1. 会議録本文
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000・会議録情報
昭和三十一年二月二十三日(木曜日)
午前十一時三十五分開会
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委員の異動
本日委員吉田萬次君、泉山三六君、松
野鶴平君及び赤松常子君辞任につき、
その補欠として大屋晋三君、川村松助
君、佐藤清一郎君及び久保等君を議長
において指名した。
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出席者は左の通り。
委員長 高田なほ子君
理事
一松 定吉君
市川 房枝君
委員
岩沢 忠恭君
川村 松助君
西郷吉之助君
佐藤清一郎君
久保 等君
中山 福藏君
衆議院議員
法務委員長 高橋 禎一君
政府委員
法務省民事局長 村上 朝一君
事務局側
常任委員会専門
員 西村 高兄君
法制局側
法 制 局 長 奧野 健一君
説明員
最高裁判所長官
代理者
(事務総局家庭
局長) 宇田川潤四郎君
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本日の会議に付した案件
○家事審判法の一部を改正する法律案
(内閣提出、衆議院送付)
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001・高田なほ子
○委員長(高田なほ子君) これより法務委員会を開会いたします。
議事に入ります前に委員の差しかえがございましたので——吉田萬次先生の辞任に対しまして大屋晋三先生、それから泉山三六さん、松野鶴平さんの辞任に対しまして、川村松助さん、佐藤清一郎さん、赤松常子さんの辞任に対しまして、久保等さん、以上委員の差し入れがございましたので御紹介を申し上げます。
まず家事審判法の一部を改正する法律案を議題に供します。
本案について御質疑のおありの方は御発言をお願いいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102415206X00519560223/1
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002・一松定吉
○一松定吉君 開会前に婦人人権擁護同盟の代表田辺繁子さん並びに東京家庭裁判所の参調会の会長黒田善太郎さん及び副会長の大浜英子さん、これらの方から陳情があって、委員長がそのことをお聞きになったのでありますが、それを一つ御報告願いたい。そしてそれを本委員会の参考に供してわれわれが意見を述べたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102415206X00519560223/2
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003・高田なほ子
○委員長(高田なほ子君) ただいま婦人人権擁護同盟代表の田辺繁子さんから、本院に対しまして陳情書が参りましたので、この陳情書を一応御披露申し上げまして審議の御参考に供したいと存じます。
このたび衆議院を通過した家事審判法の一部を改正する法律案は、衆議院で、政府原案を一部修正し、第十五条の二において定められた家庭裁判所のする履行状況の調査勧告は、「権利者の申出があるとき」に限ってできることとなりました。
家庭裁判所において審判や調停がされた後に、その債務の履行について裁判所自身が関心を持ち、これに責任を持たなければならないということは、当然のことでありますが、今日まで履行確保の制度が欠けていたために、いかに多くの婦人が正当な権利を行使できないで泣き寝入りになっていたかは、周知の事実といわなければなりません。しかるに今回の衆議院における修正のように、「権利者の申出」がなければ家庭裁判所は履行確保が一切できないということになっては、たとえば暴力によってその申出を阻止されるというようなことも予想されますし、依然として泣き寝入りになる婦人が多くいることをおそれるものであります。話にきくと申出の手続はできるだけ簡単なものにするそうでありますが、手続が簡単であるかどうかということは少しも物事の本質をかえるものではありません。
家庭裁判所の事件における権利者は、大多数婦人であり、また経済的弱者であります。これ等の者の権利をまもるためには、家庭裁判所は、むしろ義務として履行確保のための調査勧告をすべきものであります。従ってわたくし達は、今回の衆議院の修正には強く反対するものであります。どうか貴院においてはこれ等の点をよく御考慮の上慎重御審議をお願いします。
昭和三十一年二月二十三日
婦人人権擁護同盟
代表 田辺繁子
参議院法務委員長
高田なほ子殿
こういう陳情書でございます。御参考に供します。
続きまして、東京家庭裁判所参調会の会長黒田善太郎氏、副会長大浜英子氏から本法案に対しての陳情書がございますが、大浜英子さんが本日見えられておりますが、陳情書を読み上げます。
陳情書
昭和三十一年二月十七日衆議院に於いて一部修正をみた家事審判法の一部を改正する法律案を、別紙の通り、更に修正せられるよう、貴院に於いて御審議願います。
東京家庭裁判所参調会
会長 黒田善太郎
副会長 大浜 英子
昭和三十一年二月二十三日
参議院法務委員会御中
衆議院に於いて修正された家事
審判法の一部を改正する法律案
第十五条の二 家庭裁判所は、権利者の申出があるときは、審判で定められた義務の履行状況を調査し、義務者に対して、その義務の履行を勧告することができる。
修正を要望する点
右条文中線を引いてある文言「権利者の申出があるときは、」を削除すること。
修正を要望する理由
「権利者の申出があるときは」と言う事になっていると、申すまでもなく権利者の申出がない場合には家庭裁判所は自ら進んで履行状況の調査もできないし、また義務者に対してその義務の履行を勧告することもできないこととなるので、この条文のねらう目的が非常に弱いものとなる。
法律は権利あれどもこれを主張しない者、つまり権利の上に眠るものはこれを擁護しないという考え方もあるが、家庭事件の特殊性にかんがみて審判調停のアフター・ケーアをすることは絶対に必要であって、これなくしては家庭裁判所が設けられた本来の趣旨も充分に達成せられないということを、われわれは日頃痛感している次第である。従ってこの場合権利者の申出をまつことなく、家庭裁判所が履行状況を調査し、その義務者に履行を勧告することが出来ることにすべきものと思う。
よってここに右の如く修正を要望するものである。
