第132回国会 本会議 第3号
平成七年一月二十四日(火曜日)
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 議事日程 第三号
  平成七年一月二十四日
    午後二時閣議
 一 国務大臣の演説に対する質疑 (前会の続
 )
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○本日の会議に付した案件
 国務大臣の演説に対する質疑   (前会の続
 )
 議員請暇の件
 航空事故調査委員会委員長及び同委員任命につ
  き同意を求めるの件
 労働保険審査会委員任命につき同意を求めるの
  件
 羽田孜君の故議員小宮山重四郎君に対する追悼
  演説
    午後二時四分開議
○議長(土井たか子君) これより会議を開きます。
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 国務大臣の演説に対する質疑  (前会の続)
○議長(土井たか子君) 国務大臣の演説に対する質疑を継続いたします。鹿野道彦さん。
    〔鹿野道彦君登壇〕
○鹿野道彦君 私は、新進党政権準備委員会として、我が国の外交の基本方針のあり方を明らかにするとともに、政府の外交方針をただすものであります。
 初めに、今回の兵庫県南部地震により犠牲となられました方々並びにその御遺族に対し心から哀悼の意を表しますとともに、負傷された方々や今なお避難生活を強いられておられる多くの方々に対し心からお見舞いを申し上げます。
 また、今回の災害に対し、全国の皆様並びに海外から寄せられた幾多の心温まる善意、救援のためのボランティア活動に対し御礼を申し上げたいと存じます。(拍手)
 地震発生以来、世界各国から救援のための専門家の派遣や救援物資の供給の申し入れが相次いだわけであります。救援をしたいという気持ちであります。その御好意に対して即座の対応がなされなかったことは、まことに残念であると言わざるを得ません。各国の御好意を直ちに受け入れて、我が国もよその国の緊急時に助け合っていくことによって相互の信頼関係を一層深めていく、これがまさに外交の基本であります。どの国にあっても、突然の大災害等において人命の危機的状況があるとき、お互いに助け合うことは当然であり、国内の法のささいな壁や各省庁の意向などによってちゅうちょすることなく、世界の国民の善意と被災者の気持ちになって対応していくべきではないでしょうか。(拍手)
 さて、新しい世紀の到来を六年後に控え、世界は大きな変革のときを迎えています。戦後半世紀に及ぶ世界の政治、経済そして社会を支えてきたシステムは、今やその根底から音を立てて崩れてきておるところであります。二十世紀最後の一九九〇年代は、戦後の古いシステムから新しいシステムヘと転換していく歴史上極めて重要な十年間であると思います。
 国際情勢の変化の中で、過去と同じような外交のやり方では、もはや未来志向の外交は行えないのではないでしょうか。いわば手本なき時代において、世界が直面しているさまざまな課題に対し、我が国が的確かつ具体的な政策を提示していくことが何よりも重要でございます。内なる論理、すなわち一国平和主義、一国繁栄主義ということではなく、国際社会の一員としての自覚に立って行動をしていくことが重要であります。時にはタブーなき議論を通じて国の内外の合意を形成していくことが、今ほど求められている時期はないと思うところでございます。
 明日の内閣の外交を担当する私といたしましては、旧来のように、ただ政府の外交政策をただす。だけではなく、明日の我が国のあるべき外交のあり方を提言して、国会における議論や論争を通じて我が国の政策が決定されていくという新しい日本の政治の姿に変えていきたい、このような考え方に立つものでございます。(拍手)
 冷戦の終結によって、イデオロギーで世界の国々を色分けする時代は過去のものとなりました。これまで往々にして見られた、政治力や経済力、軍事力といった国力の違いによって、国の主権を制限したり、また差別するようなことは断じてあってはならないのであります。外交のあらゆる場においてそうした姿勢を貫徹することが、冷戦終結後の世界で、日本がすべての国に対して開かれた外交を展開していく上での原点であると思うわけであります。
 また、我が国としては、独立国家の主権の尊重と並んで、世界の人々の基本的な人権や自由平等といった普遍的な価値を尊重していく必要があります。こうした普遍的な価値を、民族や宗教の違いを乗り越えて国際社会と共有していくことが何より大切なことではないでしょうか。そして、これを侵害するような行為は我が国の外交として断固拒否すべきだと考えます。保
 戦後半世紀にわたって平和と経済的な繁栄を享受してきたところの我が国は、その成果を世界に均てんすべく、今こそ世界平和の実現と世界経済の安定的な発展のために、従来にも増して積極的な貢献と不断の外交努力を重ねていくことが大事なことだと思います。
 以上申し上げました基本的な考え方に従いまして、私は、五つの分野に議論を絞り、我が国の外交のあり方について具体的な提言をしてまいりたいと思います。
 今年は戦後五十年という大きな節目の年に当たります。我が国は、さきの大戦にかかわる賠償などの問題につきましては、サンフランシスコ平和条約等に従い誠実に対応してきたところでございますが、さきの大戦をめぐっては、なお国際的にさまざまな意見や評価の相違があることも事実でございます。時にはそれが重要な外交問題に発展したり、また、現に国家や国民の間に複雑な感情を生じていることも看過してはなりません。その背景には、さきの大戦に関する歴史的な検証が不十分であることも少なからず影響していると思います。
 国家として過去の反省に立ち、二度と人類にとって不幸な戦争を引き起こさないことを世界に向けて表明することであります。すなわち、私はこうした国の不戦の意思を国会で決議することを提案したいと思います。戦後五十年の今年、過去の大戦に国家としてのけじめをつけ、二十一世紀に向けた我が国の外交の新たな出発点としていかなければならないわけでございます。
 国連は、世界の平和と安全を保障する上におきまして、実行力を備えた唯一の、そして最も強力なるところの国際機関であります。冷戦下では、アメリカとソ連という二つの軍事大国の対立によって必ずしも国連の機能が十分に発揮されなかった場面も見られましたが、冷戦が終結した今日においては、世界の平和と安全維持に果たす役割への期待がますます高まっております。我が国として、冷戦の終結により東西の壁を超えて各国間の相互依存が深まる中で、世界の平和と安全の維持に対して、より積極的な役割を果たしていくべき時代を迎えていると思います。
 実際、我が国は、平成四年八月に施行された国際平和協力法に基づき、国連の平和維持活動等に対しては、自衛隊の部隊をカンボジア、モザンビーク、ルワンダなどに派遣し、人的な面でも貢献に努めてきているところであります。私は、今後、ゴラン高原での国連の平和維持活動に対しても、調査を行った上で参加すべきだと思います。
 そして、国連の平和維持活動への協力を初め、世界の平和と安全の維持に対し我が国がより積極的にかかわっていくためには、国連安全保障理事会の常任理事国入りは我が国にとってまさに取り組んでいかなければならない今日的な課題ではないでしょうか。
 それは、国連創設五十周年の今年、世界平和の実現に対する我が国の強い意思を国際的に表明する上でも、また、世界平和の理想と現実のギャップを国民が直視し、平和の実現に向けて我が国がどのような役割を果たしていくことができるかを国民的に議論する上でも、重要な契機となるはずであります。確かに多くの解決すべき課題があることも十分に承知の上で、我が国が常任理事国入りを目指し、否、常任理事国となって積極的に世界平和に貢献したいと内外に向けてアピールすべきであると思います。(拍手)
 河野外相は、昨年九月の国連総会の演説におきまして、「多くの国の賛同を得て安全保障理事会の常任理事国として責任を果たす用意がある」と表明されましたが、日本に対する各国の期待が高まっている中におきまして、平和という人類恒久の願いを世界の主要国として実現していく立場にある我が国の意思といたしましては、国際的力理解を得る上で不明確であったのではないでしょうか。
