難だ、したがって証拠の関係から見てそう重い求刑をするわけにはいかないのだ、こういうように先々国会でありましたか、答弁されたことを私も承知いたしておりまするけれども、いまここでどうしても下限を引き上げ、これは後に詳しくまた権利保釈との関係でお伺いをいたしまするけれども、一つのこの法がねらっておる点から見ての罰則強化というものは、現行法でもやろうと思えばできるのではないか。こういう考えがいたしますので、この点を伺うのでありますが、いかがでしょう。
○賀屋国務大臣 現行法でもやればやれるじゃないかという御質問はたびたび伺ったのでございます。私は、やはり法は議会の御審議を経た国家の意思として量刑の標準がきめてあるのですから、適正な標準にするのが正しい。それをいびつにしておいて、その中の運用でやれ、やれということは私には無理な注文だ、そういう注文をする必要はない。正しい量刑の範囲を示して、国家の意思として、検察官も、裁判官もそれを国家の意思と考えてやって、初めて公正な標準になる。それが直せないのならやむを得ませんが、直せるものを直さないでおいて、その中でただ重くやれ、重くやれ、これは私は理由がないと思います。検察官にもそういう要求をするのは無理だと思います。御承知のように検事は、純然たる裁判官じゃございませんが、そう行政的の干渉を受けないで独立に判断をしてやる立場でございますから、やっぱり国家の法制というものが一つの大きな自分たちの活動の基本の基準でありますから、基準に従ってやるのです。国家が軽く刑の量刑の最高限や最下限を定めておれば、やはりそれを基準にして動くのでございます。それにたよらないで、それをただ重くやれということは、私は適正なる検察官に対する行政の指導じゃないと思います。裁判官もそうでございまして、これは全く独立の判断でやられる。重くなさいということをむろん言えるわけのものでもない。裁判官から言えば、それが正しいならば法律を改正して量刑の範囲を変えてくるのがあたりまえだと言われれば、それまでのことだと思うのでございます。それはいろいろお話はありますが、変えなくてもやれるじゃないか。はなはだおそれ入りますが、これは小学校だけ出てもえらい人がたくさんあります。大学を出なくたってやれるじゃないかと言われるかもしれません。しかし、教育の一般の社会基準の大勢を見まして、必要な設備をする、これは必要だと思うのでございます。そんな例を一々あげることはございませんが、やれることはやって、いろいろな手段をそろえるのが正しいので、しかもこういうものに対しましては刑罰法令というものは根本的に重大な問題でございますから、その量刑の範囲を適正に直すことは私は絶対に必要だと思うのであります。
○田中(織)委員 法務大臣は、本案が国会に出される前の手続として、法制審議会にかけられたことも御承知だろうと思うのです。ところが、特に下限の引き上げの問題については、法制審議会の刑事法部会においては問題になった。むしろ、その必要がないということが、これはわずか一名の差でございますけれども、修正案が刑事法部会を通ったですね。ところが総会ではこの点がひっくり返っている。竹内刑事局長の答弁では、総会ではいわゆる専門家でない一般の人もおるので、ある意味からいえば常識論というものが総会で大きく動いたのではないか、こういう意味の答弁をされておりまするけれども、刑事法部会には専門家が多いわけです。しかも、私どもの承るところでは、いわゆる裁判所側あるいは裁判官であったような人たちがこの点についても反対をした。その意味から下限を撤去するということに賛成をされた、こういうように聞いているのです。したがってこの点は――私も法律の大学出の法学士でありますけれども、弁護士ではない。その意味でこれ以上法律的な専門的議論をここで展開する考えはありませんけれども、やはり刑事法部会で専門家の人たちが、この下限を設けることは必要ないということを認めたというわれわれに配られておるところの資料から判断をいたしましても、これはきわめて重要な問題であります。法務大臣は、法令適用の範囲を法律によって示すことが何が悪いのだと開き直られまするけれども、これはやはり裁判所の関係から見まするならば、このことについてはやはり問題がある、こういうふうに私は見ておるのであります。その点から、刑事局長は私の質問したことと同じことについてはたびたびお答えになっておりますけれども、現行法でも検事の側から、たとえば現在の裁判所の判決が低過ぎるということと、検事の求刑との間にどういうような開きがあるかということ、あるいは交通事犯に対すると同じような形で検察当局がきびしく臨むということによってこの種の犯罪に対して重い刑罰を科するというような道が全然残されていないものかどうか、この点は法務大臣よりもむしろ専門家の刑事局長、やがて次官になられる竹内さんに私は伺いたいと思います。
○賀屋国務大臣 その前にちょっと申し上げますが、私は、刑の量定の範囲を狭くするということを申し上げる意味ではないのでございまして、犯罪の性質から見まして相当幅の広い範囲をきめる必要のものもございましょう。そうでないものもございましょう。しかし最低限をきめる必要あり、これはいまお話がありましたように、法制審議会におきましても全会一致ではないということを私は聞いておりますが、それは量定の範囲をそう広くしておくのがいいのだ、積極的にそういう意見は、またそれはその意味で尊重しなければなりませんが、とにかく結論は最小限を設けるほうがいいということになりまして、またわれわれのほうにおきましてもそれが適当だと考えました以上は、そういう客観的標準をきめるならきめて、その範囲内におきまして検察当局また裁判官が判断をされるということが適当なり、かように思う次第でございまして、そのきめるまでにいろいろな議論がありますことはむろんあっていいし、またある場合がございますが、結論としては、それがこの犯罪に対して、いまの社会情勢におきましては銃砲刀剣類を持ってやりますもの、常習犯に対しては、いろいろな観点から最下限をきめればいいとなりました以上は、それをきめるのがいいので、それをやはりきめないで自由裁量でやれというのはどうかと思うということを私は申し上げましたので、どうぞ御了承願いたいと思います。
○畑委員 いまの問題について関連して御質問いたします。
 最下限をきめる必要があるというお話でございますが、われわれは最下限をきめる必要はない。ただ暴力事犯に対しての求刑に対する判決が非常に低い。したがって、裁判官を拘束するように最下限をきめるのが適当だと言われるのですけれども、いままでの実例、実績と申しますか、そういう点、暴力事犯でどのくらいの求刑に対してどのくらいの判決、これだから非常に軽過ぎるのだ、こういった資料は何かございませんでしょうか。それがありましたら承りたいと思います。
 それから同時に、検事控訴という手段も御承知のとおりございます。また実際やられておる例もあるのだと思いますけれども、それほど科刑が違い過ぎる、裁判官の判断と検察官の求刑との間に差があり過ぎるということになれば、暴力事犯の場合にはもっと検事控訴をどんどんやったらよろしいじゃないか。それでもって裁判官の頭を切りかえさせて、世論の暴力に対する批判と相まってそういったことをどんどんやった上で、それでもなおかつまだ裁判官の量刑が軽過ぎるということであれば、最下限をきめるということも納得できないわけではないけれども、それをやらずして最下限をきめる必要があるということは、ちょっと納得がいかないのです。その辺が納得いくような資料等がございましたら、概略でよろしゅうございますからちょっと承りたいと思います。
○賀屋国務大臣 資料の点はまた別に政府委員から申し上げることにいたしまして、犯罪の性質、凶悪性に対しまして、どういう刑の量定が適正であるか、これがもとでございます。いまの法律におきまして、いままでの判決をわれわれが悪いとかいいとか批判するわけではないのです。客観的に見て、こういう社会情勢でこういう凶悪な犯罪に対しては最小限ここまでは必要である、このほうの考えが主でございますから、そういうものをはっきり国家の意思としてきめることは、検察官の行動も裁判官の判断もその標準を得る、われわれはこう考えておる次第であります。
○竹内(壽)政府委員 ただいま御指摘のように、検察官といたしましては、できるだけの措置をとりました結果、やはりこういう改正をしたほうがいいという結論になりまして、こういう立案になってきておるわけであります。
 それに関連いたしまして、田中委員からの御質問の点にも触れてお答えを申し上げたいと思いますが、現行法は御承知のとおり幅の広い法定刑を定めておりますので、言うなれば、どこをとっても裁判官の自由な判断でできるというたてまえになっております。その結果といたしましてあらわれておりますのは、いつも私が御指摘申し上げておりますように、三十四歳の若さで前科二十一犯という前科者がございますが、これは三十四歳で二十一犯でございますから、その中身は二十一で割ってみていただいてもわかりますが、どの程度の刑であるかということは、私がここで詳しく申し上げなくても御理解できる。さらに十八犯とか十五犯とかいうのがたくさんあるわけであります。いかに刑が軽いものでたび重なっておるかということが現状でございます。そこで昭和三十六年に閣議決定になりましたのでございますが、行政措置として、できるだけ量刑を重くしていくという、全力をあげてそういう措置をまずとってみるべきではないかということが私どもの考えでございまして、たしか三十七年の初めごろに、全国の刑事部長の検事会同をいたしまして、この暴力の量刑の問題につきまして慎重に検討をいたしたのでございます。その結果、一段と思い切って量刑を引き上げてみようということで、そのときに決議のような形まで成立したわけでございまして、その後各庁でそれぞれ決議の趣旨に従って量刑を重くしていったのでございますが、先ほども御指摘のありましたように、もし検事の求刑と裁判官の判決の結果とが著しく違ってまいりますれば、検察官は検事控訴をして対処していかなければならぬ、これもやろうじゃないかということでいたしました。しかし、ものには限度がございます。たとえば検事は懲役一年求刑をしたのに裁判官が罰金を言い渡した。こういうような場合にはもちろん検事控訴をして争うという場合がございますが、検事が一年求刑したのに八月の言い渡しをした、こういうことになりますと、基準に反するからといって一切がっさい片っ端から控訴するということも、これまた穏当でございません。そういうことでやってみまして、その後もたびたび会同のつど暴力の問題、特に量刑の問題につきましては議論をしてきておるのでございますが、
  〔発言する者あり〕
○濱野委員長 静粛に。
○竹内(壽)政府委員 その結果といたしまして、基準を改正するほかに道がないというのが私どもの結論でございます。そういう実例を私はたくさん持っておるのでございますが、これを、この事件についてこういう求刑とこういう判決というような一覧表のようなものをつくりますことは、やはり私どもの立場としましては、裁判官には裁判官の考え方がございますので、具体的事件ごとに何が悪いのだ、こういうことになります。しかしこれは、具体的事件についてはそういうことになりますが、一般的な問題として取り上げてみますると、何としてもこれは常識上、社会通念に反することになりますので、そうだといたしますると、検察官も、警察官も、さらには裁判官も、この暴力についてどういうものの見方をしていくかということの指針を示すのが私は立法だと思うのでございます。そういう意味での改正でございます。
 それから、先ほど田中委員の仰せになりました、道交法だってどんどんやっているじゃないかというおことばでございますが、道交法は刑を引き上げまして、その改正後においてずっと今日のような厳格な態度が裁判所でも守られておる、これが現状でございます。そういう点もひとつ御理解をいただきまして、この刑を引き上げなければならぬという実態をひとつ御批判を賜わりたいと思うのでございます。
○田中(織)委員 私は裁判所に犯罪の事実あるいは情状その他を無視して極刑に処せということを言うているのじゃないのです。その点はやはり裁判所の公正な判断をまたなければならぬ。ならぬが、今度下限を引き上げるということは、そういう意味から見れば裁判所の適正なる判断というものを拘束することになるではないか、こういうことを私は申し上げておるのです。その一つになることは、法制審議会刑事法部会で、その点は詳細な速記録が出ませんからわかりませんが、私が申し上げていると同じ意見の方が少なくともたとえ一名でも多数あったればこそ、この下限を引き上げるということについて、刑事法部会がその必要なしということを少なくとも専門部会ではきめたという事実の上に立って判断をしなければならぬし、もし取り締まりの体制を強化するという考え方の上から立てば、必ずしも裁判所が悪いのじゃなくて、どなたでありましたか、国会の答弁の中にも出ておりますけれども、おそらくいまの刑事訴訟法の関係から見てなかなか立証が困難だから、立証の限界で求刑もなされるし、あるいは判決も下るのだ、こういうところに落ちがあるわけなのですけれども、一つの問題があるという観点から私は申し上げているのです。私は、少なくともこういう罰則の強化だけではこの種の犯罪を取り締まり、あるいはなくするということには役立たない、むしろ現行法でもできるじゃないかという観点から申し上げているので、その点、竹内さんの四十三国会の速記録であなたが御答弁になったのと、ただいまの答弁との間には、これは速記録が出てみなければわかりませんけれども、私は少なくともニュアンスが違う答弁をあなたはされておるということだけを指摘しておきます。
 次に、今度の改正で銃砲刀剣類による傷害に対する罰則を強化した。この点は、私は暴力団のその種の犯罪に対するある程度の効果を認めるにやぶさかではございません。しかし、これも先ほど来から申し上げておるように、これができたからということによって、何か暴力団のある傷害事犯というものがなくなるのだというような考え方の上に立っていたのでは問題があるということを私は申し上げたいのであります。しかも、この銃砲刀剣類の解釈が、これが問題になる。法制審議会でも問題になっておりまするが、私は、いままでの委員会の速記録も克明に見て、竹内さんの答弁も正しく理解をしているつもりでありますけれども、銃砲刀剣類取締法による銃砲刀剣類の範囲と、ここに定義もさだかに入れておらない銃砲刀剣類との間には、この改正案による場合に、拡張解釈をされるおそれはないとは言えない。あなたは最終的にはその点はやがて判例できまるだろうということを答弁をされておりますが、判例できまるだろうというようなことが立法段階で言われたのでは、この法が成立したあとには、よく言われるようにひとり歩きするのでありますから、将来判例が出てからその点の解釈が一定するだろうというような態度では、私どもは納得をするわけにはいかないのであります。
 しかし、この点については後ほど私さらに掘り下げたいと思いますが、もう一つ重要な問題といたしまして、暴力団というものは、あなたたちが出された資料によりましても、暴行、脅迫あるいは器物毀棄、それをやるのには目的があるのです。それによって何がしかの金銭を得よう、これが暴力団がこういう暴力行為をやる目的なのですね。その点は、あなたたちが出された資料の中に暴力団の定義は書いていませんけれども、はっきりと警察官などに暴力団というものを理解せしめるために出されたどなたかのなにを引用したのがございますが、最後はやはり経済的な目的を達しようということなんです。これはいわゆる刑法でいう恐喝だと思うのです。暴力団を取り締まるのだ、暴力団の暴力を取り締まるのだということになりますれば恐喝の問題、ことに暴力団の場合にはこれが最終目的でありますから常習恐喝になる。その点もし暴力団に対する罰則を強化するのだということになりますならば、なぜこの改正の中に入れなかったかという点について大きな疑問を持つのです。そういう暴力団をねらっているのだということを盛んに宣伝され、説明をされますけれども、暴力団の最終目的である恐喝、金銭を得る、そのことについては従来の刑法の規定だ、これでは私はいけないと思う。(「同じことをたびたび聞くなよ」と呼ぶ者あり)たびたび答弁されていることも私は承知いたしております。しかし、ほかの諸君が聞くのと私がこの問題を指摘するのとはおのずから角度が違うのです。したがって、暴力団をねらうと言いながら、ほかにこれが拡張解釈され適用されてくるおそれがありはしないかという観点から、暴力団のほんとうのねらいである恐喝というものについて、この改正案の中で罰則を強化するとか、そういうようなことについてはなぜやらなかったか。これは財産犯罪である、そういうものと競合しておるのだ、関係があるのだということも一応説明としては理解できますけれども、あなたたちが暴力団の暴力対策というものに重点を置いてこの罰則を強化したのだと言うのなら、当然恐喝の問題についても触れなければならぬと私は思います。その点はいかような趣旨から恐喝の問題をはずしたか。
○賀屋国務大臣 ただいまのお話、重要な点がいろいろございます。この改正は裁判官を拘束するものだというふうなお説があったと思いますが、これはきわめて重要な点でございます。全くさようなことではないと思います。裁判官は定められたる法律を守り、法律によって裁判をするわけでございます。法は国会が定められるものでございます。法が改正されればその範囲で裁判官が裁判をするのは当然で、裁判官は法を逸脱して自由に裁判するものではないのでございますから、ただいま御審議になります法が国会を通過いたしまして成立しても、これは裁判官を拘束するものでは決してない。日本の憲法上の裁判官の当然の地位に何らの拘束を加えるものではないと思う次第でございます。裁判官は法に定められた範囲で法を守って裁判するわけでございます。ただいまのは立法の問題でございますので、全然裁判官を拘束する心配はないし、そういう筋合いではないと思う次第でございます。
 そのほか、この法律の制定によりまして暴力団がどんなに、ことばは悪いかと思いますが、征伐されるか、だんだんいなくなり、減るか、こういう程度につきましては、刑の期間が長くなれば、こういうふうな事実上の作用も起こして暴力団がいなくなる方向に向かうということは、前の質問で刑事局長もお答えを申し上げておるのでございます。なお補足するところがあれば刑事局長より御説明申し上げたいと思います。
 それから恐喝の点がお話がございました。これは竹谷委員にもお答え申し上げましたが、私どもはほんとうはやりたいのでございます。それをなぜやらなかったかという事情も政府委員からも十分にお話し申し上げたと思います。これをやらなかったからといって常習暴力や銃砲刀剣類をもってするものをやらぬでもいいということには私はならぬと思う。それはむろん諸君が、その上にこれをやれということなら、私も腹の中では同感が多いのでございまして、またひとつこの次の機会に、われわれ研究しまして、また御審議を願うようなことにもなるかもしれぬと思います。
 そのほか前にいろいろ詳細に刑事局長より御答弁申し上げた事項も多いのでございます。銃砲刀剣類、常習犯、これは判例によって今後新たにきまるのでなくして、すでに解釈は明瞭であるということを刑事局長より申し上げておると思いますが、なお補足する点は刑事局長より補足いたしたいと思います。
○竹内(壽)政府委員 御指摘のように、いわゆる暴力団の構成員といわれる人たちの多くの犯罪、それは恐喝罪でございます。したがって、暴力団体対策と言って恐喝罪が抜けておるのはおかしいじゃないかという御疑念はごもっともでございまして、私どもも立案の過程におきまして十分検討を尽くしたつもりでございます。ただ二つの理由から今回の改正案にはこれを入れないことにいたしたのでございます。
 その一つは立法技術上の問題でございますが、今回の改正は刑を引き上げる、法定刑を引き上げるというのは、ただ何となく引き上げるというのではなくて、引き上げますには刑罰体系の中において特別の加重類型を定めませんと、法定刑を上げるというわけにはいかないのであります。そこで加重類型としまして、いま申したような武器のようなものを使っての傷害、こういう傷害罪の中でもピストル等を使う特殊な形の傷害罪、これを加重類型として定立し、それに配するに重い刑をもってする、こういうことにいたしたわけであります。もう一つは常習犯でございます。これも常習性については重く罰するということは世界各国どこでも承認された原理でございます。この二つの点を取り上げたのでございますが、恐喝が実態として非常に多いので恐喝の常習犯というものを考える余地があるかどうかという点につきましては、観念的には恐喝常習という考え方はあり得ると思うのでございますが、さきに発表いたしました刑法改正準備草案におきましても、この点は非常に論議をされまして、常習犯の規定はたくさん置きましたけれども、恐喝常習というものは置かないことにいたしておる。それは総則のほうに常習累犯とかいう総則の規定を設けましたので、そういうものでカバーできるという考えも一つはあったと思いますが、財産犯一般についてどういうふうに常習性を認めていくかということについて議論がございまして、結局準備草案ではその点を置かないということになっておりましたので、その点も考えまして割愛をせざるを得ない、こういうふうになったのであります。
 第二の理由といたしましては、これは先ほどもおっしゃいましたように財産犯でございます。財産犯一般についてはいま申したような理由で常習性を認めないということになったのでございますけれども、もしもこの恐喝を入れますと、すぐ次には建造物損壊とか、強要とか、暴力団の構成員が行ないます犯罪は多々あるわけでございます。そういうものもずっと拾い上げてまいりまして、それらを一括して強化するということになりますれば、これはまた立法技術的な一つの考えとして成り立つと私は思うのでございますが、そういたしますのには、作業といたしましては、体系をくずさないようにそういうものを引き上げてまいりますのには、研究の時間が非常に長くかかるのでございまして、そういう点を考えまして、今回は必要にして最小限度の改正にとどめたいということになってまいりまして、結局、恐喝につきましてはこれを取り上げないということにいたしたのでございます。
 右二点から恐喝罪はこの際の改正からは割愛せざるを得なかった、こういうことでございます。
○田中(織)委員 最初にも私伺っておりますように、やはり暴力団等の暴力行為に対する対策という点から見ますならば、総合的な見地からやらなければならぬ。あなたたちが出された資料の中にも、暴力団というのは、団体もしくは多数の威力を背景に、集団的にまたは常習的に暴力的不法行為を行ない、もしくは行なうおそれのあるもので、それを生活資金獲得の手段としている組織団体を暴力団という、こういうようにいっているのです。このあとの部分が、局長も認められるように恐喝に該当する部分だと思うのです。したがって、暴力団取り締まりということがねらいだとするならば、この点をあなたは最小限度銃砲刀剣傷害と、常習暴力という点にしぼったのだと言うのだけれども、私はこの恐喝というものを入れなければほんとうのものにはならないじゃないか、こういう観点で申し上げておるのであります。この点については、これを入れないということは、暴力団以外のところにやはりこの法律のねらいをつけているという危険性があるのではないか、こういう観点から伺っておるのでありますが、それは専門的なことになるようでありますから、私はこの程度にとどめます。
 次に、今度の改正は、たびたび申し上げるように二点であります。特に私どもが心配をしておる従来の一条一項の運用の状況から見て、今度の改正点が労働争議あるいはその民主団体の大衆運動等にたまたまそういう問題が起こった場合に適用されるということがありはしないか、こういう点で心配があるわけであります。
  〔委員長退席、三田村委員長代理着席〕
この点は、政府側は一貫して、過去の労働争議等において銃砲刀剣による傷害や、いわゆる常習暴力というものはいまだ一件もない。したがってまた、これは労働運動あるいは大衆運動それ自体の目的があるわけですから、そういう暴力行為等が行なわれるはずはない、こういうようにお答えになっていることは私も十分承知するのでありますが、従来の例から見ると、一条一項の場合にも傷害関係のものが当然伴ってきているのですね。いわゆる暴力行為取締法で適用された場合にも、傷害の関係の事案が労働争議等の関係においても相当な比率を占めてきておるわけです。そういう点から見て、たとえばこの傷害罪の例の場合も、団体交渉なりあるいはそういう問題でもみ合って、ちょっとしたかすり傷を負うても、それは傷害罪だ、あるいは公務執行妨害罪だ、こういう形で特に暴力行為取締法が労働刑法のような役割りを果たしてきておる。極端な例は、これは無罪になりましたけれども、国鉄労働組合の小郡駅で組合が闘争中にビラを張った。これが暴力行為取締法による器物毀棄だということで検挙され、起訴されて裁判になった。裁判の結果これは無罪になりました。さらに同じ国鉄の関係で、たとえば順法闘争の場合に、信号所におる組合員に連絡をとろうとするのを公安なりあるいは当局が阻止した関係からもみ合ったことがやはり暴力行為だということでやられている。また職場で、職場の責任者にいろいろ職場の改善等の問題について要求を出しておるのを、回答を強要したということで暴力行為が適用されておる。これも裁判の結果無罪になっております。あるいは日教組の関係で申し上げれば、山城高校の事件というのがございます。これも判決は無罪になっておるのです。転任に関連をいたしまして、非組合員であるある教師のその山城高校への転勤について、組合の分会の決定を伝えたことが暴力行為だということで起訴されて、多くの弁護士を入れまして長い法廷闘争をやった結果、これは無罪になった。そのように無罪になったということは、労働組合の団体行為、そういうような争議行為が、あなた方が言われる越軌行動ではない、こういう判断が裁判所によってなされた結果無罪の判決が下っておるものだと私は思うのです。
 ところが、少なくとも大正十五年にこの法律ができた当時は、御承知のように小作争議、労働争議あるいは水平運動、いまの部落解放運動でありますが、そういうものには適用しないということを当時の江木司法大臣が国会で答弁をしたけれども、この法律が制定されてまいりますと、まっ先に適用されたのが小作争議、しかも小作人の地位というものは、戦前と戦後では大きく変わってきていると思うのです。地主の所有権というものが絶対的で、あるいは地主が政治的にも大きな力を持っていた時代においては、小作人の立場というものは非常に不利な立場に置かれていた。その時代に、おれたち食っていかれないような年貢を取り立てる強欲な地主だ、あるいは地主くたばれ、もう生きるか死ぬかというところまで追い込まれてきた段階においてそういうことばが出ることも、私は状況によってはあり得ると思うのです。そういうものもいわゆる暴力行為取締法によって処分をされたという事例がたくさんあると思うのです。賀屋法務大臣も竹内刑事局長も、たびたび正当な労働組合活動あるいは大衆運動にはこれは適用しないと言われるけれども、賀屋さんなどは、先般鍛冶委員の質問に対して、最近労働組合運動には越軌行為が非常に多いのだ、したがってこれは適用するのはあたりまえだと言われた。こういう考え方でいかれると、あなたたちはそういう一条一項とは無縁だと言うけれども、たまたま一条一項で従来処断されたような紛争の関係から出てまいりますものにこれの適用がないという保証は、私は絶対的に得られないと思うのです。この点は竹内さんも、もちろんそういうものは過去においても事例はないし、あり得ないと思うと言われる。ところがこの点は、たとえば常習の問題等については、大審院あるいは最高裁の判例というものは、あなたも御承知のように非常に幅が広いわけです。そういうことになりますと、いわゆる組合活動家、専従者というような者が、そういう傷害なりあるいは暴力行為の常習者だと認定されないという保証はないと思います。立法者はその点については、そういうことを考えていないということをあなたははっきり言われておりますけれども、あなた自身も、それを適用するのは裁判所なんですから、そこまでは拘束するわけにはいかないのだということをはっきり言われてきている。私はここに、その点から見ますならば、たとえば銃砲刀剣類の定義を本改正案に明確に入れる。あるいは常習の問題については、法制審議会で修正案が否決になりましたけれども、少なくともその犯罪から五年にさかのぼって、その間にいわゆる同種犯罪についての前科があるかどうかということを基準にして、常習についてしぼりをかけるというような処置を講じておかないことには、乱用の危険性はないという保証にはならない、私はこういう論拠が成り立つと思うのです。その点については重ねて聞くようでありますけれども、いかがでしょう。
○賀屋国務大臣 ただいまの御質問はもうたびたび繰り返してありました御質問でございまして、私どもは現行法の第一条が小作争議や労働争議に適用されたことはないと申し上げた。適用されるのは、そういう際に起こった違法行為、刑罰法令に触れる行為でございます。それを一緒にして労働争議に適用された、小作争議に適用された、こう仰せになるのはたいへんな違いだと私は思うのです。ことばの魔術で内容が混同されるということでございます。これを私は例を申し上げたのです。私のことですから不器用な例ですが、適法な集会において殺人行為が集会内で行なわれたときに、これは殺人罪は適用される。しかし、だれもその集会に殺人罪を適用したと言う者は、世間には私は一人もないと思います。それと同じなんですから、絶対にありません。それから、絶対にありませんが、かりに百歩譲りまして、お話のようなこととしましても、私は御心配ないと思うのです。これをお読みになりましても、現行法第一条第一項は今度は改正していない。そして現行法第一条は「団体若ハ多衆ノ威力ヲ示シ、団体若ハ多衆ヲ仮装シテ威力ヲ示シ」、この団体、多衆ということがございますから、ちょうどいまの労働争議や小作争議に大ぜい集まってやっておられる際に起こったものに適用されるということはありますが、今度の改正は、第一条ノ二と第一条ノ三をごらんになりましても、「団体若ハ多衆の威力ヲ示シ」とか「団体若ハ多衆を仮装シテ威力ヲ示シ」、このことばは全然ないのです、これはかからないのですから。だから、個人とか数人の場合をむしろねらったと言ってもいいくらいのものでございまして、全くこれは団体とか多衆ではない。あたかも第一条のこの文句が今度の改正の第一条ノ三にかぶるかのごとき誤解が世間にあるとすれば、たいへんな間違いでありまして、団体的な行動をねらったものであるということは、すなおに文句を読めば的はずれだということはだれでもわかると思うのです。それをよくお読み願いませんと、第一条のいまの初めの形容詞みたいな、冠詞みたいなものは第一条ノ二と三に適用がない。多衆でなくてかまわない。むしろ多衆でない場合を主としてねらっている。何百人とか何千人とかの集団をねらっているのではない。そこをよくお考え願いたいと思います。
