1. 会議録本文
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000・会議録情報
昭和二十七年五月十九日(月曜日)
午後一時三十六分開会
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出席者は左の通り。
委員長 小野 義夫君
理事
伊藤 修君
委員
加藤 武徳君
左藤 義詮君
玉柳 實君
長谷山行毅君
岡部 常君
中山 福藏君
吉田 法晴君
片岡 文重君
羽仁 五郎君
国務大臣
法 務 総 裁 木村篤太郎君
政府委員
法務政務次官 龍野喜一郎君
法制意見長官 佐藤 達夫君
法制府法制意見
第一局長 高辻 正己君
刑 政 長 官 清原 邦一君
法務府検務局長 岡原 昌男君
法務府特別審査
局長 吉河 光貞君
法務府特別審査
局次長 関 之君
法務府特別審査
局次長 吉橋 敏雄君
事務局側
常任委員会専門
員 西村 高兄君
常任委員会専門
員 堀 眞道君
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本日の会議に付した事件
○小委員長の指名の件
○破壊活動防止法案(内閣提出、衆議
院送付)
○公安調査庁設置法案(内閣提出、衆
議院送付)
○公安審査委員会設置法案(内閣提
出、衆議院送付)
—————————————発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/0
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001・小野義夫
○委員長(小野義夫君) 只今より委員会を開きます。
先ず集団暴力に関する調査小委員長の選任の件を議題に供します。小委員長の選任は先般の委員会において委員長に一任されたのでありますが、本日委員長及び理事打合会において協議いたしました結果、伊藤修君を小委員長に指名いたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/1
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002・小野義夫
○委員長(小野義夫君) 次に破壊活動防止法案、公安調査庁設置法案、公安審査委員会設置法案、以上三案を便宜一括して議題に供します。
なお三案に対しては先般質疑は通告によることとし、質疑時間の割当は委員長に一任されておりますが、本日の委員長及び理事打合会におきまして協議の結果、本日より二十四日まで六日間先ず総括質問を行うこととし、一人当りの質疑時間は政府の答弁時間を入れて三時間半といたします。又関連質問はこの間は御遠慮願うことにいたしました。更に委員外議員の発言は第二次の質疑の際委員会において諮つた上許可いたします。なお御通告により、質疑者の順序は、伊藤君、羽仁君、一松君、中山君、吉田君、内村君、片岡君、長谷山君、左藤君、加藤君、以上であります。なお同一会派のお方で質疑時間の御融通をされるかたはあらかじめ委員長にお申出を願います。
それではこれより三案について質疑に入ります。先ず伊藤君に質疑を許します。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/2
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003・伊藤修
○伊藤修君 私は持時間も少いのでありますから、本日は大体本案に対するところの概括論について質疑をいたしたいと思います。
先ず第一にお伺いしたいことは、一体政府といたしまして最近の治安対策に対していわゆる法律のみを以てこれを賄おうとする考え方に対して私は大きな疑義を持つているのであります。御承知の通り、法律のみを以てすべてのことを規律するというあり方は、少くとも我々といたしましてはそういう考え方を否定するのが本来ではないか。私どもの過去の歴史を通じましても、法律のみを以てすべてを規制し得るとは考えられないのです。又そうした場合においては恐らくその国家の興隆というものはあり得ない、却つて逆な方向に行つて国家は崩壊の道を辿らざるを得ないというのは今日まで歴史が如実にこれを教えていると思うのです。然るに最近の政府の考え方の傾向というものはすべて法律のみを以てこれを規制して行こう、よつて以て治安の根本対策を立てよう、こういうあり方は私は却つて逆な方向にこれが進むのじやないかと思うのです。およそ今日に起るところの治安の実情というものは一体その原因がどこにあるか。或いは生活の面において、政治の面において、教育の面において、社会機構の面において、そうした面に果して今日の治安の実情が根ざしているのではないでしようか。これを考えずして、ただ現われた治安の実情に惑溺いたしまして、これを法律の力のみを以て防ごうという考え方はむしろ根本を忘れて末梢に走つているという傾きがあるのじやないかと思うのであります。或る人に言わせるれば政府は最近法律の化けものである、こういう批判をいたしているのであります。如実に政府の態度を示した比喩だろうと思うのであります。法務総裁とあられる人がかような考え方によつて今日の国内治安というものを賄い得るというふうに考えているのかどうか。もつと根本的の問題についてどういうお考えを持つているか、又どういう計画を立てようとするのか。先ずこの点をお伺いいたしたいと思うのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/3
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004・木村篤太郎
○国務大臣(木村篤太郎君) お答えいたします。国内の治安を維持するにつきましては、法律ばかりに頼るということのできないということは同感であります。その治安の建て方においては先ず民生の安定から図つて行かなくちやならないということは同感であります。政府におきましては、かような観点から決して治安立法だけに頼るわけのものではないということを確信いたしているのであります。併しながらこの法案を作成した根本的理由を申しますれば、現下の治安情勢というものはいろいろな面から考えられるのでありますが、最近におきまするいろいろの破壊的活動のよつて来るべき原因を見ますると、国際的に非常な動きがある面もあるのであります。又或るイデオロギーを以てこれを推進する面もあるのであります。必ずしも民生の安定、不安定というような面から来ているものとは考えられないのであります。政府におきましては本法案におきまして、いわゆる破壊的暴力活動をなした、又将来引続いてなさんとする団体を規制して行かなければ現下の国内治安というものは維持できないというような構想からかような法案を提出したゆえんであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/4
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005・伊藤修
○伊藤修君 私の質問に対するところのお答えは殆どないのです。私の質問いたしていることは、根本について政府は如何なる対策を立てているかということをお尋ねしているのです。立てていると言うだけではわかりません。どういう施策を打立てているのか、その点をお伺いいたしたいのであります。
なお現下の社会不安というものは他の国、或いはソヴイエトと言われるのでしようが、そういう関連を持つところの団体において行われるのだからこれを賄わなくてはならんという御趣旨も拜聽いたします。それならばなぜそうした団体にのみこれを適用するところの法律を作らないのですか。いわゆる極左に対し、極右に対しこれを賄うところの法律を作つたならば、却つて今日のごとき混乱をもたらすことはないだろうと思うのであります。いわゆる目的をはつきりした法律を作ることが当を得たものではないでしようか。その二点を先ずお伺いいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/5
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006・木村篤太郎
○国務大臣(木村篤太郎君) 政府といたしましては民生安定の面にいろいろな施策をなしているということは予算その他の面において極めて明瞭であります。公共福祉の面から、或いは経済振興の面から見て、農村振興の面から見て、あらゆる面から少くとも民生の安定において努力しているところであります。而してこの破壊分子の点につきましては、私は国際的イデオロギーという点からの破壊的危險が多分にあると申上げたのであります。それと同時に又いろいろな右翼分子の将来の破壊的活動の危險もなきにしもあらずであります。かたがた各方面の観点から国家治安を如何にして維持すべきかということを考えてみまするに、少くとも暴力的破壊活動は民主政治に対する一番の脅威である、民主的平和国家を建設するについては是非ともこの暴力というものを排撃しなければならん、暴力で以てこのような目的を達せんとするような活動に対してでは、政府は治安の面からして、是非ともこれに対処しなければならんという観点からいたしまして、現下の情勢上かような法案は止むを得ざるものと考えておるのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/6
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007・伊藤修
○伊藤修君 法務総裁の御答弁は、現下の治安状態にのみ惑溺いたしましてこれを防ごうという場合に猪突的にこの法案を出されているのであります。そうしたことより、もつとひるがえつて政治家として、政府の責任者として根本的なものを考える必要があるのじやないかと申上げているのであります。成るほど予算面においてお説のような面も現われているでしよう、併しそれが基本的な治安に対するところの根本問題を解決するために、殊にその予算措置が講ぜられているとは考えていない。普通ありきたりの当然なすべき事項を予算に計上したにすぎない。一例を以ていたしますれば、今日の教育制度が果して今日の国民性に、民主国家としてのあり方にそのままふさわしい方向に進みつつあるかどうか。戰後におけるところの国民道徳の頽廃、こういう問題に対しましても政府が適切な措置を講ずるところの教育方法をとつているかどうか。そういう面においても少しも考えられていないと思うのです。又基本的に国民生活の全体に対しましても、長く久しい間叫ばれているところの社会保障制度のごときは今日に至るまでまだ確立していない。食うに困つているところの国民の大多数を見返りもせずして、ただ一般政治常識の程度の政策を打立てて、それで以て足れりというのでありまして、国民の今日の実情がそういう基盤の上に置かれておつて、やむにやまれずして権力に対して暴力を以てこれを阻止しよう、暴力を以て打ちかとうというあり方はこれは不自然なあり方である。否定すべきあり方でありますけれども、過去の歴史に鑑みましても、すべて権力に対しましては、最後の段階になりますれば暴力に訴えざるを得ない。勿論我々としてこれを否定するのでありますけれども、そうした窮境に国民を追込まないように我々は根本的な点を先ず施策の面において解決して、然るのち必要なこうした法律を作るということも又首肯し得ると思いますが、この点に対してなお法務総裁の御答弁を促したいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/7
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008・木村篤太郎
○国務大臣(木村篤太郎君) お答えいたします。政府といたしましては、国家財政の許す限りの面において十分などとは申しませんができる限りの施策はやつているつもりであります。先ず最近におきまする軍人遺家族の問題といい、乏しき予算の中にも相当な考慮を拂つてこれらに対する救護方針を実施しているのであります。又国民保障の点におきましては生活保護法によりまして、困つた人たちを救助するというような面においても相当考慮いたしております。厚生方面においてもでき得る限りの見地からこれを実施しておるのでありまして、決して民生安定についてなおざりにしておるわけではないのであります。ただ現下の情勢又将来の見通しから考えまして、何としても早急に国内の治安を維持すべき必要上やむを得ざる見地からこの法案を作成した次第であります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/8
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009・伊藤修
○伊藤修君 法務総裁の御答弁では満足できないです。法務総裁がいわゆる一例を挙げられましたけれども、ひるがえつて考えてみますれば、今日の一般的国民の、生活の面においてこれを一つ例をとり上げましても直ぐわかることです。今日日本全国において衣食住のうちの住を賄い得ない者がすでに四十万戸と称せられております。野天に寢、或いはバラツクに寢、或いは又穴居生活をし、橋の下に寢て生活を営まなければならんという今日の実情ではないでしようか。これを全体賄うにいたしましたところが、僅か二十億か三十億の金を以て十分賄い得るというのに、こうした金を出さずして却つて警察予備隊に五百六十億の予算を計上する、二千億や三千億は易々たるものである、安いものであるという吉田首相の御答弁もあつたように伺うのですが、そうした面には多額の金を費やし、実際国民生活に如実に関係を持つ重要事項、即ち衣食住の安定という面について金を出し憎みするということが今日の政府のあり方ではないですか。かくてはいわゆる民主主義政治というものは私は成り立たないと思うのです。こうした点を先ず第一に政府はとり上げ、これに強力なる施策をほどこして、然るのち足らざるものを補う、こうしたやり方が最も適切な問題ではないでしようか。この問題を議論しておりますれば盡きないのですからこの程度にいたしておきます。
成るほど法務総裁のお説のごとく、暴力行為というものは飽くまで否定しなくちやいかんです。殊に民主主義を破壊するものである民主主義の敵である、これに対するところの法律的対策を立てるというならば、あえて私はかような法律形式を以てしなくとも、現在の国内法規によつて、十分事走りると思うのです。仮に刑法の集団暴力に対するところの規定をとり上げましても、内乱罪、或いは騒擾罪の規定があるのです。若しこれによつて賄い得ないといたしましても、暴力行為等処罰に関する法律がある。この暴力行為等処罰に関する法律の條文に一條か二條を加えますれば、いわゆる法務総裁の考えられるところの集団暴力に対するところの法律体制というものは十分賄えるのです。にもかかわらずこうした法律を作り、世論の一大反撃にあうて物情騒然たらしむるということは、私は法務総裁の法律構成に対するところの御見解において余りに誤りがあるじやないかと思うのです。若し政府において考えられるごとく、この種の集団暴力行為の刑事処罰ということの以外に、これらのものの属する団体をも処罰しようというならば、他に団体に対するところの一つの取締法規を別に作成するということもあえて又差支えないじやないでしようか。かような形式を以ていわゆる団体の規制と個人の規制と二つを一個の法律に賄つて、そうしてこの種の団体を取締ることを主たる目的とはいたしましようが、この法律が一たび施行されますれば、法務総裁が企図されるところの団体にこれが適用されずして、却つて正常な団体、合法的に民主的に運営されるところの団体、こうしたものに適用されることは火を見るよりも明らかです。なぜそういう処置に出でなかつたか、現行法規において賄うか、若しくは現行法の一部の改正によつて賄わないか、その点に対して法務総裁の御見解をお伺いいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/9
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010・木村篤太郎
○国務大臣(木村篤太郎君) お答えいたします。かような法律を作らなくても刑法或いは暴力行為取締法等の改正によつて賄えるのじやないかという御議論でございますが、全然我々は見地を異にしておるのであります。尤も刑法においては内乱罪の規定あり或いは騒擾罪の規定あり、その他殺人等の規定は設けてあるのでありますが、この法律の趣旨とするところは、内乱を企図したり、騒擾を企図したり、而してそれを暴力によつてやろうというその団体を主として規制する点にあるのであります。成るほど刑法では、内乱、騒擾の罪は賄えるでしよう。併しなが
ら今申上げました通り、団体の意思を以て不法に反乱を企図して暴力、破壊
活動をなすような団体は、これは賄えないのであります。而してかような団体を賄うということは、これは治安の責任を担つておるところの政府において、これはやるべき仕事であります。行政措置としてやるべきことであります。そこでこの法案におきましては、先ず第一に、政府が当面の治安の責任
者として、かような不法な暴力、破壊活動をなす者の団体を規制して行こうということが狙いの一つであります。それと同時にかような危險極まる行為をなした者の処罰を規定して行こう、この狙いであります。いわゆる両々相待つて現下の治安の保持に対処する目的に出たるものでありまして決して刑法では賄えないと考えております。又暴力行為取締令の一部の改正だけでは賄えないと考えましてこの法案を作つた次第でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/10
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011・伊藤修
○伊藤修君 現行法規において賄えないということは、それは法務総裁の御答弁としては適切じやないと思うのです。恐らく法務総裁の法律的常識を以てするならば、若し法務総裁が野にありといたしますれば私と同様なお考えをお持ちになると思うのです。不幸にして政府の要路の一人としてお立ちになつてこの法律の説明を担当せらるるために、さような御意思にもない御答弁がなされたと思うのです。私は今日の法律体制において十分賄える、見解の相違じやないのです。若しも法律を真に研究なさるなら、又識者や学者の世論を御聽取になりますれば、この点は十分私は私の主張の正しさを証明して余りあるものと思うのです。何を苦しんでか、かような物議をかもすような法律を出さなくちやならんのでしよう。要は、結局今の御説明によつても、意図するところはこの種の団体を規制しようということが主たる目的であるのです。それに便乗いたしまとて、これらの団体の構成員が政府の意に充たざるところの行為をなしたときにおいて重く処断しようと、こういうお考えに過ぎない、主要な点は団体の規制にある。然るに一体団体が、若しくは団体の構成員が、こうした破壊を主とするところのいわゆる破壊活動をなした場合において、この団体そのものを処罰するというあり方が法律理論として果して是認できるかどうか。勿論お説のごとく行政処分としてこれをなすという仰せでありますけれども、法律の上においては名を行政処分に借りてその実体は団体に対するところの準司法的処分をなすのです。いわゆるその構成員がなした行為責任に対して団体にその刑罰的責任を負わしめようと、こういうあり方であります。一体団体に対しましてこうした処罰をなし得るところの法律根拠があるでしようか、いわゆる連座の観念をここに持つて来たと言わなくちやならんと思うのです。およそ人の行為に対しまして、他人がその行為の結果を背負わなくちやならんという理論は私は容易に認められないと思うのです。この点に対して法務総裁の御見解をお伺いしたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/11
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012・木村篤太郎
○国務大臣(木村篤太郎君) お答えいたします。この法案は決して団体を処罰するというのではありません。いわゆる行政処置をするのであります。申すまでもなく民主的平和国家において許すべからざる暴力的破壊活動を行い、又は将来行うことの危險のある団体を行政処置をしようとするのであります。決してこれを刑罰とは考えていないのであります。ただ団体の構成員なり或いはその他の者が団体の活動としてかような危險な許すべからざる行為をなした者に対しては、これは刑罰を以て臨まなければならんということでありまして、決して二重処罰でも何でもないのであります。
