1. 会議録本文
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000・会議録情報
令和四年六月七日(火曜日)
午前十時開会
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委員の異動
六月二日
辞任 補欠選任
竹内 功君 山下 雄平君
六月三日
辞任 補欠選任
高橋はるみ君 山崎 正昭君
伊波 洋一君 高良 鉄美君
六月六日
辞任 補欠選任
山崎 正昭君 高橋はるみ君
六月七日
辞任 補欠選任
高橋はるみ君 堂故 茂君
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出席者は左のとおり。
委員長 矢倉 克夫君
理 事
清水 真人君
高橋 克法君
有田 芳生君
安江 伸夫君
川合 孝典君
委 員
岡田 広君
加田 裕之君
堂故 茂君
中川 雅治君
福岡 資麿君
森 まさこ君
山下 雄平君
真山 勇一君
石川 博崇君
東 徹君
山添 拓君
高良 鉄美君
嘉田由紀子君
事務局側
常任委員会専門
員 久保田正志君
参考人
法政大学大学院
法務研究科教授 今井 猛嘉君
専修大学文学部
ジャーナリズム
学科教授 山田 健太君
龍谷大学法学部
教授 石塚 伸一君
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本日の会議に付した案件
○刑法等の一部を改正する法律案(内閣提出、衆
議院送付)
○刑法等の一部を改正する法律の施行に伴う関係
法律の整理等に関する法律案(内閣提出、衆議
院送付)
─────────────発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/0
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001・矢倉克夫
○委員長(矢倉克夫君) ただいまから法務委員会を開会いたします。
委員の異動について御報告いたします。
昨日までに、竹内功君及び伊波洋一君が委員を辞任され、その補欠として山下雄平君及び高良鉄美君が選任されました。
また、本日、高橋はるみ君が委員を辞任され、その補欠として堂故茂君が選任されました。
─────────────発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/1
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002・矢倉克夫
○委員長(矢倉克夫君) 刑法等の一部を改正する法律案及び刑法等の一部を改正する法律の施行に伴う関係法律の整理等に関する法律案の両案を一括として議題といたします。
本日は、両案の審査のため、三名の参考人から御意見を伺います。
御出席いただいております参考人は、法政大学大学院法務研究科教授今井猛嘉君、専修大学文学部ジャーナリズム学科教授山田健太君及び龍谷大学法学部教授石塚伸一君でございます。
この際、参考人の皆様に一言御挨拶を申し上げます。
本日は、御多忙のところ御出席いただき、誠にありがとうございます。
皆様から忌憚のない御意見を賜りまして、今後の審査の参考にいたしたいと存じますので、どうぞよろしくお願いいたします。
次に、議事の進め方について申し上げます。
まず、今井参考人、山田参考人、石塚参考人の順にお一人十五分以内で御意見をお述べいただき、その後、委員の質疑にお答えいただきたいと存じます。
また、御発言の際は、挙手をしていただき、その都度、委員長の許可を得ることとなっておりますので、御承知おきください。
なお、御発言は着席のままで結構でございます。
また、各委員の質疑時間が限られておりますので、御答弁は簡潔にお願いをいたします。
それでは、まず今井参考人にお願いをいたします。今井参考人。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/2
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003・今井猛嘉
○参考人(今井猛嘉君) 皆様、おはようございます。御紹介いただきました法政大学の今井でございます。
本日は、本委員会で意見陳述を行う機会を与えていただき、大変光栄に存じます。
刑法等一部改正法案、以下、これを改正法案と略称しますが、そこには数多くの建設的な改正案が含まれています。
私からは、レジュメに沿いまして、次の二つの事項に絞り意見を申し上げます。その第一は、罪を犯した者の改善更生、再犯防止に向けた処遇をより一層充実させるための諸制度の導入であります。その第二は、侮辱罪の法定刑の引上げです。
レジュメの二の方、まず第一の点について意見を申し述べます。
まず、二の一の部分でありますが、改正法案は、現行の懲役、禁錮を廃止し拘禁刑を創設すること、拘禁刑の受刑者には、その改善更生、再犯防止を図るため作業を行わせ又は必要な指導を行うことができるものとしています。
これは、現行のいわゆる自由刑という制度を抜本的に改正するものですが、拘禁刑受刑者に対して作業又は指導を行うことができること、その趣旨は受刑者の、繰り返しになりますが、改善更生、再犯防止を図るためであることが明記されたという点は大いに評価されます。
作業又は指導は拘禁刑としての刑罰の内容に相当しますが、いかなる不利益賦課を刑罰として理解するかについては、刑罰の正当化根拠、すなわち刑罰目的論との関係で整理する必要があります。
この点がレジュメの二の一に書いてあるものでありますが、皆様御案内のことかと思いますが、若干説明させていただきます。
応報刑論というものは、犯罪とは一定の規範に違反することであり、刑罰は当該規範違反を是正するため又は正義を確認するための反作用であり、刑罰を科すことでどのようなメリットがあるかを問うことなく、犯罪の程度に比例した不利益処分を科すことを認める見解です。この理解は、犯罪による法益侵害の質と量を超えた刑罰を科すことはできないという比例性原則を導く点では優れています。しかし、刑罰を科すことにより期待されるメリットには着目されないため、刑罰の具体的内容を検討する際の道具概念としては不十分です。
そこで、従来から、刑罰を科す目的は何かという、より目的論的思考が展開されてきました。その中で、刑罰を科す目的は、受刑者の再犯予防にあるとする抑止刑論、拘禁中は受刑者による犯罪が制御できる点に価値を見出すとする無害化論、受刑者を犯罪をしない市民として社会に復帰させる点に価値を見出す社会復帰論などが主張されてきました。
これらを整理しますと、目的刑論という大集合の中に他の三つの小集合が含まれており、抑止刑論と無害化論は相互に独立して主張可能ですが、そのいずれもが社会復帰論と接続可能だということになります。したがって、刑罰内容を具体的に規定する際には、抑止刑論と無害化論の視点がとりわけ重要となります。
抑止刑論からは、受刑者にその再犯を予防するのに資する様々な措置の義務付けが導かれます。それは、例えば他者、特に潜在的被害者の視点の理解を促進するための認知行動療法や、経済的困窮から犯罪に出ることを防止するための職業訓練的な措置です。職業訓練的措置には一見すると有償役務の提供のように見えるものがあるかもしれませんが、労務提供がなされているわけではありませんので、強制労働との評価は妥当しないと思われます。
他方で、無害化論からは、一定期間、受刑者を社会から隔絶された施設に収容することで、その間の犯罪実行を物理的に不可能にするということが正当化されます。
このように考えますと、改正法案が拘禁刑の内容として想定する作業又は指導を受けることは、不利益的制裁として適切な事項を選択するものであると評価できます。
次に、二の二に移ります。
懲役、禁錮は、受刑者の自由を制約する処分として、従来、自由刑と呼ばれてきました。しかし、この名称では自由を付与するとの語感もあるため適切でないとの指摘、また過酷な制裁を科すことを当然視するかの時代がかった語感もあるとの指摘がかねてよりありました。
受刑者の自由の制約は受刑者が拘禁される結果として生じるものですから、端的にこの関係に着目して拘禁刑と表現することは、国際的な用語法にも一致する適切なものだと思われます。改正法案では、拘禁の目的は、繰り返しになりますが、改善更生と再犯防止に求められています。受刑者の再犯を抑止することは、抑止刑論と、また社会復帰論にも対応しています。また、拘禁中に個々の受刑者の特徴を踏まえ、犯罪抑止に効果的と思われる処遇である作業又は指導を義務付けることは、これも抑止刑論と社会復帰論から正当化できるものであります。以上の点は重要な点と思われますので、重ねて申し上げる次第でございます。
次に、レジュメの二の三に移ります。
刑の執行猶予制度の拡充でありますが、改正法案では、これを含めて数多くの生産的な提言がなされていると思われます。
まず、この刑の執行猶予制度に関わるものでありますが、例えば再度の執行猶予の適用範囲の拡大が提案されています。これは、刑法第二十五条第二項本文の一年を二年にするとの改正案ですが、これによりまして裁判所にとって執行猶予を選択する可能性が広がり、個々の事案への適切な対応を可能にするものであります。
すなわち、再度執行猶予に処せられると、その取消しがなされ拘禁刑が執行されることがないように、受刑者は日々の生活の中で、受刑者といいますか有罪認定された者は日々の生活で一層の注意を払うことから、犯罪抑止効果も期待できます。また、社会内処遇が継続されますので、家族、勤務先等のリエゾンが切断されることもなく、社会復帰への努力が無駄にならないという点でも有益でありますので、このような改正は支持できると思います。
また、猶予期間満了後の刑の執行の仕組みも考察されて、提案されております。詳細は既に御案内のことかと思いますが、このような執行猶予の取消しという不利益を考慮した再犯防止効果を執行猶予期間満了まで維持することは本来もっと早く検討されるべき事項であったと思われますが、今回の改正は適切だと思います。
再度の保護観察付執行猶予を受けた者に対する処遇の強化、ここも時間の関係で詳細は申せませんが、社会復帰を円滑に、かつ適切に行っていくために保護観察の一層の充実というものは避けては通れない課題であり、適切な御提案だと思っております。
レジュメの二の四のところも同じような評価が妥当しますが、項目だけ述べさせていただきます。
受刑者に対する施設内・社会内処遇の手法の改善策でございますが、具体的には、受刑者等の内省を深めさせるよう被害者の心情を受刑者等に伝達する施策、出所後の支援が必要な刑執行終了者等に対する一層の援助等が提案されています。いずれも、これも先ほどの刑罰目的論から推察しても理解可能な施策であります。刑の再犯を抑止し、社会に復帰させるためには、ただ懲役を、従来の言葉で言う懲役を科せばいいというものではありませんで、個々の受刑者に応じた手厚いテーラーメードの施策が必要であり、そのようなものを実現する御提案だと思っているところでございます。
時間の関係がありますので、レジュメの裏面に移らせていただき、侮辱罪の法定刑の改正について意見を申し述べます。
結論としまして、私は、ここに書きましたように、今回の改正案は時宜を得たものと考えております。その根拠を申し上げますが、まず立法事実でございます。この提案には、それを基礎付ける立法事実が存在すると思われます。御案内のように、近時、SNS等を用いて特定人に侮辱的表現が集中してなされ、その方がお亡くなりになるという痛ましい事件が起きました。その結果、二名の方が科料九千円に処せられましたが、これが適切な事件処理であったか、様々な意見が示されているところであります。
そこで考えますと、侮辱罪の保護法益は名誉毀損罪のそれと同じであります。いずれも、人の外部的名誉としての事実的名誉、すなわち社会で現に通用している、人に対する積極的な評価が保護法益です。この法益が公然と事実を摘示する方法により侵害される場合には名誉毀損罪が成立し、事実摘示はないが表現が公然となされる場合には侮辱罪が成立するものと解されています。保護法益が両者で同じであるならば、侮辱罪の現在の法定刑は名誉毀損罪のそれと比べて低過ぎるのではないかが問題となります。
この問題状況から侮辱罪の科刑状況を確認いたしますと、これは先生方既に御案内のところだと思いますが、法制審議会刑事法部会で配付された統計資料等によりますと、従前は侮辱罪による立件、処罰、確定した判決は数少なかったものでありますが、例えば、平成二十八年から令和二年までは有罪認定された者のうち拘留に処せられた方はおられません。ここからは、そうした有罪認定者の刑事責任が軽かったという解釈と、拘留には執行猶予を付すことができませんので、短期間とはいえ拘禁することを裁判所がちゅうちょしたとの解釈が可能です。後者の観点からは、執行猶予が可能な刑種を追加しようとする改正法案の選択は支持されます。
他方、科料に処せられた者は合計百二十名で、一年平均約二十四名でありますが、それらの方の九割以上の方が九千円以上の科料に処せられています。科料は一万円未満の罰則でありますから、侮辱罪で有罪認定された方を科料で対処することはそろそろ限界に近づいているという評価も可能であります。その点を考えますと、罰金刑を追加するという必要は認められまして、改正法案は妥当だということになります。
次に、三の二に移ります。
改正法案には批判的意見も多く寄せられておりまして、ここが大変難しいところかと存じております。
そこで、若干検討いたしますが、第一の批判といたしましては、侮辱罪の刑に懲役刑を追加すれば表現の自由を脅かすことになり、不適切であるというものがあります。これは傾聴に値する御意見でありますが、その御意見の中で、侮辱罪に刑法二百三十条の二に相当する規定を導入すべきであるという主張もなされています。ここも、なるほどと思う点がありますが、後でもまた説明する機会があるかと思いますが、刑法二百三十条の二に相当する規定を導入しますと、過失名誉毀損罪及び過失侮辱罪なるものが処罰されることになります。過失によって侮辱罪まで処罰するのか、これは過剰な処罰範囲の拡張であると考えますので、私としては刑法三十五条による対処を支持したいと思います。
刑法三十五条は正当行為につき違法性の阻却を認める規定ですが、違法性の阻却は行為により優越的な利益が保護される結果が生じた場合に認められます。具体的には、侮辱的表現がなされた場合、対象者の事実的名誉が害される危険が生じますが、他方で、代表民主制の基礎となるべき自由な意見公表がなされたと言われる場合には、表現の自由として憲法二十一条の保護を受ける行為がなされているわけでありますから、優越的利益があると認められ、正当行為として違法性が阻却されると思います。
違法性阻却が認められない場合でも、直ちに侮辱罪で処罰されるわけではございません。表現をした者の責任が阻却される場合はなお考えられます。
侮辱罪では、名誉毀損罪と異なり摘示事実の具体性は要求されていませんが、事実を摘示する際に、すなわち表現の前提となる事実を確認する際に、表現者がその真偽をできるだけ調査し、真実であると思って当該事実を摘示した場合には、誠実な事実調査に基づく表現であり、侮辱的表現をしているとの認識が欠けますので、侮辱罪の故意が阻却されるということになります。この点も留意していただきたいと存じます。
第二の批判的な見解といたしまして、インターネット上の誹謗中傷被害には、民事上の救済手段を一層充実させて対処すべきであり、侮辱罪の法定刑を加重する必要はないとの批判がございます。これも大変傾聴に値するものでありますけれども、日本ではなかなかこの基礎が欠けていると思います。
後で、次に説明するように、例えばイギリスのように侮辱的行為に対する民事的な制裁が十分機能していて、オーバースペックになっているような国においてはこのような主張が受け入れられる余地がありますが、日本ではそうではありません。
そこで、イギリスのことを若干申し上げます。
イギリスにおきましては、近時、侮辱罪が廃止され、他方で、侮辱に係る民事訴訟法の改正もなされております。これは、イギリスにおきまして非居住者同士の名誉毀損に係る民訴が大量に提起されまして、これは行き過ぎではないかということで、まず民事訴訟法が改正されました。具体的には、侮辱に係る民訴の提起の要件において、被告の表現により原告に重大な損害が発生する可能性があったということが規定されました。
これと併せまして、既に古くなったコモンロー上の侮辱に整理されていた犯罪四つが廃止されました。コモンロー上の犯罪というのは大変古い歴史を持っておりますが、表現の自由への配慮が当然ながら不足していた時代の残滓と言われていたもので、早晩廃止が必要と言われていたものをこの機に廃止したものでございます。
こうした一連のイギリス法の改革に着目しますと、日本とは異なる歴史的、文化的背景に由来する改正であったと思われ、日本法に直ちに導入することはできないと思います。すなわち、国王等政治権力に対する批判を過酷に弾圧するために用いられてきたコモンロー上の関連犯罪が存在した一方で、民事訴訟による損害賠償請求も活発で、あるときには目に余る濫訴的な利用もなされている社会においてはこのような改正も受け入れられる余地があると思います。
翻って、日本には、名誉毀損ないし侮辱的表現が民訴により抑止されるという状況は存在しません。そのため、そうした表現に対する刑事法的抑止力の強化が要請されると思います。
最後に、三の三でございます。
今述べたとおりでございますが、私は、このように日本における侮辱的行為を抑止するためには刑罰を使うことが必要であり、かつ、法益を同じくする名誉毀損罪との比較からも、法定刑の引上げが正当であると思うところでございます。
最後、少し駆け足になりまして大変失礼いたしましたが、私の意見は以上でございます。
御清聴、誠にありがとうございました。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/3
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004・矢倉克夫
○委員長(矢倉克夫君) ありがとうございました。
次に、山田参考人にお願いいたします。山田参考人。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/4
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005・山田健太
○参考人(山田健太君) おはようございます。発言の機会をいただきまして、ありがとうございます。専修大学ジャーナリズム学科の山田健太です。
本日は、主として侮辱罪の在り方につきまして、言論法の立場から意見を申し述べさせていただきます。
皆さん、スマートフォンはいつ買われましたでしょうか。思い出していただければ、東日本大震災のときには、まだほとんどの方が携帯自体を持っていないか、持っていてもガラケーと呼ばれるような携帯電話でした。それが二〇一五年には半数を超え、同時にSNSが広く普及し始め、それとともにネット上での誹謗中傷が社会問題となってきたわけです。あえて言えば、ここ五年ほどの新しい社会問題と言えます。これに対し、よく野放しとか無法地帯という言い方がされています。今回の法改正も、ようやく法がネット対応してくれるという声も紹介されております。
しかし、果たしてそうでしょうか。ここ一、二年の間に急速にインターネット上の法整備が進んでいます。昨年、プロバイダー責任制限法が改正され、今年一月からは具体的な運用も始まっています。警察庁や総務省が主導する業界とともに行う共同規制も、より細やかに、そして広範囲に、更に強力に運用が始まってもいます。プラットフォーマーも、ようやくではありますが、自らを表現者として認識するに至り、扱う情報に社会的責任を負うことを公的にも表明し、また人もお金も掛ける形で自主的な取組も始めています。
さらに、フェイクニュースに惑わされないぞといったユーザーの意識も大きく変わりつつあります。まさに今、ネット環境は急速に変わっているのです。確かに、デジタル庁もできてまだ一年ということになると思います。
新しいデバイスであるスマホ上で、新しいメディアであるSNSにおいて、行き過ぎた表現があることは事実です。しかし、残念ながら、みんなが幸せな環境を享受するような秩序が整うまでの間、多少の混乱をするのは新しい技術が誕生した時期の宿命であり、私たちが通らざるを得ない道です。そのときに過剰反応して必要以上の規制をつくることは、そのメディアの良さを殺すことにもなりかねませんし、社会全体のバランスを損なうことにもつながります。今回の場合でいえば、何よりも問題は、表現の自由の話であることにあります。今日現在、ネットは決して無法でも野放しでないことをまずは冷静に見詰め直していただければと思います。
もちろん、インターネット上の誹謗中傷で苦しむ方々を少しでも減らしたいと思うのは当然であります。その一つの方策として、法規制を強化することによって犯罪行為を抑止するという選択肢は確かにあります。一方で、既に本国会でも多くの指摘があるとおり、そのデメリットにどのようなことがあるかについてはよく吟味する必要があります。
一般に、法規制、とりわけ刑事罰を重くすれば犯罪の抑止につながり、発生件数は減少するでしょう。これは間違いありません。しかし一方で、そのために私たちの社会のゴールである民主主義が壊れることがあってはなりません。目の前の個別具体的な被害の救済はとても大切なことでありますが、それによってより大きな社会的損失を生むことがあってはならないのです。とりわけ、今回の場合、その壊れる可能性があるのは、民主主義社会の根幹である言論の自由、とりわけ批判の自由です。
昔から、表現の自由はガラスの城に例えられてきました。それは、一旦ひびが入ると、それがどんなに小さい傷であっても徐々に広がり、そして最後には全体が壊れてしまうという性格を持っていること、そして一旦入ったひびは修復できないことを指し示しています。取りあえず一旦試しにやってみて、もしうまくいかなかったら後でやめればよいというわけにはいかないのです。一度失われた表現の自由、批判の自由は元に戻らないことを私たちはこれまでの歴史から学ばなくてはなりません。
