第104回国会 社会労働委員会 第9号
昭和六十一年四月三日(木曜日)
    年前十時開議
出席委員
  委員長 山崎  拓君
   理事 稲垣 実男君 理事 小沢 辰男君
   理事 高橋 辰夫君 理事 浜田卓二郎君
   理事 池端 清一君 理事 村山 富市君
   理事 大橋 敏雄君 理事 塩田  晋君
      愛知 和男君    伊吹 文明君
      稲村 利幸君    古賀  誠君
      斉藤滋与史君    自見庄三郎君
      田中 秀征君    戸井田三郎君
      友納 武人君    長野 祐也君
      西山敬次郎君    野呂 昭彦君
      浜野  剛君    林  義郎君
      箕輪  登君    網岡  雄君
      大原  亨君    金子 みつ君
      河野  正君    竹村 泰子君
      永井 孝信君    森井 忠良君
      沼川 洋一君    橋本 文彦君
      森田 景一君    森本 晃司君
      小川  泰君    藤原哲太郎君
      浦井  洋君    小沢 和秋君
      菅  直人君
 出席国務大臣
        厚 生 大 臣 今井  勇君
 出席政府委員
        厚生省保険医療
        局長      仲村 英一君
        厚生省生活衛生
        局長      北川 定謙君
        厚生省援護局長 水田  努君
 委員外の出席者
        議     員 森井 忠良君
        議     員 大橋 敏雄君
        議     員 塩田  晋君
        議     員 菅  直人君
        外務省アジア局
        中国課長    槇田 邦彦君
        社会労働委員会
        調査室長    石川 正暉君
    ―――――――――――――
委員の異動
四月三日
 辞任         補欠選任
  谷垣 禎一君     田中 秀征君
  網岡  雄君     大原  亨君
  伊藤 昌弘君     藤原哲太郎君
  塚田 延充君     小川  泰君
同日
 辞任         補欠選任
  田中 秀征君     谷垣 禎一君
  大原  亨君     網岡  雄君
  小川  泰君     塚田 延充君
  藤原哲太郎君     伊藤 昌弘君
    ―――――――――――――
四月三日
 国立病院及び療養所の統廃合反対等に関する請
 願(阿部昭吾君紹介)(第二四九六号)
 同(池端清一君紹介)(第二四九七号)
 同(小沢和秋君紹介)(第二四九八号)
 同(小澤克介君紹介)(第二四九九号)
 同(岡田利春君紹介)(第二五〇〇号)
 同(岡本富夫君紹介)(第二五〇一号)
 同(加藤万吉君紹介)(第二五〇二号)
 同(河上民雄君紹介)(第二五〇三号)
 同(木島喜兵衛君紹介)(第二五〇四号)
 同(小林進君紹介)(第二五〇五号)
 同(駒谷明君紹介)(第二五〇六号)
 同(佐藤祐弘君紹介)(第二五〇七号)
 同(清水勇君紹介)(第二五〇八号)
 同(新村源雄君紹介)(第二五〇九号)
 同(瀬崎博義君紹介)(第二五一〇号)
 同(瀬長亀次郎君紹介)(第二五一一号)
 同(田中克彦君紹介)(第二五一二号)
 同(田中美智子君紹介)(第二五一三号)
 同(津川武一君紹介)(第二五一四号)
 同(中川利三郎君紹介)(第二五一五号)
 同(浜西鉄雄君紹介)(第二五一六号)
 同(林百郎君紹介)(第二五一七号)
 同(藤木洋子君紹介)(第二丘一八号)
 同(藤田スミ君紹介)(第二五一九号)
 同(古川雅司君紹介)(第二五二〇号)
 同(堀昌雄君紹介)(第二五二一号)
 同(正森成二君紹介)(第二五二二号)
 同(三浦久君紹介)(第二五二三号)
 同(森本晃司君紹介)(第二五二四号)
 同(矢追秀彦君紹介)(第二五二五号)
 同(山原健二郎君紹介)(第二五二六号)
 同(吉原米治君紹介)(第二五二七号)
 同(津川武一君紹介)(第二六〇一号)
 同(林百郎君紹介)(第二六〇二号)
 同(古川雅司君紹介)(第二六〇三号)
 国立病院並びに療養所の統廃合反対等に関する
 請願(小平忠君紹介)(第二五二八号)
 同(佐々木良作君紹介)(第二五二九号)
 同(菅原喜重郎君紹介)(第二五三〇号)
 同(田中慶秋君紹介)(第二五三一号)
 同(横手文雄君紹介)(第二五三二号)
 国民健康保険制度の改善等に関する請願(正森
 成二君紹介)(第二五三三号)
 同(簑輪幸代君紹介)(第二五三四号)
 同(工藤晃君紹介)(第二六〇四号)
 同(柴田睦夫君紹介)(第二六〇五号)
 同(東中光雄君紹介)(第二六〇六号)
 同(三浦久君紹介)(第二六〇七号)
 同(箕輪幸代君紹介)(第二六〇八号)
 老人保健制度の改悪反対等に関する請願(浦井
 洋君紹介)(第二五三五号)
 同(小沢和秋君紹介)(第二五三六号)
 同(柴田睦夫君紹介)(第二五三七号)
 同(瀬長亀次郎君紹介)(第二五三八号)
 同(津川武一君紹介)(第二五三九号)
 同(中川利三郎君紹介)(第二五四〇号)
 同(中林佳子君紹介)(第二五四一号)
 同(三浦久君紹介)(第二五四二号)
 同(浦井洋君紹介)(第二五九三号)
 同(小沢和秋君紹介)(第二五九四号)
 老人保健法改悪反対等に関する請願(池端清一
 君紹介)(第二五四三号)
 同外一件(工藤晃君紹介)(第二五四四号)
 同(新村勝雄君紹介)(第二五四五号)
 同(不破哲三君紹介)(第二五四六号)
 同(山花貞夫君紹介)(第二五四七号)
 老人保健法等の一部を改正する法律案に関する
 請願(熊谷弘君紹介)(第二五四八号)
 同(倉成正君紹介)(第二五四九号)
 同(栗原祐幸君紹介)(第二五五〇号)
 同(原田昇左右君紹介)(第二五五一号)
 同(水野清君紹介)(第二五五二号)
 同(古賀誠君紹介)(第二五九五号)
 同(塩崎潤君紹介)(第二五九六号)
 同(浜野剛君紹介)(第二五九七号)
 同(森下元晴君紹介)(第二五九八号)
 高齢者の福祉・医療拡充に関する請願(池端清
 一君紹介)(第二五五三号)
 国立久留米病院の存続等に関する請願(細谷治
 嘉君紹介)(第二五五四号)
 看護婦の夜勤日数制限等に関する請願(森井忠
 良君紹介)(第二五五五号)
 福岡県の国立病院・療養所の統廃合反対等に関
 する請願(中西績介君紹介)(第二五五六号)
 鹿児島県の国立病院・療養所の統廃合反対等に
 関する請願(村山喜一君紹介)(第二五五七
 号)
 広島県の国立病院・療養所の統廃合反対等に関
 する請願(大原亨君紹介)(第二五五八号)
 同(森井忠良君紹介)(第二五五九号)
 国立大牟田病院の存続等に関する請願(細谷治
 嘉君紹介)(第二五六〇号)
 老人保健法の医療費拠出金の加入著按(あん)
 分率に関する請願(池端清一君紹介)(第二五
 六一号)
 同(岡田利春君紹介)(第二五六二号)
 公共事業による失業対策推進等に関する請願
 (経塚幸夫君紹介)(第二五九九号)
 原子爆弾被爆者等の援護法制定に関する請願
 (塩田晋君紹介)(第二六〇〇号)
は本委員会に付託された。
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 連合審査会開会申入れに関する件
 環境衛生金融公庫法及び沖縄振興開発金融公庫
 法の一部を改正する法律案(内閣提出第四六
 号)
 戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正す
 る法律案(内閣提出第三三号)
 原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律
 の一部を改正する法律案(内閣提出第三二号)
 原子爆弾被爆者等援護法案(森井忠良君外十三
 名提出、衆法第五号)
     ――――◇―――――
○山崎委員長 これより会議を開きます。
 内閣提出、環境衛生金融公庫法及び沖縄振興開発金融公庫法の一部を改正する法律案を議題といたします。
 他に質疑の申し出がありませんので、本案に対する質疑は終局いたしました。
 これより討論に入るのでありますが、その申し出がありませんので、直ちに採決に入ります。
 環境衛生金融公庫法及び沖縄振興開発金融公庫法の一部を改正する法律案について採決いたします。
 本案に賛成の諸君の起立を求めます。
    〔賛成者起立〕
○山崎委員長 起立総員。よって、本案は原案のとおり可決すべきものと決しました。
    ―――――――――――――
○山崎委員長 この際、稲垣実男君外四名から、自由民主党・新自由国民連合、日本社会党・護憲共同、公明党・国民会議、民社党・国民連合及び社会民主連合五派共同提案に係る本案に附帯決議を付すべしとの動議が提出されております。
 提出者から趣旨の説明を求めます。村山富市君。
○村山(富)委員 私は、自由民主党・新自由国民連合、日本社会党・護憲共同、公明党・国民会議、民社党・国民連合及び社会民主連合を代表いたしまして、本動議について御説明申し上げます。
 案文を朗読して説明にかえさせていただきます。
    環境衛生金融公庫法及び沖縄振興開発金融公庫法の一部を改正する法律案に対する附帯決議(案)
  我が国の産業構造は、現在大きく変動しつつあり、第三次産業の占める比率も飛躍的に増大している。環境衛生関係営業は、サービス産業の重要な一翼を担っており、しかも零細業者の占める比重が高く、この変化の激しい経済社会の中で衛生水準の向上及び経営の近代化を図ることは、将来にわたって重要な全国民的課題である。したがって、政府は、環境衛生関係営業のための施策を今後とも充実強化すべきであり、特に、次の事項について適切な措置を講ずるよう配慮すべきである。
 一 環境衛生金融公庫については、環境衛生関係営業の特殊性にかんがみ、独立した専門の政策金融機関として、その機能の充実強化を図ること。
 二 環境衛生関係営業の近代化、合理化等を促進するため、環境衛生金融公庫の融資について、今回創設された運転資金貸付を含め、その内容の充実に努めること。
   また、環境衛生金融公庫の融資について、環境衛生関係営業者の利便向上を図る見地から、融資手続の改善に努めること。
 三 環境衛生関係営業の育成と経営の安定化を図るため、環境衛生営業指導センターの事業内容の充実強化等を図るとともに、環境衛生金融公庫の経営に関する情報提供、相談、指導等の事業について、環境衛生営業指導センターの事業と密接な連携をとりつつ充実強化を図ること。
 四 加速度的に増大する環境衛生関係営業の営業施設における雇用と経営を安定化させ、衛生水準の維持向上のための営業者の努力を促進するため、環境衛生同業組合の組織の強化を図ること。
以上であります。
 何とぞ委員各位の御賛同をお願いいたします。
○山崎委員長 以上で趣旨の説明は終わりました。
 採決いたします。
 稲垣実男君外四名提出の動議に賛成の諸君の起立を求めます。
    〔賛成者起立〕
○山崎委員長 起立総員。よって、本動議のとおり本案に附帯決議を付することに決しました。
 この際、厚生大臣から発言を求められておりますので、これを許します。今井厚生大臣。
○今井国務大臣 ただいま御決議になられました附帯決議につきましては、その御趣旨を十分尊重いたしまして努力いたす所存でございます。
    ―――――――――――――
○山崎委員長 お諮りいたします。
 本案に関する委員会報告書の作成につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○山崎委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。
    ―――――――――――――
    〔報告書は附録に掲載〕
     ――――◇―――――
○山崎委員長 次に、内閣提出、戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案を議題といたします。
 これより質疑に入ります。
 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。金子みつ君。
