1. 会議録本文
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000・会議録情報
昭和二十三年三月二十三日(火曜日)
午後一時四十五分開會
本日の會議に付した事件
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○人身保護法案(伊藤修君發議)
(證人の證言あり)
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001・伊藤修
○委員長(伊藤修君) それより委員會を開會いたします。本日は人身保護法案につきまして先囘決定になりましたこの法案に對するところの證言を求めるために高柳賢三君竝びに小林一郎君、御兩氏の證言を本日いたして頂きます。證言事項は高柳賢三君が人身保護法の沿革とその實際、小林一郎君は日本憲法と人身保護法、竝びに人身保護法とその英國における實際、この點について兩氏の御證言を聞くことにいたします。先ず御兩入の宣誓を頂きます。御起立を願います。
〔總員起立、證人高柳賢三君、證人小林一郎君は左のごとく宣誓を行つた〕
宣誓書
良心に從つて、眞實を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。
證人 高柳 賢三
宣誓書
良心に從つて、眞實を述べ、何事もかくさず、何事もつけ加えないことを誓います。
證人 小林 一郎発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100214390X00519480323/1
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002・伊藤修
○委員長(伊藤修君) 先ず高柳賢三藤から證言をお願いします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100214390X00519480323/2
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003・高柳賢三
○證人(高柳賢三君) 本日は人身保護法案につきまして、御參考に資するという意味で、英米のヘイビアス・コーパスに關する沿革、又それがどういうふうに現在運用されておるかということの一般について證言をするということを要求されておるものと考えまして參つたのでございます。
イギリスでは一六七九年に制定された人身保護法、これが最も有名な人身保護に關する法律でありまして、これは我々中學生の頃西洋史で習つたことで、西洋史の教科書に載せられてあるのであります。そうしてそれは法律が個人の自由を保障するためのこれは基本的であるということは習つたのでありますが、それ以上のことは學校では深く教えられておらないのであります。一般人は從つてこの一六七九年の人身保護律という法律で以て初めて個人の自由の法的な保障がイギリスで以て定められたのである。こういうふうに了解しておるのでありますが、これは全然誤りで、そういうのはないので、その前からずつと人身保護令状というものが裁判の慣行として行われておつたので、このもそういうものがあるということは聞いてはおるが、内容は恐らくは法律家、我が國の法律家でもどういうふうににそれが行われておるのか、そういうことは實際分らなかつたものと推定しても差支ないのじやないかと思うのであります。
そこで先ず言葉でございます。この法案には人身保護法となつております。人身保護令状、或いは人見保護法に用いられておる言葉、英語ではなくて、むしろラテン話でございまして、ヘイビアス・コーパス、こういう言葉が使われておるのであります。ヘイビアス・コーパスという言葉は、身柄を裁判所に連れて來いという意味でございます。ハブ、ゼ、ボディ、ユー、ハブ、ゼ、ボディ、ビフオア、コート、裁判に或る人のからだを連れて來い。こういう命令の言葉なんでございます。ラテン語で書いてあるが、昔からすべて令状というものは、ラテン話で書いてあつた。そのラテン語がこのままその令状の名前になつたのでございまして、そのラテン語の發音は、今では大陸式な讀み方がイギリスでも學校で教えられておるのであります。それによればハベアス・コルプス、こういうふうに言われなければならんのでございますが、これは從來の法律家の發音、イギリス式の發音、ヘイビアス・コーパスという言葉が、普通人の言葉ともなつておるのでございます。恐らくはラテン語として、ヘイビアス・コーパスとい言葉程英米人が知つておるラテン語はないでろうと思われるくらいに、人口に膾灸した言葉なのでございます。日本では、教育書などでは、人身保護律というような言葉が從來使われておつたのであります。大體人身保護律というのは、全體どういう言葉かと言葉の詮索になりますが、この人身というのは、これは恐らくは、譯語がいつ頃できたかということは、私はよく調べたことはございませんが、明治の初年頃できたのじやないかと思いますが、人身というのは、これは恐らくはコーパスという、ボディ、身或いは身柄、これを譯した言葉だろうと思う。先ず人身というのは、日本語としては、通常は身體ということと同じ意味に用いられておるようであります。ところがこの人身保護といいますが、この人身保護令状乃至は人身保護律によつて保護されておる法益というものは、身體の安全ではないのであつて、動作の自由なんでございます。人身を人體と同義とすると、この譯は不正確だというわなければならないわけになるのであります。尤も日本の人身という言葉は、例えば人身賣買といつたような場合には、本當にこの體を賣るという意味じやなくて、これはやはり自由、個人の自由の奴隷的な拘束を人身賣買という言葉で現わしておりますが、又人身攻撃というようなんで、時には、……。これは變な使い方でありますが、そういうふうな用例もありますので、人身保護と経き慣らして來たのであります。不正確ではあるけれども、まあこの言葉は耳に慣れておりますから、人身保護法規、こういつても差支ないのじやないかと思われるのでございます。
次にこの人身保護令犯の沿革のことを、どういうふうにして全體歴史的に發表して來たのであるか。つまり沿革について一言申上げたいと思います。この人身護令状、リツト、オヴ、ヘイビアス・コーパスというのは、今で言うと、自由を保護する有力な武器というふうに考えられておるのでありますが、起源はよく分らないんですけれども、これはむしろ逆でありまして、裁判の更宜上、當事者或いは審査員、後には證人の身柄を拘束して、そうして置いて、必要なる時期に、その出延を確保する。そういうために發せられたものでありまして、それが自由の保障というような意味合を持つようになつたのは、これはイギリス獨特の歴史的な發展の結果なのであります。
そこで第一に、人身保護令状というものが、いわゆるリツト、オヴ、ヘイビアス・コーパスというようなものが、どういうようにして使われたか、どういうような作用をイギリスの法制吏において演じたかといいますと、これは十七世紀の以前と以後と區別しなければならん。十七世紀の前の沿革を申しますと、これはイギリスの裁判吏においては、非常に重要な役割を演じたのでございます。併しその意味は、こういうのであります。イギリスのこの法制というものは、イギリスの王樣の裁判所というものの裁判權が段々段段擴がつて行つて、而もそれが最高の司法權を握つて行く。そういう過程が先ず起つた。それによつてイギリスの法律というものが、フランスなどと違つて、統一された法制、いわゆるコンモン・ローというものが法制の中心をなすようになつたのであります。併しその過程におきまして、第一には、王樣の裁判所、ロンドンにある王樣の裁判所というものは、イギリスにおいて唯一の裁判所じやなかつたのであります。ノルマン征服前の、アングロサクソン時代から殘存しておりました、いろいろ地方的な裁判所、それから封建制度に伴つて行なつて參りましたてろいろな封建的な裁判所、封建裁判所、これが王樣の裁判所というものと併立とておつたのであります。ところがこれらの地方的裁判所又は封建的の裁判所からして、事件を王樣の裁判所に取上げて、そうして管轄權を擴げて行つた。その過程において、當事者を王樣の裁判所に、下の裁判所から連れて來いと、こういう命令を、いわゆるヘイビアス・コーパスの令状というものを出した。これがイギリスの法制史に現われたる人身保護令状の一番最初の形、一番最初の最も重要に作用であります。
それから第二の形は、イギリスの王樣の、いわゆるコンモン・ローの裁判所というものが、王樣の裁判所でありますが、その外に段々衡平法の裁判所というものができた。いわゆるイギリスの大法官の裁判所というものができて、エクテイ、衡平、正義衡平によつて、普通法の、コンモン・ローの裁判所の缺陷を矯正して行つた。これがイギリスの法制史において又顯著な現象であつた。その結果として、コンモン・ローの裁判所の外に、衡平法の裁判所が併立してできて行つた。その間にいろいろな競爭があつた。コンモン・ローの裁判所において訴權がある場合にも、衡平法の裁判所では、その訴權を行なつてはならんという、こういう命令を出す。それに從わないというと、この人を牢屋に入れて拘禁しておつた。こういうようなことがしばしば行われたのであります。そこでコンモン・ローの方の裁判所ではその拘禁された人間を自分の方に連れて來いという命令を出しまして、そうして、それによつて自分の方でそれを釋放してしまう。こういうつまり普通法と衡平法との裁判の間において普通法が使つた戰術の一つがリツト、オブ、ヘイビアス・コーパスなわけであります。ところが十七世紀頃になりますと今度はいわゆる衡平法裁判所でも…、衡平法裁判所というのは民事の場合ですが、刑事のいわゆるスター・チエンバーというものがイギリスの刑事の衡平法裁判所のようなもの、そこで樞密顧問官という者が集つて、そうして刑事の裁判をやつた。で、その場合にいわゆるカウンシル、樞密院から令状を出しまして、人間を、或る犯罪の嫌疑者を逮捕して置く、こういうことが行われたのです。そこで、それに對して普通法裁判所の方で以つて令状を出しまして、そうしてそれを釋放する、こういう慣行ができた。これはチユードル王朝の初め頃であります。これが近代的な意味の個人の自由を保障するがための令状という意味が、そこに出て來る初めなのであります。勿論、マグナ・カルタという十三世紀の文章の第三十九章には「何人も正式な法律手續によらないで拘禁されることはない、」こういう條文があるのでありますが、それと人身保護令状というものは、從來は全然別なものであつたのであります。ところが十六世紀のチユードル王朝の頃に初めて法律家の頭でマグナ・カルタというものとリツト、オブ、ヘイビアス・コーパスというものとが結び附けられて考えられるようになつたのであります。ところが、チユードル王朝の時代というものは御承知のように開明專制期でございまして、行政權というものが非常に強かつた時代なのであります。イギリスというものは當時は小國でございまして、大國の間に伍して行くのにはこれは外交關係というものが非常にむずかしかつた。同時に當時は封建制度というものがぶつこわされて、近代國家というものが出來上る時代なのであります。でありますから、そういう時代には行政權というものが強くなるのは當然でございますが、その行政權が非常に強かつた時代、王樣の權力というものが非常に強かつた時代であります。こういう時代でありましたから、法曹の間においては、この令状というものとマグナ・カルタを結び附けて自由の目的を最もよく達する令状だという意識は強くあつたのでございますけれども、實際においてはカウンシルの出す令状に對して非常に嚴格なる態度は取らなかつたのであります。