最初に、一ですが、批判の自由は民主主義の根幹であることについて確認をさせていただきたいと思います。
表現の自由が民主主義社会の基盤を成すことについては、ここで改めて言うまでもありません。その中で、批判の自由の拡大の歴史こそが表現の自由の歴史でもあります。
日本に限定してお話をするならば、戦後、現在の憲法が制定され、名実共に表現の自由が保障される時代を迎えました。同時に、刑法の名誉毀損罪には新たな条項が加わります。二百三十条の名誉毀損罪の追加条項である二百三十条の二の免責要件と言われるものです。これによって、たとえ為政者を批判しても、それが公共性、公益性を有し、真実であることを証明できれば、その自由な批判を保障することが定められたわけです。
それまでは、天皇、政治家、高級官僚を批判することは罪でした。むしろ、事実であれば事実であるほどその罪は重かったとも言えます。しかし、戦後、百八十度異なり、民主主義社会のためには、公人を自由に批判できる環境こそが大切であるとされたのです。その後、判例上でも批判の自由の範囲は徐々に広げられ、今日に至っています。
そして、国際的な潮流でも、国連自由権規約委員会の一般的意見でも、名誉毀損等については非犯罪化を検討すべきといった見解も出されているところであります。それは、国家の判断で、為政者を批判する発言を刑事罰で厳しく取り締まることの危険性が大きいことを表しています。にもかかわらず、今回の改正は、こうした流れに真っ向から逆らうものでもあると言えます。
日本の場合、いわゆる広義の名誉毀損法制は、中核の名誉毀損罪のほか、威力業務妨害、信用毀損、そして侮辱です。この侮辱罪は、名誉毀損罪の弟分のような存在ですが、事実の摘示がない抽象的な表現を幅広く対象にする代わりに、制裁である罪を極力軽くし、バランスを取ってきました。これは明治の制定時からの制度設計です。
同時にまた、名誉毀損自体も、公権力の行使を抑制的にすることで表現の自由への配慮を実現してきました。侮辱罪についても同様で、しかも侮辱の範囲が曖昧であるがゆえに、より恣意的な権力行使が可能であることを考慮し、より慎重な運用がなされてきた結果、既に審議されているように、過去の検挙件数が少ないという結果を生んできたわけであります。
今回の法改正は、こうした制度設計や運用を大きく変更するもので、名誉毀損と大きく変わらないような罰則に強化するにもかかわらず、その定義は曖昧なままで、しかも免責要件を有しないという意味では三重の過ちを犯していると言わざるを得ません。
二つ目には、大衆表現こそ一般市民の大切な表現活動であるということについてお話をしたいと思います。
今般、審議に何度か登場してくるやじ行為、あるいはデモや集会、立て看やポスター、チラシなどは、一般に大衆表現と呼ばれるものです。別の呼び方としては、原始的表現、プリミティブ表現と呼ぶこともあります。一般市民がお金や手間を掛けることなく、メディアを持っていなくても気軽に行使可能な表現形態であります。SNSも、時にネットデモと呼ばれることがあるように、今日的な大衆表現という側面を持ち合わせています。
この表現行為の特徴は、ショートメッセージであることが多く、また感情的な表現になるような場も多いと言えます。その結果、時には言葉が激しくなったり汚い言葉になったりもします。会社を首になった労働者が社長に抗議する場面などが当たります。そして、政府や政治家に対する抗議活動も同じです。国会や官邸前でも、あるいは沖縄の地でもよく見かけるところであります。
そうした激しい表現活動が特別な感情を社会に植え付けている側面を否定できません。もしかすると、それは政治家である皆さんにも共通しているのではないでしょうか。言わば、やじ、デモ、チラシへの偏見です。大衆表現について、一般社会から逸脱した人の行為である、負け犬の遠ぼえだ、金で動く人たちでプロ市民だ、一部過激派の運動にすぎないなどなどです。
なぜ迷い猫を捜しての張り紙がオーケーで戦争反対はNGなのか、もう一度立ち止まって考えてみる必要があります。そば屋の宣伝チラシはよくて政党活動報告が駄目なのはなぜなのかであります。同一線上に問題とされる侮辱表現行為があります。
そして、こうした運用上の差異を生むのは、取り締まる者、すなわち行政の恣意的な判断となっています。新聞やテレビを直接制約するのは好ましくないけれども、面倒くさくてうるさい大衆表現は多少厳しめに制限しても構わないという意識が世間一般にないでしょうか。
侮辱罪の適用対象は、多くの場合、こうした大衆表現であります。実際、法制審でも、侮辱的表現は低位な表現で保護する必要がないという発言があり、それが部会の空気を支配しているような印象さえ受けました。
表現の自由は必ず周縁から制約が始まります。言わば、社会の空気感で多くの人が気にしないところからです。まさに、侮辱表現であることを理由に大衆表現が恣意的に刑事罰の対象として取り締まられることは、表現規制の典型例でもあり、批判の自由の制限の始まりであります。
三つ目は、表現規制の特徴である曖昧さは自由拡大の方向で使うことの徹底であります。そして、法規制は最後の手段であることを、これまで私たちが守ってきた大原則でもあるということをお伝えしたいと思います。
さきにも触れましたが、侮辱は低位とのラベリングがなぜ危険かといえば、誰がどういう状況で言うかを考えると想像付きます。
確かに、強者から弱者への侮辱的言動は許し難いものです。その一つが、ネット上のマジョリティーの側から発せられるマイノリティーへの人格否定や罵詈雑言です。実際は情報発信者自身も社会の強者とは言えない、必ずしも言えない場合も少なくないのですが、匿名という殻に守られていることで強者の立場に立てるという構図が生まれています。
一方で、弱者から強者への典型が、一般市民から政治家、労働者から使用者、マイノリティーからマジョリティーへといった発言です。それらは、往々にして言葉が多少汚くなることも強い表現になることもあります。しかし、それらの多くは、勇気を振り絞り、やっとの思いで口にした、言わば心の叫びとでもいうべき必死の抵抗でもあるわけです。その場合、強者は、反省のきっかけにこそすれ、それを力で封じ込めることがあってはならないのです。
それを考えた場合、両者にもし同じルールを当てはめるならば、後者の心の叫びが罰せられないようにすることが大切なことは言うまでもありません。これまで罪をあえて重くしてこなかった理由を私たちは思いをはせる必要があります。こうした少数者の意見が出やすくすること、強者に対して物言いがしやすい環境を用意しておくこそが、民主主義の懐の深さでもあります。
言うまでもありませんが、もう一つの後者の発言を守る方法が免責要件と言われているものです。これについてはレジュメ右側のお手元の図を参考になさってください。
①は、一般的な刑事罰のありようで、境界線を境に、やっていいことと悪いことがはっきりしていることを表しています。そして、②のように、一線を越えると罰せられます。しかし、③で分かるように、表現活動の場合は、限界線が明確でないため萎縮効果が働き、手前で自制するのが一般的であります。そこで、④にあるように、批判の自由を最大限行使できるように、限界を超えられる工夫を施しています。これが免責要件です。その結果として、⑤に見られるように、目いっぱいの批判が可能になるわけです。ただし、往々にして、行政等が新たな限界線、境界線を本来よりも手前につくることがあります。これが⑥の状況と言えます。
それからすると、今回の侮辱罪の強化は、適用対象を変えていないということでは限界に変更がないというのが政府説明でありますが、実態として、政府が同時に繰り返し説明しているように、抑制効果を期待しているというわけですから、まさに壁自体を手前にずらす効果を生むことになるわけで、最もやってはいけないことであることが分かると思います。
この意味するところは、今回の改正が、批判の自由拡大のための工夫の成果である免責要件を有しないという危うさを持つだけでなく、罰則の強化ということによって全く逆に自由の限界線を引き下げる効果を生むという意味で大きな欠陥があると言えます。しかも、行き過ぎた表現行為に対処する場合には法規制は最後の手段であること、どうしても必要な場合もより制限的でない方法を取ることも、規制ルールの大原則としてこれまで国会が守ってこられた大切な規範です。
最初にお話ししたように、この一年で様々なネット表現ルールの改定がなされ、その効果も検証がされていないうちに最後の手段に踏み込むのは、勇み足と言われても致し方ないのではないでしょうか。
さらに、本当はもう一つ、民事訴訟を含めた表現活動に対する影響についてもお話をしたかったのですが、この点については、時間が参っているようですので、また別の機会にとさせていただきます。
以上、今般の刑法改正が持つ民主主義社会への影響、表現の自由への関係についての大きな話をさせていただきました。
私は、本法案に反対の立場であり、いま一度ゼロベースから誹謗中傷抑制のために何が必要なのかを議論いただきたいと思うわけでありますが、もし改正案が成立した場合においても、その運用において誤った方向に進み、私たちが大切にしてきた民主主義社会が揺らぐことがないよう、様々な運用可能性を十分に吟味し、可能な限り事前に歯止めをつくっておくことも立法作業の重要な役割であると思っております。
また、個別具体的な法条文の問題については、正当行為で運用上免責され得るのかとか、繰り返し確認されている適用対象が変わらなければ問題は発生しないのか、あるいは統一見解や衆院附帯決議にあったように現行犯逮捕されなければ問題は解消するのかなど、是非皆様からの質問の中で触れる機会があれば幸いです。最初に指摘した誹謗中傷対策として、より効果的な方法として今何をなすべきか、その解決策についても是非お答えができればと存じます。
委員長始め法務委員会の皆さん、今こそ良識の府である参議院の意義を発揮していただきたいと思います。政治家としての良心を示していただきたいと思います。
冒頭お話ししたように、目の前の声に過剰に反応することで、全体状況、森を見失うことは立法府が一番やってはいけないことではないでしょうか。皆さん方がこの七十七年間守り育ててきた民主主義を是非とも引き続き守っていただきたいと思います。皆さんの手で批判の自由を奪い、民主主義を壊すボタンを押さないでいただきたい。
自らの地位を守り、批判をさせないための悪法を作ったということを記録に残し、後世に引き継ぐことについてためらいを持っていただけると強く信じております。
以上で意見陳述を終わります。ありがとうございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/5
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006・矢倉克夫
○委員長(矢倉克夫君) ありがとうございました。
次に、石塚参考人にお願いをいたします。石塚参考人。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/6
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007・石塚伸一
○参考人(石塚伸一君) 龍谷大学の石塚と申します。よろしくお願いいたします。
研究者として呼ばれていますので、ポレーミッシュに議論したいと思います。
今井先生のレジュメを御参照いただきます。二の二の一のところです。
確かに、刑罰の目的は応報刑論と目的刑論に分かれます。刑罰論はこの二つで展開してまいりました。
本日、目的刑論の中で、刑罰は犯罪の抑止、無害化、社会復帰に役立つものであるという御発言がありました。そのとおりでございます。既に犯罪を犯した者がいて、その人が二度と犯罪を犯さないようにするためには、特別抑止、特定の人に対して犯罪を犯さないようにするという効果があります。閉じ込める無害化、威嚇する抑止、特別抑止と申します。社会復帰のための諸手段、これもそうです。
ただし、一般市民が犯罪を犯さないようにするためには、刑罰は一般抑止あるいは一般予防という効果があります。つまり、刑法典に明確にやってはいけない犯罪と刑罰が書いてあれば、字の読める教育の進んだ社会では犯罪を犯すということを思いとどまります。本日、今井先生のお話の中にはこの一般予防のことの言及がありませんでした。
そういう観点から見ますと、私が今日配付させていただいた資料は、まず一番目のところですけれども、刑事政策学研究者の声明と書いてあります。今井先生は刑法の大家でいらっしゃいますが、私どもは刑事政策の研究者です。日本の刑事政策は、明治以来、刑政仁愛主義。仁義礼智信の仁です。愛は愛情です。人を大切にしながら、人の道を大切にしながら愛情を持って罪を犯した人たちに接する、そういう原理で成り立ってまいりました。
陸奥宗光という政治家がいらっしゃいます。国事犯として刑事施設の中に収容されていた御経験があります。その方は、元老院に申し出て、蘆野徳林という方の、儒学者でいらっしゃいますけれども、「無刑録」、無いという字に刑罰、記録の録でございます、「無刑録」という古い本を復刻するようにというふうに提案し、これが日本の刑事政策にとって非常な重要な資源になっております。
「無刑録」には、刑は刑なきを期すと書いてあります。人を処罰するのは将来的に刑罰が要らなくなるようにするためだと、その意味では矛盾を含んでいるというわけです。私の中央大学時代の先生である、恩師である八木國之先生は常にそのことをおっしゃっていました。刑罰は刑罰であるがゆえに持続するのではなく、刑罰は最終的になくなることを目指した制度なのです。
戦後、この刑事政策に基づいていろいろな方法が講じられてきました。戦前、大きな失敗を私どもは刑事政策でしております。正木亮という矯正局長を務められた刑事政策家がいらっしゃいます。立派な方です。戦後は死刑廃止についていろいろと活動されまして、死刑は日本の恥だというふうにおっしゃっています。
その方は、戦前、労働改善法というナチスの法を、これはすばらしいという論文を書かれています。労働をもって人を改善するという考え方はすばらしいというのです。懲役刑に一元化して、労働によって、懲役によって人を改善すれば犯罪はなくなるという考え方でした。当時の時代の流れの中では、それはある意味真っ当なものであったと言えると思います。
しかし、戦後はこのような考え方は捨て去られました。労働は人を教育するためのものではありません。その人の自己実現をするための一つの方法でしかないわけです。そのような考え方が広がりまして、国連の被拘禁者処遇最低基準規則という、原則というのがありますが、これは一九七〇年頃の日本の監獄法、刑法改正のときに非常に大きな手本となったものです。
今から五十年前、まあ五十一年前、二年前になりますか、京都で会議が開かれました。国連の犯罪防止会議という会議です。そのとき日本は、アジアのリーダーになって、刑法を最低基準規則の方向に進めるということで、アジ研と呼ばれるアジア極東犯罪防止研修所で、そこでアジアの人々の矯正の力をアップするという努力をされてきました。
そして、二年前本当は開催するはずだったんですが、二回目の京都会議というのが開かれました。犯罪防止及び刑事司法会議という会議でしたが、そのときに、この拘禁刑の改正というのをなされるということを法務省は一切おっしゃっていません。なぜか。これは、まさに今の世界の矯正の流れに反しているのです。
私たち刑事政策の研究者が声明を出させていただいたのは、この法案が、刑法改正です、刑法の改正です、一般市民に刑罰とは何か、犯罪とは何かを告げるための法改正であるにもかかわらず、法文の出来が極めて悪いのです。極めて悪いのです。
先生方見ていただくと分かると思いますが、この私のレジュメの十一ページ、資料七と書いてありますが、今回の法案の拘禁刑についての十二条の規定がございます。十二条の一項は分かります。二項も、拘禁刑は刑事施設に拘置する。自分が犯罪を犯すと刑務所に入ることがあるんだな、分かります。
三項、御覧になってください。拘禁刑に処せられた者は、改善更生を図るため必要な作業を行わせ又は必要な指導を行うことができる。誰ができるのか。この文章を読んで、誰ができるのか分かる一般の国民はそうたくさんはいらっしゃらないと思います。私は改善の指導してほしいですよと言ったら、その方が認めていただけるという意味なのでしょうか。私は働きたいと言ったら、私は働けるという意味なのでしょうか。
これは、刑罰執行、すなわち行刑における法律の規制を解釈している者が読めば、これは刑務所長はが主語だということが分かります。刑務所長は、拘禁刑に処せられた者に対して、改善更生を図るため必要な作業を行わせたり、あるいは必要な指導を行わせたりすることができるというのは、刑務所長ができるということなのです。一般国民にこういう犯罪、こういう刑罰が科されますよということを示す刑法典です。刑法典にこのような規定を設けることは、極めて出来の悪い条文だというふうに私どもは考えました。
そこで、元に戻っていただいて、声明の中では、まず、この法案が提案された経緯について説明した後、国会においてこの法律案を真摯かつ慎重に御審議いただきたいということを要望しております。次に、刑罰制度に関しては、関連学界、まあ刑法学会です、刑法学会において科学的かつ真摯な検討、国民の議論を踏まえて変更の可否を検討すべきであると。
刑法学会に、今までの刑法改正の場合には、こういう改正をしますというふうに法務省の方から提案、作成者の方がいらして説明をされました。この前の処遇法ですね、監獄法の改正の際には、現在、検事総長の林眞琴氏がいらっしゃいまして、分科会で説明をされて、私も質問をしてお答えをいただきました。そういうことをした上で、刑法学者はこういう意見を持っているんだということを学ばれた上で法案を提出されるという経緯を踏んでいます。
ところが、今年は、今回の案は、三月に閣法として出たときに私たちは初めてこの法案を見ました。五月に刑法学会ありましたが、その際も、分科会の第三部会は刑事政策の部会ですが、その際に若干の説明があっただけで、法務省の方からの説明はありませんでした。是非慎重な審議をして、私どもがこの法案をもう一度検討する時間が欲しいということでございます。
法案の内容に関しましては、まず、三ページ、三という足下の番号がある(2)ですが、まず第一に、懲役刑が実際上重くなる可能性があるということです。先ほど申しましたが、懲役刑は、拘禁して、定役とかつては言っていましたけど、所定の作業を課す刑罰です。必要的です。必ずします。それに改善の指導をするということが加わるのかという、加わるのであれば重くなります。
第二番目に、禁錮刑と拘留刑は、身体を拘束する、刑事施設に収容するというだけの刑罰です。これがなくなるということでしたから問題はないように見えるんですが、違います。現に、拘禁刑や拘留刑、先ほどお話ありましたけど、拘留刑はほとんど科されていませんけれども、禁錮刑や拘留刑に処せられている現在の受刑者の方、その方にとっては、同じ類型の行為を犯した方にとっては重罰化になるんです。
じゃ、どういうときに禁錮刑は使われているかというと、あの池袋で大きな事故を起こした年配の方、九十歳の方いらっしゃいました。あの方は自動車運転過失致死で刑罰科されましたが、禁錮刑を科されています。労働の義務付けをしていません。懲役刑ではないのです。これが何を意味しているかです。働けない人に働けということを強制するような刑罰は、やはりいけないのです。
次に参ります。
もう一つ、先ほど陸奥宗光の話をしましたが、刑法改正に際し、昭和四十九年に刑法改正草案というのが出ております。そこでもいろいろ議論がなされまして、自由刑を一元化するという議論がありました。しかし、そのときに最終的な結論は禁錮と懲役を分けて残すということでした。これは、国事犯に対して懲役刑を科すことは侮辱することになるからだということです。松尾浩也先生という法務省の顧問をされた先生が書いておられますが、国事犯があったので禁錮刑は残ったと書いておられます。これは、陸奥宗光のような人が懲役刑に科せられて刑務所の中に入ったとき、政治家が国を思ってあえて行ったような行為に刑罰が科されたときに、その人に労働を課したり改善のための教育をしたりするのでしょうか。
刑法は国の基です。今後、何年にもわたってこの国の基礎を守っていくわけです。現在の刑法は一九〇七年に作られた古い刑法で、明治四十年の刑法です。しかし、今までこの刑法はこの国を守ってきたわけです。この刑法を変えるのであれば、それだけの気概とそれだけの哲学を持ってほしいというふうに考えます。
私たちは研究者です。キルヒマンという方が、立法者が法の言葉を三言語れば汗牛充棟の書物がほごになるとおっしゃいました。研究を重ねてきていろいろな本を書いても、先生方が改正するとおっしゃれば私たちの研究は全てほごになります。是非慎重な審議をしていただきたいというふうに思います。
以上です。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/7
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008・矢倉克夫
○委員長(矢倉克夫君) ありがとうございました。
以上で参考人の御意見の御陳述は終わりました。
これより参考人に対する質疑を行います。
なお、質疑及び答弁は着席のままで結構でございます。
質疑のある方は順次御発言願います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/8
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009・高橋克法
○高橋克法君 今日は大変ありがとうございます。自由民主党の高橋と申します。
まず、今井参考人にお聞きをしたいと思います。
