1. 会議録本文
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000・会議録情報
昭和三十五年三月八日(火曜日)
午前十時三十九分開会
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出席者は左の通り。
委員長 新谷寅三郎君
理事
西郷吉之助君
鍋島 直紹君
鈴木 壽君
基 政七君
委員
館 哲二君
湯澤三千男君
木下 友敬君
松澤 兼人君
松永 忠二君
中尾 辰義君
政府委員
警察庁長官 柏村 信雄君
警察庁長官官房
長 原田 章君
警察庁刑事局長 中川 董治君
警察庁保安局長 木村 行藏君
事務局側
常任委員会専門
員 福永与一郎君
参考人
東京工業大学助
教授 桶谷 繁雄君
全日本交通運輸
労働組合協議会
事務局長 野々山一三君
全国交通運輸産
業労働組合同盟
書記長 大井 秀雄君
ダイヤモンド社
編集局長 石山 四郎君
立教大学教授 豊原 恒男君
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本日の会議に付した案件
○道路交通法案(内閣提出)
—————————————発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/103414720X00719600308/0
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001・新谷寅三郎
○委員長(新谷寅三郎君) ただいまから委員会を開会いたします。
道路交通法案を議題といたします。
本日は、本法案につきまして、お手元に配付いたしました印刷物記載の通り、五人の参考人の方に御出席をいただいておりますので、これから順次御意見を伺いたいと存じますが、その前に、参考人の皆様に一言ごあいさつを申し上げます。参考人の方々には、御多用のところ、当委員会のために御出席を賜わりまして、まことにありがとうございます。委員一同にかわりまして厚くお礼を申し上げます。
御出席の皆様方は、それぞれの方面において本法案に深い関心をお持ちのお方でありますから、どうか御忌憚のない御意見を御開陳願いまして、今後の私どもの法案審査のために御協力をお願いしたいと存じます。
なお、議事の進め方につきまして申し上げますが、まず初めに、お一人大体二十分程度で御意見をお述べ願いまして、そのあとで、委員から質疑がありました場合にはお答えを願いたいと存じますので、あらかじめお含みおきを願います。まず、桶谷参考人に御意見の御開陳をお願いいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/103414720X00719600308/1
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002・桶谷繁雄
○参考人(桶谷繁雄君) この道路交通法案に関しまして、私は、結論的に申しまして、この法案に賛成をいたしております。ただ、数年ならずいたしまして、東京においてオリンピックが開催されるのでありますけれども、そのときに予想されますのは、多くの外国人がみずから車を持って日本に来るということがあると思うのであります。そういう場合の免許証の取り扱いをどうするのか、現在のように、そういう方々を集めて、再び日本において試験をして、まあ仮の免許証のようなものを与えるということをしていいのかどうか。たとえば、外国でありますと、インターナショナル・ライセンスを持っておりますれば、無条件で運転の免許ができるのでありますけれども、そういうことをこの法案においては考慮されているのかどうかということが、私気になるわけであります。
それからもう一つ、やはりそれに関連いたすわけでございますけれども、国連に加盟しておりますもろもろの国の交通規則、標式その他が、大筋におきまして大体共通化の傾向にあるわけであります。これは、今申し述べましたインターナショナル・ライセンスにも関係のあることでありますけれども、そういう点にどういう考慮が払われているのかということを、私実は心配しておるわけであります。
さて、この法案の中で、新聞紙上などによりますと、問題になっておりますのは六条、七条というところだそうでございますが、私自身車を運転いたしまして、東京の都心部をいろいろと走り回って、その間に種々の交通混乱状態を見ておるわけでありますけれども、この六条、七条程度のことを警官にさせるようにしないと、現実問題として交通は流れなくなるのではないか。今日においてはすでにこのような、状況でありまして、今後道路の状況がそれほど大きく改善されないということを考えますと、警官に対して、事交通については、この程度の権限を与えることも当然ではないかというふうな感じを私持ったわけであります。諸外国の例といいましても、私ヨーロッパだけしか知らないのでありますがヨーロッパの国々を走っておりますと、交通に関しましては、警官が相当大きな権限を持っている。ことに、日本ではまだ行なわれておりませんけれども、二名の警官が組みまして、即決裁判、裁判という非常に大きな権限をただの巡査に与えてあるわけです。そこで、交通違反などいたしますと、罰金に九百円、千円というふうにそこで言いまして、罰金を徴収するというふうなことまでやっておるのであります。それに比べますと、この六条、七条あたりは、まだまだ権限を大きくしたといいましても、交通の安全を期する上からいいまして、この程度のことは認めていいのじゃないかと私思うわけであります。ただ、この法案によって受けた感じでございますけれども、免許を非常にむずかしくするような傾向にあるということを私感ずるわけであります。現在免許証を取ろうとする人が非常にふえてきておりますのは確かであります。また、車の増加に伴いまして、交通事故の増加ということも、これは非常に大きな社会問題にまでなっておるわけでありますけれども、はたして免許を取りにくくすることによって事故率を減少させることができるかどうかという点には、私、非常に大きな疑問を持っておるわけであります。交通事故の問題と免許を取りにくくするということとは別ではないか。そうだとするならば、現在よりは免許証を取りにくくするというのは、世界の大勢から見て、逆コースではないだろうかという感じを持つわけであります。また、罰則の点について、重くなっておるのでありますが、これは、諸外国の例から見まして、今までがあまりにも軽過ぎたということがいえるのでありまして、過度に罰則が重くなっているとは私考えておらないわけでございます。
二十分ということでありますが、大体私の考えておりますところはその程度でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/103414720X00719600308/2
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003・新谷寅三郎
○委員長(新谷寅三郎君) ありがとうございました。
—————————————発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/103414720X00719600308/3
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004・新谷寅三郎
○委員長(新谷寅三郎君) 次に、野々山参考人の御意見を承りたいと存じます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/103414720X00719600308/4
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005・野々山一三
○参考人(野々山一三君) 私は、今度の道路交通法そのものの目的が、混雑緩和、調整並びに交通の安全という観点から法を改正しようという、こういう御意図のようでありますが、日本の今の交通事情、特に六大都市なかんずく東京の現状から見ますと、この法律によって、一体法律の目的として求めておられる混雑緩和、円滑な輸送、安全ということが期せられるだろうかという第一の疑問を持つのであります。
昭和二十二年に現在の道路交通取締法ができまして以来、状況の変化に応じて、各回にわたる法律並びに政令の改正が行なわれました。しかし、日本の幾つかの法律の中で、一番顕著にざる法だといわれているのは、この交通関係の法律であります。守ろうにも守れない、あるいは守らせようとしても守り切れないという問題があるのじゃないかと思うのです。その根本的な原因を見てみますと、第一に指摘されなければならぬのは、道路が整備されていない。第二に指摘されることは、道路と車両の大きさというものが均衡していないということ。非常に狭い道路に、軒すれすれに走らなければならぬバスが他の法律によって、他の基準によって認められる。営業認可がされておるのでありますから、そのバス一両が入れば、もう他に流れることができないという道路があります。さらに、今、たとえばタクシーが三百六十五キロ一日走ることを認めておるのでありますが、今の制限速度からいえば、実際は三百六十五キロ走ることはできない。同時間で割ってみましても、三百二十キロしか走れないはずなんです。ところが、実際は三百六十五を走るのであります。あるいは、問題になります神風トラックなどの事情を見てみますと、今度の法律で、過労運転等をやっちゃいけないというわけで、管理者並びに運転者にその責任を負わせ、あるいは規制をしておるのでありますが、実情は、ほとんどといっていいくらい世論で問題になるほどに長距離、しかも神風といわれるような事情で運行が行なわれておるのでありますが、その状態において、なおかつ都心における混雑がその度をきわめておる、こういうものでありますから、この新しい法律を実際に適用してみて、東京の都心地における交通事情はどうなるだろうか。ただ、先ほどの方が指摘をされたように、一つだけの望みは、警察官の指示権が拡大をされて、そのときどきの状態において輸送をコントロールすることができる、だから調整ができるはずであると、混雑の緩和ができるはずである、こういうところだけが取り柄のように思われるのであります。
それから第二に、従って私は、道路交通法及び道路運送法、道路運送車両法に及んで根本的に検討を加えられて、総合的に、つまり道路交通基本法としての態様を、そういう面からも根本的に検討をしていただかないと、実は道路交通法だけでは、ほんとうの意味の交通の安全、輸送の正常化、混雑の緩和ということを期すことができないのではないかという疑問を第二に持つのであります。
第三番目には、すでに議会でも、昭和三十三年に、交通事故をなくし、それから交通の緩和をするためにということのために決議がなされておるのでありますが、そこで、その決議で指摘しておるものは、つまり道路の整備拡充、幅員と車両の均衡をはかる、それによって交通事故をなくするということを考える以外にはないのではないかというふうに指摘されておるのでありますが、その観点からいたしますならば、最近顕著に現われております交通事故、特に自動車事故の一つの特徴的なものは、踏み切り事故などであります。大型バス、トラック等による踏み切り事故などでありますが、これらの点についても、ぜひ立体交差を促進するための法律、あるいは踏み切り不安をなくするための特殊の法律というものをこれにあわせて考える、さらに道路の整備なかんずく工事、路面を使用する電気、水道、ガスあるいは軌道電車等の軌道整備に関する特別な処置、できるならば、それをある程度規制をして、昼間における運行を調整することの期待がかけられるような法律を作って、それによって裏の面からも、つまり道路の安全が確保される、道路が完全に輸送の混雑に耐えられるような状態に保障されるということをお考えになっていただかないと、この法律だけで事を期待しても無理ではないかというのがその次の問題なんであります。
第四番目に指摘したいのは、この法律によって直接的に期待されておるのではないかと思われるのは、取り締まりの強化、交通区分の整理、運転者及び管理者の義務責任が強化されて、それによって道路を使用して、従って運転する者のいわば責任において交通の安全というものが、第一に指摘しましたように、警察官及び公安委員会などの取り締まり、指示権の拡大と相並んで、それだけがこの法律の他の面として、運転の正常を確保するということを兼ねておられるようであります。でありますから、第二、第三に指摘をいたしましたように、道路の整備拡充、道路の不法占拠、あるいは車両というようなものの関係を度外視してというならば、取り締まりは強くなり、罰則が強化される、それだけによって交通の安全、秩序の維持ということが考えられると思うのでありますから、非常に失礼な言い方でありますが、二十二年にできました道路交通取締法がなかなか実効が得られなかった、同じことが今度の法律によって、これだけが重視されて法律になってしまえば、やはり実行不可能のような状態が起きて、事実上混雑の緩和とか、あるいは交通事故の安全というようなことは期し得られない結果をもたらすのじゃないか、でありますから、せっかく道路交通業務法としての道路交通法が議会で準備されるのでありまするから、願わくばこの法律だけをながめて立法化してしまうということでなくて、日本の道路交通の現状を根本的に改める、数年後には、きわめて顕著なスピードで自動車がふえてくる、車両がふえてくるということ、車両が大きくなってくるということ、このことを予想して検討を加えられなければいけないのではないかということを考えるのであります。
