1. 会議録本文
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000・会議録情報
平成九年四月十五日(火曜日)
午後一時開会
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委員の異動
四月八日
辞任 補欠選任
三浦 一水君 田沢 智治君
四月十四日
辞任 補欠選任
菅川 健二君 小林 元君
山下 栄一君 西川 玲子君
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出席者は左のとおり。
委員長 清水嘉与子君
理 事
小野 清子君
鹿熊 安正君
石田 美栄君
日下部禧代子君
委 員
井上 裕君
釜本 邦茂君
世耕 政隆君
田沢 智治君
馳 浩君
小林 元君
西川 玲子君
林 久美子君
山本 正和君
本岡 昭次君
阿部 幸代君
江本 孟紀君
堂本 暁子君
長谷川道郎君
国務大臣
文 部 大 臣 小杉 隆君
政府委員
文部大臣官房総
務審議官 富岡 賢治君
文部省高等教育
局長 雨宮 忠君
事務局側
常任委員会専門
員 青柳 徹君
参考人
第十五期中央教
育審議会会長 有馬 朗人君
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本日の会議に付した案件
○参考人の出席要求に関する件
○教育、文化及び学術に関する調査
(中央教育審議会の審議状況に関する件)
○日本私立学校振興・共済事業団法案(内閣提出
、衆議院送付)
—————————————発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/0
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001・清水嘉与子
○委員長(清水嘉与子君) ただいまから文教委員会を開会いたします。
まず、委員の異動について御報告いたします。
去る八日、三浦一水さんが委員を辞任され、その補欠として田沢智治さんが選任されました。
また、昨十四日、菅川健二さん、山下栄一さんが委員を辞任され、その補欠として小林元さん、西川玲子さんが選任されました。
—————————————発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/1
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002・清水嘉与子
○委員長(清水嘉与子君) 参考人の出席要求に関する件についてお諮りいたします。
教育、文化及び学術に関する調査のうち、中央教育審議会の審議状況に関する件について、本日の委員会に参考人として第十五期中央教育審議会会長有馬朗人さんの出席を求め、その意見を聴取いたしたいと存じますが、御異議ございませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/2
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003・清水嘉与子
○委員長(清水嘉与子君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。
—————————————発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/3
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004・清水嘉与子
○委員長(清水嘉与子君) 教育、文化及び学術に関する調査のうち、中央教育審議会の審議状況に関する件を議題といたします。
この際、有馬参考人に一言ごあいさつを申し上げます。
本日は、御多用中のところ、本委員会に御出席いただきまして、まことにありがとうございます。
参考人から忌憚のない御意見を伺い、今後の調査の参考にいたしたいと存じますので、何とぞよろしくお願い申し上げます。
本日の議事の進め方でございますけれども、まず、有馬参考人から中央教育審議会の審議状況について二十分ほど御意見をお伺いいたします。そして、その後、二時間ほど質疑をさせていただきますので、御協力をよろしくお願いいたします。
なお、意見、質疑、答弁とも、御発言は着席のままで結構でございますので、よろしくお願いいたします。
それでは、有馬参考人に御意見をお述べいただきたいと存じますので、よろしくお願い申し上げます。有馬参考人。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/4
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005・有馬朗人
○参考人(有馬朗人君) きょうは、参議院の文教委員会で中教審のことについてお話し申し上げる機会を与えていただきまして、どうもありがとうございました。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/5
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006・清水嘉与子
○委員長(清水嘉与子君) どうぞ御着席くださいませ。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/6
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007・有馬朗人
○参考人(有馬朗人君) 私ども理科の人間というのは、座って話をするのは……発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/7
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008・清水嘉与子
○委員長(清水嘉与子君) さようでございますか。恐縮でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/8
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009・有馬朗人
○参考人(有馬朗人君) 申しわけありません。黒板があるともっといいんですけれども。よく大学の教員は同じノートで十年やるなんといううわさがありますけれども、そんなことは全くないのでありまして、私たちは二年に一回ずつ講義の内容を完全に変えさせられたものでありました。余計なことを申しました。
まず最初にお礼を申し上げたいと思います。
この数年、国立大学を中心に大学の設備、施設が大変よくなってまいりましたし、また科学研究費が非常にふえてきたということに対しましては、井上先生もいらっしゃいますが、皆様方の御尽力であったということを最初に御礼申し上げたいと思います。
それから二番目に、きょう御報告を申し上げる教育に関することにおいて一つ最初に申し上げておきたいことは、日本の初中教育は決して悪くないということであります。いろいろ悪いと言われているけれども、もちろん直すべきことは多い、しかしながら基本において非常にすぐれているということを私は強調させていただきたいと思います。
その理由の一つは、例えばつい一昨年、一九九五年に数学と理科に関する国際比較が行われました。一九七〇年、一九八二年かに同じような国際比較が行われ、そして一九九五年に三度目の国際比較が行われましたけれども、それぞれにおいて日本は一位から二位、三位を占めているということは誇るべきことであります。
ただし、問題点が全くないわけではなくて、これが後ほどまた申し上げます問題に絡むわけですが、平均点は非常によいのだけれども広がりが非常に狭い。標準誤差というのがありまして、どのくらい平均点の周りに幅があるかということを示す数字が日本は一・六か一・七かだったと思います。それに対してドイツやアメリカは四とか五なんです。ということは、日本は平均点の周りに全部が集中していて、それを上回るようなすばらしい人もいなければ下回るようなだめなのもいないということで、その点では日本人の国民性をよくあらわしております。
そこで、一つの問題は、画一的であり過ぎるというところであるということを最初に申し上げておきたいと思います。しかし、成績を見る限りにおいて、日本の子供たちは一九九五年においても極めて優秀であったということを御報告申し上げます。
まず最初に申し上げたいことは、審議の経過と今後の予定についてでございますが、我々中央教育審議会は、一昨年任命を受けましてから六十四回ほど会議を開いてまいりました。お手元にお配りいたしてある審議の経過についてごらんいただければ幸いでございます。
その中央教育審議会十五期を始める際に、平成七年四月に文部大臣より「二十一世紀を展望した我が国の教育の在り方について」諮問を受けました。そして主な検討課題としては、第一に、今後における教育のあり方及び学校・家庭・地域社会の役割と連携のあり方。二番目に、一人一人の能力・適性に応じた教育と学校間の接続の改善。三番目に、国際化、情報化、科学技術の発展等社会の変化に対応する教育のあり方という三つの事項が具体的に示されたわけであります。
本審議会は、これらの検討課題のうち一番の問題及び三番、すなわち今後における教育のあり方云々というテーマと、国際化、情報化、科学技術の発展等に対応する教育のあり方という二つのテーマをまず取り上げまして、昨年の七月には第一次答申を取りまとめた次第であります。
この答申においては、新聞等々で非常に取り上げられましたのでもう先刻御承知でいらっしゃると思いますけれども、ゆとりを導入しよう。ゆとりをなぜ必要とするかは後にちょっとまた申し上げてみたいと思いますが、ゆとりを与えることによって子供たちに生きる力をはぐくむことを基本に、学校教育の内容を厳選すべしということを提案した次第であります。そしてまた、単に学校にのみ教育を任せるのではなく、家庭や地域社会における教育を充実していくべきであるということを提言したわけであります。そして、その一つの方策といたしまして、二十一世紀の初頭を目途に学校週五日制を完全実施することを提案いたしました。それからさらに、社会の変化に対応いたしました学校教育の改善を図るということを中心にさまざまな提言をいたした次第であります。
例えば、特に小中学校でありますが、総合的学習の時間というふうなものを導入することによって、各学校の方針に従って国際社会についての教育をするとか、あるいは環境についての教育をするとか、さらにまた情報について早くから教育するというふうなことを工夫したらどうであろうかということを提案した次第であります。
なぜゆとりかということを申し上げたいと思いますけれども、先ほど申し上げましたように、日本人の子供たちは極めて平均点が高いのですけれども、やや同じようなことの型にはまっているようなところがあります。そこで、生きる力というものを提案いたしまして、その中でまず第一に、自分で考え、自分で問題を探し、自分で解決していく力を育てようではないかということが一つ。それから二番目には、やはり倫理観をしっかり持って思いやりを持つ。さらにまた、美しいものを美しいと感ずる感受性を育成するという二つの点を生きる力として取り上げた次第であります。
そういう生きる力を十分育てるためには、自分で考える時間を与えなければいけない。すべてを教え込むという考えはやめようということで、学校の教育をより基本的、より基礎的なものに絞り、厳選をすることによって学校の方の余裕を生み出し、そのかわりに、家庭及び地域社会でじっくり子供たちが自分で考えながら育っていくという、そういう方針をとろうというわけであります。そのためにはゆとりが要るということを我々は提案したわけであります。
さて、それが昨年の七月まででございますが、それ以後、中央教育審議会は、平成八年九月、すなわち昨年の九月から、まだやっておりませんでした重要な課題の一つ、二番目のもの、すなわち一人一人の能力・適性に応じた教育と学校間の接続の改善という問題を議論してまいりました。またさらに、三の中、すなわち国際化、情報化、科学技術の発展等社会の変化に対応する教育のあり方で十分まだ詰めておりませんでしたところを引き続き審議を行ってまいりました。
より具体的に申し上げますと、大学、高等学校の入学者選抜の改善、中高一貫教育、特にすぐれた才能を有する子供たちのための教育上の例外措置並びに高齢社会に対応する教育のあり方といった重要課題につきまして、昨年の九月よりこの四月まで議論を重ねてきた次第でございます。総会、第一小委員会、第二小委員会、合わせて先ほど六十四回ほど行ったということを申し上げました。ただ、この昨年の答申を出した後は、随分議論したのですがまだ十分な結論に煮詰まっておりませんので、十五期では結論をまとめることができなかったことを申しわけなく思っております。
そして、本年四月十五日に発足した第十六期の中央教育審議会に審議を引き継いだ次第であります。そこで、第十六期では、これらの課題について六月をめどに第二次答申をまとめるべく審議を進めているところでございます。
さて、二番目のことでございますが、最近の審議内容について少し詳しくお話を申し上げたいと思います。先ほど申し上げましたように、大学、高等学校の入学者選抜並びに中高一貫教育、教育上の例外措置、高齢社会に対応する教育のあり方に関する十五期の審議状況についてはもう既に申し上げましたけれども、さらにまたこれを詰めていこうと思っています。
今から申し上げます中には、幾つかまだ決定的に決まっているわけではなくて、多少私の主観が入って御報告を申し上げることもあろうかと思いますが、その点はお許しいただきたいと思います。
まず、これからの教育のあり方、一人一人の能力・適性に応じた教育のあり方という点でございますけれども、できる限り子供たちに選択の機会を、多くのものから選ぶ機会を与えていきたいと思っております。それから、なるべく一人一人が自分自身の能力・適性を考えて、それに応じた教育を受けられるように工夫をさせていただきたいと思っています。このことは、先ほど申し上げました、いい点ではみんなの平均点が高いというふうに、画一的にいいというふうにあらわれできますけれども、逆には非常に能力の幅が狭いというようなところに問題があるということを何とか改善したいという気持ちがあるわけであります。
どうしてそうなったかというと、特に戦後の教育は一般の水準を上げるということに中心がありまして、かなり形式的な平等思想というものが非常に重要視されてきたということでありまして、この平等的なことはもちろん大切なこと、特に機会均等というふうなことは絶対必要でありますけれども、同時に個性を尊重するということによって少し幅を広げていきたいと思っている次第であります。そのためには学校間の接続、すなわち入学試験の問題を改善していかなければならないし、中高一貫教育とかあるいは教育上の例外措置というのが大切な問題であると考えている次第であります。
次に、大学、高等学校の入学者の選抜でございますけれども、小中学校、高等学校の教育の考え方が変わり、生きる力をはぐくんでいくというふうな方針をとる以上、やはり大学あるいは高等学校の入学者選抜においてもそういう生きる力を重要視した選択の方法をとってほしいと思っております。そういう意味から、大学入学者選抜を改善し、そしてまた高等学校入学者選抜を改善いたしたいと思っている次第であります。
特に、大学入学者選抜に関しましては、少子化が進んでいる今日、多分もうすぐだれでも大学に入れる時代が来ると思います。もう既に高等学校がそうなっている。しかしながら、少し問題は、幾つかの特定の大学がどうしても入学試験が厳しいというふうなことがありまして、そこで我々といたしましては、影響力のある特定の大学において率先して入学試験について検討し改善をしてほしいというようなことを要望したいと思っております。あるいは大学入試センター試験でございますけれども、そこで少し改善をする、それからまた各大学のその後にあります個別試験に対してさまざまな改善をするように我々としては提案をいたしたいと思っております。
それから、高等学校入学者選抜に関しましては、高等学校教育の多様化、そしてやわらかなシステムを実現していきたいと考えている次第であります。その際、中学校から高等学校へ進むハードルをなるべく低くするように努力をさせていただきたいと思っております。大学も高等学校も通じて選抜方式の多様化、それから評価尺度の多様化というふうなことを図りたいと考えている次第であります。
しかしながら、そこで大きな問題として浮上してまいりますことは、実は社会の学校歴あるいは学歴偏重ということであります。ですから、中央教育審議会としては小中高、そして大学の教育の問題を議論させていただいておりますけれども、一つ我々としてお願いをしたいと思っていることは、企業やさらにまた官公庁の採用あるいは昇進、こういうところで学歴社会を何とか改善するべく御努力を賜りたいということを要望いたしたいと思っております。
