1. 会議録本文
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000・会議録情報
昭和二十三年六月九日(水曜日)
午後一時三十分開議
出席委員
委員長 井伊 誠一君
理事 鍛冶 良作君
岡井藤志郎君 明禮輝三郎君
池谷 信一君 石井 繁丸君
榊原 千代君 山中日露史君
打出 信行君 中村 俊夫君
中村 又一君 吉田 安君
酒井 俊雄君
出席國務大臣
國 務 大 臣 鈴木 義男君
出席政府委員
檢 務 長 官 木内 曽益君
法務廳事務官 野木 新一君
法務廳事務官 宮下 明義君
委員外の出席者
專門調査員 村 教三君
專門調査員 小木 貞一君
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本日に会議に付した事件
刑事訴訟法を改正する法律案(内閣提出)(第
六九号)
—————————————発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100204390X02819480609/0
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001・井伊誠一
○井伊委員長 会議を開きます。
刑事訴訟法を改正する法律案を議題として審査を進めます。中村俊夫君。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100204390X02819480609/1
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002・中村俊夫
○中村(俊)委員 本日は、今議題となつております刑事訴訟法改正法律案の全般にわたる問題について、二、三法務総裁、あるいは政府委員の方々にお尋ねいたしたいと思うのであります。
まず最初に憲法十四條のすべて國民は法のもとに平等であるという重大な一節と、このたびこの改正案の中に盛られておりまする尊属親に対する告訴、告発の禁止の撤廃について、政府の御所見を伺いたいと思うのであります。この尊属親に対する告訴、告発の禁止の撤廃に関する御説明によりますると、現行刑事訴訟法に尊属親に対する告訴、告発の禁止があるのは、かつてのわが國の思想として淳風美俗によるのだ、その趣旨から告訴、告発の禁止というものが規定されておつたのであるけれども、憲法十四條の精神に基いてこれを撤廃することが妥当だというような説明をされておるのであります。法務総裁は十分御承知だと思いますが、刑法の一部の改正が前の國会で出されましたときに、私らは自分の信念に基きまして、天皇に対する特別の犯罪は、これを存置すべきだ。もちろん具体的に種々申し述べたのであります。根本の理念として、そういう点を強力に申し述べたのでありまするけれども、当時の政府におかれては、憲法十四條によつてすべて國民は法のもとに平等であつて、天皇もこの國民の中に含まれるから、特別の犯罪をおく意思はないのだ、こういうように御答弁になつたことを、私忘れることができないのであります。ところがそれならば憲法十四條にいうすべて國民が法のもとに平等であつて、人種、信條、性別、社会的身分、または門地によつて政治的、経済的、または社会的関係において差別されないということが絶体的なものであるとするならば、何がゆえに尊属殺人という特別の刑がおかれているのか。これについては私はその当時満足すべき御説明を承ることができなかつたのであります。さらに刑法第百二十四條は、何らの改正をされておりませんが、これによりますと、「文書偽造ノ罪」として「行使ノ目的ヲ以テ御璽、國璽若クハ御名ヲ使用シテ詔書其他ノ文書ヲ偽造シ又ハ偽造シタル御璽、國璽若クハ御名ヲ使用シテ詔書其他ノ文書ヲ偽造シタル者ハ無期又ハ三年以上ノ懲役ニ処ス」という規定が存置されておるのは何がゆえであるか。これに対しても、多大の疑問を私はもつのであります。
さらに窃盜罪の二百四十四條に親族相盜の規定が存置されておる。こういうような一連の未だに改正されずに残されている刑法の各條文を見ますと、政府が主張されておる憲法十四條の解釈というものは、場合によつて、ときによつて違つていくのではないか。つまり政府の憲法十四條に対する理念は、私は便宜主義ではないかと思う。つまり一貫した理念がない。これは私は國民に対して説明をするのに、私らが政府はどう考えいるかと聽かれたときに、説明のしようがないと考えております。陛下までが憲法十四條の國民の仲間に含まれるならば、しかも陛下に対する、——天皇に対する特別犯罪というものが、この憲法の條章に違反するということでありまするならば、子供が親を殺すということにつきましても、一般殺人罪はこれを死刑に処することができるのですから、何を苦しんで尊属殺人の規定を存置する必要がありましようか。また天皇がすでに象徴としての地位につかれて、政治面にはほとんど何らお触れになることがないとすれば、この御璽、國璽もしくは御名を使用した、あるいは偽造したというような犯罪などは、ほとんど私は死文にひとしいものではないかと思う。しかもこの條文を特に存置されておせれるのは、はなはだ政府の考えが終始一貫していないのではないか。むしろ尊属殺人という、こういう特殊な犯罪がなくなつてこそ、初めて尊属親に対する告訴、告発の禁止ということが消えてなくなるのである。そういう規定をおきながら、あるいは憲法十四條に基いて、子供でも親を告訴していいんだというようなことをおくということは、私は実に矛盾をした考え方ではないかと考えておるのでありますが、その点について、政府の御所見を承りたいと思うのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100204390X02819480609/2
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003・鈴木義男
○鈴木國務大臣 中村委員の御質問は、まことに理由ある御質問であります。この問題を取扱うことになりますと、法律と道徳の関係というようなことに深入りをして論じなければ、十分に徹底しなくなると思うのでありますが、それは今しばらくおきまして、憲法第十四條の法のもとに平等ということも、実際の人間生活を律していきまする上の基礎原則でありますから、絶対的なものとして主張するわけにはまいらぬと思うのであります。できるだけの範囲において、また許される限り、法の前の平等を期するという建前に立つておることは、御了承願わなければならぬのであります。そういう意味におきまして、尊属の犯しました罪に対して、從來は告訴を必要としておりましたのを廃止するということは、これは法の前の平等ということに、少くとも一歩近づいたということが言われ得ると思うのでありまして、殊に尊属といううちにも、御承知のように養父養母というような関係がありまして、わが國ではしばしば不幸なる刑事犯罪が、かくのごとき関係において生ずることがある。たとえば養父が養女を姦淫する。あるいは父がその息子の嫁を強姦するというような問題が起りましても、從來は告訴がなければこれを処罰することができない。告訴を求めることがすでに人情の上から非常にむずかしいところへ、これを起訴條件といたしますれば、いよいよ困難になる。そういうことをなるたけ避けるために、少くとも告訴だけは條件としないという緩和をいたしたということは、それほど非難に値いしないと思うのであります。実際の父なり母について許しがたいことがありますればどうでありまするか、少くとも通常の道義観念をもつております者は、そう軽卒に告訴するというようなことは考えられない。今までもそうでありましたが、將來もそうでありまするから、それらの点は告訴を濫用するというようなことはなかろうと思うのでありまして、さよう御了承を願いたいと思います。
但しただいまお話の御璽、國璽、御名等を利用するの罪、あるいは尊属殺人と普通殺人とを区別するというような点につきましては、殊に前の方につきましては、新憲法実施後においては、十分論議の対象となり得るのでありまして、刑法全体を改正いたしまする場合に、御承知のように刑法はただいま暫定的にやむを得ざる部分と、急を要する部分だけを改正いたしているのでありまして、全面的な改正はいたしておらないのであります。これは大規模な仕事として、これから発足いたそうとしているのでありますから、その際これを問題にいたす予定であります。
尊属殺人、普対殺人の区別は、やはり人情の自然に基いて、法の前の平等とは別問題として考えられる問題だと思いますが、しかしこの問題も嚴格には將來大規模な改正を考えまする際に、再檢討せらるる價値があると考えているのであります。從つてこの憲法第十四條を動かすことのできない公式的な基準として、政府は主張するというつもりはないのであります。ある程度のゆとりをもつことはやむを得ないのでありまして、その点について一貫性を欠いているのではないかという御非難でありまするが、必ずしも一貫性を欠いておらないと考える次第であります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100204390X02819480609/3
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004・中村俊夫
○中村(俊)委員 次にお尋ね申し上げたいことは、行政査察に関する問題でございます。かつて私は昭和二十一年の夏と心得ておりますが、多年私が在野法曹として体驗をいたしております点から、殊に当時は終戰後まだようやく一年経つか経たぬかというときでありました関係もありますが、大津の滋賀刑務所の既決囚の死亡率が、当時の大阪控訴院、現在の大阪高等裁判所管内のすべての刑務所の死亡率の合計よりも、なお高率であるという事実を私が聞知いたしまして、これはどうしても人権蹂躙を根絶する趣旨から、さらに死刑の宣告以外な刑を與えられたる既決囚が、その処遇の悪いために、あるいは取調方法の残虐なるために生命を短くするというがごとき事例は根絶すべきものではないかと考えましたので、この事例について大阪朝日新聞の「声」に投書いたしましたところが、記者がただちにその事実であるかどうかを調べた結果、滋賀刑務所のその当時の例としては、既決囚が一日に一人の割合で死んでいるというような報告が大きく新聞に報道されたのでございます。このたびの刑事訴訟法の大改正は、申すまでもなく、新憲法の各條章に書かれておりまする基本的人権、さらに個人の権利の絶対的保障というものを顯現するために取上げられたる問題であることは申すまでもありません。しかもすでに裁判官の彈効法が施行されており、法務廳法の一部の改正並びにただいま提出されておりまする檢察審査会法等によつて、警察官の処置、行為等に対する一種の彈効措置が講ぜられつつあるのであります。こういう問題について、いわゆる人権蹂躙であるとか、今申し述べましたような被疑者の処遇の問題であるとかについては、何と申しましても、警察官の被疑者に対する、あるいは被告人に対する処置というものが、常に問題になつていることは、御承知のことだろうと思われるのでありまして、從つて比較的常識と良識とをもつて檢察の事務に当る檢察官に対してすら、さらにまたわれわれが絶対に信頼をし得る地位にある裁判官に対してすら、なお一層の公平と嚴正とを要求すべき法律がつくられておりまするこのときに、政府、特に法務廳としては——あるいはこれは直接法務廳の権限内であるかどうかはわかりませんが、檢察官に対する彈効の処置、あるいは既決囚の処遇に関する刑務官に対する監査の施設等については、私は特に必要ではないかと思われるのであります。もちろんさらに現在改正されんとする刑事訴訟法によりますると、警察官が被疑者に接する期間というものは、きわめて短いのではありますし、さらにまた刑務所の既決囚に対する処遇というものは、だんだんと改善されていきまして、見るべきものが多々あることも、承知したしているのでありますけれども、未だに暴行を加え、あるいは取調べに当つて、いわゆる脅迫にひとしい処置をもつて自白を強要している例は、決して少くないのでございます。從つて私はこの際この刑事訴訟法の精神、換言いたしますれば、憲法の精神を徹底するためには、どうしても、この警察官並びに刑務官に対する行刑査察等に関する一つの機関というものが設けられなければ、この目的を完全に果すことができないと考えておるのでありますが、この私の見解に対しまして、法務総裁はどういうようなお考えをもつていらつしやるか伺いたいのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100204390X02819480609/4
