第084回国会 本会議 第7号
昭和五十三年二月九日(木曜日)
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議事日程 第五号
 昭和五十三年二月九日
   正午開議
第一 決算調整資金に関する法律案(内閣提出)
第二 昭和五十二年度の水田総合利用奨励補助金
   についての所得税及び法人税の臨時特例に
   関する法律案(大蔵委員長提出)
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○本日の会議に付した案件
 議員請暇の件
 人事官任命につき同意を求めるの件
 日本銀行政策委員会委員任命につき同意を求め
  るの件
 社会保険審査会委員長及び同委員任命につき同
  意を求めるの件
 日程第一 決算調整資金に関する法律案(内閣
  提出)
 日程第二 昭和五十二年度の水田総合利用奨励
  補助金についての所得税及び法人税の臨時特
  例に関する法律案(大蔵委員長提出)
 議員内田常雄君逝去につき弔詞を贈呈すること
  とし、弔詞は議長に一任するの件(議長発
  議)
 鈴木強君の故議員内田常雄君に対する追悼演説
 土井たか子君の故議員刀祢館正也君に対する追
  悼演説
    午後零時二十三分開議
○議長(保利茂君) これより会議を開きます。
     ――――◇―――――
 議員請暇の件
○議長(保利茂君) 議員請暇の件につきお諮りいたします。
 河上民雄君から、二月十日より十八日まで九日間、石原慎太郎君から、二月十三日より二十五日まで十三日間、鈴木善幸君から、二月十四日より二十六日まで十三日間、右いずれも海外旅行のため、請暇の申し出があります。これを許可するに御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(保利茂君) 御異議なしと認めます。よって、いずれも許可するに決しました。
     ――――◇―――――
 人事官任命につき同意を求めるの件
 日本銀行政策委員会委員任命につき同意を求めるの件
 社会保険審査会委員長及び同委員任命につき同意を求めるの件
○議長(保利茂君) お諮りいたします。
 内閣から、
 人事官に加藤六美君を、
 日本銀行政策委員会委員に平井富三郎君を、
 社会保険審査会委員長に今村譲君を、
 同委員に黒木延君及び河野共之君を
任命したいので、それぞれ本院の同意を得たいとの申し出があります。
 まず、人事官及び日本銀行政策委員会委員の任命について、申し出のとおり同意を与えるに賛成の諸君の起立を求めます。
    〔賛成者起立〕
○議長(保利茂君) 起立多数。よって、いずれも同意を与えるに決しました。
 次に、社会保険審査会委員長及び同委員の任命について、申し出のとおり同意を与えるに御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(保利茂君) 御異議なしと認めます。よって、同意を与えるに決しました。
     ――――◇―――――
○議長(保利茂君) 日程第一とともに、日程第二は、委員長提出の議案でありますから、委員会の審査を省略し、両案を一括して議題とするに御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(保利茂君) 御異議なしと認めます。
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 日程第一 決算調整資金に関する法律案(内閣提出)
 日程第二 昭和五十二年度の水田総合利用奨励補助金についての所得税及び法人税の臨時特例に関する法律案(大蔵委員長提出)
○議長(保利茂君) 日程第一、決算調整資金に関する法律案、日程第二、昭和五十二年度の水田総合利用奨励補助金についての所得税及び法人税の臨時特例に関する法律案、右両案を一括して議題といたします。
 委員長の報告及び趣旨弁明を求めます。大蔵委員長大村襄治君。
