第164回国会 教育基本法に関する特別委員会 第6号
平成十八年五月三十一日(水曜日)
    午前九時開議
 出席委員
   委員長 森山 眞弓君
   理事 岩永 峯一君 理事 小渕 優子君
   理事 河村 建夫君 理事 田中 和徳君
   理事 町村 信孝君 理事 大畠 章宏君
   理事 牧  義夫君 理事 池坊 保子君
      阿部 俊子君    赤池 誠章君
      秋葉 賢也君    井上 信治君
      井脇ノブ子君    石原 宏高君
      稲田 朋美君    岩屋  毅君
      臼井日出男君    遠藤 宣彦君
      小此木八郎君    小里 泰弘君
      大塚 高司君    大前 繁雄君
      海部 俊樹君    木原  稔君
      北川 知克君    北村 誠吾君
      小島 敏男君    小杉  隆君
      木挽  司君    坂井  学君
      清水鴻一郎君    島村 宜伸君
      下村 博文君    薗浦健太郎君
      土屋 正忠君   戸井田とおる君
      中山 成彬君    永岡 桂子君
      西銘恒三郎君    鳩山 邦夫君
      広津 素子君    松浪健四郎君
      松浪 健太君    松野 博一君
      松本 洋平君  やまぎわ大志郎君
      山本ともひろ君    若宮 健嗣君
      奥村 展三君    黄川田 徹君
      小宮山泰子君    篠原  孝君
      末松 義規君    寺田  学君
      中井  洽君    西村智奈美君
      羽田  孜君    藤村  修君
      松本 大輔君    山口  壯君
      横光 克彦君    笠  浩史君
      鷲尾英一郎君    太田 昭宏君
      斉藤 鉄夫君    石井 郁子君
      保坂 展人君    糸川 正晃君
      保利 耕輔君
    …………………………………
   議員           笠  浩史君
   議員           藤村  修君
   議員           武正 公一君
   議員           高井 美穂君
   議員           達増 拓也君
   文部科学大臣       小坂 憲次君
   国務大臣
   (内閣官房長官)     安倍 晋三君
   国務大臣
   (少子化・男女共同参画担当)           猪口 邦子君
   外務副大臣        塩崎 恭久君
   文部科学副大臣      馳   浩君
   内閣府大臣政務官     後藤田正純君
   文部科学大臣政務官    吉野 正芳君
   政府参考人
   (文部科学省生涯学習政策局長)          田中壮一郎君
   政府参考人
   (文部科学省初等中等教育局長)          銭谷 眞美君
   政府参考人
   (文部科学省高等教育局長)            石川  明君
   政府参考人
   (文部科学省高等教育局私学部長)         金森 越哉君
   政府参考人
   (文部科学省スポーツ・青少年局長)        素川 富司君
   衆議院調査局教育基本法に関する特別調査室長    清野 裕三君
    ―――――――――――――
委員の異動
五月三十一日
 辞任         補欠選任
  稲田 朋美君     松本 洋平君
  臼井日出男君     薗浦健太郎君
  遠藤 利明君     石原 宏高君
  小此木八郎君     清水鴻一郎君
  海部 俊樹君     井脇ノブ子君
  島村 宜伸君     松浪 健太君
  西銘恒三郎君     阿部 俊子君
  松野 博一君     秋葉 賢也君
  森  喜朗君     大塚 高司君
  やまぎわ大志郎君   井上 信治君
  中井  洽君     小宮山泰子君
  西村智奈美君     寺田  学君
  羽田  孜君     篠原  孝君
  松本 大輔君     鷲尾英一郎君
  山口  壯君     末松 義規君
同日
 辞任         補欠選任
  阿部 俊子君     土屋 正忠君
  秋葉 賢也君     松野 博一君
  井上 信治君     広津 素子君
  井脇ノブ子君     海部 俊樹君
  石原 宏高君     小里 泰弘君
  大塚 高司君     木原  稔君
  清水鴻一郎君     遠藤 宣彦君
  薗浦健太郎君     北川 知克君
  松浪 健太君     山本ともひろ君
  松本 洋平君     赤池 誠章君
  小宮山泰子君     黄川田 徹君
  篠原  孝君     羽田  孜君
  末松 義規君     山口  壯君
  寺田  学君     西村智奈美君
  鷲尾英一郎君     松本 大輔君
同日
 辞任         補欠選任
  赤池 誠章君     永岡 桂子君
  遠藤 宣彦君     小此木八郎君
  小里 泰弘君     坂井  学君
  木原  稔君     森  喜朗君
  北川 知克君     臼井日出男君
  土屋 正忠君     西銘恒三郎君
  広津 素子君     やまぎわ大志郎君
  山本ともひろ君    木挽  司君
  黄川田 徹君     中井  洽君
同日
 辞任         補欠選任
  木挽  司君     島村 宜伸君
  坂井  学君     遠藤 利明君
  永岡 桂子君     稲田 朋美君
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 政府参考人出頭要求に関する件
 教育基本法案(内閣提出第八九号)
 日本国教育基本法案(鳩山由紀夫君外六名提出、衆法第二八号)
     ――――◇―――――
○森山委員長 これより会議を開きます。
 内閣提出、教育基本法案及び鳩山由紀夫君外六名提出、日本国教育基本法案を一括して議題といたします。
 この際、お諮りいたします。
 両案審査のため、本日、政府参考人として文部科学省生涯学習政策局長田中壮一郎君、初等中等教育局長銭谷眞美君、高等教育局長石川明君、高等教育局私学部長金森越哉君、スポーツ・青少年局長素川富司君の出席を求め、説明を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○森山委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。
    ―――――――――――――
○森山委員長 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。末松義規君。
○末松委員 民主党の末松義規でございます。きょうは、この特別委員会、出席させていただいて質問させていただくありがたさを身にかみしめながら質問させていただきます。
 私の方、きょうは宗教教育についてメーンにやってまいります。また、時間が余れば、ほかの点についてもお話をさせていただきたいと思います。
 実は、宗教教育というのは、私も苦い体験がございまして、外交官になりたてのころ、私も、研修でアラビア語という言葉を命令されたものですから、そこで、アラブの地に行って研修をしていたわけでございます。そのときに、新米の外交官として各国の外交官ともおつき合いをしたときに、ミスター末松、日本の神道が仏教と極めて融合しているという話を聞いたけれどもどういうふうに融合しているんだという質問を受けまして、私自身が全く答えられずに本当に恥をかいた、苦い思い出を持っております。
 それから、私、外交官として、アラビストと言われるんですか、あの地域で活動するには、やはりイスラム教とユダヤ教とそれからキリスト教、これを勉強していかないと話にならないということで、それについて多大な勉強をさせていただき、そして日本に帰ってきて、仏教、神社神道、儒教というところまで自分なりに研究をしてきたわけでございます。
 そういった中で、今回の宗教教育について、私自身、本当に大きな思いを持ってこの議論にも参加させていただいたわけでございますけれども、教育だけでできるかというと、ちょっとそこは難しいのかもしれません。ただ、人生というプログラムそのものが、私の解釈ですけれども、神から与えられた大きな教育プログラムだと思っていますから、そのプログラムの中で私たちは生かされている。人が人に対して教育できるのかというふうな大きなテーマがまた別途あるかと思いますが、そこら辺はちょっとおきます。
 最近の体験も披露させてください。この前、BSEの関係で、東京の芝浦の牛の屠場というんですか、処理施設に行って、牛が殺されて食肉になる過程をつぶさに見てまいりました。そのときに、私なんか、肉というのは、牛肉なんかは、スーパーのあるいはお店の、こういった四角く切った食べやすい肉という感じをイメージ的に持っていたんですけれども、牛が次々と殺されていきながら、そして皮をはがされ食肉となっていく。この過程を見ると、やはり牛に対して本当に悪いという気持ちですね。私たちが生きていくには、やはり何かの生命を殺していかないと私たちは生きていけない。そういうときに、思わず手を合わせて、ありがとうございます、そういう感じがわいてきたわけでございます。それがある意味では私たちの宗教的な感性というものにもつながっていくんじゃないかと思っております。
 ですから、私どもが、いつも食べる前に、いただきますと日本では言いますけれども、あれは、命をいただきますということで手を合わせてやるんだというお話、前々から聞いていたんですけれども、そこは本当の意味で実感できた。そういうふうな、宗教的というだけではなくて、情操ですね、非常に情操がはぐくまれるような教育、これが本当に必要なんだということを痛感しているわけでございます。
 それでは、政府案の方について話をさせていただきます。
 政府案の方は、宗教教育ということで、従来の現行法に加えて一般的な教養という点をつけ加えております。これは、なぜそういった一般的な教養という文言が入ったのかということを聞くわけなんですけれども、その前に、現状を見て、どういう問題点、あるいは今のままではいけないという話があったのか。
 特に、文部大臣におかれては、この教育基本法の改正を急ぐ理由として、私ども民主党は、憲法を改正してから教育基本法を改正すべきだという立場でございます。なぜ教育基本法がまず改正されなきゃいけないんだ。憲法というものをしっかりと改正した後で、その憲法の精神を踏まえて、そういった社会をつくるための教育基本法であるべきだという、横光議員以下いろいろな方が私ども指摘したことに対して、大臣の方で、実は今、子供の事件とか、とんでもない社会になっている、そういったことで急ぐ必要があるんだというお話もしておられました。
 そういうことを踏まえて、現状どういう問題点あるいは危機感を持っているからこういう文言を入れたのか、その現状認識についてお伺いします。
○小坂国務大臣 今、末松委員が、御自身の体験の中から、宗教、それも三大宗教を初めとする宗教に対して、非常に研究をされ、また知識もお持ちだということがわかりましたし、拝見しますと、末松委員のプロフィールの中には趣味として神社めぐりというのも書いてあって、非常にふだんから宗教とは密接なかかわりを持ちながら物事を見ていらっしゃるということがわかりました。
 今日、教育基本法を改正する必要がなぜあるのかというお話でございますが、現行の教育基本法の果たした役割というものを否定するわけではございません。まずもって、戦後、日本が復興を果たし、そして経済的な繁栄をし、今日の世界的な、経済的にも、技術的にも、また国際関係においても重要な地位を占めるに至った。この背景には、現行教育法が大きく貢献をしていることは否めないことでございます。
 しかし、我が国の国民の教育水準を向上させてきた現行の教育基本法も、今日の社会情勢の中で、委員も以前の質疑を参考に引かれましたけれども、今日、国民の皆さんの多くが、親子の関係というものの中で、親が子供を殺したり、あるいは子供が親をあやめたり、いろいろな事象が出てきている。また同時に、道徳心やいわゆる公共に奉仕する心、あるいは学校の教育の面においては、不登校やいじめや学級崩壊といったような状況まで見られるようになってきた。
 こういったいろいろな毎日の報道や事件を目にするにつけ、通学路の安全の問題や何かが、こういうものを見ていて、多くの皆さんが、日本はどうも昔のような、日本の美しい、精神的な背景といいますか、日本人固有の情操面での心の豊かさとか、そういったものが少しずつなくなってきているのではないだろうか、それはどこに起因するんだろうか、やはりこれを立て直していくには教育の改革が必要ではないか。そのための一番の大もとになる教育基本法も、六十年、まあ五十九年、正確に言えばそうかもしれませんが、六十年改正をされないできた。
 今日的なこういった課題を踏まえて、それの新たな解決策の一番根底になるものとして、教育のすべての法体系の基本をなす教育基本法の改正が今必要ではないかということが国民会議でも検討され、そして中教審でも議論をされ、そして中教審からの答申もいただく中で、私どもも、今日、改正が必要だろう、このような認識のもとに、与党での御議論、そして中教審を初め国民的ないろいろな御意見を聞く中で、やはり改正をすべきだと。これは民主党さんの方も同じようなお考えで改正案を提出されているわけですから、この辺の御認識は一脈通ずるものがあるんだと思いますが、そういうような観点から改正に至るわけでございます。
 また同時に、御質問いただいている課題の面に触れれば、宗教教育については、憲法二十条の規定をしっかりと踏まえる中で、教育における宗教の問題というのは非常にデリケートであるということから、取り扱いが難しいという認識のもとに、ある意味では慎重になり過ぎた面もあったのではないか。そういうことが、いわゆる宗教的情操と言われる面において、日本人の精神的な背景の部分に若干陰りが、陰りというと言葉が違うのかもしれませんが、若干取り違えられる可能性もありますが、ある意味の陰りのようなものが出てきたのではないか。こういう認識から、そういった面も踏まえて今回の十五条の宗教教育に関する規定も盛り込まれたところというふうに理解を、理解というか、そういうことから改正の提案をさせていただいているところでございます。
○末松委員 なぜ日本人の精神的な部分に陰りが出てきたのか、文部大臣のお話でございますけれども、私もそこは認識を共通にするものがございます。
 本当を言えば、子供のための教育基本法というよりも、大人のための教育基本法が必要なんだろうと思うわけですし、子供は親の鏡ですから、親の意識が子供に反映してそういった混乱の事象を招いているということを私は感じるわけであります。そういった意味で、今までの教育基本法は本当によかったのか、これも確かに一つの大きなポイントでありましょう。
 そういったときに、中教審から答申が出された、これが、宗教に関する知識及び宗教の持つ意義、これに対してしっかりとした法的な意味を与えるべきであるという話がございました。これが、私もいろいろと審議を読んでみましたけれども、政府の方で一般的教養という形に何か包含されたような、どうももうちょっと、民主党の案に見られるような宗教的な感性とかそういったものをしっかりと書き込んでもよかったのかなというのが、これは自民党の議員さんからも質問に出ていましたけれども、ちょっと何かやや後退したような感じがするわけでございますが、その辺の経緯についてどういうふうに説明されますでしょうか。
○小坂国務大臣 宗教教育に関しては、決して、言い足りないといいますか、そういうような形ではなくて、今回の改正法案の第十五条にあります「宗教に関する寛容の態度、宗教に関する一般的な教養及び宗教の社会生活における地位は、教育上尊重されなければならない。」というのは、非常に適切な表現だと思うわけでございます。
 宗教は、人間としてどう生きるか、あるいは与えられた命をどう生きるかなど、個人の生き方にかかわるものであって、社会生活上、非常に重要な役割を持っているものでありますし、このような宗教の役割を客観的に学ぶことは教育上も大変重要な部分であるとも思っているわけでございます。
 特に、国際関係が緊密化、複雑化する中にあって、他国の文化、民族について学ぶ上で、その背景にある宗教に関する知識や理解を深めることが必要であることは、委員御自身が述べられているとおりでございます。
 このような観点を踏まえまして、中央教育審議会答申の中で、宗教に関する教育については、「宗教に関する寛容の態度や知識、宗教の持つ意義を尊重することが重要であり、その旨を適切に規定することが適当。」このように答申をされたところでございます。
 これを受けまして、新たに「宗教に関する一般的な教養」を規定し、主要宗教の歴史や特色、世界における宗教の分布など、宗教に関する知識などを教育上尊重すべきことを明確に規定したところであります。これが、言ってみれば経緯でございます。
○末松委員 民主党の方にお伺いしたいんですが、民主党はかなり具体的に宗教の項目について書いていますけれども、その趣旨を御説明いただけますか。
○笠議員 末松議員には、私ども、この民主党の法案取りまとめに際しても、宗教教育ということについては、かなり突っ込んだ御自身の見解、あるいは体験からくる御意見をいただいていたわけでございますが、まさに私どもは、政府案では、現行法に、今大臣からも御説明ありましたが、「宗教に関する一般的な教養」という文言だけが追加をされたものと理解をしております。これに対して、私どもの日本国教育基本法では、第十六条の中で、生の意義と死の意味を考察すること、あるいは宗教的な伝統、文化に関する知識の修得、宗教の意義の理解、さらには宗教的感性の涵養などを盛り込み、宗教教育を重視しているわけでございます。
 昨今のいろいろな、子供をめぐるような犯罪、信じられないような事件を心配される方、国民の多くの皆さんがそういう思いを持っておられる中で、生死の意味すら実感できていない子供たちがふえている。これは本当に大変なことで、だからこそ、宗教に関して、単に知識を身につけるだけでなくて、人間の力を超えたもの、あるいは自然、万物に対する畏敬の念というものも必要ですし、命というものの大切さを教えていくということも、当然のことだと思っております。
 先ほど末松委員の方からいただきますというような話がありましたけれども、まさに、ありがとうとかおかげさまでとか、あるいはもったいないといったような、他者への感謝や思いやり、そういったものが、言うまでもなく、人間形成の基礎となるわけでございますから、こうした精神が失われつつある今の時代だからこそ、宗教的な感性をはぐくんでいくことが大事であるという意識で、私どもは、今回、宗教的な教育を重視した次第でございます。
○末松委員 先ほど、笠議員が今言われたように、いただきますという中で、私、命をいただきますという話だし、おかげさまでというのは、おかげさまという陰なりの存在があって、私たちを見守っていただいて、そして私たちが人生のコースを歩んでいる、そういうふうな言葉は、かなり意識されずに我々は使ってきている。私は、そういう中で日本人の美しさなり日本人の宗教観、そういったものを見るわけでございます。
 先ほど文部大臣がちょっと私の質問に答えておられない部分があったんですが、実際に今行われている現在の教育ですね。大臣は、小学校とか中学校、あるいは高校、大学の教科書をごらんになったでしょうか。なったことと思いますけれども、私、今小学校でどういうふうに規定しているんだろう、宗教教育はどういうふうに行われているんだろうと見ると、きょうちょっと文科省の方からいただいた範囲内でコメントすれば、例えば、小学校の方は、大仏をつくることといって、そこで仏教という言葉が一言だけ出ていたり、あるいは、小学校六年ですけれども、キリスト教が伝来してきましたということがちょっとだけ触れていたり、そして、中学校では、仏教的な美術とか建築とか音楽とか、そういったことだけが書かれていて、実際に、一体宗教というのは何なんですかということを見てくると、高校で初めて宗教とはというのがこの教科書に出ていまして、「宗教とは、人間をこえた存在としての神や仏を信仰することであり、またそれをめぐる教えのことである。」というふうに書いて、それで、これがおもしろいんですけれども、「宗教は人間形成にとって大きな役割を果たしてきたが、そのもっとも大きなものは、人々に新しい生き方の喜びを教えた点にある。」これは踏み込んだコメントなんですよ。
 というのは、今まで日本では神社神道系、というか、神社というものを中心にやってきて、それなりの、人間と自然、人間と神との関係をずっととらえてきたわけなんですが、新しい生き方ということで例示されているのが、キリスト教というのと仏教というのが出てきていて、「たとえばキリスト教は神の愛にならって隣人愛に生きることを教え、仏教は煩悩を断ち切って心安らかに生きる道を教えた。」これはこれなりに私は一つの大きな解釈の仕方だと思うんですけれども、そこの中で、ではイスラム教は何なんだという記述はなくて、また、本来の神社神道、私たちは祭りとか何か全部やっていますけれども、あれは基本的には神社神道からの慣行になっているわけですけれども、そういったものが一切書かれていない。これが支援、特定の宗教、教育という話につながるのかどうか、これはまた後で議論をさせていただきます。
 ですから、こういったことを高校になって初めて宗教という形でとらえるのではなくて、小学校あるいは中学校のころから、宗教とは何なんだという問題意識を持たせるような記述もこれからは必要なんだろうと思うんですね。
 ですから、そういった意味でいけば、先ほど大臣がおっしゃいましたけれども、中教審の言葉そのものが、後退したような形ではなくて、実際はそれを踏まえての言葉なのである、一般的教養という言葉の中に入っているんだ、そういうふうに私には聞こえたんですけれども、それでよろしいですか。
○小坂国務大臣 一般的な教養の中に入っていると考えて結構だと思います。
 今委員がお引きになりましたように、先ほど説明すべきでしたかもしれませんが、現行の学校教育における宗教の取り扱いでございますけれども、小学校段階におきましては、今お話がありましたように、大仏の造営等の話もございますけれども、同時に、農耕が始まって、古墳について調べたり、大和朝廷について調べたり、そういう中から、神話、その伝承というものを調べる、あるいはキリスト教の伝来、織田、豊臣の天下統一について調べる、こういった形から、人物、代表的な文化遺産を通して学習をする中で、ある一部の宗教的な事実について学んでいくという程度でございますし、また、中学校におきましては、大和朝廷による統一を通して理解させ、その際に、当時の人々の信仰、大陸から移動してきた人々が我が国の社会に果たした役割等について気づかせる、あるいは、そういった中で仏教の影響あるいは神話、伝承等を学ぶということになっております。高校においては、先ほど委員が御指摘なさったとおりでございます。そういった形を通して一般的な教養というものを身につけていただく。
 また、後ほど質問をいただければ、またさらに踏み込んだ話になっていく、御説明申し上げたいと思います。
○末松委員 今おっしゃったのは、現行の教育基本法でのテキストなんですよ。
 それでは申し上げますが、一般的教養という文言が入った中で何がどう変わるんですか。どう変えていくのか、そこについて御説明ください。
○小坂国務大臣 今回の改正によって宗教に関する一般的な教養というもの等が盛り込まれたことによって、現在小中学校の社会科や高校の地理、歴史、公民において指導が行われているこの分野について、現行は歴史における宗教の役割や世界の宗教分布などが取り上げられているわけですが、今後は、改正の趣旨を踏まえまして学習指導要領の見直しを検討するという段階において、宗教に関する知識や宗教の意義などについての指導が各学校において一層適切に行われるような記述方式に変えていく、指導方式に変えていくということでございます。
 具体的に申し上げますと、例えば、中学校の社会科において世界の各地域における宗教の特色や宗教の社会生活における機能などについての記述を盛り込むなど、そういった方法が考えられるわけでございます。現在は、中学校においては、地理においての分布図程度しか取り扱っておりませんけれども、その中学校の社会科において世界の各地域における宗教の特色や宗教の社会生活における機能などについて記述を盛り込む、こういうことを考えているところでございます。
○末松委員 宗教の特色とか社会生活への機能を教えるということですが、これはもうちょっと議論した方がいいと思うんですね。じゃ、何を教えるのかという中に今度は入ってくると思うんですけれども。
 さっき、現在の教育状況あるいは社会的混乱の危機感から、日本の伝統、文化とかアイデンティティー、そういったものについてもしっかりと見直して、それを踏まえてやっていかなきゃいけない、日本人のアイデンティティーというものを再構築していかなきゃいけないというようなお話がございました。こういう場合に、例えば、祭りとかなんとかを説明したり、あるいは仏閣とか、あるいは神社とか説明したりする場合に、日本の神道ということもしっかりとそこは説明していかないと、結局、形だけ教えて、その本来の意味といいますか、そういったことを、日本の中で宗教関係者を含めて有識者を集めてしっかり議論して、そこで一体何なんだと。例えば、これは神社神道の話をしていますけれども、神道とは何なんだと、そういうことを教科書に盛っていく。あるいはキリスト教というのは一体何なんだろうと、そういうことを盛っていくという、私はそういったことが重要になってくると思っているんです。そう言うと、すぐに、じゃ、それは特定宗教じゃないかと言う。そこに大臣の言われるデリケートさがあるわけなんですけれども。ただ、特定の宗派、これは、どこまでが特定という話なのかということにつながってくるわけです。
 例えば、仏教だって、仏教という教団はありません。仏教の中の、例えば禅宗だ、あるいは浄土真宗だ、その中のまた本願寺派だ何だと、いろいろな派に総体として分かれていて、仏教という、これもお釈迦様の直接の言葉じゃなくて五百年後にナーガールジュナがまとめた話ですから、そういったお釈迦様の言葉を集めた、聖書という感じの中で、お釈迦様そのものの言葉と言い伝えられているものですから、いろいろな解釈があるわけですね。ですから、実際特定できるのかいなと。
 イスラム教もそうなんですよ。イスラム教だって、コーランという、あれは神の言葉という、アッラーが言った言葉はありますけれども。ただ、それがいろいろな派にまた分かれていて、ハンバリ派とか、あるいはマリキ派とかシャーフィー派とかいろいろな派に分かれて、慣行が違ってきている。キリスト教だってそうですよね。まさしくキャソリックと同時にプロテスタント、またいろいろな派が分かれている。
 宗教を教えるといった場合に、確かに、実際に特定の宗教を教えないとわからないという言葉はありますけれども、ただ、そんなに細かく細かく分かれた、この一つをとっていけば特定になるんですけれども、大もとの、大くくりになるような、そういった世界的な宗教というもの、その教義というものを教えることは私はできるんじゃないかと思うんです。教えるというか、紹介するということは少なくともできると思うんですが、そういったことは全く構想に入っていないんでしょうか。
○小坂国務大臣 構想に入っているかどうかということですが、宗教教育において、どの程度までというのが一番難しい部分でございます。宗教に関する教育につきましては、宗教に関する寛容の態度の育成、宗教に関する知識と宗教の持つ意義の理解、特定の宗教のための宗教教育などに分けてとらえることができる。そのうちの特定の宗教のための宗教教育その他の宗教的活動を行うことは、国公立の学校においては禁止されていると理解すべきだろう。
 今、その特定というのは一体どうやって特定するのかという委員の御指摘でございます。ここが非常に難しいわけですね。おっしゃるように、仏典をどのように理解するか、またその教義をどのようなものとするかということで宗派というのが分かれてきているわけであります。したがって、宗教の教義という部分に踏み込むと、これは特定の宗派というものに入った、宗教的活動にまで踏み込んでいく可能性が強くなってまいります。
 したがって、宗教の名称とか、それからその各宗派等についての、始めた始祖といいますか、そういった人物の名前等までは一般的な教養の範囲に入るかと思うわけでございますが、宗教の教義ということになりますと、特定の宗派の教義は、特定の宗教のための宗教的活動として、一般的な国公立の学校では慎重に取り扱われるべきものだろうと私どもは考えておるわけでございまして、そういう範囲内でとらえるべき、こう理解をいたしているところでございます。
○末松委員 確かにそこはデリケートな問題です。つまり、教義というものを知らなければ、その宗教は何なんだということがどうやってわかるんですか。まずはそこが大きな問題ですね。
 だけれども、さっき大臣が、国際的な理解も深めなきゃいけない、そのためには民族、宗教を勉強しないとわからないと言った。では、例えばアラブの諸国で、日本人がイスラム教を勉強しないでイスラムと仲よくなれるんですか。私はその身でいたからよくわかるんですけれども、その教義というものを全く教えなかったら一体何なんだと、そう思いませんか。そうじゃなくてどういう教え方があるんですか。
 では、イスラム教について、社会的な機能とか、あるいはイスラム教の行動の特色とか、そんなことだけ教えていて、教義そのものがわからない、教えちゃいけないという話になってくると、日本人がそこだけエアポケットで、要するに無知でばかという評価を下されちゃうんですよ。実は私が押されたんですから。何だ、この日本の外交官のミスター末松というのは全然しゃべれないじゃないか、何を無知なことを言っているんだ、こいつは、と言われたのは私なんですよ。
 キリスト教だってそうです。ただ、キリスト教の、例えばいろいろな派の、メソジスト系の何とかという派、この教義という話になると、そこは確かに特定の宗教でしょう。
 つまり、私は何が申し上げたいかというと、私が民主党案が非常にすっきりしていると思うのは、特定の宗教教育をするんじゃないと言うかわりに、この民主党の案が本来言いたいのは、特定の宗教の信仰を奨励したり、またはこれに反対するための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない。つまり、そういう布教とか伝道というものは避けなきゃいけないけれども、そうじゃなくて、きちんと宗教の知識を増すこと自体は、これは許されるべきだろうと思うんです。
 大臣が言われた、公立の学校においてはそういうことは慎重であるべきだと。確かに、実際小中高ではそうですよ。でも、大学はどうですか。国立大学で宗教の教義を教えているじゃないですか。国立の大学は、これは国ですけれども、これは憲法に規定されているという中で、この教えていることについて、では、これをどういうふうに説明をするんですか。
○小坂国務大臣 今委員の御説明によりますと、民主党案の、宗教的な感性を涵養するということは、すなわち、それぞれの宗教の教義的な部分、またそれぞれの宗教の内容といいますか、教えている内容についてまで踏み込んで教えなければ国際社会で十分に理解されない、また国際社会を理解できないんだ、そういう意味で宗教的な感性という言葉をお使いになったというふうに理解すべきなのかもしれませんが……(末松委員「言っていないよ」と呼ぶ)それは違うんですか。私どもの案は、今委員が民主党案をお引きになりましたけれども、私どもの十五条の第二項も、「国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない。」と、現行の九条の規定をそのまま引いているわけでございます。
 宗教に関する一般的教養の中には、主要宗教の歴史や特色というもの、それから宗教の分布というものを、これは一般的教養の中に入ると申し上げたと思うんですが、そういうことによりまして、中近東の地域においてはこういった宗教が、イスラム教の国々はこういうふうな分布をしているとか、そういう中で宗教対立があるというような事項について認識を持ってもらうとか、そういった範囲でございます。
 大学における宗教教育というお話がございましたが、研究活動として、国公立の大学におきましても、特定の宗教のための宗教教育その他の宗教活動を行うことは、国や地方公共団体にはいかなる布教活動も禁じた信教の自由の侵害あるいは政教分離の原則に反することから、禁止されていると理解すべきでありまして、一方、大学における教育研究活動が宗教的な意義を持たない部分で、またその効果が宗教に対する援助や排斥に当たるものでない場合、すなわち宗教について客観的かつ学問的に教育研究を行うことは、禁止されているわけではありません。
 したがって、委員がおっしゃったように、それぞれの教義にわたる部分であっても、これが、あくまでも学術的な研究の課題として取り上げられて、客観的になされる場合においては、禁止されないものと解するべきだと思っております。
 ただ、一方で、私立大学におきましては、特定の宗教に立脚した建学の精神を有している大学等において、特定の宗教のための宗教教育や宗教活動を行うことは、これは可能、このように考えるわけでございます。
○末松委員 今、学問の研究を客観的に研究するんだったらいいよというお話がございました。それはなぜか。その宗教の布教や伝道に貢献していないからですよ。ですよね。客観的にとあなたが言ったのは、そういうことでしょう。ということであれば、高校生が客観的研究を、宗教について学びたいと言ったらどうするんですか。そうしたら、教えちゃいけないんですか。そこは、紹介するということはいけないんですかね。
 もうちょっと言わせていただきましょう。国連人権規約というのがありまして、規約のAと規約のBがあるんですが、両方に日本は加盟していますよね。ちょっと読みます。「この規約の締約国は、父母及び場合により法定保護者が、自己の信念に従つて児童の宗教的及び道徳的教育を確保する自由を有することを尊重することを約束する。」例えば、これは親の立場から見た場合、親が自分の宗教的な信念でもって子供の宗教的な教育、これを確保してくれ、そういう自由を有することを尊重すると書いてある。これは逆に、その子供がそれでもって合意して、こういうことを学びたいんだ、宗教について学びたいんだという話をやれば、それは、日本でもそこは教えていいということになってしかるべきだと私は思っているんです。
 私が言っているのは、要するに、布教とかそういったものにかかわらない形での、単に紹介ですよね。それが今政府が言っている一般的教養という話なんでしょう。そこの中でそれをかなり深く掘り下げていく、そして、宗教というのは客観的にこういうことを言っているんだ、世界的な宗教、そういった大くくりの中では、紹介という形であれば、これは、特定の宗教活動を支援しているあるいは布教しているということに当たらないと思うんです。それはいかがでしょうか。
○小坂国務大臣 まず、国際人権規約をお引きになりました、国際人権規約のB規約でございますけれども、本法案の第十五条の第二項は、憲法の政教分離の規定を受けて、国公立学校においては、特定の宗教のための宗教教育その他の宗教的活動を禁止しているわけでございます。具体的には、国公立学校におきまして、当該行為の目的が特定宗教に関する宗教的意義を持つ行為であって、その効果が宗教に対する援助や排斥などに当たるものを禁止しているわけであります。したがって、もとより、個別具体の状況によるものではもちろんございますけれども、家庭で教えを受けた特定の宗教について学校で学びたいと児童生徒が主張したとしても、それが特定の宗教のための宗教教育に該当する場合は、許されないものと認識をいたしているわけであります。
 また、この十五条の二項というのは、現行と同様に、禁止している内容は、今申し上げたような、当該行為の目的が特定宗教に関する宗教的意義を持つ行為であって云々ということで、これは、いわゆる布教活動に当たる場合は当然禁止を受けるわけですね、委員がおっしゃっているとおり。布教活動というのは、信者をふやす行為またあるいはその宗教を広めるという行為ですから、これは、当然、宗教活動に当たるわけですから禁止されるわけであります。
 宗教に対する寛容の態度や一般的な教養など、宗教教育を行う際にその題材として特定の宗教を紹介することは当然あり得るわけですけれども、その際、布教はもとより、特定の宗教に偏った取り上げ方をすることは宗教的活動に該当するおそれが高いものと、このように解しているわけでございます。
○末松委員 では言わせてもらいますけれども、さっきの高校の教科書で、例えば仏教とキリスト教だけを取り上げているわけですよ。イスラム教とかそういったものは取り上げていない。この範囲がどこかという、まだ議論はありますよ。だけど、これはもう検定ではオーケーされているわけですよね。これに基づいて教育されているわけですよ。だから、そこでいくと、一つの大きな何かくくりというものをやはりつくっていくことじゃないかと。
 さっき大臣が言われていた、戦後六十年、宗教教育について慎重になり過ぎたと。もっとそこはしっかりと、宗教の意義とか重要性、大臣も前の答弁で言われていましたよね、宗教的な感性的なものですか、あるいは情操、そういったものがつくられる。ただ、法律用語としては、与党さんの方では、これはちょっとまずかった、多義的過ぎるという言葉があったという議論は私は聞いていますけれども、でもそれは、そういう言葉を使ってもいいと私は思っている。民主党はしっかりとそこは使っている。そういった情操を高めていくことそのものが欠けていたから結局こういった混乱が起きたんじゃないかということが、本当にちまたで議論されているわけですよ。そこでもって文科大臣が、いや、これはもうとにかく厳密厳密ということであれば、結局、日本人自身が海外に行ったとき、あるいは自分たち同士でも、宗教というのは何かアンタッチャブルなものでどうしようもないんだというようなこと、この恐れを抱かせることがまた続くんじゃないかと思うんです。
 文部大臣に何回も質問していますけれども、ちょっと趣向を変えて、今までの議論を聞いて、総理候補の有力な一人と言われている安倍官房長官、感想をいただけますか。特に、特定宗教、宗教の特定ということですね。そこについて教育はいかにあるべきなのかということについて、もしお考えがあったら言ってください。もしなければ、結構です。
○安倍国務大臣 政府の考え方としては、もう既に小坂文部科学大臣が答えているとおりでございます。基本的に、中教審の答申にのっとりまして、私ども、今政府として提出をしている改正案において、宗教については、しっかり、いわゆる一般教養としての宗教について子供たちに教えていく。そしてまた、大臣が答弁されましたように、いわゆる宗教的情操という言葉は多義的でございますので、字句としては明記はしていないわけでありますが、この宗教的な情操の大切さということについて大切に考える人たちが宗教を求めているということについても、子供たちに教えていくということでございます。
 基本的には、もちろん、政府として小坂大臣が答弁したとおりでございます。
○末松委員 お互いにそごのないようにということなんでしょうけれども、私、正直に言って、本当に皆さん、宗教の大切さというのはよくわかっておられるんだろうと私自身は感じております。
 ちょっと時間がなくなったのでもう一つ聞きますが、この宗教教育をやる場合に、だれが教えるんだという話がございます。