具体的な点で二、三申し上げておきたいと思うのでありますが、運転者の責任として、最高速度、最低速度を厳守し、運転の安全を確保する責任を課しておりますが、このことは、私は異論がないのでありますが、このことと、通行区分を当然守れといって求めておられることや、あるいは歩行者の優先あるいは車両種別による走行区分優先という、そういう規定ができれば、必ず車はスピードが落ちざるを得ないし、今無理してやっておるのですから、それが罰金が強化されてきますから、動かなくなる、交通地獄はもっとひどくなるということを指摘しておきたいと思うのであります。それから、車両はどんどん大きくなって、道路が狭いのでありますから、これまた同じことが起こるのでありまして、でき得べくんば、昼夜の区分を分けて、ある一定地域内に、たとえば、ヨーロッパなどでやっておりますように、東京都心地には昼間はトラックを制限するとかなんとかいうような、そういうことまでお考えにならなければ、とてもこの法律だけではいけない。こういう点を重ねて指摘しておきたい。
法律の上で無理が起こってくると思いますのは、定員乗車及び積載量の厳守という点であります。この法律案によります荷物の積載量は、一定の分に限って特例を設けておりまして、超過をしてもかまわない場合があるかのごとく書いてありますが、人の場合は、一切定員を守らなければならぬ。私どもの関係しておりますバス、タクシー、まあタクシーはいいのでありますが、バスなんかで、定員を厳守しなければならぬといって、乗務員が厳守をしたら一体何が起こるでしょう。国はどういうことを保障してくれるか。完全にお客さんは、車掌なまいきだというふうに怒られるでありましょう。この点についても、もっと善意ある法律は指導をしなければ、運転者のみ責任が課せられてしまうということになるのであります。
過労運転を禁止しておりますが、過労運転の禁止という言葉だけをもってして、一体その過労運転がなくなるだろうか。事故が起こった場合に、君は過労であったというふうに指摘をされるだけで、労働者の側から言いますならば、過労運転なんかしたくないのでありますから、当然の結果として、一日何キロとか、あるいは何時間とかいう規制を政令でお考えになるというようなことを、この法律審議の際にぴちっと見きわめておいていただかなければ、抽象的に過労運転を運転者及び管理者に禁止しているだけではだめじゃないかというふうに考えます。
それから、車両の不備を両罰規定によって運転者及び管理者を指摘をして制限をしている。責任もかけておるのでありますが、運転者の側からいたしますならば、この車に乗務しなさいと言われれば、おそらくそれに従わざるを得ない結果になるかと思うのです。一たんある種の事故が起きた場合には、それが不整備な状態にある車両を運転した運転者の責任だというわけで、これまた罰則にかかるのであります。車両整備ということに対して、いま少し具体的な指示が法律の中に記されない限り、運転者の勤務、就労ということに対しての保障がないということになるのではないかと思うのであります。
それから六条、七条、七十七条などの規定でありますが、法案準備の際には、混雑が予想される場合には、その道路を使用することの制限をすることができるような規定がありましたけれども、すでに出された法案は、それが緩和されておるのでありまするが、なおかつ十一条及び六条、七条、七十七条などを見てみますと、たとえば、混雑があるということのために、たとえば、当然の権利であるデモなどがとんでもないところへ持っていかれざるを得ない。自分たちが思っているところは全然使えなくて、とんでもないところへ持っていかれるとか、事実上はデモの価値がなくなるようなことがある。これは、道路交通取り締まりという、あるいは交通の安全という観点から、正当な権利を制限する結果になるとすれば、おそらく立案者としては私は違うだろうと思うのでありますけれども、今の法律からだけ見ますと、なおそういう正当な権利を押えつけるというようなことにまで使われる可能性があるのではないかというふうに考えるのであります。
それから、道路の不法占拠を禁止しておるのでありますけれども、たとえば、駐車の禁止以外に、露店商及び路面における道路を相当大幅に使っておって、それが道路が狭隘になる。ひいては因果関係として事故が起こる場合といえども、動力車を持っておるものは、当然の結果としてこれが処罰を受けざるを得ない。均衡を失しているのじゃないか。この点については、もっと立ち入って整備をしていただかなければならぬのではないか、こういうふうに思うのであります。
もう一つ、罰の量刑の問題、たとえば定員をこえて乗車をさせたような場合、かつての取締法では三千円以下の罰金でありますけれども、今度は三万円以下の罰金、十倍であります。この東京都心地などにおける混雑の状態の中で、バスの乗務員などが、定員を一人でもこえておったら、厳格にいわれれば三万円以下の罰金を取られる。毎日取られることにならざるを得ないのであります。先ほども申し上げましたように、非常な法律の国民への強制ということがなされていない限り、運転者やあるいは乗務員というものはたまったものではないということが言えると思うのでありますけれども、そこらについても、具体的なことが法律の中では——法律では定員以上に乗せてはいけないということを求めておられますけれども、乗らないこと、乗せないことについてどうして保障を受けてくれないのか。それでは、運転者はとてもたまったものではないのでありますから、そこらも過酷な責任の最たるものが出るのであります。
私は、非常に悪口ばかり並べたのでありますけれども、この法律が意図されていることが、交通の安全、混雑の緩和、そうして輸送秩序の維持ということでありまするから、今日の社会情勢として、当然の結果としてそういうことを求められるような立法措置がなされることには、根本的に反対をいたしません。しかし、道路交通法だけをとらまえて今これをやられるということは、各般の法律によって全体の、先ほど申し上げた三つの目的を維持することができるはずなのでありますのにかかわらず、これだけが今先行されて、他の方が放置されれば、必らずこれは、必然的な結果として、かご抜けになって実行不可能になる。さもなければ、特定のものに非常に大きな責任が課せられるということになって、実情に実際合わないことになってしまうのでありまするから、ここで今この法案を通されるという意図はよくわかるのでありますけれども、願わくは踏切の立体交差あるいは高架道路あるいは道路の整備拡充、道路の保全に対する、あるいは車両と道路の均衡に関する、つまり道路交通関係諸法規全般にわたって検討を加えられた上で手を打たれない限り、実行ができない法律になるのじゃないか。でありますから、ぜひ今申し上げたような点について十分な検討を加えられまして、実行できる交通の安全、混雑の緩和、そうしてスピーディーな輸送ができるようになりますように願いたいと思うのであります。
最後に付け加えますが、罰金が、今日の物価指数に比べれば高くないはずであるということを盛んに立法当局者はいろいろな機会に述べておられるようでありますけれども、罰そのものから見まするならば、他の刑罰との均衡を見れば、この法律だけの罰が物価指数に比べて何も高くないじゃないかというふうに言われるのは、少し無理な言い方じゃないか。もっと守れる法律を作って、その守れる法律が守れなかったならば罰が課せられる。守れるための行政指導がなされるようになって、そうして守らなかったならば罰が課せられるということになりませんと、罰というものは、つまり罪というものは消えないということになるのじゃないかと思うのであります。均衡を失しておること、この法律による罰だけを他の物価指数に比較をして高くないというふうにいばられることは、少し筋がはずれていること、守れる法律を作ってもらいたいということを申し上げたいのであります。従って、立法されようという趣旨は、私は賛成をするのでありますが、これだけでは、日本の今日の交通事情を円満に統制することはできないのではないかと思うのでありまするから、以上の観点から、議会では、ぜひ国民が守れるような法律を作っていただきたい。守れる法律によって安全が確保できるような法律を作っていただきたい。将来の交通事情を見通して立法化していただきたいということを申し上げたいのであります。
以上であります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/103414720X00719600308/5
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006・新谷寅三郎
○委員長(新谷寅三郎君) ありがとうございました。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/103414720X00719600308/6
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007・新谷寅三郎
○委員長(新谷寅三郎君) 次に、大井参考人にお願いいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/103414720X00719600308/7
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008・大井秀雄
○参考人(大井秀雄君) 私は、全労系の労働組合に所属する者でございまして、大阪におけるタクシー、トラック、バス等の組合員約六千人ばかりより、毎日のように私のところへ、日常の街頭における警察官とのいろいろな事件その他を、一日平均しまして四、五件ずつ持ち込まれておるものでございます。同時に、全交運同盟の執行部を担当いたしておるのでありますが、そういう観点から、道路交通取締法、道路運送法あるいは車両法、こういうような一連の交通関係の法律に関しましては、組合員の生活に直結をする問題として、重大な関心を寄せておるわけでございますが、今回この取締法が新しく交通法という名前のもとに改正をされるということにつきましては、その法律の提案の理由あるいは立法の趣旨、こういうものから、そのうたわれておる目的が、従来のような取り締まりを目的とすることではなくして、交通の円滑あるいは安全確保のために、その基本法として、交通法という名称に改正をするということにつきましては、これは原則的に、結論を申し上げますならば、賛成をするものでございます。特に私は、そういうような関係から、原則的に賛成をすると申し上げましたことは、少なくとも道路を通行する場合に、その道路を使用される国民がその義務と交通秩序に対する観念というものを平等に負って、その責任もまた平等に負担されるということでないと、円滑なる交通の安全を期し得られない、かように考えるのでありますが、本法案全体を通じてながめてみました場合に、きわめて運転者だけにその責任と義務をあまりにも強くかぶせられ、むしろ歩行者は保護するということは、これはもちろん、保護しなければならぬことは当然ではございますけれども、一つの道路を利用する場合に、その利用者である歩行者も車両も、すべて平等な義務と責任を負うというような考え方のもとにこの法律をお考え願いたい、かように思うのであります。
その意味から、私は、特にこの第六条、七条、八条ないしは十一条、こういうような点につきまして若干意見を申し上げますならば、特に大阪でも、一部の労働組合が、この法律はデモを規制する、労働運動を弾圧するようなものに結びつく、あるいは警職法の生まれかわりである、こういうような意見を耳にしたのであります。ただし私は、その場合に、特に労働組合の立場に立って、デモというものを考えました場合に、その組合の決定をしたスローガンあるいは決議というものを公衆に対してアッピールするというのが目的であって、最近のある一部の姿を見ましても、蛇行をして交通を遮断し、大衆に迷惑をかけるような、そういうデモにつきましては、やはり交通の安全と円滑化をはかるためには、ある程度の現場の警察官に交通秩序に対する責任感というものを持たす必要があるのじゃなかろうかと思うのであります。そのこと自体が、少なくとも日本の労働組合を将来健全に発展をせしめる大きないしずえになるのじゃないか、かように思うものでございます。
