1. 会議録本文
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000・会議録情報
昭和二十六年三月七日(水曜日)
午後一時四十三分開議
出席委員
委員長 長野 長廣君
理事 岡延右エ門君 理事 若林 義孝君
理事 小林 進一君 理事 松本 七郎君
柏原 義則君 甲木 保君
坂田 道太君 高木 章君
東井三代次君 圓谷 光衞君
平島 良一君 井出一太郎君
笹森 順造君 渡部 義通君
出席政府委員
文部政務次官 水谷 昇君
文部事務官
(大臣官房会計
課長事務代理) 相良 惟一君
文部事務官
(大臣官房宗務
課長) 篠原 義雄君
委員外の出席者
專 門 員 横田重左衞門君
專 門 員 石井つとむ君
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三月六日
公民館專任職員費国庫負担に関する請願(上林
與市郎君紹介)(第九二三号)
六・三制校舎建築費国庫補助増額の請願(上林
與市郎君紹介)(第九三四号)
在日朝鮮学生に育英資金貸与等に関する請願(
渡部義通君紹介)(第九三六号)
職業教育法制定に関する請願(高橋等君紹介)
(第九五一号)
博物館法制定に関する請願(若林義孝君外二名
紹介)(第九八〇号)
奈良文化財研究所設置に関する請願(長野長廣
君紹介)(第九八一号)
教職員の結核対策強化に関する請願(多田勇君
紹介))第一〇〇八号)
の審査を本委員会に付託された。
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本日の会議に付した事件
宗教法人法案(内閣提出第五一号)
—————————————発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101005115X00719510307/0
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001・岡延右エ門
○岡(延)委員長代理 これより会議を開きます。
宗教法人法案(内閣提出第五一号)を議題といたします。これより質疑に入ります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101005115X00719510307/1
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002・若林義孝
○若林委員 大臣がお見えになつておりませんから、少し各論めいたことに、あるいはなるおそれがあるかわからないのでありますが、政務次官並びに課長からお伺いいたしたいと思うのであります。
この宗教法人法案は、画期的な法案であり、宗教というものの存在が、これによつて明確になり、またその使命がきわめて重要視される出発点になるのではないかと考えておるのでありますが、それについて終戦後政教分離ということが行われたのであります。政教分離について、その意味が、政治と宗教とを切り離すことを意味するのか、あるいは政治と宗教団体とを切り離すことを意味するのか、この点をひとつお伺いしたいと思います。私の考えから申しますと、政治と宗教とは即密接不離のものである。アメリカのごときは、信教の自由を得んがために独立したのであり、すべて政治の中に宗教がにじみ出ておるのであります。わが国の現状は、すでに明治三十二年の文部省の方針として、一般に学校においては宗教教育を施してはならない、あるいは宗教上の儀式を行つてはならぬ、こういうようなことで、全然切り離してやつて、それを昭和十年に、それではいけないというわけで、宗教情操教育というものを取入れることを認める通牒が出されておりますが、この間はほとんど宗教と政治とが切り離されておるわけで、政治の中に宗教のにじみ出ておるという感じがしないのであります。その点きわめて私は遺憾であると考えておるのでありますが、また終戦後は、学校教育などにおきましても、明治三十二年に出されたと同じように、政教分離という建前からか、あるいは国家神道の廃止というようなことからの影響を受けましたか、学校においては全然この宗教教育はしてはならぬということになり、それを是正されたのが、二十四年十月二十五日の次官通牒となつて、おるのであります。しかし明治三十二年から昭和十年までの間の学校においては、宗教教育を施しては相ならぬという、そのときの教育を受けた人たちが、みな教壇に立つておるのでありますから、その小さい時から受けたところの気分というものが抜け切れないで、いまだにその明治三十二年の惰性が日本の制度を支配しておる、こういうように解釈していいと考えるのでありますが、先ほど申し上げましたように、アメリカのごときは、マツカーサーが一たび口を開けば、やはり自分のクリスチヤンであるということをはつきりと明示いたしております。何をするのにも政治の部面に宗教というものがにじみ出ております。また過般私がこの委員会において問題といたしました、警察予備隊の教育のときに申しました軍隊におけるチヤプレイン制のごときも、政治の上に宗教がにじみ出ておるということが言えると考えられるのであります。そういうような意味で、日本の国は一体政治と宗教とを分離してしまつたのか、あるいは宗教団体と政治との分離を意味するのか、この点をひとつ明確にお示し願いたいと考えます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101005115X00719510307/2
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003・篠原義雄
○篠原政府委員 お答えいたします。ただいま政教分離の意味について、御質問がありました。宗教と政治とを分離するというのか、あるいは宗教団体と政治との分離を意味するのか、こういう御質問と了解いたしますが、われわれは、宗教そのものと政治との分離というふうには考えておりません。宗教団体、特に特定の宗教団体とか、特定の宗教と政治といつたような関係を分離する、こういう理解の仕方を、われわれはとつておる次第であります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101005115X00719510307/3
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004・岡延右エ門
○岡(延)委員長代理 この際申し上げます。笹森委員、圓谷委員その他の方から、文部大臣に対する質疑の御要望がございますが、ちよつとからだのぐあいが悪いそうでありますから、総括的な文部大臣に対する質疑は、あとまわしにしていただきまして、順序は転倒いたしますけれども、各論めいた質問をしていただきたい、かように存ずる次第であります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101005115X00719510307/4
