1. 会議録本文
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000・会議録情報
昭和三十一年四月七日(土曜日)
午前十時二十三分開議
出席委員
委員長 佐藤觀次郎君
理事 赤城 宗徳君 理事 加藤 精三君
理事 坂田 道太君 理事 米田 吉盛君
理事 辻原 弘市君 理事 山崎 始男君
伊東 岩男君 稻葉 修君
篠田 弘作君 杉浦 武雄君
田中 久雄君 千葉 三郎君
並木 芳雄君 町村 金五君
山口 好一君 山本 勝市君
河野 正君 小牧 次生君
鈴木 義男君 高津 正道君
野原 覺君 平田 ヒデ君
前田榮之助君 小林 信一君
出席国務大臣
文 部 大 臣 清瀬 一郎君
出席政府委員
文部政務次官 竹尾 弌君
文部事務官
(初等中等教育
局長) 緒方 信一君
出席公述人
元東京大学総長 南原 繁君
全国町村会会長 関井 仁君
日本教職員組合
中央執行委員長 小林 武君
長崎県知事 西岡竹次郎君
全国都道府県教
育委員会委員協
議会幹事長 松沢 一鶴君
国学院大学教授 北岡 寿逸君
委員外の出席者
文部事務官
(大臣官房総務
参事官) 斎藤 正君
専 門 員 石井 勗君
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本日の公聴会で意見を聞いた案件
地方教育行政の組織及び運営に関する法律案並
びに地方教育行政の組織及び運営に関する法律
の施行に伴う関係法律の整理に関する法律案に
ついて
—————————————発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/0
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001・佐藤觀次郎
○佐藤委員長 これより地方教育行政の組織及び運営に関する法律案並びに地方教育行政の組織及び運営に関する法律の施行に伴う関係法律の整理に関する法律案について、文教委員会公聴会を開会いたします。
御承知のごとく、両法案はわが国における教育行政の根本につながる重要法案でございまして、文教委員会におきまして慎重に審査をいたしておるのでございますが、その重要性にかんがみ、広く各界の公正な意見を反映せしめ、委員会における審査の万全を期すため、本日ここに公聴会を開会いたすことになりました次第でございます。
まず、本日の公聴会の議事の進め方について、先日の理事会におきまして協議決定いたしました事項を申し上げます。すなわち、お手元に配付いたしてあります公述人名簿の順序に従い、所定の時間の通り一名当て公述人及びこれに対する質疑を済ましていくことになっております。公述の時間は各人二十分程度とし、質疑は各公述人につき三十分を予定いたしております。
それではこれより公述人の公述及びこれに対する質疑に入りますが、一言ごあいさつ申し上げます。
南原公述人には、御多用中にもかかわりませず、貴重な時間をさいて御出席をいただき、厚く御礼を申し上げます。何とぞ両法案につきまして、あらゆる角度から忌憚のない御意見を御発表下さいますようお願いいたします。
なお公述その他につきましては、お手元に配付いたしてあります注意書の要領でお願いいたすわけでございますが、念のために申し上げます。公述人各位の御発言は、委員長の許可を得なければならないこと、その発言の内容は、意見を聞こうとする問題の範囲外にわたらないこと、また公述人は、委員に対して質疑をしてはならないこととなっておりますので、お含みをお願いいたします。
それではまず南原公述人に御発言を願います。南原繁君。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/1
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002・南原繁
○南原公述人 私は日本学士院会員でございまして、なお所属団体としては、日本政治学会会長をしております南原繁であります。
本日当委員会で問題になっておりまするいわゆる現行の教育委員会法、さらにはまた教育基本法その他学校教育法といったような戦後の重大なる教育改革のおもな問題は、皆様御承知でございますように、その当時内閣のもとに設立されてありました教育刷新審議会の審査決議に基いてなされたものでございます。私は終始その審議会に関係をしておりました者の一人として、本日は特にこの教育委員会の問題につきまして、当時の審議の内容にも若干触れつつ、私の所見を申し上げたいと思います。
そのときの、私どもの教育刷新審議会においての最も重要なる問題は何であったかと申しますると、明治以来敗戦に至るまでのわが日本の教育界を支配しておりました、教育の中央集権主義と官僚的統制からいかにして教育を自由の雰囲気の中に置きかえて、ほんとうの人間の教育のための国民全体の事業とするかということでございました。このことは、明治、大正の時代に教育を受けまして人となって、またその後昭和になって教育に関係をした経験を持っておりまする当時の私ども委員一同の完全に一致した意見でございました。そこで一方におきましては、新しい国を立て直すための教育理念、方針、これは御承知の教育基本法において定めてあるところでございます。それと相待って、他方にそれを守り育てるための新しい教育行政制度、組織を打ち立てるということでございます。この新しい教育行政の基本方針がいわゆる教育の民主化と地方分権化という問題でございます。この基本方針のもとに、教育行政についての二つのきわめて重大なる改革が当時行われたはずでございます。一つは、それまでの文部省の性格が変ったということでございます。すなわち、文部省の性格転換ということでございます。その当時ある方面では、文部省を廃止するという説もございました。けれども、私ども委員会の一同としましては、文部省は存置して、しかし従来のごとく教育の内容、方針にわたってまでも指揮、監督をするというようなことはやめ、むしろそういう点については教育者の創意と自主性を尊重する、文部省はそれにもとより指導助言を与えると同時に、その持っておる行政的、財政的な措置をもってこれを助成、助け協力するという、ある意味におきましては新しい広範な任務を持って文部省は新出発をしたのでございます。
第二は、それと同時に各地方におきまして、新しく教育委員会を設立したということでございます。これは申すまでもなく、従来の中央やあるいは上からの画一的な教育の統制というのではなくして、広く国民公衆の意見と協力を得て、国民全体の責任において盛り上ったほんとうの教育をやろうという主義でできたわけでございます。この新しい教育委員会制度の審議に当りまして、当時審議会において問題となったおもな点が三つございます。一つは、その教育委員会の委員の選定方法であります。これは、われわれの間にその委員を任命してはどうかという、いわゆる任命説の意見もございました。これについて、私どもは十分なる時をかけて討議し、また研究をいたしたのでございます。けれども最後の大多数の意見といたしましては、この教育委員会は他の行政委員会、たとえば公安委員会などと違って、これは広く国民の関心と意思を直接に反映せしむることを適当と考えまして、結局ただいまの法律のごとく、公選主義をとった次第でございます。第二の問題は、この委員会の権限ということでございます。その権限の中で一番問題になりましたのは、いわゆる教育行政でございます。これはなかなか複雑な問題がございましたが、結局ただいまの現行法にありまする予算原案送付権というものが、教育委員会にできるということをもって満足したのであります。部内におきましては、これでは足りない、もう少し強いものがほしいという意見もございましたが、これは今後の新しい地方議会との関連において、実際の運営においてどういうふうになるかという結果を見て、また将来の問題となるであろうという問題を残しつつ、ただいまの現行法のごとく定まったのでございます。第三の点は、新しく置かんとする教育委員会の設置区域あるいは単位の問題でございました。われわれの当時の刷新審議会におきましては、何しろこれは日本に初めての制度であるがゆえに、最初の出発は府県と市、また郡の単位ぐらいを適当とするのではないか、言いかえますれば、それ以上の各町村にわたっては、もう少し時を待って実施を行なっていっていいのではないかという意見を出したつもりでございます。この三点であります。
ついでながら、当時の教育刷新審議会と申すのは、四十五名前後の委員によってなっておりました。それにまた問題によりましては、多数の専門委員を委嘱したのでございます。六年間にわたりまして、世間に往々誤解されておりますように、この戦後の教育刷新審議会によって行なった教育の根本が、たとえばアメリカの強制によったとか、当時の司令部の指令に基いたとかいうことは断じてございません。六年の間、われわれの自主権は完全に認められました。自主的にわれわれ一同国家百年の大計のために審議したつもりでございます。その場合に、御承知の通りに明治以来のわが日本の国の教育の制度は、主としてドイツ、フランスなどのいわゆる西欧の制度を多分に取り入れておりました。しかるに戦後のそのときの改革におきましては、あらためてアメリカの制度からも取り入れるということを行なったことは、わが日本の教育制度発達の上において必然の過程であったとも考えます。そうして問題の教育委員会制度は、御承知の通りに、主としてアメリカ、カナダにおいて長い歴史を持って発達してきた制度でございます。かようにいたしまして、立案の根本の趣旨は、あくまで従来の教育の中央的統制と画一主義とを根本から改革するという点にあったのでございます。
しかるに今回の改正案を通読いたしますと、そこには以上申し上げました私どもの審議会において取り扱い、これを提案いたしました設立の根本の趣旨と、相いれないものがあるかのような印象を受けざるを得ないのであります。
まず第一には、こまかな具体的な条項は別といたしましても、今度の改正案によりますと、この教育委員会の委員はまさに公選をやめて、これを任命制度にするということがうたわれております。これは、先ほど申し述べた点から申し上げまして、重大なる変化でございます。さらに権限につきましては、きわめて不十分なりとまで考えられておった、また一見あいまいでもありますが、予算の原案の送付権も削られておるような状況でございます。こういう教育委員会と申しますと、実はその名義はありましても、その実質におきましては、御承知の通りに、戦前にありました地方の学務委員会と同じようなことになりはしないかということをおそれるものでございます。
さらに大事なことは、それと相待って、今度の改正案を拝見いたしますと、文部省との関係が非常に深くなってくる、言いかえれば、文部大臣は府県の教育長の任免に対してこれに承認を与える、また場合によりましては、教育そのものに対して必要なる変更をする処置を要求することができるという権限も、文部大臣に与えられておるようでございます。こういうことは、まさに私どもが当初われわれの間において審議し、また現在の法案が提出せられたる趣旨とは違ったものがあり、むしろ逆に行かんとする傾向があるように思われるのであります。このことは、戦後ひとり教育だけでございませんで、一般の地方自治行政改革におきましても、重要なる原則となっておりまする民主化と分権化という問題が、教育の面において破れることになりはしないかという一つの点がございます。
およそ教育のことは、これはほかのことと違いまして、時をかけてその結果が期待されるものでございます。わずか数年、七、八年の経験によって重大な原則の変化は、これは無理でございます。ことに地教委につきましては、御承知の通り、わずか三年ちょっと前に初めて全国的に出発したばかりであります。しかもそれが昨年から本年にかけて、全国にわたって広範なる町村の合併が行われまして、その経験、その結果はまだ現われていない。そういう段階に当りまして、教育委員会全体についての根本的な問題に関係する原則の変更ということは、きわめて重要なる問題ではないかということを申し上げたいのであります。事は次代をになう青少年の教育に関する問題であります。中央、地方を通じて、もちろん党派を越えて、国民全体の将来の問題としてわれわれは考えなければならぬと思います。しかるにもしある政党がございまして、そのとき多数の議席を占めたというような場合に、そういう根本にわたって教育の問題について変革をするとすれば、また同じような機会が他の政党にきた場合、それに対してまた改革を行うということもあります。そうしますと、まさに神聖なるべき教育の場において、それが時の政治の動向によって左右されるという危険がございます。教育制度や方針が政争の大きな対象となるというおそれが多分にございます。いわゆる教育の中立性というのは何人も承認されておる、そういう場合において守らなければならぬ原則であることは御承知の通りであります。またこの案をかりに実施するというふうなことがあった場合において、実施の面においてこういう問題が起ります。今後は今まで以上に政党の対立が——二大政党が結成されて、これによって中央地方を通じて相争うということになりますと、そのときの地方の知事、そのほか一市長によって任命されもしくは承認をされるという、教育委員会の性格が多分に政治的な色彩を明らかにしてくるということは明瞭な事実であろうと思うのであります。私ども教育に携わっておる者としましては、世間に向って望みたいことは、教育のことは大切にしていただきたい、時をかけてもよいものを育てていただきたいということでございます。
私は以上申し上げたように、重大なる点におきまして、すなわち現在の教育委員会の建前におきまして、現行法を維持すべきものと私自身は考えます。しかし、ここに具体的に政府より提出されておりますこの法案に対する処置としまして、それに対して一、二のことを要望したいのでございます。
第一は、政府におきましては、いま一度この法案を現在あります中央教育審議会に諮問されたいということでございます。文部当局の説明によりますと、今回の改革は根本的な問題ではない、根本的な問題に関するときには、教育基本法とともに将来作らんとしておる臨時審議会において諮問するというようなことを説明されておることも見えます。これは実は大きな誤まり、少くともそこに大きな無理があると存じます。なぜなれば、現在の教育委員会法は、教育基本法とともにわが国戦後の教育改革の二大支柱でございます。そうして、また、今回の教育委員会に関する改正は、単なる教育委員会の運用とか手続の問題でございませんで、私の最初に説明いたしましたように、われわれの願った新しい教育委員会の根本精神に反するものであるからでございます。また何ゆえ文部当局におかれましては、今回の法案を現在ある中央教育審議会におかけにならなかったかということに対しては、文部当局においてはかような説明をしておるように聞いております。それは、三年前すでに答申があった、それによりその必要がないとおっしゃるようであります。これは清瀬文相の御意見かと思います。これはしかしあまりに不親切、形式的な説明でございます。その理由は、第一に、三年前大達文相のときであったと存じます。これは義務教育全体に対する諮問だったかとも私は心得ておる、教育委員会ばかりでございません。しかもそのときは、ちょうど全国に地教委が出発したばかりで、わずか半年を経ていなかったかと思うのでございます。しかも先ほども申したように、去年からことしにかけて初めて日本に全国にわたって町村の大合併が行われた以上は、完全に変化しているのであります。またその当時と違いまして、今日は新しいかくのごとき包括的な具体的法案ができたわけでございます。してみれば、以上申し上げたような理由によって、それを考慮して、現在ある大事なこの中央教育審議会にお問いになるということはきわめて親切であり、賢明なる文部大臣のなさることだと私は思う。ちなみに申し上げます。現在の中央教育審議会はどうしてできたか、これは、私ども先ほど申した教育刷新審議会の六年の任務を終りまして、これが解散しますときに、将来日本の教育審議に対して文部省内に中央教育審議会を置くことを最も適当と考えるとわれわれは建議をしたのでございます。その文部省に設置をしたゆえんは、われわれも携わっておりました教育刷新審議会は、内閣に属しておりましたけれども、その六年間のいろいろな経験によりまして、その不便と不合理な点もございます。結局文部省内に置かれることが適当であろうということになってこれが出発したのでございます。そうして私どもがやりましたことについては、その後の経験に徴して、またいろいろこれを考え直すという問題が必ず起る、それゆえにわれわれ委員一同はむしろ退陣して、新しい委員によって大部分現在ももちろん構成されておるのでございます。現にそういう新委員のもとに、発足以来重大な問題はすべてそこで議せられてきていると私は承知しております。さきにそれを置いて、そのほかに、あるいはその上に、伝えられるごとく臨時審議会を置くということにつきましては、また新しい別の問題が残ってくる。これは、私がここで申し上げる筋ではないと思います。
第二に私の希望したい点は、当国会、ことにこの委員会におきまして、本日かかる公聴会をお開きになったことは時宜に適したものと考えます。しかしなおお考え願いたい点は、こういう形式の公聴会には織り込むことのできないほど大きな世論が、この問題については国会の外で全国に広がりつつあるということを御考慮願いたい。これは全国の教育者あるいは学者、教育の経験者、この人たちが、それぞれふだんの主張、立場は違っておりますけれども、みなこれを憂えておるのです。また新聞、雑誌に現われた論調をごらんになりましても、この問題に対しては大きな疑義と反対を叫んでおる、こういう声は、公聴会の形式によっては盛り切れない国民の世論の一端でございます。これは、必ずしもこの法案に限ってのことではございません。国会は、さような国会の外の、あるいは国会の基礎にある公衆の世論を取り入れて、またそれを聞くことによって、ほんとうに国民を基礎に置いた国会の民主的運営ができると私は存じます。一人の政治学者として、日本の将来、また国会の、また民主主義のためにこのことをお願いしたいのであります。
最後に一言申し上げます。日本は敗戦後十年、何かしらいま一たび新しい重大な局面に立っておると私は感ずる。期せずして今期国会に提出されましたこの教育委員会の法案、さらには教科書の法案、あるいは放送法案など、一連の計画は何かを私どもに暗示する。ちょうど十年前、あの廃墟の中から立ち上ったわれわれ国民、新しい自由と民主と平和をになって参ったこの理想とは違った方向へわが日本の国は行きはしないかという、一つの岐路に立っているのではないかと私は考える。この場合、教育はまことに国の根本でございます。日本再建のいしずえであると存じます。何よりもまずわれわれ国民の一人々々は、ほんとうに自由と責任とを持って、人間の尊厳を尊ぶ、そういう国民によって組織された国家が世界のほんとうの文化と平和に寄与するものと思う。そういう国であって、初めて心から国を愛し、愛国心が油然として青少年の間にわくのである。これが新しい日本の戦後の教育改革の使命であると思う。問題の教育行政、教育の方針もすべてこれに向って進展しなければならぬと存じます。幸い本委員会を初め、また当国会におきましては、ほかならぬ教育の問題につきましては、特に英知と誠意を傾けられて、慎重審議されんことを希望いたしてやまないのであります。(拍手)発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/2
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003・佐藤觀次郎
○佐藤委員長 以上で南原公述人の公述は終りました。
これより南原公述人に対する質疑を許します。米田吉盛君。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/3
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004・米田吉盛
○米田委員 大へん丁寧な公述をいただいてありがとうございました。
まず第一点としましてお伺いしたいことは、今度の改正が、教育刷新審議会の決議の当初の基本の考え方に大へん反している、こういう御趣旨を承わりました。なかんずくその大きな一点は、選挙制度を任命制に改めたことだ、こういうように言われました。われわれも民主主義の原則の一つが選挙制度にあるということは、もちろん肯定するものですが、いかなる場合でも、国情を考えないで、あるいは経験から考えてみても、どうもそれが必ずしも成功しておらぬと判断した場合までも、公式通りに、機械的に選挙で選ばなければならぬか、この点について御意見を承わりたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/4
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005・南原繁
○南原公述人 ただいまの米田議員の御質問にお答えいたします。御承知の通りに、アメリカにおきましては、かかる教育委員会制度の場合に、州によりましては任命制度をとっておるところもあるように私ども承知しております。そういう点から申しまして、その任命制度自身がそれ自身民主主義の原則に反するという問題については、その国によってよほど事柄を考えてみなければならぬと思う。私どもの考え方によりますると、日本はまだアメリカと比べまして、ごらんの通り非常に民主主義の精神が浸透しておりません。そこで私は、特に教育は、先ほど申し上げましたように、公安委員会などと違いまして、広く民心の間に浸透させ、またその声が直接に反映されるという点に眼点を置いていくことが、特に日本の場合におきましては必要であるという点を言いたかったのであります。その後の実際の状況を見ていますと、私はここに材料を持ってきておりませんけれども、だんだん了解しておるところによりますと、選挙をやって、果して選挙がうまくいくかというと、割合成績がよろしい。多いところは七割、少いところで四割、必ずしも悪い方が多いわけではございません。これは、むしろそれを奨励することによりまして、だんだんよくなるのではないかと私は思う。このことは、同時にほかならぬ教育の民主化ということを伸張させるのに非常によいものだと私は考える。そういう意味で申し上げたわけでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/5
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006・米田吉盛
○米田委員 この基本は、今のお説を私はあくまでも肯定しますが、日本の実情判断は、私実は賛成できないと思う。日本人の性格が敗戦後五年や三年でそんなに一変はできない。そこで今までの経験からいいますと、非常に有能な人で、選挙にまで立って教育委員になってやろうという人はむしろ少いのではないか。ことに日本の家庭からいうと、婦人などは主人も承知しない。あなたのような御主人ならば別ですけれども、主人もなかなか賛成しないというようなことで、用いたくても立候補しないというような実例を私は非常に多く知っておる。そういうような点から考えれば、自治体の長も、今日公選できまるわけですから、その公選で、民意できまった長が議会の同意を得て任命するということは、あなたが大声明をお出しになるほど私は逆コースではないと思っているわけなんです。教育委員会というような重大な仕事は、その地域内の各分野にわたって、たとえば母の代表もいるだろう、あるいは言論の代表もいるだろう、分野を広げて、バラエティに富んだ理想的の教育委員会を作るという場合に、今の民度の程度で選挙をやる、この点は私はどうも納得がいかないわけであります。ことに今あなたの言われた中教審なんかは、教育のことを諮問にあずかるんですが、これは任命でしょう。それでも別に民主的のことが侵されていないという御判断らしく承わった。あるいは公安委員とか人事委員とかいうようなものが地方にございますが、これもやはり任命ですが、そうすると、あなたの説からいえば、これもまたみな否定しなければならぬ、憂うべきものであるということに結論がなるはずなんですが、そういう点、どう思っておられるでしょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/6
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007・南原繁
○南原公述人 初めの問題にお答えいたします。私は自由の身になりまして四年来、地方にときどき出かけました際に、特に教育委員会の問題には関心を持ちまして、できるだけ見聞することに努めて参ったのであります。実情につきましては、今お話しのようなところもあるようでございますし、またそうでないところもあるようであります。と申しますのは、知事などが任命をされぬ場合に、かえって想像もしないような人とか、全く思いがけない人が出てくる。婦人の場合、あるいは職能を考えてもそういう実例があると私は考える。これは具体的に申すと、両方あり得るのじゃないかと思う。そこで、よいものがございますれば、それを育てる意味において、これはもう少し長く見ておやりになっていいんじゃないか、全的に一方にきめられるべきものじゃないかと考える。
それから第二の問題は、知事が公選されておる、従って公選されておる知事が任命するのだから、すなわち公選じゃないか。これは先ほど申し上げましたように、少し形式的の議論じゃないかと思う。先ほど申し上げました通り、今後は二つの政党がお互いに競うのですから、一つの政党によって援助された知事が出る、その知事が公平を期するとおっしゃっても、その任命する委員は、やはりどうしてもそういう色彩を持たざるを得ない。教育委員会は、現在でさえもよい点があると思う。すなわち国民の側から考えると、知事の選挙とか県会議員の選挙とは違っておる、教育だというので、違った意味を込めて選挙をやるということが一方に出てくると思う。これがなくなるだろうと思う。そういう点につきまして、ただいまの点は多少材料が違うことと、見解の違う点もございますけれども、これはいい点は育て上げていいと思うのでございます。
それから最後の問題は、現在公安委員会が任命されておる、ことに中央教育審議会も任命形式ではないかという御意見ですが、これは、先ほど私が一番初めに申し上げましたように、公安委員会とは事が違う、教育のことだということを申し上げておいた。そんならその教育のことで、文部省にある中央教育審議会が任命じゃいけないので、全面的に選挙したらどうかということにつきましては、私どもの審議会——これは刷新審議会でありますが、審議会において、最後に置きみやげと申しますか、次にバトンを譲るために、文部省に一つの中央的な審議会を置くということを建議した場合には、それを選定する方法はついておると思うのです。文部大臣だけの一方的な任命をしていないはずなんです。各種の団体から代表者を出してあると思います。そして、その中から国会の承認を得るとか、あるいはこれによって文部大臣が任命するとかいう手続になっておるのです。これは、全国的に選挙するということは不可能であります。そういう民主的な建議をしておったはずであります。それが今日のようになってしまったところに問題があるかと考えます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/7
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008・米田吉盛
○米田委員 今のお話からいうと、地方の長は教育に無理解で、政党色一本でいく危険があるというお考えに立たれているようであります。人を見ればどろぼうと思うという考え方じゃないかと思います。私は、日本の伝統から言いまして、地方の長は、特に事教育については非常に大切に扱ってきたと思います。この点は材料が違うとかなんとかいうことをおっしゃったようですが、事実の材料を一つお調べの上、お考え直しを願いたいと思う。日本の長は、多少の政党色を持っている者はありますけれども、ほんとうから言えば、一たん社会党の長がその任に当っても、社会党の教育なんというものがあるはずはないのですから、保守党の人が出ても、共通の広場に立って住民のためにやっているという事実を私はたくさん見ておる。この点はもう一回お考え直しを願いたいと思う点であります。
それから第二の点としてお尋ねしたいのは、非常にたくさんの陳情が来ておるのです。あなたは教育者ですから、教育オンリーの立場でものをお考えになるということは、私はある程度許さなければならぬと思う。しかし日本は、教育ももちろん発展しなければならないが、バランスのとれた発展をしてこそ教育もまたほんとうに発展すると思う。そういうことを考えていきますと、日本全国からの非常にたくさんな責任ある首長——町村長、知事、あるいは議会の議長が、現在の教育委員会制度について非常に困っている。だからその困る点を改正してくれという要望も熾烈であるということを、およそあなたは御存じだろうと思う。今日、民主政治でありますから、多数の要望を政治の上に織り込んでこたえるということもしなければならぬと思う。こういう点から、赤字の原因、二重行政の原因などについていろいろの要望があっても、全くそのままでいいとあなたはお考えですか。現行でよろしいとあなたはおっしゃったのですが、教育プロパーの立場から全体の国政を論ずることが政治学の正しい立場であろうと思います。その点を一つ承わりたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/8
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009・南原繁
○南原公述人 ただいまの日本において、知事のうちには、なかんずく教育については練達の人もあるし、また一番公平にこれを考えて処置する人もあろうし、それが大体の原則であります。私はそういう人もあると思います。またあることを認めます。けれども、そうでない事例もあるやに思います。そういう事例は別といたしまして、現に文部大臣などにおかれましては、これは党議できまったのだ、それだからこれをやるんだというふうなことがときどき出ることがあるように思うのです。政党から出た首長、これは地方の首長の場合でも、ある場合には全く無色で忠実だということはあり得ないと思うのです。特に尊重さるべき教育でありますけれども、そういう傾向がありはせぬかというおそれを私は抱いておる。また受ける側におきましても、教育長とかあるいは教育委員ということになると、そういう点についてそれ以上に非常な危惧を抱くということも無理からぬことだと思います。
それから第二の点の、教育というのは単に教育者の立場ばかりではいかぬのだ、これはごもっともだと思います。私は教育者の一員であると同時に、また政治の点も考慮しておるつもりでございます。従って、地方自治の首長の側の御主張も多少承知しておりますけれども、これは、十分議論をすればだんだんわかると思うのでありますが、たとえば財政の問題、それからまた選挙にからんだ問題、そういうことがきわめて重要な問題になるのじゃないかと思うのであります。この点も私は材料を持って、私の結論を出すには多少これを参考にしたつもりでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/9
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010・米田吉盛
○米田委員 もう一点だけ。私は今の教育に統制が若干ありともし考えるなら、むしろ日教組の統制が、形式は別として、実際的には相当強いのではないかと思う。その点、かなり前から私らは多数の国民からも聞いておるし、われわれも感じておる。この点についてあなたはどうお考えですか。全然これは不当な支配はない、実に日教組というものは理想的なものだという御判断でございますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/10
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011・南原繁
○南原公述人 私は、日教組の内部の者でもまた直接深い関係を持っている者でもございませんから、詳しいことも知りませんけれども、私の見方によると、教員の組織しておる団体、大学教授につきましては大学教授連合というものがございます。これとただいま問題になっておりまする、国家の権力を持って代表していらっしゃる方々の問題とはだいぶ違ってくると思います。日教組の問題につきましては、私はかつてそういうことを書いたこともございますけれども、五十万といい、三十万という組合員というのはみな教育者なんです。従って、一人々々がほんとうに意見を出して下から盛り上っていって、これが一つの団体の意見になるということは奨励すべきよいことだと思います。それがあるいは長い沿革の発達の過程におきまして、そのときによってあるいはその間にいろいろな運営の仕方があったかもしれない、あるいはその点については問題とする点があったかもしれない、しかし、これは時をかせば必ず改善されると思う。そういう意味において、かような任意団体の存在はあってもいい。だから問題は、私はそういう学者とかあるいは教育者の任意的な問題と、ここで問題になっている国家の権力とか地方の権力という問題とは性質が違うと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/11
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012・米田吉盛
○米田委員 これは、日教組の内容の判断の問題ですから、誤診があるかないかはお医者によって違うわけです。これはちょっと今言う必要もありません。日本が敗戦後かれこれ十年、この間にいろいろないき方があった、敗戦直後には萎縮した気持もあった、あなたは別として、萎縮した気持は全体的であった、そういうことから、基本は民主主義の理論に置きながら、この十年の経験から反省して、そうして真実の精神的独立、これをやるために、基本の民主主義を堅持しながら、この公式の民主主義から応用の段階に入った、これは私はある意味において進歩だと思う。この見方を、雑駁に見て逆コースだという言があります。それから、そうでなく、現状を維持していこうという考えについては、また右翼からはこれまた一がいに赤呼ばわりをします。非常に雑駁に右と左から言葉の応酬をしておる現状だと思います。こういう点は、一つ学者などは特に考えていただいて、私はいよいよ日本にほんとうにふさわしい、日本的の民主主義応用の段階に進歩してきた、これがほんとうの民主主義の完成期であるという考えであります。その点から、もろもろの改正が若干ある、これに驚いてはいかぬと私は思う。公式ばかりが民主主義でない、こういうことを一つあなたに御見解を承わりたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/12
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013・南原繁
○南原公述人 ただいまの問題は、私はきわめて重大だと思います。と申しますのは、民主主義というものは、御承知の通り、単に国会において、あるいは地方の議会において、多数、少数をもって争うということだけの形式的な、そういう民主主義じゃございません。ただいまお話しがございましたけれども、私はそれに対して意見がございます。民主主義で一番大事なのは民主主義の精神、理念、筋金であります。ほんとうに人間の自由を尊重し、人間の人格を尊重していく、それを中心にしての政治であります。これが一番大事でございます。不幸にしてこの点については、日本は、全体としましてまだまだ出発したばかりであります。決してこれが完成期などということは思いません。従って、特にこの問題は、逆にこういうこともあり得ると思うのです。一方には民主主義の名において、反民主主義の立法や政策が行われる可能性が十分ある。この危険に対して、われわれは十分に警戒せねばならぬと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/13
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014・佐藤觀次郎
○佐藤委員長 辻原弘市君。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/14
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015・辻原弘市
○辻原委員 南原先生に一、二点簡単にお伺いいたしたいと思いますが、第一にお伺いをいたしておきたい点は、過ぐる三月の十九日に出されましたいわゆる学長声明の問題でございます。この声明が出されまするや、この教育委員会法はもちろんのこと、先ほど先生が指摘されましたその他教育基本法の問題ないしは教科書法案の問題等等、最近政府が改正を企図いたしております教育の傾向に対して、世論の上に非常な刺激を与えたということは事実でございます。ところが、この学長声明に対する真の意図というものがどこにあるかという点について、それぞれ私どもといたしましては、先ほどの先生の公述によりましても十分わかったわけでありますが、はなはだ残念ながら、その後この問題を中心にいたしまして政府を代表する清瀬文部大臣にただしましたところが、必ずしも先ほど先生が公述になりましたような、そういった教育の根本理念に対する十分な解明という形においては受け取られていない節々があるようでございます。その一例といたしまして、声明が出ました翌日の新聞に文相の談話として伝えられるその中には、今も米田委員から若干それに似た発言がございましたが、いわゆる公式的な民主主義である、あるいはこれは事実かどうか知りませんけれども、小学生あるいは子供の民主主義であって、そういうことは生きた社会、実際の政治の上において採用できがたいものだといったような、そういう文部大臣としての見解が一部発表せられております。さらに当委員会におきまして、その後の質疑応答におきましても、これは一部の人たちによる、しかもガリ版刷りによる声明である、従ってそのような意見によって一々法案を左右するというような軽々なことはできないんだといった文相の見解が吐露されておるのであります。これはごく一例でありまするが、この学長声明に関しまする文相の考えというものは、随所に大同小異、いわばこの声明を出した方々は、法案の内容、また政府が企図するその考え、さらには実際の教育行政、こういうものに対して十分なる知識と実際上の経験を持ち合わさないためにこのようなものを出したのだ、かように解釈をしておる、総じて申し上げますれば、こういうふうに言っておるのであります。しかりといたしまするならば、私はせっかく純粋な教育的な立場、ないしは学者としての立場から出されました声明なりその見解というものが、実際の政治の上には反映していない点もあるのじゃないか、こういうことをひそかに心配するのでございます。そこで、果して文相がおとりなさっていらっしゃるように、これを出された場合に、十分法案の内容を検討されなかった、または実際の教育行政についての各般の意見あるいは実際上の経験、こういうものをお持ち合せにならなかったような、そういう軽々しい形において出されたものであるかどうか。私はこの機会にその点を、その中に加わっておられます南原先生から十分なる解明をいただいておきたいと思うのであります。これが私の質問の要旨でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/15
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016・南原繁
○南原公述人 ただいまの辻原委員の御質問につきましてお答えいたします。私は、一国の総理大臣がどなたであろうとも、また文部大臣がどなたであろうとも、そういう方たちと、また国民との間において、問題はこの場合、私ども意見の相違はあってもいいと思う、またあり得ると思う。けれどもその意見の相違が、たとえば今回の場合に、私ども子供の時代の単なる興味だ、あるいは経験未熟であるとか、全然事柄を知らぬ人たちの意見である、そういう言葉の応酬はしたくない。私は直接聞いておりませんから、新聞の伝えるところでありますが、おそらくは日本の文相はその通りの言葉でなかったと信じたい。本日公述いたしたところによってもおわかりの通り、私は自分のことを自分で申します。私どもながらに一生涯を教育と学問にささげ、また私どもの仲間の皆さんは、戦後教育の改革に参与した人間であります。今回の法案についても、私ながらに材料も読み、また研究もしております。それだけのことを申し上げておきます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/16
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017・佐藤觀次郎
○佐藤委員長 篠田弘作君。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/17
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018・篠田弘作
○篠田委員 南原先生に一つお伺いしたい。今回の教育委員会制度と教科書の問題について、あなた方教育学者のグループの方々が声明された。この声明書の要旨は、今回の教科書並びに教育委員会の改正というものが、ようやくにして健全に育成されつつあるところの国民教育の前途に対して国家的な統制を加えるおそれがある、あるいは教育の自由を束縛するおそれがある、こういうような意味で、もしこの改正が行われるならば、日本の国民教育の前途というものは憂慮にたえない、こういうふうに概括して言っておられると解釈してよろしいかどうか、それを一つお尋ねしたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/18
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019・南原繁