又先刻伊藤委員からこの法律運用の結果公正なる団体までも規制されるんじやないか、そういう危險があるんじやないかという御議論でありましたが、我々は決してさようでないということを確信して疑わないのであります。法律上許されたる団体が正当なる行為をなす以上においては、この法案のどこをみても処置されるというような懸念は毛頭ないのであります。要はいわゆる民主国家において許すべからざる暴力的破壊活動をする団体を規制して行くというのであります。およそ正常なる団体が内乱を企図したり、或いは騒擾を企図したりするというようなことは我々は想像できないのであります。若しも仮にさようなことを計画的にやろうという団体ありと仮定せば、それは正常なる団体の仮面をかぶつてそうして裏に廻つて民主国家にあるべからざる破壊的活動をなそうとする団体でありますから、これは国家治安の面からこれを規制して行くというのは当然のことと考えるのであります。要するにこの法案は毛頭も正常なる団体活動を規制して行こうという趣旨ではありませんし、又さような懸念もないことはこの法案全部を通じて明々白々であるとこう考えておるのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/12
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013・伊藤修
○伊藤修君 只今の御答弁によつて二つの問題を投げております。先ず第一にはいわゆる団体に対するところのこの法案によるところの処置はいわゆる行政処分である、こういう問題が一つと、第二はいわゆる適法に組織され、運営せられるところの団体に対しましてはこの法案は勿論適用されないのだ、そういう慮れは毛頭ないんだというその点であります。
先ず第一の点について重ねて質問いたしたいと思います。法務総裁は刑罰の本質を何と心得ていられるのですか。およそこうした処置というものはその本質は刑罰でなくてはならんです。団体に対しまして解散を命ずるということは、或いは行政処置として本質上これを是認できるかも存じません。併しこれらの団体に対しまして公正に加入することを許されない、若しくは脱退を命ずる即ち団体から追放を命ずる行為であるとか、或いはこの法律の反射効力によりまして言論の自由を抑圧する、規制するというあり方が果して行政処置として考えられるかどうか。そのこと自体は人の基本人権に関することであり、人の自由を制約することである。してみますればその本質は行政に名をかつたところの準司法的なものであり、且つ又本質は刑罰に相応するものといわなければならんと思います。およそ今日の政府のお考え方としては、この法律のみではない、すべて行政処置によつて何事もなし得るという考え方です。これは恐るべき私は考え方だと思うのです。時代逆行的な恐るべき考え方だと思うのです。旧憲法、徳川時代ならいざ知らず少くとも新憲法が民主主義国家として育成され、基本人権を保障し、司法権の立を認め、平和主義を徹底せしめようとするこの憲法の大理想の前においては、かような考え方は今日限り拂拭すべきものではないかと思います。行政処置というものは国民の福利増進のために政府の考え方が行われるものであつて、政府の考え方はすべて正しい至大至高な公正なものと考えることは根本的に誤りなんです。日本の国民及び政府の考え方は、常に政府のなした行為はいつも正しいんだという前提の下に立つからこういう法律ができるわけです。法律を作る場合におきましては最悪の事態を基本にして法律を作らなくちやならん、政府といえども人間であります、誤りのあることは当然のことです。又政府のなしたことがいつも正しいというならば何をか言わんやです。それは独裁政治の尤たるものです、全体主義の尤たるものです。先ず政府みずからが自己の行為の誤つた最悪の場合を想定して法律というものを作らざるを得ないのです。然るにこの法律の建前というものは、政府のなすことはすべて正しいんだ、すべて認定によつて国民の行為、不行為を破壊活動だという認定ができるという考え方のごときは最も非民主的な考え方だといわなければならない。かような考え方の下にこの法律が立案されておるということは由々しい問題である。こうした考え方が例えば出入国管理令のごとき場合にも現われておる。その他の最近の立法例に非常に現われておる。法務総裁が今日その胸中に秘しておられるところの戒嚴令的な法律、非常事態措置法のごときはこうしたお考え方の一連の現われではないでしようか。この考え方は是正しなければならんと思うのです。行政処置の限度というものをもう少し考えて頂きたい。行政権で何でもできるというお考えは是正しもう少し謙虚な気持にならなければならないと思うのです。これが第一点です。
それから第二点として、政府は正しく運営される組合団体に対しましては本法は適用されない、いわゆる破壊活動を目的とする団体にのみ法律は適用するのだ、全くその通りです。併し法律の狙いはこうした破壊活動団体を規制するために法律は作つておる。その目的とする団体は却つて地下にもぐつてしまうのです。団体を解散してしまうのです。我々の認識の中にその団体というものを認められない状態において、俗にいう地下にその団体を構成し以て破壊活動をするのです。その場合においてこの法律はむしろ完全に適用されない。而してこの法律が適用される場合は正常に活動されておるところの団体が、例えば政府の施策に対しまして非違を唱える、反対を唱える、改正を唱える、こうした場合に多くの適用があるといわなければならんのです。過去の例においてこれは示しておるのです。治安維持法のごときが最初の立法の場合におきましては、法務総裁のおつしやるごとくこの種の行為をなした者にのみ適用しようとして作つた。然るに実際はそうした法律の目的とするところの行為者に適用せずして枝葉末節な、この教授がこういうことをしやべつた、或いはこうした本を出した、そういう方面にのみあの法律は適用されまして、有為な人材を地下にほうむつた実例があるのではないでしようか。今度の場合にもそうです。この法律の企図するところは実際につかめずして、失礼ですが、今日の特審局の構成においては到底さような目的を達し得るとは考えられないのです。ここに局長もいられるようですけれども、局長ができると言うならば、なぜ地下に潜入したところの共産党の八幹部が今日に至るも逮捕できないのですか、かような易々たる問題ですら手に負えないじやないですか。いわんやこの法律を作つて、そうしてこの大理想がその目的を達成し得るとは到底考えられないのです。却つてこの法律はそうした正常な団体の組合活動、社会運動、こういうものに多く適用せられることが火を見るよりも明らかであると思う。それに対しましては本法においてそういう者に対しては嚴に適用してはならないという規定がある、こういうお話です。又そういう御見解のように拜聽しておるのです。併しこの法文に謳つてあるところのものはいわゆる訓示的規定に過ぎない。何々してはならないと、これは当然のことです。いやしくも政府の当路者、権力者がさような目的に法律を悪用してならんことは法に書くを待たないことである。どんな法律でもかような規定が書いてなくても当然さような目的の法律を作つてはならないということは言うを待たない。にもかかわらずこの法案においてそうした訓示的規定を書かざるを得なかつたというのは、それだけこの法案の施行後におけるところの危險性があるということを政府みずからが自認してこの條文を入れたのではないでしようか。こんな言訳をしなくちやならんほどの危險性をこの法律自体が証明して余りある。いわんやこの法律は訓示的規定を入れつ放しですよ。どこに保障があるのか。この訓示的規定に違反した場合において、それらの官公吏、権力者に対しまして如何なる処罰をするということがここに明示されておるのですか。そういう点は少しも明らかにせられていない。いわゆる單なる訓示的規定であつてこれに対するところの裏付けというものが毫末もない。或いは刑法においていうところの職権濫用罪を以てこれに裏付けしようというお考えがあるかも存じません。沸し少くともこの法律において規定するところのこの訓示的規定に違反したからといつて、直ちにとつて以て職権濫用罪に適用するということは不可能である。してみますれば本法においてこれを裏付けしてこそそういうことが言い得ると思うのです。この二点について法務総裁の御見解を伺いたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/13
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014・木村篤太郎
○国務大臣(木村篤太郎君) 治安の責任者である政府が、いやしくも暴力主義的破壊活動をした団体、又はせんとする団体を規制して行くということは政府の責任においてなすべき当然の義務であると思うのです。政府が必ずしも万全でないということは認めておりまするが、少くとも治安の責任を持つておるところの政府がかような破壊的暴力活動をなす団体を規制して行かないということはむしろ国民に対する義務を果さないことであろうと私は信ずるのであります。恐らく伊藤委員の御質問の裏にはなぜ行政処分にせずにこれを裁判所へ持つて行かないかというような私は御意見であろうと考えております。それは私は三権分立の建前からさようにあつてはいけないということを固く信ずるものであります。先ず政府が責任を以て行政処分をなし、その処分に不服があつた場合には最終的に裁判所で公正な判断を求めるということでありまして、初めから裁判所においてかようなことを規定するということは、裁判権の行政権に対する私は干渉であると信じて疑いません。さような意味合を以ちまして、先ず当面の治安の責任者である政府がかような破壊的暴力団体を規制して行くということは国つ民に対する義務であると私は考えでおる次第であります。
なお伊藤委員の今のお言葉によりますると、この法案の運用によつて或いは政府の施策を批判したり、攻撃したりした団体は規制せられるのではないかというような御意見でありまするが、全然さようなことはないということを申上げたいのであります。政府の施策を攻撃したり、或いは施策を批判するということはこの法案において何らその対象となつていない。少くとも民主国家においてあり得べからざる暴力的破壊活動を行なつて、自分の政治上の意見なり、或いは目的なりを達成しようとするさような団体を規制しようというのでありますから、ただ單に政府の施策を攻撃したり、或いは批判したりする団体というものは毛頭もこの法案の対象となるものではないのであります。
而して伊藤委員は、この法案第二條においていろいろ訓示的の規定が設けてある、その裏にはさような危險があるからだという御意見のようでありますが、この第二條を設けましたのはいわゆる準則であります。これは近頃の終戰後の法律においてしばしば見るところであります。法案の目的とするところ、或いはその準則とするところを先ず法律の当初に掲げてその趣旨を明かにし、その運用を誤りなからしむることを広く公知せしめるという建前をとつておるのであります。この法案もその建前に準じたのであります。而して若しこの法案を実施するに当つていやしくも濫用の行為をする者があれば、これは刑法の所定、或いは国家公務員法において処罰されることは当然でありまして、毫もそういう行為に対して政府は仮借することはないのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/14
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015・関之
○政府委員(関之君) 総裁のお答えにつきましてなお補足的に伊藤委員からの御質問に対しお答えいたしたいと思うのであります。それはこの法案に規定する団体の規制ということは、それは何といつても人権の制約になるからこれは刑罰ではないかというような御質問の点でありまするが、この点につきまして政府の考え方を申上げてみたいと思います。刑罰の本質につきましてはいろいろの見解があるのでありまするが、要するにそれは過去の或る違法行為に対しましてその責任を問うというところにその本質があると思うのであります。ところでその責任を問う方法として自由権を制限するというようなことが一般な例になつておるわけであります。ところがその結果から見て、いわゆる自由権の制限ということがすべて刑罰かということに相成りますると、これは私どもはさように考えていないのであります。すでに現行法におきましても刑罰によらず行政によりまして各種の自由権が制限されておることは申すまでもないところでありまして、簡單な一、二の例を御紹介申上げましても、例えば最近まで続いておりまする経済の統制、米穀の供出であるとかいうことは申すまでもないことで、その他各種のいろいろな立法例におきまし危險を予防する意味におきまして、自由権に対して各種の制限を加えておることは多くの立法例を私どもは現行法において数えることができるのであります。かような行政措置による自由権の制限は、要するに全体の国家の公共の安全、公共の福祉というようなものの危險、それが與うる危險の度合というものとの相対関係におきまして考慮して、これに対して所要の規制をなし、而もその規制の手続は嚴に合憲的な公正な手続を以てこれを行いますならば、憲法の線に沿つてこれを行うことができることに相成るのであります。そういたしましてそれらの手続によつて公共の福祉を確保するということは、もとより憲法の認めるところであると思うのであります。この法律における団体の規制は、過去において暴力主義的破壊活動というようなこの危險中の危險な活動をいたした団体がありまして、その団体が将来において継続又は反覆してという條件の下に、その危險性を除去せんとするものでありまして、かような危險な活動をなす団体の将来の危險性を予防するというこ
とは、この法案に規定する手続を以て行いまするならば、もとより私どもとしては憲法の精神に合致するものである、而もそれは行政と司法との対立している憲法におきましては、これはもとより行政の措置として行うべきものである、それがもとより正常な措置であると考え、信じておる次第であります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/15
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016・伊藤修
○伊藤修君 只今の関君と法務総裁とのお答えを総合いたしまして、私は重ねてその点について質問いたします。
それは刑罰の本質は、今関さんがお述べになられたことで正しいと思う。併しその限度において、いわゆる例えば統制法規において処罰規定があるとか、或いはその他の行政措置についていろいろな制約規定があるとかというのは、その限度において秩序を維持する程度にこれを制約されておる。法が企図するところの法益と、その法益を犯した者に対してその責任を問うという場合においては、その法益を守らんとする、その法益を維持するにふさわしいところの基本人権の制約である、いわゆる嚴密に言いますればこれも一つの基本人権の制約である。従つて広い意味におけるところの一つの懲罰である、刑罰である。併し今日の立法体制においては、この種の程度は認めておる、これはお説の通りですよ。併し今日の問題になるところのこの法案におきましては、規制せんとするところの法益と、それによつて紊した者に対して処罰するところの秩序罰と余りに権衡を失し過ぎている、逸脱している。私の申すのは、行政の権限を超えたところのものをこれによつて望もうとしておる、この傾きが行政権優越主義の根本的な誤つた考え方から出ているのではないかというのです。行政権を以てするならば、公の秩序を維持し、公共の福祉を守ろうとするためには、行政権で何事もなし得るのだという、この考え方に大きな誤りがあるというのです。若しその考え方を是認するならば、再び日本は軍国主義、全体主義国家にたちもどる危險が多分にあると言わなければならんと思う。今日立法傾向というものが復元的である、これは国民一般が指摘しておるところですよ。一にも二にも過去を夢み過去に憧憬して、法律の傾向が過去に戻ろうとしつつある。この傾向が実に我々として危險極まるあり方だと思う。その現われが本法において現われておるというのです。行政権を以てするなら何でもできる。行政官庁が意図するところのものを国民が守らなかつたならば、それに対しましてはどういう制裁も加えるのだ。こういうあり方は危險極まるものであるというのですよ。これを逆に考えますれば、政府の当路者が考えたことに国民が従わなかつたならば裁判所の手を煩わさずして先ず以て行政庁が処罰してしまう、こういう考え方ならばそれは取りも直さず全体主義思想の現われと言うても適言ではないですか。そういう考え方は改むべきだというのです。先ずその点についてお答えを願います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/16
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017・木村篤太郎
○国務大臣(木村篤太郎君) 行政権の行使をして政府は何でもなし得るようなことはいかんじやないか、これは御尤もであります。政府はさような万能なものとは考えておりませんが、当面の治安の確保の面から見まして、暴力的破壊活動をするようなことは、この民主文化国家において許すべからざるものであるということを私は考えているのであります。これは一たび日本の治安が乱れますると、それこそいわゆる国家の元も子もなくなるのであります。治安の責任者である政府はこの見地から何としても当面の治安を維持すべき責任があるのであります。それに対処いたしましてこの法案が作成されたのであります。いわゆるその守らんとする法益は、一般的の国家公共の福祉という面から私は言つているわけであります。一個の人権を守るために多数の人権が侵害されては相成らんのです。私は常にそれを考えております。一つ一つ個人の人権を守るに急にして大多数の人権がそれのために破壊されるようなことがあつては相成らんのであります。我々が社会生活、国家生活を営むにおいては国民の大多数の人権を先ず擁護して行かなければならん、いわゆる公共の福祉の観点からこの点は強調されるのであります。その面から見て何よりも現下の情勢下かような暴力的破壊活動を行う団体というものに対しては、全般的国民の人権を擁護する、即ち公共の福祉を守る意味において、是非ともこれは必要と考えているのでありまして、政府といたしましては行政措置を以て何事をもなし得るものであるというような考え方は毛頭持つていないのであります。これは最小限度の私は行政措置と、こう考えているのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/17
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018・伊藤修