 それからまた、かりにこれも私どもからいえば百歩譲りまして、第一条で傷害があったとして起訴された。しかし、無罪になった。傷害の事実がなかった。私は、だからといって必ずしも悪いとは言えない。これは初めから無罪になるような起訴をしないがいいといいましても、これは理想でございましょうが、それならば裁判は要らないようなもので、世界どんな国でも、古今を通じてみても、起訴したものが無罪になるということがあり得るのであります。それだから裁判は公正でありまして、ことに裁判所は戦後民主化されました新しい憲法のもとで、松川事件でも、吉田がんくつ王でも、検察官がずいぶん痛い裁判を独立の見識でやるところで、われわれは信頼しているのでございますから、その公正な裁判が行なわれれば、そんなにいわゆる行政方面が、政府がかってに法の一人歩きをさして、かってに適用するなどということは、私は全然心配の要らないものだと思います。
 なお、ここで銃砲刀剣類、この定義でございますとか、常習はいままでの第一条の適用にも実際になかった。かりに傷害がありましても、銃砲刀剣類を持っていない場合には、なかったのですからかかりっこない。従来の第一条の適用と今度の第一条ノ三は全く別のものだということは、前に御説明申し上げたとおりであります。
 なお、いろいろそういう点につきまして、明瞭なことは政府委員より補足して御説明申し上げたいと思います。
○竹内(壽)政府委員 解釈が拡張されないように、あるいは運用が乱用におちいらないようにという配慮と思いますが、前々国会におきまして、修正案なるものが皆様の間で御論議になったということも、私も漏れ聞いておるわけであります。その一つは、銃砲刀剣類の定義規定を置いてはどうかという点、もう一つは、御指摘のように常習のほかに累犯になる場合、これをあわせて規定してはどうかという御議論であったように思うのでございます。この二点とも法制審議会の場におきましても議論になったところでございまして、これは議論の末、結局少数で否決されたのでございますが、その理由をいま申し上げますと、(「速記録を出してごらんなさい」と呼ぶ者あり)その点は全部差し上げてあります。定義規定でございますが、もしこの定義規定を置くといたしまして、二つの置き方があると思う。一つは、銃砲刀剣類等所持取締法の二条に定める銃砲刀剣類等という書き方をして限定する方法でございます。もう一つは、中身をずばりそのまま銃砲、刀、剣、やり、なぎなた、あいくちまたは飛び出しナイフと列挙する書き方でございます。この前のほうの書き方をして定義を書きますと、もしも将来銃砲刀剣類等所持取締法が改正になりまして、あるいは広がったりあるいは縮まったりいたしますと、これがスライディングにこの法律の中身も変わってくるということになりまして、これは刑法的な規定として適当でないということが議論されました。また、もし第二の方法としまして列挙したといたしますと、確かに種類としましては限定されるわけでございますが、それでは刀と剣というのはいずれも銃砲刀剣類等所持取締法では長さに制限がございまして、十五センチメートル以下のものは除外されておるのでございますが、こういう書き方をしますと、長さの制限が撤廃されることになって、場合によりましては広くなるおそれがあるわけです。のみならず、また大体判例はできておりますけれども、刀とは何か、剣とは何か、飛び出しナイフとは何か、あいくちとは何かというようなこと、あいくち類似のものとあいくちとの区別等はすべてこれは判例によって解釈がきまらなければ最終的にはきまらない、こういうことになりまして、一見明瞭のように見えますけれども、明瞭でないばかりでなく、かえって範囲が広くなるというおそれもあるということが当時懸念された次第でございます。
 それから常習の範囲が、なるほど昭和二年の判例を今日基礎にいたしておりますが、昭和二年の判例を見ますと、理論としては何か広いように見えるのでございますけれども、実際の運用は非常に制限的でございまして、私どももその制限的であるがゆえに、この第一条二項、現行法の常習の規定はあまり適用を見ていないのだという、そういう点がむしろ解釈よりも運用のほうが狭いということが現状として見られるわけです。特にこの累犯を加えますと、どういう長所欠点があるかと申しますと、常習累犯というのは現行法でも盗犯等防止法の中にある常習累犯窃盗、強盗というのがございますが、これは非常に重い刑になっておりまして、外国の立法例では、これは保安処分の対象になる、あるいは不定期刑の対象になるというような、要するに犯罪人の処遇の面から見まして、この種の常習累犯というものは特別な刑事政策的な考慮を施すべき犯罪類型の犯罪人であるというふうにいわれておるのでございまして、これは総則の規定の中に将来は置いて理解すべきものだと思うのでございます。いまここで累犯の規定を持ってまいりますと、累犯というのは形式的に十年以内に三回罰を科せられておるということになりますので、その罰が内容的に見まして常習性を認定するような罰でない場合でありましても、いやしくも前科という形式的なものがございますると、それにいかざるを得ない。そうなってきますと、先生方が最も御心配になっておる活動家のような方々が形式的には傷害の罰を三回十年以内に受けておるということになりますと、この中にいやおうなしに入ってくる。私はそういう懸念さえあると思うのでございます。常習者というのは、もう何回も言っておりますように、その行為者の習癖でございますから、そういう習癖が、前科があるから習癖があるとは言えないのでありまして、そういう点から考えてみますと、形式的な前科をここへ掲げますことは、かえってそういうものをこの中へ追い込む結果になるので、これはむしろいままで四十年間運用してまいりました昭和二年の判例を趣旨としたあの基本ラインで処理をしますのが私は適当だと思うのでございます。そういうようなことを私も考えておりますが、法制審議会の場におきましても、慎重に討議されました結果、これは問題にならぬというので、少数をもって否決されましたことは会議録に詳しく出ております。速記も会議録も同じでございまして、ただ発言委員の名前を一つずつあげてないだけの違いでありまして、それでよくおわかりのことだと思います。
○田中(織)委員 賀屋さんが言われるところの一条の一項と、それから今度の一条ノ二、三の問題でありますが、それは無関係だということについては、これは理解できないではないと思います。私はもう少しそれに関連して端的に伺えば、現在の一条の二項が一体この暴力法の規定の中にあること自体私はおかしいと思うのです。これは常習として前項に掲げる刑法上の罪を犯した場合に同じということになっておると思うのですけれども、これはやはり一条の二項だということになりますと、現在のようにありますと、あたかもいわゆる「団体若ハ多衆ノ威力」によるということに基づいて出た一条一項の罪の問題のように解釈できるのでありますが、これは私は無縁なものだと思います。したがって、今度のあなた方が言われるように、一条の二項あるいは一条ノ二あるいは一条ノ三の規定というものも本来無縁だということであれば、私はこれはむしろ刑法の中に入れるべきものじゃないか。これが暴力行為等処罰に関する法律の中にあるところに、拡張解釈をされ、乱用されてくる危険があるのではないか、こういう点が出てくるわけなんですが、本来ならばそれは――いま刑法の改正案も準備中でございますが、準備草案の中などであれば、刑法の各条項の中にこの常習その他の規定は入れるべきではないか、私はこういうふうに考える。そこまであなたたちがやられるというなら、法務大臣の言われる点もこれは理解できないことは私はないと思います。その点はいかがですか。
  〔三田村委員長代理退席、委員長  着席〕
○竹内(壽)政府委員 それは田中先生のおっしゃるとおりでございまして、第一条の中に一項、二項、三項で書き分けていないで、第一条ノ二、第一条ノ三というふうに条文を新たにいたしておりますところに、大臣が申し上げましたように、第一条一項とは関係のない独立の規定であるということを示しておるつもりでございまして、本来からいうならば、第一条ノ二は仰せのように刑法の中に、傷害罪の規定の中にその位置を求めるのが私は正しい位置づけだと思うのであります。ところが、なぜ刑法の改正にやらないでこちらにきたかということについては、この暴力行為に関する処罰法は、大体刑法の全面改正の際には刑法の中に取り入れて、それぞれ位置を与えられるということに大体なっております。したがいまして、この改正は結局刑法の全面改正までの間のつなぎ的な意味を持っておる応急法でございますけれども、そういう性質のものでございますので、したがいまして、刑法の一部、一条を改正したり、暴力行為の現行法の一条の二項を改正したりというふうにばらばらにやりますことも、刑罰規定の改正のしかたとして適当でないというので、この暴力行為の法律の改正によってその目的を果たそうとしたのでございまして、したがって、条文の配列等も一条一項、二項、三項という書き方をしませんで、常習の規定は現在二項になっておりますけれども、その二項を切り離しまして独立の条文として書きました趣旨も、一条一項とは一応関係のない、ただ同じ法律の中に規定してあるというだけでありまして、それは暴力行為の典型的なものでございますので、傷害をここに入れることは必ずしも不適当とは言えないということからそういうふうに処置をしたのでございまして、仰せのように本来刑法に書くとすれば傷害罪の中に規定をすべき性質の規定であろうと思います。第一条ノ二、それから第一条ノ三につきましては、現行法の二項がございますので、この二項の趣旨をやや整備し、また刑を重くしたという意味で、やはりこれを取り離して刑法のほうに持っていくのは適当でございません。やはりここに置くのがよろしいわけでございます。そういたしますと、凶器を用いての傷害罪もここに置くのがまずまずすわりのよさという点から言いますと、すわりのいい場所ではないか、こういうふうに考えたわけでございます。
○賀屋国務大臣 私は今度は逆に刑事局長の説明を補足さしていただきます。
 率直に申しまして、私ども法律を習いましたのが五十年も昔でございますから、法律を初め省内で読みましたときに、あまり自信はないのですが、私、これを見まして一番初めに心配したのは、今度は暴力団のチンピラどもをやっつけるのが目的だのに、いまの第一条の「団体若ハ多衆」なんという文句がこれにかかるのだったらやれないことになる。だから私の貧弱な法律知識でも、こう書いてありますと、第一条の「団体若ハ多衆」云々ということは、第一条ノ二、第一条ノ三には当然かからないのですけれども、誤解を生ずるといけないが、そんなことは法律的解釈でないだろうと念を押しましたところが、それは当然で、むろんこの第一条の初めの一項なんというのはかからない。それだから私は俗に申しますと、第一条ノ二、第一条ノ三は、法律的に言えば、第二条と第三条と書いたのと同じというのですが、わかりやすく第二条、第三条と書いてしまったらどうだと言ったような次第でございまして、それは私が法律の知識がないから言ったんで、第一条ノ二、第一条ノ三というのは、別の法律に規定してあろうが、ここで第一条の中に入れようが入れまいが、実質はちっとも変わらないのでございます。そういう形式論はわれわれしろうとですから、いろいろ審議されて、この法律の改正の方法によりこういうていさいであるのが法律技術上正しいということでわれわれは同意いたしました。内容は、お話しのようにこれは別の法律で出したってかまわない、刑法の改正のほうがいいかもしれません。しかし、それはいま刑事局長の話のように、刑法の改正等は一般的に大改正の準備中でございます。それまでの措置としてあるので、これは全くどなたがお読みになっても、第一条の初めのこれにかかってくるということは絶対にないわけです。これだけは御安心願いたいと思います。
○田中(織)委員 刑法の全面的改正のときに本来なら吸収すべきものだ、それまでのつなぎ立法だということを述べられたのでありますが、先般坂本委員からでありますけれども、ポツ勅が出た、そのときにこういう民衆運動への弾圧法規が撤廃されたときに、この暴力法が生き残ったという関係から今日これがまかり通っておるわけなんです。そういう関係から見るならば、あなたの刑法ができるときまでの時限立法だということもにわかに信用できない、こういう問題が一つあります。
 それから、先ほど銃砲刀剣類の点につきましては、定義を入れることは法のていさい上云々と言うけれども、私は法のていさいがどうあろうと、むしろこの点はやはり明確に入れることのほうが立法者としての立場から見れば国民に親切だと思う。しかもその点について、もし時代の進運に従って銃砲刀剣類の範囲がかりに広くなってくるような場合には、そのとき改めなければならぬ、そういう情勢が出れば私は改めていいと思う。それを一見銃砲刀剣等取り締まり法の定義と似たようなものだ、しかしふくらんでくるかもしれぬという答弁が行なわれている現状では、やはり定義を入れて明確にしていくべきだという主張は出てくるので、その点から竹内局長の答弁には納得するわけにはいかないのであります。
 それより重大な問題は、やはり今度は触れていないと言われるのでありますけれども、一条一項が従来立法の当時の精神からずいぶん逸脱した形で労働争議だとかその他の民衆運動の取り締まりにいわゆる治安維持法その他と同じような形でこれが使われてきた。このことについては、時代の変化、情勢の変化というようなものも全然考えないで、いまから考えれば、これは少なくともそういう立法当時の方向から別な性格のものに実際の運用の結果なっているという事実を全然あなた方が認めないということは私は納得がいかないのです。先ほど私があげた例はいずれも戦後の問題であります。裁判があるのだから、それで無罪になったらそれでいいじゃないかというような意味の法務大臣の答弁がございましたけれども、それは私はとんでもない答弁だと思うのです。少なくとも正当なる労働組合運動のカテゴリーへ入るものを、越軌行動だという形で警察官なり検事なりがそういう判断の上にこれで逮捕し、あるいは裁判にかける。その間における被疑者、被告の苦痛というものを考え、組合運動、労働争議のような時間的に制約されるものに対して指導者がそういうような形でやられることが、その争議の労働組合がねらうものに対してどういう影響を及ぼすかということもあわせて考えなければならない問題だと私は思うのです。その点の配慮が私は欠けておると思う。
 ことに私は現在部落解放同盟の書記長という立場でありますけれども、大正十五年に暴力法が制定されたときに、江木さんが特に水平運動にもこれは適用しないのだと言いながら、水平運動、現在の部落解放運動でありますけれども、幾たびか適用されておる。私がこの法律を知ったのは中学四年のときです。私の村で差別事件が起こった。そこでお寺の前にある青年集会所に差別者に来てもらって、どういうことでそういう差別言動を君はするに至ったかということを問いただした。それが暴力行為等処罰に関する法律違反だということで関係者が十人ばかり引っぱられた。そのうちの三人は起訴されて、いずれも三カ月ないし六カ月の懲役で、そのうちの一人は服役をして間もなく、病気でありますけれどもなくなったという事例があるのです。あなた方は差別問題というものについての認識が欠けておると思うのです。今日そういうことはあり得ないことだと言いますけれども、差別される側の人たちにとってみれば、これは死を意味する重大なる侮辱であり、私は人権侵害だと思うのです。その差別をされた者があべこべに暴力行為で処罰されるというようなことがたびたび起こってきておるのです。私は国会へ出てから十八年になりますけれども、この法務委員会で取り上げた問題の数だけでも十七、八件にのぼります。埼玉県の深谷の在で起こりました差別事件の問題については、当事者の間で話がつきました。そうしたら、それをあとで警察が、その示談のときに見舞い金か何かで金を三万円か五万円受け取った。そういう事実をつかまえて、これを暴力行為等処罰に関する法律違反だということで検挙いたしました。裁判にかけられました。私らは裁判所にも検察庁にもその不当を追及いたしました結果、その事件は執行猶予ということでけりがついておる事件がございます。これなども、取り締まりの警察なり検察庁というものが部落問題に対する認識がなければ、これはとんでもない方向に――今度の改正で触れてないというのですけれども、第一条第一項がそういう面に進んでくるという危険性は多分にあります。現に先月最終的な口頭弁論が終わったわけですが、私も特別弁護人の一人でありましたが出ました。いまから三年前になりますけれども、高知県の興津で起こった事件がございます。差別問題から端を発して百二十戸の部落で全部合わせて六十名ばかりの中小学生が同盟休校に入りました。ところが校長が、同盟休校に入ったけれども、学力の低下を防ぐ意味で、分散教授という名目で、部落の消防器具の置き場の二階で約三十脚ばかりの机といすを子供たちに貸して、そこへ学校の先生が行って分散授業をやった。その解決のために県議会の諸君までも出ましたけれども、打ち切るか打ち切らないかというようなことになったやさきに、教育委員会が、その器具を引き揚げたら盟休が打ち切られるだろうということで、形式的にその器具の返還を教育委員会から部落長に通知をいたした。そしていよいよその器具を撤収にかかりました日にちには、高知県警から二百五十名の武装警官がトラック十二台に分乗いたしまして現地へまいりました。そして朝の六時、八時、午後一時というように、三回にわたってそれに襲撃を加えて起こった事件であります。問題は、百二十戸の部落で年寄り子供合わせても三百人といないところに、二百五十名の武装警官を派遣したのです。しかも問題は、これは国会の速記録に明らかに出ていますが、正式な分散教授で、校長が貸し与えた机三十脚ばかりのものを返還させるために、それは教育委員会の立場からいえば一つの公務執行でしょう。しかもそれは部落の集会を開いて、返しますということを申し出ているにもかかわらず、その消防器具置き場の前へ――私も現地へ行っていますが、そこはトラックが入れないのです。大型のトラックをバックでしなければ入れないようなところへ入れまして、私はここにそのときの窪川の警察署長が鉄かぶとで住民に対峙している写真を持っていますが、それで女子供に相当なけが人が出ている。ところが、それが公務執行妨害で現に高知地裁で裁判に係属しているのです。それだけ狭い道路に武装して入ってきているのでありますから、自分たちの装備の関係でかすり傷を負ったりなんかした者はないとは言えないと思います。ところが、その警察官側の二日か三日のかすり傷がいわゆる傷害で、公務執行妨害、最初は暴力行為等処罰の法律で逮捕状も出ています。しかも、この点は先々国会に坂本委員が取り上げておるのでありますが、急を聞いて私ども同盟本部から弁護士をつけました。窪川の警察がその弁護届けを持っていくのに対して、逮捕されている者の兄と一緒に弁護士が行くと、お前が兄だということを証明する戸籍謄本を持ってこなければ弁護届けはなにしない、兄弟だと言うたら、米穀通帳を持ってこい。あまりに耐えかねて、窪川の簡裁でいわゆる面接についての簡裁の命令をもらって行って、この問題は弁護士の弁護活動を妨害するのだということで告訴事件が高知地裁に出ましたけれども、これなどは全く部落民というのは集団的な暴力団か何かのような形で、昔エタ狩りというのがあったそうでありますけれども、全くそれと同じような状態じゃないかということを私はそのときにも取り上げたのであります。そのときには、前の晩から行っている警察官の連中が聞いていないのに、村の人たちが、何でもあすは警官が来るから大ぜいの者がかまだとか、そういうような武器を持って集まれという放送をしたというようなことを、当時県警の警備部長が私に言った。君は現場にいなかったのか、前の晩からおりました、公安検事が出ています、こういう形でやっている。ここに写真がございますが、このまん中でごろつきの親分みたいな顔をしているのが窪川の警察署長です。そういう問題は、部落民にとっては死に値するいわゆる差別なんです。まとまりかけた縁談がつぶれたという話もございます。あるいはそれによって子供ができてから別れ話が出たために、気に病んで自殺したという事件が毎年二件や三件ございます。この問題に対しても、やはり差別者を処置するということではなしに、従来の関係から見たら、暴力行為取締法で部落全体に加えられた被害でありますから、部落の人が激高するのはあたりまえです。そういうことに対抗する道がいま許されていますか。
 私は過日来予算委員会、当法務委員会でも問題にしている一つの問題がございます。それは賀屋大臣も御存じでありますが、法務省の人権擁護局の下部末端で、民間から選ばれている人権擁護委員について、部落問題についてのアンケートを求めた。それの集約だというのでありますけれども、特に最後にこういうことが書いてある。「その他参考となること」として、「同和地区」これは部落のことです。「同和地区は、それぞれ集団で居住しており、自己防衛の手段としている場合が多く、集団の威力を対外的に表示し、又地区外の人は、それに恐怖をもち、益々差別を深くしている現状であり、」こういう一句があるのです。これは人権擁護局の人権擁護委員のアンケートからあらわれたものだということで、人権擁護局長が逃げでいるのですけれども、封建時代の身分制のために、住居することも就職することも結婚することもいろいろ制約されて、今日まで長く尾を引いて一般からさげすまれて、今日でも就職上の差別がありますよ。そういう状態にだれが追い込んだかということを考えずに、部落というものは集団生活をしている、集団の威力を対外的に表示して地区外の人々にいわゆる恐怖心を与えておるという。私は、人権擁護委員の中からアンケートに回答されたものをとにかく全部出してもらいたいと思う。これは人権擁護委員の諸君で、人権擁護局はそういうことは考えていないということをたびたび申されておりますけれども、奈良の法務局へまいりますと、それは中央で取り上げているからということで、私どもの関係団体の人たちに面会も断わっている。これも私は一つの重大な問題だと思うのです。そういう因縁があるから、いわめる部落解放運動とか水平運動というものには、多数あるいは団体という立場で交渉が行なわれることがほとんどの場合です。それだからといっても、適用しないということを言明しているけれども、できてみれば、その差別者を保護するためにというか、むしろ差別者を保護するようなかっこうで、差別された被害者を保護するということが、とにかく全然欠けておる。ほかにも、和歌山県の日置に起こった事件もございます。田辺の検察庁のある検事が、朝鮮人は朝鮮人と言われて何が悪い、おまえら部落民は部落民と言われて何が悪いということを、日置事件のときに検事がなにしましたから、私らは、それは許すことはできないということでその問題を取り上げましたら、撤回しました、謝罪しました。
 私は一つの極端な例としてこの問題を取り上げたのですけれども、従来から小作争議というものは――戦前におきましては、小作民というものはきわめて条件の悪い立場に置かれました。私も、学生時代でありますが、全国農民組合福佐連合会というのに書記として働いたことがあります。福岡県の糸島郡で、小作米を納めるのに組合員を集めて、地主さんに来てもらいたい、共同ばかりということで、組合員が小作米を現物で払う時代でありますけれども、たまたまそのときに不作の年でありましたから、自分たちは払えるだけの米を集めているのですけれども、ここで反当たり何斗というものをまけてもらって米を受け取ってもらえないかということで交渉したのが、暴力行為で、私は引っかけられなかったけれども、その組合員がやられたという事例を持っているわけです。労働組合も組合をつくること自体が異様でないまでにいたしましても、何らの法的な保護を受けなかった時代はともかくとして、今日憲法で労働者の団結、団交、罷業権が認められて、それぞれ法律ができておる。その組合活動のものも、従来の色めがねから見るならば越軌行動だということで一条一項が適用されてきたということは、これはやはり越軌行為の限界という問題にもおのずからわれわれは判断を持っています。何でもそれをやるという形のものが過去においてあったばかりでなくて、最近においてもそれがあるのではないか。だから、たびたび具体的な事例をあげるようでありますけれども、先年の三池の争議のときだってそうじゃありませんか。四山で久保清君が殺されたときには、あなた方の資料の中にもあるように、久保君に襲いかかったのは百人からの暴力団だということをあなた方は書いている。しかし、久保君を殺した者は一人だけは殺人罪で起訴されましたけれども、その襲いかかった暴力団に暴力行為取り締まり法を適用したという事例がありますか。しかも資料の中には三池争議という紛争になって暴力団が出てきた。だから紛争を起こした組合があたかも悪いような立場で、あなたたち最近における暴力事犯として出してきている。一番最近にある問題については、久保君の場合にはやはり暴力団百名――百名だけではありません。三池の争議がああいう形で圧殺されたという点については、これはやはり取り締まり当局の警察、会社が雇った暴力団、それで結局久保君のような犠牲者を出した。現在それでなお裁判が進行してきている。三池の組合側の被告のほとんど全部というのが暴力行為処罰法で現在やられているという実情ではありませんか。だから、今度できた一条ノ二なり三が労働組合運動等に適用がないということをあなたたちが言われても、一条一項というものが従来そういう形で拡張解釈される労働刑法だ、この前の公安調査庁次長の関さんがはっきり労働刑法だと言ってものの本に書いています。そういう形に運用されてきておるというこの因縁の法律に、いわば法制的にいえば刑法のほかの条項に入れるべきが、かりにこれが残っておるといたしましても、それに一条ノ二、三という形で、あなたたちはそれのほうがていさいがいい、あるいは全面的改正ができるまでの時限立法だからこれを入れることを認めてもらいたいということになっている。そこに問題が起こるということを懸念するから、私どもはこの点を追及いたしておるわけなんです。
 そこで法務大臣に、以上申し述べた点から、あなたたちは過去において、これは戦前戦後を通じて一条一項というものは乱用した、拡張解釈で弾圧法規になったという事例はないと言明するのか、あるいは過去においてはそういう点がなきにしもあらずだから、運用については、これは改正案に触れなくたって現行法として残っているのだから、その運用にあたってはあなたたちが今後十分留意するかどうか、私はその点を明らかにする義務があると思うのですが、いかがですか。
○賀屋国務大臣 人権の伸長擁護に御熱心なお話、これはまことに敬服いたします。乱用乱用というお話でございますが、そう申してはなんですが、田中さんの御議論も少し拡張解釈が過ぎているのではないかと思うのです。私は無罪になったからいいのではないか、平気でおるというふうなことは、決してそうじゃない。無罪の場合もありますと言うので、絶対に無罪がないように起訴するということはできないのです。それはもう世界的に古往今来できない。それがいいというのではないけれども、やむを得ない事態なんであります。それだから刑事訴訟法もあるというふうな次第でございまして、無罪になったようなケースがあるから乱用されたということには私はならないと思う。乱用されてはいけません。無罪になるようなケースがないように検察当局は一生懸命努力しなければならぬ。法令の趣旨、判例を尊重してやりますが、しかし、それだからといっても、無罪のケースが起こるということは率直に申し上げて古往今来とも免れ得ないことでありますから、それがないように始終不断の努力を繰り返すが、そういうことは起こり得る。こういうことを申し上げたので、これがよろしい、安心していいという意味では決してないのでございます。
 それから、現行法第一条の一項でありますが、乱用があったことを認めるかといえば、私は認めません。これはあるいは検察当局あるいは警察当局の解釈が誤りでありまして無罪になるようなケースはございましょうが、決して乱用するなどというような考え方で検察当局も警察当局もやったことはないと思います。常に乱用と誤解されないように、不当介入しないように、不断に良心的努力を続けろ、この仰せならわれわれは十分続けます。また、それで逆の手かげんをしまして、検挙すべき者を検挙しない、こんなことは今後断じてないように、われわれはほんとうに努力する覚悟でございますが、過去においては乱用したかと仰せになると、それには私は御同意できません。解釈の結果、裁判で否定せられたことは遺憾でございますが、これはないとは申し上げられない次第でございます。それで問題は、今度刑法が改正されたらやはりこれは置くんじゃないかということですが、私は当分この実質は置かれると思う。刑法を改正しましても、改正が何十年先ならわかりませんけれども、数年後の改正なら実質は置かれると思う。刑法内に吸収されて置かれるのではないかと思う。こういうふうな今度の一条ノ二、一条ノ三というものは、私はとてもどの三年や五年で無用になるような社会状態じゃないと思いますから、これは形式的に残す残さぬの問題でなしに、実質的に必要がある法律であり、刑法改正のときにいろいろな形態を整えますならば、その中に入って実質上はやはり生きる、こういうふうな考え方をいたしております。繰り返して申し上げますが、今度の一条は全く一条ノ二、一条ノ三と並立的規定でございまして、この第一条によって一条ノ二や三が支配され影響されることは絶対にないのでございます。その点をひとつ御了承願いたいと思います。