○金子(み)委員 私は、きょうはこの法律に関連のあるものといたしまして幾つかのお尋ねをして、政府の御見解を承りたいというふうに思います。
 その一つは、中国残留孤児の問題でございます。
 来日しておられる中国残留日本人孤児の代表の方が、肉親捜しというのは海の中から一本の針を見つけ出すようなものだというふうに言っておられましたけれども、全くそのとおりだと思います。大変に困難で難しい問題だと思いますけれども、しかし残留孤児のことにつきましては、突き詰めて言えば、これは戦争当時の責任をどう考えるかということだというふうにも考えるわけでございます。ですから、この問題が解決しない限りは職後は終わらないというふうに言い切ってもいいんじゃないだろうかというふうにも私自身は考えるわけでございます。
 そこで、肉親捜しのために来日調査が始められて、五十六年以来毎年繰り返し繰り返し行われているわけでございますけれども、海の中から一本の針を捜すようなものと表現されたことにまことにぴったりのような実態だというふうに思います。その判明率というのは政府の御調査では二五%前後だというふうに伺っているわけです。大体四人に一人という比率になるわけでございますが、この比率をこのままにしておいたら、だんだん減っていく。毎年毎年訪日調査がございまして、その都度その都度新聞等で報道されていますけれども、判明率はだんだん少なくなっていくということが言われております。ですから、今二五%前後だというふうな実態があるといたしましても、これから先何年続くかわかりませんけれども、だんだん先細りになっていくんじゃないかということは諸般の事情から想像はつくわけでございますが、これをこのままにして、今までと同じように繰り返していかれるんだったら、余り効果はあらわれないんじゃないだろうかというふうにも考えられます。
 それで、この判明率を高める方法はないのかということも考えられるわけでありますが、けさ、たまたま新聞を見ましたら、高める方法というのが出ておりました。厚生大臣がキーを押していらっしゃいます写真も載っておりますが、電算機を使って肉親捜しをするということを新しい方法として考えつかれているようでございます。この方法も一つの方法かもしれませんが、この新聞記事による限り中身がよくわからないのです。ですから、これを使って捜します場合にどの程度に可能性が高まるのかということを御説明いただけるでしょうか。
○水田政府委員 孤児の調査は幾つかの段階を経て今日に至っております。第一段階は、日中の国交正常化後、孤児の方から日本大使館なりあるいは厚生省に、自分はかくかくしかじかの者なので、ひとつ自分の肉親を捜してくれないかという依頼がございまして、厚生省は留守家族名簿から該当する人を捜し出して結びつけるという方法をとりました。これもおのずと限界がございまして、第二段階としては、新聞の協力を得まして、新聞に公開調査をするという方法をとりましたが、これも余り効果が上がらなかった。第三段階として、五十五年度から孤児の方に日本に来ていただきまして、マスコミの協力を得て、今日やっております訪日調査という形をとってきているわけでございます。
 訪日調査も初期の段階は具体的な手がかりを持っている孤児から日本に呼んで調査をしていましたので、ある程度の判明率を上げることができたわけでございますが、六十年度から大量調査、四百人呼びました。それから六十一年度は七百名という形をとっておりまして、具体的な手がかりを持っているか持っていないかにかかわりなく全員日本に呼んで調査するという形をとったために、著しく判明率が落ちております。
 その原因としては、訪日調査した孤児の八割が終戦のとき五歳以下でございまして、ほとんど手がかりになるようなものについての記憶を持っておりません。それからもう一つは、未判明孤児の四割の者がほとんど手がかりがないに等しい。その主力は複数の養父母の間を渡り歩いているということでございまして、手がかりになるものが非常に乏しいという、こういう状況の中で判明率を上げていく、こういう形になるわけでございまして、私どもとしては一応そのための方策として三つのことを現在考えております。
 その一つが、きょうの新聞に出ておりましたコンピューターによる調査でございます。これは訪日調査で未判明になったらそれで終わりにするのではなくて、今後も政府の責任で、先生の御指摘のとおり全力を挙げて追跡調査をしていく。そのためには、国内の関係者から自分の残してきた子供を捜してほしいという申し出が二千二百ほど出ております。それと、訪日調査で未判明になった人のデータを入れてコンピューターで関係者を割り出して、後個別に当たっていくというやり方です。
 それからもう一つは、中国政府に、孤児が知らないかもしれない日本人孤児として認定したデータについて日本側に提供をお願いしたいというのが第二点です。
 三番目は、訪日調査の孤児の滞在期間を延長するという形で、現在十二日の滞在期間を十五日に延ばす。こういうことで今中国政府に協力をお願いをしている。こういう方向で努力をいたしております。
○金子(み)委員 できるだけ新しい方法を取り込まれて、そして可能性を高めながら、期間を縮めながら解決が進められるように努力をしていただきたいことを要望しておきます。
 それから、関連いたしますけれども、厚生省からいただいた資料によりますと、中国政府と日本政府との話し合いで判明いたしまして、今年度は七百名の方たちをお招きして、そして調査に従事するというふうになっておりますけれども、これが最後だということが、あるとき新聞記事に載っていました。それを読みまして、これが最後だということは、もうこれ以上この問題は手を切ってやらないという意味の最後なのか、あるいは今わかっている範囲ではこれが最後だというのか、その辺が判明しませんので、これでおしまいというふうに打ち切られてしまうのだとすれば大変なことだと思いますので、その辺のお考えはどうなのか、確認しておきたいのですが。
○水田政府委員 この七百名という大量調査に踏み切りましたゆえんは、日本の関係者が非常に高齢化が進んでいくので、一日も早く調査をしないと肉親の割り出しができなくなるということで、現在、日中双方でわかっている孤児七百人を全部連れてきて調査するということでございまして、あれだけ広い土地でございますので、まだ未判明の孤児も今後当然出てくると思いますので、一人残らず全員、今後も日本人孤児とわかった人については私ども責任を持って調査をしてまいるつもりでございます。
○金子(み)委員 ちょっとごめんなさい。同じことの確認ですが、七百名を超えた場合でも、例えばことしは七百名と一応数字ができていて、それをいたしますね。そうすると、来年からは対象になる数字はないわけですけれども、それはどうなるのですか。その間にわかったならばと、こういう意味でしょうか。
○水田政府委員 現在、中国の政府で日本人孤児ではないかと調査中の者が数十名あると聞いておりますので、日本人孤児ということがわかれば六十二年度においても当然その人たちは対象としてやりたい、このように思っております。
○金子(み)委員 この問題は年限を切るのじゃなくて、そういう方がわかればその時点で必ず実現するということはやっていただけますね。大臣、よろしいですか。
○今井国務大臣 お説のとおりでございまして、今わかっている範囲の人は、七百名をやってしまおうじゃないか。そのほかにまだ、今の局長答弁じゃございませんが、あるようでございます。したがって、そういう方はちゃんとやっていこう、それについての年限を切っているわけではございません。
○金子(み)委員 その点はぜひ確認をして、よろしくお願いします。
 そこで、次の問題は、こういう記事があるのです。
  戦後の混乱の中で、中国の地でわが子と離ればなれになった親。必死にさがしても見つからず、血の出るような思いであきらめ、日本に帰った人たち。あるいは、願いをこめて中国の地にあずけて帰国した人たち……。どうか無事でいてほしいとの祈りの中での別れでした。
  その親の思いを、中国の人たちはしっかりと受けとめたのでした。敵国――ついきのうまで軍靴で踏みにじられた敵国の子供を保護し、預かって育てたのです。逃げおちていく日本人の心を、母親や父親、肉親の子を思う”親心”を、中国の人たちは黙って受けとめてくれたのでした。
  わが子を中国の人に託して帰った日本人とそれを預かった中国の人々。真心と真心の結び合いに、私は深く感動させられます。中国の人に、ありがとうと心からお礼をいいたいと思います。
こういう記事がございます。まことにそのとおりだと思いまして、その問題は非常に貴重な問題でございます。
 そこで、これを読むまでもないことだと思いますけれども、日本が今なすべきことは何かということなんですが、今までお話し合いをしておりました肉親捜しも一つの方向だと思います。捜して、そして日本人であることがはっきりして、肉親がわかって、日本へ、何というのですか帰国して、そして移住する人もあると思うし、あるいはわかったことで安心して、わかったんだからよかったということで安心して、また中国へ帰って中国で生活をする人もあると思います。いろいろその人その人の事情があると思いますので一概には言えないと思いますけれども、いずれの場合でも日本がすべきことは、特に中国で育てられて日本へ戻ってきて、そして日本で生活を改めてやるという人たちは、中国に養父母を残してきているわけですね。
 この残された養父母の人たちに対する感謝の気持ち、今の文章にもございましたけれども、それを具体的な手段として、要するに感謝の気持ちを具体的にあらわす方法としての扶養費とでも申しますか、今まで長い間育ててくださったことに対するお礼の気持ちを何がしかの形であらわさなければいけないということが考えられると思います。どういう言葉を使ったら一番適切なのかわかりませんが、扶養費という言葉でいいのかどうかわかりませんが、要するにそういう意味のことでございます。
 このことは御承知だと思いますけれども、中国残留日本人孤児問題懇談会というのがありますね。この懇談会の報告書の中にも、「養父母等に対する扶養費の支払い等」、ここには「扶養費」と使ってありますね。「日本政府は一日も早くその支払いを開始すべきである。」というふうに書かれております。これは昨年七月二十二日のものでございますから、昨年の七月と申しましたらもう間もなく一年になりますが、こういうことが出されて、「一日も早く」というふうに書かれているわけでございます。
 私もこれに全く賛成で、最初に訪日調査が始まったのが五十六年でございましたから、それからいきますともう四年はたっているんですね。五年目に入っている。そうすると、中国の養父母の方たちもだんだん年をとられて病気にもなられるかもしれないし、あるいは死亡されることもあるかもしれないしというような不幸なことも考えないわけにはいかなくなります。そして、この考え方が、だんだん両方の間の溝が広まり深まっていくような感じがして大変に寂しく思うわけでございます。これをできるだけ早く実現させるという必要があると思うのですけれども、今日までなお実現できないのはどういうわけなんでしょうか。何がネックになってこういうことになっているのでしょうか、それをぜひお知らせください。
○水田政府委員 お答え申し上げます。
 早く払わなければならぬという点は先生の御指摘のとおりでございます。日本政府としましては、五十九年三月十七日に日中両国間でこの扶養費の支払いについての口上書を交換いたしまして、扶養費の額、支払い期間、それから支払い方法の細目を詰めるということで既に二年経過しておりますが、この間担当課長も中国に四回渡りまして誠心誠意交渉をいたしておりまして、大詰めの段階に参っております。
 それ以上の中身につきましては、なお外交交渉中でございますので、お許しをいただきたいと思いますが、誠心誠意対応をし、大詰めに近い段階に来ているということは申し上げることができようかと思います。
○金子(み)委員 外交交渉はいつから始まったのですか。
○水田政府委員 先ほど申し上げましたように、口上書の交換はちょうど二年前の五十九年三月にしまして、それに基づきまして具体的な金額、支払い期間、支払い方法の詰めを当方から課長クラスが四回、五十九年五月、六十年二月、五月、それからことしの二月というふうに参りまして誠心誠意交渉を続けてまいっているわけでございます。