○伊藤修君 いわゆる一つの基本人権を守るために大多数の基本人権を害することを避けなくてはならん、これは当然のことです。お説の通りです。併しその反対に、大多数の基本人権を守るために一つの基本人権を毀損してもかまわないという議論は成り立たんと思うのです。少くとも民主国家のあり方といたしましては一つの基本人権をも我々は尊重しなくてはならん。アメリカの国会のあり方といたしましては、たとい国民の一人のためにも立法形式を以てその基本人権を保護する建前をとつておるではありませんか。我々は最大多数の権利を擁護すると共に最小限の基本人権も又尊重しなくちやならん。これはつとめて為政者は常に考えなくてはならんと私は思うのです。だから法務総裁の今のお言葉は、恐らくその一つの基本人権をも犠牲にしてもかまわんという議論ではないと思います。併しそれは誤解されるといけませんから、私は念を押しておきたいと思うのです。そうしてこの法律が、今御説明になりましたごとく、破壊活動いわゆる暴力行為をしなかつたならば如何なる批判をいたしましてもこれに適用しない、こう仰せになりますが、それは通常の場合であると思う。政治問題に対しまして政府に反撃し、その意見の激高のあまり聽衆はわいて、聽衆のなかに、その団体に属する者及びその他の者に、多数の者がこれに雷動する者がありまして、その道々においていわゆる法律の明示するところの破壊活動があつたならば、本法において直ちにその団体は破壊活動と認定せられることは必然の結果です。例えばこの間のメーデーの場合におけるところの暴力行為というものが、暴動というものが、直ちにこの法律の適用を受くることは必然の結果です。又その種の暴力行為が将来持続するかどうか、又将来そうした暴力団体としてあり得るかどうかという認定は、一にかかつて政府の行政機関にあると思うのです。生殺與奪の権限は行政機関の手中に存するのです。して見ますれば、これほど基本人権を掌握するところの大なるものはないのです。裁判所において、基本人権の保護の殿堂として国民が最高裁判所に付與したところの、担任されたところのこの権限を、この法律によつては行政機関が先ず把握して、そうしてその結果不服があるならば裁判所へ持つて行く、こういうあり方です。併しそういうあり方は、一度行政処置によつて基本人権は破壊されてしまうのです。破壊された事後処理として、最高裁判所に持つて行つても、国民の受けたところの損害、基本人権の制約、そうしたものは再び元に戻るものではないのです。この考え方はアメリカにおいても相当問題になつて、先ず裁判所にこれを委ねるべきであるという考え方になつたことは御承知の通りです。ただ問題は、裁判所に委ねた場合において、裁判所の現在の機構のあり方からいたしまして、早急にこれらの問題が解決できないというので、先ず行政処置を望まれたことと思うのです。併しそれは便宜主義であつて、国民の基本的人権というものを犠牲にした政府の便宜的な考え方です。むしろこの種の破壊活動をする者に対する規制ならば、他の方法を十分考え得られると思うのです。又この法律が企図しておるようなあり方で参りますれば、行政処置をし、六カ月の機関紙の発行を停止したという場合におきまして、この停止は再び繰返されることは火を見るよりも明らかです。いわゆる盥廻しをされることは、恐らく想像にかたくないのです。仮にしないといたしましたところが、六カ月の規制をされ、そうして裁判所に仮に訴えましたところが、その間においては、何らこれに対するところの保護手当というものが考えられないのです。こういうような重大な結果を行政権が握るというあり方は正しくないと思うのです。なぜ政府はこれに対しまして、およそ基本人権を尊重する新憲法の建前から言つて、行政権においてかような大それた考え方を以て処置しようとせずして、なぜ裁判所にこれを委託しないか、この点について法務総裁の御答弁をお願いしたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/18
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019・木村篤太郎
○国務大臣(木村篤太郎君) 伊藤委員が大分前の団体の規制について誤解なすつている点があるやに思われますので、簡単に申上げたいと思います。只今の御意見によりますると、政府の施策を批判して、そうしてたまたま多衆が騒ぎ立てる、そういう場合にもこの法案の適用があるんじやないか、或いは又この間のメーデーの際のごときあの暴動に加わつたもの、その他の点が問題になるということですが、この法案の趣旨とするところは、いわゆる団体の活動として或いは内乱とか騒擾とかいうことを企図して、暴力的破壊活動をなす、そのものを言うのです。さような一時的の、何も団体の活動としてなさぬような団体に対しては、これはこの法案の対象となるものじやないのであります。どこまでもこの法案の建前といたしましては、団体の活動として暴力的不法活動をなそうとするものを対象とする、又なしたものを対象とする。一時的に政府を批判し、それがために騒擾を起したりしたというようなものについては、この法案の適用はないのであります。
次に行政処置の問題でありまするが、先刻申上げましたように、何としても政府は治安の第一の責任者であります。治安の維持を図つて行かなくてはならんのです。いやしくも暴力的破壊活動をなしたような団体、これは日本の治安を維持するという面から見て、このまま放置することはできない。これは行政権の作用として、どうしても政府は自己の責任において処理すべき事案です。申すまでもなく裁判所は、裁判所法によつて争訟事件を処理することになつている。争いになつておる事件を処理する、これが本来の裁判所の建前であります。そこでこの政府のなした行政処置が若しも不法であり、違法であるということであれば、いわゆる争訟事件として裁判所はこれを処理すべきものであるのであります。そこが日本の三権分立の私は建前であろうと考えるのであります。裁判所が直ちに、政府の責任として処置すべき事柄をみずからがやるということは、これはよろしくない。政府が自己の責任においてなした処置に対して、その処置の当、不当の問題が起つた場合に、初めて裁判所がこれに関與して最終的の断案を下す、これが私は三権分立の建前と考えております。而して政府はこの認定につきましては、極めて民主的に、いやしくも世間の疑惑を招くような虞れのないように、最大の私は注意を拂つておると、こう考えておるのであります。この点につきましては、いずれ逐條審議の際に十分申上げたいと、こう考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/19
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020・伊藤修
○伊藤修君 只今団体の活動として、別に私はそれを誤解しておるのじやないのです。成るほど団体の個人の者が個々に破壊活動、暴力行為を行つた場合において、直ちにそれが団体と認定し得ないことは、それは明らかです。併しその個人の破壊活動が団体の破壊活動としてと、その認定は誰がするのですか。それはこの種の事案を取扱うところの行政官庁そのものがやるのじやないのですか。して見ますれば、あなたも裁判所に長い間御経験のあられるかたで、この種の事案が仮に裁判所に取上げられた場合においても、容易な問題じやないのです。いわんやこれが一行政官吏の考え方によつて処置されるという場合において、たまたま団体構成員の一人が暴力行為をなした場合において、それが団体の活動としてとの認定は、仮に陳弁これ努めたところが、その行政官吏がそうであると認定したならば、直ちにその団体は破壊活動団体となるわけじやありませんか。あなたのおつしやることはそれは純理論で、正しい能吏の場合に限つてはそういうことがあり得る。併しあなたみたいな人が末端の官吏に全部配置されるとは考えていないです。何万へと今日申しますれば、例えば警察官吏にいたしますれば、十三万人といううちに一人もあり得ないと申上げても失礼ないでしよう。あなたみたいな人が十三万人おつて第一線に活躍して頂けるならば、恐らくこの法の運用は正しきを得るでしよう。併し不幸にして、今日の我々の社会機構の上におきましては、そうしたことは理想であつて、求められることはできないのです。あなたの考え方がそうであつたところが、これを現に取扱う末端官吏はそうは扱わない。いわんやそうした者の収集して来た材料を一行政官吏の調査官若しくは審査官、これらの人によつて容易にこれが認定されるところに危険性があるのでありますから、団体構成員の一行為がその破壊活動の団体としてと、法文に一つの枠がはめてありますけれども、結局はその枠は有名無実に終るのじやないか、その危険性がある。でありますから若しこの法律に対しまして、あなたのお考えのようなふうに行こうとするならば、この定義を明らかにしなければならない。こういう場合において、何らかの制約をつけないというと、一行政官の認定によつて、いつも破壊活動を目的とする団体に烙印付けられる虞れがある。この危険性を我々指摘したいのです。これに対して法務総裁の御答弁を承わりたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/20
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021・木村篤太郎
○国務大臣(木村篤太郎君) お答えいたします。伊藤委員の御意見は全く御尤もであると私は考えております。併しこの法案においてはその御疑念に対して十分な考慮を拂つておるのであります。勿論調査官はこの規制の前提として、いろいろの事項についての調査をいたします。併しながら調査官はその調査に基いてみずから決定するのではないのであります。調査に基いてその違反事項がありとすれば、その処分についての請求をいたすのであります。その請求に基いて、果して最終的な行政処置についての判断は誰がなすのであるか、これが一番問題であります。そこで我々非常に考慮した結果、この調査について最も公正にやりたいということがこの法案の狙いであります。これにつきましては、いわゆる公安審査委員なる制度を設けたのであります。この公安審査委員は国会の承認を得て法務総裁がこれを任命するということになつております。而してこの公安審査委員なるものは、あらゆる階層、即ち労働関係であるとか、或いは法曹関係であるとか、或いは文化方面、或いは宗教方面からというような面から達識な人を選んで、そうしてこの人たちの会議の結果、最終的決定をなしてもらうということになつておる。而もこの決定をするについては何らの拘束も受けない、独立した意見を以てこれを最終的の判断に委ねるという建前をとつておるのでありますから、只今伊藤委員の仰せになりましたような独断的な処置というものは、なし得ない建前になつておるのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/21
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022・伊藤修
○伊藤修君 問題がだんだん先に進んでしまいますけれども、ついでですからその点に質問を移して参りますが、今法務総裁のお答えによつては、これは法務総裁はさようにお考えになつておるかも存じません。善良なる法務総裁として恐らくそうお考えになつて、そういう確信の下に本法に対して御説明しておられることとは思います。併し不幸にして、それは現実とは一致しないのです。法務総裁のお考えは現実に対しましてズレがある。例えば今御説明になりました調査官により調査され、これが審理官に廻され、審理官の手許において両者の意見……調査官の意見はこれはうちうちの意見である。主としてこの被害を受ける団体、即ち破壊活動をなした団体の側に対するところの意見なり申立なり証拠なりの提出ができることになつておる。併しそれは公開といえども、殆んど秘密審理で、限られた人の公開に過ぎない。これらのものによつて必要な証拠が提出され、陳述がなされる。これは調査官の意見と併せて委員会に持ち込まれるに過ぎない。
〔委員長退席、岡部常君委員長席に着く〕
これに対しまして相手方、即ち調査官の収集したところの証拠に対して反駁する機会は恐らくあり得ないと思う。又破壊活動として容疑せられたところの団体においては、それに対してそうでないという証拠を出した場合において、これに対して衆議院においては修正されておりますけれども、なお且つこの証拠に対しまして必要としないものは採ることを要しないということになつております。裁判官の場合においては、良識あるところの裁判官が自由心証の下において、必要であるかないか、これを採択するところの権能を付與することも又差支えないでしよう。併し一行政官の、而も下級官吏に対しまして、その必要であるかないかの証拠の採択権を與えるということは、この点においてすでに大きな障害があるのです。いわんや相手方の、いわゆる調査官の出されたところの証拠に対しまして、これに対するところの反駁する機会は與えられていない。十分な反駁資料を添えて或いは出し得るという御見解かも存じません。併しそれはいずれにしたところが、書面審理のあり方に過ぎない。両者の言い分を公正に意見を聞いて、自由なる心証の下に裁断を下すというあり方ではないのです。一にかかつて行政処置の延長に過ぎないのです。成るほどこの委員会を構成するところの人が、有識のかたがたが携わられるとは存じますが、併しこのかたがたにしても、神様でない以上は、両者の言い分が具さにこれが根抵にまで立入つて調査ができるかどうか、又当事者にこれらに対するところの機宜に適したところの証拠の提出を許していない以上、或る限られた資料と、限られた主張と、その範囲内においてそれを決定せざるを得ないじやないでしようか。今度衆議院において修正されまして、調査権をも與えられると聞いておりますが、併しこの調査権においてすら、調査をする、機関というものは何ら加味せられていない、できるというに過ぎない。これらの少数な委員、四、五人の委員がその事案に対しまして徹底的に糾明して、あらゆる証拠を収集するということは、事実上不可能であります。むしろ弾効的に双方にこれらの資料を提出する機会を與えて、陳弁し反駁する機会を與えてこそ、初めて公正なるところの判断が下し得るものと考えられます。それをせずして、ただ形式的に一つの機関を通過せしめるだけで、基本人権がそこにおいて保障されておるという考え方は、余りに甘きに失すると思うのです。
殊にこの審理制度に対しまして多大の疑惑を持ちます。私がに上げるまでもなく、この一つの事案を取上げた場合において、その本質は物を白黒と判断する、即ち我々の基本的人権を制約するところの結果をもたらすものであります。成るほど調査官、審理官においてされる程度は、行政処置として百歩讓つてこれを認めても、これを調査決定するという委員会制度のごときは、憲法の七十六條において、如何なる名目を以ても日本においては他の裁判所を設けることはできないというこの條文からいたしましても、名前は裁判所と言わないけれども、その本質は裁判所と何ら異ならない。かような本質的に裁判機構を掌る他の名目を用いた裁判所という一つのあり方を設けるということは、本質的に憲法違反ではないかと思うのであります。この点に対して法務総裁の御意見を伺いたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/22
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023・木村篤太郎
○国務大臣(木村篤太郎君) 先刻来申上げましたように、この暴力的不法活動団体の規制というものは、政府が責任を持つてやるべき行政処置なんであります。そこでこの行政処置は治安の面から申しまして、これは急速にやらなくてはならん。これを急速にやらないと、治安の目的が達せられないのであります。そこで考えたのが、その目的に副いながら、如何にして民主的に事を運んで行くかということであります。申すまでもなく、この行政処置を以て団体の解散を即時にやる法律が幾つもあるのであります。旧法にもある、又終戦後の法律にも、政府が単なる行政処置を以て直ちに解散を命ずる法律が幾つもあるのであります。元来が、行政処置として政府で責任を持つてやるべき事案であるのでありまするが、今申上げました通りかような面につきましては、できる限り民主的にやることが望ましいのであります。而うし如何にしてこれを急速にやるべきか、この面から考えたのがこの法案の手続であります。成るほど調査官は、これは法務府の役人には違いありません。併しこの人たちも、私は全然悪意を持つてやるとは考えられません。行政官といえども国家の役人である、いわゆる国民の公僕でありまするから、これを悪い面から見て、何でも不法なことをやるのだという考え方は、私は持ちたくないのです。いわゆる国家の公務員として公正な取扱いをすべきものであり、又すべきことを本人らは考えておると私は一応こう考えてよかろうと思うのであります。そこで、この人たちが調査した結果は、これは問題になつて来るのであります。これにつきましても、この法案におきましては、ほかの法案に見られないような詳細な手続を設けてある、いはゆる当事者の陳弁を聞くのであります。団体構成員、その他五人までは、これはいわゆる審理と申しましようか、その取調べに立会うことができるようになつておるのであります。又その取締りにつきましては報道機関の人たちもこれを立会わせるのです。いやしくもこの不法のことはないように、できるだけ公正に図りたいというので、報道機関の人もここに立会う、そこできめるのであります。そこで一応きまつたものを審査委員会へ持つて来るのであります。それで審査委員会は先刻申上げました通り、我々の構想といたしましては、国会の承認を得て天下有識の人を選び、そこで判断をしてもらう、こういう建前をとつておるのでありまして、我々といたしましてはでき得る限り最大の民主的な処置とこう考えておる次第であります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/23
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024・伊藤修
○伊藤修君 どうも法務総裁の御答弁を伺つていますと、官吏は全部善良な神様みたいな人だと、こういうことを第一に置いておる。第二には眼前の、破壊活動の頻々として起るということに盲目になつておるわけです。いわゆる鹿を追う者山を見ずという例えがある、眠前のことにばつかりとらわれて、根本のあり方というものに対して、少しも考慮が拂われていない、そう言つては過言ではありましよう。失礼ではありましよう。過言ではありましようが、そういう印象を受けるのです。私は法務総裁ともあらせられる人が、さような短見的ではいかんと思う。この法律が一度動き出したならば、将来どういう方向に日本のあり方が行くかというこれはポイントになるのです。国民的世論がこれに対しまして強く主張されておるのです。この法律が一度生きて現われて参りますならば、非常な日本の、私は姿の変革であると申上げましても過言ではないと思うのです。その意味において私はしつこく法務総裁に御見解をお質しておるわけです。法務総裁も日本国民の一員として、戦後におけるところの日本の姿と、独立国家になつた日本の姿が如何にあるべきかという大きな観点に立つて、一つお考え合せ願いたいと思うのです。今引例されましたところの戦前、戦後においてそういう例があるとおつしやるけれども、それは非常の場合であるのです。異変の場合です。異例の場合であるのです。我々占領治下におけるところの国民生活というものが真の日本の姿であるとは考えていないのです。我々は何らの自由も與えられず、牢獄生活の下に置かれた日本国民の姿として、そのときに現われたところの立法形式が如何ようであろうとも、それは真の日本国民の欲するところのものじやないのです。我々は今日自由な立場において、自由な独立国民の立場において、新らしい地点に立つておるわけです。而してその基本のものは憲法である、憲法の精神にもとるがごとき方向に、すべての立法形式、制度というものを持つて行くことを恐れるわけです。その意味において本法に対しましていろいろな点を指摘しておるわけです。でありますから今法務総裁が現官吏においてそういうことはあり得ないというお考え方は、それは余りに信頼し過ぎる。勿論我々は官吏諸君を信頼しています、いるのですが、信頼はいたしますが、それは一つの原則的なものであつて、先ほども申上げましたごとく、法律を作る場合においては、若し誤つてこの法律を悪用した場合をも考えて、法律を作るべきであると言うのです。神様が法律を運営するものだという考え方で法律を作つたならば、根本的に国民にそれを示す場合において誤りがあるのです。そういう意味においてそれを指摘しているわけです。でありますから火急的に法律を作る場合においては、如何ような立場に立つても、濫りに国民の権利を毀損し得ないという態勢に法律構成を持つて行かなくちやいけない、こういうことを申上げておるのです。今成るほど御説明のごとく一部の人に公開もし、報道陣の人にも公開し、その面前においてなされるからよいんだという御議論も成るほどうなづけます。
〔委員長代理岡部常君退席、委員長着席〕