○田中(織)委員 法務大臣のせっかくの答弁ですけれども、私は、過去に幾多の事例のある一条一項でありますけれども、それは乱用をした、乱用のおそれのあることもあったかもしれぬくらいの答弁ができないということは、これは実におそるべきことだと思うのです。私は、あえてこのことを言うつもりはなかったのです。なかったけれども、あなた自身ひとつ戦後の大きな問題、あなた自身にまつわる問題を考えてごらんなさい。あなたは日本が戦争に負けたときに、気の毒なことではあります、私は同情していますが、戦争裁判にかけられたでしょう。しかもあなたは結局有罪だということで終身刑の判決が下った。服役中に講和条約の発効というものによって、いわゆる戦争犯罪人の処遇の問題が日本政府に移管せられた関係から、あなたは社会へ戻られ、その後、もちろん選挙という民主的なものを経て、東京三区というインテリの非常に多くいるところで支持を受けられて、たびたび国会議員にも当選され、いま法務大臣というきわめて重要な立場にあるわけです。しかし、少なくとも戦争裁判であなたは起訴された。これは過日本委員会において坂本君が、いわゆる階級社会における権力のあり方というものについての原則的な問題に触れましたけれども、私は、やはりそういう権力関係というものは時代の変遷によって動いていくものだと思うのです。それでなければ、あなたは少なくとも何年かの長い間、戦勝国によってかけられた裁判ではあるけれども、有罪だとして終身刑の判決まで受けて服役したということについての理解がどうしてできるのですか。坂本君が指摘いたしましたように、今日は独占資本の段階だ。これは経済学的に申し上げますならば、今日日本の資本主義というものは独占資本の段階であるということは、ブルジョア学者でも否定することのできない事実なんです。したがって、今日の国家権力の上に一番多くの関係を持っておるというのは独占資本だということも否定できないのです。しかし、そういう中において、われわれは独占資本の段階と、現在の社会制度というものを変革することを目的としています。しかしわれわれは、それをいわゆる議会を通じて、選挙を通じて実現しよう、そういうことによって、われわれの政党が今日国民から千数百万の支持を得られる政党であるということを私どもは確信しているのです。しかし、今日の政府のやる法律の執行、そういうようなものには、いわゆる国家権力の発動として行なわれる関係において、そういう階級的な問題、あるいは力関係の問題が作用することは当然です。しかし私は、戦前と戦後とにおいて大きくそういうものが転換したという事実を、現在あなたが国務大臣でおるという点から見ても、現行憲法を守らなければならない義務があるという点から見ても、この際認めなければならぬと思う。あなたには、あるいは戦犯にかけられる以前の、戦争中の指導者であった時代の夢を見ているお考えがあるのかもしれませんが、今日の時代では、それは許されないのです。したがって、そういう時代の進展に応じて、過去にあった法律も、現在つくろうという法律についても考えなければならぬというのが、これはいずれの側に立つにしても考えなければならぬ問題ではないでしょうか。そういう立場から見ますならば、少なくとも私は水平社運動、部落問題等に具体的な例をとって申し上げたのでありますけれども、これを団体または多数の威力によって暴行、傷害あるいは器物毀棄、脅迫をやったのだということで処断することが適当であるかどうかということについては、根本的に考え直さなければならぬ問題を含んでいることは当然ではありませんか。そういう意味で、この法運用の基本的な観点に立ちますならば、そういう時代の動きというようなものを考えなければならぬ。こういう点から、もう時間の関係もありますから多くを申し上げませんけれども、過去においても、また現在においても、この暴力法というものは、立法者の意思と違った方向に行なわれてきておる。その過程においては、いわゆる行き過ぎも全然なかったということは言い切れるものではないと思うのです。その意味で、あなたも政治家なのですから、あなたのきわめて政治的な答弁でこちらは満足しますよ。それをあなたはとにかく全然ないのだということを言い切る形において、幾つかの暴力事件として検挙した問題が無罪になっているということは、これはやはり取り締まり当局その他が間違った法の運用をやっていたということが裁判の結果、無罪という歴然たる事実となってあらわれているのですから、その点についての深い反省がなければ、私はこの法案を審議する直接の責任者としての法務大臣の態度だと受け取れないと思うのですが、いかがですか。
○賀屋国務大臣 いまの社会が独占資本の支配下にある、これは私ども御同意しないのであります。独占資本とは何か、これはいろいろ議論がございましょうが、巨大資本が存在することが民衆の生活の安定向上のために必要なり、巨大資本をそれに適合するように、貢献するようにいわば使っていこう、仕向けていこう、これがわれわれの経済の考え方でありまして、同時にそれがいろいろ政治面にも反映いたすのでございます。こういう考え方は私は戦前から持っておりましたが、ただいまはわが党の考え方がそれになっております。たとえば所得税の減税と企業減税を比較しましても、企業減税は富豪の利益のためにやるのだという判断がありますが、これはそうではない。それによって日本の経済力を増進しまして、日本の国民所得の総額を増しまして、次に政治的、経済的な配分によって貧しき階級、いろいろなところの生活を引き上げていこう、こういう考え方でやっておるのでございます。これは御意見とは違うかもしれませんが、社会党は多数の票をおとりになっておりますが、国民の大多数はわが党の政策を是なりとして、より以上の多数の票を獲得して、その自信の上に万事考えているのでございまして、これは戦後の時代の変遷を無視するとかなんとかいう問題ではないので、ほんとうの経済の民主主義はそこにあると思うのであります。
 それで経済面以外に、こういう立法につきましても、お話しのように権力の乱用がないように、これはわれわれは真から考えております。一体国家権力を敵にするという考え方は誤っている。それは少数者や権力者が自分の利益のために国家権力を使うならば、これほど敵とするものはないと思うのであります。国家権力それ自体、ほんとうに国民大衆のために、さらに現在のみならず、将来の国民のためまでも考えまして、正当に行使されるようにしなければならぬというのが理想でございまして、またそれを追求いたしております。そのための国家権力なら、これは十分に発動して可なり、すべき必要があると思います。曲がった権力を擁護する考えは毛頭ございませんし、正しい権力は正しく使うのがよろしい、かように考えている次第でございます。今回の立法はまったくさようでございまして、これはことばじりでございますが、田中さんが乱用とおっしゃったから、乱用はいたしませんと申し上げた。それは行き過ぎとおっしゃれば、行き過ぎが絶対にないなどということは、口はばったいことは申し上げません。行き過ぎがないように、もちろん意識的に乱用をするというようなことは絶対にいけません。しかし、良心的にやりましても、ときには間違いがございますが、その間違いのないように良心的に発動したい、これがわれわれの考えでございまして、ことに先刻来申し上げますように、第一条ノ二、第一条ノ三、改正法におきましては、懸念されるような集団云々の文句もないのでございますから、これは御心配は要ならないと申し上げておるのは、さような考え方から出発いたしておる次第であります。
○田中(織)委員 今日、巨大資本が存在することが社会のために役立つのだ、だから今日の繁栄があるのだとおっしゃる。しかし、あなたも法務大臣ですから、独占禁止法という法律があることは御存じでしょう。資本が大きくなるということ、集中するということが、その他のいわゆる小資本のもの、中小企業その他あるいは消費者等に圧迫を加えるような弊害があるから、いわゆる過度の集中を排除し、独占に制約を加える、こういうことが現実に行なわれているのです。その点についての議論は私はもうこれ以上やりませんけれども、その問題については私が触れたくない問題ですけれども、あなたの一身上の問題について触れたように、やはり時代の大きな動きというものがあるわけなんです。そういう観点に立つ法律というものについて私は考えてもらわないことには、いま法務大臣が言われるような強気一点張りというか、そういう立場でできた法律が必ずや、やはりひとり歩きする段階になれば、いろいろな面で問題が起こってくるということを私は考えていただかなければならぬと思うのです。この問題について、たとえば国民の世論がそういう方向へ進んでいる、しかしいわゆる暴力団の暴力行為が直接対象でありますけれども、そういうような方面に、一体彼らは自分の身に振りかかってくる問題でありまするけれども、どういう反応を示しているか、その点についてあなた方はお考えになったことはありますか。したがって、国民の中でだれがこれに反対をし、あるいは運用上明確にしなければならぬ問題があるという立場に立っているか、あるいは直接対象になっている暴力団関係の人たちがこの法改正に対してどういう反応を示しているかということも、いわゆる立法者の立場から見れば、われわれは考えなければならぬ問題があると思うのです。
 そこで私は、最初に申し上げましたところの現行法でも取り締まりを厳重にやる、あるいは法の適正なる運用をやるということでありまするならば、十分の効果が発揮できる。それよりもむしろ警察、検察、こういう政府の行政の暴力に対する体制が問題なのではないか。その意味から見て、そういう刑罰強化以外の面における対策は積極的にやらなければならぬ。これは暴力団対策のほんの一部分だということをあなた方が率直に認めて、われわれに答弁に当たられたら、私はおのずからここまでしつこい追及はしないのです。しかし、これがあたかも暴力団対策のすべてであるかのような立場であなたたちは臨まれる一面、総理の先国会における答弁の関係から見まするならば、総理はいみじくも、これは暴力団のみをねらった対策ではないということを答弁をしておりますので、私らはそういう点を明確にしてもらわなければ、われわれの疑念とするところは晴れないということを申し上げている。この点についての法務大臣の重ねての答弁をお願いいたします。
○賀屋国務大臣 暴力団対策が、このただいま御審議願っております法律だけなどとは毛頭考えていないのでございます。たびたび御答弁申し上げますように、私どもの法務省としましても、行刑並びに保護監察の面その他でやるべきことが非常に多いのでございます。また特に警察方面につきましては、事前の取り締まり、事後の検挙等、非常にこれに力を尽くす次第でございまして、これは警察と法務部内だけでございますが、それ以外、教育その他すべてのことにつきまして考えていかなければならぬということは申し上げているとおりでございまして、これのみに尽きるとは申しません。ただ、これは非常に重要な一環である。一環であるが重要であるということを申し上げているのであります。重要だけれども、それがなくてもやれるじゃないか――たびたびどうもたとえのようなことを言うておそれ入りますが、小学校だけ出ても非常に偉い人があるから、そんなに学校をつくらぬでもいいじゃないか、大学へ行かなくてもいいじゃないかといっても、アベレージからいうと、私はやはり大学が充実拡充される必要があると思う。東京がこんなに悪道路でもこんなに産業が盛んになった、道路もあれでいいじゃないか、いままでもこれでやっているじゃないかと言われましても、やはり道路の整備拡充も必要であるわけであります。そういう意味におきまして、暴力対策の重要な一環としてこれもぜひやっていただかなければならぬ。これだけはずせばずいぶん大事なところが欠けるのでございます。いろいろな社会現象が総合的にありまして、犯罪もその一つでありますように、対策も、これだけやらぬでもいいじゃないかといえば、どれ一つをはずしてもあるいはやれるかもしれませんが、それでは不十分で完全でありませんので、いろいろな施策の重要な一環としてお考えを願い、これを通していただきたい、こういう考え方でございます。ほかの点につきましても十分に意を用い、また乱用などということがありませんように、乱用がなくて、行き過ぎなんということはないというように批評されるように努力してまいる、こういう考え方でございます。
○田中(織)委員 私は、なお今度の改正にあたって、いわゆる裁判の合議制からはずした問題、あるいは下限引き上げに伴います権利保釈からはずされている問題、その他問題点が残っていますが、いずれ総理も出席をされる機会が当然あることと思いますので、そういう機会に自余の問題について質問する機会もあろうと思いますので、これで私の質問を一応打ち切ります。
○濱野委員長 午前の議事はこの程度にとどめます。
 午後は三時十分より再開することにし、これにて休憩いたします。
   午後一時四十六分休憩
     ――――◇―――――
   午後三時五十五分開議
○濱野委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。
 この際御報告いたします。去る十六日、暴力行為等処罰に関する法律等の一部を改正する法律案に対する修正案が竹谷源太郎君より提出されました。ただいまお手元に修正案を配付いたします。
     ――――◇―――――
○濱野委員長 次に、参考人出頭要求に関する件につきましておはかりいたします。
 すなわち、暴力行為等処罰に関する法律等の一部を改正する法律案並びに竹谷源太郎君提出の修正案について、来たる四月二十三日午前十時より、参考人の出頭を求め、その意見を聴取いたしたいと存じます。これに御異議ありませんか。
  〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○濱野委員長 御異議なしと認めます。よって、さように決しました。
 なお、参考人の員数は三名とし、その人選につきましては委員長に御一任を願いたいと存じます。これに御異議ございませんか。
  〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○濱野委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。
     ――――◇―――――
○濱野委員長 暴力行為等処罰に関する法律等の一部を改正する法律案について、質疑を続行いたします。畑和君。
○畑委員 先ほど田中委員から質問が相当詳細にわたってございました。それに対する政府側の答弁も私聞いておりましたので、なるべく重複を避けて質問をいたしたいとは思いますけれども、話の順序といたしまして重複することもあろうと存じますけれども、あらかじめひとつ御了承を願いたい。
 先ほども田中委員から言われましたけれども、暴力対策として法の取り締まりを厳重にする、科刑を引き上げる、あるいは新しい犯罪の類型を設ける。こういうような必要もあろうけれども、しかし何といっても根本は暴力団に対する抜本的な対策がなければならぬということは、田中さんの覆われたとおりであります。政府もこれを認めておりますが、しかし、まだまだこの暴力団を中心とする暴力行為に対する抜本的な対策が非常に手ぬるいというふうに私ども感ずるのであります。一体暴力団とは何ぞやということにつきましても、別にはっきりした規定というものがあるわけではないし、非常にばく然といたしております。しかも、その中にはばく徒もあればテキヤもある、その他もろもろの暴力団的な組織があるわけでございまして、すべてそうした暴力団は、一体その発生する社会的背景はどこにあるのか、経済的原因はどこにあるのか、こういうことをやはり見きわめなければ対策が立とうはずがないと思います。それに対して昭和三十六年の二月二十一日に、一般的な閣議決定をいたしております。確かに文章といたしましては、一応立法的な措置あるいは行政的な措置、こういうことで形としてはできてはおりますけれども、まだこれに対する見るべき施策が実際にはなされておらぬと思います。こうしたこまかい点につきましては、後ほどおそらく松井委員のほうからこまかく質問があろうかと存じますが、要は、むしろ私は政府の姿勢だろうと思う。この政府の姿勢を正すことなしに暴力団の根絶はできないのではないか、私はかように考えるわけです。結局、政府並びに自民党の皆さまも――われわれはもちろんそういうことには極力戒心をいたしております。そういう事実はわれわれのほうにはないのでありますが、しかし、どうも政府自民党の人たちの、全部とは決して申しません。ごく少数な一部だと思いまするけれども、まだまだ暴力団と深いつながりがある人があるようです。私は、こうした関係をさっぱりと清算をするということが刑の加重よりも何よりもまず第一に必要だと思う。刑を一方加重しておいても、そうした暴力団の人たちと政府関係あるいは与党の一部の人たちが関係を持っておるということは、結局、暴力団をつけ上がらせることになるのではなかろうかと思うのであります。そのいい例が、かつて法務大臣であった某氏のごときも、これは秘書が知らないうちにやったのだとは言っておりまするけれども、名だたる暴力団の組長の死亡に際して、その葬儀場に花輪を贈る、こういうようなことで、かつてマスコミ等をはじめとして世間から擯斥を買った事実もございます。あるいはまた、大野某のごときは、多分神戸だったと思ったけれども、山口とかなんとかいう組の会合に臨みまして、あたかもそういった暴力団の人たち、それの組織を称賛するかのごときような祝辞を述べられておる、こういうようなことです。さらにまた、東京都の知事の選挙のときに、あるいは千葉県の知事の選挙のときに、いいときに死んだといわれておるが、あの有名な肥後享、あれと相当自民党の中枢部の幹部がはがきの横流しに関係があった、それに金を渡した徴候が顕著である、こういうようなことがございまするし、またさらにあの都知事選のときに非常に阪本候補が終始妨害をされ、六十回もある選挙の立ち会い演説のうちで、完全に演説が聞きとれたのは二回しかなかった、こういわれるほどです。そうしたときにやじに、妨害に出動したのがまぎれもない右翼の暴力団であった。こういうような事実があるのであります。こうした事実をもっていたしますならば、やはり政府与党のほうがまず範を示して、そしてこうした暴力団に対しては個人的にもつき合わないのだ、こういった姿勢をまず示さなければならぬと私は思う。そうでなければますますつけのぼせるというような結果になろうと思います。
 先ほど田中委員からちょっと出ましたけれども、地方議員のごときは、私のほうの県あたりでもそうですか、それからまた市会議員、県会議員、そういった中にはかってテキヤであった人、あるいはまた暴力団であつた人、いまでも少しは関係があるように見えるという徴候が相当ある。やはりそういうことも、私はそれをそのまま自民党の公認として出すということ自体、そういうこともやはり政治の姿勢に関係してくるのではないか、暴力団根絶の姿勢と隔たるものではないか、かように思うのであります。特に地方議員にもちょくちょくあるということは、提出された資料の中にも書いてございました。これは数の多少こそあれ、事実である。しかもそれが自民党の公徳として出ている場合があるのであります。こういう点で、法務大臣は先ほども盛んに自民党としての、党人としての誇りを述べておられましたが、やはり担当の法務大臣がそういう点でまず模範を示して、党人として総裁たる池田さんに進言をして、国会議員にはないと思いますけれども、こうした地方議員の公認の問題などにも、やはりこの暴力対策ということを頭に置いて公認を決定するというようなことが望ましいのではなかろうか。こうした姿勢を示さなければ、とうてい幾ら百万べん口頭禅を唱えても暴力団の根絶にはつながらぬ、こういうふうに私は思うのであります。先ほど田中委員から言われたので重複のようでありますけれども、こういう点は何べん繰り返しても多過ぎることはないのであります。要はやる気があるかないかということにつながると思います。われわれも暴力団の退治――こうした封建的な制度がいまなお残存しておるということは、民主主義日本の恥だと思います。この点、町のダニといわれる恐喝を本来の職業としているような、こういった者がおることは非常に残念でございまして、これは早く根絶をする必要があることにつきましては、社会党といたしましてももちろん賛成でございます。むしろ、その点では、そう言っちゃ失礼だけれども、与党の皆さんよりもわれわれのほうが熱心だ、こういうふうな自信を持っておるわけであります。
 世界各国の例を見ましても、日本の暴力団のような組織があまり例がないようであります。中国ではかって青幇とか何とかいうのがございました。革命前にはそういった勢力が相当はびこって顔をきかし、しかも商売等もかたわらやってなかなか大きな組織であった。ところがそれが完全になくなった。私は中国に一昨年参りましたときにその話を聞きましたけれども、これはもう政治体制が違うから、完全にそういった新しい方針でこれの対策を講じたという話を聞いております。そして一方では厳罰に処し、中には一、二の者は死刑にしたという話を聞いております。これはいまの民主主義の日本ですからそういうわけにはまいりませんけれども、ともかくそういった姿勢で政府は臨んだ。それで相当長期間に刑務所に隔絶して、新しい考え方に基づいて教育をして、そして社会に復帰させる。現在ではそういったものは皆無といってよろしい、こう言って中国のその当該の人は誇っておりましたけれども、私はその点は実にうらやましいと思う。日本はいわゆる民主主義でございますから、そのような全体主義的なやり方ではやれないということはわかっております。しかしながら、そうであるけれども、その中においてやはり最善を尽くすべきではなかろうか。ただ刑を重くしたり、犯罪の類型を新たに設けたり、取り締まりいいようにするということだけではだめで、取り締まりというのは要するに事後の処置でございます。これを今度再びやらせないようにならなければならない。もちろんそれには出所後のこと等もいろいろ親身になって相談をしてやるというようなやはり機関はあります。ありますけれども、ほとんどそれがたいして動いていないように思われます。大臣も先ほど、そういった点でも努力しているのだが、これからも努力すると言われましたけれども、こういう点、出所後のことも刑務所においての教育と同様にそれ以上に必要だと思うのです。結局、政治がこうして貧困でございまするから、貧富の差が激しい。正常な職業につくのをきらうといったような風潮もあるわけで、こういった風潮自体を直していくことが何よりも必要であるわけでございます。これも結局は政府の責任と申せるわけです。
 こういう点につきまして、先ほど田中委員からの質問に対して一応お答えになりましたけれども、ひとつ法務大臣、あらためて先ほど来私が申しておりまするようなことを頭に置いて、それに対してどう考えておるかということを承りたいと思うのであります。
○賀屋国務大臣 暴力対策は各方面にいろいろな角度からこれを考えなければならぬ、その中としまして社会全体の風潮が大事であり、政治家は政治の姿勢を正していかなければならない、まことに御同感でございます。実際われわれが見ますのに、いろいろなことが原因しています。たとえば先年、いわゆる勤務評定騒動で学校の先生なるものがねじりはち巻きで暴力を用いて学校の講習会に普通に入って行くのを腕力で妨害する、実に学校の先生がそういうことをする。こういうことは、どんなに私は一般に法秩序を乱し、社会の秩序を乱す暴力か――実力行使というのは私はおかしいと思うのです。実力じゃないと思うのです。そういうものを公認するようなことが行なわれましたことも原因でありますし、政治の姿勢を正すことが必要でないと申し上げるのじゃないのですが、労働運動にいたしましても、秩序よく行なわれる場合もございますが、おりおり行き過ぎるものもあるのではないか。そういうものを町で見まして、青少年にどういう感じを与えるか、何をやってもいいんだ、こういう感じを与えるものがずいぶん多いと思うのであります。それで政治家がもちろん姿勢を正し、さらに社会の各方面が覚せいをしていく、またお互いにそういう秩序を破るような行為は恥ずべきことである、こういうふうな良識を持っていくような社会にすべく努力しなければならぬと思います。
 それでいま中共のお話がございましたが、これは私は反対なんです。それこそ独裁政治であります。ほんとうの裁判があるかないか、これは実にわからないので、ソ連の初期の状態を見ましても、全く行き過ぎじゃないか、乱用以上のものが起こりました。疑わしい者はみんなひっくくって、みんな処罰するとなれば、こんなやさしいことはないのであります。暴力団につきましても、一方あるいはいろいろな生業を持っているものもあります。それからまた中にはそう悪いことを、暴力団とつき合いのある人でもしない者もございます。そういうものをいいかげんに、これはおかしいといってどんどんやるような法制をしくと、全くこれは専制政治でございまして、そういう無実なものでも少々疑いがあればやるというようなことならば、きれいにはやれましょうが、人権の侵害、その惨害たるや、全く正常な――これは避けなければならない。私どもは何千年もかかりまして、ほんとうにそういう人命の尊重、人権の尊重に漸次進歩していくことが政治の進歩と思います。さような全体主義、と申しますよりは独裁政治は、それこそ政治家の権力欲を満足し、国民の権利も生命も危うくするものでございますから、この方法によってやることは絶対に避けたい。
 そのために、一方から申しまして暴力団の定義などはむずかしいのでございます。何でもかんでも悪く思うものはやってしまう、警察官やなんぞが自分の認定でできたらたいへんなことになりますので、そこで一面はなかなかやりにくい点がございます。たとえば不良文化財の取り締まりにしましても、言論の自由ということを考えなければ何でもぴしぴし押えられるのですが、われわれはそこで言論の自由ということを考えなければならない。言諭の自由と公共の福祉の接点をどこに求めるか、特にその場合には人権の尊重のほうに重きを置いてやりながらいかなければならぬ。そういうところに苦心が存し、また苦心が存することが、私は政治家としての良心の命ずるところだと思うのであります。さようなことは一面からいえばはなはだ手ぬるいということになりますが、私は、その手ぬるいものに見える間に誠心誠意を尽くしていくことが最良ではないかと思う次第でございます。お話しのように、ある法務大臣であった人が花輪を出したという話がございますが、その相手方がだれでありましたか、その人との関係は私は存じませんが、一面暴力団でけしからぬという認定も軽々にするわけにはいかない。暴力団というものは定義ができない。犯罪の対象にすることはむずかしい。ということは、一方の人権の尊重をかまわなければ何でもできるのでございますが、そういうようにこれを法で縛っていくことができないというところが、刑事局長もたびたび申し上げましたが、苦心のありますところで、直接法でそれをつかまえることができない。そこに困難性がございまして、傷害等の行為にあらわれましたそれをつかまえて、そうしてだんだんにメスを入れ、当人も反省し、また事実上そういう組織が維持できないところに追い込んでいくということを考えている次第でございます。
○畑委員 いまの大臣の答弁は、私の質問に必ずしも答えないで、変なほうに脱線したような感じがする。先ほど教員の問題が出ました。教員がいやしくもねじりはち巻きをして、そうして何とかを阻止するというようなことでは云々と、こういうことを言われましたが、日教組が社会党を支持しているというような意味から、お前のほうにもこういうのがあるじゃないか、そういった意識で反発心から言われたと思いますが、これはひとつ取りやめにしていただきたい。別にわれわれもねじりはち巻きで学校の先生がやることを歓迎しているわけではない。しかしその前に、そう言われる前に、教員に対してそれだけの待遇をいたしているかというふうに私は反問いたしたい。何も好きこのんでこういうことをやりたいと教員だっておそらく思っていないでしょう。それだってしょっちゅうあるわけではありません。教育研究集会か何かのときに、そういった点のあれを阻止しようということでやったことがあるかもわかりません。しかしながら、ここでそういった例を出すのはおかしいと思う。ばかに大臣が意地になったような感じがいたすのですが、これはひとつそういうことのないように待遇をまず改善していただきたい。もちろん行き過ぎは私はいかぬと思います。と同時にまた、先ほど中国の問題も出された。実は私が出したのですが、私は何も必ずしも中国のように、ああいったように重罰に処してやれ、こう言うわけではないのです。それは制度がおのずから違います。中国はああした全体主義の国でありますし、そういう点につきましては私も反対です。社会党はああいった行き方には反対でありまして、あくまで民主主義を通じて社会主義を建設するというのがわれわれ社会党の理想でございまして、中共のああした全体主義的な解決は、あるいは早いかもしれないけれども、しかし、それは人権を侵すことはなはだしいという考え方なのであります。ただ私は例といたしまして、政治体制が違うのだけれども、うらやましい次第だ、やり方は私も反対で、賛成ではありませんけれども、そういうことで思い切って政府が力を入れて、そういった町のダニを一掃した。そうして改過遷善して、こういうことならこうなんだ、社会の行く末はこうなるのだ、君たちのやっていることはいわゆる社会のダニであるから、ひとつ前向きの姿勢で社会の前進に寄与してもらいたい、こういったような形で何か刑務所内でも説得をし、そしてだんだんと気持ちも変えてきた、こういうような話なんです。私は実はそういうことを強調しようと思って言った例でありまして、必ずしも全体主義のそういったやり方、一刀両断的なやり方を賛成しているという意味ではないのでありますから、その辺はひとつそのように受け取ってもらいたいのです。一つの例として、やはりこれは政治の姿勢がもたらした結果だと、私はその点では全体主義的なそういったやり方には反対でありますけれども、これはなるほどこういった意気込みでやって、しかも最後には無理せずに全部社会に順応をした。そうして一生懸命いま働いておる、社会主義建設に貢献しているのだ、心から喜んで建設している。また、こういうふうにやらせなければいかぬ。いやいやながらではなくて、無理してやるのではなくて、やはりそれをするには政府はじめ与党の姿勢がそういった姿勢でなければ共鳴は得られないと思う。私はそういった点で申したのでありまして、全体主義を謳歌しているということではないのであります。その点はひとつ誤解のないようにお願いいたしたい。
