第171回国会 厚生労働委員会 第15号
平成二十一年五月二十七日(水曜日)
    午前九時開議
 出席委員
   委員長 田村 憲久君
   理事 上川 陽子君 理事 鴨下 一郎君
   理事 後藤 茂之君 理事 西川 京子君
   理事 三ッ林隆志君 理事 藤村  修君
   理事 山井 和則君 理事 桝屋 敬悟君
      赤池 誠章君    新井 悦二君
      井澤 京子君    大野 松茂君
      金子善次郎君    川条 志嘉君
      木原 誠二君    清水鴻一郎君
      杉村 太蔵君    谷畑  孝君
      とかしきなおみ君   戸井田とおる君
      冨岡  勉君    西本 勝子君
      萩原 誠司君    林   潤君
      福岡 資麿君    松浪 健太君
      矢野 隆司君    内山  晃君
      岡本 充功君    川内 博史君
      菊田真紀子君    小宮山泰子君
      郡  和子君    園田 康博君
      長島 昭久君    長妻  昭君
      細川 律夫君    馬淵 澄夫君
      柚木 道義君    笠  浩史君
      福島  豊君    古屋 範子君
      高橋千鶴子君    阿部 知子君
      糸川 正晃君
    …………………………………
   議員           中山 太郎君
   議員           河野 太郎君
   議員           山内 康一君
   議員           冨岡  勉君
   議員           福島  豊君
   議員           石井 啓一君
   議員           金田 誠一君
   議員           枝野 幸男君
   議員           阿部 知子君
   議員           根本  匠君
   議員           上川 陽子君
   議員           谷畑  孝君
   議員           西川 京子君
   議員           笠  浩史君
   議員           岡本 充功君
   厚生労働大臣       舛添 要一君
   厚生労働大臣政務官    金子善次郎君
   厚生労働大臣政務官   戸井田とおる君
   政府参考人
   (警察庁長官官房審議官) 西村 泰彦君
   政府参考人
   (法務省大臣官房審議官) 團藤 丈士君
   政府参考人
   (厚生労働省健康局長)  上田 博三君
   厚生労働委員会専門員   榊原 志俊君
    ―――――――――――――
委員の異動
五月二十七日
 辞任         補欠選任
  井上 信治君     松浪 健太君
  高鳥 修一君     矢野 隆司君
  園田 康博君     小宮山泰子君
  三井 辨雄君     笠  浩史君
  柚木 道義君     川内 博史君
同日
 辞任         補欠選任
  松浪 健太君     井上 信治君
  矢野 隆司君     高鳥 修一君
  川内 博史君     柚木 道義君
  小宮山泰子君     馬淵 澄夫君
  笠  浩史君     長島 昭久君
同日
 辞任         補欠選任
  長島 昭久君     三井 辨雄君
  馬淵 澄夫君     園田 康博君
    ―――――――――――――
五月二十五日
 人間らしい働き方と暮らしの実現を求めることに関する請願(笠井亮君紹介)(第二四九四号)
 同(塩川鉄也君紹介)(第二四九五号)
 同(高橋千鶴子君紹介)(第二四九六号)
 同(赤嶺政賢君紹介)(第二五七四号)
 同(佐々木憲昭君紹介)(第二六三一号)
 小規模作業所等成人期障害者施策に関する請願(大野松茂君紹介)(第二四九七号)
 同(谷口隆義君紹介)(第二四九八号)
 同(冬柴鐵三君紹介)(第二五二九号)
 同(大島敦君紹介)(第二五四一号)
 同(池田元久君紹介)(第二六三二号)
 同(上田勇君紹介)(第二六三三号)
 同(枝野幸男君紹介)(第二六三四号)
 同(高木毅君紹介)(第二六三五号)
 同(筒井信隆君紹介)(第二六三六号)
 同(徳田毅君紹介)(第二六三七号)
 同(宮澤洋一君紹介)(第二六三八号)
 同(武藤容治君紹介)(第二六三九号)
 障害児・者の福祉・医療サービスの利用に対する応益負担・負担増の中止を求めることに関する請願(桝屋敬悟君紹介)(第二四九九号)
 トンネル建設労働者のじん肺被害の予防と被災者の速やかな救済を求めることに関する請願(江田康幸君紹介)(第二五〇〇号)
 同(江渡聡徳君紹介)(第二五〇一号)
 同(小野寺五典君紹介)(第二五〇二号)
 同(小宮山泰子君紹介)(第二五〇三号)
 同(木挽司君紹介)(第二五〇四号)
 同(高木毅君紹介)(第二五〇五号)
 同(高木義明君紹介)(第二五〇六号)
 同(谷口隆義君紹介)(第二五〇七号)
 同(原田令嗣君紹介)(第二五〇八号)
 同(古屋圭司君紹介)(第二五〇九号)
 同(桝屋敬悟君紹介)(第二五一〇号)
 同(谷津義男君紹介)(第二五一一号)
 同(柚木道義君紹介)(第二五一二号)
 同(綿貫民輔君紹介)(第二五一三号)
 同(石井啓一君紹介)(第二五三〇号)
 同(川内博史君紹介)(第二五三一号)
 同(徳田毅君紹介)(第二五三二号)
 同(仲村正治君紹介)(第二五三三号)
 同(二田孝治君紹介)(第二五三四号)
 同(松本龍君紹介)(第二五三五号)
 同(宮腰光寛君紹介)(第二五三六号)
 同(村井宗明君紹介)(第二五三七号)
 同(森山裕君紹介)(第二五三八号)
 同(井澤京子君紹介)(第二五四三号)
 同(岩國哲人君紹介)(第二五四四号)
 同(遠藤武彦君紹介)(第二五四五号)
 同(小川淳也君紹介)(第二五四六号)
 同(瓦力君紹介)(第二五四七号)
 同(近藤三津枝君紹介)(第二五四八号)
 同(佐々木隆博君紹介)(第二五四九号)
 同(清水鴻一郎君紹介)(第二五五〇号)
 同(棚橋泰文君紹介)(第二五五一号)
 同(鉢呂吉雄君紹介)(第二五五二号)
 同(広津素子君紹介)(第二五五三号)
 同(奥野信亮君紹介)(第二五七五号)
 同(楠田大蔵君紹介)(第二五七六号)
 同(小平忠正君紹介)(第二五七七号)
 同(寺田学君紹介)(第二五七八号)
 同(土肥隆一君紹介)(第二五七九号)
 同(葉梨康弘君紹介)(第二五八〇号)
 同(藤野真紀子君紹介)(第二五八一号)
 同(松木謙公君紹介)(第二五八二号)
 同(安住淳君紹介)(第二六四一号)
 同(飯島夕雁君紹介)(第二六四二号)
 同(吉良州司君紹介)(第二六四三号)
 同(佐田玄一郎君紹介)(第二六四四号)
 同(園田康博君紹介)(第二六四五号)
 同(田野瀬良太郎君紹介)(第二六四六号)
 同(筒井信隆君紹介)(第二六四七号)
 同(中谷元君紹介)(第二六四八号)
 腎疾患総合対策の早期確立に関する請願(井澤京子君紹介)(第二五四二号)
 同(伊藤忠彦君紹介)(第二六四〇号)
 後期高齢者医療制度の中止、廃止に関する請願(佐々木憲昭君紹介)(第二五六八号)
 同(塩川鉄也君紹介)(第二五六九号)
 全国建設工事業国民健康保険組合に対する是正改善命令の早期解除を求めることに関する請願(山口壯君紹介)(第二五七〇号)
 後期高齢者医療制度廃止法案の衆議院での速やかな審議と可決を求めることに関する請願(高橋千鶴子君紹介)(第二五七一号)
 後期高齢者医療制度の廃止など暮らしを守ることに関する請願(志位和夫君紹介)(第二五七二号)
 高齢者に負担増と差別医療を強いる後期高齢者医療制度の中止・撤回を求めることに関する請願(石井郁子君紹介)(第二五七三号)
 後期高齢者医療制度の廃止など国民の暮らしを守ることに関する請願(佐々木憲昭君紹介)(第二六三〇号)
同月二十七日
 後期高齢者医療制度の廃止など国民の暮らしを守ることに関する請願(塩川鉄也君紹介)(第二六八一号)
 同(高橋千鶴子君紹介)(第二六八二号)
 同(吉井英勝君紹介)(第二六八三号)
 国民健康保険の充実を求めることに関する請願(赤嶺政賢君紹介)(第二六八四号)
 七十五歳以上を差別する後期高齢者医療制度の廃止を求めることに関する請願(佐々木憲昭君紹介)(第二六八五号)
 小規模作業所等成人期障害者施策に関する請願(安住淳君紹介)(第二六八六号)
 同(赤松広隆君紹介)(第二六八七号)
 同(石川知裕君紹介)(第二六八八号)
 同(石関貴史君紹介)(第二六八九号)
 同(稲田朋美君紹介)(第二六九〇号)
 同(稲葉大和君紹介)(第二六九一号)
 同(岩國哲人君紹介)(第二六九二号)
 同(江田康幸君紹介)(第二六九三号)
 同(小野晋也君紹介)(第二六九四号)
 同(奥野信亮君紹介)(第二六九五号)
 同(加藤公一君紹介)(第二六九六号)
 同(川内博史君紹介)(第二六九七号)
 同(河井克行君紹介)(第二六九八号)
 同(瓦力君紹介)(第二六九九号)
 同(菅直人君紹介)(第二七〇〇号)
 同(菊田真紀子君紹介)(第二七〇一号)
 同(小平忠正君紹介)(第二七〇二号)
 同(古賀一成君紹介)(第二七〇三号)
 同(塩谷立君紹介)(第二七〇四号)
 同(重野安正君紹介)(第二七〇五号)
 同(篠田陽介君紹介)(第二七〇六号)
 同(関芳弘君紹介)(第二七〇七号)
 同(園田康博君紹介)(第二七〇八号)
 同(田島一成君紹介)(第二七〇九号)
 同(田嶋要君紹介)(第二七一〇号)
 同(田中和徳君紹介)(第二七一一号)
 同(田村謙治君紹介)(第二七一二号)
 同(高市早苗君紹介)(第二七一三号)
 同(滝実君紹介)(第二七一四号)
 同(谷川弥一君紹介)(第二七一五号)
 同(土井亨君紹介)(第二七一六号)
 同(中川泰宏君紹介)(第二七一七号)
 同(仲村正治君紹介)(第二七一八号)
 同(丹羽雄哉君紹介)(第二七一九号)
 同(西村智奈美君紹介)(第二七二〇号)
 同(野田毅君紹介)(第二七二一号)
 同(伴野豊君紹介)(第二七二二号)
 同(日森文尋君紹介)(第二七二三号)
 同(平口洋君紹介)(第二七二四号)
 同(平田耕一君紹介)(第二七二五号)
 同(平沼赳夫君紹介)(第二七二六号)
 同(福田昭夫君紹介)(第二七二七号)
 同(藤村修君紹介)(第二七二八号)
 同(古川禎久君紹介)(第二七二九号)
 同(細川律夫君紹介)(第二七三〇号)
 同(牧義夫君紹介)(第二七三一号)
 同(松野頼久君紹介)(第二七三二号)
 同(松本大輔君紹介)(第二七三三号)
 同(松本龍君紹介)(第二七三四号)
 同(三日月大造君紹介)(第二七三五号)
 同(三谷光男君紹介)(第二七三六号)
 同(三井辨雄君紹介)(第二七三七号)
 同(水野賢一君紹介)(第二七三八号)
 同(村井宗明君紹介)(第二七三九号)
 同(村田吉隆君紹介)(第二七四〇号)
 同(望月義夫君紹介)(第二七四一号)
 同(山崎拓君紹介)(第二七四二号)
 同(山井和則君紹介)(第二七四三号)
 同(山本拓君紹介)(第二七四四号)
 同(市村浩一郎君紹介)(第二七九二号)
 同(江田憲司君紹介)(第二七九三号)
 同(小川淳也君紹介)(第二七九四号)
 同(大口善徳君紹介)(第二七九五号)
 同(大野松茂君紹介)(第二七九六号)
 同(大畠章宏君紹介)(第二七九七号)
 同(岡下信子君紹介)(第二七九八号)
 同(岡本充功君紹介)(第二七九九号)
 同(岡本芳郎君紹介)(第二八〇〇号)
 同(奥村展三君紹介)(第二八〇一号)
 同(金田誠一君紹介)(第二八〇二号)
 同(亀井久興君紹介)(第二八〇三号)
 同(木原誠二君紹介)(第二八〇四号)
 同(木原稔君紹介)(第二八〇五号)
 同(小宮山泰子君紹介)(第二八〇六号)
 同(木挽司君紹介)(第二八〇七号)
 同(後藤田正純君紹介)(第二八〇八号)
 同(近藤洋介君紹介)(第二八〇九号)
 同(笹木竜三君紹介)(第二八一〇号)
 同(実川幸夫君紹介)(第二八一一号)
 同(篠原孝君紹介)(第二八一二号)
 同(仙谷由人君紹介)(第二八一三号)
 同(園田康博君紹介)(第二八一四号)
 同(田島一成君紹介)(第二八一五号)
 同(田名部匡代君紹介)(第二八一六号)
 同(田中和徳君紹介)(第二八一七号)
 同(高木義明君紹介)(第二八一八号)
 同(辻元清美君紹介)(第二八一九号)
 同(土肥隆一君紹介)(第二八二〇号)
 同(中井洽君紹介)(第二八二一号)
 同(中川秀直君紹介)(第二八二二号)
 同(中川正春君紹介)(第二八二三号)
 同(中山太郎君紹介)(第二八二四号)
 同(長島忠美君紹介)(第二八二五号)
 同(西博義君紹介)(第二八二六号)
 同(西村智奈美君紹介)(第二八二七号)
 同(平井たくや君紹介)(第二八二八号)
 同(馬淵澄夫君紹介)(第二八二九号)
 同(松本剛明君紹介)(第二八三〇号)
 同(森山裕君紹介)(第二八三一号)
 同(山岡賢次君紹介)(第二八三二号)
 同(柚木道義君紹介)(第二八三三号)
 同(横光克彦君紹介)(第二八三四号)
 同(横山北斗君紹介)(第二八三五号)
 同(赤嶺政賢君紹介)(第二八七三号)
 同(大前繁雄君紹介)(第二八七四号)
 同(金子恭之君紹介)(第二八七五号)
 同(黄川田徹君紹介)(第二八七六号)
 同(楠田大蔵君紹介)(第二八七七号)
 同(河野太郎君紹介)(第二八七八号)
 同(穀田恵二君紹介)(第二八七九号)
 同(近藤昭一君紹介)(第二八八〇号)
 同(斉藤斗志二君紹介)(第二八八一号)
 同(志位和夫君紹介)(第二八八二号)
 同(清水鴻一郎君紹介)(第二八八三号)
 同(塩川鉄也君紹介)(第二八八四号)
 同(階猛君紹介)(第二八八五号)
 同(神風英男君紹介)(第二八八六号)
 同(園田博之君紹介)(第二八八七号)
 同(田島一成君紹介)(第二八八八号)
 同(武正公一君紹介)(第二八八九号)
 同(照屋寛徳君紹介)(第二八九〇号)
 同(仲野博子君紹介)(第二八九一号)
 同(西博義君紹介)(第二八九二号)
 同(葉梨康弘君紹介)(第二八九三号)
 同(原田憲治君紹介)(第二八九四号)
 同(藤井勇治君紹介)(第二八九五号)
 同(牧原秀樹君紹介)(第二八九六号)
 同(松木謙公君紹介)(第二八九七号)
 同(吉井英勝君紹介)(第二八九八号)
 同(吉田泉君紹介)(第二八九九号)
 同(渡部篤君紹介)(第二九〇〇号)
 同(宇野治君紹介)(第二九三八号)
 同(江渡聡徳君紹介)(第二九三九号)
 同(太田昭宏君紹介)(第二九四〇号)
 同(川条志嘉君紹介)(第二九四一号)
 同(菅野哲雄君紹介)(第二九四二号)
 同(木村太郎君紹介)(第二九四三号)
 同(木村隆秀君紹介)(第二九四四号)
 同(北村誠吾君紹介)(第二九四五号)
 同(後藤斎君紹介)(第二九四六号)
 同(佐藤ゆかり君紹介)(第二九四七号)
 同(田島一成君紹介)(第二九四八号)
 同(田野瀬良太郎君紹介)(第二九四九号)
 同(田端正広君紹介)(第二九五〇号)
 同(津村啓介君紹介)(第二九五一号)
 同(寺田学君紹介)(第二九五二号)
 同(西村真悟君紹介)(第二九五三号)
 同(西村康稔君紹介)(第二九五四号)
 同(西本勝子君紹介)(第二九五五号)
 同(根本匠君紹介)(第二九五六号)
 同(羽田孜君紹介)(第二九五七号)
 同(萩原誠司君紹介)(第二九五八号)
 同(藤野真紀子君紹介)(第二九五九号)
 同(二田孝治君紹介)(第二九六〇号)
 同(谷津義男君紹介)(第二九六一号)
 同(綿貫民輔君紹介)(第二九六二号)
 腎疾患総合対策の早期確立に関する請願(高木美智代君紹介)(第二七四五号)
 同(大畠章宏君紹介)(第二八三六号)
 同(坂口力君紹介)(第二八三七号)
 同(河野太郎君紹介)(第二九〇一号)
 同(津村啓介君紹介)(第二九六三号)
 障害児・者の福祉・医療サービスの利用に対する応益負担・負担増の中止を求めることに関する請願(山井和則君紹介)(第二七四六号)
 同(長妻昭君紹介)(第二九〇二号)
 トンネル建設労働者のじん肺被害の予防と被災者の速やかな救済を求めることに関する請願(田嶋要君紹介)(第二七四七号)
 同(三日月大造君紹介)(第二七四八号)
 同(三谷光男君紹介)(第二七四九号)
 同(坂口力君紹介)(第二八三八号)
 同(笹木竜三君紹介)(第二八三九号)
 同(佐藤ゆかり君紹介)(第二九〇三号)
 同(寺田稔君紹介)(第二九〇四号)
 同(長妻昭君紹介)(第二九〇五号)
 同(西本勝子君紹介)(第二九六四号)
 同(羽田孜君紹介)(第二九六五号)
 同(山中あき子君紹介)(第二九六六号)
 現行保育制度の堅持・拡充と保育・学童保育・子育て支援予算の大幅増額に関する請願(園田康博君紹介)(第二七八九号)
 社会保険病院・厚生年金病院等の存続で、地域医療の確保を求めることに関する請願(田村謙治君紹介)(第二七九〇号)
 人間らしい働き方と暮らしの実現を求めることに関する請願(市村浩一郎君紹介)(第二七九一号)
 介護労働者の処遇改善を初め介護保険制度の抜本的改善を求めることに関する請願(黄川田徹君紹介)(第二八七〇号)
 肝炎対策基本法の制定に関する請願(園田康博君紹介)(第二八七一号)
 同(田名部匡代君紹介)(第二八七二号)
 同(稲田朋美君紹介)(第二九三一号)
 同(江田康幸君紹介)(第二九三二号)
 同(岡本充功君紹介)(第二九三三号)
 同(川条志嘉君紹介)(第二九三四号)
 同(木原誠二君紹介)(第二九三五号)
 同(西本勝子君紹介)(第二九三六号)
 同(三ッ林隆志君紹介)(第二九三七号)
 育児・介護休業法等の改正を求めることに関する請願(高橋千鶴子君紹介)(第二九〇六号)
 将来にわたっての安定・充実した社会保障制度の維持を求めることに関する請願(北村誠吾君紹介)(第二九三〇号)
は本委員会に付託された。
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 政府参考人出頭要求に関する件
 臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案(中山太郎君外五名提出、第百六十四回国会衆法第一四号)
 臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案(石井啓一君外一名提出、第百六十四回国会衆法第一五号)
 臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案(金田誠一君外二名提出、第百六十八回国会衆法第一八号)
 臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案(根本匠君外六名提出、衆法第三〇号)
     ――――◇―――――
○田村委員長 これより会議を開きます。
 第百六十四回国会、中山太郎君外五名提出、臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案、第百六十四回国会、石井啓一君外一名提出、臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案、第百六十八回国会、金田誠一君外二名提出、臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案及び根本匠君外六名提出、臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案の各案を一括して議題といたします。
 この際、お諮りいたします。
 各案審査のため、本日、政府参考人として警察庁長官官房審議官西村泰彦君、法務省大臣官房審議官團藤丈士君、厚生労働省健康局長上田博三君の出席を求め、説明を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○田村委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。
    ―――――――――――――
○田村委員長 これより質疑に入ります。
 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。清水鴻一郎君。
○清水(鴻)委員 自由民主党の清水鴻一郎でございます。
 きょうは、脳死下での臓器移植の一部改正法案ということで質問させていただきます。
 A案、B案、C案、D案、今四案ございますけれども、A、B、Cにつきましては、今まで小委員会等でも参考人の皆様にも来ていただいて、それぞれの違いというものも私も理解できましたし、また、A、B、Cそれぞれに提案なさっている提案者の思いあるいはその論拠、それからその法案にかけるフィロソフィー、哲学も十分理解をさせていただきました。
 その上で、A、B、Cの違いというのは私も理解をしていますし、委員の皆さんも理解されていると思いますので、きょうは、新しく出たD案、これはある意味ではA案と同じように、十五歳未満の脳死下での移植にも道を開くということにおきまして、ある意味ではA案と大変似ている部分もあります。
 そこで、今回は、限られた時間ですので、A案とD案につきまして質問させていただきたいと思います。と申しますのは、私自身は脳神経外科の医者というもともとの仕事から、脳死というものに対して、従来、大変慎重に判断すべきだという思いもありました。しかしその中で、また一方、移植の医療を待たれる患者さんの思い、あるいは今の医学界の発達する中で、脳死判定においても、脳死というのは厳然と科学的に行われるというふうに思っています。
 そこで、私は、このA案、少なくともA、Dは脳死下における移植をやはり推進していくということが前提にはあるんだろう、また十五歳未満の方々についても、今までは海外でしかその道はなかった、そして海外も、しかしながらWHOの意向も、幸か不幸かことしは新型インフルエンザということで、禁止というような決定をされませんでしたけれども、少なくとも国内で移植は完了すべきだという方向性は、依然として国際的な世論としてもあるわけであります。
 それを前提に置きまして、まずA案とD案の違い。A案は、少なくとも脳死は死であるということを前提にしています。そしてD案は、少なくとも現状においては、脳死は一般的に、今この日本ではまだ死として受け入れられていないという中で、脳死は臓器移植に提供するという意味においてのみというふうにおっしゃっています。
 そこで、脳死が死であるということに位置づける、そう決めることについて、A案はどうしてそういうふうにした方がいいということであるか、A案の提案者に御質問したいと思います。
○山内議員 おはようございます。A案提出者の山内と申します。
 清水委員の御質問にお答えします。
 私どもA案は、基本的には、おおむね社会的に脳死が人の死であるという考え方が受容されてきているという前提に立っております。脳死臨調の最終答申においても、脳死は人の死であるということについて、おおむね社会的に受容されているというふうに結論づけられておりますし、また、近年の世論調査の動向等を見ても、脳死を人の死とすることに対する理解は広まってきているというふうに考えております。
 他方で、脳死を人の死としない方々もやはり一定数いらっしゃるということは我々も十分認識をしております。したがって、今回、臓器移植法案A案の改正案においては移植に関係する場合の脳死の判定あるいは臓器の摘出等の手続について定めておりますので、臓器移植に関係しない場面においては、必ずしも脳死を一律に人の死とする、あるいは統一的な人の死の定義を決めるということではございませんので、今回の臓器移植法の対象の範囲内での脳死の人の死を、一般的に、社会的に受容されている、そういう認識のもとに法改正を進めてまいりたいというふうに考えております。
○清水(鴻)委員 わかりました。
 やはり脳死は死である、科学的にはそうだ、しかし日本においてはまだそれを受け入れられないという方もいらっしゃる。ある意味では、脳死を、死であるけれども選択できるということで、特に今回の場合は、あくまで臓器移植を前提とすることにおいて脳死は死であるということを認める、そういうふうな理解でよろしいでしょうか。
○山内議員 そのような理解であります。
 また、つけ加えますと、脳死を人の死としない方に関しては、そういった意思を表示することによって脳死を人の死としないように、臓器移植の対象にならないようにすることもできるようになっております。
○清水(鴻)委員 だから、選択は、あくまでその意思表示ができるというふうに理解させていただきます。
 一方、D案につきましては、脳死はまだ一般的な死としては受け入れられているというような環境下にはないということで、今回はあくまで、脳死は臓器移植を前提としたときにのみ、本人の意思を尊重しながら認めるということだと思います。その辺の違いは大変微妙でありますけれども、あくまで脳死は選択的ではありますけれども、脳死が死であるということを認めるのか、あるいは臓器移植を前提として、本人が意思を示したときに初めて死ということが認められるのかどうか、大変微妙な問題はあると思います。
 そこで、十五歳未満の皆さんにとっては、なかなか、その意思表示をするといっても大変難しいわけであります。しかし、あくまで客観的に脳死が死であるということが、少なくとも選択的にでも死であるという、客観的なそういうことを認めることによって、十五歳未満の方々につきましても移植の道を開いて、そして、もちろん家族、遺族の同意を経てでありますけれども、脳死の道を開いていくということは両方共通であります。
 D案の提案の方にお伺いしますけれども、本人の意思を尊重する、十五歳以上の方は本人が意思表示をはっきりと書面でしているということが前提になりますけれども、十五歳未満の方でそういうことをしていない場合、むしろ、できない状況。
 十五歳、十三歳、十二歳とか、その辺のところは意思表示をすることはあるかもしれませんけれども、少なくとも、その判断をするというのは十五歳未満の方にとっては大変難しい問題であります。そのことをしない、できないという状況の中で家族、遺族の方々がそれを了解して移植の道を開くというのは、しかし、もしそうだとすれば、一般的に日本の国ではまだそういう脳死というコンセンサスが得られていないけれども、例えば子供の生きる権利を含めて、では十五歳未満については親がそのことを決めていくという、ある種の矛盾があるように思うんですけれども、D案の提案者の方にその点をお伺いしたいと思います。
○根本議員 お答えいたします。
