1. 会議録本文
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000・会議録情報
昭和三十一年四月二十五日(水曜日)
午前十一時四十九分開議
出席委員
委員長 佐藤觀次郎君
理事 赤城 宗徳君 理事 加藤 精三君
理事 高村 坂彦君 理事 坂田 道太君
理事 米田 吉盛君 理事 辻原 弘市君
理事 山崎 始男君
久野 忠治君 杉浦 武雄君
田中 久雄君 千葉 三郎君
並木 芳雄君 町村 金五君
山口 好一君 河野 正君
木下 哲君 小牧 次生君
高津 正道君 野原 覺君
平田 ヒデ君 小林 信一君
出席国務大臣
文 部 大 臣 清瀬 一郎君
出席政府委員
文部政務次官 竹尾 弌君
文部事務官
(初等中等教育
局長) 緒方 信一君
文部事務官
(社会教育局
長) 内藤譽三郎君
委員外の出席者
文部事務官
(大臣官房総務
参事官) 斎藤 正君
専 門 員 石井つとむ君
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四月二十四日
広島大学教育学部三原分校存置に関する請願(
八木一郎君紹介)(第二〇八九号)
国分市立西小学校の講堂新築に関する請願(中
馬辰猪君紹介)(第二〇九〇号)
学校保健法制定に関する請願(三鍋義三君紹
介)(第二一一〇号)
教育委員の公選制確立に関する請願(中島巖君
紹介)(第二一一六号)
建国記念日復活に関する請願外二件(相川勝六
君紹介)(第二一一七号)
同外九件(纐纈彌三君紹介)(第二一一八号)
の審査を本委員会に付託された。
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本日の会議に付した案件
教科書法案(内閣提出第一二一号)
万国著作権条約の実施に伴う著作権法の特例に
関する法律案(内閣提出第七七号)(参議院送
付)
—————————————発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/0
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001・佐藤觀次郎
○佐藤委員長 これより会議を開きます。
本日は、内閣提出の教科書法案及び万国著作権条約の実施に伴う著作権法の特例に関する法律案を一括議題とし審査を進めます。昨日に引き続き質疑を行います。高津正道君。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/1
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002・高津正道
○高津委員 文化放送の十四日の清瀬文相の録音について重ねてお尋ねいたしますが、私は、あの御放送の内容は、現行憲法のもとに今日日本が文化国家、平和国家として歩もうとしているわが国の立場から見て、不適切であることはもちろん、不穏当でもあるし、さらに内外に対する悪影響は甚大であると考えておるのであります。昨日は私の記憶をたどってお尋ねいたしましたが、本日は問題のその録音放送の筆記を持って参りました。清瀬文相は実にこのように申されておるのであります。アナウンサーの質問を申し上げておきますが、「あなたはあの東京裁判で東条英機元大将などA級戦犯の主任弁護人をなさったのですが、今荒木貞夫元大将らのA級戦犯が出てこられたので、御感想を承わりたいと思います。今あらためて戦争責任が問題となっております。巣鴨から出てきた人の中には、政界に打って出ると言っておる人もあります。」この問いに対する清瀬文部大臣のラジオの言葉であります。「実に感慨無量です。ちょうど十年一昔です。私の相手にしたキーナン検事も今はもう死にました。戦争責任については、キーナン君が徹底的に間違っていると思います。戦争は日本の自衛ということで起ったのだが、結末では白色人種の東洋制覇を回復しようとしたので、戦争が聖戦となった。当時の軍人がその考えを持っていたことはいいことです。日本人である以上、政治に働くことはいいと思う。現に政府でも重光さんはA級戦犯でした。自分はまたそのA級戦犯を弁護した人間です。過去の失敗はあれこれ言うべきではない。あれだけの力を持っている人は、政界であろうと何であろうと大いに働いてもらうべきだと思う。」これが全部であります。一カ所、下関へ行く急行の汽車をどうとかこうとかいう言葉が形容として入っておりましたが、それは雑音でちょっと聞き取れなかったです。
