1. 会議録本文
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000・会議録情報
昭和二十六年十二月十四日(金曜日)
午前十時二十七分開会
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出席者は左の通り。
委員長 平沼彌太郎君
理事
大矢半次郎君
伊藤 保平君
委員
黒田 英雄君
山本 米治君
小宮山常吉君
小林 政夫君
田村 文吉君
菊川 孝夫君
野溝 勝君
菊田 七平君
森 八三一君
木村禧八郎君
事務局側
常任委員会專門
員 木村常次郎君
常任委員会專門
員 小田 正義君
説明員
大蔵省主計局法
規課長 佐藤 一郎君
参考人
国立国会図書館
長 金森徳次郎君
統計委員会委員
長 大内 兵衞君
一橋大学教授 田上 穰治君
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本日の会議に付した事件
○財政法、会計法等の財政関係法律の
一部を改正する等の法律案(内閣提
出、衆議院送付)(第十二回国会継
続)
―――――――――――――発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/0
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001・平沼彌太郎
○委員長(平沼彌太郎君) これから第四回の大蔵委員会を開きます。
質疑に入る前にちよつと御挨拶を申上げます。諸先生には御多忙のところわざわざ御出席を願いまして誠に有難うございました。目下当委員会におきましては財政法、会計法等の改正法律案を審議中でございます。その中で特に継続費の制度を新設するということにつきましては憲法、財政法又は予算制度上から申しまして重要な問題でございますので、かかる制度を設けることが適当であるかどうか、又は適当であるとしても政府提出案のような内容のものでよどかどうかということについて諸先生の御意見を承わり、又委員よりの質疑にお答え願いたいと思います。どうかよろしくお願いいたします。どなたから初めて頂いたらよいでございましようか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/1
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002・金森徳次郎
○参考人(金森徳次郎君) 細目については私どもの立場からわかりませんので、結局大づかみの憲法との関係のところしか私知らんものですから私から先にやらして頂いたほうが順がいいかという気がしているのです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/2
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003・平沼彌太郎
○委員長(平沼彌太郎君) それでは金森先生。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/3
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004・金森徳次郎
○参考人(金森徳次郎君) この財政法の建前を見まして、私どもの立場から一応この研究をしなければならん点というものは、継続費予算を日本の憲法の下で認めることが可能であるか、又適当であるか、こういう点であります。実情を申しますると、明治憲法には継続費の規定がありまして、新らしい憲法には継続費の規定のことがございませんので、これがどういうわけでそんな経過をとつたかということは、私は一応憲法の案ができた後にこれを引継いだのでありますから、ぞの当時の事情を正確には知ることができません。併し私の考えを率直に申しますると、明治憲法はドイツの当時行われておつた憲法を基にして多くの規定を作つて行きましたが、当時のドイツの憲法には継続費のことがはつきり書いてあつて、その結果として日本の憲法にも継続費の規定ができたことと思うのであります。ところが新らしい憲法の規定は、ドイツ風の考えをとりませんで、もう少し広い世界の規定を坂上げておりまして、その重点を予算というところに置かないで、国の歳入、歳出は必ず国会の意思に基かなければならないというところに重点を置きまして、実質的な面に重きをおきましたために、他の面は幾らか簡略にしておるというきらいがあります。そこでこの憲法の中では、予算の制度も比較的中心となる規定だけを置きまして、その周りにいろいろ細かい規定を設けることを自然省略したものであろうという気がしております。そこでそれではこの憲法の下に継続費というものが作れるかどうかということになりますと、憲法が議会で審議せられておりまする当時にも、その意見は出たのであります。大体の当時の答弁を基にして申しますると、継続費予算というものは、実際の必要において求めらるることがあり得るのであります。決して継続費予算というものをこの憲法は反対しておるという趣旨ではない。これが第一点であります。それから第二点はこの憲法の文字を押して行くと、継続費予算ということに何か説明のつきかねる点があるのではなかろうかと、こういう論点があつたのであります。御承知のように、明治憲法のときにも、何か財政についてわかりにくい点がありました。それは会計年度というものと議会との関係でありますが、明治憲法では毎年度予算を帝国議会に提出するという規定がありまして、この意味が議論を呼び起しました。つまり予算というものは、必ず絶対に一年ごとの内容のむのでなければならないか、毎年度の長さに限定しなければならないか。それよりも短い予算、例えば六ヵ月を期間とする予算或いは一年六ヵ月を期間とする予算というものは作れないのではないかと、こういう議論が起りました。その結末といたしまして、この毎年度という言葉は予算の長さをきめるのではなくつて毎年度議会に出すんだ、議会に出す時期が毎年度に起らなければならん、まあこういうふうの解決で治まりました。その結果、随分二十年を一会計年度とするような結果の予算も認めらるることになつたわけでございます。ところが新らしい憲法の中では調子が少しく違いまして、毎年度出すという意味にはどうしても言葉からは読めないのであります。むしろ毎年度の予算という言葉がありまして、明治憲法とは説明の仕方が違つて来るのであります。明治憲法の説明も多少こじつけではないかという気がしておりますが、それは過去のことであるから別といたしまして、新らしい憲法の規定では、八十六条に「毎会計年度の予算を作成し」、こういうことになつておりますから、これはその予算の狙つておる時期がここに規定してあると、こういうふうに理解しております。そういう考えを以て行きますると、通常一年間の予算ならば、これは八十六条によつてほどよくわかるのでありますけれども、継続費予算として三年分とか四年分とか一目にきめたような予算を作るというと、八十六条の毎会計年度の予算という言葉と衝突するのではないかと、これが議論の中心になつたわけであります。憲法を如何に解するかということは相当込み入つた問題になろうと思いますけれども、当時私どもの考えておりましたのは、毎会計年度の予算を作るというこの常識的規定がありましてこの意味は通常一年間ごとの予算を眼目に置いておることは一点の疑いございませんけれども、併し予算は複雑でありまするから、或る特殊なものにつきましては暦の一年を越えたり、それよりも縮んだりするものも認められるのではなかろうか。ここに言つておりまする毎会計年度という言葉は、幅のある言葉である。国の法律によりましてこういうものが一つの会計年度であるときまりまするならば、例えば一年一ヵ月に亘るものもよろしいし、或いは一つの何か或る特殊な費目に限つて二年に亘るような、そういう会計年度も考えられるのではなかろうかと、まあこういう気持を以て当時説明をいたしました。というのは、予算というものは、これは実際の必要に応じて必要な、複雑な発達を遂げておりますので、なかなか簡単な一条文、二条文で正確に書けるものではございませんで、それでこの憲法は八十五条のところに議会の意思を離れては絶対に収入、支出はできないと、こういうことを明かにしておくと共に、この技術面におきまして予算をどういうふうに作るかという点は、割合にあいまいに残してあるわけでございます。単に今の八十六条のような規定になつております。そこで今も申しましたが、予算は大体毎年組むという常識的なことは念頭に置くと、併し何が会計年度であるかという性格、観念は、これは法律によつて定まるべきものであつて、常識的な限度を中心としつつ多少の幅が出て来ることは、おのずから認められていいのではないか、こういう気持を持つております。でありまするから、予算の或るものにつきましては、三年とか四年とか、或る程度のはみ出し、その部分だけについて暦の上の一年をはみ出すようなことがあつても、会計年度という思想には当るのではなかろうか、それはすべて法律で定められればいいと、こういう気持を当時述べておきました。併し継続費予算のことは今日まで実際問題になつておりません。すでに認められておりまする予算の繰越制度、その年度内に使い切らなかつた金額でも、或る条件が満たされますれば、翌年度は使つてもよろしいと、こういう繰越明許の規定が今まですでにこの四、五年の間ちやんと国会の議決を経ておるのでありますが、これは憲法の言葉に当てはめて見ますれば、一年度内の予算ではなくつて、要するに翌年度に亘る予算であります。二年に、二つの暦の年度に亘つておる予算である。この点においては、もうすでにこの会計年度が暦の一年と限定せられておるものではないということは実証せられておるような気がいたします。今回はそれをもう一歩乗り越えまして、継続費予算にするというところが論点になるわけであります。
私の今までの説明から申しますれば、会計年度は法律で或る程度自由にきめられるものであり、この特殊の工事、建築等に要するものについては、例えば三年の期間を以て会計年度とするというような気持で継続費が作られるということは別段支障はないという気がいたします。のみならず法律技術的においての問題を越えまして、この憲法の精神を見ますると、議会の意思を離れての支出等もあり得ないと大原則につきましては少しも触れていない、こういう気がいたします。まあ私自身がこの憲法の草案を立案したのでなかつたために、幾分不明瞭な点はこれは免れません。その不明瞭な点の骨子というものは、毎年度と、かいうような言葉が明治憲法のときには議会に提出するときを指し示すものとせられておつたが、この憲法におきましては予算の長さをきめる言葉として指し示されておりまして、本当は両方要るのであります。両方要るのがどうも一つで間に合わされておりますために、幾分あいまいな点はございますけれども、併し今日の憲法の上から見て継続費予算は違憲ではない、こう考えております。御説明はこれで終ることにいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/4
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005・平沼彌太郎
○委員長(平沼彌太郎君) 大内先生一つ……。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/5
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006・大内兵衞
○参考人(大内兵衞君) それではこれから私の考えることを二、三申上げますが、この問題がこういうような形で出ておるということは全然知りませんで、政府の案であるのか、或いはほかの案であるのか、今以て知りませんのですが、そういうわけで非常に重大な問題であるにかかわらず、財政学者といたしまして研究をするひまがありません。実は昨日この話を伺つたので、この問題は特にアメリカの予算制度と、それから近代のイギリス及びフランスの最近の立法と比較しますと非常に興味がある問題だと思うのですが、その点少しも研究しておりません。今日はただ私の考え、ふだん考えておることを、この質問に対してお答えするという本当の原理的なことだけをお答えいたします。
この問題は日本の予算の制度の上で継続費予算というものを普通の予算の上で認める、普通の予算として一般予算の中に認めるというのがいいか悪いかということであると思います。継続費というものに特別の特殊な予算があり、そうして特殊なそれを財政上認める方法が是非なければならんということについて私は積極的な意見を持つておるので、是非ともそれは必要であると思います。その理由を申上げますが、この十九世紀の財政、特にアメリカの憲法ができた時代とか、或いはもつとイギリスの憲法というようなもの、即ち予算制度が確立したときの精神から言いますと、つまり自由主義の憲法及び予算法から言いますと、先ほど金森さんの解釈もあり、日本の解釈についても多少無理があつたと思いますが、それは無理なのであつて、やはり一年々々必ず予算の議定をする、そうしてその議定が一年であると同時に、予算自体も一年に限られる、それで立派に財政監督ができるというのが趣旨であります。従つて継続費というものはない。それで繰越予算というものがあればそれは特別の意味においては認めるというのが原則であつて、又それでよかつたと思うのです。それはなぜかというと、国家というものは成るべく少い仕事をしておるので、それでまあ既定の経費は別として、新らしい経費でもまあ精々一年でチエツクして行くということが一番有効であるという考えでありまして、当然にそういうふうに規定ができている。今金森さんが言われたようなドイツの財政法において継続費が認められる、日本の財政法において継続費が認められるというのはむしろ例外であつたわけであります。当時においては恐らくは財政の国民経済に対する大ぎさというものは全国民所得の、例えば国民所得を標準にして言えば十分の一とか、或いは二十分の一とかいうような小さなものでありました。ところが今は全然国家の性質が変つて参りまして、この国家を福祉国家というか、或いは社会国家というか、或いは総合経済の国家というか、或いは統制経済の国家というか、計画経済の国家というか、それは名前はいろいろに、又見る人の気持、或いは見る方面によつて名前は違いますが、要するに国民経済に対する国家の大きさ、従つて財政の大きさというものは非常に変つて参つております。そうしてその変つておることは即ち財政の大きさが変つておるのみならず、その財政の支出の内容が変つておるのでありまして、昔は国家は大きな工事をする、大きな軍艦を持つとか、空軍の基地を設定するとか、或いは原子力の研究所を作るとか、そういうことはしなかつたのであります。又しないのが原則であつたのですが、近代の国家においてはそういうことをしなければならん。するのが原則になる。そうして昔の設備と違いまして今のそれらの事業というものは三年や五年では完成するものではない。或る場合には十年もかかるということになるわけであり。ますから、そうして而もそれが財政の支出のうちの半分、或いは三分の二にも及ぶような状態にその予算がなるわけでありますから、つまりそれを年々チェックし、そうして年々そのチェックが前の計画を破壊するようであつては、それはとても財政計画は立たない、国家の計画は立たないということになります。それ故に原理的に言つて一年々々に財政のチエツクをするという自由経済時代の財政法則というものは今や適用されない。どうしても一方においては普通の年々にチエツクすると共に、他方においては数年に亘る継続費を、継続的な計画を認めると同時に、それに対する費用を認めるという一つの新らしいシステムができなければならんのだと思います。今回の憲法が継続費の規定を欠いておる。その理由につきましては、金森さんの御説明のようなこともあつたのであろうと思いますが、恐らくはそういう思想が旧アメリカ憲法においてはありませんから、自然そういうことが反映しておると思うのでありますが、それは非常に不都合なことであつて、大蔵省におきましても、或いは政府におきましてもこういう憲法で、こういう財政法で以て継続費を逃れて作る。継続費を実質的に置きながら、継続費の形でない年年の予算でやるということは不自然なことであると、そう思います。それ故に原理的には継続費を置くということを認めるのがいいと思います。
