1. 会議録本文
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000・会議録情報
昭和三十七年五月四日(金曜日)
午後三時五十八分開会
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委員の異動
五月二日委員井川伊平君辞任につき、
その補欠として郡祐一君を議長におい
て指名した。
本日委員郡祐一君辞任につき、その補
欠として井川伊平君を議長において指
名した。
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出席者は左の通り。
委員長 松野 孝一君
理事
青田源太郎君
井川 伊平君
亀田 得治君
大谷 瑩潤君
委員
野上 進君
林田 正治君
高田なほ子君
赤松 常子君
国務大臣
法 務 大 臣 植木庚子郎君
政府委員
法務省訟務局長 浜本 一夫君
事務局側
常任委員会専門
員 西村 高兄君
説明員
法務省訟務局参
事官 杉本 良吉君
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本日の会議に付した案件
○理事の補欠互選の件
○行政事件訴訟法案(内閣提出、衆議
院送付)
○行政事件訴訟法の施行に伴う関係法
律の整理等に関する法律案(内閣提
出、衆議院送付)
—————————————発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X02619620504/0
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001・松野孝一
○委員長(松野孝一君) ただいまから法務委員会を開会いたします。
理事の補欠互選を行ないます。
去る五月二日理事井川伊平君が一時委員を辞任されましたため、理事に欠員を生じておりますので、この際、その補欠を互選したいと存じますが、互選の方法は、慣例により委員長の指名に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X02619620504/1
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002・松野孝一
○委員長(松野孝一君) 御異議ないと認めます。それでは、私より井川伊平君を理事に指名いたします。
—————————————発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X02619620504/2
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003・松野孝一
○委員長(松野孝一君) 次に、行政事件訴訟法案及び行政事件訴訟法の施行に伴う関係法律の整理等に関する法律案の両案を一括して議題といたします。
前回に引き続き質疑を行ないます。ただいま浜本訟務局長、杉本参事官が出席しておられますので、御質疑のおありの方は、順次御発言下さい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X02619620504/3
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004・亀田得治
○亀田得治君 本法案の第三条でありますが、これは、抗告訴訟についての例示的な規定だと、こういう説明を受けておるわけですが、普通、そのような意味であれば、たとえば私が今申し上げるような規定の仕方、こういうことのほうがもっと適切ではないかと思うわけですが、第三条として、この法律において抗告訴訟とは次のものをいうと、こういたしまして、二項、三項、四項、五項、こういうふうに並べて、その最後に六項をもう一つ起こしまして、その他行政庁の公権力の行使に関する不服の訴訟、こういうふうにやっていただきましたほうが非常に明確になるわけですが、なぜそういうふうな形にされなかったわけですか。ここら辺に多少疑問を持つわけですが、御意見をお伺いしたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X02619620504/4
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005・浜本一夫
