第080回国会 本会議 第5号
昭和五十二年二月十七日(木曜日)
    ―――――――――――――
 議事日程 第五号
  昭和五十二年二月十七日
   午後零時三十分開議
 第 一 皇室会議予備議員の選挙
 第 二 皇室経済会議予備議員の選挙
 第 三 検察官適格審査会委員及び同予備委員
     の選挙
 第 四 国土総合開発審議会委員の選挙
 第 五 東北開発審議会委員の選挙
 第 六 九州地方開発審議会委員の選挙
 第 七 四国地方開発審議会委員の選挙
 第 八 中国地方開発審議会委員の選挙
 第 九 北陸地方開発審議会委員の選挙
 第 十 首都圏整備審議会委員の選挙
 第十一 豪雪地帯対策審議会委員の選挙
 第十二 離島振興対策審議会委員の選挙
 第十三 国土開発幹線自動車道建設審議会委員
     の選挙
 第十四 台風常襲地帯対策審議会委員の選挙
 第十五 北海道開発審議会委員の選挙
 第十六 日本ユネスコ国内委員会委員の選挙
 第十七 鉄道建設審議会委員の選挙
 第十八 昭和五十一年度の水田総合利用奨励補
     助金についての所得税及び法人税の臨
     時特例に関する法律案(大蔵委員長提
     出)
    ―――――――――――――
○本日の会議に付した案件
 議員請暇の件
 日程第一 皇室会議予備議員の選挙
 日程第二 皇室経済会議予備議員の選挙
 日程第三 検察官適格審査会委員及び同予備委
  員の選挙
 日程第四 国土総合開発審議会委員の選挙
 日程第五 東北開発審議会委員の選挙
 日程第六 九州地方開発審議会委員の選挙
 日程第七 四国地方開発審議会委員の選挙
 日程第八 中国地方開発審議会委員の選挙
 日程第九 北陸地方開発審議会委員の選挙
 日程第十 首都圏整備審議会委員の選挙
 日程第十一 豪雪地帯対策審議会委員の選挙
 日程第十二 離島振興対策審議会委員の選挙
 日程第十三 国土開発幹線自動車道建設審議会
  委員の選挙
 日程第十四 台風常襲地帯対策審議会委員の選
  挙
 日程第十五 北海道開発審議会委員の選挙
 日程第十六 日本ユネスコ国内委員会委員の選
  挙
 日程第十七 鉄道建設審議会委員の選挙
 日程第十八 昭和五十一年度の水田総合利用奨
  励補助金についての所得税及び法人税の臨時
  特例に関する法律案(大蔵委員長提出)
 木原実君の故議員水田三喜男君に対する追悼演
  説
 太田一夫君の故議員浦野幸男君に対する追悼演
  説
    午後零時三十四分開議
○議長(保利茂君) これより会議を開きます。
     ――――◇―――――
 議員請暇の件
○議長(保利茂君) 議員請暇の件につきお諮りいたします。
 加藤紘一君、佐藤観樹君、中馬弘毅君、中川嘉美君、林義郎君及び渡辺朗君から、二月二十一日より二十八日まで八日間、右いずれも海外旅行のため、請暇の申し出があります。これを許可するに御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(保利茂君) 御異議なしと認めます。よって、いずれも許可するに決しました。
     ――――◇―――――
○議長(保利茂君) 日程第一ないし第十七に掲げました各種委員の選挙を行います。
○瓦力君 各種委員の選挙は、いずれもその手続を省略して、議長において指名せられ、皇室会議予備議員、皇室経済会議予備議員の職務を行う順序については、議長において定められんことを望みます。
○議長(保利茂君) 瓦力君の動議に御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(保利茂君) 御異議なしと認めます。よって、動議のごとく決しました。
 議長は、皇室会議予備議員に
      船田  中君 及び 前尾繁三郎君を指名いたします。
 なお、その職務を行う順序は、ただいま指名した順序によることといたします。
 次に、皇室経済会議予備議員に
      田中伊三次君 及び 荒舩清十郎君を指名いたします。
 なお、その職務を行う順序は、ただいま指名した順序によることといたします。
 次に、検察官適格審査会委員に
      天野 光晴君    古屋  亨君
      楯 兼次郎君 及び 沖本 泰幸君
を指名いたします。
 また、
 保岡興治君を天野光晴君の予備委員に、
 山崎武三郎君を古屋亨君の予備委員に、
 広瀬秀吉君を楯兼次郎君の予備委員に、
 長谷雄幸久君を沖本泰幸君の予備委員に指名いたします。
