1. 会議録本文
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000・会議録情報
昭和二十七年五月二十日(火曜日)
午後二時五十四分開議
出席委員
委員長代理理事 山口 好一君
理事 鍛冶 良作君 理事 田嶋 好文君
安部 俊吾君 押谷 富三君
北川 定務君 高木 松吉君
高橋 英吉君 眞鍋 勝君
大西 正男君 吉田 安君
梨木作次郎君 世耕 弘一君
出席政府委員
法務政務次官 龍野喜一郎君
法制意見長官 佐藤 達夫君
検 事
(法制意見第四
局長) 野木 新一君
委員外の出席者
判 事
(最高裁判所事
務総局刑事局
長) 岸 盛一君
專 門 員 村 教三君
專 門 員 小木 貞一君
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五月二十日
委員梨木作次郎君辞任につき、その補欠として
加藤充君が議長の指名で委員に選任された。
同日
委員加藤充君辞任につき、その補欠として梨木
作次郎君が議長の指名で委員に選任された。
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五月十九日
会社更生法案(第十回国会内閣提出第一三九号)(参議院送付)
破産法及び和議法の一部を改正する法律案(第十回国会内閣提出第一四一号)(参議院送付)
同日
破壞活動防止法案の撤回等に関する請願(中原健次君紹介)(第二八八六号)
接収解除に伴う借地権復帰に関する請願(井手光治君紹介)(第二八八七号)
の審査を本委員会に付託された。
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本日の会議に付した事件
裁判所職員定員法等の一部を改正する法律案(内閣提出第一二五号)
—————————————発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101305206X05419520520/0
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001・山口好一
○山口(好)委員長代理 これより会議を開きます。
委員長所用のため、理事であります私が委員長の職務を行います。
裁判所職員定員法等の一部を改正する法律案を議題といたします。この際本案に関連し、最高裁判所当局より発言の申出がありますからこれを許します。岸刑事局長。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101305206X05419520520/1
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002・岸盛一
○岸最高裁判所説明員 それではこれから最近起りました広島地方裁判所と大阪地方裁判所堺支部における暴力行使の事実について説明いたします。
最近法廷で被告人と、傍聽席を埋めた一部の多数の傍聽人と相呼応して気勢をあげて拍子、怒号、罵詈雑言を放つて、裁判官の命令や係員の制止を聞かず暴力ざたに及んで、厳粛なるべき法廷が喧々囂々の騒乱の場所と化した例は、まれではないのでありますが、この広島の事件と堺支部の事件は、ごく最近のその傾向を最も顕著に物語るものであります。
まず広島の事件から説明いたしますが、広島の事件と申しますのは北鮮系の被告人の姜一龍外三名によつての勾留理由開示期日におけるできごとであります。この勾留理由開示期日は、この五月十三日に開かれたのであります。これはむろん被疑者に対する勾留理由開示の手続であります。係の裁判官はこの期日について、できる限り平靜裡に勾留理由開示手続を終了せしめようとしまして、平常通りの傍聽人の制限とか傍聽券の発行制限等をいたさなかつたのでありますが、手続開始に先だちまして、この事件の特殊性と客観的の情勢を考慮しまして、不測の事態が惹起されることをおもんばかり、法廷警備、審理妨害排除の目的のもとに、当日午前九時過ぎ、あらかじめ電話で検察庁に対し警備の手配方を連絡して、その了承を得ていたのであります。この被疑事実と申しますのは、五月一日の日に広島市南三篠町古田シゲミ方を焼いてしまう目的で爆発物である火炎びんをこの古田宅に投入して破裂発火させ、その住居に使用する家屋の一部を焼いたという事実と、やはり同じ日その家の表門に、国民の血を吸う特審の古田を殺せ、広島三〇一部隊と記載した紙きれを添付して古田氏の甥の法務府特別審査局中国支局員の古田巖という人の生命身体に危害を加うるごとき気勢を示して脅迫したというのが、被疑事実になつております。なおそのほか四人の被疑者には、事実は多少ずつ違いますが、そのうちのおもな被疑者に対する被疑事実はかような事実になつております。