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005・鈴木義男
○鈴木國務大臣 御質問の趣旨はよく了承いたすのであります。警察のことは、私の権限外でありまするが、御承知のように、警察官に対しまして、新しい、警察制度は、公安委員会を監督し、彈効し、進んで警察官に対して民衆的監督を行うことができるようになつておりまするから、その点では御期待に副うような相なると信ずるのであります。なお刑も行刑の面において人権蹂躙のようなことが行われる可能性があるということ、並びにいろいろ好ましからざることがあり得るのではないかということも、まことに仰せの通り、これは否定することはむずかしいのであります。從つて実は私どもの理想といたしましては刑務行政を監督する組織をつくろうということで案を練つておつたのであります。最近関係方面においてこの方面の権威者が日本に参つておりまするので、それらの人々の暗示もありまして、法務廳におきまして、きわめて民主的な妥当な刑務行政の監察機関、早く申せば刑務行政そのものを——刑の執行をも一つの委員会をつくつて、これが指示をする。そとからその行われている過程に不当なることがあれば、それについて各地方の刑務委員会のようなものがそれぞれ監督の任に当る。彈効すべきものは彈効する。是正をさせるべきものは是正をさせるというようなことができるような組織をつくろうといたしておるのでありまして、そういう法案を近く國会に提案いたしまして、御協賛を仰ぐことができると考えておる次第であります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100204390X02819480609/5
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006・中村俊夫
○中村(俊)委員 次にお尋ね申し上げたいのは、裁判所の規則制定権と本刑事訴訟法との関係についてでございます。私は先般民法の一部の改正の時に、詳しく私の所見を申し述べたつもりでございますが、憲法第七十七條條の解釈について、学者間にもいろいろの見解のあることは、すでに御承知の通りだと思うのでありまして、この七十七條のいわゆるルール制定権というものは、どの程度のオーソリティーをもつておるかということについては、幾多議論のわかれているところだと思うのであります。私はここでこの七十七條の法律上の見解を申し上げようと考えておるのではありませんが、この改正刑事訴訟法を通観してみますると、随所にいわゆる訴訟に関する手続と申しますか、裁判官が法廷においてその指揮をする順序であるとか、その他おそらくこれは裁判所の規則によつてきめらるべきであろうと思われるような條文が、多々あるように思われるのであります。あるいは人によつては解釈が違うかもしれませんけれども、三百四條の「証人、鑑定人、通訳人又は飜訳人は、裁判長又は陪席の裁判官が、まず、これを尋問する。」というような規定ここに一項、二項、三項までありますが、これなども、調べる順序などについても、これを裁判所の規則によつて定められたもよいのではないかと考えられるのであります。その他法廷訓示規定であるとか、あるいはその他法廷の指揮権その他いわゆる裁判所の規則にきめられるべきと思われる條文があちらこちらにあるのでありまするが、もしも最高裁判所において制定されたる規則が、この改正刑事訴訟法の條文と相矛盾するような規定ができた場合には、いずれをもつて是となすか、もちろん最後は最高裁判所の審判によるべきだとは思われますけれども、実際にわれわれの取扱いとしては、そういう場面について、いわゆる七十七條の解釈上、規則の方が形式的には法律よりも弱いのであるからして、この改正刑事訴訟法の條文を妥当とするのである。あるいは優先的な権限があるのだとかいうように御解釈になるのか。私はこの点御教示を賜りたいと思うのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100204390X02819480609/6
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007・鈴木義男
○鈴木國務大臣 ただいまの御質問は、まことに重大な点でありまして、立案に際して十分問題となり、考慮を重ねた点であります。学説上も、また実例上も、裁判所の規則制定権と一般立法権との区別関係というものは、まことにむずかしい問題でありまして、その点はいろいろ議論の余地はあると考えるのでありますが、とにかく裁判所が訴訟に関する手続について、規則を制定する権限を憲法七十七條によつて與えられておることは、疑いもないのであります。しかし一方憲法第三十一條は、御承知のように「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科らせれない。」こういうことに相なつておるわけであります。そこでこの法律によらないで、みだりに身体生命の自由を奪われるような結果に到達するということは、憲法上許されないことである。そういう意味において、刑事訴訟手続というものは、究極において人身の自由を侵害し、生命の危險にすらも至るものでありますから、これは基本的人権を擁護するという至れり盡せりの憲法の精神から見ても、どうしてもこれは法律をもつて、及ぶだけ規定することが望ましい。こういう見地から本案のごときものの立案をいたした次第でありまして、この点につきましては、最高裁判所の御了解も得たわけであります。ただ議論をいたしてまいりますれば、それじやこの程度のものは裁判所に任せてもよいのではないかということを仰せられますれば、究極において、人の自由に影響を及ぼすということで解決ができるわけでありますけれども、いずれにでも議論はできるというようなものもあろうということは、否定いたしません。しかし一つの手続の体系をきめるのでありまするから、ここまではきめておいても、この先は規則制定権に讓る。そうすると規則の方を取寄せなければわからないということになりますので、実際上の仕事をいたしております上での便宜ということも、十分考慮されなければならないのでありまして、そういう能率化の見地から、多少の議論がありましても、関連いたしますものは、この中に編入いたしてある。このようにお答えいたしたいのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100204390X02819480609/7
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008・中村俊夫
○中村(俊)委員 次にお尋ねいたしたいのでありますが、あるいはこの点はどの委員もおそらく疑念をもつていらつしやることでもあり、すでに二、三の委員より総括的の御質問があつたことだろうと思いますので、もしも私の今からお尋ねしようとする点が重複するようでありましたならば、きわめて簡單で結構ですから、お答え願えれば結構だと思います。
今提案されております刑事訴訟法案を檢討いたしまして、われわれも、これはまことに劃期的な法案であつて、在朝の人も在野の人も、非常な関心と努力とを要することだろうと思うのであります。一つの例を公判手続にとつてみますると、まず公訴の提起がある。公判期日の指定がある。第一回の公判が行われる。しかもその間には場合によつては、公務所または公私團体への必要事項の調査を命ずる場合も起つてきましようし、公判期日外の証人の尋問という場合も起つてくるのであります。それからその公判日におきましては、まず檢察官の起訴状の朗読があり、それから複雜な証拠調べにはいる。この証拠調べも檢察官よりの証拠の提出、檢察官、弁護人の証拠調べの請求、それから証人の尋問、場合によりましては、裁判所は檢察官、弁護人に対し証拠の証明力を爭うために必要とする適当な機会を與えなければならぬ。これは私は逐條のときにお伺いしたいのですが、これはどういう場合であり、どういう具体的例であるかをお伺いしたいのですが、そういう場合が想像せられる。それから次には三百二十一條の一号、二号、三号の場合における供述書に対する公判廷における証人の再尋問、それからさらにまた場合によつては公判準備における証人その他の者の尋問、それからさらに被告人を証人として尋問する場合もあり得ましよう。それから三百二十五條によつて裁判所が調査するという時間もなければならぬ。これは大体証拠調べに関する所要の手續と時間であります。また証拠調べ以外の手続としては、訴因または罰條の追加または変更によつて、被告人、弁護人の請求によつて裁判所は、決定で、被告人に十分な防禦の準備をさせるために必要な期間公判手続を停止しなければならぬという場合もある。それから檢察官の論告、弁護人の弁論、刑の言渡し、判決ということになる。大体これだけの一審の公判廷の手続に対して、しかもこれが被告人に対してすべて弁護人がつくというようなことになつておりますが、政府としてははたしてこれだけの手続に対してどれだけの日数を大体予定されているのかをまず私はお伺いしたいのです。これはいろいろありましようけれども、大体平均してどれだけの日数がかかるのだというようなお考えがあるのか。それはもちろんかくのごとき複雜なる手続と、そうして現代続発しております犯罪の統計から申しまして、檢察官、判事、弁護士は、数の問題もございましようし、法廷の十分であるか、不十分であるかという問題も考えてみますと、いわゆる基本的外権擁護を主体として憲法に保障されたる個人の権利の保全を期しようとするところの、この画期的法律案も、今私の申しましたものがすべて充足されなければ、かえつて中途半端な効果しかあげ得られないようなことになりはしないか。依然として昔と同じようなコンヴエンシヨナルな法廷となつてしまいはしないかということを非常に心配いたすのでありますが、これだけの法律案を通過させんといたします以上は、政府におかれましては、すべての準備ができておるのか、あるいは中途半端でもいいから早く行わなければならぬのか、施行期が七月一日に相なつておりますけれども、この國会を通過いたしましたときから一年間あるいは二年間くらいは、その準備期間をおくのを妥当とするお考えがあるのか。私のお伺いしたいのは以上の点であります。これを要約いたしますと、第一審公判手続について平均してどれだけの日数を要するというおつもりであるのか。そうして今申し述べました弁護人、檢察官、裁判官の数及び法廷、それから事件の激増に対するこれらの処置に対してどれだけの御準備と御決心とをおもちになつておるかということをお伺いしたいのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100204390X02819480609/8
