第071回国会 社会労働委員会 第14号
昭和四十八年四月十二日(木曜日)
    午前十時四十九分開議
 出席委員
   委員長 田川 誠一君
   理事 塩谷 一夫君 理事 竹内 黎一君
   理事 橋本龍太郎君 理事 山下 徳夫君
   理事 川俣健二郎君 理事 八木 一男君
   理事 寺前  巖君
      小沢 辰男君    大橋 武夫君
      加藤 紘一君    瓦   力君
      小林 正巳君    斉藤滋与史君
      志賀  節君    住  栄作君
      田中  覚君    高橋 千寿君
      戸井田三郎君    登坂重次郎君
      中村 拓道君    羽生田 進君
      増岡 博之君    枝村 要作君
      大原  亨君    金子 みつ君
      田口 一男君    田邊  誠君
      多賀谷真稔君    中村 重光君
      村山 富市君    山本 政弘君
      石母田 達君    田中美智子君
      大橋 敏雄君    坂口  力君
      小宮 武喜君
 出席国務大臣
        厚 生 大 臣 齋藤 邦吉君
 出席政府委員
        厚生省環境衛生
        局長      浦田 純一君
        厚生省援護局長 高木  玄君
 委員外の出席者
        外務省欧亜局大
        洋州課長    谷口 禎一君
        外務省条約局法
        規課長     熊谷 直博君
        大蔵省主計局主
        計官      渡部 周治君
        文部省大学学術
        局学生課長   遠藤  丞君
        厚生省年金局年
        金課長     幸田 正孝君
        消防庁消防課長 辻  誠二君
    ―――――――――――――
委員の異動
四月六日
 辞任         補欠選任
  瓦   力君     萩原 幸雄君
  住  栄作君     村岡 兼造君
同日
 辞任         補欠選任
  萩原 幸雄君     瓦   力君
  村岡 兼造君     住  栄作君
同月九日
 辞任         補欠選任
  加藤 紘一君     徳安 實藏君
  増岡 博之君     西村 英一君
同日
 辞任         補欠選任
  徳安 實藏君     加藤 紘一君
  西村 英一君     増岡 博之君
同月十日
 辞任         補欠選任
  中馬 辰猪君     志賀  節君
同月十二日
 辞任         補欠選任
  島本 虎三君     中村 重光君
  山本 政弘君     大原  亨君
同日
 辞任         補欠選任
  大原  亨君     山本 政弘君
  中村 重光君     島本 虎三君
    ―――――――――――――
四月六日
 国民年金法、厚生年金保険法等の一部を改正す
 る法律案(八木一男君外十六名提出、衆法第一
 四号)
 国民年金等の積立金の運用に関する法律案(八
 木一男君外十六名提出、衆法第一五号)
 厚生年金保険法等の一部を改正する法律案(内
 閣提出第五一号)
同月十一日
 最低賃金法案(村山富市君外九名提出、衆法第
 二三号)
 国有林労働者の雇用の安定に関する法律案(川
 俣健二郎君外九名提出、衆法第二四号)
同月七日
 国民健康保険組合に対する国庫負担増額に関す
 る請願(小川新一郎君紹介)(第二二六一号)
 同(堂森芳夫君紹介)(第二二六二号)
 同外六件(和田耕作君紹介)(第二二六三号)
 同(原茂君紹介)(第二三三二号)
 同外一件(八木一男君紹介)(第二四二六号)
 老齢年金増額に関する請願(小川新一郎君紹介)
 第二二六四号)
 同(近江巳記夫君紹介)(第二三二八号)
 同(北側義一君紹介)(第二三二九号)
 同(岡本富夫君紹介)(第二四二五号)
 健康保険法等の一部を改正する法律案反対等に
 関する請願(川俣健二郎君紹介)(第二二六五号)
 同(坂本恭一君紹介)(第二三四四号)
 同(村上弘君紹介)(第二四三〇号)
 健康保険法等の一部を改正する法律案撤回に関
 する請願外三件(小川新一郎君紹介)(第二二六
 六号)
 同(大野潔君紹介)(第二二六七号)
 同(岡本富夫君紹介)(第二二六八号)
 同(小濱新次君紹介)(第二二六九号)
 同(伏木和雄君紹介)(第二二七〇号)
 同(近江巳記夫君紹介)(第二三四五号)
 同(矢野絢也君紹介)(第二四三一号)
 通勤途上の交通災害に労働者災害補償保険法適
 用に関する請願(竹村幸雄君紹介)(第二二七一
 号)
 進行性筋ジストロフィー等神経筋疾患を対象と
 する国立研究所設立に関する請願外一件(村山
 富市君紹介)(第二二七二号)
 同外一件(八木一男君紹介)(第二二七三号)
 同(山本弥之助君紹介)(第二二七四号)
 同(和田貞夫君紹介)(第二二七五号)
 同外一件(渡辺三郎君紹介)(第二二七六号)
 同外一件(村山富市君紹介)(第二三四一号)
 同(安井吉典君紹介)(第二三四二号)
 同(湯山勇君紹介)(第二三四三号)
 同外二件(村山富市君紹介)(第二四三三号)
 同外一件(八木昇君紹介)(第二四三四号)
 指圧療法の認定に関する請願(近江巳記夫君紹
 介)(第二三一九号)
 薬局、薬店の経営安定に関する請願(岩垂寿喜
 男君紹介(第二三二〇号)
 原爆被爆者援護法制定に関する請願(石母田達
 君紹介)(第二三二一号)
 同(栗田翠君紹介)(第二三二二号)
 同(瀬崎博義君紹介)(第二三二三号)
 同(田代文久君紹介)(第二三二四号)
 同(田中美智子君紹介)(第二三二五号)
 同(津川武一君紹介)(第二三二六号)
 同(寺前巖君紹介)(第二三二七号)
 同(浦井洋君紹介)(第二四二七号)
 同(木下元二君紹介)(第二四二八号)
 同(東中光雄君紹介)(第二四二九号)
 歯科技工士資格付与の特例措置に関する請願
 (粕谷茂君紹介)(第二三三〇号)
 同(住栄作君紹介)(第二三三一号)
 全勤労国民の生活保障に関する請願(岩垂寿喜
 男君紹介)(第二三三三号)
 同(小川省吾君紹介)(第二三三四号)
 同外一件(野坂浩賢君紹介)(第二三三五号)
 社会保険診療報酬の引上げに関する請願(近江
 巳記夫君紹介)(第二三三六号)
 社会保険診療報酬の引上げ等医療制度改善に関
 する請願(青柳盛雄君紹介)(第二三三七号)
 同(加藤清政君紹介)(第二三三八号)
 同(小川省吾君紹介)(第二四二二号)
 社会福祉施設労働者の労働条件改善等に関する
 請願外三件(近江巳記夫君紹介)(第二三三九号)
 同(北側義一君紹介)(第二三四〇号)
 同(大橋敏雄君紹介)(第二四二四号)
 社会福祉協議会の活動強化に関する請願外六件
 (小川平二君紹介)(第二四二一号)
 生活できる年金制度の確立等に関する請願(大
 橋敏雄君紹介)(第二四二三号)
 中小業者の医療保障制度確立等に関する請願
 (鈴切康雄君紹介)(第二四三二号)
同月十日
 歯科技工士資格付与の特例措置に関する請願
 (粟山ひで君紹介)(第二五一四号)
 同(登坂重次郎君紹介)(第二六六五号)
 晴眼者を対象とするはり師、きゆう師養成学校
 規制に関する請願(愛知揆一君紹介)(第二五一
 五号)
 同(八木一男君紹介)(第二五一六号)
 老後の保障確立に関する請願(土橋一吉君紹介)
 (第二五一七号)
 生活できる年金制度の確立等に関する請願(土
 橋一吉君紹介)(第二五一八号)
 同(寺前巖君紹介)(第二五七六号)
 同(金子満広君紹介)(第二六六九号)
 同(小林政子君紹介)(第二六七〇号)
 同(平田藤吉君紹介)(第二六七一号)
 同(不破哲三君紹介)第二六七二号)
 同(松本善明君紹介)(第二六七三号)
 健康保険法等の一部を改正する法律案反対等に
 関する請願(平田藤吉君紹介)(第二五一九号)
 同(寺前巖君紹介)(第二五八〇号)
 同(山本政弘君紹介)(第二五八一号)
 社会福祉の向上に関する請願)(村上弘君紹介)
 (第二五二〇号)
 社会保険診療報酬の引上げ等医療制度改善に関
 する請願(寺前巖君紹介)(第二五二一号)
 同(山口鶴男君紹介)(第二五二二号)
 同(寺前巖君紹介)(第二五八二号)
 進行性筋ジストロフィー等神経筋疾患を対象と
 する国立研究所設立に関する請願(寺前巖君紹
 介)(第二五二三号)
 同外一件(横路孝弘君紹介)(第二五二四号)
 同外一件(米田東吾君紹介)(第二五二五号)
 同(松岡松平君紹介)(第二五七七号)
 同(登坂重次郎君紹介)(第二六六六号)
 同外一件(米内山義一郎君紹介)(第二六六七号)
 同(横山利秋君紹介)(第二六六八号)
 公費負担による医療の拡充に関する請願(鈴木
 善幸君紹介)(第二五二六号)
 国民健康保険財政の強化に関する請願(鈴木善
 幸君紹介)(第二五二七号)
 国民健康保険組合に対する国庫負担増額に関す
 る請願(北側義一君紹介)(第二六五九号)
 同(田中昭二君紹介)(第二六六〇号)
 老齢年金増額に関する請願(高橋繁君紹介)(第
 二六六一号)
 同(山本政弘君紹介)(第二六六二号)
 社会福祉施設労働者の労働条件改善等に関する
 請願(北側義一君紹介)第二六六三号)
 保険診療経理士法制定に関する請願(小此木彦
 三郎君紹介)(二六六四号)
 中小業者の医療保障制度確立等に関する請願
 (北側義一君紹介)(第二六七四号)
 健康保険法等の一部を改正する法律案撤回に関
 する請願(北側義一君紹介)(第二六七五号)
 同(鈴切康雄君紹介)(第二六七六号)
 同(高橋繁君紹介)(第二六七七号)
は本委員会に付託された。
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正す
 る法律案(内閣提出第三二号)
 公衆衛生に関する件(食用油の熱媒体混入事故
 に関する問題)
     ――――◇―――――
○田川委員長 これより会議を開きます。
 この際、おはかりいたします。
 去る五日の高橋千寿君の発言について、同君から文書をもって訂正の申し出が出ております。申し出のとおり訂正するに御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○田川委員長 御異議なしと認め、さよう決しました。
     ――――◇―――――
○田川委員長 公衆衛生に関する件について調査を進めます。
 この際、厚生大臣から発言の申し出がありますので、これを許します。厚生大臣齋藤邦吉君。
○齋藤国務大臣 食用油に熱媒体の混入いたしました事故が発生いたしましたので、その事故の発生の経緯並びにこれに対して厚生省がとりました措置等につきまして、まず申し上げたいと思います。
 四月九日、千葉県衛生部におきまして、千葉所在の千葉ニッコー株式会社が製造いたしておりました食用油に不良品があるとの情報によりまして事情を調査しました結果、熱媒体が混入した食用油が販売されておることが、四月十日、千葉県の報告により、判明いたしました。
 会社がこの事故に気づいたのは三月十五日でございまして、熱媒体のコイルに一ミリの穴があき、製造中の食用油に混入いたしたものでございます。
 なお、この熱媒体が混入したと思われる食用油の量は約三十トン、これはこの穴があいているということで気がつきました三月十五日製造分が三十トンでありまして、これに熱媒体が約十五キログラムが混入したと推定されております。熱媒体が混入したと思われまする食用油について検査いたしましたところ、ダウサムAの濃度が九PPMが検出されております。この検査は倉敷市の日本興油株式会社でございます。
 次に、この熱媒体の組成は、ダウサムAが六〇%、KSK四〇%の混合物でございまして、食品工業用の熱媒体でございまして、昭和四十三年にカネミ油症事件を惹起いたしましたPCBの代替品として使用されておる物質でございますが、その毒性はPCBよりかなり弱いのでございますが、人体に全く無害とはいえないものでございます。会社で製造された食用油は、同社の販売先が一都、一府、十九県に及んでおり、販売されております。
 厚生省は、こうした事故の発生に伴いまして、国民の健康被害の発生予防の見地から、次のような措置を講じました。こうした措置はすべて千葉県が行なうのでございますから、私どもとしては、千葉県と相談し、千葉県に対する指示として行なっております。
 まず第一に、当該食用油の販売を停止、移動の禁止を行ない、製品の回収を行なうことにいたしました。それは二月二十日から三月二十日までの間に製造された食用油の約五百二十トン、それから三月二十一日から四月十日までの間に製造された食用油についても、予防的見地から製品の移動と販売の禁止を昨日追加指示いたしました。さらに、当該食用油について分析を実施することとし、なお、製造業者、千葉ニッコー株式会社に対しましては、昨日、十一日午後三時、営業禁止の命令を発することにいたしました。
 なお、よその県に荷が送られておりますることにかんがみまして、関係都道府県に対する指示をいたしましたが、その内容の一つは、当該食用油の販売を停止、移動の禁止、製品の回収を指示いたしますとともに、当該食用油の分析を実施することといたしました。
 なお、消費者に対しましては、当該食用油を摂取しないよう広報することといたしまして、この事故が発生いたしました十日、夜分でありましたが、新聞紙、テレビ等の御協力をいただきまして、十日の夜から、食用油を摂取しないよう、消費者向けの広報をいたしてまいっております。なお、消費したと思われる世帯に対しましては、十分地元において調査しながら、摂取の状況、健康状態の調査をいたしておる次第でございます。
 なお、厚生省としましては、当該食用油については国立衛生試験所において分析を実施することとし、その検体は十一日送付いたしてございまして、直ちに毒性試験に着手いたしておるような次第でございます。
 大体以上でございます。
    ―――――――――――――
○田川委員長 質疑の申し出がありますので、これを許します。橋本龍太郎君。
○橋本(龍)委員 各党五分というきわめて短い時間の質問でございますので、厚生当局からも簡単にして要を得た御答弁を願いたいと思います。
 今回の千葉ニッコー株式会社の問題というものは、カネミのライスオイル中毒という非常に悲惨な事件をすでに経験をしているこの国の食品衛生業界において、しかも同じ食用油を生産する業界において、本来なら二度と起こってはならないはずの事件が再び発生をし、しかもある意味ではカネミの事件以上に、先例があるだけに悪質だと言われてもしかたのないような事件だと私どもは考えます。しかし、それに対してすでに営業停止の処分までを指示されたということでありますので、それだけの、従来に比べての進歩というものを私ども評価をするわけでありますが、この中から幾つかの問題点が実は出てくるわけであります。
 それで、食用油の製造工程において熱媒体が混入した事故について、この概要いかんということは、カネミの中毒以来当然払われておるべきであった注意が、この業界において十分払われておらなかったという一つの実例として非常に重要な問題でありまして、この製造工程のパイプを利用する熱媒体利用の方式というもの自体が食用油の生産の方式として正しいものであるかどうかということも、一つの問題であります。
 また同時に、約一カ月に余る期間、事故が発生して以来それを内緒にひた隠しに隠してきて、新聞等の報ずるところによれば、下請企業の従業員から衛生部に知らせがあり、衛生部から問い合わせをするまでこの事故というものを隠し続けてきたこの企業の態度自体も、これは非常な問題であります。これに対して、この事故に対してとった、なお詳しい厚生省並びに千葉県の措置というもの、これも明らかにしていただかなければなりません。
 同時に、今後の講ずべき対策、これは一体どういう点にウエートがかけられるのかということであります。これは衛生試験所における毒性試験等も当然必要でありましょう。しかし、それと同時に、もし一般家庭においてすでに不幸にして、これを摂取しておられる御家庭があり、これはPCBに比べて多少毒性の少ないといわれるビフェニールあるいはアルキルアローマでありますけれども、もし人体に対する影響が出たときに、それにどう対処するのか。こうした問題もこの中から当然お答えをいただかなければなりません。
 さらに私どもの知識でありますから、これは間違っているかもしれません。しかし、少なくとも私どもが学生時代に化学の実験その他でいじった感じでは、ビフェニールというものは相当な悪臭を発するにおいの強い物質のはずであります。当然、これが混入されておれば、普通の食用油のにおいとは、たいへん違うはずなんです。これがいまのお話によると、日本興油株式会社において検査を依頼し、九PPMの混入が認められたものを再精製して出荷をしたというお話であります。再精製の時点でビフェニールが完全に除去できたのかどうか。これは私どもとして非常に疑問の多い点でありまして、むしろこれが何らかの作用によって、ビフェニールそのものが存在をしながら、においを消して出荷をされていたとするならば、これはなお実は悪質な行為であります。こうした点について、各党、各委員からそれぞれの御質問があると思いますが、まず全般の概要を明らかにしていただきます。
○齋藤国務大臣 カネミのああした不幸な体験を私どもは持っておるわけでございまして、こういうことは二度とあってはならない、こういうことで業界に対しましても、今日まで厳重に指導をいたしてまいったわけでありますが、こうした不幸な事故が起こりましたことは、業界としてももう少し戒心をしてもらわなければならぬ問題であると考えております。しかもまた、この当該工場が十五日にコイルに穴があいたということを気づきながら、それを補修をし再生した、そしてそれを販売しようとした。そういうことにつきましては、どうも企業のモラルからいって許しがたいものであると私は考えまして、実は昨日厳重なる営業停止の処分を指示したような次第でございます。
 そこで、この事件を契機として私ども今後の問題いろいろ考えなければならぬと思いますが、こういうふうな熱媒体を使用するような工場の総点検をいたすように、昨日、局長に指示をいたしました。
 もちろん毒性の検査等も急がなければなりませんが、さしあたり、こういうことをやってはならぬのでありますから、熱媒体を使用して油をつくる、こういう工場について近く全国一斉に総点検を実施させるように指示をいたしまして、目下その計画をつくらしておる次第でございます。さらにまた業界に対しましては、こういうふうな熱媒体を使わないで油をつくる方式があるのかないのか私は知りませんけれども、そういう問題について、ひとつ業界に検討させるようにしてもらうように相談をしてみたい、かように考えておる次第でございます。
 なお、消費者に対しましては、PCBとは違いまして、毒性はあれよりは低いとされておりますけれども、やはり今後健康がどういうふうになるか、それが非常に心配でございますので、消費したと思われる方々はどの程度の油を消費したか、そういうふうな実態を踏まえながら、その健康状態の調査を実施いたすようにいたしたいと思いますが、何と申しましても、全国にばらまかれておるということでもございますので、新聞やテレビ等を通しまして、消費者に対して摂取しないように当面全力を尽くして防止しよう、こういうふうに考えておる次第でございます。
 私としては不幸な患者が出ないことを毎日祈念いたしておるような次第でございます。
○浦田政府委員 質問の中で、再生したときの確認の状況についてのお尋ねがございましたが、再生してから確認しないまま――現在はいたしたようでございますけれども、その結果を確認しないまま、また製品として出荷しておるということでございます。
 それから、においが残っておったかどうか、あるいはそれを隠すような手だてをしたかどうかというようなことにつきましては、目下調査中でございます。
○田川委員長 金子みつ君。
○金子(み)委員 ビフェニールという毒物の入った食用油が全国的に売り出されているという問題について、いま厚生大臣から前の質問者に対しての御答弁がございましたけれども、私もこの問題につきまして、ぜひお尋ねしたい点がございます。
 このことは、私どもはテレビや新聞その他で知ったわけでございますけれども、それを知りましたときに、私個人の感情といたしましては、ああまたやった、こういう感じであったわけでございます。この前にあれほど騒ぎになりました九州のカネミライスオイルの事件ですが、あの事件はまだ解決していないはずでございます。つい一カ月にもなりませんが、この国会の中にあのライスオイルの患者さんたちが訴えに参りました。私どもお目にかかって、お話をいろいろ伺ったわけでございますが、実に悲惨な状態で、何の補償も十分なされておらないで苦しんでおられます。あの問題があのままになっておるのに、今度またあの二の舞いをやるというようなことがどうして起こったんだろうかというのですけれども、その辺を厚生省ではどういうふうに考えていらっしゃるでしょうか。
 しかも一カ月もたってから、やっとこの問題に手をつける。その間一体何をやっていらっしたんでしょうかというような、非常に単純な疑問ですけれども、素朴な疑問がまず生じておりますが、その点からまず御解明願いたいのです。
○浦田政府委員 確かに御指摘のようにカネミ油症事件の全面的な解決をまだ見ない段階において同じようなことが起こったということで、私どもはたいへんに遺憾に存じておるわけでございます。カネミ油症事件が起こりましたのは昭和四十三年の暮れでございますが、その後この事件の経過にかんがみまして、再発を防止するということから厚生省といたしましては、四十四年七月に食品衛生法の施行令を変えまして、従来食用油脂製造業は許可を要する業種でございませんでしたか、これを新たに指定することといたしまして、食用油の製造に必要な施設の基準につきましては、都道府県知事のほうから定めるようにいたすことといたしたのでございます。
 さらに、事故発生後、日本油脂協会、これは財団法人でございますが、日本油脂協会を通じまして、塩素の入ったこのような熱媒体を使うことは、今後使用禁止をしてほしい。また装置につきましては、絶対漏れない装置とするようということで強く指導をいたしたのでございます。
 それからさらに、法律を改正いたしまして、食品衛生管理者の設置を義務づけることによりまして、自主的な管理の強化をはかる、あるいはまた昨年の食品衛生法の改正に伴いまして、新たに有害毒物混入の防止基準の設定を厚生大臣が基準を設けることができることといたしまして、現在、実は全国的な調査を実施して、有害物質等の使用状況の把握につとめております。できるだけ早く基準を作成いたしたいと考えておる状況でございます。
 このようなことで、カネミ油症事件のような、似たような事件の再発につきまして、私どもとしては極力手を尽くしたのでございますけれども、今回再びこのようなことが生じたということは、私どもとしてはまことに残念に考える次第でございます。ことに、事件の発生が三月十五日であったのに、これを放置したのみならず、ひたすらに隠して、また毒物が混入しているかどうかということを未確認のまま、それを再生したものを再出荷したといったようなことは、これは法律や何か以前の問題でございまして、私どもとしては、このような企業の姿勢については非常に遺憾に思いますし、徹底的に究明しなくてはならぬというふうに考えております。
 さらに、私どもといたしましては、これらの教訓を踏まえまして、絶対にこのような事故が起こらないように、業者のモラルの向上を強く訴えるとともに、私どもとしても監視その他につきまして万遺憾のないように気をつけてまいりたいと考えております。
○金子(み)委員 いま局長の御説明によりますと、カネミライスオイルの事件が発生してからあと、いろいろと万般手を尽くして指導してきたとおっしゃっていらっしゃるのでございますけれども、食品衛生監視員などが設置されて、そして進められてこられたのに、なぜこれを発見できなかったんだろうということが非常に残念でございます。保健所に置かれている食品衛生監視員だろうと思うのですけれども、一体食品衛生監視員が何名ぐらい置かれておるのか、どのくらい活動してこられたのか、そういうことが、もしわからせていただければ、ありがたいと思います。
○浦田政府委員 食用油脂製造業は約四百施設ございまして、これに対する監視は、年間でございますが約二千三百回ほど行なっております。全体で申しますと、営業施設は約三百万ほどございますが、これに対する監視としては三百七十万回余行なっております。
 監視員の配置状況でございますが、四十七年度で五千九百十名ということでございまして、これは四十八年度におきましては標準団体当たり現在六十二名でございますのを六十七名と、五名増員していただくようになっております。
○金子(み)委員 問題はこの衛生監視員の方たちがどんなふうな仕事を内容としてきたかという問題だと思います。数を多くすれば、それで管理ができるというものではないと思うのです。この人たちの仕事のしかたに問題かあったんじゃないでしょうか。ことばをかえれば、この人たちを指導し、そして督励する保健所の仕事がどうなっていたのかという問題だと思いますし、保健所の責任ではないかと思います。千葉県の問題であるとするならば、千葉県の衛生部の問題にもなると思いますし、ひいてはそれは厚生省へ上がってくるということになると思うのです。
 ですから、私は今後もうこういうことが起こっては絶対ならないと考えますけれども、いつも問題は後手後手と回るということについて、どうか今後はこういうことのないように、たとえば食品衛生監視員が置かれるということ、五名ずつ増員をなさったのはけっこうでございますけれども、増員と同時に彼らの働きの内容を点検されて、そしてきびしく指導していただきたいと思います。数が多いだけが能じゃないと思います。いまのお話でございますと、三百万の場所、三百七十万回ですから、行っていらっしゃるのは大体一回ですね。そんなことではわかるわけがないのです。だから、もっとひんぱんにそういうことが行なわれるような措置もはかっていただきたいと思うわけです。
 そのことは今後ぜひやっていただきたいことでございますが、先ほど厚生大臣の御報告の中にございましたし、私どもも新聞などで読みますと、このことが載っておるのでございますけれども、今度のビフェニールの毒性は、ポリ塩化ビフェニール、いわゆるPCBより弱いということが載っておりますね。その毒性は約三分の一程度であるということですけれども、これは急性の場合の毒性でございまして、慢性の場合については、新聞によりますとわかっていないと書いてあるのですけれども、このことは、これから先の問題になると思いますので、きびしく追及されなければならない問題だと思います。カネミライスオイル事件のときもそうでございましたから、それと同じようなことがないように今後きびしくこの点は追及していただきたいと思うのです。これは当然やらなければならない問題だと考えます。それはやっていただけますでしょうか。
○浦田政府委員 監視の強化につきましては、先ほど大臣が申されましたように、製造工程の改善等も含めまして、さらにそれの監視が十分できるように監視員の資質の向上をはかるということも含めまして、今後監視の強化につとめてまいりたいと思います。
 それから、このような毒物の慢性毒性につきましては、とりあえずはこの問題になりましたダウサムA、KSKにつきまして国立衛生試験所でさっそく試験するように手配いたしております。また似たような物質につきましても、私どもとしては事前にその慢性毒性については、できるだけきわめていくというふうに進めてまいりたいと考えております。
○金子(み)委員 ぜひそのようにお願いしたいと思います。
 時間の関係がございますので最後になりますけれども、先ほど大臣の御報告の中で、製造を禁止する、それから販売を停止するという御措置がございました。まことにけっこうだと思うのですけれども、もうすでに品物は出回っているわけですね。いまとめても、もう間に合わない部分がたくさんあるわけです。しかもそれは食用油として一般家庭が使ったり、あるいは飲食店などが使ったりするだけでなくて、この油がその次の段階で食料品に使われているということですね。たとえばマヨネーズをつくるとか、あるいはお菓子をつくるとか、あげものをつくるというようなところに使われている、こういうようなものを最後まで追及していただきたいわけなんです。決してもとだけを押えるんじゃなくて、消費者の口に入る一番子元まで、末端まで調査を追及していただきたいと思います。
 それでお願いがあるのでございますけれども、追及をなさいましたその結果は公表していただきたい。そして国民が、消費者がそのことをよくわかって、危険を未然に防ぐことができるようにしなければいけないと思います。ですから、その調査を公表なさいますと同時に、この委員会に資料を提出していただきたいと思うのでございます。
 さらに、もう一点お願いしたいことがありますのは、保健所を通して管内の人たちの健康調査を徹底的にしていただきたい。これは、時期を追って慢性的なものは出てくる可能性がございます。ですから、そういうものを考慮に入れながら健康調査というものもぜひやっていただいて、そしてその結果を一定時期を限って、この委員会に御報告を願いたい。これをお願いしておきたいと思います。
 この問題は、ほんとうに二度と再びあってはならないこと、二度あったのですから、もう絶対三度と起こしてもらっては困りますので、真剣に強く取り組んでいただきたいことを要望いたしまして、質問を終わります。
○浦田政府委員 現在出荷先の状況は追及中でございます。末端の消費者に至るまで、できるだけ判明するように指示してございます。
 また、その結果がわかり次第公表いたしますし、提出いたします。
 それから健康調査の件でございますが、とりあえずは消費者の方に、保健所に異常のある方は申し出てくれという呼びかけをいたしております。あとずっとフォローアップができるように、使用者の方の確認、これの名簿といいますか、その整理ということについても指示してございます。
○齋藤国務大臣 この事態を収拾いたしまするためには、消費者が一番問題なのでございまして、発売禁止をしましても、移動を禁止しましても、それよりもっと大事なことは消費者がそれを食べないようにしていただくことが一番大切なことでありますから、広報に全力を注ぎますと同時に、あくまでも追跡的な回収、それから食べたと思われる方につきましては健康の相談に乗ってあげるということが一番大事だと思いますので、そういう点に全力を注ぐ考えでございます。国民の不安を除く意味においても、その事態についてはそのつどそのつど公表をいたし、当委員会にもお知らせ申し上げるようにいたしたいと思います。
○田川委員長 石母田達君。
○石母田委員 私は、この問題について三つの点について御質問したいと思います。
 まず最初の問題は、この販売ルートと、回収の状況の結果と、その報告の体制という問題であります。新聞報道などによりましても、相当広範囲に、家庭に出回っている。製品にしましても、キューピーマヨネーズというような日常われわれが口にするような製品にまで入っているというふうに報道されております。こうした中にいま国会でも追及されている丸紅もその取り扱い商社に入っているということでありますので、一体こういう毒物が混入した油がどういう販売ルート、どういう内容で出されているか。特に給食関係にもかなり出回っているということでございますので、その点についてもお返事願いたい。そしてその回収状況がどうなって、それを刻々と厚生省のほうでつかむ体制がどうなっているかということも、結果報告と同時にお知らせ願いたいと思います。
 第二の問題は、先ほども御質問ありましたけれども、カネミと同じような原因、特にパイプですね。機械の構造上の問題で、やはりパイプに穴があいて混入した。これまたカネミと同じでございますので、こういう機械の構造上に共通の欠陥があるんじゃないか。こういうものが使われている工場というものはほかに何カ所くらいあるのか。そして、これまた新聞報道によりましても、この千葉ニッコーの場合でも十一カ所ですか、穴があいているというようなことでございますので、一体カネミの事件が起きた以後、こうした共通の機械構造を持つ工場に対して、どのような検査と、どのような指導をなされていたかということもあわせて御報告願いたいと思います。
 第三番目の問題は、いわゆる監視機構の問題であります。いまの衛生監視員の数は、五名ずつふやしても結局一回くらいしか検査できない、こういう体制では私はきわめて不十分であると思いますので、大幅に増員しなければならぬ。そうして一年に何回もチェックできる。特にこういうような危険性のあるところにおいては、そうしたチェック体制を特別に強化する必要があると思いますけれども、この問題についてどう考えるか。特に食品衛生法の第四条の教育指導、衛生監視も含めましての教育指導というものに対して、どのようなことを一体やってきたのかどうか。今後どのようにして事故の再発を防止するために対策を持っておられるのか、こういう点をあわせてお返事願いたいと思います。
○浦田政府委員 販売ルートでございますが、ただいま調査中でございますが、府県の数から申しますと、東京都、京都府を含めまして、一都一府十九県ということでございます。それからそれぞれの出荷先は、私どものほうに一々その商店名が報告されておりますが、全体で二十四の商店数になっております。それから回収の状況でございますが、現在まだ回収中でございまして、ただいまのところ調査中でございまして、こまかな数字は申し上げる段階ではございません。これもできるだけ早くこれらのすべての状況を明らかにするように目下県当局を督励中でございます。
