第104回国会 文教委員会 第10号
昭和六十一年四月二十五日(金曜日)
    午後一時五十一分開講
出席委員
  委員長 青木 正久君
   理事 臼井日出男君 理事 北川 正恭君
   理事 鳩山 邦夫君 理事 佐藤 徳雄君
   理事 池田 克也君 理事 中野 寛成君
      赤城 宗徳君    田川 誠一君
      中村  靖君    二階 俊博君
      森田  一君    木島喜兵衞君
      田中 克彦君    中西 績介君
      馬場  昇君    有島 重武君
      藤木 洋子君    山原健二郎君
      江田 五月君
 出席政府委員
        臨時教育審議会
        事務局次長   齋藤 諦淳君
 委員外の出席者
        参  考  人
        (臨時教育審議
        会会長)    岡本 道雄君
        参  考  人
        (臨時教育審議
        会会長代理)  中山 素平君
        文教委員会調査
        室長      高木 高明君
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 文教行政の基本施策に関する件(臨時教育審議
 会の教育改革に関する第二次答申に関する問
 題)
     ――――◇―――――
○青木委員長 これより会議を開きます。
 文教行政の基本施策に関する件について調査を進めます。
 本日は、去る二十三日行われました臨時教育審議会の教育改革に関する第二次答申に関する問題について、参考人から意見を聴取いたしたいと存じます。
 御出席の参考人は、臨時教育審議会会長岡本道雄君及び臨時教育審議会会長代理中山素平君であります。
 両参考人には御多用中のところ本委員会に御出席いただき、まことにありがとうございます。厚く御礼申し上げます。
 参考人からの意見聴取は、委員の質疑にお答えいただく形で忌憚のない御意見を承りたいと存じます。
 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。二階俊博君。
○二階委員 去る四月二十三日、臨時教育審議会は第二次答申を提出されましたが、二十一世紀に向けて教育の基本的なあり方を示すために長期間にわたる熱心な御審議に対しまして、まず敬意を表したいと思います。
 一昨日、第二次答申を受けられた中曽根首相は、貴重な提言で最大限実行していくと決意を述べられております。我々もまた臨教審の御提言を評価するものでありますが、審議会の性格上、ともすれば意見をまとめることに御苦労されて、常識的な議論が多過ぎるのではないかという声もちまたにはあります。目下のところ、国民の教育に対する最大の関心事は何といっても教育の荒廃についてであります。答申には、いじめ、非行、受験戦争等の要因について一応の分析を述べられておりますが、今、国民に向かって協力を呼びかけ、ともに教育改革に立ち向かうための具体策をこの際はっきりさせておく必要があります。これに対する岡本会長のお考えをまず伺っておきたいと思います。
○岡本参考人 今、先生におっしゃっていただきましたように、いじめを初め教育の荒廃につきましては全体にわたっていろいろと詳しく述べておるわけでございます。具体的に国民に向かってということでございますが、具体策につきましても、初中教育の部分で一つの枠を設けましてその対策を述べておることは御承知のとおりでございます。
 ただ、一般的に申しましても、やはり国民に訴えるということが大事だと思いまして、二十三日に答申を出しましたときに、会長談話として私の申しました言葉がございます。荒廃と言われる教育の現状については、現代の豊かな物質文明の上にある社会の風潮とか世相といったものと大いに関係があるというようなこと、負の副作用というものが大きいということでありますが、さらに、具体的にそれを述べまして、とにかく若い者が負けたときにくじけない魂を養う、そういうことが緊急なことなんだというようなことを会長談話として、相当長いものでございますけれども、内容は極めて具体的な呼びかけをこのたびはいたしておるというようなことでございます。
 この臨教審の性格上、こういう具体的な問題、緊急な問題に対しては一歩下がって、より基本的なものを探してこたえるということでございますので、全体にわたってそれが分析してあることはもちろんでございますけれども、この荒廃に関しましてはそういう緊急対策も述べておる、しかも会長の談話としてそういうものをこのたびは訴えたということでございます。
○二階委員 答申において「学校教育の荒廃」について述べられている中で、「教育界の信頼の回復」という項目に、教育界の相互に「根深い不信の構造がある」と指摘されておるわけであります。「校内暴力、陰湿ないじめ、自殺などの教育荒廃は、子どもの心の荒廃であるといわれるが、こうした子どもの心の荒廃は、教育界内部の相互不信による心の荒廃と決して無関係ではない。」と言い切っておられるのであります。一体これは何を言わんとしているのかはっきりしないわけであります。毎日のように新聞やテレビに出てくる若い、小さな子供たちのいじめや自殺の原因が、臨教審の答申に言われるように教育界内部の相互不信と無関係ではないとするならば、当然、関係者に対し、厳しい反省が求められると同時に責任が問われてしかるべき重大な問題であります。
 さらに、答申には、「我が国教育界は歴史は歴史として、」とあいまいに表現しておりますが、続いて、「戦後教育界の不幸な対立に思い切った終止符を打たなければならない。」という決意が述べられております。この「戦後教育界の不幸な対立」とは一体何を指しているのか。教育界の相互不信の問題がもしあるとするならば、これこそ二十一世紀のための教育を論ずる以前の問題であり、私は、こうした問題についていま一歩踏み込みが足りない気がしてならないわけであります。これについて、もう一度岡本会長の御意見をお伺いしたいと思います。
○岡本参考人 仰せのように、相互の不信の一掃と相互信頼の回復、政治的対立を超えるものとしての教育の復権、教育の主体性を確立することが極めて重要であるという考え方を述べておるわけでございます。これが何を指すかということは、御想像のとおり、やはり日教組を中心とする教育現場と文部省との対立というようなものがあるわけでございますけれども、私が繰り返しこの国会でも申しておりまして、また審議会の方針にもしておりますように、現在の教育が荒廃しておるということを認めるならば、今日までこの教育に力を及ぼした者は皆責任があるんだ、国、文部省、それから日教組を中心とする教育現場、それから自治を主張してまいった大学、これらすべてを許してきた国民、こういうものは皆責任があるんだから、この際、教育的見地に立てば、おまえが悪いという言い方はもうしない、臨教審の答申も絶えずそのことを心得て、みずから制してここの表現にとどまっておるのですというようなことを申しておりますので、この点は、臨教審としても、教育の荒廃と言われる状況を一致団結して皆で回復するように努力しよう、おまえが悪い、おまえが悪いという言い方はしないというような方針をとっておるわけでございます。
○二階委員 この際、初任者研修制度について一言お伺いしておきたいと思います。
 以前にも都道府県教育委員会等から大変強い要望があったわけでございますが、財政的な理由でなかなか実行ができなかった。今後はぜひ財源を確保して初任者研修制度を積極的に実行していただきたいと考えるわけでありますが、これについての課題をお尋ねしておきたいと思います。
 なお、初任者研修制度とともに、これから教員の資質向上を図る上において、大学の教育学部のあり方をもっと真剣に考える必要があるのではないかと思うわけであります。やがて教師になる人を教育する大学の教授に人を得ないことには、いい教師が育つわけがないのであって、また、単に単位を取るだけで簡単に教師の資格が得られるという大学のシステムにも一工夫改革を加える必要があると考えるわけでございますが、これについて中山会長代理の御意見を伺いたいと思います。
○中山参考人 今御指摘のように、教育ということになりますと、第一はもう人の問題になります。したがって、教員の資質向上ということがあらゆる面から考えられるべきだと思います。その一つとして初任者研修の制度導入ということも提言されておるわけでございますが、と同時に、大学におきますそういった教育、これを充実するということも当然並行的に考えていくべき問題だと思います。
○二階委員 終わります。
○青木委員長 佐藤徳雄君。
○佐藤(徳)委員 大変お忙しいところをお出ましいただきまして、ありがとうございました。
 かなり三万一千語にも及びますところの膨大な答申内容でありまして、一通り目を通さしていただいたわけでありますが、かなりの問題点も中には含まれているな、こんな感じを読んだ後に感じとったわけであります。したがいまして、限られた時間でありますからそう多くのことをお尋ねできないかもしれませんが、基本的な問題につきまして幾つかお尋ねをいたしますので、簡潔にひとつお願い申し上げたいと思います。
 私は、まず最初に、臨教審が発足をする段階で、本会議の中で中曽根総理からの見解も表明をされました。その際には、教育基本法をあくまでも守る、その精神にのっとるということがすべての前提条件でありましたし、そして、この教育改革は国民の合意を求めるものだ、こういう前提で幾つか見解を述べられたことを記憶しているわけであります。
 ところが、御承知のとおり、かなり膨大な中身でありますだけに、この中身全体を国民合意を求めるということを前提にすれば、なかなか国民の皆さんに行き届かないのではないか、こんな感じすら持つわけであります。読むだけでも精いっぱいというような状況でありますけれども、何とかしてせっかくまとめられた中身をわかりやすく国民の皆さんに読んでいただけるような、そういう配慮も冒頭お願いしたい、こう思っておるところであります。
 さて、第二次答申が発表されました前後に至るまで、御承知のとおり子供の自殺が相次ぎました。きのうの夕刊を見ましても、千葉県の子供がまた飛びおり自殺をしたことが報道されているわけであります。四月二十四日のNHKのテレビニュースによりますと、本年の一月から四月の二十二日まで、既に二百十三人の子供たちが自殺をしていると報じられているわけであります。しかも、四月二十二日その一日だけで六人の子供たちが幼いみずからの命を絶っているわけであります。極めて重要な問題でもあると同時に、どうしてこんなに自分の命を粗末にするのかな、こんな気持ちを抱かずにはいられません。
 そこで、答申では、学校教育の荒廃の問題もかなり長く述べられております。あるいはまた、教育荒廃の諸要因等が載せられておりますけれども、最近における子供たちの自殺の多発につきましてどのようにお考えになっておられますか。いじめによるものもありましょうし、最近では飛びおり自殺がかなり件数としては多くなっているわけであります。先般、江田委員が問題を取り上げましたけれども、歌手の岡田有希子さんの飛びおり自殺に影響されたのかどうかわかりませんけれども、後を絶たない、こういう嘆かわしい状況であります。したがいまして、第二次答申をまとめられました立場から、臨教審の会長としての御見解をまず冒頭お伺いをいたします。
○岡本参考人 この問題につきましては、大変私自身も胸を痛めておる問題でございますが、何と申しましても、私は、子供の成長段階にしっかりした自己が確立してない状況が一番大きな問題だと思っております。これは私の専門的な立場で強くそういうことを感じておりまして、この「はじめに」のところにいじめの問題を書きますときも、この基本は家庭にある、こう申しましたけれども、家庭にあるという表現自身には問題があるとしましても、そのすぐ中にやはり発達段階に応じたしっかりしたしつけができていないということが一番大きいと思っておるのです。したがって、くじけない気持ちというか、もう少し鍛錬される気持というものが大変大事だと思いまして、実は会長談話には、負けてもくじけない気持ちというものをしっかり持たなければいけないということ、それで家庭教育、学校教育の章の基本の中には、そういうものをしっかり入れておかなければいけないということを強く痛感いたしておる次第でございます。そういうことをこのたびの答申とともに会長談話を発表しておるとおりでございます。
 この点は、私も先生と同じようにこの問題に対しては大変胸を痛めておりまして、数年前に校内暴力、家庭暴力が一番熾烈なときに、私は青少年問題審議会の会長をいたしておりまして、あのときの答申を出しましたときには、やはり今と同じような立場に立ったのでございます。しかしながら、そういう緊急な対策と同時に、健全育成というか、特に青少年の健全育成ということに立たなければいかぬというので、あの答申は健全育成ということを主流にして出しておりますが、このたびの答申も、緊急の対策として、七十三ページの第五節に、さしあたりこれくらいなことはどうしてもやって、これを防がなければならぬということと同時に、やはり全体にわたる対策を詳しく述べておる、そういうことでございます。
○佐藤(徳)委員 いずれこの問題については触れさせていただきます。
 次に、端的にお尋ねをいたします。御承知のように、教育の荒廃がもたらしたものはたくさんあるわけでありますが、それだけに、国民が持っているところの、とりわけ子を持つ親たちが持っている教育問題についてはたくさんのものがあるわけであります。そこで、この第二次答申をまとめられるに当たりまして、国民が、とりわけ子を持つ親たちが今一番求めているもの、教育に対して期待をしているもの、あるいは改善をしてもらいたいと思うものは一体何であったでしょうか、どういう受けとめ方を臨教審自身がされましたのか、その点についてお答えをいただきたいと思います。
○岡本参考人 家庭が学校に対して求めるということでございますけれども、家庭のお母さんが学校に対して求めておったものは何かといいますと、やはり自分の子供一人一人の個性をと申しますか、一人一人を大事にして、その状況をできるだけ早く把握して、そしてそれに対して対策を講じて、そしてとんでもないところに行かないようにしっかりしてほしいということでございます。その原因がもともと学校偏重の画一的な教育にあったというようなことから、このたびの教育改革を個性尊重というようなところに置いておるわけでございまして、やはり一人一人の自分の子供を注意しながら大事にしてほしいということに尽きると私は思っております。
○佐藤(徳)委員 答申の中身にも触れますから、意見を申し上げる機会がありましたら申し上げますが、今おっしゃられたお答えが、私は間違っているとは申しません。しかし、今日、子を持つ親たちが一番思っていることは、求めているものは、やはり高校入試の問題がかなり大きなウエートを占めているのではないか、私はこんな感じを持っておるわけであります。それは単なる感じだけではなくて、各種の新聞の世論調査等についてもそれが実は鮮明に出ておりますし、皆さんがまとめられましたこの中身を見ましても、例えば偏差値教育の問題であるとか、差別、選別や輪切りの問題であるとか、学歴偏重の問題であるとかたくさんありますけれども、その主たる要因が臨教審なりに記載をされておりますけれども、高校入試に悩む、そして受験戦争に子供たちを追いやっていったそういう状況から解放してほしいという親の願いといいますか、気持ちというものが臨教審の皆さんには伝わっていないのかなと、失礼な言い方ですけれども、私は今のお答えを聞いて実はそんな感じがしたわけであります。いずれこの問題は後ほど触れさせていただきます。
 第二次答申のポイントでありますが、簡単にお述べください。