なおまた、特に私はこの法律に原則として賛成だと申し上げましたことは、両罰規定が採用されているということであります。この法律の特に特徴とするところは、この規定の採用ではなかろうかと思うのであります。しかし、なるほどこの両罰規定の採用は、従来はなかったのでございますが、これが採用されまして、雇用主をも処罰の対象とする、いわゆる運転者のみならず、交通事故の因果関係を追及して、雇用主の労務管理にまで及ぼすということにつきましては、きわめて画期的な考え方であろうと思うのであります。この点につきましても、後ほど若干意見を申し述べてみたいと思うのであります。そういうような観点において、この法律に原則的に私は賛成をいたしたものでございます。私は、そういうような考え方のもとに、この法律に対して特に重大なる関心を持っているわけでございますが、それなるがゆえに、なおその内容において若干矛盾する点、あるいはもう少し考えていただきたい点、あるいは理解に苦しむ条文等があるわけでございまして、この点を一、二意見を申し上げさせていただきたいと思うのであります。
それは、まず第一に、この両罰規定の内容でございますが、たとえば、なるほどこの両罰規定も、先ほど申し上げましたような意味で、きわめていいことだろうと思いますけれども、それが七十四条と七十五条と、二条項にわたって、いわゆる雇用主に対する禁止事項というものがきめられております。ただし、その場合に、七十五条のみを処罰する、七十四条については、第八章の罰則の項で処罰をされていないのであります。そういたしますと、少なくとも私は、この一番肝心な七十四条が処罰の対象にされていないということは、これはきわめてしり抜けの両罰規定の採用ではなかろうかと思うのであります。そこで、特に私は、これを第八章の罰則の条項で、これとのかね合いで考えてみたいのでございますが、いわゆるこの罰則の項では、第百十八条で、スピードあるいは酔っぱらい運転あるいは無免許運転、こういう三つの問題について、第百十八条は処罰をされているのであります。そういたしますと、この百十八条というのは、禁止事項に対する処罰の非常にウエートの重い項目になって、百十九条以下に、微細な処罰に対しての罰金の金額等が掲げられておりますけれども、比較的これは、百十八条の処罰は、運転者にとっても非常に大きな処罰になっておるわけでございますが、そこで、無免許運転とか、あるいは酔っぱらい運転というような、こういうきわめて悪質な行為に対しての処罰と同列に、この制限時速違反というものを処罰されておる。これほどスピードというものに対して非常に重大視されておるならば、両罰規定の方での、スピードを強要するような運転の仕方をさしてはならぬという七十四条の雇用者に対する禁止事項に対して、これを処罰の対象にしないというのは、一体どういう意味であるかということについて、理解に苦しむのであります。
さらに、この両罰規定の中に、先ほど野々山参考人が申されましたごとく、少なくともトラックの積載違反、あるいはバス、タクシー等の定員超過、この二つの問題については、これは、運転者に対しては禁止事項として入っております。また、それに対して違反した場合には、処罰の対象にもなっております。しかしながら、これを少なくとも雇用主に対するところの処罰の対象の中に入れられていないということについては、これも非常に残念に思うのであります。それは、いわゆるトラックにいたしましても、東海道その他において看貫を設けて、その積載の超過の違反を摘発をし、それの罰金を運転者にかけておるのが現状でございます。ただし、その場合に、これを運転者が拒否しても、客に対して雇用主がそれを断わると、荷主が逃げてしまうというようなところから、無理やりに運転者にこれを積まして走らすのが、トラック界の現在の実情であります。これもわれわれは、少なくとも、そういうようなせっかく両罰規定を採用されたのでありますから、その問題を、客の逃げることをおそれて運転手に対して無理に積ますようなこういうやり方、これに対しては、やはり一つ処罰の中に含めていただきたいと、かように思うのであります。
それから、処罰の項の点でございますが、罰金が十倍になっておるということについても、三日の地方行政委員会で、石原国務大臣が、質問に対して、他の法律とこれでやっと肩を並べることができるようになったというような御答弁をされておることを私は聞いておるのでございますが、この点についても、先ほどから各参考人の方々がおっしゃっておられますが、非常に、その罰金の金額について、われわれは、その大幅な引き上げに対して非常に疑問を持っておるのでございますが、特に金額そのものに対して、私はそれのみに疑問を抱いておるのではございません。現在お考えをいただきたいと思います点は、運転者が一つの事件、あるいは違反をした場合に、それは二つの処罰をこの法律の中から受けなければならぬということになって参るのであります。それは、いわゆる事件に対して、司法罰でこの罰金の金額を課せられ、さらにまた、行政処置として、公安委員会が運転免許の停止期間というものを設定されるわけであります。その場合に、運転免許証をもって生活をいたしておりますわれわれ職業運転者というものは、運転停止期間というものは、即賃金に、生活費にそのまま影響してくるのであります。そういたしますと、一つの事件によって、罰金の金額というものが決定をされ、同時に、それを払うために働かなければならないのにもかかわらず、運転停止期間を設定されて、一カ月ないしニカ月というような期間、賃金がもらえなくなる。働けなくなる。そういたしますと、その期間をやっと過ぎて、やっと乗車できるようになりますならば、乗車してから、その間の生活費の補てんと罰金と、両方の負担によって、あせりを感じて街頭を走らなきゃならぬというのが、現在の運転手の実態であります。
そこで、同時にまた、それだけではなくして、たとえば、大阪においても、現在交通即決裁判所というのがございますが、なるほど裁判のスピード化を促進させるために、即決裁判所の制度を設けられて、そこで取り扱うスピーディーな裁判のあり方については、われわれも敬服するほどのスピード化を持っておられるのであります。それは、昨年度一年間の大阪における即決裁判所が取り扱いました交通事件の件数と、そこに勤務されておる裁判官の人数を事件数で割ってみました場合には、一件について一裁判官が処理する所要時間は、三十秒ないし四十秒間で一件を処理しておるのであります。そういたしますと、いかにこの数字を見ましても、その裁判の過程においては、運転者の意見というものは全く聞き入れられておらないのが実情でございます。これは、数字をもって明らかに出てくるものでございますから、よく一つお考えをいただきたいと思うのであります。そこで、そういうような数字のもとから見ましても、裁判そのものに対しては、運転者の意向というものが全く聞かれておらないというのが実情でございまして、同時に、そういうような形において即決裁判がどんどんとスピードに解決をされていっておる。そういたしますと、それに異議をはさむ、あるいは不服を、異議を申し立てて、正式裁判を仰ぐといたしますならば、その正式裁判の判決が出る前に、すでに片一方では行政処分は決定をされて、その判決を待っている間に、すでに公安委員会で免許証の停止期間というものが設定されて、それに服しなきゃならぬというのが運転者の実態であります。しかも、その裁判でもし無罪という判決が出た場合に、すでに執行された行政処分というものの取り消しはつかないのであります。すでに執行されたあとであります。そういたしますると、それに対して異議申請をするだけの余裕すらなしに、処分というものが執行されておるということになれば、これに対する一体矛盾をどう解決していただくのかということについて、われわれはきわめて疑問を持っておるのであります。従いまして、そういうような点が毎日のように起こっておるのが、現在の運転者の街頭における警察とのきわめて複雑な問題点であるわけでございます。そういう点を十分御考慮をいただきますならば、ここでその交通事故、交通違反に対するところの運転者に対する処罰の問題について、慎重なるお考えのもとに御審議をわずらわしたい、かように考えるのであります。
それから最後に、私はもう一点お願いをいたしたいと思いますことは、なるほどこの交通法が、交通の円滑と安全を確保するということを目的にされておるわけでございますが、その中で、少なくとも道路運送法あるいは車両法等の、一切の関連せる交通法関係の法律と、総合的な考え方のもとに、その目的を達成しなきゃならぬと思うのでありますが、その意味からいって、両罰規定における、いわゆる雇用主を処罰するということが、たとえば雇用主を監督するのが、道路運送法で今までは雇用主を監督行政されておったのでございますが、それがこの法律の中に取り入れられた。あるいはまた、労働条件については、労働基準法がこれを監督をするという立場にあるわけでございますが、これもこの中に入れられておるというのが内容であるといたしますならば、他面におきましては、やはり現在のこの街頭におけるトラック、タクシー、バス等の中で、この業界で共通して混乱をいたしておりますのは、白タクその他を初めとしての営業類似行為であります。この営業類似行為が、そのままそれぞれ運転者に対して直接の影響を与えておりますし、同時にまた、それが暴力と売春に結びついておるということも、これまたいなめない事実であります。タクシーの運転者が客を乗せて、売春行為の一役をかついでおるというような実態が非常に数多く、われわれも見聞をいたしておるのであります。そういうことを考えます場合に、ここにこういうような営業類似行為というものが禁止をされておるならば、これが徹底的な禁止ができるような方策というものを講じていただきたい。それに対しては、少くとも道路運送法とのかね合いにおいて両罰規定が考えられておるのでありますから、一面次のような条文を一つ挿入をしていただいたらどうかと思うのであります。それは、いわゆる運転者が営業類似行為的なことを行なう常習者であるならば、それに対しては運転免許証の停止あるいは取り消し等の処置をされるということを、これを道路運送法のかね合いの関係からお考えいただいてはどうかと考えるのであります。
もう一点は、昨年の春であったと思いますが、衆議院地方行政委員会で、交通事故防止に関する決議案というものが決定をされておることを聞いております。その場合に、その第二項の中で、路上放置の自動車というものについての徹底的な取り締まり処置を講じよう、こういうようなことがその決議案の二項に掲げられております。これを考えます場合に、現在の道路運送法では、これがどうにもならない状態になっております。そこで、その項を、私は現在大阪で、町を広く使う運動というものを、大阪の府警本部と協力して運動を展開いたしておりますが、路上放置の自動車の数はきわめて多いのであります。これが狭い道路をよけい狭くして、交通事故の原因にもなっておるかと思います。そこで、これを一つ内容に置いて、自家用の自動車を持っておる方々は、これを登録する場合に、所定のガレジ、あるいはそれが駐車、常置させるような場所を持っていなければ、この使用主は自家用を使用することができないというような内容をこの道路交通法の中に取り入れるか、あるいはまた、それが困難であるならば、一つこの委員会の審議の中から、運輸委員会の方にも御意見をお出ししていただきたい、かように考える次第であります。
もっと申し上げたいことが非常にたくさんあるわけでございますが、時間もございませんので、以上でもって、私の参考人としての意見を終わらせていただきます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/103414720X00719600308/8
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009・新谷寅三郎
○委員長(新谷寅三郎君) ありがとうございました。
—————————————発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/103414720X00719600308/9
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010・新谷寅三郎
○委員長(新谷寅三郎君) 次に、石山参考人からお願いいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/103414720X00719600308/10
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011・石山四郎
