1. 会議録本文
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000・会議録情報
昭和三十一年二月十日(金曜日)
午前十時三十五分開議
出席委員
委員長 加藤鐐五郎君
理事 青木 正君 理事 大村 清一君
理事 小金 義照君 理事 杉浦 武雄君
理事 淵上房太郎君 理事 井堀 繁雄君
理事 島上善五郎君
相川 勝六君 足立 篤郎君
井出一太郎君 大坪 保雄君
薩摩 雄次君 古井 喜實君
鈴木 義男君 滝井 義高君
竹谷源太郎君 武藤運十郎君
森 三樹二君
出席政府委員
総理府事務官
(自治庁選挙部
長) 兼子 秀夫君
委員外の出席者
参議院議員 松岡 平市君
参議院議員 小林 武治君
参 考 人
(朝日新聞社社
友) 野村 秀雄君
参 考 人
(日本教職員組
合顧問・弁護
士) 戸田 謙君
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本日の会議に付した案件
公職選挙法の一部を改正する法律案(参議院提
出、第二十三回国会参法第一号)
—————————————発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102404219X00319560210/0
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001・加藤鐐五郎
○加藤委員長 これより会議を開きます。
公職選挙法の一部を改正する法律案を議題として審査を進めます。
本日は、去る七日の委員会の決定によりまして、本案について参考人より意見を聴取することといたします。
議事に入ります前に、参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。御承知の通り、本案は、前国会におきまして参議院の地方行政委員会において起草提出され、参議院の議決を経て本院に送られたものでありますが、前国会におきましては、会期の関係上、本委員会における審査を終了するに至らず、閉会中の審査に付しまして、今国会に継続せしめ、目下鋭意その審査を進めておる次第であります。
本案の内容につきましては、すでにお届けいたしました資料によって御承知のことと存じますが、主たる提案の理由といたしまするところは、公職選挙法施行の実情にかんがみまして、知事及び市長を自発的に辞職した者の立候補を制限し、選挙運動期間を短縮し、個人演説会、告知用のポスターの制度を廃止するとともに、選挙運動用ポスター及び無料はがきの枚数を増加し、また、現行の新聞紙、雑誌の人気投票掲載の制限規定を改めて、広く人気投票の公表を禁止し、また、選挙に関し報道及び評論を掲載する自由を有する新聞紙または雑誌は、選挙期日の公示または告示の日前一年以来引き続き発行するものに限ることと改め、その他政党等の政治活動の規制を適正化せんとする等の諸点であります。参考人各位は、選挙法並びに選挙に関する諸問題につきましては深い御見識を有せられる方々でありますので、本案について忌憚のない御所見をお述べ願い、もって本委員会の本案審査の上によき示唆をお与え下さるようにお願いいたす次第であります。
なお、議事の進め方につきましては、名簿の順に順次御発言をお願いし、お二人の御意見の御発表の終りました後に、委員から質疑を行うことといたしますので、あらかじめお含みおきを願っておきます。
それでは、最初に野村秀雄君より御意見の御発表をお願いいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102404219X00319560210/1
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002・野村秀雄
○野村参考人 私野村でございます。衆議院から参考人としてお呼び出しをいただいたのでありますが、どういう点を申し上げていいのかよくわかりません。ただ、私は、長い間新聞に関係いたしておりました立場から、改正案の新聞に関する事項についての意見を御参考に申し上げるのではないかということを考えまして、その点をここで申し上げてみたいと思っております。
今度の改正においては、新聞に関する事項としては、選挙に関し報道及び評論を掲載する自由を有する新聞紙または雑誌は、当該選挙の選挙期日の公示または告示の日前一年以来引き続き発行するものに限ることとするということと、もう一つは、新聞に人気投票の経過または結果を公表してはならないと規定してある事項を、さらに何人といえども広くこれを適用せられるように相なることと了承して、その点について私の意見を申し述べたいと思って参ったのであります。しかし、なお新聞関係について御質問がおありになれば、私のふつつかな意見でも申し上げて、御参考になれば幸いに存ずる次第であります。
