1. 会議録本文
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000・会議録情報
昭和三十一年四月十八日(水曜日)
午前十時三十四分開議
出席委員
委員長 神田 博君
理事 小笠 公韶君 理事 鹿野 彦吉君
理事 小平 久雄君 理事 笹本 一雄君
理事 中崎 敏君 理事 永井勝次郎君
阿左美廣治君 大倉 三郎君
菅 太郎君 菅野和太郎君
椎名悦三郎君 田中 角榮君
田中 龍夫君 加藤 清二君
佐々木良作君 佐竹 新市君
多賀谷真稔君 田中 武夫君
松尾トシ子君 松平 忠久君
出席政府委員
総理府事務官
(経済企画庁計
画部長) 大來佐武郎君
通商産業政務次
官 川野 芳滿君
通商産業事務官
(大臣官房長) 岩武 照彦君
通商産業事務官
(公益事業局
長) 川上 爲治君
委員外の出席者
参 考 人
(東京大学教
授) 我妻 栄君
専 門 員 越田 清七君
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四月十七日
繊維工業設備臨時措置法制定反対に関する請願
(赤松勇君紹介)(第一九三一号)
受電設備近代化事業団設置の請願(赤城宗徳君
紹介)(第一九八〇号)
の審査を本委員会に付託された。
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本日の会議に付した案件
参考人出頭要求に関する件
電源開発促進法の一部を改正する法律案(内閣
提出第一四四号)
—————————————発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102404461X03519560418/0
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001・鹿野彦吉
○鹿野委員長代理 これより会議を開きます。
本日は、委員長が所用のため暫時おくれますので、私がかわって委員長の職務を行います。
電源開発促進法の一部を改正する法律案を議題として審査を進めます。
去る十一日の本委員会に御出席をお願いする予定でありました東京大学教授我妻栄君は、当日所用のため御旅行中でありましたので、さらに理事会の申し合せにより、本日あらためて御出席をわずらわした次第であります。
我妻参考人には御多用中のところ、特に本委員会に御出席下さいまして、厚く御礼申し上げます。本日は特に電源開発に伴う増加利益の調整の規定を中心といたしまして、御意見を承わりたいと存じます。
それでは我妻参考人よりまず御意見を述べていただくことにいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102404461X03519560418/1
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002・我妻栄
○我妻参考人 電源開発促進法の一部を改正する法律案について意見を求められたのでありますが、おそらくこの第六条の二を中心に意見を求められたことだと推測いたしますので、それについて私の意見を申し述べます。
私の意見は二つに分けまして、まずこの第六条の二のような改正は、現在の法律の理念あるいは精神から見て、ジャスティファイすることができるかどうかということを申し上げます。それから次に、もしそれができるとして、この法案に盛られたような形で具体化することが妥当であるかどうかという問題について意見を申し述べたいと思います。
まず第一に、この法案に盛られたような趣旨が、現行法の上でジャスティファイすることができるものかどうかという問題でありますが、結論を申し上げますと、ジャスティファイすることができると考えます。それならその根拠がどこにあるのかと申しますと、これは他の参考人からも意見が申し述べられておるようでありますが、受益者負担という思想で解釈することがいいのじゃないかという意見が多数のようでありまして、私もその点賛成であります。そう考えて適当だと考えます。つまりこの事業が公共的な性質を帯びておるものだということと、それからその事業によって下流の電源開発会社等が特別の利益を受けるというその二つの点に根拠を置きまして、受益者負担の思想で説明することが適当だというのが多数の意見のようでありますが、私もそれに賛成であります。ただ私は民法学者、私法学者でありますので、その立場から申しますと、不当利得の精神でもこれを説明することができると考えております。不当利得の精神で説明することはできないと言う学者もあるようであります。しかし私は必ずしもそうではないと思うのであります。なぜかと申しますと、この不当利得という説明がむずかしいということを言っておられる学者は、要するに不当利得の一番大事な要件である法律上の原因がないということが、この場合には言えないのじゃないか。下流のものが利益を得ても、それは法律上の原因があるということになるだろうという点にあるようであります。しかし私に言わせますと、この法律上の原因があるかないかという不当利得の要件は大へんむずかしい問題でありまして、形式的に考えることはできない。形式的には法律上の原因があるように見える場合でも、法律のもう一つ高い、もう一つ上の理想、つまり公平という理想から、実質的に考えて、法律上の原因がないという説明をなすべき場合もある。そうしてこの場合にはまさにその一つの例で、下流者の水利権の中に——それを形式的に見ますと、なるほど上の方のダムでよけいに利益を受けても、その利益を受けることが水利権の内容になっているというふうに形式的には考えられるであろう。しかしもう一つ掘り下げて実質的に考えれば、法律上の原因がないということも考えることができるというふうに思うわけであります。と申しますのは、水利権というような権利は、われわれの所有権のようないわゆる自然権とは多少性質を異にしているものだろう。水利権とかあるいは鉱業権とかあるいは特許権というようなものは、行以上の処分によって与えられる権利でありますから、その行政上の処分によって与えられるという場合には、国家社会全体の利益から見て、そうして特定の人に独占的な利益を与える、その反面においてその与えられる権利は、常に公共的な立場から制限を受けているものだと考えなければならない。その点では所有権などとは相当趣きを異にしているというふうに考えねばならぬと思います。その同じような例をほかにとってみますと、鉱業権でありまして、地下資源を開発するために鉱業権という非常に強力な権利を与えます。しかしこれはやはり国家社会全体の立場から見てそうした独占権を与えるのでありますから、その鉱業権の内容は初めから公共のためにある程度の制限を受けておるものだ。従って鉱業法の中で、たとえば隣接の鉱区を開発する場合には、その隣接鉱区の開発に協力しなければならぬ。そのためには既存の鉱業権が制限を受けてもやむを得ないということが鉱業法の中にあちこち顔を出しておることは御承知の通りだと思います。そうした意味で与えられる水利権というものも、初めから形式的に考えてその範囲が確定しているのではなくて、やはり実質的に考えてその内容にある程度の制限を加えられることは当然だといわねばならぬと思います。そうした立場から考えていきますとこの場合にも上流に下流のことを考えて総合的に開発しようとするために余分の費用をかけてダムを作ったというような場合には、その下流のことを考えて余分に費やした出費というものの損失によって下流者が利益を受けるという場合には、その利益をただ自分で独占していいということにはならない。上流の方と下流の方と全部総合して考えて、そうして下流のためにも余分の出費を出したなら下流の者はそれについて応分の負担をするということは、やはり下流の者の水利権の形式的な範囲の中に入っているとしても、実質的にはやはり範囲をこえるというふうに考えるのが公平の理想に合うのじゃないか、さように考えて参りますと、やはり不当利得でいうところの法律上の原因なしという要件がこの場合にも存在すると考えることができると私は思うのであります。法律上の原因がないといいますと、何か非常に悪いことをしているというふうにちょっと聞えるのであります。ことに不当利得と申しますと、何か道徳的にけしからぬことをしているというふうに聞えるかもしれませんが、しかし先ほどから申しておりますように、不当利得でいっておる法律上の原因がないとか、あるいは不当利得という言葉自体は決して道徳的に悪いという意味ではないのでありまして、社会全体の立場から見てそうすることが公平だ、そういう実質的な利益をただ独占させることが不公平だという場合に、法律上の原因がないという言い現わし方をしておるのでありまして、このことを考えれば、法律上の原因なしということも、決して変なおかしなことではないということの御了解を願えるのじゃないかと考えております。かように考えて参りますと、上流のものが特にそのために費した余分の出費に対して、下流の者が応分の返還をするということは、不当利得の思想から見てもジャスティファイすることができる。もっともそれでは法律の規定がなくてもいいじゃないかという疑問をお抱きになるかもしれません。しかし私が申しておりますことは、法律上の理念、現行法の理念から見て支持し得るものだというだけのことでありまして、だからといって法律は要らないということにはならない。なぜかと申しますと、現在の理念から見てそういうことがジャスティファイされるということでも、特に立法を必要とする、あるいは立法することがより適当だということは非常にたくさんあります。ほかの例をあげますと、これも御承知だと思いますが、鉱山会社が川に酸性の強い水を流すとか、あるいは煙を出す、そのために沿岸のたんぼを荒す、あるいは付近の田畑を荒すというような場合に、損害賠償の責任を負わねばならぬことになっておることは御承知の通りだと思います。もしそういうことが認められるならば、硫酸会社やアルカリ会社が、あるいはその他の化学工業会社が川に有毒な水を流したり、あるいは有毒物を含んでおる煙を煙突から出すというような場合にも、同じく損害賠償を認められていいじゃないかという問題が出てくるはずであります。そこでその場合に、もしそういう硫酸会社あるいはアルカリ会社の煙や廃水についても損害賠償を認めるという法律を作ったとしますと、それはまさに現在の法律理念から見て支持を受ける法律だということになります。しかしそういう法律がなくともそういう損害賠償を現行法のもとで認められるかということになりますと、それはどうもむずかしいだろう。法律がなければむずかしいだろうということになるだろうと思います。ですから現行法の理念で支持を受けるということと、では法律は要らぬのかということとの間には相当大きな開きがあります。法律の理念ということは、主として学者がそのことを考えておるわけでありますが、それはどうしても抽象的なものでありますから、具体的な場合に当ってそれを実現するために法律ではっきりそのことをいう、とりわけそれを実現するためにいろいろな技術上のことが必要であれば、それを規定してはっきりさせるということがまさに立法の必要でありまして、のみならず、その立法の必要に当っては単に法の理念だけ考えるのでなくて、わが国の経済あるいは社会一般のことを考えねばならないと思います。今のアルカリ会社、硫酸会社の例で申しますと、わが国のそうした化学工業の発達の現状、あるいはそうした会社の実力、あるいはわが国に現に現われている災害の事情その他あらゆるファクターを考慮して、そこに一歩進めて法律を作った方がいいか思いかということを考えねばならない。かように法の理念で支持されることと、しかし現行法のままではそこまでいけないだろうというそのギャップを社会のあらゆる事情を考慮しながら法律に定めていくということこそ、まさに立法府としての国会の仕事だろうと考えます。かような意味で、この第六条の二に盛られた思想は受益者負担の思想からも説明ができる。また民法の、あるいは私法の大原則としての不当利得ということからも説明ができる。これらの理念によって支持されるものである。しかしその関係をはっきりさせるために法律を作るということがきわめて必要なことであり、また適当なことであるというのが第一点についての私の結論であります。