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 決算調整資金に関する法律案及び同報告書
 昭和五十二年度の水田総合利用奨励補助金についての所得税及び法人税の臨時特例に関する法律案
    〔本号末尾に掲載〕
    ―――――――――――――
    〔大村襄治君登壇〕
○大村襄治君 ただいま議題となりました両法律案について申し上げます。
 初めに、内閣提出、決算調整資金に関する法律案につきまして、大蔵委員会における審査の経過並びに結果を御報告申し上げます。
 最近のわが国経済、財政の情勢にかんがみますと、年度途中における景気の落ち込みにより、かなりの規模の税収不足を招くという蓋然性が高くなってきております。このような予算作成時には予見しがたい税収の減少等があり、それが年度末間際になって見込まれる場合や、年度経過後に結果的に決算上の不足が明らかになるような場合には、補正予算等によって対処できないばかりでなく、現行法令は、決算上の不足が生じた場合の財政処理について規定していないため、これに適法に対処する方途がないのであります。
 本法律案は、このような事態に備えて、昭和五十二年度から一般会計に決算調整資金を設け、この資金から一般会計の歳入歳出の決算上生ずる不足を補てんする制度を創設し、同会計の収支の均衡を図ることとしようとするもので、その主な内容を申し上げますと、
 まず第一に、決算調整資金の財源として、各会計年度の一般会計において、財政法第六条の剰余金が生じた場合においては、剰余金の金額から公債等の償還財源に充てるべき金額を控除した金額の範囲内におきまして、翌々年度までに、予算の定めるところにより、一般会計から資金に繰り入れることができることとするほか、特別の必要がある場合には、予算の定めるところにより、一般会計から資金に繰り入れることができることとしております。
 第二に、決算調整資金に属する現金は、各会計年度の一般会計の歳入歳出の決算上不足を生ずることとなる場合に限り、翌年度七月三十一日までに、その不足を補てんするため、一般会計の歳入に組み入れるものとし、この場合においては、資金からの歳入組み入れに関する調書を作成し、次の常会において国会に提出して、その承諾を求めなければならないこととしております。
 また、決算調整資金によって決算上生ずる不足を補てんする際に、資金の現在額のみでは不足する場合に備え、当分の間の措置といたしまして、国債の償還等国債整理基金の運営に支障を生じない範囲で、同基金に属する現金を決算調整資金に繰り入れることができることとし、このような繰り入れを行った場合には、その日の属する年度の翌年度までに、予算の定めるところにより、繰入金に相当する金額を、一般会計から決算調整資金を通じて国債整理基金へ返済することとしております。
 本案につきましては、審査の結果、昨八日質疑を終了し、直ちに採決いたしましたところ、多数をもって原案のとおり可決すべきものと決しました。
 以上、決算調整資金に関する法律案についての報告を終わります。
 次に、大蔵委員長提出、昭和五十二年度の水田総合利用奨励補助金についての所得税及び法人税の臨時特例に関する法律案につきまして、提案の趣旨及びその概要を御説明申し上げます。
 この法律案は、昨八日大蔵委員会において全会一致をもって起草、提出いたしたものであります。
 御承知のとおり、政府は、昭和五十二年度におきまして水田の総合利用を推進するため、その一環として稲作の転換を行う者等に対し、奨励補助金を交付することといたしておりますが、本案は、この補助金に係る所得税及び法人税について、その負担の軽減を図るため、おおむね次のような特例措置を講じようとするものであります。
 すなわち、同補助金のうち個人が交付を受けるものについては、これを一時所得とみなすとともに、農業生産法人が交付を受けるものについては、交付を受けた後二年以内に固定資産の取得または改良に充てた場合には、圧縮記帳の特例を認めることといたしております。