以上です。
こうしたせっかくの陳情、御要望もありますので、どうぞ御審議の途中にも十分御忖度いただきまして、御質疑をお願いしたいと存じます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102415206X00519560223/3
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004・一松定吉
○一松定吉君 今の御紹介になりました、婦人人権擁護同盟の田辺繁子さん並びに家庭裁判所参調会の会長黒田善太郎さん、副会長大浜英子さんのこの陳情書の趣旨は、私はもっともだと思う。ただしこれらの方は衆議院で修正せられた「権利者の申出があるとき」ということを削ってくれと言うが、削っただけじゃ、こういうことの趣旨に沿わない。削っただけでは、やはり「勧告することができてる。」だから、勧告してもせぬでもいいということになる。そこで私はこの前から衆議院の委員長並びに政府委員にお確かめしておるのは、原案通りにしておいて、「権利者の申出があるときは、」という、これを入れない。衆議院の修正しない前の通りにしておいて、十五条の二の勧告することができる。ただし権利者の申出があるときは、義務の履行状況を調査し、義務者に対して、その義務の履行を勧告をしなければならぬ、こういうようにすれば、今陳情者の両人からの御趣旨にぴったり合うことになる。またそれの方が家庭裁判の性質からしてもいいと私は思う。裁判所のいろいろな事情で、審判で定められた義務の履行の調査も何もせぬで、ほったらかしておく、あるいは義務者に対して義務の履行を勧告しないというようなことがあるときには、これはもうたまらぬからして、ぜひやって下さいということの申出があったときには必ずしなければならぬ、こういうように私はただし書を入れる方がいいと思う。それから十五条の三については、いやしくも十五条の二の権利者の申出があるときはするのだけれども、申出がないときには、「勧告することができる。」であるから、してもせぬでもいい。してもよければせぬでもいいでほったらかしておるときに、十五条の三の「権利者の申立により……命ずることができる。」というようなときには、義務の履行を怠ったものがあるかないかわからない、権利者の申立がなければ。ほったらかしておる。そういうようなことも十五条の二の規定があって、権利者の申出があるときは、しなければならぬということがあれば、した結果、義務の履行を怠っておるものであるということが明らかになる、家庭裁判所は。その明らかになったときには、ちょうど権利者の申立があるのだから、その申立によって相当の期間を定めてその義務の履行を命じなければならぬ、こういうようにすることの方が、私は両方とも完全にいくと思っていいと思うのですが、これについては前回もこの点をお尋ねしたのですが、その後冷却期間もあったのですからして、さらに政府委員のその点に対する御意見を承わって、次に衆議院の法務委員長の御意見を承わりたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102415206X00519560223/4
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005・村上朝一
○政府委員(村上朝一君) 前回申し上げました通り、十五条の二の規定は、従来家庭裁判所というものは審判または調停をするだけであって、それ以外のことはしないという建前になっておりましたのを、審判または調停のほかに、履行状況の調査及び履行の勧告という、あとのお世話もできる、してもよろしいという権限を与えた規定でありまして、この規定がございますれば、家庭裁判所は、この条文の趣旨から申しまして、審判または調停で定められた義務の履行を確保するために必要があると考えられます場合には、義務の履行状況を調査いたしますし、また調査の結果、履行の勧告をする必要があると考えましたならば履行を勧告するという職責を持っておるわけでございまするから、原案で十分目的を達し得ると、かように考えておるのであります。衆議院で「権利者の申出があるときは、」という字句を加えて修正になりましたけれども、本来家庭裁判所が調査に乗り出す、あるいは履行の勧告をするということは、審判または調停で定められた義務が履行されていないということが家庭裁判所にわかりまして、調査に乗り出す必要があると認めたときにやるわけでありまして、何らかの権利者の側からの申出なり、あるいは履行されなくて困る、何とかしてもらえないかというような話がありまして、それが端緒となって動き出すものであると、かように考えますので、かような修正がありましても原案の趣旨と大体において変るところがないと考えまして、修正には異存はないと申し上げた次第であります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102415206X00519560223/5
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006・一松定吉
○一松定吉君 そうすると何ですか、義務の履行を勧告することができるということは、必ず勧告するとおっしゃるのですか。自由だということになりませんか、法律解釈として。勧告してもよければせぬでもいいことができるのであって、「勧告することができる。」とあれば、必ず勧告しなければならぬという絶対的のものではないでしょう。それがあなたは絶対的のものであるというような考えをなさるからそういうような解釈ができるが、これは勧告してもよければせぬでもいいのです、「できる。」ということであれば。しかるに「権利者の申出があるときは、……勧告することができる。」、こういうことがあるときは、申出がないときには勧告せぬでもいいじゃないですか、この「申出があるとき」という文字を入れる以上は、それはどういうふうに解釈しますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102415206X00519560223/6
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007・村上朝一
○政府委員(村上朝一君) 義務の履行を勧告することが、履行確保のために必要であると考えましたならば、勧告をすることが家庭裁判所審判官の職責であると解釈いたします。それから申し入れがございましても、履行勧告をすることが相当でない、あるいはその必要がないと考えましたならば、履行を勧告すべきものでないと、かように考えます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102415206X00519560223/7