○岡本参考人 第二次答申は、もともと基本答申という名前で出そうと思っておったようなわけでございまして、これは第二次といたしましたけれども、この答申の中にやはり基本的なものが入っておるという意味で、これのポイントというのは大変大事なものでございますが、これは諮問に答えたものでございますので、二十一世紀に向かっての社会の変化と文化の進展に応じるものということ、それと、現在の荒廃したと言われるこの教育をいかに救うかというこの二つでございますが、そういうものを全体として見たときに、今先生もおっしゃいましたように、やはり学校に入るということが余りにも大きな問題になっておるわけですね。それで、ひとつこの理念を転換しまして、みずから一生学ぶのだというときに学校を活用するのだという理念の転換ということが大事だということで、このたびは、そのポイントとしまして、個性を尊重するということを改革の一つの方針にして、生涯学習というものを打ち出しておるというのが、このたびの答申のポイントでございます。
 最前申しましたように、先生も御指摘のように、学校へ入るということだけに、しかも早い時期のうちに学校へ入るということに一生をかける、この考え方を直さなければいかぬ。これには時間がかかるけれども、また雇用制度が現在のままではいろいろ実現は難しくても、長期的にこの方向に努力しようというのがポイントでございます。
○佐藤(徳)委員 「生涯学習体系への移行」の問題については、第一章、三十六ページで触れられております。臨教審のこの文章の中には大きな発想の転換であるという表現を使われておりますが、生涯学習そのものについては私も反対はいたしません。まさにそのとおりだと思います。しかし、中身をずっと検討いたしますと、やはり幾つかの疑問もあるし、意見も持っているわけであります。
 そこで、五ページから九ページの初めの段階まで、歴史の教訓について触れておられます。特に八ページ上段には、「敗戦と戦後改革によって「強兵」路線を否定した結果、戦後日本は「富国富民」路線に専念できることとなり、」云々と記載をされております。
 教育基本法第一条は、私が言うまでもありませんけれども、「教育の目的」でありまして、それは、「教育は、人格の完成をめざし、」云々と明確に規定をされています。
 そこで、お尋ねいたしますのは、かなり富国強兵から、そして戦後に至る富国富民の問題が提起をされているわけでありますけれども、これをまとめられる段階で、教育基本法で言うところの「人格の完成」とはこの富国富民論が結びつくという発想にお立ちになったのでしょうか、どうでしょうか。
○岡本参考人 戦前の教育が富国強兵であって、それから戦後のものが富国富民というか国民が富むということで、非連続のものは、強兵というものは完全になくなったということと、それから富民というものが連続しておるということでございます。それで、これは教育基本法の登場で、戦前の教育と異なって、人格の完成を目的にするんだということが一番大事なことであったわけですね。
 ところが、これは前回のときも私はお答えしたと思いますけれども、教育にはこういう大変大事なことがあったのでございますけれども、当時のあの戦後の窮乏のときに、経済的発展をするということは国民全部の大きな要求であったわけですね。それに応じて政策も経済を優先する方向に行ったわけですけれども、御存じのとおりその方法というものは科学技術の振興なんですね。この科学技術文明というものは、基本的に精神面というものを余り重視していないものがあるのですね。そういう文明そのものの性質と我々国民の経済を志向する気持ちとが相寄って、その富国の方、科学技術を応用して国を富ませる方は立派に成功したけれども、そのかわり精神的なものを無視したのですな。これは人格の完成という精神的に一番大きな目標をしっかりやらなかったということが大きなことだと私は思っておるのです。
 その点、おっしゃいますとおり、戦後の新しい重要なものは、教育の中では何といっても人格の完成であったのですけれども、それがややもすれば軽視されて今日の問題を起こしておる、そういうふうに私は申すわけですが、しかしこれは、当時の窮乏の状態を知っておる国民といたしましては、やはり日本のやむを得ない方向であったというふうに思っております。したがって、今こそしっかり精神的なものをということが、このたびの臨教審が、人格の完成を教育基本法をしっかり読み直して土壌に根づかせるということを目標にしているゆえんでございます。
○佐藤(徳)委員 今会長がおっしゃられました後段の部分については、私も賛成であります。
 ただ、問題は、精神教育の面にだけ力を入れたことが実は戦前の誤りを犯しているという歴史的評価もあるわけであります。ですから、精神主義教育に偏ってはならないという、そういう過去の歴史も十分にひもといてみなければいけないというふうに私は思うのであります。
 さて、戦後教育の問題についてかなり触れられております。特に十四ページには、「学校教育の「負の副作用」」、こういう表現を使っておるわけでありますが、その限りでは私は、ある意味では正しいな、こうも思います。しかし、負の副作用は、戦後教育の中でいつごろからこういう負の副作用が出始めたと理解をされていらっしゃいますか。
○岡本参考人 この学校の負の副作用というものは、近代文明の負の副作用というものと無関係でございませんので、実は高度の経済成長ということを第一に掲げたために、近代工業社会の文明の持っておる大量生産とか、そういうものが学校にも出ておるのでございまして、これは私は、その後の経済成長、今日の豊かな日本の現状と無関係なものだと思っておりません。これはいつからということでございますけれども、恐らくいろいろ最初からの、終戦直後の教育改革が徐々に中央集権になったからこうなったんだということをおっしゃろうと思っておられると思いますけれども、やはり国民の要求でこの道をたどることによって今日豊かな日本の社会を築いたのでありまして、それが基本的に誤っておったということは、今日この豊かな生活を享受しておる者としては言えないのであって、この時点で悪いものは排除していくということでございます。私が会長談話に申しておりますように、今日この負の副作用というものは大きく出ているけれども、日本はこの科学技術の文明を今後も長く強く歩まねばならないので、この負の副作用だけは今から一生懸命みんなで排除しよう、こういうふうに今申しておるので、私は、歴史で学ぶというときに、ああいう方向へ行ったからこの負の副作用が大きくなったというふうに短絡はいたしておりません。繰り返して申しますように、教育の世界だけではありませんし、日本だけの問題ではありませんので、私は、単純に中央集権の政策転換が今日の荒廃をもたらしておる、そう簡単には考えておらないということでございます。
○佐藤(徳)委員 おっしゃるとおり、まさに教育だけの問題でないことは事実であります。それは皆さんもこの答申の中に書かれております。だから、社会全体の問題としてこれをとらえなければいけない、私もそう思います。
 ただ、教育に焦点を当てれば、私の判断ですけれども、大体昭和二十七年ごろから教育が政治や経済に組み入れられてしまった可能性が十分あるのではないか。幾つかの実証を、きょうは時間がありませんから申し上げることはできませんけれども、私はそう言い切れると思います。なぜなら、少なくとも戦後荒廃の中で民主教育の確立のために先輩の皆さんが一生懸命力を入れてくださいました。そして、御承知のとおり、少なくとも文部大臣は政党からは出ておられませんでした。政党人が文部大臣になって今日まで続けられているのは二十七年以降なんですね。
 それで、三月二十八日の文教委員会で、私は一時間半にわたりまして海部文部大臣と教育全般の問題についていろいろ意見の交換をいたしました。その際、戦後教育の反省の問題に触れた際に文部大臣は、光と影があるという表現をされて答えられました。一体何が光で何が影であったのか。いかがでしょうか。
○岡本参考人 教育が経済振興に影響されたということにつきましては、私は、もっとさかのぼって明治の近代文明の採用のところから日本の教育は、工部省工学寮をつくり、東大の工学部をつくったという、あれはまさに一貫して科学技術文明の振興といいますか、科学技術立国であったと思っておりますので、新しいものだけを注目しておるわけではございませんが、影の部分というものにつきましては、これはもう私が一番痛感しておることでございまして、科学技術文明というものは何といっても知育でございますね、これは人間の理性で成り立っておるものですから、知育偏重というて今大きな問題になっておりますけれども、実はこの理性を中心にしたもので文明であるということ、したがって、形容的なものばかりに注目して形のない精神的なものを無視するということもございますし、この科学技術が実は西洋の理念でございますから、自我というものが第一線に出てまいりますし、それから、人間が最高の支配者でございますから、超越したものに対する考え方もございませんし、自然がないということですね。そういうことは皆、負の副作用として大きく出ておりまして、私は、これを克服することが、これから単に日本の問題だけでなしに実は世界の問題であると考えておりまして、この負の副作用というものを特に強く意識しておるわけでございます。
○佐藤(徳)委員 この問題についてもっといろいろ意見の交換をしたいのですけれども、時間的制約がありますから、いずれ機会がありましたらまたひとつお願い申し上げたいと思います。
 さて、二十六ページには、全体を貫く最も基本的な原則は個性重視の原則であるということを前提にいたしまして、「二十一世紀のための教育の目標」が掲げられております。「ひろい心、すこやかな体、ゆたかな創造力」、第二が「自由・自律と公共の精神」、第三が「世界の中の日本人」、表現的には非常に簡単に書かれておるわけであります。
 そこで、お尋ねしたいのは、第二次の答申の素案の中ではたしか自由・自律と連帯と、こうあったと思いますけれども、この「連帯」の表現がなくなって公共とされたその理由は何でしょうか。
○岡本参考人 先生も御承知のとおり、最初「連帯」となっておりましたのですけれども、連帯というのは、ソリダリティーで連想するものもあるし、もっと素直な日本語と申しますか、公共心とか公共の精神というのが一番自然じゃないか。最初の自由・自律というものが、個人の主張といいますか、それを強く出したものでございますから、ホロニックといいますか、と同時に全体という意味で「公共の精神」にしようということで、これ以外に奉仕という言葉もありましたし、和というのもございました。いろいろ考えまして、「公共」というのがいいだろうと、そういうように書いたわけでございます。
○佐藤(徳)委員 私は、この「連帯」という表現がなくなったこと自体が、単に言葉がなくなっただけではなくて非常に重要な意味を持つと考えるからお尋ねをしたわけであります。私は、連帯こそが、やはり子供たちのあるいは大人社会におきましても協力、協同の精神だと思います。
 既に皆さんのこの答申の中の十三ページにも書かれているのですよ。「逆境のなかで育まれてきた自立心、自己抑制力、忍耐力、責任感、連帯感、思いやりの心、感謝の気持ち、祖先を敬う心、自然や超越的なものを畏敬する心、宗教心などが衰弱するという結果を招き、心の貧困をもたらした」と書いてあります。この限りでは否定もしません。いじめの問題や校内暴力の問題がこの中でもかなりその要因について書かれておりますけれども、私は、何といっても子供たち同士の心の触れ合い、そしてその中からにじみ出てくるところの仲間意識、連帯、そういうものが欠如しているから今日荒廃が進んできているとも思うのです。したがって、「公共の精神」という言葉に置きかえた理由がまだ私には納得できませんけれども、しかし、少なくとも連帯というのは今教育の荒廃を断ち切るために子供たちの中でもあるいは大人社会の中でも非常に大事だと思うわけでありますが、いかがでしょうか。
○岡本参考人 先生がおっしゃいますように、個ですね、個性尊重、個人の尊重、自由・自律、自己規制というような一連の言葉につきましては、単に自分を主張するだけでなしに、他の個性も認め合うということを強く主張しておりまして、先生のおっしゃいます連帯ということ、他を認め合っていこうということは、個のところから、我々は大変「自由」を言いましたころからも、個性尊重というものからそれは考えておるわけです。「公共」といいますと、それにやはり一つの方向といいますか、全体として一つの方向があればそれに即していこうというなにもございますし、この際、後の「世界の中の日本人」というのにも関連しまして、また、教育基本法の中にも平和的な社会、国家というものもありまして、一つのまとまりとして一つの方向というものも意識しておるわけですから、「公共」という言葉が一番よいのじゃないかと思いまして、「連帯」という一緒になってということ以上に「公共」の方を選んだということでございます。
○佐藤(徳)委員 いずれ、この問題については議論の多いところであります、文教委員会等を通じまして、恐らく文部省自身がこれを受けて立つでありましょうから、文部省との間でもこの問題について少し議論を深めたい、こう思っているところであります。
 さて、初等中等教育の問題やあるいは高等教育の問題についてもかなり詳しく触れられているわけでありますが、どうも全体を通じて私が思いますのは、小学校低学年における基礎教育の問題、あるいは小学校から中学校の接続の問題、あるいは中学校から高等学校、高等学校から大学に対する接続の、それぞれの問題が出てきておりまして、かなり見直しをしなければならないという表現も使われているわけであります。
 そこで、一番私が危惧をいたしますのは、公教育というのは一体何なのかということを改めて問い直されているような気がしてなりません。公教育というものを今日の日本の教育の中でゆがめてしまいますと、学校教育の軽視にもつながりますし、あるいは公教育の縮小につながる危険性もあるというふうに、短い時間の中で意を尽くせませんけれども、そんな感じを持つわけであります。したがいまして、公教育に対する考え方をお聞かせをいただきたいと思います。
○岡本参考人 先生が公教育というものを特に意識しておっしゃっていただくのは、生涯学習というようなことを基軸に上げておりますので、特にこの重要性というものを御指摘いただいたものと思っておりますけれども、私もまた先生と意見は同じでございまして、生涯教育ということを言うけれども、学校教育というものの重要さはやはり変わらないということを強く思っております。したがって、この公教育というもの、国が営む教育というものがどういうものであるかということは、基本は教育基本法にのっとりまして学習指導要領というものを通じてそこにおのずから一つの方向が示されておるのでございまして、これはやはり今後も守り続けていかれるもので、そう逸脱していくものではないというふうに考えております。ただ、生涯教育としてこれを十分活用して各個人が伸びていくことが大事なんだということを生涯教育の理念は申しておるということです。
○佐藤(徳)委員 次に、七十八ページから七十九ページにかけまして、「高等教育の改革と学術研究の振興」の問題について触れられております。特に七十九ページの四行目からは、大学における学術研究の問題に触れているわけであります。さらにまた、後段にいきますと、「大学院の飛躍的充実と改革」の問題がありまして、そのア、イ、ウのウでありますが、専門分野による修業年限の短縮の問題、あるいは同じ八十六ページに大学博士課程の修業年齢の引き下げの問題等が含まれておるわけでありますが、どういう意味合いなんでしょうか。