例えば年齢制限、大学を出たときにすぐに入らなければ何となく企業での居心地が悪い、あるいは公務員になったときの待遇が悪いということがありますが、これを何とか打破していただきたいと思っています。例えばボランティア、大学を出た直後にボランティアで一年か二年暮らすということもあり得るわけですね。あるいは海外に行って努力をしてくる。そういうボランティア活動をしたようなことを必ず産業界でもあるいは公務員試験でも考慮して入れていただけないかというふうな、そういう面について考えていただきたいと思っています。
それからまた、例えば指定校というものを持っている企業がありますが、この指定校を排除してほしい、やめてほしいと思っております。そして、あくまでも大学における各学生諸君の努力を評価してほしいと思っています。
それから、国民全体にも少し意識を変えていただけないかと思っております。何でも隣の飯はうまいとかいうふうに考えないで、それぞれの子供同士で独自な考え方を持って伸びていけるようなそういう社会をつくっていただきたいと思っています。横並び意識はやめてほしい、同質志向というものも改善していただきたい。それから、特に日本では過度に年齢にとらわれるところがありますね。こういう年齢だけで価値判断をしていくというふうなことについて多少お考えいただけないものであろうかと考えている次第であります。
これで既に十七、八分お話をいたしましたので、二分ぐらいであと重要なことを申し上げますけれども、質疑応答でお答え申し上げようかと思いますのでお許しいただきたいと思います。
一つは、中高一貫教育ということでございます。
私どもは今、中高一貫教育をどうしようかということを随分議論してまいりまして、中高一貫を導入することによって教育の仕方に多様性を導入すべきではないかという考え方になりつつあります。それからまた、中高一貫教育が持っている、中学校から高等学校全体の教育の課程を統一的に見ることによって少し余裕が生み出せるであろう、そういう余裕のこと。
それから、十五歳で試験をするということが必ずしもすべての子供たちにとっていいことではないという判断がございまして、中には十五歳で一度試練を受けようという子供たちもいますけれども、十五歳よりも先で試練を受けたいというような子供たちがおりますので、公立にも中高一貫を導入したいという考えが中央教育審議会の中にございます。その際に、どういう試験をすればいいかとか、試験はしないで採る方法があるだろうかというようなこと、それから教育内容等々について、あるいは設置の仕方等々について現在詰めているところでございます。もし御質問があればお答え申し上げたいと思います。
それから、教育上の例外措置でありますが、これもさまざまな議論がございます。少なくとも小学校、中学校での飛び級は今回考えない。しかしながら、十七歳で大学へ進学できるということは導入したいという気持ちの人がかなり大勢いるということを御報告申し上げておきたいと思います。
十七歳で大学に行けるような特例を置くということのためには、だれでも行けるというんじゃなくて、極めて希有な才能を持っている人々を選ぶべきだということを提案したいと考えている次第であります。その際、特別な領域とは何かというと、私が理論物理学者で、自分の分野を挙げるのは申しわけないんですけれども、理論物理学と数学の分野を現在検討いたしております。
最後に、高齢社会に対する教育のあり方でございますけれども、いや応なしに二十一世紀の初頭では高齢社会が実現いたします。したがいまして、今まで例えば文部省にあります生涯学習審議会等々では高齢者自身の生涯学習のことを主に議論しておりましたけれども、中央教育審議会では、そういうときに子供たちの教育をどうすべきかということを主に議論してまいりました。すなわち、高齢の人々に対して尊敬の念を抱かすような教育の機会を与えるべきである。
例えば、極端な例を申しますと、小学校の隣にあるいは幼稚園の隣に高齢者の方がお住みになるようなものをつくるとか、そういうことで、なるべく子供たちが自然に高齢者の方たちに接触することによって、その方たちの知恵を学ぶということを試みたいと考えている次第であります。
以上、いただきました二十分を使いまして御説明した次第であります。随分抜けておりますので、御質問がありましたらお答えさせていただきたいと思います。
どうもありがとうございました。(拍手)発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/9
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010・清水嘉与子
○委員長(清水嘉与子君) どうもありがとうございました。
以上で有馬参考人からの意見の聴取は終わりました。
これより質疑を行います。
本日は、あらかじめ質疑者等を決めませんで、委員の皆様に自由に質疑を行っていただきます。質疑を希望される方は、挙手をいただきまして、委員長の指名を待って御発言願いたいと存じます。
なお、御発言は、できるだけ多くの方にチャンスを与えるために、一回に二分以内でお願いしたいと思います。
それでは、質疑のある方はどうぞ。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/10
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011・馳浩
○馳浩君 自由民主党の馳浩でございます。
まず、委員長にきょうは御礼を申し上げたいのは、文教委員会で最初から全員がそろうというのはなかなかありませんでして、これもやはり有馬先生に対する期待感の大きさだと思いますので、きょうはよろしくお願いいたします。委員長、本当にありがとうございます。
まず最初に、有馬先生は日本の初中教育は極めて優秀だと今現在の状況をおっしゃいましたが、どの点を指してそういうふうに認識しておられるのかという点でございます。
次に、教育というのを学校教育というふうに考えますれば、教員の資質向上が今後の課題と私は思っておりますので、これに対しての中教審の中での意見であるとかあるいは今後の課題であるとか、そういった面をお教えください。
最後に、これから教育課程審議会の中で学校のメニューのスリム化について話し合われると思いますが、これは有馬先生の持論でもよろしいですから、取捨選択等、この点を伸ばしていっていただきたいというふうな御意見がありますれば、参考のためにもぜひお聞かせください。
以上、三点につきましてよろしくお願いいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/11
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012・有馬朗人
○参考人(有馬朗人君) ありがとうございます。
三点の御質問を馳先生からいただきました。
まず、日本の教育、特に初中教育がすぐれていると私が認識している理由、それは先ほど申しましたように、既に国際比較で理科、数学に関しては世界の第一位、第二位、第三位に入っているということから客観的に証明されていると思います。しかし、その問題点については、既に申し上げたように、大変幅が狭いということです。
そして、次に私が感ずることは、これは国の中央政府が小中学校、義務教育に相当深く関与しているということ、給料の半分を出しているということは、これはやはりすぐれていると思います。もちろん、地方自治体を今後さらに強化する、地方分権ということがございますけれども、少なくとも現在まで中央の文部省が半分まで義務教育を支持していたということは極めてよかったということを申し上げておきたいと思う。
なぜか。例えばアメリカやイギリスあたりですと、小中の教育というのはほとんど完全に地方自治体に任されている。そのために私も非常にいい目にも遭いましたし、ひどい目にも遭ったんですが、子供を連れてアメリカに参りました。最初に行った地域社会は非常に教育に不熱心なところでありまして、貧乏であった。そのために先生たちの給料は非常に安い。したがって、時々というかしょっちゅうというかストライキがあったりして大変ぐあいが悪かった。それに対して、後で参りました小学校は、大学のそばであったせいか、非常にいい中学校、小学校でございました。
これはどうしてそういうことが起こるかというと、特にアメリカでは、初中教育というのは地方自治体がやるべきだという考え方がある。大学ですら州立大学です。それと私立があるわけです。ここで日本はいい面での画一性があるわけです。どこに行っても、北海道に行ってもあるいは沖縄に行っても小中学校の先生方の給料はほぼ一定である。こういうことはすぐれた面であります。
それから、指導要領というようなものがあることは、すべて悪いわけではなくて極めていい面もある。このことによって日本の教育はかなり標準が高くなっている。しかしながら、問題点は余りにも画一的であり過ぎる面があるわけです。それは指導要領を余りにもしゃくし定規に小中学校の先生方がお考えになるというふうなことにも原因がありますけれども、そういう問題はあるということは申し上げておきたいと思います。今後どうやってそれを改善していくか、これが問題だと思います。
次に、教員の養成の問題でございます。
これは極めて重大な問題でありまして、中央教育審議会でもこの問題はしばしば取り上げられました。そして現在、教員養成の審議会でこの問題について考えている次第であります。現在、教員養成審議会にこの問題をお願いをしております。
よく出てきた問題は、例えば理科が弱くなってきたんじゃないか、理科嫌いがふえてないかなんという問題に対しては、先生方がどうも理科嫌いなんじゃないかとかいろいろな話題が出てきた次第であります。これはおっしゃるとおり重要な問題でございまして、新しい教員を養成する努力をいろいろしていかなければならないと考えております。例えば、教員養成系の大学における先生方が、もう少し現場を見た人がいてほしいというような要望がございましたことをお伝え申し上げます。
三番目に、教育課程のスリム化でございますが、これが一番難しい。それはありがたいわけですね、各教科の先生方が自分たちの教科を一生懸命教えたいからなるべく時間をくれとおっしゃるわけで、したがいまして、あなたの教科は少し減らしたらどうかなんと言ったら大変なんです。ですけれども、やはり本当に必要なものというのは、物理でもある範囲でいいですし、数学でもすべてを教えなきゃならないものだと思いません。ですから、最低限必要なもの、本当に基礎、基本を絞り出してほしいと思っております。現在、教科のことに関しては、教育課程審議会の方にお願いして議論をしていただいているところであります。
確かに、五日制を導入いたしますとかなり時間が制限されてまいりますので、大変教えることを減らさなきゃいけない。そこへもってきて、先ほど申しましたように、総合的学習の時間を設けて、あるいは英語を教えてもいいし中国語を教えてもいいというふうな時間とか、情報を教えろとか環境を教えろとかいろんなことを言ってますので、片方はふやす、片方は減らせというので矛盾することもあろうかと思いますけれども、今後、教育課程審議会の方の御努力をお待ちしているところであります。我々としては、教育課程審議会と極めて密接な関係を持ち、両方にまたがった委員も大勢おりますので、常に情報をいただいて、こちらからのコメントは差し上げている次第であります。
以上、三点お答え申し上げました。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/12
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013・馳浩
○馳浩君 ありがとうございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/13
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014・小林元
○小林元君 平成会の小林でございます。
今もお触れになったと思いますけれども、教育課程というんでしょうか、これを教えてほしい、あれを教えてほしいと、需要といいますか要求というんですか、国民もあるいは産業界も非常に多いわけです。しかも、例えば国際化、情報化、環境教育あるいは福祉の教育、高齢化教育と。ありとあらゆることを全部学校でやると、これはもうとても学校はパンクしてしまいまして、肝心の個性を伸ばすどころの話ではない、ますます均一化した子供を育ててしまうというようなことになるんではないかと思って、大変その辺を危惧しているわけでございます。
一例を例えば情報化の、有馬先生も物理の先生ですから十分御承知かと思いますけれども、情報化教育というのが大分叫ばれているわけです。小学校にも、あるいは高校にも中学校にもコンピューターが入れられているという状況の中で、実際に学校ではだれがこれをやるのかということは、高校で情報工学とかそういうはっきりした科目があるところはいいわけでございますが、特に小中学校、情報リテラシーと言うんでしょうか、触ってみる、使ってみるというようなことをやろうとしているんでしょうけれども、だれがメーンになってやるかというのはどうも決まらないわけです。ですから、そういう情報教育というのはどの程度やっていくのか。アメリカでもその情報教育これから力を入れるということでございますが、その辺の御議論がありましたらお聞かせいただきたい。
それからもう一つは、国際化時代を迎えてと、こういう話でございます。これまでの中高の英語教育というのは、英文教育というのか英語教育というのかよくわかりませんが、要するに、コミュニケーションとしての言葉を教えると外国語教育ではないような部分が多分あったと。もちろん、読んで理解をするということも大事ではありますけれども、まず第一は会話能力を高めるということだと思います。そうしますと、これは大学受験英語というところが大分弊害になっているんではないかと。そういう改革案があったらお聞かせいただきたい。
それから、最後でございますが、複線化のために、中高一貫教育も複線化の一環としてお考えになるという、我々新進党も中高一貫教育を進めてもらいたい、こう思っているわけでございますけれども、そうは言いましても、いわゆる複線化、これは戦前を見ますと、戦前がいいかどうかは別でございますけれども、例えば大学予科とか旧制高校とかあるいは旧制の専門学校、そういうものでいろいろな選択の幅があったわけでございます。ところが、今は一直線で行ってしまうと。ですから、そういう複線化の中で、この中高一貫校だけではなくてあるいはほかにどういう御議論があったか、お考えをお聞かせいただければと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/14
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015・有馬朗人
○参考人(有馬朗人君) ありがとうございました。やはり三点の御質問であろうかと思います。
まず、情報化について、特にコンピューター教育をどうするか。これは日本だけじゃなくてアメリカでも大分問題になっていて、クリントンなんかも大変心配をしているようです。ただ、イギリスなどと比べると明らかに日本はおくれている、残念ながらおくれております。ですから、やはり情報化教育、特に計算機を中心にしたものだけではないんですけれども、インターネットの時代が来ておりますから、そういうものに対する教育はなるべく早くから行うべきだと思っています。
問題は先生です。だれが教えるかというと、どうも子供たちの方が強いくらい。大学もそうなんです。ですから、この辺をどうしていくか、第二小委員会で随分議論したところでございます。
二番目の問題。英語の問題、国際化の問題も第二小委員会で大いに議論してまいりましたけれども、御指摘のとおり、日本は極めて会話力が弱い。韓国などと比べても明らかに日本の我々はどうも会話力が弱い。
そこで、今大変よくなってきているということを申し上げたいことは二つあります。
一つは、アメリカやイギリス、オーストラリアあるいはニュージーランド、英語を母国語にしているところの先生たちが中学校に随分今手伝いに来てくれております。ですから、今は中学校でありますが、そういう人たちが中学校教育を随分やってくれているために、明らかに語学力、特に会話力は今よくなりつつあります。しかしながら、まだまだ数が少ない。もし間違っていたら訂正しなきゃいけませんが、全国で五千人弱ぐらい、そういうネーティブな人が見えて手伝ってくれていると思います。これを一万人ぐらいにしていただければ随分よくなると思います。
それから、一番難しいのは、御指摘のとおり、小林先生おっしゃられた大学の入学試験。大分それも変わってまいりまして、少なくとも私が東大におりましたころ、東大ではヒアリングというかリスニングというか、英語を読んであるいは話をしてそれを聞き取らせる、それで質問をし答えさせるというような制度を入学試験に導入したことによって、明らかに今の大学の学生諸君は耳がよくなってきました。こういう工夫はしておりますけれども、やはり筆記試験が中心ですから、そこのところで、御指摘のように、どうしても文法が中心になるという問題があるわけです。