今井参考人は、犯罪者処遇に関する部会の委員であったと承知をしております。そこで、今回の拘禁刑の創設に関しまして、部会ではどのような意見があったのか、参考人が特に重要と思う意見を御紹介いただければと思います。今、石塚参考人からもるる指摘がございましたので、その辺のところも踏まえて、部会においてどのような意見があったのか、今井先生が特に重要と思う意見があったとすれば、それを教えていただきたい。以上です。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/9
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010・今井猛嘉
○参考人(今井猛嘉君) ありがとうございます。お答えいたします。
懲役刑と禁錮刑が併存している現在の状況を見ますと、禁錮刑については、石塚先生からもお話がありましたように、刑務作業が課せられません。それは、国事犯という名称で先ほど御説明ありましたけれども、当時の政治的状況を踏まえて懲役と禁錮を分けていたんだろうということがまず全体として理解されました。
しかしながら、その後ですけれども、まず、現実として、禁錮刑受刑者が非常に少なく、禁錮刑受刑者の大半は、約九割ほどは何も刑務作業をしないことに耐えられないということで、請願作業等を通じて、同じく、懲役刑と同じ、懲役刑受刑者と同じ作業に従事しております。そして、実証的にも、そのような作業をすることによって抑止効果が働き、社会復帰にも役立っているのが実態でございますので、この際、何のために受刑者を拘留しているかというと、社会に適切に戻すためであるということを考えますと、懲役型の自由刑に一本化した方がいいのではないかということで意見がまとまっていったと思います。
また、付言いたしますと、禁錮刑の趣旨は石塚先生御指摘のとおりでありますけれども、これは部会で大変多く出た意見ではありませんが、根底にあったと私が思いますのは、その政治体制を覆すようなために犯罪を行った人は名誉犯であるという考え方は従来はございました。しかし、代表民主政治の中において、革命を評価するような意味合いも持つような禁錮刑なるものは果たしてそれでいいのだろうかというのは、恐らく部会の委員、幹事の共通の了解事項であったと思います。
以上でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/10
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011・高橋克法
○高橋克法君 ありがとうございます。
石塚参考人にお伺いをします。
先生の先ほどの御発言の中で、先生は、刑罰の基本政策の変更について慎重な審議を求める刑事政策学研究者の声明、先ほどそれを基に我々に教えていただきましたけれども、その中で、先生の発言の中で、国際的潮流について反しているというようなこともございましたが、是非ともその国際的な潮流というのはどのようなものなのか、もうちょっと詳しく教えていただければと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/11
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012・石塚伸一
○参考人(石塚伸一君) ありがとうございます。
国際的な潮流の典型として挙げましたのはマンデラ・ルールズと呼ばれるものでございまして、これは被拘禁者最低基準規則の改定として出されたものであります。
この中で、今日の資料の中にお示しいたしましたが、マンデラ・ルールズの一部を引用しております。これは、監獄人権センターというところが仮訳で出しておりますが、十ページになりますが、規則の三というところで、犯罪を外界から隔離する拘禁刑その他の処分は、自由剥奪によって自主決定の、自己決定の権利を奪うものであり、まさにこの事実のゆえに犯罪者に苦痛を与えるものである、そして、それゆえ、その下になりますけれども、固有の苦痛を増大させてはならないというふうになっていますから、拘禁以外のものの苦痛を加えてはいけないと書いてあります。
その規則の四ですけれども、その一文のところで、刑罰を執行するとき、執行するときです、執行するときは、犯罪者を社会から守り、再犯を減少させること、今井先生おっしゃいましたように、隔離をすることによって犯罪を減少させること、これが目的ですというふうに言っています。そして、下のところですが、社会の再統合、まあ再統合という言い方最近しますが、社会復帰するための拘禁期間が確保、利用されなければならないと書いてある。
これは、刑罰を宣言する刑法と刑罰を執行する際の目的が異なることを意味しています。つまり、刑罰を宣言する目的と実際にそれを執行するときの目的、これは異なるということを示しています。つまり、宣告刑、裁判、その後執行と段階を経るごとに、一般予防的な宣告の意味と執行してその中で社会復帰をするということの意味合いは、だんだんだんだん重点が移動してくるというのが今の国際的な認識です。
こういう流れに、今回は刑法典に規定されるということですので、刑罰執行法、行刑法の中に書かれるんなら別ですけれども、流れに反しているというふうに申し上げました。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/12
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013・高橋克法
○高橋克法君 ありがとうございました。
余り時間がないので次の質問にさせていただきますが、今回、侮辱罪の法定刑が上がるんですが、法定刑が上がることによって公訴時効の期間も長くなります。
前々から、実はそのネット上のいろいろな誹謗中傷の問題で、実はネット上というのは、誰がネット上で誹謗中傷したかというのを特定をしなきゃならない。しかし、海外からのサーバーのものであると一年以上特定に時間が掛かってしまうという現実があって、実際にそれが行われても、どうせ一年以上掛かってしまったら公訴時効になってしまうからもう諦めてしまうと。そういう状況がたくさんあったというのは僕は現場の皆さんから聞いていたものですから、何とか公訴時効を延ばしてほしいんだと。そうすれば特定できる時間が、余裕ができますから、そのことによってそういった行動を抑えることができる。つまり、公訴時効が延びれば自分が特定されてしまう、罪に問われてしまうという抑止が掛かるので、何とか公訴時効を延ばしてほしいという声はたくさん寄せられていたんです。
ただ、それのために、今回、一年以下の懲役若しくは禁錮若しくは三十万円以下の罰金というのが付いたんですが、実は公訴時効を延ばすためだったら罰金のみ追加すれば公訴時効は延ばすこともできるんだけれども、今回は一年以下の懲役若しくは禁錮というのも付いたわけですね。
これは多分、名誉毀損罪の法定刑との問題というのが、関連というのがあるんだと私は思いますけれども、その辺のところについて、今井先生に、今回の侮辱罪の法定刑の引上げが、いろいろな側面から検討されてこのような形で引き上げられるんだと思いますけれども、その辺のところを少しお教えいただければと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/13
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014・今井猛嘉
○参考人(今井猛嘉君) 御質問ありがとうございます。
今先生もおっしゃられていたとおりかと思いますけれども、御説明したように、侮辱罪と名誉毀損罪の保護法益は共通であるというのが一般的な理解でございます。そうしますと、また両者の区分けが難しい場合もありますので、名誉毀損なのかなと思ったけれども侮辱罪で処理するしかないような事例も多々ございます。そうしたときに、今のままですと、拘禁刑がない侮辱罪と拘禁刑が付いている名誉毀損罪との間には断絶が大きいですので、連続的な科刑あるいは量刑判断を可能にするためには罰金だけでは足りず、一年という拘禁刑を付けることが適切だと考えられたのだと思います。
それから、先生が御指摘されました公訴時効の延長というものはとても大事なところですが、恐らく抑止的な効果というところはその公訴時効の延長からは自立的なものでありまして、より直截的なものは法定刑の引上げによって生じるだろうと理解しております。
以上です。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/14
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015・高橋克法
○高橋克法君 ありがとうございます。
今回の法定刑の引上げによって、現行犯逮捕について、これは衆議院における審議でも、また参議院における審議でも問題意識として大きく指摘をされていることです。私自身も、この問題がどういうふうになっていくのかというのは大変強い関心を持っています。
衆議院における審議の際に、侮辱罪に係る現行犯逮捕について、まあこれ参議院でもそうだったんですが、実際上は想定されないという政府統一見解が示されました。これについてもいろんな考え方、意見があろうかと思いますが、このことについて、それぞれ今井参考人、山田参考人、石塚参考人のお考えがあればお聞かせください。お願いいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/15
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016・今井猛嘉
○参考人(今井猛嘉君) お答えします。
私も衆議院の議事録拝見いたしましたが、そこで出されている懸念はごもっともなことだと思いますし、政府の回答も、それは適切なものだと思います。すなわち、現行犯逮捕は私人でもできますが、犯罪及び犯人の明白性ということが要件とされています。
侮辱として皆さんが御懸念されているのは恐らく政治的な表現に関わるものだと思いますが、それは、先ほど申し上げましたけれども、代表民主制の基礎となる、より保護がなされるべき発言でございますので、あの附帯決議により、警察官等の意識がそこを確認してくれることによって濫用的な現行犯逮捕はなくなるのではないかと思っております。
以上です。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/16
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017・山田健太
○参考人(山田健太君) 御質問ありがとうございます。
少し違った観点でお答えをしたいと思います。
問題は、実際に捕まるかどうかということと同様に、場合によってはそれ以上に萎縮が生まれることの問題だというふうに考えております。やじを飛ばせば捕まる、場合によっては懲役刑になる、最終的には有罪にならなくても、逮捕されただけでも前歴が残り、人生が大きく狂ってしまうということもあります。そうなれば、ますます声を上げることをためらうようになるのではないでしょうか。
それを思うとき、例えば、そうですね、法制審の中でのやり取りには、今思い出されました、そこでは、これまで日本社会において表現の自由の萎縮はなかったと取れるような発言がなされております。また、将来においても起こることはないとも言われております。言わば、前提となる状況認識が違っているということであります。
私の認識では、ここ数年の間だけでも多くの表現活動が押し込められている状況にあります。それはまさに萎縮と呼ぶにふさわしい事態だと思います。例えば、二〇一九年のあいちトリエンナーレがそうでした。その後も同様に、美術作品の展示会は中止や延期に追い込まれております。あるいは、ほかの美術展でも作品の撤去や一部変更が続いております。
こうしたことは、表現の自由の制約ではないという認識を前提にすれば、やじを止めることくらい何の問題もないというふうになるのではないでしょうか。問題を問題と意識、認識されない中で、こうした認識を前提にこの法案が理解される、あるいは運用されるということについての危うさを指摘をしておきたいと思います。
以上です。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/17
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018・石塚伸一
○参考人(石塚伸一君) 私、刑事政策ですので、その観点から申し上げますが、新たに法律ができ上がったり重罰化の法案が通ったりしますと、経済学の効用曲線のように、最初、非常に高い傾きで犯罪認知件数が増えます。それはなぜかというと、告訴、告発が増えるからです。
ところが、これが増え過ぎますと、捜査機関の対応能力がこれに追い付いてこないことになりますから、そうすると選別的に、これはすべきもの、そうじゃないものを分けていきます。
公訴時効、先ほどの現行犯との関係でいいますと、ネット上の記述についてはこれずっと残っちゃいますので、自分で消したいと思っても、プロバイダーに言ってもそう簡単には消してくれません。そうすると、犯罪状況はずうっと続くわけです。
こういう場合をどういうようにするかということで、衆議院でお話ありましたように、捜査機関が抑制的に運用するという、そういう宣言は分かりますけれども、非常に社会的要請が高いような事件であれば、これは逮捕になるかは別として捜査機関が動くという、そういう選別的な法適用というのは人々の法に対する信頼を損なうことになるので、適正な量の適正な告訴があるという状態をどういうふうにつくるかということが問題になるんだろうというふうに思います。
以上です。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/18
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019・高橋克法
○高橋克法君 ありがとうございました。終わります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/19
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020・有田芳生
○有田芳生君 今日はありがとうございます。
最初に、お三人の参考人の方、今井参考人から先ほどの発言の順番のとおりお聞きをしたいんですが、私はずっと法務委員会に所属をしていて、法律というのは物すごく国民の日常生活に密接に関わっているのにもかかわらず、法文を読むとなかなか難しくて分からないよというような一般的な理解があると思うんです。
それで、今度の改正案が成立したとしたら、お三人の皆さん方は、国民にとってこれはプラスになる改正なのか、あるいは非常に危ないものであるのかという、そのことを分かりやすく、特に侮辱罪との関係で御説明をまずお願いいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/20
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021・今井猛嘉
○参考人(今井猛嘉君) 大変難しい御質問だと思いますけれども、私としては、これができ上がったときには、国民の方々には良い法改正ができたとお話しすると思います。それは、侮辱というものが、例えば日常会話で言っているようなものから含めまして相手方の感情をずたずたにするような行為がありますけれども、やはり法定刑が上がったということにつきましては、意見を言うことは大事だけれども、相手方のことをよく考えて責任ある言論をするというのが常識なんじゃないのということを立法者は考えたんじゃないですかねということを伝えたいと思います。
以上です。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/21
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022・山田健太
○参考人(山田健太君) 御質問ありがとうございます。
一つには、この侮辱罪の対象が、先ほど発言をしましたように大衆表現だと、その可能性が高いんだということに大きなポイントがあろうかと思っております。したがって、日常的に侮辱罪を意識して生活をする人はほとんどいないと思いますけれども、いざ気が付いてみると、自分の発言が侮辱罪に適用されてしまうということが起きやすくなるということがあり得るんだということだと思うんですね。
例えばでいいますと、今、例えば具体的な訴訟でいうと、先ほど少し例も出しましたけれども、解雇された人がその労働争議の中で社長宅に押しかけていって抗議活動をするということが起きて、それに対して社長から、民事訴訟でありますけれども、名誉毀損の訴えがされるというようなことが起きて実際いるわけですけれども、そういうことがより具体的に目の前の問題として、名誉毀損は成立しないけれども侮辱罪なら成立する可能性があるというふうになれば、民事訴訟上でも様々なプレッシャーを受けることになってしまうということは今後考えられると思います。
ただ、それ以上に、今回の場合、非常に大きなポイントは、お話をしてきましたように、ずっと名誉毀損法体系というのは、名誉毀損も侮辱罪も含めての話ですけれども、法体系というのは自由を拡大する方向で動いてきたわけです、この七十七年間、日本では。それが今回明らかに逆方向に転換するということは、この侮辱罪自体はもしかすると適用例がそれほど増えないかもしれません。しかし、今後、いや、もうこれで方向は逆になったんだよと、名誉毀損法体系については厳しくしてもいいんだよという方向で動いていく、あるいは社会がそう認識するというのは、非常に大きな影響があるというふうに思っております。
以上です。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/22
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023・石塚伸一
○参考人(石塚伸一君) 今回行われるであろう提案されている改正は出発点でしかないのだというふうに思っております。
公訴時効を延ばすということは必要ですので、今の捜査の実態を鑑みますと、何らかの、この法定刑を上げるというやり方じゃなくても、特例法を作って公訴時効の期間を長くするという方法はあるので、それで達成できると思います。そのために刑を上げるというのは、本末が転倒しているというふうに理解します。
もう一つ、侮辱の根源というのは差別にあると思うんです。
今回の契機になった方も女子プロレスの選手の方でした。日本の歴史を見て、女性が格闘技をやるということに関して一定の差別的な意識というのが広まっていて、そちらが本体かもしれません。民族的な差別も含んで、今後日本が国際的な国になっていくときに、そういうヘイトクライムの問題についてきちんと対応する第一歩にすぎないと思うので、これで終わったというような形になるのだとすれば、それは、今回の法改正は国民にとって望ましくないものだというふうに理解します。
以上です。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/23
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024・有田芳生
○有田芳生君 今の侮辱罪の法定刑の引上げに関連して、また今井参考人から順番にお聞きをしたいんですけれども、懲役一年以下というのが加えられましたけれども、それに対する評価というものはどう考えられますでしょうか。あるいは、懲役一年を入れた意味というのはどういうことなんでしょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/24
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025・今井猛嘉
○参考人(今井猛嘉君) 懲役刑、今後拘禁刑になりますけれども、一年間拘禁されるということはやはり大変な不利益を対象者に与えるわけですが、そのような罰則があるということを鑑みまして、侮辱罪の重さというのをまず国民に広く理解していただきたいということですね。
そして、一年ですから執行猶予が付く可能性もありますけれども、それはそれとして、やはり繰り返しになりますが、名誉毀損罪と連動した法益を侵害する重大な犯罪であることの再確認を国民に求めているという意味では適切なことだと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/25
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026・山田健太
○参考人(山田健太君) 基本的には、この名誉毀損法制全てに関して懲役刑がふさわしいかどうかについて私自身は疑問を持っている立場にあります。
その上で、今回、侮辱罪が、懲役刑が入ったことによって侮辱罪の意味合いが大きく変わるということになっていると思います。
すなわち、これまでについては、ある種、まあ誹謗中傷といっても、曖昧な表現規制というのはいっぱいあるんですね。例えばわいせつでも、皆さん方、わいせつの定義というのはほぼ分からない。表現規制ってそういうものなんですよ。非常に分かりづらいんですね。侮辱も同じように分からないんです。定義が何もないんです。これは、全て裁判、司法の判断によって一定程度の積み重ねがあるにすぎないわけですね。
その非常に曖昧なものについてきちんと重たい刑罰を科するということは、表現行為そのものに対していわゆる大きな網を掛けるという意味で、全く違った意味合いを持つ法律条文になってしまうということについて是非お考えいただきたいなと思っております。
以上です。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/26
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027・石塚伸一