○金子(み)委員 五十九年三月といいますと、五十六年に第一回の訪日があったわけでしょう。そうすると、それからこのことはすぐ考えられることだったと思うのですけれども、仮に五十六年に最初の訪日があって、そして肉親が判明して、そして早い人が仮に五十七年、翌年にこっちへ来られたとしても、五十七年から二年はあるのですね、五十九年三月。その間はどうして交渉ができなかったのですか。なぜ二年、間をあけたのですか。
○水田政府委員 帰ってまいっております孤児は、中国におきましては中国の法律に基づきまして養父母を扶養する義務があるわけでございますが、その孤児たちが日本に帰ってまいりましてその義務を履行しないということが中国の側から問題点として指摘されるようになりまして、訪日調査を円滑に行いますために、帰ってまいりました孤児が直ちに養父母に扶養費を払えるような日本における経済状態にないので、どういう援助をするのかという日本の国内における詰めをいたしまして、養父母に孤児が支払うべき扶養費の二分の一は日本政府が負担する、それから残りの半分につきましては全国民の浄財で賄う、これは十億を目標にしまして財団法人中国残留孤児援護基金というものをつくりまして、もう既に十億の募金は達成しておりますが、そういう国内の体制を整えまして、それを踏まえて先ほど申し上げました五十九年の三月に口上書を交換しまして、払うべき扶養費の半分は日本政府が持つ、残りの半分については国民の浄財で孤児に援助をする。その孤児が払うべき扶養費の、先ほど申し上げました額、支払い期間、支払い方法等については、その細目は両国間で別途詰めましょう、その別途詰めるものに現在二年間を要し、大詰めに近い状態になっている。誠心誠意その交渉を進めるために担当課長が、先ほど申し上げましたように今日まで四回参って中国側と交渉を重ねてきた、こういう経過になっております。
○金子(み)委員 お話を伺っておりますと、中国政府との交渉は外務省がなさることだと思いますけれども、外務省にそのことを行わせるための後押しは厚生省ですよね。厚生省の方で段取りができなければ外務省を通じて中国政府とやってもらうということにはならないわけですね。ですから、やはり早くできるかできないかというのは厚生省の動き次第だというふうに理解できるわけです。ですから、そういう意味で、厚生省はこれをできるだけ早くできるようにしてほしいと思うのです。
 そうでないと、厚生大臣聞いていらっしゃいますか、日本人は引き揚げの苦しさばかり言うが、中国人の傷を考えない、日本人は冷たい、恩知らずだ、実はこういう言葉が先般のテレビ放送でも出ました。こういうことを聞くと、もう私どもじっとしていられない気がするのですよね。厚生省の方々も同じだろうと思うのです。殊に、その衝に当たっておられる方は、駆け足で行きたいと思っておられるだろうと個人的には私は想像します。ですけれども、形になって出てこなければこれが進められないわけですから、そのことはもうできるだけ急いでやっていただかないと、これはまた何か言われてもしようがないことだと思いますし、第一、そのことは日本としては恥ずかしい問題ですし、できるだけ早くこの問題は進められたいと思いますが、お見通しはどうなんでしょうか。大臣、いかがですか。
○今井国務大臣 養父母等への扶養費の支払いでございますが、今先生からるるお話がございましたように、今、私どもはその細目について最終的な詰めをしているわけでございまして、ちょうど私も大臣になりまして、この問題の一日も早い解決をしなければいかぬということで今急がせているわけでございますが、この四月十一日に呉学謙外相が訪日されます。そんなこともありますので、私も外務大臣にお会いをいたしまして、この際にひとつ議題にして、そしてぜひお詰めをいただきたい、そうしたら、向こうもわかったというので、今度呉学謙外相が見えたらここで議題にして、できれば決めたいというお話もございました。
 私も外相にもお願いをすると同時に、私どもも一日も早くまとまるような努力を一生懸命今後とも続けてまいりたいと思っております。
○金子(み)委員 きょうは外務省の方に来ていただくようにしてはおりませんでしたけれども、問題は、先ほど申し上げましたように、外務省がやることにはなりますが、しかし、それは厚生省の動き次第ということになりますので、きょうは外務省を呼びませんでした。ですから、厚生省の皆様方の御努力が早く外務省を通じてできるように、ぜひやっていただきたいということを強く要望しておきます。
 次の問題は、議題になっております援護法では直接対象にならないと政府が決めておられて何ら援助を行っていない、また行ってこなかった戦争による一般傷病者、戦災者、そしてまた障害者になられた方たちについて、第八十七国会、五十四年三月の社会労働委員会における質疑応答の中から、今日なお問題として残っている点、また、常識としては理解し得ない点などについて質問をしたいと考えております。
 御承知のように、太平洋戦争は国家総動員法による体制下の中で、全国民が一億火の玉という言葉も使われましたし、滅私奉公という言葉も使われましたし、そういうような形でみんなが国のために戦った戦争だということは、もう十分にみんなが認識しているところです。
 そこで、銃後だと考えられていた日本の本土もついには戦場と化してしまって、爆弾や焼夷弾あるいは艦砲射撃、最後には原子爆弾の投下というようなところまでいきまして、死亡者も傷病者も、戦争犠牲者は当時四十数万を超えるというふうに報道されている、このことも御承知のとおりです。
 政府は。戦争犠牲者の援護の対象としては、国と一定の使用関係にあった者、それは例えば軍人とか軍属、そういう人たちだけを援護の対象としてまいりましたけれども、その後この法律を審議いたします社会労働委員会の審議の過程の中で次次とこれ以外の、国と使用関係にないと考えられていた準軍属あるいは被徴用者、動員学徒、警防団、国民義勇隊あるいは満州開拓義勇隊など、さらには長崎の場合などは、長崎の原子爆弾の被害に対して活躍をした長崎医大の学生、教授あるいは病院の職員、そういう人たちにまで漸次広がっていったわけですね。しかし、それでもなお一般市民は戦災傷病者から除外されている。だんだん広げていきましたけれども、一般の市民には及んできていないという事実がございます。
 そこでお尋ねしたいことが一つあります。それは、政府が本土における決戦場としてはたった一カ所、沖縄がそうだ、沖縄は政府が認めた本土決戦場であるというふうに言っておられますが、その沖縄において負傷兵の看護や手当てを行った沖縄の県立の女学校の女子教員、それから女生徒、この人たちの活動をいろいろなところで私どもは知ったわけであります。この人たちに対しては、戦闘参加者としてあるいはまた準軍属として援護法上の処遇をしてこられたのだろうと私は思いますが、どうなんですか。確認させてください。
○水田政府委員 お答え申し上げます。
 軍の要請によりまして傷病兵の看護に当たっています間に死亡したり負傷された教師、生徒の方は、援護法においては戦闘参加者として処遇をいたしております。
○金子(み)委員 そうすると、処遇されているわけですね。全員そうなっていると理解してよろしいですね。――はい、わかりました。
 それではその次は、そうなると、沖縄以外の場所はいわゆる戦場にならないので、戦闘参加者に該当する者はいない、こういうふうに政府は言い切っておられる。しかし、同時にこういうことも言っておられるのですね、この前の八十七国会のときの社労委員会で。そうではある、しかし、昭和二十年三月九日の夜から十日にかけての東京大空襲あるいは国民義勇兵役法が施行された二十年六月以降、そういう時期、そういったものに関しましては「要するに戦闘参加の実態があったかどうかということで判断して援護法の適用をする、こういうことになるわけでございます。」こういうふうに答弁しておられます。
 そうすると、東京大空襲を例にとってお話ししてみたいと思いますが、東京大空襲その他が戦闘参加の実態があったかどうかということを判断した上で援護法の適用をするというのですが、今まで東京大空襲による被害者が戦闘参加の実態があったかなかったかということに対しては、なかったというふうに判断されているからこそ今日まで何もしていらっしゃらない、こういうふうに理解できることになるのですが、それでいいのでしょうか。
○水田政府委員 援護法の戦闘参加というのは、軍の要請によって軍事行動をとっている間に負傷し、または死亡した者を処遇するという形をとっておりますので、東京大空襲で一般の方はそういう状態にはなかった、このように考えております。
○金子(み)委員 東京大空襲がどんな状態であったかということをどの程度お調べになったのかわからないので、質問しても無理かなとは思いますけれども、東京大空襲というのは三月十日の未明です。十二時から二時半まで約二時間半月この短い時間に死者十一万五千、負傷者十五万、損害を受けた家屋八十五万、約三百十万人に上る人々が戦災者になりました。こういうふうに記録が残されている。このほか、東京だけでなく、その後、大阪でもあるいは名古屋でもございました。しかし、この東京大空襲は最も悲惨なものであり、大きな戦禍であったということが言えるわけです。
 そこで、なぜこんなに東京大空襲が大きな被害をたった二時間半の間に起こしてしまったかということは、いろいろ原因があるというふうに言われています。きょう持ってまいりましたけれども、「東京大空襲戦災誌」というのがございます。これは一巻から五巻まで各巻千四十ページぐらいの大きなものでございますが、この中を見ましても、なぜこんなになっていたのかということがわかるわけでございます。
 そこで、空襲のときには、旧防空法、昭和十二年につくられておりますけれども、この防空法の三条で「主務大臣ハ勅令ノ定ムル所ニ依リ防空上重要ナル事業又ハ施設ニ付行政庁ニ非ザル者ヲ指定シテ防空計画ヲ設定セシムルコト」ができるということになっていました。これは具体的に言えば、「行政庁ニ非ザル者ヲ指定シテ」というのは、実際には各町内にある警防団がこれに該当すると思うのです。そういうふうにして決められておりました。
 さらに、この三条を受けて十二条に「市町村長若ハ第三条第一項ノ規定ニ依ル防空計画ノ設定者ノ為ス防空ノ実施ニ従事スル者」云々というのがあります。「実施ニ従事スル者」というのは、一般市民でございますね。その人たちが防火をなし、あるいはこれに協力したためにけがをしたり、病気になったときには扶助金を交付すべしというのも決められておりました。このことは、また後で申し上げます。こういうふうにして、警防団が組織したその中に入って一般市民は防空活動をしたわけです。
 さらに、私は特に申し上げたいのは、同じ防空法の第八条にこういうことが書かれているのですね。「防空上必要アルトキハ」「其ノ区域ヨリノ退去ヲ禁止若ハ制限」する。「必要アルトキハ」「鉄道、軌道、航空機、船舶、車両等ニ依ル人又ハ物件ノ移動ヲ禁止又ハ制限スル。」この八条に規定されたこれに違反した者は「一年以下ノ懲役又八千円以下の罰金」こうなっておりますから、どんな空襲があったにせよ、都民は無断でそこから逃げ出すわけにいかなかったわけですよ。逃げ出してはいけないと言われていた。この法律によって都民は絶対逃げることのできない防火義務があったわけです。ですから、そういうわけで、都民は警防団が命令するままに防火活動をやっていた、逃げ出すこともなく。それでもやはりこの人たちは戦闘に参加したということにならないのでしょうかね。
 防空法三条、八条両方に、一般の人たちは、政府が決めた政府要員でない一般市民の中の警防団に命令されて、その警防団が組織した防空活動をするグループとして逃げ出すこともできないで防空活動をやった、そのためにあれほど大きな被害を生ずる結果になったのだということが記録として残されているわけでございます。私はこの点を、こういうことが決められていて動きがとれない、がんじがらめになった形で殺されていった人たち、けがをした人たちに対して、どうしてこれを対象とできないのかということを伺いたいのでございます。
○水田政府委員 御案内のとおり、援護法は国との特別の関係にあるいわゆる身分関係を前提にしまして、その業務の遂行上の過程において発生しました障害とか死亡につきまして国が使用者という立場で補償する制度でございます。