先ほどの話にもどりますが、当日地方裁判所の二階の判事室において、その日の午後零時半から、裁判所の事務局の訟廷課の職員と、広島拘置所の看守部長二名と、裁判官が法廷に入廷する場合のことについて打合せをいたしたのでありますが、その打合せを開始したとたんに四十名を越える朝鮮人の男女が、男二名を先頭にして係の裁判官に面会を求めて裁判官室に裁判官の制止を聞かずに入つて来たのであります。なおその際廊下にも多数の朝鮮人が集まつていたということであります。係の裁判官は、その面会要求を拒絶して室外へ退去を命じました。なお同じ部屋にいた他の裁判官もかわるがわるそれらの人々に対して、面会を求めるときは、それぞれその順序を経てやつて来るようにということをさとしたのでありますが、その人たちはそれに耳をかさず執拗に係の裁判官に面会を強要して、裁判官の周囲に立ちふさがるに至つたのであります。たまたまそこへ高橋弁護士が入室した。裁判官は同弁護士に事態の収拾について協力を求め、高橋弁護士のあつせんによつて代表十名に限り面会をする。他の者全員は階下に退去する。面会時間は十五分限りとする。この三つの事柄を條件として面会を約束し、即時強硬にその他の人々に対しては全員退去を命じたのでありますが、結局ほかの人たちは廊下や出入口に立ちふさがつたまま応じなかつたのであります。それで係の裁判官は、判事室の隣りの応接室で、先ほどの代表者と面会をいたしたのであります。当時その裁判官室では他の裁判官も執務中でありました。これらの裁判官からも退去を求めたのでありますが、応ずる気配がなかつたので、そこに居合した長井判事補が、検察庁に行つて待機中の警察官の応援を求めるべく、地方裁判所訟廷課及び検察庁へ連絡をいたしました。その命を受けた訟廷課では、ただちに事務官がその旨を地検の公安部に連絡をいたしましたが、その当時まだ警察官は検察庁に到着していなかつたのであります。そこで急を要するので、訟廷課は在室しておつた広島市西警察署員をして、西署へ至急警察官の来援方を電話で求めたのであります。その関係の裁判官と代表者は応接室において高橋弁護人及びちようどそこへ来合した、やはりその事件の弁護人である掴原、原田両弁護人立会いのもとに、代表者十名と面会しましたところ、同人らは即時釈放を要求いたしましたが、係の裁判官はこれを拒絶して、約十分余りで物わかれとなり、裁判官は裁判官室にもどつたのであります。間もなく西警察署から山崎警部補指揮の警官約三十三名が検察庁に到着いたしました。それを知つた訟廷課の職員は、ただちに裁判所に派遣するよう検察庁へ連絡いたしたのでありますが、たまたまその際検察庁へも一部の朝鮮人が押しかけて検事に面会を求め、被疑者の即事釈放を叫んでいたころで、一時警察官は検察庁にとどまるのほかない状態になつたのであります。ところがその後その人たちは波状的に即時釈放、スピーカーの設置等について、係の裁判官のものに押しかけて参りましたが、裁判官は右の要求を拒絶して問答を重ねているうちに、面会人を去らせるために隣室から長井判事補が電話で、警官を出動させた方がよいと現場の係裁判官に勧めましたところ、その小声の電話の応答で、面会を求めていた朝鮮人たちは警察に連絡しているということを感知したものか、全員退去いたしました。そのころ法廷内には傍聽人が百五、六十名入廷いたしており、これらの傍聽人は被疑者の入廷を機会に騒然となつて、被疑者に声援を送つて、警備の制止も聞かず、遂にごたごたになつたのであります。その状態をそのまま放置すれば、遂には法廷占拠という事態に至るのではないかを案じられましたので、この際待機中の警察官の応援を求めようと一度は考えられたのでありますが、とにかく一箇小隊の警察官の増援があるということを聞きましたので、係の裁判官は二時五十五分に法廷に入つたのであります。