○岡本参考人 私は、教育全般を考えますときに、特にこのたび生涯学習ということを提唱いたしました背後には、やはり国民全体の教育のレベルが高くなるということが大事である、この中にエリートというものは要らないと思っておらないわけです。しかしながら、本当にエリートというものがあっても、それを立派に支えてこれを活用し得るのは、国民全般の教育レベルが高くなければいけないと思っております。特にこの七十九ページの初めのところは、実は日本が科学技術を受容しましたときに、最前申しますとおり、とにかく企業化して、これから産業化して富を得るということに急いだために、本当の科学を受容しておらなかったのではないか。産業革命以後の科学技術でございますから、この二つが密着しておったのですね。その意味でこの際一番大事なのは、日本がこれだけ富んだのだから、しっかりもとに返って科学をやらなければいかぬということでございます。
 それで、あとの大学院その他のなには、すぐれた者はできるだけそれに応じて飛躍さしてやることが本当の意味の平等であるというふうに思っておりまして、ただ大事なのは、その際に国民教育全般のレベルが高くないと、これを本当の意味で有用に利用活用――利用活用という言葉は悪いですけれども、それを生かすことができないと思っておりますので、生涯学習ということを提唱すると同時に、そういうすぐれた者はすぐれた道を歩むということも大事であるというふうに考えております。
○佐藤(徳)委員 いみじくもエリート教育の必要性を強調されたようでありますが、第一次答申には御承知のとおり六年制中等学校の問題について触れられておりますね。これは私どもはやはりエリート教育の一環だなと思っているわけであります。それは全体がそういうふうになればまさに体系は変わるわけでありますけれども、しかし、臨教審の皆さんがお考えになっているのは、あるいはそれを受ける文部省自体も、全体的に約一〇%でしょう。そういたしますと、小学校から中学校に接続をしていくその過程でほんの一割程度の子供しかそれに該当しないということになりますと、エリート教育の問題から発生するところの受験競争というものが逆に高まってくるのじゃないかという心配がやはり今でもありますし、国民の皆さんもそういうふうに思っているに違いない、私はこう思うのであります。そうなりますと、今会長がおっしゃられました大学の問題についてもエリート教育を先行させる、あるいは連動してそれを義務制の段階にまで、中学校から高等学校の問題に波及いたしますと、むしろ改革どころか逆戻りするという危険性が必ず出てくるのじゃないか、私はこんな感じを持ちまして、この点については極めて慎重に行わなければならないし、私はこの点については厳しく指摘をしておかなければならない問題だ、こう思います。お答えは要りません。
 さて、次に、同僚議員の田中委員が私のあとの時間を引き継いでやることになりますから、恐らく最後の質問になろうかと思いますけれども、第三章に「初等中等教育の改革」の問題が含められております。そして、その中には、まさに適切な分析をされておりますね。例えば過熱した受験競争や偏差値偏重の進路指導に見られる教育の現状の問題があります。あるいは、みずから考え判断する能力を伸ばすよりも、記憶力中心の知識偏重の教育の弊害を生み出してきている問題も触れております。そして、その結果、受験競争の過熱とも相まって、多量の知識を詰め込む教育になったとも指摘をしております。あるいはまた、義務教育においてもその平等性や完結性が強調される余り、画一的な教育・指導に陥っている傾向がある芝も指摘をされております。私は、この分析は決して間違っていない、こう思うのであります。ところが、私が冒頭触れましたように、今国民の皆さんが期待しているもの、求めているものは何かというお尋ねをいたしました。まさにその答えが今皆さんが書いた文章の中にこういう状態で分析をされているわけですね。ところが、この分析があるにもかかわらず、そして大多数の国民の皆さんや子を持つ親の皆さんが求めているところの高校入試制度の改革の問題が一つもないということは、極めて不思議なことであります。まさにその点については、臨教審が国民の立場に立っているのかどうかということについて疑問を持たざるを得ません。会長さんだけにお答えいただいて大変お疲れだと思いますので、中山先生、ひとつ最後の締めくくりにお答えいただけないでしょうか。
○中山参考人 今御指摘のとおり、入学試験、受験過熱、特に高校入試の問題が非常に大事であるということは私どもも同じように考えておりまして、先ほど会長が申し上げましたように、今度の答申が、最初は基本答申というような性格づけをしようということだったのを、第二次答申に変えましたのも、お話しの高校入試の問題、あるいは就学前の児童の教育問題、大きな問題がたくさん第三次答申以降に持ち越されております。今高校入試の問題も第三部会を中心に検討しているわけでございまして、いずれこの次の答申には、今御指摘の問題についてお答えできると思いますので、決して軽視したり回避したということではございませんことを申し上げておきます。
○佐藤(徳)委員 私は、今のお答えでなかなか納得できません。と申しますのは、先ほどから何回も申し上げておりますように、受験競争の過熱がもたらした弊害というのは大変なものがあると私は思うのであります。それを真っ先に国民に答えることができずに次回に回したということは、臨教審がある意味で不信を買う大きな要因になるのではないか、私はこんなふうにも思いますし、まさに今一番求めているものは私が申し上げたとおりでありますがら、十分御検討いただいて、もっと子供たちも素直に溶け込めるような、そして親も安心できるような、そういう教育改革というものが必要であろうというふうに感ずるわけであります。
 私の持ち時間が若干過ぎました。残っている問題がたくさんあるわけであります。いずれ機会がありましたらまたいろいろお聞かせいただきたいと思います。ありがとうございました。
○青木委員長 田中克彦君。
○田中(克)委員 先生、大変御苦労さまでございます。社会党の田中克彦です。
 今回、国民注視の中で、約一年半の論議を経まして、臨教審の第二次答申が去る二十三日に行われました。これによって臨教審の教育改革構想が本格的な形で国民の目の前に示された、こういうことだと思います。しかし、六月には参議院選挙、あるいは衆議院の解散によってダブル選挙になる公算も大きいわけでありますし、五月二日から始まります東京サミット、四月二十九日に行われる天皇在位六十周年記念行事、こういうものとともに、臨教審のこの答申というのもこれら一連の政治日程と合わせて行われているということに、私は中曽根総理の意図するものを感じないわけにはまいりません。
 もともと臨教審を設置しての教育改革というのは、戦後政治の総決算をうたう総理が臨調行革と並んで推し進めているものであることは言うまでもありません。教育基本法の解釈を巧みに変質、歪曲化、形骸化して、平和を求めている父母や子供たちの願いにこたえない、依然として人権と平和の観点を大きく欠いており、日本の社会、文化の個性や国を愛する心が強調された国家主義が顔をのぞかせている。臨教審は総理の直属の諮問機関として、国民の意に沿うのではなく、総理の意に沿った教育改革にこそ全力を傾けているとしか思われません。
 それなのに、この答申の前文「はじめに」の中では、「審議の状況については、去る一月二十二日、「審議経過の概要(その3)」として取りまとめて公表し、公聴会などを通じ各界からの意見や要望などをいただいた。とくに、教育関係団体等からは多くの意見が寄せられた。 本審議会は、その後、これら各界の意見なども参考にしながら審議を進め、このたび、逐次答申の方針に従い、「教育改革に関する第二次答申」を取りまとめたものである。」こういうふうに記述してあります。あたかも国民、教育関係団体とのコンセンサスが十分に得られた上で答申を取りまとめたかのごとく言われているわけでありますけれども、私どもの感じからしますと、決してそう受けとめるわけにはまいらないわけであります。
 と申しますのは、臨教審の持っている本質、これを最も端的にあらわしたものは大学入試の共通テスト問題でありましょう。審議会が第一次答申で提唱をし、閣議で最大限尊重を決めていながら、今国会で総理は突如マークシート方式を否定し、受験は任意、受ける、受けないの自由を与えると参議院の予算委員会で答弁をいたしました。文部大臣と明らかな答弁の食い違いを見せて問題になりましたが、臨教審はこういう経過があるにもかかわらず、鳴りをひそめてこのことから逃避をし、問題をすべて大学入試協議会に預けて、総理の意向ばかりをうかがっていると見られても仕方がない、こう思わざるを得ないわけであります。つまり、総理の意にかない、意のままに動く答申案づくりが審議会の正体ではないのか、国民の目にそう映るのは当然だと思うわけであります。この辺について私は、ぜひこの際、会長から御見解をしっかりと承りたい、こう思います。
○岡本参考人 この審議会の答申でございますけれども、これは一番最初に大まかに決めましたところは、三年という期限がございますものですから、最後の答申を出すときには半年以上の間隔を置いて、したがってその期間に答申の内容が実施されるかどうかを見守ろうというようなことも申しました。そこまでの期間を割りまして、大体ごとしの春ごろには答申をということは決めておりましたので、何も政府の東京サミットとか参議院とかそういうものを考えて決めたものでございません。特に、この審議会の最初のころを思い出していただきますと、大変自主的にやろうということを申し合わせておりまして、その点は御心配要らないと思います。
 その次に、国家主義的な考え方をということですけれども、極端な国家主義というのももちろん当然否定されてまいったわけでございますね。けれども、国家主義そのものも、主義と名をつければこれは一つのイズムでございまして、他を排除してみずから邁進するというような意味にもとれますので、我々は国家主義という言葉を余り使わないようにも注意はいたしておりますけれども、一般的にいけないと言われておるのは極端な国家主義だということでございます。国家というものは、私が繰り返し申しておりますように、個人とともに大事なものでありますので、公共の精神とか国を愛する心というようなものはやはり大事なもので、これを何も国家主義であるとも考えておりません。国家主義というのは国家が一番大事であって個人というものを無視するような行き方に近いものですから、そういうものは考えておらない、これは戦後の教育の大転換でございます。
 それから、未来の内容に対する発言でございますけれども、私も決して注目しておらないわけではございませんので、絶えず、実は前回予算委員会でしたか、ここへ参りましたときも、私は入試の問題について述べたはずでございますが、その後、議会の答弁、文部大臣のお話なんかを総合しますと、臨教審の趣旨には沿ったものであるということでございます。どういう趣旨かといいますと、入試は各大学が独自にできるだけ多様に自分の思ったことをやれというのが主張でございますので、おのおのたくさんの人が意見を持って、こういうものをやれ、こういうものをやれという中で、各大学が自由にそれをとればいいのであって、私は趣旨に沿ったものであると思っておりますので、ただいま文部省の協議会の成り行きを見守っておる。恐らくあの協議会も答申の趣旨に沿ったものをつくられると確信いたしております。
○田中(克)委員 極めて限られた時間でありまして、お伺いしたいことはたくさんありますから、次の問題へ移りますけれども、教育改革と財政問題について伺いたいと思うのです。
 申し上げるまでもなく、国家財政の現状は極めて厳しい状況にあります。昭和五十七年に財政非常事態宣言が出されて、五十九年赤字国債脱却を目指しましたけれども、これは事実上不可能になった。中曽根内閣になりましてから財政再建の目標を昭和六十五年に修正しましたが、これも既に絶望的な状況であることは御承知のとおりであります。百四十三兆の累積赤字、本年度予算の国債費は十一兆三千億を超えて、初めて構成比が二〇%を上回った。一般歳出はこの影響によって前年よりさらに減額を強いられているわけです。政府は、この財政危機の中で防衛予算だけは聖域化して急増させて、GNP一%の突破も辞さない、こういう勢いであります。
 これのあおりを受けて、文教予算はここ数年マイナスシーリング。人件費が約三分の二、七四・六%を占めておりますので、ベースアップによって実質的には大幅削減が続いてきたことになります。教育改革を旗印とする政府が、臨教審を設置していかに教育改革論議をしても、具体的に財政的な裏打ちがなければ、迫力、説得力というものは持たないと私は思うわけです。しかも、教育改革というのは国家百年の大計だということで、よく拙速は慎むべきだという意見がございます。
 しかし、今回の臨教審の作業というのは、この改革を、まずまとまったものから逐次答申を急ぐ、こういう手法をとっているわけであります。だとすれば、この改革の緊急性は臨教審自体も十分御承知のはずであります。だから、一月以降各政党と岡本会長も会談をし、衆参文教委員会にも積極的に御出席をいただいて、国会議員とのコンセンサスにつきましても努力をされているのだろうと思うわけてありますが、特に、この話し合いの中では財政問題というのが共通の課題として強い関心が払われているのは当然であります。
 私が去る三月二十八日に海部文部大臣にこの問題をただした折、大臣も、ODA並みに予算要求ができるように、近く期待をされる第二次答申の中にも少し詰めた話が進展しないかと期待をしている、それを待って全力を挙げて来年度は特別枠を要求していきたい、こう答えているわけであります。これはつい三月二十八日の私の質問であります。
 こういう状況の中で初任者研修、今回の答申の中では、小中高新任教員は一年間マン・ツー・マン方式で、研修指導主事をさらに置く。こういうことになりますと、新聞でも報道しますように、試算して概算で年間七百六十億、七年はこの状態を続けなければならぬということであればざっと五千三百億、そのほか新しい科学技術関係で大学の研究実験等を整備して、大学院の新設等も考えれば、四兆円の財源が必要だ、こう新聞も書いているわけであります。
 さらに、今最も必要なものは、私は常に言っているわけでありますが、小中学校の教育につきましては大規模校の解消あるいは四十人学級の実現、これはもう今のいじめ問題とも絡んで、教育荒廃とも絡んで、緊急に手をつけなければならない具体的課題だと私は思っているわけであります。ところが、ことしの場合、小学校の児童減少、中学校につきましては生徒の減少町村からまず始めよう、三カ年計画でこれを完了しまして、六十四年からは残る町村の一年から三年まで、つまりことしから始まっております小学校の方の学年進行と合わせると、六十六年には全部が完結する、こういうことでありますが、残念ながら、ことしは中学校の場合には新規事業だということで当初はこれは認められなかったわけですね。それで、九百八十三人の要求に対しまして内示はゼロ、これを復活をしてやっと三百二十一人、こういう定数増を見ることができたわけです。
 こう考えますと、この臨教審の答申の中に六年制中等学校、これを今次教育改革の突破口とする、こういうふうに実は冒頭言っているわけであります。今現場に起こっている問題、先ほどから議論がありますいじめの問題、そういう問題を具体的に、先生と子供が心が触れ合える関係、また先生が子供に目が行き届く時間的余裕、そしてゆとりのある教育、こういうことになれば、一番緊急なこの問題、後からまた質問しますけれども、金が必要なんですね。ところが、この答申の中には実はそのことについて残念ながら触れられていない。私はそういう点で何か非常に残念な気がしてならないわけでありますが、この辺はどうお考えになり、どう御説明になるのでしょうか。