次に進みまして、それならそれを具体化するやり方として法案に現われておるようなことが正しいかどうかという問題になりますが、おそらく具体的な問題としては二つの点が考えられると思います。一つはどれだけの金を返還するのか、あるいは補償するのかという金の問題。それから利益を受けるというが、その上流のダムの管理をどうするか、つまり下流の者が返還する金額の定め方と、上流に設けられたダムの管理というこの二つが一番大事な問題だと思います。
その第一の返還する金額をどうしてきめるかということでありますが、この六条の二を拝見いたしますと、やはり根本の思想はこれでけっこうだと思います。不当利得の立場あるいは受益者負担の立場からいいますと、結局その返還の金額というものは、上流のダムを作る際に下流のことも考えてよけいな金を出したという、そのよけいな金が返還の一つの標準になるはずであります。それからそれによって下流の者がどれだけの利益を受けるかという、下流の者の受ける利益ももう一つの標準になるはずであります。つまり不当利得の方の言葉で言いますと、上流者の損失と下流者の受益、その両方が限度になるわけでありますが、その限度において返すということになるのでありまして、六条の三はそういう思想でできていると解釈することが可能だと考えます。そうした意味で、具体的な表わし方ということの返還の問題は、それで妥当だと思います。ただ、計算が非常にむずかしくなるだろうと思いますけれども、ここは技術的な問題でありまして、法律の直接関知できない点でありますが、私の希望としては、その運用に当ってはできるだけ科学的な根拠に基いて、正確に計算するようにしていただきたいというだけのことであります。
具体的な現われの第二点は、上流のダムの管理という問題でありますが、この上流のダムの管理をどうするかという問題は、最小限度において上流のダムの管理が信義に基いていなければならぬ。自分の方の利益ばかりを考えて、下流の者の利益を全然考慮しないとか、ある場合には下流の者に対していやがらせをするというようなことがあってはならない。これは法の最高の理念とも申すべき、権利を行使することさえ信義、誠実の原則に基かねばならないということから当然導かれることでありまして、最小限度に誠実な管理が必要である。しかしただそうした最小限度では足りないという場合には、さらに進んで共同管理というようなことも考えられるかもしれません。あるいはさらに一歩進めて、上流のダムを何らかの持ち分で分けて、両方の共有にでもしていくか、そこまでいけば管理の問題はおのずからそれで片づくわけでありますが、そういうことも考えられます。最大限としては持ち分で共有にするということ、最小限度においては管理を信義、誠実の原則に従ってやること、こういうことになるだろうと思います。
ところで、それなら最大限と最小限のどこでなければならぬということがあるか。具体的に申しますと、こうした法律を定める場合には、必ず共有にしなければならぬか、下流者のために持ち分権を認めねばならぬかということになりますと、そういう必要はないと私は考えます。最大限までいき得る、いっても差しつかえない。しかしいかねばならぬということはないと考えます。不当利得の場合でもあるいは受益者負担の場合でも、不当利得の返還をする者が、常にもとの者に対して共同の所有をするということにはなりません。受益者負担の場合にももちろんそうでありまして、受益者負担やあるいは不当利得の理念で負担をする者が、常に所有権の一部分まで持たなければならぬということはないと考えております。従ってそこは各場合によりまして、出費が非常に多い、下の方の負担が非常に多いというようなときには、共有にすることが適当な場合もありましょう。それから負担がそれほどでもないというときには、共同管理さえ認めないで、ただ上流の者が信義に従って管理をするということでとどまるということでもいいというふうに考えます。繰り返して申しますと、理屈の上からいってどうでなければならぬということはない。それは各場合の問題だ。ケース・バイ・ケースにきめるべきことだと考えます。
ただそこで大事なことは、それではそういう保証があるか。最大限に共有になってしまえば、問題はおのずから片づくわけでありますけれども、最小限度の信義に従って管理するというようなときには、上流の者が信義に従って管理をしなかった場合に、下流の者がそれに対して異議を述べるとか、あるいは争いになる前に、信義に従った管理ができるような保証が与えられておるかどうか。これが一番大事な問題だと考えます。ところでそうした立場で法案を拝見いたしますと、協議できめるということになっております。この協議できめるということは、非常に広範な範囲を含んでおりますから、その協議の結果、ある場合には私の申しました最大限、持ち分権というようなところにいくことも差しつかえないということになりましょう。それから共同管理というようなこともむろん協議できめて差しつかえないということになりましょう。あるいはまたそうした持ち分権も認めない、共同管理とまでもいかない、ただ信義、誠実に従った管理をするということで満足できるような協議をすることも可能だと思います。従って協議できめるということは、私の申しましたケース・バイ・ケースに最も適当な内容を定めるということを可能ならしめる意味でこれまた適当だと思います。
ただ最後に、果してそれでは協議だけでそれが保証できるかどうか。最悪の場合に協議がどうしてもできなかった、どっちかが協議に応じなかったという場合にどうなるだろうかということになりますと、その点について何も保証がないということは、法律家の目から見ますと、どうしてもそこに大きな穴があるといわざるを得ないと思います。ただそれならどうしたらいいかということになるだろうと思いますが、どうも私にも名案がありません。ほかの例を見ますと、ほかの法律では、御承知の通り、こんな場合には協議をする相手がそれに対して応ずる義務がある、どうしても理由なく応じない、あるいは協議が成り立たないというときには国家が権力で裁定をする、この裁定が協議にかわるということになるのが常識のようであります。法律家の立場から見ますと、この法案でもそれが一本ないと、どうも何かしりが抜けておるのじゃないかという感じがいたします。ただ、法律家の領分を少し越えることになるかもしれませんが、国家権力で裁定するという規定をこしらえますと、規定の上では一応ちゃんとしりが結ばれることになりますから、満足いたしますけれども、実際の動きを見ておりますと、この国家権力というものが必ずしも妥当に動くとは限らないということも承知しております。
そこで国家権力で国家が裁定するというときに、その裁定権者をだれにするのか、大臣にしていいのか、それとも何か委員会のようなものでもこしらえるのか、あるいは少くも審議会のようなものでもこしらえるのかというむずかしい問題になりまして、監督官庁が裁定するという一項を入れると、法律的には満足するけれども、果して実際にそれがうまくいくものかどうかは、これは私の領分を越えますので、はっきりしたことを申し上げかねるのであります。ことにここには一般的な標準がありませんので、それぞれの問題によらねばならぬと思います。私の領分に一番近い、たとえば家庭裁判所の調停ということになりますと、家庭裁判所は御承知の通り裁判官としろうとが集まった調停委員会でありますから、あすこで一種の裁定をしてそうして調停を成り立たしたことに、有権的にいたします。それはけっこうだろうと思いますが、しかし事電力ということになりますと、果してどういう者に裁定の権限を与えるのが妥当かということになりますと、どうもこれは私にはわかりませんとお答えするよりほかありません。私として申し上げ得ることは、法律的に見てそこに穴があるようだ、しかし事は電源という特殊の事情にからんでおるのだから、それらの事情を私以上によく御承知の委員会の議員諸君がその点をお考えになって、だれが裁定するかということについて最も適当な方法が考えられるなら、それをお考えになるのが妥当なのじゃないか。あるいはまた、お前は学者だから法律の方だけ見て、そこに穴があると言っているけれども、実際の事情を見れば、協議は十分成り立つ自信をわれわれは持っているのだ、そしてなまじっか国家が裁定するよりも、はるかに妥当な解決ができるのだという自信がおありになるなら、私は何も申し上げないで、法律的な穴は実際の運用によって埋められるという保証があるらしいから、法律家としては何も申し上げなくてもけっこうですといってまかり下っていいと考えます。
以上が私の考えでありますが、一通り申し上げましたから、また御質問があれば、それについてお答えをいたしたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102404461X03519560418/2
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003・鹿野彦吉
○鹿野委員長代理 我妻参考人に対する質疑の通告がありますので順次これを許します。多賀谷真稔君。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102404461X03519560418/3
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004・多賀谷真稔
○多賀谷委員 我妻先生にお尋ねいたしますが、まず第一に不当利得の理念でも正当化される、こういうお話であります。その中で、ことに構成要件の点につきまして、法律上の原因がないというのは形式的に考えるべきでなくて実質的に考えていいのだ、ここはよくわかったわけでございますが、もう一つの構成要件の損失を受けた、出費がかかった、こういう点でございます。先生の方は事実問題として出費がかかる、下流が増加される場合には上流において出費がかかる、こういうことの前提にお話になっておるようでございます。あるいはかかる場合もございましょうけれども、われわれは出費はかからないのだ、こういうことを考えておるわけであります。そこでもう一つの構成要件でございます他人に損失を及ぼしたるという構成要件に欠けておるのではないか、こういう点で不当利得の観念では踏み切れない点があるわけであります。もっとも立法論といたしましては、石田博士が唱えられておりますように、不当利得でも損失というのは必要でない、こういう説をとりますと、あるいは法律上の原因なくしてという構成要件も当てはまりますし、損失も必要でないということになりますから、立法論としてはいき得るという考え方もでき得るのですが、我妻先生はそれに対して批判をなさって、立法論としても損失というのを排除すべきでないとおっしゃっておるわけです。そこで損失がない、すなわち出費がない、こういう場合については不当利得の観念でいき得るでしょうか、これをまずお聞かせ願いたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102404461X03519560418/4
