第087回国会 航空機輸入に関する調査特別委員会 第6号
昭和五十四年五月二十四日(木曜日)
   午後一時三分開議
 出席委員
   委員長 永田 亮一君
   理事 羽田野忠文君 理事 増田甲子七君
   理事 松永  光君 理事 山崎武三郎君
   理事 小林  進君 理事 坂本 恭一君
   理事 坂井 弘一君 理事 大内 啓伍君
      越智 伊平君    國場 幸昌君
      島村 宜伸君    玉沢徳一郎君
      戸沢 政方君    羽田  孜君
      武藤 嘉文君    森  美秀君
      大出  俊君    川崎 寛治君
      渋沢 利久君    西宮  弘君
      横路 孝弘君    池田 克也君
      長谷雄幸久君    林  孝矩君
      米沢  隆君    正森 成二君
      加地  和君
 委員外の出席者
        証     人
        (衆議院議員) 松野 頼三君
        航空機輸入に関
        する調査特別委
        員会調査室長  長崎  寛君
    ―――――――――――――
委員の異動
五月二十四日
 辞任         補欠選任
  塩崎  潤君     戸沢 政方君
  横山 利秋君     西宮  弘君
同日
 辞任         補欠選任
  戸沢 政方君     塩崎  潤君
  西宮  弘君     横山 利秋君
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 航空機輸入に関する件
     ――――◇―――――
○永田委員長 これより会議を開きます。
 航空機輸入に関する件について、松野頼三君より証言を求めることにいたします。
 証言を求める前に証人に一言申し上げておきます。
 昭和二十二年法律第二百二十五号、議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律によって、証人に証言を求める場合には、その前に宣誓をさせなければならないことになっております。
 宣誓または証言を拒むことのできるのは、まず、証言が、証人または証人の配偶者、四親等内の血族もしくは三親等内の姻族または証人とこれらの親族関係のあった者及び証人の後見人または証人の後見を受ける者の刑事上の訴追または処罰を招くおそれのある事項に関するとき、またはこれらの者の恥辱に帰すべき事項に関するときであります。また、医師、歯科医師、薬剤師、薬種商、助産婦、弁護士、弁理士、弁護人、公証人、宗教または祷祀の職にある者またはこれらの職にあった者がその職務上知った事実であって黙秘すべきものについて尋問を受けたときにも証言を拒むことができることになっております。
 しかして、証人が正当な理由なくして宣誓または証言を拒んだときは一年以下の禁錮または一万円以下の罰金に処せられ、かつ宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは三月以上十年以下の懲役に処せられることになっております。
 一応このことを篤と御承知おき願いたいと存じます。
 次に、証人喚問についての理事会の申し合わせ事項については、証人にはすでに文書をもってお知らせしたとおりであります。
 なお、証人がメモをとることは原則として認めないことになっておりますが、質疑の項目程度は結構でございますので、御承知おき願います。
 それでは、法律の定めるところによりまして、証人に宣誓を求めることといたします。全員御起立を願います。
    〔総員起立〕
○永田委員長 それでは、松野頼三君、宣誓書を朗読してください。
○松野証人 
    宣 誓 書
 良心に従つて、真実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います
  昭和五十四年五月二十四日
                松野 頼三
○永田委員長 宣誓書に署名捺印してください。
    〔証人、宣誓書に署名捺印〕
○永田委員長 これより証言を求めることといたしますが、証人の御発言は、証言を求められた範囲を越えないこと、また、御発言の際には、その都度委員長の許可を得てなされるようお願いいたします。
 なお、こちらから質問をしているときは着席のままで結構でございますが、お答えの際は起立して発言をしてください。
 なお、委員各位に申し上げます。
 本日は、申し合わせの時間内で航空機輸入に関する重要な問題について証人より証言を求めるのでありますから、不規則発言等、議事の進行を妨げるような言動のないように特に御協力をお願いいたします。
    ―――――――――――――
○永田委員長 これより証人に対して証言を求めます。
 まず、委員長より委員会を代表して所要の事項についてお尋ねをして、その後、委員各位の御発言を願うことといたします。
 証人松野頼三君、あなたの生年月日、住所をお述べください。
○松野証人 大正六年二月十二日。港区芝白金台二の十四の十。
○永田委員長 それでは、まず私からお尋ねいたします。
 あなたは、昭和四十年六月三日から四十一年八月一日まで防衛庁長官に在任され、その間、四十一年四月に三次防原案をまとめられました。あなたの退任後である四十一年十一月、第三次防衛計画大綱が閣議決定され、四十二年三月、第三次防衛計画が決定されました。この三次防に基づき第二次FXの選定が始まり、昭和四十三年十一月、F4Eファントムの採用が決定されました。この間、あなたはどういう立場にあり、どういう見解をとられていたのか、お述べください。
○松野証人 四十年六月−四十一年八月、防衛長官在任中、三次防の大綱を決定はしておりません。三次防の草案の準備を私は命じたと記憶します。したがって、三次防大綱というのは、その以後、一年ぐらい後に決まった。私は、三次防大綱の草案の準備を命じたと記憶しております。
 その後のFXの決定については、私はいささかも関与しておりません。
○永田委員長 昭和四十二年から四十六年までの間に日商岩井株式会社は一人の政治家に五億円に近い金を流したということが捜査当局から公表されましたが、その点について御存じのことがあればお述べください。
 なお、その金を受け取られたとすれば、回数と合計額、その趣旨及びその使途についてお述べください。
○松野証人 昭和四十二年から四、五年の間、四、五億の金を日商岩井から政治献金として受領をいたしました。目的は政治献金でございますから、その趣旨に沿って、私の責任でこれを使いました。
 以上であります。
○永田委員長 次に、発言の申し出がありますので、順次これを許します。松永光君。
○松永委員 いま委員長から質問のあった事項に関連いたしまして、私はもっと突っ込んだ質問をしたいと思います。
 いま、四十二年から四十五、六年の間の四、五年間に四、五億の金を政治献金として受け取られたという証言でございましたが、回数は何回ぐらいでございましたでしょう。
○松野証人 四、五年間の回数は明確でございません。恐らく相手方の都合のたびに持ってこられたのじゃないかと思います。したがって、私が明快に金額、回数まで覚えておりません。
○松永委員 合計額が四、五億ということでございますが、その四、五億という金は最初、四、五億の金を政治献金として差し上げます、こういう話し合いが日商岩井のだれかとの間になされて、その話し合いに基づいて何回かにわたって金の交付があった、こういうことでございましたでしょうか。それとも、そういう話し合いはないのだが、何回かに分けて合計して四、五億になったということなんでございましょうか。そこらを記憶に基づいて述べていただきたい。
○松野証人 非常に具体的な御質問でございますが、その前に、私と日商岩井との関係を御説明申し上げた方が今後の質疑に御参考になるかと思います。
 私と日商岩井の関係は、父以来長い、深い関係です。もとをただせば、昭和の初期、鈴木商店が破産、倒産して以来、その残務整理に関与したのが私の父であります。したがってその当時は、日商は、財産はなくしたが、人材と人徳を残したとうわさされている。言うなれば私はそういうことからスタートしております。したがって、日商岩井と松野家との関係から私は古く今日まで交際をし、その社長が、後継者が高畑誠一さん、鈴木商店の後継者です、この方が日商の創立者であります。いろいろ今日もつき合い、交際、事実は私の家とは深い関係であります。
 その関係から最初に御質問の具体案に入りますれば、最初は二、三百万の選挙見舞いのような献金がございました。したがって、これは選挙見舞いであるし、政治資金であるし、一切何も関係のない趣旨であります。そのとき私も気安くそのままの趣旨を尊重しました。その後継続的に同じ趣旨で続いたのでありまして、私の方から、要求したこともありません。したがって、金額を私が明快に覚えておりません。相手方の好意による金額であるし、好意による性格のものですから、それで私は覚えていないというのは、性質を一々、性格や性質をそう私は政治献金、そのことから覚えていないのであります。最初はたしか陣中見舞いのような献金がありました。その後私に対する政治献金が続いたのであります、その四、五年間。
 以上であります。
○松永委員 政治献金の始まりは二、三百万の総額のものであったということでございますが、しかし結果的には四、五年の間の四、五億という金でございまして、大金でございますね。相当多額の金でございますから、もっと少額の金ならば善意に基づく純粋な政治献金ということが常識的にもうなずけるのですけれども、四、五億という大変な金でありますし、そうしますというと日商岩井側では証人から何らかの見返りあるいは反対給付、こういったものを期待するような話はなかったでしょうか。あるいはまた証人の方で何か日商側は自分に期待をしておった、反対給付あるいは見返りを、というようなことを察知されなかったでしょうか、そこらの点を記憶に基づいて答えてください。
○松野証人 松永さんの御疑問のとおり、私は、おやじ以来の言うなれば人脈遺産という感じを私は持っておったのです。したがって、気安く甘えたところは私もあったと私は思います。したがって、特別にこれだあれだというそういう話よりも、やはり私を政治家として育てようという趣旨がほとんどだったと各会の会合で私は感じております。もちろん高畑さんとはこの四、五年の閥に四、五回はお会いしておるでしょう。その使いが私は来られたと思うのです。したがって、そういう趣旨を察知したかしないかと言われると、これは何とも申し上げられないのですが、私自身に強い依頼とか、そういうものは私は一つも覚えておりません。言うなれば、政治家を育てよう、将来私が何か役に立つか、それは知りません。どちらかというと、非常に広範囲なものであったと私は記憶しております。
○松永委員 先ほど委員長の質問に対して、第二次FXの機種の選定には関与していないという証言があったわけですが、あなたが直接関与してなくとも、機種選定に関して権限を持っておるたとえば当時の防衛庁長官とかあるいは防衛庁の上の人などに働きかけをあなた自身がなさったことがありましょうか。重ねてこの点をお聞きしておきたいのです。
○松野証人 幸いこの席に、私の後に防衛庁長官やられた増田先輩がおられます。高潔な方であります。この増田先輩の証言を求めるまでもなく、その方の前で私は一度も飛行機の話をしたことがない、防衛庁の役人を呼んだこともない、防衛庁に行ったこともありません。たまたま先輩を引き合いに出して申しわけありませんが、その前で私は明言をいたします。
○松永委員 次に、証人も御承知と思いますが、グラマン・インターナショナルの昔の社長であったチータムというのが報道機関等にいろんなことをしゃべっておるわけであります。チータムの言うところによると、証人と何回か会って、E2C、早期警戒機の売り込みに関して話し合いをしたなどということをチータム氏は報道機関にしゃべっておるようであります。
 そこでお尋ねするんですが、証人はチ一夕ムという男と会って、そしてE2Cに関する話をされたことがあったかどうか、その点を記憶に基づいてお答えください。
○松野証人 チータム氏とは、私の記憶では何回会ったか正確じゃありませんが、覚えておるのは、三回は覚えております。何年か、四十三、四年かもう年代はよく覚えておりませんが、とにかく三回は記憶があります。
 第一回目に来たときは、カーン氏と一緒に来ました。カーン氏は、その前にある方から紹介を受けて、この方は外交通ということでいろいろな話をいたしております。その方が、突然一人の外人を連れてこられた。英語の名刺を出されました。そこにグラマンと書いておったから、私は、グラマンというのはあの有名なグラマンか、と。そうだ。もう帰ってもらいたいと私が言ったことを覚えております。なぜかと言えば、グラマンは私に印象がよくない。戦争中は、私は南方、フィリピンでグラマンの戦闘機に追い回された経験があるという話で話がスタートしたのです。第二番目には、日本の政界にグラマン旋風が吹いて余り印象がよくない。きょうは三度目だ、君が来たのは、という話を、私は最初ですから非常に覚えております。そのとき、あの人も私とちょうど相前後して海軍に従軍したはずです。いや、おれはゼロ戦に追いかけられた。ゼロ戦の話とグラマンの話で花が咲いたのが一回。その後で来られたとき、今度はまた飛行機の話をしようと言うから、またグラマンとゼロ戦の話をしたのです。その後で、君は非常にグラマンをきらうけれども、アポロに関心があるかと聞いた。そのときはちょうど月にアポロが初めて着陸した前後です。私は、アポロは非常に興味がある。実はアポロの飛行機はグラマンがつくっているのだ、だからグラマンを見直してくれという話のときに、月アポロとかE2Cのカタログを私に見せました。
 正直な話、私E2Cは必ずしも関心がなかった。なかったというのは、日本の防衛に不必要なものではありません。しかしながら、私は当時E2Cはまだ日本に、その当時いまから十二年前、十年ぐらい前ですから、まだ日本の財政には無理だろうと思って説明とカタログは見ましたが、関心ない。その後で三度目に来たときに非常に積極的な話をしておりました。いや代理店がどうだこうだとか言っておりました。私も、実は余り深く深入りしなかったのです。たまたまときどき新聞報道で、松野と話しているのが一番愉快だったというならば、ゼロ戦とグラマンの話とアポロの話が彼に非常に愉快だったでしょう。ただしあの中で違っておりますのは、英語が上手だと言ったのはあれは違います。私は英語は余り上手じゃないのです。そんなことで私はつき合ったのであって、特に仕事の上でどうの――会って話はした。しかし私の関心は、そんな代理店のどうの、そんなところまで頭にはなかったから、そんな話をしたことはないと私は想像いたします。
○松永委員 増田議員に譲ります。
○永田委員長 増田甲子七君。
○増田委員 証人に伺いますが、ただいま委員長の御質問の中にございましたそれに対する答弁のとおり、たしか三次防大綱というものは私の前任者、上林山榮吉君が昭和四十一年の十一月の末に決めて、私に引き継ぎをされました。証人のおっしゃるとおりです。それから私の代になりまして昭和四十二年の初頭において第三次防計画というものの細目まで決定したわけでございまして、証人の証言はそのとおりだと思っております。
 私がこの際申し上げたいのは、何かこの前予算委員会において海原元官房長、これを呼びまして、私どもはそのときに呼ばれなかったのですが、いろいろな質問をしていろいろな答弁をされておる。その中に大人の推理であると言って、F4に対して自分は反対であった、ノースロップに賛成であったということを言っておりまするが、私はノースロップということについて海原某なる者と話をしたことは一切ございません。証人はどんなふうでございましたか。
○松野証人 私も全然、私の在任中は機種の内容、品目、種類というものは問題になっておりません。たしかその後九種類の選定を始めたということを一年ぐらい後に聞きました。それも初めて聞いたことで、私のときはまだそういう時代でも全然ない時代でございます。
○増田委員 承りました。