○南原公述人 それも一点でございます。といいますのは、先ほど冒頭に私が公述申し上げましたように、一番初めの現行の法案が審議され、また可決されました理由には、何をおいてもほんとうの日本の先ほど申した自主的な意味においての民主主義的な教育、ことに従来の日本の一つの大きな欠陥は、文部省とのつながりにおいて、教育の中央的な統制と画一主義ということは何としても争うことのできない問題である。これをなくしようというので、全く新しい制度に移ったものですから、この制度に対して、また中央との連絡が起るとか、たとえば出発した公選制が中央とつながった意味においての承認とか任命とかいうことになると、その傾向としては違った方向に行くということをわれわれおそれたのが第一点であります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/19
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020・篠田弘作
○篠田委員 そうしますと、あなた方は、今回の改正が日本の教育の民主化をはばみ、あるいは国家の言論並びに教育に対する統制が復活するということをおそれられておると思うのでありますが、同時にたくさんの国民の中に、現在のいわゆる教育の現状こそ、まことに憂慮にたえないものであるという心配を持っている部分も非常にたくさんあるという、そういう事実をお認めになるかどうか、それをお聞きしたいのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/20
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021・南原繁
○南原公述人 現在の教育につきましては、新しい改正の出発後わずかに十年あるいは数年であります。その間において、客観的事実としましては、まだまだ十分なところにいっていない、まだところどころに多くの欠陥があり誤まりがあるということは、一般的に考えられ得ると思います。私は事実について、どこにどういうことがあったかということについては一々検討はしておりません。けれども、世間においてそういう一つの声もあることを知っております。また新聞などにおいても知っております。かりにそういう点はあるとして、またよい方面もあるということをお考えになれば、これはやはりよい方を育てて、そして悪い方をとっていくということにもなっていく。逆にその欠陥があるからといって、それがために他に響くようなことがあっては、根本的に触れるのではないかということをお考え願いたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/21
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022・篠田弘作
○篠田委員 そうしますと、これは育て方によったものであって、たとえば一つの苗を育てるにも、虫がついて、その虫を先に取るという方法もあるし、虫の卵はそのままにして肥料をかけるという方法もある、いろいろあるだろうと思いますが、今先生のおっしゃることは、悪いところがあるけれども、それは過渡的な問題であるから、しばらく目をつぶってよい方を育てようというお話のように私は承わる。しかし、それは絶対のものではないと私は思う。悪いところがあれば悪いものを除去しつつよいものを育てるということが、私は一番いい方法であると思う。稲に虫がつくならば、稲の虫を取りつつ、また肥料を与えるということでなければほんとうにりっぱな米は育たない。日本の教育にしましても、現在のすべてが理想的に行われているというわけではないのであります。改正すべき多くの点をあなた方が御存じであるならば、あなたは先ほど超党派的運営ということを言われましたけれども、もし超党派的に、真に学者の立場において、教育者の立場においてものをお考えになるならば、現在の日本の教育というものが果して全部理想的に行われているかどうか、少しも改正すべき点がないのであるか、少しも憂慮すべき点がないのであるか、こういう問題をお考えになれば、やはり悪いところは是正しつつよいところを育てるということが一番いいのじゃないか、こういうふうに私は考えます。
そこで今度あなた方の声明を見ますと、これは国家的統制の復活なり、言論、思想の自由を脅かすものであるといって、改悪の方をばかり言っておられます、これは私は少し飛躍しているのじゃないかと思う。その点について、あなた方は全然あなた方の声明が正しいというふうにお考えになっているかどうか。これを一つお聞きしたいのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/22
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023・南原繁
○南原公述人 先ほどの第一点の問題でありますが、私は、何も悪いということがはっきりわかっているのをいつまでも置いておけということを申しておるのではありません。それはもとより直しつつ根本的な大事なところを育てていくということを申しておるのであります。
それから、それとこの委員会の問題になっております教育委員会法の問題について考えてみますると、私の申しまする、きょう公述いたしましたような根本原則に関する点は、まさにこれこそ守って育てていかなければならぬということを申しておるのであります。また私ども十人がやりました声明の中には、現在の教育制度が完全なものとは決して申しておりません。施行なお日が浅いから、いろいろ考えるべき点もあるであろうということを申したのであります。その第二段の、現在の教育委員制度について申しましても、きょう私が公述したところによりましていろいろ考えられる点があるだろうと思う。その根本原則というものはちゃんと守りつつ、これをいかにしてよく育てていくかということは、ことに今日町村においていろいろな変化があったということを考慮して、十分お考えになる余地があるのじゃないかということを申しておるのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/23
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024・篠田弘作
○篠田委員 そうしますと、今度の教育委員会の改正に当りまして反対を唱えられるごとく、昭和二十七年にこの委員会が発足いたしましたときに、現在あなたの声明に賛成しておられるところのたくさんの学者、名前をあげますと、東京大学の五十嵐さん、広島大学の長田新さん、東京大学の宮原さん、あるいは東京大学の宗像氏であるとか、現在あなたの声明に対して賛成の署名をされておるところの人々が、今からわずか三、四年前に教育委員会を設置しましたときに、同じく教育学者の見解としてこういう声明を出しております。「われわれは、教育学者として、日本の教育全般に決定的な作用を及ぼし、のみならず地方行政に対し、ひいては国民生活全般に対して甚大な影響を及ぼすこの制度が、十分な検討を経ないで唐突に実施されることを黙過し得ない。けだし教育に関する意思の主体は国民自身であり、地方住民の何等かの形における教育行政参加の必要であることは疑ないところである。しかし一方では現在における国民の教育委員会に関する理解の程度、他方では市町村の間にある文化水準および行政的、財政的能力の差異を考慮するならば、今一挙に一斉に市町村教育委員会を置くことは到底賛成できないのである。」という声明を出しておる。これに対してあなた方同じ学者が三年前にこの教育委員会を作るとき、これほど強硬な声明を出しておきながら、それを今度政府がその一部を改正するというときに、また全面的にこれが改悪であるといって反対される理由は一体どこにあるか、それを御説明願いたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/24
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025・南原繁
○南原公述人 先ほどの御質問に一つお答えしてないことがございますから、それを一つ先に申します。私ども発表いたしました中に、将来言論の統制に関する危惧があるということを書いておるのでございます。これは御承知の通り、ひとり教育委員会の法案だけでございません。教科書法案や、ことにラジオの法案というものは、私どもには重大に響くのでございます。こういうことと相待って、われわれは満洲事変以来経験しておるところでございまして、それが積み重なって、知らない間にこの点がだんだん拡張してくるということをわれわれはおそれるものでございます。
それから第二の点でございますが、三年前に地教委が全国的に出発したときに、ある学者のグループがそれに対する異なった態度をとったというお話でございます。これは実は、私の答える限りじゃないだろうと思いますが、お答えいたします。と申しますのは、今回私ども十人の同志の中には、今おあげになった名前は少くとも入っていないと思うけれども、おそらくはわれわれの観察としましては、先ほど冒頭に公述いたしましたように、その教育刷新審議会においても、全国の町村一切にということはなかなか困難である、従って、これは時をかして出発してもいいのじゃないかということをわれわれは審議会でさえも考えたことがあった。それでおくらしておったわけです。それをいつ出発するかということについては、政府、与党にも、そのときの国会にもいろいろ異論もあったようであります。そして遂に出発した。そういう背景でございますから、一部の学者たちは、そういうことのお考えのもとに慎重にということを考えたのじゃないかと思います。今日三年やってみまして、案外成績のいいところもずいぶん多くなっているというような問題もあるということであります。ことに先ほど申しましたように、町村の合併ということで、おそらく三分の一か半分以下になったのじゃございませんか、そういうことを考えると、教育委員会の問題というものは、違った角度から見るということもまた起るのじゃないか、そういう点もお含み願いたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/25
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026・篠田弘作
○篠田委員 それでは、三年前にこの委員会を作るときには、あなたのような賢明なお方ですら、もう少し研究をして時をかしたらいいじゃないかというふうにお考えになった、ところがそのときに、時の政府、与党がそれを押し切ってやってみた。今日三年たってみると、当時自分が考えたことよりも案外よかった、であるから今日はこれを改正することには反対だ、こういうふうに言われるならば、学者全体、特に教育学界の諸君の反対声明にもかかわらず、政府がやったことの方がむしろ今日あなた方見てよかったということになると思うのだが、その点はいかがですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/26
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027・南原繁
○南原公述人 これは、先ほど申したように、私自身のことじゃございません。私どもは七年前に、教育刷新審議会の一人としてこの問題を審議したのです。そしてこの委員会が地方自治体に属したのは、それから四年たっての三年前であります。私はそのときに、決して発足して悪いということを申しておりません。私の問題としては御質問に答える必要はないと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/27
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028・篠田弘作
○篠田委員 南原先生がこの反対の中に参加されていないということは、私も知っておる。しかしあなた方がどんなにお偉くても、あなた方十人の声明というものが、賛成者なくして国民の共鳴を得たり、国民を動かしたりすることは絶対にありません。少くともあなた方の教えている生徒くらいはあなた方に信服しなければ、教育の目的は達せられるものじゃない。そういうことからいえば、あなた方十人の声明について、数百名の学者がまたそれに賛成しておる、それが一つの世論となって、あるいはそれが学生を動かし、あるいは世論を動かし、国民を動かして、初めてあなた方の声明というものは効果を生ずる。そういう意味からいうならば、それが民主主義なんです。あなたは東大の前総長であって、幾らお偉くても、あなた一人であるならば、それは民主主義じゃありません。そんなことはあなたに申し上げる必要はない。だから、あなたが関係しておるとかおらないという問題でなくして、あなた方の声明に対してどれだけの学者が支持しておるかということが問題です。そのあなた方の声明に賛成されておる学者の多くが、三年前にはこの教育委員会の設置について反対されておる。
もう一ぺん念のために読みますけれども、ここにはこういうことが書いてある。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/28
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029・佐藤觀次郎
○佐藤委員長 篠田君、なるべく簡単に願います、時間がなくなっておりますから。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/29
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030・篠田弘作
○篠田委員 「また巨大都市と小町村との文化水準およびその行政的、財政的能力の差異は誰の目にも明らかである。かかる実情を無視して、早急に、同一の権限をもつ教育委員会を設置することの無謀は明瞭であろう。特にわれわれは、市町村教育委員会が教職員の人事権を持つことを重視する。無理解な住民によって選ばれた教育委員が、教育を不当に圧迫することはないか、各々独立した教育委員会の間に、教職員の人事の交流が適正に行われるという保障があるか。これくらいは教育学者としてのわれわれの重大な関心事であり、著しく不安を覚える点でもある。」ということが、この教育学者の声明です。
たくさんありますから、一々読み上げたら時間がありませんから申し上げませんけれども、しかもこの教育委員会の一部法律の改正のときには、社会党の委員諸君は総退場をしたのです。そういう事実もある。ところが、それほどやって設置に反対した教育委員会を、今ここでわれわれが少し改正しようとするときに、今度は逆な態度にあなた方が出るということは……。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/30
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031・佐藤觀次郎
○佐藤委員長 篠田君に注意します。ちょっと……。篠田君、発言を中止します。
〔篠田委員「何だ、何のために発言を中止するか。」と呼ぶ〕発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/31
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032・佐藤觀次郎
○佐藤委員長 君は初めて来て、社会党のそういうことを言うのはけしからぬ。そんなばかなことはない。公述人に……。
〔篠田委員「あとでやりたまえ、公述中にやる必要はない。何を言うか。——何を言うか。それじゃ君らが自由党のことを言ったことはないか。何を言うか。そういう発言を制限する必要はない。悪いことがあるならあとで注意したまえ。何を言うか。」と呼ぶ〕発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/32
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033・佐藤觀次郎
○佐藤委員長 簡単に願います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/33
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034・篠田弘作
○篠田委員 私は事実を述べておるのであって、社会党を誹謗しているのじゃありません。あの教育委員会の改正をやった昭和二十年の委員会において、社会党の委員が反対して総退場した。しかも教育学者の大部分は、今私が読み上げたようなこういう声明を発表して反対した。しかるにわずか三年のうちに、その総退場をした社会党が全部賛成の側に回る。こういう重大な声明をしたところの教育学者が、それを忘れて、平然として、この教育委員会というものは礼賛すべきものであると言う。その不見識、一体これをあなた方は何とお考えになるか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/34
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035・南原繁
○南原公述人 お答えいたします。私は社会党のことまではお答えする必要はございません。学者であるわれわれの直接間接感じておることは、おそらくそういうことだろうと思う。先ほどお話しの教育長によって人事の任免が左右される、その間に正しくないことも起り得るという点がある。これは大事な点であろうと思う。教育にとりましては大事な点であろう。そういうことにつきましては、必ずしも円満にいっていない、こういう点について多くの意見もあるようであります。現在の教育委員会の運営をやっていく上で、すべての学者や教員諸君が、謳歌しておるわけじゃありません。そういう点に問題がたくさんあるのです。けれども三年前に発足した委員会、ことに最近において、先ほど繰り返して申し上げましたように、町村が大変革を来たしておる。ほとんど郡単位にまでなっておる。ある郡のごときは、町村が全部一つの市になった、そういう状況を十分に考慮すると、この教育委員会というものは大組織になる。そういう点は新しい一つの問題だと思う。そういう点は十分考えなければならぬ。三年前にはそういうことじゃありませんでした。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/35
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036・篠田弘作
○篠田委員 だから、学者というものは三年後を予想することができないというところに、あなた方の声明というものが必ずしも正しいものではないという考え方を私らも一部持ち、国民もまたそういう考えを持つ。三年後を予想しない教育なんてありません。百年の大計とおっしゃるあなたの方が、三年後のことを予想しないで、百年の大計が立ちますか。
私は南原さんに対する質問をこれで打ち切ります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/36
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037・南原繁
○南原公述人 今のは御質問でないようでありますけれども、幾分その意味があったと思います。
私どもが三年、五年前に、実際にどういう政治が行われるか、それが通るかということまでも予想する、それによってそのときのことを考えるということじゃございません。私どもが憂えておるのは、そうでなくて、むしろ今日果してこういうことが実現しやしないかということを憂えておるのであります。そういう点について十分一つお考えを願いたい。これも三年たってそういうことがなくなったとなれば幸いだと存じます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/37
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038・野原覺
○野原委員 議事進行について私発言を求めますが、ただいま篠田弘作君の発言中に事実と相違した点が二、三ございます。従って、私は事実に相違したその発言の個所については、委員長においてよく調査をされて、もし相違しておる個所が明確になりましたならば、直ちに速記録を訂正されるよう要求いたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/38
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039・佐藤觀次郎
○佐藤委員長 調査してそう取り計らいます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/39
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040・鈴木義男
○鈴木(義)委員 ただいま尊敬する南原さんからまことに適切な御意見を聴取いたしまして、この機会に関連質問として、ひとり教育に関して造詣が深いだけでなくて、政治学者としての南原さんでありますから、わが国の反動化の傾向について、どういうふうにお考えになっておるか、教育委員会制度をその一つとして、御意見を承わりたいのであります。
終戦後のいろいろな民主的な制度、あるいはこれを押しつけられたものと言い、与えられたものと言い、いろいろに攻撃をいたしておるのでありますが、どういうふうでもよろしい、とにかく理念としてはよい制度であるとして受け入れたはずであると思いますが、それが御承知のように、わずか十年足らずのうちに、続々元に戻さんとする動きが非常に強くなっておるわけであります。憲法においては、御承知のように憲法そのものを改正しようとする運動があり、あるいはわれわれの時代に、警察制度というものを民主化し、地方分権化した。これも、作るときは非常な議論がありまして、わが国には適切でないというようなことで、私自身も非常に疑問も持ち、煩悶もしつつ、しかし理念としてはよいものであるから、イギリスでも長くやっており、アメリカでも長くやってりっぱな成績をおさめておる民主的警察の制度であるから、わが国でもこれを実施することが望ましいということでやったわけであります。ところがわずかに四、五年にしてまたもとに戻して、中央集権の国家警察とまでは申しませんが、ほぼこれに近いものにしてしまった。これには財政上の理由もあり、いろいろありますけれども、しかしあらゆる困難を克服して、警察の地方分権化というものはやはり貫くべきであって、万一いけないとしても、わずか四、五年や十年でこれを変えるということは、あまりにも制度の改革に対して信念がないやり方であるとわれわれは憂えておるわけであります。ところが同じことが教育委員会の制度にも現われ、あるいは教科書の検定制度にも現われ、あるいは放送その他の問題にも現われてくる。御承知のように、選挙制度まで改正をして、ある種の目的を達しようとしておる。こういうことは、わが国の民主化という見地からいって、何ものを犠牲にしてもポツダム宣言を受諾した以上は、わが国は徹底的に民主化せる政治を行うということを、世界に向って約束したはずでありまして、その線から考えて、一体五年や十年で結論を出すことが妥当であるかどうか、そういう点について、一つ政治学者としての南原さんの御意見を承わっておきたいのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/40
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041・南原繁
○南原公述人 今鈴木委員のお話のいろいろな広範な問題でございますが、私は本日のこの委員会の問題となる教育を中心としてお答えいたしてみたい。教育委員会の問題は、先ほど来申し上げた通りで、教科書、さらにそれに関連しまして同じく言論というものに結びつけた今の放送法というようなもの、これら一連の問題は、先ほど申した通り、とにかく何か異なった方向に向いつつあるという危惧を非常にわれわれに与えておるということは、これは事実でございます。そのことが、先ほどお話しになったその他のいろいろな政治的な背景というものと相待って、政治家は考えているということでありましょう。またこれについて、いろいろ御議論もありましょう。とにかくこういう問題について、今日本は重大なる一つの局面に立っておるというふうに私は感じるのであります。なるほど占領時代においていろいろなものをこしらえて、それについて運営上非常に誤まりだったということが明らかに見えることもありましょう。しかしながら問題は、その機会において根本的な原則に触れるものまでもそれが変えられる。何のためのあの戦争の犠牲だ。単に占領されたときの立法だからといって済まされぬ。この無血革命をどう考えるかということは、子孫のために重要なる問題だと思うのであります。その点について私どもは心配しておるのでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/41
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042・佐藤觀次郎
○佐藤委員長 鈴木義男君、簡単に願います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/42
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043・鈴木義男
○鈴木(義)委員 わが国において二大政党の対立がうまくいかないのではないかということを心配する人々の一つの根拠は、甲の党が政権をとって実施したことを、乙の党が政権をとると片っ端からこわしてしまう、さらに甲の党が政権の座につきまするならば、またこわしてしまうということを心配しておるのでありまするが、これは抽象的に言えば切りがありませんけれども、確かに民主化の制度を片っ端からこわしつつあり、まさに世をあげて反動時代に入りつつあるという印象を払拭することができないのであります。昨晩イギリスの前の外務大臣であり、労働党の副党首であるハーバート・モリソン氏と懇談をいたしたのでありまするが、イギリスでは選挙制度のうち——ずっと小選挙区でやってきたのでありまするが、選挙区を公正にきめるために、バウンダリー・コミッティ、区画制定委員会というものが設けられてあるそうであります。衆議院議長が名義上の委員長になっておって、二人の法律家と二人の役人の古い人、一人の学識経験者というような、五人からなっておるそうでございまするが、それがきわめて数学的に、機械的にやっておる。あまりに機械的であるために、どちらの党派でも不満であるけれども、いやしくもこれがきめたものはそのまま守っていく、労働党のときに作ったものであっても、保守党になっても決してこれを変えない、一事が万事で、いろいろなソーシャリゼーションの問題でも、労働党がやったことをこわしたものが非常に少い。こういうことを考えますと、りっぱに二つの政党が互いにかわるがわる政権を取ることが可能であるが、わが国においてはそれが非常に心配されるのは、イデオロギーがあまりに違い過ぎるというところにあるように思うのであります。政治学者としての南原さんであるから、私はこの際承わっておきたいのでありますが、互いに謙抑して、民主的に他の党派がやった政策、あるいは民主化の制度というようなものを、あまりに短かい経験のうちに破壊する、やり直してしまう、あるいはもとに戻すというようなことをしないことがやはり政治上の経験としては大切なことではないか、そういう点について一つ御意見を承わっておきたいのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/43
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044・南原繁
○南原公述人 なるべく教育の問題にしぼって、その問題にお答えしたいと思います。お話しのように、私ども国民の一人として、日本の前途、ことに国家意思の全体に対して非常に心配している点が一つある。それはまさにお話しのように、いわゆる保守革新という両陣営の対立ができたことは、まことにけっこうなことでありますけれども、これがあまりにも懸隔して、根本的に全く違ったイデオロギーの上に立っている、つまり議会の共通の地盤、土俵というものがないのではないかということであります。それでは、お話しのようにこれは永続いたしません。何か知らぬが、両方に違った政綱を持っているけれども、共通の立場に立った政治でなければならぬということを考える。そのためには、今鈴木委員がおっしゃったように、私は率直に申して、日本の社会党もいよいよ本腰を入れて具体的に現実政策を打ち出して、日本の将来を背負って立つという覚悟とその準備をしなければならぬ。同時に日本の保守党は、新聞の伝えているところによると、保守という言葉をきらっている。イギリスの保守党は——私は保守党の領袖にも会ってきましたけれども、イギリスの議会主義、イギリスのデモクラシーは、一朝一夕にできたものではございません。百年、二百年の間の革命の犠牲を払ってやったものであります。すべてが民主に徹している。生れながらにして民主主義の国である。そういう意味におきまして、日本の保守党の方たちも、共通の立場に立って、国民の自由を守り社会の福祉を守るという方向において、共通の地盤のもとにやってもらいたい。教育の問題はまさに民衆の自由、単なる国会の多数とか形式ではございません。その実質の理念の問題でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/44
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045・佐藤觀次郎
○佐藤委員長 これにて南原公述人の公述及びこれに対する質疑は終了いたしました。
南原公述人には、両法案に関する貴重な御意見をお述べいただきましたが、御意見は今後の委員会の審査に多大の参考となるものと存じます。まことにありがとうございました。
次に、関井公述人より公述を承わるのでございますが、この際一言ごあいさつ申し上げます。
関井公述人には、御多用中にもかかわりませず、貴重な時間をさいて御出席をいただき、厚く御礼申し上げます。何とぞ両案につきまして、あらゆる角度から忌憚のない御意見を御発表下さいますようお願いします。なお公述その他につきましては、お手元に配付いたしてあります注意書の要領でお願いいたします。
それでは関井公述人に御発言を願います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/45
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046・関井仁
○関井公述人 茨城県石下町長、全国町村会長でございます。地方教育行政の組織及び運営に関する法律案の御審議に当りまして、住民とともに常時地方にありまして、その福祉増進のために地方行政の第一線にあります町村長を代表いたしまして意見を申し述べまする機会を与えられましたことにつきまして、厚くお礼を申し上げます。今回公述されます方々のお顔ぶれを見まするに、おそらく本法律案に賛意を表される方々は少数であり、多くは昨今反対の立場に立った方々であるとお見受けをいたします。従いまして、私の発言はきわめて重大な意義を持つものと思いますが、このような場所にもなれませず、話も至ってまずうございますが、お聞きとり下さいますようにお願いを申し上げます。
もともと現行の教育委員会制度は、設置当時から問題をはらんでいたものでございます。文部省といたしましても、不本意のうちに提案を余儀なくされたものではなかろうかということは、昭和二十七年の六月十三日の文部委員会の際におきまする久保田政府委員の御発言の中に、当時の司令部筋にそれを完全にのませることが非常にむずかしいということのために、その設置単位の問題、選出方法の問題、また内容、権限というようなことについての問題が、いわば触れられずに時間を経過し来たっているのが実情だ、こう言われておるのであります。市町村教育委員会全面設置を一年延期するための教育委員会法等の一部改正法律案が第十三国会におきまして審議されております昭和二十七年六月前後におきましては、教育関係者の意向は、市町村教育委員会についてほとんど設置反対でございました。すなわち日本教職員組合が教育委員会の市町村設置反対でありましたことは、当時公表されました教育委員会法に対する日教組の基本的態度に明記されております。今日われわれの教育委員会制度改廃の理由とするところのものを列挙しておるように私は記憶をいたしておるのでございます。また教育学者が市町村教育委員会の設置反対の態度をとられましたことは、当時発表されました教育学者の市町村設置反対理由という声明で、先ほど篠田先生が申されたので重複を省きますが、そういう点が各方面に発表になったのでございます。ところがそれから三年、当時おそれられ憂えられておりました弊害が、そのまま現実となって現われておるのであります。しかるに当時反対の立場をとられました教育関係者の方々が、今日に至りましてこの現実を無視して、現行教育委員会制度を是なりとして改正に反対されておるのでございますが、この三カ年間の経過を見ましても、教育委員会制度改廃の世論が非常に強く起ってきた事実は無視できないと思うのでありまし、新聞等を見ましても、最近は非常に変ったようでありまするが、当時われわれ全国の町村あるいは全国の市あるいは知事、これらの団体が反対をいたしておりまする当時は、相当同情の言論が多かったのでありますが、昨今変ったようでございます。結局昨今教育の危機として反対世論が盛んに起っておるようでございますが、私どもは、この現行教育委員会がなければ教育の支柱が失われるという基本的なこれらの反対論に対しまして、何とも納得がいかないのでありまして、地方住民と関係なく、このわれらの教育に関する世論がどこで指導されておるのか、どこでこういう世論が製造されておるのかというようなことにつきまして、私ども実直な公僕町村長といたしまして、そういう点の今後の問題等を考えますると、非常に不審を抱いておるのでございまして、何らかの理論以外の主観的立場が交えられておるのではないかと邪推をいたしたい気持に追いやられておる次第でございます。またことにその方々が有識の方なるがゆえに、国民に対しまする影響も従って大きいと思っておるのでございまして、十分慎重にやっていただきたいと存ずるのでございます。まず説を立てられるに当りましては、現実の行政の運営の実態を十分分析、御検討の上とは存じまするが、私どもの見解との開きがあまりにも大きいことを残念に存ずる次第でございます。
先ほど南原先生の陳述に、町村合併があり、区域が拡大されたから違ったんだというような御意見があったようでございますが、これははなはだ思いつきの御意見ではないかと思うのでありまして、これにつきましては、私後刻御説明をいたしたいと思います。もともと私ども町村長は、自治体の代表者といたしまして、ここ数年来ともに机を並べ、ともに教育を語り、友人であり同志であり同僚である教育委員会の方々の廃止を主張して参ったのでありまして、情においてまことに忍びがたいものがありますが、これは、実にこの制度の中に重大な欠陥がある、これに原因をいたしておるのでありまして、今日におきましても、この主張を堅持しておる次第でございます。今回政府におきまして立案の上、国会に提案を見るに至りました表記法律案を見まするのに、かなり町村の実情をしんしゃくいたしまして、現行の教育委員会制度の弊害を除去する措置がとられまして、町村行政一元化への配意がかなりなされております。教育委員会廃止の主張を放棄するものではありませんが、この法律案の今次国会におきまして成立を見まするように、切望をいたす次第でございます。私どもは何ゆえに教育委員会の廃止を主張し、また何ゆえこの法律の成立を今日願望いたしておりまするか、その主たる理由を次に申し述べたいと存じます。
初めに、現在の町村は、民主的で能率的な行政を行うに必要な機関を備えておるのでございまして、御承知のように、議決機関として住民の公選による多数の議員によって構成をされる町村議会を有しております。さらに執行機関である町村長も、また住民の直接選挙によることとなっておるのであります。しかるに教育行政について、このほかに独立した行政委員会でありまする教育委員会を置きますることは、町村議会及び町村長という民主的機関を信用しないということでございます。換言すれば、教育委員会なくしてはわが国教育の基礎が失われるという考え方にどうしてもわれわれは納得が参らないのであります。それは、ちょうど内閣のほかに教育内閣を作り、国会のほかに教育国会を作らなければ信用できないという理論に通ずるのではないか、私どもはその点納得ができないのであります。すでに識者の間に、今日わが国の国会に教育のことはまかされないという言論を公然と行うものすら生じておるのでありまして、先ほど来ラジオの中継放送によって、各大学の教授連中の意見が出ましたけれども、国会の議員には教育がまかせられないというような言論が出ておるのでありまして、議会政治将来のために、私どもは実に深憂にたえないのであります。
次に教育委員は、元来教育の専門家であるより、人格、識見のすぐれた者も広く住民の中から選ぶことが立法の精神であったと存ずるのでございます。しかしながら教育委員の公選制をとる限り、必ずしも適格者でない者の立候補を拒み得ないのでございます。教育経歴だけの者の立候補という制限をすることもできないのでございます。その結果は、町村長または町村会議員と同質の者が委員となることもあり、事実上同質の人間でございます。その結果町村における教育行政運営に、あらずもがなの紛争を生じておることも、決して希有のことではないのであります。また教育だけの経歴者が委員となることもありましょう。その場合は、教員、校長、そして教育長、その上に元校長というような教育委員があることは、教育をいよいよ非常に狭い視野に追い込みまして、教員だけの代弁者に堕してしまうおそれが多く、これまた立法の精神に沿わないことと存ずる次第でございます。
要しまするに、日本の現状におきましては、現行教育委員会制度は実情に沿わず、公選制は教育委員に適格者を得るに適当な制度ではないのであります。この点に関しまして、かつて著名な教育学者が大新聞に対する寄稿におきまして、東北地方の一例をあげて極論をいたしておるのでありまして、なお教育委員の皆さんを非常に罵倒した言論が、この教育学者によってなされております。これは時間の関係もありますので割愛することにいたしますが、結局、今の日本で、市町村ごとに教育委員会を設置することが愚の骨頂であり、これはだれの目にも明らかなことである。もともとアメリカで地方学区ごとに教育委員会が設けられたのは、植民地時代の遺風に由来するものであり、教育委員会の一斉設置は無謀であると、実に激しい反対意見をその教育学者が発表されておるのでございます。
第三に、教育委員会は教育の中立性を確保するといいまするけれども、町村長では、その中立性が保てないということにつきましては、非常に疑問があるのであります。町村における教育は、狭い地域社会における教育でありまして、住民の最も関心深いものでございます。先ほどの南原さんの御意見に、いいものもあるが、悪いものが多いというようなことが言われておりまするが、今日教育に不熱心な市町村長が、その職についておることは絶対できません。必ずリコールの問題あるいは反対が起ってくるのでありまして、予算面を見ましても明らかなる通り、教育重点主義で現在の地方自治体は邁進をしておるのであります。なお、政党を標榜いたしました村町長は非常に少いのでございますが、しかしこういう方々といえども、教育に超党派的態度で臨んでおるのでございまして、一方的の党派支配を及ぼしたという事例は、おそらく全国に私はないと信じております。また公選によって出てくる教育委員は、常に選挙母体に関係なく、教育の中立性を確保する適格者であるかどうかというようなことにつきましては、三年間の経過を見ましても、その保証は絶対にないのであります。また現実におきまして、その事例も種々取りざたされておる例が多いのでございます。執行機関、議決機関、教育委員会というような組織があって、教育は教育委員会でなければ中立が守れないというそういう一つの前提が、私どもは非常に怪しいのではないかと信じておるのでございます。教育行政の特殊性から、中正な民主的運営を確保する要ありとするならば、教育行政に関する町村長の諮問機関を置けば、私どもは十分これらの運営が達せられる、かように信じておるのでございます。いわんや教育行政の運営の実際に目を投じまするならば、果して教育の中立性が確保されているか、現在の教育委員会につきましても、疑問の点がるる伝説されているのでございます。現実に教育委員会が教育の中立性を確保する唯一最良の方法であるということにつきましては、どなたも断言できないのではないかと、私どもかように考えております。
次に、第四でございまするが、教育委員会が町村長から独立した権限を持って教育行政の管理運営を行うことから、教育委員会は、これは特殊の例でありますけれども、みずからの権限を非常に固持しまして、またその実績を急ぐあまり、住民の負担能力、町村の財政規模を無視いたしまして、産業、土木、厚生あるいは住民の福祉に関する他の行政を全然考慮せず、膨大な事業計画を立てまして歳出見積書を作成するため、この調整に著しい時間と労力を費し、相剋摩擦を起しまして、非常な問題を起した例があるのであります。ことに二本建予算の議会提出も行われ、紛議をかもす原因がここにあるのでございます。いわゆる町村の自治運営の妙である総合運営が破壊をされるのでございます。なお町村財政の必要以上の膨張は、勢い避けがたい結果となる実情でございます。その上予算執行におきましても、予算節減への努力が払われず、収入を前提として考慮しない点等ができまして、教育長の支出命令のために財政計画に混乱を招き、著しいのは、年間予算を半年で消費するというような事例もあった実情でございます。教育行政権を町村長に一元する必要は、真に切実なるものがここにあるのでございます。
