第080回国会 ロッキード問題に関する調査特別委員会 第9号
昭和五十二年五月十一日(水曜日)
    午後一時八分開議
 出席委員
   委員長 原 健三郎君
   理事 内海 英男君 理事 鯨岡 兵輔君
   理事 増田甲子七君 理事 箕輪  登君
   理事 小林  進君 理事 横路 孝弘君
   理事 坂井 弘一君 理事 大内 啓伍君
      近藤 鉄雄君    佐藤 文生君
      野田  毅君    羽田野忠文君
      原田昇左右君    武藤 嘉文君
      山崎武三郎君    渡部 恒三君
      稲葉 誠一君    大出  俊君
      坂本 恭一君    楢崎弥之助君
      池田 克也君    鍛冶  清君
      鳥居 一雄君    中野 寛成君
      正森 成二君    加地  和君
 委員外の出席者
        証     人
        (前殖産住宅相
        互株式会社会
        長)      東郷 民安君
        ロッキード問題
        に関する調査特
        別委員会調査室
        長       長崎  寛君
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 ロッキード問題に関する件
     ――――◇―――――
○原委員長 これより会議を開きます。
 ロッキード問題に関する件について東郷民安君より証言を求めることといたします。
    ―――――――――――――
○原委員長 なお、本日出頭を求めておりました証人小佐野賢治君から、昨十日、保利議長あてに、医師の診断書を添え、書面をもって病気のため出頭できない旨の申し出があり、議長より委員長に通知がありました。
 この際、診断書を朗読いたします。
    診 断 書
      住所 東京都世田ケ谷区野毛三の九
         の一
       氏名 小佐野賢治
              大正六年二月五日生
 病名 高血圧症兼重症狭心症
  上記疾病にて安静加療中なるも現在未だ狭心
  症発作あり、血圧上昇(収縮期圧二三〇〜一
  九〇mHg、拡張期圧一三〇〜一一〇mHg)
  も著しく加えて長期臥床による四肢筋肉の萎
  縮、関節の硬直を来し尚暫くの間安静加療の
  必要ありと認めます
 上記の通り診断します
   昭和五二年五月一〇日
      東京都杉並区方南一丁目四一番八号
          山口医院
            医師 山口 三郎マル印以上であります。
 小佐野証人不出頭の件につきましては、理事会において協議することにいたします。
    ―――――――――――――
○原委員長 それでは、証言を求める前に証人に一言申し上げます。
 昭和二十二年法律第二百二十五号、議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律によりまして、証人に証言を求める場合には、その前に宣誓をさせなければならないことになっております。
 宣誓または証言を拒むことのできるのは、まず、証言が、証人または証人の配偶者、四親等内の血族もしくは三親等内の姻族または証人とこれらの親族関係のあった者及び証人の後見人または証人の後見を受ける者の刑事上の訴追または処罰を招くおそれのある事項に関するとき、またはこれらの者の恥辱に帰すべき事項に関するときであります。また、医師、歯科医師、薬剤師、薬種商、助産婦、弁護士、弁理士、弁護人、公証人、宗教または祷祀の職にある者またはこれらの職にあった者がその職務上知った事実であって黙秘すべきものについて尋問を受けたときにも証言を拒むことができることになっております。
 しかして、証人が正当の理由なくして宣誓または証言を拒んだときは一年以下の禁錮または一万円以下の罰金に処せられ、かつ宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは三月以上十年以下の懲役に処せられることとなっておるのであります。
 一応このことを御承知になっておいていただきたいと存じます。
 それでは、法律の定めるところによりまして、証人に宣誓を求めます。全員起立。
    〔総員起立〕
○原委員長 東郷民安君、宣誓書を朗読してください。
○東郷証人 
    宣 誓 書
 良心に従つて、真実を述べ、何事もかくさず、
 又、何事もつけ加えないことを誓います
  昭和五十二年五月十一日
               東郷 民安
○原委員長 それでは、証人は宣誓書に署名捺印を願います。
    〔証人、宣誓書に署名捺印〕
○原委員長 御着席を願います。
 これより証言を求めることといたしますが、証人の御発言は、証言を求められた範囲を越えないこと、また、御発言の際には、その都度委員長の許可を得てなされるようお願いいたします。
 なお、こちらから質問をしているときは着席のままで結構でございますが、お答えの際は起立して発言をしてください。
 なお、委員各位に申し上げます。本日は、申し合わせの時間内でロッキード問題に関する重要な問題について証人より証言を求めるのでありますから、不規則発言等、議事の進行を妨げる言動のないよう、特に御協力をお願い申し上げます。
    ―――――――――――――
○原委員長 これより証人に対して証言を求めます。
 まず、委員長より所要の事項についてお尋ねをして、その後、委員各位の御発言を願うことといたします。
 あなたは東郷民安君でございますか。
○東郷証人 はい。
○原委員長 住所、職業、生年月日をお述べください。
○東郷証人 東京都目黒区緑ケ丘二丁目一番十三号東郷民安、大正五年五月一日生まれ、職業、殖産住宅相互株式会社相談役。
○原委員長 まず、中曽根代議士との関係について伺います。
 殖産住宅の株式上場に際して、昭和四十七年三月九日、政治資金問題について料亭「一条」で中曽根代議士と会われたと言われておりますが、その経緯と結果について簡単にお述べを願いたい。
○東郷証人 三月九日、木部代議士の激励会に出席を求められまして、その席上におきまして、中曽根代議士から私に対して政治資金のお話をいただいたわけであります。
○原委員長 あなたが企業防衛のため株の売買を行った際、他人の名義を借用したと言われておりますが、その中に中曽根代議士の秘書上和田氏も含まれていますか。含まれているとすれば、その経緯についてお述べを願います。
○東郷証人 殖産住宅が昭和四十七年十月二日公開をいたしました翌日より株価が下落いたしました。したがいまして、その防衛のために買い支えをせざるを得ませんでした。
 最初は、妻の岳父保坂清の了解を得まして買い支えをいたしましたが、新日本証券から、一人の名前でやっておくことは株価操作の疑いを持たれるおそれがあるから、二、三あと名前をかしてもらいたいという申し入れを、十一月の初めであったと思います。受けまして、そのときにすでに上和田氏の預金が五億、三井銀行にございまして、上和田氏の了解を得まして上和田氏の名前を使わしていただき、私の高等学校時代の学友、高富味津雄君並びに荻原忠顕君のお二人の御了解を得まして、殖産住宅株買い支えのためのお名前として拝借いたしました。
○原委員長 次に、児玉譽士夫氏との関係について伺います。
 あなたは昭和四十八年三月二十日料亭「千代新」において児玉譽士夫氏に会ったと言われておりますが、児玉氏と会うに至った経緯、そのときの同席者並びに会談の内容について述べてください。
○東郷証人 昭和四十八年三月十九日、児玉事務所の児玉先生の秘書大刀川さんからのお電話が、当時私の会社の秘書室長をやっておりました陽真也のところにございまして、そして翌三月二十日午後九時に「千代新」に来るようにとのお話でございました。そして私は「千代新」に指定の時間までに参りました。
 最初は児玉先生お一人でございましたが、その後中曽根代議士の御臨席もございました。児玉先生からの私への話は、当時会社の防衛のために私としては一生懸命やっておったわけでありますが、その相手方である戸栗亨という人からいろいろと児玉先生への私に関するお話がございまして、そのお話を当時児玉先生の秘書を務めておられました大刀川さんがメモをされまして、そのメモに基づいて私に対して、戸栗氏から買いました百七十一万株の件について、あるいはまた殖産住宅における内部の争い事につきまして種々御下問を受けたわけでありまして、私としては、社長としてその問いに対してお答えしたわけでございます。そのお話が終わった後に、中曽根代議士の御臨席があったわけでございます。
○原委員長 次に、発言の申し出がありますので、順次これを許します。稲葉誠一君。
○稲葉(誠)委員 東郷さん、この前、中曽根さんのこの委員会におけるテレビでの証言が出ましたよね。テレビで中継されたでしょう。あれ、ごらんになっていらっしゃいましたか。
○東郷証人 私は仕事で外を歩いておりまして、残念ながらテレビの放映は見ておりませんでした。
○稲葉(誠)委員 児玉譽士夫に初めて会ったのは、四十八年三月二十日、「千代新」が一番最初ですか。
○東郷証人 はい、そのとおりであります。
○稲葉(誠)委員 いま戸栗亨という人の名前が出てまいりましたね。この人とあなたとの関係、それから、この人と小佐野賢治との関係、これに概略お答え願えませんか。
○東郷証人 戸栗亨氏は殖産住宅の指定建設業者でございまして、殖産住宅創業して間なしに指定建設業者になった富士工務店の社長でございます。
 戸栗亨氏は山梨県の出でございまして、小佐野賢治氏も山梨県の方と承っております。同郷のよしみということもございますか、小佐野賢治氏のお仕事を種々お手伝いであったかに承っております。
○稲葉(誠)委員 いま百七十一万株の話があなたの口から出てまいりましたね。これは結局、あなたが昭和四十八年二月に戸栗さんに、時価よりはるかに高い値段で買い取らざるを得なかったというので、金を払ったわけでしょう、約四十四億ぐらいですか。そういう事実、ございますか。
○東郷証人 四十八年の二月十二日に二十五億、私がカナダから帰りましてから二十八日に十億、翌月三月一日に残金九億、はしたの金は忘れましたが、合計四十四億数千万円お払いいたしました。
○稲葉(誠)委員 それは、その前に経過があるわけですね。戸栗さんがあなたのところの株か何かをたくさん買い占められたわけですか。それをあなたの方で買い戻されたというか、そういう経過ですね。そのときに、あなたはそのいまの問題についてこういう事実があるんじゃないですか。戸栗さんが自分所有の殖産住宅株約八十万株を担保に入れて殖産住宅より三億三千万円ほどを借金していたが、その金が小佐野振り出しの小切手をもって昭和四十六年早々返済された。そういうようないろいろなことから、その他ありますね。この戸栗という人は、俗に言う小佐野賢治という人のダミーだというふうにあなた方の方では理解されておられたんではないですか。
○東郷証人 昭和四十六年に三億三千万の四十六年一月十九日付の小佐野賢治氏振り出しの小切手を戸栗氏が会社に持ってまいり、ただいま御指摘のとおり、八十万株相当の、担保に入れておった株を引き取ったことは事実でございます。なおかつ、それとほとんど日を同じゅういたしまして、戸栗亨氏の手をもって買い集めさせておりました二百五十万八千株ばかりのものが小佐野賢治氏の名前でもって大和証券に持ち込まれまして、大和証券から名義変更の申し出を受けておりました。したがいまして、ダミーという言葉が適切であるかは否といたしまして、小佐野氏のお手伝いか小佐野氏とともにか、御活躍であったことは間違いございません。
○稲葉(誠)委員 そうすると、その話は、百七十一万株を四十四億ですね、これで買い戻したというかあれして、その金はどこへ行ったんですか。あなたにはわからない、小佐野に行ったんですか、戸栗さんに行ったんですか。どっちに行ったんですか、あなたの考えでは。
○東郷証人 私は東京相互銀行の戸栗亨口座に会社が振り込んだことは知っておりますが、そのお金がどこに行ったかは、私は知りません。
○稲葉(誠)委員 そうすると、いまの株の買い占めというか何というか、そういう問題は二月に片がついておったわけですね。そうすると、三月二十日に、十九日の晩に電話がかかってきて、あなたが「千代新」に呼ばれるという理由がないんじゃないでしょうか。そこはどうなんでしょうか。あなたは何で電話がかかってきたか、何であなたは「千代新」へ来いと言われたというふうにお考えでしょうか。
○東郷証人 百七十一万株を戸栗の手から買い取ったことで、その買い占めが終わったということの理解は、私は当時いたしておりませんでした。と申しますのは、昭和四十六年から昭和四十七年にかけまして、やはり戸栗氏の名前、小佐野氏の名前を通じまして、証券会社に対して三百五十万株とかいろいろ大きな株の動きがあるやに聞いておりましたので、百七十一万株はその一部であるとの認識におきまして、私としては株の買い占めというものが終わったんではないかとは考えておりませんでした。
○稲葉(誠)委員 だから、株の買い占めは終わったんじゃないと考えていても、それじゃ、なぜ児玉譽士夫からあなたに来いという話があったというふうにあなたは理解されたんでしょうか。
○東郷証人 私自身どういう理由でお呼び出しをいただいたのか、その当日お話をいただくまではわからない状態でございました。