○参考人(石塚伸一君) 先ほどから出ている拘禁刑ですね、拘留刑なんかについてもそうですが、短期自由刑というのは百害あって一利なしだということについては刑事政策の常識になっています。
その短期は、一か月、三か月、六か月、一年という考え方があるんですけれども、一年の懲役刑の最高刑を言い渡すことは裁判所はないと思います。張り付き現象といいまして、刑罰の一番上に宣告刑が来るようなケースというのはすごく少ないんですね。
そうすると、これどう考えても、こんな侮辱したような人が一年の刑だというのは誰が考えても軽いじゃないですか、窃盗十年ですからね。そういう意味でいうと、侮辱についての評価が逆に有害性が低いんだという宣告をすることにもなるので、そこはじっくり考えなきゃいけないことですし、そのためには、この侮辱という構成要件が非常に、先ほど山田さんもおっしゃいましたけど、曖昧なので、規制がアンバランスになるのはそういうところに原因があるんだというふうに思います。
以上です。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/27
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028・有田芳生
○有田芳生君 それに引き続いて、現行犯逮捕の問題なんですけれども、これもお三方に伺いたいんですが、現場の警察官が最終的にその場で判断するわけですよね、政府統一見解があるにしても。
私は、ヘイトスピーチ解消法が二〇一六年にできて、翌日に警察庁が全国の警察官に通達を出したことは非常に喜んだんですが、だけど、現場の警察官というのは変わらないんですよ。この間も、五月二十九日に横浜でヘイトスピーチのデモがあって、私はそこにも行きましたけれども、現場の警察官は物すごく乱暴です。どけと体突き飛ばすとか、そういうことがずうっと続いていて、札幌のあのやじ事件についても、現場も私は行きましたし、当事者の話も聞きました。物すごく乱暴ですよ。
だから、確かに現行犯逮捕はないかも分からないけれども、萎縮効果というのは物すごく今後出てくると思うんですが、いかがでしょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/28
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029・今井猛嘉
○参考人(今井猛嘉君) どうお答えすべき質問なのか自体がちょっと難しいのですけれども、私たちが言えることは、特にここは法務委員会でございますので、こういう法律を作ったときに予想される規範的な効果ということしか言えないんだろうと思います。
その際には、繰り返しになりますけれども、既に衆議院であれだけ御議論があって、附帯決議が付き、そして多分警察庁の方、そして警察官の方にも伝わるようにブレークダウンして、何をしてはいけないのか注意事項が書かれてありますので、これは先生のおっしゃるよりは一歩進むメッセージなのかなと私は思っております。
ただ、御指摘のように、実情についてはまた別問題でございますので、そこは国会で検討していただければと思っております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/29
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030・山田健太
○参考人(山田健太君) 表現の自由の一番の基本は、好きなことを好きなときに好きなところで好きなタイミングで好きな方法で言えるということが表現の自由の一番基本的なルールです。
それからすると、この現行犯逮捕ができるようになるということになることによって、実際するかどうかじゃないんですね、するかどうかじゃなくて、現行犯逮捕ができるようになれば、実際上は例えば逮捕をしなくても、今回の皆さん御議論しているやじもそうですけれども、別に逮捕していないわけですよね。押し出す、あるいはその場で発言をさせないようにする、あるいは別の方法でさせる、そういうことがしやすくなる可能性が高いんだということなんです。
実際問題として、表現規制の場合、もっと言うならば、有罪にすることが目的ではなくて、逮捕あるいは逮捕をほのめかすことによってその表現行為を止めるということは間々あるんです、現状でも。実際、それがうまく、うまくと言ったら言い過ぎですけれども、効果を出していることはあり得ます。例えば、それは有害図書であったり、わいせつ図書の場合は、そういうような方法で現実的に運用されているんですね。同じようなことがこのいわゆる大衆表現において、やじやチラシやビラ紙において起きる可能性があるんだということを十分に配慮する必要、考慮する必要があると思っております。
以上です。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/30
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031・石塚伸一
○参考人(石塚伸一君) 私、警察学校で十年ぐらいかな、教えたことがあるんですけれども、うちの大学卒業してきたような人たちがたくさん授業を受けるんです。昨日までこっち側にいた人が警察の側に行くわけです。彼らはそんなに強い子たちじゃないです。昔のおいこら警察みたいに言われた時代と比べれば、そんなに、何か命懸けて何かをやろうというんではなくて、公務員で安定的だから警察に就職するというような子たちが多いです。
そういう子たちが、侮辱している現場でどうしようかというときに、きっと仲間同士でどうしようかどうしようかと言うと思います。それが、じゃ侮辱罪として逮捕したり何らかの行為に出るとすれば、それは上からやれと言われたときだと思います。ですから、そういう意味ですから、上からやれと言われることがどういう意味なのかということを考えるべきで、どういう事案についてこの侮辱罪の適用が生ずるかということをきちんと踏まえた上で議論をすべきだというふうに思います。
先ほどおっしゃったように、一定の政治的な目的があったり、そういうようなケースに現在似たように使われていることありますので、その点が危惧されるというふうに思います。
以上です。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/31
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032・有田芳生
○有田芳生君 残された時間、それぞれの参考人に各論で伺いたいんですが、まず山田参考人に伺います。
インターネット上で、有田死ね、しょっちゅう書かれております、もうずうっと。有田に天誅を下す、これは表現の自由ですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/32
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033・山田健太
○参考人(山田健太君) 行き過ぎた表現であるというふうに思っております。
そのときに、その表現の自由というよりも、その表現行為をどういう形で規制するのか。規制する必要あると思います。それが刑事罰なのか、あるいはその他の方法なのか、それについては議論をしていく必要があるんだというふうに私は認識をしております。
以上です。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/33
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034・有田芳生
○有田芳生君 今井参考人に伺います。
先ほどの御説明で、裏面のイギリスで侮辱罪が廃止されたという御説明の中で四つが廃止されたという表現でしたけれども、その四つというのは具体的には何なんでしょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/34
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035・今井猛嘉
○参考人(今井猛嘉君) お答えします。
日本で言われているような侮辱的な行為が二つほどありまして、あとは、わいせつ的な文書を出すことによって王室を愚弄するような行為というものがあったと思います。
ですから、四つというのは、先生御指摘のように、歴史的な経緯でできていますので、私が説明しなかったのは、日本の目でいうと、今の基本的に侮辱行為と、あとはわいせつ的な絵を、図柄を使って王室を侮辱するような行為でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/35
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036・有田芳生
○有田芳生君 最後に石塚参考人に伺いますけれども、私見修正提案の三番目に、拘禁刑の改善更生を図る、その改善更生を図る理想的な道筋というのは先生はどうお考えでしょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/36
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037・石塚伸一
○参考人(石塚伸一君) 拘禁をしている人に、あなたの人生を考えて今後どういうふうに生きていくつもりというふうに働きかけることだと思います。
そして、現在、うちの卒業生もたくさん矯正とか更生保護で働いています。現場の彼らは一生懸命その努力を義務付けではなくてもやっています。成果も上がる場合もあるし、そうじゃない場合もあります。
しかし、この法案は、霞が関の一部で偉くなった官僚たちが考えたことなんです。その人たちは、現場にいる人たちを説得する、処遇するのが余りお得意でない方なんです。現場で働いている人たちが真面目にやっているのに、法を作って無理やり処遇させるというのは、先ほど言っていただいたように、この人たちが社会で犯罪を犯さないで生きていくことにとってむしろ有害だというふうに考えます。
以上です。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/37
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038・有田芳生
○有田芳生君 ありがとうございました。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/38
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039・安江伸夫
○安江伸夫君 公明党の安江伸夫です。
今日は、三人の参考人の先生方、もう大変貴重な御意見をいただきまして、ありがとうございます。
まず、私から今井参考人に御質問をさせていただきます。
先ほど石塚参考人の方からも様々な問題提起、問題の御指摘がございました。その中で、冒頭、最初にコメント、石塚参考人からいただいた点で、今井参考人の御説明またレジュメで刑罰の目的論についての言及があった際に、ここに一般予防の見地がないという御指摘があったかと思います。
今井参考人に、この点についてのコメント、御意見等あれば、まずお伺いしたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/39
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040・今井猛嘉
○参考人(今井猛嘉君) 御質問ありがとうございます。また、石塚先生には、その点を御指摘くださったことに御礼申し上げます。
私の理解は、石塚先生もおっしゃったように、目的刑論と書いてあるところを特別抑止というものと考えております。それから、刑法を改正することによって、一般に国民が、これをやると捕まる、まずいなと思って行動を制約する一般抑止ということ、一般予防ということはもちろん考えられるのですが、あえてこれを言いませんでしたのは、応報刑論と同じでありまして、それは規範的な発想でございます。データに基づいた政策をするのが刑事政策だと思っております。
先ほど石塚先生も私が思っているとおりのことをおっしゃいまして、新しい法律を変えたときに摘発率がどう上がっていくか、効用曲線のお話をされました。実は私もそういう発想を持っておりますので、一般予防でありますとか、法律を作ることによって応報の機能が発揮するという規範的な発想は今回に限ってはできるだけしないで御説明をしたところであります。
そういう趣旨で御理解いただければと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/40
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041・安江伸夫
○安江伸夫君 ありがとうございました。
これに関連して、次、石塚参考人にもお伺いをさせていただきたいというふうに思います。
この刑罰の目的論に関連をいたしまして、今井先生のレジュメの方ではこの抑止刑論あるいは社会復帰論といったような記述もあり、今回の法改正はまさにここに重点を置いていった、そういう趣旨かと思っております。
こうした点も踏まえまして、石塚先生のこの刑罰の目的論について、先ほども言及ありましたけれども、この抑止論的あるいは社会復帰論的な観点についてどういった御意見をお持ちか、お伺いしたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/41
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042・石塚伸一
○参考人(石塚伸一君) ありがとうございます。
この議論は、刑法学会で、先ほど申し上げた刑法改正と監獄法改正問題について激しく議論をされました。刑罰の執行の際に積極的に関わっていくべきか消極的か、すなわち拘禁されている人に処遇を強制してもいいのかどうかということです。法的な義務がないのであれば、刑務所側は何にもしなくなるよというお話でした。そうなっては困るということを私どもは四十何年ずうっと考えてきました。
しかし、今の日本の矯正とか更生保護、そしてそれを取り巻く環境というのは、何にもしないなんということはない時代になっているというふうに思います。再犯防止推進法という法律ができて、各地方自治体についてもそのための施策を講ずる義務があります。いろいろな地方公共団体で既に条例を作られたり、実施施策を講じたりしておられます。みんなが、多くの人がこんなに一生懸命再犯防止について考えている時代はありません。司法福祉という言葉もありますが、福祉の中に、司法の中にいる人たち、刑務所の中にいる人たちは貧しい人たちやハンディキャップを持っている人たちが多いという現実がありますので、その人たちに刑罰の枠組みではなくて福祉の手法でアプローチしようというのが現在の流れに日本はなっています。
そういう中で、ここであります例えば社会復帰であるとか特別抑止とかということを刑罰の目的の枠組みでやるんではなくて、刑罰の外側で、刑罰と同時で、同時執行でやるんだとすれば、同時進行でやるんだとすれば、執行の段階あるいは釈放された段階で本人の意思を尊重しながら実施していくことがより効果的であるというふうに考えます。
以上です。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/42
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043・安江伸夫
○安江伸夫君 ありがとうございました。
この今の石塚参考人の御意見を受けて、もう一度、今井参考人にもお伺いをさせていただきたいというふうに思いますが、今の御意見、また、先ほども国際潮流に今回の改正は反するんだと、いわゆるこの実体法の整理と、また執行の関係の方の整理等ということで、この議論の立て分け方の潮流に反するという御意見、また今の御意見もございました。これに関しての今井参考人の御意見がもしあれば、これに関してというのは、つまり国際的潮流に反するという御意見に対しての御意見があれば、お伺いできればというふうに思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/43
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044・今井猛嘉
○参考人(今井猛嘉君) ありがとうございます。
まず、マンデラ・ルールですよね。これは私も大変貴重なものだと思っていますが、まず、条約ではないということの確認と、それができた背景の理解が必要だと思います。
皆さん御案内のように、ネルソン・マンデラさんは南アフリカの大統領だったんですが、その前に二十七年間、アパルトヘイト反抗活動で拘禁されていました。ただ、その後に、大変お人柄の良い方で、和解ということを通じて現在の南アフリカの基礎をつくった方です。ですから、これはかなり政治的な意味合いもあるものだと思います。ネルソン・マンデラさんのような方を今後もつくろうということで、拘禁刑の廃止に向けたポリティカルなステートメントとして出ているんだと思います。
それはもちろん尊重しないといけないんですけれども、最初にこれも石塚先生がおっしゃった五十年前からの京都コングレス、今回のコングレスもありますが、各国における刑事政策というのはその国の歴史的、文化的状況によって大きく規定されますので、それを考える必要があると思います。
日本において、例えば拘禁することにより非人道的な拘束がなされているのであるならば、まさにネルソン・マンデラのルールに従うことが必要かもしれませんが、日本ではそうではありません。先ほど司法福祉という言葉もありましたが、もうそれを先取りして何十年やってきているわけですから、現状認識として、そこの良いところと、それから国際的な潮流も踏まえた日本の一番いい解答をつくっていくべきだと思っておりまして、国際的トレンドを無視する必要は全くないのですが、それをそのまま受け入れることは、先ほどイギリスの例が余り妥当しないといったことと併せまして、そのように考えているところでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/44
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045・安江伸夫
○安江伸夫君 ありがとうございました。
また何度も石塚参考人の御意見を引き合いに出して大変恐縮ですが、十二条三項につきましても石塚参考人から御意見をいただいたところであります。三項の名宛て人は施設長である、しかし、刑法は一般人に対する行為規範であるという、こうした問題提起でございます。
この問題の御指摘につきましての今井参考人の御意見についても伺えればというふうに思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/45
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046・今井猛嘉
○参考人(今井猛嘉君) この点は私は石塚先生と少し意見が違っておりまして、刑事施設において執行すべきものは刑法において刑罰として規定されたものでなければいけないと思います。それが法律による行政の趣旨を貫徹させるためだと思います。刑法に書いていないものを刑事施設において初めてやることはできないわけでございます。
そうしますと、この十二条三項において、この義務の名宛て人は刑事施設の長かもしれませんけれども、長が執行するのは裁判所が有罪認定をした人に対する不利益処分としての刑罰でありますので、ここに刑罰内容を書くということは罪刑法定主義の観点からも必要な措置だと思います。
以上です。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/46
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047・安江伸夫
○安江伸夫君 大変参考になる御意見、ありがとうございました。
済みません、今井参考人にもう一問御質問させていただきたいと思いますが、今回、再度の執行猶予についての適用範囲が長くなります。一年から二年にということであります。これは、例えば三年までという検討もあったかというふうに思いますけれども、今回二年という枠に落ち着いたその背景について御意見を賜ればと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/47
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048・今井猛嘉
○参考人(今井猛嘉君) そこは、恐らく現状認識によるのだろうと思います。
一年、二年、三年、そういう選択肢は紙の上ではできるのでございますけれども、再度の執行猶予というのはなかなか例外的なものでありますし、その際に、初度の執行猶予が守れなかった人々に対する対処としては、執行猶予の効果を期待してはいますけれども、そう簡単に認められるものなのかなという現状認識もあったところで二年になったのではないかと思います。
ですから、これも広い意味ではデータベースの考慮の働いた結果だと理解しております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/48
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049・安江伸夫
○安江伸夫君 続きまして、山田参考人にもお伺いをさせていただきたいというふうに思います。