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009・鈴木義男
○鈴木國務大臣 ただいまの御質問は、問題が非常にデリケートでありますし、こまかい点にもわたることでありますから、檢務長官からお答え申し上げます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100204390X02819480609/9
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010・木内曽益
○木内政府委員 ただいまの御質問に対しましてお答えいたします。審理の日数の問題でありますが、一体かような手続でやるといたしまして、現在よりどのくらいよけいかかるかという点については、まだ的確な資料もないわけでありますし、このくらいだということを明言するわけにもまいりません。しかし多少は一審の手続は長引くと考えております。なお次の裁判官並びに檢察官の現在の数で、かような手続をやつていけるかどうかという点でありますが、私は相当の増員をすることは必要だと考えておりますが、しかしながら、なお現在の状態においても、これがやり得るというふうに考えておるのであります。その点はあとで御説明申し上げることにいたしたいと思います。それから弁護人の数、もとの官選弁護人を私どもは今度から國選弁護人と呼んでおりますが、とにかく強制弁護の範囲が非常に廣くなり、また弁護人をつけられる者につきましては、國選弁護人をつけなければならないということになつておりますので、全國約六千の弁護士によりまして、はたして十分賄えるかどうかという点についても、多少の考慮をいたしておる次第であります。しかしこれもまた何とか賄い得るのではないかと考えております。
これをさらに具体的に申しますと、第一の公判の日数の問題でありますが、公判の期日は回数を重ねることになるだろうと思います。まず從來の一審の調べと比較して考えてみますならば、この改正案におきましては、要するに捜査記録をつけないのでありまして、いわゆる起訴状一本主義をとつておるわけであります。それは裁判官をして法廷に臨む際に、予断を抱かせないというのが趣旨であります。ところが御承知の通り、從來は各捜査記録を全部つけて起訴をしておるのでありまして、そのために裁判所が、その記録を読むために非常な日数と労力を費しておつたのであります。公判の審理そのものよりも、事件等によりましては、むしろ記録読みの方に長い時間を要し労力を使つておつた。それが今度の訴訟手続においてはまつたく必要がなくなるわけであります。その点において労力と手数とが非常に省けることになると考えるのであります。
それから公判の審理の関係でありますが、まず自白事件について申し上げますと、從來におきましても、公判廷で自白した事件でも、ただそこで自白したからといつて、そのまま事件を済ましてしまうというような場合は少いのでありまして、かりに自白しておる事件でありましても、いろいろの証人を調べたりしておるのであります。なお否認事件につきましては、もちろん從來も各方面からこれを檢討し、法廷において証人ないしいろいろの証拠を提出して、審理を進めてきておるのであります。さような点につきましては、現在の調べとこの改正案に基く調べも、手数の点については、さしたる変化はないのではないかと考えます。殊に改正案は、現在施行しております應急措置法の線を條文化いたしまして、これを整理いたし、そうしてこれにさらに英米的に訴訟手続を加えたものでありまして、裁判所におきましても、大体この應急措置法の実施されるようになつてから、改正案のような趣旨で審理をやつてきておつたのでありますから、裁判所においても、今ただちにこの改正案が出たところで、全然新しき変化を來した手続が、突如としてここに現われたということにはならないのではないかと考えるのであります。
それからもう一つは、公判が非常に延びるというのは、在來もいろいろな事情がありましようが、弁護人の都合のために延びておるということも多いし、弁論のために非常に日数を要したという場合も多々あるのでありまして、かような点につきましては、弁護人側におきましても、この改正案の趣旨を体して、これに御協力を願い、また弁論等もなるべく要領よくこれを運用していかれたならば、さらに公判の審理を促進さす上においてよいのではないかと考える次第であります。
そこでなおこの実施の問題でありまするが、御承知の通り、新憲法が施行されましたが、要するに憲法に要求しておるところの基本的人権の保障というものは、結局一面刑事手続に重大な関連をもつているのであります。從つていかにりつぱな憲法ができ上つても、これを運用していく重大な附属法である刑事訴訟法が実施されなければ、結局憲法の要求しておる点を満たすことができないと考える。その意味におきまして、私は憲法の精神に副つた改正案のような刑事訴訟法が、一日も早く実施されることが、憲法の要請しておるところではないかと考えるのであります。さりとて、今ただちにこれを実施するということも、いろいろの故障が考慮されますので、とにかく大体六箇月の間があれば、その間において十分準備ができるのではないかというので、十月十日を目途として、われわれがその準備をしていけば、これを実施していく上において、さしたる支障なくしていくのではないかと考えるのであります。またその間におきまして、できるだけ判事及び檢事も補充し、法廷等の増設も考慮したいと考えておるのであります。
なお一言申し上げたいのは、應急措置法が実施されましてときに、ちようど私どもは一審を扱つておつたわけでありますが、かような從來の手続より、非常に変つた手続でやるならば、とうてい現在の檢事の手をもつて、これをやつていくことはできない。かような手続を実施されるならば、現在の手薄なところにおいて、とうてい治安の重責を全うすることができないというので、実は私は極力反対をいたしました一人であります。しかしながら、いよいよ法律が実施されることになれば、私どもも何をおいてもその法律の趣旨に從つて、万全の努力を続けなければならぬ。そこで私どももその趣旨でこれを運用してみますると、なるほど一、二箇月は、いろいろ混乱と言うては言葉が過ぎますが、手違いを生じたようなことがあつたのは事実であります。しかしながら、今日これを運用していきました結果を見ますると、現在においても実によく運用されておるのでありまして、その実績を、われわれは今日つくつたわけであります。今度の改正案が実施されたところが、結局これは應急措置法の線を大体において整理條文化したものでありますから、さしたる手違いもなく、十分やつていけるというふうに考えておる次第であります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100204390X02819480609/10
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011・中村俊夫
○中村(俊)委員 ただいま政府委員から私の質疑に対してお答えがあつたのでありますが、今の御説によると、最初はきわめて困難だと思うことも、やつてみるとたいして困難ではないのだ。それからこの新刑事訴訟法案の精神から言つても、これは一日も早く施行したいという、この二つの御見解については、なお一点私からお尋ねし、さらに強い希望を申し上げたいと思うのであります。それはこの改正案の最も重要な点である法廷の公判において、まず起訴状だけによつて檢察官がこれを起訴して、証拠は公判廷に出すのだという考え方は、私は刑事訴訟法の改正をまたずとも、この臨時措置法の布かれたときに、すでに法廷でそうあるべきだと考えておりました。それは新憲法の精神より、さらにこの臨時措置法の精神から言いましても、そういう予感を裁判所に與えるがごとき從來のやり方、つまり檢事局が調べてすべてその書類を綴じて裁判官に回すということは、この刑事訴訟法の改正をまたなくとも、すでに臨時措置法の施行されたその日から、私は改めらるべきだという論議をしてまいりましたし、これは私一個の見解でなしに、二、三の法律学者も、そういう点を支持しておるのでありますが、しかしもちろんそういうわれわれの見解を取上げられずに、今でも御承知の通り、從來とちつとも変りないところの事件の調べ方をしてきております。その点を私らは問題といたしたいのでありまして、次にお尋ねいたし、さらに強く希望を申し述べるのも、裁判官の態度とか、檢察官の態度というものが、ちつとも変つていないということを、私は指摘したいのであります。こういう思い切つた憲法ができ、思い切つた法律案が出たのでありまするから、すべてのその衝に当る人は、ほんとうに法の精神をもつて、思い切つた処置を、上から指示されなくても、殊に裁判官は独自の見解をもつておるのでありまするから、そういう取扱いをやられていいわけであります。それは決して私個人の独創でもない。法の精神から言い、さらに憲法の精神から言つても、この臨時措置法の施行されたその日から、公判廷というものは、現在の改正刑事訴訟法の行き方のごとく行くべきであつたのであります。それが未だに昔と同じようなことをされておる。憲法の改正された今日におきましても、法廷は実に旧態依然たるものであります。もちろんすべての判事が旧態依然たるものであり、すべての檢察官が旧態依然たるものであると言うのではありません。多くの在朝の諸君、あるいは在野のわれわれの中にも、旧態依然たる人が決してないのではありませんけれども、われわれが在野から見て、こんなに世の中が変り、すべてのものが変つてきているにもかかわらず、未だに日本の法廷というものは、旧態依然たるものである。その一例を申し述べますると、やはり証拠調べの問題であります。刑事裁判における裁判官の証拠調べに対する態度は、ほとんど全部が全部否定的であります。これはおそらく多くを申し上げる必要はないだろうと思います。また檢察官も同樣であります。ほとんど証拠調べというものは許さない。というのは、今までのいわゆる旧態依然たる記録がずつと揃つております。警察署から檢察廳、予審のあるときには予審調書というふうな動かすべからざる証拠があるものですから、いかにわれわれが法廷でこれだけの証拠があるのだ、檢事局に行つておる証人の供述はうそなんだ、事実はこうなんだと言つて、口をきわめて証拠の申請をいたしましても、在來の裁判所の態度は、否定的でありまして、できるだけ証拠を制限して、そうして裁判をしようという傾向を未だに続けておりますことを、断言してはばかりません。同時に裁判官が弁護士の証拠申請に対しても、ほとんど全部必要なしであります。これは滑稽なほど印刷に刷つた文句のように必要なしであります。なぜですか。私は常に弁論のときにも主張するのですが、もう少し事実の眞相を明らかにしようという態度に、なぜ裁判官も檢察官も出てくれないのか。被告人に対しても、これだけ丁寧に調べて、もう被告人が満足する。從つてどんな判決の結果があろうとも、被告人は満足するのだから、しかも重大なる証人だからといつて、口をすつぱく言つても、証拠申請ということは許してくれなかつたのです。檢事もまたできるだけ事件の壞れないようにしよう。檢事がほんとうに自己の信念に基いてそうした犯罪が成立するのだという確信があつて、公判廷でどれだけ何十人の証人が喚ばれても、事件が壞れないという確信がもてなければ、私は起訴すべきものでないと信じておる。にもかかわらず、何がゆえに檢事は証拠の申請、証拠の決定に対して、ほとんど例外なくして不必要だ、よくよくの場合でなければしかるべきだという意見を述べません。これは御承知の通りだと思います。この態度は、さらにこの改正案の二百九十七條と三百九條とによつて堅持されるおそれがあると思うのであります。その点を私らは憂うるのであります。從つてどんなに法文が変りましても、二百九十七條の規定がある以上、まだ三百九條「檢察官、被告人又は弁護人は、証拠調に関し異議を申し立てることができる。」、これを不必要だと言えば昔と同じことなのです。裁判官がやはり今まで通りの態度をとられるということになれば、せつかくのこの画期的ないわゆる基本的人権を擁護しようとするこの精神は沒却される。この点はどうか。政府当局におかれても、相当の余裕をもつて裁判官、檢察官と同時に、在野法曹、この三者一体に対して、すべてこの法律の精神がここにあるのだから、こういう方針に向つて考え方もやり方も進めて行つてもらいたいということを徹底するだけの余裕がなければ、結局先ほど申し述べましたように、この刑事訴訟法がいわゆる中途はんぱなものになつてしまつて、せつかくの根本的な理論が汚されはしないか。私が相当の猶予期間がなければならぬのではないかという一つの心配を申し上げたのも、この点にあるのです。