○政府委員(浜本一夫君) 立法技術といたしましては、おっしゃるような規定の作り方もあるかと思うのでありますが、私ども理解する限りでは、行政事件訴訟と申します、その本質的な定義の仕方は、「行政庁の公権力の行使に関する不服の訴訟」、この三条の一項だけで、実は本質的には行政事件訴訟というものを尽くしていると私ども考えておるのであります。第二条にあげておりますその他の、当事者訴訟であるとか、あるいは民衆訴訟、機関訴訟というものは、それぞれ特別の法規にそういったものがございますので、特にあげてあるのでございますけれども、概念的に規定いたしますれば、行政事件訴訟というのは、三条の一項でもう尽くしていると考えるわけでして、二項ないし五項は、本法において特別の規定を置く必要があるために、二項ないし五項を起こしまして、ここに規定しております。したがいまして、第一項において、亀田委員の今おっしゃいますような趣旨は、十分私ども現われておると思うのであります。二項から五項まで、そのほかの訴訟は許さないということで規定してありますれば別でありますけれども、第一項において概括的にあげておるのでありますから、この行政事件訴訟は、二項ないし五項にあげておるもので尽きるものである尽きるものでないということは、そういった法文の関係上わかり切っておるのでありまして、今、亀田委員のおっしゃるような規定の仕方もあるかと思いますけれども、私どものとっておる立場は、本法に特別の規定を置かぬものは、第三条一項の規定の仕方からして、二項ないし五項以外のものもあるのだということがわかっておるのでありまして、ただ、本法案は、二項ないし五項にあげているものについて、特別にそういった規定を二項以下に置く必要があるためにここにあげておるにすぎないのであって、結局、この本案のような規定の仕方でも、解釈は当然今亀田委員のおっしゃるようになるのでありまして、その点については、何らの心配はないものと私ども考えておるのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X02619620504/5
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006・亀田得治
○亀田得治君 逐条説明書なりでもそのように説明はされておるわけですが、しかし、この法案に対して、いろいろな専門家からも御意見が出ておるわけですが、やはりその一つの意見として、その点が多少不明確ではないか、こういう批判も出ておることも御承知のとおりであります。で、まあこちらの悪い勘ぐりをして、あるいは少し勘ぐり過ぎるということになるかもしれませんが、そういうように質問をすれば、二項から五項だけじゃなしに、そのほかのものもあり得るのだ、こういうふうに言われるのでありますが、できるだけそのほかのものは認めたくないのだ、できるならば二項から五項までだというような気持があって、こういう規定になっておるのではないか。その他のものについては、非常に消極的な態度をとっておるのじゃないかという感じもするわけですが、これは、少し私の要らざる勘ぐりであれば、まあそれは差しつかえないわけですが、そういう、まあ悪く言えば、多少ずるい気持でおやりになっておるというわけでもないのですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X02619620504/6
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007・浜本一夫
○政府委員(浜本一夫君) 自分の気持を自分でどういうふうに客観的に解されるか、批評しなければならなくなるかもしれませんが、実は、本法において明文を置いて、あらゆる場合を、本法にこまかい規定を置くということになりますと、そこにそれぞれ立場を異にする人があり得るわけでありますから、たとえば、義務づけ訴訟は今や認めるべきであるという意見もあれば、また、義務づけ訴訟は、今の日本の状態では認めるべきでないという意見もあります。また、給付訴訟を認めるとしますと、一方にたちまち、給付訴訟は、現在の段階ではわが国にはまだ認めるべきじゃないという説をなすものがございます。そういったものを、すべて本法で、一方の立場を押えて、一つの立場から規定をするということは、ある一方の立場をとっておる人にはいいかもしれませんが、そのほかの立場をとっておる人には非常に悪い。言いかえますれば、そういう立場を本法でとりますと、なかなかまとまりが悪いのでありまして、こういうふうな規定の仕方のほうがそういった意味ではいい。つまり、本法で、三条一項で、抽象的には認めておる立場をとっておりますけれども、本法で特段の規定をとらないようにするもの、これについては、そういった両者の立場が今後どういうふうな学説、判例の上に現われていくか、その現われていくところにまかせようというほうがまとめやすいという情事にあったことは事実でありますけれども、私ども立法に関与するものが、そういった場合に、二項ないし五項以外のものは認めないのだという立場で規定をする、こういったほうがいいのだというようなずるい考え方からとった立場では決して私どもはないわけでありまして、こういった形でまとめれば、三条一項ですべて含んでおるのだから、そのほかのものについては、両説をまとめた上で今後の健全な判例が一つの発展によって対処し得るということで、こういった形でまとめたのでありまして、それをずるいと批判されるか、あるいは賢いと批判されるか、それはあえて私どもは受けるより仕方がないと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X02619620504/7