山田参考人におかれましては、今回の侮辱罪の法定刑の引上げについては反対をされるお立場という前提でありますが、この法改正の一つの契機になった、先ほど来も出てきておりますけど、例の「テラスハウス」の大変悲しい、痛ましい事案がございました。しかし他方で、この事案に対しては、科料九千円という罰が余りにも低過ぎるという、こうしたメディアの論調、また世論、こうしたこともあったわけでございます。
この個別の案件で答えられる範囲で結構でございますけれども、この事案について、この重大性、また社会としてどのような対応をしていけばいいのか、刑法改正ではない枠組みとしてどうすればいいのか、山田参考人のお考えをお伺いしたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/49
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050・山田健太
○参考人(山田健太君) 御質問ありがとうございます。
ネット上の誹謗中傷について何とかしなくてはいけないということについてはもう明らかであります。そのときに、大きく分けると三つの方法があって、一つは訴訟で解決しましょう、二つ目には自主規制で何とかしましょう、それから三つ目には法規制をしましょうということでありますけれども。
まず、訴訟に関して言うならば、その発信者情報の開示というものについてどういうふうにより速やかにできるのかということについて、この一月から、少なくとも、裁判所、そして被害者側弁護士、事業者との三者間でのいわゆるスムーズな情報交換と開示に向けての手続が進むような動きが出てきていて、その話合いが進んでいるわけですよね。これをどう推進させるか、後押しするかが大きなポイントなんだろうというふうに思っております。これがやっぱりないと次が進めないわけですから、それはもう明らかなわけですので、ただ、これは今回の侮辱罪では解決しない問題だというふうに思っております。
それから二つ目に、この訴訟に関しては、やはり私は、基本的には、この名誉毀損体系全般の問題については民事訴訟、民事救済をするというのが基本だろうと思っております。実際、日本でも、事実上この名誉、侮辱罪については民事救済を中心として今動いてきているわけでして、例えば皆さん方も週刊誌から何か書かれたからといって一一〇番する人はいないわけですよね。基本的にはそれは民事救済でやっていくということだと思います。
それから、自主規制に関しては、これは二つあって、一つには、共同規制と言われるように様々な業界団体を中心とした自主規制もありますし、なおかつ、これまた日本でも非常に充実してきていますけれども、契約、いわゆる各事業者がユーザーと結ぶ私人間契約の中でより的確な、しかも迅速な対応をしていくということが進んでいるわけで、その取組と経験則を、経験値を生かしていくということは、今急速に進んでいる一つの大きな対応策だと思っております。
それからすると、私から言えば最後の手段である法規制というのをどこまでやる必要があるのかということでありますけれども、これでいうと、ちょっと長くなりますが、あと一言だけ申しますと、どの、この今言った三つのですね、を中心にやるかというのが国によって違うんですね。
例えば、アメリカだと、アメリカは訴訟中心型です。それから、主としてヨーロッパ大陸の方は法規制型と言ってもいいかもしれません。それから、北欧の国々は自主規制型かということもあるかもしれません。しかも、その法規制中心型のヨーロッパの国々も、今、もうすぐ施行が始まりますデジタルサービス法などによっては、社会的責任を重視して、法規制ではやっぱり無理があると、やはりできる限り事業者の自主的な判断ということを尊重する形で、事実上、法の枠の中で自主規制をさせましょうというふうに動いてきているわけで、そのいわゆる法枠組みの中での自主規制というのを日本でも強めていくというか、強化をしていくことを今後検討していくべきだと思っております。
以上です。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/50
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051・安江伸夫
○安江伸夫君 ありがとうございます。
最後、山田参考人にもう一問だけ。
先ほど冒頭の御意見の陳述の中で、四番の民事裁判への影響も大というところはちょっと時間の都合で言及いただけませんでした。特にこの二つ目の嫌がらせ訴訟、スラップ訴訟増大の可能性について、どういった御意見なのかを伺いたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/51
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052・山田健太
○参考人(山田健太君) ありがとうございます。簡単に申し述べます。
民事訴訟を含めての表現活動に対する影響でありますけれども、名誉毀損、侮辱表現については、司法の場において刑事とほぼ同じような判断基準を用いて民事訴訟が提起され、表現者側へのサンクションが科されるという構図ができ上がっております。ですので、刑事規定の変更というのは民事訴訟の結果に直結するということが言えると思います。とりわけ、この名誉毀損、侮辱罪の裁判はそうであります。
罰則が大幅に引き上げられるということは、今回、るる説明されてきているように、もし適用対象が変更されないとしても、より厳しく罰するということについては異論がないわけでありますので、ということは、民事訴訟においても損害賠償額が引き上げられる可能性を想定するのが自然であります。
これまで侮辱表現の民事訴訟損害賠償額は高額ではありませんでした。恐らく五万円ぐらいがせいぜいだと思います。したがって、訴える側も、本来は違った保護法益の名誉とプライバシーをセットにして、名誉毀損、プライバシー侵害として訴訟を提起する場合が数多くありました。
しかし、今後は、法定刑の引上げに伴いまして、名誉毀損、侮辱がセットとして訴訟提起されるということになると思います。そうなると、侮辱の定義が曖昧であるがゆえに、広範な表現行為が侮辱表現として認定され、あるいは免責要件がない分だけ多くの表現が高額の賠償を負わされるということになりかねません。
もちろん、それによってネット上の誹謗中傷を受けた人が少しでも救われれば、それはそれで効果はあるというふうなことは否定いたしませんが、しかし、大きなデメリットとして今御指摘があった嫌がらせ訴訟が増える、いわゆる恫喝訴訟とかスラップ訴訟とも言われていますけれども、表現者の言動を封じ込めるために、高額になるがゆえに起こすことによる嫌がらせ訴訟が増えていくということになっていくと思います。
この侮辱罪強化は、そういう面でいうと、ただでさえ日本の場合には公人からの名誉毀損訴訟が多いという特徴を持っている国なんですけれども、政治家や企業経営者など公的な立場にある方からの批判封じのためのいわゆる訴訟提起というものが行われる可能性、増える可能性というのが見え隠れしているというふうに私自身は思っているということであります。ですから、その危惧の念を取り除く方を是非皆さん方にやっていただきたいと思っております。
以上です。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/52
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053・矢倉克夫
○委員長(矢倉克夫君) お時間です。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/53
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054・安江伸夫
○安江伸夫君 貴重な御意見ありがとうございました。
終わります。ありがとうございました。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/54
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055・川合孝典
○川合孝典君 国民民主党の川合孝典と申します。
三人の先生方には、貴重な御意見いただきまして、ありがとうございました。
私の方からは、表現の自由とそれから憲法第十三条のいわゆる公共の福祉との関係について三人の先生方にお伺いしたいと思います。
言うまでもなく、表現の自由は憲法で保障された大切な国民の権利でありますが、他方、他人の利益や権利との関係から制約が存在しております。憲法第十三条の公共の福祉による制限を受けるとするのが表現の自由に関する通説だというふうに伺っておりますが、三人の先生方は、この表現の自由と憲法十三条が定める公共の福祉との関係をどのように捉えていらっしゃるのかということをそれぞれお伺いしたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/55
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056・今井猛嘉
○参考人(今井猛嘉君) 御質問ありがとうございました。
現在、憲法十三条の公共の福祉ということについては大変研究が進んでいると思います。私が学生の頃とは違って、人権の内在的制約というのは言ってはいけないような発想になっているんですけれども、二つの人権的な利益の衝突をどう調整するかという問題になると思います。
表現の自由につきましても同じでありまして、まさに、表現をしたけれども名誉毀損で訴えられたときには、表現対象者の外部的名誉と表現の自由とがバッティングするわけなので、それが刑法二百三十条の二というところで調整原理が働いています。
ですから、刑法の領域では、先生御指摘の問題があることを念頭に、戦後、二百三十条の二ができていますが、その際に、また後で話すかもしれませんけれども、やはり無責任な発言は、これは刑事でも民事でも違法であるというのが最高裁の判例でございますので、一定の公共の福祉的な議論にもそういう、非常に微妙ですが、大変優れた判断基準が示されて整理されていると思います。
以上です。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/56
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057・山田健太
○参考人(山田健太君) 極めて大きなテーマの御質問ですので逆にすごくシンプルにお答えしたいと思いますが、それでいうと、基本的には、その表現の自由で限定して言うならば、表現の自由を制約するときに、公共の福祉という大きな考え方あるいは言葉で一まとめにして制約をするんじゃなくて、可能な限り個別、ケース・バイ・ケースで議論をしましょう、その中で比較考量していきましょうというのが今日的な考え方であるというふうに理解をしております。
その上で、実際、この法、立法過程でいうならば、この近いところ、二〇〇〇年以降で考えるだけでも、例えば、武力攻撃事態対処法においても、憲法改正手続法においても、特定秘密保護法においても、組織的犯罪処罰法においても、全てこの表現の自由についてやはり制約が掛かるわけですね。その場合には、じゃ、それについては最大限尊重するとか、不当に侵害しないように留意するとか、十分に配慮するとか、適正の確保に十分に配慮するとか、それぞれ個別の言葉を付けて、その表現の自由の侵害に当たらないような配慮をしてきているというのが実態かなというふうに思っております。
以上です。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/57
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058・石塚伸一
○参考人(石塚伸一君) 私は、表現の自由は基本的に無制限に保障されるべきだと思います。ただし、言った以上は責任を取る。言わないのではなくて、言った以上は自分の言ったことに責任を取るという社会が望ましいと思います。それが、先ほど今井さんおっしゃったような一定の調整規定があって、社会の中でそういう複雑な問題についての解決策が準備されている社会が成熟した社会だと思います。
それが刑事の問題であったり民事の問題であったり、できるだけそういう問題に対して国は関わらないで、まず第一義的には、個人の間での紛争について、侵害を受けたと主張する側と侵害を加えたと言われる側との間でいかに調整していくかということを中心に考えるべきだというふうに思います。
機先を制して全てを、発言を禁ずるというようなことは望ましくないと考えます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/58
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059・川合孝典
○川合孝典君 今、石塚参考人から御答弁いただきまして、無制限に表現の自由は守られていなければいけないという御発言だったんですが、その場合に、要は、発言した人間、表現した人間自体がそのことに対する結果責任を負うということを考えたときに、今回の刑法改正によるいわゆる量刑の重罰化というこの動きについては、そういった切り口からは石塚参考人はどのように今回の措置をお考えになりますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/59
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060・石塚伸一
○参考人(石塚伸一君) 端的に言わせていただいて、効かないと思います。一年になったからといってやめる人はいないので、ネット上に書いてバズって、その後に逮捕されて裁判を受ける、そんなことは分かっていてわざとやる人、出てくると思います。
彼らにとっては大騒ぎをしないで淡々と物事が解決されていくのが一番効くんだと思うんですが、ただ、今の社会状況の中でそれをどういうふうにしつらえていくか、システムをつくっていくかというのは、先ほど言いましたように、私たちの社会が与えられた大きな課題だと思いますが、今回の改正で何かそれが画期的に変わるとは思いません。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/60
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061・川合孝典
○川合孝典君 ありがとうございます。
いずれも定義が曖昧であるということから、何をやるとそのいわゆる罰則の対象になるのかということが不明確なわけでありまして、前回の法務委員会の質疑の中で法務大臣ともやり取りをさせていただいたんですが、以前、重罰化することで一定の効果が出た事例として、いわゆる危険運転に対する、飲酒運転等に対するいわゆる罰金の上乗せですとか重罰化といったようなことがかつてあったということも一つの事例として挙げられておったんですけれども、これって、つまりは行為が明確なんですよね。
こういうことをやるとこういう罰則が適用されますということが明確に、要は明示されているがゆえに抑止効果が得られたということなんだろうと思いますので、そういった意味では、今回のいわゆる侮辱罪では、侮辱が一体どういうものなのか、何が罰則に当たるのか、どこまでが侮辱に当たらないのかというこの線引きが明確でない以上、重罰化されるということだけではいわゆる抑止効果というものが限定的にならざるを得ないという指摘は、私も確かにそのとおりだなというふうには実は思っているところなんです。
済みません、ちょっと質問変えたいと思います。
山田参考人に、先ほど御意見陳述の中でおっしゃったことでちょっとお聞きしたいことがあるんですが、いわゆる法規制の強化による抑止効果を期待することは分かるが、個別具体的な対応によって言論の自由が制約されるということについて懸念を御表明をいただきましたけれども、このお話を伺っておりまして、いわゆる批判するということが今回の法改正によって抑え込まれるということを非常に御懸念されているということを多くの先生方がおっしゃっていますが、では批判と誹謗中傷の違いって何なんだろうということについて先生はどう捉えていらっしゃいますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/61
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062・山田健太
○参考人(山田健太君) 極めて簡単に言うと、今日のお話でお話ししたように、強者から弱者、弱者から強者の違いというふうに考えるのが一番分かりやすいかなというふうには思っております。
ただし、ただし、批判と誹謗中傷が分からないということ自体が大切な問題でして、まさにそれが、その侮辱罪の適用対象が曖昧だということそのものを表しているんだと思っております。それをもって、じゃ厳密にして、より刑事罰を科して全体を抑え込むのか、そうじゃなくて、今までのバランスを大切にして、この侮辱罪のいわゆる存在というものを守っていくのかと、守っていくというのは元々あった意味合いを守っていくのかというところだと思うんですね。
その前、大前提で言うならば、先ほどの質問とも関係しますけれども、いわゆる日本の憲法体系、表現の自由に関しては、これは戦争の深い反省から一切のただし書を付けない、要するに世界の中でも珍しいわけですよね。その表現の自由を保障するの後にただし書が付いていない表現の自由規定というのは、世界の憲法の中でも極めて例外的。しかも、第二項で、検閲と、通信の秘密を保障する、盗聴の禁止ですけれども、これをしているという国は日本しかないんですね。
そういうような極めて表現の自由を大切にしようということを民主主義の一番の根幹に置いている国として、その曖昧な定義で表現を制約をしていくということの問題性について、いま一度慎重な御審議をいただきたいと思っております。
以上です。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/62
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063・川合孝典
○川合孝典君 ありがとうございます。
今先生の御答弁の中に、強者から弱者、弱者から強者という御表現がございました。何が強者で何が弱者なのかということ、このことの概念自体が、SNSが発達したことで変わってきていると私実は思っておりまして、従来、例えば組織と個人との間でいくと組織の方が強いということでこれまでは捉えられていたわけでありますが、SNSが発達したことで、個人が世界全体に対して瞬時に情報発信し、問題提起を行うことができるという時代になっているわけでありますので、この強者と弱者という捉え方だけで、SNSでの誹謗中傷だとかいわゆる侮辱だとかということについてはなかなか整理し切れないんじゃないのかなというふうに実は私は感じております。
実は私、超党派の自殺対策の議連を国会でずっとやらせていただいておりまして、ここで、今回コロナで、コロナが始まったおととしに、有名な芸能人の方が立て続けに秋口に自殺をされました。この自殺をされたことについて報道が繰り返しなされたことによって、自殺があった翌日以降、自殺者が急増したんですよね。その後、疫学調査、様々な検証を行いました結果、報道と自殺者数の急激な増加との因果関係というものが認められたということなんですが。
そもそも、この自殺報道に関しては、WHOの自殺報道ガイドラインというのがありまして、このガイドラインを遵守しながら報道、自殺者のいわゆる自殺した方法ですとかいろいろな個別具体的な内容については報道を慎むということがガイドライン上は定められておりますが、他方、日本はいわゆる報道の自由等の関係もあり、その辺りの扱いのところが、法務省も厚生労働省も総務省も、正直どこまでやっていいのかということが手が付けられずに、ある意味、いわゆる指導というか要請をするというところに現在とどまっているということなんです。
こうしたいわゆる人の命に関わるようなことが、表現、報道の自由という問題の中で、ある意味きちっとした効果的な対応ができない状況にずっとこの間置かれてしまっているということを見たときに、今のこのインターネットを使った様々な表現ということが、従来のような一言直接物を言うのであれば、一回言って終わりですから侮辱的表現でも一回なんですが、これがネットに一旦載って、それが気軽にリツイートされたり拡散されたりすることで、一回が千回にも一万回にも、要は繰り返し侮辱がなされるということになるという実態を考えたときに、今のこのインターネット社会における侮辱に対する対応の在り方というものは考えていかないと、先ほど石塚参考人が御指摘されましたいわゆる女子プロレスラーの方がお亡くなりになったといったようなケースに対応できなくなってしまうと思うんですよね。
先生、ちょっと漠然としたお話なんですが、山田参考人はそういった点についてはどのようにお考えになられますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/63
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064・山田健太
○参考人(山田健太君) 基本的な問題認識については近いんだと思います。しなくてはいけないことは間違いないんですね。
今、自殺の話をされましたけれども、自殺報道ガイドラインほか、LGBTQのガイドライン、それから薬物ガイドライン、それからジェンダーガイドラインと立て続けに、立て続けにという言葉も余りふさわしくないかもしれませんが、非常に報道界といいましょうか、表現団体間で今急速にガイドライン作りが進んでおります。