 それから第二点の構造上の欠陥、特にパイプに熱媒体を通して食用油を製造する、こういった構造上の問題でございますが、確かにこの工程そのものについてもいろいろと改良する点があるのじゃないかと私どもとしても考えております。また熱媒体自体に、たとえばこれを着色するとか、あるいはにおいをつけるといったようなことでもって、からだに入る直前に、少なくとも最終段階ではこういった事故が起こらないようなくふうはないか、あるいは直接油にパイプを入れまして、そしてその中に熱媒体を通す、万一漏れる場合にはすぐに油が汚染されてしまう、そういった方式についての改善等々につきまして、現在通産省のほうに申し入れてございます。
 それから、これらの施設でございますが、全体で四百施設をちょっと切れるようでございます。いままでの検査につきましては、立ち入り検査をいたしまして、いろいろと業務上の記録、帳簿等を調べ、施設を見まして事故の発生を防いできたわけでございますが、これらにつきましては確かにいままで施設構造等の問題もございまして、十分徹底していなかった点もあるのじゃないかということで、第三番目に御指摘のように、監視体制の強化ということが今後の重大な問題ではなかろうか。
    〔委員長退席、山下(徳)委員長代理着席〕
ことに、これからは定期的にすべて施設の運転を中止した上で、すべて施設を総点検させるといったような方法等も含めまして、事故の再発ということは絶対ないように、私どもとしてはつとめてまいりたいと考えております。
 またそれに伴いましての食品衛生監視員の資質の向上でございますが、従来も行なってきたところでございますが、特にこのような構造等に対する知識につきましても、今後の教育の重点項目の
 一つとして取り上げまして、その向上をはかってまいりたいと考えております。
○石母田委員 いや、ちょっと最初の質問で、販売ルートと回収関係は何%ぐらいということはわかりませんか。
○浦田政府委員 現在まだ数字としてはつかんでおりませんので、後刻また報告させていただきたいと思います。
○石母田委員 それでは時間がありませんので終わりますけれども、この問題は先ほどから討議されておるように非常に重大な問題である。そして総点検をなさると言われるけれども、こういう事件が起きてからなさるのではおそいわけですね。
    〔山下(徳)委員長代理退席、委員長着席〕
ですから、実際の状況の把握についても、ほとんど答えになっていない。状況さえもわからない、こういうことであります。ことにこの毒性の問題については、体内に慢性的に入った場合にはどういう症状が出るかわからない、こういう性質のものでありますから、今後とも健康管理のほうも徹底的に強化していただきたい。同時にいま国公立の食品関係の試験研究機関の人員、設備を大幅に強化して、そうして消費者の要求にこたえるような試験研究体制の確立と同時に、先ほど私が述べたような回収状況あるいは同じような構造を持つ機械施設に対する厳重な点検等、早急に防止をするための措置をとる、こういうことについてのはっきりした大臣としての答弁を求めて、私の質問を終わりたいと思います。
○齋藤国務大臣 構造上の問題、なるほどそれも一つの問題でございます。それからまた事故が起きる。こういう危険な有害物質を熱媒体として使って油をつくるという問題、これも大きな問題でございますので、改善方について努力をいたします。総点検を行ない、さらにまた、毒性等につきましての慢性、急性の検査、調査、そういうこともいたしたいと思いますが、こういう食品その他にわたりまして、この際思い切った検査体制を整備するということでいま案を練っておりますから、その案に基づきまして今後こういう事故が起こらないように最大の努力をいたしたいと思います。
○石母田委員 質問を終わります。
○田川委員長 大橋敏雄君。
○大橋(敏)委員 ただいま指摘されておりますニッコーの食用油問題は、全国にきわめて大きな不安を投げかけております。それこそ二度と起こしてはならない事件が事実こうして発生したわけです。私はカネミライスオイルのあの問題の地域におる一人でございまして、それこそあのときの悲惨な患者の姿、被害者の状況をまのあたりに見ているだけに、またやったかという気持ちで残念でなりません。遺憾でなりません。しかもこの事故が一月間も隠蔽されてきた。ここにものすごい問題があると私は思うのですね。悪質だと思います。カネミライスオイルはとにかくまだ問題は解決しておりませんし、患者の方々はほんとうに苦しみ、悩んでおります。しかしカネミライスの問題は、工場長らのいわゆる業務上の過失が問われている問題であるのに対しまして、今回のニッコーの事件は企業そのものの問題である、責任である、私はこう思うのであります。
 そこで二、三お尋ねしますけれども、十六日から製造を中止して機械を修理する。ところが熱媒体が混入した三十トンに対して、それを知りながら検査は危険ではなかったというような判断をして、それを出荷してしまったということなんですね。三十トンというのは熱媒体が混入しているのだということを知りながら、どんな検査をしたか知りませんけれども、安全だと判断を下して出荷をした、こういうことです。ですから私は、特に厚生省としてどういう検査をしたのか、これははっきり調べてもらいたい。そして報告してもらいたいと思うのであります。それが一つです。
 それから、ビフェニールというものが、きわめてにおいの強いものだそうでございますが、混入してしまえば、これを取り除くというのは容易なことではないと思います。しかし、それを買った人、使用した人がにおいも感じないほどの状態というものは、きわめて薄められたのじゃないか、あるいはにおいを消す何ものかがそこに加えられたのではないかという私は疑問を持つわけです。もしそういうことであるならば、この責任問題は二重に重なるのではないかということであります。一応そこまでのことをお尋ねします。
○浦田政府委員 三月十五日の製造分三十トン、これが熱媒体が混入した事実に気がついて検査に出した先は、倉敷市の水島通三の二にございます日本興油株式会社でございます。ところで、検査をしたところが日本興油株式会社でございますが、その検査の結果を待たずにその再生したものを再出荷したということでございます。
 それから、においを消したかどうかということでございますが、それにつきましては現在調査中でございまして、もしもそのような事実があるとすれば、これはほんとうに二重にも三重にも許せないことだということで、厳重に追及中でございます。
○大橋(敏)委員 先ほどの私の質問に対して少し答えが違うところは、私新聞を見る限りにおいての質問でございますが、「十六日から製造を中止し、機械を修理し、二十日から再開したという。熱媒体が混入した三十トンについては再蒸留して検査し危険がないと判断して出荷したといっているという。」こういう記事になっているわけですね。少し食い違いがありますから、その点は再度調べていただきたいということです。
 それから消臭物、いわゆるにおいを消すものを入れたか入れないかということは、きわめて重大な問題でありますから、特にこの問題を重視して追跡調査をしていたださたいということです。
 それから厚生省としては直ちに製造、販売停止等の措置を指示したということでございますけれども、この問題がはっきりした段階において、本省からたとえば立ち入り検査をしたような場合に、本省の責任者がそれに参加したかどうか、その点はどうですか。
○浦田政府委員 熱媒体が混入したと思われるもの、その三十トンにつきまして、会社側は再精製して売り出したわけでございますが、これは一応再精製したものについて検査に出しておるわけでございます。検査の結果がわからない、イエスかノーかわからないのに、かってにいいだろうと判断して、会社がそれを再出荷したということでございます。私どもはそれが一番中心だと思いますけれども、二月二十日以降四月十日までの油についてはすべて疑いがあるものとして、いま移動の停止、販売の禁止等の措置をしている、こういうことでございます。
 それから、においを消したということにつきましては、まことに先生のおっしゃるとおりでございますので、私どもとしては徹底的に追及するということを再度お約束いたします。
○大橋(敏)委員 じゃ最後に一言、大臣に。ライスオイル事件の実例がいまも悲惨な姿で続いているわけでございますが、この事件と合わせて今回のニッコーの食用油の問題は、それこそ二度と起こさせないような対策を立てるとともに、今回のニッコーの会社に対して国民が納得いく措置といいますか、処分といいますかをとっていただきたいことを要望いたします。
○齋藤国務大臣 私どももカネミの油症事件という悲惨な事例を承知いたしておりますので、この事態につきましては、なるほど今回の事件はPCBよりも毒性は低い、こういわれておりますけれども、どういうふうなことになるのか、私もほんとうに心配しておるわけでございますから、国民の納得のいくような会社に対する処分並びに今後の検査体制の問題、それからこの物品、油の追跡的な回収、そういう方面に全力を尽くしまして、国民に安心いただけるような措置を講ずるようにいたしたいと考えております。
○大橋(敏)委員 終わります。
     ――――◇―――――
○田川委員長 戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案を議題とし、質疑を行ないます。
 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。大原亨君。
○大原委員 この前の社会労働委員会で、戦傷病者戦没者遺族等援護法に関して私のほうから質問をいたした問題について、いろいろ理事会で議論にいただきました。そこで私の保留分について結論的な質問を二、三いたしたいと思います。
 私どもは、この戦傷病者戦没者遺族等援護法を今日まで毎年議論をして改正をいたしてまいりました。ご承知のように軍人については恩給法等の関係で、これがワク外に出てまいりましたが、軍属、特に準軍属については、法律の第一条の精神からこれを逐次拡大をしてきたわけであります。これは先般も申し上げましたが、昭和二十七年の制定法のとき以来、被徴用者、総動員業務協力着、動員学徒、女子挺身隊員、戦闘参加者、特別太帰還者、国民義勇隊員、満州開拓義勇隊員等々について範囲を拡大し、給付の中身を改善をしてきたところであります。戦争犠牲者に対する国の補償については公平でなくてはならない、こういうことについてはしばしば議論をしてきたところであります。
 そこで、この問題はこれからも残るわけですが、準軍属の対象となっておる国民義勇隊については、昭和二十七年あるいは昭和三十三年、三十四年の改正等の経過を踏まえてみましても、十分国民義勇隊の法的な根拠と範囲あるいは実態について究明しないでこの問題を取り上げてきておったのであります。これは昭和二十年三月二十三日の閣議決定というどさくさまぎれの措置によってできたものでありますし、また戦後は八月二十一日でありますか、日本が敗北を宣言するときにいち早くまっ先に廃止をいたしました。その後関係書類を極秘といたしまして、占領軍の目からこれをおおうために封印をしてきたのであります。それを私どもが審議をいたしておる途中のたしか昭和四十二年でありますか、この問題を取り上げまして、四十三年でありますか、これを公表をいたしました。
 そこで問題は、先般申し上げたように、国民義勇隊は準軍属として不完全な形で援護法の対象になっておるわけであります。しかし国民義勇隊と一体の関係にあって、本土決戦で動員をされました日防空法関係の従事者については放置をされてきたのであります。その法律上の関係についてはいままで何回も議論をいたしまして、法制局の見解も国民義勇隊と防空関係の従事者の中で、私が特にたくさんの項目の中で指摘をいたしました医療従事者、つまり医師、歯科医師、薬剤師、看護婦、保健婦、助産婦、そういう医療従事者と警防団員、それから防空監視員、そういうふうなものにつきましては、当然に国民義勇隊との、つまり援護法にいう国との関係においては差別する理由がない、こういう明快な法律上の見解を数度にわたって申し述べておりました。本委員会といたしましても、何回もこのことを、原爆被爆者特別措置法や、あるいは援護法に関連いたしまして決議をいたしてきたところであります。
 で、察するに政府、厚生省あるいは大蔵省は非戦闘員に対してこれが無制限に拡大することをおそれたということが一つあると思います。それからもう一つは、やはり非戦闘員を戦争に動員したことを公然と認めるという、占領中のその経過というものがあると私は思います。これはいままでの質疑応答で明らかになっておることであります。ですから、防空法に基づく防空業務に従事していた警防団員あるいは医療従事者等については、軍人、軍属などと同じく援護法の対象とすべきであるということについては、議論は尽きておりましたが、予算上の措置がなされてない、これは非常な片手落ちである、こういうことをしばしば指摘をいたしたところでございます。この問題が先般の社会労働委員会の質疑におきまして保留事項となっておるわけでございまして、この問題に対しまして、大臣のほうからいままでの経過を踏まえて結論的な御答弁をこの際、ひとつ明らかにしていただきたいと思います。
○齋藤国務大臣 日防空法に基づきまして防空業務に従事しておりました警防団員、医療従事者等につきまして、今日まで社会労働委員会において長いこと御論議をいただいてまいりました。
    〔委員長退席、塩谷委員長代理着席〕
そしてまた法的な関係もその審議の過程において明らかになってまいったわけでございまして、私どもは戦傷病者戦没者等の処遇につきましては、あくまでもこれは公平にやっていかなければならない、こういうふうなことを考え、今日までの審議の経過も踏まえまして、私、結論的にお答えを申し上げたいと思います。
 旧防空法に基づきまして、命令を受けて防空に従事いたしました警防団員並びに医療従事者につきましては、昭和四十九年度に準軍属として措置することといたし、これに必要な予算措置は昭和四十九年度において講ずるよう最大の努力をいたす考えでございます。
 これをもって、私の結論的なお答えといたしますので、何とぞ御了承賜わりたいと思う次第でございます。
○大原委員 厚生大臣のただいまの御答弁は、私が質問いたしました趣旨につきましては了承をして、来年度は必ず予算措置をする、こういう、責任を持って予算措置をするという大臣としての答弁でございました。
 いままでの質疑応答については、大蔵省の主計官も関係者も御出席を願っておったわけでありますし、いままで予算委員会等におきまして数度にわたってやってきたわけでございますが、いまや、この対象範囲も議論した範囲におきましては、明確になってきておるわけでございますから、この問題については、大蔵省も十分問題を理解されて措置されるというふうに確信をいたしますが、大蔵省の見解をお聞きいたします。
○渡部説明員 お答え申し上げます。
 旧防空法に基づきまして、命令を受けて防空に従事しました警防団員及び医療従事者につきましての大原先生の御質問の御趣旨、並びにただいま厚生大臣からお述べになりました御答弁の御趣旨につきましては、財政当局としましても、その御趣旨を十分了承をする次第でございます。
○大原委員 そういう趣旨を了承するという御答弁でございます。
 厚生大臣はいつおやめになるかわからぬが、ずっと続いてもらいたいことを希望するが、あなた、いつやめる。ずっとやりますか、来年まで。やる意思あるかね。しかし、あなたの在職のあるないは関係なしに、ここで審議の過程で政府を代表して答弁いたしたのですから、これは間違いないことであります。あなたの厚生大臣としての存続は、私は個人としては期待いたしておきましょう。
 そこで、この対象人員は、いままで議論いたしまして、いろいろな特別交付金の措置をとっておりますが、対象人員は医療従事者と、それから警防団員について何人になっておるか、これをひとつお答え願いたい。
○高木(玄)政府委員 医療従事者につきまして私どものほうで、厚生省で四十五年に予算措置を講じまして特別支出金を交付いたしておりますが、その障害特別支出金を受けた者が四名、遺族特別支出金を受けた者が百四十七名でございます。それから防空に従事して死傷した警防団員につきまして昭和四十四年度、五年度において自治省において予算措置を講じまして、同じく特別支出金を交付いたしておりますが、傷病警防団員について五万円の交付を受けた者が四百六十八名、死亡警防団員について七万円の交付金を受けた者が二千百四十四名でございます。
    〔塩谷委員長代理退席、委員長着席〕
○大原委員 その対象人員は少なくとも、これは対象になる。そうして実際の手続を始めます過程においては、いろいろなそういう実態が浮かんでまいりますと、これは増加することがあり得るだろうと私は思います。
 そこで、ひとつこれに関連して、いままで議論したことで、これは広島――長崎にもあると思うのですが、東京にはあるかわかりませんが、日本赤十字という病院があるのであります。日赤、いま原爆病院でありますが、その日赤病院は病院長が陸軍軍医中尉でございました。そして写真も残っておりますが、日赤病院とそれから陸軍病院という二枚看板である。本土決戦の段階では赤十字病院は公的病院といたしまして、陸軍病院と同じ看板を掲げる、あるいは海軍病院と掲げておるものもあります。これは二枚鑑札です。で、医療従事者ということをいま議論いたしましたが、さて、ここのお医者さんとか薬剤師とか、あるいは看護婦さん等がやはり医療従事者であるのかどうかといり議論があるわけであります。結論的な問題は、その点については前に議論したことがありますけれども、問題はどうかといいますと、看護婦の養成は日赤でやったわけです。そして出ていく場合は従軍看護婦ということになっておった。しかし本土におりますときには、やはりそういう戦争の当事者ではないという立場を日赤はとるわけなんです、国際赤十字法のたてまえから。これもやはり、これが戦争の犠牲者であるということがはっきりいたしますと、国の補償の対象となっておるならばということで、占領中はやはり米軍にねらわれるということ等もあったと思いますけれども、これは自主的な形でそういう医療行為に従事をしておった、こういうことかございます。したがって医療従事者ということは、一般的には従事令書をもらってやったわけでありますが、日赤関係はこれが空白地帯になっておるわけであります。
 これはいままでの議論によりますと、この準軍属の中の戦闘参加者ということ等で処理すべきである、そういう見解が示されたことを私は記憶をいたしております。これは呉の空襲がありましたら、呉へ日赤の看護婦は隊を組みまして行きます。東京空襲でもおそらく日赤は出ております。組織的に出動しております。そういうことに対しましては万遺憾なく措置をとるべきであると思います。これは実態も把握できるわけですから万遺憾なき措置を、これは盲点でございますが、この点についても、この機会にお尋ねをしておきたい。
○高木(玄)政府委員 ただいまのお話のございました日赤看護婦につきましては、先生のおっしゃられましたようこ遺族援護法の第二条第三項の第二号に「もとの陸軍又は海軍の要請に基く戦闘参加者」という規定がございまして、これによって措置してまいったようでございますが、三十八年度の法律改正によりまして新たに六号に「事変地又は戦地に準ずる地域における勤務に従事中のもとの陸軍又は海軍部内の有給の嘱託員、雇員、傭人、工員又は鉱員」という規定が加わりまして、そしてそれら日赤看護婦が陸軍または海軍から俸給を受けていたという場合には、この六号の規定も三十八年から受けられるように、いずれにしても準軍属として処遇できる道が開かれているということでございます。
○大原委員 大臣がいままでの討議に基づいて結論的な御答弁をなされた中で、従来問題となりましたことばが少しあります。それは命令を受けてということです。というのは、警戒警報が発令される、空襲がある、あるいはある日突然艦砲射撃がある、そういうこと等で本土決戦の段階におきましては戦闘体制の中で戦争参加が行なわれ、被害者が出てきたわけだ。そこで、命令を受けてということになると、具体的な命令を発するひまがないという場合等があるわけであります。
 ある日雲の中からB29が出てまいりまして、ばっと爆弾を落としていく。原爆もそういう状態でございます。ほっと安心させてB29がひっくり返してばっと落とした、こういう経緯等がありますが、それは命令を受けてという解釈は、そういう敵機の襲来の状況等におきましては、それに対応する自動的な措置をとることが包括的に常時訓練や監督等を通じましてあったわけでございますから、そういう点については、あの形式的な議論は私はあまり意味はない、こう思います。
 これは政府委員でもよろしいから、法律上のいままで若干議論のあった点でもありますが、見解として明らかにしてもらいたい。
○高木(玄)政府委員 日防空法の体系からまいりますと、防空監視隊員につきましては、あらかじめ指定、それからこの警防団員それから医療従事者につきましては従事命令、従事令書というものが交付されて命ぜられるような形になっております。したがって、この法律体系からいえば、従事令書なり指定書の交付を受けた者が防空監視隊員に指定され、あるいは防空従事者として命令を受けたということになるのでございますが、今日の、この戦後もう三十年近くたっておって実態というものが、実は今日なかなか判然としないという面が非常にあろうかと思います。
 したがいまして、先ほど大臣が申されましたような線で法律が改正されました場合には、すでに厚生省なり自治省から出された特別支出金というものの実績がございますので、その実態を踏まえて施行する、実施をするというしかやむを得ないんじゃなかろうか、かように考えております。
○大原委員 これはきわめて政治的な質問でありますが、大臣に最終的に御答弁いただきたいのです。
 いままでの質疑討論の中で問題幾つかあるのでありますが、国民義勇隊というのですか、国民義勇隊は申し上げましたように、昭和二十年の三月二十三日の閣議決定で本土決戦に備えまして組織されたのです。そして八月の二十一日に、これは東久邇宮内閣で内務大臣は山崎巖氏であります。これは座長でありまして、陸海軍の大臣が義勇隊を直接指揮をいたしておりました。
 そこで二十年の三月二十三日に閣議決定をして、沖繩があぶない、あるいは落ちるということで、こういうところで本土決戦の体制をとったわけですが、その後始めるときには、中央組織はつくり出してあったのですが――そういうふうに政府委員も答弁いたしましたが、私が別のところで、四月には中央の協議会をつくり、そして勅任官の事務局総長を置くというふうなこと等を言いました。この資料を出しました。これはだれが会長をやり、義勇隊の隊長をやり、本部の隊長をやり、事務局総長をやっていたか、あるいはどの程度全国に組織化されておったか――これは日内務省の官僚系統と陸海軍の系統が非常にけんかをしたわけであります。けんかをした経過がある。防空関係は内務大臣が本部長、そしてそれ以外に二重組織をつくるかどうかということで非常に議論をいたしまして、臨戦体制だから軍が直接国民を、六十五歳以下の男、四十五歳以下の女、そういうもの、義務教育が終わったところ、そういうところを対象にいたしまして直接指揮ができるような体制、臨戦体制をとったのが義勇隊であります。
 そこで現地第一主義になっておるということはわかるのですが、しかし現地だけで組織があって、中央の組織がなかったというのは――四月の閣議決定を見ましても、これははっきりいたしておるわけです。つまり中央の組織があったわけです。そういう追跡が全然なされていなかったわけであります。ですから結果といたしましては、広島だけが国民義勇隊をつくって、あとは数県がちょぼちょぼつくっている程度の資料しかないわけだ。これはかなり事実に反するのです。事実に反するのでありますが、この問題は、私どもはやはりかなり年はたっておりますけれども、的確に追跡をする必要があるだろう、こういうふうに私は思います。
 そういう意味におきまして、私はこの問題をさらに事務当局も真剣に追跡をしてもらいたい、こういうことを申し上げておくのです。というのは、かなり今日まで準軍属の範囲を拡大をしてまいりましたが、やはり家が焼けたとか財産被害は別といたしまして、軍や政府の命令で戦闘に実際上参加して、懲役や罰金やあるいはそういう精神的な拘束を受けながら、一億総皆兵ということで、本土決戦に備えるような段階におきまして、戦争犠牲者に対する救済の範囲というものは、いままでの考え方だけでは足りないような気がいたします。
 たとえば昭和二十年の四月十三日の閣議決定で「状勢急迫セル場合ニ応スル国民戦闘組織ニ関スル件」というのが、また重要な閣議決定をいたしております。先般も少し読みましたけれども、「一億皆兵ニ徹シ其ノ総力ヲ結集シテ敵撃滅ニ邁進スル為状勢急迫セル場合国民義勇隊ハ左ニ準拠シ之ヲ新聞組織に転移セシム 一、状勢急迫セハ戦場トナルヘキ地域ノ国民義勇隊ハ軍ノ指揮下ニ入リ夫々郷土ヲ核心トシ防衛、戦闘等ニ任スル戦闘隊ニ転移スルモノトシ之カ発動ハ軍管区司令官、鎮守府司令長官、警備府司令長官ノ命令ニ依ル 右ノ為兵役法ニ規定スル者以外ノ帝国臣民(概ネ年齢十五歳以上五十五歳」ここは五十五歳になっておりますが、他のところは六十五歳です。「以下ノ男子及年齢十七歳以上四十歳以下ノ女子ト予定シ学齢以下ノ子女ヲ有スル母親等不適格者ヲ除ク)モ新タナル兵役義務ニヨリ「兵」トシテ動員シ統帥権下ニ服役セシメ得ル如ク必要ナル法的措置ヲ講ス 二、戦闘隊組織ト国民義勇隊組織トハ表裏一体タルモノトス 地方長官ハ」云々とありまして、「準備態勢ヲ整備スルモノトシ右軍事訓練ハ軍管区司令官、鎮守府司令長官、警備府司令長官ノ担任トス」こういうふうに訓練についての責任分野を明確にいたしておるわけでございます。
 したがって私は、きょうはこの問題については本格的な議論はいたしませんが、問題はあとに残しますけれども、これはかなり徹底して、そして防空従事者、防空本部との表裏の関係で、警防団を中核として非戦闘員を動員する体制をとったわけであります。
 ですから私どもは、戦後二十八年たちましたけれども、この戦争犠牲者についての遺憾なきを期する、こういう意味におきましてこの問題をずっと追跡をいたしてまいりましたが、これらの問題の実態の把握あるいは対策等についても、私は十分この際大臣の責任において前向きの実態調査、その他の問題についての対策の樹立について御努力をいただきたい、そういうことを私は最後に要望し、大臣の見解を求めたいと思います。
○齋藤国務大臣 軍人軍属、準軍属、そうした方々の取り扱いにつきましては、あくまでも公平でなければならぬ、こういうふうなことで、戦争中の実態も踏まえながら公平な取り扱いをしていくべきものであるということを原則といたしまして、先ほど来のような結論的なお答えを申し上げたわけでございます。
 したがいまして、この防空業務に従事しておった警防団員の取り扱い方、範囲等につきましては、ここでは命令を受けてということで個別的な命令を受けた者だけに限るかのごとき表現になっておりますが、戦争中の防空業務に従事する場合には、個別的な命令を受けた者もありましょうし、それから今日までの御審議の中にあって、包括的な命令を受けておった者もありましょうし、それは質疑の中で明らかになっておるわけであります。さらにまた、具体的なそういう命令を受けるいとまもないという事態であった場合もあり得るわけでございますから、そこは私どもは良識をもって社会通念上、日防空法に基づいて防空に従事しておった者であるということが明らかである限り、当然それはこういう処遇を受けるべきものであると私はかたく信じておるものでございます。
 したがって、今日までの御審議の過程において明らかになった実態を踏まえながら、今後来年度の予算において適正な範囲を定めて、そして予算を計上するようにいたしたいと、かように考えておる次第でございます。
○田川委員長 川俣健二郎君。
○川俣委員 前回からの大原委員の質問で、これまたきょうに持ち越して政府の考え方を、むしろただしたいというよりは確認したいという方向であるわけです。それでさらに大原委員のように国会歴も深い、これ専門にいままで援護法を見てきた人が再度登壇して、なおかつ齋藤大臣には、あなたいつまで大臣をやりますかという質問が出るくらいに大事をとって確認をしていこうとしているわけです。したがって、私ら理事としましては、これを収拾するという立場もあって、ある程度ここで基本姿勢を確認してみたいと思います。
 前回は、これは昨年も一昨年も、この援護法が提案になるたびに附帯決議で確認していっても、さっぱり日の目を見ない前回の大原質問に対して、一体予算を要求しているのかと言ったら局長が要求してません。それじゃ何のために附帯決議がなされるのか、委員会質疑をやるのかわからないのです。そこで大臣がどこでこの対象者を救うべきかという悩みの一端をるる述べられました。
 そうなると、いよいよ今回は片や大原質問を会議録に確認し、片や附帯決議で確認しますから、四十九年度の予算化はまず間違いないだろうとは思うけれども、さらに基本姿勢を問いただしたいために、この予算委員会の質問において、やはり大原委員が総括で、一体こういう全般的に厚生、医療関係を今後どうするのだという考え方に対して、政府のほうから長期計画というものを出されました。その長期計画の中で齋藤大臣のほうから懇談会のようなもの、懇談会等というもので、いま予算化を考えておる。それに対して大原委員が、じゃ齋藤厚生大臣だけの確認じゃいかぬから、総理大臣どうか。それに対して田中内閣総理大臣が、こういうふうに述べています。「いま厚生大臣が述べましたとおり、厚生省に懇談会を設けまして、できるだけ早い機会にこれが事項別の長期計画をつくりたい」こういうように書いてあります。
 それで当委員会としては、これから年金、健保、医療問題、全部これから総括的に質問に入るわけですから、一体この予算委員会確認、それから分科会で、やはりわが党の村山委員の分科会における確認、それからこれもわが党の佐藤敬治委員の分科会における確認等、この懇談会を早急につくるというようになっておりますが、これは一体当局のほうでどうなっておるのか、一体進んでおるのかどうかをまず伺いたいと思います。
○齋藤国務大臣 まず最初にお答え申し上げますが、先ほどの防空業務に従事する警防団員、医療従事者等のごとき問題につきまして、私、齋藤邦吉個人が答弁いたしておるわけではございませんで、厚生大臣として来年度の予算について、この予算を計上いたしますということをお約束申し上げておるわけでございますから、私が、この概算要求をするまでいるかいないかということにかかわりなく、どうかその点は厚生大臣という国の地位をひとつお認めいただいて、御信頼いただきたいと思う次第でございます。
 それから社会保障の長期計画の懇談会の問題につきましては、予算委員会において私からもお答えし、総理からもお答えいたしましたとおり、経済企画庁の経済社会基本計画に基づいて年金、医療、社会福祉三部門にわたり五カ年間の長期計画を策定する、こういう仕事が厚生省のなさなければならない仕事になってまいるわけでございまして、それを厚生省だけで策定するということは好ましいことではございませんので、各界の有識者を網羅した懇談会をつくって、そこで御検討願う、こういう手順にいたしたいと考えておるわけでございまして、目下できるだけ早い機会に、できるならば今月中にでもこの懇談会を発足いたしたいと考えておりまして、目下人選に着手しておる段階でございます。
○川俣委員 そこまで確認すれば、ほんとうにこの附帯決議なるものも生きていくと思うのですが、さらにそれにちなんで、たとえば医療問題なんかをやる場合には、当然その審議会なり懇談会に、医療を供給する側、こういうような立場の人を参加させるのは当然だと思うのですが、その点どうですか。
○齋藤国務大臣 医療関係の問題が当然大きな問題になるわけでございますから、医療担当者の中の有識と申しますか、学識経験ある方を選びまして、その方にこうした懇談会の委員にお願いするということは当然でございます。
○川俣委員 それで、国民生活審議会の答申が、これは二月に答申されたように聞いていますが、十二月の二十一日の中間報告においても、このように書いてあります。いわゆる医療を供給する立場がメンバーになることはもちろんであるが、いわゆる「医療に関する消費者参加および消費者教育の推進」という中で、こういうようにうたってあります。「医療のあり方全般について中央・地方の各レベルで消費者の意向が尊重される体制を整備することが必要である。良い医療は医療提供者と医療を受ける者との対等な人間関係の下での共同作業によって生まれるものである。このため、まず第一に、国、地方公共団体、地域において医療ネットワークの整備、運営などについて審議、実施する各種審議会、協議会等には、医療を受ける者の立場を代表する者を、少なくとも医療を提供する者の立場を代表する者と同数以上参加させるべきである。」という非常に貴重な意見が具申されておるわけですから、この点尊重されて、このような懇談会の構成にあたって考えているかどうかを大臣に問いただしたいと思います。