ところが、スチユワルト王朝の十七世紀になりますと、いわゆる王朝とそれから議會派との爭いというものが、非常に政治的な闘爭が強くなつた、その政治的闘爭を中心としてリツト、オブ、ヘイビアス・コーパスというものが憲法的な令状という意味がそこに展開して來たのであります。すでに十七世紀の初め、一六二八年にイギリスの有名な裁判官セルデンという人は拘禁を受けた者に對する最高の救濟方法であるというふうな言葉でこの令状を特徴付けたのでございます。そこで十七世紀にそういう令状の性質が個人の自由を拘束する意味合いがこの令状の最も重要なる作用であるということになつて參りますると、從來の判例法というものを振返つて見ますると、この令状に關する判例法というものは全然違つた目的のために展開して來た法律であつた。と同時にチユードル王朝の時代というものは王權に押されてできた判例法でございます。であるからして民權を保護するという政治的意味を持つた見地からこの令状に關する判例法を眺めて見ますというと、極めて不都合なる法令が多々あつたのでございます。そこで出て參つたのがいわゆる國會の活動、國會による立法の活動であつたのであります。この議會の法律で以て、それからいろいろな法律が出て來るのでございますが、一番初めに出た法律は一六二八年のいわゆるペテイイヨン、オブ、ライト、この中に王は特別な命令によつて理由を示さずして拘禁を行なつてはならん、こういう文句があるのであります。これが第一の立法でありますが、その次は一六四〇年にスター・チエンバーその他の特別裁判所を廢止した立法の中で、樞密院の命令による拘禁を禁止した。そして王裁判所又は民裁判所から令状を出すというようなことに關する規定が置かれておるのでございます。これらはイギリス革命の十七世紀の革命前の立法でございます。
ところが、イギリスは例の革命によつて一時共和政體になつて、それから又復辟になりまして、ジエームス二世がフランスのルイ十四世の王朝から歸つて來る。この宮廷からイギリスに歸つて來てイギリスを支配する。このジエームス二世はカトリツクで、そうしてフランスの非常な專制政治的な空氣に接してイギリスに歸つて來たので、そこでこのいろいろな方法を使つて、そうして人身保護令状の運用を妨げたのであります。そういうような關係から一六七九年の一番有名なヘイビアス・コーパス・アクトというものが出るようになつて來たのであります。
その經過は非常に複雜しておるのですけれども、それらの細かいことは省略いたしまして、この法律で以て第一に、例えばいろいろな規定が置かれてある。それは一々過去の具體的經驗に照してでき上つた規定なのでありまして、空疎な立法ではないのでございます。そのうち例えば令状の發給を妨げるために、イギリスの裁判所の管轄權の及ばない地域に被拘禁者という者を移送することを禁止して、この禁止に反して罰せらた者に對しては恩赦を許さん、恩赦大權を行使し得ないという非常に注意深い規定が置かれておるので、これは國王が政敵を海外に移送する弊を絶つ國會の政策というものを、更に今度恩赦制を利用してそうして囘避する。こういうことを狙つて拵えた規定なのであります。それから又第二には、トリーズン・フエロニ、判逆罪或いは重罪の理由で拘禁されておる旨が逮捕状に示されておる場合に入身保護令状に發せられないことになつておるのであるが、この場合にも次の開廷期において刑事訴追がなされた。然らざれば保釋を許すことを必要としておる。それから第三には、裁判官その他領事裁判所の判事は、開廷期であると休廷期であるとを問わず令状を發給することが必要とされる。休廷期に令状の發給を拒んだ裁判官には、被害者の請求によつて五百ポンドの罰金を科することができる。そうして被害者はこの罰金を取得し得る。そういうような規定が置かれておる。第四には、この令状によつて釋放された者は同一犯罪について再度拘束を受けることがない。こういうふうに規定しておるのであります。これは長い法律でありまして、イキリスで最も重要な立法でありますが、この立法というものは非常に實效的であつたのでありまして、ジエームス二世が何よりもテスト・アクトといふ法律とこのヘイビアス・コーパス・アクト、この二つの法律を廢止しようと非常に努力した。テスト・アクトというのは、これはカトリツクを迫害する法律でございまして、これは彼自身がカトリツクであつたために、これを廢止しようとしたのでありますが、このヘイビアス・コーパス、これは人民の權利の方を主張して、國王の權威というものに對して致命的であると彼は感じた。そこで當時裁判官の中で王樣の意向を迎えるような裁判官は保釋金というものを命ずる。拘禁を受けた者が到底拂えないような保釋金を命ずるということによつて、實際上は動かないようなふうにやつたのであります。その結果として後の權利章程の中に過當な保釋金は科すべからず、こういう有名な字句が、これは古典的になつた規定が設けられることになつたのであります。
これは最も重要な法律でありますが、併しこの一六七九年の人身保護法というものは、これは犯罪の理由で拘禁された者だけに適用があつたのでございますが、この法律の制定後、令状は拘禁者が私人である場合、又は犯罪の嫌疑以外の場合で官憲から拘禁を受けた者にも適用されるに至つたのであります。これらの非刑事事件に對しては一六七九年の法律の適用がなく、舊法のみが適用されることになつたのであります。それを一八一六年の法律で以て、犯罪以外の理由で自由を剥奪された者に對しても一六七九年の法律が適用される、こういうことになつたのであります。この二つの法律がイギリスにおいて最も人身保護令状關係の立法として重要なるものなのでございます。
そこで振返つて見ますると、人身保護令状というものは、これは裁判の慣習で段々出來て來た。それを十七世紀頃から國會が法律で以て裁判慣行の缺陷を直して、從來のいろいろな弊害が起る、それを直して行つた。その二つの重要な法律がこのヘイビアス・コーパス・アクト、こういう名前で呼ばれておる一六七九年と一八一六年の法律であります。こういうことになつておるのであります。十七世紀の政治革命以後というものは、裁判所とそれから國會というものは大體において協力して行つたのであります。その協力によつていわゆる自由を保障する最も有力なこの制度というものがイギリスにおいて展開して行つた。こういうことに大體はなつておるのであります。そこで一八六八年にイギリスでは法律が出まして、從來はイギリスの裁判所から出す令状というものはイギリス帝國全體に及んだのでありますけれども、その頃からは植民地にそれぞれの人身保護法というものができまして、イギリスの令状はそれらの地域に及ばないという趣旨の立法ができたのであります。
そこでアメリカにおいてはどうかと申しますると、アメリカでは獨立前からすでにイギリスの人身保護法というものが行われておつた。普通の慣行としてすでに行われておつた。連邦憲法第一條第九節第二項には、「叛亂又は侵略に際し公安上必要とする場合を除いてヘイビアス・コーパス令状の特權は停止されることはない」、こういう規定があるのであります。この規定はヘイビアス・コーパスの令状というものは當然發生せられるということが前提になつて、ただ「それが停止されるのは叛亂又は侵略に際して公安上必要の場合なのである」、こういう規定なのであります。これと同じような規定はアメリカの各洲に殆んど全部存在しておるのであります、尤もイギリスと違つてアメリカは連邦制度でありますから、イギリスでは見られないような連邦の管轄と州の管轄というものが二重にありますから、管轄問題というものが非常にやかましいのであります。イギリスとアメリカとでは少し樣子が違います。違いますが、大原則は英米に共通な原則になつておるのでございます。そこでこういうリツト、オブ、ヘイビアス・コーパスの歴史は、イギリスの憲法史というものと密接に結び付いて、そうして英米人の頭にはこれはイギリスの憲法の成果であつて、自由を保護する最も有力な武器である。こういう信念、或いは誇が非常に強いのであります。
それで必ずフランスであるとか、ドイツであるとか、大陸諸國を皆英米人が觀察するときにはリツト、オブ、ヘイビアス・コーパスがないというところに非常に缺陷を見出しておる。例えばイギリスのダイシーの憲法論の中にも、大陸の法律の中には皆自由を保障する規定が置いてある。置いてあるけれども、これは抽象的な原理である。ところがイギリスはそうじやない。抽象的な原理じやなくして、現に拘禁された場合には直ちに引出して來る手續というものがある。この手續というものを重んずるイギリス法の傳統によつて、初めて自由というものは效果的に保護されるのである。幾ら抽象的な原則を竝べてみたところで、それでは役に立たんということをベルギーの憲法とイギリスの憲法と比較して論じております。併しこの大陸系の憲法に慣れた頭には、例えば今度の新憲法においていろいろなところで刑事訴訟法に書いてあるようなことが澤山書いてある。人民の權利義務の章には、こんなことは憲法で書く必要はないじやないか、刑事訴訟法に書いて置けばいいじやないか、こういう頭が相當強いのでありますが、今度の憲法は英米式な憲法であつて、英米式な憲法においてはこういう抽象的な原理を竝べるだけではいけないのであつて、手続的な規定のところが大切なのである。それでありますからして、今度の憲法においては、非常に手續的なところまで細かに書いてある。これは英米の考え方からいえば極めて當然なことであるが、大陸的な憲法思想からいえば、こんなことは皆刑事訴訟法に移すべきだとこういう頭にどうしてもなる。ただ日本の刑法の先生や何すは、こういうふうなことは憲法に書く必要はないじやないかという批判が相當あつたわけであります。これは大陸式な考え方と英米式な考え方との衝突でありまして、今度の憲法はそういう英米式に訴訟的にでき上つておる。これは過去のいろいろなケースによつて築き上げられたやつが、そのまま憲法の中に入つておる。その結果として、これはヘイビアス・コーパスの問題だけではございませんけれども、そういう性格を持つておるのであります。從つてこのヘイビアス・コーパスの法律を拵えるというそういうことを示唆する規定が、ちやんと憲法の中に書かれておるという、そういうことになるのであります。
そこで、そういうふうに英米人からいえば、これは又非常に重要な令状なのであります。それがなくて憲法がどこにあるかというくらいに考えておる。それでありますから、イギリスの歴史からいえば、いろいろな歴史が令状に關連して存在しておるのであります。一番有名なのは一七七二年にアメリカのバージニアからジエームス・ソマセツトという奴隷がイギリス主人に連れられてやつて來た。そこで以てソマセツトは逃亡したのであります。ところが再び捕えられて船中に監禁された。そこでソマセツトは船長に對する人身保護令状の發給を請うて、そうして釋放されたので、このケースはイギリスにおいて奴隷制度というものが判例によつてはつきりと禁止された指導的な判決になつておる。ジエームス・ソマセツトの事件というので、これはイギリスの商法の父と呼ばれておるランスフイールドの判決でございまして、これは非常に有名な判決になつておる。奴隷制度がこれで以てヘイビアス・コーパスで廢止された。