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008・一松定吉
○一松定吉君 それならば必要あるときは、ということはなぜ入れない。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102415206X00519560223/8
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009・村上朝一
○政府委員(村上朝一君) この規定の解釈上当然のことだと考えて、必要があるときは、という言葉を入れなかったのでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102415206X00519560223/9
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010・一松定吉
○一松定吉君 なぜ当然か、その当然のわけ。そんな君でたらめのことは答弁しちゃいかんよ。必要という文字がないのに当然であるということは、その当然はどこからくるのか、それを説明したまえ。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102415206X00519560223/10
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011・村上朝一
○政府委員(村上朝一君) 裁判所にある権能を与えられましても、必要がなければ権能を行使すべきものではないのでありまして、必要があるときに初めて裁判所の権限というものは発動すべきものであることは当然であると、こう考えます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102415206X00519560223/11
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012・一松定吉
○一松定吉君 必要があるかないかということは裁判所の認定によってきまる。裁判所の認定によって、あなたは裁判所が必要がないと認めれば勧告しない、必要があれば勧告するんだ、そういうようなことであるとすると、この文字は働きませんよ。婦人会の連中が、こういうようなことでは家庭裁判所のほんとうの審判にされたら義務の履行が確保されないから、ということを心配をしてこれは申出をされた。あなたのような必要があるかないか裁判所が勝手にきめるでしょう、必要のあるときはやるし必要のないときはやらぬことになると、この十五条の二の——初めの衆議院で修正しない前と同じことであって、裁判所が必要がないと認めれば勧告しない、必要であると認めれば勧告するということになる。つまり任意性をこの十五茶の二に認められておる。だから私は任意性を認められておることはよろしい、しかしながらこれは勧告してもらわなければならぬというときには、債権者の申出によって勧告したければならぬ、こう入れれば両方受けることになるからというのに、あなたはそれが反対であるという意味において、この十五条の二は必要であるというときには勧告するが、必要がなかったら勧告せんでもいいという解釈なんだ。この十五条の二は、それは裁判所が必要があるかないかという意味であって、権利者から見れば、これは勧告されなければ困るんですというときには、権利者がただし書によってどうか一つ義務の履行を調査し、義務者に対してその履行を命じて下さいという申出があるときには家庭裁判所は勧告しなければならぬと書いた方が完全じゃないかと、こう聞くのです。必要があるときにはやる、必要がないときはやらぬということになれば、いわゆるきょうの陳情者の心配しておることが実現することになる。だから政府というものは原案を出して、原案がこれは悪いなと思ったら修正することにやぶさかでなければならぬような態度でなければならぬ。原案をどこまでも固持してこじりつけを言うて、必要があるのかないかは裁判所がきめるんだから、必要があると認めれば必ず調査するんだ、必要がないと認めれば裁判所は調査しない。それでも今の理由をどこまでも固執なさるのですかどうですか、もう一ぺん。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102415206X00519560223/12
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013・村上朝一
○政府委員(村上朝一君) ただいま申し上げた通りであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102415206X00519560223/13
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014・一松定吉
○一松定吉君 ただいま申し上げた通りが意味をなさんから、必要があるのかないのかどこできめるのだ、そういう文字は十五条の二にはないですよ。それを答えて下さい。私の尋ねることを答えなさい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102415206X00519560223/14
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015・村上朝一
○政府委員(村上朝一君) 先ほどお答えしたつもりであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102415206X00519560223/15
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016・一松定吉
○一松定吉君 答えた通りにならんから今聞いておる。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102415206X00519560223/16
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017・高田なほ子