もう一つは保釈についてでございます。これも特に御留意賜わりたいのは、八十九條の保釈の点でありますが、この中には第五号までありまして、四号には「被告人が罪証を隠滅する虞があるとき。」、五号は「被告人の氏名及び住居が判らないとき。」、この二つの條件を書いておる條文があるのですが、御承知の通り、今までわれわれが保釈の申請をいたしましても、理論的に申しますならば、証拠の隠滅と逃亡のおそれがなければ、これは原則として保釈を許されなければならなかつたにもかかわらず、ほとんど逃亡のおそれがあるのだ、証拠隠滅のおそれがあるのだといつて許されなかつた例は、幾多枚挙にいとまがありません。しかもなお相当の期間勾留すべき必要があると認めるから、保釈の申請を却下するという文書が書かれております。それならば何のために保釈を許さないで勾留を続ける必要があるかという理由は書いてありません。なお相当勾留を継続する理由があると、理由を書かずして結論だけ書いてある。ここにおいて多く学者から非難されております。そういう決定に対して、最判所の書類としては、その理由を明らかにしない決定ほど滑稽なものはないのであります。今申し上げましたような、檢察官、裁判官の態度が旧態依然たるものであるならば、この保釈の條文にいたしましても、これは原則として許さなければならぬのですが、この四号、五号の場合は、許さなくてもいいわけです。そうすると被告人に黙秘権を與えております。だからおそらく今言う否認権というものをもつておる。今までの事例といたしまして、否認をしておる事件について、裁判所が保釈を許した例を私はほとんど知りません。いわゆる被告人が罪証を隠滅するおそれがある。どういうことをもつて罪証を隠滅するおそれがあるかということを明らかにされなければならぬではないか。また住所不定だ、住所不定だということも、どういう場合をもつて住所不定だとするのか。これは各條の質疑に入つたときに、あらためていたしたいと思いますが、この四号、五号があり、しかもこのたびの改正法律案によれば、一審の判決が有罪となつたなれば、保釈の申請ができないわけです。なお、九十條によつて裁判所が適当と認めるときは、職権によつて保釈を許すことができるという條文がありますけれども、今までのような裁判官、檢察官の頭であれば、保釈を許すことができるとの、かような條文を利用することによつて、不当に被告人の身体を拘束しておくというおそれがあるのであります。從つて、この保釈の点をあげてみましても、この画期的といわれる現在の刑事訴訟法の中でも、その運営を誤れば、不当に基本的人権を害することのあり得る條文が随所に見られることは、まことに私は遺憾だと思うのであります。もちろんこれは裁判官が在來の頭を切りかえて、眞に憲法の精神と刑事訴訟法の精神とを体得されたならば、私の心配は雲散霧消すると思いますけれども、政府が今言われたように、この改正案を施行したいのだというお考えの前には、まず私が申し述べました証拠調べに関する裁判官の從來の態度、保釈に対する從來の態度が、引続いては、せつかく画期的な改正案ができましても、実際面としては、旧態依然たるものがありはしなかということを心配いたすのでありますが、こういう私らの心配に対して、はたして政府はどういう善後措置を講じようとしておりますかを伺いたいのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100204390X02819480609/11
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012・鈴木義男
○鈴木國務大臣 中村委員のただいまの御質問は、まことに急所を指していると存ずるのでありまして、制度の改革は一日で成るが、イデオロギーの改革は一日に成らないということは天下の通則でありまして、新憲法ができましても、裁判所あるいは檢察廳において、革新的な人々もあるのでありますが、また旧態依然たる者があるということは、あえて否定をいたしません。これはぜひ再教育その他の方法によつて刷新をいたすほかはないと思うのでございまして、それぞれ研修制度いろいろなものを設けまして、御期待に副うように努力をいたしている次第であります。今後あらゆる方面から努力を続けまして、名実ともに新体制に副うような司法制度をつくり上げたいと考えている次第であります。なおこまかいことは檢務長官からお答えいたします。
それから第二の保釈についても、るる御心配になられます点を述べられたのでありまして、なるほど今までのやり方からお考えになりますれば、そういう杞憂もむりからぬこととは思いますが、今度は新憲法によつて基本的人権を尊重するということの建前の上にに、この法律ができているのでありますから、御心配になりますようなことは、万なかろうと信ずるのであります。もしありますならば、これまたその都度適切な措置を講じて、そういうことのないようにいたしたい、こう考えている次第でありまして、今までの保釈制度とは大いに趣きを異にして、画期的な一大進歩をみるであろう、かように考えている次第であります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100204390X02819480609/12
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013・木内曽益
○木内政府委員 ただいま中村委員から、証拠調べの点について御質問がございましたが、もちろん証拠を採用するかどうかは、裁判所の裁量にかかつておるのであります。ただ從來と違いますところは、從來は先ほども申しました通りに、捜査記録を一切つけて公判へ送りこんでおるわけであります。そこで裁判所がその記録を読んで、大体この事件の見透しというものを、現在においてはつけておる形になつておるわけである。從つて現在においては、その記録を通して、ある程度の頭ができておるために、かような証拠は必要ないといつて却下されるという場合も、往々あつたと思うのであります。ところがこのたびの改正案では、先ほども申し上げた通りに、起訴状一本で公判へまわつていくわけでありまして、それについて予断を抱くような何らの証拠書類がついてないのであります。從つて裁判所自身も、その証人が必要であるかどうかということについては、いわゆる從來のように何か予断を抱くのではないかと思われるような決定は起り得ないと考えるの制あります。むしろ実際におきましては、証拠の提出につきましては、いろいろのこまかい規定がありまするが、その規定に違背しない証拠、証人等ならば、一度裁判所の方も進んで調べなければわからないというふうに考えるようになるだろうと思うのであります。ただいま御心配のような点は、現在とはよほど違つてくる、かように考える次第であります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100204390X02819480609/13
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014・中村俊夫
○中村(俊)委員 最後にもう一点お尋ねいたします。それはただいまわれわれの委員会に付託されておりまする檢察審査会法案と、この刑事訴訟法との関係であります。
二百六十二條によりますると、現刑法の職権の濫用の罪については、「告訴又は告発をした者は、檢察官の公訴を提起しない処分に不服があるときは、その檢察官所属の檢察廳の所在地を管轄する地方裁判所に事件を裁判所の審判に付することを請求することができる。」という変つた規定があるのであります。職権濫用の罪につきましては、それが不起訴になるか、あるいは起訴猶予の処分を受けた場合は、告訴、告発をした者は、地方裁判所に不服請求権をもつておる、こういう規定があるのであります。私一個の見解を申し述べますると、この檢察審査会法案というものは、現在の日本の國民全体の知識水準から言えば、非常に行き過ぎた法案だと考えるのであります。しかもこの檢察審査会法案の内容が見ますると、いわゆる委員会制度になつておりまして、しかもここに委員になれない人はずつと列挙されております。簡單に申しますれば、法律関係のある者は一切委員になれないということになつております。ところがただいま読上げました新刑事訴訟法の二百六十二條によりますと、範囲は狭いのでありますけれども、この職権濫用の場合においては、不起訴処分に対しては、專門家である裁判所が、審査請求権をもつておるということになつております。そういたしますると、この檢察審査会法案の精神は、檢察官の公訴を提起しない処分の当否の審査に関する事項については、法律の知識のない者をもつて、まず適当なりとする精神である。同じような場合において、この新刑事訴訟法の二百六十二條は、むしろ專門家の審査を受けるのを妥当としておかれるという精神でなければならないのであります。私はそういう矛盾から考えるわけではありませんけれども、今申し述べましたように、檢察審査会法案というものは、現在のわが國においては行き過ぎた法案であると考えておりまするがゆえに、しかもこの法案が施行されるということになると、莫大な費用と、莫大なる労力と、莫大な設備が必要であるのでありまするから、私は自分一個の考えから言えば、この法案は通過さすべきものではないと考えておるのでありますが、むしろこの新刑事訴訟法の二百六十二條を拡充することによつて、檢察審査会の精神と目的は、完全に遂げられると、私は考えておりますし、これこそ現在、さらに將來十年、二十年経ちましようとも、これらの不起訴処分、あるいは起訴猶予処分の当否を、裁判官によつて審査せしめるということの方が、実に日本的のように考えるのであります。この点に対して、これはあるいは檢察審査会法の質疑のときにお尋ねすることであるかとも思いますが、私は今申し述べましたように、この審査会法案に対しては、否定的な考えをもつておりまして、從つてむしろこの新刑事訴訟法の二百六十二條を改正することによつて、この問題は全面的に解決できると思う。これが職権濫用の罪にのみどうして限られておるのか。これをもつと拡充されれば、これに関する仕事は完全にできるのだという考え方をもつておりますが、それについての政府の御意見、それからこれにつけ加えまして、從つてもしも私の考えてしることが妥当なりということになりますれば、今裁判所が独立して今日になりまして、私も先般高松の高等裁判所へ行つたのでありまするけれども、あそこの友人の檢事から、裁判所がすべての設備を使つておつて、檢察廳は仮住宅をしておるような形で非常に困つておる。