 次に、国土総合開発審議会委員に
      三池  信君    野田 卯一君
      古井 喜実君    天野 光晴君
      服部 安司君    井上 普方君
      村山 喜一君    岡本 富夫君
   及び 内海  清君を指名いたします。
 次に、東北開発審議会委員に
      松沢 雄蔵君    菅波  茂君
      竹中 修一君    川口 大助君
   及び 武田 一夫君
を指名いたします。
 次に、九州地方開発審議会委員に
      二階堂 進君    佐藤 文生君
      山下 徳夫君    細谷 治嘉君
   及び 大橋 敏雄君
を指名いたします。
 次に、四国地方開発審議会委員に
      加藤常太郎君    大西 正男君
      今井  勇君    藤田 高敏君
   及び 広沢 直樹君
を指名いたします。
 次に、中国地方開発審議会委員に
      灘尾 弘吉君    加藤 六月君
      高村 坂彦君    福岡 義登君
   及び 古川 雅司君
を指名いたします。
 次に、北陸地方開発審議会委員に
      坂本三十次君    片岡 清一君
      平泉  渉君    古川 喜一君
   及び 西中  清君
を指名いたします。
 次に、首都圏整備審議会委員に
      中野 四郎君    濱野 清吾君
      広瀬 秀吉君 及び 鳥居 一雄君
を指名いたします。
 次に、豪雪地帯対策審議会委員に
      笹山茂太郎君    箕輪  登君
      佐藤  隆君    渡辺 三郎君
   及び 古寺  宏君
を指名いたします。
 次に、離島振興対策審議会委員に
      櫻内 義雄君    白浜 仁吉君
      小沢 辰男君    宮崎 茂一君
      中村 重光君    大柴 滋夫君
   及び 谷口 是巨君
を指名いたします。
 次に、国土開発幹線自動車道建設審議会委員に
      大平 正芳君    江崎 真澄君
      河本 敏夫君    竹下  登君
      下平 正一君    斉藤 正男君
      宮井 泰良君 及び 曽祢  益君
を指名いたします。
 次に、台風常襲地帯対策審議会委員に
      山中 貞則君    江藤 隆美君
      谷川 寛三君    川崎 寛治君
   及び平石磨作太郎君
を指名いたします。
 次に、北海道開発審議会委員に
      篠田 弘作君    本名  武君
      田中 正巳君    島田 琢郎君
   及び 斎藤  実君
を指名いたします。
 次に、日本ユネスコ国内委員会委員に
      渡辺 紘三君    三塚  博君
      長谷川正三君 及び 有島 重武君
を指名いたします。
 次に、鉄道建設審議会委員に
      大平 正芳君    江崎 真澄君
      河本 敏夫君    原   茂君
      平林  剛君 及び 石田幸四郎君
を指名いたします。
     ――――◇―――――
○議長(保利茂君) 日程第十八は、委員長提出の議案でありますから、委員会の審査を省略するに御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(保利茂君) 御異議なしと認めます。
     ――――◇―――――
 日程第十八 昭和五十一年度の水田総合利用奨励補助金についての所得税及び法人税の臨時特例に関する法律案(大蔵委員長提出)
○議長(保利茂君) 日程第十八、昭和五十一年度の水田総合利用奨励補助金についての所得税及び法人税の臨時特例に関する法律案を議題といたします。
 委員長の趣旨弁明を許します。大蔵委員長小渕恵三君。
    ―――――――――――――
 昭和五十一年度の水田総合利用奨励補助金についての所得税及び法人税の臨時特例に関する法律案
    〔本号末尾に掲載〕
    ―――――――――――――
    〔小渕恵三君登壇〕
○小渕恵三君 ただいま議題となりました昭和五十一年度の水田総合利用奨励補助金についての所得税及び法人税の臨時特例に関する法律案につきまして、提案の趣旨及びその概要を御説明申し上げます。
 この法律案は、昨二月十六日、大蔵委員会において全会一致をもって起草、提出いたしたものであります。