この改正点の結論より申し上げたならば、私は改正案に賛成であります。憲法における言論、出版等表現の自由から申したならば、無制限であってほしいと思うのであります。選挙法でも、選挙に関し報道及び評論を掲載する自由を妨げてはならぬと、その原則をお示しになっておるのであります。しかし、虚偽の事項を記載し、またはお実を歪曲してはならぬとして、この表現の自由に対しても、ある制限をお加えになっておるのであります。乱用した者に対しては、それぞれ罰則を定めて、新聞、雑誌が選挙の公正を害する行為のないようにせられているのでありまして、この処罰規定を厳正に行使せられたならば、あらためて六カ月の期間を発行上制限する必要はないとも言い得るのではないかと思うのであります。しかしながら、現実には選挙目当ての悪徳新聞がみだりに起るきらいがあるのであります。すなわち、候補者をいたずらに誹謗したり、あるいはいたずらに賞揚して当選せしめ、あるいはまた当選せしめざるように虚偽の事項を記載し、事実を歪曲して報道するものがあるのであります。従って、これらの選挙の公正を害する悪徳なる新聞を直ちに摘発したならばよいかもしれませんけれども、事実をはっきりつかむまではなかなか摘発し得ないのであります。従って、これを事前に防止する必要があろうと思うのであります。これらの六カ月の期間を設けないで済めば、これに越したことはないのでありますが、先ほど申したように、現実の状態は、ある程度の制限はやむを得ないのであります。ただ、選挙法に規定してあるところの、月に三口の新聞を半年継続して発行しておるものならばいいという規定でありますが、半年では十八回の発行に相なりまして、それでは新聞の性格、良否を識別することが容易でないと思います。従って、私は、その性格や良否を識別する意味において、一年程度はやむを得ない、あるいはむしろ当然ではないかと考えておるのであります。
これは、憲法のいわゆる表現の自由から申したならば、必要悪であるかもしれません。またあると言い得ると思いますが、現実は、かようなる制限をもって悪徳新聞のばっこ跳梁を防ぐことは、私ども、長く新聞に関係した者として、これを容認しなければならぬと思うのであります。現下の情勢から見たならば、新しく新聞を起して、そして、しかもそれを、性格においても、規模においても、機能においても、りっぱなるものを起すことは、なかなか容易でありません。数千万円あるいは億という資金をもってしなければ、新しいりっぱな新聞を起すことはできないのであります。最近においては、大阪に読売新聞が新しく起りました。また、東京においては、アサヒ・イヴニング・ニュースが新しく発刊せられたのであります。また、この三月一日からは、中部日本が東京において新聞を発刊することになっておるのであります。中部日本は、その性格、規模、機能において、大新聞の系列にあるものでありまして、これらのアサヒ・イヴニング・ニュースにしても、あるいは大阪読売新聞にしても、あるいは東京中日にいたしましても、その母体である朝日新聞、読売新聞、中部日本という大きな新聞があって初めて発刊し得るのであると思うのであります。この東京の中日は、さしあたりスポーツと芸能とをおもなるものとして新聞を発刊することに相なっておりまするけれども、やがては政治、経済、教育その他万般の報道をなし、また評論をなす新聞となるものと考えられるのであります。この中日新聞が三月一日から発刊せられるごとになれば、現在の選挙法においては、少くともこの六月に行われる参議院選挙の報道はなし得ないわけでありますが、私は、これは、中日の性格、規模、機能から見て、これに報道を許さぬということはどうかというような考えを持ちまして、その救済方法として、既刊の新聞紙の姉妹紙として日刊紙を発刊する場合はこの限りにあらずというような、例外規定を設けられてはどうかと思うのであります。既存の日刊新聞社で別に日刊新聞を発刊した場合は、この例外規定によって救済せられるのがいいのではないかというようなことを考えるのであります。元来、新聞は、公共の福祉に立脚して、新しい現実的事実の報道及び批判を、最もすみやかに、規律的に、連続的に、普遍的に伝達するものである以上は、ニュースを中心としてこれを報道し、これを評論するのが、その使命であり、生命でありますから、月三回発刊の新聞よりも、デーリーの日刊紙なら、たとい一カ年以内でも、新聞紙として選挙法上認められたらばよいのではないかというような考えを持っておるのであります。別に私は、中日のためにこれを云々するわけではありません。ただ、あれだけの性格、機能、規模を持っておる新聞社が発刊する新聞ならば、例外的規定があってもよいような気がいたすのであります。