そこでお尋ねいたしますが、あなたはこれだけの内容を全世界に聞かれるラジオに載せられたのであります。ここで問題になる点は、第一は、戦争の前半は自衛のためであり、その後半は白人の東洋制覇からアジア人を解放するための聖戦であったとされておることであります。第二は、元戦犯の政界進出をおれは歓迎するんだ、特にこれらの人々はあれだけの実力を持っていたのだから、こういう人々にこそ一そう出てもらいたいと、こういうことを言われておるのであります。私はこのような御発言を、第三次鳩山内閣の重要閣僚であるあなたの口から言われるということは、内外に対する影響が非常に大きかろうと思う。この認識はもちろんわれわれの認識とは違いますし、アジア、アラブ諸国の反植民地主義が盛んに勃興して民族独立を唱えておるときに、日本がまたああいう口実で出かけてくるのではあるまいかと彼らは思うのではあるまいかと私は考えます。イデオロギーがまるで違っているのであります。貿易上にも大きい影響があろうと思います。そういう閣僚が日本の政界の重要人物として活動しているということは、非常に日本を外国に誤解せしめると思います。現にアメリカでどういう反響があったかということが、けさの読売新聞に出ております。あまり長くないからお許しを願って読ましてもらいますと、「当地の権威ある観測筋は二十三日、荒木貞夫元陸軍大将、鈴木貞一元企画院総裁、橋本欣五郎元大佐など元A級戦犯がさきに戦時中の日本帝国政府の行動を賞賛した激烈な発言を行なったことはかえって〃現在服役中のBC級日本人戦犯の急速な釈放に対するアメリカの見解を硬化させるだけに役立つ結果になろう〃と語った。これまでのところアメリカ政府は戦犯の大量釈放については反対の態度を固持してきたが、少なくとも国務省のなかにはまだ収容されている戦犯の釈放を早めるべきだという空気がただよっていた。しかしこれら元A級三戦犯の言明は今なお入獄中の戦犯に対して連鎖反応をまきおこした。アメリカが最も驚いたことは、東京裁判でA級戦犯首席弁護人であった清瀬現文相が「太平洋戦争は聖戦であり、これは白色人種の植民地主義からアジアを解放するためであった」という昔の論旨を復活させたという報道である。清瀬氏はかねてアメリカの知識階級の完全な信頼をかちとることができなかったが、彼はこれまでの軍国主義的な観念からすでに遠ざかっていたものと一般に考えられていた。しかし同氏の最近の見方および鳩山内閣のなかで重要な地位を占めていることは、今では多少懸念される結果を招くものとみられている。一方、これら三氏の発言が日本新聞界の憤激をかったことは、アメリカ政府をある程度ほっとさせた。国務省の一観測者は読売新聞がこれら王氏の発言にひどく驚いたことを想起しながら次のように語った。「日本の大新聞がこの種の常識を発揮する限り、少数のイライラした老人のいったことで日本国民を非難することはできない。これらは失敗した老人どもが自分たちが真の偉大な英雄であるということを見せつけようとする以外の何ものでもない。私は日本国民、いやだれひとり老人どもの放言に迷うものはないと思う」以上であります。私はアメリカの世界政策に絶対反対であり、その日本に対する内政干渉にももちろん絶対反対であります。そして今いろいろな条約に縛られている日本の実情を何とかアメリカの束縛や圧迫から解き放そうとの熱意に燃えているものであります。従ってアメリカが何と思おうがかまわないようなものでありますけれども、BC級の戦犯の釈放をおくらす結果になるような、そういう発言を出てきて平気でどんどんやる、そういう人々が政界に出ることを特に歓迎する、実力のあった人だから特にわけても歓迎する、これはまことに驚き入った発言であると思います。そうして前半は自衛、後半は聖戦だった、白色人の制覇に対してアジアを解放する戦争だ、だから聖戦だった、こういうようなことを今言われるということは、日本にとって非常に大きな損失であると思いますが、大臣の詳細な御意見をこの際承わっておきたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/2
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003・清瀬一郎
○清瀬国務大臣 第一、今あなたが筆記だとおっしゃって御朗読になったことは、当時の放送とよほど違っております。私もけさ新聞を見ましたから、一ぺん録音テープを審査したいと思っております。私の当時言ったことは大体きのう申し上げましたが、それより先にこのことを申し上げます。あれは、荒木大将などと同じ場所におって、これらの人の言うことを聞いて私がやったんじゃないのです。別々に、晩の六時ごろでありましたが、機械を持って私の家に来て、そうして東京裁判の感想いかんということを私に聞いて、橋本、荒木等の放送にくっつけたのです。私は来た人の態度でちょっと疑念を持ったのです。それで私はこういう心持で言っております。あの戦争はどういう戦争でありましたかと言いまするから、それは自衛のためと言うて開戦したのだが、中途で、白人の勢力を追う、東亜共栄圏を立てるというような戦争になってしまったのだ、こういう説明をしました。私の意見はどうかというから、僕の意見は言えないのだ、この戦争に対して、いい戦争か悪い戦争か私の意見は言わないのだ。これを聞きそこねる人があったら大へん大きな影響があるから言わぬが、あの当時どういうことをみなが考えておったかということになれば、裁判に関係があるから言うてあげるという前置きで、当時自衛戦争と言うて起ったのだが、やってみると、大東亜共栄圏の設定とか、白人制覇を追うとかいったようなことになってしまったのだ。それからして、橋本君でも荒木君でも、本来りっぱな人なんだ。今日は昔と違って、国家の方針が文化国家建設となっておるから、そういうりっぱな力のある人が、文化国家建設のために、その方へ向って力を尽されることはいいことだ、こういうことなんです。きのう申し上げた通りであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/3