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005・若林義孝
○若林委員 事きわめて重大でありますために、政教分離の問題を明確にお答えになつたのでありますけれども、相当これは慎重を期した御発言であつたと考えるのであります。
次に、淫祠邪教ということが特にやかましく言われ、この法案があたかも淫祠邪教を制圧するために制定されるがごとく、各種の新聞記事の取扱い方を見まして、思うのであります。しかもこの淫祠邪教という言葉と新興宗教という言葉とが、ともすれば混同されるおそれがありまして、正しいうるわしい新興宗教もこの言葉のために、きわめて誤解されておるように考えるのでありますが、新しい、正しい、うるわしい新興宗教を育成すべく企図されておることが、この法案の中にうかがわれるのであります。ここでこの淫祠邪教というものについての御構想を伺つておきたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101005115X00719510307/5
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006・篠原義雄
○篠原政府委員 お答え申し上げまし。ただいまのお言葉にもありますように、淫祠邪教と新興宗教と非常に混同されやすい事実が、いろいろ新聞その他の関係から予想されるのでありますが、新興宗教団が即淫祠邪教である、こういうことは非常に言葉の上で行き過ぎな点があろうかと思います。何分にも淫祠邪教であるということの判定は、非常に困難なものであるし、なおこれが宗教との関係、あるいは信教自由との関係に結びつけて考えられる場合におきましては、特にこれが淫祠であり、これが邪教であるということは、非常に困難な問題であります。なお、この宗教法人法の上におきましては、特別に淫祠邪教を対象にするとか、あるいはこれを取締るとかいつたような、特別の意図のもとにこれはできておりませんので、普通宗教団体一般の問題といたしまして、巷間いわゆる淫祠邪教あるいは新興宗教の団体につきましても、平等に、公平に、宗教団体であるならば、この上において地位を確保して行きたい、こういう趣旨でできておる法律であります。従つてわれわれも、淫祠邪教はただちに新興宗教団である、こういうふうな解釈はとつておらないのであります。なお、お説のごとく、新興宗教団の中にも、非常に信仰的に、あるいは宗教的にも、りつぱな新興宗教といわれる教団もあることを、われわれは了承しておる次第でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101005115X00719510307/6
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007・若林義孝
○若林委員 ただいまの御答弁で、一応了承するのでありますが、宗教というものは、生きた宗教として、その時代々々に即応するごとく、たとい古い教義であつても生かして行くところに、宗教の発達があると考えるのでありまして、新興宗教といえども、その根本理念と申しますか、そういうものはことごとく、私たち承知いたしておるところによりますと、既成宗団に根を持つておるところのものであろうと思うのであります。空中に雲が浮いたがごとき宗教というものは、新興宗教の中にでもあり得ないように思うのでありまして、新興宗教は偶発的のものでなく、ほんとうに前からの既成宗教というものに根を持つたものである。そういう意味において、わが国においては時代が急激に変動を起したときでありますので、従つてそういう新しい宗教が興隆するのも、また当然だと考えておるのであります。そこでわれわれが宗教法人法案を審議する資料といたしまして、文部省がお手元に御調査になり、御集計になつておりますところの新興宗教の状況のあらましを、お聞かせ願いたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101005115X00719510307/7
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008・篠原義雄
○篠原政府委員 お答え申し上げます。お説のように、新興宗教も、日本の長い伝統なり、あるいは歴史的背景の上に生れて来たものでございまして、特定の宗教団体——現在では仏教、あるいは神道教派、あるいはキリスト教、こういう大きな教団がございますが、すべて新興宗教団も、そういう基盤の上に、またその伝統から派生しておるのが多いのでございまして、お説の通りと了解いたしますが、御質問に応じまして、新興教団と思われるものの態様について、御説明申し上げたいと思います。
いわゆる新興教団の中にも、教勢が発展して、社会的に有力なものも、かなりありますし、なおこの新興宗教団体の発生を考えてみますと、かつて宗教団体法、あるいはそれ以前におきまして単なる宗教的な結社であつたものが、終戦後宗教法人令下に、いわば圧迫を受けていた各宗教結社が、その圧迫がなくなつて布教できるようになり、それが今日発展しておるものもございますし、今これら種々の動機から生れました宗教団体の大要を申しますと、現在教派や教団としては六百二、三十ございます。終戦前におきます教派や教団の数は四十三ございましたのですが、それが現在におきましては約十五倍の程度にまで、増加しておる。しかしてそのうち——これは事務的処理といたしまして、われわれが調査したところによりますと、大体仏教系が約二百二、三十、神道系的な宗教団体が約同数の二百二、三十、キリスト教系の宗教団体が約四十、その他として考えられるもの、すなわち神道でもない、仏教でもない、キリスト教でもないと思われる種の教団が約百二、三十ございます。こういつた数の上から申しましても、非常に厖大な宗教団体が、現在届出済みになつております。このいわゆる終戦後新しくできた宗教団体の発生原因と申しますか、態様と申しますか、そういつたものを考えてみますと、多くのものは、既成の宗教団体、神仏基それぞれに基盤を置いて、それから独立し、あるいは分離し、あるいは別派を設けたというものが、その大半でございます。そして新しくできたといわれる宗教団体というものは、実にその数は蓼々たるものでございます。多くの場合において、宗教団体は既存の宗教団体から独立し、あるいは教義的に、あるいは財政的に、あるいは社会的の思想関係といつたような関係から分派、独立したというのが実情でございます。その中につきまして、その分離する場合におきまする教義的、あるいは経済的、あるいは社会的な諸般の原因のいかんによりまして、部内的にも種々問題が起つて、たまたま紛争事件であるとか、あるいは部内における抗争といつたものが見受けられるのであります。なお、この新興宗教団の中におきましても、大半はその宗教的な意味合いから申しまして、非常にりつぱな教団もあります。