併しながら問題は別にあるのであつて、然らば今のようなここに提案されておるような形において継続費を認める、即ち旧憲法の、明治憲法の形と同じ形において認めるということになりますれば、それは民主政治の財政の運用に対する由々しき制限、或いは反民主主義的なことになると思います。それは明治憲法の運用に関しては、すでに皆さまが十分御承知のことと思いますが、明治憲法の運用におきましては、順々にたくさんな継続費が出て参りました。主として継続費になつたのは河川その他の工事とか或いは教育とかということもありますが、一番大きなものは申すまでもなく陸軍、海軍の経費でありました。そうしてこの陸軍、海軍の経費というのは、例えば八八艦隊とか、或いは八六艦隊とか、或いは四個師団の増設とか、或いは二個師団の増設とか、そういう問題として現われたわけであります。そういうのがだんだんと数が多くなつて来て、そうしてその継続費というのでやつて、各省ともたくさんに継続費を持つようになりました。そうしてそのどのくらいの継続費があつたかということは、当時の予算説明書のうしろのほうを見まするというと、継続費概表というのがありまして、たくさん継続費があつて、それは何年間々々々ということになつておるのであります。そうして事実こういうふうにやつたのであります。陸軍も海軍もその他各省とも予算をとる技術として非常に巧みな方法をされたのは、初年度はちよびつと頭を出すわけです。そうしてそれを予算として大した金でないというようなことにしておきまして、そうして年度を非常に長くしておく。五年か七年とかにしておきまして、そうして相当大きな金額を予定しているのだが、併し実際はそんなに大きな金額を出さずにおく。そうして次の年になりますというと、その金額をやや大きくし、その年度を物価騰貴とかその他の理由によつて大きくする。そうして新らしい軍艦とか、技術が発達したからこういうふうにしなければならんというふうにしてこれをだんだん大きくするのであります。而も一旦着手したならば、もう仕方がないということで以て、そういうふうな方法でだんだんその継続費というものを大きく大きくとでつち上げて、そうして今度は又それを各省が競争してやりますから、その結果、而も継続費の数が非常に殖えるのみならず、継続費の年度割というものが年々増加して、決して減らないのであります。そのことは明治、大正の歴史を見ればわかるのであります。つまり予算というものは継続費で殆んど主な部分が縛られてしまつたということになるのであります。それで議会はそれについて何ら争う力を事実上持たない、それは形式上はいろいろ持つのですけれども、つまり一旦前に継続費として承認したということがもとになりまして、いろいろ削減すべき事情があるにもかかわらず削減できない、増加すべき理由が一、二述べられると……。必ずその事業のために、その事業をやめるか、然らずんば内閣が瓦解するかということになりますから、必ず一旦継続費をやればできるということになるのであります。若し今回大蔵省かどこか知りませんが、原案によりますとそれについて何らの制限がないのでありますから、必ずその歴史を繰返されることになる。そうなりますと議会は何のために存在するのか、何のために予算の審議権を持つているのかということが殆んどわからなくなると思います。継続費だけに問題が集中することになりましたが、そうして新らしい継続費には注意を払つて、それだけの精力を費すが、あとはもう予算の三分の二以上がきまつておることで、何も既定費については、既定の歳出となつて問題は全然なくなつてしまう。そのことは議会制度にとつての危機を必ずもたらす。そうして予算を持つておる官僚自身がすでに議会を無視して、少しも差支ない、どんなことになつても差支ないことになると思うのであります。つまり具体的に、この規定は旧憲法の精神をそのまま踏襲しようとするものであります。そのことにおける弊害については何らの反省がないと私は理解して、甚だ危険をその中に含むものと思うのです。御承知の通り今は新らしく軍備が問題になつておるときに、特にこういうことは慎重に考えらるべき問題であると思います。
次に問題は、然らばどういうふうな問題になるのであるか、どこに観点をおいて新らしい立法をすべきであるかという問題になりますが、このことにつきましては、私が考えるのに、先ほど申上げましたような意味において、近代の国家が、こういう新らしい工事なり、或いは新しい軍備なり、或いは新らしい大きな文化的施設なり、社会保障制度なりの完成を期さなければならんといたしますと、つまり財政の支出の部分というものが、そんな年々の既定費及び新らしい小さい事業というような予算に主力を注ぐべきでなく、政府も議会もそういう大きな新らしい事業に主力を注ぐべきであります。そうしてそのときに必要なことは、こういうような大きな新らしい事業を一目にしてわかるようにして、そして全体として計画をはつきりさせるということに主力を注ぐべきであります。という意味は、つまりいわゆる計画経済、或いはいわゆる総合経済、総合計画というものが重大な意味を持つわけでありまして、これは特に最近のアメリカにおいて、或いはイギリスにおいて、最近西ヨーロッパにおいてすべて行われておる。ロシアにおける総合計画、統制経済のことは暫らくおくとしまして、世界の大勢はすでにそういうことになつておる。そういう機関がそれぞれ完備しております。アメリカにおける大統領の下に総合企画というようなものがあります。日本にも仮にできますというと、それがつまり継続費の問題を、大蔵省でなく、各省でなく、全体を総括してぞれを立てる。そしていわゆる五年計画なり六年計画なりというものを立てて、そして総合計画というものによつてそれを勘案して行く。そうしてその間に毎年々々経済の、社会の必要に応じて、又国民経済の繁栄の程度に応じて或いは進歩の程度に応じて財政の加減を全体としてなし得るようにする。つまり継続費は申すまでもなく置きますけれども、その継続費というものは相互に全体として収縮もでき、伸長もできるというふうに作るべきである。それらを技術的、法律的にどういうふうに表現するかということにつきまして、具体的に私の提案をするだけの用意を持つておりませんが、そういうふうにすべきものであるということを考えております。もう一度申しますと、明治憲法に基くような継続費を一旦認めますと、それは各省のすでに権利になりまして、そうしてそれを各省の大臣がそれにつきまして恐らくは官僚を統制することができません。従つてそれは事実の話で、よしあしは、そういう政府が愚かであるか恩かでないかは別の問題として、事実そういうことができない。そういう制度の下において、つまり総理大臣の権限なるもの、大蔵大臣の権限なるものは、継続費に前のようなシステムを作るというと、その継続費を、継続費のために、それを削減しようとじたならば、必ず内閣が潰れるというようなことがあらかじめ防げるように、総合計画というものは各省に、つまり継続費は属しないように総理大臣の所管若しくは総理大臣直轄の企画庁の所管というふうにして、そうして全体がまとまつて増減し得る、何年かの計画であつてもそれを全体を見渡して、そうして又例えば原子爆弾研究所と、例えば只見川水源と、或いは吉野川の改修と、それがどつちがその場合によつて重要であるかということをときどき検討をし得るような、そういうふうな一つの組織をしないでこの制度を認めるというと、それは大変なことになるというのが私の基本的な考えであります。
問題はもう一つほかにあるのでありまして、この継続費というものがこういうふうにして明治憲法のようなふうにできますということは、他方においてそれに見合うところの歳入予算があることでむしろあります。そうしますとその歳入予算は継続費の固定支出に対する、既定支用に対する歳入の、実に巨額の歳入を政府が持つことになるわけであります。言い換えれば歳入の中の金額、貨幣のほうで言いますと非常に大きな金額が、継続費の支出如何によつて余裕が非常にできると共に、大きな借入金をしなければならないという金融の問題が、財政上非常に大きな裏の面としてできて来るわけであります。これが明治憲法の下における、戦争前の財政の運用において大蔵省が非常に金融上、議会の統括を経ない、又議会のコントロール以外に非常に大きな力を持つた理由であります。そうして又実に巨額の財政上の余裕金が非常に巨額であり、或いは剰余金が非常に巨額になる。或いは不足金が非常に巨額になつたという理由がここにあるのであります。これらにつきましても特別な考慮を煩わして、議会がそれらについて発言権を持つように、そうしてどういう、どのくらいの金額が現実に何月何日に政府に入つて来て、そうしてそれは何月何日に支出されて、その間の政府の余裕金はどのくらいになり、不足金はどのくらいになるということについて、総合的な観察ができるような制度を作らないで、かくのごとき継続費をただ一片の条文によつて作つたならば、それは再び、今もよほどそうだと思いますけれども、再び戦時中、或いは戦前の金融と大蔵当局との、そうして民間金融との間における非常に不自然な国家主義、国家専横の段階を再び作ることになると思うのであります。
それらのことが私の原理的な問題として頭に描くところでありまして、これを立法上どうするか、これを如何なる形において実現したならば私の言うような目的にかなうかということは、ここで私が十分述べる用意を今持つておりません。大体……。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/6
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007・平沼彌太郎
○委員長(平沼彌太郎君) 有難うございました。田上先生どうぞ。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/7
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008・田上穰治
○参考人(田上穰治君) 只今大内先生からお話がありましたように、私もこの継続費につきましては、新憲法に何も直接書いてない。書いてないから当然にできるかと申しますと、やはりかなり問題があるように考えるのであります。それは申すまでもなく、金森先生も言われましたように、要するに予算は毎会計年度、平たく言つて毎年国会に出してその議決を経なければならないのでありまして、言い換えますと財政上の監督が少くとも毎年繰返し国会によつて行なわれるわけでありますが、若し継続費の制度を広く認めますというと、その限度では数年に一回しかこの財政上の監督が国会によつて行われない。逆に申しまして行政権、内閣の、政府の地位が非常に強化されることになるわけでありまして、まあ旧憲法のような行政権がどちらかというと立法権に対してかなり優越している、そういう憲法ならば当然のことと思いますけれども、まあ新憲法は国会中心であり、国会の最高機関としてもその点で財政上の監督につきましても毎年予算を編成いたしてましてそこで審議し、場合によりましては廃除、削減できるというふうにするのがまあ原則ではないかと思うのであります。これは先ほどお話もございましたが、古いところで、例えば十九世紀でありましても、比較的君主或いは政府の権力の強かつたドイツ、殊に南ドイツあたりの予算でありますというと、多くは数年間、二年とか三年に亘つての一般的な予算を作つて、そうして当時の議会に出して協賛と申しますかを受ける。そうなりますというと、結局一回予算が通れば、あとは、その翌年あたりは全く国会の監督を受けないで、政府は財政を担当することができる、こういう形になるわけでありまして、この逆の行き方は曾つてのフランスであつたと思うのでありますが、このほうはまあ国会が非常に強くて、そうして何でも削ることができる。そうなりますというと、今度はまあ少し極端になると思いますけれども、この国会の反対によつて、財政上の、予算についての反対によつて内閣は簡単に瓦解してしまう。まあ新憲法の立場といたしまして、私は結論としてはやはり継続費が認められるように考えるのでありますが、併しこれにはやはりこの制限を考えなければならないわけでありまして、広く継続費を認めますというと、まあそれに応じて国会の権能、立法権よりむしろ財政を監督する権能のほうが政治的には重要だと思いますが、その肝心の財政上の権能について非常に制限を受けることになりますから、この点はやはり大内先生の言われましたように、慎重に考えなければならないと思うのであります。けれどもそれならば新憲法に何も書いてないから継続費は全然認める余地がないのかと申しますと、私はやはり先ほど金森先生の言われましたように、すでに明許繰越、事故繰越というような繰越制度がすでに財政法で認められている。更に債務負担行為でありますか、国庫の債務負担行為の点もやはり法律によつて認められる場合があり、必ずしもそれは毎会計年度の予算において認められなくても、法律で認められた場合には許されるわけでありまして、そういう点も……、だからことごとく毎会計年度の予算において国会が自由にこれを削る、或いは承認するというのではなくて、かなりの例外がある。又債務負担は継続費とは大分違いますけれども、併しやはりこれも数年に亘つての問題でありまして、それがときとしてはやはり予算の中で国庫債務負担行為が国会の議決を受けるのでありますが、そういう場合には、予算の内容、一部でありますけれども、それにもかかわらずやはり一年間の問題ではなくて、翌年度以降に当然に影響があるわけでありまして、まあそういうものがことごとく憲法違反であるというのであれば、これは又議論が変つて参りますが、現状において、まあ財政法が認めておるから差支えないというわけではありませんけれども、まあ或る程度の例外は差支えないのではないかと、こう考えるのであります。勿論この旧憲法の規定とは新憲法はよほど変つておりますから、そういう点で旧憲法の継続費そのままを認めるということは無理があるかと思いますけれども、財政の性質上、或る程度の、そういつた数年に跨がる問題につきまして、あらかじめ一括して国会が議決をするということは、必ずしも憲法選反ではないというふうに考えるのであります。