併し以て足れりとは考えられないと言うのです。又先ほど私が指摘しましたごとく、いろいろな手続の上において制約される、真にその人の権利擁護の立場というものを十分尊重し得ない構成であるというのです。そういうような構成を無理やりに行政措置の中に含めてなされようとするそこに大きな無理が出で来るのです。でありますから、むしろこの法律をお立てになる、どうしても必要であるとするならば、調査官の制度或いは審理官の制度はよろしいでしよう。併しそれを切り離して、以後は裁判所に委ねるとか或いは審理の程度は裁判所に委ねるという行き方にすべきことが当然だと私は考えるのです。こういう法律体制をお作りになる場合において、そこに思いが至らなかつたというのは、私は法務府の関係の諸氏の私は余りに研究が足らんのではないかと思うのです。仮にこれを平たく考えますれば、一つの官庁の中にいわゆる検察庁でしよう、この場合においては。検察庁の中に検察官の部類、即ち調査官があり、そうして一面においては予審判事、審理官がおると、こういうわけです。フランスの刑訴の建前をとるようなものです。ここに持つて来て非難を、世界的の非難を受けておるところのある予審制度というものが、再びこの形において現われて来るのです。これはお認めになるでしよう。審理官は調査官が調査して来たことを先ずその部内において予審をするという形です。それでこれが容疑ありと認定いたしますれば起訴すると、いわゆる委員会にこれを回付すると、こういうのです。委員会はこれを受けて立つて書面で審理するというのです。そこにおいてすでに基本人権の制約は確定してしまうのです。それから以後裁判所に不服の申立ての方法があると、こう言つたところが、それは事後処理に過ぎない。すでに六カ月の発行停止を食つておる。すでに解散を命ぜられておる。而してその後久しきに亘つた後において、ようやくその権利関係が明確になつても、それはあとの祭りにすぎないのです。政府の企図するところの目的は、とうに達成してしまつておるのです。事後裁判所がどうあろうと、そんなことはもうおかまいなし。少しも痛痒を感じないと、こういう結果になるんじやないでしようか。これでは濫りに国民の権利、いわゆる自由というものは、一行政官の手中に握られているという非難を受けても仕方がないでしよう。いわんや行政事件訴訟特例法の第十條第二項によりますれば、こうした裁判の執行は一総理大臣の異議の申立て、その異議の申立ての内容というものを少しも示す必要がないのです。こういう理由があるからこれを異議申立てると、こう言う必要はないのです。ただ異議を申立てる、一片の異議申立ての意思表示をすれば、裁判所はそれが理由あろうがなかろうが、この行政処置に対して停止を命ずることができないのです。行政処置はそのまま遂行されまして、目的を達成してしまうのです。この行政訴訟特例法第十條第二項というものは、非常な司法権の制約です。これは憲法に言う司法権の独立というものを侵すことも甚だしいとして、違憲の法令であると今日言われております。この違憲論は、本法のほかでありますから、ここで申上げることは遠慮いたしますけれども、少くともそうした疑義のあるところの法律がこの場合において適用されて来るのです。然るに本法においてはこの行政処置に対して、いわゆる解散という行政処置に対しては、仮処分の申請ができるとか、訴えができるとかいうことを書いておる。こんなことを本法において書かなくとも、当然のことじやないでしようか。本法にそういう明文がなくとも、およそ行政処置を受けた場合においては、国民はこれに対しまして行政裁判をなし得ることは当然の権利ですよ。本法に待つ必要はないのです。本法にさようなことを明記するということは、この法律が如何にも公正、妥当のごとく国民の前に示すのに、言いわけを本法自身がしているのです。言うを待たない規定を麗々しく一カ條設けて、当然なことを規定しておつて、この本法はこうした公正の途を用いておるのだということを言おうとするに過ぎないのであります。かようなことは不要な條文であつて、こうした点から考えましても、この機構が、審理機構というものが、調査機構というものが、如何に司法権の分野を侵すところの行政処置の甚だしいものであるかと言わざるを得ないと思うのです。その点に対しまして、政府は反省せられるところの意思があるかどうか、お考えになるところの意思があるかどうか、重ねてお伺いしておきたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/24
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025・関之
○政府委員(関之君) お答えいたします。御質問の要旨は、かような人権の制約をなす処分が裁判所において扱わしめるほうがより憲法の精神に合するということが先ず第一点のように伺われるのであります。これにつきましては先刻法務総裁からお答えいたした点に盡きるのでありますが、私どもといたしましては治安の全責任は内閣にあると考えるのであります。従いまして内閣が治安保持に対して必要、相当なる措置をとることが国民に対して義務付けられているものと考えるのであります。併し憲法の趣旨に副いまして、できるだけ一切の措置において人権を尊重しなければならない、かような憲法の精神、趣旨に従つてこれを行わなければならないと思うのであります。而してこの団体規制というようなことは、過去において一回本法に規定するがごとき危険中の危険な暴力主義的破壊活動をなした国体が将来継続又は反覆して同様なる暴力主義的破壊活動をなす、そういう厳格な條件の下にこれを行うことになつているわけであります。私どもはかくのごとき団体が将来継続又は反覆して同様なる暴力主義的破壊活動を実現し、行動するまで手を供いてこれを待つておるということは、国家の公共の安全を保持する上において政府のとるべき措置ではないと考うるのであります。やはり自由、人権の保障と擁護を考慮しつつ、さような行為に対しては適当な措置をとらなければならない、かように考うるのであります。本法におきましては第四條と第六條におきまして、その條件は極めて厳格に規定しているわけであります。要するに過去において本法に規定するがごとき危険中の危険、内乱であるとか殺人であるとか放火のごとき危険な行為に対しまして、そういう破壊活動をなした団体が将来継続又は反覆してこれをなすという、さような厳格な條件の下にこれを規定しておるわけであります。そういたしまして、すべてこれが団体の活動という組織的な面で行われるのでありまして、若しかような認定を裁判所、いずこの裁判所に置かれるか問題とすべきでありましようが、裁判所でこれを行うことになりますと、一人乃至は三人の裁判官が国家治安の全責任を負わなければならないことになるのであります。かようなことは恐らく司法権、行政権を対立せしめた憲法の考うるところで私はなかつたろうと考うるのであります。やはり治安の保持というさような問題については、先ず政府が全責任を以てこれを措置し、次にその措置について適法なりや違法なりやを裁判所においてこれを認定される、裁判されるということが行政権と司法権を対立せとめた憲法の趣旨、精神に合致するところと思うのであります。而して更に申上げたき点は、すべてこの行政上の団体規制の措置は、裁判所によつて審判されるわけであります。そうして裁判所の審判の対象は、果してかくのごとき事実があつたか否かということと、その規制の措置は全部適法に行われたか否かという二点にあることは申すまでもないことであります。従いましてその委員会の認定も勝手気ままに行政権の独断によつて行われるということは私は法律上あり得ないと思うのであります。すべて裁判所に争われたときに、それが違法なりとして取消し、又は訂正を命ぜられるというようなごとき決定は、委員会としてはなすべきものでないのでありまして、これを裁判所に持出して争われたといたしましてもすべて適法なものであり、すべて相当なものである、かような認定を得るという建前の下に委員会はすべての証拠、すべての手続を盡して行うのでありまして、かような手続によつて行われる限りにおきまして、決して行政権が勝手気ままな独断によつて事実を認定し、法律を適用するということはないわけであります。すべて訴訟によつて争いが裁判所に起つたときに、この証拠によつてこの事実を認定し、この手続によつてこの申請をいたしたというそのすべてのことが裁判所に争われたときに、すべて適法である。裁判所の審判においてすべて適法であると認められなければならないという確信を以て委員会がなすことは、これは法律の建前上、私は当然さようなことに相成ると思うのであります。かようなシステムによつて行うのでありまして、この手続は本法の十條以下に詳細に規定してあるわけであります。これらの手続は今日の各種の行政処分を行う他の立法例に比軽いたしまして、極めて慎重なる考慮を拂つてあるのであります。この団体規制或いはそれらの内容におきまして、重大なるところの人権の制約になることを考慮いたしまして、かような慎重な手続をとつたのであります。特にその調査する機関と審判する機関とを二つに分けましたのは、これは調査し、自由に認定する行政庁の独断を避ける意味であるからであります。公安調査庁という一つの行政庁が、或る一つの事実を調査いたしまして、そこで又勝手に認定いたしますると、独断の誇りを免かれないのであります。従いましてこの点は先ず分離することにいたしまして、決定するのは公安審査委員会であるというふうにいたしまして、委員会は独立不覊な準司法的な立場に立脚いたしまして、その認定をいたすのであります。かような手続、行政上の手続を経まして手続は現行憲法の上におきましても適法のものである、憲法の精神に合致するものであると認められるところであると思うのであります。もとよりこれらの規制が重大なるところの人権の制約になることはよく私どもも考えておりまして、これなるが故に行政処分としてはむしろ異例とするような慎重な手続きをとつたのであります。十分に当該団体の意見、弁解を聞き、而もその意見、弁解は傍聴人を置き、或いは相手方に対して代理人の選任を認めて十分なる意見、弁解をなし有利な証拠の一切を提出せしめ、又当方に持つておりますところの一切の証拠は若し相手方の要求がありますならば写しは必ず相手方に渡す、かような慎重な考慮の下に十分に相手方団体の弁解にそこに現わし得るようにいたしまして、さような基礎の上に立つて委員会は決定をいたすのでありまして、かようなすでに十分なる調査庁におきまして審理の手続を盡しているからにおきましては、公安審査委員会においては釈明に準ずるような手続によつてこの証拠の内容を明らかにして決定をなすものならば事実の認定について誤りなき公正な判断が下されるものと確信しているのであります。かような次第によりまして、この委員会のシステムは今日に考えられる最も公正なる、適法なる手続であると考えている次第であります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/25
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026・伊藤修
○伊藤修君 詳細な御説明がありましたけれども納得ができないのです。それはあなたの一人よがりの御議論で、国民はそれで納得いたしません。あなたのお考えとしてはそれはいいかも知れません。又今日の憲法の建前から言つても停るものでないということは過言であると思います。少くとも憲法の精神には反すると思うのです。憲法が国民に対しまして保障したところのものは、我々が裁判所によつてすべての権利関係というものは確定する。いやしくも基本人権を制約される場合においては裁判所の裁判によつてこそはじめて納得が行くものであることを保障されている。にもかかわらず一応少くともその権利関係、その基本人権の制約というものは行政官庁に把握されるという点においてあなたの御説明の中にもあつたごとくです、準司法的な裁判をするのだ、判定するのだとおつしやつたことそのこと自体においてもこの審理経過、手続経過というものが司法的性格を有していることは明らかであるのです。かような観点から立ちますれば、あなたの御説明自体によつてもこの事案の審理というものそれ自体が司法的性質を持つていると言わなくちやならん。いやしくも基本人権を制約するということであるならば、そうしたあり方は正しくないのです。その機会を與えるとか何とかおつしやるけれども、実際の面において裁判所以上な機会を與えていないことはこの法律自体が物語つているんじやないですか。それならばこの法律を以て審理手続は一切刑事訴訟法に言うところの手続を準用するとなぜお書きにならなかつたのですか。そうじやなくしてあらゆる面において訴訟法に許されたところの手続というものを排除されて、そうして行政官の都合のいいような方法においてこの審理、判決をしようというのじやないでしようか。そのこと自体が既存の事実を形作つてしまうというのです。国民はそれによつて押付けられてしまうのです。それから後に裁判を受けるということは事後のことであつて何にもならんと、こう言うのです。その事案をとつて持つて処理して行くあなたがたとしてはそれで能事終れりとするでしようが、受けた国民としては迷惑至極くな話だと、こう言うのです。その点に対しまして政府としては私は少なくとも再考される余地があるものと言わなくてはならないと思うのです。もう少し簡便な方法があり得ると思うのです。もう少し国民の権利を保護する方法があり得ると思うのです。成るほどあなたのおつしやるようにこれを最高裁判所に委ねますれば、それによつて裁判所は治安維持の責任を負うという結果になるであろうということは、それは思い過ぎでしよう。成るほど勿論治安維持の当面の責任者としては、政府が携わればいいのでありますから、こうした法律を作る前に先ず基本的なものをなぜ考えなかつたかと先ほど前提にお尋ねしたのです。然らば現在の五つの機構即ち検察、自治体警察、国家警察、海上保安庁、予備隊こうした治安担当の機構が五つあるのです。この組織において現在の日本の治安が保たれないのですか。あえてここにこうした無理な法律を提案して、重ねて屋上屋を架するがごとき機構を作り上げて、でなければ日本の治安というものは保たれない、こういうここで御説明ができるのですか、その点をお伺いいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/26
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027・吉河光貞
○政府委員(吉河光貞君) 御説明申上げます。破壊的団体に対する規制措置を先般来総裁並びに関政府委員から詳細御説明申上げた通り、危險性に対する保安処分でございまして、その本質は行政行為を以てなさるべきものであるということを確信している次第でございます。で、保安処分の性質は客観的に現れた事態の危險性を判断しまして、その危險性を防止するについて必要最小限度の措置を講ずる点にあると考えているわけであります。刑罰は、これを行なつた犯人の心情に立入りまして、そこに法律の下に道義的な価値判断を下して、所定の刑罰を科するというような建前になつている。ここで規定いたしまする団体の規制措置は飽くまで保安処分でありまして、眼前に現れた客観的な危險性を基礎といたしまして、これを防止する必要最小限度の措置を講ずるというような建前になつているのでございます。併しながらその措置が極めて重大なる措置であり、国民の基本的な人権に影響するところの極めて重大な措置でありますから、この措置は飽くまで準司法的にでき得る限り嚴格な手続を以て行われなければならない。従いまして只今関政府委員からも縷々御説明申上げました通り、調査請求をする機関並びに審査決定をなす機関を分離いたしまして、権限の過度の集中を防止して、両者の対立によつて公正な調査請求、審査決が行われることを保障したのでございます。で、御承知の通り今日の憲法は法治国の体制をとつておりまして、過去におきまするような警察国家的な色彩はないのでございます。従いまして或いは一切の行政行為はすべてこれを違法なりとする点につきまして裁判所で争うことができる。過去におきましては極めて限られた行政行為だけが行政裁判所で争われる。そうして而もそれは今日の通常司法裁判所ではない別個の行政裁判所で争われるというような建前でございましたが、今日におきましてはすべての行政行為につきましてこの処分を違法なりとする訴訟は裁判所に提出してこれを争うことができる建前となつております。他面行政権は飽くまで適正な公正な手続を以てすれば公共の福祉のの立場から個人の基本的人権と自由に対しまして必要最小限度の処分をすることができる、これが可能であるというふうに信じているわけでございます。この法案に規定いたしまする破壊的団体に対する規制の措置は、これを不服とする者は裁判所に行政事件訴訟特例法の規定に基きまして持ち出す。民事訴訟を原則といたしましてこれが訴訟が展開されるという建前になつておるのでございまして、私どもといたしましては特定の犯罪の附帶的な効果としてかような重大な行政処分を加えるべきでない。個人の特定犯罪に対する刑事裁判の附帶効果として団体を解散するとか団体の活動を制限するとかいうような処分を加えるべきものではない。これは立法政策的に見ましてもそういう処分を裁判所に委ねるべきものではない。これは飽くまで国会に対して全責任を負うところの内閣総理大臣、内閣の責任において行われなければならない。かように考えてこの法案を立案いたした次第でございます。この法案の規制の原因、條件、手続等につきましても行政行為として出来得る限りこれを適正妥当に進めるという建前を以て立案いたしたものでございますから、憲法に決して違反するものではないと確信している次第でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/27
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028・伊藤修
○伊藤修君 私は特審局長が公正妥当に運用するというお言葉には信じがたい。何となればあなたの過去のお取扱いになつた事案を拜見いたしましても、決して公正妥当とは考えていないのです。一例を見ましても、例えば松本治一郎氏に対して、或いは当院の共産党の処置に対するところの御処置のごときも、決して何人といえどもこれを公正妥当とは判断いたしていないと思うのです。当時は占領治下でありまして、あなたの御意思にかかるとかかわらずとそういうことがなされざるを得なかつた事情において、我々はあなたのお立場を諒としておるのです。あなたが失礼でありますけれども、能吏として御活躍あそばすなら、敢然立つて意のあるところは、当然当時の権力者たるところのGHQに対して意のあるところを御説明になつて、日本の国民のために御活躍あつて然るべしだつたと思うのです。成るほど彼の人々らは、彼の人々らという中には松本さんは入りませんが、いわゆる共産党のかたがたにおいては、GHQに対し又政府に対しては好ましからざるところの言動はあつたでしよう。併しとつてもつてこれを追放しなくちやならんという理由は毫末も認められないと思うのです。いわんや裁判の手続においては否定されたのであります。然るに行政処置のみは依然として効力を生じて今日に至つておるのです。その当否は別問題といたしましても、国民が何十万という意思を表明する国民の代表者として国会に送つた人が、一片の行政処置によつてこの至大なる立場を剥現し去るというこのあり方というものは、到底我々は是認できないのです。(「その通りだ」と呼ぶ者あり)若し今後これが繰返されることをおもんぱかつて、かくまで皆様に御質問を申上げるわけです。(「顔色があるか」と呼ぶ者あり)あなたたちが正しい国民のために真に身命を賭して闘うという御覚悟ならばあえて私はここであなたたちに苦言を呈しません。法務総裁としての御人格、常に敬服してやまないおかたです。法務総裁にそういうことはあり得ないと思う。又あなたたちにそういうことはあり得ないと思う。併し時の勢いと国家の政策というものに押し流されて、その政府の考えること、政治的意図、こういうものを国民に滲透せしめようとする場合において、これに反対するところの団体、反対するところの人々、こういう者に対しまして容易にこの法律は適用されて、彈圧の具に供せられることは明らかであるのです。又そうした抜け道が、そうしたあいまいな規定が多く存在するが故に、私はここに将来をおもんぱかつて、皆様に御質問申上げている次第です。私の意図するところのものは、あなたたちが不公正なことを行われようとは思いません。併しあなたたちの親心というものは、末端官吏においては十分これは把握できないのです。ひとたび日本の官吏というものの全体を通覧いたしますれば、余りにも法律に拘泥し過ぎて、法律の持つ持ち味、法律の真の精神、立法精神というものを把握せずして、條文に現われたところの文字の文理解釈にとらわれすぎて、屁のような事件でもこれを取上げて、そうして国民の権利を毀損しておるということは、日常枚挙にいとまがない実情ではありませんか。もう少し法律というものに対する温か味と運用の面の幅の広さというものを考えたならば、国家生活というものはもう少し私はゆとりのあるなめらかな、ゆるやかな温い社会が構成できると思うのです。如何せん日本は法律の面に余りにこだわりすぎまして、法律の虫と言われ、法律の賊と言われ、法律のおばけだと言われ、こうした面に我々は耳を傾けざるを得ないという実情に置かれておるのです。かような意味において文字に現われた法文というものに対しまして、強くこの間におけるところの立法精神というものを国会において明らかにしておかなくてはならんと思うのです。事案というものは十分反省して改めるべきものである、提案したから必ずしもそれにとらわれるというお考え方でなく、衆智は十分お聞き届け願つて、そうして反省すべきものは反省して頂きたい。かように考えればこそここに質問を継続する次第です。ひとりよがりの御議論では困るす。(「その通り」と呼ぶ者あり)私の先ほど質問いたしましたいわゆる現在の治安を維持するために設けられたところの五つの機構において、現在の治安が保たれ得るや否や、できないのかどうかという問いに対しては少しもお答えがなかつたです。その点についてお答えを願いたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/28