 民主主義はなかなかむずかしいものであるということは十分承知いたしています。時間のかかるものでありまして、その点はがまんが必要であろうと思うけれども、そこでまた大臣が答弁の中に出てきたことは、なかなかそういっても人権も尊重しなければならぬし、言い分も聞いてやらなければならぬというような話で、暴力団についてのことになると、私の質問に対してだいぶ憶病になっておるような感じがいたすのであります。そういうところに、やはりくされ縁があるからだと言われると思うのでありますが、賀屋大臣はそういうことは絶対にないというふうに私は確信いたしておるのです。しかし、往々にしてある人があるのです。したがって、やはり政治家が暴力団に対して絶縁をする、いやしくも賞揚するような言動を吐かない、なるべく敬遠をする。こういったようなことでいかなければ、暴力団対策に本気を入れておりますということは言えないのではないか。いたずらに量刑の引き上げをしたり、あるいは犯罪の類型を新たに設けたりしても、それではだめだ。政府としてはやはり全体として暴力団をなくしなければ何にもならぬのです。少なくしなければ何にもならぬのです。ところが依然として同じである。暴力犯罪防止対策要綱というのをきめたけれども、それがさっぱり実効があがってないということは、先ほど来田中委員からも言われたとおりであります。まずこの法案を提出する前に、それを徹底してやるべきだ。そういった暴力団が巣をくう社会的背景をなくし、経済的原因を除くために、まず力を入れなければならぬのであります。そのほうをほうっておいて、そうして出てきた結果についてけしからぬ、けしからぬだけではだめだ、私はそう思う。そういう意味で申し上げたのでございますけれども、ひとつ誤解のないようにお願いいたしたいのであります。
 その点はその程度にいたしまして、次に、先ほど田中委員から聞かれました点で、恐喝罪をどうしてこの中に入れなかったのかということについての刑事局長の御答弁で、犯罪類型として恐喝というのは財産犯罪だ、したがって、ここの暴力対策の中に入れるのはふさわしくない、また経済犯罪であるから常習性があまりないといったようなお返事であったかと思うのですが、その辺がよくわからないので、もう一度説明していただきたいのであります。まあ財産犯罪だから結局金があるようになれば恐喝はしない、金がないから恐喝するので、したがって習癖的なものではない、暴力的な習癖ではない、いわゆる常習ではないということになる可能性が強いからというふうなことであるのかどうか。しかし、そうだといたしましても、暴力犯罪の、暴力団のやっていることの処罰例からすると、恐喝が圧倒的多数である。これの常習を処罰するのでなければ私は実効がないと思うのですが、その辺をもう一度御答弁願いたい。
○竹内(壽)政府委員 恐喝罪が圧倒的多数を占めておりますことは御指摘のとおりでございまして、これの対策も、私どもといたしましては慎重に検討したところでございます。先ほど申し上げましたのは、今回の改正がそれが必要でないというのではなくして、必要とは思いますけれども、今回の改正を必要最小限度にとどめたいという気持ちが一つございましたので、もしも恐喝罪までも取り上げて規定をするということになりますと、やはり暴力団が多数犯しておりますところの強要罪あるいは建造物損壊罪等々あるわけでございます。そういうものも、一つを取って一つを捨てるというわけには参りませんので、やはりそういうものを漏れなく余さずすくい上げてまいりますと、これは大きな改正作業になってまいりまして、問題は簡単に片づかない。言うなれば、刑法の全面改正の際に譲るのが相当だということになろうかと思うのでございます。そういう点を一つ考慮いたしましたことと、それから、さきに発表いたしました刑法の改正準備草案におきましても、恐喝常習という問題が論議されたのでございますが、これは常習罪として認めるのでは適当でないということで、恐喝常習という考え方はやめてしまったいきさつがございます。そのかわり、常習累犯というような考え方を総則の中に取り込みまして、恐喝に限らず、どういう犯罪でございましても、常習累犯的な犯罪性の強い犯人につきましては、特別な処遇をするという規定が設けられておりますので、それと相まって恐喝常習という考え方は割愛したのだと思いますが、そのいきさつを先ほど御説明申し上げたわけでございます。いま申しましたように恐喝罪は財産犯でございますので、強盗とか窃盗とかいうのと同じように、財産犯の類型に入るものでございますが、実効をおさめるという点から見てまいりますと、今回の暴力行為の刑を重くいたしました場合に、いま仰せのように最終の目標は金を取り上げることであろうと思いますので、その手段として暴行、脅迫等の行為があり、その結果として金を取るということで、これを一つの犯罪と見たのが恐喝罪でございますが、そうしますと、いまここで問題にされておりますところの常習的な脅迫行為、暴行行為、あるいは常習的な傷害行為、それと手段結果の関係でお金を取るということになりますると、刑法の総則の規定がかぶってまいりまして、今回の重い罪と恐喝罪とが合わせて強化されて、その刑期が、おのずからそこに法定刑が定まります。その範囲内で処断されるということになりますので、たとえば暴行の常習者が恐喝したということになりますると、暴行の常習は三月以上五年以下でございます。それと、恐喝は十年以下でございますので、三月以上十年以下という刑期の範囲内でその者に対して刑を盛ることができる。こういうことになって、実際問題といたしましては、特に恐喝の常習をここへ無理して取り上げてこなくとも、処断刑においてはほとんど差しつかえないというふうに、これはテクニカルな言い方でございますけれども、法適用の技術といたしましては支障を生じないという考え方もございまして、今回の改正に当たりましてはその点を割愛をいたしたわけでございます。割愛ということばは適当ではございませんけれども、やりたいのはやまやまだけれども、そこまで手を広げますことは刑法の体系上からもいろいろ問題がございますし、罪証関係、いろいろ刑法のむずかしい問題点がたくさんございます。そういうものをすべて克服して刑法としての立場をはっきりさせますためには、そういうものは一応この際は思いとどまったほうが適当であろうということから、かような法の形式をとったわけでございまして、恐喝罪をわれわれの目から見て軽視しておるというのでは絶対にございません。
○畑委員 本論とは違うのですけれども、いまの刑事局長の答弁の中に、脅迫と恐喝それから暴行と恐喝、これが併合罪の関係にあるというような話があったのです。これは手段、結果であるから併合罪、牽連犯だということも言えるかもしれぬけれども、しかし、普通は恐喝のほうが包括するから恐喝罪一つに起訴するほかないのではなかろうか、かように思うのですが、私の間違いかどうか。
○竹内(壽)政府委員 ただいまの点は事例によりまして適用を異にすると思いますが、常習的な暴行をやる犯人が恐喝をやったという場合を想定いたしまして申し上げたのでございまして、併合罪になる場合もございますし、恐喝の中に包摂せられる場合もあろうかと思いますが、もし両者が適用せられて包摂されるということになりますと、刑の評価としましては三カ月以上十年以下という刑期の範囲内できめるということになります。
○畑委員 次の質問に移ります。
 第一条ノ二、これは先ほども田中さんが質問されたのですが、「銃砲又ハ刀剣類ヲ用ヒテ人ノ身体ヲ傷害シタル者」ということになっております。しからばこの「銃砲又ハ刀剣類」とは何かということについては明確にこれを規定づけておらないが、規定づけるということになると、これは一つは行政取り締まり法規である、一つは刑事法規であるというようなこともありますし、また、それだとあまりにも限定されてしまって、たとえば刃渡り十五センチ以下のものがこれに触れなくなるというようなことでございましたが、そのときにも田中委員のほうから、拡大解釈をされるおそれはないかというような質問がありました。拡大解釈を防ぐためには、一つは行政取り締まり法規である、一つは刑事法規であるというような区別はありますけれども、やはりはっきり規定したほうがよろしいのではなかろうか。銃砲刀剣類等所持取締法がだんだん変わってくる。変わってくれば変わってくるで、それにスライドすればよろしいので、黙っておっても、それに規定するところだと言っておれば、これが変わればその法のほうが変わってくる、こういうことになっても決してふしぎでないのじゃないか。かえって判例解釈に待つと、おのずと内容としては、この暴力行為等処罰に関する法律の場合にも、銃砲刀剣類等所持取締法の場合にも、大体大差がないということに判例的にもなるであろうからということでございますけれども、そうすると、もっと短いものでも、十三センチぐらいならともかくも、もっと短いものまでも銃砲刀剣類ということになりはせぬか、こういう心配をいたしておるわけですが、その辺はどうでしょうか。
○竹内(壽)政府委員 仰せのように、これはいろいろ考え方があると思うのでございますが、まず一番――いまお述べにはなりませんでしたけれども、銃砲刀剣類の類ということばが、何かあいまいな、ぼやっとしたことばのようにおとりをいただいておるのじゃないかというふうに思うのでございます。これは銃砲刀剣等、などという字を書いた場合と違いまして、刀剣類というのは文字どおり刀剣に類するものをいうのでありまして、でありますから、この銃砲刀剣類等所持取締法を見ますると、刀剣の例としましてあげておりますのは、刀剣はもちろんでございますが、やりも入れておりますし、なぎなたも入れておるわけです。それからあいくちでございますね。こういうふうになぎなたとか、やりとか、あいくちとかいうのが入ってまいりますので類ということばでそれを示しておるので、類とは刀剣のたぐいという意味でありまして、刀剣等というふうに読むべきものでないことは判例、学説の一致しておるところでございます。ところで、それではここに銃砲刀剣類等所持板締法二条のいわゆる銃砲刀剣類というふうに読めるか読めぬかという問題でございますが、この銃砲刀剣類等所持取締法は、なるほど行政取り締まり上の警察法規でございます。しかし、これもやはり文字どおり取締法であって、こういうものは危険な武器でございますので、その所持さえも禁止をしようというのが取り締まり目的でございます。一方、所持禁止されておるそういうものを使っての傷害行為というのが今回の改正法でありますので、なるほど目的は、一方は主たる目的であり、片一方は手段でございますが、この二つの同じ文字を使っております限りは、同じように解釈するのが私どもの法律概念を解釈する場合の原則でございます。したがって、何も書いてなければ銃砲刀剣類等所持取締法上の銃砲刀剣類というものがこの際解釈の基準になりますことは異論のないところでございまして、その点は法制審議会でも諸学者が論じたところでございますが、そういうふうに解釈されるということで、定義を置かなくて十分わかるということに相なったのでございます。それでさらに、そうではあろうけれども、さらに明確にする意味で定義を置いたらどうかという議論が実はあったわけでございます。その議論をなさる方は、いま先生の御指摘になるような考え方と一致しておると思うのでございますが、その点をいろいろ論じました結果、取締法というのは取り締まり目的によって変わっていく性質のものでございますが、刑法の概念というものは、法を改正すれば格別、そうでなければ、自然的にほかの法律に影響を受けながら中身が変わっていくということは、刑法の概念としては適当でないということで、これはやはり置かないほうがいいということに相なったいきさつがございます。でございますので、法律が違いますから、寸分違わないように全く一致するというふうには、私もやや疑問には思いますが、たとえば取締法では、「刃渡十五センチメートル以上」とございますから、十五センチメートルは入りますし、それ以上一センチでも長ければこれに該当するのでございますが、十四センチ半というのはこの取締法上は入らない。しかし、こういう危険な武器を使っての傷害という観点からこれを見た場合に、十五センチびっしりならば入るが、十四センチ半ならば入らないということがはたして社会通念上妥当かどうかという点になってまいりますと、やや疑問なんで、それは判例の発展に待たなければならぬと思うのでありますが、まずまずこの銃砲刀剣類等所持取締法二条の解釈、定義がしてありますとおりに、この法律の手段たる武器を理解していっていいというふうに思っておるのでございます。
○畑委員 大体刑事局長の言われる趣旨はわかったのです。刑事局長も、法制審議会で答弁されているときの議事録等がございますが、そのときは、最初は所持取締法の内容とは違うのだ、それと全然別の考えだというふうに言われておったけれども、途中で変わって、大体内容は同じようなことになります、しかしながら規定すると、さっき局長の言われるようなことで窮屈になるし、また同時に目的が違うのだから、きちっと何センチとかなんとかいうのでないのがその本来の刑事法規としての銃砲刀剣類だ、こう解釈するのが妥当だ、こういうふうに変わってこられたようです。私も大体その考え方は妥当だとは思うのです。しかしながら、こうして、しからばどうなんだ、こういうことになると、なかなか局長もはっきりここで、それ以下のものははまらないのですとかなんとか、その辺、結局判例の結果に待たなきゃならぬというような先の長い話になってしまうわけですが、その辺を考えると、ちょっと危険ではありますけれども、局長の言う意味はまあ了解できたわけです。しかし、先ほど来田中さんからも言われておるとおり、法というものはひとり歩きするから、結局厳密に規定すべきところは規定しておかないと、規定しておいても、それでもなおかつこの運用のいかんによっては乱用の弊害も起きるということ、またそれをわれわれは心配いたして、そういうために実はこの点が明確を欠くのではないかということで御質問いたした次第です。ともかく実際の運用の面において拡張してあれしないように、ひとつ注意を喚起いたしておきたいと思います。
 それに続いて、第一条ノ二のうち「刀剣類ヲ用ヒテ」というのは、説明書によりますと、用法に従ってということだというふうに言われる。すなわち、刀でもって切りつけるとか、あるいは銃弾を発射するとか、引き金を引くとかいうようなことで、鉄砲の台じりで打つとか、あるいは刀の峰打ちを食わせるとか、こういうのは用法ではない、そのときにはこれには入らないのだ。あくまでも用法に従って刀の切っ先を突きつけるとか、あるいは峰打ちでなく、反対の刃のほうでやるというようなことであるというふうに説明してありますが、これはこのとおりだと思います。これでもやはり乱用のきらいが――まあ解釈的に、末端の警察官等はこういった点が非常に不用意でありますから、私はちょっと心配もいたしておりますが、しかしこの場合に、これに関連してお聞きいたすのですが、未遂の罪とも関連するのです。未遂罪が御承知のように一条ノ二にはございます。傷害の未遂というのは、御承知のように日本の刑法体系からいうと、いままで出ておらぬ。傷害の未遂は暴行であるというようなことになっておりますが、しかし、これはいろいろ前から説明を聞いておりまして、大体理解はついてきたのでありますが、こういった刀や銃砲をその用法に基づいて用いてやるということ、それで遂げないというのは、あくまで傷害ということが目的だから、傷害の故意があるから、したがってそれの未遂として傷害の未遂罪を設けた。こういうような御説明だったと思います。ところで、その場合に、いわゆる着手して遂げない、切りつけたという場合と、第一条の、いまでは一項でありますが、「兇器ヲ示シ」というのがございますね。これはただ示しただけならば、もちろん第一条によって「三年以下ノ懲役又ハ五百円以下ノ罰金」、こういうことになっておりますが、いま言ったように切りつけるということになると、傷害の未遂で、第一条ノ二の二項で処罰される、こういうことです。ただ、その区別が私はなかなかむずかしいと思うのです。実際の運用にあたっては、切りつけたのだ、あるいは凶器を示したのだということがあると思うのです。凶器を示しただけならば、第一条の、現在は第一項によって、いま言った刑罰、ところがそうでなくて、切りつけて遂げなかったのだということになると、第一条ノ二の傷害の未遂になる、こういうことです。その限界がなかなか実際の捜査の面でむずかしくなるのじゃないかと思う。示しただけだ、いや、振り上げたのだ、こういったものが、既遂になってしまえば別ですが、未遂の場合は、第一条と第一条ノ二との間の区別がなかなかむずかしいのじゃなかろうかと思う。これはどうお考えですか。
○竹内(壽)政府委員 そこのところがむずかしいのじゃないかという御質問でございますが、ピストルの場合でございますと、ねらっただけではまだ着手になってないわけでございまして、発射をして、たまがねらいが悪かったためにほかへそれてしまったというような場合が着手して遂げなかったものに当たると思いますし、それから刀の場合でございますと、ただかまえただけでは、これは凶器を示した程度になってしまって、まだ着手がないわけで、用法に従って切りつけるとか突くとかという行為があって初めて着手があるわけでございますから、そこは事実認定の問題になりますけれども、示したことと切りつけたこととの区別がつかないというようなことは実際問題としては起こらないと思いますし、この解釈は、私どもこれが法律になりました暁におきましては、厳格に運用してもらうように解釈通牒を出しまして、これは法律ができますと必ずやりますが、そこのところは刑が重いことと、「用ヒテ」という意味が、手段としてという意味じゃなくて、用法に従ってという意味でありますから、おのずからこの着手があったかないかということの点は明確にいたして、その辺の間違いは事実認定の面で起こらないように処置してまいりたいと思っております。
○畑委員 次にお尋ねいたしたいのは、前から問題になっております常習のことでございます。第一条ノ三は、常習として刑法第二百四条、第二百八条、第二百二十二条または第二百六十一条の罪を犯した場合で、人を傷害したときは一年以上十年以下、その他の場合においては三月以上五年以下の懲役ということになっております。すなわち暴行、傷害、器物損壊、脅迫、こういう罪を常習として犯した場合の規定でありますが、まあこれも初めての規定で、いわゆる常習犯としての新しい規定なんですけれども、暴力団の場合などはこういうものを規定する必要があろうと思う。ところが、この法律がやはり同時にまた大衆運動の場合にも適用される。もちろん、第一条とは違うんですね。違うんですけれども、しかし、大衆運動の際にもこういった危険があるわけです。もちろん堂々たるりっぱな犯罪なら別ですが、先ほど来も田中さんも言われておりましたように、足を踏んだとか、ちょっとしたことで偶然の機会でかすり傷を負ったということ、もみ合いの場合に起こったというようなことでも、これを常習としてやればこれで取り締まれる。先ほど来の刑事局長の御答弁だと、前にそういったことで労働組合の幹部等が一度や二度暴行あるいは傷害等のことになっても、これを常習として習癖と認める場合はほとんどない。だから心配は要らぬというように覆われた。ところが、常習というのは御承知の判例で大体きまっております。たとえ十年前に前科があったということでも、常習と認定されることもある。またさらにそういったことをやる、繰り返してやる習癖だ、こういうふうになっておるのですが、大衆団体の場合にも、これがやはり常習ということで適用される危険が非常に多いというのでわれわれは心配をいたしておる。その点をもう一度、その心配がないかどうか説明してもらいたい。
○竹内(壽)政府委員 この現行法の第一条二項は、常習傷害という規定がございませんけれども、常習暴行罪というのはありまして、過去四十年間この規定が厳存してまいったわけでございますが、この間にいまの労働運動、大衆運動、農民運動等にこの法律が適用されたと言われるのでございますけれども、この常習の規定は、私の調査が粗漏かもしれませんが、過去においてそういう運動の際に活躍をした活動家といいますか、そういう方に適用した例が、私の知る限りでは一件もございません。これは一体何であるか。形の上はいかにも前科等が参考になって常習性が認定されるのでございますから、こういう前科を幾つか持っておる活動家が常習性を認定され得ないはずはないではないかというようなことが、やはり御疑念の根底にあるかと思いますが、しかし、実際には適用を見てない。それじゃ、なぜ適用を見てないかということをよく掘り下げて考えてみますと、ここにいう常習というのは、行為者の一つの属性であるというふうに従来言われておるわけです。その行為者の属性という意味は、行為の属性じゃないのです。そこで、私は先ほど来累犯という考え方を入れますことについて非常な疑念を持っておるわけでございますが、行為の属性ということになりますと、何回も同種の犯罪を繰り返すという行為が重なってきたということでもって累犯性を帯びてくるのでございますから、これは考え方によりましては、そういう規定がありますと、活動家も決して適用の外にあるとは私、言えないと思うのでございますが、そういう行為じゃなくて、行為者の属性だということの従来解釈になっておりまして、これは犯罪を繰り返し繰り返し行なう、そういう習癖というものがからだについておる人、そういう犯人を刑事学的な観点から、そういう者の処遇という観点から、常習犯という概念が生まれてきたと思うのでございます。そういうふうに見てまいりますと、活動家があるいはスケジュール闘争で出て行ってやったかもしれませんが、反復しておるのはスケジュールにそうなっておるから反復しておるのであって、その習癖として反復しておるということではないと思うのであります。そういうことでこの常習犯の規定がそういう活動家に従来も適用されてこなかったと私は思うのであります。私は、このことは将来も同じように考えていいんじゃないかというふうに思っております。したがいまして、活動家は、ほかに大衆運動とか労働運動とかいうものを指導しようとしての活動家であって、暴力団の構成員等にしばしば見受けられますような、ほとんど理由なく傷害を犯すとか、暴行を犯すとかいうあの習癖、あれとは私は全然性質が違うものだと思うのでございます。こういう点は、過去四十年間の裁判の運用を見てまいりますと、一件も適用がないということが示しておりますように、私の理屈じゃなくて、これは実例によって実証的に私は言えることだと思うのであります。その点から見ましても、この常習性というものの解釈は、そんなに広いものじゃないということが言えると思うのでございます。むしろ昭和二年の判例を見ますと、何かかなり広そうに理論としては見えるのでございますが、適用の面では、私はむしろ非常に狭い、そうして常習性を認定しますことは、裁判所としてはかなり慎重であるということが言えるのでございます。それの慎重でありますのは、常習性ということからも二つくるのであります。もう一つは、これによりましてすべての犯罪がその中に入ってしまう。したがって、あとになって思わない犯罪が発覚したといたしましても、そのあとの思わない犯罪にまで既判力が及んでしまって、重ねて処罰することはできない。これは常習性からくる当然の帰結でございます。そういったこともありまして、常習性の認定は裁判所も慎重にかまえておるのでございます。そういう点から考えてみますと、この常習性の規定が大衆運動、労働運動の活動家にまで及んでいくのではないかというような御懸念は、私はまず杞憂であるというふうに考えておるのでございます。(「私は、じゃだめだ」と呼ぶ者あり)
○畑委員 いま、私はじゃいかぬというようなやじも出たくらいでありまして、どうもその辺がやはり乱用の危険があるのではなかろうか。いま刑事局長が言われたとおりに、末端の警察官もそう考え、また検事もそう考え、それから裁判官もそういうふうに考えてくれるのならば、まさか労働運動の活動家がそういった属性を、習癖を持っておるというふうには考えないと思うのですが、しかし、これがなかなか、常習と、こういいますと、特に末端の警察官などは、その点の理解というものが足らない。幾らここで刑再局長が、そういった刑事に関する当局の最高的な立場におられる技術者としてそう言われても、なかなかそこがやはり私は心配になるのです。ともかくその辺は非常に微妙な問題でありますから、必ずしもこれについてだけでなくて、ひとつ十分に乱用を戒めてもらいたい。
 それで、また一つは、いままでの第一条の二項が適用された例がない。おそらくこれは労働運動に携わる人たちでなくて、暴力団にも適用がなかったのではないか、こう思うのです。というのは、やはり第一項の場合と科刑が同じであるから、したがって起訴するほうでは妙味がない。したがって、やるものならもう第一条の二項に従ってやってしまう、あるいは各本条に従ってやってしまうというようなことになるので、そういう結果が出たのではなかろうか。その点も大いにあると思うのですが、その点どうでしょうか。
○竹内(壽)政府委員 仰せのとおり、現行法のもとでは一条一項と二項とが同じ法定刑になっておりますので、まあ妙味ということばがいいかどうかわかりませんが、妙味がないということになろうかと思いますが、そういう意味で週刊は非常に少なくなっております。しかし、大都市ではほとんど適用を見ておりませんが、地方へ参りますと、まだ年間数十件ずつ起訴されておりまして、裁判でも出ておるのでございまして、これらにはおそらく暴力団だけが適用されておるような状況だと思います。私、戦前のことはわかりませんが、戦後ここ数年間の統計を調べてみますと、先ほど申しましたように、労働運動に従事する活動家等の人たちに適用した例は一件もございません。これははっきりと調査の結果わかっております。でございますから、あまり問題にならぬと思います。かりに今度は刑が重くなるから大いに今後は活用されるというふうに――私はそう考えておりませんが、かりに活用されるといたしましても、常習ということの考え方はもう四十年来確立してきた概念でございまして、これは刑が重くなってくるから暴力団等に適用する場合が多くなってくるということになるのであって、それがひいて乱用にわたるというようなことは、これは条文にこそ書いてございませんが、そこが刑法の規定のいいところでございまして、体系的な位置からいたしましておのずからそういう限定が解釈上出てくるのでございます。したがって、これはもう乱用のおそれはない。むしろ私はこの常習という点のほうは活用してもらいたいとは思っておりますが、そう活用の道が開けるかどうか、むしろそういう点を疑念に思っておるくらいでございます。
○畑委員 その点は、それではそれだけにいたしまして、その次に、この法の改正というか、強化というか、新設というか、それによりまして、御承知のように銃砲刀剣類を用いて人の身体を傷害したる場合には一年以上十年以下、こういうことになります。また、第一条ノ三で、常君として刑法のここに計いてある各条の罪を犯した者で人を傷害したときには一年以上十年以下、こういうことになっております。今度の改正に関する限りではこの二カ所であります。この点が下限が一年以上ということになっております。そうしますと、それから関連して起こることは、よく言われる権利保釈がなくなり裁量保釈になるということです。こういう点で、実は非常に革新糸の法律家などは、このごろ担当する事件がそういうのが多いから、したがって非常に心配いたしておる。こうなると、権利保釈がなくなると、堂々と権利でございますというので保釈を要求することができなくなって、裁量保釈にならざるを得ない。どういうことかわからないで、確かなものでなくて、一応の嫌疑でつかまって、そして保釈を願うと、これが許されないということになると、いろいろなその後の活動にも支障があるし、弁護活動のほうにもまた影響してくるということで、私自身もやはり法律家でございますので、その点心配をいたしておるわけです。人権が非常にそこなわれるのではなかろうかという点で心配いたしておるわけでございまするが、これは、むしろこういうふうにすることがねらいであったというような意見もあるわけです。しかし、当局のほうの意見は、こうしたことに基づいて必然的に起こってきたこれはやむを得ない結果だ、これをねらってやったのではない、こういうような御説明がいつかあったような気がいたすのです。しかし、それは権利保釈でなくなることは事実です。暴力団のほうの関係をやるにいたしましても、暴力団の関係では、お礼参りというものを禁止する趣旨で保釈の規定が一つふえました。そしてそれを理由に権利保釈でなく裁量保釈としてやるということになっておるのですが、それによっても暴力団の保釈は防遏することもできる、常習という場合には常習でもできる。こういうことなのでありますが、その辺の事情はどうなんですか。
○竹内(壽)政府委員 お礼参りの点から、国民一般の善良な市民と申しますか、そういう方々からの強い要望といいますか、私どもが世論として理解をいたしておりますのは、暴力団の団員が検挙されまして勾留されたかと思うと、またたちまち出てきて非常にこわいのだ、あれをもっと長く置いてもらう方法はないものだろうかというようなことが世論のように私は承知しておるのでございますが、御指摘のように、お礼参りのおそれのある行為をする被告に対しましては、すでに手当てをして、裁量保釈になっておりますし、また常習的な犯罪に対しましては、これまた権利保釈から除外されておる現状でございまして、今回の改正で、ことさら権利保釈から幾つかの罪を裁量保釈に切りかえるということをねらった立案はいたしておらないのでございます。しかし、この武器を用いての傷害と、傷害の常習者、この二つにつきましては、刑の点から現いまして、これは一般の傷害や、普通の常習の暴力行為とは違った評価をすべきことは当然でございます。その結果として一年以上という刑がここへ出てまいりましたので、その反射的効果と申しますか、一年以上の罪に当たる者につきましては裁量保釈と、権利保釈から除外されておるという刑事訴訟法の規定と相まって、結果論的に申しますと除外されたことになるのでございますが、そういう意味で、これは結果的にそうなったというふうに御理解を賜わりたいのでございます。ただ、結果的ではございますが、世論の要望するところには私は一致するものであろうというふうに考えております。