だから、そういう面でいうと、もちろん今、世の中には様々な行き過ぎた表現があることは事実であって、表現の自由と自由な表現の履き違えがあることもまた事実です。けれども、一方で、その新しいインターネットという技術も含めて対応が進んでいる中で、一足飛びに法規制で全てをなしにしてしまうというのがいいのかどうかということについての慎重な審議をお願いしたいというのが私の考え方でして、しかも、今回の場合、石塚参考人もお話しになったように、今回の侮辱罪の法改正が、被害救済に携わる法律実務家の立場からも、即効薬になり得ない、あるいは使い勝手が悪いという声が上がっているわけですね。そういう状況の中で、じゃ本当にこれが、むしろ小さいメリットにもかかわらず大きなデメリットがある法案改正ではないかということを改めて御指摘をしたいと思います。
以上です。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/64
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065・川合孝典
○川合孝典君 ありがとうございました。
私からは以上で終わります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/65
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066・東徹
○東徹君 日本維新の会の東徹でございます。
三名の参考人の皆さん、本日は貴重な御意見、ありがとうございます。
まず、石塚参考人の方から慎重な議論をというお話がありました。私も、これは慎重な議論が非常に大事ではないのかなというふうには思います。残念ながら今日の法務の理事会でももう決まりまして、九日の日に採決まで行くということが決まっておりますので、参議院は、これはよく言われるように、カーボンコピーと言われておりますが、党議拘束が掛かっておって、衆議院で賛成したものは参議院でも賛成という、大体そういったことが言われておりまして、非常に慎重な議論というのは私はもう非常に大事だなというふうに思いました。
その中で、何点か御質問させていただきたいというふうに思います。
まず、今井参考人にもちょっとお聞きしたいと思いますが、今回のこの法案なんですけれども、この再犯防止という刑法の改正の観点と、もう一つ侮辱罪という、全くこれ違った法案を提出してきているということについて、これ非常に議論が、もう全く違う論点で議論しなければならないというふうに思っておりますが、こういう形のこの提案の仕方について、今井参考人、何かお考え、考えられる、思うところありましたらお聞かせいただければと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/66
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067・今井猛嘉
○参考人(今井猛嘉君) 御質問ありがとうございます。
まず、拘禁刑を創設する、あるいは再犯防止を目指す議論は、御案内のとおり、もう数年来にわたって法制審議会部会で検討してまいりました。それがようやく慎重な審議の上で煮詰まって法案化したというときに、侮辱罪に関する新たな出来事が起きましたので、法務省におかれては迅速な対応が必要と思って部会を設置し、案が通ったところであります。
そうしますと、今回時宜にかなったように、今、国会、通常国会開催中でありますから、それをまとめて出すということは、早急にその二つの事態に対する法律施行による解釈を示すということは必要な措置だと思いますので、私はこのタイムリーなまとめによる法案提出だと思っております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/67
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068・東徹
○東徹君 同じ質問を山田参考人にもお聞かせいただきたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/68
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069・山田健太
○参考人(山田健太君) 思い起こすに、ちょうど一年ほど前に、特別委員会に私、発言の機会いただきました。そのときにはデジタル化法案の特別委員会でありましたけれども、まさにその多くの法案を一括して議論をすることに意味がある場合もなくはないと思います。すなわち、多くの法案が極めて密接な関連性があって、しかも集中審議をする必要があるという場合にはその必要があろうかと思っております。
ただし、今回の場合でいうならば、その密接な関係性、あるいは集中審議をする必要性というものに関して、少なくとも侮辱罪に関してはそれを見出せることが私自身はできないと思いますし、実際問題、提案母体の法務省も法制審議会の議論も、やはり私から見れば急ぎ過ぎたのではないか、その結果、今回、衆参両院での真摯な議論でようやく問題点が明らかになりつつあるわけですけれども、それは本来だったらば少し前の手前のところで議論をした方がよかったのではないかと、その方がむしろ、ネット上の誹謗中傷対策も含めて、この場でももっと有益な、前向きな議論ができたのではないかと思って残念に思っております。
以上です。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/69
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070・東徹
○東徹君 同じ質問を石塚参考人からもお聞かせいただきたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/70
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071・石塚伸一
○参考人(石塚伸一君) 一言で言いますと、こそく。全く違うものを一緒に出してきて、期限の決まっている通常国会で通そう、これはこそくですよ。
以上。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/71
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072・東徹
○東徹君 大変分かりやすく、ありがとうございます。
続きまして、名称の変更についてお聞かせいただきたいというふうに思います。
先ほど今井参考人の方からもお話がありましたし、また、これについては石塚参考人の方からもお話がありました。
石塚参考人の方からも話の中で、私も、再犯の防止というのはもうこれ当然大切なことでありまして、やっぱり再犯防止していくというのは大事だと思いますが、まずは一般抑止、一般予防というか、そういったところの観点も非常に大事ではないのかというふうに思います。
そんな中で、懲役という言葉は、非常に私からすれば重たいと思いますし、国民に広く浸透している名称でもあるというふうに思います。
再犯防止の観点から、この名称、まず変更しなければならなかった理由について、今井参考人から、そして石塚参考人からお聞かせいただければというふうに思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/72
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073・今井猛嘉
○参考人(今井猛嘉君) ありがとうございます。
御説明の際にも私申し上げたと思いますが、懲役、禁錮という言葉は、先生御指摘のように大変人口に膾炙しておりまして、イメージがしやすいものであります。ただし、それは日本の歴史に基づく、あるいは中国の古典によっているものだと思うんですけれども、やはり多分もっと新しい世代の人がそれを見たときには重々しいイメージも持つやにしれません。
やはり刑罰を科すということは、その人に一定の不利益を国が科すわけでありますから、その点を淡々と示す方がよいのではないかと私は個人的に思っておりますので、そのためには、自由刑という名称は不適切であり、拘禁刑というものに改めようと。そして、その中で何をするかによって、刑罰の重さ、程度について評価を与えるのがいいのではないかと思っています。
一個補足しますと、拘禁刑、インプリズンメントというのがイギリスやフランスでは普通に使われていて、ずっと一般に使われている名称であります。日本がなぜ懲役刑という名称を取ったか、今言ったように、中国の古典プラス、ドイツが自由刑ということを使っていたからなのですけれども、そのドイツが、ドイツ語でいう自由刑というのは国際的に見ると一般的な用語ではありませんので、やはりインプリズンメントという言葉に即した名称に変えるのがよいのではないかと思っております。
以上です。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/73
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074・石塚伸一
○参考人(石塚伸一君) 拘禁刑という言葉が決まったのは恐らく去年の九月、報道によるとですね。法制審議会等で、部会でお話しになった先生方が集まって決まりましたというのを報道で知りました。私たち刑法の研究者は一度も意見を求められていません。
先ほど今井さんがおっしゃったドイツ語のフライハイトシュトラーフェというのは、奪うもの、剥奪される法益は何かということを示しています。拘禁というのは、刑罰を執行する際の状況を示した言葉としてインプリズンですね、インプリズンメントということになります。インプリズンメント、拘禁という言葉を使うということは、拘禁している状況をどうするかということが含まれているわけです。
先ほどからの議論の中でお話ありましたけど、刑法の中で刑罰の目的なりやるべきことを全て書いておくという考え方は、非常に静的な、スタティスティックな考え方です。刑罰の展開というのは、先ほどから申し上げますように、宣告して適用して執行するという動的な、ダイナミックなプロセスを経るわけですから、どこに重点を置くのかということを明らかにしなければなりません。そういう意味でいうと、インプリズンメントという、拘禁という言葉を使ったのは、中立的で意味の余り付与されていない概念で、私も拘禁刑でいいのではないかというふうには思います、言葉としては。
ただ、拘禁刑が拘禁刑じゃないんですよ。改善更生なんですよ。じゃ、拘禁刑というのを読んで、改善更生を図るという意味がどこから出てくるんですか。刑法というのは、その言葉を見たときに、日常用語の中で一般の市民の人たちが分かるようなものにしておかないと、先ほど言いましたように、何が行われるのかが分からないと、自分の行為規範として何をしていいのかも分からないわけです。
そういう意味で、刑法の改正の中にこの拘禁刑というのを入れる以上、拘禁だけ書けばいいんです。執行の段階のところで、今日の資料にも挙げましたけれども、非常に、受刑者処遇の原則というのが、「受刑者の処遇は、その者の資質及び環境に応じ、その自覚に訴え、改善更生の意欲の喚起及び社会生活に適応する能力の育成を図ることを旨として行うものとする。」、執行の在り方がちゃんと書いてあるんですよ。何でこれを刑法の中に書き込まなきゃいけないのかが理解できない。
つまり、拘禁刑じゃなくなっちゃうんですよ。そうしたら、これは改善更生刑にすべきではないですか。つまり、これは改善保安刑になってしまうんです。だから、今まで日本は刑罰一元主義でしたけれども、これからは保安改善処分一元主義になるということを意味してしまいます。それをレッテル詐欺で拘禁刑と言っているというふうに私は考えます。
以上です。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/74
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075・東徹
○東徹君 ありがとうございます。
そうなってくると、名称の在り方もどうなのかなというふうに思うわけですが、例えばです、そもそもやっぱり懲役刑という名前が間違っていたということなんでしょうか。これ、今井参考人、石塚参考人にお伺いしたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/75
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076・矢倉克夫
○委員長(矢倉克夫君) では、今井参考人から。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/76
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077・今井猛嘉
○参考人(今井猛嘉君) 間違っているかと言われると、私たちの先輩が明治四十年に作られたときには一番いい言葉を選ばれたんだと思います。
先ほど言いましたように、日本は、ボアソナード刑法に始まってヨーロッパの刑法を輸入してきましたが、その前には、清国、明国の律令を学んできた歴史があるわけですよね。それを基に、江戸時代の過酷な刑の執行等を踏まえますと、言葉は使うけれども、西洋的な内容を組み込むというところを考えますと、当時としてはベストな答えだったんだろうと思います。
そして、その言葉が今後も使われていくべきだという方はおられますけれども、やはり、お話ししたように、処遇の個別化を可能にするような言葉としては、全ての人に刑務作業を義務付ける懲役であってはいけないということから、新たなコンセプトの下に拘禁刑が選ばれたのだと思っております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/77
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078・石塚伸一
○参考人(石塚伸一君) 懲役という言葉を選ばれたのは今おっしゃったように明治四十年で、その時点ではそれなりの言葉遣いを持っていたと。懲役刑の場合には、定役を科すになっていたんですね。定役、役務を定めて科すことになっていたんです。これを、一九九五年ですか、改正のときに、松尾先生が中心になられて、所定の作業という色のない言葉に変えられたわけです。役務ではなくて作業ですよ、それは刑務所長が決めるんですよと。これは賢慮だったと思うし、松尾先生らしい言葉の選び方だったと思います。
今度は、それに更に、改善更生のための作業なんですよ。定役じゃないじゃないですか。そうすると、収容者の人たちは、自分のやっている作業は改善更生に役立つのと聞くことになりますよね。そうすると、職員の方はなるんだよと言うけど、本当ですかと。
そういうような局面を職員の人につくらせないでほしいです。日本の公務員真面目ですから、言われたらそのとおりちゃんとやるんですよ。それは、国会が余計な役務を与えないでほしい、職員さんたちに。お願いします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/78
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079・東徹
○東徹君 ありがとうございます。
ほぼ時間になりましたので、これで終わらせていただきます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/79
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080・山添拓
○山添拓君 日本共産党の山添拓です。
参考人の皆さん、今日はありがとうございました。
石塚参考人に伺います。
意見陳述、また先ほど来も触れられております国連の被拘禁者処遇最低基準規則、二〇一五年に改定され、マンデラ・ルールズですけれども、身体を拘束する刑罰は、自由を奪うことによって犯罪者に苦痛を与えるものであって、規律維持の必要から制約を与える以上に強制してはならないという内容になっています。
懲役のように作業を義務付けるのではなく、移動の自由を制限する刑になるべく純化しようと、するべきだというのがこの考えだと思いますが、国連でなぜこのような考えが取られるに至っているのでしょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/80
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081・石塚伸一
○参考人(石塚伸一君) それは、改善更生とかあるいは社会復帰という名称でいろいろなそれ以外のことを強制した時代があったし、今でも行われているからだと思います。ある種の思想改造が行われた時代もあるし、日本でも行われています。
例えば、川越少年刑務所という刑務所ありますが、そこの戦前の文集を見たことがあるんですが、反省文を書いているんですけれども、その中で、私は窃盗をしてしまいましたと、野方図な生活をしていて済みませんということが書いてあるんですが、その一つ、一項のところに、私は至らぬところがあって社会主義運動に入ってしまって父母に迷惑を掛けています、ごめんなさいというのが書いてあるんですよ。そういう時代があったし、これからだって来ないという保証はないではないですか。
そういうことは、先ほど、ネルソン・マンデラの名前を使っている理由は、何も南アフリカでのアパルトヘイトだけの問題ではなくて、これからの社会は、どんな政府ができてもそういう特定の思想を強制したりしてはいけませんよと、自由を拘束するのは悪いことしたんだからしようがないけれども、それだけにとどめておきましょうという考え方です。
これ、自由刑の純化論といいます。一九一九年、一八年と言ってもいいかもしれません、ドイツ人のフロイデンタールという人が受刑者の法的地位というのを唱えて、日本では正木先生がそれを紹介しているんですけれども、そういう方向に行かないと、余計な害悪を加えたり強制をしたりするのはいけませんということの決意をして、徐々に進んで現在に至っているということです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/81
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082・山添拓
○山添拓君 私も反省文を書かなければならないかもしれませんが。
もう一度、石塚参考人に伺います。
マンデラ・ルールズは、社会復帰の支援を国家の側に義務付け、受刑者に対しては社会復帰を目指す処遇に能動的に参加する権利を保障する、そういう発想に立つものと言えると思います。
先ほどの質問で、改善更生の理想はどうあるべきかという質問に対して、働きかけをすることだという御答弁をされていました。そのことについて、この国会で政府は、作業や指導を拒む者に対して改善更生や再犯防止のための働きかけを行うことが不可能になると、義務付けをしないとするとですね。作業や改善更生、義務付けをしないとすると働きかけが不可能になり、拘禁刑を創設する目的が達成できない、だから作業や指導を義務付けることができると、そういう条文にしたのだという説明をしています。
しかし、懲罰を背景に義務付けても、これは自発的な改善更生、社会復帰に向けた取組ということにはならないと思うのですが、改善更生や社会復帰を受刑者の自発的な意思に基づくものとするためには、本来、刑罰の執行というのは、あるいは執行外かもしれませんけれども、どうあるべきなのでしょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/82
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083・石塚伸一
○参考人(石塚伸一君) 皆さん、マスクしているじゃないですか。法的に義務付けられているからするのでしょうか。そのことに合理的な根拠があって、皆がしているならしようと思うのではないですか。
刑務所の施設で禁錮受刑者の人も、先ほど今井さんから紹介ありましたように、まあ九割方、働ける人はほぼ全員働いています。ずっと部屋にいたら暇なんですよ。作業に出れば、額は少ないですけど賞与金が出るんです。刑務所の生活って数千円掛かるんですよ。ちり紙買ったり、石けん買ったりとか、切手買ったりとか。やっぱり額は少ないですけれども、それは大事なことなんです。だから、受刑者の人たちは義務課さなくても働きます。
それと、自分が外に出て、薬をやめたいとか、それとか性犯罪犯しちゃうんだけど、そういう人がプログラムを受けた後に職員の方から連絡があって、外へ出た後にプログラム継続できるところ、どこかないでしょうか、紹介してくださいと電話があったりするんですよ。そうしたら、ここ行ってみたらとか。やっぱり、みんな、よくなりたいと思っているんです。
現に、職員の人たちは動機付け面接法という方法を使って、テクニックとして、できるだけ本人たちの意思で来るように、先ほどの話で、やれと言って拒否されたんじゃ、これじゃ効かないんですよ。子供育てていたってそうじゃないですか。自然にその子たちが何か学びたいと思ったら成果が上がるわけです。そういう技術を現場の人たちは考えているし、テクニックもやっていて、もう本も出ていて、練習しているんです。それを別に法で義務付けないといけないというのは、それは多分法務省の偉い方じゃないですか、そういうお答えされた方は。
以上です。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/83
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084・山添拓
○山添拓君 ありがとうございます。
石塚参考人に伺います。
慎重審議を求める先ほどの刑事政策学研究者の声明では、法案の十二条三項の「拘禁刑に処せられた者には、改善更生を図るため、必要な作業を行わせ、又は必要な指導を行うことができる。」、この規定について問題を指摘されております。