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029・木村篤太郎
○国務大臣(木村篤太郎君) 伊藤委員の切々たる愛国の御議論、私は誠に敬意を表します。我々もその点について誠に同感で、この法案作成に当りましてもできるだけの考慮を拂つて将来に禍根を残さないように、いやしくも憲法に定められた基本的人権をどこまでも維持して行きたいという精神から、この法案についても私としては最大の注意を拂つたつもりであります。
先ず第一に申上げたいのは、この法案において絞るだけ絞つた。というのは伊藤委員非常に御心配の、いわゆる正常なる団体活動がこの法案においていやしくも規制されるべきではない。そういう御懸念は御尤もでありますが、いやしくも正常なる団体が規制されることがあつては断じていけないという考えを持つております。その意味におきまして、ここで第三條におきましてできるだけのことをやつたのであります。いわゆる団体が、団体の活動として……、而してどういう破壊活動か、破壊活動にもいろいろあります、些細なことを以て破壊活動というようなことで取締られては、これは将来に禍根を残すのでありますから、できるだけこの点をはつきりさせようというので、内乱、内乱の幇助、内乱の予備、隠謀というような本当の最大のところまでこれを絞つて行きました。それで第二号におきまして、これは又殺人だとか或いは放火だとか或いは汽車の顛覆だとか、いわゆる我々の考えらるべき最大の悪性の、いわゆる犯罪を企図するような団体、これで絞つて行つたのであります。そこで私の考えといたしましては、いやしくも正常な団体である以上は、団体自体の活動としてさような内乱を企図したり、騒擾を企図したり、或いは汽車の顛覆を企図したりするような団体は、団体活動として私はあり得ない考える。若しも仮にありとすれば、それは団体の仮面をかぶつた暴力団体であります。さようなものは国家治安の面から見て一日も許すことができないということは申すまでもないことであります。その点において絞るだけ絞つておく、いやしくも正常なる団体活動においてはこの法案の対象となるべきものではない、又なつてはいけないという気持からこれではつきりさせておいた点が一点であります。それからこの規制の処置の点であります。これは伊藤委員のお説も御懸念も御尤もと考えます。そこで申すまでもなくこの附則の行政処置は行政処分でそのままやり得るのであります。私が先刻申上げました、これは戦前におきましても戦後におきましても、まあ戦後のことは問題にはなりませんが、戦前におきましても行政処置で以て解散をしておることは、これは御承知の通りであります。併しその行政処置をするについてもこの法案においてはできる限りの民主的な方法をとるべきであるという考え方から、この行政処置についての調査の面と、そうしてこれを審理する面と、決定する面と、これを三つに分けまして権力の集中を排除したのであります。これはもう詳しく申しません。只今関君から申上げた通りであります。かようなことで、私は審査する際に当つて、これはできる限りの民主的の方法をとるべきであるという考え方から、団体の構成員或いは代表者その他五名の者を代理者として審理に立会わせる。そうして十分なる意見……、弁解をし又証拠も提前させる。而もそれに当つては五名のいわゆる立会人は公正を期することとし、最後の決定に至りましては、先刻申上げました国会の承認を得て任命するのであります。而もその委員なるものは、各方面から有識者を集めて行こう。そうしてその人たちが独自の見解において、独立の何人にも干渉されない公正な独自の見解を以てこれを決定させるという建前をとつておるのであります。行政処置としてはこれ以上の私は民主的な方法はないということを確信して疑わないものであります。
それから第二の点について、国警、自警或いは警察予備隊、これで以て日本の治安を維持することはできないかという点であります。とにかく今の制度の下において、我々はできる限りの日本の治安を維持して行きたいと考えております。然らばそういうものがあるのにこういう法案は必要ないじやないかというのは、これは別個の面であります。事が起つた場合には、これらの警察予備隊とか或いは国警自警の警察官の活動は要するのでありましよう。併しこれらの人がこういう行政処置についての審査というようなことについては干渉させてはいかん、させるべきものでないということを私は確信しておるのであります。これは或いは検察庁、一部においては検察庁においてこういう調査をさしたらいいんじやないかという意見もあるのです。私は全然いけない。検察庁は独立の官庁である、そういうものにこういう調査をさせるべきではないという確信を持つております。警察にもやらせるべきではない。いわゆる、調査官を置いてそうして調査をさせるべきであるという建前がいいということを私は確信いたしております。そこで問題はかような警察予備隊、国警、自警があるにかかわらず、この法案の必要はないじやないかという、或いはそれだけで以て日本の治安は維持できないのかということでありますが、勿論これらのなには治安の第一線に働くべきものであることは申すまでもないのでありますが、それらのなすべき事柄とこの法案でやろうとする事柄とは、これは全然別個の観点に立つておるのであります。この法案は私といたしましては、現下の治安を維持すべきものとして是非必要なものであろう。国警、自警、警察予備隊、こういうものとは別個の観点に立つて、この法案の作成は必要であろう、こう考えておる次第であります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/29
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030・伊藤修
○伊藤修君 私の今の第二の質問の点は別個の観点と法務総裁おつしやいますけれども、これは重大な関係を持つと思う。およそ私がここで申上げるまでもなく検察官、警察官及び警察予備隊、或いは海上保安庁、こういうものは起きた事案に対しまして捜査の第一線に立つことは勿論でありますが、これは国民生活を安定に置こうという面においては、犯罪の予防ということが重一な職務内容であろうと思うのです。又法律にもそういうことが明らかにされておる。この予防の面において十分賄える範囲があり得るのではないか、こう思うのです。今のお説を簡単に拝聴しておりますれば、これらはただ捜査機関であるから、とつてもつてこの法案が裏付けされなければ却つてできないのじやないかというふうにも窺われる、又この法案が必要であるというふうにも窺われるのでありますが、そうではなくして私の質問しようとするのは、現行の治安機関において、捜査の面ではなくて犯罪予防という面において賄える範囲が相当あり得るのじやないか、この機構の活用ということがなされておるかなされていないのか。又できないのか、できないとすれば今日の法律が各別々にその体制が整えられておることは御承知の通りであります。海上保安庁は海上保安庁としての法律、或いは自治体警察、国家警察はこれは又独立の法律があり、検察庁は刑事訴訟法、検察庁法によつてこれが賄われておる、警察予備隊は警察予備隊に関する法律、これによつて賄われておる。これらの各個別々の法律機構体制の下に賄われておる各法律のあり方について再検討をする必要はないかどうか。今日の政府において考えられているのは、この事態に鑑みまして、内閣総理大臣は各警察隊長及び警視総監の任命権を以てこれを賄おうということを企図しておられるようでありますが、併しそれのみによつては私は目的を達成し得るものではない。又そうしたあり方は却つて目前のことを賄うということによつて全警察官の警察体制のあり方に大きな逆行的考え方がそこに現われて来るので、これは私は考え直さなくちやならぬと思うのです。むしろそうじやなくして警察と又海上保安庁、警察予備隊、こうしたものの横の連絡を形作る、或いは指示権の形において検察庁と警察とを直結せしめるというような職務遂行の上において今日相当隘路があり得ると思うのです、これは公平に考えて……。それからこの面において全治安体制を維持する機構の法律的整備を図る必要があるのじやないか、そうして行くならば或る点までは予防警察ということによつて本法の阻止せんとする目的は未然にこれが阻止し得るのではないかと思うのです。そうした考え方は少しもなさらずに、ただ現われたものを抑えて行こう、現われたものを抉剔して行こう、処置して行こうという、現実の問題にとらわれて、根本の問題に少しも思いが及んでいないと思うのですが、その点に対するところの法務総裁の過去におけるところの御研究なりお考え方なりをお尋ねしたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/30
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031・木村篤太郎
○国務大臣(木村篤太郎君) 只今警察機構のお話が出ましたが、私も警察の機構の改革も必要でありまするが、何と言つても国警、自警、これらの調整連絡が必要であろうと考えます。調整連絡をとれずして徒らに機構だけをいじつてもその運営はうまく行かないものであることは申すまでもないのであります。先ずこの調整を円滑にするということはどういう方法でやるか、これは人的の交流という面からも考えられます。併し成る面においてはやはり何としても最小限度の機構の改革はこれは必要なことだろうと考えております。只今警察法の一部を改正する法律案を提出中でありますが、これもその面から考えたのであります。併しながら只今ここに直ちに自警、国警を一本にまとめる、これはどうかということについては大いに考えざるを得ないのであります。折角自治警が民主的にとにかくここまで来たものを、一挙にこれを国警と一緒にするというようなことについては相当慎重にやらざるを得ないと考えております。そこで現在の国警、自治警を生かしたままにして、如何にしてこれを連絡調整をとつて行くかということが一番問題になるのでありますが、少くとも東京都におきまして、これは御承知の通り特別区の公安委員がこれは全警察の運営管理を担つておるのです。行政管理をするのでなくて、運営管理を担つておるのです。政府といたしましては、これの何らの指示権もなく、監督権もないのであります。最近しばしばメーデー事件だとか、或いは東大事件だとか、早大事件だとか、私の責任を問われる人がある。成るほど私は全国家の治安については責任を持たなければならない。併しながらこの特別管区においての出来事については、私らは何の指示権もない、何らの監督権もない。これでいいのか。而もこの間のメーデーのときにおいて、外国の自動車が燒き拂われた。これは普通なら国際上大問題なんです。それに対して政府は何ら責任をとり得ない。我々は何らのそれに指示もできない。これで今後日本の国際関係がだんだん頻繁になつて、外国の使臣もどんどんやつて来る。そういうふうな場合に、問題が起つた場合に、誰が責任を負うか。特別管区の公安委員が責任を負うよりほかに途がないのであります。果して公安委員が責任をとり得るかどうか、これは非常な疑問です。そこで少くとも我々といたしましては、かような場合においては責任をとり得る態勢だけは整えたい。この点について我々は警察法の一部の改正を意図したのであります。何といたしましてもこの連絡を緊密にして、今後の日本の治安の維持の全きを期せなければならない。これは我々としては、国民に対する重大なる責任と考えております。この日本の治安が乱れたら、日本の国はどうなるか。先ず第一の問題は、日本の内地の治安を維持することにある。基盤をしつかりさせる。それに対して我々は責任をとれるだけの態勢を整えたい。やかましく言つても、指示権もなし、監督権もなければ何もできない。その面において少くとも政府が責任をとり得るだけの態勢を整えたいということを念願しておるのであります。これが警察法一部改正の趣旨であります。そこで現在の警察予備隊、或いは国警、自治警、これだけで日本の治安を維持することができないのかという仰せでありまするが、無論とり得るような態勢を整えておるのであります。又とらなければいかんのであります。とらざるを得ないのであります。何としても日本の治安維持の態勢はとるべきことを我々は考えております。これは国民に対する一大責任であります。義務と考えております。やるつもりでおります。併しながらこれはいろいろの国際情勢から、日本の将来の治安といろものは、相当考慮を要するものがあると私は考えます。従つてそういうものに対する、対処することをあらゆる面から考えなければならん。この破壊活動防止法案も、この態勢を整える一部の面であります。全部とは申しません。これを以て決して日本の治安が全面的に維持できるかというと、そんなことは考えておりません。ほんの一部であります。これもその一部分の役を担つておるのであります。これによつて相当の役割を果し得るということだけは申上げられると思います。そこで最小限度においてこの法案の運用によりまして、日本の治安維持の一部にしたい。そうして又今申上げました警察予備隊或いは国警、自治警が連絡を保ちまして、予防的にそういう国家の治安が乱れる前に、十分な態勢を整えて、日本の治安を磐石の安きに置きたいということを私は念願しております……。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/31
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032・伊藤修
○伊藤修君 警察法の御説明があつたんですけれども、私は警察法の御説明を聞こうとは思つていないのです。警察のあり方といたしましては、これはいわゆる国家警察的な考え方で行けば、警察一本にするという行き方がいいでしよう。併し少くとも終戦後考えられた日本の警察機構のあり方としては、民主警察ということが基幹になつています。して見ますれば、原則的に言えば、自治体警察が基幹であり、そうして国家警察を以て補足的にこれを補うというあり方は、これは私は堅持しなければならんと思います。私はその機構を変革しようという意味ではありません。この原則は飽くまで確立せしめて、国民自身が治安の責任を分担して行くという今日の警察機構のあり方というものは、尊重しなければならんと思います。今お説のように、治安関係について政府が全責任を持つてやつて行くという大それた考え方を持ちますから、こういう法律が必要になつて来るのです。一体政府の力によつてすべての治安というものを確立して行こうというようなことは、これは到底私は望み得ないことだと思います。むしろ国民全体の協力によつてこそ、初めて治安の確保は保ち得るのです。(「その通り」と呼ぶ者あり)して見ますれば、これは国民の協力に待つて、自治体警察のあり方というものをもつと筋金を入れて行くというならともかくといたしまして、挙げて以て政府がこれを掌握して、号令一下日本国の全体の治安を確立して行うこうなどという大それた考え方は、私は法務総裁としてとるべき筋合いではないと思います。この点は私は御反省願つて差支えないと思います。勿論政府がそういうお考えをお持ちになつて、全責任を負おうとする、そのお考え方については敬意を表します。併しそれは不可能である。私のお尋ねしているのは、その意呼において、現在の機構というものを今少し法的において活躍し得る機構に改める必要があるんじやないか。ただその首班となり得る者を、任免権をとつて自分の意に従う者、自分の命令を透徹し得るところの者、或いは悪く申しますれば、一党一派に偏したところの考え方を末端まで遂行するというようなあり方に、警察機構を持つて行こうなどというお考え方になられるとうことは、私は時代逆行の甚だしいものと言わなくてはならんと思うのであります。若し今日のような考え方を以てするならば、来るべき総選挙には、政府の考え方によつて、末端機構がどういうふうにも動くという政治的の含みを持つて考えられんこともないんです。国民はそういう点において非常に心配をしておるというのが、現実です。私は今日の考え方は、木村さんとしてはとるべきではないと思う。このような誤つたことは直ちに改むるに憚るなかれ、速かに御撤回になつて然るべきだと思います。この問題はこれに関連してお尋ねするのでありますが、私のお尋ねしようとする焦点は、あなたは各法律を十分まだ御研究になつていらつしやらんようだが、これは一つ属僚のかたに十分御研究を願つて……、法律の欠点というものはたくさんあるのです。こういう点を一つ十分研究なさつてこの法律を作る前に先ず地固めをして、そうして足らざる部分はどこで補おうか、足らざる部分は、これは今あなたがおつしやつた、ほんの一部に過ぎないとおつしやりたが、その一部をどこで補おうかということをお考えになつたらどうでしようか。そうであるならば、私が先ほど申した通り、現行の刑法、若しくは特別法の中で十分賄えるのです。先ず以てこの衝に当る者は、予防警察の面から、こうしたところの忌避してやまない、又我々国民としても忌避してやまない暴力行為を事前にどうして防止でなるか、防ぎ得るかということを先ず我々は考えなくてはならんと思います。人が殺されてから、その犯人を逮捕したつて何にもならない。一般予防の効果しかもたらさない。人を殺した者を死刑に処すという法文は、これによつて一般予防の目的を達する、犯された犯罪に対しまして、それに対してこういう責任を負わしめる、こういう二つの目的があるわけです。して見ますれば、我々は先ず事前の点について到れり盡せりの研究をし、然る後補えるところは他の法律で補い、それでも足らざる場合に、初めて新立法を考え出す、こういうあり方が一番正しいのじやないかと思うのです。この点について重ねて法務総裁の……。問題の焦点だけを一つ……。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/32
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033・木村篤太郎
○国務大臣(木村篤太郎君) 私は政府が、殊に私が全面的に日本の治安の問題について自分の手でやるという、そんな大それた考えは毛頭ありません。申すまでもなくこの日本の治安を如何に維持して行くかということは、国民諸君の協力を待たなければいかん。私は日本の国民も大いに反省してもらいたいと考えております。而とて何としても責任は政府がとらなければならん。とる以上は政府においてもそれだけの力を持つということは、私は必要であろうと思います。力もなしでは、責任もとりようがないのであります。最小限度において動き得るような態勢は是非とつておかなければならん。これはいずれの政府ができ上ろうと、当然のことであろうと考えるのであります。で問題は主としてこの法案の問題になりまするが、勿論法案を作るに当りましては、あらゆる角度から検討しなければならんということは申すまでもないことであります。各方面の意見を徴することも必要であります。我々といたしましても、この法案作成については相当各方面の意見を聞き、又注意も受けたのであります。而して最終的の結論を得てこれを作成し、今現に御審議を願つておるのであります。考え方といたしましては、伊藤委員は現在の刑法その他の法律で賄えるのじやないかという点でありまするが、勿論賄い得ればあえてかような法案を作成する必要はないのであります。我々は是非とも現下の情勢に鑑みまして、いわゆる日本の治安を紊すような暴力的破壊活動を企図する団体は、どこまでも規制しなければならん。現在の刑法その他の法律においては、これは賄い得ないのであります。これを賄い得るような最小限度の法案として、これを作成し、提出したのであります。その点において、私は現下の情勢から考えて見て、この法案は是非必要であろうと考えておる次第であります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/33
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034・伊藤修
○伊藤修君 どうも私の質問の焦点がぼやけてしまつて、質問の焦点についてお答えを願えないことを遺憾に思いますが、私のお尋ねしておることは、現在の機構で賄えないかどうか、若し欠点があるならば、その欠点はどこにあるのか、それを是正するお考えはないのか、こうお聞きしておるのであります。だからそれにおいて、予防警察の面において或る程度までは賄えるのじやないかという私は結論的な意見を持つておるのでありますが、その点に対してお考え方はどうですかと聞いておるのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/34
