1. 会議録本文
本文のテキストを表示します。発言の目次から移動することもできます。
-
000・会議録情報
昭和四十八年七月十二日(木曜日)
午前十時十四分開議
出席委員
委員長 服部 安司君
理事 天野 光晴君 理事 大野 明君
理事 田村 良平君 理事 村田敬次郎君
理事 渡辺 栄一君 理事 井上 普方君
理事 福岡 義登君 理事 浦井 洋君
小沢 一郎君 小渕 恵三君
梶山 静六君 澁谷 直藏君
野中 英二君 林 義郎君
廣瀬 正雄君 渡部 恒三君
清水 徳松君 中村 茂君
松浦 利尚君 森井 忠良君
渡辺 惣蔵君 瀬崎 博義君
新井 彬之君 北側 義一君
渡辺 武三君
出席公述人
東京女子大学教
授 伊藤 善市君
東洋大学教授 磯村 英一君
愛知県知事 桑原 幹根君
青森県六ケ所村
長 寺下力三郎君
日本テレビ放送
網株式会社社長 小林與三次君
慶應義塾大学教
授 堀江 湛君
中央大学教授 村田喜代治君
大阪市立大学教
授 宮本 憲一君
委員外の出席者
建設委員会調査
室長 曾田 忠君
—————————————
委員の異動
七月十一日
辞任 補欠選任
松浦 利尚君 大柴 滋夫君
同日
辞任 補欠選任
大柴 滋夫君 松浦 利尚君
—————————————
本日の公聴会で意見を聞いた案件
工業再配置・産炭地域振興公団法の一部を改正
する法律案(内閣提出第五六号)
都市計画法及び建築基準法の一部を改正する法
律案(内閣提出第七六号)
国土総合開発法案(内閣提出第一一四号)
————◇—————発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107104158X00219730712/0
-
001・服部安司
○服部委員長 これより会議を開きます。
工業再配置・産炭地域振興公団法の一部を改正する法律案、都市計画法及び建築基準法の一部を改正する法律案、国土総合開発法案について公聴会に入ります。
本日御出席を願いました公述人は、東京女子大学教授伊藤善市君、東洋大学教授磯村英一君、愛知県知事桑原幹根君、青森県六ケ所村長寺下力三郎君、日本テレビ放送網株式会社社長小林與三次君、慶應義塾大学教授堀江湛君、中央大学教授村田喜代治君、大阪市立大学教授宮本憲一君、以上八名の方々であります。
この際、公述人各位に一言ごあいさつ申し上げます。
本日は、御多用のところ御出席いただきまして、まことにありがとうございました。
申すまでもなく、各案は重要な案件でありまして、本委員会といたしましても慎重なる審議を続けているところであります。この機会に広く各界から御意見を拝聴いたしまして、審査の参考にいたしたいと存ずる次第であります。
何とぞ、公述人各位におかれましては、それぞれの立場から忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。
議事の順序について申し上げますと、まず公述人各位からお一人二十分程度御意見を順次お述べいただき、その後、委員から公述人各位に対して質疑を行なうことになっております。
なお、念のため申し上げますと、発言する際は委員長の許可を受けることになっております。また、公述人は委員の対して質疑することができないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願います。
御意見をお述べいただく順序は、伊藤公述人、磯村公述人、桑原公述人、寺下公述人、小林公述人、堀江公述人、村田公述人、宮本公述人の順でお願いいたします。
なお、村田公述人は都合により午前十一時ごろ出席するとのことでありますので、あらかじめ御了承願います。
まず、伊藤公述人にお願いいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107104158X00219730712/1
-
002・伊藤善市
○伊藤公述人 いま国民が望んでおりますことは、まず第一に、国家百年の大計に基づく長期的な展望に立った国土の総合的開発と利用並びに公害防止を含む新しい環境の創造であります。第二は、現在進行中の乱開発の防止、それに地価並びに物価の安定、さらに開発利益の公平な還元であります。
あらゆる経済政策は、そのときどきの短期の問題ないしは緊急の課題を解決すると同時に、それが長期の問題に対して一つの方向を与えるものでなければならないと思います。国土総合開発法案は、このような長期の課題と、短期ないしは緊急の課題にこたえるために、多くの点において発想の転換が見られます。かなり革新的なものと私は受け取っております。
特に、土地利用の基本、土地取引に対する規制を通ずる地価抑制策は、その運営よろしきを得るならば所期の効果をあげ得るものと信じます。これまですでにかなりの地方政府、特に都道府県におきましては、国のこのような措置に先立ちまして、土地取引に対しては届け出制とかあるいは協議、勧告ないしは助言を実施しでおりまして、少なからぬ効果をおさめております。私は、このような、地方政府がすでに行なっております先導的な経験の中から、中央政府が多くの教訓を学ばれることを切望してやみません。
周知のように、旧法は戦後間もない昭和二十五年に制定されたものでございまして、内外の環境の変化や住民意識の変化に対してやや時代おくれの面が問題になっておりました。今日ではややおそきに失したきらいはございますけれども、新法案は大きな前進であり、十分な審議を尽くして、すみやかにこれを成立させることを望むものでございます。
言うまでもございませんが、土地問題の核心は、土地の所有と利用との間の利害の衝突、またその調整に求めることができます。土地は水と並んで生活及び生産を通ずる諸活動の基盤であり、「公共の福祉を優先」させるべきだという第二条の規定は当然過ぎるほど当然でございます。今度の改正によりまして、知事及び指定都市の長に大幅な権限を与え、土地取引の届け出制をはじめ、特別規制地域における許可制が打ち出されております。これには罰則までついておりますので、これが施行されるならば、地価の上昇と土地の買い占めという悪循環はかなり断ち切られることになろうと思います。
しかしながら、行政面の運営が不適切であるならば骨抜きにされる危険がございます。農地の宅地並み課税が成立するまでの経緯を国民の側から見ておりますと、必ずしも楽観は許されないと思う。しかしながら、今度の国会で成立した法人の土地譲渡益に重課する租税特別措置法改正案、固定資産税の課税適正化、土地保有税の創設を目的とする地方税法改正案に加えまして、さきに私が指摘しました、やや不完全ではありますけれども、農地の宅地並み課税の実施によりまして、土地の投機的取引は今日やや鎮静化しているという事実がございます。そして地価もやや安定のきざしを見せているという事実がございます。
日本列島改造論が地価を上昇させたという見方もございますけれども、実は改造論が出る前から地価は異常な上昇を見ておったのでございます。たとえば、改造論が公にされましたのは昨年でございますけれども、それに先立つ昭和三十一年から四十六年までの十五年間について見ますと、昭和三十一年を基準にいたしますと消費者物価指数はおよそ二倍になっております。卸売り物価指数はおよそ一・一倍強、これに対しまして株価は五倍、そして六大都市の宅地価格は実に十九倍に上昇しておるのであります。この十五年間に普通預金をしておりましたならば完全に減価する、目減りをするわけでありまして、定期預金でやっと目減りを免れたという事実がございます。土地はインフレヘッジとして最適であったということが事実として存在するわけでありまして、昨年以来の国際的なインフレの加速化というものを先取りして、投機資金が土地や株式や商品に向かったということは、ある意味では政府のインフレ対策の無能さに対する一つの国民の自衛措置ないしは挑戦であったと私は思います。政府は、インフレと地価上昇をとめる、しかも円の再切り上げはしないといった論理的に不可能なことを約束し、また野党もこれを約束さした向きがありますけれども、このような、希望的観測と政策目標というものを混同する愚かさは避けなければならないと思います。つまり、いずれにいたしましても、適切な運営と並んでなすべき第一のことは、物価ないしは地価上昇と商品ないしは土地の買い占めの悪循環を断ち切る政策を強力に促進すること、これなくしては今度の改正案というものも実効があがらないだろうと私は思います。
これに関して第二に申し上げたい点は、土地の保有税を強化することであります。具体的には、固定資産税の課税標準額を時価評価にいたしまして税率を引き下げる、宅地については百坪以下につきまして低率課税にする、こういった措置が必要であろうと思います。これによって大都市からの工場の地方分散が促進されるものと思われます。なお、土地の流動性を高め、土地の有効供給量を増大させるために、土地に関する流通課税を廃止の方向に持っていくことが望まれます。また土地の公共利用にあたりましては、レンタルシステムを積極的に導入し、そのレントのレートを物価指数にスライドをさせることなどについて検討すべきものと存じます。
本法案の特質の一つは、知事及び指定都市の長に大幅な権限を与え、また公害、公聴会、不服申し立て等、住民参加に新しいルールをつくったということでございます。これは公害基本法、それから新都市計画法におきましても知事の大幅な権限の増大ということが見られるわけでありますが、今後すぐれた運営を期待したいと存じます。
周知のように、地方自治体は豊かな社会への突入に伴いまして、住民の多様な要求にこたえなければならなくなりました。また地方自治体の職員の行政能力もかなり上昇し、多くのすぐれた実験的な試みがなされ、県におきましても市町村におきましても、いろいろな面で多くの成果をあげつつあります。したがって、この権限を知事及び指定都市の長だけでなく、段階的に地方自治体に拡大していくことが望ましいと思います。それが地方自治体の創意とくふうを発揮させ、自治能力を高めるゆえんであろうと思われます。
なお、本法案の第三十二条から第四十条までは、国がなすべき行財政上の措置を定めてございますが、これまでこの種の法律がたくさんございましたけれども、これまでの経験によりますと、財源についてはちゃんと措置をすると書いてございますが、どうしても財源の面では十分ではなくて、このような開発によって地方自治体が財政的に圧迫を受けたという事実がございますので、こういうことがないように、具体的な基準あるいは具体的な規定をきめまして、十分な措置をすることが望まれます。私は、この法律が運営よろしきを得るならば、かなりの土地がいわゆる買い取り請求という形で出てくると思うのでありまして、こういう場合に資金の面で不十分だからやれなかったということのないように手を打っていただきたいと思います。
なお、国土総合開発審議会や土地利用審査会というのは、旧法の場合に比べてその責任と権限がかなり強化されることになるわけでありますが、私は、国土総合開発審議会の委員から関係行政機関の職員をはずすほうが望ましいと思います。また改正案に載っておりますように、国会議員もこの委員からはずすべきだと思います。その理由は、国会議員は国会において審議する機会を持っておりますし、行政機関の職員は事務レベルでその専門的な経験なり知識なりを十分に発揮する機会を持っているからでございます。
国土開発公団法というのは、これまでの法律にさらに新しい、大都市圏以外の市街地開発、環境整備、工業の再配置、産炭地振興、流通団地造成等、言ってみれば地方中堅都市の育成を促進するものでございます。しかも地方公共団体の要請を待って行なうというところもございまして、地域開発における住民の意思を十分に尊重するシステムになっております。言ってみれば、民間デベロッパーに対する国立のデベロッパーといった役割りを果たすものでございまして、地方中堅都市の生活環境なり、都市再開発なり、新開発なり、あるいは宅地造成、その他幾つかの仕事に対してその高度な技術と大量の資金を駆使することができるわけでして、これまた運営よろしきを得るならば地方自治の強化につながるものと思います。公共セクターと民間セクターというものを公正に競争させる、そうして有効競争の実をあげることは混合経済体制にとって望ましいことであります。その運営にあたりましては、従来よく見られましたようなフィジカルプラン先行型ではなく、ノンフィジカルプラン、すなわち地方都市の自然的、社会的、歴史的条件を重視して、ソフトウエアの開発のためにも人材と資金を多く投入してほしいと思います。
なお、都市計画法及び建築基準法の改正につきましては、そのねらいが開発許可制度を一そう強化拡充するものでありまして、開発事業等予定区域の創設というのは時宜にかなっておると思います。また今度の建築基準法の改正案では工業専用地域内の建蔽率を従来の一種類から四種類に分けまして、環境問題を重視しておる、この点につきましては、ことばの本来の意味における改善と存じます。この点につきましても運営の面で骨抜きにならないように、そうして正直者がばかを見ないように厳正に実施してほしいと存じます。
最後に私が申し上げたい点は、政府は少なくとも毎年一回土地白書を公にする、そうして土地の所有、利用、売買等について国民に十分なる情報を提供し、土地政策の実態とその効果について報告することを提言したいと存じます。米につきましては、これは国民に最も必要なものであるという考え方からあれだけ詳細なる統計資料を提供しておりますが、土地や水についての情報というものを提供していないということは、私は七ふしぎの一つであるとさえ思います。およそ科学的な政策立案というものは、正確な統計資料を中心とする豊かな情報をもとにいたしまして初めて樹立できるからでございます。
以上、本法案に対しまして私見を述べてまいりましたが、大多数のサラリーマンは土地及び住宅問題に対して現在絶望的な気持ちになりつつあります。また地方政府の政策担当者、さらにスタッフは経済開発や社会開発ないしは環境を創造しよう、そういう夢を持っておりますのに、土地問題という大きな壁にぶつかってなかなか進展しない、挫折感を感じつつあるという事実がございます。将来に対して希望の持てない社会というのは人心を荒廃に導き、その日暮らしにさせる危険がございます。
私はこの法案に対しましては、だれが言い出したかということは問題ではないんだ、何をその中身に持っているか、何を提案しているかということが問題なんだ、こういう観点から吟味してほしいと存じます。
私は本法案の趣旨に賛成し、そのすみやかな成立を望むものでございます。
以上でございます。(拍手)発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107104158X00219730712/2
-
003・服部安司
○服部委員長 次に、磯村公述人にお願いいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107104158X00219730712/3
-
004・磯村英一
○磯村公述人 この機会に国民の一人としましてこのような機会を与えていただきましたことを心から感謝したいと思います。
委員長のお話しのように、きわめて自由な立場から、かつ自分の専門に限りまして意見を申し上げたいと思うわけでございます。
御趣意にございました今回のいろいろな法案につきましては、すでに世間にいろいろな批評、賛否両論があると思うわけでございます。その背景になりまするかつての全総あるいは新全総、それから今回の国総にまで変わりました、その中におきましては、確かに内容の変化というものはある程度見られると思うわけであります。
しかしその内容は、拝見いたしますると、確かに表現の変化はきわめて納得すべきものがあると思うのでございますけれども、もしこの表現そのものを現実の社会の変化というものに当てはめてみました場合におきましては、やはり異なった考えを申し上げなければならないというのが私の考え方でございます。しかしその全部にわたりまして申し上げることは私の専門でもございません。しかしその中におきまして最も注目しなければならぬのは、このような法案、同時にその法案の背景になりました社会の認識そのもの自体にかなりの問題がある、こういうことでございます。
それは何であるかと申しますると、いわゆるこれからの時代を情報化社会というふうに規定いたしまして、その情報化社会の中においてこういったような法律の運営をしていこう、こういうことでございまするが、その問題自体に非常に大きな問題がある、こういうことでございます。あえて列島改造論と申しては失礼かもしれませんでございまするが、その中におきましての発想の背景の非常に大きなものは、やはり情報化社会への認識という問題でございまするが、この認識に問題があると私は思うわけでございます。あえて情報そのものの原理を申し上げるわけではございません。しかし、その情報化社会の認識の中で、列島改造論は、情報というものが日本列島のすみずみにまで伝わっていけば、教師も役人もそこで落ちついて仕事ができる、こういうことを述べておられるわけでございます。
私は、確かに情報化時代というものは、われわれの知る権利というものを伸展する上におきまして、こういったような認識は第一弾として受けとめることはできると思うわけでございます。しかし、われわれ人民あるいは国民は、知ることによりましてそれに参加するというのがほんとうの権利でございまして、もし知ることだけで、そのところで落ちついていろということになりまするとこれは非常に大きな問題を含んでくるのではないか、こういうふうに思うわけでございます。
情報というものは、お互いの頭に入りますると、多くの場合におきましてこれを捨象してしまいまして、選択をしまして、残るものは少ない。しかし、残りました情報というものは、自分が蓄積しておりました情報、それと合わせまして新しい情報を生むというところに人間としての生きがいというものが私はあると思うわけでございます。与えられました情報だけで決して満足するものではございません。それによりましてわれわれは新しい情報を生み、その情報によってわれわれの生活の動きを持つのが、これがわれわれの現代の情報化社会においての生きがいだと、こう思うわけでございます。したがいまして、コンピューターが発達し、そしてファクシミリなりあるいはゼロックスといったようなものが普及すればするほど、われわれはその情報化の中におきましてみずからの情報をつくるという、そういう努力をすることになると思うわけでございます。したがいまして、中央、あるいはそれが東京であるか大阪であるかは別といたしまして、そこでつくられました情報によってわれわれは決して満足するものではない。もしその情報で満足しろということになりましたならば、これは私は新しい情報化時代そのものの封建体制への復帰の糸口になるのではないかということさえ感ずるものでございます。したがいまして、かりにこのような情報化社会といったようなものを考えるといたしましたならば、その情報というものがどこでつくられ、それがどのようなものであるかということに、できるだけ多数の人々が参加するということの中に新しい民主社会の本質的なものがあるのではないか、私はこのように思うわけでございます。
あえてこのようなことばを長く続けませんが、したがいまして、こういったような国の地域を開発しようとする場合におきましては、何といってもまず国民が十分に知らされ、そしてその計画について、できれば全員参加の姿といったようなものが何らかの形でできるようなシステムこそが時代に即応しました一つの体制ではないか、私はこのように考えるわけでございます。確かに、都市計画法の先般の改正に伴いまして、公聴会なりあるいはその他のシステムによりまして、住民の声というものはその計画の設定にあたりまして若干反映するような方法がとられておりますけれども、最近のいわゆる日本列島全体にわたりまする地域関発の中におきましての一、二の例をあげてみましたならば、それは、その程度のもので今後この法律が円滑に運営できるかということにつきましては、しろうとながら若干の危惧を持つものでございます。
私は、最近ある組織のメンバーといたしまして、周防灘を中心といたしまするその周辺の地域の住民が、現在の開発の問題につきまして、どのような意識を持っているかということにつきまして、二年にわたっての調査をいたしたわけでございます。その結果として出てまいりましたものは一体どういうことであるかということを、きわめて大まかに申し上げてみますると、日本列島のいわゆる改造論の中におきまして過疎地帯という——私はこの過疎ということばもあまり適当ではないと思うのでございますけれども、かりにこの過疎地帯、といわれる地域ほど開発に対して強い抵抗を持つ、こういうことでございます。
それは何であるかということを申し上げますると、これは情報化社会の当然の帰結でございますが、われわれ朝起きますれば、どんな僻地でございましてもスイッチ一つねじればテレビの映像が入ってまいりますし、ラジオの声が聞こえてまいります。その声の中におきましては、ただいま国会で何をしておられるということはその住民も知るわけでございます。ただし、遺憾ながらその声、その映像はこれは虚像でございます。たまたま私のように、本日自分自身が国会の委員会の席に出て、そうしてお話をするなんという機会、これは実像でございまするが、こういう機会というものは、これは一億の国民に与えられるものではございません。したがいまして僻地になればなるほど虚像が多くなるわけでございます。したがいまして、いろいろな計画というものが中央から提示されました場合におきまして、マスコミを通じて与えられましたそのイメージと、それからこういったような法案に盛られましたそのものとの間に、どこが一番大きなギャップが出るかということになりましたならば、これは過疎の地帯であり僻地の地帯である。その結果というものが、志布志湾の計画がもう一回考え直さなければならないという現実になっているということを私は知ったわけでございます。
私は東京の目黒区に住んでおりまして、目黒区というところはマンション反対運動の最も激しいところでございます。その地域の中におきまして反対運動を身をもって体験をいたしましたその体験と、それから志布志湾におきましての反対の漁民というものを比較いたしました場合におきましては、東京のマンション反対運動のほうにはるかに現実性があり、むしろ何らかそこに合理性というものがあるのは何であるかということになりますると、情報化時代においてやはり現実の行政、現実の事態というものを経験しておる立場からいたしましたならば、いま申し上げましたような意味におきまして、中央に近いあるいは都市に近い、そういう周辺でございましたならば、ある程度までこのようないわゆるシステムの中で今後開発の行政が行なわれる可能性があるかもしれませんでございますけれども、おそらく日本列島全体というような点から申し上げましたならば、これはかなり違った結果というものを予想せざるを得ないのが私の考えでございます。
第二の点は、この国総の法律におきましては、特定総合開発地域の指定ということを新しくその内容にうたっているわけでございまして、その中では、新しい都市でございまするとか、あるいはいろいろな流通団地でございますとか、あるいはインターチェンジをつくるような場合におきましての指定、あるいはその方法が考えられているわけでございますけれども、しかし、この発想といったようなものは、一体、過去におきまして非常な脚光を浴びて、そうして国民の前に提示をされました新産都市なりあるいは工業整備特別地区の指定とはたして同じような考え方でいけるのかどうか、こういうことに対する疑問でございます。国民は、そのかつてのイメージというものが今日におきまして必ずしもそうではないということを、これは決してマスコミではございません、地域の住民ほどこれを痛切に知っているわけでございますけれども、はたして一体、この特定の総合開発地域の指定が十年前未曽有のいわゆる指定競争を生んだような形でもって、国民がその開発につきましての計画の推進にどれだけ協力するかという問題につきましての認識に若干の違いがあるわけでございまして、地方自治体、特に市町村の立場におきまして、住民の声を考えないでこのような指定に対しましてどのような協力ができるかということにつきまして、私は若干の疑問を持たざるを得ないわけでございます。
第三の問題、この法律案におきましては、かなり積極的な土地利用計画といったようなものを進めているわけでございますけれども、しかし、この土地利用計画、土地に対しましての公共の優先ということが国民のほとんど一〇〇%に近いコンセンサスを得ておりながらこの程度の考えにとまることで、はたして所期の目的が達せられるかどうか、こういうことでございまして、かりにある土地の取得に対しまして、市町村長の意見を聞いて、知事が不許可の指定、それを許可しないという指定をいたしましても、はたして一体そういう指定といったようなものが三年ぐらいの間でどれだけの効果が得られるか、こういう問題でございます。法律は、さらに二年を猶予してということでございまするが、現在、日本列島の各地に比較的規模の大きい企業が取得しておりまするこの土地を、三年や五年これを寝かしておくというようなことは必ずしもむずかしいことではないんじゃないか。そういうことになりました場合において、かりにこの法律案に盛られておりまするこの土地利用計画といったようなものの新しい措置を受け入れるにいたしましても、これはフランスでも考えておりまするように、その指定の留保期間というものは少なくとも八年、留保期間といったようなものを加えましたらば十四年から十五年ぐらいまでが、これが適当ではないかということを考えざるを得ないわけでございます。いわんやこの土地利用計画の中におきまして、それはおそらく、どれだけ自治体にそういうことができるかどうかわかりません。しかし、現在の法律におきましても、市町村あるいは知事は、土地の売買がございましたときに、それに対しての介入ということは許されているわけでございます。できれば、これを公共のために取得することができる、こういうことでございますけれども、しかし、私が直接東京都内におきまして、あるいは若干の地方におきましての市長、知事のお話を聞きました場合におきましては、この高騰する地価の中におきまして、その売買をチェックしまして、そうしてこれを公共のために保有するような財源といったようなものは、とうていこれは持つことができないし、また与えられてもいない、こういうことをどこでも聞くわけでございます。
したがいまして、法律的な技術といたしましてはりっぱなそういう手続ができておりましても、その社会的効果といったようなものは必ずしも期待されていないということを考えてまいりますると、もしこの条項それ自体というものを国民のためにより有効にするのでございましたならば、政府の地方自治体に対しまする非常に大幅なこのための、いわゆる土地の売買に介入しました場合において、その土地というものの利用のいかんによりましては、公共自治体がこれを保有することができるような相当な予算というものを考えていただかなければならない。
私は先年イギリスに参りました。リバプールの市長に会いましたときに、そこの市長は私に会うなり、おれはこの近所の市長の中で一番すぐれた市長だとみずから申すわけでございます。何を言ってるんだと、こう思いましたらば、自分はこのリバプールの市の土地の三〇%まで国の援助を得て公共のために持つことができたんだ、これ以上はもう自分はそういうことをしない、ここまで来れば、リバプールの市自体の土地の値段の変動に対してある程度力が持てるし、また公共の施設の利用のためにもできるんだということを得々と言っておりましたことを私は忘れることができないわけでございます。
もしこの法律がかりに生きるといたしましたならば、そういう裏づけがございますならば私はあえてこの法律それ自体に対しまして異見を、異なった考えを申し上げるわけではございません。せめてこれだけでも、国民のいま一番苦しく考えておりまする問題、一番熱望しておりまする問題につきましての非常に大きな力になるのではないか、こういうふうに思うわけでございます。