 例えば、大学時代に宗教を専攻していない人なんというのは、教員で宗教を教えるといったってできないわけですよ、そういった宗教教育も行われていないという話であれば。そういったときに、そういう人から教えられる子供というのは、宗教教育が広がる、知識が広がることはあり得ませんよね。その辺については、だれが教えるということについてはどう考えておられるんですか。
○小坂国務大臣 先ほど委員が、慎重になる余り、こういう形で文科大臣が言えばますます慎重になるとおっしゃいましたけれども、だからこそ、今回の法案の中に宗教の一般的な教養ということを書き込んだわけですね。
 それはすなわち、今まで、宗教というのは教えるのが難しい、だからもうこの項は飛ばしてしまおう、宗教については、書いてあるけれども、教科書を読みなさい程度で一切触れないでいこうというような取り扱いをなされることもあるわけでございまして、そういうようなことにならないように、一般的な教養はしっかり教えてくださいよということを、やはり尊重してくださいということを申し上げているわけですね。そういう意味で、その難しさというものを理解しながらも、しっかり取り組んでいただきたいという気持ちは持っているわけでございます。
 その中で、委員は、先ほど挙げていただきました、イスラム教の中の各派だけでもたくさんあるということを御紹介いただきました。それだけの宗教知識を持っている教師は恐らくおらないと思うんですね。多分、末松委員のように豊富な宗教知識を持っている教師がどれだけいるかと言われれば、それはかなり限られていると言わざるを得ないと思います。
 したがって、そういった意味で、宗教の一般的な教養をそこまで教えるという教師はいないかもしれませんが、私どもが求めているのはそうではなくて、宗教に対する寛容の態度、そして宗教に関するいわゆる一般的な知識、歴史とか分布だとかそういった形でございますので、そういったことについては、社会における地理、歴史等を教えられる先生たちに、この宗教の一般的な教養ということが盛り込まれていることによって、学習指導要領の中でも取り上げられることによってそういったものについて研究活動をしていただいて、そういう資質を身につけていただくということが求められるわけでありますし、今の先生方にそういうことを求めることは可能であろう、こう考えているところでございます。
○末松委員 私が申し上げたかったのは、教師に対しても宗教的な研究の成果を踏まえた形での教育がしっかりと得られて、そして、生徒たちにしっかりそれが教えられるような体制及びその仕組み、システムをつくるべきだという話をしているわけであります。ですから、何も無理なことを無理な形で言っているわけではありません。
 今本当に教える人そのものが不足しているという状況だろうと思いますし、今大臣が言われましたように、実際にいろいろな世界も回って、本当に宗教的なものがいかに重要か、根源をなしているかという話になりますので、実際に日本で有識者とかさまざまな宗教関係者等呼んで、一堂に会して、どこまで日本において宗教教育というものがなされて、そのテキストあるいは指導要領というものがつくられるべきなのか、そこを大々的に御意見を求めて、そういった中で、何か新たな挑戦というんですか、そこをやっていただく中で、世間の関心も集めながら、宗教について、これほど日本で一生懸命考えることは重要なんだという一つの大きなデモンストレーション効果にもなりますし、非常に議論が百出して大変かもしれないけれども、そういったことを積み重ねていって、そこで宗教教育のテキストなり指導要綱をつくっていただき、それでもって、子供さんが宗教というものに対してはっきりとした、あるいははっきりでなくてもいいですよ、おぼろげながらでも結構です、そういったものを得ていく。そういうことが、日本のまさしく美しい、伝統的な社会を再度見直しながら、日本人の美しさを思い出しながら、また世界の交流にも大きく役立っていくと思うわけなんですが、そこの御決意といいますか、そこをちょっと、もう一度お聞きしたいと思います。
○小坂国務大臣 委員がおっしゃっている、宗教の関係者あるいは有識者の方々を集めてということ、否定するものではございません。
 しかしながら、現実的な面も考える中で、また、これまでどういうことをやってきたかということを簡単に申し上げたいと思うんですが、中教審の答申に至るまでの審議の過程においても、約三百人余の専門的な知識をお持ちの各分野の方々に意見の陳述をお願いしたり、そういう方々に関与していただいて、答申というのはまとめられてきているわけですね。
 それから、これから学習指導要領というものを改訂しなきゃいけないという作業も出てまいります。今回のこの一般的な教養という部分が入ったことによって、それにどのような学習指導要領の変更が必要かということはこれから検討するわけでございますが、その検討の中において、今おっしゃったような意味でパブリックコメントを求めるということで、そういった方々の意見も反映できるような機会というものはつくってまいりたい、このように考えているところでございます。
○末松委員 だれが教えるかということについて、もう一つ質問させていただきます。
 今、いろいろな特異な能力、あるいはいろいろな特異な体験をされた方が教師に臨時的になられる、あるいは教師になれるという制度があると伺っておりますけれども、例えばこういうことは可能かということを申し上げたいんですが。
 お坊さんがいて、自分の体験をもとに、生徒に、宗教的なものはどんなものなのか、それを教えたいという話になったときに、そういう方々は採用されるんでしょうか。それとも、特定の宗派に属しているというだけの理由でもって排除されることになるんでしょうか。
○小坂国務大臣 非常勤講師のような形で、僧籍といいますか、端的に言えばお坊さん、あるいは神父さん、牧師さんのような方々に、学校に来て、お話を聞くということが禁止されているかということで考えれば、これは、どのような立場でどのようなお話をされるかによって個別具体的に判断すべきだと思うわけですね。
 すなわち、国公立学校において、特定の宗教に関する宗教的意義を持つ行為であって、その効果が宗教に対する援助や排除などに当たる活動は禁止されているというわけでございますので、これに該当するような宗教教育は禁止される。
 したがって、個別具体的に見て、一般的に言うならば、個別具体で一般的というのは変な話なんですが、個別具体的な事例の中で、一般論で言うところの宗教家が宗教教育の授業を行うことについては、宗教に関する寛容の態度や一般的な教養を深める上で効果的な場合もあると考えられますけれども、しかし、特定の宗教に関する教義を教えるなどの話は禁止されるわけでございますし、また、宗教的活動等に該当する教育を行うことは許されないと解するべきだと思います。
 すなわち、朝早く起きて庭を掃くと大変すがすがしい気分になりますよというようなお話をお坊さんがされても、これは当然問題にならないわけでございます。しかし、そういう話からだんだん派生して、その宗教の教義に触れるような部分をお話しになるようなことになりますと、それは特定の宗教の布教活動に当たるおそれがあるということにおいて慎重になされるべき、したがって、それは個別具体的な範囲内で判断されるべき事項である、このように考えております。
○末松委員 宗教というものそのものは、別に善も悪もない、非常に、人の生き方、宇宙の理法をあらわしているんだろうと思います。ただ、宗教教団となってしまうと、人間的な欲望が絡み合って、教団の勢力拡大、そういうふうになっていく、そこで大きな間違いあるいは争い、闘いが始まっていくわけでありますけれども。
 例えば、お釈迦様が生きた、こういう偉大な先達が生きてきて、こういう考え方をして、こういうとらえ方を人生においてしたんだ、こういうことを言うことですね。さっきの特別講師の例えばお坊さんが、お釈迦さんというのはこういうことで、こういうふうな人生を歩んで、物事を、例えば欲というものを捨てることによって栄耀が得られるのである、そういうふうにとらえたんだと。これは人生の軌跡ですよね。キリストならキリストが、宇宙を彼がどういうふうにとらえたか、これを言うことが特定の宗教派閥の宣伝をしていることになるのかどうか。
 これは何が問題かというと、当然、先ほどからのテーマなんですよ。特定というのは一体何なんですか、これなんですが。偉人として、しっかりとしたこういう生き方をしたんだ、それをお釈迦様と言ったら、これは特定になるんですか。
○小坂国務大臣 まさにこの話は神学論争というものでして、どこまでが入ってどこまでが入らないかというのを判断するのは、個別具体的に判断する以外にないんだと思うんですよ。ですので、ここで今例に引かれたそのとおりに話すかどうかということによって、また変わってくる部分もありまして、そういう意味で非常に難しいんですね。
 ですから、まだ、今御説明いただいただけでは、お釈迦様についての客観的なお話であれば、それは宗教教育には当たらないと思います。いわゆる歴史上の人物の紹介という範囲内、またそれが宗教家であるという事実、これの紹介にとどまると思いますので、これは一般的な教養の範囲に入るものだと私は考えます。
○末松委員 ちょっとしつこいようで申しわけないんですけれども、では、お釈迦様の人生、これは具体例をどこまでやるかという大臣のお考えもお聞きしているわけですが、物事の認識の仕方、お釈迦様はどう認識されたか、この認識の仕方についてしゃべるということはどうなんですか。そこは仏教の、まあ仏教といってもいろいろな教義がありますよ。その中で、その方が、お坊さんがとらえられているお釈迦様の認識の仕方を説明した、つまり紹介したという話であれば、私はそこは問題ないと思うんですけれども、いかがですか。
○小坂国務大臣 大変難しい問題を次から次へなんですが。
 お釈迦様がこういうふうに考えられて、こういう悟りを開かれたという話はぎりぎりの話だと思いますが、しかし、したがってお釈迦様はキリストとは違うんですとか、具体的にどこか他の宗教と比較をするとか、そういうような話になると、これは非常に、特定宗教を布教するという形になる、あるいは他宗教を排斥する、排除することにつながってくるということにおいて、憲法の規定にも反することになると思います。
 その辺が個別具体的に判断されるべきと思いますが、今おっしゃった範囲内ではちょっと判断しかねるというふうに思います。
○末松委員 時間がなくなりましたので、外国の教育基本法についてもいろいろと触れたかったんですけれども、それはまた機会があったらと思います。
 いずれにしても、国民全体を、とにかく大人を巻き込んで、宗教的な意義そして知識、これをしっかりと議論していただくということを私は強く主張しまして、質問を終わらせていただきます。
 ありがとうございました。
○森山委員長 次に、西村智奈美君。
○西村(智)委員 民主党の西村智奈美と申します。どうぞよろしくお願い申し上げます。
 教育は国家百年の大計とも言われておりまして、しっかりと議論をして、次の時代を生きる世代をきちんと育て、はぐくむための実りある議論がこの中で行われるということを本当に心から祈念しておりますし、私もその一員としてしっかりと参加してまいりたいと考えております。
 いずれにいたしましても、この委員会での議論は始まったばかりでございまして、与党内では七十回の議論があったということなんですけれども、いわば国民の目に見える形での議論というのは始まったばかりでございます。この後、逐条的に審議をしていただくことを、ぜひこの委員会で取り組んでいけるようにしていただきたいというふうに思いまして、私は、きょう、文部大臣には初めて質問させていただくということでもありますので、いろいろな考え方などについて聞きながら、そして、この教育基本法の問題にも入っていけたらというふうに思っております。
 大臣、ちょっと通告はしていないんですけれども、まず最初に、自由や権利と責任との関係について、大臣はどんなふうにお考えか、お聞かせいただきたいと思うんです。
 時々、自由や権利を与え過ぎると、わがままな人間が育ってしまって、好き放題のことをするというふうに考える方がいらっしゃるようなんですけれども、私は、わがままな人間が育たないようにということで仮に自由や権利を制限するというようなことになったら、その人、その子供は、責任を引き受ける、自由や権利と引きかえに責任を引き受けるということがどういうことなのかということを学ぶチャンスを逃してしまうのではないかというふうに思っています。ですので、結局、そういったものを与えなければ子供のままに押しとどめてしまうことになってしまうので、無責任な人間が逆に生まれてくるのではないかというふうに考えるんですけれども、大臣はどのようにお考えでしょうか。
○小坂国務大臣 自由と責任というものは常に表裏一体をなすものだと思います。ですから、委員がおっしゃるとおりだと思います。
 自由と規律というものも、これも表裏一体であります。自由を主張するときには、その自分のとる行動、自由を主張してとる行動に対して、必ず責任が伴うものであるということ、そして、責任を伴わない自由というものがいわゆるわがままということになって、公共の福祉に反することまでも許されると考えることにつながっていく、こう考えるわけであります。ですので、自由を主張するときには、常に、自分がとったその自由な行動に対して責任が伴うということを自覚してもらうことが必要だ、そういうことであろうとも思っております。
○西村(智)委員 大臣のお考えをお伺いいたしました。
 さて、それでは、今回の教育基本法なんですけれども、改正の目的について伺いたいと思います。
 提案理由の説明をいただいたんですけれども、私の読み方が、これはどうも改正の目的までなかなか読み取れませんで、立法者の意思というのを改めて確認させていただきたいと思います。つまり、改正、法制定のときには立法事実というものが前提にあるわけなんですけれども、どういう立法事実があってこの法改正を提案されていらっしゃるのか。
 教育基本法は理念法だというふうに言われております。ですけれども、今回は大幅な理念の加筆があるわけですので、そこには何らかの科学的な裏づけ、これがあってしかるべきだろうというふうに思いますけれども、目的についてお伺いをいたします。
○小坂国務大臣 今回の法改正の目的は、たびたび申し上げておりますが、戦後、教育基本法の理念のもとで構築された現在の教育諸制度は、国民の教育水準を向上させ、我が国の社会発展の原動力となってきたという認識を持っているわけでございますが、しかし、教育基本法は、昭和二十二年に制定をされまして以来半世紀が経過しておりまして、この間に、科学技術の進歩、情報化、国際化、少子高齢化など、我が国の教育をめぐる状況が大きく変化する中で、道徳心や自律心、公共の精神、国際社会の平和と発展への寄与などについて、今後、教育においてより一層重視することが求められている。
 また、現象面でいいますと、今日の日本社会が直面している課題として、倫理観や社会的使命感の喪失、少子高齢化による社会の活力の低下、都市化、核家族化等が見られるわけでございますし、また、教育の直面している課題としても、青少年の規範意識や道徳心、自律心の低下、いじめ、不登校、中途退学、学級崩壊、家庭や地域の教育力の低下など、こういった状況も見られることから改正が必要、また、その改正によって、これらの社会現象、社会的な課題または教育の課題について取り組む基本的な基盤を構築したいということでございます。
○西村(智)委員 後段の方は部分的に理解できるところもあるんですけれども、前段のところ、こういう社会状況であるから法改正を行うというところが私にとっては余りよくつながっていっておりません。そのことについてはちょっと後でまた質問したいというふうに思います。
 民主党の方は、民主党の日本国教育基本法案について、その目的として、教育現場の問題を具体的に改善するための第一歩として本法案を取りまとめたと明確に述べております。それに比べますと、少し、何といいますか、現状認識とそれから法改正の目的がうまくつながっていない閣法の提案理由であるというふうに私は考えております。
 さてそこで、中教審の提言ですけれども、報告の中に、現行法の普遍的な理念は大切にしつつ、七つの理念や原則を明確にすべきであるというふうになっておりまして、七項目出ているわけであります。「信頼される学校教育の確立」から始まりまして、最後は「教育振興基本計画の策定」ということになっておりますけれども、まず、学校教育のことについてお伺いいたしたいと思います。
 いじめや不登校、校内暴力、これは日本特有のものではなくて、他の国にも見られる事例であります。他国との比較では、日本のそれらは比較的低い水準にあるのではないかという調査などもいろいろ行われているわけではありますけれども、ただ、現実問題として、依然としてここ数年間目に見えたような減少というのは、なっておりません。それ以外にも、学級崩壊ですとか高校の中途退学者の増加、学力低下などの問題を抱えているわけですけれども、これらの問題は現行の教育基本法の理念に由来するものだというふうに大臣はお考えでしょうか。
○小坂国務大臣 教育基本法は我が国の教育の根本的な理念や原則を定めたものでございますから、教育基本法の規定それ自体が直ちに現実の諸問題と直結するものではございません。
 しかし一方で、教育基本法の制定以来、社会状況が大きく変化をしてまいりまして、教育全般について多くの課題が生じている。そして、これらの課題に対してはこれまでもさまざまな観点から取り組みを重ねてきたわけでございますけれども、その抜本的な解決のためには、学校だけでなく家庭、地域社会を含めて国民全体が協力して、そして教育改革に取り組む必要がある、このように認識をしているわけでございます。
 このために、教育の根本を定める教育基本法を改正して、そして、我が国が未来を切り開くための、教育が目指すべき目的や理念を明示することによって、国民の共通理解を図りつつ、もって国民全体による教育改革の欠かせない第一歩となるように願うものであります。
 具体的には、新しい教育基本法に明確にされた教育の目的や理念に基づいて、教育全般について見直しを行うとともに、教育施策を総合的かつ計画的に推進するための教育振興基本計画の策定に向けた検討を進めることが重要であろうと考えております。
 今回の改正によりまして、今日重要とされている事柄が新しい教育基本法の中に明示されることから、学校を初めとする個別の教育現場においても、具体的な場面においてより充実した指導が行われるものと期待をするところであります。
○西村(智)委員 私がお伺いしたかったのは、そういった学校現場の中でのいろいろな問題は現行の教育基本法の理念などに由来するものかどうか、そういう御認識なのかどうかということなんですけれども、小坂大臣の最初の二行のお答え、由来しないということでよろしいんですね。直接結びつくものではないということでよろしいんですね。
 では、そういたしましたら、後半の御答弁の中では、私が聞いておりますと、現行教育基本法がいじめや不登校あるいは校内暴力の原因であるかのようにおっしゃっておられる答弁があるわけでありますけれども、そういった御答弁は今後控えていただけるということでよろしいですね。
○小坂国務大臣 それは、現行の教育基本法がそういった社会現象や何かの原因として直接結びつくものではないと申し上げたわけです。
 ですから、少子化とかグローバル化あるいは核家族化、そういった社会状況の変化の中からいろいろな問題が生じている。それに対処するために、現行の教育基本法で不足な部分についてそれを補充し、また基本的な理念として推進すべきものについては引き継ぎ、それを継承し、そういう中でこの教育基本法の改正を行うということを申し上げているわけでありまして、今日の、現行の教育基本法がこういった問題の原因であるということを申し上げてはないというふうに申し上げただけでございます。
○西村(智)委員 ですので、それでしたら、ほかのことは、余計なといいますか、教育基本法の理念がいじめの原因である、まさにその理念に由来するというふうに私には聞こえる答弁を小坂大臣は今までしてこられたんです。
 では、私がちゃんとそういうふうに聞こえるように、これから答弁していただけますでしょうか。
○小坂国務大臣 そのようなことは一度も申し上げたことはございませんので、もし、そう誤解される面がありましたら、その誤解を解いていただきたい。また、具体的にそういった点がありましたら、御指摘をいただければ御説明を申し上げたいと思います。
○西村(智)委員 それでは、中教審の答申では、「我が国の教育は現在なお多くの課題を抱え、危機的な状況に直面している。」とありますが、危機的な状況というのは具体的にどういう状況でしょうか。
○田中政府参考人 中教審の答申の認識についてのお尋ねでございますので、私の方からお答えさせていただきたいと思います。
 中教審の答申の中では、子供たちの道徳心、自立心や学ぶ意欲の低下、あるいは、いじめや不登校、中途退学の増加、家庭や地域の教育力の低下など、教育全般についてさまざまな課題が生じておるわけでございまして、中央教育審議会としては、このままでは社会が立ち行かなくなるのではないかという危機感から、こういう「危機的な状況に直面している。」と指摘したものと受けとめておるところでございます。
○西村(智)委員 ぜひ大臣の御答弁をお願いいたします。
 私が政府参考人を登録させていただいたのは、具体的に細かい数字を答えていただくためだと、通告のときにそのように確認をとっていたはずでございます。
 委員長、これは注意をしてください。
 私は、数字以外のことは政府参考人に答えていただくというつもりはありませんでした。(発言する者あり)では、形式を除いたら何が大事なんですか。形式と中身が大事。心と態度が大事なんですよね。形式は大事だと思います。
 さて、小坂大臣、もう一度お願いできますでしょうか。危機的な状況とは具体的にどういう状況でしょうか。
○小坂国務大臣 中央教育審議会における「危機的な状況に直面している。」という表現でございますが、これにつきましては、戦後六十年が経過し、科学技術の進歩、情報化、国際化、少子化など、我が国の教育をめぐる状況が大きく変化したという環境の認識の中で、その中で、子供たちの道徳心、自立心や学ぶ意欲の低下、いじめや不登校、中途退学の増加、家庭や地域の教育力の低下など、教育全般についてさまざまな課題が生じており、中央教育審議会としては、このままでは社会が立ち行かなくなるのではないかとの危機感から、「危機的な状況に直面している。」と指摘したものと受けとめております。
○西村(智)委員 危機的な状況、具体的に余り御説明はなかったと思います。
 大臣、よくこの委員会の中で、答弁の中で、子供が親の命を奪うとか、親が子供の命を奪うというような答弁、趣旨のことをおっしゃいますね。私は、とても国会のこの委員会の場で直截的な物の言い方、しかも、この議事録は子供が読む可能性もあります。その中で、そういった直截的な言葉というのは、私はとても発言はできませんが、大臣の認識は恐らくそういうことなんだろうと思います。
 現実に起こっていることは、それは私も認識をしております。しかし、子供の心に与える影響というのをぜひ考えていただきたい。日々マスコミから流される事件のニュースで子供たちは胸を痛めております。子供たちに与えられるダメージというのは、これはかなり大きいというふうに思うんですね。どうしてこういう世の中になったんだろうと私も思います。ですが、それが教育基本法の理念とどういう関係にあるかということについては、やはりこれはきちんと分析をしていただいた上で、この委員会の中で発言をしていただきたいと思うものなんです。
 こういった少年非行、日本の主要な犯罪、殺人、強盗、これの少年、成年別検挙人員人口比は、欧米の諸国と比べて決して高いとは言えません。少年非行がふえてきたというのは、これは改正の理由にはならないのではないでしょうか。また、先ほどと同じように伺いますけれども、その原因が教育基本法の理念に由来すると認識していらっしゃるのでしょうか。
○小坂国務大臣 委員は、この委員会の現場において、尊属殺人といいますか、子供が親を殺したり、親が子供をあやめたり、そういった事実を口にすることは教育上いかがなものかという御指摘でございます。
 私は、この議論の中で、こういった議事録をお子さんが読まれる、そういう頻度よりも、マスコミの与える影響の方がはるかに大きいと思いますので、ぜひとも委員には、マスコミに対しても同様にそういった意見を表明されることをお願いしたいと思います。
 そういう意味で、委員が御指摘になりたい気持ちは理解いたしますが、私といたしましては、委員会の実質的な審議を進める上で、そういった表現が直截的と言われても、理解を求める上で必要であれば今後ともそういう表現は使わせていただきたい、このように思っておりますので、御理解を賜りたいと存じます。
 その上で申し上げるわけでございますけれども、現行の教育法の理念に由来する、このような事象が生じることがこの理念に由来すると申し上げたことはないわけでありまして、今日の社会状況を説明するその説明の中で、マスコミの毎日の報道の中に取り上げられ、そして国民が、このような絶対にあってはならないような事件がどうして起こってしまうのか、こういう疑問を胸に持ちながらそういったニュースを見ている状況にある、そういう状況を私なりに説明をさせていただいて、そういったものの解決の中に、国民の皆さんの中にも、今の教育を抜本的に改定していく必要があるんじゃないだろうか、何とかして、いじめとか学級崩壊とか、あるいは登下校時の事故を防止するとか、あるいは親を敬うといった気持ちを持ってもらうような教育というものをどういうふうにしたらいいんだろうか、こういう問題意識を国民の皆さんがお持ちだという、その説明の中で申し上げたつもりでございまして、決して現行の教育法の理念にこのような事件が由来していると申し上げたことはないわけであります。
○西村(智)委員 文部科学省としてマスコミに、こういった事件の報道の仕方について、何かそれでは申し入れなり要望なりを出したことはないんでしょうか。おありですよね。改めてこの委員会の中でそのことを言う必要はないのではないかと私は思います。(小坂国務大臣「御自身が御指摘になればいいじゃないですか」と呼ぶ)私も指摘をしております。それは、責任のなすりつけ合いをしてもしようがないわけで、きちんとみんながやるべきことをやりましょうと。それで、この委員会の中ではきちんとこの法案の審議、科学的な根拠に基づいてしっかりと行っていきたいと私は思っています。
 ちょっと話は変わりますけれども、先日、横光委員が質問した答弁について、小坂大臣、これも聞いていただきたい。大臣の答弁ですが、社会状況、いじめや事件などがある日本を是正するにはどうしたらいいんだ、昔の日本の美徳を取り戻すにはどうしたらいいんだ、それは教育ではないか、教育をしっかりさせろ、これを国民の皆さんは強く求めていると思うんですね、それが、今日、この教育基本法を改正せよという国民の大きな期待になっていると私は思いますと答弁されていらっしゃいます。
 実際に大臣が思っていらっしゃるようなファクトがあるのかどうか、伺いたいと思います。
 大臣のおっしゃっている昔の日本の美徳というのは何でしょうか。また、昔の日本の美徳を取り戻したらいじめや事件がなくせるので改正をしてくださいというような意見は、実数として、パブリックコメントなどもされてきたと思いますけれども、幾つぐらいあったのでしょうか。
○小坂国務大臣 現在、我が国は、倫理観や社会的使命感の喪失など多くの今日的課題に直面している中で、教育においては、家庭や地域の教育力の低下、また青少年の規範意識や道徳心、自律心の低下、いじめ、不登校など多くの課題を抱えており、また、教育を根本から見直し、今の時代にふさわしい教育の基本理念の確立が求められているという認識を持っております。
 このために、教育基本法を改正し、我が国の教育が目指すべき目的や理念を明示することによって国民の共通理解を図りつつ、知徳体の調和のとれた、生涯にわたって自己実現を目指す自立した人間、公共の精神をたっとび、そして国家社会の形成に主体的に参画する日本人、我が国の伝統と文化を基盤として国際社会を生きる日本人の育成を目指して社会全体で教育改革を進めることが必要だと考えておるわけでございますが、私は、こうした教育改革によって社会全体が教育力を取り戻し、こうした人間の育成が図られることを昔の美徳と申し上げたわけであります。
 もう少しわかりやすく表現するならば、私どもの子供のころ、近所では、道路に出れば近所の子供もいて、そしてそういう中で長幼の序があり、そしてそのリーダー的、核になる人物がおって、そしてよそからいじめに遭えば、そういうことをおまえやっちゃいかぬぞと、そして人をいじめるようなことがあれば、おまえはそういうことをやったら今度はおれの子分にしてやらないぞというような、子供社会におけるそれぞれの社会教育的な意味でのつき合いというものがありました。
 ところが、今日、少子化によって、また、道路に出れば交通が混雑していて危ないという状況で、道路は遊ぶこともできない。また、公園に行っても、最近では公園でボール遊びすら禁止されてしまう。昔は、親子が公園に行ってキャッチボールをして親子としての触れ合いを持ったり、そこに近所の人も来て野球を教えてくれたり、あるいは近所の子供たちが集まって缶けりをして遊んだり隠れんぼうをしたり、そういう中から社会的な触れ合いというものがもっと多くあった。そういう社会が今日失われつつあるのではないか。そういう社会の中で学んできた教育力というものがあったはずなんです。
 また、農耕社会の中で、自分のうちの田んぼを一人で田植えするのは大変だと思えば、おらが手伝ってやるよといって近所の皆さんが集まって、結いの精神とかえいっことか言われる精神の中でお互いに助け合って、この協同の作業によって農耕社会というのは維持されてまいりました。そういう協同の心、そしてそういう協同を乱すことに対して、これをしてはならないという規範意識、こういったものが昔はあったわけでございます。そういったものが徐々に欠如してきた。私は、昔の美徳と申し上げた中には、そういった今日的に失われつつある日本の伝統の文化、社会の組織、そして社会の教育力といったものを総体的に日本の美徳と申し上げたわけでございます。
○田中政府参考人 中央教育審議会におきましては、平成十四年三月から国民から各種意見を募集しておるところでございますが、特に平成十四年十一月十五日から十二月十五日までの一月間はパブリックコメント、中間報告に対するパブリックコメントを求めたところでございます。その後も国民の意見を募集しておりまして、平成十五年九月までに参りました国民の御意見が一万七千件余りございまして、この段階で分析したところでございますけれども、大臣が御説明申し上げました、日本の美徳を取り戻すといった趣旨の御意見は百数十件あったところでございます。
○西村(智)委員 一万七千件の意見の中で百数十通が大臣と同じ意見、一%弱ですね。
 大臣、ぜひ正確に言っていただきたいと思うんです。私も、今大臣がおっしゃった中で共感できる部分がないわけではありません。ただ、そこが、国民の皆さん全体の意見である、大きな期待だ、国民全員があたかも同じように思っているというふうに聞こえる御答弁はぜひ避けていただきたい。それは、世論のいわばつくり上げになると思います。
 それで、ちょっと伺いたいんですけれども、美徳と言われまして私の頭の中に浮かびましたのは、謙譲の美徳という言葉でございます。大臣は、長幼の序ですとか協同の心とかいろいろなことをおっしゃいましたけれども、私は謙譲の美徳というのが浮かんだんですね。
 謙譲の美徳は、万事に控え目で他人に譲ることということなんですけれども、それを具体化してまいりますと、つまり、今回の教育基本法の理念、あるいは中教審の中では「二十一世紀を切り拓く心豊かでたくましい日本人の育成」と書いてあります。グローバル化が進んで競争社会が激烈になってくるこの世界の中で、そういったところで生き残っていく日本人ということになりますと、他人に譲っていては勝ち残っていけないということになりませんか。
○小坂国務大臣 ちょっと私の理解が悪いのかもしれませんが、委員は、謙譲の美徳が日本の美徳の中でも特筆すべきものだというふうに御説明をおっしゃったように思うんですが、それに対して今おっしゃったことは、国際競争の中で譲っていてはだめだ、すなわち、謙譲の美徳というのは、今日、余りそういうことを考えていては国際社会で生きられないということについて御質問いただいたんでしょうか。その点について、もう一度御質問いただければありがたいんですが。
 また、先ほどの局長の説明の中で一つ欠けておると思うのは、パブリックコメントの中で、読売新聞による世論調査というのがありまして、他人への思いやりや道徳心、公共心など心の教育を行うことに特に力を入れてほしいとされる方が五八・三%、友達づき合いや目上の人との接し方を身につけること、これが三九・九%。いずれもこれは無視しがたい数字だと思っております。
 また、他の調査を見ましても同等の表現というのはあるわけでございまして、むしろ、委員が否定をされる、そういった一部の意見を大臣があたかも国民の期待であるかのごとく表現することはいかがなものかという御指摘でございますが、私は、今申し上げたような、そういった意見を初めとして、いろいろな会合等でも表明される多くの方々の意見を参考にしております。
 多分、委員も、それは一部の意見だとおっしゃっている根拠は、委員御自身の活動の範囲内において聞かれる御意見が私の意見とは違うということで表現をされているものと思うわけでございまして、そういった意味では、私は、あくまでも私個人の意見として答弁をしているわけではないわけでありまして、文部科学省の全体の考え方、そしてまた小泉政権の政府の考え方全体の中で大臣として答弁を申し上げ、その中で個人的な意見を申し上げるときには、個人的な見解になるかもしれませんがと申し上げているつもりでございますので、よろしく御理解を賜りたいと思います。
○西村(智)委員 私は、自分なりに幅広く意見を聞いておるつもりでございます。数えてはいませんけれども、いろいろな意見をおっしゃる方、それはいらっしゃいます。大臣、私も議員の職にありますので、そこは幅広く意見を聞く活動というのはやらせていただいております。
 それで、私の質問は、どうなんですかと、長幼の序とか……(発言する者あり)揚げ足ではなくて、これは教育論の本質だと思いますけれども。長幼の序、謙譲というようなことというのは、和をとうとぶということでありますよね。ですけれども、現実の国際社会は、やはりのし上がっていっているのはタフネゴシエーターで、他人を押しのけて勝ち上がっていく人たちですよ。どういう整理をなさっているんですか、大臣。
○小坂国務大臣 質問の趣旨が若干理解しがたい部分がありまして……。私は、長幼の序というのは大切でありますし、謙譲の美徳も大切であります。これは、日本人の美徳の中でも謙譲の美徳というのは、委員がおっしゃるように重要な部分であると思います。しかし、それが今日的な国際社会の中で、そのバランスをどのようにとっていくかというのはやはり一つの課題だと思います。
 謙譲の美徳はやはり維持されるべきと思いますけれども、時と場合によっては、謙譲ばかりではなくて、主張することによって理解を求めるということも必要な社会になったという認識は持っております。したがって、アイデンティティーを持って、国際社会において日本というものを背景として、日本人としての主張をして、それを理解される努力をすることは今日では大変重要なことだ、このように理解もいたしております。
○西村(智)委員 それでは、格差の方に移っていきたいと思うんですけれども、時間がなくなってきました。
 読売新聞社の教育に関する全国世論調査、これは何人もの方が取り上げていらっしゃることですけれども、親の経済力の差によって子供の学力格差も広がっていると感じている人が七五%に上っております。実際に、いろいろな調査がありまして、保護者の経済力や地域の経済水準と子供の学力というのは相関するという結果が出てきております。結果として、これは学校や地域の選別競争がそろそろ始まっているのではないか、これは教育機会の制度的な差別化につながっているのではないかというふうに思うんですけれども、大臣の見解を伺いたいと思います。
○小坂国務大臣 読売新聞の五月二十八日付の記事がございますが、「学力の差 「親の所得が影響」七五%」、このような表現も使われておりまして、委員が参照されました読売新聞の教育に関する全国世論調査によりますと、国民の意識として、家庭の経済力によって子供の学力格差が広がっているとの認識があることは承知をいたしております。
 家庭や地域の経済力にかかわらず、すべての児童生徒が確かな学力をはぐくむことは学校教育の責任であるという認識を持っておるわけでございますが、このために、義務教育費の国庫負担制度によりまして、地方公共団体の財政力の差にかかわらず、全国のすべての地域においてすぐれた教職員を一定数確保することができるようにしているとともに、習熟度別あるいは少人数指導あるいは補充的な、発展的な指導など、個に応じた指導の充実に努めております。
 また、学習意欲の向上、教員の指導力の向上なども含めまして、確かな学力の向上のための総合的な施策、学力向上アクションプランを推進いたしているところでございます。家庭や地域の経済状況などにかかわらずに、すべての児童生徒に対して確かな学力がしっかり身につくように、今後とも努めてまいりたいと考えております。
○西村(智)委員 現実には、この格差競争といいますか、教育機会をめぐる競争というのはかなり激しくなってきているというふうに思うんです。
 大臣は、一定の相関が出てきているということをお認めになった上で、その上で文科省として適切な対応をとるべく努めているというふうに答弁されたんだと思いますけれども、ただ、現実はそれを上回る勢いで私は進んでいっているのではないかと思います。
 既に言われていることですけれども、学力の低い学校はよい学校ではないですとか、あるいは経済力と学力が相関にあるという図式がこれからさらに固定化していくおそれがあるのではないかということを私は懸念していますし、また一方で、学習塾に通う子供がどんどん低年齢化している、あるいは、いい学校のある地域にマンションが次々と建っているというような報告もありますね。
 チャレンジしたいんだけれども、もうスタートの時点でチャレンジする機会すらなくなってきている、こういう層が生まれてくる。一方で、もう生まれたときからいい学校に近いマンションに住んでいる子供もいるわけでして、大臣、これで果たしてよろしいんでしょうか。大臣はどんなふうにお考えですか。
○小坂国務大臣 今も答弁させていただきましたように、委員が御指摘のように、経済的な格差がすなわち機会を喪失するようなことにつながるということはやはり避けるべきだと思っております。
 初等中等教育段階においては、すべての子供に基礎、基本をしっかりと身につけさせて、それを基盤として、子供一人一人の個性を伸ばすことが重要だと考えております。こういう中で、小学校に通う児童の中に、学習塾に通う、そして補習的な、補充的な授業を得たり、あるいは少し先の予習をしたりということで学力を伸ばす努力をしている。ところが、経済的な事情によって学習塾に通うことすらできない、こういうことが生じることは、私としても避けなければならないという認識を持っております。