 あれだけ大きな戦争でございましたので、国民はそれぞれ大なり小なりいろいろな犠牲をこうむられたわけでございまして、一般戦災の方は、御事情は大変お気の毒であると思いますが、防空法八条の三で規定しておりますいわゆる空襲時の混乱を避けるための退去制限の命令等を主務大臣がかけることができるわけでございますが、これはあくまでも混乱等を避けることが主目的でございまして、国との間に特別の権力関係を形成するという形のものではございませんので、これらの方について適用を拡大していくことは困難である、このように考えている次第でございます。
○金子(み)委員 国との特別な使用関係というのをいつもお出しになるのですけれども、政府は初めからそんなもの考えていなかったのでしょう。結果的にはこういうことになっているわけで、しかも防空法八条の件はどういうふうに理解をなさいますか。がんじがらめになって絶対に動くことも逃げ出すこともできないのですよ、法律が決めているのですから。それでも政府は関係ありませんでしたとおっしゃるのですか。
○水田政府委員 私も沖縄が落ちた後の九州、しかも師団司令部のある久留米で中学時代を過ごしまして、規模は東京ほど大きな空襲じゃございませんが、全市が焦土化するくらい連日機銃掃射や爆弾、焼夷弾を落とされたわけでございますが、特に退去することができないという拘束を受けた記憶がございません。消火に従事するというよりもどうやって命を守るかということが最大であったと記憶しているわけでございまして、当該地域から一歩も動いてはならないということは現実にはなかったのではないかと考えている次第でございます。
○金子(み)委員 そうじゃないです、局長。それは、私、違うと思いますよ、局長は個人的にそうお考えになるかもしれませんけれども。
 私も八十七国会のときには、国との特別な使用関係がないのだから一般市民は対象にならないと繰り返し繰り返し答弁なさるのを、それてしょうがないかと思っておりましたけれども、その後において第八条があることがわかったのです。今、自分がいかにして逃れるかということを考えていたのであってと局長はおっしゃいましたけれども、この八条ではそんなことは考えていないのですよ。絶対動けないのですよ。
 この本の記録の中にもそのことが書かれています。それを非常にはっきりと言っています。「都民をがんじがらめにしていたおよそ非科学的な防空精神と防空体制、防空義務とを指摘しないわけにはいかない。」東京大空襲があった東京の下町のデルタ地帯というのは、条件が非常に悪い。木造の家屋ばかりで、そしてあそこは木場でありますから水路もたくさんありますし、いろいろと条件は悪かった。それを超低空飛行でやってきたわけです。風も強く吹いていたときで、三十メートルぐらいの風があったと記録されていますけれども、そういういろいろな条件があったにせよ、都民は逃げちゃいけないということを警防団から強く言われているわけです。
 それで、自分のことなんか考えていない、逃げることなんか考えないでこういうことをやった、だから、ここまでひどくなったのだ。そのことは、同じこの記録の中に報道関係の人たちがつくった記録集というのが一冊ありますが、読んでみますと、こういうふうに書いてあります。「僅か二時間半の間に十万余名が焼死した。これらの移しい死者を出した最大の原因は、アメリカ側の空襲戦術や、江東デルタ地区という立地条件もさることながら、軍部の指導した「焼夷弾に対する体当り消火」」これが大きな原因であったと言っているわけです。
 それを証明する一つのこととしては、「三月十日以後の四月十三日、五月二十四日、二十五費の東京大空襲は、B29の出撃機数や焼失地域や罹災者数では、三月十日の空襲と同程度かそれを上廻るものでありながら、焼死者は、いづれの空襲でも、三月十日の十分の一以下であった。」規模としては三月十日あるいはそれ以上大きかったにもかかわらず、焼死者は大体十分の一しかなかった。なぜか。局長がおっしゃったのはここへ出てくるのですよ。
 その理由は、三月十日の空襲で関東大震災以上の死人が出たことについて、都民が口々にそのことをささやき合い、あんなことをしていたのじゃとても大変だ、この次はああいうことをするのはよそう、逃げようということに決めたのです。私は事実だと思います。焼夷弾体当たりをやめて、都民は逃げの作戦を打つことにしたのです。だから、死者が少なかったということが記録されている。
 だから、三月十日の大空襲は、防空法八条に規定されていて警防団が組織した組織の中で警防団におしりをたたかれ、指示をされ、逃げることもできず焼け死んでいったり、けがをした、こういう実態があるのですよ。だから、私は、三月十日の大空襲でけがをした人たちだけでも、これは法律によってがんじがらめにされて動きがとれなかったためになったのだということがわかりますから、国の責任でないなんて言えないと思うのです。大臣、いかがですか。
○水田政府委員 私は防空法というものはそれほど強い機能を発揮する力を持っていなかったのではないかと思っているわけでございまして、初期のころは、自分の家を守りたいというのは当然だれしも思うわけで、焼夷弾が落ちた場合消せるのじゃないかと思うのは当然でございますが、私どもの久留米でもそうでございましたが、あれだけ大量の焼夷弾が雨のように降ってくると、とても素人の手に負えるものではない、消火して自分の家を守ることはできないということを私どもも経験的に知ったわけでございまして、防空法云々の前に、自分の財産を守りたいということでみんな初期には対処したと思います。それが、制空権を失ってあれだけ雨が降るように焼夷弾が落ちるという実態のもとでは消火というのは到底素人の手には負えない、やはり命を守るのが大事ということで、防空法というのは実質的に形骸化していたと私は思うわけでございます。
○金子(み)委員 局長、一生懸命になって理由をつけようとしていらっしゃいますけれども、それは自分の家を焼かれるのは困るから自分の家の消火に当たりたいとだれだって思うと思いますよ。私も空襲を受けていますからよくわかっています。そうなんですけれども、あのときは警防団は本当に、鬼のようだという言葉は悪いけれども、全く一人も逃さないでやらせるという積極的な動きをやったんですよ。私は東京大空襲の戦火の中ではありませんけれども、ほかの地域ででも警防団の動きというのはそういう動きだった。警防団は、上から命令を受けているんだから絶対権限を持っているという強い意識を持っていました。それで一般国民の人たちを自分の配下に入れて命令をしながらやらせたんですよ。
 みんなは言われるままに、本当に言われるままに自分の家のことはほうり出してやったんです。守りたい気持ちはやまやまありながら、できないんですよ。そういうふうにやられてきた。それはなぜかといったら、やはり警防団が強く言ったのは防空法八条があるからなんです。防空法八条があるのに、それでもなお国は全然何も関係ないんだと言い張られるというのは、これは責任逃れを言っておられるとしか、とても私は考えられないし。こういうことはないはずだ。
 日本は法治国家ですよ。防空法はそんなに威力はなかった、力はなかったなんて局長はおっしゃるけれども、そんなことありませんよ。戦争中に防空法がどんな威力を発揮したか、それは大したものだったんですよ。防空法で規定されていれば逃げられないということは決まったんですから、それでもって自分のことなんか考えないでやった人たちのことなんだから、国と関係がないなんてどうしてそんなこと言えるんですか。おかしいじゃありませんか。法律というのはどういうものなんですか。
 今ある幾つかの法律、きょうも審議していますが、これは私たちとは関係ない、国に関係がないことだというふうにお考えなのですか。国の命令ですよね。防空法八条は国の命令ですよ。このときはもう戦闘員も非戦闘員もないんです。警防団は戦闘員だとお考えかもしれないけれども、それで一般国民は非戦闘員かもしれませんが、戦闘員、非戦闘員の区別はありません。みんな一丸となって消火に当たったんです。だから、私はそのことを考えると、そんなのんきなこと言ってられないと思うんですよ。責任逃れのような御答弁は、私は伺いたくない。大臣、どういうふうにお考えになりますか。局長のお考えは先ほど伺いました。
○今井国務大臣 さっきからずっと質疑応答を聞いておりまして、私も、確かに先生のおっしゃること、大変だったということはよくわかるのですが、さて具体的に旧防空法の八条の三の規定がどうであって、そのときの状況がどうであったかということをやはり私自身がもうちょっとよく勉強してみる必要があると思います。そういう意味で、私も今のお話よくわかりますので、しばらくひとつ私自身が勉強をします時間をお与えいただきたいと思います。
○金子(み)委員 大臣は前向きに答弁なさいました。じゃ、御勉強なさるのに参考までに申し上げておきます。
 八条のことだけでなくて、三条、十二条を読んでください。三条を受けて十二条ができているわけですから。警防団の指示を受けて防火活動に従事した者が、防火をなし、あるいはこれに協力したために、けがをしたり病気になったり死亡したりした場合は、扶助金を給付すべしと書いてあるんですよね。ほっておくんじゃなくて、そういう人たちにはやはり何がしかの扶助金を出しなさいと法律が書いているんです。だから、そのことも検討の中に加えてください。八条の、がんじがらめにさせられている状態と、それから三条、十二条の、警防団の指示に従って防空活動をやった人たちのけがや病気あるいは死亡に対する扶助金を給付すべしというこの法律、これをあわせながら検討を加えていただきたい。
 大臣は、そのときどこにいらっしゃいました。
○今井国務大臣 私は当時、学校を出まして、技術将校でございましたから、多分、今の皇居のそばの第一生命ビルにいたと思います。
○金子(み)委員 第一生命ビルだったら東京の真ん中ですね。じゃあ、この東京大空襲のことは御存じですね。
○今井国務大臣 東京大空襲はよく存じております。
○金子(み)委員 それだったらばおわかりになるかと思います。念のため、こういう本も出ております。五冊あります。ほかにもあるだろうと思いますけれども、一巻から五巻ありますから、お読みになっていただいたらどんなものかということがおわかりになると思います。私は翌日現地へ行きましたから、現地のそのすさまじい実態というのは身にしみてよく覚えています。いろいろなことを考えますと、これはこのまま放置しておけないとどうしても思ったわけです。ですから大臣、勉強するとおっしゃいましたから、どうぞ検討なすってください。そして御検討なさった上で、また別の機会にそのお考えも聞かせていただくというふうにしたいと思いますから、それはぜひやっていただきたいと思います。
 その次の問題は、やはり関連でございますが、一般戦災者に対して何もやっていないという問題について、何かしなければいけないじゃないかという議論は、私だけでなくて、参議院でも社労委員会で随分行われたと思います。そして参議院では八十七国会になりますまで、八十七国会は五十四年ですけれども、その前に五回附帯決議がついているのですよ。それで八十七国会のときに今度は衆議院で私はそのことをもう一遍申し上げました。そうしましたら、当時の厚生大臣は橋本龍太郎氏でございますが、彼はこういうふうに申しました。五十四年度において、障害者など基礎的事項の調査を行う中で、戦災による一般傷病者の問題について、参議院の附帯決議にございます「一般戦災者に対し、戦時災害によって身体に障害を受けた者及び死亡した者に関する援護の検討を目途としてその実態調査を実施すること。」とあるのを踏まえて調査をしたいと思っています、こういうふうに言われたのです。
 それで五十五年に実際に調査をなさいました。だから同じことが附帯決議に五回繰り返されて、やっと六回目に、橋本厚生大臣のときにそれが実施になったのです。随分暇のかかるものだと思いましたけれども、とにかくやっていただけたのは結構だったと思います。五十五年に実施された結果を私は拝見いたしました。そして政府の方に申し上げたのです。これをごらんになって、「援護の検討を目途として」した調査でありましたから、そのことにかんがみてどう判断なさいましたかと聞いたのです。そうしたら、特別措置の必要はない、特別配慮する必要はないと判断したと言われるのですけれども、私が知りたいのは、何を根拠に特別措置は必要ないと判断されたのかということ。