次に五、教育委員会の設置によりまして、町村の教育が充実あるいは進歩を見るに至ったといいますが、これまでの町村長が、果して教育を軽視したでありましょうか。昭和二十二年六・三制の実施以来教育委員会設置までに、あの混乱の中で整備に尽しました町村長の熱意を、一つ御想起を願いたいと思うのでございます。このために生命を断った町村長があるのでございます。なお顧みますれば、昭和二十二年六・三制による中学校発足当時の生徒数は三百十九万人で、うち百六十万人分は青年学級、高等小学校教室、小学校併置用等で、独立校舎はほとんどなかったのでございまして、残りの百五十九万人分の教室は、全くこれがなかったという状態であったのでありますが、それが発足より五カ年間で約三百五十万坪の中学校建築を行いまして、当時の〇・七坪を基準とすれば、六十九万坪が不足として残された程度で、それだけ建設が進んだわけでございます。教育委員会が発足しました昭和二十七年十一月までに、六・三制の整備に、当時の基準は〇・七坪でございますから、すでに八割まで市町村長の手で建設が行われたのでございます。しかも整備坪数の三割以上の百三十二万坪分は、市町村が全くの自力で、国の助成なくして建設をしたものでございます。教育委員会設置後におきましても、町村長はわがことのように教育のために力を尽しているのでありまして、昨年十二月、広島県東城町で中学校が焼失をいたしましたが、そのとき町民がかけ込んだのは、教育委員のところではないのでありまして、町長のところであります。町長さんえらいことになりました、町長に早く学校建設をしてくれということを、全町民が要望をしたのでございます。これに対しまして町長は、焼跡に立って、学校の管理は町長にはないのです。この再建は町長には権限がないのです。しかし私はやります。この学校の再建に努力をして、りっぱな学校を建てて見せますと言ったという例があるのでありまして、この町長の言葉には、現行教育委員会の盲点を示唆して、真に意味深いものがあると存じます。行政委員会としての教育委員会は町村の現状におきましては、全く必要のないものであるということを、私どもは体験から推しまして、あるいは町村住民の声を代表いたしまして、さように断定をして差しつかえないと考えておる次第でございます。
六は、昭和二十八年十月十六日、内閣総理大臣に提出されました地方制度調査会の地方制度改革に関する答申中に、市町村の教育委員会は廃止するものとするという一項がございます。この事項は総会におきまして、現行通りとするという反対意見がありましたが、わずかに三名の賛成を得たのみで否決をされたのでありまして、廃止をするという原案が、三十二名の多きにわたる賛成を得て可決されたものでございます。当時の委員は、いずれも地方行政に権威ある人々でございまして、これらの人々が十分なる審議を尽しまして得た結論でございます。政府がこの答申を尊重すべきは当然であり、今日に至って教育委員会制度の改正を提案するのは、すでにおそきに失しておると私どもは考えておるのでございまして、保守党の合同以来、私どもは前には自由党に、しかも改進党に、それから社会党へも、超党派的に実際の事実の問題として三年間お願いをして参ったのでございまして、少くとも市町村の教育委員会は、廃止すべきが至当と存ずる次第でございまするが、以上述べました理由によりまして、現行教育委員会制度運用の現実は、とうてい考どもの信念には合致はいたしませんけれども、今回の地方教育行政の組織及び運営に関する法律案は、町村の実情を勘案いたしまして、公選制度を廃止し、教育委員の選任に間接選挙的方法を用いまして、教育財政権を原則として、知事、市町村長に帰属せしめるというような配意がなされておりまするので、この法律案が一日もすみやかに成立いたしまして、積弊の除去に資せられますよう、ここに衷心より要望いたす次第でございます。(拍手)発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/46
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047・佐藤觀次郎
○佐藤委員長 以上で関井公述人の公述は終りました。これより公述人に対する質疑に入ります。質疑を許します。野原覺君。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/47
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048・小林信一
○小林(信)委員 議事進行について……。ただいま野原君から議事進行で、私がこれから申すような同一意見が出たのですが、ただいまの公述人からも同じような問題が出て、私は、これはやはりこの際委員長に善処していただきたいことを要望するのですが、この法案にからんで、過去の問題が事実を間違っていろいろと解釈されておるまま今後審議するというようなことは、法案の審議にも大きな問題を及ぼしますし、また国会の権威にもかかわる問題ですから、私はこの際委員長にぜひとも善処していただきたいのです。と申しますのは、ただいまの公述人が、この法案に対して、だれが賛成であったとか、だれが反対であったとかいうようなことが、やはり間違って解釈されております。先ほどの篠田委員の発言のことも、私の記憶からすれば、実に大きな間違いを犯しておるわけなんです。それを政府当局も、今までこういうような公述がたくさんあったのですが、黙っておられる、まことに私無責任だと思う。委員の方たちはだいぶ交代されておりますので、過去の事実をお知りにならぬから、やむを得ないかもしれませんが、こういう状態でこれほど重大な問題が審議されておることは、国民に対して私は申しわけないと思う。と申しますのは、現在の形が行われております教育委員会制度に対しましては、当時の天野文部大臣が、政府の意見並びに与党の同調した意見として、教育委員会はその年の十月選挙される形になっておったのですが、これを延期すべしということを政府提案でもって国会に出してきたわけなんです。従って自由党もこれに同調して、延期すべしという態度をもって臨んできたわけなんです。しかしこの審議が、与党の文部委員の諸君から審議未了の形に追い込まれて、政府の考えでもなし、あるいは党の考えでもないのに、これが審議未了の形でもって教育委員会が実施されたのは事実でございます。従いまして、自由党の諸君も設置することについては反対であったということが、当時ははっきり述べられておるわけなんです。もちろん改進党といたしましても反対でございます。社会党の諸君も反対であって、反対だというならば全部が反対であって、自由党の一部の人が審議未了の形に追い込んだだけが事実であって、社会党の諸君が総退陣したなんということは、これは事実ないわけなんです。私は当時改進党の文部委員の理事をしておった。改進党もこれに対しましては反対をしておったわけなんです。事実問題とすれば、天野文部大臣が辞表を提出して、大臣の席を退かれたというようなことは、その事実をよく物語っておるわけなんです。そういう事実問題というものが誤まって解釈されて、そのままこの国会でいろいろと審議の材料とされておるということは、まことに遺憾なことですが、もし委員長が今後の審議を円滑にすることを考えるならば、この際その事実を究明して、今後の公述人の質疑に当っていただきたいと思うんです。さもなかったら、まことに私たち聞いておっておもしろくないところがたくさんにあるわけなんですが、この際委員長の善処をお願いいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/48
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049・佐藤觀次郎
○佐藤委員長 小林君に一言申します。公聴会は委員会と異なり、議決機関でありませんので、その取扱いについては、後ほど理事会を開いて協議いたしますので、御了承願います。
野原覺君。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/49
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050・野原覺
○野原委員 関井公述人に質問をいたしたいと思いますが、まず最初にお尋ねをいたしたいことは、あなたは党籍を持たれておるかどうか、持たれておるとすれば、今日では何党に所属されておるか、承わりたいのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/50
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051・関井仁
○関井公述人 私の党籍を自由民主党であります。しかし私がただいま述べました言説は、私個人の意見ではなく、三年以来全国、当時一万余の町村、その他市あるいは各議会、現在四千三百の町村の代表的意見としてまとめ上げたものでございまして、私個人の意見ではございません。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/51
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052・野原覺
○野原委員 私は、数日前の新聞紙上で拝見をしたのでございますが、あなたはこのたびの参議院の選挙に、全国区候補者として自由民主党から公認をされておられるようでありまして、まことに自由民主党の政策に対しては忠実でなければならないお方であろうと私は考える。党人というものは、党の方針に対してそむくことがあってはならぬからであります。そういうことがあったならば、全国区の公認候補も取り消されなければならぬ、こういうようなことにもなろうと思うのでございますが、しかしこのことはさておきまして、もう一つお尋ねをしたいことは、あなたはこのたび政府から出されました地方教育行政の組織並びに運営、この条文をしさいに御検討になられておるのかどうか、承わりたいのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/52
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053・関井仁
○関井公述人 この件につきましては、幾たびか会合を重ねまして、私個人としてでなく、全国の代表者会議といたしまして詳細検討を加えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/53
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054・野原覺
○野原委員 それではお尋ねいたします。第十六条の二項には「都道府県に置かれる教育委員会は、文部大臣の承認を得て、教育長を任命する。」とあるのであります。教育長の任命は、今日都道府県の教育委員会が自主的になされておるのでございますが、このたび出された第十六条の二によると、一々文部大臣の承認を得なければならぬことになっておるのです。こういうような任命手続というものは、今日地方公務員の職員任命の場合にございますかどうか。中央の大臣の承認を得なければ、地方自治団体の職員の任命ができないというようなことが今日あなたは町村長会長でございますから、地方公務員法はよく御承知だろうと思いますが、そういうことがあるのかどうか、お尋ねしたいのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/54
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055・関井仁
○関井公述人 お答えをいたします。これらの条項につきましては、御指摘のように、いわゆる見方によりましては中央集権的臭味があるというようなことも一応考えられますけれども、しかし市町村といたしましては、教育に関するみずからの主体性というものを放棄しておるのではないのでありまして、自立態勢に自治体は進んでおるのでありまして、かも教育委員会というものは諮問機関として、知事、市町村長のもとにできるということを私どもは主張しておるのでありますが、今回はまだ行政委員会の看板を持っておるわけでありますから、これは決して県あるいは文部大臣の圧迫を受けるということは私は考えておりません。そういう点は十分自主性を主張いたしまして、その運用につきましては慎重を期するということで、いろいろ協議の結果、多少そういう臭味があるということにつきまして議論はありましたが、最後の結論といたしましてはこれを認容いたしまして、この通過を一日も早く期するということで結論を得た次第でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/55
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056・野原覺
○野原委員 関井さんは私の質問に答えていただきたいのであります。よけなことはおっしゃっていただきたくない。私はこういうことを尋ねておる。教育長を任命する場合に、文部大臣が承認を与えることになっているので、中央の大臣が承認を与えなければ任命できないと、こういう任命手続を必要とする職員が地方公務員にあるのかどうか。これは今日の法令のもとでは、私どもは全くの先例だと思っておるのですが、ございますかどうかということを尋ねておる。あなたは先ほど条文をよく検討されたということでございますから、当然私は地方公務員の立場に立って検討なさったと思うのでお尋ねをしておるのであります。いかがですか、ございますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/56
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057・関井仁
○関井公述人 従来の公務員には、皆様御承知の通り、それはございません。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/57
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058・野原覺
○野原委員 これは全くの新しい例でございまして、中央の大臣の承認を得なければ地方自治団体の職員任命ができない、こういうようなことは、地方公共団体の基幹組織の上に大きな制肘を加えてくるものではないかと私は考える。自治権を侵害するものがあるのじゃないかと考える。私は町村長という立場、地方自治体を擁護しなければならぬ最も重い責任を負わされておる町村長といたしましては、このような自治権を侵害する法律案に賛成なさるということが、どうもわからぬのでございますが、一体自治権侵害のおそれはないと、こういう御判断でいらっしゃるのかどうか。こういう新しい例はいかがですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/58
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059・関井仁
○関井公述人 私どもは、実際面で町村自治運営を多年体験をしておるものでございます。方程式的に自治権の侵害とか、あるいは自主性ということをそう簡単に割り切って考えてはいないのでありまして、実際の自治運営、教育委員会ならば教育行政の運営というようなことで、事実に立脚していろいろの論を立てておるのでありまして、そういう点につきましては、見解の相違ということもあると思うのでありますが、われわれ町村長の中では、現行教育に関しましては憂慮しておる方々が非常に多いのでありまして、たとえば教科書につきましても、自主権だけを尊重するのあまり、日本国中四千三百の町村が、しかも合併した四千三百町村で、その合併町村が全部別の教科書を使っておるのでありまして、そういういわゆる逸脱した自主権は、私どもは主張したくないのでありまして、多少なりとも、これは統制というと、すぐに統制は逆コースだとあなた方はおっしゃるかもしれませんけれども、しかし物事には、中心がなければ何でもまとまらないのでありまして、やはり民主的に中心を得なければならぬのであります。これはみんなで総合的に、教科書でも何でも一町村なら一町村で統合したいということを私どもは主張しておるのでありますが、それが現在できないのであります。ですから、一町村で十数の学校があれば、その中で教科書が四つあるいは五つ、そういうふうに種類が変っておるのでありますから、教育長の場合といたしましても、これはある程度は多少のいわゆる縦横の連係というものがなければ、狭い範囲の小地域社会において教育を行うということが、人事の面でも何でも従来できなかったのでありまするからして、そういう多少の点は、われわれは認めるということに衆議一決をしたのでございますからして、その点につきましては、理論的根本的の態度につきましては、見解の相違ということになります。その点一つ御了解を願いたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/59
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060・野原覺
○野原委員 見解の相違ということでございますが、それはこうですか、自治権が侵害されるおそれはない。もっとはっきり申しますと、地方公共団体の職員は、大臣の承認を得てなされて何ら差しつかえない、こういうような見解を町村長がとられておるとすれば、私はこれはよほど重大だと思う。あなたは自由党員の立場で本日は公述人席にいらっしゃらないはずです。全国町村長会長ということで、私ども社会党はあなたの公述人を承認したのです。だからして、あなたは町村長の立場で本日はものを言ってもらわなければ困るのです。中央の大臣の承認を得て、その地方自治団体の職員の任命がなされて差しつかえございませんか。地方自治団体側として差しつかえございませんか、それをお聞きしたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/60
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061・佐藤觀次郎
○佐藤委員長 ちょっと御注意申しますが、委員及び公述人に申し上げます。議題中の法案の範囲内で御意見を述べられるように、時間の都合上よろしくお願いします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/61
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062・関井仁
○関井公述人 お答えをいたします。私どもは都道府県会長会議の結論によって話をしておるのでございます。私個人の意見ではないのでございます。一切この通過を全四千三百の町村が総意をもってお願いしておる次第でございます。社会党も、あらゆる党を含んでおりますから、その点を御承知をいただきたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/62
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063・野原覺
○野原委員 どうもあなたは故意にか、あるいは答弁ができないためにそらすのか知りませんが、お答えにならない。大臣の承認を得て地方自治団体の職員が任命されて差しつかえないのかということを聞いておる。差しつかえないというような町村長会の意思決定でもなされておるのかということを聞いておるのです。私はここは非常に重要だと思っているのです。これはいかがですか、差しつかえございませんか。市町村の職員が大臣の承認を得なければ任命できない、こういうことは差しつかえないものですか、いかがですか、あるのかないのか簡単におっしゃって下さい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/63
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064・関井仁
○関井公述人 お答えをいたします。地方自治団体の公務員の採用につきまして、中央官庁の承認を得なければならぬということについていいかどうか、かようなことでございますね。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/64
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065・野原覺
○野原委員 そうです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/65
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066・関井仁
○関井公述人 その件につきましては、特に教育委員会というのは一つの変更段階にあります爼上の制度でありまして、私どもは完全廃止を主張しておるのであります。その段階におきまして、多少でもわれわれの主張に合体するものならば賛成をし、将来これを全部廃止しよう、そうして諮問機関に切りかえようということを主張しておるのでありまして、あなたのおっしゃるのとは、そういう点については違うのであります。(「もっと高い立場だ」と呼ぶ者あり)もっと高い立場からわれわれはやっております。(笑声)発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/66
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067・佐藤觀次郎
○佐藤委員長 関井さん、ほかのことでなくて、質問者の聞いたことだけ答弁を簡単にして下さい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/67
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068・野原覺
○野原委員 なかなかよく勉強された議員の諸君もおるようでございまして、とんでもないヤジが出されておる。教育長というものは地方公共団体の職員なんです。関井さんゆっくり聞いて下さい。その教育長が今度の第十六条の改正によると、文部大臣の承認を得なければ任命できぬことになっておる。これは、私は地方公共団体の職員の任命手続における新しい例だと考えるわけです。中央の大臣の承認を得なければ地方公共団体の職員の任命ができない、こういう例が積み重ねられていくと、一体憲法の保障する地方自治はどういうことになるのか、非常に問題があるわけなんです。だから、こういうことに対してあなた方としても検討なさっていらっしゃると思いますので、お聞きしているわけです。差しつかえないものかどうか、簡単にそれだけおっしゃって下さい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/68
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069・関井仁
○関井公述人 私どもは、角をためて牛を殺す愚をあえてしません。大目的のために、多少の難点がありましても差しつかえない、かように信じております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/69
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070・野原覺
○野原委員 差しつかえないということですね。後日私は、それは町村長会の意思であるかどうかを、あらゆる機会に確かめてみましょう。よろしいですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/70
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071・関井仁
○関井公述人 前提がありますよ。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/71
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072・野原覺
○野原委員 前提があるのではない。それはよろしい。
それからもう一つお聞きしたいことは、あなたは町村会会長でございますから、市町村教育委員会の教育長の任命を見てみますと、都道府県教育委員会の承認を得なければならぬとあるのです。市町村教育委員会というものが残され、その教育長の任命は都道府県教育委員会の承認を得なければならぬとある。これは市町村の自治的な権能を阻害するといって、ある町村長が猛烈に私どものところに陳情に来ておりますが、これは市町村の自治的な権能を阻害しないというお考えをあなたは持っておるかどうか。ある町村長は、こういうようなことは市町村の自主的な権能阻害だ、承知できないといっていきまいておる。これはどういうことなんですか、あなたのお考えをお聞きしたいのです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/72
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073・関井仁
○関井公述人 先ほど申し上げましたように、そういう臭味は多分にこの法案にあるわけでございまして、それは私どもも認めておりますけれども、しかし教育委員会制度改正という多年のわれわれの大目標のために——まだわれわれはこれを承認しておるのではないのでありまして、第二段階が、だれが会長になろうと、あるいはだれが役員になろうと一貫して行われることになっておるのでありますから、そういう点につきましての多少の難点は、一、二の町村長におきましては異論を立てる方があると思うのでありますが、衆議において、都道府県会長会議におきまして、一応これは涙をのんで、しかもこれを通そうということに決定しておるのでありますから、私個人の意見ではございません。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/73
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074・野原覺
○野原委員 まああなたは、あるいは町村長会と申しましょうか、これは教育委員会制度は不必要だという御意見だろうと思うのです。いわゆる教育委員会制度廃止論者であろうと思う。ところが今度の法案を見ますと、教育委員会制度は残されておるのですね。まあしかし、これはより一歩あなた方の方の考えに近寄ったんだから賛成をしておるのだ、こういう御意見のようであります。それならばお尋ねをいたしますが、今度のこの法案に賛成をなさるということになると、この法案が法律になる、なったら町村長会は廃止運動をもうなさいませんか。教育委員会制度を廃止しろ、こういう運動は一応そのほこ先をおおさめになられますかどうか、お尋ねいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/74
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075・関井仁
○関井公述人 あとの問題につきましては、緊急役員会あるいは都道府県全町村長の大会等も、機会があればあると思うのでございます。そういう際に衆議を集めまして検討する。既定方針は捨てておりませんので、あるいはさようなことになるかもしれませんけれども、とかく発足当時は、われわれは諮問機関にして下さいということを政府へ申し上げておったわけでございます。発足当時すでに諮問機関にしてくれということを再々政府へ折衝し、議会へもお願いをしてきたのでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/75
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076・佐藤觀次郎
○佐藤委員長 簡単に願います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/76
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077・野原覺
○野原委員 これをもって終りたいと思ますが、廃止論者は廃止論者らしく筋を通して、やはり一貫した主張のもとに行動していただきたい。あなた方は、教育委員会制度は不要だというお考えですから、やはりこれは反対すべきなんです。この法案が法律になりましても、町村長の方々の今日までの運動経過から見ても、おそらく教育委員会制度を廃止しろ、この運動は続けられるのだと私は考える。あなた方としても、もっとはっきりした一貫した立場で行動してもらわなければ、非常な混乱を起すということだけ申し上げておきます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/77
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078・佐藤觀次郎
○佐藤委員長 高津正道君。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/78
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079・高津正道
○高津委員 関井公述人にお伺いしますが、あなたは、町村の行政には土木あり産業あり、現状では教育委員会から財政上非常に圧迫を受けておるというような意味の公述をなさいましたが、そのことは、現在教育委員会が教育の充実、発展のために大いに貢献しておるという証拠をあなたの口からわれわれは聞くことができたんだ、こう承わったのであります。あなた方は、地方自治体の赤字の原因を、中央からの補助金やあるいは交付税が少いから、もっと多くしてくれなければ困るという運動を今まで盛んに展開されて、私のような社会党の代議士にまでもどんどん文書を送り、あるいはわれわれの事務所に押しかけて、こうやってくれなければならぬということをいつも申しておられたのであります。この自治体の赤字の原因は、教育委員会がよけい食う、そのことはいいことに役立っておるのでありますが、中央からくるのが少いのは、中央がアメリカにそそのかされて再軍備にどんどん金を年々ふやしていく、そのことから来ておるのでありますから、教育の面をそんなにいじめないようにしてもらいたいと私は思う。あなたのお言葉の中にひとりでに現われておる考え方は、自分は将来は教育委員会を諮問委員会に切りかえるつもりでおる、それがわれわれの目標である、それで、土木だとか産業という方に金を多く回すためには、教育委員会に金を使わせないようにしなければならぬ、この法案が通るならば、教育に対する国家の義務教育費半額負担ということもありますけれども、自治体としては教育には今後あまり金をかけられない、こういう印象を受けるのでありますが、そのような意見を全国町村長の代表的な意見として承わっておいていいのでありますか、これを承わりたいのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/79
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080・関井仁
○関井公述人 お答えをいたします。先ほど教育委員会の悪い例をあげまして、そういう紛争の町村におきまして、財政の執行が非常に乱れ、土木あるいは産業を圧迫した事例があるということを申し上げたのでありまして、これは悪い例でございます。そういう実例が実際あるのでございます。ところが一般におきましては、教育重点主義だということを私は申し上げておるのでありまして、教育委員会がありましても、市町村長というものは、たとえば学校建築にいたしましても、教材の整備にいたしましても、実に真剣に努力しておるのでありまして、教育委員会がある、ここへ責任を転嫁するというような考えを持っておる町村長はおそらくないと思うのであります。私自身、学校の建築の場合、あるいは学校の整健の場合、先頭に立ってやっておるのでありまして、教育委員会は実に諮問機関と同じ役割でございまして、そういう責任あるなしにかかわらず、自分の責任として学校の拡充をやっておるのであります。また、そうでなければ町民が承知しません。これは実情を調査すればわかる通り、町民は責任を必ず町村長に問うのです。教育委員会に責任を問う町民はない。今の住民は、そこまではっきり責任の分野を知っておりませんから、すべてが市町村長の責任になっておるのですから、これは御調査になればわかります。教育に対する熱烈さということにつきましては、これはもう先頭に立ってやっております。もしやらぬということになれば、PTA並びに議会、町村側の一般からリコール問題も起る。非常な小さい地域社会でございますから、教育というものは最重点でございます。どこの予算でも、調査をすればわかります通り、土木あるいは社会福祉あるいはその他の農業関係の予算を削って、全部教育につぎ込んでおるという現況でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/80
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081・高津正道
○高津委員 同僚野原委員が、地方自治体の権限が縮小される結果になる、中央の統制が自治体の職員の任命にまで及ぶというこの原則は、実に重大である——資本家だけが給料を勝手にきめるのでは困るので、使われておる労働者と資本家とが団体協約を結ぶ。今二千円をくれれば団体協約など、そういう権利などはなくなってもいいんだ、あるいはストライキの権利もありましょうし、労働者の権利というものがある。その権利がなくなれば、このため一時金を二千円もらおうが三千円もらおうが、それは問題ではない。基本的な権利というものがあって、初めてその利益が守られていく、その根本の原則なんであります。あなたは全国町村会会長として、この基本的な権利を侵されるという、こういう重大な問題に対して、その原則などはこわれてもよろしい、当面教育委員会の扱う予算を自分の手を通じて扱うことにできるのだから、その現実利益のために、基本的な自治体の権利というものは中央に奪われてもかまわないんだ、こういう立場をとっておられるのは、一時金の二、三千円で妥協をして、大きいものを犠牲にすることだ。労働者でも今はそんなことは考えてはいません。ちゃんと事の軽重、大小を心得ておるのであります。あなたがそういう根本的な、一番失ってはならないところのものを失ってこの法案を通すことを望まれるのは、われわれには理解できないし、こういう意味を全国町村長の会合においてわれわれが訴えれば、ああそうだったか、関井という人間は自治体の裏切り者である、こう考えるかもしれぬのであります。こういう権利が中央に奪われて、中央がそういう権限をみなおさめて、そうして何をしようとするか。現在の内閣には、十六、七人の閣僚のうちで十三人まで追放解除者ががんばっておる。戦後われわれが、これが民主主義だ、これが民主主義の制度だとして熱心に打ち立てたものをこわす陰謀を今しておる。おそるべき反動時代の始まりが今なんです。こういうような重大なときに、中央集権にする、地方自治体がこわれようとする、それがこの法案に一つ大きな突破口として現われておるというような場合に、あなたが自治体を守ろうとはしないということは、大へんなことだと私は思うのでありますが、原則などは無条件に差し上げます、とにかくこの法案を通して下さい、そういうお考えでしょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/81
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082・関井仁
○関井公述人 お答えをいたします。私どもは事の軽重、大小を考えまして行動しておるのでありまして、中央というのが、あなたのお説でいくと自由民主党が中央というようなお考えと思うのでございますが、中央というのは、要するに主権在民によって運用されておる、この姿が中央でございまして、社会党が天下を取ろうと自由民主党が天下を取ろうと、そういう点につきましては、私どもはいずれでもその中央の御指示に従いまして委任の事務を遂行し、自主的の事務を遂行するのでありまして、自治権というものをどこまで発達せしめたならば、果して日本の地方行政が完全にいくかというようなことにつきましては、これは非常に議論があるのでありまして、私どもは体験上いろいろ考えておるのでありますが、日本の自治体というものは完全な姿ではないのであります。決して自主独立は現在できないのであります。それは財政調整の意味におきまして非常な額の交付税をもらったり、あるいは助成補助金をもらったり、そういうことをしなければ、日本の自治体は今育成されないのでありますから、警察を放棄した、あるいは今度は教育の問題につきまして、中央の多少の指示が入ってくるというようなことがあるわけでございますが、全体的に日本の運用というものを考えますと、これは私の個人の意見になりまするけれども、ものの考え方というものは、そう割り切って方程式的に二一天作の五と出ないのでありまして、多少はこれは、一つの船ならば進む方向、姿というものがなければ、日本の再建はできないと私どもは考えておるのであります。民主的に選挙によってでき上りましたこの国会の尊厳というものを、私どもはあくまでも信じておるのでありまして、これによって中央政府ができ上りまして、この指示を多少われわれが承わるということは、自治体としては、あるいは県としては、当然つながり、連係というものを持たなければならぬと思うのでありまして、われわれ町村だけが独立して一つの小自由国家を築こうとは思っておりません。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/82
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083・高津正道
○高津委員 時間がありませんから、このことはあとの話にしまして、あなたは自民党の党員であり、参議院の候補にも党から公認をされておるだけあって、非常に戦闘的であります。すなわち、社会党は地方教育委員会に対して初め反対で、今はそれを育成するというのは矛盾じゃないかと、逆襲するような公述をなさったのでありますが、われわれとしては、最初に生まれる場合には、下手な子が生まれちゃいけないというので、慎重に慎重に、そうしてわれわれは反対の態度であった。しかし一たん生まれた以上は、その子が少々器量が悪いからといっても、少々間違いがあろうとも、それをすぐに食糧も与えないようにして、栄養不良で殺してしまうとか、そういうようなことは間違いだ。一たん生まれた以上は、それは育成しなければならぬ。ことに教育は十年、五十年、百年と長い問題であるから、そう三年数カ月の間に、今度はこれをまるで骨抜きにしてしまう、こういうような荒療治をすべきものではないのだ、こういうようにわれわれは考えるので、現在のような教育委員会を全く骨抜きにしてしまうような、中央が一本の指令で、戦前と同じように、次第にこれから教育を動すようになるのでありますが、これは何としても食いとめたい、こういうように今態度が変っておるのでありまして、その態度にはちゃんと一貫性があるのです。あまり社会党を攻撃されるので、社会党の立場をはっきりさせておきます。あなたは最後には、これは単なる諮問機関、ほんとうの諮問機関にしてしまうのだということをここで言われるのでありますが、この分は全国町村長会の完全なる意見の代表ですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/83
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084・関井仁
○関井公述人 昨年十一月二十九日、いわゆるメモリアル・ホールにおきまして、全国四千三百の町村長が、当時の速記録を見れば明らかな通り、全部集まりました。その総意をもって決定をいたしたのでございます。
それから先ほどのあなたの御質問の中で、社会党がその当時反対したということは、速記録を見れば明らかな通り、私はさようなことは申しません。日教組の基本的態度という中に、反対の条項をあげて列記されておったということを言ったのでありまして、社会党と日教組が同じかどうか私は知りませんが、社会党が反対をしたということは申しておりません。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/84
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085・高津正道
○高津委員 これでよろしゅうございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/85
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086・佐藤觀次郎
○佐藤委員長 これにて関井公述人の公述及びこれに対する質疑は終了いたしました。
関井公述人には、町村の立場から貴重な御意見をお述べ下さいまして、ありがとうございました。
以上で午前に予定いたしておりました公述人の公述及びこれに対する質疑は全部終了いたしました。
午後二時より再開いたすことにし、この際暫時休憩いたします。
午後零時五十三分休憩
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午後二時十二分開議発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/86
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087・佐藤觀次郎
○佐藤委員長 休憩前に引き続き文教委員会公聴会を開会いたします。
午後はまず小林公述人より公述を承わることになっております。
小林公述人には、御多忙中にもかかわりませず、御出席下さいましてありがとうございました。両法案につきまして、どうか忌憚のない御意見を御発表願いたいと存じます。なお公述その他につきましては、お手元に配付してあります注意書の要領でお願いいたします。それでは小林公述人に御発言を願います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/87