そこで、少なくとも中学校、あるいはさらに小学校で英語を導入するようなところでは、文法から始めることはやめてほしいと思っております。これは中教審でも大分議論がありました。しかしながら、現在勤めておられる英語の先生たちというのは、やはり文法、そして読むという力で勉強してきた方々ですから、そういう人たちのいわば意識改革もしていただかなければいけないと思います。それから、大学の入学試験の方も工夫しなければならないと思っております。
三番目に、中高一貫は、これはある程度考えられるけれども、もっと大学やその上のレベルでの複線化はどうなっているかという御質問でありますが、これもかなり進んできております。
大学も、四年制大学以外に短期大学、もっとも、短期大学は今四年制に変えようとしているところが非常に多いのですけれども、一応短期大学が存在していること。
それから、もう一つは高等専門学校があります。高等学校三年に二年間プラスして五年制だったと思いますが、高等専門学校がございます。ここで工業とか農業とかを勉強してきている。必ずしもこのごろ出てきたわけではありませんが、これが十年前ぐらいから、そこの卒業者の中でさらに四年制の大学へ行きたい人には編入試験というものが行われるようになっています。ですから、幾つかの複線化が既に行われているということを御報告申し上げておきたいと思います。
まだ十分とは言い切れませんけれども、おっしゃるとおりに、戦前の例えば浜松工専というふうな非常に優秀な学校がございました。あれに相当するものとして幾つかもう既にございますので、そのことを御報告申し上げておきます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/15
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016・清水嘉与子
○委員長(清水嘉与子君) ありがとうございました。
有馬先生、委員の発言中はどうぞおかけくださいませ。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/16
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017・有馬朗人
○参考人(有馬朗人君) いやいや、一向に構いません。三時間までもっことがわかっております。それ以上はもう座らせていただきます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/17
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018・堂本暁子
○堂本暁子君 きょうは、有馬先生、本当にありがとうございます。
私は、文部大臣にも、前々回でございますけれども、中教審の答申についての質問をさせていただきました。また、きょうはより深く会長に伺えることを大変光栄と申しますか、この機会を与えられたことを喜んでおります。ありがとうございます。
それで、三つ伺いたいんですけれども、一つは、森戸辰男先生が会長でいらしたとき、「期待される人間像」という答申が出ました。そのときもより個性豊かなということで、それからちょうど三十年の歳月がたちまして、会長のときにもまた同じような内容がどうしても強調される。
この三十年間、どうしてそういつも中教審では皆様そのことを意識なさりながら画一化へ向かったのか。今度も、ゆとりが導入されることはとても結構だと思うんですが、またそのゆとりの時間が塾というようなところでより画一化することが大変恐ろしいということで、中教審の中ではその辺をどのぐらい議論なさっていらっしゃるか、ぜひ伺いとうございます。それが一つでございます。
二番目に、先ほどからカリキュラムが膨張していくというお話が出ましたけれども、二十一世紀に向けて、これはある種提案でもございますけれども、どういう教育が効率的、なおかつ必要なのかということを科学的にやはり日本として全国規模で調査すべきなのではないか。どういう教育の仕方が効果があり、能率の上がることができるのか。
伺うところによりますと、国語の先生は国語の領域を少しも減らしたくない、英語の先生は少しも英語を減らしたくない、それではもうだめだと。環境を入れるなら、じゃ環境はもう英語で教えようとか、それからあらゆる社会科とか、それから化学の時間なんかでも、そこにも環境的視点を入れていくという形で見直す。一つ一つの縦割りのカリキュラムじゃない、そういった効率的なカリキュラムのつくり方を、ぜひとも日常的、継続的、科学的に中教審の下部機関のような形でそういうものを設定することが日本として可及的速やかにやるべきことではないかということで、これが二番目でございます。
三番目は、先生先ほどから非常に日本の子供は優秀だとおっしゃる。確かに平均点が高い。それから、今度の答申で、そこから上に出る、例えば物理、数学、それから事によったら芸術、音楽、絵画、そういった子供たちはその才能を伸ばせるかもしれない。
私が大変心配いたしますのは、逆にそこから落ちこぼれて、落ちこぼれるという表現は嫌いなんですけれども、今どんどん不登校と申しますか、学校へ行かれない子供たちがふえております。この委員会でも何度もそのことについて文部省に伺ってまいりましたけれども、学校という場だけでいいのか、その子供たちをどう本当に救っていけるのか、それから憲法で保障された教育を与えられるかというあたりのところに、学校以外の場での教育の保障、そういった点についても中教審で御議論いただいているかどうか、その三点を伺いとうございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/18
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019・有馬朗人
○参考人(有馬朗人君) ありがとうございました。
まず、個性豊かな子供たちを本当に教育できるか、これは森戸先生のときも同じ話があったではないかという御指摘、まことに耳の痛い話です。歴代の中教審のみならず、我々教育に関係のある人間は常にこのことを望んでおりましたけれども、やはり今までの学校では教えることに専念して、どうしても個性豊かということにならなかった。それからまた、やはり日本がアメリカやヨーロッパ、先進諸国と競争できるようになるためには平均力を上げなきゃいけないというところがございましたので、この五十年はどうしてもそこに中心があったと思います。やっと余裕が出てきて、個性豊かな人間を育てようではないかという気持ちに我々はなりつつありますので、この際、二十一世紀においては個性豊かな者を育てたいと思っています。
それですけれども、塾はどう思うのかという御質問であります。これは一番私の頭の痛いところ。ただし、塾の中に、実は三番目に落ちこぼれということをおっしゃられた、この落ちこぼれを助けてくれている塾がある。これは私の個人的な見解でございますので、中教審の見解でないことを最初に申し上げますけれども、そういう少しおくれてきている子供、おくれがちの子供を助けるような塾というのはかなり意味があるのではないかと思っております。後ほどもう一度振り返って申し上げてみたい。
しかし、入学試験を中心にした塾というのはやはり問題だと思いますね。これも私の見解です。あえて言えば、高等学校を卒業してしまった人たち、その人たちが自分のうちで勉強するだけでは足りないので塾などへ行く、これはまだ私は許されるかと思っていますが、中学校、小学校の現役の子供たち、あるいは高等学校の現役の子供たちがそういう塾で勉強することを中心にすることはどうかと思っております。これは私の個人的見解でございます。中教審でもこの問題が時々出ますけれども、まずその前にもっとやるべきことが多いという見解から、必ずしも深く掘り下げてございません。多分、入学試験の問題でこれが浮上してくると思っております。したがいまして、先ほど申し上げた見解は私の個人的なものだということを御了解賜りたいと思います。
三番目の問題、すなわち落ちこぼれをどうするか。私はこれを大器晩成型と称しております。
実は、画一的教育の中で、中教審でも特に私は常々このことを提案しているわけでありますが、小中学校、高等学校あるいは大学も含めていろいろなレベルの子供たちがいることであるから、大器晩成型の者に対しては丁寧に教えるクラスをつくる、標準型のクラスからちょっと外した大器晩成型のクラスをつくってほしい。さらにまた、非常によくできる子は早熟型というか、アメリカではこれに名誉あるクラスという名前がついているのですが、二、三人から五人ぐらいの子供に特別扱いの講義をしてくれる。こういうふうに、画一的にすべてを一遍に教育するのではなく、一方では大器晩成型の者、一方では早熟型と分けて、すべての講義を分けろというわけではございません。特別に難しいもの、例えば数学であるとか英語であるとか、こういう種類のものは分けて教育をしていただけないものであろうかということを議論し、かつ提案したいと思っているところでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/19
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020・堂本暁子
○堂本暁子君 二番目のカリキュラム。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/20
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021・有馬朗人
○参考人(有馬朗人君) 失礼いたしました。大切なことを忘れましたね。カリキュラムについては、科学的な調査ということをぜひやりたいと思っておりますけれども、既にある程度やっております。しかし、今回の六月までにそこを十分やれるかどうか、これは私はわかりません。多分、教育課程審の方の問題であろうかと思っておりますが、これは非常に重要なことだと思っております。
しかしながら、総合的学習の時間を使うことによって、例えば講義を英語でやるという御指摘のようなお話がございましたが、まさにそういう可能性はあります。例えば情報の教育は英語を使ってやるとか、そういうことは大いに考えられると思っています。そして、総合的な学習の時間を使って例えば環境ということを教えるときに、今申し上げたように英語で教えることもあるでしょうし、そこに社会科学を入れていくこともできるでしょうし、自然科学を入れていくこともできる。そういうわけで、総合的学習をうまく使うことによってまさに総合的にいろいろな学問体系を教えることができればいいなと思っております。
それからもう一つ、これも私見にすぎないのでございますが、入学試験を、例えば理科で言いますと、何も物理、化学、生物、地学と分けなくてもいいんじゃないかと思っているんですよ。大学の入学試験で理科をやりますと、どこから出るかわかりませんよという試験があってもいい。物理が中心だけれども、化学も入ってくるし生物も入ってくるというようなことで少し総合的に、子供たちが理科なら理科、社会なら社会について勉強を広くできればいいなと私は思っております。こういうことは今後の工夫だと思っております。
こういう総合的な試験問題を出すというのはまさに大学が自主的にやればいいわけで、別に法律で決まっているわけじゃございませんので、大学の方で工夫してもらえればありがたいと思っています。これでよろしいでしょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/21
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022・堂本暁子
○堂本暁子君 ありがとうございました。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/22
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023・長谷川道郎
○長谷川道郎君 長谷川と申します。
先ほど先生がおっしゃいました例外措置についてお伺いをさせていただきます。
先ほど先生のお話で、十七歳飛び級でありますが、極めて希有な才能を有する人間云々というお話がございました。それを理論物理学、数学ということで判定をするということでありますが、その希有な才能を持つ高校生、いることはいるでしょうが、果たしてそれを理論物理学と数学だけで判定をしていいのか、またできるのか、言葉は悪いですが、専門ばかを見つけるというようなことになりはしないかという懸念がございます。
第二点、飛び級の対象をどのぐらいにお考えなのか。新聞の報道によりますと、一県一人というような報道もありましたが、それはどういう意味かよくわかりませんが、一県一人というのは余り意味のないことだと思いますし、全国で四十人か五十人の飛び級の高校生を引っ張り上げるということであればさほど意味のあることであるとは思えないというふうに考えます。
第三点。自分自身の体験に即しても、高校の一年間というのは私は大切な一年だと思うんです。大学に行くのが一年おくれたからといって決してむだな一年間であるとは私は思わない。高校一年、才能のある生徒がゆったり自分の研究をするということであれば、まさにそれは私はゆとりある教育そのものではないかと思うんです。ですので、これが競争をあおる結果になりはしないか。例えば、飛び級制度ができれば、我が進学塾は飛び級実績日本一だとか、飛び級進学塾なんというのはできると思うんですよ。これはもうそういうことになると思うんです。そういったことで、むしろ今の状況をさらにあおる結果になりはしないか。
以上、三点についてお伺いいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/23
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024・有馬朗人
○参考人(有馬朗人君) ありがとうございます。
まず例外措置でございますけれども、専門を数学と理論物理ということを申し上げましたけれども、これが非常に成功していけばもっと広い分野に広げたいと思っています。そういう意味でまずは穴をあけようと。十八歳じゃないとだめだというのは余りにも、アメリカは十四歳ぐらいで入れます、アメリカにしてもヨーロッパにしても。そういうところがあるんだと。日本も先進諸国の中に列してきたときには、多少その例外措置ができるような穴をあけておきたい。
その州県に一人というのは多分私が原因だと思うのですけれども、そんなに大勢は希有な才能はないだろう、将棋の名人の卵なんというのはそんなにあっちこっちにいるわけじゃありませんね。だから、将棋の名人の卵、羽生さんみたいな人をいろんな将棋の専門家は日本じゅうを回り歩いて探しているわけですね。ですから、そういう努力をしないと日本の二十一世紀はノーベル賞が出ないと思う。ですから、やはりそういうすぐれた人をつくっていかなきゃいけない、こういうことの穴をあけておきたい。これで失敗すれば、私は失敗でしたといって撤退したいと思っておりますけれども、今そういうきちっとした十八歳じゃなけりゃ受けさせられないよというようなことがあるので、そこに穴をあけたいと思っています。
人数は一遍に千人とかというわけにまいりませんので、例えば日本じゆうで二十人とかそういうことから始めたいと思っている次第でございます。その際には、数学とか理論物理ができることは必要でありますけれども、まず好きだということを調べたい。そして、好きこそ物の上手なれということをまず判定したいと思います。
それからもう一つ、試験で決めるとかいうのではなく、推薦母体を幾つか置いておいて、各大学ごとに高等学校、地域社会等々と相談して、そしていろんな線で推薦を受けていくようにしたらどうかと考えているわけです。
三番目に、確かにおっしゃるとおりに、高等学校三年間、中学校三年間、それぞれ重要だと思います。しかしながら、私自身は実は旧制高校の育ちでありますけれども、私の大先輩である、ただし分野は違いますが、加藤一郎先生は小学校六年はやらなかった。小学校五年から中学校に行かれた。それからまた高等学校三年、昔ですから中学校五年でしたけれども、四年から高等学校へ行っておられます。そういうような飛び級が戦前はあったんですね。私も高等学校は中学校四年から四修として参りました。それほど五年やった人と余り違わなかったですね。腕力は違いました。けんかしたら負けた覚えがありますけれども、少なくとも常識等々はそれほど違わなかった。
そこで私は、生涯学習という時代でございますので、そういう非常な希有な才能の人々は、仮に大学に入りましたらその後さまざまな勉強をして常識を備えてほしいと思っております。