 御承知のとおり、政府は、昭和五十一年度におきまして、水田の総合利用を推進するため、その一環として、稲作の転換を行う者等に対し奨励補助金を交付することといたしておりますが、本案は、この補助金に係る所得税及び法人税について、その負担の軽減を図るため、おおむね次のような特例措置を講じようとするものであります。
 すなわち、同補助金のうち個人が交付を受けるものについては、これを一時所得とみなすとともに、農業生産法人が交付を受けるものについては、交付を受けた後二年以内に固定資産の取得または改良に充てた場合には、圧縮記帳の特例を認めることといたしております。
 したがいまして、個人の場合は、その所得の計算に当たり、五十万円までの特別控除が認められ、これを超える部分の金額につきましても、その半額が課税対象から除かれることになります。また、法人の場合には、取得した固定資産の帳簿価額から、その取得に充てた補助金の額を減額することにより、その減額分が損金と認められ、補助金を受けたことに伴い直ちに課税関係が発生しないことになるのであります。
 なお、本案による国税の減収額は、昭和五十一年度において約三億円と見積もられるのでありまして、大蔵委員会におきましては、本案の提案を決定するに際しまして、政府の意見を求めましたところ、稲作転換対策の必要性に顧み、あえて反対しない旨の意見が開陳されました。
 以上がこの法律案の提案の趣旨とその概要であります。
 何とぞ、速やかに御賛成あらんことをお願い申し上げます。(拍手)
    ―――――――――――――
○議長(保利茂君) 採決いたします。
 本案を可決するに御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(保利茂君) 御異議なしと認めます。よって、本案は可決いたしました。
     ――――◇―――――
○議長(保利茂君) 御報告いたすことがあります。
 議員水田三喜男君は、昨年十二月二十二日逝去せられました。まことに哀悼痛惜の至りにたえません。
 同君に対する弔詞は、去る一月十八日贈呈いたしました。これを朗読いたします。
    〔総員起立〕
 衆議院は多年憲政のために尽力し特に院議をもつてその功労を表彰されさきに経済安定委員長公職選挙法改正に関する調査特別委員長の要職につきまたしばしば国務大臣の重任にあたられた議員従二位勲一等水田三喜男君の長逝を哀悼しつつしんで弔詞をささげます
    ―――――――――――――
 故議員水田三喜男君に対する追悼演説
○議長(保利茂君) この際、弔意を表するため、木原実君から発言を求められております。これを許します。木原実君。
    〔木原実君登壇〕
○木原実君 ただいま議長から御報告のありましたとおり、本院議員水田三喜男君は、昨年十二月二十二日逝去されました。
 水田先生は、過般の衆議院議員総選挙に千葉県第三区から立候補され、最高点をもって連続十三回目の当選を果たされました。しかるに、十二月二十四日に召集された総選挙後初の臨時国会を目前にして、病魔のためついに不帰の客となられました。いかに天命とは申せ、痛恨のきわみであります。
 私は、諸君の御同意を得て、議員一同を代表し、謹んで哀悼の言葉を申し述べたいと存じます。
 水田先生は、明治三十八年四月、房総半島の南端、現在の千葉県鴨川市にお生まれになりました。御両親から受け継がれた恵まれた体躯とすぐれた頭脳は、豊かな感受性とともに大きく成長し、やがて安房中学から水戸高等学校を経て京都帝国大学法学部へ進まれました。
 学生時代は、あらゆる文献から吸収した該博な知識と鋭敏な感覚をもって現実をとらえ、社会主義理論にも関心を寄せて、学生運動にも打ち込んだ血気盛んな青年でありました。後年、政治家として大成する基盤が、この時期に着々とつくり上げられたものと想像するにかたくありません。
 大学卒業後、昭和七年東京市に奉職、その後昭和十四年には日本銅板工業株式会社の常務取締役に就任されました。
 昭和二十年八月終戦となり、従業員の身の振り方や会社の整理に腐心されましたが、その忙殺された日々からようやく解放された先生は、郷里に身を寄せて、静かに日本の将来と民族の歩むべき道を思索されました。
 基本的人権と思想の自由は与えられたものの、家は焼かれ、食糧は乏しく、身にまとう衣料とてなく、路頭に迷う国民の苦悩を目の当たりにした先生は、大衆を救い国土の復興を図るためみずから政界に身を投じんとの決意を固められたのであります。