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088・小林武
○小林公述人 地方教育行政の組織及び運営に関する法律案全文をながめまして、この法律はどういう目的を持っているのか、どういうことをねらいとしたものであるかということについて、いろいろ直接関係のあるわれわれとしては検討をいたしました。その中で文部大臣の提案の理由ともいうようなものを見ますと、地方公共団体における教育行政と一般行政との調和というようなことを述べられております。教育の政治的中立と教育行政の安定の確保ということ、あるいは国、都道府県、市町村を一体とした教育行政制度の樹立、特に文部大臣の積極的な指導的地位をはっきりする、こういうようなことが提案の理由の中にあるようでありますが、こういう内容についてどういうような一体見解でおられるかということは、きわめて重大なのでありまして、この点私どもとして非常に考えたわけでございます。
文部大臣は、この提案に当られまして、この地方教育行政の問題については、占領下の早急の間に採用、実施されたものであるということが言われておるのでありますが、もっとも敗戦以来十年の年月を経たわけですから、この点についていろいろ考慮をする時期がきた、こういうお考えだ、こう文章上から拝察するわけであります。しかし私はここでやはり一つ足りないものがあるように考えるわけです。日本の教育制度というものを考え、教育の内容に影響を及ぼすような問題を考えるときには、もちろん占領下早急の間にやったものであるというところに目を向けられることも、これはうなずけないことはないのでありますけれども、特に考えなければならないのは、戦前の教育がどういう欠陥を持っておったか、こういう点について、われわれはやはり考えなければならぬ。これを忘れた教育制度の問題に対するいろいろな案というものは、これは意味がないのであると私は考えるのであります。戦前の教育が果して日本の国に一体いい影響をもたらしたかどうか、あるいは日本の国民にいい影響を与えたかどうか、教育の本旨であるところの一人一人に対して幸福を与えたかどうか、そういうような点に十分反省が加えられた後に、早急の間に実施したこの問題の欠点を改めるということであるならば、私はある程度賛成でございますけれども、早急の間における問題だけを取り上げて、戦争前の反省がなかったということは、どうもこれは少しおかしいような感じをするわけであります。そういうふうに感じて見ますと、この法案は、その内容の点においていろいろな問題点を持っておるようでございます。
文部大臣がそういうふうに戦前の教育の欠陥について触れなかったのは、意図的であるかどうかは別といたしまして、私が非常に心配いたしますのは、大臣の日ごろの御主張なんでございます。たとえば憲法の問題に対する御主張、あるいは教育基本法を抜本的に改正されようとする御主張、こういうことを考えまして、法律の案文を見、提案の理由を見ますと、どうもこれは戦前の教育に復帰する危険性を多分にはらんだ、国家権力によって支配する教育というような道が、この法律によって開かれるのではないかということを私は考えるわけでございます。こういう点から見ますと、この法律の案文の中に大事なものが一つ抜けておる。現行の教育委員会法には、教育が不当な支配に服することなく、国民全体に対して直接責任を負って行う、公正な民意によって地方の実情に即した教育行政をやらなければならないということがはっきり掲げられておりますけれども、これが抹殺されてないということ、これは前に申しましたこと等から考えまして、非常に残念だと考えるわけであります。しかも国民に責任を負うということ、すなわち国民の幸福というようなものに教育の重点があるということ、このことがなくなって、これに置きかえられたと思われるものとして、この法案の重点として、特に提案の理由の中に、国、都道府県一体としての教育行政の樹立をはからなければならぬということ、文部大臣の積極的な地位が確立されなければならないということ、これはきわめて重大であると考えるわけです。国民に対する責任をとっていわゆる文部大臣の責任を強化するというようなこと、国、都道府県の一つの教育行政が文部大臣につながるものとしてあるということ、こういう組み立て方は国家権力の教育支配、ひいては一つの政党の教育支配ということに道を開くものであるというふうに考えられまして、きわめて危険に感ずるわけであります。私は、教育というものはやはり国民の一人々々に責任を負うものである、——これは教育に関係のある皆さんはもちろんであります。特にわれわれのような教師の場合においては、国民の一人々々に責任を負うということがはっきりしない限り、教育というものは進んでいかない。ほんとうの教育はあり得ないと私は考えるわけです。
私は昨年ハルピンに参ったのでありますが、その際、私どもがハルピンの駅頭を離れるときに、どこからともなく集まってきた多数の日本婦人が私どもを訪れました。いろいろ話を聞きますと、日本の満州における膨張の際に、日本から満州に行けというようなことで勧められて来た人たちが、帰る機会を失って取り残されておる。その人たちの話を聞きますと、現在その土地において結婚している人もある。しかも現地の人と結婚している。その人たちの話の中に、私どもが現地の人と結婚していることは、故郷の親戚や自分の父母に非常に面目がない、手紙もやる元気がないというようなことを言われた。そして非常にさびしい顔でわれわれにそれを語って、われわれと別れるときには、一人の婦人は自分の連れておった子供を抱き上げて、バスに乗っておるわれわれに握手を求めた。こういう状況を見て、少くともこれらの人たちをあの満蒙の地にやったのはすなわち国策であり、その当時の教育の問題である。教育がこれに従ってこれをやったわけであります。しかし今このような人に対して、一体国がいかなる方法をとっているか、われわれ教師がいかなる責任を感じておるかということになると、私はこの際まことに申しわけなさに何と申し上げてよいかわからない気持になったのであります。私はこの一事を申し上げて、教育というものは国家のどうであるとか、政党のどうであるとかいうことよりも、まず第一に国民一人々々に責任を負うということが重点でなければならない。その上に立ってさらに国のことを考えることも必要でしょう。こういう順序を転倒いたしまして、国の支配、政党の支配というようなものに教育がなるということについては、絶対反対の考えを持っておるものでございます。戦争の最中、特に戦争末期のころには文部省の教学局から派遣された教学官というものがあって、思想的に非常にいろいろ監視を受けた。教材の面においてもあるいはその他一切の日常の行動においても監視を受けた。そういう激しい監視をして、そして教育は一切文部省の権力、国家権力のもとに握られておりましたけれども、一旦いくさに負けてしまってああいう状態になると、国がどれだけの責任をとったかということを私は言いたい。それらを指導した官僚は一体どれだけの責任をとったか。またそれらによって指導されたわれわれ教師はどれだけの責任をとったか、残念ながらこれはとり得なかったのであります。私どもはそれらの事実を考えまして、やはり現在の教育委員会法の通り、教育というものは国民全体に責任を負うものである、国民全体に奉仕する教育でなくてはならないということを、私は強く感じますがゆえに、こういうような大事なところを抹殺して、しかも置きかえるに文部大臣の権限を強化するなどという法律案には賛成できないのでございます。
次に、私は教育委員の公選制を廃して任命制にした、これは一体公正な民意というものを教育に反映させる考え方であろうかということであります。もちろん任命制によってもいろいろ理屈はあるでございましょう。議会の承認を得てどうするとかいろいなろ手続上のことで、議会は——それぞれの級の議会であります。これはそれぞれの選挙によっていったものであるからというような御意見もあると思いますけれども、私はそれは一つの詭弁のように考えるわけです。しかも教育委員が任命されましても、きわめて身分が不十分なものであるということをこの法案の中から感じられるのであります。七条に罷免権の問題が書かれております。こういうふうに罷免の問題が取り上げられて勝手に罷免することができるようになっておる。しかもその中に、非行があった場合は罷免できるというようなことになっております。非行の判定をどこに置くか、これは十分考えなければならないところであると思います。きわめて常識論からいって、非行は非行であるから悪いことをやらなければ罷免はしないんだよというようなことを言いましても、およそ法律の解釈において拡大解釈ということが成り立つわけでありまして、今までそういうような政治権力がそのような拡大解釈をやって人民を弾圧したようなことは幾らも例があるのであります。それによって被害をこうむった人たちがたくさんあるわけであります。法律の案文というものはどのように立法者の意思がございましても、案文は案文として独立してそれが通れば効力を現わすものであるということは言い得るのでございます。この点私は罷免権などをうたわれてきわめて身分の不安定な状態になり全く独立性がございませんで、いわゆる権力に支配される形になりまして、住民の意思を反映するとか、住民に責任を持つとかいう自主的な立場はなくなってしまうというふうに考えるわけでございます。こういう点は私どもは非常に反対をしたいところでございます。
なおこのような形態になりますことは、一つの教育の仕組みがまた官僚化される形にもなると思います。文部省とか地方自治体とかというようなもの、そういうもののつながりの中から、先ほど申しました文部省の監督権というようなもの、国とか道府県とかいうふうな系列化した一つの教育行政の形態は、これを官僚化させることによって教育を死物にしてしまうおそれが十分にあると思います。これが文部大臣の提案理由の(一般行政との調和)というようなものなのかどうなのか。そういうことを言っているのかどうか、いろいろ私は考えてみたのであります。そうでないかもしれませんが、私はこれを何か教育行政と一般行政との調和というふうに御解釈になっておるのじゃないかと考えまして、これははなはだ寒心にたえないものでございます。
なお文部大臣の承認によって都道府県の教育長が任命されるというような場合、十六条などはこれはきわめて官僚化の形をよく表わしておると思うわけでございます。このようなことからも、私どもはどこまでもこの法律はどうも政治権力の強化、それによる支配の傾向を多分に持っているものである、官僚支配の形を濃化していくところの法律であるというような危惧を持つものであります。
さらに、教育委員会が今まで持っていた独自の権限というものが、この際剥奪されているということでございます。これは前にも申し上げましたが、これと関連するもので、二者別々のものではありませんけれども、教育予算についての提案の権利であるとか、その他教育問題に対するところの諸議案を提案することができなくなる。私は教育委員会の制度の中において、文部大臣の言われる占領下早々の間に作られたものでございますから、確かにその間にはいろいろな欠点もあると考えます。しかしながら、一面この敗戦下のあの混乱の中から立ち上った日本の教育は、こういう教育委員会というような独自な、教育知事ともいわれるような、あるいは教育町村長ともいわれるような人たちがあったからこそ、こういう混乱の中から日本の教育が復興していったのであって、その功績は絶対認めなければならないと考えるわけであります。これが、もしこれから作られようとするような法律によって、教育が行われたということになるならば教育というものは、常に経済的な面からも、あるいはものの考え方の面からも、それはきわめて下の地位に押し落されてしまって、現在のような日本の教育の復興というものは見ることができなかったろうと私は考えるわけであります。こういう点、一体どうして教育委員会の独自性というものをなくするのか。もちろんこの独自性が、地方自治体の皆さんとか文部省あたりの方々に煙たかったのではないだろうかということを考えるわけでございます。
私は、文部大臣の権限が非常に強くなるとか、地方町村長の権限が強くなるとか、そういう形によって、教育が一つの官僚的な支配、政治権力につながる支配になっていくとかいうことは、実体においては決して教育を重視した形にはならないと思うのであります。そういう権力の増加によって、教育がかえって軽視されるというような珍現象が出たら、私は大へんだと思います。文部大臣の権限がある、あるいは教育長の権限があるということで、実体を見れば、教育予算は削られてしまって、教育の世界は全く貧困になるというような形になるならば、これは教育の重視でなくて、教育の軽視である、こういうようなことを非常におそれますがゆえに、この点についても反対をするものでございます。
なおもう一つの点から申し上げますと、教材、教具についての制限でございます。三十三条二項にありますところの制限、こういうような制限というものは、どういう考えであるか、私にはわからないのでございます。たとえばラジオができたり、テレビができたりする、あるいは幻燈の問題もありましょうし、映画も発達してきた。これらを教育に使って生きた教育をやろうというのであるから、文部省は視聴覚教育課というものを作ったと思う。ところが今度こういうような法律を作ったならば、文部省の意図する視聴覚教育というものは、一体どういうふうになるだろうかと私は考える。一々制限を受けるというようなこと、許可を受けるというようなことで、果してこれらのものが十分利用できるかどうか。こういう筆法でいきますと、たとえば教育において一番大事なことは、これは教育の技術上の問題でございますけれども、地域に即した教育、子供の生活の実態から出たもの、これは教育を実際にやっている者はどんなかけ出しの者でも言う言葉でございまして、子供の生活と全く切り離されたとんでもないものを教材として用いた場合には、子供はついて来ない。子供の血となり肉となることはできない。ほんとうに教育を現場において子供の血、肉とするという技術上の問題を考えるならば、みずからの問題から郷土の問題から、あるいは子供の心的影響を考えて、生きた教育をやらなければならない。生きた教育をやるには、すなわちどうであるか。教材を選ぶということの自由な選択、身の回りのものから教材を選ぶというやり方を忘れてはならないのであります。その教材の選択には自由でなければならぬ。こういうものであるのに、一々制限を与えるというようなやり方は、教育を教科書というようなもの一つからもう目を離さず、一々の教育は教科書以外のものに目を向けてはいかぬ、しかもこの教科書は国定の方向でもたどっていくということになるならば、日本の教育はまことに貧困になって、少くとも戦後非常に沈滞いたしました日本人の気持をふるい起さして、世界の国々とともに歩んでいくというような、そういう大きな教育の理想を遂げることはできないと思うのであります。こういう点は時代逆行の考え方であって、私どもは政治権力が何とかしたいとか、そういうようなことからこういうことをお考えになるならば、これはやはりやめられた方がよろしい。教育史上ばかりでもございません。世界のどこを見ても、政治権力であるとか、宗教の圧力というものが教育に入り込みますと、教育は沈滞するのでございます。ベルギーの教員が今でも宗教の圧力に抵抗して、宗教から教育を解放しなければならぬということを言っておる。これは今ベルギーの非常な問題でありますが、これは宗教であろうが何であろうが、教育というものの自由を一体束縛するというようなやり方はいけないい。特に教材面にわたってまで周到な干渉をするというようなやり方は断然教育のために避けるべきだと考えるわけでございます。
それから教育の政治的中立の問題についても、どうも教育の政治的中立ということについて、何かこの案文の中には誤解があるのではないか。日本の戦前の教育を考えますと、あれは政治的中立ではないと私は思う。教育勅語があって、国定教科書があって、そうしてものの一つの考え方をはっきり縛っておる。たとえば今の社会党のような考えを持った方がおられるならば、これは国賊扱いに昔の教育はしたわけであります。これは国賊級であります。こういうことを教育によって教えるということは、教育の中立ではないのであります。こういう点に何か昔に返ることが教育の中立であるというようなことをお考えになるならば、これは誤まりであって、教育の中立というものは、政治権力から教育が解放されたという形が、これが教育の中立だと考えるわけであります。
なお私はここでお願いの形で申し上げたいのでありますが、どうか一つ教育の問題についていろいろ論ぜられる場合においては、政党とかそういうものを超越してお考えを願いたいということであります。日本の国も幾つかの政党がございますが、必ずしも一つの政党ばかりが永久に政治をとるというわけでもないでしょう。その間において考えが違いますれば、政策が違いますれば、これはいろいろ政権がかわるたびに変ると思いますが、その際において教育が右往左往するというようなやり方はきっぱりやめてもらいたい。こういう点でどうか一つこれらの法律案を御審議になるについては、私ども教師の立場から、党派を超越した、真に日本の国の将来、日本の国民の幸福という観点から、お取り上げを願いたいということを最後に申し述べまして、私の公述を終ります。(拍手)発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/88
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089・佐藤觀次郎
○佐藤委員長 以上で小林公述人の公述は終りましたので、これに対する質疑に入ります。質疑を許します。坂田道太君。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/89
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090・坂田道太
○坂田委員 小林委員長に対しまして二、三簡単にお尋ねいたしたいと思います。
振り返ってこの三、四年の日教組のとられて参りました教育委員会制度に対する考え方を、私の手元の方で調べましたところによると、大体教育委員会、特に地方教育委員会制度を全国に設置いたしました際には、これは教育を破壊するものである、絶対に設置してはいかぬ、かくかくの理由があるというような主張であったと私は記憶をいたしております。しかるに今お話を聞きますと、これが日本の教育の民主化に非常に役立っておる、こういう御意見に変っておられるように承わったのでございますが、どういう経過でそういったような変化をなされたのかということをまずお聞きをいたしたいと思います。小林さんの日教組の出しておられます教育情報の昭和二十七年九月二十日第二百十五号というものを見てみますると、「われわれは市町村設置になぜ反対したか」と書かれまして、まず第一にこれはアメリカの形式を模倣したものである、だからいけない、第二にこれを設置するならば義務教育の機会均等を破壊する、だからいけないんだ、第三には教師の自由を束縛する、だからいけないんだ、第四番目には地方財政をますます圧迫する、だからいけないんだ、こういうような、またそれに対する詳しい御説明をして、そうして全国の各下部組織に流しておられます。のみならず当時この設置がきまりましてからは、これに対する教育防衛闘争の名のもとに反対をし、そうしてこの設置に対する全面阻止運動ということを指令しておられます。しかもその一つの手段といたしまして一斉賜暇、一斉早退、きょうの私の手元にあります資料によりますと、今度の法案についても、四月の二十七日でありますか、午後一時を期して一斉早退をとるというような指令を出しておられるようでございます。今小林委員長は——私は個人的には非常に小林委員長の人柄を尊敬しておる一人でございますけれども、ここ三、四年にわたってとってこられた日教組の動きというものは、われわれ教育関係を担当しておるものとしては黙し得ない点があるのでございます。先ほどのお言葉の中にも、われわれ現場の教師は子供とともに、そしてその地域社会における実情に即した教育を行なっていかなければならない、現場の教師の教育の自由というものは尊重されなければならない、こういった御意見があったのでございます。私はまことにしかりと思います。しかしながらこの三、四年間にとってこられましたところの一斉賜暇運動であるとか、いろいろそれは理由はございましょうけれども、現場の教師、五十万の教職員というものが、全部が全部あの指令一本で動くとは私は思わない。それをあなたの一つの指令でもって土曜日を日曜に変えたり、日曜を月曜に変えたりする力を少くとも現実の面において持っておられる。これこそ教師の持っておる自由、あるいはそこに義務教育を受けなければならぬ子供として、土曜日の日に義務教育を受けるところの権利というものを侵害することにはならないかと私は思うのでございますが、それはともかくといたしまして、こういったような同じ教育委員会制度について、この三カ年間の間にかようなる大転換をなされたということは、どういう根拠から来たかということを承わってみたいと思う次第であります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/90
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091・小林武
○小林公述人 地方教育委員会に対しまして、日教組の態度は任意設置という態度でございます。任意設置という態度を立てた理由は、地方教育委員会制度が日本に実施される場合において、地域の広狭であるとかあるいは財政の問題であるとか、それらの事情等その他教育上の問題を考慮して、そうして真に地方教育委員会を設置するだけの力のあるものは設置してよろしいけれども、あまりに実情に沿わないものについては、これは設置しては教育のためにならないのではないかという考え方から、日教組は任意設置の態度を持しておるのでございます。この点はお持ちの情報の中にもどこかに出ておるかと考えるわけでございます。ところがこの任意設置の態度でありますが、これを任意設置から一斉に設置するという強硬策が政府によってとられまして、特にその際、巷間伝えるところによりますと、地方教育委員会は日教組をぶっつぶすために作るのであるというようなことが盛んに言われたわけであります。こういうようなことから両者の間にそういうあれもあったのでしょう、いろいろ事実としては日本の各地において、教師と地方教育委員会の間に若干のトラブルが起ったようでございます。そうしてそのためにいろいろ日教組としても考慮しなければならないような事態が起ったことは、これは私は認めるわけですけれども、地方教育委員会を絶対設置してならないという考え方は、日教組としてはとっていないことをここに明らかにしたいわけであります。そういう点では十分納得がいくわけであります。私は納得したと思いますが、しかし今こういう反省を一つ持っておるのです。日教組の地教委に対する反対の態度も、やはり多少行き過ぎがあったということを考えております。というのは、日教組をつぶすために地教委が作られたということ、あるいは地方においていろいろな問題を起したという教員に対して圧迫を加えたというような問題が起ったために、日教組はそれに対抗してどうするというようなことをやったことは事実でありますが、こういう問題から一体民主的な教育制度全般に対して影響を及ぼすようなことをやったということは、これはやはりいけないと思うわけであります。こういうことが利用されまして、せっかくの大事な民主的な教育制度がくつがえされるような糸口を作ったとするならば、この点は日教組の反省しなければならぬ点だと考えておるということだけは申し上げておきます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/91
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092・坂田道太
○坂田委員 ただいま日教組は市町村教育委員会に対しては任意設置であるとおっしゃいましたが、あなたのところの文書によりますと、第三十一回の中央委員会においては任意設置に切りかえておられますけれども、やはりあなたの方で出しておられまする日教組情報の第二百九号と十号の合併号、七月三十日付のものを読みますと、「われわれは次の諸点から市町村設置に反対し、都道府県五大府にとどめるよう戦う。」こうはっきり書いてあるわけであります。また同じ情報の十二月十日、第二百二十三号に、闘争方針として「教育委員会法改正を次の方針で戦う。市町村教育委員会を廃止し、教育行政の主体を都道県に置くよう改正する。」こうはっきり言っておられる。この点がどうして変ったかといういきさつを明らかにしていただきたい。私の意見を申しますならば、地方の実情に即した教育を行うというこの教育基本法の精神、あるいは教育委員会法の精神というものは、全国の市町村に教育委員会制度を置いて、そこで先ほどおっしゃったような、子供の性向あるいは土地柄の、いわゆる生産機構等を考えて、実情に応じて教育を行うということが、教育委員会制度、なかんずく地方教育委員会制度の根本的なる精神であると思う。それを市町村をやめてしまって、県の教育段階においてやる。人事権もやる。一体あの何万かという教職員の実態というものを県の段階において把握することができますか。そうしてあなたがおっしゃるような、子供の地域社会に即した教育が一体行われるとお思いになりますか。この二点をお聞きしたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/92
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093・小林武
○小林公述人 先ほども申し上げました通り、任意設置というのは、日教組としては絶対に変えておりません。変えたなどということを言うことになりますと、これは決議違反でありますから、変えない事実を申し上げるだけであります。絶対変えておりません。ただ先ほども申し上げましたが、地域の広狭というようなこと、実情に即すかどうかということで問題があって、五大都市ということも出たと思うのでありますが、これは五大都市にとどまるという意味ではございません。任意設置という決定線は動かないのであります。私は大へん坂田さんが公選制による地教委の存置を御賛成のようで力強く思ったわけでございますが、私も教育委員会制度を、現行制度を置いて、地域に即した、国民に責任を負う教育がこのまま残っていくことを非常に強く考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/93
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094・坂田道太
○坂田委員 小林さんにお聞きいたしますが、昨年の十月の伊香保大会におきましては、中央執行部においては、どういう意味合いからそういう転換をされたか知りませんが、存続論を打ち出された。ところが各県から寄り集まった代議員の諸君でありますとか現場の先生方は、むしろ市町村の教育委員会は廃止した方がよろしいというような意見であったと聞くのでございますが、その点はいかがでございますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/94
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095・小林武
○小林公述人 中央において存置、県代表は廃止を言っているということは、一がいにそう言ってしまうと問題がございますけれども、事実地教委との間において問題の起っているところでは、やはり感情的にそのような議論があることは事実でございます。しかしこれについては、私ども中央執行部の意向といたしまして、こういう考えを持ったわけでございます。それは、そろそろ教育委員会制度を全然なくしようとする方向に政府の意図が動いているということを知って、そのころからわれわれはものを考え出したわけです。地教委に対しても、あまりにもここに起った問題だとかそういうものにとらわれ過ぎて、何か地教委と日教組が対立するというような形が出たものですから、そのすきにうまく取り入って日本の教育の民主的な制度をこわそうとするところのものが生まれてきたということに対しては、日教組として非常に反省しなければならぬと思ったということをを私は先ほど申しました。そういう点について私どもは考慮しなければならぬということを中央執行部では考え出したわけであります。しかし地方によって問題の起っているところは、感情的になかなか納得のいかなかったというところもないわけではありません。しかしそれは話せば筋のわかることですから、日教組の全体は、今では私どもの意見に賛成していると考えているわけであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/95
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096・坂田道太
○坂田委員 現在の県教育委員会の構成は公選によって選出されたわけでありますが、日教組はこれに対しまして、全国で六十八名の方々を公認され、そうして五十八名の大量当選をせられているようでございます。この点については、私は何も異論をさしはさむものではございませんけれども、この日本教職員組合の五十万の組織というものを考え、それから先ほどの行き過ぎ等を考えた場合において、府県の教育委員会自体が、この日教組の圧力によって、言葉をかえて言うならば、教育委員会法が排除しておりますところの不当なる支配という影響を与えられていやせぬかという点を、率直に小林さんにお尋ねいたしたい。小林さんはそういうことはないとおっしゃるでしょうけれども、一応お尋ねいたしたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/96
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097・小林武
○小林公述人 それは簡単でございます。これは圧力が加わるはずがないのでございますから……。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/97
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098・坂田道太
○坂田委員 時事通信の内外教育版の第五百八十三号でございますが、去年の十一月二十九、三十日に全教育委員会の総会がありまして、その際に、いわゆる高校課程の改悪阻止闘争というものを日教組では打ち立てられまして、総力をこれに結集され、そうして全教育委員工作ということをやっておられる。各県の日教組系の議員を全部東京に出張させるというようなことをやっておられるわけでございます。たとえば総会出席教育委員の人選工作を行うこと、前記情勢で示したように、幹事会よりの報告に終る可能性もあるので、質問、緊急動議等をもって協議事項に加えさせる工作を出席教委と打ち合せることということをやっております。こういうことは不当なる支配ということになりませんか。一つの教育委員会の意思決定をくつがえさんとする運動が熾烈に行われるということが、一つの不当なる支配ということになりませんかどうか。しかも御承知のように、日教組の指示第十四号によりますと、たとえば別な場合でありますが、この前の官公労の春季闘争に対して、こういう指令を発しておられる。各県教組は、県教育委員に対して文部通達を拒否するよう要求する。県教育委員が県教組に対して文書警告をした場合は、直ちに交渉をもって反対するとともに、文書発送の責任の所在を追究する。また地教委に対し文部通達を伝達しないよう要求する、こういった点がやはり私は不当なる支配だと考えるのであります。これは委員長はなかなか不当なる支配とはおっしゃらないかもしれませんが、こういうことこそ私は不当なる支配であるというふうに思うのでございます。少くとも教育委員会法にある国民の全体に対して直接の責任を負う、各あなた方から支持されて出られたところの教育委員の方々は、ともすればいわゆる日教組の打ち立てられたところの方針に盲従をする。国民全体に対して責任を負うのでなくて、往々組合に対して直接責任を負うという事態が県教育委員会にありはしないかということをわれわれはおそれるのでありますが、その点はいかがでございますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/98
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099・小林武
○小林公述人 私はその不当な支配ということについてどうも納得がいかないのでありますが、私どものいろいろなこういう運動をするというのは一つの陳情行動であります。私は坂田さんがもし賛成して下さるならば——賛成しなくても、これは坂田さんにお願いをしなければならないと思えば坂田さんのところに行くわけであります。そういうわけでありまして、御採用になるかならぬかは別として、私どもはこういうことを考えているからお願いいたしますというのが、私の方の陳情であります。でありますから組合としてもそういう行動は起しても、まさか議員になられた方や委員になられた方が、それによって人形使いの人形のようにお動きにならぬということは、私は確信しておるわけであります。でありますから不当な支配ということはないと思います。私が不当な支配というのは政治権力の不当な支配、たとえば教員というものはこういうことをやらなければ、あるいはこの教科書を使わなければお前を首にするぞとか、監獄にぶち込むとかいうことになると、それは不当な支配ということであって、坂田さんにお願いしますことは、私が幾ら涙を流して頼んでも不当な支配とお考えにならないようにお願いいたします。(拍手)発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/99
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100・坂田道太
○坂田委員 最後に一点、文部通達を伝達しないように地教委に要求するというようなことは、一体教師としてやるべきことでありましょうか。こういうことは陳情戦術でありましょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/100
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101・小林武
○小林公述人 私はそれもやはり一つ考えていただきたいわけです。われわれは地教委に出させないなんということはできないわけなんです。それはどうにもできない。しかし出さないように考え直してもらうように陳情するということがその文章の趣旨であります。そういうふうに御了承願いたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/101
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102・坂田道太
○坂田委員 そうしますと、この日教組指示第十四号というのはあなたの委員長が発せられたということを確認していただけますね。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/102
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103・小林武
○小林公述人 私は一般論を申し上げたので、あなたの持っている文章が全部私のあんだということはここでは確言できません。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/103
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104・坂田道太
○坂田委員 それではこれで終ります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/104
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105・佐藤觀次郎
○佐藤委員長 山崎始男君。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/105
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106・山崎始男
○山崎(始)委員 簡単に二点ばかりお尋ねしたいと思います。まず第一点は、全国五十数万の教職員の代表として、この法律案については最も関係の深い団体の代表者の方でありますので、私は理念の問題においてまず一点お尋ねしたいと思います。実は今回出されておりますこの法律案は、単なる制度の一部改正をするとかいう問題でなくて、これは日本の教育制度、従って教育そのものの一つの革命だという見方を私はいたしておるのでありますが、それについて一番大切な問題は、この法律がもし通過いたしたとかりに仮定いたしましたならばいろいろ心配な点が起ってきますが、最も心配しなければならない点は私はやはり何といいましても、教育と平和との関連の問題ではないかと思っております。聞くところによりますと、ただいまも坂田委員の方から全国の都道府県の教育委員会へ、日教組に元所属しておられた先生方が五十数名出たというようなことで、いかにも政党的なあるいは団体の圧力を不当にかますというような含みを持たれたところのお尋ねだったと私は思うのであります。この点について、やはり関連いたしますので、私は一つお尋ねしたい点は、私らが承知いたしておりまする日教組が、この平和という問題を取り上げられたことは、先ほど小林委員長からも公述の中にございましたが、過去における教育が非常に敗戦の根本原因をなしておった、そのときはかわいい子供たちをあるいは特攻隊に供出をするとか、あるいはいろいろな荒わしに供出するといったような直接勧誘したのは、いわゆる中央集権の大もとの中央の政治権力によってやられたことには間違いございませんが、最も子供に直接関係のあったのは現場の教職員の人であったということは、私たちも理解するのでありますが、それが不幸にしてたくさんの戦死者を出し、かわいい教え子を失われたということで、敗戦直後において、いの一番に日本の国で、教育というものは平和でなければいけない、すなわち平和ということが大前提であって、初めてそこに人間教育のいわゆる完全なる達成というものができるんだという、このたくさんの子供たちを殺された責任からの反省から、ついに教育の大前提は平和であるという一つの考え方を出されたというふうに私たちは聞いておるのであります。たまたまその後におきましてわれわれの所属いたしておりまする社会党がいわゆる平和でなければいけないということを党の一つの看板にあげた。ところがこの平和という問題を中心にいたしますと、日教組の平和というものの考え方は純真な、教育の大前提が平和でなければいけない、いわゆる産業とか経済とかいうものは、あるいは戦時経済なり戦時産業なりという言葉があるごとく、戦争があっても産業は成り立つ、しかし何ものをおいても教育だけは平和でなければ達成はできないんだという、いわゆる純一無雑な観点からの平和であった。それがわれわれ社会党が平和を名乗ったばっかりに、平和という言葉の内容はともかくとして、この言葉を中心にして日教組は片寄った政党を支持するのだ、こういうようなものの考え方に変ってきておると私は思うのであります。先ほど坂田委員の方からも、かつての日教組の所属の先生方が五十数名教育委員に出られておられるといわれます。この気持の中にはやはりそういう一つの誤解がおありになったからこそ、そういう質問も私は出たのじゃないかと思うのであります。それはさておくといたしまして、今回の法律案が通過いたしました後における日本の教育そのものが、一体どういうふうになるのか。これは先ほどの公述の中にもありましたが、私が最もおそれますことは、一番の被害を受けるものはやはりこれから教えられるところの、いわゆる次代をになうところの青年子女がどういうふうな被害を受けるか、この点が私は一番心配なのであります。この根本問題について一つお知らせ願いたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/106
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107・小林武
○小林公述人 私は、御指摘の通り、やはり教育の大きな改革だと思います。これは前に民主党の何かパンフレットの中にも、教育改革というようなことがあったために、どの大臣であったか私はわかりませんけれども、お伺いしたことがあります。教育改革ということはきわめて大事だ、教育改革というからには教育の本質の問題、根本の問題に触れることだと思うが、そういう御意図が今おありですかという質問をしたことを覚えております。こういう教育改革をやるとするならば、私はやはりたくさんの国民の間に問題を投げかけて、いろいろ論議していただきたいという気持を非常に持っているわけであります。そういう点からいって、私は今度の法律案が通って、これが教育に対する一つの拘束力を持つということになりますと、大へんなことになるということを考えるわけであります。先ほど私が公述の際にも申し上げました通り、根本の問題において、今度の教育改革には国民に責任を負うところがないという点が一点、それから戦前の教育に対する反省が明らかにされておらないということは、これは重大でございます。こういう点から、これが法律化して教員を縛るということになりますと、どうしても平和が脅かされ、それから国民の幸福のための教育が侵害されるということは、私はもう目に見えるような気がするわけでございます。私は戦前からの教師でございまして、あなたが御指摘のように、いわゆる軍国主義の、白墨を持った一下士官という非常にきびしい批判を、かつてある方から受けたことがございますが、そういうていの教員であったことは、私は率直に認めざるを得ないわけであります。そういうことを再びわれわれがやらなければならぬ、やらされるのかということになりますと、私ばかりでなく、少くとも教育に責任を持つ者はこれは耐えられないことだと思うわけであります。先ほど公述の際にも申し上げました通り、教育の現場に直ちに響き、しかもそれが直ちに子供の生活に影響し、子供の将来に及ぼすというこの事実の上に立って、いろいろ国会において御審議をいただきたいということを申し上げたのは、そのゆえでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/107