予算の面においては、裁判所が独立した予算をもつておるわけだし、檢察廳は裁判所の部屋を借りているような形で困つておるという意見を聞かされました。さらにまた先般の裁判官彈該訴追委員会の俎上に上りました天野判事の問題にいたしましても、浜松の檢察廳と裁判所とは十町も離れておるところにある。從つて裁判所と檢察廳との連絡は不十分であるがゆえに、自然にそこに意思の疏通を欠くのだという事実も、明らかになつておりまするから、私の見解から申し述べますれば、一つの裁判所の敷地の中に、裁判所と檢察廳が独立した建物をもつておるということが理想であると考えるのでありまするが、近來の傾向は、裁判所の中に檢察廳が仮住居をしているという形になつておる。從つてこの刑事訴訟法が布かれて後に、檢事と弁護士というものは、いわゆる対等の地位に立つて、そうして裁判官が別個の第三者の冷靜な立場として審判していくというようなことを考えますと、同じ廳舎に檢察廳と裁判所とが仮住居をやつているというようなことは、その設備の不十分な点から言いましても、いろいろな問題が起ることでありましようし、理想から申しますれば、同じ敷地の中に別棟の檢察廳があることが理想だと考えます。いわんや近時の傾向が檢察廳が圧迫をこうむつておる——圧迫をこうむつておるという言葉は悪いかもしれませんが、何となく仮住居的な傾向をもつておるというような見解から考えていきますと、何とかここにその点を打開して、その外観内容ともに、この新刑事訴訟法の眞意が現われていくような方向に考えられるのが、妥当ではないかと考えるのでありますが、この二点について、法務総裁の御意見を伺いたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100204390X02819480609/14
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015・鈴木義男
○鈴木國務大臣 第一点の檢察審査会と第二百六十二條の職権濫用に関する告訴告発を取上げないときの訴えの請求等の関係でありますが、審査会制度が日本にとつて適切であるかないかということについて御意見があることは、了承いたすのであります。第二百六十二條との関係においては、あまり問題はなかろうかと考えておるのでありまして、こちらは結局職権濫用についても、告訴告発をして取上げられない場合には、審査会の対象にもなりますし、またこの規定に從つてただちに裁判所に訴えることもできる。この両建てになつておるわけであります。そうして職権濫用に関するところは、できるだけ敏活に公正に扱つてもらう必要がありますから、審査会の方でやつてもよろしいけれども、通常管轄裁判所に訴えを要求すれば、当然そこの公判に付せられるというような形になつておりますれば、一層告訴告発の目的を達成するに近いかと思いますが、そういう意味において、必ずしも矛盾衝突するものではなかろうと考えておる次第であります。
それから第二の点は、檢察廳と裁判所の関係でありますが、これはまことにデリケートな問題でありまして、戰災その他で非常に廳舎が打撃をこうむつておる。そのために、さなきだに狹かつた廳舎が、いよいよ狹くなりまして、また仕事が非常に殖えたのであります。それでどこまでも裁判所と司法事務局と、檢察廳、檢察事務局等の関係が、うまくいつておらないのでありまして、互いにこれは讓り合つてやつていただくよりほかない。行く行くは理想は同じ構内に別箇の建物をつくるというように、國家の財政の余裕ができましたならばいたしたいと考えております。近いところでこれを実現することは不可能に近いのであります。そうすると今までのものを利用してやつていただかなければならぬのでありますから、戰災にかからないところでも、非常にきゆうくつなのでありまして、いわんや戰災にかかりましたところは、まことに仰せの通り、言うに忍びないものが多々あるのであります。そこでお互いに讓り合つてくれればいいのでありますが、管轄がわかれてしまうと、まあ頑張れるだけ頑張つて、よけいとろうというセクシヨナリズムのようなものが擡頭してまいりますので、私どもはまことに遺憾であると考えております。できるだけ最高裁判所長官等とも協議いたしまして、互讓妥協の精神で、相互にこれをやつていくようにいたすつもりでおります。さように御承知を願います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100204390X02819480609/15
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016・中村俊夫
○中村(俊)委員 今の前の方の問題でございますが、これはあるいは檢察廳審査会のときにお尋ねした方が妥当かと思うのでありますが、二百六十二條のごとく職権濫用の場合、これは今後当分の間、こういうような官公吏、警察官の涜職の問題については、これを政治的にあるいはその他に濫用する傾向が出てくるのではないか。しかも裁判官がこれを審判するというならばわかりますが、審査会法案のごとく、現在ある調停委員のような全然法律の知識のない委員会が、この当否を決定するというようなことになりますると、これに対する一つの外力の働き、あるいはこれを政治的に利用する、あるいは力をもつてあるいは物資をもつて動かす、その意味の涜職の温床になりはしないかということを、私は強く考えるのです。從つてこの二百六十二條の精神は、なるほど檢察廳が、警察官であるとか——特に警察官だと起訴しにくいというところから、こういう條文が入れられたものだと思いますが、いかなる場合においても、不起訴、起訴処分については、裁判官がこれを審査するという考え方と、この審査会法案のごとく、素人が審査するのだという考え方とは、全然考え方が違うと、私は考えざるを得ないのであります。それでなければ、在野法曹を入れてもいいではないかと、われわれは考えますが、そういうものも全部審査会法案ではオミツトされておる。從つて同じ國家が、こういう審査会のごときものをつくり、全然法律家をタツチさすべきでないという根本理念だと、二百六十二條の裁判官によつて審判させた方がいいという考え方と、私は全然調和できないのではないかと考えておるのであります。この点について、もう一つ御意見を聽かしていただきたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100204390X02819480609/16
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017・鈴木義男
○鈴木國務大臣 ごもつともでありまするが、御承知のように、この二百六十二條の方は、審判に付することを請求いたしますると、当然審判をすることになるのでありますが、審査会の方は、拘束力がないのであります。そうして全然法律家を利用しないというお言葉は適切でないと思うのでありまして、まず起訴せざる檢事を召喚して、何がゆえに起訴しないかという説明をとることができるのであります。また在野法曹たる弁護士の人を呼んで、たとえば告訴代理人であれば、なぜ告訴したのであるかというようなことを説明させることができるのであります。すべて法律知識を完全に利用することは、予定されておる制度でありますから、その点について、ただ素人の盲目的なる判断というようなものを尊重するものでないことは、御理解くださると思うのであります。とにかくそういう意味において、審査会の決定は、必ずしも取上げて起訴しなければならぬという筋合のものではないのであります。やはり参考として、ある程度の反省を促すという効果はもつておるに相違ありませんが、また多くの場合実際に起訴せられることになるだろうと思いますが、しかしその相違というものは、かなり重要な意味をもつておると思います。その点お答えいたしておきます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100204390X02819480609/17
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018・岡井藤志郎
○岡井委員 それでは重複した点がございましたら、結論だけで結構でございます。まず第一に今度の刑事訴訟法案は、英米法形式に則られたそうでございますが、英米の実際の事件から見まして、誤判率がどのくらいであるかということを承りたいのです。有罪なるべき者が無罪の方になる。それから無罪になるべきものが誤つて有罪の判決を受ける。これを実際の事件の眞相の方から——事件の眞相でございまするから、何人も知り得ないかもしれませんけれども、これは誤判らしい、このままずつと最終まで通つたけれども、何となく誤判らしい。こういうように実際の目から見た統計がどうなつているかということを承りたいのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100204390X02819480609/18
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019・鈴木義男
○鈴木國務大臣 英米などで、どのくらいの誤判の率があるかということになりますと、第一誤判であるかないかということをきめることが非常にむずかしい。神樣の目からでないとわからない場合が多いのでありますから、從つてその統計というようなものも見たことがないのでありまして、その点はちよつと申し上げかねるのでありますが、やはり神樣の國でないから誤判は相当あるだろうと考えるのであります。
それから起訴されたが無罪になつたパーセンテージはどうかという御質問でございまするならば、これも今日はここに材料をもつてきておりませんが、私の読みました論文、報告等にかなり高いパーセンテージが無罪になつておる。有罪と信じて起訴したけれども無罪の判決を得ておる。この率は私は今はつきり記憶に基いて申し上げることは、無責任になりまするから、お許しを願いますが、わが國などの比ではない。わが國は実に無罪になる率は少いのであります。英米においてはかなり高い率無罪になる、こういうふうに承知いたしております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100204390X02819480609/19
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020・岡井藤志郎
○岡井委員 それでは今度法律ができ上りましたならば、当局の方では、どんどん起訴して、そして無罪をどんどん出す、こういうような御意見でございましようか。私法律を詳しく拜見いたしておりませんけれども、被告人は接見が自由自在である、あるいは默秘権があるという機構になつておりますので、相当たちの悪い者が無罪になる方に追いこまれはせぬかということを、衷心憂えているものでございまして、一般善良なる國民の憂えももつぱらこの点のみにある。ほかの点になくして、この点のみにあるのではないかと思います。それで有罪に起訴されて、その中には、神の目から見ても、当然無罪になる者が無罪になるのは、当然そうあらねばならないのでありますが、今度の新法律になりました曉に、ほんとうは罰すべき悪質の者、あるいは大犯罪が、將來においてますます跋扈跳梁するようになるでございましようし、そういうような危險を冒しても、なおかつ新憲法の線に沿う、これが新憲法のほんとうの精神かどうかということは、私大いに疑問とするものでございますが、悪く言えば時流にこびるというようなことにもなるかと思うのでございまするが、かような点はいかがでございましようか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100204390X02819480609/20