○稲葉(誠)委員 その点は中曽根さんの言うのとちょっとニュアンスが違うんですね。中曽根さんはこういうふうに言っているのですよ。四月十三日の議事録ですね。四ページ、「彼は児玉被告の下部の者と接触しておったようでありますけれども、会いたいような様子でありましたから、」というのは、あなたが児玉にですね、「親友のことでありますから、紹介をしてあげて、そうしてたしかこれは、私が児玉被告に東郷に会ってくれないかということを自分で言って、親友のことであるから、ねんごろにやってあげたわけです。」こういうのです。ですから、あなたが前に中曽根さんのところへ行って、児玉に会いたいような様子を見せたのじゃないのですか。そこのところはどうなんですか。
○東郷証人 ただいま議事録のようにお見受けいたしましたが、その中の文章をお読みになったと思うのでございますが、議事録は私、拝見しております。したがいまして、いまお読みになった内容についても拝見しております。
 その議事録の中で中曽根代議士が青春のロマンのことを大変うたっておりますが、その中でもって、私としても非常に大きな間違いがあるのじゃないかということを感じたわけでございます。と申しますのは、議事録の中に、一人の同期生の親がつぶれて、そのために大学に通わせた、みんなで力を合わせてお金を出し合って大学に行かせた、あとはアルバイトだというようなお言葉があったと思います。そこで同期生が十三人という数字になっております。これは十九人でございます。六人は、四人が戦死し、二人は戦後死んでおりまして、現在生き残っておる者は十三人でございます。したがいまして、当時の十九人と現在の十三人という、現在の数字の方を申されているのではないかと思います。かつまた、一人五円ずつ集めたと書いてございます。(稲葉(誠)委員「ちょっと、そんなことを聞いているのじゃないのです」と呼ぶ)いえ、私はこれを申し上げないと、いまのお答えにならないと思いますので、大変恐縮でございますが、お許し願いたいと思います。
 五円ずつ集めたと書いてございますが、当時の五円という金は、ちょうどわれわれの一カ月分の学費であったと思います。この集めた役は私がいたしておりましたので、五十銭でございます。したがいまして、その議事録の中にも数字的な誤りがあるということにおきましては、やはり思い違いとか御記憶違いとかいうものはあったのではなかろうかというふうに思います。また、諸先生は大変お忙しいお体で、いろいろの方を御紹介なさったり何かしておる中において、私は友人ではございますが、そういった中において紹介したのではなかろうかというような感じ方において、そのようなお発言ではなかったかというふうに思いますので、事実は、先ほど申し上げましたとおり、児玉事務所の方から私の会社の秘書室長の方のお電話ということでございます。
○稲葉(誠)委員 中曽根さんが来ることをあなたは予期しておられたのですか。
○東郷証人 私は予期しておりませんでした。
○稲葉(誠)委員 そうすると、中曽根さんは何であなたと児玉さんとが「千代新」で会うことを知っておられたのでしょうか。
○東郷証人 先方の事情は私にはわかりません。
○稲葉(誠)委員 そうすると、いま言ったように、あなたとしては中曽根さんが来るということは全く予期してなかったわけですね。だれが連絡したのかということもあなたはよくわからない、こういうわけですか。
○東郷証人 私は、児玉事務所の大刀川さんからのうちの秘書室長に対する電話によってお伺いしたのであります。
○稲葉(誠)委員 だから、その電話で行くときに、一体何を聞かれるのだろう、どういう用件であなたが「千代新」へ行くのだろうということについて、あなた自身はどういうふうにお考えになったのでしょうか。
○東郷証人 私自身は、先ほども申し上げましたとおり、どういうわけで私が初めてお会いする児玉先生に呼ばれたのか、児玉先生からお話があるまで一切わかりませんでした。
○稲葉(誠)委員 じゃ、どういうわけで呼ばれたかわからないところへ、どうしてあなたが出かけていくのですか。
○東郷証人 児玉先生からのそういったお呼び出しがございましたときに、私としては理由がわからないから行けないと言うことはできない立場であったと思います。
○稲葉(誠)委員 いや、それはよくわからないですな。聞いている人もその理由がわかりませんよ。ちょっともう一遍、そこのところをかみ砕いておっしゃっていただけませんか。
○東郷証人 児玉先生の当時のお力、政界あるいは財界等にお持ちのお力、われわれが聞いている範囲のお姿というものに対しまして、私としては、児玉先生のお呼び出しに対しまして、それを理由なくして断るということはできない、こういう意味でございます。
○稲葉(誠)委員 そうして中曽根さんが入ってこられたというのは、何か――どういうふうな話が中曽根さんと児玉さんとの間にあったのですか。
○東郷証人 私は児玉先生からのお話にお答えいたしまして、その後、それが済んでから中曽根代議士がお入りになってこられました。そうして後はどういう話であったかは私に関係のない話でありましたので、私としてはお先に失礼したわけでございます。
○稲葉(誠)委員 だけれども、どういうふうに呼んでいたかということですね。何かあなたが行ったときに、上座の席が一つあけてあったということを気がつかれませんでしたか。
○東郷証人 これは、私が部屋に入りましたときに、上座は後から中曽根氏が来られるからこちらに座りなさいということを指示されましたので、私としては御指示を受けた場所に座ったわけでございますから、そのときに私は後から中曽根氏がいらっしゃるということを聞いたわけでございます。
○稲葉(誠)委員 そうすると、なぜ中曽根さんが後から来るのだということを、あなたは児玉氏に聞かなかったのですか。
○東郷証人 私は児玉先生になぜ来るのかというような、児玉先生が御計画になっている座敷に対してその来る人がなぜかというようなことは伺えない私でございました。ただ、中曽根氏という名前において、通産大臣の中曽根さんですかということだけはお伺いいたしました。
○稲葉(誠)委員 その通産大臣の中曽根さんが、あなたとしては何のためにそこへ来たのだというふうにお考えですか。ちょっとしつこいのですけれども、児玉譽士夫さんから何らかの連絡があったのか、中曽根さんの方から児玉さんの方に連絡したのかわかりませんけれども、何かそこら辺になければ、あなたと二人が会っていることはわからないわけですね。だれが連絡したのですかな。大刀川でも連絡したのかな、どうなんでしょう。
○東郷証人 先方の連絡の仕方等については、私はわかりません。
○稲葉(誠)委員 そこで、小さなというか、細かい話になるかわかりませんけれども、児玉は中曽根さんのことを何と呼んでいたのですか。何か中曽根君と呼んでいたとかいう説もあるのだけれども、あるいは中曽根さんが児玉のことを児玉先生と呼んだとかということもあるかもわかりませんが、そこの細かいところなんですけれども、あなたのわかっている範囲で……。
○東郷証人 もうすでに四十八年、四年前の、足かけでは五年前の件でございまして、一言一言てにをはまで私の脳裏に残っているわけにはまいりません。児玉先生にしろ中曽根代議士先生にしろ、私にとっては偉い方でございますので、そのような事細かいことまではっきりした記憶はございません。
○稲葉(誠)委員 だけど、中曽根さんが入ってきて、あなたのために何か口添えをしたことはあるのですか。
○東郷証人 口添えというのは、どの件に関することでございましょうか。
○稲葉(誠)委員 たとえば、友達だからよろしく頼むとかなんとかということを、児玉譽士夫とあなたと二人のいるところへ後から来られて、児玉さんと何か話したんじゃないですか。常識的にそういう点は何か話したというふうに思われますよね。
○東郷証人 中曽根代議士がお入りになってまいりましたときに、私は中曽根代議士に、私のことで御心配願った、私としてはそういう形のごあいさつはさしていただきました。中曽根代議士は児玉先生に対して、友人だからよろしく頼むということは言われたと記憶しております。
○稲葉(誠)委員 そうすると、あなたは、中曽根さんと児玉さんとがそこで一緒になってお話されたのでしょうけれども、知り合いだということを、いつ気がつかれましたか。
○東郷証人 私は、同席をされたという時点で、お知り合いであるということを知ったわけでございます。
○稲葉(誠)委員 大刀川恒夫とあなたとはどの程度の知り合いだったのですか、いつごろからの知り合い、だったのですか。
○東郷証人 三月二十日に「千代新」で児玉先生に初めてお自にかかり、その後、三月二十九日だと記憶しておりますが、三月二十九日に児玉事務所に来るようにとのことで伺いました際、初めて大刀川さんにお目にかかる機会を得たわけであります。
○稲葉(誠)委員 その児玉事務所に行ったときというのは、どういうことがあったときですか。
○東郷証人 三月二十日の「千代新」でのお話の際に、戸栗享氏を連れてきたのは西山幸輝氏であるという児玉先生のお話がございまして、西山幸輝氏を知っているかというお話で、私はお名前は承っておりますがいまだお目にかかったことはございませんとお答えいたしましたときに、それではそのうち紹介しよう、このようなお話で、三月二十九日に児玉事務所に参りましたのは、西山氏を紹介しようという件で伺ったわけであります。
○稲葉(誠)委員 あなたは小佐野賢治とは直接お会いになったことはあるのですか。あるとすれば、何回くらいあるのですか。
○東郷証人 昭和四十五年から昭和四十六年にかけまして、積立式宅地建物販売法というのが議会で昭和四十六年に通過したわけでございますが、その積立式宅地建物販売法というものに関しまして、日本電建、太平住宅、三和建物、殖産住宅の四社でもって建築住宅協会というものをつくっておりまして、私、理事長ということに推戴されておりました。したがいまして、その打ち合わせ等におきましては、国際興業の会社に参りまして小佐野氏にお目にかかり種々お話をしたことが二回、その他は空港でお会いしたことが二回、空港でございますから、ほんのちょっとお話しした程度でございます。その四回ぐらいが私の現在記憶に残っているところでございます。
○稲葉(誠)委員 話が前になるのですが、四十七年の例の「一条」での集まり、木部さんと言いましたか、経済企画庁の政務次官の激励会か何かありましたよね。そのときに、あなたが行かれたときに、具体的に中曽根さん――いまさっき委員長からもありましたけれども、具体的にどういう話があなたにあったのですか。
○東郷証人 「一条」での話と申しますのは、私が次の会を控えておりましたので末席を汚しておりましたが、中曽根代議士が御臨席になりましたときに、どうしても隣の席に座ってくれということを言われまして、それで隣の席に移ったわけでございます。そのときに私に、友人としてだろうと思いますが、将来の総裁選というものを目途としているんだ、したがってそれには金がかなりかかると思う、幸い、いま名前は言えないけれども、二十五億ばかり都合してくれる方がいるから、何とかこれを元手に資金をつくりたいんだ、あんたのところも株を上場するそうじゃないか、政治資金というものはそういった場合に数多くつくられている例があると聞いているんだ、したがってその例にならって私も若干政治資金をつくりたいんだ、何とか協力してもらえないだろうかというお話をいただいたわけでございます。
○稲葉(誠)委員 二十五億円という数字が出たことは御記憶ですか。
○東郷証人 私は二十五億という数字は記憶しております。
○稲葉(誠)委員 二十五億をだれが調達するというのですか。中曽根さんの知っている人が調達するというの。そういうことですね。調達して、それでその金でどうするというのですか。答えはその間が抜けているような感じがするのですよ。
○東郷証人 ただいま申し上げましたように、いま名前は言えないがということがございましたので、私はどの方かということは存じませんし、どうやってその金ができるのかとか、そういうことは伺っておりません。
○稲葉(誠)委員 後でその人がだれだということは、あなたは赤坂の中曽根さんの事務所に行ったときにわかりましたね。
○東郷証人 昭和四十七年八月の三十日だったと記憶しております。北野アームスに伺いましたときに、先ほど申し上げました戸栗享氏の口ききで、東京相互銀行の長田氏が金を出すんだという話を伺いました。
○稲葉(誠)委員 それで、あなたは戸栗の線での金策は断ってもらいたいと言って断った、こういうことですね。
○東郷証人 そのとおりであります。
○稲葉(誠)委員 中曽根さんの事務所へ一体あなたは何しに行ったのですか、八月に。
○東郷証人 いまの北野アームスのことでございますか。
○稲葉(誠)委員 赤坂にあった中曽根さんの私設事務所を訪れたというのでしょう、そうじゃないのですか。
○東郷証人 赤坂と三宅坂の中間にある北野アームスでございます。
 いまの御質問は、なぜ行ったかということでございますか。――これは八月の二十九日に野村証券が参りまして――中曽根氏に野村証券としてつくっていただきましたその枠は、私としては、八月の二十三日に北裏野村証券社長から何とかしようとおっしゃっていただいたので、野村証券と中曽根代議士との間におけるお話でそれが進むものと思っておりましたところ、八月の二十八日に野村証券の幹部の方々がおいでになりまして、殖産住宅でめんどうを見るように、殖産住宅の関連会社二十社を選ぶように、そのようなお話があったがために、殖産住宅でも若干お手伝いをしなければならない立場になりました。したがいまして、三十日にお時間をいただきまして、その旨をお話しに行き、そうなりますと、殖産住宅の方に、払い込み資金を殖産住宅の口座にしていただかなければならないということになりますので、その件についてお伺いしたわけであります。