以上をもちまして私の考えを終えるわけでございますけれども、最後にお願いしたいのは、国土総合開発というのは、これは法律は国会でおつくりになり、知事が実行するわけでございます。この条項をつぶさに拝見をいたしましても、日本の現在の住民参加といったようなものを痛切に一番最前線で受けとめておりますのは指定都市の市長を含めた市町村長ではないか、こういうわけでございます。意見を聞くという条項は各所に見えるのでございますけれども、私は、住民参加がどのような形でできるかは別といたしまして、もう少し地方自治体の首長が、あるいはそこの議会が、このような問題につきまして何らかの参加が、せめて自治体の首長なりそこの代表が参加できるようなシステムをもう少し考えられる必要があるのではないか。あるいはその一つの案といたしまして、土地の問題につきまして直接現在市町村長なりが取り組むのに対して非常に困難がございますということを考えましたならば、土地利用審査会という土地利用のこの法律にございまするものはそれは一応別といたしまして、地方の自治体にいわゆる行政委員会的な土地委員会あるいは土地委員というものを置きまして、そしてこの法律がかりに進むようでございましたならば、住民参加の一つの方法としてお考えをいただきましたならばと、こういうことを申し上げまして、重ねてこういう機会を与えられましたことをお礼を申し上げまして、私の意見にしたいと思います。
ありがとうございました。(拍手)発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107104158X00219730712/4
-
005・服部安司
○服部委員長 次に、桑原公述人にお願いいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107104158X00219730712/5
-
006・桑原幹根
○桑原公述人 建設委員の先生方におかれましては、私ども地方行政に最も密接な関係のありますところの国土総合開発法案をはじめといたしまして、これらにつきましての御審議に当たられておりますことに、まずもって私どもの立場から厚く感謝申し上げる次第でございます。
私は、地方自治体、主として都道府県の立場から、この国土総合開発法案につきまして若干の点につきまして意見を申し上げたいと存ずる次第でございます。
まず第一は、法の必要性と申しますか、この点につきましては先ほども伊藤公述人からお話があったのでございまするが、現在の国土総合開発法は昭和二十五年に制定され、その後すでに二十数年の歳月を経ておるのでございまして、その間におきまして国内の情勢は大きな変貌を遂げておるのでございます。申すまでもなく、わが国の最近の土地価格の騰貴なりあるいは土地の取引の実態というものは、最も今日重要とされておりまする土地の利用、開発、保全に大きな障害となっており、国民生活の上にもまた暗影を投じておるような次第でございます。
したがいまして、この国土総合開発法がこのようなわが国の実情を踏まえまして国民の切実な要請にこたえてまいりますためには、ここにこの国土総合開発法をこの際思い切って根本的に見直す必要があるのでございます。ここ数年の間に、特に都市問題や環境保全問題が深刻化してまいりましたこと、それは根本的には何と申しましてもわが国の国土と資源がきわめて限られたものであることに基因いたしておると思うのでございます。したがって、この限られた国土利用につきましては、これまで以上に有効適切にこれを行なってまいりますことが最も必要であると存ずるのでございます。今回の国土総合開発法案はこの趣旨を盛り込んで企画されたものであると私は信じておる次第でございます。
次に、全国総合開発計画についてでございます。まず、この法案の中には全国総合開発計画と都道府県総合開発計画について規定されておるのでございますが、現在までのところこの全国総合開発計画につきましては知事の意見を聞くという手続がとられてないのでございますが、今度の法案の中におきましては、あらかじめ知事の意見を聴取するということになっておるのでございます。この点は、私ども地方自治体に関係しております者がかねがね強く要望いたしておったところでございまして、全国の国土の利用、開発、保全について、その基本的な事項につきまして地方の意見を聴取するという地方自治体尊重の姿勢を示しておるものでございまして、この点は高く評価いたしておる次第でございます。したがいまして、私ども地方行政関係者といたしましては、法案の第一章の法律の基本理念に述べておられますように、全国総合開発計画の作成にあたりましては、国土の有限性と申しますか、おのずからそこに限界があるのでございまして、また国民の生命尊重という基本的な事実、すなわち、この国土の有限性という事実と国民の生命の尊重という根本的な事実の認識の上に立ちまして、開発の限界を十分に見定めた上に、良好な国民のいわゆる生活環境を形成せられるように格別の配慮が望まれるのでございます。
次は、都道府県の総合開発計画でございまするが、これにつきましてはすでに各都道府県におきましてはそれぞれ地域の状況に応じまして計画を持っておるのでございます。たとえば、愛知県の例を申し上げますことは恐縮でございまするが、愛知県におきましては昭和三十三年以来、愛知県地方計画を策定いたしておるのでございまして、それまでの間に十分時日をかけまして準備をいたし、基礎的な材料を整えまして、その上に立ちましていま申しましたとおり昭和三十三年に愛知県地方計画を策定いたしたのでございますが、これはただ単に県の行政だけではなくして、国の出先機関あるいは市町村、公団、公社、民間の公益事業などが一丸となりまして、県土を良好な環境に育てていきますことを目途といたしまして総合的な地域共同計画をつくったのでございまして、現在それが進行中でございます。このたびの国土総合開発法案は、このような地域の独自性を尊重した上で、法的にこれらの地方計画をいわゆるオーソライズする手続を規定したものと私は理解いたしておるのでございまして、したがいまして、このことも地方自治振興に大きく寄与すると存じておる次第でございます。
しかし、今日までもそうであったように、今後におきましても社会情勢の変化はいよいよ激しくなるものと思うのでございますので、これらの計画は弾力的でなければならぬのでございます。このような地域計画は性格上当然に長期にわたるものであり、そしてその規定そのものは概括的な記述に終わる面もあるのでございまして、したがって、時々刻々変化してまいりまする情勢に対応いたしますためには、その長期的な計画の中に短期的な計画を織り込み、すなわち各論的な意味をももちまして、長期計画の中に短期的な計画をかかえていかなければならぬのでございます。したがいまして、こういう計画は常に計画しつつ実施しつつ、また実施しつつ計画しつつという形になるわけでございますが、したがって生きたところの計画であり、社会の実情の変化に対応いたしましてそれ自身が適応していくようなダイナミックな流動的な計画であるわけでございます。
愛知県におきましては、長期的な地方計画を持っておりますとともに、さらに三年ごとに、いわゆるその計画を推進してまいりまする推進会議を持ちまして、そして三年ごとにその各論的な計画をころがしていくのでございまして、いわゆるローリングプランと申しておりますが、このような計画を持ち、そして長期的な計画を段階的に進めているのでございます。こういう計画を持っておるのでございまして、すでに他の都道府県におきましても大同小異このような計画を、名称は違いましても持っておるのでございます。今回の国土総合開発法案では都道府県の総合開発計画というものを取り上げておられるのでございますが、これはすでにありまするこの地方の計画それ自身を認めていただいたということに私は理解をいたしておるのでございます。
次は、土地利用基本計画でございまするが、土地は代替性を持っておらぬのでございます。すなわち、土地そのものがそこに固定したものでございまして、他のものとこれを取りかえるということはできないのでございます。すなわち代替性を持っておらぬものでございまして、きわめて限られた空間的な資源であるわけでございます。したがいまして、この利用につきましては、それがそういう性格を持っておりますだけに、すなわち同一の土地に対しまして多くの利用についての要請が行なわれるのでございまして、その調整はきわめて困難であるのでございます。この意味におきまして土地利用基本計画が必要でございますが、これについて、その作成にあたっては知事の総合調整機能を重視していただいておるのでございます。この基本計画は知事が作成することとされましたことは、この法案が知事の総合調整機能を重視しておることでございまして、まことに適切な規定である、このように存ずる次第でございます。
この都道府県の総合開発計画につきまして、知事は主体性を持っておるのでございまするが、いま申しましたとおり、土地利用計画につきましてもそのような主体性を認めていただきたいのでございます。しかし、そうとは申しましても、実際の運用の面におきましては税制とかあるいは金融とか、その他の多くの面で総合的な強力な対策が必要でございます。したがって、国の各省庁の十分な理解、調整、援助がなければなかなかその効果を期しがたいのでございます。もとより、私どもにそのような責任が法によって与えられました限りにおきましては、あくまでもわれわれといたしましてもその責任を果たすために努力しなければならぬことは当然でございますが、いま申したように、非常に関係する面が多いのでございまして、特に中央の各省庁の十分な御配慮が願わしく思われるのでございます。土地売買の届け出制あるいは許可制などに関しましても、事務的にも、今後法案の成立後におきまして十分な詰めを行なう必要があることと存ずるのでございます。
次は、特定総合開発地域の指定についてでございます。新都市建設をはじめとする大規模事業の進捗をはかるため、土地利用に強力な規制を加えるものでありますが、この事業は関係地域住民にとりましては重大な影響を及ぼすものであり、したがって当然に強力な規制が必要であるのでございます。
この地域の指定につきましては、内閣総理大臣が指定いたしまして指定する場合もあるのでございます。この内閣総理大臣の指示、知事がこの指示を受けまして地域の指定をするのでございますが、現実に地域の指定に当たります者は知事でございまして、したがって、総理大臣の指示に従いまして指定をする場合におきましいても、地域の実情からいたしまして、地域指定につきましては非常に困難な場合もあることを想像するのでございます。そのような場合に、この内閣総理大臣の指示権の発動というものは、地域の実情に対する十分な配慮がその背後になければならぬのでございまして、私どもはこの地域の指定をいたします際に、内閣総理大臣の指示にその指定が基づく場合におきましては、地域の指定をする責任者といたしまして十分に事前の連絡等もとることにつとめるわけでございます。そういう際におきまして、地域の実情に対する十分の配慮が私どもは望ましく存ずる次第でございます。この問題は、特別規制地域の指定に関しても全く同様でございます。
次は、法律施行に伴い生じまする問題でございまするが、この国土総合開発法案はその関係する面が広いのでございまして、特に土地取引の規制を実効あらしめるためだけでも、必要とするところの事務の量はきわめておびただしいものに達すると思うのでございます。法の目的とするところも、きびしい実務が伴わなければ有名無実になるおそれもあるのでございます。そこで、都道府県の事務処理体制の強化措置に関しまする国の配慮が望まれるのでございますが、それと同時に、今後公有地の取得なり買い取り請求に十分にこたえることができますような国の財政援助措置が、どうしてもこの法律の裏づけとなって現存しておることが私どもといたしましては切実に望まれるところでございます。
以上、要約して申し上げたのでございまするが、この法律案は、先ほど申しましたような国土の有限性に立脚いたしまして、自然環境の保全や公害の防止に意を用いつつ、国土の総合的な利用、また開発、さらには保全をはかるものでございまして、地方行政の面から私どもは切実に要望いたしておった事項を含んでおるものでございます。
なお、その他の、工業再配置・産炭地域振興公団法の一部改正に関しますところの法律案あるいは都市計画及法び建築基準法の一部改正に関する法律案等につきましては、伊藤公述人の申されたところでございまして、私も全く同感であるのでございます。
要は、法律はその性格といたしまして概括的な規定でございまして、それに伴いまするあるいは省庁令、施行令などがこれに伴いまして制定されるのではございましょうが、せっかく皆さま方の御審議をいただき、これが法律として実現いたしましたならば、私どもはその審議の経過、経緯等にかんがみまして、十分に配慮をいたしつつ、皆さま方のせっかくの御努力に報い、国土の利用、開発、保全が十分法の目的に沿いまして、趣旨に沿いまして達成せられるように努力をいたしてまいりたいと存じますので、何とぞよろしくお願い申し上げる次第でございます。
ありがとうございました。(拍手)発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107104158X00219730712/6
-
007・服部安司
○服部委員長 次に、寺下公述人にお願いいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107104158X00219730712/7
-
008・寺下力三郎
○寺下公述人 私は青森県六カ所村の村長の寺下力三郎でございますが、このたび全国総合開発法案の御審議にあたりまして、この意義深い公聴会にお呼びいただきましたことを心から感謝申し上げます。
私は、一つの地方公共団体の長として、また、むつ小川原、巨大開発の波にのまれようとして苦悩の頂点にある村民を代表いたしまして、国会の権威にたより、先生方の御理解にすがってお訴えいたしたい、このように存じ上げているわけでございます。
まず、その第一は、地震か津波のように、何の前ぶれもなく突如として私どもの村を襲ったこの巨大開発は、村ぐるみ人ぐるみ、のみ込もうとしているわけでございます。私どもはいま、この波にのまれてその罹災者とならないために、あるいはまた開発難民になりたくないために必死の努力をしているようなわけでございます。
世間ではこれを反対運動だといっておられるようでございますけれども、それは村外の方々から見た表面上のことでございまして、私たち住民にとっては、これは生きるための努力であるわけでございます。生きる権利の主張にほかならないのでございまして、村長としての私の最大の任務は、法律にも示されてありますように、住民の安全な生活と健康、福祉を保持することにあると深く心得ておるものでございます。住民の暮らしと命を守ることは行政並びに政治の原点でありますけれども、これを無視した開発がゴリ押しに進められておるのがむつ小川原の巨大開発なわけでございます。これは地震、津波のような自然的な現象ではございませんので、ナショナルプロジェクトとか、あるいはまた国家的開発だとかいう美名のもとに進められ、しかもそれが閣議了解されたということでございますから、問題は一そう深刻であり、かつ重大なわけでございます。民主主義の基本的な問題として、特にこのことを皆さま方にお訴えするものでございます。
第二の問題として、この開発は、私ども地域住民にとっては死ぬか生きるかの問題だということでございます。とかく開発の問題を損得の問題として評価する傾向がございます。しかし、それは開発をする側からの一方的な見方でつくり上げられたものにすぎません。
私の村は農業と漁業を生活の基盤としている村でございます。したがって、土地と水を唯一の資源としていることは申し上げるまでもございません。しかし、いま開発の命題とされているのは、石油精製一日二万バーレル、石油化学、エチレン換算年四百万トン、火力発電一千万キロというような、世界にも例を見ない巨大な公害企業の一大集約の計画であるわけでございます。その必要を満たすために、五千五百ヘクタールの土地と、一日百五十万トンの工業用水を必要とするというのでございます。もっとも、私の村は南北三十二キロ、総面積二万五千三百ヘクタールの小さくない村ではございます。けれども、人間が住み、生活のできる面積はその三分の一程度のものでございます。その村の中心部を、人間の体にたとえますならば腹部とか胸部に当たるような重要な部分をこれだけ大量にえぐり取られるということになりましたならば、たとえ鯨のような大きいものであっても生きてはいけないのだろうと考えているようなわけでございます。
私の村は土地の広いのが特徴でありますが、気象条件に恵まれないために、過去の農業の水準は決して高いものではなかったことは事実でございます。したがって、官庁の統計に表現される所得とかあるいはまた教育の進学率などは低いのでございますけれども、このことは直ちに実感的な問題として、しあわせの度合に一致するものとは考えていないわけでございます。このようなことは世の中の進歩発展する過程にはどこにもあり得ることでございますし、問題は前途に希望があるか希望がないかにかかわるのではないでしょうか。
昭和四十年に農林省が全国わたって農民の意識調査をした統計資料がございます。それによりますと、将来農業について希望を持てるかという質問に対して、やり方によっては希望を持てる、こう答えた農民の比率が全国では二八・二%でございます。東北の平均は二六・八%、青森県の平均は二八・九%、その中で、私の村を含めた上北、下北地域では実に四三・四%の数字が、やり方によっては希望が持てる、こういうような全国最高の数字を示しているのでございます。それがこの開発騒ぎのために完全に逆転の状態になってしまったのでございます。
巨大開発には大きな土地を必要とするのでございますから、その地域の農民が農業に希望を捨てない限り、用地の取得が困難することは当然でございます。そこでやってくるのは金の攻撃でございまして、青森県で最も生産性が低いというこの開発地域の農地に、水田十アール七十六万円、畑六十七万円、山林原野五十万円という買収価格が示されました。反収米十俵以上の上田でもこんな取引は当時青森県下にはなかったのでございますが、県下でも最低といわれる農地に県下最高の値段がつけられたわけでございます。これによって経営規模拡大の希望と夢が農家から完全に断たれた、こういうようなわけでございます。
わが村の農業の過去は苦難の歴史でございますした。しかし明るい話題もございます。現在では青森県下最大の酪農地帯となってございます。北海道を除いては本州最高と申し上げても過言ではないと思っております。これは住民の二十年にわたる辛苦もさることながら、十億円をこえる農業に対する公共投資、つまり国民の皆さまのとうとい血税による援助のたまものがあり、それに酪農地帯の大部分は国有地の売り払い、こういうふうな条件のもとに開拓されたものでございます。それがいまやこの開発によって一挙に崩壊せんとしているのでございます。いかに工業優先、企業優先の社会とは申せ、あまりにも税金の浪費ではないかと痛感しているような次第でございます。
鹿島の開発でも、農工両全ということばがあたかも金のトビのようにきらめいた時代もあったことは私も承知しております。しかし現状はどうでございましょうか。農業と漁業は完全に侵食され尽くしているのではございませんでしょうか。これは決して技術的な問題ではなくて、工業開発の本質であると私は考えております。なぜならば、私たち農漁民が最も大切なものとして、大事なものとしている資源、つまり土地と水を最大限に収奪し尽くさない限り、企業の利潤追求の原則が貫徹しないという本質が厳然としているからでございます。
私は昭和十三年に北朝鮮で働いたことがございます。日本が大陸へ進出中のころでございますが、その体験からこの開発の動向を見て直感しましたことは、いまでは忌まわしい記憶となったあの進出のやり方と、一〇〇%とは申し上げられませんけれども、その手口はよく似ている、こういうことでございます。植民主義者といいますか、侵略者とでも申しましょうか、そうした人たちは現地住民に対話を必要としなかったわけでございます。もしあったとしても、現地の住民の反対の意見は聞く耳を持たない。民主社会における対話とは全く縁の遠いようなやり方であったわけでございますが、この開発でも、第一に開発の内容は全く巨大な虚構であるということでございます。こうした虚構を前提としたものに対話も合意もあるはずがない。
またさらに重大なことは、自然破壊の前に人間破壊が意識的に先行して行なわれていることでございます。
外地では実弾というと鉄砲でございましたが、私の村では銭でございます。銭には理屈もへちまもないものでございますから、住民の弱点をねらって攻撃を加えてくるのでございます。この内容につきましては、時間の制約もございますので詳細に申し上げることは控えますが、お求めがございますならばあとで資料として先生方に御提出したいと考えております。私どもはこのやり方を銭ゲバと呼んでおりますが、この状況を政治公害と理解しているものでございます。
次に重要な問題は、法律さえも軽視あるいは無視されていることであります。現に、農林大臣の許可を必要とする農地の実質的な買収行為が強行されていることでございます。その実面積はすでに一千ヘクタールをこえております。こういうことが第三セクターとか称するものによって公然と行なわれておるのでございます。
特に、最後にお訴えし、お願い申し上げることは、開発の内容は一切秘密にされていることでございます。これは明らかに民主主義の否定であるばかりでなく、開発そのものの危険性を物語っているわけでございます。こうしたことを一方的に押しつけることは、明かに自治権に対する重大な侵犯であるということでございます。いまさら申し上げるまでもないことでございますが、地方自治の本旨は憲法そのものでございます。
以上、はなはだ意を尽し得ませんが、むつ小川原開発の事情をお訴えいたしまして、先生方各位によろしくお願い申し上げる次第でございます。
(拍手)発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107104158X00219730712/8
-
009・服部安司
○服部委員長 次に、小林公述人にお願いいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107104158X00219730712/9
-
010・小林與三次
○小林公述人 ちょうど議題になっております法案につきまして、若干私の見解を申し上げたいと存じます。
この国土総合開発法その他一連の法案の全般につきまして、その前提になっておるというか、関連しておるというか、日本列島改造論という問題とからんで、賛否いろいろな議論があるように考えておるのでございます。ただこれにつきまして、私は、いろいろ問題があるにしろ何にしろ、国土の全体の利用、開発、保全をもっと合理的に適正にやらなければならないということは、おそらく国民全部一致しておる意見だろうと思うのでございます。それをおいてどうして進めるかというところに議論があるのでございまして、現在のままの大都市に集中を続けていく体制をそのままにしておって大都市問題の解決ができるはずがなし、またそういう形を続けておいてそれぞれの僻地その他の地方の開発振興を進めることができるはずがないのは明らかであって、何にしろ大都市問題は大都市問題として考えながらも、全国全般に通ずる開発発展の大きな流れを変えていくべきことは、私はもう避けがたい道だろうと思うのでございます。
ただ、いわゆる日本列島改造論が出て、その構想が出過ぎた結果、それに必要な次善の措置というか、対応措置というものが十分でなかったことで非常な問題が起こったのであって、それがいわゆる大企業中心の事業じゃないかとか、あるいは公害を全国にばらまくんじゃないかとか、地価の異常なる高騰を招いたじゃないかというようないろいろな問題があらわれてきて、議論が紛糾しておるのだと思うのでございます。私自身もそれにつきましては全く同感でございまして、この問題を進めるためには当然に地価問題に対する対策と公害問題に対する対策は、もう理屈なしに明確にすべきであって、それを前提にせずにこの問題を考えるということは、これは事実上不可能だと思うのであります。
結局、地方の住民の方々のいろいろな反発も、この公害の拡散あるいは地価の暴騰、そういうものに関連するいろいろな弊害が中心になっておるはずであって、これに対する手当なしに構想だけを先行させた、あるいは構想だけが、先ほど磯村さんがおっしゃったとおり、情報化時代という波に乗って非常に行き過ぎたというか、そういうところに問題があるのでございますが、さりながら、この構想が出て、それに必要ないま申しました手当てをやるのに一体どうするか。弊害が現実に目の前にあるに違いないけれども、その弊害をどうして押えるか。地価問題にしろ公害問題にしろ、その問題が論議になるのは明瞭でありますが、これを一体どうして押えるかという手が現にあるかというと、これは手がないのであります。その手をやはり早くつくらなければいかぬのであって、構想が先行しなければそれに必要な手当てをする立法的、行財政的な措置ができないことも事実であるが、この立法的、行財政的措置がおくれれば、その間のズレの間にいろいろな弊害が進んでいくこともこれまた間違いのない話であって、すみやかにそういうものに対する具体的な立法的、行財政的措置を確立することがすべてを解決していく根本だと私はおもうのでございます。この解決がない限りは永久に事が進むはずがないのでございます。
これは話がよけいなことになりますが、たとえばニクソンがアメリカでいろいろな、経済問題のために全く日本で考えられぬようなドラスチックな手を打ち続けております。それは日本にも波及しておる問題がたくさんありますが、ああいう自由主義、資本主義の国で、民意があれだけ尊重される国であれだけ強権が矢つぎばやに出されておる。しかもそれが実効をあげて行なわれておると思うのでございますが、これは日本から見るというと私は全く驚嘆すべきことだと思うのであります。向こうにはやはりそういうものをやる手だて、方法が準備されておる。やろうと思えばやれる。しかし日本ではそれはやろうと思えば一体やれるのか。やる手がおそらくは政府には一つもない。国会にもすぐあるかといえば、国会はもちろん立法と予算を審議なさることによって行なわれるのでございますが、そういう手だてが現実にない限りは、この問題をただ騒ぐよりしかたがないのだと思うのでございます。
それで、今度の国土総合開発法の改正はある程度、国土の開発をめぐる問題についてその一つの手だてを具体的に提供しようとしておる、ここに一つの意味がある。その総合開発法と、それに関連する諸立法の改正でその手当てを実現しようとしておる。それに関連して一部土地税制の改正とかその他が行なわれましたけれども、いずれにしろ、土地税制の問題は別にして、地域の利用開発問題につきましてのこの一連の立法が、そういうものに対する従来なかった手当てを提供しようとしておるのであって、そういう意味で、まずこの手当てを早く進めなければいかぬ。これを一日おくらせばおくらせるだけ、無計画な、無統制な土地の利用が進むに違いないし、あるいは自然の崩壊が進んでいくに違いないのであって、それを早くチェックすそともかくも手をつくるということが、国民的な問題じゃないかと私は思うのでございます。
