第070回国会 社会労働委員会 第1号
本国会召集日(昭和四十七年十月二十七日)(金
曜日)(午前零時現在)における本委員は、次の
通りである。
   委員長 小沢 辰男君
   理事 伊東 正義君 理事 竹内 黎一君
   理事 橋本龍太郎君 理事 向山 一人君
   理事 山下 徳夫君 理事 田邊  誠君
   理事 大橋 敏雄君 理事 田畑 金光君
      秋田 大助君    有馬 元治君
      井出一太郎君    大石 武一君
      大橋 武夫君    倉石 忠雄君
      小金 義照君    斉藤滋与史君
      田中 正巳君    竹下  登君
      登坂重次郎君    中島源太郎君
      中村 拓道君    早川  崇君
      原 健三郎君    廣瀬 正雄君
      別川悠紀夫君    松山千惠子君
      粟山 ひで君    大原  亨君
      川俣健二郎君    後藤 俊男君
      島本 虎三君    八木  昇君
      山本 政弘君    浅井 美幸君
      古寺  宏君    古川 雅司君
      今澄  勇君    西田 八郎君
      寺前  巖君
―――――――――――――――――――――
昭和四十七年十月二十八日(土曜日)
    午後三時十一分開議
 出席委員
   委員長 小沢 辰男君
   理事 竹内 黎一君 理事 向山 一人君
   理事 山下 徳夫君 理事 田邊  誠君
   理事 大橋 敏雄君    田畑 金光君
      秋田 大助君    井出一太郎君
      大橋 武夫君    小金 義照君
      斉藤滋与史君    田中 正巳君
      竹下  登君    中村 拓道君
      別川悠紀夫君    粟山 ひで君
      川俣健二郎君    島本 虎三君
      浅井 美幸君    寺前  巖君
 出席国務大臣
        厚 生 大 臣 塩見 俊二君
 出席政府委員
        厚生政務次官  増岡 博之君
        厚生省援護局長 高木  玄君
 委員外の出席者
        外務大臣官房領
        事移住部長   穂崎  巧君
        外務省アジア局
        南東アジア第二
        課長      平岡 千之君
        社会労働委員会
        調査室長    濱中雄太郎君
    ―――――――――――――
十月二十七日
 公的年金の年金額等の臨時特例に関する法律案
 (大原亨君外六名提出、第六十八回国会衆法第
 二〇号)
 優生保護法の一部を改正する法律案(内閣提出、
 第六十八回国会閣法第一一一号)
は本委員会に付託された。
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 国政調査承認要求に関する件
 厚生関係の基本施策に関する件(未帰還者等に
 関する問題)
 未帰還者救出等に関する件
     ――――◇―――――
○小沢委員長 これより会議を開きます。
 国政調査承認要求に関する件についておはかりいたします。
 厚生関係の基本施策に関する事項
 労働関係の基本施策に関する事項
 社会保障制度、医療、公衆衛生、社会福祉及び人口問題に関する事項
 労使関係、労働基準及び雇用・失業対策に関する事項
以上の各事項について、その実情を調査し、対策を樹立するため、小委員会の設置、関係各方面からの説明の聴取及び資料の要求等の方法により、本会期中調査を進めたいと存じます。
 つきましては、衆議院規則第九十四条により議長の承認を求めたいと存じますが、御異議ありませんか。
  〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○小沢委員長 御異議なしと認め、さよう決しました。
     ――――◇―――――
○小沢委員長 厚生関係の基本施策に関する件、特にルバング島などにおける未帰還者等に関する問題について調査を進めます。
 まず、本問題について政府当局より説明を聴取いたします。増岡厚生政務次官。
○増岡政府委員 フィリピンのルバング島におきましての元日本軍人の件につきまして御報告を申し上げます。
 十月十九日にフィリピンのルバング島におきまして、現地の警察軍が元日本軍人らしい者二名と交戦し、二名のうち一名は射殺され、他の一名は負傷のまま逃亡したという報告が、在マニラ日本大使館から外務省にございました。死亡した一名の遺体は、同日の夕刻マニラに送られ、日本大使館員が検分したところ、容貌、遺品等から見て、元日本軍人にほば間違いないと判定されたのであります。
 このルバング島には終戦前に七十五名の日本軍人がいたのでありますが、そのうち三十一名が戦死し、終戦後において四十一名が投降、一名が死亡し、昭和二十九年ごろには同島に小野田寛郎元少尉及び小塚金七元一等兵の二名が残留しているということが、終戦後投降した人たちの証書により判明していたのであります。したがいまして、厚生省におきましては、昭和二十九年、昭和三十三年及び昭和三十四年にこの二名の救出工作を実施いたしました。特に昭和三十四年には約七カ月にわたり大規模な調査、捜索を行なったのでありますが、ついに元日本軍人が生存しているという形跡を発見することができず、二名はすでに死亡しているものと判断していたのであります。
 以上のことから、厚生省としては、全回ルバング島で発見された二名は、小野田元少尉と小塚元一等兵に間違いないと判断いたしまして、十月二十二日に援護局柏井審査課長以下三名の職員及び小野田元少尉の実兄である小野田敏郎氏、小塚元一等兵の実弟である小塚福治氏の五名を現地に派遣したのであります。派遣団は十月二十二日マニラ到着後、直ちに遺体を検分し、その結果、遺体は小塚金七元一等兵であることが確認されたのであります。
 小塚金七さんについては、過去において政府派遣団が数回にわたって捜索したにもかかわらず、救出できなかったことはまことに遺憾であり、心から哀悼の意を表するとともに、御遺族に深くおわびを申し上げる次第であります。
 小塚さんの御遺体については、御遺族の強い希望もあり、十月二十七日に厚生省職員付き添いの上、御両親の小塚直吉さん、フミさん及び実姉の福田チヱさんにマニラに行っていただき、遺体と対面していただいた上、荼毘に付し、十一月一日御遺骨を日本にお持ち帰りいただくこととなっております。
 遺体が小塚元一等兵と確認されたことによって、残る一名は小野田元少尉に間違いないことが判明したので、今後はその救出に全力を傾けることとし、派遣団は遺体確認後、同日、直ちにルバング島におもむき、救出工作を実施中であります。
 厚生省は、派遣団の増強をはかるため、十月二十三日に職員一名、十月二十四日に職員一名と小野田元少尉の実弟である小野田滋郎氏、義姉の小野田保江さんの三名を、さらに十月二十五日に小野田元少尉の実姉の米岡千恵さん、戦友の藤田好雄氏と赤津勇一氏及び元上官の谷口義美氏の四名を現地に派遣いたしました。
 現在の救出工作は、ヘリコプターによるビラ等の散布、帰投の呼びかけ、現地踏査による捜索を行なっておりますが、残念ながら現在までのところ救出の手がかりを発見するに至っておりません。
 本件について、フィリピン側はきわめて好意的であり、十月二十二日に第一次派遣団がマニラに到着した際には、メルチョール官房長官が空港に出迎え、さらにマルコス大統領からも、御希望ならお会いするというメッセージが伝えられたほどであります。また、小塚金七さんを荼毘に付する際には、フィリピン側から儀仗兵及び軍楽隊を派遣し、栄誉をささげたということであります。さらにフィリピン側の捜索責任者には、官房長官補佐官のファンチョ中佐が任命され、小野田元少尉を無事救出するという方針のもとに、現地警察軍が派遣団に全面的に協力している現状でありますので、十月二十五日に、厚生大臣からメルチョール官房長官あてに電報で本件に関するフィリピン側の協力に感謝するとともに、小野田元少尉を無事救出するため、フィリピン側の今後における一そうの御協力をお願いした次第であります。
 小野田元少尉を無事救出することは国民すべての強い念願であり、厚生省に与えられた使命と考えておりますので、今後あらゆる手段を尽くして救出の努力を傾ける所存であります。
 以上であります。
○小沢委員長 次に、質疑の申し出があります。順次これを許します。山下徳夫君。
○山下(徳)委員 ルバング島の元日本兵二人のニュースは、横井さんの問題が国民の関心からようやく遠ざかっておる矢先であっただけに、再びそういう敗残兵と申しますか、そういう人たちに対する国民の関心を引き戻したという感じがし、同時にまた、国民にかなり大きな衝撃を与えたと思うのであります。何とも非常にむごたらしい悲劇といわなければならないと思いますが、今回は身元も大体間違いないということで、やはり生きておったのかという新たな一つの驚きが加わったということでございましょう。家族の御期待あるいはまた御家族に与えた悲しみは、いかばかりかと拝察いたすのでございます。
 いろいろ新聞の報道なんか見てみますと、やはり横井さんと同じように、生きて虜囚のはずかしめを受けずというような一つの戦陣訓を順守してきた、そしてそれが長期間にわたって、ああいう生活をやっていて、半ば狂信的になったというような心境であろうと思うのでありますが、それらを推察するに、これまた胸を締めつけられるような思いがいたすのであります。
 小野田さんはまだ見つかっておりませんけれども、先日受けられた傷が重くなければよいがと私どもも心配をいたしておるのでございますが、厚生省の未帰還者の記録によりますと、まだ三千五百七十三名が記載されておる。この中で国の戦時死亡宣告といいますか、これを拒否して受け付けないという遺家族が四百世帯あるということを聞いておりますが、言うなれば、この生きている英霊に対して、厚生省は従来どのような措置をとってこられたか、これはルバング島に限らず、厚生省が一貫してとられた措置というものがあれば、ひとつこの際お聞かせを願いたい。