○齋藤国務大臣 医療問題については、そういうふうな消費者ということになりますと、すべてが、実はお医者さん以外は全部医療の供給を受ける方でございます。かりにこの懇談会の中に学者さん方が入る場合もありましょう。さらにまた経済の知識に明るい方も入る人もあるでしょう。財政に明るい方も入ることがあると思います。そういう方々はみんなやはり消費者なんですね。この医療という問題に関する限りにおいては。物を買うとかなんとかいうことになりますと、物を食べる、使うということがありましょうけれども、医療ということになると、すべて何といいますか医療を受ける方でお医者さんだってある意味からいうと、専門外のことはやはり医療を受ける方でございます。
 したがって、そういうふうなことは十分配慮いたしますが、そういうふうな経済あるいは財政に明るくなくても、今度は言うなれば一般庶民ですね、そういう庶民の方、特に御婦人を入れたいと思って考えておるわけでございます。何人入れるようになりますかは別といたしまして、医療を受ける庶民の方もひとつ入っていただく。消費者代表とかなんとかそういうむずかしいことじゃなしに、医療を受ける庶民の方も懇談会に入っていただく、こんなふうに考えておるわけでございます。
○川俣委員 医療を受ける国民という発言がありましたので、私の確認はやめますが、特に社会党の持ち時間の範囲内で、これからこの援護法の処理の問題にからんでどうしても確認したかったものですから、事務当局も聞いていただきたいのですが、附帯決議、それから委員会の委員の発言と大臣の答弁、これはいま少し確実に有効なものにし、もちろん生かすべくわれわれ理事会としても見守らなければならない責任があるだけに、以上確認して私の質問を終わりたいと思います。
○齋藤国務大臣 なお一言この懇談会につきまして、私からちょっと申し上げておきたいと思いますが、この委員は国民の各階層におけるそれぞれの学識経験を有しておる方々を委員にお願いしまして、総合的な判断をしていただくように運営をしてまいりたい、こんなことで目下人選中であるということをつけ加えまして、お答えいたしておきます。
○川俣委員 了解しました。
○田川委員長 中村重光君。
○中村(重)委員 私も、日防空法に基づいて犠牲になった方が援護法の対象にならないで積み残されておったことに対して数年来――大臣が社労委員会の主というようなことで一番御存じでございますが、これを援護法の対象として遇すべきであるということを主張してまいりました。その結果、警防団員に対しまして七万円の特別支給金が交付される。それから長崎医大の学生、看護学校の生徒に対しまして、これまた警防団員に先んじて七万円の特別交付金が支給をされているわけです。
 しかしながら七万円の一時金だけではなくてこの援護法の対象として、遺族に対しては遺族扶助料を支給をしていくということが当然ではないかということに対しまして、歴代の大臣は、それぞれ前向きに実は答弁をしてまいりましたけれども、まだ日の目を見ていないということでございます。しかし先般、私が当社労委員会において大臣に具体的に質問いたしました際、そうしたことで実はやろうと思っているという、たいへん遺族の方々もほっとされるような答弁を実はなさったわけでございます。ただいまもまた大臣は、来年度の予算の中で日防空法に基づいて従事された警防団員であるとか、あるいは医療従事者に対し援護法の対象としての措置をいたしたいという明確なお答えが実はあったわけです。私は斎藤大臣に対しまして敬意を表したい。遺族もたいへん喜ぶであろうというように思います。
 ただこの際、事務当局の考え方が明確でない点もあるわけでございますし、再度この際大臣に対しまして、この七万円を警防団員に先んじて支給されました長崎医大の学生あるいは看護学校の生徒に対して、警防団員と同じように援護法の対象として取り扱うという考え方を明確にしていただきたいということでお尋ねをするわけでありますが、私は園田厚生大臣に、ただいま大臣に対しましてお尋ねをいたしましたような同一内容でもって質疑を展開をしてまいりました。
 ところが当時の援護局長でありました実本さんは、学生が教室に入っておったのではないか、したがって教室に入っておったということは授業をしておったのではないか、だとするならば、防空従事中でなかったということになるのではないかという、きわめて慎重な考え方を示していた。
 ところが、長崎に原爆が投下されました際は警戒警報が発令をされておった。これは本来空襲警報でなければならないわけでありますが、空襲警報が解除されて警戒警報、警戒警報ですから、全員配置についておったのが配置が解かれて教室に入っておった人もありましょうし、あるいはまだ部署に残っておった方もあるのかもしれませんけれども、ともかくそういったような状況で軍のそうした問違いから一あたらとうとい人の生命が奪われてしまうという結果が出ているわけであります。
 そこで私は、事務当局が言いますように、教室に入っておった、授業をしておったのではないかというようなその瞬間的なことをとらえて議論するのは間違いではないのか。どういう環境に学生が置かれておったのかということが重点でなければならないという私の指摘に対しまして園田厚生大臣は、四十三年五月十六日の社会労働委員会でこう答えておられます。「なくなった瞬間に従事しておろうが、勉強しておろうが、そういう業務に従事しておったということは事実であると思います。したがいまして、精神は総動員法に基づいてやるべきであるが、規定以外にいまのような措置」いわゆる弔意の意味で七万円を支給したあとのことでございますから、弔意の意味で七万円を支給したというそうした「措置をしたものであると考えております」こう答えているわけであります。そして、この問題に対しましては、もう一ぺんそういう方向で検討いたしたいと言っておるのです。
 昭和四十四年五月七日、これは斎藤大臣の答弁でございますが、私が、私の前に質問いたしました山田委員の質問を引用して質問をいたしておるわけです。大臣は山田委員の質問に対して、防空監視員は戦傷病者等援護法の対象とし、公務で死傷した者を援護法の対象とする。原爆に限定はしない。公務従事中による死傷者を全部含めるのだとお答えになっておるが、これは防空業務従事中、あるいは医療従事者のように教育訓練を受けておるといったような場合に、具体的には警防団、看護学校の生徒、医大の学生、あるいはその他防空法に基づくところの業務に従事した者を称して公務ということになるのだろうと思いますが、いかがですかという質問に対しまして、斎藤昇大臣は、そういう意味で検討いたします、こう言っているわけであります。そこで私は、防空業務に従事をしておったという特別な事情から七万円を支給されているというような判断をもちろんするわけであります。でなければ、七万円という金が支給されるはずはないわけであります。
 医大の学生に対しまして七万円の特別支給をいたしました当時の事情は、実は厚生省が三万円支給するということを提案いたしました。ところが文部省も七万円を支給するということを起案いたしたのであります。それで、同一案件に対しまして二つの省から特別支給金を支給するということは適当ではないであろう、どうしようかということになりまして、額の多い七万円のほうがいいだろうからというわけで、厚生省の三万円支給を取りやめにいたしまして、文部省の七万円を支給したということが、その当時の経過であるわけでございます。したがいまして、警防団と同じように、当時防空法に基づきまして、それぞれの機関の指示によって防空業務に従事をいたしておりました長崎医大の学生あるいは看護学校の生徒、これらの者も援護法の対象として遇すべきである、そのように考えるわけでございますが、大臣は同様な見解であるのかどうか伺いたいと思います。
○齋藤国務大臣 警防団員の問題、医療従事者の問題、長崎医科大学の学生の問題、ほんとうに長いこと主張を続けられ、社会労働委員会において御審議をいただいてまいったわけでございまして、私どももその中で、援護の取り扱い方はあくまでも公平であるべきである、こういう基本的な原則に立って、今日までその審議を尊重し、努力をいたしてまいったわけでございますが、幸いに、先ほど警防団員と医療従事者につきましては結論的なお答えをいたしたわけでございます。
 そこで、いままで取り上げられてまいりました問題のうちで一つ残りましたのが医科大学の学生並びに看護学校の生徒の問題であると思うのでございます。実は、私、率直に心境を申しますと、先般の社会労働委員会で中村先生の御質問にお答えいたしたと思いますが、教室におったとかおらなかったとかいうことは、そうたいした問題ではないと考えておりましたし、現在もそういうふうに考えております。
 そこで、私も、ほんとうをいいますと、この学生や看護学校の生徒の方々を何とか援護法のワクの中に取り入れて解決をしたいのです。したいのですけれども、いろいろしさいに考え、さらにまた、この前見舞いを出したときには、実は厚生省でも予算を出しましたが、一応結論的には文部省としての取り扱いにまかそう。金額は向こうのほうが多かったとかなんとかいうことは別といたしまして、やはり文部省としての取り扱いにまかそうということにいたしたこと等もあり、さらにまた、この人々を防空業務というところにすぐ結びつけることができるかどうか、その辺にまだ私としては割り切れないものがございましたので、この学生さんや看護学校の生徒については、援護法によって取り扱うことは、どうもいまの段階では困難ではないか、こういう結論を出しておるような次第でございます。
 今日まで長いこと御論議をいただいておりますが、この問題は、援護法のワクの中で処遇することは、どうもちょっと困難ではないか、こんなふうにいまのところ考えておるわけでございます。
○中村(重)委員 大臣のきょうの答弁は、前回私の質問に対してお答えになりましたことよりも、たいへん後退していると思います。私は、前回、具体的に、警防団あるいは長崎医大の学生、看護学校の生徒、固有名詞をあげまして質疑をいたしましたのに対しまして、大臣は前向きの答弁をなさいました。プライベートでお話し申し上げたことは、きょうは避けます。少なくとも大臣は事務当局の意向によって左右されるような不見識な方ではないと思うのですけれども、私も法的な関係というものを全く無視して、感情論だけで事を処理していくべきであるということは申しません。しかし、同じような環境の中にあった者が、差別扱いをされることは間違いであると考えます。
 警防団の七万円の問題にいたしましても、援護法の対象にすべきであるということで七万円が支給されたのではありません。これは、警防団は消防庁の関係であるというので、消防庁のほうで起案をいたしました。当時、私どもは厚生省に折衝したのであります。しかも、警防団、現在の消防団、これは消防庁の関係なんだから、前に医大の学生は文部省のほうで起案をさせたという経過もあるから、警防団は消防庁のほうで起案をさせることが適当であろうということで、今度は消防庁のほうに私どもも要請行動をいたしたのであります。そこで、消防庁のほうでこれを起案いたしました。長崎医大の学生の問題にいたしましても、当初、厚生省が三万円の起案をいたしましたのは、実はその必要を感じられて起案をしたのです。しかし、起案をした結果、どうもこれは適当ではない、文部省の措置にまかしたほうがいいだろうという、いわゆる突っぱねた形でやったのではなかったのであります。その必要性を文部省も厚生省も考えた。しかし、同一案件のものを両方の省から大蔵省に持ち込むということはどうも適当ではない。大蔵省からこれが拒否されることは間違いないということで、金額の関係等々もありまして、文部省が起案をいたしました七万円を採用したということが当時の経過であるわけであります。
 私どもはその当時から熱心にこの問題に取り組んでおりましたから、よく承知をいたしております。私は、ちょうどそのときソ連に行って帰ってまいりまして、有田さんが文部大臣でございましたから、有田文部大臣に対しまして電話でお話を申し上げた記憶があるわけであります。厚生省の特別支給金のほうが将来ともによかったのではないかと思うんだけれども、どうして文部省のほうの七万円支給ということをきめたんでしょうかと言いましたところが、まあ七万円のほうが額が多いから、文部省のやつを採用することにしておいたほうがいいだろうということでやったんで、というようなお話がございました。そのときはもう決裁をされたあとでございましたものですから、では、将来のことはよろしくお願いいたします、こういうことで電話を切った記憶が実はある。
 そうなってまいりますと、私はここで警防団に支給された七万円と医大の学生等に支給された七万円の根拠は何かということをお尋ねしていかなければならないことになります。根拠がどう違うのか、この点をまずお尋ねすることにいたしましょう。
○高木(玄)政府委員 長崎医大の、原子爆弾でなくなられた学生に対しまして昭和四十二年文部省で予算措置を講じまして、被爆学生一人につき七万円、それから日長崎医科大学付属医院産婆看護婦養成所等におられました生徒で原爆被爆された方に対しましては、昭和四十五年に文部省で予算措置を講じまして、同じく七万円を被爆生徒一人について支給いたしております。
 私どもで承知いたしておりますのは、この七万円の弔慰金を文部省で出しました趣旨は、当時決戦教育措置要綱というようなものによりまして、国策にのっとって夏季休暇を返上し、短縮授業ながらも医師、薬剤師としての技術習得のため、学業に励んでいたという戦時教育の特殊性と、原爆による災害により多数の学徒の命が失われたという点を考慮して、この特別支出金の支給の道が講じられたというふうに聞いております。むしろ援護法のほうで準軍属として扱えないという当時いろいろ御議論があったようでございます。そして援護法のほうで準軍属として扱うのは、どうも無理だというふうな結論もございまして、いま申しましたように、戦時教育の特殊性と、それから大ぜいの学生が原爆によって命を失われたという点を考慮いたしまして、この予算措置が講じられたと聞いております。
 それから、私どもの所管いたしております厚生省のほうで出しました医療従事者あるいは警防団、これにつきましての問題でございますが、これは国会におきまして、旧防空法に基づく防空従事者を援護法上どう処遇するかということが盛んに議論されまして、国会で御決議等もございましたので、昭和四十二年に厚生省に厚生大臣の私的な諮問機関といたしまして援護問題懇談会というのを設けて御検討願ったわけでございます。その結果、日防空法の防空監視隊員は、これを準軍属として処遇するのは適当である。しかし警防団員と医療従事者は処遇するのは適当でないという答申をいただきましたので、四十四年の改正で防空監視隊員を準軍属にいたしましたのと並行して、この準軍属として処遇しなかった警防団員と医療従事者に一時金を出した、こういうような経緯だろうと思います。
○中村(重)委員 消防庁からも文部省からも御出席いただいておりますので、それぞれお答えをいただきましょう。
○辻説明員 当時、警防団員につきまして消防庁のほうで事務を所管した経過につきましては、詳細については私自身承知していない面もございますけれども、大筋のところは、ただいま援護局長が申し上げましたような経過をもちまして、防空従事者扶助令によって支給を受けていない警防団員がかなりあったということを考慮いたしまして、その警防団員の後身であります消防団員を所管しております消防庁において、その事務を取り扱うのが適当だという政府の結論が出まして、それに基づいて消防庁で処理したというふうに考えております。
○遠藤説明員 当時予算要求が厚生省と文部省とで競合したといういきさつ、それからそれが最終的には文部省のほうで予算措置をすることになったいきさつ等につきましては、ただいま厚生省のほうから御答弁なさったとおりだというふうに私も承知いたしております。
 文部省として予算措置をいたしましたいきさつにつきましても、援護局長から御答弁されたとおりだと思います。特別補足することもございませんが、文部省としてはそれ以前から動員学徒につきまして動員学徒援護事業要綱というものを定めまして、動員学徒あるいはそれに類した業務の過程で死亡あるいは傷病にかかった学生に対して援護をするということをやっておりましたものとの均衡を考慮いたしまして、弔慰の意を表するための特別支給金を措置したものでございます。
○中村(重)委員 当時の消防長官でありました松島政府委員は、私の質問に対しまして次のように答えております。性格としては弔慰金的な性格と考えております。七万円は、前に長崎医大の学生の被爆者に対して特別支給金が出されておりますので、均衡を考慮いたしました、こう言っておるわけです。これはもう全く同じなんですね。やはり私どもが、日防空法に基づきまして当時軍の命令によって地方長官あるいは学校長その他の機関の長が防空業務に従事せしめた、医大の場合は医大の学長でありますが、そういったようなことから、当然これは総動員法の対象として支給して援護法の対象とすべしというふうなことを主張してまいりました。ところが、そうなっていないしかし当時置かれた客観的な条件と申しましょうか、情勢と申しましょうか、それらのことを考えてみると、これはやはりほうっておけないのだ、何とかしなければならないのだということから、まだ援護法の対象とするというそこまで踏み切ってしまうのには若干いろいろ問題もある。しかしそのままほうっておくわけにはまいらないから、とりあえず七万円を支給しておこう、こういうことで医大の学生に七万円を支給し、医大の学生の七万円の問題が出てまいりましたので、警防団等の問題も、当然これは当時防空業務に従事をしておったことに間違いないのだからということで、それぞれの被害者の方々、遺族の方々の運動展開となり、次には消防団員の方々の犠牲者に対する七万円の支給、こういう形に実はなってきた。そこで消防団員の七万円の問題も、医大の学生との均衡ということを実は考慮して、こうきめたというのが経過であるわけであります。
 ならば、警防団員に対しましては、防空業務に従事しておったということで援護法の対象にしよう、医大の学生はどうも防空法にぴったりしないようだから、この対象とするということは、やはり無理であるという結論――ということばを大臣、お使いになったのでありますけれども、それは大臣、若干無理があると私は思います。
 そこで具体的なことでお尋ねをしてまいらなければなりません、時間の関係もありますから。医大の学生は、当時これは徴用されております。動員と申しますか。これが解除された。どうして解除されたとお考えでございましょうか。
○高木(玄)政府委員 当時、決戦教育措置要綱というのが昭和二十年の三月、それから昭和二十年の五月に戦時教育令、こういうものが定められております。これらのものの趣旨でございますが、これらの定められた趣旨は学生はもう原則としてすべて動員をかける、それで工場等で兵器の生産等に当たらしめる。しかし例外的に国家の要請によって一部の者については授業を引き続き継続する。その一部の者とは何かと申しますのが、この医学、歯学の関係の方々でございまして、これは軍医要員養成のため――軍医要員養成が当時きわめて緊要な問題だというので、医学、歯学の学生に限って動員を解除されまして学校に戻されて、学校で軍医なりにするための速成教育を受けていたこういう事情であったと承知しております。
○中村(重)委員 おっしゃるとおりです。速成教育をしなければならなかった。医者はどんどん戦地に召集される。それだけでなくて、本土空襲がどんどん行なわれる。そして負傷者が出る。救護隊を結成して救護活動を展開しなければならぬということのために、これは医者の卵である学生を工場等で働かせるなんてことは愚の骨頂であるという考え方であったと思う。そこで学校へ帰ってきた。そしてこれはただ一ずに勉強させるということだけが目的である。防空のために特別訓練をやる。そして業務に従事させる。こういうことを実はやったわけであります。
 しかも、それは学校長だけの単独的な意思ではなかった。軍の命令、それから地方長官、そして長崎医大の場合は長崎医大の学長に、それぞれの防空法に基づいての命令がなされて、その命令に基づいて行動しておったことだけは、これは間違いないわけであります。「文部省内には学校報国隊本部が設けられ、二三の重要都市に夫々地方部が設置された。本部は組織部と実践部とに分けられ、夫々の任務を司り、地方部は重要地方に於ける本部の事務を分掌する。云わば学校報国隊の活動を統轄する総司令部が本部であり、前線司令部が地方部である。」ということを当時の手記としてはっきり書いてある。これは「忘れな草」第四号であります。
 それと、長崎医大の学生が、明らかに軍の命令によって学校報国隊に組織され、防空業務に従事をしたという証言といたしまして、この当時の角尾学長がなくなりまして古屋野という学長になりまして、この人の証言が実はございます。「特に昭和十九年以降、戦争が益々苛烈となるに従い、学内及び市内の医師が次々に軍医として召集されてからは、長崎県第一次防空機関防空演習実施計画が佐世保海軍鎮守府司令長官、長崎要塞司令官、長崎県知事等の命令により本学並びに附属医学専門部の学生を以ってこれに当つることとし、昭和二十年四月二十六日、長崎駅及び大波止桟橋に爆弾が投下され多数の死傷者を出した際にも、学生全員を出動させてその救護に当らせて居るのである。昭和二十年八月九日、原子爆弾が長崎市に投下された時は、空襲警報発令と同時に学業を放擲し、教職員、看護婦と共に救護待機中、六百米の至近距離で被爆し四百六十七名の学生が或いは即死、或いは放射能による障害で死亡するに至った。その惨状は実に目も当てられぬ有様であった。以上の軍や知事の防空策定の計画に基いて角尾学長にも軍及び県知事から救護及び医療についての命令がなされて居たことに間違いありません。よって角尾学長の被爆受傷後は学長に代ってその代理を勤めたので、当時の実状を知悉するものとして、以上の事実を証言する。」ということで、ここに証言もございます。
 それから学生の手記が実はあるのです。「防護団と報国隊」、「長崎医科大学防護団は、昭和十二年九月二十九日、勅令第五五〇号を以て公布せられたる官庁防空令の定むるところに従って設立せられたる機関であって、本令第一条にわれたる「国家に於て管理する施設」、即ち本学に於ては長崎医科大学に包含されるあらゆる施設に関する防空の実施を目的とする。従って本学防護団では、その規約第一条に「本団は戦時、事変又は変災に際し、警備と防衛に備ふる為め之を組織す」。「本団は本学職員(この場合従業員を含む)、学生、生徒及び患者並に建物等を防護することを目的とし、時機に応じ、学外の救護にも従事することあるべし」と定め、之が運用に便なるため、一部八班、即ち」云々、とこうあるわけであります。これは軍の命令によってこういうものが結成され、そしてその活動がなされたということは明らかであります。
 なお、学生の手記の中で――ずっと省略しますが、「これ等の任務を有する特技隊は、国家的要請ある場合には報国隊長の命により、概ね特別警備隊と共に有機的に合同協力して、学外に挺身、以て難を救うのである。」報国隊の任務としてこういう任務がある。「救護班が外に出すれば即ち報国隊医療隊及び担架隊となり、防護団の防毒班はそのままに報国隊のそれである。報国隊特別警備隊は、その任務の性質上、常に学外における活動を目的とするが故に、」云々とこうあります。それからその他ずっと学生の防空の実務、行動、これはすべて学外に出ております。いろいろあるわけですが、七月三日の日は「田上に軍の陣地構築作業に行く。壕掘りだった。」七月二十七日の「十二時半頃空襲警報が発令され、総員配置につく。」それから七月の二日、これは前に戻りますが、「報国隊の編成が行なわれ、僕は第一小隊第一分隊に編入された。担任は学生主事の小野教授。授業はなく、空襲に備えて病院廊下の瓦剥ぎ」その他の行動を命ぜられた。医学部二年生の夏休みを返上しての勉強の問題であるとか、それから行動の問題、「昨晩防空当直で学校に泊りました処、空襲警報が鳴り続き、遂に徹宵警備につきました。これで四日間寮に帰らずにおります。」これは父親にあてた手紙であります。それから、市内に派遣――医療隊として活躍していること、これもずっと手記としてあります。
 これは勉強しておるというのは、速成教育は必要なんです。特別訓練は救護作業をやるわけですから当然のことなんですね。佐世保が空襲を受けました際にも、医大の学生が救護隊で編成されて佐世保に出動をやったわけです。これは私も行っておりましたから、まのあたりにこれを見ております。これは医大が任意的にやったんじゃないのです。軍の命令によって、こうした防空法に基づいての編成がなされ、行動がなされてきた。これらの点を十分勘案して七万円の特別支給金というものが交付されてきている。だからして園三大臣の答弁となり、斎藤大臣の答弁となってきた。それで最もよく事情を知悉していらっしゃる、最も理解者である、そして私の質問に対しましても歴代大臣よりももっと前向きで前回の質問に対して御答弁になりました大臣が、どうもいまのところぴったりはまらないようだということで、警防団員だけで、学生の問題についてはその援護の対象としては、いまのところ考えていないという答弁は無理がある。ただ事務当局のしゃくし定木のことだけをお聞きになりましては、大臣だめなんです。それではあなたは歴代大臣よりも最も理解者であるにもかかわらず、あなたは最も理解しない大臣ということになりますよ。あなたはそういう汚名を受けてよろしいのでしょうか。それならば、あなたがいままで私どもに言ってきたことは、うそだということになます。
 私どもがここで質疑をする、そのことはやはり国民すべての人が知る。それで大臣に対するところの感謝となり、ほっとした気持ちになっておる。これを裏切るという形になってくると私は思う。私が自分の判断で言っておるのではありません。感じで言っておるのではないわけであります。具体的な資料をもって、具体的な事実に基づいて私は質問をしているわけであります。大臣、これに対しまして、少なくともあなたの考え方はお変わりになったと思います。それが当然であると思います。ですから、この点に対する大臣の前向きのお答えをいただきたい。
○齋藤国務大臣 中村委員のお尋ね、これで今度の国会で三度目でございます。最初の国会のときには長崎医大の学生、警防団員、医療従事者、三つの問題についてお尋ねを受けまして、私の率直な気持ちをあのときも申し上げたわけでございます。私もできるだけ援護法の中で何とか解決することはできないだろうかという気持ちは終始一貫いまでも持っております。一つも変わりません。
 そこで、この前のお尋ねのときに主として問題になりましたのは、警防団員の問題でございまして、警防団員の問題につきましては、防空法のこういう問題があるので、こういう点からアプローチしたらどうであろうかということまで、実は中村委員に申し上げたわけでございます。
 そこで、問題は防空法上の医療従事者という範囲の中に入るか入らぬか、私これはやはり一つの問題だと思うのです。これは旧防空法によりますと、医師とか、歯科医師とか、看護婦だとか非常にはっきりしているわけですね。そういう中で、この問題を解決することは、どうであろうかなあということを私率直に申し上げておるわけでございまして、そういう考え方からいうと、医大の学生にはちょっと無理があるのではないか、こういうことを率直に先ほど来申し上げたわけでございます。
 しかし、私は基本的にこの問題については、たしか中村委員のお尋ねでありましたか、大原委員のお尋ねにお答えしたのか、いまはっきり覚えておりませんが、見舞い金を出したということは、ある程度援護法の中に足を突っ込んだ問題だということを前にもはっきり申し上げたわけでございます。かりにその所管が文部省であろうが厚生省であろうが、お見舞いを出したということについては、私は何かやはり援護法的なものを頭に描きながら、その中に足を半分突っ込んだ措置であったと私思います。
 そういうことで、いまでも私も何とかしたいと思っているのです。ただ、この旧防空法の中に、医療従事者というところの中にはっきり書いてあるのですね、そこがどうも問題ではなかろうかなあということを私は率直に申し上げた次第でございます。したがって、その辺の壁をどういうふうに破れるかどうか、これはやはり私は一つの問題だと思うのです。この中に「医師、歯科医師、獣医師、薬剤師、産婆、保健婦及看護婦」こういうふうにはっきり限定されておる仕事、しかもお話によりますと、その方々は医療救護班に入っている、こういうわけですね。この調整をどうするか、これはやはり私は問題だと思うのです。その辺から何とか解決する糸口を見つけることができるかできないか、これが私は問題解決のかぎだと思います。
 したがって、私ももっと考えます。考えますが、いまのきょう現在のこの文字からいうと、ちょっと無理があるのではないかということを私はさっき率直に申し上げたので、私の心の中からの心境というものは、初めから三つというものが見舞い金を出しているのですから、見舞い金を出したということは国家援護に一歩足を踏み込んだと思うのです。国家援護の領域にはっきり足を半分突っ込んだことになるのだから、今後どうやってこの問題を解決していくかについて、私にもう少し考えさせてください。文部省とも考えたり、将来の問題が関連してきますから。ほかにこういう事例があるのかないのか私知りません。ですから、この防空法上に非常に限定されている医療従事者、これと学生さんや看護学校の生徒さんたちがやっておったといわれる医療救護ですね、実際はそうやっておったというのですから、それとの調整をどうはかっていくか。その辺が私は問題解決のかぎだと思いますから、もう少し時間をかしていただいて研究させていただきたいと思います。
○中村(重)委員 大臣、たいへん前進したお答えがございました。ここで大臣の認識を新たにしていただきたい。
 この防空法をつくりました際は、医療従事者としては医者であり、あるいは歯科医師であり、あるいは看護婦等でよかったわけです。ところが戦争が苛烈になれば、どんどんどんどん医者が戦地に召集される。先ほど申し上げたとおり、もうどうにもならなくなった。
 この防空法をつくった当時におそらく日本は勝つだろう、そういう状態が生まれるというふうなことは考えないでつくったんじゃないでしょうか。ところが軍の見通しとは、この防空法をつくった当時とは事情がだいぶ変わってしまった。そこでどうにもならなくなってきた。そこで一たん工場に徴用に出しておった学生を引き戻さなければならないという事情になってきたのです。そうして速成教育をしなければならない。それで行動もやらせなければならないということに変わってきたということ、そういうことを予想しないでつくっておった。この文字だけを見て、そして、この文字だけにとらわれて現実に目をつむることは、私は正しい政治のあり方ではないと思います。
 だからして、七万円が支給されたという大臣のいま前向きになった答弁、その中に私がいま申し上げることを生かしていかなければならないと思います。この点大臣、私と――ちょっとお待ちなさい。大事な政治的な質疑をやっておるときに、事務当局とのやりとりの問題ではありませんよ。いかがでございましょうか。同じような心境、見解ではないでしょうか。
○齋藤国務大臣 先ほども申し上げましたように、法律上ははっきり医師という資格を持ったということで、限定された表現になっております。ところが、いまお話しのように、この人たちが医学教育を受けながらも、どういうふうな実態の行動をしておったかということは審議の中で明らかになっておるわけでございまして、その学生さんや、あるいは看護学校の生徒が戦争中どういう仕事を現にやっておったか、その辺との調整をどうやってはかっていくか、この辺がやっぱり一つの問題でございますから、もうちょっとひとつ勉強させてください。率直に、気持ちは、私はおわかりいただけると思うのです。私の気持ちは、私は何とかしたいと初めからこれは言っているのですから――この制度ができるときから何とかならぬだろうか、見舞い金なんか出さぬで、何とか援護法に入れたらどうかというような意見も実際あったのです。ところが、あの当時はなかなかそこまでは踏み切れない。さしあたりは見舞い金を出そうじゃないかといういきさつは私も十分承知しております。
 したがって、そういうようなことでございますから、もう少し文部当局とも相談いたしますが、もう少しひとつ結論を出すまでに、もうちょっと私に時間をかしていただきたいということを申し上げて、御理解をいただきたいと思う次第でございます。
○中村(重)委員 それじゃ援護局長、あなたに質問をするのですが、何回もあなたの答弁をとめて恐縮でした。
 この前、局長は大原委員の質問に対して、警防団の問題に対しましても、従事令書が出ていない。それは、この対象にならないというので、ずいぶん抗弁された。ところが、大原委員が具体的な事実、そういうことによって質疑をされたのに対して、あなたの考え方も変わってこられた。そしておそらく大臣の先ほどの答弁と警防団員の問題に対しては、あなたも同じようなことであろう。そこで、この警防団員と医大の学生、これとの相違点というのは、どういうところにあるのですか。
○高木(玄)政府委員 警防団員と申しますのは、警防団令によりまして防空に従事すべく、これは本来的な業務として防空に従事すべくきめられているわけであります。この長崎医大の場合には、先ほど申しましたように、同年輩の文科系の学生は徴集猶予を取り消されて、いわゆる学徒出陣として軍隊に入っているということで、当時国民学校の初等科以外は全部学校の授業というのは停止されていた。そのさなかにあって医師を養成するために学校に戻されて速成教育を受けている最中であります。あくまでもその学生というのは、当時としては全く例外的に学校に戻って教育を受けておった、こういう立場の者だと思います。