この国土総合開発法がいままで二十年たっておるわけでございますが、あの法律は、終戦直後、荒廃した日本が生きていくためには国土の全域を最も有効に利用、開発しなくちゃいかぬといって、おそらくは全国民の願いを一身に受けてできた法律だったのだろうと思うのでございますが、実は私は、あの法律は言うほどの値打ちのあるものだとは思っていなかったのであります。名前は国土総合開発法であるけれども、総合開発を中身に一つも書いてないじゃないか、総合開発計画法でさえないじゃないか、あれは総合開発計画作成手続法にすぎない、実はこういう悪口を私二十年の間言い続けてきておったのであって、ほんとうに国土を総合開発するのなら、それにふさわしい実体と中身というものを持つことが根本であって、わが国の立法には、どちらかというとそういう趣旨とか精神とか、そういうたぐいの法律があり過ぎる。法律そのものであまり具体的な中身がない。その標本の一つがこの国土総合開発法、その他これに伴っていろいろな地域開発立法、都市建設立法がたくさんできておりますけれども、大体において計画作成手続法であって、あまり具体的な中身がなかった。それ以外にも何とか基本法というものはたくさんありますけれども、何とか基本法も、それはそれぞれの趣旨、精神は盛られていますけれども、一体具体的に何をするのか、そういうことについての具体的な規定が残念ながらあまりないのでございます。ここにむしろ問題のポイントがあるのであって、やる以上は、具体的な中身を一体どうするか、その中身が適当であるか不適当であるか、役に立つか役に立たないか、そこが論議の焦点でなくちゃいかぬし、すべてでなくてはならないと思うのでございます。
その意味で今度の国土総合開発法は明らかに一歩前進しておる。従来のいろいろな開発立法に対する体系化をやったというようなことは、それはそれなりに意味がありますけれども、私自身はそれほど大きな重点を置いていない。そうでなしに、ほんとうに具体的な土地の利用計画というものをどうつくるかということに一つの道を与えておるし、さらに、これは私に言わせると、いままでの日本ではちょっと考えられなかったような、ドラスチックというか破天荒な規定を入れておるのが土地の取引に対する関与、規制であって、場合によっては土地の取引を許可制にしておる。そうでない場合も届け出制にしておる。土地の個々の取引を許可制にかけて、場合によってはこれを不許可にしてその行為を否認する、こういうことは従来考えようがなかった規定でありますが、現実にはやはりそういうことを考えなかったら、いま世間で問題になっておる不当な土地の買い占めなり不当な地価の暴騰なりというものを押えることができないとすれば、これはやらざるを得ない。それをあえてやろうとしておるということは破天荒な考え方であって、これで十分だとは思いませんけれども、こういう手はやはり早く打っておかなかったら、一体どうして今後地方の開発を進めることができるのか。やはりその必要な手当てというものは準備しておく必要がある。
そういう上で、さらに個々の地域の住民の意図をどうくんで、それぞれの地域の、地方住民のほんとうの利益に適合したような開発を進めるかという問題は、それぞれの地域についてさらに慎重に具体的、個別的に検討しなくてはいけませんけれども、いずれにしろ、そういうものに波及して起こるであろう問題に対する手当てだけは確立しておく必要がある。この法律の意味というのはむしろそこにある。それが一番大きな意味であって、そういう意味で、私はその手当てについておまえ全部賛成かと言われれば、私自身もいろいろな意見を持っております。その意見はなおあとから申し上げますけれども、ともかくもこういう手当てをつくっておくことが根本的に必要であって、土地の利用を適正にするために土地利用計画が要るじゃないかということは、おそらく何人も言っておったところではないかと思うのであります。そうすれば、土地利用計画を一体どうしてきめるのか、その実効性をどうして確保するのか、そのきめる手続がよいのか悪いのかという問題として事柄を進めていかなければなるまい、こういう考えを私は持っておるのでございまして、全般的にこの法案の趣旨というか、精神というか、中身というか、そういうものについて心から賛成をいたしております。ただ個別にはいろいろ意見を持っております。その意見はあとから申し上げたいと思うのでございます。
それとともに、これだけの法案をやるのですから、個別の意見の食い違いが人によってあるのは当然だと思います。私自身も意見があると申しましたと同様に、各人各様の意見があるに違いない。しかしながら、結局、意見があるからといって何もきめぬのがよいのかといえば、その意見をやはり適当に集大成をして、まとめて、きめていただかなければならぬ。要するに、きまらなかったらゼロであります。ゼロだけならいいけれども、ゼロのまま過ぎていけば相変わらず土地の暴騰が続くに違いない。相変わらず土地の開発が乱雑に行なわれるに違いない。それだから地方の知事などはほうっておけないといって、自分の条例で、知事の責任でやろうとしておる知事さえ出ております。これは、そもそもそういう条例でそういう行為が規制できるのかどうか。おそらくは憲法論もあり得る。私はあり得ると思うのでありますが、しかしながら知事としてみれば、現実の自分の県下の行政に対する責任上せっぱ詰まってやらざるを得ない。それで条例をきめておるのだと思うのです。これはおそらくはむしろ国の政策がおくれておるからであって、国は当然にそういうことは先に手を打って措置すべきであって、国の基本的な考え方なり条件の範囲内で知事が自主的に動くようにすればいいことをほうってあるから、県が県のほうの条例というか、いろんなものをつくらざるを得ないのであります。そういうことから考えましても、やはり最小限度のことは大綱的に話を煮詰めて、話のきまった範囲内において一刻も早くきめていただきたい。そしてあとは、それぞれ大問題ですから、手直しをしていけばいい。手直しをすべきことは、さっき桑原さんが言われた、やりながら研究するというか、テストしながらさらに直していけばよいのであって、一度に理想的な法律や何かができるはずがないのであって、それは実際の動きを見ながら、実際の反応を見ながら、必要なものはさらに毎年でもいいから改正していったらいいじゃないか。それがこういう立法というものの仕事じゃないだろうかというのが私の偽らぬ感じでございます。
そこで私は、これにつきましての若干大きな問題だけについて意見を申し上げますと、土地の利用計画というものは、これは何らかの形でやはり大綱をきめざるを得ない。しかし問題は、その利用計画をどうして確保するか、どうして実現するかということであって、従来、計画はたくさんありますけれども、計画の実行ということの担保ということが従来あまり考えられていない。いままでだって土地利用計画がなかったわけじゃないのであって、全国的なあるいは地方的な利用計画ではなかったけれども、都市計画というものは土地の利用計画の最たるものだと思うのであります。それは五十年前からありますけれども、日本の都市はさっぱりまともな都市ができていない。それだから現在のような妙な都市ができておるわけでございます。さらにできつつあるわけでございますが、それは何かといえば、都市計画はあるけれども、都市計画をほんとうに担保する中身がない、そこだと思うのであります。
したがいまして、利用計画をいかにたくさんりっぱなものをつくったって、その利用計画の中身をどう実現するのか、実現する策がなければ意味がない。現に都市計画法の最大の欠陥を暴露したのは、私をして率直に言わしめますと、都市計画の区域の中で市街化区域と市街化調整区域というものをつくった。線引きはした。線引きはしたけれども、ほんとうに市街化が進んでおるかというとちっとも進まぬ。市街化区域の中は地価が暴騰しちゃって、いまさら宅地をつくりようがない。それだから地価の安い市街化調整区域の土地をあさったり、あるいはその外側の土地をあさって、そしてそれを宅地化しようとしておる。したがって、逆に言えばそういうところにスプロールが進んでいく。個人的なスプロールであるか、団地的なスプロールであるか、で。公団や何かだって、はるか向こうにつくって、通いようがない。それはつくったってまわりの環境と完全にマッチしていない。私はあれは団地スプロールだと言っておるのでございます。逆に、つまり市街化区域の中でどうして市街化を促進しないか。そういう実行策が実は進められていない。ただ線を引いただけであります。線を引くだけならば、必ず、そこで市街化するとか、高度に利用しようとするところは地価が上がるのは、これはもうきまり切っておるのであります。それ以外のところは地価が低い。そこへすべてのものが押しかかっていくことはこれまた明瞭であって、これも言ってみれば、ほんとうの都市計画というものを実行する策、実行策というものが従来真剣に考えられていなかったし、そういう手当てがなかった。都市計画をやりながら、むしろでき上っがた市街地をどうつくり直すかというので大騒動しておるわけです。それの一番極端なのが市街地の再改造だろうと思いますが、都市計画の根本は、でき上がったものをつくり直すのじゃなしに、現にできつつある、つくられつつある——それは個人がやるか企業がやるか、だれがやるにしろ、現に家ができつつある、道ができつつある、そういうものを一番計画的に合理的にやるのが都市計画であって、そっちをほったらかしにしておいて、でき上がったあとから大騒動してつくり直したりなんかしておる。これは全く本末転倒をいたしておる。そういう問題が土地に関する計画については必ずあるのであって、利用計画をつくった以上は、その利用計画をどうして保障し、担保するのか。そこの手当てがなかったならば、いまの市街化区域と市街化調整区域のような誤りをさらに繰り返すことになるおそれがある、私はそう思っておるのであります。
そこで一体、担保する手当てというものがこの法案で十分であるか、不十分であるか。その一つが土地の取引を届け出制度にし、さらに特別の地域については許可制度にかけて自由な土地の移動を押え、それで価格がけしからなかったりあるいは利用目的にかかわるような問題は押えようとされて、いままでかつてないような規制措置を講じようとしておられるわけでございます。この根本は、ほんとうは土地の所有権とか利用権とか、権利関係を、取引をどうするかという問題でなしに、開発行為そのものを規制すべきだったと私は思うのであります。所有権がどうなるかということはどうでもいい——どうでもいいというと語弊がありますが、その土地の利用自体を一体どうするのかという、つまり土地の現状変更、土地に対する工作物の設置、そういうものを計画的にやることがポイントであって、その土地の所有権がだれであるかとかないかとか、移動があるかとかないかとかいう問題ではなかったと私は思う。そこのほんとうの開発行為自体をぴたりと押えるのが筋だったと私は思うのでありますが、そのことは今度の案では個々の実体法に譲っておられる。そしてこの法律では取引を規制しようとされておられるわけであります。
そこで、こういう実体法が現にたくさんありますから、いろいろな法体系があるから、それを尊重せられるのも当然だと思いますが、その結果、都市計画法や建築基準法の改正もここへ出てきておるわけだし、おそらくほかの委員会で森林法の改正とかそのほかいろいろな実体法の改正が進んでおるだろうと思いますが、これは全く一体的なものであって、ただ個々の法律に譲ったがために穴があいておるのじゃないのかというのが私の疑問の一つであります。つまり、都市計画法は都市計画のことしか考えない、森林法は森林のことしか考えぬ、自然公園法は自然公園のことしか考えぬ。そうすると、中間にいろいろ白地地帯というか、個々の実体法じゃ押えられておらぬ穴があいておるはずであって、その穴を一体どうするのか。穴に今度はまた新しい開発行為が集中するかもしれない。そうなると、しようがないから、知事は自分の自主立法で、県の条例で穴を埋めざるを得ぬと思いますが、ほんとうはこれはその取引のことよりも先に開発行為を私は一方的に押えてもらいたかった。つまり、ほかの法律でやるのはほかの法律でやるが、そこの法律の及ばぬところはこの法律で、ある程度以上の開発行為を許可制にして、そして押えていただけば実は完全なコントロールができたにと思うのが私のいまの感じであって、これは非常に残念です。
しかし実体法で大体いっておる。どうせほかの法律を直すのなら、都市計画法は都市計画区域内でやるよりしようがないのじゃないかということで直されたんだろうと思いますが、ほんとうは都市的施設——開発行為というのは必ず都市的施設です。今度都市計画法にもゴルフ場までみんな入っていますが、当然に都市的施設がつまり開発行為であって、それが自然に対して影響を及ぼすから、自然とのマッチの問題が出てくる。都市的施設ならば、都市計画法の区域内であろうが何であろうが、これをチェックすることをちょっとつけたりにおきめになったほうがよかったにとほんとうは思っておるのでありますが、従来の都市計画法の体系的な考え方や何かからすればこれもやむを得なかったかな。多少の穴はあけるけれども、さりながらそれならそいつをどんでん返ししてどうするかということは、いまのこの法律の体系じゃ無理だから、そういう穴はどうもある気がするけれども、これは条例ででも押えることにして、ともかくも九十何%がこれで目的を達するのならば、これを思い切って進めてもらいたい、こういう感じがして、あとの問題はさらに研究問題にしていただいたらいいじゃないかと思うわけでございます。
それからもう一つ、それについての個々の取引の規制につきまして、やられたのは、先ほど申しましたように一つの根本は、土地の利用を担保するために個々の取引で押えようとされたわけでございますが、そのうちの一番一般的な区域——特別規制地域は別でございますが、一般的な地域については例の届け出と中止勧告というような、あるいは公表ですか、そういうゆるい手続でやっておられます。これもまあ過渡的にはやむを得ぬことだと思いますが、取引自体を押えるのが目的じゃないのであって、ここで問題は、地価をどうして押えるかという問題と、利用目的をどうして合理的にするかという問題ですから、それならばこの届け出で十分に地価に対する手当てができるのかといえば、実は私はやはりこれは疑問だと思うのであります。個々の取引行為の、ある規模の大きいものは押えられるかもしれぬ。しかし、いま申しました中止勧告であったり何かですからそれほどの強権力がない。一番強いのは特別規制地域でこれは許可にかからしていますから非常に強いが、これはむしろ、ほんとうはもっと土地税制を強化さるべきだったというのが私の意見です。
今度土地の税法で、不動産の譲渡所得税を法人について二〇%に上げられたり、あるいは個人についてその評価額を変えたりなんかいろいろしておられますが、実はあれは中途はんぱだ。ほんとうにやられるのなら、個人も法人もない、不動産の譲渡所得に対する普通の利得を越えた、普通の適正な評価を越えた投機的利益というものをどうしてもっと国が吸収することにされなかったか。つまり、いわば標準の価格、というのは現にいま公定価格、地価公示制度があるのですから、この公示制度がまだ不十分で全国をカバーしておらぬのははなはだ残念ですけれども、これを一日も早く全国をカバーすることにして、ある標準価格を越えた取引については取引価格のほとんどを、実態的な価格を一〇〇%近い、一〇〇%でもいい、九〇%でもいい、実効のある価格を税金としてむしろ取るべきだ。それくらいのことを考えなかったら、もはや土地問題はほんとうに解決はできないというような感じを私は持っております。いや今度二〇%にしたのだから、法人税は普通に四十何%あるから合計七〇%ぐらいになるじゃないかということをよく政府側も答弁しておられるようですが、ほんとうに七〇%かかるというならどうして七〇%課税にしなかったか。これはもう簡単な話なんです。この分離課税七〇%にすればほんとうに実効があがったに違いないが、分離課税は二〇%、あとは一般の総合課税であって、これを一緒くたに議論するのは初めからおかしい、全然議論にならぬと私は思うのですが、まあこれは通っちゃったことで、しようがない。そういう意味の手当てをむしろもっとやられたほうがよかったので、個々の取引で価格を押えるということは実際問題はなかなかむずかしい。これらの問題も将来の問題として私はぜひ、これは与党も野党もない、超党派的に御検討をお願いいたしたいと考えておるのでございます。
それとともに、もうあまり申し上げることをやめますが、土地の特別規制地域並びに特定総合開発地域の問題が出てきて、特別規制地域はどういうところに適用されるのか知りませんが、要するに取引を許可にかけることによって地価をほんとうに押えるという、これは考えようのないほどの一番ドラスチックな案であって、これが伝家の宝刀で十分に活用されれば、特別の地価の非常な変動が多いとか状況の変化があるところについての手当てとしては十分な効果が発生する。ただ、これをほんとうにやる知事の見識と知事の自信の問題であって、たいへんな仕事だろうと思いますが、ともかくもこれはやはり早くやって、そして、ほうっておいたら毎日のごとくに上がっていくところについてこの規制措置を私は講ぜられたい。
もう一つの特定総合開発地域というのは、それは先ほど村長さんもいろいろお話しになったような、あれが一つの例になるかならぬか知りませんが、ああいうタイプだけでなしに、いろんなところについて地域的な総合的なプロジェクトを推し進めようというのが特定総合開発地域だと思うのでございまして、これはやはりそれぞれの地域の住民の協力なしには何ものも進むはずがない、理解なしに進むはずがない。またその住民に対する手当てなしに事が進むはずがない。そういう民主的な十分な手続もここにいろいろ考えられておりますが、これは法律上考えられる最大限のことを考えられたのだろうと思いますので、あとは事実上の問題として、地域の住民とともにほんとうに裸になって話し合ったらいいのであって、この地域を一体どうしたらいいのか、このままで過ごすべきか過ごすべからざるか——どうせ日本全体としたってさらに開発を進めざるを得ない。開発を進めるのがいやなら現状で満足せざるを得ない。そんなことはありようがないのであって、それぞれの地域について開発の可能性がある限り、開発の力がある限り、それをそれぞれ最大限に伸ばすのはあたりまえだ。伸ばすために、ある特定な総合的な開発計画が必要な地点はそれにふさわしいように開発計画をつくって、そこへ国も地方も力を集中したらいいのであって、いままでのようにお情けとかかっこうだけでやっておるからこれは反発が出てくる。やる以上はそこへやはり集中的に力を注がなきゃいかぬ。その意味では、この法律でやはりお経の文句のように、財政上どうしろとか起債は特別に配慮しろとか、というようなことなら従来のいろいろな地域開発立法に書いてあるとおりであって、これはあまり意味がない。やる以上は、国が乗り出す以上はそれはほとんど国の責任で、地方と一体になってやるだけの体制をとらなかったらこれは意味がない。そこで初めて特定総合開発地域というものの意味があり、これだけの特別の手当てをする、場合によってはそこにおそらくは特別規制地域を適用されるに違いないが、それほどのことをやろうという以上はそれくらいの覚悟と前提がなかったらこれは意味がない。そういうことは、政府もただ単に適当に都合のいい規定を並べておけということではいかぬのであって、その点は私はさらに具体の問題として前進をさせてもらいたい。ただし、いま具体的にどこがどうこうという問題がないですから一応抽象的でしようがなかったのだろうと思いますけれども、いざということになればさらに具体的に進めていただかなかったならば、これはあまり効果を発生しない、こういうふうに考えておるのでございます。
それにつきましては、一つは、土地の問題は非常にむずかしいが、地価の騰貴の問題だけでなしに、利用目的をどうするかという問題もいろいろありますが、土地については、私はやはり所有権というものを市場化したような従来の考え方は当然に反省さるべきだと思うのであります。どうせこの狭い国土に日本人、一億幾らの国民が生きていかなければいかぬのであります。おまけに激しい国際競争場裏の中で国民の生活をもっと上げていかなければいかぬのであって、そうなれば力のある土地はもっと利用するのがこれはあたりまえ。その土地を一番最高度に、最適正に利用させるような案を持つとともに、そういう方策を考えなければいかぬ。その場合に、あまり既成の土地の所有権の観念にこだわっておるのはおかしい。これはやはり従来の所有権観念から逸脱して、社会公共のために土地が利用できるように利用権をもっと分離させるべきだ。所有権はとる必要がない。所有権をとろうとするからいろいろな摩擦が起こるのであって、所有権はそのままリザーブしておいていいんですよ。個人に与えておいていい。場合によってはその土地の上における建物だって与えておいていいんであって、その建物の利益の帰属を個人に与えていいのですが、少なくとも利用だけは最高度にするように考えなくちゃいかぬ。その高度利用するのについては国家はもっと強力でなくちゃいかぬし、もっと賢明でなくちゃいかぬ。もっと賢明に、土地の所有者の立場も考え、全体の立場も考える手当てを考えたらよいのであって、その手当てを従来の考え方だけで済むと思っておるところに誤りがあるのであって、もっと飛躍的な考え方を当然に考えられてしかるべきだ。もうそういう時期がとっくに到来しておるはずであって、そういうところへさらに前進せられることを希望してやまないのでございます。
以上、大きな問題を中心にして私の感想だけを述べさせていただきました。どうもありがとうございました。(拍手)発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107104158X00219730712/10
-
011・服部安司
○服部委員長 次に、堀江公述人にお願いいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107104158X00219730712/11
-
012・堀江湛
○堀江公述人 私、政治社会学を専攻しております一学徒としまして、また現に東京都民として生活している、そういった一国民としまして、この一連の諸法案に対する率直な感想を述べさせていただきたい、こう考える次第でございます。
ここでは、立法政策ないしは立法技術上のいろいろな問題点とか、それに対する意見ということではなくて、この一連の諸法案が実施された場合に、それが国民あるいは市民にどういう影響を与えるのだろうか。むしろ、そういった法案の実施の過程で生ずるいろいろな問題を、国民の側の心情と申しますか、そういった点に強調点を置きながら率直な感想を述べさせていただきたい、かように考えるわけでございます。
今日、御存じのように、日本の工業が東京や大阪、いわゆる太平洋ベルト地帯に過度に集中し、あるいは東京や大阪の巨大なメガロポリス、こういったものが発展して、これがにっちもさっちもいかないような、ある動脈硬化の状態におちいっている。これはだれしも認めるところでございます。そこで、こういった工業の再配置——これからの経済成長をどの程度に設定するかというような問題があるにしましても、少なくとも工業再配置、またそれに伴う大都市の都市改造あるいは再開発というものが必要だという点については、これはだれしも認める点であろうかと思います。そしてまた、こういった一連の工業再配置と、またそれに伴う都市改造が、少なくとも民主主義国家である以上、それが一方的な統制によるものでなくて、あくまでも誘導と、政策的なさまざまな行政上の禁止事項、こういったいわゆる誘導と禁止によってそれが促進されていかなければならないという点についても、これは論をまたないところであろうかと思います。
ただ、問題はその先にあるのではないかと思います。実は例の日本列島改造論で論ぜられているようなあの「禁止と誘導」なることばの中身が、もっぱら金融政策上の特別融資ないしは税制上のさまざまな操作、こういった金融政策上の、ないしは税制上の経済的側面からのみ考えられている、こういったいわば経済中心主義的な一つの発想、ここに一つの問題があるのではなかろうか。また、こういった一連の法案の中に住民参加という問題を積極的に取り入れてはおりますけれども、その場合の住民参加といいますか、民間の参加というものがもっぱら民間企業の利潤追求、そういったことを契機とする、てことするところの、いわば経済的効率性という面からのみ民間の諸企業の参加ということを位置づけている。実は住民参加という点でもまたきわめて経済的側面からのみ考えられている。この点にこの一連の法案の一つの問題点があるのではなかろうかと私は思います。
さらに三つ目の点としまして、開発計画の主体となるのが国及び地方自治体。実施は、そこにはもちろんさまざまな民間団体が参加するにしましても、基本的計画の立案においてはやはり国と地方自治体が中心となるものだろうと思います。ところが、国や地方自治体がさまざまな計画を立案する場合の立案の基礎になるデータが一体何から出てくるのか。どうもここには依然として行政官の過去の経験と勘に基づく一つの計画の立案、こういう色彩が非常に強いように思われる。そうして、今日の非常に巨大化した大都市のにっちもさっちもならないような状況のもとで立てられる都市の再開発ないしは工業再配置、そういった問題の検討が、一種の都市工学的な、ないしはシステム工学的な検討ということを十分経ないで、もっぱら行政上の一つの経験や勘にたよって計画を立案するという傾向がありはしないか。またその実施の過程で、一種の土木工学的な技術性というものは認められるにしても、そういったマクロな一つの科学的な検討、総合的な検討という点で必ずしも十分でない、この点で大いに考えるべき点があるんではなかろうか。
さらに実施の過程で、一体それが住民とどういう関係を持つか。この地域住民に対するいわゆるコミュニティーアプローチと申しますか、そういった住民との対応という点でも、必ずしも十分な配慮がなされたとは思われない。単に公聴会を開く。地方自治体においてあるいは国において、そういった計画の立案の過程でその種のさまざまな公聴会を開くといったようなことだけでは問題が解決しないはずだ。そこで、そういった実施過程における住民の参加をどうやって保障していくか。あるいは、それが単に陳情とかあるいは公聴会ということだけでなしに、具体的に市民との間の関係、これをどうやって高めていくか、こういう点にもやはりこの法案の一つの問題点が残るのではなかろうかと思います。
実はこういった問題、これは私たまたま東京都に住んでおりますし、かつまた私が杉並区に住んでおるというような事情から最近私が見聞しました幾つかの問題を事例にとって、お話ししてみたいと思うのです。
一つは例のごみ戦争の問題でありまして、一つはこの法案で問題になっております例の工場追い出しとの関係で生じてきた亀有における日立の移転の問題、さらに最近問題になっております土地保有税、こういったことを一つの事例にとって、私、以上の問題を考えてみたいと思うのです。
あのごみ戦争の問題でございますが、今日、東京のような大都会でごみの廃棄物が非常に巨大な量に達している。したがって、これが自然廃棄ではとうていやっていけない、これはだれしも認めるところであります。そこでそれを焼却によって処理せざるを得ない、ここまでは、その人がどのようなイデオロギーを持とうと、だれしも認める点であります。ただ、問題はその先にあります。
そこで、実際にごみの焼却をするというときに、一体どの程度の科学的検討がなされたのであろうか。どうも従来のやり方を見ておりますと、大体これから東京都で排出されるごみの排出量の予測をやってみる。そしてそれを処理するための工場の処理能力を計算して、そこから焼却工場の数と設置場所を決定し、そして適当な空閑地を見つけて、そこにそういった焼却設備をつくる、こういったようなやり方をなされる場合が多かったように思います。この辺に問題があるのではなかろうか。
今日、こういったごみを焼却することによっていやおうなしにまわりの汚染という問題が起こる。そうすると、こういった焼却工場をつくる場合の一つの科学的計算の基礎として、経済的効率以上の問題として、まわりを汚染させないような、相対的に汚染度が最も少ない、そういった焼却工場の一つの最適規模はどれだけのものであったらいいのかという科学的な検討がなされなければならないのだろうと思う。こういった検討がはたして十分なされておるのだろうか。そしてその検討の結果、その焼却能力に応じておのずからその都市、たとえば東京における焼却工場の数が決定されるはずであります。