 その後三次防が決まりまして、計画大綱が決まり細目が決まりまして、いよいよFXの選定に入ったのは昭和四十二年でございまして、あなたの御在任とは関係ないわけでございます。そのときには初め九種とか十五機種とか言っておりましたが、三回調査団をやりまして、しかも操縦できる人でなかったならばどの機種がいいかということはわからないわけでございます。われわれジェーンの年鑑とかあるいは英国の戦略研究所の年報とかいうものを読んだだけでは、とてもわかるものではないのです。それでパイロットに実際乗らしてみました。あるいは類似の型のものであるならば類似の型のものに乗らしてみまして、その結論が、第三回目が出ましたのは昭和四十三年のたしか九月だと私は記憶しております。あなたは恐らく御存じないでしょう。その結論を得まして、十一月に予算の概算請求がございましたから請求したわけでございます。その前にあなたの知識として、この際申し上げますが、CL一〇一〇というものと最後にはF4Eとの競争になりました。野党の諸君にも相当御存じの方がおると思いますが、CL一〇一〇という型はなかったのです。これは松野証人に申し上げておきます。ないものをどうやって検査してきたか、今日でも私には不思議でならないわけでございます。当時メインというものは三菱重工と決まっているのでございまして、今日はどうかわかりませんが、それからサブというものは川崎重工とか富士重工に決まっておって、仲よくライセンス生産をしたものでございますけれども、肝心のCL一〇一〇というものはなかった。いまの言葉で言えばL一〇一〇というものはなかったのです。突然にL一〇一一というものになって、いまトライスター問題を起こしていることは証人も御存じのとおりだと思いますが、L一〇一〇がなくて、ないものは比較することはできませんし、アメリカの航空――日本では航空と言っておりますがアメリカは空軍でございます。アメリカの空軍が採用しアメリカの海軍が採用しておる世界最優秀の戦闘機でなければ日本の防衛は不可能でございますから、そういう選定の運びになっていることを証人は御存じはないと思いますが、いかがでございますか。
○松野証人 まことに不敏でございますが、全然存じ上げておりません。きょう初めて聞きました。
○増田委員 それから、人事というものは大体行政府がやることであって、人事は国政調査の名においていろいろ介入されたんでは三権分立の線が崩れてしまうと私は確信しております。そこで、何か覚書とか大人の推理とかいっていろいろ書いたものがあって、そして防衛計画の大綱なんという、昔だったらちょっとこれはSの扱いを受けると思います、そういうものがあって、そういうものを根拠としていろいろ質問されたり応答されたりするのは、こちら側はわりあいに知識がない人ばかり当時はそろっていました、ことしの二月の予算委員会でございます。私は委員ではございませんから出る機会はございませんでした。そういうことで終始して非常に迷惑に私は思っております。私の見識において人事は行ったものである、別段だれのメモも要りません。もしメモを出すならば、総理大臣は出してもいいんですが、総理大臣とはしょっちゅう会っているんですから、こうやったらいい、ああやったらいいということは、人事は局長くらいは私は相談します。それ以外の人の制約を受けるということは、不肖なりといえども幹事長を二回もやっておりまするし、講和条約の基礎もつくったわけでございますから、あと人に言われてどうこう働くなんというロボット大臣では増田はない。あの予算委員会の質疑応答に対しては非常に迷惑に感じておりまするが、証人はいかがお感じでございますか。
○松野証人 全くそのとおりであります。
○増田委員 終わります。
○永田委員長 これにて、松永君、増田君の発言は終了いたしました。
 大出俊君。
○大出委員 大出俊でございますが、松野さんとは松野さんが防衛庁長官におなりになって以来、私も長い間質問をいたしましたし、お互いに防衛に詳しい間柄でございますから、先ほどの増田さんともそうでございますけれども、私も当時の事情を知り過ぎている人間の一人であります。それだけに長いおつき合いで心苦しい点がありますけれども、問題は国民的な課題として今回真相解明をということでございますから、そういう意味でこれはお許しをいただきたいと思っているわけであります。
 ついては、いまのやりとりを承っておりまして、私、非常に短時間の持ち時間でありますけれども、これは非常に不愉快であります。なぜかと言いますと、問題は、検察当局が、SEC報告等もございましたが、捜査をされて、RF4Eにかかわる二百三十八万ドルという金が日本に、アメリカ日商でありますが流れている。これをずっと突き詰めていった結果として、金の流れが解明をされてみたら、五億円ばかりの金が一人の政治家に行っている、それが松野さんであるということを陰に陽に表現は違いますけれども明らかにしたわけでありまして、きのうなどは法務委員会で、この五億円前後の金はF4ファントムの売り込みにかかわる金であって賄賂性の非常に強いものだということを当該の法務省伊藤刑事局長が答えている。賄賂性の非常に強いと捜査当局で見る金の流れ、金の行き先、そこに松野さんがおいでになるというところに証人喚問という問題が起こっているわけでありまして、ここのところを外して物を考えるのなら、これは証人喚問の必要はない。皆さんが御納得の上で証人として松野さんが御出席になったのもそこに理由があるからだ。そこを外したいまのやりとりというのは、国民の皆さんが、政治の自浄作用といいますか浄化といいますか、政治信頼の回復といいますか、そういう意味で注目している時点で私は不納得であります。
 そこで、時間がありませんから率直に承りたいのでありますけれども、五億円前後の金をお受け取りになったことをお認めになりました。どこの世の中にも、商社と称するところから、幾らお父さんの時代に長いつき合いがあったとは言いながらも、何も日商なら日商のためにお骨折りをいただきもせぬのに五億からの金をあっさり出す商社というのはないはずであります。私は、松野さんの先ほどのお答えは、その意味では真実でない、こう申し上げざるを得ない。もう一遍承りますが、本当に航空機にはかかわりがないとおっしゃるのですか。
○松野証人 金銭の授受の際にそういう趣旨というものはありませんでした。
○大出委員 金銭の授受の際にそういう趣旨、そんなのは必要ないのですよ。きのう法務委員会で成功報酬という言葉が出ておりますけれども、事片づいていればこそ金が流れるというのが世の中の常識で、そこを明らかにしていただきたいと申し上げるわけなんで、それでは一体、金銭の授受に関してそういう話はないとおっしゃるんなら、金銭の授受に関せざるその以前に、金銭を受け取る場所以外にそういうことがあったことになりますか。
○松野証人 非常に端的な御質問ですが、いずれにしましても私はそういう印象とそういうふうな結びつきの話をしたことはないのです。要するに、政治家としての一般的な話、あるいは私の知識の中でいろいろな話をしております。それを非常に端的に結びつけられる、私はその事実はございません。
○大出委員 政治家としての一般的な話の中に航空機の話はあったわけですか。
○松野証人 いろいろな話が出ましたから、その中にももちろんその話は出たように記憶します。
○大出委員 それなら少しわかりかけてまいりましたが、やはり航空機の話はいろいろとあった。航空機と言えばお詳しい松野さんですから、F4ファントムについてもお詳しいのでしょうし、あるいはRF4Eについてもお詳しいのですし、E2Cについてもお詳しい。あたりまえでしょう。
 そこで、この先ほどの五億円の金というのは、だれが一体松野さんにお渡しになったのですか。松野さんはだれからお受け取りになったのですか。
○松野証人 その趣旨は、高畑誠一氏であります。
○大出委員 まさか高畑さんが御自分で――私も知っておりますが、御自分で松野さんのところへ運んできたわけじゃないのでしょう。どういう形になっているのですか。伊大知さんなどという教授の話等によりますと、海部におっつけられていって、島田三敬さんが大変に困って、松野さんのところへ現金で持っていったのだが、大変重たかったから相当な額だろうなんというようなことを言っているのですね。これは聞いてみましたが、そうおっしゃったようですよ。だれが一体使いに来られたのですか。
○松野証人 最初に使いに来たのは海部八郎君だと記憶しております。
○大出委員 その次に使いに来たのは島田三敬さんですか。
○松野証人 その次と言われると困りますけれども、要するに、海部八郎君と島田三敬君と、高畑さんも直接お目にかかったこともありますから……。
○大出委員 伊藤刑事局長は四十二年の秋ごろから四十六年までと、こうきのう答えましたが、四十二年の秋ごろということですか。そのときはどなたが来られたのですか。
○松野証人 四十……(大出委員「二年の秋と言いました」と呼ぶ)正確にそこは私もわからないのです。私はもっと――四十二年の選挙が終わって、高畑さんの電話で来たのは、私は四、五月ごろに海部君が来たのじゃないかと思うのですよ。だから、秋と言われる記録があるかどうか知りませんが、私の印象は、選挙が終わって二、三カ月して高畑さんが、海部君を差し上げるから会ってくれと言われたのは、少なくとも四、五月か六、七月じゃなかったかと思いますね。それは、必ずしも私は明快じゃありません。
○大出委員 だんだんわかってまいりましたが、海部さんが来る。最初、海部さんがおいでになった。島田さんがおいでになった。つまり、海部さんと島田さんであった。これはなぜ海部さんと島田さんが来るかと言いますと、これはお二人とも航空機の担当、つまり航空機部にかかわる方々、その最高責任者、次の方、こういうことになる。そうでしょう。すると何で一体高畑さんの使いで二人が来るかと言えば、航空機にかかわりがあるから。そうなるでしょう。そう受けとってもいたし方がないでしょう。しかも、アメリカ日商にRF4Eの追加手数料と称して二百三十八万ドルが入っていた。いろいろな方法で隠したりなんかしながら裏金として使ってきたその金の流れがと、こういうことで五億円が出てくるわけでありますけれども、すべて海部、島田御両氏のやったことでしょう。明らかでしょう。裏金はそこからしか出ないでしょう。しかも、五億もの大きな金は出ないでしょう。航空機にこれでもかかわりがないとおっしゃるわけですか。
○松野証人 高畑さんの私に対する趣旨は、恐らく海部八郎君はあの時代、次の社長候補です。高畑さんの子飼い、子供同然である。それが私に対する紹介です。したがって、恐らくあの当時の社内の状況は社長候補でしょうね。航空機部の部長ではなしに、社長候補として私に紹介を受けた、これは私の認識は少しも変わっておりません。
○大出委員 私も知らぬで聞いているわけじゃございませんで、松野さんの時代も私が何遍も質問もいたしておりますし、増田先輩のごときは――私は増田…さん、非常に好きでございますけれども、山口空将補がお亡くなりになって、バッジの問題、次のFXの問題、大騒ぎが起こりました。予算委員会で私が詰めた質問をいたしましたら、おれが物を防衛庁に対して言うたびにバッジの値が上がる、防衛庁、伏魔殿だと、こう増田さんが当時答えている。議事録に残っている。有名な話であります。私も詳しいですから。
 そこで、どうも次期社長になる人だとは言いながらも、当時は航空磯部の担当責任者であり、その次の人、島田さんがお運びになったとすれば、これはまあ、世間一般がどう考えても、航空機がらみの金だということになりますね。
 そこで、次に人事問題について承りたいのですが、さっき大変きれいなお話を承りましたが、松野さんは防衛庁長官におなりになりまして、大変な、私どもは唖然とする人事を――当時私は内閣委員会筆頭理事をやっておりましたが、驚いた。世の中じゅうが驚いたわけでありますが、これをひとつお答えいただきたいのでありますが、防衛庁の人事に、歴史的に一度もない大変な人事が行われた。統合幕僚会議議長の、これは制服の一番上の方、杉江さんが勇退、陸上幕僚長の天野良英さん議長昇格、海上幕僚長西村友晴さん勇退、航空幕僚長、問題の浦茂さん勇退、一挙にこれは松野さんが切って落としたですね。これは唖然としたのですね。陸海空の三幕僚長がそろって交代をしたのは、防衛庁の歴史初の奇妙な人事と、当時、新聞も書きましたし、いろんな人が唱えました。奇妙な人事。しかもこの後に、問題の航空幕僚長に、浦茂さんの、これは実は陸士の先輩なんですけれどもね、牟田さん、司令でおられた牟田さんを持ってこられた。牟田さんは当時、浦さんの先輩ですから、退職の準備で、ほかに話をして、行く先まで話して、やめようというところへ、あなたが非常に強く要請をしたというので後をおやりになったのですね。これは一体どういうわけなんですか。まあこれはF5ノースロップ系統の海原さんに近い方々を当時はばっさり松野さんが首を切ったんだと、こうそこらじゅうで言われたのだが、火のないところに煙は立たぬと思いますが、いかがでございますか。
○松野証人 長いことあなたとは防衛問題で議論して、非常にお詳しい。いまのおっしゃることは全部そのとおり。一点違います。空幕長の在任は約二年経過していました、そのとき。海幕長も二年経過しているのです。陸幕長は一年半です。二年経過するというのは交代の時期なんです。陸幕長だけ、実は一年半で短かった。なぜかと言えば、その陸幕長は統幕議長になりますから、別に短くても賛成ですね。三軍が賛成したのです。陸海空の三軍のユニホームが賛成をした。その取りまとめをしたのは三輪次官です。つい先日――昨日も実は三輪君、電話してまいりまして、あのときの記憶を私によみがえらせてくれたのです。そのいまの話、私も正確に覚えていませんが、きのう、あのときの状況はこうでございました――それはあなたも非常にお詳しい。お詳しいだけに、私の言うことも御理解いただけると思います。
○大出委員 そこが、私の記憶も間違っておりませんで、違っております。指摘だけいたしておきます。ここに記録したものがございます。当時の三輪次官、浦空幕長のラインで、後任は田中耕二空幕副長とする、内意していたと、当時記録にございます。あなたがお入りになって、この三輪次官、いまのお話の三輪次官――私も三輪さん、よく知っておりますよ。人格者でございます。三輪さんと浦さんの間で浦空幕長の後任は空幕副長の田中耕二さん――この人も当時私、よく知っておりますけれども、人望の厚い人です。旧来の人事は副長がおおむね空幕長になることになっております。だから当然でしょう。それをあなた、これをひっくり返した。だから、後までこの田中耕二さんについては尾を引いているのです。いまだって語りぐさです。とうとうおなりにならなかった。そうでしょう。違いますか、明確に。なぜ一体田中耕二さんを空幕長になさらなかったのですか。田中耕二さんは、海原官房長と非常に親しい。強いて言えば、T38からF5というラインだったかもしれない。だからしなかったんじゃないですか。
○松野証人 空幕人事は、私が在任の一番後半です。私が一年二カ月おる、一年二カ月のうちに、後の残りの四カ月ぐらいがちょうどその時期です。その前に内定したという、その内定文書というのは私は見たことないんです。じゃだれが内定したのか、いまお読みになったのは。大臣が知らないものをだれが内定したのか、これが一つの疑問。もう一つは、陸海空の制服の人事は制服組の中で決めるべきだというのが私の思想なんです。内局がゴボウ抜きすべきではないと私は三輪君に言って調整を頼んだんです。したがって、陸海空、その当時は各制服がその当時の人事を決めて、三輪次官を通じて私に推薦したんですから、その前の内定という大出さんのは、私は見たことも聞いたこともない。じゃだれがそれを内定したのか。私に関係ないことであります。
○大出委員 私は内定というふうに申し上げていないんで、内意していた、そういう話し合いになっていた、こう言っているわけです。ここまで申し上げればもういいでしょうから、ちょっとこの資料をお配りいただきたい。委員長、よろしゅうございますか。
○永田委員長 はい。