 なお、本案による国税の減収額は、昭和五十二年度において約三億円と見積もられるのでありまして、大蔵委員会におきましては、本案の提出を決定するに際しまして、内閣の意見を求めましたところ、稲作転換対策の必要性に顧み、あえて反対しない旨の意見が開陳されました。
 以上がこの法律案の提案の趣旨とその概要であります。
 何とぞ、速やかに御賛成あらんことを御願い申し上げます。(拍手)
    ―――――――――――――
○議長(保利茂君) これより採決に入ります。
 まず、日程第一につき採決いたします。
 本案の委員長の報告は可決であります。本案を委員長報告のとおり決するに賛成の諸君の起立を求めます。
    〔賛成者起立〕
○議長(保利茂君) 起立多数。よって、本案は委員長報告のとおり可決いたしました。
 次に、日程第二につき採決いたします。
 本案を可決するに御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(保利茂君) 御異議なしと認めます。よって、本案は可決いたしました。
     ――――◇―――――
 弔詞贈呈の件
○議長(保利茂君) 御報告いたすことがあります。
 議員内田常雄君は、昨年十二月二十九日逝去せられました。まことに哀悼痛惜の至りにたえません。
 つきましては、同君に対し、弔詞を贈呈いたしたいと存じます。弔詞は議長に一任せられたいと存じます。これに御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(保利茂君) 御異議なしと認めます。よって、さよう決定いたしました。
 弔詞を朗読いたします。
    〔総員起立〕
 衆議院は多年憲政のために尽力しさきに商工委員長大蔵委員長の要職につきまた再度国務大臣の重任にあたられた議員正三位勲一等内田常雄君の長逝を哀悼しつつしんで弔詞をささげますこの弔詞の贈呈方は議長において取り計らいます。
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 故議員内田常雄君に対する追悼演説
○議長(保利茂君) この際、弔意を表するため、鈴木強君から発言を求められております。これを許します。鈴木強君。
    〔鈴木強君登壇〕
○鈴木強君 ただいま議長から御報告のありましたとおり、本院議員内田常雄先生は、昨年十二月二十九日逝去されました。まことに痛惜の念にたえません。私は、皆様の御同意を得て、議員一同を代表し、謹んで哀悼の言葉を申し述べたいと存じます。(拍手)
 私の自宅に、ことしもきれいに咲いた三つの洋ランのはち植えがあります。これは、私が一昨年の暮れの総選挙に当選した際、内田先生が贈ってくださったものでございます。「苦労が実ってよかったね。君は参議院議員として十八年の経験を持っているのだから、今度は衆議院でしっかりがんばってくれたまえ」と言って贈ってくださった、あのときの内田先生の温情あふるるまなざしが、いまも私の脳裏にはっきりと焼きついているのでございます。(拍手)
 私は、昭和三十一年七月、国会議員となって以来、何かと同県人のよしみをもって内田先生に御交誼をいただいてまいりました。
 もとより、内田先生と私は、所属政党、主義主張を異にしておりましたが、私は、先生の人間味あふれるお人柄と、政治家としての清潔さ、公私をはっきりと区別される人間性と誠実さには常々敬服し、心から御尊敬申し上げておりました。
 私は、かつて参議院の予算委員会や社会労働委員会で、先生御専門の経済政策について、先生と幾たびか激しい論戦を展開したこともございます。また、個人的にもしばしばお話しする機会を得ましたが、先生は、豊富な御経験と深い御見識に基づいて、大所高所より天下国家を論ぜられ、私は深い感動を覚えたものでございます。
 内田先生は、私にとりまして、またと得がたい政治の大先輩でありました。そのとうといお姿をもはやこの議場にお見受けすることができません。まことに寂蓼の感ひとしおのものがございます。