○参考人(石山四郎君) 私は、経済雑誌の雑誌記者であります。結論を先に申し上げますと、この法案に賛成です。そうして私があとでお願いします二つがもしお考えいただければ、私は大賛成をするものであります。
なぜこの法案に賛成かと申しますと、私は、今のままにほうっておきますと、東京及び日本の大きな都市の交通状態というものが完全に麻痺状態になると思います。なぜそういうことが言えるかといいますと、自動車は非常に激増するということです。私の商売柄、国民所得と自動車の生産というのをしょっちゅう調べておりますが、それでやりますと、大体今の日本の現状は、七年前のイタリーにそっくりです。大体七年前のイタリーが今の日本の状態です。これを平たくいえば、七年たてば、大体今のイタリーくらいに日本の自動車がふえるというふうに考えるわけです。もっとも日本は相当工業の発展力が早いですから、私は七年かからないと思う。大体五年くらいでいいだろうと思います。五年たって、今のイタリーくらいになると、どうなるかと申しますと、乗用車だけで申しますと、イタリーでは三十七万台の自動車があります。そのうちの輸出が大体四割くらいでございますから、国内に流れておる自動車は二十五万台くらいに考えておりますが、日本でも、今から大体五年たつと、二十五万台の自動車が流れるのではないか、こういうふうに考えております。現在の日本の自動車の生産量は、乗用車が七万五千台、これに比べると約四倍になる。五年間で、乗用車だけを考えても四倍になると思います。これは相当の数字でして、これだけの車が東京初め六大都市を走ったら、完全に今のままでは交通は麻痺状態になると思います。これに対して、先ほど野々山さんのおっしゃったような、道路関係の整備ということもございますけれども、これは、すぐにはできない。今から立法されても、おそらく実効があがるのは三年かそこら先だろうと思います。そうすると、いっそのこと、こんなに道路が悪いのでは、そう自動車を作っては困るから、自動車を制限したらどうかと考えられますが、私は、これは無理だろうと思います。なぜかというと、今の日本の自動車工業を貿易自由化の力から守るには、量産をさせる以外にないと思います。今、日本の自動車で、一番多く作っているのが、月産大体二千七百台、その次が約二千二百台、大体月産五千台作らないと外国に負けます。そうしてそういうような車が四車種ぐらいは日本に存在すると私は推定しています。そうしますと、大体月産五千台、つまり年産六万台の車が、四車種で二十四万台になりますから、大体そのくらいのものはいくのではないか。もしこれをやりませんと、日本の自動車工業というものは、完全に外車に圧倒されてしまう。今、日本の自動車工業に従事している従業員は、直接、間接を入れると、四百万人以上いると言われておりますが、この連中の生活安定を欠くようなことになります。
以上、話が長いのでありますが、要するに、大体四年間に四倍ぐらいの乗用車が走るようになって、これはどうしても避けられない。これを押えれば、四百万人の自動車工業の従業員をすべて危機に陥れる。こういうふうに考える。そうしますと、道路環境の整備ということが一番私はいいことで、先ほど野々山さんのおっしゃったように、全くその通りだと思いますけれども、これはそう簡単にいかない。ここに大体イタリーの自動車道の図を持って参りましたが、これを見ますと、相当皆さんが御尽力いただけば、数年たてばこういうことになるかもしれませんけれども、日本がこれをやっても、大体三年ぐらいにはこうなるとは考えられません。五年、六年先にはなるかもしれませんが、今はちょっとこういうふうになるとは考えられません。そうすると、やはり現在においては、今の道路の環境をややよくした程度で、三年間に二倍ないし三倍の自動車を消化しなければならぬ。こういうことを考えなければならぬ時代に今あるのではないかと思います。
そうすると、一体そういうことが可能かということですが、これは私の主観でして、あまり詳しい数字は持っておりませんけれども、私がアメリカと欧州を——アメリカは五年前、欧州はこの冬走っておりますが、各一万キロずつ走りました経験では、欧州のあらゆる都市において、おそらく数は日本の自動車の数よりも多いと思います。これは、はっきりはかったわけではないのですが、大体多いと思います。しかし、走ってみますと、日本よりも非常に走りいい。車はよく動きます。これはなぜかと申しますと、やはり今の日本の交通がめちゃくちゃだ。簡単にはそういうことになる。欧州と日本と、どういう点が違うかというと、これを大体個条書きにしますと、まず、欧州の自動車交通の状況は、日本よりずっと円滑です。スムーズです。非常に円滑に走れるようになっています。その次は、人命が尊重されています。これは、自動車のみならず、歩行者に対しても。われわれも、もし自動車が激増した場合には、人命の尊重ということが大事でして私ども外国で勉強しましたときに、第一回にたたき込まれたことは、通行人は道路を歩く権利を有する。これを頭からたたき込まれた。こういうことが言われておりまして、円滑にすること、人命を尊重すること、それから、日本に比べて、道路が道路らしく使われております。道路がガレジになっているということは非常に少ない。道路が自動車の修理屋さんの工場になったり、ガレジになっていたりということが非常に少な。それからもう一つは、警官が非常によく世話をやいてくれます。さっき桶谷さんがおっしゃったように、指導をするとか、しかるとかいうことよりも、非常によく世話をやいてくれるような気がします。それから、道路標識が非常にいいです。それからもう一つは、日本のようなめちゃくちゃな、神風運転が絶対にありません。こういうようなことを、野々山さんは相当悲観的にさっきおっしゃいましたけれども、私は、まだ改善の余地がある、相当悲観的な要素はありますけれども、まだ何とかなる。先ほど申しましたように、スムーズにする、人命を尊重する、道路を道路らしく使う、警官がもっとよく世話をやく、標識をよくする、めちゃめちゃな運転をしないようにする、こういうようなことをやるには、現在の道路交通取締法というのは、私はなっていないと思います。第一条を見ますと、道路の安全ということが書いてありますけれども、円滑ということは、古い道路取締法には書いてありませんが、道路を安全にさえ運転すれば、安全にすれば、いいのだ、円滑にするとは書いてありません。安全にするだけなら、何もあんな長い条文は要りません。自動車の運行を全部禁止してしまえば安全になってしまう。円滑にすることが必要だから、ああいう長い条文が要るのであって、安全にするだけだったら、あんな古い取締法をたくさん作る必要はない。自動車全部通行を禁止すれば、一ぺんに安全になってしまう。そういう意味では、たとえば、古い法律は、円滑ということを欠いている点から、新法律よりも悪いものでございます。また、人命を尊重する、道路を道路らしく使う、警官がよく世話をやく、標識がいい、めちゃめちゃに運転をしなくなるという点では、この法律は、古い法律に比して相当進歩していると思います。完璧かと言われますと、これはわかりません。私は法律の専門家じゃありませんから、完璧かどうかということはわかりませんけれども、大体まあ少なくとも古い法律よりも進歩して、国際水準に近いものだという、そういう気がします。そういう意味で、私はこの法案に賛成するのです。
ただ、無条件に賛成するものじゃなくて二つほど要求することがございます。それは、おまわりさんがこれによって相当権限が強化されると思います。これは、現在の場合においてもっと道路の交通をよくするためには、私はやむを得ない措置だと思いますけれども、この場合に、警察官のモラルの向上というのでしょうか、そういうようなことをお願いしたいと思います。私は雑誌記者ですから、反骨精神が旺盛でして、おまわりさんは大きらいです。この大きらいなおまわりさんの権限が強化されるということは、私にとっては非常に神経過敏なんですが、しかし、このくらい神経過敏な私にしてみても、やはりこの程度の権限強化はやむを得ない。しかしながら、そのためには、交通に携わる警察官というものがもっと交通の実態を知ってほしい。少なくとも自動車の免許証くらいは持っている警察官が取り締まってもらいたいと思います。今の警察官は、よく知りませんけれども、あまりお持ちになっていないようです。これは、ちょうど水泳を知らない、泳げない人が水泳を指導しているようなものです。こんなばかな話はないと思うのです。ですから、そんな中に、まず第一歩として、交通取り締まりの警察官が少なくとも自動車の免許を持つ、あるいは、それと同じくらいの程度の経験と識見を持つようなことを規制していただきたいと思います。そうしないと、われわれしょっちゅういじめられます。先ほどこちらのお二方の参考人がおっしゃったように、全くずいぶんいじめられるのですが、その点、権限強化というのは、必ず警察官というもののモラルの向上、識見の向上をお願いしたいと思うのです。
もう一つは、この条文が長ったらしくてわかりにくいと思います。これは、法律というのはそういうものだそうで、わかりよく書くものじゃないのだそうですが、それにしても、わかりにくいと思います。人殺しとかどろぼうとかいうことは、法律を知らなくても、私どもそんなに簡単に人などを殺せるものじゃない。これははっきり申し上げます。しかし、交通法規というものは、知らないと人を殺します。この点が普通の法律と違うと思うのです。普通の法律は、知らなくても人殺しはしませんけれども、交通法規は、知らないと人殺しをするものです。それがこんな長ったらしいわかりにくい条文だったら、これを読んでいる間に大てい車はぶつかってしまいます。そういう点で、法律は、これはやむを得ませんけれども、われわれ運転者にわかりやすいガイド・ブックというのでしょうか、そういうものを作っていただきたいと思います。実際この法律を頭の中に全部入れて運転したら、たちまちぶつかると思います。その点で、警察官のモラルの向上及び免許証を持つ、それから、これに付随して、もっとわかりやすい、運転者に必要な、法律はめんどうくさくてもいいですから、わかりやすい解説書をつけていただきたい。難解なところをもっとわかりやすくしていただきたい。この二つをお願いできるならば、私はこの法案に大賛成いたします。この二つがお願いできないならば、大体賛成いたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/103414720X00719600308/11
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012・新谷寅三郎
○委員長(新谷寅三郎君) ありがとうございました。
—————————————発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/103414720X00719600308/12
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013・新谷寅三郎
○委員長(新谷寅三郎君) 最後に、豊原参考人にお願いいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/103414720X00719600308/13
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014・豊原恒男
○参考人(豊原恒男君) 私は、今までの参考人の方々と違いまして、心理学という学問から、長らく交通問題を研究してきたものでございますが、今までの皆さん方の御意見で、私の言いたいことはだいぶ出てしまいまして、そう違ったことも申し上げるわけじゃございませんが、特に心理学の見地から少し付け加えて申し上げたいと思います。
まず、このたびの道路交通法は、私は、長所としては、たしかに従来交通事故の原因とか交通の円滑化を欠くためのいろいろな原因を分析なさって、それを何とか法律にしたいという努力を非常になさって作られたものだということは、拝見しまして感じて、そこは一つの進歩であり、長所であると思うのでありますが、先ほどからたびたびいろいろな方の御意見に出ましたように、この法律だけでそういうことができるかということになりますと、これはもう非常に不可能なことじゃないか。特に私が最近、ここ数年間感じておりますのは、安全教育が全然日本ではなっていないということでございまして、これは、外国をごらんになった方はすぐおわかりだと思いますが、安全教育が実に徹底して、それとともに、ほかのこういう問題が進められていくということでございます。それで、日本の場合には、多少教科書などに載っておりますけれども、全然安全関心というものを高めるような、そういう意識も非常に学校教育において乏しいと思うのでありまして、これは、こういう法案がどういう形で、通るか通らないか知りませんけれども、こういうのをやっていく以上、片一方に安全教育というものを小さいときからやっておかないと、とてもこれはどうにもならぬ問題じゃないかというふうに私は感じておりますので、それをまず冒頭に申し上げたいのでございます。