届出した数の中から見ますと、ほとんど大半はりつぱなものだと、われわれは信じておるのでありますが、中には、現行の宗教法人令が、非常に法令的に自由な関係から、あるいはこの自由を濫用するとか、あるいは行き過ぎに解釈いたしまして、いかがわしい問題も新聞紙上においてあるがごとく見受けられる教団も、なきにしもあらずでございます。これらを通観いたしますところによりますと、新興宗教団の主たる形態といたしましては、神様なりあるいは仏様、こういつた信仰対象を自分の身をもつて体現する、あるいは宗教あるいは神を生かすといつたような形において出て来るのが、数において非常に多いのでございます。これらは、もちろん社会的な背景、あるいは社会、政治、経済、その他日本の現在置かれておりまする地位から申しまして、諸般の活動もそれに制約を受け、またそれから逸脱せんとするところの意欲の発動として出て来たものと、考えられるのでありますが、こういつた形態なり、あるいは新興教団の行き方というものにつきましては、われわれも非常に注意深く見守つておる次第でございます。
なお詳細につきましては、折を見てその実情について申し上げたいと思いますが、大体概数的なもの、あるいは概観といたしましては、そういう傾向にあることを御了承願いたいと存じます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101005115X00719510307/8
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009・笹森順造
○笹森委員 先ほど委員長から御注意のありましたように、大臣が御都合で、きようはお見えになりませんので、根本的なこの法案自体の取扱い方であるとか、あるいはもつと根本に触れた問題は、大臣の御出席のときに譲ることといたしまして、現われましたこの法案の内容に関して、またただいま若林委員に対して答えられた点について、二、三お尋ねしたいと思います。
最初に、若林委員から、政教分離ということと、信教の自由ということに関しての質問に対して答えられました点は、すこぶる重大であり、しかもまたそのお答えは、私どもとしては、まだ十分に納得することができない、あいまいな感じを受けましたので、この際せつかく御発言がありましたから、このことにつきまして、明確にお尋ねをしたいと思います。
先ほどのお答えによりますると、政教の分離ということは、宗教と政治と分離することではない、これは宗教団体と分離することだと、はつきりそうおつしやつたようでございますが、その通りでありますか、お尋ねします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101005115X00719510307/9
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010・篠原義雄
○篠原政府委員 われわれは、政教分離の内容は、政治と宗教団体との分離、こういうふうに考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101005115X00719510307/10
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011・笹森順造
○笹森委員 元来信教の自由ということが建前であり、しかもまた宗教には、申し上げますまでもなく、多くの異なつたものが存在しておる。従いまして、政治自体が国策として、国政として、自由を確保するということが、最も必要なことでなければならない。しかるにもかかわらず、政治と宗教とは分離しておらないということを仰せになりますならば、いかなる点においてそれが分離しておらないのか、それを明確にしていただきたい。従来においては、それを非常に気にして、日本の政治が過去においてうんと力を入れて来て、そういうぐあいに進んで来たと考えておるのでありますが、今の発言は、それとよほど違うようでありますから、そこをはつきりお尋ねしたい。政治と宗教と分離しておらぬというならば、何が分離しておらぬか、はつきりしていただきたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101005115X00719510307/11
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012・篠原義雄
○篠原政府委員 宗教それ自体の問題の内容が、非常にむずかしい問題ですが、宗教それ自体と政治というものは分離すべきだというのでなくして、特定の宗教が現象的に、あるいは社会的になります場合においては、御承知のように団体的行動、あるいは結社的行動、外部に表明される場合においては、そういう形になつて来ると存じております。従つてわれわれの理解する限りにおきましては、現実の問題といたしましては、団体的行動あるいは社会的存在としての宗教的形態と申しますか、それがひいては宗教団体という形をとるものではないか、こういうふうに了解するわけです。従つて表現された宗教団体といつたものと政治というものが分離するというふうに理解するのが正しいと、われわれは理解しておる次第でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101005115X00719510307/12
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013・笹森順造
○笹森委員 ただいまのお話で、大体お答えの御趣旨は、こう私たちは了解いたしました。社会的現象として、すでに宗教がそこに形になつて現われた場合には、あるいはキリスト教となり、仏教となり、神道となり、それらの団体というものと国政というものは分離さるべきだ。しかしながら、宗教そのものとは分離されておらぬわけであります。形而上学的に、また宗教自体と国政が分離しておらぬのだ。先ほど若林委員の質問は、誘導質問みたいなものであつて、そういうようなことから、そういう答えが出たのじやないか。しかし非常な危険性を持つた答えではなかろうか。一体国の政治が、そういう発言で今後この宗教法人を取扱つて行くということであるならば、非常な危険を生みはせぬかと、私どもは感ずるのであります。従いまして、社会現象として現われざる宗教そのものと政治とが一緒だとおつしやるならば、形而上学的に考えた宗教と政治との関連が、いかなる関連において分離されないか、もう一辺明らかにしていただきたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101005115X00719510307/13
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014・篠原義雄