 まず、脳死は人の死かどうか、この前提からお話をさせていただきたいと思います。
 A案は、脳死は人の死である、A案の提出者の方も、脳死は一律に人の法的な死であるとお答えになっている方もおられます。私は、A案は脳死は人の死と法律で規定している。これは、脳死が人の死かというのは、個人の死生観や宗教観あるいは人生観によって価値観、価値判断が異なりますが、これを法律で規定していいのか、こういう疑問があります。
 私は、医学的な脳死は厳然たる死だ、医学的な脳死はそうだと思います。ただ、まだ心臓が動いている状態で、あるいは脈もあるという状態で、脳死は人の死ではない、こう考えられる方もたくさんおられる。ですから、現行法は、脳死が人の死かどうかは死生観や宗教観や人生観によってそれぞれ判断が異なりますから、脳死を人の死として認められる、受容できる、ぜひみずからの臓器を提供したいという崇高な気持ちを持っておられる方の提供の意思というものを大切にして、そして、それならぜひ受け入れたいという受け入れる方の相互の意思尊重、自己決定、これであれば、脳死が人の死でないとする方もそこは尊重できるのではないか、これが私は現行法の考え方だと思います。
 その意味で、我々は、脳死が人の死かということについて、まだそれを法律で規定するだけの社会的な合意は残念ながら得られていない。十年前には随分私もこの場で議論をさせていただきました。そういう前提に我々は立っております。
 そして、では十五歳以下への臓器提供の道をいかに開くか、これは随分考えました。やはり我々は十五歳以下の子供への臓器提供の道を開かなければならない。どういうふうな形で開くか。これは、親と子のきずな、命の大切さ、子供の尊厳、これを一番わかるのは親でありますから、親が、親権者が子供にかわって意思をそんたくして意思を表示し、そして家族が承諾する、こういう場合に限って子供の臓器提供への道を開こうということで、そこは現行の、意思を尊重するという枠の中で、今回の子供への道を開くということで考えました。
○清水(鴻)委員 今、根本先生から答弁がありましたけれども、ただ、十五歳未満の方の意思をそんたくすると申しましても、ゼロ歳、一歳、二歳の生きる権利、その人たちが生きていくということについて、脳死が死でない、まだ少なくともコンセンサスがないという状況の中で、もし親がそれを親権があるからといって、少なくとも何のメリットも御本人にはないわけでありますから、大変その辺は、ある意味で親の方に物すごい負担を負わせることになるのではないかなというふうに思います。
 十五歳未満の方にとって、一般的に日本の国ではまだ脳死というコンセンサスがない、しかしながら、親が子供の意思をそんたくして臓器提供を決めるというのは、大変親の方にとっては、それでなくても臓器移植を実行された後の遺族の方々は、そのことについてよかったのかどうか、よかった、あるいは、いや、そのときに後で後悔した、いろいろな心の葛藤があると聞いています。
 まして、今、少なくとも脳死が客観的に死であるということを認めれば、死であるという前提のもとに立てますけれども、そうでない、それはまだコンセンサスがないという状況の中で親が決めていくことは大変難しいと思いますし、その後の心の負担も含めて、道は開いたけれども、開いただけで、実際にそのことを実行していくということは極めて難しい。
 現行法でも、実際、十五歳以上の方でも日本ではこの十何年で八十何例という非常に限られた、アメリカ等に比べれば二百分の一というような大変少ない臓器提供です。ただ、提供することがいいかどうかは別問題として、少なくともA案、D案は臓器移植を進めていこう、そういう道を開いていこう、また十五歳未満の方にもそういうものを開いていこうというのならば、D案は、そういう意味では開いたけれども、十五歳未満は特に進みにくい、開いたけれども、本当にはまず実行できないのではないかというふうに私は思いますし、また十五歳以上も、現行法のままでは、推進するという意味からいえば現状を打開することはできないというふうに思います。
 そこで、医学界全体の御意見等も含めて、A案提案者にはどのような理解があるのか。つまり、全体の医学界の意向あるいは患者さんの団体の意向、そういうものを踏まえてA案の方の御意見をお伺いしたいと思います。
○山内議員 我々のA案であれば、御家族の同意のもとに移植を可能にするということで、恐らく、移植の件数自体は今よりも大幅にふえるということは予測できると思います。
 これまでの患者団体や医学界、特に移植医療を進める人たちだけでなく、医学界はいろいろな御意見があって、反対の意見もあるのも承知しておりますが、ただ、おおむね医学界全般にはA案の支持の方が多い、広がっているというふうに考えておりますので、移植医療を推進するという立場からは、A案以外の選択肢というのはあり得ないというふうに私は考えております。
○清水(鴻)委員 本当はD案の提案者の方にもお伺いしたいと思ったんですけれども、もう時間が終了しますので、ここで質問はやめます。
 そういう意味では、移植医療の現状を打開するという意味合いにおいて今議論がなされているA案、D案につきましては、今の現状、A案の提案者から今ありましたように、患者さんあるいは医学界の常識も含めて、また十五歳未満の子供さんを持って移植に御理解を示しておられる方についても、心理的なことも含めて、やはり私自身はA案でなければなかなか移植の推進は進まないのかな、そういう思いを持ちまして、私の質問を終わらせていただきます。
 大変ありがとうございました。
○田村委員長 次に、西本勝子君。
○西本委員 自由民主党の西本勝子でございます。
 貴重なお時間をいただきまして、ありがとうございます。与えられた時間が十五分でございますので、簡潔にお答えをいただきますことをお願い申し上げまして、順次質問させていただきます。
 臓器の移植に関する法律では、現行法の附則で、法施行三年後に必要な措置を講じる旨の規定があるのですが、なかなか検討が進まなかったことは、世論の後押しがなかったとはいえ、臓器移植によってしか救命し得ない多くの重症の患者さんたちに対して、石川優子さんが「心からありがとう 心臓移植を希った息子にかなえたかったこと」という本にも書かれておりましたが、国会はその不作為の責めを負うべきであって、臓器移植を待ち望みつつ亡くなっていった患者さんのためにも、今国会で何らかの結論は出さなくてはならないものと考えています。
 そういう意図もあってか、当委員会には改正法案として四案が提出されているのですが、私としては今後の臓器移植に希望が持てるA案を支持したいと考えていますので、その立場から質問させていただきます。
 今国会の改正は、WHOが求めているように、臓器提供をふやし、自国民の移植は自国内で完結する方向で加速するものでなくてはならないと考えるのですが、各法案はWHOの求めにどうこたえているのか、A案を除くそれぞれの提出者にお願いいたします。
○石井(啓)議員 B案の提出者の石井でございます。
 B案におきましては、臓器提供の意思の有無を、運転免許証ですとかあるいは健康保険証に記載することができるというふうにしております。これによりまして、臓器提供の意思を持ちながらも、それを表示する機会のなかった方からの臓器提供がふえるというふうに期待をしております。
 ちなみに、平成二十年に内閣府が世論調査をやったところによりますと、ドナーカード等を持っていない方でも、四〇%を超える方が臓器を提供してもいい、こういうふうにお答えになっておりますので、これが一つの証左かと思います。
 以上でございます。
○阿部(知)議員 C案提出の阿部知子です。
 御質問ありがとうございます。
 同様の御質問を後ほどもいただきますので、私は、まず前提として、ぜひ皆さんに、インフルエンザ騒動で出されませんでしたけれども、WHOの今回の指針の改正案のもとになる事務局案というものによくお目通しをしていただきたいと思います。
 一九九一年に現行の指針ができました。以来十八年たって、WHOが今最も懸念しておりますのは、移植における商業主義、臓器売買のこと、あるいは移植の透明性がどう担保されたかということであります。そうした問題意識を持って、将来への努力といたしまして、先ほど西本先生おっしゃいましたような臓器の自給自足というふうな文面も出てまいります。これは一つには、一番最後の原則十五というところにも出てまいりますが、実は、そうした移植が必要となるような疾患を少なくしていく努力が第一であるということにのっとって、さらに自国内での体制を整えよということでありました。
 私どものC案では、まず、多くの臓器売買のもとになっております生体移植ということに関しまして、きちんとルールを定めたものが我が方の国内法にはございません。生体移植のできる医療機関を定め、さらに生体移植後の、レシピエント、ドナーの登録を定め、やはり移植の透明性を高めることによって、もちろん脳死移植同様に、生体移植が今非常な数になっておりますから、その側面でまず努力したいと思います。
 その他についてお答えしたいですが、また別の折にいたします。
○西川(京)議員 西本先生の御質問にお答えさせていただきます。
 D案は、脳死が人の死であるという大前提に立ちたい、やはり社会的コンセンサスはまだ得られていないだろう、そういう立場でございます。その中で、今おっしゃいましたように、WHOの今回の要請がありました。これは明らかに、行き過ぎた移植ツーリズム、その他不透明性がある、そういうものへの警告だと思います。
 その中で、私たちは自国内で完結しなければいけないという義務も当然ある。その中で考えましたのが、今の社会通念上の思いも大事にしながら、やはり十五歳以下の子供たちの移植医療は推進していかなければいけない。移植医療でしか命がつなげない方々がいらっしゃる、その方々への配慮はやはりきちんとしていかなければいけないだろう、その思いの中で今回のD案を出させていただきました。
 先ほど御答弁にもありましたが、やはりドナーカードを推進する努力がやや薄れていたのではないか、その環境整備をしっかりするということが大きな大事なことだと思います。その中で運転免許証、健康保険証にきちんと提示する。少なくとも調査では四割以上の方が、ドナーカードを持っていなくても臓器提供する意思があるとお答えしていらっしゃる。この方々にしっかりとした対応をすることが、これからドナーの方々がふえていく、そして移植医療が進んでいく大きな環境整備になると思っております。
○西本委員 それぞれの御意見を伺いました。ありがとうございました。
 私としてはA案提出者の御意見に賛同しているわけでございまして、その違いもしっかりわかりましたけれども、なおA案をもっと理解する意味で、A案提出者の御所見をお伺いしたいのです。
 まさにA案が、WHOの求めにも移植患者の方々の希望にもこたえる改正案となっていると私は思っています。我が国において、脳死が人の死であるという概念が社会の共通認識とまでは至っていない時期に、臓器移植が増加しないから、移植を進めるために人の死の概念を変更するのは本末転倒だという意見がありますが、このことについてA案提出者の御所見をお伺いいたします。
○山内議員 まず、移植を進めるために人の死の概念を変更するということには当たらないと考えております。
 脳死臨調の最終答申におきましても、脳死が人の死であるとおおむね社会的に受容されているという報告になっておりますし、我々は、先に、脳死を人の死とするという、ある程度の社会的受容があったという仮定の上にこの臓器移植を進めようとしておりまして、その逆ではないということを御理解いただきたいと思います。臓器移植のために脳死は人の死というふうに無理やり変えたということではなくて、その前に、先に、脳死は人の死であるという、ある程度の社会的受容があるという前提があったというふうに考えております。
○西本委員 さらにA案提出者にお伺いいたします。
 A案の改正は、他の三件と違い、生前に本人の書面による意思表示がない場合の規定が盛り込まれていることから、ここで最も注視しなければならないのは、提供したくない人の権利が守られるかということです。要するに、提供したい権利と提供したくない権利のどちらも尊重できる、きちんとした制度でなくてはなりません。そういう前提がある中で、本人の明確な意思表示がない場合において、遺族の承諾で脳死判定、臓器提供を可能とすることについては、後に問題を生じさせないためにも相当慎重な取り扱いが求められると考えています。
 そこで、この場合の臓器提供の可否を握る遺族の承諾についてはどのようなものになるとお考えですか、御所見をお伺いいたします。
○山内議員 我々のA案でも、臓器を提供したい意思としたくない意思、やはり両方大事だというふうに考えております。もちろん、どうしても臓器提供したくないという方々は、なるべくその意思を何らかの形で表示していただく。そういったキャンペーンも続けていかなくてはいけないというのは、恐らく、B、C、Dすべての案の人たちと共通の思いではあります。
 他方で、意思表示はしていないけれども、自分が脳死になった場合は臓器提供をやりたいという方が潜在的にはかなりの数いらっしゃるのも事実であります。平成二十年の内閣府の世論調査によれば、脳死判定後の臓器提供に対して、自分が脳死になったときには提供したいという方が四三・五%いらっしゃいます。こういった多くの人がドナーになってもいいという潜在的な意思を持ちながら、必ずしもドナーカードを常時携帯しているとは限りませんので、そういった意味では、本人の意思が明らかでない場合に限って御家族がかわりに判断をするという方法が一番妥当ではないかと我々は考えております。
 したがって、改正案におきましては、本人の意思がわからないときには御家族が書面で承諾をするというふうな形になって、意思を確認できるように、遺族の承諾をきちんと書面で残すような形になるということです。
○西本委員 ある勉強会で、これは現場の移植専門の先生方がおっしゃっていたことなんですけれども、本人もその奥様も移植の意思があったにもかかわらず、その御両親が強烈に反対したということで、先生方はやはり後の家庭のことをかんがみ移植手術をしなかったという現場の声を聞きまして、私は、現場にもちゃんとした人間性が生かされているということで感心いたしました。
 次に、D案提出者にお伺いいたします。
 今回D案提出に至った背景には、これまで提出されていた三案では不十分な面があるからだと考えますが、そこで、D案とA案の内容の主な違いについて、A案を支持できない理由を含めてお伺いいたします。
○根本議員 A案を支持できない理由というよりは、A案とD案の考え方、基本的な哲学、理念、この差について申し上げたいと思います。
 先ほども申し上げました、A案とD案の一番大きな違いは、人の死を法律で規定するか規定しないかだと思います。我々は、脳死が人の死である、医学的な脳死状態は死だとは思いますが、それを人の死と認めるかどうか。心臓がとまっていない限り人の死としては認められない、こういう方もおられますから、私は、人の死、脳死について人の死かどうか、これについての社会的合意は残念ながら十年前と変わってはいないと思います。
 その意味で、我々は脳死を人の死と法律では規定しておりません。脳死が人の死かどうか、これは考え方が分かれますから、脳死が人の死として受容できる、認められる方がみずからの臓器を提供したいという自己決定意思と、そして受けたいという方の相互の意思を尊重する。これは、脳死を人の死でないという方々もここは尊重できるだろう、こういう考え方に立っております。
 二点目は、脳死が人の死かという考え方、定義の違いから何が違ってくるか。一番違ってまいりますのは、臓器提供の意思があるかどうか不明な方。生前に、自分は臓器提供するかどうか、これはわからないよという方もおられます。したくないという方が意思表示をしていればそれは対象になりませんが、要は、意思が不明な方に対する対応、これが実は大きく異なります。
 D案は、不明の場合にはこの法律の適用とはいたしません。A案がなぜそれが可能となるかというと、脳死が人の死である、これが前提にありますから、死体解剖保存法と同じように、これは遺族の判断、承諾で臓器を提供できるということになりますから、脳死が人の死かということと意思が不明の方の対応、これがA案とD案とは大きく異なる。その前提には、理念、哲学が前提として違う。我々はあくまでも現行の移植法の理念、哲学の基本的な考え方を踏襲しているということであります。
 ただ、我々も臓器提供の機会はぜひふやしたいと思っておりますから、より臓器提供の機会をふやすように、保険証あるいは運転免許証で意思の表示欄を設けて、そして社会的な理解、合意を深めながら、臓器移植を漸進的に進めたいという立場であります。
○西本委員 ありがとうございました。
 もう一問、五問を質問予定にしていたんですけれども、大体一問目でお答えいただいたのと重複するかと思いますので割愛させていただきます。
 最後に、改正案の審議に当たっては、国会としてできる限りの努力をするべきであって、移植を待っておられる方々が希望の持てる選択をしなければならないこと、さらに、ドナーの遺族には多大な心理的負担を強いることにかんがみ、ドナーの遺族に対するケア、あるいは検証をしていくということについても検討する必要があると考えていますので、政府においてはこれらの点についての御配慮をよろしくお願い申し上げまして、私の質問を終わらせていただきます。
 ありがとうございました。
○田村委員長 次に、萩原誠司君。
○萩原委員 ありがとうございます。自民党の萩原です。
 貴重な質問のチャンスを与えていただきましたことに心からお礼を申し上げます。
 日本の臓器移植については、ある種発展途上でさまざまな問題を抱えている。足りないこと、あるいは法的にも医学的にも、宗教、倫理的にも、両方の議論がずっと残っていること、こういうことを考えますと、非常に慎重な扱いをしながら、配慮を拡大しながら前進するという基本的な態度が必要じゃないかなと思いながら質問させていただきます。
 三点予定していますが、一つは、先ほどから話がありました本人の意思の問題なんです。
 A案の提出者の方からもお話があったように、潜在的に四五%ぐらいの方々が同意してもいいんだと思っている。ところが、裏側でいうと潜在的に四五%以外の方、つまり五五%の方が、わからないか、その中に拒否の意思を持っている。拒否の意思を持っている方は一体どうなるんだろうか。
 私は、今回の法案のプロセス、特にA案のプロセス、立法過程で、たしか拒否意思をとっておこうという話があった時期も存在したように思うんですけれども、そういうことを前提にしながら、主にA案の方々にお聞きをしたいんです。
 今回、十五歳以上である本人が明確に書面で同意をしている場合に、さらに家族が拒まないことを要件とするのは逆になぜなのか。本人がいいよと言っているにもかかわらず、家族のところが出てくる。さらに、その家族の拒否というのは一体何なんだ。これは、家族の範囲の問題とか拒否の程度の問題とかいろいろあると思うんですけれども、その辺についてまずお考えをお聞かせいただけますか。
○河野(太)議員 御本人が臓器を提供してもいいよという意思表示を書面でされている場合には、御遺族にはなるべくそれを尊重していただきたいと思っておりますが、しかし、御家族が亡くなられて、その遺体に対するお気持ちを御遺族も持っていらっしゃるわけで、その方々が提供したくないとおっしゃっているときに、それを乗り越えて提供してくださいと言うのもいかがなものかなという気はしております。
 おっしゃるように、本人の意思を最大限尊重するというならば、遺族が反対しても提供すべきではないかというお考えも確かにあるんだろうと思いますが、現実的になかなか、御遺体に御遺族が取りすがって提供したくありませんとおっしゃっているときに、それを無理やり排除するということも当然できないわけでありますから、そこのところは、脳死下での提供の意思があるならば、なるべく御家族と生前にしっかり意思疎通をしておいていただきたいというふうに思っております。
 家族につきましては、今もガイドラインで定めておりますように、配偶者あるいは親、子、祖父母あるいは同居している親族といった中で御議論をいただいて、葬儀のときに喪主になるべき立場の方がその意見を取りまとめていただくということでございますので、一義的にどの範囲というのを決めているわけではございませんが、そうしたことを参考にして家族のあるいは遺族の意思というのを決めていただくことに今後もなろうかというふうに思います。
○萩原委員 今回の法律の改正ができた段階で、家族の範囲とか意思の表示の仕方、程度の問題について議論がさらに進んでいくというふうに考えておりますので、よろしくお願いいたしたいと思います。
 次に、その意思の問題なんですが、拒否意思について法律上明確にしないのは何なんでしょうか。拒否の意思が明示されているときにはだめなんだということを書かないのはなぜか、この点についてお考えがあればお教えいただきたい。
○河野(太)議員 御本人が拒否の意思を持っていらっしゃる場合にはそれが最大限尊重されます。御本人が脳死を人の死だとお考えになっていない場合、あるいは脳死下での臓器提供を拒否されている場合にはこれが最大限尊重されますので、そうした意思がある場合に、法的脳死判定が行われたり、あるいは臓器の提供がなされるということはございません。
○萩原委員 ということなんですが、法律の立て方の中で、先ほどもD案提出者の方からもあったように、ドナーカードとかいろいろな意思表示の仕方について明確に、明確にしていくということを想定しながら本件法案が立案されたとすれば、法案の段階でその意思の扱い方についてもう少し明確に定めておくことが、今後の臓器移植をめぐる法的環境をさらに安定させ、そして国民の方々の理解を増進する上で私はクリティカルなものがあるんじゃないかというふうに思っておりまして、そのことだけは申し上げさせていただきたいと思います。
 次に、虐待の問題に移っていきたいと思うんですけれども、虐待について、一つは、虐待の有無というものを見破るというのはなかなか難しいわけでありますけれども、この点について具体的なお考えがあるかどうか。それからもう一つは、虐待ということで今児童虐待の議論がされていますけれども、その他の虐待についての対応方策を持ち合わせておられるかどうか、お聞きをしたいと思います。これについては、AとDについてお願いいたします。
○冨岡議員 お答えいたします。
 児童虐待については昨今非常に問題化しております。こういう虐待が臓器移植の場合に起こった場合の対応策でございますけれども、一般に虐待というのは、世間で問題になっているのは、見破られないことを前提としたような、捜査とかがほとんど行われていない例が後で判明するわけですが、今回の臓器移植に関しましては、まず救急隊や一次医療施設でのその児の、脳死に陥った、この場合患者さんと表現しますけれども、患者さんの身体的ないろいろな特徴を、いわゆる視診ですね、皮下出血があるかないか、あるいは栄養状態等でほとんどの場合は判明することができます。
 そしてまた、保護者が臓器移植を望んだ場合は、臓器移植の経過に従っていろいろな判定委員会がございまして、そこでは多くの医師あるいはコーディネーター等が患者さんと接することになり、またいろいろな画像診断で脳内の状態を調べること、あるいは血液検査で薬毒物によるそういった変化がないかどうかが自動的にチェックされることになってまいります。したがいまして、児童虐待が起こった脳死症例につきましては、ほとんどその段階で判明することになるというふうに考えられます。
 ただ、それでもそれをすり抜けてくるような例がありました場合には、例えば画像診断ではオートプシーイメージング、いわゆる御遺体、死体に対しての画像診断、脳内の判定等が行われるような枠組みをつくるように努力していく所存であります。また、院内あるいは外部委託によりまして、児童虐待の有無について詳細な検定を行うようなシステムを考えております。
 以上でございます。
○谷畑議員 D案におきましては、特に十五歳以下の場合、児童虐待があったかどうかということがチェックとして非常に大事な機能だと思います。
 今萩原先生がおっしゃいましたように、児童虐待の有無をどのような手法で見破るのかということでありますけれども、まず一つは、児童虐待法に基づきまして、児童虐待とは一体何かという定義がされております。この定義に基づいて、もしもこのD案の法律が通りましたら、虐待対応チェックリストというものができて、それに基づいて第三者委員会がチェックをするということで見破ることができるんじゃないか。
 もちろん、今冨岡先生がおっしゃいましたように、そういう検視等を含めた中でも、それをチェックで見分けることができるのではないか。特に、暴行があったのか、あるいは食事を与えないで極度に体重が減っているかどうか、そういうことでチェックはできる、このように思っております。
○萩原委員 それはそれでよくわかりましたが、実は、委員長、今お聞きになっておわかりのように、両方とも答弁漏れなんです、圧倒的な。
 何が漏れているかといいますと、DVが漏れているんです。DVについても論理は同じはずなんです。家族との関係で虐待が起こって、その家族が同意をする、しないについての非常に複雑な倫理問題というものがある。それをなぜすべての案が無視しているんですか。なぜ無視したんですか。そこについてのお話が全然ないものですから、ちょっと微妙にびっくりしているんですけれども。
 これは、倫理上の問題として、子供のときには我々も一生懸命考えた。同じ人が、なぜ同じ家族の問題としてのDVについて議論をしないのかというのはまことに不思議でしようがない。あえて言えば欠陥だというふうに申し上げさせていただきたいんですが、いかがでしょうか。
○河野(太)議員 現時点でも、明確な内因死、つまり病死以外の場合には警察に通報をして、警察が検視をするということになっておりますので、児童虐待でもDVと同じようだと思います。
 それから、今各地域でスキャンチームのようなものができておりますので、そうしたことでもきちっと発見をすることができるんではないかと思っております。
○萩原委員 全く答えになっていませんでしょう、今。法律上の問題を聞いているのに、検視の問題でお答えになるというのは全く答えになっていません。納得できません。
○岡本(充)議員 D案提出者の岡本です。