○高木(玄)政府委員 未帰還者の調査でございますが、これにつきましては、従来から、すでにお帰りになった方々からいろいろ情報なり資料の御提供を願って、それを整理いたしますとともに、在外公館を通じいろいろな情報の収集、あるいは在外の商社その他にも依頼いたしまして、そういった未帰還者についての調査をいたしております。
 そこで、厚生省のほうで調査いたしまして、死亡したという事実なり場所というものははっきりつかめませんが、消息を断った時点なり場所等を総合的に判断して、死亡したものと推定される、そういうものにつきましては、留守家族の御同意を得まして、戦時死亡宣告を申し立てるということで、死亡の処理をいたしておるものでございます。
 そういったことにつきまして留守家族が同意しないケースが、ただいま先生がおっしゃられたとおりございます。これは留守家族が同意しない以上やむを得ません。ただし、留守家族が同意いたしまして、戦時死亡宣告を申し立てまして死亡の処理をいたしましたものにつきましても、その方々に関する情報については引き続き未帰還者と全く同じように追求してまいるという体制をとっておる状況でございます。
○山下(徳)委員 ルバング島の生存者の救出工作につきましては、先ほど政務次官から御報告がございましたように、昭和三十四年で打ち切られております。最終年次の三十四年には約七カ月にわたって八百万の予算を使ったということが御報告されておったのでありますが、この三十四年の打ち切りに際して、もっと大規模な予算をつぎ込んで大々的に捜索をやっておったならば、今回のような悲惨な事件は未然に防止できたのではないか、そういうふうに感じるのであります。
 たとえば一例を申し上げますと、今回山下奉文大将の降伏命令書のコピーを捜索隊に手渡してあるということでありますが、この命令書が二人の元日本兵に伝わらないばかりに、両親の呼びかけにも背を向けて出てこない、いまだに投降を拒み続けていると思われるのであります。したがって、昭和三十四年以前の捜索のときに、その命令書のあることを何らかの方法で知らせるべきではなかったか。そこらあたりに、三十四年までにとられた厚生省の捜索の方法に手落ち等はなかったかという点ですね、あるいはその規模その他において十分であったかという点についてお尋ねしたいと思います。
○高木(玄)政府委員 このルバング島の生存兵の問題につきましては、昭和二十一年の時点におきまして、ルバング島に降伏をがえんじない者、小野田元少尉ら四名がルバング島に立てこもっておるということが伝えられておりまして、そういう降伏しない者が四名おるということが、ほぼわかっておったわけであります。その後、その四人の方の情報ははっきりつかめないでおりましたところ、昭和二十五年に、そのうちの一名である赤津元一等兵が単独で投降してまいりまして、昭和二十六年に帰国されました。そこで赤津元一等兵のお話によりまして、残りの三名がまだ生存しているということが明らかになったのであります。当時、占領下でございましたので、占領軍等を通じてその救出方について努力いたしたのでありますが、占領が解けました後も、フィリピン政府に対しまして救出隊を派遣いたしたいという申し出をいたしております。ところが、当時フィリピン政府から国内政情不安定のために入国を断わられておったような状況だったのであります。
 こういったことに経緯するうちに、昭和二十九年にフィリピンの山岳部隊がやはり元日本兵らしい者と遭遇して、一名が死亡したという情報が入りまして、調査いたしたところ、その一名が三名のうちの一人である島田庄一元伍長であることが明らかになり、そのためにフィリピン政府は救出隊の入国を認めてくれたのであります。したがいまして、昭和二十九年の五月に厚生省の職員一名と、それから小野田さんのにいさん、それから小塚さんの弟さん、この三名が約二週間ルバング島に渡りまして救出工作に従事いたしました。しかし、そのときも生存の形跡を見つけることはできなかったのであります。
 その後、散発的に救出工作が行なわれておりましたが、昭和三十三年になりまして、フィリピンに遺骨収集団を政府から派遣いたしました際に、このルバング島に収集団が立ち寄りまして、現地の調査、それからビラによる呼びかけ等を実施いたしたのであります。
 それから昭和三十四年に国会における引揚特別委員会等の御決議等もございまして、本格的に救出工作をやるということで、昭和三十四年におきましては五月から十二月にかけまして、七カ月にわたりまして三回に分けて、こちらから救出のための人間を派遣いたしております。その救出の派遣団の中には、厚生省の職員はもとよりのこと、家族の方々、戦友の方々も含んでおるわけであります。また救出にあたりましては、いろいろ各方面のお知恵も拝借して、とにかく七カ月にわたって、当時としてはやれるだけのことをやった、努力をしたというふうにいわれております。
 その結果、それだけやっても、どうしてもわからないということで、当時の派遣団長は、もうこれは死亡したものと認めるという判断を下したようであります。またその判断を下すにあたっては、御一緒に捜索に当たられました家族の方々も、これだけさがしていただいてわからないならば、自分たちも、死亡したものというふうに処理していただいてけっこうであるという家族の方からのお申し出もあったというふうに聞いております。
 そういった事情で捜索が打ち切られて、死亡したものとして扱われたのでございますが、引き続きお二方は生きておられたのでありますから、いまから思えば、先生おっしゃるように、あのときもっと手を尽くしておくべきだったということが、非常に残念に思われるわけでございます。
○山下(徳)委員 ただいまの局長の答弁で、昭和三十四年の最終の打ち切りまでには相当尽くすべき手は尽くして、もはや生存が確認できないという状況から判断して打ち切った、また家族もそれを承知されたということでございますから、それは私も一応理解いたします。
 しかしながら、これは私は新聞で見たのでありますが、昭和三十四年の十二月に現地のフィリピン側と、今後一切日本兵らしいという情報があっても採用しないという共同声明を発表されたということであります。いま申し上げたように、私も新聞で知る以外にはないのであります。その他の資料はございませんが、これは事実なのか。
 その後昭和四十二年の四月十日に、マニラのクロニクルという新聞が、元日本兵二人がまだ生存し、住民を脅かしている、また同紙は、この二人は小野田元少尉と小塚元一等兵と推定し、二人は三十七年十一月からこれまで三十三件の暴力事件を起こしているというふうに伝えている。これに対して、いま申し上げたように、三十四年にこれを打ち切って、そして今後はどういう情報が入っても一切やらない、そういう共同声明をやられたということなんですが、そこらあたりは共同声明がどういう意図に基づいてやられたのか、そしてまたいま申し上げたように、四十二年に現地の新聞がそういう報道をしたにかかわらず、三十四年に共同声明をしたんだから、やらないというお気持ちで何ら手を打たなかったのかどうか、そこらあたりをひとつ……。
○高木(玄)政府委員 いま先生の言われました共同声明につきましては、私ども何ら聞き及んでおりません。そういった事実はなかったと思います。
 それからルバング島に関する限り、その後捜索を打ち切り、死亡という扱いをいたしました以後、厚生省には何ら生存情報は入ってきておりません。
 そこで、御参考までに当時の在フィリピンの湯川大使から藤山外務大臣にあてた電報の写しがございますので、これをちょっと読み上げさしていただきたいと思います。これは三十四年十二月五日の電報でございます。
    日本派遷団工作終了にともなう新聞報道の件
  ルバング島残留兵の確認工作のため長期にわたり努力を続けてきた日本派遣団は十一月二十六日「日本兵は既に早い時期に死亡した」との認定を下して、工作を打切り、十一月三十日午前零時十五分板垣徹団長以下八名はマニラに帰還した。ついで翌十二月一日既電のとおり国家警察隊司令部にガルシア大佐、国防省等を訪問離比の挨拶を行った。
  その際板垣団長等一行は比側の従来の協力を深く謝するとともに、派遣団一行が五月以来の工作の結果、小野田、小塚の両名は早くに死亡したものと断定するとの趣きを伝えた。
  同日午后当館で約一時間半にわたり、内外記者会見を行い、同団長が軍関係方面に伝えたと同様、前記趣旨を説明した。これは板垣団長ら一行の達した結論を正しく世界に伝え、かつ屡次当地新聞に報道されたセンセーショナルな記事に表われたような「軍による討伐」の無意味にして、日比友好関係の増進を阻害する慣れのある点を憂い、これを封殺する目的と、比側軍官民の協力に謝意を表明する機会を持つためであった。
  翌日の当地各紙は、同日の記者会見の内容を比較的正確に報道し、PCのカンポ司令官等の「将来遺骨を発見した場合には直ちに日本に送り届ける心算である」と語った談話を加え、「ルバング工作は終った」という印象を与えるような記事を掲載している。という電報が入っております。当時日本とフィリピンの両国がこの件に関して共同声明を発したという事実は全くございません。
○山下(徳)委員 この際、大臣にお尋ねしたいのでございますが、先ほどから申し上げましたように、未帰還者名簿三千五百七十三人の中に戦時死亡宣告を拒否しておられる家族が四百人もあられる。また現実に戦死者及び死亡宣告を行なった中にも、別にまた横井さんみたいな、あるいは小野田さんみたいな人がおられるかもしれない。これはわからないですね。
 そこで、そういう可能性があることは間違いないのでございますが、厚生大臣は二十四日の閣議後に、生き残り日本兵捜索総点検を徹底してやるんだということを記者会見でおっしゃっている。私どもも、これはほんとうにけっこうなことだと思っておるわけなんです。そこで今後具体的にひとつ大臣としては、どのようにこれらの問題に対して対処していかれるおつもりなのか。それからまた横井さん事件以来、戦友会というものが方々にありまして、この人たちが自主的にいろいろ情報を寄せられたり、あるいはまた自主的に捜査に乗り出したりしておられる、こういうことがいろいろ報道されておるわけでございますが、特にセントジョージ島ですか、何名かの人がおられる。またエンダービー島、ここには五名の人がおられて、これは民間の人、五名が二十三日から漁船をチャーターして島の捜索を始めたというような記事も出ておるわけでありますが、こういう一連の民間側の協力に対して、政府がおやりになることとの提携と申しますか、どのように連携をとりながら、あるいはまた経費の面についても、どのように民間側の協力に対して見ていかれるかという点をひとつ伺いたい。