さらにまたもう一つ考えなければいけないことは、そういったごみを収集する場合の収集車の出す排気ガスの問題、これもはたして正しい厳密な計算がなされておるのだろうか。東京都は御存じのように非常に細い迷路のような路地がたくさん入り組んでおる。ここを自動車が回ってごみを収集する。そうすると、そういった収集の車はどうしても小型車たらざるを得ない。この小型車の出す排気ガスと、また小型車が走り回る距離を最小限にするにはどうしたらいいか。そうすると、そこからおのずからそれを大型車へ積みかえるといったようなことも必要になるでしょう。そういった検討がはたしてなされているだろうか。科学的に、最近のシステム工学なりあるいはオペレーションリサーチの方法を使えば計算できるはずでありますが、そういった計算がどうもなされておるような節が見えない。
実はそういうことが、これからの都市工学あるいは都市開発というものを考える場合にはどうしても必要なことだろうと思う。そこからおのずから一つの、ごみ焼却場の最適規模と、そしてそこで収集しなければいけない地域の規模がきまってくるはずだ。もしそうだとすると、それに応じて東京都に何工場設置しなければいけないかという工場の数もきまってくる。これは決して、いわゆる自区内処理といったようなごく機械的な各区ごとの決定ということにはならないのだろうと思います。
そして実はここでも一つの問題が起きてきます。それはどういうことか。たとえば、いわゆる自区内処理という問題が出てきておる。これもどうも、一部の杉並区における市民の反対運動が高まってきた、そして焼却工場をつくらなければいけない、そこでそうした説得の手段として、むしろあとから自区内処理という原則が引き出されてきたというような傾向が見られる。と申しますのは、初期の段階で東京都が建設を計画したあの焼却工場の数は実は東京都の二十三区の数には足りていない。したがって、各区に一個ずつつくるつもりではなかった。もちろん、最近新聞の報道するところによれば各区一個ずつつくるというふうに計画が変更されたようでありますが、むしろその計画のほうがあとにきている。中央区や千代田区にも焼却工場をつくるという新聞報道がございますが、少なくとも最初の計画にはどうもそこにはなかったようだ。あるいは現にできて稼働している、たとえば大井沖のあの焼却工場は大田区のごみの排出量をはるかに上回っている。そうすると、どうもこの辺でも、あの自区内処理という原則はあとで考えられた節がある。そうして、これからの都市開発を考えていく上に必ずこういった問題が出てきます。
国と地方公共団体、あるいは地方公共団体のまた都道府県と市町村、あるいは東京都の場合だったら都と特別区の関係、こういった問題について実はこまかい配慮がなされているだろうか。総合的な企画を進めていこうとすれば、どうしてもこれは広域行政、都ないしは国というものにその中心が移っていく。しかし実施の段階においては地域住民との密接な関連が生じてくる。そうするとこれはできるだけ末端の公共団体へと移っていかなければいけない。この間の関係がはたして十分配慮されているのであろうか、こういうことをひとつ考えてみる必要があるのではなかろうかと思います。
さらにもう一つ考えられるのは、いわゆる行政機関相互におけるセクショナリズムの問題であります。たとえば、ごみの自区内処理を主張する。ところが東京都における清掃部門は、これは都に直属しております。したがって、もし自区内処理の原則を貫徹しようとするならば、こういった清掃部門も特別区へと権限を移していかなければいけない。ところが御存じのとおり、現在においては東京都においてこの清掃部門は、職員の方々は、職制の側においてもどうも反対のようであるし、また一般の労働組合の側においてもどうもこの区移管に反対している。実は、これは東京都の職員というサイドから見るならば、特別区へ移管され、特別区の職員になるということが将来自分の職員としてのいろいろな経歴に不利益をこうむる、こういった点についての配慮が十分でないから生じてくる問題だろうと思う。こういった一つの行政部門相互のセクショナリズムの問題、これも解決していかない限り、この法案がいかにできても、その実施の段階でいろいろな摩擦が生じてくるのではなかろうかということ。
そうして実は、また先ほどのごみの例で恐縮ですが、高井戸に杉並区のごみ焼却場をつくることになった。そうして、この焼却場は環状八号線のすぐそばにあるのですが、この中にごみを運び、あるいは出てくる車によってまき散らされる公害を最小限にとどめるためにその搬出入路は地下道にする。五百メートル離れた水道道路と環状八号線という広い両方の道路が交差する点まで地下道を通して、そうしてそこで地上に出るという方法で解決したいという東京都の案が出ている。数日後の新聞に、環状八号線の拡張をやめるという東京都の案が出ている。これは現在、片道二車線以上三車線、そういった広い道路をつくることはかえって自動車公害を増す、そこで環状八号線の拡張をやめて、片側二車線、そういった道路の拡張をやめる。すでに広がっている道路はむしろ歩道を広げることによって縮小の方向に進めていくという案が出ていました。そうするとこの二つの案は全く相矛盾する、それが一つの地方公共団体の政策案として同時に提出される。これではなかなか地方住民が信用しなくなるというもの当然だと思うのです。これは単に、現に都政がだれによってになわれているかという問題は別として、むしろこういった巨大都市というものからいや応なしに生じてくる一つの行政上の問題点だろうと思う。こういう点の配慮がなされてなくていいのだろうか、そういう配慮なしに行なわれていく、そういった工業再配置や都市再開発というものが一体どういう問題をもたらすのだろうか、これを考えないわけにいかない。
同時にまた、そういった地方公共団体と国とあるいは他の公的団体との関係であります。たとえば現在江東区の住民が非常に困っておられる、ことに枝川町一帯の市民にとってはたまらない。たまたま私のうちも、ちょうど回り持ちで地区のごみの収集場所に私のかどがいま指定されております。私、本日朝出てくる前に、臭気ふんぷんとしてたまらない。わずか十軒か十五軒の家庭の出すごみですらくさい。だから東京都の何千台というごみトラックが毎日行き来する枝川町一帯の住民がたまらないのは無理はないのであります。しかし同時にここは高速九号線の予定地でもある。そうすると、首都高速の九号線がもし建設されればこれがごみ搬入の専用路になり得るはずだ。その意味ではある程度そこで問題が解決できるはずだ。しかしそういうことが十分なされていない。そういう点でも実はそういった公的団体相互の間の連関、セクショナリズムといいますか、連絡、連携の悪さということは明らかに指摘されなければいけない。
最後に、今日この民主社会において、地域の住民がそういったさまざまな自分の生活に関係ある政策決定に対して参加することは当然でありますが、そういったことについてのインフォーメーシン、情報の提供が実に悪い。先ほど磯村先生から情報化社会、情報の問題が御提案がございましたけれども、たとえば私の家自体もそういった一つの道路予定地に入っておりますが、そういった問題についての必要な情報の提供というのは実に徹底的に欠落している。実はこういった事情が今日の都市改造ないしは国土再開発という問題を非常にむずかしくしているじゃないか、こういうふうに考えます。
さらに今度は、次の工場追い出しの問題でございますが、実はこれも今度の法案の重要な眼目になっております。確かに大都市の東京や大阪の都心にある、あのどうしても環境の汚染をしがちな工場を地方に再配置する、これはたいへんけっこうな案でありますが、ただこれが手放しで賛成できるか、どうもそうではなさそうであります。ここにも問題があるように思われる。確かにこの場合に、いわゆる工場に追い出し税をかけないまでも、工場の移転に対してさまざまな誘導政策がなされています。特別な融資を行なう、移転のための融資をし、あるいは工場新設のための融資を行なう、これによって確かに工場の移転は容易になりますが、しかしそれに伴う別の一般市民あるいは従業員の問題に対して配慮がなされているだろうかという問題であります。
たとえば日立の亀有工場の場合、たぶん労働者の平均年齢は、東京都の都心にある大企業の古い工場の多くがそうであるように、労働者の人員構成が極端に老齢化しているはずであります。たぶん亀有工場の場合も平均年齢は四十歳に近いはずである。こういった工場で、すでに生産能率が低い、拡張の余地がない、環境汚染の問題が起こってくる、そこで企業が外部に移りたい、こういう欲求が出てくるのは当然でありますが、その際に労働者にどういう問題が起こるか、こういった配慮が十分なされているだろうか。四十過ぎの労働者、これは一体どういうことが生じているか。たぶん子供が大学か高校に行っている、生活費の一番かかる時期であります。
〔委員長退席、渡辺(栄)委員長代理着席〕
そうしてたぶんこういった労働者にとって、東京に住んでいて自宅通学であるからこそむすこを大学にやれる、こういった状況だろうと思う。かつまたこの労働者はたぶん住宅難だ。おそらく、亀有の工場であれば東武線沿線か何かの、一時間半ぐらいかかる埼玉県の中央部にやっと自分でローンを受けて融資を受けて持ち家をつくったという段階であろう。こういう段階で工場移転が行なわれるならばどういうことが起こるか。若い労働者は工場について地方に行くことはできますが、四十代過ぎの、生活の根がすでに、工場が都心にあるということを前提としてつくられてしまっておる労働者にとっては、これはとうてい移動できない、移転できない。そこで実質的にはそれはていのいい労働者の整理につながる。したがって、工場は古い都心の工場を売り払うことによって地方に移り、新設の生産性の高い工場をつくる。同時についでに、年功序列賃金できわめて賃金コストの高い中高年齢層の労働者の整理まで便乗して行なえるということになってしまう。これでは困る。そうして大企業の場合でしたら、そういった労働者の住宅を会社が社宅として借り上げることによって、事務職員用の社宅に転用するというようなことがある程度できるかもしれない。しかしこれがもっと規模の小さい企業になるとそうはいかない。また大企業によっても、工場がどんどんと地方に出ていく、ほんとうに本社部門だけ都心に残るという段階になればそれも不可能になってくるはずです。そうすると今度の法案は、もっぱらそういった工場に対する税制面の、あるいは特別融資上のいろんな手当てはされているけれども、そこに働く労働者のほうの手当てはややおろそかになっていないか、こういう点がやはり問題として指摘されると思います。
最後に土地保有税の問題ですが、これもやはり同じことが言えます。土地保有税、これも、確かに現在東京の地価が非常に高い、そこで時価課税方式をとっていく、けっこうなことであります。時価課税方式をとるのはけっこうでありますが、そうすると、ようやく定年退職後にマイホームをつくった、こういった人たちはどうなるんだろうか。それがまだ現に働いている人はインフレに対してある程度の抵抗性を持ちますが、すでにそういった高い給料を得ることのできない退職者にとって、現在のインフレのもとにおいてそういった時価課税方式、土地がどんどん上がっていく状態で時価課税方式をとられたらどうなるのか。せっかくのマイホームが維持できないという状況になる。そこで出てくるのは、いわゆる百坪以下の土地に対しては特別の措置をとるというやり方だろうと思う。しかしこれは今度は逆に、別のもう一つの問題を生じてくる。これは現在でもさなきだに細分化されている東京の土地をますます細分化し、一筆が小さくなっていってしまう。私が住んでいる杉並区の周辺では最近、老齢者がなくなる。たいてい老齢者は百五十坪か二百坪くらいの家に住んでいらっしゃる方が多い。その方がなくなると、必ずそのあと建て売り住宅になります。どういうふうにするかというと、それをたいてい六つくらいの狭い地域に分けてしまう。そうして一軒が三十坪くらいの家、明らかに建弊率違反と思われますが、ぎりぎりの、建蔽率を無視した違法建築で建て売り住宅がぎっちり、たいてい六戸ぐらいつくられてしまう。そうすると都市の細分化が行なわれる。そうして、もし何かの災害が生じた場合にそれが非常に危険なことになるでしょうし、もし失火か何かで一軒焼けてしまえば、その持ち主はもはやそこにはたぶん新しい家を再建することは、現在の建築法規上できないはずであります。そういった状況で細分化が進んでいく。そうすると、ただ単に百坪以下の土地に特別措置を講じるということだけでは問題は解決しないように思う。こういうことを一体どうしていったらいいんだろう。そういったきめこまかい配慮が必要だ。
また、あの列島改造論でライフサイクルに合わせた住居ということが問題になっております。若いうちは都心でアパート生活、あるいは子供の成長期には郊外の緑の庭つきマイホームで、あるいは老人になれば子供の成長でそれに適した新しい家に、といったようなことがいわれておりますけれども、現在の日本の東京のような高い土地と、そうしてまた土地税制のもとでは、移転すればするほどどんどんと財産が減っていってしまう。そこで、ライフサイクルに合わせた制度といいながら、実はそれを、実際に行なうことは事実上不可能だ。そこで現実には、若い結婚したての青年社員が無理なローンを受けて郊外に狭いマイホーム、庭つき一戸建ての家をつくって、そうして生涯そこにしがみつくという状況になってしまいます。そこで果てしなく郊外へ宅地が広がっていき、しかも東京から離れれば離れるほど一戸の家庭の土地が細分化されていって、三十坪、五十坪という小さな、零細な一戸建てマイホームがふえていくというような、そういった非常に奇妙な現象が生じている。
つまり、確かに今日われわれ、工業再配置が必要でありますし、都市改造も必要ではありますけれども、そういった都市改造を進める際に、それが非常にマクロなレベルで、税制とあるいは金融政策をてことして推し進めていこうとするときは、そういったしわ寄せが個々の市民、しかもそれが強い組織を持たないような年老いた、あるいは老後の余生を送るといったようなそういった市民、あるいは経済力の弱い市民、そういったところにどうもしわ寄せが行なわれがちだ。そうして、そういったきめこまかい地域社会の配慮というものが欠けがちだ。こういう点に非常に大きな問題があるんではなかろうかと思います。
そういう意味で、これからの御審議の過程で、どうかそういった市民の側に立つ、そうして市民の心理あるいは市民の社会的な側面というものに十分配慮を払った一つの法案の立案、ないしは法案の実施に際してその種の配慮というものをぜひお忘れないようにお願いしたい。かつて所得倍増政策というものが、あの十年分と予想された設備投資が最初の初年度で全部なされてしまった。あれは明らかに経済中心主義的な経済政策の欠陥であり、心理的側面に対する配慮が欠けていた。あれは確かに所得倍増政策で農村の所得は上昇しましたけれども、あの農村の農民はどういう形で所得を増加させたか。日雇い労働者あるいは出かせぎという形で大都市の最底辺に流れ込むことによって所得を上げていった。つまり、そういった経済主義的な経済政策というものは、実はその最底辺にある市民、それに対する配慮を欠きがちなために、そういった十分な再教育あるいはそういった市民の側に立った配慮が欠けているために、とかくいろいろなしわ寄せが市民の間に、最底辺に集まりやすい、こういった欠陥が生じているということをひとつ御配慮願いたい、かように考える次第であります。(拍手)発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107104158X00219730712/12
-
013・渡辺栄一
○渡辺(栄)委員長代理 次に、村田公述人にお願いいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107104158X00219730712/13
-
014・村田喜代治
○村田公述人 村田でございます。
昭和三十七年に出ましたいわゆる全総、全国総合開発計画以来、国土開発の目的というものは、都市過大化を防止し、あるいは地域格差を是正するというところに一つの重点が置かれているということは御承知のとおりであります。しかしながら、現実の歩みを見てみますと必ずしもその意図は達成されず、むしろ逆の方向を歩んできたとすら言うことができるわけであります。
たとえば少数の大都市におきましてはいわゆる過集積の問題が起こりまして、都市内におけるいろいろな問題が悪化の一途をたどってまいりましたし、他方、国土のほぼ三〇%はいわゆる過疎地域という表現で呼ばれておるような形のものになっております。そして過疎地域と呼ばれておりますところは、いわゆる過疎であるがゆえに、たとえば教育とか健康管理というようなものについてもまともな、満足すべき機会さえ得られない。そういうようなことが理由になって人口はますます減っていく。したがってまた地方財政も逼迫していくというような悪循環を生み、残された人々は、たとえば出かせぎというような形をとり、したがって一家の団らんすら得られないような状況に置かれている。これが国土の三分の一に達しておるのが現状であります。
他方、たとえば東京のような大都市におきましては、一人当たりの所得は非常に高い。したがって見かけ上は豊かに見えます。しかしながら、一歩内面に入ってみますならば、住宅難、通勤難あるいはただいま御指摘のありましたようなごみの処理においてすらたいへん大きな困難を来たしており、さらにまた公害問題に悩まざるを得ない。
これがわが国土におけるアンバランスの問題の一つの大きな側面ではありますが、このような状況に置かれました市民は、単に貨幣的な要因だけではなしに、非貨幣的な要因も含めまして、生活の安定、充足というものを求め、これがシビルミニマムを獲得するための運動として展開しておることは御承知のとおりだろうと思います。
このシビルミニマムの運動と申しますのは、地方自治体あるいは政府が国民のために満たしてくれるものが十分でない。住民の意思にそぐわない。こういうそぐわない施策に対する一つの抵抗として打ち出されたわけであり、また、今日価値観が多様化した中で、現代社会における住民の意思を直接ぶつけていこうという一つの大きな運動であるわけであります。そしてその運動は地方自治体やあるいは政府に対して大きな課題を投げかけ、自治体、政府は、その住民から投げかけられた課題をまともに受けとめなければならない状況に今日置かれていると考えております。
ところで、このシビルミニマムの運動でございますが、これは今日のいわゆる工業化社会を基礎とし、一定の生産力という大きな前提のもとに展開されております。もしこの前提が客観的に承認されるものといたしますならば、今日、先ほど来申しましたように、地方自治体の間には生産力の上に大きな開きがあるわけでございます。したがって、都道府県間あるいは市町村間にありますこの生産力の開きをそのまま是認して、その上に各自治体がそれぞれ特徴ある独特のシビルミニマムを展開し、求めようとしますならば、求められるシビルミニマムというものは自治体間によって多様性を帯びることになりますし、単に量的な多様性でなしに、質的にも重層的な非常に大きな開きのあるシビルミニマムというものが展開されざるを得ない。ある自治体では非常に高いシビルミニマムの実現を求めることができるし、また可能であろうけれども、他の自治体においてはへたをするとシビルミニマムを求める手がかりさえ得られないというような状況におちいる可能性があるわけであります。
〔渡辺(栄)委員長代理退席、委員長着席〕
今日、いわゆる農村地域といわれるところにおきましても都市的な生活様式はかなり深く浸透しております。しかし、大都市と地方都市、あるいは都市と農村との間には非常に大きな量的なあるいは質的な開きというものがあり、それがそれぞれの自治体が持っております生産力によって規定されておるということは事実であります。だといたしますと、このような前提の上では、シビルミニマムの政策課題というものをそのまま一般化していくということは、へたをすると大都市中心主義におちいる危険性をそこに含んでおる。あるいは、今日ある不均等な状況を前提として各自治体が独自の問題を追求していくということは、そこに一種の競争原理を認めざるを得ない状況になる、このように考えられるわけであります。
だといたしますと、たとえば極端に表現します場合、シビルミニマムを求めるためには、どうしてもシビルミニマムを実現するための財源を確保しなければなるまい。だとしますと、これまでの地域開発あるいは工業立地政策が生んできたと同じ弊害、すなわち財源獲得のために何が何でも工業誘致をしなければならない。その上に初めてシビルミニマムの問題が検討されるというような逆の論理が展開される可能性が残されておる。ここにシビルミニマムに対する一つの危惧を私は抱くわけであります。あるいは東京都のように、わが国のみならず世界でも有数な、見かけ上の財政力の豊かな場所においても、過大であるということが原因で、決して財政は実質的には豊かではない。そこで都民のためのシビルミニマムを実現するためには、たとえば法人税を引き上げていく、あるいは法定外の新しい税制をつくり上げていく、このようにしなければ都民に満足してもらえるミニマム水準を設定することができないということで、現象としては地方都市と東京都との間には違いがありますけれども、財源を確保しなければミニマム水準を実現できないという点、いわば本質的なところにおいては問題は同じではなかろうか、こういうふうに考えます。
だといたしますならば、われわれがシビルミニマムを問題視する前に、どうしてもナショナルミニマムというものの設定が基本であり、一定のナショナルミニマムの水準が確保されたその上に各地方自治体が独自のシビルミニマムの水準を積み上げていく、こういう問題の設定が基本にならなければならないのではなかろうかと私考えるわけであります。そうでなければどうしてもシビルミニマムの運動の中に歯どめがない。そしてそれが地域間の非貨幣的な要因をも含みました意味での格差を拡大する、あるいは拡大させないためには、従来と変わりのない無理な、たとえば工場誘致運動というような形のものを押えることのできない、したがってあせりがそこにありますために危険を伴う、多少の公害があってもというような形でのあせりがそこに出てくるのではなかろうか、このように現在の事態を考えております。
このような観点からここに出されております法案を若干見詰めてみますならば、たとえば国総法について見ますと、二十五年に出されました国総法では「開発」なり「保全」なり「産業立地の適正化」とうたったあとで、「あわせて社会の福祉」という、福祉問題は付随的にしか取り扱われていなかったわけでありますが、新しい法律の第二条では、この問題が、「健康で文化的な生活環境の確保」をする、そしてそれによって「国土の均衡ある発展を図る」ということが何よりもまず「基本理念」としてそこにうたわれております。この点、今日問題になっております国民のための福祉ということが基本に据えられておるという意味では、私この点を評価いたしたいと存じます。しかしながら、条文を追って見ますならば、たとえば第三条第三項で、公害防止については「適切な考慮が払われたものでなければならない。」という文章になっておる。福祉を基本理念に置いておるにもかかわらず、適切な配慮が必要であるというのはあまりにも弱い表現であり、何かこの第二条での理念がほんものかなという疑念を抱かざるを得ないわけでありますが、しかしこれは表面的なことでありまして、たとえば公害防止関係、環境保全関係は、環境庁が持っております諸関係法、あるいは環境庁長官に与えられました諸種の権限、それによって調整するということがおそらく前提でありましょうから、その意味ではこのような文章になったとしてもやむを得ないのかもしれません。しかし、第二条で理念を大きくうたったとするならば、第三条の表現ももう少し積極性のある内容になることが必要ではなかったか、こんな印象を持っております。
次に、土地利用計画の問題につきましては、規制の措置が積極的にとられる、あるいは届け出制、勧告が行なわれる、しかも勧告が受け入れられなかった場合にはこれを公表するというような形での積極性を認めることができますし、また売買に対しては一定の条件のもとでは知事の認可を必要とする。さらに特定総合開発地域の指定については公衆に対する縦覧であるとかあるいは公聴会の開催という、従来見られなかった問題が盛り込まれておる、ここにも一つの前進を認めることができるわけであります。しかしながら、公聴会という形のものをとること自体、一歩前進ということことができますと同時に、問題は運用でございまして、これが単なる形式として公聴会が行なわれるのか、あるいは住民の意思を徹底的に聞くために実質的に運営されるのか、この問題は運用において非常に差が生ずるわけであります。そして、従来の幾つかの事例に徴してみますならば、へたをすると、公聴会をやったではないかというような形での取り扱いになる危険性は否定できない。したがって、これが単なる形骸化した形になるのではなしに、ほんとうに住民の意思が糾合できる場として運用されるということを心から希望するものであります。
さらに国総法そのものにつきまして二、三の感想を申し述べますと、法律で見る限り、たとえば国総法の一環として出てまいりました新産都市建設の法律、法律の条文をながめますならば、きわめて整然とした法律でありました。そこでは拠点というものの意味も正確に打ち出されており、もしあの拠点が拠点として正しく実際に適用されましたならば、少なくとも今日、新産都市及び付随してつくられてしまいました工業整備特別地域、このようなものが——今日この工特地域なり新産都市は例外なく公害の発生源となっておりますが、——例外なくでございます——そうではなしに、法律がそのまま生かされておったならば、今日の新産都市がもたらした多くの弊害を回避することができたはずであります。たとえば新産都市だけについて見ますと、産業基盤投資と生活基盤投資に分離されておりますが、産業基盤投資の投資比率をかりに一〇〇といたしますと、生活基盤投資はおそらく五〇から六〇程度、非常におくれておる。この産業基盤投資と生活基盤投資の開きが、もしこれが並行してまともに行なわれておったならば発生しなかったであろう公害その他の問題をもかもし出しているわけであります。ということで、法律そのものの整備とこれの運用とは別問題でありますので、法律のていさいが整ったということではなしに、この運用の面における配慮がきわめて重要であることをここで強調しておきたいと存じます。
さらに、国土開発につきましては、直接関係したものだけとっても四十程度、間接的なものまで入れると百くらい、いわゆる国土開発関連法というものがある。このおびただしい法律がいろいろ錯綜することによって、ほんとうの意味での国土開発が進みがたい。どこかでチェックされ、足が引っぱられる。これは関係者一同が繰り返し指摘し、繰り返し反省してきたところであります。したがって、今度新しい国総法がつくられる場合には、私は当然相当大幅な整理が行なわれるものと期待しておりましたが、どうも私が知っております範囲ではそのことがほとんどなされておらなかったように思う。したがいまして、今度の国総法が整備されておればおるほど、どこかで足を引っぱられ、チェックされる可能性を残しておる。この懸念はおそらく今後実施の段階で当たると思いますので、この点についての御配慮もここで希望しておきたい、こう考えるわけであります。
次に、都市計画法について感想を申し上げますと、ここでは地域的な範囲あるいは対象物につきまして許可制の範囲を大きく拡大しておる、あるいは自然環境を保全することに対する配慮が大きく出されておる、あるいはまた都市計画を進める過程で被害を受けるものが生じたような場合には一種の無過失責任的な性格を持った損害の賠償が規定されておるというような意味で、従来の計画法を大きく前進したものと、形の上では私は認めることができると存じます。さらに、工業専用地域については建蔽率というものを四段階に分けてきびしく規定しておるということも一つの前進であると考えます。このように、都市計画法につきましては私は幾つかの重要な点での大きな前進を認めるにやぶさかではございません。