 今先生御指摘のドメスティック・バイオレンスの件につきましては、成人間でのドメスティック・バイオレンスの場合、あくまでもD案の場合は、成人の場合は本人の意思がある場合のみでありますので、従前にその意思があるということがその大きな前提になってくるという点で、確かにDVがあって、例えばその間の家族の複雑な関係について明確に法律の中では規定はしていませんけれども、成人については、まずは本人の意思ということが大前提でありますから、それがDVによって本人の意思がゆがめられるということは考えにくいというふうに考えているということです。
○萩原委員 D案の立場からいうと、今の議論がぎりぎり通るかもしれないな、ところが、A案になるとこれは通らないんです。A案の場合には、本人の意思が不確定な場合に家族を出してくるものですから。A案においてこの議論をすると、圧倒的に今度は矛盾が起きてくる。
 時間が大体来ていますので、どうしたらいいんですかね、これは。本当に困っちゃっているんです。どれを賛成したらいいのか、だんだんこうやって聞いているうちに、混乱してきているような気持ちなんですが。
 あえて最後に、整理をして、要望だけ申し上げておきたいんですけれども、今の家族の問題、特にDVを含めた、家族の問題やあるいは子供の問題を慎重に取り扱うという理念構成は、恐らく親族間の優先提供の問題とも結びついている。裏で結びついているというか、家族の問題について、DVはだめだという論旨をとれば、普通は家族の優先提供に対してネガティブにならざるを得ないという気もする、こういった問題も出てくる。
 あるいは、これは質問したかったんですが、家族のことを考えたときに、交通事故の被害者の方々の声を聞くんですけれども、やはり非常に強い心理的な圧迫であるとかトラウマというものを持たれる。こういう方々に対するケアというものを、これは法律の中に置くのかどうかは別として、今回移植医療を進めようとすれば、そこの強化をどうしてもこれは議論として、あるいは実際にしていくその対応をとっていかなきゃいけない。
 あるいは、現場の医師の方々もまた今回いろいろな判断を迫られてくるわけですけれども、そういった現場に対するいろいろな情報提供や、頭の整理や、さまざまなガイドラインづくりということで、相当これも広範に議論をしていかなきゃいけない。
 そういうさまざまな論点をよく我々としても認識をしながら、継続的に議論をしつつ法律を定めていく、そんな態度をぜひとも各委員の方々にもお願いしながら、質問を終わらせていただきます。
 ありがとうございました。
○田村委員長 次に、木原誠二君。
○木原(誠)委員 おはようございます。自民党の木原誠二でございます。貴重な機会をいただきましてまことにありがとうございます。
 既にお三名の方が質問をされております。それも踏まえながら、少し質問の中身が通告からずれることもあるかもしれませんけれども、そこは御容赦をいただきたい、このように思っております。
 今、萩原さんがおっしゃったように、私はまだまだどの案もしっかり検討しなきゃいけないことが多々あるように思っております。私自身も、DVの話も、萩原さんと話していてなるほどなと思いながら、きょうの質問でも聞いてみようかなと思っていたわけですが、それはやめにしたいと思います。
 いずれにしても、考えれば考えるほど、情報を集めれば集めるほど、関係者の方の意見を聞けば聞くほど、そのときそのときによってまだまだ自分の立場というのが変わってしまうということについて率直にまず申し上げた上で、ただ、さはさりながら、やはり平成九年にこの法律が施行になって以来、八十一件、順調に結果を残しているとはいえ、やはり諸外国と比べてまだ限られているというその現実。
 同時に、提案者の阿部先生から先ほどWHOの話をお伺いいたしました。その底流にあるのは、自給自足という言葉をお使いになられましたけれども、やはり最終的にはそこに行き着くことが望ましいのではないかというのが底流にあるのであろう、こう思います。
 したがって、そういうことを前提に、救える命をできる限り救っていく、そういう立場から私自身はきょうは御質問をさせていただきたい、こう思っております。
 その中で、まずA案の提案者の方にお伺いをしてまいりたい、こう思っております。
 A案は、救える命を救おうという意味においては最大限の努力をされた案であろう、このように私は思っております。他方で、現行の法律の幾つかの柱、脳死を一律に人の死とはしない、あるいはまた自己の決定権限というのをなるべく最大限尊重しようということ、そしてまた、十五歳未満については意思表示がなかなか難しい、自己決定がなかなか難しいということ、これら三点、いずれもA案は今回乗り越えていらっしゃったんだろうと私は思います。
 そのことについてさまざまな懸念や批判もあるんだろうというふうに思いますけれども、まず、脳死を一律に人の死としないということについて、先ほど提案者の方から、いや、おおむね受容されている、こういうことでありました。しかしそれは、脳死臨調、これはまさにそういう答申であったと思いますけれども、法律の段階でやはりまだそうではないのではないかということで、自己決定権というものを加えた形で法案ができているんだろうと思います。
 それ以降どういう変化があったのか。おおむね受容されているということについてさらにどういう変化があったと認識をされているのかということについて、まず御確認をしておきたいと思います。
○河野(太)議員 今御指摘をいただいたとおり、まず脳死臨調の最終答申で、おおむね社会的合意があるということでございます。それから、それ以来、世論調査の数字を見ても、着実にそう考える方がふえていらっしゃるということ。それから、海外へ行って心臓移植をしなければならないお子様が全国各地で募金のお願いをしているときに一億円近い大変な金額が各地で集まる。結果として行かれずにお亡くなりになる方がいらっしゃるのも事実でございますが、そういうお願いに対して全国各地で、命を救ってあげよう、それは、海外へ行って国内でできない心臓移植をその子供たちにさせてあげよう、そういう気持ちのあらわれであるというふうに思っております。
○木原(誠)委員 ありがとうございました。
 確かに世論調査を見ると少しずつ少しずつ受容がふえている、これは確かなことであろうと思います。ただ、私自身は、本当に脳死を一律に人の死とすることについて社会的に本当の意味で受容されているかということについては、まだ若干の疑念を持っております。
 ただ、そのことはそのこととして、もう一点、先ほどの提案者の御答弁の中でちょっと気になったことがあるので追加的に御質問しておきたいと思います。
 脳死を一律に人の死とすることについて少しずつ受容が高まっている、おおむね社会的に受容されているとおっしゃりながら、他方で、今回の法案の基本的な考え方は、やはり依然として自己決定というその理念は堅持をするんだという先ほどの御答弁であったかな、こう思うわけですけれども、そのことはどういうふうに私たちは理解をすればいいのかな。
 つまり、脳死を一律に人の死といいながら、他方でやはり自己決定、それぞれの皆さんの臓器移植の場面に限っての自己決定を大切にしていくんですよと。私は、これはちょっと矛盾するのかなというような感じを受けているんですが、そのことについてもし御見解があればいただきたいと思います。
○河野(太)議員 まず、脳死を人の死とする社会的な合意がおおむねあるといっても、そう考えない方もいらっしゃいますし、生死の問題でございますから、これを強制することはできないということで、法的脳死判定を拒否していただくというところを一つ設けてございます。
 それから、お亡くなりになった御遺体をどのように取り扱うかということについても、これは宗教的あるいは社会的、いろいろな考えがありますので、仮にお亡くなりになった方の御遺体だとしても、やはりその御遺体をどう取り扱うかについては、御本人あるいは御家族の意思を最大限尊重しなければいかぬというふうに思っております。
○木原(誠)委員 ありがとうございました。
 全くおっしゃるとおりだと思います。そういう立場からすると、今回のA案の中で、とりわけ、意思が不明確である、意思が表示されていないというときに家族の意思決定で臓器提供を是認するということが本当に適切なのかどうか。つまり、意思が明らかでないというのは、明示的に自分は決められないから意思を明らかにしない、そういう自己決定ももちろんあると思います。それから、本来拒否をしたい、こう思っているけれども、それを明示的にしなかったという自己決定もあると思います。
 それぞれそういう自己決定が、今回の法案ですとすべて捨象されてしまう、自己決定がなかったということにされてしまう、あるいは自己決定しなかったことが自己決定とされてしまうということについて、私は若干の矛盾を感じるんですが、この点についてはいかがでしょうか。
○河野(太)議員 おっしゃるように、意思表示のない場合についてはいろいろなケースがあるんだろうと思います。それについて、やはり御本人の意思を一番よくわかっていらっしゃる、ふだんから一番接していらっしゃる御遺族が御本人の生前の気持ちをそんたくして決めていただくのがいいのではないかというのがA案でございます。
○木原(誠)委員 そういう意味で、恐らく先ほどの萩原さんのとも関連すると思うんですけれども、要するに家族の意思というものと本人の意思というものの関係、みずからが積極的にやりたい、臓器を提供したいと思っていても家族の皆さんの拒否でこれができないということがある一方で、みずからは表示をしていなくても家族の皆さんの同意でできてしまう。要するに極めて濃淡があるんだろうと思います。そこら辺の整理がまだまだ私の頭の中で十分にできていないというのが今の現状であります。
 ただ、その中で一つだけ私自身が確たることとして申し上げられると思うのは、先ほど、これまた答弁者の答弁の中にありました、拒否についてはB、C、Dいずれの案についてもこれからどういうふうにやっていくか非常に重要な課題である、こういう答弁がありましたが、私はそうではないんだと思います。
 臓器提供あるいは脳死判定について拒否をするという意思表示については、私は、A案だからこそこれは非常に重要なんだろうというふうに思っております。ほかの案は基本的に、みずから臓器を提供するあるいは脳死判定を受けるという意思表示を前提に成り立っております。しかし、A案はそうではありませんから、A案は特にこの拒否の部分についてしっかりと踏み込んだ法制上の整備、そして制度上の整備をしっかりしておかなければいけないんだろうと思います。
 もう一言言えば、今、自己決定というのもA案の中にある、こういうことでありますから、拒否をしていた、ノンドナーカードが書いてあった、だけれども、亡くなったときにはこれが見つからなかった、ところが家族の同意で提供されてしまった、後で見つかった、こういうことになると、これは法律的には非常に難しい問題を惹起するんだろうと思います。つまり、本人は拒否をしているにもかかわらず提供してしまった、これはもしかしたら殺人罪ということも法理的には起こり得る場面だろうと思います。
 そういう意味で、A案については特にこの拒否の部分でしっかりとした枠組みが必要だと私は思いますが、このことが条文上しっかりあらわれていないなというふうに思うんですね。この点についていかがお考えか、御答弁をいただきたいと思います。
○河野(太)議員 条文の中では、提供しない意思がない者というふうになっておりますし、あるいは普及啓発のところで、運転免許証その他に意思を明確にするということを入れてございますので、そこのところについてはきちっと条文上表示がされていると思っております。
 それ以外にも、これを実際に施行する段階においてはきちっとした体制をつくっていくというのは御指摘のとおりでございます。
 例えば、ノンドナーカードが見つからなかったというようなことがないように、移植ネットワークに拒否の意思表示を登録することができるようにしようと思っております。それは、そこに確認をすれば拒否の意思があることが明確になるわけでございますから、そうした制度をつくってそれをきちっと周知徹底するということをやっていくことは、これは実施の上で必要だと思っておりますし、運転免許証あるいは保険証、そういったものに拒否の表示がきちんとできるように、制度上しっかりやってまいりたいと思います。
○木原(誠)委員 ありがとうございました。
 私が申し上げたかったことは、A案とD案は、運転免許証あるいは国民健康保険証、こういったものに書くということについて実はそんなに変わらない、活用しよう、B案もそうかもしれません。私は、むしろA案はさらに踏み込んでこの拒否の部分については書き込んでいかないといけないのではないかな、もちろん制度もしっかりやっていかなければいけないのかな、こう思っております。
 もう一点、自己決定ということについて言いますと、私、日本の法体系上は、未成年には基本的に完全な自己決定はないものというふうに理解をしております。つまり、決定をしても、親族が、親がこれを取り消すことができる。ただし、唯一、唯一とは言いませんけれども、限られた場面で未成年にも完全な自己決定を認めているのは遺言の場合、十五歳以上、こういうことであります。ということは、十五歳未満については基本的にあらゆる場面において自己決定というものを完全な意味で認めていないんだろうと思います。
 私は、A案のもう一つの課題は、そういう日本の法体系、それはまさに社会の通念をあらわした法体系だと思いますが、その中において、今回、年齢制限をすべて取っ払って一つの法体系の中に丸め込んでしまっているということについては、ここももう少し説得的な説明が必要ではないかな、こう思っておりますが、このことは答弁を求めずに、D案についてちょっと伺いたいと思います。
 私のそういう立場からしますと、やはり自己決定というものを最大限尊重していただきたいなと。そういうことでいいますと、十五歳以上の皆さんについては現行法どおり維持をしながら、しかし、十五歳未満の皆さんについては、この不完全な自己決定能力というもの、あるいは意思表示能力というものを家族の力で補強していく、こういう立場であろうと思います。そのことを私自身は積極的に支持をしたいと思っておりますが、他方で、臓器移植という、まさに臓器を摘出するという不利益な行為についてまで家族あるいは親のそういう意思の補強というものが認められるのかどうかということも、批判として、あるいは懸念として挙げられているというふうに思います。
 この点についてのD案の提案者の御意見をいただければと思います。
○上川議員 お答えいたしたいと存じます。
 子供に限って意思決定権がないという形で不完全であるということでございましたけれども、意思決定権はあるというふうに私は思います。しかし、意思を表示する力ということについては非常に問題があるということで、その部分については、子供の人格形成に責任と義務を持っている一番大事な親が、その子供の気持ちをそんたくし、そして判断をしながら意思を表示するという役割を担うということであります。
 したがって、親が意思表示をする場合には、なかなか厳しい状況に置かれておりますので、その親の心のケアも含めまして最大限社会全体でケアしていくということが大変大事であるというふうに思います。
 とりわけ、十五歳未満の臓器提供、臓器移植というこの新しい分野につきましては、これからのさまざまな事例等もよくよくそれこそ検証しながら、最大の利益が子供に及ぶことができるような方法も含めて、これからの大きな課題を突きつけられているというふうに私は思っておりますので、その点でD案という形の中の提案をさせていただきました。
○木原(誠)委員 時間が来てしまいました。
 何問かまだ残してしまった質問があり、申しわけないなと思っておりますけれども、一歩でも前に進める、これは非常に重要なことでありまして、そういう意味で私自身は現時点ではD案をぜひ支持したいな、こう思っております。しかし同時に、やはり子供の、十五歳未満のお子さんの移植についてはかなり慎重なまた枠組み、先ほど虐待の話もありましたので、しっかりとその点はD案の提案者の皆様にも取り組んでいただきたい、このことを申し上げまして、質問を終わりにさせていただきます。
 ありがとうございました。
○田村委員長 次に、林潤君。
○林(潤)委員 自由民主党の林潤です。
 本日は、質問の機会をいただき、ありがとうございます。
 臓器移植の改正案をめぐりましては、与野党ともに今国会の成立を目指しておりますが、その論点について、私は今D案の方が最も自分に近いなというふうな思いを持っておりますので、こうした支持の立場から質問をさせていただきます。
 まず、十五歳以下の子供にも国内での臓器移植の道を開いていきたい、そして臓器移植の提供によって一人でも多くの命を救っていきたい、この二点は重要でありまして、私もこうした方向に前進をさせるべきだと考えております。その意味でA案は、臓器提供の機会を拡大いたしまして、移植の医療を待つ患者を一人でも多く救おうという観点から提出されるということなので、D案ができる前は私もA案を支持しておりましたが、これを評価するものであります。
 昨年は、国際移植学会によりまして海外渡航移植の禁止が宣言をされ、WHOも同じ趣旨で決議をされる見通しであります。そして、今後ますます国内での臓器移植の道を開いていかなくてはいけません。また、アメリカを初めとするG7の先進各国もほとんどが脳死を人の死とするということを受け入れております。
 ただ、一方で、日本人特有の問題となってきますのが、脳死を人の死とすべきかということであります。結論から言いますと、私は、脳死が人の死であるという考え方が広く日本社会に浸透しているとは思えません。A案では、脳死を人の死と考えない人や、家族が脳死を人の死と考えない場合、脳死判定を拒否できるということですが、一般論として脳死は人の死であるということを法的にも社会的にも認めてしまうことにつながります。
 脳死と判定されましても、通常一週間程度は心臓が動いております。あと数日ですべてが物言わぬ体になったとしましても、血は流れております。そして、人肌のぬくもりもありますし、家族など愛する人が体に耳を当てればまだ鼓動や脈を感じることができます。その心臓が停止するまでの数日間は、脳死になった人の家族にとってはかけがえのないお別れの時間にもなり得るわけであります。
 こんな状態にもかかわらず、医学的にも社会的にも人の死とされてしまうことに私は不条理を感じます。たとえ当人たちは拒否できるといたしましても、心臓がまだ動いている脳死の状態を即人の死としてしまう考え方が日本人の死生観に合うのかというと、私は合わないのじゃないかと思います。
 ただ、一方で、報道機関の調査によりますと、これは読売新聞ですけれども、世論調査、平成十七年では六割近い方が脳死を人の死と判定してもよいと回答をしています。ただ、このデータは、脳死について本当にどれだけ本質的に、国民的に理解が進んでいるのか、詳しく知っているのか、あるいは、いざ自分の家族がこうした脳死に直面した場合、条件や制約はいろいろあるけれども、資源として臓器を摘出される対象になってしまうということをどれだけ自覚しているのか、本当にこういう前提でやった世論調査なのかなということを思うと、そういう観点を抜きにして回答しているのではないかなと思いまして、そこで比較的高い数字が出たのだと私は個人的に推定をしております。
 そこで、A案の提案者にお聞きをしたいのですが、脳死を人の死であると断定こそしないものの、こうした踏み込んだ考え方がどのぐらい日本人の社会的合意が得られているのか、それが日本人の死生観に沿ったものなのか、お考えをお聞かせください。
○河野(太)議員 脳死臨調の最終答申の中に、おおむね脳死は人の死であるということが社会的に受け入れられているということがございます。それ以来、各種の世論調査で、脳死は人の死だという御意見が着実にふえておられます。今、林さんがおっしゃいましたように、六割近い方が脳死は人の死だということを受け入れているという現実がございます。
 先ほども申し上げましたが、今、日本国内では行うことができません乳幼児の心臓移植を何とか実現してあげようということで、厚労委員の皆様のお地元でも募金が行われていたことがあるのではないかと思いますが、全国各地で行われている、子供を海外へ送って、脳死からでなければ臓器提供ができない心臓の移植をさせてあげようという募金に一億円近いお金が全国で集まるというのが今の日本の現状でございます。そういうことを考えると、脳死は人の死であるということが、おおむね社会的に受け入れられているということでいいのではないかと我々は思っております。
 ただ、やはり、心臓が動いていたり体がまだ温かいではないか、だからなかなか脳死は人の死だと思えないという方がいらっしゃるのも現実でございますし、これは宗教的あるいは社会的なことを考えれば、そうした方が一〇〇%いなくなるということもないんだろう。そういう方のために、法的脳死判定を拒否するということで、脳死は一律に人の死としないように、A案では、脳死は人の死でないと考える方のことも、脳死は人の死だということを強制しないという道をとってまいりました。
○林(潤)委員 当然、そういったことでA案が大分配慮されているということは理解はできます。もちろん、海外の事例、先ほど答弁者からありました国内世論の高まりという点を考えましても、人の死と認める流れは理解できますが、やはり生と死にかかわる重要な問題であります。死の前提というものが根幹的に変わってしまいます。これはやはり、医学的、法的、倫理的、文化的、宗教的などあらゆる観点から議論し、社会的合意が得られるまで慎重に検討すべきだと私は考えています。
 次に、D案の提出者に質問をいたします。
 D案は、臓器移植の場面に限り脳死は人の死であるとの立場に立ちつつ、意思表示ができない十五歳未満の子供については、家族の承諾を条件に臓器の摘出を認めております。脳死について、日本人の死生観を尊重しつつ、国内での子供の臓器移植に道筋をつけて前進させたいという点で、そして、今国会で成立させよう、多くの考え方を持つ政治家たちのコンセンサスをより多く得ようとしている点で、その苦心を高く評価するものであります。
 しかし、子供の臓器を摘出するのに家族の承諾を条件とすることは、いわば親が子供に死を宣告することに等しいわけでありまして、このような親は余り想定し得ない以上、D案によって臓器移植の機会は増大することはないのではないか、こういう批判があります。これについてどのようにお考えか、お聞かせください。
○笠議員 提出者の笠でございます。
 今、林委員の方からお話があったように、なかなか子供たちに道を開くといっても、親が果たして脳死を死として受け入れられるのか、あるいは受け入れられないのか、そのことにもかかわってくるんだと思います。
 ただ、私ども、子供の意思をそんたくする形での臓器移植の機会というものを、しっかりと道を開いていくことがまず第一歩であると思っておりますし、そして、現に今、自分の国で自分の命が、子供たちの命を救う道がない、移植によってしかその命が助からない場合において、そこはこれからこの法改正を行うことによって、さらに私ども、第二脳死臨調なる組織も今後早急に立ち上げて、改めて、本当に国民的に脳死を人の死として受け入れることができるのか、その合意形成ができるのかということもしっかりと議論をしていきたいと思っております。漸進的に着実に理解を深め、進めていきたいと思っております。
○林(潤)委員 今答弁にありました第二脳死臨調や、そうした合意形成をさらに深めるということ、大切だというふうに思います。
 脳死を人の死と認めないで、かつ国内での子供の臓器移植を広げていくには、やはり親の承諾を条件とすることもやむを得ないと思います。こうした道を切り開くために、臓器の提供でどれだけ救われる子供がいるかということを、医学的、生命倫理的な見地から懇切丁寧に理解を求めていくような場面も今後必要なのではないかと思っております。
 次に、政府に質問させていただきます。
 臓器移植の改正案をめぐっては、移植を待つ成人患者をいかにして救うかということも重要な観点ですが、実際に現行法が施行されてから十二年間で八十件余りしか数えることができず、数百倍あります欧米と、脳死からの臓器提供された例という数だけでいいましても、比べ物になりません。
 臓器移植を進めるためには、脳死を人の死として認め移植を促進するA案も一つの考え方でしょうが、それ以前に基本的な考え方として、一人でも多くの人に臓器提供の意思表示をしてもらうことが重要と考えます。
 本人確認を必要とするいずれの改正案も、国及び地方公共団体は、運転免許証や医療保険の被保険者証に臓器を死亡した後に提供する意思の有無を記載することができるというふうにあります。一方、内閣府の調査では、四三%がこうした脳死下の臓器提供を同意するものの、意思表示のカードの携行者は二%程度にすぎないということになっておりまして、一方、年間三千人の方が脳死となっておりますが、どれだけの方が本当に意思表示をしているかということがあります。こうした中で、私は、潜在的に臓器を提供される可能性があった機会を逸しているんではないかなという思いもあります。
 膵臓、心臓、肺で、移植希望登録者数が大体百件台で推移をしております。腎臓のみが一万件以上と非常に多いわけですけれども、この三千人の脳死した方のうち一割でも臓器を提供することになれれば移植が飛躍的に促進されるのではないか、こんなことを思いまして、二〇一一年度を目途に導入しようとしている社会保障カード、この中に、ドナーに希望しているかどうか、これを医師がカルテを閲覧すると同時に判断できるような仕組みをつくれないかと私は思うんです。
 参考人のありがたい御意見の中にも、意思表示があることで、医師がドナー候補と思った際に救命蘇生手段を尽くさないおそれがあるという指摘もありましたけれども、やはりでも促進する前に、こうした臓器提供の機会をできる限り多く確保するという前提が必要だと私は思います。当然、憲法にある表現の自由、思想、良心の自由に最大限配慮した形でやるべきだと思っておりますけれども、しかし、できる限りこのすそ野を広げ、場合によっては理解を広げることが、回答したくないという意見も入れることによって、義務に近い形で皆さんに回答をしてもらう、こんなことが必要なのではないかと思っております。
 社会保障カードでこうした臓器提供の意思の有無を判別できるようになれば、臓器移植に飛躍的な作用をもたらすと考えますが、政府がいかに考えているか、お聞かせください。