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008・亀田得治
○亀田得治君 たとえば、義務づけ訴訟の問題ですね。これは、今後の学説、判例の発展に待つんだ、提案者としてはこだわっておらない、こう純粋に、そういうふうに理解していいですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X02619620504/8
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009・浜本一夫
○政府委員(浜本一夫君) 全くそのとおりであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X02619620504/9
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010・亀田得治
○亀田得治君 では、その三条の第一項の解釈は、私もそういうふうに理解いたします。そこで、多少提案者の意見を聞きたいわけですが、提案者としては、義務づけ訴訟というものをどういうふうに考えておられますか。たとえば、現在の特例法のもとにおいてもこれはできるんだ、こういう有力な学説もありますし、また、若干そのような考えを裏づけるような判例もあるわけですね、数は少ないけれども。それから、一方には逆な学説、数は現在そのほうが多いでしょう、それから、判例もそういう意味の判例のほうが多いのですが、提案者としては、どういうふうな考え方を持っておられますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X02619620504/10
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011・浜本一夫
○政府委員(浜本一夫君) ただいま私が御説明申し上げましたように、提案者といたしましては全く白紙なんでありまして、もししいて意見をお問いになるとしますと、私個人の意見を述べなければならぬような立場になると思うのですが、私個人の意見としましては、少なくとも現在の日本の学説、判例の趨勢からいたしますと、まあ私もその趨勢に従うわけでございますが、義務づけ訴訟であるとか給付訴訟であるとかというものはまだ許されないものだと思っております。これは全く私個人の意見であります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X02619620504/11
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012・亀田得治
○亀田得治君 その許されないということの根拠ですね。それはどういう点にあるわけでしょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X02619620504/12
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013・浜本一夫
○政府委員(浜本一夫君) それは、今の亀田委員があげられました意見の中の私の同調しているほうの意見が述べているとおりでありまして、裁判所は、なされた行政処分について、それが違法であるかどうかについては判断権はあるけれども、裁判所自身が行政処分をやると同じ結果を来たすようなことはできないという考え方なんでございます。義務づけ訴訟も、単に行政庁にそういう行政処分をする義務があるという確認をするだけでございますが、それ以上、あたかも裁判所が行政処分をやったと同じ結果をきたす、給付訴訟においてもまさにそのとおりであるという考え方であろうと思います。私もそれに同調しているわけであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X02619620504/13
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014・亀田得治
○亀田得治君 そういたしますと、現行特例法の第一条に書いておりまする文字の解釈、法文の解釈じゃなしに、行政訴訟の性格からくるんだと、司法裁判所の権限といいますか、そういうふうな本質的な問題からそういうふうに判断されると、そういうふうな理解ですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X02619620504/14
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015・浜本一夫
○政府委員(浜本一夫君) そのとおりであろうと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X02619620504/15
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016・亀田得治