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021・鈴木義男
○鈴木國務大臣 まず起訴の件について申し上げますれば、愼重の上にも愼重に、十分証拠があるとみなければ起訴できないことは、新刑事訴訟法でも同樣でございます。いい加減な証拠で起訴をするものでないことは、申し上げるまでもないのでありまして、それであるから十分な証拠が整つたと信じて起訴をする。しかし手続は非常に丁重であつて、きわめて公明な方法で爭うことになつているし、たとえ本人が自白いたしましても、他に証拠がなければ、有罪の判決を下すことができないというような憲法上の保障まである次第でございまするから、すなわちどうも大体は怪しいと思われても、免れる者が今までよりは多かろう、それは考えられると思いまするが、しかし十人の有罪者を逃がしても、一人の寃罪者をつくつてはいけないという信念から出ておるわけでありまして、基本的人権を保護するという立場から見れば、これはやむを得ないものです。しかし岡井君仰せられるような、ただむやみに起訴する、そして有罪のたくさんできることを期待する、そういうような趣旨のものでないということは、もとよりであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100204390X02819480609/21
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022・岡井藤志郎
○岡井委員 ただいま十人の有罪者を逃がしても一人の罪なきものを罰するなかれという格言をお引きになりましたが、私はこれについて大いに異論があるのでありまして、司法部の意氣込みとしては、十人の有罪者はことごとく逃がさない、同時に一人の罪なき者を有罪にしない。これがなければ司法権はやめた方がいい、廃業した方がいい、私はかように考えておるのでございます。ただいまの國家の憂いは、十人の有罪者がどんどん免かれておる、かような点にあるのではないかと思うのです。刑事裁判は、大体有罪になるのが建前でなければならぬ。しかもその中に一人の無実の犯罪者も混つておらぬ、これだけの意氣込みがなければ、一國の司法を預かる資格がない、私も固く固くさように信じておるのでございます。司法部の人々に接してみましても、さような意氣込みをもつておる者は一人もないように思つて、実にあき足らない感じをもつております。裁判官、檢事の待遇方面について大いに奮闘いたしましたけれども、人間だれを見れば奮闘をするのでなかつた、かような感じをもつております。制度に対しては別です。さような目から見まして、ただいまの判事の方々、また檢事の方々、これらの人々の熱烈なる眞相発見の氣持、眞相発見に対して熱意をもつておるか、また眞相発見に向つて良心的な方がどのくらいおありになるだろうかということを疑うのです。私はある必要がございまして、部内のえらい人に眞相をお聽きしましたところが、いまどき眞実発見に向つて熱意があるような裁判官や、檢事はありはしないのだから——こういうことを言われまして、私は非常に悲観したのでございます。さて今度の法案を拜見いたしましても、結局檢事、判事の良心、熱意、こういうものを担保するものは何もないということを発見するのでございます。檢事が起訴すべきを起訴しない。これはただいま中村委員から御質問になりました中でお答えになりました檢察審査会法、こういう点で、檢事の足りない点はある程度まで補えるかもしれませんが、これとても絶対的のものでもありませんし、また一國の檢察制度といたしまして、さようなものを人から批判してもらわなければ、良心的な仕事ができないということでは、はなはだ情ない始末でございます。それから裁判所側の方は上告審においても、事実に重大なる誤認がありや否やの審査ができることになつておるものでございます。しかしながら私裁判官に接してみまして、裁判官各位の氣魄、良心、かようなものを伺つてみまするのに、やはり從來同樣に、かように認められるとか、認めることもできるとかいうような、なまぬるい將來のことを言つておるのか、嚴然たる変更すべからざる過去のことを言つておるのか、わけのわからぬような判断を下して、それ以上人民側が詰め寄つても、愼重審議をしたとか、こんなにも調べたのだから、もう諦め給えとかいうことで、一蹴されるのです。司法部の官僚的ということは、かような点を申すのでございます。そこで私本質問におきましては、檢事、判事の良心を担保する方法いかん。新法律でもつて檢事、判事はいかように良心的な裁判をなしたか、良心的な檢察をなしたかということを人民の、國民の納得のいく程度にまで、なるべくなれば、法文の上で現わしていただきたいのでございますが、さような点に対する総裁の御意見を承りたいのでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100204390X02819480609/22
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023・鈴木義男
○鈴木國務大臣 岡井委員の御質問の趣旨は、非常にむずかしい問題を提供しておられるわけでありまして、今の裁判官、檢察官が十分に有罪者を逃がさず、寃罪者をつくらない、こういう決意をしてやつておるかどうかということに疑問をさしはさむということでございまするが、これは私、一人の判事、檢事といえども、そういう意氣込みをもつてやつておらない者はないと思うのであります。そういう氣持でやつておりまするが、しかし不完全なる人間でありまするから、どうしても客観的に見れば、過ちなきを期し得ない。そのためにいろいろな制度が生れてくるわけでありまして、檢察官に対しましては、その資格審査の法令があり、あるいは起訴不起訴について審査の制度があり、裁判官には國民審査法があり、彈劾法があるような次第でありまして、これらを活用して、それぞれもし不適当と信ぜられる裁判官、檢事等がありますならば、淘汰をしてまいるほかないと思うのです。この刑事訴訟法の中に、そういう精神的要素、殊に良心というような道徳的要求を盛込むということは、これは不可能に近いことでありまして、そういうふうな言葉で、一人の有罪者を逃してはいけない、一人の寃罪者をつくつてもいけない、こういうふうに書けば書けないことはありませんが、すべての判檢事がその意氣込みをもつて執務すべしという道徳的規範をどこかへ入れてみたところで、これは大したことではないのでありまして、これは別個の方面から判事、檢事諸君の自覚を喚起するほかはないと考えるのであります。その意味において、常に司法当局として、あるいは行政当局として、十分そういう点は考慮いたしまして、常にあるいは待遇の点を考慮し、あるいは精神修養の点を考慮し、いろいろな点に心を配つておる次第でございまして、刑事訴訟法とは別個の問題として考えております。かように御承知を願いたいのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100204390X02819480609/23
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024・岡井藤志郎
○岡井委員 憲法は基本的人権をいやというほどうたつております。公務員も一般國民もこれを擁護すべし、まず死を賭してまでも擁護すべしとまで書いてあるように思いますが、私は無罪たるべき者が有罪になるということは、これは基本的人権の中の最低なるものも與えない。かようなことになりまして、これは憲法違反処分の最たるものであつて、処分の中には裁判を含まれるという説が勝つておるそうでございますが、ほかの区々たる行政処分とか、憲法違反であるとかいうようなことは、みな事柄が小さいのでございまして、これらの点は、あまり嚴格に論ずる必要はないのでございまするが、無実の者が誤つて有罪の確定判決を受けるということになりますならば、これは基本的人権を毫末も與えない、奴隷的拘束を人間に與えるということは、ゆゆしき大事であります。明治憲法におきましては、法律の範囲内で司法権を行えば、それで足つたのでございまして、また明治憲法の人権というものは、制限されたものでございます。法律の範囲内で手続を終るならば、それで一通りよかつたのでありますが、新憲法の規定を見ますと、憲法というものは、区々たる法律あるいは法律の不備、またにれらに基く処分、こういうようなものに超越すべきことを新憲法は命じておるようでございます。これだけの手続を経て一應やつたのだから、もう諦めよという理論は絶対に生れてこぬと思います。この間私が総裁に非公式にお会いいたしましたら、総裁は、昔から無実の罪というものはあるのだから、時節を待つよりしかたなかろうというお言葉をいただいたのでございますが、それは明治憲法までは通用した議論かもしれませんが、新憲法には断じて許すべからずる議論だと思います。無実の罪というものに対する認識を深めていただきたいのであります。これは無邪氣に遊んでおる子供を悪漢が拉致して拘禁するのとごうも違わないのです。人民の方からある権利の設定を希うて出願に及んだところが、政府の方でよく聽いてくださらなかつたというのと、まるつきり違うと思うのです。つまり國家が懲役という不法監禁罪を犯す、かようなことにも相なるのでありますが、それらの点について、徹頭徹尾人権を擁護するのであるということが、この新憲法下の新刑事訴訟法案におきましては、当然盛りこまれなければならないのでございます。さいわいにしまして、上告審では事実誤認についてもお調べになるというので、一應安心しておりますけれども、場合によつては、事実審理を開始する。被告人をひつぱり出して聽いてみる。このくらいの御親切はあつてよろしいと思うのです。そうでなければ、重大なる基本的人権を擁護することはできないと思います。法律家の方から言いますれば、一應手続を盡して、れいれいしき文字でもつて判決文を連ねたならば、それで人権擁護はできたように錯覚するのです。これは筆をとる人の錯覚なんです。國民の氣持はまつたく違うのです。正味が間違つておれば、いくら判決がれいれいしくても、いくら慎重審議をしたと仰せられても、何にもならぬのであります。そこでこの基本的人権を徹頭徹尾擁護するように、新刑事訴訟法案に盛られておるかどうか。こういう点につきまして法律論、あるいは立法論でも結構でございますが、これらの点について伺いたいのでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100204390X02819480609/24
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025・鈴木義男