法廷に入つた後における状況でありますが、法廷内の状況は次といたしまして、まず外部の状況を申し上げますと、係裁判官が入廷しますと傍聽人は靜粛になつて、ただちに勾留理由開示期日が開かれまして、順次手続が行われており、その間は被疑者との間に多少の応答あるいは傍聽人の声援等の事実がありましたが、格別騒ぐ気配も見えず、このままに進行すればあるいは平穏裡に当日の手続が終了するのではないかと思われたということであります。法廷内にはそのころ二百人くらいの傍聽者がおり、法廷外には百人くらいの人が集まつておりました。ともに大半は朝鮮人でありました。一部分は日本人の自由労働者がおつたということであります。そして法廷外の傍聽人は、法廷各所の出入口に多数集合して立ちふさがつて、内部を整理中の裁判所職員の制止をも聞き入れない状態でありました。開廷後約十五分くらいで増援の警察官の一小隊が到着し、警察官が合計ここで七十一名となりましたが、これらの警察官を裁判所庁舍東側の階下の各室に分散待機せしめ、指揮官の板倉警部が民事の裁判官室におつて指揮をとる態勢を整えたのであります。そのうち法廷は平穏に終りに近づいて参りましたが、閉廷直後における被疑者の身柄、裁判官その他の職員の身体の安危、記録の安全が気づかわれるので、閉廷前あらかじめ警察官を法廷の各出入口に配置するということも考えられたのでありますが、せつかく法廷が平穏裡に進行しておるのに、外部からさような措置をとつて刺激し、ごたごたを誘発してはならないという考慮から、裁判所職員が各出入口の警備に当ることにしまして、ただちに高等裁判所、地方裁判所の職員約二十名を、裁判官の出入口等法廷の東西両側に随時配置いたしました。傍聽人の出入口方面は傍聽人が多数であり、かつ廊下が狭隘のため、職員の配置は困難であつたということであります。そのうち法廷内は最後の陳述者である原田弁護人の意見陳述が行われておりました。その陳述が終つたと思われるころ、突如法廷内が騒然となり、法廷外において監視中の裁判所職員は急を知つて、待機中の警察官に緊急出動を要請したのであります。すでにそのころ法廷の裁判官席のうしろのとびら等も、傍聽席から柵を越えて入つて来た朝鮮人によつて法廷の内部からとざされ、法廷の内部と外部との連絡が不可能になつたということであります。ここで待機中の武裝警官が指揮官のもとに出動しましたが、そのときすでにおそく、法廷内の傍聽人が被疑者を法廷外へ逃走せしめたので、警察官はただちにこれを追跡しましたが、被疑者らは傍聽人の応援を受けて、裁判所の西側の土堤を乘り越えて広島市内に逃走しました。なおも追跡を加えてようやくそのうちの一名を逮捕し、他の一名は自首し、他の二名は目下指名手配中であるということであります。一方裁判官の出入口に待機中の裁判所職員は、裁判官を救出すべくそのとびらに迫つたのでありますが、その付近にいた傍聽人たちの阻止を受け、もみ合いを始めましたが、そのうち法廷内の傍聽人が退去するころ、これらの外にいた傍聽人も逃走して、職員はやつと法廷から脱出することができたのであります。また事件の記録は、裁判官からすぐ廷吏に渡し、廷吏がからみつく傍聽人を押しのけ、その妨害を排除して、東側の窓から脱出して、柵の外で待機していた書記官に柵越しにリレーして、記録は安全に保護されたということであります。
その開示手続の法廷内の模様を、係の裁判官はかように言つております。自分は午後二時五十二分入廷するために出て行くと、出入口付近に十数名の男女の朝鮮人がいたので、かたわらの裁判所職員に、出入口に四、五名ずつの警官を配置するように警官隊に連絡を命じた後、中央入口から入廷すると、傍聽人は多少ざわめいていたけれども、傍聽人席におつた一人の男の制止によつて、すぐに靜粛になつた。自分は小声で籾山書記官を通じて廷吏に対して、万一の場合は警官隊の入廷を求める、その暗号として持つている記録を立てるから、そのときに警官隊に法廷内に入廷してもらいたいという打合せをいたしました。型通りに人定質問、勾留理由開示、次いで被疑者並びに弁護人の意見の陳述を求めたところ、各被疑者もそれぞれ大体制限時間内で陳述をいたした。その間傍聽人はときどき拍手、声援を送つたり、あるいは自分に無断で被疑者に水を飲まそうとしたこともあつたが、その都度自分が注意すると、すなおにこれに従つて、予期した以上に法廷内は平穏の状態で、裁判官に対する侮辱的、攻撃的な発言や態度はなかつたので、自分は無事閉廷まで行けるものと思つておつた。五時二十分過ぎになつて、原田弁護人の最後の陳述も終つたので、すぐ閉廷を宣して立ち上つた。