○大出委員 この資料をちょっと回していただきたいのです。――いま私が差し上げましたのは、これは松野さんにも差し上げていただいてありますから。例の海部八郎さんがお書きになったものです。筆跡鑑定を非公式に依頼をいたしましたが、こういうふうに返事が戻ってきております。海部八郎の自作と断定された二枚の海部メモと同一人物によって書かれたものとの結果を得た。その根拠は、防、海、機、話などの漢字の崩し方が独特で、同一の特色を持っていること。ました、に、などのひらがなの筆跡が、酷似でなくて極似している。字のつなぎ方が同一であること。願ひました、などと願ひになっているわけでありますが、旧かな遣いを使っていることなどである。したがって、これは新しい海部メモという書き方を新聞がいたしておりましたが、海部本人が作成したものと断定して差し支えない。
 公式に筆跡鑑定を求めますと二カ月かかります。前回私が予算の理事会を通じて三人に鑑定依頼をいたしましたが、あの二枚の海部メモと同じ時期に同じ方法で日商岩井から外部に出ました。そしてそれがこれでございます。このほかにも、いまアメリカにおいでになります週刊ポストの記者の安田弘道さん等々が指摘をいたしております海部氏からの西川社長あてのメモ、あるいは海部氏から「松野頼三先生侍史」あるいは海部氏から「中村長芳先生侍史」、こういう書数が指摘されておりますが、調べてみましたが、同じ時期に日商内部から外に出ております。前の二枚の鑑定をいただきましたのも実はそこに一つの根拠があったわけでありますが、あれは三人の鑑定家の方々が同一の人である、海部さんであるということを科学的に結論づけておいでになります。これ見ていただければ、海部メモをごらんになった方ならば、ごらんになればすぐわかります。御本人の字です。海部さんの字です。読ましていただきます。
 「西川社長殿」西川政一日商岩井社長「防衛庁最高幹部人事更迭運動遂に成功し」ちょうどこれは四十二年七月の末にお書きになっているようでありますが、このときは海原さんは国防会議事務局長で出ていってしまう。牟田さんが空幕長の跡は継いでおられる。この牟田さんが早期退陣の話があったのが明年八月まで延びた。これでファントム人事ができたと日商の航空磯部は祝杯を上げたというときのメモでございます。「防衛庁最高幹部人事更迭運動遂に成功し海原氏は防衛庁を出て国防会議へ転出、田中空幕副長は管区司令官、」ついに人望ある副長は空幕長にならなかった。牟田空幕長は「明年八月迄留任と決定し、伊藤忠派課長級に到る迄移動され、」ノースロップ、伊藤忠。海原さんもあるいはそっちの方だったかもしれませんが、「移動され、PHANTOMに対する人事はこれにて出来上りました。これは松野頼三、岸先生、」これは大変恐縮なんですが、増田さんの名前が出てまいりますが、私が書いたのではなくて、後から申し上げますのでお許しをいただきます。田中六助さんも出てまいりますが、これまたひとつお許しをいただきます。真相解明をしたい、そういう気持ちでお読みいただいているわけでありますから。「合作劇であり海原も大分抵抗し、相当なものの様で、岸先生も大分佐藤を動かした様です。機会があれば社長よりも御礼申して下さい。伊藤忠の受ける打撃相等なものと思はれます。」少しこれは浮かれ調子で書いておりますが、時期が時期ですから出然でしょう。「有森君の件については、これは我儘でサラリーマンが嫌で、もう何年も以前より止めたいと言って居り、橋本専務とも話した様ですが、止むを得ない、恩を知らぬ労と思ひます。父親の方」有森中将閣下でございましょうが、「父親の方は大反対ですが本人が頑張る横様です。これは辞職止むなしと思ひます。」ここから下のところ、大変これは恐縮で、増田先生は、先ほど私申し上げましたように高潔な方でございまして、日商君井の自治省届け出を見ましても、びた一文政治献金が行っているわけでもありません。しかし、これはこう書いてあるので、ひとつそういう意味で御勘弁を願いたいと思います。田中六助さんについては、どうも千四百万ぐらい十年間でありますから、まあがまんしていただきたいと思うのであります。しかし、他意は全くないんで、松野さんについてお聞きしたいと思って出します。「尚、今回の件に関し松野、六助、増田氏には多少挨拶したいと思ひます。」あいさっというのは、山村謙二郎証人のときに、あいさっとして政治献金を決めると、こういうふうに国会で答えておりまして、気になるのでありますけれども、そういう趣旨でございますので、増田先生あるいは田中六助さんには御勘弁を願いたいと存じます。松野先生はこれは五億円というのがございますので、ひとつこれは御勘弁をいただきたいのですが、ここに書いてあるの、これ私全く違わないんですね。松野さんにもさんざん質問をし、ファントム問題も増田さんにももう質問を続けてきました、長いこと。予算委員会でもやりました。裏の方のことについても逐一いろいろ言ったこともあります。防衛庁の黒い墓標から、葬送行進曲から、海原の隻句から、みんな読んで聞いてまいりました。喜ぶだろうと思います、これができれば。だから私は大筋はこういうことではないか。全く否定なさいますか、松野さん。
○松野証人 海原さんというのは非常にできた、才能ある方です。やや才能過ぎるところが欠点なんです。そのために防衛庁内では海原支持派、海原、反海原派という時代だったと私は思います。私はいずれにしても海原君の人事には触れませんでした。印象的には触れたいと思ったことあります。それはあなたが一番御承知の、私が防衛長官になったときは三次――三矢研究問題というのがあったのです。その後私が引き継いだ。そこで何とか人事一新をしろというのは、その当時から私に対する一つの使命でした。しかし、幸か不幸か私はその人事の手を触れられなかったんです。全然内局人事に私は触れた記憶ありません。その方を中心にいろいろいま問題になっているのですが、一方の見方から見ればそう見られるかなとも私は思います。しかし真実は、必ずしもそのような曲がった人事を塩田さんがやられたことはないと私は思います。私はまた人事のことについて増田さんに電話一つかけたことはありません。もしそんなことをすれば、増田さんは、おれを何と思うのだと言って怒ります。人事は、そのときの大臣の権限、権能と見識で決めるのだということを私は恐らく教えられただろうと思います。このことは私がやった人事ではありません。また、このようなことを見られる方は御自由ですが、現実のものではないように私は感じます。
○大出委員 私がいま取り上げましたこの中身、当時の状況から見ますと、まさにここに明らかにされている海部氏の西川社長報告どおりだというふうに思う。なぜならば、ノースロップ、伊藤忠につながる方々はみんないなくなっちゃったわけですから、そうなればファントムに決まる。ここでいう「PHANTOMに対する人事はこれにて出来上りました。」そうだと思うのですね。いろいろと答弁をなさいますけれども、結果としてファントムが静かに入ってきて日商が陰の勝利をここで得た、こういうことになった。だから、松野さんに大変な金が日商から、しかも高畑さんとどういうお話になったかわかりませんが、届けた方は海部さんであり、島田三敬さん、航空機部が初めて勝利した商戦なんですね。こういうことになると思うのです。
 この五億円の使途でございますけれども、松野さん、一体この五億円はどういうふうにお使いになったのでございますか。
○松野証人 選挙及び政治活動に使いました。
○大出委員 これは問題が起こりそうですが、毎日新聞に松野さんがインタビューされて、佐藤内閣をつくった当時の政治構造と政治状況ではそういうこともやむを得なかった、つまり今回の五億円問題です。そういうこともやむを得なかった、詳しく話すといなくなった人のことまで話さなければならなくなる、関係した人はほとんど私の先輩でもう亡くなっている、政治家としての道義からも詳しいいきさつを話すわけにいかない、こういうふうに述べておられるのです。いまから見れば、ちょんまげ時代のことをあげつらうものだなんということも書っておられますけれども。これをめぐってあちらでもこちらでも物議が起こったという話を聞きましたが、私が確かめてみたら松野さんがこうおっしゃったと言う。これが真意じゃないですか。いかがですか。
○松野証人 私はだれにもインタビューをされたことはないのです。その毎日の方は、大体どの方かわかりますが、インタビューに来られたんじゃないのです。私に激励に来られた。そしていろいろな雑談をしただけです。名前も、多分その方だと私は思いますが……。私は一度もインタビューをしたことはありません。恐らくその方の主観がほとんどになっているのじゃないでしょうか。
○大出委員 たまたまこの四十三年十一月というのは佐藤さん三選の総裁選挙でございました。法務省刑事局長の言うことによれば、松野さんのところに金が行っているのは四十二年の秋から四十六年までですね。佐藤派四奉行と言われた松野さんが総裁選挙に金をお使いにならぬというようなことになるとすれば、これは筋が通らぬ。勘ぐりたくもなりますな。どうしてもこれはあなた個人がお使いになったということですか。そういうことですか。
○松野証人 私に対する政治献金ですから、私の判断で使いました。
○大出委員 私の持ち時間は残り少ないわけでありますが、E2Cに関しまして二、三点だけ承っておきたいのであります。
 先ほどチータム氏に会ったことをお認めでした。カーン氏に会ったこともお認めでした。四十四年の八月というのが住友から日商にE2Cについての代理店変更をいたしました日にちであります。この時期はまさしく松野さんのところに、四十二年の秋から始まりまして四十六年まで、五億の金が次々と海部さん、鳥田さんの手で流れていった時期であります。SEC報告によりますと、一人の高官の言うところによって代理店を変更したことになっています。
 続けて申し上げておきますが、このチータムGI社長の下にフィリップスという方がおいでになります。その下にアンダリンという方がおいでになりました。アンダリン氏に手紙を出して、向こうから返事が来ております。電話の話の後手紙が来ております。ここにございますが、このアンダリンさんの手紙によりますと、アンダリンさんが松野さんに二回お目にかかっている。これはチータム、フィリップス、アンダリン、こういうふうに三人でやっていたわけでありますが、そこで、松野さんに会って、E2Cを採用した場合にこれだけの防空問題を含めてのメリットがある、日本の国内的なメリット等についてもいろいろ話をした、こうある。御記憶がございますか。
 さらにもう一つ。この記事によりますと、グラマンの工場、会社に松野さんがおいでになったようになっております。チータム氏の発言であります。松野頼三元防衛庁長官のグラマン本社視察云々とありますが、この御記憶がございますか。いかがですか。
○松野証人 いまのほかの外人の方は、残念だけれども全然記憶がないのです。ただ、いま言われますと、チータムさんが私の事務所に来たときに別な外人の人がおりました。その方は盛んにメモをとっておって一言も発言しなかった。そういう方がおりました。私はそれは秘書か何かと思ったのですが、あるいはいまのアンダリンさんか何とかだったかもしれません。その記憶はその程度です。
 もう一つは、グラマンの工場をチータム氏に誘われて昼飯を食べに参りました。その趣旨は、アポロの飛行機を見せてくれたのです。アポロの着陸飛行機を東京で話したから、君は関心があるなら実物を見せよう、白い服を着て私はアポロの飛行機を見て、昼飯はグラマンの会社の社員食堂、まあ役員食堂でしょうね、そこで食べて日帰りした、約四時間ぐらい、それはございます。
○大出委員 いみじくもアメリカ政府の側で工場視察に行きましたアレンさんなんかも目的はE2Cでないと言っているので、同じ趣旨を申しておられますがね、不思議な話であります。
 これでおしまいにいたしますが、これは一月九日の朝日新聞であります。チ一夕ム氏とのやりとりが載っておりますが、「松野氏とはどこで、どのくらいひんぱんに会ったのか。」つまり岸さん、福田さん、松野さん、この三人の中で最も頻繁に会ったのは松野さんだ。「六九年末から七三年はじめにかけて、少なくとも年に二回は会っているだろう。いつもホテル・ニュージャパンだったと思うが、そこにある松野氏の事務所で会った。料率で会ったことはないと思う。」事務所で昼食をしたので云々。その次。「カーン氏か川部氏のどちらか一人は必ずいて、ときには二人とも同席したこともある。しかし、日商岩井の海部(八郎)現副社長または同社の島田(三敬)現常務(航空機担当)がよく同席した。日商の人が加わるときには、川部氏は来なかった。」最後のところ。「松野氏も日商岩井を通じての売り込みを「ばく然と進言」したのか。」「話し合いに日商岩井の人が加わることもあったし、それははっきりしていよう。」チータム氏の言い分でございます。
 だから、このSEC報告に出てくるE2C代理店変更の一人の高官というのは、これまた松野さんではないのかというのが捜査当局その他の言うところの感触でございますけれどもね。はっきりどうですか、おっしゃいませんですか。世の中は、五億円なんてひどいじゃないか、これが軍用機で国民の税金ならば、松野さんなぜこれを国民に何らかの形で返さぬのか、あるいは政治責任をどうおとりになるのだという声がたくさんある。手紙がいっぱいここに来ている。そこいらもありますから、いまの点いかがでございます。松野さんではないかというのが大方の見方になりつつあるのだけれども、いかがでございましょう。
○松野証人 相手方がどう判断したか知りませんので、それは恐らくグラマンの方でお決めいただかないと、本当にわからないことなんです。あるのかないのか、私に意識がないのです。だから、SECの報告をお書きになったグラマンの方でお決めいただかないと、私であるかないか、それは大変私は自信がないことです。
 それからいまのお話の海部、島田と一緒に会ったというのはずいぶん後です。それは島田君が通訳で来たのです、海部と一緒に。そのときはどちらかと言えばチータム氏はもう会社をやめていたころだと私は思うのです。だから、もう恐らく契約も全部その後です。ずっと後です。そのときにチータム氏が私に会いたい、島田君が通訳に来た、そのことで、そのいまの話とは全然時間的に――事件はつくり上げられても時間はつくれません。
○大出委員 いまの御答弁、ちょっと納得いかないのですが、島田君が通訳で来た、海部、島田が来たというのはずいぶん後だといういまお話でしょう。そうすると、ずいぶん後ならその前にずいぶん会ったことになりますね。五年間で年に二回とチ一夕ムさんが言っているのだから、それで十回なんだけれども、それはずいぶん後だと言うならその前にずいぶん会ったわけです。そうでしょう。それじゃ松野さん、ずいぶんお話しになってきたわけでしょう。そのずいぶん後になってから島田さんが通訳でというようなことになった、こういうわけでしょう。ずいぶん御関係が深いのじゃないですか、E2C問題については。
 それと、国民の声でよく――この席でもちろん決着はつきませんけれども、これだけ大きな、捜査当局の結論めいたことから言えば五億円もの金である。松野さんはこれを政治家としてどういうふうに対国民という意味でお考えになるのか。あるいは政治責任はどういうふうにお考えになるのかという声もある。これは御感想で結構でございますけれども、いまの、ずいぶん後だとおっしゃるのだから、E2Cについてずいぶん長いおつき合いだろうというのと、その二つだけお答えください。
○松野証人 私がずいぶん後だと言ったのは、チータムさんがたしかグラマンをおやめになった後、こういう意味であります、たしか二年間ぐらいですから。そういう意味で、ずっと後という意味ではありません。その時間的なものはそう私は印象にない。
 私も国民の皆さんに、世間をお騒がせしたことは非常に反省しております。自分の態度についてどうしようか、私はやはり国民及び有権者の意向というものに自分のことを任せるのが一番正しいのじゃなかろうか。また、こうやって言いたくないことを私は言いに来ているのです。これぐらい言いたくないことはありません。それを進んで言うときほど人間は苦しいものはないのです。まず政治責任は、本日真実を述べることが今日の私の政治責任を果たすゆえんだと思って私は来ているのです。それ以上のことをいま考えることは頭の中にありません。こんなに苦しいことはないのです。同僚の皆さん方……。
○大出委員 時間ですから、かわります。
○永田委員長 小林進君。