 また、国内的には、国連の平和維持活動に対する国民の理解も高まっております。PKFの凍結解除など国際平和協力法の見直しにも取り組んでいくときではないでしょうか。実際に海外に派遣される要員や自衛隊員の立場になって、その安全が十分確保されるよう、政府として明確な行動基準を定め、国が責任を持つ体制を整備することも必要だと思います。
 こうした議論は、ともすればタカ派、ハト派という不もの論争に発展しからでございますけれども、このことは決して憲法の枠を超えるものではなく、平和維持活動の実態を踏まえた上で、我が国が世界平和の維持に対して何ができるかを具体的に定めていかなければならないということであります。(拍手)
 次に、日米関係が日本外交の基軸であるということは言うまでもありません。
 両国は、冷戦下で我が国の平和と安全を名実ともに保障してきた安全保障条約を土台に、最大の貿易パートナーである経済関係、環境・人口問題といったグローバルな協力関係によって強く結ばれております。そして、冷戦終結後の今日、日米安保体制をその同盟関係の基礎として再構築することが必要であります。こうした両国の関係の強化は、アジア・太平洋地域の安全と繁栄にとっても不可欠な要素であります。また、国連の機能強化において日米が協力することも、日米関係を戦後五十年の節目に問い直す意味で課題の一つであると思います。
 細川元総理は、昨年二月の日米首脳会談の会見で、新しい日米関係を「大人の関係」と表現しましたが、その意味を改めて間い直してみれば、そこには、両国の関係を狭い視野でとらえるのではなく、地球規模での利益を増進する視点から再構築していこうという外交姿勢の一端を読み取ることができるのであります。(拍手)経済関係に限らず、安全保障や地球規模の協力においても、こうした視点で取り組むべきではないでしょうか。そのような意味からも、この一月の日米首脳会談は、安全保障を初めとするところの両国の基本的課題についてさらなる話し合いがなされてよかったのではないでしょうか。
 ここで、日米の経済関係に触れたいと思います。
 日米間には膨大な貿易不均衡が存在し、その解決に向けて協議が続けられ、徐々にではありますが一定の成果も生まれております。我が国は、この懸案である貿易不均衡の解消に向け誠実に取り組んでいくべきであります。米国の要求する規制緩和等を、我が国自身の問題として具体的に進めていかなければなりません。
 しかし、妥協を急ぐ余り、世界第一位と第二位の経済大国が国際的な自由貿易のルールに反するような解決策を志向することは回避すべきだと思います。我が国にとってアメリカは最も重要な外交のパートナーですが、日米関係が国際的に評価されますのは、両国の関係がより広範な地球規模での利益を増進する場合であって、逆の場合には、国際的な場で両国が批判を受けることも十分に認識しておく必要があると思います。
 次に、アジア諸国との関係は、日米関係と並んで我が国にとって重要な関係であります。特に、中国、韓国、北朝鮮といった隣国との外交は、日本の平和と安定を維持していく上で死活的な重要性を持ちます。
 こうした中で、解決を急ぐべきは北朝鮮の核開発の問題で、我が国だけではなく東アジア地域の安全保障に重大な懸念を与えていることは改めて申し上げるまでもございません。
 さきの米朝合意について、村山総理は、北朝鮮の核兵器開発に関する懸念の払拭に資するものとして評価、歓迎しているようですが、北朝鮮が過去にどのくらいのプルトニウムを抽出し軍事転用したかを調べる特別査察の実施の問題や、使用済み燃料棒の第三国への搬出開始が五年後に先送りされている以上、現段階ではなお核兵器開発に関する懸念は完全に払拭されていないのであります。
 村山総理は、さきの日米首脳会談において、軽水炉プロジェクトについて「意味のある財政的な役割を果たす」と表明し、相当額の資金援助を国際的に公約されましたが、このことは我が国の外交上少なからぬ問題があると言わざるを得ません。核査察に対する履行が明らかになっていない段階で、どうして資金援助を国際的な公約としたのでしょうか。アメリカと北朝鮮との交渉はいわば他国同士の交渉であって、日本との交渉ではないのでありますのであれば、今回の合意内容について、首脳会談の際、クリントン大統領にきちっとただすべきではなかったのでしょうか。
 さらに、関係国で設立することになっている朝鮮エネルギー開発機構の国会承認も受けていない段階で相当額の財政支援を約束したことを、国民にどう説明されるのでしょうか。総理の明確な答弁を求めます。
 また、核の不拡散という立場からいえば、中国に対して、昨年十二月、五千八百億円にも上る円借款の供与を決定されましたが、核実験を繰り返す中国に対しては、ODA大綱の精神に反するのではないかという意見もある中で、なぜ多額の援助を決定したのか。また、今年一月、武村蔵相が訪中した際に、別枠で二十億ドルの輸銀融資を約束したと伝えられておりますが、核軍縮に努めるという村山総理の決意はどこに行ったのでしょうか。疑問を持たざるを得ません。
 次に、我が国とアジアの外交に関して言えば、政治的、経済的に多様な国が存在するアジア地域の現状や、さきの大戦を初めとするアジア諸国と我が国の歴史的な関係を考えますと、必ずしも一元的に対応できない問題も存在いたしております。
 そこで、戦後五十年に当たって、さきの大戦に対する我が国の国家としてのけじめを新たな出発点として、政治的にも経済的にも一層緊密にしていくことが望ましいことであります。そうした意味で、本年九月に大阪で開催されるAPECにおける我が国の役割は極めて重要であり、まさに政治のリーダーシップが問われる会議だと思います。
 また、EAEC問題につきまして申し上げますならば、EAECの活動が参加国だけの利益にと、どまらず、世界経済全体の発展に資する方向で、我が国としては参加を検討していくべきだと思います。
 一方、冷戦終結後のアジア地域の安全保障については、ASEAN地域フォーラムを中心にしながら、二国間の安保対話を重ねていくことが必要ではないでしょうか。APECとASEAN地域フォーラムを柱に対アジア外交を展開し、地域の経済発展と政治的な安定及び安全保障に積極的に貢献し、協力関係を深めていくことが重要であると思います。
 次に、経済協力について述べたいと思います。
 戦後の長期にわたる我が国の経済発展は、必ずしも我が国の努力だけで達成されたものではありません。アメリカからの経済援助や欧米先進国からの技術移転及び世界各国との自由な貿易などが相まって実現されたものであります。したがいまして、消極的な援助という観点ではなく、積極的な経済協力、この展開によって広く世界に均てんしていくことが我が国の当然の責務だと思います。
 経済協力に際しては、我が国の経験も踏まえて、金銭的な援助だけではなく、各国の自律的な経済発展を支援するために国際的な技術移転を促進していくことが重要であります。そのための具体的な政策といたしまして、私は技術移転の三大プロジェクトを提案したいと思います。
 その一つが、我が国が主要な出資国となりまして技術移転のための国際機関を設立することであります。この機関は、途上国に対する技術移転を円滑化するために、先進国の政府及び企業から主要な特許の提供及び買い上げを行って途上国に無償で特許を開放するほか、各種の技術情報の供給や技術者の派遣のあっせん等を目的とするものであります。
 二つ目が、国際技術研修センターの創設であります。このセンターは、海外から毎年数千人規模の研修生を受け入れ、出身国の実情に応じて帰国後直ちに役立つような実践的な技術を習得できるよう、実務を主体にした研修の実施を目的とするものであります。
 そして三番目が、経済協力大学校の設置であります。これは、経済協力の専門家を養成するために、国内から広く技術者を募り、海外で実際に技術移転を行う際に必要な教育を行うものであります。政府といたしましては、財政助成とともに税制措置等を講じて、民間に対しても積極的な協力を求めていくことが必要だと思います。