○中村(重)委員 その点は、先ほど私が申し上げたとおり、それは教育訓練もやらなければ救護作業はできないわけだから。だから、速成教育もやって、やはり医者にして戦陣に送らなければならぬ。できるだけ教育もしなければ、申し上げたように、負傷者に対するところの援護もできない、救護もできないわけだから、これは当然なことです。
 だから、そういう形式的なことではない。ただ、私が言った警防団と、その同じような防空法に基づいて、ただいま私が具体的な事実として指摘をした、医大の学生との相違点は何かという具体的なことについて質問をしたのに対して、あなたは形式的な答弁でしか返ってこなかった。おそらくあなたにはできないのだ。その具体的なことについては、これに書いている。形式的な答弁、そういうのはいまは通用しない。具体的な事実の上に立って、そのことをあなたにも十分考え直しをしてもらいたいということを申し上げたいのです。
 もうよろしいです。大臣の前向きの答弁がございましたから、それに期待をいたします。
 これで私の質疑は終わります。
○田川委員長 速記をとめて。
    〔速記中止〕
○田川委員長 速記を始めてください。
 田中美智子君。
○田中(美)委員 援護法のことについて質問いたします。
 この間から、きょうもずっとこの問題についてのお話を伺っておりましたけれども、私が感じますことは、援護法はむしろいろいろ障害を受けたり戦災にあったりした人たちを切り落としている法律ではないかということ、調べれば調べるほどそういう感じがするわけなんです。いま援護法が、政府のほうから改正案が出されるたびに、それに適用されない人たちに対する非常な刺激にもなっているわけです。しみじみとこの援護法というものがいかに不公平であるかということを感ずるわけですけれども、不公平であるにしても、この援護法が当然適用されると思う人たちが何人も落ちているということがあるわけです。そういう点について厚生大臣はどのようにお考えになるでしょうか。
○齋藤国務大臣 援護法というのは、すでにご承知だと思いますが、戦争に際し国家と何らかの特別の関係にあった人を援護するというたてまえで出ておるわけでございます。一番はっきりしておりますのは、軍人軍属といったようなことではっきりしている方は初めからそれで処遇をされているわけでございますが、その後、こういう方を準軍属として取り扱うならば、こういう方もあったじゃないか、ああいうこともあったじゃないか、これはやはり戦争中のことでございましたので、その方々の行動の実態を把握することができないものがたくさんあったわけでございます。そういう方々をできるだけ拾っていこうではないか、そして私どもは公平な姿において国家との何らかの関係にあったそういう方々については、公平に国家賠償的な援護というものを講じていこうではないかというたてまえで進んでおるわけでございまして、私どもは、国家との間において何らかの関係があったものを切り捨てようなんていうのではなくて、むしろ取り入れようという考え方でおることを、まず御理解いただきたいと思います。
○田中(美)委員 それならば、そういう指導というのは、やはり県を通したりしてやっておるわけですね、厚生省としては。
○高木(玄)政府委員 さようでございます。
○田中(美)委員 これはたびたび私が調べました点では、たくさんの方たちが、この援護法からはずれているわけなんですね。調べたところでは、当然援護法に適用されるはずの人たちが県の段階で切られておるわけなんです。そこら辺のところに非常に私は疑問を感ずるわけですけれども、たとえばいまこういうのがあります。
 特に名古屋は二十年の六月九日に大空襲があったわけです。これは愛知時計だけでも三千人の人が死んだということで、名古屋の人たちは、この六月九日の大空襲というのは、いまなお忘れずにいるわけなんです。このときに警報が解除されたということになっていたわけです。それは軍のミスであって、実際にB29は頭の上にいたわけですね。そういう中で被害を受けた非常にたくさんの人たちが、ほとんどが警報解除のときであるということで、この援護法からはずされているわけなんですね。そういう事実は御存じでしょうか。
○高木(玄)政府委員 それは具体的にはどういう方々でございましょうか。
○田中(美)委員 たとえばこれは名古屋にいまも住んでいらっしゃる方ですが、いま六十八歳で江藤薫さんという方です。当時四十歳であったわけですけれども、愛知時計の会社で魚雷の信管とか機雷をつくっていたのですね。そこに徴用されていっているわけです。その仕事というのは、学徒の補導係として徴用されて、工場内にいたわけですね。そこで腸捻転を起こしたわけです。それから何回もの手術をしまして、完全には治癒をしていないわけです。けれども、一応まあ何とかいままで生き延びてこられたわけですけれども、県に行きましても、これは援護法には当てはまらないというふうにいろいろいうわけですね。それから障害福祉法がありますね。これにお願いしても、内部疾患だということでそれにも当てはまらないわけですね。徴用されて、軍需工場の中で爆撃で腸捻転になられたわけですが、それにもかかわらず、その爆撃された時期が警報が解除されていたという理由で援護法に適用されない、県の援護課へ何べんも行ったのですが、そういうふうにいわれているわけです。最後に行きましたのが昭和四十七年ですから昨年ですね。昨年の九月ですかに県の障害援護課でこれはだめだというふうにいわれているわけですね。
 それからもう一つの例ですけれども、これも同じ愛知時計で、井上留吉さんという五十六歳の方です。この方は愛知航空の熱田工場に徴用されているわけです。それでこの方は至近弾で工場の中で百メートルほど飛ばされたわけですね。飛ばされて電車通りの外へ出たわけです。これが工場外だから、公務性がないということなんですね。いまでもまだ通院をしていらっしゃるという方なわけです。
 こういう方たちを県でみんな援護法に当てはまらないということで切っているということ。ここからだけの見方は狭いですけれども、そういう見方をしますと、援護法というのは切っていっているのじゃないか、この公務性というものに対して私は非常に疑問に思うわけですけれども、こういうことについてはどのようにお考えになりますか。
○高木(玄)政府委員 軍需工場に国家総動員法によって徴用されて働いておられた方は、遺族援護法上当然準軍属として扱われておりますので、その方が徴用期間中に工場で事故にあわれたのであれば、これはその対象になるのは当然でございます。幾ら警戒警報が解かれていたとか、あるいは工場の外だからという理由で却下することは間違っております。したがって、いま先生、具体的に名前をあげての御質問でございますので、さっそく具体的に県へ照会しまして、私どものほうで調べまして先生に御連絡申し上げます。
○田中(美)委員 住所もすっかりわかっておりますし、県の援護課でこのようにいわれた時期もはっきりわかっております。こういうことが現実にたくさんあるわけです。それでいま私は例としては二人をあげているわけですけれども、まだ何人もいるわけです。この愛知県の援護課へ強い御指導をいただきたい。
 これはおそらく愛知県だけでなく全国の県でも、厚生省の意図は、それは援護法に適用されるというふうに言っているわけですけれども、地元ではしないと、こういうわけですからね。こういうことのためにずいぶんあきらめているわけですね。そのあきらめたのをいいことにして、そのままにしていくということでは、これはますます不公平であるというだけでなくて、法律に違反しているというふうに思うわけです。その点強く御指導いただきたい。
○高木(玄)政府委員 よくわかりました。具体的に先生からそういった方々の名前なり住所なり承りまして、さっそく県に連絡をとって善処いたします。
○田中(美)委員 その報告はしていただけますか。
○高木(玄)政府委員 調査した結果は必ず御報告申し上げます。
○田中(美)委員 その次ですけれども、民間人の戦災障害者ですね、これが前から非常に問題になって、これは援護法に適用されていないということなわけですけれども、日防空法の六条ノ二というのは軍属の中に適用されているわけですね。
○高木(玄)政府委員 日防空法の六条ノ二の第一項で指定を受けた者は、いわゆる防空監視隊員として現在もすでに準軍属として処遇しているわけでございます。
○田中(美)委員 その八条ノ五というのは一と二と、これは半分に分けて、半分だけを援護法に入れているわけですね。
○高木(玄)政府委員 八条ノ五でございますか。
○田中(美)委員 八条ノ五です。
○高木(玄)政府委員 八条ノ五は、これは防空の実施について必要があるときは営業者に対して業務の禁止とか制限、再開等を命ずるという規定でございまして、これは……。
○田中(美)委員 私の持っています防空法の八条ノ五ですが、「空襲ニ因リ建築物ニ火災ノ危険ヲ生ジタルトキハ其ノ管理者、所有者、居住者其ノ他命令ヲ以テ定ムル者ハ命令の定ム所ニ依リ之ガ応急防火ヲ為スベシ」ということがあるわけです。違っているでしょうか。
○高木(玄)政府委員 先生がいまお読みになった条文は、日防空法の第八条ノ七だと思います。
○田中(美)委員 八条ノ七ですか。そうしますと、この条項は罰則があるわけですね。
○高木(玄)政府委員 この一項の規定に該当するものにつきましては、五百円以下の罰金がついております。
○田中(美)委員 罰金を科すようなことで、人のからだを防空のためにそこにとどめておいたわけですか。逃げられなかったわけですからね、そういう人というのは。なぜこれは準軍属の中に入らないのですか。
○高木(玄)政府委員 おそらくこれは当時空襲による防火作業をやる場合に初期防火と申しますか、それを非常に重んじた規定がこの条文だと思うのでございますが、これはある意味では建物の管理者なり所有者なり居住者というものが、自分の持ち家であり、自分の住んでいる家ですから、応急防火をするのは当然なことです。当然なことなのにわざわざ罰則をつくるというのは、おそらく当時、初期のうちに火を消さないと非常に大火になるということで、初期防火を強調する趣旨の規定であろうと思います。
○田中(美)委員 それではこれは準軍属には入らないわけですか。
○高木(玄)政府委員 入りません。
○田中(美)委員 どうして入らないのですか。
○高木(玄)政府委員 これは当時のことでございますので、戦争との関係ではいろいろな態様があったと思うのです。この応急防火に当たる者は空襲のとき火を消すという立場で、その応急防火に応じられるわけでございまして、応急防火のために身分を拘束されているわけではございません。
 先ほど御議論の医療従事者とか警防団員というものは、法律の規定によりますと、従事令書というものを渡されて、その従事令書の中には、業務の場所なり期間なり相当はっきり規定されて、からだを拘束されている。それに比べれば、これは拘束の度合いが非常に低いということで準軍属に扱わないわけでございます。
○田中(美)委員 それではその令書によって身分を拘束されていた人が、その家を守るためにこの居住者に逃げてはいけない、こう言った場合にはどうなるわけですか。それは、令書でもって拘束されている人は軍属になるわけでしょう。その人が五条ノ七ですか、これに従って、その家が燃え始めたときに逃げてはいけない、子供や妊産婦や何かを除いて。ある人に命令を下しているわけでしょう、特定の人に。逃げてはいけないと言っているわけですね。これは法律の上からも拘束されているし、それから令書を持った人からも、そこで命令として拘束されているわけですね。そういうふうなのはどっちに入るわけですか。
○田川委員長 速記をとめてください。
    〔速記中止〕
○田川委員長 速記を始めて。
○高木(玄)政府委員 準軍属というのは、これは強制力によって相当明白かつ継続的に戦争に協力せしめられている、そういった関係がないと準軍属としての扱いはむずかしいと思うのです。応急防火というのは、空襲のときだけにいわば応急防火義務が課せられているだけでありまして、常時戦争協力についての協力義務が課せられているわけじゃございませんので、これはちょっと拘束の態様からいって準軍属として扱うのは不適当であろう、かように考えます。
○田中(美)委員 しかし法律で罰則をするような強い形でからだを拘束し、また令書を持った人からの命令でからだを拘束されていた、そういう人というのはどう考えたって同じじゃないですか。それだったら、やはり援護法のほうがおかしいのであって、その中に入れるべきであるというふうに思うわけです。これは援護法の一章の二条三項の七ですね、この七のところに「日防空法第六条ノ二第一項」この間にやはりこの八条ノ七ですか、これを入れるということをしなければ、どう考えても中身として援護法のほうがおかしいじゃないですか。法律でもからだを拘束されている。それから令書を持った人から、そこを逃げてはならないというふうにして、そこの防火に従事したわけですね。これならどう考えたって軍に関係がある。最初の、これに関係のある人は全部準軍属にしているのだということからすれば、これは準軍属になるはずのものじゃないですか、中身として。
○高木(玄)政府委員 この応急防火の従事者は、空襲緊急の際に防火をする義務を負っていた建物の管理者、所有者等でございます。先ほど申しましたように、これはある意味で当然のことなんです。自分のうちが焼けるのを応急防火するのはあたりまえなんです。ただその当時、空襲による火災は小火のうちに食いとめるという趣旨から一応の義務を課した規定であろう。したがいまして、通常の場合に恒常的に義務を課するものでもございませんし、また義務違反に対する罰則も、ほかのたとえば六条ノ二に比べて非常に軽いものである、こういうふうに考えるわけです。
○田中(美)委員 ただし、これは五百円の罰金があったのではないですか。
○高木(玄)政府委員 一応法律上は五百円以下の罰金ということになっているようございます。
○田中(美)委員 そのころの五百円というのは、いま約五十万くらいの罰金ですからね。そういう強い罰則がついていて、からだを拘束していたものを、これを準軍属に扱わないというのは、常識的に言っても非常におかしいと思うのですけれども、厚生大臣はどう思われますか。
○齋藤国務大臣 援護法というのは御承知のように国家と特別な権力関係にある、国家に対する一つの身分を保持しておる者、これが中心の法律でございまして、国民すべてに対する行動の制限をしておることを対象としておるものではない、これがやはり原則であるということを御理解いただきたいと思うのでございます。軍人軍属その他国家に対する身分的な特別権力関係にあった者、それが援護法の対象である、こういうことを御了承願いたいのであります。
 すべて戦争中でございますから、いろいろ行動の制限はあります。その行動の制限一つ一つについて国家が身分的な関係があるとは、それは言えませんものですから、それは一応援護法の対象ではない、こういうたてまえをとっておる。まあいろいろ立法論的には御意見があると思いますけれども、立法論的には、新しくここに法律をつくるというのなら、いろいろな考え方があるかと思いますが、援護法というのは国家に対する特別権力関係の身分が設定されておる者、こういうふうにお考えいただければけっこうだと思うのでございます。
○田中(美)委員 それでは、いまの援護法ではいまなお戦争で傷ついて苦しんでいる人たちを救うということはできない。そうすると厚生省としては、そういう人たちに対してはどういうふうにしたらいいというふうにお考えになるんでしょうか。
○齋藤国務大臣 御承知のように、まあ戦争で家を焼かれた方もあります。一般的な戦災者もたくさんあるわけでございます。そういう方々に対しましては一般の社会保障の体系の中で問題を考える、こういう趣旨でございまして、援護法というのは国家に対して身分的な関係のあった者を対象として救済する。そのほかの一般人については一般の社会保障の体系の中で考えていこう、こういう体系になっておるわけでございます。
○田中(美)委員 体系になっているということを聞いているのではなくて、厚生大臣がどう考えているかということを聞いているわけです。だから体系が間違っていれば、そっちのほうを直さなければならないわけですね。そういう意味で、戦争によってけがをして、いまなおまともに働けない人たちに対しては、ただ一般の社会福祉法だけでいいというふうにお考えになっているわけですか。制度としてはそういうふうになっているということではなくて、戦争で傷をつけた、国が傷つけたというふうに思うわけです。その人たちに対してはどのようにお考えになるわけですか。
○齋藤国務大臣 私どもは戦争というものは、あの当時の戦争というのは国民全体が何がしか犠牲を受けておるわけでございます。したがいまして、そうした方々に対しましては、もちろんいろいろな法律は当時あります。家を焼かれた方に対しましては扶助法とか戦時災害保護法とか、いろいろな法律で必要な救済措置を講じてはおります。そのほかの事柄につきましては一般の社会保障の中で救済すべきである、私はさように考えております。
○田中(美)委員 それでは、これはやはり名古屋で防空壕で生き埋めになって奇跡的に助かった方ですけれども、杉山千佐子さんという、当時二十九歳で現在五十六歳の御婦人がいられるわけです。この方は障害手帳二級を持っているわけです。顔全体をやけどしましたし、それから非常に大きな傷が顔についているわけですね。それから片目はえぐりとられているわけです。そしてもう一つの片目はかろうじて見えるわけですけれども、視力が〇・〇四ということで、結局は障害法で適用になったのが障害者手帳二級ということなんですね。視力がないということで二級になっているわけです。この方はやっと二、三年前から、ある大学で給食か何かのお仕事をするというふうな仕事がありまして、やっといま就職し、かろうじて自分で食べていけるという状態でいらっしゃるわけですね。
 現在もう五十六歳ですから、先のことも非常に不安になっているわけですけれども、いまこういう方たちは一般の社会保障のほうで適用するのだというふうに言われますけれども、結局は非常に安い賃金であるにもかかわらず所得制限というのがかかるものですから、この人には年金が入らないわけですね。そういうことになりますと、国の力は何も、こういうひどい障害を受けていながら国からは何もしてもらっていない、さんざんいままで苦しんでこられたということは、ことばで言えば簡単ですけれども、二十九歳の若いときから結局片目をなくし、そして顔じゅうやけどで、それはごらんになったらわかりますけれども、たいへんひどい傷がこの杉山さんについているわけですね。そういうものに対して国は何にもしなくてもいいということなんでしょうか。結果的には何にもしなくてもいいということなんでしょうか。
○齋藤国務大臣 それは御承知のように、身体障害者福祉法の範囲内において処理をしておるわけでございますが、私具体的な内容を知りませんが、所得制限があって現実的には救済されない、それは身体障害者福祉法の問題として考えるべき問題であって、戦争災害に対して国が何もしなくていいんだというものではありません。御承知のように、戦争中はそういうふうに家を焼かれたりいろいろなものにつきまして、それぞれの戦時災害保護法というのがありまして、そういう法律でできるだけのことをいたしておるわけでございます。戦後は、援護法は、国家と身分的な特別関係のあった者を救済しよう、一般の方々につきましてお困りの方々には、すべての国民が犠牲者なんですから、そういう意味においては一般の社会保障体系の中で考えてあげましょうということで今日まできておるわけでございます。
 したがって、お尋ねのような具体的な例でお困りだということであれば、それはどういう点が問題であるのか、それは身体障害者福祉法の問題として解決をはかっていく、こういう筋であろうかと思います。
○田中(美)委員 今度の福祉法で本人の所得制限のほうは何の変化もなかったように思いますけれども、障害者福祉年金の所得制限……。
○齋藤国務大臣 確かに障害年金につきましては、本人が相当所得がある場合にはいただけません。ただ今度の場合は御承知のように扶養義務者の所得制限は大幅に緩和をいたしたわけでございますが、本人の場合は、これはやはりいろいろ問題があるわけなのです。皆さん御承知のようにいろいろな障害福祉年金というのは国民の税金なのです。そういうことで、税金をたくさん納めるほどの所得のある方に国がまた援護をするというのはどうであろうか――拠出制年金は別でございますよ。無拠出のものは所得税を、いまその金額を覚えておりませんが、本人が相当の所得があって所得税を納められるような方については障害福祉年金は上げない、こういうふうな仕組みでございます。それは国民の税金から上げるということに基づくものでございます。
○田中(美)委員 そういうふうに言われてきますと、私は厚生大臣のおことばというのは、この間の社労のときにどなたかに対して、もう国民は戦争を忘れたがっているんだというふうなおことばがありましたけれども、いまのおことばのように、国民の税金だとか、税金を払える人がというようなことを言いますけれども、学校の給食のお仕事をしていらっしゃる方ですから、大体の賃金は厚生大臣御存じだと思います。そういう方がこれだけのひどいことを受けておきながら何にも国からもらっていないということなわけですね。これは私は非常な矛盾があるというふうに思うわけです。何かで救おうというふうな指導をするのが国の立場だと思うのです。制度が間違っているなら何とかしてひっかけていこう、何かにかかるのじゃないかという形でいけば、どこかにひっかかるのじゃないかという指導をすべきだと思うのですけれども、いままで何回やってもこういうことで、この人は何も受けていないわけです。
 国民が戦争を忘れたがっている、こういうふうに言われますけれども、私は、国民が戦争を忘れてはいけないのだというふうに思うわけです。この人たちは自分たちの青春をだめにし、そして一生を苦しみの中、いまもまだ続いているわけです。この方たちにとってまだいまは戦後ではないわけですね。そういうものに対して厚生大臣が、戦争を国民は忘れたがっているという姿勢では、私は、この援護法が非常に不十分な援護法でありながら、なお運営というものが、いまのように厚生省では適用するといいながら県では、これはへいの外に投げ出したからだめなんだ、そういうふうなことになるというのは、やはり厚生大臣のそういう姿勢から出ていると思うのです。もっとひどいのになりますと、頭がどっちを向いていたかということによって、片方は援護法の対象になり、片方は逃げようとしていたというようなことになるということが、県の援護課あたりでは話題の中心になっているわけですね。そういうことをするということは、やはり厚生省の指導自身が、できるだけこういう人たちをいまの体制の中で救っていかなければならない、そこに適用していかなければならないという姿勢が非常に欠けているというふうに、私は厚生大臣の応対に対しては、きょうの私に対するだけでなく、ずっと見ておりまして、非常に強い怒りを感ずるわけです、この援護法については。そういう姿勢を徹底的に改めていただかない限りは、県のほうの援護課でもってやはりそういう姿勢にはならないのだというふうに思います。
 先ほど申しました江藤さんや井上さんたちの六・九の大空襲のときの方たちのことで、そういうふうなことを県が言っていることは事実ですので、それも含めまして、できるだけ援護法が適用できるような努力をするという姿勢でやっていただかないことには、切っていこう切っていこうというふうな姿勢に見えるわけです。そういう点を十分気をつけていただきたいと思います。
 この点について続けたいと思いますけれども、あとほんの二、三分しかありませんので、ちょっと一つの話が切れてしまいますので、午後からこの杉山さんのことについてまた進めていきたいというふうに思います。
○齋藤国務大臣 援護法の運用につきましては、切ろうなどという考えは毛頭持っておりません。具体的な例につきましては、それなりの理由があってのことだとは思いますが、具体的な例についてはちゃんと調べて御返事をいたします。
 私どもは、援護法などはできるだけ公平な援護が行き渡るように、こういう考え方で運用しておるということをはっきり申し上げておきます。
 それから、戦争によって障害を受けられた方、その方はしたがっていわゆる無拠出の障害年金を受けられるわけなのです。けれども所得があるということで、いただけないという事態になっているにすぎないのでございまして、国は援護の体制はりっぱにしているということは御承知おきいただきたいと思います。
○田中(美)委員 りっぱにしていらっしゃるというふうにおっしゃると、それはもうあれですけれども、こういうふうなことが現に県の中では、当然援護法に当てはまる方が落ちているということがたくさんあるわけです。ですから、これは、いま厚生大臣がそのようにおっしゃるんでしたら、これからこういうものはどんどん厚生大臣のところに直接に持ってまいりますので、決して切っていくというようなことをしないで、できるだけ引き上げていくという姿勢をとっていただきたいと思います。
○齋藤国務大臣 私が直接受けつけるのではございませんので、具体的な例は県を通して厚生省に参り、審査会において十分な検討をしてきめるわけでございます。私がかってにきめるわけじゃございませんから、審査会によって公平にその当時の状況、それからお医者さんの診断、そういうものを審査して、ちゃんと公平にいたしておる、これは明らかにしておきます。
○田中(美)委員 それではそういう指導をきちっと、厚生大臣のいまおっしゃったことと、お心はどうだかわかりませんけれども、おっしゃったことと県が同じように動くようにやっていただきたい。実際には動いていないわけです。
○齋藤国務大臣 私はあたたかい気持ちを持って審査会において審査するようにお願いしておるわけですから、そういう変な誤解はなさらぬようにお願いいたします。
○田川委員長 この際、暫時休憩いたします。
    午後一時三十九分休憩
     ――――◇―――――
    午後三時五十二分開議
○田川委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。
 戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案の質疑を続行いたします。田中美智子君。
○田中(美)委員 それでは午前に引き続いて援護法について質問いたします。
 先ほどの杉山千佐子さんの問題ですけれども、このようなひどい傷害を受けながら、国からの援助、補償というものは何もないというわけです。この方は片目がない、それから顔がひどい大きなやけどと大きな傷がついているわけです。そして、片目の視力が〇・〇四というひどい障害があるわけです。それからもう一人、やはり同じ年代の方ですけれども、少し若くて当時十八歳、前田秀子さんという方です。
 この方は、名古屋で焼け出されて、一宮に疎開した先で戦災にあわれたわけです。そして、これは昭和二十年の七月二十八日の空襲でやられたわけですけれども、現在は顔じゅうケロイドになっております・それから左目がやはりありません。そして両手が収縮して握力がゼロということで、福祉法でいきますと握力がゼロということで、一応四級の障害手帳を持っていらっしゃるわけです。しかし、四級では税金のわずかな控除とか、それから汽車や電車に乗るときの割り引きがあるという程度であって、実際に何の恩恵も受けてないといってもいいのではないかと思うのです。
 私は、こういう方たちがいままではほんとうに家の中にひっそりと人目をしのんで生きてきた、これに対して国は何もしなかった、また啓蒙の上でもそういうことをしなかったのではないか。こういう人たちは顔をじろじろ見られてひどい目にあったり、いろいろな意味で差別をされて苦しんでこられたわけですけれども、私はちょうど同じ年代の女性として同じ時代を生きてきた、この人たちが何の責任でこんなからだになったのか、これで何か国の責任で補償をしていただけないだろうかということをいろいろと調べてみました。厚生大臣のおっしゃるようにそのような体制というものはないのだ、こういうふうに言われれば、それまでですけれども、日防空法の第十二条に、婦人の場合に顔に傷をつけられたときには最低五百円から七百円の補償があるというふうに書いてあるわけですけれども、これは間違いないでしょうか。
○高木(玄)政府委員 日防空法の十二条は「扶助金ヲ給スベシ」という扶助金を出す根拠規定でございます。ここにはそういう具体的な規定はございません。
○田中(美)委員 十二条にはあるはずです。
○高木(玄)政府委員 防空法の十二条は防空法関係の防空従事者扶助令の根拠規定でございます。この十二条に基づきまして、防空従事者扶助令というものができております。防空従事者扶助令の別表に、療養費、障害扶助金等の金額が列挙されておりますが、その中に「其ノ他身体ニ著シキ障害ヲ存スルモノ又ハ女子ニシテ其ノ外貌ニ醜痕ヲ残シタルモノ」とございまして、これにつきましては七百円または五百円、または三百五十円が支給されるようになっております。
○田中(美)委員 その防空法は昭和十六年に改正されたというふうに思っておりますけれども、ちょうどこの杉山さんや前田さんの方たちが障害を受けたのは昭和二十年なわけですね。そうしますと、この法律はそのとき生きていたわけです。そういうひどい顔にされてしまった、そのときその法律は生きていたわけですね。しかし、あの戦災のひどいさなかで、そういうことを要求することも知らないままに、その法律がなくなってしまっているわけです。いまその法律がないからといって、これが支給されないというのはおかしいと思うのですけれども、どのようにお考えになりますか。
○高木(玄)政府委員 この防空従事者扶助令は昭和十六年の十二月十七日に制定されておりますが、結局これは防空法にさかのぼりまして、十二条に規定する条件にその人が該当しておれば、この規定で扶助金は受けられたろうと思います。
○田中(美)委員 それではさっそくにこれを調べて、もし該当するならば、いまからでも支給できるということでしょうか。
○高木(玄)政府委員 この扶助令はもう廃止されておりますので、いまからでは支給できません。
○田中(美)委員 そのときに知らなかったというよりも、そのときはもうそれができる状態ではなかったのです。片目をえぐり取られたり、全身大やけどをしているというふうな状態の中で法律がなくなって、そうしていまになってこれもだめだ。そうしますと援護法もだめだ、福祉法でもだめだ、この法律もだめだということになれば、この人たちに対する国の責任というのは一体どこにあるのかということを考えるわけですけれども、厚生大臣はそれをどうお考えになりますか。
○高木(玄)政府委員 この防空法あるいは防空法に基づく防空従事者扶助令は終戦後全部打ち切りになっております。したがって、今日においてこれは支給する道が全くございません。
○田中(美)委員 それは制度の上でできないということで、これは私もわかっておりますけれども、少なくともそのときには申請する能力がなかったわけですね。その間にそうなってしまったわけです。厚生大臣に、もう一度考えていただきたいと思うわけですけれども、十八歳や二十歳のそれこそうら若い女性が、国が起こした戦争のために顔じゅうにそれこそひどい傷を負い、片目を失い、片目の視力が薄い。そうして外貌というものが著しくどころか、たいへんひどく傷つけられているわけです。そうしてこの前田さんの手記などを読んでみますと、もし厚生大臣の心に人間らしい心が少しでもあるならば、私は普通の気持ちでは読めないような手記だというふうに思います。兄を失い小さい妹や弟も戦災で一緒に殺されて、自分と母親だけが奇跡的に生き残っているわけですけれども、この後の三十年近い人生というものがどんなにひどいものであったか。そうして現在もミシンの内職をしながら、生活保護も受けずにかろうじて生きていらっしゃるわけです。
 婦人が顔にひどい傷を受けたということは、その法律でも認めているように、それに対しては最低三百五十円最高七百円ということは、七百円といえばいまでいえば七十万か、百万に近いお金だというふうに思うわけです。そういうものが当然補償されていいはずなものが、もらわずに済んだばかりに、いまも全く何の補償も受けていないわけです。婦人にとって、ちょうど結婚の時期にこういうことを受けたということは、その人の人生をどんなに狂わせてしまったかということは厚生大臣おわかりになると思いますけれども、私はもしこれが男性であったならば、両足を切断したよりももっと大きな人生の狂いだったというふうに思うわけです。
 いまお二人とも五十六歳、四十六歳という年齢になられても、まだ必死で生きている。しかしどの法律にも当てはまらない。それでいまおっしゃられたように、救う道は全くありません、そういうことが言えるのでしょうか。何かの方法で顔の傷に対する補償というものをするということを――私はいますぐ、きょうやれと言ってはおりません。しかし、これをどう考えていくか、検討する余地がないのかということを聞いているわけです。
○幸田説明員 お答え申し上げます。
 現在の厚生年金あるいは国民年金の場合でございますが、障害年金あるいは厚生年金の場合には障害一時金という制度がございます。問題はその障害の程度が、一定以上であるという要件がございますので、その要件にお尋ねの事例が該当いたすかどうか、こういうことになるわけでございます。