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004・高津正道
○高津委員 文化国家、平和国家というのは私の発言であったので、あなたの録音は——私は私の秘書を連れて、そうして二人で一生懸命に、意味の間違わないように、二回テープをかけてもらって、その意味を完全に——第一回でノートし得なかった部分をあとで二回目の分で補足して、これは完全な筆記なんです。その中にはそういう発言は全然ないのです。それでこういうような御発言があって、アメリカにもこういう反響を呼び起した。このことに対してあなたほどのようにお考えでしょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/4
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005・清瀬一郎
○清瀬国務大臣 いずれにしても世間に誤解を起したことは実に遺憾と思っております。どうも初めから誤解を起すようにあの記者が来ておるということは私は感知しておりました。だから非常に用心をして言っておるのです。私の考えは言えない。その当時どうだった、あの当時私の相手になったキーナン君はすでに死なれた。七人の被告も死んでしまっておる。それから平沼さんもおなくなりになった。これは私がごく懇意な尊敬しておる先輩です。東郷元外務大臣も死なれて、世の中は非常に変り、感慨無量でございます、こういうふうに言っておるのです。それからしてこの戦争をどう考えるかというと、初めの時分にはこれは自衛権の発動だと言ってやったけれども、中途で大東亜の建設なり白人の追放というようなことになってしまったのだ。橋本とか荒木君を今どう考えるかというと、これらはりっぱな力のある人であって、過去はどうであっても、日本が新たな国家の進むべき道を作った以上は、まだ年があるんだから、この方面に向って御尽力になることはよかろう。——そのときに私はこういう言葉を使っております。英雄こうべをめぐらせばすなわち神仙、英雄であられた人も、晩年また道に入って神仙の道を開けば、その方にも力が強いのだから、一たんとががあったからといって、これを擯斥してしまうべきでない。この力は使った方がよろしい。そのときのたとえに、同じ機関車で、下関へ早く走る機関車は、上野へ持ってくれば青森へも早く走るのだ、そういうことも言っておったと思います。いずれテープを見たらわかりますから、その上で……。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/5
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006・高津正道
○高津委員 あなたは前の答弁を詳しくされただけにとどまるのです。私はそのようなイデオロギーを現内閣の閣僚の一人として御発言になれば、たとえば国際的にいろいろな誤解を招くであろう。日本国民の意見とはずれておると思います。日本国民の最大公約数とはずれておる。自由党の国会議員の中の最大公約数とも相当に私は距離があるのではあるまいかと思う。従ってそういう発言によって、東南アジアといわず、貿易の面においても日本は非常に損をせねばならぬことになるであろうし、そのように古い考え方を日本の大指導者が持っておるというならば、日本は理解されなくなるであろう。反感を持たれるであろう。そうしてBC級の戦犯が出にくくなるであろう。現内閣にそういう有力な閣僚がおるということにアメリカは非常に驚いたというようなことを言っておるのでありますが、これに対するあなたのお考えはどうでしょうか、そこを答えてもらいたいです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/6
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007・清瀬一郎
