第091回国会 文教委員会 第3号
昭和五十五年二月二十日(水曜日)
    午前十時三十一分開議
 出席委員
   委員長 谷川 和穗君
   理事 石橋 一弥君 理事 中村喜四郎君
   理事 深谷 隆司君 理事 森  喜朗君
   理事 木島喜兵衞君 理事 嶋崎  譲君
   理事 池田 克也君 理事 山原健二郎君
   理事 和田 耕作君
      狩野 明男君    田村 良平君
      船田  元君    宮下 創平君
      中西 績介君    長谷川正三君
      村山 喜一君    湯山  勇君
      有島 重武君    鍛冶  清君
      高橋  繁君    栗田  翠君
      藤田 スミ君    三浦  隆君
      西岡 武夫君
 出席国務大臣
        文 部 大 臣 谷垣 專一君
 出席政府委員
        文部大臣官房長 宮地 貫一君
        文部大臣官房会
        計課長     植木  浩君
        文部省初等中等
        教育局長    諸澤 正道君
        文部省大学局長 佐野文一郎君
        文部省学術国際
        局長      篠澤 公平君
        文部省社会教育
        局長      望月哲太郎君
        文部省体育局長 柳川 覺治君
        文部省管理局長 三角 哲生君
        文化庁長官   犬丸  直君
        文化庁次長   別府  哲君
 委員外の出席者
        自治省財政局財
        政課長     津田  正君
        文教委員会調査
        室長      中嶋 米夫君
    ―――――――――――――
委員の異動
二月十五日
 辞任         補欠選任
  三浦  隆君     玉置 一弥君
同日
 辞任         補欠選任
  玉置 一弥君     三浦  隆君
同月十六日
 辞任         補欠選任
  藤田 スミ君     工藤  晃君
同月十八日
 辞任         補欠選任
  工藤  晃君     藤田 スミ君
同月十九日
 辞任         補欠選任
  狩野 明男君     倉成  正君
  船田  元君     河本 敏夫君
同日
 辞任         補欠選任
  倉成  正君     狩野 明男君
  河本 敏夫君     船田  元君
    ―――――――――――――
二月十三日
 就学奨励についての国の援助引き上げ等に関す
 る請願(三浦久君紹介)(第六七四号)
 私学助成に関する請願(池田行彦君紹介)(第
 六七五号)
 同(岩垂寿喜男君紹介)(第六七六号)
 同(島田琢郎君紹介)(第六七七号)
 同(津川武一君紹介)(第六七八号)
 同外四件(塚田庄平君紹介)(第六七九号)
 同(則武真一君紹介)(第六八〇号)
 同(高橋高望君紹介)(第七四四号)
 同外一件(増岡博之君紹介)(第七四五号)
 同(大原亨君紹介)(第七九六号)
 同外三件(斎藤実君紹介)(第七九七号)
 同(島田琢郎君紹介)(第七九八号)
 同外十五件(芳賀貢君紹介)(第七九九号)
 同外一件(吉井光照君紹介)(第八〇〇号)
 私学に対する公費助成の増額等に関する請願
 (寺前巖君紹介)(第六八一号)
 高校増設に対する国庫補助改善等に関する請願
 (渡辺貢君紹介)(第六八二号)
 同(沢田広君紹介)(第七四三号)
 同(渡辺貢君紹介)(第八〇一号)
は本委員会に付託された。
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 文教行政の基本施策に関する件
     ――――◇―――――
○谷川委員長 これより会議を開きます。
 文教行政の基本施策に関する件について調査を進めます。
 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。宮下創平君。
○宮下委員 私は当選後初めての質問でございますが、自由民主党を代表して、文教行政全般あるいは個別の幾つかの問題点について大臣にお伺いしたいと思うのでございます。
 最初の質問でございますので、いろいろふなれな点があろうかと思いますが、失礼の段があったらお許し願いたい、このように思います。
 私は、当選後常任委員会の選定、これは自由意思でということでございましたが、文教委員会を積極的に選択したわけでございます。特に私は、教育の重要性ということはかねがね非常に痛感しておるところでございまして、教育は国家百年の大計あるいは国の大本であるというように言われております。教育という問題は、長い目で見て非常に重要な問題であり、当面そうはでな点はございませんけれども、教育の問題はこれからの日本の国家、民族の将来を考える場合非常に重要な点であるということで、私は文教委員会を選択して、先輩諸兄の御指導を得ながら勉強していきたい、このように感じて入ったわけでございます。特に、ほかの政策でございますと、大概予算や、これは金があれば解決できる問題がございますけれども、文教行政につきましては、やはり予算だけでは解決できない領域の問題がございます。政治家として、やはり予算等で解決できるだけの領域が問題でなくて、もっとそれ以上の領域の決断であるとか政策の実行ということが政治家に課せられた大きな使命じゃないかと私は考えて選択したわけでございます。
 そこで、大臣の教育に対する基本姿勢、それからまたいろいろ教育の各段階にわたります家庭教育の問題でございますとか、幼児教育あるいは義務教育の問題、高等教育の問題、また生涯教育あるいは社会教育、スポーツ振興、多岐にわたって一応の見解をお伺いしたいと思うのでございますが、まず最初に、当面国民が最も関心を持っておりますところのオリンピック問題について、その前にちょっとお伺いをいたしておきたい、このように存じております。
 新聞あるいはその他の報道に伝えられるところによりますと、IOCは去る十二日に満場一致でモスクワのオリンピック大会を予定どおり開くことを確認したということが報ぜられております。特に私の手元にレークプラシッドにおけるキラニンIOC会長の声明全文がございます。それによりますと、いろいろ書いてございますが、特に私、重要な点だと思われる点をちょっと申し上げますと、「IOCは、オリンピック大会が当面する最大の脅威を生み出した世界情勢を十分認識しており、注意を払っている。多くの政府はその国の選手たちにことしのモスクワ大会参加は好ましくない、あるいは禁止すると表明している。米国オリンピック委員会(USOC)はIOCに対して米大統領の要請に基づく提案を行ったが、これは他のすべての提案とともに討議された。」という経過を述べておりまして、各国オリンピック委員会連合、これは日本の場合はJOCの委員長である柴田勝治さんが参加されておるようでございますが、その「各国オリンピック委員会連合は二月初めメキシコで理事会を開き、第二十二回オリンピックの開催地をモスクワにとどめるべきであるとの勧告を満場一致で採択した。多くのNOCは」、すなわち国内オリンピック委員会は、「政府および国内世論との関係で困難な立場に置かれている。IOC、IOC委員、NOCはオリンピック運動の原則と目的を政府、大衆に伝えるためあらゆる努力を払う。」ということを述べた後、エントリーの期間が五月二十四までに届けなければならない。そして同時に、米ソに対しまして要請をしておるわけですが、「IOCは、USOCがとりわけ困難な状況にあることを認めるが、USOCが米国選手団のオリンピック参加を可能にするため努力を続けるよう励ましたい。同時に、IOCはモスクワの組織委員会およびソ連NOCに対して、多くのNOCに困難をもたらした状況を政府首脳に伝えるよう要請する。」ということで、ソ連政府にも要請する。そして同時に、最後に、「第八十二次IOC総会に出席した七十三人のメンバーには、世界の政治的な問題を解決することはできないが、すべての国の政府、特に大国の政府に対して歩み寄り、差異をただすよう呼び掛ける。」そして「IOC会長およびすべてのメンバーは力の及ぶ限りこれを助け、第二十二回オリンピアードが本来のふん囲気のなかで開催されるよう努める。」ということでございまして、大体そのとおりにIOCは決めたようでございますが、この点の事実確認と、それから同時に、過去においては、不幸なことに戦争を契機としてオリンピックが中止されている例がございます。
 私が申し上げるまでもございませんけれども、一九一六年の第一次大戦のときのベルリン・オリンピック、それから昭和十五年、一九四〇年でございますが、東京オリンピックが予定されておりましたけれども、これは日本から返上いたしまして、昭和十二年に返上いたしました。しかし、ヘルシンキに開催地は移動するということでございましたが、これも開催不能に終わっております。次の三番目が昭和十九年、これは第二次世界大戦中でございまして、ロンドンの予定が中止されております。過去においては三回そういう不幸な例がございますけれども、今回、特に米国等を中心といたしまして、特にホワイトハウスにおきましては、同日バンス国務長官が発言しておりまして、侵略戦争を行っている最中の国でオリンピックが行われたり、それに参加するのは基本的なオリンピックの原則への侵犯である、問題は、国際平和の重大な破壊が行われている国でオリンピックを開催するかどうかであり、そうすることはオリンピックの意義と全く相入れないというような発言がございますけれども、政府はこれを受けて、一方、日本オリンピック国内委員会、JOCに対しまして、去る二月一日に意向の伝達をいたしております。
 その要旨は、もう説明するまでもございませんけれども、簡単に申し上げておきますと、「「オリンピック大会は、本来スポーツを通じて、より良きより平和な世界の建設に助力し、国際親善を創り出すことを目的としている。従って、モスクワオリンピック大会について、政府は、ソ連のアフガニスタンへの軍事介入、これに対する厳しい国際世論等に重大な関心を払わざるを得ない。日本オリンピック委員会は、この事態を踏まえ、諸外国の国内オリンピック委員会と緊密な連携をとって適切に対処されたい。」政府としては、日本オリンピック委員会が、この意向を踏まえて、適切な対応と努力をされることを期待する。」という意向伝達をいたしております。
 そして同時に、その説明の中で、国連の緊急総会での決議で、ソ連軍の即時無条件撤退、これが御承知のように百四対十八という圧倒的多数で可決されておること、それからイスラムの外相会議での集中攻撃、特にソ連を名指しで非難しているというような事実を挙げた上、コメントとして「人類の平和と友好を希求すべきモスクワオリンピック大会について、ソ連のアフガニスタンへの軍事介入、これに対する厳しい国際世論をはじめ現下の国際的な諸状況にてらして政府は重大な関心を持つ。」、それで「モスクワオリンピック大会の開催及び参加は、基本的にIOC及びJOCが決定する責任を有する問題ではあるが、政府としては、今後ともJOCとの間に所要の協議を行う必要があると考える。」というように意向を伝達いたしております。
 これに対して、日本オリンピック委員会の柴田委員長の見解として、「日本オリンピック委員会は、オリンピック憲章の根本精神に則り、オリンピック大会は世界の若人が友好と平和裏に安心して競技できる雰囲気と状態のもとに開催されなければならないと確信する。日本オリンピック委員会は、各国国内オリンピック委員会と連携をとりながら、この趣旨を確保するよう強く国際オリンピック委員会に要請したい。」というように返答しておるわけでございますけれども、政府として、こういう困難な状況の中で異例とも思われるようなJOCに対する意向伝達をしたわけでございますが、この真意のほどをお伺いしたい。特にアフガン問題、それから厳しい国際世論等の変化のない限り参加への自重を求めたものであると私は考えるわけでございますが、これをどう理解するか、まずお伺いしたいと思います。
○谷垣国務大臣 いまお話がございましたように、二月一日に政府といたしましてはJOCに対して政府の意向を伝えたわけでございます。
 先ほどお読みになりましたように、この意向伝達は私がJOCの会長にいたしたのでございますが、これは先ほど言われましたように、「オリンピック大会は、本来スポーツを通じてより良きより平和な世界の建設に助力し、国際親善を創り出すことを目的としている。従って、モスクワオリンピック大会について、政府は、ソ連のアフガニスタンへの軍事介入、これに対する厳しい国際世論等に重大な関心を払わざるを得ない。日本オリンピック委員会は、この事態を踏まえ、諸外国の国内オリンピック委員会と緊密な連携をとって適切に対処されたい。」、このことをJOCの会長に電話で私が伝えまして、後で書面をそちらに持っていったわけでございますが、これはいま申し上げましたとおりの意向でございまして、ちょうどこの時期はJOCがメキシコシティーで開かれまする各国のNOCの協議会に代表を派遣する直前でございます。
 同時にまた、レークプラシッドで行われますところのIOCの理事会、総会、これに対して出発をするその前でございまして、ここで言っておりますとおりに、オリンピック憲章の第一条、その目的等を考えてみましても、平和な状況あるいは国際親善、それをスポーツを通じてやるのだというそういう精神かふ見ても、今度の問題が起きて国際世論がそれに対していろいろと議論のある、そういう状況であるということに重大な関心を払わざるを得ない、そういうことをよく踏まえて、各国NOCあるいはIOCそれ自体の意思決定に努力してもらいたいという意思でございまして、今日に至りましても、まだ政府の意向は変わっていないわけでございます。
 その後、先ほどお話がございましたように、レークプラシッドにおけるIOCの総会後にキラニン会長の発表を見たわけでございますが、私たちの感じますところでは、通常のIOCの総会の後の発表と比べまして少し異なった点があるように見ております。
 それは先ほど委員が御指摘になりましたように、アメリカに対しての要望、ことにソ連の政府当局に対して、各国のNOCが困難な状況になっておる、したがって、それを打開するような努力等も含めての意向伝達をしておるという点が非常に通常の意思発表よりも異なっておる。それは政治といまのオリンピック委員会との関係があってでありましょうけれども、IOCとしては、モスクワ・オリンピックを開催することは決定いたしましたけれども、それにもかかわらず、世界の世論その他各国のNOCが困難な立場に立っておることについて、両国政府、ことにソ連政府に対してよくそのことを伝達してくれということでございますので、そういう努力あるいは各国それぞれの努力が今後どういうふうになるか、これは私たちも深甚な注意をもって見守っていかなければならぬことだと考えておるわけであります。
○宮下委員 仮にあの意向伝達の中で特別な状況の変化、すなわちソ連軍がアフガニスタンから撤退するということ等の変化がなくして、エントリーの期限までにJOCがモスクワのオリンピック参加を表明、決定した場合に、政府としてはどのような態度をとるのか。また、このコメントにもありますように、「政府としては、今後ともJOCとの間に所要の協議を行う必要がある」ということを述べておるわけでございますが、私としては、やはり政府の意向とJOCの意向が一致して結論を見るということがきわめて望ましいわけでございますが、何せ国際的な情勢の変化の中の問題でありますので、これは一概に予測はできませんけれども、そのように不一致のような場合に、一体文部大臣として、政府としてどのような態度をおとりになるかをお伺いしたい、このように思います。
○谷垣国務大臣 IOC及びNOC、日本の場合にはJOCでございますが、オリンピックをどこでどういうふうに開催するか、中止するか延期するか、これはIOC独自の判断ということに決まっておるわけでございますし、キラニンさんのその発表の中にもありますように、エントリーの日限までに各国のNOC、日本のJOCが参加するかしないかではっきり決めなければならぬ、こういうことでございまして、御指摘のとおり、このオリンピックの問題に関しては、JOCが参加するかしないかを判定をするのがたてまえでございます。JOCといたしましては、当然その決定をいたします中で、諸般の状況を勘案して決められることと私たちは期待をいたしておりますし、政府といたしましても、このいろいろな状況に対しまして、政府は政府なりの考え方を持つのは当然のことであろうと思いますが、参加するかしないかということの決定権そのものは、これはもう明瞭にJOCにあるということだと思います。
 そこで、御指摘のとおりに、相願わくば政府の意向もJOCの意向も一致した形であることは望ましいのでございますけれども、しかし先ほど来申し上げておりますように、あくまでもJOCがこれを自主的に決定すべきものである、こういうふうに私は考えております。
 それから、委員が御指摘になりましたもう一つ突っ込んでの、それならばモスクワ・オリンピックにJOCが参加すると決まったときに政府はどういうふうにやるんだということでございますが、これはいろんな変化もまだございますし、いまそういうことを前提にしての判断を申し上げることは少しまだ時期が早いのではないかという予断を許すようなことになりまして、私は実は避けたいと考えております。しかし、繰り返して申し上げますように、JOCのエントリーに対します最終的な判断が出されるということが、これが決定をいたす原則でございますので、政府としてはそれを認めるということになると思いますが、政府は政府としての意見をまたいろんな状況から持つことも、これもやはり当然のことでありまして、その間の諸外国の状況、JOCはJOCとしてとられました情報、国は国としていろいろの状況というものも、これはひとつ周密に連絡をしてまいりたい、こういうふうに考えております。
○宮下委員 大体そういうことだと思いますが、これは仮定の話になるかもしれませんけれども、現在オリンピックの参加に対しまして具体的にオリンピック選手団の渡航費あるいは滞在費あるいは選手強化費用等が日本体育協会等を通じて出されているわけですね。時間の関係上その額はお尋ねしませんけれども、私の聞いた範囲でも選手の渡航費、輸送費で約六千万強、それから日本体育協会等を通じて選手強化として七億六千六百万というような経費が計上されていると思います。これはそういうことはないことが望ましいというのは先ほど申し上げたとおりでございますけれども、仮に政府の伝達の意思と相反したような結論が出て、そしてモスクワに行かせるというような場合に、その補助金について一体政府は交付の執行を行うのか停止するのか。この辺も非常に重要な問題だと思うのですね。そこいらについてお尋ねをしたいと思います。
 同時に、今度は憲章九条にあるように台湾の加入問題その他がございまして、オリンピックは個人の競技で国家または地域の間の競技ではないという原則が掲げられておりますが、これを貫く場合に今後の国家助成について一体どのような態度をとるのか、歯どめをすべきなのかどうか、見解を伺いたいと思います。
○谷垣国務大臣 非常に微妙な問題であろうかと思います。確かに御指摘のとおりに政府はかなりの予算補助をいたしております。選手強化の経費と、またオリンピックに直接派遣をいたします補助金とは少し性格が違うと思います。選手の強化はいまもなお懸命に続けておるわけでございます。問題は、そのオリンピックに参加します補助金をどうするかということであろうと思いますが、これはいろんな状況が予想されることもございますので、いまここで明確にどうこうするということは、その予算執行あるいはエントリーの決定いかんの際にひとつよく考えていくべきだと思います。
 先般の予算委員会でもその点について御質問がございまして、報復的措置をとるかどうかというお話がございましたが、そういうような物の考え方で私たちは接しておるわけではございません。当然JOCの意向というものは尊重さるべきものだと考えておりますが、ただ果たしてそれが奨励するほどの値打ちがあるかどうかという判定の問題になりますと、これはやはりその執行のときに諸般の状況というものを判断する余地は残さざるを得ないと思いますけれども、これはしかしJOCが決定をする。本来そういうたてまえになっておりまするから、そのことも十分考えて尊重せなければならぬだろう、こういうふうに考えておりますが、具体的な措置その他はもう少し事態を見て考えていく必要があるんではないか、こういうふうに思います。
○宮下委員 いま直ちに仮定の問題について結論が出ないというのはよくわかりますが、政府の意向をはっきり示している以上、やはりその執行は政府の意思に沿ったものでなければならないということだけは申し添えておきたいと思います。
 それからもう一つは、IOC憲章の改正で、これは伝えられるところでございますけれども、一九八〇年のオリンピックから国家とか国旗、国歌という言葉が憲章から削られましたが、実際は民族の祭典という言葉に象徴されますように、国旗あるいは国歌のないオリンピックというものは、われわれの国民感情からいっても一般的には考えられないわけでございますが、JOCが国旗あるいは国歌をJOCのものとして採択して、これを今後使う、あるいは各国のNOCがそういうようなことで従前と変わりないと見ていいのかどうか。私はJOCが国歌、国旗をJOCのものとして使用することが妥当であると思うのでありますが、この点について簡単にお答えを願いたいと思います。
○谷垣国務大臣 そういう決定をしたということは承知をいたしておりますが、その内容について実はまだ詳細な情報が入っていない状況でございます。こういうふうに申し上げておりますのは、当面非常に苦労した問題として台湾の問題がございます。恐らくそういう憲章の変更をいたすのでありますから、単に目の前の問題の処理だけではないと思いますが、これは相当影響があることではないかと推測して考えておるわけですが、いま言われましたように各国のNOCが選ぶのでございますけれども、その際、各国のNOCが果たしてどういう判断をするか。たとえば委員がいま御指摘になりましたような各国が従来使っておりましたいわゆる国旗あるいはそれぞれの代表する国歌のごときものをそのままこれでいくのだといった場合にIOCはどういう答えをするかということも含めまして、一体今度の憲章変更がどういうバックグラウンドと事情でそういう変更になったのかという点も、もう少しよく見定めなければいけないのじゃないかというふうに実は考えております。
 この問題も結局IOC、JOCが決定すべき問題だとは思います。それはまたそのとおりだと思うのですが、政府として意見をどういう形で言うか言わぬかという問題、また言う必要のない案件かもしれませんが、どちらにしましても、もう少し何らかの情報が入ってくることが必要であるように考えております。
○宮下委員 それでは、オリンピック問題はその程度にいたしまして、大臣の教育に対する基本姿勢についてお伺いいたしたいと思います。
 まず第一は、今回の第九十一国会の再開に当たって総理が施政方針演説をいたしておりますけれども、この施政方針を拝見しておりますと、総理の演説の中で教育に割かれている部分は非常に少ないように私は感ずるわけでございます。特に教育問題については、田園都市構想あるいは家庭基盤の充実という形で触れられているにすぎないように思います。たとえば「田園都市国家の構想を進めていくに当たって」云々というようなことで、その具体的展開の方法として、「芸術、社会教育、体育など各種の文化施設の充実と活性化を図り、指導者の育成などを通じて、地域における文化活動の展開を促進してまいります。」というようなことが言われておりますし、また、家庭基盤の充実の点では、「何よりも居住環境の改善であります。」「私は、子供は未来への使者であり、文化の伝承者であると思います。その健全な成長に資するため、児童福祉施策の充実を図るとともに、ゆとりある学級編制を推進し、教育の諸条件を改善して、教育の自発性と活性化を促したいと思います。また、私は、国民の多くが生涯にわたって自らを啓発し、それぞれの能力と個性を伸ばそうという最近の傾向を高く評価し、そのための諸条件の整備と充実には、特に力を入れてまいりたいと考えます。」というようなくだりが教育に関する部分だと思うのです。
 私は、やはり教育に対する厳しい認識といいますか、あるいは国政の中でもっと教育を重視する姿勢がこの施政方針演説でも貫かれてしかるべきであるというように感ずる者の一人でございます。特に最近の国民の傾向を高く評価しというようなことで、教育に対する主体的な取り組み方が欠けているように思うのです。施政方針演説の原稿は、草案の段階で閣議にもかけられ、また、最終決定も閣議で決まるわけでございますので、文部大臣も当然関与しておるわけでございますが、大臣のこれに対する所見を承りたいと思います。
○谷垣国務大臣 私は、総理の所見の中にも重要な点について教育に触れておられるし、総理の政治に対する姿勢が、教育を何と申しますか、わきに見ているというふうには感じておりません。私自身は、こういうように日本が武力がある国でもありませんし、こういう国が将来ともに発展していくためには、何と申しても教育、人の問題が国政の基本でなければならないと考えております。しかもそれは、言ってみると頼もしい日本人と申しますか、そういう国民を教育の場で期待しながら養成をしていくことができれば非常にありがたいことだし、そうなければならぬ。また同時に、日本の将来を考えてみましても、閉鎖した形でやっていけるわけはございませんので、世界に向かって開かれた形の人材をつくっていく必要があるのだ、こういうふうに考えております。