 やがて昭和二十一年四月、戦後初の衆議院議員総選挙を迎えました。この選挙戦において先生が提唱した食糧問題の解決策とインフレ克服の方策は、先生の徹底した平和主義、民主主義を基調とする憲法論とともに選挙民に大きな感銘を与え、みごと初当選の栄冠を獲得されました。時まさに四十一歳、新生日本の再建という大きな使命を担って第九十回帝国議会に初登院した水田先生は、歴史的な帝国憲法改正案を初め、戦後処理の各種の議案や新憲法制定に伴う数々の基本法の審議に当たられたのであります。
 昭和二十三年十月には、経済安定委員長に御就任、次いで民主自由党の政務調査会の副会長として、戦時経済統制の撤廃、基幹産業の再建、インフレ防止等々困難な課題と取り組み、並み並みならぬ御苦労を重ねられたのであります。
 また、昭和二十四年六月には、池田大蔵大臣のもとで政務次官として、いわゆるドッジ・ラインあるいはシャウプ勧告に基づく財政、税制の大改革に当たられ、昭和二十六年五月には、公職選挙法改正に関する調査特別委員長に選任されて、選挙法改正の立案作業を進められました。
 このように、戦後政治経済の困難な変革期に、立法、行政両面を通じて研さんを積まれた先生は、すぐれた政策通として衆目の認めるところとなり、昭和二十七年二月、自由党政務調査会長に御就任になりました。
 自来、今日までの二十数年間、一貫して党と内閣の枢要な地位につき、幾多の予算の編成に当たるなど、ひのき舞台での華々しい活躍をされたのであります。
 すなわち、自由民主党政務調査会長の職にあること五たび、また、昭和二十八年には吉田内閣の経済審議庁長官として入閣、さらに、石橋内閣及び岸内閣の通商産業大臣、次いで池田内閣及び佐藤内閣において五たび大蔵大臣の重責を担われました。
 所得倍増計画を掲げて登場した池田内閣の大蔵大臣として積極財政を打ち出した水田先生は、第二次佐藤内閣のもとにおいては財政の硬直化にメスをふるい、引き締め策を断行されたのであります。
 昭和四十六年には、国際通貨調整という、先生の蔵相在任中の最大の難関に逢着されました。すなわち、ドル防衛によるニクソン・ショックを契機として、戦後世界経済を支えてきたIMF体制が揺らぎ、同年十二月、ワシントンのスミソニアン博物館で開催された十カ国蔵相会議に出席して、国民世論を背景に大いに奮闘されたことは、私どもの記憶のなお新たなところであります。
 先生は、この新たな事態に対処して、国際協調を図りつつ、同時に、国内不安を解消するため、適切な財政金融政策を講じて、よくこの危機を乗り切られたのであります。
 国の財政経済政策に対する評価が政党政派によって異なることは当然のことでありますけれども、先生が、戦後の日本経済の復興とその後の発展に大きく貢献された政治家であったことは、否定し得ないものがあります。そして、国の将来を思い、大衆の幸せを願う水田さんの真摯な政治姿勢に対してはだれもが感動を覚え、その御労苦に対してはだれもが感謝の念を惜しまなかったと信じます。(拍手)
 思えば、昭和四十五年二月、第六十三回特別国会において、先生は、自由民主党を代表して、この壇上から、時の内閣総理大臣佐藤栄作氏に対し質疑をなさいました。
 その中で、先生は、国会運営のあり方に触れ、「国会運営は政府主導型でなされてはならない。いやしくも立法府を構成する議員の任期が、行政府の一方的な恣意による解散によって左右せらるるがごときは、民主主義の指向するところではない」と断言をされました。この堂々の論陣を張った水田先生の叫びが、いまだに私の耳にはっきりと残っております。長年風雪に耐え抜いてこられた政党政治家水田先生の見識に心から敬意の念を抱いたのは、私一人ではなかったと思います。(拍手)
 かくて、水田先生は、本院議員として在職すること実に三十年十カ月の長きにわたり、昭和四十六年三月には、永年在職議員として院議をもって表彰を受けられたのであります。「あたたかき安房と上総の情けもて吾が辿り来し今日を謝すべく」と歌に託された。これまでの郷党の恩義を謝し、これに報いる道は、みずからの身辺をされいにして、清廉の士に徹することだと心に誓っておられました。この水田先生の姿勢こそ、政治家のかがみとして、われわれの胸に永く刻み込まれるものと信じます。
 先生は、大きな国難に逢着しても、常にひょうひょうとしてこれを乗り切ってこられました。この天衣無縫ともいうべき人間性に、郷里の人々が大きな信頼を寄せ、長きにわたり心からの支援を送ったのも、けだし当然のことと申さねばなりません。(拍手)