次はナポレオンの戰爭の頃になりますと、ナポレオンの監禁問題というのがイギリスでは非常にやかましかつたのであります。一八一五年にウオーターローで破れたナポレオンは、ベルフロンという船に拘禁されてイギリスに連れて來られて、イギリスのプリマスに著いた。その時イギリスのバーネツトという人は何とかしてこれを釋放する方法はないだろうかといつて、當時のイギリスの法律の大家のサー・フランシス・コメリーの所へ行つて相談したけれども、これはなかなかむつかしいと言つたので、大いにがつかりしたというので、これは物にならなかつた。ヘイビアス・コーバスでナポレオンを引出すことはできなかつたのでありますが、ナポレオン監禁問題というのは、身體の自由に關する問題であるから、それは政治的にはナポレオンを野放しにしては困るけれども、法律的にはこれを釋放しなければならないという、そこの間の衝突が相當激しかつたのであります。戰爭が終了すれば俘虜というものの身分はなくなつてしまうわけで、從つて釋放しなければならない。ナポレオンをフランスとイギリス側の戰爭が終了したからといつと當然釋放するのでは、これは政治的に危い。何とかしてこれを永久に幽閉する方法はないだろうか。こういう問題が當時のイギリスにおいては非常に重要な問題として、法律家の間に議論されたのであります。中には、國際法の問題でありますが、當時の法律家の中には、イギリスはフランスと戰爭しておるのじやない。コルシカの簒奪者であるところのボナパルトと戰爭しておるのである。その戰爭は永久に續くのである。フランスとの平和こよつてその戰爭は終了しないのだというような議論を、相當無理な議論でありますが、第一流の法律家が展開しておるのであります。そういうような關係で、ナポレオンのこの監禁問題などということが、いわゆる自由、人權ということと結び附いて討議されたその状態は、やはりアングロサクソンらしい自由民權に對する熱というものが、如何に強かつたかということが分るのであります。
アメリカでもこれはもう極めて普通でありますが、最近山下大將の事件が、フイリツピンで裁判がありました。そうするとアメリカの辯護士は、アメリカの最高裁判所に對してヘイビアス・コーバスの發給、その他のものもありますけれども、これを求めるという形式で、軍事裁判所の裁判というものが正當に行われなかつたという點を爭おうとしておる。死刑になる前に、監禁されておる者を釋放しろと、こういうわけであります。アメリカにおいては、極めて普通のテクニツクである。今度の東京の裁判におきましても、被告の或いは木戸であるとか、平沼であるとか、そういう人間はどういうことで起訴されておるかというば、いわゆる平和に對する罪、侵略戰爭を開始した。或いはこれを實行した。或いは計畫した。そういうことによつて國際法上の犯罪であるという理由で起訴されておる。キーナン檢事は、それらの平和に對する罪というものは、これは不戰條約、いや、もつと前からずつと國際法上認められておる犯罪である。從つていわゆる事後法の問題というものは起らない。事後法ならば、罰しちやいかんという大原則が憲法の法則としてあるのでありますが、それには引掛からない。これは昔から、行爲の當時から平和に對する罪を犯しておる。こういう理論を展開した。ところが、その理論は、辯護士側の見地からいえば、非常におかしな理論であつて、その點を爭つておる。その中に、これは私がやつた辯論でありますが、「ここに具體的な例を擧げて例證しよう。假に本裁判の被告人に一人が米國に送られ、米國大統領が單獨又は他國と共同して創設した軍事裁判所によつて共同謀議乃至侵略戰爭の罪を問われたとしよう。そして禁錮刑の言渡を受け、連邦裁判所判事に對してヘイビアス・コーパス令状を求めたとしよう。この場合首席檢察官は、被告人は連邦憲法第一節第九條の事後法禁止の規定に反して拘禁せられているとの理由で釋放を受ける權利はないと眞面目に主張されるのであるか。」、こういうことを申したのでありますが、これはつまり、ヘイビアス・コーパスを引合いに出して、アメリカの裁判所で、木戸なら木戸、或いは平沼が向うの軍事裁判所に掛かつた場合に、求められないかどうか。この点は恐らくアメリカ法としては求められるという解答しかないだろうと思う。從つてキーナン檢事は眞面目にそう考えておられるのかどうかと詰寄つた。これは辯護士側の方の議論であります。そういうようなときに、つまり人身保護令状というものは、英米の法律の頭でいえば、始終出て來るのであります。そういうふうに、英米人にとつては、人身保護令状というものは非常に人口に膾炙した最も有名なる制度であり、そうしてこれを維持することが、これを完成して行くことが、本當に自由というものを保障する所以である。こういうふうに感じておるのであります。それだけが大體沿革であります。
過去はそういうふうになつておるのであるが、然らば現在の状況についてはどうか。この點について極めて簡單にお話いたしますると、先ず手續がどういうふうにして一體行われるのか。これはこの法案の中にも大體書いてありますが、先ず第一に申請者という、これは本人、拘禁を受けておる者がなし得るほか、友人等、その他關係者側から大概できることになつております。そうしてこの申請について重要な點は、申請があつたら殆んどすべてこれを許さなければならん。ここにコツがあるのであります。これが非常に必要な點であります。申請したやつを何とかかんとか言つて斷わるということは、これはいけない。申請されたら出してやる。そこでまあ法律の表面では、疏明をさせるのです。疏明しなければならんということに理窟はなつておるのですけれども、裁判所はそれをよく調べるなんということはしない。一見してこれは駄目だということでない限りは出してやる。これは最も重要な點であります。英米では普通アフイダウイツト・宣言供述書という。日本にはないのでありますが、アフイダウイツトを出せば、すぐ出して呉れます。ナンセンスが書いてない限り直ぐ出して呉れます。これが非常に大事な點であります。第二の點は、どういう裁判所に對してこれを申請するかという點であります。申請を受理する裁判所の問題。これは日本でいうば地方裁判所に當る裁判所、これに對してなすのが通常であります。英米法の言葉で申しますると、一般管轄權を持つ裁判所、それの第一審の所に持つて行つて出す。イギリスで申しますると、イギリスはこの地方裁判所というやつはロンドンに全部集中しておるわけです。高等法院というものがありますが、これは丁度第一審の一般管轄權を持つ裁判所になつておる。その下にいわゆるカウンテイー・コートというものがある。これは一般管轄權でなく、制限管轄權を持つた裁判所であります。これは出すことはできないのですけれども、ハイ・コートならば出せる。アメリカで申しますれば、連邦では、連邦地方裁判所というのがフエデラル・デイストリクト・コート、そこへ持つて行つて出す。それから各洲についても同じであります。各洲でも、やはり日本でいえば地方裁判所に當る所に持つて行つて出す。そうしてこれはどこの國でもそういうふうになつておるようであります。そこで注意しなければならないのは、裁判所又は判事というふうに書いてある。裁判所でもよいし、判事でもよい、裁判所が開いておらんようなときには、判事の部屋に行つて判事に出すことができる。だからこれは休暇中でも出していいという意味なんであります。裁判所の開いておらんときでも何でも出せる。この點も非常に大切な點なんです。それから又イギリスでは裁判官、判事のところへ行つて申請を斷わられた。そうしたら今度は次の違つた判事のところへ行つて又申請する。それもいけないといつたら又外へ行つて判事の數が盡きるまでできる。そうして今度はそれでも全部いけなければ下訴する。上の方の裁判所へ行つて求めることができる。こういう申請はどこまでも澤山許さなければいけない。こういうプリンシプルで、これは日本では非常に注意しなければならん點だと思います。それから更に申請を拒んでしまえばそれでお終いですから、申請を不當に拒んだ判事には五百ポンドの罰金を科する。これはイギリスの有名なあの十七世紀のヘイビアス・コーパス・アクトの中にある規定であります。併しこの規定は實際には運用されたことはイギリスにもアメリカにもないようであります。ないが、とにかく規定が嚴然とあるのであります。それからイギリスではこれが單に罰金を科せられるだけでなくて、被害者は五百ポンドを自分で貰える。そうするといわゆる。ピーナル・アクシヨンというので、それを不起訴にすることはできない。そういうようないろいろ方法によつて申請されたものを、拒めないような制度ができておるのです。これはヘイビアス・コーパスに關する立法に關しては最も重要な點であります。而もそれらのいろいろな規則というものは全部具體的經驗から編み出されて來ておる。架空な案じやない。實際經驗の結果として現れたものです。これがイギリスでもアメリカでも大體において同じ原則がずつと行われておる。
それから第三の點は、令状の發給、令状を出すことです。これは裁判所又は裁判官から拘禁者に對して、身柄を拘禁しておる人間に對して、一定期日拘禁しておるかという理由せ示せ、こういう命令が普通の型であります。尤も英國の現行法では假命令の制度というのが採用されまして、これは一定の期日に出頭して、そうして命令發給の理由のないことを示すべし。こういう假命令が出る。この場合には假命令を確定命令にするときは、更に期日を定めて本人を連行させて、そうしてその期日に釋放する。こういう三重の手續に分けておる。これは一々ロンドンまで拘禁した人を連れて來て、又返すという手續を省略するために、こういう假命令の制度、ルール・ナイサイという制度がイギリスで採用されるようになつたのであります。これはアメリカには、ないようであります。アメリカでは普通のものと型が現在でも行われておるのであります。ここで注意しなければならん點は、人間の自由を拘禁しておるには何ら理由があることを立證しなければならん。これは裁判ではない。拘禁しておる者になぜ拘禁しておるかということを釋明させる。そこに審理手続のコツがある。兩方の云い分を聽いて普通の裁判みたいにやるのではない。拘禁しておるには何か理由がなければならんというわけで、そこに審理の方のコツがある。これも大切な點である。それからそういう令状が假に出ても、それに從わない場合には、イギリス式な裁判所侮辱罪に從つて罰金或いは禁錮、重い罪金が一六七九年の法律で科せられることになつております。これは先に云つたピーナル・アクシヨンという手續で被害者がこれを囘復できるということになつておる。
それから第四は、審理手續でありますが、拘禁者が出頭すると直ちに調査を開始する。アメリカの連邦裁判所では五日間にこれを調査しろ。こういうことになつておる。そこでは證人の喚問、證據の提出が許されるわけです。それからアメリカの少數の洲では重大な事實が問題である場合には陪審を招集して、これを調べるということが許されるのでありますが、大多數の洲では裁判だけで事實審理をする。陪審に掛けるということは、この手續自體の迅速性を著しく害するので、いけないということにアメリカの經驗者は皆云つておる。又ヘイビアス・コーパスに對する非難もそこに集中されておる。それから又陪審がなくても、審査に通常の刑事手續に似たような審査をやることはこれはいかん。こういう點も一般に認められておる。そういうような各洲の中には相当いろいろに弊害がありますが、連邦にはそういう非難はない。非常に迅速にうまく行つております。
それから次は判決でありますが、審理の結果、裁判所又は判事がその拘禁は不法であると認定すれば、被拘禁者を直ちに釋放する。又合法的であると認めれば被拘禁者に差戻す。これが判決の普通の型であります。英國では先程申しましたように假命令の制度が採用されておりますから、これが確定命令になる。それから更に期日を指定して被拘禁者の身柄の提出を命じて、それを釋放する。こういう手續になつております。新式な手續になつておる。それからそのヘイビアス・コーパスの手續中に刑事訴訟法の違反があつたということが明らかになつても、この手續では處罰するとか、或いは手續違反を更正するということはやらない。それは全然別の手續として取扱う。