 それから、なおさらに重い障害の場合には、障害福祉年金制度がございますので、障害の程度いかんによりましては障害福祉年金の対象になり得るものと思われます。障害福祉年金の現在の所得制限は、勤労所得の場合で、これは単身の方の場合でございますけれども、年収六十万というのが従来でございます。今回はこれを六十八万円程度に引き上げる、こういうことを考えておるような次第でございます。
○田中(美)委員 年収六十万円というのは、いかに低い生活かということは、この物価高の中でおわかりになると思います。この人たちの残された人生というものが、あとわずかしかないというのに、これで少しでもかせげば所得制限ということで福祉年金にも当てはまらない、こんなことがいまの日本のGNPの世の中で、あってもいいのかというふうに思うわけです。
 この人たらの顔がこんなにまでひどいことにされたというのは、国がやったんではないでしょうか。私たちがもし自動車や何かでだれかの顔を傷つけた場合にはたいへんな補償をしなければならないわけです。国の名において女性の顔をこんなにひどいことに傷つけて、全くこの人たちの人生はまっ暗やみになっているわけです。それに対して国では何にも救うことができない。それならそれで救えるように何とかするということは考えられないのでしょうか。あまりにもひどいと私は思います。そうしていま国民が戦争を思い出したくないなんということは言えた義理ではないと思うのです。
 この人たちにとっては戦後はなかったし、現在自身どんなに苦しんでいるかわからないわけです。これが障害福祉年金に当てはまるか、障害の程度によって――決して私はうそを言っているわけではありませんから、それに対してどのような、検討をするなり何なりして、これを救う道というものは考えられないものでしょうか。
○齋藤国務大臣 その方々が戦争の被害を受けて女性の面貌がそこなわれたということは、ほんとうにお気の毒なことであり、ほんとうに私も同情にたえないところでございます。したがって、そういう方々に対しましては、けさからいろいろ申し上げておりますように、一般の社会保障の体系の中で――御承知のように戦争によってうちを焼かれた方もあり、なくなった方もある。さまざまな人がおるわけでございまして、それは日本国民全体が被害を受けたわけでございます。そうした方々につきましては、以前には災害を受けた場合の保護法もありましたが、いまはもうないわけでございますから、一般の社会保障体系の中で救済をする、これ以外に道はないと私は思います。
 そこで問題は、その方に対する所得制限の問題が中心になってくると思うのです。所得制限、それにつきましては、いろいろ意見があるわけでございまして、私どもは所得制限につきましては、扶養義務者の所得制限というものは今度だいぶ上げましたが、本人の所得制限につきましては、いま説明させましたように、それほどふえておりません。しかしながらそういう問題によって今後の問題を解決する、こういうこと以外に私は道はない、かように考えておる次第でございます。
 すなわち問題は、一般社会保障のレベルをアップする、こうすることによって、そうした方々をできるだけ援助してあげる、こういうことになるかと思うのでございまして、そういう面につきましては、今日までできるだけの努力もいたしてまいりましたが、今後もそういう方面に努力をいたしまして、そういう方々に対し援助の幅を広げるように今後とも努力をしてまいりたいと考えております。
○田中(美)委員 いまの厚生大臣のおことばですけれども、一般の社会保障を上げることによってということは、どう考えても、それでは自分の過失でけがをした人と同じに扱うということですから、結局は国では責任をとらない、とる気はないということですね。
○齋藤国務大臣 先ほど来、けさから申し上げておりまするように、一般人の戦争被害を受けられた方々に対しましては、一般の社会保障で救済をする、これが現在の法律の制度でありますから、私どもはその制度においてこれを解決する、そのレベルアップによって解決する、こういう考え方でございます。
○田中(美)委員 そうすると結局は国の補償、国の責任はとらないということですね。今後それをとっていくという方向というのは出てこないのでしょうか。そういうおつもりは、これからも全くないのか、あるのか、はっきりお答え願いたいと思います。
○齋藤国務大臣 被害はすべての国民が受けたのであるという前提に立つわけでございます。
○田中(美)委員 被害はすべての人間が受けているならば、そうすれば、援護法の対象になっている人も私たちもみんなあるということじゃないですか。この方たちがなぜこういう顔になっているか。大臣も私も同じ時代に生きてきたと思うのです。しかし大臣も健康ですし、私も健康です。確かに被害はいろいろ受けております。しかし、この人たちの被害とはあまりにも違うじゃないですか。それを同じにするということは間違っていると思うのです。
 だから日防空法の十二条でも、婦人が顔に傷がついたときには、それに対して、そのときの金額としては相当大きく補償するという態度があったわけですね。いまから三十年前の国で、そういう姿勢があるにもかかわらず、いま福祉国家だなんというようなことを言いながら、こういうものに対しては何の補償もできないということは、あまりにひどいと思うのですけれども、それでも厚生大臣は、あくまでもこれは一般社会保障以外にはどうしようもないというのか。現在の法律では当てはめられないというならば、これを今後どういう方向に持っていくのか、もう一度お聞きしたいと思います。
○齋藤国務大臣 たびたび申し上げてありますように、国民に対しましては一般の社会保障の体系で解決をしていく、そのレベルアップによって解決する、こういう考え方でございます。したがってその方についても、障害福祉年金制度はあるのです。あるのですが、所得制限があって、現実もらえないというだけでございますから、今後の問題は所得制限をいかにレベルアップして解決していくか、これに問題がある、こういうことをはっきり申し上げておるわけでございます。
○田中(美)委員 まああなたが、厚生大臣がかわっていただかない限りは、この人たちを救うことはできないんだということを強く感じます。そのために私も今後努力をしたいというふうに思います。
 もう一つありますけれども、これは私のところに近所の人たちからの訴えとしてきているわけです。本人からきたものじゃありませんけれども、これは愛知県の北設楽郡というところに伊藤覚治郎という方がいらっしゃいます。この方の娘さんが十八歳のときに――やはりこれは援護法の対象だというふうに、私は近所の方の訴えからだけですけれども、思うわけです。
 といいますのは、この人当時鳳来高女という女学校を卒業して、女学校についております専門部に学生でいたわけです。で、近所の豊海軍工廠というところに女子挺身隊として動員されていたわけです。そこの豊川工廠の中で被爆をしているわけですね。そして、頭に破片を受けているわけです。それから三日間というものを傷ついたまま工場の中に放置されていた。それは理由というのは、その豊川海軍工廠というのは、秘密が漏れては困るということがあって、三日間放置されていた。その三日目に先生が頭を傷ついたこの娘さんを親のうちに連れてきたわけです。そのときは戦争のさなかですから、もう医者もいないということで、近所の医者にかかったところが、たいへんお年をとられた先生で、どうしようもない。脳に、頭にあれしているわけで、どうしようもないということで、赤チンをつけたままで、結局親も、どうしようもないということでうちに寝ていたわけです。そのうちに頭にウジがわいたというふうなことを言っていますけれども、その傷口にウジがわいたりした。普通ならば私は死んだんだと思うのですけれども、生命力があったということか、ほんとうに奇跡的に、ウジを取り除いている間にだんだん傷がなおってきたわけです。そのぐたぐたに砕けていた骨を医者にちょっと取ってもらったということから、ウジがなくなって何とか傷がなおってきたわけです。傷がなおるころから非常に言動がおかしくなってきたわけです。そして精神病のような状態を呈してきたわけですけれども、親はどうすることもできない。それで敗戦になりまして、何とかして救ってほしいということで、県の援護課に何べんも行っているわけです。これは昭和二十二年ですので、その後はあきらめて、そのままに放置されていたということです。ですから、二十七年に援護法ができても、それさえ知らなかったということで、やっといま近所の方たちが問題にし始めているわけです。
 そういうことですから、前のお二人のように、昨年の七月に県の援護課で拒否しているという問題ではないわけですけれども、こういうふうな状態でいる。これは本人が知らない、本人が無知であったかもしれない。そういうふうなことから、こうして放置されている。その後、この娘さんは転々と精神病院を回ったわけですけれども、結局医療費がかさむということで追い出される、また追い出されるということで、三カ所、四カ所精神病院を回って、最後にやっと医療保護という形で昭和四十三年、現在病院に入っていられるわけです。
 しかし、もうこの十八歳の娘さんが四十六歳になっている。この伊藤覚次郎さんというのは、もうほんとうにお年をとられて、自分が子供の世話をすることもできない状態になっているわけです。それにもかかわらず、医療費は無料になっていても、毎月の病院の日用品費というものをもらっていないということで、月三千円とか、衣服などをこの年老いた八十に近いおとうさんが運ばなければならないという状態まで放置していたわけです。それで県の援護課もあるいは福祉課でもそれを知っているのかどうだかわかりませんけれども、結局近所の方の訴えから、これをほうっておけば、結局いま世間である親殺し、子殺しというようなことは、ここまで放置されて出てくるのではないか、こんなことを国がほうっておいていいんだろうかというふうな訴えが来ているわけです。
 私は直接にお会いしておりませんけれども、こういう問題がたくさんあるということですね。この問題はぜひ調査していただきたいというふうに思うわけですけれども、いかがでしょうか。
○高木(玄)政府委員 非常に具体的なお話でございまして、ただいまのお話のように豊川海軍工廠に女子挺身隊員として行っておられて、しかも工廠の中で被爆してそういう状態になられたのでありましたら、これは援護法で、準軍属でございますし、その被爆とそういう現在の障害との間にはっきり因果関係が立証されますから、それは当然障害年金の対象になります。ですから御本人はそういう状態でございますれば、自分のことはわからないかもしれぬけれども、御本人の周囲におられた方でそういう事実を証明される方がおられましたら、その証明書をつけてお出しいただければ、これはいまお話しのとおりならば、私のほうで十分障害年金を支給し得るケースだと思います。
○田中(美)委員 そういうお答えの中に私は非常に冷たいものを感ずるわけですけけれども、三十年もたって、そしてそういう手続をすることを、援護法が二十七年にできたということさえ知らない。おとうさんがもう八十にもなっていらっしゃる。そういう方たちに対しては、やはり県のケースワーカーなり何かがその証拠を裏づける努力というものをしてもらわないことには、きのうあったことならば近所の方たちでもするでしょう。しかし、もう三十年近くもたっているのに、そういうことを言われたのでは、事実上証拠ができない。そうすれば、それはうそかまことかわからないということになれば、結局援護法が適用されない、そういうことになってしまうわけです。
 ですから私の言いたいのは、こういうからだが弱かったり、精神病であったり、お年奇りであったりという人たちに対しては、やはりちゃんと県や市がそういうところからケースワーカーを回して、そのケースワーカーがそれをたどっていって、その証拠をとる。先生もいることですし、それから海軍工廠もあるわけですから、それは立証できると思うのです。しかし、近所の人とか、この精神病の娘さんの親戚や親に言ったって、もう親は八十になっているわけですし、とても電車に乗ってどこかに行く、県の援護課に行くということさえ、これは非常におっくうなことです。これが普通の庶民の生活感情なんですね。
 それをちゃんとできるように、先ほど厚生大臣がおっしゃったように、少しでも落ちていないように、それを引き上げるように自分たちはしているとおっしゃるならば、具体的に引き上げる努力というものを、ただ証拠を持ってこいということでは、これは不可能なわけですね。そういう意味で私はお願いしているわけですけれども、そういうことはしていただけるのでしょうか。
○高木(玄)政府委員 そういう具体的な問題で、援護法のあるのを知らなかった、こういうふうなお話でございますが、これは援護法は昭和二十七年から実施されておるわけでございますし、近所の民生委員さんなり福祉事務所等で御相談になれば、相談に乗っていただけたのではなかろうかと私は思います。それで援護法のほうは、もちろん援護法の内容というものは県を通じ、あるいは福祉事務所を通じて一般に周知するようにいままでも努力してきたはずでございます。
 ただ援護法のたてまえが本人の申請を待って審査し、裁定するというしかけになっておりますので、いままで知らないために申請がなかったということは、私どもとしてはそういった点で周知徹底が不足であったというふうに思います。しかし、幸いそういう事態がはっきりしてまいりましたならば、福祉事務所なり、あるいは県の援護課に御相談いただければ、十分親切に御相談に乗っていただけるように私らのほうからも、具体的なケースでございますので県のほうによくお話しします。
○田中(美)委員 それでは先ほどの件と一緒に、県の障害援護課あたりから積極的にこれを調査していただきたいというふうに思うわけです。
 それから、きょうこのような具体的な事例を幾つか取り上げましたということは、これは私は調査に行きましたら、非常にたくさん――いま全国に空襲を記録する会というのが三十二カ所できております。そういうところにこういう訴えが一ぱい出てきておるわけですね。その中から、私がこれはひどいと思うのを幾つかより出してきたわけですけれども、こんなことをしておりますと、きょうはこの三つの問題をやってもらった、一応調査していただく、結果はどうかわからないにしても、していただく、そういうふうなことだと思いますけれども、こんなことをしておりますと、来年もまた三つ、四つ出てくる。再来年も――永遠にこんなことが続くわけです。
 それでこの間、厚生大臣がサンプル調査ならばできるかもしれないというようなことを言っていらしたわけですけれども、この名古屋の大空襲の警戒警報が解除されていたというようなことから非常に多くの人たちが、この二人だけでなくて放置されているというふうに推定できるわけなんですね。そういうふうなところをそのサンプルの中に入れて調査をしていただきたい。そうしませんと、こうしてぽつりぽつり気がついて、そして近所の方が、自殺でもするんじゃないかということになって、訴えがある。それをここへ持ってくるという。県に持っていけばけられるということでは、これはもう私は政治ではないというふうに思うのですけれども、そのためにもぜひ調査をしていただきたいというふうに思います。それについて厚生大臣は……。
○齋藤国務大臣 先般私も名古屋の、顔に相当傷害を受けた御婦人の方に直接お目にかかりました。そこで私はそのときはっきり申し上げましたが、一般の戦災者の調査はとてもできません。しかし身体障害者の方々については、その実態をサンプル的に調べてみまして、現在の身体障害者福祉法なり、あるいは障害年金法なりによって十分であるかないか、十分その辺は研究する必要もあると思いますので、サンプル的に調査をしてみたいと思いますと。しかし実際に調査するとなると、なかなかたいへんでございます、実際のところ。もう戦後三十年近くたっておりますし、市民の方々もあちこちらに移動しておるわけですから、非常に困難ではあると思うが、実態がどうなっておるか、せめて今後の施策立案の上に役立てたいという考えもあるので、サンプル的な調査をやりたいということを申し上げておきました。その方も非常に喜んで帰られましたが、いま名古屋市、愛知県と相談しまして、どういうやり方でこれを調査したらいいか、計画のやり方について相談をしております。しかし名古屋あたりになるかどこになるか別としまして、サンプル的に調査したい、かように考えております。
○田中(美)委員 ぜひ調査をしていただきたいというふうに思います。
 最後に、いま初めて政府がこの間フィリピンに慰霊碑を建てられたということですけれども、こういうことは、そこでなくなった方たちの霊を慰める、五十万の人の霊を慰めるということでいいことだと思いますけれども、やはりこの中にも公平の原則というものが貫かれませんと、ほんの一部の方は喜んでも、あとの方がまた非常に悲しい思いをするというようなことがやはり出てきているわけです。この点を今後気をつけていただきたいと思うわけですけれども、フィリピン以外に、どこかにまた慰霊碑をつくるという予定は、いまのところあるわけでしょうか。
○高木(玄)政府委員 厚生省が慰霊碑を最初につくりましたのは、硫黄島におととしつくりました。それから本年フィリピンに慰霊碑をつくりまして、三月二十八日に、その竣工式を兼ねて追悼式をやりました。明年度にサイパンに慰霊碑をつくるべく予算を計上してございます。
○田中(美)委員 この慰霊碑をつくるという場合に、戦争で傷ついた方たちというのは、心も身もたいへん傷ついているわけです。そういう人たちを慰めるためにつくるものですから、やはりこの人たちがほんとうに慰められ、喜ばれるようなものをつくっていただきたというふうに思うわけです。今度のフィリピンの場合にも、地元のフィリピンの方たちから、また日本が侵略してくる前ぶれではないかというふうに反発があったということも新聞などに報道されておりますし、そういうことがないようにするということも大事だと思いますけれども、この新聞の記事に、遺族の方たちが三百人ほど参加したという記事があって、行かれなかった方たちが非常に疑惑をお持ちになったわけです。やはりそこに、不公平ではないだろうか、どういう人たちが三百人行ったのであろうかというふうに疑問を持っておるわけですね。
 だれのためにこれをつくったのか。これは、なくなった方たちと、その家族の人たちをやはり慰めるということ、そうして日本が二度と戦争はしないということのために私はこういうものを建てているのだと思うのですけれども、そうならば、やはりなくなった方たちの遺族を中心にしていくというならば、その人たちがここに参列していくための費用というものを考えていただきたいと思います。厚生省で伺いましたところ、国の費用から十四名しか行っていないということですけれども、これはどういう形でお選びになったのでしょう。
○高木(玄)政府委員 十四名と申しますのは、これは全国を七ブロックに分けまして、一ブロック二名ずつ。その一ブロック二名ずつというのをどういうふうに選びましたかと申しますと、フィリピンでなくなられた方の数の多い県を各ブロックで二県選びまして、それぞれの県から一名ずつ御推薦願った、こういうことでございます。
○田中(美)委員 そうすると三百人の遺族が行っておるのに、その中で十四名は国から行かせてもらった、あとの人は全部自費だ。県によっては、県が多少援助しておるということを聞きましたけれども、そうしますと、結局お金のある者は行かれる。しかし、そうでない者は、自分の夫の死んだところ、自分の子供の死んだところに行きたい、そしてその慰霊碑ができたらそこへ何かささげてきたい、そういう遺族の気持ちというものは非常に無視されるというふうに思うのですね。それを建てると同時に、そこに遺族の代表者を送るというようなことも、やはり考えるべきではないかというふうに思います。
 そういう意味で、今後サイパンに建てられるときにも、せっかくそうした、なくなった方の冥福を祈り、遺族の方たちに少しでも精神的な慰めを与えるために建てるものであるならば、多くの遺族の方たちがもう一度悲しみを新たにするような建て方をしないでいただきたいというふうにお願いしまして、私の質問を終わりたいと思います。
○田川委員長 石母田達君。
○石母田委員 この問題について私は大きく二つの点について御質問したいと思います。
 それは一つは、この援護法のたてまえという問題であり、そこから、先ほど厚生大臣が言いましたように、この援護法というのは国家に対しての特別な身分関係にある者だけを対象にしておる、こういう問題についてであります。
 もう一つはこの援護法の改善によりまして、結果として他の一般障害者との間の社会福祉といいますか、社会保障との間のギャップ、差、そういう問題について御質問したいと思います。
 最初に、いま田中議員の質問に答えて慰霊塔の話が出ましたけれども、いまそうした計画をフィリピンならず他にも進めようとしておる場合に、この行なわれた戦争というものが侵略戦争である。したがって、それにわれわれが、私自身も含めて参加し、あるいはそういう戦争を引き起こしたということについての反省というものを前提にしてそういう計画を立てておられるのかどうか。まず最初にお伺いしたいと思います。これは大臣にもお伺いしたい。
○齋藤国務大臣 かつての大東亜戦争が侵略戦争であるとか、ないとかいうことは別として、悲惨な災害を国民に与える戦争というものは、二度とやってはならない、私はこういう強い信念で臨むべきであると思います。しかし、そういう戦争に対する考え方は別といたしまして、要するに、一片の命令によって国家と何らかの身分関係のある者が、郷里をあとにして戦闘に従事し、国のために命を落とし、傷害を受けた、こういうことに対しては、国はできるだけの援護をすべきものである、かような考え方でおります。
○石母田委員 いまその冒頭に言われた、大東亜戦争は侵略戦争であるかどうかは別として、ということについては、これは大臣はどう考えておられるのですか。
○齋藤国務大臣 私はそういうことを言う立場にはございません。
○石母田委員 それは今度の国会でも論議されたことは、大臣も御承知のとおりだと思いますけれども、政府の統一見解の中にあるわけですか。
○齋藤国務大臣 厚生大臣は戦争についてどうのこうのということを述べる権限はございません。すなわち私は、個人的にどう思うかということでございましたから、私はそういうことは別として、戦争というものは国民に悲惨なる被害を与えるものであって、永久に戦争はすべきものではないということを、私は信念として抱いておることを申し上げたのでございます。
○石母田委員 私は、慰霊塔の場合、あるいはそういう種類の計画をなさる場合に、われわれはこの大東亜戦争を含めて侵略戦争を行なってきたという前提に立って、これに対する十分な反省、相手の国民に対して大きな犠牲を与えたという立場からこの問題が提起されませんと、私は、先ほど田中議員も指摘していたような、相手の国民との間に、非常に大きな摩擦ができる、また日本の国民に対しても重大な、何か戦争を美化するような精神動員の具に使われかねない、こういう点をまず申し上げておきたいと思います。
 さて、そういう立場からいたしましても、私はこの援護法の中で、先ほどから再三討議されておりますように、特定の国家に対する身分、こういう人たちだけに援護の手が差し伸べられている、これをもっともっと拡大して、国民全体が戦争の犠牲、そしてその中で特に心身において大きな犠牲をこうむられた人々、こういう人たちにこの援護法が及んでいない、こういう人たちを、大きくわれわれはこの援護法によって援護すべきじゃないか、法のたてまえからいって、それはできないのだということでありますけれども、大臣としては、そういう法のたてまえを、今後、立法というような問題を考えた場合に、また改正という問題を考えた場合に、そういう方向に大きく広げる意思があるかどうか、お聞きしたいと思います。
○齋藤国務大臣 法のたてまえは、そういうたてまえは堅持しながら援護法の適用の中にできるだけ入れるものは入れるようにし、同時に一般的な社会保障の体系においては、たとえば先ほど田中委員にもお答えいたしましたが、現在の一般の社会保障、すなわち身体障害者福祉法とか、あるいは障害年金とか、そういったふうなもののレベルアップをできるだけはかりながら、こうした方々にできるだけ援助の手を差し伸べるようにしてあげなければならない。こういう考えでございます。
 すなわち、そういう方々を援護法で救うというたてまえでなしに、たてまえはたてまえとしても、救われない方々については、できるだけ一般社会保障の体系の中でレベルアップをはかりながら援助していくようにすべきである。私どもは、そういう方向で、今後とも努力をいたしてまいりたいと考えております。
○石母田委員 そうしますと、このたてまえをくずさないということは、つまり公務、もっと突き詰めて言えば、戦争に参加する、命令で戦闘行為に参加する、こういう人たちも含めた国家に対する特別の関係、つまり軍人軍属というような人たちに限る。その根本的な理由は何ですか。
○高木(玄)政府委員 遺族援護法は、国家補償の制度でございまして、したがって、国との間において使用従属の関係があるという者、これが一番端的には、軍人軍属、これは国との特別の権力関係にあるわけですが、そういう方々に対して、使用者としての立場から、国がそういった人たちの傷害なり死亡について補償していく。これが遺族援護法の現在のたてまえでございます。したがいまして、国とそういう関係のない方々、たとえば一般の戦災者等にこの援護法は適用されない。軍人軍属それから準軍属、そういうふうなことになっておるわけでございます。
○石母田委員 それは身分関係だけからですか。それとも軍人軍属、いわゆる戦闘行為あるいはそれに類するそうしたもので、公務に参加しているという内容の問題は、全然ファクターとしては入っておりませんか。
○高木(玄)政府委員 援護法は、第一条に書いてございますように、軍人軍属等が公務上負傷し、あるいは疾病にかかった、それに基づいて障害が残り、あるいは死亡した、そういった場合に、国が国家補償という立場から援護する制度になっております。
○石母田委員 ですから、その公務という内容があるわけでしょう。ここで具体的にこの援護法の対象になっておる公務というのは今度拡大されたけれども、昭和十二年七月七日以降になっておりますね。日華事変、大東亜戦争、それとの関係で出てきた公務でしょう。そういう公務という内容が、この援護法の適用あるいは立法の中に含まれているかどうかということを聞いています。
○高木(玄)政府委員 結局、軍人軍属というものが公務を遂行しておる間の疾病なり負傷についての補償を行なっておる、こういうことでございます。
○石母田委員 いまの質問でちょっと当を得ていないような気がするので、大臣、聞かれて、私の質問がわからないのか、それともいまの答弁が、身分だけでなっているのか。私は、公務という内容についていまあなたと見解が違うようですけれども、この戦争の性格――だいぶ立場が違うようですけれども、この戦争というものが入って、この関係で出てきた身分でしょう。ですから、そういう公務というのは、戦争というものに関連して出てくる内容が、やはり重大なファクターになっておると私は思いますけれども、どうでしょうか。
○齋藤国務大臣 要するに国と特別な関係にあった者が、本人にとってみれば、戦闘または戦闘に直接関連したつとめといいますか、それとの関連において出てくる疾病、障害、これが対象になる、かように考えております。
○石母田委員 そのとおりだと思います。
 そこで、私は論を進めまして、この戦闘あるいはそれに類するような行為に参加した、そのことによって起きた疾病並びに犠牲、こういう人たち、遺族の人たちに援護法が適用されているわけですけれども、いま厚生省の人を通じて表をお渡ししたと思うのです。この表は、私がいろいろ調べ、また当局にも御協力願ってつくったものでありますけれども、この援護法によって適用される人とそれから一般障害者、他の制度によって障害者が、補償される問題と、この比較を出してみたのです。その結果がそこに書いてある表であります。
 初めに事実確認をしたいと思いますので、いま読み上げます。両眼失明した人という場合、たとえばこれは現行の特別項症に該当する人です。それはそこに書いてある金額でありまして、これが国民年金の障害年金の場合には、一級に該当して十三万二千円。二十七万六千円、これは改正された場合です。それから、厚生年金の障害年金の場合は、やはり一級に該当して現行が三十一万八千円、改正されたとすれば四十五万六千円、こういう数字が書いてありまして、大体八つのケースを考えまして一項症の場合、二項症の場合、三項症の場合あるいはもっと軽度な第五款症の場合ということで書いてあります。このサンプルは、厚生年金の場合は二十年加入して、平均標準報酬額が六万円と見た場合、こういうふうにしてこの程度の人たらを全部比較してみたわけなんです。それがいま差し上げた表でございますが、この数字には間違いないでしょうか。
○幸田説明員 厚生年金及び国民年金の点についてお答えを申し上げます。
 厚生年金の場合は、加入期間の長短によりまして、年金額が異なるばかりでなく、標準報酬の多寡によりまして年金額が異なってまいります。いま御指摘の二十年というケースでございますけれども、現在の厚生年金のたてまえの場合は、六カ月以上加入をいたしました場合には、六カ月から二十年までは標準報酬が同額である限り、障害年金額も同額でございます。二十年以上加入期間がふえました場合あるいは標準報酬がお示しの六万円よりもふえました場合には、年金額はそれに比例いたしましてふえる、こういうシステムになっております。
 お示しのございました厚生年金の両眼失明の場合、おそらく一級に該当すると思いますが、改正後、再評価後の平均標準報酬が六万円でございますならば、この四十五万六千円になるものと思います。今回の改正では御案内のとおり、標準報酬の再評価という手法を使っておりますので、再評価後の標準報酬が六万円の場合、こういう前提がついております。
 なお、御参考までに申し上げますと、厚生年金の場合、最も高い年金額は一級でございますが、百万円をこえる年金額も、標準報酬の多寡、それから加入期間の長短によって出てまいるわけでございます。
○石母田委員 こういうことで見ますと、両眼失明あるいは心身障害のため、自己身辺の日常の生活が介護がなければできないという場合、あるいはひじ関節以上で両上肢を失ったものとか、ひざ関節以上で両下肢を失ったもの、そうすると、戦闘または戦闘行為に参加した、つまり軍人軍属であった者と一般障害者、特に原子爆弾などによる被爆者というような者を比べますと、ここの表に示すような大きな差が生ずるわけであります。
 現行額で、たとえばひじ関節以上で両上肢を失った、ひざ関節以上で両下肢を失ったものというのを例にとりますと、現行の差額で九十万八千円、改正後の差額でいいますと百万七千円と、百万円以上の差がつくわけですけれども、この差を見ますと、だんだん開いていくわけなんです。つまり援護法が今度改正になります、ほかの年金制度も改正になりますと、現行よりもさらに大きな差が生ずるということです。
 目がない、目が見えない。これは戦争で戦闘行為に参加したのが原因であろうと、あるいはまた原子爆弾に被爆して目を失った人であろうと、目が見えないということは人間にとっては私は同じだと思う。障害者に対して、こうして国家で補償する。たとえば原爆の問題でも、補償してほしいということが再三出ております。社会保障、社会福祉というような立場からいっても、こうしたところに差が出るということについて、先ほどの大臣の答弁の中に、田中議員やその他の議員が説明した、いわゆる援護法の対象にならない一般障害者をできるだけこの水準に近づけていく、その方向ではかっていくということとは逆に、実際は差が開いてくるという、こういう問題について、一体大臣はどう考えておるのか。これを放置していくのか、こういうことが、やむを得ない、正しいと思っているのか。あるいはこういう問題は早急に解決されなければならぬ問題だ、こういう考えでいるのかどうか、大臣にお聞きしたいと思います。
○齋藤国務大臣 いろいろ差のありますことは、いまお述べになりましたとおりでございます。ところで、法のたてまえというものを無視して議論はできないのでございまして、御承知のように、目がない――それは戦争の軍人であろうが、国民年金の対象であろうが、厚生年金であろうが、目がないという事態については同じだから、できれば金額を同じにしたらいいではないかといったような御趣旨の御意見かとも思いますが、法のたてまえが全然違っているということをまず御理解いただきたいのでございます。
 すなわち国民年金、厚生年金、同じでございますが、目がなくなったときにはどういう程度の金をもらえるようにお互いに保険料を出し合う。そして国はこれに対して幾らかの補助をするというふうなたてまえで社会保険という――日本のこういう制度は御承知のように社会保険という制度でできておるというところに、こういう違いが出てくると私は思います。ですから、石母田さんが仰せになりましたように、目が見えないということについては、戦争であろうが国民年金であろうが、みんな同じではないか、その暮らしは同じではないか、おっしゃるとおりでございましょう。しかし、金を出すというたてまえから考えてみますと、厚生年金、国民年金というものは、ともに社会連帯の精神にのっとってお互いに掛け金を出し合う、そして国が一部それに対して負担をし援助をする、こういうたてまえでできておるから、こういう違いができるのでございます。