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108・山崎始男
○山崎(始)委員 最後にもう一点お尋ねいたしておきたいことは、先ほど小林公述人の方からも一言最後にお触れになったようでございますが、私はあえてお尋ねいたしますことは、教科書以外の教材を現場の先生が採用をするのに、一々教育委員会なり教育長の承認なり承諾を得なければいけないというあの三十三条の第二項です。この点は非常に見のがしやすい問題でありますが、よくよく考えてみますと、これは非常に恐るべき条項だと私は思っておるのであります。先ほどあなたからも最後に簡単にお触れになりましたが、この点は私はあなたが現場教師なるがゆえに、もう少し詳しく実は伺いたい。このことは机の前にすわっておる為政者にはわからない。一番よく知っておるのは現場の先生以外にはない、それ以外にはわからぬと私は思うのであります。今日新聞あるいはラジオ、テレビその他いろいろの教材というものを、その場その場、そのときそのときに応じて教科書以外に使っておる。また新しい教育の制度が採用されまして、特に社会教育あたりも、随時随所においてこれを有効適切に使って今日まで参った。この教育的な効果というものは、私は非常に偉大なるものがあったと思っております。ところがこの点が、もしそういうふうなことに規則で統制されますと、おそらく一々しちめんどうくさい手続なんかをして教育長なり教育委員会へ事前にお伺いを立てるなんて、こういうことは、ほんの山間僻地の学校教育の実態を知る者ならば、そういうことは絶対にといってもいいくらいできないと思われるのであります。俗にとうふ屋へ三里、酒屋へ二里というところにも学校のない村というのはございませんが、しかもそういうところで教育されております児童生徒というものは、うそのような話でございますが、まだ汽車をみたことのない小学生がずいぶんおるのであります。だから修学旅行にでも行くといえば、汽車にいたしましても、汽船にいたしましても、何によってそういうような予備知識を——やはりそういうような民主教育の用具としての新聞、ラジオ、テレビあるいはその他の教材によって教育をして参ったことは申し上げるまでもございません。こういう点において、もしこの法律が通過いたしますと、おそらく学校の先生の気持とすれば、先ほどちょっと申しましたように、一々危ないことにはさわらぬ方がいいというような気持になるでしょう。あるいはまた地方の教育委員会のごときは、やはりこの基準に対して一体どういうふうにして許したらいいか、許可したらいいのかわからない、わからないものだから中央の方へ、おそらく文部省の方にお尋ねをするというような、一応の筋書が予想できるのであります。そのときに文部省の方とすると適当にやっておけ、初めのうちはこうであるかもしれません。やっておけと言われた相手方にしましても、そんなあとで問題を起すようなことはしたくない、こういう消極的な気持になっていく。これは私は当然だと思う。そのうちにはまた中央へはね返って、今度は中央では、それではこのくらいな程度は許してもよろしいというような、やがてはまた基準というものが生まれてくるのでないか。文部省が作られたところのいわゆるトラの巻的な基準というものが生まれるのではないか、こういうふうなことが、一応この法律案の筋書としては予想できるのでございます。私がおそれますことは、この目に見えないような問題でありますが、これは非常に大きな問題であって、しかもその不便なりその悪影響、今日の民主教育に対してこの法律の及ぼす影響というものは、現場の先生が一番よく知っておると思うのであります。そういう意味におきまして、いま少し現場の先生という立場に立たれてこの一点を一つ御説明願いたいと思います。これで私の質問は一応終っておきます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/108
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109・小林武
○小林公述人 私は先ほどもその点について説明したわけでございますけれども、教育の効果をあげるというようなことは、先ほど申し上げました通り、やはり子供の生活から出発した問題なり身近な問題から考えなければいかぬということ、あるいは地域の問題から考えなければならぬということ、こういうことは申し述べました。だから一つ理科教材を取り扱うにつきましても、たとえばその土地にとって非常に大事な一つの植物とかあるいは動物とかいうものを取り上げる場合、教科書にない場合においては、それではこれは取り上げられないかどうかということ、一々届出をやらなければならぬかどうかということ、そういうばからしさがやはりこの中にあると思う。こういう点はやはり大いに考えなければなりませんし、また文部省で視聴覚教育課というものを置いておるのだが、毎日、毎分、毎秒のように新しいものが出るところの視聴覚——ラジオとかテレビというものを一体どういうふうに教育するだろうか、これは見ものだろうと思います。この視聴覚教育課のやり方が今後どういうやり方をするか、こういうことを考えますと、これはきわめて現実に即さない、教育の実情というものを知らない人の考え方であるということになるわけでありまして、教育の効果を全然なくしてしまって、いわゆる本を見て、動物のことでも植物のことでも頭の上に刻み込んでおけというような、こういう萎微沈滞の百年ほど前の教育に逆戻りするのではないかというおそれが一つあるということ、もう一つはこれが一つの弾圧の道具に使われるということです。たとえば私は戦時中に一つこういう体験を持っておるわけでありますが、つづり方の鑑賞教材に、ある教師が子供のつづり方をとった。非常に貧乏な家の子供でございまして、それが自分の家のことを書いた。これががぜん研究会で問題になりまして、お前のやり方はちょっとおかしいぞ、貧乏々々と、貧乏に目を向けるようなことははなはだ不届きだということで、その教員がつるし上げられて、思想傾向がよろしくないということで非常なきついおしかりを受けた。こういうばかげたことが、こういうものの中から出てくるわけであります。あるいはもし有名な文学の中からとりましても、ものをはかる尺度というものは取り締る側の人の頭や目にあるわけでありますから、そういう弾圧の道具に使われるということ。これはこの間ラジオ討論会か何か聞きましたら、文部省の方が、いやそんなことを言っているのじゃない、副読本か何かのことを言っているのだというお話でございましたけれども、ここには副読本ということを条文に書いておらない。どのようにでも拡大解釈されていく。過去においてはそういう事例がたくさんあった。そういうこと等から考えまして、私はこういう条項は非常にまずいと思うわけであります。
特に私は僻地の委員を二年ほどやりました。およそ文化的な生活とは縁のないところで二年やったわけであります。その中で、ラジオとか幻燈とか、そういうものを取り上げられたら一体どうやるのかということであります。これじゃ教師はまるきりくたくたになってしまう。一学級に三学年を入れてやる。片方をやったら片方が騒ぎ出すというような状態の中で、幾ら精神力を高揚さしても、精神力じゃ世の中はいきませんから、限界がありますから、そういう点等を考えて、日本にたくさんある僻地の教育のことを考えましても、あるいは科学的な教育の問題に触れましても、こういう教材面の一つの規制というものは、これははなはだもってよくない。この精神がやはりこの法案の全部にみなぎり渡っているということから、私は法案全体に反対の意思を表明したのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/109
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110・佐藤觀次郎
○佐藤委員長 米田吉盛君。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/110
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111・米田吉盛
○米田委員 現場で非常に教育のために——あるいはあなた、現場でないかもしれませんが、御尽瘁になっている教育界全体の教員の方には、われわれ深甚な感謝をするものでありますが、また一面には父兄の声、町の声として、どうも今の教育では困る、この真剣な声がどこでも有力に、良識ある父兄から相当聞かれるのであります。このことはあなたらもあるいはお聞きになっているかと思いますが、私などのような立場の者は特に多く聞くのであります。これはしろうとで、新しい教育理念を理解不十分であることからくるところもありますけれども、戦後の教育の結局仕上げの結果を、身にしみて、自分の子弟の姿を見た父兄の偽わらない悩み、憂いであると、私は実は反省的に考えておるわけであります。これをひっくるめて言いますれば、現場の各位が真摯熱烈にやっていただくにかかわらず、結果的には何となくわが国情にそぐわない結果が生まれつつある。この点が各方面に改正の要望となって現われてきたものと私は判断するわけであります。これは一つ日教組の代表者として、全国の教員諸君の立場からも厳粛な反省を私はいただきたいと思うのです。御労苦に対してわれわれは感謝を送ることにやぶさかではありませんが、同時にそういう憂うべき結果も父兄の声としてあるというこの事実……。
そこで先ほど、戦前の教育に無反省に今度の改革が出発せられた、こういう公述がございましたが、私らの考えからいえば、およそ戦前の教育などを考えたことは一瞬もないのですが、どういう点からあなたのそういうお考えになったのでありましょうか、明確なる論拠、証拠とでもいいますか、その点を一つ伺いたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/111
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112・小林武
○小林公述人 先ほどのお話の中で、今の教育では困るというお話がございましたが、これについては具体的なお話がないので、私は答えに非常に窮するわけであります。しかし大体ここで黙っておるとやはり工合が悪いですから申し上げますが、私は今の教育についてそういうふうにお考えになるということは、この点じゃないかと思うのです。よく世間で言いますから、そこから推察してでありますから、失礼に当るかもしれませんが、その点はお許しが願いたい。学力が低下したという問題、それからこのごろどうも青少年の犯罪が多くなって、大へんよろしくない、これはあげて新教育の罪であるという、大体こういう論法が世間ではやっておるわけであります。私はこれに対してはどうしても一言弁ぜざるを得ないわけです。学力の低下の問題はやはりもう少しいろいろの角度から御検討願いたい。相当な方でも新教育のために学力が低下した、こう言う。これは非常に誤まりだと思うわけです。ある人はこういうことを言う。今自発的な態度とか自主的な人間というものに、非常に重点がかかり過ぎておるからどうも覚えることも覚えさせぬで、詰め込まねばならぬものも詰め込まぬから、こういうことになるというお話でございますが、これは教育の方法論というか、方法的な技術的な面と、新教育の精神とを結びつけてお考えになっておる誤まりでありまして、私どもは決してものを覚えさせること、基礎的な知識を覚えさせることを怠っておるわけじゃありません。そういう技術的な方法的な問題は、二つの立場がありましても、詰め込もうという——これは簡単に申し上げますが詰め込もうという主義でも、あるいは自発的に学習させるという主義があっても、やはり片一方だけではいけないと私は考えておる。両方を考えて、両方を統制する形においてやらなければ、やはり学力の低下ということが起ってくるのではないか。このような観点からいえば、そういうような誤まりについては、誤まりを起さないようにしなくちゃならぬ。ただしこれ一つが学力の低下の原因ではないのでありまして、戦争ということをお考えになれば皆さんもおわかりだと思います。戦争中に一体何を学問させた。みんな工場へやったりあるいは疎開させたりした。そういうような結果がちょうど出てきて、ようやく今それがだんだん回復されつつある過程であります。戦争から来る非常な大きな学力の低下というものは、日本ばかりでなく、諸外国においてもあるということは、私はよその国の人から聞きました。こういうような点、また戦争のために教師の学力——と言ったら悪いですけれども、やはり教師の学問に対する、あるいはいろいろな教科に対する深さが戦争のために衰えてきたということもあるでしょう。あるいは教育における設備の問題からも来るでしょう。そういうように学力の低下というものは多角面からとらえてこなければならない問題であって、これを直ちに新教育に結びつけるということは非常に誤まりであるというように考えております。青少年の犯罪についても同様でございます。今までの道徳というようなものが戦争のために根本からくずれ去ってしまった。その結果新しい日本の道徳というものが生まれてこなければならぬ。そういうようなものに時間がかかっておる。そういうところからあるいは出ておるかもしれない。そういう点を十分お考になっていただいて、同情ある目でお認めを願いたいわけであります。ただし私はこう申し上げたからと申しまして、教員が、それじゃ絶対にふんぞり返っておってよいというのではありません。少くとも教育に当る教師というものは、こういう過渡期の段階において、やはり日常の教室におけるところの自分の努力とかあるいは平生における学習の研磨とか、そういうことについて大いに責任を持ってやらなければならないという反省は常にきびしく自分に対して行われなければならないと私は考えておる次第であります。こういう点で、当ったかどうかわかりませんけれども、そういうことをおっしゃいましたから一つ御返答申し上げたわけであります。
それから戦前の教育に対して反省がないというのはどういうところから出てきたかとおっしゃるが、私の公述は、二十分をこえましたけれども、全面的にそのことを述べたわけであります。やはり戦前の教育は権力の統制であった。先ほど申し上げましたが、日本の教師は一体どうだった、いわゆる軍国主義の手先で、白墨を持った軍国主義の下士官級じゃなかったかということです。戦争に負けたときに私はこういうことを相当な方から言われた。言われたというのは、特別聞いたわけではありませんけれども、文章に書かれておったのを読んだのであります。一体日本の教師は長いことこういう戦争が負けるような状態に追い込まれるまで妙な教育をやってきたが、それに対してどれほどの抵抗をしたか、正しくないものに対してこれは正しくないといってがんばったことがあるかどうか、お前たちは唯々諾々としてやってきたじゃないか、こういうことを言われたが、これはきびしかった。第一私が先ほど申し上げました通り、何でも御無理ごもっともでまじめにやった。まじめでないかもしれませんが、一生懸命になって、文部省の言う通り、偉い人の言う通りやった方ですから、私は情ない教員でありましたから、特にそうであった。それを感じたわけであります。それがどこから出たかというと、いわゆる文部省の命令に従うということ、あるいは文部省の下にある教育部とかなんとか、あるいは視学官、督学官、教学官という人たちの言うことを全部御無理ごもっともと聞かなければならぬような形の制度で、これはよくない。それからもう一つは、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」というこの考え方、命を鴻毛の軽きに比するというこういう考え方が教育の本旨であっていいかどうか。先ほど私が述べましたのは、教育は国民の一人々々に責任を負わなくちゃならぬものであるということ、そういう点についてどうお考えになっているか、そういう点を伸ばすようなこの法案の仕組みであるかどうかということであります。戦前に対しての反省がないのじゃないかということを私は言ったわけであります。なおその際引例いたしました文部大臣の提案理由の御説明の中にも、占領下早急の間にやったというようなお言葉があったけれども、戦前のそれを考えてこうだというのがなかったのは、どうも私は納得がいかなかったということを申し上げたわけであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/112
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113・米田吉盛
○米田委員 どうもあなたはあなたなりに独断があると思うのです。そこに今の教育の父兄の声が生まれる端があると思う。父兄には先生あがりの人もあれば大学の先生の人もたくさんあります。そういう人が、今あなたの御指摘になったような不良少年が多いとかその他もろもろのことばかりでなしに、どうも日本のわれわれの後継者としてこれでよいかという反省——これは認識の相違、見解の相違だといえばおしまいですけれども、そこに公式一点張りの民主主義というもので主義とおぼれ死にをするというようなおろかな行き方があるのではないかと思うのです。これは公式だけでやれば一番簡単です。ある学者もある政党の人もどの人もみな言い合せたように、軍備費を教育に回せとか、だれが言うことも同じせりふになってしまうのです。これは、結果はどうやら隣の国に似ているような形に言論的にはなっているのです。そういうところが、日本のために、昔のあなたが非常にあつものにこりておられる独善的の行き方と、右翼と左翼の——左翼と言ってはいけませんが、傾向は別としまして、何か結果が同じように見れる。そういうところにまだ十分反省が足らぬように、私は正直父兄として思うのです。信念はけっこうですよ。信念はけっこうですけれども、ほんとうに独善に陥っては困ると思うのです。そういう意味から、反省が全然ない。今のお話によると、一たん緩急あれば式の教育が再現するかのように憂えられておるようでありますが、今の政府は昔の政府と性格が全然違いましょう、民主——主権在民であり、全然違いましょう。そういう現政府下に、一たん緩急式の教育がここ五年十年たっても行われると一体考えることが、少し被害妄想的でありませんか。今日本の一部分に百八十度考え方が違う人があるのです。これは日本のために非常な不幸だと思うのです。共通の広場がない。われわれは、両方が接近して、教育だけでなしに各方面に、共通の広場がなければならぬと思うのです。
そういう立場から私が伺いたい点は、そういうものの考え方で、一たん緩急のような教育がまた出るという思い過ぎた心配、これは何かノイローゼ式になっているのじゃないか。それから、これは皮肉じゃありません、事実を言うのですが、このごろ非常に誇張したものの言い方で、婦人なんかには、軍備ができるとお前の夫を引っぱっていくぞ、むすこが今にも戦争に召集されるぞと、半ば脅迫的に誇張して言うて、それを反対の手段とする方式がはやってきた。これはいけないことだと思うのです。そういう点から、今あなたがおそれられたようなことは、われわれ考えちゃおらぬのですから、今の政府はやろうと思ってもできませんし、国民が許しませんから、そういう意味から出発してのお考えであれば、これはあなたお考え直しを願わなければならぬと思うのです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/113
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114・小林武
○小林公述人 後継者としての日本国民をどう考えているかというお話があったが、私はそれを考えているからこそ教育に熱意が持たれるのだと思うのです。日本の国がりっぱにならなければ、ほかの国と仲よくしようとかあるいはどうしようとかいってもみじめなことになる、世の中がもし一つになるようなことがあったとしても、世界連邦とかいう考え方がございますが、そのようなことが実現いたしましても、日本という一つの単位がりっぱでなければ、人類の立場からも日本の国民の立場からも仕合せでないのであります。そういうことを考えますがゆえに、私は教育に重点を置かなければならぬということを考えておるのが一つと、もう一つ、われわれの考え方は、公式とおっしゃいますが、私は日本国憲法と教育基本法にあることを言っておるわけであります。これが改められて後ならば、私は何をか言わんやでありますが、こういう憲法や教育基本法のそれに従って私が言っているのでありますから、これは公式論ではなくて、きわめて具体的な論であると私は思うのです。でありますから、どうぞその点は一つお考えを願いたいと思うわけでございます。
それからお話の中に出ました、やはり共通の広場を持てというお話は、先ほど私、公述の際に申し上げましたが、事教育に関する問題だけは、一つ共通の問題として、どなたが政権をとられても、これはあまり変化のないような形にしていただきたいということは、私のお願いした通りであるのであります。そういう御意見には全く賛成でございます。なお私は反省がないということは申し上げなかったはずであります。私はやはり事実は事実として明らかにしなければならぬ問題、たとえば学力の問題一つをとっても、これは教員が悪いのだと言えば、それで学力が向上するなら、私はそう言います。しかしそれだけでは学力は向上しない。学力が低下したというものについては、幾多の問題があるわけなのであります。この点については、私の方でも基礎学力の調査をやりまして、そうして十分に検討した結果、幾多の原因がある。その中には教師がもっと学力を伸ばさなければならぬという問題もあった。しかしそれらのすべての問題を研究して、学力を伸ばす方途を講じなければならないということを申し上げたのであって、私はその中で、教員が反省しなければならぬことは十分反省する、反省しなければいけないと思っております。こういう点御了解をいただきたいと思っております。
それから誇張脅迫というようなことをおっしゃいますが、私の公述は誇張脅迫ではございません。私が先ほどから一生懸命になって申し上げているのは、何も一たん緩急あれば、これから政府がそういうことをやるだろうということを申し上げておりません。戦前の教育がそうであった。そのことからよく考えて、そのことがどういう筋道から、そういう状態になったかということをお考えにならなければいかぬ。またそのために、一体国家にどういう弊害が起ったかということを考えなければ、次の新しい段階は生まれてこないのだということを、私は先ほどから申し上げているのでありますから、御了解いただきたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/114
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115・米田吉盛
○米田委員 今あなたが、脅迫的なことを言ったと私は申し上げたのではない。そういう傾向が大体一派の何にあるということを私は言ったわけなんです。
それから教育長の大臣承認事項について、これなんかを取り上げられてだいぶ憂えられておるようですが、これは逆用すれば、先のことを悪く悪く考えれば、世の中は一歩も歩けないということに私はなると思う。そういうわけでありますが、こういう点はあなたどうお考えでしょう。たとえば津の水死事件があった、あるいは修学旅行で船が沈んだ。そういうたびに常に、特に社会党の諸君あたりからは、強い文部省の責任呼ばわり式の質問が文教委員会で出るのです。そのたびごとに文部省はしどろもどろに答弁をなさる。そういうような今日の状態です。そこであなたは先ほどから文部省はサービス機関式の——そういう言葉はお使いになりませんけれども、お気持はサービス機関式のものでよいというような格好で、大臣がこういうところまで承認をすれば、中央集権につながるのだという意味のことを言われたように思いますが、今のようなことなど全然文部省がやれない状態でいいものかどうか、私はこの尊重ということは今日の基本原理であるけれども、同時に国民全般に共通であるということが相当あると思う。そういう面から国家がこれらに全然無関係であるべきはずはない。それだからこそ教育基本法もあり、その他諸法規ができているのですから、そのワク内で現場の先生が責任を持たれるということになるのですから、そういう意味からいって、全然文部大臣が今のままで、社会党の先ほど言ったような質問などに応ぜられるだけの立場ができるかどうか、私はできにくいからこそこういうことにもなったと思う。
それから文部省設置法の五条の十九号かで、やはり指導、助言、勧告というようなことはできるということで、そういうようなところから今度の措置要求というような規定も、これを具体化したようなものだとわれわれは考えているわけですが、そういうような点も、何もしないで今まで通りでよろしいということについて、私は非常な不安を実は感ずるわけなのです。あなたの御見解はいかがでしょう。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/115
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116・佐藤觀次郎
○佐藤委員長 小林公述人、なるべく簡単に願います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/116
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117・小林武
○小林公述人 私は現行法がいいと思っております。私は政党間においてやりとりやったことがいいとか悪いとかいうことは言いませんが、私は文部大臣がそれほど追及されるべき問題ではないと思う。何でもかんでも文部大臣ということはいけないと思う。私はその点では地方教育委員会というものがあり、教育委員会というものがありますから、やはり今の制度でいろいろのものを考えていかれる方がよろしいと思う。それを特に責任を追及されたから、責任をとるための中央集権的制度が必要だという議論は認められません。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/117
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118・佐藤觀次郎
○佐藤委員長 これにて小林公述人の公述及びこれに対する質疑は終了いたしました。
小林公述人には、教職員の立場から両法案に対する貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。
議事の進行に対して委員長よりお願いいたします。この際公述人の委員の質疑に対する御意見の開陳は、一問一答の形で要点のみ御開陳願うこととし、委員各位は、御意見の開陳はこれをできるだけ避け、要点を御質疑願うこととし、時間はできるだけ短時間にお願いいたします。
次に西岡公述人より公述を承わるのでございますが、この際一言ごあいさつ申し上げます。
西岡公述人には御多用中にもかかわりませず、長崎の遠路よりわざわざ御出席下さいまして、御苦労に存じます。両法案につきまして、県知事としての立場から忌憚のない御意見を御発表願いたいと存じます。なお公述その他につきましては、お手元に配付いたしてあります注意書の要領でお願いします。
西岡公述人の御発言を願います。西岡公述人。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/118
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119・西岡竹次郎
○西岡公述人 私は都道府県知事としての立場から、この法案に対する問題点は次の三点だと思っております。すなわち市町村委員の存廃、委員の選任、教育長の選任、知事と委員会の権限調整であると思います。
第一点は、市町村教育委員会の存廃の問題でございます。この法案によりますと、依然としてこれを存置しようとしておいでになるのであります。しかし市町村教育委員会の運営の実態及び市町村財政の現状から見まして、五大市を除きましては、原則的には廃止する方向に持っていくべきであると思うのでございます。市町村に教育委員会を存置するにつきまして、文部大臣は国会における御説明の中で教育の振興のために、わけても義務教育の普及をはかるために、教育に関する事務の相当な部分を市町村が負担しているのであって、学校の運営を管理助成し、教職員の指導に努め、社会教育の振興をはかる上には、市町村に期待するところは大きい。その上町村合併の進展の結果、市町村の行政能力は、強化されようとしているのであるから、都道府県のみならず、すべての市町村に合議体の執行機関として教育委員会を存置したと言っておいでになっているのでございます。しかし市町村教育委員会運営の実態は必ずしもこのような方向に向っていない。その活動の重点は学校その他の教育施設の整備に置かれております。これが往々にして市町村財政を無視した無謀な要求となって現われ、市町村長と必要以上の紛争を起しているのでございます。教育の振興、そのための教育施設の整備を念願しない市町村長はおりません。教育委員会の要求がなくても、財政の許す限り、これが整備をはかろうといたしているのであります。学校の管理、教育職員の指導につきましては、県教育委員会の指導によって学校長が十分行えると思います。市町村における社会教育、すなわち実情に即した青少年教育、婦人教育などは、むしろ市町村長が率先して行うべきものである、現実にはそうなっておるのでございます。町村合併は進展しておりますが、その実情は人口五、六千人の町村が一万三千ないし一万五千になる程度でございます。しかも現実に一万五千程度の町村の教育委員会の実情を見て、文部大臣の言われるような結論は出ないように思うのでございます。よって市町村の教育委員会は廃止して、これによって生ずる経費を教材の整備などに振り向けていくことこそ教育の振興となると思うのでございます。しいて必要がありますならば、市町村長の諮問機関程度で十分ではないかと思っておるのでございます。ただしこの法案の成立の一日も早いことが望ましいので、次善の策として現段階といたしましてはこれを認めることもやむを得ないかもしれないと思うのでございます。しかし漸次これは廃止すべきものである、かように考えておるのでございます。
第二点は、教育委員の選任、教育長の任命方法の問題でございます。この法律案によりますと、教育委員は従来の直接公選制をやめ、地方公共団体の長が議会の同意を得て任命することにしております。これは現状から見まして適当であると考えます。県の教育長は県の教育委員会の任命をもって十分であると思います。文部大臣の認可の必要はないのではないか、かりに置くといたしますれば、市町村教育長も市町村教育委員会の任命をもって十分ではないかと思います。委員の公選制ということが現行教育委員会制度の非常に大きな要素であることは間違いございませんが、委員が公選制でなければ教育の民主化が行えないというものではございません。考え方といたしましては、公選制はいろいろの長所が考えられる。しかし実際に選挙を行うとなりますと、なかなかその通りにはいっていないのであります。県の教育委員の場合を考えてみましても、知事とか、県議会議員の選挙と同時に行います以外は、その投票率はきわめて低い。これは教育委員選挙それ自体が選挙民と直結していないからでございます。長崎県の場合を申してみますならば、かつて教育委員だけの選挙が二回行われましたが、いずれも無投票でございました。市町村の場合でも大半は無投票でございます。特に補欠選挙におきまして選挙の行われることがかえって例外となっておるのでございます。また選挙が行われるといたしましても、委員を選ぶ範囲が従来から教育関係に従事していた者からということに限られがちでございます。いわゆる教育職業人というような感がいたすのでございます。特に本来政治から遠ざかるべき教育委員会の中に政治的色彩を持ち込む結果になる場合も当然生じて参ります。すなわち多額の選挙費用を費しても、その実効は薄い。最も公平、忠実を必要といたします現在の公安委員、人事委員は、地方公共団体の長が議会の同意を得まして任命され、運営されておりますが、りっぱにその目的を達しておることは御承知の通りでございます。教育長の任命は、県市町村教育委員会の任命をもっていたしますれば、私は十分であると思う。ことさらに上級官庁の承認を求めることは、中央集権化の感を深くするだけで実益なく、教育民主化の線に沿わない点がありはしないか。
第三点は、教育委員会と地方公共団体の長との権限の調整の問題でございます。この法律案によりますと、予算、条例案の原案送付権を廃止して、予算の議案を作成する場合におきましては、教育委員会の意見を聞かなければならないとなっております。しかし教育委員会の意見を聞くことは、特に法文化する必要はないのではないか。教育財産の取得及び処分、契約の締結、収入支出の命令の権限が地方公共団体の長に移されることは、これは当然でございます。予算の二本立制が不合理なことは、全国都道府県知事、市町村長が身をもってこれを体験いたしているところでございます。長崎県の本年度の予算の編成に当りまして、この点が特に痛感されたのでございます。小学、中学校の費用が予算決定に当りまして、最終的に小学校における児童の自然増加が約一万六千人に対しまして、百五名の教員を増員、中学校におきましての生徒の自然減が千人に対しまして教員七十三名の減員とすることになったのでございますが、その過程におきまして、教育委員会といたしましては、右に対しまして小学校教員三百五十四名の増員を要し、中学校は十七名の減員として譲らないのであります。一方教員組合などは、もし知事がこれを認めなければ原案送付権を行使せよ、対立予算を出せというわけです。行使しなければ教育委員に対してリコールの署名運動を行うと迫ったのでございます。そのために何ら事情を知らない県下の五島、壱岐、対島のPTAの人たちまで、みぞれの降りしきる中を長崎市に五千人集まってデモ行進を行うような状態が起ったのであります。児童が増せば教員を増加することは知事として当然のことでございます。ただ県の財政を考え、これまでの不合理な面をあくまで改めるという方針で進んだのでございます。もし要求をそのまま受け入れたならばどうなるか、これに伴いまする国庫補助を除きまして約五千万円の県費の財源はどこから一体得られるか。長崎県の場合大学費、私学行政費、教育恩給費を除きました決算額は、昭和二十八年度は三十二億、二十九年度は三十六億、三十年度が三十七億と年々増加いたしまして、県の総予算の三八%近くに膨大化して参っているのであります。福岡県のごときはこれまで四回対立予算を出しましたが、このたびの三十一年度の予算は不幸にして不成立に終っているのでございます。教育予算もあくまで県の財政のワク内にあるのでありまして、この点から予算、条例案の原案送付権の廃止は、これは当然であると思うのでございます。また教育委員会の意見を聞かなければならないということも、特に教育委員会だけ法文化する必要はないのではないか。教育関係の予算案の決定に至りまするその過程におきまして、当然教育委員会の意見を聞いていますので、ことさら本法だけにこの条文を規定する必要はないのではないか。教育財産の取得及び処分、契約の締結、収入または支出の命令の権限が、地方公共団体の長に移されることになりましたが、いずれも地方公共団体の財政運営の一環としてなされた行為であり、これは当然のことであると思うのでございます。
なおこの機会に不合理と考えられますことは、大阪、京都などいわゆる五大市の所在いたしまする府県におきましては、五大市内にありまする学校の府県費負担の教職員の任免、給与の決定は、五大市の教育委員会が行うという例外規定を設けられてあります。このことは五大市とその周辺の郡部内にありまする高校の教職員との人事交流を阻害し、大都市と郡部との教育水準を不均衡ならしめる結果を生ずるものでありまして、かくのごとき特例を設けるべきではないのではないかと思うのでございます。ただこれは教育制度ばかりでなく、終戦後作られました法律の中にはわが国の国情並びに経済力に合致しないものがある。その特例がこの市町村の教育委員会制度であると思います。アメリカのように領土が広く、経済力豊かな国のやり方をそのままわが国に持ってきたところに無理がありはしないか。日本の市町村のような経済力の弱いところに教育委員会を設けるがごときは、経済力という一点から考えましても無理ではないかと思います。この教育委員会がありますために、長崎県の市町村の負担いたしまする額は一カ年に約一億七千万円でございます。全国で申しますると約六十七億円でございます。これに選挙費の十五億を加算いたしますると八十二億円の膨大なものになるのであります。これを学校の施設に私は用うべきではなかろうか、かように考える次第でございます。
要しまするに以上申し述べましたごとく、教育行政につきましては、現行の教育委員会制度その他について、なお根本的に改正する必要があると思っております。だからこのたびの政府の改正案につきましては不満でございます。しかし現行制度よりもましだと思っております。一歩改善、前進いたしました次善の策だと思うのでございます。この意味におきましてこの改正案が成立いたしまして、その実現を期待し、本案に賛成いたす次第でございます。
以上をもって簡単でございますが私の意見を述べさしていただきます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/119
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120・佐藤觀次郎
○佐藤委員長 以上をもちまして西岡公述人の公述は終了しましたので、公述人の質疑に入ります。質疑を許します。小牧次生君。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/120
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121・小牧次生
○小牧委員 それでは簡単にお伺いいたします。初めにちょっとお伺いいたしますが、西岡知事の御夫人は現在自民党の参議院議員をしておられると聞いております。あなたは党籍がございますか、お伺いいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/121
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122・西岡竹次郎
○西岡公述人 私は自民党の党員でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/122
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123・小牧次生
○小牧委員 ただいまいろいろ公述がございましたが、西岡公述人は現在知事をしておられますので、私は主として都道府県教育委員会の問題に集約して若干お伺いいたしてみたいと思います。
まず第一には、これは抽象的でございますが、現在の教育委員会法、これと今回提案されました法案とはいろいろ違っておる点があることは御承知の通りでございますが、本質において相違があるかどうか、本質が変ったかどうか、この点をどのように考えておられますか、まずお伺いいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/123
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124・西岡竹次郎
○西岡公述人 公述の際申し上げましたように、根本的に改正すべき点が多多あると思います。しかしながら今日の段階といたしましては、次善として私は本案を早く実現させていただきたい、かように思っておる次第でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/124
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125・小牧次生
○小牧委員 それからもう一つお伺いいたしますが、先ほどお話の中で教育委員会の廃止の問題に触れられましたが、しからば都道府県の教育委員会も現在直ちに廃止すべきである、このようにお考えでございますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/125
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126・西岡竹次郎
○西岡公述人 私は市町村の教育委員会を廃止すべきだと思っております。都道府県の委員会は今のところ廃止しようと考えておりません。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/126
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127・小牧次生