 もちろん、こういう日本の置かれた状況でございますので、科学技術の問題につきましても、これはもう非常に力を持っていかなければいけませんけれども、いわゆる教育の基本になる人づくりの立場から申しまして、いま申しますような知育も体育もまた徳育も含めた頼もしい、しかも世界に開かれ得るような人材をつくっていくのが絶対に必要であるし、これが日本の国政の基本でなければならない、こういうふうに私は考えまして全力を尽くしたいと考えておるわけであります。
○宮下委員 大臣の決意のほどをお伺いして、世界に開かれた日本人あるいはその日本人の教育ということで、まことに私も同感でございますけれども、無資源国の日本が今日ここまで経済成長を遂げてきたというのも、国民の勤勉さあるいは優秀な資質の上に加えて教育の力があったからだと私は思います。それから明治時代、近代国家を形成して世界に伍するようになったのも教育の力であり、また第二次世界大戦等で判断を間違った、それもまた教育のしからしめるところではなかったかというようにも感じますし、いま言ったように高度成長も教育があずかって力があったと思います。これからわが国経済は、高度成長からだんだん低成長時代へ入ると言われております。量よりも質の時代に入ると言われております。従来の何でもつくれば売れる、あるいは大学を出さえすればどこでも就職できるという時代は去ったように思います。
 それから、いま大臣も国際化、世界に対して開かれたということを言われましたけれども、私もそのとおりだと思うのですね。国際的な困難な諸条件がこれから予測されますが、その中で国際競争に打ちかっていくというためには、やはり世界の中の日本あるいは日本人として尊敬されるような国民にならなければならない。このことは、もちろんその技術面とかにおいても創造性豊かな資質、条件が要求されると思いますけれども、これから非常に困難な環境が内外ともに予想される一九八〇年代の教育のあり方について本当に真剣に考えていかなければならないと思うのです。とりわけ知識教育あるいは技術教育というものは定着してきた感がありますけれども、これからの厳しい国際環境の中で生き抜くための国際人としての日本人の育成というふうな観点から見て、教育は必ずしも十分でないような感じがいたします。独善的な教育であってはなりませんけれども、筋の通った日本人の育成、言葉は悪いかもしれませんが、魂の入った教育が必要であるというように私は感じております。そうしたことについての大臣の所見と、同時に、私は、教育で一番問題は、現在の日本というのは国の基本方向あるいは進むべき国家目標というものが不明確である、このことがひいては教育の指導方針を不明確にして教育の現場を混乱さしているというような面があるんじゃないかと思うのでございますけれども、この二点について特にお伺いしたいと思います。
○谷垣国務大臣 私は、教育の基調は、人それぞれ個人の創意を伸ばしていくということ、自主性と創造性を養成し、これを高めていく、これが教育の基調だと思います。そしてなおかつ社会連帯性と、先ほどお話がございますような世界に向かっても開かれておるという、そういう人間像を考えながら教育をしていくということ、個人のそれぞれの創意と能力を引っ張り出していくという、そういうところに教育の基調を置くべきである、私はこういうふうに考えておるわけでございます。
○宮下委員 ここで、私は先ほど教育の現場を混乱さしているんじゃないかというようなことを申し上げましたけれども、一点だけお伺いしておきたいのですが、日教組の倫理綱領について大臣はどうお考えになるか。特に、私は今度こちらへ出てきましていろいろ資料を拝見しますと、四十九年の三月に国会に提出された資料がございます。これはこういうパンフレットでございますけれども、「日教組が社会主義革命に参加している団体と自ら規定していると受けとられる資料」の概要ということで、国会の要請に基づいてこのパンフレットが配られておるわけでございますが、まずこれを見ますと、非常にびっくりするようなことがたくさん書かれておるわけです。それは、日教組は倫理綱領とそれに関連する資料において「教師の使命と教育の目標は、社会主義社会の実現にあるとしている。」、そしてこれを基本理念としているというようなことが第一ですね。
 それから第二は、日教組は倫理綱領において、この基本理念に基づいて、青少年は社会主義社会の実現のための担い手として育成されなければならないとしているという点です。
 それから第三点は、日教組は倫理綱領において教師は労働者であると想定し、運動方針において組合は「資本および資本家階級の政府とたたかう大衆組織」であり、日教組は「反独占、階級的労働運動の立場に立つ」とみずから規定しているというようなことを言っております。
 詳細は避けますけれども、この中で非常に重要な点が指摘されて国会に文部省の見解として提出されておるわけでございますけれども、四十九年に提出されて以来、この倫理綱領に対し、あるいは日教組自体の変化があるかどうか、まずお伺いしたいと思います。そして変化がないとすればきわめて事は重大であると思うのでございます。教育の政治的な中立あるいは教育基本法の精神に反するということで重大な問題だと思うのです。法治国としてこれはなかなか許せない事態だと思いますが、大臣はいかがお考えでありますか。
○谷垣国務大臣 国民は、教師に対しまして広い教養、人間性豊かな教師、教育的な愛情、教育者としての使命感、子供たちを十分に指導する充実した指導力、こういうものを願っておると思います。単に知識の切り売りということではなく、生徒児童との心の触れ合うような、そういう教師を国民は期待をしておると私は考えております。これはいろいろ見方があろうと思いますが、率直に国民の立場から見ればそういうふうに考えると思いますし、私もまたそういう教師であってもらいたい、こういうふうに考えておるわけでございます。文部省といたしましても、こういう国民の期待しておるような教師であるように教育委員会等を通じていろいろと指導していきたい、こういうふうに考えておるわけであります。
○宮下委員 私の先ほどの資料に対する直接のお答えはなかったわけでございますが、これは文部省として公然と国会に資料として提出されておるわけですね。したがって、こういうことが何となしに言われておるということはわかっておっても、こういう文書になっておるということは私も初めて知ったわけです。これは野党の資料要求によって出されたものと思いますけれども、こういうことがもしか変化がないとすれば、もっともっと国民にはっきりこれを知っていただく必要があると思いますね。そのことが大臣の言う国民の期待する教師というものを養成するゆえんでもあろうかと思いますので、この点はぜひそういう方向で国民に知っていただくよう努めていただきたいと思います。
 なお、こういう姿勢である日教組と大臣はお会いになって、そういう是正を求めるとか、今後のわが国の教育にとって重大な問題でございますので、一体そういう御意向があるかどうか、お伺いしたい。
○谷垣国務大臣 日教組は、もちろん現実に日本の教育に対しても大きな影響を持っておる団体でございます。したがいまして、必要に応じまして日教組の皆さんとも意見を交換することは、私は必要だと存じております。
○宮下委員 もう一つ教育の基本問題でございますが、教育と財政基盤の関係でございます。
 教育投資というものは直ちに教育効果があらわれないという点がございますけれども、先ほど申しましたように、国家百年の大計ということで教育投資ということは真剣に考えていかなければいけないと思います。
 先般の文部大臣の所信表明の中でも、五十五年度予算を通じまして諸般の施策が講ぜられておるということについて意見が述べられておりますし、特に予算編成を通じて四十人学級の問題あるいは私学振興、学術振興あるいは教科書無償の維持等、大臣が非常に努力された点については敬意を表するわけでございますけれども、特に文部省の予算はほかの各省の予算と違いまして文部省の一般会計、それから国立学校特別会計を通じて純計の伸びも六・二%というようなことで、一般会計の国債費、地方交付税交付金を除いた一般歳出の伸びが五・一%であるという点に比べれば、できばえとしては私は上等だと思うのですが、なお今後とも一層の御努力を願いたいわけであります。
 ただ、文部省の予算というものは、分析してみますと人件費が大半であります。義務教育国庫負担金が二兆円強、それからまた国立学校特会の繰り入れも、いろいろ研究費等の繰り入れ部分もございますけれども、大体人件費が大半を占めておる。あるいは私立学校の助成費も、これも内容は経営補助でございますけれども、大体七割から八割弱、これが人件費で占められているということでございます。問題は人の事業、事業と言ってはなんでございますが、人を中心にした予算でございますので、まずその内容面がどうしても充実されていく、教育者の養成とか、そういうことが非常に重要なことだと思うのです。そこで、今後ともそういう角度から教育投資というものを考えて、ひとつ御努力を願いたいと思います。
 そこで、時間の関係上各論に入らせていただきますが、まず第一は家庭教育でございます。私は生涯が教育の連続であり、しかもそうあらねばならないと感じております。家庭における教育あるいは学校教育、社会教育とそれぞれ重要な機能を持っていることは申すまでもございませんけれども、私はその中でも、家庭教育の重要性というものをこの際特に指摘しておきたいと思うのです。
 家庭教育というのは、青少年の人間形成の全体にかかわっている上に、その基礎をなすからであります。総理の施政方針演説の中で、先ほど触れましたように家庭基盤の充実ということが言われております。また家庭の日を設けるというような動きも報ぜられておりますが、先ほど言いましたように、総理の言う家庭基盤の充実というものは、居住環境の改善とか老後保障あるいは福祉の充実の観点が先行しており、教育的な視点を中心にして構想されたものでないようにも受け取られる面がございます。最近における経済成長あるいは急激な社会構造の変化、そういうことによって一家族当たりの子供の数が非常に減ってきておる。あるいは核家族化と言われるような傾向が深化している。マイホーム主義あるいは世代の断絶、それから家庭はきょうだいが多ければ集団的訓練の場としての意味を持ちますが、そういうものも機能が低下してきておる。あるいはラジオ、テレビ、マスコミ等の影響が青少年の意識の変化等に多様な影響を与えておる。家庭をめぐる環境の変化というものは、われわれの想像以上のものがあるように思うわけであります。
 そこで特に申し上げたい点は、こういう核家族化とか夫婦共かせぎとかいう伝統的な家庭の変化ないし崩壊、それから来る家庭の機能の低下、そういうものに対して実際問題として親がどう対応していいかわからないというのが実情じゃないかという感じがいたすわけであります。大臣は、この点どういうようにお考えになるか、見解を承りたい。
○谷垣国務大臣 御指摘がありましたように非常に大きな変化がございまして、そのために家庭そのものの変化があるわけでございます。当然そこで家庭教育というものの従来のパターンが崩れつつある。新しいパターンをどういうふうにして確立していくかというところにいろいろな努力、苦悶があるように思います。大きな人口移動あるいはまた家庭の内部におきましては、生活の関係から母親が外で働くというような傾向が強まっておりますし、家そのものも小さい。それから第一子供の出生率がもうずっと定着して少のうございます。したがいまして、家庭教育あるいは家庭の周辺においての子供たち自体の世界が変わってこざるを得ない状況がございまして、非常に大きな影響があることは御指摘のとおりでございます。
 これにどういうふうにして応対していくか、ときには親が子供の家庭教育をするのに一体どうしたらいいのか戸惑うこともあろうかと思いますが、しかし私は、そこはひとつ母親なりまた両親なりがしつかりしてもらわなければいけないと思うのであります。家庭の環境はずいぶん変わっておりますが、しかし依然として家庭教育の基本は親にあると私は思います。親自身がギブアップしてしまって子供の教育をほかに任せるということにはならぬと私は思いますけれども、そういう気持ちではないと思いますが、やはりあくまでも親が家庭教育の中心であるということには間違いがないし、またそれをギブアップすべきものではない。
 ただ、私たち教育の関係におります者としては、その両親に対しまして適切なガイダンスがどうしてできるかというところに問題があるのではないかと考えております。社会教育の部門におきましていろいろな施策を及ばずながらやっております。テレビその他における定時的な家庭教育における示唆をした放映等の問題を初めといたしまして、いろいろな母や子供の教育のためのあれをやっておりますが、これはまだそれで十分であるとは考えられません。先ほど総理の意見として出ておりますように、いわゆる住宅問題等も含めまして大きく家庭環境が変わっておるという中で、どういうふうにしてこれに対応して、あるいは克服していくかという問題でございますので、多くの試行錯誤はあるかと思いますが、それに対しての努力を具体的に進めてまいりたい、かように考えておるわけであります。
○宮下委員 大臣のおっしゃるとおりであろうと思うのですが、ここで特に幼児教育に対する両親の学習、これをぜひ積極的に進めなければならない、家庭教育を内容とする成人のための教育をもっと重視してもらいたい、これは社会教育の面でいまお話しのようにいろいろ施策が講ぜられておることも承知しておりますけれども、特に母親教育が私は大切だと思うのです。また体育、スポーツ等を通じていろいろそういう面の教育的機能を果たしていくというようなことも重要だというように考えておりますが、ぜひこの面に力を入れてもらいたい、このように思います。
 最近の青少年の非行の問題でございますが、最近青少年の非行、自殺等、考えられないような事件が多発いたしております。私も統計を見てびっくりしたのですが、ここ十年くらいの間をとってみても、刑法犯少年の総数の推移を見ますと、四十五年に十一万三千人くらいございましたが、五十三年ではそれが十三万六千人にもふえておる。千人に対する割合が、十・二人であったものが十三・六人にふえておる。また、その中身を見ますと、中学生、高校生の割合が六七%も占めておるわけです。したがって、これは学校教育に非常に問題があると思うのですけれども、先ほど述べたような諸種の社会的条件の変化あるいは環境の変化から知情意のバランスが崩れてこのような現象が起きていると思うのですが、ぜひこうした点も頭に入れておいていただきたい。
 特にこうした状況に見合った教師のあり方、また教師と家庭との密接な連携、さらに基本的にはこうした変化に対応するしっかりとした教師の育成という問題が基本であろうと思います。それで家庭との連携をよく深めてもらいたい、こう思うわけでございます。家庭教育は、私が冒頭申しましたように一番中心でございますので、家庭教育の意義と役割りを再認識して、家庭の本来の教育機能が十分発揮されるように強く望みたいというように考えております。
 次に、それに関連いたしまして幼児教育でございますけれども、最近幼児教育の重要性が認識されるに至っております。特に幼稚園の拡充整備ということが強く要望されております。幼稚園は学校教育法に基づく学校であります。その使命は、健康な体力づくりでありますとか、あるいは社会性を育成する、あるいは知的好奇心の涵養を正しく行っていく、また正しい言語生活を導入していくとか、豊かな情操を育成するというようなことでございますけれども、特に四十六年の八月に中教審の答申がございます。私は、この中教審の答申というのを注目して見たのですが、幼稚園教育に非常に力点を置いて答申がなされておるわけで、しかも幼稚園教育の振興計画の第二次計画が策定されるということで、今後の幼稚園振興計画の基本方針が示されて、五十七年度までには保育所の措置児童等を除いて幼稚園に入園を希望するすべての四、五歳児は就園できるということを目的とする整備計画がつくられておりますが、一体現状はどうであるか、お伺いをいたしたいと思います。
○谷垣国務大臣 御指摘のとおりに幼児教育は非常に重要だと思います。それから中教審の答申、四、五歳児の幼稚園入園を希望しておる者を全員収容していかなければならぬということで計画を進めておるわけでございまして、御指摘のような重要性を十分承知をいたしております。
 現状につきましては局長の方からちょっと御報告させていただきます。
○諸澤政府委員 御指摘のように五十七年度の当初までに四、五歳児の全員就園を実施し得るような幼稚園の整備計画を進めてまいったわけですけれども、昨年の五月一日現在のところでは、五歳児については就園率六六%弱、それから四歳児が五一%ということで、希望する者全員就園といいますと、保育所等の就園者がありますから約七〇%というのを達成目標にしておるわけでございますが、そういう見地からしますと五歳児はほぼ計画どおり、四歳児についてちょっと計画よりおくれておるという現状でございますので、なお一層努力をしてまいりたい、かように考えております。
○宮下委員 先ほど言いましたように、幼稚園は学校教育法に規定する学校であって、保育所は児童福祉法に基づく施設で、保育に欠ける乳児、幼児を保育することを目的といたしておりますが、実際に各県の状況を見ますと、保育所を保育園と称して幼稚園の機能を代行させているということでございます。特に五歳児について仮に見ますと、幼稚園の就園率が一番高いのは沖繩で、幼稚園が九六・四、保育所が〇・八ということになっておりますね。また、保育所の在籍率の非常に高いのは高知県でありまして、保育所が六七・四%を占め、幼稚園は二一・二%です。非常にばらつきがあります。私の長野県のごときは、幼稚園が少なく幼稚園就園率は四十六番目で、保育所が六九%、幼稚園が二三%というような状況でございますが、全国の平均で見ますと保育所が二五・四%、幼稚園が六四・四%ということに相なっております。
 まず第一にお伺いしたいのは、幼稚園と保育所の一元化問題です。これは問題が指摘されてから長く久しい歴史を持っておりますけれども、特に五歳児につきましては教育と保育というのを明確に区別して、そしてその調整を図るべきであるというように私は考えております。この点についての大臣の所見をお伺いしたい。
 それからもう一つは、この幼稚園の中で設置者別に幼稚園の現状を見ましても、幼稚園数がいま約一万四千六百くらいあるようでございますが、公立が六千、私立が八千六百となっております。また、私立幼稚園の中身を見ましても、学校法人のほか個人幼稚園のウエートが非常に大きいというのが現状でございます。私は、幼稚園の振興計画の中でもっと小学校の空き教室等を利用した公立幼稚園の振興をすべきではないかというように思います。これが幼稚園に対する父兄負担の軽減にもなるし、非常にいい施策じゃないかと思うのですが、この点についてお伺いしたい。
 それからまた、その公立幼稚園を振興する場合にも、給与措置もいまは交付税の中で本当によく見てあるかどうかわからぬというような程度で措置されておりますけれども、義務教育国庫負担に準じたような措置がとられてしかるべきであるというように考えます。それが第三点。
 第四点は、教育内容も、実際の幼稚園は知的教育を重視するもの、あるいは情操教育を重視するもの、放任的にやるもの、そうでないもの、いろいろございますけれども、小中学校には学習指導要領というのが定められておりますが、幼稚園も教育内容の標準化を図っていく、そういう方向で充実を図るべきであるというように考えておりますが、それらの諸点についての大臣の所見を承りたいと思います。
○谷垣国務大臣 この幼保一元化の問題がいろいろ言われておることはよく承知をいたしております。いま文部省の方と厚生省の方と相談をいたしまして、学識経験者の諸君にお集まりを願って、一体幼稚園と保育所との関係をどういうふうにやっていくかという懇談会をここ一両年続けて、十数回にわたって懇談が続いておるわけでございますが、まだその結論は出ておりませんけれども、これはひとつ十分議論をしてもらって、私たちは重要な参考にさせていただきたいと思っております。
 先ほど御指摘がございましたように、この両方はそれぞれその施設をつくりました目的、経緯が異なっております。したがいまして、言ってみますと、幼保を完全に一元化してしまうという形の考え方から見てどうだということと、それから現在の幼保がそれぞれに動いておるその中でどういうふうな合理的な調整ができるか、行政的に見ますと、こういう二つの立場で接触ができるのではないかというふうに考えております。
 それで、いまは、御指摘がありますように、幼保そのものをすっかり基本的に一元化をしていくということは、少しまだ私たちはその決心を持つには至っておりません。それよりも幼稚園と保育所というものがそれぞれの機能を果たしておって、その間に、先ほど御指摘がありましたように、保育所においても確かに教育的な立場でやらなければならない部門があるわけでございますので、その分野において保育所におけるいろいろな指導の中に教育的な観点も含めたものをやってもらいたい、またやるべきである。これは教育の観点から見てそういうような指導要領もできておるようでございますし、また、御指摘がありましたように、地域的な問題も考えていかなければならないと思います。そういうことでいま進めてまいっておりまして、いまいわゆる一元化して一つの制度にうまくできるかどうかという問題は、まだその自信がございませんので、現在の幼保がそれぞれの立場でやっておる中で、どういうふうに両方の相補うものがやれるかということでやってまいりたいと考えておるわけであります。
 それから、先ほどいろいろお話がございました幼稚園における幼稚園の先生方の給与の問題その他、これは大体御趣旨のように進めておると思いますが、局長の方から答弁をさせていただきたいと思います。
○諸澤政府委員 御指摘の第一点は、幼稚園について公立幼稚園の設置促進ないしは公立学校の既存校舎の利用等の面でもう少し考えられないかというお話であったかと思うのですけれども、御指摘のように、現在の総数では公立幼稚園は約四〇%でございます。実は四十七年からの十年計画の中身としては、十年間に公私立合わせてたしか六千園つくる計画だったのですが、計画ではそのうち四千園は公立にしたいということでやってまいりましたけれども、実情としましては、ちょうど四十九年のオイルショック以来ちょっと公立の設置がスローダウンしているというようなこともございまして、これは五十五年度の施設費の予算でも公立と私立について同じ比重で考えておりますけれども、なお公立幼稚園の設置促進について努力をいたしたい。
 それから、公立学校の校舎が余ったものを利用してというお話につきましては、確かに私どもそういうことを十分考えなければいけないわけですけれども、実態を見ますと、たまたまそういう地域は、要するに子供の数が減っているところでございますから、私立の幼稚園などがありますと、それとの競合関係などがあって、どういう場合でもうまくいくということではございませんけれども、考え方そのものとしては十分頭に置いて努力してまいらなければならぬ方向だろうと思うわけでございます。
 それから、幼稚園の先生について公立小中学校の先生と同じように半額国庫負担にしたらどうかというお話につきましては、確かに現在の公立幼稚園の先生の給与は、たてまえとしては小中学校の先生の給与と同じ俸給表を使うことになっておりますが、現実にそうなってない。なってない理由は、いま御指摘のような点が一つの大きな原因だと思うわけでございますが、ただ、現在の文部省のこういう公教育にかかわる財政負担の考え方としては、御承知のように、義務教育についてと、そうでない幼稚園、高等学校はちょっと考え方が違うという基本がございますので、財政当局などもそういう考えがかなり強いわけでございます。これからも先生の御指導をいただきながら、この問題を検討してまいりたいと思います。
 それから最後に、指導要領の問題ですけれども、確かに幼稚園と小中学校では、小中学校の指導要領というのは、言ってみれば学科の勉強について段階的に系統的に内容を積み上げていくというようなものが主体をなしておりますけれども、幼稚園の場合は、情操教育であったり体育であったり、しつけであったりということからしまして指導要領とは言っておりませんけれども、幼稚園教育要領というものの中身は、どちらかと言えば、そういう教育活動の際の留意点を記したというようなことで、そういう意味では四歳児の指導要領、五歳児の指導要領というふうな段階的なものはございません。
 そこで、私も一時は幼稚園も小中にならって指導要領的に考えたらどうだろうかということを考えたこともあるわけでございますけれども、幼稚園関係の先生方の御意見を聞きますと、大多数は、むしろいまのままの方がよろしいんじゃないか、あれを十分生かしながら、あれに沿って個々の幼稚園の先生の工夫によって教育活動を展開してもらった方がよろしいというようなことでございますので、現在のところはそのままで考えておるわけでございます。
○宮下委員 時間が余りございませんので突っ込んだ議論ができませんけれども、次は義務教育、初等中等教育について私の感じた点を質問申し上げたいと思います。
 義務教育は教育体系の中の基本であって、最も重要な段階であることは申し上げるまでもございません。この点については、わが自由民主党が過去において学校教育法の一部改正によって、四十三年から六年かかって教頭の地位を明確にして管理体制の充実を図った。それからまた、いわゆる人材確保法の成立を図って、主任制度とあわせまして給与のベースアップを図っておるというようなことで優秀な人材確保のための特段の配慮を加えてきたのは御承知のとおりでございます。