○小林(進)委員 きょうはひとつ国民の聞きたいことをお尋ねいたしますので、松野さんも、小林進じゃなくて国民にお答えをするという気持ちで真実を語っていただきたいと思うのでありますが、やはり問題は五億のお金のもらい方、使い方でございまして、いままでの大出質問に対するものではまだ国民は納得をしていないと私は思います。
 そこで、順次お尋ねいたしますが、あなたは東京地方検察庁から本事件に関しまして事情聴取をされましたが、何回聞かれましたか、お答えをいただきたいと思います。
○松野証人 検察庁の発表に任せたいと思います。
○小林(進)委員 たしか三回聞かれたというふうに聞いておりますが、具体的にいかがでございましょう、お答えできませんか。
○松野証人 事柄が捜査のことですから、捜査当局からお聞きしていただきたいと思います。
○小林(進)委員 その捜査当局の報告では、四十二年から四十六年の間、十数回にわたって五億に近い金を受け取っておいでになる、こう言われておるのでありますから、私は捜査当局には相当細かにあなたはお話しなさっていると思うのでございますが、いま一度大出質問を繰り返します。い
 つ、どこで、だれから受け取られたのか。少し具体的に納得のいくようにお答え願いたいと思います。
○松野証人 高畑氏の御意向により海部、島田君を通じて四年間、数回と思います。いろいろ政治情勢もあったから、いつ、何月とはわかりません。不定期でありました。定期じゃありません、不定期でありました。金額も不定であります。不定というのは一定の金額という意味じゃありません、不定であります。順次受け取りました。
○小林(進)委員 その金に対して、あなたの陳述と海部元副社長の捜査当局に対する答えとの間には開きがある。あなたは政治献金あるいは選挙資金だと言われているが、海部はそう言っていない。その金の趣旨は第二次FX決定に際しての努力への成功報酬だ、このように言っているようでありますし、捜査当局もそれに近い見解を示しておりますが、この点いかがでございましょう。いま一回具体的にお聞かせを願いたいと思います。
○松野証人 という発表を私は仄聞しておりますが、私の真意は政治献金であります。それに、各所においてそのことは私は自信を持っております。
○小林(進)委員 それでは、四十五年以降日商岩井からあなたに対する政治資金はどんな形になっておりましょうか。
○松野証人 四十七年以降はほとんどありません。
○小林(進)委員 もしあなたがおっしゃるように鈴木商店時代からの長い交際に基づくとすれば、その政治献金、選挙資金は今日まで続いていいはずでありますが、四十六年に打ち切られたというところにむしろ異常性があるのではないか。やはり航空機の輸入、購入に関しての工作金あるいは報賞金と見なければならないのもここら辺にあるのではないでしょうか。いかがでございますか。
○松野証人 気持ちの上は小林さんと私も同じです。私もそう思いたい。ただ、四十七年から内閣がかわり、政治情勢が変わり、田中内閣になりました。恐らく私に対する評価か政治の流れを見られたのか、または経済的に政治献金をする経済事情が許さなかったのか、それはわかりません。
○小林(進)委員 盛んに日商岩井との特別の友情関係を言われたにもかかわらず、その日商が航空機の問題が片づいたらあなたに対する評価を変えて金を寄付しなかったというところがどうも異常一な関係を察知せしめるもので、私はそれを素直に受け取るわけにはまいりません。
 次に申し上げますが、その金の使途であります。
 これも国民は、その使途があなたの言われるように単に大まかに政治活動並びに選挙のために使ったというだけの説明では納得いかないと思うのでございまして、いま少し具体的にお聞かせを願えないものでしょうか。捜査当局の報告によりますと、これはたしか参議院の委員会だと思いますが、その金の使途についても大まかに五億明らかにすることができた。その中で若干の金が政治家、もらった人の中に少しだが政治家もあるが余り多くはない、こういうふうな報告をしているのでありますが、きのうの衆議院の法務委員会では、これも法務当局は否定をいたしまして、この金の使い道は全くこれは不明瞭なのでありまするが、この際、国民の前にいま少し親切に明らかにされるお考えはございませんか。
○松野証人 十年一昔と申しますが、十年前のことですから、その当時私も覚えておったと思います。しかし、十年間の閥に衆議院選挙が四回、たしか参議院選挙が四回、地方選挙が三回。大体お互い政治家は選挙から選挙、前の選挙までは覚えておりますけれども、その前の選挙になると覚えにくいものです。その前の前となるとなお覚えにくいと私は思うのです。したがって、私の記憶では選挙、政治活動以外には申し上げるだけの記憶がございません。
○小林(進)委員 納得ができませんが、時間がありませんので次へ移りますが、日商岩井とあなたとの関係についても、先ほどからの説明では私納得できません。
 そこで、改めてお伺いするのでありますが、あなたを日商岩井に紹介をした人は、これはだれか。有森メモによりますと、あなたと海部八郎とのつき合いをされるに至った発端は、岸信介氏の秘書の中村長芳氏と田中六助氏が日商岩井の依頼を受けて、当時防衛庁長官であった松野氏を海部八郎氏に紹介した、こういうことになっておりますが、いかがでございましょうか。
○松野証人 日商と私の関係は、先ほど申しましたように、紹介したのは私の父です。海部八郎君を紹介したのも高畑さんです。ただ、小林さんの言われたようなこともございます。それもございます。二つの問題があるのです。一つは、私の父と高畑さんから海部さんを紹介された。一つは、いまおっしゃったような紹介者から紹介を受けた。もちろん実はそっちの方が後だったのですが、私は初対面のような顔をして……。せっかくの御紹介だから。そういうことであります。
○小林(進)委員 この点いささか問題が明らかになってまいりましたが、そういたしますと、その海部八郎氏とこの中村長芳氏、田中六助氏、それとあなたの三人の間でその後しばしば会合が持たれた、こういうことが言われておりますが、この点いかがでございましょう。
○松野証人 中村長芳君とはたびたび二人で会いました。田中六助君は私と一緒の会ではありません。私との一緒の会合ではありません。
○小林(進)委員 私どもの資料の収集では、あるいは田中さんはしばしばでないかもしれませんが、田中さんとあなたと中村さんと海部さんの間に、そこで金銭の授受があった、こういうこともこれは明らかにされておるのでございますが、これはいかがでございましょう。時間が迫っておりまするけれども、そのときの中村長芳氏が持っていかれた金は、それは一体中村長芳氏固有の金なのか、あるいはその金は岸信介さんに届けられた金であるのか、これもあわせてお聞かせを願いたいと思うのであります。
○松野証人 私と中村君と海部さんの中で金銭の授受をしたことは一度もありません。私のルートは、私の懇意なのは日商と松野でありますので、そのほかの方と一緒に金銭の授受や金銭の話はする必要のないことで、私はしておりません。
○小林(進)委員 時間が参りましたので、私は残念ながらこれでやめますが、いま一つ、これは話の続きでありまするけれども、いま私が御質問したその工作を全部知っているのが有森です。有森國雄、全日空――航空の課長代理の有森ですが、その有森君がその後海部八郎と衝突をいたしまして、これは御存じか、衝突をいたしまして、日商岩井を退社するときに、私がいま申し上げました資料、それから海部メモ、一切の資料を持って持ち込んできた。それで、それをファントム4の購入に反対をして公開質問状を出した児玉誉士夫さんのところへその一切の資料を持ち込んで、そうしてそれがいわゆる児玉公開質問となって佐藤内閣にぶつけられた。こういうことになっておるのでございまして、あなたはこういういきさつを一切お知りになっているはずでありまするけれども、いかがでございましょうか。この海部と有森とのけんか、その資料がどこへ流れていった、これをどうぞお聞かせを願いたいと思うのです。
○松野証人 私は有森さんという方にお目にかかったことはないのです。したがって、有森さんがどう吉われることを肯定も否定も私はする判断はありません。私はお目にかかったことがありません。いまだに。それで、そのことについては私がイエスもノーも答える資格がないと申し上げておきます。
○永田委員長 これにて、大出君、小林君の発言は終了いたしました。
 坂井弘一君。
○坂井委員 いままでの証書を伺っておりますと、いわゆる四億ないし五億の金につきましては、すべて日商岩井側からの好意でありまして、それを松野さんはお受けになったということの御説明でございますが、あなたの方から日商岩井に対して政治献金をという要求をされたことは一度もなかったのだと、こう受けとめてよろしゅうございましょうか。
○松野証人 要求ということは一度もありません。衆議院選挙が近づいた際、それは四十何年ですか、四十四年ですか、選挙もあるからお願いしますよという雷葉は、私は言ったような気がいたしますね。要求ということはありません。選挙のときに、選挙も近いからと言ったような印象は、私はこれは素直に申しまして、言ったかもしれぬなと、それは普通言う言葉ですからね。ましてこれだけの日商に私は言わないわけはなかったのじゃないか。きょうはもう知っていることは皆記憶のあることは申し上げておきます。
○坂井委員 そうしてこの四、五億につきましては、すべてが政治家である松野頼三氏個人に対する献金である。その趣旨に従って私は選挙ないし政治活動にすべて使ったのである、こういう御説明でございますが、個人に対する献金というわけでございますから、政党、政治団体にという相手の意思で、あなたを通じてというような、そういう申し出といいますか、日商岩井側からの行為というものは全くなかったのか。同時に、あわせてこの際お伺いいたしますが、政治献金以外の受領というようなものは、相手の意思とそれから松野さんあなたの意思の間において、この認識ですね、全くない。政党あるいは政治団体、そういうものに対する献金もない。すべてはあなた個人に対する献金である、こういうことでございましょうか。
○松野証人 松野頼三個人に対するものでありまして、どこにどうしてくれという条件も、またそういうひもも一切ありません。松野頼三を信じて、松野頼三に対する献金であります。
○坂井委員 わかりました。
 いずれにいたしましても、四、五年間に四、五億という金は、これは大変な額でございます。何回にわたったかは明瞭ではない、こういうお答えでございますが、十数回にわたって日商岩井から松野さんの方に渡されたということがすでに検察当局から言われているわけであります。全く回数は覚えていない、こうおっしゃるのか、まあ十数回と脅えばそれぐらいだ、まさか百回にも及んではいない、こういう御認識なのか、その辺はいかがでございましょうか。
○松野証人 金額もその都度定額的なものでなかったと私は思います。年に三回にすれば、三、四の十二回ということになります。あるいは一年に一回だった年もあるかもしれません。要するに、献金者の都合によって私はいただいておったので、こちらから要求したというものはないのですよ。そういう、期日を決めたとか定額とかいうものはないのです。したがって、私が記憶があらたかではないと言うのはそういうわけで、あるいは十回と言われれば十回かもしれません。八回かもしれません。これは本当に私の記憶にないことです。
○坂井委員 内容には触れませんが、検察の事情聴取に対しての松野さんの御主張はやはりいまのような御主張をされた、こういうことになりますか。
○松野証人 検察に何を言ったか、これは検察当局の方でもって、私は関与いたしませんが、私はどこに行っても自分の記憶はこれだけです。どこに行っても私の記憶はこれですから、どこへ、行っても同じことを言うのではないでしょうか、今日は。昔の記憶は正確ではありませんが、いま私が言っていることは、いまの記憶としては同じことです。
○坂井委員 受け取る際のことについていまお伺いしているわけでございますが、これは、日商岩井側は高畑氏、海部氏、島田氏、この三人から何回か受け取られた。そのほかのだれかからお受け取りになったということはございませんか。
○松野証人 一番大もとは高畑さん、その使いが海部さん、その補佐役だったと思いますね、それが島田さんですから、私は、高畑さんからいただいて海部君が運んできてくれた。それで、時により都合の悪いときは島田さんが来たのではないか、そうしか記憶を持っておりません。そういう認識でした。
○坂井委員 念のためにお伺いしたいと思いますが、この四、五億はすべてが松野氏個人に対する政治献金であって、そしてその全額すべてその趣旨に沿って、あなた御自身が選挙ないし政治活動にお使いになったということは、一切この金については他の目的等に使用したことはない、ましていわんや個人資産等を形成するというようなことは全くない、こう断言されておるのだと理解してよろしゅうございましょうか。
○松野証人 政治家ですから、私が選挙及び政治活動に使った。その選挙及び政治活動の範囲はどこだ。私も生活していく場合もありますから、しかし、あなたの御質問のような財産形成、預貯金というような、そういう記憶は一切ございません。
○坂井委員 いわゆる四、五億の金の出に入りたいと思いますが、どこにお使いになったのかといえば、松野さんは、選挙、政治活動だ。あなた個人に対しての献金でございますね。したがって、あなた御自身の選挙なり政治活動に全額を使ったという意味なのか。さにはあらずして、献金者の趣旨は私個人ではあるけれども、後どう使おうと、それは私の政治活動であれば自由なのだから、したがって、私個人はもちろんのこと、言うなれば他の政治家、あるいは、私個人には直接は関係ないけれども、もっと広い意味でいろいろな場面に、たとえば政党なりあるいは他の国会議員なり、そうしたところにも使った、あるいは全くそういうことはない、私個人が全部使ったのだ、こういうことでございましょうか。
○松野証人 非常に古いことの記憶で、いまおっしゃられると私も即答ができないのです。いまのように非常に明快、詳細な質問で、それに一々お答えするには私はちょっと記憶が正確ではありません。言うなれば私の責任で私の政治生活、政治活動または選挙に使ったということは私は言えますけれども、だれにどうしたかなどということを言われると、そのころは覚えておったと思うのですよ、しかしいまになりますとそれは明快にわからないのです。要するに、私の責任で私が使ったということしかいま申し上げる記憶がありません。
○坂井委員 古い話ではっきり覚えているわけではないから、どこにどう使ったかと聞かれてもそれはとおっしゃる。しかし、幾ら古い話だといいましても、十年、十数年前です。金額が四、五億ということにもなりますと、これは常識的に見まして、また国民のだれが聞いても、松野さんにしても大金でしょう。私にしても大金でございます。だれが見たって大金には違いない。この大金、四、五億をすべて政治活動にお使いになった。その中に、少なくとも当時だれだれにこの金の一部を、これは政治活動の資金として私にいただいたものだからあなたにも、というような御記憶が全くない。そういうことがあったということであれば少なくともそれぐらいの記憶はおありだろうと思うし、なければ全くなかったぐらいの記憶はあって常識ではなかろうか。つまり、百万か二百万の金を幾つかに分けたのだから、十年前のことなんだからちょっとわからないというならばわからぬでもないわけでございますけれども、金額からいたしまして、いまのようなお答えではどうも納得しがたいものがあるわけです。
 重ねて伺いたいと思います。ほかにお使いになったということ、あなた個人の政治活動ではなくて、せめてほかに、目的は政治活動ですが、ほかの政治活動、そこに使った、渡した、このような御記憶はございませんでしょうか。
○松野証人 いまのお話を聞いていると非常にごもっともに、私もそういう印象を受けるのです。ただ、私が献金をいただいたのは、当初に申しましたように、十数回に分けて不定期で、金額もばらばらだった、四年間に。それが一度に来たわけではないのですよ。そうすると、そのたびたびに分けてしまうとわからなくなってしまうのですよ。そういうもので、川の流れがたまっているならわかるけれども、流れている川の水をすくって、この水がどっちの水かと言われてもなかなかわかりにくい場合がありますし、政治家というのは大ざっぱでして、ここで証言で申し上げるほど私は正確な記憶はどうしても出てまいりません。