○篠原政府委員 観念されたもの、あるいは宗教それ自体の問題、これは少くとも現象の形において出て来ない限りは、社会的あるいは政治的の交渉というものは考えられないのではないかというふうに理解する限りにおいて、先ほど御説明申し上げた次第であります。しかし宗教と政治が分離する、あるいは分離しないということは、それ自体としては問題は別でございまして、宗教は、あるいは政治の上、あるいは政治を越えて考えられるかもしれません。しかしそれは宗教プロパーの問題として、われわれは理解しておるわけでありますが、現実の社会的規範として、あるいは特に宗教法人法の対象となるところの宗教団体との関係におきましては、あくまでも特定の宗教団体あるいは現象の形における宗教団体との関係を規律するものだ、こういうふうに政教分離の原則の適用を考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101005115X00719510307/14
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015・笹森順造
○笹森委員 この問題は、論議にわたりますから、あまり追及はしたくないと思いますが、ただ最後に言われました宗教団体との分離という意味をはつきりされた点は、了承したいと思います。ただそれでは、社会現象として現われざる宗教、形而上学的な宗教と政治とは分離されておらぬ、現われておらない現象と政治とは分離ができない、分離していないのだ、こういうお話は、どうも私には納得が行かないのであります。しかしこれは今あなたと議論する点でないから、このくらいでやめておきます。
その次にお尋ねしたい点は何であるかというと、この前に宗教法人法に関する宗教課長の御説明を伺つた点で、新しい疑問となりましたのは、これはむろん信教の自由という立場を守るのである、従つて宗教の内容に触れてはこの法案は避けているのだ。——実はこの問題に関しましては、大臣に根本のお話をしたいと思つていたのですが、すでに現われたことでお話したいと思うのです。先ほども若林委員からお話があつて、表現が適当であるかどうかわかりませんが、それに淫祠邪教という言葉が使われておつたようであります。しかしこの前に課長の説明されましたことの中においては、宗教団体の大小は問わない、あるいはまた新旧は問わない、さらにまた正邪は問わないというぐあいに表現されたと記憶しております。私は実は非常に異様に感じたのでありまして、新旧を問わない、大小を問わない、——これはすべて何んでも発生して参ります。発生学的に見るならば、最初から大きなものはないのだから当然だと思います。ところが、正邪を問わないという表現が、一体適当なりや。言葉をかえて言うならば、邪教でもいいのか。こういうような表現を使つて宗教法を説明されることについて、私は非常に疑問を感じたのです。ですから、この表現の意味は、邪教でもいいのだという意味なのか、もう一ぺんそこをはつきりしてもらわなければ、この説明を私はこのまま説明として受取ることはできないので、正邪を問わないということ、邪を問わないということは、どういう意味なのか、邪でもいいという意味なのか、そこをはつきりしていただきたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101005115X00719510307/15
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016・篠原義雄
○篠原政府委員 お答え申し上げます。邪でもいいという意味ではないのでございまして、問題は、そういう価値判断をしないというところに力点を置きたいと考えております。それで宗教それ自体、あるいは信仰という面につきましては、国なりあるいはその機関が是非を判断するということは、行き過ぎではないか、こういう角度から表現されたのでございまして、邪教はそれでいいとか、邪教を容認するという意味の表現ではないということを、御了承願いたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101005115X00719510307/16
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017・笹森順造
○笹森委員 ただいまのお話で了承いたしました。ただ邪という文字を使つたということは、表現が悪かつたと思います。宗教哲学から申しますならば、どの宗教が正しい、正しくないということは、お互いに観点が違うから、言うべからざることでありましようけれども、この場合に邪という文字をここに使つて説明することは、不適当だと私は考えます。しかしこれは課長の今のお話で、そういう意味だろうと思いますから、一応了承はいたします。
さてこの法案の提出について、私どもが非常に心配しておりますのは、新興宗教を押えるとか、既成宗教を援護するとかいう趣旨でない。この点はよくわかります。しかし私どもが非常に心配しておりまするのは、日本民族の宗教本能、宗教良心は、ある人は非常な発達をし、進歩しておりますけれども、ある人においては非常に低いのです。この場合に、こういうような形でこの法案が出るということにおいては、私は非常に心配を持つ点がある。よしそれは新旧を問わず、大小を問わない。新興宗教の中に期待を持つものがあるし、あるいはまた既成宗教の中に改めなければならないものがあるがゆえに、新興宗教が興つて来たということも、私どもはよく了承いたします。しかしながら、現われて参りましたものが、すべてこの宗教団体法によつて法的な保護を受けるということになるならば、この法律の持つて行き方では、非常な危険を包蔵するのではないかということを感ずる。私はあながち淫祠邪教とは申し上げません。しかしながら申し上げるまでもなく、宗教にはやはり原始野蛮な宗教もあれば、未開半開の宗教もある。いわゆるアニミズムもあれば、トーテミズムもあれば、ナチユラリズムもあれば、ユニヴアーサリズムもある。比較宗教学の上から見ました場合に、原始野蛮の宗教——われわれの現代科学の研究し及ばざるところにおいていろいろなものを持つところに宗教性があることは、決して否定はいたしませんけれども、現代科学においてすでに否定されているものをあたかも本尊のごとく扱い、それを除去し得ないような低級なる宗教が横行するのは、日本国内において多くのものを実は私ども見ている。ここにおいて、あるいは非倫理的な、あるいはまた不道徳的なことを、その教理の中に織り込んでおるというものを、私どもは過去においてしばしば見ておる。にもかかわらず、先ほどの話のごとく、正邪を問わずして、宗教団体の形をとるならば、それらのものが法的な保護を受けるというこの法の建前ならば、私どもは大いなる疑問を持たなければならぬ。従つて私がここでお尋ねしたいことは、宗教団体ならざるものを宗教団体と認めないがために、一つの方法がとられている。しかしその方法については、地方長官においても、あるいは地方審議会においても、何が一体宗教団体であるか、何が一体宗教団体ではないかという区別をする基準が、この法律の中には一つもない。