それからもう一つは、こういう法案に伴って、やはりこれが生きたものになるか死んだものになるかということは、こういう日本のような狭い国で、だんだん道路状態が悪くなって参りますときに、やたらに道路を作るということは不可能でございますので、人間の行動に合ったような道路構造とか、標識の構造とか、こういうものをもっと改善する努力というものが片一方にないと、こういう法案を折角作っても、それが生きないのじゃないかというふうに思います。近ごろ皆さん方もところどころでお聞きになるかもしれませんが、人間工学という言葉がございますが、これは、人間の持っております医学的、心理学的な特徴を考えて、そうして道路の改善とか、標識の改善とか、車の改善とか、そういうものへ進んでいく研究がだいぶよその国では行なわれておるのでありますが、日本では、技術屋さんがただそういうことをやり、医者は医者で勝手なことをやっておる。心理学者は心理学者で勝手なことをやっておる。こういうふうな、ばらばらにいろいろなことが考えられておりまして、これが統一された一つの横の連絡を持って進められるということが非常に日本では少ないのであります。それで、こういう問題をやはり片一方にどこかで音頭をとっていただいて進めないと、こういう法案も、折角いいアイディアはあっても、実際活用できないということになるおそれがあるのではないかというふうに感じることは、先ほどから参考人のいろいろな方々の、この法案だけではなかなか期待したことが得られないのではないかというお話と私は非常に一致したことになるのじゃないかというふうに感じます。
同時に、今度法案の内容について少し感じたことを申し上げさせていただきますと、さっき申しましたように、大へん御努力なさって作ったようであるのですが、まず、どこから始めてもよろしゅうございますけれども、両罰規定というようなものが先ほどからときどきお話に出ておりますが、運転手を雇っておる人、会社の方の問題から申しますと、これは、私もいろいろ労務管理状態を調べてみたのでございますが、たしかにこれで規定しなければならないような、そういうことが事実存在すると私は言えると思うのですが、ほんとうにそれをどうやって取り締まるのか。労務管理状態が悪いのをどうやるのか。たとえば、タクシー運転手が二十四時間働いて——実働は八時間くらいのようでありますが、そういう場合に、そうしちゃいけないと言っても、現実にそれは、運転者もそれではお金がもらえないので困る、経営者の方も、それはだめなんだ、こう言ってきて、そうしてこの労働の強化はいけないという法律を作っても、そういった、実際どういうふうに行なわれていくのだろうかということが、私どもから考えますというと、わからないことでございまして、特に過労というふうな言葉がこのごろ使われておりますが、過労というふうな言葉を学問的に判断しようということは、これは非常にむずかしいことで、御存じのように、疲労の研究というものは、百年以上医学も心理学もやっておることでございますが、その疲労測定というものは、そう簡単なものではないのでございまして、お酒を飲んでいるときの分量をはかるみたいな、そんな簡単にいくことではないのでございまして、過労しているかどうかという基準というものは、どうやって一体きめるのだろうというふうなことが、私どもから言いますと、ずいぶん理想は確かにいいのでありますが、過労して運転しちゃいけないということは確かなんでございますが、それを一体どうやって発見するかという問題は、どういうふうにお考えになって、こういうふうな文章、取り締まりが出てきたんだろうかと……。ただ精神をうたったのであれば賛成でございますけれども、実際にどうするのだろうかという問題、まあそういうふうな、一つ先ほどお話の中の例を申しますとございますが、なおそういう例は、この問題の中に、この運転免許の問題に関しまして、適性検査をやるということがあがっておりますが、これも、適性検査はまあ私どもの商売柄のことでございますので、けっこうなことだと思うのでありますが、一体この適性検査をだれがやるのだろうか。皆様方御存じないかと思いますから申し上げますが、いろいろな運転適性の中で、近年の私どもの学会での発表の中で重要な事項は、昔のような、動作が機敏だとか、目がよく見えるとか、そういう問題よりも、性格に重要な問題があるということが発見されておるのであります。それで、適性といいましても、この重点は性格にあるのでございまして、この運転手の性格というものをいかにしてしろうとが発見するかという問題なんでございますが、これを普通の方がやられるということは、非常に危険な問題でありまして、こういうことをやる以上は、警察官でありますか、そういう担当の方を十分に訓練して、そしてその人の性格をそう見誤ったりなんかしないようにしていただかないと、かえって弊害はあっても利益はないということを、私は大へん学問的に心配するのでございまして、普通まあ国鉄とか防衛庁とかいうところでは、そういう適性検査などをやる場合には、担当官を十分に数カ月訓練いたしまして、そして各所に配置してやるわけでございますが、そういうふうな点などを十分配慮していただいてやらないと、逆に私どもがまた迷惑をこうむることになりまして、適性検査などをやったけれどもだめだったとか、いろいろなことが出てくるので、この点は、やるならよくお考えになってやっていただきたいということでございます。
それから、運転免許に関しまして、年令の問題がございますが、普通免許を十六才まで下げようかというふうなことがあるのでございますが、私は、この日本の現状から見ましても、引き下げることは不賛成でありまして、高い方がいいと思います。もちろん、個人個人を考えますと、若い人でも完全な運転をなさる人もあるし、年寄りでもあぶない運転をなさる人はありまして、一がいに言えないことでありますが、ティーン・エージャーの青年心理学的な考察からいいますと、これは当然不安定なことを考えなくちゃいけませんが、現状、オート三輪とかオートバイとか、ああいうものを走らせている年令の方の中には、ティーン・エージャーが非常に多いということです。それで、ティーン・エージャーがすべて私はいかぬとは言いませんけれども、ティーン・エージャーというものの一般的な特質から同じ問題を考えますと、私は、もし失業問題その他の問題がないのであれば、年令はあまり下げない方が、運転などをやる人にはいいんじゃないかというふうに考えておるわけで、現に昨年一年間アメリカで見ておりまして、アメリカでは、現在ティーン・エージャーの事故が、やはり日本と同じように、非常に多いのであります。そうしてこれの対策について、警察関係、学校関係その他社会団体も、ティーン・エージャーの自動車事故をどうかして防ごう、このままふえていったらえらいことになるということで、アメリカ自身が非常に悩んでおることでございまして、その際に、日本が年令を下げるということは、ちょっとどうかというふうに私は感じております。
それから、標識の問題なんかに連関する問題でありますが、この法規の中には、何か交通安全を妨害するような意味のいろいろな工作物を設けるといけないというようなことを書いた条項がございますが、広告という場合は、この中でどういう扱いになるのか、私よくわからないのです。二、三回読んでみたのですが、広告がどういうふうに扱われるのかということはよくわからないのですが、日本の広告は、標識のうしろにたくさんバックになって存在していることは事実でございまして、そういう点から、重要な標識が往々にして見にくいということが非常にございますので、できるならば、ある重要な標識のバックになる一区域だけは、何かそういうことをもう少し取り締まることができないのだろうかというふうなことを感じるのでございまして、その点、標識自体を改善しても、標識そのものが見えるか見えないかということはバックとの関係でございますので、そういう点を取り締まる問題を考えませんと、ただ標識だけを見やすくするとか、そういうようなことをやっても、一向効果があがらないということになるわけでございます。もちろん、日本の標識というのは、外国に比べますと非常に作りにくい。文字の関係で非常に困難な問題を知覚心理学的に含んでおるのでありまして、日本は、その点、標識問題では非常に不利な国だということを私は感じております。ただ、できるだけ文字をもっと記号化していくという方向に努力していきますと、今後はもう少し見やすいものが作れるだろうという感じを持っております。そういうような標識問題でいろいろと改善すべきことがあるんじゃないかというふうに、まあこの法規と少しはずれますけれども、感じておる次第でございます。
それから最後に、交通の流れの円滑化という問題でございます。これは、私確かにアメリカで学んだことでございますが、法規とか、それから、最初に私が申しました、安全教育みたいなような意味のもので、精神的に人に守らせようということが日本の考え方の中に強いように思うのでありますが、アメリカの方では、人間というものはそもそもこういうものだという一つの前提を頭から是認しまして、そういう人間なんだから、そういう人間が違反しないで済むように、記号とか何かできめよう、こういう考え方が強いように思うのであります。たとえて申しますと、交差点で、日本の場合ですが、自動車がストップしているときに、前の信号が青になって出ていくようなのろまな自動車はない。表右を見て、直角にある方の信号を見て、青にならなくても自分の車を走らす、横を見て走る、こういう交差点が多いわけでありますが、これをいけないいけないといっても、見えるのですからそういうことをやる。ですから、アメリカではカバーをしちゃっている。電燈に筒をつけてしまいますから、横から見ても見えない、前からしか見えない。人間にこうしちゃいけない、こうしちゃいけないと言うよりも、見えないようにしてしまうから仕方がないのです。そういうふうにして違反をやらないようにする。交差点にある信号が四つとも全部赤のストップ信号になる場合がある。その場合には、中をどう歩いてもいいわけです。人間が対角線の方向に行こうとするときに、今の日本では、一ぺんにこう行っちゃいけない。こう行ってああ行く、二度ストップをくわなければならない。最後にいらいらしてくる。それで、守ろうと思っても守れなくなる。人間を待たせておいて、いらいらするなと言っても、無理な話であります。待たせないで一気に行く方法を考えれば、そこに事故もなくなるし、危険もなくなる。アメリカほどのまねをしなくてもいいんですが、あまりこうしちゃいけない、ああしちゃいけないということばかり考えていて、いろいろ進歩させるべきことを考えないということは、少し残念じゃないかというふうに思っておりまして、そういう意味で、標識などの作り方とか与え方というふうなものを改善していくことによって、この法律というものはもう少し楽に運営できるのではないかというふうな感じがいたすわけであります。
それから、先ほど第一の参考人の方が、運転免許は相当きびしいということで、どうかという御意見もあったように承ったのでありますが、私は、ほんとうは、運転免許は、やっぱり外国みたいに簡単な方が望ましいと思うのでありますが、先ほどから申し上げておりますように、安全教育の徹底していない国、しかも道路とかその他の条件の悪い国、こういう国々においては、残念ながら運転免許はやはりある程度きつくしていくほかはない、そういうほかの面がよくなってきた場合には、運転免許の問題もルーズにしてもいいと申しますか、少しゆるやかにしてもいいじゃないか、しかし、現状においては、私はあまりゆるめない方がいいじゃないかというふうに考えております。で、先ほどの参考人の方は、そういうことによって一体事故が防げるかどうかという疑問を提出なさいましたが、大体事故というものは、一つの原因によって起こるということはまれでございまして、ただ、われわれは主要な原因だけを取り上げまして、こういう原因だと言っているだけで、副原因がたくさんございまして、それと合わさって一つの事故になる。これがもう事故の大体本質的な構造でございますので、やはりシラミつぶしに一つ一つあぶないものは押えていくという精神を持たないと、私は事故というものは減らないじゃないかというふうに考えておりますので、目下、人に意地悪く免許状をきつくするということはよくないことですけれども、ほかに進んだ方法がない現状では、やはりある程度きつくしていかざるを得ないじゃないかというふうにまあ考えるわけで、本来きつくしろということに賛成ではないけれども、現状ではやむを得ない。従って、この法規である程度きつくなっていることも、現状ではやむを得ないではないか、こういうふうに感じております。と同時に、罰則の方の問題も、少しゆるやかにした方がいいじゃないかというような面も私は感じておりますけれども、現状では、少なくともこの程度の罰則は私はいいじゃないか。ただこの罰則で直る、よくなるというふうに考えることがどれくらいできるかということはやはり問題で、やはり安全教育というものを根本的に与えておいた上で、罰則ということがあることによって意味があるのであって、何も教えておかないでおいて、罰則というものだけを作っても、これは片手落ちだという感じが私はいたすのでありますが、まあ時間もあれですから、一応私の体験して感じましたことを、これだけ申し上げておきます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/103414720X00719600308/14