○塩見国務大臣 横井さんの問題、また今回の、先ほど御説明申し上げましたとおり、三十四年には七カ月にわたる捜索をいたしましたが、それにいたしましても、二人の元日本兵が生存をしておったということは事実であるわけでございまして、私どもも各地にそういったような問題が残っておる可能性がありはしないかということで、これを機会にさらにそういったような捜索の方向で努力をしなければならぬと考えておるわけでございます。それで新聞にも報道されましたとおり、とりあえず最近までの情報をさらに整理をし、また手元にありまする資料等も総点検をいたしまして、そうしてまた新しい情報等も集めることに努力をいたしまして、そうして新しい捜査というものに乗り出さなければならぬと思っておるわけであります。
 すでに御承知のとおり、本年も遺体の収集を相当にやったわけでございまするが、明年以降におきまして、すでに大蔵省にも予算を要求いたしておりまするが、各地で遺体の収集を広範にやろうという計画をいたしておるのであります。もちろん、これには当初から生存者の捜索ということもあわせて行なうということになっておるわけでございまするが、こういったような遺体の収集と同時に、今回の事件にかんがみまして、さらにその捜索の点に大きな重点を置きまして、今後そういったような生存者がそのまま放置されるということのないよう努力いたしてまいりたいと思うわけでございます。
 それから、次の戦友会その他の御協力の問題でございまするが、明年度以降の計画につきましては、すでに約一億円の予算も要求いたしておりまして、その際はぜひとも遺族の方々、また戦友の方々にも御協力をいただきたい。一緒に向こうに同行いたしまして御協力をお願いしたいということで、それに関する予算の要求もいたしておるのでございまするが、今後こういったような遺体の収集にあたりましても、生存者の捜索にあたりましても、やはり御家族の方々に御同行を願い、こういった地理上の事情に詳しい方々あるいはひとしく憂いをともにしておられる遺族会の方々に、ぜひとも御協力をお願い申し上げまして、一体となって遺骨の収集、また捜索に当たりたいと思っております。
○山下(徳)委員 今回のこの事件に関して寄せられたフィリピンの政府当局並びに現地の好意はたいへんなものだと思うのです。捜索はもとより、小塚さんの告別式には儀仗兵まで参列したということでございます。さらに二十四日には、現地で千人の島民が集まって「われわれは、もう過去を忘れようではないか。小野田少尉を許してやろう」という島民の集会が開かれた、しかもラウルという町長さんが、「われわれは小野田を憎むのではなく助けよう。彼を生きたまま、無事に帰そう。これが、フィリピン政府とわれわれの責任でもある」という演説をぶって島民の協力方を呼びかけられた。これに対して厚生大臣は謝意の電報を打たれた、けっこうなことだと思うのですが、もしこの捜索が長引けば、さらにやはり地元の協力が必要である。したがって、一通の電報だけでいいものか、これに報いるに何か政府としてお考えになったらどうかと思うのです。
○塩見国務大臣 ただいま御指摘のとおり、今回フィリピン側におきまして捜索に対しまして寄せられた御好意は全くなみなみならぬものがあるわけでございまして、捜索に対しての御協力はもちろん、今回の小塚元一等兵の葬儀にあたりましては、儀仗兵その他でもって勇士としての扱いをいたしていただいて、全く私ども感激をいたしておる次第でございまして、お話のように、厚生省といたしましても、単に電報で事が済んだと思っておらないわけでございますし、さらに長期にわたることも予想されますので、感謝の意を表することにつきましては、外務省ともさらに相談をいたしまして、十分に心がけてまいりたいと思うのでございます。
 ただ、この機会でございますので、さらに向こうの御好意のあるところの電報が参りましたので、お許しをいただいて報告をさせていただきたいと思います。
  二十八日ベネディクト大使(在日大使、現在帰国中)が、小塚の告別式に出席した際、マルコス大統領が「前大戦の生存者は、その帰投あり次第、関係政府にその身柄を引き渡すのが、フィリピン政府の方針であり、これを発表し、小野田少尉説得に利用されて差しつかえない旨述べた」と卜部大使に伝えた。こういう電報も参っておりまして、フィリピン政府の御好意には、日本政府としても心から感謝を申し上げなければならぬと存じておる次第でございます。
○山下(徳)委員 局長にお尋ねしておきます。時間がございませんから答弁は簡単でけっこうですが、新聞報道等によると、ルバング島において元日本兵らしき者ということで、確認はされてないかもしれませんが、現地の住民数十名が殺傷されたり、あるいは農作物が荒らされるとか、家に放火したとかというような事件がかなり起こっているやに伝えている。それで、これについて現地では損害賠償を請求しようじゃないかという話も起きているということを私は読んだのでありますが、ここらあたりの真偽のほどはわかりませんか。
○平岡説明員 お答え申し上げます。
 新聞報道にそれに類する話が載っていたのは事実でありますが、私どもの確認している範囲では、そのような請求は正式にフィリピン政府からは出ておりません。そのような問題があることは、私ども十分意識しております。
○山下(徳)委員 遺骨の収集については、先ほど政務次官からの御報告にもございましたが、これは昭和五十年で打ち切られるというような報道があったようですが、この点はどうです。
○高木(玄)政府委員 遺骨の収集につきましては、事柄の性質上、いつをもって打ち切るということは言えない仕事であろうと、いま思っております。
 ただし、戦後三十年を間もなく迎えるのでございますが、そういった意味合いからも、来年度、再来年度におきましては、従来にない大がかりな遺骨収集を実施したい。そのためには、遺骨収集はあくまで政府が主体的な責任を持ってやるべきものであると思っておりますが、それに、従来戦友会その他の民間の団体に御協力いただいておりましたが、こういった方々に積極的に御参加していただく意味で、その遺骨収集の経費につきまして、そういった民間の協力団体にも助成金、補助金を出せるような予算も組みたい。そういったことで、従来にない大がかりな、徹底的な遺骨収集をやりたい、かようにいま予算要求をいたしているような次第でございます。
○山下(徳)委員 最後に、これも局長でけっこうですが、今度射殺された小塚金七さんに対するいわゆる支給金と申しますか、給付金と申しますか、これは、金額は私もはっきり存じませんが、従来の規定からいくと、ごくわずかなものだということを聞いております。今日まで二十七年もジャングルの中で耐えてきたその労苦に対して、何らか別途の遇する方法というものはないものか、そこらあたりをお尋ねして、私の質問を終わります。
○塩見国務大臣 ただいま御指摘の点につきまして内々で検討もいたしたのでございますが、法律に明確に規定してございますので、時期の問題もあろうかと思いますが、法律の改正というものも、この事件について単独でやることにつきましても検討を要するのではないかと思うのでございます。しかし、二十七年間生き続けて帰還をせられる、あるいはまた不幸にしてなくなってお帰りになる、こういうふうなことでございますので、こういったことにつきまして、いま国民的な関心も非常に高いときでございまして、具体的な内審について若干の心組みがあるわけでございますが、時期等もございますから、そういった点等について、ひとつ十分に配慮いたしたいと思いますので、御了承いただきたいと思います。
○山下(徳)委員 終わります。
○小沢委員長 次に、田邊誠君。
○田邊委員 十月十九日、フィリピンのルバング島において元日本兵の二人が現地警察軍と交戦をして、一人が射殺をされたという事件がございました。
 私ども、なくなられた小塚さんに対して、心から哀悼の意を表したいと思いまするし、現在残った小野田さんと思われる生存者を救出すべく捜索が行なわれていることに対して、政府並びに御親戚の方々あるいは御家族の方々に対して、心から敬意と感謝をささげたいと思います。
 そこで、いま質問がありましたから、重複を避けて簡単に質問をいたしますけれども、いまの御報告を承っておりますと、このルバング島についても、戦後何回かにわたって現地調査を行なったということを言われた。三十四年にはかなり大がかりな現地調査を行なったけれども、ついに発見できなかった。その結果、これは家族の申し出もあったということが加えられておるわけでありますが、一応死亡と判断をして処理をした、こういうことであります。
 私は、たいへんな努力はされたろうと思うのでありますが、結果がこうなってまいりますと、その努力が万全であったとは言いがたいわけであります。当時の政府がとってまいった、この未帰還者に対するところの、いろいろな捜索なり調査なりというものが必ずしも十分でなかったことは、その後の横井さんや今回のことを通じて言えるわけでありますけれども、特に三十四年の現地調査によって、もう死亡であるというように判断をいたしましたことに、私は一つの疑問を持つのです。それと同時にもう一つは、もし死亡と判断をされても、それはあくまでも一つの推定であり判断であるわけですから、したがって、その後におけるところの新しい事態の発生ということを予期しないわけにはいかないと思うのであります。
  〔委員長退席、竹内委員長代理着席〕