しかし、悪徳新聞はどうしても駆逐掃討いたさなければ、民主政治の発達を阻害するものと思うのであります。この悪徳新聞のために、いかに地方自治を乱し、地方の平和を傷つけ、選挙の公正を害し、選挙界を毒することが大きいかということは、私がここに申すまでもなく、各位が御承知のことと存じます。選挙のときに、この悪徳新聞が、虚偽の事実を報道し、あるいは歪曲してこれを掲載するような場合ならば、警察が活動したらよかろうという意見もありますけれども、警察が事実を把握して行動を開始することは、そう簡単にはいかないであろうと思います。もとより、これをむやみに頒布したり、あるいはまた張りつけたりした場合には、形式犯として警察が行動を開始し得るかもしれませんが、その内容実質についてのせんさくは、そう簡単にいくものでないと思いまするから、警察が悪徳新聞の実害を少くするために選挙前に活動を開始することは、むずかしいことと思います。選挙後ならば、警察もその内容を十分に探知して摘発することもできましょうが、選挙前には、下手をやれば選挙干渉のそしりを受くることがあるのであります。選挙後は、本人においても、その権利の上に眠らずして、これを訴えてそうして悪徳新聞の罪を糾弾するようにしていくようにせねばならぬと思います。
私はこの悪徳新聞に対しては厳罰で臨んでもらいたいと思います。今の選挙法においてはただ禁錮か罰金かを課しておりますが、私は、選挙に関して悪徳新聞が選挙を毒した場合には、新聞界より悪徳新聞を追放するようにしたらよかろうと思います。選挙法において選挙違反で罪せられたものは公民権を停止される場合があるのであります。私は、選挙を毒した選挙違反の新聞に対しては、裁判において向う何年間は新聞を発行することを得ずという規定があってもよいのではないかと思うのであります。あるいは職業の自由に反するものであるという非難があるかもしれませんが、しかし、公共の福祉に反する職業は、これを停止または禁止し得る規定があるのであります。あるいは表現の自由に反するというものがあるかもしれませんけれども、しかし、新聞は発刊し得ないように禁止せられても、その人の表現の自由を奪うものではないと思います。あるいは、このやいばが公正な大新聞にも向けられるおそれがあるとして、反対するものがあるかもしれませんが、大新聞は意識したりあるいは作為して選挙を妨害するようなことはありません。従って、公正なる裁判のもとにおいては、決してかようなおそれはないと思いまするがゆえに、私は、悪徳新聞はかような方法によって駆逐掃討する必要があるのではないかと思いまして、これを、幸いに国会において私の意見を徴せられたよい機会を拝借して、各位の御批判と御教示を仰ぎたいと思います。
悪徳新聞が国会選挙に及ぼす影響も少くありませんけれども、ことに地方選挙に及ぼす悪影響というものは甚大であります。直接であるために、その弊害はきわめて大きいということをおそれるのであります。ただ、私は、この機会に、この悪徳新聞のようなうじ虫の生ずる温床を浄化いたすようにいたさなければならぬと思うのであります。政治家諸公におかれても、新聞を理解し、尊重いたされなければならぬと思いますが、新聞をおそれ、おもねってはならぬと思うのであります。いわんや、選挙時に供応したり、金銭、物品を供与して新聞のごきげんをとるようなことは、絶対に避けてもらいたいと念願しておるのであります。私は、外国の事例はよく存じませんけれども、イギリスの腐敗及び不法行為防止法においては、候補者の選挙代理人以外の者は、選挙代理人より文書をもって認可を得ざる限り、国会議員選挙における候補者の選挙を助長し、または獲得するためにする公会開催、広告、回状または出版物の発行のために支出することを得ずという規定があるように記憶しております。これは、ただに選挙費用に加算するというだけでなく、これによってかようなる出版物を発刊したる者は処罰せられるようになっておるのであります。ただし、イギリスにおいても、日刊新聞は報道、評論を自由にいたしておりまして、そのために処罰せられることはないということであります。しかし、新聞以外のもの、たとえたならば、スタンド売りの前にチャーチル優勢あるいはチャーチル当選確実というような張り紙をなしたならば、それはこの条文に照らされて処罰せられるということも聞いておるのであります。少くとも、運動員以外の運動は不法行為と見なして、厳正なる処罰をせられるのが適当と思うのであります。選挙粛正は、ただ道徳的にこれを叫ぶだけでなく、ある程度は法規によって規制することが必要と思うのであります。
かような意味において、私は、今度の改正案に対しては賛意を表し、同時に、悪徳新聞を駆逐掃討する意味において、前に申し上げたように、彼らを新聞界から追放するような法規の制定について御考慮を仰ぎたいと考えておるのであります。