 しかし私は、こうした努力にもかかわらず、なお教育現場の現状については不安を感ぜざるを得ないという面が多分にあるように思います。特に教育は人なりと言われますが、正しい教師の質を確保するということが最大のポイントであろうかと思うのでございます。子供は教師を選べない。子供にとっては、たまたま担当となった教師がすべてでございます。そういう意味で、教師は広い教養あるいは豊かな人間性また深い教育的な愛情あるいは教育者としての徹底した使命感あるいは充実した指導力等々、人間的な心の触れ合いというようなものを持った本当の先生の教育こそ非常に重要なことだと思うのです。私の小学校時代の恩師、これはそれ以後の教育過程の中においても一番影響力を持っているというようにも私は思っておりますけれども、それほど義務教育段階の先生というのは重要だろうと思います。現場における本物の教師をいかにして養成、確保していくか、これは非常に重要な点でございますけれども、これについての大臣の所見をお伺いしたいのと同時に、本物の教師を養成するためには健全な教職員団体というものを育成、補助をしていかなければならない。現在中央教育団体九十二団体、地方教育団体五十六団体くらいございますが、三億三千万ばかりの助成費を出しておりますけれども、現場の研修とかそういった健全な教育団体の育成が非常に私は重要だと思いますので、そういうことも絡めて大臣の所見を承りたいと思います。
○谷垣国務大臣 いま委員の御指摘がありましたように教育は人にある。そのとおりだと私も考えるわけであります。ことに義務教育の時代における教師の役割りは非常に大きいと思いますし、教師の質の向上と申しますか、いい教師をとにかく養成をしていくということがいまの一番大きな問題であると考えております。そのためにはいろんな方策が考えられなければなりませんが、ことに諸種の研修関係におきます施策を進めていかなければなりません。いまも初期の研修あるいは一定の経験を経ました後の研修というようなものに対しましてそれぞれの施策を講じておりますし、また御指摘がありましたような自主的な研修がそれぞれの教育団体で考えられることがあるわけでありますが、これに対しましての助成も考えて実施をしておるところでございますので、今後ともこれは充実してまいりたい、かように考えております。
 また同時に、いわゆる教育者を養成いたします教員養成のための大学等がいよいよ出発をしたわけでございますので、こういうものがますますそういう方向に対して力が出てくることを期待をいたしておるわけでございます。
○宮下委員 大臣の所信表明によりますと、小学校については本年四月から新学習指導要領による教育が実施され、中学、高校も逐次指導要領の改定が行われるというように聞いておりますが、簡潔に言って新指導要領の最大のポイントは何か、これをお伺いしたいと思うのです。
 私は、ゆとりのある学校生活の実現は結構でございますけれども、もっと心身を鍛えること、向上心を起こさせるというようなこと、あるいはまた、いい意味で競争の原理というものを働かせるような充実した教育内容というものを期待しておるわけでございますが、この点について簡潔に大臣の御意見を伺いたいと思います。
○谷垣国務大臣 いよいよこの四月から小学校におきます新しい指導要領が出発をするわけでありますが、その根本の考え方は、基礎と基本をしっかりと身につけさせるということ、そしてゆとりのある充実した教育にしたいということで、心身を鍛えるようなところにも若干余裕のある時間を充てていく、こういう考え方でございます。
○宮下委員 次に、学校給食の点についてちょっと触れたいと思うのです。
 学校給食は近年かなり普及してきております。特に完全給食、いわゆるパン、ミルク、おかずのセット給食ですね。完全給食は小学校の場合でも学校数で九二%、児童数で九七%、中学校はやや落ちておりますが、五割から六割という普及率を見ております。
 戦後アメリカの余剰物資である小麦あるいは脱脂粉乳によって給食が始められたことは事実でございます。そして、それが過去におきましては、児童生徒の体位向上あるいは国民の体位向上というものに果たした役割りは、私は非常に大きいと思うのでございます。そのころは米も非常に不足しておったというような食糧事情の中で給食が始められたわけでありますが、現在になりますと、大臣も農林省御出身でございますから言うまでもございませんけれども、非常に過剰米が発生して、米の需給のバランスが崩れておるという中にあって、需給調整は何としてもしなければならない。しかし、生産の調整もさることながら、消費の拡大ということが大きな問題として言われておるわけでございますが、私はこの小中学校時代にでき上がった食習慣というものが一生を支配するだろうと思うのですね。そしてパン、ミルクで育った戦後の児童生徒がいわゆる社会人になっていく、そしてパンの方がいい、米は食わないんだというようなパターンにだんだんなってきているように思うのでございますが、学校給食はその目的からしてパン、ミルク、おかずでなくてはならないかどうか、その点が第一点。
 それから、学校給食で消費する量は、仮に週五回米飯給食を実施したとしても二十五万トンくらいだというように想定されております。五十四米穀年度で六百五十万トンの過剰米がありますが、それに比べますと二十五万トンという量は、まことに微々たるものであるということにはなりますけれども、この波及効果というものは非常に大きいと思うのです。したがって、この波及効果まで入れますと、やはり米消費拡大の最大ポイントは学校給食にあるというように私は感じております。この点について大臣の考えをお伺いしたい。
 それから、時間がございませんので一括して質問をいたしますけれども、学校給食の普及計画というのがあります。これによりますと、五十六年度までに完全給食実施校においては週二回程度の実施を目途とするということでやられておりまして、五十六年度には玄米所要量が十一万四千トンという計画になっておるようでございます。しかし、現実にはこの週二回というのは少な過ぎると私は思うのです。少なくとも週五回は徹底して米飯給食の普及をすべきではないか。現在週五回以上やっているのはたった二・六%、六百校程度にすぎません。目標が週二回普及では本当に不十分な計画ではないかと思うのです。この際、大英断をもって米飯給食の普及にぜひ努められたい、そしてその計画ももう少し前倒しにして週五回ぐらいを目標にしたものにしていただきたいと思うのです。
 これにはいろいろ問題があろうかと思います。炊飯施設の問題とか、手間がかかるとか、あるいは食器洗いがどうだとかこうだとかいうようなことがございますけれでも、食管の赤字の現状からして、これを飼料にするとかあるいは輸出するという損失に比べれば、十億か二十億使ったって、早期にやってもこれは計算上決して損ではないわけです。しかもまた、炊飯後の児童生徒の食器洗いその他も、これは教育内容の一部として考えればいいわけで、煩瑣であるからといって避けるべき問題ではないと思うのです。
 こうした点で、農林省出身の大臣として学校給食にぜひとも前向きに取り組んでいただきたいと思うのでございます。ただ米が余ったからそれを食わせるというのではなくて、日本の食生活のあり方として積極的な意味を認めて米飯給食の推進を図っていただきたい、このように思いますが、所見をお伺いしたい。
○谷垣国務大臣 宮下さんから大変激励を受けましてありがたいと思っております。御指摘のとおりこれは決して米が余ったからというのではない。もちろん余ったことは一つの大きな考えなければならぬ問題でございますが、これはもう教育的な見地に立ってのことでございますし、まあ経緯は別といたしまして、確かに最初は栄養不十分になる者を助けるためにアメリカからの救恤物資から始められたわけでございますが、やはり日本の国土でできましたものを主食にするというのは、これは自然な人の生き方でございますし、まだ日本人は米にまさる主食を発見をしていない現状でございますので、教育的な見地から見ましても、もっと米飯というものを見直していくべきであるし、御指摘のようにそういう習慣をつけるかどうか、また米というものに対して一つの認識を深めるかどうかということは理屈じゃございませんで、実際の食生活の中からはぐくまれていくことだと思いますので、そういう意味におきまして、どっちかといいますと米飯給食に私たちは教育的な効果を過大に見積もっておるのかもしれませんが、重要な意味があるという考え方で進めていかなければならぬと思います。
 それから、いま御存じのとおり五十六年には週二回給食というものを完成させたいと思っておりますが、まだ残念ながら学校数で四四%。これは五十四年度の状況でございますが、実際やっております児童数で二八、九%ぐらいの程度しかいっておりませんので、これを進めていかなければならぬと思っております。
 原因はいろいろあると思います。先ほど御指摘になりましたような炊飯施設の問題あるいは労働力が要る、パン食であれば簡単にそれが手に入り得る体制になるけれども、米そのものは炊飯の過程が必要だというようないろいろな問題がございます。しかし、とにかくそういう問題も含めながらこれは前向きに考えていかなければならぬ、こういうつもりで取り組んでまいりたい、かように考えておるわけであります。
○宮下委員 学校給食の問題はそういう角度からひとつテンポを速めてぜひお願いしたいと思います。
 次に、学級編制の問題で、今度四十五人編制から標準法を改正して四十人に持っていこう、十二年間で四十人学級にしようということで決定を見ておりまして、これはいろいろな問題を含んでおるにせよ非常に大きな前進であると思うのです。
 この際一、二点確かめておきたい問題がございますが、十二年間で四十五人から四十人にするということでございまして、これは政令で定めて毎年やることになっておりますが、おおよその各年度の目標を一体どのように考えておられるか、お伺いをしたい。お伺いするところによると、最初僻地等の児童生徒が急減するような地域で優先的にやるということですが、これは考えようによりますと雇用問題を重視し先行させた考え方じゃないか、むしろ都市周辺等非常に学級が満杯になっておるところ、教育効果の点からするならばやはりそういうところを優先すべきじゃないかとも考えますが、こういう点についての御見解を承りたい。
 それから、教育効果を決定するものは、先ほど言いましたように教師の人格と識見であると思うのです。この点企業は懸命の努力をして人員を縮小する、あるいは国、地方の財政も破綻しそうな状況の中で行政改革なりあるいは定員の削減の問題等が厳しく追及されている現状でございますので、この決断自体非常に大きな問題でございますので、この重要性を大いに認識して、そして国民の間にも、単に教員の数をふやすのは聖域だからということでなしに、教師の質を高めるということと表裏一体のものとして、ひとつ国民の皆さんに認識してもらうようなPRをぜひしてもらいたい。
 それからもう一つここで注意しておきたいのは、先ほどちょっと触れましたが、雇用問題と教育、福祉等の公的サービス部門における人員吸収の問題でございますけれども、非生産部門といいますか、非市場部門に優先的に雇用を吸収するということは経済の成長を鈍化させるということ、それから経済の活力を失わせるおそれがあるという指摘もございます。私は、四十人学級問題は決して雇用問題として解決したものではないと信じております。教育効果の点からぜひ必要なものだと考えておりますが、そういう見解もございますし、先ほど申しましたように何よりも教育効果を重点にして考えていくべき問題でございますから、その点は十分注意していただきたいと思うのでございますが、これらの点について大臣の御所見をひとつ承りたいと思います。
○谷垣国務大臣 四十人学級の問題は、むしろこの委員会が長い経緯を踏まえて、また決議等も賜って、私たちも努力をさせていただきまして、ようやく来年度から実現を見ようとするものでございます。四十人学級をいたします際に、私たちは、このことによりまして教師と児童との緊密な関係というものがますます強まっていくし、児童生徒の一人一人の個性を引き出してそれに適した教育ができてくる、こういう観点からこの制度の導入に踏み切ったわけでございます。したがいまして、御指摘がございましたようにいろんな問題がございますが、教師そのものの質の問題が非常にこの次には重要になってまいってくることは当然でございます。十二年という、言ってみますとかなり長期の見通しをしてのことになりましたことはいろいろ問題がございますが、現実にいま直面しておりまする財政的な困難さということもやはり考えていかなければなりませんし、また、教育そのものがある程度の長期性を持って見通しをつけてやっていかなければならぬ、この両方を考え合わせましてこういう計画をとったわけでございます。したがいまして、当初の出発をいたします際に、ほぼこの三年の間は生徒増が余りない地域、またそのために必要な教室の増築を余りやらなくて済むような地域を選んだような形になりました。また、一年生から先に始めて順次やっていくというようなそういう方式をとる。こういうことになりましたのは現実の状況を見ましてのことでございまして、一番初めから人口が稠密な急増地帯に入り込みますためには地元に対しましての負担も相当大きい状況がございましたのでそういう方式をとったわけでございます。
 先ほど雇用問題との問題の御提起がございました。もちろんこういうことも考えていかなければなりませんが、しかしやはり長い間皆さんの御主張もございましたように、教育的な立場から見て四十人学級というものが長い間の懸案であるし、その基本は一人一人の生徒児童の個性を生かしていく、そういう教育をする場所としての環境整備としてはこれが非常に重要であるというところに重点があるわけでございますので、その趣旨は通していかなければならない、かように考えておるわけでございます。
○宮下委員 総理の施政方針演説の中に、六十年度までには週休二日制の普及などを含めて西欧諸国並みの労働時間を目指すということが述べられておりますが、こうした週休二日制、これは閉庁方式か開庁方式かまだ政府全体の方針は決まっていないと思いますけれども、そうしたことへの対応等の関係はどのように考えておられますか。
○谷垣国務大臣 人事院勧告がすでに出されておるわけでございますので、政府がどういうふうにこれに対処いたしますか、その結果を待たなければならぬわけでございますが、しかし仮にもし閉庁方式をとるというようなことになりますと、私たちがいま進めようといたしております指導要領というものから考えましても、授業時間数等の考え方からいたしましても、私たちの方から見ますとこれは無理が生じざるを得ない。開庁方式でいくといたしましても、さてどういうような実施の方法をやるかという問題につきましては、十分いろんな観点を教育の面からは考えていかなければならない、こういうふうに思います。政府の方針がまだ決定を見ていない状況でございますので、その程度のところで私の意見はとめさせていただきたいと思います。
○宮下委員 義務教育の問題としては、もう一点ちょっと指摘して私の感じを述べておきたいのですが、それは特殊教育でございます。盲、聾あるいは養護学校の義務制の実施ということで、かなり不幸な子供たちの教育体系というものはでき上がりつつありますけれども、この不幸な子供たちを持つ親の気持ちを考えるときに、これは教育投資というような観点でなしに、また投資効率などと言っておられない要素があろうと思います。人間に対する深い愛情によってこの面の教育を支えていくということ、光を当てていくということはぜひとも必要でございます。私は、こういう面では、教育は愛と誠だというようにつくづく感ずるわけでございますが、こうした点についても、これは時間の関係上答弁は要りませんけれども、ぜひそういう点の重視もお願いしたいと思います。
 時間がございませんので、最後に高等教育について一、二点お伺いさせていただきたいと思います。
 一つは、高等教育の質の充実、向上という観点からすれば、いま大学の進学者が同一年齢の四割に近いというのは、私は実際問題として、これはアメリカ等が多いわけでございますけれども、非常に多過ぎるような感じがいたします。戦前の昭和十年から十五年ごろの旧制中学校等の中等教育機関への進学率を見ましても、大体一八・五%から二五%くらいまでというようなことになっておりまして、今日の大学が四割弱というのは、これをはるかにオーバーしている数字でございます。したがって、ここで端的に申し上げますが、多様な教育機関における複線型の教育体系というものが考えられていいのじゃないか。昭和五十一年度から法制化されている専修学校というものが非常にいま数がふえてきております。これは職業あるいは実際生活などに必要な知識とか技術に関する社会の現実の要請から生まれたものであろうと思うのですが、こういう実際的な職業教育あるいは専門技術教育というようなものを職業人育成の面でひとつ見直すべき証左だと思うのです。ドイツあたりでベルーフスシューレというのがあります。職業学校ですね。単に一般学校でなくて、そういうことが非常に重視されております。大学教育全体の構造について、もっと柔軟化あるいは多様化が図られてしかるべきではないかというように思います。そしてまた、大学中心主義を改めていくべきではないかというじがいたしておりますが、その点についてまずお伺いしたいと思います。
○谷垣国務大臣 いま御指摘の点はいろいろ問題がございますけれども、私は基本的にそのとおり賛成でございまして、すでに専修学校あるいは通信教育さらにまた今度御審議をお願いいたしたいと思っております放送大学、こういうふうにかなり高等教育の多様化を進めていく必要があると考えております。
○宮下委員 時間の関係上はしょらせていただきますけれども、昨年の暮れに大学設置審議会から高等教育の計画的整備についてというのが出ております。これは前期計画が五十一年度から五十五年度まで、引き続きまして五十六年度から六十一年度までの六年間の高等教育の整備について言っておるわけですが、まず前期はおおむね十八歳人口が百五十万人程度、後期はこれが大体百七十万人程度になるだろう、こう言われております。したがって、大学、短大、高専等の今後の進学動向、高等教育に対する需要の動向、こういうものを見ていく。あるいは高等教育の多様化とか質的充実が中心になって検討されておると聞いておりますけれども、私は、量的な拡大よりももっと質的な向上へ向けるべきではないか、それから大都市における新増設等の抑制の方針が一応とられておりますけれども、さらにこれを貫いて地方大学の充実、改善あるいは設置等、教育の中央から地方への移譲の問題に真剣に取り組んでいただきたいと思います。
 それと同時に、もう一点は、私立大学につきましては、最近これの占めるのが学生数で七五%というようなことで、わが国の高等教育に占める非常に大きなウエートや、その機能重視からして私学助成が年々充実されてきておるということ、これは非常に喜ぶべきことだと思うのです。しかし、内容をさらに一層充実させていく、ただ人件費補助がふえたから喜ぶということでなしに、学生定員の超過の現状を改めるとか、あるいはその高等教育機関としての水準を高めていくとか、そういう面にもっともっと努力を傾注すべきだと思いますが、ここで私は、国公立大学の充実についても、やはり声を大きくして見直さなくちゃならないと思うのです。
 特に地方大学の充実ですね。駅弁大学とも言われておりますが、これはぜひとも充実していかなくちゃいけない。私立の大学の場合には応援団が、そう言ってはなんでございますが非常に多いわけですが、国立大学の場合には応援団が比較的少ないというのが現状だろうと思うのです。したがって、そういう点の地方大学の充実にももっともっと光を当てて考えていかなくちゃいけないと思う。
 それから、当面の問題として、電気、ガス料金等の値上げ等がありまして、国立大学その他においても、この基準的経費が実質的に目減りしていくという問題がございますが、現在学生当たり経費でも、授業料見合いで三%程度しかことしの財政事情からしてアップできない、あるいは教官研究費も二%ぐらいしか上がらない、こういう実情でございますけれども、ひとつ教育の重要性にかんがみまして、こういった点を重視してもらいたい、このように思います。
 それからまた、大学教育でもう一つ重要な点は、教育の中心は教師でありますから、教師の養成問題、この問題が非常に重要だと思います。さっき大臣も、新教育大学というようなお話がございまして、その点について努力されていることは認められますが、一つは、教員免許状の問題について、これはいまだれでも取れるような仕組みになっておりまして、教員の質に私は非常に不安を残しているように思います。現在の教員免許制度が一体改善できないものかどうか。特に各県の教育委員会で実際の教職員を採用しているわけですが、いわばオープンシステムになっておることもあって、もっと基礎である免許状を重視していがなくちゃいけない。そして免許基準の改善をやったり、教育実習期間の延長等をやって、四十人学級問題も提起されておるわけですから、本当に教員養成についての高等教育機関としての対応を十分間違いのないようにしていただきたいというのが私の感じでございます。
 いろいろ申し上げましたけれども、それらについての所見をお伺いをいたしまして、時間がもう迫りましたので、質問を終わらせていただきます。
○谷垣国務大臣 大学教育の量よりも質の方に転換すべき状況になっているがいかがかということでありますが、私もそのとおりに思います。各種大学がそれぞれ特色のある教育を施すことのできるような方向に行くべきであろうと考えております。
 大都市におきましては、御存じのとおりに、大学の増設その他についてはこれを抑止をいたしております。地方に、ございます大学、地方の文化の発展のためにも地方大学の充実は御指摘のとおりに進めていかなければならないと考えております。
 それから、こういうふうに燃料費、ガス代が上がったじゃないかということによる配慮はできておるか、こういう御指摘でございますが、これはことしの五十五年度の予算におきまして、それぞれの単価その他につきましては配慮を払ったつもりでございます。もちろん燃料費その他がどの程度におさまるのかということにつきましては問題は残っておりますが、単価の増をいたしまして、努力をしてそういう体制に対応していきたいと考えておるわけでございます。
 それから、最後のお尋ねは免許でございますね。これは確かに問題が一つございますけれども、いまはそれぞれの大学を出られた方々に対しまして免許状の資格がある形になっております。これをその免許の資格を与えるときにしぼるかどうかという問題は非常にむずかしい問題があると思います。したがいまして、これはもう少し検討さしていただかなければならないことだと思います。実際の教員として採用いたします問題につきましては、質の向上等を図っていくために採用後におきます研修その他について努力を払っていきたいと考えております。
○谷川委員長 午後一時に再開することとし、この際、休憩いたします。
    午後零時十一分休憩
     ――――◇―――――
    午後一時九分開議
○谷川委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。
 文教行政の基本施策に関する件について質疑を続行いたします。木島喜兵衞君。
○木島委員 大臣が大臣になられました最初の前回の委員会で、私が大臣に、今日教育の荒廃が言われておるけれどもその一番大きな原因は何かということをお聞きいたしたところ、大臣は、それは学歴社会にあるとおっしゃいました。ですから、そのとき私は、そのことはそれでは後日いろいろと議論申し上げましょうと申し上げておったわけでありますから、本日は、その学歴社会というものをどうなくするか、すなわち、そのことが教育を荒廃せしめたところの一番大きな原因であるならば、そのことをどうすべきかということを軸にして御質問を申し上げたいと思うのでありますが、さて大臣、そういう意味で荒廃の原因は学歴社会にあるということを大臣はどういうようにお受けとめになっているか、もう少し具体的にお聞きしましょう。
○谷垣国務大臣 学歴社会という言葉の定義というようなものがどういうふうになっておるのかは私もつまびらかではございませんが、学校教育、またことに特定の教育、学校を出ていなければだめだ、当人の能力や識見等で判断するのでなくて、その方の出ておられる学校によって判断をするという、そういう物の考え方は誤まっておるのではないか。もちろんこれは親であるとか社会であるとかいうものがそう思い込んでおることからくることもありましょうけれども、そういう意味で申し上げたのではないかと私は思っております。
○木島委員 おっしゃるように、学歴によって地位及びその人の受ける経済的条件が変わる、決定するというところにあるわけでしょうが、確かに今日学歴社会というものがその弊害を少なくしているというのでありましょうか、あるいは崩壊の過程にあるということもありますけれども、しかし国民の中には学歴信仰というものが根深くある。ことに多くの親は、もしその場合に低学歴であるとすれば、社会階層の変化を学歴に求めて、その子供たちのより高いより有名校へと志向するということが言われているところだろうと思うのであります。