○清瀬国務大臣 そのINSの電報はだれが打ったのか知りません、わからぬ人でありますけれども、ほんとうは私の意思とは正反対であります。決してそういうつもりのことは言っておりません。私は、たとえ戦犯でも罪悪者でも、刑を受けて刑期を済ませてまだ年が残っておるという人に、お前はかつて悪いことをしたから一生いいことも何もするなと言ってしまうのはどうだろうか。私の自由主義はそうじゃないのです。橋本君はなかなかいい政治上の意見も持っておるし、からだも健康だし、あの人は熱のある人であります。大政翼賛会の時分に一緒にやりましたが、ちっとも軍人くさくなかった、非常に工合がよかったのです。そういう人がまだ健康である以上は、参議院議員にでも出て国のために尽すのはよかろう。重光葵君も同じです。あの人も一緒に戦犯になって牢に入っておりましたが、出てきて国のためにあの通り奉仕しておられる。立場が違うから、重光のやることのいい悪いの批判はありましょうけれども、日本の外務大臣として十分に勤めておるのであります。一ぺん戦犯にかかったからといってこれを村八分にしてしまうということは、私はどうだろうと考えておるのです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/7
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008・高津正道
○高津委員 戦犯だった人が現在反省の色が一つもない、それがあなたにおわかりにならないようだから、私は橋本欣五郎大佐のなまなましい発言をここに申し上げます。「私は戦争をやるべく大いに宣伝したことは事実です。そうして戦争には負けた。国民には負けたのだから相済まぬと思う。しかし外国に対して相済まぬとは少しも思わぬ。」私は——この私は高津正道ですが、中国といい、東南アジアの諸国といい、いろいろなる残虐をやり戦争の被害を与えてまことに相済まぬということを言うのならばいいが、外国に対しては相済まぬとは少しも思わぬと、こう言うのであります。今度は橋本大佐です。「戦争は断然勝つと思っていた、負けると思っていくさをする人はないですよ。つまり誤算でしょうね。つまり日本の国力が足りなかったのだ。これぐらいなら勝てると思ったんだ。作戦上の間違いもあった。王手のないいくさをやった、飛車角をねらえばいいが、それもねらわずに歩ばかりを追っていた。というのはガダルカナルや小さい島々のことですよ。」そしてアナウンサーが「あなたのところに激励の手紙などが来ておるそうですが。」「ああ数千通も来ているよ、今度の選挙にはもちろん出て正々堂々と戦うよ。」こういうような考え方の人が巣鴨プリズンから出てきたのでありまして、およそこの考え方はあなたにもわかっておると思うのであります。あなたはこれらの人々と出られてからお会いになったことがありますか、どうですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/8
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009・清瀬一郎
○清瀬国務大臣 そのお話は私はちっとも聞きませんから知りません。ほかの場合に会うたことはあります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/9
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010・高津正道
○高津委員 荒木大将の言葉を言えば、おそらくあなたの会われた席でも荒木大将の口から出たと思うのだが、こんなことを言っておるのです。「負けたとはわからぬ、自分は考えておったんだが、上陸第一回は多々長浜でもって、さんたんたる血を流したであろう、第二に上陸するのは、」これはやはり海岸の名前を言いましたが、「ただでは置かないのだ、現に敗戦と言わず終戦と言っておるではないか。いくさを知らない者が負けた負けたと言うのだ。アメリカのルーズヴェルトの野心による戦争への誘導に日本が落ちたのだ。だから日本を侵略だと言うのは大間違いだ。アメリカからいろいろ攻められて、どうせ死んでしまうというのならば、目の黒い、生きている聞に一か八か出ていくのは当然だ。」こういうふうに日本の戦争を合理化して、大へんな発言を次から次へやっておるのであります。そういうような考え方はその席では出なかったのですか。出たはずだと思うのですよ、あなたの顔を見れば。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/10
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011・清瀬一郎
○清瀬国務大臣 その席と言っても、集まったんじゃないのですよ。ほかの機会で荒木さんには一度会ったことはありますけれども、そういうことをおっしゃったかどうか私は知りません。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/11
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012・高津正道
○高津委員 それでは世界に与える影響が悪かったと思いますか、いい影響だと思いますか。そうでも言わねばあなたは答えを逃げてしようがないですよ。この録音は悪い影響か、いい影響か。録音だからあなたのアクセントそっくりですよ。私は弔うそれを全部聞いてきておるのですよ。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/12