それから最後は上訴でありますが、上訴について、釋放の判決に對しては普通は釋放を許さないのが原則であります。それから拘束者を差戻す方の判決に對しては上訴が許される。これも大切な點であります。つまり手續き上訴者に對して公平であつてはならない。つまり拘禁を受けた人間に對して利益を與えるような、非常にフエイバラブルであるような手續でなければならない。ここがコツなんです。それから英國では高等法院から控訴院に行つて、それからハウス、オブ、ローズ、即ち貴族院、三審で行くことになつております。それからアメリカでは、連邦裁判所では、連邦地方裁判所から巡囘控訴院、二審でありますが、それから最高裁判所、三審にずつと行くわけです。最高裁判所は、これは直接に令状を出すことができることにはなつておりますが、實際に出すのは外國の外交使節に對する事件、それから洲が當時者となつたような事件、これに限られております。最高裁判所が直接に出すということは極めて稀である。控訴裁判所としてみの働く。それが大體ヘイビアス・コーバスなるものの手續の極く概略であります。英も米も大して違いはないのであります。
それから、然らば次は全體どういう働きをしておるか、つまり權能であります。機能は第一點としては、直ちに釋放するという點であります。それから將來の拘禁を防止するという點、ここに一番の機能がある。そこで身體の自由というものを保護する。それ以外の方法としては三つある。一つは正當防衛、それから第二は民事の損害賠償、第三は刑事の刑事訴追、この三つの方法がある。第一の正當防衛というのは、これは官吏に對しても行い得るわけであります。併しながらこれはなかなか要件がむつかしいので、自由の保護に必要な力の防止でなければならん。避けんとする危險に對して、それが相當な力の防備であることを必要とする。こういうことになつておるので、これを立證するのはむつかしい。同時に公務員に對する正當防衛というのは、更に危險なのであつて、うつかりすると公務員の職務執行を妨害したという犯罪が附け加わつて來ますから、これはなかなかうつかりできない。これは自力救濟の問題ですが、次は民事の不法行爲についての損害賠償、これは大概は不法監禁に基く賠償であります。フオールス・インプリズンメントと英語では言つております。もう一つは悪意の訴追、マリシヤス・プロセキユーシヨンであります。それで賠償を求めるというのが普通であります。これは英米では國家に對する賠償責任、國家に對しては不法行爲に基いては賠償ができないという原則がありますが、但し個人の官吏に對してはできる。日本の新憲法では、國家或いは自治團體が官吏の不法行爲に對して賠償しなければならんという規定が置かれましたけれども、これは大陸式な法理で、衆議院の修正で以てできた規定で、大陸法的な頭で書いた條文であります。でありますから、これは英米にはないのでありますが、個人たる官吏を訴えることはできる。日本でもうまく行つていないようでありますけれども、とにかくできる。それから刑事訴追、これはまあ日本ではうまく行かないですけれども、英米では相當にうまく行つております。けれどもこれらはすべて自由が奪われた後の祭なんです。すべて後の祭です。それでは自由の保護には十分でない。拘禁されたやつを直ぐ引出す。或いは將來拘禁が繼續するのをチエツクする。こういうのがいわゆるヘイビアス・コーパスの狙いであります。
然らばこの令状が利用される場合というのはどういう場合なのかと申しますると、第一は刑事訴訟の關係であります。いわゆる勾引、勾留に關する場合、犯罪の捜査に關して不法不當なる拘禁を受ける。これが一番多いのです。それ以外の場合としては、いわゆる刑事訴追以外の場合、これは官廳に對するものと私人に對するものと二つの種類があります。官廳に對するものとしては、裁判所に對するものと、それから行政官廳に對するものとある。先ず裁判所に對するものは、例えば裁判所屈辱罪で以て拘禁されておる。それを引出すために使う。或いは昔ならば民事の債務者拘禁所というものがあつて、借金を拂わないとそこへ入れられる。そういうようなときの問題にこれを使つたわけであります。それから行政官廳に對するもの、これは最近においては最も重要なる分野でありますが、例えは檢疫規則とか、或いは犯罪人引渡しとか、或いは國外への追放、それからアメリカで以て一番始終あるのは、移民關係の繋爭であります。これはアメリカでは例えば日本人がサンフランシスコへ行つて、移民官がそこで以て調べる。そうして入國を拒絶される。こういう場合です。こういう場合に、ヘイビアス・コーパスを以て裁判所に訴える途がある。この點については、米國市民權を持つておる者でも、外國の者でも、平等の地位に置かれておる。米國領土内におれば……。それからまだ入國しておらないでも、やはり訴權がある。こういうことになつております。そこで初期には、移民官には事實認定權はない。こういう主張で以て、この令状が求められたのでありますけれども、この點は事業認定を最終的になし得るという判決が一八九二年にありました。これは日本人が原告になつた。西村某對北米合衆國。コングレスは事實認定權を與えて、これを最終的のものとすることができるということになつておる。現在では法律問題だけのときならばできるということになつておる。その法律問題の中には、米國憲法の中のデュー・プロセスという問題、いわゆる「正當なる手續なくして」というこの憲法の問題、これも含まれておる。從つて例えば、公正なる審理が行われないで、勝手に事實認定をやつてしまつた場合には、ヘイビヤス・コーパスで行ける。これは英米人というものは行政官廳がやたらに認定をするということ、審理しないで、相手を呼び出さないで、言い分を聽かないで、勝手に認定をしてしまつたという、これに對する反感がとても強く、どうしても本人の言い分というものを十分に聽いた上で判斷しなければいけない。本人を呼び出さないで勝手に認定してしまう。これは日本の官廳では始終あるのですが、これは最もひどいデュー・プロセスに反する處置であつて、そのときには移民官の認定、フエイヤ・トライヤルがなければ、これはヘイビアス・コーパスで裁判所まで持つて行ける法律問題の中に入つておるのであります。この行政官廳との關係から、最近のアメリカでは最も重要なるいろいろな姿で現れておりますが、それは一つの最も顯著なる例であります。
それから更に私人の場合には、これはまあ西洋でよくあることは、相續關係などで以て、或る人を氣狂いにしてしまつて精神病院に入れて置く。精神病院に賄賂を使つて、そこに入れて置くなどということがよくあるのですが、そういう場合に、精神病院長に對して令状を發して、本人を裁判所に引出して、精神病でも何でもないものならば、すぐ釋放してしまう。こういう手續がある。もう一つは、夫婦間の子供の取合いです。これにヘイビアス・コーパスが利用される。これは併し本當の、へイビアス・コーパスの趣旨とはちよつと違うのであります。例えばこのよつと違うのであります。例えばこの場合には、上訴權について平等に取扱い、判決が差戻しの判決があつても、釋放の判決であつても、兩方から上訴ができる。政府に對する場合は、政府の方にはできない。この場合にはできる。本質が違うから、そういう區別がそこに出て來るわけであります。
それが大體の状況でありますが、この頭で今度の人身保護法というものを、ちよつと拜見してみますると…、これは意見でして、證言ではないかも知れませんが、ちよつと最後に附け加えて申して置きますと、これは或いは速記に取られない方がいいかと思いますが、ごく忌憚なく申しますと、こういうふうに感じたのです。これは併し、小林さんには又小林さんの御意見があるから、その方は又十分に伺うことにいたしまして、私が、英米法をやつておる人間としてこの法律を讀むを、どういうふうに目に映るかということを、御參考までに申添えて置いた方が將來のためにいいんじやないかと考えまして、ざつくばらんに感想を申上げます。
第一點は、憲法上のこれは權利だという點に捉われて、最高裁判所の目が光り過ぎておつて、如何にも物々しい感じがするのです。勿論日本國憲法というものは、最終的には、最高裁判所というものに解釋權がある。併し憲法というものは、私法一般の日常茶飯事にならなければだめなので、最高裁判所だけが憲法裁判所だなどと考えておる間はいけないと思うのであります。その點から、最高裁判所の顔がこの條文の方々に出て來る。そこのところは、もう一遍再考する必要はないだろうか。こういう點が第一點であります。
それから第二點は、申請から審理までの手續が、どうも面倒過ぎやしないか。申請手續から審理手續までの手續が面倒過ぎやしないか。英米の經驗によれば、申請拒否ということは、これは會状の目的を全部否定してしまうことになる。これは英米では、例えば一應申請者の言つたことは眞實と推定する、こういう規定がある。一見明らかなときだけ拒否する。それから申請の拒否を受けた者は別の判事のところに行つて又申請する。全部斷られた場合には更に上の裁判所に行つて求めることができる。不當に申請を拒否した判事には罰則を科する。こういう非常に申請を成るべく通してやるようなふうに法律ができておる。それが今度のやつを見ますると、成るべくこれを拒む方に都合のいいようなふうに規定ができておる。これは大いに考え直す必要がなくはないか、これが第二點であります。
それから第三點は、これは附随的な點でありますが、辯護士であります。審理手續に辯護士を付けるのはこれはもう結構なことであります。必ず付けてやる方がいいと思います。ただ申請のときに辯護士を付ける。この場合だけ辯護士強制を認めるという理由があるかどうか。この點は一つ考え直す必要がないんだろうか。アメリカでもそういう特別規定はないようです。イギリスにはあるということを伺いましたけれども、この點は更に再調査を必要としないか。それから申請のところにこんな辯護士強制の規定というところでやる必要がないのではないかということが第三點であります。
それから第四點。審理手續につきましては、英米には他人の自由を拘束しておる人間に、何故人の自由を拘束しておるのかということを立證させる。こういう色彩が強い。だが、この法案では何だか普通の裁判のような感じがする。もう少し拘禁しておる人に立證責任があるのだぞという色彩を出したらどうか。この點もお考えに値しやしないか、これが第四點であります。
第五點は、上訴についてであります。上訴制度について拘禁者からも上訴を許すというふうにちよつと讀めるのであります。併しこの點は、若しもそうならばいわゆるここで以て公平な平等の扱いが、結局は不公平なことになるということは英米人は最もよく理解しておるから、上訴について不平等に取扱つておる。不平等な規定が平等になる所以である。子供の取合いのようなケースは平等に取扱うといふ例外の規定が置いてある。併し政府を相手に私人が自由のために奮鬪するときには政府の方に相當の歩があるのですから、そのときには餘程規則を認める令状を求める方にフエイバラブルしてやらなければ釣合いが取れない。これは英米人が最もよく知つておる。その點はこのヘイビアス・コーパスの立法としてはどういうものだろうか。これが第五點。
結論として、どうも全體を見まして、實に拘禁者に都合のよいヘイビアス・コーパス・アクトである。拘禁した者に都合がよい。被拘禁者の方には餘り役立たない。こういう感じを得るが、その點はどうか。これだけの點を最後の私見として英米法から見た新立法に對する感想という意味で附加えて、この私の話を終りたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100214390X00519480323/3
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004・伊藤修
○委員長(伊藤修君) 只今の證言に對して御質疑のある委員の方はどうぞ……。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100214390X00519480323/4
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005・鬼丸義齊