飛び級進学の塾ができやしないかという御質問でありますが、これは私は心配いたしておりません。なぜかというと、学者は貧乏でございます。大変な苦労をさせられますけれども、学者はお金の上でまず余り恵まれません。ですから、こういう物理学とか数学の飛び級を許しても、余りそれに行こうという子供たちは、親もないと思います。ですから、むしろそんな面倒くさいことやらないよというふうな親が多くなるんじゃないかと思って心配をしておりまして、本当にすぐれた子供たちがいたらば、地域社会もお父さんお母さんも推薦してほしいと思っております。
これがもうちょっと広くなっていくと、おっしゃるとおりに、飛び級のための塾というふうなものも分野によってはつくられていくおそれはあるかもしれませんね。これは注意したいと思います。
ありがとうございました。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/24
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025・西川玲子
○西川玲子君 平成会の西川玲子でございます。きょうは差しかえで出していただきました。本当にありがとうございます。
一つは、堂本先生のお尋ねになったカリキュラムにも関係あるんですけれども、中高一貫を目指すということでございますけれども、学習指導要領で、中学校の三年間のカリキュラム、そして高校のカリキュラム、これをこれから御検討なさるんだと思うんですけれども、単に一緒にしたのではだめだと思います。ですから、こういった意味でばらばらにして、あるいはまたがったような余裕を持たせたカリキュラムになるのかどうか、それが一点。
それから、学校五日制ということでございますけれども、これも単に二日間休みがあればいいということじゃないと思うんですね。つまり、間の五日間のときにその分のしわ寄せでぎゅうぎゅう授業がなってしまうというのがちょっと今の現状らしいんですけれども、それも検討いただきたい。
例えば、うちの子供が行っていたイギリスの高校時代の話ですけれども、中高一貫の私立てございました。日曜日だったと思うんですけれども、教会のミサとか終わった後で、学校からなんですけれども派遣で、バイオリンの弾ける子はバイオリン、チェロの弾ける者はチェロということで、お年寄りを後で必ず音楽会のようにして楽しませるというのをやっていたんですね。ですから、二日間の休みのうち一日は自分の得意な分野でお年寄りをいたわる心とか、ボランティアの心を芽生えさせるということを自然にやっていたわけなんです。そういうことを検討していただきたいなということもあります。
それから三点目は、飛び級もさることながら、これもイギリスで私はすごくいいなと思ったことなんですけれども、大学受験をしまして受かりました。しかし、申請をすれば一年間行かなくてもいいんです。その一年間何をするかというと、一年間働くと。一生懸命お金をためたりあるいは社会勉強したり、安いチケットで世界一周をしていろんなことを学ぶと。一年間そういうふうに休めて、次にちゃんと入学できるという制度があるんです。飛び級もいいけれども、そういうことこそが何か心に余裕を持つ一つのあれになるんじゃないかなと思いますので、そういうこともぜひ御検討していただきたいと思います。
以上です。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/25
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026・有馬朗人
○参考人(有馬朗人君) ありがとうございます。
一貫用カリキュラムはつくる必要があると思っています。しかし、これはしゃくし定規に教育課程の方でぴしっと決めるのではなくて、各学校の努力に任せたいと私は思っています。余りにもすべてを中央の方で決めてしまうことは私はよくないと思っています。各中学校、高等学校、小学校の校長先生だとか教員の方たちがもう少し自由裁量でやれるところをつくりたいと。ですから、この六年間にこういうことを教えてほしいということは言うかもしれませんけれども、この年にはこれを教えろというふうなことは、今のところ中教審では考えておりません。これは教育課程審議会の方で御議論いただくことになろうかと思います。
その次に、五日制のことでございますが、五日制にすると、さらにまた各月火水木金に大変ぎゅうぎゅうに教育が行われるようになるではないかということ、これは私も大いに恐れております。
各分野の人たちと話をしておりますと、私はよく冗談に言うんですが、皆様方の要望を全部、確かに意味があるので受け入れていると、学校五日制のかわりに私は学校七日制を提案しようかと、こういうことがございます。全部足すと七日ぐらいになるんですね。本当にそんなに教えなくちゃならないのかということが私の疑問でございまして、やはりぎゅうぎゅうに搾るべきではないと思います。
それからもう一つ、五日制を導入したいと私自身が言っていたことの一つの理由は、先生方が余りにも忙し過ぎる、何とかして先生方に余裕を持たせてあげたい、先生たちが自分の勉強をし自分の生活を楽しむ時間を与えてあげたい、これが子供たちの教育における五日制の導入と同時に私が考えていた重要な理由であります。日本社会全体がもう少し余裕を持つべきであるということで、例えば経済同友会の人たちにも、日経連の方たちにも、あるいは経団連の方たちにも、産業界の方も、率先して五日制を完全にしいてほしいということをお願いしている次第であります。
一つだけちょっと脱線したことを御報告いたしますけれども、先ほどの国際比較を見ますとおもしろいデータがあるんです、余り世間では重要視されていないんだけれども。それは理科の教育の結果がどうなったかという表でございますけれども、理科を二時間以下しかやらない学校、それから二時間から三時間半まで教えている学校、日本はその二種類しかない。ヨーロッパやなんかですと三時間半から五時間教えている学校という三種類がある。一番成績がいいのは大体二時間以下教えているところ。ちょっと少数例、パーセンテージで少ないものですから、そうなんだと、こう申し上げるまでいきませんけれども、日本でも二時間以下の方が成績がいいんです。おもしろいことに、教えれば教えるほど成績が下がる国があります。一番悪いのは、例外なく悪いのは三・五時間以上教えているところ。
これは何を意味しているかということを私は非常に関心を持って教育の専門家に伺っているんですけれども、一つの解釈は、やはり時間数が少ないとその間子供たちが大変緊張して聞く、飽きないで聞く。先生方も十分準備していって教える。したがって、教える時間が少ない方が成績がいいようです。これはまだ少数例の統計でございますので、先ほど堂本先生が御指摘になられたように、まさに科学的な調査が必要なところでありますが、教える時間をうんととればよくなるものではないということを申し上げておきたいと思います。余計なことを申しました。
さて、高齢者へのサービスはぜひやりたい。ですから、土日休んだうちの半日ぐらいは、月に一回でもいいから、例えば高齢者のところにいろいろ慰めというか、お手伝いに行くというふうなことはぜひやりたいと思っています。現在、これは高齢社会に対応する方策の一つとして議論をいたしているところでございます。
それから三番目、飛び級のことでありますが、イギリスのこと、大変ありがとうございました。私もイギリスの飛び級に非常に関心を持っていて、そして、何も大学に入ったからすぐに大学で勉強するという必要はない、もっとゆっくりいろんなことを勉強したらいいではないかと私も思っております。日本はどうも年齢によって左右される。あの男は、あの女は非常にいいぞというように、年齢が若くて入ってきたなんというのは非常に評価する。そんなこと言わないで、あれだけアメリカを回ってきた、ヨーロッパを見てきたとか、ボランティアを日本でやってきたとか、そういうことを評価する社会をおつくりいただきたい。人間の価値は年齢ではないということを申し上げておきたいと思います。
どうもありがとうございました。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/26
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027・田沢智治
○田沢智治君 田沢です。
細切れになりますが、二、三区切ってお聞きしたいんです。一つは、就学前の教育と小学校教育との接続問題について議論されたかどうか。
というのは、既に三歳児以上はもう幼稚園に入っているという現実の中で、小学校の年齢をもう少し下げたら、五歳児ぐらいにした方がいいんじゃないかというような議論もあるわけですね。鉄は熱いうちに打てと言うとおり、しっけをやるならばやっぱり早く低学年でしつけをきちっとやらないと私はだめだと思うんです。そういうような現実に対してどういうような議論がなされたのかどうか、ちょっとお聞かせいただきたいと思います。
質問は三つぐらいありますが、まず一つずつお願いします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/27
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028・有馬朗人
○参考人(有馬朗人君) 大変ありがとうございます。そうしていただくとありがたいんです。忘れちゃうものですから、御無礼するといけません。ちょうど一問ずつ御質問いただいてありがとうございます。
まだしておりません。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/28
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029・田沢智治
○田沢智治君 なぜやらないんですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/29
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030・有馬朗人
○参考人(有馬朗人君) いいポイントですね。
たくさんいろんな問題があるものですから、徐々に徐々にやろうと思っておりますが、今のところは、就学前から小学校への接続に関してはまだ残念ながら時間がございませんでした。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/30
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031・田沢智治
○田沢智治君 二番目に、私らもう小学校からずっと全部学校にやっているんだが、小学校の基礎、基本の教育が徹底されてないんですよ。読み書き計算について小学校で積み残して中学校へ上げちゃうわけです。この問題が結局いじめとかいろいろな問題を醸し出しているわけです。
ですから、小学校教育の学習指導要領の基礎、基本の教育は何が何でも小学校できちっと教え、卒業させるという学校なり先生に迫力がない。僕は生徒に対する愛情がないと思うの。やっぱり九九もできないような子が中学に行って何になるかというの。しかもそれが中高一貫教育をやるというんだから、どんな学校を考えているんだという面についてもっと基本的な実態を把握して、それに対してきちっとしたやはり手当てをしていくという責任は審議会にあると思いますよ。そういう問題についてはどういうふうに議論されていますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/31
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032・有馬朗人
○参考人(有馬朗人君) おっしゃるとおりでありますので、先ほどの基礎、基本に関して、大器晩成型などに対してはもっと丁寧に教えるべしという、こういう結論を今出しつつあるところです。
ですから、落ちこぼれがないようにということは努力をすべきだと思っております。その上で、おっしゃるとおりに、いじめの問題なども解決する方向に持っていくべきだというふうなことを既に議論しているところです。御指摘のとおりです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/32
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033・田沢智治
○田沢智治君 ですから、基礎、基本教育の読み書き計算ぐらいは、やっぱりその辺のところはちゃんとやっておかないと、次に行くといったって行きようがないわけだ。行きようのないやつが、何言ってやがるんだあのやろうと言ってけっ飛ばしてみたいとかという、そういう何というか粗暴性というものを持ってきちゃうんですよ。ですから、やっぱり先生が愛情をかけて、その程度のレベルのものは小学校のときにきちっと教え込んでいく努力をさせていくということを提言してもらいたいということ。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/33
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034・有馬朗人
○参考人(有馬朗人君) この点に関しては大変議論が行われておりまして、落ちこぼれという言葉は使っておりませんけれども、ゆっくりと育つ子供に対しては丁寧に教えるべしということを我々は議論しているところです。
そして、もう一つ申し上げたいことは、独創性独創性、個性個性ということが極めてこのごろ言われるようになった。しかし私は、まず基礎、基本がしっかりしていなかったら独創性は生まれないということを主張しているわけです。ですから、小学校、中学校ではまず基礎、基本をやってほしい。ただし、その基礎、基本はそんなにすべてのことを教える必要はないというのが私の主張であります。この点はひとつ御理解賜れれば幸いでございます。
ありがとうございました。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/34
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035・田沢智治
○田沢智治君 それから、先ほど先生が言われたように、子供たちの選択の機会を広く与える、これは非常に大事だと私は思うんですよ。選択の機会を広く与えることと言っておるけれども、小学校、中学校は学区制というものによって制限されて、あの学校へ行きたいという自分で選択する自由がないわけですよ、都道府県、市町村が決めちゃうんだから、通学区域を。
こういうような制限に対して、自分はあの学校へ行きたいから行くんですよといって自己責任において選んだ学校は、自己責任においてそこを卒業するという一つのけじめが私はできると思うんですよ。ところが、ここの家に生まれてこの番地はこの学校きり行けませんよといって初めから制限されて自己の選択権というものを与えていないような、そういう今の規制された制度の中で子供たちの選択の機会を広く与えるなんというのはおかしな話で、与える条件が整っていないにもかかわらずそういう表現を使うということはいかがなものかと。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/35
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036・有馬朗人
○参考人(有馬朗人君) ただし、選択はいろんなものがあるわけですね。例えば高等学校にも、総合学科を中心にした学校もあれば職業教育を中心にしたのもあるし、それから普通の教育をするところもある。あるいは今導入しようとしている多様性の一つは、今までのように六三三ではなくて六六という行き方があり得ないかと。こういう意味ではかなり多様性について努力をしている、選択の多様化に努力しているということはお認めいただきたいと。
ただし、おっしゃるとおりに、小学校、中学校の区域まで自由化するかどうか、これはむしろ政治家の方々のお考えでありまして、中教審としてはこの問題は今のところ取り上げていない、取り上げる自由度を持っていないわけですね。ですから、もし御用命いただければ検討いたしますけれども、今のところはその検討課題の中に入っていない、これが実情でございます。
しかしながら、仮に全く自由に選べるとすると、一つの学校に極めて多数の人が志望してくることがあり得るわけですね。この場合に、その学校が教育能力を超えてしまうと思うんです。そういうことに関して一体どうするか、国としてそれを十分拡大するように御努力いただけるのかどうか、こういうことが一つ大きな問題として浮上してくるだろうということは申し上げておきたいと思います。現在は申しわけありませんがこの問題は考えておりません。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/36
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037・田沢智治
○田沢智治君 もう二問。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/37