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005・我妻栄
○我妻参考人 不当利得の損失ということは、今申されましたように学者の間にも意見が分れております。そして私は損失が必要だと言っているのですが、その損失ということの見方の問題でありまして、はっきり目に見えた損失がなくてもいいだろうというのが、石田教授あたりが損失が要らないと言われる理由だと思います。私も、はっきり目に見える必要はないけれども、損失はやはり必要なのじゃないかと言っておるのでおりまして、多分二人の説が分れたように見えましたのは、所有者がほったらかしておいた土地をだれかが耕して収穫を上げたような場合なんかがその例にあがったと思うのです。その場合に、所有者はどうせほおっておいた土地なんだから何も損がない、しかし他方はそこから収入を上げたのなら所得がある、そういう場合に不当利得の損失においてということが言えるのかどうかということだったと記憶しておりますが、その場合にも所有者がほんとうに耕しておったらそれはあっただろう、それをほかのやつが耕したものでありますから自分は耕せなかった、そういう目に見えたはっきりした損失がなくても、所有者はそうした権能を持っていたことから、それをほかの人が耕したということになると、所有者の所有権というものの内容がそれだけ制限を受けて、地力も多少減るかもしれませんし、そうした意味で所有者が十分に自分で利益を上げなかったという意味の損失があると考えれば、やはり損失があるということになるのではなかろうかということで、それほど考えが違っているのではないと思います。民法上の議論はそれといたしまして、この場合はどうかということになりますと、その現実の事情をよく存じませんので、私は果して損失があるかどうかということをはっきり言いかねるのでありますが、まずその上流のダムを作るときに、上流のことだけ考えれば、たとえば高さがもう少し低くてもいいというような場合に、総合的に考えるものだから、高さを少し増さなければならぬというような場合があれば、これはもう明瞭に損失があると言わねばならぬと思います。しかし問題はそうじゃない、上流のものが上流のことだけを考えて、そしてそれについて必要にして十分のダムを作ったりして、下流を考えようが考えまいが、これだけのダムしか作る必要がないし、そしてそれしか作らなかったという場合には損失がないじゃないか、こう言われるだろうと思います。そのあとの場合にはおっしゃる通り損失がないと言えるかもしれぬと思います。私が先ほどから申し上げましたのは、下流の方も考えて総合的な開発をするという立場から、多少よけいな出費が要るという前提で私の説明を続けて参りましたので、そこがもしそうでない、あるいはそうでない場合があるということになれば、その場合には要件が欠ける、この法律でいっても要件が欠けることになるのではないかというふうに私は解釈するのであります。ですから私の理解しておる知識から言いますと、現在の総合開発のためのダムという場合には、自分のことばかり考えていない、下流のことも考える、そこで総合的に考えるためのよけいな金がおのずから必要だ、出費しているということを前提として、私の説明を続けて参りましたけれども、この法律もそういう前提じゃないか。だからそれがもしそうでないケースがありましたならば、この法律の適用がなくなるということになろうかとも考えます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102404461X03519560418/5
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006・多賀谷真稔
○多賀谷委員 よくわかりましたが、実は私たちは今度の改正の六条の二については、相手方の、すなわち上流者の出費というものの有無にかかわらず、こういう読み方を従来しておった、これは政府においても、総合的に計画するというお話はおっしゃいましたけれども、従来この損失についてはあまり触れられていない。そこでわれわれといたしましては、この改正の法案については、出費のない場合もとり得るのだ、こういう説明を聞いて、大体そういうことで理解して議論を進めておったわけです。先生のお話では損失のない場合はこの改正案でもとれない、こういうお考えでしょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102404461X03519560418/6
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007・我妻栄
○我妻参考人 その点は私はそういう考えで説明をして参ったのでありますが、六条の二を読むと、私の言う通りになるか、それとも下流、あるいは総合的に考えたために、よけい出費をした場合でなければ、六条の二が適用にならないかということになりますと、多少疑問だと思います。ことに六条の二の第一項の終りのところで「工事の費用の一部を負担しなければならない。」というふうに書いてあるものですから、これを文字通りに読みますと、著しく利益を受けたときは、とにかく工事費の一部を負担せよ、そこで工事費の一部を負担するということになると、何か共同して、あるいは何割かの力を加えて工事をしたのだから、その部分については持ち分権を持たなければならないのじゃないかという議論さえも出てくるような文字だと思います。しかし私はそう解釈しないで、よけいな費用をかけた、そのよけいな費用もしかし工事の費用の一部だったのだから、そういう意味でよけいな出費を返せということを、ただ工事費の一部というので表わしたのじゃないかというふうに考えます。そういう意味で、六条の二の文字はなるほどおっしゃる通り、非常に広く読めるような格好をしておりますけれども、私は、受益者負担なり不当利得なりということを考えていきますときに、どうもそこに多少の制限があるのじゃないかというふうに考えます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102404461X03519560418/7
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008・多賀谷真稔
○多賀谷委員 そういたしますと、先生のお考えでは、この改正案の解釈といたしましては、著しく利益を受けるとき、こういう場合も、その範囲については利益を受けたという限度であるけれども、もう一つの要件は相手方が損失をこうむったという限度、結論的に言いますと、大体損失をこうむった限度にしかその利益の返還はできない、こういうように理解してよろしいでしょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102404461X03519560418/8
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009・我妻栄
○我妻参考人 この法律だけを読むと、私はどうしてもそう解釈するのが正しいのではないかというふうに考えますが、ただ一つつけ加えさせていただきますと、この法案を離れて総合開発をするというような場合には、できれば最初から全体の総合計画をして、結局ダムを幾つ作る、只見川なら只見川に順次幾つのダムを作っていくというので、最初一つしか作らなかったときにはこれだけの受益しかないが、その次のダムを作ればおのずから下のダムが利益を受けるということを全部総合的に考えて、それぞれの出費なり負担なりも総合的なプランでやれれば一番いいと思います。そういうプランでやれば、今のように上流に作るものが特に下流のことを考えたためによけい要ったということは、全然問題にならなくなる。しかし現在ではそういっておりませんので、とにかく一応ある会社が作る。それからあとで上の方に他の会社が作る。そうすると、他の会社が全然自分のことしか考えないで作った場合でも、下流のダムが非常に得するということになる場合もあると思います。ただそれは私に言わせると、どうもおもしろくないと思う。ほんとうは全部が一緒に考えられるべきであったのだろうというふうに考えるのです。ですから、全部初めから総合的に考えていくべきだということの理想、ただその理想を進めていきますと、水力というようなものは全部国家のもの、国家が管理し経営するということになるでしょう。しかし現在の日本でそこまでいくことはおそらく困難だと思います。そうすると妥協していかなければならぬ。妥協していくということになりますと、上流のものが特に目に見えたよけいな出費をしない場合も、下の方で非常にもうかるということであるならば、そこから多少補償させることによって上流のダムの計画が楽になる。そういうことまで一歩進めてもいいのじゃないか。そう進めるということになりますと、不当利得の理論から少しはずれてきますが、そこに一歩進める余地もあるのじゃないかということも考えます。ただこの法律でどっちの解釈をするかということになると、これは相当議論が分れるかもしれないと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102404461X03519560418/9
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010・多賀谷真稔
○多賀谷委員 参考人に来ていただいていろいろ意見を聞いているところで、はなはだ失礼なようですが、一応やはりこのときに提案者の方の意見もあわせて聞きたいと思うのです。その点を明確にしておきたいと思う。そこで政府に私お尋ねをいたしたいのですが、政府の方は、今先生がおっしゃいましたやはりその損失の範囲内でこの利益を返還する、こういう気持の立法であるかどうか、そうでなく損失の有無にかかわらず利益金を返還してもらうのだ、こういう気持であるのかどうか。それを一つお聞かせ願いたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102404461X03519560418/10
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011・川上爲治
○川上政府委員 私どもの考えとしましては、この前から申し上げておりますように受益者負担という考え方でいっておりますので、たとい損失がなくても取り得るというような考え方できております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102404461X03519560418/11
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012・多賀谷真稔
○多賀谷委員 実は先生お聞きのように、提案者としては損失がなくても取るのだ、こういう気持だそうであります。そこで先生の解釈とかなり離れてきたわけですけれども、そこで今あとの方に立法的なお話がありました。解釈論というよりも立法的な、最初からそういう下流増がわかっているのだからむしろ総合的に計画したらどうか、最初からそういう話をしたらどうか、こういうお話があった。実は電源開発促進法には、灌漑とかあるいは道路とかいう場合にはあらかじめわかっておりますから、多目的ダムと称して、費用を負担し共有するという規定があります。六条にあるわけでございます。そこで下流増も初めから実はわかっているわけです。上流にそれだけのダムを作れば当然下流はそれだけ利益金が上るということが初めからわかっているわけでありますから、立法政策としましてはむしろ、初めから予見されているのですから、こういう場合には一種の多目的ダムといいますか、単に利益金をたまたま出たから返還せいということでなくして、初めから計画に乗っけるのですから、立法論としては、これは多目的ダムの場合に公共団体あたりが負担しますのと同じように当然負担さして、そうして費用負担の問題はあとから考える。こういうように考えるわけですが、立法論としてどういうふうにお考えでしょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102404461X03519560418/12