 そういう意味で、子供の居場所づくりという形で、今日、共稼ぎ世帯が多くなっている中で、家へ帰っても両親がいないというような状況の一人っ子の政策のために、それを補充するために学校で残ることができるような、そういう居場所をつくるという事業も進めているわけでございます。ここに、退職教員の皆さんに御協力をいただいてボランティアとして来ていただいて、学びの居場所という、仮称でございますが、こういった施策も十九年度から導入をしてまいりたいということで、現在、十九年度予算に反映すべく企画もいたしているところでございます。
 このような認識に立って、そういった状況を解消するような努力は私もこれからもしてまいりたいと存じますが、基礎、基本を十分に理解している子供に対する発展的な学習を含めた習熟度別の指導、こういったものを通じて、基礎的な学力はしっかりと身につけさせる中で、また、その中で学習意欲のある子供に対してはしっかりとその学習が伸びるような支援も行ってまいりたいと存じます。
○西村(智)委員 先ほど大臣、格差が広がってきているという御認識をお示しいただきました。
 安倍官房長官、時間がない中でお残りをいただきまして済みません。
 安倍官房長官は、今、日本の社会の中には格差はないという御認識でしょうか、伺います。
○安倍国務大臣 格差がない社会はあり得ない、このように考えております。もし問題があるとすると、格差が広がっているかどうかということではないかと思います。
 格差の広がりについては、政府としては格差が拡大をしているというふうには認識はしていないわけでありますが、しかし、ニート、フリーターの増加等から見れば、将来の格差の拡大については懸念があるわけであります。また、地域間において格差を感じている人たちがいるとすれば、そういう人たちに対して勇気を与えていくことも政治としては大きな使命ではないか、私はこのように思うわけであります。
 格差というのは常に存在するわけでありまして、頑張った人とそうでない人に差ができるのは、これはみんな人間は当然だと思っている。しかし、その格差が許容できる範囲かどうか、あるいはまた、その格差はフェアな競争の結果かどうか。フェアでない、公正でない結果であれば、それは当然問題である、このように認識をしております。
○西村(智)委員 先ほど小坂大臣は、教育の中で格差があるとおっしゃったと思うんですけれども、大臣は、広がってくるとすれば問題だという御答弁でした。
 再チャレンジ推進計画、それではどういう御認識でつくられたのか。これを見ますと、私の読み方ですけれども、つまずいた人に対して再チャレンジする機会を与えるということなんですけれども、そうしますと、例えば全国でフリーター、もう二百万人ほどいられるというふうに聞いておりますし、あるいは派遣の人たちの対象プログラムもあるわけですけれども、合わせますと四百万人ぐらい。そうすると、日本全国、あちこち、つまずいた人たちがごろごろと転がっているということになるわけですね。
 私は、ここはやはり政府は格差があるということをまず認めて、そういった認識でこの再チャレンジ推進計画、改めて大臣の、まあ先ほど、格差が教育の中ではあるということも示されました。新卒者の対象プログラムがこの再チャレンジ推進会議の中では示されておりません。ただ一つありましたのは、新卒の学卒者で就職氷河期にあった人たちだけが対象だということなんですね。就職氷河期なんですね。
 そういたしますと、スタートラインではみんなすべて同じラインに立っているという前提なんだと思うんですけれども、実際には、もう既に始まるところから格差は生じてきている。学習機会の格差、保護者や家庭や地域の経済力、経済水準の格差、これがみんな連動しているというふうに考えますと、そこのところは認識を改めていただきたいと思いますけれども、もし大臣、官房長官、何かあれば、伺います。
○安倍国務大臣 格差がない社会はないということについては御理解をいただいたのではないか、このように思います。
 私が今進めております再チャレンジにつきましては、私ども小泉内閣が進めている改革というのは、頑張った人や汗を流した人や知恵を出した人が報われる社会をつくっていく。それは公正、フェアな競争の結果でなければならない。その活力が経済を押し上げ、そして日本の国力を高めていく。しかし、その結果、負け組、勝ち組として固定化させたり、あるいはそれが階級化してはならない。だれにでも、何回も挑戦できる、チャレンジできる社会をつくっていきたいという中において、暮らし方や学び方やあるいは働き方において複線化をしていくことが必要ではないだろうか。そして、再チャレンジに挑んでいる人たちを支援していく、個別にしっかりと政策を組んでいこうということであります。
 先ほど就職氷河期の御指摘がありましたが、新卒の方だけではなくて、いわば年齢制限等々をなるべく外して、特にニート、フリーターとなった方々は就職氷河期の方々に偏っているというところもありますから、そういう人たちに新卒者と同じように会社に就職できるチャンスはないだろうか、まず公務員から始めようということにおいて、公務員第3種においてその枠をつくっていくということにもなったわけでございます。
 これは、広く多様な生き方を許容できる社会にしていくという発想の転換をするために考え方を変える。と同時に、そういう方々にしっかりと支援をしていきたい。就職についても、そういう政策もしっかりと盛り込んでおりますので、よく見ていただきたい、このように思います。
○小坂国務大臣 委員の御質問が、学力格差から就職の、ニート、フリーターの問題にまで広がっているわけでございますが、まず、学力格差の点で、先ほど申し上げた背景を一つ申し上げておかなければいけないと思います。
 保護者の学歴や職業、いわゆる経済力によって子供に学力の格差が生じるかということについて、保護者の学歴や職業が子供の得点に与える影響というものをOECDが調査をいたしております。このOECDのPISA二〇〇三年の調査によりますと、ヨーロッパ諸国、またOECDの平均では二〇・三でございますけれども、日本は一一・六ポイントという形で、OECD平均から見ますと、そういった影響は日本は少ない国だと見られているということも一つ参考にさせていただき、また、学力の格差については、先ほど申し上げたような習熟度別の指導等によりまして、その格差の縮小に努めているということでございまして、拡大をさせないという努力をしているということを申し上げたことを御理解いただきたいと思います。
○西村(智)委員 OECDの調査報告でもありましたとおり、日本は、所得の格差が学力の格差に比較的連動の弱い国なんですね。ですけれども、それは今まで、いわゆる学校や家庭や地域や、それぞれが本当に現場で頑張ってきた成果だということは大臣もお認めになってくださるんだと思います。
 私たちは、この教育基本法、やはりスタートラインからの、格差をなくす、教育機会は平等にということから民主党の提案もさせていただいておりますので、きっちりとそういった考え方は対比させていただきながら、これからまた、もっと時間をかけて議論させていただきたいと思います。
 済みません、延びました。ありがとうございます。
○森山委員長 次に、鷲尾英一郎君。
○鷲尾委員 おはようございます。民主党の鷲尾英一郎でございます。
 このたびは、このような貴重な機会をお与えいただき、まことにありがとうございます。国家百年の計は教育にありと言われるところでございます。教育は国にとって基礎となる大変重要なものでございます。本日、教育基本法という国家の命運を握ると言っても過言ではないその質疑に立てますことを、うれしく、喜ばしく、そして大変身の引き締まる思いでございます。文部大臣、答弁者の皆様と、この時間、今後さらに日本の発展に寄与すべく、実りある議論をしてまいりたいと思います。何とぞよろしくお願い申し上げます。
 では、質問に入らせていただきます。
 今の教育基本法の前文には、「民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。」とあります。改正案では、「たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家を更に発展させる」とあります。この改正案で言う国家というのは、どのような国家を言うんでしょうか。大臣の御見解をお示しいただきたいと思います。
○小坂国務大臣 現行の教育基本法は、日本国憲法の精神にのっとり、新しい国家の建設に向け教育の目的を明示した、教育の根本法ともいうべきものでありまして、この性格は改正後も変わらないものでございます。したがいまして、今回の法案の前文におきます、現行教育基本法が目指すこれまで築いてきた民主的で文化的な国家を、さらに発展させようとする趣旨であります。
 なお、我が国は、長い歴史のもとで、さまざまな文化や伝統をはぐくんできたところでありまして、これらの我が国の伝統を継承し、新しい文化を創造することを目指す教育を推進することも、あわせて宣言しているところでございます。
 したがいまして、民主的で文化的な国家という現行教育法と、今日の改正の教育基本法に述べられている、築いてきた民主的で文化的な国家というものは、同じ流れの中に継承してきた国家という理念でございます。
○鷲尾委員 新しく建設するんだか継承するんだか、ちょっとよくわからなかったんですけれども。
 この教育基本法で申し上げたかったのが、我々は、長い歴史の中で継続するものとして国家をつくり上げてきたわけですよね。これは要するに、戦後成立した教育基本法の前文には、民主的で文化的な国家を建設してと、あたかも新しいものを建設するかのような文言が入っているわけです。これを改正案では、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家をさらに発展させるとあるわけですよ。我々が目指しているのは、今まで、伝統文化も含めて国家をなしてきたそのものを引き継いでいくのか、それとも、戦後の教育基本法の理念でうたわれております、まるであたかも新しくつくられたものをこれから発展させていくのか、その点をちょっと明らかにしていただきたいんですけれども。
○小坂国務大臣 委員は御理解の上で御質問になっていると思いますが、日本という国が戦後建設されたわけではなくて、長い歴史の中で培われてきたものでございますし、また、現行の教育基本法が述べる、日本国憲法を確定し民主的で文化的な国家を建設というのは、従来の国家をすべて捨ててしまって、新たな国家を建設するということではなくて、従来からある日本という国を民主的で文化的な国家として建設していくという趣旨でございますから、従来からある日本という長い伝統の文化を引き継いでくる、そういう国家であって、戦後建設された新たな国という意味ではないことは御理解いただいていると思うわけでございます。
○鷲尾委員 大臣からそのようにお答えいただきまして、大変ありがたいと思っております。
 ちょっとこれは自説を開陳させていただきますけれども、日本国憲法も現行の教育基本法も、結局は敗戦の混乱と占領による圧力のもとで成立したのでありまして、そこにはまだやはり歴史の浅いアメリカという国の国家観とか個人観が充満しているものであります。
 皆さん御存じのように、アメリカは、イギリスの税制を嫌ったピューリタンがゼロからつくった国でありまして、アメリカ式で見れば、国家とは、当然自立した個人が新しくつくるものであります。しかし、日本にはやはり悠久の歴史があるわけで、私は、新しく国家を建設すると言われると非常に生理的な嫌悪感を覚えるわけです。むしろ、国家とは、祖先から受け継いで、子孫にしっかりと受け渡すものである、しかも、よりよくして受け渡すものである、私はそう確信しております。それが、今を生きる我々の世代の責任であるというふうに思っております。
 と考えるのであれば、今の民主的で文化的な国家をさらに発展させるというよりも、むしろ、民主党案にあるように、祖先を敬い子孫に思いをいたしながらという、そういう文言に素直にあらわれているように、教育は受け継ぎ受け渡すという認識に立つことを明確にされている。巷間、政府・与党の案と民主党案というのは、何か、同じようなものであるというふうな、そういう報道もありますけれども、基本的な設計の考え方というのはこの一点でもって違うというふうに私は思うわけでございます。
 そこで、民主党の提案者にも御質問いたしたいと思います。前文にある、祖先を敬い子孫に思いをいたすというのは、具体的にどういうことなんでしょうか。
○藤村議員 今、鷲尾委員の憲法及び教育基本法に関する御自身のお考えを伺いまして、我々も同感するところは多いんでございますが、我が国が、二千年以上の長きにわたる、海に囲まれた地形で、そういう影響もあったとは思いますが、他の国々あるいは他の文明とは相当異なる、固有の文化、伝統をはぐくんできた、このように考えています。
 さらに、私ども、特に日本語という言葉にちょっと注目をしておりますけれども、これは外国の人、何カ国の人からも、非常に美しい言葉というふうに聞かされたことがあります。みずからはよくわかりませんが。そういう日本語を使う国というのも、またこれ日本唯一であります。そんなことから、私ども、日本語のことについては少しこだわりを持ち、我々の日本国教育基本法第十七条の二項で、国語力を身につけると条文にも盛り込ませていただきましたように、教育の分野での日本語の大切さを本法で提起しているところでもあります。
 さらに、風土、気候、気象、四季に恵まれ、本当に気候に恵まれてはぐくまれてきた緑多い自然もございます。これらは日本固有の文明というふうにとらえ、これを発展させてきた我々の祖先に対して敬意を払うこと、あるいはこの貴重な文明を後世にしっかりと伝えていくことは、これは教育の大きな使命である、このようにかんがみまして、先祖を敬い子孫に思いをいたしという理念を前文に盛り込ませていただいたところでございます。
○鷲尾委員 そもそも、日本の公教育の重要な目的として、歴史感覚を身につけた日本人、これを育てるということが今まですっぽり抜け落ちてきたというところに、日本人のたたずまいの美しさですとか美意識を喪失させる要因があったというふうに私は思うわけでございまして、その意味で、具体的に祖先を敬い、子孫に思いをいたすということを教育上で反映させていただきたいと思うわけでございます。ぜひこれを政府・与党にもお願いしてまいりたいというふうに思うわけでございます。
 さて、次の質問に移りたいと思います。
 政府・与党案については中教審の答申をベースに何回も討議されたということでございますが、その中教審の答申との関連で質問させていただきます。
 まず、政府・与党案の前文、そして第二条、教育の目標にあります、これは第三項になりますでしょうか、「正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。」とあります。この中にある公共の精神に基づいて主体的に社会の形成に参画しというところについてお聞きしたいと思っております。
 中教審答申の中では「新しい「公共」を創造し、二十一世紀の国家・社会の形成に主体的に参画する日本人の育成」という項目があります。私なんかはまず「新しい「公共」を創造し、」というところでひっかかってしまうんですが、この中で「国や社会の問題を自分自身の問題として考え、そのために積極的に行動するという「公共心」を重視する必要がある。」と書いてあります。その例として、ボランティア活動、地域社会の生活環境の改善、地球環境問題、人権問題、「国境を越えた人類共通の課題の解決に積極的に取り組み、貢献しようとする国民の意識が高まりを見せている。」とありまして、続きまして、個人の主体的な意思により、自分の能力、時間を他人や地域、社会のために役立てようとする自発的な活動への参加意識を高めつつ、みずからが国づくり、社会づくりの主体であるという自覚と行動力等を育成していく必要がある、そういうふうに書かれてあるんです。
 では、大臣、お聞きしたいんですけれども、我々がこの国に生まれたことは宿命であります。その宿命に対して積極的にかかわり合うのは、ボランティア活動であり、地域社会の生活環境の改善でありといった、こういった活動なんでしょうか。私が言いたいのは、公共というものは上述した活動によってつくり出すものではないということだと思うんです。あくまでも日本の歴史、伝統の中で生きる個人として、それをどうよりよくしていくかというところから出発しなきゃいけないものだと私は思っております。この点についての大臣の御見解をお聞かせください。
○小坂国務大臣 鷲尾委員が先ほど、祖先を敬い、子孫に思いをいたすという民主党の前文について藤村委員の意見を求め、藤村委員がお答えになりましたことは、私としても大変に共感を持つものでございます。そういった共感を持ちながら、民主党の主張されていることと私どもの今回の基本法の中には多くの共通点があるということを再認識するわけであります。
 今、公共についてのお話もいただきましたけれども、まさに中教審で議論された「新しい「公共」を創造し、」というのは、阪神・淡路の大震災の際のボランティア活動などを例に引かれるように、今日、未曾有のこういった災害が起こる際に、国民のボランティアの力によって復興が迅速に行われたり、多くのすばらしい結果が生まれていることから、そういったものをやはり今後育成していくべきという考え方を示されたものと思います。
 また、今日、我が国、ここに生まれて、私ども国民がどのような態度で接すべきかということについては、私は、ただいま委員が申されたことは大変に多くの共感を持つものだ、こう考えております。
○鷲尾委員 ありがとうございます。
 もう一つお聞きしたいことがございます。個人の尊厳性と個人の自主性というのは戦後教育の大きな柱となっているところでございます。私自身、それらがやはり子供の行動の徳目となるのはすばらしいことであるというふうに考えますが、そればかりが重視されるのもまたどうかなというふうに思うわけでございます。この点、大臣はどう思われますか。
○小坂国務大臣 個人の尊厳というものは、これはたっとばれるべきものでございます。だから尊厳なのでございますけれども。同時に、今日、地球社会の中にあって、国際社会、そして日本の中にあって、我々は共生ということに思いをいたさなきゃいかぬということもやはりあわせて考えなきゃいけないというふうに考えております。
○鷲尾委員 共生というふうな大臣のお言葉がございました。要するに、共生をすること、これを目的として、では大臣は今何をすべきだというふうにお考えでしょうか。
○小坂国務大臣 今回の教育基本法案におきましては、目指すべき教育の理念の一つとして、個人の価値を尊重し、その能力を伸ばすことが規定され、また同時に、個人それぞれの個性や独自性に着目して、その能力を伸ばすことを考えるべきと、こうしているわけでございます。また、あわせて、未来を切り開く教育の目指す理念といたしまして、自主を重んじ自律の精神を養うことや、自他の敬愛と協力を重んずること、それから公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うことなどについて規定をしていること、これは委員も御紹介をいただいたところでございますが。
 これらを初めとする教育理念を重視することによりまして、知徳体の調和のとれた、生涯にわたって自己実現を目指す自立した人間、そして公共の精神をたっとび、国家社会の形成に主体的に参画する日本人、また我が国の伝統と文化を基盤とした国際社会を生きるたくましい日本人の育成が図られる、このように考えているところでございます。
○鷲尾委員 済みません、大臣、発言の一部をとるようで恐縮ですが、先ほど、知徳体というのがございました。私思いますに、やはり戦後の日本の教育の中で、その知徳体の徳が欠けているんではないか、欠けてきたんではないかというふうに思うわけでございます。知育、体育、これだけではやはり子供に、無気力ですとか、結局、秩序の崩壊、学級崩壊を及ぼすだけではないかというふうに思うわけでございます。
 要するに、死と生の意味ですね。死生観に根差した、今をどう生きるべきかという問い、これを横の意識とするならば、自分たちの祖先はいかに生き、そして死んでいったのか、また子孫はどのような生を送ることになるのか、こういう縦の意識ですね。これを学び、どう生きていくかをはぐくむものがやはり徳育である。これが足りなかったんではないか、これは皆さんも当然そう思われていると思うんです。
 ですので、この戦後六十年間の教育行政、これがやはり知育と体育に偏り過ぎてしまって、これを何とか是正しなければ日本の未来はないというふうなことを申し添えまして、ちょっと次の質問に移りたいと思います。
 政府・与党案の第三章第十六条の「教育行政」に、「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない。」とありますが、民主党案にはこの記載、いわゆる不当な支配に関する記述がありません。この点、民主党案はなぜ削除されているんでしょうか。提案者にお聞きいたします。
○笠議員 委員ももう御存じのとおり、これまで不当な支配という、この文言についてはさまざまな解釈があったわけです。そして、当時、昭和二十二年、この教育基本法、現行法ができたときの解説などを見ても、例えば、教育に侵入してはならない現実的な力として、政党、官僚、財閥、組合などの国民全体ではない一部の勢力が考えられるというような解説もあるように、これまで本当に不毛な論争が繰り広げられてまいりました。また、この不当かどうかの判断というものも、だれがどういう基準で行うのかということについても、これは非常にあいまいなままです。
 ですから、私どもは今回、日本国教育基本法をつくるに当たって、民主的な運営という、より明確な概念を用いさせていただいております。そもそも、不当な支配に服することなくとは二重の否定表現で、法文としては非常に異例であり、素直に解すれば、正当な支配に服することが言いたいものと理解しておりますが、不当という言葉は基本法にはなじまないと考えております。
 私どもは、現行法が、教育が不当な支配に服することなくと言っているのは、教育は、法に基づき、公正公平な立場から国民全体に対して奉仕するということだと考えております。ですから、こうした考え方を踏まえて、民主党案の中では、第四条で「学校教育においては、学校の自主性及び自律性が十分に発揮されなければならない。」とし、また第十八条、教育行政において民意を反映させることとさせていただいております。
○鷲尾委員 私も、民主党案の考え方に賛意を示したいと思います。これからの教育行政を考えたときに、やはり余計な混乱を生まないのではないかというふうに思うからです。
 次に、憲法二十条と教育基本法九条の規定は、信仰を強制してはならないというふうにございます。これについての大臣の見解を求めたいと思います。
 もし、宗教に触れなければ政教分離の規定に抵触することは一切ないというような指導が教育の現場でなされているとしたら、これは大変ばかげたことであるなというふうに個人的には考える次第でございます。例えば、いただきますを言わせなかったり、修学旅行で伊勢神宮の入り口の手前で解散するとか、これは行き過ぎた教育じゃないかというふうに思うわけでございまして、例えば交通事故を起こすおそれがあるから車に乗らないと言っているようなものではないかというふうに考える次第でございますが、大臣はどう思われますでしょうか。
○小坂国務大臣 委員が先ほどから述べられていることには、私は多くの賛意と、本当に敬意を持って聞いておるわけでございまして、まさに委員が御指摘なさっているようなことが今日欠けてきて、徳育というものが欠けたということについて御主張されたことも、そのとおりだと思っております。
 ただ、徳育が欠けてきたものの一つに、「教育は、不当な支配に服することなく、」というこの規定が一部の勢力によって間違った使われ方をしたためにそういった教育がなされなかったという部分もあるように思っておりまして、それはすなわち、今御質問いただきました憲法第二十条と教育基本法九条の規定の、信仰を強制してはならないという点についても、同じように不当な支配という部分が影響したというふうに私どもは考えたわけでございます。
 そこの部分をしっかり踏まえた上で、法律によって、憲法に適合する有効な他の法律の命ずるところをそのまま執行する教育行政機関の行為がここに言う不当な支配にはなり得ないという最高裁の判決を引きながら、私どもは今回不当な支配を規定し、そして、ただいま御指摘をいただきましたように、宗教の問題についても、行き過ぎた抑制というものが宗教的ないわゆる情操というものに、御党の方の提案でいえば宗教的な感性と言われるような部分に過度の抑制が働いてしまって、いわゆる人間として必要な情操が十分に培われなかったのではないかというふうに反省をしているところでございます。
○鷲尾委員 ちょっと関連する質問になりますが、政教分離の原則について大臣の御見解をお聞かせ願いたいと思っております。
 先ほど大臣もおっしゃっておりました。政教分離の原則によって、教育行政についてもちょっと混乱が現場で生じているのではないかというお話でございました。これは、日本は至るところで政教分離の原則ということを運用することによって、非常に、要するに社会の混乱を招いているのではないかというふうな面があると私は考えております。
 この政教分離の原則というのは、皆さん御存じのように、戦後アメリカからいわゆる輸入されてきたというようなものでございます。当然アメリカは民主主義国家でございますし、片や多民族国家でもあります。もちろん宗教的にも多種多様である。多種多様ではありながら、では、アメリカの大統領、御存じのとおり、一般教書演説というのがございます、そのときにはやはり大統領は聖書に手を置いて宣誓するわけです。これはキリスト教の様式であります。ところが、アメリカでは、これについて政教分離の原則に反するというふうな声は聞いたことがございません。大臣、この点についてどう思われますか。
○小坂国務大臣 直接的な答弁になるかどうかわかりませんが、外国には、キリスト教民主同盟とか、宗教を冠した政党名もあるところがあるわけでございまして、そういった意味では、日本とは違った政教分離の考え方を持っている、このようにも考えられます。
 日本の場合には、この憲法の精神またそれを引き継いだ教育基本法においても、教育における宗教というものは、その一般的な知識また社会生活における地位は尊重されるべきとしておりますが、それは教育においてはその範囲内に抑制されるべきとしているわけでありまして、このことは、政治においても、憲法の同じ規定、二十条の規定によって、抑制すべきものとして、この政教分離の考え方がなされている、このように理解をいたしております。
○鷲尾委員 大臣、私は、政教分離の原則については、これはほかの国と日本の国が違うとは思いませんよ。私は一緒だと思っております。
 信教の自由というのは、当然これは人間の根本の話ですから、そのために政教分離の原則というのがあって適用されるというのは、これは間違っていないというふうに思います。当然、国家が個人に信仰を強いるとか、そういうことはあってはならないと思います。
 ただ、私が引き合いに出したのは、国家の儀式として、ある宗教の様式を用いるというのは、これは政教分離の原則とはまた違った文脈でとらえられるはずじゃないかというふうに私は考えております。その国に営々と培われてきた伝統、文化に依拠することが大きいんじゃないかと思うんです。そもそも政教分離の原則から離れたところで積極的にそれを運用され過ぎたがために、私は、この日本の社会でいろいろな問題が起こっているんじゃないかというふうに思うわけでございます。
 その点を、先ほど大臣が、政教分離の原則、アメリカとそしてほかの国と日本は違うんだというふうにおっしゃいました。今私が申し上げたことを含めまして、大臣、どう思われますか。猪口大臣も御見解をお願い申し上げます。
○小坂国務大臣 国家の行事における政教分離ということにつきましては、一つは、津の地鎮祭の訴訟判決が一つの参考になるかと思うわけでございます。
 判決をそのまま、ちょっと引用いたしますと、「ある行為が右にいう宗教的」、右というのはこの後で出てくるわけでありますが、「宗教的活動に該当するかどうかを検討するにあたつては、当該行為の主宰者が宗教家であるかどうか、その順序作法(式次第)が宗教の定める方式に則つたものであるかどうかなど、当該行為の外形的側面のみにとらわれることなく、当該行為の行われる場所、当該行為に対する一般人の宗教的評価、当該行為者が当該行為を行うについての意図、目的及び宗教的意識の有無、程度、当該行為の一般人に与える効果、影響等、諸般の事情を考慮し、社会通念に従つて、客観的に判断しなければならない。」とされております。
 こういった宗教の教義にのっとったり、その形式そのものを適用したり、また、それを見る人たちが、言ってみれば布教活動を行うというようなそういう意識を持ったり、そういうことのない範囲であればこれは認められるべきであり、また、その範囲に抵触するのであればこれは慎むべき、このように考えております。
○猪口国務大臣 先生にお答え申し上げます。
 文部科学大臣より非常に的確な答弁がございましたので、少子化担当の私としてはそれにつけ加えることはございませんが、一人の政治家として一言お答え申し上げるならば、民主主義国家同士の関係において、どちらの慣行、どちらの方法がよりすぐれているということはなく、我が国は我が国の考え方として、今、文部科学大臣がお答え申し上げましたような方法をとっていることであり、それについて自信を持つことが重要であると考えます。
○鷲尾委員 確かに一つの判決がございます。その例を引き合いに出されると、それもまだ議論があるところでございますので、やはり社会通念というところで時代は変わっていくものでございますので、その点についてもお含みいただきながら、これからまた議論をしていけたらなというふうに思っております。
 質問を変えたいと思います。
 政府案の第四条三項に、「国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって修学が困難な者に対して、奨学の措置を講じなければならない。」とあります。
 五月二十八日の読売新聞の朝刊一面に興味深い記事がありました。それは、親の経済力の差によって子供の学力格差が広がっていると感じている人が七五%に上っていたというものです。五、六年前でも、済みません、ちょっと不確かで恐縮ですが、同様のことが「不平等社会日本」という中公新書でも紹介されております。
 最近、格差社会の問題でこの辺の議論は活発になされていますが、言うまでもなく、本当に学びたいという優秀な学生さんにはきちんと支援しなければならないということは疑いようのないことです。でも、現状はどうかというと、どうもこれは、奨学生を選ぶ仕組みがちょっとあいまいになってきているのではないかということなんです。
 選考の際に、当然、成績表とか指導教員の推薦状とか必要になります。特に大学院の奨学金選考なんというのは、それこそその推薦書とか成績表にはいいことしか書いていないわけです。では、どういう基準で選ぶかというと、結局、研究科間の力関係ですとか指導教官の力関係でこれは決まってしまうことが多いというのもまた一つの現実でございます。
 本当にこれは奨学金を受けられる人が受けられないというような不平等が生じてしまっている現実も一面あるわけで、ここで大臣にお伺いしたいのが、本当の意味で、優秀な学生に奨学金、これがしっかりと与えられるシステムの構築について、大臣はどのような所見をお持ちでしょうか。
○小坂国務大臣 奨学金という制度はすばらしい制度ですよね。アメリカの場合、大学の学費は非常に高いとよく言われます。しかし、その大半は奨学金で、個人負担を生じないで大学に行っている学生が多いわけですよね。日本もそういった奨学金の制度がより一層充実することを私は基本的に望んでおります。
 現行のことについてまず申し上げたいと思いますが、日本学生支援機構の奨学金事業につきましては、意欲と能力がありながら経済的理由によって修学が困難である学生などを支援するために、これまで充実を図ってきたところでありまして、近年では、無利子、有利子を合わせて、貸与要件を満たす希望者のほぼ全員に貸与ができている状況にあるわけでございます。
 奨学生の採用は、学生本人の申請に基づきまして、各大学において、国、そしてこの学生支援機構が定める学力や家計などに関する貸与の要件を踏まえた選考を行って、各学長からの推薦を受けて、機構が採用すること、こういう仕組みになっております。
 各大学内における選考の実態については、必ずしも私ども的確に、的確というか、詳細を把握しているわけではありませんけれども、奨学金事業の目的を達成するためには、その趣旨にふさわしい学生を選考することが重要でありまして、今後とも各大学において適切な選考、推薦が行われるように、日本学生支援機構を通じて各大学に要請を行ってまいりたい、このように考えておるわけでございます。
○鷲尾委員 ありがとうございます。
 では、またもう一つ、次の質問に移りたいと思います。
 政府案の第七条でございます。第一項に、「大学は、学術の中心として、高い教養と専門的能力を培うとともに、深く真理を探究して新たな知見を創造し、これらの成果を広く社会に提供することにより、社会の発展に寄与するものとする。」という文言がございます。これについて、二〇〇七年度に大学全入時代を迎えると。つまり、大学、短大の進学希望者数と大学の合格者総数が二〇〇七年度に同じになるということがわかっております。
 これについて、二つのことが言えると思うんです。一つは、現行の大学を見ますと、一部、レジャーランド化などとやゆされておりますように、学ぶために行くのではなくて、周りが行っているから行く、とりあえず行くという学生も、中にはいるようでございます。もちろん、ちゃんと勉強したいという学生もおりますでしょうけれども、いずれにせよ、こんな現状では、そもそも学術の発展、ひいては社会の発展に寄与するということは、かなり現実と遊離したものじゃないかというふうに思うわけです。ですから、これは国として、どのような仕組みでこの法律の文言を実行するのかということをお聞かせ願いたいと思います。
 そしてもう一つ、全入時代では、いわゆる勝ち組の大学、負け組の大学ということが出てくるとは思うんですが、近年も、大学数が多い中で、文部省は、どんどん新設大学、学部の許可を出しております。当然、各大学の事情はあろうかとは思いますが、大学の供給過剰状態にあるというのは、これは皆さんの知るところでございまして、そうなると、当然、つぶれてしまう大学というのは出てきます。この大学行政について、大臣はどうお思いでしょうか。二つ、お願いいたします。
○小坂国務大臣 おっしゃるような、一部の大学における、知の探求というよりは、むしろ周りが行くから行くというような傾向があるという御指摘は、一部にはそういうようなものもあると思います。そういうようなことから、今回の教育基本法の改正に当たりましては、大学という項目を新たに設けさせていただいたわけですね。
 この平成十九年度に、すなわち二〇〇七年問題と言われるこの十九年度には、大学、短大の志望者と入学受け入れ規模が一致をして、収容力が一〇〇%に達する、こういう予測がされておることは御指摘のとおりでございます。そういう意味で、量的な側面からすれば充足をされる、こういうことになります。
 このように、多くの学生に対して大学における学習機会が提供されるようになったことは大変好ましいことだと思うわけでございますけれども、今後はどういうことが重要かといえば、委員が御指摘なさったように、知の拠点として大学の質を上げていくことが必要でございますし、また、すぐれた研究成果を上げて、国際競争力の強化を図っていくことが大切でございます。
 こうした認識に立ちまして、文部科学省といたしましては、特色ある大学教育支援プログラムなど、国公私立の大学を通じた大学教育改革の支援経費を充足する、充実すること。この教育改革を支援するための経費を充実することによりまして、教育の質的向上を図るとともに、国立大学に対する運営交付金、それからまた、私学に対しては私学助成といった基盤的な経費や科学研究費の補助金等の競争的な資金を充実することによりまして、高度な学術研究を推進するということにしているわけでございます。
 またさらに、第三者の評価制度の充実を図ることによりまして、これらを的確に運用することによって、各大学の教育研究の質の向上を図ってまいりたい、こう考えているところでございます。
 また同時に、供給過剰の状態にあるということでございますが、大学の設置認可につきましては、従来、原則として新設を抑制する方針をとってきたわけでございますけれども、平成十五年度に、規制緩和を推進する観点からこれを撤廃しております。
 多様な大学が競争的な環境のもとで特色ある教育研究活動を展開できるように、我が国の高等教育の振興の観点からもこのことは意義あることだとは思っているわけでございますが、一方、近年における少子化の影響があって、特に私立大学をめぐる経営環境は全体として大変に厳しい環境になってきております。
 このようなことから、文部科学省といたしましては、昨年五月に経営困難な学校法人への対応方針というものを取りまとめておるわけでございます。この対応方針では、私学の自主性の尊重と学生の就学機会の確保を基本としつつも、学校法人が経営困難に陥らないための事前の指導助言のあり方や、仮に経営困難に陥った場合の対応方策等について、現時点における考え方を整理しております。
 引き続き、この対応方針に基づきまして、経営困難な学校法人に対して自主的な経営改善努力を支援することとしておるわけでございますが、各学校法人においても、経営困難な状態に陥らないように不断の経営改善努力を期待しているところでございます。
○鷲尾委員 時間が参りましたので、最後に一言。
 これは教育基本法にうたわれている問題でございます。基本法でございますから、ぜひその理念が現実にしっかりと生かされますよう、不断に教育行政にしっかりと努力していっていただきたいというふうに思う次第でございます。
 どうもありがとうございました。
○森山委員長 次に、石井郁子君。
○石井(郁)委員 日本共産党の石井郁子でございます。
 憲法に準ずる法律の教育基本法についての全面改定の政府提出の法案でございまして、国会審議に入ったところでございます。私は、やはり立法提案の趣旨、関連資料等がこの審議には不可欠だと考えているものでございます。私自身は当委員会で一回目の質問でございますので、きょうはその点からちょっと入らせていただこうと思います。
 その資料の問題につきましては、理事会等におきましていろいろ議論もありました。そして、先日、二十六日の理事会に「与党教育基本法改正に関する検討会について」という資料が出されました。
 しかし、これを見ますと、第一回から第十回はまとめて一行、「現行法各条文についての議論。論点の整理。」とあるだけでございます。それで、十一回から二十六回ということで、これだけの、十回以上の回数も一行、「教育基本法改正の枠組み、「中間報告」案についての議論。」とあるだけでございます。等々で、あと、六十回から最新の七十回までは一行ずつございますけれども、私はこれを見て驚いているわけでございまして、大臣に率直なところをまず伺いますけれども、これが検討会の会議録というものでしょうか。
○小坂国務大臣 当委員会の理事会、五月二十六日ですか、そこで協議をされた結果として資料が提供された、その提供された資料に対する御意見でございますけれども、与党の協議会に関してどのような資料を提出するかということにつきましては、与党が判断されるべきものでありまして、政府としてはお答えする立場にない、このように考えております。