しかしこれが団体であるか、団本でないかはわかります。しかもその団体の上に宗教という文字がついております。しからば宗教とは何ぞやという規定ではなしに、かりに価値判断というものはしないとしても、宗教というものの存在を明らかにするものと、宗教ならざるものの存在を明らかにするものの差別が、この法案の中のどこにも見えない。従つてこの宗教団体というものを、これが宗教団体なりと地方長官がきめる場合、地方審議会がきめる場合に、何をもつてこれをきめるか。内容の価値判断はしないでもけつこうであるが、宗教なり、宗教ならずとするものの判断は、この法文上のどこできめるつもりであるのか。それを逃げたのでは、この法律はまつたく足のない幽霊みたいになる。従つて宗教団体というものをはつきりするための基準を、ここに示してもらいたいとともに、今申し上げましたわれわれが心配している点、この法律がむしろ非常に悪い結果を及ぼすことになりはしないかという疑念についての御確信を、承りたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101005115X00719510307/17
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018・篠原義雄
○篠原政府委員 お答え申し上げます。ただいまの宗教団体なりやいなやということの目安と申しますか、基準と申しますか、このことについては、この法案におきましては、第二条に宗教団体の定義ということで規定しております。すなわち宗教の教義をひろめ、儀式行事を行い、及び信者を教化育成するという目的を主目的とする団体を、一応宗教団体というふうに規定しております。従つて先ほどのお話の各所轄庁において宗教団体であるかどうかの判断をする場合においては、この第二条の規定の適用の上において考えられて来るのではないか、われわれはそういうふうに考えておる次第であります。お説のように宗教団体につきましては、これは魂の問題でもあり、あるいは生死の問題でもあり、非常に重要な問題であることは、われわれも非常に強く感じておる次第でございまして、この法案の上におきましても細心の注意を払つた次第でございます。信教の自由なり、あるいは政教分離の確保、あるいは宗教団体のあり方につきましても、常に細心の注意を払つたことは、各本条につきまして御説明申し上げる際に、十分納得していただけることかと存じますが、われわれの態度といたしましては、かかる態度でもつて立法いたした次第でございます。ただいまの宗教団体なりやいなやということの大体の基準と申しますか、目安というものは、第二条によつてこれを用意してある、こういうふうに了解しております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101005115X00719510307/18
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019・笹森順造
○笹森委員 実はその第二条が問題なんです。そこでのがれようとしてものがれられないから、この根本の問題を話し合つておる。一番先の第一条に、あなた方の御用意なさいましたものの中に、「この法律は、宗教団体が」と頭から言つておる。しかもまた今お話の通りに「教義をひろめ、儀式行事を行い、その他宗教上の行為を行う」としてありますが、その教義が宗教上の教義であるかないかということの規定は、どこで見出すかということです。その点をお尋ねしておきます。お答え願います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101005115X00719510307/19
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020・篠原義雄
○篠原政府委員 教義が宗教上の教義なりやいなや、こういう御質問の内容と存じますが、このことは非常に重大な、しかもむずかしい問題であることを、われわれも深く感じております。しかし一般に宗教団体とみずから標傍し、なおかつ一定の宗教団体の教義なり、あるいは目的を表示して、過去の宗教団体は届出しております。あるいは現在の各宗教活動の現実の姿というものを、われわれは客観的に、あるいは現象的にながめております。従つて所轄庁の認証事務の場合におきましては、かかる実例あるいは届出内容の一般的な社会的通念において考えられるものから了解して行くよりほかに、しかたがないと考えておる次第であります。なおこの点につきましてはその問題の重要性から見て、所轄庁においてあるいは行き過ぎ等のことがあるのを非常におそれまして、宗教家あるいは宗教に学識経験のある者の委員会を設けまして、これについて諮問するということもいたす次第でありまして、広くできる限りの委員を集めまして、そこで考慮するという配慮もいたしておる次第であります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101005115X00719510307/20
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021・笹森順造
○笹森委員 これは多少、本質論にも触れますし、いずれ大臣がお見えになつてからお尋ねしたいと思います。今のお答えを追究しても始まらぬと思いますので、いずれこの問題は保留しておきます。再質問して、私ばかりでなく、皆さん方が納得の行くまで、この法律案についで質問させていただきます。
次に、箇条について二、三お尋ねさせていただきます。第三条の中にあります境内地の定義でありますが、「「境内地」とは、第二号から第七号までに掲げるような宗教法人の同条に規定する目的のために必要な当該宗教法人に固有の土地をいう」ということを書いてありまして、その中に教職舎であるとか、宗務庁であるとか、教務院とかいうものがみなあつて、そういうものの「工作物が存する一画の土地」とある。そういたしまするならば、宗教団体として認められましたものが固有しておりますものの中で、もつぱら教職者が使用いたしておりまするものは、やはり境内地として保護の対象になるのであるか。もつと詳しく具体的に申しますれば、ここに神主さんがおつて、一定の境内地に自分の職舎があるのではなくて、そこから道を隔て、あるいはまた同じ村、町のはずれのところにある宗教法人の所有地に住んでおる場合、その飛地も、やはり境内地として認めるかという点であります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101005115X00719510307/21
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022・篠原義雄