○岡本参考人 この財政の問題は大変重要な問題でございまして、特に、御存じのような状況で大変苦しい状況にあるということでございますので、大きな課題になると思っております。しかし、それが大きいために、本格的な審議はひとつ第三次答申にということで、今各方面からヒアリングをやりましたり、いろいろ検討を続けながら作業いたしておるわけでございます。
 しかしながら、そうかといって、先生のおっしゃいますような今の教育荒廃、いじめの問題というものは、学級のサイズにも関係が深いわけでございますので、それだけが原因ではありませんけれども、大変大きな因子でございますので、この問題については、計画どおり六十六年を目標にして円滑に進行するようにということは答申に申しておるとおりでございます。
 それで、このたびの答申の中で、やはり第三次答申で財政は論ずるとはいいながら、現在の時点で言い得るところだけは述べようというようなことで、お読みいただきましたように、とにかく教育、研究への投資というものは、本当に潜在的であるけれどもこれは大変重要なものなんだからという意思をまずあらわしましたことと、それから教育費負担の多い層への税制面の配慮とか、私学の民間資金の導入の容易化とか、私学経営の安定・充実のための税制上の措置、そういうものはひとつ検討の必要があるというようなこと、そういうこと等、我々が今述べております教育改革に向かっては、ひとつ教育財政の合理化、効率化の努力とともにしっかりこれをやってもらいたい、その際に、第一次から続けて国家財政全般との関連において適切な財政措置を講じていく必要があるということを申しておるわけでございまして、ただいま初任者研修の話もございましたが、ああいう個別の問題になりますとやはり相当時点まで審議はいたしておりまして、お金のこともそのときに考えてはおるのですが、やはり今後第三次に向かって、具体的な問題については財政の問題も相当深く検討してまいろうというふうに現在予定いたしておりますので、御了承願いたいと思います。
○田中(克)委員 今お答えにありましたように、くくりの方で、財政問題については、国家財政全般との関連において適切な措置を講じていく必要があるということであって、問題は一切先送りという形ですが、この表現部分は前回の答申のときと少しも変わっていない。今回の場合は、いろいろ具体的な提起があるものですから、やはり財政問題も一緒にくっついていきませんと説得力を持たぬのではないかと思うわけでありまして、そういう点でなおぜひ検討してほしいと私は思うわけです。
 時間がございませんから前へ進めますが、個性重視の原則、選択の機会の拡大、教育環境の人間化、教育の国際化、情報化への対応を考慮するとき、それぞれ建学の精神に基づいて設置される私立学校の役割は今後一層重視される必要がある、こういう観点から、「私立の小学校・中学校については、その設置が促進されるよう、適切な諸方策を検討する必要がある。」こういう問題が提起されております。これは極めて問題のある提起だと私は受けとめているわけであります。先ほど佐藤委員の方から六年制中等学校の問題が出ましたが、これが前回第一次答申の中で出てきたときでさえ、受験競争の低年齢化を促進するではないか、エリート校をつくるおそれはないか、こういう心配が集中いたしたわけであります。そういうふうにならないようにという、いわば臨教審自体が注意書きをつけて構想を出している、こういうことであります。
 ところが、今回、義務教育段階をすべてそのまま私立学校化する、こうなりますと、教育の機会均等というものを根底から覆すものであって、私はこれは絶対に容認できない気持ちでいっぱいでございます。義務教育は、学習権の出発点でありますし、基礎教育の場でもあります。したがって、公教育の拡充発展という視点でこそ教育改革の方向を考えることが至当ではないかというふうに思うわけでありますけれども、このことについて会長はどうお考えでしょうか。
 新聞でも報じておりますが、言うまでもなく、最近は受験競争が過熱の一途をたどり、そういう中で、小学生は四人に一人、中学生は二人に一人が塾通い、その壁も、年商で計八千七百億という巨大な塾のはんらん、それに対して最近は、子供の数が自然減の傾向にございますので、塾や私立学校の児童生徒の奪い合い現象が続いておりまして、これには不正も絡んで過熱をいたしておるわけであります。一方、私立へ入りますと、公立に比べまして数倍の教育費負担となります。こうなりますと、公私間の格差が拡大の一途、こういう悪現象が非常に顕在化する中で、小中学校の私立化をさらに進めるということになりますと、こういう悪現象にさらに拍車をかけていく、教育の現場は混乱を来す、そこで問題が起こった場合に犠牲になるのは子供たち自身ではないか、こういうふうに思えてならないわけであります。したがって、このことについてぜひ見解を聞かせていただきたいと思います。
○岡本参考人 おっしゃいますように、私学は公立に比較しまして学費が大変高くかかりますので、そういうものをできるだけたくさんというところには問題のあることも存じております。何といいましても、およそこの審議会の最初から、公立の学校がこういうふうな状態にあるということは競争原理が働いていないからだということが言われておりまして、その点を大変意識しまして、できるだけ公立の学校をよくすることが第一でないといかぬということは、私も先生のお考えどおりでございます。それでございますけれども、私立の小中学校設置促進ということは、現在でも自由に設置できても経営上そうそうたくさんできるわけでもございませんし、公立の方がよくなればそう多数に私立ばかりできるわけでもございません。要するに、第一は公立学校の質を高めることに重点を置いて、他方、多様化を求めるという意味で、各自建学の精神を持った私立学校ができることもよいじゃないかというようなつもりで述べたものだと思っております。御趣旨の、公立学校でいい教育をするというところに焦点を置くことには変わりございません。
○田中(克)委員 前回の第一次答申もそうですけれども、今回の答申も、最初にこの議論が始まったときに教育の自由化ということが言われ、それが個性化あるいは個性の重視という方向へ変わってきた。おっしゃいますように、多様な教育が必要だ、それぞれ持っている能力に合った教育でその能力を引き出していくということですから、学校の形態もさまざまなものがあってよろしい、こういうことでおっしゃるのでありましょうけれども、民間資金を義務教育にまで導入して、教育の産業化という方向に進むのじゃないか。これで小中がなれば、幼稚園から始まって小中高校、短大、専門学校、大学、大学院まで、全部私立の関係だけを歩こうと思えば歩けるような、教育全般の課程が私立化していくことになると私は思います。結果的に、教育もこういうことになりますと、子供のときからお金のある人は私立の小学校へということになりますと、私の記憶でも、かつて教育大が師範学校と言われた当時に、師範の附属小学校といえば大体いい家庭のいい子供さんだけが集められて、そこからは中等学校へも非常に進学率が高い、附属へ行っているとそれが誇りとされた、そういうことも記憶にあるわけですが、やはりそういう方向へ自然と行ってしまうのじゃないか。
 結局そういうことは、ある意味では、その子供にとってはいいことなのかもしれませんけれども、逆に言えば、ほかの子供との不均衡、それからその父母の負担の急増、それからここで生涯教育体系の再編成ということを建前として今回の教育改革の方向を強調されているわけですけれども、私は、この答申を読みまして、一貫して流れているものは、財政問題は先送りをしていて、民間資金の導入や私学の振興ということをやりながら、いわば施設や教育の場については民間資金を導入し、また、そこへ就学する子供や父兄はその負担を背負い、国民の負担と民間資金に任せた教育に変えて、政府はその財政負担を極力抑制しようとしている、そういう意図が隠されているのではないかということをこの全体の流れの中から感じさせられてならないわけであります。そういう点は心配はないのでしょうか。さっきの私の財政問題と絡めて、この辺を説明をしていただきたいと思います。
○岡本参考人 先生の御注意まことにもっともでございまして、その点はよく注意してまいらなければならぬと思っております。
 ただ、国と民、私の役割分担というものにつきましては、私ちょっと今出てまいりませんけれども、どうしても国のやらなければならぬ面を羅列しておりまして、私なんかも多くは科学研究のことで常にそういうことを意識しておりますけれども、常に国がどうしても責任を持たなければならぬ部分は、教育全体にかかわる調査、企画、情報提供、国民の基礎的共通的水準の維持、地域的に均衡ある発展、国際的水準の専門的人材の育成、基礎的、先端的学術研究の振興、特殊教育の振興、これは政府がどうしても避けて通れない部分だというようなことは強く意識いたしておりますし、これはアメリカなんかでも州と連邦の役割分担とかそういう区分もいたしておるわけでございまして、何もかにもみんなということでもございませんし、地方のなにもございますから、その点は、全体としてその方向に意識して流れておるというふうには私自身はそう意識もしておりますので、国がそれから地方自治体がどうしてもやらなければならぬ部分というのはございますように思っております。
○田中(克)委員 時間がなくなってしまいまして、ちょっとはしょりますが、実は「六年制中等学校、単位制高等学校、初任者研修制度、苦情処理機関等の事項についても、全国一律方式にこだわり過ぎることなく、各都道府県、市町村の自主的判断と責任にゆだねる部分を広く認め、多様な試みが展開されることが必要である。」とうたった上の前提に立って、例の適格審査会の問題についてはこう言っていますね。「地域の実情に即し、必要に応じ、都道府県教育委員会が、教育専門家、法律家、医師などの幅広い分野の学識経験者を構成員とし、教員の職に必要な適格性を欠く者について、都道府県教育委員会がとるべき措置を調査・審議し、意見を提出する機能をもつ、諮問機関を設置することも考えられる。」こうあります。このことは当初、教育陪審制度、こういうことで大変な議論を呼んだわけですが、これが教職適格審査会、こういうことになりまして、いや、適格でもおかしいということで適性審査会に変わった、今回は適性審査会という名前も消えました。しかし、機能はこうして「もつ、諮問機関を設置することも考えられる。」こういう提起に変わっているわけです。
 そこで、もっとおかしいことは、先ほど国と地方の機能分担のお話もございましたけれども、教育の地方分権化もできるだけやっていくこと、これは私は賛成なんですね。ですけれども、ここで言われる「地域の実情に即し、必要に応じ、」「設置することも考えられる。」およそ諮問機関なるものが、こういうどう解釈したらいいのかわからないようなあいまいな問題の提起の仕方があるのでしょうか。例えば問題としてこれはかくあるべきだ、これはこうでなければならない、そういう問題の指摘ができるだけされることが私は審議会の答申の性格だと思っておりまして、少なくとも、実際調査した結果、教職の適性審については二十六県が反対。大部分の都道府県教委が反対ですね。賛成したのは十八都道府県、これは臨教審が調査されているのでしょうからもうおわかりでしようが、そういう状況にある。しかも、今地方の機能を強化をすれば十分にこの問題についてはチェックができる、こういうことから地方は反対をしているわけですから、そうだとすれば、あえてここでこういう問題の提起をしたのは、いや、地方がそうであるから機能強化をしてやればそれは置く必要がないということを意味しているのか、「必要に応じ」というのは、いや、そうは言ってもまだまだそのことにおいては解決がつくということのようには思えない、したがって置くこともできる、こういうふうに表現を残しておくことが必要なんだ、こういう意味を込めているのか、これはどちらなんですか。
○岡本参考人 この審議会の答申の形としてA、B、Cといって三つのカテゴリーを考えております。その一つは、問題があるという指摘だけにとどめるものと、その次は、その原則及び方向も指し示して提案するものと、第三、Cは具体的なところまで指示する、この三つを考えておるのですが、この場合に、設置することも――御承知のとおりこの問題は大変大きな問題でして、陪審制度というお話から始まったわけでございますけれども、その際に、大勢と申しますか、それは教育委員会の仕事じゃないか、それをまず活性化することが大事なんだからということで、これは見送られたわけです、臨教審として提案することは。しかし、これは現に適格性を欠く教員への対応ということは国民の大変望んでおることでございますので、それで、教育委員会に責任があるんだからひとつしっかりやれということでございますけれども、その教育委員会みずからが考えて実行できない場合には、その工夫の一つとしてこういうことも考えられるんじゃないかということを提案しておるわけですね。それで、現に教育委員会というのはこれ以外に健康審査会とかいろいろな委員会を持って運営しておるのですから、自分から判断して、確かに大事なもので自分たちでできない、そしてこういうものを置くことが少しでもそれに役に立つと考えるなら、そういうことも工夫の一つとして考えられるのではないがということを申しておる、その程度でございます。ちょうどAとBの中間くらいになるんでしょうか、問題点を指摘して、そういうことも一つ考えられるのじゃないかというようなことでございます。
○田中(克)委員 時間が来てしまいましたけれども、まだちょっとお伺いしたいことが残っているわけですが、私の県の場合ですと、大学の教育課程を終了した教員免許を持った人たちが教員の採用試験に来ます。普通の場合でさらにその人たちの中から五、六倍、教科によっては七倍、八倍という競争の中から教職員の採用試験に合格して採用されます。そういうところを通る人が、果たして今言うようなこと、また、適格審査会、これを置いて何をどういうふうに適格である、不適格であるという審査をするんだろうかという疑問を率直に言って私は持つわけであります。若い教師の人たちと私も話してみますと、随分みんな情熱も持っていますし、しっかりした考え方を持っていて、そういう中にこういうものがどうして、県教委の今の機能強化によって解決ができないんだろうかということを、むしろ疑問にさえ私は実際に思っているわけですが、きょうの御答弁の中でもいろいろ重要な問題が会長さんの答弁の中から聞かされていますので、また私ども十分に速記録等調査いたしまして、後また議論させていただきたい、こんなように思います。ありがとうございました。
○青木委員長 有島重武君。
○有島委員 公明党の有島でございます。本日は質疑の機会を与えていただいて喜んでおります。
 臨教審におかせられては、昭和五十九年の九月に発足なさって、去年六月に第一次答申、引き続いて今度第二次答申ということで、なかなか御苦労さまでございました。文面にも御苦心の跡がうかがわれるような気がいたしますし、また、まだ未消化な点がたくさんあろうかと思いますけれども、審議会の委員の方々また関係者の方々の御努力に対して敬意を表するものでございます。
 任期が三年ということであと一年四カ月ほどあるわけでございますね。この答申の結びのところに幾つか課題も書いてございますけれども、三次答申、四次答申と、こうなるんじゃないかと思うのですけれども、できれば今後のタイムスケジュール、これはどんなふうにしていらっしゃるのか、それをお示しいただきたい。
○岡本参考人 二十三日に今回の答申を出しまして、その後どういうふうにやろうかということを今審議いたしておりまして、まず運営委員会でひとつその辺をしっかり固めようということを申しております。