○小牧委員 次にお伺いいたしたいのは任命の問題でございます。現在の法案によりますと、都道府県教育委員は議会の同意を得て知事がこれを任命する、こういうことになっておりますが、先ほどもちょっとお話があったかと思いますが、現在都道府県におきましては、監査委員あるいは出納長、副出納長、こういったものが同じような方法をもって任命されておる、そうなるとその監査委員や出納長の任命の経過、事情等をいろいろ聞いたりまた見たりいたしますと、まず実際は知事の方から数人の候補者をあげて、かりに今回の法案の通りであるとすれば、教育委員は五名でございますから、五名なしい五名以上の候補者を知事の方からあげて、そうして県議会に同意を求める前に、それに先立って県会の議長なりあるいはその他議員の方々と交渉が行われて、そうして事前に一応両方の了解があり、これが議案となって議会に提出される、そうして予定通り議会の同意を得て、初めて知事がこれを任命するというようなことになっておるものと私は考えておりますが、その出納長なり監査委員なり、こういいった方々が任命される場合にあげられる候補者は、長く県庁に勤務しておった古手の吏員の退職者あるいはまた知事の非常にじっこんな間柄の人人、こういう人々が候補者として出てくるという例が非常に多いのであります。もちろん監査委員や出納長と教育委員の問題とは違いますけれども、今回の法案の内容によりますと同様な内容になっておりますので、おそらくそのような、ほとんど同じような方法がとられて五名の教育委員が任命される、こうなりますと、これはなるほど間接的な選挙というような形はとっておりますが、実質は知事の考えによる任命、こういうことに落ち着くのでございまして、先ほど予算の問題その他いろいろ説明がございましたが、もしもそのような方法で選ばれたとするならば、これはもう教育予算を折衝する場合には一方的に知事の意見を聞かなければならない、こういう結果になることは、これはもう火を見るよりも私は明らかだと考えますが、もしもそうなるとするならば、ここでお伺いいたしたいのは、なるほど都道府県教育委員会は残した方がよろしいとおっしゃいますけれども、戦前の県の学務部、あるいは市町村の学務課、手取り早くこういうものを置いた方がよろしいというような考えに進んでいくのではないか、かように考えますが、知事さんはどのようにお考えでありますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/127
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128・西岡竹次郎
○西岡公述人 お答え申し上げます。ただいまお述べになりましたような県もあると思います。一都二府四十二県のうちには、おのおのその県の事情によりまして、選び方あるいは人選等において異なると思っておるのでございます。長崎県の例で申しますならば、たとえば選挙管理委員が五人かおります。そのうちの半数以上は、むしろ自民党でない方が出ておられるのでございます。あと二人も自民党の党員でもございません。知事も全県民から選ばれたものでございます。それから県会の議員諸君も全県民から選ばれておるのでございます。その知事が御推薦をいたし、その県会で御承認いただいた委員なり、あるいは出納長なり副知事なりは、これは県民の意思を代表しておるものだ、私はかように思っておるのでございます。しかし現在におきまして、今お述べになったようなところもあり得るかと思っておりますけれども、しかしそうばかりでもない。ここは御承知のように、人と運用のいかんによるのでございますから、今後かりに新しい法律ができました場合も、そういう御心配のような点のないように、私どもは長崎県ばかりでなくやりますように、全国知事会でお互いによく自制をしていきたい、かように考えるのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/128
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129・小牧次生
○小牧委員 先ほどのお話の中に、現在の法案の中には、そういつた場合にいろいろ教育委員の意見を聞かなければならないという法文は要らないのではないか、こういうお話があったようでありますが、それは現在でも聞いておるからというような理由をつけてお述べになったように聞きましたが、戦前、学務部あるいは学務課というものが置かれておりましても、なるほど下部機構でございますが、やはり知事としては学務部長なり、あるいは市町村長としては学務課長の意見を聞いて、そうして最後の決定をする、こういうことであったので、今おっしゃるように、教育委員会の意見を聞かなければならないということが不必要であるということは、これはもうすでに教育委員会は実質上要らない、こういうお考えに近いのではないかと思いますが、いかがですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/129
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130・西岡竹次郎
○西岡公述人 私自身官僚政治には絶対に反対でございます。身をもって官僚の弊害を体験いたしておるものでございますから、そういう方向に行くことには反対でございます。またそういう方向に行かないように今後も努力をしていきたいと思っております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/130
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131・小牧次生
○小牧委員 ただいま古い政党人として官僚政治には反対だ、こういうお話でございましたが、教育行政も含めまして、現在の全般的な地方行政、これは明らかに中央集権化の方向をたどりつつある、かように私は考えますが、この点については知事としてはどのようにお考えでございますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/131
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132・西岡竹次郎
○西岡公述人 私も、文部大臣の任命はどうか、これは必要はないではないかと実は考えております。おりますけれども、案全体から見まして、今までの案よりも——これは私の考えでございますが、一歩前進しておる、そういの意味におきまして、この段階には私は全般的に見まして賛成いたしておる次第でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/132
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133・小牧次生
○小牧委員 現行法よりも現在提案されておる法案が一歩前進しておる、こういうお話でございますが現在の法案は、従来の公選制を廃止して任命制になっておる、私どもはこれは大きな後退である、かように考えておることについて、西岡公述人は前進しておる、こういうお考えのようでございますが、これといささか似たような現象が数年前にあったことを記憶しております。というのは、吉田内閣の時代であったかと思いますが、現在の知事公選をやめて、そうして知事を官選にした方がよろしい、こういう意見が出たことがございます。その際に全国の知事さん方は、これはもう非常に非民主的だ、絶対に反対であるということでいろいろ動きをされたことを記憶いたしております。ところが今回の法案は、教育委員会の委員の選挙が廃止されて任命制に変る、これは賛成であり、また前進である——ちょっと私どもには納得がいかないのでありますが、どのようにお考えでございますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/133
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134・西岡竹次郎
○西岡公述人 知事の官選にはもちろん反対でございます。そういううわさの立ちましたときは、私も全国知事会の一人といたしまして猛然と反対をいたしました。そういう機運が来ました際には、今後といえども断じてそういうものを実現さしてはならないという確信を持っておるのでございます。しかしただいまの市町村の教育委員の選挙、あるいは県の教育委員の選挙の実態をよく一つごらんいただきますならば、全く選挙制度というものが有名無実です。ほんとうにただ費用がかかって、時間がかかって繁雑だけで、ほんとうに無用の長物だと思っております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/134
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135・小牧次生
○小牧委員 そういうことはもう少しよく十分研究になって答えていただいた方がいいのではないかと考えますが、もしあなたのような論法を進めますと、これは少し話は違うかもしれませんが、昔は知事は内務大臣が任命しておった。人によってはこれも無用の云々という人があるかもしれぬし、あるいは場合によっては昔の通りに任命制に切りかえた方がよろしい、そういう意見が将来あなた方のお知り合いの方から出てこないとは保障はできないと思いますが、そういったことを考えてみますときに、なるほどアメリカ云云という話もございましたが、これはある程度の年月をかけなければわからないのであって、今直ちにあなたのおっしゃる通りに断言はできないと考えております。
またこの法案についてもう一つお伺いいたしますが、今なるほど教育長の任命について文部大臣の承認云々はよくないとおっしゃいました。しかしながらほかの面については、県教育委員は知事の任命、また市町村の教育長は県教育委員会の任命、あるいは原案送付権の剥奪、いろいろ法案の全面に盛られておりますのは、明らかに民主化の方向を阻止して中央集権化の方向を強く指向いたしておる、こう考えておりますが、結局あなた方がいろいろ行政上の便宜の立場から、自分の便利上こういったものは賛成であるというような立場でありとするならば、将来必ずあなた方自身に同じ問題が迫ってくる。この一角がくずれたならば、必ずやあなた方の足元に押し寄せてくる、こういうことを私は憂えておるのでございますが、最後にこの点について、あなたの忌憚のない政党人としての御意見を承わっておきたいと考えます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/135
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136・西岡竹次郎
○西岡公述人 御承知の通り昔の官僚知事は、一官僚の内務大臣なり、あるいは時の総理の意思でもって任命した官選知事であったかもしれません。しかしながら教育委員を、知事が議会の賛同を得て任命するということは、精神においてだいぶ違いはしないかと思っております。私はその御精神はよくわかっておるつもりでございますので、御精神に反しないようにいたしたいと思っております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/136
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137・佐藤觀次郎
○佐藤委員長 関連して、高津正道君。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/137
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138・高津正道
○高津委員 私はただ一点お伺いします。西岡知事とは大学が同じであり、友情はなはだ忍びないものがありますけれども、(笑声)公私の別は明らかにして、この点だけはぜひともあなたの口から聞きたいと思います。
今現内閣の手によって、もろもろの逆コース的な政策が強引に、一度にくつわを並べて押し出されて、多数の力でそれを強行突破しようと、こういう状態が現われたので、与党の代議士に投票した人々まで、相当の量を含めてごうごうたる反対が巻き起っておるということは、あなたもよく御存じであろと思う。しかしこのような時期に、このような多数党の手によって、この教育を中央集権の大津波の中に巻き込むということは、私は教育の場においてはもちろんのこと、国民思想に対しても大影響があろうと考えるのであります。たとえば、政治そのものに対する不信の念を国民の間に植えつけるであろう。またこの法案が通過するならば、従来日本の独立を、愛国心からまじめに教えておった学校の教師が、同じ教壇から、今度は現在の多数党政府の考えておる親米的な再軍備論を説くようになると思われるが、それは学童生徒に対して、教師の信用というものを全く台なしにしてしまうであろう。現内閣は、総理の施政方針演説を聞いても、外相のあらゆる場合における発言を聞いても、日米協力の線を固く守っていくのだというのであります。しかしながら世界を見れば、アメリカの力による外交政策、ことにそのせとぎわ政策、アメリカの世界政策は、まるで大津波が引くかのように次第に弱いものになり、世界から孤立していっておることは、これはまぎれもない事実であります。私はこのような時期に、アメリカばりの、アメリカからまるでネジを巻かれたかのように、教師が変ったことを教えるようになって——この法案が通れば中央集権で文部大臣に握られるのでありますから、私は非常に影響があろうと思うのであります。もしあなたが影響なしと言われるならば、その理由いかん。その影響はやはりあろうと言われれば、地方財政計画においてわずかに十七億程度の節約になる、それはわかりますけれども、そのことのためにこういうような影響があることは無視してよいとか、やむを得ないと言われるならば、何か特別の理由があろうと思う。元来あなたは自治体の長として割に中央政府の言うことを、前とは時代が違うのだというので、知事の立場から突っぱられていることを私は知って、その点では敬意を表している。本日ここに現われたあなたは、全く古き古き清瀬文部大臣の代弁者のような御意見ばかり承わるので、この理由は特に承わっておきたいと思うのであります。包み隠すところなく、明快なる御答弁を要求いたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/138
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139・西岡竹次郎
○西岡公述人 ただいま高津委員からいろいろ御質問でございましたが、私は、ここで許されました言論の範囲は、この議題になっておりますものから逸脱してはいけない、こういうことでございます。今再軍備論等のお話がございましたが、私にも私なりの考えもあり、意見もございますけれども、はなはだ残念ですが、その点については触れ得ないのでございます。しかし私は公述の際申し上げましたように、終戦後作られた法律の中にはいいものもあるかもしれないけれども、これは日本の国情、経済力等に沿わないものがある。その一つがこの教育法だ。ほかにもあると思いますが、たといアメリカのマッカーサー法律であっても、日本に沿わないものはどしどし改革していくべきだと思っております。また今日のアメリカの考え方と、終戦当時の日本に対する考え方は、根本的に違っておる。それはニクソンが謝罪をいたしている。これが証明いたしていると思います。しかし今私が、何か清瀬文部大臣の礼賛でもするような高津委員の御意見でございますが、私は私なりに、正しいことは正しいとし、筋の通らぬことは聞かないつもりでございますし、また申さないつもりでございます。その趣旨を、私は先ほど公述いたしているつもりでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/139
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140・高津正道
○高津委員 同じ教壇から同じ教師が、変ったことを言わねばならなくなった場合に、教師の信用は台なしであろうという質問で、脱線はしていないのですよ。またこのようにごうごうたる反対を押し切って、しゃにむにこういう法案を通したら、国民思想に大きな影響があるであろうということも、この法案に密接に接触しております。これに対する答えを避けるのはどうですかね。いつもあなたはもっと勇気のある人だが……。(笑声)発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/140
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141・西岡竹次郎
○西岡公述人 私は、そこは残念ながら高津委員と、ABの二線みたように違っていやしないか。私はこの法案が通りましたからといって、教員諸君が教壇に立って、今まで言ったことと違ったことを主張しなければならぬとは考えておりません。その点はなはだ残念ですけれども、高津委員と考えが違っております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/141
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142・高津正道
○高津委員 それは見解の相違ですから、別の席で……。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/142
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143・佐藤觀次郎
○佐藤委員長 これにて西岡公述人の公述及びこれに対すを質疑は終了いたしました。
西岡公述人には貴重な御意見を述べていただきまして、まことにありがとうございました。
次に松沢公述人より公述を承わりたいと存じます。
松沢公述人には本日御多用中にもかかわりませず御出席をいただきまして御苦労に存じます。何とぞ、両法案につきまして、直接深い関係があります教育委員会の立場より、十分忌憚なき御意見をお述べいただきたいと存じます。なお、公述その他のことにつきましては、お手元に差し上げてあります注意書の要領でお願いいたします。
それでは松沢公述人の御発言を願います。松沢公述人。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/143
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144・松沢一鶴
○松沢公述人 私は、全国都道府県教育委員会委員協議会、この世話役をやっております幹事長の松沢一鶴と申します。ただいま国会におきまして、地方教育行政の新たな組織と運営に関する法案と、これに伴います関係法律の整理の法案が上程せられておりますが、これを拝見いたしまして、将来の教育のために絶対に反対いたしたいと思うのであります。それと同時に、この法案を作り、かつ上程せられましたこの経過措置につきまして、政府並びに与党のとられました措置に対しましても絶大なる不満を持ち、またこれに対してお願いをいたさなければならぬと考えておるものでございます。
今度の法案の根本の考え方に対してまず反対をいたさなければなりませんが、この民主主義を基盤とした新たな制度に対する全く逆行的な考え方というものに対しては、すでに本日南原公述人その他の方々からもりっぱな御意見が出ておりまして、理念的な問題につきましてはここで繰り返す要はないと信ずるのであります。しかしながら、私たち教育委員会の者といたしましては、いわゆる公選制によります教育委員会制度、すなわち、民衆を基盤とし、民主的な選出方法を用いましたこの委員会制度というものを改めますことに対しては、まず最初から幾たびか反対の意見を議員各位のもとにも送付いたしまして強く主強して参ったのでございますが、この点につきましては、最初のうちは議論せられましたけれども、後ほどにおいてはほとんど一顧だにせられないような状態になってきておりまして、上程の段階においてはすでにこれらは全く影をひそめておりまして、まことに残念だと思っております。これに対しては全く反対いたしたいと思うのでありますが、特にこの点と、それから教育の中立性の失われますことにつきましては、全体として私どもの二つの大きな主張であることを申し上げておきたいと思うのであります。
そこで、この法案ができまして上程せられる前に、私ども教育委員会、都道府県の教育委員会と地方教育委員会が一緒になりまして、この法案が上程せられる前に少くともこの公選制によって選ばれた特別な任務を帯びている教育委員たちに対して一つ事前に十分に御相談願いたいということにつきまして、当時におきましてはただ一人その点について考慮できる地位におられます文部大臣にお願いしたのでありますが、しかし、これは全く一顧だにせられず、私どもとしてはこれもまことに不本意きわまる次第になっております。私どもの申し上げたいことは、われわれは、すでに実施せられております委員会法の第一条によりまして、一般の国民の少くとも教育の問題に対しての信託にこたえて今その任についておるわけでございます。このような特別な選挙制度を伴う行政委員というのはただ一つであるように心得ております。これは、教育というものが特に広く一般の父母兄弟の方に直接なつながりがあり、非常に広い国民層につながりがあるという意味において特別な制度で、また私たちに特別な任務が預けられておるのではないかと考えるのであります。当時大臣は時間がないからということで断わられたのでございますけれども、この私たち教育委員を無視することならば、これは何でもないのであります。しかし、この陰には多数の国民、少くとも教育に関して関心を持って投票してくれた一般の人たちがあるのであります。これを無視して法案をお作りになり、これに対して私どもお願いをいたしましたにもかかわらず一顧だもせずに上程を急がれたのであります。これは、少くとももし民主的な心持のある政治家であったならば、民主的な心持のある大臣でありましたならば、私は時間を作ってでも御相談なってしかるべき問題ではないかと考えるのであります。この点について幾たびもお願ひをし、さらに夜分電話などでお願いをしたのでございますけれども、これらに対しても聞き入れられず、ついに上程といったようなことになっております。これこそ非民主的なお心持であるという意味において、私は全国民を代表して非常に残念なことだというふうに考えておるのであります。ことに、私ばかりでなしに、この教育の問題につきましては専門家でできておりますところの中央教育審議会が文部省のおひざ元にある。私もその一員に連なっておりますけれども、二月以来一ぺんも招集せられない。これは教育上の非常に重大な問題と思うのでありますが、これもまた諮るひまなしと称して中教審にもかけられず、ただ党とそれから文部省との間においてのみ相談せられまして今日上程を見ておる。その結果は、あのごうごうたる非難、また世の識者をあげての非難になっておるのでありまして、私は、この法案が上程せられるに至りました過程において、あまりに急ぎ過ぎておられる、またそれらの手続において少くとも教育委員に信託しております国民の意思を無視しておられるという点で、このとられました措置に対し非常に不満の意を表し、また、今日といえども、できるならばすぐに法案を撤回せられまして、そうして十分な審議を重ねられて、国民の全部に納得のいく案として上程せられんことをお願いいたしたいと思うのであります。教育委員会の立場から、私といたしまして、何とかこれらの点を考えていただきたいという意味でしばしば文部大臣にもお願いしたのでありますけれども、簡単に退けられまして、まことに絶望的な気持になっております。今日この公聴会の機会を得たのでございますが、ここでは単にお願いができるだけであります。できるならば多くの教育委員会、都道府県並びに地方の教育委員会の意見を広く聞いていただきまして、十分に案を練っていただきたいということをぜひともお願いいたしたいのであります。
この法案につきまして意見を述べさせていただきたいと思いますが、直接公選制でなくなる、任命制度になりますということにつきましての御意見はしばしば繰り返されたのでございまして、もう私からこの点重ねて申し上げませんけれども、これはぜひとも直接公選制によります制度を堅持していただきたいものと思うのでございます。
次に、われわれの主張しておりますさらに大きな点といたしまして、政治に対します中立性の問題がございます。今日公述されました方々もしばしば触れておられると思うのでありますが、今度県の教育委員に関しましては議会の承認を経て知事が任命される、これにつきましては、市町村の長も、関井さんも、また西岡知事も、政党の色は心配ないということを言っておられますが、もしありとするならば非常に少い例なのではないか、こう言われますが、公選でなしに任命の場合において、また、現在の法規のうちには、任命の場合もしくは罷免の規定等が設けてありまして、いかにも政党からは中立化せられるような形にはなっておりますけれども、しかし、政党の二名の者を除いて、それ以外の者に、選挙で出ておられる知事諸君あるいはその他の首長の皆さんが反対党の方を持ってくるというようなことは常識的には考えられない。私どもといたしましては、おそらくそれぞれの党の傾向を持たれた方が——先ほども市町村の長において党籍のある方は少いと言っておられましたが、しかし、党の色のついておられない方も少いのではないかと考えるのであります。従って、おそらくそれの賛成者ということになりますならば、党籍がなくても、同調せられた方方を五人、三人選び出しますことはきわめて簡単なことでありまして、まずこの点だけでも、私は中立化は非常に危うくせられるのではないかということを考えます。特に、新しい法案によります地方教育委員会を見てみますと、むしろこの任命方法等につきましては非常に奇怪な姿になっておるのではないか。地方教育委員のうちから教育長を選ぶということになりますと、教育長と教育委員が全く同一でありまして、教育長たる教育委員は、自分が議案を作りまして、そしてその議案を自分たちだけで審議できるというような姿にもなります。その上に、この委員は委員長も兼ねることができる。これは一体合議制でしょうか独裁制でしょうか。この姿はほとんど独裁の姿を持っているのではないか。その可能性が十分あるのであります。しかも、この独裁の委員長は党人でもあり得るのであります。従って、教育の現場におります地方教育委員の末端において、このような独裁教育行政官によって全国が満たされたときのことを考えていただきますならば、中立性どころではない、全く一つの党色に色どられるということを、これはノイローゼにならなくても、私は十分心配する価値があると思う。また事実あり得るのであります。この点につきましても、私は文部大臣にしばしばお伺いしたのでありますけれども、新法案の方が中立性が保たれるのただ一言の御意見でありまして、御説明を伺うことができなかったのでございます。しかし、このように考えてみますと、今度の制度というものは全く政治に対する中立性が失われておる、むしろ失うような法案になっておるのだというふうにしか考えられないのであります。(拍手)
その上に、もう一つ、文部大臣の措置要求、これもかつての統制時代にさえ見られない強いものでありまして、これとからみ合せて考えますならば、官僚の統制ということ以上に、教育に対して政党の統制というものが加わるおそれどころではないので、その可能性が目の前に見えておるのであります。私はこの点からも全く反対いたさなければならないのではないかというふうに考えるのであります。
そのほかに、現在の段階におきまして地方の教育行政を預かる責任者の地位にある者として、今度の法案に対しまして最もがまんならない点は、教育の低下と申しますか、少くとも現在の教育が変質されること、また教育の効果が上らぬ、すなわち全体としての教育のレベル低下を来たすことは必至であります。従って、今後の日本の教育の低下ということが必然的に起ってくるわけでありまして、これは私たちとして何としてもがまんならない点だと思うのであります。文部大臣の今回いただきました法律の提案理由の最初におきまして、地方公共団体における教育行政の組織、運営に諸種の改善を加えようとするという説明をしてございますけれども、現行法の教育本来の目的を達成するためといったような教育目的に対するものが一切なくなっております。従って、教育内容が改善されないことは、説明のうちに入っていないのでありますから、あるいはそのことは文部省が一番よく御存じなのかもしれません。が、この点は一つ皆さんによくお考え願わなければならない問題であり、単なる行政の形だとか、あるいは政治の面での意見ではございませんので、現実に子供にその影響が出てくることを私たちは心配するのであります。この法案がいきなり民主化という大きな面から逆に方向転換しておるのは、もちろんここに一番の原因が胚胎いたしておるのでありますけれども、その上に指導統制の面が加わってきております。これらの結果、教員の自由、今まで教室におきまして、最後のところは教員の良識において自由に行うといった伸び伸びとした教室の空気というものは、おそらく全く失われるであろう。という意味は、この法案を見ますと、義務教育諸学校の教員というものは、給与権が今まで県にありましたが、その上に今度は任免権まで県の方に持ってきております。そうして、任免、給与の問題を県で持っていながら、身分は市町村の職員、こういうような不思議な制度というものは、私も法律はうとい方でございますけれども、現在日本の行政面においては全くない。今教育長の任命制度が云々せられておりますけれども、それよりももっと奇怪な身分の問題ではないかと思います。このために、教員は、市町村の方の直接指導監督も受けなければなりませんし、また、さきの任免権の問題から、県の方からもその身分なり行動なりは十分縛られてくるのであります。一体このような妙な姿になるというのも、この地方教育委員会、地方教育委員をして、かつてきめられました例の自治関係の教育二法案の番人をさせるというためにこの身分が強調されたのではないかと思いますが、そのために起る複雑さというものは、少くともこの組織上非常に複雑な制限が加えられるわけであります。その上に、今の文部大臣の措置要求等によりまして、直接地方教育委員までこれらに対してまた網の目が加わってきておるのであります。このように、市町村からも服務監督の目を光らされて、はさみ撃ちになっておって、その上に文部大臣からもお目付が目を光らしておる。その上に文部大臣のお目付役がまた今度でき上ってきた。教育指導主事の責務の変更でございまして、今までは教室におきます先生の相談役であったものが、今後は、新しい法律によりまして、上司の命を受けまして、そして教員の現場の指導監督ができるというような、非常に厳重な制限が加えられる。さらにその上に、教科課程の問題であるとか、指導要綱の問題であるとかいうようなことにつきましても、これも文部大臣からの直接息のかかった姿になり、教室において自分らの自由によって教育ができるというような姿はほとんど見られなくなってしまう。
このように上から縛られてきますと、教員というものは上目づかいになりまして、おそらく、政変のありますたびに上の方ばかり見ておって、自分の足元にいる子供に目が及ばぬという姿になります。ただいまどなたからか御指摘がありましたようなことが実際に私は起ると信じております。このような組織の複雑化せられた上に、指定都市の権限委譲の問題、例の五大市の問題等が加わりますと、地方の教員の身分関係というものはますます複雑になるわけであります。このような特例などは設けられぬ方がよいと思うのでありますが、しかし、全体としてこのような妙なと言いますよりは教師の自由のないような姿になったならば、一体子供の教育はどうなるか。今まで自分で考えることの力を養う教育ということで戦後われわれ努力して参りました。もちろん、これの効果というものは、今後十年か十五年たって、ここへ公述人としてでも呼ばれる子供が出てきたときに、初めてその心持がわかっていただけるのであろうと思うのでありますが、しかし、今日その声は起っていない。そして、きょうもいろいろ教育内容についての御発言がございましたけれども、要するに、上から指導して、考える能力のない子供を作るという結果になるのではないでしょうか。これも文部大臣の監督指揮の強化という点からすればまことに都合がよいのでありますけれども、おそろしいことは、ただそれだけではない。現在の文部省の方々とするならば、この自分らの指導監督以外に何ら他意ないというふうに確かに御説明になっており、また現在はその通りでございましょう。おそろしいのは、子供たちがそのような姿になって、もうだれでも自分で考えない、上から命令された、あるいは上から言われたならば、その通りを信ずるというような姿、態勢になりましたときに、もしも文部省の庁舎の電車道を越えた向う側にできました新しい庁舎の辺からサーベルを持った方が来て、上からサーベルを抜いて指揮するようなことになりますれば、もう十年前のことを思い出さずとも、教育が非常に統制せられやすくなり、その次の段階は、われわれの忘れることのできないかつての失敗を繰り返す大きな原因になるという点において、私はおそろしく思うのであります。すなわち、ものを考えるような教育をしておった教育は全く変質せられる。これは一つの私どもとしてたえられないことでございます。これはというのも、全く国の——国と申しましても、文部省とただいまでは与党ということに相なるのではないかと思いますけれども、国の教育上の指揮命令権がだんだん強化せられるという上に持って参りまして、教育に対する政党支配、先ほどの教育長問題あるいは都教育委員の任命方法等お考え下されば、教育に対する政党支配の問題が出て参りましょうし、これに対して、教育委員が任命になりますために、おそらく住民に教育委員が背中を向けるということになるのでありましょう。任命のために、教育委員の向いている方向は常に首長の方向であります。ということは、一般の国民に背中を向けさせることにほかならない。従って、起ってくる問題といたしましては、国民の教育に対する無関心ということを招致してくるのではないか。このごろPTA等におきまして問題が起っておるかもしれませんが、非常に学校のことに関心を持っておるこの姿が、また数年ならずして失われていくのではないかというふうに考えられますし、ただいま申し上げましたように、教師が萎靡して何もものを言わなくなってしまうということになってくれば、当然今のような姿は非常に統制せられやすい姿になり、そして日本の教育がある指導統制下にあるために、ひょっとこれがだれか指揮者があやまったときに、えらい大きなあやまちをしでかす原因になると考えざるを得ないのであります。
その上に、先ほどから市町村長あるいは知事さん方が教育に熱心な方はないとおっしゃっております。事実まことにその通りでございます。しかしながら、教育の費用というものにつきましては、これは何としても各自治団体においての一番大きなパーセンテージを占めることも間違いないことでございます。従って、この大きな予算に対しまして苦しくなって、この予算を切る、あるいは教員の定数を切ってくるということは、これはどうも、予算のない場合に、あるいは財政上の困難が来る場合にはやむを得ないことかもしれませんが、知事なり首長の方方が土木費や何かをやはりずっと引き縮めて下さって、学校とともに並行した予算の減らし方をするならば、これは私どもも忍ばねばならぬと思います。けれども、私たちが心外にたえないことは、今までの統計——私どもの方でも調べました。また教育学会等において統計をとられたところによりますと、学校の予算は結局最後の決算においては縮んでおるのであります。土木費とかその他を含む県庁費の方は増しておるというような姿でありますならば、私たちは教育費を削られるということに対しては全く反対せざるを得ない。また、しばしば各地でもって二本建予算等が出ているということにつきまして、これを首長の方には要らざる摩擦と呼んでおります。しかし、要らざる摩擦のこの二本建は、今までの大体の傾向としては、教育委員会側が常に勝っております。先ほど西岡知事から御指摘のありました、今年度の福岡の予算にいたしましても、結局教育委員会側の二本建が勝ちまして、そして最後の委員会報告を時間切れに追い込んで、予算不成立というような姿になっております。言いかえますと、もちろん、教育委員会が二本建を出すのは、ただむやみやたらに出すのではなくして、今まで削られ、しいたげられてきた予算がようやく今膨張しつつあるので、この姿をまた切ろうとしているのであります。地方財政の赤字、地方財政の困難ということは認めますが、しかし、これが地財再建団体等におきまして不当に教育の費用の削減という姿が出ております。昨年私が関係いたしました佐賀県における——これは教育委員の辞職騒ぎまで起した問題でございますけれども、七千人の全体の教員の中で、一挙に一割削るというような命令、これはいかに財政困難であるかもしれませんが、現実に子供があり現実に教室がある教育という行政面においては、まことにむちゃなことと言わねばならないのでございます。
この法案が通ったら予算の削減あるいは教育費の縮小ということが起るであろうではなくて、現に起りつつある。これは先ほどの佐賀の例でも明らかでございますが、今手元でちょっと調べましただけでも、三十一年度におきまして三十年度よりも下回った教育予算が出ております。小中学校の予算において前年度より下回った予算が出ておりますのが、ちょっと数えても宮域、山形、福井、山口、愛媛、福岡といったような諸県で、高等学校盲ろう学校の特殊学校を見ましても、やはりこれが前年度より少くなっておる府県はさらに多く、北海道、山形、栃木、福井、徳島、愛媛、高知、福岡、その他の府県は大体横ばい状態、前年度と同じでございまして、先ほど西岡知事から言われた点で、教員の増員等はお認めになっておるのでありますが、予算において増額になっていないということは、結局、分母の方が大きくなって分子の方が同じでありますならば、教育費の低減ということが他の府県においても行われておるということは明らかでございましょう。この間におきまして、私が教育委員をいたしております東京都においてはわずか一〇%ばかりの費用が上回っておるのでありますが、これはしかし、御承知のように、私たちの東京都は非常な生徒児童の社会増を見る都でございますから、実際的には予算の低下を来たしておるのでありまして、このような姿で今後いきますと、赤字債券ばかりでなしに、知事の方あるいは市長の方がいかに教育に熱心でありましても、全体の財政から困難々々ということになりますとみじめな予算の削減にあい、これに対して予算の送付権もなければ予算の執行権もないような教育委員会は、いかにがんばりましても、教育の低下を防ぐという力はなくなってくる。現在の二本建予算の権利を持っておる程度でも、予算に関しましてはほんとうにごまめの歯ぎしり程度の気持を持っている私たち教育委員といたしまして、このような新しい教育委員の姿になりますならば、これはいやでも教育の予算の削減、——すなわち削減した上に子供がふえておるのです。従って、現在起っておりますように、教室においては起過人員、非常に多人数の子供を入れておる。従って教室における教育効果は低下する。教育効果の低下ということは、これは日本じゅうを足し合せてみればやはり全体としての日本の教育の低下を来たさざるを得ない。この点につきまして、教育の本質が変えられたり、教育の質が低下したりするようなこの法案、このような状態において一体教育を守る者はだれか。今の場合では、この法案によっては地方の自治団体の首長の方にすがる以外にはないが、その首長の態度というものが今のような姿ならば、当然将来起ってきますこの教育の低下ということに対して、国民として何をもって守ったらよいのか。ここに国民に対して直接責任を負う公選制の教育委員会制度というものが光を出してくるのであります。今までこの公聴会等において無用の長物視されておる教育委員会も、過去数年の間にとにかくなし得たことは、従前しいたげられておった予算に対して幾らかでも教育費の増加をはかり得たのではないか。特に地方教育委員会等が社会教育費の増額等に成功しているということは、日本の文化面にそれだけ大きな寄与をしたということにほかならないのでありますす今やこれを守るべきものがなくなるのであります。私たちとしては全くこの点について絶望的な気持にならざるを得ない。私どもといたしましては、ほんとうに職を賭しても、このような姿に相なりまするならば、われわれは選挙民に対して公約した姿にはならないのでございますから、私どもはこの法案が通過した暁においてはあるいは任命教育委員として任命されるのかもしれませんけれども、私たちが選挙民に対する心持を申し上げるならば、全くこれをお受けする気持にはなれない。そして任命制の教育委員というものがいかなる姿で教育を守っていただけるのかという点に対して非常に不安危惧の念を持ちますだけに、私たちはこの法案には全面的に反対せざるを得ないのでございます。
もちろん、教育委員会の制度においては決して欠陥なしとしないし、また不満の点も多いのでありますから、先ほど申し上げましたように、一つ時をかしていただいて、十分これらの点について協議をして、そしてよりよき教育委員を作って、そうして日本の教育を守り、日本の文化の向上、文化国家を看板としておりますその日本の一枚看板を引きおろさないような姿にしていただくことをお願いいたしまして、私の公述を終ります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/144
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145・佐藤觀次郎
○佐藤委員長 以上で松沢公述人の公述は終りました。
松沢公述人に対する質疑の通告がありますので、これを許します。辻原弘市君。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/145
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146・辻原弘市
○辻原委員 時間がありませんので、簡単にお伺いをいたしたいと思います。