 なお、経済協力を行っていく上において、機関や組織上、以上のプロジェクトと重複するような業務を行っているものについては、統合を図っていくことが望ましいと考えるところでございます。
 これらの技術協力の問題とあわせて提起したいのが、世界各国との地震問題への共同の取り組みであります。世界じゅうに日本と同じような地震国が多く存在し、それらの国の人々が、我が国の受けた震災に対して温かい支援の手を差し伸べてくれておるわけであります。私は、世界で地震災害を懸念しているこれらの国々、すなわちインドネシア、フィリピン、チリ、イタリア等の地震多発国の国々と技術協力、研究開発、情報交換、緊急時の支援等を行うネットワークをつくり、大地震に世界が共同して対処していけるような体制づくりを直ちに検討すべきであると提案をいたしたいと思います。(拍手)
 最後に、私は外交に対する考え方を述べて終わりにしたいと思います。
 外交の目的は、言うまでもなく、みずからの国益の実現にあります。外交とは、古典的に言えば、国際社会においてみずからの国の利益を実現するアートなのであります。芸術なのであります。しかしながら、冷戦終結後においては、これだけでは不十分なのであります。国際社会におけるところの利益とみずからの国益をどう調和させていくかというふうなことが、今日的外交の真髄ではないでしょうか。言いかえますならば、国際社会全体の利益というものを絶えず考えながら日本の国益を追求していくということであります。
 我が国の直面する課題に対して、国際社会において、我が国が何を求め、何を負担し、何を譲歩するかを、周の責任において決断していかなければなりません。決断に対する個々の評価というものは歴史の判断にゆだねなければなりませんが、決断の当事者の政治家は、常に未来を志向し、そして勇気と信念を持って決断に臨まなければならないと思います。耳ざわりのいい理念を掲げるだけで決断を怠るような外交は、真の外交とは言えないのであります。(拍手)
 我が日本国憲法の前文は、「平和を維持しこ「国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」このようにうたっております。私が申し述べたことが、我が日本の外交に新しい一ページを切り開くことができることを期待いたしまして、私の質疑と所信にしたいと考えております。(拍手)
    〔内閣総理大臣村山富市君登壇〕
○内閣総理大臣(村山富市君) 鹿野議員の質問にお答えを申し上げます。
 その前に、残念ながら、兵庫県の南部地震に当たりまして、ついに亡くなった方が五千名を超しました。心から哀悼の誠をささげたいと思います。
 私に対する質問は、北朝鮮の軽水炉転換に対する我が国の財政支援についてのお尋ねでありますが、北朝鮮の核兵器開発問題は、国際社会の安全保障にかかわる重大な問題であるとともに、我が国の安全保障上の重大な懸念事項でもございます。
 この問題に関する米朝合意は、北朝鮮の過去、現在及び将来の核開発活動に関する透明性を確保し、北朝鮮の核兵器開発を将来にわたって解消させようとするものであります。また、本件合意を実施する過程において、米朝関係が改善し、北朝鮮側が南北関係により前向きに取り組む等国際社会の一員として責任ある態度をとるならば、朝鮮半島ひいては北東アジアの緊張緩和につながり得るものと考えています。したがって、本件合意の着実な実施は、まさに我が国の平和と安全に直結する問題でもございます。
 なお、本件合意のこのような重要性にかんがみ、我が国は、本件合意につき、米朝間で交渉が行われていた当時から、十分な連絡協議を受けてきたところでございます。
 さらに、北朝鮮は、IAEAとの協議を行い、既に黒鉛減速炉及び関連施設の凍結を実施し、米朝合意の履行を進めております。北朝鮮側に対して本件合意の実施を引き続き強く求めていく上でも、軽水炉プロジェクトの実施をさらに進めていくことが重要であると考えています。
 このような観点から、我が国政府としても、軽水炉プロジェクトの全体像のもとで同プロジェクトにおいて意味のある財政的貢献を果たす用意があり、このことを先般の日米首脳会談においてクリントン大統領に申し上げた次第であります。国民の皆様の御理解をいただくことができると私は確信をいたしております。
 同時に、御指摘の北朝鮮側の米朝合意の履行状況につきましては、国際社会として厳密に確認していくことが重要であります。今後、米朝合意を実施するために設立される予定の国際コンソーシアムについては、現在、関係国間で協議中でございますが、我が国としても、同コンソーシアムに参加し、積極的に北朝鮮に対して義務の履行を求めていきたいと考えているところでございますので、皆様方の御理解と御協力をお願い申し上げます。(拍手)
    ―――――――――――――
○議長(土井たか子君) 不破哲三さん。
    〔不破哲三君登壇〕
○不破哲三君 私は、日本共産党を代表して、震災問題を中心に総理及び河野外相に質問いたします。
 関西地方を襲った大地震の被害は、ついに死者五千人を超え、避難所への避難者も三十万を超えました。被災者の全体はもっと大きな数になると思います。犠牲となられた方々への深い哀悼の気持ちとともに、被災の中で頑張っておられる多くの皆さんにお見舞いを申し上げるものであります。
 救援対策では、今なお生死不明とされる方々の人命確保が最優先の課題であることは言うまでもありません。同時に、被災者が生活していくための最低条件を確保することが急務であります。この点では、対策を、敏速に、しかも被害の大きさに応じ得もだけの規模で計画的に進めていくことが重要であります。住宅、食料い医療、ライフライン再建などの救援と復旧について、どれだけの規模の対策をいつごろまでに講じていく計画なのか、具体的に伺いたいと思います。
 今回の災害について、テレビなどで実情を目の当たりにした国民の間から、共通して二つの声が上げられました。なぜこんな事態がということと、自分の地方でこの地震が起こったらどうなるかであります。
 「思いもかけない大地震」という言葉がよく聞かれますが、これを弁明の言葉とすることは政治家に許されることではありません。一九七〇年に、日本の地震学者、専門家の組織である地震予知連絡会が、地震の危険の大きい地域を特定観測地域に指定しました。神戸、大阪の一帯はそのときから危険地域に数えられていました。直下型地震が都市を襲った場合の大被害についても、多くの警告が発せられていました。それに備えるかどうかは政治の問題であります。国として必要な備えがなかった責任をどう考えるかをまず伺いたいのであります。(拍手)
 私は、十四年前に、首都圏の地震に備える問題について、当時の専門家の研究や提言を踏まえて、国会で政府への問題提起を行いました。そのとき、一つ、地震に強い都市・国土づくり、二つ、消防消火力の強化を中心にした即応体制、三つ、観測と予知の体制整備、この三つの角度から提言しました。この三つは、今でも震災対策の基本として重要な角度だと考えておりますが、対策をなおざりにしてきた歴代政府のもとで、事態はこの十数年間に一層重大化していることを指摘せざるを得ません。
 第一に、地震に強い都市・国土づくりという面では、事態はまさに逆行の状態であります。この十数年の間に、日本の全体が巨大な建設物、構造物で覆われてきました。臨海部を埋め立てての巨大開発も広がりました。アメリカの大地震のとき、日本では道路は壊れないと政府や業界が太鼓判を押したことが今問題になっていますが、日本の土木技術を過信しての安全神話がこの傾向に拍車をかけました。国が、一方で東海大地震への備えとして特別の立法体制までとりながら、他方ではその予想される震源中心部に近い浜岡で原子力発電所の相次ぐ増設を進めてきたのも、その典型の一つであります。
 しかし、今回の震災では、一番基本をなす高速道路、新幹線でさえ従来のやり方では直下型地震に耐え得ないことが実証されました。事は極めて深刻であります。政府は、日本の主要な建設物、構造物について、また、現在建設中、計画中の大型プロジェクトについて、地震に対する安全性の角度からの総点検を緊急に実施すべきであります。