 内田先生は、明治四十年六月三十日、山梨県甲府市にお生まれになりました。旅館業を営まれていた内田家の御長男として家業を継ぐ境遇にありましたが、幼少より俊秀の誉れ高く、向学心に燃えた先生に深い理解を示された御両親は、先生を温かく励まされ、先生もまたこれにこたえて東京帝国大学経済学部に進まれたのでございます。
 そして、在学中に高等文官行政科試験に合格、昭和五年、卒業後直ちに大蔵省に入られました。時あたかも世界恐慌がわが国にも波及し、いわゆる昭和の大恐慌が始まった年でありました。
 先生は、新進気鋭の若き行政官として、わが国経済がこの難局を乗り切るために日夜を分かたず奮闘、御労苦を重ねられました。その後も、激動する時局にあって多くの修練を積まれ、戦後は、経済安定本部財政金融局長あるいは大蔵省管財局長として、戦後の経済復興に、はたまた新生日本の財政の確立に敏腕をふるわれ、八面六臂の御活躍をなされたのでございます。
 このような官界における二十有余年の精進と貴重な御経験が、後に政治家として大をなす素地となったことは申すまでもありません。
 昭和二十七年、講和条約発効後、先生は、故池田勇人元首相のすすめもあって、独立日本の経済発展に貢献すべく、政界に身を投じる決意を固め、同年十月に行われた第二十五回衆議院議員総選挙に山梨県より立候補され、みごと初当選の栄を担われたのでございます。自来、本院議員に当選すること九回、在職二十三年七カ月の長きにわたりました。
 本院に議席を得られてからの先生は、多年の経験と卓越した見識を生かして国政の審議に当たられ、昭和四十年には商工委員長、また昭和四十二年には大蔵委員長に御就任、与野党委員の信望を集めて、その重責を十分に果たされたのでございます。
 やがて昭和四十五年、第三次佐藤内閣の厚生大臣として入閣された先生は、人間尊重、国民福祉優先の決意を新たにして、福祉政策の推進に当たり、児童手当制度の創設に尽力するとともに、医療保険制度の抜本的改正に真正面から取り組み、その解決に奔走されたのでございます。
 その後、昭和四十八年には第二次田中内閣の経済企画庁長官に任ぜられました。当時は、石油ショックに伴う経済的、社会的混乱がその極に達したときでございました。内田先生は、機を逸せず国民生活安定緊急措置法案を提案してこれを成立に導き、みずからも陣頭に立って、つぶさに市場、百貨店等の視察を行ってその実態を見きわめ、法の実施を督励して事態の鎮静と物価の安定に成功されたのでございます。その御尽力、その御功績は、まさに「経済の内田」の面目躍如たるものがありました。
 また、自由民主党にあっては、税制調査会長、経済調査会長、金融問題調査会長などの重職につかれ、党の政策立案に大きな貢献をなされました。
 かくのごとく、内田先生は屈指の政策通であり、とりわけ財政、税制等経済政策についての深い造詣と卓越した見識は余人の追従を許さないものがあり、加えて、すぐれた実務家としての長年にわたる貴重な経験をお持ちでありました。じみちでたゆまざる先生の御努力が、嚢中の錐のたとえのとおり、やがて「税制なら内田」、「財政なら内田」と先生の存在を内外に知らしめるところとなり、「経済の内田」として自他ともに許す確固たる地位を築かれたものと申せましょう。(拍手)
 一昨年九月、自由民主党が直面した重大な時期に、幹事長の要職につかれました。みずからこの人事を「月夜を歩いてマンホールに落ちたようなもの」と評しておられましたが、むずかしい政局をよく取りまとめられ、政治家としての練達ぶりを内外に示されたことは、われわれの記憶に新たなところでございます。(拍手)
 かくして、先生の御活躍は国政全般にわたり、議会政治の上に残された御功績はまことに偉大なるものがありました。
 内田先生は信念の政治家でありました。政治は国民大衆のものであり、国民大衆とともに歩むことが政治家の責務であるとの確固たる信念を持たれ、「政治は金でも力でもない。政治は最高の道徳に沿うものでなければならない。それでこそ初めて政治と国民をかたく結ぶことができる。」と断じ、これをみずからの政治行動の原点とされておりました。
 「無一物のところ無尽蔵」とは、先生の好まれた言葉でございます。私欲を追求せず天の無尽蔵の恵みを受けるというその意のとおり、常に自分を厳しく戒め、あくまで清廉に徹しておられました。