この問題に関しまして一言附加えて申上げたいのでありますが、継続費が一旦可決せられましたときに、その後に毎年度の予算審議権が拘束されるというところが勿論問題の中心だと思いますが、これは従来の継続費ということから考えれば、まあ一応当然のことのようでありますが、併しこれは一旦国会が議決をしたその内容を、次年度以降の予算審議の場合に修正なり変更できない、こういうことにもちよつととれるのでありますが、同時にやはり私は国庫債務負担行為の場合と同じように、これは継続してやはり事業を執行いたしますから、そこで単に政府の中の経費を支出するという面だけでなくて、同時に関係いたします人民のほうの権利義務に影響を与えるわけであつて、勿論これは継続費を認めることが前提でありますが、認めた場合には、その意味において国会が後になつて、翌年度以降の予算の審議に当つて削減するということができないと、従来のように考えてよかろうと思うのであります。併し実際に議論になりますのは、財政法の規定、新憲法の規定共に、私ども考えますと非常に不完全なのでありまして、例えばこの予算の年度開始前に成立しなかつた場合の暫定予算の制度がありますが、併し暫定予算も若し成立しなかつたならばどうなるかというふうなこと、これは勿論常識的に見てそういう極端な場合はない。或いは法律と予算の関係につきましても、旧憲法のような法律を執行するために必要な経費を、毎年度の歳出予算のほうでその経費を削つたならばどうなるか、或いは直接削らなくても、法律の執行を不可能ならしめるような、そういう大幅の歳出予算の廃除、削減、これができるかどうか、こういう問題につきまして、何ら現行の憲法なり或いは財政法に規定がないのであります。これは勿論私は必ずしもこの法律、規定を作るときの見落しであつたとは思わないのでありまして、やはり飽くまでも毎年国会が予算を審議して、そうして十分に政府の財政を監督できるように、そういう考慮があつたかと思うのでありますが、併し実際問題として考えますというと、やはり新憲法でも、法律、或いは条約でありますとか、そういつたような場合の義務、法律上必ず支出しなければいけないような経費、或いは条約上の例えば賠償の義務であるとかというふうな場合におきましては、予算審議権において国会がその必要な経費を削減するということは理論上できないように考えるのでありまして、これは尤も曾てのフランスの制度のように、法律費でありますとか、義務費のようなものについても、なおそれは予算が国会を通過することが一種の停止条件である。予算が国会で認められなければ、法律上その他の契約上の義務に属する経費でもなお政府は支出することができない、その結果として人民或いは外国との間に板挾みになる、そうう場合には結局政府が瓦解すると、そういう全く政府をして進退きわまるような、そういう窮地に陥れることも差支えない。そこまで国会の権能を広く認めますならば、我が国においても同様なことが言えると思うのでありますが、まあ新憲法、殊に最近の単純な自由主義ではなくて、先ほどもお話がありましたような、こういう今日の時代においては、私は国会が財政上の監督を行うについても、或る程度の制限が考えられるのではないかと、勿論初めに申上げましたように、非常に大幅な制限と申しますか、継続費を広く認めることは、これは国会の最高機関という主義と反すると思いますが、併し又逆に、国会が無制限に毎年如何なる経費でも自由に廃除、削減ができるということは、この予算の性質上おかしいのではないか。予算を以て法律を破り、条約を破り、或いは憲法の規定、裁判官の報酬を減額するとかいつたような憲法違反の結果を生ぜしめるような、そういう予算の議決は、これは当然に許されない。まあそのあたりから考えまして、これは勿論直接継続費と関係がないようでありますが、少くとも毎会計年度の予算を作成する憲法八十六条の規定につきまして、毎年政府のあらゆる収入支出につきまして自由に国会が審議権を持つと、廃除、削減ができるという原則は、文字通りには支持されない。そこらに継続費を無制限には認められないけれども、併し或る程度においては認めることが憲法違反でないというふうに私は考えるのであります。
なお時間がございませんが、もう一つの実は問題は、これはまあ単純な法律の議論になりますけれども、若し国会がそういつた場合に継続費に該当すると、勿論継続費でありましても、毎年の必要な経費につきましては、更に同時に歳出予算のほうに計上されると思いますが、その部分について仮に国会がこれを削減した場合にはどうなるかというふうな問題もあると思いますが、要するにそういつた場合に新憲法では飽くまでも歳出予算に従つて政府は支出すべきであつて、その場合にこの剰余金の問題でありますとか、或いはこの確定剰余金まで行かなくても、この予算の款項彼此流用のような、そういう財政法違反の措置が許されるかどうかというふうな問題も実はあると思うのでありまして、まあ併し一般的に申しまして、私は現在出されておりまする原案の継続費は、憲法違反でないと考えるのであります。
ただ最後に、それならばこの原案においても少し広過ぎるのじやないか、継続費を認めるのをもう少し制限して行くのがよいのではないかというふうな御意見もあると思いますが、例えば一旦継続費が可決せられますと、その翌年度以降においては、改めて増額する場合には、これは勿論国会の議決を要すると思いますが、減額することができるかどうか、まあそういう場合に若し継続費が非常にたくさんになつて、全体としての総合計画から言つて、或る部分を後に減額する必要が起る、財政上そういう必要が起るというふうな場合に、絶対に廃除、削減ができないというふうになりますと、又いろいろ支障があると思うのでありますが、或いは曾つて法律費或いは規定費などにつきまして、旧憲法で認められましたような、この政府の同意があれば或る程度において削減ができるというふうなことも如何かと思うのであります。
甚だまとまりませんが、この継続費につきまして結論は憲法違反でない。併しそれはやはり一定の制限を付ける必要があるというふうに考えるのでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/8
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009・大内兵衞
○参考人(大内兵衞君) 私は先ほど申上げたことにつきまして、一つだけ申し忘れましたので補足をいたしたいのであります。それは継続費につきましては、是非とも、いつでも議会が一旦決定した継続費を削減することができるという規定なくしては、この継続費の規定を置くことばよくないということであります。なぜかと申しますというと、近代の経済は皆様御承知の通り、必ず一定の時期の後、例えば十年、十五年の後には恐慌というものを持つようになつております。これは十年であるか十五年であるか別としまして、或いは恐慌若しくは戦争は必ずあるようになつております。これはもうあの景気、不景気の変動というものもないということを認める必要はないと思う。そういうときに国策はこの景気の変動について、特に恐慌について十分に対応し得る力を国策は持たなければならない。即ち恐慌が来そうならば、それに対してそれを防ぐ方法、恐慌が来たならば我々の過去においてたくさん知つておるように常に恐慌のあとを整理する支出が非常にたくさんに必要になるのであります。そのときに今までのような継続費をそのままに認めておいて、そうして一旦決定した継続費というものは削ることができないということになりますと、必ず国家は財源に困るのでありまして、内閣が瓦解するか、政府が瓦解するか、何らの政策をやらないか、不測の恐慌対策をやらないか、若しくは非常なインフレーシヨンをやるかという三つの方法しかないことになるのであります。そうして今までの日本の経験は、御承知の通りいつも恐慌のときに内閣の危機が来、そうして財政の破綻が来て、そうしてそのときに必ずインプレーシヨンという政策ばかりがとられたのであつて、日本の今日までの経済政策の全失敗はそのことにある。そうしてその不可能になつた主なものは、各省とも継続費をどうしても制限することができなかつた。又承知しないというところにある。即ち小さな官吏の整理すらできないような組織におきまして、特に継続費というもののために、今までの日本の政治の運用というものはできなかつたということは、十分に考えるべきであつて、ただ継続費をこういう規定によつて置いて、そうして一旦きまつた継続費は必ずいつまでも有効であるというようなことは、実に由々しき財政議定上の議会のあれとなると思うのであります。今田上君のお説におきまして最後に述べられたような、そういう政府の同意があつたときにできるというようなことでは、私はそれは弊害は妨げないと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/9
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010・金森徳次郎
○参考人(金森徳次郎君) 今大内さんのおつしやつたことに関連をするのであつて、大内さんの御意見にも田上さんの御意見にも寸毫も反対する趣旨ではございませんが、私一つ憲法の予算について疑問を持つておるのです。と申しまするのは、明治憲法の当初から、議会は予算を自発的に増加することができるかということがいつも問題になつておりまして、議会が増加修正をしては確かにならないという慣例が発達しておる。発達したばかりではなく、それが憲法上の規定のように扱われておりました。解釈がそうなつておつたのか、行政の実例がそうなつておつたのか存じませんが、議会は予算を殖やすとか或いは著しい変化、例えば新項目を作るとか、こういうことはできないと、ただ削減のみができると、こんなふうに考えられておりました。それが一つです。それは予算議定の場合の問題でありますけれども、一つ予算ができてしまうというと、確定した予算ができますると、これに対してはもう何ども手出しはできない。政府が殊更に同意をして、或いはそういう修正の案を議会に出した場合にのみ、議会のほうでは手が付けられる、まあこういうふうに解釈せられておつたと思うのです。それは解釈であつて、別に憲法の規定ではございませんで、ただそれぞれの説明の論拠といたしましては、予算の発案権というものは政府にあるのである。だから増加修正は、一種の発案権だから議会は持ち得ないということ、それから一遍きまつた予算については、もう政府が発案をしませんからして、従つて議会がこれを削減する機会を持ち得ないということに、正面は閉ざされておる、こういうような理窟によつてただ国会は一遍きまつたような予算を眺めておるだけであつて、或いは政府提出というものを相当強く尊重して手出しをしない、こういうふうに自然のうちになつておつたように思うのであります。けれども、よく考えて見ますと、そういうふうの考え方は成立しないのであります。その考え方が昔は認められたにしても、過去数十年に亘つて次第々々に壊わされて来ておつて、この予算の面だけで何がなしに古い解釈の心持ちが人々の頭に残つておるのじやないかと、こういう気がしておるのであります。
結論といたしまして、私どもの言いたいことは、何らかの解釈によりまして、例えば継続費について国会は必要と認めれば一方的に削減できるものであつて、これがために政府の同意とかということは要らないという解釈が正しいのではなかろうか、これはまだ実例のないことであり、研究を要することであります。併したまたま大内さんがおつしやつたところを問題にするのでありまするが、ことによると現在そういうことはできるのではなかろうか、これは技術家的の見地からこれを申上げておるのであります。そうしてそういうことができるという考え方に一つの日本に発達した道行があるような気がいたします。少くとも発案権が政府にあるということで以て、議会のいろんな活動を抑制することはできない、こういう理論らしい言葉をとつたのは、結局官僚中心の独善の解釈であつた、こういう線に沿つてのいろんな考え方を述べるのであります。一つの実例は、曾つて貴族院がありましたときに、貴族院令というものは、国会では修正できないのであります。何となれば、貴族院令は勅令でありまして、政府のみが発案権を持つておる、発案権が議会にないからたた議会は呑むか呑まぬか、この二つしかできない、こういうことがかなり強く主張せられておりました。併し、いつの間にかこの解釈は壊れて、政府の出した事柄については修正できる、一歩緩和的な修正ができる、全く新らしいものを持ち出してはならないが、まあ何かこう引掛りのある関係においては、如何ようにも修正できる、これはたしか大正十二年頃の、貴族院令の改正のときに議論があつて、解釈的に解決せられた問題です。いま一つ大きな問題は、この憲法の問題でありまして、曾つて明治時代の解釈によりますると、憲法の改正案は、これは天皇にある、従つて議会は呑むか呑まぬかという以外に一歩も出ることができない、こういう議論をとつておりましたけれども、これは結局輿論によつて支持されることなくして、遂に昭和の新憲法ができまするときに、相当激しい修正が行われまして、これに対して何らの争いはなかつたような気がしております。
それから次に考えまするのは、この予算の増加修正の問題であります。恐らく明治時代の解釈では、発案権とからみ合つて、国会では増加修正できない、こういう原理をとつておりましたが、併しこの憲法の新らしくできまするに際して、少くとも財政法の中では、国会の予算或いは裁判所の予算或いは会計検査院の予算につきましては、国会で以て増加修正をなし得る途が公然と財政法に認められて、これに対して何人もまだ異存は言つていないのです。この考えを拡げて行きますれば、国会は増加修正の権利がある、まあこういうことが認められておるわけであります。今度問題になつておりまする継続費予算というものが一遍きまつてしまうというと、これは予算がすでにきまつたのだからして、憲法の基本原理に従つて、もう政府が新らしく発案しなければこれが画せない、こういう議論が成立しますと、今大内さん言われたような、甚だ困難な問題が起つて来ます。田上さんのほうは、そういう場合にいろいろと条件的に考慮せられるというのでありますが、それにいたしましても憲法の解釈がそこで固定しておるものであるならば、憲法を改正しない限り如何ともできない、こういうことになりますけれども、私どもの見解では、発案権ということを、昔の人は無理やりにこじ付けて大きく見せたのでありまして、こういう予算の発案権を政府に帰属せしめておるということは、何しろ予算を一手にまとめなければなりませんから、政府のみが原案を作るのに一番適する立場にある。だから政府が一手に世話をするのであつて、こういうわけでありまして、ものをきめて行く段階から言いますれば、政府には今日の憲法の考えでは大して権能はない。一に国会がこれをきめて行くということになりますと、何らか今の憲法の建前の下で、一遍できた予算でも、国会はこれを修正、削除し得る解釈が生れて来るものではなかろうか。これはまだ研究は要しますが、私憲法ができまする当時からその気持を持つておりまして、御参考のために申上げるのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/10