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013・清瀬一郎
○清瀬国務大臣 荒木さんのことですか、私の言ったことですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/13
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014・高津正道
○高津委員 そのような荒木さんの言葉をその席で聞かないでも、それらの人々がほかの人よりももっと有力な人だから、今参加して政界に出てもらった方がいいというような見解です。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/14
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015・清瀬一郎
○清瀬国務大臣 荒木さんが実際にどうおっしゃったか、私知りませんです。知らぬものについて何とも言い方はございません。あなたが今少し抜粋しておっしゃることであったら、それは私はよくないと思うのです。しかしながら荒木さんともあろう人が、そんなぶっきらぼうなことをおっしゃるはずはないと思うのですが……。
〔「高津検事、本論に戻せ」と呼ぶ者あり〕発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/15
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016・高津正道
○高津委員 加藤精三委員が議事進行を盛んにやられますので、加藤君の顔を立てまして、とうてい大臣の御発言では満足もできないし、もちろん私は紳士として、野党というような反対精神でなしに、一個の個人として納得はできませんけれでも、それではきのうの点にもう一ぺん触れますが、現在の資本主義機構の中では、このような教科書法案が出ると、その中の大企業だけがのさばることになり、弱肉強食の結果、七、ハナのものはほとんどつぶれてしまう運命になぞ、四・五の大会社は全くこの法案を喜んでおる、こういう見地から現在の産業界の問題を少し申し上げたのでありますけれども、競争を公平にやれるようになっておるんだから何も間違いはないのだ、こういう言葉でありますけれども、他の産業界において自由なる競争にまかせておいた結果、どういう状態が現われたかといいますと、これはあなたも論及された公正取引委員会の昭和三十年一月から十二月までの、どのくらい生産が大企業に集中しておるかという数字なんです。責任のある数字でございますから申し上げますが、アルミニウムは五万七千トンほど作ったが、日本軽金属、昭和電工、住友化学の三つで一〇〇%独占ですよ。それから造船はというと、実に百七十一社もありますけれども、上の五社、三菱造船、日本鋼管、日立造船、川崎重工それから三井造船、その五つが実に四九・五七%というのでありますから、半分持っておるわけです。その地大ぜいが全部集まってわずかに五〇・四三%、ちょうど半分々々、五社で時分を持っておるのであります。それから石炭はどうなっておるかといえば、三井鉱山、三菱鉱業、北海道炭艦汽船、宇部興産、住友石炭鉱業、この五社で驚くべし四〇・二%、その他大ぜいが五九・七%、四千二百三十一万トンの石炭が、五社だけでそのくらい独占されておる。
だからこの教科書出版において、今までならば、よそのやらないところ、少し薄いようなところをねらえば、少しでも生きていけるという、デパートに対する専門店のような運動もできたわけてありますか、今度は県が採択の委員会になり、そこを相手に運動をせねばならぬのでありますから、大会社でなければ、とうていこの売り込み戦に参加する資格はない。あなたの言う法律上はあるでしょう、禁止してないんだから。しかし実際上には、そういう大連動を展開して、国語で第一巻から六巻まで、それだけその地域へ売り込むという大商戦に角逐する実力のある会社というものは上位五社、上位六社というようにきまるのであります。それですから、これは中小企業を育成するといわれる自民党の代議士諸公、また現内閣の方針としても打ち出されておるこの方針と、矛盾をするものではないか、必ず大商社だけが助けられる、非常な便宜を与えられて独占的に行動ができる、こういう結果を伴うものであると私は考えるのでありますが、大臣はいかがお考えですか。私はこの際断っておきますが、私はそう考えませんという答弁では答弁になりませんよ。私が論理を尽して数字をあげて申し上げておるのだから、それに対してそれを一々事実に基いて、数字でもあげて反駁されるなら意味があるのです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/16
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017・清瀬一郎