○稲葉(誠)委員 中曽根さんはこの前のときに、「政治資金を応援してくれよ、同窓生のことだからそんなことも頼んだ記憶があります。その後、ある人が私のところに来まして、殖産の株が上場されるについては利益が出るはずだ、それを自分も買いたい、しかし自分の名前を出すのはまずい、あなたの名前で東郷君に頼んでみてくれないか、そういう話がありまして、じゃ頼んでみてあげましょうというので、東郷君にその話をしまして、どれくらい買うのかと言うから、たしか二十億でも三十億でも多々ますます弁ずだ、そういう話だと言って別れました。その後会ったときに、一体だれがそういうことを言ってきているのかということだから、これこれの人だと言ったら、それはだめだ、それはおれの会社をねらっているやつだ、だからだめだ、そういうことでしたから、そのことを先方に伝えてその話はおじゃんになったわけです。」こう言っているんですね。ちょっと早口で読んであれかもしれませんが、この「ある人」というのはだれだというふうにあなたはお考えなんですか。戸栗ですか、戸栗亨氏ですか。あるいはいわゆる小佐野筋と言われる人ですか。はっきり答えてください。
○東郷証人 ただいま申し上げましたように、八月の三十日に伺いましたときに、戸栗亨氏の口ききで東京相互銀行の長田氏が金を都合するんだ、こう申されたわけでございます。
○稲葉(誠)委員 戸栗氏というのは、いまさっき言ったように、小佐野氏とも非常に、何というか、手助けしているというような人ですね。その人と中曽根さんともまた知り合いだったというふうに理解されるわけですか。
○東郷証人 私は、その時点で初めて戸栗氏の名前が中曽根代議士のお口から出たわけでございまして、戸栗氏と中曽根氏との間がどうで、それまでどうであったか等につきましては、一切存じませんでした。
○稲葉(誠)委員 あなたと中曽根さんとの関係は、「東郷君とは旧制静高時代の同窓で、友人としてつき合っております。その後、現在は別にお互いが交通し合っているという関係ではございません。」こういうふうに中曽根さん言っておるんですよね。そうすると、もとは友人としてつき合っていた。中曽根さんはあなたのことを親友だ親友だと言うのですね。高等学校時代のロマンの話が出て、親友だと言うのですね。これだと、別にお互いが交通し合っているという関係ではない、こう言っておるのですよ。これは、あなたから見ると、現在そういう状態ですか、まずそれが一つ。とすれば、どこにどういう理由からそういうふうになったというふうにあなたはお考えでしょうか。
○東郷証人 確かに、私の事件以降お目にかかったことは、私が小菅から出てまいりまして、ごあいさつに伺ったとき一遍、それ以降はございません。
○稲葉(誠)委員 だから、親友だ親友だと言うが、どうしてそういうふうになってしまったのですか、こう聞いておるのですよ。
○東郷証人 親友というものは、会っているから親友であるということにはならないと思います。会わなくても親友には変わりないと思います。
○稲葉(誠)委員 そんなことは――それは常識かもわかりませんけれどもね。親友論を聞いておるわけではないのでね。現在は別にお互いが交通し合っているという関係ではないというのです。何か仲たがいしちゃったのじゃないですか。仲たがいした理由は一体何なのですか、あなた。言えるでしょう。
○東郷証人 親友を無理に仲たがいの間に置いていただきたくないと思います。
○稲葉(誠)委員 大刀川という人とその後の交際関係というものはどういうふうになっておるのですか。
○東郷証人 強要罪の裁判で証人として私が出廷いたしますときに、お顔を拝見するくらいでございます。
○稲葉(誠)委員 その強要罪というのは、具体的にはどんなことですか。
○東郷証人 昭和五十年の三月十九日に大刀川氏から、私、取締役を辞任して相談役になれということを言われたことが、強要罪という刑事裁判になっているのでございます。
○稲葉(誠)委員 そのことで強要罪というか、会社をあなたがやめるとかそういうようなときに、あなたは親友である中曽根さんに助力を求めなかったのですか、相談しなかったのですか。
○東郷証人 私は、そのようなことで、中曽根代議士が親友であるからといって助力を求めようというような気持ちに当時はなっておりませんでした。
○稲葉(誠)委員 言葉じりをつかまえて恐縮ですけれども、当時はなってなかったというと、そのほかはなっていたという場合もあったという意味ですか。
○東郷証人 積立式宅地建物販売法をつくることにおきまして、建設省あるいは自民党等との折衝におきましても、その時代においても、私は中曽根代議士に相談してその手を煩わす、親友だからいいんだという考え方と、政治家としての中曽根氏というものとの考え方は、私は峻別しております。
○稲葉(誠)委員 いまの何とか割賦販売法というのは四十六年七月にできたのですか、そのときに有力政界筋との結びつきが弱かったためにいろいろあなたも苦労されたということから、その後中曽根さんにあなたの方から積極的に近づいていこうという気持ちになったんじゃないんですか。
○東郷証人 御承知のとおり、当時の法律におきましては不動産税制等の問題もございまして、不動産業者というものに対する御認識、諸先生方にも立場を理解していただきたい、そういった意味合いにおきまして、当時実力者の一人であるというふうに言われておりました中曽根氏と不動産業者の諸会社の社長さん方との接触の度を強めることはいたしました。
○稲葉(誠)委員 児玉譽士夫との交際というか何というか、どういう言葉を使ったらいいでしょうかね、いまの「千代新」のやつはわかりましたが、その後の、会ったり、それから会ったときどういうことがあったとか、行き来とか、それはどういう状況でしょうか。
○東郷証人 児玉譽士夫先生にお目にかかりましたのは、「千代新」で三月二十日、三月二十九日、児玉事務所で西山幸輝氏を紹介していただく際、四月に入りまして倉林公夫氏から殖産住宅の株はすべて谷口経済研究所にお願いしてあるという、総会はお願いしてあるということを申し上げました際に、その件はおやじに話しておいた方がいいということで、翌日、たしか四月の十二日か三日だと思いました、児玉事務所に行きましてその旨お話ししたので三回目。四回目は、児玉先生の方からの御連絡で岡村吾一氏を紹介するからということが四回目、それが四月の二十日であったと思います。五回目、五月に入りまして総会も近づきましたので、私はそのごあいさつに行きましたのが五回目。六回目、総会が終わりましたときのごあいさつに行きましたのが六回目でございます。
○稲葉(誠)委員 あなたが四十八年七月ですか、東京拘置所を出られてから中曽根さんのところに行かれたんですか。行かれたときの話というのはどういうことだったんでしょうか。
○東郷証人 四十八年の七月の十二日に東京拘置所を釈放されまして、その後十月ごろであったと思います、私は中曽根代議士のところに、出てきたごあいさつに上がりました。
○稲葉(誠)委員 ごあいさつに行ったというんですか、そのときにはあなたの方で中曽根さんに謝ったことが何かあるのですか、あるいは逆にあなたの方で中曽根さんを責めたということがあるんですか。
○東郷証人 先ほど来の御質問の中にも多々出ておりましたが、児玉先生と中曽根さんの関係とか、中曽根代議士と戸栗氏との関係とか、いろいろ御質問の中にありました。やはり私、しばらく別荘に行っております中に、そのような関係がどのような関係であるかということを狭い部屋でも考える時間がございます。疑問がたくさん出ております。したがいまして、私はそのような疑問につきまして私自体当人にそれを聞いたわけでございます。が、そのようなことはないということをはっきり申されましたので、私は友達の言を信用いたしますということで、帰ってまいりました。
○稲葉(誠)委員 その疑問が出たという疑問、それはどんなことでしょうか。私が前から質問しておったこともあるかもわからぬし、そうでないこともあるかもわからぬが、どういうことでしょうか。
○東郷証人 あのような狭い部屋で考えていることは妄想だとかいろいろなものが多うございまして、そのようなことから、いろいろな点についてわからないこと、すなわち疑問というのは、わからないことを聞いたわけでございます。
○稲葉(誠)委員 だから、聞いたのは疑問でしょう。疑問でなければ聞かないんだから。疑問というのは、どういう点を聞いたんですか。
○東郷証人 戸栗氏を通じて長田氏が金を払い込むということが、なぜ最終の時点でなきゃあぼくがわからなかったんだろうかとか、そういうような点、その前にもっと早く話していただければ、もっといいスポンサーが見つかったであろう、そういうような点でございます。
○稲葉(誠)委員 何かあなたが、「済まなかった、そういうことを同窓を通じて私のところへ言ってきておるのであります。」こういう中曽根さんの証言なんですがね。何かあなたの方で、済まなかったと言って、謝っていったんですか、人を通じて。
○東郷証人 私は済まなかったという気持ちで行った覚えはございません。
○原委員長 小林進君。
○小林(進)委員 ちょっと関連でお伺いいたしますけれども、時間もありませんから、ほんの要件だけをちょっと申し上げます。声は大きいのですけれども、決して腹は悪くありませんから、どうぞリラックスしてお聞き願いたいと思います。
 ここにあなたが検察庁でお答えになったという若干の資料があるのであります。その中では、あなたは、中曽根代議士が上座に座ってから、中曽根さんが、あなたにまで心配をかけたことを児玉先生から聞いたが申しわけない、こう言われたということで、中曽根さんの始終児玉先生という言葉をお使いになっていたということがあなたの証言の中に出ております。先ほどもその質問出ましたが、何か記憶がないというお話でございましたけれども、いま向こうに検察庁もおいでになっておりますので、ここで話が食い違いますと、むしろあなたに将来不利になっちゃいけませんので、そこら辺はひとつ正確にもう一回お聞かせ願いたいと思うのであります。中曽根さんが児玉先生と言い、児玉さんが中曽根君と言ったかどうか、いま一度ひとつ明確にお聞かせを願いたい。
○東郷証人 大変いま先生から私の立場について思いやりのあるお言葉をいただいたことについて、ありがとうございました。その思いやりのある言葉は、やはり第一審における私の申し上げたこと、あるいは他の証人が申し上げていることどもが第一審における真実の解明であったのではないかというふうに思っております。
○小林(進)委員 ちょっとはっきりしませんが、時間がありませんので、次に申し上げます。
 次に、上和田秘書の五億円の金ですけれども、その五億円も、率直に申し上げますけれども、あなたの方は、二十五億の金を立てかえてくれないかということはあったが、そのときにそれは拒否した。けれども、そのときに五億の金はあなたの政治資金にひとつ差し上げましょうということで、あなたが株の売買のために用意された金の五億円を中曽根さんにおやりになった。そのときに中曽根さんは秘書の名前にしてくれよということで、上和田の秘書の名前にした、こういうふうなことになっているというのでありまするけれども、この点も先ほどの質問に出ませんので、明確にひとつお知らせをいただきたいと思います。
○東郷証人 先ほど来申し上げておりますとおり、野村証券が中曽根代議士との連絡において、中曽根代議士に対して殖産住宅の株がいくのであるというふうに思っておりましたところ、野村証券から、殖産住宅で二十社ぐらい選んで、そしてその中から野村証券でつくった枠に充当させるということでございました。ところが、その払い込み資金が、先ほど来申し上げたようなことで、戸栗氏の口ききであったということで、断らした。断らしたのは、私が会社の社長として、そのような会社乗っ取り側の手に渡ることを非常におそれたからであります。したがいまして、断らした以上、これは新たなるスポンサーができないと言われれば、私の立場として何とかしなければならないという立場になりまして、私自体中曽根代議士のために立てかえて金をつくらなければならないということで、三井銀行の方にお願いして払い込み資金をつくっていただきました。したがいまして、野村証券も最初から中曽根代議士のためということでやっていただいております。私も中曽根代議士のためのあっせんであるということでやっておりました。資金の払い込みは、借入金の名前は私の名前でいたしましたけれども、これも中曽根氏のための借入金でございまして、私自体が使う借入金ではございません。したがいまして、その百万株が売られてできたお金というものは、全部すべてのものは中曽根氏のためということでできた金でございます。したがいまして、十三億幾らかできましたが、法人十社を使いましたその税金関係、法人十社に対する謝礼関係等、お渡ししても絶対大丈夫な数字というものが五億円という数字でございます。したがいまして、五億円について、その処置方について御指示を得に参りましたら、秘書の上和田義彦氏の名前で預金しておいてくれということで、その御指示どおり、陽室長にその御指示を実行させたわけでございます。