 いずれにいたしましても、国会において法案の審議を進めていただくことを期待しておるわけでございまして、政府として、法案審議のために適切な対応をしてまいりたい、このように考えております。
○石井(郁)委員 私どもはやはり会議の会議録ということが最小限必要ではないかということでございまして、出されたのがこういうものですということで、まず、これを会議録と見ることはできるのかどうかということの、いわば御感想的に伺ったわけですが、今のような御答弁でございました。
 そこで、改めて、この現行の教育基本法、これは当時、本当に戦後の混乱期だったと思いますけれども、第一線の学識者が慎重に議論をされたということですよね。私、きょう持ってまいりましたけれども、この教育刷新委員会、これは第一回の記録で、ずっとありますけれども、これだけの、各委員がどういう発言をされたかという記録がちゃんと残っているわけですよ。私は、立法提案というのはこういうものだというふうに思うんですね。しかも、今度これを全面改正するという中身でございますから、そういうものだと。こういう会議録があれば、これは復刻ですけれども、後々、後世、我々が読むことができるという点でも、どういう議論を経てこういう条文になったのかと、その立法者の趣旨ということは、やはり理解する上では会議録というのはもう不可欠なものだというふうに思うんですね。
 ところが、今もって今回は示されてないんですよ。私たち見るものがありません。中教審でも会議録というのはかなり大部なものがあるというのは、もう皆さん周知のとおりでございます。ですから、どういう審議で今回の条文になったのかということは、やはり明らかにしていただきたいということなんですね。
 その議事録というのは、そもそもあるんですか、ないんですか。これはいかがですか。
○小坂国務大臣 与党協議会のことでございますので、そこにどのようなものが残っているのか、私どもとしては申し上げる立場にございません。
○石井(郁)委員 与党与党とおっしゃいますけれども、これは政府提出の法案なんですよ。私は、今の大臣の答弁は大変おかしいと思います。(発言する者あり)おかしいですよ。この与党の検討会に文部科学省も加わっていたじゃありませんか。そうですね。その都度、文科省が論点整理、資料の説明、そして法案の整理、各条をどういうふうに整理するかということをされてきたんじゃないんですか。
 これは、当委員会にも保利委員もいらっしゃいますけれども、この検討会の後には毎回記者レクというのをやっていましたね。私もその記者レクのメモを見せていただいたこともあります。そこによりますと、かなり本当にいろいろなことを、これは保利会長自身がおっしゃっているんですよ。
 例えば、先々週、文科省に、可能であれば、政府案みたいなものをできる範囲で示してほしいとちゃんと要求したということが残っています。我々がここでの議論をもとにつくったたたき台に対して、内閣法制局意見が出て、それをもとに文科省が一条一条素案をつくっている、その一部をきょうは出されましたと、これは四月二十日なんですけれども、おっしゃっておられます。きょうは論点を文科省に整理してもらって、法文を突き合わせながら検証した。また、文科省としてはまだいろいろ論点が残っているというので、きょうは、憲法とのかかわり、義務教育にかかわる問題、宗教教育にかかわる問題、教育行政にかかわる問題など、今までどういう議論があったのか、かなり詳しい資料をつくってくれたと。
 ですから、まさにこれは与党と文科省との共同作業なんですよ。これは、私、その記者レクのメモを持っておりますけれども、それはもう記者の皆さんがよくお聞きのとおりなんであります。
 ですから、何が論議されたのか、何が論点だったのか、どういう法案作成作業をしたのかを小坂大臣が全く知らないとなったら、知らなくてこの法案を提出したのかということにもなりますので、私は、何が論議されたのかという説明責任があると思うんです。これは文科省としての説明責任を果たすべきだと思いますが、その点はいかがですか。
○小坂国務大臣 私はその検討会に出席しているわけではございませんので、その協議会検討会においてどのような議事が行われたか等については、これは与党の方にお聞きをいただきたいと思うわけでございます。
 この与党の教育基本法改正に関する検討会における審議のために、文部科学省として例えば仮要綱案のようなものを提供したではないか、こういうお話だと思うのでございますが、これは、この検討会の審議に資するために、その求めに応じて、中教審答申や、それまでの与党での議論を踏まえた議論のたたき台として仮要綱というようなものを提出したことはございますけれども、これはあくまでも与党における議論のたたき台として作成したものでございまして、その公表にかかわることは与党が判断すべきもの、このように考えているところでございます。
○石井(郁)委員 毎回の記者レクの記録というのはかなりちゃんと、それなりにあります。だから、それは文科省として持っているはずですよ。毎回、与党と文科省との検討作業を行ってきたという事実があるわけですから、それは文科省として、やはりきちんと整理をされて、私は提出されるべきだと思います。
 この点は、委員長にもぜひそのようにお諮りをしたいと思いますが、いかがですか。
○森山委員長 ただいまの資料の要求につきましては、理事会において協議したいと思います。
○石井(郁)委員 それで、具体的に、内容に入ってお尋ねをしたいと思います。
 昨日の参考人の質疑でも一定出されましたけれども、中教審答申とそれから今回の法案との間には、幾つか違いがございます。そういう意味でも、なぜこういう法案になったのかということを私たちは知る必要があるわけですね。
 中教審には、現行の教育基本法を貫く個人の尊厳、人格の完成、平和的な国家及び社会の形成者などの理念というのは、憲法の精神にのっとった普遍的なものとして今後とも大切にしていくとか、また、今日極めて重要と考えられる以下のような教育の理念や原則を明確にするため教育基本法を改正することというようなことになっておりまして、つまり、現教育基本法をベースにして、私たちはこれをいわば部分改定だというふうに受けとめたわけですね。
 ところが、今回は、いわば総改定だ、全面改定というふうになっているわけで、この点でも、やはりどういう審議でこういうふうになったのかというのは御説明いただかなきゃいけないと思うんですが、いかがですか。
○小坂国務大臣 法令について改正を行う場合には、その改正部分が広範囲にわたり、かつ規定の追加や削除、移動が大幅に行われる場合には、一部改正の形式をとらずに、法令の全部改正という場合が多いわけでございます。
 教育基本法につきましては、昭和二十二年の制定以来、一度も改正が行われておりませんで、今回の改正におきましては、前文を初め改正部分が広範囲にわたりまして、また規定の追加等が大幅に行われることから、全面的に改めるというふうにしたわけでございます。
 なお、中央教育審議会答申におきましては、具体的な改正方式についての提言はいただいていないところでございます。そういった面から、今回の全部改正ということの御理解を賜りたいと存じます。
○石井(郁)委員 中教審のことですけれども、確かに条文立てということまではしていなかったというふうに思うんですね。それを一点確認をさせていただきたいと思います。しかし、結果として出された案、検討会の案というのは、前文と十八条立てということになっておりますので、どういう審議を経て、今多少お話しいただきましたけれども、この十八条立てになったのか。その審議の経過、そこがまだ明確になっていないというふうに思うんですね。
 そういうプロセス、例えば、そこにはいろいろな議論がやはりあっただろう、教育ですから、やはりそういう議論を経てこういう結論に至ったという部分があると思うんですね。それがまた、私たちも、国会審議、また国民の皆さんに説明する上でも大変大事なところだというふうに思いますので、どういう議論でこの十八条立てということになったんですかということを重ねてお聞かせください。
○小坂国務大臣 今回の改正に当たりましては、中教審答申、そしてまた与党における最終報告、またその前の国民会議の報告、こういったものを全体的に配慮して、そういったものの中から私どもとしてこの法案の条文立てを行い、提出したわけでございます。
 したがいまして、私どもとして必要な条項を立ててまいりますと、最終的に十八条という条文立てになったということでございます。
○石井(郁)委員 中教審の場合、義務教育の年限についてですけれども、この義務教育の九年間の規定は引き続き規定していくということが適当だというふうにあったかと思うんですね。ところが、今回、それが取り払われています。それから、幼児教育についても、中教審では全く議論されていませんでした。この点も、どういう議論を経て今回の条文立て、そして義務教育の年限を取り払ったのか、幼児教育を加えたのかということはいかがですか。
○小坂国務大臣 中教審答申との違いを述べられましたけれども、昨日の参考人質疑におきまして、鳥居中教審会長は、九年の年限を削除したことについて、自分もこれを事前に知っていたわけではないけれども、これを見てみて、これは適切だ、こう考えたという答弁といいますか、意見を述べておられます。
 教育の年限につきましては、今回の法案においては規定せずに、将来における延長の可能性も視野に入れつつ、その手続が柔軟に行えるように学校教育法にゆだねることとしたわけでございます。
 また、幼児期の教育につきましては、心身の健やかな成長を促す上で重要な意義を有することにかんがみまして、家庭、幼稚園等の施設、地域社会における幼児期の教育の重要性を規定するとともに、国及び地方公共団体がその振興に努めなければならない旨を規定することとしたものでございます。
 なお、これらは、教育基本法改正に関する中教審答申には必ずしも明示されてはおりませんけれども、その後の中教審答申や、この教育基本法改正に関する与党協議会の最終報告などを踏まえて、このような規定としたものでございます。
○石井(郁)委員 今の御答弁を伺っても、結果としてというか、こういう結論です、その結論はこういうことですということはおっしゃったわけですけれども、お聞きしていますのは、それにはやはり相当な議論があっただろう、だから与党検討会も三年間かけてこられたわけでしょう、その議論が見えないんですよね。そこには、やはり賛否両論があったり、あるいはまた、賛成でもいろいろな理由づけがあったりするでしょう。それが全く示されないんですよ。結論だけが押しつけられている。
 それは、私は、国民の方にしたらもっと深刻だと思うんですね。だって、中教審答申は三年前ですけれども、二年前に与党の中間報告案というのが出されました。その後、今日までというのは全くのブラックボックスです。そして四月、突然この法案概要として示されて、四月の末、法案提出ということになりました。だから、国会も国民もこの法案についてはそれまで全くわからない。しかも中教審とは違うものが随分入っている、こういうことですから、それはどういう議論でそうなったのかというのは、私は、文科省が説明責任を果たすべきだというふうに思うんですね。そうしなければ、余りにも国会軽視でもありますし、また、国民に対する説明責任を果たすことにもならないというふうに思うんです。その意味で、私は、到底今のような御答弁だけでは満足できないわけですね。
 教育刷新委員会では何しろこれだけの議事録が残る話ですから、戦後初めてのいわば大改定のときに、ただ結論だけおっしゃっても、それでよしとするわけにはいかない。どういう議論があったのかということは、徹底して、議事録として、あるいはできる限り国会に開示されるべきだというふうに思います。
 この点では、政府提出ということでございますので、きょうお越しいただいている官房長官にも、通告はしておりませんけれども、一言、こういう事態をどのようにお考えになっていらっしゃるのか、お尋ねしたいと思います。
○安倍国務大臣 私も二年前幹事長として与党の協議に参加をしていたこともあるわけでありますが、会を重ね、極めて広く深く議論をしていた、このように思っております。
 これは与党での協議でございますから、政府として、その中身を出せとか議事録を出せと言う立場ではないというふうに考えております。
○石井(郁)委員 私、ありがとうございますとあえて言いたいんですけれども、広く深く議論されたんだったら、やはりそれはぜひお示しください。それは文科省がお入りになってされているんですから、それは当然審議に当たって示していただきたいと思うんですね。それは申し上げておきます。
 それで、きょうは猪口大臣にもお尋ねしたいと思います。
 やはり中教審との関連でございますけれども、中教審答申では、新たに規定する理念として、男女共同参画社会への寄与というのを挙げられておりました。ところが、政府提案の法案にはその文言はなく、男女の平等、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参加し、その発展に寄与する態度を養うということになっております。
 この男女共同参画社会への寄与ということが男女平等ということに置きかえられただけなのかどうか、なぜそうなったのか、その議論の経緯をお聞きでしょうか。
○猪口国務大臣 石井先生にお答え申し上げたいと思います。
 まず、男女の平等という表現ですけれども、これは非常に重要、そして非常に積極的な趣旨で規定したものでございます。政府提出の法案におきまして、第二条第三項、これはまず正義と責任、あるいは自他の敬愛と協力、あるいは先生もおっしゃってくださいました、主体的に社会の形成に参画、このような態度とあわせて、男女の平等を重んずる態度、そういう表現にしております。ですから、これは私としては非常に積極的な内容と考えております。
 言うまでもなく、男女共同参画社会の実現が求められていて、その観点も踏まえていると考えております。大変に積極的かつわかりやすく重要な表現、男女の平等でございます。
○石井(郁)委員 私、残りの時間、愛国心の評価問題でお尋ねをいたします。
 本法案の審議に入りまして、愛国心の通知表というのが大問題になりました。小坂大臣も、評価でA、B、Cをつけるのはとんでもないという御答弁もございました。その後、新聞各紙もいろいろと報道されたところでありまして、現在、埼玉県で五十二小学校、また岩手県、茨城県などでも愛国心の評価が行われているということがございました。
 文科省としまして、この愛国心の評価で実態を把握されているでしょうか。これも大臣にきょうはお願いしていますけれども、大臣いかがですか。
○銭谷政府参考人 通知表でございますけれども、通知表は、各学校がその責任において適切に判断して使っているものでございます。現在、報道等によりまして、通知表の中で国を愛する心情についていろいろな評価がなされているということが言われているわけでございますが、我が国を愛する態度の評価に際しましては、児童生徒の内心を調べ、国を愛する心情を持っているかどうかで評価するものではございません。その学習の内容について自分で調べたり、あるいは意欲を持って臨んでいるか、そういった姿勢を総合的に評価するものでございます。このような趣旨の考え方については、文部科学省としてその趣旨の徹底を図っているところでございます。
 このことから、文部科学省といたしまして、全国の学校における通知表の内容について調査をするということは考えていないわけでございますが、評価の考え方につきましては引き続き趣旨の徹底を図ってまいりたいと思っております。
○石井(郁)委員 現実に愛国心を通知表に載せて、A、B、Cというランクをつけているということが報道されているんですから、そういう実態については私はきちっと把握すべきだというふうに思いますし、問題は、なぜこういう事態になっているのかなんですよ。
 私は、そのもとは、やはり文部科学省が平成十年に学習指導要領に載せましたね。「我が国の歴史や伝統を大切にし、国を愛する心情を育てるようにする。」ということを書き込みました。その後、平成十三年の四月には、小学校児童指導要録、中学校指導要録等の改善という通知を出されているんですね。その通知で、「学習指導要領に示す目標に照らしてその実現状況を評価することに改める。」ということがあります。そして、指導要録に記載する事項としている。ここから来ているんじゃありませんか。
 その中で、社会では、学年別の評価の観点の趣旨として、我が国の歴史、我が国の役割云々ということの中で、国を愛する心情とともに云々、日本人として世界の国々の人々とともに生きていくことが大切であるという自覚を持とうとすると。だから、国を愛する心情とか日本人としての自覚とかいうことが、ここの中で評価の観点ということに入ったんですよ。それで通知表に書かれるようになったということがあるんですね。
 いかがですか。やはりこういうことから、文科省がまさにこういう通知表を作成するような行政指導をしてきたからじゃありませんか。その点は、大臣、いかがでしょう。これは大臣、ぜひ御答弁ください。
○小坂国務大臣 今御指摘の学習指導要録でございますけれども、在学する児童生徒の学習及び健康の状況を記録した原本でございまして、法令上は学校に作成、保管義務がある書類でございます。様式は設置者である教育委員会が定めることとしております。文部科学省がこの十三年四月に現行の学習指導要領のもとでの学習指導要録の様式の参考例を作成して通知をした、その中で、小学校六年生の社会科の社会的事象への関心、意欲、態度の評価の観点の趣旨として、御指摘がありました、「我が国の歴史と政治及び国際社会における我が国の役割に関心をもち、それを意欲的に調べることを通して、我が国の歴史や伝統を大切にし国を愛する心情をもつとともに、平和を願う日本人として世界の国々の人々と共に生きていくことが大切であることの自覚をもとうとする。」と記載しているわけでございまして、これは、子供の内心を調べて国を愛する心情を持っているかどうかを評価する趣旨ではないわけでございます。
 すなわち、我が国の歴史と政治及び国際社会における我が国の役割に関心を持って、それを意欲的に調べるといった学習内容に対する関心、意欲、態度を総合的に評価するという趣旨でありまして、過日も申し上げましたけれども、国を愛するという心情を持っているかどうかという内心を評価するということは、これはすべきでないと私も思うところでございます。
○石井(郁)委員 やはりはっきりさせなければいけないことがあると思うんですね。指導要録というのは義務づけられているというふうにおっしゃいました。学習指導要領に示す目標に照らしてその実現状況を評価することに改めるということで、目標に照らしてその評価をするというふうにしていますから、今問題になっているああいう通知表が出てくるんだと思うんですね。大臣は総合的にとおっしゃいましたけれども、あの通知表を見ますと、国を愛する心情、日本人としての自覚云々ということが項目として載っている。載せてきたんじゃないんですか。
 私は、いろいろ言われるけれども、こういう愛国心の評価をやめさせるのかどうなのかということになりますと、こうした通知を撤回させる以外にないと思うんですよ。指導要領に沿って目標を立て、そしてその実現の評価をするということを通知しているんですから、そういう通知はやはり間違っている、撤回するという立場に文科省として今は立つべきだ。そうしなければ、この愛国心の評価というのは残っていくわけです。
 私は、その辺は、愛国心評価などとんでもないという発言をされた文科大臣としては、やはりきちんとされるべきだと思いますが、いかがですか。
○小坂国務大臣 この通知表の書き方ですけれども、通知表自身は、各学校がその責任において適切に判断すべき事項でございますので、どのような記述を行うかというのは学校にゆだねられるわけでございますけれども、その中で、国を愛する心情を持っているかどうかということで評価をするというようなことをしてはならないということについて、私どもは適切な指導を行ってまいりたい、このように思うところでございまして、我が国の歴史や伝統に関する学習内容に対する関心、意欲、態度を総合的に評価するということで、評価というのはあくまでもなされるべき、こういうことを、あらゆる機会を通じて、学校にも徹底してまいりたいと考えております。
○石井(郁)委員 もう時間なんですけれども、現在の学習指導要領に、国の歴史や伝統を大切にして、国を愛する心情を育てるようにするということを書いて、さらにそれを通知で、指導要録でもきちんと観点評価するようにということになった中で、今日の問題の愛国心の評価ということが出てきたわけですね。
 今回の法案というのは、それを法律そのものに今度は格上げするわけですよ。法案の第二条、教育の目標、そこに載せているわけですから、態度を育てるようにするというふうにしているわけですから。指導要領で、今現実に起きているいろいろな混乱が、今度は法律へ格上げする、法律の名前で一層強制が働くようになるというのが、私は今回の法案だというふうに思うので、この法律はもう撤回以外にはないということをこの点に限っても申し上げて、きょうの質問を終わります。
○森山委員長 午後一時から委員会を再開することとし、この際、休憩いたします。
    午後零時二分休憩
     ――――◇―――――
    午後一時一分開議
○森山委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。
 質疑を続行いたします。下村博文君。
○下村委員 自民党の下村博文です。
 教育基本法について質問させていただきたいと思います。政府並びに民主党の提出者に質問をきょうはいたします。
 先日のクエスチョンタイムで、私は、民主党の小沢代表が結構的確な質問をされたなというふうに実は感心をしておりました。それは、教育の責任はどこにあるかという質問だったわけでありますけれども、それに対して、小泉総理がかなり一枚上手で、ある意味では小沢代表が意図するところと全然別の次元で、別のレベルでお答えになりまして、小泉総理は、それはもう家庭であると。まさにそのとおりなわけですけれども。
 恐らく小沢代表は、この教育基本法の改正を念頭に、法的な意味で教育の責任はどこが持つのか、そういう視点から多分質問されたのではないかなというふうに思っておりますが、私も、今回の教育基本法というのは、まさにこれからの、国と、文部科学省ですね、それから都道府県の教育委員会、また区市町村の教育委員会、それから学校現場、このかかわり合いをどうするかという、極めて我が国の学校制度における本質的な問題にかかわっていることでもあると思うんですね。ですから、私のところにも、毎日、もう数百ぐらいと言ってもいいかもしれませんが、特に教育基本法反対派から、はがきからメールから、連日来て、ちょっとその処理に困っているんですけれども。全部中身は同じなんですけれどもね。
 しかし、それにしても、教育基本法だけ変わってこの国が変わるということじゃなくて、教育基本法を変えることによって、その下部法令、学校教育法とか地方教育行政組織法とかあるいは地方自治法とか、あるいはさらには学習指導要領も含めてこれを大きく変えていくということになる、またそうでなければ教育の構造改革あるいは教育改革ということにはならないというふうに思います。
 ですから、教育基本法というのは、まさにその理念法の方向を定めて、そして下部法令も同時に速やかに変えることによって、この国の五十年先、百年先の教育における明確なビジョン、それを国民の皆さんにわかる形で示すということが我々立法府の役目であるというふうに思います。ですから、ぜひ大臣におかれましても、この教育基本法だけではなく、役所のそれぞれのつかさつかさに対して、その下部法令の法令の改正を含めた準備を同時に行うような、それをぜひ徹底していただきたいと思います。
 私は、特にきょうは、限られた時間の中で、教育行政を中心にお聞きしたいと思います。具体的な法律案でお聞きしたいと思っておりまして、まず、政府案における第五条における義務教育について伺いたいというふうに思います。
 その前に、私も超党派の議連である教育基本法改正促進委員会に入っておりまして、私も起草委員長をしておりましたから、我々の議連の教育基本法案にはかなりの思い入れを持っているんですが、しかし、国会の今の状況等を考えた中で、とりあえずは今国会には法案提出は遠慮しているということでございますが、その議連の義務教育の第一項においても、「国は、義務教育に対する権限と責任を有する。」ということで、我々の議連の義務教育の改正案の中にも、国の責任、権限と責任を有するということを明確に打ち出しました。
 また、民主党案もなかなかよくできているなというふうに、率直なところ、評価いたします。部分的にはいろいろ問題があるところもあるのではないかと思いますが、しかし、民主党の中の同じところ、民主党では第七条ですが、第三項で「国は、普通教育の機会を保障し、その最終的な責任を有する。」ということで書かれているわけであります。
 一方で、政府案は、議連とかそれから民主党案と比較しますと、第三項で「国及び地方公共団体は、義務教育の機会を保障し、その水準を確保するため、適切な役割分担及び相互の協力の下、その実施に責任を負う。」としているんですね。この案は、我々の議連それから民主党案に比べると、今後の国と地方公共団体のあり方、これが明確に書かれていないわけであります。
 私は、この関係が問題だと思うんですね。ある意味では、四重構造のもたれ合い的な部分がやはり今の教育の問題点の一つであることは間違いないのです、お互いに責任転嫁することによって。文部科学省も、監督権限はないけれども、しかし一方で、学校の現場はやはり文科省のさじかげんで右往左往しているということは事実なんですね。監督権限はないけれども実質的にはかなりの影響力があるということも事実で、それが、では、どこに責任があるのかということで、責任転嫁をそれぞれがすることによって我が国の教育改革がなかなかよく方向として進んでいないという部分がある中で、私は、今回の教育基本法でやはりこれを明らかにするということは当然のことだと思うんですね。しかし、今回、政府案ではそれがはっきりされていません。
 国とそれから地方公共団体の関係についてどういうふうに読み込む必要があるのか、また、基本法そのものが、相互に責任を負うということであれば、先ほど申し上げたように、下部法令等でどのように位置づけようと考えられているか、まず伺いたいと思います。
○小坂国務大臣 下村委員におかれましては、教育行政にふだんから大変御熱心な関心をお持ちいただきまして、いろいろな場で意見を述べる等、日本の教育行政の進展に対して日ごろから御貢献を賜っていることにまずもって敬意を表したいと思います。
 義務教育を初め教育を推進するに当たりましては、国と地方公共団体が一定の役割分担のもとに、相互に協力しながらそれぞれの責任を果たしていく、そういうことが重要だと思っておりますが、現行基本法におきましては、国及び地方公共団体相互の関係に関しては規定をしておりません。これらの具体的な内容については、学校教育法や地方教育行政の組織及び運営に関する法律など、委員が御指摘をされました下部法令という、いわゆる個別の法令において規定をしているところでございます。
 このために、法案の第五条では、義務教育について、国と地方公共団体が適切な役割分担及び相互の協力のもと、その実施に責任を負うと定めておるわけでございまして、また、第十六条におきまして、教育行政全般につきまして、国は全国的な教育の機会均等と教育水準の維持向上を図りということで、この総合的な教育施策を実施すべき面がこの責任の範囲であるということを明確にしております。また、地方公共団体は地域の実情に応じた教育施策を実施すべき旨を規定しているわけでございまして、国と地方公共団体が相互に協力すべき旨を全般として規定しているところでございます。
○下村委員 せっかくですので、民主党案についてもお聞きしたいと思いますが、同じところ、「その最終的な責任を有する。」というのは、具体的に法律でどんなふうに担保されるのか、またその意味するところはどういうことなのか、お聞きしたいと思います。
○武正議員 下村議員にお答えをいたします。
 日本国教育基本法案第七条三項、「国は、普通教育の機会を保障し、その最終的な責任を有する。」についての御質問でございます。
 この意味は、機会均等の保障と水準の確保をきちっと国が責任を持って行うということでございます。具体的には、前者は財政的支援、後者は学習指導要領などで基準を示すということで責任の所在を明らかにしたものでございます。
 また、民主党の日本国教育基本法案は、補完性の原理を基本的に踏襲しています。行政は、国民に身近なコミュニティー、基礎自治体が担い、都道府県、国がそれを補完するという考え方のことでございます。ですから、十八条二項、教育行政は地方自治体の長が行うとし、三項、四項で、教育行政に関する民主的組織整備、地方自治体が設置する学校は、主体的、自律的な運営を学校理事会制度で行うとしています。
 ちなみに、民主党の憲法提言、四月衆議院提出の民主党の行革推進法案でもこのことを骨子にしております。
 以上です。
○下村委員 後半の部分は改めて確認、お聞きする必要があると思うんですけれども、前半の部分は余り政府案と変わらないですね、答弁が。要するに、国と地方の役割分担の問題ですけれども。
 それはいいとして、大臣にお聞きしたいと思うんですが、先ほども大臣が十六条の教育行政の中で触れられましたが、この十六条のところはやはりポイントになっていると思うんですね。最初のところで、「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われる」、これで始まっているわけでありますけれども、これは御承知かと思いますが、自民党の中でもこれについてはかなりの議論がございました。
 この中で、「不当な支配に服することなく、」ということが具体的にどういう意味かということは、今まで再三再四お答えになっておられるわけですから我々もよく理解をしております。ただ、これがなくても、法律そのものは、第十六条は十二分に通じるのではないか。最高裁判決を、再三このときに大臣が答弁をされていますが、しかし一方で、先日も共産党の方がそれについて反論もしているように、やはり見方によってこれは決着していないんですね。
 ですから、そういう意味では、この言葉を入れることによって、まさにこれからも不毛な論争をするのであれば、この「不当な支配に服することなく、」というのは、かえってない方がすっきりするのではないかというふうに改めて思うんですが、「不当な支配に服することなく、」という文言がある場合とない場合、この法律の内容にどのような違いが出てくるのか、伺いたいと思います。
○小坂国務大臣 「教育は、不当な支配に服することなく、」ということは、教育が、国民全体の意思とは言えない一部の勢力に不当に介入されることを排除し、教育の中立性、不偏不党性を求める趣旨でございます。このような考え方は中教審答申でも指摘されておりまして今後とも重要である、このように考えたことから、引き続き規定することといたしたわけでございます。したがって、御指摘の部分を削除した場合にどうなるかということでありますが、その場合には、教育の中立性、不偏不党性という理念が明らかにされないこととなると考えるわけであります。
 なお、「不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより」、このように明確に規定することによりまして、この法律の定めるところにより行われる教育委員会等の命令や指導などが不当な支配ではないということが明確になったものと考えるわけでございます。
○下村委員 もともと、教育委員会やあるいは地方行政のことが不当だと言うこと自体が、民主国家我が国において、自由と民主主義のこの国において、そもそも法律用語としてなじまないというふうに私は思うんですね。ですから、この言葉を入れることによって、これが一部の組合等のイデオロギー集団だけだということをあえて限定するということ自体が、いろいろな解釈が生まれてくるのではないかなというふうに思います。ちょっと今後の課題ではないかと私は思います。
 それから次、今の十六条ですけれども、先ほどの義務教育のところと同じ文言が十六条でも入っているんですね。「教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない。」こういうふうに、短い教育基本法改正案の中で似たような文言がこの十六条にも、先ほどの五条にもある。
 しかし、先ほどの大臣の答弁でもちょっと感じたんですが、では、実体的にどうするのかということについてまだ抽象的ではないかということで、適切な役割分担ということは要するに今のままでもいいじゃないかということでもあると思うんですが、今のままでいいのか悪いのか、あるいはなぜさらに同じような表現を五条、十六条で繰り返し述べられているのか、それについて伺いたいと思います。
○小坂国務大臣 法案第五条では義務教育について、御指摘のように国と地方公共団体が適切な役割分担及び相互の協力のもとその実施に責任を負う旨を定めております。これは、憲法第二十六条がすべての国民に対して無償の義務教育を保障していることを受けて、国と地方公共団体の両方が一定の役割分担と協力のもとに義務教育の実施に責任を負うということを明確に規定したものであります。
 法案の第十六条において同様に、義務教育も含め、教育行政について国と地方公共団体の適切な役割分担及び相互の協力のもとに行われなければならない旨を規定しておるということは、国及び地方公共団体の主な役割を明確にするという意味で規定をしたものでございまして、繰り返しになりますが、国が全国的な教育の機会均等と教育水準の維持向上を図り総合的な教育施策を実施すべき旨を、また地方公共団体が地域の実情に応じた教育施策を実施すべき旨を規定することとしたところでございます。
 繰り返し同じような規定を設けているのではないかということでございますが、片方は義務教育というものについての考え方を述べたものでありまして、第十六条では教育行政においてどのような役割分担をなすかということについての根本的な考え方を示したものと理解していただきたいと思います。
○下村委員 では、具体的にそれを下部法令等でどう担保するかということについてお伺いしたいと思いますが、その前に、民主党の提案者に対して、同じ教育行政について、民主党では十八条になっていますが、政府案とどう違うのかということでお聞きしたいと思います。
 それというのも、我々自民党の中でも、民主党案、全般的にはよくできているなというふうな感想を持っている人も結構多いんじゃないかと思うんです。ただ、よく民主党がまとまったなと、なおかつ、民主党を支援している団体がよくこれで了解したなということについては、率直なところ、我々はちょっと不思議に思っているんです。そのポイントが十八条だと思っているんですよね。この十八条の教育行政はそういう組合組織等も同意するような文言になっているのではないか、我々はそういうふうに解釈せざるを得ないと思うんですね。
 それというのも、第一項で、「教育行政は、民主的な運営を旨として行われなければならない。」この「民主的な運営」とは何なのか。それから、第二項でも、「地方公共団体が行う教育行政は、その施策に民意を反映させるものとし、その長が行わなければならない。」、民意を反映させるということは、一体何なのか。それから、三項目もそうなんですね。「地方公共団体は、教育行政の向上に資するよう、教育行政に関する民主的な組織を整備するものとする。」
 一つの法律の条文の中に、一項、二項、三項と、いずれも民主的云々という言葉があり過ぎることによって、この民主的というのは、恐らくそういうのが前提としてあって、そして支援団体の協力も得られたんだろうというふうに思っている人が我々は結構多いんですが、その真意についてお聞きしたいと思います。
○笠議員 今、よくまとまったなということで、まとまるべくしてまとまったんです。これは本当にいろいろな議論がありましたけれども、今、具体的な御指摘として、私どもが、「不当な支配」をなくして「民主的な運営」というふうにしたのはどういうことだということだと思うんですが、先ほど下村委員の方からもあったように、やはりこの「不当な支配」というのはさまざまな解釈があって、これからもやはりそのことによって混乱を招く危険性が非常にあるという危惧は、これはもう本当に共有をしております。
 そして、今御指摘のような心配ですか、例えば私どもの関係する一部の団体がどうなんだということでございますけれども、いや、そういうことは私どもはないと思います。それはなぜかというと、これは、十八条の四項で、学校理事会を置くことを明記しております。そこには、学校関係者だけでなくて、保護者はもとより、あるいは地域住民の方にも参画をしていただくことになっております。まさに学校を地域に開いて、そして地域によってもきちんとチェックをしていくということ、そのことで懸念を払拭できますし、さらには、首長の責任を明確にしておるわけです。
 これは、当然ながら、民主政治の基本というか、選挙で選ばれるのが首長でございますから、首長に権限を持たせているわけで、これを否定するということになりますと、そもそも民主主義というものが成り立たないということになりますので、我々は、選挙で選ばれる首長の権限というものをしっかりと明確にさせていただきました。
○下村委員 今の笠さんのお答えでは、ちょっと我々としては納得できる内容ではないですね。
 それから、それぞれの地方自治体の長というのはもちろん選挙で選ばれるわけですから、その自治体に対してとやかく言う筋合いは全くありませんけれども、しかし、義務教育というのは、やはり全国津々浦々で教育水準等がきちっと確保されていなければいけませんから、それがある自治体の首長の判断によって変更することもあり得るようなことがあったとしたら、これはかなり問題ではないかと思いまして、そういう意味で、先ほど指摘した三点の民主的なという文言についての説明は、きちっとされていなかったというふうに思います。
 その中で、今のお答えの中で、二項のところで、「民意を反映させるものとし、その長が行わなければならない。」これは、具体的に教育委員会を廃止するということではないかということが一部報道されていましたが、そういうことでいいんですか。教育委員会はもう廃止しちゃう、都道府県の教育委員会や市町村の教育委員会はもう廃止しちゃって、つまり、もうそういうのはなしにするということの意味なのかどうか、お聞きしたいと思います。
○笠議員 今御指摘がありましたように、私ども、これは附則の一条の中で、今後、このあり方については、関係法令を定めていく中でしっかりと検討することにしておるわけですけれども、地方公共団体の行う教育行政については、首長と教育委員会との二元行政、この問題点がかねてから指摘をされておりますので、私どもは、現行の教育委員会制度というものは発展的に解消していく。
 そして、ではその中でそのかわりにどういう組織をつくっていくのかといいますと、これは私ども、教育行政に関する民主的な組織にしていくということで、首長が執行する教育行政を監査するオンブズマン的な組織を想定しておるところでございます。
○下村委員 教育委員会を廃止して民主的な組織をつくるということの、民主的な組織というのがちょっとわかりづらいですね。
 例えば、私、個人的な立場でいえば、義務教育については、例えば県の教育委員会の関与はもう外しちゃう、設置主体である市町村、そこが、国とそれから市町村の教育委員会と学校現場、県の教育委員会は例えば高等教育にのみ特化するとかという意味ではわかりますけれども、民主的な組織と教育委員会はどう違うのか、それをもうちょっと明確にしていただきたいと思います。