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013・我妻栄
○我妻参考人 私がさっき申しましたように全部総合的にやるのが理想だと思いますけれども、ただ日本は現在まで総合的でなくやって来ましたね。そうしてだんだん総合的なものに切りかえようとしているわけです。そうだとしますと、最初に総合的に考えなかったものだけが得をして、これから総合的に考えられるものだけが負担を受けるということも果して妥当かどうかも相当問題だと思う。おそらくただいま政府の御答弁にありましたように、受益者負担ということでいくとすれば、損失が問題にならない、不当利得でいけば損失が問題になる、そういう御趣旨かと思います。そこで私も民法学者として、不当利得の理念というもので支持していけると言った関係からして、おのずから損失ということに力を入れたことになるだろうと思いますけれども、それじゃ損失のない場合にも負担するということをきめたときに、それは憲法違反とかあるいは現在の法理念を非常に裏切ることになるかという問題になると思います。ここは御質問のうちになかったかも知れませんが、前のお答えを補足する意味で言わしていただきたいと思います。
先ほどから鉱業権の例をあげましたのですが、これは御承知と思いますが、アメリカでは鉱業権もリースという制度でやっております。最初に鉱業権を与えるときに非常にこまかな条件をつけるのです。先ほど私がちょっと引き合いに出しましたような隣接鉱区との問題とか、あるいは鉱害賠償の問題とか、その他現在の日本の鉱業法で規定しておるようなことは全部リースをやる場合の契約の中に書き込んで、水利権の方はあまりよく存じませんが、水利権の方も水利権を与えるときに一種のリースの関係でいろいろな条件をつけるらしい。そのときにはもし上流にダムができたために利益を受けるようなことがあったら、何らかの標準によって利益をしインバースする必要があるということをきめているらしいのです。そういう場合には、これは必ずしも上流が損失をこうむったときということはいっていないはずです。ですから最初からそういう契約をしておれば問題はなく片づくわけです。そこで話がちょっと横にいくようで恐縮ですが、戦後鉱業法を改正しますときに、アメリカの鉱業法のオーソリティがやってきて、日本の鉱業法を見ましたときに、どうも彼らのリースの観念では日本の鉱業法がわからない、それで日本でもリースにしなさい、すべてを契約できめてさえおけば争いがないじゃないかということをいったのです。それは非常にもっともなことだと思いますけれども、長い間鉱業法という大陸的な立法をしてきた日本で、今急にリースに変えるということは、ただ混乱を生ずるだけで得るところがないじゃないか、なぜ得るところがないかといえば、日本の鉱業法のやり方は鉱業権という権利を与えるけれども、しかしその鉱業権というものは、先ほど申しましたように、公共の立場から制限されているということが当然考えられているのです。従って鉱業権を与えるといって何か非常に強いものを与えて、それをあとから制限すると憲法二十九条の違反になるというようなことは言うべきことじゃないのだ、初めから制限をされている権利だと考えなければならぬのだという説明をいたしまして、鉱業法の改正でリースの制度はとらなかった。それらのことを考えましても、日本の立法の立場からいいますと、鉱業権という権利を与えるけれども、その内容はあたかもリースできめられるような制限を加え得るものだということを予定すべきじゃないかというように私は考えております。同じ考えを水利権の方にも持って参りますと、水利権を与えるというときにも、形式的に範囲のきまったものを与えてしまって、それが憲法二十九条でいう財産権になってしまって、それを制限するときには憲法が問題になるというようなものではない、やはり制限のある権利だと考えなければならぬのじゃないか。そうだとしますと、その制限が将来上の方にダムができて、予想していなかった利益があるときには、それを返せということをいっても、与えた水利権を侵害するということにはならないだろう。そうなると、さっきも不当利得から少し離れると申しましたけれども、そこが先ほど申しました不当利得の損失という観念も非常に幅の広い観念だといっておるのでありまして、もし下の者が一緒に負担してくれれば上のダムがコストが安くなるといいますか、上のダムだけから利益を受ける者の負担が軽くなりますから、その意味でやはり損失があるとも言えば言えるのじゃないか、こっちで分けてやられるのを分けてやらないで、片方だけが得をして、片方が全部負担しなくちゃならない。もし向うに負担させないと、下流の者も負担してくれれば上の者の負担をそれだけ軽くするということができるとすれば、そうした意味でやはり上の方の者の損失ということも考えられるじゃないか。もし、いやそれはおかしいので、そういうときにはもはや損失なしということでないかとおっしゃれば、それは損失なしでいってもいいかもしれないと思います。しかし私が言っている損失がなければならぬということは、単に上の者が全く自分だけの利益でやっているので、そのことのために何らの不利益をこうむらない。下の者が負担しようがしまいが何ら関係がないというときには、損失がないといっておる。われわれの仲間でよくあげる例で大へん恐縮ですが、上流にあるたんぼに肥料をまくと幾分は下の方に流れてくるかもしれぬ、そして下のたんぼが得をするからよこせと言えるかという問題です。それは上の方の者は自分だけで独占的にそれを使っているのであって、そしてそれが下の方へいくのはそれは全く偶然のことだというわけで、しかも上の方の者はただ自分の利益だけを考えてやっているのですから、そこに何ら公共性というものもない。ところが電源の場合には非常に公共性を持っておりまして、もし上流のダムが下流の者に負担してもらうことによってコストが安くなればおのずから電力も安くなり、非常に困難な事業がそのことのために容易になるだろうということになれば、その容易になし得ないというところに大きな立場から見れば損失があるといってもいいのじゃないかというふうに考えるわけです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102404461X03519560418/13
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014・多賀谷真稔
○多賀谷委員 よくわかりましたけれども、実は先生のお話の中に立法そのものが妥当であるという話と、既成の法律概念で律せられるという問題が、失礼ですけれどもいささか混同しているじゃないかと思うのです。なぜかと申しますと、公共性ということをおっしゃっておりながら不当利得という話がある。不当利得というのは何も公共的なものだけでなくて、一般の私人間にも当然行われる概念です。それがこの法律がいいのだということの立証のために何か公共的というものと不当利得の観念を一緒にまとめてお話になっていると思うのです。不当利得の観念が一緒に混合されているのではないかと思うのです。私たちはこの法律に反対とか何とか言っているのではなくて、どの法概念ですっきり割り切れるものだろうがということもいろいろ考え、先生方に来ていただいているのです。そこで一応この立法論としていい悪いは別として、不当利得の観念で律し得られるものであるかどうか。たとえば損失の場合、損失がない、ないでもいいじゃないかというようなお話があり、また損失といっても今まで普通に考えているような考え方でなくて、広い意味にとってもいいじゃないか、こういうお話がありましたが、不当利得の考え方を一歩進めて考えていいかどうか、それをもう一度お伺いしたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102404461X03519560418/14
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015・我妻栄
○我妻参考人 私の考えているところによりますと、不当利得というのはなるほど民法の中に規定がしてありますけれども、民法だけに限る制度でもないと思っております。それはいわゆる正法と実定法の食い違いというような説明をしている法律学者があるのですが、そうした実定法の最後の調節者としての不当利得という、そういうものがたまたま民法七百三条以下に顔を出しているのだ。しかしその不当利得の規定のさらに根底にある思想は単に私法だけでなく、公法すべてに通じた法の理念だと私は考えます。そしてその理念がいろいろなところにいろいろな形で現われてくる。ですから私に言わせると受益者負担もある意味では不当利得の一つの現われであるというふうに見るのです。道路を作るという場合、その道路は天下国家の人が利用すべき道路なんですが、たまたまその道路の近所の人だけが特別に大きな利益を受けるというなら、それに対して幾分の補償をすべきじゃないか。その場合に、不当利得と同じだといっても損はないじゃないかと言われるかもしれないのですけれども、しかし道路を作るのはやはり国民の税金で作るのですから、国民の税金で作っておいて、たまたまわきにいる者だけが特別の利益を受けていいというなら、これはやはり不当利得からいってもおかしいじゃないか。そのたまたま利益を受ける者が多少でも金を出すことによって、その道路を利用する天下全体の人たち、すなわちタックスペーヤーの負担が軽くなるというなら、それはやはり不当利得としていいじゃないか、だからもし負担してくれなかったら、タックスペーヤーがよけい負担しなければならないという点にやはり損失があると言っていいじゃないかというだけでありまして、民法七百三条の解釈としてはそういう解釈はできないでしょう。しかし七百三条以下の規定の中にある思想が法の最後の調節者としてあっちこっちに顔を出すということから言いますと、これは受益者負担といえども縁の遠いものではない、そしてこの第六条はそういう点から支持し得るのじゃないかということを申し上げておるのです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102404461X03519560418/15
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016・多賀谷真稔