○鬼丸義齊君 ちよつとお尋ねいたします。この病院長であるとか、或いはその子供の取合いとか、いろいろ行政上の拘束に對する釋放の訴えの場合等も含む場合には、條文の表示法はどういうふうになつておりますか。行政、私法共含めるには條文にはどういふ表示方法をやつておりますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100214390X00519480323/5
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006・高柳賢三
○證人(高柳賢三君) お答えいたします。英米にはそういう各場合についての規定というものはありません。それは裁判慣行でずつと認められて來ておるので、條文の成文法の中に、そういう如何なる場合にこれを求めることができるか、殊に精神病院長に對する令状發行なんかは裁判慣行でできておりますから、そういう成文法には謳つてないだろうと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100214390X00519480323/6
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007・鬼丸義齊
○鬼丸義齊君 そうすると、これは慣行例の方ですか。或いは抽象的な明文に……。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100214390X00519480323/7
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008・高柳賢三
○證人(高柳賢三君) お答えいたします。英米では大部分が不文法なんです。それから例外的な場合に成文法の形を取つておる。今のような場合でも精神病院長に對してこの令状が發することを得るや否や。こういう點は條文を幾ら見ても出て來ない。それは判決例でずつと決まつておる。そういう重要な問題は大概は不文法、ただいろいろの手續の細かい點などは成文法の方で規定されておる。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100214390X00519480323/8
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009・岡部常
○岡部常君 具體的の例なんですが、令状によつて刑務所に拘禁されておるような場合とか、或いは拘禁者というのは現實の刑務所長をいうのですか。或いは令状を發した者をいうのですか。ちよつとこの間からその點が疑問になつておるのですが。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100214390X00519480323/9
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010・高柳賢三
○證人(高柳賢三君) それは令状を發した者だろうと思いますね。例えば一九二三年にオーブライアン對内務大臣、内務大臣の命令で以て拘禁された場合、そういう場合には内務大臣は別に關係していないのですが、實際には拘禁にも何にも關係していないのですが、内務大臣を相手取つて申請するということになつておりますね。だから上の人を取つてやるのが普通だろうと思いますね、その點の慣行は或いはいろいろ細かいことになつたら場所によつて少しずつ違うかも知れませんけれども……。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100214390X00519480323/10
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011・鬼丸義齊
○鬼丸義齊君 もう一つ委員長お尋ねします。裁判所の審理手續きですね。それは常に同一裁判所じやいけないとか何とかいう制限がありませんか。例えば簡易裁判所の場合にはありませんが、会議裁判所なんかの場合にですね。例えば東京地方裁判所なら東京地方裁判所でそういう会議の上拘禁に對する命令を發した場合に、その裁判所以外の裁判所でなければいけないというふうな、特に公正を求める意味において審理に與かるものを常に他の方面に持つて行くというふうなことはお分りになりませんか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100214390X00519480323/11
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012・高柳賢三
○證人(高柳賢三君) それは絶對にないことです。必ず令状を出した裁判所が審理する。或いは裁判所でなくても裁判官ですね。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100214390X00519480323/12
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013・鬼丸義齊
○鬼丸義齊君 それは大變人身保護に對しましては完きを期することができ得ない虞れがありはしませんか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100214390X00519480323/13
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014・高柳賢三
○證人(高柳賢三君) その點がつまり人身保護のこの裁判ではありますけれども、併しこれは普通裁判とは違つて、一應調査する。そこがコツなんでして……。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100214390X00519480323/14
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015・鬼丸義齊
○鬼丸義齊君 併しながらその場合によりまするというと、相手方をして拘束不適當なときには處分までするというようなことになりますと、むしろ當事者のような感がございますが……。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100214390X00519480323/15
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016・高柳賢三
○證人(高柳賢三君) 裁判官がですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100214390X00519480323/16
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017・鬼丸義齊
○鬼丸義齊君 はあ。拘禁者と被拘禁者というのは當時者……利害相反する者の間においてのことになるように考えられますが……。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100214390X00519480323/17
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018・高柳賢三
○證人(高柳賢三君) つまり拘禁者と被拘禁者を裁判所に喚び出したときですね。だから令状を出した裁判官がその審理をやつても別にそれで不都合は生じないようにみられます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100214390X00519480323/18
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019・鬼丸義齊
○鬼丸義齊君 これは大變な……我々の常識ですが、我々の常識から考えますと、當事者双方の可、不可を決するために、その相手方がみずからの行爲を審判するというようなことは、どうしても公正を期し難いのじやないかというふうに考えられますが……。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100214390X00519480323/19
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020・高柳賢三
○證人(高柳賢三君) よく意味が分らんですが、それは今の勾引状を出した人が喚ぶんじやないのです。裁判所が出すのですね。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100214390X00519480323/20
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021・鬼丸義齊
○鬼丸義齊君 それは明確なるやはり……。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100214390X00519480323/21
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022・高柳賢三
○證人(高柳賢三君) あ、今の場合は勾引状じやなくて、勾引状を出した人と、それから出した裁判所、それから今の人身保護令状を出す裁判所とはこれは違うのです。今言つた令状には少し混亂があつた形ですね。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100214390X00519480323/22
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023・松井道夫
○松井道夫君 これは日本と英米ではその外の一般の法律制度が違うので、そんな關係から疑問が起るのか知れませんが、日本じや現在の刑事手續上拘禁の命令を出すのは裁判所になるわけですが、そういたしますと、まあ最もこの法律の適用が多いと思われる刑事事件の關係で、拘禁者が判所乃至は裁判所だというような場合は、日本じや想像できるわけです。そういたしますと、只今他の委員からの質問もありましたけれども、それに對して喚び出しの令状を發する者は裁判所である。而もその裁判所はいずれも判事であるという考え方もでき得るというようなことですと、餘り實效がないのじやないかというようなことが考えられる。而も裁判所が勾引の令状を出すときには、一應法律の條件ですね。これに當篏まることを考えてやるわけですが、裁判官は日本におきましては相當いろいろな信用も博しておるということになつておるわけなんですから、どうもそのぴつたり來ないというところがある。その點……。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100214390X00519480323/23
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024・高柳賢三
○證人(高柳賢三君) それは、私は今この令状の辯護は、日本の法律の方はどういう法規かよく研究していないのです。今度のこの條文に、日本法の運用についてはこれは別に或いは小林さんに……。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100214390X00519480323/24