 確かに学歴信仰というものがここまで根深くなりますと、いわば学歴インフレ、かつて中学校なら中学校を卒業すればそれである就職ができたのに、全部が高等学校へ行くから高等学校へ行かなければかつて中学校で就職できたその職につけなくなる。そうすると、どうしてもかつての高等学校を出たくらいの就職のところへ就職させようとすると、みんな大学を出さなければならなくなってくる。みんな大学へ行ったら、大学を出なければ中学校卒業の就職につけない。この学歴インフレはまさに悪性インフレ化するという可能性も出てくる。しかし、そういう背景があるために中学校は高校の予備校化し、高校は大学の予備校化して、テスト、テストを繰り返して、テストによって点数をつけ、点数によって順番をつけ、順番によって高等学校なら高等学校に配分をするというところから人間形成が行われるようになっていくところにそういうことがあるのだろうとおっしゃると理解してよろしゅうございますね。
 きょうはなるたけ時間を省くために簡単にいたしたいと思うのでありますが、亡くなられました遠藤啓さんがこんなことを言われました。ある中学校の三年生の子供が図書館で参考書を一ページ破こうとしている。そこで係員がそれを見つけて、いまはいろいろコピーとかその他あるじゃないか、破かなくてもいいじゃないと言ったら、この本を私は持っておるのです、けれどもこのページは大変大事なところだから、だからこれを他の子供たちが見たら、それによって答案を書いたら彼がいい成績になる、だからこれを破いて他の子供たちがいい点をとらないようにするのだと言ったということをあるとき私は聞いたことがあるのでありますが、このことは一体何を物語っているとお考えになりましょうか。
○谷垣国務大臣 大変に哲学的なむずかしい御質問とも考えられますし、いろいろあれだと思いますが、つまりそういう物の考え方、発想が出ること自体を何とか防がなければいかぬのじゃないか、こういうふうに考えるわけであります。
○木島委員 入試は競争でありますから、競争は排他の思想を持ちます。したがって、小学校、中学校というまさに運命共同体的な集団の中で他を排せねばならない。このことは教育基本法の第一条で言っておる教育の目的の中の国家社会の構成者をつくるという、社会の構成の連帯、協力というものを失わせていくところの入試というものがそういう要素を持っておる。学歴社会で競争の原理というものがそういうことを持っておるものでありますから、それだけに社会連帯の意識というものを希薄にしているということを意味しているのではないかという感じがするのです。したがって、こういう子供がややもすると自分の希望する大学に入ればそこで人生のパスポートをもらったという安堵感からレジャーランド化するのでありましょうし、もしそれが失敗したときには、そこに命をかけるほどだっただけに、自分の人生に希望を失うから自殺をするのかもしれませんし、あるいはみずからをだめ人間と規定をして、その十字架を背負って歩いていくということになるのかもしれない。そういうような一つのことが一つの象徴的なものとして、そういう学歴社会、そこに入試がある、受験教育中心のそういう教育がこのようなことに象徴的にあらわれているのではないかという感じがいたします。
 私、固有名詞を出しませんが、あるところの水産高校で女の子の暴力団と絡んだ売春事件がありました。それを私は別の角度から調べたのでありますが、そのときそこに入っておった女の子たちは、自分の将来の職業と無関係にその学校に入れさせられてきた子供たちでした。ですから、勉強に意欲を持つわけもありません。ですから、親からすれば、学歴信仰によって、いまは高校を出なければ嫁にも行けないじゃないかというところから非行に走っていったという、点数によって配分するところの一つの弊害であります。
 それでは、その点数とは一体何か。それほど人生を決めるという価値のあるものなのかどうか。私、二、三年前に海部文部大臣のときに、予算委員会でもって、大変大臣恐縮でございますが、雪が解けたらどうなるというテストが出たらあなたどうお答えになりますと申し上げたら、大臣は、それは水になるとおっしゃいました。そうなんです、それで百点なんです。けれども、いまもそうでありますが、私のところは大変大雪です。大雪なものだから、雪が解けないか、雪が解けないかと思っているものだから、雪が解けたら春になると答えるかもしれない。しかし、それはいまの試験、テストでは零点なんです。けれども、それでいいんだろうかと実は申し上げたこともあるのです。そのことと同じことを大臣にお聞きするつもりはないから申し上げておくのでありますが、しかしそういう入試中心、受験中心の教育というものは、雪が解けたら水になるは理の世界、雪が解けたら春になるは情の世界、その理の世界が百点で情の世界が零点であるとするならば、ノーベル賞をもらった湯川秀樹は百点で川端康成は零点ということになってくる。だが、そこで人間が干からびる、情感、情操を失ってくる、そういうところの点数中心というものが果たしていいのかどうか。
 最初に返りますけれども、大臣が、そういう学歴社会というものが今日の教育を荒廃せしめておるところの一番もとであるということの観点に立つならば、相当思い切って全面的な総合的な、もちろん学歴社会というものは一服の薬でもって治るような病気ではございませんから、総合的に、そしてまたあるときには英断も必要でありましょう。そういうものを思い切ってどう詰めていくかということが必要なのじゃないかという気がするのでありますけれども、いかがでしょう。そういうお考えがございますか。
○谷垣国務大臣 私も山国で雪のあるところで育ったものでございますので、いまの雪が解けたら何になるかと言われたときには、どちらかと申しますと春になる、これは生活体験としてそういうふうに感じるわけであります。恐らく雪国の人はそう考えるに違いないと思います。それは生活全体の体験からきて、むしろそれの方が理であるとか情であるではなくて、生活体験全体の中からは雪国の人はそう答える方が私は自然だと思います。
 さて、それは別といたしまして、学歴社会あるいは入学競争等々いろいろな問題がございますが、私はこの世の中で競争を否定するわけにはいかない、競争は競争でいいと思います。それはある程度の意味はもちろんあるわけだし、排除できないことだと思っておりますが、問題は、学校教育も必要でありますし、大学教育も必要なんでありましょうけれども、そこで人間をつくっていく、あるいは知識を向上させる、それが問題であるのにかかわらず、学校が表に出てきて、学校そのもので判断をするという、そこに価値観の間違いがあるのではないか、こういうふうに思っておるわけでございます。
 これは御指摘がございますように、単に一つのところを直したらそれができるとかなんとかいうものではなくて、人間あるいは社会全体に一つのそういう意味の価値観がなければできないことでございましょうから、いろいろむずかしい問題はあろうかと思いますが、やはりそういう問題については教育の立場からは十分考えていかなければいかぬ、こういうふうに思っておるわけでございます。
○木島委員 学歴社会は個人の人間形成というものだけでなしに、教育基本法の前文に言いますように、憲法の理想の実現は教育の力に待つべきものであると言われているごとく、社会全体に影響します。入試に勝利とは、今日の入試というのは過去の文化をより多く、より正確に得た者が勝利をします。しかし、後に申し上げるかもしれませんが、二十歳で人間の脳構造ができるのでありますけれども、その日まで記憶だけに終始した脳構造というものが日本の未来を創造することができるだろうか。あなたは所信表明の中で、たくましく創造力のあるという言葉を何回かお使いになっていらしゃいますけれども、そういう創造力というもの、日本の未来にかかわってくること、これが学歴社会ではないか、そして新しい身分をつくりはしないか。封建時代は身分社会であります。それが高度成長になって、貧富の差も少なくなってきた。けれども、受験教育中心でいい地位につき、いい金を得た方々は、その金、地位をもって、一つにはその家庭そのものが文化的な環境をつくり、そして受験教育により都合のいい条件、環境をつくることができるわけでありますから、そのことによって、学歴によっての新しい身分というもの、階層というものができてくる、そういうことにつながるわけであります。でありまするから、あなたが今日の教育の荒廃というものが学歴社会にあるんだとおっしゃったことを高く評価する。それだけにこの打破のために、この道を打開するためにどういうことをいまなさねばならないか、そういうお考えがございますかということを先ほどお聞きしたわけであります。
○谷垣国務大臣 私は、学歴社会につきまして実はこういうふうに考えておるわけです。
 世の中の親たちは、学歴というものを子供たちの将来の進路を考えまして非常に過重に考えておるのじゃないか。ところが、現実に大学を出た諸君が世の中に出てたとえば経済界に入ろうといたしますが、そういうところでは、どうも私の感じでは、学歴というものよりも人間その人の能力や識見、そういうものをある程度評価し始めているのじゃないかという気が実はいたします。
 もちろんそれは指定校制度とか、そういう制度はございますけれども、そういうものはまた破っていかなければいけませんけれども、一つのどこかの学校へ行けばもうそれで人間が全部でき上がって、それでよくなるんだ、パスをもらったというような感じ方をすること自体がだんだん変わってきつつあるのにかかわらず、なお社会のある中で学歴偏重が強いのではないか。もちろん産業界や経済界に対しましても、学歴偏重はおかしいということ、あるいは指定校制度なんかに対しても、これはもう少し考え直して、それぞれの卒業生に皆機会を与えていくようにしなければいかぬというようなことを言わなければいけませんけれども、わりあいにそういうところでは気がつき始めておる、そういう変化もあるのじゃないかという気が実は私はいたしておるわけであります。
 そういうことであればあるほど、いまの学校というものは手段であって、本当の主人はその人、そこで学んだ人そのものがどういうふうな能力と識見を持ってくるのか、こういう考え方をもっと解明をしていかなければいかぬ、実はこういう感じを持っておるわけであります。文部省といたしましても、こういう問題についての努力はそれぞれいたしておるところでございますが、いまおっしゃいましたようなことも踏まえ、これを進めていかなければならぬと実は考えておるわけであります。
○木島委員 おっしゃるとおり、先ほども私申しましたように、確かに学歴社会というものの実態は緩和され、縮小の傾向にあることは確かだと思うのです。けれども、国民の学歴信仰というものは定着しておりますから、その国民の意識の変革を待つといういまの大臣の御答弁だけではなりませんので、そこで制度的にどうするかということがわれわれの任務だろう。今日の教育の荒廃はそこに最大の原因があると認識するならば、それをどう改革するか、どう変革するか、どう制度的に保障するかということがわれわれの任務だという意味でお聞きをしているわけであります。
 大臣、そういう意味で各論に入りますが、一つは、学歴社会というものが存在する。しかしそこに入試の壁がある。したがって、入試戦争とか入試地獄というものがあるわけでありますけれども、私の資料が少し古いので大変恐縮でありますけれども、昭和五十一年度の高校の大学希望者の数が五十八万五千人、その年の大学への就容人員は同じく五十八万五千人で、どんずばり。だから入試地獄はその限りでは存在しない。ところが、浪人がありましたから、したがって競争率は一・三倍。ところが、その五十八万五千人が全体平均して三・四四校受験しておりますから、一・三掛ける三・四四イコール四・五倍の平均競争率になる。だから五十倍の競争率のところが出てくる。三・四四倍の平均でありますから、ときに十五校、十六校という受験生も出てきたわけであります。このことはいまも大差なき傾向だと思うのでありますけれども、このことがもしいまも大きく変わりないとするならば、入試地獄を打開する道がここから一つ出てきはしないかという感じもするのでございますが、局長、いかがでございましょうか。
○佐野政府委員 御指摘のとおり、大体いま大学の合格率は、浪人が入っての話でありますけれども、七一%台でここ数年は推移をしております。それぞれの大学の競争倍率が高くなっている原因に数校の併願という状態があることも事実でございます。共通一次によっていわゆる一期校、二期校の制度を一元化をしたことに伴って、各国立大学の入学志願率が一期校、二期校当時とは著しく様相を異にしてきたということもあるわけでございます。ただ、最近はやや併願の件数が減っているのではないかというようにも考えられますが、いずれにしても、このことは志願者のいわば自由な選択に基づいて行われていることであり、それを制度をもって規制をするというわけにはなかなかまいらないわけでございます。
 しかし、学生が大学を選ぶ場合に、入ればいいということで幾つかの大学をとにかく受けるということではなくて、それぞれの目的意識を持って自分の進学する大学を選ぶ、またそういった志望が可能になるように大学の方でも、それぞれの大学がどういう教育を施すのか、どういう勉強を身につけて大学から世の中に出ていってほしいと大学が考えているのか、そういった点について、いわばそれぞれの大学の特色とするところ、それぞれの大学が求める学生というものをより明らかに志願者に示す努力をしなければならない。国公立大学の場合には、御案内のように国公立大学のガイドブックというものを発行いたしまして、それを志願者に周知をするというようなことをやっておりますけれども、そういった方向での努力を大学側で十分重ねていく、それが大きく言えばいま先生御指摘のような方向に沿った入試のあり方の改善につながっていくのではないかと思います。
○木島委員 もし仮に、先ほど申しましたように高校からストレートに入る者の数が同じで、浪人を含めて一・三だとするならば、その入試をどう緩和するかということは、学歴社会のために教育が荒廃しているところの一番大きな要素というものが解決すると思うのですね。そこにあるものは、一つは、大学におけるところの格差をどうなくするかという努力であり、もう一つは、社会人に対してどう大学を開放するかという問題であり、第三には、その社会人が大学に通うために賃金なり休暇なりをどう保障するかという問題、さらには学歴社会全体に対するところの社会全体の制度の変革というようなものが必要になってくるんじゃないか。そういうことによって入試というものを緩和せしめ、教育の荒廃が学歴社会にあるということを解決する道になるのではないかと大ざっぱに考えますが、大学だけで言えばそういう方向ではいかがでございましょうか。
○佐野政府委員 先生の御指摘の方向については、私も全く異存がございません。それぞれの大学が特色のある発展をする、それによって高等学校を出た者がいま申しましたような趣旨で自分の志望についてはっきり目的意識を持って大学を選んでいくというような方向をつくっていくこと。それからもう一つは、高等教育に国民が入ってくる機会というものを現在よりももっと広く柔軟なものにしていく。その場合に、特に一たん社会に出た方が再び大学で学ぶというときに、より学びやすいような環境をつくっていく。そういう努力を通じて、いわば学習社会のもとにおける大学のあり方というものを整えていくということが学歴社会というものに大学が対応していく場合の非常に基本的な方向ではないかと私ども考えております。
○木島委員 そこで一つ一つについていきますが、まず格差であります。今日大学の数ほど格差があると言われ、それは国公私立の間に格差があり、そのおのおのに格差があり、そして地域間に格差がある。これはもう一朝一夕ではできないことはわかっております。わかっておるけれども、しかし、そのことをどうなくするかという努力だけはどうしてもせねばならないだろうと思うのであります。
 私も繰り返しますけれども、大臣の教育の荒廃というのは学歴社会にあるのだということ、そのことをもとにしての御質問、そこだけに焦点をしぼってお伺いするわけでありますが、たとえば国立で申しますと、これは大変恐縮なんですけれども昭和四十七年の決算によりますと、そのときの国立大学の数が七十六でありましたが、うち東大一校で九%、京都大学が五・五%、旧七帝大で三四%、旧七帝大と旧制の国大十一校で六四%という予算の配分で、予算額でずっと並べてみますと、そのときの東大一校の予算は下位二十九校分に相当しておりました。このことはいま多少変わっておるかもしれませんけれども、そしてその予算の額だけでもって一概に国立の中に格差があるときめつけるわけにもいかないことは重々わかっております。しかし、いずれにしてもちょっとひどいじゃないか、多過ぎはしないか。
 今日まで、こういう意味においての格差をなくするためにどのような努力を払ってこられ、かつ、これから思い切ったことをやるためにどういうことをお考えになっていらっしゃるか、もしおありでしたらお聞きしたいと思うのであります。
○佐野政府委員 御指摘のとおり、国立学校特別会計予算に占める東京大学その他のいわゆる旧帝大と言われている大学のシェアはかなりな大きさがございます。いま先生が御指摘のパーセントよりも、最近は地方の大学ができておりますし、医科大学等の創設も進んでおりますから、若干そのシェアは小さくはなっておりますけれども、大勢は変わっておりません。
 ただ、このことは、やはりそれぞれの大学が創設されて以来の沿革があり、多くの研究所を抱え、病院を持っている現在の大学の姿というものから由来するところがあるわけでございます。たとえば基礎となっている教官当たりの積算校費等についての配分の基準というのは、これはもちろん大学院の設置をされている状況によって異なりますけれども、基本的にはそういった条件に応じて各大学とも同じ基準で配当しているものでございます。それぞれの、修士課程を持っている大学、博士課程を持っている大学、あるいはまだ大学院を置いていない学部の場合の格差というものを単価において是正する努力というのはもちろんいたさなければなりませんけれども、ただ、これは同時にそのことが全体を平準化し低下をさせるというようなことであっては困るわけであって、わが国の学問研究の水準を支えていくために全体のレベルを上げていく、ピークは十分に立てていくという努力はしながら、同時に地方の大学について力を入れて、それぞれの整備を図っていくということを進めなければならないと思います。
 現在、大学の学部学科等の整備をする場合には、御案内のように前期の計画に従いましてその中心を地方大学の整備に置いております。そういった努力は今後とも重ねていきますし、それぞれの地方における国立大学が、先ほど来申しておりますように特色を持って発展をしていく、単に従来のいわゆる旧帝大の方向を求めるということではなくて、それぞれの大学の特色を発揮するような形で整備に努めてもらう、それを文部省もできるだけ援助をしていく、そういうことで対応していきたいと思っております。
○木島委員 なるたけ問題の指摘だけにとどめて、深い議論はきょうはしないでおくつもりでおりますが、そのとき、たとえば地域で言いますと、四年制大学の数では、東京、大阪、愛知、兵庫、北海道、福岡、京都、神奈川の八都道府県で全大学の五二%を占めておりました。こういう地域間の格差があります。
 それから学生数で言いますと、東京が八十万、大阪が二十万、京都、愛知が約十三万、滋賀三千五百、島根三千、日大一校の八万人は、各県の学生数で言いますと下位十八県分に当たります。こういう地域間格差があります。
 このことは、地方の時代と言われながら一つには過疎県は人数とともに頭脳も過疎になる。大学を出た者はすべて頭脳がいいというわけではありませんけれども、しかし専門的な知識、技術を得た者が、東京なら東京に来て定着してくにへ帰らない。しかし、地方の時代というその中で、頭脳の過疎が地方の時代をつくることの大きな阻害になってくる。そういうことを一つ考えると、たとえば国立大学なら国立大学は、その地域の、その県の出身者を二〇%、三〇%、五〇%入れなければならないというような、そしてその中で、その地域の文化と密接に関係した研究をするというような何か規制――これはいろいろな問題があるのですけれども、何かそういうものというものがそう交錯せぬでいく道はないだろうか。あるいは地域総合大学だとか各ブロックごとにおけるところの連合大学院大学、これは法律を直したけれどもなかなかできないのでありますけれども、連合大学院大学というようなものが国公私立を超えてできる道というようなもの、そういうものに思い切ってかからないと、そういう地域間の格差というものが解消しないのではないかと感ずるのでありますけれども、いかがなものでありましょうか。
○佐野政府委員 確かに大都市と大都市以外の地域における在学生あるいは学校の数には大きな開きがございます。しかし、御案内のように、五十一年以来大都市における新増設を抑制して地方の大学を整備するという方針をとっております。
 五十一年から五十四年度にかけましての新増設で見ますと、政令指定都市並びに東京二十三区において行われた新増設、入学定員増の割合が一八・二%、その他の地域で行われたのが八丁八%、国立の場合には九〇・七%がいわゆる大都市以外の地域において定員増を行っているわけであります。その結果、昭和五十年度で二十三区と政令指定都市の在学者の割合が全体の在学生数の五八・一%であったものが、五十四年には五一二二%までシェアが縮小をしているというような状況にあります。
 もちろん、こういった方向をさらに今後とも続けていく、それによって地方の大学の整備ということにより一層力を入れていくわけでございますが、先生御指摘のように、国立大学ないし公立大学において入学定員の一定割合をそれぞれの地域の子弟のために特に別枠として設けるという議論は、たとえば無医大県解消計画によって新しい医科大学ができた当時からないわけではございません。しかし私どもは、それぞれの大学が地域に対してより開かれた活動をしていく、地域の要請にこたえていかなければならないという点は十分に理解をいたしますし、公立大学の場合には、そういう意味で、設置をしているそれぞれの地方公共団体以外の団体からの入学者に対して入学金等で別途の支出を要求をしているような例もあるし、あるいはそれぞれの地方公共団体の高等学校から推薦入学を求めるというような措置をとっているところはありますけれども、やはり大学の教育の機会均等という趣旨からいたしますと、国立大学の場合にはもとよりであり、公立大学の場合であっても、定員の一定割合をそのために留保をするということについては問題があるのではないかと考えております。
○木島委員 昭和二十年、終戦直前の国立大学の学生が十万人で、私立大学の学生が五万一千人、ちょうど半分でありました。いま国立が二割、私立が八割であります。この逆転は一体どこから来たのだろうか。そして二割と八割、二割だけが国立でなければならない、あるいはどうしても国立で、すなわち税立大学で、低負担、高サービスを一般的には受け、八割が高負担で低サービスを受ける、この辺のことがどう見てもわからないのですが、きょうはいいです。これはやると長くなっちゃいますからね。
 だから三角さん、たとえば私学助成の場合も二分の一以内とはありますね。しかし、二分の一という思想は一体何なのか、私もよくわからないのです。それを聞こうとは思っておりません。けれども、それは計画でないものでありますから、しょせんはそのときそのときの財政事情の行き当たりばったりで、伸びつつはありますけれども、なかなか思うように進みませんでした。最初つくるときには五カ年間で二分の一ということを目標にしたはずです。もちろん法律そのものはそうじゃありませんが、なかなかできない。五年たって、あのとき助成を始めるときに一七%ぐらいあった。それがことしまだ十何%しか伸びていないでしょう。これは国公私立が数で逆転して、実は私立にみんなおんぶして、そしてそのことが助成によってなかなか格差というものが埋まってこない。この辺は大臣、国立、公立、私立とは一体何かという基本問題にかかわってくる感じがするのです。そういうことなきままに自然の間に流れていってしまう、国民の需要のままに私立ができていってしまうという感じがするのですよ。この辺をきちっとしていけば、私学助成というものの思想ができてくるはずです。国立、公立、私立のおのおのそれは一体何かということがわかってくれば、そこにおのずから私学に対してどのような助成をいつまでにどう計画的にやるかということが出てくるのだと思うのです。財政事情によって行き当たりばったりの助成であってはならないだろうという気が私はするのです。その辺はもう言っておくだけにします。
 なお、その格差の問題では、先ほど局長もおっしゃいましたように、それから先ほど宮下さんもおっしゃいましたように、各大学の個性化、特色化であります。先ほど申しましたように、今日は大学の数ほど格差があると言われる。それは一つには東大との近似度によるところの格差であります。近似度でありますから、同質であるから比較ができるから格差が言われる。特色があるならば質が違うのでありますから格差ができないはずであります。そういうものをたとえば助成の面においてもどう刺激をするかというあたりに特段の配慮が必要なんだろうという気がいたします。御答弁は要りません。
 それから大臣、どうだろうね、国立大学だけでも、卒業証明の大学名を入れないのにしませんか。東大だとか京都大学だとかなんというのはやめて、国立大学を出たことを証明するということだけ。どうですか、思い切って。
○谷垣国務大臣 大変興味の深い御提案だというふうに思いますけれども、御存じのとおり、それぞれの大学が自主的判断をすべきであるという大学自治の考え方で進めておる現状で、ございますので、いますぐに木島先生の御提案に賛成をして実行に移すというわけにはちょっといきかねるかと存じます。