 ただ、全体の計画としては、一番最初のころから持っておりましたのは、最終答申が出るときがこの審議会の任期よりもしばらくあって、少しは提案の成り行きを見守ることができることが大事だろうというくらいのことが最初から言われておりまして、まだ、この答申の後、三次をいつにするかということが決まっておりませんので、今度総会にかけたりなにかしまして、この点をはっきりしたいと思っております。
○有島委員 私ども公明党といたしましては、既に独自の教育改革案というものをずっと提示し続けてきたわけでございますけれども、今度の臨教審に対しましては、二つの条件、憲法、教育基本法を厳正に守っていくということ、それから、国民合意の形成ということについては特段の努力をしてもらいたい、こうした二つの条件でこの臨教審の設置にも賛意を示した。したがいまして、その後折々に意見の交換もさせていただきましたし、要望等も行ってまいりました。先日も池田文教部会長の談話という形でこの第二次答申に対してもコメントもさせていただいた、こういったことを踏まえまして、二、三質問をさせていただきたいと思っているのです。
 まず第一番に、国民合意の形成の重要さについて、これはよく認識をしていただいていることと思うのでございますけれども、実は、先日私ども全国的に学校教育にかかわる意識調査をいたしました。これは悉皆調査で三万六千百十一校でございましたか、総当たりをしてみたわけですね。それで、各学校から校長さん、それから教員一名、父母の方一名、これは無作為抽出でやったわけです。その中にこういった問題があったわけです。「いま政府は、臨時教育審議会を設置し、教育改革について審議、検討していますが、あなたはこれに期待できると思いますか。」これは父母に対しての質問でございます。二万三千八百九十八人、回答率七二・一%、こういうことでございますね。その中で、期待できると思うという答えが一八・五%ある、それから、期待できるとは思わないというのが三五・五%でございました。それから、わからないというのが四〇・八%でございました。この結果は、過日まとまったときに臨教審の方にも直接差し上げてございますけれども、これはどんなふうにお受けとめになりますか、伺っておきたいと思います。
○岡本参考人 このアンケートにつきましては私も見せていただきまして、大変有益な結果をおまとめいただきましたことを感謝いたしております。
 それで、この中で大変有益なことがたくさんあるのですけれども、最初の期待するかしないかというのは、私らに余りうれしい結果でございませんが、これはよくこういうことを聞かれますけれども、この答申の内容が直接、荒廃と言われて心配しておられるお母さんなどにめり張りのきいたというかそういうものがはっきり示されないということでこういうことをおっしゃるのだと思いますけれども、これは、徐々にと申しますかこれが政府の施策として実行されていくという事実などをごらんいただきますと、やはりこれに期待するということもふえてくるのではないかと思いますので、この点、今後の成り行きを見守らんならぬと思っておりますが、また同時に、答申が少しわかりにくいということが大変言われておりますので、この点に関しましては、あれをわかりやすい文章にして出すということも一つ考えております。
 それともう一つ、一目でもっと見えるような何かお母さん用にそういうふうな工夫もしようということで、今この問題についてはとにかく興味を持って見ていただけるように工夫をしてみようという努力も考えておりますので、この点、こういう結果もしっかり受けとめて、対策を講じていきたいと思っております。
○有島委員 第一次のときもそうでございましたけれども、第二次の答申を発表なさった、それに応じて各方面からいろいろな声が上がっている。これは必ずしも評価をしておるばかりではなしに、大変批判もしている声も上がっておる。これは私は、黙殺されるよりかはるかによろしいことでありまして、非常に貴重なことであると思うのですね。これもそちらでは検討してくださっているのだと思うのですけれども、これをどんなふうに受けとめていくのか。ですから、これは受けとめてこっちで検討して、第三次答申に反映するからいいのだという感じていくのか、あるいはある場合には、その反論といいますか説明といいますか、そちらが答申を出された、それでいろいろなところからコメントが出てきた、それに対してもう一つ対話をしていくというかそういうことが大切ではなかろうかと思いますけれども、いかがでございましょうか。
○岡本参考人 「審議経過の概要」というものは、先生がまさにおっしゃいますように、あれを発表いたしますと、公聴会などいたしましたり、いろいろ先生方のお話も承りますので、それに従いましてあれを修正してまいるということはございますが、この答申として出しましたものに対しての反響に対して、これにまた答申で答えるとかそういうことは今考えておりません。
 ただ、この一度出しましたものが今後どういうふうに実行されるかということは大変関心を持って見守っておりますので、これについては審議会でも確実に把握するように報告を受けるということを申し合わせておりますので、それに対して余り実況に合わないというようなことであれば意見を述べることもあり得るだろうというようなこと、それから、現在までいたしました答申の中の内容を補って申すこともあるだろうというようなこと、特に二十一世紀に向かって基本的な教育のあり方というものについては、これは精緻に議論を深めれば深めるほど考えるところもあるわけですから、そういうものもまた今後引き続き検討するということは、百四十六ページの一番最後のところに、そういうことに書いておるとおりでございます。
○有島委員 今二、三お答えをいただいたわけでございますけれども、第二次答申を出されて、これをひとつ見守っていきたいというようなお話がございましたね。その見守るという言葉の中に、やはり国民合意の形成というのはまた時間もかかることでございますから、ひとつそれの波紋をつくっていくという、こういった御努力もなさるということに私は受け取ったわけです。ただ、それはややちょっと揺れているような感じもするんですね。合意形成という作業は審議会本来の仕事ではないんだ、いろいろと調査をして審議を尽くしてこれを総理大臣に答申したのだから、あとは政府がそういったことはやるべきだというような理屈も成り立つわけですね。私どもは、今度の教育改革ということについては、これは政府に放り出したから政府があとはこれを主導してどんどん進めていくということではうまくいかないのであろう、やっぱり国民全体の理解と協力を得なければならないであろうということを申し上げていたわけです。そのことはこの百四十六ページにも書いてあるわけでございますね。ですから、そういうことの努力もやはりこの審議会の固有の仕事の一つだ、重要な仕事の一つだ、そのように認識してよろしいでしょうか。
○岡本参考人 先生の今おっしゃっていただきましたそのお話は、実はこの審議会の最初のときに私が繰り返し申しておりますことでございまして、教育というものは現場から出て現場へ帰らなければ意味がないんだ。その意味で、ほかの問題と違って国民のだれもが自分の体験から意見を持つのだから、それにしっかり耳を傾けることが大事なんだということで、先生もお感じのとおり、私はこの審議会ほど開かれたというか大きく自分の審議の内容を披露して進んでおる審議会はないんじゃないかと思っておるくらいそれには努めております。そして、公聴会やその他各ヒアリングなども努めまして、しかしこれはこの組織としてできる限りでございまして、これで完璧だというものはございませんけれども、我々の審議会としては、その方針をできるだけのことをする、それは大変重要なことだという認識は十分持っておりますから。
○有島委員 それをだから敷衍していく、理解さしていく、あるいはいろいろな反論ということについて誤解があればそれを正していく、説明を加えていく、そういうような努力はやはり審議会御自身でもってしなければならない仕事である、そういうふうに御認識をいただいておる、そう受け取ってよろしゅうございますね。
 では、次の質問にいきます。
 改革のための視点として生涯学習、これを大きな基本的な視点とされたことについて、これも私は敬意を表しておるところであります。ところで、これは私たちの言い方からすると、従来の教える側からの教育から、教わる自身といいますか、教わっている人間の、成長していく人間、ゼロ歳から死ぬまで、こうした成長する主体としての個人個人の一生の幸福といいますか生きがいというか、そういうものによって見直されていく、そんなふうに私はそれを人間教育の立場とか生涯教育の立場とか、あるいはもっと長い目で見ましょうとか、そういうふうな言葉で言っていたわけですね。
 ところが、私たちも二十年来このことを一生懸命やっているんだけれども、これは従来の学校教育中心主義とでも言うべき傾向、そこから見ると甚だけしからぬような考えに見えるらしいですね。それから、学校がかなり権威を持って、学校に行くことが教育なんだ、宿題をする子がいい子なんだ、大学まで行ってもらえば親孝行だと、こういうことに大体いっておる。その中にあって学校の先生方もおられるわけですね。これは大学まで含めておられると思います。そこに、今学歴主義というものも根差す、あるいは受験のいわゆるひずみということも起こる、あるいは乱塾時代ということも起こっておる。そういうようなことでもって、そこにそれぞれに生活をかけてこの学校主義の城の中にいらっしゃる方が大勢いるわけですね。お金もたくさん動いているわけですね。それを中教審四六答申のときに序文のところに一行だけ書いた。これは問題にされなかった。今度は中教審が十年たってから生涯教育という答申を出しましたね。それも何やら空振りに終わった。それから、生涯教育というものを、一度学校を出てからまた世の中の進み方、技術革新に応じてもう一遍リカレントしていくんだというふうに小さく歪曲した形でもって扱うような傾向もございました。
 そこで、今臨教審の、特に会長としては、これは相当な抵抗を受けるんだという御覚悟がおありになるかどうか。まず第三部会と――第三部会はやっぱり学校教育中心ということでもって考えるわけですね。第一、第二部会とは立場が違うと思うのですね。あるいはこれが実施に移っていけば、文部省としては余りこの生涯学習体系の中に学校教育というものが置かれるということは快しとしないかもしれないな。今まで私たちの感触としてはそうです。それで、これは反対勢力というのは非常に大きいんじゃないでしょうか。これはどうお考えになりますか。
○岡本参考人 先生おっしゃいましたように、生涯学習ということが定着するというのには相当長年月を要するだろうということはあの答申にも書いておるとおりでございまして、やはりそれには日本の雇用関係というものが大きく影響しておりますから、その雇用体制というものもしっかり変わらないと、これは、いつでもどこでも教育を受けてそのアビリティーを持てばそれが評価されるということには、やはり雇用する者の相当な変革が要るわけです。これを、このたびの審議会は単に文部省だけの審議会じゃございませんので、その意味では、現在ここにおいでになる中山委員なんかも努力されて、企業の方に働きかけてそれを変える、それから官の方にも働きかけておるというようなことがございます。
 それと、一口に、最前先生もおっしゃいました生涯教育というのは教育を与える方の言葉ですけれども、このたびの生涯学習という言葉に変えたのは、とにかく学ぼうというのは本人自身がモチベーテッドでないとだめだということなんですね。そのモチベーションというものは、私はやはり家庭、初中の学校教育の中にあると思っているんですよ。基礎、基本というものは、読み書きそろばんもちろんですけれども、それ以外に、みずから学ぼうという自己教育力の育成ということが大変重要だと思っておるんです。自分で学んでいくんだということ、これもなかなか言うべくして大変なことでございます。
 したがって、私が、このたびこの改革の全体を締めくくるものとして生涯学習というものを入れることについては相当考えまして、この変革ができなければだめだ、その覚悟はしっかりあるかとおっしゃった、まさに先生と同じでございまして、それで私は、これは生涯学習とはいいながら学校教育というものがその意味では大変大事だという認識を持っておるんです。それはこの会長談話を読んでいただきますと、そのことをばしっと申しておりますので、この点、決して学校教育というものをこれによってダイリュートしてべらぼうにしてしまうということじゃないのです。学校教育というものは、特に家庭それから初中というものが基礎、基本なんだ。みずからが学習をしていこうという気持ちを起こさせるところまで教育する、それが基礎、基本であるというようなこと、そして中高大学それぞれ自分の固有の機能を果たしながら、しかも生涯学習としての門を開く、そういうことを主張しておるわけでございます。
○有島委員 私どもも、生涯教育、生涯学習といった一つの体系の中でも学校教育というのが主要な柱である、非常に大切なものである、そういった認識を持っております。おりますけれども、大切だから絶対だというような論理が往々にしてまかり通る。そうすると、これに反するものは敵だ、こういう論理もあるわけです。その間を今るる御説明があったけれども、今岡本会長の言われましたような趣旨が本当にうまく伝わっていくようにしたい。それが中途半端なところで、スローガン的に学校教育を崩すものだとか軽視するものだとかいうようなところに歪曲されるというおそれは十分ありますね。それも故意にする場合もありますね。それは将来の子供たちのためというよりも、現在の生活がかかっている人々がいるわけですね。そういった点を本当に十分意識なさって、そして、国民全体を本当にその気にさしていかなかったらば、押し戻されてしまうのではないか、私は二十年言い続けてきて、その実感で申し上げているわけであります。
 次に、そういう中にあって生涯学習体系の中に位置づけられる、あるいは国際化という日本の状況の中にあってこれからの学校体系、そこにおける教員の資質向上ということが大変大切になってくる。ところが、教員の資質向上ということはたびたび叫ばれておりますけれども、それではこれからの学校教育の位置づけ、その中における教員、その教員に新たに求められるべき資質ということについて、これは解明が不十分であろうと思っております。これは幅広い人間性だとか理論だとか実践的指導力だとかということがいろいろ書いてございますけれども、これはかっても必要だ、こういったことはいいわけです。何が一番必要か。今の岡本会長のお話に限って言えば、モチベーションということがある。やる気を与える。やる気を踏みつぶすような教員は悪い教員だ、育てる教員はいい教員だ、そういう一つのメルクマールがうんと出てくるということがありますでしょうね。たとえ学校で成績がどうであろうと、そういったことが下手だったらば教員としては不適格だというようなことも出てくるでしょうね。そういったことについてのコンセンサスがなければ、これは特に教員団体とのコンセンサスがなければ、コンセンサスのないままに新しく試補制度をつくってみるとか研修制度、講習とかということを言えば、これは混乱することは目に見えておりますね。
 私たちのアンケートでは、ごらんになったかもしれないけれども、教員の資質について幾つかの問いをしてみたわけでございますけれども、使命感というところに非常に寄っておりました。これからの教員の資質として、校長先生は八二・五%の方々が第一番に教育者としての自覚、それから第二番目が子供好きということでもって四五・二%。これは二つずつ答えを書いてよろしいというので全部で二〇〇%になっているわけですけれども、その次が研究心、その次が情熱。それから、教員自身としても第一に挙げておられるのがこの使命感ですね。第二番目が情熱。三番目が子供好き。それから、父兄の方々が挙げられているのも、第一番目が教育者としての自覚、これが五三・四%。子供に対しての公平、これが三九・九%。そういったこともこの間御報告申し上げましたけれども、この使命感ということがこれだけ挙げられたということは幾つかの意味があろうかと思います。