 その際、活断層の破壊が地表に近い場合には、震度その激震が現に起こることを前提にして耐震基準を見直すこと、その新しい基準を今後の建設の指針とするだけでなく、既存の建設物、構造物の耐震性をそれによって点検することが不可欠であります。阪神高速道路が大規模に破壊されましたが、それは、強度が古い基準のままであったのに補強策が講じられず、今回の倒壊を招いたものでした。その教訓を生かすべきであります。
 また、液状化現象が広範囲に起こったことを重視して、開発中の大型プロジェクトを含め地盤を総点検することが重要であります。埋立地など液状化必至とされる地帯での大型開発が今各地で進行しあるいは計画されておりますが、これには厳重な警戒が必要であります。
 原子力発電所の問題は、浜岡だけではありません。現在運転中の四十九基のうち、二十五基までが地震の危険度の高い特定観測地域などに設置されています。これもゆるがせにできないことであります。
 首相は、施政方針演説で「日本列島全体の災害対策を見直し、再構築する」と言明しました。これを空文句にすることなく、今挙げた点を含めて総点検し、それに基づく必要な施策を実施する決意があるかどうか、国民の生命と安全にかかわる問題として、真剣な答弁を求めるものであります。(拍手)
 第二は、消防消火体制の問題であります。
 これは、震災の現場での即応措置で最も重要な点ですが、今回の震災では、被災者の皆さんはもちろん、国民のすべてが、いざというときの消防力の不足と、それがどんなに重大な結果をもたらすかを嫌というほど痛感させられました。さらに、耐震貯水槽が整備されていなかったことは決定的な問題となりました。他県の消防力を動員しても、肝心の水がなかったのであります。
 消防力の整備は各自治体の任務とされていますが、問題は、政府がどんな基準で指導に当たり、また、その充実法についてどのような援助をしてきたかであります。特に、この十数年来、行政改革の名のもとに歴代内閣がこの分野までを補助金カットの対象とし、各自治体の消防力強化にブレーキをかけてきた責任は重大であります。今後の方針を含め、この問題についての首相の見解を伺います。
 第三は、観測と予知の体制についてです。
 関西地方は、観測網の設置という点で空白に近い面がありました。現在、特定観測地域などが全国に土地域指定されていますが、その中で多少とも本格的と言える体制がとられつつあるのは、東海と南関東だけです。例えば、直下型地震の危険が予想される都市部では、都市特有の雑音や振動のために地表近くでは観測困難であり、地震計は三千メートルもの地下に設置する深井戸式が必要でありますが、これは現在、首都圏に設置されているだけです。
 危険地域の指定自体は、北海道から九州まで日本全土に及んでいます。また、一昨年大きな地震に襲われた奥尻島は指定地域の外でした。ですから、基本的には日本全土にかなりの密度で観測網をめぐらす必要があります。もちろん、観測があらゆる地震に対して直ちに予知に結びつくというわけではありません。しかし、地震学と予知技術の発展によって予知の可能性が理論的に広がっても、観測記録の蓄積がなければ予知を具体化することはできません。日本国民は、この列島に幾世代、幾十あるいは幾百世代にわたって住み続けるわけで、私たちは、そういう将来への責任からいっても、今日、この面でも最善の努力を尽くす必要があると考えます。首相の見解をただすものです。
 今述べた点は、震災対策のためのごく基本的なことですが、歴代政府はこれへの取り組みをなおざりにしてきました。それは、震災対策や地震予知の問題が国家予算の上でどう扱われてきたかを見れば明白であります。地震が起きると、政府は予知の重大性を強調し始めますが、この十年間、地震予知関係の予算は、少ないときは五十億円台、最近でも百億円そこそこと、極めて低い水準に抑え込まれてきました。首相、政府が本気で震災対策に真剣に取り組むというのなら、予算面でも震災対策が十分な財政の裏づけをもって進められるよう、編成方針の根本的な転換を図る必要があるのではありませんか。
 日本は世界でも有名な地震国です。列島の全体が地震帯に丸ごと含まれている国はほかにありません。その地震列島で国民の安全保障といえば、国民の生命と財産を震災から守る仕事以上に大きな任務はないではありませんか。この対策を最優先の課題の一つにする取り組みをしてこそ、今回の大震災からの教訓を生かしたと言えます。
 首相は行政改革を強調しましたが、本来の出発点を忘れた国民不在の構想となっていることを指摘せざるを得ません。国民の立場に立ては、行政改革とは、国民には無用の浪費的な部分を大胆に切り捨てて、日本の国民と社会が真に必要としている課題に行政と財政の力を効率的に集中する、こういう体制をとるところにあるはずであります。本格的な震災対策に取り組むためにも、従来からの枠組みに縛られることなく、国政上の浪費的な部分の克服に真剣かつ大胆に取り組むことが肝要であります。
 私は、この立場から、公共事業と安保条約関係の二つの問題を検討したいと思います。
 第一に公共事業ですが、その規模は年間四十兆円にも上っており、政府の対米約束でこれが一層無軌道とも言える拡大傾向にあることを注意しなければなりません。
 重要な問題は、この莫大な国費が本当に日本の社会が必要としている課題に投じられているかどうかという問題です。特に、八〇年代以降に各地で巨大とか超大型とか言われるプロジェクトが財界主導で進められてきました。その一つである東京湾臨海部の副都心開発計画は、バブルの崩壊とともに収支計画が破綻し、このまま推移すれば巨大な負債が東京都民の肩にかかるという深刻な状態に直面しています。同じような危険は、大阪湾のベイエリア計画でも表面化しつつあります。
 大体、バブルが崩壊したら計画の基盤が失われたということは、それが社会と地域の真の要求にこたえたものではなく、ゼネコン本位の計画だったことの何よりの証拠ではありませんか。しかも、これらの計画の多くは臨海部の埋立地帯に計画されており、震災対策の面からも再検討の必要があります。
 首相、国民を忘れた、事業のための事業という色彩の濃い一連の開発計画を再検討し、不急不要の計画は中止、凍結の方向に指導すべきではありませんか。そして、公共事業の重点を、被災地の復旧はもちろんのこと、国民の生活基盤の確立と防災都市づくりとに思い切って移すよう、全体の流れを切りかえるべきではありませんか。答弁を求めるものです。
 浪費という点でもう一つ重要なことは、事業価格が全体としてゼネコンの手のひらの上での割高価格になっていることです。
 この二年来、ゼネコンのわいろによる大規模な金権政治が追及されてきましたが、摘発されたのは氷山の一角で、わいろの全体が途方もない巨額に上ることは容易に推定されることです。そして、重大なことは、このわいろの財源は公共事業費、つまり国民の税金だということです。これは、巨額のわいろを提供してもまだゼネコンに大もうけが保証されるほど発注価格が割高になっているということでした。しかし、この問題で政府がとってきた対策はごく表面的で、事態の根本的な解決は回避され、公共事業の割高価格は従来どおりそのまま続いています。
 日米比較で日本の方が三割高だとか、そのことを警告する事例は多数あります。例えば、昨年、群馬県の太田市で市庁舎の建設工事の入札が行われました。八十億円から九十億円台で入札した大手の会社五社が、安過ぎるということで失格しました。当局が事業価格を百四十億円から百五十億円程度に試算していた結果であります。失格した大手の会社がそろって損失覚悟の入札をするとは考えられません。むしろ、行政側の計画自体が、長年のゼネコン流の方式にならされて、いかに割高になっていたかのあらわれと見るべきでしょう。
 これは、中央地方を問わず、全国的に広く指摘されている問題です。ここに根本的なメスを入れれば、少なくとも数兆円という規模での浪費克服への道か開けるのであります。それこそ政府の責任ではありませんか。これを解決しないまま公共事業の総枠の拡大のみにきゅうきゅうとするのは、国民にとって無責任のきわみであります。首相の見解を問うものです。