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015・新谷寅三郎
○委員長(新谷寅三郎君) ありがとうござました。
—————————————発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/103414720X00719600308/15
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016・新谷寅三郎
○委員長(新谷寅三郎君) 以上をもちまして、参考人の方々の御意見の御開陳は一応終わったのでありますが、これに対し御質疑のある方は、順次御発言を願います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/103414720X00719600308/16
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017・松永忠二
○松永忠二君 今、桶谷さんからも免許の話が出たわけでありますが、少し免許について、やはり参考人の間で意見の違っている点もあるように思うんです。そこで、やはりお話のあったように、大井さんのお話のあったように、現状では、免許については、条件が整わないというようなことから、相当なきびしい規制が必要ではないか、で、そういう面から事故防止をしていくということが必要ではないかというふうに思うんです。そういう点について、桶谷さんから、今お話の出ております点についてどういうふうなお考えを持っておられるのか、なおお聞きをしたい。
それからなお、大井さんから、同じような問題でありますが、今教習所で、免許の一部を免除しているわけであります。これについては、そのために教習所について相当規制をしているわけなんですけれども、教習所で習って、それから免許については画一的な免許の取り扱いをしてもいいようにも私たち考えるのですが、ルーズに免許を与えられて、そのために事故が出てくるという面もあるので、免許については、その教習所でそういう教習をしたとしても、一括的に免許については公安委員会がこれを取り扱うということの方が、現状においては、やはり事故の発生から考えて、そういう方法がいいのではないか。その他のこの検定等について、こういう事例は他にないように私たちは思っているわけであります。やはりどういうところで勉強したところが、結果的には、その能力を検定する試験で均一に取り扱って、実力があれば免許を得るというふうなことを行なわれていいと思うのであります。特に自動車についてだけ、こういう教習所で免許の一部を与えるような特典を与えておく必要があるのかないのかという点について、どういうお考えを持っておられるのか。この点についてお聞かせいただきたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/103414720X00719600308/17
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018・桶谷繁雄
○参考人(桶谷繁雄君) 免許のむずかしくなる傾向があるのだが、それは少し逆行しておりはしないかという発言を私先ほどいたしたわけでございます。その気持は、ほかの参考人の御意見を伺いましても変わってはおりません。ただ問題は、現在のたとえば東京の道路というものをとって考えましても、私をして言わしむれば、少なくとも皆さん方の運転をする人たちのいわゆる交通エチケットというものを守る精神があるならば、現在の混乱はよほど防げるという感じを持っているわけであります。従って、そういう点から申しますと、免許をむずかしくして、十分そこにいろいろなことを試験をいたしまして、とっくりやる方がよろしいという結論になるわけであります。それで私、最後の参考人の先生のおっしゃいましたことは、しごくごもっともであると思います。従って、私としましては、少なくとも現在の日本における大都市の交通状況という点が、やがて道路その他が改善されるということを見越しまして、ベルギーのように、免許がほとんど何も要らないで、すぐ自動車が運転できるようになるということが理想でございますけれども、一応むずかしくなる形になりますこともやむを得ないことかとも思っているわけでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/103414720X00719600308/18
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019・大井秀雄
○参考人(大井秀雄君) 免許のことについては、大体……。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/103414720X00719600308/19
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020・松永忠二
○松永忠二君 ちょっとどうもあれでした。豊原さんからちょっとお話を。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/103414720X00719600308/20
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021・豊原恒男
○参考人(豊原恒男君) 今の第一の参考人の方から、大体同じような御意見になったように思うのでございますが、今のお尋ねの自動車の練習所でございますが、あれの問題は、そこの教官がちゃんとした方であれば、私は与えてもいいではないかと思うんですが、ただ、今ちょっとここに出ましたように、単にその技術を教えるとか、法律知識を教えるとかというのじゃなくて、やはり現状では、学校では安全教育をやらないのですから、安全教育の面をもう少し教官自身が与えるという気持になり、そういう職務なんだというふうに、少し強くそういう点を意識していただくようにすることが大事だと思うのでございますが、ただ事実を教えればいいのだという考え方で、練習場で教えておるというのでは困ると思うのですが、そうでない限りは一応、ああいう方の任命の仕方はどういうふうになっているのか、私よく知らないのですけれども、教官としての十分技術量と知識と経験を持っておられる方が皆さんああいう所におられるとすれば、あとは安全教育をよくしていただくことを同時にされて、そして多少丁寧にやっていただくことが今の場合いいんじゃないかというふうに思いますが、ただ、ああいうものがないとしますと、どこで今度受けるかというと、非常に場所が少なくなってしまって、習う人が思うように練習できないということがありはしないか。それから私は、一つああいうものがいいのは、取れなくても、自動車の運転をやらぬ方とやった方では、ずいぶん道を歩くときにしましても意識が違うと思うのでございまして、できるだけ、自動車を自分で免許を取っていなくても、やってみたことがあるというような人が日本にふえることは、私はいいと思うのでございましてそういう経験を積んでないために、通行人の方も非常に交通道徳を守らないというような形になってしまう場合が日本の場合にはあるように思っております。そういう意味で、いい教官がおられれば、ああいう所は私はいいんじゃないかというふうに思っておるのですが……。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/103414720X00719600308/21
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022・松永忠二
○松永忠二君 それからなお、豊原さんにお聞きしたいのですが、今、年令を引き下げるということについてはどうかというお話があったわけなんですが、これについて、一部には、こういうふうに引き下げたし、現状でも関係があるので、少年法を改正していったらどうだというような意見があるわけなんです。この点については、何か主客転倒しているというような感じを私たち受けるわけなんですけれども、今度新たに十四才に引き下げられた点が一部あるわけなんで、特に十六才についても、普通自動車の免許証を与えることはどうかというような議論もあるわけです。そういうところの点は、年令を引き下げておいて、それで違反をするから、それが十分罰則ができないから、少年法の方も変えていけばいいのではないかというようなことは、ちょっと主客転倒しているような感じを持っておるわけなんで、そういう点については、どんな御意見を持っておられるのでしょう。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/103414720X00719600308/22
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023・豊原恒男
○参考人(豊原恒男君) 今の少年法の方の問題は、まさに逆だという感じが私はいたしますが、むしろ問題は、事故の起こらないことに対して問題を持つべきだと思うのでありますが、大体交通事故交通事故と申しますけれども、私は、ある意味では、現在職業的になっておるタクシー運転手とかトラック運転手ばかりが悪いのではなくて、むしろそういう間を縫っていくオート三輪とか二輪車の若いドライバー、これが私は非常に問題だという感じを持っておるのでありまして、隠れた事故の原因になっておるように私は思うのでございますので、今そういう下の、今度の法規で参りますと、十四才とか十六才というような方に何だかやさしく、こんな自動車なら運転さしてもいいといわんばかりの感じが見えますので、これこそ隠れた大きな事故の原因になるというふうに思うので、なるべくそんなところにやらせない方がいいんじゃないかと、こんなふうに考えておるわけなんでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/103414720X00719600308/23
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024・松永忠二
○松永忠二君 石山さんと野々山さんに少しお話をお聞かせ願いたいと思います。
石山さんから、今、自動車が激増してくるのを制限をするということが不可能であるし、自動車工業の発展のためにもそういうことは望ましくない、こういう点について、私たち、やはり自動車工業をどう伸ばしていくかということと、交通の安全確保という問題とのかね合いというものが非常にむずかしいということを感ずるわけでありますが、これらのことについてたとえば、今の自動車の中で、非常に種類が雑多だ、まあ十七種類もあると、こういうことを言っているわけなんですけれども、こういうふうな車両の規格を制限していく、できるだけ規格を少なくしていくというようなことについては、私は、やはり将来の交通問題を考えていくある程度の規格が必要ではないかというふうな感じもするわけです。こういう点について石山さんはどんなふうにお考えになっておられますか。
それからもう一つ、道路をよくするということは必要だけれども、すぐなかなか容易にできないというので、そういう点から、今の道路交通法のような改正をするということが必要だというお話があるわけで、ごもっともだと思うのですが、そこで、道路環境整備ということについて、今すぐできるようなものもあるのじゃないかというふうに私たちは思うわけなんです。たとえば、今お話の出てきておりますのは、車庫なしに自家用車のどんどん登録を認可するとか、あるいは、これは野々山さんにもお話を聞きたいのでありますが、鉄道の踏切とか何かの所に、非常に、全く見通しのきかない所に建物が建てられておる。こういうようなものについて何かやはり撤去するということの積極的な方法が講ぜられないか。あるいは、ひどい所は、道路の中に電柱が立ったりしている所もある。こういう点については、やはり今の道路環境整備という点について、積極的にむしろやってもらわなければ困るじゃないかという意見も私はあるように思うのでありますが、こういう点について、御自分でおやりになっておるし、各方面をよくごらんになっているような方でありますので、こういう点について石山さん並びに野々山さんから少しお話を聞かせていただきたいと思うのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/103414720X00719600308/24