ただいま松沢さんから、直接教育行政を担当せられ、むずかしい戦後の教育の衝に当ってその道を乗り越えられてきた数々の体験からの貴重なお話を承わりまして、私も非常に感銘をいたしたのであります。特に、そのお話の中に、少くとも教育行政に関する法律を政府が改正ないしは取り扱われる場合においては、当然その衝に当っているわれわれの意見を聞いて善処するのが至当ではないか、そういった趣旨のもとに、しばしば文相に対して、意見の開陳をいたしたいから、そのための協議の機会を持ってくれという話をいたしたけれども、その申し出に対しては一顧も与えられないで、全国教育委員の団体である全国都道府県教育委員協議会あるいは地方教育委員の協議会の意向というものは全然法案の提出に至る過程において無視されてしまったというお話があったのでありますが、私も、ただいま承わるまでもなく、そうした点については新聞紙上その他でも仄聞をいたしておりましたので、過般来の文教委員会ないしは参議院の予算委員会等におきましても、わが党から、その点に対しまして、文部大臣に、なぜ十分そうした世論を聞かないのか、特に関係者である方々の意向というもの、その経験を徴して、今後の法案改正なり運用に当ることは、だれが考えても重要な点であるということは常識ではないか、なぜそういった手続と申しますか、そういう民主的な態度に出られなかったかということを問いただしましたところが、ただいまあなたが公述せられるようなお話と、われわれが文相から承わった御回答とは少々食い違っているのでございます。ここに私は速記録も持参をいたしておりまするが、時間の関係上読むことをやめます。文相のその点に関する答弁を要約いたしますると、こういうことであったのであります。それは確かにそういう話が、三月八日の夕刻ですか電話がかかってきた、その電話も夕方のことでもあり、私自身——これは文相の話でありますが、夕食も済ましておりましたので、その電話を聞いたところが、私のよく知っている友人からの電話である、だんだんその話を聞けば、どうもろれつが回らない、どうやら酒でも飲んでいたのではないか、それから察すると、あるいは宴会の席上あたりから電話がかかってきたのではないか、こういうふうに了解をいたしたので。ある——。この話を私どもが承わりますと、あなたが今言われましたように、全国の教育委員を網羅する団体が正式に文相に対してそういう機会を持ってくれということを申し入れられる、あるいはそういう話を文部省に伝達されるということとはいささか話のけたが違い過ぎると思うのでありまして、もしかりに文相のおっしゃる通りであるとするならば、これはあなた方の努力の足らないところであって、いま少し方法手段があったのではないか、かように考えて、われわれとしてもはなはだ遺憾に存じておる次第であります。幸い本日公聴会においでをいただきましたので、その点に対しては事実を明らかにしておいていただかなければ、あなたも全国教育委員会を代表せらるる立場において少くともその意見というものを世論の上にないしは文部当局に反映されるべく努力せられてきたお方なのでありますから、この点については、一体文相の話が、これは速記録に残っているのでありますから、事実であるのか、そうでないのか、またその間どういうような手続をあなた方としてはとられたかについて明確にしておいていただいた方が、これは将来のためによろしかろうと私は考えますので、あえて質問を申し上げたいと存ずる次第であります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/146
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147・松沢一鶴
○松沢公述人 この公聴会の席で経過事実を述べよということでございますので、一応当日の模様を記憶をたどりまして申し上げたいと思います。もちろん、記憶でございますので、若干の誤りはあるかもしれませんが、この法案の上程期日が三月九日になったということは、私たちといたしましてはほんとうに間ぎわに聞いたことでございまして、これに対して事前にこれを知ることができませんでした。それが九日に上程せられるということを知りましたのが三月七日前後でございます。そこで、私たちといたしましては、先ほど公述の際に申し上げましたような心持、すなわち、われわれに対して教育の権限を付託してくれた国民に対する責務ということを考えますと、現在の政治情勢を考えて、多数を擁しておられます自民党においてこの法案を出されるということならば、これはどうもこの法案が成立するというようなことを考えざるを得ないのでありまして、このまま成立されては、先ほど申しましたような、第一にわれわれの付託せられた責務にも反しますとともに、教育上に重大な欠陥のあることがちょっと見てもわかりましたので、これは大へんなことであると考えまして、三月の八日早朝、地方教育委員会連絡協議会と打ち合せをいたしまして、これは至急この問題についてわれわれとも協議する機会を与えていただかなければなりますまいではないかということを考えて、申入書を作ったのでございます。これはもちろん間ぎわでございまして時間的にも余裕のないことでございましたから、従って、ぜひ八日中にいたしたいと思いまして、そこで、ただいまのように、事前にわれわれと協議をせられたいという趣旨の申入書を作りまして、これを文部省に持参いたしました。私といたしましては、この時期に私どもの要求を取り上げていただける方は文部大臣しかないという考え方で持って参ったわけでございます。ところが、文部大臣、次官ともに御不在でありましたので、緒方初中局長の手元にこれをお手渡しいたしまして、重要問題であるから一つこれを相談してもらいたいということを申し入れたのであります。ところが、間もなく伝言がございまして、文部大臣がとくと申入書を拝見されたが、時間がないから協議することができない、了承してくれという趣旨の伝言が参りましたのでございますが、それでは私どもの申し入れました趣旨とは違うのでありまして、私どもは、この間ぎわになって知らずに上程されては困るので、一つぜひ時間を作って協議をしていただきたいということを申し入れたので、これでは御返事にならないと思って、ぜひとも直接大臣からこれをやっていただけるかどうかということについて御返事を聞きたいということで、私たちはその夜地方教育委員会の人たちとともに事務所においてそのまま協議を続け、夕食もせずに、いつ大臣から呼び出しがあっても出られるように準備をいたしておったわけでございます。もちろん私も酒を飲まぬ男ではございませんから、大臣からろれつが回らぬと言われては困るのでありますが、電話の話を何を基準に申されるか知りませんけれども、私はそのとき全く飲酒などしておらず、むしろいつでも大臣のお呼び出しがあったらばすぐにこのことをお願いに上ろうというような次第で待っておった次第でございます。そのときに大臣の方からお電話がこの会議の席上にかかって参りまして、私は、宴席ではございません、事務所の机上の電話でこの返事をお受け取りいたしたのであります。この点につきましていろいろ大臣にお願いをいたしましたが、われわれに文部大臣の言われるには、国会議員も選挙であるし、教育委員も選挙である、お互いに選挙であるが、それぞれ任務が違っておるので、法律を作るについてはそれぞれの担当者には聞くことはないというようなお話で、なおもわれわれは、この協議ができるかできないかということについてお話を伺いたかったのでありますが、その日はそのまま大臣に電話を切られたので、私どもお伝えすることができず、また翌日その点について御返事を伺いに国会に行きまして、そうしてこの点をお伺いいたしました。これにつきましては、翌日参議院の自民党控室において返事をいただいたのでありますが、協議することはできぬということと、また、私どもとしては、選挙民に対する責任その他を考えるから、こういうことによって起る教育の空白ということに対しては、これはわれわれの責任ではなしに大臣の責任ではないかと言ったところが、自分の責任であるからとはっきりと仰せられたのであります。この点につきましては、経過と申しますれば以上のようなことでありますことを申し上げることができると思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/147
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148・辻原弘市
○辻原委員 経過がよくわかりました。あなたが申し入れられたことは個人的なものではなかったということと、手続としてはきわめて穏当な手段でもって申し入れられておるということもよくわかりました。大臣が私どもに答弁をされましたこととの食い違いにつきましては、いずれ文教委員会におきまして大臣から承わることにいたしたいと思います。
いま一点だけお伺いをいたしたいのでありますが、それは、あなたは中央教育審議会の委員に列せられておるというお話でございます。先ほどの公述の中に中央教育審議会の議に何ら諮らなかったという公述があったのでありまするが、これまた、われわれが大臣からお伺いをいたしましたところが、中央教育審議会の議には諮っておる、こういうような説明をしておられるのであります。それは昭和二十八年に中央教育審議会に諮問をいたしたので、決して巷間言われるように中央教育審議会の議を経ていないなどということはもってのほかである、こういうようなお話でございますが、その件に関しましては、あなた方としてはそれでけっこうであるとお考えになっておられるのかどうか。これは若干公述の中にもありましたが、いま一度、審議員という立場におかれても何か御所論があってしかるべきだと思いますので、御見解を伺っておきたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/148
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149・佐藤觀次郎
○佐藤委員長 できるだけ要点だけ御返事を願います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/149
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150・松沢一鶴
○松沢公述人 私、中央教育審議会の委員でございますが、中央教育審議会に教育委員会制度のことが諮問せられましたのは、私が任命せられる以前のことでございます。が、記録によりまして、中央教育審議会の答申は、地方教育委員会を育成すべしというのが答申であったように記憶いたしております。これに対しまして、今度の法案が全くこれと相反しておるのでございまして、しかもそれ以上に各種の問題点を包蔵しておりますので、少くともこういう重大な問題は中央教育審議会に諮らねばならぬのではないかということは、次官を通じても申し入れましたし、また会長の天野氏にも申し入れたのでございますが、それきり、一ぺんも招集がなくて、つい三月の二十六日に初めて文化交流の問題について諮問があったというような次第でございまして、全くこの点についても育成すべしということに相反する法案を事実出されておいて、しかもこれらに対する諮問もなくていくということは、私は不当であると考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/150
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151・辻原弘市
○辻原委員 終ります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/151
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152・佐藤觀次郎
○佐藤委員長 これにて松沢公述人の公述及びこれに対する質疑は終了いたしました。
松沢公述人には貴重な御意見をお述べいただきまして、ありがとうございました。
次に北岡公述人より公述を承わることにいたしたいと存じます。
北岡公述人には御多用中を御出席いただきまして、御苦労に存じます。本日これまでに五人の公述人の方々から種々の御意見の御開陳を願ったのでありますが、北岡公述人におかれましても、両法案について忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。なお、公述その他につきましては、お手元に差し上げてあります注意書の要領によりお願いいたします。
それでは北岡公述人の御発言を願います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/152
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153・北岡寿逸
○北岡公述人 国学院大学教授、日本学術会議議員、経済学博士北岡寿逸でございます。
本案は、要点は二つあると思うのでございます。
第一点は教育委員会の問題でございまして、これにつきましては、行政一元化の見地からこれを廃止すべしという意見と、教育尊重の見地からこれを維持すべしという意見とあったのでございますが、本案は、この折衷説をとりまして、権限を縮小し、かつ任命制としましてこれを存置するというのでございますが、私はこれは大体におきまして妥当な案であると思うのであります。
第二点は文部大臣の指導権を認めたことでございます。たとえば、教育長を認可制にするとか、文部大臣の助言、指導、勧告等の権限を認めるという点でございます。ところが、これらの文部大臣の指導権なるものは、実は非常に微温的なものでございまして、きめ手がない。アメリカ式に言いますれば、ティース、——歯がないところの弱い権限なのでございまして、この点、果してこれから述べますところの諸弊を矯正することができるかという点につきまして、むしろ危惧の念を持っておるのでございます。しかしながら、文部大臣というものはやはり政党人でございますし、またこの指導権というものは一般的な指導権でございますから、あまりに強い権限を文部大臣に付与することもいかがと私も考えますもので、現在のところにおきましては、この微温的な、不徹底な文部大臣の指導がまあまあいいんじゃないかと思いまして、この点につきましても私は原案が適当であると思う。
かくのごとく、原案はきわめて折衷的な微温的なものであるにかかわらず、これに対しまして矢内原東大総長以下十学長その他多数の学者が名を連ねまして、本案は教育の中立性を害するものである、こういうものにすれば教育が政争の具に供せられるおそれがあるとか、あるいは、これは学問、思想の自由に対する侵害であるとか、あるいは、これは民主主義に反して国家統制をするものであるというような意見が発表されまして、大いに新聞紙上に報道せられておる。世間もややもすればこれが学者の総意であるかのような錯覚を起しておると思いますので、私はこれは決して学者の総意でないということを申上げたい。本日お呼び出しを受けました公述人の顔ぶれを見ますと、私がこの点につきましていわゆる学者の意見に反対意見を述べることを要求せられておるような感じがいたしますので、これは私の主観的な感じでございますが、主としてこの点につきまして意見を申し上げたいと思います。
最初にはっきり申し上げておきますが、私も学者の端くれでございますし、そうでなくても、私は、学問、思想の自由というものはきわめて大事なものでありまして、一国の文化のためには学問、思想の自由がなければならぬということをかたく信じておるものであります。しからば、ひとしく学問の自由、思想の自由を欲する者が、一方はこの法律案は学問、思想の自由を侵害するものであると言うし、私はむしろこれは後に述べますように学問、思想の自由を守るものであると思う。何ゆえかくのごとき相違があるかと申しますと、私はなるべく抽象的なことを言いたくない。具体的に申し上げたい。一番重要な問題だけを申し上げたいのでございますが、現在教育界におけるところの日教組の運動をどう見るかという点において、私たちと、いわゆる矢内原総長以下の——あとで申しますように、これは日教組の講師団の方々が中心でございますが、そういう方々との見解の相違が生ずるのだと思う。ある方々は、あるいは抽象的の形をとりますか、もしくはその内容におきましては自由、民主の名のもとにおきまして、日教組の、後に述べますように極左の運動を是認して、これをさらに……(「日教組は極左でないぞ」と呼ぶ者あり)あとでこれは説明します。さらに助長、奨励しようというお考えを持っておるのではないかと思うのです。私は、これはいけない、これは非常に危ないと思います。この点が、学問、思想の自由を守るか、これを侵害するかという分れ目でございますから、このことを少し申し上げたいと思うのでございます。
日教組の問題につきましては、一昨年でございますか、大達文部大臣が旧教育二法案を出されたときにだいぶ議論されたのでありますが、従って私は古いことは申しません。ごく最近の状況だけ申し上げたい。私がこの公述人に呼ばれましたことをどこから知ったのですか、さっそく私のところにごく最近のなまなましい日教組の指令の写真版を持ってきてくれたのであります。三月三十一日、指令第三号をもって、本案、地方教育行政の組織及び運営に関する法律案の反対闘争、当面の行動並びに統一行動に関する件というので、先ほど公述人に出られました小林武さんの名をもって判をついた公文書が都道府県の日教組の委員長に行っておる。これは時間がございませんから読むことは略しますが、非常に情勢判断をしておる。この情勢判断というものは、私どもの目から見ますればいわゆる極左の労働運動に共通のものでありますが、本文としまして、本案を出されるために次の行動を極力展開せよとしまして、まず第一に、前に出しました矢内原総長を筆頭としまして多くの学者たちが主張されたことをさらに一そう展開して世論を起せ。この文章を見ますと、矢内原総長以下の学者先生の声明なるものはこの日教組の運動の一端をなしているように見える。通謀しておられるかどうか知りませんが、まあ結果としましては一体をなしている。そうして、四月九日、明後日、教育会館に集まって今後の運動方針を協議するとある。どういうことをするかと申しますと、来たる四月二十七日の午後一時を期して一斉に早退する——。これは明白なストもしくは怠業であります。日教組の中には教員の方々が……
〔「学者としての見解を述べろ」と呼び、その他発言する者あり〕発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/153
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154・佐藤觀次郎
○佐藤委員長 静粛に願います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/154
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155・北岡寿逸
○北岡公述人 これは本案に賛成するか反対するかの分れ目なんです。これが自由を守るか自由を侵害するかの分れ目であります。いいですか……発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/155
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156・佐藤觀次郎
○佐藤委員長 なるべく静かに穏当な言葉でお願いします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/156
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157・北岡寿逸
○北岡公述人 地方公務員法の三十七条によりますと——、教員も地方公務員でございますが、地方公務員はこういうふうな怠業や同盟罷業をやることはかたく禁止せられておる。こういうことをしますれば、法文を読むのを略しますが、すぐに解雇されても仕方がないようになっておる。しかもすでにもうこういう指令を出しておる。これは、もうすでに教員がこういうふうな怠業もしくはストライキを扇動しておる。現在すでにこの指令は地方公務員法の第三十七条に違反しておる。これに対しまして一体適当な措置がとれるか。はなはだ私は僣越な言い分でございますが、文部大臣はおそらく、このことがわかりましても、ゴマメの歯ぎしりで、どうにも適当な措置がとれないのではないか。これが現行法なんです。私は、今度の法案でこういうことに対して徹底した措置がとれるかどうか知りませんが、少くとも一歩を進めておると思う。それからまた、さらに、この指令におきましては、このほかに炭労に対する応援を指令しておる。一人当り五十円、五十万にしまして二千五百万円でありますが、こういう金をカンパしろと言っておる。さらに、健康保険の反対運動なんかにつきましても協力すると言っておる。これが日教組なんです。しかも、日教組がいわゆる教育研究会ということをしまして、一万に近い人が集まっておるのでございますが、その中で、国際理解を進めるということにおきましては、モスクワ放送を聞けとか、ソビエト・ニュースを読めとかということを言っておる。言うまでもなく、モスクワ放送とかソビエト・ニュースというものは共産党の宣伝機関である。こういう宣伝機関のことを教員が聞いたり読んだりすればどうなるか、私は、やはり、そういうことを読んでいますれば、ついそのことを教壇で言うようになるだろうと思うのです。従って、私は、モスクワ放送を聞きなさい、ソビエト・ニュースを常に読め、——しかもこれは、本人が随意に読むならいいが、そういうことを日教組が指令しておる。こういうことをやるということは、私はやはりついつい共産党の宣伝を児童にやらせるということになるんじゃないかと思うのであります。そうして、日教組は、こういうふうな休暇闘争、教育研究会すべてを持って参りまして、来たるべき参議院選挙の準備にしておる。すでに二十七人の公認候補を立ててやっておる。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/157
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158・佐藤觀次郎
○佐藤委員長 公述人に申し上げます。が、発言は公述を求められる範囲においてされるように。時間を食ってしまいますから、お願いいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/158
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159・北岡寿逸
○北岡公述人 そのつもりでおります。
日教組がこういうような政治運動ですか共産党の宣伝運動をやっておるにかかわらず、これを押えられないような現行法なんです。これを押えられるようにするのが私は改正法のねらいだと思う。なおまた、日教組は現在総評の中におきまして最極左——常に共産党と共同闘争をしております。すでに、高知県におきましては、私の寡聞の範囲におきましても、日教組は共産党と共同闘争をやった。また総評の大会におきましては共同闘争を主張しておる。共産党は、最近少し変りまして、非常に世の中には誤解がございまするが、やはり依然としまして、これは場合によっては暴力を使う、かつまた政権を取りますれば独裁政治をやりまして、われわれの自由を根こそぎ取ってしまうものであります。
こういうことを日教組がやっておりましても、現在の制度ではこれを押えられない。なぜ押えられないか、私はおかしいと思うのでございまするが、どうも市町村の教育委員は少し弱いし、それから、府県の教育委員会はそういったような左傾の人が絶対多数を占めておるわけではないのでございまするが、どうも日教組が資金的にも組織的にも強いものでございますから、この教育委員を動かしまして、この日教組の行き過ぎた政治活動を取り締ることができない。これがどうも現状であるように思う。どうも、日教組を代表しまするところの教育委員というものは少数ではございまするが、社会学の原理のもとによく組織された少数というものは多数を率いる。このことは、われわれはかつて日本がごく少数の軍人に率いられておそるべき侵略戦争をしたときにも経験した。イタリアにおいてもドイツにおいてもファッショやナチスというものは元来きわめて少数であったのでありますが、よく組織されたために、ついに国民全部を率いたのでありまして、現在日本の状態は、それほどひどくはございませんが、少数の日教組出身の教育委員が多数の他の教育委員を率いたり、どうも日教組の法律に違反した政治運動を押えることができないというような状態になっておるのです。今度の法律は私は決して完全な強いものと思いませんが、幾分文部大臣はこういうふうなものに対しまして取締りの道を講ずることができると思いまして、これに賛成しておる。
しからば、こういうものに対しまして、何ゆえに学者先生は反対するか。彼らの多数は日教組の講師団でございますから、彼らがこれに反対するのはむしろ当然で、これは別に驚くに当らない。日教組の一部分と考えたらよいのですが、すべてではない。中には——私は矢内原さんとは四十有余年来の友人もしくは先輩でございまして、矢内原さんは実にりっぱな人格者で、この人の人格は一点も疑わない。こういうりっぱな方が何ゆえにこの法案に反対するかということを一言申し上げたいと思うのでございますが、あの人は徹底的な平和主義者なんです。この間の東大の卒業式におきましても、平和主義を説かれまして、武力に対して武力をもって抵抗してはならぬ、これが平和の根本であると言っておる。(「その通り」)その通りというお言葉がございましたが、しからば、もし外国が、敵が攻めてきたらどうするか。この場合に対しまして、先生は昭和二十七年の一月号の「世界」に書いておる。もしも万一不幸にして外国軍の進駐を見たならばどうするか、その場合におきましては日本は民族の独立の回復のためには数年もしくは数十年の苦辛と試練を経るかもしれない−。独立の回復のためには数年もしくは数十年を要するということは、言葉をかえますれば、日本民族は数年もしくは数十年外国に征復されるということです。そういうことを彼はちゃんと予言しておる。しかも、それが日本民族の試練になるのだ、こういうことを言っておる。それからまた、先生は、民族の独立は尊い、しかしながら平和国家の理想はさらに尊い、民族の独立を犠牲にしても平和を守りたい、こう言うのですな。また、たとい一時の屈辱と苦難の時期を経過いたしましても、日本民族は有終の美をなす。一時の屈辱とか辛苦と言うのでありますが、その一時の屈辱とか辛苦というものは一体どういうものか。われわれは、満洲におきまして、国が外国軍に、ことに共産軍に侵略された場合の屈辱、苦労というものを体験したのでございます。私は不幸にしまして満洲でどの程度の数的の残酷な屈辱があったのか知らないのでございますが、私は欧州におきましてソ連軍がやった場合のことにつきましていろいろ文献をあさったのでございますが、スイスの公使館がソ連軍がブタペストに入った場合の状況を公文をもって述べておる。スイスという国は非常に信頼の置ける国でありまして、その公使館が公文をもって述べたことでありますから信頼してもいいと思うのでございまするが、ここに御婦人の方もおられて恐縮なんでございますが、そのうちの一節に、ブタペストにおきましては十歳ないし七十歳の婦人はほとんどすべてはずかしめを受けたと書いてある。矢内原君が簡単に屈辱とか苦辛とか言っておられますが、こういう事実がある。これをしも忍んで無抵抗主義、平和主義を守らなければならぬかということを聞きたいのでございますが、矢内原君は、おそらく、自分はそうするとおっしゃるだろうと思う。先生は人格者でございまして、ほとんど神に近い人でございますから、私は、矢内原さん個人のこういう考えはりっぱなものだと思うのでございますが、これを八千万、九千万の国民にしいる、しかも、大学総長の地位に立ちまして、東大の総長といえば、学問の総本山と言えば言い過ぎでございますが、第一級のような感じがするのでございます。そこにおってこういうことを言っておるのは、はなはだ私は困ると思う。しかも矢内原東大総長は文部大臣が任命された。おそらく、文部大臣は、任命されたといっても、自分は何ら自由裁量の権限はないとおっしゃるでありましょう。私はそうは思わないのですが、もしそれが制度でありますならば、そういう制度は考え直す必要があるのじゃないかと思う。最近共産党はソ連の第二十回共産党大会において態度が変りまして、何だか共産党もそう乱暴な暴力革命をやらないとか、もしくは今までのように殺戮をやらぬようなことを考えている人がございますが、あれはたまたまスターリンの間違った粛清を爬羅剔抉されただけでございまして、やはりミコヤン、フルシチョフの悪口を言うことは禁ぜられておる。また、ミコヤン、フルシチョフに対しまして反対しますれば、すぐに粛清される。共産党が独裁である非民主的である、自由を無視するという点はちっとも変っていない。こういうものを自由の名において許すということは、私は実は自由の自殺だと思う。また、こういうものを民主主義の名において認めることも民主主義の自殺だと思う。私は、学者先生が自由、民主の名におきまして、現在の共産党に近いような日教組の活動を容認する、もしくはこれをさらに助長する、こういうことを考えられるならば、それは民主主義、自由主義の自殺をはかるものであると思いますので、これを押えるために、自由主義、民主主義を守るために、政府にある程度の力を与える必要があると思う。
最後に一言だけ付き加えさせていただきたいのでありますが、従来の教育に関します法律がどうもうまく行われなくて、大達さんが非常に苦心をせられまして法律を作られましても、一向その効果が上らない。何ゆえかと申しますと、占領時代に植え付けられました——日本の行政一般でございますが、特に教育行政、文部省並びにその外郭団体及び国立大学に左派自由主義と申しますか、容共と申しますか、あるいは共産党の人もおりましょうが、そういう人がずっと広く根をはびこらしまして、これを歴代の文部大臣がどうにもならぬというところに、その禍根があると思う。私は自由主義者でございますから、これらの人を一掃してもらいたい、こういう容共主義者を根こそぎやめさせろとは決して言わないのでありますが、幾らかあってもいいと思うのでありますが、もう少し人事に対しましてメスを加えられぬと、いかにこの法律ができましても、私の述べるような日教組の行き過ぎを防止することはできない。この法律並びにこれと姉妹法の関係にありますところの教科書法案は、文部大臣が文部省並びにその外郭団体に対しまして人事にある程度の刷新を加える機会を与えておると思いますので、この機会に、その機会をとらえまして、人事にも幾分のメスを加えられることを希望しまして、私のこの法律に対する公述を終ります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/159
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160・佐藤觀次郎
○佐藤委員長 以上をもちまして北岡公述人の公述は終りました。
これより北岡公述人に対する質疑に入ります。質疑の通告がありますので、これを許します。小林信一君。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/160
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161・小林信一
○小林(信)委員 ほかにも質問の通告があるようですから、私は一点だけ公述人にお尋ねいたします。
公述人は、この法案を断定されまして、折衷案だときめられましたが、その折衷案の理由というものは、つまり存続すべきであるという論と廃止すべきであるという論の、その折衷のものだ、こういうことであなたは了解されたような批判をなさったわけですが、私も、ある意味ではこれは折衷案である、私の考えで言えば妥協案である、こういうふうに考えておるのですが、私は、妥協案なるがゆえにこの法案は絶対に通してはならない、こういう考えなんです。あなたは折衷案なるがゆえによろしいだろうというお考えのようですが、現在の日本の教育に対しまして、ことに学者の見地から、日本の教育を発展させる建前からして、折衷案というふうななまぬるいもので、果して教育者を満足させる、ほんとうに日本の基礎を作るところの教育と教育行政の組織、運営をやることができるかどうか、実に私は疑問だと思うのですが、その点であなたにお聞きしたいのは、まず第一番に、あなたがつかんでおられるところの存続論とは、何の理由をもって、どういう考えで出ておるのか、廃止論がどういう観点から廃止しようとしておるのか、そうしてその両者の折衷案はいかなる経路でどういうようにして生まれておるかということをあなたが明確にされておって主張されるならばぜひともこの際お聞きしたいのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/161
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162・北岡寿逸
○北岡公述人 私もこの点につきましてはいささか見識を持っておるのでございますけれども、この点については他の公述人の機会にずいぶん論議されたと思ったものですから、これを述べなかった。述べてもよろしゅうございますか。長くなりますよ。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/162
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163・佐藤觀次郎
○佐藤委員長 なるべく簡単に。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/163
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164・北岡寿逸
○北岡公述人 廃止論は行政の一元化ということでありまして、現在教育委員会は、ことに市町村におきまして、予算の提出権を持ったり予算の執行権を持つために、いかに市町村が困っておるかということにつきましては、私どももまたこの廃止論も理由があると思うのでありますが、同時にまた教育の問題につきましては、やはり専門の教育を十分尊重する人を置いた方がよいと思う。これは従前でも学務委員というものも方々にあったのでありますから、なくてもいいという意見もありまするが、やはりあった方がいいと思う。こういう全国で数千の市町村のことでございますから、どういう理由もありましょうが、まああった方がいいと思いますので、置いて、そうして一番弊害の根本でございまする公選をやめて、かつ、二重予算でございまするから、予算の作成権、予算の執行権というものを押える、これが適当だろう、こう思うのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/164
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165・小林信一
○小林(信)委員 あなたは今多少の見解を持っておるという点で謙遜されておったのですが、あなた自身としては、今までのいろんな政党の動きあるいは政府の考えというようなものを検討されて、その経緯については十分知っておる。私はあなたの御心中はそうだと思うのです。しかし、今お聞きしたところでは、その存続論なりあるいは廃止論というものに対して、失礼でございますが、まことに見解が薄いように思うのでございます。従って、そういう点であるからこそ折衷案がよろしいというふうなことになるのだろうと思いますが、あなたは、現行の教育委員会制度がどうして生まれたか、これに対してその当時国民がどんな考えを持っておったか、御存じでございますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/165
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166・北岡寿逸
○北岡公述人 わずかながら知っております。ここで私は現在でもいささかけげんに思っておりますのは、この教育委員会、ことに市町村の教育委員会ができるときに非常に反対しました人が、今は市町村教育委員会の強い存続論者になっておるということを見まして、私は、どうもこういう制度は、どういう方に動くかということは人間の想像力ではよくわからぬ、やってみなければわからぬということを感ずるのです。かつ同時に、今申しましたような所論で申しましても、前には一万以上、今日数千あるのでございますが、どんな例もございまするから、一がいにこういうふうなものはいかぬとかいいとかいうことが言えぬのじゃないか、やってみていけなければまた変えるというほかない。私の現在の想像力におきましては、この法案に盛られた制度がいいと思うのでございまして、あるいはそのうちに——私のみじゃございません。日本の世論が廃止論になるかもしれぬというふうに私は思っておるのでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/166
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167・小林信一
○小林(信)委員 私の質問が悪かったかもしれませんが、地教委設置の場合の経緯に対する国民の考えというようなものをお聞きしたのですが、強力に反対した人が今日賛成しておると簡単におっしゃっておりますが、時の政府吉田内閣は地教委置くべからずという考えで国会に提案してきたのです。政府が提案するのですから、時の与党の自由党も当然これを支持したわけなのです。社会党も同じような傾向から、また改進党も、あらゆるものが地教委を設置することは時期尚早であるという態度になってきたわけなのです。今自由党の諸君が、われわれは政党として反対したとおっしゃるけれども、反対したならば、そのときに多数を擁しておったのですから、なぜ廃案にしなかったか。しかし、それは政府が提案したとか、あるいは趣旨が通らぬというようなことで審議未了の形になって、できたのが現在の地教委制度でございます。これに対しまして、教壇に立っておる第一線の教師はどんな考えを持ってきたか、まことに納得しない制度が生まれて私たちはそれによって支配されるのだ、果して教育をもって日本の再建の基盤とするという大きなる国家の方針がこうしたわけのわからないものでもって出ていいかどうか。しかし生まれたものは教育の行政なのです。生まれ方がどうであっても、日本国民が教育をもって日本の国を再建しなければならぬという熱意は共通に持っておる。その熱意が今日まで地教委というものを養成してきたわけなのです。それほど教育に対しては一般の熱意がある。しかし、その衝に当る人たち、あるいは父兄も、日本の現在の教育制度が常にしっかりした信念を持って出てきておらぬ、出てきておらぬけれども、教育は一日も放棄することはできないという国民の教育に対する熱意あるいは子供に対する愛情から日本の教育はできているわけなのです。もっとしっかりした信念の上に立って日本の教育行政というものがなされるなら、私はほんとうに喜ぶべきものだと思うのでございますが、今日まだ地教委に対して、あるいは教育委員会制度に対して何ら欠点も非難もないのに、むやみにこれを改廃しようとするときに、存続論と廃止論が出ておるが、それはどういうところから出てきておるか、あなたのつかんだものは、どっちでもいいというまことに簡単な見解でもって述べられておりますけれども、そういうふうな考えでまたこの法律というものが通ったならば、日本の教育行政というものはますます国民全体から信頼を失ってしまうわけなのです。教育を基盤としなければならぬというその大事な方針が常にぐらついているわけなのです。ここで、よかれ悪しかれ、少くとも政府、与党というものがほんとうに信念を持った意見の一致したところで法案というものが作られなければならぬのに、あなたはその中の複雑多岐ないろいろな異論の折衷されたもので出てきておるところに満足するなんというのは、真に学問の自由を守らなければならぬ学者として恥ずべきだと私は思うのです。単に日教組をあなたは誹謗して、これが日教組に対して働くことができるから法律を通してよろしいなんという見解でいいかどうか、まことに私はあなたの考えというものを疑わざるを得ないわけなのです。ただいままでの委員会におきまして、文部大臣がどういうふうにこの法案の提出理由を述べておるかというと、二大政党になるから、一つの政党色によって委員会が一色に塗られてはいけないから出すのだという。文部省の役人の諸君に言わせれば、諸般の事情を勘案してこういう法案を作ったのだと言っている。しかも文部省は今まで終始一貫地方教育委員会を育成強化しなければならぬということが建前になっておるのです。これでも育成強化ができるかどうか、ほんとうに信念から出ておるかどうか疑わざるを得ないわけなのです。それから、与党の諸君に言わせれば憂うべき教育を排除しなければならぬから——おそらくあなたの見解と同じでしょうが、今あらためてあなたははっきり日教組を押えるためにこの法律を作るのだと言う。そんなことで日本の教育行政が出て、一日教組をおそれるがゆえに法律を作らなければならぬというふうな、そういう法律で果していいかどうか。もっと教育全体の問題を考えていかなければならぬと思うのです、あなたは一つの面だけをとらえておるけれども、あらゆる面を総合して考えなければならぬと思うのでございますが、あとの質問の方たちも大ぜいおりますので、私は以上でもって質問を終りますが、ここで学者として、そういう簡単なつかみ方でもって、折衷案でよろしい、何でもいい、一つのものさえ押えればいい、そんなことでもって学問の自由というものが守られるかどうか。私はあなたを支持する学生の立場からしても、あなたの御意見を承わらなければならぬわけでございます。お願いいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/167
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168・北岡寿逸