 そうなってまいりますならば、三十四年時点において死亡と判断をし、宣告をしたあとの処理のしかた、たとえばもしフィリピンに対して、そういったことをわれわれとしては一応判断をして処理をしたけれども、その後において生存していた場合においては、ひとつこれに対するところの救出作戦について、ぜひ協力をしてもらいたい、あるいはいろいろな面における援助をしてもらいたい――今回、現地の警察軍と銃撃戦をしたというのですね。確かに、あるいは食糧等を求めて出てきた、銃を持っている。したがって、現地軍もこれに対して何らかの対応策を講じなければならぬという形にはなりましょうけれども、しかしその後、フィリピンの政府は、捜索に対しては発砲を禁止して協力をするということを言っているわけですね。したがって、そういったことを予測しておったとすれば、私はフィリピンもまた別の柔軟な対応策が求められたのではないかと思うのです。
 要は、その当時の日本政府の措置のしかた、判断のしかた、ここに何としても、もう一段の慎重さを要するものがあったのじゃないかと、私はいまにして思えば考えるのですけれども、その点はいかがでございますか。
○高木(玄)政府委員 ただいまの御指摘の点は、そのとおりであったと思います。先ほど電報を読み上げましたが、当時現地の捜索に当たりました派遣団の板垣団長は、これだけ手を尽くしたので、もう死亡したものと判断せざるを得ないという結論に到達したようでございまして、また御家族の方々もそういうお気持ちになられて、死亡処理されてけっこうであるという申し出もあったというようなことで、結局その年の十二月に死亡公報を出して処理してしまったのでございます。
 その後、今回の事件が起きまして、私は援護局の職員に、その後ルバング鳥から生存情報はなかったのかとずいぶん念を押したのでございますが、ルバング島に関する限りなかった、こういう返事でございました。したがって厚生省としては、ルバング鳥に関する情報はその後聞いてなかったのでございます。
  〔竹内委員長代理退席、委員長着席〕
そういった点につきまして、もしその後におきましても現地において元日本兵らしき者が出没しているというような情報があったとすれば、私らの情報入手活動が非常にその面で怠慢であったということになろうと思います。
 そういった面もございますので、現在もうすでに幾つかの島について生存日本兵に関する情報がありますが、そういったものにつきまして、今後慎重に対処していかなければならぬ、かように考えております。
○田邊委員 いろいろな情報が乱れ飛んだ際に、それに右往左往されるということも、もちろんいかがかと思いますけれども、私は一応やはり尽くすべき手段は尽くさなければならぬのが、この種の対策ではないかと思うのであります。
 そこで、もう一歩進みますと、原則的にはいろいろな遺留品なり、あるいはその他の現物をもって死亡確認をする、そうでなければ、戦友等によるところの証言があるという形であろうと思うのですけれども、それ以外の、いわば判断によって死亡を確認したという例が、私はかなりあるのじゃないかと思うのです。このところを、一度死亡確認したからやむを得ないという形でなくて、洗ってみると意外な事実が出てくるのではないかと思うのですけれども、この種の者がどのくらいあって――いわゆる認定理由書のとり方に私は問題が出てくるのではないかと思うのですが、この認定理由書をもう一度洗って、疑わしきは再調査をする、再点検をする、こういうことが私はこの際、政府に課せられた重要な任務じゃないかと思うのですが、いかがでございますか。
○高木(玄)政府委員 はっきりした死亡に関する証拠がございまして処理する場合には、これは死亡公報ということで、公文をもって処理いたしております。先ほど申しましたとおり、未帰還者の中で、どうも死亡についての時期なり場所その他のはっきりした証拠というのはない。しかし、消息を絶った時期あるいは消息を絶った場所等から総合判断して死亡と推定して、留守家族の方々の御同意を得て、戦時死亡宣告で処理しているケースがございます。
 これにつきましては、確かに証拠なしに推定でございますので、私どものほうで引き続きこれらの方々もさらに調査の対象にする、もう一ぺんはっきりその点の体制をとりたい、かように考えております。
○田邊委員 今回のお二人の元日本兵に対するできごと、これは私はたいへんむずかしいこれから先の捜索、救出作業になるのじゃないかと思うのです。そこで厚生省の課長以下第三次までの救出派遣団がかなり綿密に現地をさがしている、しかし出てこないというのでありますけれども、あるいは全然それに対して応答することのできないところまで隠れておって逃げているなり、あるいはいまの捜索の圏外にもう出てしまったなりというような判断もありましょうけれども、あるいはまた現に聞こえているけれども、それははたして日本から真に自分の救出に来たのかどうかという点に対する疑いをいまだに持っている、あるいはこれは謀略作戦ではないか、そういう考え方を持っているということであるとすれば、私はまたより以上の不幸ではないかと思うのです。
 それで、この小野田さんは、いわば牒報活動に従事すべきであるという特殊任務を受けてルバング島に渡ったという、いわゆる中野学校出身の一員である、まさに第二次世界大戦までの旧日本軍の、いわば国民を最後まで戦争にかり立てた、きわめて残虐な軍国主義のありさまというのが、この戦後二十数年を経た今日、私どものところにまたよみがえってきたような気がしてならない。そういった点から見て、この捜索に応じないのは一体――もし彼が、捜索隊が来ておることを知っておるけれども応じないとしたならば、私はここに大きな問題があると思う。
 そうなってくれば、たとえ肉親が行き、肉親のテープレコーダーをかけて、あるいはいろいろ日本の歌を歌ってみても、それでもって彼がすなおに投降するなり応じてくるということはないじゃないかと思うのですけれども、ここまで深刻に考えてみたときに、この救出作戦はきわめて厚い壁があると思うのですけれども、これに対する、救出作業への基本的な考え方として、どういうふうなお考えでなされておるのか。ただ行って、とにかく肉親を含めて人間を繰り出していけば何とかなるだろう、そういうような考え方で行ったとすれば、これは私は見当違いじゃないかと思うのですけれども、その点はどうお考えですか。
○塩見国務大臣 私は非常に貴重な御意見だと存じます。ただ、いま小野田元少尉が一体どういう信念を持っているかということにつきましては、これは知る由がないわけでございまするが、しかしながら捜査方法につきましては、いろいろな場合を想定をして、そうして出てこられるということの可能なくふうというものは、どうしてもしなければならぬと思うのでありまして、今回も御承知のとおり、山下将軍の降伏命令書の写しも実は向こうに持参をいたしまして、そうしてこれが目につくような方法で、もし近づいておられるならば、ひとつ出てきてもらうというような手段も講じておるわけでございまするが、なお長期にわたりますれば、さらにいろいろくふうをして、そうして捜索が可能になるようにということについて手段を尽くしていかなければならぬと思うわけであります。
 またいろいろな方法につきまして各方面から、こういう方法をとったらどうかというような御忠告もたくさんいただいておるような状況でございまして、そういったようなものも参考にしながら、効果ある捜査を実行したいというふうに考えておるわけでありまして、ちょうどいま課長が二人行っておりまするが、一人が近々帰ってまいりますので、現地の情勢等もよくさらに打ち合わせをいたしまして、効果ある捜索方法につきまして、一そうのくふうをいたしたいと存じます。
○田邊委員 どういう心境にあり、どういう考え方に立っているかは知る由もございません。ですから一番困難な事態をまず予測してかからないと、安易に行ったのでは、ずるずると長引いていって、最後はしり切れトンボにならざるを得ないという形になっては、救出作業は失敗に終わるのじゃないか、私はこういうふうに思うわけですから、残置諜者というような見解をもって元上官の谷口さんは行かれ、おれがやらなければ彼は応じないだろう、こういう考え方に立って加わったということも聞いておるわけでありまして、そういう特殊な一つの気持ちに二十数年たった今日においても、もしあるとすれば、私はおそるべきことであるというように思うので、この際、小野田さんを何としても救出しなければならぬと同時に、政府自身が考えなければならぬ頂門の一針ではないかとすら思うのです。
 そこで、徹底した調査をやられるというお気持ちがございますか。とすれば、これは現地から課長がお帰りになって相談をされて行かれるわけでしょうが、近親者を主体として行かれるということももちろん必要でありましょうけれども、これにも私は肉体的な面その他で限界があると思うのです。これはまた援護局の係員を動員するといっても、私は人数に相当ないわば制限があると思うのです。とすれば厚生省全体なり政府全体なり、あるいはそれ以外にも政府の機関にはいろいろあるわけでしょうから、外務省もありましょうし、あるいは警察庁もありましょうし、いろいろあるわけでございますから、いまヘリコプターをフィリピンの好意でもって上空からやっておるわけでしょうけれども、日本にもヘリコプターはないわけじゃございませんからね。実はいろんな方法があると思うのです。どれくらいの島であるか私もよく存じませんけれども、それからどういう地形にあるかわかりませんけれども、不可能な島ではないと私は思うのです。ですから、そういった点で今度こそひとつ、あとに悔悟のない形の捜索をするための作戦を早急に練る必要があるんじゃないか、こういうふうに思っておりますけれども、そういった意味合いで徹底した調査、しかも早急な機会にこれを行なうという形をとってもらいたいと私は希望するわけですが、その点はいかがですか。
○塩見国務大臣 ただいまの御質問のとおり、その趣旨に沿ってまいらなければならぬと私は思うわけでございまして、先ほど現地に行っておる課長が帰ってくるということを申し上げましたが、まあ現地の地勢の状況でございますとか、あるいはまた物資の問題、いろいろと問題があろうかと思いますので、そういったような実情等もひとつはっきりさせまして、一体どういうふうな種類の方々に御協力を願うか、どれくらいの人数に御協力をいただくかというような具体的なことにつきましても、これが長期にわたればさらに相談をいたしまして、そうして適切な、効果のある計画を立てたいと思います。