 この状態のもとで、建設業界を初めとする企業献金が続々と再開されました。与党の自民党もその対象となっています。首相はこれをどう考えますか。
 次に、自民党の総裁である河野外相に伺いたい。
 あなたは、建設業界の企業献金再開をよいことだと考えますか。また、自民党自身はこれを受けるつもりですか。明確な答弁を求めます。
 第二の問題は、安保条約にかかわる浪費であります。
 歴代政府は、安保条約とその負担について、ソ連の脅威から国民の安全を守るという議論で説明してきました。しかし、ソ連の解体でこの議論はもう通用し得なくなりました。首相が委員長を務める社会党の大会では、「共通の敵に対して防衛するという安保条約の任務はその役割を終えつつある」という認識を決定しました。それなら、安保条約で残るのは、米軍が他国での軍事行動のために日本の基地を利用するという極東条項だけということになります。
 国民は、今米軍基地の存在のために多大の被害をこうむっています。米軍は、戦闘爆撃機の離発着訓練を都市部で強行するとか、日本各地での超低空飛行の訓練とか、本国では住民への配慮からやらない異常な訓練まで日本では平気でやっています。あなた方が共通の敵から日本を防衛する任務は終わりつつあると認識しているのなら、米軍基地の撤去のために行動するのが政府の任務ではありませんか。
 しかも、この米軍基地には、条約上の義務はないのに、施設建設費から光熱費、従業員の給料まで日本が払うという世界に全く例のない思いやり予算を提供しています。ことしの思いやり予算は二千七百十四億円、地震予知の予算百六億円余りの実に二十五倍であります。
 首相、あなたは、米国政府が「今や米軍の部隊や資材を日本に置く方が本国に置くより安くつく」と議会に説明し、この手厚い援助を日本に居座り続ける最大の根拠の一つとしていることを御存じでしょうか。米軍基地は日本にいつまでもいてくれと莫大な予算まで出してアメリカにお願いするというのが政府の立場なのでしょうか。
 戦後半世紀を通じて日本が他国の軍隊の前線基地になってきたというのは、歴史に前例のない異常な事態であります。そのことに胸を痛めず、基地体制の永久化をよしとする政治家があるとすれば、それは国の独立・主権の精神を失ったとの批判を免れることはできません。私は、戦後五十年を迎えた今日、日本の主権と平和の立場から、思いやり予算の打ち切り、さらには米軍基地の撤去を目指す方向に大きく足を踏み出すことを強く主張するものであります。首相の見解を問います。
 日本の軍事費は、九五年度四兆七千億円を超え、アメリカに次いで世界第二位を記録する紛れもない軍拡予算であります。しかも、その内容が重大です。今、自衛隊と米軍の間では実戦型の共同演習が日常化しており、昨年は、海ではリムパック、陸と空ではキーンエッジという超大型の演習が行われました。共同の指揮体制のもとで、日米両軍が事実上一体となって作戦行動をとる実戦訓練であります。「日本を侵略から守る」という看板が失われた今、これは海外での日米共同作戦を予定した予行演習にほかならないではありませんか。首相は、自衛隊の最高指揮官としてこれを当然のことと考えているのですか。
 今日の軍拡は、海外での共同作戦のこうした計画と結びついたものであります。これは、ただの浪費にはとどまりません。まさに国民の安全を脅かす極めて危険で有害な浪費であります。大幅な軍縮への転換とともに、日米共同演習の中止を強く求めるものであります。(拍手)
 以上、私は、国政のゆがみに関連した二つの浪費、二つの問題点を指摘しました。今回の大震災は、日本の政治のゆがみへの冷厳な点検ともなっています。この国民的な試練に直面して、それに正面から取り組む構えを確立てきないとしたら、日本の政治として失格であります。私は、財界。大企業優先、安保条約優先という政治のゆがみを正し、国民に責任を負える政治の体制を確立するために全力を挙げる決意を、日本共産党を代表して表明するものであります。(拍手)
 最後に、戦後五十年に関連して質問します。
 日本が第二次世界大戦を引き起こした三つの侵略国家の一つでありながら、その戦争が侵略戦争であったかどうかについて、政府としての明確な認識も反省もない状態が続いていることは、国際的にも、また日本自身の多くの戦争犠牲者に対しても、恥ずべきことであります。首相は、昨年来、侵略的行為を認めているのだからそれでよいといった調子の答弁を繰り返してきましたが、問題は、戦争の性格、その認識と反省にかかわる問題であります。
 具体的に伺いたい。
 第三九三一年のいわゆる満州事変から一九四五年の戦争終結まで、日本は中国に対して十五年にわたる戦争を行い、犠牲者一千三百万人にも上る被害を中国人民に与えました。首相は、この戦争が中国への侵略、領土と勢力圏の拡大を目的とした戦争であったことを認めますか。
 第二。日本は一九四一年十二月に対米英戦争を開始しました。この戦争の目的が、中国に対する侵略の継続とともに、広大な南方諸国への侵略の拡大にあったことは、開戦に至る天皇制政府と軍部の記録からも明らかなことであります。首相は、この戦争が中国と南方諸国に対する侵略を目的としていたことを認めますか。
 もしこの二つを認めるのなら、「侵略的行為」などのあいまいな言葉で言い逃れるのでなく、侵略戦争であったことをきっぱり認めて、それにふさわしい反省の立場を示すべきであります。
 日本共産党は、満州事変の開始の最初のときからあらゆる迫害と犠牲に抗し侵略戦争に反対してきた政党として、今日の日本の憲法の根幹に侵略戦争への反省が刻まれていることを何よりも重く受けとめるものです。日本の政府が戦後五十年を迎えてなおこの認識と反省を回避するというのならば、それは日本が国際政治で行動する最低限の前提を失わせるものとなります。
 このことを厳しく指摘して、質問を終わるものであります。(拍手)
    〔内閣総理大臣村山富市君登壇〕
○内閣総理大臣(村山富市君) 不破議員の質問にお答えを申し上げたいと思います。
 今回の被災者救援対策として、住宅、食料、医療、ライフライン再建などの救援と復旧についての御質問でございますが、住宅につきましては、応急仮設住宅約一万三千八百戸の建設、公営。公団住宅等約一万六千八百戸の受け入れ等を行うべく現在着手してい保るところでございます。
 食料につきましては、政府米約五千トン等による炊き出しを初め、各地からの救援物資を被災者の皆さんに届けております。
 医療につきましては、避難所救護センター十七カ所を設置したところでございますが、今後設置数をふやしていくことなど医療体制の充実を図ることといたしております。
 また、ライフライン再建につきましては、電気については仮設備による復旧を終えたところでございますが、ガス、水道、電話等につきましても順次復旧を図っているところでございます。
 今回の地震に対し、必要な備えが十分でなかったのではないかとの御質問でありますが、我が国は地震多発国であり、地震対策は特に緊急な課題として、これまでも都市防災化の推進や防災体制の強化などの対策を講じてきたところでございます。残念ながら、今回の地震におきましては、五千人以上の方が亡くなられるなど甚大な被害が生じましたが、この事態を重く受けとめ、被災者の方々に対する支援に万全を期すとともに、今後の地震に対する備えを拡充強化していくことこそが、政府に課せられた責任であると考えているところでございます。
 次に、震災対策について総点検を行い、必要な施策を実施すべきではないかとの御質問でございますが、我が国は、これまでも、地震による被害の防止、軽減を図るため、都市防災化の推進や防災体制の強化等の対策を講じてきたところでございます。しかしながら、今回の地震においては、多数の建築物の倒壊・炎上、道路、鉄道の被害など、甚大な被害が発生しております。このような事態を童く受けとめ、これらの被害について詳細な調査分析を早急に行うとともに、その結果を踏まえまして、構造物の安全対策や地盤の液状化対策などについては必要な措置を講じてまいりたいと考えているとこみでございます。