なお、人気投票に対する事項を拡大せられることは、私は賛成するものであります。元来、私は、人気投票は芸能人または観光地のことについてもよく行われておりますが、これはその多くは公正なものでないと思います。古い昔「太陽」という雑誌が日本十傑の投票をいたしましたが、その多くはことごとく事実に反するものであったことを記憶します。また往年ある新聞が日本八景をこの投票によって募集したことがありまするけれども、これについてもいろいろの批判があって、ついに、そのせっかく決定したものも、日本八景として事実に現われなかったこともあるのであります。いわんや、この人気投票を選挙に反映せしむるがごときは、選挙の公正を一害するものであって、民主政治を冒涜するものとして、私は人気投票はいかなる場合においても賛成いたしかねるのであります。
以上の理由をもちまして、今度の改正案に対しては私は賛成いたしまして、その実現を期待いたしておるものであります。まことに粗末なことでありまするけれども、以上をもって私のこの事項に対する賛成の意見といたしたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102404219X00319560210/2
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003・加藤鐐五郎
○加藤委員長 次に、日本教職員組合顧問、弁護士戸田謙君の御意見の御発表を願います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102404219X00319560210/3
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004・戸田謙
○戸田参考人 私は弁護士の戸田謙と申します。こういう席へ出て参りまして、いろいろ申し上げるほどの知識も何もございませんが、日ごろわれわれ若い者が考えておる選挙というものに対する考え方を若干述べさせていただきまして、あと、そういう観点から、今日の改正案に対する部分的な意見を述べさせていただきたいと思います。
近年、金のかからない選挙とか、あるいは政界の浄化、腐敗の防止、こういうことが盛んに叫ばれ、これは国民の全世論であろうと私は考えております。しかし、それに沿った選挙法の改正というものがいつできるであろうか、私はいつもそういう観点からながめておりますが、今回の改正案を拝見させていただきますならば、それに一歩近づいたと見られる点もございますけれども、逆行したと思われる点もあると思うのであります。私が申すまでもなく、選挙というものは公正が第一の眼目でなければならないと思います。そのためには、選挙の運動その他の選挙の要素というものは、言論闘争一本、これに徹底できるような選挙法でなければならない。これが本来の理念であろうと思います。しかし、にわかにその段階に達し得ないといたしましても、その根本的な理念に沿った法律改正が進められるべきものであると考えます。民主主義を根本原則とする憲法、その憲法に基いて保障された政治に参加する権利、代表を選ぶ権利、こういうものを行使する権利並びに義務を持っている国民が、また憲法で保障しているところの言論の自由、表現の自由、思想の自由、そういう最大の基本的人権を駆使して、言論闘争一本によって選挙が完遂される、こういう時代が来ること、われわれとしては望んでおるわけであります。しかし、その根本原則を百パーセント適用することは無理でありましょうが、そういう精神から考えますならば、選挙の手段としましては、言論闘争以外の要素は極力排除すべし、すなわち金力による選挙が行われやすいような法規は改正すべし、そういう基本理念によって法律が変えていかれなければ、いつまでたっても進歩はないと思います。そういう私の考え方を貫くならば、本来選挙の完全公営ということが理想であることは言うまでもありません。しかし、それは現段階では無理なのでありましょうが、そういう理念から考えますと、今回の細部の改正案を拝見しまして、いろいろ問題点があろうかと思います。
提案理由に書かれております事項に沿って簡単に触れて参りますけれども、「改正の第一は都道府県知事又は市長の職の自発的退職を申し出た者は、当該退職の申立があったことに因り告示された選挙に立候補することができないもの」とした。これにつきましては、もちろん全面的に賛成であります。それは基本理念であるところの公正な選挙を妨げるおそれあり、私としてはもちろん賛成するものでありますが、これにつけ加えましてお考え願いたい点があるのであります。それは何であるか。ここまで法律改正をなさるならば、一歩進めて、こういう点を考えていただきたいと思うのであります。それは、公職にある者、知事、市町村長、こういう者が選挙において応援演説をする。これは、そういう地位を利用した影響力の最も大きい行為であるにもかかわらず、国家公務員法、地方公務員法、そういう法律によっても、特別職としていろいろ制約はございましょうが、これは、他の面から考えると、まことに片手落ちでなかろうかと考えます。