○畑委員 次に進みますが、今度この法の改正に従いますると、いままでの裁判所法によると、こうした一年以上という罪は、御承知のように三冬の合議制の裁判官によって裁判されるべきが相当である。ところで今度同時に提案された裁判所法の改正案によって、これが合議体でなくて一人の裁判官でもできるようにしてあります。その提案の趣旨の説明によりますると、比較的簡単な事件であって、しかもまた犯罪の数も多いから迅速に処理する必要がある。こういう二つの理由で、強盗などと同じようにこの例外規定の中に入れてあるのでありますが、しかし私は、これはやはり問題だと思うのです。学者も、人によっては反対をいたしておるようでありまして、三人の合議体でやってもらうことは一つの権利である。憲法に基づいて裁判所法ができた、その裁判所法に基づいて一年以上の非は合議体でやるということに本来なっておったが、だんだんこれが便宜的に切りくずされてまいりまして、次々と一人の単独制でよろしいということになっておるのでありますが、これは本来的に考えると重大な問題ではなかろうか、人権の擁護という意味からは重大ではないだろうか。やはり三名の裁判官が合議をするということは、それだけ慎重を期さなければならぬことでありまするし、三人寄れば文殊の知恵と申しまするが、そういう点でもやはり人権の尊重のための規定――重罪であるだけに慎重に処理しなければいかぬという理由から、憲法に従ってこの裁判所法ができたのでありますから、これをそう簡単に動かしてもらいたくないのです。それが一つと、また今度改められる予定になっておりまするものには、御承知のように銃砲刀剣熱を結局どう解釈をすべきかという問題もある。それから傷害の未遂罪という新しい類型もできた。それからまた、さらに常習として暴行、傷害、脅迫、器物毀棄、これを取り締まる法規ができることになる。そういうことになりますると、いずれも常習の認定もむずかしいし、未遂の認定もむずかしい、また銃砲刀剣類というものの認定もむずかしい問題であります。これをやはり単独の判事でやるということは、私は大いに問題があろうと思う。迅速にやるということは当局の都合、政府の都合でありましょうけれども、やはりそういう点で慎重にするためにこそこの合議体の制度があるのでありまするから、例外としてまたこれも認めるということになりまするのは、やはり人権の擁護という点で大いに欠けるところがある、かように思うのです。一方においては一年以上とし、それで権利保釈はなくし、そうしてまた審理のほうは単独制で簡単に迅速にやれるということだと、私は、たとえこれは暴力団をねらってのことであるといたしましても、人権の擁護という点で欠けるところがあるのではなかろうか、かように思うのでありますが、この辺について、これはひとつ法務大臣に、せっかくお待ちになっていらっしゃるのですから簡単にお聞きしたいと思います。
○賀屋国務大臣 繰り返して申し上げまするように、常習につきましても、また用いる凶器の範囲につきましても明瞭でございますし、未遂であるかないか、これはこの間も問題になった点でもございますが、こういう点はすべての犯罪に共通の問題でございまして、本件のみが特にむずかしいというよりも、繰り返して申し上げますように、常習であるという点、また用いる凶器の範囲は、むしろ明らかなものであり、未遂などにつきましても、これまでのように厳重に考えられますと、例の島津貴子さん事件につきましても、すでに犯罪の着手ありと考えたいのでございますが、なかなか検察官、裁判官のほうでも厳格に考えていくということ等々で、ああいう営利誘拐罪の立法もお願いしましたような次第であります。特に本件は非常な複雑な、デリケートで、どうしても三人の合議裁判でやらなければならぬものとは、一般の刑事裁判の実情から見まして、そうは考えられないのでございまして、御承知のように事件の複雑さが加わりますときには、合議制でやるという道も開いておりますので、単独制でやれるという道はあけるほうが実際的ではないか、こういう判断に立っておる次第でございます。
○畑委員 最後にもう一つ御質問いたしたいと思います。
 これは実は直接条文のことではないのでありますが、いままで適用になった、おもに第一条の一項のことです。この法律の運用に関連をして、労働組合法の一条二項と刑法三十正条との関係、これは御承知のようにポツダム宣言を受諾をいたしまして、こうした労働運動等を制限する法規はいかぬということになったわけです。この前にもほかの方が言っておりましたけれども、最初に昭和二十年に労働関係の法律をつくるために、労務法制審議会でしたかに諮問をいたした。そのときの諮問に対する答申は、刑法と一緒にこの暴力行為等処罰に関する法律も、正当な労働運動には適用しない、最初は正当なというふうな注釈はなかったが、正当な労働運動には適用しないというような答申であった。
  〔委員長退席、三田村委員長代理着席〕
ところが、それが政府のほうの段階になって、いまの労働組合法の第一条二項のような規定になった。いわゆる正当なる行為ですか、それは免責するのだというような規定になっております。同時に、またもう一つただし書きがあって、御承知のように暴力行為等なんかを認める趣旨ではない。こういったようなただし書きもついておりますが、いずれにしろ、その根本精神というものは、労働組合運動の健全な発展を期するために設けられた法規でありまして、その場合には三十五条を適用するということであります。ところが、その正当な行為ということが非常に問題であり、実際の運用にあたっては、はたしてどこまでが正当な行為であり、どこから以上があなた方のよく言われる越軌行為であるかということの区別が問題です。これによって、範囲の区別によって、われわれの側から言わしむれば乱用の問題も起きるわけです。先ほど賀屋法務大臣は、われわれは乱用した覚えはないと大みえを切っておりまするけれども、われわれの目から見れば、無罪の件数が相当多い。特に労働問題に関しては無罪になった例が多い。ということは、すなわち、無理をしてこれもそうだ、これもそうだというので、越軌行為であるということで起訴をした結果、さすがに裁判所においてもこれは越軌行為ではない、正当な行為だということで無罪になった例が多いのであります。したがって、先ほど私も賀屋さんの答弁を聞いておったんですが、乱用した覚えは――乱用したとは言いづらいと思いますが、乱用にわたることがあったかもしれぬという程度の答弁こそ実際は望ましいのだと思う。しかし、これがいままで非常に問題になっております。ちょっとしたことで、これは暴行だとか、あるいは傷害だとかいうことになる。団体交渉をやる場合に、やはり労働組合として何とかいい労働条件をかちとりたい、あるいは相手の不誠意をなじるというようなことでテーブルをたたいて大声を張り上げるというようなこともあろう、また団体交渉を拒否して、使用者側がきらって立ち去るというようなときに、まあ待ってくれというようなことでその肩をつかまえるといったときに、それが暴行になったというような例もあるわけであります。しかし、やはりこれは何としましても区別は――暴力団の場合には、先ほど刑事局長の言われるように、そういう属性を持っている人が大体やっておるのでありますから、しかも凶器を持っていったりなんかする者は、もうそのつもりなんですが、ところが労働組合の場合には、労働組合の一般的な行為として、正当な行為としてやる。その場合に、ちょっと足を踏んだり傷つけたりということがあるかもしれぬけれども、それはあくまで暴力団がやる場合とはだいぶ違って、いわば偶発的な行為だと思う。これが、私たちに言わしめれば取り締まり当局によって乱用されている場合が非常に多いので、やはり取り締まりの局に当たられる人たちが、これをよほど考えてもらわなければならぬ。たとえば、これはもう極端な例ですが、暴力行為等処罰に関する法律がきめられた直後に、そういった小作争議や労働組合あるいはまたさらに水平運動等には使わないんだ、こういうような答弁をよく大臣が言われて通過した直後に、わずかの間にこの法律適用第一号があった。それは小作争議だった。しかも、私はこの間はしなくても、この暴力法が問題になっておるので、識者の会で話したのでありますが、これが適用第一号が社会党の石田宥全さんである。かつまた参議院の武内五郎さんがこの第一号だったそうであります。過去を思い出して、この間九段からこちらへ来るバスの中でそれを承ったのでありますが、武内さんのごときはどういうことでひっかかったかというと、この法律ができてから、私は日本農民組合から参りました、こういうことを言ったということで、多衆の威力というか、団体の威力を示したということで起訴になって裁判になった。こういうことを聞くに及んで、なるほどこれはひとり歩きもするし、乱用される機会が多いというふうに思ったのであります。現に最近労働組合にも相当適用されておる。それは中には確かに越軌のものもあると思うのでありまするが、これはやはりそういう大きな立場で解釈し運用しなければいかぬのじゃないか。ところが実際には、あの組合をひとつやっつけてやろう、何とか取り締まってやろうということが先に頭に入っておって、それに基づいて、何かないかということでさがしてやる場合が実際は多い。こういう例が多いのであります。したがって、この刑法の一十五条、それから労働組合法の一条二項との関連で、この暴力法の場合もその点が、その境目がなかなかむずかしい。よほどこれは考えてもらわなければいかぬ。こういう意味で、むしろこれはわれわれにとっては労働組合の弾圧法だとさえ言われておる。現に労働組合関係の労働争議にこの暴力法が適用されておるのが約二〇%ほどございます。傷害罪が約三〇%というようなパーセンテージになるに及んでは、やはり関心を持たざるを得ない。今度の改正はそれと直接関係がないのだ、こういうふうに言われるけれども、やはり間接的には暴力行為ということで常習等については関連がないわけではない。各本条の常習あるいは本法第一条ノ三の常習の場合にも、各本条との関連で従来の一条とは関係がないと申しましても、やはり労働運動に適用される部面が相当多い。この点はひとつ十分に気をつけてもらいたいけれども、過去においてそうしたきらいがあったとお考えになるかどうか。もしそうでないといたしましても、この点につきまして将来ともに法務大臣その他刑事局といたしましても、そういったことで今後十分な戒心をする考えであるかどうか、この点を最後にお伺いいたしまして、私の質問を終わりたいと思います。
  〔三田村委員長代理退席、委員長着席〕
○竹内(壽)政府委員 過去のできごとについての御質問をだんだん伺いまして、御趣旨の存するところはよくわかるのでございます。御案内のとおり戦前におきましては、現行憲法の二十八条のような保障規定がございませんので、争議行為あるいは農民運動の正当性という問題は、実はそのころはなかったと思うのでございます。観念的にはわかりましても、法律事項として正当性ということを論ずる余地がなかったように思うのでございますが、戦後におきましては、憲法二十八条との関係から、その間の法律関係というものは労組法一条二項、御指摘のようなことになっております。したがって、いまはやはり争議行為が正当なものであるかどうかというその正当性の問題というのがやはり一つの問題点でございまして、過去におきまして、この正当性をめぐって組合側の御意見と政府側の意見との間に食い違いがございました。それが幾つかの事例となって、あるいは判例となったのでございますが、この問題は、私の見るところでは、過去のたくさんの実績を重ねてまいりますうちにだんだん明らかになってきたと思うのでございます。この正当性の限界がはっきりしてまいりますと、その次に適用を見るか見ないかという問題もおのずからこれははっきりしてくるのでございます。たとえば公労法でもって、三公社五現業が争議行為を禁止せられておるが、罰則はついておりません。禁止せられておるけれども、なお正当性があるのだというような御議論がいままでいろいろ問題になったのでございますが、いまや、その点につきましても、判例ではっきりしてまいっておるのでございまして、やはり正当性の問題を具体的に積み重ねて解決をしてまいりますと、今度は正当性のない場合に、暴力行為処罰の法律が適用があるのかないのかという問題になってくるのでありまして、その点は過去の戦前の事例は詳しいことはよくわかりませんが、戦後におきましては、そのような点からの疑問は逐次解消して正しい方向に法律が運用されていくものと考えております。もちろん、この運用につきましては、先ほども申しましたように、御質疑のありました趣旨等は速記録によって明らかでございますのが、この運用の衝に当たります警察官、検察官ともに、国会で議論になりましたところをよく頭に置いて、運用に過誤なきを期していくことと私は思っておりますし、そういう趣旨の通牒も出しまして、遺憾なきを期してまいりたいと考えております。
○濱野委員長 松井誠君。
○松井(誠)委員 私は、この法律案について具体的にお伺いをする点と、もう一つは暴力対策一般についてお尋ねをする点と、二つございます。
 その前にひとつ委員長にお願いをいたしたいのでありますけれども、この前私はいろいろな資料の要求をいたしました。そしてそのうちで、一つは外国の暴力団の実情、それに対する法制的な状態というものについても、資料をいただきたいということをお願いをいたしたわけであります。いただいた資料は、つまり団体規制、暴力団を暴力団としてつかまえるということを主にした法制と、それの説明はございます。しかし私は、そのときに申し上げたのは、暴力団を団体として規制をする、これは局長がいままで御答弁の中で何度かおっしゃられておったことなんです。そのことは私もわかっておりますけれども、暴力団を団体として規制をする法制がどうかということではなくて、つまり暴力団、暴力犯罪に対してどういう法制を持っておるか、これはなるほど現在の資料には断片的な条文は載っておりますけれども、それをひとつ総合的に説明をしたものがほしいんだ、そしてその前提になる外国の暴力団、あるいは暴力犯罪の状況というものについて、なかなかあるいは資料がないかもしれませんけれども、できるだけひとつそういう状況についての資料をいただきたいということを申し上げたつもりであります。その点が出てないわけです。私は何もないものねだりをするつもりではございません。あとでいろいろ申し上げますけれども、日本の暴力団の組織というのは、古来からの日本の非常に特殊な、封建的なばく徒とかテキヤとか、そういうものと、それから戦後一般的な世界的な風潮としての非行青少年、そういうものと、二重写しになっておると思います。したがって、そういう戦後の非行青少年の問題については、言ってみれば、世界的な共通の対策というものがおそらくあるだろう。しかし、日本の特殊なそういう土壌に育ったばく徒とかテキヤとかいうものについては、それはそれなりに日本としての独特のいわば対策というものがなければならぬではないか。そういうことを考えると、やはり外国の暴力組織、外国の暴力犯罪の実態というものと日本のそれとを比べてみるということが必要なんです。そういうことで申し上げたのです。ですから、おそらく法務省としても、早急にそういうものがまとまるというようにはできないかもしれませんけれども、しかし少なくともまとめ得る資料というものは手元におありだろうと思う。こういう法制をつくるとき、しかもこれが非常に政治的な重要な問題になっておるときに、日本のそういう暴力犯罪というものが世界的な立場でどういう地位を占めるかということについても、おそらく十分御検討になっておると思う。ですからそういうものを、まだ時間がございますので、ひとつ早急にお出しをいただきたい。このことをひとつ委員長を通して繰り返しお願いをいたしておきたいと思うのです。
○濱野委員長 松井君に申し上げますが、さきに配付されましたフランスなどの法制例、立法例、運用の状況、これはお手元にいっているわけですけれども、それから暴力団の実態というのはまだ出ていませんけれども、これはなかなか困難らしいのです。これでひとつがまんしてもらいたいと思います。
○松井(誠)委員 竹内さん、いかがですか。外国の暴力犯罪の実態、あるいは外国の組織暴力の実態というものはおわかりだと思うのですよ。
○竹内(壽)政府委員 御趣旨を曲解したわけではございませんで、御趣旨のあるところは、私もこの前御要求の際によく理解したのでございますが、私どもの勉強不足もありますが、大体におきまして、ヨーロッパにおきましては、今日ではいわゆる組織的な暴力団とわれわれ考えておるようなものは存在いたしておらないようでございます。それからアメリカにおきましては、やはり不良団といったようなものは、これはあるようでございますけれども、いわゆる親分子分といったようなつながりのあるいわゆる組織的暴力団、こういうものは一九三〇年代から四〇年の初めにかけましてばっこいたしましたが、今日ではそういう種類の暴力団はほとんど影をひそめてしまっておるというふうに聞いておるのでございます。したがいまして、そういうものを対象とした立法例ということになりますと、先般とりあえずかき集めて差し上げました、いわゆる暴力団の組織そのものを対象とした立法例ぐらいしか私どもの目に映ってこないのでございまして、もちろん、それも過去のものではございますけれども、なおわれわれにとっては参考になると思いまして、立案の過程において、暴力団の組織そのものを対象とした立法の可能性を探究します際に、それらも参考にいたしたのでございまして、そのメモをとりあえずリコピーにかけましてお手元にお届けしたのでございます。何か外国には日本におけると同じような暴力団対策用の立法例があるかというような御希望であったことはわかっておるのでございますが、そういうものは、いまのような事情で私どもの視野には入ってこない状況でございますことを御了承願いたいと思います。
○松井(誠)委員 いまのお話しのように、諸外国には日本のような形態の暴力団というものは少なくとも現在はないということがわかるということ自体が、私は非常に意味があると思う。ということは、つまり、日本だけなぜこういうものが依然として残っておるか、残っておるだけではなくて、それがますます猛威をふるってきておるのかという、そのことを考えるためには、ぜひ外国の状態というものは必要だと思う。いまの局長のお話のように、少なくとも不良青少年というものはあるけれども、しかし、それがグループをなすという形にはなかなかいかないという状態そのものも、日本のいわゆる青少年の非行の現象というものとちょっと違う。それだけでなしに、ばく徒とかテキヤとかいう非常に古くさい形態というものは、これはまさに日本独特だということ、このことをはっきりさせることが暴力団対策の一つの出発だと私は思う。
 それからもう一つ、資料の点について申し上げたいのですが、政府が昭和三十六年の要綱に基づいて施策を行なった、その具体的な施策についての資料をお願いをしたのでありますが、これはけさとりあえず私に一部いただきましたけれども、ほかの委員にはこれが配付されておりません。このことをひとつはっきりさせて、早急にほかの方々にも配付をしていただきたいと思うのです。
 そこで、大臣何かお急ぎのようでありますので、とりあえず大臣に関する部分を最初にお尋ねをいたしたいと思います。
 最初にお尋ねをしたいのは、この暴力団対策あるいは暴力対策というものについて、政府が具体的にどういう姿勢で取り組んでおるのだろうか、こういうことが実はわれわれにはかいもく五里霧中なわけです。先ほど来いろいろな抽象的なお話はいただきましたけれども、これは政府がいままでつくった抽象的な作文の繰り返しにしかすぎない。現実に具体的にどういうような形になって動いておるかという、そういう生き生きとした姿というものは、どうしてもわれわれにはわからない。ですから、この法律案が暴力対策の一つの要素だと覆いながら、やはりわれわれの目にはこれが暴力対策の全体であるかのような印象しかない。昭和三十六年に政府は具体的な暴力犯罪防止対策要綱というものをおつくりになった。この暴力犯罪防止対策要綱というものができ上がったときの、暴力犯罪というものに対して政府は基本的にどういう姿勢で臨もうとしておるのかという、基本的な考え方を私はお尋ねをしたいわけです。逆に言えば、日本の暴力犯罪というものがどうしてこう年年歳々ふえてきておるのだろうか、その原因を一体政府はどういう形で受けとめておるのだろう、ほんとうの原因はどこにあるとお考えになっておるのだろう、そういうことがこの対策要綱ではほんとうはわからない。どこに焦点を合わせて何をしようとするのであるか、必ずしもはっきりしない。そこで大臣にお尋ねをしたいのですが、暴力犯罪、私はもっと具体的には暴力団犯罪と言ったほうがはっきりすると思いますけれども、この暴力犯罪について政府がそれを防止をする基本的な焦点というものはどこに置こうとするのか。もっと具体的に言えば、取り締まりというものが全体ではないにしても、取り締まりに重点を置くのか、あるいはそういうものが生まれてくる、よってくるところのいろいろな社会的なあるいは経済的な、あるいはまたさらに政治的なそういう根源がある、そういうものに防止対策の目を向けようとするのか、焦点を向けようとするのか、一体どちらにあるのだろうか。どっちにもありますという答弁ではなしに、焦点を一体どこにしぼるのかということをまず最初にお伺いをしたい。
○賀屋国務大臣 おことばにそむくようでございますが、全部に自を向けておるわけでございます。そうしなければ、これはやはりいけない問題だと思います。それでいまの法制的な面におきましては、ただいま御審議を願っております法律、なお銃砲刀剣類等所持取締法の規則なども、これにやはり非常に役立つ一つのものであると思います。と同時に、警察のほうからもお話がございましたが、警察の事前の犯罪の防遏、事後の検挙、その他再犯についての各種の予防的措置、これにはむろん非常に重点を置いておるわけでございます。それから少年院や刑務所の中におきます訓練と申しますか、また同時に、一面には正業につくいろいろの職業的の訓練の準備、そういうものも大切でございます。
 それから前にも申し上げましたが、完全にすべてのそういう犯罪者がノーマルの人間とばかりは思いませんので、精神的の障害、弱点、変質的の者はなかなか多いのでございますから、今後は――いまもやっておりますが、特にそういう点に重点を置きまして、犯罪を犯した者などのそういう精神的の状況を調べ、それに対応するような処置を、改善の処置、治療その他をとっていくということも大事でございます。それから犯罪を犯し、あるいは少年院に送られました者の、出ました後の保護観察、これにまた重点を置いて進むわけでございます。
 同町に、教育とか社会全般の空気と申しますか、気分というものは、容易に暴力犯罪を犯すような状態にあり、あるいはそういうことを非常に慎まなければならぬという、こういうふうな道徳水準を高くするという点にはむろん力を置いておりますので、これは暴力犯罪のみではございませんが、一般の青少年の非行その他に影響を及ぼします不良文化財、テレビ、ラジオあるいは映画、出版物等に対しましては、各府県におきましてもすでに半数以上のものが、府県の権限であります範囲内の条例等を定めまして、こういう影響を防ぐということに力を尽くしてまいっております。ただ、申し上げますように、私どもは一方いろいろな意味の権利の尊重、不当な干渉にわたることを避けますために、強制的に各府県に条例を必ずつくれ、そういうふうなものの指導はむろんいたしませんのでございますが、各府県ともに世の中の現状を見まして、逐次こういうほうに力を尽くしてまいっている次第でございます。また、文部省などにおきましても、最近道徳教育につきましていろいろ指針を示しておるようでございます。ただ、これも御承知のように、ただいまは文部省が教育内容を直接きめて押しつけるという状態でございませんので、ときに隔靴掻痒の感がございますが、そういう意味におきまして、大体そういう方面の道徳水準が高まりますように手を尽くしつつあるわけでございます。
 そういうふうに、病気をなおしますのに、一般の健康状態、体力の衰えを防ぎ、増進するというふうな間接的の面もむろんゆるがせにできませんで、ただこれが実効が、いま薬を飲んでよくなるようにはいきませんが、やはりその点も重点を置いている次第でございまして、やはり直接には刑罰法令及び警察の取り締まり、それから犯罪者の処遇、アフターケアということばがこれに入りますが、特にそういうほうに力を入れてまいりたい、かような次第でございます。
○松井(誠)委員 政府の作文であるこの対策要綱を何度羅列をされてもはっきりしない。というのは、私が冒頭に申し上げましたように、日本にだけなぜ一体暴力団というものがはびこるのかということを考えなければならぬ。そして、そのいろんな原因から暴力団が生まれてくるような種がまかれておる。そのまかれてきた種から当然芽がはえる。芽ももちろんつまなければなりませんけれども、種をまくこと自体を抑える必要があると思う。なぜ一体日本にだけ暴力団がはびこるのか。これは出てきたその芽が特に多い。日本の警察が特に無能だということではないと思う。そうじゃなしに、幾らつんでもつんでも出てくる種をまくその原因があるのではないか。問題は、やはりそれをはっきりさせることが暴力団対策の基本ではないか、そういうことを私はお尋ねをしたいのです。繰り返しますけれども、どこの国でもあるという現象ではない。なぜ日本にだけあるのか。そうすると、日本の警察が特に弱体だというのか、そうじゃないでしょう。つまり種をまく機構というものが多過ぎるということに、そういう特殊な日本の状況というものに原因があるわけでしょう。ですから、それを一体どう考えて、どう処置をされようとするのか、その基本を一体どうお考えになっておるのか、そのことをお尋ねしておる。
○賀屋国務大臣 その点につきましては、日本には昔から長所と弱点がございます。いわゆる任侠の徒と暴力団的のものとほとんど混合しておるというか、混在しておるような歴史もわれわれは承知しておるわけでございます。それと、自分がいいと思うことは直接行動に訴えていい、法律的に申しますと、自分が悪法と思えば法を破ってもよろしい、犯してもよろしい。それから自分が正しい、相手が悪いと思えばぶんなくってもよろしいという気風がどうも日本には昔から多いんじゃないか。こういうことが戦後の法秩序の軽視とからみましてあるのではないか。たとえば戦時中の経済事犯などは、これはなかなか法が守れない状況にあった。だから法を守らないのがあたりまえで、やむを得ぬという思想もございます。これはおそらくやむを得ぬことでございましょうが、そういうふうな法秩序の軽視ということが戦争を境にしましてとにかく現実に非常に起こった。これは日本の昔のいろいろな制度、しきたりというものの改革を要する面がありまして、大いにやりまして、それをやったということの副産物として、一般の道義水準、秩序を守るという観念が非常に薄くなった。これも原因だと思うのでございます。そういうふうな日本の伝統的の、よく言えば非常に単純で正直だ、悪く言えばいまのような秩序を無視して直接行動に出るというふうな気風と、戦後のそういういろいろの社会秩序――法ばかりではございませんが、徳にしましても、法にしましても、これを軽視するというふうな風潮、それがいろいろなところで培養されました一つの根源ではないか。また戦時中、戦後の生活の困難な際に、まず生きなければならぬというためには、何をしてもいい、こういうような観念も加味されて、その尾をいま引いているのではないかと思います。結局、これは全体として社会生活の秩序を守っていかなければ、お互いの人権も守れない、最大多数の最大幸福は得られないのだ、社会生活、集団生活の意義がほんとうに自覚されて、秩序を重んずるという精神をだんだんに涵養していくのが基本だと思うのでございます。その意味におきましては、いま申しましたように、これが直接に人をつかまえて右向かす左向かすということでございませんので、なかなか困難であり、時間を要する仕事でございますが、私どもは、やはりこれが一つの基本的の行き方であろう。しかし、それを待つのみではいけませんから、同時に対症療法的に、いろいろ刑罰であるとか、取り締まりであるとか、またことに生理的、病理的のものには何かの処置を加える、こういうふうにいくほかない。また、回り道のようでございますが、ほんとうにしんぼう強くまじめにそれをやっていかなければならぬ、こう考えておる次第でございます。
○松井(誠)委員 いろいろたくさんおっしゃいましたけれども、その中で、日本の国民が特に何か法律を守る精神に欠けておる、順法精神に欠けておることが一つの原因であるかのようなお話がございました。これは私は、その問題を何か最近の労働運動なり大衆運動にひっかけておっしゃるのだとすれば、非常に的はずれだと思う。その点については、たとえば非常に民主的な要求、当然な要求というものを理不尽に押えようとする、法制ががんじからめになっておる。そういうところに起きる現象であって、これはまさに問題は別だと思うのです。私はむしろ、日本の中にそういう順法精神が欠けておるとすれば、一番大きな原因は、例のばく徒とかテキヤとか、封建時代からやってきた団体というものをいまだに賛美をするような空気が世の中にある、そのことが一番大きい原因ではないかと思うのです。これは警察月鑑という雑誌で、警察関係の新聞記事は全部載っておる雑誌なのですけれども、その中で、毎日新聞が去年の十二月二十一日に載せた記事の中に、たとえばこういうのがある。これは例の田中清玄氏の射殺未遂事件が起きた。そのときに関連をして、こういうことを書いてある。「「任侠道は人づくりの道に通じる」と、この夏ヤクザの襲名披露の席でぶった代議士がいたが、戦後のグレン隊にはその任侠道もない。」こういう記事があるわけであります。任侠道というものはどういうものか私は知りませんけれども、少なくとも封建時代に武士が支配をしておったときには、町人のそういう抵抗の組織であったと思う。しかし、いまはすっかり変質をして、腐敗をしてしまっておると思う。そういうものであるにかかわらず、任侠道が何か日本古来の美風であるかのような考え方がある。しかし、現在この任侠道をもって任じておるばく徒とかテキヤというものが、率直にいって日本の暴力団の最大の根源だと私は思うのです。そして、そういうものを温存をしておる社会的な、政治的な原因というものがあるのではないか、それが日本の暴力団がますますはびこっておる最大の理由ではないかと私は思うのです。先ほど言いましたけれども、青少年が不臭化をする、これは何も日本だけの現象とは限らない。その不良化をする青少年が、任侠道をもって任ずるばく徒やテキヤと結びついて、それだけに非常に複雑な暴力団の組織をなしておる。これが、暴力団が大きくなって、しかもますます、政府が取り締まろうとすればするほど肥え太ってくる一番大きな原因ではないか。私はその点を開きたい。一体なぜ日本にはそういう暴力団がはびこってなおやまないのか、そのほんとうの原内というものを政府は一体どう突きとめておるのか、そのことを重ねてお伺いをしたいと思います。