○委員長(高田なほ子君) ちっとそれでは非常に大切な点を論議されておりますが、裁判官の……調停官の職責履行に対してこの「することができる。」というところで今論争が行われたわけですが、これが義務……職務履行をするための拘束規定であるのか、また一応注意規定であるのかというところに論点があるように考えられます。一応ここで法制局の見解も聞いて見たらどうかと思います。法制局の方の発言を一つ……。奧野さんが見えたらここを一つ法制的に説明をしてもらいたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102415206X00519560223/17
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018・高橋禎一
○衆議院議員(高橋禎一君) 婦人の代表の方々等から陳情書を提出されておりまするのでありますが、この法律をどういう形にするかということについては、これはいろいろ御意見があり得ると思いますが、その根本の目的であるすなわち家庭裁判所において審判なり、あるいは調停なりによって確定したところの債務がどこまでも履行されなければならない、債権者の権利が確保されなければならない、それをぜひとも法制の上で実現して行くようにしようという、その点については、これはいささかも異なるところはないわけであります。決して泣き寝入りをする方が少々あっても、仕方がないなんていうような気持でなくして、債権者は、いろいろお話がございましたように、ほんとうに他の債権、通常民事訴訟に現われるものとは異なって、家庭裁判所に現われるところの債権者というものは弱い立場におられるわけですから、そこを国の配慮によって、どこまでもその権利が実現できるようにしよう、こういうふうな考えを持って、衆議院においてもいろいろ審議し、結論を出したわけであります。これにつきましては、きょう代表においでになった田辺愛子先生、その他弁護士会の代表とか、調停委員の方の代表とか、あるいはまた民法なり民事訴訟法等に関する識見の高い学者の方とか、いろいろの方を参考人においでを願いまして、貴重ないろいろの御意見を伺ったわけであります。それらを十分参考にいたしましていろいろと審議の結果、御存じのような結論になったわけでありますが、そこで第一に考えますことは、法律をどういう形で作るか、こういう点であります。一松先生御指摘の通りのそういう形の法律ももちろん私はりっぱなお考えであると思うのでありますが、また衆議院において考えましたところでは、第一に家庭裁判所の本質なり、あるいは家庭事件というものを考えてみますというと、これにはいろいろ複雑な事情がございますから、ただいわゆるあかの他人の間において金を払えなどというようなものでなくして、やはり権利者と義務者との間に今なお、たとえば扶養義務のような場合には親族関係が継続しております。それから離婚されたような場合でも、かつて親族関係にあり、夫婦共同の生活をされたという過去の歴史があるわけです。そしてまたその間に子でもありますというと、権利者と義務者のどちらかがその子を養育しておるというような関係もありますので、従ってそう一刀両断に、簡単明瞭に片づけることができない面があると思われますので、それらの点もいろいろ研究し、それが考え方の基本に相なっておるわけであります。そこで申出によりということを特に付け加えましたのは、この前の委員会においても簡単に申し上げたわけでありますが、大体今家庭裁判所において審判なりあるいは調停なりによって確定した債権債務が履行されないものが一カ年に私の記憶では二万件くらいあるように思うのであります。その二万件について審判なり調停なりに現われておる書類を一々見て、そうしてその履行期を調べ、そうして履行期に達しておるけれどもまだ履行されておらないものを、その履行期が過ぎたからといって直ちに一件残らず調査をしていくということは、これはいわゆる訴訟経済の原則の上から考えてみて一体どうであろうかという点と、いま一つは、そういうことをやることによって、かえって親族間なりあるいは今まで親族であったという歴史を持っておられる方々の間において、ほんとうに家事審判法の目的を達するような、その大きな理想というものと反したような事柄がそこに生まれてくるのではないか、かえってそういうことをやることによって弊害が生まれてくるのではないかということも、これも懸念されるわけであります。従いまして、それらをいろいろと調整し、調和して考えて参りますときに、債務の履行をされない、けれどもこれはこのままにほうっておくわけにはいかない、どこまでもこの履行をしてもらわなければならぬという方々が、適当な時期において、そうして申出があればそのときに家庭裁判所が働くということによって、決してその権利者を保護しないという結果にはならない。従いまして特に申立などという非訟事件手続法による正式の形式的な処理とか、あるいはまた印紙を貼用するというような手続をとらないで、申出として電話でも、いいし、はがきでもけっこう、あるいは口頭でいいですし、そういうふうにただ権利者が調査をしてもらいたい、履行を勧告してもらいたいという意思が家庭裁判所の方に通じさえすればいいわけでありますから、これは決していいやな思いをなさる必要もなかろうと思いまするし、またそれによって大きな犠牲を払われるという関係にもならない、そういうふうな判断をいたしまして、印紙も張らないで済む、こういうところから、それだけのことは権利者がなさるであろう、こういうふうな考えでもって、申出としておけば十分この目的が達成できる、だから履行期はきたけれども、少し様子を見た方がかえってお互いのためになるというような権利者がありました場合には、やはりそのお考え通りに裁判所が処置していくという方が賢明である。ただ履行期が過ぎているが、まだ払っているかいないか調べてみて、そうして払っておらなければすぐ勧告するといったような、こういうことにするよりは、かえってその方が法の目的を達成するゆえんではないか、こういう考えを持ったわけでございます。もしもこの申出がないのに調査するということになりますると、その時期について、あるいは方法について非常に、何と申しますか、ゆとりのないものになって参ります。もしも調査漏れ等があれば債権者を不平等な取扱いをしたというようないろいろの論議がそこに生まれてくることを私は少々憂えておるような次第でございます。そういう事情でこの申出というのをあえて加えたわけであります。これあるがゆえに権利者が泣き寝入りをするというようなことはない、しかしながら法律に通じていらっしゃらない方に対しての心配もございますが、この前の委員会で申し上げましたように、婦人の方々の中でいろいろとごめんどうをみていらっしゃるような方はもちろんのこと、私どもも力を合せてこの法律の普及ということに努力をいたしまして、これが国民全体に徹底をいたしますときに、私は十分この目的は達成できると堅く信じておるような次第であります。