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025・石山四郎
○参考人(石山四郎君) 今、自動車の規格が多過ぎる。あんなにたくさん作らなくてもいいじゃないかというお話、私も全く賛成です。みんな自動車だと思います。そう変わりはないと思います。その点で、今の規格は非常に多過ぎると思います。特に、現行法における免許証の規格はめちゃくちゃだと思います。たとえば、小型免許で日本の中型車が運転できる。そのくせジープが運転できません。これは、ジープと日本の今の中型車を比べますと、どっちが大型かよくわからないのです。大ていジープの方が小型です。そのジープを大型の免許で運転して、大きい方の国産の自動車が小型の運転の免許でできるというのはおかしいので、これは、確かに私は日本の今の運転免許証の制度はおかしいと思います。そういう点では、おっしゃるように、もう少し免許を簡略にすることと、それから、自動車の規格をやり直すという点は賛成です。しかし、今の新しい道交法では、相当この点が整備されておりまして、大体あの程度で私はいいのじゃないか。ただ、先ほど免許証の問題が出ましたが、もっとも免許証の規格を整備した場合には、私は厳重にすべきだと思います。今でも一番あぶないのは、小型の四輪車の運転免許、これは相当あぶないのです。中でも、タクシーとかトラックの方は相当専門で、それに商売でいらっしゃいますから、うまいのですけれども、自家用車は相当あぶないのです。白い小型——5番のナンバーですが、世の中で今なんと言っているかというと、五番の白ナンバーを見ると、犬が逃げると言っております。犬だってこわいから逃げてしまう。私がアメリカに行きましたときに、女の運転手のあとにつくなと言われましたけれども、もう少し私どもは厳重にした方がいいと思います。その点では、もっと規格を単純化して、運転免許証の規格は厳重にする方がいいと思います。アメリカとかほかの国が非常にやさしいということをおっしゃいましたが、私はそうじゃないと思います。私は日本で免許証を取って、三年たってアメリカに行って見事失敗、おっこちました。私がばかなせいもありますが、私がアメリカで取った免許は、そうやさしかったとは思いません。
それから、環境の整備はおっしゃる通りで、私は、やむを得ないと、いきなりあきらめてしまいましたけれども、少しあきらめが早いと思います。特に交通標識とほかの標識が重なっちゃって、わけのわからぬのがたくさんございます。一番いい例は、一時停止のあの横に、このごろ見ますと、バーの看板がついております、たとえば、一時停止、バー石山、こんなばかなことはありません。世界中にこんなばかな、警察がバーの宣伝を買って出るというようなところはありませんから、これは、環境整備はぜひおやりになった方がいいと思います。道路標識なんかも、ずいぶんめちゃくちゃなのがあります。今走っておりますと、軌道内においては何とか何とか以上の車は通行よろしい、要するに、安全地帯のこっち側ですから、電車の走っている方を走っているということがありますが、これが大体三行書いてあります。軌道内においては何とか何とか……あれが読み終わるのに二十メーターか三十メーターかかかりますが、読み終わると、ちょうど安全標識にぶつかります。こういうのはおかしいので、私は、やむを得ないという悲観論を申し上げましたが、これを訂正いたしまして、道路環境の整備は、今でもできるのがあると思います。特におっしゃいました交通標識の整備、まわりの雑多なインチキ標識との区別、こういう点では、仰せの通り、まだやれる点はたくさんあります。この点は、私は少し悲観的に申し上げましたことは訂正いたします。まだやれると思います。大体この程度であります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/103414720X00719600308/25
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026・野々山一三
○参考人(野々山一三君) 車両の規格については今おっしゃる通りで、私も、もっと整理検討しなければならないと思います。今、車両の規格は通産省の方でやっております。営業の免許は運輸省がやるわけです。道路の管理は地方機関がやるわけであります。従って、たとえば、大型バスが軒すれすれに通る。これは、一台通ると、あとは全然通れなくなりますけれども、営業免許は運輸省でありますから、車の大きさとは全く無関係になっております。こういう点も、車両法と道交法、それから道路運送事業法、この三つを一体に検討していって、道路の幅員とのかね合い、こういうものも、当然いまの一致点でおやりにならなければとても維持できません。これは、道路の安全のみならず、家屋の安全が期し得られないという現状であるのは、これは、皆さんおそらく、東京の都心地は別といたしまして、世田谷とか、ああいう所をごらんになれば、私はおわかりになると思うのでありますが、これらも、車両の大きさ、つまり規格と道路の幅員、営業免許ということを、一つ三法かね合いの検討を願いたいのであります。
それから、道路整備でありますが、たとえば、この法律によりますと、舗道のない場所では、たしか両側五〇センチでありますか、これを確保しなければならないということになっております。人道でありましょう。そこで、それじゃ、そういうような所では、その五〇センチか一メートルか、それだけの幅が確保されている所があるでしょうかということを言いたいのであります。電柱があり、店の箱が出っ放しである。自転車は置きっ放し。一体、これをやっちゃいかぬと書いてあるだけでありますが、車は警察官が持っていってもいいということになっておるけれども、これは、おそらく人間が通行することは不可能な状態が交通煩雑区域にある。これをどうして確保されるかということは、これは何も、道路を広くしろという話では金がかかるとか、いろいろ反対がありましょうが、そうではなくて、不法な占拠を取り締まる、そして道路の安全を確保するということは、すぐおやりにならなければならないと思います。それから、標識の問題でもそうでありますが、今、たとえば日比谷あたり、それから昭和通あたり、右折禁止とか、左折禁止とか、一ぱいやっておりまして、毎日右折を禁止したり、あるいは左折を禁じたり、毎日標札が違います。運転手はたまたまそこへ入っていくと、そのまま禁止ということになる。あれをあんなに毎日のように変わるのをどうしておやりになるかということを、まず取り締まり側でも注意をしてもらいたい。しかも、その箇所の標識が、非常に道路の広い所で、片方の端の方に、それも先ほどおっしゃったように、電柱の横っちょに駐車禁止とか、まあ駐車禁止はいいでありましょう。左折禁止とか右折禁止なんかあったって、これは見えることはほとんど困難です。それも、直ぐそのまま罰則にひっかかるというのでありますから、これらも、もう少しはっきりしたものを大きく、わかりやすい所に出されるということも、大きな一歩を改善する要素になるのじゃないか。それから、ヨーロッパやアメリカを回りますと、どこでもそうでありますが、すべて、ほとんどと言っていいくらい、この道は、どちらへ行ったらどこへ行くという標識がある。あれは非常に大きな成果を上げていると私は思うのであります。日本は、割合まだロング・ランの旅行者が少ないからいいと思うのですが、あれがあるならば、相当大幅な円滑化が期せられるというふうに考えるのであります。それから、たとえば、渋谷あたりから青山あるいは六本木あるいは昭和通あたり、これは、夜になれば、ずらっと間断なく自動車が置いてある。これはほとんど白ナンバー、つまり車庫のない自動車がそのまま道路を占拠しておる。夜間は、駐車禁止をいたしてない区域だったらなおさらのことであります。こういう車庫のないものを免許するということによって、しかも道路を不法占拠する、不法占拠と言ってはおかしいのでありますが、つまり駐車をさせますから、結局、通常運転するものの幅がなくなってしまう。こういうことが大きな事故の原因であります。一昨日も私、実は田村町の角で、自動車の間から女の子が出て参りました。そのまま吹っ飛ばされたという事故を見ましたけれども、これなども、もっとガレジがきちっとしておったならばという気がするのであります。アメリカあたりでありますれば、今は、新しいビルディングを作れば、そのビルディングの収容力に比例したガレジを自分に持たなければ、建物の許可をしないということになっておるようであります。つまり、建築基準法とガレジの関係というものを、これからできるものに対しては当然おやりになっていいことじゃないか。特に地域を区切っておやりになっていいのじゃないかというふうに思うのであります。それから、踏切などについても同様のことが言えるのじゃないか。踏切周辺における建物あるいは築堤、そういうものの整備、あるいは踏切信号の再検討というものをおやりになる必要があるのじゃないか。たとえば、踏切地点の何メーター前には、その踏切の状態がわかるというようなことを設備する。特に踏切係員のおらないような場合、そういうものを設備することによって、たとえば、五十メーター前に完全に踏切が今障害しておるというようなことをお考えになるというのもけっこうであります。それから、ニューヨークでもそうである、あるいはパリでもそうであるが、夜間でなければトラックを都心に入れない。そうしてたとえば、トラックならトラックの通る道路は、昼間の場合にはどこどこ、どの道路以外には通れないというような、特殊な制限をやっておるのでありますけれども、そういうようなことも、道路ができないならば、おやりになるということも必要でありましょう。
それから、不思議に私ども思うのでありますけれども、たとえば、有楽町の川の上に新しいハイ・ウェイをお作りになったけれども、下は店にしてしまう。何のために道路を上と下に作ったのかわからぬ。シカゴあたりなら、上下三階ぐらいでありまして、下はトラック、上は緩行地域、その上はロング・ランというふうに区別して、道路計画そのものを、あれだけの金を投じられるような意図があるならば、どうしてそういう計画を作っておやりにならないのか。たとえば、きょうごらんになったらいいと思いますけれども、新橋の駅のガードのところあたりは、そのハイ・ウェイに入るために、すぐ左折してハイ・ウェイにそのまま入ればけっこうなものを、わざわざ銀座の土橋のところまで行って、回ってこういうハイ・ウェイに入りますから、それをまた、左折禁止をあそこでやっておる。けさは違ったけれども、あしたはまた別、こんな工合にやっておるのであります。ああいう道路の使用計画並びに道路建設計画でも、現におやりになれるところからやるということはどうしても必要じゃないかと思う。そのために、今三十三年の四月に衆議院の地方行政委員会でおきめになったようなああいった決議が全く死文になっている現状を、私はけさも指摘をしたのであります。新しい道路をお作りになる場合、あるいは道路を整備する場合、議会がああいうことを決議をされておるのに、なぜ片方商店としてしまって、通れないような道路を作るのか。こういうことを実は私どもはどうしても考えていただかなければいかんし、今やるべきじゃないかと思うのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/103414720X00719600308/26
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027・松永忠二
○松永忠二君 もう一つ伺いたいのですが、石山さんと豊原さんに……。今、大井さんとか野々山さんの方から、罰則についていろいろ問題を出されたわけです。罰則が大へんきびしいということについては、いいのではないかという御意見はまあわかるわけでありますが、具体的に、たとえば、その罰則の均衡というような問題について御検討いただいてそういうお話があったのか。ばく然と、要するに、その罰則については、現行罰則よりもきびしくする方がいいという御意見なのか。あるいは、今積極的に他の方から、つまり罰則について均衡を失している点があるんじゃないか、両罰規定についても、運転者と雇用者の責任の度合いというものは違うのではないかというような具体的な御意見もあったわけなのです、一般的には、罰則について、今よりきびしくすることはいいという御意見なのか、あるいは、具体的に一々お調べいただいて、まあ均衡というような問題についてもお考えいただいて、大体この点がそうだというようにお考えなのか。この点を一つ、最後にお二人の方にお聞かせをいただきたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/103414720X00719600308/27