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035・木村篤太郎
○国務大臣(木村篤太郎君) 重ねてお答えをいたします。現在の法律では私は賄い得ないと考えております。少くとも将来、又現在を考えて見まするに、暴力的破壊活動を意図する団体が現在あり、又将来も出て来ることは予想されるのであります。それぞれの点を考えて見て、それを処置すべき手当といたしましてはこの法案が必要であろうと考えております。現在の警察力で以てさような点を予防することができないかという御質題でありまするが、私は警察というものは大体において、これは予防も勿論あるのでありますが、さような祕密或いは巧妙にやる団体に対して予防的に今の警密力を発揮させるということはむずかしい、こう考えております。是非とも詳細にこれらの点を調査すべきものが必要であるのであります。この意味から申しましても、かような法案は現在の段階においては必要じやないかと、こう考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/35
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036・伊藤修
○伊藤修君 ちよつと意外に思うのですが、法務総裁ともあらせらるる人が、警察のあり方といたしまして、又治安維持の機構の運営のあり方といたしましては、常に起る犯罪に対しまして捜査をするというのはこれは例外であります。止むを得ないからそうする
のです。起らない前にこれを未然に防ぐということが私は警察のあり方だと思う。犯罪を起さないように導くことも、又犯罪が起ることを未然に阻止することも、これは予防警察として本来のあり方です。又警察の全生命はそこにかかると私は考えるのであります。起つて来てからつかまえるだけのものならば、昔の言う番太というに過ぎないです。捕り手に過ぎないのです。それであつてはならないのです。国民の生活の面から、少くとも刑法犯に触れるがごとき、或いは秩序罰に触れるごときことのないように導いて行く、若し起る虞れがあるならば、それを未然に防ぐというあり方でこそ、初めて国民は信頼して日本の治安機構に生活の全部を委ねることができると思います。これに本来の目的を注がなくちやならん。そういうようなあり方で以て運営されるということになりますれば、警察とか海上保安庁というような、或いは検察庁というようなものは、起つた犯罪を剔決することだけを能事とするというようになつてしまう。或いは検察庁は受けて立つという立場から、現在ではそういうことも言えるかも知れませんが、少くとも警察、自治体警察、国家警察及び予備隊というようなものにおいては、未然に最小限に喰いとめるというあり方が一番正しいのじやないか、又それが本来の目的ではないでしようか。起ることが起つて、例えば犯罪を誘発して、これは或いは言い過ぎかも存じませんが、麻薬の事件のごときは、むしろ調査官のほうで犯罪を誘発して、そうしてそれがたまたま昂じて来ると、それが麻薬犯罪だと言つて処罰する、これは今日のような法律体制の上におきましては、この種の捜査方法に基くところの事案は、いわゆる犯罪は構成しないのだという、相手方の意思のないものをその権力者が意思を誘発せしめて実行に至らしめたというものは、恐らく最高裁判所において私は最終判決においては無罪を言渡すと思います。これはほんの一例であります。そうしたあり方を今日の警察が若しとるとするならば、あなたの言うお説で以て為された犯罪にのみ全精力を傾けるという行き方で以て行きますならば、それは犯罪を誘発することを待つておる、犯罪の起ることを誘導するような傾きになつて来る。例えば実際はよく存じませんが、メーデーの場合のごときも、或いは早大事件の場合のごときも、成るほど前のことは悪いでしよう。併しあとのことについては、少くとも警察官が誘発して行つたという非難は、私は免れないと思うのです。そうして起つた事件に対しまして、刑事責任を負え、こうやつておる。そこに誘導されて来た大衆も悪いでしよう。良識ある者ならばそういうことはやらなかつたでしよう。併し常に全智全能の者ばかりいないのですから、たまたまその雰囲気に釣られてそういう行為に知らず知らずにはまつて来る。それをとつて以て処罰して行くというあり方では、私は本来の治安維持というものは保たれないと思うのです。そういう意味において、私は予防警察という面においても十分賄えるのじやないか。そうい点も立法的にすでに御研究になつていらつしやるのか、又そういう点に対して従来研究の結果どういうようにしようとなさるかということを伺つておるわけであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/36
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037・木村篤太郎
○国務大臣(木村篤太郎君) 予防警察のことについては我々も考えておるのであります。お説の通り警察が事が起つてから活動するのいうことでは、これは本当の機能を発揮するわけのものじやない。先ず事の起らん先に十分の手当をし、いわゆるあなたのおつしやるような予防的な方面において処置をすべきだと考えております。十分その点については我々も考えておるのであります。できる限りにおいていわゆる予防警察のほうにおいても十分な処置をとつて行くことを考え、又現にやつておるのであります。併しこの法案の建前から申しますると、これはこの警察ということは勿論のことでありまするが、その面と同時に如何にすればこの暴力的破壊活動のような団体を将来なくして行こうかということが狙いでありまするから、両々相待つて私は日本の治安の全きを期することができるものと考えておるのであります。只今ちよつと、メーデーのことが出たが、又早大事件のことについては私は誠に遺憾な点があつたと思います。メーデー事件のことに至つてはこれは計画的にやつているのであります。大衆運動と私は違うと見ております。資料は幾らでもあります。こういう計画的にやつているものについてはこれは止むを得ない。早大事件については私は非常に遺憾な点があると考えております。あなたのおつしやる点については私は相当共鳴する点があると思います。併しこのメーデーのときのあの情勢というものは、或る意図を以てこれをやつておるということは明瞭に言えるのであります。大衆運動とは私は見ておりません。これらの点についても将来どう対処して行くか、ああいうことが頻々と起りますと、全く日本の国民は不安にかられまして、それがだんだん嵩じますると、日本の治安が本当に乱れる時代が来るのじやないかと、これは心配いたすのであります。そういうようなことのないように、いわゆる予防的手段として我々はこういう法律の実現を考えている次第であります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/37
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038・関之
○政府委員(関之君) 総裁のお答えに附加いたしましてお啓えいたします。警察の犯罪予防の措置によつてこの団体規制事務が賄われるのではないかというような御趣旨と拝承いたすのでありますが、警察の犯罪予防の措置は、警察法、御承知のように警察法又は警察官等職務執行法等に規定されておるのでありまして、警察法全体の精神から見ましてこの団体規制の事務というがごときことを警察において扱つてはならないということは警察法の精神に照して私どもは疑いないところと思つているのであります。最近のこの破壊的団体、破壊的行動が、破壊の活動が、基盤におきまして相当広汎なる団体の組織を以て行なつておるという疑いを抱かざるを得ないのが今日の実情でありまして、これに対する有効適切なる一つの措置としてその団体の活動を規制するということは誠に止むを得ないところの措置であるのであります。これはあえてこの法律だけについて私どもが独創的に考案したものではないのでありまして、広くこの現下の破壊活動に対してどういう措置を以て臨むかということは世界各国の民主主義諸国における一つの痛烈なる今日の悩みでありまして、これら外国の立法例におきましても、破壊的団体の組織的な活動に対して、解散であるとか、或いはその出版活動の禁止であるとか、各種の措置をとつてこれに臨んでいるわけであります。これはやはりそれらの破壊活動が団体を基盤として行われているからして、その基盤の活動に対して必要最小限度の規制をとつて行つたならば最も有効適切であるという考え方に基いているのであります。政府におきましてもそれら外国の立法例を考慮いたしまして参考にいたしましたのはもとよりであります。如何にしてこれに対処するかという基本的な考え方からかような団体規制という措置をとることといたしたのでありまして、これらの措置は決して警察法によつて警察の扱いとすべからざることはもとよりでありまして、それはかようなことを若し警察に扱わせるといたしますならば、極めて権力がそこに集中いたしまして、曽つての警察に対した非難が又我々はそこに繰返されなければならないことになると思うのであります。かような観点からかような措置をとるといたしまして、ここに別個な行政機関を設けなければならないというふうに考慮いたしまして、公安調査庁と公安審査委員会の二つの機関を設けた次第であります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/38
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039・伊藤修
○伊藤修君 私は何も警察が代つて特審局的なことをやらせるということを言つておるのではない。それは思い違いです。私の聞いておるのは何もそんなことを聞いておるわけではないのです。公安調査庁ですらいかないというのです。いわんや警察にこんな調査を委せることは以てのほかだと言うのです。そんなふうに聞いておるのではない。私の聞いておるのは、予防警察の面においてどの程度賄えるか、そういう考え方があるのかどうかということをお聞きしておるのです勿論警察においてかような重大事項を処理せしめるということは思つてもいない。今御説明にあつた諸外国の例と申しますけれども、成るほど諸外国の例もありましよう。併し諸外国は私がここで申すまでもなく民主々義が板についている。(「その通り」と呼ぶ者あり)磐石の基盤を持つておる、その上に打立てられた法律であればこそ運用のよろしきも得るでしよう、実体はどうか存じませんが……。我が日本は不幸にして民主々義はまだ借り物です。序の口です。或いは人をして言わせますれば十二才程度の民主々義国家と言つておる。そのような未熟な民主々義の上にかような法律を打立てるということは、基盤においてすでに誤りがあるとこう言うのです。又不適格であると言わなくてはならないのです。気違いに刃物を持たすと言つては語弊があるかも知れませんが、そういうそしりも免れない、未成年者に重大な権利を與えるということと同じことになるのです。あえて政府を未成年者と申上げるのではないけれども、そういう杞憂を與えざるを得ない状態に置かれるのではないかと思う、それを憂えるのです。我々の社会がもう二十年、三十年経つてのちにこういう法律を打立てると
いうのならば何も心配は要らない。運用のよろしきも得るでしよう。我々の言うことも杞憂に過ぎないということになるのです。併し如何せん今日の日本のあり方としては與えられた民主々義を今折角勉強しておる、これが自分のものになるにはこれからまだほど遠い話です。その場合にともすると、過去の憲法下において賄われた法律と同様若しくはそれ以上のかような時代逆行的な法律がここに打立てられますれば、それでなくても今日の独立国家の、日本国民の最近の傾向といたしましては過去を夢見るがごとき、過去に憧れるがごとき気風が現れておる、過去のことがいいように思うが、伐るほど過去においてもいいこともありましよう。併し日本を今日に陷れましたことは過去の大きな失敗であることは申すまでもありません。その過去のことを我々は憧れて過去と同じような形に持つて行くということはよろしくないじやないか、こう言うのです。どうかその点をあなたたちはお考え直しを願えないかどうか。どういうお考えを持つていらつしやるか、こういうことを聞いておるのです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/39
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040・木村篤太郎
○国務大臣(木村篤太郎君) いやお説御尤もであります。民主政治が、或いは民主々義思想がまだ板についていないときに早いじやないか、それでよほどこの法案の運用にしても注意をしなければいけないというお説でありますが、成るほど私も同感であります。日本はまだ民主政治が板についておりません。私は板についていないこそこの法案が必要である、民主政治が行われておる社会国家においてはさような破壊的な暴力を行うというような団体はそうたくさんあるものじやないのですが、現在の情勢においては日本に如何んせん民主政治を破壊せんとするような暴力的団体があり、又将来もでき得る危険があるのであります。それについては我々といたしましてはでき得る限りにおいてかような団体は規制して行かなければならん。併しながら規制の面においては、今伊藤委員の仰せになつたように、どこまでも民主的日本の憲法によつて保障された基本的人権を守つて行かなければならないという考慮から、先刻来申上げる通りほかの行政処分を規定した法律とは全くその様相を異にいたしまして、我々といたしましては最大限度においてさようなことを守つて行きたいという考慮からいろいろのこの規制の手続を慎重に考えてこの法案を作成したゆえんであります。この法案運用におきましても、お説の通りでき得る限り民主的に、而して憲法の上に規定されました基本的人権を擁護して行くということにいささかも手落のないように将来は取計つて行きたい、こう考えておる次第であります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/40
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041・伊藤修
○伊藤修君 余り問題を一つに拘わりますと時間がかかりますから、お説に対しましては納得の行く部分もありますけれども、納得の行かん部分もあります。少くともこの法律をどうしても支持なさるというお考え方に対して私は納得できない。もう少しお考えが他にあり得ると、こういうことを私は強く申上げておきたいと思います。占領治下におきましてこの団体等規正令というものがあつて、それでそれを廃止して、この法律に身代りするという一つのあり方になつておるようですが、非常に私は考えられるのですが、いわゆる占領治下の異常な状態において、而も占領軍がその占領の目的を遂行するために企画された団体等規制令、それは当然廃止さるべきものであると思うのです。それをとつて以て今度破壊活動防止法という名前に書き改めて、それと大体同じような目的を達成せしめようとなさる、その企図に私は了解しがたいものがあるのです。御承知の通り占領治下において国民は何らその意思を表明することなく、又それに対して意見を述べて、それを容れられるという状態もなかつたことは申すまでもない。天降り的になされた、作られた法律、そのままを独立国家の今日にこれを持ち越そうと、名前を変えてこれを持ち起そうというあり方は、何らかそれは他の勢力、即ち外国の示唆に基いて、外国の企図するところのアジア政策というものの一環のうちにこれが含まれておるのじやないかと、又こういうことをなさなければ将来におけるところの、與えた誓約に対して停るものであるというような点があるのではないか、この点に対しまして一体どういうような経過があるのか、又外国との約束はどういう点にあるか、国民はこれによつていつまでも占領治下に置かれているもののごとき感情の下に置かれる、そういう点が私は大きな思想的影響を及ぼすのではないかと思うのです。この点を先ずお伺いします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/41
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042・木村篤太郎
○国務大臣(木村篤太郎君) 詳しいことは政府委員から申述べます。大体論を私は申上げます。
只今この法案について団体等規正令との関係はどうか、外国の示唆に基いて団体等規正令に代るものであると言う。而してこの法案についてはやはり或る種の国の示唆を受けているのではないかという御意見のようであります。断じてさようなことはないということを私は断言いたします。何らさような事実はありません。これは独自の見解によつて作成されたものであると申上げたいのであります。而して団体等規正令とこの法案との内容については全然相違をいたしておるのであります。賢明なる伊藤委員におかせられましては、この法案の内容と団体等規正令の内容をつぶさに御検討下さいますればその点ははつきりいたそうかと思います。前々申上げました通り、この法案は現下の情勢に鑑みまして、日本の民主的文化国家を破壊せんとするような、さような暴力的破壊団体を規制せんとすることが主たる目的であるのでありまして、団体等規正令の目的とするところとは全く相違をいたしております。これは日本の治安の面から考えてこれを作成したものであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/42
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043・小野義夫
○委員長(小野義夫君) 簡単に今日は主として法務総裁にお尋ねするのでありますから、補充は必要止むを得ざるものにとどめておきたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/43
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044・吉河光貞
○政府委員(吉河光貞君) 只今総裁から御答弁申上げました通り、この法案は純然たる国内立法として御審議を仰いでおるのでございまして、占領軍その他外国とは一切関係がございません。団体等規正令は御承知でもございましようが、占領軍に対する反抗、反対、その他各種の條項の違法行為を対象といたしまして、これを基礎として団体の結成、指導を処罰し、又個人をしてこれらの行為を行なつた団体、個人を処罰し、更に団体の活動として、或いは団体の目的としてかような各種の行為を行なつた団体を解散させるというような建前になつております。そういたしましてそれの解釈の運用の最終認定権は司令官に保有されておつたのでございます。御承知でもございましようが、その他各般の規定がございますが、この法案の立て方は暴力主義的な破壊活動という現実の行為を基礎といたしまして、これに必要な刑法上の補正を加えると共に、かような行為を現実に行なつた団体が将来現実に起す危険のある場合にこれに規制を加えんとするものでありまして、その基礎として暴力主義的破壊活動という内容は、いずれも現行刑法その他の刑罰法令に規定されている行為を基礎にしまして、必要最小限度の補正を加えたものであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/44
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045・伊藤修
○伊藤修君 今もちよつと言葉が出ましたが、いわゆる団体に対するところの規制をしよう、こういうのでありますが、先ほどもちよつとその点に対して御答弁も触れておつたようでありますが、一体団体に対しまして処罰ができるという法律的な根拠を詳しく御説明願いたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/45
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046・関之
○政府委員(関之君) お答えいたします。
この法案におきましては、団体に対しては刑事責任を問うということは考えてないのであります。要するに第四條、第六條に挙げたごとき條件においてこれについて規制し得る。規制し得るものは只今申しましたように保安処分としてその危険性を防止する、こういうような考え方でおりまして、団体に対して刑事的な責任を問うということはこの法案では考えていないのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/46