○小林(進)委員 なかなか皆さん方御商売の専門の用語で、私も理解に苦しむところがありますけれども、われわれの言葉をもってすれば、ともかく二十五億ですか、の金を総裁選挙その他に必要だから立てかえてくれと言ったが、あなたはそういう性質の金ならばということでお断りになった。お断りになったが、それでは中曾根さんが政治家としての資金源がなくなるから、やはり幾らかあなたの方でめんどうを見なければいけない、こうお考えになって、三井銀行その他のやりくりがありましょうけれども、最終的に五億の金を中曽根さんに用立てをされた。そのときに中曽根氏が秘書の名前にしてくれやと言われたから、上和田氏の名前にしてその五億円を払い込まれた。大体こういうふうに解釈してよろしいでしょうな。――よくわかりました。
 この問題はこれにいたしておきまして、次に一つお伺いをしておきたいのでありまするけれども、何しろ時間がないのが残念でありますけれども、大刀川と児玉、大刀川と中曽根氏の関係を私はお聞かせいただきたいと思うのであります。時間がないのでありますが、大刀川に念書をとられた直後、四百五十万円相当の外国製の懐中時計と、総会のための費用ですか、二百万円、それから総会後五百万円、計一千百五十万円相当の金品を、あなたの側から言えば取られた、大刀川に受け取られた、こういうことになっておりますが、これは間違いございませんでしょうか。そして、いつごろでございますか。
○東郷証人 いまの御質問は、事実と違うことの御質問ではなかろうかと思います。私が大刀川に金品を贈ったりお金を贈ったかのごとき御質問でございますが、それは、いま強要罪の裁判でございますが、大刀川氏が私を強要をしたということにおいて、他から大刀川氏がお受け取りになったことではございませんでしょうか。私が強要されたために金品をやるというのはおかしいと思います。
○小林(進)委員 これは他から得たのかもしれません。
 いま一つ申し上げます。
 四十八年の三月の二十日に、児玉系右翼、これはA、アルファベットのAだということですが、児玉の著書五十部を二百数十万円であなた、東郷に売りつけたということも出ておるようでございますが、この真偽はいかがでございましょう。
○東郷証人 それは、三月二十九日、西山幸輝氏を招介されたということを申しました。「風雲」という本であると思います。その本を五十部殖産住宅で買うようにというお話で、私の会社の方で五十部いただいたという記憶はございます。
○小林(進)委員 四十八年の五月二十八日の株主総会の後で、二百万株をあなたは謝礼として児玉譽士夫に手渡したということも出ておりますが、この真偽はいかがでございますか。もしこれが事実とすれば、一体謝礼というのは何の謝礼を意味しているのか、お聞かせを願いたいと思います。
○東郷証人 ただいま二百万株とおっしゃいましたが、二万株の間違いではなかろうかと思います。これは、岡村吾一氏を紹介いただきましたときに、岡村吾一氏から、ことしは委任状で総会に出るけれども、来年からは株主として出られるように考えてもらいたいというお言葉がございました。したがいまして、私としては、謝礼という意味でも殖産住宅の株主になっていただかなければならないとの考えで、二万株お持ちしたわけでございます。
○小林(進)委員 二万株やったわけでございますね。
○東郷証人 はい。
○小林(進)委員 二万株、大したものでございますな。われわれ貧乏人から見れば、二万も二百万も同じようなもので、驚くようなものであります。皆さん方からすればずいぶん差がありましょうけれども、二万株というのは大したものでございます。
 あなたのどこかにおけるお話ですか、証言ですか、「千代新」で児玉と面会をしているときに中曽根氏が出てこられた。そのときには、あなたはまだ友人として大変親切にしてくれるなというふうに考えていた。そのとき、彼に中曽根氏が、児玉先生、東郷は友達ですからひとつよろしくお願いしますと、口添えをしてくれた。そのころは私はまだ彼らのからくりがわかっていなかった。だから、ほう、中曽根君はやはり親友だな、内心私はそう考えていた。しかしその後、大刀川恒夫と、これは三月二十九日だと思いますけれども、名刺を交換して、大刀川とは何者だろうというようなことを調べていく過程においてからくりがわかった。二十五億円は、先ほどのお話にありましたように、小佐野筋から出ていて、どうも殖産というものを乗っ取ろうとする、そういう意図があるということに気がついて、私は裏切られたような気持ちになった。それが先ほどの御答弁にありましたとおり、あなたの言葉をもってすれば、小菅の別荘から出てこられたときに中曽根氏に会って、君はおれを裏切ったと言って、あなたは面罵された。こういう一連の筋書きがずっと流れているわけでございますが、これは一番重要なところでございますので、ひとついま一度そこら辺の話を正しくお聞かせを願いたいと思うのであります。
○東郷証人 確かに大刀川氏が中曽根代議士のところの書生をやっていたということは、私が昭和四十八年三月二十九日に大刀川氏から初めて名刺の交換を受けました後に私は知ったことは事実でございます。したがいまして、大刀川氏と中曽根代議士との関係、それはその時点で存じております。また、一連の関係、すなわち戸栗亨氏の口ききで長田氏からの、いわばおそれている、会社乗っ取り側という言葉はよくございませんが、いまのお話の中にもございましたその言葉を利用させていただくならば、そのような側の金につきまして私は危惧したことも事実でございます。したがいまして、そのような関連下において私自体が所得税法違反ということにおきまして小菅に連れていかれまして、いろいろな諸種のもろもろの関係につきまして私なりで解きほぐそうとして解きほぐせなかった部分につきまして、昭和四十八年の十月何日でしたか、出てきましたごあいさつを兼ねて、中曽根氏に私の解きほぐせなかったものについて聞きましたところ、そのようなことはないと申されましたので、私は友人の言葉を信じている現在でございます。
○小林(進)委員 あなたは小菅から出てこられてそのからくりがわかった。君はわしを裏切ったなと言ったときに、いや、真意はそうではないと言われて、現在はやはり友情に変わりはないという心境でいるということをおっしゃったのでございますけれども、出てきて面罵したそのときに、直ちにあなたは自分の考えたことが間違いであったとお考えになったのか。それから今日まで幾月かの歳月を経て、やはりわしも年を食ったし、いまさら中曽根氏を傷つけても、というようなことの心境の変化でいまの御答弁になったのか。いま少しそこをお聞かせを願いたいと思います。私どもの方にも実はいろいろの資料がございますものですから、余り食い違いますと大変なことになりますので、お聞かせを願いたいと思います。
○東郷証人 面罵したという言葉がどのような文章の中にあったのかは、私は記憶しておりませんが、面罵したという前提のもとの御質問ですと、いまのような御質問になると思います。私は面罵をした覚えはないのでございます。ただ、私が不思議だな、わからないなと思ったことについておただし申し上げたところ、明快なるお答えを得ておりますので、私は友人の言葉を信じて現在いるということ、心境が変化したりなんかしたということではございません。
○小林(進)委員 いま一回言いましょう。そういたしますと、「四十八年の七月、私は小菅から出てきてはっきりこう言った。君まで向こう側」向こう側というのは小佐野、児玉であります、戸栗の方であります。「向こう側とぐるで私を裏切ったのかと私は中曽根君に面と向かって難詰した事実はあるんです。」こういうことになっておるわけでありますが、この点はいかがでございますか。
○東郷証人 大変恐縮でございますが、その資料はどういう資料でございますか。私の裁判記録の中にあったものでしたら、そのとおりであると思いますが、そうでない場合に、どういう資料かお教え願えると大変ありがたいと思うのであります。
○小林(進)委員 残念ながらここの証言台は、あなたの質問に対してこちらは答えるというシステムではございませんので、……(「それはひきょうだよ」と呼ぶ者あり)そんなことはありませんよ。この証人というのは、私の方が問うことをあなたはお聞きしておればよろしいのであって、それが証言法のたてまえなんでありまするから、そんなことを言っちゃいけません、あなた方は。まだ国会に出てきたばかりのイロハのわからぬときに……。
 そこで、私は問題でありまするからお伺いいたしますけれども、私に与えられた時間は、まだ質問は幾つか用意しておりますけれども、もう来てしまって残念でありまするが、あなたは「千代新」で児玉とお会いになりまして、そして話の途中でふすまをあけて中曽根氏が入ってこられて、児玉先生、東郷君が私の友人云々の話がありましたが、その後は、あなたに関する話は別にして、もろもろのことをお二人の間で話があった、こういう証言があったわけでございますが、その様子を見て、この中曽根氏と児玉の間では、お二人の間では非常に親しくてよく会っておられるというふうな感じを受けましたか、あるいはほんのしばらくぶりに、長い間のどうも途切れた感覚の中で偶然にもしばらくぶりでお会いになったという感じを受けたのか、その話のぐあいの状況を、あなたの感じられたままのことをお聞かせを願いたい、それが一つ。
 それから、あなたの方の話がなくて、あなたは途中で帰ったと言いますけれども、その三人の中であなたが一番先に帰られたのか、あるいは中曽根さんが一番初めに帰られたのか、その別れて帰る順序をひとつお聞かせを願いたいと思います。
○東郷証人 私は先ほども申し上げましたけれども、大変りっぱなお二人の先生のお席に参ったので、心落ちつけて客観的に、お二人の関係がどうであろうというような推測をする余裕はございませんでした。なおかつ、私は先に帰りましたので、後からどなたがどうお帰りになりましたのかもわかりませんでした。
○小林(進)委員 もう時間も過ぎましたから、これ一問で私は終わります。約束でございますので一問で終わりますが、あなたはその「千代新」に、児玉氏に三月の十九日ですか、明日の二十日ですか、二十日の午後の九時という時間を指定せられて、しかもあなた一人でいらっしゃい、こういう電話を受けて、先ほども言うように、児玉さんという人は非常に偉い人だから、これはともすると一人で来てわしは身柄を拉致――拉致という言葉は少し強いかもしれませんけれども、これはどうなるかわからぬという、非常に心配だった。非常に心配だったが、行かなければさらにこれは大変なことになるだろうということで、悶々として、まあ楽しからずだ。けれども、そのことを奥さんに言えば、あなたの奥さんも大変これは跳び上がって心配するだろう。家内の者に迷惑をかけちゃいけないということで、一人胸の中におさめて、そして指定された午後の九時にあなたは一人で出かけていかれた。大変、恐怖と言っちゃなんでありまするけれども、心配といいますか、半分恐れ、半分憂えといいますか、そういう気持ちでおいでになったということも承っておりまするが、その点はいかがでございましょうか。
○東郷証人 どのような目的で、どのようなことで呼ばれるのかわからないという時点におきましては、いま先生の御指摘のような気持ちがなかったということは私は言えないと思います。
○小林(進)委員 もう時間が参りましたので終わりますが、どうもきょうはありがとうございました。あなたの裁判が一度は無罪になりましたので、どうかこれが最終的にも無罪になられることを私もお祈りいたしまして、私の質問を終わります。
○原委員長 坂井弘一君。
○坂井委員 東郷さんが証人としておいでいただくことの決まりました先週以後、児玉あるいは児玉グループ、小佐野氏、中曽根氏から何らかの連絡なりお話ございませんでしたでしょうか。
○東郷証人 私自身は一切そのような御連絡をいただいた覚えはございません。
○坂井委員 順次伺ってまいりますが、最初に、四十七年の三月の九日の、いわゆる「一条」における出来事でございます。この席上では、中曽根さんの証言によりますと「何か上場するというお話だけれども、その際に多少でももうかればおれの方の政治資金を応援してくれよ、」こういう証言であります。このときには二十五億云々の話は一切出ておりませんか。
○東郷証人 二十五億という数字を承ったのは、その席であったと記憶しております。
○坂井委員 それでは、その後四月の二十八日に料亭「中川」で会われたと思いますが、その席では中曽根さんからのお話はどういう内容の話だったでしょうか。
○東郷証人 三月九日にそのようなお話をいただきましたけれども、殖産住宅といたしましては株式公開は初めてでございます。社長の私といたしましても未経験なことでございます。またこれから公開準備をしなければならないという段階でございました。私としては唐突な話としての受けとめ方しかできませんでしたので、私として何ら中曽根代議士の意にこたえる行動をしておりません。御報告もしておりません。
 また、いまの御指摘の日にお会いしましたときに、この前言ったことを何とか頼むよというお話がございました。私、五月にロンドンで開かれます世界不動産会議に出席のため一カ月問留守にします。したがいまして、それでは、それから帰ってきてから、私は新日本証券の大石当時常務に、どうやったらいいのかということについての御相談をして、お力をかりられるように努力してみようということでお別れしたのであります。