○亀田得治君 しかし、義務づけ訴訟にいたしましても、その訴訟の結果行動するのは行政庁がやるのでしょう。司法裁判所自体が一つの行政行為をやるわけではないのですね。だから、何か義務づけ訴訟を認めることによって司法裁判所が行政庁にとってかわるといったような考えは、多少筋が通らぬのじゃないかという感じがするのですが、それから、確認訴訟を今度は認めておるのですがね。そうして確認訴訟の勝訴判決が出れば、行政庁に対する拘束力というものは出てくるわけですね。ですから、あまり変わらないわけですね。その司法裁判所の判決に行政庁が当然忠実であるべきなんですから、だから、そこまで認めておれば、個々の紛争をとって見ないと一々具体的な判断はできないわけですが、ある場合には、義務の確認ということだけじゃなしに、もう少し強い、給付的な訴訟を許していくということでも少しも私は差しつかえないような感じがするのです。どうもこの問題についての学説、判例は二つに分かれておるわけですが、何か司法裁判所というものは、行政庁の問題にタッチしないようにしないようにというふうな、一つの何かとらわれたような感じがあるような気がする。具体的に検討してみると、確認訴訟まで認めているのなら、ちっとも差しつかえないような感じがする。そういうところに行政行為というものに対する何か偏見が一つあるのじゃないか。必要以上に行政行為を尊重する、これは、あなたのほうからもいろいろな資料をいただいたりして、私も多少勉強してみたわけですが、たとえばアメリカの場合等ですね。完全にそういう給付的な訴訟を認めております。ドイツの場合にも認めている。その場合の根拠をずっと私なりに調べてみると、国民が官庁に対してたとえば何か許してくれ、こういう申し出をする、それを、お前は条件に該当しない、ぽんとける。条件に該当しておるのに、認定が誤ってけるという場合には、当然それはけしからぬ、これは各国どこでもみんなやる。ところが、何もしないでほうっておくというわけですね。そういう何もしないような行動は、積極的に要請を断わるというのと同等に評価されているわけですね、国民に対する不親切としては。そういうことがどうも前提になっておるようです。ところが、日本の場合には、何もしないのだから、あるいは行政行為がないのだから、あまりその問題にタッチしてはならない、こういう感じが非常に強いようですね、判例、学説によって表現の仕方が多少違いますが、根本的には。だから、その何もしないことも、することによって非常に迷惑をかけるのも、一緒なんだ、性質として。その点がはっきりしてくれば、性質が一緒なんだから、それはしてやれということは、これは当然の結果として出てくる筋合いじゃないかと思うのですね。だからそこら辺に、何もしないうちに司法裁判所のほうから動き出すのは、何かこう行政の分野を侵害する、こういう偏見を私は感ずるのです。で、あなたのただいまの見解も、法文からくるのじゃないと、こうおっしゃるわけですね。私もそうだと思う、この法文解釈であれば。新法によっても、あるいは現在の特例法によっても、認めようと思えば認められるし、どうにでもなる。基本的にそこの何もしない行政行為というものに対する評価ですね。そこら辺のところから大きく分かれてくるような感じがするわけですが、私は、やはり何もしないような行為に対して、積極的に不当なことをやったのとこれは同列に置いてやはり考えるべきじゃないか。個々の具体的な事例をとって考えれば、かえってそのほうがずるい、悪らつな、陰険な行動の場合もあるかもしれないというふうに思うのですが、どうでしょう。あなたも、単に多数の学説、判例が現在では義務づけ訴訟、給付訴訟は早いというからそれに従っているんだというものじゃない、あなたなりに、やはり一つのちゃんとした評価を持って、そういう考えをお述べになっていると思うのですが、どうでしょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X02619620504/16
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017・浜本一夫
○政府委員(浜本一夫君) これは、私だけの個人的な意見をここで議論していただきましても、実はその場でないと思うのでありますが、今亀田委員は、確認訴訟を認めているのだから同じじゃないかとおっしゃいますが、本法で取り上げております確認の訴えと申しますのは、不作為の違法確認でありまして、しかもその場合には、裁判所が判断いたしますものは、何もしないことは違法だというだけでありまして、その事案についてこういった処分をすべきだという積極的な意見を現わして判決するのではございません。やはりその場合にも、司法と行政との限界ははっきりと守った形で訴訟の類型を本法案は定めているのでありまして、積極的な義務確認の訴訟というものは、本法案には何も触れておりません。やはりその点におきましても、言うまでもなく、その司法と行政との限界は、本法案では守っているのであります。でありますから、義務確認を認めているのだから、百尺竿頭一歩を進めて、義務づけ訴訟を規定したらいいじゃないかとおっしゃいますのは、ちょっと筋が違うように私ども考えるのであります。本法案は、あくまで現在の段階においてわが国の判例、学説がとっておりますものを、とっております類型だけについて規定を設けたのでありまして、それ以外のものにつきましては、三条一項で抽象的に、今後認められる余地があるように、窮屈でない立場をとっているのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X02619620504/17