 万が一のときは公の葬儀は辞退するようにと奥様に御遺言を残されたのも、先生の厳しいまでの自粛自戒のあらわれと申せましょう。
 先生は、おのれに厳しかった反面、接するすべての人々に安らぎを与え、惜しみなく愛情を注がれました。天衣無縫とも言える情淡とした態度と明朗濶達、温情あふるるそのお人柄が、人々を魅了せずにはおかなかったのでございます。
 大衆の幸いを願う先生は、先憂後楽、常に世の人々のために尽くすことに献身され、郷土山梨のためにも、山国の避けられない後進性を何とか調和のとれた豊かなものに改善しようと、あらゆる御労苦をいとわれませんでした。お亡くなりになる最後の最後まで山梨医大創設のために尽力されたことは、いまは涙の物語となっているのでございます。
 先生のおのれをむなしゅうして国を思い、国民を思う真摯な政治姿勢こそ、私ども政治に志すものが片時も忘れてはならないものであると信じます。(拍手)
 この先生の政治姿勢とお人柄に、山梨県民はもとより、あらゆる人々が敬愛し、大きな信頼と期待を寄せられたゆえんであることに思いをいたすべきでありましょう。
 昨年夏、郷里の甲府市で開かれました要求米価大会の席上、炎天下のことでもあり、私が先生の御健康に気遣い申し上げますと、「ありがとう、大丈夫だよ、これからだよ」と張り切っておいででした。
 激職に次ぐ激職のため、みずからを顧みることもなく、ひたすら国政のために尽くされた長年の御過労からでありましょうか、それからわずかの日月のうちに病魔にさいなまれ、再度の御入院の後、最愛の奥様やお子様、そして長年行動をともにされた秘書の方々の懸命の御看護のかいもなく、七十年の生涯を静かに閉じられたのでございます。
 一昨年の暮れの総選挙の際は、中央において幹事長として全国の采配を振われた先生にかわって、奥様が全県下の立会演説会場で政策を訴え、当選のために全力を尽くされたことを忘れることができません。最後まで先生と御一緒に御苦労なされた奥様の御心中を思うとき、何とお慰め申し上げてよいのか、その言葉もございません。いまはただ、在天の内田先生、どうか奥様とお子様をしっかりとお守りくださいとお願い申し上げ、御冥福をお祈りするのみでございます。(拍手)
 いまや、わが国はかつてない重大な時局に直面しております。とりわけ経済の年と言われるこのときに、練達の政治家であり、屈指の財政経済の指導者でありました先生を失いましたことは、返す返すも残念なことであり、本院にとりましても、国家にとりましても、この上もない大きな損害でございます。
 ここに、謹んで内田先生の生前の御功績をたたえ、そのお人柄をしのび、重ねて心から御冥福をお祈りいたしまして、追悼の言葉といたします。(拍手)
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○議長(保利茂君) 御報告いたすことがあります。
 議員刀祢館正也君は、去る一月八日逝去せられました。まことに哀悼痛惜の至りにたえません。
 同君に対する弔詞は、去る一月十六日贈呈いたしました。弔詞を朗読いたします。
    〔総員起立〕
 衆議院は議員従五位勲四等刀祢館正也君の長逝を哀悼しつつしんで弔詞をささげます
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 故議員刀祢館正也君に対する追悼演説
○議長(保利茂君) この際、弔意を表するため、土井たか子君から発言を求められております。これを許します。土井たか子君。
    〔土井たか子君登壇〕
○土井たか子君 ただいま議長から御報告のございましたとおり、本院議員刀祢館正也先生は、去る一月八日逝去されました。
 昨年秋のことでございます。公害対策並びに環境保全特別委員会で熱心に他党の委員の質疑に耳を傾けられていた先生が、隣の席の私に「不況になればなるほど人命尊重の原点に立って公害問題と取り組まなければならないと思います。自分にできることは精いっぱいやるつもりです。どうかよろしく。」と声をかけられました。