○篠原政府委員 ただいまお話の、個人的な住宅に相応する建物は、たといそれに特定の宗教団体の役職員が住んでおりましても、宗教団体との関連におきましては、それはあるいは飛地境内というように、現実問題として取扱われおるかしれませんが、われわれの方の理解の仕方においては、かかるものは境内建物とは理解しないのであります。ただ個人的な住居があるから、しかも宗教法人として所有関係があるということだけから、ただちにこれが境内地であるというようには理解しない。所有関係のいかんにかかわらず、あくまでも宗教の教義を広め、あるいは信者の教化育成にかかるものである、あるいは儀式行事を行うに必要なもの、こういつた直接の関係があるものにつきまして境内建物、従つてその敷地を境内地、こういうふうにわれわれは了解しております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101005115X00719510307/22
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023・笹森順造
○笹森委員 これは具体的にお尋ねしたいと思う。御承知のように、日本の長い歴史の結果といたしまして、仏教及び神道においては、大きな広い境内地をお持ちになつておつて、その中に社務所もあれば、また宮司のお住居もある。従つてこれはみな免税の対象になるということになる。ところがキリスト教の教会は、大体敷地が狭い、広くても千坪の土地を持つておるのはほとんどない、五百坪か百坪ぐらいしかない。従つてその中に牧師の住宅をつくることはできない。いわゆる牧師館というものは違つたところにあるという例が非常に多い。しかし一つの法人としての所有する地積から見るならば、これはごくわずかである。しかもまた相当の信奉者を持つておる。しかるに、あとから起つて来たキリスト教会の牧師館の所在地は、たまたま一つの境内地の中に牧師館がある場合には免税になるが、飛び離れたところにある場合は免税にならぬということは、従来まで非常に困難を感じておる実例である。こういうところに思いをいたさなければ、この適用が非常に不適当になりはしないかということも考えての話でありまして、こういう取扱い自体に対して、もう一ぺん私は聞いておきますが、大きなキリスト教会は、たくさんのメンバーを持つていても、狭い土地にいる。そして会堂の建つておるところだけが構内地として保護の対象になつて、牧師館が道を一つ隔てて向いにあつても、あるいはまた同じ町の次の町のはずれの都合のいいところに建つておつても、それはこの法の対象にならぬか。もしこの法の建前がそうであるならば、これは修正しなければならぬと思いますが、その解釈をはつきりさせていただきたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101005115X00719510307/23
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024・篠原義雄
○篠原政府委員 ただいまの御質問ですが、たとえば境内地、あるいはキリスト教会の場合は構内地と称しておりますが、境内地の非常に隣接しておる場合におきましては、具体的に申しますと、道を隔てた向う側にあるという場合でも、それが牧師館として、宗教活動なりあるいは教化活動の上に、非常に大きな意味を持つている場合が多いのであります。従つてそういう場合におきましては、境内建物として、境内地の中に包含されることがあり得る、こういうふうに了解します。但し、たとえば、その地域的関係が、牧師館が土地を隔てて非常に離れてある場合、あるいは場合によりますと、東京の場合の例で申しますと、東京に住んでおらないで他の方に住んでおる。従つてそこの教会に来られるには相当な時間を要する、こういう場合にも境内地として取扱うかどうかということになりますと、隣接する場合においては、われわれは境内地概念といたしまして、牧師館も、境内建物の範囲に入ろうかと思います。やはり境内地あるいは、境内建物というものは、聖なる場所として一体観を持つたものとして考えられるものでありますので、会堂とかあるいは本堂とか、そういう主たる建物の隣接区域に、まとまつた一体として考えられるのが境内地概念であり、境内建物はそういうふうな趣旨から考えられるのだろうと思います。従つて道路をちよつと離れた、あるいはどの程度離れたということは、事実上非常に困難な問題でございます。しかしそういう一体観念的に考えられる内容のものであるならば、これは境内地、境内建物という概念でよろしいのではないか、こういうふうに、立法の上においては、われわれは考えている次第でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101005115X00719510307/24
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025・笹森順造
○笹森委員 その点についてもう一言だけはつきりお尋ねしておきたいと思います。これはこまかいことでありますけれども、実際、問題が生きた問題でありますから、お尋ねしたい。
ただいま、私は牧師館という表現を用いたのでありますが、牧師館の内容は多分御承知だと思いますが、単なる牧師の個人の住居ではありません、いわばこれは事務所みたいな仕事をしております。しかも牧師館は、宗教の指導のために、いろいろな集会に常に使われております。おそらく現状を御承知でありますならば、戦後における各キリスト教の教会が再建される場合には、まず牧師館からつくつて行つております。そうするとその牧師館なるものの中において、いろいろ宗教的な集会をし、指導しておつて、そうして財政的な準備の整つた場合に、今度は会堂を建てるというのが、実際の行き方であります。そういうようなことでありまして、牧師館そのものは、決して個人の——教会からまつたく離れて住んでいるのではないのです。その認識が十分でありますならば、牧師館というものは、これは飛地にあつても、当然宗教行事を行うものなりという認識を持つてくださるならば、私どもはこれに対する修正をする必要はないと思います。しかし、そういううやむやなことで、土地が一体何メートルのところならいいとか、参道をつけるならいいとか、公道を隔てるならどうとかいうことになりますと、非常にめんどうになりますから、はつきりここでお聞きしておきたい。牧師館というものは、個人の住宅という以外の公共性を持つておるという御認識をいただきますならば、私はあえて修正を求めませんけれども、しからずんば、ここに修正を主張する現実があるということを指摘して、もう一ぺんそれをお尋ねしておきたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101005115X00719510307/25
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026・篠原義雄