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038・清水嘉与子
○委員長(清水嘉与子君) また機会をつくりますので、済みません。
それでは石田さん。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/38
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039・石田美栄
○石田美栄君 第一点は、御感想を伺いたいんですけれども、先ほど国際比較で日本の教育は非常にすぐれているとおっしゃったんですけれども、また見方を変えれば、民主主義の国で日本の子供たちほど自分の意見を持っていない、いわゆる自立ですね、そういう点での国際比較からすれば必ずしも日本の教育がいいというふうには考えられない。そのことについて先生の御感想。
二点目は、教育課程審議会にかかわると思うんですけれども、今ある教科はもうつっつかないというふうに聞いているんですが、それはそうなのでしょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/39
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040・有馬朗人
○参考人(有馬朗人君) ちょっとごめんなさい、もう一度。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/40
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041・石田美栄
○石田美栄君 今ある教科についてはもうそのままそれを変えることはないというふうに聞いているんです。しかし、五日制も含めてですが、今はもうすべてを学校で教えるように期待されている状況。その中で家庭が担うべき分野、例えば衣食住の実践といったようなことは、しつけもそうでしょうけれども、本来家庭教育でやるべきことがもういいかげんにされて、それを全部学校教育に期待するという、そういう基本のところでの議論はどうなっているのでしょうか。
本当は、家庭にあるべきものは家庭に返して、学校でやらなくちゃいけないことというのは読み書きそろばん、あるいは科学的なこととかあると思うんですね。そういった議論がありますでしょうか。そういう意味での教科の見直し。
それともう一つ、教員養成について。本当に専門家として二十二歳あるいは二十三歳、二十四歳でも自信を持って、一国一城のあるじとして教壇に立てるようなしっかりとした専門知識と同時にトレーニングができるような養成、ですから、あるいは年限が五年、六年となるかもしれない、そういう議論がおありでしょうか。
三点お伺いいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/41
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042・有馬朗人
○参考人(有馬朗人君) ありがとうございます。
まず、おっしゃるとおりでありまして、私も非常に心配です。子供たちだけじゃないですよ、自分の意見がはっきり言えないのは。私も国際会議に非常にしばしば出ます。これは訓練でございまして、私の研究室の連中はうるさいくらい質問を国際会議でもするようになりました。しかし、長い間これはできない。日本で国際会議をやってもそうですし、外国に国際会議で出かけていっても私たちの友人、日本人の研究者はほとんど質問しない。これはまことに残念です。私も英語がうまくないから、取っ組み合いのけんかをしたことはしばしばあります。口で言えないから手を使うよりしようがない。こういうぐらいのことをやるべきだと思いますけれども、それができない。これは外国語の教育も含めて今後考えなきゃいけないことですね。
それ以前に、この問題が出てくると必ず出てくることは、なに日本語ですら、日本人同士ですら自分の意見がはっきり言えないではないかということはしばしば議論になります。中教審でも出てきました。そこで、もっと自分で考え、自分で問題を解くという生きる力を養成すべきという答えが出てきたわけです。
そこで、まず第一問に対するお答えは、自分の意見を十分言えるような教育はしていかなければならない。この点においては日本の教育は不完全というか、国際比較をしてもしなくてもわかっているくらい悪いです。今後それを伸ばしていかなければならないと思います。御指摘のとおりです。
それからもう一つは、実は英語の国際比較は悪い、日本の学生諸君の英語の国際比較は明らかに悪いんですね。ただ、これに対する解釈はいろいろあって、実は調べ方が、テストの仕方が悪いという説もあります。しかし、必ずしもよくないことは事実であります。
それから二番目に、今ある教育教科は変えないのかという御指摘でありまして、これは私は大いに心配しているところです。ですが、根本的に物理をやめてしまおうとか、数学を少し、例えば幾何学をやめてしまおうというようなことはないだろうと思いますが、分量においては、今、教育課程審議会の方で相当議論しているところであると思います。
それで、私は非常に先生の御意見に賛成なんです、家庭教育。五日制にしたときに、よく主婦の方たちが私に文句を言いに来られて、土日もごろごろうちに子供たちがいたら困るという御不満をおっしゃる方が多いので、そこで、実は石田先生と同じお答えをしている。もっと家庭教育をしたらどうかと。何も家庭に入ってまで数学の勉強、英語の勉強、物理の勉強をしなくてもいい。社会の勉強をしなくてもいい。しかしながら、はしの上げおろし、まずあいさつ、おはようございますから始まるあいさつをきちっとできるようにしつけてくれ。それからまた、家庭で皿洗いぐらいやらせてください。アメリカの子供たちを見ていますと、朝飯の準備というのは大体子供たちがやっています、皿を並べたり。パンを焼くのはお父さんかお母さん、お父さんが随分やっているんですよ、お父さんかお母さんですけれども、皿を並べることとか皿を洗うというのは子供たちですよ、夜も。なぜこれが日本でできないのですかというのが私の不満なんです。
ですから、おっしゃるとおりに、もっと家庭で過ごす時間を置いて、そして子供たちがお父さんお母さんと一緒に生活をし、そしてそこで家庭によって行われるべきしつけはきちっとやっていただきたいと私は思っております。ですから、この点では石田先生の御意見に全面的に賛成でありますし、このことはまさに今、中教審でも、五日制導入の際に、家庭教育をもっとしっかりやれ、学校だけに教育を任すな、そして家庭とそれから地域社会との三者の協力によって今後の教育は行われるべきだと考えるということを主張している次第であります。学校はあくまでも基礎、基本を教えるところであります。
三番目に、教員養成のことでありますが、これは御指摘のとおりでありまして、なるべく経験豊かな教育者の養成を図りたいと思っております。これはただし、先ほど申しましたように教員養成審議会で現在検討していただいているところであります。これは御指摘のとおりだと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/42
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043・小野清子
○小野清子君 先生ありがとうございます。たまには座ってください。
教育を変えるときというのは社会が変わるときなのかなとも思いますし、また、社会を変えるためには教育を変えなきゃならない。どちらが先かということは言えないわけですけれども。
現代社会の大人を見ておりますと、どういう部分が教育的に悪かったからこんなふうになつちゃったということが非常によく見える部分も私はこのごろ特に感じます。例えば音楽会に行ってもがやがやと私語をやめないとか、まことにしつけがどうなっているかということをいい年の者に感ずるということはまことに情けないと思います。
また、マサチューセッツ工科大学に行きましたら、地下鉄をおりましたらノーベル賞学者のパネルがぱあっと飾ってあるんですね。教育というのは校舎の中だけじゃなくて、地域社会の中に何々先生がこういう研究をしたというパネルがぱあっと並んで、ああいう町自身が、学校との関連と、それから青少年の未来に対する思いが膨らんでいくんではないか、そういうことを感じまして、なぜ日本はノーベル賞が少ないのかということもそこで感じさせていただきました。
先生の、能力の幅が狭いというお言葉が非常にきょう私の心にしみる言葉でございます。専門ばかということを先生はおっしゃいましたけれども、専門ばかはある意味では個性伸展ということにもつながっていくわけで、専門ばかであるがゆえに一つのものをきわめるということの中に、逆に多くのものを学ぶ以上のことが学ばれるという分野も私はあるような気がいたします。
私の質問は、小中の教育に関しては地方自治に任せるべきであるというお話が……発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/43
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044・有馬朗人
○参考人(有馬朗人君) いやいや、全部じゃなくて、自由裁量のところを少しふやしたらどうかと。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/44
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045・小野清子
○小野清子君 ですからその場合に、例えば教科書も桜が咲くのはずれていくわけですけれども、そういう折々のことを考えられて地方自治に任せるべきだということはおっしゃったことなのか、それが質問の一つ。
と同時に、先生に余裕がないという問題も非常に感じます。自分自身に生活面での余裕がなくてはゆとりを持って子供を教育することはできない。私は、ですから先生こそまず週休二日を一日も早くやっていくべきであるという認識です。
それから最後の質問は、ここの中の八番で、「社会体験、自然体験等を通して社会性等を養う場である地域社会における教育を活性化。」とありますけれども、例えば外国の場合に、金曜日は午前中は授業だけれども午後からは全員がスポーツ活動をするというぐあいに、午後から地域に出て教育の場をつくるんですね。先生がここでお考えなのは、例えば土日を使ってそういうことをやりましょうということなのか、学校カリキュラムの中でゆとりと活力を持たせるためにこういうものをなさろうとしているのか、その辺のお考えはどうなのかお伺いいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/45
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046・有馬朗人
○参考人(有馬朗人君) ありがとうございました。
社会が変わるときに教育が変わる、教育が変わると社会が変わるということはまさにそのとおりであります。現在の日本の社会というのはやはり変わらないといけないと私は思っております。どういうふうに変わるかというと、もう先刻先生方は御承知のように、戦後五十年で一応我が国は世界のトップクラスに入っていった、こういう新しい状況のもとで社会がどうあるべきかということを今後考えていかなければならない。そのときに果たして教育をどうするかということが中央教育審議会に与えられた大きな使命だと思っています。そのためには、二十一世紀において私たち日本人の進むべき、あり得べき姿として考えたのが「生きる力」というスローガンであったわけです。
さて、先ほどMITのことをお話しになられました。私もMITはしばしば出かけていきますし、友人が非常に多いのですが、これはたまたまノーベル賞の写真をごらんになったと思うんですけれども、もっと違うところがあるんです。多分お気づきだと思いますけれども、道の名前に偉人の名前がたくさんついています。それから、MITでもそうですけれども、さまざまな建物で、すぐれた政治家も研究者も財界人もあるいは芸術家も、そういうすぐれた人の名前が顕彰されている。
我が国はそれが許されない。大学でもって個人の名前のついているところというのは、個人というかそれに類するものは安田講堂、あれも正式な名前じゃないんだと思います。あるいは豊田講堂、あるいは一橋に一つぐらいあったか、それほど多くないですね。あるいは月の山に名前をつける。月の山が見つかった後、名前をつけるときに、生きている人間の名前はつけてはいけないというのが日本の鉄則です。南極の山も多分、茅氷河か何かあったと思うんですが、これは亡くなってからついておる。それにしても、亡くなってからついているからまだましですけれども、まずない。湯川通りなんてないです。こういうところに私は日本人の一つの考え方、平等思想があると思うんですね。
それで、そんなことを言っていると御質問にお答えできない。
まず、教育課程において、全部を中央から与えられた教育課程に従う必要はないと思います。順番を変えるとかどこかのポイント、アクセントを変えるとか、そういうことは各地方とは限らない、各学校での工夫をおやりになったらどうですかということを私たちは言っているわけです。
それの一番いい例が総合的学習の時間。週に何時間にするか、これは今教育課程審議会で議論しているところでありますが、仮に週に二時間と申し上げましょう。この週に二時間を何に使うか、これは各学校に任されている。ところが、学校の先生たちは中教審に来られて、そんな自由にされちゃ困ると。どうやって総合的学習の時間を使うのか教えてくれとおっしゃった方がおられたので、私は、こんなに地方分権を言っているときだし、いろいろと面倒くさいものを省いてくれ、こういう時代に何もわざわざ総合的学習はこういうふうにやってくださいなんて申し上げるべきじゃないと思うよということを言ったことがあります。こういう意味で、それぞれの学校で自由に御活躍いただきたいと思います。
それから、先生に余裕をということは私も大賛成であることは先ほど申し上げました。
さて、地域社会での勉強というふうなこと、社会体験、自然体験。これは五日の月火水木金の中でも、例えば総合的学習の時間を使って大いに地域社会を見てほしいと思っております。
私は、夏の学校をこの五年間ぐらい、ボランティアの第一号に近いくらいで方々、高知に行ったり北九州に行ったり、いろんな土地で理科教育を手伝っておりますけれども、その中の一つ、北九州では一週間ぐらい教えるんですけれども、そのうちの一クラスは環境、特に汚水だとかごみの処理を専ら教えるクラスもつくったんです。初めのうちは評判が悪かった。物理をやりたいとか天文をやりたいというのが圧倒的に多かったんですが、無理やりに環境を勉強しろということをしました。そうしたらとても後で喜んでいました。こんなに汚水処理というのは大変なものなのか、こんなにごみ処理というのは大変なものか、じゃごみをなるべく出さないようにしようというふうなことを小学校の五、六年生、中学校の一年生が異口同音に言ってくれました。そういう意味で、なるべく土日だけではなく普通の授業時間でも時間を見て地域社会の勉強をしてほしいものと思っております。
以上、お答えを申し上げた次第であります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/46
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047・清水嘉与子
○委員長(清水嘉与子君) 今、御発言の御希望が何人か出ておりますので、本岡さん、阿部さん、江本さんの順序で御発言いただきます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/47
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048・本岡昭次
○本岡昭次君 資料をいただきました中教審第一次答申、平成八年七月十九日のこの資料の十二ページのところに、「過度の受験競争の緩和」という項目があります。そこに「子供たちにゆとりを確保し、生きる力を」はぐくむためにはということでテーマが書いてあって、そして四行目に「特に重要な問題として過度の受験競争の緩和があると考えた。」、そのとおりだと思うんです。過度の受験競争の緩和について、具体的な提言なしに子供たちにゆとりを確保し生きる力をはぐくむことは私はできないと思うんですね。
ずっと期待をして読んでみたら、「我々としても、こうした大学」云々で、「今後改善されることを強く望みたい」とか、「引き続き検討したいと考えている」と、全く逃げてしまっておるんですよ。無責任ですよ、中教審として。肝心なところを手を加えないでゆとりを確保し生きる力をはぐくみと言ったって、これはできるわけがない。だから、きちっとした答えを出さないで中高一貫の教育を出してみたり、飛び級だとか通学区の自由だとかやるということは教育に混乱をもたらすだけだと思います。はっきり言っておきます。