○笠議員 今の現行法においては、今委員が御指摘にあったとおりに、県教委というものがまず廃止をされて、当然ながら、設置者が市町村に、教育委員会に当面ゆだねていくということになると思いますけれども、首長の考える組織というものが、では今のような教育委員会のようなものがいいのか、それとも、やはりそこあたりというものは、先ほど申し上げましたオンブズマン的ということでございますので、そういう監査をしていくような新たな組織に改めていくべきということも考えられるのではないかと私は思っております。
○下村委員 これは、もうちょっと民主党の中で今後明らかにしていただきたいというふうに思います。
 それから、先ほどお答えのあった、要するにコミュニティ・スクールになれば、組合組織等、一部のいろいろなイデオロギー団体等の影響にならないような発言がありましたが、そういうことはあり得ないのではないかと思うんですね。そもそも、コミュニティ・スクールを実際今進めていますけれども、必ずしもまだうまくいっていませんよね。全国で百校あるかどうかぐらいで、絶対数としても圧倒的に少ない。確かにコミュニティ・スクールがいろいろなところで行われるということは望ましいことだと思いますが、ただ、地域によっては、いろいろな影響力の中で恣意的に教育が曲げられるという可能性は、コミュニティ・スクール、ないわけじゃないと私は思うんですね。
 この民主党の教育基本法案だと、すべての小中学校を全部コミュニティ・スクールにするということなんでしょうか、お聞きしたいと思います。
○笠議員 今委員がおっしゃっているコミュニティ・スクールというのが、今の学校運営協議会に基づいて一部進められているものを指しておられるのかどうか、そこはちょっとそのコミュニティ・スクールの概念がよくわからないんですけれども、私どもがここで定めているのは、学校の自主性、自律性が発揮されるような形にしていく。この四項において規定しているのは、それぞれの学校が、地域とも連携をして、しっかりと学校理事会を設置して民主的な運営をしていく。そして、今後、これは学教法などの改正を行っていく中で、それぞれの学校がより主体的、自律的に運営が行われるものをどういうふうにしていくのかという議論は深めていかなければならないと思っております。
 それと、一点つけ加えさせていただきますけれども、では、すべて学校現場に任せるということではなくて、任せながらも、先ほど武正答弁者の方からも話がありましたように、我々は、義務教育、普通教育について、最終的な責任というものは国が負うということを明記しておりますので、あわせてやっていくということで御理解をいただければと思います。
○下村委員 それもぜひ民主党の中でまとめていただきたいと思うんです。最終的な責任を負うという答弁の中で、政府案とどう違うのかということについては明確な答弁ではありませんでしたから、それは民主党の中で明確にされる必要があると思います。
 それで、最後に大臣にお聞きしたいと思うんですが、戦後教育の問題点として、やはり先ほど申し上げましたように、教育について、特に義務教育について、文部科学省があって、都道府県の教育委員会、市町村の教育委員会、学校現場、これが親方日の丸的なもたれ合いで、明確な責任がどこにあるかもわからないままこのような状況になっている。
 今、国民の大多数は、学校教育についてうまくいっていると思っている人は少ないわけです。信頼性が非常にないという中で、この教育基本法改正と同時に思い切った改革をする必要があると私は思うんですね。実際に、文部科学省は監督権限がないわけです、法律的に。そういう意味では、文部科学省が最終的な責任を負うということが私は必要だと思うんですね。
 そのために、例えば監督権限を持つ。これは、下部法令の中で、教育における自治法の中にそれを入れるとか、いろいろな法令等を変えながら、ただし、全部国がコントロールするということではなくて、今の民主党の指摘も私は半分はそのとおりだと思っていまして、できるだけ学校現場に任せる、途中の県教委や市町村教育委員会の関与をなくして学校現場に任せる、人事権も予算権も含めて。しかし、何かあった場合には国がそこにきちっとチェックできるような仕組みをするということは必要ではないかと思っております。この辺の国の監督権限、これは今後大きな課題だと思いますが、これを教育基本法にあわせて私は明確にする必要があるのではないかと思いますが、大臣にお伺いいたします。
○小坂国務大臣 下村委員の御指摘の趣旨は理解できるところでございますけれども、最終的なという意味が、なかなか不明確な部分があります。すなわち、国が最終的なとか文部科学省が最終的な責任を持つというのは、どういう場合が最終的に当たるのかという点においては若干の議論が必要かな、こう思います。
 そういう中で、今回の法律案の第十六条で「教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担」と、こう書いたわけでございます。したがいまして、今後の指導に当たりましても、十分な地方公共団体との協議、また教育委員会とのコミュニケーションをしっかりする中で適切な指導を図るということをやってまいりたいと思うわけでございまして、委員がおっしゃるように、文部科学省が、委員が言われるところの最終的な責任という観点から、直接的に教育委員会にもっとこうやれというような指導をするということについては、やはり役割分担を踏まえた上での、地方自治体との協議も踏まえて役割を果たしていきたい、このように思うところでございます。
○下村委員 終わります。
○森山委員長 次に、やまぎわ大志郎君。
○やまぎわ委員 自由民主党のやまぎわ大志郎です。
 まさにこの二十一世紀の土台、日本の土台をつくる議論、これに参加をさせていただいていることに、本当に重たい責任と、そして身の引き締まる思いをしているところでございます。
 私自身の活動をしていく上でのテーマというものは命でございまして、その命というものに対する尽きない興味というものがあるがゆえに、実は私は前職は獣医でございましたが、獣医学というものも学びました。また、それが高じて、地球四十六億年の歴史の中で最も大きい動物である鯨、これも、鯨はあれだけ大きくても命はたったの一つしか持っていないんですね。これに非常に大きな興味を抱きまして、その鯨の研究で学位も取らせていただきました。
 そういう、私自身がいつもいつも見詰め続けてきている命というもの、そういった視点から今の世の中を見たときに、本当にこんなに命というものが軽んじられていいんだろうか、こんなに命というものが粗末に扱われていいのかな、こういう問題意識をずっと持ちながら私は生きてまいりました。
 そして、結論として、やはりもう一度、命というものの大切さを当たり前のものとして認識して、そしてその認識に基づいて行動ができる、そういう日本人をつくり直さない限り、本当に日本はだめになってしまうんじゃないか、そんな危機感を持って、だとするならば、もう一回そういった人づくりの仕組みをつくり直すということをやらなきゃいかぬだろう、そんな思いを持って私は政治家になりました。
 ですから、今回のこの教育基本法の改正というのは、まさに私自身が政治家を目指したその基本理念、人づくりの仕組みをつくるための一丁目一番地でございます。本当にそういう意味で身が引き締まります。
 そんな中で、きちっと今回の改正案の中に生命の尊重ということが書かれているわけであります。私は本当にこれは高く評価したいと思いますが、この第二条の中に生命の尊重というのが書かれている、では、このすばらしい理念が書かれたことを受けて、実際に学校あるいは社会の中でどうやってこの理念というものを具現化していくのか、これは非常に難しい問題だと思うんですね。この点について、大臣はどうお考えになっているかということをまず最初に教えていただければと思います。
○小坂国務大臣 やまぎわ委員が命の大切さというものについて述べられましたけれども、私も、命の大切さというものをしっかり教えていくということは、人間として生きていく上で最も大切なことの一つだと思います。
 環境問題が地球的な規模で大きな課題になっている今日に、人は自然の中で生きているものであって、自然を尊重し愛するとともに環境の保全に積極的に取り組むことが、人間などの生命あるものの命を守り、慈しみ、そして持続可能な社会を形成することにつながるということを理解させる意味でも、命ということをしっかり教えていくことは大変大切なことだと思っております。
 教育基本法において、これらの理念を踏まえまして、ただいま御紹介をいただきましたように、新たに、命をたっとび、自然を大切にし、そして環境の保全に寄与する態度を養うことを規定したものでございまして、現行の学習指導要領において、例えば、命の尊重については、小学校の道徳の中で、「生命がかけがえのないものであることを知り、自他の生命を尊重する。」ことなどを指導することとしていること、また、自然を大切にすることや環境の保全については、小学校の理科において「自然環境を大切にする心やよりよい環境をつくろうとする態度をもつようにすること。」などを指導することとしているわけでございます。さらに、小学校の生活科や道徳においては、動物や植物を大切にすることなどを指導する際に、地域や学校の実情に応じて動物を飼育して学習指導に役立てている。
 また、今後の改正の趣旨を踏まえた上での学習指導要領の見直しに際しましてはこれらのことを検討するということで、各学校においてこれらの教育が一層適切に行われるように努めていく必要がある、このように思っております。
 そういう意味で、やまぎわ委員が御指摘なさいましたように、いろいろな動物の飼育や植物の生育等を通じて命というものをしっかり学んでいくこと、このことにさらに一層力を入れてまいりたいと存じます。
○やまぎわ委員 今大臣におっしゃっていただいたとおりに、生命の大切さ、命が大切なものだということを気づくのに、逆説的ではあるかもしれないけれども、自分の大切にしている命というものがなくなった、死というものを体験して初めてその大切さを知るということもこれはあるわけでありまして、そういう意味では、動物というものを介在した教育を学校教育にさらに入れ込んでいただけるという前向きな御答弁をいただきました。ありがたく存じます。
 さて、少し話は変わりますが、今回、教育基本法を改正することの意味というものを考えるときに、再三にわたり大臣が御答弁されているように、現在の教育基本法そのものの理念というのは決して間違ってはいないんだ、しかし、現代の世の中を考えるときに、それは足りない部分があるじゃないか、あるいは、この戦後六十年の間に失われてしまった日本らしさというか日本のよさというものをもう一度取り戻せるようにしようじゃないかということだろうと思うんです。
 その中でも私自身特に重要だなと思うのは、やはり道徳心という言葉であらわされることなんじゃないかなというふうに思うんですね。この道徳心というものもきちっと第二条の中に、第一項に触れられております。ですから、この第二条をきょうは中心にお伺いしたいと思うんです。
 この議論をする前段として、第二条に、学問の自由を尊重しつつという表現がございます。これは大切な話だと思いますが、しかし、この学問の自由を尊重しつつという表現が、教える内容、これも自由なんだというふうに一部のイデオロギー団体なり教師なりに曲解されて、学習指導要領などに従わない、そういった教育が現場で行われないかどうか心配するところでありますが、この点について、大臣から、どのようなお考えか、お示しいただきたいと思います。
○馳副大臣 学問の自由とは、人が本来持っている真理探求の要求が自由に行われなければならないという教育全般に関する自由な理念であることから、現行法に引き続き規定いたしております。
 一方、初等中等教育段階においては、児童生徒に教授内容を批判する能力がなく、また、教育の機会均等や水準の確保が要請されることなどから、教員に完全な教授の自由が認められるわけではありません。このため、学習指導要領を初めとする教育課程の基準等を国が定めているところであり、教員はそれらに基づいて教育を行うものであります。このような考え方は昭和五十一年の最高裁判所の判決でも示されているところでもあり、その趣旨の徹底に努めてきているところであります。
○やまぎわ委員 どうもありがとうございました。
 明確に、学問の自由というもので、これが濫用されないということを御答弁いただいたと思います。
 さらに、この第一号に、豊かな情操と道徳心を培うというふうに明記されているわけですね。これは、先ほどから申し上げているとおりに、本当に足りなかった、今までの六十年の間で足りなかった部分だと思いますので、これが明記されたことは非常に高く評価されるべきものであると考えます。
 そこで、議論をするに当たりまして、道徳心というものが一体どういうものなのかということの定義をまずお聞かせいただきたいと思います。
○田中政府参考人 道徳心の定義についてのお尋ねでありますが、道徳とは、社会において行為の善悪を判断する基準として一般に承認されている規範の総体を示すものであると考えられておるところでございまして、道徳心とは、このような道徳を守り従おうとする心のことであると考えております。
○やまぎわ委員 法律用語にすると、道徳心というのは本当に難しいんですね。
 ただ、社会で生きていく上での規範になるものが道徳なんだというお答えだとすると、まさに大臣がこの委員会でいつもいつも御答弁されているとおり、この道徳というものが今の日本で失われているものばかりなんですね。まさに今日本で一番必要とされているものなんだなというのが実感としてございます。だからこそ、教育基本法を現在改正する必要があるんでしょうし、この教育基本法改正に当たって、道徳心を培うという表現が明記されたものと私は理解しております。
 となりますと、では、今までなぜ道徳心というものが失われてきてしまったのか、あるいは、これまでの教育の中では、これが失われてきたという認識に立つならば、どこが一体おかしかったのか、まずここの部分をしっかりと検証しなくてはいけないと思うんです。この点について、検証が行われてきたかということも含めて、お答えをいただきたいと思います。
○小坂国務大臣 学校における道徳教育を推進するために、これまで文部科学省としてはおよそ五年置きに調査を行ってきております。
 平成十五年に実施した調査の結果を踏まえますと、例えば道徳の時間の平均授業時間、前回の調査結果に比べて増加しているかどうかということですね、これを見ますと、前回調査に比べて増加はしているけれども指導に必要な時間数が確保されていない学級があるという事実関係が明らかになってまいります。
 具体的に申し上げますと、国の基準で定める標準授業時数という形では、小中学校ともに三十五単位時間あるわけでございますけれども、全校平均では三十五・三単位時間ということで、これは一応標準には達しております。そういう意味では、平成九年、その前の回に比べると三十三・九から三十五・三へと上昇しておるわけでありますし、今のは小学校ですね、それから、中学校においても三十一から三十三・六というふうに上昇はしておりますが、中学校では三十五に満たないという実情でございます。
 そういった意味から、道徳の時間を楽しいあるいはためになると感じる児童生徒は学年が上がるにつれて少なくなっているなどの課題もここに明らかになってきておりまして、このような課題をしっかり受けとめて道徳教育の推進をする必要がある、このような認識を持っております。
○やまぎわ委員 確かに、時間というもので見ればそういう調査結果ということなのかもしれませんが、しかし、現場に行って、道徳教育というものがきちっと行われているかということを足で稼いで見てくれば、不十分であるというようなことは、私がここで声を大にして言わなくても、皆さん共通認識として持っていることだろうと思います。
 私自身も、振り返ってみますと、自分の小学校、中学校のときに道徳の時間というものがきちっとあったかなと。正直言って、ほかの教科のことも余り覚えてはいませんけれども、余りこういうことを習ったなという記憶はないんですね。また、中学校等々では道徳の時間がほかの教科の時間として振りかえられているなんという事実も現場ではいっぱいあるわけですよ。
 だからこそ今回この改正案の中にきちっと道徳心を培うという表現が入れられたものだというふうに私は理解しておりますので、ここから、これを根拠にしてしっかりと道徳教育が行われなくてはいけない、また、そのようなお考えだと大臣も今おっしゃっていただいたと思うんですね。
 現状は、今お話しいただいたとおりに三十五単位という話ですから、ほぼ一週間に一度程度のもので、しかし、道徳そのものは教科というわけではありませんから、教科書もないですね。さらには、専任の教員というのも、当然教科ではないからないわけなんですよね。
 これは、せっかく改正を行うわけですから、この改正を行って現場が何も変わらないんじゃ意味がないわけでございまして、これをもとにしてこれから教育の現場というものがどう変わっていくのか。これは本当に、これが変わらなきゃ意味がないものだと思うんですね。
 また、残念なことですけれども、道徳教育というものが戦後一番最初行われるときに、やはり一部のイデオロギー団体からこの道徳教育というものが、法的な根拠がないじゃないか、こういうようなそしりを受けながら、非常に道徳教育を現場で行うことの困難性というものが今なお継続した状況であるんだろうと私は思うんです。
 そんな点も踏まえまして、今回、改正をすることによって具体的にどう変わっていくのか、これをぜひ大臣から御答弁いただきたいと思います。
○小坂国務大臣 委員が御指摘の点は、すなわち、道徳教育を徹底するには教科という形に変えて学校教育の中で取り組むべきだという御指摘だと思います。
 道徳教育につきましては、これまで、道徳の時間を中心に学校の教育活動全体を通じて取り組むこととしているわけでございまして、その際、児童生徒の実態を最もよく理解する学級担任がさまざまな指導方法で工夫しながら指導を行う、こういうふうにしてきたところではありますが、委員が御指摘のように、実際には道徳の時間が振りかえられているという実態もあることは事実でございます。
 道徳の教科化については、平成十二年十二月の教育改革国民会議報告におきましても、小学校に道徳、中学校に人間科、高校に人生科などの教科を設けて専門の教師や人生経験豊かな社会人が教えられるようにすべきではないかという提言がされているところでございまして、現在、中央教育審議会におきましても学習指導要領の見直しについて検討を行っているところでございます。
 道徳のあり方につきましては、学習指導要領の改訂を通じての論議の中で引き続き重要な課題として検討を進めてまいりたいと考えております。
○やまぎわ委員 道徳心というのは、まさに内心ということになるんでしょうから、これをいたずらに数字で評価するなんということはあってはいけないことでしょうし、恐らく、教科化というものを考えたとしても、この評価制度というものは非常に綿密に考えていかなくてはいけない問題だと思います。今の御答弁の中で、それも踏まえながら前向きに真剣に議論していただけるということでございますので、本当に期待をしていきたいと思います。
 また、初日だったと思いますが、この議論が始まったときに、心のノートというのを例に出した委員がいらっしゃいました。私は、心のノートというのは本当によくできているなと思うんです。これは補助教材という形で、教科ではないから教科書ではないという形なのかもしれませんが、補助教材として国民の税金を使ってつくっているものと理解しております。しかし、この心のノートというのは、残念ながら、学校の現場ではなかなか使われていないと思うんですね。
 ですから、せっかくこういういいものをつくったんだとするならば、やはりこういうものをしっかりと使った授業というものも奨励していく、あるいは、それをチェックするというわけではないですけれども、こういったこともやっていただけるか、そんなことをお答えいただけるでしょうか。
○小坂国務大臣 委員が御指摘の心のノートは、本委員会の理事でもあられる町村理事が文部大臣のときに心のノートをおつくりになったという認識をいたしておりますが、道徳性は児童生徒の人格全体にかかわるものであることから、今御指摘のように、評価に当たっては慎重に対応することがまず求められると思っております。
 現在、学校においては、例えば、基本的な生活習慣、責任感、思いやりなど、学校生活全体にわたって認められる児童生徒の行動の様子について評価を行っているわけでございまして、また、学校では、道徳教育用の読み物資料や映像教材などさまざまな教材が用いられておりますが、その中に、心のノートを全小中学校に配付するという形で、道徳の内容をわかりやすくあらわしていくことに努めているところでございます。
 この心のノートがしっかり活用されるように引き続き指導に努めるとともに、今後とも、道徳教育の充実について検討する中で、教材のあり方についても考えてまいりたいと思います。
○やまぎわ委員 どうもありがとうございました。
 また、今回、道徳心というものを明記した改正案というのがめでたく教育基本法として改正されたときに、学校でも社会でも道徳教育というものが拡充される。特に学校教育においては、教員がこれを子供たちに教えるわけでございます。
 しかしながら、現在の教員養成課程においては、道徳教育というものを非常に軽んぜられていると言わざるを得ないと私は思うんですね。実際には、週に一回程度の講義を半年間受ければ単位というものはもらえるわけでありまして、道徳教育をいかに実践的に子供たちに施すというか教育するかという、そういう実技というか実習というものは一切課されていない。現場に出たときに、それは確かに机の上で半年間何かやったけれども、実際には教え方もわからないしというような状況だろうと思うんですね。
 今回改正が行われるに当たりまして、教員の養成課程において、道徳教育はどのように拡充されるというか強化されていくかということを御説明いただければと思います。
○銭谷政府参考人 教員が実践的な道徳教育の指導ができるように、大学においてしっかり道徳について学ぶことは重要であると考えております。
 今先生からもお話がございましたように、大学における教員養成課程における道徳教育の位置づけにつきましては、小中学校の一種免許状取得に当たりまして、例えば小学校では、各教科の指導法と同様の位置づけとなっておりまして、道徳教育の指導法について二単位以上の修得が必修となっております。
 道徳教育の指導法の内容の問題ということもあろうかと思いますし、今後とも、今回の改正の趣旨を踏まえました学習指導要領の見直しの検討状況を踏まえまして、実践的な道徳教育が行われますように、教員養成カリキュラムにおける道徳教育に関する内容の充実の促進に努めてまいりたいと考えております。
○やまぎわ委員 もちろん、教育基本法が改正されてから実際にその作業が行われるということでございましょうから、改正に当たりまして、その理念を持って先に進んでいただけるということを確認させていただきたくて今の御質問を申し上げた次第でございます。前向きに取り組んでいただけるという御答弁でございましたので、ぜひよろしくお願いしたいと思います。
 時間もぼちぼちだと思います。最後になるかと思うんですが、前の御質問にもあったとおりに、教育基本法を改正しても、改正した理念というものが教育の現場にしっかり落とし込まれていかなければ、基本法を改正する意義というのは失われてしまうわけなんですね。特に道徳教育というものは、恐らく評価の方法というものも非常に難しいものになると思いますし、これから検討を要するものなんだろうと思うんですけれども、その際に、道徳教育に限らないかもしれませんが、改正された教育基本法の理念というものが学校で本当に実現されているかどうかということ、これの評価、あるいは、それを検証する制度というものをどのようにつくっていくおつもりであられるのか。
 さらには、当然ながら、今までは、一部のイデオロギー団体かもしれませんが、これに大きく違反をし続けてきたという現実もあるわけですね。となりますと、これからもそういった違反が起こるという可能性もありますし、また、先ほど大臣、道徳教育の調査というお話をしていただきましたけれども、調査をしたときに、その調査報告の中身を、虚偽の報告をしたり偽造報告というものが行われたりなんということがある可能性もある。
 となった場合に、これに対して、是正命令といいましょうか、正す、さらには、それでも直らない場合には罰則等々も考える、こういったことはこれから検討されていかなきゃいけないだろうと思うんです。
 これを行っていく上で、やはり国あるいは地方の役割というものは非常に重要なものがあるのではないかと思うんですが、この点につきまして、どのような見通し、お考えをお持ちか、お答えいただければと思います。
○馳副大臣 各学校における教育活動が法令で定める目標や理念に沿って適切に実施されているかどうかは、まずは設置者である教育委員会が現状を把握し、必要な監督や指導を行うことが必要であります。国においても、各教育委員会を通じて各学校の授業時数や教育課程の実施状況の調査などを行い、その結果に基づき教育委員会を指導しております。
 また、各学校が教育活動の成果を評価、検証して改善に生かす学校評価システムの構築を図るため、学校評価ガイドラインの策定等の方策を講じているところであります。
 一方、学校で不適切な状況があった場合は、各教育委員会は、その改善を指示するとともに、教職員の服務規律に違反する行為や虚偽報告などの違法行為が行われた場合は、懲戒処分とすることも可能であります。また、このような場合、国は、教育委員会に対して、一定の措置を講じるよう必要な指導、助言、援助を行うことが可能です。
 これらを通じて、国は、各教育委員会が学校の状況を把握、検証し、適切に監督がなされるよう教育委員会を指導してまいりたいと考えております。
○やまぎわ委員 どうもありがとうございました。まさに現場でどう実施されるか、そして、それをどうチェックして正しいものにしていくかということが大切だと思いますので、ぜひとも検討を重ね、実施をしていただきたいと思います。
 短い時間ではございましたけれども、質問させていただく中で、大臣初め政府はこの問題に対して本当に前向きに取り組んでいるという姿勢を私は感じることができました。皆様方とともに、二十一世紀の日本がこのことを機に確実によくなっていく、このように実感を持たせていただきまして、私の質問を終わらせていただきたいと思います。
 ありがとうございました。
○森山委員長 次に、土屋正忠君。
○土屋(正)委員 私は、地方自治の現場におりまして、学校の設置者として二十三年間、武蔵野市長として小中学校の教育の責任に当たってまいりました。そういう角度から、長と教育委員会の関係、そして教育委員会と学校の関係、長と学校の関係それから教員の関係、こういうものをつぶさに見てきたわけでありますが、その根っこに、ずっと学校の問題を突き詰めていくと、考えて考えて考えていくと教育基本法にぶつかるのかな、こんなふうな気持ちでまいりました。そういう立場で、今回、教育基本法の改正が国会で論議をされる、審議をされるということについて大変深い感慨があるわけであります。
 その上で、政府案を提出されました小坂文部科学大臣並びに対案としての民主党案を出された提案者の皆様に御質問いたしたいと存じます。
 その前に、今回の内閣提出並びに民主党案に共通していながら現行の教育基本法にないもの、つまり新たにつけ加わったものをちょっと整理してみました。
 順不同で申し上げますれば、生涯学習、幼児期の教育、大学、民主党案では高等教育となっておりますが、そのほか、私立学校、教員のあり方、家庭教育、教育振興計画、公共の精神、伝統と文化、愛国心、生命の尊重や自然への畏敬、こういう事柄が現行入っていないことが非常に不思議な感じがするんですけれども、しかし、こういうことが民主党の案にも、また政府提出の案にも出されていて、時代をめぐって、現代の教育に対する深い思いといったようなものは共通をすることがあるんだな、こんなふうに感じているところであります。でありますから、頑張ってもう一歩という、お互いにどこでどうなるかは別にして、そういう感じがしているところでございます。
 ただ、一つだけ、ずっとそれぞれの法律を通して見て、政府案と民主党案の中で幾つか際立った違いがあります。その点について、まず民主党の皆さんに御質問したいわけでありますが、いわゆる教育における、あるいは教育行政における国の役割をどう考えるか、こういうことであります。
 民主党の皆様が提出した対案の中には、教育行政について第十八条で触れられているわけでありますが、この中には、先ほど下村委員が御指摘ありましたように、民主という言葉がたくさん出てきて、急にここになったらたくさん出てくるんですが、民主党だからやむを得ないかなと思ったりしているわけでございますが。それはともかく、こういうことがあるわけでございますが、国ということが一言も書かれてないわけであります。
 教育行政に国の役割はないのか。この間のクエスチョンタイムでは、党首の小沢一郎先生は、国が教育に対して責任を持つんだ、こうはっきりとおっしゃったわけでございますが、もしそのことが本当だとすると、教育について国は責任を持つけれども、教育行政については責任を持たないのか。これらについて、十八条のことについてお答えいただきたいと思います。
 次に、同じく十八条の中で、先ほどもございましたが、「地方公共団体が行う教育行政は、その施策に民意を反映させるものとし、その長が行わなければならない。」こういう項があるんですが、通常の場合に、地方公共団体を代表する者としての長は、市町村長、小中学校の設置者、こう思われるわけですが、この点については先ほどもちらっとお答えがあったんですが、教育委員会制度については必要ない、こう考えていらっしゃるのか。
 先ほどの御答弁によりますと、教育委員会は民主的でないとか、あるいは監査といったようなことが出ておりましたが、それについてお答えいただければ、こんなふうに思います。
 これに関連して、教育行政における国の責任ということで、実は私も民主党の出されました法案を幾つか読ませていただいておりますが、さきに論議になりましたいわゆる行政改革推進法案、皆さんもそうおっしゃっているので略して申し上げますが、いわゆる行政改革推進法案がございます。
 この民主党の案の中に、第五条の第一項の三に、国の事務として「皇室、外交、防衛、通貨等国家の根幹にかかわる事務事業」云々、こうあるわけであります。つまり、民主党の行政改革推進法案というのは国の事務か地方の事務かを振り分ける一つの価値基準を示しているわけでありますが、その中には皇室、外交、防衛、通貨、こういうことはあるけれども、憲法第二十六条で保障した教育についてはここに書かれていないわけであります。
 ですから、さまざまないいことがたくさん書かれてあるんですが、この点についてはどうなんだろうか、こういうことを、深く何回も読ませていただきましたが、なかなかわからないところであります。
 以上、お答えを願います。
○笠議員 今、委員の方から、三点についてお尋ねがありました。
 まず、第一点目の質問でございますけれども、私どもの国の最終的な責任ということは、この第七条の普通教育及び義務教育の項で書かせていただいております。そして、その意味は機会均等の保障と水準の確保ということで、それをはっきりしろということで先ほど御指摘もいただきましたけれども、前者については財政的な支援ということで、これは、あわせて十九条の二項の教育の振興に関する計画というところで、私どもは、政府が、国内総生産に対する教育に関する国の財政支出の比率を指標として教育に関する国の予算の確保を図っていくということも、国の最終的な責務の一つとして位置づけております。また、後者については、学習指導要領などによって基準を示すということで、その責任の所在を明らかにしているわけでございます。
 一方、民主党案は、補完性の原理、これを基本的に踏襲しておりますので、国民に、実際の学校の現場の運営というものは、身近なコミュニティー、基礎自治体が担い、都道府県、国がそれを補完するという考え方に立っておりますので、この十八条に国の役割は規定せずに、二項で教育行政は地方自治体の長が行うとして、この三項、四項において、教育行政に関する民主的な組織整備、地方自治体が設置する学校は理事会制度で行うということで、ここでは国ということは盛り込んでおりません。
 そして、教育委員会、これはどうしていくのかということで、このことについては、首長そして教育委員会との二元行政の問題点、これをどういうふうに解決していくのかということで、今、現行の教育委員会制度においては、教育委員は首長の任命制でありますので、レーマンコントロール、すなわち民意を反映した教育行政が必ずしも、うまくいっているところもありますけれども、行われているとは言いがたい部分もあることから、現行の教育委員会制度については、教育行政に関する民主的な組織へと発展的にこれを解消していくということで、この点におきましては今後、この下部法令のいろいろな整備の中で、またその組織のあり方等々についても議論をしていくべきと考えております。
 そして、今、行政改革推進法案とそごがあるのではないかというような御指摘でございますけれども、民主党の行革推進法案の五条の一項三号に、国家の根幹にかかわる事務として教育がないという御指摘だろうと思っております。これは、民主党の憲法提言同様に、行革法案についても補完性の原理を骨子にしておりますので、当然、行政は国民に身近なコミュニティー、基礎自治体が行い、都道府県、国がそれを補完するという考え方ですから、教育を明記しておりません。
 一方、日本国教育基本法案においては、先ほど申し上げました七条の三項において、「国は、普通教育の機会を保障し、その最終的な責任を有する。」として、機会均等の保障と水準の確保というものについて国が責任を持つということを明記しております。
 前述の補完性の原理というのは、基本的に日本国教育基本法案においても踏襲をされておりますので、十八条二項で教育行政は地方自治体の長が行うとし、三項、四項において、学校の主体的、自律的な運営を学校理事会で行うとしていることによって、行革推進法案と日本国教育基本法案の規定ぶりというものには一貫性があって、そごはないと考えております。
○土屋(正)委員 言っている趣旨はわかりましたが、問題があるということを申し上げておきたいと存じます。残念ながら、時間がございませんのであれですが。
 ただ、今答弁のあった補完性の論理というのは、これはEUの自治憲章なんです。EUの自治憲章を各国はまだ検証していないですよ。もちろん、日本はこれについて別に採択も何もしていない、これはEUの憲章ですから。しかも、そのEUの憲章は、ちょっと今手元に条文はありませんけれども、自治の実施に当たっては各国の法令による、こういう条項があるんですよ。私も地方自治の現場にいましたから、もう五、六年前から着目してそれはやっていますけれども。
 ですから、それは単なるEUの中で発表された憲章案であって、これが日本国憲法の法制下にないということははっきりしているわけで、これについては意見として申し上げます。
 そして、新しい民主党の日本国教育法案については、日本国憲法にのっとり、こう書いてあるんですよね。日本国憲法は、第二十六条において、国民の教育、学ぶ権利を保障して、第二項においては、それをどのように保障するかという国と保護者の義務を定めているわけです。ですから、日本国憲法にのっとらずこの教育基本法をつくったというのならわかりますけれども、教育行政において国の責任について明記していないということは、実定法上極めて問題のある法律だ、このように申し上げておきたいと存じます。
 それから、ついでに申し上げておきますと、さきの民主党が発表した行政改革法案では、もう一つ、国の基幹的な事務であるとされている憲法第二十五条に基づく生存権並びに社会保障に関する権利、これが残念ながらすっぽりと抜け落ちている、こういうことを申し上げておきたいと存じます。つまり、民主党の国家観においては、教育とかあるいは社会保障とかというのは国の根幹の事務ではない、このように考えていらっしゃるのではないかな、こう思わざるを得ないということを意見として申し上げておきます。
 次に、大臣にお尋ねいたしたいと存じますが、不当な支配について申し上げたいと存じます。
 不当な支配についてという項目について、これを新たに残し、その上ではっきりとした実定法上の整理をした、これは非常に行き届いた整理だ、このように考えております。
 従来、不当な支配についてということが問題になったのは、不当な支配の文言の後に「国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである。」という項目と、第二項に、「教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。」こういう条項があったために、国民全体に対して直接責任を持つのは一体だれかというような、こういう角度からのさまざまな論争があったわけであり、時にはこれは訴訟に発展をしていったりしたわけであります。
 確かに、現教育基本法の書きぶりだと、解釈の仕方によっては問題点があるだろう、こんなふうに思っております。しかし、現基本法においても、基本的には、言ってみれば、公が行う教育で財政支出を伴うものですから、これは公権力行使に当たるわけでありますけれども、公権力行使においては、全く疑いのないようなきちっとしたことが憲法上明快になっているわけであります。
 憲法の前文においては、「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、」という民主主義の大原則があり、さらに憲法第四十一条においては、「国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。」と国会の権能を明示した上で、憲法第六十五条に、「行政権は、内閣に属する。」こういう憲法秩序がはっきりしているわけであります。
 となれば、現行の法律の中においても、莫大な公の財政を使って体系的、日常的な教育活動を進めるに当たっては、当然、国が教育行政について責任を持つ、憲法第二十六条の、こういうことがあわせて明快になっているわけであります。また、それに伴って、例えば、教育課程あるいは学習指導要領の位置づけ、こういうものもはっきりとしているわけであります。
 こういうことになっているわけでありますが、しかし、私は、現行の法律でも国の役割、責任がはっきりしていると思いますが、今回の新しい法律はさらに、「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない。」非常に明快になったというふうに思っております。
 したがって、国が教育行政に対して責任を持ち、それに対して都道府県との役割分担をしながら、その法的な関係が明快になったというふうに理解をしているわけでありますが、そのような理解でいいかどうか、まず第一点、お尋ねしたいと思います。
 さらに、「不当な支配に服することなく、」ということの本来の持つ意味、つまり、他の、例えば、任意に結成されたような組合、あるいは任意に結成されたような教育団体、あるいは研究団体、こういうものが法に基づくことなく方針を示し、直接教師に影響を与えたり、実際的には指示したり、こういうことがあったとしたら、これは不当な支配ということになるわけでありますし、現実に、日本じゅう、そういう事例がたくさんあります。私も武蔵野でそういう事例をたくさん知っております。武蔵野の近くのある市なんかは、小学校の六年生に校長先生がおじぎして、日の丸を掲げたことについて謝った市がある。小学生がこんなことを判断できるわけはないんですから、小学生を支配している教育団体とか、こういうのを不当な支配というんですね。