○清瀬国務大臣 今高津さんの御注意によって理論を備えたお答えをいたします。あなたの今お示しになったアルミニュームとか石炭とかは、品質が同じなれば同じものなのです。それゆえに大企業であればそれだけコストが下るのです。しかるに教科書は石炭と違うのです。教科書で採択の一番大きな原因は教科書のよさであります、メリットであります。いい教科書であったらどんな小さい会社が作ってもいい教科書といわれる。ずさんな教科書であったら大会社が作りましてもそんなものは採択できません。これが目的物によって非常に——あなたのおあげになった例と教科書と違いますから、それを一つ考慮に置いていただかなければならぬ。
もう一つは、自由主義、資本主義といいまするが、何といっても競争ということは人間界にいいことです。それゆえに教科書が検定制度になって競争しかけてから、やはりよくはなっておると私は思うのです。もっとよりよくしょうと思って今度案を出しておりまするけれども、昔の国定時代のざら紙のものと比べましてやはりよくはなっているのです。この自由競争主義のいいところをとって、また一方にはむやみに競争しないように、日本では独占禁止法というものがあり、またこの法律でもさらに競争の仕方を制限いたしまして、小さい人でも大きな人でも同じように競争ができるということで、いい教科書を作ろうというのがこの案であります。ただ昨日も申し上げました通り、どういういい制度でもやはりその裏には悪用する者がありまするから、この悪用を防ぐために法律的、行政的、道徳的な手段で弊害を除きたい、かように考えておるのでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/17
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018・高津正道
○高津委員 石炭や造船とは違うといわれるのでありますが、出版物を十万冊出す、その場合に装丁料を画家に一万円払う、そうすると一冊当り十銭になるのです。教科書が百万単位ならば一銭になるのです。それから組み版をこしらえて紙型を作り、それに鉛を流し鉛版を作り、その鉛版でまた紙型が何枚もとれるわけです。組み賃が十万ならば非常に高い、五万ならなお高くなりますが、それが百万、二百万となれば組み賃などは何百円払っていようともページ当りほとんどゼロになるのです。従いまして資本主義の冷厳なる原則というものは、大量に作る者がもうけるのです。出版界においても小さい会社というものは広告費、販売戦にも金をかけることができない事情にあるのであって、大きいものがもうけるということは出版界においてもやはり同じように原則が通用するのであります。石炭、造船と教科書の製造、販売、売り込みということとは違うのだといわれるが、それは若干の程度の違いはあるかもしれないが、資本主義の経済組織においてはそれがある。従いましてこの教科書法案が通れば、採択単位を一県一つでやってもいいようになっておるのでありますから、そうであれば、それへの競争戦に乗り出す選手というものがおのずから大きいところになって、大きい会社はこの法案をどんなにか喜んでおるだろう。やはりそういうような業界整理が非常に及ぶようなことはすべきでない。教育委員会に対する文部省の過激なる態度と、また教科書制度に対する過激なる改革——思想の面はあとで触れますけれども、そういう改革をなさるということはそういうような影響があるという事実をお認めになりますか、どうですか。私は条理を尽してさもありなんと思われるように話したつもりでありますけれども。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/18
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019・清瀬一郎
○清瀬国務大臣 今問題となっておることは採択に閲してのことであります。教科書を印刷し製本し及び貯蔵、配達するということは、大資本を持っておるものが有利になることにあなたおっしゃる通りです。しかしながら採択というのはどういう会社が作るかということには関係せずして、個々に教科書を数冊見てどれをとろうかということが選定委員会の任務でありまするから、選定のチャンスというものはそれを作る会社が大きくても小さくても同じことだ。一たん選定された以上は大資本である方が有利でしょう。けれども選定されるまでの選定委員会の席上においてはどんな会社でも同じことなのです。しからばこの案は宣伝活動のことを全部させぬかというと、展示会を常設にしておりますからそうでもないのです。展示会へ物を持っていくのは一冊持っていくのです。これは研究のために二冊かもしらぬが、たとえ二冊にしても三冊にしても同じものを持っていけばいいのですから、大きな会社も小さな会社も同じことです。選択に影響する一番大きなエレメントは、りっぱな知識を持っておる人が誤まった事実を少しも書かず、公平な態度で学習に適したものをここに盛っておることで、たとえ大きな会社でも記事が不公平でミスプリントだらけでどう見ても偏向というのを持ってくればこれは落第するのです。ですからいわば大学の入学試験と同じことです。