それから次に「命ずることができる。」という表現でございますが、これもやはり立法の一つの私は技術の問題になるのじゃないかと、こう思うのであります。家庭裁判所が法律によって一つの権限を与えられたときに、その権限を公正妥当に法律の目的の線に沿うて運営して参りますこと、その権限を行使いたしますことは、これは当然の職務でありまして、ただ、しなければならぬと書いてあれば必ずやるし、ただ「できる。」としてある場合には当然やらなければならぬことでもやらなくてもいいのだというような、そういう考えは持つべきでない、こう考えるのであります。
それからまたはなはだ極端な例になりますが、この履行をなすことができるという場合とぜひともやらなければならぬという表現を用いることの間には、いろいろとまた他に付随の規定の仕方が変ってくる、こう思うのであります。「命ずることができる。」と、こう規定しておりまするこの法律においては、先ほど申し上げたように、必要なものについてはやらなければならないわけでありまして、しかしそれにはまあ時期なり方法等について若干のゆとりがあるという感じです。これもやはり前申し上げたと同じように、本人から、債権者から、支払いの履行を命じてくれ、こういう申立がございましても、右から左にはそれでは履行命令を出すかというと、私はこの法の運用としては、むしろすぐ履行命令を出すという方法もございましょうが、しかしまたときにはさらに勧告するなり、いろいろと裁判所が履行をされるようにお世話をして、それでもなおかつこれは履行をしないという悪質な点が認められれば、この履行の命令を出すというそれだけのゆとりがあるところに、大きな味わいがある、そうしてそういう味わいを持つところに、この家事審判法のほんとうの生命ともいうべきものがあるように考えられるわけであります。すなわちこの「命ずることができる。」という問題は、法律の表現の仕方が異なるに過ぎないのであって、むしろ私はこういう表現を用いた法律の方に味わいのある進歩した、家事審判法に最も適した用語であるというふうに考えておるわけでございまして、要するに先ほど来政府委員からの御答弁もございましたが、結論においてはいささかも異なっておるところがない、これをもってお答えといたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102415206X00519560223/18
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019・高田なほ子
○委員長(高田なほ子君) 家庭局長宇田川さんの意見を、一松さんの御質問に続いて答えていただきたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102415206X00519560223/19
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020・宇田川潤四郎
○説明員(宇田川潤四郎君) 私は前回この席で申し上げました通り法務省の原案が正しいものと確信しておるわけでございます。一松委員の、家庭裁判所は審判で定まった義務の履行状況を調査し、義務者に対してその義務の履行を勧告しなければならないというような積極的な御意見は、家事審判法の精神あるいは家庭裁判所の性格から申しまして、審判のやりっぱなし、調停のやりっぱなしではいけないので、あくまでも責任をもってアフター・ケアをしなければならないという大精神から申しますと、確かにさような御意見が正当と考えます。けれども、現在の家庭裁判所の実情を申し上げますと、大体五割くらいが不履行になるのでございます。従いまして履行になっておるものが五割ほどございますので、その五割について家庭裁判所は常に調査しなければならないというようなことになりますと、先ほど高橋委員長の申されたように、現に円満に履行されている部分について調査をするというようなことになりますと、あるいは感情的におもしろくない問題も起る場合もあります。従いましてそういうような問題については、あながち調査をする要はないのじゃなかろうか。そこで原案のように「調査し、義務者に対して、その義務の履行を勧告することができる。」というようなことになっておりますと、債権者から、先ほど申したようにあるいは電話なりあるいは口頭なりあるいはその他の方法等によって家庭裁判所が不履行の事実を知った限りにおいては、責任をもってアフター・ケアをするということが、非常に結果においていいのじゃないか。こういう意味で権限さえ与えて下さるならば、家庭裁判所は裁判官の、あるいは調査目の、あるいは調停員のヒューマニズムに立脚して、必ず不履行の場合には調査し、履行を勧告するのでございますので、まずまず権限さえ与えて下さればけっこうだと思うのであります。衆議院の修正の「権利者の申出」という言葉を十五条の二に入れるということにつきましては、私衆議院におきましてもこれは非常に反対したのであります。けれども、すべて立法は妥協でございますし、運用の面で何とかこれをまかなえる方法もあるというようなことも考えましたし、最初の衆議院の意向では、権利者の申立、こういうふうな言葉を入れるべきであるというような御意見もあったのでございますが、申立となりますと、非訟事件手続法、その他におきまして厳格な方式を定めなければならない、また印紙の貼用も必要だということになりますので、申立という言葉を申出という言葉にかえていただいたので、この線に同意したような次第でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102415206X00519560223/20
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021・一松定吉
○一松定吉君 法制局長の意見を聞くについて、私の考えを申し上げて、それを御参考として法制局長の意見を発表していただきたい。
法制局長の御意見を承わりますについて、私が法制局長の御意見の御発表前に、御参考に供していただきたいことは、十五条の二の「義務の履行を勧告することができる。」ということは、任意規定だ、これはしなければならぬということにはならないのだということについての御意見ですね。「義務の履行を勧告することができる。」ということは、勧告することができるのであって、任意規定だ。してもよければせぬでもいい。ところが勧告しなければならぬということになると絶対的にしなきゃならぬということになるのだが、「勧告することができる。」という意味は、勧告しなければならぬという意味を含んでおるか、それが一つ。