○賀屋国務大臣 先ほど来お答えを申したとおりであります。私は任侠がいいからということを申し上げたのではない。そういうような風があるのが、直接行動をするとか、殺傷等をする原因になるということを申し上げたのであります。これを私は否定しておるのでございます。たとえその動機がよくとも、そういう暴力行為をやることはよろしくない、むしろ否定しておりますので、お話しのような、そういう動機さえよければやることは何をやってもいいというような考え方は、ある意味では日本の美風であったかもしれませんが、そういうものをのけて、動機のみならず、やる手段も正しくなければならぬ、法を守らなければいかぬ、こういう観念をどんどん培養していかなければならぬかと思うのでございます。先ほど来、政治の姿勢を正すべしというお話でございましたが、全く御同感でございます。これらもぜひやらなければならぬところであると思っておるのでございます。
○松井(誠)委員 それでは具体的にお尋ねをしますが、これはどこの代議士がどこで言ったのか私は知りませんけれども、任侠道は人づくりだというような考え方は、これは明らかに間違いですね。
○賀屋国務大臣 任侠という考えは悪くないのです。そのために法を犯したり直接行動をやったりするのはいけない。それですから、任侠道は悪いと言うと、私は語弊があると思います。任侠道というのは、動機さえよければどんな手段を用いてもいいというなら、それは絶対にいけません。そういうふうに私は考えておる次第でございます。
○松井(誠)委員 それでは大臣、任侠というのはどういう道ですか。
○賀屋国務大臣 それは私もよくわからないのです。任侠道というふうにばく然と言っておるだけです。
○松井(誠)委員 具体的に言えば、現在の日本のばく徒やテキヤが踏み行なっておる道が任侠道でしょう。そういう団体の襲名披露のところに行って演説をした代議士のことばなんですから、いまのばく徒やテキヤとは関係のない苦の幡随院長兵衛のことを言ったのではないですよ。この代議士は、現在の日本のばく徒やテキヤの持っているその任侠道を、これは人づくりの道だと言った。それがいいかどうかということを聞いているのです。
○賀屋国務大臣 それはいけないにきまっております。ただ、現実にどういう集会にだれが行ったか知りませんが、そういう人が、動機ばかりでなく、悪い手段ばかりをとったかどうか、これは私は存じませんから言えませんが、前に申し上げますように、動機が正義であり、りっぱであれば、手段は法を破って暴力行為をなしても差しつかえない、こういう考えなら私はいけないと思います。
○松井(誠)委員 任侠道というのが問題になりましたけれども、具体的にそのことばを使った人がどういう意味で使ったかはわかりません。しかし、ばく徒の襲名披露で任侠道というものを賞揚したということ、このことははっきりしておるわけです。ですから、どういう環境でだれに向かって言ったかということははっきりしておるわけです。そこから出てくることは、いわばばくち打ちの集団を賞揚するということなんです。ですから、そういう空気がある限り、つまり種をまく者がおる限り、幾ら芽をつんでもしようがないじゃないか。問題はやはりその種をまく者に、種をまく組織に、種をまく機構に日を向けたらどうかということを私たちは言いたい。(「種をまくのは社会党だ」と呼ぶ者あり)いま同僚の議員の中で、大臣と同じように、何か種をまくのはわれわれ社会党だというような意見がある。私はこれほどナンセンスな意見はないと思う。つまり暴力というものを、私はあとで申し上げますけれども、暴力団対策というものにしぼるべきだと思う。日本の組織の中で、日本の現状の中で暴力団がなぜはびこるか。これは社会党や革新的な人たちの運動が暴力団をはびこらしておるのではない。そんなものとは関係がない。暴力団そのものがなくなるということのためには一体どうしたらいいかということをわれわれはいま問題にしておるのでしょう。日本の社会で一体どこのだれが暴力団を助長しておるのかということを具体的に考えていただけばいいわけです。
○賀屋国務大臣 前からお答えしたとおりであります。私は任侠道の定義は知りませんが、とにかく任侠道ということばは、動機がよろしければ千段は悪くてもかまわない、暴力を使ってもいい、殺傷してもいいというなら、これは絶対に悪いです。そういうものは私は悪いと思う。任侠道とは何かという法律上の用語もないようでありますから、任侠道がいいか悪いか、それを答弁しろとおっしゃっても、私はそれは答弁しない。答弁しないで、手段が悪いものは、たとえ動機がよくてもそれはいけません。こう申し上げておるのであります。
○松井(誠)委員 任侠道の話はそれでやめますけれども、それでは、大臣でもほかの方でもけっこうですが、私が先ほどから言っているように、日本の暴力団の特殊性というものは、ばく徒やテキヤというものの存在にあるという私たちの考え方は間違いであるかどうか、日本の暴力団の特殊性として、そういうとらえ方をするのが一体間違っておるかどうか、このことを、どなたでもけっこうですが、ひとつお答え願いたいと思うのです。
○賀屋国務大臣 そういうことも、日本の暴力団などがあります大きな原因でございましょう。ただ、ばく徒、テキヤというものは昔からあるのです。それのみが原因ではないと思うのであります。
○松井(誠)委員 そういうばく徒やテキヤというものは、これは日本にいま存在をするというだけでなしに、そしてそれが現実に暴力団の中心だというだけでなしに、それがまさに日本の特殊性だということ、特殊な状態だということ、これも間違いないですね。
○賀屋国務大臣 特殊性のようでございます。
○松井(誠)委員 ですから、やはり衆力対策というものもそういう特殊性に向かって焦点を合わせるということが必要だと思う。それでは、大臣まだおられるようですから、私は最初に返ってお尋ねをしたいのですが、昭和三十六年に政府が暴力犯罪防止対策要綱というものをおつくりになって、そしてそれによって各省にまたがって具体的な施策をされるということになった。そのときの責任者といいますか、その総司令部は具体的には機構的にどこにあるのですか。
○賀屋国務大臣 まあ総司令官というものはございませんが、最高の責任者は内閣総理大臣で、閣議と申しますか、政府全員が責任を負っております。
○松井(誠)委員 池田さんがこの暴力対策要綱の責任を持って、この全部を自分が現実に統括をされるわけではないわけです。したがって、ほんとうに総合対策というものがうそでないなら、この総合対策の中心がなきゃならぬでしょう。どこにあるのですか、内閣ですか、法務省ですか。
○賀屋国務大臣 総理大臣――各省、名大臣は、自分の所管のことに責任を持ちまして、他の省と連絡をとってやる次第であります。
○松井(誠)委員 各省がてんでんばらばらに施策をやる。それを総合的な観点からまとめるという機構には、これはできてないのですか。
○賀屋国務大臣 てんでんばらばらにやっちゃいません。あなたがてんでんばらばらにとおきめつけになっているのです。そんなことはありません。一生懸命になっておる。各省もなかなか不敏でございますからうまくいかぬ面もありますが、それは連絡をとって一生懸命に協調してやるつもりであります。
○松井(誠)委員 そうしますと機構としては、防止対策要綱というものをつくったけれども、この対策要綱を中心になって推進をする特段な機構というものはない。やはり各省が話し合って、いわば歩調をとりながらやる。それがいままでの現状なんですね。
○賀屋国務大臣 ないないと言われるが、すべての政治は総理が最高の責任者でございまして、各省には連絡をとり、内閣で調整をやっている次第でございます。その中でも、ことに警察関係、法務関係などが直接の面においておもに主管をいたしておりますが、われわれは警察とも始終連絡をしてやっております。その連絡方法等が十分であるかといえば、それは足らぬ面もございましょうが、特にこういう方面には連絡を密にしてやっておる次節でございます。
○松井(誠)委員 よく聞こえなかったのですけれども、そうすると結局、その総合調整をするのは内閣だ、それでは具体的に内閣のどこですか。
○賀屋国務大臣 各省相談をします。また、場合によって閣僚同士で話もいたします。それからまた閣議で問題に出す場合もございます。これはすべての政派がそうで、特に何とか対策本部というようなものをつくる場合がありますが、つくらぬでも重要な政治はずいぶんやっておるのでございまして、ときには治安閣僚会議というものを開いておるときもございます。昨今は別に開きませんけれども、暴力問題は閣議でも始終話が出まして議題になっている次第でございます。
○松井(誠)委員 まだ実は大臣にいろいろお尋ねをしたいのですけれども、もしお急ぎの御用があれば、私は大臣に対してはこれでやめます。
 そこで、どなたになるのかわかりませんけれども、お伺いしたいのですが、この暴力団対策において、私は先ほど来から申し上げておるように、このばく徒やテキヤというものに対する対策と、いわゆるぐれん隊といわれる青少年の不良グループに対する対策というものとは、おのずから差がなければならぬと思うのですけれども、そういう点の区分けをして対策をお考えになっておるのでしょうか。
○竹内(壽)政府委員 私からお答えするのは適当かどうかわかりませんが、仰せのとおり、もちろんこの青少年対策と、いわゆるばく徒、暴力テキヤ私はテキヤというあの中には暴力テキヤということばを使っておりますが、そういうものに対する対策とはおのずからニュアンスがありますことは当然でございます。
○松井(誠)委員 私も限定しないで使いましたけれども、ばく徒というのは生業そのものが不正だから、これでいい。しかしテキヤというものは、いわゆる露天商をテキヤという別名だとすれば、露天商は生業ですから、しかしその中に不良なテキヤがある。そういう限定をして使わなければならぬと思いますけれども、局長の言われるとおりだと思います。
 そこで、いま言われるように非行青少年とばく徒、テキヤというものとはおのずから対策が違わなければならぬ。私は、その違い方というのは、青少年の不良化というものに対して取り締まりの強化ということではなしに、まさに環境の浄化ということにこそ重点を置かなければならぬじゃないか。それと、今度は逆にばく徒とかテキヤとかいうもの――これはもっと根が深いと思うのです。ともすれば政治の壁にぶち当たるような、それほどの非常に深い根を持っておる。ですから、そういうものに対するものとしては、ただ環境の浄化だとかいうことだけでは足りなくて、やはり何がしかの力というものが必要じゃないか。こういうように大ざっぱに言えば言えるのじゃないかと私は思いますけれども、その点の御意見はいかがですか。
○竹内(壽)政府委員 大体先生の御意見に私も賛成でございますが、いわゆるばく徒、暴力テキヤという組織的暴力団の団員の更生につきましても、やはり環境の調整ということは私どもは必要だと考えております。前にここで御説明をしたと思いますが、この人たちがもし短期自由刑しか科せられないためにすぐ出てまいりますと、刑務所を出て戻るところが自分の古巣の暴力団であるということになりますと、これはただその処罰をするだけであり、また処罰によってその暴力団における地位が高くなるだけであって、何ら効果がない。できるならば、この人たちが再び帰る場合には、暴力団の古巣へ帰らなくても生業につけるようなところへ帰っていく道はないであろうかということが私どもにとっては重大関心事でございまして、そのためには相当な刑期を盛ることが必要であるとともに、その教育方法も考えなければなりませんし、何よりもその帰っていく先の環境の調整をすることが、われわれの立場として必要であります。したがいまして、この環境調整ということは少年にも必要でございますけれども、こういう人たちにとりましても重要なことでございます。
○松井(誠)委員 政府がこの対策要綱に基づいて具体的にどういう施策をされたのであろうかということについて、そう詳しく聞く時間もございませんし、きょう私は特に労働省と文部省からおいでをいただいておりますので、この関係と警察庁と法務省、その四つについて重点的にお尋ねをいたしたいと思うのです。
 このいただきました資料によりますと、文部省の暴力犯罪対策としては、順法教育の徹底云々ということが書いてありますけれども、私は一つの大きな原因として、文部省がやはり見落としてはならないのは、最近の青少年の不良化の原因、最大かどうかは私もわかりませんけれども、例の入学難という問題があるのではないか。高等学校へ入りたい子供が入れないというそういう非常に気の毒な状態というものが大きな原因をなしておるのではないだろうか。文部省は青少年のその非行化の最大の原因を一体何だとお考えになっておるか。そしてその非行から守るための焦点をどこに合わせておられるのかをお伺いをしたいと思います。
○齋藤(正)政府委員 青少年の非行の原因というものはいろいろな要因があると思いますけれども、私たちが仕事を進めていきます観点から申しますれば、これを学校にある、あるいは家庭にある、あるいは社会環境にあると、一方だけ断定するわけにはまいらないと思います。したがいまして、私どもとしては、学校教育の内容を充実し、また家庭の教育を重視するということを成人、両親の間に植えつけていく。それから青少年のための社会環境の浄化、あるいは積極的に青少年がよい活動のために利用し得るような施設の拡充、その指導者の資質の向上、こういう三点につきまして施策を進めてまいってきているわけであります。
○松井(誠)委員 私、きのう偶然買った朝日ジャーナルの四月二十六日号に、これはアメリカのジャクソン・トービーという非行少年の問題の専門家のようなんですが、その人と都立大学のやはりその専門家の岩井さんとが対談をしておる。そのときにこのアメリカ人が、日本の青少年の非行の最大の原因の一つとしてあげておるのが、日本の試験制度、われわれが前からしょっちゅう主張しておることを、六週間の滞在だそうですけれども、その中でこの人は読み取っておるわけです。「日本の試験制度は少年たちがきわめて若いうちに、輝かしい未来に対する希望を捨てなければならないような状況をつくり出しています。」そして「未来に対する希望が早く失われれば失われるほど、非行が早くはじまるということがいえましょう。」これはそのとおりだと思うのです。警察庁から暴力団の実態についての資料をいただきましたけれども、それの種本とおぼしきものがここにある。警察学論集、その中にいま私が申し上げました岩井という人が青少年の不良化について言及をして、大阪市立大学の桑畑勇吉という人の調査によると「大阪市内の通常の勤労学生の場合、希望に燃えて生活を送っている者が一七・五%、これに対して何か不安を抱いているのが二六・〇%、不安と希望の半々が四川・八%、つまり全数の七〇%は何らかの陰を宿して生活を送っている。」つまり私が申し上げたいのは、青少年の不良化という原因の中に、いまのそういう社会組織なり自分の生活環境なりに対する不満――きれいかきたないかということはまた問題は別として、そういう前途に対する不安、そういうものが非常に大きな原因をなしておるのじゃないか。そういうものを除却することなしに、つまり、まいておる種をそういう形で取り除くことなしに、一体青少年の不良化の防止ということができるだろうか、そういうことをお尋ねをしたいわけです。入学試験にあぶれた、あるいは家庭の準備でいきたくてもいけなかった、そういう青少年が不良化をする。そのことは統計的にも非常にはっきり出ておる。そういうものに対して、文部省は青少年不臭化対策の中でどれだけの重点を一体置こうとしておるのか。対策の中にはそういうものは一つも見当たりません。ところが、さっき言われたように、順法教育云々とかという、つまり教育内容の問題としてしかとらえていない。しかし教育以前のそういう問題があるのじゃないか。そのことを一体どうお考えになっておるか。
○齋藤(正)政府委員 入学試験の方法というものは絶えず改善していかなければならないことだと思います。要するに、青少年が自分の能力と適性に応じていろいろ進んでいく道というものをできるだけ的確に把握するという方法は絶えず研究していかなければならないと思います。入学の問題につきましても、高等学校の問題につきましては、全体として見ればそう狭いものではございませんで、希望者の大多数というものは現在の収容力でも入ってきておるのであります。またわれわれは、いま御指摘のような問題を考えます場合に、青少年がいろいろなことで障害がある、そういうことで挫折する、そういうものをどういうふうに耐えていくかということの精神的態度ということもやはり重要なことでございます。家庭教育の場合におきましても、単にいろいろな欲求というものを子供のときから充足をしていくだけで、過保護にわたるというようなことは、逆にまた現在青少年の不良化の一因ではないかということも指摘されているのでございまするから、いろいろな点を勘案いたしまして、青少年が小さいときからしつけも受け、また伸びていくものを自発的に育てるということがわれわれは基本だと考えておるわけであります。
○松井(誠)委員 私は、最近青少年の不良化ということが問題になると、すぐに学校の教育が悪い、家庭のしつけが悪いというように問題を持っていこうとして、その青少年がどういう環境に住んでおるのかということに目をつぶるか、あるいは忘れるかして、やぶにらみの対策に狂奔をしておる現象が多いと思いまして、いまのお尋ねをしたわけですが、ここに具体的な対策としていただいた資料の中で、文部省としては、そういう教育内容というものに目を向けるというほかに、環境浄化という問題もありますけれども、私が先ほど言いましたような、入学試験のときにもうすでに芽をつみ取られてしまうという大事な問題が抜けておると思う。そのことについては一言半句も文部省の施策の中で触れられてない。これは青少年の非行対策としては理由がない、価値がないというお考えなのか、あるいはどういう理由でこれがないのでしょう。私は当然それが、比重は別として、あるべきものだと考える。
○齋藤(正)政府委員 入学試験の問題、要するに青少年が能力と適性に応じてどういう道を進むかという問題は、文部省が基本的にいつも研究していることでございます。でありますから、たとえば能力開発研究川の仕事で、一体入学試験にかわって適正な方法が児つけられるかどうかということも、学校と共同をしていま試験的にいろいろ行なっているわけでございまして、この問題は、単に暴力対策であるとか、非行青少年対策だとかいう限定せられた問題ではなくて、教育制度の上では常時検討していかなければならない問題だと思います。
○松井(誠)委員 私は、それが非行対策の全部だという意味ではございません。したがって、またここに書いてあること以外にそういう大事な問題が抜けておるじゃないかということを申し上げたので、文部省が入学試験の問題について無関心であるということを言っておるのじゃない。しかし、それが青少年の非行化の原因との結びつきというものをどう考えておるかということをお尋ねしたのであって、入学試験の、つまり中学浪人をなくしようということで、一生懸命やっておられるとは申しかねますけれども、そういうことを私は一生懸命やっておるとか、おらないとかいうことを言うのじゃない。それと非行化の原因の結びつきをどう考えておるかということをお尋ねしておるわけです。再度その点、簡潔でよろしゅうございますからお答えを願いたいと思います。
○渋谷説明員 入学試験の問題は、大きく分けまして、高等学校への入学の場合と大学への入学の場合と二つあるかと思うのでありますが、高等学校への入学につきましては、高等学校へ進学を志願いたしました者の九割八分ぐらいが高等学校へ進学しておるのでありまして、いわゆる中学浪人というような状態はほとんどないわけでございます。結局、いわゆる受験難といいますのは、ある特定の高等学校へ集中をするというのが、一つの受験難といわれているわけでありまして、その場合に私どもが考えますのは、特に高等学校以上の段階になりますと、能力差が出てまいります。私どもは、何も英語や数学ができるばかりが能力ではないと思っておるわけでありますが、それぞれの能力、適性進路というものがあると思うわけであります。その点やはりどうしても、いわゆる親ばかということばがありますとおり、最近家庭におきまして、片や子供に対する学習過剰というか、父兄の過大な要求からくる学得過剰の傾向と、片や自由主義を少しはき違えたような放任の傾向が見られるわけでございますが、自分の子弟の能力、適性というものを十分把握しない、少ししりをたたき過ぎるというか、そういう傾向からきます特定校への集中、そういうところからくる入学難はございますけれども、高等学校へ志願した者の九割八分はどこかの高等学校に入っているわけであります。それで日本におきましては、確かに学校におきますそういう進路指導を含めました生徒指導というのが、諸外国に比べますと少しおくれておることは事実でございまして、文部省といたしまして、そういう進路指導を含めました生徒指導の充実強化ということにつきまして、昨年から、特にまたことしはいろいろ予算もいただきまして、充実強化をしていきたいというふうに考えておるわけであります。
 それから、大学への入学の問題については、社会教育局長からお話がございましたように、財団法人の能力開発研究所で、高等学校側、大学側、行政機関側協力して、大学入学試験の改善についていま実験的にいろいろ研究をいたしておるわけであります。こういうわけでございまして、私どもとして、この入学試験問題が正常なる学校教育の運営に非常なる影響を持っておりますので、常にこの改善については腐心をしておるわけであります。
○松井(誠)委員 私は、昭和三十九年度の高校への入学率は六七%だと聞いたのですが、いまの御答弁だと、だいぶ数字のずれがございます。これはほんとうなら文教委員会との連合審査会なんかで、大事な問題ですからとっくりやるべき問題だと思いますけれども、きょうは時間がありませんので、労働省の方にお尋ねしたいと思うのです。
○渋谷説明員 いまのところちょっと説明が足りませんでしたが、六七%というのは中学校を卒業いたしまして高等学校へ進学したものでございますが、中学校を卒業いたしまして、最初から就職を希望する者がございます。高等学校へ進学を希望いたした者の九割八分が高等学校へ入っているということでございます。
○松井(誠)委員 だから合格率と進学率は違う。
 労働省にお尋ねしたいのですけれども、この労働省関係の措置にはずいぶんいいことが書いてある。つまり青少年が不良化するのは、一つは就職の問題、それから中小企業なんかで労働条件が劣悪だから、あるいは職場を変わったあと転々として、その間に不良化をする。だから就職の機会を早く見つけてやらなければならぬのだ、こういう趣旨のことを書いてある。私がさっき読みましたアメリカの何とかという人の意見にも、第二にまさにそのことが書いてあるのです。それは、日本の賃金制度は、若い人と年とった人との間の購買力に大きな差異をつくりだしておる。そのために西欧諸国の青少年と比較をすれば、経済繁栄の分け前にあずかる希望がそれだけ少ない。日本の賃金がいわゆる年功序列という形であって、若い人は少ないというそのことが、青少年の経済的な窮迫、そこから来る不良の問題につながっておる。これはやはりわれわれも前から主張しておった理由であって、アメリカの人は私は非常に烱眼だと思う。観察が鋭いと思う。それに合ったような形で、労働省が労働省の立場から、労働少年というものの非行化の原因を正しくとらえておる。これについて、作文はまさにそうなっておりますけれども、それでは具体的にそれをどういう形で施策の中に移しておられるのか、そのことをお伺いしたい。
○渡辺説明員 ただいまのお話でございますが、私は婦人少年局でございますけれども、年少者の労働条件の問題につきまして、実は特にそういった面での劣悪なものが中小企業の関係に多いわけでございます。労働基準局で労働基準の監督をいたしますのにあわせまして、私どものほうでは、そういった中小企業での労働条件の向上のための啓発活動をしてまいっておるわけでございます。御承知のとおり、小さい事業場ではなかなか自分だけの力でやれないということもございますので、中小企業団体に対しまして、年少労働者福祉委員というものを設置するようにお願いしてまいっております。その年少労働者福祉委員を通じまして、団体の力で、その団体ぐるみで労働条件を上げていくといった仕事をしてまいったわけでございます。その福祉委員の仕事は、労働条件、労働環境あるいは年少者の余暇の利用の問題あるいは生活相談あるいは保健衛生、こういった面に幅広く年少者のための配慮をしていただいておるわけでございます。三十三年であったかと思いますが、それ以来この仕事をいたしてまいっておりますが、最近では全国に約二万人の年少労働者福祉委員が設置されてまいっておるわけでございます。
 あるいは私どものほうでは、啓発活動の一つといたしまして、商店等における年少者の場合には、商店主婦の影響力というものが非常に強いわけでございますし、そういった方々に対しても、年少者を使用するに当たっての心がまえと申しますか、配慮がどのようになければならないかといった面についての啓発活動などをいたしておるわけであります。
 それから、関連いたしますが、余暇の問題が出てまいるわけでございます。したがいまして、余暇につきましても、その年少労働者福祉委員を通じて、年少者が余暇を活用できるように考慮いたしておりますと同時に、なかなか事業団体だけではできないといった面もございますので、全国の都市に、全部ではございませんが、年少者が余暇を積極的に利用できるための勤労青少年ホームといったものを設置いたしております。いままでに十四カ所でございますが、三十九年度に八カ所予算が取れておりますので、合わせて二十二カ所のホームができる、こういったことでございます。
 以上、私どものほうでいたしておることを申し上げました。
○松井(誠)委員 いまの内容について、ほんとうならば具体的な予算的数字などをお伺いしたいのですけれども、その点はきょうは遠慮をいたします。あと厚生省関係なりあるいは青少年問題協機会の事務局なりというものについては、あとで同僚委員のほうからお尋ねがあるだろうと思いますので、私はその点については労働省関係はこれでやめますけれども、警察のほうにお伺いをしたいと思うのです。
 この暴力取り締まりというものが暴力対策、犯罪対策の一つの大きな部分を占めることは間違いございません。具体的に警察のほうではこの対策要綱に基づいてとるという措置をずいぶん盛りたくさん書いてあるわけであります。おそらくこの全体の二十五ページぐらいの各省の措置の中で半分以上、おそらく六、七割くらいは警察庁の対策措置になっておる。このことも私は、この暴力犯罪防止対策が取り締まり中心だという一つのあらわれであると思いますけれども、取り締まりはもちろんやらなければならぬ。しかし、やぶにらみの取り締まりでは困ると思う。私は暴力取り締まりというものが持つ意味について、先ほども青少年の不良化の場合には取り締まりというものにあまり重点を置くべきではないのではないかということを申し上げましたけれども、その暴力団、それがいわゆる戦前派であれ、戦後派であれ、とにかく暴力団というものに対する取り締まりの基本的な姿勢としてどういうことをお考えになっておるか、時間の節約のために私のほうから申し上げますけれども、やはり暴力団を暴力団として、暴力団という組織そのものをなくするということに重点を置いておるのか、出てくる芽をつむということに重点を置いておるのか、その点はどういう方針で臨まれておりますか。
○江口(俊)政府委員 われわれの終局の目標としては、暴力団というものの組織を壊滅するということを目標にいたしておりますけれども、法律上の実際上のやり方としては、出てくる芽をつみ上げていって根を絶やす、こういうやり方しか現在の法制上はできないので、そのほうに一生懸命力を入れておるわけでございます。
○松井(誠)委員 目的は暴力団の組織そのものを壊滅させることにある。もちろん、犯罪がないところに取り締まりができようわけがないから、したがって、出てくる具体的な犯罪というものが暴力団対策の直接のきっかけにはなるでしょう。それは当然のこと、問題はそのときに、つまり暴力団の組織の壊滅をねらうとするならば、当然捜査の方針なり何なりのかまえが全然違うだろうと思う。新聞記事なんかで、私らは毎年、年中行事のように読むわけです。今度はひとつ暴力団を根こそぎ退治する、今度は警視庁はほんとうに本腰を入れるようになる。暮れになると必ずあります、あるいは夏なら夏になると必ずある、春先の花見になれば必ず覆う。しかし、それは年中行事にしかすぎない。そしてそういう対策を大わらわになってやっているにかかわらず、ますます暴力団がふえて暴力犯罪がふえるというのは一体どういうわけだ。ですから、暴力団をねらうとは言いながら、それがことばの上だけに終わっておるのではないのか、私はそのことを心配をするわけです。重ねてお尋ねいたします。
○江口(俊)政府委員 われわれが把握をいたしておりまする暴力組織というものは、数の数え方にもよりましょうけれども、約五千百三十団体、十七万二千七百十一名というものを把握いたしておりまするが、これがただいまおっしゃるように、団体にしても人数にしても年々少しずつふえていっている。しかしながら、その取り締まりを、ただ名前だけじゃないかとおっしゃいますけれども、この十七万人のうちに、昭和三十六年度におきましては五万八千名、これが七万九千件の犯罪を犯しておりますので、これを糾明して立件送致いたしております。また三十七年には五万二千四百二十二名というものを、これも犯罪の件数にすると約七万件、それから三十八年におきましても五万一千六十五名というものを、六万五千八百十五件の犯罪の容疑で逮捕し、立件いたしたわけでございます。だから、私をして言わしめれば、これは多少同じ人間が何回も繰り返すのがあるわけで、件数のほうが人員より多くありますが、これが適当に処罰をされて隔離されておるならば、この三年間で十五万以上、いわゆるこの暴力団のほとんどの者が社会から隔離されておるんじゃないかということも言えるわけでございまして、とにかくハエを追うごとく取り締まりをするだけじゃいけないので、取り締まった者をどう処置するかということを考えていただきたいというのが私たちの気持ちでございます。
○松井(誠)委員 だから私は、警察庁や法務省というのは、国の暴力対策の貧困からくる被害者だと思うのです。全く徒労を朝から晩までやっておる。そういうことを避けるためには、警察庁なり法務省なりも、国の総合的な対策というものに対して、ひとつもっと強い発言をしていただきたいと思います。いつでも自分らが最終的な責任を負わされて、しわ寄せされる。私はこういうことを追及するのはほんとうは気の毒に思う。私が申し上げたいのは、暴力団という組織そのものをねらうべきだということが一つ。もう一つは、それをねらうためには、やはり何としても資金源というものをねらうべきだと思います。これはもちろんそのとおりだという答えがあると思いますけれども、念のために、そういうことにも重点をお置きになっておると思いますが、お伺いをいたしたいと思います。