刑法についてはどういうふうに修正をするべきかという提案を今日も御紹介いただいたのですが、刑事収容施設の処遇法については、作業や改善更生に関わって本来どのような改正案が望ましいとお考えでしょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/84
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085・石塚伸一
○参考人(石塚伸一君) 先ほど三十条を御紹介させていただきましたが、この三十条、実はすったもんだがあってできた規定です。
昭和五十七年になりますかね、刑事施設法案というのが出たときに、これを法案化するときに、法制局の方から、この「自覚に訴え、」という文言は刑罰の執行には適さないので取れと言われて、矯正局の方では頑張られたんですよ。やっぱり現場でやってみると、受刑者の人たちの自覚に訴えて、あるいは自覚を促すという言葉にしようかと、いろいろつばぜり合いがあったんですけれども、本人たちの意思でさせるということが重要だというのが当時の法制審議会の監獄法改正部会のところの基本的な方向だったんです。平野龍一先生なんかが主導されていた。
これ、なかなか入らないで、その刑事施設法案というのは三回出て廃案になったんです。それが名古屋刑務所事件で行刑改革の話が出てきて、でき上がったのがこの法律で、見てみたら、この「自覚に訴え、」というのが入っていたんです。これ見たときに、ああ、すごいと思った、頑張られたなと思ったんです。
まあちょっとどさくさっぽいところあったんですけど、ただ、これ入ったということはすごく大きいことで、この「自覚に訴え、」という一文字が、先ほど言った動機付け面接法を頑張ってみようよとか、今、「刑政」という雑誌見ますと、受刑者の人たちに法的な義務付けがされても、義務だからやるんじゃないんだよと、本人たちの意思を尊重するためにはどうしたらいいかという論文だとか何かを一生懸命現場の人たちは考えているんです。本当に真面目なんですよ、みんな。その人たちに何かやれって言わないでください。やりますから。
以上です。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/85
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086・山添拓
○山添拓君 ありがとうございます。
これは、次は今井参考人と石塚参考人に伺いたいと思います。
先日、この委員会で、先ほど石塚参考人の話にもありました川越少年刑務所を視察で伺ってきました。今年の秋から、少年院が蓄積してきた矯正教育のノウハウを活用した若年者ユニットを設けるとのことで、居室棟内に談話スペースを設置するなどして、そういう改修も行われていました。少年法の改正で特定少年と位置付けられた十八歳、十九歳に限らず、二十六歳までの若年者でこうした処遇が適当な者を対象にするというお話でした。
少年院の矯正教育が少年の立ち直りのために大事な役割を果たしてきたという点は、私も現場の多くの方から伺ってきました。しかし、少年院でそれができるのは、未成年であって保護すべき対象だからであろうと思います。育ち直しと言われるような教育的な措置かと思います。
懲役や禁錮あるいは拘禁刑というのは刑罰ですので、保護処分とは本質が異なると思います。こうした教育的な措置、これから行われようとしている措置は、法的にはどのような位置付けとしてなされるべきものだとお考えでしょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/86
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087・今井猛嘉
○参考人(今井猛嘉君) 今の御質問の御趣旨は、若年者に含めていた保護処分的なものが成人との関係でどのように評価されるべきかということでよろしいですよね。
その御質問の背景は私も共有しておりまして、先生がおっしゃったように、二十六歳までは、これは部会の審議で意見が出されましたけれども、脳の発達が止まらず、ちゃんと教育的な効果が高いということが出ております。
他方で、恐らく先生がお考えのように、二十六歳超えた方についてはどうなのかということでありますけれども、しかし、そういう方でも、御自身のこれまでの人生経験に応じて、プログラムの内容の提示によっては、ああ、これをやってみようかなという動機付けは当然できるはずであります。
私は、詳細は存じませんけれども、今、石塚先生がおっしゃったような「刑政」の論文でもざっと見たことがあります。いろいろなトライアルがされておりまして、例えば高齢者に対してもこのような動機付けによって少しは無銭飲食が防止できるのではないかとか、いろいろなトレーニングありますね。そういうことをやっていくことが、刑罰の目的が再犯の抑止であり社会復帰であるならば、刑罰の内容として今後二十六歳超の人にもなしていくべきだと思っています。
ですから、先生のお答えについては、比較的希望を持ってでありますが、成人に対しても適用可能だと理解しております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/87
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088・石塚伸一
○参考人(石塚伸一君) 今、今井先生おっしゃったのと基本的には同じなんですが、最後のところが違いました。刑罰の内容としてというところが違うだけです。今の現場で努力されていることをどういう形で進めていくかの進め方が違うと思います。
私は、行刑法の枠組みの中で、今のこの処遇法の中に入っている規定を活用すればできるというふうに考えております。ただ、その際、少年に対するパターナリスティックな国家の介入と成人に対する本人の意思を尊重した関わり方とは、基本的にプリンシプルが異なるので法的な根拠は異なるというふうに考えます。したがって、行刑法の位置付けで十分というふうに考えます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/88
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089・山添拓
○山添拓君 ありがとうございます。
山田参考人に伺います。
侮辱罪について御指摘ありがとうございました。
やはり萎縮効果を生じさせない、表現の自由に対する萎縮効果を生じさせない法制度であるべきだと、厳罰化などを考える際にも少なくともそのような法制度が必要だと思います。今の政府の答弁としては、刑法三十五条の正当行為によって対処できるだろうというものであります。
一方で、名誉毀損罪における公共の利害に関する特則、政治家や候補者に関する場合など一定の要件の下で違法性が否定されるようなルールは侮辱罪にはありません。この侮辱罪にこういうルールがないことについて、名誉毀損罪と異なって事実の摘示を前提としないためにそういうルールは作れないのだというのがこの審議の中での政府側の答弁でもあります。
こうした見解についてどのようにお考えでしょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/89
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090・山田健太
○参考人(山田健太君) 今の御質問、複数の論点があろうかと思うんですけれども、まず一番最初に言われたその正当業務ということですけれども、刑法三十五条でありますが、確かに、これによっていわゆる外形的な法の構成要件を満たしていても罰しないということがあるかもしれません。かもしれませんけれども、この侮辱という言葉が曖昧であるのと同様に、この正当業務の判断というのは非常に幅が広いんですね。幅広いです。
例えば、一番この侮辱罪が適用される可能性が今低いと思われている報道機関、真っ当なと言っていいかどうか分かりませんが、報道機関ですら、例えば、今年に、今年というか、まあそうですね、今年に入ってからですね、去年からですね、去年末以降、いわゆる立入り取材が二件にわたって逮捕されたり、あるいは書類送検されたりという事例が起きてきているわけですね。
本当にまさにその取材がこれまでは正当業務行為であるというふうに考えられていて、刑法三十五条の適用の中で、多少の外形的な、まあ不法侵入という言い方をすると非常に何か重たく感じますけれども、立入りが認められてきている範囲があったにもかかわらず、それがある日突然捕まってしまうということが起きるということなんですね。
ということは、今後においても、この正当業務という判断というのは非常に幅があって、実際上想定していないような形で認められない場合が出てくるんだということについて十分に配慮しておく必要があると。それを考えて、最後の、その免責要件と同じなんですけれども、そもそもその免責要件を設けたのは理由があるわけでして、今日お示ししたこの図もそうですけれども、そもそも曖昧なもので萎縮効果が生まれやすいのがこの表現行為であって、この萎縮効果が生まれやすくて限界線まで十分な自由の行使ができない場合を考慮して、なおかつ、より少しはみ出た表現もしてもいいですよというような意味合いをつくっているわけですけれども、そもそも侮辱罪の場合には、形としてそういうものは余り想定していないわけですね。
だから、もし想定をするんであれば、法定刑も高めて、あるいは侮辱の適用対象についてももう少し厳密化もし、その中で公人に対する批判を強めるために免責要件をつくるという考え方もあるかもしれませんけれども、そもそも侮辱のこの対象というのはそういうものを想定していないわけですので、この免責要件をつくれば済むとか、つくることによってこの侮辱罪の、何といいましょうか、今の法改正の問題性が低減するという問題ではないというふうに考えています。
以上です。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/90
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091・山添拓
○山添拓君 ありがとうございます。終わります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/91
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092・高良鉄美
○高良鉄美君 沖縄の風の高良鉄美でございます。
今日は、三名の参考人の先生方、ありがとうございます。
早速ですけれども、今井参考人の方から質問させてください。
法制審の審議の中で先生が述べられていることなんですけれども、海外との比較ということは大事ではあるけれども、それぞれの言葉の意味とか、あるいは民事制裁を含めた全体的な構造と、こういったようなものを議論する、さらには、比較の上で今の状況を犯罪の現象としてどのように刑種を定めるかということについては議論していく必要があるというふうにおっしゃっているわけですね。
そうすると、これが去年の十月の話ですが、先ほど侮辱罪の概念がずっと出てきましたけれども、国によってこの言葉の意味が違うというようなことがあるとすると、この侮辱罪の意味に、それぞれ国際的に違うということでしょうかということでお聞きしたいんですけど。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/92
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093・今井猛嘉
○参考人(今井猛嘉君) ありがとうございます。
そこはやはり微妙にといいますか、実はかなり違っているところもあろうかと思います。
具体的には、今日の議論でも出ておりましたが、山田参考人の方から、プライバシーを含めるかということですね。侮辱というのは、その対象者の人格的な評価をおとしめる行為として日本では理解されておりますけれども、そのときに、彼又は彼女がこんなことをしちゃってねというふうに、秘密にしておきたい事項をばらすことによる侮辱的行為というものも実際には多いです。ですから、海外で侮辱が処罰されているというのを見るときに、実はこれはないしょにしておきたいプライベートなことのディスクローズを処罰している場合がありますので、そこは切り分けないといけないということも含めて発言したのだと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/93
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094・高良鉄美
○高良鉄美君 ありがとうございます。
この海外のものの比較ということで、フランスとドイツの比較がありました。
イギリスは元々、元々というか、先ほどずっと説明がありましたけれども、コモンローの問題もありました。そして、民事賠償の金額が高いと、高額ということでも、ほとんどもう民事だけになったというか、拘禁刑ですか、侮辱の方ですかね、それがなくなったというようなお話がありましたけれども。
その比較の中で、フランスはもうこの侮辱がなくなったと。失礼、刑ですね。刑としてフランスでは拘禁刑はないということで、しかし、ドイツの方は、お隣だけれども、二年というのが付いているということでした。
このドイツの場合ですけれども、フランスはもうなくなっているということですけれども、拘禁刑が、ドイツというのは戦前のヒトラーのナチスの問題がありましたので、侮辱表現とかそういうものに対してはかなり敏感じゃないかなということで二年が付いている、厳しめになっているということのその内容というんですかね、それ何でそうなったのかなということをちょっと知りたいんですけれども。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/94
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095・今井猛嘉
○参考人(今井猛嘉君) 私自身がドイツの法制を詳しく知るわけではございませんが、一般的に理解している、あるいは私が理解しているところでは、先生も御指摘のように、第二次世界大戦の反省がありますので、名誉毀損、侮辱併せてですけれども、一般に、今存在している人の評価をおとしめることが処罰されるのではなくて、真実を出す表現というのは許されていいんだという発想が割と強いんですね。
それが日本にも二百三十条の二として影響を受けているんですけれども、そういう真実を出し合うということは許されるけれども、虚偽の事実を出すことによって人の評価をおとしめるようなことというのは、これは許されない、責任ある言論ではないだろうということで刑が重くなっているのではないかというふうに理解しております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/95
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096・高良鉄美
○高良鉄美君 これ、実際にもその二年ぐらいの実刑を受けたというのはあるんでしょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/96
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097・今井猛嘉
○参考人(今井猛嘉君) 済みません、それは私もコンメンタールを読んで、だけでございますので、実際の運用についてはちょっと存じません。申し訳ございません。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/97
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098・高良鉄美
○高良鉄美君 ありがとうございます。
やはり先生がちょうど議論していく必要があるということで、今国際的な潮流も含めてずっとありますけれども、一か月ですね、ほぼ、まあ一か月でしたでしょうか、法制審の開かれた、去年ですね。やはり議論していく必要があるというのは、今もう議論がずっとありますけれども、その一か月で出るということについては何か適切な期間だったかどうかということでお聞きしたいんですけど。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/98
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099・今井猛嘉
○参考人(今井猛嘉君) ありがとうございます。
私も幾つかの部会にはこれまでも参加させていただいておりますが、侮辱罪に関する部会はその中でも期間は短かったですけれども、初めから議論が白熱していたと感じております。本当の核心的な部分にすぐ入っていきまして、弁護士の委員の方、あるいは実務家の方、研究者がかなり突っ込んだ大事な議論を初回から続けました。ですから、初回の段階で既にどこで議論が分かれ、どういう選択肢があるのか等が見えてきまして、二回目ではそれについての議論を継続しました。
やはり皆さん専門家の方でありますから、これ以上続けてももう結論の違いは見えているなということで決議に至ったのだと思いますので、私としては、その審議密度は高かったので、二回ではございますけれども、当時の感想として議論で残されたところはなかったと思っております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/99
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100・高良鉄美
○高良鉄美君 ありがとうございます。
一般的に一か月というのは短いかなという感覚を受けるんですけれども、やっぱりその間にいろんな議論をするというのは、委員の方々の審議会の議論だけじゃなくて、パブリックコメントとか、そういう外に向けたものも必要じゃないかなと思うんですが、その辺はいかがでしょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/100
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101・今井猛嘉
○参考人(今井猛嘉君) パブリックコメントは行政庁の施策等を検討する際にはとても有効なものだと思いますけれども、刑法というふうな罰則規定を考える際にパブリックコメントがそもそもどれぐらい有効なのかなというところは、私は個人的には思っております。それよりは、もう少し専門的な領域に知見や経験を持つ者が冷静に議論をするということの方がいいのではないかと思っております。
また、先ほどの先生の質問に対する補充の回答でございますが、部会長の差配も適切でありまして、二回目のときでも、随分と、ほかに御意見はありませんかというふうな意見を確認をされた上で議決に至っておりましたから、繰り返しになりますけれども、審議密度が非常に高く、かつ皆さんが初めからこのポイントについて議論しようというふうに目標が明確だったので相当な結論に至ったと思いますし、パブコメの必要性は感じなかったところでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/101
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102・高良鉄美
○高良鉄美君 ありがとうございました。
次に、山田参考人にお聞きしたいと思います。
先ほど萎縮効果の話も出たんですけれども、非常に分かりやすい図で、この萎縮効果の、先生の資料の最初にありますヤフーの非表示の問題がありましたけれども、この非表示をしていくこと自体がもう既に萎縮効果を先取りしているというような感じに受けるんですけれども、その辺り、いかがでしょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/102
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103・山田健太
○参考人(山田健太君) 萎縮効果と自主自律の自主規制というのは、なかなかその差は難しいのかもしれません。少なくともヤフーの場合には、自主自律、自ら律して自ら主体的に動くという意味合いでの自主自律の自主規制をした中での非表示対応をしているというふうに私は理解しておりますけれども、むしろそれよりも、萎縮というふうに言った場合には、外的な圧力であるとかあるいは社会全体の空気感であるとか、そういうものの中で他者の表現を必要以上に制約をする場合、あるいは、他者のそういう空気感の中で自らが本来したいという表現行為を取り下げてしまうということが起きているという実態、今の実態の方が萎縮というふうに呼ぶのにふさわしい状況かなと思っています。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/103
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104・高良鉄美
○高良鉄美君 やはり今ずっと山田参考人が一貫しておっしゃっているのは、やっぱり全体構造の中で弱者と強者の問題がありました。そのときの問題というのは、何か今の憲法のできてきた経緯も含めて、国家権力の中で行われてきた歴史と、その中でいうと、やっぱりこれまでの、随分、共謀罪の問題とか安保法制の在り方とか、そういう表現の自由が侵されてくるような過程というのを見たときに、というか、国家権力はそもそも強いわけですから、権力に対する批判というのが出てくれば、それは批判の対象に信頼の問題がすごく強くあると思うんですね。