○篠原政府委員 御質問の趣旨はよくわかりますし、われわれも御意見の通りの了解のもとに立案しております。従つて牧師館の意味内容は、お説の通りにわれわれも信じておりますし、また事実その通りだと考えております。従つて、ただいまこの前の御質問から飛地境内というようなことを補足いたしまして、距離感ということを申し上げましたけれども、牧師館の性質それ自体につきましては、境内建物的存在である、こういうことは、あくまでもわれわれは信じておる次第でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101005115X00719510307/26
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027・笹森順造
○笹森委員 それではこの六十六条に関することを一つだけお聞きしておきたいと思います。六十六条の第二のところでございますが、「敷地に関する前項の規定による登記は、その上に存する建物について同項の規定による登記がある場合に限りすることができる。」これが非常に問題となります。土地がなければ、建物はできない。ところが、建物ができなければ登記ができぬということになると、鶏と卵みたいなもので、どうも困る。ですから、その目的で建物を建てるために取得した土地であるならば、これは登記ができることにしておいた方がいいのではないか。しかも、これは法の欠陥がそこにありはせぬかと思います。しかしこれについては、そういうぐあいに土地を取得していながら、建物を建てなかつたらどうするかという御懸念がありましようから、それがある期限、十二箇月なり十八箇月なり、あるいはそれ以上の期限を限つてこれが実現しなかつた場合には、これを取消すという方法もあるのだが、これではまるで奨励でなくて制圧されるような感じがいたします。どうしてこういうものをつくつたのか、今言つたようなことが、一体これで救われるのか、それをお伺いしたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101005115X00719510307/27
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028・篠原義雄
○篠原政府委員 礼拝用建物及び敷地の登記の件でございますが、これは宗教団体法並びに現行の宗教法人令におきまして、差押え禁止の対象として、礼拝用建物の敷地を登記をすることになつております。これはもちろんその対象であるところの礼拝施設及びその敷地、すなわち宗教財産の主たるものを保護しなければならないという建前からできておることは、重々御了承願つておることと存じますが、この六十六条の関係は、先ほど申しましたように、従来の法律からずつと踏襲した規定でございます。そうして、その土地については、あるいは建物についても、建物あるいは土地の不動産登記という関係から法律的には取上げられておりまして、それに対する附記登記として、礼拝用建物あるいは土地を保護する、こういう建前になつております。従つて御説の問題は、先ほど来からの理論的展開といたしましては、当然この問題にも考えられる次第でございます。しかしながら、たとえばこの問題につきましては、税の関係で非常に問題となつて来るわけですが、登記されておるところの対象物の主たる意味合いが、礼拝施設があれば、これに相応する土地についても考えようというところの、何と申しますか、法令のそもそも置かれた歴史的な因縁から、この規定を踏襲しておるわけであります。従つてただ土地が存在しておる、そしてまたその用のためにする、こういう場合に、それを境内地として考えられるかどうか、これは非常に問題ではないかと存ずる次第であります。客観的に境内地概念なり、あるいは境内建物の概念は、非常に幅広く考えられるわけでありまして、ここにいう礼拝用建物あるいは敷地の登記につきましては、その中でも、特別に礼拝のための施設ということが、主たる目的になつておりますので、従つてあらかじめ土地がある、そこに礼拝の施設を建てるということだけで、これを登記するということになりますならば、あるいは事柄が宗教団体各種各様の関係も考慮されて、必ずしもその本来の趣旨に沿うゆえんであるかどうかということも、多少疑問も生ずる次第でございまして、それで御説のような、たとえばその土地について建物ができない場合においては、遡及して善後処置を講ずるということが考えられます場合も、実質的にはそれが登記あるいは税という関係が出て来るわけなのでありますが、これは御承知のように客観的な事実を押えて、税あるいは登記ということで事務を処理して行く関係もございますので、一応われわれの方では、この六十六条の点は、旧来の礼拝施設を尊重する意味における差押え禁止の対象としての礼拝施設を考えておるのであります。これが境内地になる、あるいは境内建物になるという意味合いのものではないのでありまして、差押え禁止の対象となる施設、こういう意味に御了解くださいまして、境内地、境内建物との直接の結びつき、あるいは税との結びつきがここに生ずるという規定ではないのでございますから、御了承を願いたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101005115X00719510307/28
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029・笹森順造
○笹森委員 六十六条の趣旨は、今の差押え等に関する規定であることは承知してお尋ねしておるのでありますが、実際の問題も、多分御承知だと思うのですけれども、一つの大きな宗教教団が、いわゆる開拓伝道をしよう、これから広めて行こうという場合には、新しく土地を買わなければならぬのです。この事実がなければ——たとえばキリスト教の例をとりますと、全国的に新しい会堂を建てて進んで行こうということを今考えている。その際に土地を持つていない。しかしながら、この土地は礼拝堂を建てるために買おうとしている。できるならば、最初から法の保護の適用を受けて、また税の免除の保護も受けたいという考えを持つておる。こういうことは実はからまつて来た問題だから、お尋ねしておりますので、この条文の適用の趣旨はわかつておりますが、今言つた矛盾は、土地を登記するのに、建物がなければならぬということを、どこまでも押して行く。前の法律の建前は、そこまで考えていなかつた、そういう欠点がありはしないかということを、実はお尋ねしているのであります。従いまして、今度土地を新しく取得しても、それが差押えの対象にならない。しかもそれは今申しました宗教宣布の聖なる場所として使う目的であるということを明示して、これに使わないものには、ある制約の規定を設けて、これを明らかにしなければ、この規定自身がこう現われておることによつても、非常に一つのきゆうくつさを感ずるという見地からお尋ねしているのであります。昔からある土地のことを言つているのではないので、新たに取得した場合に、この六十六条を適用したいということからのお尋ねでありますが、その点に対して、もう一ぺん親切なお答えを願います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101005115X00719510307/29