○多賀谷委員 次に受益者負担の考え方でございますが、実は私は受益者負担という場合には、少くとも国または公共団体でなくては受益者負担というものは無理じゃないかと考えるのです。なるほど公用負担の中に受益者負担があるじゃないか、この前金沢先生はそうおっしゃった。だから公用負担の場合には電気事業も入るし、受益者負担の場合だけ電気事業その他の公益事業を入れない、国または公共団体だけでやる、こういう理由はないじゃないかとおっしゃったわけですけれども、行政法、ことにいろいろな行政的な法規は初めから概念があるのでなくて、諸法規の中にある観念を集めて、そして帰納的に一つの公用負担という観念を打ち立てておる。それをまた演繹的に——受益者負担の中には当然公用負担の場合にいろいろのことがあるのだから、受益者負担の場合にも特に排除する必要はない、こう言われると理論が少し飛躍するのではなかろうかと思うのです。公用負担の場合には、たとえば鉱業権のような場合でも、土地使用あたりの公用収用あるいは公用使用の原則をやはり当てはめておる。しかしそれかといって炭鉱あたりがいろいろ事業をする場合に、これは公益事業である、受益者負担ができるのだといえば非常に無理がある。ですから電源開発会社あるいは電力会社は公益事業ではございますけれども、受益者負担をとるには私はやはり無理があるのではなかろうかと考えるのです。と申しますのは、国または公共団体は税金でまかなっておりますから、国または公共団体の場合は均一利用といいますか、住民は均一に利用する。ところが著しく利益を受けた者は特にとるのだという観念は出てくるのですが、ほかの場合には、すなわち公用使用とかあるいは公用制限とか収用とかいう場合には、なるほど電力事業というものは公益事業ですから認められるでしょうけれども、その開発にぜひなくてはならぬ、それをとらなければ開発できないのだという性格のものとはかなり違う、受益者負担ではないのではなかろうか、こういう気持を持っておるのですが、その点一つお聞かせを願いたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102404461X03519560418/16
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017・我妻栄
○我妻参考人 行政法は私の専門じゃありませんので、あまりよくわかりませんが、行政法学者は今あなたが言われましたように、受益者負担というものも必ずしも公共団体に限る必要がないじゃないかということを言っておりますので、私もそれに賛成しているわけでありまして、どうもそれ以上——あなた方が大へん御調査なさっていらっしやるのですが、それに対して弁駁するなりあるいは御了承を得るだけの材料は持ち合せないのですが、ただ行政法学者の考えが正しいだろう、こう思っているわけなんです。
ただもう一つつけ加えさせていただきますと、もっと大きなところから、法律の動きといいますか、あるいは社会の動きというような大きな立場から言いますと、ちょっと私が申しましたように、電源開発というようなものは全部国営なり国家の手におさめるということが、少くも全部が合理的にいけるという目的から見ては、その方がいいと私は思っております。ただしかし現在の日本でそれをやるということは産業的な革命になりますからそれはおそらく不可能でしょう。そこでそれに一歩ずつ近づいていくという行き方をしていくべきではないかというのが私の個人的な意見であります。そこでそういう純資本主義的にずっとやってきているものに対して、天然資源というようなものの利用はできるだけ国家の手におさめていこうという大きな流れから見ていきますと、今の場合に既成の法律概念では割り切れない、といって負担させない方がその理想に近づくのか。それとも多少無理はあるかもしらぬけれども、そこに負担させていくことの方がその理想に近づくのかといいますと、私は負担させていく方が近づくのだと考えるのです。そうでないと、早い者勝ちになったり、既得の権利は非常に得をするということになって、天然資源の開発を国家全体の立場から見てやっていこうという理想からかえって遠くなるじゃないかと私は考えております。従ってそこはもっと大きな立場から見て、たとい上流の者に目に見えた損がなくても、下の者にも負担させていこうじゃないか、そうして総合開発を容易ならしめていこうじゃないか。あるいは何といっても市町村じゃない、一つの会社じゃないか、その会社にそうした公けの権力を与えることはおかしいじゃないかということを誓わないで、そういう者にも公けの権力をだんだん認めていこう、そのかわり、その公けの権力の認められる者に対してただ一私人のコントロールでないように、国家公共的なコントロールをそれに加えていこうというふうに持っていくことが私の言う大きな目的への道じゃないかと私どもは思うのです。だからそういう意味から言います。と、この法案はそうした理想に近づくものとして私は賛成する。それから私の議論は私の専門の立場から言うのですけれども——専門の立場といいますか、法律学者としてわが国の法制の動き全体を見ていきますと、そうした方向に向っていくことは私はけっこうだと思います。
何度も繰り返しておるようでありますが、ただそのコントロールの仕方、管理の仕方なり、収益の計算の仕方なりが一私の会社の勝手にならないように、さればといって、官僚の事情に通じないような権力の行使にならないように、そこをお考えになるということが最も大切なことではないかと私は思うのです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102404461X03519560418/17
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018・多賀谷真稔
○多賀谷委員 実は私はこの法案に反対をしておるのではないのですが、既成の概念で、たとえば受益者負担だと簡単に律せられるとどうも受益者負担ではないような気がするわけです。実はこの前金澤先生に、受益者負担と言われますけれども、この負担をする相手方というのはこれも公益事業ですよ、こういうお話をしたわけです。両方とも公益事業、公益事業と公益事業の調整をやっておるのだ、普通受益者負担というのは、一つは公益事業と対人民との間の負担関係である、負担の相手方が違うじゃないか、こういうことを言いましたところが、先生は河川法の三十三条に、その河川に関する工事で、他府県または府県内の公共団体において著しく利益を受けた場合は、その府県及び府県内の公共団体にその一部を負担させることができるとあるから、これは当然公共団体も負担者の側に立つ場合があるのだ、こういうことをお話になったわけです。
〔鹿野委員長代理退席、小平(久)委員長代理着席〕
しかし私はその後美濃部先生あるいは田中二郎先生の本を見て、いろいろ調べましたところが、やはり相手方は人民でなくちゃならぬ、こういうふうにはっきり明示されておる。そこで私は受益者負担という要件を欠いておると言うと、ちょっと語弊がありますが、三十三条は受益者負担ではない、こういうように理解をしたわけです。そこ、でその理解の仕方からいきますと、むしろ公益事業と公益事業の調整をやっておるわけです。だから受益者負担ではなくて、これはどういう概念になるかわかりませんけれども、行政法のいう受益者負担でなくて、公共事業対公共事業の利益の調整と考えたらいいじゃないか。それは河川法の三十三条に同じ規定がある。すなわち府県または地方公共団体が河川の工事をして、他の府県または地方公共団体に利益を著しく与えた、そうすると他の地方公共団体または府県は、その費用の一部を負担するのだ、こう考えてきますと、一つの国家権力を背景とした力で吸収するのではない。この場合はむしろ電力間の、公益事業間の調整である、こう考えた方が私はいろいろこの法案を解釈する場合に、よりいいのじゃないかと考えるわけです。そういう調整の考え方はどこからくるのか、あるいはどういう概念に当るかといいますと、われわれしろうとではっきりしないのですけれども、これは単に今までの受益者負担のような公けの権力を背景にした対人民の問題でなくて、電力会社だけを律しておるのですから、これは公益事業と公益事業の調整である、こう考えた方が、今後の問題、すなわちわれわれが心配しております、たとえば灌漑水に利用する場合にこれがとれるか、あるいは駅の場合でも同じですが、よく先生方が引用されますように、駅ができた、そして土地が上ったというわけで、その土地代の値上り分を受益者負担で徴収ができるか、あるいは不当利得で徴収できるか、こういう場合をわれわれは非常に心配しておる。そこで公益事業間の利益の調整であると考えれば、この法案は比較的すっきりし、他に新概念として迷惑をかけるようなこともない、こう考えるわけですが、一つ先生の御意見を承わりたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102404461X03519560418/18
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019・我妻栄
○我妻参考人 政府当局は受益者負担だと説明していらっしゃいましても、この中に受益者負担だと書いてあるわけではないのです。あなたはそれでは満足できないから新しい説明をしろとおっしゃればそれでもけっこうだと思いますが、合議体で決議する場合に、理由まで同じで賛成しろというのは無理な話なので、理由はそれぞれ違う理由をお考えになっていても、結論が賛成ならばいいじゃないか、私は行政法にあまり通じておりませんので、ただいまのお説に対して賛成も反対もする能力もありません。ありませんから承わっておくと申し上げるほかないのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102404461X03519560418/19
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020・多賀谷真稔
○多賀谷委員 実は、本法では自家発電の下流増もとらない、ただ電力会社だけをとるのだ、しかしできればとりたい、あるいはまた電力会社だけでなくて、そのほか受益があったものはぜひとりたい、こういうのと、いや将来もとらないのだ、もう電力会社だけだ、こう言われるのとではやはり違うわけなのです。今後電力会社だけをとるのは不均衡だから、ほかの対一般人民の、場合でもとるのだ、こういうように立法者が言われると、あるいは立法者の発言の中にそういうことがあり、その概念の規定の仕方にそういうことがありますと、同じ結論でも簡単に賛成するわけにはいかない。しかしこれは電力会社だけの利益の調整だ、こういうことになりますと、この規定があるいは他に及ぶということが比較的ない、そこで結論がまた違ってくる、こういうことがあり得るのです。それですから、新しい概念を打ち立てる場合に、その新しい概念はどういう概念であるかということまでわれわれとしてはどうしても審議せざるを得ない、こういうことになってくるわけです。たとえば国有鉄道の場合に、新線を建設するのに費用が足らぬときに赤字が出る、だから国民か受益者負担でとるのだというのも頭を出しかねないこともないのです。あるいは私鉄だって地方軌道法によるのだから公益事業じゃないか、だからおれの方もよこせ、こういうことも、事実はないでしょうけれども頭を出さないとも限らない。そういうことをわれわれは心配しておるのです。ですからそういう点を一つお聞かせ願いたいと思って私の意見を申して御意見を伺ったわけです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102404461X03519560418/20
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021・田中角榮