 私は、この数字を拝見しながら問題を考えているわけなんですが、その問題を申し上げると時間がなくなりますので、続けて申し上げますと、この調査で見ますと、一級から三級の障害を有する者は六九%、それから障害起因の公的年金受給者がやはり六九%、この数字はたまたま偶然同じ六九なんだと思います。同じ人だと思いません。そして就労者は四四%ということになっているのです。そうしますと、一でも二でも該当しない人、就労していない人はどういう生活をしているのか、そのことはお調べになったのでしょうか。「援護の検討を目途として」なさった調査でありますから、単なる調査じゃないのです。だから、援護をしなければならない人がいるかいないかということをはっきり見つけてもらいたかったわけですよ。
 ところが、その配慮は必要ないというふうに判断をしたとおっしゃるのですが、繰り返しますが、その根拠は何なのかということと、一項にも二項にも該当しない人がどんな生活状態にあるかということを調査なさろうとすらなさらなかった、そこに私は政府の冷たい仕打ちを思います。せめてそれも調べてほしかった。どういう生活状態になっているのか、そしてその結果、必要であれば、先ほど申し上げた防空法の十二条を適用して、必要な扶助を給付するということをすべきではないかと思いますから申し上げているのです。いかがでしょう。
○水田政府委員 先生御指摘のとおり、五十五年の身体障害者の実態調査のときに、付加をいたしまして戦災障害者の調査をいたしたわけでございますが、私ども、一般の身障者に比しまして、戦災障害者の生活程度は特に差はなく、一般的な施策の中で対応してまいりたい、このように考えているわけでございます。
○金子(み)委員 ちょっと局長、おっしゃっていらっしゃること、よくのみ込めないんですけれども、はっきりしないですね。そのことを目的に調査しているんですよ。だから何が判断の基準になったんですか。
○水田政府委員 一般身障者の生活実態と比較をして、特別に戦争障害者が顕著な差があるということはなかったという認識に立って申し上げているわけでございます。
○金子(み)委員 一般障害者と比べてというのは、一般障害者というのは戦争による障害者じゃない方たちでしょう。戦争障害者というのは理由が別にあるわけですよね。さっきから言っているのはそれなんです。だから、それと比べて何とも格別に違いがないからと、どんな比べ方をなさったのかわかりません、それ以上伺いたいんですけれども、時間がなくなりましたからそれ以上伺えないんですけれども、非常にあいまいですね。
 じゃ、一項にも二項にも該当しなかった人たちはどういうことになっているんですか。それもお調べになったんですか。どんな生活状態かというのはおわかりになっているんでしょうか。生活保護をもらっているからいいわと思っていらっしゃるんでしょうか。それじゃちょっとひどいんじゃないでしょうか。
○水田政府委員 調査の結果によりますと、戦災障害者の方全体として見まして、課税の状況、それから所得の状況も相当程度高いというふうに私ども見ているわけでございます。
○金子(み)委員 ちょっと答弁が答弁になりませんね。大臣、最後に申し上げたいと思います。
 今の調査は大臣もごらんになったかと思いますけれども、この調査を見る限りにおいては、局長がおっしゃるようなことにならぬのですよ、その数字を見ながらも。私がお願いしたいことは、援護を目途としてやった調査なんですから、一般障害者の調査と違うんですよ。だから、そういうことが目的として行われた調査であるということをお考えいただいて、もっと配慮を深くしてこの調査の結果を解析してほしいんです。
 だから、先ほど大臣、東京大空襲の問題を検討するとおっしゃってくださいましたから、この調査の結果についてももう一遍洗い直してください。第一項にも第二項にも該当しない人は、どうなったんだということなんです。それをぜひ大臣に強く要望しておきますが、大臣いかがです。検討を加えてください。
○今井国務大臣 私も今の調査結果をよくまた改めて聞きますが、いずれにしましても、戦後処理の問題の一つであろうと思います。したがって、やはり総理府でいろいろ検討を行っているところでありましょうから、御意見の趣旨はよく総理府にお伝えしてやってまいりたいと思います。
○山崎委員長 金子君、時間が参っております。
○金子(み)委員 もうやめますが、総理府に伝えてとおっしゃいましたけれども、私は、やはりこれは厚生省の問題だと思うのです。厚生大臣の考えで大体結果は出てくるんだと思うのですよ。それで総理府にこういうふうに、こういうふうにとおっしゃるはずだと思います。総理府が先に立つんじゃなくて厚生省が先に立つんだと思いますので、ぜひ大臣、その点を積極的にお願いしたいと思います。ありがとうございました。
○山崎委員長 大原亨君。
○大原委員 第一は、この援護法の対象となっている軍人、軍人は恩給で外れましたが、軍属、第一号から第七号までの準軍属、戦闘参加者は第二号ですが、準軍属です。これはこの障害年金をもらっている人が七百四十七名、それから遺族給与金をもらっている人が九千四百六十五名ということになっておるわけですが、これは沖縄の空襲における非戦闘員、今話があった民間の戦闘参加者、これを主としておると思うのですね。それで、この区切りは沖縄に対する一〇・一〇空襲だと思いますが、一〇・一〇空襲というのは何月何日ですか。
○水田政府委員 十九年の十月十日でございます。
○大原委員 沖縄に米軍が上陸を開始いたしましたのが二十年四月一日ですね。それから、沖縄が完全に手を挙げまして、牛島中将や知事が自決をいたしましたのが六月二十六日ですね。沖縄に敵前上陸が始まって完全に手を挙げたのが二十六日です。それで日本の陸軍も海軍も、その前に沖縄を放棄するということを第一線に通告をいたしまして、遺族のことや居留民のことを頼む、こういって電報を残して自決をした、そういうことなんですが、一〇・一〇空襲で線を引いたのはどういうことなんですか。
○水田政府委員 先生御指摘のとおり、沖縄には二十年の四月一日に米軍が上陸をし、現実に戦場となったわけでございまして、沖縄県民にとりましてはその日から突然戦場という状況になったのではございませんで、やはり昭和十九年の七月にサイパンが落ち、八月にテニアンが落ち、完全に沖縄の制空権、制海権が米軍の手に落ちてしまいまして、完全に孤立し、米軍が上陸をし、戦場になったと同じような状態が県民として受けとめ得た時点が、線を引くとすればどこが妥当であるかというふうに検討した結果が、一〇・一〇空襲と言われております十月十日をもって私ども沖縄が戦場になったというふうに考えているわけでございます。
○大原委員 私どもも、沖縄における戦争犠牲者は沖縄復帰前からずっと努力をして法律の適用をしてきたわけです。本委員会でもやってきたわけですね。しかし一〇・一〇空襲以降、非戦闘員で戦闘参加者として準軍属の対象になったのは六歳以上の子供ですね。
 それからもう一つ、ついでに十月の一〇・一〇空襲以前の被害者に対しては、これは何もしていないのですか、何もしなくてもいいのですか。
○水田政府委員 沖縄における戦闘参加者というものは、一応援護法上の処遇をする戦地というものは、十九年の十月十日以降というふうに線を引いたわけでございまして、それ以降の住民が全員該当するわけではなく、軍の要請によって軍事行動に参加したという実態のある者に限るわけでございます。したがいまして、お尋ねの六歳未満の者にも、その実態がある場合には戦闘参加者としての取り扱いをいたしているわけでございます。
○大原委員 この論議はまた後で続けることにしまして、ここに毎日の「一億人の昭和史」という本があります。私もずっと調べてみたのですが、つまりテニアンとかサイパンがそれぞれ陥落をしたときに、そこを基地として日本本土や沖縄に対するB29の攻撃が始まったわけです。広島に原爆を運んだB29もテニアンですからね。ですから、基地がそこにあったわけですが、その基地がやられますと、南太平洋のミッドウェーの海戦あるいはレイテの歴史的な海戦、その他硫黄島あるいはサイパン、今のテニアン、そういうところが昭和十九年からずっと全滅をしていったわけですね。軍人が何万人あるいは何千人、そしてそこには必ず居留民がおりましたね。その居留民は、戦闘参加者の対象として、準軍属として援護の措置がなされておるかどうか。
○水田政府委員 サイパン、テニアンいずれも玉砕した地でございまして、サイパン、テニアンにおける邦人で軍の要請に基づきまして軍事行動に従事した者は戦闘参加者として援護法で処遇をいたしておるところでございます。
○大原委員 それでは、ここにあるのを見ますと、例えば、約二千人の民間人がいて、そして集団自決をしたり、軍隊と一緒に敵軍に突っ込んだり、あるいは防空ごうにいて火炎放射器でやられたり、そういうのが島の戦いごとにちゃんと書いてありますが、その非戦闘員の数と実態、それから援護法の戦闘参加者として、準軍属として援護法の対象となっておる者の実態を把握しておりますか。
○水田政府委員 サイパン、テニアンに邦人がその当時何名いたかということは把握をいたしておりません。
 援護法の適用をした者の数でございますが、地域別統計というのを援護法ではとっておりませんのでその数はわかりませんが、実例としまして、例えばサイパンでは安里マツさん、新垣カマドさん、知念ハルさんについては遺族給与金を出しておりますし、また障害年金について申し上げますと、テニアンの伊佐善亀さんに障害年金を支給している実例があります。(大原委員「何名ですか」と呼ぶ)数は地域別統計をとっておりませんので、残念ながらわかりません。
○大原委員 戦闘参加者で障害年金の七百四十七名と遺族給与金の九千四百六十五名というのは、ほとんど沖縄だと私は思っているんですよ、一〇・一〇空襲以降の。それは私どもずっとこの問題を日本に返る以前からやって、法の適用を主張していたわけです。
 しかし、これを見てみますと、一つのところで数千名の居留民がいるところがいっぱいあるのですが、それが全滅しているんですよ。がけから飛びおりたり、集団自決をしたり、軍人が殺したり、そういうことがどの島でもいっぱいあるんですよ。それを見たらこんな数じゃないと私は思っているのだ。その当時の非戦闘員は戦闘参加者でしょう。ですから、これは全く無視しているのじゃないか、あるいは実態を把握していないのじゃないか、こう思うけれども、いかがですか。
○水田政府委員 もう釈迦に説法で大変恐縮でございますが、私どもの戦闘参加というのは、軍の要請に基づいて軍事行動に従事している間の負傷あるいは死亡について援護法上準軍属という立場で処遇をいたしておるわけでございまして、そういう構成要件に該当しない者は、いわゆる使用者としての立場の責任を果たす援護法で処遇することは適当ではないというふうに考えております。
○大原委員 アッツ島でもレイテ島でもサイパン、テニアンでも日本人がいたんですよ。それは全部島の運命、完全な向こうの制圧下で制海権、制空権は――局長、聞いておらぬのか、どこを向いているんだ。制空権、制海権を取られたところでぎりぎりまで協力しているんですよ。協力しないで傍観したり逃げたりする者はいないはずだ、そういうことをさせなかったんだから。それは戦闘参加者だというふうに認定できるじゃないですかと言うんだ。
 例えば沖縄だって、結局拡大しまして六歳以上にしたわけだろう。小学校の子供でも弾を運んでいった、こういう戦闘に協力をしたということを認定してやったんでしょう。しかし、実際には六歳以上はそういうことをやっていたから全部やったんだ、五歳以下はやらなかったけれども。それで、一〇・一〇空襲までさかのぼったんですよ。敵前上陸は二十年の四月一日でしょう。
 線引きをどこかでするのだけれども、しかし、この南太平洋の島の戦闘の中における非戦闘員は、これはすべて一体でやったんですよ。だれが考えたってそうでしょう。自決の場面は、私どもが当時の写真で見たように、がけから落ちたり、最後にはそこで自決をしたり殺されたり、日本人の軍自体が殺して突撃した、そういうぎりぎりのところまでやって協力しているんでしょう。ですから、その場合は、ちゃんと実態を調べて援護法の対象にするのは当然じゃないか。個々に戦闘協力だというふうな今のようなへ理屈をつけて除外しているのじゃないのか。それは私はおかしいと思う。たくさん問題があるんですよ。今、金子先生が言ったようなこともあるけれども、たくさん問題がある。いかがです。こんなことに時間をとるのは惜しいよ。