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047・伊藤修
○伊藤修君 団体に対しましていわゆる規制するという言葉を使つておりますけれども、その規制の本質は何です。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/47
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048・吉河光貞
○政府委員(吉河光貞君) 規制処分の内容は、団体に対しまして特定の活動を禁止する又は団体の役職員、構成員に対しましてその団体の全面的な活動を禁止するということがその内容になつております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/48
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049・伊藤修
○伊藤修君 そろいたしますと、その行動を禁止し、或いはそれらの活動を禁止するということでありますが、その内容を一つ一つ御検討願いますれば、それが先ほど申しました刑罰と本質を同じうすることになるのじやないのですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/49
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050・吉河光貞
○政府委員(吉河光貞君) 規制処分の中心は、行政処為といたしましては一つの確認行為が中心になつております。暴力主義的な破壊活動が団体によつて行われた事実並びに継続又は反復してかような暴力主義的な破壊活動が将来更に行われる明白な危険性というものを確認する、この確認に基きまして只今申上げましたような規制の処分がなされるわけであります。その処分の内容は、団体の役職員、構成員に対しまして特定の活動をなすことを禁止する、或いは全面的に団体の活動をなすことを禁止する、これの履行を確保するために行政上の刑罪を規定しております。この刑罪に触れた場合に初めて刑事上の問題が起るというような建前になつておりまして、直接規制処分によりまして直ちに役職員又は構成員を処罰するというような立て方はとつていないのでございます。又行政上の処分につきましてはその履行を確保するために罰則を設けるということは、現在の立法例におきましても一般に認められているところであると考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/50
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051・伊藤修
○伊藤修君 本質は確認行為であるということになりまするが、その確認ということに対しまして、いわゆる行政官庁の確認は国家的な確認ということになるのですが、国家の最高機関としての意見の決定ということになるのですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/51
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052・関之
○政府委員(関之君) お尋ねの通りであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/52
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053・伊藤修
○伊藤修君 お尋ねの通りだというと簡単なんですが、もつと内容をはつきりおつしやつて頂きたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/53
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054・関之
○政府委員(関之君) 委員会におきまして、本法案によつて第四條又は第六條に該当する団体である、かように委員会において行政処分を以て認定するわけであります。これはもとより国家機関による認定行為にほかならないのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/54
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055・伊藤修
○伊藤修君 確認し、行政処置をし、行政処置の裏付として刑罰を與えるという三段階をとられるが、或いはこの法律にいろいろ無理があるためにそうした形式をおとりになつたことと存じますが、要するに全体を一括いたしますれば、まさにそれ自体が懲罰ではないでしようか。一つ一つ切り離すから確認だ、それは国家の意思がそれで決定するのだ、そうして又行政処置をするのだ、而して行政処置の遂行を裏付けさせるために刑罰を與える、この三つが一つの事案としての結果責任ですか、そうじやないでしようか。一つのいわゆる違法行為というものが行われる、それを行政処置として正当付けよろとするためにこうした末梢的に分析的に三つの結果にこれを区分して処置をして行く、そうして団体に対するところの刑罰ではないのだという法律理念をそこで説明しようという苦しい意図から出ているのじやないのですか。それが一体刑法理念とどういうふうな関係において正当付けらるか、純理論的に刑法理念で説明するならば、私はこの内容自体を、包括的に国民が受けるところの害悪、国民が受けるところの基本的人権の制約という面からこれを考えたならば、全体を通じて一つの刑罰じやないでしようか。して見ますれば結局団体に対するところの一つの刑罰を與えるのだと、懲罰を與えるのだと、団体はその団体の構成員の行為の結果それに対するところの責任を負わなければならん、こういう結果になりまして、団体の犯罪行為能力というものを認めるということになるのですか、その理念に対するところの説明を明らかにして頂きたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/55
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056・吉河光貞
○政府委員(吉河光貞君) お答えします。団体犯罪行為能力は認めておりません。これは飽くまで保安処分でありまして、団体に対しまして保安処分をかける、将来の危険性を防止するためには団体の活動を停止させなければならない。その活動を停止するということは、役職員又は構成員が団体活動をやることを禁止しなければならない。この禁止を犯した場合に何を以てこれを確保するかということになりますると、先ほど申上げました通り罰則を科してこれを禁止しなければならない、こういう建前になつておるのでありまして、直ちに団体の構成員又は役職員を規制処分によつて犯罪を言渡すというような立て方ではございません。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/56
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057・伊藤修
○伊藤修君 立て方はあなたに今ここで説明して頂かなくても、貴重な時間を費さなくても承知している。その根本的理念を伺つているのです。形式論を伺つているのです。貴重な時間を割いて私が伺つているのは、書いてある通りの御説明を伺うなら、これを見れば結構ですよ。わかりますから……。根本的理念をなぜはつきりもつと法理論的にお話し願えないのか。それを伺つているのです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/57
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058・関之
○政府委員(関之君) この法案におきまして団体の活動を規制するという考え方は、次のような考え方に立脚しているわけであります。御承知のごとく今日団体はそれが法人であろうと或いは法人格がなかろうと、或いは人格があろうとなかろうといろいろなものがありますが、その団体の活動といたしまして各種のいろいろな活動をしている。又この本法第三條に掲げます各種の暴力主義的破壊活動におきましても、すでに各種の出版物或いは大衆行動をなし、或いは各種の宣伝、扇動行為、或いは団体の協議決定に基いて資金を集める、或いは各種の破壊活動をやる疑を抱かざるを得ないものがある現状であります。この法案の考え方におきましては、かような現実の事実をキヤツチいたしまして、団体がすでにやつた、又将来継続反復して団体の活動としてかような破壊活動を展開するという虞れがあり、而もその団体が活動として続けて行くことによつて実害がそこに現われるまで手を洪いて待つ必要はない。団体の現実のさような活動がある限りそれに対して必要な規制を與えるという考え方でありまして、これは過去において団体が或る活動をやつたからそれに対して刑事的な責任を問うて刑事的な罰をかけるという考え方とは根本的に違いまして、将来かくのごとき団体の継続又は反復してなす破壊活動の虞れを除去するということにありまして、その点は刑法的な刑事責任を問うという理念とは根本的に相違しているわけであります。この法案における団体規制というものはそういうような意味における考えで私どもはやつた次第であります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/58
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059・伊藤修
○伊藤修君 御説明によつてはまだはつきりいたしませんが、結局私の聞こうとすることは、団体の構成員がたまたま本法に規定するところの破壊活動をした。それによつてその団体が破壊活動をする団体であるという認定を下す、その結果先ほど申されたような手続によつて結局最後には刑罰ということまで追い込まれるのですが、それは仮にいいとして、その団体を構成する者の中には正しい団体員が多数おるわけです。そうするとただ一、二の破壊活動を目的とする者がたまたまその正しい団体の廂を借りてそういう事犯を起した場合において、あなたがその認定によつて、いろいろな証拠に基かれるでしようが、認定によつてその団体が破壊活動を目的とする団体だという確認をされたと仮定いたしますれば、何ら行為責任を持たない善良な団体員は、その結果他人の行為に基くところの責任を連坐するという結果を招来するのです。この間の法律的理念を一つお伺いしたのです。何のために連坐しなくちやならんか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/59
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060・吉河光貞
○政府委員(吉河光貞君) お答えいたします。暴力主義的な破壊活動が団体の活動として行われたことが必要であります。団体の活動として行われるためには、団体の意思決定に基きましてその役職員又は構成員がこれを実現するためにする行為として、かような暴力主義的破壊活動を行つたものでなければなりません。これは証拠によつて立証されなければならないと思うのです。でかような団体の活動として暴力主義的破壊活動を過去を過去において行つた団体が、これに継続又は反覆して将来更に暴力主義的破壊活動を行う虞れがある場合につきましては、その団体に対して必要なる規制をかけるということは憲法においても許されたところであると考えます。これは犯罪の罪責を連坐させるという建前ではございません。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/60
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061・関之
○政府委員(関之君) なお吉河局長の説明に附加いたしまして、お尋ねの点について御説明申上げたいと思うのであります。
要するに事情の知らない者を連坐させて不利益を與えはしないかという御質問でありまするが、第四條と第六條についてその点は御説明いたしたいと思うのであります。第四條におきましての第一号の処分でありまするが、これは当該団体が集団的なかような行為をしてはいけないということでありまして、それは当該団体に対する命令でありまして、特定な団体の構成員その他に対する個人に対する命令と相成つているわけではないのであります。又二号は、これは団体の名義でおいて発行する機関誌紙の問題になるわけでありまして、団体がそういうことをしてはいけないということに相成るのであります。又三号は、ここにも書いてあるごとく、その暴力主義的破壊活動に關與した特定の役職員ということに限定してありまするからして、関與しない者にかような規制措置が及ぶということは考えられないのであります。又第六條におきましては、一応解散の指定をいたしまして、そういたしますと第七條によりましてその効果が発生するのでありまするが、その効果は「当該処分の原因となつた暴力主義的破壊活動が行われた日以後当該団体の役職員又は構成員であつた者」というふうに、その七條によつて命令を、活動の禁止を受ける範囲が限定されているわけであります。これらのものはすでに第四條と第六條の関係でありまするが、この法案の建て方は、原則として第四條の制限的規制処分で行くということと、制限規制処分を與えてなお且つできなかつた場合に解散をする。かような段階をとつているのでありまして、恐らくこの第七條の規定によりまして、「当該処分の原因となつた暴力主義的破壊活動が行われた日以後当該団体の役職員又は構成員であつた者」というようなかたがたは、従来の団体の性格を知るなり破壊活動自体に関與したものであろうと、私どもはこの規定の内容から考えざるを得ないのであります。かような次第でありまして、今の連坐というようなことは、この法案の上から行きますると、かような御説明になるかと思うのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/61
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062・伊藤修
○伊藤修君 法案の上から言えば簡単明瞭でありますけれども、法案の上から見ただけでも相当の疑義がある。むしろもつと一歩掘り下げて見れば疑義だらけだというのが実状です。だからお尋ねしているわけです。今の御説明では、或いはそれで以て納得できるかもわかりませんが、私としては納得できないのです。というのは今吉河さん、関さんの御説明だけでは、成るほどその行為をなした人はそれによつて追放される。これはよろしいでしよう。併し団体が規制される場合、解散される場合、そういう場合においてはたまたまその構成員、役職員においてそれを反対しても、多数の意見によつてそれが決定されればそれは団体の意思となつて行くでしよう。その場合においては反対を表明しているにもかかわらず、この法律によつて規制された結果は同様にその責任を負わなくちやならんじやありませんか。勿論個人的責任、即ち追放されるということはあり得ないでしようが、その他の団体活動としての規制は当然受けなくちやならん。その団体活動は遂には不可能に陷ることになる。それが連坐でなくて何であろうか。当然連坐して責任を負うということになるのです。或いはそれに対しましては、いやしくも団体として意思決定をする、その意思決定をするのは多数決によつてする。その全員に責任を負わしむるのだと、こういうことになるかも知れませんが、併しそれによつて、それだけのことによつて団体の構成員の善良な人々がその法律結果を負わなくてはならんということになりますれば、それは取りも直さず連坐であると言わなくてはならんでしよう。その本質が刑事責任であろうと準刑事責任であろうと、或いは処罰であろうと制裁であろうと、いずれにいたしましても基本人権を制約されるごとには何らの区別はないのです。して見ますると行政的処分といえども連坐するという観念が私にはわかりかねるのです。その意味においてその点を明らかにして頂きたいと、こう申上げるのです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/62
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063・吉河光貞
○政府委員(吉河光貞君) お答え申上げます。個人の刑事責任を論ずる場合におきましては、その個人々々の立場というものが非常に重大視されることは、先ほどのお答え申上げた通りでございます。この規制処分におきましては、その団体が只今関委員から申上げましたような條件の下に団体全体が危険な団体、破壊的な団体と認定されるのは、すでにかかる認定がされた以上は、この団体に対しまして全面的な活動の禁止を加えるということは必要止むを得ない最小限度の保安処分であると考えている次第であります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/63
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064・伊藤修
○伊藤修君 簡単にしてはつきりした御返事で結構でありますけれども、それでは納得しませんよ、そういう御答弁では……。殊にですよ団体の意思決定がされたからと言つて何のためにほかの人が責任を負わなくちやならんかということについては、その説明では納得しませんよ。又恐らくあなたたちも実際の問題にぶつかつてすでに御経験になつておることと存じますが、恐らく団体が汽車を顛覆しようだとか殺人をしようだとか、放火をしようということを総会の決議に基いて決定する馬鹿がどこにあるのですか。そんなことはあり得ないのです。それは恐らくその団体の構成の一部の人々がそういうことを企図して祕密裡に決議することはあり得るでしよう。その決議したものに対して責任を負わしめるということは納得行く。併しそうじやなくして祕密裡に行われた決議が団体員全部にかぶさつて来るという考え方には納得は行かない。思つて御覧なさいまし、集会の席上で、或いは祕密会合でもよろしい、幹部全部を呼んで集つて、そうして汽車を顛覆するだとか内乱を起そうだとかいう決議をする馬鹿がどこにあるのですか。必ずそれは祕密裡に行われることです。そうした秘密裡に行われたことが、その団体の機関によつて決定されたのだという認定の下にその団体全部が破壊活動団体だという認定を受けることになりますか。それに少しも関與していない、タツチしていない、事情を何も知らない善良な団体員の大多数という者はその被害をこうむる結果になるじやありませんか、それが連坐である。こう言つておるのです。その考え方が私はどうも原案では納得できかねるというのです。(「法務総裁答えなさい。」と呼ぶ者あり。)発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/64
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065・吉河光貞
○政府委員(吉河光貞君) お答え申上げます。
誠に御質問の通り、普通一般の公正な団体が内乱を決議したり殺人放火を政治目的の手段として決議するようなことは考えられないのでありまして、これれ法務総裁も先ほどから申上げた通りでございます。例えば或る団体の内部におきまして極く少数の分子がグループとかフラクシヨンとか申すような組織を以ちまして極秘裡にいろいろな暴力主義的な破壊活動を実行することを決議しましてこれを行なつた場合は、そのグループなりフラクシヨンなりが規制の対象となるのでありまして、これと全然関係のない公正な団体は規制されるようなことは絶対にないものと考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/65
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066・伊藤修