お父さんがどんな金持ちでもあるいはそうじゃない人でも、試験で入学するのです。けれども入学してから後に金をたくさん持っておってひまのある家庭の人は勉強に工合がいいでしょう。奨学資金でももらっているような人は勉強に不自由しましょう。採択というのは入学試験です。その後はやはり富裕家庭の——これはあまり金を持ち過ぎたら子供がいかぬようんありますけれども、やはり今の世界では金のある方が勉強しやすい。すなわち一たん採択されたら大資本の会社が安く印刷できるということはあるのです。あなたのおっしゃることは半面の真理で全体の真理じゃないと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/19
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020・高津正道
○高津委員 時間がありませんから簡単に申しますが、それだけ大量に売り込む実力のあるところでは、その大量なる利益を予想してうんとその運動資金を使う事情があるわけなのです。造船連合会が鉄鋼会社とどれだけで契約をきめるか、あるいは国鉄に対して石炭をどれだけの価格で入れるか……。だから入学試験に越境入学というのが非常に多い。文部大臣は、まるで試験はきれいにいっているように、すべて御存じないような御発言であるが、越境入学ということもありますし、薬でも七〇%の効力のある薬よりも宣伝よろしきを得た大資本の六五%の薬の方が売れるということもあるし、あなたの答弁では私は納得ができません。しかし時間がございませんので、本日はこれだけにしておきます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/20
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021・佐藤觀次郎
○佐藤委員長 午前の会議はこの程度にし、午後は一時半より再開いたします。
この際休憩いたします。
午後零時三十二分休憩
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午後二時四分開議発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/21
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022・佐藤觀次郎
○佐藤委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。
質疑を許します。河野正君。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/22
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023・河野正
○河野(正)委員 大臣御承知のように、先般の地方教育行政の組織並びに運営に関します法律、いわゆる教育委員会法というものがあのように変則的な形で審議可決されましたことは、事教育というものがきわめて重大な問題でございますし、また政治的に見た場合におきましても、不当な政府の支配を排除しなければならぬという特別な性格も持っております問題でありますから、私どももあの教育委員会法というものがあのような形で審議され、可決されたということにつきましては、非常に大きな不満を持っております。と申しますのは、このような事態というものが、国民に教育に対します大きな疑惑を招くのではなかろうかといった立場から、私どもは大きな不満を持っておるわけであります。そこで次に出て参ります教科書法もさようでございますが、この問題も日本の教育の内容なりあるいは将来の日本の教育の方向を決定するきわめて重要な問題であるというふうに確信いたします。そこでおそらく与党の皆さん方も、今度生じました不祥事態というものにつきましては、やはり反省も行なっておられるとは思いますけれども、次に来たるべき教科書法案におきまして、私は先ほどから申し上げますようにいろいろ重大な使命を持っておりますし、また国民も今度の不祥事態から、次に来たるべき教科書法というものに対して国会がどのような態度をとるかということにつきましては、重大な関心を持っておるものと考えております。こういった問題を私どもが軽々に取り扱いますならば、あるいはこういった問題に対しまして何らの反省もすることなく、今後処理を行いますならば、もちろん教育に対します不信も国民に買うことでありましょうが、こうした問題を通じまして国会審議に対する国民の疑惑、あるいは議会に対する国民の疑惑、こういうものが生まれてくるというような考え方を、私ども率直に持って参っておるわけでございます。そういった立場から、このことはきわめて重要でございますから、大臣から、先般行われましたいわゆる教育委員会法の審議の態度、あるいはまた今後審議されます教科書法の審議に対します態度について、冒頭に御所見を承わっておきたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/23