 もとより私どもは、両眼失明に対して現在の二十七万なり四十五万なりで十分だなどとは思っておりません。こういうふうな方々は非常にお困りになっておりますから、できるだけの金額を上げたいということで、私どもも、国民年金も厚生年金も三年ごとあるいは四年ごとに改正をしておるのです。しかし社会保険制度をとっておりますために、それがいい悪いは別として、保険料の値上げなどについても、そうたくさんなことはお願いできない。こういうところに問題があると私は考えております。
 すなわち、私は厚生年金その他の質問でお答えいたしましたが現在の国民年金、厚生年金というのは、保険料をかける年数、報酬等に応じて差額をつけるということになっておるわけでございまして、国家公務員、地方公務員共済組合、あるいは国鉄その他の三公社の共済年金、さらにまた国会議員の互助年金においても、すなわち保険料をかける年数と報酬によって差をつける、これが日本の社会保険制度なんでございます。それはもういかんのだ、要するにすべて同じにすべきだ、これはもう保険じゃございません。だからわが国の社会保険はこういう制度をとっておるということから、こういう差が出てくるのであると私は申し上げることができると思います。
 しかし、私どもはこの金額で十分だ、満足しているのだ、そんなことは考えておりません。でありますからこそ、三年なり四年なり保険財政の許す限り、できるだけの改正をしよう、こういうことできておることを御理解をいただきたいと思います。わが国の社会保険制度は、すなわち加入期間の長短に応じ、あるいは報酬の多寡によって差をつけておるという仕組みで日本のすべての制度ができておるのだということから、こういうふうな差というものが出ているのだということを御理解いただきたいと思います。
○石母田委員 この問題は、いずれ年金の問題あるいは健保の問題で徹底的に論議される問題であります。いわゆる連帯ということで国の責任、つまり憲法第二十五条にある社会保障、社会福祉に対する国の責任を回避するという問題については、いずれ論議されると思います。
 私は、あなたが言われたのとは違った立場で、どんな原因にしろ、そういう目が見えない、あるいは障害者というものに対する国の責任というものは決定的である。そうした人たちにどうしてやるかということが社会保障、社会福祉の根本であるというふうに私は考えております。そうした立場からいうと、いま大臣は、いますぐこの問題を一緒にするかどうかというふうにとられたようでありますけれども、私が質問しているのはそうではなくて、この援護法の問題でこうした犠牲者の方に改善されるということはわが党も賛成であります。私も賛成であります。これだけで十分だなんということは全然思っておりません。
 しかし同時に、先ほどから出されておりますように、多くの戦争犠牲者一つ見ましても、たとえば原子爆弾の被爆者ということで障害になった場合に、これに対して援護法が適用されるかというと、大臣のほうは、法のたてまえでそれはできないのだ、それは一般障害という形のほうで何とか救済してその水準を高めていきたい、こう言っておられたわけです。
 かりにそうだとすれば、この援護法で適用される人たち、そうでない一般障害でやられた人たち、そういう差がますますひどくなるという問題については、あなたの言っていることと実際が違ってくるのじゃないでしょうか。ましてこの一般障害者という問題を広げた場合にも、社会保障という問題に対する国の責任ということからいうと、どうしても特定の身分、特定の公務行為という人たちだけを優遇する、こういうふうに受けられて――私もこの問題が起きてから会いましたところが、あなたは兵隊に入っていてよかったなと言われることが一番つらいんだということを現実にこの援護法の適用を受けておる人が言っておるのです。
 ですから私は、この一般障害者も含めて障害者に対するこの問題を大きく前進させる、こういうことが非常に大事じゃないかと思っております。私はその点では大臣も同じだと思っておるのです。あなたは差が開くということについてはどう見ているのか、これはいいことだと思っているのか悪いことだと思っているのか、解決しなければならない問題と思っているのか、ますます差を――戦争行為に参加した者、この援護法の対象になった者はもっともっとよくしてやらなければならぬと思っておるのか、そういう点について大臣の見解を求めたい、こういうことであります。
○齋藤国務大臣 私どもとしては、援護法は援護法なりの拡大をはかっていくべきであり、同時にまた国民年金なり厚生年金なりも、保険財政の許す限り最大限に拡大をしていくべきものである、かように私は考えております。
○石母田委員 もう一度聞きますけれども、私の質問は、そういう援護法は援護法でやっていく、それはいいのです。しかし、その援護法の適用の問題で先ほどから問題になっているように、もっと戦争の犠牲になっている人たちを対象にすべきじゃないかということが出されております。その問題について、私ははっきり言うと、その法のたてまえ自身がおかしい。特定の身分関係で、特定の公務行為ということで戦争戦闘行為あるいはそれに類する行為というふうになりますと、たとえば勉強したところで原子爆弾の被爆を受けたとか、あるいは先ほどから論議されているようなところで障害、疾病を受ける、こういう人たちに適用されない援護法というのはおかしいじゃないか。それはたてまえにあるんだ、こういうことがおかしいと私は思っておるのです。たてまえ自体を変えなければならぬと思っておるわけです。
 現実にその差が開くようになってきているということは、私は援護法それ自体だけがよくなるとか悪くなるとか言っているのじゃなくて、他の社会保障、社会福祉の関係で、あなたたちが社会福祉が重点だとか障害者にこうだということとの関連で差がますます開くということについて、厚生大臣としては一体どう考えているのかということを、もう一度お伺いします。
○齋藤国務大臣 援護法の適用を受けられる方々はもうどんどん老齢化してまいりまして、子供をなくし、あるいは夫をなくし、そういうふうな非常な苦しい立場におられるわけでございます。ですから私どもは、援護法につきましてはできるだけの援護を厚くしていくというたてまえをとっていくべきものであると思います。しかし同時に、私どもは援護法と同じような金額までいくのがいいのか悪いのか、それは別としまして、国民年金なり厚生年金につきましては、その財政の許す限りできるだけ厚くしていくということが適当だと私は思うのです。
 要するに、戦争で目をなくした方と、けがで目をなくした方とあるわけでございますね。戦争でなくした方は援護法でめんどうを見ましょう、自動車事故で目をなくした方はお互いの相互隣保でいきましょう、こういう仕組みでございますから、そこに幅が広くなる、ならぬは別として、私は差があるのは当然だと思うのです。片方は相互扶助ですね、片方は国家賠償ということで、できるだけめんどうを見ていかなければ――不幸か幸いかしりませんが、差が開いているという数字は、これでうかがい知るわけでございますが、私どもはそれとこれとは別にして、こちらは国家賠償の精神の法律ですし、こちらは平和日本になってお互いが相互隣保の精神で助け合っていきましょう、自動車事故で目をなくしても、こういう程度のお金は出しましょう、こういう制度でございますから、この制度が将来の根幹になるわけでございますからね。これが将来の根幹になるわけですから、差が広くなる、ならぬということは別として、こちらもできるだけ範囲を拡大していく、給付を引き上げていく、こういう面に努力していくということでいいのではないでしょうかと私は考えております。
○石母田委員 どうも平行線なのですが、こういうふうに理解していいですか。そうすると、援護法のほうは適用を拡大していく、あるいはレベルも上げていく、その結果、一般障害者と差が出るのは当然である、あるいは開くなんというようなこともあり得る、これも制度が違うのでやむを得ない、こういうことですね。
○齋藤国務大臣 開くのがいいというのでは私は全然ありません。できるだけそれぞれの制度の中でよくするように努力をしていくべきものである、かように考えております。
○石母田委員 その差が開くというのは、一般障害者のほうをぐっとそれぞれよくすれば差が縮まるわけですね。だんだん水準に近づいてくるわけです。いまこれが一番いいわけですね。そういう意味でそういう努力をなさるのかどうかです。そうしませんと、何か援護法との差というものがそういうところからますます出てくるわけでしょう。国のほうで一つにしてやっているわけですから、もらうほうから見ると、おまえさんは兵隊に行っていてよかったなあといわれる人たちが肩身の狭い思いをしてもらっているという状況があるわけですよ。そういう問題に対して大臣の返答はどうなのか。それはやむを得ないのだ、全然制度が違うのだからというふうに答えるのかどうかです。
○齋藤国務大臣 ある程度の差が出ることは、私は制度の仕組み上やむを得ないと思いますが、国民年金、厚生年金は財政の許す限りできるだけ上げていくべきものだと思います。その結果縮まるということであれば、これはまた望ましいことでございましょう。しかし、制度がそれぞれ違うのだということを頭に入れてお互いに考えるべきではないか、こういうことを私は申し上げておるわけでございます。
○石母田委員 この援護法の問題に対しましては共産党は棄権の態度をとってまいりました。それは、この援護法自体が戦争に参加した、あるいは先ほどの言う国家に特別の身分関係にある人、こういう特定の人だけに限られているということ、これが国民全体がこの戦争犠牲、特に戦争によって疾病または身体障害者になるとか、あるいはまたなくなられる、そういうような犠牲者に対する人たちまで及んでいないということ、そういうところから、当然その特定の遺家族の人だけを対象とすることによって、いま問題になっております軍国主義の復活に利用されるという危険性が非常にあるのではないか。こういう問題で、党としては初めは反対の態度をとっておりましたけれども、現在は棄権の態度をとっております。
 それは、一面におきまして、この援護法に適用される人々は、やはり生活が苦しい。戦争の犠牲を受けられた方々です。そういう人たちのこうした条件がよくなるということは、これは党としても賛成であるという立場から、われわれはこういう援護法を適用される方々の要求を支持しながら、その改善をも一方で戦ってまいりました。そして、党としては棄権の態度をとってまいりました。今日いまの時点で、こうした審議や、きょうの過程を通じましても、その点について基本的には変わりはない。私は、この援護法が依然として一般国民が望んでいるような戦争犠牲者に対して適用されるという点では、若干の拡大がありましたけれども、基本的にはこれを満たしていない。しかし、今日出されている諸改善については、われわれはこれを支持するという立場から、この法に対しては、これまでの棄権の態度ということを続けたいということを明らかにいたしまして、私の質問を終わりたいと思います。
○田川委員長 大橋敏雄君。
○大橋(敏)委員 御承知のように、生産経済第一主義から福祉優先への大転換がはかられようとしております今日でございますが、特に戦争犠牲者の、いわゆる戦後処理の総清算といいますか、あるいは総決算的な使命を持っているのが厚生省の援護局の重要な仕事だと私は考えているわけでございますが、横井庄一さんの奇跡的な生還に始まりまして、特にこの問題がクローズアップされ、あるいは小野田さんの問題等々、いわゆる戦争の残骸といわれるものは種々さまざまな深刻な姿で、あるいは状態のまま過ぎ去っていっていると思うのでございます。これまで援護法の改正が毎年のように行なわれてきたわけでございますけれども、恩給法の改正にあわせてという、言うならば消極的な姿の中での改正であったように私は感じているのでありますが、先ほどから厚生大臣おっしゃっておりますように、援護法は援護法の名にふさわしい、いわゆる国家補償の立場から積極的な立場で取り組んでいくべきである。私はこのように思うのでございますが、初めに厚生大臣の援護法に対する姿勢、所信というものを承りたいと思います。
○齋藤国務大臣 私が申し上げるまでもなく、大橋委員御承知のように、戦争に直接参加をしました軍人に対しましては恩給法があるわけでございまして、恩給法によってそれぞれの処遇をいたすわけでございます。
    〔委員長退席、橋本(龍)委員長代理着席〕
 そこで、恩給法で落ちこぼれがあるわけでございます。その落ちこぼれ分――落ちこぼれと言ってはおかしいのですが、恩給法の適用を受けない方々については別な法の体系においてめんどうを見よう、こういう仕組みになっておるわけでございます。したがって、いろいろな措置につきましては恩給法に準ずるものも当然それは出てくるわけでございますが、じゃ軍人でない軍属とかあるいは準軍属、こういうものは当然そちらの援護法ということでやっておるわけでございます。そういうふうなことで、今日まで軍人に対する恩給、それとにらみ合わせながらそういうふうな処遇を行なうと同時に、そのほかにたとえば戦争で夫をなくされた方々、未亡人に対する妻の特別給付金であるとか、恩給法とは切り離して独自な立場で私は援護をやっておるつもりでございます。
 すなわち、恩給と密接不可分のものはそれに準じて改正をし、それから、そうでないものについては、できるだけ独自の立場で問題を拾いながら改善をしていこう。しかも戦争が済んでもう二十八年、だんだんお年寄りの方々が多くなってくるわけでございます。傷痍軍人の方々もお年寄りになっておるわけでございますので、そういうふうなことを頭に描き、さらに軍人、軍属の差あるいは軍属と準軍属の差をなるべく縮めていこうではないか、あるいは妻に対する特別給付金のような問題も独自の改善をはかっていこうではないか、こういうことでございまして、中身によりましては恩給法等の関連のあるものもございますが、そうでないものもあり、独自の立場で改善をはかっておる。これはぜひ御理解をいただきたいと思います。
○大橋(敏)委員 いま恩給法で救われない、いわゆる落ちこぼれといいますか、漏れた人々を次々と救済していっているのが、この援護法のたてまえである。それはよくわかるのですが、それだけに援護法の中身が次から次に継ぎ足しみたいになりまして、非常に複雑多岐にわたっておるのです。厚生省の専門家の方ですらも、間々間違えて事を処するようなこともあるやに聞いております。それほど非常に複雑多岐にわたる援護法の中身でございますが、今回の改正で懸案の一般準軍属の処遇が軍人、軍属適用者等々と同一になった、肩を並べたということはいわゆる制度としては差別的な問題が解消されたのだ、整理された、私はこう考えるわけでありますけれども、この辺で援護法を一本とすべきである。つまり援護法というものを整理統合したような立場でこれから年次計画を策定して援護措置をとっていく、このような基本的な姿勢に立ち返るべきではないかと思うのでございますが、その点はどうでしょう。
○齋藤国務大臣 今回、軍人軍属と準軍属との年金額などを一本化されて、肩を並べるようになった、こういう機会にそういう身分関係を離れて一本化したらどうか、こういうふうなお尋ね、私はそれは見識のあるりっぱな御意見だと拝聴いたしております。しかし、それにはまた中身において多少いろいろまたニュアンスの差があることもありますから、大橋委員の御質問に、いますぐそれをいたしますと言って答えるほどの勇気はございませんが、せっかくの見識のある御意見でございますから、今後十分検討させていただきたい。すなわち、検討の課題にさせていただきたい、こんなふうに考えておる次第でございます。
○大橋(敏)委員 それでは警防団の援護措置についてお尋ねいたします。
 これは同僚委員から再三質問が出ておりますので、できるだけ重複を避けたいと思いますけれども、六十八国会の衆議院、参議院の附帯決議にも「旧防空法関係犠牲者の援護については、さらに検討を加えるとともに、その改善に努めること。」と、はっきりあったわけですね。ところが、その防空法上の防空監視隊員といいますか、これは四十四年に準軍属に措置されたわけでございますけれども、いわゆる警防団は除外されたわけですね。先ほどから話があっておりますように、これは当然準軍属とみなして、それと同じような立場で処遇していくべきである。新聞によりますと、四十九年度から警防団も準軍属扱いにしていく、実施するんだ、このような報道がすでになされておりましたけれども、この点について確固たる御答弁をお願いしたいと思います。
○齋藤国務大臣 この問題につきましては多年の問題でございまして、私どももできるものならば何とか援護法の範囲の中で救済したいと考えておりました。しかしながら防空法の法律を見ますと、軍防空の必要上特定の人を指定して、その人に必要な訓練を行なう、こういうふうな規定があるわけでございます。そこで戦争中、特に戦争末期でございますが、戦争末期の警防団の活動について、はっきりわからない点もありました。そういうことで国会の御決議等もございましので、何とかしたいと考えたのでございますが、警防団運営の実態というものについて十分つまびらかにすることができませんでした。
 しかし先年来、国会の御審議において非常に御熱心な方々の御質疑がございまして、その実態が明らかになってまいりましたので、それならばこの機会にはっきり決心をして、昭和四十九年度においてこの問題を解決しましょう、予算も計上いたします。これ思い切ったことだと思うのです。来年度の予算編成にも入ってないのに概算要求をいたします。大蔵省もけっこうです、こういうわけでございますから、厚生省の熱意をどうかおくみ取りいただいて、これは御信頼をいただきたいと考えております。
○大橋(敏)委員 これは実現する、こう確認させていただきます。
 それでは、警防団に対しては四十四年、四十五年の消防庁の告示によって、特別支出金扱いで遺族七万円、それから障害者五万円というのが予算措置されてきたわけですね。四十九年度からは援護法の中で、はっきりとそれが準軍属扱いとされていくんだ、こう理解しますけれども、それでは、もしそれが実現した場合、医療従事者についてはどうなるのか、あるいは入営途上者についてはどうなるのか。つまり医療従事者について四十五年、四十六年の厚生省の告示によりまして特別支出金が障害者に対しては、わずか四件ではございますけれども五万円出ております。遺族に対しては七万円、百四十七件が出ているわけでございます。また入営途上者については四十六年、四十七年、厚生省告示によりまして特別支出金が死亡者には十万円、五十九件出ているはずでございますが、この扱いはどうなりましょうか。
○高木(玄)政府委員 入営途上あるいは帰郷途上なくなった軍人についての問題でございますが、遺族援護法では、援護は、この軍人につきまして入営応召による入隊から復員除隊までの在職期間内に生じた公務傷病によって死亡するということが条件になっております。したがいまして、入営途上あるいは帰郷途上、これはいずれも在職期間外でございますので、援護法による処遇はできない、こういうことになっております。そういった趣旨から、かつて、これは昭和四十六年の行政措置だったと思いますが、特別一時金を出したということになっているのかと思います。
○大橋(敏)委員 たてまえからいけば、そのとおりでしょうけれども、厚生省の立場から見た場合、特別支出金でも出して救ってあげたいと思うだろう対象者でございますので、警防団の方々の処遇改善にあわせて、もう一歩この問題も検討してほしいということであります。これは要望にとどめておきます。
 次に移りますけれども、日華事変中の本邦等における勤務関連の障害者及び遺族に対しまして援護の拡大がはかられたわけでございますが、公務傷病による障害年金、遺族年金の七五%の支給、この七五%の支給というのは私は低いのではないかということを申し上げたいのです。むしろ一〇〇%といいたいところですけれども、それはできないまでも、九〇%まで引き上げるのが、これまでの経緯から見ましても、ものの道理ではないか、そう思うのでございますが、いかがですか。
○高木(玄)政府委員 この勤務関連傷病に関する給付でございますが、これは恩給法のほうの特例傷病恩給あるいは特例扶助料、これに歩調をそろえておるのでございます。恩給法のほうも本来の傷病恩給あるいは公務扶助料の七五%相当額ということになっておりますので、そういった特例傷病恩給、特例扶助料に準じて七五%にして据え置いているということでございます。
 勤務関連傷病と申しますのは、勤務の性格なり態様から見まして、公務とは直接因果関係はございませんが、明らかにその傷病を受けたことにつきまして勤務の影響を否定できない、こういうものについて特例として支給しようというのでございますので、いまの制度としては七五%相当額というあたりが妥当なのじゃなかろうか、かように考えている次第でございます。
○大橋(敏)委員 私が九〇%といっているのは、四十五年の十一月に六〇%から七五%に引き上げられた経緯があるわけですね。四十五年ですから、もう年数もたちましたし、一五%引き上げられたという経緯の上に立って考えた場合は、もう九〇%が妥当ではないか。恩給の関係等もありましょうけれども、この点もう少し考える必要があるのではないかと思います。
○高木(玄)政府委員 恩給局とも連絡をとりまして、検討させていただきたいと思います。
○大橋(敏)委員 それでは国債の再交付と額と期間の問題でございますけれども、戦没者の父母並びに妻等に対します特別給付金の国債費が、これまでの二十万円から六十万円に引き上げられるということでございます。その引き上げられることは決して反対ではない。賛成でございますけれども、なぜ六十万円にとどまったのかということですね。二十万円が六十万円になったその根拠です。
 またもう一つは、現行は額面二十万円で十年償還になっておりますので、第一回交付された方々は今月、四月の三十日に終了するわけでございます。その妻に対しましては、いまの六十万円の額面となって、十年償還ということになるやに聞いておりますが、これの平均年齢は五十八歳。その父母に対しましては三十万円、五年償還、この父母の方々の平均年齢も七十八歳。これも先ほどから何人かの方が質問していたようでございますけれども、この問題についてお答え願いたいと思います。
○高木(玄)政府委員 この特別給付金の金額をなぜ六十万、三十万に増額したかという問題でございますが、この特別給付金は、先生おっしゃられますように、父母につきましては昨年の五月、妻につきましては本年の四月三十日に第一回の最終償還を終わってしまうわけでございます。それ以後どうするかということが一つ問題でございまして、それにつきまして特別給付金問題懇談会という厚生大臣の私的な諮問機関でございますが、昨年設置いたしまして御意見を聞いたのでございます。
    〔橋本(龍)委員長代理退席、委員長着席〕
その御意見の結果は、この特別給付金制度を継続すべきである。それからいま一つは、特別給付金制度制定後の経済情勢の変化等を考慮して、今日の社会的通念から見て妥当な額に改めるべきだ、こういう御答申があったわけです。
 では、しからば妥当な額は、どの程度のことであろうかということで種々検討いたしたのでございますが、制度ができました昭和三十八年度から本年、昭和四十八年度に至る間の一人当たりの国民所得、あるいは一人当たりの個人消費支出、あるいは普通恩給の改善率、こういったものを見てまいりますと、大体三倍程度という一つの線がございましたので、それを参照しつつ大体三倍ということできめたような次第でございます。
○大橋(敏)委員 六十万円にきめられた根拠というのは、いまの説明で大体理解できますけれども、一つ私が疑問に思うことは、今度の改善で日華事変勤務関連の傷病による死亡者の妻は特別給付の処遇を受けるようになるわけですね。この方は改善された中身ではなくて、ずっと前にきめられた額面二十万円、十年償還というのが適用される。ここのところ、あまりにも差があり過ぎる。おそらく償還が終わった方々に対しては新しい内容でまた再交付なされるわけでしょうけれども、その中間にある方は前のままで、まだ償還途中じゃないか、そこにアンバランスができるから、やむを得ないのだという考えかもしれませんけれども、先ほどの生活水準が上がった、経済情勢が変わったという立場からいうならば、前の二十万、十年償還というのは妥当ではない、私はこのように感ずるのですけれども、この点どうです。
○高木(玄)政府委員 今回の制度が特別給付金制度の継続というたてまえをとりましたので、前回の特別給付金制度を第一回と申しますれば、第一回の特別給付金制度の最終償還が終わった方が第二回の特別給付金を受ける、こういうたてまえにしたのであります。
 確かに、本年新たに受給権をもらわれた方は、新しいもので上げたらいいじゃないかということなのでございますが、それは御趣旨はよくわかるのであります。実は援護法は毎年のように改正になりまして、毎年のように新しい遺族年金受給権者が出ておるわけでございます。そして、二年前、三年前の方には最初のやつでやって、いま償還の最中であります。つまり、最初の二十万円あるいは十万円というものが二年前、三年前の方に渡されているのでございますので、そういった均衡からいいますと、やはり第一回目のものをもらっていただいて、それが終わったときに第二回をお渡しする、こういうふうにすべきではなかろうかというふうに考えたわけでございます。
○大橋(敏)委員 均衡論からいけば、おっしゃるとおりでしょうが、非常にこれは矛盾を感じます。これは毎年のように改善されていくわけですから、来年の改善の際には、この点も思い切った手当てをしていただきたいということでございます。
 そこで、先ほど申し上げました父母に対しましては三十万円で、五年償還ということですね。ということは、先ほど言いましたように、この方々の平均寿命は七十八歳ですよ。というのは失礼な言い方になりますけれども、余生はあやふやの状態にあるということですね。これではたしてそれだけの精神が伝わるだろうかということを思うと、五年を少なくとも二年か三年ぐらいに短縮すべきだ、こういうふうに思うのですけれども、これは大臣どうですか。
○齋藤国務大臣 それも私ごもっともだと思いますが、そういう老齢者の方々には、私はできるだけ百歳の長寿を全うしていただきたいと考えておりますのでさようなことをいたしたわけでございます。縮めて、何かしらん、あなたは早くなくなるんですよと言わんばかりのやり方はいかがなものか、百歳の長寿を全うしていただきたいというのが厚生大臣の偽らざる心境でございます。
○大橋(敏)委員 けっこうなことでございますので、それはその段階になったら、さらにまた交付すればいいことでありますので、そこまで長寿を得られない方々のためのことを思えば、私の気持ちもわかっていただけると思うのであります。これは平行線をたどるでしょうから、この辺でやめます。
 次に、厚生省と大蔵省の方、来ていますね。――お尋ねいたしますけれども、再婚の解消妻の問題でございますが、再婚解消妻の件につきましては、現行法では戦傷病者戦没者遺族等援護法が制定された昭和二十七年四月三十日までに離婚していれば遺族の処遇を受けている。しかし今回、関係者の強い要望のもとに厚生省のほうでは恩給法の施行日、二十八年の八月一日以前にまで緩和しようとなさったと聞いておりますが、大蔵省のほうで予算措置の立場からこれを削られたということを私は聞いているのでございます。この点の事情を詳しく説明していただきたいと思います。
○高木(玄)政府委員 確かに、この再婚解消妻の特例の期間を軍人恩給が復活する直前まで一年間延ばすことにつきましては、大蔵省に要求を出したのは事実でございますけれども、実は大蔵省との間で、たとえば先ほどお話の出ました準軍属と軍人軍属との年金の格差の解消でありますとか、あるいは日華事変中の勤務関連疾病の問題を取り上げますとか、そのほか解決すべき問題が非常に多かったので、要求の重点からいいますと、これの順序が終わりのほうでございまして、ほかのものを通すために、私のほうでこれは今回の予算折衝では割愛させていただいたということでございます。
○渡部説明員 再婚解消妻の特例期間の延長の問題でございますが、これは財政当局としまして別に財源がどうだからということで問題にしたわけではございません。制度の問題でございます。制度の問題は、あるいは厚生省のほうからお答えいただくほうがいいかと思いますが、本来この制度は、再婚をした場合には恩給法等あるいはほかの年金関係法規では遺族年金の対象からはずれるというのが大原則でございます。そういう意味で、援護法におきまして、再婚を解消した場合にこういう援護の対象にするというのは非常に特例な措置でございます。これは戦後特殊な事情にあったこういう戦争未亡人の方々につきまして、援護法が施行される前に再婚する前の状態に返ったという方につきましては、特別にこういう援護の措置を講じたというのが当時の経緯でございます。
 確かに、あるいはもう少しこの特例を延長するという考え方もあろうかと思いますけれども、援護法のたてまえといたしましては、援護法制定前の状態において再婚しなかった戦没者の妻と同様の状態にあるというところに着目しました制度の趣旨からしますと、この問題は現行の制度としまして十分理由があるのではないかというぐあいにわれわれは考えておるわけでありますが、この問題につきましては、予算折衝の段階におきまして、先ほど援護局長のお話がございましたような優先度の強い問題もございましたが、別に財源が苦しかったので、これを認めなかったという問題ではございません。援護法本来の制度のあり方の問題として、なお検討したいということでございます。
○大橋(敏)委員 大蔵省の方のお話を聞けば非常に積極的ですね。厚生省のほうが遠慮しておるのじゃないですか。これは大臣、どうもそういう感じを受けますね。いろいろお願いすることばかりあったのでというようなことをいえば、これは厚生省のほうが消極的ですよ。どうですか、大臣。
○齋藤国務大臣 いや、援護局長は要求した項目の中に一つ落ちていたのがあったから……。多少口がすべったのでございまして、意見合意の上でいたしたわけでございます。
 しかし、この問題は遺族会の中でも実は問題があるのです。非常に潔癖的に考えますと、延長してはいかぬというのです。私はその点気持ちはわかるのです。妻の座を守ってこられたということに対する感謝、そこからこの制度は始まるのです。そこで、これをみだりに延ばすべきではないという潔癖的な意見があります。私はもっともだと思うのです。
 しかし、世の中の実情というものも考えてみれば、少しは何とかしなければならぬのじゃないかなという気持ちもあるわけでございまして、これは今後先生のようなこの道の専門家の方でございますから、十分御意見をお聞かせいただいて――遺族の中には非常に潔癖的にものを考える人がおるのです。そうするのが当然だ、それはもともとは妻の座というものを守ってきた、戦争で夫をなくしても、家を守るというか、夫の位はいの前にすわりまして涙を流して暮らしてきたという人と、それから結婚したという人との、そこにやはり精神的な、心理的ないろいろな問題がございまして、これは考えると、なかなかむずかしい問題でございますが、やはりいろいろな事情を考えながら今後十分検討してまいりたいと思います。
 私のほうから数項目のうちよけい通すためにこれは落とした、そんなものではありませんから、その点はちょっと舌が援護局長走り過ぎたんですね、というわけでございます。
○大橋(敏)委員 大臣が一生懸命局長さんをかばっている気持ちはわかりますので、これ以上その問題は追及しませんけれども、いずれにいたしましても一般、新聞等にも緩和されるようなことが報道されていたわけですね。それだけに関係者の期待は大きかった。これだけは心にとめていただきたいと思います。
 先ほど大蔵省の方の非常に積極的な御答弁を聞いて私は感激をしておりますが、では次の問題について大蔵省の方どう答弁なさるか。これは前国会のやはり社会労働委員会でこの法案の審議のときに私自身指摘した問題でございますが、戦傷病者相談員、戦没者相談員、この方々のいわゆる謝金、お礼金といいますか、この問題、わずか五百円であったので、こんなことではしょうがないじゃないですか、こうして厚生大臣に詰め寄ったところが、これは篤志家がいわゆる奉仕的な精神に基づいてなさっているので、むしろ五百円でも上げることが考えものだというような答弁もあったやに記憶しておりますが、しかし、いずれにしましても、月に五百円という謝金が支払われているという事実があるわけですね。
 私はそれこそいまの生活水準でわずか五百円なんということは、とても考えられない金額である、こう思っているのです。去年この問題取り上げましたときには、大臣はたしか、この次の法案審議のときまでには必ずこれを善処します、改善いたします、こう答えていたわけです。私はどのようにこれが改善されるだろうかと期待して見ておったのですけれども、五百円の金額は変わりません。この点についてどのようなお考えでおられるのか、厚生省と、それから大蔵省にお尋ねいたします。
○高木(玄)政府委員 確かに先生御指摘のとおり、いかに篤志家の奉仕とはいえ、手当が月額五百円というのは低いという感じが私もいたします。ただ、遺族相談員につきましては、やはり遺族の援護の充実という面から考えますと、遺族相談員の増員というほうが大事じゃなかろうかということで、いままで九百四十名でありました遺族相談員を五割ふやしまして、千四百十名に増員いたしました。
 増員も増額も両方いければ非常にけっこうなのでございますが、いろいろな予算の折衝の過程におきまして、私どもは増員のほうをぜひとも実現したい、こういうふうに強く考えましたので、金額のほうは他日を期す、こういうふうにいたしましたので御了承いただきたいと思います。
○渡部説明員 御答弁申し上げます。