○坂井委員 あらかじめお断りしておきますけれども、あなたが検事に述べられたことあるいは公判廷でのこと、調書の内容等につきましては私どもの方で相当克明に実は承知をいたしております。その上に立ちましてお尋ねをいたしたいと思いますので、どうか要点につきましてお答えをいただきたい。
 つまり、四月二十八日の「中川」での中曽根氏からあなたに対する話は、ここで初めて、総裁選に出るために二十五億の資金が必要である、何とか上場の前に公開値で買わしてくれ、そうすると、それで上場のときに売れば相当な利益が出る、政治資金というのは皆そのようなことでつくるそうだ、買う資金としては二十五億円まで出してくれると言っているのだ、何とか考えて協力をしてくれ。こういうことをあなたは述べていらっしゃると思いますが、ここで言われた二十五億の資金につきましては、新株を購入する資金としての二十五億、それから総裁選に必要とする資金の二十五億、これはイコールの形でのお話であったように思いますが、いかがでしょうか。そうであればある、なければないで結構でございます。
○東郷証人 私が伺った金額の数字は、用意ができるという金額の数字でございます。私はそのように受けとめます。
○坂井委員 続けてまいりますけれども、中曽根さんは証言で、続けてこのように言っておられます。「その後、ある人が私のところに来まして、殖産の株が上場されるについては利益が出るはずだ、それを自分も買いたい、しかし自分の名前を出すのはまずい、あなたの名前で東郷君に頼んでみてくれないか、そういう話がありまして、じゃ頼んでみてあげましょう」。これはある人から頼まれた。頼まれたから、東郷さんに頼んでみてあげましょうということで、東郷君にその話をしまして、つまりあなたはそういう話を中曽根さんから聞いたかということをお聞きしたいのが一点。
 それから、あなたがどれくらい買うかと言うから、「たしか二十億でも三十億でも多々ますます弁ずだ、そういう話だと言って別れました。」これは金を出す人が二十億でも三十億でもいい、多々ますます弁ずだというように中曽根さんがあなたに伝えた、こういう証言になっておりますが、この証言に誤りはございませんか。
○東郷証人 私は、中曽根代議士が御証言なったということについて、誤りがあるとか誤りがないとかいうことを申し上げるためにここに参ったのではないと思います。私は私の経験、事実において申し上げれば事足りると思います。したがいまして、私が申し上げたいことは、中曽根代議士がだれから頼まれてこうしたとかいうようなお話がございましたが、私は中曽根代議士の側のそういうことまでの詳細は逐一知っているわけではございません。私は、中曽根代議士からのお話は、将来の総裁選に備えて金が要るから金をつくりたいんだというお話を受けたわけでございます。
○坂井委員 お考え違いされないようにお願いしたい。実はあなたと中曽根氏との事実関係について聞いているわけです。一方の中曽根氏は、私がいま申しましたような証言をされましたので、その相手方のあなたが中曽根氏の証言と同じようなことであったのでしょうかどうでしょうかということを聞いているのでありますから、そのことに対しまして、そうであればある、なければない、ない場合においてはかくかくしかじかである、こうお答えをいただきたいということであります。これは本論ではございませんのでその辺にいたしまして、次に、なおお尋ねをいたしてまいりますので、そうした意味から趣旨をお受け取りいただきまして的確にひとつ御証言をいただきたい。
 今度、あなたの「週刊現代」の手記でございますけれども、「私はやむなく、株の払込資金の中からそのかわりに親友である中曽根君に五億円用立てることにした。そのとき中曽根君は「秘書名義にしてくれ」といった。私が資金を分散するために上和田秘書の名義を借りたということではない。」こうあなたは手記に書かれています。これは間違いございませんですね。
○東郷証人 いま「週刊現代」の手記ということを申されましたが、私は自分で原稿を書いて「週刊現代」にお渡しした覚えはございません。「週刊現代」の記者とお会いしていろいろな御質問に対して要点は答えた覚えはございますが、手記として自分が書いて原稿をお渡ししたという覚えはございません。
○坂井委員 では、いま私が申し上げました内容につきましては、これは誤りはないでしょうか。
○東郷証人 上和田義彦氏名義の五億円の預金の件に関しましては、前の先生の御質問に答えたとおりでございまして、私側における事実は先ほど申したとおりでございます。
○坂井委員 この五億円の金につきましては、四十七年十月六日に上和田義彦氏名義でもって三井銀行銀座支店に振り込まれた。十月の六日ですね。その前日、つまり十月の五日、あなたは中曽根氏とお会いになりましたか。
○東郷証人 十月四日、五日の両日にわたりまして公開に値つけ株として出したものが金となりました。それで十月五日の夕刻、私はこれだけのものができたということについて御報告に参りました。
○坂井委員 十月五日の夕刻御報告に参った、つまり中曽根氏に話をした場所、そしてその話の内容につきまして、要点をいま少し正確に御証言をいただきたいと思います。
○東郷証人 私が中曽根代議士とお会いするのは砂防会館の事務所が多かったように記憶しておりますので、恐らく十月五日の夕刻お伺いしたのも砂防会館の事務所であったというふうに思っております。そこに伺いまして、百万株売却によってできたお金の額、十社の名前を利用いたしましたので、これは野村証券の指示でやったわけでありますが、名前を利用したということにおける十社の負担税金並びに十社に対する礼金等を差し引いて、五億は完全に中曽根氏がお使いになれる金であるということを御説明申し上げ、その五億の金をどうしたらいいかという御指示を仰ぎに参ったわけであります。
○坂井委員 上和田秘書の名義を使って五億の金を預金するということにつきましては、この名義を使うことにつきましてあなたの方から上和田氏の名義と、こう言ったのでしょうか、それとも中曽根さんの方から上和田氏の名義にしてくれ、こういう話であったのか。
○東郷証人 公判記録でも明らかにされているように、御指示を仰ぎに行ってその御指示どおりにしたのでありますから、私の方からの案ではございません。
○坂井委員 そういたしますと、十月六日時点で上和田氏名義で預金されました五億の金は、事実上は中曽根氏の所有する金、献金をした金、こういうことになりますか。
○東郷証人 献金という言葉では、これは相手がその方に差し上げるという意味であると思います。先ほど来申し上げているように、この株の性格は野村証券がつくってくれたものであり、払い込み資金が先ほどの事情で私が努力せざるを得なくなったようなものである。したがいまして、あくまでもその株によってできたお金というものは、中曽根代議士の政治資金という意味合いのお金であったと私はその当時は理解しておりました。
○坂井委員 その後の経緯につきましては省略をいたします。四十八年三月二十日、「千代新」での児玉とあなたの出会いにつきまして、中曽根さんの証言によりますと、「そんな話を私にしまして、」云々とこうありまして、「それじゃおれが児玉氏に頼んであげよう、会ってみなさい、そういうことを私は言うたです。」つまり、あなたに中曽根さんは一たん話をちゃんとした、児玉さんに会ってみなさい、そう私は言った、中曽根さんがあなたにちゃんと言った。言ったか言わなかったか、つまり、あなたの方は聞いたか聞かなかったか、これが一つ。
 それから「そんな話を私にしまして」と、この情景まで中曽根さんは証言していらっしゃるのですが、「そんな話」まであなたはお聞きに――中曽根さんの証言が正しいとすれば、あなたは聞いているはずだと思いますけれども、聞かれたかどうか。その後さらにこの証言は続きまして、「おれが児玉氏に頼んであげよう、会ってみなさい、そういうことを私は言うたです。」それからその後ずっと続きまして、中曽根さんが児玉のところに電話か何かで連絡をする、東郷さんに会ってくれるか、結構だということでもって、場所は「千代新」、日にちはいつ幾日、こう決めた。決まったので、それを改めてあなたに「私は東郷君に、こういうことだから会ったらいいでしょう」「もし時間があれば行きますよ」、こういうふうに証言はなっているわけです。つまり、二回にわたってあなたに連絡をした、それをあなたは聞いたのか聞かなかったのか、その点一点だけ、聞いたならば聞いた、聞かなかったならば聞かないということだけはっきりと、イエスかノーかでお答えをいただきたい。
○東郷証人 先ほど来御証言申し上げましたとおり、児玉事務所の秘書の大刀川恒夫氏から陽室長の方に御連絡をいただきまして、「千代新」に指定の時間に参ったのが事実でございまして、それ以外のものはございません。
○坂井委員 では、あなたは一切聞いていないということでありますね。これは明快であります。
 では、重ねて大変恐縮でございますが、あなたの方から中曽根さんに、実は児玉から「千代新」に夜九時に出てこい、こういう連絡があったのだ、一体どうしたものだろうかというような――その前にもあなた自身が中曽根さんとの親友関係、それから恐らくあなた自身も、中曽根氏は児玉氏との間においても知り合っておる。ですから、児玉からそういう連絡を受けてあなたはびっくりした。じゃ何よりも真っ先にまずあなたの大の親友である中曽根さんに一度その様子を話をして相談してみよう、こういうようなお気持ちにはなりませんでしたか、ないしそういう気持ちがあったれば、中曽根さんには相談はしておりませんか。
○東郷証人 私はその席で中曾根代議士が後から来るということを知って、児玉先生に通産大臣の中曽根さんですかという御質問をしているわけでございますので、私はいま御質問のようなこと、私自体が中曽根代議士のところにお願いに行くとかいうことはあり得ないと思います。
○坂井委員 大変はっきりしました。
 もう一つ聞きます。同じ三月二十日の夜、「千代新」でのその同じ日の夜、築地の「河庄」におきまして何事かあった。それをあなたは御存じですね。
○東郷証人 同日の夜、築地の「河庄」においてございました件につきましては、その日は私、知りませんでした。翌日、野田卯一代議士が東郷社長退任勧告書というものを私の家に持ってまいりました。昨夜、当時の衣笠専務取締役、高知尾取締役と話し合ってこれを野田に預けて、これを渡せと言われたので持ってきたということで、前日その三人の会合が「河庄」であったということを知ったわけでございます。
○坂井委員 私の質問はこれで一応終わりまして、あと池田克也委員に譲りたいと思いますが、ただ、ここで一言前もって申し上げておきますが、この三月二十日の「千代新」及び同日の「河庄」、この一連の、私をして言わしめれば、児玉氏を中心としたところの二つの会合である。東郷さんにしてみれば、これはまさに驚天、どう表現したらいいのでしょうか、大変あなたは驚いていらっしゃる。大変なことになったと言う。しかもその間に、この会合を中心にいたしまして、児玉を頂点とする小佐野、あるいはそこからかねがねの親友である中曽根氏に対するあなたの不信、そういうものがこの二つの会合を中心としてあなたの胸の中に非常に大きな高まりを見せたであろうということは、その後のあなたの事情聴取の中での話、あるいは公判等々において私は明確であろうと思います。そこで、そうした内容につきまして、さらに深く池田委員からお尋ねをいたしますので、どうか正確に御証言を賜りたいと思います。
 終わります。
○原委員長 次に、池田克也君。
○池田(克)委員 証人は、昭和五十一年の十月七日、公判の法廷で検事側から出た文書、メモと言ってもいいかもしれませんが、それをごらんになった御記憶がおありでしょうか。
○東郷証人 証拠書類として押収されておりました中の書類が、いま検事側から出たとおっしゃったので、あるいはと思いますが、一枚の紙でございましたでしょうか。質問することは許されないそうでございますが、たくさんの証拠書類があるので、それだけはお許し願いたいと思います。間違ったお答えをするととんでもないことになります。どのような紙でございましたでしょうか。
○池田(克)委員 一枚の紙でございます。ここにコピーがございますが、委員長、お許しいただければ証人にお見せしたいと思います。――いかがでしょうか。それはごらんになったことがおありでしょうか。
○東郷証人 はい、拝見したことがございます。
○池田(克)委員 この文書は、中に小佐野、中曽根、長田、戸栗というふうに、この問題を解明していく上に大変重要な名前が出てくるわけであります。私は、全貌を知るために、この問題、この文書に従って順を追ってお伺いしたいと思います。
 証人は、八月三十日百万株の代金ができて中曽根氏に請求に行かれました。このときは金策は、つまりお金は準備できていたわけですね。
○東郷証人 八月三十日に中曽根氏の方でできていたという御質問でございますか。――私は、戸栗の口ききの金だということのお話では、その金が御準備なさっていた金であるというふうに認識しております。
○池田(克)委員 このメモをごらんいただきたいのですが、この八月三十日の欄に、「小佐野三〇〇万株、円に八〇〇〜八五〇」、こういう記述がございます。これについて証人はどのようにお考えになっていらっしゃるか、お答えいただきたいと思います。