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028・石山四郎
○参考人(石山四郎君) ちょっと、先ほどのに付け加えさせていただきます。環境整備のすぐできることとして、私はネオン・サインの明滅をやめたらいいと思います。これは、世界中の国でほとんどやっておりません。香港もやっておりません。ネオン・サインが明滅すると、交通信号が非常にまぎらわしいし、運転者も幻惑するというので、大体今、世界中はネオン・サインの明滅を禁止しております。これなどはすぐできることで、何も費用をかけずにやれる方法として一つ付け加えておきます。
それから罰則の方ですが、実は、私まだやられたことないものですから、一般論です。これが詳細に検討した結果ではございませんで、大体見た結果、この程度は、望ましいことではないけれども、まあやむを得ないのじゃないかというざっとした感じです。ですから、詳細に突っ込まれますと、私も返答に窮します。ただあの中で、酔っぱらい運転に対してちょっと一言あります。私も飲み助ですが、酔っぱらい運転は、厳重に禁止した方が私はいいと思います。これは、今度ドイツへ行ってみましても、非常に酔っぱらい運転に対してはきびしくて、どんなパーティでも、車を持っている者はほとんど酒を飲みませんし、アメリカにおいては、すでに、酔っぱらったら、電話をかけると、自家用車をタクシーで来て持って帰ってくれる商売さえあります。これは学生のアルバイトになっておりますが、契約をしてありまして、電話をかけると、酔っぱらっておれはもう運転できないと言いますと、そのまま来てくれて、酔っぱらいをうしろに乗っけて自分の家まで送り帰してくれる商売さえできておりますから、酔っぱらい運転は厳重に取り締まった方がいいと思います。自分が飲み助ですけれども、そう思います。ただ一つ、酔っぱらいばかりいじめて、麻薬常習者というのはどうするのだ、こういう点が入っていないと思います。私は、麻薬の常習者はもっとこわいと思います。これは、外国の法律にはあります。麻薬の常習者はいけないというのがあります。そういうのがこの法律に入ってないのは、少し片手落ちじゃないかと思います。しかし、これは部分論でして、総括的に申しますと、私は、罰則に関しては、自分の感じで申し上げるだけで、あまりぱっとした、物価指数その他における根拠というものを確として調べておりませんから、ですから、感じとして、大体この程度はやむを得ないのじゃないかと、こういうふうに考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/103414720X00719600308/28
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029・豊原恒男
○参考人(豊原恒男君) 私の申し上げましたのは、このいただいたパンフレットの中に、いろいろなほかの罰則と比べたのが、本が一つございましたが、その中で、交通に関係するようなところだけを比べてみたわけで、ほかの罰則に対して、自動車の関係のがどうかという見方で申し上げたのではなくて、自動車だけについて罰則の範囲で考えたものであります。そして当然これくらいいいんじゃなかろうかというふうに考えたわけなんですが、これは、従来は軽かったものが、もう少し重くしていいという、そういう見方だと言えばそうもなりますけれども、しかし、ともかく相当人命というものを問題にする以上はやむを得ないのだ、これくらいの罰金はしょうがないというふうにまあ思うのでございます。ただ、先ほどちょっと申されました両罰規定なんかの場合に、運転手に一体罰則を与えるというのは、そもそもそういうことになるのがおかしい。これが個人の白ナンバーの場合は必要なんでありますけれども、雇われている運転手の場合は、あくまで労務管理の側の規制をしっかりすべきであって、それを、衛生管理とか労務管理がよくなって、働かせられている、その運転手に罰則をするというのは、私はちょっと変じゃないかと思う。初めは変だなと思ったのですが、考えてみれば、雇われていない運転手があるわけで、それをどう取り締まるということになれば、やはりあの条文も要るのかな、こういう条文があるのもやむを得ないかなというふうに考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/103414720X00719600308/29
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030・基政七
○基政七君 野々山さんにお尋ねしたいのですが、これは、ひょっとして私の聞き間違いじゃないかと思うのですけれども、大体都内では、三百六十キロという制限がございますね。私も実は運転手さんにいろいろ聞いてみるのですが、遠距離をやらない場合には、都内で大体三百六十キロというのは、常識的な線じゃないかというお伺いをしたことがあるのですが、あなたの御説明によりますと、そのためにかえって運転手さんの方に無理が来ているのじゃないか。これは、もちろんその走行距離によって賃金が相当響いて参りますから、むしろ私は、制限することの方に無理があるのじゃないかという感じを持っているわけですが、そういう意味で、今の制限規定が、東京都内の今の交通の事情から見て妥当であるかどうか、その点を一つ専門的な立場からお伺いをいたしたいと思います。
それから第二の点は、六条、七条の警察官の権限の拡大の問題でありますが、中央都心あたりで、昼の休みに、まあ一服しながら出ていかれますが、その際に、そういうデモなんかのために遅刻したり、いろいろ業務上支障が来たりして、通勤者の方にはかなり迷惑になる場合が私はやはりあると思うのです。そういうような場合に、警官が適当な処置をとって、デモを一時中断さすというような場合は、私は当然な措置じゃないかと思うのですが、そういうような場合でも、やはり警官の権限には非常に危険だという御判断をされているかどうか。
その二点についてお伺いをしたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/103414720X00719600308/30
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031・野々山一三
○参考人(野々山一三君) 今の三百六十五キロの制限は、東京都内におきます最高速度を厳守しまして、こまぎれ運転をやるということを厳格にいたしまするならば、私どもの組合の調査によりますと、おおむね三百二十キロくらいしか走れない。それが実際は三百六十五というキロになっておる理由は何か。これは、一つには、かつては無制限に走っておったのでありますから、経営者の側の営業成績という観点、一つは、労務者の賃金が、実は大体は基準賃金が五割、あとは水揚げの割合によってする能率給であります。従って、相当以上走らないと賃金が下がるという根本的な問題があります。そこで、三百六十五というものがきめられたのは、その両者のかね合いで、特に経営者側の方からは、むしろもっと長く走らせたいとの意思があって、結局取締当局の側が折れて、三百六十五というものになった。一たんなってみますと、三百六十五まで走る方が得だというようになるのであります。そこで、どうしても神風タクシーというものを防止するという観点からできたのでありますけれども、スピード違反ということが実際問題として行なわれなければ、三百六十五は確保できないし、自分の賃金——水揚げが維持できない、そういう問題があるのであります。従って、私どもから申し上げますならば、今は、実際問題として十六時間ないし二十時間走っておるのであります。あれを一日八時間の三交代にしてくれということが一つ、それから、その実際の制限速度と作業量というもののかね合いにおいて、もっと短縮化すべきじゃないか。その際、労働者の賃金というものがダウンしないで、保証されるということが行なわれるべきじゃないかということを今主張しておるのであります。これは、ひとりタクシーのみならず、トラックの場合でもそうであります。ものすごい長距離運転をしておるのであります。しかも、長距離である場合には、深夜を飛ばすのであります。非常に危険を冒して、しかも、前の方がおっしゃったように、非常な過労な、しかも積載量をオーバーしたような運転が行なわれるのでありますから、この方面についても、当然の結果として、時間に関するあるいは距離の制限なり、あるいは乗務員の交代に関する行政指導なり規則が当然できなければいけないというふうに考えるのであります。
それから、デモの禁止といいますか、これは、先ほど大阪の方がおっしゃったように、労働組合だから何をやってもいいという、そういうやぼなことは毛頭考えておるのではありません。交通の混雑が予想される場合には、許可を与えなくてもいいということが警察官の判断で行なわれる場合に、これは、一万なり二万なりというデモが行なわれた場合に、多少影響するにきまっていると思います。それだけの分列縦隊であろうと、あるいは五列縦隊であろうと、蛇行をしないのであろうと、多少そのとき通常の日に増して交通量がふえるのであります。そのことが、私は先ほどこういうことを申し上げたが、もし不幸にして悪用されたならば、正当な権利を押えるような結果になれば、立法者の意思に反するんじゃないか、従って、これは公安委員会と警察署長なりの事前協議をするというようなこと、あるいは、交通を混乱に陥れた事実が発生した場合に、今おっしゃるような区切り行進ということが行なわれ、その事実に基づいてやられるべきであって、予見される場合にはやられるというような用意があるということについては、これは、ぜひ法律を具体的に審議される場合に注意をしておいていただきたい、こういうことを申し上げたのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/103414720X00719600308/31
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032・桶谷繁雄
○参考人(桶谷繁雄君) 私、よく東京—大阪の間を往復することがございまして、そこで痛感いたしましたのは、この数年来幾分減少の傾向にはあるのでありますけれども、必ずトラックの事故が、少くて二、三台、多くて七、八台あるわけであります。これは驚くべきことでございまして、私が通りますと必ずございます。ということは、毎日々々東京—大阪という短い距離の中におきまして、そういう事故が毎日発生しておると考えてよろしいわけであります。その原因がどこにあるか、私は存じませんのですけれども、少なくともそれによる自動車の損、人命の損害はもちろんのこと、いろいろな物質的な損害、積んでおります品物たとえば魚などでありますと、すぐに腐ってしまう。そういうふうなのを見ておりますと、その目でもって外国のハイ・ウェイを走りまして、たかだか六百キロくらいのところで五、六台のトラックの事故などというものは、どこでも見たことはないのであります。これは、日本の特殊事情ではないかとさえ思うのでありますけれども、こういうことをできる限り防止するという方向に、この道路交通法ということも考えていただけたらいいのではないかと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/103414720X00719600308/32
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033・新谷寅三郎
○委員長(新谷寅三郎君) 他に御質疑はございませんか。一御発言がなければ、この程度にとどめておきたいと存じます。
終わりに、参考人の方々に一言お礼を申し上げます。
皆様方には、大へん御多用のところを、長時間にわたりまして貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。今後の法案審査の際に、御意見のありましたところを考慮いたしまして、慎重に審議をいたしていきたいと存じております。重ねて委員一同にかわりましてお礼を申し上げます。ありがとうございました。
なお、次回は明三月九日午後一時より運輸委員会との連合審査会を開催いたします。
本日は、これにて散会いたします。
午後零時四十六分散会発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/103414720X00719600308/33
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