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011・平沼彌太郎
○委員長(平沼彌太郎君) 何か三先生に御質問ございましたら……。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/11
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012・小林政夫
○小林政夫君 条文について具体的にお伺いしたいのでありますが、この継続費を認めようとする条文は、第十四条の二なんでありますが、継続費を認める種類として「国は、工事、製造その他の事業で、その完成に数年度を要するもの」というふうになつておりまして、この書き方で行きますと、国のやることは、まあ何でもその完成に数年度を要するものについては継続費が置かれるということになるわけでありますが、大内先生の趣旨で行くと、別にこの業種のほうはどんなものでも認めてもいいというお考えのようにも受取れるのでありますが、その点は如何でございましようか。それと今の金森先生の御説によると、大内先生が言われたように、条文に特別な規定を置かなくても、国会の議決によつて一旦きめられた継続費についても、廃止、削減、増額ということは、その年割額についてはもとより自由にできるように思いますので、特別な条文を附加する必要がないというふうにまあ考えられる。それから一点、国家債務負担行為につきましては、財政法の第十五条の第三項に、「当該会計年度以降三箇年以内とする」。という規定があるのであります。この継続費について、或る最高限度を限つて、この債務負担行為にもありますように、但し、国会の議決により、更にその年限を延長するというようなこともありますので、一応最高限度を限る必要がありはしないか。その点について御意見を承わりたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/12
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013・大内兵衞
○参考人(大内兵衞君) お答えいたします。第一の、どういう業種でもいいかということにつきましては、これはどうも今の事業というものは、これは特に会社のかたはよく御承知と思いますけれども、近代の事業というものは、固定資本を、非常にたくさん大きな機械を設備しなければならん、他方においては、償却金の積立をしなければならんということが、昔の事業との非常な差であります。それと同じようなことが国家にもありまして、どの事業につきましてもそういうことがあるわけですから、これは工事、製造その他の事業、一切の事業についてやはり継続費を置くということがどうしても必要になると思います。継続事業を認めるということについてはそういうふうに考えます。それから第二の問題につきましては、私は金森さんの解釈とは全然違つた解釈を持つております。法律家でないから叱られますけれども、これはやはり歳出の予算を、増額予算を議会が出すということは憲法の歴史、予算の歴史からいつて間違いと思います。やはり予算編成権は絶対に政府が持つべきものであつて、或いは政府でなくても、議会の特殊な機能としてやつて、一般的に増額のことを議会が持つということは許されないと思います。これは憲法の歴史の上で、特にアメリカの歴史の上では、憲法の歴史、予算の歴史の上ではそういうことをするというと、議員というものは勝手に相互に党派と党派とが協定をして予算が無限に大きくなる、それが非常に弊害のあるものであります。そういうことは絶対に認められない。ですからやつぱりそういう憲法の解釈はよくないと思います。つまりそれ故に、やはりこういうふうに規定されておりますというと、原則としては議会は増加は無論できない。削減も恐らくは議会のほうから申入れることは非常に困難である。それから第三の年度のことですが、年度割につきましても、私は三年とかいうのはよくないと思います。今の事業を考えますというと、やつぱり例えば軍備の増強計画というようなものを考えましても、二年や三年でそういう計画を立てるというのは無理です。やつぱり五年計画とか七年計画とか、日本の過去においてもすでにあつた。又世界のどこでも五年計画くらいはやつておるのですから、日本でもそのくらいのことは必要じやないかと思うのです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/13
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014・金森徳次郎
○参考人(金森徳次郎君) 今ちよつと私の申上げる部門についてお答えをするのでありますが、私どもは実質を議論する前に、与えられたる憲法の規定の中で我々はどういう余地を持つておるか、こういうところで始終議論をいたすのでありますが、大内さんの言われました増加修正を予算の上でやることが財政的には悪いということは、恐らくその通りであろうと思つておりますけれども、憲法的にそれが許されるか許されないかということになりますと、おのずから別問題になるのでありまして、昔は絶対に許されないということを、我々もそういう気持を持つて、疑いを持ちながらも或る場合にはその解釈に服従しておりましたけれども、現行憲法ができ上るときの種々なる過程において、少くとも或る範囲においては国会は政府の提案した予算以外に増加をすることができるという解釈をとつております。その解釈は、財政法の中に認められておるいわば技術的な面でありまして、ことの実質的善悪に触れておるわけではございません。そこで次の問題に移りましてこれとは違いまするが、すでに確定されたところの予算を議会で修正することができるかということになりますと、今度は憲法的な技術的な問題といたしまして、若しも予算が確定したという後におきまして、議会が一方的にこれが削れるということでありますると、これは憲法上果してできるか、相当大きな問題になるわけであります。つまり憲法上所定の手続を経て確定したものは、又憲法上所定の方法によらなければこれを変えることはできない。予算は憲法上所定の方法においてできたものであります。そういたしまするとこれを若干修正をいたしまするについても、憲法の認むる方法によつて修正しなければならん。そこで憲法の規定に戻りまするが、今までの解釈の、一部の認むるがごとく予算は内閣がこれを提出するということを強く推して見ますると、もう金輪際内閣がその修正を提出しない限り、何ともその削減はできない、こういう結果になつて行くのであります。どちらがいいかどうかということは、私どもにわかに結論は出せませんけれども、ただ私どもは憲法をそういう窮屈なふうに解したくないのであります。従来こういうものに鬼面を被せまして、如何にもこれが恐ろしい窮屈なものであるがごとくに扱つて来たところに官僚的弊害を認めるのであります。これをできるだけ除却するように、余裕あるものとして私どもはいつも憲法を解釈したいのでありまするから、よしんばこの継続費予算が、憲法的にはつきり確定しておりましても、これを何らかの方法によつて憲法に抵触することなくして国会が削減する途が考えられないものだろうか。若し考えられないといたしますれば、これは法律を作つてもできないことでありまして、憲法そのものを改正しなければなりませんから、そういうようなところまで進まないで、何らかの方法で継続費予算も他日国会のみの意思によつて動かすことができないか、これを疑問として提供したわけであります。それに解釈の途があるかないかということになりますが、今日にわかにその結論を出せませんけれども、併し私ども発案権というものに非常な強味を持ちませんで、発案権は一種の便宜方法か、主として今日では便宜方法から来ておる、国会こそ最高の意思決定機関である、こう考えておりますから、或る程度にここにゆとりがつくのではないか。そこで先ほどおつしやいましたように、この年次割の予算が出たときに、国会がこれに対して削除或いは縮小の議決ができるものかも知れないし、或いは又あらかじめこの継続費予算というものの基本的な性質の一つ、いわば条件を附するときに、これは一遍できた予算ではあるけれども、こういう条件を法律で備えておいて、他日国会が不適当と認めたら政府の意見にかかわらず削減ができるという途を講ずる余地もあるといつただけのことでありまして、つまり憲法に抵触せずしてそういう途が考えられるのではないかという心持を述べたわけであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/14
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015・小林政夫
○小林政夫君 先ほど大内先生の御答弁でちよつと私の意味をとり違えておられたように思いますが、私は国庫債務負担行為が三年となつておるから継続費も三年というので言つたのではございません。一定の五年なら五年、七年なら七年という常識的な最高限度を置く必要が一応起きましても、債務負担行為についても国会の議決によつて延ばすことができることになつておるわけです。目安とし七年なら七年、五年なら五年という年限をきめまして、又必要によつては国会の議決によつて特例を認めてもいいというような一つの限度、年限の限度を置く必要はあるかないかという意味でございます。そうすると今金森先生のお説だと、やはり国会が憲法上、金森先生のお気持としては、憲法上は差支えない。併し一応こういう第十四条の二のような規定ができると、やはりその項の法律の中で、国会が必要によつては削減又は増額をするというような法律の規定を設ければできる。若し我々がそういう意思を持てばそういう法律を設けて置く必要があるのだということになるわけでありますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/15
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016・金森徳次郎
○参考人(金森徳次郎君) ちよつと私に与えられましたほうだけお答えを申上げますが、これは私どもは研究をしておりませんので、非常にその解決に悩む問題ではありますけれども、併し要するに国会が最高なのだからして国会の解釈というものが或る程度ものことをきめて行く力があろうと思つております。この継続費予算というものは、それだけの条件を初めから処理するのだというように法律でおきめになれば、それが恐らく非難なく通つて行くものでないか、こういう気は只今のところではしております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/16
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017・大内兵衞
○参考人(大内兵衞君) お答えいたします。お説の通りやはり一定の期限があるほうがいいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/17
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018・木村禧八郎
○木村禧八郎君 これは金森先生にちよつとお伺いしたいのですが、只今一定の条件が備わつた場合、増額修正や何かしてもいいというようなお説ですが、そういう場合には条件というのは一応、例えば財源を明記するとか、そういうようなことの意味ですね。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/18
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019・金森徳次郎
○参考人(金森徳次郎君) 一体予算というものが、歳入歳出がぴつたり見合わなければならんということは予算を作らるる上の技術的な条件であろうと思います。又法律もこれを要求しておるかも知れませんが、憲法のほうの立場としてはそこまでは要求していないのであります。要するに政府が支出するには、国会のはつきりした承認を経ていなければならない。まあこういうだけのことでありますから、今お尋ねになりましたような場合に、財源とくつつけることが正しいかどうかということは、実は憲法のほうから言いますと、無関係の問題のような気がしております。今私が申上げましたのは、この条件と申しましたのは、どうもこの一方的にはつきり……、一方的は関係ございませんでしたけれども、継続費予算というものを、憲法の認めておる予算としてはつきりきめてしまいますと、この予算というものは憲法上の力を持つて来るわけであります。憲法上の力を持つて来るから、政府はその予算に従つて如何ようにも支出ができるのであります。国会が何と争つても政治問題になるだけであつて、法律問題にはなり得ないということになります。それを防ぐためにはどうするかと言えば、継続費予算が、政府が反対しても国会の力で或る程度縮小もできるという途がなければならんのであります。ならんけれども、この憲法というものはまあ窮窟なものでありまして、出来上つている憲法の規定を推して行ぐと、うまくそういうことができるだろうか、この疑問が起つて来る。その疑問が起つて来るときに議論の種になりますのは、予算を提出するのは政府である、まあこういうことになつておりますから、修正も又一種の予算でありましよう。そこで政府がその部分について全然議会に提出いたしませんとなると、国会でこれを削ることは非常に危つかしいものになつて、果して理論上成立するかどうか、私にはちよつと結論がつかぬわけであります。いずれは年度割でこの継続費も毎年の予算の中に出て来るのではありましようけれども、併し年度割の金額というものは、予算を提出するという意味は持つていないのであります。ただすでにきまつておるものを一度数字の中に現わして総額のところに響いて来るようにする、これだけの意味だということに今までの解釈ではできておるわけであります。その解釈が正しいとすると、年度割の中にそういうものを載せても、どうも国会のほうで政府が出したものを修正するのだと言つて、これを削減することがやや議論の種になつて来ると思います。そこで最後の問題として、若しもこの継続費予算というものはそういう運命を背負つて、国会が他日必要と認むれば、国会だけの意思で削減できるようなものとしてこれを規定するということがうまく行かないものか、これもまあ問題になつて行きまして、何やら行きそうなような気持はしておる、こういつたようなことを言つたわけです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/19