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018・亀田得治
○亀田得治君 しかし、この不作為の違法確認をするということは、これは当然、結果としては、その訴訟の過程において、一体行政庁はいかなる不作為をやっているのか、そういう不作為はけしからぬじゃないかということが中心になってやはり訴訟が進められるわけでしょう。してみれば、その結果、原告が勝った場合には、これは当然、行政庁としては、その裁判において問題になった趣旨に従ってやはり行動することになるわけです。これは、判決文自体からはそういうことにはならぬのですよ、判決の趣旨からは。何らかの行動をとれ、「何らか」という意味になるでしょう、理論的には。しかし、そういうことは理屈です。これは実際は、「何らかの行動」じゃなしに、原告というものは、一つの要求をもってそういう訴えを起こしておるし、それから裁判所だって、そのことを勘案しておそらく事案の審議をしておると思う。だから、そういう形式論的なことを私は申し上げるわけではないのでして、不作為の違法確認ということは、結局は、大事な国民の要求に対して何もしないで怠っておる。それを早くやってくれ、現在の学説、判例の段階ではなかなかそこまでいかぬものだから、やむを得ず第五項でそこまで認めたのだと思うんです。しかし、実際の国民の気持は、何もしないのは役所のほう、お前いかぬから何かしてやれ、そんなことを国民は求めているわけじゃない。やはり特定のことをやれ、これを早くやらしてくれ、こういって裁判所へ迫っておるわけです。実質はそうです。実質面からいうて、不作為の違法確認というものを認めるくらいなら、義務づけ訴訟、給付訴訟、問題によっては、ちゃんと公然と認めて、ちっとも私はそこに矛盾がないように思うわけです。むしろそのほうが当然じゃないかという感じがしておるわけであります。この第五項の不作為の違法確認までしか認めないのは、これ以上認めると、裁判所として行政の範囲に入り過ぎるという考えであれば、これは、給付訴訟なり義務訴訟は認めないんだ、こう来なきゃ、これは筋が通らないわけだ。それは学説、判例に待つ、こうおっしゃるわけでしょう。認める可能性もあるわけです、将来の動きによって。それならば、そこにそんな本質的な違いというものは私はないように思うんですが、どうでしょうか。つまり、不作為確認の訴えというものと業務づけ訴訟、給付訴訟というものは本質的に違うのかどうか。私は、実質面から見て、本質的な違いというものは見られない。そんなに本質的に違うなら、これは、将来でもなかなかそんなものは浮かび上がってこないと思う。本質的な違いじゃないでしょう。これは何かちょっと行き過ぎなんじゃないかという程度の感じじゃないですかね。過去の判例を見ても、給付訴訟を認めた判例があるわけですからね、実例としても、それはほんの数は少ないけれども。それから、学説で、有力な学説もやはりあるわけなんだから、そんな本質的な違いじゃないわけです。この二つ、どうです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X02619620504/18
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019・浜本一夫
○政府委員(浜本一夫君) 私と亀田委員が個人的に討論をする場合じゃありませんから、ちょっと理屈は申し上げたくないのでありますが、第五項と第一項の関係で、亀田委員のおっしゃるように、第五項があることによって、かえってそれ以外の訴訟は禁圧するということがこの法に現われているんだと、こう解されるおそれがあるというふうに亀田委員おっしゃっておるようでありますが、そこが全く私どもの申します三条の一項と五項との関係、二項以下も同じでありますが、特に響くのは五項かと思いますが、一項と五項との関係で、それ以外は認められないんだという解釈になるか、認めるという解釈になるか、そこは全く私ども、今言った将来の学説、判例に待つんだというところなんでありまして、亀田委員のおっしゃるような御説明は、さらにそういった学説、判例が解明されまして後のことを言っておられるように私ども思うのであります。まさに五項の不作為の違法確認の訴えは、事実上は、あるいは亀田委員のおっしゃるような実際上の効果はあるのかもしれませんが、第五項の訴訟並びにその訴訟の判決が法律上持ち得る効力は、やはり何らの処分をしないということが違法だという確認だけにすぎぬのでありまして、その判決があれば、行政庁は何らかの処分をするわけであります。したがって、そのされた処分にさらに不服があれば、さらに二項もしくは四項のような取り消しの訴訟をあらためて起こさなきゃならぬということに法律上はなるわけでありまして、事実上おっしゃるとおりの効果は、それはあるかもしれない。しかし、それは法律上の効果ではないのでありますから、五項の不作為の違法確認の訴えがあるからといって、義務づけ訴訟を認めるのも同じだというふうには言えないのじゃないかというふうに考えるのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X02619620504/19