なぜならば、御承知のように、国家公務員の政治的行為の制限につきましては、同法百二条でしたか、あるいはそれの内容を人事院規則一四七というものに譲りまして、広範な制約がございます。もちろん地方公務員においても同様でございます。この点につきましては、昭和二十九年のいわゆる教育二法律、教育公務員特例法の一部改正法律あるいは義務教育諸学校における教育の政治的中立の確保に関する臨時措置法、こういう長い名前の法律でございましたが、この二つの審議の段階において、全国民的な世論とまでいわれるように論議された点があります。そういうように、一方では公務員の政治的行為を最大限に制約しながら、議会の議員先生の選挙活動、そういうものは当然よかろうと思いますけれども、少くも日本の社会におけるそういう地方自治体の長の影響力というものを考えますときに、そこまで一歩進めたらどうか。これが選挙の公平を維持するためには最もよい点ではなかろうかと私は考えます。御存じのように、人事院規則の中には、どういうことが違反であるか、それを羅列する必要もなかろうかと思いますが、簡単に申しますと、こういう一項がございます。職名、職権、公私の影響力を利用すること、これが、政治的行為で、いわゆる、してはいけない。これにつきましては、人事院規則そのものの性格、国家公務員そのものの性格、憲法違反の疑いが濃厚であるという学者の議論もございますが、それは抜きにしまして、それが合憲であると解釈いたしましても、そういう公私の影響力を利用することに対して、公務員の政治活動というものが全面的に制約されております。それと比較対照いたしますならば、私が今述べましたそういう点は十分考慮されてしかるべきではなかろうかと思うのです。これは、何も、政治的な主義主張、政党、そういうもののどちらがどうということではなかろうと思うのです。そういうように法律でやっておる以上は、そこまで考えて立法を進められてはどうであろうかという気がするわけであります。
次は、改正の第二と書いてありまして「参議院全国選出議員の選挙の場合の供託金は候補者一人につき現行十万円を二十万円に増額」するという点でございます。これの改正の趣旨は、何か泡沫候補を制限するという趣旨のように承わったのでありますが、泡沫候補を制限するためには、こういう改正では制約でき得ないことは明らかだと思います。なぜならば、そういう候補者に限って、金力を持ち、金権候補であり、売名的行為をしようという人が多いということは、公知の事実ではなかろうかと思うのであります。だから、そのためには、逆に考えるならば、ほんとうに国民の代表として出したいという人は、金もないという人が多い。そうするならば、国民の被選挙権並びに選挙権、そういうものを憲法で保障してあるが、そういう権利の行使の制約をいま一そう強くすることになる。そういう趣旨におきましてなぜこういうふうに改正されたかという点につきまして、私は理解に苦しむのであります。もちろんこの点につきましては反対でございます。
次は、改正の第三とありますが、「参議院議員の選挙については五日、その他の選挙については衆議院議員の選挙を除き、右に準じて選挙運動期間を短縮する」、こういうことでございます。この点も、私の根本に考えておる原則から考えますならば、言論闘争一本で本来は選挙というものをやるべきである。そういう言論闘争一本でやって選挙を公明に明るいものにしなければならない。それを制約する要素が多ければ多いほど、選挙は陰にこもり、暗くなり、内攻して腐敗の温床となる。これは私がいつも考えることでございます。そういう観点からいたしますと、選挙運動期間というものはなるべく長い方がいいわけであります。言論闘争一本、街頭演説一本、自分の政見、主義主張の発表、これによって投票を得て国会へ出てくる、こういう観点からするならば、運動期間を短かくするという点は、それの制約であります。この点は選挙法としては後退である、逆行であると考えます。従来通りの期間で、改正の要はないのではないか。そういう言論闘争の要素を制約して、その他の要素をふやすということになりますので、その限りにおいては、事前運動を猛烈にやった者、金力にものをいわせた者、そういう者が、わずかな期間において、優位を獲得して当選ができる、こういうことになると思いますので、この点につきましては反対でございます。本来明るくあるべき選挙が、私が実務上体験するところによりますと、農村へ行ったり、いろいろ被疑者あるいは民事上の依頼者などに会って、雑談をし、聞いてみますと、おやじの遺言だと称して、保証人の判を押してはいかぬ、選挙に関係をしてはいかぬというようなことを言う人に、たまたま出っくわすのであります。