 次に、消防力の整備についてのお尋ねでありますが、消防防災施設等の整備に要する経費は、住民の生命、身体及び財産を守るため極めて重要なものであると考えております。このため、政府といたしましても、消防財源の確保には特に意を払い、ここ数年、消防防災施設等整備費補助金の予算は一般歳出を上回る伸びを確保しているところでございます。今回の震災の教訓にもかんがみ、今後とも消防関係予算の充実に努めてまいりたいと考えております。
 次に、地震観測・予知体制の充実についてのお尋ねがございましたが、地震災害の防止、軽減を図る上で、地震観測・予知体制の充実は極めて重要な課題の一つでございます。このため、従来から予知体制のとられている東海地震にとどまらず、今回の経験にもかんがみ、関係省庁と密接な連携のもと、観測・監視体制の充実についてさらに検討を進めてまいる所存でございます。
 次に、震災対策が十分な裏づけを持って進められるよう予算編成方針の根本的な転換を図る必要があるとの御指摘でございますが、我が国は地理的に環太平洋地震帯に位置し、地震災害の被害を受けやすく、政府は、こうした地震災害を含む各種の災害に適切に対処するため、防災基本計画に基づき、防災に関する科学技術の研究の推進、災害予防の強化、国土保全の推進、災害応急対策及び災害復旧の迅速適切化に重点を置いて対策を推し進めてまいっております。今後とも、関係省庁問の連絡を緊密に図りながら、適切な予算編成に努力してまいる所存でございます。
 次に、震災対策を国政の最優先の課題の一つとして取り組むべきではないかとの御質問でございますが、地震多発国である我が国は、過去多くの地震災害を経験しており、これまでも、震災対策は特に緊急な課題であるという認識のもと、都市防災化の推進や防災体制の強化などの対策を講じてきたところでございます。今回の地震により、建築物の倒壊や火災の発生、道路や鉄道の被害などが発生し、五千人以上の方が亡くなられるなど甚大な被害が発生いたしましたが、これらの災害について詳細な調査分析を早急に行うとともに、その結果を踏まえ、地震対策の拡充強化を図ってまいらなければならないと深刻に受けとめて考えているところでございます。
 次に、行政改革の基本的考え方についてのお尋ねでありますが、行政改革を進めるに当たりましては、スリムな政府を実現していくこと、時代の変化に適応した、総合性のある、国民から信頼される行政のシステムをつくり上げることが基本的に重要と考えております。この観点から、規制緩和、地方分権、特殊法人など各般の改革課題について積極的に取り組んでいるところでございます。また、財政面でも、あらゆる経費について制度の根本にまでさかのぼった見直しや施策の優先順位の厳しい選択を行うなど、徹底した歳出の洗い直しに取り組んでまいる所存でございます。
 次に、公共事業予算のあり方についてのお尋ねでございますが、毎年度の公共事業予算の編成に当たりましては、その時々の社会経済情勢や財政事情等を勘案しつつ、我が国の社会資本の整備を着実に進めるための所要の経費を適切に計上しており、また、近時におきましては、生活者重視等の視点に立って、国民生活の質の向上に資する分野に重点配分を打っておるところでございます。
 また、被災地の復旧についてのお尋ねでございますが、今回の地震による災害復旧等に関しましては、必要な財政措置を適時適切に講ずることといたしておりまして、政府として最善を尽くしてまいる所存でございます。
 なお、御指摘の都市の防災面への配慮につきましては、これまでもその重要性を十分認識して所要の予算措置を講じてきたところでありますが、今後とも適切に対処してまいりたいと考えております。
 次に、公共事業単価についてのお尋ねでありますが、公共工事の積算に当たりましては、会計法令の規定に基づきまして、取引の実例価格を適正に反映し、発注者が厳正に予定価格を設定しているところでございます。昨年十二月、建設省は公共工事の建設費の縮減に関する行動計画を策定したところであり、これに基づきまして、輸入資材の活用、技術開発を推進するなど、今後とも建設費の一層の低減に努め、公共事業を適正に執行してまいる所存でございます。
 次に、企業献金の再開に関連した御質問がございましたが、企業・団体献金は重要な問題であると認識しており、いわゆるゼネコン汚職が国民の大きな政治不信を招いたことを十分記憶にとどめておかなければならないと思います。また、政治活動を政党中心のものに改めることに伴い、政党の財政基盤の確立強化が不可欠となることから、政党に対する公費助成制度も設けられたわけでありますので、この問題は、政治改革の趣旨を体して適切に対処をしていくべきものであると考えているところでございます。
 次に、安保条約の任務と米軍基地の撤去についてお尋ねがございましたが、ソ連邦の解体により東西冷戦は名実ともに終結をし、地球的規模の戦争の可能性は大幅に減少したことに加え、核大国間の軍縮への努力が進展し、国際協調に基づく新しい世界の構築が模索されていると考えております。他方、このような新しい情勢のもとで、国際社会は依然として不安定要因を内包しており、我が国の安全を確保するとともに、日本と米国が協調して、アジア・太平洋地域の安定、ひいてはこの地域の平和と繁栄を促進していく上で、日米安保体制は引き続き重要な役割を果たしていくものと認識をいたしております。
 日米安保条約の目的に必要な施設、区域を米軍に提供することは日本政府にとっての条約上の義務であり、その撤去ということは考えておりませんが、政府としては、安保条約の目的達成と地域住民の要望との調和を図るべく、引き続き努力していきたいと考えております。なお、沖縄の問題につきましては、先日の私の訪米に際し、クリントン大統領とも話し合ったところでございます。
 次に、米軍の駐留経費負担についてのお尋ねでありますが、我が国としては、日米安保体制の効果的運用を確保していくとの観点から、これまで自主的にできる限りの努力を払ってきたところでございます。このような在日米軍駐留経費負担は、米軍の我が国におけるプレゼンスを支える大きな柱であって、米国もこれを高く評価しているところであり、現在の良好な日米関係の維持にとり重要な要素となっております。駐留経費負担につきましては、今後とも日米安保体制の円滑かつ効果的な運用を図るとの観点から、自主的判断に基づき適切に対応していきたいと考えており、その打ち切りといったことは考えておりません。
 次に、日米共同訓練についてのお導ねでありますが、自衛隊は米軍との間において、戦術技量の向上のための訓練や、あくまでも専守防衛の趣旨にのっとり、我が国防衛を目的とした共同対処のための訓練をそれぞれ指揮系統に従って実施しているところでございます。したがって、海外での日米共同作戦を予定したものではございません。
 次に、軍縮と日米共同訓練の中止についてのお尋ねでございますが、我が国の防衛力は独立国として必要最小限の基盤的防衛力として整備してきたものでございます。他方、我が国としては、周辺諸国との信頼関係の構築を進めつつ、今後の我が国の防衛力のあり方について検討を行っておりますが、これについては、冷戦後の国際情勢の変化、国際社会における軍備管理・軍縮に向けての努力、将来における我が国の人的資源の制約の増大、科学技術の進歩、一段と深刻さを増している財政事情等を踏まえながら、今後とも慎重に検討することが必要であると考えているところでございます。
 また、自衛隊が米軍と共同訓練を行うことは、戦術技量の向上を図る上で有益であるとともに、我が国防衛のための日米共同対処行動を円滑に行うために必要であると考えております。
 次に、中国に対する戦争及び対米英戦争が侵略戦争であったことをきっばりと認めて、それにふさわしい反省の立場を示すべきであるとの御指摘でありますが、「侵略戦争」という用語の意味についてはいろいろ御議論があるところでございます。
 いずれにせよ、私は、我が国が過去の一時期に行った行為が国民に多くの犠牲をもたらしたばかりではなく、我が国の侵略行為や植民地支配などがアジア近隣諸国等の多くの人々に耐えがたい苦しみと悲しみをもたらしたことに対し深い反省の気持ちに立って、不戦の決意のもと、世界平和の創造に向かって力を尽くしていくとの我が国の決意を新たにしたいと考えているところでございます。