○伊藤修君 規制されることは絶対にないというのですけれども、結果的にはそうなるのじやないですか。私の聞いているのは具体的事例を挙げて申上げておるのですよ。だからそれによつてその団体が規制される場合において、それに全然関與していない、今のあなたがおつしやつたように、公けの席上においてそういうことは決議されないことが実情だと、おつしやる通りですよ、秘密裡に行われたことが、その団体が全体を破壊活動団体と認定される場合に、何らそれに関與していない、又そういう意思がない、正しい団体活動をして行きたいと念願してやまない大多数の人が、その結果責任を負わなければならないじやないか、それが連坐的な責任を負う結果になるのじやないか。その法律構成が私にはわかりかねるというのです。何のために連坐の責任を負わなければならないか。あなたはただ団体全体が破壊活動分子であつたと頭から呑んでかかるからそういうことを言えるのですけれども、分析してお考えになつたらどうですか。分析してお考えになつたらすぐそういうことがわかる。そうした者に対してどうしてその結果的責任を負わしめるのだという法律理論を伺つておるのです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/66
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067・木村篤太郎
○国務大臣(木村篤太郎君) 団体が団体の意思決定に基いてさような行為をやる、それについて解散の行政処分をとる、その団体の構成員においてそれに何ら関與しない、又それに反対していた、然るにその団体が解散をしてほかの者が迷惑をこうむる、これは連坐の思想じやないか、こういう御疑問であります。併しながら団体というものはどこまでも組織体であります。その組織の中にはいろいろな分子がおりましよう。或いはその決定に不服の者もあり反対の者もありましようが、併しそれが、いやしくも団体の意思決定としてそれが行政処分の対象となつて解散を命ぜられる、その構成分子は、それは私は法理上止むを得ないものだと考えております。例えばほかにおいても例が幾つもありますが、団体の意思決定に基いて解散を命ぜられた、これは株式会社においてもそうであります。意思がまちまちになる、中には全く意思の相反する者もありまするが、少くともその最高決定機関によつてそれがその団体の意思がきまつて、その意思が法規に触れて解散処分をやる、これは組織全体に関するもので、その構成員が迷惑をこうむるということはこれは止むを得ないと思う。併しながらその構成員は別にこの法案によりましても、その団体の解散の処分についての影響は受けましようが、別に団体を組織してもこの法案においては何ら関與するところはないのであります。解散された団体員は別に又みずから同志を募つて団体を組織して、組織の活動を続けることができ、何ら差障りのない点でありますので、私は必ずしもこの連坐だという思想はこれに入らんと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/67
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068・伊藤修
○伊藤修君 それは法務総裁は非常に、余り団体活動についての御経験が少いからそんなに簡単におつしやるのですけれども、団体というものがいやしくも解散されるということは死刑に価するのですよ。それは解散させられたら、あとは善良な人ばかり集つて再建したら結構じやないか、お説の通りですよ。それは容易にできるでしよう。併しおよそ団体を構成する者はそんな安易な者じやないのです。又作るにもそんなものじやないのです。いわんや団体活動というものが社会生活の上にどれだけ大きな地位を占めておるかということは、私がこうして説明するまでもないのです。そういう今日の情勢下におきまして、容易に団体を解散する、団体に対して死刑の宣告を與えるということ自体が由々しき問題であるということを意味するのです。法務総裁のようにそういう簡単にお考え下さればこれは何をか言わんやで、私はそう考えておらんのです。又今日の社会機構、これは日本のみではなく全世界を通じて団体の活動性というものについては経済の面においても政治の面においても、あらゆる面において大きく取上げられておるのです。こういう場合においてさように簡単に片付けられることは意を得ないと思うのです。私の重要視する点は、その解散ということが一部の人士のただ妄動によつて団体全体がその死刑の宣告を與えられるということは大きな制約である。大きな刑罰であるということを申上げるのです。そういう責任を善良な人が負わなければならないという法律的根拠が少しも説明されないのです。ただ御説明の一つとして掲げられておるのは、団体の意思決定によつてなされた場合においては株式会社においてもその他の団体においても同様である。それに反対した者でもその結果の責任は負わなくちやならんというお考え方であるけれども、それは商法においても多数意見を一致させる一つの手段としては当然であります。議会においてもそうであります。百分が反対しておりましても多数によつて決定されますれば、不本意でもそれに従わざるを得ない。これが民主主義である。併し刑罰を受ける場合は、制裁を受ける場合において、多数決によつて決定されたことが少数の人が責任を負はなくちやならんという、そういうありかたは民主主義の行き過ぎですよ。それは形は民主主義でも民主主義じやないのです。何でも多数で決することは皆民主主義だというなら、それは民主主義の行き過ぎであり、さようなことは民主主義とは申上げることはできないのです。いわんやそういう制裁を受ける者が全然あずかり知らんことによつて思わざる結果を受けなくちやならんということには私はどうも納得が行かない。殊に今の説明の場合におきましては、公開の席上で以て正規に多数決で以て決定されるということはあり得ないのです。秘密裡に行われておつたものが、たまたまそれが放任しておけば将来もやるだろうという特審局、今度の公安調査庁の認定に基いてその団体全体が破壊活動団体として解散を命ぜられると、こういう結果になるのです。非合法でやつてやる人はそれは責任を負うことはよろしいでしよう。公式にやつている、正規に運営している人も責任を負わなければならんということは、この法律の不備じやないかと私は思うのです。この点に関して何らかの考慮がなさるべき筋合いのものではないかと、こう思うのです。してみますれば私は結局それらの構成分子に対して行政的な制裁或いは、刑事上の制裁を受けることは別問題としましても、然らざる者に対しましても、一律一体にこの責任を負わしめて、以て包括的に政府が煩しさを除こうというやり方は、余りに易きにつき過ぎるのじやないか、飽くまで行為に対する責任は行為者において負わしめる、又これに関與した者に負わしめる、こういう行き方が正しい理念じやないかと思うのです。そうでなくして何ら責任もない者に責任を負わしめるというこの大雑把なやり方というものは、法律としては私は大きな欠点じやないかと思うのです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/68
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069・吉河光貞
○政府委員(吉河光貞君) 簡単にお答えいたしますが、問題が二つ含まれているのではないかと考えるのでございます。先ほど御説明した通り、或る団体の内部に団体とは別個に作られたグループとかフラクシヨンとかいうような特定少数者の破壊活動、この破壊活動につきましては、そのグループなりフラクシヨンなりが責任を責うべきものでありまして、これが規制を受ける対象となる。これと関係のない本来の団体がこの少数者の破壊活動によつて規制を受けるということは絶対にないように規定されておるのでございます。又いま一つの問題は、団体は現実におきましてその構成内容は千差万別でございます。いろいろな団体もございます。立派な機関構成を具えたような団体もございます。又非常に全員が集つてすべてのことを相談してきめて行くというような立て方をしている団体もございますが、いやしくも団体となるためには、個人とは離れた団体の意思決定をする方法が団体構成員の意思に基いて立てられている。それが規約できめられているる場合もありましよう。或いは構成員の明示の意思或いは黙示の承認の下にきめられている場合もありましよう。こういう方法によりまして団体の意思が決定され、そしてその意思に基いて役職員なり構成員が意思実現のために活動をする、こういう行為が団体の治動として認められるのである。かような場合におきましては、仮に反対をした者といえども規制処分を受ける、団体の構成員である以上行政上の不利益処分を受けることは止むを得ないことである。併しこれは刑罰ではないというふうに考えておりますので、日本国憲法の建前からいたしましても、これが逸脱するものではないというような確信に立つておるのでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/69
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070・伊藤修
○伊藤修君 刑罰でないから何をやつてもかまわないというお考え方のようですけれども、およそ行政罰として或る程度の限度というものはあるのです。行政罰で何でもできるという考え方に立つていらつしやるからそういう御答弁ができるのです。これは先ほどもちよつと申上げましたけれども、非常な考えの誤りだと思うのです。行政罰を以てあらゆる面を規制して行こうなどというような考え方は、これは除去しなければならんと思う。これはともかくといたしまして、今の御説明だけでは私はその点をどうしても納得できない。これは又改めて御質問申上げることにいたします。
それからそういう疑義が出て来るということは、一体この法律の立て方があらゆる面において非常にあいまいなんです。なぜもう少しこの法律をお立てになる場合において、そこに佐藤さんもいらしつやいますけれども、法律を運用する場合においてそれがみだりに擴張されないように條件を明らかにするという、いわゆる枠をはめるということに努めなかつたか。この法律の立て方全体を通覧いたしますと非常にあいまいな言葉ばかりを特に使用しておるのですね。そうするほうが行政官吏としては非常に便利至極である。幅が広いからどういうものでも自分の認定によつてこれをとつて問題にすることができるのです。いやしくも人の行為、不行為を制約しようとする場合においては、少くともこれを制約するにおいて條件を明らかにすべきが当然な国家の義務であると思うのです。国民はどこを規範にして、何を規範にして生活を営んでいいかわからないのです。立法形式としてはこれほど杜撰な形式はないと思うのです。これは立法技術としても非常な、退歩という言葉が当てはまるかどうかはわかりませんが、立法技術としては実に杜撰極まるものです。こういう大まかな立法を今後どしどし出されますというと、国民生活の上において大きな障害となる危惧の念を抱くことになります。延いては将来日本が全体主義国家に立返るような虞れもこの法律にきざしておると言うても過言ではないと思います。この点に対しまして法務総裁と佐藤法制意見長官の一つ御意見を伺いまする。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/70
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071・木村篤太郎
○国務大臣(木村篤太郎君) 私はこの法案は十分に枠をはめたつもりであります。できるだけの枠をはめて、そうして民主的にこれは立案したものと、私はこう考えております。先ず第三條において破壊活動の定義をちやんとして、いやしくもこれは擴張解釈できないように十分に絞れるだけ絞つております。二項におきましてもその通りであります。絞れるだけ絞つて明確にこの範囲を外さないように私は考慮したつもりであります。それから規制処分につきましても、でき得る限りの方法でこれを濫用されないように、今伊藤さんが非常に御心配になつている基本的人権の侵害というような点について考慮いたしまして、普通なれば、或いはこれは全体主義と申しましようが、行政処分で直ちに規制はできるのであります。これにおきましてはその行政処分をするについてのあらゆる方面から考慮いたしまして、極めて民主的に、いやしくも権力の集中と又濫用があつてはならないという点から考慮いたしまして、調査する者と請求する者と、そうしてこれを取調べる者とこれを決定する者と、この三段に分けまして、而も最終的には裁判所へ持つて行くというような段階を設けまして、普通の行政処分には殆ど例を見ないような考慮を拂つて参つたつもりであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/71
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072・佐藤達夫
○政府委員(佐藤達夫君) 全く法務総裁のお答えで盡きているのでありますが、実は絞り過ぎましたために、例えばこの第四條、第六條等の規制処分の基準といたしまして、第三條においてこの刑法の犯罪行為だけを列挙いたしましたために、或いはこの規制処分そのものが刑事責任を追及するのじやないかというような御疑問を持たれるような向きも出て参りまして、甚だ遺憾に存じているのでありますけれども、私自身といたしましては、今総裁のお答えの通り絞り過ぎるぐらいに絞つたつもりでいるわけでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/72
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073・伊藤修
○伊藤修君 どうも佐藤長官は心にもないお世辞を申していらつしやるように思うのですが、御本心はどうも杜撰であるというふうに思つていらつしやるように思うのですが、それは余り付度し過ぎると御迷惑がかかるから申上げませんけれども、先ず良心的に見て、立法技術者としてお考えになりますれば、こういう表現はとらざるところのものと私は思うのです。恐らく佐藤長官が良心的にお作りになれば、かような法案はお作りにならんと思うのです。不幸にして特審局にこれを立案させたのでかたくなな頭でお作りになつたからこういうことになつたのだと思います。(答声)もう少し人間味があればこんな法律はできないと思うのです。まあその点は各條で以て又御質問申上げることにいたします。この点はこの法律を佐藤さんに作つて頂きたかつたですね、私はそれほど佐藤さんに心酔しているのですけれども……。
次にお伺いしたいことは、この法律が正常な組合活動に対しまして非常なる圧迫となり、又言論機関に対しましても大きな制約となることは輿論の示すところであります。勿論政府の御答弁としてはそういうことはあり得ない、いやしくも破壊活動をしなければそういうことはあり得ないのだから、従つてそういうことをしない人に対するところの言論の抑圧もしないが、組合活動も阻止することはあり得ないという御答弁であろうと思うのですが、私はそうじやなくして、先ほどもちよつと申上げましたごとく、こういう法律が出ると、結局はあなたたちが企図されておる暴力的団体に適用されずに、正常な組合活動だとか正常な言論機関というものに対するところの一つの制約となり得ることは、これは必然ですよ。こういう点に対しまして私は思いを少しもいたしていらつしやらないと思うのです。法務総裁が初めからこれにタツチしていれば或いはそういう点について相当御考慮もあつたと思うのでありまするが、すでにでき上つたものを法務総裁に示されて、それに署名した程度であろうと思うです。否が応でもこれに対して支持せざるを得ないという結果になつたのでしようが、この点は私はこの法律で以て、仮にこれが成案として公布されるということになりますれば、相当この点は私は考慮しなければならんと思うのです。若しこの法律をそのまま下級官戸において運用されることになりますれば、憲法において、憲法二十八條ですか、労働権に対するところの国民の権利というものは著しく制約されることは必然の結果です。又言論に対するところの抑圧ということも十分憂うるところの実情にあると思うのです。結局は旧来の憲法下において行われたところの検閲制度が復活するような形になつて行くのではないかと思うのです。安心して物を書くこともできない、意見の発表もできないということになるのではないかと思うのです。そういう点に対する御考慮の点はどうですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/73
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074・木村篤太郎
○国務大臣(木村篤太郎君) 伊藤委員の御心配の点につきましては、実は我々も十分これを作成するときにおいて考慮いたした次第です。そこで先ほど申しましたように、いやしくも正常なる組合活動だとかその他団体の活動について制約を加えるというようなことがあつてはならん。というのは、はつきりそれがどういう活動が主になるのかということにさせておかないと、ややもするとそれが擴張解釈をされるという懸念がありまするので、先刻申しましたように、三條一項、二項によつてこの点をはつきりさしたのであります。要するに破壊活動の定義を極めて明瞭にして、これさえはつきりさしておけば擴張解釈の余地はなかろうかという考慮を以ちまして厳密にこの点を佐藤君とも相談の上絞つたのであります。これが先ず第一であります。
あとはこれは伊藤さんのいつも御心配の点である運用の問題であります。これについても、我々はいやしくも国民に疑惑の念を抱かせるようなことがあつてはならんという最大の考慮を以ちまして、先ほど申上げました点について思いをいたして十分な処置をとつたのでありまするが、更に私はやはりこれを動かすには何としても人が肝腎だと、こう考えております。そこでこれはいずれ後刻御審議を願いますが、設置法の中におきましていわゆる研修所というものを設けまして、ここでこの取扱う官吏についての十分なる修養と申しましようか、人格的の面において考慮を拂い、いやしくも基本的人権を侵害するようなことがあつてはならんと、この面から考えまして、でき得る限り立派な調査官を得たいというので、大蔵省とも或る程度の了解を得まして研修所というものを設置したいと考えまして、この法案の中に入れておる次第であります。いずれの面から考えましても、御心配の点については我我も同感でありまするから、でき得る限りの方法を講じましてこの法の運用の全きを得たいと考えておる次第であります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/74
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075・伊藤修
○伊藤修君 将来お作りになるところの研修所についてのあり方については相当御質問も申上げなくちやならんと思うのです。今は大体論でありますからその点に対して御質問は申上げませんが、私としては、この研修所のあり方というものが大きな将来の作用をなすと思うのです。今仰せの通り、この種の事案を取扱うところの専門官吏を作るわけですから、この教育のあり方というものが一にかかつてこの法律を将来仮に運用されるといたしますれば重大なポイントになると思うのです。この点は又後日御質問申上げるごとにいたしまして、本日は大体この程度にいたしておきます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/75
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076・羽仁五郎
○羽仁五郎君 議事進行について……。本日伊藤委員と政府委員との質疑応答を聞いておりまして、今後の議事進行上必要があると考えますので、この法律案について答弁せられる政府委員の今までの経歴をできるだけ詳細に知る必要があると考えるのです。その点委員長から、政府委員が今までどういうことをして来られたか、それについての知識を我々に與えられたいと思うのでありますが……。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/76
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077・小野義夫
○委員長(小野義夫君) ちよつと速記をとめて。
〔速記中止〕発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/77
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078・小野義夫
○委員長(小野義夫君) 速記を始めて下さい。それでは今日はこの程度で散会いたします。
午後五時十一分散会発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/101315206X03919520519/78
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