 遺族相談員の手当の月額の増額の件でございますが、遺族相談員の経費につきましては厚生省の援護局長からお話ございましたように、本年度の予算要求におきましては単価のアップと人員の増の要求がございましたわけでございますが、これにつきましては人員の増のほうに重点を置いた作業をいたしまして、これは十分話し合いをしまして決定したわけでございますが、そのほうは要求どおりお認めいたしたわけでございますが、謝金の問題につきましては、確かに五百円は非常に些少な金額ではないかという御指摘ごもっともだと思うわけでございますけれども、これはいわば民間の篤志家の方々にお願いしておるわけでございますので、そういったところと、それからほかに相談員制度というものがいろいろございますが、今回の予算措置につきまして、ほかの相談員制度とバランスをとったわけでございますが、ほかに身体障害者の相談員あるいは精神薄弱者の相談員というものがございまして、これにつきましては、実は遺族相談員のベースは通らなかったわけでございますが、あちらのほうを五百円に直したということでありまして、謝金単価のあり方につきましては、そういう全般の相談員の制度のあり方の総合的な一環として考えておるということでございます。
○大橋(敏)委員 やはり大蔵省の方は、いざとなるとけちくさいですね。先ほどずいぶん調子のいい御答弁だったので期待しておったのですけれども、謝金の五百円については据え置いて、人数のほうだけは認めてやった。たしか九百四十名だったのを千四百十名に今度は増員されたことは承知しております。しかし、この増員することと謝金の額をどうするかということは、これは別問題だと思うのですね。
 大臣、そう思いませんか。母子相談員あるいは身障者の相談員の謝金がこれまで三百円だったというのですね。これまたあきれはてるような低い額でございますが、これもようやく五百円の線に合わせたというようなお話がありましたけれども、これもやはりけちくさい話であろう、こう思うのです。だから増員は増員として当然のことでありまして、やはり謝金の問題は三百円とか五百円なんということはこれは失礼だと思うのです為。大臣、この点はどう考えられますか。
○齋藤国務大臣 大蔵省は、謝金というやつは非常にいやがるのですね。私もよう知っているのです。しかし、なるほど遺家族援護の方々の相談員について、篤志家の奉仕によるとはいいながら、九百円というのはちょっとやはり低いですね。しかし、これよりそれじゃ身体障害者のほうの相談責と比較してみるとどうですか。こちらよりも向こうを上げるほうが筋じゃないでしょうか、私はそんな感じがするのです。
 といいますのは、こちらは、戦争のこういう遺家族の方というものは、ほんとうに兄弟のような丸持ちでお互いいたわり合っておるのですね。そうした中の相談員なんです。ほんとういうと、身体障害者は他人が入りますね。他人といってはいけませんが、こうしたものとは多少違うのですね。だから私から言わすと、むしろそっちを二千円ぐらい上げて、こっちを千円ぐらいといえば調整がとれるかもしれませんね。しかし私は、こういう話は賢明なる主計官聞いておられますから、来年は手当だから、あまり上げないなんということはおっしゃらぬと思いますから、こちらはそういうバランスをとりながら、身体障害者のほうは二千円、こちらのほうは千円、そのくらいの要求をしてバランスがとれる、こうなるのじゃないですかという感じがいたします。
 いずれにせよ、五百円という手はないと思いますね。これはおっしゃるとおりだと思います。
○大橋(敏)委員 先ほど特別給付金の国債の額面の引き上げ、二十万から六十万になった根拠を尋ねましたら、生活水準、経済情勢の変化、約三倍だ、だから三倍に引き上げたんだというお話がありましたけれども、そういう考えでいくならば、今度の身体障害者あるいは母子相談員の三百円も三倍の九百円、これが当然であろうと私は思うのですけれども、それを五百円にとどめたというところにけちくささを感ずる、どうでしょうかね。
○齋藤国務大臣 私率直に言いますが、これはよけいなことですよ。厚生省で実は一番悩みの種は健保なんですよ。毎年毎年いいと思って出すのだが、通らないのですよ。これが通らぬために厚生省全体の予算の財政計画がほんとういうと立てられないのです。
 私は率直に言いますよ。毎年毎年せっかくいいと思って出すのです。特にことしの健保法は、家族給付は六割給付をやろう。しかも三万円あれば医療にかかれるという、こんないい法律を出してさえ、いまのところなかなか通るか通らぬか自信がないのです。私は、ぜひ、これは大橋先生なんか御理解を持っておられるから、御協力得られると思うのですが、こういう問題が片づきますと、厚生省全体の財政計画が立つのです。ですから、こういうこまかい問題も、そういう問題が片づけば厚生省の将来の財政計画はどうなる、りっぱに立つのです。そうなったら私は思い切って五百円なんてけちなことで、大臣として承知いたしませんから、どうかそういうところを御勘案の上、よろしくお願い申し上げたいと思います。
○大橋(敏)委員 いまの健保の問題を引っぱり出して云々されるのは論点移動だと思うのですよ。健保の問題はゆっくり時間をとってやりましょう。私は、きょうは限られた時間の中でやっておりますから、この問題はさておきましょう。
 いずれにいたしましても、いまの五百円程度の謝金じゃ話にならぬということは大臣も認められたわけですから、来年の改善の際には思い切った措置をとっていただきたい、これは強く要望しておきます。
 それから次に申し上げたいことは、直接厚生省にいうべきかどうかわかりませんけれども、四十八年の一月十九日の朝日新聞に出ていた事柄です。厚生省は戦後処理、犠牲者の問題を整理していく、そういう使命にありますので、当然であろうと思いますので、ちょっとこれを読み上げますが、その朝日新聞の記事の冒頭に「危険 戦事中の地下壕」こういう見出しがあるわけです。神奈川の行政監察局が一月十八日、地下壕の実態監査結果をまとめて、重要事項報告として行政管理庁あてに、提出をしたという中身が出ております。これは、いわゆる戦争の落とし子でございます。地下壕というものは。ですから、これは国の力でこそ処理されるべき中身であろうと私は思います。私の言わんとするところは、厚生省としてこれを重視して、早急に抜本対策を講じられ、善処を要求したいというところでございます。
 実は、この地下壕の管理につきましては、昭和二十一年の十月に戦時補償特別措置法というのができたそうです。厚生省が、地主の申告で埋め立てることになっていたそうでございます。この法律が同年の十二月初めまでの時限立法だったそうです。したがいまして、期限が切れまして、その後はどこが地下壕の処理の監督官庁になるのやら、さっぱりはっきりしていないということのようでございます。これがその新聞の記事の内容の骨子でございますけれども、この点について厚生省はどうお考えになりますか、お尋ねいたします。
○高木(玄)政府委員 この問題につきましては、私どもが承知いたしておりますのは、官房長官の御裁断によりまして、この地下壕の問題は都市部につきましては建設省、それから農村部につきましては農林省が窓口になる、それで両方ともそれがはっきりしない場合には総理府が窓口になる、こういうふうに官房長官の御裁断で窓口がきまったというふうに聞いております。
○大橋(敏)委員 自分のことを言って申しわけないですけれども、私はいま借家に住んでいるのです。ちょっと小高いところですが、その下がやはり地下壕を掘られて、どえらいがけくずれですよ。大雨が降る、いろいろなことがあると、たいへんな被害をこうむっていますか、これは私がそうだから言っているわけじゃございませんで、いろいろな問題を全国的にかもし出しているのではないか。特にこれは集中的に戦争状態の激しいところにこういう地下壕が掘られていると思いますので、厚生省の立場から、関係各省庁に強力にこの措置に対して申し入れをしていただきたい、こういうことでございます。大臣よろしいですか。
○齋藤国務大臣 おっしゃるとおりでございまして、私どもも具体的な問題につきまして、建設省、農林省その他に十分申し入れをいたしまして、努力をいたします。
○大橋(敏)委員 また新聞の記事でございますが、四十八年の一月二十七日の毎日新聞、まず、それはこう見出しがあります。「百二十九隻いまだ浮上せず」「英霊一万五千求め、捜索作戦」こういう見出しがあるわけでございます。また厚生省が「「潜水艦の戦闘状況」を初めて公開、」したとも示してあります。さらに伊号第一六九潜水艦の遺骨七十四柱の収集に乗り出したということも、この記事の中に出ております。さらに伊号第四潜水艦、また伊号第一二四潜水艦が遺骨ごと売り出されているという記事も出ております。オーストラリアの水産業者が伊号第四潜水艦を発見した、また同じオーストラリアのサルベージ業者がポートダーウィン沖の百十キロの地点で伊号第一二四潜水艦を見つけた。いずれも遺骨ごと売りに出ておるということが問題になっているわけでございます。
 こういう情報が外務省あるいは厚生省に寄せられているということでございますけれども、この点について外務省の方と厚生省の方に御説明願いたいと思います。
○高木(玄)政府委員 過ぐる大戦中に沈没いたしました日本の潜水艦は約百三十隻でございます。しかし、この潜水艦というのは、潜水艦という船の性質上、まず単独で戦闘行動する、それから昼間はほとんど潜航しているという状態でおります。そういった特質がございますので、この百三十隻につきまして、その最後を見届けることができないものが大部分でございます。
 先生御指摘になりました伊号一六九潜は、これはトラック環礁の中に沈んでおりまして、所在がもうすでに確認されている、深さも四十メートルぐらいなところでございましてダイバーがもぐると潜水艦に到達して遺骨が見える、こういう状態になっております。そうして外国の雑誌等にこの写真なり記事が出ているということでございますので、そういった状態にありますのは、人目にさらされているわけでございますので、私どもとしては遺骨の尊厳を守りたいということから、本年度予算にこの遺骨引き揚げに必要な経費を計上いたしております。このトラック環礁内にあります伊号一六九潜の遺骨は、ぜひ引き揚げるようにいたしたい、かように考えているわけであります。
 それから潜水艦売り出しの問題でございますが、これはいままで新聞記事に出ましたように、豪州付近で沈没した二隻の潜水艦につきまして、その売り出しの問題があるというふうに新聞記事に出たわけでございます。このうちの伊号第四潜水艦というものにつきましては、先方の発見したという地点が豪州の東方約六百海里の洋上で、水深がしかも三千メートルないし四千メートルということでございまして、はたして相手方がこの船を見つけたのかどうかはっきりしません。その後新しい情報が全然出てこないところを見ますと、この伊号第四潜水艦につきましては、架空の問題であったのだろうというふうに私どもは考えております。
 いま一つの伊号一二四潜水艦のことでございますが、これは、豪州のポートダーウィンにこの潜水艦は機雷敷設におもむいたのでありますが、昭和十七年一月に米軍、オーストラリア軍、両軍の攻撃を受けて沈没いたしております。この沈没した潜水艦の場所と沈没位置等は、アメリカ海軍の記録あるいは豪州海軍の記録でほぼ確認されておりますが、民間業者がこれを売り出すという広告を出したということでございますが、私どもといたしましては外務省とも十分連絡をとりまして、この御遺族の心情等も十分考えて、豪州政府、それからこの売り出し広告を出した民間業者と外務省の在外公館が十分接触を保ちまして、この問題についての円満解決にいま努力中でございます。
○谷口説明員 ただいま厚生省のほうからお答えいただきましたとおりでございまして、そのような情報を私どもといたしましても承知いたしております。お答えいたしましたようなラインで現在円満に解決すべく、先方政府及び業者とも適切なコンタクトをとりながら努力しておる、こういう段階でございます。
○大橋(敏)委員 伊号第四潜水艦につきましては、やはり架空であろうという見方をしているのかどうか、それから伊号一二四潜水艦については三億円という金額まで実は新聞に出ているのですけれども、その金額についても大体報道のとおりであるかどうか、その点をもう一回。
○谷口説明員 第一点の伊四号につきましては、真否がはなはださだかでないという厚生省の御指摘のとおりでございまして、それ以後何らの情報も持っておりません。次に、伊一二四潜水艦については、確かに香港のユナイテッドプレスに広告を掲載したわけでございますけれども、彼らの、広告主のいっております金額の根拠につきましては、私どもといたしまして全然わからない、こういうことでございます。
○大橋(敏)委員 これはちょっとこまかいことになるのですけれども、所有権ですが、これは日本のもとの海軍の潜水艦、それを外国の業者が引き揚げた、これの所有権はどうなるのでしょうか。
○熊谷説明員 お答え申し上げます。
 一般国際法の問題になってしまうわけでございますけれども、戦争中に敵によって沈没させられた船の船骸とかその積み荷等が敵の権力内におちいったものは、敵の戦利品として敵の所有物になりますけれども、本件は公海でございますので、敵の権力内におちいったものであるかどうかという点をまず事実確認をしなければならないわけでございます。
 公海であります場合には、その戦闘において公海で攻撃を受けて拿捕される、それが領海内に持っていかれるか、あるいは公海上であっても、その沈没位置におきまして旗を立てるとか、現実にその敵国が支配をしているということでもない限り、敵国の所有物にはならない。それから、したがって敵国の権力内におちいらない限り、かつ日本がその所有権を放棄していない限り、日本の所有権のもとにあるというふうに私どもは考えております。これが一般戦時国際法上の解釈であります。
○大橋(敏)委員 これの所有権の問題その他いろいろ法的な問題からいけば、非常に複雑で微妙な問題が出てこようかと思いますが、いずれにいたしましても、報道されている中に、潜水艦の乗り組み員の皆さまがなくなられて、いま遺骨としてあるわけです。私は、少なくともこの遺骨だけは、スムーズに遺族の方々に届けられるような手厚い措置を講じていただきたい、手を打っていただきたい、こう思うのでございますが、これはやはり大臣に一言お答え願いたいと思います。
○齋藤国務大臣 御趣旨まことにごもっともでございますので、そういうふうな方向で努力いたしたいと思います。
○大橋(敏)委員 それでは時間がずいぶん迫ってきましたので、次に移らしていただきます。
 これも去年のこの委員会で質問したわけでございますが、ソロモン諸島のセントジョージ島に元日本兵の生き残りの方が三十数名前後はいるはずだという関係者の声をこの委員会で取り上げたわけです。四十七年の四月十三日の委員会です。そのときの局長さんは中村さんでございましたが、そのセントジョージ島の話は関係者からそのとき、ことしの二月になって初めて聞いた話である、初めてのケースだというような答弁がなされているわけでございます。
 実は去年、四十七年十一月三日の地元の西日本新聞に、セントジョージ島のことが詳しく報道されているのですけれども、その記事の中に、すでに三十九年に厚生省から木村守さんという方、これは元兵器係軍曹だそうでございますが、厚生省から木村さんあてにイサベル島で取り残された者はないかと文書で問い合わせが来たけれども、木村さんはセントジョージ島の残留組について知っているだけのことを回答しました。しかしその後、厚生省からは何の音さたもなかった、こういう記事が出ておるわけですよ。その当時の中村局長の話では、そのときの二月に初めて聞いたのだということとはずいぶん食い違っておりますが、この点はどうなのかということ。
 木村さんの話によりますと、横井庄一さんがいたグアム島よりもセントジョージ島のほうが、気候、食糧、水にも恵まれていて、生存条件はずっとよかったというようなことで、きっと生きているはずだということだそうです。それで「ガ島会」というのが二百四十人の方々で、二十九年二月二十七日、ガ島撤退の日を記念してつくられているそうでございますが、その中での話で、断然生きているはずだから、厚生省でぜひとも援護の手を差し伸べてもらいたいということで、三千名の署名の提出がなされたそうでございます。
 そういうことでございますが、この点その後どう処理されたのか、お尋ねをいたします。
○高木(玄)政府委員 昭和十七年の九月でございますか、ブーゲンビル島からガダルカナル島に進攻作戦を行ないました際に敵の空襲でやられまして、セントジョージ島でまた大発を修理してガダルカナル島方面に向かう途中、修復した船舶が全員を乗せ切れなかった。したがって二十七名をセントジョージ島に残して、必ず迎えにくるからということで、これは当時の歩兵第百二十四連隊でございますか、そういうことで去っていった。その後ついにそのセントジョージ島に迎えにいく機会もなく、また、その後セントジョージ島方面で戦闘が行なわれた形跡はございませんので、その二十七名の方々が、あるいはセントジョージ島で無事に生存しておられるのじゃなかろうか、こういうふうに帰ってこられた戦友の方々が申しておるわけでございます。
 この点につきましては実は厚生省も、三井金属株式会社があの方面で事業所を持って操業いたしておりますので、そちらのほうに調査を依頼いたしたのでございますが、その調査結果では、日本兵らしき者なしとの返事があったのでございます。
 しかしながらこの問題につきましては、関係の戦友の方々が非常に強く生存しているんじゃないかという気持ちをまだ持っておると言うておられます。そこで、本年ソロモン諸島遺骨収集団を派遣することにいたしておりますので、その際にセントジョージ島に捜索団を出したいということで、これはセントジョージ島関係の遺族なり戦友というのが福岡、長崎、佐賀三県におられるわけでございますので、そういった昔の戦友なり遺族の方々も参加していただきまして、このソロモン諸島の遺骨収集団の遺骨収集と並行いたしましてセントジョージ島の捜索を実施いたしたい。
 これにつきましては、この五月十八日に遺骨収集団が出発をいたしまして二十七日間向こうに参りますけれども、遺骨収集団のための入国の許可をイギリス政府に求めておりましたが、本日外務省から電話で、先方がこちらの申し出どおり了承したという御返事がございまして、予定どおり、五月十八日から六月十三日までソロモン諸島方面に遺骨収集団を出し、あわせて戦友、遺族等によるセントジョージ島の生存兵の捜索を実施いたします。
○大橋(敏)委員 しっかり効果のある捜索をお願いしたいと思います。去年の三月、NHKが同島を取材したとき木村さんも同行なさったそうでございますが、五日間歩き回ったそうでございますけれども、あの当時は無人島だったのが、いま二十戸ぐらいの村落があったそうでございます。また原住民の話では、元日本兵が舟に乗っていたのを見たとか、バナナを元日本兵にやったとか、そういうことを伝え聞いたとか、生存説を伝える方がかなりいたという話でございますので、その調査団の活躍を期待いたしておきます。
 それでは時間が参りましたので、いまの問題に対して大臣の決意をお願いします。
○齋藤国務大臣 先ほど援護局長から申し上げましたように、私も生存していると信じて、全力を尽くして捜索に当たりたい、かように考えておる次第でございます。
○大橋(敏)委員 それでは最後に、これは一方的に私がお話ししますので、よく聞いておっていただきたい。と申しますのは、直接厚生省の問題ではないのでこう申し上げるのですが、間接的といいますか基本的には厚生省が手を差し伸べなければならない問題でございますので、いまから申し上げますから聞いておっていただきたいと思うのです。
 終戦処理の中でも私は非常に重要課題だと考えているものに厚木航空隊の事件があるわけでございます。特に大臣にこの内容を深く御理解願って、積極的に御協力をお願いしたいということでございますが、実は終戦時首都防衛の主力部隊であった厚木航空隊の司令である小園安名という海軍大佐でございますが、これは終戦命令に従わなかったということで、わずか三日間ほどでございますけれども、上命に反抗したということで部下六十九名とともにとらわれの身となったわけでございます。二十年十月の十七日、横須賀鎮守府の臨時海軍軍法会議におきまして、その小園大佐は党与抗命罪という罪名をつけられまして無期禁錮、即日失官、また青年将校以下六十九名の方々は四年から八年以下の禁錮刑に処せられているわけでございます。
 その後恩赦とか、あるいは特赦ということで短期で出獄したものの、小園大佐は昭和二十七年の暮れ仮出獄をして三十五年の十一月に病没いたしております。この小園大佐は海軍軍人としての一切の名誉を奪われたまま、そのために軍人の恩給は支給されない。また六十名の方々も、もともと恩給資格はなかったのでございますけれども、いまも受刑者としての何らかの身分制限がつきまとっているということでございます。
 実は私も海軍軍人の一人であったわけでございますが、無条件降伏なんということはとても考えられませんでした。特に搭乗員の心境とすれば、われわれが死ぬことによって日本は勝つのだ、救われるのだという信念に徹しておりましただけに、無条件降伏はほんとうに信じられませんでした。したがいまして、上官から突っ込むぞと言われてみれば、きわめて自然的な気持ちで同乗したわけです。それだけに徹底抗戦の意気も盛んでございましたし、あの混乱の中におそらくいろいろな矛盾、不合理があっただろうと思いますが、その一、二を申し上げておきます。
 実は混乱の最中とはいえども、あまりにも矛盾あるいは不合理がある、不公平があるということで、その当時の部下あるいは関係者等がその後いろんなことを調べたわけでございますけれども、終戦時抗命罪に値するものは厚木航空隊だけではない。それは陸軍の終戦放送用の玉音盤の奪取将校、これは武力による実害あるにもかかわらず、自決をした人以外は全然裁判もなされないで釈放されているという事実がございます。また厚木と全く同様の抗戦組が陸軍の児玉基地、はっきり名前を申し上げますと宇木少佐、あるいは陸軍の狭山基地の山田少佐、海軍在台湾一三二航空隊、こういう方々はそのときはみごとに戦ったわけですね。抗戦組でございます。
 以上いずれも厚木と全く同じでございまして、八月の二十日過ぎまで抗戦行動をとったわけでございます。また第五艦隊司令長官でありました宇垣中将の例は、特攻として明らかに抗命であろうかと思いますが、これはりっぱな軍神として、現在なおその名は名誉として残っております。
 むしろ厚木の抗命というものは一切武力によっておりません。実害とか上官その他の殺傷等の行為もなされていないのでございます。また陸軍は武力による実害ある者も一切抗命裁判を行なわれておりません。ところが、極東裁判の場合を取り上げますと、刑期さえ終えれば何の後遺症も残らずに、同じ国事犯ながら、これに比べてはなはだ不公平であるということがいわれております。
 また終戦直後占領軍は日本の法律を総点検して存廃をきめ、治安維持法のごときはさかのぼって撤廃し、厚木抗命とは逆の、反国家、反天皇の重大犯人を一時に釈放しているではないかということ、あるいはまた厚木は最前線以上の激戦の連続でありまして、首都防衛の重責を痛感して一カ年半の期間に敵機を数百機も撃墜し、味方も二百名以上の戦死者を出しております。終戦直前の八月の十三、十四、十五日とも毎日戦死者が出ている始末でございました。十五日は玉音放送一時間前まで戦死者があるという事実が残っておりますように、もう戦って戦って戦い抜いておったわけです。
 それを瞬時に変節して洗脳せよと厳命して、時間を与えず無条件で――こうこうだこうと大詔再渙発を求め、あるいは連想しての行為であったと私は思うのでございますが、要するにいまのことをたとえて言うならば、新幹線の超特急列車を全速で走らせておいて、急停車を意図して即時停車しなかったとして厳重処分したのと全く同様である。終戦命令をすぐ受け入れれば戦死の危機からは即時遠のくのであって、しかるに、あすをも知れない自分の生命を投げ出して国を守らんとしたきのうまでの忠勇な軍人さんたちを、一転重大犯として失官させ、それまでの勲功を一切ゼロとしたことは不条理ではないか。
 そのほかずいぶんとあるわけでございますが、私の時間が参りましたので、この問題について厚生大臣も十分理解を深めていただいて、関係各省庁にむしろ呼びかけていただきたい。もうすでに総理大臣あるいは官房長官等も、この中身については十分御理解をなさっているやに伺っておりますし、その名誉回復運動も積極的に動き始めているところでございますので、何ぶんともよろしく私からもお願いする次第でございます。よろしくお願いいたします。
○齋藤国務大臣 この問題は、私が申し上げるまでもなく、敗戦という未曽有の事態に直面したときの混乱期における一つの事件でございます。司令は司令なりの覚悟を持っておやりになったことだと思いますが、特に司令の部下などにつきましては、司令を信頼し、あの混乱の中にああいう行動をしたということも十分理解できるわけでございます。これを処断した場合の軍事裁判のあり方等についても、とやかくの意見があるところでございまして、司令は別としてでも、その部下だけは何とかしてあげなければならない、私はそういう心境でございます。
 また司令の奥さんも、まだ生存されておるそうでございますが、その奥さんの身になってみれば、これも何とかしてあげなければならぬ、私はそんな気持ちでございますので、これは恩給法の問題でございますか、あるいは厚生省所管の遺家族援護の問題でいくべきか、いろいろ問題はあろうと思いますが、これは何としてでも解決していかなければならぬ問題ではないか、私はこういうふうに考えております。そのためにどういうことが必要であるか、それは別として、ほんとうにこれは何とかしてあげなければならない事態ではないか、こういうふうに考えておりますことを率直に申し上げて、お答えといたします。
○大橋(敏)委員 これで終わります。
○田川委員長 小宮武喜君。
○小宮委員 少しのどを痛めておりますので、声がちょっと聞き取りにくい点があろうかと思いますが、あしからず。
 現在ルバング島で小野田元少尉の救出捜索が行なわれておりますが、その見通しについて、まずお伺いしたいと思います。
○高木(玄)政府委員 ルバング島で昨年の十月十九日に事件が起きまして以来、直ちに政府派遣団をルバング島に出しまして、小野田元少尉の救出に当たらせているわけでございますが、いままで一次、二次、三次と三回に分けて救出派遣団を出しております。
 特にこの第三次派遣団につきましては、二月の中旬から今月の中旬まで二カ月にわたりまして、延べ八十名に近い人員を繰り出しております。肉身の方はもちろんのこと、学校時代の友だち、あるいは軍隊時代の友だち、こういった人で、小野田少尉をよく知る人々に協力を求めまして実施いたしております。しかも、この第三次派遣団を出しますにあたりましては、この島に現実に行かれた方の御意見が大体そうなのでありますが、意外と島が広くて、また木が密生しておるというようなところがございまして、小野田少尉自身が出る気持ちになってくれなければ、実際問題、物理的な力を用いてさがし出すということは、なかなかむずかしいところでありますので、特に特殊な立場に置かれております小野田さんの心境、気持ちの動きというものに合わせた捜索法をやらなければいかぬのだということで、一流の心理学者にお集まり願って、救出の具体的方法についても御検討願ったわけでございます。
 そういった方法に基づいて二カ月間にわたって捜索を実施いたしておりますが、今日に至るまで小野田少尉の消息は全くつかめず、また小野田少尉の生活の根跡も見つからないという状況でございます。捜索活動はこの十五日まで行なわれまして、ただいま新聞等に報ぜられておりますが、いわば捜索の最後の切り札として小野田さんの年とったおとうさんにも出て呼びかけてもらっております。しかし残念ながら、毎日期待してやっておるのでございますが、小野田少尉発見の知らせが全然まだ入ってきていないという状況で、捜索ももう最終段階に入りますので非常に心を痛めている、こういう状況でございます。
○小宮委員 十五日までで捜索を打ち切って、今後の方針としてはどうしますか。
○高木(玄)政府委員 この捜索につきましては、派遣団長が二十一日に帰ってまいりますので、その派遣団長の復命を聞きまして判断したいと思いますが、このルバング島の小野田少尉の救出につきましては、正直なところ、率直なところ、もう打つべき手は全部打ったという心境でございます。方策は全部尽くしたという感じでございます。ここまでやって出てこないという事態をどう判断するか、これは派遣団長の帰国を待って、よくその意見を聞いてきめたいと思っております。
○小宮委員 戦没者の遺家族の中には、横井さんの問題、今回の小野田さん、小塚さん、こういったこと等によって、まだまだほかの地域にもこういうような生存者がいるのではないかというような期待感が非常に強まってきたことは事実なんです。そこで、先ほどもちょっと話がありましたけれども、こういうような元日本兵の生存に関する情報は現在どれくらい入っておりますか。先ほどセントジョージ島か何かの話はありましたけれども、それ以外にもそれらしい情報はどれくらい入っておりますか。
○高木(玄)政府委員 いわゆる生存兵情報というものが入っておりますのは、まずグアム島がございます。グアム島につきましては、昨年一月に横井さんが見つかったのでございますが、そのとき地元の警察の方――この社労委員会にも当時来られましたが、地元の警察の方がなお日本人がいるということでございましたので、厚生省の職員を派遣しまして、グアム島のジャングル地帯を地元の警察と協力して一カ月間捜索したのでございますが、その一カ月間の捜索では、なお生存兵がいるということは確かめられませんでした。しかしそういった情報がある地域として、グアム島は現在マークしております。
 それからエンダービー島というのがございまして、これは中部太平洋のトラックの近所でございますが、復員のときにエンダービー島から復員の船が出るというので、みな部隊が日を定めてカヌーに乗ってそこに集結したのでございますが、その際に五名乗せた一隻のカヌーがついに到着しなかった。当日は非常に波風が穏やかな日であったので遭難したとは思えないということで、戦友の方がなお生きているのじゃないかという気持ちを持たれたのでございますが、この点につきまして、昨年中部太平洋、マリアナ、カロリン諸島方面の遺骨収集を行ないました際に、戦友の方にも行ってもらいまして、エンダービー島の生存者の捜索をやりました。その結果、まずエンダービー島には生存者はいないというふうに断定いたしてよい、そういうふうに考えております。
 それから先ほど申しましたセントジョージ島、これはソロモン諸島でございます。が、これは先ほど大橋先生の御質問にお答えしたとおりでございまして、近く、これについても生存兵情報がございますので、捜索団を出すわけでございます。
 そのほか生存兵情報がありますのは、フィリピンのミンダナオ島、それから西イリアンの元ホーランジアといった山の中に生存兵がいる、こういった情報がございます。これらにつきましても、本年から明年にかけましてフィリピン、あるいは東部ニューギニアに遺骨収集団を出しますので、それらの生存兵情報を収集しつつ、その遺骨収集団を出すときに並行的に調査なり捜索を進めたい、かように考えております。
 現在私どもが承知しておる生存兵情報は大体そういったところでございます。
○小宮委員 遺骨収集団が行く場合に調査をするとか、たとえばさっきのセントジョージ島ですか、ここでは三井金属か何かに依頼した、そういうような消極的な考え方ではなくて、これは先にも触れますけれども、三井金属に調査を依頼してみたって、ほんとうに真剣にやったかどうか、それはわかりません。だからその意味では、やはり一刻も早く――その情報もいま入ったわけではなくて、以前から入っておる情報なんですね。であれば、いまから遺骨収集のなにが行くから、また派遣する用意をしておるから、その際にやろうというような、そんなゆうちょうなことは私は許されないと思う。
 やはり厚生省として、罪の償いというか、戦争というものがだれの責任かどうかということは申しませんが、少なくともそういうような情報が入ったならば、もう厚生省としては、さっそく人を派遣して調査をするというような積極的な捜索をやっていただかぬと、もう何年前からのそういう情報でありながら、来年遺骨収集団を派遣するから、そのときにやりましょうとか、そういうようなことでは、もしかりに生存しておっても、それまでになくなる方もいるかもしれないのですよ。そういうような非人道的な行為は厚生省としては許されぬと思うのですよ。やはりもっと積極的にやるべきだと思うのです。その意味では、いまいろいろ述べられましたが、こういうような情報にしましても、私はやはり積極的にさっそく手を打つべきだ。そしてまた、向こうから情報が来た、それによって厚生省はこういうふうな情報がのりますというような受け身の立場ではなくて、元日本兵が生存しておるという情報はないかというような、むしろ積極的な情報収集を厚生省としてはやるべきではないのか、私はこう思うのですが、大臣どうでしょうか。
○齋藤国務大臣 小宮委員の御意見をごもっともだと承りました。私どもはそういう離れた島にあるいは生存しているかもしれないという情報があれば、何かの理由と一緒にたずねていくというここではなくて、やはり積極的に捜索に行く、これは和はやはり筋だと思います。同じ日本人の兵隊さんとして、ああいう孤島で苦しんでおられた方々、二十数年もたった今日でございますが、その御苦労というものはわれわれは忘れてはならぬ、かように考えております。