○木島委員 実行に移さぬければどうするか。全然だめですか。国大協の人たちに相談ぐらいしませんか。
○谷垣国務大臣 非常に興味のある御提案であるというふうに受けとめまして検討はいたしますが、いますぐにそれを実施をするということではない、かように感じます。
○木島委員 きょうは議論しませんよ。しかしそうだと、私がさっきから言うように一服の薬にもならないのですよ。しかし、あなたがおっしゃるように、荒廃というものが学歴社会にあるのだとするならば、その壁であるのが入試なんですよ。これをどう打開するかという中では、いろいろなことを総合的にやらなければならぬと思うものでありますから、「興味がある。だが」という、その「だが」だけは要りません。まあひとつ御検討ください。
 それから、いま私は格差のことを申したのでありますが、もう一つは、先ほど申しましたように、いかに国民に開かれた大学にするかということであります。刑事犯でも三回は裁判を受けられるのだけれども、十八歳の春の数時間でもって人生の方向が決まるなんというのはちょっとかわいそうですよ。でありますから、むしろ社会に出て――それは教育には、与えねばならない与える教育と、求める者に与えられるところの教育制度というものが必要であって、ことに大学は国民が求めるものである。そういう意味では、社会の中で求めた者がいつでも入れるような大学にどうするかということです。これがむしろ今日、無目的な、だれもが行くから、親が行けと言うからというレジャーランド化したところの大学の学生でなくて、求めた者が行くという大学にどう開いていくかということです。その一つは、社会人をどう入れるかということであります。立教がことし法学部五%やりましたよね。三角さん、ああいうものにはうんと助成金を出しているのですか。
○三角政府委員 いま御指摘の助成の問題でございますが、従来から夜間部の教育でございますとか、あるいは通信教育等につきまして一木島委員「別枠だけ」と呼ぶ一別枠の特別補助をやっております。(木島委員「うんとやっているの」と呼ぶ)ええ。いまお話に出ました立教大学が五十四年度からやりました社会人入学の方法に対して何らかの特別の助成をするかしないかという問題でございますが、これは確かに特色ある一つの行き方でございます。したがいまして、そういう点ではこれに十分注意をしたい。ただ、こういうことによりましてどれだけ通常の教育に比べて特別の経費がかかるかどうか、あるいはそれを必要とするかどうかというような点もございますので、ただいま日本私学振興財団において検討してもらっておるという段階でございます。
○木島委員 そういう社会人に開かせるためには、いまお話にございましたように昼夜開校制だとか、あるいは公開講座をどう広めていくか、あるいは日本の大学は一度中退すると入れない、これをどう直すかとか、それからもう一つはアメリカのコミュニティーカレッジ。あの高岡の短大というのはコミュニティーカレッジを志向しているのですか。
○佐野政府委員 高岡に創設を予定いたして現在調査を進めておりますものは、従来の短大よりもより地域の要請に密着をした実学重視の短大にしようということで、コースのつくり方等も工夫をしているわけでございます。
 コミュニティーカレッジというのは、これはいわば地方公共団体が設置主体となっているものについて本来は用いられる用語かもしれませんけれども、国立でつくろうとしている高岡の短期大学もそういう趣旨においてはコミュニティーカレッジがねらっている方向にかなり近いものを構想としては持っているということが言えると思います。
○木島委員 いずれにしても、社会人を入れるということは大きく分けて要望は三つだと思うのです。
 一つはいま言いました正規の大学に社会人をどう入れるか。別枠で入れるか、あるいは昼夜開校制をどうするか、あるいは中退者をもう一回入れるところの道をどう開くか。もう一つはコミュニティーカレッジの形、もう一つはカルチュアセンター的なもの、生涯教育とか、そういうものをもう少し詰めて、しかも早く実行に移せるものから移していく、そういうことがいま必要なんだ。それは先ほど宮下さんがおっしゃった。総理大臣の施政方針の中にもそのことを言っておるのですが、具体的にどうなっておるかというと一向に進んでいないのです。そのことだけでも私は大変おもしろい議論ができると思うのでありますが、ただそういう社会人を入れるときに問題になるのは有給の休暇なんです。
 ILO百四十号条約については、よく批准せよ批准せよと言うと労働省はうんと言わぬのですが、この間予算委員会で藤波さんは、あの第二条の三項に労働組合教育というのがある、そこでそれを有給でやると不当労働行為になるからだとおっしゃいました。しかし、それはそれでいいんです。この条約をお読みになりますればわかるのでありますけれども、「国内事情及び国内慣行に適合する方法によって」段階的に促進するということでありますから、そういうものを除けば除いて構わないのであります。少なくとも批准をするかしないかは別としても、批准をしたところで国内法を直さなければならぬのでありますから、たとえば有給でもって社会人が大学へ行ける。それは先ほどお話のございました新しい教育大学は、大学院に二年間有給でもって行っておるわけです。日本にはないわけがないのです。しかし、それが民間の場合できないならばせめて休暇だけでも、たとえば共かせぎで母ちゃんがかせいでいるから行けるということもあるでしょう。しかし、退職してでは行けません。あるいは放送大学のような場合を考えれば、労働基準法の二十日間の有給休暇のほかに、たとえば十日とか十五日とか教育有給休暇をあげることができるという条文を入れればこの問題は解決する。大臣、そういうことを積極的に労働省と詰めませんか。
○谷垣国務大臣 私も余り勉強しておりませんので、それらの状況はつまびらかにいたしておりませんが、労働条件に関します問題点があるわけでございますので、ここのところは少し慎重に検討させていただきたいと考えております。そういう問題が何らかの形で解決された後における社会に出た方々がもう一度勉強するという機会を持つこと自体は、私たちは非常に好ましいことだと考えております。
○木島委員 大臣、私は好ましいとか好ましいことでないとかいうことで質問しておるわけじゃないですよ。最初から繰り返しますけれども、今日の教育の荒廃というのは学歴社会にあるのだ、学歴社会の一つの大きな弊害は入試という壁があり、そしてそのために小中高が予備校化し、受験中心の教育になっておるところに今日の荒廃があるのだから、そのことをどう打開するかということをかかる角度からメスを入れなければだめじゃないか、そのためにということですから、さっきから興味があるとか好ましいことだと思いますというようなことでは、あなたが本当におっしゃったことでの最も正しかったことをどう具体的に切り開いていくかというそのことの方向というものは、私も文部省もこういう問題では差がないはずだと思うのですが、そういうことに積極的にかかるかかからないかということを私は聞いておるつもりなんであります。
 次に、高校が入試の壁になりますね。これは初中局長になるのかな。いま九三%とか九四%と言われますね。あとの行かない六%というのは何が原因で行かないのでしょうか。
○諸澤政府委員 九四%弱でございますが、その中にはいわゆる定時制、通信制、経済的に困難であって、しかも向学心を持つ青年も入っておりますから、そうしますと残りの六%程度というのは身体的に進学に耐えられない、あるいは高校よりは専修学校その他の技能教育的なものを選択する、あるいは高校よりは実際に何らかの職業につきたい、そういう方々であろうというふうに推測されるわけでございます。(木島委員「経済的の人はないのか」と呼ぶ)ですから、経済的にも困窮して全日制の学校に行けないというような人は通信制、定時制に相当行っておりますから、それを除いてさらにどうしても経済的に無理だ、通信制も定時制も行けないという方もあるいは若干あろうかと思いますけれども、その内訳はちょっとわかりません。
○木島委員 調査がないでしょうからね。
 そこで、いま最初に身体的とおっしゃいました。学校教育法七十五条では、小学校、中学校及び高等学校に特殊学級を置くことができるとありますが、小中学校は大変推し進めたけれども、今日高校には特殊学級というのはあるのですか。
○諸澤政府委員 今日は高等学校には制度上はございますが、実際に特殊学級を置いておるところはないと思います。
○木島委員 なぜないのですか。
○諸澤政府委員 これは高等学校というものの性格が、現在の制度上は御存じのように一応高校教育を受けるに足る能力を持つ者を教育するという、事実上はほとんど全入に近いようなかっこうでありますけれども、一定のレベルを想像しておるというその高校教育において、特定の生徒だけを特殊学級という形で教育するのは現実的に妥当かどうかという判断があると思います。
 そこで、たとえば北海道であるとか奈良県であるとかでは、主として軽度の精薄の青少年を対象にしたいわば養護高等学校というようなものをつくって、そこで高等学校に準ずる、あるいは高等学校の教育をやるというような施策をやっておるようでありまして、私、教育長さんなどにいろいろ伺いますと、やはり自分のところでやるとすればそういう方向の方がいいと思うというようなお答えが多いようでございます。
○木島委員 そうすると、学校教育法七十五条の高校の部は、少なくとも七十五条に規定した思想は現実的には一向生かされておらないということになるわけですね。まあ、そこまでにしておきます。
 自治省の方、今回都道府県が高校の授業料を上げるようになさったということですが、何%くらいか、簡単にお聞かせください。
○津田説明員 公立学校の授業料につきましては、従来から私立学校あるいは国立学校の授業料の状況あるいは物価、経費の動向というものに対応しまして見直しということをやっておるわけでございますが、五十五年度におきましては、従前月四千八百円のものを五千六百円に引き上げた、こういうようなかっこうで地方財政計画あるいは普通交付税の算定におきまして考えてまいりたい、かように存じております。このように八百円アップということでございますが、これは国立の高等学校の上昇額に合わせたような次第でございます。
○木島委員 自治省では高校の授業料の性格、意味というものをどういうふうに御理解になっていらっしゃいますか。
○津田説明員 やはり小中学校と違いまして義務教育でないというような点、あるいは私立学校というものがかなり広範に存在するというような点から、このような高校授業料というものは必要と考えております。
○木島委員 小中学校のように義務制ではない、よって受益者負担という考え方ですか。
○津田説明員 はい、受益者負担という面を持っておると思います。
○木島委員 そこなんですよね。どんずばり皆さんがいま八百円上げろと言ったのではなくて、交付税でもって考えますよという言い方ですからね。しかし、実際は財政的脅迫に地方は受け取るでしょう。しかし、それは別にしましょう。
 いずれにしても、私はこれはちょいちょい文部省の方々に言っておるのでありますけれども、いま言いますように今日九四%といって準義務教育化されておりますね。全体の中から少ない人間が行っておれば、その人がそのために受益があるから、だから受益者負担になりますけれども、そうではない状態になっておる。憲法論で言えば、私はいますぐせいというんじゃありませんけれども、二十六条は義務教育を指向しておるのじゃないかという私の理解なんでありますけれども、そして少なくとも義務教育はこれを無償とするというのは、国民の生存権的基本権、みんなが高校を出ているのに、経済的理由なら経済的理由でもって高校を出られなかったならばまともに就職できず、まともに就職できないからまともの生存ができない、その意味において、生存権的基本権としてうたっているのならば、それは小中のことでありますけれども、高校が準義務教育化しておるのならば、これは受益者負担と言えるだろうか。さらにこれは九八%、九九%行ったら、みんな行くのですから、行かない者は生存権が保障されないのだから、そして先ほど言いましたように、前文もそうでありますが、教育基本法第一条も国家、社会の構成員としての教育をうたっているわけです。だから、高校教育を受けることのその結果の帰属は個人が受けるのか社会が受けるのか。九四%行ったならば、私は、教育の効果のその帰属は個人が受けるのだとすれば、それは受益者負担という論理が成り立つけれども、そうではないんじゃないかと思うのですが、いかがでございましょうか。
○津田説明員 もちろん私どももいわゆる高校の経費がすべて受益者負担で賄う、こういうようなものとは考えておらないわけでございます。しかし、基本的に義務教育でないということ、そしてまた、かなりの部分が私学に行っている。私学に行っている方と違って公立の施設、いわば税金等を使っておる施設というものを利用するというのもおかしいわけですが、もちろん地方団体としましても高校教育というものについての一半の責任があるわけでございますが、そういうような税金を使っておる施設を利用する方々と、私学に通う方々あるいは学校に行かない方々、そこいらにはおのずから一部受益者負担という考え方はよろしいのではないか、こういうように思っております。
○木島委員 授業料の性格というものは時代とともに変わってくるんだろうと思うのであります。それだけに、私はいま授業料をなくせと言っているんじゃありません。上げることはそういう意味においてきわめて慎重でなければならぬと思っておるのです。そういうことだけを申し上げておきます。
 それから諸澤さん、先ほど言ったある水産学校の売春という話ですが、いま職業高校は、希望して入るのはどのくらいですか。四割くらいじゃないですか。あとは、希望しないけれども中学校の進学指導でもって行かされる。六割ぐらいだと大ざっぱに言われておりますね。ここをどうするかということ、ここに新しい高校像というものを考え直さなければならぬじゃないか。かつて中堅技術者が必要で高校の多様化をずいぶんやりましたけれども、いまはもう財界でも、たとえば技術革新がスピードを増せば増すほどすぐに使える技術者はすぐ使えなくなる、だから変化に適応し得る、応用し得るところの基礎能力の方が必要だという声が強まってきておる。だが、そのときの多様化された高校が今日なお残って、そこに六割の子供たちが、自分の将来と無関係な、あるいは希望しない者たちが行っておる。これをどうするかということは、どうしても新しい高校像を私は全部いまの普通科にせいと言っているんじゃありませんが、しかし職業高校の技術教育も含めた新しい高校像というものを考えなければならぬ時期が来たと思うのですが、いかがですか。
○諸澤政府委員 御指摘のように、いま高等学校の生徒の所属学科を分けますと、普通課程六五に対して職業科三五、定員にしますと職業は一学年五十万ぐらいだと思うのですね。そのうち先生がおっしゃるようにどれくらいの者が本当に職業科を希望して行くかという点は確かに問題がございまして、中学校からの進学指導で、やはり先生としてはできるだけ自分の担任する子供を高校へ全部入れてやりたいということから本人の希望と必ずしも合致しないようなところへ入っていく。そこで、先ほどお話しのように、せっかく職業科へ入ってきてもやる気がないというわけですが、私はこの問題について、一つはいまの職業科のあり方をどうするかという問題があると思うのですね。いまの職業科の中身は、ずっと戦後農、工、商、水産と、それでその一定の割合でこれを分けておるわけでございますが、高等学校のその学科のあり方として、普通科といま言ったような旧来の職業だけでよろしいのかどうか。やはり今日の経済、社会の情勢を見ますと、高等学校を卒業して現実に職業につくというその職業の中身は、たとえば第三次産業であるサービス業とか飲食業とかいうものが相当多いのですね。だから工業学校を出てバーテンになっているとか、そういう例が幾らでもある。これは学校教育として本当に適合しているかどうかという問題がありますから、その辺について今度の指導要領の改定でも、たとえば高等学校でホテルだとか観光だとかあるいは演劇だとか習字だとか、いろいろ県によって工夫しておいてくださいよという趣旨もまさにそれなのですけれども、そうした学課の改編と、それから職業教育自体をいままでのように農業、工業というふうに、まあ農業、工業などはかなり固定的にしないといけませんけれども、商業などはある程度普通科の中で商業的要素を勉強させるというようなことも考えていいのじゃないかというような受け入れ体制の問題が一つであります。
 それからもう一つは、中学から高等学校へ行く場合の進路指導でございますけれども、いまのような本人の意思にかかわりなしにどこかにはめ込むというのではなくて、できるだけ本人の希望を生かすとすれば、推薦入学制という問題があるわけでございます。これは数年前は、現実に農業や工業で推薦入学制をとっておるところは三県くらいしがなかったのです。それをいろいろ話をし、推薦制というものを考えてほしいということをやっておりました結果、ことしは恐らく二十県を超すと思います。それも農業とか工業に主としてかかわるわけですけれども、英語や数学の勉強も大事ですけれども、それよりも自分は農業を勉強して将来自営者農業になりたい、あるいは工業に関心を持ってそっちへ行きたいという者をまず第一次的に引っ張っていくということは、非常に教育的に意味があることだと思います。この推薦制というものも、安易に取り入れますとまた内容の低下を来しますけれども、そういう点に配慮しながら、いまの推薦制入学の問題を考える。あるいは入学後の扱いにしても、たとえば同じ商業科にしても、商業科と計算実務科というのでは能力の向けどころが違うわけですから、それを高校一年の段階ですぐ振り分けをするか、あるいは一年は全部くくり入学にしておいて、二年以降で進路をさらに細かく指導させるかという問題もあり、このくくり入学の問題も大分このごろは普及してきておるというようなことでございますので、私は、そういうふうな対応で、できるだけ一人一人の子供の能力、適性に応じた教育というものを現実的に考えた場合には、そういう方法をさらに充実すべきではなかろうかというふうに考えておるわけでございます。
○木島委員 それから基本法では「奨学の方法を講じなければならない」とあるのですが、育英会法の育英という言葉はどういう意味か。いわゆる英才教育の英ですね。育英会法は昭和十九年につくられた法律なのでありますけれども、その第一条には「日本育英会ハ優秀ナル学徒ニシテ経済的理由ニ因リ修学困難ナルモノニ対シ学資ノ貸与其ノ他之ガ育英上必要ナル業務ヲ行ヒ以テ国家有用ノ人材ヲ育成スルコトヲ目的トス」とあるのですよ。これは戦前の思想であります。だから国立と私立では人数において大変な差があるのはそこであります。一条だけでも物の考え方を直しませんか。それから育英会法の育英という言葉を直しませんか。大臣、素人の考えがこういうときは大事なのです。これは申し上げたとおり。あなたは素人と御謙遜になったが、こういうときこそ素人が大事なのです。どうですか。
○谷垣国務大臣 非常に突然の御質問でございますが、いまちょっとお話がございましたいわゆる旧憲法の時代から新憲法の時代に入ってきて、旧憲法の時代の法律その他あるいはそれに基づいて設立されておるいろいろな組織等の問題、これはいろいろ一般論として出てくるだろうと思います。しかし、憲法が変わってきたいまの時代にそれがふさわしく動いておるかどうか、これがやはり基本ではないかと思います。
 私は、いま御指摘になりました点、恐らく育英会そのもののいろいろな事業が新憲法下におけるいろいろな考え方に適合しておるかどうか、こういう問題を伏せてのお話であろうかと思います。私は、いまの育英会が奨学事業その他をやっておることは聞いておりますが、これは新憲法下にふさわしく動いておるものだと思っております。
 御指摘の育英という言葉はどうかという問題、ちょっと私そこらのところに弱いものですから正確にわかりかねております。いまそういう条文をここで改めないか、こういう御指摘、御提案のようでございますが、その点につきましては少し検討させていただかなければ――要するに問題は、その実態が新憲法下にふさわしい形で動いておるかどうかというところに重点を置いて考えていくべきじゃないだろうかというふうに私は考えております。
○木島委員 新憲法下に即して動いておるならば機会均等でありますから、国立と私立の間に人数にあのような大きな開きがあるわけはありません。しかし、法律によって育英会は動いているわけでありますし、その育英会法の第一条の目的がそうでありますから、それによって行政が動いて、教育の機会均等は保障されておらないと思うのです。これは委員長も首をかしげているが、そんなのやっていると時間がなくなっちゃうけれども、たとえば総理府が一年置きに大学生の家庭の収入調査をしますね。あれを見ても、だんだんと収入のよけいな者が入っていくようになっていますね。だからこのごろでは、団地族はもう大学に行けないのだなんという言葉がはやるようになってきた。しかし、その八割が私立なんですよ。私立の方が金がかかるのです。ところが、その方が奨学金が少ないのです。金額じゃない、人数がきわめて少ない。これは新憲法下の精神に即しているとは言えないと思うのであります。これは委員長が首をかしげたから委員長に言うことかもしれませんが、いずれにしても私がいままで言いましたことは、先ほどから繰り返しますけれども、大臣が今日の教育の荒廃は学歴社会にあるとするならば、それは総合的にいろいろな角度からやらなければならぬという思いついたことだけを並べたことでありますが、いずれにしても、いままでの御答弁を聞いておりまして、いままでやっているのです、これからも十分にやります、これから検討しますというようなことでは、大臣が考えていらっしゃるところのこの教育の荒廃というものは、日本の将来を決する限りにおいてはそういいかげんには済まされない問題だろうと思うのであります。そういう意味においての一層の御奮闘をお願い申し上げます。
 続いて、大臣は所信表明で、先ほどちょっと申しましたが、たくましく創造的なということを言っていらっしゃるのでありますけれども、ここで乳幼児のことについてちょっとお聞きしたいのであります。
 これはどなたでも結構ですが、どうでしょうかね。人間の能力というのは遺伝か環境か、先天か後天か、どうお考えになるか。これは所管じゃないかもしれないから、どちらでも結構です。
○谷垣国務大臣 大変むずかしい御質問でございますが、これは両方だろうと私は思います。いろいろな動物、植物等を考えてみましてもやはり両方持っておる、かように考えております。人間の場合も私はそういうことだろうと思います。
○木島委員 たとえば肉体的なもの、私の顔を森さんなどはいつも馬、馬と言っておりますけれども、これは私を責められましても、私の親が馬面だったから私も馬になったのであり、したがって私の子供もやはり馬面でございまして、これはまさに先天的であり遺伝だろうと思います。あるいは一部勇ましく荒っぽいところがあるという性格なんかも多分に先天的な要素があります。しかし、記憶力だ、判断力だということになりますと、これは多分に後天的なものじゃないのか。もし人間の能力というものが先天的なものだと規定をすれば、それはもはや教育は要らないということにも通ずる議論になります。これは発達心理学ではまさにおっしゃるとおり、環境か素質かは古くして新しい最大の争点でありますから私も実はわからないのでありますけれども、人間が生まれたときの状態というのはまさに精神的には白紙だったのではないか。個体発生は系統発生を繰り返すと申されますけれども、地球上に単細胞ができて生命が生まれてから三十二億年。今日人間が一番最高の動物だとするならば、その姿の系統的な発生は精子と卵子の単細胞から発して、そして形は人間の形で生まれてくる。しかし、その人間ほど他の動物に比べて白紙の状態というのでありましょうか、親が長く保護しなければならない動物は他にないわけでありますから、その限りではまさに白紙なんだろうと思うのです。
 そういう意味では、人間の一般的に言われる能力というものを規定する上で脳構造がどう発展していくかということの研究が大変におくれている感じがするのです。人間が月に行く時代になりながら、たとえばその地球の中の三分の二の海洋のことをよく知らない。海底を知らない。ところが、月に行くところのそういうものをつくり出した人間の頭脳、その人間の頭脳というものが実は一番学問の中でおくれているのではないかという感じすらするのです。実は私自身もわからないが、しかしそのことが一番基本だと思うのであります。
 先ほど申しましたように、脳構造というのは三歳までに六〇%、十歳で九五%、二十歳でもって脳構造は完成する。後はデータをどう入れるかということになる。その三歳までというのは、実はこれは吸収であります。一番最初は白紙で出てきますから、その環境から吸収をする。そのことによって三つ子の魂百までと言われますけれども、そこで人間の一番基本的なものができてくる。