これは何を意味するかといいますと、こういう根本的な私の理念、考え方に基いた選挙法というものが、首尾一貫せずして改正をされ、朝令暮改的に改められ、はがきが一万枚多くなったり、あるいは供託金が五万円か十万円多くなったり少くなったり、こういうことによって、その法規が変るたびに周知徹底を欠き、善良なる国民がそれになれないために違反に問われ、刑務所のめしを食う。こういうことになると、どうも選挙というものはこわいものだ、もうかかり合っちゃいかぬぞと、大衆が選挙から逃避し、恐怖を感じ、選挙法自体が国民から遊離をし、遊離した選挙法によって選ばれた先生方は、結局は国民から遊離をすることになりはしないか。ほんとうに国民の代表として活躍していただくためにも、選挙法というその基本の法律はもう少しすっきりしたものにしたい。たびたびこう改正をしては、国民がなれるひまがない。われわれ法律専門家といえども、選挙法については、そのつど最も新しいものを買ってきて見ないと、えらい恥をかきます。そのつど研究しなければ、何がどうなったか絶対わかるものではございません。それくらいな法律、しかもそういう形式によって国民全体が苦しむということがある。それによって、次第々々に、選挙のみならず、法律というものはどうもこわいものだ、裁判所や検察庁というところはこわいところだ、そういうふうな印象ばかりを与えて、結果としては作られた法律の権威にも関するような事態がくるのではないかということを、私は憂慮するものであります。これは、法律の実務に携わる経験から、そういう感を常に持っておるものであります。
そういう観点から見ますと、改正の第四、選挙運動に従事する者のはがきの項でありますが、こういうものは私はどうでもいいと思うのです。一万枚ふやそうが、五千枚減らそうが、そういうことは枝葉末節であろうと思います。もちろん選挙を言論闘争あるいは選挙公営という観念から言うならば、そういうものがふえることは進歩でありましょう。しかし大した問題ではない。私はどうでもよいと思う。こういうものは枝葉末節の議論であって、たびたび改正をするほどのことではなかろうと思います。
その次の、これは第四の中に入っておりますが、新聞、雑誌その他の項でございます。これにつきましては、野村先生より詳細なる御説明、御意見がございましたので、私は差し控えますが、やはり、根本理念は、言論闘争——言論の自由を認めて、それをどこで調節するかという点に焦点をしぼるならば、現行の選挙法でも、月三回とか六カ月というような相当の規制を加えた上で、こういう規制をしておるのならば、それこそ、泡沫的なゴロツキ新聞のようなものはばっこできないであろう、という趣旨でできたものだろうと思いますが、それの基準の判断は、人によって、これではまだ泡沫新聞がばっこする、ゴロツキ新聞がばっこするというふうにお考えになる方もあろうと思いますが、原則として言論の自由を最大限に認めて、それをどこで制約するかという点からお考え願って、まあこの程度の改正もやむを得ないかもしれませんが、あえて改正するまでもなく、現行のままでも運用の妙によってやれるのではないかという気もいたします。
次は、改正の第五、「政党その他の政治団体の選挙における政治活動について、関係規定を明確化し、ルールの確立を図った」、こういうふうに関係規定の明確化と書いてありますが、明確化されてはいないと思うのであります。ここで考えたいことは、先ほどの、私の根本理念であるところの、選挙は言論闘争一本でなければならないという観点、また現在のように議会政治の運営上二大政党がよろしい、こういう議論がたくさんございます。そういう理屈を貫くならば、政党あるいは政治団体いわゆる政治的団体は、政治資金規正法によっていろいろ制約がある。国家の法律によって一応の規制をされ保護をされておるそういう団体の政治活動というものは、最大に尊重すべきものであろうと考えるのであります。政治団体同士の主義主張で争えばいい。そうすれば、政党と政治団体あるいは政治団体の差異というものは、本質的にはないのである。だれがどの団体から推薦を受けようと、あるいはどの団体がだれを推薦しようと、それは全く自由でありまして、憲法の精神からいっても、それに何らかの制約を加えるということは、そういう二大政党対立とか政治の運営上それがよろしいとか、そういう理屈から言うならば、全く無意味ではないかと思うのであります。