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020・亀田得治
○亀田得治君 そうすると、まあ不当に引き延ばしされ、そうして判決が出て、また、その判決が意に満たぬという場合には、再び今度は取り消し訴訟になると思うのですが、二回やらなければいかぬわけですね。それは、国民の権利救済としてはなはだおかしいと思うのですね、そんな回り道をとらすことは。それで私は、行政庁が、国民からあることをしてくれというのに、それをしないでほうっておく、裁判所で一々そんなことはけしからぬということは、それは一々確認を求めなくたって、これはあたりまえのことじゃないかと思うのです。そうでしょう。国民から、法規に基づいて、ちゃんと一定の申請をしてお願いしておる。いかぬものならいかぬと、いいものならいいと、早く許せばいいし、それはどっちかしなくちゃいかぬわけですね。何もしないのはけしからぬというのを、わざわざあんた印紙まで張って、裁判所へ持っていって、裁判官が足らんで困っておるというのに、裁判でそれを確認してもらわなければいかぬと、どうもそこがおかしいのです。それで、何にもしない場合に、この西独の新しい法律なり、まあ西独の場合は、今度はアメリカの行政手続法が相当影響しているというふうに聞いているわけですが、そのどの法律を見ても、何もしないことの確認なんというのは、そんな手間取るようなことは何もしていませんね。何もしないのはけしからぬのなら、そのなすべきことをいきなり訴訟で要求せいと、こういうことに端的にこう出ていますがね。どうも相当こう、いいところまできておるのに、何かそこら辺に理論的に割り切れないものが出てきて、そうして不作為違法確認の訴え、まあこの辺でひとつがまんしておいてくれというのは実際的じゃないと思うのですね、そんなこと。そう思いませんか。あるいはそれはあなたの個人的な意見でもいいですよ、これは。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X02619620504/20
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021・浜本一夫
○政府委員(浜本一夫君) 後に司法で争われるような形で行政処分をすることはめんどうくさいと、それよりも、一挙に裁判所で解決つけてもらうほうがいいのじゃないか、これは、そのことだけを取り出して考えれば、まさにそういうことになるのでありますが、そこがまさに司法と行政との接触面なんでありまして、やはり司法は司法の分を守り、行政は行政の分を守るというのが、今の一方の、つまり私が同調しております一方の考え方なのであります。後に争われるような行政処分にしないで、むしろ裁判所なら全部裁判所でやったほうがよろしいというような形になってしまいますので、やはり不作為の場合の、そういった意味で司法と行政の分を守ろうというのが、そういった見方をしておる立場の人たちの考え方なのであります。でありますから、もちろん、この五項の不作為の違法確認の訴えが、法律上の効果のみでなしに、先ほど来問題になりましたように、事実上の効果をねらうといいますか、そこに大きな効果があるという評価は私はできると思うのでありまして、ともあれ訴訟法上、五項の訴訟がねらっておりますところは、どういった行政処分をすべきだということを裁判所がいうのじゃなしに、申請があるにもかかわらず、相当の期間を過ぎてなおかつ何らの処分をしないで握りつぶしておる、それが違法だということだけの、まさにそれだけの効果なのであります。その判決が事実上持ちます効果は、なるほどおっしゃるとおりになりましょうけれども、そこはやはり行政処分をするについては、行政庁に判断権がある、処分権がある、そこまでは裁判所はタッチしない、侵害しないという立場をとっておるのがこの五項の不作為の違法確認の訴えなのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X02619620504/21
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022・亀田得治