○鈴木國務大臣 御質問の趣旨は非常にむずかしい問題でございまして、何人も裁判官、檢事は誤つた裁判をしようと思つてやつておる人は一人もないと思いまするが、神様の目から見れば、誤ることがあるかもしれない。これもまた否定することはできないのであります。そこで岡井委員のお言葉によると、冤罪者を監獄に入れるようなことがあれば、基本的人権を蹂躙するものであつて、憲法違反の最大なるものである。それもその通りであります。この冤罪たることを証明することが問題であります。そこで刑事訴訟法は、御承知のように、一切の事件についてかなり丁重な証拠調べ、審理の方法を許しておりますから、まずこれで証拠を出して爭つて、勝つことができない場合には、やはりそれが客観的に見ても妥当なる判断である。こう認定せざるを得ないのでありまして、もし出し遅れた証拠があとで発見されたという場合には、再審の途が開かれておるのであります。それでやつていただくよりほかはない。どうも岡井さんの御議論をそのまま貫いていくと、死刑の執行をやつたのは殺人罪である。こういうことに相なるのでありまして、殺人罪に相違ないのである。ただ彼は法律の根拠に基いて人を殺すのでありますから、法律の根拠に基いて裁判をやつたので、明らかに法を濫用し故意に人を罪に陥れるつもりでそういう裁判をしたというならば、初めてここにその裁判官という人の責任問題を生じ、これを彈効すべき理由が生じてくるわけでありますが、その点も証拠で爭うほかはない。それを証拠で爭い得るならば、ドレフユス事件のように、りつぱに冤罪であることの証明が成立ち得る場合もあり得ると思うのであります。そうでなければ、どうも遺憾ながら岡井委員の仰せられるような問題を、軽々に肯定するわけにはまいらぬのでありまして、冤罪はできるだけこれを救うような方法を、この刑事訴訟法は命じておる。そうして再審の訴えができて、繰返えして刑に服した者までやることができるのでありますから、それで十分に闘うことができて、なお救うことができないならば、これはどうも天なりと命なりと考えるほかない。こういう趣旨を私は過日申し上げたつもりでありまして、そういうことに御了承を願いたいのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100204390X02819480609/25
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026・岡井藤志郎
○岡井委員 悪漢が幼兒を監禁する場合には、國家に訴えればよいのでありますが、國家が裁判を誤るときには、國家が最高の権威でございますから、もう訴えるところがないのです。そういう点をひとつお考えになつていただきたいのであります。それらの意味から見まして、全國の判檢事の意氣込みというようなものを、弁護士仲間とか、あるいは在朝の人々、あるいはまたその裁判を受けた人々、民事、刑事を問いませんが、伺つてみますというと、裁判官に最も欠けているのは、眞実を発見しようという氣魄をごうもおもちになつておらぬ、こういうことを万人が万人、口をそろえて言つておるようであります。これは四角張つた席上で聽くのではなくして、ほんとうに胸襟を開いて伺つてみますと、ことごとくそう申しますので、その点は私間違いないかと思います。それで、ただいま再審ということを仰せられましたが、再審には非常に嚴重な要件がございます。私が問題にいたしたいのは、もう少し熱意をもつて、また眼力を鋭くして、また論理のつかみ方を正しくいたしましたならば、與えられた記録、與えられた供述の範囲内だけで、りつぱにわかる。さようなものは、もう再審をまつまでもなく、與えられたる材料で十分にわかるにかかわらず、裁判所がほんとうに判断をなさらない。私お説を聽いてまわつて歩いた人々の言われるところも、やはり同じなのです。遺憾ながら新証拠がないからどうこうというのではない。與えられた証拠に向つて、ほんとうに活眼をもつて、また良心町な眼をもつてごらんにならない。おざなりの判断をする。形式的の判断をする。かようなことを万人が万人、口をそろえて言つておるのです。そこでそういうような点について、法務総裁は民間の人々と同じように憂いをともにしておられるかどうか、この点の御認識について、ちよつと承りたいのです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100204390X02819480609/26
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027・鈴木義男
○鈴木國務大臣 ますます問題がむつかしくなつてまいつたのでありまするが、万人が万人そういうふうに認めておるというのは、ちよつと承服いたしかねるのでありまして、ちようど岡井さんが指された人々が、皆そういう意見をもつているのでありましよう。しかし裁判官も、中には多少まじめでないというような非難を受ける人が、まれにあるかもしれませんが、大体はまじめに大いにやつておると信ずるのでありまして、良心に反していい加減な裁判をしているというようなことをもし申しますならば、これは裁判官に対する大いなる侮辱である。こういうことに相なるであろうと思うのであります。しかし皆が皆大岡越前守であつてほしい、あるいは自分の事件は大岡越前守のところにもつていきたい、こういう御要求でありますならば、これはむりからぬ御要求でありますが、はたしてそういう人が到るところにいるかどうか、こういう問題になると、これはまた別な問題に相なるかと思うのであります。いずれにいたしましても、岡井委員の仰せられるところがよくわかりませんが、裁判官が冤罪者をつくらないようにまじめにやるということについては、十分信頼してよろしいと思うのでありまして、その才能がことごとく大岡式に至り得ないからこそ、刑事訴訟法というような非常な煩わしい規則をこしらえて、これに則つて裁判をさせるのであります。これでまず過ちが比較的少い、絶無とは申し上げかねますが、少い保証がここに立てられている。こういうふうに私どもは考えているのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100204390X02819480609/27
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028・岡井藤志郎
○岡井委員 私すでに法務総裁のお耳に入れたのでありますが、近ごろ裁判所の記録を燒いたという事件の被告人の弁護人を私やつておりますので、その事件についてわれわれが心血を注いで、矢でも鉄砲でもこいという論理と事実を提げて説いても、高等裁判所の判事におかれては、絶対にこれの内容についてはほとんどお読みになつていない。ただ初めの一行二行の事実に重大なる誤認があるというところをごらんになつて、そしてこれはただ紋切型ではねればよいという。こういう態度でお臨みになつたと思われるのでありまして、これらはいずれ今後の訴訟において明らかに証明していきたいと思うのでございまして、私どもといたしましては、判事、裁判官彈刻までもつていきたい、こういうような点まで、ただいま考慮しているのであります。これたまたま無罪事件でございますが、その填実発見というまなこから申しますと、ただいまの刑事訴訟法も、このたばの法案に同じようなものだろうと思うのでございます。要は運用のいかんでありますが、私がいたずらに寃罪者を罰するなかれということを絶叫いたしますと、今後の裁判官はただ無罪にすればよい、能事終れりというようなことで、それがまた裁判官の権威である、檢事は何でもかんでももつてくるけれども、裁判官は無罪を出すことをもつて裁判官の威嚴と心得ておられる、というような風潮もあるように思つておるのであります。一般善良なる國民の基本的人権から申しますると、有罪者は一人も逃がしていただきたくない、それからまた無罪の者を有罪にするようなことがないように、かような点を一般國民は願つているのでありますが、司法当局の御意見を承つて見ますと、露骨に極端に申しますれば、紙の上で何とか一應の体裁がつけば、愼重審議の形を残せば、それでよいという程度の意氣込みをもつておられるのではないかということを、はなはだ懸念されるのでありまして、この点を伺いたいのであります。
それからそれに関連いたしまして、私はすべて物は根本をつかまなければだめだと思います。ただいまの國家の現状も、司法権が檢察、裁判ともにこの前の政党腐敗堕落時代からずつとかけまして、ほんとうの本分を盡していなかつた。起訴すべきを起訴しなかつた。新聞紙上でごうごうとたたかれても、大物は必ず起訴しなかつた。大物がたまたま裁判所にまいりましても、必ず無罪になつた。その後に來つたものが軍閥の跋巵時代である。そうしてただいまの亡國の現状である。かように考えております。私司法部内の人に会うたびに、さような議論を吹きかけるのでございますが、さような議論に乘つてくれる人は、一人もいないのでございます。但し一般無知なる國民は、大いにわれわれの意見共鳴するのでございます。官僚の考えておられる点と、一般國民の考えておられる点との間に、非常なる開きがあるのでございます。質問が長くなりますから、要約いたしますと、一般國民は、悪い者が罰せられないことを、非常に今の日本國民は心配しております。その点と、司法権の功罪史論、ただいま亡國破壊に導いたについて司法権は一半の責任をおもちになつてはどうか。あるいは賄賂をとつた者がないから、司法官は本分を盡しておつたと仰せられるのであるか。この二点について総裁の御意見を伺いたいのでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100204390X02819480609/28
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029・鈴木義男
○鈴木國務大臣 非常にデリケートな御質問でありますが、法務総裁として、日本の裁判官、檢察官がまじめにやつているかどうかという御質問のように承るのでありますが、これは岡井さんが接触しておられる範囲がどういう範囲であるか存じませんが、私の知つている限りにおいては、みなまじめにやつている。ただ、まじめであるということと、聰明であるということは、少し問題が違いますから、すべての人が天才的であつたり、非常に聰明であつたりすることを期待することはできないのであります。そういう点で、あるいは期待に副わないかもしれませんが、日本の司法官、檢察官はきわめてまじめに仕事をしているということは、信じて疑いません。また涜職等の事実がないことは、仰せまでもないことであります。それと相まつて、きわめて填劍に乏しきに耐えて、闘つているということも、われわれ政府当局としては、深き感謝をもつて見ているのであります。それにもかかわらす、若干の過ちを犯すことはあり得るのであります。これを是正する途はおのずから他にこれを講じなければならぬ。かように考えている次第であります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100204390X02819480609/29
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030・岡井藤志郎
○岡井委員 檢察官は行政官というように相なつているそうでございます。そうしてこの檢察官がいかなる事件を裁判所の方に起訴するかという点につきましては、下の方は心配がないのでございますが、上の方は檢事総長の上に法務総裁あり、その上に内閣総理大臣ありというぐあいで、私非常にその点を心配しているのでございます。もし小さな事件ばかりを起訴するということになりますれば、これは裁判官に対する重大なる侮辱である。つまり裁判官は起訴の範囲内で制限を受けて活動することに止まるのでございますから、結局起訴が当を得ませんでしたならば、これは檢察裁判、大きく申しまして司法全体が振わないことに相なるのでございますが、新法案を見ましても、檢察という大事に向つて、ほとんど謝りなく用意を示されておらないように思うのでございます。それらの点をこの法律制度の方と、それから現内閣の起訴、不起訴に対する御見解、こういう実際の政治面のお考えと、この二点を伺いたいのでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100204390X02819480609/30