 そこで、脳というものを少し勉強しようと思うのですけれども、なかなかわからぬですな。しかし、そういう意味では、たとえば京都大学の時実さんのように、霊長類研究所なんというのは世界の中でも大変いいと聞いておりますので、そのあたりにもう少し思い切った費用をつぎ込むべきだろうと思うのです。たとえば、よく世間では頭がいいとか悪いとかというのは、頭というのは脳ですね。これなんかだって、じゃ脳が重ければいいかというと――確かに重いのはいいんだそうですな。いいんだけれども、しかしそうばかりでもない。確かに精薄者なんかの脳は軽いんです。けれども、それでは著名人が重いかというと必ずしもそうでもないのです。じゃ体の関係かというと、一番大きいのはマッコウクジラだそうですが、あれは体の関係でしょうな。マッコウクジラは人間の六・五倍、象は三倍くらいですから、体が大きいからでしょう。しかし、体が大きいといったって、スズメやネズミは体と脳との大きさ、重さでいいますと、人間よりも比重が高いんです。しかし、これはそうというわけにもいかぬでしょうな。重さというのは、センチメートルの身長に八・五倍をかけましてそれをグラムに直すと大体重さと言われているのです。
 そこで、重いものがいいというなら、一背の高い者は重いですから、そうしたら入学試験をやれば身長順になるわけです。しかし、そうならぬですね。西岡さんと私と比べれば西岡さんの方がいいんだから、これはまさに証明にならぬわけですね。というより率直なところ、たとえばしわが多いというのは、これは脳というのは大変血液が必要ですから、したがって伸ばすと新聞の一枚ぐらいになるのだそうですよ。たしかしわが多いのは人間が多いのですよ。ところが、人間より多いのはイルカなんですね。イルカは大変利口なんだけれども、しかし人間はインカ文化をつくったけれども、海中にイルカ文化というのは聞いておりませんから、これもまた……。
 しかし、そのことあたりから少しやっていかぬと、三つ子の魂百までといいますから、三歳でもって――三歳というか、満二歳でしょうね。たとえば、そのことを少しきちっとやりませんと、三つ子の魂百までとさっき申しましたが、そこで人間ができ上がるのでありますから、それが実は幼児教育体系でいいますと、満三歳以上が幼稚園ですね。そこから学校教育が始まるのですよ。ところが、生まれたときから三歳までというのが、それは保育所というのがあるかもしれないが、これは教育機関じゃありません。ここで三歳まででもって六〇%まで決まるのです。三つ子の魂百までで性格が決まる、能力が決まってくる。これは脳細胞が約百四十億くらいですかね。これが一つのことを覚えることによって記号が出まして、それが一つ一つ結ばれていくのです。これは一年ほど前にNHKの放送でもって見たが、まさにコンピューターの後ろの配線みたいですね。このようにつくられていくわけです。
 それで、三つぐらいになると言葉を覚えて、父ちゃんのばかなんて言うのは、これは自我の発揮で、自分の意見を出すようになるわけですね。これまでの間の教育を一体どうするのか、このことは人生を決定する非常に大きな要素です。これを何か考えねばならぬのじゃないかと思うのですが、いかがでしょうか。
○谷垣国務大臣 大変感銘深く拝聴いたしましたが、乳幼児の教育が重要であることは事実でございますし、だんだん研究が進んできていまおっしゃるような問題が漸次わかってきた。もっと進んだ人は赤ちゃんがおなかの中にある間の胎教が必要だというようなことまで言う方もあるようでありますが、とにかく御指摘になりました乳幼児教育というものの重要性はこれからだんだんそれがはっきりしてくる部面も出てくると思いますが、重要であろうと思います。
 これにどういう形で教育の面がタッチし得るか、これはいろいろと施策をやってはおりますが、果たしてそれが行き届くものなのかどうか。ことに母親のこれに対しまする対処の方法が大切であろうと思いますので、いまの家庭は非常な変革を来しつつありますけれども、やはりそれに対しましての最大のかぎを持っておるのは母親であろうと思います。したがいまして、その母親に対しまして、あるいはその他の家庭教育というものに対しましての必要な情報その他は十分考えて実施をしていかなければならない、こういうふうに思っておるわけでございます。
○木島委員 いや、私も率直なところ、どうしたらいいかわからないのです。しかし、歴史的、伝統的なことで、たとえばいないいないばあなんというのは、あれはあれなりにおもしろいですな。残像が残らないのですよ、幼児のときに。だからたとえば、親という意識があるかどうか知りませんけれども、親しい感じ、それがいなくなると残像が残らないから消える。それで、手を上げてばあすると出てくるからにこっと笑う。そういうことを通しての頭脳訓練なんですね。
 私、私の弟が孫ができたから来いと言うから遊びに行ったら、居間が赤いカーペットだったから、これをやめなさい、赤は刺激ですから、いらいらしますから、これはやわらかい色にしなさいと言ってかえさせました。そしてその赤いカーペットは若夫婦の部屋へ持っていけ、寝室へ持っていけ。それはその方がいいんです。あるいはスプーンでもってうまうまと、こうやる。それをもとに子供はそれをうまうまと思うのです。けれども、それがだんだん心象がふえるに従って、たとえば食堂へ行っていろいろなものがあれば、それをうまうまと言う。すなわち、一つの単語が客観化されるわけで、こういう頭脳構造がどう変化していくかということを一つ一つ見ていきながら、それは主に家庭だと思うのですが、どういう時期にどういうことをするかという系統的な研究がほとんどなされておらない。しかし、そのことはどうしてもやらなければならないことなんだろうと思う。
 これはさっきおっしゃるように、たとえば妊婦手帳を役場に取りに行ったら、そのときには公民館でもって常にそういう講座が常設されておるというようなことが、形ではさしあたり考えられます。しかし、大臣は先ほどから母親、母親と言いますけれども、子供を育てるのは母親じゃございませんで、両親でございます。だから、両親がその講座を聞くということでなければいけません。しかし、それではそのことをどうするか、どういうパンフレットをつくるのか、どういう指導者を養成するのか、このあたりを一度、どこの所管だかわからぬのでありますけれども、どこかで詰めて、いまやれるもの、あるいはどこどこでもってそういう研究者を集めてパンフレットならパンフレットをつくってみる、そういうようなことにすぐ手がけていかなければならぬという気がするのでありますが、いかがでしょうか。
○望月(哲)政府委員 お答え申し上げます。
 学問的研究ということであれば、それはそれぞれの大学なり研究所等で専門の方々にお集まりいただいて御議論いただくことだと思いますが、いわば教育というものは、総合的ないろいろな立場からの考え方を総合してある一つの具体的な教育方法が考えられるということでございますので、私どもといたしましても、従来、乳幼児期の家庭教育につきましては、社会教育審議会で御議論をいただきまして建議をいただいたことはございます。しかしながら、なお検討すべき課題がたくさん残っておりますので、今後私どもの立場でも、いま御指摘のような問題につきましては、両親の子供のための教育という観点からいろいろと検討してまいりたいと思います。
○木島委員 いま言った両親の教育だけでいいのか、あるいはどうなのか。あるいはそういうための一つの研究所をつくるというようなことだって、私は日本人全体のことを考えたら、決定的に等閑視されていたことだと思うのですよ。こういう構想は、また私は執拗にじわじわと聞きますので、きょうはここでやめます。
 大臣に、乳幼児だから続けて聞くのですが、「入園を希望するすべての四、五歳児を就園させることを目標とする」と大臣の所信表明にありますね。すべてを入園させるわけですね。そうすると、幼稚園には障害児も希望する者は入れるわけですね。
○諸澤政府委員 希望する者は入れるという原則を申し上げておりますから、障害児ももちろん対象になるわけでございます。現在も私立の幼稚園等で一つの幼稚園に八名以上の障害児を入れておる場合には、運営費について若干の補助をするというようなことをやっております。
 ただ問題は、今日の幼稚園の現状としては、やはり先生がそうした軽度の精薄であるとか小児麻痺のお子さんをどう扱うかというその扱い方が十分なれていらっしゃらないという実態があるわけです。そこで私は、そういうものについてもう少し教育の方法なり手だてというものを研究してもらう必要があるのではないかということで、去年からちょっと役所にそういうグループをつくって研究をしてもらっておりますので、たてまえとしては、おっしゃるように障害児もなるべく入れていくという方向で考えてまいりたい。しかし実態としては、一挙にどんな障害児でもお引き受けしますよという実情にはないというのが実態でございます。
○木島委員 わかりました。実態がそうならない、あるいは人的、物的条件が整っておらないから入れられないという要素があるけれども、原則的には入れる。その原則的に障害児も入れるという思想は何ですか。
○諸澤政府委員 これは理屈を言いますと、幼稚園も学校教育でございますから、その学校教育というのは、戦後の教育を支えております基本理念が教育の機会均等ということであれば、やはり障害児であっても普通のお子さんであっても、親がそれに適切な教育を施したいという希望を持つならば、それに対してできるだけ平等に機会を与えたいという考え方が基本にあるというふうにわれわれは理解しております。
○木島委員 たとえば障害者に就職の機会を与えるとか、社会でも差別しないとかいうこと、そのことは幼児のときから一緒に置くことによって差別意識がなくなってくる。養護学校が義務制になって、そして養護学校に入れて隔離をし差別をして、そして社会に出てから一緒になれと言っても、社会というものはいろいろな型の人間がお互い連帯し、協力し合って生きていくというのがしゃばであり、社会である。その社会の構成員をつくるというのが教育基本法第一条に示されたところの一つの教育の目的であります。
 そういう意味で、幼稚園のときから一緒に、何々子ちゃんは弱いんだから私はこうしてあげなければならぬとかいう言葉は言うか言わぬかわからぬけれども、自然とそういうことになっていく。そうせしめていく。それが社会人をつくるまさに乳幼児のときからの物の考え方であり、思想です。原則として障害児を入れるとするならば、義務教育の場合においても、原則的には、それは先ほど申しますように人的、物的な条件、周囲の条件等がそろわない現状においては養護学校は歓迎するところでありますけれども、しかし親が希望し、入れたいというクラスの子供たちが希望し、その父兄たちが納得をし、教師がそういうことをやりましょうと言ったものは、それはなるたけ入れる。原則的には幼稚園に障害児を入れることが好ましいと同じように、実際は困難であっても、思想として、原則としては、欧米がやっておるように障害児も一緒にすることが好ましい。しかし、条件が整わないところに入れることはその子の教育権を保障することになりませんから、そこは十分に配慮しなければならぬが、現実は数が非常に少ないと思いますけれども、しかしその原則というものを貫く必要があるんじゃないか。
 昨年義務制になったときに、そういう子供たちが大変に多かった。解決されたのもありますけれども、ほとんど解決されない場合の方がはるかに多くて、各地に問題がありました。ことしまたやがて四月を迎えます。ことしも同じような問題が各地に起こるのであろうか。このときに私は、原則として入れることが好ましいのだ、子供のときから一緒にさしておくことが国家社会の構成員をつくることの教育の目的の一つなんだという原則をここで確認すべきじゃないか、こう思うのですが、いかがでしょうか。
○諸澤政府委員 幼児期の教育につきましても、いま申し上げましたように軽度の精薄のお子さんとか肢体不自由のお子さん、あるいは緘黙とか通学拒否とか、そういうような情緒面での障害のある子供さんを普通の幼稚園に入れるということは、過去の教育経験からしてもそれは効果があるというようなことでございますが、一方かなり障害の程度の重い者は幼児期から特殊学校の幼稚部があるわけでございまして、昨年の義務制に関連して、これから幼稚部と高等部の充実をわれわれもやっていこうということで努力をしておるわけでございますから、たてまえは――先生の言う原則と私のたてまえがあるわけですが、たてまえはやはり障害に応じてそれぞれ適した教育機関でということでまいります。
 ただ、学校教育になりますと教育内容がかなり系統的、組織的になりますから、障害のある方と普通の子供さんと原則として同じと言ってもかなり無理な面が出てくる、私はそういうふうな判断をいたしておるわけでございます。ただ、それはあくまでも障害者は障害者で全く隔離してしまうのではなくて、五十五年のわれわれの施策としては、そういう障害者の行っておる養護学校の子供と普通の学校の子供と地域的に一つの地域を指定して、必要に応じて学校行事その他で交流をさせる、こういうような交流教育を部分的に進めていく、あるいは障害の軽い子供は、いま申しましたように普通の学校の特殊学級で勉強しながら、必要に応じてまたその特殊学級から普通の学級へ移っていって、普通の子供と一緒に勉強する部面も出てくるというような、実態に応じたきめの細かい教育対策をする、こういうふうなことで進めていただきたいというふうに私は考えておるわけでございます。
○木島委員 実態に応じて――あなた、たてまえとおっしゃったんですが、私の原則とはちょっと違うんです。皆さんの方はたてまえとすれば、それは実態において養護学校の方がいいんだ、現状ではそうだと思うのです。だけれども、たとえば長崎大学の川原先生の子供さんの場合なんか、私あれをずっと調べておりまして、むしろ養護学校の方がいいんだといううぬぼれの方がはるかに強くて、川原先生の子供に対する愛情の方がはるかに強くて、より科学的なことをやっているわけですね。たとえばプールに入れるということ一つをとってみてもそうです。ですから、むしろあなたのたてまえというのが、ときには養護学校がすべていいんだという信仰みたいな、うぬぼれみたいなものもある場合もあるわけです。ですから、あなたは実態に即してというんでありますから、それは川原先生の子供さんは普通学校へ入ることになりましたが、そういう状況にある子供が全国に何人かいるように私は聞いているんですよ。そういう個々は個々として御相談をいただくということでよろしゅうございますか。――きょうはいいです。個々の問題はあなたと個人的に、こういう問題はどうするんだという御相談を申し上げます。
 ちょうど時間となりました。これ以上やりますと、この次のいま内外ともに大変充実していらっしゃる有島先生の質問に水を差しては悪うございますので、私の質問は以上で終わります。
○谷川委員長 有島重武君。
○有島委員 大臣の所信表明に対する質問をさせていただきます。
 その前に、今国会で一番問題になっております行政改革に絡みまして二、三承っておきたいのでお願いいたします。
 一つは、せんだっで二月六日の予算委員会におきまして、わが党の草川昭三さんの質問の中で、国立大学病院の職員が兼務をしておったという問題がございました。全国三十二の大学病院にそれぞれ協済会であるとか、あるいは東京大学の好仁会のような財団法人があって、そこの役員を大学病院の多数の職員が兼任しておった、こうした例が他にもある、こういう指摘でございます。
 これにつきまして谷垣文部大臣は、財団法人として病院の関係の役職員の兼務などの状況を検討する、そして正すべきものは正して善処をする、こういうお答えでございましたけれども、その後日数がたっておりますけれども、どのようになっておりますか、御報告をいただきたいと思います。
○谷垣国務大臣 その後、早速、病院の関係を持っております大学の事務局長等を集めまして、いまの役員兼務の問題に関しましていろいろ懇談をいたしました。そして現在、調べてみますと、兼務の率が非常に高うございました。ざっくばらんに申しますと、これは非常勤も含めてでございますが、七割くらいが兼務という状況でございますので、これを少なくとも三割くらいまでは引き下げなさいという指示を一応与えております。
 それから、あのとき草川さんが御指摘になりました他の業務の関係等がございます。これはひとつもう少し時間をかしていただきながらその問題の解決を図りたい、こういうことで、いま付属病院に関する問題に対してのプロジェクトチームと申しますか、そういうものを省内につくりまして検討をいたさせております。
○有島委員 ただいま三割とおっしゃったですか、その根拠はどういうことになりますか。
○谷垣国務大臣 別に根拠というほどのことはございませんが、いろいろ話を聞いてみますと、先ほど来指摘されておりました病院の中におけるいろいろな理髪所とか喫茶店とかそういう必要欠くべからざるもの、それと病院側との連絡が必要であるという点は、ある面であるわけでございます。ただ、それが総合代理みたいなかっこうになっていったらいかぬということがございますので、そこらのところを是正すべきだということで話を進めたわけでありますが、三割がどこにめどがあるかということになりますと、正直、それはございません。ただ、いままでの実情が七割でございますので、これはおかしいじゃないかということで、それをつづめてみろというところの結論がいま一応そういうことになって、そういう改革をいまやっております。
 詳しくは、局長の方からお答えをさせていただきます。
○佐野政府委員 いま大臣からお答え申し上げましたように、二月十三日に主要な付属病院の事務部長を集めまして、先般国会で御指摘をいただいた点を伝達をし、当面三〇%以下に兼職の率を落とすようにという指導をいたしております。これから年度末にかけて決算等のための役員会が開かれるわけでございますから、その機会をとらえて役員の改選を行うことによって目に見えた改善が行われるように要請をしておるわけでございます。これまでの長い経緯がありますから、役員の構成その他から考えましていきなり全部というわけにはなかなかまいらない、実際問題としてそこのところにある経過的な取り扱いが必要な面がございます。その点は草川先生にも御理解をいただけているところだと思いますけれども、そういう方向で努力をさらにいたします。
 それから、いま大臣の方からもう一つお答えいたしました点については、病院の財団の業務のあり方について基本的にどういう問題があり、どう改善したらいいかということを検討するための検討会を三月中に発足させます。そのための人選にいまかかっているところでございます。
○有島委員 ではそのようにお願いをいたしましょう。
 それから、五十五年度予算の中で、従来の補助金を廃止なさった、そういった努力をなさったということを承っております。大体十六項目ほど補助金をおやめになったということでございますけれども、その金額でございますね、どのくらいの金額になっておるのか、その補助金をやめたことによってどのくらいの金額が節約されておるのか、それを承っておきたい。
○谷垣国務大臣 いま私もちょっと手元にその資料がございませんので、後でひとつ担当官から答えさせていただきたいと思います。
○有島委員 後で結構でございます。
 それでは、所信表明の質問をさしていただきます。
 いわゆる一九八〇年代の初めに当たっておりまして、一つの時代の変わり目ではないかと存ずるわけでございます。大臣のお話によりますと、現在の最重要課題は大きく言うと二つある。その一つの中で、学校と家庭と社会とを通じて教育の機能を充実することである。それからもう一つは、心身ともに健全で、国際的に開かれた国民の育成を期することである、このような仰せであろうと思うのですね。もう一つは、文化の問題というのがあったかと思いますけれども、こういうふうに特に言われておる。聞き方によっては、歴代の大臣は大体同じようなことを言われたかというような気もするのですけれども、特にこのように言われましたことについて、もう少しお考えを承っておいた方がいいんじゃないだろうか。こういうふうに申されるについては、いままでの反省といいますか、いままでは実はこうであった、だからこうしたんだというようなお話がお聞きできたならば幸いであると思います。
○谷垣国務大臣 私は、ここで申しておりますように、こういう非常に社会が変化を始めておるときには、特に教育の問題は大切だという認識を持っております。歴代の大臣と特別外れた所信を申し上げておるのではないと私は思っております。
 ただ、その中におきまして、それぞれの変化のある時期に際しておる点があることも事実であろうと思います。学校と家庭あるいは社会を通じての教育機能がよく連絡、調整がとれるように考えなければならぬということは、これはむしろ従来から言われておったことだと私は思いますし、それは当然のことだと思うのであります。
 生涯教育という問題一つ考えましても、生涯教育の場合には、これらのいわゆる家庭、学校、社会、こういうものの連携をどう見るか、その一つ一つの充実のほかに、その間の連携をどう見るかという問題が生涯教育の問題提起の中にはあると私は思います。したがいまして、それぞれの教育が連携を持ちつつ、先ほど来いろいろ御議論がございましたような社会に出てからの、また学校がどういうふうにそれを受け入れることができるのかというような問題、そういうような教育の場の多様性と、それからそれの連続性と申しますと語弊がありますが、連絡性と申しますか、そういう問題をここでは主張をしたつもりでございます。
 他のたくましいとかゆとりのあるとかいうことは、委員も御指摘だと思いますが、この学習指導要領の改定という現実の対策をこの四月から始めるわけでございまして、それはそういう問題を含んで考えておるわけでございます。
○有島委員 いま大臣のおっしゃったように、学校の教育機能、家庭の教育機能、社会の教育機能、それぞれの充実、まだ至らぬ点があったという反省もあるけれども、もう一つは、それらの関連性についていままで論議をされたことは、確かに中教審の答申などでも、この家庭、社会、学校の関連性ということは指摘はされておったが、いよいよ関連し合っていく実施段階に入っておるんじゃないかというような御認識がおありになるように承ったわけであります。
 それで、そこにこれも昔から――昔からというわけじゃないけれども、言われておりました生涯教育という言葉をいまお使いになりました。まさにこれは七〇年代になってはやり出した言葉でございましょうか。私ども実はこれはちょうど七〇年くらいであったと思うのですが、私たちの政策の中に生涯教育という言葉を初めて使った。そのときにはまだどこも使っていらっしゃらなくて、多分あれはユネスコであったか何かでもってお使いになりましたライフロング・エデュケーションという言葉がございまして、それからOECDの方でもってリカレソトというような言葉、それがみんな生涯教育というような言葉でもって訳されて、それでだんだん使われてくるようになったというように私は理解しております。
 ただ、ここでもって生涯教育ということは、OECDのような立場からいきますと、これは非常に産業社会といいますか、技術革新が早いテンポで行われているから、それに追いつくために成人教育をしなければならぬというようなわりあいと狭い意味の生涯教育というふうに使われておったんじゃないかと思うのです。いま大臣がおっしゃっている意味は、もう少し何か広い意味、人間教育というような広い意味でもっておっしゃっておるんじゃないだろうかというように私は思うわけなんだけれども、確認をいたしておきます。
○谷垣国務大臣 実は私大変不勉強でございまして、OECDとかその他のことは余り知らずに生涯教育という言葉を使っておるわけでございますが、私は生涯教育という問題が出てきました基盤には、先ほど御指摘がございましたが、科学技術の急速な進歩がございます。
 また、そういうことを裏づけにしながら、いわゆる長命な時代に日本が入っておる、これはこれで問題がございましょう。また、あるいはいろんな余暇が出てまいったという事情がございます。そういうふうに大きな社会の変化の中でもっと学びたいという欲望、これはむしろ先ほどのOECDのお話は私よく存じませんので申し上げるのは失礼ですが、委員からのお話によりますと、どこか外部からそういう必要があって起きたような感じをちょっと受けたわけでありますが、私はいまの日本の社会の変化の中には、むしろそういう知識を持ちたい、そういう教育をこちらから望んで受けたいという気持ちが相当強く出てきておるように思います。
 そういう意味における教育の場あるいは知識を吸収し得る場をつくっていく必要がある。もちろんこれは科学知識の問題もございましょうし、あるいはいろんな社会的な知識の問題もありましょう。あるいは教養の問題もございましょう。いろいろ各方面にわたってそういう問題が生じてきておる、こういうふうに理解をして申し上げたわけでございます。
○有島委員 文部省が始まってから百何年たっているわけですね。それで、明治時代には明治時代の一つの教育行政といいますか、文部行政の一つの何といいますか課題というものがしつかりあったんじゃないかと思いますね。日本の国が独立国として生き延びられるかどうかというような大変差し迫った問題を国が抱えながら、そこに一つの教育体制が築かれていったということがあったと思いますね。
 それから、戦争ということを経て終戦ということがあって、それで平和、民主、人権の憲法、教育基本法、これをもとにした教育を模索するという時代があったでしょうね。しかし、それが朝鮮戦争を経て安保に組み込まれた日本というような言い方を私たちはしますけれども、その中で、今度は産業立国というような姿がずっと続いておった。これにやはり対応していくための文教行政の課題というものが、これは間違いなくずっとあったと思うのですね。それに対していろいろな批判もありましたし、それから、いやそうじゃないのだ、教育というものは全く中立なんだというようなお話があったかもしれないけれども、少なくともそういったような時代が戦後三十五年は続いておった。その中でのお話が多かったと思うのです。