 これは、私たちもこれから研究してまいりますけれども、こんなような条件の中で、人数が多いとか事務が多いという中で使命感でもなかったらとてもとてもやっていけませんよ、こういう感じの答えが一つある。
 それから、もう一つは、何のために教師になったのかと自問して、答えが余り出てこないで不安を覚えている教員の方々も相当いらっしゃる。父兄の方々から見ても、あの先生は何で先生になったのかしらと思われるようなそういった方もおられる。そういったことの幾つかの総合的な数字であろうと思いますけれども、教師自身の生涯学習、学習意欲といったことが大切だと思います。
 それから、「世界の中の日本人」という一つの項目がありましたね。教育目標が三つ挙がっておられる。こういったことがまず本当のコンセンサスになっていかなかったらだめなわけです。例えば、教員自身ですけれども、一人一人の教員が一人の外国人の友人を持ったらどうだろう。非常に具体的な話になるけれども、随分教え方も変わる、人世観も変わると思いますね。国際的といえばすぐに高等教育あるいは研究、あるいは外務省、通産省、こういうようなことではなくて。そうすれば、現在の日本では十分可能なことですね。青少年一人一人が一人の外国人の友人を、一生の友人を持つというマナーを一つのカリキュラムの中に入れるべきじゃないだろうかとさえ私は思っています。それは学校の教員がそういったことをしていったらどうか、これは一つの宿題といいますか提言であります。
 それから、もう一つは、家庭や社会との連携がとれる人物あるいは仲間、それから校長さんとの話し合い、連携、協力関係が本当にとれるような、これは子供に言い聞かせることじゃなくて、教員自身がそういう方が非常に必要になってくるのじゃないでしょうか。
 それから、もう一つは、教員が教えながらかつ学ぶものであるということになれば、じゃ子供たちはどうか。子供たちは専ら教わっていくだけのものなんであろうか。やはり弟分がいて、そして学びかつ教えていくということが今は全く欠けているんじゃないでしょうか。異年齢混成の教育効果ということについては今非常に重視しなければならないときである。特に、兄弟が少ない社会状況、家庭状況にありまして、学校教育の中でそういったことをしていかなければならない。これには教員の方々はまた新たなる困難がある、厄介なことが起こる、責任も幅が広がってくる、そういうことがありますね。しかし、これはほっといてでるきものじゃなくて、相当進めていかなければならないことです。それで、その進め方の一つとしては、現にそういったことをやっているところがあるわけですから、そういう例を持ってきて、その教育効果をどんどん宣伝していくようなこともしなければならないことじゃないでしょうか。
 それから、いじめについてアンケートがあります。ここでは詳しいことはもう省略いたしますけれども、いじめの一番の要因は家庭にあるという答えが圧倒的に多うございました。ですから、中曽根総理大臣から学校で起こることなんだから学校の責任ですという御意見がありましたけれども、アンケートではそうでないということが示されております。しかし、それでは家庭に対してだれがどのように働きかけるのか、これも非常に難しい問題なんですね。それはさっきも岡本会長が言われたとおりであります。
 それから、私がここで伺っておきたいのは、今の自殺といじめというのは深い関係があるのだろうか。あるいは、自殺というものは自殺として、これはほとんどコンスタントにといいますか、別にあるのだというお考えでしょうか。これが一つです。
 それから、もう一つは、この前校内暴力ということがあった。これは私たちも提言をいたしましたし、数の上では減りました。そのかわりいじめがふえました。今度はいじめ一一〇番であるとか、早期に発見してこれは説教してだんだん数が少なくなるでしょう。いじめが減ったときに、次に出てくるものがあるのではないだろうか。例えばセックスというようなことも起こるでしょう、それもまた抑える。その次にまた出てくるものがあるのではないだろうかということになりますと、これは早期発見して早くつかまえてこういうふうにやったから、その場ではいいかもしれない。親から見て、大人から見て、これでおさまったから責任は逃れたと言うかもしれないけれども、民族全体として、いじめならいじめのエネルギーというものがあるわけですから、これをどう転換して思いやりなり責任感の方に持っていかせるかという手だてを本気で考えなければならない。確かにそれは、コンサルタントというかそういった校長OBの方々が、いろいろな方がいらっしゃるでしょうけれども、やはりそういう一つの流れをつくっていかないと、悪いものを抑えていけというような今の行き方、これは明治以来の大きな流れですね。お手本を示して模範生をつくっていく、そうでないものはだめ、こういう行き方の大きな流れですから、これも今おっしゃった新しい生涯学習なら生涯学習、人間の個性というものをもととした教育体系の中にふさわしい一つの答案が出てこなければならない。ここに書いているのは、そういった大きな構想につながっての太い線というものが見られないというのが、私は残念に思うわけであります。
 時間が参りましたから、これらのお答えをいただければこれでおしまいにいたします。あと、高等教育についてもいろいろございますけれども、またこういった質疑のチャンスが与えられればありがたいと思っております。
 それではお答えをいただきたいと思います。
○岡本参考人 いろいろ貴重なお話をいただきましてありがとうございました。
 使命感の自覚ということにつきまして、私、実は大変感じておりますのは、私は医者でございますから、医者に一番大事なのはやはり使命感だと思うんですね。これがどうして養われるかということとも関係がございまして、これは医道とかなんとか言って講義をいたしましても、それはなかなか得られるものではないのです。これは何といっても現場でないとだめだと言われているのです。かつて偉い医者が出ましたときに、あれはどこから出たのだ、あれは柿沼内科から出たのだとか、県内科から出たのだ。こういうときはリーダーが大事なのです。その意味で、私は初任者研修というものが大変大きな意味があると思っているのです。医と同じように、高度の専門職というものは、その出発のときに現場でしっかりした修練を受けるということが大変大事だと思っておりまして、先生がきょうおっしゃっていた使命感の自覚ということに関しましては、これより道がないのじゃないかと思っているぐらい大事だと思っているのです。
 それから、自殺というのは、これは割合私の専門の方に属するのですけれども、いじめの機構というものを、あれは事もなげに家庭にあると書いてございますけれども、実はあれは相当深い内客を持っております。脳のどの部分に何があってというようなことまでも考えておるのでございます。御承知のとおり、登校拒否から校内暴力、家庭内暴力、そしていじめ、こういって五年ずつぐらいで変わる、なくなるのだと言われていますけれども、私はやはり問題点というものは、一貫してこの物質文明の基本的なものにあると思っているのです。それで、それをしっかり明らかにして問題解決に向かうのでないと、次から次に出たものを抑えていくばっかりになると思うのです。この点、私が一番強く考えておる問題でございます。
 そういう意味で、個性というものに対しても、今のいじめや自殺というようなこととも関連があって、私自身はそういうことを深く考えながら、言葉としては簡単に家庭にあるということを申しておりますけれども、やはり乳幼児からのしつけというものが大変大事だというように考えております。
○有島委員 終わります。
○青木委員長 山原健二郎君。
○山原委員 岡本会長にはたびたび御要請申し上げて恐縮です。
 今度出ました第二次答申に、前にも申し上げたのですが、非常に難解な言葉がありますね。その中できょうは、「不易」と「流行」というものがございまして、しかもこれが非常に重要な位置づけをされております。次世代に受け継がせなければならない不易なるものの重要性、そういうふうに表現しておられますね。
 その不易というのは何かと思って見てみますと、例えば自然を超えたものへの畏敬の念、あるいは人間の力を超えるものを畏敬する心、超越的存在への畏敬の念というふうな言葉がございまして、これは一体何を意味しているんだろうかと思うのですが、簡単にお答えいただきたいのです。
○岡本参考人 この「不易」と「流行」という言葉、私も開会のときから不易という言葉を使っておりますので、これは不易が何であって何が流行だと言うことはそう簡単にはできないということも書いてございます。
 これは簡単に答えよということで、なかなか難しいのですが、私は教育の際に「変わらないもの」というものがあると思うのです。人間基本として変わらないものがある。不易と流行というものを、どこまでが不易でどこからが流行だということをそう簡単に決められませんけれども、形として言えるなら、教育基本法の精神の中に書いてあるものはそれは不易なものに属すると思います。
 それを、私が自分なりにもっと具体的に考えておりますことは、人間が教育にかかわって、人間の基本的なあり方というものに、人間は人間を浴びて人間になるのだとか、それから、人間というものは一人で暮らせないのだとか、それから、抑制力というものが個性に大変大事なものなんだとか、そういう基本的なものも持っておりますが、もう一つ、流行というものとの関連において、どこまでとはっきりした区別はなくても、私は、近代文明というものから生まれておる問題、これは教育に不易から流行までに連続したもので大変大きなものを持っておると思っております。
 その中で、人間の心の中にまず理性だけを大事にしておるということ、自然がどんどんなくなってしまうということ。それから、超越したものというのは、近代文明は人間至上であって、自我の肥大ですよ。無限の欲求です。人間が至上ですから、自分の上のものがありませんね。そういうところからは本当の倫理とか道徳というものが生まれにくいと思っておるのです。
 そんな点がずっとございまして、この話をしかけますと無限にございますが、私はそんなつもりで、「不易」と「流行」ということには教育で大変大きなものを感じておる次第でございます。
○山原委員 率直に言って、非常に抽象的なものですね。変わるものと変わらざるものがあるということはわかりますけれども、それが非常に重要なものとして位置づけられる中には何かあるのか。
 例えば、私もぴんとくるのは、教育勅語にある幾つかのいわゆる徳目、こういうものは変わらないものとしてここの中にあるのではないか。また、天皇とか天皇制とかいうもの、万世一系の天皇というふうに我々は習ってきたわけでありますが、そういう変わらざるもの、それが超越的存在への畏敬といいますか畏怖という言葉も「概要(その3)」にはあったわけでございますけれども、こういうものは含んでいるのでしょうか。
○岡本参考人 教育勅語というものは廃止されましたので、あえて教育勅語を引いて申すことはいたしませんけれども、人間が夫婦相和しとかというものは教育勅語がなくてももともと変わらないものであり得ると思います。
 しかし、今おっしゃいました人間を超越したものに対する畏敬ということは、何も天皇制を申しておるのではございませんので、最前私が申しましたように、とにかく人間至上ですから、生まれることも死ぬことも人工になってくると摂理観というものがなくなりますが、そういうものに対する気持ちがなくなることが、人間を超越したものに対する畏敬の念というようなつもりで私はここで申しております。
○山原委員 これ以上申し上げませんが、宗教心というのはまた別の言葉で出てきますから、理念というのでしょうか、ちょっとわかりにくいのです。会長御自身が超越するものに対する畏敬の念とは一体何を指しておるのか、これは非常にわかりにくい問題だと思います。教育の場に、そういった全くどうとらえていいかわからぬものを、しかもこれが一番大事なんだぞというふうなことが、ないことはないと思いますけれども非常にわかりにくい。まあ、これはこれでおきましょう。
 それから、今度三つの目標の中に「公共」という言葉が出てきましたね。前は「自由・自律」あるいは「自主・自律」、そして今度「公共の精神」というのが入ってきたわけです。この「公共」というのは、「他者への思いやり、社会奉仕の心、郷土・地域、そして国を愛する心、社会的規範や法秩序を尊重する精神の涵養」というふうに説明がされているのですね。ところが、公共の福祉の名のもとにどれほど人権が侵害されたかという歴史を過去において我々は持っているわけでして、特に、国の権力を持つ者が公共と言ったときには、法律に従わない者は罰するとかいうことで、過去の全体主義、ファシズムというのは公共の福祉ということを基礎にして発展をしていった歴史を持っていることは御承知だと思うのですが、あえてこれがここへどうして突然入ってきたのか、簡単にお答えいただきたいのです。
○岡本参考人 ごらんのように「自由・自律」と「公共」ということを並べておりまして、基本的に大事なのは教育基本法で申しておりますが個人の人権でございますから、そういうものをしっかりして、なおさらに、ともに暮らすといいますか一緒に国をつくるといいますか、そういうものが大事だということを指摘しておるわけでございます。個人の大事さというものを決して忘れないようにと最初に出してございます。
○山原委員 過去の経験を申し上げたわけですが、公共の福祉ということで国民の権利がどれほど侵害されたかという苦い経験を私ども持っているのです。だから、この中には「国を愛する心」というのがあるのですが、国を愛するというのはいろいろな愛し方もありますし、その点では、表現をすればいろいろな違った考え方も出てくるわけです。例えば、日の丸を掲げ君が代を歌うことが国を愛することになるという考え方に立てば、これを決めると、これを立てない、歌わない者は処罰するという形の公共の福祉という使われ方もあるわけですね。
 そういう点から考えますと、まかり間違うと、頭に「自主」とか「自律」と書いても、この公共の福祉によって自主とか自由というものが完全に抑圧されるという経験を我々は持っているわけです。その点で、今度これが突然入ってきたことに対して、いよいよ臨教審の皆さんが、最初から教育基本法攻撃をして自由化論を唱えた、その自由という言葉がどんなものであったかということを、本当に本性が出たのだなという受け取り方さえ私はいたしまして、大変残念に思っているのです。だから、この点は、また御検討いただけると思いますけれども、私はそういうふうに感じておることを率直に申し上げておきたいと思います。むしろ、これが非常に大きな害毒を流す歴史の教訓を持っているということを申し上げておきたいと思います。
 次に、会長もおっしゃいましたが、今度の答申の一番のポイントは生涯学習ということです。
 だから、この前も私は申し上げたのですが、生涯学習、生涯教育の重要性というのは我々ももちろん気持ちは一緒です。けれども、今度は「生涯学習体系への移行」、そしてその中身は、学校教育中心主義から脱却していくと表現をされて、それが今次改革の一番の柱だ、こういうことになりますと、この点が非常に重要な内容を持ってくるわけです。
 そして、具体的中身の方向を受けておりますのは、百三十ページの「教育行財政改革の基本方向」で重要なことは述べております。その中に教育に対する官民の役割分担が述べられておりますが、この官民の役割分担というのは、「官でなければできない分野、民間に委ねてもよい分野の検討に当たっては、」という表現がございまして、説明がされております。「その場合、教育体系全体にかかわる調査・企画、情報提供、国民の基礎的・共通的水準の維持、地域的に均衡ある発展、国際的水準の専門的人材の育成、基礎的・先端的学術研究の推進、特殊教育の振興などは官が大きな責任をもたなければならない」と述べておりまして、官の役割というものをここで一定の限定をしておるわけでございます。