 今後の研さんを誓い合った先生がこんなに早く逝ってしまわれるとは、一体だれが思ったでございましょう。あのようにお元気であった先生がいまはもうこの議場で永遠にそのお姿を見ることができないと思うと、胸詰まる思いがいたします。
 生来の頑健なお体と若さとを誇りとしておられた先生が、いかに天命とは申せ、最愛の奥様と小学校三年生の御子息を末に一男二女の愛児に心を引かれながら、忽然として帰らぬ旅へ先立たれるとは、まことに人の世の無常をうらまないではおられません。まして、あらん限りの御看病に祈るような気持ちで当たられた御遺族の御心中を思うとき、その痛恨の念は言葉をもってあらわすことができないのでございます。
 私は、皆様の御同意を得て、議員一同を代表いたしまして、故衆議院議員刀祢館正也先生に謹んで追悼の言葉を申し述べたいと存じます。(拍手)
 刀祢館先生は、昭和三年東京都にお生れになりました。先生は、朝日新聞社の取締役等を歴任された人格、識見ともにすぐれた言論人である御尊父と慈愛に満ちた御母堂の薫陶を受け、九人兄弟の七番目として秀でた御兄弟の中で切磋琢磨されたのでございます。
 小学校に入学されて間もないころ、先生は御尊父の転勤により御家族とともに兵庫県西宮市に転居されました。みずから小学校時代を顧みて「よく遊び少し学ぶ」と述懐しておられますが、その自由奔放で自主自立のわんぱく少年ぶりがよくうかがわれるのであります。後に、全国で最年少の教育長となられた先生が、敢然として教育正常化運動に立ち向かわれたその気概は、幼い日、わんぱくなこの少年時代に培われていったのでございます。
 昭和二十年兵庫県立第一神戸中学校を御卒業、陸軍士官学校に入校されたのでありますが、戦争は先生の一生にとっても大きな転機を与えたのでございます。士官学校半ばにして敗戦を迎えられた先生は、一転して旧制浪速高等学校へ、そしてさらに京都大学法学部へと進まれたのであります。
 先生は、大学で学ぶ傍ら、西宮市立大社中学校の助教諭となり、教壇に立たれました。
 苦学力行、昭和二十七年京都大学を御卒業、引き続き同中学校の教師を続けられ、戦後の混乱期に生徒の信望を一身に集められた「頼れる先生」でありました。働きながら学び、学びながら働かれたこの六年間の血のにじむような教育実践は、先生をして人の追随を許さない識見と信念、後に「教育の刀祢館」と言われる基礎を築かれたのであります。
 昭和三十年、先生は、市民の熱望抑えがたく、弱冠二十六歳にして最高点で西宮市会議員に当選、自来二期にわたり斬新な発想とその教育に対する見識、情熱は多くの市民の高く評価するところとなったのであります。そうして、昭和三十六年請われて全国最年少の西宮市教育長に推され、自来約十二年間この要職を務められました。
 先生は、すでに早くより、受験戦争、テスト主義、学習塾こそ現在の教育の三悪であると指摘し、教育正常化運動を力強く展開されたのであります。その間、先生でなくてはできなかった幾多の業績がいまも生き続けているのであります。
 昭和三十八年には、兵庫県の高校入試の総合選抜制の廃止の方針が打ち出されるや、先生は、地域事情、地方自治を重視せよと一歩も引かれず、高校入試の総合選抜制を守り抜かれたことは、心ある人々の語りぐさになっております。中でも、ランドセル通学の廃止、転地学習の実施などは全国に有名で、先生は、「勉強は学校で、しつけは家庭で、そして伸び伸びと遊べ」と、権威主義を排し、常にあるべき教育の姿を追求し続けてこられたのでございます。
 「一中学校区一公民館」を目標に公民館運動を徹底して展開されたのも先生であります。児童教育から社会教育まで生涯教育の理想をどこまでも追求された姿勢は、混迷した教育行政に一条の光を与えるものでありました。
 かくして、西宮市を押しも押されもせぬ全国有数の文教都市に築き上げられたその大きな御功績は、先生の誠実でひたむきな情熱あふれる言動とともに郷土の人々の胸に深く刻まれ、郷土ある限り語り継がれることでありましょう。(拍手)