それで、結局何かというと、過度の受験競争の緩和をという場合にどうしたらいいかというときに、いろんな迫り方があるわけで、その一つとして入試制度を廃止して、そして今の入試センター試験、あれを資格試験制度に改めたらどうかという提案がある。僕はこれはもう真剣に検討して答えを出すべきだと思う。
私の子供の例を出して恥ずかしいけれども、私の子供は落ちこぼれでして、高校卒業して外大へ行きたいと言うから、そんなお前が日本の外大の試験通るわけがない、二遍受けて二遍落ちて浪人して泣いているから、アメリカへ行ってみいと、アメリカへ行ったらお前のような落ちこぼれでもちゃんと救うシステムがあるといってアメリカへ行かせたんですよ。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/48
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049・有馬朗人
○参考人(有馬朗人君) 日本でも入れますよ。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/49
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050・本岡昭次
○本岡昭次君 いや違う、入れなかった。入学試験で落ちたんですよ、二遍。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/50
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051・有馬朗人
○参考人(有馬朗人君) いや、だからそれは悪いところを受けられたんですよ。もっと程度の合うところをお受けになれば必ず入れますよ。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/51
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052・本岡昭次
○本岡昭次君 いや二浪したんですよ、それでアメリカへ行ったんですよね。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/52
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053・有馬朗人
○参考人(有馬朗人君) アメリカのどこへ行かれましたか。アメリカのどこの大学へ行かれましたか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/53
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054・本岡昭次
○本岡昭次君 大学行かへん。大学行く前にいわゆる資格試験を受けないかぬでしょう、それを取りに行ったんですよ。ピッツバーグかな、あそこの大学だと思う。そこで合格して、それで大学へ入れるという資格を取って、四つの大学に私はあなたの大学に入りたいという依頼状を出したんです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/54
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055・有馬朗人
○参考人(有馬朗人君) ハーバードじゃないですね。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/55
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056・本岡昭次
○本岡昭次君 いや、そんな立派なところへ行ける頭を持っていませんから、心配せぬでも。それで、四つ出したら二つの大学からあなたは入ってよろしい、二つの大学はあなたはだめですと来たですよ。それはあなたのおっしゃっている能力の問題で二つの大学は結構と来た。その二つの大学で、私は日本人のおらへんところへ行けと言って行かせて、それで卒業させて帰ってきたという経緯があるんですよね。
それで、日本におったら恐らくぐれてどうしようもないのが、アメリカでちゃんと一人前の大学卒業して帰ってきたから、アメリカって偉い国やなと、私はアメリカを尊敬したんですよ、それから。今までアメリカ余り好きやなかったんですけれども。
だから、そういうふうに、日本のシステムの中で落ちこぼれていくような子供でも救うシステムがあるということを私は考えて、やっぱり日本の入試制度のあり方というのはもっと大胆に提起して、その上で高等学校や中学校や小学校のことを議論しなさいと。でなければ中教審は無責任だと言っているんですよ。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/56
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057・有馬朗人
○参考人(有馬朗人君) 今やっているところです。まずあと十二、三年のうちには大学へ行きたい人は全部どこかに入れます。ですから、難しいところを選んだら入れないかもしれないけれども、自分のレベルに合うところを探されれば必ず入れる。その点を御了解いただきたい。
アメリカでもそうなんです。私もアメリカで実を言うと五、六年先生をしておりましたけれども、その州の人は割に入りやすい。ただし、ハーバード、MIT、プリンストンなんて物すごく難しい試験。東大より難しい。それから、コミュニティーカレッジというのはだれでも入れる。カリフォルニア大学というのはバークレーが一番難しくて、十何校かあります、それが一つでカリフォルニア大学。どこかには入れる。この点は御了解いただきたい。だから、もし難しいところへどうしても入りたいとなると、アメリカでも極めて激しい競争があるということは御認識いただきたい。
しかしながら、日本の場合でも確かに御指摘のように工夫はしなきゃいけない。工夫はしなきゃいけないと思うけれども、どこかは入れるんですよと、そういう点ではアメリカと同じですよということを申し上げておきたいと思います。ただし、難しいところをお受けになったら落ちると思う。だから、御自分のレベルに合わせたものをお選びいただきたい。
しかし、それにしても、入学試験に関しては、プリンストンやハーバードを見ていますと、いろんな角度で調べているんですね。内申書を見るとか父母の推薦を受けるとか、いろんな角度を試験に採用しておりますので、そういう努力は今後も日本の大学でもしてほしいと思っています。
今サボっていたわけじゃなくて、今度の答申にかなり具体的な策を書こうと思っております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/57
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058・阿部幸代
○阿部幸代君 三つほどお聞きしたいと思うんですけれども、一つは学校というものの位置づけの問題になるんですが、私も、生きる力を育てる教育ということで、家庭や地域や社会や学校が総力を上げるという、それぞれの役目を果たすということは十分わかります。
その中で、それでは学校はどういう位置にあるのかということで随分議論をしまして、家庭にいろいろひずみがあろうと、あるいは社会にさまざまな病理があろうと、そういうものから子供たちを守る防波堤が学校ではないのか、そういう議論をしたんです。そのあたりをどんなふうにお考えになったり、あるいは議論をしたのかということが一つです。
それから二つ目が、家庭の問題に入ります。
本来、家庭が持っている人間形成の場としての役目とか、あるいは基本的な教育的な機能を果たすべき場とか、そういう役目があるんだと思うんですが、日本社会というのは家庭の本来持つ力をゆがめる社会だなという気がしてならないんですね。例えば、お父さんを家庭に帰してほしいという、そういう議論もなさったし、昨年は文部大臣も経団連などに要請までしているんですけれども、そういう社会全体の悪しきものを行政がまた率先していきますから、具体的に今度の国会で労働基準法の改悪なんというので、今度は女性も家庭から奪われるというか、深夜労働まで女性も例外なくやっぱりしなきゃいけなくなるんですよ。休日出勤とか時間外労働も、一定の規制があったものを全部撤廃されるんですね。
そのあたりを、本当に二十一世紀を見据えた人間形成の場としての家庭の機能を回復する上で、産業界、それからそこにルールをもたらすべき行政、どうあるべきかというのをどんなふうに考え、また議論なさったのか、二点目です。
それから三つ目が、なぜ希有な才能が育たないのかしらということなんですが、そういう多分スタート点ですよね。それで、その希有な才能が横並びの教育の中でだめにされているから、育ちやすいようにその突破口として、先生、物理とか数学の分野で才能を発見し、飛び級を認めていくという議論だったと思うんですが、それと将棋の世界とを同列視なさっていましたね。
私、将棋の世界は、たしかプロの棋士というのは百三十三人だったと思うんですが、間違っていたら後で訂正します。そもそもそういう厳しい世界なんですね。そして、将棋というだけの世界です。もちろん、それぞれ人間形成なさっていると思うんですが、そのプロの棋士を育てる過程というのはマンツーマンの切磋琢磨の世界なんですね。そこからいいものを学んでいいと思うんですけれども、それと同列視して、全国で二十人ぐらいですか、希有の才能の持ち主のポストを用意してそこに向かって競わせるというのは、今の希有な才能も育ちにくいあしき環境を助長するんではないかというふうに私などは思うんです。なぜ今希有な才能も育たないのかというあたりの議論をもう少しお聞きしたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/58
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059・有馬朗人
○参考人(有馬朗人君) まず第一、学校の位置づけですけれども、あくまでも基礎、基本を教えるところだと思っています。例えばしっけみたいなものまでそこで教えなきゃならないというのが私は今の日本の問題点だと。そういう意味で、学校はきちっとした、特に小中学校は基礎、基本、体力にしても何にしても基礎、基本をきちっと教えてほしいと思います。
それから、家庭は人間形成の場であると思います。そのために文部大臣も、経団連の方でしたかね、日経連の方かな、にお願いになっておられましたけれども、私どもも先ほど言いましたように、なるべく土日はお父さんお母さんを家庭に返してくれということは申し上げているわけです。これは教育の上でも非常に重要であると思いますので、お父さんお母さんが土日はうちにいて子供たちの教育を、広い意味での教育ですよ、たびたび申し上げるけれども、英語を教えてくれ、数学を教えてくれというようなことは一切私たちは申しておりません。健康になるような運動を教えるとか、あるいは先ほど申し上げたように家庭の手伝いをさせるとか、あるいは伸び伸びと自由に本を読ませるとか、そういうような機会を与えていただきたい、それが家庭へのお願いであります。
地域社会も、今まだまだ十分育っていないけれども、土曜日、日曜日には地域社会が中心になって、例えば高齢者の方たちを訪問するとか、そういう工夫をしていただきたい。あるいはその地域地域の歴史を教えるとか、あるいは環境を教えるとか、あるいは理科教育をしてもらうというふうなことで、地域社会に大いに活躍してほしいと思っています。幸い、ボランティアが随分このごろはあらわれてきまして、大変ありがたいと思っています。
さて、三番目の希有な才能。私どもは希有な才能の教育の前に申し上げていることは、平均的なところだけを中心に教育しないで、先ほど申しましたように、大器晩成型に対しても手厚く教育をしてほしい、それからまたはっきり言って学校で退屈してしまう子がいるものですから、そういうよくできる子に対しては、あるいは早熟な子供に対してはよく育ててほしい、こういうことをまずやっていただきたいと思っています。その中に、パイロット事業などで大学の先生と高等学校の先生が協力して数学教育や理科教育をやる、その中から希有な才能が生まれてくればそれを大学に早く入れてさらに勉強を進めてほしいと、こういうふうなことが希有な才能に対する我々の考え方です。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/59
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060・江本孟紀
○江本孟紀君 江本と申します。ちょっと時間もあれですので、お疲れのようでしたらお座りいただきたいと思いますけれども。
先生に一つ最初にお聞きしたいのですが、タイガー・ウッズを御存じですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/60
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061・有馬朗人
○参考人(有馬朗人君) 知りません。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/61
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062・江本孟紀
○江本孟紀君 私は一つお聞きしたいのは、先生の決められることじゃないかもしれませんけれども、委員の中にスポーツ関係者が少ない、私はそういうことで……発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/62
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063・有馬朗人
○参考人(有馬朗人君) わかりました。私は数学の方か何かと思ったものですから。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/63
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064・江本孟紀
○江本孟紀君 それで、一つはそのことに関連して私は少しお聞きしたいんですけれども、スポーツをやっても学力の面に関しても、大体十歳から十五歳、どうでしょうね、十七、八ぐらいでしょうか、文教委員会でも時々こういう話が出るんですけれども、能力の差といいますか、仮に十三歳だったら十三歳前後三歳ぐらいの差があるんじゃないか。それを画一的に教育することが、体力というかスポーツもそうなんですね、私は自分の経験からいうと、私はほとんど勉強していませんので学力はほとんどゼロに近かったんですけれども、やっぱり子供も含めて学校が嫌になるのは、小中学校もそうですが、いじめだとか登校拒否の問題も全部含めて、そこの能力の差、これが最大の原因だと思うんです。
だから、私はむしろ先生の言われる学校五日制なんというのはもう大いに結構でして、これは即刻やってほしい。それから、学校は二時ごろに終わってほしい。学校自体は体育は要らないんじゃないですか。むしろ外で遊ばせる。ましてや、世界で学力が上の方だといいますけれども、もっと下の方へ落としたらどうですかね。どこら辺まで落としたらいいかちょっと私もわかりません。タイとかフィリピンとか、その辺まで落とした方がいいんじゃないですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/64
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065・有馬朗人
○参考人(有馬朗人君) タイやフィリピンは高いですよ。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/65
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066・江本孟紀
○江本孟紀君 高いんですか、そうですが。よくわからないですが、とにかく高いからといって自慢しても、今みたいなこういう問題がいっぱい教育の中へ出てきておるわけですから、その辺も含めて私は要はもっとレベルを落としてほしいと。そのことをちょっとお聞きしたがったんです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/66
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067・有馬朗人
○参考人(有馬朗人君) おもしろい御意見です。