 そこで、お伺いしたいのですけれども、「国民の基礎的・共通的水準の維持」という言葉が今読んだところにあるわけでございますが、これは現在の初等中等教育、高等教育という学校教育を保障する立場なのか、それとも別のお考えを持っておるのか、この点はいかがですか。
○岡本参考人 前回、生涯学習への転換というか学校教育からのなにということが六・三・三制の学校のシステムも無視するのじゃないかという先生のお話がございまして、そういうことではないということを申し上げた次第でございますが、そのときに、初中教育というものは、国民の基礎、基本というもの、それからここで「国民の基礎的・共通的水準の維持」と言うものは、大きく公教育というもの、公教育といいましても上まで全部というわけにはいきませんけれども、特に下の方の部分は、「国民の基礎的・共通的水準の維持」ということは、おっしゃるとおり義務教育といいますかそういうものの内容を指しておると思います。
○山原委員 これと結びつきまして、五十六ページには「小学校段階においては、」読み書きそろばんとおっしゃったのですが、「読・書・算」とお書きになっていらっしゃるわけで、本当にこういう基本的なところをやればよいという意味にもとりかねない文章になって、そして今度次にどう来るかというと、「私立小・中学校設置の促進」というのが百三十三ページに出てまいりまして、私立小中学校の重視ということになります。
 そういたしますと、「私立学校の占める割合は極めて限られているが、」「将来の方向として、」「私立学校の設置が促進される諸方策を多面的に検討する」というふうに出ておりまして、いわば小中学校の私立化の促進、これが願望としても方向としても出ているわけです。そうしますと、私立の小中学校をどんどんつくっていく、そしてその許認可を、つくりやすくしていくということはわからぬではありませんけれども、いわゆる公立の学校、義務教育段階における国の責務においてやられている公立小中学校というものがだんだん減っていくことは、この方針でいけば明らかになるわけでございまして、そうすると、義務教育段階は国の分担でやり、授業料はない、教科書はただであるというふうな国の行っている教育、これが一体どうなるのか。たくさん出てきた私立の小中学校においては授業料を取らないとかいうようなことが行われるのであろうかということを考えるわけですが、その点はどうでしょうか。
○岡本参考人 この問題は、最前も出た問題でございますけれども、私立の小中学校の設立を促進するということは建学者の意思による多様な学校をつくれということで、どこまでも基本はやはり義務教育は公立のものでということも変わらないと思います。しかも、国が責任を持つという点におきましては学習指導要領でその内容も規制しておるわけでございまして、やはりこれはどこまでも主体は国が責任を持って公立のもので行うべきであるという点は変わらない。ただ、多様性を保持するために私立ができることもいいではないかというような理解をいたしております。
○山原委員 公立の学校でも多様性を保障すればできるわけでございますから、これは読みようによりましては、国がいわゆる公教育から次第に撤退をしていく、こういう構えが見えるわけですね。それから、私立をつくる場合のいろいろな規制を緩和する、いわゆるデレギュレーションと言われるものをここへ持ち込んでおられるように思います。例えば、今乱塾現象だと言われますけれども、まさかとは思いますけれども、今の塾のようなものを学校として認可をするという考え方もこの中にはあるのでしょうか。
○岡本参考人 塾の問題は大変重大な問題でございますので、第三次答申のところで全面的にやるということになっておりますが、現在ここで申しております小中の私立の学校を促進するということについては、塾も入れようというようなことは全く議論に出たことはございません。
○山原委員 小学校、中学校の通学区域のあり方については検討を行う、その運用については現行制度の範囲内で市町村が自主的にやる、こういうふうに百三十六ページに書いておられるわけでございますが、小中学校の通学区域について、親の選択の自由という方向をとろうとしておられるその意味、とり方によってはそういうふうにとれるのですが、そういう意味でしょうか。
○岡本参考人 この問題も審議会の一番最初のころからいろいろ議論がございまして、十分審議した問題でございますが、最後には、御承知のとおり、一区に二つくらいあっていいじゃないか、これもまた大変ディテールにわたって審議されましたけれども、どうもそれにもやはり弊害が多くてなかなか結論が出ないということでございますので、この問題は、そういうことをやろうという市町村が自主的に行うなら、そういうことを自分でやろうというところはやってもよろしいというふうに私は理解している。各市町村で自主的にそういうことをやるならそれもいいだろうというようなところですね。
○山原委員 これは、ずっと去年来論議されてきた臨教審内部のいわゆる自由化論、それから教育民営化論の一つの反映でもあるんじゃないかと私は受け取りまして、今会長のおっしゃるようなことだと全国的には相当混乱が起こる可能性がありますね。これは相当検討されておかれた方がよいと思います。
 それから、時間がありませんから、教育財政の見直しの問題が答申の中に出ておりまして、「教育財政の見直しに当たっては、既存の制度、施策の全般にわたり、当初の目的が達成されたものはないか、他の方法で対処できないのかなど、常に新しい目で点検し、合理化、効率化に努める必要がある。」こういうふうに述べておるわけでございますが、既存の制度、これは例えば義務教育国庫負担、あるいは私学助成、あるいは教科書、給食、あるいは奨学金制度、こういったものは既存の制度として存在するわけでございますが、これらも見直して、そしてこの審議会としてこれをどうこうするというふうにお考えになっているのでしょうか。
○岡本参考人 百四十四ページのウのところでございますが、これは「教育財政の見直しに当たっては、既存の制度、施策の全般にわたり、当初の目的が達成されたものはないか、他の方法で対処できないのかなど、常に新しい目で点検し、合理化、効率化に努める必要がある。」これは、既存の制度はあらゆるものでございます。その点はこの字のとおりでございますけれども、今おっしゃったようなものは特に重要なものでございますので、今それを見直すのだという、例えば今おっしゃいました給食でしたか、この答申の中のほかのところにも方向が出ておりますね。それ以上どうするということはまだ決めてはおらない次第でございます。
○山原委員 この委員会で大蔵省が出しました臨教審に対するメモが問題になりまして、いわゆるスクラップ・アンド・ビルドということで大蔵省はそこをねらっているわけですよ。だから、こういう既存の制度に対する見直しをやり、そして合理化、効率化を図るというと、まさにそこへずばり今財政当局は持ち込もうとしているわけですから、この点がうっかりすると国民が合意して築き上げてきたものが破壊されるということになりかねません。その点を私は心配して申し上げたのですが、初任者研修制度が非常に大事なものだとおっしゃいましたね、また目玉だ、こういうふうに表現されておりますが、これはどれぐらいの財政措置をお考えでしょうか。
○岡本参考人 財政については具体的な問題のときに審議するのだということを申しておりまして、この問題につきましては最初から、どれくらい金が要るだろう、随分検討もされまして額も示されましたのですけれども、やり方によってはそう大した金も要らないでやれるのじゃないかということでございまして、この間も第三部会長に、一体どれくらいかなと言って聞きましたところは、そう大した額でなかったように思います。ちょっとはっきり覚えておりませんけれども、一番最初のころは何千億というような話がございましたが、そんなものではございませんでした。
○山原委員 やり方によると思いますね。金額とやり方によって変わってくると思うので、これ以上お尋ねいたしません。
 最後に申し上げたいのは、教育の画一性あるいは閉鎖性、瑣末主義を打破するため、教育の活性化、個性重視の教育ができるよう許認可の基準の大胆かつ細心な規制緩和をする、こういうふうになってまいります。いわゆる学校設立のためのさまざまな規制をのけてしまう。小学校の基準も中学校の基準もだんだん外して許認可がしやすいようにするということをうたっておられるわけでございますが、こうなりますと、個性重視という名のもとにどんな学校をつくってもよいというようなことにとられかねない中身になっているわけですね。これがそのまま受け取られますと、義務教育崩壊あるいは公教育の崩壊につながってくる。あるいは、場合によっては無政府状態になるということさえ考えられる面があるわけですね。したがって、私どもとしては、生涯学習を保障するということ、これはとても大事なことで国が総力を挙げてやるべきことだと思います。けれども、同時に、その基礎は今日の学校教育の充実であるということなんですよ。例えば四十人学級をつくる。中曽根首相その人が二十人の学校を見て、これならいじめは起こらないと言っているのですから。今いじめの問題を解決するならば、そういう条件を一つ一つ解決をしていくことによって問題の解決、克服に向かっていくわけなんですね。その点がどうも欠落をしておるように思えてならないのですが、何かお考えがありましたらお答えください。
○岡本参考人 設置基準、指導要領というものを野放しにするということではございません。余り細かいことまでを言うことはやめて、大綱化、簡素化、それから重点を明確化するとか、そういう方向を指示したことであって、決して野方図にすべてを無政府状態にするような、そういうことに対して注意を怠っておるものではないと思っております。ただ、一番よく言われるのは、余り細かいことまで規制するなということが今度の基本的な方針でございますから、それを表現したものでございます。
○山原委員 終わります。
○青木委員長 中野寛成君。
○中野委員 民社党の中野寛成でございます。きょうはありがとうございました。また、精力的な御審議を進めていただきまして第二次答申お出しをいただきました。その内容についていろいろと検討しなければならないことがたくさん盛り込まれておりますが、その御苦労をまず評価させていただきたいと思う次第でございます。
 それでは、答申のページ数を追いながら幾つかのお尋ねをさせていただきます。
 まず、六ページに「戦争と敗戦の結果として、軍国主義、極端な国家主義が否定されたことは、戦前と戦後の教育の非連続の面として正確に認識しておかなければならない点である。」としておられるわけであります。「極端な国家主義」そしてまた「正確に認識」というふうな言葉が使われておりますけれども、その内容と意味について若干の御説明をいただきたいと思います。
○岡本参考人 この「国家主義」という言葉は、本来、占領軍の占領時にも、日本国内の方からも占領軍の方からも国家主義を否定するという言葉はなかったそうです。ですけれども、国家主義というそのものは国家を大事にする以上のものを含んでおると考えられるのですね。やはり国家が至上である、個人よりも国家というようなイズムですから、国家主義すらも十分注意して使わねばならぬ。特にここは、極端な国家主義というものはどうしても否定するということをしっかり認識せよ、そういうふうな意味でございます。
○中野委員 わかりました。このことについての解釈または国民のコンセンサス等が明確にされておかなければ、ややもするといろんな提案等がゆがめて見られるということにもなりかねない。こういうことの指摘は大変必要なことでありますが、同時にまた、そのことの解釈等については国民の理解が十分得られるように気をつけて努力をしなければいけないのではないか、こう思いますし、ある意味では臨教審の御審議、臨教審の性格づけさえもこういうところから憶測を生んでくるということにもなろうかと思います。そういう意味で第一点をお聞きしたわけでありますが、よくわかりました。
 次に、似たようなことでございますが、「概要」の中で教育の目標の一項目に「自主・自律の精神」、先ほど御指摘もありましたが、とありましたのを、今回「自由・自律と公共の精神」に改められたわけであります。この「公共の精神」という言葉については臨教審の中でもいろいろと御論議があったとお聞きをいたします。その他の、こういう言葉を使ってはどうであろうかという御提案もあったようでございます。この意味するところを、最初の国家主義に対する考え方と同じように誤解を生みやすいことも事実でありますから、臨教審のお考えをもう少し詳しくお述べいただきたいと思います。
 と同時に、愛国心教育について二十九ページに簡単に触れておられるわけでありますけれども、愛国心教育、愛国心の一つの象徴的な形として国旗、国歌の取り扱いということもまたあると思うわけであります。これについても、先般の卒業式や入学式でいろいろ各地において御論議があったところでございますけれども、臨教審としては、やはりこういうものについての考え方もまた国民のコンセンサス形成の中で一つの大きな役割を期待されていると思うわけでありますけれども、どのようにお考えでございましょうか。特に、国旗、国歌の取り扱いについては臨教審として御論議があったのでしょうか。答申等には触れておられないわけであります。
○岡本参考人 まず「公共」という言葉でございますけれども、御承知のように、前には「自主・自律」というのがございましたのですが、どちらも個性尊重、自由主義から出ました自分を大事にということでございますので、その点は一貫して一番大事なものであるという認識を持っております。さて、そうかといって、国といいますか、最初は「連帯」という言葉だったわけですけれども、他と仲良く一緒にという言葉も大変大事なことだということで皆が工夫いたしまして、いろいろなことがございましたけれども、「公共」というのが一番わかりいいだろうということでこれにいたしました。公共というのはもちろん社会、国でございますが、教育基本法から申しましても、本当に平和的な国家、社会の形成者ということでございますので、この点はそういう意味の公共でございます。
 今、国旗、国歌のことがございましたが、これは現在文部省で検討いたしておりますことでございますので、特に臨教審でこの問題を審議したこともございませんので、私の意見も言えと言われるのもちょっとなんですから、あえて文部省が目下審議をしておるというふうに申させていただきます。
○中野委員 ややもすると、よく私ども、例えば党の政策をつくるとかまたは国民の皆さんにいろいろと訴えますときに、今日までの教育の荒廃の原因は、戦後教育の構造、図式が文部省対日教組の対立の中で今日のような状態が生まれたということを指摘するわけであります。ある意味では臨教審に、まさにその問題を解決するためにどうしたらいいか、その役割を期待して臨教審ができたと言っても過言ではない。私の気持ちの中ではそういうことであります。
 そういうことから、例えば国旗、国歌のような国民の間にいろいろと論議がある、賛否が大変激しく対決するというふうな内容等につきましては、むしろ、文部省にお任せになるということよりも、臨教審が積極的にお取り組みいただいた方がいいのではないか、このようにも考えるわけでございますけれども、今後、最終答申へ向かっての御協議、御審議をされるわけでございますけれども、これらのことについてはいかがお考えでしょうか。