そうして自分の背後の出入口に歩を進めたところ、突如傍聽人が騒ぎ出し、付近の傍聽人五、六名が自分の腕を握り、自分が出るのを阻止するので、振りかえつてみると、傍聽人、被疑者、看守らが、うずを巻くごとくもみ合い、大混乱を呈しているので、自分は大声で、警官をすぐ呼べと廷吏に命じ、持つていた記録を廷吏に渡すと、廷吏は東側の窓から妨害を排除して出て行き、柵越しに書記官に記録を渡すと、防衛のためにすぐ自分の身辺に来た。その際裁判官席付近にいた一人の男が、大声で、引揚げろと絶叫すると、残つていた傍聽人らは各出口から退却した。自分はすぐ法廷を出て、警官隊の控所に急行すべく、二号法廷東隣の付近まで行つたところ、警官隊は出動しかけていたところであつた。自分は二号法廷の裏にまわつて見ると、傍聽人たちが西裏門の方に逃げて行くのが目撃された。かようにその当時の法廷の様子を述べております。なおこの係の裁判官は、自分はさようなことには気がつかなかつたと言つておりますが、法廷が混乱に陷つて、被疑者の奪還最中に、傍聽人のうちの一人が、あれを投げるのはよせということを言つたということを聞いた。廷吏や刑務官がそれを聞いたということで、あれを投げるというのは、非常に意味深長なものがあろうと思うのであります。これが広島のできごとであります。
それから二日置きまして、五月の十五日に、一部の新聞に出ましたが、大阪地方裁判所の堺支部に事件があつたのであります。その概略を申し上げますが、公判期日におけるできごとであります。ことしの三月二十七日に起訴された被告人津田一朗、これは保釈中でありますが、これに対する昭和二十五年政令三百二十五号違反事件の第一回の公判期日におけるできごとであります。係の裁判官は松田判事であります。当時の模様は、まず傍聽券を発行したかどうかということですが、堺支部の法廷の構造から、傍聽券の発行をいたして傍聽人を制限いたしましても、結局相当な警備態勢をとらない限りは、あまり実効がなかつたという状態と、ことにこの松田判事は相当しつかりした判事で、従来もかような事件をたくさん手がけてなれておる判事だそうであります。このときも平生通り、特に傍聽券の発行をせずに、期日を開いたそうであります。この法廷の中は非常に狭くて、定員がやつと三十名か二十四、五名くらいの程度のところであります。この日は法廷内に約百人くらい、法廷の外に、入り切れないのが百人くらいおつたそうであります。この公判期日の数日前に、担当の裁判官は堺の市警察署長は面接して、もし不穏な場合には、何時でも警察官を派遣してもらうように打合せをいたしておきました。なお裁判所としては、法廷内に立会書記官のほかに書記官補一名、廷吏二名、法廷内外の連絡員として書記官一名を増員配置させたほか、法廷の北側屋内及び裁判官入口、傍聽人入口、裁判官室に通ずる廊下等にも、事務局の庶務課長ほか五名の職員を配置して警備いたしたのであります、この公判は午前十時三十分に開廷されて、人定質問に入り、裁判官が被告人に年齢を尋ねましたところ、被告人は非常に傲慢な態度で、そこに書いてあるじやないか、何度も同じことを聞かなくてもよいじやないかと述べたので、裁判官は裁判の手続上必要なわけを説明し、なお立会いの山本弁護人も裁判官に協力して被告人をたしなめたということであります。検察官の起訴状朗読が終つて、被告人の意見陳述に入りますと、廷内の傍聽人のうち何名かが大声で、しつかりやれしつかりやれと叫ぶ者があつたそうであります。そのうち廷内の傍聽人が、南側の窓寄りにいた傍聽人に向つて、被告人席のあいている所を示して、大声で、ここがあいているからここへ入れと誘いをかけ、傍聽人が靴ばきのまま窓越しに入ろうとしたのを裁判官が目撃して、これを禁止したという事実があります。その後検察官から証拠申請があつて、その決定をしようとしていた際に、傍聽人の一人が突然立ち上つて、検察官に対し、何が悪いのだ、それでも日本人かとどなり散らしたので、裁判官は、かつてな発言は許さないと制止しますと、他の傍聽人がさらに、どうして発言して悪いのか、発言くらい許してやつてもよいじやないかとやじを飛ばすので、裁判官は、許可なく発言する者は退廷を命ずると告げましたが、これに従わず、なおまた執拗に発言を続けようとする気配が感じられた矢先、傍聽人席から、やれやれとアジる者が出て騒然となつたので、裁判官は制止を聞こうとしない傍聽人二名に対して退廷を命じましたところ、退廷しようともせず、再度退廷命令を発しましたが、それにも応じないので、このままでは法廷内が騒然として審理を進めることができないと考え、やむなく午前十一時三十分に一時休廷を宣したのであります。