第二には十五条の二の「家庭裁判所は、」の下に「権利者の申出があるときは、」「勧告することができる。」、そうすると申出がないときは勧告せぬでもいいということになりはしないかと、それをお尋ねする。権利者の申出があるときはこれこれこれこれを「勧告することができる。」とあるのだが、じゃ申出がないときには勧告せぬでもいいのじゃないか、こういうことに解釈されるのじゃないか、まずこの十五条の二について法制局長の御意見を承りたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102415206X00519560223/21
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022・奧野健一
○法制局長(奧野健一君) 十五条の二は、「勧告することができる。」という権限といいますか、権能を付与した規定と考えます。そこでこれは履行状況を調査して義務者に対して勧告するのが相当であるというふうに認めた場合は、もちろん勧告しなければならないというのが理の当然であろうと思います。しかし十五条の二は、ただそういう権限を付与するということを主として規定したものでありまして、調査をいたしましても、履行状況が完全にいっているような場合はもちろん勧告をする必要もなく、またその他の事由によって勧告をするのを相当と認めない、そういう必要がないと認める場合は勧告しないこともあろうと思います。また相当と認める場合は勧告しなければならないと思います。相当と認めておりながら、なお勧告しなくてもいいという規定ではない。しかしこの正面からは、そういう勧告の権能を与えたという規定と解釈すべきだと思います。
それから第二は、「申出があるときは、」云々というふうに修正いたされましたので、申出がないときは勧告の権能がないというふうに解釈すべきようになるのじゃないかと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102415206X00519560223/22
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023・一松定吉
○一松定吉君 ちょっとおしまいの申出がないときは勧告すべきものじゃない、こう言うのだね。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102415206X00519560223/23
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024・奧野健一
○法制局長(奧野健一君) はあ。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102415206X00519560223/24
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025・一松定吉
○一松定吉君 そうだろう。わかりました。
それから十五条の二と三とを対照にいたしましょう。十五条の三の申立云々という申立と十五条の二の申出、これは言葉が違うのです。違うが、申立というのは、先刻お話のように形式がきまっており、それから印紙を張らなければならぬ、申出というのは形式がきまっておらぬということは、これはまあ申出という文字に対しての法律術語としてきまっておらぬからいいでしょうが、しかし申出は必ずしも申立よりも力が弱いのだ強いのだとかいう比較にはならぬのじゃないか。申立というのは形式がきまっており、印紙を貼らなければならぬが、申出では申立より弱いのだという解釈は、申出そのものについて法律上の意義がないのですから、申出そのものについて法律上の意義がきまっていないのだから、申立よりも申出の方が弱いのだという論拠にはならぬと思うのですが、いかがですか、法制局長。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102415206X00519560223/25
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026・奧野健一
○法制局長(奧野健一君) 訴訟法等において申立という場合は、判決とかあるいは決定というふうな裁判所の意思表示を求める場合に、中立というふうな言葉を通常使っておるように考えております。申出というのはそれほど強く、という言葉が当りますかどうですか、その裁判所に対して申出るような場合でも判決とかそういったような決定とかというのではなく、質実行為を求めるとか、あるいはここではおそらく勧告という十五条の二の方が、十五条の三の場合よりもやや軽いというような感じ、あるいは十五条の四が事実上金銭の寄託を受けるというふうなことで、はっきりした判決とかあるいは決定を求めるというふうな、いわば重いような意思決定を求める場合と区別する意味において、十五条の三の場合は裁判を求めるのであるから申立という字を使って、十五条の二と十五条の四を申出という少し広い言葉を用いたのではないかというふうに考えます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102415206X00519560223/26
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027・一松定吉
○一松定吉君 そこで私は今法制局長の解釈の通りとして、この「権利者の申出があるときは、」ということはのけて、衆議院の修正はないことにして、元の原案通り十五条の二「家庭裁判所は、審判で定められた義務の履行状況を調査し、義務者に対して、その義務の履行を勧告することができる。」と規定して、ただし権利者の申出があるときは勧告しなければならぬ。こうした方がこの十五条の二を家庭裁判所の裁判の趣旨に従って善処妙用することができる、こう考える。これを原案通りにして、「権利者の申出があるときは、」ということを入れないと、裁判所が勧告するとき勧告しなくても、してもよろしいという裁判所のいわれる任意にきまる。それから今度十五条の二に「権利者の申出があるときは、」ということを入れると、申出があるときだけに勧告することができるということになる。どっちにも欠点がある。そのどっちの欠点も補正する意味において、十五条の二は原案通りに本文をしておく、ただし権利者の申出があるときは勧告しなければならぬ、こうすると両方の主張がうまく善処妙用することができるとこう思うのですがいかがでしょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102415206X00519560223/27