 ですから、「不当な支配に服することなく、」こういうことを残したというのは、過去の論争に対して決別をし、きちっとした教育はだれが行うのか、民主党も含めて、野党の方も含めて国会で論議をした上で、あるべき姿をやっていくんじゃないのか、こういうことについて申し上げておきたいと存じます。御意見をお願いいたします。
○小坂国務大臣 委員が御指摘になりました「教育は、不当な支配に服することなく、」とは、教育が、国民全体の意思ではない、意思とは言えない一部の勢力に不当に介入されることを排除して、そして、教育の中立性、不偏不党性を求める趣旨でありまして、このような考え方は今後とも重要であると考えております。
 このために、今回の改正においても、引き続き、「教育は、不当な支配に服することなく、」と規定した上で、「法律の定めるところにより行われるべき」との文言を加えることによりまして、国会において制定される法律に基づいて行われる教育は不当な支配に服するものではないことを明確にしたものであります。これによりまして、法律の定めるところにより行われる教育委員会等の命令や指導、こういったものが不当な支配ではないということが明確になったものと考えております。
 なお、一部の教育関係者、任意に設立されたというふうにおっしゃいましたけれども、こういった関係者等によりまして、現行法の第十条の規定をもって、教育行政は教育内容や方法にかかわることができないんだ、そういう旨の主張が展開されてきたことは御指摘のとおりでございます。
 このことに関しては、昭和五十一年の最高裁判決におきまして、いわゆる旭川、永山中学校の訴訟という問題において、法律の命ずるところをそのまま執行する教育行政機関の行為は不当な支配とはなり得ないこと、また、国は、必要かつ相当と認められる範囲において教育内容についてもこれを決定する権能を有することが明らかにされているところでございまして、そういった観点から、今回の改正案におきましても「不当な支配に服することなく、」の文言を残したわけでございます。
○土屋(正)委員 大変力強い御答弁で安心をいたしました。どうぞ、この方向で御尽力のほど、心からお願い申し上げたいと存じます。
 次に、この法律で予定をいたしております教育振興基本計画について、織り込むべき課題について質問いたします。
 教育基本法の制定当時と比べますと、教育の置かれている条件、私たちの子育ても含めて、置かれている条件が非常に異なったというふうに思っております。いろいろな違いがあるわけでありますが、端的に言えば、物質的に貧しい環境から豊かな環境になった、これが最大の変化ではなかろうかと思います。さらに、都市化された、そしてまたグローバル化された、そしてIT化された、こういった要素がつけ加わったのではなかろうかと存じます。
 今回、政府案の第二条で、公共の精神、生命の尊重、自然を大切にというようなことが入って、大変的確だと思っておりますが、ただ残念なことに、生命の尊重といっても、都会においては多様な生命を実感する機会がございません。
 私は武蔵野市という若干郊外でありますが、緑も多いのでありますが、それにしても、身近に見る生物はゴキブリかカラスであります。ゴキブリはつぶすもの、カラスは追い払うもの。それで、学校に行って命を大切に。これはなかなか、矛盾であります。
 また、私たちが子供のころは、友情を学ぶときに、貧しいですからおなかがすいていますから、甘いものなんかとても、今は若い人は当たり前ですけれども、とても甘かったあんパンがあこがれの的でありました。そのとき私が恩師から学んだのは、土屋よ、君は、本当におなかがすいて疲れ果ててしまったときに、友達と二人いて、あんパンが一つしかなかったらどうする、食べたいなと思う気持ちを二つに割って、半分友達にやるのが本当の友情というものだよと教わりました。それが、すごくあんパンがおいしかったものですから印象に残っているのです。
 だけれども、今そういうことを言ったら、何でそんなことが必要なの、セブンイレブンに行ってもう一つ買ってくればいいじゃないの、こういうことになるわけであります。つまり、量的にも、機会的、チャンスからいっても、常時私たちの中には物があり過ぎて、物と情報があり過ぎて、その中で漂っているわけです、子供たちは。
 ですから、私は、自然を大切にとか命を大切にとか、あるいは先ほど来議論になっている、社会の中に生きる公共の精神とかいったようなものは、みんなで助け合わなきゃ生きていけないような社会があったからこそ成り立つのではなかろうか、こんなふうに思っております。
 「仰げば尊し」の中に、「身を立て名をあげ、やよはげめよ。今こそ別れめ、いざさらば。」とありますが、これは、身を立て名を上げれば、少しはいい生活ができるんじゃないか、親や周りの人たちを少しでも楽にしてあげられるんじゃないか、こういう気持ちがあって、つまり、学ぶ動機といったようなものについて疑いがなかったんだろうと思うんです。
 今の教育における悲劇というのは、学ぶ意欲、動機、これをどうしたらいいのか。ある予備校のあれに、今大事なのは学力より気力だと書いてありました。そのとおりだと思います。こういうことを養うためには、体験教育、福祉体験とか職業体験とかということがあるんですけれども、とりわけ自然の中で、暑い、寒い、痛い、おなかすいた、そして時には自分が努力しなきゃ御飯が食べられない、こういうところの原点をやはり学校教育や生涯学習のカリキュラムの中でみんなで取り入れていく、こういう試みが教育振興計画の中に必要なんじゃないかと私は思っているところでございます。
 どうぞ、そういう角度に立った体験教育、とりわけ自然を中心とした、自然に学ぶ、こういうことについて、予算委員会でも聞いて、また同じ質問をして若干恐縮でございますが、教育基本法でございますので、改めてお尋ねいたしたいと存じます。
○小坂国務大臣 土屋委員は、武蔵野市の市長として、自然体験活動を重視されまして、武蔵野セカンドスクールというものを発案といいますか、スタートさせられました。
 我が長野県、私の郷里の長野県にも多くの方がいらっしゃっておられます。その中で実践的な体験教育、自然の中に身を置いて、我々は自然の中で生かされているんだということを実感できるような、植物や動物や昆虫やいろいろなものに接して、命の大切さ、また、それらによって自分たちが生かされている環境のあり方というものについて学んでいただいているわけでございます。
 生命をたっとび、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと、これは本当に重要なことであって、今回の政府案に規定をされたことは大変いいことだ、こういう御指摘もいただきまして、意を強くするところでございます。
 いわゆる自然体験活動にはいろいろな活動があると思いますけれども、セカンドスクールでも行っていただいておりますように、我が長野県においてはブナの原生林等もありまして、ブナの原生林が水を吸い上げる音というのが幹に耳を当てたり聴診器で聞いていただくとわかるわけでございまして、なるほど、ただ突っ立っているだけみたいに見える木々でも、こんなに生きるために毎日活動しているんだ、土を耕してみれば、その中にミミズがいて、見えない中でもしっかりと生命は息づいて、そしてそれぞれの役割を果たしているんだな、こういう理解もしていただけるところでございます。
 御指摘のような自然体験教育を推進するために、今後の教育振興基本計画の具体的な内容について、そういったこともしっかりと盛り込んで具体的な施策や政策目標について検討を重ね、そして、御指摘のような意見を踏まえた上での策定に努めてまいりたいと存じます。
○土屋(正)委員 心強いお言葉をいただきまして、本当にありがとうございます。
 私は、国を救う教育、そして究極の構造改革というのは、次の世代がたくさん生まれ、たくさん生まれといっても五人も六人もじゃなくてもいいんですけれども、生まれて、命が次の世代につながっていく、そして、生まれたその子供たちが心身ともに健やかで、強くしなやかで、そして感受性に富んだ、「国家の品格」の中で言う情緒力を持った、本当の意味のすばらしい子供に育っていくことが、私は、日本国の真の構造改革、究極の構造改革ではなかろうかと思っております。
 どうぞ、そういった意味で、閣内におきましてなお一層、具体の予算なども含めまして御尽力のほどをお願いいたしたいと存じます。
 あと一分ぐらいありますので、民主党の皆様に申し上げておきたいと存じますが、今度の民主党案の中に、長のことについて触れていただいてありがとうございます。
 民主党の中にも長の経験者が大勢いらっしゃいますので、中でまたそういう方々とも御議論いただきたいわけでありますが、実は、長は極めて忙しいです。だから、長にだけ任せておくと、教育はろくなことがない可能性があります。二十三年やってきた私が言うんですから、まずほとんど間違いない。しかし、長も頑張らなきゃだめだ。(発言する者あり)長というのは首長ですよ。法律に長と書いてある。首長でありますけれども。
 しかし、何を言いたいかというと、例えば、首長というのは、災害あり、まちづくりあり、産業振興あり、農業あり、それから福祉あり、教育あり、さまざまなことをやっているんですから、これは当然のことながら限界があります。でありますから、教育委員会があることによって一定の教育水準が保たれているという、ここに着目をしていただかないと、教育委員会無用論ばかりになりますから、その辺のところを、私もまたディスカッションしたいと思いますが、どうぞよろしくお願いします。なお、自然教育についてよろしくお願いします。
 きょうはどうもありがとうございました。
○森山委員長 次に、斉藤鉄夫君。
○斉藤(鉄)委員 公明党の斉藤鉄夫でございます。土屋委員の熱弁の後、ちょっとやりにくうございますけれども、また一生懸命頑張らせていただきたいと思います。
 予定している質問に入る前に、きょう朝からいろいろ質疑を聞かせていただきまして、不当な圧力に服することなくということが大いに話題になりました。この文言については、我が党の議論でも大変時間をかけて議論したところでございます。これを外したらどうかという議論も、現実問題として、この言葉を使っていろいろな弊害が起きている、だから外したらどうかという議論も我が党内にあったことも事実でございますが、最終的に、やはり教育の独立、不偏不党性をあらわしている象徴的な言葉である……(発言する者あり)歴史的という意味も入っております。
 昭和二十二年当時は、戦争への反省から、いわゆる軍部また軍国主義勢力からのということが念頭にあったかと思います。戦後は、その反動で、また別な方向での大変な弊害がございました。しかしながら、それは、不当な圧力に服することなくという言葉の持っている力ゆえのものだと思います。その中立性を表現する象徴性ということからも、やはり使った方がいいという表現になりました。先ほど土屋委員からも、今回、後につけている言葉と一緒に解釈して、最終的にすばらしい内容になったのでないか、このように理解をしております。
 それでは、質問に入らせていただきます。
 前回、私は、我が国と郷土を愛し、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度という部分と、それから宗教教育ということについて質問させていただき、最後、前文の「日本国憲法の精神にのっとり、」というところの質問に入って、ちょっとしり切れトンボで終わりましたので、その問題からきょうは入らせていただきたいと思います。
 現行教育基本法の前文に、「日本国憲法の精神に則り、」という言葉があります。これは、前文全体を読みますと、非常にその流れの中で、読んでいましてすとんと落ちるんです。といいますのは、現行の前文には、「さきに、日本国憲法を確定し、」云々かんぬん「この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。」という第一項がございまして、そしてそれを受ける形で、「ここに、日本国憲法の精神に則り、」この法律を制定するということで、第一項の意味を受ける形で、「日本国憲法の精神に則り、」こういう形になっています。非常に読んでいて読みやすいし、すとんと入ります。
 今回、政府案、また民主党案もそうですけれども、ある意味で突然、「日本国憲法の精神にのっとり、」と。民主党案では「日本国憲法の精神と新たな理念」云々となっておりますけれども、突然出てきて、しっくり落ちない部分もあるというのも正直なところでございます。
 まず、大臣にお聞きをいたしますけれども、ここで言う日本国憲法の精神とは何なのか、また、この「日本国憲法の精神にのっとり、」と規定した趣旨は何かということについてお伺いをいたします。
○小坂国務大臣 現行教育基本法は、日本国憲法に定める理念を教育において具体化するための規定を多く含むなど、現行の日本国憲法と密接に関連している法律であることから、「日本国憲法の精神に則り、」と規定された、このことについて委員から詳しく御説明をいただきました。
 改正後も、日本国憲法が教育基本法と密接に関連している、逆な言い方でございますが、教育基本法が日本国憲法と密接に関連しているという性格自体は変わらないものでありまして、教育基本法が我が国の教育の根本理念を定めるものであることを明確にして、さらに強調するために、引き続き、「日本国憲法の精神にのっとり、」と規定したものでございます。
 なお、この日本国憲法の精神とは何かということでございますが、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義、さらに申し上げるならば、法のもとの平等、そして教育を受ける権利等々でございます。この教育基本法案においても、「個人の尊厳を重んじ、」これは前文において規定をしております。平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康的な国民の育成という第一条の項目など、憲法の精神を具体化する規定を設けているところでございます。
○斉藤(鉄)委員 ここの憲法の精神とは、いわゆる三原則と二十六条であるという御答弁だったと思います。
 日本のすべての法律は、憲法のもとでその精神にのっとって行われることはある意味では当然なことなんですが、ほかの法規にこういう前文なり表現がある例はないと思いますけれども、あえてこの教育基本法に憲法の精神ということがきちっと載っているということについて、もう一度、わかりやすく御答弁いただければなと思います。
○小坂国務大臣 繰り返しになるかもしれませんけれども、教育基本法が我が国の教育の法体系の中での根本理念を定める法律であるということ、そして教育基本法は日本国憲法と密接に関連している法律であるということ、そういうことから、引き続き、「日本国憲法の精神にのっとり、」と規定したことによって、その辺のところが非常に明確になるだろう、こう考えているところでございます。
○斉藤(鉄)委員 ありがとうございます。
 民主党にお聞きいたしますけれども、民主党案においても、日本国憲法の精神という規定がございます。その意味は何か、またその趣旨は何かということについてお伺いします。
○藤村議員 斉藤委員にお答え申し上げます。
 今、政府の方でもおっしゃいました、やはり私どもも、日本国憲法に付随するぐらいの、あるいはそれに準ずるぐらいの、教育の基本の法律というのは重要であるし、現行に確かに書いてあるからということではなしに、やはり私どもも、今憲法を新しく提案しようという動きがあるし、そういう中で、しかし、不変のものというのは、やはり憲法前文に流れている理念であるとか、それから先ほど来の三原則の件だとか、さらに、今文科相からは言われませんでしたが、二十三条、学問の自由であるとか、それから二十六条の、教育を受ける権利、教育を受けさせる義務、義務教育の無償などを念頭に置いて、これは今後も、我々としては、憲法提言をしておりますが、変わらない、不変のものであるし、だからこそ、それはやはり、その精神にのっとってということを今回入れさせていただいておるところでございますし、また、タイトルに日本国教育基本法とつけたのは、まさに、日本国憲法に準ずるぐらいの大切な法律であるという意味合いでございます。
○斉藤(鉄)委員 次に、前文の中にあります個人の尊厳という言葉について、政府と民主党にお聞きいたします。
 現行法にも個人の尊厳という言葉がございます。我らは個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人類の育成を期するとともに云々、政府案におきましては、引き続きこの個人の尊厳ということが規定をされております。個人の尊厳を重んじ真理と正義を希求し公共の精神を学び云々というところでございます。
 法案に、個人の尊厳、前文にですが、個人の尊厳を規定した意味についてお伺いをいたします。
○田中政府参考人 個人の尊厳についてのお尋ねでございますけれども、個人の尊厳とは、すべての個人が、他をもってかえることのできない、人間として有する人格というものを持っておって、それは不可侵のものである、この個人の尊厳を重んじるということは、こういう不可侵の人格というものを尊重するということでございまして、憲法の基本的人権と同意、同義であると解しておるところでございます。
 教育におきまして、こうした個人の尊厳を重んじることは、憲法の精神にのっとった普遍的なものとして、今後とも大変重要な理念であるというふうに考えておりまして、現行法に引き続きまして、今回の法案にも規定したところでございます。
○斉藤(鉄)委員 民主党案におきましては、個人という言葉ではなくて、人間の尊厳とございます。我々が目指す教育は人間の尊厳と平和を重んじ生命の尊さを知り云々でございます。ここで、現行法にあります個人という言葉ではなくて、人間という言葉を使われた理由は何なんでしょうか。
○藤村議員 今ちょっと読んでいただきましたとおり、実は私ども、前文に人間の育成はという言葉を三カ所使っておりまして、人間という言葉に少しこだわりました。
 といいますのも、我々の日本国教育基本法において、前文というのは、非常に普遍的な、人間の育成、人づくりということになるかもしれませんが、という非常に大きな意味の、つまり教育は何かということの理念を書き込んだつもりでございます。そういう意味で、前文第一行の下の方に、広義の教育の力によってという言い方をいたしました。条文以下は、ある意味では、国及び地方公共団体などの、その意味では一部の教育を規定しているんですが、前文だけは特に人間の育成ということにこだわったものですから、人間の尊厳という言葉にある程度こだわってきたところでございます。
 なお、第一条、目的のところでは、我々は、人材という言葉を使いました。これは、一人一人の人間を育てる理念のもとに、国や地方公共団体が行う教育部分の役割、すなわち、狭い意味、狭義の教育についての目的にしたところでございます。
 また、これは我々が前から主張しておりますが、教育基本法というのがやはり憲法に準ずるし、あるいは憲法と連携したものでなければならないという主張はずっとしてきたところでございますが、昨年十月に我々民主党は憲法提言というのを出しました。ここに人間の尊厳ということを非常に前面に出してうたっている関係もございまして、今後のことを考えれば、やはり人間の尊厳。個人というのは、国、社会、個人という対比で言うわけですが、我々はあくまで人間ということに焦点を当てた、この辺が一つの特徴だと思います。
○斉藤(鉄)委員 今の藤村さんの御説明、わからないわけでもない、人間の尊厳という言葉も非常にすばらしい言葉だと思いますが、憲法そして現行教育基本法における個の尊厳というのは、ある意味で人類の歴史の中で生み出してきた一つの普遍的な価値としての個の尊厳という使われ方だと思うんです。教育の目的も、今回は人格の完成、これはある意味では個人に着目したもの、そして社会の形成者としての資質、これは社会に注目したもの、その両方相まって初めて教育の目的が達成される。そういう中にあって、人格の完成を目指す個の尊厳という普遍的な価値を前文にきちんと入れておくということは必要なことなのかな、私はこのように思っております。
 それから、今回いろいろな議論の中で、個人の尊厳とか、今の憲法また現行教育基本法について個のということがたくさん言われているけれども、いわゆる社会的責任という言葉が少ないのではないかというような議論もございましたが、基本的に、憲法もそして教育基本法も、名あて人はやはり国家であり統治機構だと思います。その権力に対して、これ以上のことはしてはいけませんよ、できることはここまでですよということを書いてあるのが憲法であり、また教育基本法の基本的な性格だ、このように思いますので、憲法や教育基本法の中に個の尊厳ということがたくさん出てくるのは自然なことだ、私自身はこのように考えております。
 次に、第五条、義務教育について質問をさせていただきます。
 現行の第四条は、本当に簡単にしか書いていないわけです。「国民は、その保護する子女に、九年の普通教育を受けさせる義務を負う。」「国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については、授業料は、これを徴収しない。」ということだけが書いてございますが、今回、政府案におきましても民主党案におきましても、では義務教育で何をやるのかということが書かれている。これは、私は、ぜひ今回の改正の一つの大きなポイントで、なさねばならないことだと思っております。
 この新しい教育基本法の案に義務教育の目的が規定されました。この規定を受けて、今後関係法令の整備が必要である、このように考えますが、大臣の御所見を伺います。
○小坂国務大臣 御指摘のとおり、今回の改定によりまして、「義務教育として行われる普通教育は、各個人の有する能力を伸ばしつつ社会において自立的に生きる基礎を培い、また、国家及び社会の形成者として必要とされる基本的な資質を養うことを目的として行われるものとする。」このようにされまして、中央教育審議会答申にありました「新しい時代の義務教育を創造する」というこのタイトルのもとに、国は、義務教育の到達目標を明確にし、その質の保証、向上を図ることが必要である、こういう提言をいただいたところでございまして、本法案において、教育の目標や義務教育の目的が規定されることを踏まえまして、今後、学校教育法等の関係法令の見直しに着手をし、その内容の検討を進めてまいりたいと存じます。
○斉藤(鉄)委員 今回、自立的に生きる基礎を培う、これが一つ。もう一つは、国家及び社会の形成者として必要とされる基本的な資質を養う、これが二つ目。そういうものを具体的に実行するための法制度の整備、これは必要だと思いますので、よろしくお願いいたします。
 現行法には、先ほど読み上げましたように、「九年の普通教育を受けさせる義務を負う。」というのが書いてございますが、案には、九年、そういう具体的な年数が盛り込まれておりません。どのような考え方に基づいて規定しなかったのか。これは民主党案についても書いてございません。なぜ書かなかったのか、これを文部科学省と民主党にお聞きいたします。
○田中政府参考人 義務教育の年限についてのお尋ねでございますけれども、教育基本法が制定されたときにおきましては、まさに戦後の学制改革の中で、義務教育の年限を六年から九年に延長することが喫緊かつ重大な課題だったところでございますが、その後の社会変化等を踏まえまして、義務教育に求められる内容も変化しておりまして、その年限の延長も検討課題の一つとして指摘されている、このような状況の中で、義務教育の年限につきましては、時代の要請に迅速かつ柔軟に対応することができますよう、その始期、終期などとあわせまして、別の法律、すなわち学校教育法に規定することが適当ではないかというふうに考えたところでございます。
○高井議員 お答え申し上げます。
 政府の御答弁と重なる部分もありますけれども、民主党も同様に九年の年限を外しました。民主党案では、現行の義務教育の期間を高等教育にも幼児教育にも長くするということも考えに入れておるために、九年という文字を外したわけでございます。
 これは社会の変化に応じて弾力的な制度構築を可能とするためで、具体的には学校教育法で定めるということも政府と同じところでございます。
○斉藤(鉄)委員 法律の専門家からは、現行教育基本法の唯一の法律事項はこの九年のところだけだ、だから、それを外したらもう教育基本法の意味がないという意見もあったやに聞いておりますが、私は、政治の見識として今回これを外したのは非常に大きな意味がある、このように思います。
 大臣、そうしますと、今後、この九年間という数字、また六・三制についても弾力化する可能性があるのか。また、よく現場で、地元で聞くんですけれども、これは最近の幼保一元化の議論、認定こども園等の議論から、下の方に延ばしていくということの前ぶれですかとか、いろいろ質問を受けるんですが、この可能性についてどのようにお考えでしょうか。
○小坂国務大臣 これにつきましては、義務教育期間を九年より長くすることについて、平成十七年に実施した義務教育に関する意識調査によりますと、賛成する割合が全体としては低い形なんですね。賛成あるいはまあ賛成と回答した割合は、保護者で二四%、学校の評議員では一三%、一般教員で七%、校長、教頭が一〇%、教育長は八%、あるいは首長さんの関係では一一%、こうなっておりまして、低い結果となっております。
 一方、小学校の四、五年で発達上の段階にありながら小学校と中学校の間に学習指導や生活指導などの連携、接続の課題が指摘をされておりまして、このために、構造改革特区制度等を活用しまして、四・三・二制度など九年間の区切り方の新しい試みも一方でなされているところでございます。
 中央教育審議会答申、十七年の十月の答申におきましても、設置者の判断で九年制の義務教育諸学校を設置することの可能性など学校種間の連携、接続を改善するための仕組みを検討する必要があると提言されておりまして、具体的に、東京都内におきましても小中一貫校等の試みが見られるところでございます。
 義務教育の年限の延長や六・三制の弾力化というものは、学校制度の根幹にかかわるものでありまして、何よりも国民の幅広い理解を必要としている問題であるために、国民的な議論を踏まえて今後検討してまいりたい、このように考えるところでございます。
○斉藤(鉄)委員 現行憲法も六十年続きました。これから我々がつくろうとしている改正案も、五十年、六十年続くんだと思うんです。その間、義務教育は九年というふうに固定するのはいかがなものか。本当に国民の理解を得ながら、幅広い議論をして、その可能性を残しておくということは非常に重要なことだと思います。
 それから、この義務教育に関連いたしまして、憲法二十六条には、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。」このように書かれております。普通教育を受けさせる義務、ここで言う普通教育というのはどういう意味でしょうか。
○田中政府参考人 ここに規定しております普通教育というものは、国民全体に対して基礎的に必要とする知識を言うものでございます。
○斉藤(鉄)委員 基礎的知識とおっしゃいましたか。保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う、これが義務教育と。先ほどの御答弁は、生きていく上で基礎的な知識を教えると。
○田中政府参考人 普通教育とは全国民に共通の一般的、基礎的な教育を言うものでございます。失礼しました。
○斉藤(鉄)委員 全国民共通の基礎的教育、必要な基礎的教育、それが普通教育であると。このように二つの、憲法の文章と今の御答弁を聞きますと、義務教育イコール普通教育、生きていく上で基礎的な教育ですからとなるんです。
 それでは、高等学校の役割というのは、高等学校も普通教育、普通科というのがございます。普通教育と職業教育の高等学校があるわけですけれども、高等学校の普通教育というのは義務教育ではありません。そのあたり、どうもしっくりすとんと来ないわけですけれども、この問題についてはちょっとまた議論したいと思いますが、では、高等学校の役割というのは何なのかという形でまず質問をさせていただきます。
○銭谷政府参考人 現在、学校教育法におきましては、高等学校は、高等普通教育及び専門教育を施すことを目的とする教育機関として位置づけられているわけでございます。
 新制高等学校発足直後は四〇%程度でございました高等学校の進学率は、現在九七%を超えておりまして、その実態はさまざまなものになっているかと存じます。高等学校自体は、義務教育の基礎の上に、これをさらに発展拡充させて、生徒がみずからのあり方や生き方を深く考え、各自の興味、関心、能力、適性、進路等に応じて選択した分野の学習を深め、将来の進路を決定させる教育段階というふうに現在は考えられるものだと思っております。
 その中で、各高等学校ごとに随分いろいろ性格が異なってきているというふうに思うわけでございます。今回、教育基本法の中で、学校教育の目的、目標といったものが新たに定められたわけでございますし、また、その教育基本法を受けた学校教育法の改正ということを今後私ども検討しなければならないわけでございますが、こういった高等学校の実態というものを踏まえつつ、高等学校の目標、目的の規定のあり方についてもよく検討していきたいというふうに考えているところでございます。
○斉藤(鉄)委員 憲法二十六条の文章、それから先ほど生涯学習局長が答えられた普通教育の意味、そして今回九年という義務教育の年限が外れたこと、そして普通教育ということが高等学校の規定の中にもある。それらを、今回の法改正を一つの契機にして全体整合性を持たせるような法体系にしていかなくてはいけないのではないかということを、今の質疑を通して感じたわけですけれども、現行下でもちょっとかなりの混乱がありますので、今回のこの法改正を、そういう意味で制度をすっきりさせる一つの契機にさせていきたいと強く感じたということを申し上げさせていただきまして、私の質問を終わります。
 ありがとうございました。
○森山委員長 次に、糸川正晃君。
○糸川委員 国民新党の糸川正晃でございます。
 本日も、前回に引き続きまして、基本法案の各条項についてお尋ねをさせていただきたいというふうに思います。
 憲法第十四条、第二十六条では、「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」ことや、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」こういうことについて規定されておるわけでございます。
 現行の教育基本法第三条では、憲法のこれらの規定を受けて、国民の教育の機会の均等について規定をされておるわけでございます。
 これにつきましては、現行法の制定時、国会質疑におきまして、「この第三条は、第一項の前段におきましては、教育の機会均等の本質を述べ、次に人種、信条、性別以下は、これは教育を実施する上におきまして、こういうふうな事項によつて差別をされてはならないということをうたつたものであります。入学の際、あるいは入学の後の教育実施にあたつての問題を、すべてここに包含しておるつもりであります。次に第二項におきまして、特に能力があるにもかかわらず、経済的理由によつて修学困難な者に対しましては、奨学の方法を国及び地方公共団体において講じなければならないのであります。」このように説明をされておるわけでございます。
 特に、現行の第三条は、戦争直後で食べることもままならない時代であったというふうに思います、その時代に子供たちに教育の機会をいかに保障するか、こういう点で極めて大切な理念を明示されたのではないかなというふうに思うわけでございます。
 本法案におきましても、第四条にこの教育機会均等というものを定めておるわけでございますが、現行法の第三条と本法案の第四条、この関係、また、本法案の第四条を規定された趣旨についてお聞かせいただけますでしょうか。
    〔委員長退席、町村委員長代理着席〕
○田中政府参考人 本法案四条と現行法三条との関係につきましてでございますけれども、御指摘いただきましたように、現行法の第三条は教育の機会均等の規定でございまして、三条一項の前段におきましては、憲法二十六条の国民の教育を受ける権利を踏まえまして、国や地方公共団体が、学校制度の構築や学校の設置、運営などによりまして、国民の教育を受ける機会の提供に努めなければならないという、より積極的な責務を規定しておるところでございます。
 また、後段につきましては、教育のあらゆる場合において、教育を受ける者の能力以外の事由によって差別的取り扱いをしてはならない旨を定めているところでございます。
 また、二項は、御指摘いただきましたように、第一項の規定を踏まえまして、能力がありながら、経済的理由によって修学困難な者に対しては、国または地方公共団体が積極的に奨学の方途を講じる義務を定めているところでございます。
 改正法第四条では、これら現行の第三条の規定を引き継ぎますとともに、新たに、障害のある者に対しまして、その障害の状況に応じまして、より配慮された教育が行われますよう、国や地方公共団体が積極的に必要な支援を講じなければならない旨を規定しているところでございます。
○糸川委員 ありがとうございます。
 次に、第五条の義務教育の規定についてお尋ねをさせていただきたいと思いますが、子供たちの一人一人が人格の完成というものを目指して個人として自立をする、それぞれの個性を伸ばしてその可能性を開花させる、そして、どのような道を選んでも、どのような道に進んでも、みずからの人生を幸せに送る、こういうことができる基礎を培うということが義務教育の大切な役割であるというふうに思います。そうであるからこそ、国が一定水準の教育を保障する、こういう責任を担っていくべきであるというふうに考えておるわけでございます。
 このような義務教育に対する国の責任を考えますと、義務教育費の充実に取り組んでいくべきではないのかな、こういうふうに思いますが、文部科学大臣としての御見解をお聞かせいただければと思います。
○小坂国務大臣 この点は、委員のおっしゃるとおりでございます。義務教育は、一人一人の人格形成と国家社会の形成者としての育成を図るわけでございますので、国が責任を持って充実を図るべき最重要課題、このように認識をいたしております。
 その水準の維持向上のために必要な財源は国において確実に確保される必要がある、委員の御指摘のとおりと思っておりますので、今後とも義務教育の構造改革の推進に必要な予算の確保を図ってまいりたい、このように考えております。
○糸川委員 小坂文部科学大臣が今このようにおっしゃられたわけで、少子化を担当される猪口大臣にも、この同じ問題でどのような御見解をお持ちなのか、お聞かせいただければというふうに思います。
○猪口国務大臣 糸川先生にお答え申し上げます。
 今文部科学大臣が答弁されましたとおり、私は、義務教育は国が責任を持って充実を図るべく、最重要政策、そう考えております。その必要な財源は確実に確保されなければならないと考えております。
 また、義務教育につきまして、例えば本年度の予算におきましても、必要な予算の確保を図ったと考えております。今後も、義務教育の構造改革を推進する中でも、義務教育予算の充実に向けて努力し、また義務教育に対する国の責任を果たすことが重要であると考えております。
 また、少子化の分野におきましては、子ども・子育て応援プランに基づきまして義務教育期の子供たちに対する施策を推進しておりますが、本年度につきましても、必要な予算を確保して事業を推進しているところでございます。
○糸川委員 ぜひその予算をもっとつけていただいて、今財務大臣いらっしゃいませんけれども、しっかりと取り組んでいただければなというふうに思います。
 次に、学校教育の規定についてお尋ねをさせていただきたいというふうに思いますが、学校教育の条項に関しましては、現行法から引き続いてこの規定をされておるものでございます。今回の法案では、新たに第二項におきまして、学校の基本的役割が規定されておるわけでございます。
 まず、文部科学大臣に、本条においての学校の基本的役割を規定した趣旨、これについてお尋ねをさせていただきたいと思います。
○小坂国務大臣 学校は、人的、物的条件を備えて、一定のカリキュラムに基づいて、児童生徒等の心身の発達段階に応じた組織的かつ体系的な教育を行う場でありまして、教育の目的を実現する上で中心的な役割を果たすことが期待されているわけであります。しかし、現行法上は学校の役割については規定しておりませんで、学校教育法において、各学校種ごとの目的、目標が規定されているところであります。
 そこで、今回、中央教育審議会の答申も踏まえまして、学校の基本的役割について、第六条第二項において、「前項の学校においては、教育の目標が達成されるよう、教育を受ける者の心身の発達に応じて、体系的な教育が組織的に行われなければならない。」と規定をすることとしたわけでございます。
○糸川委員 私も、教育の目的を実現する上では、家庭教育ですとか社会教育も大事ではございますけれども、学校教育が重要な役割を果たすべきだというふうに考えておりまして、今回のこの規定が設けられた、こういうことは評価すべきことだというふうに思っております。
 もう一つ、今回の教育基本法案に新たに位置づけられた大学についてお尋ねをさせていただきたいと思うんです。
 少子高齢化、人口減少、こういう社会の劇的な構造の変化、経済分野におけるアジア諸国の台頭、こういった競争環境の著しい変化の中で、我が国が真の国際競争力を確保していくためには、大学において、世界最先端の学術研究による新たに知の創造、こういうことを不断に行っていくことが重要であるというふうに考えておるわけでございます。といいますのも、まさに大臣が今国会の所信で表明されましたように、天然資源に恵まれない我が国においては人材こそ国の宝であるというふうに私も思うわけでございます。
 そこで、大臣にお尋ねをさせていただきたいんですが、どのような趣旨で今回のこの法案に大学に関する規定を新設されたのか、お聞かせいただけますでしょうか。
○小坂国務大臣 これはまさに、今委員御自身が、世界最先端の学術研究による新たに知の創造を不断に行っていくことが重要であると申されましたけれども、そのとおりでございます。まさに二十一世紀は知の世紀、知識の知の世紀と言われておるわけでありまして、世界最先端の学術研究による新たな知の創造と活用を通じて我が国社会や人類の将来の発展に貢献する人材を育成することが必要であり、大学としての役割がますます重要となっている認識のもとに、大学は教育と研究を一体として行っておりまして、そして社会とのかかわりにおいてもその貢献が求められること、そして大学の自治に基づく配慮が必要であること、そして国際的にも一定の共通性が認められる存在であることなど、固有の特性を有しているものであることから、このような大学が果たす重要性の高まりとその特性を踏まえて、大学について特に規定を置くこととしたものでございます。
○糸川委員 現在、大学における教育の質の充実、こういうものや国際競争力の向上のため、大学の改革を進めているところは、これは承知をしておるところでございます。
 例えば、国公私立大学を通じた大学教育改革の支援につきまして、具体的にどのような施策を行っているのか、お聞かせいただけますでしょうか。