○水田政府委員 私どもは、六歳以上の者を無条件で認定しているわけではございませんで、戦闘参加の実態なるものは極力拾うということで、あくまでも軍の要請によって軍事行動に従事したという一線は、使用者責任を果たすという法の建前から崩すことはできませんが、極力その実態が明らかなものについては、附帯決議にもありますように、私どもはできるだけ落ちのないように今後も拾ってまいるつもりでございます。
○大原委員 沖縄では、非戦闘員で亡くなった人が多いけれども、やはり一般的に後に残った人もかなりいるわけですよ。だから、このことについては、六歳以上についてはこういうことをした、こういうことをしたということが言えるわけですよ。しかし、南太平洋の島はほとんど全滅に近いわけでしょう。そのことを証明する人はいないでしょうが。あなたが一体やるのか。そんなことないだろう。だから、それはそういうふうな条件の中で法を推定して公平に実施することが必要であるわけですよ。厚生大臣、この点はひとつ局長以下に任せないで、洗い直してみてください。いかがですか。
○水田政府委員 私ども、大臣に御迷惑をおかけしないように、先生の御指摘の点を踏まえて、法の趣旨に反しない範囲で実態運営において極力実情に沿うように運営をしてまいりたいと思います。
○大原委員 今言っているように、大臣、一人一人戦闘に参加したことを証明しなければいけないようなことを言っているけれども、それは、ここは証明できないのだからね。そういう客観的な情勢を見て、全く戦闘の真っただ中にあって、火炎放射器に包まれて、生きて俘の辱めを受けずという戦陣訓を民間人もそれぞれ拳々服膺して死んでいったわけでしょう。これを協力してないなんということはないですよ。そういう点は不備であるということです。
 それから第二は、瀬戸内海にある大久野島の溝ガスですが、主としてその徴用工です。私は広島市ですからかなり離れているのですが、広島の工場から徴用工で毒ガス島へ徴用された人がかなりいるのです。徴用というのは国家総動員法による徴用なんですけれども、これは動員学徒も同じようなもので、この対象になっておるわけですが、それは、現在おる職場を引き払って安い賃金で旅に出るわけですよ。二年とかいう期限があるのですけれども、家を犠牲にして出るわけです。そういう出た人で、それで毒ガスですから、国際法上禁止しておる毒ガスで、地図から抹殺した大久野島で働いて、そして総動員法による動員ですから、例えばイペリットその他の毒ガスを製造していて、その毒ガスのために内臓をやられる、あるいは外部の障害を受ける、そして毒ガスですから後遺症がある、そういうことの障害を受けているわけですね。そういう人が死亡いたしましたり障害を受けましたら、大久野島のその徴用工、準軍属は本援護法の適用があるということをしばしば答弁したと思いますが、そのことについてもう一回聞きます。
○水田政府委員 大久野島で毒ガス製造に従事いたしました者のうち、内地軍属及び国家総動員法に基づいて動員された者は、援護法上準軍属の身分を有しますので、これらの業務に従事しましたことによって第五穀症以上の障害を有する場合には障害年金が、また業務上の傷病により死亡いたしました場合には遺族給与金が支給されることとなっております。
○大原委員 それは、申し上げたように、広島の工場から連れていかれた人が多いのです。その徴用工で帰った人の組織が今あるのですけれども、聞いてみますと、つまり陸軍の所管の工廠ですから、旧令共済、共済組合法が適用になるわけですね。一般の雇傭人は適用になるわけです。それから徴用工も共済組合法を適用しているのですけれども、今局長が答弁になりましたように、現行援護法との救済の条件が違うわけですよ、格差があるのです。
 そこで、共済組合法で例えば死没いたしますと百万円というふうになる、片方は百数十万円、二百万円というふうになる、こういうふうになるわけですね。ですから、どっちを適用するのか。あるいは旧令共済だけを適用するというのはやはりおかしいという法律論が当然あるのですが、その法律関係を厚生省のサイドから説明してください。
○水田政府委員 援護法の給付と旧令共済の給付が競合いたします場合には、原則としまして旧令共済の給付が優先しまして、援護法の給付が停止される、こういう形になっておりますが、援護法の給付が高い場合には、その差額部分は援護法から支給することとなっております。例えば一上肢切断の場合、援護法では三百七十四万何がしが支給され、旧令共済でございますと二百九十一万何がしということで八十三万円の差があるわけでございますが、その八十三万円は援護法から支給がなされることになっております。
 なお、遺族給付につきましては、援護法の遺族給与金と旧令共済殉職年金とは同額でございまして、差額支給という実態は生じません。
○大原委員 それは、私は疑義があるんだけれども、国家総動員法による徴用工は共済組合法よりもその方が優先するのではないかという意見を私は持っています。しかし、それとは別に、その差額については出す、こういうことをはっきり答弁になりましたから、実際上見てみましたら、広島の方の人もそうなんですけれども、差額の請求を知らなかったり、されていないのが普通だということです。ですから、これは十分留意をして、その趣旨の徹底を図ってもらいたい。よろしいですね。
○水田政府委員 御指摘のとおりにいたします。
○大原委員 あなた、初めてはっきり言ったね。
 第三は、中国の残留孤児の問題です。外務省の中国課長もきょう来ているんだけれども、当時私はたまたまハルビンにおったんだからよく知っているんだけれども、それは別にしまして、四五年二月のスターリンとチャーチルとルーズベルトのヤルタ協定に基づいて八月九日にソビエトが参戦したわけですが、それには駆け引きがいろいろあったわけです。しかし、八月九日に参戦するということについては当時、私も前後の話は東京で知っているのですが、軍の関係は、東條内閣がぶっ倒れる最後のぎりぎりの当時からソビエト交渉が始まっているのですが、ソビエトの参戦はないと思って関東軍を全部南へおろしたわけです。もぬけの殻ではないけれども、かなりそうであったわけです。開拓団の周辺の独立守備隊なども、いろいろなことで調査したことがあるので私も知っていますが、そこへもっていってソビエトの参戦があったものですから、関東軍は根こそぎ動員したわけです。
 そこで開拓団はずっと地理の悪いところに配置しているのですから、防衛も兼ねているのですから、開拓団は年寄りと子供と婦人を残して壊滅状況になったのです。それでハルビンとか牡丹江とか奉天とかへ集中したわけですね。行列ができたわけです。そこで残留孤児の問題等が発生しているわけです。そして現地へ召集された開拓団の若い人や、全部の日本人は、行ってみると銃もなければ何もないということで、竹やりで訓練しておったり、軍服もないというところもあったらしい。さあ今度は日本が負けたということでざあっと帰っていったのですが、帰ったときには居留民は、開拓団は移動しておったし、被害を受けた、こういうことでしょうね。そういうふうにして旧満州地域は決定的ななにかあったわけです。
 そういうときに、山田乙三という関東軍指令官や、最近中曽根総理の片腕だと言われている参謀であった瀬島君にいたしましても、そういう諸君はしばらくいたしましたら、列車で丸腰でみんなソビエトへ連れていかれたわけです。それを見て、関東軍は、戦時国際法といえども軍は居留民を保護するという義務があるし、国際法上の制限された行動は保証されておるのに、ソビエトの占領軍との間において何も交渉していないわけです。中支とかその他はやっているのだけれども。だから、戦時国際法に基づくそういう義務を果たしていない関東軍は、瀬島参謀を含めて、当時の状況から言えば非常に無責任な措置であったと思うのです。その問題については、時間がないから、金子さんもお話しになりましたからやりません。
 中国残留孤児が日本に帰るときには、センターで四カ月間、いろいろな訓練をするわけですね。四カ月が少し短いという意見があるわけです。これを二カ月くらい増してもらえぬだろうか。そうすると、言葉でも片言でも、あるいは空気にもなれて社会復帰ができるのではないかという議論が一つあるわけです。
 もう一つ、ついでに時間を節約するために申し上げておくのです。これは帰国問題ではないわけですが、人道上の問題で、見捨てがたい問題は、残留妻というのがあるのです。その混乱期に、自分の子供を連れたり、主人と別れ別れになって、これでは死ぬと思って、親切にしてくれた中国、旧満州国の人と結婚した人がたくさんおる。公然とは日本に帰れないし、まあ帰る必要もないと思うけれども、夫婦になって子供ができておるのですから。
 そういう人が残留妻とよく一言で言われるのですが、その人が、機会があったならばふるさとに帰りたいとか、親戚とかへ連絡をとりたいとか、里帰りをしてまた帰ってきたいとか、交流したいという希望があるわけです。しかし、既に結婚したことがあったり、いろいろな経過があったものですから、自分の立場を明かすことができないということもあって表面化していないのですが、その人員が五千名とも、あるいは一万人以上とも言われるのです。残留孤児ではなしに、残留妻の問題です。
 それは墓参りとか、その他ここまできたわけですから、やはり情報の仲立ちをしながら希望がかなえられるような措置を考えるべきではないかということです。この点について、残留妻の実態と、これに対する対応策について検討をいたしたことがございますか。局長、わからなかったら、あと後ろの人がやってもいいよ。これはわかっている人だれがやってもいいんだ。
○水田政府委員 お答え申し上げます。
 四カ月の期間が短いという御指摘でございますが、私どもこの間日本語を四百五十時間教えておりまして、一般の外国人の留学生の初歩的な勉強というのは大体二百時間から三百時間と言われておりますので、ほぼその倍近い勉強をさせているわけでございます。センターにおいては、教室で一日やるわけでございますが、居室に戻りますと、やはり家族ぐるみでございますので、中国語に戻ってしまう。おのずと成長には限界があるわけでございまして、語学の勉強というのは竹の節を越えていくような形になるわけで、その節を越えるためには、社会に出て実践的な言葉の勉強をする方がいいわけでございまして、むしろ社会に出て、センターの四カ月間の初歩的な日本語の勉強を踏まえながらそれをさらに伸ばすという形の補講体制を整備していった方が本当に身についた日本語になるということで、本年度の予算でその補講をするための生活指導員の指導回数を月四回から七回に三回ふやして、それは日本語の補講にすべて振り向けるという形で考えておりますので、私どもは十分それによって対処できるものと考えております。
 次に、先生の御指摘の残留婦人の里帰りの問題でございますが、これは先生の御指摘のとおりでございまして、国交回復をいたしました翌年の四十八年から、国が往復の費用を出して既に実施をしておりまして、これまで三千六百三十世帯、六千三百六人が日本に里帰りで帰ってまいっております。
 なお、中国に残留婦人がどの程度残っているのだという御質問でございますが、外務省の調べによりますと、三千八百八十七名が現在向こうに残っておられる、このように承知をいたしております。
○大原委員 それは五千名という人もあるし、一万以上という人もあるのですよ。感じとして、私は一万以上だと思っておりますけれども。この趣旨が徹底をして、中国との双方の間においても誤解のない措置をとりながら、人道とか本人の希望とかを尊重した交流ができるようにさらに促進をしてもらいたいと思います。その点はひとつやってください。
○水田政府委員 外務省の協力を得まして趣旨の徹底を図り、先生の御指摘に十分こたえるように今後とも努力をしてまいりたいと考えております。
○大原委員 あなたは、前の同和対策室長のときは非常に立派な人だと思っていたが、金子さんの質問に対してはどうもつまらぬと思ったから私は腹が立ったわけですが、それは別にしまして……。
 せっかく外務省から来ているのですから、いつかは聞きたいと思っておったことで、一言だけ聞いておきます。