○上田政府参考人 御指摘のように、臓器提供カード一億二千万枚、また健康保険証への記載、それからインターネットの登録システム、これ以外に、お尋ねの社会保障カードにつきましては、今その券面にどういった情報を記載するのかを含めて検討を行っておるところでございます。
 いずれにしましても、国民の皆様方に臓器提供に関する意思表示を行っていただく機会をふやすため、関係部局、有識者ともいろいろ相談をしながら、さらに検討を進めてまいりたいと考えているところでございます。
○林(潤)委員 時間がないのであとは意見だけにさせていただきますが、当然これは携行率というのを重視すべきでありまして、社会保障カードを重要なものとする、ふだん携行しやすいようなものにしていくという環境をつくりつつ、こうしたすそ野を広げていきたいと思います。
 最後に、脳死は一般に人の死というような考え方が、臓器の提供と、遺体をだびに付したりあるいは臓器の摘出をしたり、そういった死生観に対する考え方があると思います。ぜひ、自分の死生観が法律と違うということ、そうしたギャップを悲しみの中でさらにまた感じなければいけないような環境をつくらないように、臓器移植を促進しながら、日本人の死生観というものを大切にするような議論を深めていただきたいなということを希望して、質問を終わらせていただきます。
 ありがとうございました。
○田村委員長 次に、福岡資麿君。
○福岡委員 自由民主党の福岡資麿と申します。
 本日は、貴重な質問の機会をいただいたこと、心から感謝申し上げます。
 大分質問がA案、D案に偏っているようでございますので、それぞれの案の方にお聞きしたいと思いますので、できるだけ答弁は簡潔にお願いをしたいというふうに思います。
 まず、A案の提出者の方にお伺いします。
 臓器移植を推進していかなければいけないということについては、私も全く同じ意見であります。一方で、多くの不安や反対視する声もあることも確かでございます。それぞれの委員の方々にも、今、たくさんの投書であったりメールであったり、そういったものが来ているという現状であろうというふうに思っておりまして、そういった中で、特に慢性的な疾患とかを抱えていらっしゃる方からすると、移植が前提となって十分な治療が受けられなくなるんじゃないかというような御不安の声も当然いただいているわけでございます。
 A案であっても、まずは治療に全力を挙げることというのは一番大事なことでありますし、もしくは、臓器提供をしたくないという人であったり、家族が拒否する人というのが、A案であると、一律に脳死は人の死とすることによって、本当にこれまでどおり保険治療としてその後もずっと治療を受けることができるのかということを不安に思っていらっしゃる方はたくさんいらっしゃるわけであります。
 また、民間でもいろいろな保険とかありますけれども、本当に脳死が人の死というようなことが定義されたときに、いろいろな入院の保険とかそういったものも十分に受けることができるのかというような不安を持っていらっしゃる方もいらっしゃるわけでありまして、A案の場合、そういったことをしっかり担保していくことが求められるんだと思いますが、お考えをお聞かせいただきたいと思います。
○山内議員 御指摘と御懸念はごもっともというか、大変理解できるところであります。
 もちろん、移植医療、脳死と判定するために、臓器移植のために救命医療を途中でストップする、そういうことは絶対にあってはならないということは、我々A案提出者全員同じ思いであります。また、家族が脳死判定に同意しないからといって、保険治療が途中で切られてしまうとか、そういったことは絶対にやってはいけないことだと思っております。そして、民間の入院保険などの適用に関しても不利にならないように担保すべきだ、その点についても御指摘のとおりで、そういった点は担保されるように関係者の協力を求めていく必要があると考えております。
○福岡委員 A案の方には、そういった臓器移植を進めることを求める声の一方でいろいろな声があるということは十分踏まえた上で、今後の対応をぜひ協議していただきたいと思います。
 続きまして、B案の提出者の方にお聞かせいただきたいんですが、B案は、意思表示が十五歳から十二歳に下がったということはありますが、基本は、臓器移植を進めるためには、十五歳以上の方も含めて本人の意思表示をなるべく進める環境を整えていくということが非常に大きな柱となっているんだろうというふうに思います。
 運転免許証等で意思表示の記載を可能にするというようなこともB案には盛り込まれている。これはB案だけじゃなくてA案もD案も入っているわけでありますが、これは、例えば免許証のところに単に意思表示、イエス、ノーの丸をつけるところがあるということを設けるだけなのか、もしくは、免許の更新のときとかにこういうものもありますからぜひ御検討くださいということを促していくのか、もしくは、それに加えて講習等も入れていくのか。そういったことによってマル・バツをつける人の比率というのは大きく変わってくるんだろうというふうに思っておりますが、B案の提出者の方にその点についてのお考えをお聞かせいただきたいと思います。
○石井(啓)議員 B案におきましては、免許証あるいは健康保険証等に臓器提供の意思の有無を記載できる欄を設けることを想定しております。
 ただ、意思表示するかどうかも含めまして、本人のやはり意思が尊重されるべきだというふうに思っておりますので、例えば運転免許証更新の際に意思表示を推奨することはあったとしても、それを強く求めることはやるべきではないというふうに考えております。
 また、B案では、国及び地方公共団体に対しまして、学校、家庭その他のさまざまな場を通じて移植医療に関する教育の充実を図るということを求めておりますので、講習とおっしゃったのは免許講習のことかと思いますけれども、その免許講習の場を活用することも含めまして、さまざまな場で理解の促進を図っていきたいというふうに考えております。
○福岡委員 ありがとうございます。
 本人意思というのがやはり一番大事だという点では、本人意思を表示する機会をなるべくふやしていただく、その御努力はそれぞれの案においても大切だろうというふうに思っておりますので、よろしくお願いいたします。
 次に、C案の提出者の方にお伺いいたしますが、これまでも慢性脳死とかという話があるときに、それは法的脳死判定がきちんとなされていない、無呼吸テストも含めてなされていないからそういうケースがあるんだというようなお話がこれまでもあったりいたしました。
 ただ、一方で、法的脳死判定しても長期にわたって生存される方もいらっしゃるんだとおっしゃる方がおられるわけでありまして、今回、C案につきましては、脳死判定を厳格化するという中で、脳血流の判定とかも加えられるということでありますが、その根底にあるのは、これまでの判定では不十分であるから新たにそれを加えるという考えなのか、それを加えることによってこれまで不十分だったところがカバーできると思われているのか。特に、アメリカとかでは、脳血流が停止した状態の後、また長期にわたって生存される方がいらっしゃるというような症例も出ていると聞いておりますので、その点についてお考えを聞かせていただきたいと思います。
○阿部(知)議員 御質問ありがとうございます。
 まず、前段の、慢性脳死あるいは長期の脳死の生存例は、この長期脳死例という言葉をそもそも使われたのは厚生労働省の研究班、二〇〇〇年の研究班で、このとき、小児の脳死判定基準をさらに厳密化していくために症例を集めました際に、これまでの脳死判定基準プラス無呼吸テストを二回実施した二十例のうち七例が三十日以上の生存、四例が百日以上の生存というので、従来の、脳死判定をしたら数日で亡くなってしまうという実態とは違うんだということが研究班報告で出てきたわけであります。そうなりますと、常に、臓器移植の推進には、やはり死の判定も含めて、それだけ生存するのであれば果たしてどうであろうかという疑念が生じます。
 御指摘の海外におきましても、例えば二〇〇八年三月二十三日のNBCニュースで、これは米国における脳死判定基準を満たした方が、臓器の摘出の十分前になりまして、たまたま親類の看護師さんが足の裏をメスで傷つけたところ、この方が動かれた、強い痛みが走って動いたということで、摘出がやめられて、その方は元気になられたわけですけれども、常に、この社会で臓器移植を定着していこうと思えば、さらに厳密な脳死判定を加えていくということは各国、時代の流れであります。その一つに脳血流があります。
 ただし、御指摘のように、脳血流をはかったとて、また再開する例もあります。ただ、現状よりは、より皆さんが考えられる、器質死というのですけれども、脳が、例えば細胞が溶けてとか言われるものには近づきますから、パーフェクトではありませんが一歩進めるということにおいて、さらに、そんな、回復するということまで殺されては困るなという国民の疑義を取るために厳密化していくという提案であります。
○福岡委員 大変参考になる御意見をありがとうございました。脳死判定をどうやっていくかというのは、一つ大きな課題として私もしっかり受けとめて考えていきたいというふうに思います。
 D案の方にお伺いをいたしますけれども、D案につきましては、特にお子さんを亡くされた方については、お子さんが脳死に至ったときに、本当に悲しみに暮れている場合に、さらにそういう方々に、提供意思を親に求めるのかというような御懸念の声もあります。特に、A案と違うのは、十五歳以上は本人の意思なのに、お子さんだけは家族に同意が求められるという状況ができてしまうという意味ではより酷なんじゃないかというような御意見もあるわけでございます。
 先ほど来お話に出ていましたように、そういう状況になった場合に、お子さんの死かどうかという判定を親にゆだねてしまう、その分、親に与えるプレッシャーが大きくなるんじゃないかという懸念の声に対してどういうふうにお考えなのか、お聞かせいただきたいと思います。
○根本議員 ポイントは、親が死の判定をするかどうかということだと思います。
 私もこの法案を考えたときに非常に戸惑いましたのは、子供の臓器提供について、子供の心と親のきずな、そして命の大切さ、尊厳さ、これを一番よく知っているのは親ですから、その親が子供の意思をそんたくして、そして臓器提供してもらいたいという崇高な気持ちを示していただく。私は、現場に立ち会えば、これは親の気持ちに立って考えると非常にいろいろな心の葛藤があると思います。
 ただ、問題は、ポイントは、医学的な脳死状態、これは厳然としてありますから、親が医学的な脳死を人の死として認められるか、受容できるか、実はこれが大きなこの法案のポイントで、受容できる親が私が申し上げたような判断をする。決して人の死を親が判定しているわけではありません。
 一方で、A案では脳死は人の死として法律で定義しますから。確かに臓器提供について法律は強制しておりません、拒否は当然できる。私は当たり前だと思います。ただ、A案は脳死を人の死として法律に規定しますから、そうすると、価値観を法律で押しつけることになる、私はそこが実はA案の問題かなと思っております。あくまでも脳死を人の死として親が受容できるかどうか、その受容できる親が判断するということで、死として判断するわけではありません。
○福岡委員 ありがとうございます。
 特にD案の場合は、親御さんにさらなる心理的負荷がかかるという部分で、その心理的ケアの部分をどうやってもっと手厚くしていくか、そういったことが一つ大きな課題となるであろうというふうに思います。
 もう一点だけ。先ほども重複するような質問がありましたが、特にD案の場合に、では、本当にお子さんのケースの場合親が意思表示できるのかも含めて、D案を仮に採択したとしても、日本における臓器移植というのは現状として進まないのではないかという声が上がっていることも事実でございます。そういった点につきまして、これまでも日本は海外に比べて症例という意味でははるかに少なかった、これがD案によってどれぐらい進むとお考えなのか。そういった部分で、ある程度お考え等ありましたらお聞かせをいただきたいと思います。
○笠議員 私は、まず、十五歳以上については私どもは現行法どおりということで、先ほど来あるような、やはり普及啓発活動をしっかりとやる環境を整えていくことによって、四〇%の方がドナーカードを持っておられなくても臓器を提供する意思があるというような調査もございますので、どうやってその環境を整えていくかということによって、着実にその件数というものはふえていくものだと思っております。
 そして、十五歳未満の方、確かにこれは我々は第一歩だと思っています。まず、これからそういうお子さんたちが、どうやってこの日本において臓器移植を受けることができるのか。
 ただ、海外と比較をいたしますと、アメリカやヨーロッパに比べれば、アジアの国というのは非常に数字が低いですね。日本はその中でも特に低い。
 それは、いろいろな宗教観であるとか死生観であるとか、さまざまその違いもございますので、それがいきなりこの道を開いたからすぐにふえていくということにはならないとは私は思いますけれども、まさに子供たちの臓器移植についての、今後、脳死の判定基準をどうしていくのか、そこもまた厳格に検討もしていかなければなりませんので、まずはこの法改正が最初のスタートだ、道を開いていくスタートであるということで、国民の皆さん方にまたしっかりと理解をしていただけるように、第二脳死臨調も立ち上げ、そういう議論も通じて理解を進めていくことを期待したいと思っております。
○福岡委員 まだ聞きたいことがありますが、持ち時間が来たようでございますので、一点だけ、今後もしっかりとこういう場を通じて議論を深めていって、それぞれの違いというのをぜひ浮き彫りにしていただきたい、そういったことをお願いさせていただきまして、質問を終わらせていただきたいと思います。
 ありがとうございました。
○田村委員長 次に、古屋範子君。
○古屋(範)委員 公明党の古屋範子でございます。
 日本で臓器移植法が一九九七年に施行されまして、十一年がたちます。臓器提供されたのはわずか八十一例という現状でございます。また、三年後の見直し規定があったにもかかわりませず、今日まで参りました。
 当委員会に小委員会が設置をされまして、前国会までは私もその一員として議論をしてまいりました。特に参考人質疑では、臓器移植医、小児科医、法医学の専門家、また実際に海外で移植を受けられた患者の家族、あるいはお子様が交通事故に遭われた御家族等々、非常に貴重な御意見を賜ってまいりました。
 今国会で一つの大きな結論を得ようという流れが今できつつあります。また、これまでのA案、B案、C案に加えましてD案が俎上に上がってまいりました。死生観の絡む大変に難しい問題ではございますが、しっかりと議論をしていかなければならない、このように考えております。
 そこで、私は、国内で小児に移植の道を開かなければいけないという立場から、十五日に提出をされましたD案について幾つか質問をしてまいります。
 初めに、脳死を人の死とするということについてお伺いをいたします。
 この問題につきましては、脳死は人の死であり、社会的、倫理的問題や臓器提供の有無とは無関係に、脳死の判断は科学的になされるものであるとの意見がございます。また一方で、我が国では脳死を人の死とする社会的合意がいまだでき上がっていない、改めて脳死臨調を設置し、社会的コンセンサスができるまで誠実に議論を重ねていくべきであるとの意見もあるわけでございます。
 現行法では、臓器提供の場合に限り人の死とされております。これは心臓死と脳死という二通りの人の死をつくり出すなど、法律的にもいびつな妥協案であるとの指摘もあるわけです。
 そこで、現在提出されている改正法案を見ますと、D案におきましては、脳死の考え方については現行の臓器移植法の考え方を踏襲すると伺っておりますけれども、その理由についてお伺いをいたします。
    〔委員長退席、三ッ林委員長代理着席〕
○根本議員 医学的な脳死は私は医学的には死だと思います。ただ、その医学的な死と法律的な死、ここにはまだ幅があるんだと私は思うんですね。
 その意味で、医学的に脳死状態になった方を人の死ととらえることができるか。ここが、欧米諸国と違って日本の場合は、欧米諸国の場合は心と体の二元論の社会ですから、ある程度合理的にそこは割り切れると思うんですが、日本人の場合は、人生観や死生観、宗教観によって、脳死状態になっても心臓が動いている、どうしてもこれを人の死とは考えられない。これは、看護婦さんなんかでもそういう状態に立ち至る方が多いと私も本で読みました。
 となりますと、脳死が人の死かというのは社会的合意が得られていませんので、現行の法律のもとで、脳死が人の死かは考え方が分かれます、分かれますが、脳死を人の死として受容できる、認められる方のとうとい臓器提供という気持ちを大切にして、この法律を考えております。
○古屋(範)委員 ありがとうございました。
 欧米では非常に合理的な考え方が浸透しているけれども、やはり日本ではそれはそぐわないのではないか、脳死を人の死とする者、あるはそうではないと感ずる者、そこのところは二元的なままでよいという御意見であったのかというふうに思います。
 それで、次に提供可能年齢についてお伺いしてまいります。
 現行法では、生前の意思表示能力がないとして、十五歳未満の脳死者からの臓器摘出を禁じております。このため、国内では子供の体に見合う臓器が得られないということで、小児の患者は渡航して移植をするということに頼らざるを得ない現状が続いております。このように日本人が海外で移植を受けることについては、国際社会からも厳しい批判の目が向けられております。また、今後は海外での移植も困難な状況になるということも予想されております。
 そこで、D案における主要な改正点といたしまして、現行法で認められていない十五歳未満の者からの臓器提供につきまして、家族の同意と第三者機関の確認が必要と一定の条件をつけられておりますけれども、十五歳未満の子供の国内での臓器移植に道筋がつくものと思われます。
 今回、十五歳未満の者に道を開くこととしたお考えをお聞かせいただきたいと思います。
○西川(京)議員 古屋先生の御質問にお答えさせていただきます。
 確かに、今までの現行法では十五歳未満が認められていなかった。その中で、やはり臓器移植しか生きる道のないお子さんたちに対しての海外での移植、これはかなり現実にそういう善意の方々のいろいろな思いもあって実現しておりましたが、やはり、このままでいいということではない、そういう認識は皆さん持っていたと思いますね。当然、WHOの要請もあった中で、この道をやはり国内でもきちんと進めていかなければいけない。その中で今回の法案の提出になりました。
 先ほどから、その中で、十五歳以下、それは公文書が作成できる、できない年齢ということで、十五歳以下はだめということになっていたわけですが、当然子供にもその意思はあるだろうと。あくまでも、このD案提出者の私たちは、本人の意思を尊重するということが大前提でございます。その中で、子供の意思を一番わかっているのはやはり親だろうと。その親たちにしても、今回、脳死は人の死だと受け入れられない親の方にそのことを強制するものではない。やはり、脳死は人の死だと考えられる親が、子供の生前のいろいろな思いをそんたくして、親がかわって同意をする、それに尽きると思います。
 その中で、やはり、それでもなおかつまだ子供に対する暴力その他の問題が、あるいは説明責任がきちんとできていない問題があるかもしれないということで、第三者機関を設けて、そこに透明性、公正性を入れたということでございます。
 それとともに、やはり早急に六歳以下の方々の脳死の判定の問題、まだこれはできておりませんので、きちんとした第二脳死臨調を立ち上げて、この問題をきちんと精査するということが大前提だと思います。
 以上でございます。
○古屋(範)委員 ありがとうございました。
 国際的な要請、WHOの要請もあり、また、本人の意思を最大尊重した上で、親の考え方というものをさらに尊重していくというお答えであったかと思います。
 次に、十五歳未満の子供が国内での臓器移植をするということに関して、国内での臓器移植を広げなければいけないという意見がある一方で、小児の脳死は即座に心臓死に至らない場合がある、被虐待児からの臓器の摘出の防止策を検討する必要性、さらには、小児科医の方々からは、小児ドナーが被虐待児であるかどうかの診断を適正に行うことができない、子供は大人より脳死判定が難しいなど、さまざまな指摘がなされているのも事実でございます。
 D案では、こうした指摘に対しまして、十五歳未満の子供の臓器提供に際しては、親からの虐待がなかったか、また、脳死判定や臓器摘出について家族に十分な説明がされていたか、病院内の第三者委員会で確認をすると伺っております。このようなプロセスを導入した理由についてお伺いいたします。
○岡本(充)議員 お答えいたします。
 今、先生から御指摘がありましたように、子供の意思決定というのは、子供がまだ人格形成の途上にあり、重要事項の決定に当たっては本人だけではなし得ないということ、こういう事実は厳然としてあるわけでありますから、これを補完する意味でも、第三者委員会でその適正さを判断する、また、虐待等の有無を判断する。これはまさに先生が言われたとおりなんですけれども、我々としては、こういったステップ、その前に、まず主治医、また担当看護師等が家族と接し、また患児を診る中で、虐待のおそれありということになれば、当然のことながら、そのプロセスはそこでとまるわけになりますし、もっと言えば、その疑いがあると第三者委員会が判断をした場合は、当然、児童相談所へ児童虐待防止法にのっとって通報することとなります。
 こういうプロセスの中で適正にこれまで処置または治療がなされ、そしてまた、適切なプロセスを経ているということが確認をされている、もちろん親の同意がある前提ですけれども、そういった児に限ってこの脳死判定が有効となってくる、こういうふうな仕組みになっているところであります。
○古屋(範)委員 続けて、その第三者委員会の構成についてお尋ねいたします。
○岡本(充)議員 各病院に倫理委員会が設置をされております。この倫理委員会の構成に倣う形になると思いますけれども、一つは、医療従事者、医師、看護師等、もちろんその医師はこの脳死判定にかかわっていない、また主治医以外の医師を含むわけでありますけれども、こういった方、また、医療従事者以外でも、弁護士等、医療従事者以外の観点からの適正な助言、アドバイスを受けながら第三者委員会は構成されるものと考えております。
○古屋(範)委員 最後の質問になります。
 D案では、十五歳未満の者からの臓器提供について道を開くとされていますけれども、十五歳以上の者については現行制度の枠組みを維持されています。現行制度のもとではなかなか臓器提供が進まない、多くの方が移植を待っているという現実もございますけれども、この点についてのお考えをお伺いいたします。
○根本議員 D案の考え方は先生のおっしゃるとおりで、D案の考え方は、あくまでも、脳死は人の死、これは社会的にそれぞれ個人の判断は分かれますから、脳死を人の死として認め、受けとめる、受容できる方の意思を尊重しようというのが基本であります。
 では、ここで臓器提供がふえるのか、こういうお話ですが、ここは、今まではドナーカードだけでやってまいりました。D案では、臓器提供の意思を表明する機会をふやそう、より意思を表明しやすくしようということで、運転免許証や保険証に意思表示の欄を設けて、そして、こういう欄を設けますと、国民の皆さんがそこで臓器提供の問題を考えられるようになるし、理解も進むし、そこでだんだん社会的な合意がより深まっていくだろう、こう考えております。
○古屋(範)委員 今のお答えにもございましたように、今後提供者をふやしていくためには、ドナーカードの普及に力を入れていくということが大事になってくるかと思います。そして、私たちがそういう段階から家族で、自分の死、また臓器提供というものに関してもっと話をしていく、そういう場がつくられていくことが大事なんだろうと思います。
 この臓器移植法の改正は、人々の死生観、また医療への信頼にもかかわる重い課題でございます。また今後しっかりと議論をしてまいりたいと思います。
 ありがとうございました。
○三ッ林委員長代理 次に、桝屋敬悟君。
○桝屋委員 公明党の桝屋敬悟でございます。
 今回新たに第四の選択肢をお示しいただきましたD案の提出者、根本先生初め皆様に敬意を表したいと思います。あわせまして、何で今この時期に第四の選択肢をお示しになったのかなという思いもしないわけではないのでありますが、やはり、我が国における移植医療の現状あるいは海外渡航の移植者の実態、先ほどからお話が出ておりますが、そうした状況、国際移植学会やWHOの動きなども含めて、とりわけ十五歳以下の子供たちの移植医療の機会を何とかふやしたい、こういう思いなのかなというふうに理解をいたしました。
 そこで、D案の提出者へ聞いてみたいのであります。
 この国会で検討されて、これは有志によって御検討いただいたというふうに思っているんですが、今回のD案をまとめるに当たって、本当に苦慮された点、ぎりぎり最後まで議論になった点はどういうところだったのか、ぜひ御紹介をいただきたいなと思うのであります。よろしくお願いいたします。
○根本議員 我々も、この臓器移植法案にどういう態度を示すか、これは随分考えました。現行のA案、B案、C案、私も見せていただきました。
 A案ですと、基本的に現行法の考え方から大きく転換する。脳死が人の死かということについて、脳死を人の死として定義する、あるいは意思が不明な方については家族が承諾すればいい、これは現行移植法の本人の意思を尊重するというところから大きく踏み越えますから、私はこれはなかなか賛成しにくいな、こういう方も随分おられたと思います。
 それから、B案の場合は十五歳を十二歳ということですから、これも子供の臓器提供への道を開くという点では不十分ではないか。
 こういう状況を考えて、いろいろな、A案あるいはB案、C案ではなかなかすとんと気持ちが落ちないという議員の方々も随分おられました。そこで我々は、現行の考え方の基本、枠組みを維持しながら子供への道をいかに開くかということを考えました。
 子供の道をいかにして開くか。これは基本的に十五歳以上は本人の意思を尊重ということになっていますから、子供に果たして意思表明できる力があるのか、こんな議論が非常にテーマになりました。