○石川政府参考人 大学の教育改革に対する支援のお尋ねでございます。
 知識基盤社会と言われております二十一世紀におきまして、知の拠点としての大学の役割は極めて重要なものと私ども考えておりまして、各大学がそれぞれの個性、特色を明確にいたしまして、社会の多様なニーズにこたえ、教育の質の充実を図っていくということが求められておる、このように考えております。
 このため、文部科学省といたしましては、国公私立大学を通じました競争的な環境のもとで、各大学の教育改革に向けた意欲的な取り組みに対して積極的に支援を行っているところでございまして、平成十八年度予算におきましては、例えば、教育内容、方法等の高度化、豊富化に資するすぐれた取り組みを支援する特色ある大学教育支援プログラム、これは予算額三十五億円でありますとか、社会的要請の強い政策課題に対応したすぐれた取り組みを支援する現代的教育ニーズ取り組み支援プログラム、これは予算額四十六億円でございます。そしてまた、世界的な教育研究拠点の形成を支援する、いわゆる二十一世紀COEプログラム、これは三百七十八億円で実施予定でございますけれども、このようなものを合わせまして、八つのプログラムで総額五百六十二億円を計上しているところでございます。
 文部科学省といたしましては、今後ともこれらの施策の充実を図りまして、積極的に改革に取り組む大学をきめ細かく支援をしていく、こういったことによりまして大学教育のさらなる活性化と質的向上を図ってまいりたい、このように考えているところでございます。
○糸川委員 ありがとうございます。
 人材育成の観点からしましても、我が国の国際競争力を強化する、こういうことが必要であるというふうにどこでも今考えられているというふうに思います。
 そこで、最近は大学院に進まれる方もどんどん多くなってきている。ただ大学を卒業するだけではなくて、大学院も卒業しよう、こういう方が非常に多くなってきているというふうに私も認識しておるわけでございますが、大学院におけます人材育成機能の強化のために、実際に具体的にはどのような施策というものを行っているのか、お聞かせいただけますでしょうか。
○石川政府参考人 大学院における人材養成機能の強化についてのお尋ねでございます。
 グローバル化が一層進展をいたしまして、国際競争が激化する今後の社会におきましては、大学院における人材養成機能を強化して、社会のあらゆる分野で活躍し得る高い能力を持った人材を育成していくということは、委員御指摘のとおり大変重要なことである、このように考えております。
 文部科学省におきましては、これまでも大学院の量的な整備あるいは制度の弾力化などを積極的に進めてきたところでございますけれども、一方で、大学院教育の質の向上の必要性といったことが各方面から強く指摘されてきたところでございます。
 このため、昨年九月の中央教育審議会の答申、新時代の大学院教育、これも踏まえまして、大学院教育の充実強化に向けました今後五年間の取り組み計画であります大学院教育振興施策要綱、こういったものを私どもとして本年三月に策定をいたしております。これに沿いまして、例えば、各大学院の人材養成目的の明確化と体系的な教育の展開を通じました教育の実質化、そしてまた、産業界と連携をした人材育成の強化、また、世界最高水準の教育研究拠点を形成、こういったことなどにつきまして、体系的、集中的に取り組んでいくこととしているところでございます。
 平成十八年度におきましては、例えば、すぐれた大学院教育の取り組みを支援する「魅力ある大学院教育イニシアティブ」といったようなプロジェクト、これは四十二億円で予定してございます。そしてまた、長期インターンシップ等を通じまして産学が協同で人材育成を行う取り組み、こういったものを支援する派遣型高度人材育成協同プラン、こんなものも予定をしておりまして、これは二億円でございます。そのほか、世界的な教育研究拠点の形成を支援いたします二十一世紀COEプログラム、これも先ほどちょっと御紹介しましたが、三百七十八億円で予定しております。
 こういった事業を実施するほか、大学院に対しまして第三者評価事業の一層の充実を図ってまいりたい、このように考えております。
 今後は、これらの施策をさらに充実発展させるということを通じまして、国際的に魅力のある大学院を構築し、社会のあらゆる分野で積極的に活躍し得る高い能力を持った人材の育成、これを推進してまいりたい、このように考えております。
○糸川委員 ありがとうございます。
 また、今回のこの法案でございますが、大学だけではなくて、私立大学についても新しく条文が設けられておるわけでございますが、これは現行法の制定時から時代の変化、こういったものが大きな理由ではないのかなというふうに考えておりますが、文部科学大臣、今回、私立学校に関する規定を設けられました理由、これについてお聞かせいただけますでしょうか。
○小坂国務大臣 第八条におきまして、「私立学校の有する公の性質及び学校教育において果たす重要な役割にかんがみ、国及び地方公共団体は、その自主性を尊重しつつ、助成その他の適当な方法によって私立学校教育の振興に努めなければならない。」として、新たに、御指摘のように、私立学校に関する規定を設けたところでございます。
 我が国の私立学校は、独自の建学の精神に基づきまして、個性豊かな教育研究活動を積極的に展開しておるわけでありまして、例えば大学におきましては、全大学のうちの八割が私立大学、私立で占めている、こういう現状にあるわけでございまして、我が国の学校教育の質、量の両面におきまして、この発展に大きな役割を果たしてきたという事実があるわけでございます。
 このような私立学校の果たす役割の重要性にかんがみて、国、地方公共団体が私立学校教育の振興を図るべき旨を新たに規定することとしたわけでございます。
○糸川委員 私も、今大臣が述べられたように、私立大学の役割というものは大変重要である、こういうふうに考えておるわけでございますが、このような私立学校の果たすべき役割、これは、国民の教育ニーズがますます多様化していく中で、今後一層重要になっていくものだというふうに思いますが、文部科学省においても、私立学校に対しての助成などの施策に取り組まれている、このように思いますが、今後どのようにして私学の振興、こういうものの充実を図っていくのか、お聞かせいただけますでしょうか。
○金森政府参考人 お答え申し上げます。
 文部科学省におきましては、私立学校の果たす役割の重要性にかんがみ、従来より、私学助成や私学関係税制、経営相談などの事業を通じまして私学の振興に努めてきたところでございますが、法案第八条は、新たに私立学校に関する規定を設け、私学の振興に関する国や地方公共団体の責務を明確に規定いたしております。
 文部科学省といたしましては、本条の趣旨を踏まえ、厳しい財政事情のもとではございますが、私学助成の充実やその一層効果的な実施、寄附金税制を初めとする私学関係税制の充実、学校法人の経営改善に関する相談体制の充実など、幅広い側面から支援施策を推進し、私立学校の振興により一層努めてまいりたいと考えております。
    〔町村委員長代理退席、委員長着席〕
○糸川委員 次に、第九条の教員の規定についてお尋ねをさせていただきますが、教育の目的を実現する上で、今後とも、学校教育というものは中心的な役割を果たすということが期待されておるわけでございます。
 学校教育の成否というものは、子供の教育に直接に当たる教員の資質、こういうものに左右されると言っても過言ではないわけでございます。特に、近年の社会の大きな変化ですとか児童生徒の実態の変化等に適切に対応される、信頼される学校教育を実現するためには、教員の資質の向上というものがますます必要になってくるというふうに思います。しかし、現実には、指導力の不足ですとか教員による不祥事、こういうものが多発しておるのが現状でございます。
 現在は、児童ですとか生徒の数が減少してきつつありまして、教員につきましては量よりも質、こういうものが求められる時代となってきておるわけでございます。この意味でも、文部科学省には、教員の質というものをしっかりと確保していく必要がある、またあわせて責任があるというふうに思います。
 そこで、今回の教育基本法の法案では、このような教員の資質や能力の向上に対応する内容となっているのかどうか、お聞かせいただけますでしょうか。
○田中政府参考人 教員の資質の向上についてのお尋ねでございますけれども、御指摘いただきましたように、教員は、教育を受ける者の人格の完成を目指しまして、その育成を促すという大変重要な職務を担うものでございます。近年の社会の大きな変化、あるいは児童生徒の多様化といった実態に的確に対応するためには、教員一人一人の資質の向上が求められているところでございます。一方では、指導力不足教員、あるいは教員による非違行為などの例もあるわけでございまして、これらに対しても的確な対応が求められているところでございます。
 これらを踏まえまして、今回の改正では、現行法第六条第二項に教員についての規定があったわけでございますけれども、この第二項を独立させまして新たに教員の条項を設けまして、教員の使命や職責、身分の尊重と待遇の適正を規定いたしました現行の規定は基本的に引き継ぎますとともに、自己の崇高な使命を深く自覚し、絶えず研究と修養に励むべきこと、また養成と研修の充実が図られなければならないことを新たに規定しているところでございます。
○糸川委員 また、このような改正の趣旨を踏まえて、今後どのように公立学校の教員の養成ですとか研修を充実させるのか、お聞かせいただけますでしょうか。
○銭谷政府参考人 文部科学省といたしましては、これまでも教員の資質、能力の向上を図るために、養成、採用、現職研修の各段階を通じた改善充実に努めてきたところでございます。
 現在、さらに教員養成、免許制度の改革や採用、現職研修の充実方策について中央教育審議会において御審議をいただいているところでございますが、昨年十二月の中間報告では、大学の教職課程の質的水準の向上、教員養成に特化した専門職大学院としての教職大学院制度の創設、免許更新制の導入、教員の採用、現職研修等の改善充実等を内容とする提言を取りまとめていただいております。
 今後、最終報告に向けて今御議論をいただいているところでございますが、これらの改革案は、今回の改正案の趣旨を実現する上で非常にかなっているものと考えております。最終答申をいただいた上で、速やかに所要の制度改正を行うなど、教員の養成、免許制度の改革や研修の充実を図りまして、教員の資質の向上に努めてまいりたいと考えております。
○糸川委員 本法案第九条に規定されているように、教員がみずからの使命を自覚し、その職責の遂行に努め、研究と修養に励んで資質向上を図るため、こういうことには教員の待遇の適正が期せられる、こういうことが必要であるわけでございます。特に、具体的な教職員の例えば給与のあり方につきましては、勤務の実態などを踏まえながら検討すべきだというふうに考えますが、大臣、御見解いかがでしょうか。
○小坂国務大臣 教育は人なりと言われ、また、先ほど委員も御指摘なさいましたように、教育の成否というのはまさに担当する教員の資質に係るところが非常に大きい、こうおっしゃったように、全国にすぐれた教員を得て、安心してその情熱を教育に傾けられるような環境づくりをすることは、やはり国の重要な責務であると考えておりまして、そのために、教員の給与を一般の公務員よりも優遇する人材確保法というものをもって、優秀な人材の確保をこれまでも行ってきたところでございます。
 一方、総人件費改革の中で、公立学校の教職員の給与のあり方についても今後検討するように要請を受けているところでございまして、検討を行う際は、教員の給与は職務と責任それから勤務態様の特殊性に基づいて決定されるという、この考え方に基づきまして、教員の勤務実態に関する全国調査を行うなど、幅広い検討がまず必要であると考えております。
 文部科学省といたしましては、能力と意欲のある教員の確保のためにも、人材確保法の精神は維持した上で、勤務実態調査の結果を踏まえつつ、時代の要請にこたえてめり張りのある給与制度の構築に向けて十分な検討を進めてまいりたいと考えております。
○糸川委員 ほとんど時間でございますが、質問はこれで終わりたいと思うんですが、私は前職ではいろいろ中国に行くことがございまして、中国の学校も何度か訪れたことがあるんです。その中で、夜十一時を回っても大教室に子供がたくさんいたものですから、夜間大学か何かなのかなと思っていましたら、いや、家に帰ると勉強がなかなかできないから冷暖房施設のきちっと完備されている学校で夜遅くまで勉強しているんです、こういうことだったわけです。
 日本の環境というのは非常にいいわけですね、中国と比較してまだいい方だと思うんですが、私も大臣も慶応を卒業されているわけですが、夜十一時に大教室に人が満員だ、こういうことは一度もなかったのではないかなと思うわけでございます。日中でもがらがらだ、こういうことも今の学校ではいつでも見られるような状態になっているわけですね。
 ですから、そういう中で、これから国際競争力を持つ人材を育てるということでは、本当に、受ける側の、生徒側のモチベーションを高められるような教育理念というものをしっかりとつくらなきゃいけないのではないかなというふうに思います。
 これからも審議を進めさせていただきますので、よろしくお願いいたします。ありがとうございました。
○森山委員長 次に、奥村展三君。
○奥村委員 民主党・無所属クラブの奥村展三でございます。
 それぞれの委員の皆様方から今回の教育基本法についての質問をなされているわけで、当然でありますけれども、教育の憲法、根本法ともいうべきものであるわけですが、なぜこの会期末になって性急に出されたのか、そしてまた、なぜそんな急いで進められるのか、私も疑問になりまして、きょう質問に立たせていただきました。
 特に、小泉政権、小泉総理が米百俵の精神ということをうたわれたわけなんですが、本当にそれが教育の改革やいろいろなことにこの五年間つながってきたのかどうかということも大変疑問に思うところであります。改革のプロセスには紆余曲折あるいはまた試行錯誤があるのは当然であります。しかし、この五年間における、小泉政権における、規制改革にいたしましても、財政再建にいたしましても、全体をとらまえることなく、一部だけが突出してやっておられるように思えてなりません。
 そうして考えてみますと、日本経済、社会だけではなくて、あらゆるところに格差社会が生まれてしまったというような思いでいっぱいであります。他人のことはどうでもいい、もうかることさえ考えればいい、そういうような風潮も一方で言われているところでございます。非常に利己的な、目先にとらわれた、利益だけを追求するような社会になってしまったのではないか、そんな思いをいたします。そういうことを考えますと、経済的格差というよりも、やはり精神的な荒廃も生まれてしまったのではないかなというように思います。
 私が仄聞するところによりますと、与党内で二年間、約六十回近く、この教育基本法についての、教育についての議論をなされてきたようでありますが、どうも密室的な会議に終始されて、もちろん小坂大臣も入っておられないと思うんですけれども、自民党五人、公明党五人で、十人ぐらいが会議をやられて、一切そこでメモをとることは相ならない、そして、いろいろな資料が出ても、それは持ち帰ることをしてはならないというような密室会議がずっとなされた。なぜそんなことをやられるんやろ。もっとオープンに、国民に説明責任を果たしたり、あるいはまた本当に教育というのは大事なんだからフィードバックしていく、そういうものを時間をかけてまさしくやられるんだったらよかったのに、そういうことがなされてなかった。
 今回のこの特別委員会が森山委員長のもとに設置をされました。しかし、森山委員長初め、何か自民党には十人の大臣経験者が、町村筆頭もそうでございますが、おられる。そういうとき、そのときそのときの文部大臣、文部科学大臣のときの御苦労、そういうものを積み上げて、そして日本の教育、戦後六十年たってどうあるべきかということで議論をし、時間をかけてしっかりとした教育基本法をつくっていく、それが次代を担ってくれる子供たちや孫たちのための政治の大きな責任であり、我々がプレゼントをしていく義務がある、そういうような思いで私もこの問題に取り組ませていただきました。
 見てください、我が党の大先輩である西岡元文部大臣、参議院議員も連日ずっとこの委員会に傍聴に来ていただいております。しかし、そのようにしてそれだけ真剣に我々民主党も対案というよりも新たな法律をつくって、そして、政府案と我々の法律とを本当に時間をかけて比較検討して基本法がどうあるべきかということをするべきだというふうな思いでみんなこれに取り組んでいるところであります。
 ですから、大臣を経験なされた方が十人おられるわけですから、その方が三十分ずつしゃべっていただいても、相当時間をかけてですよ、そして、今の現職の小坂大臣が方向づけをされた、それが三十年先、五十年先、百年先になって、小坂大臣のときにこうしてつくり上げられた教育基本法なんだということで、しっかりとそのときそのときの子供たちあるいは生徒たちが夢を持って歩んでくれる法律にしなければならないというふうな思いで私は進んでいるわけであります。
 まず小坂大臣、この五年間、今大臣をなされておりますが、小泉さんが言われて、米百俵の精神だとおっしゃいました、本当にその思いでこの改革なり教育が進められてきたでしょうか、大臣の所見をお伺いいたしたいと思います。
○小坂国務大臣 委員が教育に対して大変な情熱をお持ちで、またこの教育基本法の改正についても、政府案、そしてまた民主党案を十分に勉強された上でいろいろな御指摘を賜っていることにはまずもって敬意を表したいと思います。
 米百俵の精神の故事を引かれた小泉総理の発言はそれだけではなく、さきの施政方針演説におきましても、人材育成の重要性について、今後の日本を支えていくのは人であります、物で栄えて心で滅ぶということのないように、新しい時代を切り開く心豊かでたくましい人材を育てていかなければなりません、このように述べられまして、教育の重要性、そして人材育成についての熱意というものを示されておるわけでございます。
 これらを踏まえまして、文部科学省といたしましては、新しい時代を切り開く心豊かでたくましい日本人の育成に向けて人間力向上のための教育改革を着実に推進してまいりたい、こう思い、またこれまでの五年間においても種々改革が行われております。
 例えば、十三年から十七年度の五年間で、少人数指導や習熟度別の指導等を実施できるように教職員の定数改善、総数で二万六千九百人に及ぶわけでございます。また、十三年七月には学校教育法、社会教育法を改正いたしまして、奉仕活動、体験活動を促進するというようにしてまいりました。また、十四年の一月からは指導が不適切な教員の転職を可能とするような制度も導入し、また十五年四月には高度専門職業人の養成に特化した専門職大学院制度を創設いたし、また十六年の四月からは国立大学を法人化する等、いろいろな改革も行ってまいりまして、また一昨年の九月、コミュニティ・スクール、学校運営協議会制度も導入をしたところでございます。
 今後とも、国際社会の中で活躍できる心豊かでたくましい人材の育成に向けて、具体的な改革の取り組みを引き続き推進して、そして、教育のあり方を根本までさかのぼった見直しを図るための本法案の成立に向けて全力で取り組んでまいりたいと存じます。
○奥村委員 教育というのは、私は、小手先だけでできるものではない、やはり時間をかけて、しっかりと現状に即応した形で推し進めていかなければならないというように思います。
 一九八〇年代に、イギリスのサッチャー首相、そしてまたアメリカの、当時レーガン政権だったと思いますが、アメリカは当時、三つ子の赤字と言われたように大変厳しい経済状況の中でありましたけれども、そうした中で、やはり教育を見直していかなければならない、教育によって経済復活をさせるんだということを当時言われたと思うんです。
 このアメリカにしてもイギリスにしても、教育の改革を推し進めていくということに着目されて、そして、教育の危機は国家存亡の危機であるという認識のもとに、日本で言う読み書きそろばん、つまり、読み書き算数というこれを基本にして、日本のきょうまでの教育というものを手本にして改革をなされて、そして進められてきたとも聞いております。そしてまた、青少年のいろいろな犯罪が多発をした。その根底は、やはり宗教的な教育を根底にもう一度見直して考えて取り組んで、そして、その犯罪を防ぐように努力をしたと言われているわけであります。
 そういうふうに考えますと、本家本元の日本が、我が国が、今考えてみますと、いろいろ高度な技術が、機械が発達をしましたけれども、まさしくそうした読み書きそろばんも忘れられ、そしてまた、少年犯罪はどんどんどんどん、先ほど来ずっと各委員の皆さん方がおっしゃっているとおり、親が子供を殺し、子が親を殺してしまう、命を、そして人間の尊厳を脅かすような、そんな社会になってしまった。
 もう一度、皆さんとともに今回の教育基本法の議論をするさなかに、やはり原点に立ち返って、しっかりと現場の状況、なぜこういう問題が多発をしてきているのか、私は、やはりそこには教育そのものの荒廃というものがある。そういうものをしっかり見直して進めていくということが、今大臣もお答えになりましたが、大臣も本当に個人でいろいろなお話をされるときにはそういうふうに思われると思うんです。
 ですから、しっかりと時間をかけて、まさしく国民にもわかっていただき、また国民の意見もしっかりと吸い上げて、そして、この教育基本法をしっかりなしていけるように、時代に即応した形で進んでいくように、ぜひなることを、私も微力ながら皆さんとともに努力をしていきたいというように思っているところであります。
 各委員の皆さん方には、相当なはがきや要請文が来ていると思います。私もざっと計算をいたしましたら、千百枚ほどはがきが送られてもきましたし、ファクスやお手紙やいろいろなことを合わせましても三百数十通来ておりました。それだけに、教育にかける思い、年金のときにもたくさんいろいろな要請もいただきましたけれども、実はそれの倍以上のいろいろなはがきが来ております。
 その一つを読み上げてみたいと思うんですけれども、愛国心は教え込むものではなく、生きていることの幸せが実感できたら、人が好き、家族が好き、学校が好き、郷土が好き、国が好きになるものです。子供たちに嫌いな食べ物を口をこじあけて無理やり突っ込んだりすることはしません。それは教育の条理と相反するからです。食べることの楽しさ、みんなで食べることの楽しさを感じさせることで、嫌いな食べ物が少しでも食べられるようになるのです。国を愛することを教えなければという、強制するものではないと思います。
 これは一人の方のはがきなんですけれども、こういう思い、やはりこういう国民の、そしてまた現場で汗して頑張っていただいている先生方の現状のこともしっかり把握しながら、本当に国民総意で、ひとつ教育というものの原点をしっかりと見て私は推し進めていくことだということの思いを持って申し上げました。
 この政府案も、そして我が党の提案をしている中にもないわけですが、環境教育について思いを込めて大臣の御意見もお伺いをさせていただきたいと思います。
 小中学生の自然体験、先ほども土屋委員が言われておりましたけれども、国立オリンピック記念青少年総合センターが昨年、二〇〇五年に実施をいたしました青少年の自然体験活動に関する実態調査、これによりますと、海や川で貝をとったり魚を釣ったりしたことが何度もあると答えた小中学生は二六%のようです。一九九八年に当時の文部省が実施をしたものから一五%も減少していると言われています。そして、ほとんどないと答えた小中学生は四〇%に上っているようです。そしてまた、ロープウエーやリフトやそういうものを使わずに高い山に登ったことがあるかという問いに、ほとんどないと答えた方が約七割に達していると言われているわけであります。
 こうした調査を見てみますと、今自然に触れ合うことが大変少なくなっている。私の持論でありますけれども、国有林が、もう本当に作業していただく方々も少なくなる、あるいはまた入会権や、あるいは個人所有の山林でもなかなか山に入ることがありません。私も七ヘクタールぐらいの山を持っていますが、もう自分の境界すらわかりません。もう次の時代になれば、子供たちにどうして教えたらいいだろう、まさしく、人に偉そうなことを言っていますが、自分自身が本当に山に入ることがないぐらい、そういうことです。しかし、私は、小さいときに山林、森林に子供たちを入らせて、昔のやはり林間学校、あるいはまたいろいろなそういう自然の中ではぐくまれるよさというものを子供たちが実感をして、その体験をしてくれる、そういう教育というものが大事ではないかなというように思っているところでございます。
 ですから、これは文科省だけでできることじゃないんですが、以前にも委員会で申し上げたんですけれども、やはり農林水産省あたりと連携をとって、都会のお子さんたちが、夏休みなりあるいは春休みでもいいから、そういうときに学有林として確保して、国がそれを提供して、そしてそれぞれの学校のテリトリーで、山の中を自分たちが散策をしたり、あるいは下刈りをしたり、いろいろなキノコを自分たちがとったり、そういう経験をさせてやる、そういうことがやはり教育の中に私は一番大事ではないのかなというような思いがしております。
 私の地元には琵琶湖がございます。これは以前に、中山前大臣のときにも申し上げたんですが、ちょうど五十四年に県会議員にならせていただいたときに、滋賀県は琵琶湖の水質をしっかりと確保していかなければならないということで、富栄養化防止条例、つまり粉石けん運動がスタート、条例でできました。奥さん方は粉石けんに一生懸命力を注いで水質保全に努力をいただく。一方で、企業の皆さん方は工場排出等についていろいろと制約を受けながら努力をいただいた。
 そうした中に、私はふと思いつきましたのが、学校の教育の中にこれを何とか取り込めないだろうかということで、当時は、今から考えますと、思いつきで言ってしまったなというような思いをしたんですが、今になってみるとよかったと自負をしているんですが、五十六年の六月の県議会で、当時の武村知事に船をつくってくださいという提案をいたしました。体験学習船、つまりフローティングスクールというものを、一泊二日のそういうスクール、船がつくれないかということで提案をいたしました。
 大変難しい、当時の文部省の補助金はなかったわけなんですが、実は、全長六十五メートルで幅十二メートル、九百二十八トンの船をつくっていただきました。昭和五十八年に完成をいたしまして、この間、五十九年から十七年度までですが、約三十七万人、滋賀県の人口の四分の一なんですが、この方々が全部、小学校五年生のときに一泊二日のフローティングスクールの体験学習をしてくれたんです。
 カッターもついていますし、そして水質の勉強もできますし、その中では琵琶湖の環境学習もできます。そして集団生活、一泊二日船の中でするわけですから。そして、琵琶湖の周辺の港に寄港しながら、郷土のいろいろな文化や伝統に触れ合っていく、そういうようなことが行われてまいりました。
 最近では、やはり琵琶湖の水の恩恵によって京都や大阪や兵庫県の皆さんが生活を営んでいただく、近畿一千四百万人の水がめとも言われる琵琶湖を、滋賀県の子供たちがしっかり水を守っていこう、水を汚してはならない、そういう一方で、自分たちの体験学習ができていくということなんです。
 ですから、触れ合い体験学習、あるいはまた、先ほど申し上げました集団生活、そういうものの思い出をしっかりと抱きながら、大人になっても水というものの大切さをしっかり学んでくれているものだというように私は思っているわけであります。
 先ほど申し上げましたように、自然との触れ合い、やはり今そういうものがおろそかになっている。今、基本法の議論を通じた中にそういうものもしっかり考えていかなければならない時期ではないかな。これは基本だと思うんですが、大臣、どのようにこの環境教育というものに対してお考えなのか、所見をお伺いいたしたいと思います。
○小坂国務大臣 それぞれの地域に自然環境というのはあるわけでございます。都会においては都会の自然環境、ほとんど残っていないというのが現実かもしれませんが、そのないことについての認識を持って、そして今度は、セカンドスクールというのが先ほど土屋委員の方からも提示をされましたけれども、山の中へ行って、木々を見たり動物についての観察をしたりして、それと自分の住んでいる都会との比較の中にあって自然の大切さを学ぶ。
 また、今、委員が御指摘なさいまして、県民の人口の四分の一、大変な数でございますが、三十七万人の体験教育を実施されたという実質的な経験に基づくお話もいただきました。琵琶湖のフローティングスクール事業というのは、そういう意味では大変にすばらしい事業だと思いますし、小学五年生という年齢からしても、非常に自然に対して興味もあり、またそれを理解することのできる学年が、全員がひとしく乗船体験を持つ、そして共同生活としての一泊体験もするということは、湖の水質浄化等に取り組まれた滋賀県民の皆さんの努力を引き継ぐものとして、大変にすばらしい体験教育だと思います。
 そういう意味で、そういった自然体験活動を初めとするさまざまな体験活動の場を得て、これを教育の中に取り入れていくということは大変すばらしいことであり、私どもとしても取り入れて推進をしてまいりたい、このように考えているところでございます。今後、文部科学省としても、モデル事業として行っております豊かな体験活動推進事業、こういったものを通じて、全国での体験活動が実施されるように普及を図ってまいりたいと考えております。
○奥村委員 ありがとうございます。
 ぜひ、そうしたグローバルな教育の中での環境教育というものをしっかり位置づけしていただきたいということを、強く要望もしておきたいというように思います。琵琶湖ならでは、滋賀ならではのそうした事業でありますけれども、それがいろいろな自然との触れ合い、いろいろな知恵を出し合って、それぞれの地域で推し進められていけばいいな、そんな思いでいっぱいであります。
 次に、今回のこの基本法の第三条にあります、生涯学習の理念についてお伺いをいたしたいというように思います。
 特に、少子高齢化時代とは言われておりますし、そしてまた、当然長寿社会でありますから、生涯現役という形で皆さん頑張っていただき、また、若い者そして子供たちや孫たちに、やはりそこで培われた伝統や文化や経験をしっかり受け継いで、教えていただく、そういうことを考えますと、私は、まず健康が第一であろうと思うんですよね。人間だれしも健康でありたい、そして長生きをしたい、これはだれしもの思いであると思うんです。
 そうした流れを考えますと、やはりスポーツの振興、いろいろと進めていって、健康な身体を持続し、そしてあらゆるものにチャレンジをしていく、そういうようなことを考えますと、この生涯学習というものが、本当にこの理念が生かされるような形で進めていくべきだというように思いますが、どのようにお考えか、お伺いをいたしたいと思います。
○小坂国務大臣 まさに長寿化社会と呼ばれるように、今日の社会においては、六十歳、還暦を迎えるといっても、まだまだ、人生まだ半分ぐらいしかないような、これからが人生だというような方もふえてまいりました。長寿社会の到来による自由時間の増大などに伴いまして、人々の体力の向上、心身両面にわたる健康の保持増進ということが人生をより豊かなものにする観点から非常に重要なことだと思っておりますし、社会教育の充実のみならず、生涯学習の振興ということは極めて政策的にも重要なものである、このように考えております。
 このような社会の状況を踏まえまして、家庭教育、学校教育、社会教育の充実等を通じて、国民のだれもがあらゆる機会にあらゆる場所において学習することができる社会、健康の保持増進に資するスポーツに親しむことができる生涯学習社会の実現が図られるべきである、このように考えて、努力をしているところでございます。
 このため、文部科学省におきましては、総合型地域スポーツクラブ育成推進事業等を進めているところでもありまして、今後とも、健康スポーツ振興の観点も踏まえて生涯学習の振興を図ってまいりたい、このようにも考えております。
 また、高齢化の進展などに伴いまして、人生をより豊かなものにする観点から、高齢者が年齢にとらわれることなく、生きがいを持って活躍できるような公民館等における高齢者対象の学級、講座等の開設、また学習活動の促進を図っているところでありまして、表彰も行っているわけですが、私どもの長野市の篠ノ井地域の公民館活動というのが大変に幅広く行っておりまして、地域に住む経験豊かな方々がそれぞれ講師になられて、そこで、実習を含めた、お茶やお花やあるいは陶芸の活動、俳句をつくる活動、いろいろな活動が行われておりまして、非常に活発な公民館活動等が行われておりますが、こういった活動が各地で行われるように、私ども、地域社会への貢献にもつながる社会参加型の活動の促進を図ってまいりたいと考えております。
○奥村委員 大臣の長野の方も、そうしてそれぞれの知恵を出し合って、やっておられる。そういうことがどんどんどんどん広がっていって、まさしく生涯現役ということを皆さん方が思っていただき、行動していただけることを期待し、そういうこともしっかりと文部科学省も推し進めていただきたいというように思います。
 次に、家庭教育についてお伺いをいたしたいんですが、今おっしゃったように、家庭、学校、地域、社会、お互いに連携をとりながら教育を推し進めていく、しかし、私は、やはり家庭が一番の、責任というよりも、それだけの教育をしていく基本になるのではないかなというような思いをいたします。
 大臣は最近「早寝早起き朝ごはん」ですか、そういうことを特にあらゆるところで言われているわけです。これはもう当然生活習慣として取り組んでいかなければならないことでありますけれども、一方で、家庭、地域、社会といいますけれども、社会の中に含まれるのか知りませんけれども、私は、企業や事業所、職場ですね、これとの連携というものが非常に大事だと思うんです。
 私も幼稚園を経営しておりますが、運動会だとか音楽リズム発表会だとかいろいろなことをやりましても、おじいちゃんやおばあちゃんと奥さんは来ていただける。子供たちにとってみれば、やはり父親にも来てほしい。しかし、職場が休めない。だから、そこらの協力がやはり私は必要になってくると思うんです。これはやはり、総ぐるみで子供たちを育てていく、そういう環境をつくっていかなければならない。
 だから、市町村や都道府県でそういういろいろな知恵を今出しておられるようなんですけれども、きょう、私、二階経済産業大臣にお越しをいただいて、ちょっと一緒に、文科省と連携をとってしっかりやってくださいというお願いをしようと思っておったんですが、何か日程的に時間がとれないということだったんですけれども、経営者や、あるいはそこに勤める従業員も自主的にそういうものに取り組んでいく。企業を挙げて、家庭のことも守って、そして進めていくという環境を整えてあげる、しっかりと子供を中心として親が支えていく、それがやはり家庭教育として大事ではないか。
 そうなると、やはりお勤め先の、そうして汗して頑張っておられるということも大事ですし、そしてまた、親が仕事をしているところ、親の背中を見て、そして親のその苦労に対する話題性、家庭で言葉がそこに交わし合える、そういうような家庭の教育というものが私は大事だというように思うんです。
 ですから、そういうことを考えますと、やはり企業、職場、そういうものと家庭教育との連携というのは大事ですし、企業にしましたら、教職員のOBの先生方に講師になってもらって、学校での現場の流れだとか子供たちの思いだとかいうことを、逆にまた企業にその講師になってもらって、呼んで、いろいろな勉強会をしていく。そういう相互の交流をしながら子供たちを育てていくということが大事だと思うんですが、大臣、どのようにお考えですか。
○小坂国務大臣 私ども、よく、家庭、地域、学校が協力して、一体となって教育の推進をしていく、その重要性については説いてきているところでございますけれども、委員が御指摘のように、その地域という中には企業や事業所などの協力を得ることが大変重要でございます。
 最近、中学校のキャリア教育というものを推進しているわけですが、これも、地域の商店街や、あるいは中小企業の皆さんを初めとしたものづくりの現場の皆さんに大変な御協力をいただいて、中学校の生徒を預かっていただく。そして、最初の一日はいろいろ教えていただくので学びの一日目ですけれども、どきどきどきどきしながら体験に入っていくわけですが、二日目になりますとちょっとわかってきたような気がする。三日目になって、だんだんその難しさというものも理解し、そしてみんなが苦労しているんだなということに対する理解が進んでいく。そして日にちが進むに従って、自分でもある程度のものができるようになってきたということから、考えて、そして自信をつけて、そしてまた学校に戻っていく。そういう中で、今度は、受ける側の皆さんは、子供たちが来るから、自分の仕事の手順をもう一回見直してみよう、また初心に返って取り組んでみようというような形で、子供たちが刺激になって、企業の皆さん自身がまたリフレッシュする。こういう社会と学校とのかかわりというのは、そういう面でも、今日は大変重要な意味合いを持っていると考えております。
 先ほど御紹介をいただきました「早寝早起き朝ごはん」運動でございますけれども、この運動の推進に当たりましても、PTAを中心に、企業や事業所など、経済界を含む幅広い関係者によりまして構成される全国協議会を立ち上げて国民運動を推進しているところでございまして、去る五月の二十四日には、シンボルイベントとして、丸の内の多種多様な企業の協力を得まして、葛飾区立の小学校六年生、七十二名の方々が朝早くから、働く方々を取材して、朝御飯をちゃんと食べてきましたか、こういうような取材活動をした後に、その研究活動を発表して、各地域においても、多種多様な企業と連携しながら、子供の基本的な生活習慣が身につくための取り組みができるように、活動の事例集等を編集したり、情報提供をしたり、そういった交流を含めた、地域参加型、また小学生の自主的な活動参加型の運動推進を行っているわけでございます。
 また、地域の子供は地域で見守りはぐくむという観点から、地域の大人の協力を得て、子供たちがさまざまな体験活動や交流活動を行う安心、安全な子供の居場所づくり、あるいはスクールガードリーダーによる各学校の巡回指導等、地域ぐるみの学校安全体制の整備を進める、こういったことも踏まえまして、地域と学校の連携のもとに、なお一層の教育環境の整備に努めてまいりたいと考えております。
○奥村委員 すべての職場で、いろいろなところで、働くことの大切さ、あるいはまた大変さ、喜び等も学ぶということも、今、体験学習で企業の方に子供たちが行って、そういうことをやるということが学び取られれば、私は、一番大事なことだし、いいことだというように思いますし、そして、どんと来いというふうに、親が名キャッチャーになってやらなかったら、子供たちはすくすく伸びていかないと思うんです。
 まさしくそういう流れで、これからも、職場と地域と、そして家庭、学校がしっかり連携をとりながら進めていただくことも期待もさせていただいて、次に移りたいと思います。