○田中(角)委員 関連してちょっと我妻先生に伺いたいのですが、この負担は当事者の協議によらなければならない。現在審議しておるこの原案の前のものには調整機関を置いたわけであります。協議が整わぬ場合には通産大臣がこれを裁定する、これについていろいろな議論があって、一応当分の間裁定機関を設けないようにしよう、こういうことで、先ほど一つの穴ができておるようだという御意見がありましたが、こういうようになっておるのでありますが、私はこの問題は最後に協定がつかない場合は民法上の争いになるというふうに考えておるわけであります。この法律では負担をしなければならないと規定してありますが、協議が整わない場合の処置が抜けておるのでありますが、この協議が整わない場合、特に上流の発電会社が下流の発電会社に対して、下流の発電会社がのめないような案を提示したという場合、法律で争うというところまではいかないと思いますが、その場合には、結局裁定機関をあらためて作るという以外には解決の方法はないわけであると思うのですが、それに対してどういうようにお考えになりますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102404461X03519560418/21
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022・我妻栄
○我妻参考人 私は先ほど穴があると申しましたが、ただいまの御質問に関連して申しますと、このままにしておいて、協議が成り立たなかったら、最悪の場合上流のものが何か裁判にでも訴えてとる道があるかという問題になると思いますが、相当むずかしいと思います。前の方には負担しなければならないとありますが、協議に応じない場合あるいは協議が成り立たない場合に、自分の方で合理的な計算をしてその金の請求を裁判所に訴える、裁判所はその計算の基礎をよく調べて、多過ぎればそれを減らして、合理的だと思うところをきめて、そうして支払うべしという判決をするかどうかということが、せんじ詰めれば問題になるのですね。そういう訴えを認めるかどうかはどうも相当疑問ですね。ただこういう例がほかにないものですから、学者の意見もはっきりしていないようですが、大ざっぱに申しますと、民事訴訟法学者はだめだと言うだろうと思うのです。それから民法学者は何とか道がありそうなものだと言いそうな気がいたします。しかしいずれにいたしましても、そういう訴えをしてみて、果して裁判所が認めるかどうかは相当疑問だということだけは申し上げられると思います。従ってそれを前提として、しかしわが国の現在を考えればこれでうまくいくのだというお考えがあれば、この立法でもけっこうだろう、その点はもっぱら皆さんがおきめになる点だということは先ほど申した通りであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102404461X03519560418/22
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023・田中角榮
○田中(角)委員 この法律のこの条文は協議の整わない場合の処分方法が書いてありませんし、特に協議が整わない場合両者を罰するような罰則規定も全然ありません。そうしますと、全くの訓示規定である、こういうふうに見ていいでしょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102404461X03519560418/23
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024・我妻栄
○我妻参考人 訓示規定という言葉がまた問題になりますが、裁判所に訴える、あるいは罰するということはしないけれども、両当事者の信義に従ってそれをやれと強く要請するという意味のものであることは疑いないと思いますが、従ってそれを訓示規定というふうに呼べば呼んでもいいと思いますが、単なる訓示規定というと、そういう言葉は官庁の訓示規定などというので、秘密の秘の字は書いても何の役にも立たないと同じようなものですから、単なる訓示規定というと、守っても守らなくてもいいというふうに聞えますので、そういう意味だと困りますけれども、しかし国家は関係事業者の公益に関係のあるものだという認識に十分の信頼を置いて、そうしてその責任においてやるであろうということを期待しておるのだというふうに考えるべきだと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102404461X03519560418/24
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025・田中角榮
○田中(角)委員 もう一点だけ伺いたいのですが、今多賀谷君が言いましたのは、この種の規定ができると、私鉄が開通する場合、そして駅が設けられる場合土地の値上りに対する受益者負担の道も開かれるのではないかというような議論でありました。私はそのようなことはないという考えから、先生の意見をちょっと伺いたいのであります。これはいろいろな学者の方々が議論をせられ、また御意見も伺ったのでありますが、私は受益者負担という観念で政府がこの法律案を提出したことに対しては、今の状況において正しいし、また将来これがマイナスをもたらすとは考えておりません。それはいろいろな問題で議論はありますが、例をとって申し上げると、上流のダムというものは経済的にペイ・ラインに乗らないものが現在残っておるわけであります。だから一つの営利会社が行えないで、国の力をもってやるということで、そのように非常に開発の困難なところ、特にコストの高いところを国が行うというのが電源開発促進法を制定したゆえんであります。もう一つ、不当利得の問題と、それから受益者負担の問題に対しての議論があるようでありますが、これは原則的に上流にダムを作る場合には下流の発電会社は利益を受けるということを認定して差しつかえないと私は考えております。それはどういうことかといいますと、上流のダムが決壊をしたために、下流のダムの機能を麻痺せしめるという場合、民法上当然に補償があるわけであります。これは上流にダムを築いた場合には、下流のダムの自然流下によるところの埋没も防げるわけでありますし、もう一つは、流れ込み式と違って上流にダムが設けられるために相当大きな発電量が増すわけであります。そういう議論だけではなく、地域によりましては、いわゆる受益は、自分の意思のいかんにかかわらず、上流の起業者がこのダム建設を行うのであるからというような議論をなす方々がありますが、奥只見のような場合、これは自然に流れ込み式だけの発電をやらなければならないという状態ではないのであります。これを新潟県に分流する、関東地方に分流する、こういう案があります。この案を行うということになりますと、下流に対しては益よりも損があるわけであります。この場合には当然上流にダムを作る発電会社は民法上の損失補償を行うわけであります。それを新潟県に水を切り落さず、関東地方に水を落さずして、階段式のダムをそのまま採用するという場合には、当然下流の発電所は利益増を受けるのでありますから、この種の規定を設けて受益者負担を行わしめるということは、一向法律上の概念からいって支障がない。また公営ダムすなわち多目的ダムにおいても、その種の処置がとられるでありましょうから、私はそういう意味では今多賀谷君が考えられたように、この法概念を貫いていっても将来一般のいろいろな問題に対してマイナスが起きるというような考えは起きないと思うのでありますが、その点について先生はどうお考えになっておりますか、お伺いしたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102404461X03519560418/25
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026・我妻栄
○我妻参考人 不当利得あるいは受益者負担というものを、こういう電力の場合に拡張してくるといいますか、そこにも認めてくると、将来停車場を作るというときにも、無限に広がっていくおそれがあるというお話でありましたが、私はそうなってもおかしくはないと思います。私は不当利得なり、受益者負担なり、あるいは公平ということからいえば、そうなってもその面だけからいえば何も背理あるいは不合理とは言えない。ただ先ほど申しましたように、それではどこまでそれを実現していったらいいかということこそ、まさにわが国の社会事情や経済事情を考えて、一歩一歩進んでいかなければならないことだろう、モカを国会で十分御審議になればいいことであって、理念としてそこまで行き得ないものだとは私は考えない。従って理念としては全部停車場にも及び得るものです。ただそれが両方とも公益に関係するものである、この電力の問題が一番最初に出てくるケースとして近いということで、この法律ができてきたんだというふうに私は解釈する。そうして先ほども申しましたように、社会全体を、ことに天然資源の開発とか、あるいは鉄道とか、道路とかいうような公共性の強いものについては、私は社会主義的な思想を持っている。そうしてその思想に行くためには、かえって今のようなふうに広がっていくのだと考えるのがいいのじゃないかと私は考えているわけです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102404461X03519560418/26
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027・佐々木良作
○佐々木(良)委員 関連して。先ほど田中委員から質問した一番実質的な問題なんですけれども、先ほど来の話を聞いておりますと、大体これの法理論的裏づけを、民法上の不当利得の概念を拡大解釈すれば裏づけが成立つのではないか、しかしながら七百三条の解釈からは直ちには生まれてきにくいのではなかろうかというお話であったと思います。同時にまた、今田中委員の質問に対するお答えの中で、協議によって金額をきめるということになっているのについての、その協議のととのわなかった場合の処置について、どうも法的な不備がありそうだ、しかしながらこれでも運営上やれるというならやれないこともなかろうというお話であったと思います。私が今一番気になるのはそのことでありまして、本来私どもが常識として知っているのは、この法律のある前に、具体的に起き得る問題については、法律の条文を待たずして大体協議して話ができる仕組みになっておったわけです。電気事業者間におきましては、大体協議がととのって、協議で話し合いができる段取りに常識的になっておったわけです。それが事情の変化といいますか、その協議ができそうにない。最初下流の発電所を作る時分には、大体上流にダムができる、そうすると利益ができてくるから、従ってそのときには適当にその利益を上流のダムの建設の費用に充ててもいい、あるいはその他の費用に充てるために吐き出してもいいというくらいな協議がととのいそうな状態が前提になっておったわけです。従ってこの基本法を作りますときにも、その話は出たのだけれども、条文化する必要はなかろう、大体話し合いでできるというようなことであったわけです。ところが最近の実情はむしろ逆に、何か法律的な拘束でもなければその協議の裏づけができないのではなかろうかというところに、この今度の改正法の出た理由があるわけです。従いまして、私ちょっと気になるのは、民法上の概念をもってするならば律しがたいということは、おそらく民事訴訟の対象にはなりにくい——先ほどのお話によりますと、ならぬともなるとも、どっちでも理屈はつくだろうけれども、なりがたい事情があるように考えられる。同時にまた行政法的な受益者負担の考え方をもってすれば、当然に協議がととのわなかった場合の裁定措置とかなんとかいうことは、同じように法律の裏づけがあるのがほんとうの筋合いです。結局のところ、この法律さえなければ、従来の話し合いで当然しなければならぬのだということで、大がい話ができそうな格好になるのが、こういう法律が頭を出したおかげで、民法上の訴訟の対象にもならぬし、協議がととのわなかった場合に、協議の義務を課してみたって、これはととのわなければしようがない、実益が生まれにくいような逆効果が出てきはせぬかという心配もあるよう一な気がするのですが、こういう場合の、当事者間の協議によって定めろという、この金額の規定の仕方、これは協議の義務を課すというふうな解釈をすればいいものでございますか。民法上の概念をもってすれば、当然に民事訴訟法によってその法益を貫く措置があるわけです。しかしながら行政法の考え方をするならば、これは規定がなければやりにくいへその規定が、協議がととのわなかった場念にはないという場合のこういう法律の読み方というのは一体どういうことになるのですか。この協議によって定めろという意味の……。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102404461X03519560418/27