 先ほど来答弁をいただいていますが、子供は、確かに意思表示をする力は、意思表示権は持っていますけれども、それを表示することができない、こういう状況ですから、子供と親の心のきずな、そして子供の命の大切さ、尊厳さ、要は、親と子供の関係の中で一番子供の人格形成にかかわっているのは親ですから、親が子供にかわって、意思をそんたくして親が表示をする、これを家族が同意する、こういう組み立てなら社会的な合意が得られるのではないか。
 ただし、児童虐待の問題がありますから、これは親あるいは家族だけに決めるのではなくて、第三者機関を関与させることが必要ではないか。第三者機関、具体的には例えば病院の倫理委員会のようなもの、ここが、透明、公正、適正かどうか、十分なインフォームド・コンセントが行われているか、あるいは児童虐待があったかなかったか、こういうことを客観的に社会的な判断をする仕組みをつくって、そして子供の臓器提供への道を開く。慎重にも慎重を期して、そこは子供の臓器提供への道を開くということを考えました。この辺が、どう考えるかということの我々の一番の悩んだ点であります。
 それから一方で、今臓器提供の具体例が少ないという現状もありますので、ここは、運転免許証や保険証に意思表示欄を設けて、臓器移植について国民の皆さんが考える機会もつくっていただいて、そして社会的な理解が深まるように、社会的合意が得られるような、臓器移植について、結果的に推進する、あるいは理解、合意が深まっていく、その道を探ったのがこの法案であります。
    〔三ッ林委員長代理退席、委員長着席〕
○桝屋委員 ありがとうございました。
 今の根本先生のお話を伺いまして、相当苦慮された結論だな、ともかく十五歳以下を何とかしたいという発露かなと思ったんですが、私も人の親として、先ほどから何度も出ております御説明の中で、子の脳死臓器提供というものを親が判断するということは、DVや虐待については特別の考えがあるにしろ、私は、人の親として、なかなか難しい話だな、子の思いをどこまで親がそんたくできるのかという難しいテーマをいただいたなと思っております。
 そこで、そこまでいかないにしても、今までのA、B、C案の中で脳死と人の死というようなことが国民の中でこれまで議論されてきましたが、十五歳の線で分けるということになりますと、臓器提供ということについて十五歳以上と十五歳以下で立て分けをするということは、何とか十五歳以下の臓器移植の機会をふやしたいということは理解できるのでありますが、脳死、人の死というこの取り扱いについて、ここが縦割りになるということは、国民が本当に理解されるかどうか、誤解を与えるのではないかという思いもあるのでありますが、ここはいかがでしょうか。
○根本議員 現行の臓器移植法、これは本人の意思の尊重ですから、ガイドラインで、民法の遺言年齢で十五歳以上、こうやっておりました。我々はそこの基本的な考え方は踏まえながら、十五歳未満の子供の意思をどう判断するかということで、先ほど申し上げましたように、親が子供の意思表示をそんたくして、そして家族が承諾して。
 確かに、子供が脳死状態のような中でこれを親が判断するというのは、私はいろいろ心の葛藤があると思います。大事なのは、心の葛藤があると思いますが、そこで親が脳死を人の死として認められる、受容できると考えた判断できる親が、十五歳未満のお子さんについて、私が今申し上げたような崇高な臓器提供の判断をしていただくということですから、そこの十五歳ということは、遺言年齢、本人の意思表示というところの立て方の中で、今申し上げたような考えをしたということであります。
○桝屋委員 まだまだ議論したいのでありますが、時間がないのであります。
 それで、先ほど、A案とD案の議論は大体この場で出てまいりました。B案の石井委員にお伺いしたいんですが、今回D案が提案されたことに対してB案の提案者としてどう評価されておられるのか、御意見を伺いたいと思います。
○石井(啓)議員 質問、大変ありがとうございます。
 D案については、臓器提供の要件で、十五歳以上については本人意思を尊重するという現行法を踏襲されていること、この点については評価をいたしたいと思っております。
 ただ、私ども、B案については、自己決定可能年齢を、現行十五歳ですけれども、これを最大限に引き下げる努力をすべきだというふうに思っておりますので、D案が十五歳にとどまっていることについては残念だというふうに思っております。
 また、小児の脳死臓器移植でございますけれども、虐待児をどういうふうに見分けるのかとか、あるいは小児の脳死判定基準そのものについての検証あるいは再検討ということが必要になってくると思いますけれども、私どもは、こういった条件を整備した上で小児に関する法的な脳死移植の可能の道を探るべきだというふうに考えているところでございます。
○桝屋委員 私もB案の賛成者でありまして、この姿勢をこの国会でどうしようか、毎日大変悩んでいるわけであります。
 きょうの議論でもありましたけれども、小委員会でも小児科の田中先生あたりに来ていただいて御意見を伺うと、確かに今回は、インフォームド・コンセントとか虐待の対象じゃなかったかなどの検証はD案においてなされる、しかしながら、現下の小児科学会の先生方のお話を伺うと、本当に脳死判定をしていただけるんだろうか、やはりそこに大きなためらいがあるなと。
 それで、先ほどからの議論の中に、たとえD案をとったとしてもドナーの提供というのはそれほど変わらないのではないか、こういう声もあるわけであります。そうなりますと、今のB案の提案者ではありませんが、まずはやはりB案を施行する中で、今指摘があったような小児の脳死判定基準の検証などをしっかりやっていくということが現実的ではないかなという思いもあったり、私の心は揺れ動いているわけであります。
 そこで、根本先生にもう一回お伺いしますが、この国会、日にちが余りなくなりました。六月三日が会期でありますが、D案の提案者としては、この残り少ない任期の中で、我々のバッジももう三カ月少々で任期が切れるわけでありまして、こうした中で何とかまとめをすることができる、集約をすることができるというふうにお考えなのか、D案の提案者にお伺いしたいと思います。
○谷畑議員 我々の任期も本当にわずかになってまいりました。しかし、先生も先ほどにお話がありましたように、トルコのイスタンブールで昨年の五月、国際移植学会によるイスタンブール宣言だとか、あるいは世界保健機関だとか、そういうことを見ますと、経済力は世界第二位という日本が自国内で臓器移植を可能にする、これが立法機関としての責任だと私は思うんですね。
 そういう意味では、昨年、私も筆頭理事をさせていただきながら、いろいろと困難がありましたけれども、小委員会を立ち上げさせていただいたり、ようやくAからD案という案が出てきて、いろいろな意味で選択の幅もたくさん出てきましたし、きょうはこのようにして活発な議論をされて、大体のそれぞれの案のよさというのか欠点だとか、いろいろなものが理解された。私は、そういう意味で、不作為の責任のないよう、立法機関としてぜひ今国会で通していくべきだ、このように思っております。どうぞ御理解のほどをお願い申し上げたいと思います。
○桝屋委員 今の提案者の思いは私も共有するところでありまして、しっかりと収れんをするように努めてまいりたいと思います。
 大変にありがとうございました。
○田村委員長 次に、山井和則君。
○山井委員 質問の機会をいただきまして、ありがとうございます。
 A案からD案の提出者の方全員に、二つぐらい質問をさせていただきたいと思っております。質問通告に従いましてお聞きをしたいと思います。
 まず第一問目、そもそも論についてあえて質問をさせていただきたいと思います。
 人間には天命があるというふうにも言われているわけでありますが、臓器移植というものはそもそも人間社会において可能なものと考えるのか。そういうそもそも論について、A案からD案の提出者の方、お答えをいただきたいと思います。
○河野(太)議員 二〇〇一年の暮れに鈴木恒夫先生に言われたのが、もう一回河野洋平の出番が来るぞということを盛んにおっしゃっておりました。そのとき私は、いや、おやじは体のぐあいも悪いし、まあ、この辺で引退すればいいんじゃないのかなと正直思っておりましたので、そんなことはないんじゃないですかと言ったら、いや、そんなことはない、それが天命だと鈴木恒夫先生がはっきりおっしゃいまして、今振り返ってみると、ああ、やはりそうだったのかと。臓器移植によって全うされる天命というのもあるんだなというふうに思っております。
 移植というのはいろいろな犠牲の上に成り立つわけですから、それは、脳死下の提供にしろ生体移植にしろ、ほかの医療とは確かに違うと思います。しかし、その医療によって救われる命があるというのも現実でございますので、そこはほかの医療とは違うんだということを明確に認識しながら、救われる命は救っていくというのがあるべき姿ではないかと思っております。
○石井(啓)議員 現行法下におきましても既に八十一例の脳死臓器提供が行われておりまして、大きな問題もなく、また社会的にも受け入れられているというふうに考えます。したがって、可能だというふうに思っております。
○枝野議員 C案の立場からお答えをいたします。
 臓器移植そのもの、移植医療そのものについては、C案の提出者の中でもいろいろな見方があろうかと思います。私自身は、科学の進歩によって救われる命があるということであるならば、そのこと自体は積極的に受けとめていって、そのことによって救える命をできるだけ救いたい、そういう立場にあります。
 ただ、天命という言葉からすると、人の命、人の死というものは非常に崇高なものであるし、それぞれの倫理観、宗教観、信条、文化などによって大きく規定されるものであるというふうに思っております。少なくとも、国会議員ごときが、これは死であるというようなことを決めて、国民の皆さんにそれを押しつけるというようなことができる性質のものではないと私は一貫して思っております。
 もちろん、それぞれの倫理観あるいは宗教観等に基づいて、自分は、あるいは自分の家族は、脳死状態に陥れば、これは人の死であるということを受け入れて、そのことによって臓器を提供して他の人の命を救えるならばそうしたいと思われる方は、そうあっていただくことは大変崇高なことであると思うし、そういう人が多くなることを私は期待いたす立場であります。
 しかしながら、法律で、これは人の死なんだからというようなことを、そういう心情に至っていない皆さんに押しつけるというようなことは、私は、ローメーカーとしても、ローヤーとしても、それは法の世界としては非常に僣越なことであると。
 そういう意味で、まさにおっしゃられた、人間には天命がある、それぞれの天命は、それぞれが倫理観、宗教観に基づいて御判断をされることであるべきだというふうに私は思っております。
○谷畑議員 尊敬する山井先生に答弁できるなんて、本当に幸せだと思っています。
 日本人が好きな言葉で、表を見せて裏を見せて散るもみじかなという良寛上人の言葉があります。人は、死ぬときは死ねばいい。案外心を打つ言葉だ、人というのは天命がある、そういうふうに思うわけでありますけれども、同時に、人生わずか五十年、こう言われて、今八十年近くになった。これはやはり、豊かさもあるだろうし、医療の発達でもあるだろう。だから、死だとか生きるということについてはだれしもが生まれて考えることである、同時にまた、できる限り長く生きたい、これだって当然だと私は思います。
 だから、私どもはそういうことをしっかりと踏まえながら、私は、生かしていくべきものは生かしてあげることを、我々の考えられる範囲の中で、許される範囲の中で、やはりそういう立場をとることが非常に大事ではないか。
 だから、D案というのは、脳死は人の死だ、こういうことではなくて、やはり、そういうことを認められる人、あるいは人の命を綿々と続けていくために提供してでも役に立ちたい、こういうことを両方しっかりと踏まえて認めて、そういうことででき上がった法案であろう。
 だから、人間には天命があるというのも、少し天命が延びた、そういうふうにも思いますので、どうぞひとつ御理解をしていただきたい、このように思います。
○山井委員 御答弁ありがとうございます。もちろん私も天命があるから臓器移植を一切否定するという立場ではありませんが、根源的な問いですので聞かせていただきました。
 時間に限りがありますので、もう次が最後の質問になります。またA案からD案の方々に、正直言いましてこれも非常に答えづらい質問をして、本当に失礼かとは思うんですが、質問通告に従いましてお聞きしたいと思います。
 それぞれの案の改正が行われた場合、臓器移植の件数は、ちょっと答えづらいとはわかっているんですがあえてお聞きしますが、年間どれぐらいふえる、あるいは減る、あるいはふえないというふうに考えておられるのか。もちろん、わからないという答弁でもそれは当然結構でありますし、もし、さらに可能でしたら、十五歳以上と十五歳以下ということについて分けてお答えいただければありがたいなというふうに思っております。
 また、私の意見を少しだけつけ加えますならば、とにかくふえればいいんだというふうなことだけでは、もちろん単純には言えないと思いますが、ただ、この質問というのも非常に一つの重い部分ではないかと思いまして、失礼を省みず質問させていただきます。よろしくお願いします。
○河野(太)議員 昨日、質問通告をいただきましたので、移植学会の先生に、どんなものでしょうとお伺いをいたしました。これはなかなか難しいけれども、どうしても数字を言えというならば、あえて言うなら年間七十件から百五十件ぐらいふえるのではないだろうかというのがその先生の個人的な御意見でございます。(山井委員「十五歳以上ですか、以下ですか」と呼ぶ)済みません、そこは分けておりません。
 もちろん、法改正だけでそれが実現するわけではなくて、いろいろな制度をしっかり入れる、あるいは普及啓発をきちっとやる、そういうことまで全部含めて七十件から百五十件程度というのが移植学会のある先生個人の、一人の先生の御意見でございます。
 A案というのはグローバルスタンダードに近いものになりますので、私も相当数ふえるだろうとは思っておりますが、ではおまえはどう思うのだと言われても、私にはちょっと、具体的にこれぐらいと言うわけにもいきませんものですから、一人の専門家がそうおっしゃっているということで、年間七十から百五十ぐらいふえるのではないだろうかという答弁にさせていただきたいと思います。
○石井(啓)議員 定量的にお答えするのはなかなか難しいのでございますけれども、B案におきましては、先ほどから申し上げておりますとおり、生前の臓器提供の意思を表示するチャンスをふやしております。
 現行では、ドナーカードを欲しいといっても、どこに行ったらもらえるのか、一般の方はなかなかドナーカードの入手自体も難しい状況でありますけれども、運転免許証あるいは健康保険証にそういった意思表示の有無を記載できる欄を設けていく。なおかつ、それは常に携行することが多いものですから、本人の意思というのも万が一のときはよくわかるということでございますので、少なくとも十五歳以上については移植件数はふえるものだというふうに期待をしております。
 十五歳未満については、B案については当面十二歳まで引き下げるということでございますので、そんなに多くはふえないかと思います。ただ、B案については、当面十二歳ということでございますけれども、教育あるいは普及啓発を進めることによりまして、この自己決定可能年齢というのはもう少し引き下げることができるというふうに考えておりますので、徐々にふえることが期待をされるところでございます。
○枝野議員 お答えいたします。
 脳死状態からの移植がふえるかどうかというのは、やはり一番大きいのは、脳死を人の死と受け入れて、認めて、ドナーになろうという方が飛躍的にふえることが決定的な要因だろうというふうに私は思っています。
 そのためには、C案のように、脳死の判定とか、あるいは移植医療に対する手続とか、こうしたことをきちっとやるんです、厳しくやっているんです、間違ってもその手続の中に不透明なことはありませんというようなことをむしろしっかりとさせる。と同時に、だから、皆さん、脳死は人の死と受け入れて、そうなってしまったときはそのことで救える命のために提供しませんかという、これは法律の世界とは外側の努力をどうするのか。その努力がしっかりとなされるのであれば、あるいはそうしなければふえないと思いますし、そうすることを前提とすれば、むしろC案のような適切、的確な手続を整理することの方が、私は脳死状態からの臓器移植はふえるというふうに思っております。
 また、子供についても、まだ国民の皆さんの間でも、特に自分の子供がもし脳死状態になったらそれを受け入れられるかというようなことを考えたときに、残念ながら、まだ国民的な議論すらできていないのが今の状況だと思います。
 そうした状況を考えれば、子供脳死臨調のような形で、しっかりとみんなが、あるいは多くの人が、そうだよねというふうなことを思っていただくような状況をつくっていくという意味で、私はC案が、実は、臓器移植がふえることが目的ではありませんけれども、結果的にこういう手続を踏むことの方が臓器移植はふえるというふうに確信を持っております。
○笠議員 端的に申し上げまして、ふえるのか減るのかというと、その件数をどれくらいかというのはなかなかお答えできない部分がございます。ただ、私どものD案で、まず十五歳以上についても、あるいは十五歳未満についても、減るということはないと思っております。ふえるんだろうと思っています。
 ただ、十五歳以上については、現行法の枠組みに加えて、我々は、しっかりと普及啓発活動を、運転免許証あるいは健康保険証等々の活用の中で図っていくことで理解を進めていくということだと思っておりますし、十五歳未満については、本当にこれから、具体的にどのように判定基準も含めてつくっていくのかということもございます。これは今まで道が開かれていなかったわけですから、ふえてはいくとは思いますけれども、そこの議論を通じて、また皆様方に、脳死を人の死として臓器の提供を行うことができる、その理解をどれだけ深めていくことができるのかによるのではないかと思いますし、その理解が進むことを期待しているところでございます。
○山井委員 貴重な答弁、ありがとうございました。
 時間が来ましたので、終わらせていただきます。ありがとうございます。
○田村委員長 次に、馬淵澄夫君。
○馬淵委員 民主党の馬淵でございます。
 質疑の機会をいただきまして、ありがとうございます。私のところにもさまざまな方からの御意見が参りますが、今回のこの四案について、まずはA案についてお尋ねをさせていただきたいというふうに思います。
 先ほど来、脳死を人の死とするということについてのさまざまな質疑また答弁がございましたが、A案の提出者に、脳死を人の死だと、これを十分に受けとめることができない方、思えない方々というのは、これにどのように対応すべきかとお考えでしょうか。
○山内議員 脳死を人の死だと考えない人については、本人がドナーになることを拒否することができますし、あるいは家族も法的脳死判定を拒否することができますので、そういった人の意思はきちんと確認できるようになっているということであります。
○馬淵委員 本人が当然拒否できる、あるいは家族が法的脳死判定を拒否というか同意しないということで、脳死を人の死だと思えない方々に強制するものではない、こういう趣旨で御説明をいただいたと思います。
 一方で、先ほど来この脳死の問題については、B案、C案、D案とそれぞれお立場をもって答弁をされておられますが、A案提出者として、B案、C案、D案というこの三案について、A案の立場からどのような御評価をされているかということについて、お聞かせいただけますでしょうか。
○山内議員 まず、B案に関しては、年齢制限が十五歳から十二歳に下がるということですけれども、実際には、それによって、今よく話題になっている海外渡航する小さなお子さん、心臓の移植のために海外に渡航するお子さん、こういう人たちが助かるかというと、現実には難しいと思います。
 実際、乳幼児のお子さんたちが海外に渡航移植しているわけなんですけれども、先天性の心臓の障害がある方については、十二歳のお子さんの心臓ではサイズ的にまず移植が無理だということもありますので、実際にはそういった小さなお子さんの命を救うということにはB案ではならないと思いますし、成人に関しては現行法とほとんど変わらないということが言えると思います。
 C案に関しては、現行法よりも非常に厳しい、移植医療にとっては後退ということになるのではないかと思っております。
 D案に関しては、十五歳未満の子供に関しては今よりも進歩ということが言えるかもしれませんが、成人に関しては現行法とほとんど変わらないということが言えます。
 実際、ニュースなどでは小さな子供の海外の渡航移植がよく話題になるんですが、成人の移植ということもやはり推進していくべきだと考えております。今、年間、心臓病関係で四百人ぐらい、肝臓関係で二千人ぐらいの人たちが、移植を受ければ助かる命が失われているというのが今の日本の国内の現状であります。これを、少しでも救える命をふやしていくためには、やはり成人の臓器移植の件数をふやすための何らかの措置が必要だというふうに考えております。
 我々のA案におきましては、本人の意思が明らかでない場合は家族の意思をもって代替するということで、移植の件数の増加につながるということが期待できると思います。
○馬淵委員 今A案提出者からは、B案、C案、D案について、それぞれの評価ということを御答弁いただきました。これに対して、B案、C案、D案、それぞれの提出者の方々、今の答弁に対しての御意見等がございましたら、端的にお願いできますか。
○石井(啓)議員 B案については、現行の意思表示可能年齢十五歳というのを十二歳までにとどまっているから、それ以下の年齢、特に乳幼児についての移植に対応できない、こういう御指摘、御批判だったかと思います。
 先ほども申し上げましたけれども、B案については、まず第一段階として意思表示可能年齢を十二歳というふうにしておりますが、教育、普及啓発等を進めることによって、この意思表示可能年齢というのはさらに引き下げることが可能だと思っております。また、小児に関する虐待児の紛れ込みの防止対策ですとか、あるいは小児の脳死判定基準の検証、再検討、こういった条件整備を進めることによって意思表示可能年齢を最大限に引き下げた後、その以下の年齢の子供さんについては親の代諾ということも検討していいのではないかというふうに考えております。
 したがって、B案については、さまざまな条件をきちんと整えた上で法的な脳死可能年齢を引き下げていくべきだ、こういう考え方でございます。
○阿部(知)議員 C案提出者の阿部知子です。他の法律についての御意見まで求めていただいて、ありがとうございます。
 私は、A案というものは、実は臓器移植法という法律の体をとりながら、臓器移植にかかわりのない方の脳死問題まで波及して、医療現場に大混乱を来すのではないかと思います。確かに、A案は法的な脳死判定、すなわち移植が問題になったときの脳死判定は拒否できますが、それ以前は大体医師が脳死と診断するわけであります。
 六条の二項というところでも明らかなように、ここには臓器移植に用いられるという言葉をわざと外してありますから、意識してだと思いますけれども、となると、すべて医療現場で起こる脳死近隣の皆さんがその診断までは拒否はできないわけです。診断後の扱いも、治療の継続をどうするか。死体であれば、当然医療は加療できません。そうしたことまでどこまで担保してあるのかということで、極めて問題が大きい。
 私どもC案は、よく言われる小児の問題については、先ほど枝野さんがおっしゃいましたように、やはり小児の脳死臨調をやらないと、まず小児科医が診断できないと言っている。子供の自己決定権はどう担保するのか、親はどこまで代諾できるのか、余りにもこれをすっ飛ばしてやれば社会の混乱が大きいということにおいて、A案はそこにも全く配慮がないと思います。
○根本議員 A案とD案の違いについて申し上げたいと思います。
 私は、臓器提供をとにかく最大限ふやそうと考えるのであれば、これはA案だと思います。ただ、この問題が非常に重いのは、人の死は何かという重い課題を我々は突きつけられていますから、私は、この臓器移植法の問題を考えるときには、ここは静かに深く考えなければいけないということだと思います。
 ポイントが二つあります。
 A案は、人の死は法律的な死と定義をしております。これは阿部委員からも御指摘がありました。我々の案は、脳死は人の死というのは個人の死生観、人生観、宗教観によって異なりますから、脳死を人の死として認められる、受け入れられる、その方に限ってこの貴重な意思を尊重して提供していただこうということに立っております。脳死を人の死として定義する問題、これは、A案の場合は、確かに法律的に拒否はできますと。だから、嫌だという人にまではこの法律効果は及ばない。私はそれは当然だと思いますが、しかし、法律で死を規定するということは価値観を押しつけることになる、そして、そこから阿部委員の御指摘のような問題も起こってくるんだろうと思います。
 それからもう一点。意思不明の方からの臓器提供をどう考えるか。
 これが実は脳死は人の死かという定義から出てくる大きな違いで、意思不明な者については十五歳以上の方であっても、基本的な我々の哲学は脳死を人の死として受容できるかどうかを尊重しようという哲学ですから、我々の場合は認めておりません。A案の場合は、意思不明な方であっても、脳死は法律的な死ですから、これは死体解剖保存法と同じように、遺族の承諾で提供できるということにしておりますが、私はこの点が大きな違いだと思います。
○馬淵委員 ありがとうございます。
 B案、C案、D案、それぞれの方々に意見をいただきました。
 D案の今のお話の中で、脳死が人の死であるかないか、ここについて慎重なということでありましたが、私が一つ思うのは、脳死が人の死でない、あるということを明確にさせない状況の中で、なぜ臓器移植のときだけ人の死だと言えるのかということについては、これは非常に論理的に説明がつきにくい問題ではないかという気がいたしております。