○江口(俊)政府委員 当然そういう点にも力を入れて捜査をいたしております。
○松井(誠)委員 去年の暮れでしたか、ことしの初めごろの新聞に、今度は困難を排じて資金源を絶つことに警察庁は一生懸命にやるぞという、そういう記事が出ておりました。逆に言えば、いままではあまりやらなかったという告白にもなるわけですけれども、私はそれでもいいと思う。しかし、ともかくいまからでもおそくはないから、資金源を絶つということにほんとうに本腰を入れてやろうという気がまえがおありですか。これは確かにむずかしいと思うのです。私も先ほど貰いましたように、この警察の暴力の組織を書いたものを読みますと、一番大きなものはやはり賭博によるテラ銭である。一夜にして何百万という金が集まる。その賭博というのは隠密の間に行なわれるために非常に検挙がむずかしいという。この一覧表を見ましても、賭博犯罪の検挙の数というものは非常に少ない。しかし、現実にはそれが資金源の最大の源をなしておるというように、この警視庁の中平というのですか、その人の書いたものには書いてある。ですからむずかしいでしょう。むずかしいでしょうけれども、しかし、まさにそれこそやらなければならない問題であるとするならば、ほんとうに真剣になって考えていただきたいと思う。私らはここでどっちでもいいことを議論しているのじゃない。この法律案が出たことを契機にして、ひとつほんとうに政府が暴力対策、暴力団対策というものに真剣になってやっていただきたい。そのことをお願いをしたいために、こういうおそくまでやっておるわけです。ですから、何か今度は警察のほうでも、刑事局だけではなしに、保安や警備も入れて三位一体になってやるんだということが出ておりましたけれども、それじゃ具体的に暴力団対策に対して積極的にはどういう措置をとっておられるのか、具体的な話をひとつお聞かせ願いたいと思います。
○江口(俊)政府委員 われわれの暴力対策の要綱につきまして、よくお読みいただいての御質問でございますが、具体的には、本庁にその三位一体となって計画を立案する本部をつくりますと同時に、それを受けて各第一線では、ひとり刑事部にまかせることなく、たとえば警視庁におきましては総監を本部長とする一つの組織をつくる、各府県におきましては府県本部長をその責任者とする三部の合同捜査会というものをつくっておるわけでございます。これは最近の暴力団、暴力組織の中で、往々政治団体であるかのごとき仮装をするものもありますし、また、おっしゃったような非行少年との結びつきという点も非常に重要な部分を占めておりますので、やはり警備、保安にまたがるわけでございます。しかし、具体的に何をやっているかとおっしゃれば、そういう組織で具体的には具体の事件をあげておるということのほかに、基礎的な調査というものを従来に増して深刻に行なっておる段階でございます。
○松井(誠)委員 いま基礎的な調査をするというのは、非常に私はタイミングがおそいと思うのですけれども、しかしやるにこしたことはない。たとえば道ばたののれんをかけてある屋台のおでん屋に入る。そうしますと、そこではこのかいわいを回ってくるぐれん隊か何か知りませんけれども、ショバ代というものを必ず取られる。なわ張りというものがある。これはもう天下公知の事実である。それがあるいは恐喝にならないような形でうまくやっておるかもしれません。しかし、何しろそういう金の徴収というものが不法であることは間違いない。法務省から出しておるいろいろな資料によっても、いわば暴力団のなわ張りというものは公然と認められておる。私が不審でならないのは、新聞に出ると、これは何何会のどうだ、これは何々組の何だとかいうことが新聞紙上に堂々とまかり通っておる。不可解千万だと思います。ですから、ほんとうに資金源を断とうとするならば――そういうほんとうに零細な露店商人は皆泣いておるわけなんです。そういうものをほんとうにその気になれば押える手はあるんじゃないか。具体的な犯罪というものは幾らでもあると思う。それを何か切った張ったというものが表に出てこないとつかまえないという形、ほんとうに暴力団を押えようとする熱意がないんじゃないか。警察庁がまた始まった、また年中行事だというような、初めからそっぽを向かれるというような、そういうむだな努力の積み重ねというようなことになってきておるんじゃないか。ことばの上ではいろいろきれいなことを言いますけれども、しかし、私はそれは不可能に近いほどむずかしいことではないと思う。ひとつ本気でおやりいただくという決意を重ねて表明していただきたいと思うのです。
○江口(俊)政府委員 決意は何べんも述べておりますが、具体的に申し上げますと、切った張ったというものは被害者の親告を待たなくても、また証拠というようなものについても十分なことができるのでやるのでございまして、恐喝されたかどうかというような事柄については、最後まで被害者の協力を得なければ立てられない問題でございますから、昨日も私、警視総監とも話し合いましたが、いまはだんだん勇気を持ってそういう証言をするような人も出てきた。被害者の方も進んでやってくるということで、今度は何とか自分たちもやれる見込みだということを言っておりました。私たちもぜひそうありたいと考えておるわけでございます。
○松井(誠)委員 警視総監はなかなか国会へ出てきませんけれども、しかし、新聞で読むところでは、だいぶ一生懸命のかまえだけは示しておられる。それではまず暴力団の中で一番大きなものを、その一番頂点をねらうということをひとつ二、三年積極的に取り組んでもらいたい。そういうことで具体的な実績を示すことが、私は警察に対する国民の信頼というものを回復をする、警察と暴力団がなれ合いなんだという、そういう薄ぎたない不評というものがなくなる一番大きな原因じゃないですか。そういうことをひとつぜひおやりいただきたいと思うのです。
 あと、この法律の内容についていろいろとお尋ねをいたしたいと思います。いまの総合対策のことについては、まだまだ舌不足でありますけれども、とりあえずこれで終わりまして、具体的な法律案の内容についてお尋ねをいたしたいと思うのです。
 最初に、先ほど来いろいろ出ておりますけれども、予定されておる刑法の改正案とこの暴力処罰法との関係は一体どうなるのか。これで刑法改正案の中に全部吸収をされてしまうのか、あるいは何がしかの条文は残るのか、その点はどうなんですか。
○竹内(壽)政府委員 暴力処罰法は刑法の特別法という関係に立っておると思います。これは特別法でございますけれども、将来の刑法、総合的な刑法におきましては、この法律の中の相当部分は、私は全部とは申しません、相当部分が刑法の中へ取り入れられ、それから独立幇助罪のような規定がございますが、これは総則の規定と相まって解決される事柄ではないかと考えております。したがいまして、将来の姿は準備草案には一応の案が提示されておりますけれども、現在進行しております法制審議会の刑法特別部会におきましてはまだ未知数でございます。
○松井(誠)委員 具体的に言えば、銃砲刀剣類を用いての傷害というものは改正草案にはないようでありますけれども、その限りにおいては、この暴力処罰法の中に残るという意味にとるべきものなのか、あるいは刑法改正と同時にこの銃砲刀剣類を用いての傷害というものもなくなるという見通しでおつくりになっておるのか、いかがですか。
○竹内(壽)政府委員 私は、この条文は残るというふうに思います。しかし、もちろん、法制審議会の審議の結果を待たなければなりませんが、ただその形は変わってくると思う。現在の刑法では、傷害罪は十年以下の懲役、罰金、科料までつけておるのでございます。これは銃砲刀剣類のようなものを用いてする傷害から、暴行を加えてその結果傷害になったというようなものまでも含んでおる非常に幅の広いものでございますので、将来の刑法の姿としましては、そういう標準型の準備草案では七年以下の懲役で、一応同じ標準型の傷害罪を規定して、加重類型のものを十年、たとえば準備草案の中にも常習傷害のような規定もございますし、これなどは一年以上十年以下ということになっておりますが、この銃砲刀剣類はございませんが、そういう特別の加重類型の傷害ができるということになりますと、大体原案のようなものが将来の刑法の中に受け継がれていくんではないか、こういうふうに見ておるのでございます。
○松井(誠)委員 私がそのことをお尋ねしましたのは、いつかいただきました改正刑法の準備草案のいわゆる重傷害というのの説明の中で、結果以外のもの、つまり現に生じた結果ですね、結果以外のものを基準として加重類型を規定することが技術的に困難である、だからこういう重傷害という形にしたのだ、こういうことになっておるわけです。ですから、銃砲刀剣類を用いるというそういう手段、特殊な手段を用いるからという形の加重類型というのは適当ではない。つまり、結果によって加重類型を考える以外適当な基準がないという考え方が、この改正草案の中にあるのではないですか。
○竹内(壽)政府委員 準備草案の考え方にはそういう考え方が確かにあるようでございます。しかし、これは政府の原案ではございませんで、私どもの研究では、結果の重い、発生した結果が重いということに着目して刑を重くする立法例と、それから使用します手段、これが危険性が非常に高いということで刑を重くするのと、加重数型の中に二種類ございまして、その一方をとっておる立法例もございますし、両方をとっておる立法例もあるのでございます。そういう点から、今後の法制審議会におきましては諸外国の現状をも十分参酌してきめることになっておりますので、その準備草案ではそういう考え方になったようでございますけれども、将来の刑法としては、手段の危険性をも見た加重類型ということも十分考えられることでございます。
○松井(誠)委員 少なくともこの準備草案の考え方からいけば、そういう手段が違う、銃砲刀剣類を使うという、そういう特殊の手段による加重類型というのは、この改正草案の考え方の体系からいえば少しはみ出す。だから本来ならば入れて、暴力行為処罰法というそういう特別法がなくなってもいいのに、それだけが残るという結果になるのではないかという疑問を私は持ったわけです。ですから、少なくともこの改正草案の考えておる考え方からいけば、銃砲刀剣類を用いての傷害というものは加重類型としては適当ではないという考え方があることは間違いないのですか。
○竹内(壽)政府委員 準備草案の起草に当たりました方々の中にはそういう考え方があったと思いますが、現在の法務省の事務当局としましては、その考え方に固執をいたしておらないのでございまして、私は、やはり手段の危険なる点に着目した加重類型というものを十分考えるべきであると思っております。
○松井(誠)委員 先ほど恐喝をなぜ入れないかというお話があったときに、恐喝は、恐喝の常習ということについていま問題があるというお話がございましたけれども、それは財産犯だからということなんですか、あるいはそうではなしに、現実に恐喝の常習性というか、そういう犯人の習癖としてはなかなかあり得ないという意味なんですか、どういうわけなんですか。
○竹内(壽)政府委員 それは、あり得ないというのではなくて、私は考えられる類型だと思うのでございます。もし恐喝について常習を認めますと、窃盗――窃盗は現行法にもございますが、その他の横領、詐欺等につきましても常習ということを考えていかなければならぬ。そうなってきますと、大体いろいろな種類の犯罪について常習ということが観念的に考えられる。そうなってまいりますと、各本条に常習ということを規定して、個別にその常習というものを見ていくのがいいか、刑法の総則の中にこの常習の規定を置いて、そうして犯罪によってはその総則の規定をかぶらして、常習犯を認めていくという立法形式がいいかというような点が議論の存するところだと思いますが、準備草案は、常習累犯という考え方を総則の中に取り入れて規定しておりますので、財産犯についてあらゆる種類のものを考えるということを、そこのところは最大公約数といいますか、カッコの外に出したということでございますが、そういう扱いをしておるようでございます。
○松井(誠)委員 誤解がないように私は念のために申し上げておきたいのですけれども、私は恐喝をここに入れろと言うのじゃない。そうではなしに、恐喝が入ってないことから起こってくるいろいろな不均衡があるならば、むしろいっそのことやめてしまえという意味から言っておるのですけれども、とにかく先ほど、常習の恐喝というのは加重類型としては適当でないという御答弁がたしかあったと思う。ございませんでしたか、畑委員の質問に対して。
○竹内(壽)政府委員 それは準備草案の考え方を申し上げたのでございまして、私自身は、理論としてはそういうものがあってもいいと思います。ただ、先ほど申しましたように、それを入れますと、ほかの罪全体についてやはり同じことを考えなければ暴力団対策にはならないのでございます。そうなってまいりますと、非常な改正事業としては大改正になってまいりますし、その大改正になる過程において体系上のアンバランスが起こってきたり、なお研究を要する問題が次々と起こってまいりますので、その全体的な問題は刑法の全面改正の際に譲ることにいたしまして、今回は必要にして最小限度と申しますか、そういう観点からそういうものは考えてはいないという説明を申し上げたわけであります。
○松井(誠)委員 竹内さんは理論家ですが、理論的にちょっとおかしいんじゃないでしょうか。つまり改正草案の加重類型という考え方でいくと、銃砲刀剣類を用いての傷害というものは、加重類型としては適当でないという考え方がある。しかし、それは処罰法の中にいま入れようとしておる。ところが、逆に、今度は常習恐喝という考え方をここへ入れない理由としては、いろいろおっしゃいましたけれども、改正草案の考え方が、その常習恐喝というものが加重類型の形態としては考えていなくて、常習累犯という形でいこうとしておる。一方では、改正草案という考え方をたてにして常習恐喝というものを抜く理由にする。一方では、そういうものは草案の考え方はあるけれども、別にわれわれは加重類型を考えて、銃砲刀剣類による傷害というものを入れるということで、その辺が理論的に食い違うわけでしょう。
○竹内(壽)政府委員 理論的に食い違うことじゃございませんで、草案というのは、とにかく天下に公表された一つの案でございますので、できるだけ私どもの立場としては、その草案を尊重といいますか、一つの提示された基底の案としまして、できるだけそれに沿った、改正をするにしてもそういう考え方を基本としては持っておるわけでございます。しかし、準備草案そのものにも、なおわれわれの立場から再検討を要する点もございますので、現に過般この委員会を通過させていただきました身のしろ金目的の誘拐罪のごときものにつきましても、構成要件の書き方は準備草案とは異なる書き方をとりまして、これは研究の結果、ここで提示しました案のほうがなお一そう実情に適するということから、準備草案の書き方と違った書き方をいたしておるのでございますが、さように公表いたしましてからのちの私どもの研究の過程において改正すべき点があるようにも思います。現にこの問題につきましても、私の考え方を申し上げたのでございますが、今後そういう点も十分法制審議会に反映させまして、法制審議会で慎重に御検討願うということにしておるのでございます。いいときにはそれを使い、悪いときには引っ込めるというような趣旨で申し上げておるのではございません。
○松井(誠)委員 具体的に銃砲刀剣類の問題についてお伺いをしたいのですが、いままでの質問を私は蒸し返すつもりはございませんけれども、きょうの畑委員に対する御答弁で、また少しニュアンスが違ったような印象を受けたのです。というのは、最初は局長はきわめて理論的に考えて、この暴力処罰法の銃砲刀剣類というものと銃砲刀剣類等所持取締法の銃砲刀剣類というものとは元来違うのだから、当然違うというたてまえでその範囲は考えるという理論的な――しかし現実には、その二つの法律というものは共通の土台があるので、やはり法務省の統一見解としては、これは同じだというように見解を統一をしたのだという御答弁が前にあった。ところが、きょうの畑委員の質問では、たとえば十四センチのものはどうなるかということは判例に待つというようになって、また少し同じものだという線が変わってきたような印象を私は受けた。これは私の印象の間違いですか。
○竹内(壽)政府委員 先生の印象が間違いないのでありまして、そのとおりでございます。私が最初法制審議会で説明をいたしましたのは、この大体は一致するのであるけれども、全く一致するというふうに解釈することは、これは私としては言い過ぎなんで、その点は多少違うような解釈が出てこないとも限らないというような考えでございました。ところが、その後だんだん研究してみまして、同じ基盤の上に立った二つの法律がある場合に、その用語が同じであります場合には、特別の事情がない限り同じように解釈をするのが、これは法律解釈の常識でございますし、法制局も同じような考え方をいたしておりましたので、そこにニュアンスがあるかのごとき言い方をするのは、やはり適当でない。理論的に申しますと、現時点でこの二つの概念を比較します場合には、まあ同一だというふうに申し上げるほかないわけなんで、そういうふうに変更したわけです。ところが、これは解釈の問題でございますので、判例がどういうふうな態度に出るかということになりますと、当初私が説明したようなひっかかりを私は頭の中に持っておるわけなんで、それが思わず出てしまったような次第でございます。御了承を願いたいと思います。
○松井(誠)委員 いつか猪俣委員の質問に答えて、気持ちの上にひっかかりがあるということばを使っておる。理論家として当然だと思います。つまり二つの法律というのは同じようなものですけれども、元来違うのですから、だから二つのものはきちんと同じにならなければならぬという理論的な保証は何もないわけですね。ところが、いろいろな事情があってのことでしょう。法務省の統一見解ということになったのでありますが、やはり理論家としての気持ちのひっかかりが出てくるのは当然だと思う。だから、ここで銃砲刀剣類というのは、所持取締法に書いてあるそれなんだということによってけりをつける以外にないのではないか。そういうようにお考えになる余地はございませんか。これは何も法律が改正になってスライドした場合には、そのときにまた範囲が広がるということになれば、何月何日現在の所持取締法によるのだということで、この点防げるわけですから……。そういうことをしないと、やはり裁判所というものは理論的にものを考える。したがって、やはり局長が言ったように、二つの法律は同じものだという言明をしたところで、それをはみ出す可能性もあり得るから、むしろ理屈の上からおかしいくらいだ。だから、それを一緒にするためにはそういう措置をおとりになるお考えはございませんか。
○竹内(壽)政府委員 私は、定義規定を置きますことは理論的に不可能だというのじゃないと思います。したがって、その点も法制審議会でも委員の方方の間で議論も存しましたし、私もその意見を述べた一人でございますが、結局、これは定義規定を置かぬほうがいいという結論になりましたので、定義規定はおかないという立場で私は説明を申し上げておるのでございます。ただ結局は、私は健全な社会通念が最終的にきめると思うのです。その社会通念を踏んまえた判決が最終的にはきめるわけでございますが、やはり板庇になりますのは社会通念なんで、これが非常識に広くなって、十四センチ半がよければ十四センチもいいではないか。その次は十三センチというふうに、だんだん短くなるという性質のものじゃないと思います。したがって、その半センチの認識があったかなかったかというようなところまで問題になるような事例もあるかと思いますので、運用におきましては、先ほどから申しておりますように、銃砲刀剣類の定義に掲げてありますのと同じ扱いでこの規定は運用していくべきだ。そうすることによって判例も固まってくるんだというふうに、解釈論の立場と運用の立場と、ややそこにニュアンスがあると思いますが、そういうふうな扱いで法律概念が固定していくように運用をしていったほうがいいんじゃないかというふうに考えております。ただ、定義規定を入れることの当不当につきましては、先ほども私、法制審議会の事情を申し上げたとおりでございます。
○松井(誠)委員 十五センチ以上ならば一年以上になる。それが十四センチ半ならば罰金も科料もあり得るということは、非常に非常識に違いない。しかし、非常識というのは、原因は一体どこからくるかというと、いまのような、こういうものを用いた犯罪を特にこういう形に処罰をするという、そのことからくる当然の結果だと思う。銃砲刀剣類の場合はぴいんとはね返る、そうして銃砲刀剣でない類似のものによった場合はいままでどおりの刑だという形で区分けをしたから、そういう非常識が出てくる。ですからその下限をやめる。そのことによって裁判官の良識にまつということならば、非常識の結果というものは起きない。非常識の結果というものをなくするためにはそれ以外にないんじゃないか。そうじゃなくて、銃砲刀剣類の傷害を特にここで規定する場合には、何かの形で非常識なものも出てこざるを得ない。十三センチならば十五センチに近いからいいだろうという判例が出ると、十センチはどうだろうということになる。そういうことで論争の果てしがないんです。しかもその論争の果てしがないのは、どっちでもいい理論的な論争ではなしに、被告人にとっては、少なくとも一年行かなければならぬか、罰金、科料で済むかという大きな違いにつながっておるとすれば、これは非常に実際的な論争になる。しょっちゅうそういう論争を繰り返すような規定をどうしてここに入れるんだ。私はそういう点から考えても非常に疑問なんです。繰り返して申しますけれども、十五センチが一年以上で、十四センチが罰金、科料でもいいということは非常に非常識です。その非常識というのは、十五センチ以上は懲役一年以上にするということによって二つの刑を非常に違えたということからくる結果ではないか。その結果をなくするためには、銃砲刀剣類の解釈を広げることによってではなくて、やはりこの特殊な手段による加重類型という考え方をやめる以外にないんじゃないか。どうでしょう。
○竹内(壽)政府委員 その点は少し私、考えが違うのでございますが、なるほど十四センチ半は第一条ノ二に当らないと思います。罪刑法定主義で厳格にこれは解すべきものであると思います。したがって、これは十年以下の懲役、罰金、科料の刑法の本文に返ってくると思うのでございますが、その場合に刑の量定といたしましては、半センチ違ったら科料でよろしい、片方は半センチ長ければ一年以上だという、この刑法の規定のしかたがおかしいけれども、刑の量定になれば、やはりこれは十五センチの場合に準じて量刑をするというのは、この法律の指針たるパイロットの役割りを果たすわけでございまして、その点の不合理は実際問題としては起こらぬ。また、そういうことを改正法に期待することが、たった二条の改正でございますけれども、暴力対策の立法として意味を持ってくるんだと私は考えておるのであります。
○松井(誠)委員 その点は、これ以上の議論は、またいままでの議論の蒸し返しになりますのでこれでやめますけれども、その次に、そういう場合の未遂の問題をお尋ねをいたしたいと思うのですが、これは畑委員も言われましたけれども、こういう銃砲刀剣類を用いての未遂と、それから凶器を示してという場合の区別があいまいになるのではないかという質問があったわけです。きょうもありましたし、いつかもあったと思う。そのときに、たとえば鉄砲の場合には、私はこれは聞き違いかもしれませんが、きょうの御答弁では、たまを発射をする、しかしあたらなかったのが未遂だ。発射をしなければ着手でないというように伺ったのですけれども、前の御答弁では引き金を引いたときに着手だという御答弁があった。どっちが正しいのか。
○竹内(壽)政府委員 それは同じ意味のつもりで申し上げたわけでございまして、ただねらっておるというだけではまだ着手にならぬという意味で、引き金を引けば、機械でございますから発射しないこともあるかもしれませんが、引き金を引いたら着手したと見ていただいてもいいんじゃないか。発射いたしましてもあたらない場合があるわけで、そういう場合には未遂になる。こういう考えで申し上げたので、私の言おうとする意味は、ねらいを定めただけでは着手にならぬということが言いたかったわけでございます。
○松井(誠)委員 この銃砲刀剣類を用いたというのは、その用法に従ってやるわけです。したがって、たとえば刀で峰打ちをして傷害を負わした場合にはこれには当たらない。しかし普通の単純傷害に当たるものである。しかし、峰打ちを食わせても、それが傷害の意思を持ってやるという限りにおいては故意犯であることには間違いない。したがって天際には今の刑法の理屈は別として、その場合に峰打ちを食わしたけれども傷が生じなかった場合には、傷害の未遂も理論的には考え得る。そういたしますと、用法によってやった場合とやらない場合とによって、未遂と認めるか認めないかという非常に大きな違い。これはやはり傷害の未遂を新しくつくったということからくる問題でしょうけれども、この辺にも何か私は非常に割り切れないものがあるわけです。この点については、いまの刑法の傷害と暴行との関係からいえばそうならざるを得ないかもしれませんけれども、ここで傷害の未遂を入れるときに、この用法によってやった場合の未遂だけを入れて、しかも用法によらないのは未遂ではないんだという考え方が、私は刑法の理屈としてはわからぬじゃありませんけれども、ここで一ぺん筋書が故意犯だという形をとったにもかかわらず、用法によってという形で、またもう一ぺん刑法のほうに戻るというのは、どうもふに落ちないのです。
○竹内(壽)政府委員 非常に理論的に御疑念を抱かれまして私も非常に興味を持って伺ったのですが、これは議論をすると切りがないと思いますが、多少の不都合は私も感ずるわけでございます。これは現行法が、傷害の故意のない場合と、暴行だけしか犯意のない場合と、この両方が二百四条で、つまり暴行の結果加重犯を二百四条で処罰するということに立法的になっておりますので疑問がこのように起こってくるわけでございますが、本来結果的加重犯のようなものは、それは結果的加重として罰するのであって、どの条文も故意犯をもって原則とするわけでございますから、現行法の解釈におきましても故意犯のみが二百四条だという学説もあるくらいでございます。そこの部分の将来の理論的な穴埋めというものは、刑法改正の際に解決をしていただかなければならぬ問題だと思っております。
○松井(誠)委員 それでは常習の問題についてお尋ねをしたいと思うのです。
 この常習の問題について、昭和二年の常習についての考え方そのものが実ははっきりしなくて、理屈が二つある。つまり、この常習を認定をする資料としては、今度は四つになるわけですけれども、その四つの犯罪の間にその犯罪同士で代替的にかわり得るかどうかは別として、少なくとも四つに限るのか、四つ以外にも常習を認定する犯罪というものがあり得るのかという点については、必ずしも昭和二年の判例の解釈として一致をしてないんじゃないですか。
○竹内(壽)政府委員 学説はいろいろに議論をしております。しかし、この判例そのものもかなり広いように読めるのでございます。その広いように読めることから学説がいろいろに分かれているのでございますが、この点も、先ほど申しましたように運用では割合狭く扱っております。つまり暴行の前科等が参考になる場合には、今度は暴行の常習を認めますときには、暴行の前科を参照する。器物損壊についても同様である。こういうふうで、各個別の罪の前科等が、その罪の常習を認定する場合の常習性認定の資料になるということでございまして、ただ、判例としまして一つだけ例外になっておりますのは、暴行の常習を認めるのに傷害の前科を引いております。これが唯一の例外でございまして、その他はほとんど例外はないのでありますから、理論としては、代替を認めるというたてまえで包括した一つの暴行罪というものを考えておるのが、判例の解釈でございますけれども、実際の認定資料として使われますのは、暴行については暴行、器物損壊については器物損壊、こういうふうに認めておるようでございまして、私も、今後のこの運用につきましては、そういう運用の実績をそのまま踏襲して運用していくべきものだと考えております。
○松井(誠)委員 この判例によると、これらの犯罪行為を包括した暴力行為であるということになっておって、これらの犯罪行為というのですから、今度は四つになるわけですけれども、むしろ、その四つに限るというように解釈をすべきじゃないでしょうか。そして、その四つがお互いに代替的な性格があるかないかは別として、つまり脅迫なら脅迫の常習がなければだめなんだというかどうかは別として、少なくともそれ以外の犯罪には広まらないというように、むしろこの判例をすなおに読めばそのようになるんじゃないですか。
○竹内(壽)政府委員 私も大体そのように解釈をいたすべきものだと考えております。ただ、先ほども問題になりました結果的加重犯でございますが、傷害致死というようなものは、この場合に傷害の常習性を認定する場合の一つの資料になるというように――これは理論的にそうなるんだと思いますが、大体その範囲で私は理解しておりますし、運用もそうなっておると思うのです。
○松井(誠)委員 局長が御答弁になったのかどうか知りませんけれども、法制審議会の議事録を読みますと、ずいぶん広いんじゃないですか。つまり、持凶器集合、あるいは傷害、威迫、建造物損壊――傷害致死については疑問があるということを言っておりますけれども、公務執行妨害、強要、こういうものまで何か常習の認定の材料になる。つまりその中に暴行、脅迫というものの要素が含まれての話でしょうが、そのようにこの議事録では、だれがお答えになっておるか、法務省側の見解としてお答えになっておると思うのですが、違いますか。
○竹内(壽)政府委員 それは違うと思います。そういう議論も委員の中から出たことは私も記憶しておりますが、当局の答えておりますのは、私がいま答えておる範囲でございます。
○松井(誠)委員 さっきの銃砲刀剣類と同じような議論になりますけれども、それでは今度傷害を入れて四つ、この四つに限るというふうにどんぴしゃとは言えないのですか。原則としてこれで、実際にはそれ以上出まいというような、同じような御答弁しかないわけですか。