 次に、宗教教育なんですけれども、これはいろいろと議論のあるところかもわかりませんけれども、現行の教育基本法には宗教教育が規定されております。それが、今日、考えてみますと、不十分だと思うんですが、むしろ、宗教教育そのものが否定されるわけではないわけなんですけれども、道徳教育、そういうことが行われることに対して、その根幹をなす宗教教育が何かおろそかにされている。
 宗教に関する知識や意義について積極的に進められるべきだと思うんですけれども、余りそういうものを現場ではやっておられないというような思いがいたします。ですから、民主党の案では、宗教的感性の涵養と明記もされてもおりますし、こういう問題について、やはりしっかりと教え込んでいく。
 私なんかの小さなときは、朝、両親に起こされて、仏さんの前でお念仏を両親が唱える、それがなかったら朝御飯がいただけないというような家庭で育ちました。そのことが何のことだか全然わからなかった、その当時はわかりませんでしたが、今になってみて、やはり自分は一人ではない、先祖があり、あらゆる皆さんに生かされているんだというような思いが、こうしてこの年になってわかりました。
 私ごとでなんですが、私、三年前に本を、自叙伝を出したんですが、その表紙は「生かされて生きる」なんです。まさしく自分一人では生きていけないんです。皆さんに生かされて自分がこうして生きているんだ、ある意味では宗教的な感覚かもわかりませんが、そんな思いで本を書いたんですけれども、まさしく我が党の小沢代表もおっしゃっておられる共生社会、皆さんとともに生きている、道徳教育だとか情操教育あるいはそういうものの根幹は何か、しっかりとした宗教の意義、そういうものも教え込むというのは大変大事だというように私は思うんです。
 大臣の所見をお伺いいたしたいと思います。
○小坂国務大臣 今回の法案の第十五条に、「宗教に関する寛容の態度、宗教に関する一般的な教養及び宗教の社会生活における地位は、教育上尊重されなければならない。」とし、また引き続き第二項におきましては、「特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない。」こう現行の規定を引き継いでいるわけでございます。
 そういった中で、今委員が御指摘なさいましたが、現在の教育の中で宗教教育は必ずしも十分に行われていないのではないか。これは、ある意味で慎重になり過ぎて、若干腰が引けていたのではないかという指摘をされる方もおられます。
 きょう午前の質疑におきまして、宗教教育に関しては民主党の皆さんからの御質問にもかなりお答えしてきたのでございますけれども、現在学校においては、宗教的な教育という部分について、道徳の時間において、これは必ずしも宗教そのものではございませんけれども、道徳を中心に置いて行われております宇宙や生命の神秘、それから自然といった人間の力を超えたものに対する畏敬の念をはぐくむこと、こういった取り組みは今後とも引き続き行ってまいるわけでございますけれども、宗教に関する一般的な教養という項目を新たに設けまして、今後の学習指導要領の検討の中で、適切な指導体制について十分な検討を重ね、そして盛り込んでまいりたいと考えております。
○奥村委員 宗教の教育というものをやはりしっかりと推し進めていただくようにお願いもしておきたいというように思います。
 次に第十三条、学校、家庭及び地域住民等の相互の連携協力という項があるわけなんですが、我が党は、二月の二十三日に、参議院において学校安全対策基本法なるものを提出いたしております、まだぶら下がっているようでありますけれども。
 これは、当時、広島の一年生の女児が殺害をされたという事件等いろいろな事犯がありまして、今日もそういうことが、最近も非常にあちこちで悲惨な事故が起きております。ですから、学校内の安全もある意味では脅かされているということもありますけれども、通学途上あるいは放課後、家の周辺で遊んでいるにしても、やはりいろいろな事件、危険度が増しております。そういうことからして、提案者である我が党の藤村議員も御熱心にこれに取り組んでいただいて、今この法律を参議院の方に提出しているんです。
 特に、学校周辺の住民の方々あるいは企業の方々、こういうところとの連携をしっかりとらなければ、学校で何が起きた、先生がそこの処理をやろうとしてサイレンを鳴らされるかもわからない、あるいは悲鳴を上げてほかの先生の応援をいただかれるかもわからないけれども、その周辺の企業やあるいは住宅にお住まいの皆さん、サイレンが幾つ鳴ればこういう事件が起きたんだ、サイレンが三つ鳴れば火事なんだ、あるいは二つ鳴れば事件が起きたんだと、常にそういう地域の方々との連携をしておかなければ、学校だけの処置になってしまう、そのときには既に大きな事故になってしまっている、そういうことが一つ。
 そしてまた、通学途上も考えますと、子供たちはいつもの思いで下校、登校してくる。特に下校時が一番危ないわけですね。そういうときになると、郵便局の配達される方々、あるいは銀行マンの集金に回っておられる方々、農協の方々、いろいろな方々がその周辺を毎日バイクであるいは車で行く。そうなりましたら、そこに不審な人がおるとかあるいは不審車があるとか気がつくわけですね。だから、そういう人たちとの連携をしっかり図らなければ、学校だけでは対応はできない、子供たちの安全は守れない。
 そういうことを考えると、常にその連携というものは大事である。だから、我が党としては、そういうものを考えて学校安全対策基本法なるものを提出したわけであります。
 特に、そうした中に消防団員の方々、この人たちは今若い人たちがほとんど団員なんです。所によればお年寄りの方も消防団員に入っておられるかもわかりませんが、そういう人たちは子供をすぐ身近に持っておられるわけですから、サイレンが鳴りあるいは状況になればすぐ学校へ飛んでいく、またそういうお手伝いもしっかりして連携をとってやっていだく。常に危険がつきまとっているような今日ですから、そういうものとの連携というのは非常に大事だと私は思うんですね。
 ですから、こういうものについて、特に学校安全の基本について大臣はどのようにお考えになっているか、お伺いをいたしたいと思います。
○小坂国務大臣 今日、毎日の報道の中で通学、登下校時の事故あるいは犯罪に巻き込まれる児童生徒というものが報道されるたびに、これは何とかしなきゃいけない、国民みんなが非常に関心を持っている事柄だと思います。それに対する一番の対策は、地域全体で犯罪に対する抵抗力をしっかりとつけること、そして児童生徒がみずから危険を回避する能力を身につけ、また危険を予知する能力を身につけていくことが必要だ、こう考えます。
 その地域ぐるみの犯罪に対する抵抗力ですけれども、それは、今委員御自身が御提示をされましたような各般の組織、それからボランティアの皆さん、そして高齢者の皆さんも、たとえ自分のおうちの前にただ座っていらっしゃるだけでも、これは防犯効果というのは出てくるわけですね。常に目を光らせていただいて、その前を登下校されるお子さんたちに、お帰り、行ってらっしゃい、おはようと言って声をかけていただく。そういう中で、あれ、いつも声をかける子がきょうは遅いな、そういうようなことで注意をしていただく。そういった心が地域の防犯力、抵抗力を増すことにつながっている、こう思います。
 そういう意味で、委員が御指摘なさいましたような広域の広報というものを、今地域での有線放送が最近はスピーカーにかわって、そして時々私どもの地元に帰りますと聞くのは、何歳ぐらいのこういうお子さんが今うちを出たまましばらく帰らない、どなたか見かけた方は通報してください、しばらくしますと、ピンポンポーンとまた鳴って、先ほど放送したことについて発見されましたので解除します、皆さん、御協力ありがとうございましたと。高齢者の徘回というようなことについてもよく放送がされますけれども、こういったこと、総体的に地域のコミュニケーションを図って、そして防犯力を高めることは大変重要なことと思っているわけでございます。
 そのためには、学校関係者と保護者が子供の安全に関する情報などについて緊密に連携を図るとともに、地域の住民や関係機関にそれぞれの立場で積極的に御協力をいただいて、そして学校、家庭、地域住民の相互連携、協力によりまして子供の安全を見守ることが最も効果的、こう考えて推進をしているところで、子ども安心プロジェクト、十八年度で予算規模二十六億円、従前にも増してこの予算を増しているわけですが、地域ぐるみの学校安全体制整備推進、また子供の安全に関する情報の効果的な共有システム、また子供の待機スペース交流活動推進事業、こういったものも、予算もしっかりと確保する中での推進も図り、また、昨年の十二月に策定をいたしました緊急対策六項目という形で、全通学路の緊急安全点検、すべての学校における防犯教室の緊急開催、これは体験的に児童生徒に学んでいただこうということです。また、すべての地域における情報共有体制の緊急立ち上げということで、ネットワークを構築するという事業でございます。また、学校安全ボランティア、スクールガードの充実、スクールガードリーダーの育成、また路線バスを活用した通学時の安全確保、国民に対する協力の呼びかけ等々、防犯体制について地域にお願いをしているところでございます。
 しかし、一方では、こういった地域の取り組みが推進される中でまた新たな犯罪が発生をするという、この問題については常にみんなでその取り組みを進めることが肝要であろう、このような認識を持っているところでございます。
○奥村委員 ありがとうございます。
 今いみじくも大臣おっしゃったんですが、私の地元でも、いろいろな話をしている中に、高齢者の方々がボランティアでつじつじに立ってやろうということで、ちょうど二カ月ほど前ですが、帰ったときにしゃべっていたら、よし、あしたから仲間と二人で立ってやろうかというようなことで、孫が帰ってくるところに今立っていただいているようです。
 やはりそういうのが自然的に進んでいくような社会になっていけば本当に安全も守れるだろうと思いますけれども、しかし、もう我々が全然想像もつかないような事件が多発をいたしております。これは文部科学省だけでできる問題ではないと思いますが、国を挙げてしっかりとしたそういう安全対策をしていくのと同時に、我が党が出しております安全対策基本法なるものが、本当にしっかり議論していただいて、成立するようにお願いを申し上げておきたいというように思います。
 それでは、猪口少子化担当大臣、連日御熱心にうなずいてお聞きになりながら自分の思いを考えておられるんだなということで、ずっと見守っておりました。特に少子化問題でございますけれども、これはやはり国の将来を大きく左右することだと私は思うんです、今の状況を見ますと。さまざまな問題が家庭にも、あるいは教育現場にもあるわけですが、これがやはり崩壊に向かっている、そういうことも一つの少子化の原因になっているのではないかな、そんな思いもするんです。
 ですから、財政的にも大変厳しい状況ですが、大臣、我が党が言うている子ども家庭省あたりをつくって、少子化担当というような大臣じゃなくて、本当に子供というものにしっかり目を向けた、そういうような政策をしっかり遂行していくような省庁がやはり大事だと私は思うんです。もちろん、先ほどの小坂大臣の、文科省は文科省なりのいろいろなことをやられますよ。けれども、子ども家庭省的なそういうものがやはり大事になってくる時代に来ると私は思います。
 何年か先には、ああ、あのときあんなことを言うておったなということが必ず出てくると思いますが、そういうことを含めて、ひとつ財政的にもしっかり確保していただかなければならないんですが、大臣の所見をお伺いいたしたいと思います。
○猪口国務大臣 奥村先生、どうもありがとうございます。
 私は、内閣府特命担当大臣といたしまして、各省庁との連携を強化しながら、子供と家族、家庭という観点から、この社会をよりよくしていくために日々仕事をしているわけです。一つの省庁というものを設置する、そのような組織的なことをもって対応するという考えもあるかもしれませんが、今必要なことは、機能的に日本の行政各部が持つ能力を総合して、そして今申し上げたような観点から、総力を出して子供たちを守り育てていくことではないかと考えております。財政の状況は厳しいのですけれども、全力を尽くして、今、少子化対策につきましては政府・与党協議の場もございますので、調整を努力していきたいと考えております。
 また、子供に関するさまざまな施策につきましては、さまざまな行政分野がかかわります。教育もそうであります。児童福祉という観点もございます。安全確保という観点からはさらに広い行政各部がかかわることになりますので、先生の御指摘ありますような、一つの省として子供を見るという観点も、お考えとしてはきょうお伺いしたわけですけれども、実質的には、それぞれの省が協力して連携を密にしながら推進する体制の方が私としては効果的ではないかと思い、努力しているところでございます。
 財源の確保につきましては、先生に今応援いただきましたので、そのように担当大臣として全力を挙げて努力させていただきます。
○奥村委員 大臣の意気込みはわかりました。まさしくそのとおり、やはり全省庁が力を合わせて少子化対策、これは、先ほども言いましたように、国の将来を左右する根幹なんですよ。子供がどんどんどんどん少なくなっていけば、経済的にもだんだん問題が起きてくる。そういうようなことも出てくるわけですから、やはりそういう対策をしっかりと、全省庁を挙げてやっていかなければならないというように思うんです。
 特に、育児休業なんかの中に、中小企業に現在位置づけられていないことがありますね。次世代育成支援行動計画の策定が位置づけられていませんね、中小企業には。こういう問題もやはり少子化の対策の中に、大臣、もっと力を入れて総合的にやっていただくようなこともやはりお願いをしておきたいというように思います。
 先日も、文部科学委員会で小坂大臣にも、ちょっとそんなしようもない話、しようもないということじゃないんですが、話をしていてお聞きをいただいたんです。胎教なんです。要するに、お母さんが身ごもっておられるそのときに教育が始まっているわけなんです。猪口大臣も、双子のお子さんでしたか、お持ちになっていますね。ですから、そのときどうだったかわかりませんが、私は、いろいろな本を読んでいろいろなことをお聞きしますと、ベートーベンの曲を聞くと興奮するけれども、モーツァルトの曲を聞くと物すごく落ちついて、子供がうまく育つというようなことです。
 やはりそのときに、ストレスだとか、妊娠中に何かの環境変化がありますと、私は男性ですから女性の苦労はわかりませんが、そういうことがやはり出生してからのいろいろな人生の中に関連しているということを言われていますが、大臣はどのようにお考えか。
○猪口国務大臣 お答え申し上げます。
 子供を妊娠したときに、安心感を持って出産に至る、そのプロセスを生きることがすべての妊娠している女性にとってとても大事だと思います。
 そのためには、出産につきましての安全、安心環境を確保すること、また、例えば妊娠中の健診について、もし経済的支援が必要な状況であれば、そのようなことにつきまして負担軽減ができるような、そのようなさまざまな施策を組み合わせて、ベートーベンかモーツァルトかということについてはわからないんですけれども、リラックスして、安心して、この社会を信じて出産をすることができるような、そのような観点から施策を充実させることが必要ではないかと考えているところでございます。
○奥村委員 これは教育基本法の教育というものにかかわりますから、そういうことを、あえて私は胎教についてお聞かせをいただきました。
 そこで、もう時間がありませんが、民主党の提案者にお伺いをいたしたいと思います。
 以前もお聞きになった方もあるわけなんですが、前文の中に、日本を愛する心を涵養し云々という表現があるわけなんですが、これについてお伺いをいたしたいというように思います。
○藤村議員 胎教から一気に日本を愛する心ということで御質問でございますので、我々の考え方というものを簡単にお答え申し上げます。
 日本を愛する心を健全な形で、そして自然な結果として我々自身が持つことというのは当然のことだと考えます。ただ、そうした心というのは、決して上から強制されて身につくとかいうものではないし、また一方的にこれは押しつけられる教育であってはならない、このこともまず共通の理解だと思います。だからこそ、国民一人一人に自然に培われることが望ましいとの思いから、私たちは、心を涵養しという、ちょっと難しい漢字ではございます、これは、水が土の中に自然としみ込んでいくようにという言葉を前文で理念として盛り込んだところでございます。
 また、国ではなくて日本としたのは、まさしく我が国の伝統文化、さらには郷土、自然など社会的実在としての日本を、単に国というだけでなく、これまで二千年にわたって連綿としてはぐくまれてきたこの日本を愛する心を持ってほしい、そんな気持ちから書いたところでございます。
○奥村委員 ありがとうございました。
 まさしく強制するものではないと思いますし、その心をしっかりと涵養できるような教育が推し進められることを期待いたしたいし、ぜひ民主党のそのことが通りますように、一緒になって努力をしてまいりたいというふうに思います。
 最後になりましたけれども、民主党の第六条の第一項に、発達段階及びそれぞれの状況に応じというような文言があるわけですけれども、どのような意味なのかお伺いをいたしたいというように思います。
○高井議員 御質問、ありがとうございます。お答え申し上げます。
 発達段階及びそれぞれの状況とは、子供によってさまざまである成長の状況や家庭の環境それから障害の有無などを含め、幼児の置かれているさまざまな状況に応じた教育を受ける権利を定めたものでございます。
 以上です。
○奥村委員 ありがとうございました。
 冒頭に申し上げましたように、大変大事な教育の憲法であります、根本法であります。このことが、十分時間をかけてしっかりと説明責任も果たし、そして、あるべき姿が皆さんとともに構築できますことを期待いたしまして、終わります。
 ありがとうございました。
○森山委員長 次に、保坂展人君。
○保坂(展)委員 社民党の保坂展人です。
 先日に引き続いて、国際社会の動向、そして日本外交と教育基本法の関係を議論させていただきたいと思います。
 先日、私は、国連改革の結果、従来の人権委員会が廃止されて人権理事会が創設されるという点について、日本も理事国メンバーになり、間もなく行われるジュネーブにおける会合において一体どのような決意で臨んでいるのかということを伺いたかったんですが、これについて、副大臣をお呼びしていると思うんですが、お答えいただきたいと思います。
○塩崎副大臣 お呼びをいただきまして、ありがとうございます。
 今御指摘の人権理事会でありますけれども、実は五月九日に、今お話しのように選挙が総会で行われました。御存じのように、かつては経済社会理事会が、言ってみれば選ぶということで、五十四カ国が五十三カ国を選んでいたという形なんですけれども、今回は総会で、なおかつ、それぞれ立候補する国はちゃんと何をするかプレッジをして、言ってみればマニフェスト選挙をやって、なおかつ、これからは当選した理事国もお互いピアレビューをやる、そういう新しい仕組みでございます。日本は百五十八票ということで、他の途上国などはもっとたくさんとっているところもありますけれども、先進国の中ではドイツよりも上で第一位ということで、私自身も総会で投票して、日本は百五十八票とって、理事会メンバーになったということでございます。
 当然のことながら、世界の人権の保護、促進に建設的な役割を果たしていく中心的なメンバーにならなきゃいけないということで、新しい仕組みでピアレビュー等々をやるにしても、物事をどうやって決めていくのかということを、今、実はジュネーブでいろいろやっているわけで、その中でも中心的な役割を果たさなきゃいけないということで、鋭意議論に参画をしているところでございます。
 それから、人権教育についても、国連総会において、人権教育のための世界計画決議が二〇〇四年に採択をされていますし、こういった面でもやらなきゃいけないし、北朝鮮の拉致問題についても、人権の問題ということで既に総会でも決まっていますが、こういう問題を取り上げていくという決意でございます。
○保坂(展)委員 人権理事会に日本がこれだけ前向きにしっかり取り組むという姿勢は、大変貴重な一歩だと思います。
 前回のやりとりの中で、今、塩崎副大臣に述べていただいた人権教育の推進というのが日本政府の大きな役割であり、国内的にも、子どもの権利条約というのは国際的な合意点であって、締結国である日本は、条約遵守義務を負っていると同時に、国内法の整備なども本当は課題としてあるんじゃないかということを申し上げましたところ、余りそういう例はないんじゃないかというようなお答えがあったんです。
 再度、ちょっと確認をさせていただきたいんですが、包括的な法制をとっている国は確かに少ないようですが、幾つかの国でしっかり国内法整備が行われているというふうに思うんですが、いかがですか。
○塩崎副大臣 先週の金曜日に麻生大臣からお答えをしたかと思うわけでありますけれども、この条約に定められている種々の権利義務の国内的実施をいかに確保するかについては、通常、各締約国の判断にゆだねられているということだと思います。
 これが原則ということで、国内法整備については、既存の国内法制によって保障する場合、一部改正する場合、新たな国内立法措置を必要とする場合、いろいろ国によって異なるわけでありますが、我が国は、児童の権利条約を締結した当時、主要先進国でこの条約の締結のために児童の権利に関する新たな包括的法制度を創設した国があったとは承知しておらないわけであります。
 なお、御指摘を踏まえて、いろいろ調査をというお話でございまして、各国の法制度が異なる点、あくまでこれは参考でございますけれども、これまでの調査では、欧州では、ベラルーシやエストニアそれからリトアニアで児童の権利に関する包括的な国内法を制定していることが判明しているところでございます。
○保坂(展)委員 包括的な国内法以外にも、ドイツでは児童並びに少年援助法、あるいは、フランスでは改正民法で十二条の意見表明権などが加えられているということも指摘させていただきたいと思います。
 文科大臣に伺いますけれども、障害をめぐる問題について通告をさせていただいていますが、子どもの権利条約第二条では、心身障害に基づく差別禁止の規定がございます。ところが、今回政府提出の法案四条一項には、つまり、差別を禁止すると列挙されているところには、障害が差別禁止事由に含まれていないんですね。
 他方において、障害者に対する規定がその次にございまして、国及び地方公共団体は、障害のある者が、その障害に応じ、十分な教育が受けられるよう、必要な支援を講じなければならない、このように書いてあるんですが、ここは、なぜこの障害ということが差別禁止事由から外れているのか。六十年振り返ってというのであれば、そこに障害ということがしっかり入っていていいのではないかと思いますが、いかがでしょうか。
○小坂国務大臣 法案の第四条第一項は、憲法が定める法のもとの平等や教育を受ける権利を保障するために、すべての国民がひとしく教育の機会を与えられ、教育上差別されない旨を規定しているわけでありまして、第一項に掲げられている人種、信条、性別などはあくまでも例示でございます。また、障害が明示されていなくても、同項の規定によりまして障害の有無による差別は禁止されている、こう解すべきであります。
 なお、本法案では、第二項を新設いたしまして、より積極的に、障害のある者が、その障害の状態に応じ、十分な教育を受けられるように、国や地方公共団体が必要な支援を講ずべき旨を規定させていただいたところでございます。
○保坂(展)委員 障害が入っていないからといって、ここも本当は含んでいるんだ、こういうお話だと思いますけれども、この第二項で、障害のある者が、その状態に応じて、十分な教育を受けられるように、教育上必要な支援を講じなければならないとあるのは、これは新設されているわけですよね、新たに今回の政府提案で。
 そうすると、統合教育、インクルージョンあるいはメーンストリーミングという、障害のある子供もない子供もできるだけともに学んで、ぎりぎりのところまでともに過ごしていく、こういう国際動向と逆行することにならないだろうか。新しくここで新設しているわけですから、少なくともそういう危惧を感じるわけですね。例えば、可能な限り障害のない者と統合された環境の中で十分な教育を受けられるようにするというようなことをきちっと加えていればそういう危惧はないわけですが、その点はいかがですか。
○小坂国務大臣 学校教育法と、いわゆるインクルージョン教育と言ったらいいんでしょうか、統合教育と言われている部分についての考え方でございますけれども、障害児の教育につきましては、統合教育を志向することが国際社会の中での大きな流れとなっていることは承知をいたしております。
 こうした国際的な動向を踏まえながら、各国においては、特別な学校における教育を含め多様な取り組みが行われ、就学する学校の決定に際しては、児童生徒の障害の状況を勘案しつつ、何らかの形で保護者の意見を把握し、学校の教育の場の決定に反映をさせるようにしているわけでございます。
 我が国におきましても、学校教育法等に定めるところによって、特別支援学校を含む多様な教育の場を設けつつ、就学する学校の決定に際しては、保護者や専門家の意見を聞きながら、総合的な観点から判断することとしているわけであります。児童生徒の障害の状況のいかんにかかわらず一律に通常の学級に就学させる、こういったことに関しては、現在の状況ではまだこれは困難であるということから、このような判断を加えて就学先を決定することとしておるわけでございますが、今回、この新たな規定を設けることによって、国や地方公共団体が必要な支援を的確、適切に講じられるようにしたところでございます。
○保坂(展)委員 必要な支援ということの中に、きちっと統合教育という概念を入れるべきであるということを指摘させていただきたいと思います。
 猪口大臣にも伺いますが、先ほども少し出ていたんですが、男女共学という部分が削除されている。これについては、二条三号で男女の平等と書いてある、大変重い、こういうことなんですが、文字数でいうと五文字ですね。しかも、列挙された中で態度を養うことという言葉で受けている表現である。
 この男女平等の原則については、この六十年間を振り返りますと、国際社会でも、あるいは日本国内でも、やはりかなり問題意識が進んだ分野ではないかということで、例えば、男女共同参画社会基本法というものもでき、また、担当大臣をされているわけだと思います。
 女性差別撤廃条約では、男女の定型化された役割に基づく偏見や慣習あるいは慣行の撤廃を実現するために、男女の社会的及び文化的行動様式を修正するというようなことをうたわれていて、この六十年間を振り返れば、やはりここはより強化されるということは必要だと思うんですが、男女共学が削られてこの五文字が入ったということでよしとするのか、ここは率直な感想を述べていただきたいと思います。
○猪口国務大臣 保坂先生にお答え申し上げます。
 私は、先ほど答弁申し上げましたとおり、男女の平等ということは積極的な趣旨を持って規定しておりますので、そのことの重さ、重要性ということを申し上げたいと存じます。
 この男女共学について定めている現行法の五条のところでございますけれども、これは先生よく御存じのとおりで、戦前の教育制度におきます、性別によります制度的な差異があったことにかんがみまして、これを解消し、男女がともに学ぶことを推奨するという趣旨から現行法は規定されているというふうに考えております。
 今日においては、もう大多数の学校が共学校として設置されていますし、歴史的な意義を、この男女共学を認めなければならないという考え方につきましては、果たし終えたんじゃないかと考えております。
 政府提案のこの法案につきまして、男女の平等を重んずる態度、これを、先ほども答弁申し上げましたけれども、正義と責任、そして自他の敬愛、あるいは公共の精神、そういう文脈において列挙する中に入れておりますので、その積極的な趣旨を御理解いただければありがたいと思います。
 また、男女共同参画担当の責任者といたしまして、引き続き教育現場におきます男女共同参画の推進につきまして、積極的に施策を推進してまいりたいと考えております。
○保坂(展)委員 小坂文部大臣に伺います。
 先ほどの議論にもありましたが、今回、九年という年数が削除されておりますが、これまでの議論を聞いていると、義務教育期間の延長ということで、例えば、幼児教育であるとか、あるいは高等教育の部分であるとか、その延長という文脈で議論がされているというふうに感じますけれども、九年をとったということから論理的に考えますと、逆に短縮、九年より短くするということも可能になってくるんじゃないか。ここはどういうふうに考えたらいいのか。これは、九年以上というような書き方もあったかと思うのですが、お答えいただけないでしょうか。
○小坂国務大臣 今回の法案において年限を明示していないということは、義務教育の年限を規定しないで、将来における延長の可能性も視野に入れつつ、その手続が柔軟に行えるようにしたこと、また、学校教育法にゆだねることによって、現行のこの九年につきましてもいろいろな意見が出てきております。したがって、制定時に義務教育の年限を六年から九年に延長するということが喫緊かつ重要な課題であったことから、現行法であえて義務教育の年限を九年と明示した、このように解しておりまして、一方で、その後の社会的な変化を踏まえて、義務教育に求められる内容も変化しておるわけですから、その年限の延長も検討課題の一つとして指摘をされてきておるわけであります。
 委員の御指摘のように、それでは短縮も可能になるのではないか、こういうことでございますけれども、現在の議論の中におきましては、小中一貫教育あるいは中高一貫教育、こういった形の中で、高等学校にはもう既に九割以上の方々が進学をされている、あるいは、幼児教育もほとんどの幼児が保育園あるいは幼稚園に通うような時代になってきた、こういった社会の情勢に柔軟に対応できるように義務教育年限を学校教育法にゆだねることとしたわけでありまして、決して短縮を意図すべく削除したものではないということを御理解いただきたいと思います。
○保坂(展)委員 官房長官、よろしいでしょうか。
 この委員会が始まってから、愛国心について、政府提案の、我が国と郷土を愛する態度を養うという表現、あるいは民主党案では、日本を愛する。表現は違うわけですけれども、愛国心がどうだというその中身はそれぞれの人の内面にかかわることだと思いますけれども、愛国心を評価するということをめぐって小泉総理ともいろいろやりとりがありまして、小坂大臣の答弁もありました。総理は、愛国心ということについて、例えば、通知表で評価するような、そういうことは行き過ぎだと思う、こういうふうにおっしゃっていますが、官房長官の御所見を伺いたいと思います。
○安倍国務大臣 この問題につきましては、既に総理もまた小坂大臣からも答弁をいたしておりますように、我が国と郷土を愛する態度の評価については、子供の内心を調べ、国を愛する心情を持っているかどうかを評価するものではない、これはもう言うまでもないことでございます。
 このような評価の考え方については、文部科学省としてその趣旨を徹底しているというふうに承知をしております。また、このことは、教育基本法に教育の目標として我が国と郷土を愛する態度を規定することによって変わるものではない、こう考えております。私も全く同じ考えであります。
○保坂(展)委員 今官房長官は、前提というか、お述べになったと思うんですが、私、お聞きしたのは、通知表で、A、B、Cとか五段階評価とかいうような形で小学生ないし中学生に、この基本法ができたからといって通知表で評価をするということについてどういう御所見なのかということを聞いたんです。
○安倍国務大臣 その点につきましても、総理も既に答弁をしておられるわけでありますが、もう既にそういう通知表はやめてしまっているというふうに、きょう、私も承知をしております。当然それはそういう判断であろう、このように思います。
○保坂(展)委員 それでは大臣の方に。
 今の点なんですが、先日の答弁で、教育長会議あるいは学校長会議などの場で適正な指導をできるように通知していきたい、こういうふうにおっしゃったんですが、その通知がどういう中身になるのかということ、これから考えるだけではちょっと心もとないので、その点についてもうちょっと明確にお答えいただけないでしょうか。
○小坂国務大臣 現行の学習指導要領におきましては、例えば小学校の社会科の第六学年の目標の一つとして、「国家・社会の発展に大きな働きをした先人の業績や優れた文化遺産について興味・関心と理解を深めるようにするとともに、我が国の歴史や伝統を大切にし、国を愛する心情を育てるようにする。」と定めているわけでございます。
 しかしながら、このことは、子供の内心を調べて、国を愛する心情を持っているかどうかで評価するというようなことではなくて、あくまでも、国を愛する心情を育てるようにするという教科としての目標のもとに、我が国の歴史やその中での先人の業績といった具体的な学習内容について、それぞれの児童生徒が進んで調べるような態度で臨んでいるか、あるいは、学んだことをもとに我が国の将来のために自分が何ができるかを研究し追求したり、そういう姿勢を持っているかどうかという全体的な、総体的な評価をするものであります。児童の内心に対して、愛国心を持っている、ああ、これはちょっと足りない、もっと持っているとか、内心の度合いをはかって評価するということはないわけでありまして、これはしてはならないこと、このように考えております。
○保坂(展)委員 大変大事な部分なので、前回、横光委員の質問に対して小坂大臣は、例えばそういう通知表などの行き過ぎあるいは過剰な形というのがあれば是正をしていきたい、こういうふうにおっしゃったんですが、その内容というのは今おっしゃったような内容なんでしょうか、あるいは通知表以外にも考えられるんでしょうか。
○小坂国務大臣 これは、調査をするということを申し上げたのは、すなわち、学校現場で内心に直接評価を加えるようなことを行ってはならないということを、あらゆる機会を通じて学校長や教育委員会等に伝えてまいりたい、こう考えておるわけでございますけれども、そういった私どもの指導というものが学校現場において適切に行われているかどうか、こういったことをどこかの時点でこれは調査してみる必要があるだろう。調査時期とか調査方法については今後慎重に検討してまいりますけれども、そういった必要性を感じまして、それを新聞に、記者から問われて申し上げたことが、行き過ぎの是正を図るというような考えを示したというふうに書かれておりますけれども、朝日新聞の五月十九日付の記事等によりますとそういった書き方もされているわけですが、決して行き過ぎを前提として調べているわけではなくて、どのような実態であるかという実態の調査をすることを考えるということを表明したわけでございます。
○保坂(展)委員 仮速記なんですけれども、大臣、新聞ではなくて横光委員とのやりとりの中で、一部に、通知表の項目にもし行き過ぎがあるならば、それぞれの地域でこういったことを指摘いただく中で、私どもも学校長たちの理解を求める努力をしてまいりたい、こういうふうにおっしゃっていますよ。確認させてください。
○小坂国務大臣 今委員が御指摘いただきました議事録部分の、横光議員に対する答弁の部分という御指摘ですので、改めて答弁させていただきます。
 その部分は、そういった通知表の項目にもし行き過ぎがあるならば、それぞれの地域でそういうことを御指摘いただく中で、私ども、学校長たちの理解を求める努力をしてまいりたいと。すなわち、私どもの地域のある学校の通知表には、愛国心を評価するA、B、C、こういう項目が設けられている、これは不適切ではないか、こういう御指摘をいただいたならば、それは内心の評価につながるので、そういう項目は通知表から削除していただきたい、こういう指導を行う必要がある。しかしながら、総体的な評価を記述したものであれば、そういうことが全体として読めるならば、それはそういう範囲であくまでも総体的な評価をしていただきたい、その項目の中で内心的な評価はしないでいただきたい、こういうことを申し上げることになると思います。
○保坂(展)委員 この点が、多分、三年かかった与党内の協議でも一番多くの時間を費やした部分かなと思うんですが、もう一度官房長官に伺いたいんです。
 こういった協議がどうだったかということについて、我々はぜひ資料を出してくださいと求めていますけれども、これはなかなか出てきていないんですが、説明によると、我が国という表現は統治機構を含まないんだ、これは何回も説明されています。統治機構を含む国、つまり、統治機構を愛するということは問題があるという政府の認識だと思いますが、どういう問題があるのか、お答えいただきたいと思います。
○安倍国務大臣 統治機構を含むということになれば、そもそも自民党も、統治機構を含むということにおいて国という言葉は使っていないわけでありますが、統治機構を含むということになれば、例えば今の与党政権、小泉内閣を含めて愛せよということでございまして、これは、例えば保坂議員にそれを求めても、そもそもそれはあり得ない話でございますが、つまり、私どもは、統治機構としての国ではなくて、日本という、この日本が織りなしてきた歴史、そして文化、伝統も含めた、そして、ある意味では私たちの抱いてきたいろいろな理想等々も含めて、こういう国のあり方を愛する心という意味で私たちは使っているわけであります。
○保坂(展)委員 小坂大臣に。
 先日もちょっとやりとりさせていただいたんですが、教育基本法が、「われらは、」というところから「我々日本国民は、」というふうに主語が変わった。その概念としては、やはり「われらは、」の方が広いわけでございます。「日本国民は、」とすると、例えば日本に住んでいる外国人の子供たち、あるいは場合によっては、国籍がない子供たちも現存しているわけですね。裁判なども起こっておりますし、実際には教育を受けている子供たちも多いんですけれども、こういった子供たちを含まない概念になってしまうんじゃないか。「我々日本国民は、」と限定をしなければならなかった理由についてお述べいただきたいと思います。
○小坂国務大臣 現行法の前文の「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、」という、この「われら」という言葉は日本国民を意味しているものでありまして、今回の前文に言う「我々日本国民は、」と意味は同じであると私どもは考えております。
 外国人を排斥するもの、あるいは排除することになるのではないかということで御指摘でございますけれども、日本人生徒と同様に、日本に在住されます外国人児童生徒の方は、希望すれば日本人の児童生徒と同様に教育を受ける機会が保障されておるわけでございまして、公立の義務教育諸学校へ就学することは可能である、こういうことで、決して排除するものではないということを御理解いただきたいと思います。
○保坂(展)委員 この点については、六十年前に「われらは、」と始まった法律が、今回「日本国民は、」と、つまり、排除するためにそういうふうに変えたかどうかはわかりません。しかし、「われらは、」で構わなかったんじゃないかという指摘として、今後議論させていただきたいと思います。
 きょうは、時間になりましたので、これで終わります。
○森山委員長 次回は、明六月一日木曜日午前八時三十分理事会、午前九時委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。
    午後五時二分散会