裁判官が休廷を宜して、ただちに裁判官入口から廊下に出ましたところ、あぶれた傍聽人また傍聽人入口から出て来た傍聽人とが三人、四人と逐次数を増して裁判官の前後左右から取囲んで、法服を強くひつぱり、このまま公判を続けろ、休廷を宣言するのは卑怯だとどなつたり、ある傍聽人が殺してしまえと叫ぶと同時に足や裁判官のしりの所をけつたので、裁判官は自分のあとから続いて退廷して来た書記官にこの殺してしまえといつた男をさし示して、この男の顏をよく覚えておけといつたが、その書記官は、その男をつかまえろと言われたものと感違いして、その男をつかまえようとしましたところ、かえつてその男から頭をなぐられたりまた他の傍聽人たちから足をけられ、また法服をちぎれるくらいひつぱられたそうであります。これを見た廷吏はその場にかけつけ、その書記官を救助しようとしましたところ、その廷吏もまたそこに集まつた傍聽人からげんこで後頭部を強く突くようになぐられたのであります。その間裁判官は三十数名の傍聽人に囲まれながら約四間ぐらい引きずられ、傍聽人入口角のあたりでもみ合つていたのでありますが、これを見た一人の書記官補は、これはたいへんと思い裁判官の急を救うために、そこへかけつけたところ傍聽人らは書記官に対して、お前は一体何者だ、警察の犬だろう、なぐれ、でつち上げろと叫んで、えり首をつかんで引きずりもどそうとひつぱつたり、傍聽人から両手で頭や顔を十数回なぐられ、かつけられ、ワイシヤツの左の方が破られ、くちびるから出血をしたということであります。この乱暴最中に、庶務課長は急を知つて多数の傍聽人にもまれておる裁判官のところにかけつけ、裁判官を抱くようにして襲いかかつて来る傍聽人を払いのけて、ようやくのこと刑事書記官室に難をのがれたのであります。なおその休廷を宣する少し前から、法廷内の状況が非常に険悪に思われたので、庶務課長は職員に命じて検察庁に待機中の警察官の出動を連絡させましたところ、職員がなかなかもどらず、また警察官も来援しないので、変だなと思つていたところ、そのころにはまだ検察庁に警察官が到着していなかつたということがあとからわかつたそうであります。さような事情で警察官五、六十名、私服の警官十数名がやつて来ましたのは、事故が発生した後十分ぐらいたつてからで、そのときはすでに事態が平穏となつておりました。暴行を働いた人々はいち早く逃走してしまつたあとであつたのであります。なおこの事件の被告人と日本共産党員と称する松葉某という者が、刑事書記官室に裁判官への面会を求めて来ました。手続の再開を要求しましたが、裁判官はこんな状態では裁判の公平を期することができないから、再開はしないと言いましたところ、なおも再開を要求するので、裁判官は武裝警官を裁判所構内に、私服の警察官を廷内に配置して再開すると申しますと、被告人たちは室外に出てただちにもどつて参りまして、裁判官の申出を承諾したので、午後零時過ぎ再開して約十分足らずして閉廷いたしたそうであります。この再開後はまつたく平穏であつて、その際次会を六月三日と指定いたしたのであります。その後午後二時か三時ごろに松葉某という先ほどの裁判官に再開を求めた者外一名が裁判所へ来まして、裁判所を騒がしたのは済まなかつたと陳謝してもどつたということであります。
以上が大体堺の出来事であります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101305206X05419520520/2
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003・山口好一
○山口(好)委員長代理 これにて当局側の説明は終りました。
御質疑はありませんか。——なければ本日はこの程度にとどめ次会は明二十一日午後一時より開会することにいたしまして、散会をいたします。
午後三時二十六分散会発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101305206X05419520520/3
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