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025・松井道夫
○松井道夫君 併しながら、先生の英米法の御見識の上から、何か御意見がないのですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100214390X00519480323/25
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026・高柳賢三
○證人(高柳賢三君) 何だか私、法案をよく研究しておりませんから、何とも言えませんが、これは地方裁判所で、今の勾引状を出した場合には、上の裁判所に持つて行くとか、控訴裁判所にも出せるとか何とかいう規定があるのじやないですか。どういうふうにするか、そこの所は知りませんが…。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100214390X00519480323/26
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027・岡部常
○岡部常君 先程先生のお話で、實例として山下奉文の場合に、ヘイビアス・コーパスを適用しようというような論議があつたということですが、私もそのときのことを囘想いたしまして、餘りに形式的なという感じがしたのでありますが、今先生のお話を承ると、そうでなくして、むしろそこに英米法のいい所があるように受取つたのであります。その點に對してもう一度先生のお感じを承りたいと思つて…。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100214390X00519480323/27
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028・高柳賢三
○證人(高柳賢三君) 山下事件の場合には、日常茶飯事となつて、辯護士の業務として、普通の取扱いとしてやつたのだろうと思いますが、併しこれが本當に自由の保障になるというのは、本當はヘイビアス・コーバスをやつたから、必ずしも自由を保障されると考えるのは間違いなんで、これをどこまでも活かして行くという法律家の努力を裏からバツクする國民がいなければ、言い換えれば一般の思想が、自由を、民權を保護するという強い熱意が出なければ、法律を幾ら變えたつて駄目なので、そのいい例は南米ではアメリカの眞似をして人身保護令を或いは憲法或いは法律によつて採用したのです。採用したけれども、現實はどうかというと、獨裁制の政忠的な雰圍氣の下においては死文になつてしまつている。であるから法律家は非常に熱心です。英米の法律家は非常にこれを身體の自由を保護する最も有力な武器であり、これなくしては身體の自由などいうことは保護されないのだと確信していますけれども、この法律を發表させて行くことを國民がバツクしなければ、これは死文である。であるからヘビアス・コーバスの奥には更に自由を尊量する念がどこまで強いかという、國毛の熱意というところにあることは認めなければならぬ。そういう關係になつておるように思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100214390X00519480323/28
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029・大野幸一
○大野幸一君 これは先程岡部委員からお尋ねがあつたのですが、本案の審議について一つの重大なポイントだろうと思うので、もう一度御説明というか英米法の例を聞きたいと思うのですが、一體審問期日に出頭する被拘束人は分つておるが、拘束人が何人であるかということです。昨日からいろいろの前提となつておりますのは、例えば拘置所においては拘置所長、こういうことになつておりまして、全く裁判所は當事者の地位を離れて第三者的立場から裁判所の面前で審理をする。こういうことになつて先ず白紙の裁判所に被拘束者の理由があるかないかを預けて、そうして審理をするというようにして初めてその目的が達せちれるのではないか、人身保護法の目的が達せられるのではないかと思います。ところで先程證人の方の申されましたところによりますと、拘引状を發した人が即ち拘束者ということになると、裁判所が拘束者の立場にある。こういうことになりますと、鬼丸委員の申されたように、目的が達せられないのじやないか。こういうふうにも考えられますし、又拘束者と稱するのは、勾引状を請求した檢事のような場合も拘束者とするのが、即ち被拘束者に對する對象人としてはやはり檢事であるから檢事であるとも考えられますが、この法案をお讀みになりまして、証人のお方は拘束者の定義をどういうふうにお考になるか。これと關連して英米法の實際は拘束者を何人にするかということをもう一度お伺いしたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100214390X00519480323/29
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030・高柳賢三
○證人(高柳賢三君) 實は法案そのものに對して意見を述べる人は、もう少し研究しなければ何ともいえないわけです。これは拘束者を何にするか、誰にするかという細かい點は、いろいろ英米の法益によつて違うかも知れません。そこまではまだ詳しく調べておりません。だから人のお尋ねに對してはお答えしない方が安全だろうと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100214390X00519480323/30
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031・伊藤修
○委員長(伊藤修君) ではこの程度にして置きまして小林さんの御證言を願います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100214390X00519480323/31
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032・小林一郎
○證人(小林一郎君) 證言をめる事項といたしまして、日本憲法と人身保護法、人身保護法とその英國における實際、こういう二つの題目を頂載いたしております。存じております範圍においてお答えいたします。尚時間が切迫しておる樣子ですから極めて簡單に申上げます。
憲法は國民の自由を保障しております。この身體の自由を確保するため憲法は二つの原則を定めております。その一つは法律の定める手續によらなければ自由を奪われない。これは憲法第三十一條であります。もう一つは令状によらなければ逮捕されない。これは憲法第三十四條であります。この原則を定めましても、この原則を破らないようにこれを維持して行かなくてはならない。それならば如何なる方法によつてこれが維持されるか。これを維持することは即ち身體の自由を確保するゆえんであります。これには三つの方法が考えられます。その一つは刑事上の訴追であります。その第二は金錢の支拂いによる救濟、それからもう一つは侵されたる自由、この奪われた自由、これを早急に囘復する、こういう方法であります。只今申上げました原則、即ち法律の定むる手續によらないで自由を奪われた場合、或いは令状によらないで逮捕される場合、これは刑法上不法監禁罪を構成する。刑法第二百二十條にあると思います。それから檢察或いは裁判或いは警察の職に在る者が職權を濫用して自由を犯す、逮捕、監禁する、この場合は涜職罪を構成する。この場合刑事上の訴追によつてこれを監獄に入れることができます。併しながら我が國においては控訴權は檢事をして行はしめる結果、役人のこの種の犯罪に對しては從來滿足なる結果を得ておらないのであります。從來在野法曹或いは世上相當問題になりまして、官民合同の委員會を作れ、或いは辯護士會に起訴權を與えるというようなことが今日議論されております。尚この刑事上の訴追はこれを拘束しておる間はどうにもできない。自由を囘復して世の中に出て、それから起訴してやる。假に結果を得まして相手方を監獄に入れたといたしましても、これはただ精神上の慰安、感情上の滿足を得るに過ぎません。併しながらこの刑事上の訴追ということは自由の侵害に對する救濟手段として決して滿足なものではありません。それならば第二に考えられる金錢の支拂いによる救濟はどうか。これは不法なる監禁に對しては民法上不法行爲を構成します。又刑事補償法があります。これは新憲法は特に無罪の判決を受けた者は刑事補償を求めることができるという規定がございます。又公務員の不法行爲に對しては國又は公共團體、これが賠償の責に任ずる。これが憲法十七條でありますか、規定があつた筈であります。それで國家賠償法がもうすでにできております。併しこの自由の侵害に對しては幾ら金を拂つてもこれを償うことはできない。これは常識で當然だろうと思います。でありますから、この方法も滿足な方法ではない。それならば何かといえば、自由が奪われたる場合にこれを直ぐ囘復する方法、これができない限りは自由の保障というものは決して滿足な状態ではない。憲法が幾ら自由を保障するといつても、自由を確保するといつても、決してその實は擧つていないのであります。そこで今度の新憲法第三十四條は、その後段において何人も正當の理由なくして拘禁されない。要求があればその理由は直ちに公開の法廷で示されなくてはならない。こう規定しております。これは自由が拘束されたる場合に直ぐさま何故に拘束されたか、これを調べる途を開いたのであります。拘禁の理由に取調べを要求する。取調べて貰う。これはそれ自體が決して目的ではない。目的はその不法なることが分つたときには直ぐ自由を囘復する。この自由を囘復することを目的としてこの取調べの機會を規定したのであります。でありますから、この憲法の規定によつて自由を囘復する途が開かれたことになる次第であります。ここに初めて國民の自由、身體の自由、これに對する保障が實現されるその緒が出來た次第であります。憲法はそれだけの規定をしておりますが、それならば如何にして要求するか。如何にしてその取調べを要求するか。又拘束者にその理由を如何にして示させるか。その理由が示されたる場合、示されざる場合、如何に本人を處置するか。それらについて法律を設けなくてはいけません。それらについて法律の規定がない限りは、この立派な憲法の規定は決して動いて來ない。死物に等しいことだろうと思います。
でありますから、この人身保護法、これは憲法の制定に伴つてどうしてもなくてはならない。憲法の施行に伴つて制定を必要とする最も重要なるものの一つなのであります。これが結局聲を大にして人身保護法の制定が必要だというその理由であります。
こう申しましてもその自由の保障ということは決して新憲法の新らしい規定ではありません。これは各位御承知の通り、明治憲法においても立派に國民の自由、身體の自由は保障されております。憲法は法律によるにあらずして日本臣民は逮捕、監禁、審問、處罰されない。こういう立派な名文があります。而して法律は國民の、臣民の自由を保護する、或いは至れり盡せりの規定を設けております。にも拘わらず、常に人權蹂躪の聲を斷たなかつたのは何故でありましようか。例えば同行或いは任意出頭、今日も泊れ、明日も泊れ、そうして警視廳あたりで不法に自由を拘束しておる。或いは行政執行法を濫用する。或いは警察犯處罰令を悪用する。住所があるのにないと言つて拘留する。檢束の必要がないのに保護を理由として拘束を加える。これらし捜査官憲の常套手段であつたことは世上周知の事實であります。ただ人權蹂躪というのみであつて如何ともすることができない。これは何故でありましようか。結局憲法が國民の自由、臣民の自由を保障して置きながら、その保障を實現する方法、この救濟方法を缺いたためであります。これを補うために新憲法三十四條後段はこの自由を奪われたる場合、つまり刑事事件につきましては捜査の段階においても直ぐその手續が適法であるかどうか。憲法に反していないか。法律に反していないか。これを調査する方法を作つて呉れたのであります。