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031・鈴木義男
○鈴木國務大臣 起訴、不起訴を適切にやるということは、檢察の生命でありまして、その点につきましては、具体的に條文の中に織りこんで、一々指図をするような規定を設けることはできないと思いますが、これはおのずからまた檢察事務をとつておりまする人々の間に、長い間の慣習から発達をした一つの條理のようなものがありまして、そういうことに基いて事件を処理してまいるのでありまするから、決して御心配になるようなことはなかろうと確信いたすのであります。また人権を蹂躙せざるためには、この刑事訴訟法にも十分その用意がしてありまするし、その他いろいろな法律と相まつて、その点については、遺憾なきを期しておりまするから、これまた御心配のようなことは、万なかろうと信ずる次第であります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100204390X02819480609/31
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032・岡井藤志郎
○岡井委員 公判中心主義になりまして、公判の時間が非常に延びるであろうと思いますが、これにつきまして、判事の増員というような点は、いかにお考えでございましようか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100204390X02819480609/32
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033・鈴木義男
○鈴木國務大臣 新刑事訴訟法では、確かに公判中心主義萬でありまするから、公判には非常に手数がかかり、自然今までよりは時間もよけいかかるであろうと想像されているのでありまするが、しかしその実相については、ただいまはつきりしたことを申し上げかねるのであります。そう実際に人をたくさん殖やさなければならぬほど延長すると見ることができないという考え方もあるのでありまして、しかし若干殖やす必要があることは、疑いがないと考えられているのでありまして、それらにつきましては、本年度から國家試驗を施行するに際しましても、採用する人とを殖やしまして、また民間の弁護士その他からも、できるだけ在朝法曹に代つていただくというような措置を講じまして、足らざるところを補つていく。こういうふうに考えている次第であります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100204390X02819480609/33
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034・岡井藤志郎
○岡井委員 これをもつて私の質問を終ります。最後の点のみを除きまして、それまでの総裁のお答えは遺憾ながら、はなはだ私の意に満たないものでございまして、これは司法に対する根本観念を異にしているのであるから、いかんともしかたがないと思うのでございます。それでまだほかにもたくさんお伺い申し上げたきことはあるのでございまするが、これ以上お手を煩わさないように、本日はこの程度にいたします。おそらく一般國民は、私の根本観念の方に賛成するのではないかと思うのでございます。内閣で重きをなしておられる総裁におかれては、いま少しく司法に対して認識を深くせられ、また宏壯なる意氣込みをもつて、司法政治に当られますように、熱烈なる希望をいたしまして、私の質問を終ります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100204390X02819480609/34
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035・山中日露史
○山中委員 実は法務総裁に簡単なことで緊急な質問があるのでございますがよろしゆうございますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100204390X02819480609/35
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036・井伊誠一
○井伊委員長 よろしゆうございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100204390X02819480609/36
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037・山中日露史
○山中委員 さいわい本日刑事訴訟法の改正法案が審議されておりますので、この機会にお尋ねしておくことが、きわめて必要だと思いますので、お尋ねいたしたいと思いますが、実は最近上野、青森間の急行列車もしくは普通列車におきまして、主食の一齊檢査が行われているのであります。この問題につきましては、先般本会議におきましても、某議員からお尋ねがあつたことと思うのでありますが、実は私今月の六日午前二時に法務総裁の選挙区である福島縣の平町で、夜中の二時に起されて檢査を受けたのでありますが、その際警察官に念のためにこれは一体どういう法的根拠に基いて乘客を降して檢査をするのかということを尋ねてみたのであります。その際警察官の言うのは、これは食糧管理法に基いて捜査をするのだ、こういうお話だつたのであります。それで私はそれはよくわかるが、しかしそれならば下車せしめないで列車内で捜査をしたらよいではないか、一体われわれにこの夜の夜中二時に全部一齊に下車を命ずるという権限は警察官にあるのかどうか、こういう点を尋ねたところが、それは連合軍の命令によつて調べるのだ、こう言うのであります。そこでしからば連合軍の命令は下車せしめて調べろ、こういうことになつているのかどうか、そう言つて聞きましたところが、それは下車せしめて調べろということの命令になつておる。こういうことを言われたのであります。そこで私どもは連合軍の命令であるならば、むろんわれわれは服從しなければならぬから服從するということで、下車して一應取調べを受けたのでありまするが、いろいろ乘客の意見を聞いておりますと、これはひどい、殊に一旦下車させまするために、檢査が終つてから汽叫に乘るときには、もうほとんど坐席は混乱の状態で、青森から乘る時分には先着順にきちんと札を與えてそうして秩序の乱れないように皆並んできちんと乘車するのでありますが、あの夜中に一齊に起されて、今度乘る時分には、もうわれ先で、今まで立つておつた人は今度は坐る。坐つておつた人は立たなければならぬというような状態で、喧々囂々の状態でありました。そこで車掌に、これは一体どうしたことかと聽きますと、実は自分たちの方には何らの権限はない。自分たちはこういうことのために急行列車が遅れる、そのために急行券を拂いもどさなければならぬというようなこともできて困るのだ、警察の方のやることであるから、何ともわれわれの方はしかたがない、下車を肩ずるということは、乘務車掌の司法警察権に基いて列車内の秩序を然した低合、あるいは不正乘車というような場合において、われわれは下車を命ずるのであるけれども、司法警察官に下車を命ずる権限はないはずだというようなことも言つておりましたが、私どももそう思うのでありますが、とにかく何十何万という人が、毎日のように、しかも夜中の二時ごろに安眠をしているときに起されて、しかも車外に降されて檢査をされるというようなことは、急行列車をよほど遅らすことでもあるし、こういう状態をはたしてこのまま見逃しておいてもよいかどうか、これは一体どういう権限に基いてやつておるのか、この点をひとつこの機会に明確にしておいていただきたい。かように思うのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100204390X02819480609/37
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038・鈴木義男
○鈴木國務大臣 これは実は警察のことは、私の方の管轄でないものでありますから、報告がまいつておりませんので、わからぬのでありますが、警察については、五人の國家公安委員という大臣待遇の委員がおりまして、それが取締つておるわけであります。それでありますから、將來は國家公安委員長が國会へ出てきてお答えをするようにさせたい、こう思つて実は閣議でも相談をいたしておる次第であります。いつも私ばかりやつておるのですが、私はいかにも檢察陣営を率いておりまして、そのほか警察ももつておれば鬼に金棒で結構でありますが、それは絶対に許すことはできぬというわけで、警察は完全に私の手を離れております。離れておりますが、理論的には考えることができますから、想像を申し上げることができるのであります。また私ども承つておる限り、進駐軍の嚴重な命令によつて、食糧管理法違反を取締るように命ぜられておることも、よく承知いたしております。ただそのやり方については、どの程度まで指示がなされておるか存じませんが——それは汽車は進行中にやればよいのでありまして、必ず降してやらなければならぬということはなかろうと思いますが、しかし実際論としては、夜中の二時ごろ降すというようなことは、非常に軽い意味の人権の蹂躙になると思いますが、晝間ならそう降すことについて御異議を述べられることもなかろう。というのは、降してやる方が非常に早くいく、汽車の中でやるということになりますと、非常に混雜をしておりますから、時間もかかり、いろいろあいまいなことが起つてくる、自分の荷物でないというようなことで、逃げる者ができたりして、実際にやつた人からいうとむつかしいそうであります。それで降して遺棄したる者、放棄したる者は区別して、それぞれ携えて來た者については檢査をしてやつていく。結局は時間的にも、労力的にも、その方が経済にいくためにやつているようであります。それは乘客の迷惑は一方でないことは、よく了承いたすのであります。警察官の数がもつと多ければ、説部車内でやることができるようになるのでありますが、それが一定の駅から乘つて、一定の駅までに檢査を終つて、そこからまたもとの駅へ引返えす列車で同じことをやればいいのであります。ただ上りと下りでは、また取締りの所管が大分違うために、同じ地域でやつたのではうまくいかないというようなことから、檢査をやることは相当むずかしいそうであります。今度鉄道公安官というものができるわけでありますから、これが殖えまして、相当整備したならば、おそらくは車内において不断に継続的にこれをやることになつて、御説のような御迷惑をかけないで済むようになりはせぬか、かように想像せられます。なおそのことにつきましては、國家公安委員会の方に通知いたしまして、できるだけそういう乱暴なことをやらないように注意を喚起いたしたいと存ずるのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100204390X02819480609/38
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039・井伊誠一
○井伊委員長 明日は午前十時より審議を継続することにして、本日はこれをもつて散会いたします。
午後三時五十四分散会発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100204390X02819480609/39
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