 そして、B案、C案の方の御意見についてですが、先ほど来、子供の移植に対してということについては、非常にこれも慎重な対応を示しておられるわけでありますが、現行、これを認めていない状況にもかかわらず、一方で、移植を必要とする子供たちが海外に出かけていっておられます。これそのものを禁止しないということについて、これはどうお考えでしょうか。これは、B案、C案の方、端的にお答えいただきたいなと思います。
○石井(啓)議員 B案につきましては、まず十二歳まで臓器提供可能としておりますけれども、その次の段階として、自己決定可能年齢をさらに引き下げることを模索すべきである。B案については、現行法の自己決定ということを最大限に尊重するという立場でございますので、子供であっても、一定年齢に達して、あるいは学校や家庭での教育等が行き届いていければ、御本人が意思決定する子供は出てくると思います。ただ、その年齢の子供全員にそれを求めるということではなくて、そういったことができる子供に対して道を開くということで、自己決定可能年齢を最大限に引き下げていこう。
 さらに、虐待児の問題ですとか、小児の脳死判定の問題ですとか、そういった条件を整備した上で、それ以下の年齢の子供さんについても親の代諾という道を探っていこうということでございますので、小児についての脳死を全く否定しているわけではございません。条件をきちんと整えた上で、この移植医療に関する信頼を重ねた上で進めるということが、結果として小児の臓器移植も進める道を開いていくというふうに考えております。
○枝野議員 まず一点目なんですけれども、人の死というものを一律に法律で定義することがいいことなのか、できることなのかということが大前提にあると思っております。
 やはり、人の死は法律で決められることではなくて、特に遺族、当事者の心情、あるいは社会通念ということによって受け入れられなければ、法律でどう決めても、ある意味で意味がないことだというふうに思います。そして、それは人それぞれの倫理観によって若干のずれがあるというふうに思います。
 そうした中で、脳死状態からの臓器移植の医療の技術と、それから、それを求めていらっしゃる切実な声とその必要性にかんがみたときに、本来は法律で決められるべきものではないけれども、御本人などの同意という前提条件が整っている場合には、これは人の死であるということで大丈夫ですよ、いいんですよということで、特殊、例外的にその部分についてだけ法律で規定をするということはあり得るということで、そういう枠組みをしました。
 それから、海外渡航の話ですけれども、臓器移植を受けることが悪いということでは全くない。もちろん、受けて命が助かるという当事者や家族の皆さんの心情は当然認められるべきであるという前提の中で、まさに人の生命観、倫理観というのは宗教、文化とかかわっていることでありますので、少なくとも、現状の日本国内においては脳死を一律人の死とするという社会的な合意形成ができていないという中では、我が国の立法者としてはそのことを前提にせざるを得ないということだと思っておりまして、それぞれの国の事情の中で、例えば臓器売買的な問題があるということについては、これは国を越えても倫理的に対応しなければならないと思いますけれども、それぞれの国の文化、宗教観のもとで認められている国があって、そこに行ってでも命を何とかしたいと思われている方をとめるということは逆に行き過ぎのことであるというふうに思っています。
 いずれにしても、国内で、自分あるいは自分の子供が脳死状態のときには積極的にドナーになりたいという人がふえないと解決はしない。そこに向けての思いは、先ほど申しましたとおり、私どものような考え方をたどった方がむしろ早いし、多いというふうに思っております。
○馬淵委員 ありがとうございました。終わります。
○田村委員長 次に、長島昭久君。
○長島(昭)委員 民主党の長島昭久です。
 質問の機会を与えていただきまして、ありがとうございます。
 先ほど枝野議員の方から、人の生死について国会議員ごときが判断できるのか、こういう御指摘がありましたが、実は私も全く同じような思いを持っております。
 ただ、しかし一方で、国会議員というのは、戦争と平和の問題あるいは人の生死にかかわるような問題についても実は判断をしなければならない、そういう立場にいるということも、これもまたもう一面の真理でありまして、私はその中で、今国会のうちに十二年たなざらしになっていたこの臓器移植法の改正を何としても行わなければならない、そういうある種の使命感を持って質問させていただきたいというふうに思います。
 十二年ぶりの法改正ですから、何のために法改正をするのか、こういうことがまず問われなければならないと思うんですが、私なりにこの法改正の意義というものを思いますときに、やはりこの十二年間、救われるはずだった命が法の不備によって救われなかった、こういう問題があるんだろうと思うんです。
 臓器移植を一日千秋の思いで待ち望んでおられた方々の多くが、例えば心臓病ですと年間四百名以上と言われていますし、肝臓病ですと年間二千名以上、こう言われておりますけれども、そういう方々がとうとい命を落とされている。その中にはたくさんのお子さんもいらっしゃる。移植を必要とする子供たちが海外に出ざるを得ない、そして渡航の途中で命を落としてしまう。こういう状況を何とかしよう、この現状を打開したいというのが今回の改正の目的だ、このように私は思いますので、私としては、この改正の目的を相当程度実現できるのではないかということで、A案を支持する立場でいるんです。
 そういう中でも、一点、A案の提出者に確認をさせていただきたいのは、先ほど来も議論が重ねられておりますけれども、A案に対する最大の懸念は、脳死を人の死として法定することによって、各人の宗教観や死生観にまで踏み込むおそれがあるのではないか、あるいは脳死というものを一律に人の死として押しつけられる可能性があるのではないか、こういう懸念が恐らくあるんだろうと思うんです。その点について、提出者の方から一言説明をしていただければと思います。
○山内議員 繰り返しになりますが、臓器移植法は、臓器の移植に関連して、脳死の判定、臓器の摘出等の手続について定める法律であります。臓器の移植に関連する場面において脳死を人の死として扱うものであって、一般的な脳死判定の制度や統一的な人の死の定義ではないということを改めて確認させていただきたいと思います。
 そして、臓器の移植と関連しないほかの場面においては、脳死が人の死として扱われるかどうかは、この臓器移植法改正案の対象となる範囲外の事柄であります。臓器移植法の解釈において一定の結論が出されることではないということで、人の死と考えない人たちに対しても、その意思を尊重できる方法はきちんと担保されているというふうに考えております。
○長島(昭)委員 ありがとうございました。非常に明確にお答えいただいたと思います。つまり、脳死を一般的に人の死として規定するわけではない、これがA案でございます。
 先ほど私が申し上げた十二年ぶりの法改正の目的を、何とか臓器提供の機会を広げることにつながらないか、つなげることができないか、そういう観点からいくと、現行よりもさらに厳しい条件がつけられていますC案というのはなかなか難しいんだろうと思うんです。それから、B案も、年齢を引き下げてはいるんですが、これはなかなか、現状をどれだけ打開できるか、正直疑問が残るんです。
 そうしますと、残りはD案になるわけですけれども、AかBかCかの選択ですと、恐らく議員の皆さんも意外とすんなり結論が出るんだろうと思います、移植に賛成、反対にかかわらず。ところが、D案が登場したことによって実はかなり混乱をしておりまして、私の同僚議員の中にも、当初A案だった議員が、いや、D案の方がちょっとモデレートだからいいのではないか、こういうことなんです。
 D案は年齢制限は撤廃しています。つまり、子供の臓器提供の道を開こうという点でA案に近い考え方にあるのかなとも思っているんですが、先ほど根本先生の方から御説明が一つございましたけれども、D案の提出者に伺いたいのは、結果として、十五歳以上の皆さんについては現行のままでありますので、これで果たして臓器提供の機会が広がるのかどうか。この辺はどうお考えなのか、伺いたいと思います。
○根本議員 A案とD案については、私は、哲学や理念、基本的な考え方が異なると思っております。ですから、D案が出たことによって、むしろ判断の選択肢が広がったと思います。
 D案について、なぜ十五歳以上が現行のままか。これは実は、先ほど来申し上げておりますが、脳死が人の死か、これについては、死生観、人生観、宗教観によって異なりますので、脳死が人の死だと受容できる方に、その提供したいという崇高な気持ちを尊重して提供していただく、こういう立場に立っております。ですから、意思が不明な者についてまで我々はそれを、今回の法律の中では基本的には意思の尊重というのがベースにありますから、意思が不明な方からの臓器の提供は認めない、こういう立場に立ちます。
 では、なぜそれが出てくるか。これはまさに人の死を法律で脳死として規定するかどうか、ここが大前提になるんですね。
 A案につきましては、確かに、拒否する人は当然のことながら臓器提供にはならない。しかし、ここがポイントなので申し上げますと、法文を、脳死した者の体の条文をA案は変えております。
 具体的にどこを変えたかといいますと、「「脳死した者の身体」とは、」現行法、我々の案もそうですが、「その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止するに至ったと判定されたものの身体をいう。」こう書いてあるんですね。実は、前国会でなぜこれが入れられたか。この趣旨は、法的脳死判定で脳死と判定され、臓器が摘出されることとなる者に限り脳死を死と規定するものである、その他の場合の脳死については規定しないことを明確にするというものであるということで、前回の法案のときにこれが入っております。ですから、A案はこの「臓器が摘出されることとなる者であって」ということを削るから、この法律で、定義上、脳死は人の死と法律で規定されることになります。
 法律で規定されるということになりますと、宗教観や人生観やあるいは死生観によって価値観が異なる、この異なる価値観について法律がこれを、先ほど枝野委員がおっしゃっておりましたが、押しつけるということになるんですよ。ですから、我々はその立場はとれないねと。
 脳死を人の死として法律上規定するから、十五歳以上の者であって臓器提供の意思が不明な方、決められないという方もおられたかと思います、その方についても家族の承諾だけでできる。これはなぜそうなるかというと、死体解剖保存法という法律はまさに、例えば献体してくださいねと言われるときに遺族の承諾の判断を求めますから、実はそれと同じ規定ぶりになっておりますので、そこが私は違うと思います。
 それで、十五歳以上の臓器提供については、我々は運転免許証や保険証で意思表示欄を設けますから、これは私は、今ドナーカードを持っていない方の四〇%が提供したいというアンケート調査もありますから、ここは社会的理解を深めながら、臓器移植についての社会的な合意を深めながら、提供されることがふえてくるものと期待をしております。
○長島(昭)委員 根本先生、ありがとうございます。
 ただ、運転免許証などはもう既に欧米ではそういう意思表示の記載欄がありまして、それでも実際の提供現場では、運転免許証を含めドナーカードが提出される事例というのは一〇%に満たない、こういう現状がありますので、今のお話ではなかなかふえる感じはしないんです。
 A案の方に伺いたい。
 今、根本先生が、押しつけになるんだ、宗教観、価値観を超えて、A案でいくと人の死が脳死ということで、死生観にかかわる押しつけが実はあるんだ、そういう説明。先ほどの山内委員の説明は、そうではないという説明だったんですが、もう一度、もし反論があれば伺いたいところなんですが。
○河野(太)議員 臓器移植法の中の規定でございますから、臓器移植をしないという意思表示をされている方はそもそもこの法律の枠から外れることになります。
 そして、先ほどから何度も繰り返しておりますように、法的脳死判定を受けなければ脳死にならない。その法的脳死判定そのものを受けないという意思表示を本人並びに御家族に認めているわけですから、脳死が人の死だと思えない方、あるいは脳死下での臓器提供をしたくない方、そういう方には何ら強制されるものはないというのは明確でございますので、そこのところははっきり申し上げていいと思います。
○長島(昭)委員 ありがとうございました。
 D案の提出者に伺いたいんです。
 そうしますと、D案でいくと、現行法と同様、脳死を人の死と認定しないわけですから、十五歳未満の子供について、親が臓器提供を認めたときのみそういう判定をする、こういうことでございますよね。そうしますと、結局、親御さんがお子さんの死について決めなきゃならない。これは現実的には親御さんにとっては大変重い決断、つまり親御さんにそういう決断を迫る案になっているんですけれども、その点について非常に私は疑問を持つのでありますが、御答弁いただけますでしょうか。
○岡本(充)議員 お答えさせていただきます。
 今先生御指摘いただきました、希望しない者について、十五歳以下で脳死判定を希望しない者についてはA案でも脳死判定はされない。しかし、希望される方についてはA案でも同様に脳死判定が進み、臓器提供となっていく。ここは私は午後の自分の質問で確認はしようと思っていますけれども、今の説明を私が後ろで聞いている分では、A案であれD案であれ、結局、望まない方には脳死判定に入っていかないということであれば、A案であったとしても、同様に家族にその決断を迫るという仕組みになっていることは変わらないということなのかなと後ろから聞いておりました。
 そういう意味では、脳死を一律に人の死として、脳死状態になったイコールすぐ死亡診断に機械的に行くわけではないとA案の方もおっしゃる以上は、今先生が御質問されました、親に判断を強いるのではないかという懸念は、実はA案も同様に抱えているのではないかな。
 私は、決断を親に迫るということは、これは制度の仕組み上、解決しなければならないとは思いながらも、大変難しい問題ではないかと思っているところであります。
○長島(昭)委員 いや、私の理解によると、今みたいな懸念があるからこそ、法律の裏づけとして、人の死は脳死であるということを書き込む必要があると思うんです。
 なぜならば、お医者さんは法律の裏づけがないから脳死は死であると判断できないんです、宣告できない。したがって、親御さんが最終的に判断せざるを得ない、そういう立場になる。つまり、医学的な死と法的な死というものはやはり一致させないと、これは最終的に親御さんに負担がかかってしまうのではないかというふうに考えるんです。
 もう時間がないので、もし疑問が残るのなら後のバッターに譲りたいというふうに思いますが、やはり日本という先進国が、高度な医療水準を有しながら、日本国内で臓器移植の機会が著しく狭められていて、患者を自国内で助けることができない。したがって、結果として海外に送り出さざるを得ない、こういう現状を世界はセルフィッシュではないかという非難をしているわけで、この打開をしていくために、臓器提供の道を大きく開く法改正をぜひ今国会でしていかなければならないと改めて御要望して、質問を終わりたいと思います。
 ありがとうございました。
○田村委員長 次に、高橋千鶴子君。
○高橋委員 日本共産党の高橋千鶴子です。
 この間、小委員会で重ねてきた参考人質疑、どの方の発言も本当に非常に貴重な感銘を受ける発言だったと思います。一日も早く移植を待つお子さんの御家族の叫びや、あるいは脳死は人の死と言われるけれども、我が子は生きているんだと訴える御家族の声を聞いて、だれも心を動かされない人はいないと思います。だからこそ慎重審議が必要ではないか、このことを重ねて訴えたいと思います。
 早速質問に入ります。
 今回の最大の争点は、子供の臓器移植をどこまで認めるかということだと思います。A案は、年齢要件を取り払い、拒否をしていない限り、親の承認によって認めようとしています。現行法は遺言可能年齢として十五歳以上を対象としているものの、公的に認められた脳死判定基準は六歳未満の子供については行えないとされ、十二週未満は除外されております。
 先に政府に確認ですが、仮に対象年齢を下げたとしてもこの点は変わらないと思いますが、いかがですか。
○上田政府参考人 御指摘のとおり、変わりません。
○高橋委員 そうすると、A案の方にも同じことを伺いたいと思います。
○河野(太)議員 現行の省令では、六歳未満の者に対しては脳死判定を行うことはできません。これは法律が改正されても同じでございます。
 ただし、法律が改正されて、十五歳未満は意思表示ができないというところがなくなれば、当然に、今までも厚生省の研究班が小児の脳死判定基準の報告をしているわけでございますので、そうした報告に基づいてこの省令が改正されることを期待しております。
○高橋委員 今のA案について重ねて伺いますが、厚労省の研究班でも、確かに、六歳未満の場合、症例研究を行って、判定の一定の時間をこれまで以上にとるとか、さまざまなことでやっていかなければいけない、言ってみれば、今の基準を書きかえなければならないということを先生はおっしゃっているんだと思うんですけれども、それにしても十二週未満は除外をされている、それはよろしいですね。
○河野(太)議員 そこはもう医学的な御判断でございますので、十二週未満が除外されているというならば、十二週未満については除外をするというところは変わらないと私は思っております。
○高橋委員 どんな場合でも一足飛びに進むのではないのだということをあえて確認させていただきました。
 D案の方は、脳死判定に移る前に院内委員会において虐待の有無を判断するというスキームになっております。これまでも参考人の質疑の中で繰り返されてきたように、小児科学会でも、虐待の判断について三四・二%が適正に行えないと答え、また、その判定には数日から長くて数カ月かかると言っています。D案の場合は、脳死判定に移る前にこのことが明確にならなければならないと。そうすると、子供の死因の第一は不慮の事故であり、多くの事例がこれを疑わざるを得ないという背景の中で、このことを、要するにそれだけの日程をきちんととるというつもりなのか、あるいはそうじゃないことを考えていらっしゃるのか、伺いたいと思います。
○岡本(充)議員 お答えいたします。
 先生御指摘のとおりです。確かに、虐待の有無について判定が難しいケースもありますし、疑いが残るものもあると思います。もちろんそういう疑いが残るものについてはこの脳死判定のプロセスから外れることとなるわけでありまして、その疑いがあるかないかということについて、可能な範囲で適切にそして迅速に判断をしていくという仕組みをこの第三者委員会の中で、厚生労働省令で詳細は定めることとなりますけれども、決めていきたい、そういう趣旨を持っております。
○高橋委員 そうすると、今の、数カ月も現実にかかっているものを省令でどこまで書き込めるのかというのはまだ非常に課題が残るのではないか。それはA案に対しても同じことを指摘させていただきたいと思います。
 それで、先ほど枝野提出者が、脳死基準を厳格にしようとしているC案では、またその他の条件も他の案にないことがきめ細かく書かれているために、むしろ臓器提供はふえるのではないかというようなことをおっしゃっておりました。そうすると、逆に、条件が整備されるということでいわゆる年齢の枠というのがどういうふうになっていくのか、つまり、条件を整えるのだから引き下げるということを念頭に置いているのか、一言伺いたいと思います。
○阿部(知)議員 お答えいたします。
 条件を整えることと年齢の引き下げというのは必ずしも同時的なことではないと思います。
 先ほど高橋委員もおっしゃったように、例えば子供の脳死判定基準というものも、小児科学会では、その判定の折に年齢によってグレードをつけて何時間後に見直すというふうなことで、より厳密化を図っております。
 結局、子供の臓器移植という問題を考えると、これは皆さんもWHOのガイドラインをぜひ本当によく読んでいただきたいんですけれども、海外渡航移植を禁止したという条項は一つもなく、二つ述べられております。自給自足というところについては、心停止後のドナーを活用しなさい、それからもう一つは、原疾患を少なくしなさいと。子供の拡張性心筋症については、この十二年、実に治療が進歩しました。ですから、すべて医学の進歩、治療の進歩、その究極のところにある臓器移植という全体で考えていただければと思います。
○高橋委員 よろしいと思います。WHOの問題は小委員会でも説明があったわけですけれども、それの中でもやはり、阿部提出者がおっしゃっているように、全否定ではないのだということであったと私も理解をしております。
 そこで、自己決定との関係なんですけれども、D案は、十五歳以上は現行法で、それ以下は家族の承諾という二重基準になっており、先ほど来も指摘をされているわけですけれども、やはりこれは矛盾するのではないかと思います。
 また、線引きをして、そこから先は現行法と同じですよ、自己決定を尊重しますよというのであれば、なぜ十五歳なのだろうか。つまり、自己決定ができるのであれば、十二歳あるいは十歳という議論も成り立っていくわけでありますが、その根拠があいまいではないかと思います。いかがでしょうか。
○岡本(充)議員 お答えさせていただきます。
 どこかで自己決定ができる年齢というのをやはり決めなきゃいけない。それは、ゼロ歳から自己決定ができるかといえば、どなたもできないというふうに言われる。一方、二十になれば当然成人しているわけですから、どなたもできると言われる。そのどこに線を引くかということは議論があるかとは思いますけれども、先ほど来御答弁させていただいておりますとおり、いわゆる遺言作成可能年齢というのは一つの参考になるのではないか、自己の死後のさまざまな財産やさまざまな自分にかかわることの処分決定ができる年齢は一つの参考になるのではないかというところで我々は十五歳で線を引いたということでありますので、その点御理解いただきたいと思います。
○高橋委員 十五歳で線を引いて、現行法のように、そこから先は移植が不可能ですよという場合だったらわかるんです。逆に、そこから先は、つまり十五歳未満のときは自己決定ではなく親に判断をゆだねられている。そうすることによって余りにも親の負荷が大き過ぎるのではないかということがあるからこそ、その点については慎重に、そういう線引きのあり方というのはいかがかなということをあえて指摘させていただきました。
 では、逆に、B案が十二歳以上という形に線引きをした根拠について伺いたいと思います。
○石井(啓)議員 現行法は、先ほどD案の提出者から答弁がありましたとおり、遺言状作成可能年齢という民法の規定を引いて十五歳にしているわけでございますけれども、私どもは、中学校に上がるぐらいの年齢になれば、臓器提供について自己決定できる子供さんも出てくるであろうという判断から、十二歳にしたところでございます。
 ただ、これは十二歳の子供すべてにこの自己決定を求めているわけではありませんで、自己決定ができる子供さんにその道を開いているということで、十二歳まで自己決定可能年齢を引き下げたというものでございます。
 B案については、当面十二歳ということにしておりますが、教育、普及啓発等を進めることによりまして、この十二歳という年齢もさらに引き下げることは可能ではないかというふうに考えているところでございます。
○高橋委員 ありがとうございます。
 今、私、年齢の線引きの問題で、自己決定ということにこだわっているわけではなくて、むしろ、本人の意思表示がない中、家族に判断がゆだねられるということが余りに重くないかということに非常に問題意識を持っております。現行でも、ドナー家族が提供を承諾した後も自分を責め続けているなど課題となっている一方、移植を待つ家族に比べてドナー家族の声はまだまだ拾えているとは言えないのではないか。ここを本当に慎重に扱う必要があるのではないかと思うんです。
 そこで、具体的なことを聞きたいんですけれども、現場がどうなるのかということなんです。つまり、本人の意思表示がない、家族としては大切な子供を失うかもしれないというショックと混乱の中、まだ何も考えられない中で、臓器提供の有無について選択を迫られることになります。それが指定病院だった場合、必ず家族に提供の意思を聞くというふうに決めるのか、A案の方に伺います。
○河野(太)議員 必ず聞くということにはなりません。そこは、コーディネーターの方との話その他ということもございますし、法的脳死判定に必ず行くということになるかどうかということも、そこは現場の判断ということもありますので、必ず聞くということにはならないんだろうと思います。
 しかし、法的脳死判定がもし行われるのであるならば、それは必ず家族の意思を聞かなければならない。しかし、法的脳死判断に一律行くということではありませんので、必ず家族に意思が問われるということにはならないというのが理解でございます。
○高橋委員 その見きわめをだれがどのようにするのかということが非常にあいまいではないか。つまり、脳死は人の死とあえて書いてしまった以上、先ほど阿部提出者も指摘をされていたように、脳死判定が必ず、脳死状態に近いであろうと思われる方に対してあえてするようになるのかということ、また、そのことによって、拒否した方、あるいはいわゆる提供病院ではないところで脳死状態の方というのは、今、ドナーカードを持っていても、実態は半分くらいなわけです。そうなった場合、その方たちの扱いが今後どうなっていくのか。つまり、提供病院をもっとふやしていく、あるいは一般の病院であってもそこにまた出かけていくということを可能にするということまで検討しているのか。その点、伺いたいと思います。
○河野(太)議員 これは臓器移植法でございますので、臓器移植法とかかわりのないことについては何も定めておりません。臓器提供を行わないような病院に関して、脳死判定をするかといえば、それは恐らくそういうことはないんだろうというふうに思います。ここで定めているのは、臓器提供が行われ得る病院で法的脳死判定を行う場合には家族に意思表示を求めるということだけでありまして、それ以外のところについては何ら定めるものではございません。
○高橋委員 そうはっきりおっしゃっていただくとすれば、たまたまその病院に行ったがために意思が生かされなかった、逆に、家族にひたすら、脳死の判定をするべきか否か、移植をすべきか否か、考えてもいなかったことが降りかかってくる、その状況はどうなるのだろうかということなど、非常にわからないことがまだまだたくさんございます。