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028・奧野健一
○法制局長(奧野健一君) かりにお説のようにただし書をつけましても申立があったからといって必ず勧告をしなければならないかどうか。たとえば履行状況を調査して履行が順調にいっているような場合にはその必要もないと思いますし、またたとえ義務の履行を怠っておっても、それには非常に宥恕すべき理由があった場合には、必ずしも中立があったからといって勧告しなければならないものではないのじゃないか。そういたしますと結局それは申立があった場合に調査いたしまして、その結果履行を怠った場合に、しかもその場合に相当と認められるときには、やはり勧告しなければならないというふうに書かなければならないことになりはしないか。そうなれば、十五条の二の一番初めの政府原案でも調査の結果相当と認めれば、これは相当と認めても勧告するかしないか自由であるとは解釈できませんので、調査の結果勧告することが相当と認めれば勧告しなければやはりならないと解釈すべきであろうと思うのでありまして、そうなると結局同じことになるんではないかというふうに考えます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102415206X00519560223/28
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029・一松定吉
○一松定吉君 そうしますと、何ですか、法制局長の御意見は、「権利者の申出があるときは、」という文字を入れなくてもそのまま原案通りでもいい、こういうわけですか。私の尋ねることは「権利者の申出があるときは、」という文句を入れれば、申出があるときは勧告することができる、従って反面解釈で申出がないときは勧告しなくてもよろしい、こうなるんじゃないかと聞くんです。あなたの今の御説明のところによって、申出があろうとなかろうとを問わずに、相当と認めるときは勧告しなければならぬということに解釈するということであれば、「権利者の申出があるときは、」という言葉は贅言になる、そこはどうですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102415206X00519560223/29
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030・奧野健一
○法制局長(奧野健一君) 申出があるときは勧告しなければならないというふうに、お説のように書いてもやはり調査の結果勧告すべきではないと思う場合があるだろうと思うんです。たとえば履行が順調にいっておるとか、あるいは履行しないことに正当な理由があるというようなことがわかれば、たとえ申出があっても裁判所は勧告をやらないことができる場合があるべきではないか。申立てたから必ず勧告しなければならぬというのは行き過ぎではないか。で、もしそういうことをしなければならないということにしなくても、勧告することができるとあっても勧告するのが相当と判断した場合は必ず勧告しなければならないのでありますから、そこはしなければならないと言っても、することができると言っても、相当と認める場合はしなければならないので、必ずしなければならないということは行き過ぎではないかというのが一点と、それから「申出があるときは、」というふうに入れますと、先ほど申しましたように、申出がなければそういう勧告権がないという反対解釈になるので、そのただし書きに申出があるときはしなければならないというふうにやるということは、結局先ほど申しましたように、何でもかんでも、その理由があってもなくても勧告しなければならないということになるのはいかがかというふうに存じます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102415206X00519560223/30
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031・一松定吉
○一松定吉君 そうしますと、法制局長の御意見は「権利者の申出があるときは、」ということは削ってもいい、こういうわけですね。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102415206X00519560223/31
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032・奧野健一
○法制局長(奧野健一君) 削りますと、申出があってもなくても裁判所は職権ででも、あるいは申出があっても、両方の場合に勧告が相当と思えば勧告することができるということにたりますが、これが入ると、あって初めて勧告ができるというふうに読まれることになるのではないかと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102415206X00519560223/32
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033・一松定吉
○一松定吉君 そうするとだね、権利者の申出があるときは必ず勧告しなければならぬということになるんだ。この「申出があるときは、」とい言葉がなければ、家庭裁判所の自由心証によっていかようにも行動ができる、こうなるね。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102415206X00519560223/33
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034・奧野健一
○法制局長(奧野健一君) 少くとも当事者の申出がなければできないということにはなろうと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102415206X00519560223/34
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035・一松定吉
○一松定吉君 そうしますと、申出がなければ十五条の二は発動せぬ、こうなるね。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102415206X00519560223/35