しかしながらこのような都市計画法が実をあげるためには一つの大きな前提が必要ではなかろうか。たとえば東京都というようなところ、あるいは大阪もそうでありましょうが、この東京なり大阪の、過集積状況におちいった、巨大化して身動きできないこの大きさをそのまま是認して開発計画を進めるとしても、そこには無理があり限界があり、あまりにも大きなむだが存在せざるを得ない。だとしますならば、都市計画を都市計画として前進させるためにはどうしても大きな一定の規制を行なうことが前提でなければならないはずであります。はたしてそういう規制の問題がこの法律と関連してどこかで出されるのかいなか。もちろんこの都市計画法そのものの性格から、ここで規制を盛り込むことはおそらく形の上でできないことでありましょう。ありましょうが、しかしながら都市計画法が都市計画法としてほんとうに真価を発揮するためには大きな規制ということが前提になる。したがって、関連法の中でこの問題がどのように扱われようとするのか、あるいは扱われておるのか。これが都市計面法を生かすか殺すかの二つの大きな問題点になるであろう、このように考えております。
もう一つ、たとえば環境保全などの問題につきまして新しい大きな配慮が出されておりましたが、人為的な建設を行なうという場合、自然を部分的に手を加えなければならないということはこれはやむを得ないことであります。しかしながら、もしほんとうに環境保全ということが真剣に考えられますならば、それを再び復元するという努力が可能であり、またせざるを得ないはずであります。ヨーロッパなどではこの点についての配慮がかなりきびしく行なわれているやに聞いております。だといたしますならば、ただ単に環境を保全するという一般的なことではなしに、一度おかした環境を復元する形での規制なり規定なりがこの中に盛り込まれることの必要があったのではなかろうか。おそらく私が見た限りではこの問題については触れておられなかったように思うわけであります。
最後に、この公団法でございますが、国土開発というものがいわゆるナショナルプロジェクトであるとするならば、政府は単に構想を示すだけで責任が終わるわけではなくて、やはり住民の意思を十分糾合した形で、実施そのものにもまた責任を持たざるを得ないはずであります。従来の一つの大きな欠陥は、構想を出しっぱなしにして、それが地方へ押しつけられておったという点に大きな批判が集中しておったわけであります。だといたしますならば、プロジェクトなりプランだけではなしに、プラクティスそのものに対しても政府の責任があるということで、ヨーロッパで見られますように、そのための公企業の果たす役割りは非常に大きいわけであります。この意味におきまして、新しい公団がその点への、プラクティスへの責任体制として描かれておりますことは、私は必要なことであり、一つの大きな役割りを果たすものと確信いたします。たとえば公害防止事業団というものがございました。しかしながら、この公害防止事業団のやった仕事は、やってもらった地方自治体、県や市から、その仕事をしてもらってどれほど感謝を受けたか。現実はむしろ逆であったように思います。東京に本社があって、オフィスがあって、そして個別的な担当者が地方へ行って、地方の実情を十分理解したとは言えない状況のもとで仕事をする。それが地方の住民にとって必ずしも満足のいくものではなかったし、また地方の住民は、ある問題については、知識が不十分であるがゆえに公害事業団の意見というものをまともに信じておった。ところが結果的には、公害防止事業団のやった仕事というものがいろいろな形で批判を受ける、あるいはやった仕事そのものが公害をもたらす原因にすらなったという事例は御承知のとおりかと思います。したがいまして、東京に本拠があり、全国的な形でのプラクティスをやるということの意義が認められると同時に、一定の限界があるということで、運営について十分に慎重な態度が必要ではなかろうか、このように感ずるわけであります。
以上で終わります。(拍手)発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107104158X00219730712/14
-
015・服部安司
○服部委員長 次に、宮本公述人にお願いいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107104158X00219730712/15
-
016・宮本憲一
○宮本公述人 私は、地域経済論及び財政学の専門の立場で意見を述べさせていただきたいと思います。
私がきょう意見を述べる内容は二つに分かれております。一つは、これまでの地域開発がなぜ失敗したのかという原因を述べたいわけであります。第二は、その原因の解明に基づいて、今回の法案について私が反対をする問題点を述べてみたいわけであります。
戦後の地域開発は、大きく分けますと三つの開発の手法と理念というものがとられてきたのではないかと思うわけであります。第一は、一九五〇年代に見られたような河川総合開発であります。第二は、一九六〇年代に見られた拠点開発方式といわれるものであります。第三は、一九七〇年代、現在進行中の巨大開発といえるものであります。
このうち、今日問題になりますのは、依然としてその理念の生きている拠点開発方式と巨大開発方式が問題になると思うわけであります。この二つの地域開発について述べてみたいわけでありますけれども、まず、拠点開発について言えば、この拠点開発というのは、全国に拠点地域を設定して、その拠点地域の開発の効果を全国に及ぼしていこう、あるいは拠点開発として選んだ地点の周辺に及ぼしていこうという考え方がありましたし、また拠点として選びます産業は素材供給型の産業を中心にしまして、その産業の開発効果でもって他産業を開発しようという考え方であります。そしてこの拠点開発では特に素材供給型の産業の誘致が求められ、その素材供給型の産業を誘致すれば、いま述べたような波及効果をもってその地域の所得水準が上昇し、かつ財政収入が上昇するから、それによってその地域の住民福祉が向上するということで、拠点開発による地域社会の住民福祉の向上というのがまず第一の目的に掲げられております。第二には、拠点に産業を分散するならば、人口も分散し富も分散することによって国土の衡均ある発展をはかるという趣旨であったと思うわけであります。
ところが、この拠点開発の結果が、いま村田さんがお述べになりましたように、実際にはその地域社会においてまず起こってまいりましたのが公害災害という社会的な災害でありましたし、また地元の関連する産業の発展ということがあと回しになり、そして地方財政の危機や地方自治の危機を招いているということはここで詳しく述べるまでもない実情であると思うわけであります。また全国的に見ますならば、過密と過疎問題といわれますように、富と人口の分散ではなく、富と人口の集中を激化させておりまして、そのために起こる全国的な国土の不均衡の問題化という問題、これも非常に大きな政治、経済的問題にならざるを得なくなっていると思うわけであります。
巨大開発についてはどうかといえば、これは、このような拠点開発のような、これまで見られた地域開発という理念を捨て、国土開発という理念の上に立って、日本列島を一つの家あるいは都市のごとく考えて、社会的な分業を地域に徹底させるという考え方で行なわれております。これは経済効率という点で国土を管理しようという、考え方としては一つの論理であると思いますけれども、この結果として、それぞれの開発を指定されている地域において住民福祉というものがなおざりになる、全国的に公害が分散をされていくという問題や、あるいはここでもまた地方自治の侵害という問題が起こりつつあるわけであります。この点は寺下さんが述べられたとおりだと私は思うわけであります。
こういう結果を見てまいりますと、いままでの地域開発と申しますのは、利益は中央の大企業へ、損失は地方の住民へという形で負担されてきた開発ではなかったかと思うわけであります。
こういうような開発の社会的諸結果をもたらした原因は何かといえば、それは開発の目的、手段、主体が誤っていたからだと私は考えるわけであります。
第一に目的の点でありますけれども、地域開発は言うまでもなく総合的目的を持っていなければならないのであります。ところが従来の開発は、住民の福祉ということを所得水準の向上と同一視いたしまして、地域開発は経済開発であり、産業政策であったのであります。このために生産性の高い重化学工業や観光産業を誘致するということが開発の目的となりまして、手段と目的が全く混同されるという結果を生んだわけであります。当然起こるべき人間の健康の破壊やその地域の自然の損失や、あるいは文化の問題というような社会的な病患というものは、こういう総合性の欠除から生まれたといわざるを得ないと思うわけであります。
第二に手段の問題であります。地域開発が計画の名前に値するとするならば、それは生産手段と生活手段の主要な部分について何らかの公的規制が確立をしておらなければならないわけであります。それはストックの社会化でなくても、フローの社会化でもよろしいのでありますけれども、何らかの社会的な管理というものが明確にされておらない限り、今日のこの社会において計画が行なわれないのは当然であるといわざるを得ないわけであります。その意味で、これまでの開発にはこの社会の主導力、経済の主導力を持っている資本や土地所有に対する規制がなかったわけであります。あるいは財政金融制度について言うならば、そのような開発を保障する、全体として計画を行なっていくに足る財政金融制度が確立をしていなかったわけでもあります。現在の経済制度を放任しておくならば、言うまでもなく富と人口は中央へ集中していくわけであります。工場という手足は分散するかもしれませんが、頭脳が中央にある限り、地方へ分散した工場の富は東京へ東京へと集中し、あるいは大阪へ集中し、大都市への人口の集中ということもその結果として生まれてくるのは当然であるわけであります。そういう意味で、手段が明確でなかったという点がこれまでの地域開発計画というものを失敗させてきた第二の原因だと思うわけであります。
第三に、私は地域開発というものは、何が生まれたかというその社会的な成果ももちろんでありますけれども、同時に、どのような形で行なわれたかということが重要なのだと思うわけであります。住民が自発的に開発に参加して創意くふうするということのなき開発は、その果実を住民の手に返さないものであります。いままでの開発というのは中央の官僚と財界、そして地方の有力者がつくり上げた計画でありまして、住民が自発的にこの計画の中に参加をするということはなかったと言えるわけであります。地元の住民の自発的参加のなき限り、先ほど述べたような社会的な災害が続発するということはこれまた当然のことであるといわざるを得ないのでありまして、その意味では、開発の問題というのはこの開発の民主主義をいかにして保障するかという点が最も重要な点だと私は考えるわけであります。
いま、いろいろな意味で日本の社会は転換期に来ているわけであります。地域開発もいまや転換点に立っているといわざるを得ません、開発をめぐって私は二つの道が争われているのではないかと思うわけであります。住民は、災害がなく公害がない、つまり安全な環境のもとで福祉と文化というものを向上させる、そういう形での開発の道をさがしているわけであります。
しかし一方で、この七〇年代の転換期に立ってみますと、日本の経済というものも、いままでのような重化学工業化一本やりで経済発展をするということは不可能になってきているわけでありまして、そのことから、これまで企業の対象とはなり得なかったような観光だとかあるいは都市開発だとか地域開発というような事業を産業化するという意図が出始めているわけであります。あるいはもっと広く、国土全体を経済的に管理するということが七〇年代の資本主義の目標とされるに至っているわけであります。この、あとの、地域開発を産業化し、国土を経済的に管理をするという方向での地域開発が、住民の求めている地域開発といま激しく対立しているのだと思うわけであります。
さて、そういう点に立って、この法律について私が述べたい問題点を以下述べさしていただきたいと思うわけであります。
これまでの開発の教訓に立って見るならば、いま私たちがまず求めなければならないのは、現在行なわれつつある拠点開発や巨大開発を一時ストップして、地域開発を根本的に再検討するということではないかと思うわけであります。苫小牧やむつ小川原やその他各地で現在進みつつある開発を放任しておいて地域開発は転換いたしません。あるいは各地で自然を破壊しております観光開発を放任しておいて何らかの転換を求めるということのほうがこっけいなことであります。
私は、まず国土の憲法がいま必要であると思います。国土というものをその資源あるいは環境という点で、また生産や生活の基盤という点で国土というものをどうするのかという、国土の憲法がいま求められているわけでありますけれども、いま求められている国土の憲法は何が柱になるかといえば、言うまでもなく環境保全であります。環境の保全あるいは災害の防止という、この二点を抜いて国土の憲法はあり得ないわけであります。その意味で私は、この国土総合開発法というものが立案される前に国土の憲法としての環境保全法、あるいはそれが不可能ならば現行の公害法の全面改正というような措置がない限り、国民は、この国土総合開発法だけが先行して出てくるということになれば、これは依然として開発優先である。あるいは開発といっても経済開発優先であるという意識を持つのは当然であると思うわけであります。
第二に申さなければならないことは、この法律の基本的な欠陥は、企業に対する、資本に対する規制がないということであります。今日、資本や企業に対する規制なくして開発が計画的に行なわれるということはあり得ないことは、これまでの教訓から明らかなのであります。ここで規制が求められているのは土地所有でありまして、資本の規制については条項がありません。実は、開発を計画的に行なおうとするならば、当然ではありますけれども、企業の立地を届け出させ、企業の事業内容を住民に公開させ、企業によってその地域環境をおかす、あるいはその地域の発展に望ましくないとなるならば企業の操業を差しとめる、開発の利益を地元へ還元させる、一たん開発の不利益が発生するならばPPPでもって必ずその不利益を発生させた原因者に負担させるというような措置が明確になっていない限り、規制ということは行ない得ないと思うわけであります。そういう点で、この法律が企業や資本に対する規制について何ら書かれていない。企業のやります開発行為についての規制がないということは、これはほかの法律とも関連がありますけれども、こういう開発関係の法律のすべての欠陥と同じくしているのではないかと思うわけであります。
次に、土地規制の問題でありますが、土地規制というのは、資本に対する規制、企業に対する規制があって初めて総合的に有効になり得る政策なのであります。土地規制だけが先行いたしますと、これは必ず失敗するかあるいは別の社会問題を生むと私は思います。この開発法は土地規制法ではありません。これは開発のための土地規制が中に書いてあるわけでありますけれども、したがって開発のための土地規制ということが先行するということになりますと、企業に対する規制が前提でない限り、この土地規制は、立地をする企業に安く土地を提供するという逆効果を持つおそれがあるわけであります。つまり、この開発法の中における土地規制は、企業の立地——それは産業という名前であれ観光という名前であれ都市開発という名前であれ、どうでもよろしいのですが、そういう企業の立地あるいは公共事業のための土地利用規制になるわけでありますけれども、その場合に、これらの開発の目的というものが全体の土地規制の意味を決定してくることは言うまでもないわけであります。これまでもこれは繰り返しいろいろな人に指摘されてきたことでありますけれども、特定総合開発地域というものが、現実にはこれは巨大な産業コンビナートなどの産業基地になり、自然保護利用という名前の観光開発になり、都市開発という名前の民間デベロッパーの事業になる地域であるということは言うまでもないのでありまして、こういう地域で特に土地規制が行なわれるということは、結局農民など住民の土地の安上がりの買い上げになって、利するところはだれであるのかという点をわれわれは十分に考えてみなければならないのではないかと思うわけであります。
最後に、今回の法案では自治体への権限の委譲ということが前回の法律よりは進んでいるという評価がされております。私はしかし、不完全な自治体への権限委譲は必ずしも地方自治の発展にならないと思っております。公害関係法で確かに自治体へ権限が委譲されましたけれども、不完全な権限と財源の委譲が行なわれますと、その委譲は、自治体をして住民運動の対策のために住民運動に自治体は直面して、その対策のあと始末をやるための権限委譲になるというおそれもあるわけでありまして、実際に権限を委譲するとするならば、全面的な権限と財源の委譲がなければ、中途はんぱな権限委譲はかえって自治の発展を食いとめるという面も持っていることを指摘しておかねばならないと思うわけであります。その点で、この法律では内閣総理大臣の指示権が残っているわけでありまして、この点は使いよういかんによっては非常に危険な、地方自治を侵害するおそれが十分あるわけであります。また、工場立地や総合開発計画について住民参加の具体的な規定がないわけであります。その点で私は、開発の民主主義、特に地方自治の保障という点では不完全な法律であるといわざるを得ないと思うわけであります。
その点に関連して、国土総合開発公団についても私は問題があると思っているわけであります。公団が、目的をこのように非常に不明確な、総合したいわば行政全体を扱うような名前の公団が出現をするということ、これは今後の自治体の産業政策のみならず、都市政策を侵害するものであると思うわけであります。地方自治体の同意を得て、あるいは地方自治体から指示があって動き出すということになっているといっても、現実には自治体が財源を持っていないとすると、どうしても開発ではこの公団に依存する傾向が出ざるを得ないわけでありますけれども、そういうことになるならば、これは地方行政にとって非常に大きな問題を今後生み出していくのではないかと思うわけであります。私は、いまはまず、自治体に対して権限と財源を委譲し、金融の制度を確立するということが何よりも必要なことではないかと考えているわけであります。その点で、この法律における財政措置というものは従来の開発法と同じように補助率の引き上げと、ごくわずかの税目についての特典を設けているにとどまっておりまして、全面的な地方財政の確立という問題ではないように思うわけであります。
そういう点を総合いたしまして、私は、この国土総合開発法というものが出ますと、資本による乱開発と中央集権化が進む可能性があると思っているわけでありまして、その点で反対でございます。
終わります。(拍手)発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107104158X00219730712/16
-
017・服部安司
○服部委員長 以上で公述人各位の御意見の開陳は終わりました。
—————————————発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107104158X00219730712/17
-
018・服部安司
○服部委員長 これより公述人に対する質疑を行ないます。
なお、質疑の際には公述人を御指名の上お願いいたします。
質疑の申し出がありますので、順次これを許します。村田敬次郎君。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107104158X00219730712/18
-
019・村田敬次郎
○村田委員 本日は八人の専門家の方々からそれぞれ、国土総合開発法案等に対する貴重な御意見を拝聴いたしたわけでございますが、私これから個々に御質問をさせていただきたいと存じます。時間が非常に制約をされておりますので、要点のみを質問することになるかと存じますが、何とぞよろしく簡潔に御答弁をいただきたいと存じます。
まず、宮本憲一先生に御質問をいたしたいと存じます。
宮本憲一先生が本国総法等の法律案に反対の立場を明示をされたわけでございますけれども、こういった宮本先生の御意見を承って、私はぜひその御意見をさらに承りたいと思うのでありますがその第一点は、宮本先生が書いておられる「地域開発はこれでよいか」という、岩波新書の中に出ておりますが、これはいわゆる総合開発問題についての御意見を開陳をされたものであります。その中で、「NHKテレビにおいて、新全総の立案者下河辺淳氏は、むつ小川原や志布志湾を台所にたとえ、一家にとって台所は絶対に必要であり、食物を生産する場である以上、きれいにしたいので、公害はできるだけ防ぐという趣旨の発言をしている。」そして先ほど展開されましたような、この国総法その他の考え方は「地域的に社会的分業を徹底しておこなう方式である。」ということを御指摘になりまして、「むつ小川原や志布志は台所または便所にして、東京や大阪は座敷か応接間にしようというのである。もし、台所や便所の住民が座敷や応接間でくつろぎたいというならば、新幹線にのって東京や大阪へくればよい。」こういった記述をしておられます。私は宮本先生とはやはりNHKのテレビで対談をいたしたこともございますし、宮本先生の所論についてはよく読ましていただいておるつもりでありますけれども、この宮本先生の御指摘は開発問題に対する出発点であって、この解決方策そのものではないというふうに私は理解をいたしております。したがいまして、拠点開発あるいはそれに続く巨大開発の中で、宮本先生が現在の法律制度のシステム、それからまた新国総法のシステム等について非常に具体的な批判をお述べになったわけでありますが、たとえば宮本先生が実態調査をされた沖繩等について、私はつい二、三日前に建設委員会からの派遣で実態調査をしてまいりました。その場合に、沖繩も御承知のように現在日本に復帰が実現をいたしまして、そして新しい沖繩県としての総合開発計画を立てて進んでおるわけでありますが、この沖繩の例で具体的に申し上げますと、沖繩の中でも、いわゆる沖繩一県内における過密過疎問題というものが非常に進行をしておる。那覇その他に非常に人口集中が行なわれ、他の地域は減っておるという現象が起こっております。それから内地と沖繩との間でもいわゆる過密過疎の問題が出ておる。そういったことについて、那覇中心のいわゆる東シナ海の方面だけでなく、いわゆる太平洋岸の金武湾の開発でございますとか、現在海洋博が予定をされております本部半島等の開発を進めておるわけでありますが、そういった現在進められておる沖繩の開発問題に具体的に例をとって、それならばこういった開発計画そのものが間違っているのであるか。
また、先ほど宮本先生が御指摘になった、国土の憲法が必要である。いまのような開発であるならば、拠点開発を一時ストップをせよということを言われたわけでありますけれども、しかしすでに過大都市問題は発生をしており、そして文字どおり都市問題というものは日本全体をおおう大きな社会的課題になっております。したがって、十分な環境アセスメントをやり、また工場地帯と住宅地帯とをしっかり分離する工住の分離、あるいは商業地帯と工業地帯をしっかり分離をする、そういった広域都市計画に基づいて今後の開発を進めていくならば、住民サイドによる開発というものは可能だと思っておるわけであります。したがって、今後の企業立地問題であるとかあるいは過密過疎問題に具体的に宮本先生はどういった意見を持っておられるか。
それからまた、先ほど私が引用をいたしました、むつ小川原が台所である、便所であるという先生の記述について、これはたいへん誤りやすい比較論であり、類推であると思っております。下河辺氏はこれについて、便所といったような指摘をしたことはないというふうに聞いておりますし、また現在は、先生の御指摘によれば東京や大阪は座敷か応接間だといっておられるわけでありますが、その座敷か応接間がたいへんに過密になりまして、そしてそのためにもう人の入り切れないような、非常に住みにくい座敷や応接間が発生をしておる。そしてまた、いわゆる生産基地としてのこれからの開発、大都市以外の開発というものは非常に大きな問題であって、その地域に住む住民の意識を十分に参酌をしながら、環境問題を十分に注意をしながら、今後の企業立地あるいは全国的な総合開発を進めていくべきであると思っておるのでございますが、これについての宮本先生の御所見を承りたいと思います。
それから、時間の関係で順次一括して申し上げます。
第二に、桑原愛知県知事に御質問を申し上げたいと存じます。
桑原知事さんは非常に開発についての専門家でございますし、先ほどの公述の中でも御指摘になりましたように、愛知県地方計画あるいは中部圏計画等について、その中心になって非常にすぐれた計画をお立てになっておられるわけでありますが、その中で、私は特に都道府県総合開発計画と全国総合開発計画との間の広域行政と申しますか、いまの一番具体的な例で申しますれば中部圏の計画といったような、県と国との間に、もう少し現在の行政需要をくみ上げた広域行政が必要であろうと思うわけであります。これについては新国総法の中にその規定がございませんけれども、ひとつ都道府県全体を包括するような、たとえば中部圏、たとえば首都圏、あるいはたとえば九州といったような、各ブロックごとの、国それから都道府県との間にある、もっともっと時代の要請に応じた広域行政を推進する必要があると思うのでございます。
この推進方法について、この国総法の姉妹法であります国土総合開発庁設置法の中では、そういった広域行政にこたえるために、従来の大都市行政等を新しい国総法の体系の中に組み入れるという考え方をしておるわけでありますが、これについての桑原知事の御所見を承りたい。
それから地方行財政問題でございますけれども、今回の国総法の改正問題につきまして各先生方から一様に指摘をされましたのは、こういった膨大な事務を処理するための都道府県、市町村の新しい機構あるいは財政援助措置等についてであります。これは、こうしたいわゆる新国総法に基づく開発をやっていこうとすれば、都道府県の事務処理体制につきましても十分な強化が必要でございましょうし、また特に土地問題についての大きな対処の方法を考えますならば、相当思い切った財政援助措置が都道府県ないし市町村になされることが必要であると存じます。そうした事務処理体制、財政援助措置についてのお考えを承りたい。
それから、日本列島改造論につきましては全国知事会から、本年の一月九日に日本列島改造に関する意見というものが提出をされておりまして、拝読をさせていただいておりますが、新国総法は日本列島改造論の政府版ではないということを小坂大臣がはっきりと指摘をしておりまして、したがって、新国総法は政府の立場で今後の開発についての考え方を推進する基本法である、そういったことを述べておられます。そういった新しい体系の中で、全国知事会の意見をどうして取りまとめられていくおつもりであるか、それについて承りたいと存じます。
それから最後に小林里二次公述人にお伺いをいたしたいと存じます。
私は、小林さんが「自治研究」に発表になりました「新国土総合開発法と地方自治」、それから「国土総合開発法と土地対策」等についての御意見を読ませていただきました。小林さんの自治事務次官としての御経歴やあるいは建設行政にたんのうな御経歴からたいへん貴重な意見であると存じております。その中におきまして特にお伺いいたしたいのは、内閣総理大臣の指示権であります。これは新国総法の中で、内閣総理大臣がたとえば特別規制地域あるいは特定総合開発地域の中で指示権を持つということが明示をされておるわけでございます。これは、国と地方の関係をしっかりととっていく上でどうしても内閣総理大臣の指示権というものは必要であろうと思うわけでございますが、これについての、先ほど宮本先生が御指摘になったような、その権限が強く行なわれないようないわゆる歯どめ措置がもし必要であると思わればそれについての御意見を承りたいのと、それから市町村の強化——新国総法の中では都道府県が中心になっておりまして、市町村の立場というのが必ずしも明確でないということが指摘をされておるわけでございますが、こういった市町村の役割りというものをどういうふうに考えていくか。また、今後の国土総合開発と地方行財政のあり方との関係において、行政機構の問題でございますとか、地方行財政の地方自治を担保する意味での措置というものがどうしたことが必要であるか。以上小林さんからお伺いをいたしたいと思います。