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020・木村禧八郎
○木村禧八郎君 非常によくわかりましたが、そこで我々まあ一番問題にしておりますのは、この憲法上から見ますと、予算制度の民主化は、憲法上の意味で考えますと、議会に反映された人民の意思を尊重することであるとすれば、長期予算とか、長期の財政計画は、一時の意思を以て、長期の意思を拘束するものとして、民主化に反するように思われるわけです。ところが行政上の意味の予算から見ますと、予算制度の合理化ですね、それから最近の近代的な予算から見れば、企業会計的になつて来まして、どうしても継続的になつて来ますね。必要とする……。そういう予算制度の合理化から考えれば長期計画制度がどうしても必要だ。そこで民主化と合理化の調和が、どうしたならばこの一時の意思によつて長期の意思を制約する、こういう弊害を除くことができるかということを我々問題にしておるわけなんです。そこで金森先生の今の御意見では、継続費に、一つの国会の前提条件、条件みたいなものですが、何かそこに無制限に継続費が膨脹しないような、時によつては削減できるような、もう少し伸縮性のある何かを国会のほうで考えて、そういう方法もあるのじやないかという御意見ですが、そのもう一つの考えとしては、これを例外的に一つ扱つて、一般会計予算と別に、その予算以外にこれを考えて特別に……、そういうような考え方はどういうものでしようか。その特別な形にするということ、ちよつとお伺いしたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/20
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021・金森徳次郎
○参考人(金森徳次郎君) 先に申しました条件附というのも、多少まあ疑わしいところがありまして、これは議会の多数の輿論で、こうだとはつきりしておるような意見がきめられないというと、ちよつと私としては臆病な考え方を持つておりますが、これは或る程度説明のつくことでもあろうと思つております。それから次に普通の予算以外の何か違つたもので、事業その他の長期計画に合せるようにする名案があるかないかということでありますが、これはどこの国でも相当この点に苦労をしておるのではないかという気がいたします。と申しまするのは、例えば私の聞いた話でありまするが、アメリカ合衆国では過年度支出と申しますか、予算年度の後、あとからあとからこう出て来るようなものを二年間分認めまして、幾らかそこにゆとりをとるというような方法があるというふうに聞いております。そのほかいろいろなま便法を考えておるような気がいたします。或いはイギリスあたりは、これも聞いた話で精密には規定に当つておりませんけれども、予定通りプログラムというようなものを作つて、それに従つて予算計画の基礎を固めまして、そうしてそれがきまりますると、政治慣習として、国会はいつもプログラムに従つて次年度以後の予算に協賛をして行く、つまり妙なもので、多分政治の習慣だろうと思います。こう精密な計画を立てておいて、それは憲法上の予算ではないけれども、併し運用の実際においては、政治道徳上きちんとそれを守つて行くのだ、こういう習慣ができますれば、ここに解決の途はあろうと思いますけれども、ただそこまでの考えが日本の現在の情勢でうまく行くであろうか、ここがよくわがりませんので、この只今の我々の憲法は、今もちよつとおつしやいましたように、憲法という窮屈な筋道の枠をこしらえて行つて、而も実際上或る程度まで世の中の必要を満たすようにするという、まあ加減を持つておりまして、この予算に関する規定が多少あいまいになつておりまするのは、そこにあろうと思つております。だから非常に極端に、例えば千年の計画を以て継続費を作るというようなことは、この憲法で許していないであろうというのは、毎年度とかいうような言葉の拡張というものは、そう途方もなく広く及ぶものではなかろうと思いますから、そこにゆとりをとつて弾力性ができておると思いまして、この憲法は一見表面窮屈なように見えつつ、若干そのゆとりをとつている。実際の政治もその変化に合せられて行きますならば、先ず先ず無事に行くものではなかろうかと思うのであります。私どもの個人的な見解でありますが、世の中の現実の仕事をしておるかたがたは、理想に馳せて行くのであつて、常に心の思うところに方策を立てて行く、これは非常に正しいと思います。併し国の憲法というのは臆病なものでありまして、余り行過ぎない。併し窮屈でもないというところを狙つて進んでおるのであります。この予算の規定が会計年度という言葉を使いつつも、会計年度は何であるかということははつきり憲法の中できめないで、そこは法律等においてゆとりをとつて行く、こういう形をとつておりまして、会計年度は別にきめてくれなけりや、どんなふうにでも勝手にできるかというとそうはできない。そこに言葉の持つている味わいが出て来ますから、何ら限定をするというのはそういう線でとつて行くようにできておりますから、それ以上智慧はございません。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/21
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022・木村禧八郎
○木村禧八郎君 憲法八十六条のですね、金森先生にお伺いしたいのですが、「内閣は、毎会計年度の予算を作成し、」云々というこのときの予算の意味は、財政法十六条に、「予算は、予算総則、歳入歳出予算及び国庫債務負担行為とする。」と、こういうように十六条においては予算というものを大体三つに分けておりまして、それを包含しておるわけです。八十六条のほうの予算の意味は、大体歳入歳出予算というふうな意味に解すべきかどうか。やはり国庫債務負担行為とか予算総則というものをひつくるめて、そのときにはそういうものを予定して解釈されたかどうか、その点がちよつとお伺いしたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/22
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023・金森徳次郎
○参考人(金森徳次郎君) この予算という言葉はどう考えて見ても広い意味と狭い意味と二つあるような気がいたします。八十六条の予算というのは広い意味の予算の中の一番狭い標準的な予算という、いわば今おつしやつた歳入歳出についての国会の承認を本旨とするものであつて、債務負担のようなものは狭い八十六条の予算の外のものであるような気持で今まで解釈して来ているのです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/23
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024・菊川孝夫
○菊川孝夫君 田上先生にちよつとお伺いしたいと思いますが、まあフランス憲法とそれからドイツの憲法のやり方を比較して、当然或る程度の制限を加えたほうがいいと、こういう御意見に拝聴いたしました。私たちもこれはできるだけ制限をしておかなければならないと思うのでありますが、政府の提案した理由といたしましては、理由書にも書いてございますように、継続事業の円滑な遂行に資するためこの継続費を設けたとこう言つておるのでありまして、それを具体的に説明を求めますると、例えば河川の改修であるとか、或いは道路の建設、それから電源の開発等の国土開発計画、それからもう一つは災害の復旧と、こういつたような面にこれを活用して行きたい、こう言う。何回聞きましても、それ以外には今のところこれを使う意思はないような説明でございました。特にそういう事業に限つては或る程度の設備を設けなければならんし、単年度であつた場合にはなかなかうまく行かないのでやるんだと、こういう説明であつたのでございますが、そういたしますると、むしろいろいろ必要はあるだろう、併し制限しなければならんということになりますると、差当つて今大内先生が言われましたような、まあ軍艦建造と、そういうような問題は今憲法の問題もありますからないのでありますが、そうすると制限するという意味は、そういう事業に限つて一つ認めて行くという方法をとつたらどうかと思うのでありますが、その点についてこの条文を修正したほうがいいじやないかというふうに我々は考えます。それから先ほど小林君からお尋ねがありましたが、数年度に亘るものにつきましては各国とも五ヵ年計画というのを持つておりますから、五ヵ年くらいに限度を限つたらいいのではないか。そうしますと先ほど申上げましたような点が解決できるのじやないか、こう考えますが、この点について第一に御意見をお伺いしたいと思います。次にこの継続費がきまりまして、毎年の年割額が予算の面に現われて来た場合に、これを国会において削除したり或いは修正する、まあ減額、今の増額の問題はちよつといろいろ憲法上の政府の予算提出権の問題から問題があると思うのですが、減額等につきましてはそのときの情勢によりましては或る程度しなければならん場合も起きて来ると思うのでありますが、議会はこれを、金森先生のお話では何とか解釈で、そういうふうに固く考えずに憲法の解釈からできるようにしたいと、こういうお話でございましたが、これは政府のほうの答弁では、どうも速記録を見ましてもこれはできるというふうに政府のほうでは言つておるのでございますが、只今の先生がたのお話では、継続費は一旦計上されてしまつたら、これはもうできないんだというように聞けたのでありますが、これはそのときの情勢、殊にこういう物価の変動の激しいときでありますから、その物価上昇率の判定につきましても、政府の上昇率の判定と国会の上昇率の判定というものは、これはもう数字に現われたばかりでもいけませんので、これらの点を勘案しなければならんだろう。又他の事業との振合い等から見ましても、例えば利根川の改修と、東京から大阪までの国道とどちらを先にしなければならんかということになつた場合に、或る程度利根川のほうへ先に廻さなければならん、国道のほうを少し削つて向うのほうに廻さなければならんと、こういうことができるというように政府当局のほうでは答弁があつたように我々は思つておるのでありますが、こういう点についてできるものかできんものか、実際問題としては困難だと思います。法律的に可能であるとしてもなかなか実行できるかどうか、又政治問題としてどうか。それから先生がたの財政法上のお考えからいつて、できるかどうかという点をお伺いしたいと思います。次に計画と予算、これは予算が金額として予算書になつて、それの附属書類として当然計画書は出て参るわけでありますが、そういたしますると、先ず初年度におきまして仮に東京、大阪間の大国道を建設するということで、五ヵ年計画で一千億とすると、毎年二百億出すんだと、併し初年度は静岡まで一つ建設をするということに計画書は附いておる。そうして二百億と認めてある、ところが物価が上昇したために沼津で打切らなければならんということになつた場合には、これは一体計画は静岡ということを認めてあるんだが、沼津で打切る場合には、これは国会の承認を得ずに、政府は単独でやれるか、それとも補正予算を出してもその計画通りやるべきものか、又仮に浜松まで延ばせるということが、物価の変動でできた場合に、政府の独自の見解でその金を使つて浜松まで工事を延ばしてやるか、それともその残つた分を翌年度に繰越すべきものか、継続費の建前からいつて、どつちにするんだと、こういう点について一つお伺いしたいと思うのです。計画と金額の問題。それから第四番には、この継続費につきましては特に政変の時の場合、内閣の変つたような場合には、当然財政経済政策も内閣の更迭に伴いまして変ると思うのでありますが、前内閣におきましてはまあパンを優先だというわけで、生活保障の問題をうんと取上げておる場合と、それから次に内閣が変りまして、警察予備隊の増強に主力を注がなければならんというふうに、これはまあ方針が変ることはあり得ることだと思いますが、その場合に当然継続費がひつかかつて、何年間も長い間の継続があるとするならば、それは政府の更迭という意味が、この継続費に禍いされて非常にできなくなる、政策の変更が非常に困難になるんじやないか、こういう点は一体継続費との関連をどういうふうに調整するんだという点について一つお伺いしたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/24
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025・田上穰治
○参考人(田上穰治君) 今のは御質問がたくさんございまして、十分にお答えできるかどうかわかりませんが、初めの第一点のところは私も格別はつきりとした意見はないのでありますけれども、できるだけやはり範囲は限定するほうがいいと思うのでありますが、さてどういう種類の事業ということになりますと、余りよい智慧がないのでありまして、まあ要するにこの十四条の二という原案に対して格別修正する現在のところ私よい智慧はないのであります。ただ年度のほうは、先ほど大内先生からもお話がありましたように、或る程度、小林さんの御意見もございましたように五年とか七年とかいうふうな、数年というところを、或る程度限定することは結構ではないかと考えます、格別法律的なまとまつた意見ではないんであります。第二の、一旦年割額、まあ数年間一括して継続費がきまつた場合に、その後翌年度以降の予算における年割額を減額或いは変更することができるかと、これはもう先ほどから大内先生も御意見ございましたし、金森先生からも御意見ございましたが、やはりまあ私どもも多少は議論が実はあるのでありますが、勿論年度の途中で変更する、修正する場合は、これは予算の修正でありましようから、政府のほうから提案がないと、ちよつと無理ではないか。勿論増額ではなくて私の申上げているのは減額のほうでありますが、増額のほうはやはり政府のほうに一応現在のところでは発案権があることになつておりますから、政府が特に希望しないのにこの国会のほうで特にこの予算は少な過ぎるからもつと殖やせというふうな注文を付ける、その意味において増額の修正をなさるということはどうも余り意味がないように思うのでありますが、この点実はまだよく私は考えていないので、現在の気持は増額はやはり原則として政府のほうの側の発案によるべきように思うのであります。たた実は減額のほうが問題になつておるのでありまして、減額は今の予算の修正ではなくて、年度の途中で修正するのではなくて、毎年年割額が別に歳出のほうの予算の中に計上されておるわけでありまして、これを変更する、減額する、或いは単に或る年の年度割金額を減らすだけでなくて、将来にずつと亘つてその問題の継続費の金額を減らすということができるかどうか、この点でありますが、私は一旦きまつた場合にその基本的な継続費そのものを変更しないで、そうして年割額、或る年、たまたま年度の金額だけを動かすということはちよつと理論上おかしいので、勿論全体の減額、将来に亘つての減額ということになると思うのでありますが、これはやはり政府のほうからそういう減額の修正の発議があれば、これはもう勿論できると思うのでありますけれども、今の実は御質問の中にございました何か政府のほうでそういう答弁があつたと、説明があつたというお話でございましたが、自由に国会のほうで減額できるというふうなお話でございますが、ちよつと私にはよくわからないのでありまして、これは政府の同意がなくて、つまりむしろ政府においては減額を希望しない場合であつても、国会のほうで強く一方的に減額することができる、こういうお話なんでございましようか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/25