 いまここでもってまさに時代の変わり目いままでの高度経済成長というようなことはもう望めないであろう、これは日本のみならず、世界的にも安定的な連携の時代が開かれざるを得ないであろうというような時代の中で、いま大臣のおっしゃる一人一人の人間の意欲をもとにした生涯教育の時代がいま開かれつつあるというような、そういうような一つの認識があってもいいのじゃないかと私は思うのですけれども、いかがでございましょうか。
○谷垣国務大臣 生涯教育と言っております言葉の中に確かにそういう問題があると思います。
○有島委員 そういたしますと、やはりいままでの行き方というものに対して、そこに批判が含まれておらなければならないのではないかと思うわけです。
 それから生涯教育ということになりますと、これは生涯教育のためのさまざまな手だて、施設設備ということもありましょうけれども、結局は本人の学習意欲に支えられるわけですね。本人の学習意欲をどのように啓発していくか、ないしは損わないでいくかということが今後の文教施設の中心課題になるのではないか。何だか誘導質問みたいで、こちらの方にずるずる引きずり込んできちゃうみたいで悪いけれども、私たちは文教行政というものがそういう国民一般の意欲を助けていくというような立場のものではないかというふうに思うわけですね。いかがですか。
○谷垣国務大臣 いま御指摘がありましたけれども、私は勉強しよう、あるいは知識を得ようという側の知識に対する非常な食欲と申しますか、やはり勉強したいというその気持ちがなければいけないという点は同感でございます。
 ただ、社会の変化の中に高齢者社会という時代あるいはたとえばいまの家庭の中でいろいろな機械化が進んだりしました結果でございますけれども、わりあいに婦人の余暇というものがつかみ得る状況になっておるということ、これはいままでの日本の社会の中では経験をしなかった新しい現象であろうと思います。その新しい現象に対して国民の反応がどういうふうになるか、それが教育というものに対してどういう要望となって出てくるか、そこにも従来経験しなかった面の新しい教育の必要性が生じておる、こういうことも私はあるように考えております。
○有島委員 けさほどからの議論もいろいろございました。私も伺っておりましたけれども、ここに政治家たちと行政官たちがいるわけだ。非常に熱心にいろいろ議論をしておる。日本の国は大体教育熱心な国でありますけれども、政治家の教育熱心というのと、それから行政側の教育熱心というのがあるわけだけれども、いささか質が違うということはあろうかと思うのです。ここでさっきから話題になっております教師の方の教育熱心というのと親の教育熱心というのは必ずしも一緒ではない。皆熱心には違いないのですけれどもね。それからさっきのOECDないしは日本の財界の教育熱心というのも相当いままで大きな力をふるっていたわけでございます。
 そういう中にあって、今後の時代認識といいますか学習者自身の教育熱心といいますか、ここを一番のかなめとして学校教育も社会教育も家庭教育ももう一遍見直していきましょう、こういうことが現代の課題ではないのかと思うわけでございますけれども、いかがですか。
○谷垣国務大臣 御指摘の点は確かに一つの課題だと考えております。ただ、教育の立場を考えますと、これは卑近な私たちの家庭の中における子弟の教育を考えてみましても、子供の中にそういう教育に対する熱い熱情というものを導き出してくるというそのきっかけは、やはりどこかで教育的な示唆その他が必要なように思います。それは本来ないものにそういう示唆を与えてもでき上がらないものかもしれませんが、それぞれの個人個人の人間の中に内蔵しております知識に対する欲望、熱情というものを何かの形で導き出して、それに生き生きとした生命を与えていくということの中に教育の原点があるのではないか、家庭教育においてもそうだ、こういうふうにも感じられるわけでございます。
○有島委員 結構でございます。
 そこで、先ほど大臣も、自主性、創意を導き出していくのだ、あるいは同時にそれが個人主義的なものに閉ざされないで、社会的な意識にも及ぶようにしていきたいというようなことも仰せられていたかと記憶いたしますけれども、それを阻んでいる要素といたしまして何かいろいろあるのじゃないだろうか、お気づきのことがいろいろあるのだろうと思うのです。ここに、たくましく創造力のある国民なんて言われておりますけれども、こう言わざるを得ないのは、現代における何か便利主義といいますか、便利なら何でもいいから便利な方向にどんどんいってしまう。それじゃ、それが子供たち、学習者に対してどう働くか、これは教育の見地から見てどうであるか。それから過保護という問題がございますね。これが一体どうなるか。あるいはさっきから例を挙げておられた方もありますけれども、利己主義といいますか、自分の中にこもっていってしまう、閉鎖的な問題とか、こういうようなことをどのように解決していくかというようなことが今後の文教行政ないしはその運営の中でもって配慮されてこなければならないのではないだろうかと思うわけですけれども、いかがですか。
○谷垣国務大臣 御指摘のとおりだと思います。
○有島委員 苦労をさせるということですね、教育の中で。苦労があれば恩を知るようなふうにもなるわけでありまして、苦労がないと何か思い上がってしまう。それじゃ、われわれが本気でもって苦労できる場面というのは、この現代社会の中でどの辺であろうか。あるいはその苦労というのもいろいろな苦労があるでしょうけれども、命をかけての苦労といいますか、生きるか死ぬかというような場面が子供たちにとって設定できるかどうか。そういうことがしっかりありますと、道徳教育といいますか、私はそういった言葉は余り好きじゃございませんけれども、理念的にああですよ、こうですよと教えてみたところで、それを破ったところでだれも痛痒を感じない。大人の方も結局自信を失ってしまうというようなぶざまなことが――昔の時代には、そういうことを破ったら非常な社会的制裁を受けるとか、あるいは命の危険を感じなければならぬとか、そういうことがあってのしきたりなりルールといいますか、道徳というか倫理というか、そういうものがあったかと思うのですね。現在の危機感は一体どこかにあるかということなんです。
 それで子供が命の危機は感ずる問題で、いまのところ二つあるのじゃないかと思っているのですよ。一つは、交通安全の問題、もう一つは、これは特に都会の問題でございますけれども、災害がいつ来るかわからないけれども必ず来るであろう、この問題ですね。こういった生命の危機ということがあるわけですね。その生命の危機に対して、わが生命を防衛していくんだ、命を守っていくんだ、これは広い意味の衛生といいますか、こういったことが一つ強調されてもよろしいのじゃないだろうかと思うわけでございますけれども、いかがでしょうか。
○谷垣国務大臣 大変むずかしい御質問で、私も答弁に苦しんでおるわけでございますが、端的に申しまして、私自身は、余り子供の教育に生き死にのような問題を直接に感じさせる、考えさせるということは、少し早いのじゃないかと個人的に考えております。しかし、たとえば川で水泳ぎをする、そして頼りにする人はいなくなって一人で泳いでいかなければならないような経験をどこかで持つということですね。川へ行っての泳ぎがいいかどうかは別といたしまして、そういうことは必要だろうと思います。いつもおなかが満腹ではなくてすいておる、ひもじいということからくる食事が欲しいという気持ちを持たせるというようなこと、これらはやはり子供にそれはそれなりの経験を持たせるものだと思います。
 非常に深刻な生き死にの問題というようなものがまともに直接予供たちのところに出てくるのは、むしろそれが非常な恐怖になったり、あるいはそれから逃避をしようというようなことになって、かえって不適切ではないか。これは大ぜいの教育者あるいは心理学者の方々が、検討されておることでしょうから、私がそういうことに敷衍するのはあるいは行き過ぎかもしれませんが、しかし私は一人の政治家としてはそういう感じを持つわけでございます。
○有島委員 そういった御意見、大体わかりました。これは今後いろいろ研究していかなければならない問題であろうと思うのです。私は二つの例を申しましたけれども、大臣は川の例をおっしゃった。何といいますか、過保護だとか、いまの便利主義であるとか、それから利己主義のようなものですね、これは克服しなければならぬ問題がある。これをどこら辺からいったらいいのか。これは私が教育勅語のあの道徳は捨てたものではないなんということを幾ら言っても、現代では解決できないのです。そういう点があろうと思いますね。
 それからもう一つ、いまちょっと教育勅語なんという言葉を私は口走ってしまったから、これは誤解を生じないようにもう少し申し上げておかなければならない。家庭のしつけというものですね。いま親がちょっと自信を喪失している面が見受けられるのではないか。そこで、何かあると学校でというふうに学校の方に押しつける。学校の方も何事かあるとこれは家庭でやってくれというふうな、両方で尊重し合っているというか、下手に連携し合っているというか、その中でもって忘れられているのが子供の立場なんですね。子供というか、さっきの言い方で言えば学習者の立場に本当に立って考え直してみなければならないということがここにもあるわけだと思います。
 それで、これはこんなところで議論していてよろしいかどうか、時間の範囲でもってやろうと思いますけれども、人と人とのつながりの中に、目上と目下といいますか、はっきりと力が違う親と子あるいは先生と自分あるいは経済力が非常にある人とそれに依存して生活を立てなければならないというような、大人、子供にかかわらず、いわゆる縦型の関係というものはありますでしょう。しかし、それと同時に、今度は仲間意識というものもあるでありましょう。いつでもその二筋あるんじゃないですか。いわゆる教育勅語というのは、その縦型の道徳を非常に強調されておるのではないかと思うのですね。
 それから、それに対して仲間意識を極端に強調しておる道徳もあるかと思うのです。時代的にも封建時代を破って近代になった。王様をギロチンにかけろというのは、これは縦型の道徳を破って横型に切りかえるというようなことが歴史の上でもあったかと思うのですけれども、子供の発育の上でも、縦型の道徳をきちんとマナーとして身につけさせなければならない、そういった時代と、年齢で言えば十歳から二十歳の間ぐらいですか、いわゆる大人を批判して教師にはあだ名をつけてというような、生意気ということも大変大切な問題じゃないんだろうか。そしてなお社会人になっていって、その縦型も横型も両方充足して一人前ということになろうかと思うのですね。
 そういうような一つの、いまはどっちのことをやっておるんだというような意識がはっきりしないと、端的に文部省さんと日教組さんとがいろいろと言い合っていらっしゃる場合があるわけですね。これは縦道徳と横道徳がすれ違いのけんかをしているんじゃないかというふうにお見受けする場合もあるわけであります。さっき倫理綱領というようなお話がございました。皆さん方は直ちにそれをいいとか悪いとかおっしゃらない、それは賢明なことだと思いますが、やはりそれなりの一つのわれわれの生活の中の真実を突いておるというか、必要な一要素である。それから、それが必要には違いないけれども、必要だから絶対だというふうな端的なことにならぬようにするということ、道徳教育というか子どもたちのしつけというか、そういったことが基本的になければいけないのではないかと思うのです。
 ここは別に教育内容の場ではございませんけれども、お役人さん方はとかく縦型のところにこもりやすいんじゃないかと思うのです。これは仲間意識というふうにまいりませんからね。それを学校教育の中に、こう無意識の中にでしょうけれども強力に押しつけてくるということが従来間々あったかと思うのですね。これも八〇年代の一つの問題といたしまして、これからの生涯教育といいますか、あるいはここで家庭と社会と学校というような、それぞれないしはその三つの次元の関連といいますか、そういうことを大臣のおっしゃったように進めていく上でもって、あらかじめよく心得ておかなければならない問題ではなかろうか、私は御提言申し上げるわけだけれども、いかがでございましょうか。
○谷垣国務大臣 非常にむずかしい問題で、私も十分に検討したわけでもございませんけれども、いろいろな縦型、横型、これは見方がそういうことになると思います。しかし、人間というものは縦型でもなければ横型でもない、もっと全人格的な問題を持っておるように私は思います。私が申し上げておりますことは委員のおっしゃっていることとそう違ったことを申し上げてもいないと思いますけれども、大変世の中が変わってきておりまして、従来の考え方では処理し切れないところに家庭の中における父親というか、両親の自信の喪失というような問題が出てくる。それは一体何であるのか、あるいは子供たちのいろいろな生活環境、社会環境が変わってきておる、それをどういうふうにして処置、応待をしていくことがいいことか、その意味では若干差し迫っておる変化があるんじゃないか、こういうふうに思います。
 しかし、依然としてその中で必要な縦社会というか横社会というか、それは別としまして、家庭教育なりあるいはまた学校教育としても重要な教育問題がそこにあるのではないか、こういうふうに私は私なりに理解をして、むしろ大きな変化の中にあって一人一人の人間が自分の能力とそれから素質を伸ばしていくような、一種の人間の主張とでも言うべきような環境の変化が激しい中にある、それに対して一人一人の能力が伸ばし得るようなそういう教育をどうやったらいいのか、こういうところに一つの見方もあるのではないか、こういうふうに考えておるわけでございます。
○有島委員 いまの家庭のしつけと、それから学校との関連の中あるいはその社会教育との絡みという中にあって、やや障害になっている点が、いま申し上げたような何か人と人とのつながり方についての一つのルールというあたりにもあるのではないか。私も大変下手な考えのようなことを申し上げましたけれども、それに固執するわけじゃございませんけれども、そこら辺のことはひとつやはり行政側においてもお考えいただかなければならない問題であろう、あるいは教育者側でも考えなければならぬ問題であろう、そういうことを申し上げたいわけなんです。おわかりいただけますか。
○谷垣国務大臣 よくわかります。親が学校教育に責任を転嫁したり、学校がしっかりしてくれというような責任の転嫁の中に教育の発展はない、それを是正していかなけれればならぬ、私はその点は御同感でございます。
○有島委員 こういうことがもう一つあってもよろしい。お父さん、学校じゃそんなこと言ってないよと言っても、よし学校じゃそうじゃないかもしれぬけれども、わが家においてはこうするんだ、こういうことがあってもいいと思うんですね。学校に行ったらそれでやりなさいというような、そういうことが本当はあってもよろしいかと思うのです。現実にはそれが学校でこうだよと言われちゃうと何となく自信がなくなっちゃうみたいな、余り自信がありそうな顔をするといけないんじゃないかというような、そういうような風潮があるわけです。それは受験勉強ともつながりがなくはないのですよ。なくはないけれども、そういうような問題が現実にいろいろとあるわけです。そういったことを度外視して、いま大臣がおっしゃった、これが大切だと言われたけれども、幾り大切だと思っても、そこにネックといいますか実施されていかないネックがその辺にあるのじゃないだろうかということは十分考えておかなくちゃいけないんじゃないかという意味です。おわかりいただけるでしょうか。
○谷垣国務大臣 御指摘いただきましたような問題は、十分了解をしておるつもりでございます。
○有島委員 次に、幼稚園、保育園の話に入ります。
 この一元化につきましては先ほどからも問題が出ておりました。就学前の幼児教育につきましては、私は三歳から五歳までの希望者全入制を主張しておるのでございますけれども、国の幼稚園教育振興計画では、四十七年を初年度といたしまして五十七年度の初めまでに入園を希望するすべての四歳児及び五歳児を就園させることを目標として幼稚園を整備することになっているはずでございます。この実施状況と、この二年間でもって就園率一〇〇%が達成されるかどうか、このことを承りましょう。
○諸澤政府委員 先ほどちょっとお答えいたしましたけれども、五十四年五月現在の調査でございますと、五歳児につきましては就園率が六五%、四歳児が五一%ということになっておりまして、五歳児はほぼ計画どおりですけれども、四歳児が計画よりちょっとおくれておる。といいますのは、大体両方とも七〇%程度就園しますと、あとは保育所等へ参りますから、ほぼ希望者全員就園ということになるわけでございまして、あと二年でどうかということでございますが、四歳児につきましてもできるだけ目的に近づけるよう設置を奨励してまいりたい、かように思っております。
○有島委員 この問題では、保育所を志望するお子さんもいらっしゃるから、その志望に応じて一〇〇%になるであろうということも考えられなくはないわけなんですよ。
 ここで、保育所と幼稚園ということでございますけれども、すでに幼稚園の将来の義務化ということを想定して、保育所ともよく連携をとりなさいというような行政管理庁からの行政監察の勧告もあったわけでございます。それに応じて、いま文部省と厚生省とでお話し合いをしてくださっているそうであります。これはずっとお続けになるわけですか。
○諸澤政府委員 この問題は五十年の秋でしたか、行政管理庁の勧告に基づきまして厚生省と相談をいたしまして、幼児教育の専門家等十五名であったかと思いますがお願いしまして、主たる審議のねらいは、幼稚園と保育所の施設の今後の設置計画推進の調整と、幼稚園、保育所の教育内容の連携というような点についてのあり方を検討していただこうということで、十回以上会議を重ねております。私どもいつ結論をいただけるか明白にしておりませんけれども、委員さんの間などではこの秋ぐらいにどうであろうかというような御意見もあるようでございます。
○有島委員 これは会議の予算がついているわけですね。
○諸澤政府委員 文部省と厚生省、両方についております。
○有島委員 県の段階ないしは市町村の段階でこの種の懇談会が開かれるべきではないかと思うのですけれども、望ましいのじゃないでしょうか。いかがですか。
○諸澤政府委員 この点は、三十八年でしたか、文部省と厚生省の担当局長が共同通達で、幼稚園、保育所の設置の調整等を図る意味で県の段階等に協議会等を設けることを奨励しておるわけでございますが、私どももその後、県の段階あるいは現実には市町村の段階ですけれども、幼稚園と保育所関係の方の協議の場を持ってその調整を図るようにということを極力進めてまいっておるという実態でございます。
○有島委員 その例がありますか。報告が入っておりますか。
○諸澤政府委員 五十五年、ことしの二月の調査でございますけれども、都道府県の段階でそういう調整機関を設置しておりますのが十九道県でございます。それから市町村の段階では、幼稚園と保育所と両方設置しております市町村は全市町村三千三百弱のうち約二千でございますが、その二千に対して五百十二という数字が出ております。
○有島委員 この方向は積極的に進めていきたいという御意向ですね。
○諸澤政府委員 設置につきましてそうした市町村段階の協議会を持つ、それから今度は幼保の教育内容について幼稚園、保育所の教育担当者の間の協議の場を持つ、この両方を進めてまいりたいと思っております。
○有島委員 これも幼稚園に行っているお子さん自身、保育園に預けられているお子さん自身、お子さん方にとって幼稚園と保育所とはどのように違うのであろうか、こういった議論はなされておりますか。
○諸澤政府委員 私、毎回審議会の場へ出ているわけではございませんけれども、もちろんそういう点についての議論もあったように聞いておるわけでございまして、それはやはり幼稚園と保育所とそれぞれの設置目的が違うわけでありますから、子供の受ける感じあるいは実際の運営においてある程度の現実的な違い、目標の違いによる違いがあることは一般的に言われるところでございます。
○有島委員 大臣、いかがでしょうか。子供の気持ちになってみて、幼稚園に行く、保育園に行く、大体同じような意識で行くのじゃないだろうか。現在ではお母さんたちも、私どもの知っている範囲ではどっちでもいいから入れてくれ、こういうのがあるのですね。
○谷垣国務大臣 私らも選挙区に帰りましてだんだん話をしているとどっちでもいいからつくってくれというような意見もよく聞きます。しかし、子供たちの気持ちがどうだというのは、子供たちの年齢が幼過ぎますから子供たちの意思はそんたく以外にはないだろうと思うのですけれども、確かにそういうような意見も聞くことがございます。
○有島委員 これもひとつ御研究いただいたらよろしいかと思うのです。さっきの一番最後の基本問題の応用問題みたいなんですよ。私の幾つかの調査した、これは本当に個人的な調査ですから客観的にどうかということはそちらでまた確認していただかなければならぬことであろう、あるいは心理学者の方々あるいは教育者の方々にお願いしなければならないと思いますが、ここに厚生省の方余りいらっしゃらない、厚生大臣いらっしゃらないのにこんなことを言っては悪いけれども、保育所に行かれたお子さんというのはお行儀がよくなるのです。ただ、ちょっと活発さが欠けることが一般的な傾向としてあるのじゃないか。私、団地のお子さんなんか見ている範囲ではそうなんですね。厚生省でやっておりますことは、あくまでも子供を預かって管理するわけなんです。それでけがをしてはいけないわけですね。おもちゃを壊しちゃいけないわけですね。ちらかしちゃいけないわけですね。ですから、何ちゃんだめよ、こうしちゃだめよ、こういうことが拝見していて多いわけですね。時間も大概長い。預かっていらっしゃる保母さんも大変な労力ですから、子供の能力をそこで十分に伸ばしてあげましょうなんということではないわけなのですね。幼稚園の方は、午前中なら午前中やった後、午後は幼稚園の先生方というのは大変熱心にあしたのカリキュラムを勉強なさってやっておられるところも見受けられます。それで、どうやったら伸び伸びさせて、どうやったらばという配慮が加わっているのがやはり一般的じゃなかろうかと思います。
 それで教育内容、そういった子供に対しての配慮のあり方というものも、この役所だからこうだ、この役所だからこうだということはないはずなのですけれども、底に流れているものが、ずいぶん子供に対しての影響が違っているのではないかというふうに私は感じております。どういうことをしつけていこうか、教えていこうかというようなことについての話し合いがだんだん進んでまいりまして、書いたものを拝見しますと、指導要領ではないけれども、大体似たようなものが非常に多いわけですけれども、流れているものがやや違うということが、本当に子供の側に立って考えたときに、いろいろなものがまた新たに光を当てられてわかってくるのではないかと思います。それが将来にわたっては、今度はたくましい、あるいは創造力のある子供をつくっていくかどうかということの一番根元のところにかかわってくる問題ではなかろうかと存じますので、今後ひとつ御注目をいただきたい。いかがでしょうか。
○谷垣国務大臣 私もまだ保育所、幼稚園ともども、そういういま言われましたような観点から調査したことはございませんが、保育所の関係も、私も前からそれぞれ知り合いもおりますので、話を聞いておるわけでございます。これは本来成立いたしました経緯と目的が違うわけでございます。しかし、そうだからといって、大切な乳幼児の時代に、単に預かっておるというだけではいけない点があろうと思いまして、厚生省や文部省等も恐らく関係したと思いますが、保育所におきます教育の観点から見た行き方はこういうふうにしようじゃないかというようなことについては、話し合いをしながらやってきておるように私は聞いております。
 これは先ほどお話がありましたけれども、要するに懇談会等でも、二つの組織がある現状の中で、子供の立場も考えて、どういうふうに両方の調整ができるかというところにどうも話の重点があるようでございますので、そこらの意見も早くまとめていただいて、改めるべきところは改めたり、両方連絡すべきところは連絡しあっていかなければいかぬ、こういうふうに考えております。
○有島委員 教員養成の問題で、いつか教育大学の新設についてここでいろいろ議論をいたしました。その中で、現職の方々の教育を充実していこうということがございまして、これはまた、まさに大臣の所信表明の中ではっきりと明示されておるところでございます。この中で、現職の方々がいろいろな研究活動をやっていらっしゃる、それもどこかの研究会に参加するというだけではなしに、自主研究の発表をすることが非常に有益だという話を私は承ったものですから、こういうことを奨励するようにして差し上げたらどうかということを申し上げました。これについてはその後どういうふうになっておるでしょうか。
○谷垣国務大臣 いまの御指摘になりましたような問題を含めまして、具体的に五十五年度の予算の中に組み込んでおります。局長の方から詳しいお話をさせていただきます。
○諸澤政府委員 この問題は、従来はいろいろな研究団体に国から助成をすることによって、その研究団体を通じての研究活動ということの奨励をしてきたわけでございます。たしかおととしの文教委員会だったと思いますが、先生からもグループの研究活動の助成というようなお話がございまして、私どももちょうどそのことを考えておったものですから、五十四年度の予算で、たとえば国語なら国語について何校かの先生がグループをつくって研究しよう、そういうグループ研究を助成するという助成金を予算に計上しまして、五十四年度から始めたわけです。最初の年は一県二十グループということでやりまして、五十五年度はそれをさらにちょっと拡大して二十五グループということで、いま予算をお願いしております。