宮本さん、それから桑原知事さん、小林さんから、それぞれ簡潔に御答弁をいただきたいと存じます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107104158X00219730712/19
-
020・宮本憲一
○宮本公述人 私の著書をお読みくだすってたいへん感謝しておりますけれども、この中で引用されました比喩は、これは私は、社会的分業を国土において最も徹底させるという新全総の考え方が一番わかりやすいと思って引用させていただいたわけであります。この中を読まれるとわかりますが、下河辺さんが言われたのは台所論であります。私は、台所が必要なら便所も必要だということになるだろうということで、台所、便所と言ったわけでありまして、下河辺さんが便所まで言われたわけではありません。しかしこの比喩は非常によくあらわしていると思うわけです。
住民がなぜ反対しているかというならば、むつ小川原に巨大な産業基地だけができるということはまことにおかしなことではないか。それ以外の措置は、御存じだと思いますが、すべて住民対策要網という名前になっているわけであります。住民の福祉を向上させ、住民の文化を向上させることがどうして住民対策要綱という名前になるのか。むしろそちらのほうこそが地域開発の本旨ではないかと思うのでありますが、地域開発のほんとうの目的のほうが住民対策要綱になって、そうしてその台所をつくるということだけが前に出ているというところに、むつ小川原の住民が反対しているんだと思うわけであります。私は、住民運動対策要綱のためにその住民福祉を向上させてもらっては困るわけであります。やはり、むつ小川原という地点が国土に残されている非常に美しい宝ものであるとするならば、この地域を、いままでのような開発とは違う、最も新しい形の開発をやるのが政府の任務ではないか。いま国土の中に残されている東北地帯とか南西地帯こそ日本民族の宝であって、この地域に一番新しい開発の方向を持ち込まないで、依然として巨大コンビナートとか、あるいはいままであった開発の延長線上にあるようなものを持ち込んで、いわば中央地帯で行なわれた開発の再現といいますか、大規模な再現をやろうということであるならば、これはやはり日本民族にとって非常に不幸なことじゃないか。こういう地点でこそ、新しい産業構造を立地させる、新しい産業構造に基づく産業を考え、総合的なその措置を考えて、もし巨大なコンビナートを置きたいならば、それにふさわしい巨大なりっぱな都市と、そしてまた巨大な——巨大でなくてもいいんですが、私は巨大というのはあまり好きじゃありませんから——文化施設も考えた、総合的な開発が試みられるというならまだわかりますけれども、依然としていままでの巨大コンビナート方式をやるというところに、私はこの台所専一化論に対する反対があるわけであります。
それから二番目の沖繩の件は、私も沖繩問題について非常に短い体験しかございませんけれども、この開発については、私ども本土の人間に非常に大きな責任がかかっているのではないかと思います。その点で私は、沖繩の開発が、沖繩県の意思というものが十分に実現しない形で行なわれているということに対していま非常に残念に思っておるわけであります。この沖繩の現状は、御存じのとおり土地の買い占めが行なわれておりまして、かつ公害産業が沖繩本島の東部に次々と出ていく、本土でやっているような非常に乱開発的な観光開発が進んでいるという状況でございまして、その点でいえば、せっかく復帰したけれども、基地は残ったままで、しかも本土で行なわれたような悪い開発が行なわれているということで、沖繩住民の間に非常な不安が広がっているわけであります。私はやはりここでももう少し周到な、いままでの地域開発ではない新しい開発方式を、かりにTVAというような——いまはああいう形のものとは違ったものになると思いますけれども、かつてアメリカがTVAで実験をしたくらいの意気込みで、沖繩の開発は日本の開発の最も先駆的な地域としてやってみるという新しい方式が、そしてまたそのための財源措置があってもよかったのではないかと考えているわけであります。
今後の問題については、私はやはり産業構造の改革ということがまず前提になると思います。鉄鋼をどうするのか、石油産業をどうするのかということを明確に経済政策の上で立てなければ、このまま苫小牧やあるいはむつ小川原を開発してしまいますと、あの二つの地域は、かつての石炭産業みたいなもので、十年くらいたつと没落地域になってしまうかもしれない。そういうことがあってはならないわけで、いま転換点でありますから、日本経済自身が転換点でありますから、私はそういう点で、日本経済のあり方というものを十分に検討しながらこれからの未開発地域の問題は考えていく必要があると思うのです。そういう意味で私はあわてるなという考え方で、いまはストップした上で、あるべき産業構造、あるべき経済の方向を十分に考えながら次の開発というものを考案していいのではないかと思っているわけです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107104158X00219730712/20
-
021・桑原幹根
○桑原公述人 ただいまの村田委員からの御質問でございますが、御指摘のように、全国総合開発計画、また都道府県総合開発計画、この中間に位する計画は当然あってしかるべきであり、また現在あるのでございます。すなわち、御指摘の広域地域の開発計画というふうなものが、すでに首都圏整備計画あるいは近畿圏開発整備計画、そして中部九県にわたりまして中部圏開発計画があるわけでございまして、今回のこの国土総合開発法案におきまして、従来存しまするこれらの地域開発計画につきましても十分の配慮をしていただいたのでございます。特に中部圏開発計画につきましては従来の首都圏なりまた近畿圏等の計画と違いまして、中央において計画を樹立してそれを下に流すというものではなくして、地元において住民の意思を結集いたしまして、すなわち地方協議会というふうな組織の中において十分に地元の住民の意思を吸収いたしまして、そのような基盤工作を行ないました上に樹立された計画を中央に上げてきまして、中央の承認を得て、それを現実に実施するというふうなことになっておるのでございまするし、その他においても特色があるのでございます。話は少しそれるかもしれませんが、およそこの中部圏開発計画は、やはり首都圏、近畿圏の横溢したところのエネルギーが流れてくる、それを中部圏において受けとめるのでございまするが、ただそれを愛知県とか名古屋において受けとめるだけでなくして、受けとめたものは受けとめたままにおくのでなくして、それを中部圏全体にそのエネルギーを流していくというたてまえでございます。そういう意味合いにおきまして、私どもといたしましてはやはり愛知県とか名古屋というふうな都市、あるいはそれを近くに取り巻くところの地域だけを中心にしないで、むしろ、今日におきましては先ほど来いろいろお話のありましたように、中部圏開発整備につきましては、何でも取り込むという求心力を発揮するよりも、やはり遠心力をこの際は発揮して、そして広い地域に産業を立地させまして、そして人口の分散をはかっていく。ことに北陸地方につきましては中国との関係もありまして、今後におきましては日本海時代というようなこともいわれておるのでございまして、そういう点にも十分留意いたしまして、中部圏全体が平均して発展してまいり、そこに住む住民のしあわせが平均されてそこに配分されるというふうなことを企図いたしておるのでございまして、要は、このような中部圏開発整備の趣旨が今回の全国総合開発法案の中にもすでに織り込まれておることにつきましては、私ども満足をいたしておるような次第でございます。
それから、この全国総合開発法の実施にあたりまして、地方の事務というものは先ほど申しましたとおり非常に急激に増大してまいるのでございます。基本となりますところのこの全国総合開発法、これはやはり概括的な規定であり、それにつきましてはいろいろ関係の法令が出るのでございまするし、同時にまた、すでに地方におきましては今日の情勢に対処いたしますために、たとえば自然環境保全条例というふうなものを設けておりますし、そういうふうな関連におきましてこの法律の内容を受けとめまして地方において処理してまいるのでございますが、何と申しましてもこの法律の関係する面が広大な面にわたるのでございます。したがって、それを十分受けとめて支障なくその趣旨を達成してまいるということ、もちろんこれには相当の年月を要するのでございまして、そして逐次合理的な組織を持ちましてそれを推進していくのでございまするが、しかしそうとは申しましても事務の分量は相当多くなるのでございます。したがって、事務処理体制につきましても、やはり先ほど申しましたように関係各方面の絶大の理解と、そして御援助をいただかなければならぬのでございまして、やはり中央の各官庁それぞれ担当しておられる面が違うのでございますが、その間におきまして十分われわれの地方の実情を御勘案くださいまして、そういう点につきましても格別な御理解のもとに御援助をちょうだいいたしたいという切なる願いを持っておるものでございます。
それから、これらの問題につきまして全国知事会といたしましての考え方でございまするが、すでに全国総合開発法に基づきまして総合計画が打ち出され、あるいはそれが改定されて新全総というふうなことにもなってきたのでございまして、そういういわゆる今日までの全国総合開発法に基づきまするもろもろの計画の推進につきましては、いま申しましたとおり地方においてすでにそれを受けとめる体制をとり、それを実施いたしておるのでございまするが、そういう際に、その実施にりきまして、中央の考え方につきましては、また中央の計画の推進につきましては、逐次知事会におきまして要望を申し上げ、そうして御協力をちょうだいいたしておるのでございまするが、今後におきましては、いま申しましたとおり非常に大きな面に関係いたしますので、またむずかしい問題でありますので、私どもといたしましては、すなわち全国知事会におきましても引き続き従来のような考え方をもちまして、この法律の今後の推進に地元として、これが協力というのでなくして、当然にこれはわれわれの責務でございますので、中央と一体になってその推進に当たってまいりたい、このように考えておりますので、御理解いただきたいと存ずる次第でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107104158X00219730712/21
-
022・小林與三次
○小林公述人 今度新しい法律における内閣総理大臣の指示権、その他市町村の地位というものをどういうふうに考えるかというような趣旨でございましたが、具体的には、第十四条に「内閣総理大臣の指示」という規定が設けられております。これは国土総合開発、要するに国全体の開発にはいろいろな問題があって、全国的に考えなければいけない問題、地方的に考えなければいけない、あるいは市町村段階で考えなければいけない問題、それはもう各種各様の問題があるわけですが、この法律はともかくも全国的な立場で考えなければいかぬ問題をまず考えて、それを下へ逐次おろしていこうというふうに私は読んでおるわけでございます。したがって、ほんとうの国土総合開発を考える場合には、この法律及び関連法案である都市計画法とか森林法とか、そういうもろもろの法案を総合的に考えて初めて国土の開発が行なわれるわけでありまして、そういう意味で、この法律は全般的な国の立場を中心というか、国家的なレベルで国家的な判断というか、考え方というか、プロジェクトというか、そういうものを打ち出しておる法律、だから具体的には知事が中心にならざるを得ないと思いますけれども、全国的な立場で総理大臣がある程度の権限を持つのは、それは当然というか、やむを得ないというか、しかるべき問題で、中央と地方とがそれぞれ協調をしながら事を考えていく以外には方法がないわけであって、特にいろいろな仕事を具体的にやろうとすれば、国の強大な行財政の措置が当然必要でありますし、そういうことから考えましても、互いに相分担し合っていく、協力し合っていくという形で、この規定はやむを得ない規定だろうと思うのであります。これがあるからといって、すぐに地方自治の侵害だとかなんとかということを議論する必要は私はなかろうかと思うのでございます。
それからなお、それだから逆にこの市町村というものがこれにもあまり出ていない。それで、いろいろな計画をつくるときに市町村長の意見を聞くとか、あるいは公聴会その他の手続があって住民との触れ合う規定がありますが、この法律の体系とか中身から考えればこれで必要にして十分じゃないか。逆にいえば、これを具体的に実施する場合には、都市については都市計画法を適用せざるを得ないはずであって、そうなれば都市計画法に定める手続で、いまの都市計画法はきわめて民主的に市町村が責任を持つ体制になっておるはずでございますから、そこで問題が解決するのじゃないか。ただちょっとそこが少し気になるといえば、都市計画でぴしっとやらぬ限りは動かぬ。そうなれば都市計画でやるような手続を国土総合開発法の手続を指定するときにとっておかないというと、いざ都市計画の場合にまた食い違いが起こりはしないかという懸念が率直にいって私にもないわけではありません。したがって、事実上、市町村長の意見を聞くことになっていますが、市町村長は当然独断専行するはずもあるまいと思いますが、一切の施行の責任を最後に都市計画でやる場合のことをおもんぱかってそういう配慮を当然にせられるに違いないし、またすべきものだろう、こういうふうに考えております。そういうわけでございまして、具体の問題につきましては最後の都市計画の段階で事がきまる。公有地拡大法とかそういうものだって市町村が中心になっております。
ですから、むしろ計画の策定とか手続上の問題としては市町村の問題も十分に配慮されておると見ていいと思うが、現実に仕事をやる場合の実行上の財政上の問題がおそらくは中心になってくると思うのであって、いやしくもこういう形で中央なり府県なりがある程度主導的立場、というと語弊があるかもしれませんが、最初言い出したような問題について、またその程度の集中的な仕事については、これは先ほど宮本先生もおっしゃいましたが、市民全体、住民全体の総合的な問題をその地域で解決をするのだという、それがまた可能なような手当て、方法を当然に講ずべきであって、従来その点では国のやり方がはなはだ不十分というか、ある意味ではでたらめというか、そういう面があったのだろうと思うのです、そういうことがこういう事柄を従来うまく進めなかったゆえんであって、やる以上は本気でやってもらいたい。またやり得るだけの力を現在の日本の国は持つようになったのであって、終戦直後のような事態ならばとてもやれっこなかったはずですが、今はこういう本格的な新しい立法の体系で、ほんとうに国土を見直して本気でやれるだけの実力を十分持っておるのだから、その実力を十分に発揮して、地元の市町村に迷惑をかけないというか、支障のないように責任をもってやるべきものだと思っております。
これはこの法律で一度に解決できる問題でなしに、当然それに関連する実行面の対策として定められるべきものであって、先ほど多少触れたのも、そういうことを並行して考えなかったらこれはいけない。ただこの総合開発法で全部の問題を解決をすることができるはずがないのだから、これはこういう体系でいいけれども、そういう実行面の問題になれば、もっと個別に実態に即した対策を当然国が責任をもって立てるべきものだ、そういうふうに考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107104158X00219730712/22
-
023・村田敬次郎
○村田委員 せっかくの諸先生方の御意見、もっとうんちくを傾けてお聞きしたいことがたくさんございますが、きょうは時間の関係で、まだ住民参加の問題その他いろいろ私としては問題を持っておりましたけれども、本日はこれで終わります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107104158X00219730712/23
-
024・服部安司
○服部委員長 中村茂君。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107104158X00219730712/24
-
025・中村茂
○中村(茂)委員 先ほどからたいへん有意義な御意見をお聞きしまして、たいへん参考になったわけであります。時間が制限がありますので簡潔にお聞きしたいというふうに思います。
私は今回の新国土総合開発法については実は反対の立場でいろいろ論議に加わっているわけであります。その多くを申し上げる時間がないわけでありますが、一つは、この法律そのものが開発法と土地の利用制限法、二つの意味が加わった法律になっている。したがって、いま土地の問題については——私ちょうどきのう、同じ衆議院の物価対策特別委員会で物価問題でやはり多くの先生の御意見をお聞きしたわけでありますけれども、物価の中で土地の価格の高騰ということがいまの土地問題の元凶の一つではないかということについて諸先生の意見が実は一致したわけであります。そういう面からしても土地問題というのはきわめて重要になってきていますから、言えば、土地問題は土地問題として、価格の問題を含め、利用の問題を含めて、きちっとした政策を打ち立て、開発行為は開発行為としてすべきではないか。こういう考え方から、実は土地問題と開発行為が一緒になったような開発という問題について一点反対しているわけであります。二つ目には、住民参加という問題について、磯村先生から、情報社会の中で知る権利、知ったらそこに参加する、こういう住民参加の問題の提起があったわけでありますけれども、この住民参加をどのようにしていくかという実は保障がないわけであります。それから環境保全について、総論的に、表徴的には載っていますけれども、それをどのようにしていくかという政策手段が実はございません。それから公害防止の保障がない。そのほか土地問題に関連しての、土地の利用をしていくということになれば農地、山林、原野、それから水をどういうふうにしていくかという関連が起きてくるわけでありますけれども、そういう農林漁業、水問題についての抜本的な政策というものがない。一口に言えばそういう立場から実は反対の立場にあるわけですけれども、そういう立場の上に立って諸先生方に数点お聞きしたい、こういうふうに思うわけであります。
まずその一つは、やはり土地問題について、この際開発行為は開発行為として、宮本先生がおっしゃいましたように経過の中で幾つかの問題点が出てきているわけですから、その問題点を検討し、開発行為としての対策を考えていく。したがって、それとは切り離して、いま非常に多くの問題を持っております土地問題について緊急に対策を立てていくべきだ。この法案に関連して申し上げますと、いま申し上げましたように切り離して、土地問題というものについては抜本的な対策を立てていく必要がある。この点について日本テレビの小林さん、それから大阪市立大の宮本さんに、それぞれお聞きしたい、こういうふうに思います。
それから慶應義塾大の堀江さんに住民参加の問題について、実は先ほども申し上げましたように、行政部面における県知事とか、または議会とか、そういう広い意味では、議会等についてはある意味で住民の意見が反映された参加ということになるわけでありますけれども、そうではなしに、ほんとうの意味の住民の意見をどのようにこういう中へ吸収していくか、こういう点についての具体的な御意見があったらひとつお聞きしたい、こういうふうに思います。
それから環境、公害防止について中央大学の村田さんに一つお聞きしたいと思います。
それから最後に寺下村長さんにひとつお聞きしたいわけでありますが、先ほど、地震か津波のように、何の前ぶれもなく巨大開発というものが村ぐるみ人ぐるみでのみ込もうとしておる。そしてそこの人たちは罹災者とならないように、開発の難民とならないように、生活権、生きる権利、こういう立場で非常に努力しているんだという、いわば苦悩のいろいろお話があったわけでございます。村長さんとして、このいま当面している幾つかの問題があると思いますけれども、特に一点として、いままで行政上、この開発行為が起きてきて非常にお困りになったことがあると思いますけれども、どんなことがお困りになったのか、ひとつ事例をあげてお話し願いたいと思います。
それから二つ目に、やはりお話の中に第三セクター、こういうお話があったわけであります。今度の国土総合開発でもこの第三セクターが開発の先兵として大きく取り入れられていくことになっているわけでありますが、どうしても第三セクターというのは地方自治体の主導型の大きな開発の先兵をなす、こういう性格を持っていますから、この第三セクターでいろいろな問題がおありだと思いますけれども、その中身について特徴的な点をひとつ事例をあげてお話し願いたい、こういうふうに思うわけであります。
それから、先ほどのお話の中で、開発の内容が一切秘密でわからない面がある、こういうお話があったわけでありますが、これは住民参加の問題と非常に大きな関係が出てくることだというふうに思いますので、そんな事例があったらひとつお話し願いたい、こういうふうに思います。
それから、先ほど資料が必要ならお出しするという中で、好むと好まざるとにかかわらず、この巨大開発というのはお金が先についてどんどんどんどん攻め上げてくる、そういう中に幾つかの例があるけれども、資料としてあとで要求があればお出しする、こういうお話がありましたので、これはあとでけっこうでございますから、その面の資料があったらひとつお聞かせ願いたい、こういうふうに思います。
以上であります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107104158X00219730712/25
-
026・小林與三次
○小林公述人 国土総合開発法というよりも、土地問題全般について何か御意見をというような趣旨に拝聴いたしたのでございます。これは述べ出すというと限りがなくなっちまいますが、私は、土地の問題の基本は、要するに土地をどう利用するかという問題と、土地の地価問題をどう考えるかという問題と、二つに、大別すれば帰着するんじゃないかと思うのであります。
その地価の問題も結局土地の利用の問題であって、限られたこの土地、ほかの商品と違った特殊なこの土地を、国民全体が公共的に、社会的に最も適正に利用し得るように、土地というものをどう考えるかということが土地問題のポイントだろうと思うのです。それが現在のような自由な価格の問題などがあるから、金を持っておる者だけしか土地が使えなくて、ほかの者は土地が使えないということで、やはり地価問題も結局土地の適正な利用を妨げている、あるいは独占的な利用をほしいままにしている、こういうことになるのであって、結局どうしてこの限られた土地をどう利用するかという問題がポイントだろうと思うのでございます。
そこで、それを考えるためにはやはり土地の利用のしかたというか、それが土地の利用計画の問題であって、要するにこの国土で日本人が生きていかなくちゃいかぬ。それだけでなしに、一番高い生活のレベルをあらゆる面において確保していくことは考えなければいかない。そうなればこの国土を総合的にどう利用したらいいかということを国民全体として考えざるを得ないのであって、先ほどいろいろ台所論と便所論とか、そういうことばが出てくるから問題が複雑になってくるのであります。国民が生きていくためには、それは基幹的な産業も要るだろうし、関連産業も要るだろうし、加工産業も要るだろうし、あらゆるレクリエーションからその他一切、そういう産業的基盤も要ることはこれは明瞭ですし、それだけでなしに大きな文化的な環境や、また生きていくための自然との調和が必要であることもこれまた間違いないのであって、その全体をどうしたって総合的に考えざるを得ない。その考え方が従来少し片寄っておったじゃないか、へんぱだったじゃないか。ここに問題があって、経済優先だとか、生活どうとかという問題があって、従来の考え方が曲がっておった、行き過ぎておったことは、これは事実であって、それを直すところに新しい国土の開発の問題が私はあると思うのであります。
そういう意味で、国土の利用計画というものを全体的に考えざるを得ないのじゃないか。そのもとにおいてそれぞれ地域的にそれを個別化していくほんとうの計画が要るじゃないかというのがこの考え方の基本で、それが土地利用計画になってきておる。その土地利用計画がさらに、これだけじゃ終わらずに、いろいろな都市計画なり、各種の個別立法全体をフルに動かして、それぞれの場として生活環境のよい健康な場をつくっていかなきゃいけない。いままでの過大過密地区の特に重工業地帯が非常な害を出しておるからといって、その害を出すものを地方へ持っていけと、そんなばかなことが許されるはずがないのであって、公害は、東京であれ、いなかであれ、害のあるものは一切禁止しなくちゃいかぬ、制限しなくちゃいかぬ。これはできるに違いないと思うのです。人間の手でつくり出した公害なら人間の手で除去できないはずがないのであって、それをもっと人間が全部知恵を出して考えるべきじゃないか。
ただ、集まり過ぎるために起こる害は分散するよりしようがない。それは十平方メートルのところに一人おるか三人おるかで、問題の行き方が全く違ってくるのだから、これは理屈なしにばらまくよりほかにしかたがないじゃないか。それぞれの自然環境にマッチしたある程度の分散を考えざるを得ないという問題が一つ。それからそれぞれの産業とか企業、いわゆる公害といわれる問題に対する対策が一つ。これはもうどんなことがあったって、人間が知恵を出して、金を出して、私は阻止すべきだと思うのであります。それに対する対策が従来行なわれてきておったか。それだからいまのように地域開発問題が過当にというか、こんがらかっちゃっておる。私はそういうふうに考えるのであって、これは公害問題を論ずる場じゃありませんが、どんなことがあったって、私はこれは、人間のつくり出すものは人間の手で防止すべきだ、できないはずは絶対にない、そういう信念を持っておるのであって、たとえ阻止するためにどれだけ金がかかったって、そんなことはあまり議論する必要がない。それくらいの金を国民全部の経済で吸収していけばいいのですから、そういう前提でその問題は考えたらよろしい。
土地の利用の問題はそういうわけで、一つの利用計画ができるとともに、利用どおりにどうしてやるのか。かりに都市をつくるとして、われわれ住宅問題を解決しなければいかぬのですが、単なる市街化区域をつくったからといって家が建つわけじゃないです。それに必要な公共施設が建つわけじゃないのです。それが従来計画をやりっぱなしで、あと始末を考えていない。それだからいけないのであって、ほんとうに市街化計画をつくるのなら、どういう市街地をつくるのか。適当な空地もつくり、適当な公園もつくり、公共施設もみんな入れた市街地の形成計画をつくって、それを実現しなくちゃいかぬじゃないか。それを実現するのがほんとうの都市計画であって、ペーパープランだけつくるのなら何の意味もない。またそれを実現しないから、つまり住宅を求めてみんなが右往左往するのだし、手に入りようがないから住宅問題も非常にこんがらかっていくので、そういう意味の、つまりほんとうの計画を実行する体制と仕組みというものをどんなことがあったって考えなければいかぬ。私はそれは考えられる。