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026・菊川孝夫
○菊川孝夫君 ええ、その通りです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/26
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027・田上穰治
○参考人(田上穰治君) で、若しその点になりますと、ちよつと私も今はつきりしないのでありますが、継続費というものを特に数年度に亘つて一括して国会で議決する、これはやはり将来の見通しを或る程度政府のほうで立てるのに必要であり、或いは便利であるということだと思うのでありまして、でありますから国会が政府の意思を問わないで自由に……その程度もございましようが、減額できることになると、どうも程度如何によりましては継続費を認めることが殆んど無意味になるのじやないか。これは甚だ専門外のことでありまして、ちよつと判断が間違つておるかも知れませんが、言い換えますとやはり憲法上は勿論、一般論といたしましては予算の減額はできるわけであります。ただ継続費の場合におきまして金森先生がおつしやいましたが、憲法で言う予算で、すでにこれはもう数年度に亘つて予算が確定したのであるから、その継続費の限度ではその年だけではなくて、数年度に亘つて確定したのであるから、これはもう政府のほうから特に修正しない限りは絶対に減らせない。年割額というものは、これは特別な国会の議決を求めて出したのではなくて、ただ注意的に参考までに書いたので、年割額の部分については政府の特に議決を求める意思表示ではないのである、こういうふうに伺つたのでありまして、私もその点は甚だ問題になると思うのであります。従いまして憲法の予算の解釈、八十六条の予算の解釈でありますが、これは原則としてその年、毎年の歳出或いは歳入についての議案であろうと思うのであります。従つて継続費というのはその例外であり、だからその例外の部分は若し当初から国会のほうで条件を付けて、これは将来において修正する、減額するかも知れないという条件が付いておれば憲法上は差支えないように考えるのであります。そこでその条件ということになりますというと、或いは財政法の上でその減額について、できるということを注意的に規定するほうがいいのではないか。これは甚だ独断的な意見でございますが、若し、政府の答弁があつたということでございますが、この原案のままで以て自由に国会のほうで減額できるということであればその必要はないようでありますが、私は継続費について政府の同意がある場合は勿論結構でありますけれども、自由に減額できるということについては多少疑問を持つておるのであります。この点併し、先ほどからいろいろ御意見もございまして、もう少し勉強したいと考えます。
それから最後のときでありましたか、その次の例えば非常に金額がインフレで以て足りなくなつた、そこで当初の予定した計画、或いは沼津でありますか、静岡でありますか、予定通りにその事業が執行できない、そういう場合にどうなるか。或いは逆にもつと道路を延長することができるかということでありますが、これは私どものまあ従来の常識でありますと、予算は政府に金を使うことを国会が許すのであつて、使う義務を課すというところまでは行かないのじやないか。でありまするから、若し静岡まで道路を築造するというふうに、その意味で継続費が取つてありましても、若し金が足りなければこれはどうも止むを得ないことであつて、それを何とかほかの方法でそこまで……沼津以上に延長する。無闇に事業を執行する政府側に義務があるというふうには考えてい左いのであります。それから又反対に金が余つた場合に、それならば当初の計画以上に、或いはそれ以外のところまで事業を行う、まあ延長と言えば同じ計画かもわかりませんけれども、併し静岡を浜松に延長するということは、その意味においては新らしい事業なのでありますから、その点はやはり一応当初の目的外において金を使うということになるわけでありまして、私はそれは当然にはできないというふうに、最後の点は考えるのでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/27
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028・菊川孝夫
○菊川孝夫君 今の場合は、ちよつと最後のお答え願つた分でございますが、こういうふうに申上げたのですが、五年計画で、大阪まではずつと作ることになつておる。そうすると、静岡までは初年度であるが、そうすると初年度で経費が余つた場合には、これは当然継続費の性格からいつて、五ヵ年かかつて大阪まで行くということになつておるのであるから、できるだけの金を使つて、その年度内にその金が余つた場合には、又浜松まで延ばすということは、これは当然継続費の性格上できるということを政府は言つておるのでありますが、そうするとまあ今先生のお話では、それはそうじやなくて初年度はこれだけ、二年度はどこまでということになつたら、それは繰越しとして、剰余金として残すべきである、こういうふうな考えでございますが、年割額を定めて、その事業計画もついておる、こうした場合……。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/28
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029・田上穰治
○参考人(田上穰治君) 今のは私が間違つて申上げましたが、そうではなく、私の申上げましたのは、最初からその或る年の年次計画が、それが静岡までというのではなくて、継続費そのもの全体の計画がまあ静岡までであるという場合をうつかり申上げたのでありまして、金額が繰越し継続費の場合でありますと、翌年度に繰越して使用できるように、計画のほうも、私は若し金額のほうで以て余裕がありましたならば、翌年度分に入つて事業計画のほうも着手してよいのではないかと考えます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/29
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030・田村文吉
○田村文吉君 大内先生にお伺いいたしたいのでありますが、お話の中に継続事業をやつておるうちに恐慌というようなことが起つて、かなりに財政的に非常に変化が起るというような場合には、減額されるようなことも止むを得ないのじやないか、かようなお言葉がありましたが、又最後にお伺いいたした中には、増額権は無論ない、ないと同時に減額することも無論ないというような言葉があつたように伺つたのですが、この先生の本当の御意見はどういうふうに集約されるのか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/30
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031・大内兵衞
○参考人(大内兵衞君) 先ほど私は恐慌の例を言いましたけれども、恐慌でなくてもやはり先ほどの御質問の中にありました政治的……政府が変るというように、そういう場合にはやはり継続費を、全体として予算の計画を変えると、特に継続費について変えるという必要は必ず起る。然るにもかかわらず、一方においてはこの規定によりますというと、この原案の通りの規定であれば、そういう場合に継続費を削るということは法律上も事実上も不可能であります。それ故に私の具体的な考えは、若しこういう規定でこれを継続費をお置きになるならば、必ず継続費というのはそういうとき、には議会が削り得るという条文を附加して置くべきである、もう一つ作るべきである、そういう意見であります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/31
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032・田村文吉
○田村文吉君 そこで金森先生にお伺いいたしたいのですが、若し財政法等において、修正してはならないというような規定がない限りにおいては、現在の憲法の解釈上から言えば、これは減額ができるのじやないか。減額したいと思つたら、後年に減額してもいいのじやないか、こういうようなふうの御意見にお伺いいたしたのでありますが、今大内先生の御意見は、この法律に若しさような考えがあるならば、はつきりと入れておくべきだ。金森先生にお伺いしたいのは、それは入れなくても、特に反対の規定がない限りにおいては、憲法上の解釈から言つて、後年において減額するというようなことを、又増額するというようなことも、国会の一方的の意思の決定によつてできるのである。こういうふうにお伺いいたしたのですが、その点如何でしようか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/32
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033・金森徳次郎
○参考人(金森徳次郎君) 今私の申上げました点は、一つの試みの意見として申上げたのであつて、相当この問題は疑問の多い点であろうと思つております。私の申上げました諸点は、若し具体的の問題について、政府は同意をしなくても、政府から国会に提出せられた予算案というものがあれば、国会はこれを受けて修正することができる、だからしてそのときに削減という道ももとよりあり得るのだという一つの見解を述べた。ところが、これはあとで又継ぎ足して申上げましたが、継続費予算というものは、今までの解釈によりますと、一番初めに議せられたときに確定してしまつておりまして、二年目以後にこれを出すのは、ただひからびた数字をそこに出すだけであつて、実質的には議会の承認を求めてはいないのである、これがまあ定説であります。そういたしますと、数字を並べてここに出しても、国会は修正する機能を持ち得ないということになりますから、本当の予算として提出せられたらいいのにかかわらず、その状況でありまするから、どうも修正する権能を持ち得ないということになるのではないか。それで先ほども申上げましたが、あらかじめこの法律の中にかくのごとき継続費予算の条件として、他日国会は自分の意見で削減することもあり得るという、まあ条件を付したらどうだろうかという意見を試みに出したのです。併し試みに出したというのは相当これは疑問の多い点でありまして、国会が最高の意思決定者でありますから、両院の意見等がその解釈について、こういうことはできると皆さんが御得心ができれば、我々もその気に強くなつて主張し得るのでありますが、そこにはなお疑問がないではございません。何故かと言えば、予算というものができ上つた途端に、その憲法上の力を持つて来るものでありますから、その憲法の趣旨と違うような、それを抑圧するような条件を附するということが議論にはなり得るものと思つております。私どもはこの問題は今日伺つただけはなかなか急に結論は出ませんけれども、若し一番安全な方法を選ぶものとすれば、議会が必要と見られた場合に、この継続費予算を修正して或る形のものに作り直して、改めて国会の議決を求めるというような議決を議会でなさつて、そうしてこれを受けて政府が予算を修正する案を提出しなければならんということの義務を負わせる。その規定をこの法律の中に書いたらどうか。これは今まで申上げませんでしたが、直接に条件を付けるということが、何やら疑問を引き起す可能性があるのです。そこで国会の議決によつて、政府が更に案を提出すべき義務を負う、この義務に違反すれば政治的に政府の責任になる、こういう形のものが出ますれば、或る程度目的を達するのじやなかろうか。それに先ほどもたしか田上さんがおつしやつたかと思いましたが、一体継続費予算はこれを信頼して仕事を進めて行くものでありますから、あとからばらばら変るということは相当重大なことであります。だからこれを変えるにしても鄭重な手続をとる必要がありますから、そんなふうに仮に形をこしらえて申しますれば、継続費予算の、その金額その他について国会においてこれを修正する必要を認めるときには、政府はその趣旨に従つて継続費予算を修正する義務がある。このような規定ができたら、何かまとまつて行くような気持もしているのです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/33
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034・菊川孝夫
○菊川孝夫君 関連して……、今の金森先生のお話で、国会が削除するのは、継続費の定説から行つたならば、最初に総額をきめてしまつてある以上は、あとで年割額その他を変更する権限がない。そうして、そういう約束をするのでありますから、そういう変更の余地がないというのが定説である。ただひからびた数字が毎年年割額として予算の中に数字上出て来るだけだ。こういう御説明がありましたが、そういたしますと、反対に政府は予算の提出権がございまして、議決権がございませんが、きまつてあるものを政府のほうでも削減して出す。これは権限がないものと解釈してよろしうございますか。その点について。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/34
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035・金森徳次郎
○参考人(金森徳次郎君) 今のような場合は、政府の一存でどうすることもできません。ただ新らしい予算、つまり退去の予算を修正する新らしい意見としてそれを国会に出して、そうして国会がこれに同意せられれば、それはその意見は一致するわけでありますから、修正ができますが、政府一存でこれをやるどいうことは少くとも予算の目的から言つて筋違いであるということになるわけであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/35