 昨年、クリスマスを前にして、病院のベッドで、御家族と一諸にジングルベルを歌い、「来春には退院して元気に働かなければ」と言われていた水田先生は、その後突如容態が変化して、御家族の懸命の看護もむなしく、七十一歳の生涯を閉じられました。御家族の心中を思うとき、まことに痛恨の念にたえません。
 内外の諸情勢はきわめて厳しく、わが国が重大な局面を迎えつつある今日、練達の政党政治家であり、屈指の財政経済の指導者であった先生を失いましたことは、返す返すも残念なことであり、本院にとっても、国家にとっても、この上もない大きな損失であると申さねばなりません。(拍手)
 ここに、謹んで水田三喜男先生の生前の功績をたたえ、その人となりをしのび、心から御冥福をお祈りして、追悼の言葉といたします。(拍手)
     ――――◇―――――
○議長(保利茂君) 御報告いたすことがあります。
 議員浦野幸男君は、去る一月十六日逝去せられました。まことに哀悼痛惜の至りにたえません。
 同君に対する弔詞は、去る一月二十三日贈呈いたしました。これを朗読いたします。
    〔総員起立〕
 衆議院は多年憲政のために尽力しさきに商工委員長の要職につきまた国務大臣の重任にあたられた議員従三位勲一等浦野幸男君の長逝を哀悼しつつしんで弔詞をささげます
    ―――――――――――――
 故議員浦野幸男君に対する追悼演説
○議長(保利茂君) この際、弔意を表するため、太田一夫君から発言を求められております。これを許します。太田一夫君。
    〔太田一夫君登壇〕
○太田一夫君 ただいま議長から御報告のありましたとおり、愛知県第四区選出議員浦野幸男君は、去る一月十六日、心不全のため、東京労災病院において逝去されました。まことに痛惜の念にたえません。
 私は、ここに、諸君の御同意を得て、議員一同を代表して、謹んで哀悼の言葉を申し述べます。(拍手)
 浦野先生の御一門は、かつてお二人の代議士を世に送られ、また御尊父は、信望も厚く、村長をお務めになられたという地方の名門でありました。
 先生は、大正三年一月、このような誉れ高き家系の御長男として、現在の豊田市にお生まれになり、長じて、名古屋市立東邦商業学校を御卒業の後、日本大学に進学され、やがて家業の米穀商に従事されることになりました。
 その後、先生は、戦中、戦後にかけて食糧営団の役職にあり、食糧不足とインフレに苦しむ庶民の生々しい生活実態に触れられ、何にも増して血の通った政治による救済が必要である、と痛感されたと伺っております。
 昭和二十六年、先生は、愛知県議会議員に御当選、以来県議三期、十年余にわたって、エネルギッシュな行動力と豊かな包容力とをもって、よく地域の発展と地域住民の福祉の増進に尽力されたのであります。
 昭和三十五年、先生は、東海・北陸七県の欧米産業視察議員団の団長として渡航中、折から同郷の先輩でありました小林リ代議士の急逝の報に接し、急遽帰国ざれることになりました。時あたかも、第二十九回総選挙の公示日前夜でありました。郷党の人々の懇望もだしがたく、先生は、羽田空港で立候補の決意を固められたとのことであります。このような事情から、選挙戦の不利は否めなかったところでありましたが、多年地方政界に尽くされた数々の業績と、地元の方々の熱烈な後援によって、みごと初当選の栄冠を得られたのであります。
 本院議員となられた先生は、商工、運輸、社会労働等の各委員会の委員として国政の審議に当たり、また、行政管理政務次官あるいは防衛政務次官として行政に参画されるなど、幅広い御活躍をされたのであります。とりわけ先生は、通商産業の分野において、その本領を遺憾なく発揮されました。
 昭和四十四年、米国の繊維品輸入制限問題が起こるや、先生は、自由貿易の原則と、被害なきところに規制なしという筋論をもってこれに対処し、同年五月の、本院における米国の繊維品輸入制限に関する決議の際には、提出者の一員となってその案文の起草に当たり、また、翌四十五年、日米繊維交渉が暗礁に乗り上げるや、福田一議員らとともに訪米し、アメリカの議会筋あるいは政府の要人と会見して、粘り強く日本の実情を訴え、交渉打開に尽力されたのであります。
 第七十一回特別国会の昭和四十七年十二月には、商工委員長に選任されました。当時、わが国は、為替変動相場制への移行など、経済環境の変化に伴う各般の施策が要請されておりました。先生は、政府を鞭撻して、強力な通商産業行政の推進を図るとともに、大規模小売店舗法案、中小小売商業振興法案、また、いわゆるドル対策法改正案など、幾多の重要法案について各党の委員諸君と徹底した話し合いを行って修正案を取りまとめ、また、議員提出法律案についても精力的に審議を重ねるなど、委員長としてよくその重責を果たされたのであります。