 つまり、八月九日にソビエトが参戦した、侵入した、侵略したとか、こう言うのです。しかし、大体日本が旧満州を侵略したのだから。外務省の課長はうんと言っているから、そのとおり侵略、柳条溝事件じゃ何じゃとでっち上げては満鉄を占領したり、かいらい政権をつくったわけだから、中国人にしてみれば、開拓団というのは権力を背景にして土地を奪い、農地を奪っていたという感じなんだから。
 しかし、開拓団の人は、農民としてそこへ新しく希望の生きる道を開拓しようと思って行ったし、国の命令で青年義勇隊等は行ったわけですから、これはこれですが、しかしそれと一緒に、その混乱期において関東軍は、瀬島参謀を含めて山田乙三軍司令官は、敗戦国であっても、制限された権限の中でちゃんと現地軍として居留民保護の具体的な交渉をしたのかどうか。すべきであったのではないか。現地軍というのはそういう責任があるのではないか。戦時国際法上の権利があるのではないか。そういう認識は全然なくて責任を放棄したからああいう混乱が起きたのではないか。
 ある開拓団の近くの独立守備隊に私の友達がおりましたから、当時は私はハルビンにおったわけだから知っていますけれどもね、あっという間にいなくなったですね。これは、大阪大学の講師で、後に教授になりましたけれども、ずっと革新系の活動家になった人です。幹部になった人です。社会党じゃありません。そういうのがいなくなったですね、全然。だから、関東軍はそういう点について普通、教育されておったのか、認識を持っておったのか、知識があったのか、そういう努めを果たしたのか、果たさなかったのかという点で、今外務省はどういう見解を持っているか。私が問題を指摘しておきましたから、かなり研究をしておると思うから、答弁をしてもらいたい。
○槇田説明員 ただいま委員御指摘の点でございますが、私自身、ごらんのとおり戦時中に生まれましたけれども、戦後育ちでございますので、当時の関東軍がどのようなことをやった、あるいはどのような措置をとったか、あるいはとらなかったかということについて必ずしも、少なくとも体験として存じておるわけではございません。いろんな書物、手記その他によって当時の関東軍が、ソ連軍が侵入をしてまいりまして、いわゆる旧満州国が崩壊をする段階においてどのようなことが起きたかということにつきまして、いろんなことを読んだことがございます。その中には、まさに委員がおっしゃいましたような、私が個人的に読みましても非常に義憤を感ずるようなことが多々あったのであろうかと思うわけでございます。
○大原委員 関東軍が戦時国際法で制限された権限や義務を完全に行使していなかった、こういうふうに理解してよろしいか。
○槇田説明員 関東軍がいわゆる戦時法規という点で、例えばソ連軍との間で交渉するような義務が果たしてあったのかなかったのかという、いわゆる国際法上の法律的な議論から申しますと、私、必ずしも専門家ではございませんけれども、そういう交渉をやらなければならないという義務があったというふうには必ずしも言えないのではないかというふうに考えるわけでございます。
 ただ、一般論といたしまして、これは、戦闘武装団体というものが無実の非戦闘員というものの安全をよく考えながらいろいろ行動すべきであるということは当然のことかと思うわけでございます。
○大原委員 中支とか南支の方では、現地の軍隊は必ず武装解除を受けるんだからね、武装解除を、負けたら。突撃をするわけじゃないんだから、武装解除を受けるんだ。そのときに居留民保護について話はするはずなんだ。それを、ちゃんとしておるんだ、中国南支の方は。満州の方は、根こそぎ動員をして若い者が全部いなくなって、年寄りと女と子供が開拓団に残って、これが行進をしていった。その中で大混乱が起きたわけです。だから、すべての国策を一身にしわ寄せを受けたわけですが、根こそぎ動員をしておきながら、そのときに関東軍は現地で全部解体したものだから、日本人狩りをソビエトがやったわけだ。ハルビンやその他を中心にいたしまして、民間人の日本人で二十歳から三十歳、二十歳くらいをずっと首実検をして連れていって抑留をしたわけだ。ところが、軍としては徒党の集団であって、全然責任ある行動をとっていないんだ、関東軍は、初めからしまいまで。それがこの大混乱になっているのだ。
 であるだけでなしに、根こそぎ動員をして、僻地の軍隊と開拓団が離れているものだから、親子ばらばらになって大混乱をしたということなんだ。日本人狩りを受けて、またハルビンやその他周辺におったのが連れていかれた。員数が足らぬからだ。関東軍の数が足らぬから日本人狩りをした。僕もハルビンで受けて逃れたことがある。おれは日本人じゃないと行って逃れたことがある。うまく逃げたけれども、そうだったのです。それで結局、働き手の男がいなくなって、完全にああいう混乱状況になったわけです。あれは軍隊ですよ。関東軍が悪いんだ。悪い上にさらに最後を悪くした。何も責任を果たしてないということですよ。
 あなた、帰ってから、安倍君やみんなによく言っておけよ。そういうことの観点でこの問題は対処すべきであるということです。
 次に、金子先生も話をしていましたが、厚生大臣、これは防空法の八条の三で隣組防空とかそれから職場防空とかいうのがだんだんと締めつけられて、そしてこれが民間の戦闘団体になっていくわけですよ、歴史的に。戦闘団体になるのです。それが急速にそういうふうになるのが、三月二十三日の閣議決定に基づく、ここの第三号の受給者ですか、国民義勇隊なんですよね。それは、今話が続いておりますが、サイパン、テニアンやその他、B29が直接日本本土を空襲して制空権が取られる、それから沖縄が、一〇・一〇空襲以降四月一日の上陸と六月二十六日の玉砕、沖縄放棄に至るまでの間がずっとあるわけです。そういう背景があるわけです。それから東京は三月十日に、今金子さんが言われた東京大空襲があるわけですね。
 そういう背景の中で、三月二十三日の閣議で国民義勇隊に関する件をやって、日本全土にわたって国民義勇隊をつくって、防空の組織と一緒に――これは防空の組織で、どっちでやるかという内務省と陸軍省の大げんかがあって、国民義勇隊は内務省ということになったわけだけれども、やって、そして、次回がないから少し演説を加えますが、六月九日から臨時帝国議会をここで開いて、そして国民義勇兵役法を制定したわけです。そして、男は十五歳から六十歳まで、女の人は十七歳から四十歳までですが、その前後についても義勇隊として、志願兵として参加するということで陸海軍刑法の適用をやったわけです。これは七月五日公布、直ちに施行されている、こういうふうになっております。それで国民義勇隊の一連の問題で、国民義勇隊、国民戦闘隊と、ずっと強化した。閣議決定でやることはできない。そこで臨時帝国議会を開いて、情勢をすべて検討して、いよいよ本土決戦であるということで法律をつくったのですね。国民義勇隊に関する件というのは、ここに一部あるわけです。
 だから、金子先生も言いましたように、サイパン、テニアン等がやられて制空権は完全に近くアメリカが握っておる中で、三月十日の東京空襲があったわけです。だから、時間的にどこに線引きするかというのは難しいのですが、原爆被爆者援護法で、特別権力関係の問題で、七月五日以降は完全に本土決戦で、法律、命令ともに、戦闘状況ということがあったら個人的な命令を受けないでも全部総当たりでいくんだという法律ができたわけだ。そういう状況にあった。だから、幾らシビアに解釈しても、それ以降においては戦闘員と非戦闘員の差はない。しかしながら、軍人恩給を復活するという政治的な意図もありましたから、戦傷病者戦没者援護法を制定して、軍人、軍属、準軍属を初めは小さくやったのですが、だんだん広がってきまして、そして、非戦闘員の範囲に食い込んできたわけですね。
 その最後は第七号の問題でございまして、防空従事者の問題です。防空従事者は警防団、医療従事者で医師とか薬剤師とか看護婦とか助産婦というのが昭和四十九年から準軍属に入ったわけです。それは私が数年来、昭和四十二年ごろからずっと予算委員会、社労で議論したことが最後に実を結んだわけです。しかし、そのときに主張したのは、隣組とか職場とかいうものも規制がだんだん強化されて、義勇隊と一緒になって、法律ができるまでずっと同じように活動していたのですよ、ボランタリーではないんだよ、自分の生命、財産を守るためのボランタリー活動ではないんですよという議論をしてきたところであります。しかし四十九年には線引きをしたわけだ。防空法の中の防空従事者ということで警防団、医療従事者に限定したわけです。しかし、それは本当ではないということの議論だと思うのです。
 ですから、私は、その議論は実態の問題と一緒に尽きていないのですが、あなたの方の説明は、法制局や外務省等を含めての説明は、これは法律は公布されて施行されたけれども、勅令や省令は出たけれども実施されなかった、具体的に命令が出なかったというへ理屈ですが、具体的な命令が出るようにはなっていないんだ、この法律は。国会の議事録を見ればわかる。それは苦し紛れに皆さんが答弁したわけです。だから、大体この最終段階になるに従って、昭和二十年に入ると戦闘員と非戦闘員の差をつけるということは、特別権力関係論からいってもこれは誤りである、実態に沿わない。こういう考え方は依然として変わらない。私どもの考えは変わらない。これは引き続いて皆さんの方で十分研究してもらいたい。これについて皆さん方と議論をする時間がございませんから、私が申し上げたことについて、政治家として今井厚生大臣に感想があればお聞きをしたい。
○今井国務大臣 先ほどからずっとお聞きしておりまして、先生のお気持ちもよくわかるわけでありますが、援護法というのは先生御案内のように軍人軍属などの国と特別の関係にあった者が戦争公務によりまして受傷あるいは死亡した場合に、障害者または遺族に対して国の使用者の立場から援護を行うということを目的とするわけでございまして、こういった特別の関係にない一般の戦災者を援護法の対象にするということは、私はできにくいと考えておるものでございます。
○大原委員 それだったらもう一回反駁しなければならぬよ、それだけ時間をかけて言ったのに。
 そこで、それは結局の背景は、もうかなり時間がたっておるからあなたもそれは言われていいのですよ。つまり軍人恩給を復活するということが非常に大きな目標で、昭和二十七年に戦傷病者戦没者遺族等援護法をやって二十八年には恩給法に持っていったわけです。そこでどこかで線引きをしなければならぬということで軍人と軍属の範囲を、軍人と軍属は前は五年の年金でしたわけですから差別の待遇があったわけですが、それを一緒にしまして範囲をできるだけ拡大したんだ。しかし、それをさらに拡大すると戦闘員と非戦闘員の問題になって理屈がつかなくなるのですが、しかし、その歴史的な経過があって、そして消極的な答弁をしながら線引きをしてきた、こういうことであります。
 そういうことであるということを、厚生大臣、経過をよく知っておいてくださいよ。だから、今のは金子先生が言いましたように、実際には職場防空とか地域防空はその名簿をつくりましたら今度は国民義勇隊のときにはそのままぱっと利用するのです。出てこいといって電話がかかってきたら全部出ていくのです。そういう仕組みになっておる。それで法律ができたわけです。本土決戦の法律ができた。それから、空挺隊であろうが艦砲射撃で敵前上陸であろうが大空襲であろうが、本土決戦のときには全部軍人と一緒に行動するという法律ができたわけです。だから、これはもう特別権力関係からいって差はないということになるわけであります。
 それは問題点の指摘にして、あと今までの議論を整理しまして質問をまた続けるということで、内容的にはその問題はこれで一応保留するということであります。
 それから、最後に生存者の未帰還者の実態、附帯決議もあるのですが、その実態と、それに対する厚生省の対応策。衆参両院の附帯決議がございますが、未帰還者の実態。この予算上、法律上は出ておるのです、未帰還者というのは出ております。この実態とこれに対応する――施策はあるのですけれども、これに対してどういうふうに将来を含めて対応しようとしているのかということです。
 私が通告した中になかったけれども、附帯決議は用意しておいてくれ、こう言ったのだからだしぬけじゃないですよ、あなた。
○水田政府委員 未帰還者は現在千二百九十一名ございますが、この一人でも多く祖国日本に帰る意思のある方については帰還できるように外交交渉その他最大限の努力を払ってまいりたいと思います。