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036・菊川孝夫
○菊川孝夫君 そうしますと、政府はその政策の変更等によつては、きまつているところの継続費も削減し、修正して出すところの権限があるわけでございますか、その点について。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/36
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037・金森徳次郎
○参考人(金森徳次郎君) 国会に対して議決を求める意味で出す、これは権限があると思つております。新らしい予算を作る形と同じような趣旨でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/37
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038・木村禧八郎
○木村禧八郎君 金森先生にお伺いしますが先ほど憲法の八十六条の予算という意味は、実質的には歳出入予算というものが予定されているのだ、こういうお話でございましたが、この歳出入予算になりますと、これは原則として大体一ヵ年を指すことが原則になつているようなのでありますが、政府の解釈では、この継続費を認める根拠として大体毎会計年度ということを一ヵ年のように窮屈に解さないということと、予算の中には財政法で、予算総則と、歳出入予算と、国庫債務負担行為と、三つあるのだから、そういう広義に予算を解釈して、拡張解釈すれば、この継続費は何ら憲法違反にならないと、こういう解釈を政府は取つているのでありますが、併し只今の金森先生のお話によりまして、大体実質的に歳出入予算というものは八十六条の予算という意味であるとしますと、継続費の、これは単なる契約の債務負担行為ではなくて、歳出金を出すほうのこれも同時に帯びることになるのでありまして、そうしますと、憲法に抵触するような気がするのですが、政府のほうでは予算という意味を財政法のように広く解釈しておるようです。そこでどうも、政府はこじ付けるために広く解釈したと思いますが、その点は憲法の違反にならないものかどうか、伺いたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/38
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039・金森徳次郎
○参考人(金森徳次郎君) ちよつと問題が非常に級密な問題になりまして、私の誤解があるかどうかは存じませんが、私はこの憲法は旧憲法と違いまして、非常に規定が緩やかにできておりまして、一切財政的な問題については国会の承認を経るということを八十五条に書いておるのであります。だからその八十五条の意味でとりますれば、今一般に言われておる予算外の契約を許すようなものも、もとより八十五条のほうには入つて来るのであります。併しながら八十六条で毎会計年度の予算を作成するということは、そういう広い意味の予算の中で、数字に現わして示すところのいわゆる通常の予算を八十六条が抑えておるものと思つております。でありますから、財政法以外の規定において予算という言葉を使うときには、これは自由であろうと思います。併し八十六条の規定は歳入歳出に関する一番標準的な行為を抑えておるのであつて、ティピカルなものと私は考えております。そこで今の継続費予算というものがどういうことになるかと言えば、私の解釈では、継続費予算も八十六条の中に入つて来なければならないものである、こういう気がいたします。そのとき邪魔になる規定というものは、毎会計年度という言葉が出て参りまして、この毎会計年度という言葉は大よそ一年を予想しておるのじやないか、それに例えば五年の継続費が入つて来るということは、八十六条に違反するのではないかと、こういう疑問が出て来るのであります。だけれども、私自身としては当時憲法審議のときに説明をしておきましたが、八十六条は標準的なものを抑えておるのであつて、これに対して若干の特例が出て来ることは大よそ認めておる。そこで八十六条の毎会計年度ということは、何も一年と書いてあるわけではなくて、考えの基礎はこの会計年度は具体的に言えば一年半、或いは二年になつても、やや拡げて行けば五年、六年になつてもよろしかろう。だから繰越支出のごときものは毎会計年度の予算だろうと思いますけれども、根拠を申上げれば、やはり八十六条……常識的に言つては一年間の予算でありますけれども、この毎会計年度の予算という言葉の中に入つて来るものだと、こう考えおります。そこにいろいろの考え方が人によつて違つておると思います。私どもは初めからその考えであろうと思います。会計年度ということにいろいろな附属物をつけて不明瞭な嫌いはありまするが、これは予算が複雑だからしようがない。現に特例ができておる。更に将来に向つて一歩進めて特例ができないとは言われない。こう思つておりますが……。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/39
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040・木村禧八郎
○木村禧八郎君 併し会計年度については会計法ではつきり規定してあるわけですね。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/40
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041・金森徳次郎
○参考人(金森徳次郎君) 会計年度という言葉は憲法の言葉でありまして、これを憲法以外のものが限定することは、本質から言えば執行規定……限定ではございません。だから、若しも会計法によつてこれと違う、例えば継続費予算というようなものができますれば、それは憲法上の会計年度に当る。併し財政法上の建前の会計年度に当るか当らないかは又別の問題になる、こういう気がいたします。憲法は別に説明を加えずして毎会計年度という言葉を使つておりますが、これはこれを具体化されて行く法律によつて中味がきまつて来る。今まで作つた財政法がそういうきめ方をしておるといたしましても、今後それを別な意味に使うことは、立法的には作ることはできるわけであります。今度継続費予算というものができれば、その予算の規定に従つて憲法の会計年度の中味が拡がつて来る、こういうふうな気持を持つております。そういたしますと今の繰越支出なんというものは到底説明のできないものでありまして、これを会計法、財政法には一年、こう言つておりましても、すぐ自分でそこを見て二年間にする、こうしておりますが、その考え方と同じように行くものと見ております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/41
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042・大矢半次郎
○大矢半次郎君 私は今の御説明に対して、こういうふうに解釈はできないものかと思います。それは八十六条の毎会計年度の予算、これは先生の仰せの通り、歳入歳出の予算である。そうして今の継続費の次年度以降のものは、この毎会計年度の予算のうちに入らないで、むしろ憲法第八十五条の国費を支出する、それには国会の議決に基くことを必要とする。こういうふうにして、八十六条の毎会計年度のうちに入らないが、八十五条の規定によつてそれは国会の議決を以てやつて行ける。これは広い意味の予算に入るが、八十六条の予算のうちには入らん。それは繰越の場合は、全くこれはその会計年度の成立予算のうち一部特殊の事情によつて翌年度に繰越すだけはみ出た程度のものであるが、継続費のように次年度以降何ヵ年間にも亘るようなものは、どうしても六十六条の毎会計年度の予算のうちには入らん。当年度のものは入るけれども翌年度以降のものは入らん。翌年度以降のものは憲法上可能なるものは第八十五条によつて初めてできるんだ、こういうふうに解釈はできないものですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/42
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043・金森徳次郎
○参考人(金森徳次郎君) 今のお考えは、私どもの前からの習慣的に知つておりまする旧制度の継続費予算の考えとは少しく違いますけれども、そういう趣旨を以て継続費予算を作るということは十分考えられると思います。だから今回お作りになりまする継続費予算の性質が、当年度については八十六条の予算の要件を満たしておる。第二年度以降においては八十五条の要件を満たしてできておるというお考えは、いわば創作的な将来の制度を考える意味においては一応成立する御意見だろうと思つておりますぶ、ただやや結果が違うんだろうと思う。私ども専門の知識を持つておりませんから、直截簡明には答えられませんけれども、そういう趣旨になりますと、恐らく継続費予算の年割額を第二年以降に出しますときにどういうふうに解釈すべきかということになります。私どもの前に御説明申上げた考え方は、第二年目にもひからびた数字をそこに並べただけで、今の考えによりますると、何かやはり八十六条の予算の中に入つて来る。その新らしい年度の予算の中に入つて来るということになりまして、意味が少しく変つて来るかも知れませんけれども、実行の土にそういう継続費予算をお作りになりましても、説明は十分つくように思いますが、細かいと
ころはまだわかりません。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/43
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044・大矢半次郎
○大矢半次郎君 それで今の考え方によりますれば、次年度以降継続費のほうは八十六条の毎会計年度の予算のうちに入らん、いわゆる国会の審議は経ておるが、ただ総体の予算案をまとめる関係上、数字は一応計算されるけれども、国会の議決を経ないでいいんだ。国会の議決はそれより八十五条によつて前年度、それより前の年度に経ておる。こういうふうにしておけば非常に解釈がすらりとされるような気がしますが、如何でしよう。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/44
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045・金森徳次郎
○参考人(金森徳次郎君) どうも十分研究ができておりませんから、何とも即答はできませんけれども、確かに一つの解釈の遂にはなるような気はいたしますが、まだどうも研究しませんと本当に判断がつきません。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/45
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046・木村禧八郎
○木村禧八郎君 一つお伺いいたしますが、継続費制度を作つた場合、各省が割拠的に継続費をどんどん競争的にこれを獲得するという弊害が出て来るので、それを防ぐためにこの予算の編成権を大蔵省から内閣に移したほうがいいんじやないか。先ほど大内先生のお話からそういうようなことが考えられるのですが、その点一つと、もう一つ、先ほど金森先生にお伺いしました会計年度の問題、この二つについてお伺いいたしたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/46
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047・大内兵衞
○参考人(大内兵衞君) 簡単にお答えします。この予算権を大蔵省以外のところに移すというのはいいことだと、特に総理大臣の直轄におくということは日本の新らしい制度としてはいいことだと思いますが、これは別の議論になつて非常にむずかしくなりますが、私はいいことと思つていますが、それと今のそれと別に企画庁のようなものがすべての継続費をいつも集めて、そうしてそれに計画性を持たせて、或いは殖やす、減らすというようなことができれば、これはそれが真中だと思いますが、少くともそのことが必要だと、そう考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/47
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048・木村禧八郎
○木村禧八郎君 会計年度についてはどうでしようか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/48
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049・大内兵衞
○参考人(大内兵衞君) 会計年度はやはり一年という基本的精神は尊重しなくちやならんと思います。非常に尊重しなくちやならんと思いますが、併し会計年度を、それを尊重するために継続費はできなくては困る。やはり継続費という制度に関する限りは会計年度は別になくてもいい、つまり会計年度は、一年制というものの例外はできると思うんです。今の憲法の範囲内でできるという説で、憲法の例外として三年なり五年なりとして、併しながらその場合における会計年度の、その予算の性質が余り固定的にならんような規定を作つたらいいと思います。、発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/49
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050・平沼彌太郎
○委員長(平沼彌太郎君) 三先生には継続費の制度の新設につきまして非常に貴重なる御発言を頂きまして、当委員会としまして非常に参考になりました。有難うございました。お忙しいところ有難うございました。それでは委員会を一時休憩します。
午後零時四十九分休憩
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午後二時五十五分開会発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/50
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051・平沼彌太郎
○委員長(平沼彌太郎君) それでは午前に引続きまして開会いたします。ちよつと速記をとめて下さい。