 昭和五十一年九月、浦野先生は、嘱望されて三木内閣の労働大臣に就任されました。当時、公労協は、仲裁裁定の早期完全実施を目指して実力行使の構えにあり、とりわけ、労働大臣の手腕に国民の大きな期待が寄せられておりました。先生は、連日この事態収拾に努力し、大詰めの政労間交渉には、関係閣僚とともに、深夜にわたって鋭意折衝を重ねられ、円満に解決が図られたのであります。
 私は、この交渉に当たって示された先生の誠意ある人柄と、約束は必ず実行するとの責任ある態度が、組合側の理解と信頼を深め、この成功がもたらされたものと思うのでありまして、先生の労働大臣としての功績は、高く評価されるべきものと確信いたすものであります。(拍手)
 先生は、さきの総選挙では、現職の労働大臣としての激職にあって選挙戦に臨まれましたが、そのハードスケジュールが先生をして過労に追い込んだのでありましょうか、御当選後、間もなく入院のやむなきに至ったのであります。
 昨年十二月二十四日の第七十九回臨時国会の召集日には、先生は、病躯にむちうちながら登院され、議員としての職務を全うされたのでありまして、私は、先生のこの強固な責任感に胸を強く打たれたのであります。(拍手)
 かくして、先生は、本院議員に連続して当選すること六回、在職十六年五カ月に及び、この間、国政に残された功績はまことに偉大なものがあります。
 先生は、「春風堂に満つる」という言葉を愛し、「春風はどんな不幸な家庭にも、どんな貧しい人々にも、分け隔てなく訪れてくれる、これと同じように、政治も特定な人、仕事、地域に偏ることなく、平等に行われてこそ、本当の政治である」と周囲の人々に語り、みずからもこれを実践してこられました。私は、この先生の言こそ、まさに議会制民主主義における政治理念であると存じます。
 先生は、その言のごとく、温厚篤実、常に春風のごとき笑みをもって人に接せられ、「心の触れ合った政治」、「汗を惜しまない政治」をモットーとして、国家国民のために、また、郷里の人々のために献身的な御活躍をされたのであります。
 思えば、昭和四十七年七月、愛知県を襲った未曾有の集中豪雨により、西三河地方の山間部、矢作川流域一帯は甚大な被害を受けたのであります。先生は、陣頭に立ち寝食を忘れて被災住民の救援と災害復旧に献身されました。やがて、先生のこの御努力が実を結び、今日、りっぱに復旧された被災地を見るにつけ、私は、奮闘された先生の当時のお姿を、つい昨日のごとく脳裏に思い起こさずにはおられません。
 先生、御年六十三歳、雄図半ばにして職に殉じられた先生を思うとき、私は痛恨の念やる方ないものを覚えるのであります。
 現下、わが国は、内政外交ともにきわめて重要な問題が山積し、国会に課せられた使命のいよいよ重きを加えようとするとき、先生のごときすぐれた政党政治家を失いましたことは、返す返すも残念なことであり、国家国民のために、大きな損失であると申さねばなりません。
 ここに、先生の生前の御功績をたたえ、その人となりをしのび、心から御冥福をお祈りいたしまして、哀悼の言葉といたします。(拍手)
     ――――◇―――――
○議長(保利茂君) 御報告いたすことがあります。
 永年在職議員として表彰された元議員堂森芳夫君は、去る一月十三日逝去せられました。
 永年在職議員として表彰された元議員島村一郎君は、去る二月一日逝去せられました。
 まことに哀悼痛惜の至りにたえません。
 堂森芳夫君に対する弔詞は、去る一月二十日、島村一郎君に対する弔詞は、去る二月十五日、議長においてそれぞれ贈呈いたしました。これを朗読いたします。
    〔総員起立〕
 衆議院は多年憲政のために尽力し特に院議をもつてその功労を表彰されさきに石炭対策特別委員長の要職にあたられた正三位勲一等堂森芳夫君の長逝を哀悼しつつしんで弔詞をささげます
    …………………………………
 衆議院は多年憲政のために尽力し特に院議をもつてその功労を表彰されさきに大蔵委員長商工委員長オリンピック東京大会準備促進特別委員長等の要職にあたられた正三位勲一等島村一郎君の長逝を哀悼しつつしんで弔詞をささげます
     ――――◇―――――
○議長(保利茂君) 本日は、これにて散会いたします。
    午後一時十二分散会
     ――――◇―――――
 出席国務大臣
        大 蔵 大 臣 坊  秀男君
     ――――◇―――――