○坂井委員 押し問答はしたくありません。したくありませんが、松野さんには四つの政治団体、後援団体がおありのようでございますが、そうした御自身のための政治活動を支える意味合いにおきまして後援団体がある。それはそれなりに結構でございますが、そうしたところには当然この金は使ったよという御記憶はございますか。私は何の意図を持って申し上げているわけでもございません、余り御記憶にない、古いからとおっしゃるものだから……。せっかくいただいた四、五億だ、私の後援団体にも入れておこうかというようなことはあったのでしょうか、どうでしょうか。
○松野証人 十二年前の政治団体は、どの政治団体を使っていたか、私の秘書任せでよく覚えておりません。その政治団体にこの金を入れたという記憶はありません。恐らく直接使ったと私は思います。
○坂井委員 四、五億という大金でございますが、それではすべて松野さん御自身の手でお使いになった、こう理解してよろしゅうございますか。
○松野証人 そういう趣旨でございます。
○坂井委員 大変失礼なことを伺うことになるやもしれません。資産形成等について若干御証書をいただきたい。
 松野さんのお宅というのは白金台の二丁目に昭和四十一年三月二十五日に新築をされたようでございまして、登記簿謄本にも明記されております。この建物の建築工事請負契約の契約当臨書はだれとだれ、だれと何会社の契約なんでしょうか。御自身のお宅でございます。
○松野証人 よく覚えておりませんが、キョウエイとかいうんじゃなかったでしょうか。キョウエイ建築とかいうのではなかったでしょうか。私はそう覚えております。
○坂井委員 あなたと請負建築業者との契約なのか、それとも第三者との契約なんでございますか。あなたが御契約された、常識的にはそうだと思います。もしなければないくらいのことは御記憶にあるだろうと思うのです。
○松野証人 名前は違っているかもしれません。お調べになって、できればそちらの方からヒントを出していただければお答えやすいかと思います。本当に覚えておりませんが、キョウエイだと私は思います。
○坂井委員 りっぱな大きなお宅でございますので、だれが契約されたかくらいはおわかりだろうと思ってお尋ねしたのです。登記簿謄本がございます。これを見ますと松野多喜子名。どなたでしょうか。
○松野証人 連れ添っている家内でございます。
○坂井委員 奥さんが相手側と契約されて、お建ちになって登記をされた、そう理解してよろしゅうございますか。
○松野証人 多分、そう記憶します。
○坂井委員 立ち入ってお伺いして恐縮でございますが、この建築費用等は奥さんがお出しになったのでしょうか、それともそうではなくてあなたがお出しになったんでしょうか。
○松野証人 それが、夫婦の仲ですから、いまお答えしにくかった。夫婦の仲だから、どっちが出した、出さぬと言われてもちょっとね。それでお答えを渋ったのです。夫婦の仲だから、どっちが出したか、これはわかりません。
○坂井委員 まあ、ささやかな庶民感情からしましても、自分の家を建てて、私は、この家、大変りっぱなお家なもんですからやっかんで言うわけじゃございませんけれども、奥さんの名義で登記をされていらっしゃる。大変たくさんなお金もかかったことでしょう。その金が、自分が出したか女房が出したか、どっちかわからぬ、と。ちょっとこれも世間の常識では納得しかねるわけなんですが、御記憶にないようでございましたらば、私の方から、登記簿謄本あるいは固定資産台帳等、公的な、法的なそういう資料がございますので、それに基づきまして若干お尋ねをしたいと思います。
 ただいま申しましたように、お宅は昭和四十一年の三月に新築をされました。当然保存登記、登記をなさるのはあたりまえのことでございますが、登記をされましたか。
○松野証人 もちろんしたと思います。火災保険も入っておりますのでね。
○坂井委員 謄本を見ますと、新築されて登記をされなかった。そして十年下りまして、昭和五十一年の十一月の十五日になりまして、ようやくこの建物の保存登記をされているようでございます。登記をどうしてされなかったのでしょうか、その理由についてお尋ねをしたいと思います。
○松野証人 何か非常に御不審のようなことでありますが、問題はそこの、そのときの金がどこから出たかということじゃないんでしょうか。(笑声)それは申し上げますが、私の父の遺産があったんです。その父の遺産を売却しましてね、土地を。その売却した土地がその代償になっているはずなんです。細かいことは私、覚えておりません。ちょうど三十九年に私の父が亡くなりました。政治家は必ずしも財産はありません。しかし、昔持っておった土地が東京にあったから、その土地をその建築費に充てたという印象を私は持っております。これが私のすべてで、登記があったかどうか……。私は登記したと思います。あるいは、もう一つ別な小さい家、子供の、小さな三十坪くらいの木造がありましたから、それが登記が漏れたかもしれない。大きなものの登記漏れって、とても建築局も税務署も私はないと思うんです。あるいは登記漏れはその小さな、子供の三十坪の方が登記漏れであったかと思います。この貴重な時間ですから、私の疑惑ならば端的に以上のように御報告しておきます。
○坂井委員 資金調達のことについては後ほど伺いましょう。
 私はいま、なぜ登記がされていないのでしょうかと素朴なことをお尋ねしたんですね。なぜかといいますと、これは不動産登記法に基づきまして、家を新築したときには一カ月以内に登記をしなければならぬという法律の義務事項がございます。罰則もございます。また、これをなぜ登記をするかといいますと、登記されたことによって、登記所は十日以内に当該建物が所在する市町村長に通知をする、こういうふうになっている。それを受けまして、地方税関係は不動産取得税、それから固定資産税の徴収が始まる。また一方、法務省と大蔵省の申し合わせによりまして、登記所に登記された物件につきましては当該の税務署にも通知をする、こうなっております。そうしますと国税の関係は、これが所得税になりますか、贈与税になりますか、不動産譲渡税になりますか、そうした国税の関係が徴収される。したがって、冒頭申しましたように、最初の出発の部分で、不動産登記法で登記をしなければなりませんよという、法律事項です、それがありながらもなぜ十年間もほっておられたんだろうかということを申し上げた。
 このことは何かといいますと、地方税関係は、これは特にこの資産、この建物をつくる際の調達費用については調べる必要がある。国税関係は必要なんです。ここにこういう物件ができた、建物が建った、この費用はどこからどうして得たのか、この調査があるのです。登記をしていないということは、税務署はつかむことができないですから調査ができない、こういうことなんです。そういうことをひとつ御認識をいただきまして、あえてこれ以上のことは申しません、お調べください。これは全部そうなっております。
 資金調達につきましてはお父さんの遺産をと、こういうことでございます。それではここでお願いをしておきたいと思いますが、どの遺産を、不動産か何か知りませんが、処分をしてこの資金に充てたということを立証する資料を御提出願いたいと思いますが、お出しいただけるでしょうか。
○松野証人 明細はお出しいたしますが、場所は東京の雪ケ谷の土地がございました。それを売却して、大体建築費の八割に充てたのです。あと差額は、幾らか足らなかったかもしれません。いずれ、税務署で非常に細かく調べられておりますので、税務署の資料をもう一度呼び戻してあなた方にお届けいたします。
○坂井委員 念のために伺っておきますが、地方税の関係、国税の関係はきちんと納付されておるということでございましょうか。それもちょっと調べてみなければわからない、こういうことでしょうか。
○松野証人 最近政治家に対する納税は非常に厳しゅうございますから、五年前でも六年前でも私は追徴を受けておりますので、恐らくいまの優秀な税務官吏が見逃すわけはないと私は思います。
○坂井委員 ないと思いますが、除斥期間が五年なんです。登記をしないでほっておいて捕税できない、これを捕捉できなければ、五年たてば改めて税は徴収する必要はない、こういう仕組みなんです。だからこの辺のところをはっきりしてもらいたい。
 私はなぜ申し上げるかといいますと、通常、登記をしないで置いておくということは、この資金の出所を知られたくない、そういう場合に、法律に違反しても登記しないで置いておく場合があるのです。最近の不動産業者の間でもそういうことが間々問題になるのです。なぜ登記されないのか。いや、資金の出所がわかると捕税される、税を取られる、だから隠そう、こういうことがございます。常識的にあるわけです。きわめて遺憾なことでございます。少なくとも登記を見る限りにおいては同じような形をとられておるから、それならばおかしいではないでしょうか、明らかにされた方がよろしいのではないかという意味でお尋ねをしたわけでございます。
 なお、お宅の土地でございますが、二丁目百八十四の二十三と二十四、一筆になってございますが、二十三は二分の一交換によりまして取得をされているようでございます。これは四十二年の四月二十四日の取得。何の物件と交換されたのか、それもここで御証言いただけますか、あるいはわからないからお調べいただけるということになりますか。
○松野証人 その記憶は、松野頼三ではなしに、私が塚田徹に贈与したのではないかと思います。塚田徹名義に私が贈与したと私は記憶があるのです。松野頼三名義でしょうか、塚田徹名義でしょうか。それは恐らくそういうことではないんでしょうか。わずかの面積で、三十坪ぐらいのものです。
○坂井委員 それでは、大きなのが二十四の土地でございますが、登記簿を見ますと交換でございます。固定資産税台帳を見ますと売買でございます。一方は交換、一方は売買、どっちがどうなのかわからないのです。とれが行われたのが昭和四十二年五月二日でございます。これもひとつ明確にしていただきたいと思います。
○松野証人 非常に申しわけありませんが、私ごとで記憶がないと言って申しわけありませんけれども、いずれこれは、不動産のことですから逃げることじゃありませんから、明快に調べて御報告いたします。
○坂井委員 先ほどの建物が何千万になるのでしょうか。いま申し上げました二十三と二十四の土地につきましては合計約二百坪ぐらいだ。坪単価八十万といたしますと土地だけで一億六千万、実は膨大な金額になるようでございまして、私はこの際、あなたがお持ちになっている他の物件を処分をしてここにこれを取得されたということであるならば、そのことについて何もとやかく申し上げる筋合いのものではありません。しかしながら、いま申しましたように登記簿謄本、固定資産税台帳、一方は交換、片や売買、こういうようなことになっておったり、あるいはまた建物については十年間も登記をしないで放置されたり、そしてこれが奥さんの名義で今日まであるというようなことをこう見てまいりますと、いま申しましたような疑問が素朴に出てくるわけでございまして、この辺をはっきりされるということはきわめて大事なことであろうと思いますので、そういう意味で申し上げたわけでございます。
 なお伺いますが、あなたの所得税申告は、昭和三十九年から四十五年にかけましては大体五百万ないし八百万、四十六年一年間を一応おきまして、四十七年から五十一年までは一千万ないし千三百万前後でございます。非常にコンスタントといいますか、余り波のない申告をされているようでございます。ところが四十六年の所得税申告はきわめて多額な申告をされたようでございますが、御記憶ございますか。
○松野証人 恐らくそれは相続財産の整理か、あるいは何かの売却のときだろうと私は思います。ちょうどそのころ相続財産の整理をしたり売却をしたりしたのが、期限がたしか四十六年だと思いますので、そういうものが入っていると私は思います。
 なお、先ほど私の住宅でいろいろおっしゃいましたけれども、あの昭和四十年当時は建築費単価は二十万円です。二十万というのは上等な方でした。私が交換、売却した土地もちょうど二十万だったから覚えているのです。逆に言えば、百五十坪を二十万で売却して三千万、ちょうどそれに見合う三千万ぐらいがあの建築費だった、それで大体二十万ということを私は記憶しておりますので、八十万というのは最近のことで、昭和四十年は、お疑いのないように私は申し上げておきますが、二十万しかかかっておりません。土地をちょうど二十万で私は売却した、それで等価だなと、こう感じたわけでございます。
 なお、昭和四十六年は、よくわかりませんが、恐らくそういうものが一時的にあったかもしれません。
○坂井委員 四十六年が二億二十九万、大変な額の申告をされておる。いまのような御説明でありますかどうですか、そのことにつきましてお調べの上で、それを証するようなものを御提出をいただければ大変ありがたいと思います。
○松野証人 それは、相続財産の物件を評価されまして、そうしてその二億何千万という課税を私はされたように思います。もちろんそれは一遍に払える金があったわけではありませんので、分納か分割払いか、私はしたのではないかと思います。要するに評価でそう高く言われたと思うのです。不動産相続の評価が非常に高く評価された、その金額だと私は思います。
○坂井委員 島田さんとは何回もお会いになっていらっしゃるようですが、何回ぐらいどこでお会いになったでしょうか。
○松野証人 島田さんとは、何回と言われても……。一番数は多いと思います。つい最近もお会いした経験があります。
○坂井委員 最近もとおっしゃいますと、今回の事件が発生前でしょうか、その後でしょうか。
○松野証人 ことしの一月でございます。
○坂井委員 チータムさんの証言がございまして、海部証人の証言がここでございました。その際に、いわゆるE2Cの導入に関しましての住友商事から日商岩井への商社変更、この前後にチータムさんは、松野さん、海部、鶴田さん、四名で会った記憶がある、こういう証言でございますが、御記憶ございますか。
○松野証人 先ほど小林委員にお答えしたように、チータムさんがグラマン社をやめたときに日本に来られて、そして通訳として島田さん、一緒に食事していたからと言って海部さんも一緒に来ました。しかし、ほとんど問題は、チータムさんが私に会いたい、そのときたった一回だけです。
○坂井委員 そのときの話ではないのですね。前段にお答えになりました、カーン氏がチータム氏を伴ってお見えになった、これは一番最初です。これはやはり商社変更の後ですか、先ですか、この四人がお会いになったのは。
○松野証人 私は実は商社変更がいつされたか、本当に報告を受けたことも、知らないのです。一番最後に私が会ったのが、チータムさんと四人で会ったというので、そのとき商社変更されておったように私は感じますが、明快に私は覚えていない。実は申しわけありませんけれども、商社変更いつされたか、全然今回の問題の事件が起きるまで気がつかなかった、それくらいこの問題は私はうかつというか、要するに、せっかく友好国の、同盟国の友人が来たと言うから会っただけでありまして、日米安保を考えれば、やはりそれは――そういう友情というか、近親感で会ったのがとんでもない誤解をされたと、私いまでも思っております。そんなに隠すこともありません。
 後か先か覚えておりません。ただ、要するにチータムさんがグラマンをやめて新しい会社の話をされたので、私はあらと思った、そのとき四人が一緒だったということであります。
○坂井委員 あなたの言葉だと思います、だと思いますが、島田氏は海部氏を社長にしようと言った。そのときの成功報酬は、島田専務だ。それはえらいまた海部がはしゃぎ過ぎて、がやがやがやがや言われる。そこで、これじゃいかぬというので、島田は海部に金にはさわらせないようにした、ここ八年ぐらい。だから、金のことは島田でなければわからないのだというようなことをどこかでおっしゃったようなことがございますか。