○竹内(壽)政府委員 これは理屈を言いますと切りはございませんが、私は、この公の席で申し上げるという意味で申し上げるのでございますが、私の理解しておりますところでは、おっしゃるように、四つの種類の罪に限る、そしていまの結果的加重犯の傷害致死も入るかもしれない、こういうことで御了解願います。
○松井(誠)委員 この新しくできる一条ノ三という条文は、非常にわかりにくい条文で、ちょっと読んだのでは、一体何を言っておるのか、私にはよくわからない。しかも、この解釈からはいろいろなことが出てくるし、いろいろな議論が出てくる。まるで何か魔法を見ているような気がするわけですが、常習としてこれこれの「罪ヲ犯シタル者人ヲ傷害シタルモノナルトキハ」こう、「其ノ他ノ場合ニ在リテハ」こうという、これだけの規定から実にいろいろなものが出てくる。日本語としては実におかしいんじゃないかと思うのですよ。つまり、最初は何々をもって論ずべきという、そういう形がこれらの形に変わってきたものですから、なおおかしいと思うのですが、たとえば日本語として、「常習トシテ」これこれの「罪ヲ犯シタル者人ヲ傷害シタルモノナルトキハ」こう、これはわかる。「其ノ他ノ場合ニ在リテハ」、これはその他の罪を犯したる場合にありてはという意味なのでしょう。そのように読めというのはちょっと無理だ。
○竹内(壽)政府委員 法文の形に直しますときは、仰せのようにちょっと日本語離れしてしまう結果になっておるのでございまして、私、その点は、この法律は決してうまい立言の方法ではないと思っておりますが、しかし、正確を期するためには、私どもが解釈として申し上げておることが、この法文の解釈として成り立つように、条文をはっきりさしていくということでだいぶ苦心をいたしたのでございまして、論ずるという用語は、これは古い用語でございまして、私どもには非常に耳なれておりますが、現在の法律用語としますと、そういう論ずるという書き方ではかえってわかりにくいということで、論ずるということばを避けるために苦心をしたのがこの用語例でございまして、この用語は、法制局と私のほうとで、だいぶ長いことかかりまして、解釈が逸脱しないように苦心をした作でございます。
○松井(誠)委員 その論ずべきときというときには、この包括一罪ということを主張する一つの理由としてこういう文言があるんだ、これは普通包括一罪をあらわす立言のしかたなんだというような話があったと思うのですけれども、それがなくなって、「人ヲ傷害シタルモノナルトキハ」「其ノ他ノ場合ニ在リテハ」ということになると、包括一罪だというような根拠は、この文句に求めるのではなしに、まさに理論に求めるということになるのか。
○竹内(壽)政府委員 そうではなくて、文言自体の中に包括一罪という考え方があらわれておるというふうに思っておるわけです。
○松井(誠)委員 これだけの文句から一体どういうことが出てくるのか、よくわかりませんけれども、私、議事録を読んでおってたくさんの疑問が出てくるわけです。刑の不均衡の問題で、犯人が強要罪を犯した、そしてその犯人は脅迫なら脅迫の常習の習癖を持っておる。その習癖のあらわれとして今度強要罪を犯した。その場合には、強要罪と常習暴行との想像的競合になるというような御答弁、それは論ずべきときというとき、そういう文言があるときには、それは無理だったけれども、しかしこういう形になったら、今度はこれはできるようになったんだという説明があるようですけれども、その辺も私はわからない。一体どうしてそれだけの違いがこれだけの結果をもたらすのか。むしろ理屈が先にあって、あとからこの規定に当てはめるのであって、規定そのものからは、そういう違いというものは出てこないのではないか。私らが読んでさえもわからないんですから、いわんや一般の国民が読んだら、これからそういうむずかしい理屈が引き出されてくるという根拠にはならぬのではないか。いまの強要罪と常習脅迫との想像的競合というのは、これはそのとおりですか。
○竹内(壽)政府委員 それはそのとおりでございます。それからまたこの文言につきまして、文句がございますようでございますが、これはごもっともなことで、(「文句とは何だ」と呼ぶ者あり)私は文言ということばをちょっとユーモラスに申し上げたのでございまして、私も現代的な法文の形でこれをあらわすといたしますと、もっと書き方があると思うのでございますが、とにかく現行法の暴力行為処罰法の表現にできるだけ近い表現ということを考えまして、そうして論ずるときというのに相当することは、これの発見に苦心をしたわけでございまして、結局こういう表現ならば、論ずべきときと書いたときと同じ解釈になるだろうというのがあのときの結論でございます。
○松井(誠)委員 先ほどの常習脅迫との想像的競合はわかりましたけれども、念のためにお聞きをしたいのですが、公務執行妨害とも同じような関係にある。しかし器物毀棄と建造物損壊とは違うので、つまり建造物を損壊をした、ところがその本人は器物毀棄の常習があった。この場合に、器物毀棄の常習と建造物の損壊とは想像的競合ではないという答弁があったと思いますが、やはりそうですか。
○竹内(壽)政府委員 法制審議会での説明では、器物損壊と建造物損壊とは併合罪になる、きわめてまれな場合にあるいは想像上の競合になる場合があるかもしれない、こういう答弁をした記憶がございますが、係の者もはっきり記憶しておりませんので、私の記憶をたどりまして申し上げます。その理由は、器物損壊と建造物損壊はよく似た犯罪のようにおとりになるかもしれませんが、これは建造物を損壊するというのと器物を破損するというあの投棄非とはかなり罪質が違うのでございまして、同一に論ずることは犯罪学的類型から申しまして適当でないという考えで、私どもは併合非という考え方をいたしております。
○松井(誠)委員 いまの問題について、私はあとで出所をはっきりさせますけれども、私、わからないのでお尋ねをするのですが、そうしますと、かりに強要罪を犯人が犯す、その犯人は常習的な脅迫者であった。想像的競合ということで、常習的脅迫の刑によるということになるわけです。ところが、その脅迫を犯した犯人が、同じときに、その前後に物をこわしたり、あるいは暴行をしたりということがあると、それは包括的一罪になるわけです。それと強要罪とはどういう関係になりますか。これは併合罪ですか。
○竹内(壽)政府委員 その場合には併合罪になりまして、ときによりましては、きわめてまれな場合だと思いますが、理論として考えますと、想像上の競合になる場合もあり得ると思います。
○松井(誠)委員 強要罪と、いま言ったような、それを機会に犯された暴行、脅迫とは、これは包括一罪にはならない、そうですね。
○竹内(壽)政府委員 おっしゃるとおりでございます。
○松井(誠)委員 この常習というのは、私はいまいろいろとお尋ねをしましたけれども、常習の範囲そのものもそうですし、こういう形で常習の加重類型ということを認めたために、いろいろな犯罪との想像的競合、という意味も私は実はよくわからないのですけれども、理屈の上でも、実際の問題としても困難な問題が起きると思う。私はただ理論的な興味でものを言っているのではなくて、繰り返しますけれども、まかり間違えば一年以上という形に当たるか、単に何カ月、何年以下という、そういう形になるかという、被告にとっては重要な問題でありますから、どっちに当たるのか、常習であるのかないのか、あるいは想像的競合になるのかならぬのかということは、本人にとっても非常に重要な問題である。そういう重要な問題を判断をするのに、これは蒸し返しになりますけれども、銃砲刀剣類の問題にしてもそうですけれども、単独裁判官にまかせるというのはおかしいのじゃないか。これは強盗とか窃盗という類型が単純なものならばわかりますけれども、そうでなく、こういうややこしい解釈をたくさんの判事ではなく一人の判事にまかせる。しかも常習という認定は、裁判官の主観的な恣意と言っては言い過ぎかもしれませんけれども、そういう分子を非常に含んでいる。そうすると、やはり合議制の裁判で、偏することなからしめるような形をとるのがほんとうじゃないか。そうして裁判の迅速そのものはもっと別途の方法で考えるべきであって、裁判の迅速ということのために国民の権利をそういう形で不安におとしいれるというのは、これは問題が所期の解決にはならないのじゃないか。繰り返しの議論になりますけれども、いまのような常習のいろいろの議論をお聞きするのにつけて、やはりそういう問題に返らざるを得ないことになるわけです。
○竹内(壽)政府委員 罪数論の御質問はこの磁場では初めての御質問でございますが、これはどの条文をつくりましても罪数論の問題は常に出てくるわけでございます。いま私がいろいろ申しましたのは、やはり四つの罪ないし傷害致死、やはりこれに限定して考える。ずばりそのものであるという考え方を貫いてまいりますために、いまの併合罪の解釈が出たり、想像上の競合の問題が出たりするのでございまして、これは理論を申しますと、非常に興味のあり、またいろいろ議論ができる問題だと思いますが、しかし、事柄はそういうことでありまして、そう複雑難解であるというようには私は考えておりません。したがって、慎重ということよりも、こういうことは一方において、結果論ではございますけれども、権利保釈からはずれていくという関係もございまして、この権利保釈というのは、要するに勾留中の問題でございますので、早く裁判をしていくということのほうがより一そう有効な方法ではないかというふうに考えておるのであります。
○松井(誠)委員 いまいみじくも局長は権利保釈ということを言われましたので、その権利保釈についてちょっと触れたいと思います。
 これは正面から言っておりませんけれども、しかし、結果として権利保釈を制限するという結果になるという言い方で言っておるけれども、しかし、権利保釈を制限しようというのが、この刑期を考えるときの基本にあったというように伝えられておるわけであります。そうだとすると、たとえば常習の場合だとかあるいはお礼参りの危険のある場合は権利保釈の制限ができるわけですけれども、私がお伺いをしたいのは、暴力団の場合にこの規定を使って権利保釈をさせなかった、常習だという認定をして、あるいはお礼参りの危険があるというように認定をして権利保釈を許さなかった事例と、許さざるを得なかった事例とのパーセンテージというものはおわかりですか。
○竹内(壽)政府委員 羽山刑事課長から統計上の御説明をいたさせます。
○羽山説明員 全体的に調査することができなかったのでございまして、三十八年の二月六日現在で公判係属中のものをとらえておるのでございます。そしてその罪名は傷害に限っておりますが、全部で千七百四十三人でございまして、そのうち権利保釈になりました者が六百五十二名でございます。
○松井(誠)委員 当面は傷害だけでもいいわけですけれども、大体こういうパーセンテージが常時のパーセンテージになりますか、千七百に対する六百幾ら。これはちょうど偶然三十八年の二月現在という時点をとらえての統計ですけれども、およそそういう数字でいっておるという見込みですか。
○羽山説明員 その後ときどき同じような調査をやってみますと、大体低いときに二一%、高いときが三一%程度でございます。
○松井(誠)委員 そうしますと、大体七、八割は権利保釈を許されていないということになるわけでしょう。
○羽山説明員 さようでございます。なお、そのほかに裁量保釈として保釈を許されておる者があるわけでございます。
○松井(誠)委員 権利保釈を許されなくて残りの七、八割のどれくらいが裁量保釈を許されておるのか、これは非常に微々たるものだと思うのですが。
○竹内(壽)政府委員 ただいま申し上げましたのは傷害罪でございますから、比較的私は重い刑の者だと思うのです。そういう者につきまして、いま権利保釈の状況をある時点をとらえて調査したものしか御報告できないのでありますけれども、それによって見ましても、権利保釈ということで出ますのが三〇%程度常時あるというふうに推定できるわけでございます。
 それからあと、いまの裁判が長引きますために起こってくることだと思いますが、裁判所の裁量によりまして保釈を許される者、こういうことで裁判の結果――裁判が終わるまでそのまま勾留されておったという者は必ずしも多くないというのが現状でございまして、このこと自体が悪いと言うのではございませんが、そのためにお礼参りというようなことも世間では言われておるのでございまして、お礼参りがあるという疑いがあれば保釈の取り消しもできるわけでありますが、そういうことが取り調べ官の耳に入ってくるのは被害が起こってから後のことでございますし、また、なかなか把握できないというようなことで、やはり暴力団の構成員であるような人につきましては、裁判を早くしてもらって勾留をしておくというのが策の得たものだというふうに私は思っております。
○羽山説明員 救世保釈の数字がわかっておりますので申し上げますが、一番多い場合が九・五%でございます。一番低い場合が八・一%でございます。
○松井(誠)委員 裁量保釈は、刑を幾ら上げたところで裁判所はやるわけですけれども、お尋ねをしたいのは権利保釈なんです。これが七、八割は権利保釈を許されない状況だとすれば、権利保釈をいわば妨げるために刑を上げるという目的は、理由としてはきわめて薄弱だと思います。
 それから私、先ほど大事な数字をお尋ねするのをちょっと忘れたのですけれども、あるいは私の間違いであればお許しを順いたいのですが、銃砲刀剣類を用いてやった傷害というものの刑は一体どれくらいになっておるか、この統計はないと思うのですけれども、銃砲刀剣類を用いた傷害の判決の統計ですね。
○竹内(壽)政府委員 統計としてはわかりにくいのでございますが、銃砲刀剣類を用いて傷害をしたであろうという推定はできる資料を持っております。これは年間約千人ぐらいあるのではないかというふうに考えております。
○松井(誠)委員 私のお尋ねしたいのは、銃砲刀剣願による傷害を、裁判所が軽くてしようがないから一年以上という刑にしようという、ざっくばらんに言えばそういう趣旨です。だから現実に裁判所は銃砲刀剣無を用いてやった傷害についてどういう判決を下しておるかということを聞きたいのです。件数ではないのです。
○竹内(壽)政府委員 これは個々の事件について申し上げるほか、統計的にとることはむずかしいと私は思うのでありますが、全般的な問題としては、統計として差し上げてありますように非常に低いところ、つまり下限のほうに判決の結果が集中しておるということは一般論として申し上げられると思います。
○松井(誠)委員 一般論としては、一年以下の刑が傷害の場合に七判五分くらいだ、これはそうだと思います。しかし、一年以下という傷害の刑は、おそらくは銃砲刀剣というものに関係のない、凶器を持っておってもそういうものとは関係のない犯罪が多いのではないか。いまは銃砲刀剣類を用いての傷害の刑がどうかということが問題になっておるわけでしょう。ですから、銃砲刀剣類を用いての傷害の判決は、一年以下というものが一体どれだけあるのか、一年以上がどれだけあるのかということの統計はないのですか。
○竹内(壽)政府委員 統計はございませんが、具体的な事例でもしお示しをするものがあればお示しをしたいと思いますが、そういう統計はとりようがないわけでございまして、そういう御要求の一般的な統計というものは、私のほうではあまりとっていないので、この調査のために特別に依頼をして、ある時点をとって調査をしたものをお手元に差し上げておるわけでございます。銃砲刀剣知を使った傷害がどれくらいの刑を言い渡されておるかという統計はなかなかとりにくいわけであります。今度この法案が通れば、これに該当するものは統計をとれるわけであります。
○松井(誠)委員 この暴力犯罪の刑全体についての統計は実に精細な統計がある。そしてそのときに使った凶器についての統計についても実に精細な統計がある。銃砲刀剣類を使った件数がどれだけあるか、こん棒や鉄の棒を使った件数はどれだけあるかという統計はある。しかし、いま問題なのは、銃砲刀剣類を用いた傷害の刑が重いか軽いかということが一つの焦点になっておるわけです。その大事な統計がないというのは明らかに不備だと思うのです。これは不可能ではないと思う。ですから、そういう統計はとれないのか、あるいはいまは手元にはないけれども、時間をかければそれは提出ができるのか、どうでしょう。
○羽山説明員 さかのぼりまして、判決を全部関係を読みまして、求刑と裁判との突き合わせをやりますことは、時間がございますれば不可能ではございません。しかしながら、それは全国の検察庁の支部、場合によりましては区検まで動かすことになりまして、その労力が非常にかかりますのと、時間的にも間に合わないのでございます。したがいまして、別途お手元に事例集を差し上げてあるのでございますが、たとえばこの事例集の水戸の管内で起きました事件等を見ていただきますると、事件の概要とその犯人の前科の犯数、それに対しまして、ございました裁判の結果というようなものが書いてあるわけでございます。
○松井(誠)委員 いまのは御答弁にならぬと思いますね。私がお尋ねしたいのは、繰り返しますけれども、銃砲刀剣数による傷害、それがそういう重大な犯罪であるのに、検事が幾ら求刑を重くしても、裁判所がなかなかそれに乗ってこない。だから――これは常習傷害のほうは別ですよ。いまの銃砲刀剣類を用いての傷害について刑を上げるという唯一最大の根拠はそれでしょう。ところが、それに具体的な根拠がないということになると、この改正というのは全く非科学的なものに基づく改正だということになる。これは理論家にあるまじきやり方だと思うのですが、どうですか。
○羽山説明員 一々具体的な事件をあげまして、こういう求刑をいたしましたところが、こういう裁判がありましたと申し上げましても、これは一々そのときの裁判批判にわたるようなことになりますので、その資料は実は準備いたしたのでございますが、ここに提出をいたすのを差し控えたのでございます。しかしながら、お尋ねでございますから一つ申し上げますると、三十四年の九月に、傷害等の前科七犯で熊本の管内で日本刀で傷害いたしましたのを、検事は懲役一年を求刑いたしておりますが、これが罰金三万円になっております。そこでこれを目下検事控訴いたしております。
○濱野委員長 松井さん、その資料を求めることはなかなか困難のようですが、別な角度からほかの方向へ進んでいただけませんか。あの様子では非常に困難でしょう。
○竹内(壽)政府委員 御要求の資料をつくることは不可能ではないのです。不可能ではございませんけれども、具体的事件につきまして、名前を伏せたりなんかして、ここへ事例集を実例として出したわけでございますが、統計で出すということになりますと、いま言ったような非常な膨大な作業が要るのでございまして、具体的事例をもって達観をしていただきますと、ある程度おわかりいただけると思いまして、この事例集を出したのであります。ひとつ事例集をごらんいただきたいと思うのでございます。
○松井(誠)委員 この事例集というものが全部銃砲刀剣類を用いた傷害であって、これが全部であるというならば、これからわれわれも統計をつくれます。しかしながら、そうでなく抽出例であるということならば、これだけでは全貌がわからぬわけです。ですから、先ほども言いましたけれども、暴力犯についての裁判所の判決というものは炎に詳しい統計が出ておる。そうしてそのときにどういう凶器を使ったかという統計も詳しく出ておる。ところが、その肝心の銃砲刀剣類がどういう位置を占めておるか、それに基づく傷害がどういう判決かという一つのこの改正案のポイントになる具体的な資料がないではないか。それはつまり技術的に出せるのか出せないのかということです。時間をかければ出せることは間違いないのです。
○竹内(壽)政府委員 技術的に不可能かという御質問でございますが、技術的には不可能ではございません。これは時間をかけてやればできることはできますが、私ども差し上げました資料でおわかりいただけないということでございますと、まことに残念でございますが、私どもは最善の資料を提供したつもりでございます。
○田中(織)委員 ちょっと関連して。いまの点は、特に銃砲刀剣類による傷害の罰則強化のための最大の根拠じゃないかと私思います。その意味で、時間がかかるとか、技術的には不可能ではないということを言われるのですけれども、私はそういうことはないと思うのです。凶器のやつを、いろいろな種類をあげてこまかい数字が出ておるのでありますから、その数字が示されないということは、私どもとしてはどうしても納得できない。そういうものをお出しにならないとすれば、銃砲刀剣類による傷害の判決については、あなた方が今度説明されるようなことでないのじゃないか、それだからその数字を出さないのではないか、こういうふうに少し先回りしたような判断をしなければならないようなことにもなると思うのです。最近たとえば銃砲刀剣熱によるところの犯罪が出てきておるので、その点について、そういうようなものが今後どんどん出てきたら困るから、予防措置の意味で罰則を強化するのだというなら、これも一つの理由ですけれども、過去の銃砲刀剣熱による傷害についての判決がどういう傾向になっておるかという統計的なつかみ方ができないということについては、私どもどうしても納得できない。
 そこで、できれば求刑と判決との間の対照的な数字が一番好ましいけれども、それがなくても、銃砲刀剣類による傷害の判決、科刑というものが大体どういうようになっておるかということの数字は、私はつかめないはずはないと思う。その点からこれはぜひ出していただきたい。
○竹内(壽)政府委員 きわめて正確な何年が何件、何年が何件というのは、先ほど申しましたように非常に時間がかかりますが、私どもが報告を受けております全部の事件につきまして調査をいたしまして、この事例集ではなくて、いまのような武器を用いてやった傷害がどういう刑を言い渡されておるかということを、報告のありました分につきまして全部調べ上げまして表につくってみたいと思います。それによりまして、いま田中先生のおっしゃる程度の傾向といいますか、そういうものは十分つかめると私は思いますので、それは至急作業いたしまして、あまり件数はないそうでございますから、そう時間はかからないと思います。あさってまでにできるだけ……。
○松井(誠)委員 だいぶお急ぎの人が多いようですから、だんだん終わりにしたいと思いますけれども、この刑を上げる、下限を上げるという問題について、たとえば短期自由刑ではなかなかうまくいかないのだ、三十何歳で二十何犯という男があるというお話でしたけれども、今度の、たとえば常翌暴行や常習脅迫にしたところで、これは最下限は三カ月、三カ月ならば、これは短期自由刑でないとはまさか甘えないと思う。短期だと思う。ですから、短期自由刑の弊害があるからということでは下限を上げるという理由としては非常に薄いのではないか。少なくとも常習傷害については一年ということになるからあるでしょうけれども、それ以外の常習罪については三カ月ですから、依然として短期自由刑の弊害という面は残るのではないか。一緒くたにして何か議論をされておるやに思いますので、念のためにお伺いしておきたいと思います。
○竹内(壽)政府委員 短期の三カ月というのは決して長期ではございません。いまの考え方からしますと、懲役刑の考え方として、いまは一カ月以上が懲役刑の短期になっておりますが、これを三カ月にしよう、あるいは六カ月にしようという議論さえあるわけでございまして、三カ月というのをもって、決して短期自由刑が無意味であるというのにこたえる最下限とは思いませんけれども、しかしながら、短期をそこまで上げるということによりまして、こういう事件に対する量刑の指針というものはある程度つくと思うのであります。そういう意味で、私は野放しに下をはずして五年以下の懲役という言い方よりも、三カ月というしぼりがかかっているところに意味があるというふうに思います。もちろん、仰せのとおり三カ月というのは、いまの処遇上決して適正な刑だとは思いません。むしろ、三カ月という最下限でやらなければならぬというのではございませんので、そういう考え方を示しておるんだというふうに私どもは理解しております。
○松井(誠)委員 私は、世論が起こるたびに刑を引き上げるということによってこたえるというその考え方が、やはり根本的に問題だと思うのです。これは私の記憶違いかもしれませんけれども、たぶん去年であったと思いますが、地方行政委員会で、局長に来てもらって、例の誘拐罪が問題になったころ、自民党のだれであったか、営利誘拐についての刑をもっと上げるべきではないかという質問があったと思うのです。そうしたら、その当時の篠田国家公安委員長が、確かにそのとおりですという答弁をされたと思う。そうしましたら、竹内局長がそのあとに立って、いや、日本の営利誘拐罪というのは決して軽くはないんだ、諸外国の例から見ても決して軽くないんだという答弁をされたような記憶が私はある。そういうことはございませんでしたか。
○竹内(壽)政府委員 私はそういう記憶はございませんのですが……。
○松井(誠)委員 そのときに私が感じたのは、何か世論があがるというと、すぐ刑を引き上げようという、そういうムードに議員さん自体が便乗しようとする。そのときに案の定大臣はそのとおりでございますという迎合的な答弁をされた。しかし、やはり局長は私はりっぱだと思ったのです。つまりそういうムードに迎合しないで、やはり日本の刑はこうなっております。これで十分だという趣旨のことを御答弁なさったと思うのです、誘拐罪が非常にやかましかったころ、それを思い出して、今度この暴力行為等処罰法で、私はむしろ局長はずいぶんつらい思いをされておるのではないかと率直に思う。というのは、銃砲刀剣類の解釈をめぐって気持ちのしこりがまだある。つまり、理論的にそういう問題を残しながら立法しなければならぬという、そういうことが私は問題じゃないかと思う。やはり検事が大いに求刑を上げる、そうして世論がそれを大いに支援をする、その中で判事が上げるという努力の積み重ねがどうしても大事じゃないか。いまこそ世論がこうしてあがっておりますけれども、さっき大臣が、こういう風潮は三年や五年ではなくならぬと言ったけれども、そのこと自体私はおかしいと思う。もっとやはりこの暴力団というものを徹底的に憎んで、その根絶を期せば、いまの刑は重過ぎたという時代がこないとも限らないと思う。ですから、すぐに刑に手をつけるという考え方、それはやはり取り締まり第一だという暴力対策の一つのあらわれだと思う。いろいろな世論とか、そういうものを使って刑を上げるという努力をいつでも抜きにして問題をやる。ですから、いろいろな政治的なと言いますか、そういう形で迎合しようとするものですから、日本の刑法理論からはみ出したり、体系的に説明ができなくなるものをやらなければならぬということになる。そうではなしに、ここでやはり抵抗を示して、問題はそこにはないのだ、問題はそこにはなくて、国民の世論のほうにあるのだという姿勢をひとつぴしっと持っていただけませんか。そうすることが、私はこういう無用な混乱を起こさない一つのいい方法じゃないかと思う。何でも刑に手をつけるという非常に安易な考え方そのものについて、私は局長は御批判を持っておると思います。その点をひとつ最後にお伺いをしたいと思う。
○竹内(壽)政府委員 私は、暴力対策につきましていろいろ考え方はあると思うのでございますが、私は町の一般の市民がほんとうにうっとうしく感じておりますいわゆる小暴力の対策と、それからいまのこのような武器を用いてやる傷害、いわゆる出入りの刄傷ざた、この二種類、私はやはり立法上の対策としては考慮していかなければならぬと思うのでございます。小暴力の点につきましては、将来の問題として考えておるのでございますけれども、さしあたって一番危険な行為でありますところの、こういう武器を用いての刄傷ざたに対してどういう処置を講じていくかということにつきまして、私も当初からいろいろ研究し、この実態調査というようなことをやってみたわけでございまして、そのきわめて結論的なものをかりにしたためて、先般松井委員の御希望によりまして差し上げましたわけでありますが、あれでお読み取りいただきましてもある程度おわかりいただけたと思いますが、私が当初考えておりましたのと違って、この種の暴力団の構成員というのは、全く前歴者の集団であるということがわかりました。このこと自体からもわかりますように、これは刑が軽いんだ。軽いことが問題だ。そのために適当な矯正処分もできませんし、保護観察も十分行き川かない。要するに出たり入ったりしておるうちに向こうだけは階級が上がってしまって、言うならば、変な言い方でございますけれども、われわれの手で彼らを養成しておるような結果になっておるんじゃないか。この原因をよく突き詰めてみますと、刑が軽いというところに問題があるんじゃないかということから、この刑を引き上げていく。刑を引き上げていくためには竹別な構成要件をつくらなければ法体系上これは許しがたいことでございます。一般的に刑を引き上げるというわけにはいかない。そうだとしますと、特別な構成要件を設けまして、その中であの構成員の人たちがやる、普通の人はあまりやらない、あの人たちだけが好んで犯す犯罪類型に着眼いたしまして、この部分の改正をして対策の一環に資したい、こういう考えでございます。でありますから、部分改正というものはどうしてもはまりよくなかなかいかないものでありまして、最終的の手直しは刑法の全面改正の際に譲らざるを得ないのでございますけれども、部分改正としましては、できるだけ万般の考慮を尽くしたつもりでございますけれども、なお御指摘のような問題点もいろいろあろうかと思いますが、刑法の改正作業も現に進行中でございますので、それまでのつなぎ的な立法という考え方でこの案をつくっておるわけでございます。私の考えとしてはそうでございます。
○松井(誠)委員 オリンピックを前にして、いま局長の言われた小暴力を退治するというそういう声で、また軽犯罪法の改正というようなことをお考えになっておるのだと思うのです。あるいは青少年の保護条例だとか、ぐれん隊防止条例というものをもっと全国的に普及させるというようなことをお考えになっておるのだと思う。それは悪いことじゃないかもしれません。悪いことじゃないかもしれませんけれども、オリンピックがあるから街頭をきれいにしようではないかということで、小暴力ばかりに目を奪われるというのは一体どういう結果になるか。私は、この青少年保護育成条例だとか、迷惑防止条例というものが果たしておる役刷りについて、暴力犯罪対策の中でお伺いをしたいと思ったのですけれども、先ほど来から催促がございますので、きょうはこれでやめたいと思います。
○濱野委員長 本日の議事はこの程度にとどめます。
  次会は来たる二十三日午前十時より開会することとし、これにて散会したします。
   午後八時三分散会