私はスポーツを地域社会で教えるべきだと思っています。もちろん、部活ということは大変重要なことですね。部活は十分重要なことは認めておりますし、できる限り部活というふうなものを活用すべきだと思いますけれども、しかしながら、フランスの例であるとかアメリカの例等を見ていますと、地域社会でスポーツをやっているんですね。どうも部活を幾らやってもオリンピックが強くならないというのは私は非常に気になっていて、やはりもっと地域社会がスポーツを振興すべきではないかというのが私の信念であります。ですから、部活を減らせなんと言ったら大変なことになるのでこれは申しませんけれども、もっと地域社会がスポーツ、あるいはスポーツだけじゃなくて広くいろいろな面で活躍をしていただくということが必要であろうと思っています。
今の御提案は大変私も同感に思うところがあるのですけれども、五日制にしたときに、教えるべき量とそれから時間の余裕というものの関連から検討させていただきたいと思っております。今のところは、できる限りスポーツの教育は地域社会でもやってほしいというふうに言っているところであります。もちろん、学校でのスポーツの教育は大切だと思います。
それから、平均水準を落としてでもと。そうおっしゃらないで、平均は結構高い、しかしその上にうんと上もいるというような社会ができるといいなと思っています。実は、アメリカのクリントンが今度教書を出しましたね。あの中でアメリカの理科教育をもっとやらなきゃいかぬ、レベルを上げなきゃいかぬと言っている理由というのは、アメリカの国際比較はずっと下なんです。そのかわり、さっき申し上げたように幅が非常に広いですから、上の方の人というのは我々日本人がしゃっちょこ立ちしてもかなわないようなのがいる。これがなぜ日本に出てこないか。これはやはり日本が平均を高めようという努力をしてきたからだと思っています。これは今後改善をしていくべきだと思います。スポーツもきっと同じですね。
ありがとうございました。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/67
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068・日下部禧代子
○日下部禧代子君 先ほど先生は初等中等教育において日本の学力水準というのはかなり高いところにあるというふうにお言葉がございましたが、高等教育に関しまして、これは例えば大学院への進学率、大学への進学率というのはたしか先進国の中で日本は高い方だと思いますが、大学院への進学率になると、これは他の先進国と比べますと高い方ではないというふうに思っております。
この点に関しまして、日本の場合いろいろな問題が出てきているのではないかというふうに私思っておりますが、なぜ日本の場合には大学院への進学率、高等教育への進学率というのは他の先進諸国に比べて高くはなかったのか。そして、これからどのようにその点に対処していこうとしていらっしゃるのか、それをまずお伺いいたします。
それからもう一点、二十一世紀の課題としては国際化ということが重要な点で、先生も御指摘なさいまして中教審でも御指摘がございますけれども、具体的な一つの例として留学生十万人計画、これなかなか当初の計画どおりにはいっておりませんが、この辺は先生としてはどのように分析なさってどのように対処したらいいというふうにお考えなのか。
それから、国際化の問題で、小学校の中に外国語教育をこれから取り入れるようにという御答申ございますけれども、実際にもし日本人の先生だけでやつちゃうと、いわゆる楽しもうということではなくて、何かまた学ばせられるというふうなことになってしまいがちなような気がいたします。先ほど先生おっしゃいましたように、やはりネーティブスピーカーですとこれは楽しませるところは結構期待できるのではないかというふうに思いますが、その点も含めまして、小学校における外国語教育についての先生のお考えをお聞かせいただければと存じます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/68
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069・有馬朗人
○参考人(有馬朗人君) まずおっしゃるとおりでありまして、日下部先生の御指摘のように、高等教育は私の見るところ、アメリカで教えていたときのことを考えると、入った直後は日本の方ができる。私のいたところは州立大学で、ハーバードとかその辺でありませんけれども、プリンストンで教えたこともあります。それを見てますと、日本の高等教育も大学教育も二年あるいは三年ぐらいまでは日本の方が平均できますね。大学院へ行くところでがたっと落ちてくる。それは日本の大学院がやはり充実していなかったことによります。
そこで、高等教育はもっと充実すべきであると思います。端的にあらわれてくるのが、実はこれは大学審議会の副会長としてお答えすることになりますけれども、文部省でもこの点大変気にしまして統計を幾つか出しています。千人当たりの大学院の学生の数は先生御承知のように日本は非常に少ない。博士になる数が、理学博士で申しますと日本はアメリカの十分の一以下です。それから工学博士が六分の一ぐらいというわけで、多いのは医学博士だけ、医学博士は非常に多いんですよ。だけれどもほかの博士は少ない。特に法学博士、経済学博士、国際社会で外交官として活躍しなければならない法学関係の博士が日本は百分の一ぐらいじゃないですかね、アメリカに比べて。ちょっと数字が怪しいんですけれども、日本は百何十人しか出ない。アメリカは五、六千人。もうけた外れに少ない。これではなかなかアメリカ、ヨーロッパを相手にして勝てないと思うんです。
それで、何とか大学院を充実すべきだということは文部省の政策として取り上げられておりますし、大学院の学生の数は徐々にふえてまいりました。それから、大学院の学生への奨学金もふえてきていてありがたいと思います。特に、学術振興会等々は大学院の特に博士課程の学生に対する奨学金をふやしておりますし、また卒業してから、すなわち博士を取ってからポストドクトラル・フェローシップとして三年ほど勉強するような予算を大幅にふやしていただいておりますので、少しずつよくなってきていることを御報告申し上げます。
それにしても、国民総生産に比べて高等教育に使っている予算は〇・七%。ついこの間まで〇・六%でありました。GNPに対する高等教育が使っている予算というのは〇・六ないし〇・七。初中教育は三%です。アメリカは初中教育が四%で高等教育は一・二%。ドイツはもっと多い。すなわち高等教育に対する国費が、あるいは地方自治体のお金も入れて公的な財源から出るお金が日本はGNPに比べますと半分です、先進諸国の。これを何とかふやさなければ高等教育の抜本的な改革は行えない、そういうことを考えております。これはお願いです。
それから、二番目の国際化。おっしゃるとおりでありまして、十万人計画は順調に伸びてきたのですが、このごろ経済の方が少しバブル崩壊以後停滞したために五万人のところでとまってしまいました。そこで、現在、江崎玲於奈さんを中心にして文部省の方で留学生の問題を検討していると思います。
留学生に関して最も大切なことは、日本のことをよく知り、日本を愛する人々をもっとふやしていかなければならない。数ももちろんふやさなきやなりませんけれども、それ以上に日本という国を愛してくれるような外国人、少なくとも知ってくれる外国人を留学生として育てたいと私は思っています。逆に嫌いになっちゃうのがいるんですね。もう絶対日本には戻らないというような者も出てくる。これはやはり地域社会の方々にお願いをして、外国人を温かく迎えてくださる、特に留学生を温かく迎えてくださる雰囲気をつくっていかなければならないと思います。その点、私はむしろ岩手であるとか広島であるとか地方の方がこの点はいいと思います。地方によってはかなり留学生を大切にしてくれている。東京とか大阪とか巨大都市が必ずしもよくない。
この辺についてはもう少し、例えば留学生会館をもつとつくる。ただし、留学住会館という格好で留学生だけを分けておいてはだめです。日本人の学生も一緒に入れていくべきだと思います。東京大学では幸いに学生のドミトリーをつくっていただきましたので、そこは留学生と普通の学生とは一緒にしています。留学生の方が少し年上なものですから、日本人の学生を教育してくれるということが起こるわけです。
三番目に、小中学校への外国語の問題、特に小学校への外国語の問題ですが、先ほどお答え申し上げましたように今五千人だそうですけれども、やっぱり英語を母国語とする、あるいはフランス語を母国語とするようなそういう先生方をふやすということがまず緊急の問題だと思います。今五千人、これが一万人ぐらいになればと私は願っている次第です。そして、まだ全く耳が外国語に対して自由なときにいい発言の英語なりフランス語なりを耳に教え込んでいきたいと考えております。これは予算を伴うことなのですが、何とかそういう方向にお国が努力して賜れるとありがたいと思っております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/69
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070・堂本暁子
○堂本暁子君 江本さんが実は先ほどから隣で、物理と数学だけが飛び級をするのはおかしい、やはり運動もあってもいいのではないか、オリンピックが弱いのもその一つと。
それから先生もう一つ、先生は大器晩成型とおっしゃいましたけれども、私二十年来不登校の子供を記者の時代に取材しておりまして思ったことは、決して大器晩成型だけが不登校になるのではございません。むしろ画一的なところに入れない、例えば詩人になる可能性がある、将来音楽家になる可能性がある、非常に何と言いましょう、繊細な神経の場合になる。
例えばある学校で、千葉県の学校ですが、お教室から体育館へ行くのに必ず歌を歌わせる、月によって歌はかわるんです。どうして歌を歌わせるのかと先生に聞いたら、そこは私語を言わせない。それでその子はそのために学校へ行かなくなる。自分がお廊下を歩いているときにお友達同士でお話をすることを禁止するようなそういう学校には行かれないということで、中学二年から学校へ行かなくなったわけでございます。そういうような一人ずつの子供の理由。私がずっと十年近く追った子はシャガールとそしてシャガールの絵が好きだったわけです。そうしたら、それだけで退廃的であるということで学校へ行かれなくなりました。そういう絵とか音楽とか体育とか、そういうところにも希有な才能はたくさんございます。
むしろ私は、私は大変物理と数学が好きな子だったんです。ですから、そういうことがあったら大変うれしいなと思いますけれども、天才ではなかったから飛び級はできませんけれども、どちらかといいますと、やはり数学とか物理で尺度が決まるということの方が大変心配でございます。
隣の江本さんがそれはやっぱり体育でもやってもちわなき々なと盛んにおっしゃっているので、私が代理質問をさせていただきました。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/70
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071・有馬朗人
○参考人(有馬朗人君) ありがとうございました。
スポーツ及び音楽は我々十分議論をいたしました。音楽とスポーツに関してはやはり家庭とか地域社会が、今十分とは言わないけれども、数学や物理に比べてははるかに希有な才能を発掘する力を持っています。それでも音楽の指導などは、日本でやるよりはニューヨークのジュリアードに行ってしまうなんという例も幾つか聞かされました。ですけれども、それにしても音楽とかスポーツでありますと相当地域社会で育つ。ところが、数学とか物理はそういうことがほとんどないので、この際数学と物理からやらせていただこうということです。ですから、決してスポーツと絵画あるいは音楽を無視していたわけではございません。
それから、登校拒否のことでありますが、私の娘が、実は非常によくできたのですけれども、体が悪くて手術した結果、学校へ行くのが嫌になった。二つの理由がありました。一つは体が悪かったから、それからもう一つは学校が退屈であった。行って教えてくれる内容が、うちでもう自分で勉強しちゃったことで済んでしまう、何も学校へ行く必要はないというので、中学校の終わりごろから高等学校を完全に登校拒否いたしました。お恥ずかしい次第です。しかしながら、大学入試資格試験をぱっと受けてばっと入りました。
だから、こういう道があるということが身にしみておりましたので、中学校登校拒否も、何らかの格好で中学校の校長先生が御努力になって中学校卒業資格を与えてくださるなり、それからもう一つ、中学校卒業資格の検定試験を学校へ行かなくても、病気でなくても受けられるようにしたいというのは、私はこういう経験に基づいた信念から提案した次第です。
これに対して大分、特に新聞社などでは御批判がありました。今せっかく中学校登校拒否の子供たちに対しては校長先生や教育委員会、学校等が努力して何らかの格好で卒業させているときに、何もわざわざまた試験を加えて中学校卒業資格試験など受けさせるとは何事かというそういう御批判がありましたけれども、学校に全く行かないような丈夫な子がいるということを御理解賜りたい。そういう人たちは、一日ぐらい校長先生のところへ行って卒業資格与えてくださいと言っても校長先生は困られるんです。
ですから、中学校卒業資格の試験も加えてください、それももっと今までの規制を緩和して、体の悪い子はもちろんだけれども、健全な子でも何らかの理由で学校に行かない者が受けられ、しかも卒業資格が与えられるようにしていただきたいということをお願いして、これは中教審の答申の中に書き込まれていると思います。ですから、新聞社の方々にぜひとも誤解がないように御理解賜りたいと思っていた次第です。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/71
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072・阿部幸代
○阿部幸代君 先生、個性とかあるいは才能とか、こういうものがネグレクトされてしまう背景といいますか根源というのは、私はやっぱり日本の教育が多人数一斉方式、これが諸悪の根源だと思うんです。同じ勉強をしていても個性を発揮し能力を発揮することはできるんですね。
私は教育現場で日本の教育を担当しました。小学校と高校をやったんですけれども、例えば二酸化炭素と酸素だったかしら、重さ比べ、さまざまな方法があるわけです。さまざまな方法でやってみました。それでも最後に納得できない子が一人いてわからぬと手を挙げたんで、じゃ一緒にやりましょう、一対一になるんですが、もっと人数が少なければ本当に日本の教育は個性や能力が生き生きと発揮できる場になっていくと思うんですが、どうでしょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/72
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073・有馬朗人
○参考人(有馬朗人君) 賛成ですね。
これはここに議論して書いておいたと思うんですよ。中教審の答申の二十四ページ、「教員配置の改善」というところに先生の御説を書いてあります。「今後、教員配置の改善を進めるに当たっては、当面、教員一人当たりの児童生徒数を欧米並みの水準に近づけることを目指して改善を行うことを提言したい。」ということを書いておりまして、これは私も大いに賛成でありまして、これは中教審で十分議論した……発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/73
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074・本岡昭次
○本岡昭次君 予算減らそうとしていますから、先生頼みますよ。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/74
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075・有馬朗人
○参考人(有馬朗人君) よろしくお願いしたい。高等教育もふやして、お願いします。今重要なポイントです。
私はその上に、仮に三十人になったって、三人は物すごくできる子がいるが、三人はゆっくりしかいかない、それを分けて教えてください。何もすべての科目に分けろなんて言わない。九九のお話をさっき田沢先生じておられた。九九がわかるように分数の割り算、特に割り算、ああいうものに関しては、ゆっくり理解する子には丁寧に教える、そういう意味では教員をふやさなきゃいかぬと書いてございますので、どうぞ予算要求がありました折にはよろしくお願いいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/75
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076・馳浩