○岡本参考人 まだ、次の審議の中にそういうものが出てきたこともございませんので、私がやるやらぬと言うわけにもいきませんので、お話を承っておくということでございます。
○中野委員 現段階で会長の御答弁はその枠を出なかろうと理解をいたします。しかし、私どもとしてはそういう希望を持っておりますことを御認識いただき、今度の御審議の中に入れていただければと御要望を申し上げておきたいと思います。
 次に、「概要」の方に挙げられておりました教職適性審議会の設置につきまして、答申には盛られていないわけであります。仄聞いたしますところでは、教育委員会の活性化というところに期待をつなごう、こういうことのようでありますけれども、それにはいろいろな手法が必要であろうと思います。もちろんそのことについても触れてはおられますけれども、しかし、率直に申し上げまして、果たして本当にできるかなあという疑問の方が先立つわけであります。このことについて臨教審としてはどういうふうにお考えであったのでしょうか。
 あわせて、教員免許の更新制について今後御審議をいただきたいと思うのでありますが、どういうふうにお考えでしょうか。
○岡本参考人 この適性審の問題は、繰り返し申しておりますように、sまず第一に、教育委員会の活性化に期待すべきだ、こう申しておるわけです。これが果たしてできるかどうかということに問題があるということでございます。
 私自身思っておりますのは、教育委員会というものがこれだけ大きな声で問題視され、それからあの文章をちょっと読んでいただきますとわかりますけれども、あそこだけは特別に強い言葉が使ってあるのです。議論の中では、眠っておるということを皆指摘しておったのですが、今度読んでいきますと、あの黒枠の中ではあのところが一番激しい言葉で申してありますが、あれだけ言われて活性化しないということは私はないのじゃないかと思って、その点は大変期待しております。しかも、適性審のようなものも、どうもならぬときには考えることもあるんじゃないかという指摘もしてあるのですから、あれでしっかり国民が全部注目して見ておるというのが実態だろうと思っております。
○中野委員 大変強い語調で書いておられる。それだけに、私が最初申し上げた、本当にできるかなという疑問をきっと臨教審の皆様方もお持ちになったがゆえにそういう強い言葉になったのであろうと思います。そういう意味で、今後、もちろん臨教審としての御指摘は答申がある意味ではすべてでございますけれども、臨教審としての御努力、またもちろん文部省に最も期待を申し上げていきたいと思うわけであります。
 さて、次に、いじめの緊急の対応措置を今回は入れられたわけであります。入れるか入れないかの御論議もあったようでございますけれども、私どもとしては、緊急の対応措置を入れられたことを評価いたします。同時に、臨教審として今後関係機関に対して、この答申の実現のためにどういうふうな働きかけをしていかれるであろうか。むしろこれを実現化するのは文部省の仕事だ、臨教審は審議をし、この答申に織り込むこと、それが臨教審の仕事だと言ってしまえばそれまでなのでありますけれども、ある意味では、こういう問題については臨教審の適当な具体的な御努力、働きかけというものがあってもしかるべきではなかろうか、このようにも考えておりますが、いかがでございましょうか。
○岡本参考人 実は、これを答申の中に盛るかどうかということにつきましては、臨教審の性格上、やはり問題を本質に掘り下げてということもございましたので、いろいろ議論がございましたが、この問題の認識は、会長談話を出しましてから後、しっかり審議すべきだというので、多くのヒアリングをやりましたり続けてまいりましたので、私どものこれに対する認識も深まってまいりました。その結果、やはりこの問題は極めて根が深い、広いということを認識しましたので、本来これについて記載するのは全体にわたってせざるを得ないというので、初めは各部分でその問題を膨らまそうということになったのです。ですけれども、実にこれが出現している場所が学校であるということで、この学校の部分だけはひとつ対策だけれどもはっきりしようというわけで枠の中に入れてこれを申しましたので、そんな意味で、この臨教審の答申というものは基本的なものに目を据えてやるんだけれども、しかし、対策的なものもやはりこの際は出さざるを得ないといいますか、出すのがいいというような合意でこれは出したものです。
 それで、今後どうということでございますけれども、およそこの答申の文章で、「その解決に当たる。」とか「学校だけで」「解決が困難な場合には、」「教育、児童福祉、警察等の地域の関係機関と連携し、その解決に当たる。」とか「運営に努める。」ということは、それをやれということなんですね。ですから、もちろんこう出ますと各機関もそれに努力されることと思いますし、我々もそれを見守っておるということでございます。
○中野委員 我々もまたこの御答申の実現に向けて努力をしていきたいと思います。国会の役割をまた果たしたいと思います。
 続きまして、答申百三十四ページには「地方分権の推進」をうたっておられるわけであります。「国・地方の役割分担の見直し」を主張しておられるわけでありますけれども、教育水準維持の観点から国がどこまで教育に責任を持つのか、地方にどれだけの責任を任せるのか、またある意味では、行政が関与する部分と、してはならない部分、こういう明確な線というものがあるであろうと思うのであります。これらのことについてはさらに具体的に明確に示していただきたいという気がするわけでありますけれども、今後ともの御検討の余地があるものでございましょうか。
○岡本参考人 今の御質問でございますが、百四十五ページの「教育行財政の改革に関するもの」のところに「官・民の役割分担」というところがございまして、このディテールにつきましては、第三次答申でしっかり詰めるということになっております。
○中野委員 私は大切なことだと思うのであります。官民の役割、もちろんそれから行政と教育現場または教師のし自主性、いろいろな役割分担がある。それが混同されてしまって、そして見る方によっては余りにも教師が勝手なことをやり過ぎるという見方、一方では余りにも管理が厳しいという見方、いろいろあるわけでありまして、その辺のことについてはやはり少し考え方を整理をし、そしてその役割分担を明確にすることによって責任の所在が明らかになる。管理を厳しくするのならば厳しくするで、その管理を厳しくした機関なり人が責任を持たなければならない、現場の自主性に任せるなら任せるで、問題が起こったときにはその現場が責任を持たなければならないわけでありまして、そういうことの明確な提示がぜひとも必要であろう、こう考えるわけでございますので、第三次答申でそれに触れるということでございますから、御期待を申し上げたいと思います。
 次に、今回は百四十二ページに「一部の教職員団体」について言及をしておられるわけであります。このことについては、先ほども申し上げましたように、教職員団体の自主性を侵すわけにはまいりません。しかしながら、私どものみならず多くの国民の皆さんが、この一部の教職員団体の姿についていろいろな目で見ている。もちろん私どもも父兄の一人でありますが、そういう中で、PTAの中でも話をいたしますときに何とかならぬのかという声がよく聞かれるわけであります。これは、先ほど文部省対日教組の対決の図式と申し上げましたけれども、臨教審に期待する大きなテーマの一つであります。このことに今回言及されておりますことの背景と、そして今後のその具体的なあり方について御説明をお願いしたいと思います。
○岡本参考人 この問題は、二十一世紀の教育のあり方のところにも言及しておりますし、それから、今御指摘になりました、百四十二ページの一部教職員団体に見られる違法な争議行為、学校運営に対する不当な介入が、学校の適正な運営を阻害するばかりでなく、父母や地域社会の学校に対する信頼を失わしておる、これについては関係者の自覚と反省を強く求める、こう申しているわけでございます。
 それで、これは毎回申すことですけれども、現在の段階では、臨教審としましては、教育の荒廃というものを認めるなら過去に力を及ぼしたものは皆反省すべきである、お前が悪いという言い方はもう既に教育の改革を論ずる資格がないのであるというくらいに思っておりまして、この程度にいたしておる次第でございますので、この点ひとつよくお考え願って自覚と反省を強く求めたいというところが現在の心境でございます。
○中野委員 もう一つ、この答申に、ちょっといじめのところに話が戻るのでありますが、これはいじめだけではございませんのであえて広い意味で触れたいと思うのでありますが、現代社会におきましては「テレビ、ラジオ、出版物などマスコミュニケーションの発達は、」ということで七十七ページに触れておられるわけであります。最終的には「マスコミュニケーションの自粛・自重を含め、事態の解決のための社会全体の取組みや協力が必要である。」こういうことなんですね。私も、このマスコミュニケーションのことについては予算委員会等で毎年のように触れてまいりました。この果たす役割、影響力というのは極めて大きいと思うのであります。
 先般、自殺の問題で一つの高校生のクラスでいろいろ生徒同士が論議しているのをテレビで放映しておりましたが、その中で子供たちの指摘の中に、マスコミの影響が大きい、我々はどうしても影響を受けやすい、もう少し自粛してほしいという子供の声がありました。ところが、それを司会、総合まとめ役をしておりました生徒の方が、やはり我々自身がもっと強くならなければというふうに最後は結んだわけで、大変健康的な結び方であったと思うのでありますが、しかし、我々大人としてはやはりこのことに対する責任というものは大きいと思うのであります。
 しかし、果たしてどうしたらマスコミの皆さんは自粛、自重してくれるのでしょうか。いわゆる視聴率や販売競争、そういうことに明け暮れて、そしてそのマスコミの世界の中では、例えば番組一つつくるのにも下請に出す、下請に対する管理監督は十分行き届かない。マスコミの中で、例えば一つのテレビ会社の中で、その経営に当たる責任者の人たちは、現場でどういうことが行われているのか知らない、また知っていても口出しができないというような形さえ起こっている。時に、私がたびたび取り上げるものですから、マスコミの内部の方から、ひとつもっともっとやってほしい、今や自浄作用はない、お互いの競争に明け暮れることに忙しくて、とてもじゃないけれども自分たちの努力でそれを是正するということがなかなか難しいという、むしろ、私はおしかりを受けるのかと思っておりましたら、逆に激励を受けるということが今日まで幾たびかございました。
 こういうことを考えますと、ここに答申として文章化されておりますこのことはごもっともでありますが、実際にやっていただくことは難しいのではないかと思うのでありますが、これらについていかがお考えでしょうか。
○岡本参考人 この問題は、いわゆる情報化の光と影の問題で、大変重大だということを繰り返し申しておるわけでございますけれども、言論の自由というかそういうふうな関係もありまして、なかなか対策が難しいと思いますけれども、本当に先生がおっしゃいますように、この問題の影響ですね、これは本当に看過し得ない重大な問題だと認識しておりますので、今のところこれに対してどういうことという具体案はございませんけれども、繰り返しこういうことを大きく言うことが効果のあることでないかと思っております。この点は、全く先生のお考えどおり、大変重大な問題だと認識しております。
○中野委員 臨教審でも指摘されたということが一つの影響力を持つと思いますので、私どもももちろん努力をしてまいりたいと思います。
 最後に、もう一問お聞きしたいと思いますが、中山参考人にお尋ねしたいと思います。
 生涯学習についてこうしてまとめられることについて、大変積極的に御努力をいただいたと聞いているわけであります。しかし、これはまさに社会全体の変革にもつながることでございます。随分長文にわたって力説もしておられますし、具体的なことも触れておられます。しかし、これはある意味では国民の意識変革さえも必要になってくる。もちろん、そのために学校を初めとする教育機関や企業、産業界等々また労働界、あらゆるところがその意識を持って努力しなければならないと思うのでありますけれども、そのことについてはひとり文部省や労働省等の努力だけでは済まないと思います。これを実行に移していくために大変大切なことだと思いますけれども、どのようなことが考えられるでしょうか。
○中山参考人 今度、生涯学習の体系を答申の大きな柱にしたことにつきましては、会長から御説明のとおりでございまして、私の意見ということをちょっと申し上げますと、実はあの問題を取り上げてまいります場合に、生涯学習と申しますと、とかく何か社会教育の一部じゃないかとか、あるいは成人教育じゃないか、そういう非常に狭い意味の解釈が今まであったわけでございますね。だから、何か言葉をひとつ新しいものないだろうかというようなことを委員の方々とお話ししておったのですが、ただ、私が総会の席上申し上げましたのは、確かに今までの日本は非常に内容のある学校教育というものではございますが、少し学校教育に偏重し過ぎている、中心を置き過ぎている。そこで、私どもは、学校教育といえどもひとり歩きはできないんだ、すべて社会のニーズに対応していろいろ改革をすべきである。さっき新しい言葉と申し上げましたが、内容的には社会の変化に対応する新しい教育体系、そういうような感じを私は持っております。
 したがって、学校教育でも、初等中等教育となりますと当然これは基礎、基本が中心でございますから、教育の内容として生涯学習体系ということを柱にいたしましてもあるいは柱にせぬでも変わらぬ面が多いかもしれませんが、しかし同じ学校教育でも、今度の答申にございますように、高等教育の段階では生涯学習とあるいは私が申したような観点から相当の改革が織り込まれているわけでございますね。
 それから、当然、高齢化社会ということになってまいりますと、学校教育を終わった後もろもろの教育、実習ということが必要になってまいります。例えば、私どもの経済界から見ましても、今日は、大学を出て入ってまいりましても、これだけ社会の変化が大きいと当然企業内でも十分研修する必要がある。あるいは、日本の大学院教育がとかく学者、研究者養成が中心でございますので、むしろ外国の、例えばアメリカのハーバードのビジネススクールに出すとか、そういった教育をしているわけです。これは何も経済界だけでございませんので、高齢者の方々が自分で例えばNHKのテレビからいろいろな美術の勉強をしようとか、いろいろな多面的な面がございます。
 したがって、今後の生涯教育体系という中では、特に先ほど申し上げました学校教育を終えた後となりますと非常にニーズが多様でございますから、民間のそういった機能が働く余地が非常に大きいのじゃないか、そういうふうに先ほどちょっと、言葉が生でございますが、社会のニーズに対応するような新しい教育体系、そういうふうに私は理解しておりますので、ちょっと申し上げておきたいと思います。
○中野委員 終わります。ありがとうございました。
 生涯学習については産業界の協力というのがとっても大事になってくると思います。そういう意味では、中山委員の産業界におかれるお立場も含めまして、私ども大いに御期待を申し上げたいと思います。
 どうもありがとうございました。
○青木委員長 これにて参考人に対する質疑は終了いたしました。
 両参考人には長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表して厚く御礼申し上げます。
 次回は、来る五月九日午前十時理事会、午前十時三十分委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。
    午後四時五十一分散会