 それで実施の実績がどうかということでございますが、これは五十四年度が初めてでございますけれども、各県の反応としては、自主的にいろいろなテーマを求めてやろうということで、率直に言ってぜひこれをもう少し充実してほしいという要請もありますので、今後さらに充実する方向で検討してまいりたい、かように考えております。
○有島委員 結構でしょう。それでは大いに充実させてあげていただきたいと思います。
 今度は免許をとる学生さんの側のお話の中で、実習をやらせるということ、これが隘路になっておった。これはいろいろな意見があるわけでございますけれども、私一つの提案をいたしましたのは、身体不自由の方々の特殊教育の場、こういうところに参加させることをひとつ決めてしまったらどうだろうか。と申しますことは、実習というのは余り長い間するわけにはまいりませんで、限られたほんの数日の時間である。この間に何を要求されておるのか。さまざまな要件があるわけでございますけれども、そこに参加した人たちの感想を聞きますと、子供に対面して子供たちのきらきら輝くひとみを見て、ああ、ここで私はやっていこう、そういうふうな感動を覚えたというようなことが一番の収穫みたいになっておるようですね。子供に触れるということ、そこで自分が今後やっていこうという気持ちを決めるということであろうかと思うのですね。そこでいろいろな専門的な授業、運営の知識を得るということもそれは大切なんでしょうけれども、そういったことはむしろ現職になってからでもよろしいこともたくさんあるわけです。そういった教師となった使命感を持つ、持たないということが一つの決め手であるというふうな認識に私たちは立ったわけであります。
 そこで、身体不自由の方々あるいは知恵のおくれた方々のお世話をする、これは教育というものがわずかな痕跡であろうとも子供たちの持っている能力を育てばぐくんでいきましょうという一つの活動であるとするならば、典型的な教育の原点とも言われるべきものであろう、こういうことを経験させていくことが非常に有益なことであろう、もしそこで、こういうめんどうくさいことであったならば私はとてもいやだという人は、また別なところに道を探して行ってもよろしいであろう、そういった一つの使命感を感じる場所にしてはどうかというふうに御提案を申し上げた。そのときに、砂田文部大臣だったと思いますが、それは大変示唆に富んだ話だから、できる限りやってみましょうというようなお答えであったと思うのですけれども、その後どのようになっておりますでしょうか。
○佐野政府委員 御指摘の点につきましては、まず教員養成審議会におきまして、現行制度のもとにおける教育実習の改善の方策というものの御審議を先年いただいたわけでございますけれども、その際に私どもの方から問題提起をいたしました。このことについては、教員養成審議会もこれを積極的に受けとめてくれまして、改善に関する報告の中に、いま御指摘のような特殊学級等における実習の機会を持つという点について積極的に検討をすることが望ましいということが掲げられております。さらに、それと並びまして教育大学協会に対しましても、この問題についての取り組み方をお願いをいたしております。教育大学協会の方の関係の委員会でも、この問題について検討をしていただいております。現在いずれもそういった教員養成学部の関係の方々の間では、この問題については事柄を積極的に受けとめて、それに対する対応を検討しようというところまでは来ているわけでございます。
○有島委員 それでは、それもお進めいただきたいと思います。
 そこで、大学といいますか、高等教育の問題をやりたいと思うのですけれども、大学ということにつきましても、これもさっき冒頭にいろいろ議論申し上げたような視点でもってもう一遍考え直さなければならない点がたくさんあるのじゃないだろうかと思うのです。大学というのは一体何をするところだろうかという素朴な話ですけれども、この辺からひとつ大臣のお考えをいただきたい。
○谷垣国務大臣 改めて大学は何をするところだと質問されますとちょっと答弁に困るわけでございますが、大学の目的は、学術その他の振興を図って、そのために必要な学生を教育する場所だということになっておると思います。
○有島委員 大学の問題でもって、これは高等教育というふうに言っておりますけれども、教育研究ということになるのじゃないでしょうかね。どうしていまこんなこと言っているか、いままでの経緯をちょっと言います。
 昭和五十年から五十一年ぐらいにかけて、永井文部大臣のいらしたころであろうかと思いますが、私たちかねてから主張しておりました単位の互換とか資格付与の制度、あるいは昔の少ない人数であったときの大学の教育といまの多人数の時代の大学の教育との違い、それに応じて現実的には学習の形態がもう多様化しておる、これをやや整理して考えるべきではないかなどということを大分申し上げたことがございます。
 それから、学歴偏重の問題がやはり議論されたことがございまして、これは海部文部大臣のときであったかと思います。学歴が偏重されるのはどの辺なのかといべと、学歴は本来尊重されるべきものであって、それが尊重されないで偏重されているところに問題があるのだろう、その尊重されるべき学歴というのは一体何なんだろうかと積極的に突っ込むという方法も一つあるのではないだろうかということを私どもは申し上げた。
 それで、卒業資格を本当に厳正にすべきではないだろうか。それから学習研究の一つ一つの単位でございますが、これはオーケー、オーケーでない、もう少し厳正に、教授会が本当に権威を保てるようにやるべきではないだろうか。そうなると卒業資格というのは学年制によらないで、単位の累積加算ということでいくべきではないのだろうか。それからまた、一時学籍を離れて就職した後でも、希望によって復帰して継続学習研究ができるように工夫すべきではないだろうか。現在四年制大学ですと八年間くらいが限度になっておるようであります。それから数年を経て戻ってきたときに、昔の累積単位の一部が評価の対象となって単位の累積加算ができるようにすべきではないだろうかということを申し上げたこともあったわけであります。
 こういうことが今度高等教育の計画的整備についてという大学設置審議会の御報告ですか、この中にもやや扱われているようでございますが、その辺は一体どのように扱われておるのか、承っておきたい。
○谷垣国務大臣 いま御指摘いただきましたような点は、大学の教育を開かれたものにしたり刷新したりする上で非常に傾聴すべき意見だと思いますし、またそれぞれの手配ができておることと私は考えております。もちろんこれに対しまして改善したり、あるいは阻害要因もあろうと思いますが、実情につきまして局長の方から御報告させていただきたいと思います。
○佐野政府委員 いま先生御指摘のいわゆる高等教育の整備に関する後期の計画についての設置審議会の報告は、基本的な柱が二つありまして、一つは、量的な拡充を抑制して質的な充実に努力するということでございます。もう一つは、高等教育というものを考える場合に、従来の大学、短期大学、高等専門学校に限らずに、より広く専修学校なり、あるいは大学においても、放送大学や通信教育までを含む広い中等教育後の教育の広がりの中で国民の要請を受けとめる、そういうことを考えていくべきであり、さらに大学相互間あるいはそれぞれの高等教育機関相互間における流動性、そういったものを高めることによって高等教育全体の構造をより柔軟なものにしていく努力をすべきだというのが二つの柱になっているわけでございます。そういう意味で、いま先生御指摘の単位の互換の問題につきましても、これはすでに制度は開かれておりますから、それが活用されるように、われわれも鋭意大学に努力を促しているわけでございます。
 ただ、単位の累積加算というような問題になりますと、これはかなり大学の制度の根幹にかかわることでございますので、その報告においてもそれを積極的に検討しろという御指摘がございます。われわれもそれについての検討はいたしておりますけれども、やはり放送大学のような機関をつくることに伴ってこの問題についても具体的な対応を考えていかなければならないのではないか、そのように考えているわけでございます。
○有島委員 私たちとしては、これは全国大会で党内でもって話し合った議論なんですけれども、大学の問題の解決を困難なものにしているのが大体六つか七つくらいの要因があるのじゃないんだろうか。
 一つは、国公私の教育条件の格差が著しいと言われておりますね。これが学歴偏重だとか学閥なんとかということに連動しておる。この問題を一体どうするのか。
 それからもう一つは、経済変動に応じて特に私立におきまして経営が著しく困難になっておる。それで教育条件が低下する、それから授業料が上がる、こういうことが同時進行していくということがございます。
 三番目には、学問そのものが非常に細分化しておりまして、いろいろな学問領域を抱え込まなければならぬ。それなのに大学の運営、制度がこうした情勢に柔軟に対応し切れないような体制になっておる。学生たちにとっては、各自いろいろ多様な欲求があるのだけれども、その組み合わせの幅が非常に狭い。
 四番目には、学生の数が非常に大量になっている。だからこれを受け入れるために何かもっと工夫されていなければならないのが、昔ながらの方式に固執しておるからどうしても研究も教育も何か質がだんだん希薄にならざるを得ないのじゃないだろうか、こういった憂いがある。
 五番目には、入学試験が大変むずかしいということですね。
 それから第六番目には、これは大臣も所信表明の中で言われております国際的な問題が本当は大学の一つの存在理由の中に入ってくると思うのですけれども、これは言語教育の不徹底というようなことも一つはあろうと思うのですね。国際交流に際しての言語の障害というようなことがある。特にこれはアジアの諸国を初めいわゆる発展途上国の方々との接触というのは、私たちは戦後ずっと大体欧米だけを見て過ごしてきてしまったというような経過がございまして、これも八〇年問題のうちに入ろうかと思うのですけれども、直にお話しすることがなかなかできませんで、言葉の上でも英語ないしフランス語でもって、ほとんど同じ顔つきをして同じ皮膚の色の人たちと話す場合に欧米の言葉を媒介にしなければならぬということも起こっておりますね。それからまた、大学で教えている語学が余り信用がない、そしていろいろな議論もなされている、こういったこともあるようでございます。
 こういうような六つ七つ、いろいろ問題があると思うのですけれども、こういう中にあって、いま佐野大学局長が報告されました、今後いままでの行き方よりはずっと弾力的な高等教育というものが展開されるという見通しがつきつつある。これは私たちも大変結構なことであろうと思うわけであります。
 こういうふうになった際に、また学生側から考えましてどういうことになっていくのか。かつて高校の多様化ということが行われたときに、学生たちが、確かに高校そのものはいろいろ多様化されているんだけれども、そこに入っていく自分たちは盲腸の中に詰め込まれているようなものであるというようなことを言ったことがあるのです。そして大変不評判になってしまいまして、後で高校の問題も時間があればやりたいのですけれども、普通高校の方が結局人気があるというようなことに相なった。それで大学の方もいろいろな手だて、専修機関ないしは放送大学と言われるものまで含めて一つの高等教育機関をつくっておる。つくったけれども、その間に、一人の学生にとってそのどれか一つを選んだらばよかろうと言われても非常に当惑するわけなんです。ですから、一つの大学に籍を置いて、極端なことを言いますと、私立の大学に籍を置いて国立大学の授業も受けられる、あるいは非常に実技的な問題であるならば専修学校の授業も受けられる、そして単位も認定されていくというような状況が今後どうしても開かれなければならないと思うわけであります。それはいかがでしょうか。
○谷垣国務大臣 いまのお話しの点は、今後そういう方向に進めていく努力をすべきだと私は思っております。先ほど単位の問題その他で局長の方からも現状の報告があったと思います。大学間の格差も相当ございますし、あるいはそれぞれの評価の問題もあろうかと思いますが、漸次そういう方向に進めていく工夫をやっていくべきであるということには同感でございます。
○有島委員 現在は大学間、それも国立大学間あるいは私立と私立の大学間というようなことに限定されておりますけれども、それがここ数年の間にどんどん急激に開かれて、大学と専修学校、そういうところとの互換ということさえ考えなければならない、そういった事態であるということを大学設置審議会でも示唆しておるんじゃないかと思います。そして放送大学も単位の互換をするんだから、これは大学の資格を取っておかなければならないというようなことがあるようでございますけれども、私どもはそんなにこだわらなくてもよろしいんじゃないだろうかというふうに思っております。専修的な――専修というのは実技ばかりじゃなしに教養科目の専修というようなこともあってもよろしいのではないかと思うのであります。
 そこで、学生にとってそういうふうに高等教育を受けるチャンスが大変幅広く開かれてくるということになりますと、これは言いかえますと、高等教育の多様化ということは、授業形態の多様化といいますか教育形態の多様化というか、学習形態というか修学形態というか、いろいろな言い方があると思いますね。履修形態と言ってもよろしいかもしれない、あるいは教育研究形態と言ってもよろしいかもしれない。こういうものが多様化されてくるという結果になろうと思うわけです。大学の教育研究というものが教授と学生との人間的な触れ合いと申しますか出会い、こういった中でもって研究教育が進められていく。そこで知識の受け渡しがあって、そこにそういったことを通じて学究的な態度であるとか、あるいは方法であるとか、あるいはさらにまたもっと本源的な人間的な英知であるとか、そういうものが開発されていくというところに、さっき五十二条を挙げられましたけれども、大学といいますか高等教育の高等教育たるゆえんがあるのではないだろうかと思います。大量の人たちがいろいろなところに来るので、すべてにこんな理想的な人数で限定して授業形態を確保するということは不可能でありましょう。そうなってきますと、ある程度の単位だけは、少人数教育の理想的な教育研究が確保されなければならないというふうにどこかで一つの歯どめをかける、規制をすることが必要になるのではないかというふうに私たちは考えるわけです。現在授業の方法として講義、演習、実験、実技、こういうことが法律の中には出ている。法律といいますか、これは設置基準ですか。それから、教室内と教室外での学習、研究というようなことが、またこれも設置基準の中にあるようであります。
 それから、さっきの単位の互換ということになりますと、当該大学においてとか、他の大学においてとか、こういうことがございます。それから、さっき大学局長からのお話しですけれども通信、この通信の中に放送ないしは文章ということになるでしょう。それから放送といいますますけれども、ビデオということもあるでしょう。これは視聴覚メディアということにもなるでしょう。
 それから、こういう中でおおむね五十人でやる、これは二十九条に書いてあるのですけれども、「二百人をこえない」という規定がある。こういうことについてもう一遍少し考え直さなければならないのではないだろうか。これは御検討いただけないか、いかがでしょう。
○谷垣国務大臣 御指摘のところに問題があると考えております。これは科目によりできるところとできないところとあろうかと思いますが、大量の大学生を収容するということと、少人数の教師と学生との接触の場を持つこととは、言葉の上から言いますと矛盾することでございますが、多様な学科がございまして、それが可能なものが当然あるわけでございます。すでに先ほど大学局長からも話がありましたように、ある程度のものはやっておるわけでございますが、今後こういう問題についても検討をいたさしていただきたいと思います。
○有島委員 いまおっしゃったことを具体的にするとどういうことになるかということですが、これは一案でございますけれども、ある単位に関して学習形態を明記していく、記録していく。この単位は、枢要なものにつきましてはどういう履修形態でやっていくのか、そういうことも今後明らかにしていかなければならないのではないだろうかと思うわけです。いままではこの大学においてはいろいろなことを教えます、こうなっているわけです。これは場合によれば他大学で受けてもよろしい、これは放送で受けてもよろしい、この部分だけはわが大学においてゼミでもって確保しましょう、あるいは卒業資格につきましても、わが校を卒業した、何々学部を卒業したというならば、これだけの部分はこれだけのことやってからでなければ資格は差し上げないことにいたしますというような履修形態のただし書きをつけなければならないような状況というのが当然起こって来ようかと思うのです。そういうことをひとつ御検討いただきたい。いかがですか。
○谷垣国務大臣 当然いま申されましたようなことも含めまして検討をしなければならぬと思います。各大学それぞれの自治という問題がございますので、十分それらの点は検討をさせていただかなければならぬと思っております。
○有島委員 時間が来たようなので、これはこの辺にいたします。
 最後に一つだけちょっとお許しいただきたいのですが、教育をするといっても大概日本語で行うわけでありまして、外国語も日本語を媒介としてやっておるようでありまして、日本語の学び方、日本語の扱い方、これが教育の一番基礎のところにあるということを強く感じておるのです。それで日本語のための本格的な辞典をつくらなければいけないのではないだろうか。三十年かけても四十年かけてもいいから、使用例の非常に豊富な本格的なものをつくってもらいたい。それから日本語の性質として和語の中に漢文といいますか、漢語からきている外来語あるいはこうやってお話していてもところどころに英語などが入るわけです。外国語を交えながらいろいろやっているわけです。そういうものをどのように辞書の上では扱っていくのか、こういうことも研究しなければいけないのではないだろうかということを前に御提言申し上げました。いまも文化庁の方ではそのお仕事をお始めになっているやに伺っておるのですけれども、その経過報告を承れればありがたいと思います。
○犬丸政府委員 国で国語辞典を編さんする問題につきましては、かねてから先生からも御質問いただいておりました。国立国語研究所は、その設置法におきましても辞典を編さんするということが職務になっておりますので、国語研究所を中心として五十二年以来準備を進めておりますが、何せ現在日本にございます日本国語辞典で一番大きなものは小学館のものでございます。あれは二十巻ございます。あれをつくりますのに十六年かかっております。
 そういうようなことで、本格的に国でつくる権威のある国語辞典ということになりますと、大変多くの人とお金を使って長い日子をかけてやらなくてはいけませんので、その全体計画をどういう角度でどういうものをつくるかというまず予備段階での調査が非常に大事なことになっております。五十二年以来準備調査会を国語研究所に設けまして、その調査を進めてきておるわけでございます。
 現在までの段階で検討を進めましたことは、主なことを申し上げますと、まずいまの小学館のものも含めまして、既存の日本にあります辞典はどういうものがあるか、それはどういう角度でどれくらいのものをやっておるか、それを上回ると申しますか、それの満たし得ない、本当に国ではどういうものをつくったらいいのかという見当をつけるためにその調査をいたしました。
 それから外国で、国でつくっておる例は余りございません。たとえばイギリスのオックスフォード大辞典ですか、そういったようなものも民間でやっておりますけれども、外国におけるそういう最高の権威あるもの、あるいはフランスでやっておりますのは国でやっております。これも長い時間をかけてこれからやろうといたしておりますけれども、そういったものがどういう形のものがあるのか、どういう角度から語彙を集めておるかというようなことの研究、これは部分的には抜き出しまして、その部分を翻訳して比較検討するというようなこともやっております。
 それから、語彙をとにかく集めなければいけません。いま先生おっしゃいましたように、用例を広く拾うことが一番大事なことでございます。いまの小学館の国語辞典でも用語例の用例としては一語平均四ないし五しかないということでございます。もっともっとこの何倍になりますのか、多くの用例を拾わなければならない。そういう用例を拾いますためにどういう文献を拾い上げたらいいかという文献調査、その語彙を拾い出すべき文献のリストをつくる、この作業を進めております。年代別にもちろん古いものから新しいもの、それから現在のものとどんどん動いてきております国語の状況を調べなければなりません。
 いまの小学館の日本語辞典もかなりよくできておりますけれども、特に戦後から現在にかけての新しい用語につきましては、まだまだ不十分な点が多いというふうに聞いております。そういうための文献目録の作成とか、それから用語をとるにつきましてもいろいろなやり方がございます。ある種類の文献につきましては、そこに出てくる用語を全部拾い上げる。悉皆拾い上げる。しかしながら、たとえば新聞、雑誌等のものを全部拾い上げておりましたら無限のものになりますから、ある程度のサンプリングをしなければいけない。そういうサンプリングをどういう方法でやるかというような問題、それから言葉によりましては、専門家の立場から目ぼしい用法をマークしまして、それを追跡していくという方法等がございます。そういうような方法につきまして方法を確立し、しかも予備調査的なものをやっていかなければならない、そういう問題がございます。
 それから、言葉を拾い上げる場合に、専門家では最終単位と言っておるようでございます。たとえば世界最高記録という言葉がございますと、これを世界最高記録でとるのか、世界と最高と記録に分けた方がいいのか、あるいは最高記録で切ったらいいのか、そういう問題等もあるようでございます。これも実例に即して――これは漢語でございますけれども、大和言葉でもそういうことがあると思います。そういう区切り方をどうしたらいいかという研究をすることと、それからもう一つは、当然これからコンピューターを使っていかなくてはならないと思います。そういった場合にこれをどういうふうにモード化していくか、コンピューターに乗せていくか、特に漢字の問題がございます。これをどうしていくかという問題もございます。
 そのような基礎的な問題を着々といま研究を進めておるわけでございまして、だんだんにその成果をこれからまとめていってもらいたいと思っておりますけれども、問題自体非常に大きな課題がございますので、なお引き続き五十五年度におきましてもこの予備調査を進めてまいりたいと思っておる次第でございます。
○有島委員 方言の問題はどうなりますでしょうか。
 それからもう一つは和語と漢語、この配列の問題なんかは何か御調査をやっていらっしゃるでしょうか。
○犬丸政府委員 これは当然和語、漢語を含めまして包括的に拾っていくわけでございます。それからあるいは外来語でございますね。明治以後入ってまいりましたような、あるいはその前から入ってまいりましたヨーロッパの言葉から日本語化しているもの、全部拾っていくわけでございまして、それらにつきましては国語研究所の中ですでにある程度の調査はしております。
 それから方言につきましては、非常に包括的な調査を国語研究所自体でいままでやってきております。そういうようなものの成果も取り入れまして、それを辞典にはどういうふうに載せていくかということをこれから研究しなくてはいけないわけでございますけれども、当然そういう面につきましても研究を進めておる次第でございます。
○有島委員 大変じみな問題かと思いますけれども、それこそ二十年、三十年先の日本を支えていくような大切な問題であろうと思います。予算がどういうふうになっているのか、お足りになるのかどうか、何とかこれも余りしみったれないでやっていただきたいと思います。
 大変時間を超過いたしまして申しわけありませんでしたが、さっきの何か答弁落としがありましたか。――では、それだけいただいて終わります。
○植木政府委員 先ほど先生から御質問のございました補助金の整理合理化の状況はどうかということでございますが、昭和五十五年度の予算編成過程におきまして文部省関係の既存の補助金等につきましても、その意義とか効果について見直しを行ったわけでございます。そして補助金の整理合理化に努力をいたしたわけでございますが、結果といたしましては昭和五十五年度の文部省関係の予算案におきましては合計十六件の補助金を整理合理化によって廃止をする、かようになっております。金額は六億七千八百万円でございます。
○有島委員 大臣、言っておきますけれども、おふやしになった補助金がやはり五件あるのですよ。それが大体六億円なんですよ。これもきょうはもう議論しませんけれども……。
 どうもありがとべございました。
○谷川委員長 次回は、明後二十二日午前十時理事会、午前十時三十分委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。
    午後四時二十七分散会