〔速記中止〕発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/51
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052・平沼彌太郎
○委員長(平沼彌太郎君) 速記を始めて。御質疑願います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/52
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053・小林政夫
○小林政夫君 部款の廃止ですが、先般大矢委員から質疑があつて、それに対して部款は廃止しても項を置いて、項の移用を縛るというふうな趣旨の説明があつたのです。ところがいろいろ今までの部款に分れておつたような経費区分、これはどうなるのか。ずらつと四百なんぼ項があるようですが、ずらつと並んでおつてなかなか我々は予算を判断する上において今後むずかしくなるのではないかという気がするのですが、その点はどうですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/53
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054・佐藤一郎
○説明員(佐藤一郎君) ずらつと並ぶというお言葉で、確かにそういう恰好になると思うのですが、項もものにもよりますけれども、大体一つのまとまつた形のものが現われております。それから実は大体予算の議決の中心が項にありますのですが、今の形ですと間に部款がございまして、部局がございまして、むしろ私たち自分でも経験するのですが、旧憲法時代の予算のほうがとても見いいのです。もうすぐ目的がすらつとわかるのです。今部局予算が加味されている関係で余計わかりにくいのです。それだけにまあできるだけ不必要な段階を除いたほうが見いいと、これはもう予算書を実際扱つて、旧憲法時代と比較して頂きますとすぐわかるのですが、それで結局項が中心でありますので、どういう目的かということをできるだけはつきりさせたいというのがまあ一つの狙いであります。それから部款は一極の分類的な見地から行われておるわけなんですが、歳入の場合には大体分類的な目的をほぼ達成しておるわけなんです。租税の中にまあ所得税とか物品税というのが出て来るわけであります。部款につきましては一面いわゆる拘束力を持たせるという、いわゆる執行上の要求、効力との関係とそれから分類上、統計上の要求というものと必ずしも合致しないのです。それでしばしば非常な無理が行われております。例えば先日もございましたのですが、例のインベントリー・フアイナンスの経費なんかですね、これを一例にとりますと、一体どこに入れていいかなかなかむずかしいのです。今の部款なんかでやりましても、産業経済費にインベントリー・フアイナンスをまあ入れておいたところが、二十六年度になつてその産業経済費のところを締めて見ますと、急にすぽつと三、四百億減つておるというふうなちよつとあれなんですね、非常に誤解を生ずるようなことになるわけです。然らばどこに入れていいかということは、これはなかなかむずかしいのです。この項の段階がはつきりすれば、いわゆる無理な分類を避けることができます。私たちとしましても、むしろこの分類ということになりますと、生産的支出か消費町支出かとか、そのほかまあ大きな意味の教育費用であるとか、文化費用であるとか、そういうような各種の要求による分類的要求があるわけですが、これは同時に印刷にいたしまして、参考表に一括してお出ししたほうが実際も一表になりまして、総体が非常によくわかるのです。ですからそういう分類的な見地ではむしろ参考表で十分に出す。まあ予算はどつちかというと法律的な効果の問題でございますので、できるだけ不必要な部款は除いて、項を中心にして行きたい。そうして今回は項を従来のものよりも、ものによつてはもつと上に出しまして、従来の目であつたようなものでも項に出して拘束力を与える。それから従来は予算総則で部款の間は流用しちやいかんとこう書いてございまして、今度は項については実は黙つておる、全然移用ができなくなるわけなんです。御承知のように財政法に移用の規定がございますが、この移用の規定を見ますと、要するに「彼此移用することができない。」と三十三条の財政法に書いてある。但し予算の執行上の必要に基き、あらかじめ予算を以て国会の議決を経た場合に限つて大蔵大臣の承認を経て移用することができる、こういう規定になつておる。即ち国会の議決を経た場合に限ると、これは即ち予算総則にぎめておるだけで部款の間だけを禁止しておつたのですが、何も予算総則に書いてございませんので、も5項は一切移用ができなくなる。私どもの狙いは、従来よりももつと移用の制限をきつくしようということを狙つておりまして、逆に特定の項だけを特に移用ができるというふうに指定する、従来よりも一層厳重にしたいというようなことも考えておるわけであります。まあいろんな要求があります。それからこの前もちよつと御説明しましたように同じような名前の部款があるだけで帳簿整理その他で、いわば無駄に同じようなことだけ書いて、下のほうに大事な項があるから非常に見にくくなつておるとか、体裁上の問題等もあるわけです。まあ従来の予算でございますと、この間もお話がございましたが、部はございませんが、款項とあつたわけです。ところが今回は款もやめてしまうということになつて、従来以上に行過ぎるのじやないかというお話がございましたが、半面従来は部局がなかつたのです。その部局が現在入つておりますものですから、そこでいよいよ複雑になる。そういう見地からも部款はやめようじやないかというような、いわばこれは予算を編成するものの技術的な立場を相当考慮しまして改正をしよう、こういうことなのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/54
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055・小林政夫
○小林政夫君 そうすると、今のお話で今までの予算総則の第十条ですね。これは具体的に二十七年度にどう書こうと思つておられるのですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/55
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056・佐藤一郎
○説明員(佐藤一郎君) これは現在研究しておるのですが……。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/56
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057・小林政夫
○小林政夫君 一つ腹案でいいから……。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/57
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058・佐藤一郎
○説明員(佐藤一郎君) 全然書かないと全部項が移用できなくなつてしまいますので、そこに例えば給与の費用なんかで、これは超過勤務その他いろいろな手当がございますが、こういうものは或る程度流用ができませんと執行ができない。一々追加補正というようなことが困難な実情でもございます。そういう特定の経費を挙げますと、こういうようなものについてだけは流用できる。そのほか知らん顔をしておりますれば、おのずからそこで以て移用はできないということになるようにしようかと、一つの案としては考えておつた。まだ最終的にきまつておりません。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/58
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059・小林政夫
○小林政夫君 今の予算の参考資料で、例えば政府出資及び投資というようなことですね、或いは文教費とか分類をして、参考資料に添付するということでありますが、それがまあ一応予算編成当局が変らなければ、年度々々で、例えば今の話のインベントリー・フアイナンスに相当するものを本年度は含め、次の年はやめると、分類がまちまちになる虞れがあるんじやないか。従つて折角参考書類を前年度或いは前々年度と比較するときに、分類された項が不揃いで、必ずしも比較の対象にならないというふうなこと、それを政府の恣意的にやられる虞れがある、その点はどうですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/59
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060・佐藤一郎
○説明員(佐藤一郎君) これは実は政府自身もできるだけ正確な数字を持つておりませんと困るのです。それでまあ一応従来の分類の仕方が変ることがございますけれども、その時にはそれを明らかにいたしております。それで参考表を、非常に包括的なものとやや詳しいものとありますが、参考表をできるだけ豊富にして行きたいと私たち考えておるのです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/60
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061・田村文吉
○田村文吉君 関連して伺いますが、項の数は減らそうとするようなお考えがあるのですか、ないのですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/61
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062・佐藤一郎
○説明員(佐藤一郎君) 今回項の考え方を少しきつく改めまして、もう少し具体的に、例えば継続費なんかの場合にも、大きなものは直接項に名前が出るというようなことになると思うのでございますが、従来とかく勝手に流用して弊害のあるものは、場合によつては項に挙げるようにし、総体としましては項が殖えることになると、今のところは思つております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/62
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063・田村文吉
○田村文吉君 議事進行について。今質問継続中でございますが、昨日労働委員会で合理化法案に対する審議がありましたが、この問題に対して大蔵委員会として何か意見をあちらに送りますか、送りませんか、皆さまの御意見を承わつておきたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/63
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064・平沼彌太郎
○委員長(平沼彌太郎君) 今の連合委員会のことについての方法をどういうふうにしたらよろしうございましよう。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/64
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065・小林政夫
○小林政夫君 私は企業合理化法案を見ると、いろいろ通産関係のことも多少書いてありますが、これは実際的には殆んど……書いてあるだけであつて、内容はもう完全な税法なんです。それで大蔵委員会としても連合審査を二回もやつたことでもあるし、結論的な申入れは是非する必要があると、それからああいうような法案の出し方というものが適当であるかどうかということは、これはまあ実体とは関係がありませんけれども、大蔵委員会としては十分将来のために研究をしておく必要があると思いますので、是非それを取上げて委員会として研究を願いたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/65
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066・木村禧八郎
○木村禧八郎君 私も小林委員の御説に同感でして、特にあの中で一番問題になつたのはどういう産業の種類、範囲ですね、大体腹案があるのに明確にしないんですよ。それで主税局長に聞きましても大体十五億減税になる予定である。そうしたら具体的に或る対象があつて弾いたものに違いない。そうしなければ出て来るはずがない、そこが問題になるわけですね。どういう種類にこれを適用して、何に適用しないということになると、その間の不均衡を……それはいろいろな具体的になつて来れば各いろいろな産業それから業者、いろいろ意見が出て来ると思うんですよ。或る者には非常に恩典が与えられ、或る者には与えられないということになりますと……、それでもつとあれを明確に、殊に政令なんかについてももう少し明らかにしなければ、あのままでは非常に不完全だと思うんですね。それでやはり従つて小林委員の言われるように取計られんことを希望いたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/66
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067・平沼彌太郎
○委員長(平沼彌太郎君) そうしますると、各委員の御意見が同じようでございまするが、通産委員会に対してこちらの委員会で研究した結果を申出るというふうで如何でしよう。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/67
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068・平沼彌太郎
○委員長(平沼彌太郎君) その研究をいつやるかという問題を一つ……、速記をとめて。
午後三時二十三分速記中止
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午後三時五十二分速記開始発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/68
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069・平沼彌太郎
○委員長(平沼彌太郎君) 速記を始めて。本日はこれで散会いたします。
午後三時五十三分散会発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101314629X00419511214/69
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