○松野証人 私もその記事を見て、ずいぶん違っているなと思った。私が申し上げたのは、島田さんは非常に海部をかばって、すべてのことを自分がやる。海部さんは前へ向いて独走する強さはあるが、後ろを向いて後始末することが下手だと、こう島田さんが言っておりました。片一方が金なら、片一方が銀でしょう、そういう感じを私は持っておる。金銭のことは、鳥田さんはそんな権限がないと私は思いますね。私が先ほど申しましたように、海部さんを知ったころは三十数歳、四十歳でやっと平取から常務になられたころです。そういう時代なんです。私は金銭は島田――島田さんもそんな方じゃないと私も思います。それはちょっと一部の方が過大に私の言葉を言ったので、そうじゃなしに、実務を一生懸命島田さんが、この五、六年は海部さんをかばってやっていた、私はそういうふうな記憶を持っております。
○坂井委員 終わります。
○永田委員長 これにて坂井君の発言は終了いたしました。
 大内啓伍君。
○大内委員 民社党の大内啓伍でございます。きょうは御苦労さんでございます。
 先ほど来、日商岩井からの松野さんの金銭授受についてお話がございました。四億ないし五億というお話でございました。これは一億の開きがございますが、私どもにとっては非常に大きな開きでございます。この差は縮まりませんか。
○松野証人 帳面でもつけ合わせればもっと正確にわかると思いますけれども、私の記憶では四億ないし五億というのが一番正しい記憶です。
○大内委員 この金の授受の趣旨につきまして、実は法務省の刑事局長の国会における説明と、先ほど来の松野さんのお話とでは、相当食い違いがあります。
 そこで、念のためにお伺いをしたいのでありますが、法務省の刑事局長というのはやはり相当権威を持って、しかも国会において答弁をされていることでありますから、私ども常に尊重して聞いているわけであります。昨日刑事局長はこう言っているのです。この金の趣旨は、F4Eファントム売り込み工作及びそれが成功したための金と見ている、常識的に見て数億の金を出すからには理由がないといけない、こう言っているわけなんであります。この刑事局長の説明は、否定されますか。
○松野証人 刑事局長の発言は刑事局長として私は尊重いたします。
○大内委員 松野さんの考えておられる趣旨から言えば、この発言は否定されますか。
○松野証人 刑事局長の調査はそのようにお考えである、私の考えはこの証言で申し上げたのが私の考えでございます。
○大内委員 そうすると、松野さんの立場からすれば、この刑事局長の説明は間違っている。この辺はなかなか重要なんです。いかがでしょう。
○松野証人 人の見解を間違っているとか間違っていないとか私は申し上げる必要はないと思います。きょうは私は私のことについての証言を申し上げに来ておるわけであります。
○大内委員 私はここで押し問答しようとは思っていないのですが、刑事局長の発言というのは相当権威があるのです、いままでも。きょうの松野さんのお話では、それとは違ったお話をされている。そうすると、この両者の岡には大きな食い違いがある、そういうお脅えですね。
○松野証人 私は自分の見たこと、聞いたこと、行ったことの証言をきょうしているわけでございます。
○大内委員 しかし、違っているか違っていないかぐらい客観的な比較ですからできるじゃございませんか。しかも、この金の趣旨というのは、松野さんの立場を立証し縛る重要な意味を持っているのです。しかも、片一方ではそういう権威ある方がそう申し述べられている。その人はその人の見解であろう、その人の言うことは尊重するということだけでは、これはちょっと国民は迷うと思うのですけれども、その辺は平たくいかがでしょう。国会での答弁ですから、これは重要なんですよ。
○松野証人 私はきょうは証言をしてお答えしているのですから、この私の立場を御理解いただきたい。
○大内委員 この問答で大体おわかりだと思うのです。ですから、それ以上はやりませんが、その四億ないし五億が政治資金である、そういう形で受け取ったというお話を承りました。そうしますと、政治資金規正法上はお届けになるということが法律上あたりまえである。政治資金規正法は昭和二十三年七月から施行されております。届け出はされましたでしょうか。
○松野証人 届け出はいたしておりません。
○大内委員 なぜでしょう。
○松野証人 献金者の趣旨が届け出しないでいただきたい、届け出しなくて結構です、したがって、届け出いたしておりません。
○大内委員 献金者の意思と法律とはどっちが大事なんでしょう。法律が優先ではございませんか。
○松野証人 それは当然法律が優先でしょう。お互い献金者、受領者のときは受領者、の意思も尊策しなければならないど私は判断したからです。
○大内委員 これは大変おかしな話です。政治資金規正法によりますと、政治資金は届け出なければなりません。私どもの調べでは、日商岩井からの献金が届けられたのは、昭和四十九年、百万円のみでございます。これは松籟会という松野さんの政治団体から届けられています。それ以外にはございません。そうすると、法律で要求されていることよりかその献金者の意思を尊重して届け出なかった、こういうことでございますか。
○松野証人 いま振り返ってみれば、そういうことでしょうね。
○大内委員 届け出るべきだとは思いませんでしたか。いま思いませんか、それでは。あのときは届け出るべきであった、こういうふうに思いませんか。
○松野証人 届け出しておけばもっとよかったかもしれません。
○大内委員 政治資金として届け出ないということになりますと、個人の所得になります。所得申告はこの四億ないし五億について全額されましたか。
○松野証人 政治資金と思っておりましたので届け出はいたしておりません。(発言する者あり)
○大内委員 政治資金として届け出はしない、個人の所得としても届け出はしない、これは法律違反じゃありませんか。
 雑音、やめさせてください。
○永田委員長 静粛に願います。
○大内委員 さっきからちょっとひどいです。
○永田委員長 静粛に願います。
○大内委員 法律違反ではありませんか。そう思いませんか。所得申告もしない、政治資金規正法上の届け出もしない、これは法律違反じゃありませんか。
○松野証人 結果においては、いま考えれば、古い話だが、そういうことになりますね。
○大内委員 松野さん、率直にそういうふうに答えていただきますと、そういうふうに余り問答しなくて済むんです。お願いいたします。
 使途の件でございますが、先ほど来のお話では、私の判断で自分の政治活動、選挙活動に主として使った、こういうお話でございます。当時は実は、昭和四十三年の十一月は佐藤総理・総裁の三選ということがありました。昭和四十四年十二月は総選挙がございました。先ほど大出委員から、佐藤内閣をつくった当時の政治構造と政治状況ではそういうこともやむを得なかったという云々のお話がございましたが、これは一般的には、松野さんの受け取られた資金が佐藤派の政治資金として使われたような印象も実は与えておりますが、そういう事実はなかったということですね。
○松野証人 あくまで私の判断、私に対する政治献金ですから、私の判断で使いました。
○大内委員 松野さんの判断で佐藤派の政治資金に使われたということもあるということですか、そうしますと。
○松野証人 そういうことを申し上げているんじゃありません。私の判断で私が使った、こう言っております。
○大内委員 E2Cの代理店が住友商事から日商岩井に変更されたのは、御存じだと思いますが、昭和四十四年の八月であります。この時期は、あなたが日商岩井から先ほど来お話しの金銭を授受した真っただ中に当たるわけであります。つまり、松野さんの受領された四億ないし五億円というお金は、日商岩井から言わしむれば、今後のE2C売り込みを容易ならしめるためのあなたの配慮というものを、十分脅えた謝礼という意味を含んだのじゃないんでしょうか。時期がきわめて符合いたしますのですが、いかがでしょうか。
○松野証人 E2Cの話は、そのような環境、状況ではありません。それは逆だと私は思います。
○大内委員 しかし、あなたの金銭授受の時期とこの代理店変更の時期はぴたっと一緒なんですが、どうして違うのでしょう。
○松野証人 そのときの状況は、日商岩井がE2Cの売り込みに熱心だったとは、代理店契約に熱心だったという印象を、私は全然ありません。
 アメリカ側が貿易不均衡問題、アメリカ側が日本にあらゆるものを売り込みたいという、要するにハワイ会談以来、アメリカ側が積極的だった。代理店を日商から私は頼まれた覚えはないのです。アメリカ側が日本の廟社をつかまえたい、そのためにチータムやカーンさんが一生懸命おやりになったことです。私などはその印象は……。それで反対だと申し上げたのです。
○大内委員 じゃ、少し具体的にお伺いいたします。
 先ほど来お話がございましたグラマン・インターナショナル社のチ一夕ム氏は、E2C売り込みの見通しを立てるため松野先生としばしば会った、こういう実はインタビューをいたしておるわけであります。特に一月九日、朝日新聞とのインタビューは非常に印象的でございまして、松野氏との会談が最も有益で、だれよりも多く、ほとんどの会談はホテル・ニュージャパンにある松野氏の事務所で行われた。日商岩井現副社長――その当時でございます、それから島田現常務が同席することが多かった。海部さんと島田さんが同席することが多かった。松野氏との会談が、E2C機の航続距離、性能そのた軍事技術面で最も具体的な話し合いであった、こういうふうに申し述べるとともに、こうしたあなたとの会談を通じてチータム氏はこう言っておられるのです。E2Cの販売代理店は住友商事より日商岩井の方がよいという印象を持った。松野氏との会談は有益だった。そしてアメリカ証券取引委員会、つまりSEC報告では、よく御存じのとおり、グラマン・インターナショナル社は、日本政府当局者単数の示唆でE2C対日売り込みの販売代理店を変更した、こういう指摘になっておりますが、これらの経緯から見ますと、つまり、それらの発言が大体正しいということになりますと、あなたがその日本政府当局者であったと見ることの方が客観的なのじゃないんでしょうか。いかがでしょう。
○松野証人 アメリカの方がだれにお会いになったか、恐らく多数の方にお会いになったと思います。それで、私がその中に指名されたかどうか、私はわからないのです。また、だれにお会いになったか、私は一人も知らないのです。私は、私とチータムさんのことしか知らないのです。全部の報告、受けておりません。だから、私がそういうふうに言われたかどうか、私はわからない。全然覚えがありませんし、わかりません。これはグラマン社の方で決めてもらわなければ、わかる立場で私はありません。
 それから、たびたびでありません。四人で会ったのは一回だけです。あとはカーンさんとチ一夕ムさん、カーンさんが一回、二回、三回、二回目からチータムさん、チータムさん、最後にチータムさんがやめてから来られた、こういうわけですから、それはたびたびというのは少しオーバーでしょう。私は一度しか会っておりません。
○大内委員 チータム氏にはしばしば会ったでしょう。そうでしょう。一回とおっしゃったけれども。
○松野証人 カーンさん、カーンさん、カーンさん、チ一夕ムさん、チ一夕ムさん、チータムさんと私は記憶しているのですが、その途中で一回か二回会ったかどうかは覚えておりませんが、みんな私の事務所に来られるので、私がよそに席を設けて会ったならもっと記憶が正しいでしょうが、ちょっとお会いしたいと来れば、まあいらっしゃいという軽い気持ちで私は会っておったから、何回か覚えてません。ただ、印象の中でそういうことだけを覚えている。何遍も来られたかどうか覚えていません。しかし、だれか通訳がおりますから必ず、二人だけで話すほど私は語学は上手じゃありませんから、だれかおるから、その人を考えれば多かったかもしれません。
○大内委員 SEC報告では、一人の日本政府高官と、こう述べているのですが、実は先ほど私が読みましたように、チータム氏はあなたとの会談を通じて住友商事よりも日商岩井の方がよいという印象を持った、こういう記者会見を日本人の記者にやっておるわけなんです。しかし同時に、私は重要だなと思ったのは、決して松野さんだけではなくて、その日本政府高官というのは一人ではなくて、もっと複数からの話でそういう印象を受けたとも言っているのですね。しかも、これは名前を出されております。きょうはあえて申しますまい。ですから、決して松野さんとのお話し合いだけで代理店変更が行われたかどうか、つまりSEC報告どおりであるかどうかについて、私はチータム氏の発言を分析する限り疑問を持っているのです。ですから、複数の発言、お話し合いの中で代理店変更が行われたのではないか、しかし、その複数の中に松野さんがお入りになっている、そういう実感はお持ちではないんですか。
○松野証人 私の印象は、気持ちよく何遍も会ったのですよ。代理店変更を最初に持ってきて看板かけて会ったんではないのです。日米の防衛計画、日米のいろいろな兵器の説明、そういうことをずっと話したのです。私の意図は、私もなるべく防衛問題として新兵器に対する能力というものを知りたい、向こうは日本の防衛能力というものを知りたい、そういうことがもうほとんどなんですよ。したがって、代理店変更などというものはその念頭にないのです、私は。それをどうおとりになったか、それは私はわからないのです。もうほとんど九〇%はそのことです。それで私はE2Cというからその能力はどうなんだ、値段は高いんじゃないか、アメリカはどうしているんだ、そういうことを私は熱心に聞いたのですよ。相手方は日本の憲法と防衛の限界を一生懸命聞きたいのですよ。そういうことが主意であって、代理店変更などというのは私は念頭には、否定はしませんが、向こうがどうおとりになったか、それは向こうにお聞きをいただかないと私はわからない。いまでも念頭には少しもないと私は申し上げたい。
○大内委員 では話を移しますが、例の第二次FX商戦のさなか、つまり昭和四十二年の七月でございますが、例の海原氏を中心とする防衛人事の問題が起こりました。私は実は海原氏に対して参考人の質問をさしていただきましたのですが、海原氏は、この国防会議事務局長への転出等の人事はきわめて異例の人事であった、こういうことを実は一月十九日の朝日新聞のインタビューでも述べているんです。そういうふうには思われますか。
○松野証人 人事問題についてはいろいろ意見を言えば切りがないと私は思います。海原さんも有能であるが、自分の人事に関していろいろ言うのはどうでしょうか。ほかの人の人事について意見を述べる方はいらっしゃいます。しかし、自分の人事に自分が言われた方は私は余り聞いたことがないんです。そこに私は疑問を持つのです、いかに有能といえども。
○大内委員 海原民は人事異動のメモは松野氏の筆跡で佐藤首相のサインがあった、これは先ほど来ちょっと議論がありました。この海原氏に関する人事異動のメモはあなたが書かれたんでしょうか。海原氏の言うように、あなたが書かれたんでしょうか。
○松野証人 そのお話はどこのお話でしょうか、そのいまの御質問のもとは。
○大内委員 これは海原氏の書かれた本の中に書いてあります。
○松野証人 またこれも御本人の自作自演じゃないでしょうか。第三者が言われるならまだ私も……。ですけれども、みんな自作自演なんです。私はメモなんか書いたことありません。防衛庁に人事のときに行ったことございません。また目の前に増田さんがいらっしゃる前で私は証言します。電話一つかけたことがありません。これは私、言うなら大人の推理ではないと私は思う。推理ではありません。
○大内委員 私はもっといろいろなことを聞きたいと思いましたのですが、時間が非常にわずかしかございませんので、この問題は本当はもう少し聞きたいところがございますが、後の同僚に譲りたいと思うのです。
 そこで最後に、あなたの政治的道義的責任の自覚についてお伺いをしたい。
 田中前総理は、ロッキード事件によりまして五億円の授受が受託収賄に該当するということで今日法廷において刑事責任が問われております。松野さんの場合は同じ五億円近いお金を日商岩井から受け取ったけれども、それは職務権限、時効等の関係から今日刑事責任を追及されておりません。しかし、この事件の中における田中氏とあなたとの立場は多分に同種同根ではないかという印象が国民の中にあるんです。私も聞いてみたんです。今回、グラマン・ダグラス事件を通じてこのような多額の金銭を受けたという人はもちろん松野さんをおいてはないわけなんです。政治資金法から見ましても、先ほど来議論いたしましたけれども、政治資金として位置づけるには余りにも法外な額であるということが国民の疑惑の目が注がれているゆえんだと思うのです。大変失礼かと思うのでありますが、お許しいただきたい。