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028・我妻栄
○我妻参考人 協議しなければならぬことになっておりますから、裁判所に、協議するようにという請求の訴えはできると思います。従って裁判所は協議すべしという判決まではするだろうと思います。ここまでは多くの学者が一致するだろうと思うのですが、ただ私がさっき申しましたように、もう協議したことにして自分で計算して、これが何十万円なり何百万円なりがちょうど妥当な出費だから、それをよこせ、そういう金額請求訴訟までいけるかどうかということをさっき言ったわけです。それはできないと言う学者が多いだろう。しかし、協議すべしという判決まではもらえるだろうと思うのですが、それをもらったところで、どうも間接強制でもできるかどうかというのが関の山でしょう。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102404461X03519560418/28
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029・佐々木良作
○佐々木(良)委員 そうしますと、この条文の解釈といたしましては、協議義務を課すというところまでは読める。しかし協議の内容が妥当であるかないかということは、その場合はどういうことになるものですか。行政法的な概念である場合に、その協議の内容の妥当性というのは、だれが、どこで——これは法理論でなくて、実際の処理の仕方としてはどういうことが考えられますか。協議の義務を課して、協議しろといっても、片一方はととのえろと言ったって、ととのわないという場合には、どういう始末が法上可能になりますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102404461X03519560418/29
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030・我妻栄
○我妻参考人 どうもどうにもしようがない。(笑声)だからさっき申しましたように、この委員諸君なり、国会の議員諸君なりが、現在のわが国の電力事情なり、あるいは監督行政なりの事情を見れば、裁判所のお世話にならなくてもりっぱにやれるのだという自信がおありになればこの法律でけっこうなんで、われわれが何もとやかく言う必要はない。しかしそうでなかったらどうなるかとお聞きになれば、これは法律としてはどうにもしようがない、それは穴でしょう、こう申し上げるよりほかしようがない。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102404461X03519560418/30
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031・小平久雄
○小平(久)委員長代理 田中武夫君。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102404461X03519560418/31
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032・田中武夫
○田中(武)委員 先ほど多賀谷委員からも詳細な質問があり、また時間の制限もありますので、簡単に一、二先生にお伺いいたしたいと思います。
六条の二の規定と不当利得の関係でございますが、不当利得の構成要件のうちの、利得の法律上の原因なくして生ずること、こういう問題なんですが、下流の施設者が水を使うというか、これによって利益を受けることは、いわゆる水利権というか、許可をもらって、その許可に基いてやっておるわけで、法律上の関係があると思うのですが、その点はどうなんでしょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102404461X03519560418/32
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033・我妻栄
○我妻参考人 さっき申しましたように、水利権があるに相違ないのですが、その水利権のあるものが、そのときの許可条件を形式的に考えて、その形式的な内容の中から、神聖不可侵というような強いものではないだろう、やはり公共的な立場あるいは社会全体の立場からの制限を受けることは当然予想されているのだ、そうだとすると、その意味で法律上の原因なしとも言える。つまり形式的に権利はあるけれども、実質的にはその内容はそこまで及ばないという場合には、やはり不当利得でいう法律上の原因がない、こう言えると思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102404461X03519560418/33
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034・田中武夫
○田中(武)委員 許可の範囲において水を使用する場合でもそういうことになるのですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102404461X03519560418/34
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035・我妻栄
○我妻参考人 ですから、許可のときと事情が全然変らなければ、それは実質的にも同じだということになりますけれども、上流にダムを作ったために水が多くなるとか、あるいは水の流れ工合がよくなるというときには、形式的な範囲の中ではあっても、最初に予定された実質的なものの上に出るということが考えられるだろうと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102404461X03519560418/35
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036・田中武夫
○田中(武)委員 もう一点お伺いしたいと思いますが、受益者負担との関係です。受益者負担の概念は、先ほど多賀谷委員の質問の中にもありましたが、これは大体国家または公共団体の行う特定の公共事業に要する経費に充てるために、その事業に特別の関係あるものが国家または公共団体に対して行うところの公法上の金銭給付の義務である、大体こういうふうに通説にいわれておりまして、公権というか、公法上の権利だと思います。また河川法第三条にも「河川並其ノ敷地若ハ流水ハ私権ノ目的トナルコトヲ得ス」こういう規定があります。しかしこの場合一つの私権といいますか、公共事業ではありますが、会社と会社との間の関係になるわけですが、こういう公権と私権という観念についてはどうなりましょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102404461X03519560418/36
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037・我妻栄
○我妻参考人 現在の、あるいは従来の行政法の考えから少しはみ出すことにはなるかもしれぬと思いますが、しかし先ほどから皆さんもおっしゃっているように、土地収用というようなものが、従来は非常に限られたものにしか認められなかった。それが現在は私的なものでも公共性の強いものにはそれを認めるというふうに、だんだん拡張する現象が見えるわけです。それをわれわれがどう理解していくかという問題です。そこで公共的なもの、天然資源の開発というようなものを、それをみな国家がやるのだとしていけば、土地収用や負担というものは国家でいいという従来の概念を維持していいわけです。全部国家がやるのだ。しかしそういう立場を取らないで、私的なものにもそれをやらせておけば、今度はその私的なものの公共性を強くして、従来市町村だけがやっておった、あるいは国だけがやっておった権力をそっちにも分けてやるということになるだろうと思う。つまり、こういうことを認めることが妥当だとお考えになるのか、妥当でないとお考えになるのかということを、かえって私の方から伺いたい。そうして日本の電力というものを全体から見ていって、下流のもの、上流のもの全部の利益を平均していかなければ総合開発ができ一ないから、そうやっていくことが妥当だというふうに考えるとしたならば、それが既成の法律概念に入らないからといって、そう気にする必要はないんじゃないかと私は思うのです。繰り返して申しておりますように、そうした天然資源、地下資源というようなものは国家管理にいくべきだと私は思う。ただそれにいくのが急激にはいけない。ですから一歩々々いくとして、どういう道をとっていくかという問題です。その道からいきますと、電力というようなものを全部国家がやれば、そうすれば、負担をやらせることも、あるいは収用することも今まで通り国家しかできないという概念を維持していってもやり得るわけです。そういくか、そうでなければ、私の会社もやれるという前提をとるか、そのかわり、私なんだけれども、公共性が強いから国家権力をそっちへ分けてやる。しかしさっきから何度も言っておりますように、一私人の恣意によって国家権力が行使されちゃ困る。それに対して社会公共的なコントロールを加えていくという道を進んでいくか、この二つの道しかない。この法律はあとの道を進むものだという意味で、私は全体的に賛成している、こういうわけであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102404461X03519560418/37
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038・田中武夫
○田中(武)委員 最後に一つだけお伺いします。この六条の二が従来の法律的な概念から出てくるところの権利であるか、あるいは新たな権利をここに作ろうとしているものであるかということがわれわれにもわからないので、先生においで願っていろいろと御意見を伺っているわけなんですが、先生の先ほどからの御説明によりますと、これは今までの法律的観念でいけるんだ、こういうことになると、六条の二はいわゆる宣言規定といいますか、そういうことになると思うし、そうでない、新たな権利をここに作るんだということになるなら、権利の創設のように考えるのですが、先生の御意見は、今までの法概念でいける、こういうことなんですね。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102404461X03519560418/38