そのために、従来の土地所有権というものをどう考えるかという問題があって、相変わらず土地の所有権は絶対だ、不可侵だ、そういう考え方を持っておればこれはできっこありません。しかしそれは私は間違っておる。土地の所有権というものはほかの財産とこれは違うので、当然憲法にも公共の福祉に適合するように定めろと書いてあるのであって、何が公共の福祉かという前提で土地所有権の中身を解決したらよいのであって、そのためには土地というものの所有権と利用権というものをもっと分離して考えるべきじゃないか。つまり、土地を持っておる私権は否定する必要はないが、利用だけは公共的、社会的に公正になるようにして、その利用には国民も全部協力すべきじゃないか。またその協力をさせられるように、国家もそのかわりに個人の立場も考えて手当てをしたらよいのであって、とってしまえというから、さっきむつ小川原の村長さんのおっしゃったとおり、札束で、金をやるから土地を出してしまえ、こういうばかなことをやるからできないのであって、やはり土地は持たしておいて、土地からあがる収益は保障してやる。立場は変わるかもしれない。農業をやらなければいかぬか、工業をやらなければいかぬか、住宅地にしなければいかぬか、それはそれぞれの地域でいろいろな事情があるに違いないのですが、かりに住宅地にしたって、土地の所有者が従来の農業経営よりもはるかに安定した生活、安定した所得、安定した健全な生活が営めるのならそれはそれでまたよいのであって、個人としてみれば永久に特定の職業にこだわっていなければいかぬという理屈は一つもないのであって、全体として伸びていく過程で自分たちもそれぞれ伸びていく、それを保障する体制を考えたらいい。そういう意味で、所有権というものから利用権をむしろ引き離して、利用だけは思い切って公共的にやることを考えたらいいじゃないか。そうすれば地価の問題が消えてなくなってしまうんです。高い金をかけるから非常に高くつくのです。ただ、土地の利用価値は利用の方法で非常に違いますから、利用価値だけは私は尊重すべきだ。それはつまり、個人がそこに資本を入れたり、労力を入れたり、知恵を入れたりして利用度を高める以上は、利用価値は尊重したらいいのであって、単に一晩眠っておったら何万円——何万円も上がらぬかもしれませんが、とたんに上がっていくような投機的な利得というものはこの際否定したらいいじゃないか。否定する方法は考えられるじゃないか。それは地価問題として別に論議すべきでありますが、私は十分に考えられる。そういう方法でそうした利得を否定しながら、土地の適正な利用だけは利用計画に従って実行する。そのときに土地所有者の立場も十分に考えて、従来以上の利益を得るような方法を考えながら土地の利用を適正に考える、そういう方法を考えるべきであって、この国土総合開発法で全部解決することはできないが、当然最後の実行の、利用をどう実現するかという問題と、それから地価に対する、私の言った考えが正しいかどうか別にして、何らかの対策をあわせて講ずるということが基本的な問題であって、それを私は強調いたしたいのであります。
今度の国会で土地の税制立法その他が若干とられていますけれども、あれはあれで全然むだとは言いませんけれども、残念ながら、とてもあんなことじゃ役に立つものではない。しかしあれだけの手をやったんだから、現にこれだけ土地の取引に許可制度までとるほどの勇気と決断をやった以上は、この考え方をふえんしていけば十分にとり得る。そういう意味で、この法律は非常な画期的な法律であるというのが私の考えで、この考え方でほかの手もあわせて講ずべきじゃないかというのが私の感じでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107104158X00219730712/26
-
027・宮本憲一
○宮本公述人 もう相当時間があれで、非人間的状態になっていますので簡単にいたしたいと思うのでありますけれども、関発と土地規制をセットにするということの危険、それは指摘したとおりでございます。土地政策については、私は基本的には三つの方法があると思うわけです。一つは規制であります。第二は税制であります。第三は公有化であります。
土地政策はこの三つの柱で動かされていくと思うのでありますが、最初の直接規制については、この法律でも幾つかの手法が示されているわけで、この手法もそのまま悪いというわけじゃなく、これは一つの手法だと思います。問題は、規制というのがむずかしいのは、一般的に規制をすると失敗が多いということであります。たとえば公害の場合でも、一般的に規制をしようとするものですから、かえって一番加害をしている行為がのがされてしまうということがあるわけでありまして、これは、地方団体が実情に応じて、最も土地問題の元凶であると思われるものについてねらい打ちをするような規制が一番望ましいと私は思います。それから税法について、私は一定額以上のキャピタルゲインは全額課税すべきであるという意見でございます。最後の公有化については、これは皆さん方申されておりましたとおり、私はこの際、公有化はできる限り進めていくべきであると思います。そのための財源措置も必要であると思います。この三つの措置はどれか一つが有効だとは言えないと思います。いまの日本の土地問題の現状からいって、全部やるべきであるというのが私の意見でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107104158X00219730712/27
-
028・堀江湛
○堀江公述人 住民参加の問題でございますけれども、具体的にと仰せられてもちょっと、個々の事例によって問題が違うのではなかろうかと思います。ただ、現代の大都市において、こういういろいろな問題の場合に、必ずその問題にじかに直面する当事者とそれ以外の一般の住民との間に非常に大きな意識の差が出てくるということであります。そういう意味では、現代においてはそういう問題が起こると必ずその当事者は少数集団、全体から見ればマイノリティーになりがちだ、こういうことが起こってまいります。
たとえば先ほどごみの例で、ごみの焼却工場をつくるということに反対する人はだれもおりませんけれども、自分のうちの隣につくるといわれたら、これはもう反対するのは当然であります。そうして、賛成する、つまり自分の隣につくられるのでない人にとってみれば、焼却場は必要だからつくるのは当然だという、きわめて大づかみな議論しかしない。ところが隣につくられるほうにとってみれば死活問題ですから、非常にこまかくそれを検討して一々反論するということになります。実は現代の大都市の生活というものは常にそういうことがつきまとう。
あるいは日照権の問題でもそうであります。都心にいまどき一戸建て、庭つきで、そしてしかも一日日当たりのいい家を望むということがどだいぜいたくなんだ、そういう議論がある。しかし一方、そこにマンションをつくる場合に——高層建築をつくるについては、案外その地域が、その土地が狭過ぎるのかもしれない。ですから一般論としては都心に高層住宅、これはみんな賛成しますけれども、しかしいざ実際につくると、隣に、自分のすぐ南側に十階建てマンションをつくられる、そういった住民にとっては死活の問題であります。実はここに現代の都市生活の非常にむずかしい点があるだろうと思います。
それだけに、もしそういった公共の福祉、広い意味での公共のためにそういった施設をつくる必要があるという場合には、なぜそこにつくらなければならないかという必然的な理由が、そこの住民に十分納得できるだけの合理的な根拠が示されなければいけない。ただ、たまたまそこに空閑地があるからだ、たまたまそこに広い道路が通っているからだといったような理由では住民を十分納得させることができない。つまり、これだけの地域のここにどうしてそれをつくらなければいけないかという、十分合理的、納得できるデータが示されなければいけない。こういう点について、従来、行政はそういった結論を引き出すにあたっても、さまざまな根拠というものを示すことに必ずしも熱心でありませんでしたし、またそれを説明する過程においても決してそれが十分行なわれたとは言えない。ここに非常に大きな問題があろうと思います。
公聴会というのは二種類ある。確かにそれは住民の代表が出ていって意見を述べるということですが、決してこれだけでは十分ではない。むしろ行政の側から出てきて、その地域の住民に事情を説明する、これが必要だと思います。そしてこの説明も、従来、どういう経過でここにつくられるかというような事情の説明と、だから御理解を願うというもっぱら拝み倒しの一本やりという形で、ことばが悪いんですが、いわばまるめ込むという形で何とか納得させよう。そうしてその合理的根拠が十分説明されていないという事例が非常に多いように思われる。これが実は問題を必要以上に紛糾させる。そこで反対する側でも集団をなし、あるいは地域の代表を先頭に立てて圧力をかける、だからそういった説明会が一種の団体交渉的な、大衆団交的な場と化しがちで、実のある議論が行なわれない、こういうことがどうも起こっているようであります。したがって、そういった詳しい合理的なデータを示して逐一それを地域の住民に説明する、こういった行政の姿勢を確立することが必要だろうと思います。
それからもう一つ問題は、実はこれは現在の大都市において特にそうでありますが、地域社会といいますか、地域的な一体性というものが非常に欠除しているという点でございます。これは法案とは関係ないではないかとおっしゃるかもしれませんが、実はそうではないと思うのです。今日、たとえばごみの問題が出る。反対するのはだれか。一番反対するのは土着のといいますか、土着ということばはやや語弊がありますが、その土地に長く住んでいる地つきの人であります。ところが、実際に長く住んでいても、その近くにある公団の住宅とかあるいは公務員や特定の公社の住宅、そういった公的な団地の住民、これは全く無関心であります。こういうことで実は地域住民との話し合いといってもそれがうまくいくわけがない。そういう意味では実はもう一度地域社会というものをはっきりとつくり出す必要がある。ところが、たとえば杉並のあのごみの問題なんかに典型的にあらわれているのですが、あの高井戸地区の地主さんたちが中心で反対していますが、あの人たちの意識の中には、もともと自分たちの村だった、そこに都心から多くの人が入り込んできた。入り込んできて、自分たちのかつての地域社会のいろいろな行事やその他のことに対しては全く無関心で非協力的である。にもかかわらず、そこでどんどんごみを出して、そのごみを焼却するときにはおれたちの土地で焼却工場をつくるというのでは非常にけしからぬではないか。そういう感情的な問題があります。逆をいえば、一般住民の側にもそういった地域社会にコミットする面が少ない。全くねぐらとしてしか考えていないといったような意識が問題。そこでそれをもう一度はっきりとした近代的な地域社会に再編する必要がある。
そういう点で法律がどういう点で関与するか。長期的に見れば、実はもう少しそういった地域社会の感情を育成するような方向に、ある程度経済的な非能率性を考えても行政上の措置をとる必要があるのではなかろうか。たとえば、アメリカの地域社会に行きますと目的税が非常にたくさんあります。この目的税というのは、もちろん財政理論からいえばまことに非能率的な、財政硬直化をもたらす、そういった意味では全くの空論と思われるかもしれませんが、地域社会の一体性というものをつくる点では非常に効果がある。たとえばアメリカの農村——州によっても非常に違いますが、よく見られる事例でありますが、小学校をつくる、高校をつくるのにも一々住民投票が必要である。学校区があって、この税金は小学校を維持するための税金である、これは何々を維持するための税金である、そういった目的税的なものが非常に多い。そうすると、それは確かに財政上非能率的であっても、この税金がうちの子供の高校を維持している、実はそういうことが地域社会における新しい一体性をつくり上げていくことになる。
だから、法律というものがそういった、地域社会を形成するなんてことと無関係のように思われながらも実はそうではない。そうして、そういう点で多少の経済的な非能率性というものを考えても、住民の自治意識を盛んにするようなそういったタイプの措置というものを考える。これは税制だけじゃなくて、いろいろな面で考えられると思いますが、そういうことをもっと考えていいんじゃないか。そういう面では、あらゆる面で日本の行政というのが中央集権的あるいは非常にマクロな考え方で一貫し、しかも効率性という見地だけで貫かれている。もう日本もこれだけ経済力が高まったのですから、そういった意味で多少の効率を無視しても、もう少しそういった地域性、住民自治、地域の連帯性という点に力点を置いた諸方策を考える時期が来ているのじゃないか、こういう気がいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107104158X00219730712/28
-
029・村田喜代治
○村田公述人 先ほど私はシビルミニマムという観点から問題を申し上げましたが、このシビルミニマムの主張は憲法二十五条の生存権を立脚点として主張されているわけであります。したがいまして、シビルミニマムの運動の中にはたとえば環境権の主張まで当然含まれているわけでありまして、この主張を正しいものだと私信じております。
ただ問題なのは、現在のような国土利用のアンバランスを前提とする限りは、何らかの歯どめがなければむしろ地域間のアンバランスをシビルミニマムの運動によって拡大する危険性を含むであろう、こういう見方をしており、その意味において国民それぞれはナショナルミニマムを要求すべき権利を持っておるはずであり、政府はナショナルミニマムを実現する義務を与えられておる、こういうふうに考えております。という観点から、今度の法律に対しては、このナショナルミニマムを実現するための一つの手段として位置づけるならば、従来の法律よりも前進した点が多く見られ、その意味において賛成したい、こういう主張で申し上げたわけであります。
しかしながら、しばしば指摘されておりますように、たとえば工場の分散はイコール公害の分散であるというような危惧が今度の法律の施行にあたって少しでもあるとするならば、これは当然そういう意味での分散は否定されるべきものであろうと考えます。一つの比喩を申し上げてみたいと思いますが、この広間を一つの池と考える。ここにスイレンを植えてみたいと思います。このスイレンは初めに一つ植えますが、毎日二倍、二倍にふえていくといたします。そうして三十日でこの池をスイレンが一ぱいにしてしまうと考えた場合、皆さんと一緒に二十九日目にこの池をながめてみる。ちょうど池が半分はスイレンで埋まっており、半分はきれいな水がたたえられておって、非常に均衡のとれた、いい池だとしろうとのわれわれは考えるかもしれません。しかしながら翌三十日にはこの池は、スイレンは倍々にふえますから、スイレンによって完全に占領されてしまう。わが日本という国土はまさにこの二十九日目にあると考えざるを得ないわけであります。そして三十日目に来るのが十年後であるか二十年後であるか、あるいは五十年後かもしれません、スイレンの一日に該当する期間がどの程度先であるか私ども存じませんし、どのような専門家もこれは正確な答えを出すことは無理だと思いますけれども、しかし自然環境という問題をわれわれが見た場合、スイレンをたたえた池の二十九日目に現在われわれが置かれているということだけは事実だろうと思います。だといたしますならば、ナショナルミニマム実現の一つの手段として考えられる国土開発が環境を破壊し、おかし、したがって三十日目に近づく距離を短縮する形での行為であるならば、それは当然否定されなければならない。だといたしますならば、しばしば言われておりますたとえば環境アセスメントということが、単なる形式的ことばだけの問題ではなしに、開発が行なわれる基礎的なものとして徹底的に行なわれなければならないであろう。したがって、その調整というものが今度の法律の中に盛り込まれるか、あるいは別の体系として存在しておる環境庁関係の法律に盛り込まれるかは、法体系としては私はよく存じませんが、それだけのきびしさが大きな一つの前提でなければならない。環境を守る中でわれわれが生活するためにはそれだけのきびしさが必要であると考えるわけであります。
俗に公害といわれるものを、私、経済の分野でございますので経済学の分野から申しますならば、これは社会的費用とイコールと結びつくことができます。では社会的費用は何かといいますと、企業が生産活動において費用を節約した部分を一般社会に転嫁した費用であります。言いかえますならば、企業が必要な費用を一〇〇%支払わないことによって公害という形の社会的費用が出ているわけであります。でありますので、たとえば先ほど宮本先生がPPP、汚染者負担主義の原則でございますね、このことを指摘されましたが、これはOECDで採択され、加盟国に勧告された問題でありますが、環境問題がうるさくなったからPPPの原則を採用したのではなしに、企業が生産活動において社会的費用を発生させているという理論的な根拠から汚染者負担主義の原則が具体的に採択されたわけであります。したがって、環境アセスメント、事前調査というものが形ではなしに徹底的に行なわれると同時に、開発に際してはこの原則が大きな前提になり、これもまたどの法律の体系の中かは別として、はっきり位置づけられることが不可欠の前提であります。これは何も企業いじめとかなんとかいうことじゃなしに、たとえば四大公害裁判の結果を見ても、事前にこの原則を守ることのほうがおそらくは企業にとってもどれほど合理的であるかということはすでに今日証明されているわけであります。したがって、開発行為と環境保全問題を何らかの形で調和させるとしますならば、この三つのPの原則が強制されるということが第二の大きな問題になることは必然であります。
しかしながら、同時に、企業に全責任を負わせてそれでいいかというと、私はそうとは思いません。政府が持つところの責任はもっと大きいわけであります。なぜならば、どのような国におきましても技術に対する基本的な研究というものは政府に属しております。この場合、たとえばアメリカと比較してみますと、この数年間の政府が支出する科学研究費の中に占める公害関係の基礎的な研究費の割合は、アメリカは二%あるいはそれ以上であります。これは環境庁が発表した数字を見ましても。ところがわが国では、この数年徐々に変化があり、上がったり下がったりしている年もありますが、大体科学研究費の中に占める公害に関する基礎的な研究の費用の割合というのは〇・四%から〇・七%程度。数字をアメリカしか私存じておりませんので、アメリカと比べてもこんな違いがある。だとすれば、環境を保全するというようなことをただ単に抽象的に議論するのではなしに、政府においてもなおこういう基本的な研究に積極的でなければ、たとえば開発にあたっての地域住民を説得する、地域住民の納得を得るというその行為自体が空虚なものとならざるを得ないであろう、このように考えております。
以上でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107104158X00219730712/29
-
030・寺下力三郎
○寺下公述人 先生方、おなかの御都合もあることでございましょうが、どうも一言でずばりと御回答もできないので、暫時おつき合いを願いたいと思います。
先ほど、村行政上困ることの事例をと、こういうふうなお話でございましたが、日本全国から金をもうけようとする者があの片いなかへ殺到するものですから、困らないというのがふしぎなので、困るのが全部でございます。
その事例を一、二申し上げますと、私の村は海岸に沿うて長い村でございまして、ちょうど南北三十二キロ、東西六キロのような状態です。細長くなっています。そのまん中をとられるわけですから、これはあの計画のように工場ができましたならばまず村は二つになる。それから予定地の中には統合中学校が一校ございます。これは学級数が二十をこえますが、あとは小学校が二つでございますか、そのほかに水道その他の施設が分断される。いま一つは、金のために家庭の乱れとでもいいましょうか、あるいはまた部落の乱れとでもいいましょうか、いままで金のないところにどっさり金が入る人はそれぞれぜいたくをきわめますし、それから入らない者もいる、土地のない人もございますから。これは先生方も御承知でしょうけれども、いなかの部落というのは三十世帯あっても四十世帯あってもほとんど同一世帯のようなものです。それがこれを機会に、本家のほうはどっさり金が入るけれども、分家の分家のまた分家になりますと裸一貫、こういうふうなことで、いままでの連帯感は支離滅裂、こういうふうなことになって、現地に行ってごらんにならない人には全く想像もつかないような状態でございます。
それから第三セクターのことでございますが、このつとめている人は土地を買うのが本体でございますので、仕事ぶりが熱心だ、こう申し上げたほうが——これは儀礼として国会の場所では悪らつなんということばは使われないと思いますので、熱心の極と、こう言いましたほうがいいと思います。現に夜の十二時ごろまで土地買いに奔走しています。そういうふうに熱心さのあまり、いなかの人を相手ですから、いろいろ陰に陽に圧力がかかっているというのが実情でございまして、特に困ったことは道路、道路敷、防風林あるいはまた水源涵養林、そういうものは開拓地の場合はほとんど組合有でございます。それから部落に入りますと、牧場というのは牧野組合というようなものをつくりまして組合有になっているわけですが、これをどのようにして買い受けるか、こういうことで一生懸命工作するものですから、結局多数決の原則によって、組合員の中の多くの者がろうらくされると売られる危険があるわけです。そういう関係で水源涵養林を売られると、その周囲のたんぼの人が迷惑してきますし、それからまた防風林を売られると営農が成り立たないという人も出てくるわけでございますし、道路を売られると奥のほうへ入っていく人は今度は入っていけなくなる、こういう事態もございます。これはいまの開発の区域の中ではございませんが、区域の外でございますけれども、たまたま村有地の道路敷地を部落の関係者に、これは私の時代でございましたが、払い下げてやりましたところが、これはきまったものですから実は私、登記してやったのですが、たまたま登記を受けた連中が四、五人で、落ちついたところは内外不動産でございますが、売られた。そこでこれは村長も何か一枚加わって——一枚加わったというのは飲むほうへ加わったということですが、私はそうではありませんが、一応村長も共謀して売らせて歩った、こういうふうなことで刑事事件になっているのもございます。これは一、二申し上げましたが、全部が全部困ることだらけ、こういうふうに御理解を願えれば幸いだと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107104158X00219730712/30
-
031・服部安司
○服部委員長 瀬崎博義君。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107104158X00219730712/31
-
032・瀬崎博義
○瀬崎委員 公述人の諸先生方、御苦労さんでございます。
まず第一に伊藤公述人にお尋ねをいたしたいと思います。
先ほどのお話の中で、列島改造論が出たから地価が上がったのではない、地価はすでに三十一年当時から上がっていたんだ、こういう御説明でございました。しかし現実に地価公示価格で見ましても、昨年度が三〇%でしたか、文字どおり異常な値上がりであったことは事実だし、その中身も昨年度後半の値上がりが異常であったわけなんです。ですからそういう意味で、日本列島改造論が出たればこそそういう異常な事態が起こったのであって、これと関係ないということは言えないように私思いますし、またそれ以前を考えましても、旧全総、新全総と、工業開発優先主義が貫かれた中で地価高騰、土地投機が大企業によって行なわれている。これも事実まぎれもないことでありますから、そういう点ではやはり工業開発優先、生産第一主義が地価高騰の主要な要因になっていると私は考えざるを得ないわけなんですが、いま一度その点の先生の御説明をいただきたいということ。
同じく伊藤公述人にもう一点お尋ねしたいのは、国土総合開発公団は地方中堅都市育成等を行なって、自治体にもよい影響を与えるというふうな御趣旨の御発言があったと思うのです。しかし一方、そのあとで他の公述人の方から、本来住民のための施設等は地方自治体が行なうべきものであり、国や県は当然これに対してお金なり、技術なりを援助すべきなんだ。ですから、この公団がそういう間口の広い事業を行なうということは、ある意味では地方自治体の権限を侵すことになるのではないかという趣旨の批判もあったと思うのです。そこで、先生の表現をかりれば、国立デベロッパーとおっしゃいましたが、こういう国立デベロッパーの役割りが地方自治体の権限や役割りを侵しはしないかという点について先生のお答えをひとついただきたいと思います。
次に、寺下公述人にお伺いをしたいと思うのであります。
私も、琵琶湖総合開発で日本一の琵琶湖が破壊されようとしている滋賀県の出であります議員として、たいへん共感を持ってお話をお聞きしたわけであります。先ほどのお話によれば、現在進められているむつ小川原巨大開発は民主主義のかけらもない。地震か津波のように、何の前ぶれもなく村を襲った、こういうお話でありますが、これに対する政府の見解がこうなんです。これは今国会の予算委員会の分科会で、津川議員の質問に政府側が答えている部分であります。議事録どおり申し上げてみます。下河辺局長は「五千五百ヘクタールの面積につきましては、住民の協力が得られるということを前提に書いておるということを了承しております」。小坂国務大臣は「実際のむつ小川原総合開発推進にあたりましては、十分六ケ所村の理解と協力を得なければなりませんが、この六ケ所村自体では、その賛否について意見の交換を行なっておりまして、これについて国及び青森県が行政的に介入すべきではない、そういう認識に立っておるわけでございます」。あたかも政府には責任はない、当事者ではないというふうな表現が一方にあり、一方に住民の協力が前提だ、こういう発言になっているわけであります。いま村長さんからお聞きいたしました内情とはきわめて隔たりがあるわけであります。こういう政府側の発言に対して、国会の場ですから差しつかえもあろうかと思いますが、差しつかえのない範囲で、率直な御意見なり御感想をいただきたいと思うわけであります。
次に、村田公述人にお尋ねをしたいと思うのであります。
先ほどのお話の中で、新産都あるいは工特の場合、法律そのものは整然とできておってよいのだけれども、実施のしかたが悪かったから公害や過密過疎を生み出したというお話だったと思うのです。しかし、あの法律というのは結局旧全総に基いて拠点開発方式を進めるために、とにもかくにも工場立地の入れものをつくっていこう、基盤整備をやっていこうという法律であったから、これはいやおうなしに今日生まれているような事態が起こってしかるべきではないかと思うのです。そういう点では、やはり高度成長政策を続けるという大前提のもとで、新産都とか工特とかと、工業立地推進は同じことを生み出すと私は思うので、いま一度先生の御見解を承りたいと思うのであります。
最後に、宮本公述人にお尋ねをしたいと思うのであります。
先ほど来、今日までの地域開発について失敗のお話がございました。確かに、特定地域開発であれ旧全総であれ新全総であれ、本来潤わなければならない開発地域に、逆に公害等いろいろな意味での貧困を持ち込んだと思いますし、一方で富の極端な中央集権を生み出したと思います。これをわれわれにもよくわかるように、簡潔に、その経済的なメカニズムといいましょうか、必然的な法則とでもいいましょうか、そういうものを御説明いただけたらけっこうかと思うのです。
それからいま一点は、現時点で結論的なものをということではないのですけれども、こういう新しい国総法案が出ましたこの機会に、今日までの地域開発の歴史的な教訓に学んで、もしも一定の定式化を行なうとするならば、真に住民のための民主的な地域開発の基本はどういう課題で設定され、どういう計画内容のものになり、かつこの計画立案と実行の手法はどういうものでなければならないのか。先ほども抽象的にはちょっとお話があったわけでありますが、もしもう少し具体的にお答えいただけるようであれば、先生の見解を承れるとありがたいと思うのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107104158X00219730712/32
-
033・伊藤善市