○東郷証人 この表だけからいろいろな点を想像するということは、大変やさしいようで、また想像することにおいて間違いが起きる可能性があると思うわけでございますが、いま御指摘のように、名前と円と株数というだけでございます。この問の関連が非常にわかりにくいのでございますが、算術計算でもって八百円あるいは八百五十円というものに三百万株掛けますと、大体二十五億という金になるなということはわかるぐらいでございます。
○池田(克)委員 つまり二十五億と言われた金が二十九日から三十一日というふうに出ております。中曽根二十五億、小佐野八百円から八百五十円、三百万株、これはいま類推がむずかしいと言われますが、小佐野筋からお金が出るというふうにもお話があったと思いますけれども、戸栗、小佐野、こういう関係でこのお金が出たのでしょうか、出たと考えられるのでしょうか。
○東郷証人 東京相互銀行の長田氏の名前が出ておりましたので、私は、長田氏と、東京相互銀行と小佐野氏、持ち株その他の関係においては小佐野氏が御関与になっているのではなかろうかという類推はできると思います。
○池田(克)委員 その下の欄に「暑中見舞、長田‐中曽根、一、〇〇〇万」こういう記述がございます。この長田という方はどういう方でしょうか。
○東郷証人 当時の東京相互銀行の頭取、いま会長の長田氏と類推されます。
○池田(克)委員 そういたしますと、時間がありませんので先に進みますが、「三月二十日、役員会、森谷さん‐辞表、高千穂、衣笠」一本線が引いてありまして「東郷対衣笠、中曽根」東郷向けの矢印で「注意する」こういう記述がございます。これはどういうふうな意味なんでしょうか。
○東郷証人 単なるメモ書き程度の名前が並んでおるものでありまして、矢印等においてはどのような意味合いであるのか、私としては類推できないわけでございます。
○池田(克)委員 三月二十日の役員会というのは、先ほどの「河庄」のことと考えられませんか。
○東郷証人 先方の書いた、だれが書いたのかわかりませんものでありますので、その意味がどういうものであるかはわかりませんが、三月二十日に会社で役員会をしたということはございません。
○池田(克)委員 「東郷対衣笠、中曽根、注意する」この記述についてでありますが、「千代新」の三月二十日、順を追っての欄でありますが、このときに証人は、中曽根さん、そしてまたそこに児玉が来ていたわけでありますが、あなたが何か問い詰められた、むしろあなたのことについて聞かれた、こういうふうな立場であったのか、それとも、あなたは助けてもらえる側の状況にあったのか、そのいずれであったか、お聞かせいただきたい。
○東郷証人 先ほど申し上げましたように、西山幸輝氏に連れていかれた戸栗亨氏が児玉先生にお話し申し上げましたことを大刀川恒夫、児玉先生の秘書がメモ書きしたものにつきまして、私が問われたわけでございます。
○池田(克)委員 東郷さんが問われたわけですね。
○東郷証人 そのとおりでございます。
○池田(克)委員 時間がありませんので、私、最後の考え方を述べて、証人のお答えをいただきたいのでありますが、このメモによると、「東郷対衣笠」――衣笠という人は反東郷派の動きをしていた人だと思います。いわゆる中曽根さんが東郷さんに注意をする。本来ならば、親友ですから、衣笠氏に注意をするというのが普通の常識だと思います。しかし、東郷氏に向かって注意をするということが、先ほど来つながっておりました戸栗氏、長田氏、そして小佐野氏と、いわゆる反東郷派の一派に中曽根さんの気持ちが向いていたのではないか、私はそのように脅えるのですが、証人、いかがでしょうか。
○東郷証人 この一枚の紙を、先ほど御指摘のとおり、昭和五十一年に私も拝見したわけでございまして、当時はそのようなことはわからなく、この紙を見て、いま先生の御指摘のようなことになるんではなかろうかということは類推はできますけれども、当時の私としてはそのような気持ちは持っておりませんで、また現在も、ただ単なるこの紙によって、当時の状況から判断して最初はそのように、このメモをおつくりになった方はそうであったかもしらぬけれども、私自体にはこのような事実は出ておりません。
○池田(克)委員 このメモについていま証人からお話があったように、公判廷に出てきたものでありますが、当委員会におきまして、検察庁がどこからこれを押収したのか、またこの筆跡は一体だれであるのか、ぜひお調べいただいて、この中に出てくる記述は、本件を分析し、真相を解明していく上にきわめて重要であると私は判断をしております。ぜひそのようにお取り計らいを願いたいと思います。
○原委員長 いずれ理事会において相談いたします。
○池田(克)委員 終わります。
○原委員長 次は、中野寛成君。
○中野(寛)委員 民社党の中野でございます。きょうは御協力をいただきましてありがとうございます。
 早速お尋ねをいたしたいと思います。私どもお尋ねをいたしております目的からして幾つかのことを、特に先日の中曽根証言を中心にしてお尋ねをいたしたいわけであります。
 さて、あなたと中曽根代議士とのおつき合いは、高校時代からの同窓ということでございますけれども、先日の中曽根証言によりますと、「東郷君は殖産住宅をやっておりましたが、私が通産大臣になるころから非常に接近してまいりまして、」と証言がございました。それまでは比較的疎遠な御関係だったのでございましょうか。
○東郷証人 大学のときも何回かお会いしておりますし、先ほど申し上げました十九人で組織している相信会というのがございまして、その相信会の会合でもお会いしております。また、仰秀会という会がございます。これは高等学校の同窓の有志の者が、中曽根氏に対して若干でもの御協力という意味合いの会でございます。その副会長を命ぜられたこともありましたので、たびたびお会いしております。
 私の手帳を調べたところによりますと、昭和四十六年に私は中曽根代議士と六回会っておりますが、昭和四十七年には十二回会っております。したがいまして、通産大臣ということは、もっと前からであったというように記憶しております。
○中野(寛)委員 そうしますと、日ごろからそういう会合でお会いをいたしますと、その話題はいろいろあろうかと思いますけれども、雑談をしたり、それこそ中曽根代議士がおっしゃるように、親友として気楽ないろいろな話題を、世間話を含めてする間柄であったということでございますね。
○東郷証人 友人としていろいろな話をさしていただける間柄であったと思います。
○中野(寛)委員 そういたしますと、たとえば、先ほど来、あなたから児玉氏に会いたいということを申し出たのでもなければ、中曽根代議士に紹介してもらったのでもないということのようでございますけれども、日ごろそういう話の中で、あなたの会社の経営もしくは会社のいわゆる乗っ取られる危険性といいますか、そういうふうな問題について、いまこういう危険性を感じているんだとか、もしくは児玉氏のような人に会えればなあとかいうふうなことを、日ごろ、いわゆるあなたの感覚として、公式の希望としてでなくとも、そういうことを話題としてお話しになられた御記憶はございませんか。
○東郷証人 私は、友人としての中曽根代議士と政治家としての中曽根代議士というものは、自分自体でもって区別しておつき合いさせていただいていたと思います。昭和四十七年には一ヵ月平均一回ぐらいお会いしているというのは、不動産業界における問題、これについて中曽根代議士を中心とした方々の御意見等を承る会をつくりまして、そのために回数がふえているわけでございます。友人としてのおつき合いは相信会とか仰秀会とか、そういったものにおいてのおつき合いはさしていただいております。したがいまして、私としてはそういうようなお話、いわゆる会社のいろいろの内部のお話等につきまして、たとえ友人でありましても、私としてはその話をする必要がないと思って、しておりませんでした。
○中野(寛)委員 若干話が変わるようですけれども、七六年八月二十日付の週刊誌にインタビュー記事が載っておって、そこで対談をいたしておりますのが、今井一王という方があなたと大変親しいというふうなことを発言している記事が対談記事の中で載っておりますが、この方を御存じでしょうか。
○東郷証人 相手がそのようにおっしゃってますが、私は今井一王という方は何かお名前が、一王というのに変えられたように感ずるのですが、今井千里とかいう方だったら私は存じ上げて、一遍か何かお会いした記憶はございます。
○中野(寛)委員 たまたまその記事の中で、「私は東郷という人とは非常に親しくしてきて、当時、なにかと相談を受けたりしてたんですけども、」云々という記事があります。そして、「当時、私は東郷に頼まれて、」「殖産のためには、なにかと尽してあげていたことも」あったというふうなことの記事の後、続きまして、いろいろ先ほど来の資金の問題、会社の経営の問題等について困っている、そのことについて「小佐野という男に児玉さんから何とか話を通してもらえるといいんだが」というふうな話をしてきた。しかし、それは紹介しなかった。しかし「あなた中曽根と仲いいらしいから、中曽根に口きいてもらいなさいよ」と、証人、あなたに言ったということなんであります。その後あなたが中曽根代議士にその話をしたというふうな表現が載っておるわけでありますけれども、これを先日の中曽根代議士の証言の中で、「東郷君が、自分の会社がねらわれている、それで上場について大量に株が買われる危険がある、」云々とした後、「それは東郷君が会社を乗っ取られる危険性を感じて、児玉氏の下部の連中、総会屋とか何かかもしれません、連絡を頼んだらしいです。そんな話を私にしまして、そして上の大物に会いたいような気配でありましたから、何しろ同級生の親友のことでもありますから、」というふうな先日証言をいただきました。このような内容とかぶせて考えますと、あなたが直接中曽根代議士に頼む頼まないは別にいたしまして、何らかの形で児玉氏に会いたいような意思表示をこういうルートでなされておった、それがたまたま中曽根代議士の耳に入るというふうな経過があったように、この両方の記事からすると、証言からすると推測されるわけでありますが、そのような可能性はございませんか。
○東郷証人 ただいま申し上げましたように、今井一王という方がもしも今井千里という前の名前の方であったならば、私は一回かあるいは二回ぐらいお目にかかったことがありますが、会社の内情がこうだああだということまで打ち明けて御相談をするような間柄では絶対ございませんでしたことを明確にお答えしたいと思います。したがいまして、殖産住宅といたしましては、谷口経済研究所に株主総会のことは公開前から御厄介になっておりましたので、公開後も谷口経済研究所において株主総会をやっていただくことで会社は決まっておりましたので、私としては、児玉先生に総会の方までお願いしようという気持ちはございませんでした。したがって、私は児玉先生がわざわざ会社の方のお話を聞いていただかなければならないというような立場に社長としては考えておりませんでした。
○中野(寛)委員 それでは、この中曽根代議士に依頼をした記憶もなければ、そしてまた、先ほどの質問にもございましたけれども、「それじゃおれが児玉氏に頼んであげよう、会ってみなさい、そういうことを私は言うたです。」という中曽根証言につきましては、あなたはお聞きになったことは全くないわけでございますね。
○東郷証人 諸先生は大変国家的、社会的にお忙しく、またいろいろな方を紹介される場が非常に多いのではないかと思うので、そういうものの一つとしてそのようなことが言われたんではなかろうかと思いますが、私自体として中曽根代議士がもしも児玉先生を紹介するんであるならば、中曽根代議士の方から私の方にそういう話があったであろうと思うのでありますが、事実は先ほど来申し上げているとおり、児玉事務所から私の会社の陽秘書室長の方に電話をいただいて出向いたというのが、私の記憶であり事実であると思います。
○中野(寛)委員 それから中曽根証言の中で「一朝有事の際には頼みますよと真剣に実は頼んだことは事実であります。」これは同窓会やクラス会等があるときにそういうふうな話題が出たことがあることは事実でありますという御証言でありますし、「それで、たしか木部君のお祝いのときに、大ぜい人がおったその中で、応援を頼む、何か上場するというお話だけれども、」云々という話をされた。そして「その後」ということは別の日だと思います、後日ということの意味だろうと思います。「ある人が私のところに来まして、」と先ほど別の質問者から読み上げられましたいわゆる「殖産の株が上場されるについては利益が出るはずだ、それを自分も買いたい、しかし自分の名前を出すのはまずい、あなたの名前で東郷君に頼んでみてくれないか、」云々というくだりがございます。このこととは全く別の日に、別の話題としてなされたというふうに、この証言どおりですとそういうことになりますが、判断をしてよろしいでございましょうか。
○東郷証人 中曽根代議士が、だれかわかりませんが、その人が株が欲しいんだからあんたの名前で東郷に頼んでくれというような御証言のように承っておりますので、これには私は全然関与してない御証言ではなかろうかと思います。