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039・我妻栄
○我妻参考人 あなた方の方が私よりはるかに概念的な感じがします。私はそう何も新しい権利か古い権利か、宣言的か創設的かということは言わぬでもいいんじゃないかという気がする。従来の法律理念で支持し得るという意味で、それはやはり従来の権利と何も変ったものじゃないと言うなら言える。しかしほかにこういう権利が、これと同じようなものがほかの法律にあるかといえば、なるほど新しいものだという意味です。それだけは確かなんです。だから、さっきから何度も言っておりますように、現行法の中に流れている理念で十分支持される。しかし立法によってはっきりさせる必要のある権利なんだ。これは同じなんですから、それをつかまえて宣言的とおっしゃろうが、創設的とおっしゃろうが、それは説明の便宜で、言葉の問題だと私は思う。だからそういうことは学者におまかせになって、委員諸君はむしろ、こういう規定を置くことが、わが国経済のためにいいかどうかということを大局的にお考えになってしかるべきかと思うのです。はなはだ僭越ですけれども……。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102404461X03519560418/39
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040・田中武夫
○田中(武)委員 先ほど先生の御意見では、この概念を進めていくと、私鉄が駅を作ったとか、新たな線を設けたというようなときに、土地が値上りする、だからお前の方からも金をよこせ、こういうふうなことがあってもいいのじゃないか、こういうふうなことを先生は考えていられる。そういうことになるのがいいか悪いかということは、われわれはよくわからぬし、この法律を認めたときにそういうところまでいくのじゃないか、こういうことでいろいろお伺いしているわけなんですが、先生の御意見はよくわかりましたので、私の質問を終ります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102404461X03519560418/40
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041・小平久雄
○小平(久)委員長代理 鹿野彦吉君。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102404461X03519560418/41
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042・鹿野彦吉
○鹿野委員 先生は国家の総合開発という目的からこの負担をさせる方が、開発に対してよい、こう考えられるから賛成する、こういうお話があったわけですが、これについて私はいささか疑問を持ちますので、一つ教えていただきたいと思うのです。ということは、大きな立場からいきまして——その先にこの問題は具体的に言いますと、只見川だけを中心にして考えられる法律だ、こう考えていいと思うのです。ただ只見川から出るところの電力が、東北地区と東京と両方に供給される、こういうような具体的な問題がここにあるわけでございますが、現在の日本の置かれておるところの立場は、非常に狭い国土に一億になんなんとする人間が生活をしていかなくちゃならない、こういうような現実の問題に追い込められておる。こうした状態において、われわれは日本の国土必ずしも狭きにあらず、人口必ずしも過剰にあらず、資源必ずしも不足にあらずという、この基本的な立場に立って、ここに解決点を見出さなくちゃならぬと考えるわけでございますが、そのためには何といっても現実には、狭いといいながら、国土の七〇%は山間地帯であり、ほとんど未利用地になっておる。これを積極的に利用をはかっていく。これのみが日本経済の自立を達成するただ一つの方法ではあるまいか。そのためには人口をできる限り分散させなくちゃならない。企業の合理化というような一つの問題から考えますならば、もちろん東京、大阪を中心として企業が集中していくことが採算的にいい、安くできるということは当然でしょう。しかしながら、日本の現実に置かれておる立場から、全体からながめてみますと、人口の分散をはかって雇用の増大をはかるということがまた、合理的にあらゆる生産を安くもたらすところのものでもございますから、政府の方策としてはできる限り人口の分散をはかるようにという方向に持っていかなくちゃならない。さすれば現実の問題として東北地区のごとく、ここに企業をやるにしたところで何ら特徴がない。特徴としては、ただ一つ電力だけが安くできるという自然条件に恵まれておる。このただ一つの電力が安く得られるというようなことに対しまして、国家の力をもって電源の開発をしていくというような場合に、下流増があるからこれに対して取り上げることが、開発に対してプラスをするとは、必ずしも考えられない。取り上げないでいくということも、かえって大きな意味におけるところの開発を促進することになるんじゃないか。いわゆる人口の分散をはかり、企業の誘致をはかるというようなことからいけば、大きな目的からいって、そういうことも考えられるのではあるまいか。ややもすると下流増によって益するところのものは電気会社だ、これは私企業だ、私企業だから、これが必ずもうかるというふうに考えられますけれども、現在の電気料金というものは、公益に関するものということから原価主義がとられまして、政府当局の許可がなくしては電気料金を上げ下げできないという立場に立っておるわけでごさいますから、いわゆる下流増によって得たところのもうけというものは、その地区におけるところの電気料金という形になって現われ、それが人口分散に非常に大きな貢献をするというようなことも考えられるわけでございます。こうした場合についてはどのように考えることがよろしいかどうかというようなことについて、一つ御意見を承わりたいと思うのでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102404461X03519560418/42
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043・我妻栄
○我妻参考人 どうも民法学者の範囲ではないように思いますが、私も東北出身でありますから、おっしゃることはよくわかります、わかりますが、こういう法律の一般的な理念を考えていきますときに、下流増の利益を受ける者がたまたま東北だから返還の義務はない、それに反して富裕なところなら返還する義務があるという取扱いの区別をすることはまたどうか、法律を一般的に考えていったときに、下流増の利益を受ける者がたまたま東北であるということは、やはり除外して考えてもいいのじゃないか、そして東北のために何か補助を与えなくちゃならぬというなら、それはまた別に国家が東北振興なり何なりで別途の道を講じていくという方が、少なくともすっきりしてるんじゃないだろうか。たまたま下流増の利益を受ける者が東北であることのために、先ほどからお話の法一般の理念の適用を阻止するということはまたどうかというふうに考えるわけでありますが、私の専門としてはこれ以上はお答えすることがございません。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102404461X03519560418/43
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044・鹿野彦吉
○鹿野委員 先生が民法学者であることを承知で、私は私のこの常識がどういうふうに批判されるかという考え方でお尋ねいたしたわけでございます。なお東北の問題であるからという考え方ではなくて、私は日本の経済全体の立場から考えて、あらゆる機会に人口の分散をはかることが、何といっても日本にとって最大の原則だというような考え方に立ちます関係上そうした御質問をいたしたのでございますが、私はこの質問をするについて、電源開発促進法そのものが開発だけにとどまって、その他の附帯的事業をやらないということにするということになれば、こうした下流増返還というようなややこしいところの法律を作らなくてもよいのではないかというような考え方を持っておるものでございます。こうしたことについて先生にお尋ねするということは妥当ではありませんから切り上げますけれども、そうしたことに関連して御参考までに聞いたようなことであります。ありがとうございました。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102404461X03519560418/44
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045・小平久雄
○小平(久)委員長代理 参考人に対する質疑はこれをもって終了いたします。
我妻参考人には、御多用中のところ長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただき、本案審議の上に多大の参考となりましたことを厚く御礼を申し上げます。ありがとうございました。
暫時休憩いたします。
午後零時二十三分休憩
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午後零時三十五分開議発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102404461X03519560418/45
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046・神田博
○神田委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。
この際お諮りいたします。下請代金支払遅延等防止法案審査のため、来たる二十日本委員に参考人の出頭を求め、意見を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102404461X03519560418/46
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047・神田博
○神田委員長 御異議なしと認め、さよう決定いたします。
なお、参考人の選定等につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102404461X03519560418/47
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048・神田博
○神田委員長 御異議なしと認め、さよう決定いたします。
本日はこの程度にとどめます。
次会は明十九日午前十時より開会することとし、これにて散会いたします。
午後零時三十六分散会発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102404461X03519560418/48
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