 また、日本全体の責任、政府全体の責任でやるべきではないかということは私も同感でございまして、もちろん外務省とも密接な連絡をとり、効果ある対策をさらに積極的に進めてまいりたいと思います。
○田邊委員 それでは外務省、フィリピン側がかなり好意的だというお話でありますが、これは非常に幸いであります。いままでのわれわれの聞いておりますのは、対日不信とかいろいろなお話を聞きましたけれども、非常に好意的である。これはうれしいことである。しかしそれだけに甘えておったのではいけないわけでありますから、やはり外務省側から積極的に、フィリピン側に具体的に協力を求むべき事項、そしていまの救出作戦といいましょうか、それの考え方等とあわせてフィリピン側にはこういったことをこの機会にやってもらいたい、こういうことをやっていませんと、ただ向こうの自発的なあるいは積極的な好意にわれわれ甘えているだけでは、私はやはりそごがあるんじゃないかと思う。向こうが一生懸命やっております。こちらは少人数であります。今度は、こちらがたくさん行きました。それでは向こうはもうやめてしまいましょうというようなちぐはぐな形になってしまうのではないかと思うわけです。その点に対するあなた方のほうのフィリピンに対する大使館を通じてのいろいろな依頼、特にまた情報等についてあなたのほうは一番詳しいわけですから――私さっきちょっと言い漏らしたけれども、三十四年以降の情報収集が一番甘かったのは外務省ですよ。そういった点でわれわれとしてはあなたのほうで、たとえば正式な情報でないにしてもそれに対する評価というものを十分検討する用意があれば、また違った局面が展開されるのじゃないか、こういう気もするわけです。いまそのことをあらためて問いただしませんけれども、やはり今後について外務省は積極的なかまえを示してもらうことが非常に重要ではないかと思うのですけれども、外務省はいかがですか。
○平岡説明員 まことに御指摘のとおりでございまして、私ども多々至らない点もあったと思いますが、これから一そう努力いたしたいと思いますので、御期待願いたいと思います。
○田邊委員 そこで厚生大臣、さっきも言いましたからもうあまりあれですが、この問題があったことを契機としていままでやってきた戦後処理というものを全体的に洗い直してみる必要があるのじゃないかという気がするわけです。山下委員からも言いましたけれども、いわば死亡宣告を拒否するような家族がまだかなり多いという状態ですね。ですからそういったことをわれわれとしてはもう一度考え直してみて、いわば戦後は終わりでない、まさにまだまだ処理すべきことが非常に多くあるということに対して考えてもらいたい。いわば戦後処理の基本に立ち返ってもう一度再検討してもらう、こういうことが必要でないかと思う。したがって、未帰還者に対する調査を一体いままでどの範囲でどの程度やったか、その対象人員は一体どんなものであって、その場所はどういったところをやったか、ここのところは十分やった、ここのところは不十分であった、そういう場所があると思う。それから調査に当たった人員はどんなものであったか、経費はどのくらい使ったか、期間はどのくらいやったか、こういうことに対してもう一度私は再検討してもらう必要があるというふうに思うのですよ。特にやはり家族が何としても了解できないというものに対して、家族の心情とすれば、家族が了解しないのは何らかの理由があると思うのですよ。これに対してももう一度調査の対象として、それに対していわば一つの予断があってはならないというふうに思うわけですけれども、そういった点のことをやられる御用意があるかどうか。
○塩見国務大臣 先ほど山下委員の御質問にもちょっとお答えをいたしたのでございますが、横井さんの問題、今度の事件、とうてい生存者はないというふうな想定でおりましたところに生存されておるという厳然たる事実が出てきたわけでございますので、われわれといたしましてはこういうふうな事実にかんがみまして、ただいまお話がありましたとおり、この際従来のしきたりでなくて新しい構想でこの問題に取り組んでいかなければならぬと思うのでございます。したがって、厚生省のほうにおきましては既存の相当な資料がございますので、こういった既存の資料を総点検をし、あるいはまたその後得た情報等も点検し、あるいはいまお話のありました、家族が承知しないという、また元日本兵の場所その他等につきましてさらに十分な再検討をこの際して、そうしてその再検討に基づきましてさらに遺骨の収集あるいは生存者の捜索ということに今後具体的に力を入れて実行してまいりたいと思います。
○田邊委員 それでひとつ、未帰還者に対する調査と遺骨収集ですね。総理も、この際ありきたりのことではなくて徹底してやるという談話があったわけでありますから、これを今年度中に特別な予算の支出等をしても――どうも何かちびちび出しておって、さっきもフィリピン側に対するところのいろいろな賠償請求の問題とかあるいは謝礼の問題とか、あるいはまた小野田さんが生きておったときにいままで支払った援護法等の措置についての特例をどうするかとかいうようなこともありますけれども、これはやはり来年度予算要求はもちろんしなければいけませんですけれども、今年度も政府としてはこれに対して思い切りた経費を使ってもやる、こういう決意がないと、どうも金に縛られて何かそれをちびったようなかっこうになってまいりますと、これはいわば非常に原始的な調査でもって終わってしまう。あまりにも長期間にわたって、七カ月も八カ月にもわたって、だめだった、今度こそは死亡したのだろうという形になったのでは、私は前車の轍を踏むことになると思うのであります。そういった点で、今年度もこれに対して直ちに大蔵当局にも折衝して、総理が言うがごとくひとつ徹底した調査をこの未帰還者と遺骨収集についてはやる、こういう決意を固めてもらわなければ、私は国民の不安を除去するわけにいかない、政府の責任を全うするわけにいかない、こういうふうに思っておりますが、どうですか、大臣。
○塩見国務大臣 少し内輪話になって恐縮でありまするが、私は閣議の席上でこの問題について報告をいたしたわけでございます。その際に、こういった問題はこれはもう当然国家の責任、政府の責任としてやらなくちゃならぬ問題だ。したがって、予算の問題につきましても、本年度はこういった予算があるとかないとかいう問題でなくて、これはもちろん必要であれば予備費から出してもらうというようなこと、それから来年度予算につきましてもこれは非常に重大な問題としてお考えをいただきたいという話をしたのでございまするが、直ちに総理が引き取りまして植木大蔵大臣に、大蔵大臣、この問題については協力しろと、こういうふうなお話も、実は内輪話で恐縮でございまするが、そういう事実もあり、金の面につきまして、金のために捜索ができないということは、これはもう絶対断じてさせないという気持ちで取り組みたいと存じております。
○田邊委員 それじゃ具体的な方法まで突き詰めていきませんけれども、私は、いままでせっかく苦労されてグアム島に行かれてやっている姿を見ますると、どうも救出作戦、この方法は原始的に見えてしかたがない。もうちょっと科学的な方法も用い、人数もそうですけれども、いろいろメガホンとか持ってやっているようですけれども、もう少し方法があるのじゃないか、こういう気がしてならないわけでありますから、その点も含めて早急に検討してもらって、その捜索を徹底させてやってもらいたいということをお願いしたいと思うのです。
 最後に、小野田さんが生存のままで救出されることを私は心から念じておりまするけれども、どうかもし救出をできた場合に措置を誤らないようにしてもらいたい。いま、負傷されておるかもしれないけれども、生きておられる。最後のところで措置を誤ったとすれば、自決をするなり、あるいはまた他に負傷者ができるなり、いろいろなことがささやかれるわけですから、そういったこともなくて無事にこれが日本に帰られるようなぐあいに、私は安全な措置を誤りなくやってもらいたいということを心から希望いたします。政府自身もたいへん御苦労でありましょうけれども、ぜひ国民のこれに対するところの期待、それからそれを含める今後の措置に対する政府の計画というものが万全でありますることを特に希望いたしまして、質問を終わります。
○小沢委員長 次に、大橋敏雄君。
○大橋(敏)委員 私も関連質問をさせていただきます。
 大臣にお尋ねいたしますが、今回のルバング島の元日本兵の事件、そして先般大きな話題になりました横井さんの事件等を見られまして、大臣はまずどういうことをお考えになったか、どう感じられましたか、その感想を述べていただきたいと思います。
○塩見国務大臣 横井さんの問題、また今回の問題につきましては、日本人全体といたしましても非常に大きなショックであったと思うのであります。二十七年間、こういったようなジャングルの中に生き続けてこられた。しかも、今回の場合は生存しておる、帰還を願えなかったというようなことで、先ほどお話がありましたが、やはりここに戦後が残っておるという感じがまずいたしたのでございます。
 したがって、こういうふうなかつて捜索をした地域においてなおかつ生存者がおったということ、これは具体的な厳然たる事実でございますので、私はさらにこういったような事例が他の地域においても存在するんじゃないか、したがって、そういった問題につきましてほんとうに真剣に取り組まなくちゃならぬじゃないかということを、まず感じたわけでございます。
○大橋(敏)委員 感じることは大体同じだと思いますけれども、特に家族の方、なくなられた小塚金七元一等兵、せっかく生きた姿があらわれて、わかったときにはまた、射殺された。何という悲しい知らせであったでしょうか。その家族の人の心境に立ってみると、もうお気の毒でものの言いようもないほどでございます。