イギリスにおいてはどういう裁判所においてこの種の手續が行われておりますか、これは先程高柳さんが大體お話になりましたが、この點非常に重要な點だと思いますから、一言申しておきます。英國においてはロンドンに最高裁判所、これはシユプリーム、コート、オブ、ジユデイカチユアと言つております。一つの最高裁判所がある。最高裁判所が控訴裁判所、上訴裁判所に分れまして、ハイコート、オブ、ジヤステイス、高等裁判所が三つに分れている。一つはシヤンスレー、デイヴイジヨン、一つはキングス、ベンチ、デイヴイジヨン、もう一つはプロペート、デイボー、アンド、アトミラルテイ、デイヴイジヨン、こうなつております。この人身保護令状と申しますか、これは只今申上げたキングス、ベンチ、デイヴイジヨン、これで取扱つております、管轄權は高等裁判所にあるということになつておりますが、事實においてしキングス、ベンチ、デイヴイジヨンで取扱つております。このキングス、ベンチ、デイヴイジヨンというのはロード、チーフ、ジヤステイス、十九人の裁判官で構成している。これは非常に地位の高い裁判所であります。その資格としては十年間バリスターの職に在りたる者、ロード、チーフ、ジヤステイスは十五年間バリスターの職に在つた者でなくてはならない。イギリスの裁判所制度の上で非常に高い地位にあります。その地位をよく知つて頂きたい。イギリスの全部の裁判所の仕組を簡單に仕上げて、どんな裁判所であるかということを皆さんに知つて頂きたいと思います。只今申上げました最高とか高等とかいうのは、これは決して日本で使つているような最上級とか第二審、そういう意味でありません。これは敬稱と思つて頂かないと分らないことになります。それでロンドンに一つの最高裁判所がある。それがハイコート、オブ、ジヤステイスとそれからコート、オブ、アツピールとに分れます。その下にカウンテイ、コートというのがあります。民事事件でありますが、全國に四百くらいある。判事は五十人くらいです。これが民事の細かい事件を扱つております。それから刑事事件について申上げますと、一番下の裁判所にペテイー、セツシヨンというのがあります。簡易裁判所、日本の簡易裁判所はこの言葉を採つたのであります。これはコート、オブ、サンアリー、ジユリスデイクシヨンというのであります。その上にクオーター、セツシヨン、これは四季裁判所と譯しております。今申述べましたのは刑事事件であります。アツサイズ、これは巡囘裁判所であります。イギリスは八つの巡囘裁判所に分れております。そこに判事が三囘或いは四囘行くところもあります。もう一つセントラル、クリミナル、コート、これはロンドン地區、巡囘裁判所に相當するものであります。もう一つコート、オブ、クリミナル、アツピール、刑事訴訟法裁判所というのがあります。その上に最高裁判所があつて、その上にハウス、オブ、ローズ、貴族院、それから樞密院の司法委員會、こんなふうになつています。そこで私の申上げたいのはこのキングス、ベンチ、デイヴイジヨンの裁判官でありますが、先程申上げた巡囘裁判所、これは全部キングス、ベンチ、デイヴイジヨンのジヤツジが出掛けて、それで裁判をする。それからコート、オブ、クリミナル、アツピール、これは刑事控訴裁判所ですが、これはロード、チーフ、ジヤステイスと、それからキングス、ベンチ、デイヴイジヨンのジヤツジで構成する。かくのごとく、この人身保護令状を扱つているキングス、ベンチ、デイヴイジヨンというものは非常にえらい仕事をしている。又非常に高い地位にある。このことをよく御記憶願いたいと思います。
それからどんな法律があるかということは、先程高柳さんから詳細お述べになりましたが、ただ一言申上げて置きたいことは、この人身保護令状、これを求むるの權利は、イギリスにおいてはタイム、インメモリアル、國民の記憶にない時代から國民に與えられた權利が普通法上の權利である。こういうことになつております。ですからこれは先程お述べになつた一六四〇年、一六七九年、一八一六年、この中にあとの二つがヘイビアス・コーパス・アクトといわれておりますが、これによつて得た權利ではありません。そういつております。ですから實際の手續においても、これはちよつとお分りにならないかも知れませんが、それは成文法上の手續としてやる場合と、普通法上の手續としてやる場合と、二つあります。例えば一六七九年の法律によりますと、本人を連れて來いという令状があると、これは法律によると、こういう制限があります。その令状が行つてから本人を差出すべき場所、それが二十マイルまでは三日以内、二十マイルを超えて百マイルまでは十日以内、百マイルを超える場合には二十日以内に本人を連れて來い。そういうことが規定してあります。併し實際には行われていない。それはなぜかというと、その手續は普通法上の手續としてやるのだから特に令状の規定に從わない。特に別に日を指定するということにしております。成文法によつてのみこの權利が與えられているのではないということを御承知願いたい。手續については先程詳細にお述べになりましたが、第一申請は何人でもよいことになつております。これは憲法第三十四條によりますと、要求があれば、となつておりますが、これは印刷局から出ている英文官報を御覽になると、アポン、デマンド、オブ、エニイ、パーソン、——エニイという言葉が入つております。これは英法から來ているのじやないかと思いますが、それをどういうわけで取つてしまつたのか、ちよつと憲法だけ見ると分りませんか、それは何人でも請求できる。英文の方でそうなつております。併しあかの他人、何にも關係のないミーヤー・ストレインヂヤー、これは許されないことになつております。それから申請は、英法においては書面によらなければならない。口頭による場合は宣誓陳述書、アツフイダヴイツトを附けなければいけないのであります。百年前には口頭でアツフイダヴイツトを附けなくてよかつた時代があるといわれております。併し只今は全部書面であります。それからこれには事實はすべて宣誓陳述書によつて立證しなければならぬことになつております。證言等は許されません。それから刑事事件については令状、これはもとの勾引、勾留状に當る。自由を拘束したその令状の謄本を附けることになつております。これは監獄の吏員が交付しなければならない。これを六時間以内に交付しないと制裁を受ける。こういう規定が一六七九年の法律に規定してあります。それからこの申請は全部バリスターでなければならない。イギリスでは辯護士の職に二つの階級があります。一つはバリスター、一つはソリシター、そのうちのバリスターによらないとこの申請はできない。ただ特殊の場合貧困とか、非常に急を要する場合には許される。そういう例になつております。それから申請があるとこういうことになります。これは裁判所又は裁判官に申請することができるのでありますが、その次の手續としては二つある。裁判所に對しても、裁判官に對しても事實が極めて明瞭な場合には、相手方を呼ばないで辯論をさせないで、直ぐ命令を出します。この本人を連れて來いという令状と、それからその前にもう一つ命令がある。イギリスのは……。その令状を發しろという命令を出す。その命令を出すかどうかについての一つの段階があります。相手方を呼んて、そこで辯論をさして初めてその裁判をする場合と、その裁判をしないで直ぐに令状を出す、そういう段階があります。これがつまりそれについて辯論をさす場合、これが裁判所である場合はオーダー、ナイサイ、これを條件附命令というよりはその手續の名稱だとお考え下さると極めて分り易いのです。即ち、裁判所に呼ぶ場合はオーダー、ナイサイの手續をし、裁判官の前にした場合にはサムモンズというわけであります。相手方を呼んで辯論させるかどうか、或いは相手方を呼ばないで、書類だけで令状を出すかどうか、その裁判をするかどうか、その區別であります。そこでその命令……令状を發しろ、つまり、リツト、オブ、ヘイビアス・コーパス、人身保護令状を發しろという命令をし、その令状を準備してソリシターがクラウン、オフイスのところに持つて行つて、そこで判を押して貰つて、それを持つて來て、それが令状になる。今度はそれを拘束者に送達する。先程お話があつたが、拘束者というのは現に本人の身體を拘束している者、現にその自由を拘束しておる者であります。イギリスにおいてもそうであります。決して、その先の拘束についての令状を出す、日本の勾引状或いは勾留状に該當するその令状を出した者ではありません。だから裁判所でもなれけば檢事でもない。現に拘束している者、刑事事件ならば監獄吏であります。日本でも同樣であります。日本は例えば警視廳に引張られた場合には警視總監或いは拘置所ならば拘置所長或いは特に何か内部でそれを監督する、管理する、自分の實力下に置く役人がいるならばその人間であります。それからイギリスではこういうことになつています。リツトにはいつ何日までに連れて來ない場合には制裁の規定がありますから、いつ何日までに連れて來ないと制裁がある。そういう一つの通告状をリツトに添えて出します。それから更にイギリスにおいては勾留状、それに該當するものは先程ちよつと申上げましたマヂストレイトというのがあります。一番下の刑事事件を扱う裁判官ですが、それが通常令状を出す。それに對して通告をする。それから相手の檢事側に對して通告をやります。そういうことになつています。
それから今度はそれに對して答辯書を出さす。そういうことになりますが、その答辯書を出す時期、これは千六百七十九年の法律には、先程申上げました距離に應じて三日とか、十日とか、二十日という規定があるのでありますが、實際にそれには從つていない。令状にいつ幾日までに連れて來い、そういうふうに書いてあります。それから答辯、この順序等はクラウン、オフィス、ルール、これは千九百六年にクラウン、オフィス、ルールというものがあります。大體人身保護令状の手續が、これによつております。この答辯を出しますと、第一に答辯書を讀み上げ。それから本人を釋放して呉れ、釋放しないで元通りに渡して呉れ、そういう申出がある。それから本人側の辯護人が辯論をして、相手方が一應して、もう一遍本人側にやらす。こんなよう手續が詳細規定してあります。それからその答辯書は實際本人を法廷に連れて來てからの、その本人被拘束者、その身柄はどうなるかという問題がありますが、これは全部裁判所の管理に屬する、最初その身柄を拘束した。その拘束についての令状、これは停止される。それでリツトによつて、令状によつて、今度は人身保護令状、これによつて裁判所に出されると、その身柄は裁判所の指揮、裁判所の管理の下に付する。であるから一切裁判所の責任においてこれを保管する、管理する。そういう考えになります。併し如何にしてこれを管理するか。これは裁判所の決めるところでありまして、例えば、元の監獄に頼んで、そこへ置いてもよい。日本でいうならば、日本の拘置所から連れて來さす。併し又それへ返してもよい。返すけれども、ただ今度は管理の主體が違うだけであります。裁判所の管理の下の置く、そういうことになります。それからそこで辯論がありまして、その拘禁する理由が立たない。立なたければ裁判所が、じかに釋放いたします。その間に檢事が介在するわけでも何でもありません。それから答辯書を出せ。或いは本人を連れて來い。その命令に從わない場合には制裁があるのであります。先程お話がありましたが、從前は金錢の支拂による制裁がありましたが、今日は法廷侮辱として、これに服する。その自由を拘束しておる。これには、法廷侮辱として、その自由を拘束するには二つの方法があります。一つはリツト、オブ、アタツチメントと言つていますが、裁判所が拘留状を出す。これは普通の手續によつて、政府によつて、執行官によつて執行する。これは我が國ならば勾留状を出して、檢事によつて執行する。こういう手續です。もう一つはオーダー、フオアー、コムミツターと言つておるものでありますが、これは裁判所が勾留状を出す。それで執行官を、執行する者を、介在させない。裁判所がじかに拘束する。これは裁判所の警卒吏とでもいうか。裁判所の使つておる者がやる。もう一つ言うと、これは廷丁を使つて直ぐ監獄に入れてしまう。そういう方法です。それから上訴でありますが、これは刑事事件については、上訴は双方共に許さない。刑事事件以外の事件については上訴を全部許しております。こういうことになつております。