 残余の質問につきましては、関係大臣から答弁をさせます。(拍手)
    〔国務大臣河野洋平君登壇〕
○国務大臣(河野洋平君) 企業献金につきましては、昨年、総理より、ただいま御発言がございましたような趣旨の御注意がございました。私は、自由民主党といたしまして、国民の政治に対する不信を招かぬよう十分注意をし、法の定め4限度、ルールを誠実に守り、透明性を確保してまいりたいと考えております。(拍手)
○議長(土井たか子君) これにて国務大臣の演説に対する質疑は終了いたしました。
     ――――◇―――――
 議員請暇の件
○議長(土井たか子君) 議員請暇の件につきお諮りいたします。
 熊谷弘さんから、海外旅行のため、一月二十九日から二月五日まで八日間、請暇の申し出があります。これを許可するに御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(土井たか子君) 御異議なしと認めます。よって、許可することに決まりました。
     ――――◇―――――
 航空事故調査委員会委員長及び同委員任命に
  つき同意を求めるの件
 労働保険審査会委員任命につき同意を求める
  の件
○議長(土井たか子君) お諮りいたします。
 内閣から、
 航空事故調査委員会委員長に竹内和之さんを、
 同委員に相原康彦さん、川井力さん、小林哲一さん及び東口實さんを、
 労働保険審査会委員に林部弘さん及び山口泰夫さんを、任命したいので、それぞれ本院の同意を得たいとの申し出があります。
 まず、航空事故調査委員会委員長及び同委員の任命について、申し出のとおり同意を与えるに賛成の皆さんの起立を求めます。
    〔賛成者起立〕
○議長(土井たか子君) 起立多数。よって、同意を与えることに決まりました。
 次に、労働保険審査会委員の任命について、申し出のとおり同意を与えるに御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(土井たか子君) 御異議なしと認めます。よって、同意を与えることに決まりました。
     ――――◇―――――
○議長(土井たか子君) 御報告することがあります。
 議員小宮山重四郎さんは、昨年十一月二十一日逝去されました。まことに哀悼痛惜の至りにたえません。
 小宮山重四郎さんに対する弔詞は、議長において昨年十二月二十二日既に贈呈いたしております。これを朗読いたします。
    〔総員起立〕
 衆議院は 多年憲政のために尽力し 特に院議
 をもってその功労を表彰され さきに法務委員
 長懲罰委員長の要職につき また国務大臣の重
 任にあたられた議員小宮山重四郎君の長逝を哀
 悼し つつしんで弔詞をささげます。
    ―――――――――――――
 故議員小宮山重四郎君に対する追悼演説
○議長(土井たか子君) この際、弔意を表するため、羽田孜さんから発言を求められております。これを許します。羽田孜さん。
    〔羽田孜君登壇〕
○羽田孜君 ただいま議長から御報告のありましたとおり、本院議員小宮山重四郎先生は、昨年十一月二十一日午後、東京医科大学病院におきまして急性心不全のため逝去されました。まことに痛恨のきわみであります。
 小宮山先生急逝のニュースは、余りにも突然のことで、我が耳を疑いました。どうしても信ずることができませんでした。数日前、議員会館の玄関でお会いしたとき、いつものように右手を上げられ、「元気かい、一度ゆっくり話そう」とおおらかに語りかけてくださったぱかりだったのです。
 まして、奥様を初め御遺族の御心中を思うとき、また、木曜クラブ、経世会と長年兄貴のように慕ってきた方であっただけに、小宮山先生の突然の死は、生者必滅のことわりはわかってはいるものの、余りにも痛ましく、残念でなりません。
 ここに、私は、皆様の御同意を得て、議員一同を代表して、謹んで哀悼の言葉を申し述べさせていただきます。(拍手)
 小宮山先生は、昭和二年九月、東京都江東区深川東陽町で、父常吉さん、母ひでさんの四男としてお生まれになりました。先生は、根っからの下町っ子として、御両親の温かい御薫陶を一身に受けて、多感な少年時代を過ごされたのであります。名門深川小学校、府立第十七中学校、現在の日本橋高校へと進まれました。
 先生は、その後、早稲田大学政治経済学部に進むとともに日本大学法文学部でも学ばれましたが、昭和二十六年には両大学を同時に卒業されております。このことを、先生は「戦後の混乱期だったから、かけ持ちで卒業ができたのでしょう。当時、国民は敗戦に打ちひしかれる一方で、国の再建や平和な日本を目指す思いも強く、青年の知識欲が非常に高揚した時代です。試験に追われはしたが、高い志を持つ身として学ぶことは楽しみであり、苦痛ではなかった」と、さらりと述懐されておったのであります。学生時代からの友人の方々は異口同音に「小宮山君は実によく勉強した。話をしていると何かきらりと光るものがあった」と、その熱心な勉学ぶりと才能をこぞって称賛されておられます。
 しかも先生は、さらに、米国ニューヨーク州アルフレッド大学、ケンタッキー州ボーリンググリーン商科大学に留学され、アメリカにおける政治経済のメカニズムとその活力の源である経営学に造詣を深めるなど、一時期は学者を目指す思いを持たれたほどの学究の徒であったと言えます。
 思うに、先生の高い識見と淡々として筋を通された行動は、この学生時代を通してしっかりと培われ、根を張り広めていったことをうかがわせます。
 先生は、米国から帰国された後、昭和三十年読売新聞社に入社し、英字紙「ザ・ヨミウリ」の記者として、アメリカで習得した語学力と学生時代培った識見を遺憾なく発揮され、大変な活躍であったことを、同時代、先生とともに活躍された著名なジャーナリストや識者の皆さんが語っておられます。
 戦後の第一回参議院選挙に山梨県から当選された父君のすぐれた資質を受け継がれた先生は、やがて政治家として出発する決意を固められたのであります。天与と努力による文才と博識を高く評価され大いに健筆を振るっておられた先生は、多くの国境を越えた仲間たちからも惜しまれながら読売新聞社を辞し、自由民主党総務会長を務める佐藤栄作先生の秘書となられました。
 高度成長を続ける我が国が向かうべき政治の本質を見抜かれていた先生は、佐藤先生からも高い評価を得て親しくその薫陶を受けられ、また、その話学力を買われて外国要人との重要会議には必ず同席して通訳を務められるなど、佐藤先生の信頼は絶大なものであったと伺っております。
 そして、一度は苦杯をなめたものの、その御苦労を生かされ、また、郷党の人々の熱心な支援に支えられ、昭和三十八年には見事トップ当選を果たし、本院に議席を得られたのであります。(拍手)
 先生は、師と仰ぐ佐藤先生に「これからの政治家は、若さと政治的見通し、学識、判断力が必要。予算も法律も理解できなければならない。君なら大丈夫だ」と、新しい政治活動に入る心得と励ましの言葉をいただいたのであります。「子供が立派な環境の中で成長できる社会」、「若者が未来への理想を培うことができる社会」、「老人が完備した保障制度のもとで余生を楽しめる社会」の実現が先生の当時の公約でありました。
 先生の院での活躍は、衆議院の議院運営委員会、商工、科学技術、内閣、法務、決算等各委員会を舞台に、委員、理事として、意欲・的に広範な分野で、卓越した識見とすぐれた行動力、愛され信頼されるお人柄で、縦横の活躍をされたのであります。
 昭和五十年一月、先生は、推されて法務委員長、さらに平成二年三月には懲罰委員長の要職に就任されました。委員会の円満な運営のため、与野党を問わず積極的に語りかけ、調整力を発揮しながら、時には毅然たる態度で臨まれ、よくその重責を果たされたのであります。先生の誠実にして公平無私な運営は、与野党委員のひとしく敬服、称賛するところでありました。
 また、政府にあっては、昭和四十五年一月に通商産業政務次官、四十七年七月には総理府総務副長官に就任され、時の大臣をよく補佐し、その力量を遺憾なく発揮されました。