そこで、ここで大きくつけ加えておきたいことは、こういう政治的団体のことにつきまして制約をされる。今度の改正案によりますと、推薦団体は二つでなければならないというふうになっておるようでありますが、こういう制約をせられるならば、もう一歩を進めて、片手落ちなことはないか、これをお考え願いたいのであります。それは、皆様もよくおわかりと思いますが、何々議員後援会とか何々候補者後援会とか、まるで野球やなんかの選手の後援会のような団体がございます。これにつきまして何の規制があるでありましょうか。片や政治的団体というものは、政治資金規正法によって、政治資金の出所、収入支出を明確にして自治庁に届け出、はっきり国家の法律によってそういう面の監督を受け、運営をされておるわけでございます。ところが、一方、そういう何々後援会というようなものは、何があるでありましょうか。それにつきまして、運営されておる資金面というものは、これは想像でございますが、候補者が一切持っておられるのではなかろうか。特別な場合には、後援会自体がカンパをしていろいろやっておられる場合もあろうかと思いますが、大部分の場合は、そういう何々後援会という名前のつくその人の資金によって、後援会が運営されております。それは何であるか。ひいては買収であり供応である。言論闘争を制約しておいて、そういうところを放任するがゆえに、選挙は明朗を欠き、陰にこもり、内攻し、買収腐敗が続出しも、そういう腐敗の温床がいつまでも残る。そういう点について、政治団体の規制がやむを得ないとおっしゃるならば、片手落ちにならないように、そういう選挙法上に見のがされておるいかがわしい団体、グループ、そういうものに対する規制というものは、真剣に取り上げてお考え願わなければならないと私は考えるのであります。政党、政治的団体という方は、一応の政治的な目的、主義、主張、こういうものを持っております。何々後援会というものは果してそこまで明確なものがあるかどうか、これも疑問でございます。そういう点を比較検討しますならば、一歩進めて、これによって——これは私は進歩だとは申しませんが、ここまでこういう規制がどうしても必要だというならば、そういう点の規制ということも慎重に御研究願わなければならない。そうしなければ、日本の選挙、日本の国というものが、いつまでもよくならないと私は考えるのであります。なぜならば、そういうような片手落ちな選挙法によって選ばれた国民の代表というものは、真の国民の代表でないばかりか、そういう制約をすることによって——その制約については、それは、公共の福祉によるとか、あるいは全体の奉仕者であるとかいって、公務員の政治活動を制限するように、そういう美名によって制約はいたしますが、その結果どうであろうか。そういう制約によって現われた先生方は、結局はそういう制約のもとに出られて、逆説的に言うならば、その選挙によって現われた代表というものは、公共の福祉に反することをし、全体の奉仕者たらざる行為をし、真に一生懸命に努めても、そういう結果になるのではないか、こう思うのであります。そういうことがないようにするためには、根本的なそういう点をよほど御研究願って、今次の改正にないならば、次期あるいはその次において十分御検討をされなければ、日本の進歩はないと私は思うのであります。選挙が陰にこもるならば、いつかは、そういうことが積り積って、平和な秩序の危機が来ないとも限らないと思うのであります。選挙を明朗にし、願わくは公営一本に徹底できるならば、これは理想でありますが、そこまで行かないにしましても、そういう明朗なる選挙ができるように、法規の改正に当っては、そのつど御検討を願いたいと思うのであります。
つまらないことを申し上げましたが、最後に、今申し上げましたように、こまかい点は枝葉末節でございますので、私としてはどうでもいいという考えでございます。今私が二、三強調しました点につきましては、よほど御研究願ってそれこそ友愛の実を発揮して、そういう選挙のルールというものを先生方各位によって作っていただいて、明朗なる国会、われわれの信頼できるそういう立法機関というものを一日も早く——現在そうでないと言うのではありませんが、ますます信頼を高めるようなものを作られんことを切望して、終りといたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102404219X00319560210/4
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005・加藤鐐五郎
○加藤委員長 別に質疑の御要求もありませんから、参考人に関する議事はこれにて終了いたします。
参考人各位におかれましては、御多用のところ特に御出席をわずらわし、長時間にわたって貴重なる御所見の発表をいただきまして、本委員会のよき参考となりましたことにつきましては、厚くお礼を申し上げます。それではこれにてお引き取りを願います。
次会は来たる十四日午前十時より開会いたしますので、本日はこれにて散会いたします。
午前十一時三十六分散会発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102404219X00319560210/5
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