○中野(寛)委員 先ほど来お答えの中で、そういう――この文章そのまま読みますと、政治資金の関係とは特に無関係のように、ただ名前を出すのはまずいけれども特定の人が買いたいと言っている、そういうことであなたにぜひというお願いをしたという証言でございますし、またそれ以後、あなたがそれはどういう人だというふうに別のときに聞いたら、戸栗氏の口ききで東京相互銀行の長田氏が云々という話になったという御答弁がございました。この話と――中曽根証言で見ますと、夜、中曽根代議士の政治活動資金をつくる目的でこの話が出たというふうにはこの中曽根証言ではならないわけであります。あなたはそれはむしろ中曽根代議士の政治活動資金をつくる目的のものとお受けとめになったわけでございますね。
○東郷証人 先般来お答えしてますとおり、私は友人の言葉として、その友人が必要なものの資金であるという理解をしておりました。
○中野(寛)委員 この証言から見ますと、そこをきわめて巧みに中曽根証言は区分けをして証言をしておるわけでありまして、私どもはこのようなことと、それから先ほど中曽根証言の中では「児玉氏の下部の連中、総会屋とか何かかもしれません、」云々「そして上の大物に会いたいような気配でありましたから、」ということ、その二つの証言をあわせて考えますと、すなわち中曽根代議士は自分の政治資金をつくるのでもない、またあなたに頼まれたのでもない、それであるにもかかわらず児玉氏と連絡をとってあなたを「千代新」にお呼び出しになったという類推が成り立つわけであります。そういたしますと、こういう類推を――あなたが小菅からお出になられたときに、中曽根代議士のお宅を訪問になられた。そういう疑惑をお感じになって、そこであのことはどうだったんだというお尋ねの中の一つにそういうことが入っておりますでしょうか、人っておりませんでしょうか。
○東郷証人 私のわからなかったのは中曽根代議士と戸栗氏の関係。戸栗氏というものは小佐野氏とつながっていることはこれは私はわかっておったわけです。どういうことで戸栗氏と中曽根氏が結ばれたのかということがわからなかったということ、それから児玉先生と中曽根代議士との関係は、大刀川氏の名刺の交換後私自体がわかり得たことにおいて私としては納得はしておりましたので、私のわからなかったのは戸栗氏との関係、戸栗氏の背後の小佐野氏との関係、これがわからなかったので、私は尋ねたわけでございます。
○中野(寛)委員 いまお尋ねを申し上げました内容で、私どもこれをじっくりと読ましていただいて、中曽根代議士が、もしあなたの御証言、もちろん真実だと思いますけれども、それと照らし合わせますと、やはりどうしても矛盾が出てくる。そこで、私どもは、先ほどのような類推が成り立ってしまうのではないかというふうに思ってお尋ねをしたわけであります。
 さて、「千代新」で最初児玉氏とお会いになった、最後に中曽根代議士が入ってこられた、そのときのお二人の御様子はいかがでございましたでしょうか。いわゆるしめし合わせたというか、大変憶測の話、感じをお尋ねして恐縮でございますけれども、証人のお感じになられた率直な御感想を承りたいと思います。
○東郷証人 その上座は後から中曽根氏が来るんだからあけておけと言われたその後で、中曽根さんは通産大臣の中曽根さんですかということを、私は児玉先生に伺ったわけでございます。したがいまして、私としては、もちろん、なぜ来るのかということの疑問が非常に多くございましたが、しかし、後から、児玉先生との話が終わった時点で、児玉先生がそれでは呼ぼうかと言って、おいでになったときには、私は、私のことであんたにまで心配をかけて申しわけないというおわびとごあいさつはさしていただいた。したがって、いまおっしゃったように、前からしめし合わせていたんだとか、そういったようなことは私は全然感じ取りませんでした。ただ、もう最初から、後から来られるだろうから、来ることになっているからということで席もあけておられましたから、児玉先生と中曽根代議士との間ではそういうお話があったんだろうと思いますが、私としてはそれは知りませんでした。
○中野(寛)委員 時間が参りましたので終わりますが、どうも御協力ありがとうございました。
○原委員長 次に、正森成二君。
○正森委員 昭和四十八年の三月二十一日、すなわちあなたが「千代新」で児玉、中曽根氏と会われた翌日ですが、あなたに退任勧告書というのが突きつけられたことがありますか。あるとすれば、それはだれからそういうものを渡されましたか。
○東郷証人 昭和四十八年の三月三十一日に、午後八時過ぎだったと思いますが、野田卯一代議士が私の家においでになりまして、東郷社長退任勧告書というものを私に手渡されまして、昨夜、衣笠、高知尾と話して、これは私が届けるようにということで持ってきたということで、お渡しされたのは事実でございます。
○正森委員 いまの証言で三月三十一日と言われましたが、前後の関係から言いまして、三月二十一日の誤りではありませんか。
○東郷証人 失礼いたしました。そのとおりであります。
○正森委員 そうしますと、野田卯一代議士というのは、どうしてあなたの会社の内部の問題について、他の取締役に頼まれて退任勧告書を渡すということになったのですか。あなたの会社とどういう関係ですか。簡単で結構です。
○東郷証人 昭和二十七年建設大臣をおやめになりました後、当時建設省の企画課長でありました、なおかつ大臣の秘書官をやられました鬼丸勝之氏の御紹介で野田卯一先生にお会いすることができ、建設大臣をおやめになった以降、住宅問題について御教示を賜りたいということにおいて、相談役ということでずっと御教示を仰いでおりました。
○正森委員 昨日の衣笠、高知尾との話によりと、こうなりますと、それは、先ほど来証言に出ております昭和四十八年三月二十日、築地の「河庄」という料理屋での会合を指しておると思います。
 そうしますと、同じ日に、一方では「河庄」で会談が行われ、もう一方では「千代新」にあなたが児玉譽士夫に呼び出されて中曽根氏とも同席した、こういう関係になるわけですね。そうしますと、先ほど同僚議員から指摘のありました五十一年十月七日に、あなたの裁判の際に、メモとして提出された中の記載というのが非常に正確でかつ意味を持ってくるというように私としても考えるわけでございます。
 そこで、伺いたいのですが、昭和四十七年の三月の九日に、木部経企庁政務次官の激励会で、あなたが初めて中曽根氏から資金づくりを頼まれた、こういうことがございましたですね。そこで、その関連で、先ほどのメモを見ますと、三百万株ですね。八百ないし八百五十円で二十五億、中曽根、こういうようなことになっておるわけですね。あなたの会社は四十七年に東証二部に上場されることになったわけですが、そのときに、最初に公開値というのが一株千二百五十円に定められた。それから寄りつけ値が、思いがけず高値で、二千五百八十円であったというように報道されております。その公開される前には、一株は大体幾らぐらいと評価されておりましたか。
○東郷証人 公開前におきましては、われわれ聞いている範囲におきまして、大体八百円程度ということでございました。
○正森委員 そこで、この八百ないし八百五十円というのが意味を持ってくるわけですね。先ほど、中曽根氏はあなたに自分に金を出してくれるのは戸栗の口ききで東京相互銀行の長田氏であるということを四十七年の八月三十日に初めて聞いたと言われましたね。幾ら長田氏が中曽根氏に用立てをしようと思っても、担保がなければ二十五億円という金を用立てできないわけですね。そこで、このメモの記載は、まさに小佐野賢治氏が戸栗等を通じて買い集めておったあなたの会社の殖産住宅の株を三百万株、八百円ないし八百五十円で担保として提供する用意がある、それを担保として東京相互銀行が二十五億円中曽根氏に用立てをする、こういうことで、戸栗、長田それから小佐野、中曽根氏と、こういう関係が非常に符合して出てくるのではありませんか。
○東郷証人 ただいま正森先生のおっしゃったように、ここに書いてある八月三十一日の欄のメモからは、そのような類推が可能であると思います。
○正森委員 そして、私の類推のうち、戸栗氏の口ききで東京相互銀行の長田氏がお金を出してくれるのだというのは、中曽根氏自身も認めているところですね。お答えください。
○東郷証人 私は、中曽根代議士の口からそういう言葉をいただいております。
○正森委員 当時あなたの会社は、衣笠、藤井というような専務取締役がおりまして、その人たちとあなたとの間に一定の意見の相違があるというように後には世間でも言われたのではありませんか。
○東郷証人 営業方針その他につきましては意見の食い違いが確かにございましたが、殖産住宅を伸ばそうということにおいては、役員は全員一致しておったと私は考えております。
○正森委員 小佐野賢治氏というのは、あなたの殖産住宅と全く同種の営業目的を持っておる日本電建の実際上の所有者である。したがって、あなたにとっては最も有力な競争相手の会社であるということは認識しておられましたか。
○東郷証人 先生の御指摘のような認識は、十分当時としてはいたしておりました。
○正森委員 そうだといたしますと、あなたはいかに親友のためとはいえ、資金の出所が小佐野氏と非常に親しい戸栗氏である、そして東京相互銀行というのも小佐野氏と非常に関係があるというような点から見ますと、もしこの用立てをするならば、あなたの新しい公開の株が百万株も、場合によっては会社を乗っ取るために行動するかもしれない小佐野氏に渡る可能性がある、したがって、これはたとえ親友であっても絶対に要求をのむわけにはいかない、こういうように考えられたわけですか。
○東郷証人 御指摘のとおりであったと思います。
○正森委員 あなたは大刀川の強要罪の事件について、昭和五十一年の十月ごろだったと思いますが、御証言になったことがございますか。
○東郷証人 たしかその十月から強要罪の裁判があったと記憶しております。
○正森委員 あなたの刑事事件になりました件は、まさに中曽根氏に用立てようと思った百万株、そのお金に絡んで得た利益をあなた個人の利益ではないかというように思われて、所得税法違反に問われたというのも一つの被疑事実でございましたね。
○東郷証人 御指摘のとおり、百万株、五十六万株、二十九万株等について私個人が利得したということのもとにおいて、私は所得税法違反として逮捕され、裁判をなし、この三月三十一日に、私はやったのではない、会社の簿外資金としての運用であったということになったわけでございます。
○正森委員 したがって、あなたとしては身の潔白を晴らすためには、たとえそれが児玉に関係することであれ、中曽根氏に関係することであれ、真実を言わなければ無罪を証明することができない、こういう関係にあったのではありませんか。
○東郷証人 おっしゃるとおりでございます。
○正森委員 その真実を言ったことが気に食わないというので、昭和五十年の二月及び三月にわたって大刀川から脅迫を受けたということが、大刀川の強要罪の内容ではありませんか。
○東郷証人 大刀川氏の私に対する強要罪による起訴の内容が、いま御指摘なようなことであったかどうか、あるいは殖産住宅の方からの依頼によってやったのかどうか、そこまでの事実は私、確認しておりません。
○正森委員 あなたがいま証言なさった、昭和五十一年の十月に大刀川の強要罪で真実を述べて、中曽根氏あるいは児玉との関係を証言されたときに、裁判長は、検察側あるいはあなたに対して、いま名前が出てきた関係者を調べたかどうかという点について疑念を表明しませんでしたか。
○東郷証人 私が証人としてその席におりまして、証言が終わりまして離席した後に、裁判長から検察官に対して、いまの御指摘のようなことがあったと伺っております。
○正森委員 つまり、裁判長は、東郷さんを取り調べるだけでなしに、この事件に関連して名前が出てきている中曽根氏あるいは小佐野氏というものも調書をとっておらなければ片手落ちではないか、こういう指摘を検察側にされたということですか。
○東郷証人 強要罪の法廷においては、私は、裁判官が検察側におっしゃったということは後ほど伝聞したのでありまして、私が直接聞いたのではないので、小佐野氏の名前が出ましたが、その名前があったかどうかは私はわかりません。
○正森委員 ということは、中曽根氏の名前が出たということをお認めになったと思います。そのときまでに検察側は、この一連の件に関して中曽根氏を取り調べておりましたか。
○東郷証人 検察側が取り調べたかどうかということまで私は調べることはできません。
○正森委員 もし取り調べておったならば、裁判所に調書が出るなり何なりして、裁判所がもう一方の当事者も調べなければならないのではないかというような質問をするはずがないと思いますが、いかがです。
○東郷証人 私は、やはり一つの刑事事件においても、それに関連する人はすべてその事情を聴取して、正しいものを判断するということが法の支配の公正であると思います。
○正森委員 それでは、時間が参りましたので、最後に一点だけ伺います。あなたは、中曽根氏と資金づくりの問題について北野アームスでもお会いになったということですが、この北野アームスというのは、どういう場所ですか。
○東郷証人 赤坂見附から三宅坂に参ります途中の左側にある北野アームスという名前のアパートメントでございます。
○正森委員 中曽根事務所として聞いたことのないところですが、それは中曽根氏が秘密にいろいろ人に会うという私設事務所のようなものですか。
○東郷証人 私自身としては、その内容について、どのようなものであるかは知りません。