 昭和五十一年十二月、若さと行動力とともに、高い見識をもとにした洞察カによるすぐれた政策マンであることを評価された先生は、福田内閣の郵政大臣に、昭和生まれ初の大臣として抜てきされました。先生の存在は「働こう内閣」の目玉でもありました。在任中には、郵便貯金の総額制限額を二百万円から四百五十万円に引き上げ、簡易生命保険の最高制限額を一千万円に引き上げる等、勤労者やお年寄りの生活の安定と向上を図るための法改正をなし遂げられました。
 また、郵便貯金で進学ローンを借り入れられる道を開かれたのであります。ところが、これに対しましては、市中銀行から、低利の郵貯ローンに対しまして猛烈な反対がなされました。しかし、先生は「大学の学費が軒並み値上げされ、金持ちの子弟しか進学できなくなる。才能のある貧しい青少年に道を開く」と、激しくその反対を退けられました。この公正にして毅然たる先生の姿勢に、時の世論はこぞって拍手を惜しまなかったのであります。さらに、自動車電話、光ファイバー、オンライン化、自動支払い機の導入等、諸施策も積極的に実現されました。
 私は、先生が就任される以前に郵政政務次官を務めた関係もあり、就任後は逓信委員会や党の関係部会を大臣の分身として走り回ったもので、先生との友情はこのときに始まったことを、当時の画期的とも言える業績とともに懐かしく思い起こします。
 先生は、若いみずからに与えられた重責に燃え、時の課題に敢然と挑戦され、その献身的とも言える努力によって大きな成果を上げられました。この事実はいつまでも語り続けられることでありましょう。
 自由民主党にあっては、出版局長、副幹事長、広報委員長、財務委員長、総務副会長等々の要職を務められました。党の重要政策の立案、決定、実行に大きな役割を担い、先生の発言は常に重きをなしていたのであります。その御活躍ぶりは枚挙にいとまがなく、目的達成のために「とにかく汗を流して動き回るのだ」という先生の堅固な政治信条と信念を秘めてのみなせるわざであったと保言えましょう。
 とりわけ、広報委員長として党活動の事業化を推進し、党財政基盤の確立を図るため、出版物の有料化の促進に努め、党資料頒布会の設立に尽力され、また、党活動に文化・スポーツ活動を加え、若者を党に参加させたいとの思いから、党主催のスキー教室を開催したり、女性による下水道フォーラムや文化フォーラムを開催する等、新しい企画を打ち出し、党の組織強化と近代化に貢献され、その功績は今日なお燦然て輝いているのであります。
 先生はまた、科学技術議員連盟会長、日米科学技術議員連盟の日本代表として、科学技術の発展拡充をライフワークとして取り組んでおられました。科学技術に関する造詣の深さと見識の高さは、衆目の一致するところでありました。
 先生はさらに、日本大学、東洋大学の講師を務める等、実践に立脚した教育論をお持ちになられ、教育、科学、経済分野にも精通するとともに、農業や地域開発分野にも旺盛な研究と活動を展開されました。また、「日本産業の未来像」、「昭和六十年のあなた」、「下水道読本」等々、数多くの著書を世に問うているのであります。
 かくして、先生は、本院議員に連続して当選すること十一回、在職三十一年の長きに及び、まさに全力疾走で政治活動に尽瘁され、国政に残されたその功績はまことに偉大なものがあります。(拍手)
 この間、昭和六十三年八月には、永年在職議員として、本院より晴れの表彰を受けられました。先生はその際、あいさつの中で、「かつて訪米した際、ケネディ大統領から「日本の国づくりは若い力が必要だ。勇気を持って行動してください」と激励を受け、その感激を持って国づくりに参画し、祖国と郷土をもっともっとすばらしいものにしたいと若い血をたぎらせた。その思いが私をして国政壇上へと駆り立て、この二十五年間、政治家としてただ一途、地元のため地味な仕事に励んできたことをみずからの誇りとしている。今、二十一世紀を展望し、物の豊かな時代から心の豊かさを求める時代が志向されており、政治に豊かな感性と賢い洞察と、何よりも明確な哲学がなくてはならないとかたく信じ、みずからの哲学と良心に照らして誠心誠意、全力投球していきたい」と述べられたのであります。
 思うに、先生は、鋭い洞察力を持たれ、信ずるところをその行動力と勇気で事に当たり、毀誉褒貶を顧みず、一度決するや鋼のごとき強い意思を持って貫き通した剛直な政治家でもありました。
 さらに、先生は、埼玉県の大先輩福永健司先生の後を継がれ、列国議会議員同盟会議に日本議員団の団長として十五回にわたって参加し、同盟会議の進展と各国議会議員の交流を図ることによって我が国への理解を世界に深めるため心血を注がれたのであります。一九九一年十月には、加盟国十二名から成る執行委員にアジア・太平洋地区から選出されましたことは、先生の日ごろの私のない活動が各国の議員から評価されたことであり、国にとっても名誉なことであったと信じます。
 昨年六月には、持続可能な地域開発のための科学技術に関するIPUアジア・太平洋会議の東京開催実現のため、IPU執行委員会等の機会を通じ、関係各国に働きかけ、これをついに実現されたのであります。先生は、みずから実質的な議長として会議を運営し、東京宣言を採択する等、会議を成功に導き、IPU日本議員団の地位付上に多大の貢献をされました。参加者は先生の手腕と力量に最大級の賛辞を送ったもので、列国議会同盟会議における先生の功績は、その歴史の上に凛として光彩を放つことでありましょう。(拍手)
 先生に特に要請され、総理としてパーティーに出席、先生を中心に各国代表たちと写真におさまった日、成功をたたえる各国代表に、満足げな喜びを満面にほころばせ、こたえておられたお顔が昨日のことのようにまぶたに浮かんでまいります。大切な人を失った、その実感を改めて覚えるものであります。
 休むことのない日々であったことでありましょう。しかし、一方、先生は家庭生活を努めて大事にされました。大の愛妻家であり、日ごろ、夫人を「のんちゃん」と呼ばれたように、家族思いに満ちあふれ、理想的な夫であり、父親であったのであります。「福寿」の言葉を愛し、求められるとよく揮毫されておられました。
 亡くなられた当日、先生は、いつもどおり議員会館の事務所で、政策秘書の御子息とともに二月に米国の議員を招いて開催する予定だった老人の人権問題セミナーについての打ち合わせ中、不調を訴えられ、病院に運ばれたのでありますが、容体が急変し、御家族、医師団の必死の加療と看護にもかかわらず、忽然として帰らぬ人となりました。長年にわたって厳しい政治生活を内にあって支えてこられた奥様を初め御遺族の胸中を思うとき、お慰め申し上げる言葉もありません。
 くしくも、その日、国会では区割り法等政治改保革関連三法が可決成立した日でもありました。先生も、新しい制度・選挙区のもとでの選挙戦と、今後の活躍に新たな決意を秘め、思いをはせていたことでありましょう。
 私たちは、小さな体幅ながらまじめにエネルギッシュに行動する先生のお姿を、この議場に今や見ることができなくなりました。この国の行く末、対応する政治のあり方、そして人間の生き方などを親しくお話しすることもできなくなりました。そして、「そのうちゆっくり話そう」、このお言葉の実現ももはやなくなりました。しかし、先生の残された数限りない御業績は、本院や郷里の皆さんの中にいつまでも先生のお人柄とともに語り継がれることでありましょう。私は今、真の兄を失ったような、ただただ深い寂蓼の感に打たれるのであります。
 今や、我が国の内外の情勢は激しい流動を続け、転換のとき、岐路に直面いたしております。我々は、苦しくともつらくとも勇気を持って正しい道を歩んでいかなければなりません。
 このときに当たり、真正面から事態を見詰め、ひたすら無私に行動される政党政治家小宮山重四郎先生を失いましたことは、自由民主党はもとより本院にとっても国家国民にとりましても大きな損失であり、惜しみてもなお余りあるものがあります。
 ここに、小宮山重四郎先生の偉大な功績をたたえ、その人となりをしのび、心から先生の安らかな眠りをお祈りいたしまして、追悼の言葉といたします。(拍手)
     ――――◇―――――
○議長(土井たか子君) 本日は、これにて散会いたします。
    午後三時三十六分散会
     ――――◇―――――