○亀田得治君 まあ裁判所が不当に行政の分野に入ることは、これは問題があるでしょう。だから、そういう問題は、たとえばこの統治行為に属するような政治的な問題、そういう問題は司法的な判断からははずしていくとか、そういったような問題は、これはまた別個にありますわね。しかし、この前も問題になった総理大臣異議の問題等も、本来は、私は、そういう政治的な問題、統治行為的な問題と同じようなやはり考え方に裏づけさるべきものだと考えております。ところが、いかなる行政行為についても全部関係するわけですね、この第三条というものは。総理大臣異議の場合でも、いかなる行政行為にも全部関係がある。そういうところに問題がある。総理大臣異議の問題でも、当初アメリカのほうから出た意見というものは、やはりアメリカでは、大統領のやっておることに司法裁判所が直接けちをつける。そういう伝統はない。これは非常に単純な常識的なやはり一つの慣行を指摘しているのですね。それがいつの間にか行政全般の議論にあれは広がってしまっておる、GHQと交渉をやっておる間に。まあその問題は、またちょっと別にしておきますが、この場合でもですよ。何も司法裁判所が入ってならない行政の分野にまでこっちが入っていくと、そういうことの問題ではこれはないのです。それはむしろですね。質的に、本来司法、審査の対象にならない行政の分野というものがあるわけですから……。あるいは立法機関の場合にもそういうことがあるでしょう。そういうものとしてこう考えらるべきでね。現実に、国民がその行政庁によってこう権利の侵害を受けておるわけですね。受けておるわけです。作為によって受けることもある。不作為によって受けることもある。だから、その不作為によって権利の侵害を受けておるのに対して、それを救ってやる。これは何も行政に対する侵害じゃなしに、権利の救済だと思うのですね。それじゃ逆に考えてみますとね。何か行政庁が、国民の許可申請に対して、それを不許可と、こう処分をしたと、ところが、その不許可処分が実は間違っておるということで訴えた。裁判所は、なるほどこれは間違っておると言うて、その取り消し訴訟に対して勝訴の判決を与える。これはだれも不思議に思ってないのですね、その場合の取り消し判決は。ところがそれは、考えようによってはですね。行政庁が一たんやったものに対して、司法裁判所がぴしゃっとそれを取り消すのですからね。このほうが行政の分野に対する干渉としては強いとも言えるのですよ。お前は何もやっておらぬ。お前は忙しいであろうから、じゃおれのほうで手伝ってやる。このほうがむしろある意味では弱い。それから行政庁のほうも、いや、おれは実はうっかりしていた、お前やってくれてけっこうだということもあり得ると思う。だから、その取り消し訴訟は、本来の司法の分野で、どうも義務づけとか給付訴訟というのは行政権に入り過ぎるうらみが、感じが強いというふうな伝統的な考えというものは、いろんな意味で、やはり多少迷信にとらわれ過ぎているのじゃないかという、私は、非常にいろんな学説、判例を見てもそういう感じがするのです。そう思って、最近の西独なりあるいはアメリカの戦後の行政手続法を見ますと、作為によって国民の権利を侵害するのも不作為によってするのも同じだ、評価としては、ということで、はっきりそれに対する救済というものを司法裁判所に認めておる。しかし、それを認めながらも、司法の入ってならない分野は、もうちゃんとアメリカでもはっきり打ち出しているわけです。そこらに混乱があるのじゃないかと思うのです。行政庁が一旦やったのを取り消すのと、何もやらないで迷惑をかけておるからそこで裁判所が補ってやるのと、行政権としては、一体どっちが干渉されるというふうに感ずるのですか。私は、権利救済という面から見たら同じだと思う。どっちだって同じですよ。ただ、いつも問題になるのは、行政の立場がある。立場があるあまり、司法が入ってきては困る、こうおっしゃるのだが、しかし、この二つの場合に、一体どっちが司法に踏み込まれたと感じますか。私は大同小異だと思うのですが、どうですか、局長。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X02619620504/22
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023・浜本一夫
○政府委員(浜本一夫君) 大同小異だと言って結ばれてしまいますと、実は理論がなくなってしまいますので、やはり理論的には、私が申しましたように、私個人の考え方からしますれば、不作為の場合には、不作為が違法だというだけを裁判所が判断する。その後に処分をするのは行政庁で、やはり理論的にはこういう立場をとらざるを得ないと実は私は思うのであります。まああまり討論の場になるのを私は好みませんが、亀田委員は、やはり私どもが予定しております将来学説、判例がそのほうに発展した後のことを言われているように思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X02619620504/23
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024・亀田得治