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030・篠原義雄
○篠原政府委員 この六十六条の規定の前提となる境内地という観念、あるいは境内建物という観念に、それの問題が出て来るのではないかと考えておりますが、ここでは御承知のように、一定の法律行為の場合に、それに対する差押え禁止といつた保護をしようというのでありまして、お説の問題は、境内地としての、あるいは境内建物としての、それに対する目途のもとに買われた、用意されたところの土地あるいは建物、特に土地でございますが、これについての配慮はどうかということの意味に解釈した方が、先生の目的に近づくのじやないかと思うのでありますか、これにつきましては、現在におきましても、各地方の地方税の適用によりまして、多少まちまちでございますが、だんだんの連絡のもとに境内地として予想される、あるいは予定されておるところの土地については、免税その他の恩典を受けるのが実情でございます。しかも客観的にそういうことがはつきりしているものにつきましては、実際の取扱いの上においてはそういうふうになつております。しかし、これを一様に規定するということは、これは税法等の関係におきまして、考慮されるべき性質のものでございまして、たとい三条において、一応宗教団体の立場から考慮された境内地というものの範囲も、必ずしも税それ自体にただちにこれが持つて来られるというふうには、了解しにくいのでございます。従つて実務的には、そういう関係のことにつきましては、関係各庁においては十分連絡いたしておりまして、特に宗教団体としての法的地位なり、あるいは物的範囲の明確化が、だんだんはつきり招来されるならば、なおさらその点が有利に展開されるのではないか、こういうふうに考えておる次第でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101005115X00719510307/30
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031・笹森順造
○笹森委員 もう一点だけお尋ねしておきます。これは別の問題でありますが、この法律の対象となります宗教法人の対象は、教会であるという了解を持つておるのでありますが、たくさんの教会を持つておる教団自体を、やはり法人格を持つたものとして扱うということになりますか、なりませんか、その点をお尋ねします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101005115X00719510307/31
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032・篠原義雄
○篠原政府委員 教団的な性格を持つた宗教団体も、法上においては、この二条の第二号に相当するものでありまして、これはたくさんの教会を内容とする、あるいは組織するとか、あるいは包括するところの教団というものは、一応法の上におきましては宗教団体といたしまして法人格を取得するところの団体と考えております。従つて二以上の教会を包括するところの教団は、法人格となり得る、こういうふうに解釈いたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101005115X00719510307/32
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033・笹森順造
○笹森委員 そこで、はつきり伺いたいのでありますが、教会が建物を取得した場合に、法人としてこの法律の保護を受けるということは、よくわかるのでありますが、従来は、教団が一つの財団法人みたいな形式で運営して、財産を取得しております場合に、税金からのがれておらぬのです。現在そういう例があります。ところが、信徒がたくさん献金をして、それを一つところに集めておつて、そこでぜひほしいという各地の教会にその金を差上げて、そうして土地を買い、あるいはまた建物を建てさせておるのが、キリスト教会の現在の行き方であることは、御承知のことだと思います。その場合に、私ども心配しておりますのは、その教団が最初土地を買つて行く場合に、まだその地方に教会はできておりません。そこに牧師が来て信者ができる。その場合に、従来は教会ができておらぬからというので、税金がかかるという心配を持つておつたのでありますが、この法律の建前は、そういうものも保護して行かなければならぬのでありますが、二つ三つ以上の教会を建てさせるための一つの組織があつた場合に——その組織自体は、実は目的は信教宣布でありますが、その組織自体は教会も持つていない、事務所ぐらいしか持つていない、けれども、目的が今言つたような目的でありますから、今のお答えによりますと、そういう場合でも、ひとまず土地を所有し、建物を所有して後に、個々の教会に分離してやる場合でも、最初からこの保護の対象になるかどうか、この点を承りたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101005115X00719510307/33
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034・篠原義雄
○篠原政府委員 かかるものに対する教団的存在も、当然宗教法人の対象になります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101005115X00719510307/34
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035・笹森順造
○笹森委員 質問を終ります。
〔岡(延)委員長代理退席、委員長
着席〕発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101005115X00719510307/35
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036・長野長廣
○長野委員長 宗教法人法案に対する質疑はありませんか。——なければ本日はこれにて散会いたします。
午後二時五十一分散会発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101005115X00719510307/36
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