 教育の改革に情熱を持ってじみちな努力を続けてこられた先生は、昭和五十一年六月、教育立国を掲げて新自由クラブが結成されると、「私の理念を国政に具現するときがいまやってきた。天が私に働きの場を与えたもの」と、欣然として赴かれたのであります。そして同年十二月、第三十四回衆議院議員総選挙が行われるや、兵庫県第二区から立候補、爆発的な人気でみごと当選の栄冠を獲得されたのであります。勇躍、抱負に胸をふくらませ、新自由社会の建設、教育立国への執念に燃え、いよいよと思われたやさき、全く突然、第八十回国会の昨年二月、先生は不幸にして病魔に襲われ、病と闘いながらの議員活動となったのであります。
 本院に議席を得られた先生は、議院運営、大蔵、地方行政、文教、建設、公害・環境の各委員会の委員として幅広い御活躍の場で熱心に国政に当たられました。とりわけ先生は党の期待を一身に担って国会運営のかなめである議院運営委員会の委員として与野党伯仲の多党化時代の困難な折衝に当たられ、病躯を顧みず、高い責任感と異常な努力でその職責を果たされたのであります。その重責を果たすため、昨年の夏ごろは、一週間に一度点滴を受けながら議員活動を続けられたことを知ったとき、同じ議員の一人として断腸の思いに駆られるのでございます。
 私は、先生が昨年五月二十八日、この壇上で会期延長反対の討論をされたときのことを鮮やかに覚えております。あの一言、一言は千鈞の重みを持って迫ってくるのでございます。
 人一倍、責任感が強いゆえに政治の持つ非情さが先生の死期をあのように早めたとすれば、まことに痛恨のきわみと言わねばなりません。
 先生の御臨終に駆けつけられた河野洋平代表が「責任感が強過ぎて議員活動で無理をされたのがよくなかった」と絶句されたことは、涙なくして聞くことができなかったのでございます。
 思うに先生は、みずからを律するに厳しく、使命感に徹した責任感の強い方であった反面、常に誠実さと温かい心を持ち続けてこられた方でもありました。
 「死んでも人の役に立ちたい」とかねがね先生は御家族に漏らされておりました。この先生の御遺志は奥様の手によって果たされ、日ごろから「幾ら本を読んでも疲れることを知らない目」と言われていた先生の二つの目の角膜はアイバンクに寄贈され、いまお二人の婦人の目をよみがえらせ、生き続けているのでございます。ともすればはでな争いが強調される政治の中で、政治家としてここまで考え尽くされた先生の御遺志に頭の下がる思いがいたすのでございます。(拍手)
 「一人では何もできない。しかし一人が始めなければ何もできない。『私は』その一人になろう」。これは先生の残された「にんげん復興」という著書の締めくくりの言葉でございます。先生の西宮での弊儀の日は、寒い風がはだを突き刺す日でございました。その中で、先生のひつぎが見えなくなっても、なお立ち去ろうともしない多くの市民の姿がまぶたに焼きついて消えようとはいたしません。
 私はそのとき、若く新しい、市民に愛され期待された政治家の最期を見たのでございます。
 先生の四十九年の御生涯はまことに短いものでございました。
 厳しい内外の試練の中で刀祢館先生のごとき前途有為の政治家を失いましたことは、ひとり新自由クラブのみならず、本院にとっても、国家国民にとっても、まことに大きな損失であり、惜しみてもなお余りあるものがあります。(拍手)
 私は、短い期間とはいえ、本院において先生と議席を同じくし得ましたことを誇りとし、先生の心を生涯心にとめてまいりたいと存じます。
 先生の残された教育一筋の志、永遠に生き続けよ。
 先生の残された御遺族に神の大いなる御加護のあらんことを。
 ここに、刀祢館正也先生の生前の御功績をたたえ、その人となりをしのび、心から御冥福をお祈りして、追悼の言葉といたします。(拍手)
     ――――◇―――――
○議長(保利茂君) 本日は、これにて散会いたします。
    午後一時六分散会
     ――――◇―――――
 出席国務大臣
        大 蔵 大 臣 村山 達雄君
        厚 生 大 臣 小沢 辰男君
        国 務 大 臣 安倍晋太郎君
     ――――◇―――――