○亀田得治君 いや、後というよりも、最近の行政事件に対する世界の立法の趨勢というのは、作為、不作為というものをあまり区別しないという考え方に非常に割り切っているような感じを受けるものですから、ことにドイツなんかの場合には、非常に行政権を強く見る伝統を持っているわけです。そのドイツにおいてすら、給付訴訟、行為要求訴訟というものをきちっと認めてきている。だから、そういうことは、やはり権利意識の発達がこういうふうに立法を変えてきていると思うわけでして、せっかくここで行政事件訴訟法を新しく作るということであれば、そういう世界の趨勢にやはり見合ったことをすべきじゃないかという気持でお尋ねしている。局長のほうは、別にその考えを否定しているわけじゃないので、だんだんそういうことがやはり学説、判例で認められることなら、決してそれを阻止するような第三条の規定にはなっておらんから御安心願いたい、こういう意味だろうと思いますが、ただ、あなたの意見が、やはりそういう問題について非常に前向きに積極的に考えているのだということであれば、そういうことが速記録に載っておれば、今後の行政訴訟の発達に相当大きないい影響があると思いまして、念のためにこれは聞いてみたわけです。
それから、こういう義務付け訴訟といったようなことが特にその他では問題になっているようですが、そのほかにも、頭で考えてみれば、いろいろな訴訟の形態というものが考えられるわけですね。そういう点、今それを認める認めないは、これは将来のことでしょうが、考えられ得る型、そういう点を若干例示してもらいたいと思うのです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X02619620504/24
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025・杉本良吉
○説明員(杉本良吉君) ただいまの御質問の点でございますが、第二項ないし第五項以外で考えられる訴訟の形態は、どういうものがあるかという御質問についてでございます。先ほどから問題になっておりまするいわゆる義務付け訴訟でございますが、これは、ドイツにおきましては、給付訴訟の格好をとっておりますので、大きな意味においては給付訴訟の中に入ると思います。それから処分禁止、行政処分の禁止を求める訴訟、こういう給付訴訟の形態のものもあります。それから、行政庁に処分をする権限のないことの確認を求める訴訟、処分権不存在確認訴訟というようなものもこの中に含まれます。それから行政庁に処分の変更を求める訴訟あるいは裁判所に処分の変更を求める形成訴訟、こういったものも考えられるかと思います。抽象的に類型と申しますと、そういうものがあると思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X02619620504/25
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026・亀田得治
○亀田得治君 念を押すようですが、そういうものも第三条の第一項の中に抽象的には含まれるわけですね。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X02619620504/26
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027・杉本良吉
○説明員(杉本良吉君) さようでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X02619620504/27
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028・亀田得治
○亀田得治君 そのほかは考えられませんか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X02619620504/28
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029・杉本良吉
○説明員(杉本良吉君) ただいま申し上げましたほかに、まだいろいろな形態が抗告訴訟の類型として考えられると思います。適切な例であるかどうかわかりませんけれども、アメリカにおいては、宣言訴訟という訴訟の類型がございますが、そういったものも、理論的にはこの第三条の一項の中に含めて考えらるべき問題ではなかろうかというふうに思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/104015206X02619620504/29
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030・松野孝一
○委員長(松野孝一君) 他に御発言もなければ、本案に対する質疑は次回に続行し、本案については、本日はこの程度にとどめます。
次回は、五月六日午前十時より開会することとし、本日はこれにて散会いたします。
午後四時五十分散会
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