○北岡公述人 私は、公述の場合に申し上げましたように、一元化がいいか教育委員会がいいかというような問題につきましては他の公述人が十分論議されましたから、私はその点を述べないで、これが自由の擁護になるか自由の侵害になるかという点に重きを置いて、それだけ述べるということを申し上げたつもりでございます。従って、もし述べよとおっしゃるならば、私は私の見解を幾らでも述べることができまするが、ごく率直に良心的に申しますると、どうも戦後の日本の組織、新しく戦後植えられた組織というものは、日本国民が自然に考え自然に運用しておのずから自然に発達したものではないのです。いわば、アメリカさんが、進駐軍が日本をモルモットか何かのようにして、こうやってみたらよかろう、こうやってみたら日本は昔の軍国主義にならぬであろう、こうすれば日本はもう強い国にはなるまいといったような考えで、あれやこれやでやった。ことに、私は当時経済安定本部におりまして、第四部長としまして労働問題、公共事業等におきましてしばしばアメリカさんと折衝したのでありまするが、そのとき私は明らかに看取しましたことは、あの占領施策なるものは戦争中にアメリカで作られたものだ、従って、日本に対するおそれと憎しみがございまして、日本を弱い国にしようという考えがどうもあったように思う。従って、日本の行政機構を非常に複雑にして、そうして自分たちの考える通りにやってみるということでございまして、ほんとうに日本の国民から自然にわき上ったものでございませんから、やってみていけなければ直すということ以外に方法がなかったように思う、これは少し一般論になりましたが、お尋ねの教育委員会、ことに市町村の教育委員会につきましては、私の考えとしましては、市町村の方は幾らか穏健でありまするから、左派が少いから、これをやりますれば左傾を押えることができるというような感じを持っておった。私の知っておる自由党の方々には、そういうふうな感じから市町村に教育委員を置くことを賛成しておった人があると思う。また同時に、社会党の方々には、そうだとすれば教育委員会の寸断であるとか、どちらかといえば保守的な市町村の教育委員が教育を押えるから非常に困ったといったような見地から反対されたように思う。ところが、やってみますと、市町村の教育委員というものは大半は人事権を県に委譲してしまった。市町村限りでは人事権がうまく動かない。市町村の吏員と同じように、その市町村だけにおるのじゃどうも教員がうまく納得しないのだ、やはりもう少し広い範囲に異動しなければならない、そうしなければ適材適所を得ることができない、そこで私はやはりおのずから教員に対する人事権を県に委譲したのだろうと思う。かくして、当初期待しておったところがあまりに行われなかった。かつまた、初めからおそれられていたように二重行政となりまして、行政が複雑化し、しばしばるる申されましたように予算の執行、予算の提案につきまして市町村を困らした。だから、今ここに廃止しようというのでございまして、私は、いずれの制度も、繰り返し申しましたように、自然に発達したものでないのでございますから、どう動くかということは十分に予測ができない。やってみてから、いけなかったら改正するということは、これははなはだ拙なる方法でございまするが、われわれはやむを得ぬと思うのでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/168
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169・佐藤觀次郎
○佐藤委員長 山本勝市君。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/169
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170・山本勝市
○山本(勝)委員 公述人にお伺いいたしたいと思います。
実は、先ほど来公述人の公述の最中における委員の態度でありますが、私はその前の松沢公述人の公述の最中に反対の意見をずいぶん持っておりましたけれども、われわれ与党の者は一言半句もヤジをしないで清聴いたしました。意見は違いましても、反対の意見に耳を傾けることが民主主義であると、こう信じておるものですから、のどまで出た声を押えて実は聞いたのであります。ところが、ただいま北岡公述人のお話に対して社会党の諸君が憤激してずいぶん大きな声を出しました。私は社会党の諸君としてはこれはやむを得ないのだと思うのですけれども、しかし、民主主義の立場から言えば、私どもがその前の公述人の公述に対して黙って清聴いたしたような態度で聞いていただきたい。これは社会党の諸君に希望いたすのであります。
私は、これから自分の考えをかいつまんで申し上げまして、そうして北岡公述人のそれに対する考え、所感を承わりたいと思います。
私は、北岡博士が自由主義者であり、民主主義者であるということを疑いません。これは戦争中からの博士の行動そのものがそれを示しておるのであります。戦争最中に反戦主義者としてずいぶん激しい動きをされたり、戦争反対の動きをされたということは、これは知る人ぞ知るであって、知らぬ者が知らぬだけなのです。(笑声)それはだれも疑っておる者はありません。なみなみならぬ激しい反戦の動きをされたことを私は承知しておるのでありますから、私自身は博士の自由民主主義に徹底しておられるということを信じておるのでありますが、この法案について、ある公述人あるいはある党は民主主義に反する逆コースである、こういうふうにかたく信じておられるようであります。また、この法案が通って実施されることによって日本の教育はその中立性が保てない、こういうふうに主張されておりますが、これも腹の底からその人たちはそう信じておられるようであります。また、私どもの立場から申しますと、この法案によって日本の民主主義が十分でなくてもこれまでよりも幾らか守られる、あるいは教育の中立性というものも幾分守られるということを、これまたかたく信じておるのです。つまり、この反対の考え方をかたく信じておる者が、一方では、逆コースであり、中立性と民主主義に反するものであり、かつ中立性を破ると言い、一方は、民主主義を守り、また偏向を改めて中立性を持ち来たすためにこれが必要だと信じておる。この両方の信念がぶつかってこういう激しい、公述人に対してすらも礼を失するがごとき態度が出るので、これは信念が現われてくるのですから、ただ軽べつしてどうとかこうとかいうのではないと私は思うのであります。
それで、私の考えを一応申し上げて、その所感を承わるのでありますから、私は申し上げますが、こういうふうにこの法案をめぐってきわどく対立するということは、私の考えから申しますと、一つには現実認識というものについての相違があるのではなかろうか、つまり、現実というもの、これまでの制度のもとにおける日本の教育というものが、これが民主主義的であり、あるいは中立性を保っておる、少くともだんだんとそれが民主主義化し、保っていけるのであって、この制度のもとで心配要らぬというふうに、現在がすでに中立性を保っており民主主義的である、こう認識しておる人と、そうではなくて、現在がすでに民主主義的でない、また中立性を保っていない、こういうふうに認識する、その認識の差というものがだいぶんあるのではなかろうかと思うのです。先ほど申された、教育に直接携わっておる日教組そのものがどういうふうに実際教育の上にやっておるかということについて、やはり認識が違うのではなかろうか。この認識の差が、現在の法律でいいのだというのと、いやこれを変えたら大へんだという分れの一つの原因になっておるというふうに私は考えるのです。もう一つは、イデオロギーの差というものが根底にあるのでなかろうか。ほかの言葉で申しますと、階級政治とかあるいはいわゆる人民民主主義という、同じ民主主義といいましても、ロシアあるいはロシアの衛星国のやっておるような教育が民主主義だと思っておる人も一方にはある。ところが、一方には、ロシアの教育などというものは、批判もできなければ何にもできない、これは反民主主義の極なるものである、こう考えておる人もある。両方同じ民主主義といいましても、この民主主義というものの言葉が同じだけであって、実は中身はまるで違っておる。これが先ほど来前の方と今の公述人の間に非常な差が生じた。これは、イデオロギーの方の差がもとになっておるのか、現実認識の差がもとになっておるのか、よくわかりませんけれども、少くともこの二つが世間一般にこの問題を中心にきわどく対立する大きな原因のように思う。私はここであまりやっておると社会党の諸君から大いに批判されるかもしれませんが、しかし聞いていただきたいのであります。同じ政党といいましても共産党も自由民主党も政党は政党だ。言葉では政党です。しかし、階級政党であって共産主義のような政党が、あれがほんとうの民主主義の一番いいものだと考えておる人が一方にはあるでしょうが、一方では、そうではなくて、あれは民主主義じゃない、自由民主主義ほんとうの民主主義だ、こういうふうに考えておる。従って、社会主義というものは、本人はどういうふうに考えておるか知りませんけれども、社会主義の国家になった場合に民主主義というものはあり得ない、こう考える人と、いや、社会主義になったらほんとうの民主主義なんだ、こう考える人もありましょう。私どもは、経済の世界が国家の力で統一的に支配される場合には、政治の領域においても精神生活の領域においても、また思想生活においても、個人の自由というものはあり得ないと考えておる。経済だけが統制されて、政治的自由、思想的自由なんというものはあり得ない。これは三者不可分の関係にあるのです。本人は民主主義だと思っても、実際は個人の自由、今日の憲法が保障するような個人の基本的人権というふうなものを根底に置いた民主主義というものは社会主義国家はあり得ない。いわんや共産主義国家はあり得ない。こう信じておるものですから、やはり、同じ政党といいましても、政党は政党でも、民主主義政党かどうかということになると、そういう中身を考えないと、一律には言えない。ですから、自分たちは、自由民主主義というものがほんとうの民主主義であり、自由民主主義がほんとうの中立だと実は思っているのです。ですから、反対派のというか、反対の意見にも静かに耳を傾けるというのがわれわれは民主主義だと思っている。従って、かりに同じ政党員であっても、そういう人が教育委員にもし選ばれた場合と、そうでなく、反対派の意見はもう圧倒的にヤジってヤジり上げてしまうというような人が委員になった場合とは、同じ政党員でもこれは違うのではないか。少くとも反対派の意見にでも黙って、のどまで出てきたものをここで押えられるという人と、抑えられないで、黙れといったような調子でやるのとは非常に違う。私は、社会主義がいいと思っている人が社会主義に反対する者は敵だと思うのはやむを得ないと思いますけれども、そうかといって、社会主義が民主主義でないと思っておる人はどうかというと、これは自由民主主義ですから、聞くだけは聞いて考えるということになる。
そこで、私が公述人に聞きたいのは、先ほど来のこの法案に対するきわどい、険しい対立というものの根底が、今日のこれまでの教育委員会法によって行われておる教育行政の実際の現実認識の差と、もう一つは、根底において自由民主主義というものと社会主義ないしは共産主義的なイデオロギーの差があって、そうしてこの法案をめぐって対立しているように思うがこの私の考えに対する北岡博士の見解を承わりたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/170
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171・北岡寿逸
○北岡公述人 山本博士から非常に大きなテーマを与えられまして、時間をいただきますならば十二時間しゃべってもかまわないのでありますが、ごく簡単に要点だけを申し上げます。
抽象論として、自由主義、民主主義とはどんなものか、これが民主主義に反するかどうかというようなことを論ずるならば、私はこれは程度の問題であると言うほかはないと思うのです。自由主義と申しましても、われわれは、交通の安全を期するためには、右側を通るところを左側を通れば千円の罰金、左側通るところを右側通れば千円の罰金というように、ちゃんと民主主義は道路においても罰金でしょう。こういうように、やはり公衆衛生とか安全のためにはいろいろな自由を押えなければならぬ。また、民主主義と申しましても、すべての人間がすべて政治を行うものではない。やはり代議政体が行われておる。また、一旦政党が総理大臣を選んだ以上は、それに広範な権限を与える。従って、民主主義というのは、抽象的に申しますならば程度の問題で、およそいかなる程度においてもある程度の制限はある。制限つきのものでございまして、徹底的な、ほんとうの何にも制限がないとか、一切の国民に対して自由を与えるというような自由主義、民主主義はあり得ないと思う。従って、現実の問題としては、現在日本のわれわれの当面しておるこの問題は何であるか、これに対していかなる制限を加えることが適当かということで、ものをきめなければならぬと思うのでございますが、この法案を、自由の侵害である、国家統制を復活するものであると言う方は、実にひどいことを申しまして、この法案を許せば今に大東亜戦争を再現するかのように言う。私は、これはどうもものをしいるもはなはだしいと思う。今日日本で、いかに国家に統制権を与えようが、自由を制限しようが、大東亜戦争時代のああいう国家統制をやって、大東亜戦争をもう一ぺんやる、そんなばかなことを考えている人間は一人もいない、こういう世の中におきまして、今の、この法案ができればだんだん統制が激しくなって大東亜戦争になる、こういうばかなことを言うのは、どうかしておると私は思う。これはほんとうにそう思うのではなく、やはり一種の民衆に対する扇動ではないかと私は思う。そういうものは、私の主観におきましては、これは良心的な見解とは思わない。私自身は、初めに申しましたように、現下の日教組の態度というものが非常に法の範囲を離れておる、一体、この法案に反対し、現状維持を主張する人が、これをどう考えるのか、この日教組の法律を逸脱した行為というものはこのままでよいのか、これを押えなければならぬとは考えてないのか、この点から言ってほしいというのが私の見解でございまして、私は、これは非常に有効なものではないが、一歩を進めると思って、その見地から賛成しておるのであります。いろいろな見地がございましょうが、私は今日はその一点に重きを置いて申し上げたつもりでございます。
なお、山本博士からいろいろ政党とか自由とかに対する意見を聞かれましたが、時間もあまりありませんから、一言申し上げますというと、私は、社会党というのは、これは立派な政党であると思っておる。ことに、社会民主主義——英国とかスエーデンとか、英国は六年間社会党が政権をとり、スエーデンは二年間社会党の天下なんですが、ちゃんと自由は認められて、社会主義において実行できるし、自分の国において実行するのに適当と思われることだけやっておるりっぱな制度でありまして、私は日本の社会党がそういうものであるとすることを希望するし、そう信じておる。たまたま社会党の諸君には血の気の多い諸君がおられるものですから、ちょっと激越なことを言われるのですが、これはそのときそのときの私の言葉が悪かったのでございましょうから、私はそんなことを言われたからといって別に社会党が他人の意見を聞かないものであるとは決して思わない。私は社会党まではりっぱな政党であると思っているが共産党は違う。共産党というものは、これは最近日本に誤解があるようでありますが、とにかく武断専制、反対者はみな殺してしまう、これが共産党です。こういうものは政党ではない。政党というものは、とにかく人民に自由を与えて、その多数の意見に従って政治を行うのが政党でありまして、一旦政権を握れば反対者はみな殺すというがごとき、こんなばかなものは政党でない。こんなものは断じて許すべきものではないと思うのです。日本の共産党がそんなものであるかどうか、問題でございますが、私はその下心があるのではないかと思いますから、これは危険であると思うのでございますが、表面はそうは言っておりませんからこれは許すべきものであると議会の方は思っておるのでありましょうが、ソ連や中共にあるような、——この間のタイムの記事を読みますと、中共は政権をとってから少くとも二千万人殺しておる。こんなものは断じて政党とは思わない。この点、私の意見を申し上げました。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/171
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172・山本勝市
○山本(勝)委員 もう一点だけ簡単に。それは、今度の法案で非常に大きな問題になっているのは、地方教育委員も県も同様でありますが、委員は直接選挙であったものを、その制度をやめて、首長がこれを選んで議会の同意を得て任命する、こういうことに変った点が論争の非常に大きな問題になっておるのであります。これが民主主義であるかないかということを、この点を中心としてかなり委員会で論ぜられたのですが、この点について公述人はどういうふうに考えられるか。民主主義というものにおいて直接選挙というものが不可分のものであるかどうかという点であります。私自身の考えとしては、もちろん直接選挙ということが民主主義において非常に大きな意味を持つと思うのです。しかし、必ずしも民主主義の本質的な要素ではないのじゃないか。たとえば、家庭生活なら家庭生活におきまして、民主的な家庭というもの、あるいは学校の教育における民主的な教育、こういう場合に、第一次大戦後のドイツのライプチッヒの大学などで、デモクラシーのためには先生を生徒が選挙すべきだ、こういうことで、ライプチッヒの大学で生徒が多数決で先生を選挙して、先生か先生でないかをきめるということを、これはすぐやめましたけれども、実際にやったことがある。これは民主主義の解釈で、選挙というものがつまり非常にエセンシャルなファクターということに考える場合には、家庭おいても、ものをきめる場合には、家庭全員のうちで多数できめるのがよかろう、それから、だれか家事を切り盛りする者は選挙できめる、極端に言えばライプチッヒのようなこともあり得ると思うのです、しかし、そういうことでなくてやはり民主主義的な家庭、民主的な学校、社会生活というものもある。やはり必ずしも民主主義というものに直接選挙というものはエセンシャルなファクターじゃないのじゃないかと思うのですが、公述人はどういうふうに考えておられますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/172
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173・北岡寿逸
○北岡公述人 民主主義と選挙の関係につきましては、最小限度に必要な要素は、国家最高の権力でございますところの国会は人民の直接選挙でなければならぬ、これは世界を通じて動かぬ原則です。それ以上のものにつきましては、ある国の便宜とある国の国情に従って、選挙をするか選挙をしないかということを決すべきことでありまして、今日日本の知事は直接選挙になっておりますが、これは弊害があるとしてやめたからといって日本の民主主義が滅びたとは言えないと思うのです。そのほかいろいろな問題がございますが、私が直接関係していますところの大学について申しますれば、わが国におきましては、東京帝国大学は、その当時帝国でございましたが、長く総長は教授会の選挙であった。そのほかの国立大学は、ある部分は教授会もございましたが、専門学校に至っては、何も選挙しない、文部大臣が総長を任命し、教授も任命した。これは、私は、どちらがいいかと言われましても、どれが民主主義かと言われましても困るので、やはり、その国、その場所、組織におきまして長い間発達しましたその国情に沿うべきものでございまして、戦後は大学は全部教授会の選挙になりましたが、これが絶対にいいのだ、これが民主主義だとは言えない。といって、それならば一切の大学をみな文部大臣がやるかというと、これもやはり民主主義の線を逸脱しているので、これはやはりその国の実情に即して、便宜の法則によってやるよりほかはないかと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/173
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174・佐藤觀次郎
○佐藤委員長 高津君。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/174
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175・高津正道
○高津委員 北岡公述人に御質問をいたします。
私は、教育を愛する立場から理論的な学問的な公述をあなたから聞けると思っておったのでありますが、承わるところは実に非学問的であり、非常に驚いておるのであります。そのいろいろなお説の中には、十大総長の、あの学者の声明は日教組の共産運動の一翼をになうものである、こうも言われた。日教組は共産党の運動をやっておるというようにはだれも考えていないです。ほんの一部の人がそういうようにこじつけて言うのです。それは五十万人の中には何人かの共産党の人がいるかもしれない。そんな不完全な例挙によってそういう大きな断定をするということは、それはむちゃですよ。それからまた、地方教育委員会の弊害の根本は公選制度にある、こう言われる。それを助けるかのように、もう一人のここにおる博士の委員、山本君が、民主主義にとってのエセンシャル・ファクター、これは本質的な要素と訳しますか、基本的な、一番大事な要素ではないのじゃないかという質問に対して、あなたは、国会議員は直接選挙でなければならぬが、その他においてはエセンシャルなものではないんだと言われる。そうすれば、今自由民主党では都道府県知事をいつ任命制にするかとわれわれは非常におそれておるのであるが、自由党の見解に同調されるあなたの意見を聞くと、それよりもっと先の方へ行って、知事の任命どころか、これは都道府県会議員も選挙するより任命の方がよいという意味なのであります。まことにこれほど驚くことはない。こういうようなお説を、静かに静かに、あの東京都の松沢教育委員のお話を聞くように聞けというのは無理な話ですよ。話の内容によりますよ。松沢教育委員はその上にその上にと言って、ほんとうに教育を愛する立場から、任命制に変ることは独裁制になる可能性が十分にある、この法律案が通れば教育のレベルは低下を来たす、われわれは全く失望して、どうしようか、これからはまた政府が指導主事を動かして教育の現場を指揮するようなことになるが、それでは教室の空気はこれより一変し、先生はうしろの指導主事、文部大臣、そのような者にだけ目を向けて、学童や生徒には目を向けないようになる、そうしてまた、この法案を出す手続においても、全国の選挙によって出ておる大量の教育委員に事前に相談してほしいと言ったのであるけれども、忙しいと言って時間をさえも与えられなかった、そういう悲痛な、われわれこの議会で、第十三委員室において、ほんとうに正義の声を聞くように感動して聞いたのであって、あれをもしヤジれば、ヤジった者は今度落選するかもしれませんよ。——あんなものをヤジったら。それと今度のあなたのような暴論、——私は暴論と言いますよ、責任を持って。そんなの黙って聞いておれないですよ。髪の白い私でさえ黙って聞いておれないですよ。
それで、質問をいたしますが、第一に、教育委員会がわずか三年半の実施を見たばかりで、今それに致命的な根本的な改革を加えるということは教育に対して適切でない、こう私は考えますが、あなたは、適切だ、教育にはあわただしく数をたのんでさっと襲いかかれ、こう言ったでしょう。私は三年半ではいかぬ、もっとやってみた上でと、こう考えます。北岡教授の明快なる御答弁を要求いたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/175
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176・北岡寿逸
○北岡公述人 ただいま高津さんから私に対して暴論だと言われましたが、それは誤解のもとにそう言われたと思います。私は決して学者のあの声明なるものがことごとく日教組とツウツウであるとか、日教組が共産党であるとか言ったわけではない。むしろ、そうじゃなく、たとえば矢内原さんのようなりっぱな人格者がおられるからというので、私はほかの人はあまり知りませんから、矢内原さんのことを申し上げただけでございまして、全部が日教組に通謀したと言ったわけではございませんが、日教組の資料を見るとあの人たちの声明を抱き込んで自分たちの運動の中に入れておる、結果としてはあの人たちの声明は日教組と通謀したようなことになる、こう申し上げたのでございまして、決して全部が日教組が共産党だとか、日教組と通謀したとか、言った覚えはないのでございます。
第二に、非常に誤解されたのは、私は決して知事の任命制がいいとかあるいはいかぬとかいうことを言ったのではない。もし仮定のもとに、知事が——現在の公選制といってもいろいろな弊害がありますが、るる述べる必要はないと思います。もし弊害が非常に多いとして、かりに任命制になりましても、——これは仮定なんですよ。なりましても、決して民主主義がこれによって侵されることは全然ない、これに反して、もし国会ともなれば、これは日本の民主主義が滅んだものである、国会の民主制度というものは絶対に守らなければならぬが、そのほかのものは国情によって変ってもいい、こう言ったわけでありますから、誤解のないように願いたい。
それから、松沢さんのことをかれこれ言うのはおかしいかもしれませんけれども、このように文部大臣の指導権がいくと、教員が上の方を見てものを言う、こういうことを言われた。これは実にどうも一種の極端な言い方でございまして、文部大臣の指導権の書いてあるのは五十二条でありますが、これによりますと、教育委員会が法令の規定に違反しておるとか、著しく適正を欠くとか、教育の本来の目的達成を阻害しておるとか、これは教育委員ですから、こういうことをした場合には文部大臣が措置もしくは勧告か何かをする、法令違反の是正がある、こういうことで、著しく適正を欠くとか法令に違反した場合に文部大臣は勧告するだけで、教師がすぐに生徒の方に向ってものを言わないで上の方に目を使ってくる、こういうことは非常に極端な意見でございまして、先にちょっと申しましたように、自由侵害をやりますればすぐに戦争が起るなどと、こんなことを考えたんじゃないのでございまして、極端な意見だと思います。
ただいまお尋ねの点でありまするが、先ほど申しましたように、この日本の教育委員制度というものが、日本でほんとうに発達した、みんな自然にだれもかれもいいと思ってできたものでございまするならば、私は軽々に改革することに対しては賛成しませんが、これは移し植えられたもので、経験がないものである。実は、あまり確信もなしに、思いつきと言っちゃいけませんが、めいめいの想像で、アメリカさんの想像や日本人の想像で作ったものですから、やってみればすぐに弊害が現われた。二元行政は市町村長はみな困っておる。みなではございませんが、圧倒的多数が困っておる。三年間の経験でも、こういうような困った——あの二重予算でございまするが、予算の歳入に対しまして何ら権限を持たないものが歳出を自由にできる、こういうことについて市町村長があれほど困っておるんですから、私はわずか三年ではございまするが、改正していいだろうと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/176
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177・高津正道
○高津委員 あなたは、戦後民主主義になったために国立大学の教授は現在容共派が多い、この法律の文部大臣に与える新しい権限でこれを首切ってほしいということを自分は希望する、ただし少々はその容共教授を残されてもいい、そういう御意見が確かにこの速記にとどまり、どこかの録音にも残っておるわけでありますが、これは、儒者を穴に埋めるような、そういうことに道を開く大へんなことだと憂えられるのであります。あなたはあの御発言をお取り消しになる気はないかどうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/177
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178・北岡寿逸
○北岡公述人 それは、どなたか申しましたが、現在の民主主義になったからじゃなく、アメリカさんが日本に対しまして、日本を戦争のできない国にしよう、こういう考え方が根本の考え方だと思いまするが、そういう考えから、容共と申しますか、極端な先生方を十分に入れた。そうして、それを、文部大臣が権力がなかったのか無能であったのであるか、これは異論がございましょうが、とにかく押えることができなかったのが今日の事態の一つの起因だと思うのです。私は容共というのはいかぬと思います。共産党というものは民主主義の根本に反するのでありまして、一旦政権をとれば武断専制で反対派を何十万でも殺してしまう。百万単位で人間を殺す。こういうものを容認するような者は、大学教授として不適当だ。かつまた、共産党は、自分で独立の判断をしないで、モスコーの命令を聞いて判断をする。だから、自由の国のアメリカにおきましては、共産党員もしくは積極的な共産党のシンパというような者は大学教授から続々と追放せられておる。私はこれは自由を守るゆえんであり、民主主義を守るゆえんだと思う。この意味におきまして、私の見解としましては、国会におきまして法制を改める必要があれば改める、そうして、文部大臣でできるならば文部大臣の力によって、共産党もしくは積極的な容共教授というものはやめていただいた方がいいと、私は固く信じております。これは速記録に残しておきたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/178
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179・高津正道
○高津委員 公選制というものは国会議員に限る、教育長に対する知事の任命は自分は別に支持するわけではないが、国会議員以外は、事情によってこれは必ずしもそうすることが基本的な要件ではないのだ、こう言われるのでありまして、それはお取り消しにならぬのであります。
それから、もう一つお尋ねしますが、中国の共産党は政権をとってから二千万人の人間を殺した、そんなに人を殺す政党は政党ではない、共産党は政党にあらずという定義を新しくここへ持ってこられたのであります。私は、政党の分類をする場合に、人を殺すか殺さないかをもってすべきではなかろうと思う。もし一つの政党が国を戦争に追いやって、敵味方合せて二千万人どころかもっともっと大きな戦争を巻き起すに至るならば、あなたの定義によれば、その政党もまた政党にあらずということになってくる。私はそのような定義の問題は別にいたしまして、隣側の中国が今日本に対して国交回復をしようという平和の手を伸べてくるときに、この国会議事堂においてどのような確たる証拠をもって二千万人を殺したということを公言されるのであるか、公述人の資格においてどのような事実に基かれるのか、どういう根拠によってそれを発言なさるのか。私は、外交上もまた日本の国会の名誉のためにもかかわる影響が非常に大きいと思うがゆえに、その根拠をお尋ねする。根拠がなければこれを取り消してもらいたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/179
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180・北岡寿逸
○北岡公述人 第一点、共産党が人を殺しても政党だとおっしゃいましたが、戦争する場合と共産党が反対者をことごとく殺す場合とは全く違っておるのです。共産党は反対者というものを認めないで武断独裁政治をやるのですが、私は、政党というものは国民に自由なる意見の開陳をさせて、その自由なる多数の意見に従ってやるということは政党のエセンシャルな要件でありまして、反対者はみな殺すというのは政党ではないと思うのであります。国民を率いて戦争する場合と全く事情が違うと思うのであります。
なお、私はだいぶ時間を節約して簡単に申しましたので、誤解を起してはいけませんから申し上げておきたいと思いますのは、国会議員のみと言いましたが、これは、国会議員のみならず、やはり府県会、市町村会、こういったものも直接選挙によらないでやめてしまうということにしますれば、これは憲法のみならず民主主義というものに反するのだと思います。しかし、それ以外の首長を任命制にするか議会で決定したらいいか、教育委員をどうするか、公益委員をどうするか、そんなことはその国の国情に従ってやればいいので、もしそれをあまりに極端にやりますれば、民主主義に遠ざかってくることになりましょうけれども、それでもその国に民主主義が行われないということは言えないだろうということを申し上げたのであります。
第三に、中国において二千万人殺したということは、アメリカの三月六日のタイムという雑誌に書いてあるということを申し上げたのでありまして、そういうことは私はわからないのでございますが、実は、名前をあげてはどうかと思いますが、ある中国の問題に最も詳しい共産党の強力なシンパの人に聞いたのでありますが、百万や二百万は殺しておるだろうと言っておる。このように百万単位で殺す。日本の東条さんがかなり乱暴な政治をしましたけれども、あのときに右翼の人を殺したのはきわめてわずかであります。反対者を殺すのはいけない。これは数の問題ではございません。いわんや百万単位で反対者を殺すというのは政党ではないと申し上げておるのでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/180
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181・高津正道
○高津委員 それはアメリカの雑誌タイムですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/181
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182・北岡寿逸
○北岡公述人 タイムです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/182
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183・高津正道
○高津委員 タイムにそういう数字が出ておった、こう言われるのでありますが、それならば、その出所を明らかにされる必要がある。私があえて問うに及んでようやくタイムを出されるのは……(「前から言っておる」と呼ぶ者あり)それでは、やれわれの常識では、政権をとって以来二千万人も殺したというようなことは信ずることができないのであります。そこでお尋ねいたします。南原前東大総長のきょうの公述を聞いて、教育行政に対する理解といい、また教育に対する愛情といい、そして学問、識見の高さに全く敬服をして、これは家柄とかあるいは財産でその地位についておられる人ではない、教育界においてはまことに名実ともに備わる人が大学の総長の地位についておったのだ、矢内原総長またしかりだと思って、全く敬服をしたのであります。いつの政党においても、どの国においても、政党の総裁はそのような人がなるならばよかろう、こんなことを思いながら聞いたのであります。その南原繁博士をも含めて、いわゆる矢内原総長を初めとする十人の教育学者のあの声明でありますが、私はあの十人を選べば、ほんとうにあれは日本の教育学界の代表だと思うのであります。関西において十三人の、これまたああいうクラスの学者が直ちにこれに賛同の声明を出し、そして六百人、八百人というような教授がこれに賛同しており、あの声明は今や全教育界の代表的意見となっておる、教育界のみならず広く学界の大部分があの声明を支持するに至っておる、こう思うのであります。北岡博士の意見は教育界、学界のおよそ何パーセントくらいの代表だとお考えになっておるか、あなたがみずからを代表される学界というのはどのくらいのパーセントを占めているとお考えになっておるのでありましょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/183
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184・北岡寿逸
○北岡公述人 矢内原さんとは四十何年、南原さんとは十数年のつき合いでございまして、私は個人的にはきわめてりっぱな人だと思っております。ただ、ああいうふうな無抵抗主義——日本の国は負けてもいいのだ、占領されてもいいのだという主義は、個人としてはりっぱな人格者かもしれませんけれども、それは国としては困る。そういう人が大学教授になっておっては困るのです。いわんや、政党総裁になり、総理大臣になられたら困ると思う。私は、日本国民としておそらくは南原内閣は支持せぬと思いますけれども、そんなことになったら大へんだと思う。個人的には尊敬するけれども、国損になっては困るということは御了解願いたいと思うのであります。
それから、あの先生たちはりっぱな人でございましょうけれども、しかしながら、戦後アメリカさんが愛国的な学者連中を追いやって、それらはもちろん欠点もあったのですが、そういった人を追いのけまして、ああいう人を日本の国立大学の上に据えてしまった。これを歴代の文部大臣もどうもできなかった。そこで、日本人というものはどうも事大主義でございまして、高い地位にあると何となく偉いように思う。そこでああいったことを非常に尊敬したように私は思いますけれども、大学総長としまして、あの現在の地位が示すようにそんなにりっぱなものではないと私は思っておる。
それから、これは学界の多数であるということでございましたが、なるほど多数なんです。それは、そのことを端的に示すものは学術会議における選挙だと思う。学術会議におきましては、少くとも社会科学の方におきましては、ああいう人の投票が非常に多い。しかしながら、これは数が多いということよりはむしろ組織の力なんです。民主主義科学者協会ですか、ああいったものを持ちまして、平素何万人という組織を持っておる。そして学術会議の資格を得るためにいろいろな登録をしましたり、あるいはその中には怪しげなものもあるわけです。あらゆる組織を持って多数を占めておるわけであります。だから多数を占めるのでございまして、決してあれが自然のままの日本の多数ではない。しかしながら、私は何らの組織を持たないのですけれども、やはり私も仲間の投票を得まして学術会議に列しておるのでございますから、私も決して無視されておるのじゃない。それから、もう一言だけ申させていただきますが、学術会議におきまして再軍備反対、平和憲法維持というようなものが出ましたときに、正面から反対したのは私一人なんです。ちょっと応援するのが二、三人おったのですが、私に反対するのは二十人ばかりおった。ところが、投票をとりますと私の方が勝つ。しゃべる人間のうちではきわめて少数でございますが、多数の健全な学術会議の会員はやはり私を支持しておると思っておるのでございます。表面現われたところにおきましては、私はきわめて少数に見えるかもしれませんが、多数の国民の支持を得ていると私は信じておるのでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/184
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185・佐藤觀次郎
○佐藤委員長 高津君、最後に簡単にお願いいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/185
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186・高津正道
○高津委員 私は矢内原総長の雑誌に現われた一つの論文は、それは読んでみなければ議論ができないのです。私の問題にしておるのは、あの矢内原声明なんです。その声明が多くの支持者を得るのは、あの地位におるから、事大主義だからと、こう言われるのでありますけれども、教育界の人が冷静にあれを読まれて、矢内原総長や南原総長が言うから事大主義でさっとついていったというのではなしに、みなが待ち焦がれておるときにあの声明が出たから、きゅう然として、われわれの意向に全く沿うものであるといってあれに共鳴をした形が現われたのだ、こう私は考えるのであります。今、国会には逆コース的な多くの法案が出ておるのでありますが、それを革新政党と保守政党とがもみにもんでおるまっ最中でありまして、今西岡知事がここに公述人として立たれ、そうしてまた全国の町村会長も立たれたが、それは自由党に党籍を持っておられる人であります。あなたは自由党に党籍をお持ちでありましょうか。私は、あなたのようなよく書斎で勉強される人がこの国会の雲行きを見られておわかりと思うが、こういうような法案を数にものを言わせて押し切れば熾烈な階級闘争が起きるようになるであろう、そうしてまた非常に教育界も混乱をするであろう、国会では何を言ったって多数できまってそれで押し切るのだからということで、国会に興味を失うようになって、あなたの一番おそれられる共産主義がよい地盤を得てどんどん発展する、そういうようなことに門戸を開くのではあるまいか、そのようにわれわれは憂えておるのであります。社会党はよい政党、共産党は悪い政党と、きわめて簡単な分類をなさいましたが、そのよい政党を三分の一にしよう、こういうような企てがあることは百もあなたは御存じでありましょう。私は、教育行政に対してもっともっとあなたが御研究下さることを望みまして、この質問を終ります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/186
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187・佐藤觀次郎
○佐藤委員長 これにて北岡公述人の公述及びこれに対する質疑は終了いたしました。
北岡公述人には両法案に関する貴重な御意見をお述べいただきまして、ありがとうございました。
本日お述べいただきました公述人の御意見は、今後両法案に関して委員会の審査を進めます上に多大の参考となるものと考える次第でございます。
それでは、本日の公聴会に予定いたしておりました公述人の公述及びこれに対する質疑は全部終了いたしましたので、本日はこの程度にいたします。
なお、次会の公聴会は明後九日午前十時より開会いたしますので、全委員各位にはぜひとも定刻に御出席下さいますようお願いいたします。
本日はこれにて散会いたします。
午後六時五十三分散会発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405085X00119560407/187
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