 すなわち要約してみますと、第一に、アメリカからも不正取引と指摘され、国内においてもその不正取引が刑事事件として摘発されまして、御存じのような一人の自殺者、そして四人の逮捕者を出した日商岩井と航空機輸入問題で密接な関係があった、こういうふうに言われている。そして第二に、現にその日商君井から、いま私どもが質問しておりますように、疑惑に満ちた四億ないし五億円の多額の金銭を収受した。第三には、防衛庁人事につきましてもいろいろなうわさが飛びました。それらを通じて国民というのは、その中に政治の腐敗という問題を感じ、多くの方は義憤を感じて政治不信というものを助長しておる。これは松野さんに刑事責任がなくても、日本の政治家の指導者の一人として責任を感じなければならない問題だと思うのです。あなたは、その政治的道義的な責任、そしてその責任をどのようにしてとることが最もいいことか、私は松野さんを本当の政治家と信頼しておりますから、政治家という立場でひとつお答えをいただきたい。また、私ども後進のためにお教えをいただきたいと思います。いかがでしょう。
○松野証人 非常に心からなる御発言と受けとめます。私も道義的責任を、古いからといって古さの中に隠そうという気持ちではありません。私も政治を志す以上、自分の今回の問題についての反省は深くしております。あなたのきょうの御発言は心に深くとめておきます。
 ただ、きょうこの場は、少なくとも私のできる真相解明のために出席して、そしてこの場は、御理解いただけるかどうかわかりませんが、私としての最善を尽くすことにいま頭がいっぱいです。その以後のことについては、私自身、世論、国民の感情、選挙民の意向というものを私は自分の良心にとらえて真剣に考えるつもりでおります。
○大内委員 以上をもって終わります。
○永田委員長 これにて大内君の発言は終了いたしました。
 正森成二君。
○正森委員 私から松野さんに伺います。
 非常に失礼ですが、五億円近いお金を、高畑誠一さんからの電話があり、その使いとして海部八郎、ときには島田三敬氏があなたのところへ届けられたということですが、それは小切手でしょうか、それとも現金でございましたか。
○松野証人 現金だったと記憶しております。
○正森委員 先ほどからの御答弁、御証言を聞きますと、その趣旨は、政治家としての松野頼三を育てるつもりだったというように伺いました。また、高畑誠一氏とは鈴木商店の時代から、私も神戸の出身ですからよく知っておりますが、鈴木商店が倒産した時代からのお父さんとのつき合いである、こういうことであります。そうしますと、昭和四十二年以前に、政治家として育てるためのあなたに対する政治献金はなかったのでしょうか。
○松野証人 恐らくその方向は、父が存命中ですから父だと思います。
○正森委員 いまの御発言は、間接的にはあなたにはなかったということをお答えになったと思います。しかし、私の承知しているところでは、証人は昭和二十二年以来本院の議員で、四十二年までにはすでに二十年たっているわけであります。ところが、その二十年間には、政治家として育てるための政治献金はあなたにはほぼ全くない。また、いまの御証言を伺っておりますと、四十七年以降も、政治情勢が変わったかどうかわからないけれども、これという政治献金はない。ただ、四十二年から四十六年の終わりまでの四年余りの間にだけ莫大な金が集中している。それはどうしても単純に政治家として育てるためだけの金であるということを通常の者が納得するのは困難ですね。四十二年以前にもこれこれこういうものがあった、四十七年以降は政治情勢が変わったが、やはり政治家として育てるためにこれこれあったというなら私はあなたのお言葉を信じたいと思いますけれども、それがなくて、ただ四年余りの間にだけ、しかも数百万という金ではなしに四、五億円の金が集中しているというのはどういうわけでしょうか、国民にわかるように説明してください。
○松野証人 私の父が亡くなったのが昭和三十九年です。四十年に真っ先に、お父さんが生きておられればよかったですねと電話して私を激励してくれたのが高畑さんです。お父さんの跡を継いでしっかりおやりください、近く海部を差し向けますからお会いいただきたい、それは私が大臣のときです。それで私、お断りした。大臣在任中は一商社の方にもお目にかからぬことに私はしているので、その父に対するお気持ちだけで結構です。それから四十一年まで私は大胆在任中です。父が亡くなったのが三十九年、それに引き継いで四十二年です。この二年間は大臣在任中だから、恐らく父がもう少し生きておったらそのまま引き継いだかもしれません。私はそういう気持ちなんです。
○正森委員 いまお答えいただきましてわかる点もございますが、同時に、お父上の地盤を譲られて衆議院に出られたのが昭和二十二年からであるのに、政治献金の遺産は引き継いでおられないというのも、私としては納得できない点もございますが、いまはそう承っておきます。
 そこで、いまはからずも昭和四十年の初めにも政治献金をしようという話があったが、大臣在任中なのでそれはお断りしたというお話がありました。つまり日商岩井からは大臣在任中もそういうお話があったということでありますが、先ほど大内委員の質問に対するお答えの中で、政治献金として届けたことはない、それは献金者の意思が届け出をしないでいただきたい、届けなくて結構でございますということだったから献金者の意思を尊重したのだ、こういうぐあいにおっしゃいましたが、それはそのとおりでございますか。
○松野証人 先に一つ訂正しておきます。大臣在任中に献金の意思があったと言われたが、私はそんなこと言っておりません。父に対する電話があったというだけで、先ほどのは正森さんの質疑に非常に違っております。そういう献金の申し出は大臣在任中はありません。
 それからもう一つは、届け出は、やはり一商社が特定政党、特定政治家に深入りすることを公表されることは必ずしも商社としては得策ではないという意思で、私は献金者の意思を尊重したのです。
○正森委員 いまの御説明ですが、私としてはますます疑問を持たなければなりません。いまの御証書でありますと、御自分がもらわれた五億円というのは、一商社がある政治家に深入りする、つまり通常の政治献金というよりも深入りした関係になるということを公表するのはよくないということになるわけです。
 そこで、献金者が政治献金の届け出をしないでいただきたい、届け出なくて結構でございますと言うことは、日商岩井という商社としては、政治献金として帳簿を落とすことをしない、つまり裏金である、そのことを御承知おきくださいと言うたのと同じ意味であります。そうだとすれば私は、ますますこのお金はあなたが御受領になる前から日商岩井としては裏金的な性格であるということを十分に意識したお金であるというように考えざるを得ないと思いますが、いかがですか。
○松野証人 あの十数年前当時は、そういう企業は多かったのです。政治献金をして税金の減税措置という対象がない時期です。したがって、政治献金を届け出して公開すると言えば、免税になるなら恐らく各社やったでしょう。免税措置の恩典がない時期なんですよ、あの当時は。したがって、政治献金を公開するかしないかというところのメリットだけで、裏金であったとは私は思っておりません、それはわかりませんけれども。それだから、届け出しないから裏金だと、そういう結論は、あの時代は私の常識ではなかったと思いますね。
○正森委員 ところが、今回のダグラス・グラマン事件で、そのお金は全部裏金で処理されておるということが検察の調べでわかっているわけです。
 そこで、あなたがそうおっしゃいますから、私はここで文書をひとつ読み上げたいと思うのですが、これは航空機部の島田三敬氏が昭和四十四年三月ごろ航空機部の利益が確定したときに策定して上部に出した文書であります。題は「航空機部利益確定に関し」、航空機部島田三敬と書いてあります。
 そこで、「昨年のファントム戦闘機の国産、ボーイング747SRの日本航空による採用などにより好成績を上げている。六十六機、四十七年九月は現在の三倍以上の好成績が期待できる。取り扱い高は四十四年三月には七十七億四千七百五十九万五千円」等々になると、こう響いてあります。そして、「ここですでに工作費として借用した二億五千万円については下記の要領で利益から落としていきたい。」と、こう書いてあります。そして、四十四年三月期の利益の見通しは六千二百六十五万何がしである、四十四年九月期は九千三百万円である、四十五年三月期は一億三千二百万円であると、こう書いてあって、四十七年九月期には四億二千五百万というように毎期の利益の見通しを書いて、「返済、四十五年九月期五千万円、四十六年三月期五千万円、四十六年九月期一億五千万円」と、こう書いてあります。
 つまり、あなたがお金をもらわれた海部と島田、その当事者である島田が、二億五千万円というのは工作費であるということを上司にちゃんと言うているのです。しかもその後が重大で、「今後発生する分については、四十六年九月期と四十七年三月期と九月期で完済する余力を持っている。今後、E2Aの四次防の採用、ファントムの追加生産、747の採用があって好成績となる。」こう書いているわけであります。つまり、これはすでに渡した二億五千万円が工作費であるだけでなく、今後渡すものも工作費であり、その工作費はF4ファントムの導入だけでなしに、E2A、当時はE2Cと言わずにE2A、それからE2Bになりました。一時、日本関係のはE2Jと呼ばれたこともあります。御存じのとおりであります。そういうものの採用があって好成績となるということを、あなたに対する支払いの返済計画についての上司への報告の中に書いておるんですね。これは今回の捜査でも検察も実物を押収しているというように私は聞いております。そうだといたしますと、検察が全体としてこれらは単なる政治献金ではないと認定しているのと絡んで、あなたの御主張はどうしても理解できないと思いますが、いかがです。
○松野証人 いまの鳥田さんの書類がどうあるかは私には全然関係ないことです、それは。それは社内のことで、私はそんなことに返事のしようがないいことだ。正森さんの御趣旨はいろいろな角度からの一端だと思いますが、私自身ここで答える能力もなければ、答えなければいけないことでもないと私は思うのです。そんなこと全然関係ないと私は思います。
○正森委員 私は島田さんがこう書いたのをあなたが知っているかというようなことを聞いているのではないのです。ただ、日商岩井が政治献金で税額を控除してもらうならともかく、控除されないのだから、だから政治献金の届けをしなくて結構ですよと言うたに違いないとおっしゃるから、日商岩井はそうは思っていないという日商の見解を示してあなたに御認識について再検討を求めただけにすぎないので、日商岩井のこの文書を確認してくださいとか、そういうことは言うてないんですね。
 同様に、検察の捜査の結果、検察がF4ファントムの工作費もしくはその利益が上がったことについてのお金であると、こういうように言うておることについても、それについてあなたの御見解を再検討なさる資料の一つとして言うているのですね。その点をお間違えないようにしていただきたい、こう思うわけであります。それでもあなたは御見解を改められませんか。
○松野証人 私は島田さんと献金、使途、趣旨を相談したことはないんです。だから、島田さんがどうお考えになろうが私は関係ないと申し上げるのは、島田さんと私は政治献金の話をしたことはないんです。この問題、前後についてですね。それを私はいま申し上げているのです。島田さんがそうだから、おまえと高畑の話は違うじゃないかと言われても、それは時間が違うと私は申し上げたい。それは違います。
○正森委員 あなたは人事問題には介入したことがないというように言われましたが、いま同僚委員も発言されましたが、海原参考人は、私がこの予算委員会で聞いたんですが、あなたがお書きになったメモ、海原の更迭について、そして佐藤総理がサインされたもの、それを当時の防衛庁長官に渡された。そのことは、言い渡しを受けた直後に浦野政務次官から、あなたも御承知だと思いますが、直接聞いたんだとここで証言しているわけですね。あなたの御答弁を聞きましたが、再度あなたの記憶に間違いがないかどうか承りたいと思います。
○松野証人 海原さんのただいまの正森さんの話も、浦野から聞いたでしょう、浦野さんから聞いたでしょう。いつもあの人の話は、新聞記者から聞いた、浦野さんから聞いた、自分が見たというんじゃないのですね。そこに私は信感性を疑う。私は憶測、推測よりも証人と証言の方が正しいと思います。これは憶測だけじゃありません。少し字が違うんじゃないか。邪推的な憶測ですね、これは。
○正森委員 あなたは委員長の御質問に対して、第三次防の原案を決めたことはない、大綱の草案の準備を命じただけであると、こういうように言われました。しかし、当時の新聞や年鑑を見ますと、普通、防衛計画というのは五年計画ですが、あなたは就任されるや否や、二次防と三次防とのつながりをよくするためにというので、六年計画にするということで、すぐ計画の策定を命じられた。そして、昭和四十一年には四月ごろにほぼ三次防の原案がまとまり、それから佐藤総理にしばしば第三次防衛力整備計画を決定したい、こういうように言われたが、大蔵省との間で予算額について意見が若干あったので、結局決まったのは昭和四十二年の初頭になってからである、こういう経過になっております。そして、そのときに、四十二年に決まったのですが、内容はほぼあなたの原案のとおりで、金額が約三千億円余り減額になっただけである。そして、その時に、初めは第二次FXの新しい機種は採用しないというように四十年の三月ごろにはなっていたのに、あなたが防衛庁長官になられてから三次防の原案で新しい第二次FXの機種を選定するというようになり、あるいは早期警戒機を導入するということもあなたの原案の草案の中で決まり、それがそのまま決まっているのですね。そうだとすると、あなたのそういう働き――働きと言ったら語弊がありますが、権限、そういうものに着目して、四十年にあなたが防衛庁長官になられたときにすでに高畑さんから電話があって、しかし、お会いするのはやめるということで慎まれたようですが、大臣をおやめになってすぐ四十二年から政治献金が始まったということではないのですか。
○松野証人 高畑さんの電話は、私の父に対するお悔やみの電話です。そのとき高畑さんがどんなことを、どんな希望を持っておられるか、それは全然関係のないことです。FXもなければ何にもないときです。それは本当の人情としてのお悔やみの電話で、誤解をしないでいただきたい。
 もう一つ、何か非常に一年早めたということですが、これは私が申すまでもなく、大出さんがいらっしゃるし、その当時内閣委員会で論戦をした速記録が全部載っています。それをお読みになれば全部わかります。北村君という国防会議の事務局長がローリング方式というものを提案したのです。それは一次防のときに一次防、二次防の関節的なときに一年ギャップができた。世界ではやはりローリング方式というものをとって五年計画を六年に延ばして六年、六年、一年ずつダブらせる方がいいという名論が出たのです。それを私は関心を持って大出さんと大いに論戦して速記録に全部載っています。それとこれと結びつけられては、やや無理じゃないか。これはもうこれで打ち切ります。
 なお、私が特にあなたにいろんなお話を申し上げた、そんなに私は物を決めたんじゃないのです。草案をつくれ――じゃ同じじゃないかと言われるなら、防衛庁の職員というのか、制服というのか、幹部は同じですからね、私がかわろうがかわるまいが幹部の方向は同じだから、同じ案が出たんじゃないでしょうか。それを私が責任を負わされても無理です、幹部が同じですから。
○正森委員 これで質問を終わりますが、一点だけ。