 そこで私が大臣に訴えたいことは、私自身も戦時中海軍に志願いたしまして、それなりにお国のために尽くしてきた一人でございます。当時のことばで言えば、不覚にも生き残ってまいりました。しかし戦後二十七年、いまだに戦時中の軍人精神に生き切っているこの旧日本軍人がこのように次々とあらわれるということは、まだたくさんほかにもいるんだということでございます。そういう立場に立って再捜査といいますか、これは捜索のあり方を真剣に考えていただきたいと思います。先ほどからも御答弁はあっておりますけれども、いま私のこの訴えを聞かれた上での再度の答弁をお願いしたいと思います。
○塩見国務大臣 私も、はなはだ失礼かもしれませんが、大橋委員と同じような気持ちでただいまおるわけでございまして、先ほどからも申し上げましたとおり、日本国民全体あるいは政府全体の責任として、まだ生存をして各地に存在しておられる方というものは、もうぜひともすみやかに救出しなくちゃならない。またそういう方向で全力を尽くすべきではないかという決意を固めておる次第でございます。
○大橋(敏)委員 先ほどからもそれぞれ質問があっておりますので、私も重複を避けたいと思いますけれども、いろいろの条件が重なりまして出てこない、出てこれないというような状況というものを、厚生省の直接の関係者は十分熟知された上で調査方法を再検討すべきだと思うのです。先ほどからもお話がありましたように、これまでの調査もむだではなかったでしょうが、結果的に言えば手落ちだらけ、何か欠けていたんではないか、このように指摘されております。今回も私は同じようなことが言えるのではないかと思うのです。はたして厚生省がこのような中野学校を出られたような方を救出するにあたって、どれだけ真剣に救出方法を考えているか、まずお尋ねしたいと思います。
○高木(玄)政府委員 この捜索につきましては、実はグアム島の横井さんの例でもありますように、極度に警戒的な心情にありまして、何か救出隊が行きますと、それが、だまして自分をおびき出してあれするんじゃないかという、非常に警戒しておられるわけであります。
 それに対して、そういった特殊な心理状態に対応した調査、捜索の方法があるのじゃないかということでございますが、実のところ、これについては私ども、これがきめ手であるというようなものを見出すのに困っておるわけでございます。従前のように肉親の情に訴えるといういき方、それから今回のように上官なりあるいは戦友の呼びかけでいくといういき方、いろいろないき方があると思いますが、とにもかくにも現在、現地には家族の方あるいは戦友の方、上官の方、みなそれぞれ努力しておられますので、まず現在の状況で、現地で次にどういうような打つ手を考えておられるか、こういった点につきまして、昨日小塚さんの御両親を伴ってフィリピンに参りました横溝課長が、現地の柏井課長と十二分に打ち合わして一日にこっちに帰ってまいりますので、その報告を聞きまして、いままでの捜索に基づく反省も加えまして、次にどういう手を打つか、方法を講じてまいりたい、かように考えておるような状況でございます。
○大橋(敏)委員 実はこの事件が報道されまして、われわれ議員の家、同僚議員のところにも、心配なさっている国民の皆さまからどんどん電話が入るわけです。その中で、軍人の経験のない議員のところなどには、君たちは軍隊で使っていたラッパの印象はわからぬだろうけれども、まだ本人は戦争をやっているんだ、戦っているんだ、終戦ラッパが一番いいんだぞ、終戦ラッパが聞こえるとこれは安心して出てくるというような電話がかなり入っているようです。おそらく厚生省にもそういう意味の情報が入っているのではないかと思うのですけれども、これに対してはどのようなお考えをお持ちですか。
○高木(玄)政府委員 この捜索につきまして実は大ぜいの方々からいろいろな意見、アドバイスが寄せられております。いま、この小野田元少尉は昭和二十年の時点で考えておられるんだから、すべてその時点に戻して、たとえば当時の軍装、軍服で身を固めた一小隊くらいの人を長期間派遣したらどうか、その他いろいろな御意見が寄せられております。先生の言われるような終戦ラッパというような御意見も来ております。確かに私どもが現在の時点でものを考えてはいけないのかもしれません。そういった点から、この小野田さんのお気持ちにどうやったら合うような、そのかたくなに閉ざした気持ちをほどくことができるか、こういった点について十分に研究もし、またいろいろな方に意見も聞きたいと思います。ただ、ルバング島という島の大きさが、大島を二つ合わしたぐらいの大きさでございますので、現在ヘリコプターからビラをまき、あるいは相当強力な拡声機で呼びかけておりますので、日本から救出隊が来ている、さがしに来ているということはおわかりになっていただいていると思うのであります。そこで、それでもなおかつそれに対して応答が今後ないとしたら、どういう手を打つか。これは先生のいまの御意見等も十分に参考にさせていただいて、私どもとしてもそこの点は研究したいと思っております。
○大橋(敏)委員 大臣、この事件から考えられることは、ルバング島そのものの当面の問題、いま小野田さんの救出の問題、それからなくなった方の補償の問題、当面の問題がございますけれども、これはルバング島だけではなくて、先ほどからも言われているように全地域にまたがると私は思うのです。これに対して具体的に今後どのように進めてまいられるのか、お尋ねいたします。
○高木(玄)政府委員 今度のルバング島のこの問題に関連いたしまして、私ども大臣より、いままでの情報、資料を総点検、再点検するように命ぜられております。特にこれまで生存情報のありましたものにつきましてはその情報をすべて整理いたしまして、もう一ぺん再検討いたして、調査が必要なら調査もする、その調査も、こちらから人を出さなければならぬければ出すということでやりたいと思っております。生存情報と申しましても、おもなものを申し上げれば、グアム島でありますとかあるいはエンダービー島あるいはフィリピンのミンダナオ島あるいはソロモン群島のセントジョージ島、こういったような島につきましては生存情報がございます。従来からもいろいろな調査の手を打っておりますが、それで十分かどうか、そういったいままでの情報すべてを再検討いたしまして、必要な手をどんどん打っていきたい、かように考えております。
○大橋(敏)委員 ちょっと話は変わりますけれども、数日前に中国から帰ってきた三名のうち、二人は元日本兵であった、こういう方々の問題も非常に深刻な問題だと思いますが、これについてあわせて、どういうお考えを持っていらっしゃるか、お尋ねします。
○高木(玄)政府委員 いままで中国関係につきましては、十分な情報がとれませんでした。しかし復交がなりましたので、今後外交ルートが開きましたら、それを通じまして必要な情報を集めて未帰還者についての調査を進めてまいりたい、かように考えております。
○大橋(敏)委員 この方は、新聞報道にあっておりますけれども、時間の関係で割愛しますが、この二人の元日本兵の方は戦死になっているのか、何になっていましたか。
○高木(玄)政府委員 今度お帰りになった二名のうち一名は、かつて戦死の扱いになっておったのが、その後取り消されておるそうであります。一名は戦死の扱いになっておりません。
○大橋(敏)委員 いずれにしましても非常にあいまいな状態で掌握されているわけですね。先ほど大臣も、これについては今後本腰を入れて取っ組んでいくという話でございます。これを大いに期待したいと思います。これは中国あるいは北鮮その他南方諸島に、かなりまだこういう状態で放置されている人々がいるということを念頭に置いて、積極的な対策に乗り出していただきたい。
 それから小塚さんの補償については、横井さんの例にならって万全の補償をなされるとは思いますけれども、これについての考え方をお尋ねいたします。
○高木(玄)政府委員 小塚さんに対する補償の問題でございますが、小塚さんは、先ほど申しましたように、三十四年の時点におきまして死亡公報が出ておりまして、昭和二十九年五月八日戦死という扱いになっております。したがいまして、この時点をもとにいたしまして、現在小塚さんには公務扶助料が出ております。現在のこの公務扶助料の額は二十一万七千六百七十一円でございますが、このたびのことで小塚さんの死亡の月日が四十七年十月十九日に改められますので、したがいまして、在職年数が二十八年五カ月というふうにふえますので、本年の十一月からこの恩給年額が、二十一万七千六百七十一円から二十八万七千三百二十三円に増額支給されることになります。それから、いままで戦死として扱われておりました間支給された公務扶助料は、これは横井さんの例もございますので、これについては一切返還を求めません。それで、十一月からはいまのように増額になるように、恩給局とすでに協議済みでございます。
○大橋(敏)委員 これについては、格段の手厚い補償をお願いしたいと思います。
 時間の関係で次に移りますが、フィリピン政府が非常に好意的に協力してくださっているようでございますが、この好意に謝するために何か電報を打たれたようでございますが、厚生大臣は現地に行って好意に謝する気持ちはないか、その意思はないかどうかということですが、どうでしょうか。
○塩見国務大臣 まだお尋ねのところまで考えていたわけではないわけでございますが、しかし、フィリピン側の非常な御好意に対しまして、これに報いるに足る適切な方法で感謝の意をささげなくてはならぬと思います。今後、外務省方面ともよく打ち合わせをしてまいりたいと思います。
○大橋(敏)委員 きのういただきました厚生省援護局の資料の最後のほうに、非常に感謝された立場でフィリピン政府のほうに電報をお打ちになった、こうありまして、それは私も非常に評価しましたけれども、こういう国際的な問題になっておりますので、これには厚生大臣としての最大の敬意を実行の上に示すべきだ、私はこう要望しておきます。
 それから未帰還者の三千数百名云々という話がありますけれども、これに対する捜索に対して具体的にどう手を打っていかれるのか。先ほど、一生懸命やっていく、やっていくという話ばかりで、抽象的な話でどうも納得いかないのですけれども、もう少し具体的にお話しできないでしょうか。