 現在、未帰還者の非常に多いのは中国地区九百八十名、ソ連地区百七十四名、北朝鮮の八十三名、その他、こういうことに相なっております。
○大原委員 ソ連と北朝鮮の未帰還者の実態を把握していますか。
○水田政府委員 北朝鮮につきましては、外交はございませんので、従来から日赤ルートを通じまして未帰還者の名簿を提示しまして調査をお願いいたしているところでございますが、そういう者はいないという答えに終始しておったわけでございます。昨年の暮れに、日本にいる家族と文通をしておられる方、四名でございましたか五名でございましたか、その少人数に絞りましてやはり日赤を通じて、こういう方と家族とこうやって文通をしておるので、ひとつ再会できるようにお願いしたいということをお願いをいたしておりますが、いまだ回答に接していない状況でございます。
 ソ連地域についても外交ルートを通じて所在の確認をお願いをいたしておりますが、回答に接していないという状況でございます。
○大原委員 最後ですが、未帰還者の家族については今度処遇改善するわけですね、法改正するのですね。
○水田政府委員 そのとおりでございます。
○大原委員 それでは、以上をもちまして私の質問を終わります。
     ――――◇―――――
○山崎委員長 次に、内閣提出、原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律の一部を改正する法律案及び森井忠良君外十三名提出、原子爆弾被爆者等援護法案の両案を議題とし、順次趣旨の説明を聴取いたします。今井厚生大臣。
    ―――――――――――――
 原予爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律
  の一部を改正する法律案
    〔本号末尾に掲載〕
    ―――――――――――――
○今井国務大臣 ただいま議題となりました原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律の一部を改正する法律案につきまして、その提案の理由及び内容の概要を御説明申し上げます。
 広島市及び長崎市に投下された原子爆弾の被爆者については、原子爆弾被爆者の医療等に関する法律により、健康診断及び医療の給付を行うとともに、原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律により、医療特別手当等の支給を行い、被爆者の健康の保持増進と生活の安定を図ってまいったところであります。
 本法律案は、被爆者の福祉の一層の向上を図るため、医療特別手当等の額の引き上げを行うこととし、原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律の一部を改正しようとするものであります。
 以下、その内容について御説明申し上げます。
 まず第一は、医療特別手当の額を、現行の月額十万八千円から十一万八百円に引き上げることであります。
 第二は、特別手当の額を、現行の月額三万九千八百円から四万八百円に引き上げることであります。
 第三は、原子爆弾小頭症手当の額を、現行の月額三万七千百円から三万八千百円に引き上げることであります。
 第四は、健康管理手当の額を、現行の月額二万六千五百円から二万七千二百円に引き上げることであります。
 第五は、保健手当の額を、一定の範囲の身体上の障害のある者等に対し支給されるものについては、現行の月額二万六千五百円から二万七千二百円に、それ以外のものについては、現行の月額一万三千三百円から一万三千六百円に引き上げることであります。
 また、これらの改正の実施時期は、昭和六十一年四月一日といたしております。
 以上がこの法律案の提案理由及びその内容の概要であります。
 何とぞ、慎重に御審議の上、速やかに御可決あらんことをお願い申し上げます。
○山崎委員長 森井忠良君。
    ―――――――――――――
 原子爆弾被爆者等援護法案
    〔本号末尾に掲載〕
    ―――――――――――――
○森井議員 私は、ただいま議題になりました原子爆弾被爆者等援護法案につきまして、日本社会党・護憲共同、公明党・国民会議、民社党・国民連合及び社会民主連合を代表いたしまして、その提案の理由を御説明申し上げます。
 昭和二十年八月六日、続いて九日、広島・長崎に投下された人類史上最初の原爆投下は、一瞬にして三十万人余の生命を奪い、両市を焦土と化したのであります。この原子爆弾による被害は、普通の爆弾と異なり、放射能と熱線と爆風の複合的な効果により、大量無差別に破壊・殺傷するものであるだけに、その非人道性ははかり知れないものがあるのであります。たとえ一命を取りとめた人たちも、この世の出来事とは思われない、焦熱地獄を身をもって体験し、生涯消えることのない傷痕と、原爆後遺症に苦しみ、病苦、貧困、孤独の三重苦に悩まされながら、今日までようやく生き続けてきたというのが実感であります。
 昨年は被爆四十周年という節目の年でありましたが、国は原爆で亡くなられた方々やその遺族に一本のお線香代も出さず、全く弔意をあらわしておりません。一家の支柱を失い、途方に暮れる遺族に、一円の生活援助もしておりません。ここに現行二法の最大の欠陥が指摘できるのであります。国家補償に基づく被爆者援護法を求める広範な国民の不満は、なぜ軍人・軍属など軍関係者のみを援護し、原爆の犠牲者を差別して処遇するのか、戦時諸法制から見て、全く納得がいかないという点であります。本法案提出に当たり、私は、この際、まず国家補償法の必要性について明らかにしたいと存じます。
 国家補償の原則に立つ援護法が必要な第一の理由は、アメリカの原爆投下は国際法で禁止された毒ガス、生物化学兵器以上の非人道的兵器による無差別爆撃であって、国際法違反の犯罪行為であるということであります。したがってたとえサンフランシスコ条約で、日本が対米請求権を放棄したものであっても、被爆者の立場からすれば、請求権を放棄した日本国政府に対して国家補償を要求する当然の権利があるのであります。しかも、原爆投下を誘発したのは、日本軍国主義政府が起こした戦争なのであります。我々がこの史上最初の核爆発の熱線と爆風、そして放射能によるはかり知れない人命と健康被害に目をつぶることは、被爆国としての日本が、恒久平和を口にする資格なしと言わなければなりません。
 第二の理由は、この人類史上未曽有の惨禍をもたらした太平洋戦争を開始し、また終結することの権限と責任が日本国政府にあったことは明白であるからであります。特にサイパン、沖縄陥落後の本土空襲、本土決戦の段階では、旧国家総動員法は言うまでもなく、旧防空法や国民義勇隊による動員体制の強化に見られるように、六十五歳以下の男子、四十五歳以下の女子、すなわち、ほとんど全国民が国家権力によってその任務につくことを強制されていたことは紛れもない事実であります。今日の世界平和が三十万人余の犠牲の上にあることからしても、再びこの悲劇を繰り返さないとの決意を、国の責任による援護法によって明らかにすることは、当然のことと言わなければなりません。
 第三の理由は、既に太平洋戦争を体験している年代も数少なくなり、ややもすれば戦争の悲惨さは忘れ去られようとしている現状であります。原爆が投下され、戦後既に四十一年たった今日、被爆者にとってはその心身の傷跡は永久に消えないとしても、その方々にとっては援護法が制定されることによって初めて戦後が終わるのであります。
 私たちは、以上のような理由から、全被爆者とその遺族に対し、放射能被害の特殊性を考慮しつつ、現行の軍属、準軍属に対する援護法に準じて、原爆被爆者等援護法を提案することといたしたのであります。
 次に、この法律の内容の概要を御説明申し上げます。
 第一は、健康管理及び医療の給付であります。健康管理のため年間に定期二回、随時二回以上の健康診断や成人病検査、精密検査等を行うとともに、被爆者の負傷または疾病について医療の給付を行い、その医療費は、七十歳未満の被爆者については現行法どおりとするとともに、老人被爆者についても、老人保健法にかかわらず、本人一部負担、地方自治体負担を、国の負担といたしました。なお、治療並びに施術に際しましては、放射能後遺症の特殊性を考え、はり、きゅう、マッサージをもあわせて行い得るよう別途指針をつくることにいたしました。
 第二は、医療手当及び介護手当の支給であります。被爆者の入院、通院、在宅療養を対象として月額三万円の範囲内で医療手当を支給する。また、被爆者が、安んじて医療を受けることができるよう月額十万円の範囲内で介護手当を支給し、家族介護についても給付するよう措置したのであります。
 第三は、被爆二世または三世に対する措置であります。被爆者の子または孫で希望者には健康診断の機会を与え、さらに放射能の影響により生ずる疑いがある疾病にかかった者に対して、被爆者とみなし、健康診断、医療の給付及び医療手当、介護手当の支給を行うことにしたのであります。
 第四は、被爆者年金の支給であります。全被爆者に対して、政令で定める障害の程度に応じて、年額最低三十二万六千四百円から最高六百六十六万五百円までの範囲内で年金を支給することにいたしました。
 障害の程度を定めるに当たっては、被爆者が原爆の放射能を受けたことによる疾病の特殊性を特に考慮すべきものとしたのであります。
 第五は、被爆者年金等の年金額の自動的改定措置、すなわち賃金自動スライド制を採用いたしました。
 第六は、特別給付金の支給であります。本来なら死没者の遺族に対して弔意をあらわすため、弔慰金及び遺族年金を支給すべきでありますが、当面の措置として、それにかわるものとして百二十万円の特別給付金とし、五年以内に償還すべき記各国債をもって交付することにいたしました。
 第七は、被爆者が死亡した場合は、二十万円の葬祭料を、その葬祭を行う者に対して支給することにしたのであります、
 第八は、被爆者が健康診断や治療のため国鉄を利用する場合には、本人及びその介護者の国鉄運賃は無料とすることにいたしました。
 第九は、原爆孤老、病弱者、小頭症その他の保護、治療を要する者のために、国の責任で、収容・保護施設を設置すること、被爆者のための相談所を都道府県が設置し、国は施設の設置・運営の補助をすることにいたしました。
 第十は、厚生大臣の諮問機関として、原爆被爆者等援護審議会を設け、その審議会に、被爆者の代表を委員に加えることにしたのであります。
 第十一は、放射線影響研究所の法的な位置づけを明確にするとともに必要な助成を行うことといたしました。
 第十二は、日本に居住する外国人被爆者に対しても本法を適用することにしたのであります。
 第十三は、厚生大臣は速やかにこの法律に基づく援護を受けることのできる者の状況について調査しなければならないことにいたしました。
 なお、この法律の施行は、昭和六十二年一月一日であります。
 以上が、この法律案の提案の理由及び内容であります。
 被爆後四十一年を経過し、老齢化する被爆者や遺族に、もう時間はないのであります。再び原爆による犠牲者を出すなという原水爆禁止の全国民の願いにこたえて、何とぞ、慎重御審議の上、速やかに可決されるようお願い申し上げます。
○山崎委員長 以上で趣旨の説明は終わりました。
 両案に対する質疑は後日に譲ります。
     ――――◇―――――
○山崎委員長 この際、連合審査会開会申し入れに関する件についてお諮りいたします。
 ただいま大蔵委員会において審査中の内閣提出、国の補助金等の臨時特例等に関する法律案について、大蔵委員会に連合審査会開会の申し入れを行いたいと存じますが、御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○山崎委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決しました。
 なお、連合審査会の開会日時等は、大蔵委員長と協議の上、追って公報をもってお知らせいたします。
 次回は、来る八日火曜日午前九時四十五分理事会、午前十時委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。
    午後零時十三分散会
     ――――◇―――――