この機會に一言さして頂きますが、今度の憲法は九十九條でありますが、天皇、攝政、國務大臣、國會議員、公務員、すべて憲法を尊重し、これを擁護する義務がある。こういう規定を設けてあります。でありますから、天皇初め進んで憲法を遵奉する。この旨を明らかにしてあります。でありますから、憲法の規定に從わなくてはならないのは當然、憲法の規定に基いて、この人身保護法、この規定も遵奉……從わなければならぬ。そういうことになります。これからは、國務大臣でも、誰でも、天皇の袖に隱れて違法を敢てする。こういうことはできない。天皇の命令によつて、おれは拘禁しているんだと、これは決してこの人身保護法の關係においては、答辯とはならない。でありますから、この點を考えますと、この點から見ても明らかなように、この人身保護法に基く命令というものは、時の高官すべてを拘束する、すべての役人、その他位の高下を問わず、これを拘束する。命令に從わなければならない。又この命令は、その時の非常な權力者、これを相手としなければならんかも知れません。過去數年間において、例を見たように、相當の權力者に對してこの令状を……命令を出さなくてはならないかも知れません。こういう場合を考えますと、下級の裁判所では、手に負えない場合があります。又もう一つ、この法律は、極めて新らしい法律であります。國民が慣れていない。又一面において國民の自由を關する。でありますから、これは非常に鄭重に、萬全を期して取扱わなければならないと思います。
この人身保護法の取扱いに二つの流れがあると私は見ております。その一つは、これを非常に手輕なものにする。ちよつとその邊の交番にでも飛び込めば、直ぐにこの救濟を求められる。そういう手輕なものにしなければならん。それが一つの考えであります。併しながらこの人身保護法の救濟これは決して一日や二日を爭う筈のものではありません。これを手近なものにいたしますと、手近な、極めて安直な、手輕なものにするということは、結局濫用する機會を多くするということです。而してこの法律は、私は考えますのに、濫用される。濫訴の弊に陷る。その懸念が多分にある。その要素を多分に含んでおると私は考えております。日本におきまして、陪審制度はどうなつておりますか。これは在野法會によつて、熱心に叫ばれた制度であります。ところが、外國においては陪審員を皆逃げ廻つている。陪審員になることを好んでいる者なんかちつともいない。又この法律を、或いは裁判官の手助けをするとか、或いは裁判官よりよりよい裁判をする。そんな考えでいたら、これは大間違いです。本來は政治教育をする。民主國家には政治がなくてはならない。自分のものは自分でする。そういうところから出發している。その目的を履き違えている。であるから、譯の分らん結果になる。又御承知でありましようが、裁判所の準備手續でも、英國においては、裁判が非常に迅速に圓滑に行つている。これは全く民事の裁判は、この準備手續の下においてやつている。ところが日本においては、これも亦履き違えている。準備手續というものは、爭點を明らかにする。これが唯一つの目的であります。ところがこれが分らないで、準備手續で辯論をする辯護士が出るかと思えば、裁判所は公判廷でやることを變な風にやる。公判廷へ出ると準備手續をやつたかどうか分らんようなことをやつておる。その結果はお互い言合いになつておるが、これも投げやりになつておる。又豫審制度、これはどうかといいますと、これは豫審判事が檢事の手先のようなことをやつておつて、これを直す工夫をしない、それで揚句の果が豫審の制度は徒らに時間を取る。今度の憲法によると刑事事件の被告人は迅速に裁判を求める權利があるから、これをいけないといつて廃止しております。早晩これは英米法式に形を變えて豫審制度が現れることとは思いますが、これらはすべて目的の履き違い、この結果であります。それで私の虞れるとこころは、この得難い國民の初めて授けられたこの人身保護法、これが折角この參議院で採上げられて法律になりましても、やり方によつてはこの陪審制度は準備手續や、或いは豫審の制度、これらと同じ運命に陷るのではないか。それを私は非常に懸念しております。
でありますから、私は特に御考慮を願いたいのは、この手續は、これは下級裁判所の手に渡してはいけない。少くとも高等裁判所で打切つて頂きたい。こういう考えを私は常に持つております。これを手近のものにしないと、この法律によれば國民の自由は如何なる場合においても取上げなければならない。確實に守られ確保される、こういう意味におきまして、國家百年の計畫の一部としてこれを作つて頂きたい。そういうことを念願しております。ちよつとこの機會にそれだけ申上げて置きます。時間を急ぐようでございますからこの程度にして置きます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100214390X00519480323/32
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033・松井道夫
○松井道夫君 只今御意見を伺つたわけですが、濫用される虞れがあるという御懸念のようでございました。その反面實效を餘り奏せないのではないか。例えば今、保釋制度があつて、保釋を申請しても許して呉れない。一體今迄の裁判官の常識というものは非常に遲れておつたと思います。今の人身保護法の場合で、一面濫用ということは國民側から虞れられるけれども、裁判官側の點からいうと、今の實效を奏せないということが虞れられるんじやないかと感じますが、その點はどうですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100214390X00519480323/33
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034・小林一郎
○證人(小林一郎君) 實效というとどういうことですか。上の裁判所へやることですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100214390X00519480323/34
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035・松井道夫
○松井道夫君 結局拘留といつたようなことを考えますと、それに對しての人身保護法救濟……。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100214390X00519480323/35
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036・小林一郎
○證人(小林一郎君) 先程お尋ねがあつたようでしたが、これは裁判所の令状が相手方を嚴に拘束しておるものでございましよう。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100214390X00519480323/36
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037・松井道夫
○松井道夫君 その點に分つておるけれども、要するに裁判所が勾留状を出しますね。それに對して、人身保護法を求めるときに、そうしますと求められた方の裁判所は、これは勾留状を出したのも裁判所ですから、考え方は大體共通であつて、實效を奏しない。そういう意味です。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100214390X00519480323/37
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038・小林一郎
○證人(小林一郎君) ですからそういう虞れがあるから、そういう結果を來さないように上の裁判所へやつて、國民が信頼できる上の裁判所にやろうということなんです、私の主張するところは……。それからよつと先程申上げるのを忘れましたが、イギリスの統計ですが、これは私持つておりますのはちよつと古い一九三三年のですが、これは一ケ年十五件ということになつております。その中裁判所により審理を開始したもの一件、裁判官によるもの十四件、申請の棄却されたもの裁判所により一件、裁判官により令状を發すすべきことを命じたもの十二件であります。それでそのうち四件だけ現實に令状が出ております。そういうふうに濫用せず、イギリスでは非常に愼重に取扱われております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100214390X00519480323/38
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039・松井道夫
○松井道夫君 先程御説明があつたんですが、よく分らなかつたんですが、令状を今の裁判所に直接出すことがある、こういうことですね。その外に只今おつしやつた令状を出すという命令が出ておる。その點はよく分らなかつたんですが……。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100214390X00519480323/39
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040・小林一郎
○證人(小林一郎君) 今度の案によりますと、直く連れて來いという命令が出ることになつておりますが、イギリスのはこうなります。つまり申請がありまして、そうすると、その次に命令を出すかどうかという段階があつて、その命令というか、令状というのは形式が備わつておるんです。イギリスのは日本のとちよつと段階が違うんです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100214390X00519480323/40
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041・伊藤修
○委員長(伊藤修君) それでは他に御質疑がなければ、本日はこの程度で散會いたしたいと思います。どうもいろいろ有難うございました。
午後四時十七分散會
出席者は左の通り。
委員長 伊藤 修君
理事
岡部 常君
委員
大野 幸一君
齋 武雄君
中村 正雄君
大野木秀次郎君
水久保甚作君
鬼丸 義齊君
松井 道夫君
松村眞一郎君
證人
高柳 賢三君
小林 一郎君発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/100214390X00519480323/41
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