○高木(玄)政府委員 この未帰還者の三千五百六十三名のうち、過去七年以内に生存についての資料があるものが千九百四名。したがいまして残りの千六百五十九名につきましては、過去七年以内に生存の資料はございません。この千九百四名につきましては昭和四十年以来何らかの生存の資料がございますので、こういった方々につきましてさらに確実な資料を得るように、在外公館等を通じ資料を整備してまいりたい。それからこの七年間全然情報がないもの、これにつきましてはやはり同様な機関で私どもとしての可能な限りの方法を用いて情報を集めていく。したがいましてこの問題につきましては、今後情報をさらに積極的に組織的に集めるような体制なり努力をするということに尽きると思っております。
○大橋(敏)委員 時間もそろそろきたようでございますので急いでお尋ねいたしますが、これは一般新聞に出ていた数字でございますから、一応確認する意味で聞いておるのですけれども、太平洋戦争で海外に派遣された軍人軍属は約六百万人である。うち戦死者二百三十万人、復員したのが三百十七万二千人、そして生死不明あるいは行くえ不明も多数いる、戦時死亡宣告の審判申し立てば四十七年四月一日現在で一万九千五百五十六人にのぼっている。未帰還者名簿に残っているのは三千五百七十三人である。その内訳は中国地区二千九百三十一人、ソ連地区、サハリン三百六十一人、北鮮地区百十四人、南方地区その他百六十七人、こういう新聞記事を見たのでありますが、数字は大体これは合っているかどうかということが一つと、いま言いました中国、ソ連、北鮮から南方諸島に対して具体的な手の打ち方についてお答えを願いたいと思います。
○高木(玄)政府委員 まず最初に、戦没者の数でございますが、軍人軍属二百十二万、戦闘に参加した一般邦人十八万、外地で非命に倒れた一般邦人三十万、内地空襲等でなくなられた方五十万、合計三百十万人でございます。
 それから、引き揚げ者の数でございますが、軍人軍属三百十万七千四百三名、一般邦人三百十八万二千六百六人でございます。
 それから、未帰還者の数、三千五百六十三名。この内訳は、軍人軍属二百六十六名、一般邦人三千二百九十七名。地域別に申しますと、ソ連地区が五十四名、樺太・千島地区三百一名、北朝鮮百十四名、中国地区二千九百二十名、南方その他百七十四名となっております。
 それから、戦時死亡宣告で処理済みのものは、軍人軍属七千六百三十名、一般邦人一万一千八百八十六名、合計一万九千五百十六名でございます。
○大橋(敏)委員 時間が来ましたので、最後に一言。
 外務省の方、いらっしゃいますか。――実は射殺されたのは小塚金七元一等兵であったわけでございますが、現地でこれが大問題として騒がれているにもかかわらず、大使館では、まだ日本人かどうかもわからないというような態度でいろいろと報道関係者に接触していたようでございますが、これは慎重を期して表現をそういうふうにしたのかもしれませんけれども、現地に行ってきた報道関係者の皆さまの話を総合しますと、外務省のこうした大使館やあるいは領事館等の機能というのは非常に問題があるのじゃないか、つまり上層部と、下層部と言えばおかしいですけれども、それとの連携が非常に悪いというような話を聞きました。いわゆるその下部と上部とが遊離して意思の疎通を欠いているのではないか、ここに大きな問題があるのではないかというような意見を聞きましたけれども、この点はどうなんですか。
○穂崎説明員 まず最初に、事件が起こったときの処理をちょっと申し上げますと、十九日の夜、電報が入りまして、その第一報は向こうの政府から、ルバング島で――最初は現地では、これは何かゲリラのような盗賊だというふうに考えておったのでしょうが、どうも日本人らしい、けれどもまだよくわからないから、第一報は――よくわからないからこれは発表は見合わしてくれという第一報が入ったわけです。そのあと、所持品その他によって日本人であるということが大体はっきりしてきましたので、われわれのほうはすぐ厚生省に連絡いたしました。ただ、新聞につきましては、多少そういう仕事をやっておる関係で発表がおくれたことは事実でございます。
 それから、いまの、上と下の連絡が悪いとおっしゃる意味が私ちょっと、よくわかりませんが、私のほうでは、私はその電報は、ちょうど会議中でありましたけれども、第一報は見ました。それですぐ厚生省には連絡してもらうようにということと同時に、だんだんいろいろな情報が入ってまいりましたので、新聞のほうは一部マニラでこのことをお聞きになった新聞があるようです、至急発表をするようにということで、厚生省のほうに連絡をしながら、その日の昼に――翌日ですね、二十日の昼、発表したわけでございますけれども、私自身承知しております。それから、新聞も扱っておりまして、情報文化局長も知っております。本省に関する限り上と下との連絡が欠けるところはなかったと思います。それから、現地におきましても、すぐに、翌日でしたか、ルバング島に人を派遣しておりますし、特に上と下が連絡が悪いというようなことはなかったように思いますが……。
○大橋(敏)委員 最後に、時間もありませんので、一言言っておきますが、やはりそうした大使館等の機能に問題があるのではないかという印象を与えておりますので、何もなかったという立場でなくて、何かあったのではないかという頭でもう一回それを整理していただきたいと思います。
 以上です。
○小沢委員長 次に、寺前巖君。
○寺前委員 先ほどからの質疑に引き続いて、私ちょっと、もう少し詰めて聞きたいということがありますので、二、三の点を局長に聞いて、あと大臣にちょっと聞きたいと思うのです。
 一つは今回の事件についてですが、昭和三十四年の十二月に死亡宣言をするということについて、その時期の問題がちょっと問題じゃないかというような話がさっきからいろいろあったと思うのです。さっき局長さんは、こういうふうに言われましたね。この死亡宣言をしてしまった人たちに対しても、未帰還者同様に捜査をしてきたということをおっしゃった。ほんとうなんだろうか。私はいま問題はこれだけあると思うのですね。いろいろあるけれども、たくさんの人が海外で死んだ。なくなった数は二百何十万とか言っておられましたね。二百四十万の人がなくなった。そのうち遺骨を持って帰れたのは九十二万、いまだに百四十万人からの遺骨が野ざらしになっておる。戦争が済んでから二十八年たった今日、依然として過半数が野ざらしだ。よくわからぬままにともかく家族の了解も得て、そして死んだんだぞという宣言をやった人がざっと二万人近くおる。しかし、それもならぬ未帰還者というのが三千五百人余りおる。その中で、家族が絶対にそんなものの中に入れてもらっては困るという人も四百人からおる。これが事実だと思う。そうすると、未帰還者についての対策と同時に、家族の了解を得て、もう見つからぬだろう、もう終わりだ、大体この人は死んだという宣言をされた人たちが生きておるという事実が、今度のルバング島の問題だと思うのです。そうすると、ほんとうに総点検をしなければならないということになったら、この死亡宣言をした人たち全体にわたって再点検してもらわなければだめだと思うのです。いわゆる未帰還者という問題だけじゃないと思う。ところが局長さんはさっき、未帰還者同様に死亡宣言した人たちも捜査をやってきたと言った。それじゃほんとうにルバング島の問題というのが一番――三回にもわたって捜査して死亡宣言をした人なんだから、その後十二年間何もやらなかったということは事実じゃないか。はたしてほんとうに死亡宣言をしてきた人たちを捜査してきておったのか、私は疑問に感じましたので、その点についてひとつ聞きたいと思うのです。
 それから死亡宣言をしたということが、今度の問題で十二年間放置された、さっそく局長になって情報を集めた、だけれども、いままで情報がなかったというお話だった。死亡宣言したところから情報の集め方の姿勢が変わっているのじゃないだろうか。十二年目に初めてあの兵隊さんがあらわれたということは私はなかろうと思いますよ。生きるためには十二年の間に出ておったはずですよ。現に、いろいろ報道の中では、何人人を殺したとか、私は傷ついたとかテレビでもやっていますよ。十二年間何ら情報が入らぬとなったら、死亡宣言したために一切聞く耳なしということになってしまったのじゃないだろうか。この死亡宣言をしたということ自体の中に持っている問題点があるのじゃないだろうか、その点を今回の問題としてどのように見られるのか、どのように反省されるのか、このことをはっきりしなければならないというのが一つです。
 ちょっと、ついでに聞くことを言ってしまいますから……。それから、それに関連してですけれども、そうすると、現地で十二年間もおそらく出たり入ったりいろいろあっただろうと思うのですが、一説によると、日本は降伏しているということを知っているというふうにいわれています。にもかかわらず、二十八年たってだけではなくして、この十二年間でも、何で戻ってくることができないのだろう。いろいろ想像つくことがあると思います。一つは、日本自身があのフィリピンをめぐっての侵略行動を起こしたことは事実なんだから、その過程において果たした役割りが、現地住民に対していい役割りをしたか、悪い役割りをしたか、いまさら論ずるまでもないことだと思う。だから、従来侵略戦争の過程で果たした役割りの問題に対する恐怖心。それから、その後生きるために略奪その他のことをやったでしょう。そのために住民から反発を受けるその恐怖心。したがって、どんなことを呼びかけようとも自分自身が懐疑心を持つのは当然です。そのことは、これはもうほんとうに、侵略戦争の果たした役割りがそういう人間にしてしまったという状態にあるだろうと思うのです。それを考えたら、その立場を変えるためには、現地住民に対して日本政府として、こういう悪いことをやった、それに対して私たちはこういうふうにあやまりますということを明確にしながら、その後起こした事件についても全面的にわれわれが責任を負うという処置をしなかったら、現地住民の目は変わらぬだろうと思う。その内容をもってその隠れている人たちに対処しなかったならば、私はその人たちも救われないだろうというふうに思うのだけれども、実際にその辺の問題を、たとえばルバング島の問題においてどのように処置してこられたのか、具体的にはっきり言うてもらわなかったら、私はおそらくこれはたいへんだろうというふうに思います。これが第二番目。