だから、こういう法案が出てきたときにこういう対応をするというふうな、この法律の中身もそうでしょうけれども、実施をしていく際に大丈夫かなという、こういう不信が出てくるというのが大きな問題で。そのときには、やっぱり全体構造として、そのポイントだけではなくて、やはり今の刑法の審査だけではなくて全体的な流れからいうと、この刑法の一部改正、今回の法案については、それはどういうふうにお考えでしょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/104
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105・山田健太
○参考人(山田健太君) まさに今お話しになられたように、私自身はこの侮辱罪はたかがじゃないと思っているんですね。たかがではなくて、非常に大きな改正であって、全体構造、制度設計を変える法案の改正だと思っているんですね。
だからこそ、私自身は、先ほどの質問にもありましたように、今回の法務省の説明も、あるいは法制審の審議も不十分ではないかというふうに外形的に判断をしているわけでして、確かに、多少欠陥があっても、重大な立法事実があってその問題解決のためにどうしても必要な法案ならば、大きなベネフィットの前に小さい穴は目をつぶるとか、あるいは、皆さんもされるんでしょうけれども、附帯決議でばんそうこうを貼るなりして、あるいは見直し条項を付けて法案を通すという選択肢もあるかもしれません、あるかもしれません。あるいは、その政権の一丁目一番地のような、そういう主要政策を体現するような法制度の場合には、メンツに懸けて通すぞということもあるのかもしれません。今回、何があるんですかね。何があるんでしょう。それが分からないんですね。
しかも、繰り返し言っているように、とっても大きな方針転換で、これまではずうっと自由拡大してきたのを、いや、今後は、目の前の被害救済のためには、そうじゃなくて、規制していく方向で変えますよということを新たに言ったわけですね。でも、これはもっともっときちんと議論をして、全体の法構造をどうするのか、名誉毀損法体系どうするのか。
そもそも名誉毀損法体系というのは、前の議論も、お話もあったみたいに、秘密保護法制、緊急事態法制、名誉毀損法制というのは三本柱で、批判の自由を制約するために使ってきた、これはもう古今東西、政権が使ってきた三つの矢なわけですよ。その三つの矢をどういうふうにうまくバランスを取ってきちんと表現の制約なんなりにしていくのかというのはとっても大切な議論なわけで、そういうような、何というかな、重大な法改正なんだという認識がやはり十分に足りていなかったんじゃないかなというのを私自身はとっても危惧しているし、残念に思っているということであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/105
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106・高良鉄美
○高良鉄美君 ありがとうございました。
石塚参考人にお聞きしたいと思います。
刑事政策学の研究者の声明ということが出されておりますけれども、その中で日本の刑罰政策の根幹を揺るがしかねない同法案というような表現がありまして、これは相当、この揺るがしかねないという、大きな問題ということですけれども、その辺りはどういう意味合いを含まれておりますでしょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/106
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107・石塚伸一
○参考人(石塚伸一君) 二つあります。
一つは、先ほど申し上げましたように、日本の刑罰制度は刑罰一元論でした。しかし、今回の法案が通ると、自由刑の中に改善更生という目的が入るので、改善・処分法に変わる可能性があります。刑罰の基本的な軸です。
ドイツなどは、元々二元主義を取ります。過去の犯罪に対しては責任を追及する刑罰。将来の危険性に関しては、例えば精神病院収容処分だとか、常習累犯に対しては保安監置という保安処分、そういうものを科すのを二元主義で持っています。これは将来に対してです。
今回の十二条は、過去の責任と将来の改善更生と、これを一体化していますので、刑罰という枠組みの中で将来についての執行目的を書き込んだというのは非常に大きなことだと思います。
いま一つは、先ほど名前をお出ししていますけど、松尾先生が危惧されていた政治犯、国事犯の人たちを刑事施設に入れることが、例えば内乱罪は禁錮刑しかないんです。内乱というのは成功すると革命家ですから、内乱が失敗したときに刑務所に入ってきた人の思想を改造するということを意味します。
先ほど今井先生おっしゃいましたけど、日本のような民主的な国で、本当にこういう自由で民主的な国で生きていられて幸せだと思いますが、一旦何か事があったとき、どんな時代になっても刑法はその国の国民なり人々の生命と自由を守らなきゃいけないわけです。とりわけ、政治家の皆さんの発言や行動、これを守らなきゃいけないんです。刑務所に収容されたとしても労働を強制されたり改善を強制されたりすることのないように、皆さんを守っている法でもあるんです。
したがって、これをこの度のような改正を加えるということは、思想改善を認めることになるので、刑法改正としては根幹を揺るがすというふうに考えます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/107
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108・矢倉克夫
○委員長(矢倉克夫君) 時間です。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/108
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109・高良鉄美
○高良鉄美君 時間が参りましたので、これで終わりたいと思います。
ありがとうございました。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/109
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110・嘉田由紀子
○嘉田由紀子君 碧水会の嘉田由紀子でございます。
お三方の皆さん、長時間、もうこんな時間になって大変お疲れだと思いますが、私が最後ですので、十五分お付き合いいただけましたら。碧水会の嘉田由紀子でございます。
皆さんの中でかなり議論が深まり、広がっているんですが、私は、表現の自由と今の若い人たちの社会意識、法遵守の意識との関係を、皆様、大学の現場で教鞭を執っておられますので、是非教えていただけたらと思います。
と申しますのは、私は大学で教鞭も執っておりましたし、社会学で、それからまた自治体で行政もしてきましたけど、今の日本がここまで国際的に出遅れて、そしてこの後も大変希望が持ちにくい社会になっているのは、やっぱり一人一人の力が国際的に付いていっていないことだろうと思います。
それは、一つは、女性を軽視してきたという問題、それからもう一つは、やはり若者、子供が生きる力が弱くなっているんじゃないのかということで、表現の自由と関わるところで、是非、山田委員に、今日の資料の後ろのページに表現の自由の限界という図を、限界モデルを書いていただいているんですけど、これ、とっても社会学的に分かりやすいなと思って。ちょっとコメントいただけますか。お時間がなかったので、説明がなかったと思うんですが。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/110
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111・山田健太
○参考人(山田健太君) この表現の自由限界モデルについては最初の発言の中でも御説明させていただいたというふうに理解をしているんですけれども、基本的には、この太い線、表現の自由の限界というのがはっきりしていればいいんですけれども、表現の自由の場合には、この限界線がぎざぎざであったり、薄かったり、あるいは時代によってもやもやっと半分消えてしまったりということがあって、それがために、この図でいうならば③にあるように、どうしても自制あるいは萎縮をして、本来言ってもいいことまで行かずに手前で収まってしまうということが間々あると。
それをできる限り避ける必要がある場合もある。確かに、今日議論がされているように、誹謗中傷の議論については自制してくれた方がいいわけですよ。これは自制した方がいいんです。だから、この自由のモデルでいうならば、自制が大事な場合もいっぱいあります。僕らも、面と向かっては言うのをやめておこうねという形で、言わないことの方が多いぐらいですよね。
けれども、事、逆に自制をさせないようにしなきゃいけない場合もあるんだと。それが今日お話ししてきた批判の自由に関わる部分で、あるいは弱者から強者に対する心の叫びの部分で、そこに関しては、できる限り、その限界線越えてもいいんだよという、手を差し伸べるような工夫を社会にしていった方がいいと。
あるいは、今回の侮辱罪でいうならば、基本的にはこの曖昧さというのをむしろ大事にして、それによって今言ったような批判とかあるいは心の叫びを一定程度許容するような社会こそが民主主義の懐の深さだというふうに理解をしています。
実際、学生の方が、今の学生の話でいうならば、むしろ今はとっても萎縮して、あるいは自制して、基本的には言わない方が一般的ですね。何となく今の学生ってSNSでもう好き放題言っているという雰囲気がありますけれども、実際はそうではなくて、社会全体の空気としては言わない方向、この③の自制をする方向、傾向がむしろ強まっているというふうに言ってもいいんじゃないかと思います。
以上です。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/111
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112・嘉田由紀子
○嘉田由紀子君 ありがとうございます。
まさに、この③のところが自制をする、そこに、今回のこの侮辱罪の強化は⑥のところで、行政なり法律なりあるいは社会全体として、言わば手前でそんたくして発言しないようにする、これが私は社会学者としてとっても気になるところなんですね。
内閣府が日本の若者の意識調査を国際比較をしております。最新のは二〇一八年、平成三十年なんですけど、日本、韓国、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、スウェーデン、インターネット調査で、回答数も千とか千百ぐらいなので国全体ではないんですけれども、この若者の意識調査、いつも私は大変気にしておりまして。
と申しますのは、日本の若者、大きな特色としては、自分に自信がないという割合が圧倒的に多いんですね。韓国、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、スウェーデン全てに。それから、自分には長所がないというのも多いんです。それで、自分は役に立ってないと思っている。
特に、私は、その社会感覚とかあるいは政治参画のところでとっても気になっているのが、例えば今の個人の自由の問題ですけど、他人に迷惑を掛けなければ何をしようと個人の自由だという比率が日本は一五・七%。これ韓国三八・六、アメリカ五〇・二%、イギリス四三・七、ドイツ三九・八、フランス、スウェーデンも高いんですね。だから、個人の自由ということは、もう今の若い若者は本当に制約を自らが課している。山田先生の言われるこの③のところなんですね。そのことが実は政治や社会への関心の低さにつながっていて、分かりやすく言えば、社会をより良くするため私は社会における問題の解決に関与したいと思う若者、日本たった一〇・八%です。韓国が二九・九、アメリカ四三・九。この辺りが投票率とか政治参画への意識につながってくると思うんですけれども。
それで、お三方に、既に山田参考人にはお答えいただいているんですけれども、今井参考人に、今大学で教鞭執っておられて、この日本の若者の自信のなさ、満足感の低さ、そして社会的発信力の意思の弱さ、こういうところに今回のこの侮辱罪とか強化をすることで、あるいは表現の自由に足かせを掛けることで日本の将来に危惧を持ってしまうというような懸念は過剰でしょうか、それともそういう懸念があるでしょうか。今井参考人、お願いします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/112
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113・今井猛嘉
○参考人(今井猛嘉君) ちょっと考えたこともない御質問なのでどう答えられるか分かりませんが、学生さんがこの二十年以上にわたるデフレの中で育ってきた方ばかりですから、やはり私たちが育ってきたように日本に明るい未来を見ていないことは事実です。そのときに鬱積したのが、表現を自粛するのか、逆に今回の事件のようにSNSだからといって過剰に走るのか、それは分からないですね。むしろ、やはりその自由、外面を整えているがためにスマートフォンに向かって自分の内面が発揮されて無軌道に走ることもあり得ますので、そういった意味では、刑事法との観点から見るとこういう規制をつくっておく必要はあるのかなと改めて思った次第でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/113
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114・嘉田由紀子
○嘉田由紀子君 同じ質問を山田参考人、いかがでしょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/114
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115・山田健太
○参考人(山田健太君) 今お使いになった言葉で話をさせていただきますと、若者の現在の弱いところというのは、社会的な関心が十分持ててない、あるいは、その知った出来事に関して想像力が十分に働かない、その上でなかなか行動に移せない状況があるんだというふうに思います。すなわち、その関心、それから想像力、行動力というこの三つの観点が大きなポイントでして、実際きちんと社会の状況を理解して相手の立場について想像ができれば、誤った行動をする比率は、というかその状況はぐっと低くなる。
これは私たちのジャーナリズム教育の中でも非常に明らかな効果として見える部分でありまして、それからするならば、じゃ一体、今回のいわゆるネット上の誹謗中傷対策として何が必要なのかというのは、そういう関心を持つことも、想像力を、何というかな、受容することも止めて、上から押さえ付けるんじゃなくて、むしろきちんと学生に自主的な判断をさせていく、若い人たちにいろんな物事を考えてもらうという社会づくり、あるいは教育の在り方というものを高めていく必要があるわけでして、それこそが現在、今、国としても力を入れていらっしゃる情報教育あるいは情報リテラシー教育につながっていくものだというふうに理解をしています。
以上です。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/115
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116・嘉田由紀子
○嘉田由紀子君 ありがとうございます。
石塚参考人、今の質問、いかがでしょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/116
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117・石塚伸一
○参考人(石塚伸一君) 僕、いろいろ今日も発言させていただきましたが、小学校一年生のときに入学式のときに並んでいて、ここのところ、石塚のヅというのがスに点々だったんですよ。嫌で嫌でしようがなかったんです。そうしたら、内堀先生という先生が、何か分からないこととか嫌なことがあったりとか言いたいことがあったら言いなさいと言ったら、はいと手を挙げて、僕のヅはスに点々じゃなくてツに点々ですと言ったら直してくれたんです。僕、それ以来、分からないことがあったり思ったことがあったら言うことにしたんです。それは、僕の育った時代の民主的な自由な空気の中で、私は発言することに関して内堀先生からメッセージをもらったんですね。それを今回、学生たちでゼミでやってみても、やっぱり誹謗中傷はいけないと、非常に大人の意見が出てきます。
今回、こういう新たな法を作ることが、メッセージとして若者たちに黙れと伝わるのが怖いです。言っている内容が何であれ、ひとまず黙っときなさい。ゼミで意見求めてもしゃべらないので、どうするかというのでいろいろ考えまして、LINEで、質問がある人、LINEに書いてというと、いっぱい出てくるんです。つまり、彼らは、LINEだとかSNS上は、彼らの発言したいことを匿名性の中で発言する場であるという側面もあるんです。それを完全に奪ってしまっていいのかという問題は、今先生おっしゃいましたような、これからの学生たち、若い人たちをどう育てていくかというときに真剣に考えなきゃいけないことだと思うので、じっくり議論するので今回何か決める問題ではないと思います。
以上です。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/117
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118・嘉田由紀子
○嘉田由紀子君 ありがとうございます。
私も、自分も子育てをし、また自治体で教育、子育ての責任を持ち、そして今の若い人たち、大学でも本当に自制心が強過ぎるというか、私たちの世代のときはもう政治がんがんやっていましたから、自分たちが。それから比べると本当に自制心が強過ぎて、それが社会全体の活力低下に、そして国際的な問題にもつながっているのではないのかと。
今、石塚参考人が言っておられたように、本当に発信力を社会化して、匿名ではなく出せるような、それはやっぱり全体のサポートだと思うんですね。それ、アメリカ社会に私もいましたから、そういう意味でアメリカ、ヨーロッパの方がずっと強いわけで、そこを日本が今回の法案でどさくさ紛れにこういうことを入れるのは、私も大変懸念を感じております。
それから、最後に一つ、この間、川越少年刑務所に視察をさせていただいて、本当に皆さんが、石塚先生が言われるように、現場で頑張っておられる皆さんの、今の少年刑務所の再犯防止などの自主的なサポートに対しては、このままいったらいいのか、あるいは私たちがもっと学ぶべきことがあるのか、少し逆に示唆をいただけたら有り難いです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/118
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119・石塚伸一
○参考人(石塚伸一君) 現場は努力されていますし、努力を否定するものではありません。
少年院における処遇の適切性は、成人においての犯罪率の低下という形で出てきます。犯罪は物すごく減っています。少年の犯罪は五分の一から六分の一ぐらいまで減ってしまっています。このことがいいのかどうかというのは、一つ大きな問題ではあります。
それと、処遇プログラムですが、効きません。大して効きません。何かの処遇をして五〇%以上効いたら、そんなの怖いです。大体一〇%から一五%ぐらいの効果があれば、それは効果があったということになります。
どうやって調べるかというと、その処遇をしない人とする人とを比較対照して再犯率を比較するというような方法しかありません。ただ、日本ではこれはできません。なぜかというと、人権を侵害するからです。やればいいと分かっていることはみんなにやります。ワクチンの検査でも、効果を測定するときに、海外みたいに二つ、使って、使わないので比較するのって日本はできないじゃないですか。
やっぱり日本の枠組みの中で何が効くのかということを考えたときに、今の努力は一定程度働きかけとしては功を奏していると思うので、この努力をこれからも継続していくという必要はあると思います。
以上です。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/119
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120・嘉田由紀子
○嘉田由紀子君 ありがとうございました。
時間になりましたので、お三方、どうもありがとうございました。参考にさせていただきます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/120
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121・矢倉克夫
○委員長(矢倉克夫君) 以上をもちまして参考人に対する質疑は終了いたしました。
参考人の皆様に一言御礼を申し上げます。
参考人の皆様には、長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただきまして、誠にありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。大変にありがとうございました。(拍手)
本日はこれにて散会いたします。
午後零時五十分散会発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/120815206X01620220607/121
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