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036・奧野健一
○法制局長(奧野健一君) はあ。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102415206X00519560223/36
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037・一松定吉
○一松定吉君 わかりました。よろしい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102415206X00519560223/37
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038・高田なほ子
○委員長(高田なほ子君) ちょっとお尋ねいたします。申出がないときには発動しない場合もあり得る、それから申出があったときでも発動しなくともよい場合もあり得ると。こういうことになって参りますと、債権者の権利が特に弱い婦人の場合は、裁判所の一方的な考え方で、義務の履行を監督できないような解釈をされたのでは、この法律の根本的な意味がもうなくなってしまうのではないかと思いますが、もう一度そこをはっきり御説明願いたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102415206X00519560223/38
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039・奧野健一
○法制局長(奧野健一君) この衆議院で修正になったのを基礎として申しますと、申出がなければやはり勧告する権限はないということが一つと、申出があった場合でも勧告するのが相当でないと思えば勧告すべきではなく、また勧告するのが相当であると認めるとき、いわゆる十三条の三と同じように「義務の履行を怠った者がある場合において相当と認めるとき」と、その場合は勧告することができるとあっても、これは勧告しなければならないというふうに解すべきであろうというふうに思います。でありますから、その申出があって調査の結果、義務の履行の勧告をすべきであろうと認めておりながら、それを自由でやらないというのではなくて、そういう事情が判明すれば勧告しなければならないということは、当然にそう解釈すべきであろうと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102415206X00519560223/39
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040・高田なほ子
○委員長(高田なほ子君) もう一点お尋ねをいたしますが、そうすると、勧告するかしないかということは、本人の申出が主になってやるのではなくて、つまり申出があった場合は受けて立つという裁判ではなくて、裁判所側の一方的な認定に結局よってしまうことになるのではないかと、こういうふうに考えられますが、その点はどうですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102415206X00519560223/40
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041・奧野健一
○法制局長(奧野健一君) これはやはり申出があるときはというので、申出がなければ勧告はできないというので、受けて立つということになりましょうし、そして申出というきっかけによって調査し、必要があれば勧告をするという、やはり裁判所の勝手というのではなくて、申立ということによってそういう発動を促され、そうしてその調査の結果それがもっともであると思う場合には、履行の勧告をしなければならないというふうになって参ると思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102415206X00519560223/41
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042・一松定吉
○一松定吉君 そうすると結局権利者の申出がなければ、義務者に対して義務の履行を調査し、勧告することができないのだ。これが法制局長の考え方。但し権利者の申出あるときに義務の履行を調査し、義務の履行を調査してみて、これは今勧告することは不相当だと認めれば勧告せんでもよろしい、こういうことだね。そうすると要するに権利者の申出がなければ、調査するとか勧告はできない。申出があったときには裁判所は調査して、これは勧告することがよろしいと思うときには勧告するが、申出があったけれども勧告することが必要でないと思うときには勧告せんでよろしいと、こうなる。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102415206X00519560223/42
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043・奧野健一
○法制局長(奧野健一君) そういうふうに解釈いたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102415206X00519560223/43
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044・高田なほ子
○委員長(高田なほ子君) 他に御発言はございませんか……。本件については本日はこれでとどめたいと存じます。ちょっと速記をとめて下さい。
〔速記中止〕発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102415206X00519560223/44
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045・高田なほ子
○委員長(高田なほ子君) 速記をつけて下さい。他に御発言がなければ、委員会はこれにて散会いたします。
午後零時三十九分散会発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102415206X00519560223/45
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