 それから第三番目に、先ほど言った、遺骨が圧倒的にまだ残っている、死亡宣告した人が二万人からおる、未帰還者というのがまだ三千何百名という登録がある。この人たちを全面的に総点検してもらえるのかどうか、はっきりしてもらわなければいかぬと思うのです。そうしたら、あと三年間にこれだけのことをやってしまうのだといって、機構の縮小まで問題にしているということを私は報道で聞いたが、おかしいのじゃないだろうか。三年間でそれだけのことをやり切れるものだったら、いままで二十年の間にとうにやれたじゃないか。私はできるとは思われない。三年間に集中的に予算をこうこうしてがんばりますというならわかるけれども、もっともっと長期にわたって責任を果たすということをやらなければだめなんじゃないだろうか。同時に、民間団体の御協力も得ましてという話で、助成金を出している。協力を得るのはいいと思いますけれども、政府の責任でやるべきものだと私は思いますよ、戦争という問題については。その責任について少し・考え方が違うのじゃないかと思うのですが、一体この問題について三年間で打ち上げるということは可能なのかどうか。私はできないと思う。そういう問題。
 最後に大臣に聞きたいと思います。二十八年たった今日、いまだに戦死者が出ている。私は侵略戦争の悲惨さというものをここに見ることができると思います。なかんずく中野のスパイ学校。おとうさんが言っておられます、あそこに入れなかったならばこうもならなかったものをと。侵略戦争について、大臣はいまどういうふうにお考えになっているか。同時にまた、中野のスパイ学校についてどういうふうにお感じになっているか。
 四点について聞きたいと思います。
○高木(玄)政府委員 最初の問題でございますが、私が御説明しましたのは、今度のルバング島の小野田元少尉、それから小塚元一等兵につきましては、三十四年の時点で、先ほど申しましたように、大がかりな捜索をいたしました結果、その年の十二月に死亡公報を出して処理しているのでございます。いわゆる戦時死亡宣告による死亡処理ではございません。死亡公報を出して正式に死亡として扱ったということでございます。その点非常にごちゃまぜにしておられると思うのでありますが、戦時死亡宣告と申しますのは、未帰還者に関する特別措置法がございまして、これにつきましては、死亡について、御承知のとおり、証拠、根拠というものはつかめていないけれども諸般の情勢から死亡と推定されるという者について、留守家族の同意を得て、厚生大臣が戦時死亡宣告を申し立てて死亡として処理するのでございます。したがいまして、先ほど申しました一万九千名の方々がそういうことで死亡として処理されておりますが、こういう方々については、はっきりした死亡の根拠はなくて、推定に基づいてやっているわけでございますから、これらの方々については引き続き情報の収集につとめます、こういうふうに申し上げたわけでございます。この辺のところが先ほどのお話で誤解があったように思います。
 侵略戦争云々の恐怖心のために出てこないのじゃないかということでございますが、この小野田元少尉がどういう心境にあるのか、これは御本人に聞かなければわかりませんが、二十一年の時点で四人が残られたうち、先ほど申しましたように、三十五年にそのうち一人がフィリピンの官憲に投降して復員しておられます。したがいまして、そういった事実を考えれば、それは侵略戦争の恐怖心によって出てこられないというものでもなかろうというふうに思います。この辺のところは、御本人の御心境というものは私どもとしては推測できないわけでございます。
 それから先ほど申しましたように、遺骨の収集、もうこれは政府の責任でやるということについては当然のことでございます。したがって、従来もやっておりますが、ただ、政府が行ないますこの遺骨収集につきまして、戦友会なり、そういった民間の方々がいままで手弁当で奉仕的に政府の派遣団に協力していただいているのに対しまして、今後は政府が主体で責任をもってやるという立場を明らかにするためにも、そういった方々について経費の一部を国が持つべきではないか、こういうことで予算を組んでいきたい、こういうふうに申し上げたわけでございます。
 それから三年間で全部処理するとか、機構を縮小するということは、私は、そんなことを申したことは一度もございませんし、さようなことは全然考えておりません。
○寺前委員 大臣の……。
○塩見国務大臣 御質問の趣旨がよく理解できませんでしたが、大東亜戦争は侵略戦争だというお考えのもとに私の見解を尋ねているのじゃないかという感じも実はいたしたのでございます。現在における批判は別といたしまして、その当時の国家目的に従って戦争というものが遂行されたわけでございまして、したがって、その兵隊さんが全部侵略戦争の手先で、しかも自分自身がそういうふうな侵略を意識してやったということはとうてい考えられぬことでございますし、戦争の性格については、私は、ただいまの御意見のように、これは侵略戦争だとここできめつけてお答えをするつもりはないわけでございます。戦争の性格はさらにいろいろの観点から考えるべき問題だと思います。
 それから中野学校の問題につきましても、そういう趣旨から同様に御理解をいただきたいと思います。
○小沢委員長 寺前君、時間です。
○寺前委員 局長、さっき言うておったことの中で、侵略戦争のことだけを言っているのじゃなくして、戦後の略奪の過程もあるからね、生きるためにはやむを得ないのだから。そこで射殺とかいろいろな問題が起こる。そういう全体を考えて本人が出てきにくくなってくるということが考えられる問題じゃないか。したがって、そこで発生してきた問題に対する対応という問題を考える必要があるのじゃないかという問題が私の提起したさっきの一つ。それと今後の調査についても、すでに死亡宣言をした人たち、それから未帰還者全体にわたって再点検をする必要があるのじゃないかという問題につきましてお答えをいただいておりませんので、その点についてもう一度お願いしたいと思います。
○高木(玄)政府委員 小野田さんが非常に出てきにくい、あるいは出てこれないというのがどういう理由によるのか、これは独特の使命感によるものであるのか、あるいは先生の言われるように、島の人たちに迷惑をかけたので、そういった関係で出てこれないのかどうか、この先生の御指摘の点については、先ほど大臣からも申されましたとおり、フィリピンの大統領が、この小野田少尉が無事に救出されたらばそういったことは一切問わずに身柄は日本政府に渡すと、こういうふうに言って、そのことを小野田少尉の捜索に利用してけっこうであると言ってておられますので、その点は今後島において、そういった点が心配なら心配せずに出てきてくれという呼びかけをして徹底することはできると思っております。(寺前委員「それからもう一つ、未帰還者だけじゃなくして死亡宣言」と呼ぶ)すでに公的資料に基づき死亡公報を出したもの、これについては、もうはっきり私どもは責任をもって処理したのでありますから、いまさら再点検というようなことはあり得ません。ただ、先ほど申しましたように、はっきりした死亡についての公的資料なり証拠がなくして、特別措置法による戦時死亡宣告の申し立てで死亡処理したものについては、これは今後とも情報を追及していく必要がある、これは全く未帰還者と同様である。未帰還者に関する情報収集については今後とも組織的、積極的にやっていきたいというように先ほどからお答えしております。
     ――――◇―――――
○小沢委員長 この際、竹内黎一君、田邊誠君、大橋敏雄君、田畑金光君及び寺前巖君より、未帰還者救出等に関する件について決議されたいとの動議が提出されております。
 本動議を議題といたします。
 まず、その趣旨の説明を聴取いたします。竹内黎一君。
○竹内委員 私は、自由民主党、日本社会党、公明党、民社党及び日本共産党を代表いたしまして、木動議について御説明を申し上げます。
 案文を朗読して、説明にかえさせていただきます。
   未帰還者救出等に関する件
  今回の比国ルバング島における元日本軍人の死傷事件は、まことに遺憾にたえないところである。
  よつて政府は、すみやかに次の事項につき適切な措置を講ずべきである。
 一、ルバング島における元日本軍人の救出並びにその生還に万全を期すべきである。
 一、ルバング島以外においても、未帰還者及び従来の死亡宣告者の実情調査及び情報収集については、政府はその手段を尽し、関係各国の協力を求めその救出については、十分の措置を講ずべきである。
 一、海外戦没者の遺骨収集については、今後もこれを継続するとともに、抜本的方策を講じ万全を期すべきである。
以上であります。
 何とぞ委員各位の御賛同をお願いいたします。
○小沢委員長 本動議について御発言はありませんか。――御発言なければ、直ちに採決いたします。
 本動議に賛成の諸君の起立を求めます。
  〔賛成者起立〕
○小沢委員長 起立総員。よって、竹内黎一君外四名提出の動議のごとく決しました。
 なお、本決議の参考送付先等につきましては委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。
  〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○小沢委員長 御異議なしと認め、さよう決しました。
 ただいまの決議に対し、政府より発言を求められておりますので、これを許します。塩見厚生大臣。
○塩見国務大臣 ただいまの決議の趣旨を尊重し、極力努力をいたしたいと存じます。
○小沢委員長 次回は公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。
   午後四時五十八分散会