○馳浩君 有馬先生は理系の先生だということでぜひ考えていただきたい点があるんですが、大学院の教育の充実の面で、日本は科学技術創造立国を目指そうとしております。ということは、今現在は科学技術模倣立国であるというふうに考えた方がいいと思うのです。大学の先生方も基礎研究をより一層充実されるために企業との連携等をされていくのでありますが、その研究の成果、これを知的財産権であるとかあるいは特許であるとかというふうに考えましたときに、その研究の成果の帰属をどうしたらいいのかという問題を私はひとつ考えてほしいなと思うんですね。私の一つの希望としては個人に帰属できるようなシステムが必要ではないかという点、その点についてのお考えをぜひお聞かせいただきたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/76
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077・有馬朗人
○参考人(有馬朗人君) 大学はかなり成果の、例えば特許はかなり大学の研究者に、教員に任せています。国立研究所がこの問題があって、今度国立研究所も大幅に研究者に特許については権限を分けるようにしたと思います。これはもう一度調べてみなきゃいけません。
企業との連携に関しては、やはり大学の自治ということがありますから、その大学の自治の範囲で企業との連携を大いにやるべきだと思います。その点に関しても大分文部省の方も検討して、大学の教員が産業界あるいは地域社会と協力をするということのために規制を随分緩和してくれたと思います。昔はきちっと勤務時間が決まっていて、産業界なり地域社会と協力するのはその時間外でやらなきゃいけない、これがかなり緩和されつつあると思います。こういう点では大分努力している。
ちなみに申しますと、アメリカの大学は毎年、一番多いのがカリフォルニアだったかMITだったか、二百ぐらい特許を取っている。そして、二十番目ぐらいの大学が二十幾つ取っている。日本で一番いい大学は東海大学で二十番目ぐらい、アメリカの二十番目ぐらいの二十幾つか取っています。私がいた東京大学は二つしか取っていない。これが今大学と特許の関係を改善しなきゃならないと思っているポイントの一つです。
しかしながら、そこで問題になってくるのは、日本の大学は、国として特許を持つんじゃなくて、どちらかというと今まで研究者に任せていたところがある。そのために大学の特許の件数が見かけ上少ないんですね。個人が持っている特許が結構ある。だから、東京大学だって決して一年に二つしかないなんということはなくて、もっとたくさんあるんだけれども、大学が持っているのはその程度。これをアメリカ型にしてしまうか、それとも日本のように研究者に渡すか、特に大学は、どちらがいいかということは今後検討していかなければならないと思っています。しかし、成果の帰属はかなり大学関係は研究者本人に渡しているところがございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/77
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078・小野清子
○小野清子君 時間がまだあるようなので、一つ御質問したいと思います。
先ほどスポーツは地域社会で教えるべきであるというお話で、この件に関しましては、中高体連の先生たちは逆に大変心配していらっしゃいますね。今までの道が消えてしまうような御心配をしているようです。
例えば高校野球の場合には、まさに高校という学校教育の場が非常にベースとなって行われているわけです。サッカーの方が幾分クラブシステムに移っている。しかし、先ほど江本先生からもお話しありましたけれども、種目によって時があるんですね。水泳などはもう小学生からやらなければ絶対間に合わない、体操もそうです、フィギュアスケートもそうです。先ほどお話のあったタィガー・ウッズは二歳からゴルフのレッスンを始めたという話題の人です。
地域社会のコミュニティーの核としてスポーツが行われていくことは理想なんでございますが、ただしその場合に施設と指導者をどうするかということで、現在オリンピックに出ている選手たちは、ほとんど自分たちで施設に通い、指導者にお金を払い、フィギュアスケートなどはコーチの宿泊費から指導料から飛行機賃まで全部持つんですね。というぐあいに、地域に移れば移るほど個人の負担が大きくなっていくわけですね。どれくらいお金がかかるかというと、水泳の選手一人育てるのに二千万円以上かかる。それが個人の負担になっている。
地域に移すという理想を実現するということは非常に現実的には難しい問題で、しかし、これから生涯スポーツの時代を考えますと、ゼロ歳から百歳を対象に地域のコミュニティースポーツが振興しなきゃならない。これは当然なんですけれども、そこへ行くときの指導者の確保あるいは生活保障、施設整備、こういったものが、これからの時代のまさに変革をしなきゃならない問題だと思いますけれども、中教審でどんなぐあいに議論をされたのか伺いたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/78
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079・有馬朗人
○参考人(有馬朗人君) 御指摘のとおりでありまして、まだ地域社会はそういう面では十分育ってないですね。ですから、これは地域社会として、今おっしゃられた施設であるとかあるいはボランティア的な指導者であるとか、そういうものをもっと養成したり充実させる必要があるということを既に答申しております。ですが、予算を幾ら準備しろというところまでは具体的には申し上げておりません。しかし、その点が重要だということは既に指摘してある。
それから、もう一つ考えていただきたいことがあるんです。これは必ずしもこの中教審の答申の中には書いてありませんけれども、私が経験したことを申し上げると、地方の中学校に遊びに行ったことがあるんですが、そこの先生たちと部活の話をしました。そうすると、その先生たちは朝は早く来て部活をやり、放課後もまた大変な時間部活をしているんですね。さてそこで、なぜそれが必要なのですかと言ったらば、地域社会が育っていないので自分たちが責任を持ってやらなきゃならないのであるとおっしゃっていました。
そこで、私のまず質問は、その中学校の先生の住んでいる場所はどこですか、この町ですかと質問したらば、隣の市ですという返事でした。そこで、私の次の質問は、なぜ隣の市の御自分の住んでおられるところの地域社会の指導者にならないのですかと質問をしました。それに対するお答えは、まだそういう組織が育っていないので、市はいいんだけれども村や町ではそういう組織がないから、やはり自分の勤めている学校の部活を指導しなきゃならないのだと答えておられました。
ですから、そういうことを考えますと、もう少し地域社会がボランティア組織を評価してくださってそして指導をするように、そしてまた小学校、中学校等々の空き時間を使うとか、あるいは施設をもっと積極的に使うというふうなことで、地域社会の特にスポーツなどの振興を図っていただきたいと思っています。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/79
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080・田沢智治
○田沢智治君 先生、中高一貫教育を公立てやろうというのでしょう。そうすると、六・三は義務教育ですね。高校は義務教育じゃないでしょう。だから異質なるものを一つにやつちゃうというのはどういう論理ですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/80
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081・有馬朗人
○参考人(有馬朗人君) しかし、今の段階でも私立はそうしているわけです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/81
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082・田沢智治
○田沢智治君 私立はしているけれども、公立の場合は。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/82
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083・有馬朗人
○参考人(有馬朗人君) 私の言いたいことは、やはり機会均等であるべきだということが一つある。
国立と私立が中高一貫をやっているわけです。国立は例えば東大の附属高校も中高一貫です。それから駒場の筑波大学附属高校が中高一貫です。ですから、国立と私立には中高一貫があるわけです。ところが公立はないわけです。そうすると、公立に行かなきゃならない人々は、それこそ地域もあるし、そういうときにどうして公立を志向する人たちは外されるのかということが私にはわからない。やはり機会均等であるべきだ。私学だって中学校だけ持っているところもたくさんあります。国立ても中学校しかないところもある。しかし同時に中高一貫も持っておる。そうしたら公立にもあってもいいじゃないかというのが私の主張です。そして中教審はそういう考え方を進めているわけです。
そして、その中高一貫をやったどきの注意事項があります。それは、六年間そこに絶対いなければならないということはやめてほしい。すなわち、おっしゃるように義務教育を三年間終わったところで、六年やるのはもう嫌だという子供はほかの高等学校へ行ってもいいし、あるいは義務教育段階が終わったところでやめて行ってもよろしい。これは自由にしないといけない。それから今度は、ほかの中学校からあの中高一貫の高等学校のところに行きたいという子供がいたら行かせてほしい。こういう工夫は中高一貫をやるときの留意事項として今後の答申の中にも入ってくると思います。今議論しているところですので、結論がどうなるかわかりませんけれども、そういう方向で議論しているところです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/83
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084・清水嘉与子
○委員長(清水嘉与子君) まだまだ質疑があろうかと存じますけれども、予定した時間が参りましたので、本日の調査はこの程度といたします。
有馬参考人に一言ごあいさつを申し上げます。
本日は、大変お忙しい中を御出席いただきまして、大変貴重な御意見をちょうだいし、かなり幅広い議論ができたのではないかというふうに思っております。また、終始お立ちのままで御説明いただきまして恐縮でございました。
本委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。ありがとうございました。(拍手)発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/84
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085・有馬朗人
○参考人(有馬朗人君) どうもありがとうございました。最後に二言言わせてください。
やっぱり教育というのは国家百年のことでございますので、余り予算をけちらないように、それからまたなるべく多くの自由度を与えていただきたい。よろしくお願いをいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/85
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086・清水嘉与子
○委員長(清水嘉与子君) どうもありがとうございました。(拍手)
速記をとめてください。
〔速記中止〕発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/86
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087・清水嘉与子
○委員長(清水嘉与子君) 速記を起こしてください。
—————————————発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/87
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088・清水嘉与子
○委員長(清水嘉与子君) 日本私立学校振興・共済事業団法案を議題といたします。
政府から趣旨説明を聴取いたします。小杉文部大臣。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/88
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089・小杉隆
○国務大臣(小杉隆君) このたび政府から提出いたしました日本私立学校振興・共済事業団法案について、その提案理由及び内容の概要を御説明申し上げます。
この法律案は、平成七年二月二十四日の閣議決定「特殊法人の整理合理化について」に基づき、特殊法人の整理合理化を推進し、あわせて私立学校教育の振興に資するため、日本私学振興財団と私立学校教職員共済組合を統合し、日本私立学校振興・共済事業団を設立しようとするものであります。
この法律案におきましては、日本私立学校振興・共済事業団に関し、その目的、組織、業務、財務及び会計、監督等について所要の規定を設けるとともに、私立学校教職員共済組合法の私立学校教職員共済法への改組等について規定することといたしております。
その内容の概要は次のとおりであります。
まず第一に、日本私立学校振興・共済事業団は、私立学校の教育の充実及び向上並びにその経営の安定並びに私立学校教職員の福利厚生を図るため、補助金の交付、資金の貸し付けその他私立学校教育に対する援助に必要な業務を行うとともに、私立学校教職員共済法の規定による共済制度を運営し、もって私立学校教育の振興に資することを目的とするものであります。
第二に、日本私立学校振興・共済事業団は、法人といたしますとともに、役員として、理事長一人、理事十二人以内及び監事二人以内を置き、理事長及び監事は文部大臣が、理事は文部大臣の認可を受けて理事長が、それぞれ任命することとし、その任期はいずれも二年としております。また、法人運営の適正を期するため、理事長の諮問機関として、業務の運営に関する基本的事項について審議する運営審議会を置くとともに、共済業務について、その適正な運営を図るため共済運営委員会を、また、共済制度の加入者の資格に関する決定等に対する不服を審査するため、共済審査会を置くことといたしております。
第三に、日本私立学校振興・共済事業団の業務については、私立学校教育に対する援助業務として、学校法人に対する補助金の交付、私立学校等の経営等に必要な資金の貸し付け、私立学校教育の振興事業を行う者に対する助成金の交付、私立学校教育の振興のための寄附金の募集、管理及び学校法人等に対する配付、私立学校の教育条件及び経営に関する情報収集、調査研究及び指導等の業務を行い、共済制度の運営業務として、加入者またはその被扶養者の病気、負傷または出産等に関する短期給付、加入者の退職、障害または死亡に関する長期給付、加入者等の福祉を増進するための福祉事業等の業務を行うことといたしております。
第四に、日本私立学校振興・共済事業団の財務及び会計、監督等について、一般の特殊法人の例に倣い所要の規定を設けることといたしております。
第五に、附則において、私立学校教職員共済組合法の一部を改正し、私立学校教職員共済法として私立学校教職員共済制度に関する法律に改組することといたしております。これは、私立学校教職員共済制度の内容や社会保険制度としての位置づけは維持しつつ、共済制度の管掌者を従来の共済組合から日本私立学校振興・共済事業団に変更し、また、従来の「組合員」を共済制度の「加入者」とするなど所要の改正を行うものであります。
このほか、社会保険関係各法の一部改正など、両法人の統合に伴う所要の措置を講ずることといたしております。
以上がこの法律案の提案理由及びその内容の概要であります。
何とぞ、慎重御審議の上、速やかに御賛成くださるようお願いいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/89
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090・清水嘉与子
○委員長(清水嘉与子君) 以上で趣旨説明の聴取は終わりました。
本案の質疑は後日に譲ります。
本日はこれにて散会いたします。
午後三時二十四分散会
—————・—————発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/114015077X00719970415/90
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