○正森委員 最後に一つ伺いますが、あなたは、五億円を上和田秘書の名前で、中曽根氏の依頼を受け、預金をしてあげたということですが、その後「週刊新潮」から記事が出たということもあって、これを何らか変更されたということがございますか、その件について中曽根氏にお会いになったことがあるかどうか伺って、私の質問を終わります。
○東郷証人 たしか昭和四十八年の十一月十八日号でございますから、発行されたのはそれより前ということになります。たしか十三日くらいから発売されたのじゃなかろうかと思いますが、私がその記事を見ましたのは十三日くらいであったと記憶しております。そして、直ちに中曽根代議士に御連絡申し上げて、たしか十一月の十七日に私は中曽根代議士のところにお伺いいたしまして、「週刊新潮」の記事をお見せいたしまして、このようなことであなたに御迷惑かけることはいかぬし、また、殖産住宅もこのようなことで迷惑をこうむるのは困るので、この件はなかったものにしていただきたいということにおきまして、上和田義彦名義の預金の解除を申し入れまして、この件がなかったことにしてくれということで、できた金は全部会社の簿外資金ということで処理させていただきました。
○正森委員 終わります。
○原委員長 次に、加地和君。
○加地委員 私、新自由クラブの加地と申します。私が最後でございますので、よろしくお願いします。
 あなたは、それまで知らなかった児玉譽士夫という人からの電話で、夜の九時ごろに一人で「千代新」の方へ来いと言われて、ある書籍では「率直にいって、私は「もうダメかな」と思った。肉体的危害の心配までした。どこかへ連れ去られて、それっきりになるのではないかと思った。」こういうように当時のあなたの心境を語っておる権威ある会社からの書籍があるのですけれども、あなたの心境は、私がいま言ったことと大体一緒でしたか。
○東郷証人 現在、先生が表現された言葉どおりであったかどうかということは別といたしまして、そのような恐怖感は持っていたことは事実でございます。
○加地委員 私はあなたにお会いするのも初めてですけれども、なかなかしっかりしたお方であるとお見受けいたします。そのように社会的地位もあり経験もあるあなたが、なぜ児玉譽士夫という人物からの電話一本で呼び出されてしまうようなことになったのか、なぜ断れなかったのか。何かあなたは先ほど、政界、財界における児玉譽士夫の話を聞いているとこれは断ると大変なことになると思ったというようなことをおっしゃいましたけれども、これがロッキード事件の真相究明と共通する非常に重要な点なんです。なぜ児玉譽士夫という人がそういう分野でいろいろな力をふるえるか、それをいかに防止するかということが、あなたがきょうここへ来ていただいた非常に重要な目的なんです。ですから、過ぎ去った、あなたにとっては恥ずかしいことかもしれません、あるいは至らなかったという点もあるかもしれませんけれども、日本の政界をよりよくしていくために、当時なぜ断れなかったのか、これをやはり詳しく御証言願いたいと思うのです。
○東郷証人 ただいま先生の御指摘の点におきまして、まず、恥ずかしくてもというお言葉を活用させていただくことは大変いけないことかもしれませんが、私は冒頭に、諸先生方は日本全国民の代表者であるということを信じておりますし、そのとおりでございます。したがいまして、私は諸先生方に、私の不徳、不明のいたすところによりまして非常に日本全国民の方々に御迷惑をおかけしたということを、まず私は冒頭におわびしたかったのでございますが、いまの先生のお言葉の機会を得まして、ここで不徳、不明のいたすところとして全国民の方におわびをさせていただきたいと思います。
 なお、いまの御質問に対しまして、私としてなぜ断れなかったのかという御質問について、まず、児玉先生の御指示というものについて、若干でもそれに逆らうとか、あるいはそれに疑問を持つとか、そしてまたどうするということについては、大変気の短い方であるということを伺っております。なおかつ、当時、お調べ願えればおわかり願えると思いますが、有名企業に対してやはり児玉先生のお名前が必ず出ておったこともございます。したがいまして、殖産住宅というのは公開直後の、しかも株価が公開後続落していた会社でございます。いろいろな面の苦労をしておった会社でございます。その際に、児玉譽士夫先生の名前が会社に飛び込んできたときに、私はそれの理由、それを断る、それは私としてはいたしかねたのが実情であったことはお察し願いたいと思います。
○加地委員 人間にはいろいろ特色がありますので、いわゆるアドバイザー、顧問――自分ひとりの独断、偏見というものが思いがけない大事に至ってしまうということがあります。あなたは児玉譽士夫氏からのそういう指示を受けて、だれにも相談をしなかったのでしょうか。
○東郷証人 先ほど来御指摘の中にもございましたように、会社の専務あるいは取締役というものがすでに戸栗を通じ、ということは小佐野さんにも通じということでございます。そのような状況のときに、会社のことを会社の役員に相談しながらやるということは、私としてはいたしかねました。したがいまして、いま独断ということをおっしゃいましたが、心ある者、いわゆる会社のことを思う部下とはいろいろ話し合っておりました。が、役員会では私はそのようなことを一々言うことはできませんし、すべて私の考え方が相手方に通じるという時点でございますので、その点もお察し願いたいと思います。
○加地委員 あなたは、「千代新」で最後の方に中曽根康弘氏が出席されたときの模様について、東京地方検察庁の特捜部での調べの中で、その当時の模様を語られたことはございませんか。
○東郷証人 私は私の事件の中における調べの中では、その事実は申し上げておりません。
○加地委員 それじゃ、あなたは自分の事件の中ではと特に限定をなさいましたけれども、あなた自身が被告になっている以外の事件において語ったことがあるのではありませんか。
○東郷証人 大刀川氏の強要罪の公判廷に証人として出廷いたしました冒頭において、私はうそ偽りを申すことができなく、真実を隠すことができないという宣言のもとに真実を申し上げたのであります。
○加地委員 その証人になられたときに、児玉譽士夫氏と中曽根康弘氏の「千代新」でのやりとりなどを証言なさいましたか。なさったとすれば、その内容を言ってください。
○東郷証人 私はその上座に後から中曽根代議士がおいでになったという証言をしたので、その会話の内容等につきましては、私は確たる証言はいたしておりません。
○加地委員 私がつかんでおります情報では、東京地方検察庁の特捜部での検事調べにおいて、あなたがこの中曽根氏と児玉氏のやりとりについて語られた。まず、中曽根氏は児玉氏に対し、私の方は大丈夫です、先生はどうですか、こうしゃべり、児玉譽士夫氏は中曽根氏に対し、それより君の方がどうなのだ、こうしゃべった、それをあなたは横で聞いていたというように、あなたが検事に調べのときに語られたというように聞いておるのでございますけれども、違いますか。
○東郷証人 要するに、どのようにとかあのようにとか、あなたの方にとかこっちの方に――私にはさっぱりわからない言葉であったということは申し上げた覚えはございますが、具体的に、あのようにとかこっちの方にという言葉について、私は覚えているものは何一つございません。
○加地委員 中曽根氏が「千代新」のところへ入ってこられて、それからあなたが「千代新」を出られるまで、時間はどのくらいの間隔があったのですか。
○東郷証人 中曽根代議士がおいでになりましたときに、児玉先生がすしでもとろうかとおっしゃって、仲居さんがすしを持ってきて、私が一つか二つつまんだかと思う時間でございましたから、大した長い時間ではなかったと考えております。
○加地委員 すしを注文し、そして一つか二つ食べるとなれば、五分や十分は、そういう場所ですから、かかっているだろうと思うのです。その中で、やはり中曽根氏や児玉氏もそう口数の少ない人でもないんでしょうし、いろいろとしゃべったと思うのですね。あなたがそれを記憶してないとおっしゃるのは、余り世間の人に納得してもらえる発言ではないように私は思うのです。あなたは、全く何をしゃべっておられたのか、わかりませんでしたか。
○東郷証人 一つか二つでございますから、五分ぐらいはあったかと思いますが、その間においての話がどういうことであったかということを覚えているかとおっしゃいますが、私自体が知識があり、興味がある話だったら、あるいは覚えていたかもしれません。私は、児玉先生からの御質問、それで一応社長の言うことは筋が通っているようだというお話、困ったことがあったらまたおれのところに相談に来いという、一応私のことが無罪放免となった安堵感もあったのか、私自体が興味もない、わからぬことについては覚えてないということでございます。
○加地委員 その「千代新」で、中曽根康弘氏はあなたのことを、先生、東郷は友達ですからひとつよろしくお願いします、という趣旨のことを言われたようなんですけれども、それから後、殖産住宅の株主総会のいわゆる取り仕切りといいますのか、いままであなたの方で株主総会の運営を頼んでいた人から、児玉譽士夫氏関係の人の手に主導権が移っていったように聞いておりますけれども、相違ございませんか。
○東郷証人 それは「千代新」の席とは違いまして、三月も終わり、四月の二十日だと思いました。岡村吾一さんを紹介をいただきまして、そして、その岡村吾一さんが谷口経済研究所の所長谷口勝一さんと御連絡をするという話になったわけでございまして、「千代新」の話とは違っております。
○加地委員 「千代新」での話ではなかったかもしれませんけれども、あなたは、それまでに会ったこともない、恐れおののいていた児玉氏紹介の総会屋といいますのですか、そういう人に殖産住宅の株主総会の取り仕切りを任してしまうようになりましたけれども、これはやはりあなたの友人の中曽根さんの口きき等もあって、安心してそちらの船に乗っていったという経過なんでしょうか。どうしてあなたはそういうぐあいにいままでの総会屋さんから児玉系列の総会屋さんの方に移っていったのか、これを御説明願いたいと思います。
○東郷証人 先ほど来も申し上げましたが、三月二十日が「千代新」、その「千代新」の話で西山幸輝さんを紹介するというのが三月の二十九日、そして西山幸輝さんを紹介された後、四月の十日ぐらいだと思いましたが、「流動」という会社に殖産住宅としても広告のつき合いがございました。そして、あるとき会社の内部から、「流動」の社長倉林さんにも会っておけばいいということの勧めで、お会いしました。それが四月の十一日か十二日だったと思います。そして、その席で殖産住宅の株主総会のお話がございました。そこで、いままで谷口経済研究所にお願いしているというお話をいたしました。そしたら倉林さんから、そのことはおやじに話しておいた方がいいよというアドバイスがございました。そこで、その翌日、児玉事務所に伺いまして、そのお話を申し上げました。そうしたら、岡村吾一さんを紹介しようというお話もございました。それが四月の二十日に岡村吾一さんを紹介するから来いというお話になりました。したがって、流れにおいては児玉事務所における流れでございまして、中曽根代議士との流れではございません。
○加地委員 最後の質問をさせていただきます。
 あなたはその岡村吾一氏の株主総会取り仕切りに関して多くの金品を出しておられると私らは聞いておるのですが、私が申します名前、数字が合っているかどうか、ちょっと聞いておってほしいのですけれども、まず一番最初岡村氏に会うときに、大刀川氏から名刺がわりに百万円を持ってくるようにと言われて、持っていかれた。そして、五月二十八日に岡村の威令のもとにおいて株主総会は無事に終わった。そして児玉譽士夫氏にあいさつに行き、殖産住宅の株一万九千株、当時の時価で二千三百七十五万円を与えた。それから岡村吾一氏にも一千株、当時の金で百二十五万円を渡した。それからまた、「流動」の社長の倉林公夫氏らに四百万円を渡した。あるいはまた、ほかの人の口ききで作家の某氏が買った三万株を、株の値段のことについて文句を言われて、時価よりも高い七千万円で買い戻した。
 こういうようなことが、いわゆる活字になっている中から私が拾い上げたものなんですけれども、ただいま申したような名前、数字、間違いございませんか。
○東郷証人 御指摘の最初岡村吾一さんを紹介するという四月の二十日、百万円持っていったことは事実でございます。
 五月の二十八日、一万九千株と一千株ということをお分けになりましたが、二万株を持っていったのであって、一千株が岡村吾一さんの名前になったのはその後でございます。
 川内康範さんの三万株、七千万円という件は五月のことでございまして、御指摘のとおり、川内康範さんの三万株を殖産住宅として引き取らざるを得なかったわけでございます。(加地委員「倉林さんの四百万円は」と呼ぶ)倉林さんの四百万の御指摘がございましたが、これにつきましては、私は十分資料を持っておりませんし、これは私もいまちょっとわかりかねる、お答えしかねるという数字であると思います。殖産住宅の方ではわかっていると思います。
○加地委員 以上で結構でございます。
○原委員長 これにて証人に対する発言は終了いたしました。
 証人東郷民安君には、長時間にわたりまことに御苦労さまでございました。委員会を代表いたしまして厚く私からお礼申し上げます。
 次回は、明十二日午前十時理事会、午前十時三十分委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。
   午後四時散会