○伊藤公述人 私に問われました問題は二点でございますので、ごく簡単に申し上げます。
私は先ほど、列島改造論が地価の上昇に関係なかったとは申しておりません。私が言いたかったのは、なぜ地価が上がったかという、その問題については、広く過剰流動性の問題を含む物価上昇つまりインフレマインドであります。その中で、土地が最も有利であるという事実が過去十五年間に人々の心理の中に定着をした。その事実をまず見なければならないということを申し上げたわけでありまして、結局インフレーションが進行いたしますと、一般的な傾向として、初めは株価、それから土地、それから商品というふうにいろいろ変わってまいりますけれども、資産選択の一形態として土地を選んだ。しかも土地の場合は、それを持っておってもいわゆる持ち越し費用というのがかかりませんので、他の資産選択と比べて有利であるという事実があったわけです。そのことが底流としてある。私は、日本列島改造論がその土地の買い占め傾向に対してかなりの心理的効果を与えたであろうということは質問者の方と同じ意見でございます。列島改造論が全然地価上昇に関係なかったとは申しておりません。特に昨年の後半以来の問題は、ちょうど列島改造論とかち合ったわけですが、そのほかにもう一つ基本的な問題として、私はやはり過剰流動性の問題を無視することはできないと思います。この国際収支の黒字基調、その中から出てきた過剰流動性をくみ上げる政策が不十分であって、財政金融両面において十分な対応がなかったわけでございます。そのことを申し上げたかった。ただ、日本の場合は、三十七万平方キロの中に一億以上住んでおりまして、しかも平地の比率は非常に低い。ですから、人口につきましても、所得につきましても、情報につきましても、他の国と比べてきわ立って高密度社会を形成しているわけでございます。平地面積当たりの付加価値額について見ますと日本はアメリカの十倍でありますし、設備投資の平地面積当たりの投資額について見ますとアメリカの二十倍、そういう事実がございますので、他の事情にして変わりなき限り地価が絶対値において高いのは、経済の理論から言えばうなずける面もございます。しかしながら、この数年来の地価上昇、特に昨年度の過剰流動性を含む地価上昇については、その過剰流動性を吸い上げる政策について非常に不適切であったということが問われると思います。
ただ、この仮需要と申しましても、企業の買い占め、地価値上がりを期待したそういう投機的な目的もあるでしょうし、あるいはサラリーマンが、いますぐ家は建てないのだけれども、将来退職したならば自分の家に入ろうというわけでささやかな土地を確保するということもあるでしょうし、あるいはすでにリタイアした人たちが利殖の一形態として土地を選択するということもあり得るわけなんで、この辺の中身については十分な検討が必要だと存じます。
第二の国土開発公団に関する御質問でございます。私は結論を先に申しますと、先ほど申したのでありますけれども、知事並びに特別市の長に対する権限というものをさらに段階的に、たとえば人口三十万以上とかあるいは五十万以上といったような、そういう自治能力のついたところには段階をもって権限を与えるべきだという基本的な考え方を持っております。それから都市開発につきましても、基本的には自治体が中心になって計画を立て、各自治体の実情にふさわしい都市計画をつくっていくのが望ましいと思うのでありますが、国土開発公団の場合は必ずしも自治権の侵害ではないのでありまして、自治体は自分でもってやれる場合は自分でやれるわけです。なおかつ、自分だけの専門的な技術であるとかあるいは知識あるとか資金であるとかでできない場合においては国土開発公団に委託して、それからまた払い下げてもらうということもあるわけですから、国土開発公団がかってにやって押しつけるわけではないのでありまして、たてまえは各地方自治体のいわば主体的な態度に対応して動くような仕組みになっておりますから、私は自治権の侵害とは存じません。
ただこの場合におきましても、そういう都市開発関係につきましてはひもつきの補助金がたくさんございます。そういうひもつきの補助金というのは、いわば国民的な最低水準を保障する、確保するという意味でのかつての貧しい社会のときの発想であって、だんだんとこれから豊かになっていくとするならば、各地方自治体にとって、道路がいいか、住宅がいいか、あるいは公共的な何とかセンターというようなものがいいかというのは、各自治体が一番よく知っているはずなんです。ですから地方交付税のレートというものをもっと上げて、自由裁量の余地をふやすということが望ましいと思います。
以上でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107104158X00219730712/33
-
034・村田喜代治
○村田公述人 先ほど私が、新産都市は法律の段階においてはよかったんだと申し上げました意味は、全総を受けて、当時——現在はむしろ悪化しておりますが、いわゆる格差という問題が大きくある。その格差を是正するとともに、東京のような過大化した都市の問題をも解決するという発想が根底に置かれているということ、そしてそれを是正する手段としていわゆる拠点主義の方向を描いた。ここで拠点主義と申しますのは、できるだけ中央への依存を弱めて、地域の中における拠点を形成し、その拠点を中心として、たとえば東北なら東北、九州なら九州における文化的なあるいは経済的な、その他、地域内における循環を高めていく、中央への依存から脱却する方向を求める、これが拠点の正しい理解であるわけです。そういう意味での拠点主義が根底に置かれているがゆえに、少なくともそれがあらわれているがゆえに、新産都市建設法は私は法律としてはいいと申し上げたわけであります。
ところが、これはここにおられる方々も御関係になっておるわけでありますけれども、それが具体的な段階で拠点というものの正しい意味を大部分の方が忘れてしまった。すなわち、私の記憶によりますと、たしか全国から四十四の候補地が出されて、それがいやがおうでも何とか新産都市としての指定を得ようとたいへん奔走された。拠点であるならば、たとえば東北なり九州なり北陸なりという形で、一地方に一つあるのが拠点の正しい意味であります。したがってせいぜい八つでございましょう。それが何と全国で、工業整備特別地域というおまけまでついて二十一カ所もつくってしまった。その結果、施策は総花的とならざるを得なかった。しかも御指摘の高度成長に対応した形で具体化されておりますために、何よりもまずあの数字——私手元に持っておりませんので、はっきりした数字を申し上げるわけにまいりませんが、たとえば四十五年の目標値でいいますならば、工業出荷額はおそらく一〇〇をこえております。それに対して産業基盤投資は、一〇〇まではいっておりませんけれどもそれに近い数字であります。ところが生活基盤投資は先ほど申し上げましたように産業基盤投資のせいぜい六割程度じゃなかったか。いわゆるこれが総花的に行なわれなければならなかったということと、高度成長期であるがゆえに工業生産のほうが拡大し、産業基盤が優先し、生活基盤投資があと回しにされたという欠陥を如実に露呈してしまったわけでございます。
そういうような意味におきまして、もし問題を成長の問題とかね合わせて議論いたしますならば、過去十年における大ざっぱな見方をいたしますと、おそらくGNPは年々一〇%平均で伸びておる。これに対して福祉水準はせいぜい六%という数字であります。これはたぶん企画庁の数字であったかと思っております、私自信がございませんが……。そうすると、成長が続けば続くほど、相対的な意味では福祉水準は低下するわけであります。でありますので、この際、国土開発というものが私が申し上げましたような意味でのナショナルミニマムの一助として考えるならば、はたしていま考えられているような成長水準が是か非かという議論は当然必要でございます。と申しますのは、成長が高ければ高いほど産業基盤投資の必要性が高くなる。だとするならば、きわめて単純なことでありますけれども、生活基盤投資はセーブされざるを得ない。そのかね合いをどうやるかは成長度が重要な役割りを果たすわけであります。したがって、静的に新産都市の法律を見た場合は、私の解釈は今日でも私は退ける意志は持っておりませんが、それが成長問題と結びついた具体的な段階ではきわめてシビアな批判をせざるを得ないし、したがってただいまの新しい法律の問題も、形の上での整いと今後の成長問題とのかね合いで見れば、御指摘のような懸念は抱かざるを得ない、こう思っております。
以上でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107104158X00219730712/34
-
035・寺下力三郎
○寺下公述人 地元の理解と協力を得る、これが中央においては条件になっているというのは私も承知しております。しかし、県の考え方といいますか、現にやっている方法とでも申しましょうか、これは最初は、申し上げたように石油二百万バーレルとかエチレン四百万トンとか、それから火力発電が一千万キロワット、こういう大ざっぱなのは出ていますけれども、ではどういう発電会社が来てとか、あるいはどういう化学の会社が来てこの程度に操業する、この場所に操業するというふうなのは全然発表されていないわけです。その発表はないけれども、土地を買うほうは、これは公社は専門に買う関係で、それだけは無理無理押していって買っているというのが実情でございます。自分は、県のほうで村に入って各部落で説明をしなさい、こういうふうなことを主張しているわけでありますけれども、なかなか県のほうでは来て説明しない。そして申されていることを聞きますと、村長は反対だけれども村議会が賛成しているので別に現地まで行かなくてもというふうな、ことばの裏は解しませんけれども、まあ村議会が賛成しているので……。こういうことからうかがいますと、現地に入る必要がないというふうな行動でいまいるわけでございます。問題は、住民との話し合いの機会が、知事さんが一回入ったきりであと入っておりませんので、買い受けについてはいろいろの条件は出ましたけれども、来る企業の業態、あるいはまたその企業の方々が公害を出さないとかその他のお約束を取りつけたというふうなのは発表していませんから、現地の人としては、秘密にしている、何もわからない、こういう表現よりほかに方法がないというのがいまの状況なわけでございます。さっきも申し上げましたが、道路とか防風林、水源涵養林をだんだんに買い占められつつある、こういうふうなこと、ともどもあわせまして、住民とするとたいへんな不安がある、こういうことでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107104158X00219730712/35
-
036・宮本憲一
○宮本公述人 二つの御質問でありますが、まず第一の問題は、これは所得の分配の構造と財政の構造にあるわけであります。今日、所得の分配の構造を取り上げてみますと、地域開発によって地方へ進出いたします工場や観光業その他の企業のそこで生み出します生産所得というものは、その地域で全部分配されないわけであります。分配はどういうふうに行なわれるかといいますと、その地域で分配されるのは、その工場や観光業その他の事業体につとめる職員、従業員の俸給と賃金が地元で分配されるわけであります。利潤は中央にあります本社へ吸収されていくわけであります。そして本社の判断でもって分配をされるわけであります。この場合、従業員の俸給や賃金というのはいわば生活費でありますから、これはその地域において消費されてしまうわけであります。その地域を開発する財源は言うまでもなくその地域で生み出される利潤でありまして、この社会では利潤が富になるわけでありますが、その地域を開発すべき財源は中央へ集中する。東京、大阪、名古屋というような大都市にある本社に集中していくわけでありますから、工場ができても富は中央へ集中するということになるわけであります。そうして全国から集められた富が大都市圏の内部で分配をされるわけでありますので、大都市圏では新しい事業がそこで発生をする。その事業に雇われる人口、雇用力がそこで生まれるわけですから、労働力人口は大都市へ大都市へと集中するということになるわけでありまして、いまの所得分配構造が存在する限りは人口が集中していく。つまり工場その他の事業体がかりに地方へ分散しても富と人口は集中していくということになるわけであります。
財政構造の上でも、日本の財政構造は中央集権的でありまして、租税の分配は御承知のとおり国税七、府県税二、市町村税一という割合で大体配分されております。これは開発地域によって違いがございますが、中規模程度の開発地域では大体七、三、一の割合で租税は分配されていると考えられます。ところが小規模な都市になりますと分配の構造はもっと中央集権的になりまして、たとえば水島コンビナートなどでは、水島コンビナートから発生する租税収入は国税が九、県税が〇・四、市町村が〇・六という割合で分配しているわけであります。したがって、確かに工場が進出いたしますと租税総額はかなり大きなものがそこで発生するわけでありますけれども、その大部分を国税が取得してしまうわけであります。もちろん国は財政調整制度というのを持っているわけでありますけれども、地方団体にとってみれば独立税がふえただけ交付税が減ってしまいますので、交付税交付団体においては税収入が全部その収入になるわけではない。財政調整制度や、あるいはこの中には交付税や補助金がございますが、交付税補助金は福祉優先という立場を貫いておりません。産業優先という立場で補助率がきまり、実質補助率がきまっておるわけでありますので、したがって、国税に吸い上げられて、財政調整をされていましても、その財政調整制度が福祉をあと回しにする財政調整制度であればその地域で住民福祉が達成されないのは当然でありまして、先ほど村田教授が言われたように、今日産業基盤よりも住民福祉の公共投資がおくれていくというのは、この財政調整制度の交付税交付金や補助金制度の基本的欠陥であるといわなければならないわけであります。そのように考えますと、いまの生産所得の分配の構造と財政の構造をそのままにしておいて地域開発しても、それは地域の発展にならずに大都市の繁栄になる。あるいはもっといえば大都市の集積利益を求めて大都市に集まっている大企業の繁栄になるということになるわけでございます。
その次の点はちょっと大きな課題でございまして、私もここで簡単に説明をすることができないと思います。少し時間を食うと思いますので、ただ考え方だけひとつ申し上げたいと思うのでありますが、従来こういう国の地域開発にかわる住民の地域開発の政策は何かといわれると、たぶんシビルミニマムだといわれたと思います。しかし、私は必ずしもこの論に賛成しないのでありまして、シビルミニマムという問題は再検討されるべきであると考えております。シビルミニマムは抵抗権として一定の有効性をいまだに持っていると思いますし、私はこれを主張することにやぶさかではありませんが、しかし、これでもって新しい地域開発の政策が樹立できるかというならば、それはできないといわざるを得ないわけであります。
なぜならば、先ほど村田教授も指摘がありましたけれども、シビルミニマムという考え方の中には地域概念が欠けているわけでありまして、私はこういうふうに考えています。まずコミュニティーミニマムがあって、コミュニティーミニマムの総和の上にその市の行政で当然必要とされる行政水準というものが、加味されてシビルミニマムができ上がる。だから、コミュニティーミニマムが総和するだけでなくて、コミュニティーミニマムという狭域の行政単位における行政水準というものが確保されて、それにプラス、今日の日本の市町村は広域化しておりますので、その広域化してしまっている市町村のその範囲内での最低の必要行政水準を加味してシビルミニマムができ上がる。さらにそのシビルミニマムの総和としてローカルミニマムの一部があって、さらにそれにプラス府県段階における行政水準が加味してローカルミニマムというものができ上がる。そのローカルミニマムが総和されて、さらにナショナルな段階での行政水準というのが確保されることによってナショナルミニマムというもの、ができ上がっていくのだと思うわけであります。そういう意味で、この地域性を入れてもう一ぺんシビルミニマムというものは再検討されるべきである、これが第一点。
それから第二点は、シビルミニマムの内容について優先順位が不明確でございまして、私はやはり今日の段階においては、物理的な環境をいかにして保全するかということがこのシビルミニマムの中で最優先されなければならないと考えておるわけであります。また手段が不明確でありますから、やはりその意味で、私どもはそういう新しい行政水準というものを確保するための手段、つまり産業構造とかあるいは流通・交通体系とか産業基盤、財政金融制度についての手段を明確にしなければならないと思うわけであります。
最後に主体につきましても、これは住民運動と議会との関係について、一定の新しい議会制度の樹立ということを考えなければならないのではないかと私見を持っているわけであります。
そういう意味で、目的と手段と主体につきまして、新しい計画の手法というものが考慮されなければならないと考えておりまして、きょうちょっと全部申し上げるわけにいかないわけでありますが、その内容については、物理的な環境の維持を優先し、その次に生活水準というものを置き、文化というものを置く、そういう三つの内容からなる目的と手段と主体というものを明確にした計画の手法というのがとらるべきではないかと考えておるわけです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107104158X00219730712/36
-
037・服部安司
○服部委員長 新井彬之君。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107104158X00219730712/37
-
038・新井彬之
○新井委員 本日は、非常に貴重な御意見を八名の先生方からお聞かせ願いましてほんとうにありがとうございました。時間もたっておりますが、私最後でございますのでよろしくお願いしたいと思います。
私は、時間もたっておりますので端的に申し上げますが、初めに伊藤公述人にお願いいたします
先ほど先生は、固定資産税の評価がえや新土地税制で地価は安定の方向にある、こういうぐあいに言われたと思いますが、現在われわれが見ておる状況からいきますと、確かに過剰流動性の問題であるとか、いろいろな要素があるわけでございます。しかし、本年の予算委員会におきましてももう政府のほうとしては税制だけではどうしようもないというような答弁がたびたびあったわけでございまして、そういうことについてどのようにお考えになっているか、お伺いしたいと思います。
それから次に、小林公述人にお願いいたします。
先ほど、公害も人間がつくったものであるから、公害を技術的になくすことはできる。確かに今後どんどん技術が進んでまいりましたらなくすことはできるとは思います。また、都市計画におきましても、そういう計画を実際に計画をして、それが実施されないところに大きな問題があるのだ、こういうぐあいに言われたわけでございますが、こういう公害対策にしても、実際にまた都市計画にいたしましても現実は進んでいない、こういうことでございます。そこで、今回の国総法とのからみ合いで所有権と利用権とを別にするというようなことでございましたけれども、実際いろいろな話の中でこの国総法だけでは不十分であろう、したがって、ほかの法も関連してやらなければならないというぐあいにお伺いしたわけでございますが、その辺のところを少しはっきりしていただきたい、このように思うわけでございます。
そこで、現在の国総法の実施法としての都市計画法や建築基準法あるいはまた地価公示制度等の関係法との穴がうまくいくかどうか、こういうことでおっしゃったわけでございますが、穴としてどのようなことを考えていらっしゃるか。先ほど答弁がありました、たとえていいますと、公聴会一つにしましても実際にやるのはこの都市計画法だとか、そういうところでやるわけでございまして、そういうところで充足がうまくつながれば穴がなくなる、こういうことなのかどうかをお伺いしたいと思います。
それから次に、堀江先生にお伺いします。
先ほど具体例をあげまして、工場の追い出しであるとか、あるいは土地保有税だとか、ごみの問題とかいうことで具体的におっしゃったわけでございますが、今回の国総法におきまして住民の声をそのまま反映する、先ほども市民運動ということを、あるいはまた市民参加ということでお話がありました。この国総法においては公聴会を開くとか、そういうことになっておりますが、先ほど先生がいろいろなことを言われた複雑な要素からいきますと、実際にこの法律を移した場合にはあまりにも問題が多くなるんじゃないかと思われるわけでございます。そういう点についてお伺いしたいと思います。
それから最後に、宮本公述人にお願いいたします。
先ほど、開発目的、手段それから主体が誤っていた、こういうことで、今後あるべき態度として、国土の憲法というものが必要である、あるいはまた資本や企業に対しての規制がなければ、幾らこういう国総法で土地の規制をしても結局同じであるというぐあいにとったわけでございますが、その辺のところをもう少しお聞かせ願いたいと思います。
以上で、ございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107104158X00219730712/38
-
039・伊藤善市
○伊藤公述人 私は先ほど、地価安定のきざしがあるという、そういうことを申し上げました。これは私、今度の公述人に依頼を受けましてから、ややあわててでございますけれども、私の時間の許す限り若干調べてみました。帯広に旅行したときにやはり聞いてみましたし、それから軽井沢でも若干聞きました。東京の不動産会社の知っている方、その方からもちょっと聞きましたし、それから政府系金融機関の調査担当の方にも聞いて、最近における地価の動向についてちょっと伺ってみたわけです。そういたしますと、一時に比べ二つの特徴があるということです。
一つは、投機が投機を呼んだあの時代に比べて土地の動きが鈍くなったということが一つ。それからあるところでは、これは投機で買って、もっと高く売りつけようと思って買ったのでしょうけれども、投機が投機を呼ぶ時代というのは、いわゆるトランプのババ抜きのババみたいなものでありまして、早く逃げなければならないという面があると思うのですけれども、そういうふうにして金利のかかったお金で投機的目的で買った土地を持ちこたえられないから売りたい、そういうケースがある。しかしこれは非常にごく少数のケーススタディーでございますので、一般的な傾向としていえるかどうかわかりません。ですから、私はそういうようなきざしがあるということを申しました。
それで、御質問と同じように、私は税制だけでは不十分だと思います。税制のほかに、たとえば過剰流動性を引き揚げる総需要コントロールの政策であるとか、あるいは現にいま日銀がやっておりますような公定歩合の引き上げといった金融政策、あるいは財政投融資の繰り延べとか、そういったことが必要でありますし、さらにいま新しい国総法で問題になっておりますような許可制であるとか届け出制であるとか、そういういろんな手を組み合わせてやっていくというのが望ましいと思います。しかし、こういった政策というのはこれまで総合的立場からとられたことがございませんので、私は、トライアル・アンド・エラーで、いろいろ手を打ってみて、反応を見てまた手を打っていくという、ちょうどお医者さんが患者をなおす場合に、いろいろな手を打ちながら、体力その他に合わして手を打っていく、そういう配慮が必要ではないか、そんなふうに思います。そういう意味においても、私は今度の新国総法が効果をあげることを期待するわけでございます。
以上でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107104158X00219730712/39
-
040・小林與三次
○小林公述人 国土総合開発法ですべての問題を解決することはこれはもともと無理でございまして、これは現在の考え方でできておること、つまり総合開発法は、それとそれの関連する都市計画法なりその他の一連の関係立法で一応形はついておる。ただしその中で私が穴がありそうだと言ったのは、開発行為の現実の規制を個々の法律に譲ったので、都市計画法なり森林法なりその他の法律で全部カバーできるかといえば、カバーできない地域が一部あるはずであって、その部分だけは府県が条例でもつくるよりしかたがあるまい、この案でいけば、ということを申し上げたわけでございます。それから、それ以外のいまの公害の問題や何かは、もちろんそれぞれの公害立法で実効のあるようにひとつ規制することをあわせて考えなければ、この法律で一切がっさいが理想的にいくように思うというこころに非常に錯覚がある。そういう問題を徹底して並行すべきであるということを申し上げた次第でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107104158X00219730712/40
-
041・堀江湛
○堀江公述人 公聴会の有効性の問題についての御質問だったと思いますが、実は私、この法案全体を通じまして、一番危惧を感じておりますのはその点でございます。つまり、今日東京、大阪のような大都市に工場が集中し過ぎている、だからこれを何とか再配置しなければいけない、あるいは大都市の再改造をしなければいけない、この点については全く論をまたないところであると思います。ただ、実際にそれを実施します場合に、たとえばこの法案に見られますように、種々革新的な表現が見られますけれども、さてそれを実施した場合に、はたしてそれが本来の趣旨どおりに実施できるだろうか、この点に私は一番の危惧を感ずるわけでございます。これを最もよく住民の福祉に合致するような形で運用するに足るだけの、社会的あるいは自治の条件がどうも確立されていないのではないか。そこで公聴会も実際には、住民の側の理解と協力を得られているのだという、いわばそういったあかしとしての一つの手段として使用されるにすぎない、そういう結果になるおそれが多分にあるという点で、私はこの法案の成立、これに非常に一つの危惧を感じている次第でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107104158X00219730712/41
-
042・宮本憲一
○宮本公述人 国土の憲法というのは、私は今日においてはまず環境保全法でなければならないという見解でございます。環境権と生活権を明確に認めたような国土の憲法でなければならない。
それから新しい計画についてのお尋ねがありましたのですが、これは先ほど申し上げましたのでこれ以上繰り返しませんが、この社会における社会改良プログラムという側面がやはり明確でなければいけないのではないかというのが私の見解でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107104158X00219730712/42
-
043・新井彬之
○新井委員 どうもありがとうございました。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107104158X00219730712/43
-
044・服部安司
○服部委員長 これにて公述人に対する質疑は終わりました。
公述人各位には、御多用中、長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。
以上で公聴会は終了いたしました。
これにて散会いたします。
午後三時二十三分散会発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/107104158X00219730712/44
4. 会議録のPDFを表示
この会議録のPDFを表示します。このリンクからご利用ください。