 たくさん質問したかったことがあるのですが、とても時間が足りませんでした。引き続いてお願いをしたいと思います。
 終わります。
○田村委員長 午後一時から委員会を再開することとし、この際、休憩いたします。
    午後零時二分休憩
     ――――◇―――――
    午後一時二分開議
○田村委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。
 質疑を続行いたします。菊田真紀子君。
○菊田委員 民主党の菊田真紀子でございます。
 きょうは、一日四時間の質疑時間ということでありますけれども、何と十六人が質疑に立たれるということで、それだけ多くの議員の意見が反映され、また議論を重ねていかなければならない大変重要な法案ということだろうというふうに思っております。
 もう既に午前中の質疑の中で、私が予定をしていた質問をかなり質問されたということもございまして、重複もあるかもしれませんが、御了解をいただきたいということと、そして、限られた時間でありますので、すべて通告したとおりにできないこともあるかもしれませんが、お許しをいただきたいと思います。
 改めて、本当に難しい問題でありまして、私たち国会議員、一人の人間として、また一人の政治家として、政党政派によらず真摯な判断をしていかなければならないということで、私も深い悩みとまた葛藤を抱えながらここに立たせていただいております。
 きょうは余り先入観を持たずに質問させていただきたいというふうに思っておりますが、まず最初に、舛添大臣に質問させていただきたいと思います。大臣、お忙しところ、きょうはありがとうございます。
 世界保健機関の移植医療の担当者が表明した意見についてでございますが、日本の臓器移植は、欧米諸国と比較して非常に限られており、脳死を含め、死体ドナーからの臓器提供をより増大させることが重要だという発言がありました。また、小児からの臓器摘出は、子供に対する緊急の医療介入の場合と同じように、親の判断によるべきだ、こういうことも意見表明されたわけでありますが、この意見に対して大臣の見解をまずお伺いしたいと思います。
○舛添国務大臣 今、WHOの担当者の意見、二点おっしゃられましたけれども、まず最初の、やはり臓器提供者となることについての理解を得ていくことが重要だということで、例えばドナーカードの配布を進める、それから医療保険の被保険者証に臓器提供意思表示欄を設けることを可能としておりますし、またインターネットを活用してカード所持者の増加を図るなど、さまざまな啓発、この努力は続けていきたいというふうに思っています。
 二点目の小児の臓器提供に関しましては、まさにこれは、今、皆さん方、この国会で議論をしているところでございますので、国会や各党、そして国民大の議論、その結論を尊重したいと思っております。
○菊田委員 WHOは、自給自足をできるようにしなさい、そして臓器移植を自国で完結できるようにするべきだということを言っているんだろうと思います。移植の商業主義への警戒や移植ツーリズムに対する警戒を強めているということでありますし、また、もっともっと透明性を高めていく必要があるということを言っているわけであります。
 改めてお伺いしますが、日本は、そして日本人は、世界に突出して商業主義、移植ツーリズムに走っているのか、そして不透明な移植が行われているということなんでしょうか。確認をさせてください。
○舛添国務大臣 移植ツーリズムについては、WHOの加盟国である日本としても削減努力をするということ、これは全く問題ないと思います。そして、さまざまな点でWHOと連携をとりながら、この臓器移植の問題についてはそれぞれの国の決定がありますので、まさに国権の最高機関の国会で決めていただく、そしてそれに基づいて、行政としても法律に基づいて行政の仕事をしていく、そういうことであろうかと思っております。
○菊田委員 それでは、A案からD案までの提出者に質問させていただきたいと思いますけれども、まずA案の提出者にお伺いいたします。
 臓器移植を現行法よりさらに前進させる点で大きな期待が寄せられ、そして臓器移植を待つ多くの患者団体や医学界がこのA案を支持しているというふうに確認しておりますけれども、脳死を一律に人の死とする前提について、脳死の診断は医学的、科学的になされるべきものだとの意見に対して、人の死については、各個人の死生観そして倫理観、価値観、宗教観が尊重されるべきであり、社会的合意ができるまで丁寧に議論を重ねていくべきだという意見が依然強くあるわけですが、このことに対して、A案提出者、どういうふうに考えられるか、お答えください。
○河野(太)議員 脳死臨調の最終答申にもございましたように、脳死は人の死であるということについておおむねの社会的合意があるというのはそのとおりだと思いますし、それ以来の各種世論調査で、脳死は人の死であるという考え方を表明される方の数字が着実にふえているということもございます。また、再三申し上げましたように、小さいお子さんが国内では実施できない心臓移植を受けるために海外へ渡ろうとしているときに、非常に多くの国民の皆様から募金が寄せられて、一億円近いお金が集まって海外渡航が実現しているという現実もあります。
 そういうことを考えますと、脳死は人の死であるというおおむねの合意はあるんだろうと思いますが、おっしゃいましたように、倫理観、宗教観、死生観といったものも尊重されるべきであるというのはまさにそのとおりだと私どもも思っております。
 ですから、脳死を一律に人の死とするのではなくて、脳死は人の死であるけれども、それに同意されない、そうは考えない方にも当然配慮をしなければなりません。そういうことで、A案では、脳死を人の死だと考えない方のために、法的脳死判定を拒否することができる、脳死を人の死だと思わない方は、法的脳死判定を拒否していただくことによって脳死になることがないというふうに配慮をいたしております。
 死生観の問題ですから、これは最後まで一〇〇%意見が同じになるということは恐らくないんだろうと思います。なるべく少数の考えの方にもきちっと配慮をしながら移植医療というのを進めてまいりたいと思います。
○菊田委員 ありがとうございました。
 C案の提出者にお伺いしたいと思います。
 実は、先月、私の同級生のお母さんなんですけれども、亡くなられてしまいました。このお母さんは、出産のときの止血剤が原因でC型薬害肝炎患者ということで、本当に長い間闘病を続けられてきたんですけれども、最後は、臓器移植を待っていたんですが、ついに間に合わないということでお亡くなりになりました。
 私は、このとき改めて臓器移植を待つ患者さんの思いや家族の思いというのを強く感じたところでありまして、C案では脳死の判定を今より厳格化するということでありますから、臓器移植を待っている患者さんが臓器移植を受けることがさらに難しくなると考えられます。日本の移植医療は後退してしまうという指摘がなされているわけですけれども、どのようにお考えであるか、お伺いしたいと思います。
 それとあわせて、C案の特徴についても少し御紹介いただけますでしょうか。
○阿部(知)議員 今の菊田委員の御質問以外にも、判定基準等々を厳格化することによってドナーが減るのではないかという御指摘があります。
 しかし、私はそれは逆なんだと思います。この状態で、ある意味では再び命を回復することがないということがより厳密に判定された方が、脳死状態での臓器提供というのは国民的理解が進むんだと思います。
 しかし、それはどこまでやっても、確かに判定基準の厳密化はいつまでも続く道ですので、どこまでやるかということの問題はあります。
 特に私ども今回その一つの線引きを、昔は脳死になったら一日、二日で死ぬ、ないし一週間以内という表現が大方でありました。厚生省の研究班でもそのように申しておりました。しかし、現状、長期にわたる、三十日あるいは百日、三百日という患者さんが出てきたときに、そうした患者さんも死とされてしまうのかという疑念が起こるわけです。このことにこたえていくためにも、やはり脳死の定義の厳格化や判定基準を厳密化していくということも必要だと思います。
 そして、この全体のC案の改正案というのは、この間も子供のことも含めて脳死からの提供という問題が大きく取り上げられていますが、私どもの案では、生体移植のルール、骨とか皮膚ですね、こういうものについてのルールもきちんと定めていく。これは無断でとられていた経緯がありますから。そういうことによって移植医療の透明性を高めるということによって、逆に国民の理解が進み、社会に共存し得る治療になるというふうに考えています。
○菊田委員 ありがとうございました。
 D案の提出者にお伺いしたいと思います。A案によれば臓器提供を受けることができる人が現在の二十倍ぐらいにふえるのではないかというような見方もされているわけですけれども、D案ではどのように変わるのかということと、十五歳未満の子供からの臓器提供はほとんど行われないだろうという意見もあるわけですが、このことに対してどう考えておられるのかということ。そしてもう一つ、親族への臓器提供を優先的に行えるようにするという優先事項を今回入れなかった理由についてお伺いしたいと思います。
○西川(京)議員 お答えさせていただきます。
 今回、D案が通りますと臓器移植はどのくらいふえるか、その問題は先ほどからかなりの先生方から御質問いただいております。
 その中で、確かに、十五歳以上に関しては現行法どおりということで実は進まないのではないかという御指摘もありました。
 この問題にこたえて私たちは、やはり何といっても今ドナーカードを持っている方が少ない、そしてドナーカードを進めようという社会的な運動も非常に下火になっている、そういう中で、医師が実際に調査をすると臓器提供してもよいという方が四割以上いらっしゃるという現実にかんがみて、何としてもドナーカードを持つ機会をもっとふやそうということで、免許証への提示、保険証への提示、そしてもちろんドナーカードも並行してやりますが、そういう中で環境整備を大いにきちんとやっていくことで数はふえていくんじゃないか、そういうことを考えております。
 それともう一つ、後段の御質問の親族への優先という問題は、そもそも今回の臓器移植法の基本理念が機会の公平性をうたっております。「移植術を必要とする者に係る移植術を受ける機会は、公平に与えられるよう配慮されなければならない。」とうたっておりますので、そもそも親族への優先ということはこの公平性に反するということになると思うんですね。
 心情的にはわからなくはないんですが、やはり何といっても本来のこの公平性の原理からは、血液型が適合するとか医学的に緊急度が高い、臓器ごとの詳細な条件に照らしてやはりその優先順位は決めるべきだということで、親族への優先は書いておりません。
○菊田委員 親族への優先事項について、今公平性ということがお話しされたわけですけれども、通告はしておりませんが、A案提出者、この公平性ということについてどのように考えておられるのか、優先事項についてお伺いします。
○河野(太)議員 臓器移植が医学的な見地から公平に行われなければならないというのは、そのとおりでございます。その中にあって親族へ優先提供を認めるということは、この公平性を若干失うということになるのは紛れもない事実だと思いますが、いわば命の受け渡しをした親子、あるいは配偶者といった家族の中で、例えば、息子さんが心臓移植を待っているときに父親、母親が脳死になって、その心臓が公平性の観点からだけで第三者にいくというのも、心情を考えるとそれは余りあるのではないかと思っております。
 A案、B案も同じでございますが、親族への優先提供という条項を入れましたが、ガイドラインで、親子及び配偶者に限り、事前にそうした方がレシピエント登録をされている場合、そしてドナーになる方が書面でその意思を明確にしている場合に限り、親子及び配偶者に対しては親族の優先提供を認めるということで、かなり厳しい枠をはめて、その中に限り優先提供をこれは心情を考えて認める。しかし、それ以上枠を広げることは公平性の観点から現在では余りよろしくないということで、その範囲に限り優先提供を認めることにしたいというふうに思っております。
○菊田委員 ありがとうございました。
 済みません、B案なんですが、実は一問質問したかったんですけれども、もう時間が来てしまいましたので、これで終わらせていただきたいと思います。ありがとうございました。
○田村委員長 次に、川内博史君。
○川内委員 川内でございます。
 既にA案提出者の方々は何回も聞かれていると思いますが、改めて確認をさせていただきたいというふうに思います。A案成立後は、脳死は人の死であるということでよろしいでしょうか。
○河野(太)議員 これは臓器移植法でございますので、臓器移植にかかわる範囲の中で脳死は人の死ということでございますが、臓器移植にかかわらないところまで一般的にそうしたことを定めるものではございません。
○川内委員 臓器移植にかかわる部分において脳死は人の死と、法律にそう書いてありますか。
○河野(太)議員 これは臓器移植法という法律でございますので、その法律に書いてあるというのは、この臓器移植法の中で脳死は人の死という考え方で今回のA案は改正されるということでございます。
○川内委員 いや、臓器移植法の中に脳死は人の死であるというふうに書いてあるわけですよね。現行法では、「前項に規定する「脳死した者の身体」とは、その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって脳幹を含む」というふうに、以下省略しますが、臓器移植術に使用されるということが前提になって脳死というものを規定するわけですが、今回の改正案では、A案では、「その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって」という文言を抜いているわけでございまして、「「脳死した者の身体」とは、」「不可逆的に停止するに至ったと判定された者の身体をいう。」ということで、脳死とは人の死であるということをこの法律上で定義するわけですよね。違いますか。
○河野(太)議員 臓器移植法の中での脳死は人の死であるという定義でございますので、例えばドナーカードの中で脳死下での臓器提供を拒否されている方に関しては何ら定めているものではございません。ですから、すべての状況に応じてこの臓器移植法の死の定義が適用されることではないということでございます。
○川内委員 いや、法律というのは、成立すればすべての日本国民を規制するわけですよね。そのすべての日本国民を規制する法律の中に、「「脳死した者の身体」とは、脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止するに至ったと判定された者の身体をいう。」と。脳死は人の死であるということを書くわけですから、臓器移植に関連する、あるいは関連しないにかかわらず脳死は人の死であるということをこの法律の中に書いたということですよね。違うんですか。
○河野(太)議員 そもそも脳死下での臓器提供を拒否されている方に対してどういうことで法的脳死判定を行うかというのはこの法律の中では規定しておりませんので、そうした場合には、恐らくほかのルールがなければ、脳死下での臓器提供を拒否している方への法的脳死判定は臓器移植法に基づいては行われないんだと思います。
○川内委員 いや、法的脳死判定を拒否した人のことを言っているのではなく、脳死は人の死である、こう法律に書いてあるので、この臓器移植法の中に。
 では、ちょっと政府に教えていただきたいと思いますが、A案が成立した後は脳死が人の死となるということでよろしいんでしょうか。
○舛添国務大臣 これは政府は答弁のしようがありません。まさに国会で今議論が進められておりますので、明確な形で法律をつくっていただけば、行政府としては、国権の最高機関の決められたルールに基づいて行動いたします。
○川内委員 いや、ちょっと私はそこがわからないんですね。脳死が人の死である、「「脳死した者の身体」とは、脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止するに至ったと判定された者の身体をいう。」こう法律に書かれています、では、脳死が人の死になるんですか、人の死というふうに定義されるんですかと聞くと、A案の提出者の方は、いやいや、そうじゃありませんよとおっしゃる。政府に聞いても、いや、それは明確につくってくれればそれでいいよとおっしゃる。
 それでは、このA案が成立したときにどうなるのかということについて、だれが国民の皆さんに明確に説明するんですか。
○河野(太)議員 脳死になるというのは、法的脳死判定で脳死と判定された状況であります。臓器移植法で定めているのは、脳死下で臓器提供の意思がある方であって法的脳死判定を拒否していない方に対して法的脳死判定は行われます。それ以外の方について臓器移植法にのっとって法的脳死判定は行われることはありません。極めて明快でございます。
○川内委員 だから私が言っているのは、法的脳死判定は拒否できたとしても、全国の病院で日常的に行われるであろう臨床的脳死判定については、脳死診断については拒否できないでしょう、だれも。
○河野(太)議員 ここで定めている脳死は、法的脳死判定を受けて脳死と判定された場合に脳死になるということを定めているのであって、一般の病院で行われている臨床的脳死判定、脳死診断ということについては何ら規定をしておりません。臨床的脳死判定で何が決められようが、それはここで言う脳死ではありません。それはあくまでも、臨床的脳死判定によって脳死的状態だと言われるかもしれませんが、それはこの臓器移植法で定めている法的脳死判定に基づいて診断された脳死とは違います。
○川内委員 それは余りにも法律の影響力を軽視あるいは無視した発言であって、脳死を人の死とする、臨床的に今後、脳死が死ですよということになっていくことの影響を軽視し過ぎている。もちろん移植医療は進めなければならないし、助けられるべき命は助けられなければいけないと私も思います。しかし、それだけを進めるためにその他の影響について目をつぶることについて、そんなの関係ないよということをおっしゃるのはちょっと違うのではないか。だったらば、現行法どおり、「その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって」という前提をしっかりつけておくべきではないかというふうに思いますが、どうですか。
○河野(太)議員 法的脳死判定が行われた場合に脳死になるというのは極めて明快であって、法的脳死判定でない臨床的脳死判定その他において、人の死である脳死になることはありません。これは極めて明快でございます。
○川内委員 いや、だから、河野先生がお進めになろうとしている部分において、法的脳死判定の部分においては明快かもしれません。しかし、その他の臨床的脳死判定がどうなっていくのかということについて極めて不明確、不明快であるというふうに言わざるを得ないと思いますよ。
○河野(太)議員 臨床的脳死判定その他で、人の死である脳死になることはないというのは、これはもう明快でございます。
○川内委員 いや、河野さん、一人だけわかっていても、国民の皆さんにああそうだねとわからなければわかったことにならないですよ。全然、河野さんの御答弁は多分、ああそうかそうだったのかとだれも納得しないと思いますけれどもね。
 いや、もう、私実はちょっとC案についても聞きたいので、まだこの議論はずっと続くんでしょう、だからまた次の機会にさせていただきたいと思います。
 それで、C案について質問させていただきたいんですが、C案については、組織移植を規制する条文があるわけでございますけれども、これはどのような問題意識あるいは背景に基づいて盛り込まれたものなのかということを御説明いただきたいと思います。
○阿部(知)議員 簡略に御説明いたします。
 一九九七年の五月に、実は当時の社民党の秋葉忠利委員が、いわゆる国立病院等々でドナー、御家族に無断で摘出されている組織、骨とか皮膚とか、どのくらいあるかという質問主意書を出しまして、三十八機関において八百七十個の組織が無断で摘出されているという実態がございました。
 これをやはり何らかの規制下に置くということは、人間の体は全部再生可能な資源でございますので、これを本来の人間的な行為として保持するためにも、組織についてのルールをきちんと本人同意にしましょうということでございます。
○川内委員 さらにC案については、生体移植について、ドナー側の生命や身体の安全の確保についての規定というものが盛り込まれているわけでございますが、これはどのような現状の問題意識あるいは背景に基づいて盛り込まれたのかということについて御説明ください。
○阿部(知)議員 これも常日ごろ河野議員が御紹介くださいますように、現在、日本での生体肝移植、肺移植等々は、そのドナーとなられる方への危険性のいろいろなお話にいたしましても、またその後の長期予後につきましても、ほとんどフォローアップ体制がございません。肝移植をされた後御自身が体を壊される、あるいはドナーで亡くなられた方もおられるわけで、今回のWHOのガイドラインは一番そこを、生体移植が今膨大にふえておる、臓器売買もある、そこを法定しなさい、ルール化しなさい、検証しなさい、登録しなさいというのが肝でございますので、それにのっとって法定化いたしました。
○川内委員 ちょっと政府側に最後確認させていただきます。
 組織移植については、ガイドラインでこうしてくださいねというようなことが定められているわけでございますが、今現状、そのガイドラインが守られているのか否かということについて調査をされていらっしゃるのか、現状を把握していらっしゃるのか。さらに、現状を把握していない、調査もしていないとすれば、調査をし、しっかりとそのガイドラインを守るようにすべきではないかというふうに思いますが、いかがですか。
○舛添国務大臣 いわゆる組織移植の取り扱いにつきましては、第一に、組織の摘出に係る遺族等の承諾が最低限必要だ、それから第二に、書面による承諾を得ることが運用上適切であるなどが規定されております。
 その上で、厚生労働省のガイドラインのほかにも、例えば、平成十四年に日本組織移植学会において、ヒト組織を利用する医療行為の倫理問題に関するガイドラインが策定されまして、組織提供の任意性の確保、インフォームド・コンセント、利益供与の禁止等が定められているところであります。
 組織移植につきましては、これらのガイドラインに基づき実施されておりますし、既に医療として定着していることから、特段の実態調査を行う必要はないものと考えております。
○川内委員 まだもうちょっと時間があるようですから、もう一つ聞かせていただきます。
 臓器移植法が成立した後、移植を受けた方々の予後がどういうふうに推移をしているのかということについて、厚生労働省として実態を調査し把握をされていらっしゃるかということを教えていただきたいと思います。
○舛添国務大臣 これは、臓器移植法が制定されたときに参議院の特別委員会の附帯決議がありまして、この決議に基づいて、厚生労働省としては、まず臓器移植の実施状況そして移植の結果について毎年国会に報告書を提出しているところであります。
 国内で心臓移植を受けた患者の予後については、この報告書の移植結果の中で、社団法人日本臓器移植ネットワークにおける臓器移植後調査結果をもとに、生存率それから生着率を取りまとめて報告を行っております。
 今後ともこういう努力は続けていきたいというふうに思っております。
○川内委員 時間が来たので終わらせていただきますが、大臣、臓器移植ネットワークが調べているのであって、厚生労働省が調べているのではない。さらに言えば、附帯決議では、厚生労働省に対して、きちんと調査をしなさいよということを義務づけているわけであって、私は、人任せにするのではなくて、きちんと調査をすべきであるということを最後一言つけ加えて、終わらせていただきたいと思います。
○田村委員長 次に、岡本充功君。
○岡本(充)委員 民主党の岡本です。
 提出者であり、きょうも質問させていただくということで、臓器移植法の議論が深まっていくような質疑をしたいと思います。
 先ほどの川内委員の質問とかぶるわけですが、改めて確認ですが、現行法の附則第二条に「この法律による臓器の移植については、この法律の施行後三年を目途として、この法律の施行の状況を勘案し、その全般について検討が加えられ、その結果に基づいて必要な措置が講ぜられるべきものとする。」こう書いてありながら、厚生労働省としてどのような取り組みをしてきたのか。
 実施状況の勘案、それから全般についての検討、そして、その結果に基づいて必要な措置を講ずるというふうに求められておきながら、議員立法だから厚生労働省はやりませんという話ではないはずでありますから、それは厚生労働省として、この法の趣旨にのっとり、どのような取り組みをされてきたのか明確にしていただかなければいけないと思いますが、お答えいただけますか。
○舛添国務大臣 先ほど申し上げましたように、ドナーカードの普及であるとか、臓器移植法に基づく行政としてのさまざまな努力を行ってきました。
 しかし、議員立法にもさまざまな性格のものがあります。特にこの臓器移植については、国権の最高機関である国会で、そして国民の代表である国会議員が、それぞれの哲学、倫理観、生死観、そういうものに基づいて御判断をいただくということでありますので、私は、こういう法律について厚生労働省として、つまり行政として、これはこういうふうに変えた方がいいですよという形での御提案をするのはなじまないというふうに思います。
 例えば、先ほどの菊田委員の御質問にありましたWHOの見解の中の、小児からの臓器提供による移植をどうするのかという話について、まさにこれは今皆さん方で御議論をいただいているので、私は、やはりこの法律はそういう形での議論がいいだろうと思います。
 ですから、例えば、厚生労働大臣舛添要一はA、B、C、D案のどれを支持するんですかと、今どなたから聞かれても私は答えません。私の哲学に基づいて、参議院議員舛添要一として投票を行うのであって、私がここで言うと行政の長が影響を与えることを避けたいと思いますから、そういう思いでこの場に臨んでおります。