 グラマン関係者は、あなたはPFという暗号で呼ばれておった、その報告は非常にセンシティブに扱われておった、こう言っているのです。PFというのは、パインフィールドあるいはパインフォレストの略であるとか、あるいはポリティカルフレンドの略であるとか言うのですが、あなたはそれについて覚えがございますか。
 これで終わります。
○松野証人 全然覚えがありません。ことしの一月、ある人が来たからおれのことをパインフィールドなんていう英語をおまえたちは使っていたのか、ふざけるなと言ったら、それは先生違います、ポリティカルフレンドで複数の政治家を言っていたんでしょうと、ある人が、それに多少関係した人が私に教えてくれたので、それならいいね、パインフィールドなんてどこの英語にもないよ、日本だって通用しないぞと言って、私は一月、その話を聞いたのを覚えております。教えてくれたのは実は先ほど亡くなった島田さんです。それを私のところへ謝罪に来たんです。気の毒な方だ。あの新聞が出て私に謝罪に来たんです。御迷惑をかけて申しわけない、その謝罪のときに――あなたのが出ておりました、アメリカで。これは何だと私は言ったのです。(正森委員「いや、私が言ったんじゃないんですよ、パインフィールドとは」と呼ぶ)あなたが聞いたと発表されているから、とんでもない、正森さんの英語ならこんなこと一蹴するだろう、余りにひど過ぎる。これは私は、恐らくポリティカルフレンドと、前後を見ると複数の政治家のことを言ったんじゃないでしょうか。これにはこれ以上お答えする材料はございません。
○正森委員 そのうちの一人があなたですね。
○松野証人 いや、それはわからない。
○正森委員 終わります。
○永田委員長 これにて正森君の発言は終了いたしました。
 加地和君。
○加地委員 あなたは日商岩井から五億円ほどの金を受け取り、それをあなたがどのように弁解しておられましても、私たちは日商岩井が自衛隊へ航空機を売り込むためのあなたの働きというものに関連して支払われたことは間違いない事実であると思います。この五億円ほどの金は間接的ではありますが、国民の税金で支払われていることになります。政治家というものは国民の信頼がなければなりません。あなたの行為は刑法上は時効や職務権限によって起訴されませんが、あなたは国民の税金を五億円ほど受け取っていたことについて、政治家としての責任を明らかにすべきではないでしょうか。あなたに五億円ほどを支払った日商岩井の会長、副社長は辞任をしました。航空機売り込みに専念していた島田専務は自殺をされました。日商岩井は著しく社会的信用を低下させました。五億円ほど受け取ったあなた一人が何の責任もとらないということでは世間は承知しないのではないでしょうか。身を殺して仁をなすという言葉もあります。あなたは政治的責任、道義的責任を国会議員を辞職するという形でとるべきではないでしょうか。そうしてこそ国民は納得し、そして松野頼三はりっぱな政治家だということになり、失われかけた政治に対する国民の信頼を取り戻すことになるのではないでしょうか。あなたは国会議員を潔くこの際辞職されるお考えはありませんでしょうか。
○松野証人 私のことについては御意見として拝聴し、私自身今後の問題として十分念頭に置きます。
 もう一つ、税金の五億円と言われましたけれども、私が政治献金をもらったときは、日商岩井からは政治献金としてでありまして、飛行機とか軍需とか政府とかいう関係のなかった時代であると私は思います。したがって、五億円は日商岩井の会社の金だったと私は確信いたします。
○加地委員 ロッキード事件に引き続きまして、今回のグラマン・ダグラス事件という政界を揺さぶった大事件によって、まじめに働く国民は非常に沈うつな気持ちであります。戦後の日本において国会議員が逮捕されたり、自民党の総裁選挙資金づくりが絡んで政界を揺さぶった疑獄事件を見てみますと、昭和二十二年の炭鉱国管事件、二十三年の昭電事件、二十八年の保全経済会事件、二十九年の造船疑獄事件、三十六年の武州鉄道事件、四十年の九頭竜川ダム事件、吹原事件、四十一年の田中彰治事件、共和製糖事件、四十三年の日通事件、五十一年のロッキード事件等が次々に発生しております。国会議員は逮捕されなかったが、政治資金づくりに関連したと言われている事件の数は枚挙にいとまがないほどでございます。自民党政治に、政、財、官の癒着により、このような事件が発生せざるを得ない体質があるのではないかと思わざるを得ません。私たち新自由クラブは、昭和五十一年ロッキード事件のさなかに、真に清潔な自由主義社会を担っていく政党をつくらなければ、国民が自由主義そのものに愛想を尽かしてはならないという、真に日本を憂うる動機から結成されました。
 ところで、古井法務大臣自身が、自民党の疑獄体質をどう思うかとの朝日新聞記者の質問に対し、自民党は多年一党政治のように政権を担当してきている、政権交代のない民主政治がどういうことになるものか、これはまじめに考えてよい一つの大きな問題だと思う、きれいな水も長いこと置いておけばよどむというものだと答えておられます。政治家の長老であるあなた自身、この立場に立ちまして、古井法務大臣のこの発言にどのようにお考えになられますか。
○松野証人 私も昭和二十二年からちょうど三十三年、おかげさまでこの議会に籍を置き、いろいろな政治の中に体験し、経験し、苦杯をなめ、泣いたことも喜んだこともあります。今回のことについては、私一身のことに関するならば、私が平然としておるわけでは今日ございません。しかし、ただいまは真相解明に私のできるだけの記憶をこの席でお話しして、そして自分の問題は考えなければ、いまのところは、将来の問題まで私は頭がまとまりません。おっしゃることはまことにごもっともであります。それから同時に、古井さんの御意見については、私が論評する立場ではありません。私は自分の気持ちとしてきょうは一生懸命やっていく。これも私に課せられた大きなイバラの道だと思います。政治家としてこの一カ月のほほんとしていたわけじゃありません。私の政治的あらゆるものについては、相当私も苦悩してきたのです。のほほんとしておると言われるが、私はずいぶん苦悩しております。ただ、私が平然としておるわけじゃないのです。精神的にも社会的にも大変な私も実は苦境に立っておる。どうぞそれは同僚として御推察いただきたいと私は思います。
○加地委員 先ほど日商岩井の方から受け取った金は現金であったというようにお答えになりました。ある報道では、島田三敬氏が現金を持って行ったときはずっしりと重く、億単位の金であったようだということが報道されたりしております。現金というのはボストンバッグか段ボールか、どういうものに入れて持ってこられたのでしょうか。
○松野証人 ふろしきだったと私は思います。
○加地委員 先ほど、金銭授受の際にはその趣旨というものの話はなかったように御答弁になりましたけれども、全く何も話をしないのでしょうか。約束していた金を持ってまいりましたとか、何かその金についての伝言といいますか、そういうものはないのでしょうか。
○松野証人 そのことはたびたびありました。それは、第一回高畑さんのとき、第一回海部さんのとき、松野頼三に対する政治献金。それはもう、何回というとおかしいですが、そのたびとは言いませんけれども、常にその念頭は去っておりません。
○加地委員 高畑氏とか海部氏が政治献金という言葉を使ったとおっしゃるのでしょうか。
○松野証人 松野頼三を育てるための政治献金、明らかにそう言っております。
○加地委員 松野さんも佐藤派に所属しておられたときに資金関係を一時期御担当になっていたという報道がありますが、そういう時期はあったのでしょうか。
○松野証人 よく覚えておりませんが、私は、そういう重要な役を主任のようにしてやった記憶はございません。
○加地委員 主任でない形で佐藤派の政治資金集めというものに関与されたというお答えと聞いていいでしょうか。
○松野証人 ずいぶん、若い時代にはいろいろ使い走りをさせられた時代もあります。あなたのお聞きになるのはこの時代でしょうが、この時代はございません。
○加地委員 先ほど五億円の使い道につきまして何度も質問があった中で、私の判断で使ったというところまでお答えになりまして、それが佐藤派の政治資金に使ったのかどうかとか、そういうもう一歩突っ込んだことについてはお答えにならないわけなんでございます。お答えにくいことかもしれませんが、やはりそれ以上に答えていただくのが証人としての国民の義務でなかろうかと私は思うのでございますが、五億円、やはり、佐藤派の政治資金の方にお使いになったということはないのでしょうか、あるのでしょうか。
○松野証人 私もきょうは証人として出ておりますので、記憶のあることは申します。記憶のないことは申し上げられません。記憶ございません。
○加地委員 絶対に使ってないということも断言できない、使ったということも言えない、こういう答えでしょうか。先ほどから同僚議員もしばしば聞いておりますように、十万円や二十万円の金ではありませんし、やはり五億円という金は、いまの値打ちにしたら十億円あるいは二十億円のものだと言う人があるぐらい大きなお金でございます。それについて記憶がないというだけではちょっと理解しがたいのでございますが、記憶は出てきませんか。
○松野証人 記憶がないと私は申し上げておりません。選挙及び政治活動に使ったと申し上げておるわけであります。
○加地委員 私が聞いておりますのは、佐藤派の資金づくりというものに使われた部分もあるのではないでしょうか、そういう記憶はありませんかということを先ほどから聞いておるのでございますから、その流れに沿ってお答えいただきたいと思います。
○松野証人 私は当時そういう役をしておりません。
○加地委員 あなた、毎日新聞の記者とインタビューをしたことはない、激励に来てくれたことはあるとおっしゃっていましたけれども、毎日新聞の記事で見ますと、佐藤派の政治資金に使ったことはあなたが認められたように書いてありましたし、まあ、いまと違ってちょんまげ時代のことだからねというような表現も記事に使ってあったと思うのですけれども、この記事は、どうでしょうか、事実に反しているのでしょうか。その新聞記者の人がいいかげんなことを書いておるということになるのでしょうか。正式のインタビューじゃなかったけれども言葉の端々にそういうことも言ったことがあるということなんでしょうか。
○松野証人 非常に私を見舞いと激励に来られて、その方が――私はインタビューしたことはないのです。その方がインタビューという形でお書きになっているのですが、どっちかというと非常に私を激励に来られた。そういうことはその人の言葉の方が主でしたね。そういう時代でしたねと言われるから――私が言ったのじゃないのです。そういう時代でしたねとその方が言われたと私は……。私も、そういう時代で、ちょんまげ時代だったねというふうに言ったことはありますね。だからその言葉は私は全部うそだと言わないが、主観的にその方がお書きになったので、私が言ったわけじゃないのです。それは私はどうこう言うのじゃありません。私はそういう時代だったねということは言いましたけれども、そういうふうなことはその方が主観的におっしゃったように私は記憶いたしますね。よく、そういうふうな印象じゃなかった。しっかりやりなさいと私を激励に来られた方ですからね。それは私から見れば、つい向こうの言うことを否定しませんわね。そうだなというふうなことを言ったかもしれません。しかし私があの文章に、あれを材料に質問されてもそれは無理です。私が自分で主観的に言ったわけじゃございません。
○加地委員 質問の趣旨は、ちょんまげ時代の発言に主があるのじゃなしに、あの記事に、佐藤派の政治資金に使ったということをあなたがお認めになったような記事が出てますので、これはあなた自身が認められたことがあって記事になっておるのか、向こうが問うたのかこっちから自発的に言うたのか、それは態様は別として、全く自分は言うたこともない、うその記事が書いてあるということになるのでしょうか。そこなんです。
○松野証人 私がそのことを言ったことはありません。
○加地委員 そうしますと、やはりこの記事を書かれたような人に抗議なども申し込んでおられるのですか。
○松野証人 きょうこの場でお話しする機会がありますから、あえて抗議するよりきょうの私の話の方が、価値ある場所じゃないでしょうか。
○加地委員 五億円ほどの金の中から特定の政治家にお金を渡されたという使い方をされたことはあるのでしょうか。
○松野証人 そういう表現をしたことは一度もございません。
○加地委員 いや、新聞記事の話からまた生の話に移っているのでございますが、五億円の中から、あなたは自分の責任で使ったとおっしゃっていますけれども、政治家関係に与えるという金の使い方ですね、そういう使い方をなさったことがございますか。
○松野証人 選挙及び政治活動ということで、それ以上私は言ったことはないのです。
○加地委員 海部八郎氏のメモというものが巷間二種類出ておりますけれども、そのほかに第三の海部メモとか第四の海部メモとかと言われるもので、これは新聞にも発表されていたんでございますが、昭和四十二年の一月十二日付で、海部八郎から岸事務所のどなたかにあてた手紙形式なんでございますが、そこには「牟田空将が空幕長に座ったのは先生や松野先生の多大な御努力によるものでこの人事は、次期戦闘機の決定に結びつけるものだと確信いたしております。」またもう一つは、海部八郎氏から松野頼三先生あての、昭和四十二年三月二十四日付の手紙というものが公表されておりまして、次のような情報がありましたので指示を得たくと、牟田空将の後任者に田中説が強いこと、牟田氏が留任したとき、FX調査団は絶対に対抗馬のノースロップ社を訪問しないことなどを指示してほしいなどと書いてあるようです。特にこの松野頼三先生あての手紙というものはお受け取りになった御記憶はございますでしょうか。海部八郎氏からの手紙です。
○松野証人 私は一度も受け取ったことはございません。
○加地委員 証人は、航空機あるいは兵器、軍事問題について非常に卓越した知識をお持ちのようでございまして、有名なカーンなどは、松野さんとチータムなどが軍用機などの話を横でしておっても、とっても中身についていけないほど高度な知識の議論がなされるということを言っております。
 それで、私たちがいろいろと調べてみますと、F4とF5、どちらがよいかという問題について、まあこれも相当議論なされたことでございましょうけれども、値段の上、あるいは日本という狭い土地柄の点、あるいはまた発走、着陸のときにつくらなければならない飛行場の施設等もF5の方がうんと安くつくなど、また、日本がそれを導入した場合には、やはりアメリカの同盟国でF4よりは小型の飛行機の方が適しておるという国に対して輸出、製造するという権限まで日本に与えられるという利点が非常にあって、本当に虚心坦懐に考えてみればF5の方を導入すべきであったのでなかろうかということがいまでも言われておるのでございますが、これについて、証人はやはりF4の方がいろいろな意味ですぐれておるという自信がいまでもおありでございますか。
○松野証人 私の時代はまだ機種選定の以前ですから、4がいいか5がいいかということは、それは後の方がお決めになるので、私は、その当時はまだ4も5も、九機種ぐらいしか決まっていないときですから、その当時の記憶として何ともそれに対してお答えする資料と資格がないのじゃないかと私は思います。
○加地委員 最後の一問。あなたの御弁解はいろいろとあるでしょうけれども、五億円近いお金を何かの形でこの際国民に返すというようなお気持ちはございませんでしょうか。いまあるかないかは別にしてですよ、返す気持ちがあるかないかというような点はどうでございましょうか。
○松野証人 私は政治献金をいただいたという気持ちなんです。それは日商の利益金からであると私は信じております。
○加地委員 終わります。
○永田委員長 これにて加地君の発言は終了いたしました。
 以上をもちまして、松野証人に対する尋問は終了いたしました。
 証人松野頼三君には、長時間にわたり御苦労さまでした。
 これにて、本日の証人に関する議事は終了いたしました。
 次回は、来る五月三十日水曜日午後一時理事会、午後一時三十分委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。
    午後四時十六分散会