 私の心境としては、いつも言うのですが、草の根分けてもお帰りいただく、こういう気持ちがなくてはならぬ、かように考えておりますので、いまの御意見のように、今日まではおしかりをいただきましたように多少消極的であったかもしれませんが、今後は積極的にそういう方面に努力をいたすことをこの機会にはっきりとお約束申し上げておきます。
○小宮委員 したがって、せっかくの厚生大臣の前向きの答弁ですから、その意味では現在生存者がいると思われる情報が入っておるところも、やはり早急に派遣をして確認をするということをしなければ、遺族の方々はたまらぬと思うのですよ。その点がどうも援護局のほうはあと始末のほうが本来の仕事のように思って、どうも終戦処理だけに頭が向いておるんじゃないか。むしろそういったことよりは、生存者がおるという情報が入ったならば、すぐに行って確かめる。そのための費用は九蔵省あたりにどんどん要求して――大蔵省はまさか石頭でかちかちしたような人ばかりおらぬと思うのです。
 先ほども大蔵省はたいへんほめられたようだが、厚生省が要求すれば、いろいろな原爆の予算にしても、援護局の予算にしても、厚生省と大蔵省の折衝の中では、大なたをふるってばっさり切ってみたり、ここに来ればえらいもののわかったような言い方をしておるけれども、そういうような意味では、やはりこういった予算こそ、これは大蔵省だって人道的な立場から削減するということはないと思うので、どんどん要求して、やはりこういった問題と取り組んでもらいたいと思います。
 それと同時に、この遺骨収集はどうなっておるのか。これは厚生白書を見ますと、先ほどの話によりますと、ここで遺骨収集は「四十二年度から新たな計画のもとに遺骨収集を実施している。この計画により実施した地域および実施を予定している地域は次のとおりである。」こういうふうなことで、四十二年から四十七年まで全部書いてありますね、実施地域も。
    〔委員長退席、竹内(黎)委員長代理着席〕
さっきのお話では、遺骨収集団をソロモン島ですか、そこにやるというような話だったのですが、この中にはもうソロモンがすでに入っています。遺骨収集はこの計画どおり実施されておりますか。
○高木(玄)政府委員 遺骨収集は、昭和二十八年講和発効後直ちに遺骨収集に取りかかっておりますが、いままではこの二十八年から三十三年まで最初の五カ年計画、それから四十二年度から四十六年まで第二回目の五カ年計画、こういったことで遺骨収集を実施したのでございますけれども、十分ではございませんでした。従前の遺骨収集の経費というのは一千万台あるいは二千万台ということであったわけです。しかし、昭和五十年には戦後三十周年を迎えるわけでございますので、遺骨収集がいつまでもいまのような状態ではいかぬというので、四十八、四十九の二年度にもう一ぺん徹底的に遺骨収集をやってみたいということで、本年度予算におきましては遺骨収集に前年度予算の十六倍を上回る経費を計上いたしまして、全部で二億三千万の、初めて億の大台に乗った遺骨収集費を計上できた。
    〔竹内(黎)委員長代理退席、委員長着席〕
この遺骨収集費によりまして、本年度はフィリピン、東部ニューギニア、ソロモン諸島、マリアナ諸島、中部太平洋、沖繩、こういった地域について遺骨収集を実施いたします。そして明年度は西イリアン、フィリピン、ビスマーク諸島、ボルネオ、インドネシア、中部太平洋、沖繩、こういった地域について遺骨収集を実施いたします。
 ただ相手国の事情で遺骨収集ができないところがございます。たとえばインドとかビルマ、これは相手国の国内事情によりまして遺骨収集団が入れません。こういった地域が残りますけれども、それ以外の主要戦域につきましては遺骨収集というものを、終戦三十周年を迎える前に、この四十八年、四十九年の二年かけて強力に実施したいということで取り組んでおるわけでございます。
○小宮委員 いままで大体遺骨収集で何体くらい収集しましたか。これまでの総合計ですね。
○高木(玄)政府委員 いままで遺骨を国内にお持ち帰りしましたのが百四万八千八百三十七体でございます。
○小宮委員 沖繩については今年度行なうわけですか。
○高木(玄)政府委員 今年度、明年度二カ年続いて行ないます。それができなければ五十三年に持ち越してでも沖繩の遺骨はきれいにいたします。
○小宮委員 この前、沖繩の場合は厚生省としては、防空壕とかそういうような中は別として、大体地方には遺体はない、遺骨はないということを表明しておったわけですが、その後日本青年奉仕協会が行ったところが、わずか二週間で六百体の遺体を見つけたということで、どうも厚生省の言っておることは信用ならぬ。だから防空壕だとかいろいろなそういう中にはあるけれども、地方にはないということを言いながら、民間の奉仕隊が行って調査したところで二週間で六百体も発見された。その遺骨を持ってきたということが報道されておるわけですが、厚生省はあまりにもお義理的な、全く誠意のないやり方じゃないかということを私感ずるのです。
 従来はいろいろな問題があったかもしれません。しかし、沖繩がもうすでに返還されて、わが国の施政権が及んで沖繩県ですから、もっと徹底的に、一刻も早く、少なくとも国内の沖繩においてそういうような遺体が一体でも残るということがないようにやってもらいたい。やはりことし、来年といわずに、一刻も早く徹底的な遺骨の収集をやってもらいたいと考えますが、所見を承りたいと思います。
○高木(玄)政府委員 先生の言われた日本青年奉仕協会、この方々が先般厚生省にも来られまして、よくお話を聞きました。そして沖繩の遺骨収集につきましては、いろいろな経緯がございますが、沖繩の復帰後は遺骨収集は厚生省の所管になりました。したがいまして沖繩の遺骨につきましては、これは徹底的にきれいにいたします。
 昭和四十八年度に、先ほど申しました予算の中で沖繩遺骨収集費は二千七百万円ございます。これは外国と違って国内でございますので、むずかしい手続も要りませんので、ことしこの金で着手しますし、できない場合にはさらに来年継続して予算を計上して実施いたします。
○小宮委員 局長、大体遺骨収集費が少ないのじゃないですか。たとえば沖繩はさておいても、海外で遺骨収集をする場合に、厚生省の予算というものは非常に少ない。だから問題が起きた例を一つ提起しますね。
 というのは、これは昨年の十月十五日から約一カ月間にわたって厚生省が遺骨収集を行なったミクロネシアのパラオ・アルモノグイ島のマルソル酋長から、毎日新聞社あてに、日本の厚生省は約束を守ってくれない、今後の遺骨収集には絶対協力しないという、怒りにも似たような抗議の伝言があったと四月六日付の朝刊に大きく報道されておるのです。したがって、こういうような抗議を受けるような事実があったのかどうか。ちょっと実情について説明願いたい。
○高木(玄)政府委員 このパラオ諸島の遺骨収集につきまして、先生、いまお話しになりましたように、新聞記事が出ておりますが、あの記事の内容どおりでございますと、これはきわめて遺憾なことでございます。そこで、当時の派遣団の団長以下関係職員に聞きましたところ、このマルソル酋長が東京に参りまして、私どもの遺骨収集の関係の課長が二回にわたって会っておりますが、その際、話し合いましたことは、酋長から、日本政府が遺骨収集のために来島することを歓迎する。そして、それについて諸般の受け入れ準備をしておくということでございましたので、何ぶんよろしくということは申しましたけれども、その際に労務賃の話は全然出ておりません。これは双方とも日本語で話しておりますので、ことばの行き違いということは全然ございませんで一時間一ドルというような労務賃の話は全然出ておりません。
 それから、遺骨収集団が現地に行きまして、酋長から直接、この道路建設に伴う労務賃の請求は受けた事実はございません。ただ、この遺骨収集団が現地に参りましたときに、確かにジャングルの中に道が切り開かれておりまして、その導入路を利用することによりまして、遺骨収集に非常な便益を受けたのは事実でございます。また、その導入路につきましては、相当な作業量であったろう、島民の相当な労働力であったろうということは十分に評価できます。
 あのような記事になりましたのは、一体どういうことになっておるのか、何らかの行き違いがあったのじゃなかろうか、かように考えております。
 そこで、そういった事実関係の調査をまずしなければならぬだろう、そして調査の結果、もし支払うべきものであるならば支払わなければならぬ、これはもう当然のことでございます。そこで、今月の末ごろ、先ほども御答弁申し上げましたが、ことしはサイパン島に日本政府の慰霊碑をつくる計画を持っておりますので、その関係の調査のために、私どもの課長がサイパンに出張する予定になっておりますので、その課長にパラオ島に回ってもらいまして、パラオの支庁の責任者、それからそういった酋長の方々等関係者の話をよく聞いて事実関係を調査したいと思います。調査の結果支払うべきものと認定しましたら、その場で払ってまいります。
 いずれにいたしましても、そういう措置を近いうちに講ずる、こういうふうに考えております。
○小宮委員 局長ね、その金を支払う約束をしたとかしないとかいう問題は、さておきます。
 この場合に、去年八月二十日ごろ、マルソル酋長は日本に来られて、援護局の石田業務第一課長、それから西村調査課長を訪れて、ジャングルには多くの元日本兵の遺骨が散乱しておるので、一日も早く収集して日本に帰してあげてください。そう熱心に訴えて、さらに、元日本軍の陣地は部落から非常に遠く、ジャングルにいまはおおわれてしまっておる。したがって、日本の収集団が来るまでには新しい道もつくっておきましょうというような積極的な、協力的な態度を申し出ておるわけです。
 厚生省としては、そういうようなマルソル酋長の熱意に動かされたかどうか知りませんが、それから二カ月後に遺骨収集団を編成をして行ったわけです。その場合に、厚生省にマルソル酋長を連れてきて案内したお寺の住職さんの話によれば、そのお寺の住職さんもそのような金の問題についても念を押したということを言っておられるわけです。しかし厚生省のほうとしては、金の問題は約束した覚えはない。ただ好意的にそういうような話があったので、われわれはそのおことばに甘えた、金の話はしてなかったから、われわれとしては払う必要はないのだ、こういうふうなものの考え方、だから、私はそう言ったか言わぬかということを突き詰めていけば、いろいろな証人も呼ばなければいかぬだろうし、そこに文書を取りかわしておらぬから水かけ論になるかもしれぬけれども、私は問題はそういうようなことではない。
 少なくとも、そういうふうに協力してくれた人たちが、酋長がいまどうしているかというと、部落民の人たちがジャングルの中で道もつくった、ただ働きをさした。そして遺骨収集にあたっても、十日間にわたって重労働の仕事をやらして協力してもらった。それに対して厚生省は応分のお礼をしたとか謝礼をしたと言っておるけれども、ジュースを一本飲ましたとか、コーラを飲まして、それが謝礼といえますか。非常識もはなはだしいです。こういうような思想、元日本軍が原住民を徴発して、ただ働きさしたような思想が、厚生省自身にいまもその考え方が残っておるのではないかと言いたい。いまごろ、原住民であろうと、ただ働きさして、ジュースかコーラを飲まして、応分のお礼をしましたというような、そういうセンスそのものが私はおかしいと思う。
 いま、たとえば局長あなたが家移りをする場合でも、同僚の職員が加勢してくれたら、あなたは、御苦労さんでしたということで、晩にはやはりビールか酒、さかなくらいは飲まして、食わして、ありがとうございましたぐらい言うでしょう。それで一人頭幾らになりますか。いま酋長は部落民の間に立って困っておる。だから、こういうような事実を訴えておる。そういうような意味で大臣どうでしょうか、こういうような厚生省のセンスそのものが私は問題だと思うのです。いままでの遺骨収集団においても、なるたけ経費がかからぬように、だれか遺骨収集に行く場合にことづけて、ひとつさがしてもらえぬかというようなあり方、先ほど援護の何か報酬でもって五百円の問題がありましたが、五百円どころじゃない。こういうような問題について、大臣あなたはどう思いますか。
○齋藤国務大臣 私も実は新聞を見ましたわけでございますが、その当時行かれた方々については、私はやはりいろいろな行き違いもあったと思います。そういうことは私は、金を要求した、しなかったジュースを出せばいいのだとか、言ったとか言わないとか、そういうことから離れまして、現地の方に道路を開発していただいたとか、そのほかの御協力をいただいたことは、日本政府としては感謝すべきことであると私は思います。率直に私はそう思います。言うたとか言わなかったとか、そういうことは一切別にしまして、厚生省の行かれた方は、そのときはそのときのいきさつで、そういうことになっておるのでしょうが、そういうことを離れまして、現地の方に感謝の意を表する、これは私は当然やるべきことだと思います。
 そういう意味合いにおいて、近く向こうに行く方もおりますので、向こうに行きまして、向こうの気持ちも十分くんで、ただ金を払えばいいというものでもないと思うのです。向こうの人々に対してどういうような感謝の意を表したらいいのか。あのとき十人出たのだから、一人一万円で十万円払えばいい、こういうものでもないでしょう。やはり向こうの人が一生懸命暑いところを道路を開いたり、いろいろお手伝いをしていただいた、それに対する感謝の意を込めたあいさつは、何かすべきであるというふうに私は考えております。
 したがって、その後援護局長にも、十人働いたから十万円だというふうな形式的なことではなくて、たとえば、これは架空の問題でございますが、部落のほうで公民館を建てたいと思うとか、こういうことなら、その公民館のほうに少し寄付したらどうだろうとか、いろいろあると思うのです。日本人などはいろいろ感謝の意を表しますときには、それでは公民館に寄付しましょうとか、いろいろあると思いますが、しかしこれは向こうに当てはまるかどうかわかりません。ですから率直に、向こうの方々の御意思も十分にくんで感謝の意を表すやり方を講じまして、こうしたことのないように今後いたしたいと思います。どうかその点を御理解いただきたいと思います。
○小宮委員 いま大臣が言われるように、これからも各地域で遺骨収集を行なわなければならない段階にあるし、こういうような問題が広がりますと、それは原住民の人だって積極的に協力するという意欲を失います。それは今後の遺骨収集に非常に大きな支障を来たすということになります。私はそればかりではないと思うのですよ。これはやはり日本と、そういうような国々との間の友好親善の意味からも、これは大きな問題だと思うのです。
 だから、約束したとかしないとかという問題ではなくて――しかし、向こうは要求したと言っておりますが、それはここでは、もうとやかく言いませんけれども、とにかくやはりそれ相当のお礼をするのは常識なんです。しかも、向こうではこの問題は、サイパン政庁のパラオ支庁も調査に乗り出すということも出ておるし、したがって、この場合については、むしろこちらが何か遺骨収集に行ったときどうこうじゃなくて、やはりアルモノグイ島民のわが国に対する不信感を解消するためにも、大臣が直ちにマルソル酋長に対しても遺憾の意を表するとともに、向こうが道路をつくった労務者の賃金、船のチャーター代、これは千百十八ドルといわれております。旧円レートでもわずか三十四万円です。三億四千万じゃないのです。これくらいの金は大臣、ひとつ向こうの要求どおりに――向こうが公民館を建てるのに寄付するとかなんとかいうような考え方でなくて……。
○田川委員長 御静粛に願います。
○小宮委員 向こうの酋長が要求するそういうようなとおりにしても三十四万円ですから、ひとつここで大臣が決断と実行で、向こうの酋長に対しても、やはり遺憾の意を表するとともに、要求どおりにこの金を直ちに支払うようにされたらどうですか。
○齋藤国務大臣 ですから、私が申し上げておりますのは、いま日本でいえば、こういうようなこともある。そこで向こうは向こうなりの風習もございましょうから、金でお礼をしたほうがいいというのか、どういうふうにしたらいいのか。それは現地の方々の御意見も承ったほうがいいと思うのです。三十四万円払えばいいというものではないと思うのです。
 ですから、これは日本政府として現地の方にいろいろお世話になった、その感謝の意が向こうに理解できるような方式で、三十万が四十万でもいいと思うのです。金の問題じゃないと思うのです。そういう意味において感謝の意を表する形式その他についても、向こうの方の御意見も十分承って必ず解決いたします。はっきり申し上げておきます。
○小宮委員 これはひとつぜひいま言われたように、向こうの意向も聞いて、やはりそれ以上のものを大臣として、直ちに実行していただくということをお願いしておきます。
 それから今回の援護法案では、先ほどからもいろいろ質問が戦争犠牲者については出ております。そこで、この援護法案で軍人軍属とか動員学徒とか徴用工員等の戦争犠牲者は対象にされておるわけですけれども、しかし、御存じのように内地におっても、空襲によってなくなられた方もおりますし、あるいはたとえば沖繩から鹿児島に疎開する場合に触雷して沈没してなくなられた方もおります。あるいは艦砲射撃でなくなられた方もおります。そういうような意味では、戦争犠牲者という意味において、戦闘員であろうと非戦闘員であろうと、私は同じだ、変わりはないと思うのです。
 したがって、この戦争犠牲者に対しても、先ほどからも各委員から、るるここまで救済すべきだということが言われておりますけれども、私も全く同感でありまして、この戦争犠牲者に対しても、何らかの救済措置をすべきだというように考えますが、もう一度ひとつ大臣の所見を聞いておきたいと思います。
○齋藤国務大臣 あの戦争におきましても、一応国民がある意味ではみんな戦争の被災者であると思います。そうした中にあって、この問題をどう解決していくか。そこで援護法というのが先ほど来述べておりますように、国との関係においてそうした身分関係を持った方々について援護しようということでございまして、一般の方々の問題は別個の問題として処理すべきものではないか、私はこういうふうに考えておる次第でございます。
 お尋ねのお気持ちは私も十分理解しております。しかし一応国民が全部被災者として受けた戦争でございますから、その点については援護法とは別個の問題として処理せらるべき問題ではないか、こういうふうに私は考えております。
○小宮委員 たとえば引き揚げ者はどういうふうな意味で補償したのですか。引き揚げ者に対しても一時交付金をやっていますよ。これはどういうふうな意味でやったのですか。やはり戦争犠牲者という意味でしょう。いかがですか。
○高木(玄)政府委員 海外引き揚げ者につきましては、敗戦ということによりまして内地に帰国を余儀なくされた、しかも多年にわたり外地で築いてまいりました生活基盤、財産、そういったものを一切残して裸で引き揚げてまいったという状況でございますので、これに対していろいろと援護の措置も講じましたし、おっしゃいますように、交付金も出しております。
○小宮委員 海外であろうと内地であろうと、生活基盤を失った、また財産も全部焼失した、このことは空襲においてでも同じなんです。だから海外だけというようなことでは、私はやはり戦争犠牲者という立場からこれはとらえるべきであって、そういうような意味では海外であろうと内地であろうと一緒だ、特に去年の四月一日からは、自然災害でなくなられた方々に対しても国が五万円の弔慰金を支払うような議員立法すら成立しておるのです。ましてや戦争犠牲者に対して、そういうふうな一般の人たちと同じように――それは災難だから、あなたたちはしようがないのだ、あきらめなさい、そういうふうな冷たい考え方は現在通用するかどうか。現在すでに自然災害の人たちに対してまで五万円の弔慰金を支給するような制度さえできておる。
 これは大臣も、警防団員の問題についても、はっきり四十九年度から準軍属として援護法の適用を行なって予算化するという非常に前向きの姿勢を示されて、この問題も解決したわけですが、この戦争犠牲者というのは……。
○田川委員長 御静粛に願います。
○小宮委員 むしろ軍人軍属、こういうような人たちより、その巻き添えを食って戦争の被害を受けてなくなった人たちに対してこそ、国が救済の措置を講ずるのは、私は当然だと思うのですよ。自分たちだけ受けて、非戦闘員の一般国民、罪もない国民が被害を受けてなくなった、おまえたちのことをおれは知らぬぞ――むしろそういうふうな人たちにこそ国は救済の手を差し伸べるのが当然じゃないですか。それでこそ国は罪滅ぼしにもなるし、そこまでまた大臣が言うと、戦争責任はどこにあるのかということまで言いたいので、そこまで言いませんから、やはりこの問題はもっと前向きにひとつ大臣、来年くらいは何とかしましょうと踏み切りませんか。どうですか。
○齋藤国務大臣 戦争によって家を焼かれ、生命を落とされた方々、ほんとうに私もお気の毒な方々ばかりだと思っております。戦争中はこういう事態に備えまして、戦時災害保護法というものを制定いたしておったわけでございまして、もちろん、いまになってみれば、それで十分であったとは言えないと思います。しかし、それなりの手当てはいたしてまいったつもりでございます。しかし、もう戦後三十年になんなんとする今日でございますので、いまこの実態を調査いたしまして、命をなくされた方、うちをなくされた方、移転をされた方、けがをされた方、みんなこれを拾い集めて、実態を調査するということも困難でございます。
 そういうふうな意味合いにおいて、来年あたり何とかという、そう言われるお気持ちは私もわかります。私もわかりますが、いまの段階で、そうした全国の罹災者に対して、援護の法律をつくれと言われましても、いまのところ相当困難な状態にあるのではないかと私は率直に申し上げたいと思います。
○小宮委員 大臣、いまの法律体系の中でどうこうということをいつも言われるのですが、法律は人間がつくるのですよ。国会がつくるのですよ。だから、いまある法律が万能ではないし、永久不変のものでもないのです。だから、大臣がほんとうに、やはりその戦争犠牲者を救おうと思えば、何とか救済しようと考えれば、やる気があるならば、ひとつ来年くらいは法律改正をやるか、たとえば援護法の適用をするか、来年、警防団員あたりをこの援護法の中に一項を追加するのだから、それでただし書きで入れればできるわけだから、その場合に、国会では反対する人は一人もおりませんよ。
 だから、もっと――いつもそういうようなことで大臣は逃げられるわけですが、しかし私は大臣の手腕を高く評価しております。それで、いま調査するのが非常にむずかしいとか、そういうような事務上の繁雑のために、こういう大きな問題に取り組もうとしないというようなその姿勢については、やはり問題を感じます。ほんとうに救済しようという精神に立つならば、そういうような事務上繁雑であろうと、やはり私は取り組むべきだと思うのです。
 それではどうでしょうか、空襲でなくなられた人、あるいは機雷に触れて船が沈没してなくなられた人、あるいは艦砲射撃でなくなられた人、こういうような犠牲者はどれくらいおりますか、局長。
○高木(玄)政府委員 この一般の戦災による死没者等の調査につきましては……。(小宮委員「原爆被爆者を入れて」と呼ぶ)昭和二十三年の五月現在ということで、経済安定本部で調べたのがございます。
 これは昭和二十三年五月現在、経済安定本部調べでございますが、それによりますと、死亡者は二十九万九千四百八十五、空襲被害二十九万七千七百四十六、艦砲射撃その他の被害、一千七百三十九、それから負傷者が三十四万四千八百二十、空襲被害が三十四万三千三百二十三、艦砲射撃その他の被害が一千四百九十七、こういう、終戦後三年たって経済安定本部が調べた資料がございますが、そのほかにはちょっと資料の持ち合わせがございません。
○小宮委員 どうでしょうか、大臣、障害年金とか、その年金のことまでは私も言いませんから、こういうような人たちに対して弔慰金という名目か、特別給付金という形か、そういうようなことで、一時金という形でもけっこうですから、何かひとつ救済措置を考えられぬですか。年金の問題は言いません。どうですか。
○齋藤国務大臣 小宮委員の仰せになることでございますから、私は何でももうすぐイエスと返事したいのでございます。イエスと返事したいのでございますが……。(「小宮委員だけか」と呼ぶ者あり)小宮さんばかりではございません。皆さん方の御意見に対しましては、十分傾聴いたしておりますから……。(「いまのは失言だ」と呼ぶ者あり)取り消しておきます。でございますが、先ほども申し上げましたように、一応国民は何かしらの被害を受けているわけでございますので、いま二十八年前にさかのぼって、どうのこうのという調査をすることも実際困難だと思うのです。
 私は、事務的な仕事が煩瑣であるからということで逃げるのでも何でもございません。みんな何かしらの被害を受けております。そういうような実態の中で、いまこれを調べて、こういうふうな法律をつくって援護をしたほうがいいのかどうか。これはやはり相当考えなければならぬ問題だと私は思うのです。普通のことでございますと、たいてい私も聞きます。でも、これだけは、すぐイエスと返事のできないことは、私も遺憾だと思いますが、どうかその点は御理解を賜わりたいと思います。
○小宮委員 まあ大臣が聞くまで、毎年この問題は、あなたが大臣をしておる間、いつもいじめ抜かれると思いますから、それは覚悟しておってください。しかし、そろそろ――そこまでいかぬでも、大臣のことですから、十分われわれの言うことは理解しておられると思いますし、何らかの措置を講じてくれるものと期待しておりますが、まあひとつ特に再検討、再考をお願いしたいと思います。
 それからもう一つ、これも質問に出ていたようですが、動員学徒の問題については、援護法の適用は受けておりますね、準軍属として。しかし、旧長崎医科大学にしても、広島にしてもそうですが、やはり原爆によってなくなられた大学の学生、こういうような人たちも、実際を言えば、動員学徒と全く内容は変わらないのですね。特に戦時中ですから国の要請で、教育訓練即勤労に従事しておったわけですから、そういうような意味において、こういうふうな旧長崎医科大学の、原爆によって爆死された学徒、あるいは広島でもそうですが、そういうような人たちも動員学徒と同じような取り扱いをして、やはり援護法の適用をすべきであるというふうに、私は特に大臣に言いたいのですが、どうでしょうか。
○齋藤国務大臣 私は、率直な気持ちから申しますと、長崎医科大学の学生並びに看護婦養成所の生徒でございますか、私は、援護法の適用によって、何とか救ってあげたい、こういう気持ちを持っております。しかし、それも現実的な法律の中で解決するとなりますと、多少そこに問題があるわけでございます。すなわち防空法の中に、医療関係従事者としまして、医師、薬剤師というふうにはっきり明示しておった関係もあります。しかし、この人たちが現に長崎医科大学の学生として勉強しながら防空の救護に従事しておったというふうな実態等もございます。
 そういうふうなことでございますので、この学生さんや看護婦の生徒さんたちが戦争中どういうふうな救護の事務に従事しておったか、そういうふうな実態をもう少し研究いたしまして、そうしてこの旧防空法との関係をどうやって調整していくか、そういう問題を解決いたしたいと考えておりますので、その問題の解決のために、しばらく時間をかしていただきたい、かように考えておる次第でございます。私の気持ちは、何とかしたいという気持ちには変わりはございません。
○小宮委員 やはりあやまちを改むるにはばかるなかれということがありますから、大臣は、ほんとうにやろうと思えば現行法がどうだとか、ああだとかいうようなことにこだわらぬで、適用しようと思えば、それを改正してでも、やはり適用をする方向で、大臣の今後の善処方を特にお願いしまして、私の持ち時間がちょうど来たようですから、これで質問を終わります。
○田川委員長 これにて本案についての質疑は終了いたしました。
    ―――――――――――――
○田川委員長 ただいままでに委員長の手元に、竹内黎一君、川俣健二郎君、大橋敏雄君及び小宮武喜君から、本案に対する修正案が提出されておりますので、その趣旨の説明を聴取いたします。竹内黎一君。
 法律による改正後の戦没者の父母等に対する特
 別給付金支給法第三条、第五条第一項及び附則
 第二項の規定並びに附則第三条及び附則第五条
 の規定は、昭和四十八年四月一日から適用する。
 附則第四条を附則第五条とし、附則第三条の次
 に次の一条を加える。
 (戦傷病者特別援護法の一部改正に伴う経過措
 置)第四条 この法律による改正前の戦傷病者特別援
 護法第十八条第二項の規定に基づき昭和四十八
 年四月以降の分として支払われた療養手当は、
 この法律による改正後の戦傷病者特別援護法第
 十八条第二項の規定による療養手当の内払とみ
 なす。
    ―――――――――――――
○竹内(黎)委員 ただいま議題となりました戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案に対する自由民主党、日本社会党、公明党、民社党の四党共同提案にかかる修正案につきまして、四党を代表いたしまして、その趣旨を御説明申し上げます。
 お手元に修正案が配付してありますので、朗読は省略させていただきますが、その要旨は、本法律案中、昭和四十八年四月一日施行となっております戦傷病者特別援護法による療養手当の改正規定、戦没者等の妻に対する特別給付金支給法の改正規定並びに戦没者の父母等に対する特別給付金支給法の改正規定につきましては、これを公布の日から施行し、昭和四十八年四月一日から適用することとするほか、これに伴い所要の規定を設けることであります。
 何とぞ、委員各位の御賛同をお願いいたします。
○田川委員長 修正案について御発言はありませんか。――御発言ないものと認めます。
    ―――――――――――――
○田川委員長 これより戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案及びこれに対する修正案を一括して討論に付するのでありますが、別に申し出もありませんので、直ちに採決に入ります。
 まず、竹内黎一君外三名提出の修正案について採決いたします。
 本修正案に賛成の諸君の起立を求めます。
    〔賛成者起立〕
○田川委員長 起立総員。よって、本修正案は可決いたしました。
 次に、ただいまの修正部分を除く原案について採決いたします。
 これに賛成の諸君の起立を求めます。
    〔賛成者起立〕
○田川委員長 起立総員。よって、本案は修正議決すべきものと決しました。
    ―――――――――――――
○田川委員長 この際、竹内黎一君、川俣健二郎君、大橋敏雄君及び小宮武喜君から、本案に対し、附帯決議を付すべしとの動議が提出されておりますので、趣旨の説明を聴取いたします。川俣健二郎君。
○川俣委員 私は、自由民主党、日本社会党、公明党、民社党の四党を代表いたしまして、本動議について御説明を申し上げます。
 案文を朗読して説明にかえさせていただきます。
  戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案に対する附帯決議
  政府は、次の事項につき、格段の努力を払うべきである。
 一 国民の生活水準の著しい向上にみあつて援護の水準をさらに引き上げ、公平な援護措置が行なわれるよう努力すること。なお、戦没者遺族等の老齢化の現状にかんがみ、一段の優遇措置を講ずること。
 一 戦傷病者に対する障害年金等の処遇については、さらにその改善に努めること。
 一 戦後二十数年経過した今日なお残されている未処遇者について、早急に具体的な解決策を講ずること。
 一 生存未帰還者の調査については、さらに関係方面との連絡を密にし、調査及び救出に万全を期すること。
 一 遺骨の収集については、さらに積極的にこれを推進すること。
 一 旧防空法に基づき、命令を受けて防空に従事した警防団員及び医療従事者を、昭和四十九年度に必ず準軍属として措置することとし、あわせて所要の予算措置を講ずること。
 一 特別支出金の支給をうけた旧長崎医大の学生等の遺族の処遇改善についても、実体を調査したうえ善処すること。
以上であります。
 何とぞ、委員各位の御賛同をお願いいたします。
○田川委員長 本動議について採決いたします。
 本動議のごとく決するに賛成の諸君の起立を求めます。
    〔賛成者起立〕
○田川委員長 起立総員。よって、本案については、竹内黎一君外三名提出の動議のごとく、附帯決議を付することに決しました。
 この際、厚生大臣より発言を求められております。これを許します。齋藤厚生大臣。
○齋藤国務大臣 ただいま御決議になられました附帯決議につきましては、その御趣旨を十分尊重いたしまして、努力をいたす所存でございます。
    ―――――――――――――
○田川委員長 なお、本案に関する委員会報告書の作成等につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○田川委員長 御異議なしと認め、さよう決しました。
    ―――――――――――――
    〔報告書は附録に掲載〕
    ―――――――――――――
○田川委員長 次回は明十三日金曜日、午前十時理事会、十時三十分より委員会を開くこととし、本日はこれにて散会いたします。
    午後七時五分散会