○岡本(充)委員 附則の中にある、検討を加えたり、状況を勘案したりというようなことでいうと、ドナーカードの普及が進まなかったり、ある意味、世論調査も新聞社、マスコミ任せというような状況で、厚生労働省としての調査をやってこられたわけではないわけですから、そこはしっかり反省してもらわなきゃいけないということを言っているわけですね。
 続いて、きょう法務省にお越しいただいています。
 次の論点ですけれども、民法等、法律で十五歳未満の者の意思をそんたくするために親権者が決定できる事項というのは一体どういうものを定めているのか、お答えをいただきたいと思います。
○團藤政府参考人 お答え申し上げます。
 親権者につきましては、民法上、親権の行使といたしまして、未成年の子の監護及び教育のほか、居所の指定、懲戒、職業の許可並びに財産の管理及び代表を行うことができるというふうに規定されているところでございます。
○岡本(充)委員 医療行為並びに何らかの処置をするにおいても、その意思をそんたくし親権者が決定をすることができるという解釈で問題がないというふうな理解でよろしいでしょうか。
○團藤政府参考人 先ほど申し上げましたように、未成年の子の監護、教育等々でございますので、医療行為につきましてもそれに含まれるものと考えてございます。
○岡本(充)委員 そういう意味で、私自身はD案に対して、私も、十五歳未満の者の意思のそんたく、医療行為の決定権の付与というものは親権者にあっていいのではないかと思っていたわけです。
 そして、今度はA案提出者にちょっと確認をしたいんです。
 先ほども話になっておりましたけれども、A案提出者の皆さん方の御議論というか御答弁を聞いていると、脳死は人の死だと一律に定めているのかどうかが定かになっていないというか、答えられる方によってその答弁が微妙に違うんですね。
 また、社会的コンセンサスを得られているのかというと、おおよそとられているという話になっております。人の死というのはおおよそ決められていることではやはり困るわけでありまして、脳死が人の死だという以上は、そこは社会のコンセンサスができている要件をもって人の死を決めなきゃいけない。逆に言うと、三徴候死と言われている今の死亡診断の根拠についてコンセンサスが得られていなくて、三徴候死の状況にあるけれども死亡宣告を待ってくれといって、二日も三日も待つということは現場ではないと私は断言できると思います。
 そういう意味で、脳死イコール人の死であれば、死亡だと推測されるのであれば、当然、医師、医療現場は速やかに死亡宣告をするというステップに入っていくはずでありまして、先ほど来答弁をされている、脳死は人の死だという概念がコンセンサスを得ているにもかかわらず、脳死イコール人の死であるというその前提をもとにしても、それを認めない人については人の死の宣告に時間を与えるというか医療行為を続けるというのは、いわゆる死の概念とずれるのではないか。
 つまり、三徴候死の場合は、三徴候死であろうと医師が推認をしたら速やかに死亡宣告、死亡診断に入るのに、脳死に関しては、家族の話をそんたくしながら、結果として死亡している状況にもかかわらずずっと医療行為を続けるという話になりますから、これは矛盾があるのではないかと考えるのですが、それについてお答えいただけますか。
○河野(太)議員 これはあくまでも臓器移植法でございますから、臓器移植と関係のない死について定めるということはこの法律ではできません。
 それから、脳死は人の死であるという社会的なおおむねのコンセンサスはあると我々は思っておりますが、こういう死生観あるいは宗教観のものでございますから、必ず少数な方、そう考えられない方はいらっしゃる。そういう方に対してもきちっと尊重してあげるということが大切なんだろうと思います。
 そういう意味で、我々は、法的脳死判定を受けないという選択をそういう方にはしていただく。法的脳死判定を受けたら、そして、そこで二度目の脳死判定で脳死と判定されたら、それはお亡くなりになりましたということになる。そこは一律でございますが、法的脳死判定を受けないという選択をしていただくことによって、宗教観あるいは死生観がおおむね得られているコンセンサスと違う方に対しても配慮をしております。
○岡本(充)委員 そういう論理ですと、先ほど来D案に対して向けられている、要するに親が子の死亡時期を決めるのではないかという話は全くもってA案でも同じ話であって、結局、その子が脳死移植に進まないという決定を親がすれば死亡宣告はなされないと、同じ状況でもなるわけで、これはまさに親が決めているのではないかという点。
 それから、先ほど社会のおおむねコンセンサスと言われましたけれども、死亡の根拠というのはやはりおおむねコンセンサスでは困る話で、今の三徴候死については国民のコンセンサスは得られている、そういう状況の中で死の定義がなされているわけで、おおむねコンセンサスを得られているからこれで三徴候死にかわる死となるんだということは、少し私は一般論からずれているのではないかというふうに思っているんです。何か御意見があるようであれば短くお願いします。
○河野(太)議員 A案で御両親に求めているのは、医学的、科学的な脳死判定を受けるかどうかということと、もし脳死になったと判定された場合に御遺体をどう取り扱うかということをA案は御両親に求めております。D案の場合は、脳死判定で脳死と判定されたお子さんについて、臓器の提供を承諾するとそのお子さんが亡くなる。いわばダイレクトにそのお子さんの生死を判断していただく。そこは大きな違いがあると思っております。
○岡本(充)委員 いや、それはステップとしては同じ話で、要するに、子の生死を決めるに当たって親が脳死判定に入るかどうかの決断をするという意味においては、A案もD案もその決断を迫るのは同じなんですね。
 脳死は人の死なんだからもう死んでいるんですよ、脳死状態ですけれどもこれはもう亡くなっているんですと、極論、臓器移植をされなくても、これは死亡ですから死亡退院していただきます、こういう話なら親がその選択を迫られないということになる。私はそういうA案への理解だったんだけれども、ここに来てその話がちょっと違ってきていて、ここは、私たちD案提出者が言っている、必ずしも脳死イコール人の死ではないすき間がそこにできてくるということなんだろうと思います。
 時間の関係で、ちょっとC案に聞かせていただきたいんです。また時間があればA案を議論したいと思います。
 小児の長期生存例、慢性脳死という名称でしょうか、先ほど来お話があります。いろいろな方が言われるC案へのいろいろな批判というか、いろいろな声につながっている長期生存例、こういうものがあるんだという文献的なものをぜひ御紹介いただいて、きちっとした脳死判定を経て学術論文等になっているもの、こういうものがありますということをちょっとここで御披露いただけませんでしょうか。
○阿部(知)議員 御披瀝する時間をいただきまして、ありがとうございます。
 前段ちょっとだけ説明させていただきますが、もともと長期脳死という言葉が使われたのは、現在の子供の脳死判定基準、六歳以下を定めるために、厚生労働省が一九九八年からさかのぼっての十年と、一九九八年から先の一年で症例を集めたときの百三十九例の中で、厳密な、厚生労働省が提唱する脳死判定の子供の基準を満たし、その中には十二時間から二十四時間にわたる無呼吸テストを含めたものをやったケース二十例があって、その中で七例が三十日以上、四例が百日以上の生存であるということはお話しいたしました。厚生省の研究班がつくった用語であります。
 と同時に、このとき研究班の班長であった竹内さんは、そうした事案があるのであれば、これは脳死という概念に及ぼすものがあるから検討を必要とするだろうとも言われました。
 岡本さんが質問くださいましたので私が調べた限りでも、文献的に四例ございました。この四例は、例えば日本救急医学会に発表されたりしたもの、十一カ月の男児の例。これが四例のうち一番詳しく書かれておりますが、二〇〇〇年七月の日本救急医学会雑誌で、これは三百日以上脳死状態が持続した幼児の一例となっておりますが、いわゆる今現在ある小児の判定基準、その中に、無呼吸テストも含めて三回行いまして基準を満たした後、身長が伸び、脳下垂体からのホルモンも分泌しているという事案でございます。
 こうしたことも含めて、小児科学会では、まだまだ検討すべき病態であろうということで、判定が定かにいたしかねるという見解も持っているものと承知いたします。
○岡本(充)委員 ぜひ、C案を提出されている皆さんにおかれましては、これは私は提出者じゃないから言うのも僣越ですけれども、やはりそういう科学的根拠、文献に基づいて、こういう例があるんですということを、今のは一例報告でありますけれども、学術的にある程度検証し得る、レトロスペクティブでも結構ですけれども、検証し得るデータを一定集積されて、やはりそれが次の小児の脳死基準の作成にも影響してくるという話になりましょうし、D案提出者もA案提出者もそこは同じだろうと思いますけれども、私自身はそう思っています。
 小児における脳死移植も、診断基準ができなければ、これは当然のこととしてできない、できるように努力をしてもらわなけりゃいけない、一年以内にその基準をつくってもらうよう期待はしているというのが提出者としての意見にはなるわけですが、しかし、今先生がおっしゃられるような症例があるのであれば、それは今後の小児の脳死の診断基準に反映をされていくべきであろうし、また、もっと言えば世界各国でも、非常に早い時期、つまり出生後十二週程度まででは脳死診断ができないと言っている国もある。
 いろいろなデータを蓄積しながら、これは今後、本当に小児においての脳死基準が適正なものになるかどうかも含めてかかわってきますから、ぜひ、そういった広報を今後とも行っていただきたいという御要望をお願い申し上げまして、時間になったようですから、私の質問を終わらせていただきます。
○田村委員長 次に、阿部知子君。
○阿部(知)委員 社会民主党の阿部知子です。同時にC案の提案者でもございます。
 まず、A案にお伺いいたします。
 先ほど来何人かの方が御質疑でございますが、今回のA案におきましては、現行法と違いまして、六条の二項、すなわち、再度読ませていただきますと、「「脳死した者の身体」とは、」という規定の中から、「その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者」というところを抜いております。「「脳死した者の身体」とは、脳幹を含む」と続いていくわけです。なぜ、現行法ではあるものを今回の改正では抜いたのでしょうか。そこの意図を明確にしていただかないと、立法者の意思がわかりません。
○河野(太)議員 A案の提出者といたしましては、脳死は人の死であるという考え方を前提としてこの改正案を提出しております。「脳死した者の身体」の定義については、「その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって」の文言を削除した方がこの考え方によりふさわしいというふうに思っております。
 ただし、これは臓器移植法でございますから、臓器の移植に関連して脳死判定や臓器摘出等の手続を定める法律でありまして、臓器移植以外の場面について、一般的な脳死判定の制度や統一的な死の定義を定めるものではありません。この文言を削除したとしても、臓器移植以外の場面において、この第六条第二項の規定により、当然に脳死が人の死として取り扱われるということはありません。
○阿部(知)委員 河野議員はそうおっしゃいますが、法律は、それが策定されたときに社会と現場を縛っていきます。そこが大変に懸念されることで、それであれば、この臓器移植法の中には、やはりもともとここの部分は削除されるべきではないんだと思います。
 例えばのケースをお伺いいたします。
 この六条の二項で言うところの「「脳死した者の身体」とは、脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止するに至ったと判定された」とございます。この判定とは法的脳死判定を言うのですか、それとも臨床的判定を言うのですか。法的脳死判定か、臨床的脳死判定かでお答えください。
○河野(太)議員 法的脳死判定のことでございます。
○阿部(知)委員 では、ここで確認いたします。
 臨床的脳死と言われて、しかし法的判定を受けるのは嫌だと言った方があるといたします。それでは、その方は臨床的脳死判定でも生きておられるのですね。法的脳死判定は受けていません。さすれば、生きているのですね。
○河野(太)議員 そのとおりです。
○阿部(知)委員 もう一つお伺いいたします。
 きょう資料で出してございますが、脳死した者の身体の取り扱いということで、これまでは、いろいろな犯罪性とかが疑われる者は検視がなされますが、その検視を行いますに二つ区別がございました。脳死した方の身体で移植にかかわる場合は脳死段階でしないと、その後が進むと、何が死因で、原因でというのがわからなくなります。それ以外は三徴候死でありました。
 この件も、先ほど河野さんは、法的脳死判定をしなければそれは死ではないんですよね、生きているんですよね。ですから検視はできないんですよね。ここも明確にしてください。
○河野(太)議員 この臓器移植法で定める人の死である脳死というのは、法的脳死判定で脳死と判定されたものでございますので、臨床的脳死判定というのは、それは医療行為の一部として行われているかもしれませんが、人の生死に関係をするものではありません。
○阿部(知)委員 しかしながら、御家族には、臨床的脳死の段階で死体と決めつけるからこそ、死後の臓器の処分を聞けるわけですよね。そこで死体と決めて法的脳死判定をするから、御家族、御遺族と河野さんはよくおっしゃいますが、法的脳死判定をしなければ一切御遺族となることはないのか。一般的脳死診断と申しましょう、それから臨床的脳死診断と申しましょう、これらは一切人の死とは関係ないことなのであるか、これもお願いします。
○河野(太)議員 この臓器移植法の改正案で言っている脳死判定というのは、法的脳死判定のみを指します。法的脳死判定で脳死と判定された場合のみ人が亡くなりますので、御遺体になります。
 診療過程の中で行われる臨床的な脳死判定その他というのは、あくまでも医療行為の一環として行われるものであって、この改正案で言います人の生死を定める脳死判定、法的脳死判定とは関係ございませんので、臨床的な脳死判定でどのような判定がなされていても、その方はまだお亡くなりになっておりません。
○阿部(知)委員 そうであれば、本人意思が不明の場合に御家族に聞けないと思うんですね。本人意思が不明な場合に、御家族にこれで臓器を提供されますかと聞く前提には、あるいは法的脳死判定を受けられますかと聞く前提には、本人じゃなくて御家族ですよ、御家族に聞ける前提には、それを死としているからですよ。これまでの法律は、あくまでも本人の意思があって初めて、コーディネーターが来て聞けるわけです。
 河野さん、じっくり考えてみてください。だって、これは死じゃないんだと言っているんですよ、一般的な脳死診断も臨床的脳死診断も。そうしたらそのときに、死じゃないのに、本人意思も不明なのに、なぜ御家族に聞けるんですか。
○河野(太)議員 法的脳死判定を拒否することは、御本人の生前の意思でも拒否することができますし、御家族がその場で脳死判定を拒否することができます。これは本人が脳死に近い状況であっても、まだ脳死判定をされておりませんからお亡くなりになってはおりませんが、ここで法的脳死判定が行われて、亡くなるわけでございます。しかし、本人が脳死判定を生前に拒否をしていれば御家族が拒否をすることもできますし、御家族も拒否をすることができます。
 法的脳死判定を受けてその方がお亡くなりになったときに、御遺族は臓器提供するかどうかを尋ねられるわけであって、お亡くなりになっていない段階で御家族が尋ねられるのは、法的脳死判定を受けるかどうかということだけでございます。
○阿部(知)委員 もう一度繰り返しますね。
 現行法では、法的脳死判定も御本人の意思がある場合しかできないんですね。でも、今度河野さんたちは、意思が不明でも御家族に聞けば法的脳死判定ができるとしたんですね。しかし、その前提は、これが死んでいるから御家族に聞けるとしたわけですよ。今河野さんがそこは死んでいないとしちゃったら、御家族に聞けないですよ。
○河野(太)議員 御遺族が聞かれるのは、臓器の提供を脳死下で行うかどうかが聞かれるわけであって、法的脳死判定は法的脳死判定を行う段階で聞くわけで、それは、その時点では御本人はお亡くなりになっておりませんが、そこで本人が拒否をしない、あるいは御家族が拒否をしない場合に法的脳死判定が行われるというのがこの改正案でございます。
○阿部(知)委員 御本人が意思を明確にしていない場合に、法的脳死判定というのは無呼吸テストも含みますから、それによって死を早める危険もあるわけです。だからこそ、今は御本人の意思にのっとってやっているんですね。
 これからは御本人の意思が不明な場合、それは死ではない、あくまでも死ではないと河野さんはおっしゃるわけです。では、なぜそこで御家族の意思でやっていいんですか。御本人と御家族は違うわけです。本人意思は不明なわけです。不明な人を判定できる、あるいは臓器移植をお尋ねできるには、遺体と考えないとそれはできないじゃないですか。
○河野(太)議員 法的脳死判定というのは、何も生きている人間を物理的に殺すわけではなくて、その方の状況を判定するものでございますので、脳死のような状況の場合に、法的脳死判定を行って生死を判定することであります。その方が御遺体だから法的脳死判定ができるというような筋合いのものではありません。
○阿部(知)委員 大事なことですから、真正面から答えていただきたいんですね。
 脳死を人の死とするといったとき、それは法的脳死判定後だと言われました。では、それ以前の段階ではあらゆる意味で死んでいないんですね、生きているんですね。その方に対して法的脳死判定をしていいかどうかは、生きている限り本人に問われねばならないのですよ。それがなぜ、どの段階で御家族に問うことでよしとされるんですか。
○河野(太)議員 脳死を人の死と考えない場合には、生前の意思で法的脳死判定を拒否することができます。その拒否の意思がなくて御家族が拒否をされない場合には、法的脳死判定を行うことができます。
 法的脳死判定というのは人を殺すものではありません。ギロチンにかけるとかそういうものではなくて、その方が脳死かどうかを法的に判定するものでございますから、その判定が行われる前はその方は生きていらっしゃいます。しかし、法的脳死判定で脳死と判定されれば、二度目の判定時間をもってその方はお亡くなりになったということになります。
○阿部(知)委員 端的に伺います。
 生きておられる方に、なぜ本人の意思がわからずに判定ができるのですか。本人が意思は表明しておられません。そして、あくまでも生きておるというふうに河野さんは言われます。では、その方を法的脳死判定したり臓器提供したりしていいですかと聞けないじゃないですか。
○河野(太)議員 脳死状態の方にその場でお聞きするわけにはいきませんから、脳死を人の死だと思っていない方は、生前に法的脳死判定を拒否する意思を出していただければ脳死判定には進みません。
 法的脳死判定というのは、無呼吸テストのように侵襲性の高いものもございますが、それによって、生きている人間が死ぬということではありません。その方が既に脳死だということを法的に確認するものでございますので、生前の意思、あるいは御家族の拒否がなければ法的脳死判定を行うことができるというのがこのA案でございます。
○阿部(知)委員 同じことを堂々めぐりしているのですけれども、意思を、はっきり拒絶している方の方が少ないわけです。ほとんどの方は、脳死状態というのはどうかわからないし、自分がそうなるかどうかもわからないから、意思を明確にしておられません。その場合はあくまでも生きているわけですよね。だって、臨床的脳死判断をしたって生きていると河野さんはおっしゃったんだから。では、その方に、だれの許可を得て法的脳死判定ができるんですか。できないじゃないですか。遺体とか遺族とか言うから遺族に聞けるんでしょう。家族になんか聞けませんよ。それは、その人の生存権と治療権の侵害だからですよ。
 明らかに、無呼吸テストも含む判定は負荷のあるものであります。これは医学的に見た常識ですよ。負荷がないなどということはありません。そうしたら、その法的脳死判定は、本人もイエスとも言っていないのに、負荷を加えてやることをだれが強いることができるでしょうか。
○冨岡議員 脳死判定というのは、臨床的にやる場合と、脳波だけを恐らくとって、それがフラットになっているかどうかを簡便的にやっている場合が多いと思います。救命救急センターでは恐らくそういうことをやっているでしょう。
 ただその場合でも、臨床的には深昏睡状態ということで、そこで一般的には、その状態で家族にそれを説明する場合もあります、これは先生も御存じだと思いますけれども。そして、大半の場合にはその治療の継続をして、自発呼吸の停止とかを待つわけでございます。
 そこら辺で、まだ自発呼吸、それから挿管した状態でいくと、それを今度は法的な脳死判定に付するかどうかを恐らく聞くことになると思います。その段階でも、それをやられた状態の方がそのまま救命措置を続ける場合と、今度は初めてそこで臓器移植等の言葉が出てくると思います。
 臓器移植法の範囲は、やはりこのように臓器移植を前提として人の死を決めていく、そういう範疇にこの死の定義が及んでおります。ただ、先ほどから議論を聞いておりますと、この死の定義というのがすぐさま臓器移植法を超えて広まるんじゃないか、そういうふうな危惧がございますが、それは否定はできないと思いますが、あくまでもこの法案が趣旨としておるところは、脳死は人の死というのは臓器移植法に関して限定的なものを考えているわけであります。そのように御理解いただければと思います。
○阿部(知)委員 わざわざ冨岡先生がお答えいただいたので、その危惧される部分を、一つはもっと話すべきだと私は思うんです。だって、医療現場も違ってまいりますし、ここで脳死は人の死であるということがひとり歩きすることは大いにあり得ることでございます。
 御答弁いただきましたので、それはそのようにして、私が河野さんに聞いた件については御答弁していただいていません。
 なぜ、本人意思がわからない生きている人に負荷を加えて、最終的に死を判断するような検査をしていいのか。これは、今までの河野案の理解では、本日ただいままでの河野案の理解では、それはもう既に御遺体だから御家族に聞いていいというふうに……(河野(太)議員「違う、違う」と呼ぶ)ちょっと待ってください、理解しておりました。でも、それが生きておられる。当然です、生きているんですから。
 でも、そうであれば、御本人の意思が不明な場合に、次に法的脳死判定に進む根拠がありません。それは、人間はみんな憲法のもと生存権を持っているからです。私たちはその生存権を侵害されないだけのものを担保されております。わからない場合には、よりその人の生存が確かになるようにケアしなければいけないのであります。にもかかわらず、そこで法的脳死判定をしていいとする根拠、だれの承諾でしていいのか、ここはずっと河野さんの御答弁では明らかになっていないと思います。
○河野(太)議員 法的脳死判定が余りに侵襲性が高いので、自分がそのような状況になったときにやってほしくないという方は、生前に拒否をしていただければ法的脳死判定にはならないわけでございます。これは再三申し上げていることでございます。
 御本人の生前の拒否がない、あるいは御家族の拒否がない場合に法的脳死判定を行うというのがこのA案の考えで、そこで脳死判定が行われ、二度の確認が行われた場合に、人はお亡くなりになったということでございます。
○阿部(知)委員 委員長、お願いがあります。大変大事なことなので、ごまかさずに答えていただきたいんです。
 本人と御家族は違うものです、違う個体だし、違う人権を持っているし。そして私が伺いたいのは、河野さんは何度も、嫌なら嫌と言っておけと言っているけれども、そうでない人です。嫌ともいいとも言っていない、わからない。
 わからない人の場合は、これまでは、その方の生存権を全的に保障するために医療現場はあるわけです。その人の生存に危害を加えるような行為はできないのであります。そう医療現場が成り立たなければ困るわけであります。しかし、河野さんは、それでなおかつ御家族の同意でやっていいと。何度も言いますが、それが死ならあり得ましょう、論理性の一貫性が。
 本当に恐縮です、明確に答えてください。本人が何も意思表明していない場合に、なぜ家族に問うていいのか。死ではないんです。生きているんです。生きている人の状態をおとしめるようなことをなぜ家族に聞けるんですか。
○田村委員長 A案提出者、河野さん以外でだれか答えられる人はいますか。
 では、冨岡勉君。
○冨岡議員 これは、診療行為でそういう検査をすることは生体にやはり少し侵襲を加えるということは、先生、そういう検査がたくさんあるということは御存じだろうと思います。したがって、その臨床的な脳死の、脳波の検査と言った方がいいんでしょうか、それは簡便的にやる場合はたくさんあります。
 それを前提として恐らく次のステップ、つまり、死に至るんじゃないかというその詳しい判定、あるいは臓器移植を前提とした正確な脳死判定、次の法的脳死判定に進む作業になってくると思います。そこの時点において、いろいろな権利、あるいはその家族の御意見を聞くことになります。したがって、一つ一つ私たちはステップを踏みながら、きちんとした体系づけのもとでやっているつもりでございます。
 先ほどから先生の、生きている方にそういう無理な無呼吸テストとか聴性脳幹テストとか、いろいろあるわけでございますけれども、それは、許されるというんでしょうか、そういう診断をする上では一応許される範囲内の生体侵襲だというふうに私自身は考えております。
○田村委員長 阿部君、時間が参りましたので、よろしゅうございますか。
○阿部(知)委員 はい。このA案においては、本人意思が不明の場合、それは子供も含めてですが、一切その方の生存権が守られないということであろうと思います。そして、なぜ変えられたかということも明確ではありません。
 引き続いての審議を求めて、終わらせていただきます。
○田村委員長 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。
    午後二時八分散会