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024・清瀬一郎
○清瀬国務大臣 過般の地方教育行政の組織運営の法律も、今回の教科書法もわが国の教育に関し非常に重大な関係を持っておるのでございます。それゆえに十分に審議されることを私は希望いたしております。ただ審議は時間を長くとればそれでよいというのではなく、長短にかかわらずいいところの要点について、りっぱな御質問を願い、われわれが率直に答えるということで進みたい、かように存じております。幸いに前の法律については河野さん初めその他より、非常に核心に触れた多数のりっぱな御質問がありまして、私も私の力の及ぶだけの答えをいたしております。いかんせん今日の議会制度では会期がありますので、もう少し十分にやればなおよかったかもわかりませんけれども。大よそ要点は尽したのであろうと思って、党幹部が議事の方法をきめられたことと思います。今回もあなた方野党の幹部、またここにおられる自由民主党の幹部より適当に御配慮を願いたい。かように思っております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/24
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025・河野正
○河野(正)委員 ただいま大臣からいろいろと御答弁があったわけでございますし、そのお気持は私ども十分了承いたします。ところが問題となりまするのは、主として議会で起って参りました現象と申しますか、形が、私はやはり一番大きな問題になるものと考えるわけでございます。と申しますのは、たとい委員会におきまして十分な審議を行う、あるいは非常に適切な内容を持った審議を行うというようなことも、きわめて重要でございまするけれども、最後において先般行いましたようないわゆる教育委員会法の中間報告、あるいはこれをめぐります強行採決と申しますか、こういった問題は、国民が一番具体的に見て参りますところの、一番わかりやすい現象となって参ります。そこでたとい私どもが慎重審議を重ねて参りましても、最終的にあのような形をとりまするというと、国民というものが議会に対しまして、非常に大きな不信を抱く、あるいはまた教育に対しまして、非常に大きな不信を抱くというような結果になって参るものと考えております。もちろんいわゆる教育委員会法の審議もいろいろ慎重審議が行われました。ところが最後におきまして、あのような事態が生まれましたために、私は国民が非常に大きな疑問を持ち、議会に対して不信を抱いたということは、私ども個人に対しましても、たくさんの手紙が参りました。そこでもちろん内容も大切でございますけれども、私はやはりああいった形ということも尊重していかなければならぬというふうに考えております。そういった立場から、一つ今後教育二法につきまして、具体的に大臣の御所感をもう一度伺っておきたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/25
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026・清瀬一郎
○清瀬国務大臣 私も多年国会の生活をいたしましたが、今日の立場は、議事運営についてはあまり口ばしを出さない方がいいんであろうと思うのであります。両党の幹部がされたことでありまするから、その場合に身を置けばやはりそうやるのほかはなかったのだろう。しかしながら慎重審議、りっぱなる御審議を願い、私も良心的な答えをするということで進むほかはなかろう、かように思っております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/26
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027・河野正
○河野(正)委員 ただいま大臣が仰せられましたように、今後審議の内容におきましても、あるいは議会の最終末期におきます形におきましても、一つ国民が少くとも教育の問題に対して、あるいはまたこういった教育問題を通じて、議会に対して不信を抱くような事態が起らないように、これは大臣におかれましても、格別の御配慮を願っておきたいと思うわけでございます。
それからさらに質問を続けたいと思いますが、今日教育委員会法も教科書法も同様でございまするが、やはり一番問題になって参ります点は、これは日本の権威ある学者の方々も声明されましたように、傾向という問題を強く取り上げられております。そこで傾向でございまするから、大臣の答弁あるいはまた私どもの立場、こういった立場がそれぞれ異なるのでありまするから、なかなか並行線をたどりまして、思うように一致点が見出せぬわけでございます。しかしながら問題は法律として生まれます以上は、今後その法律をいかに運営していくかということが問題になりますので、たとえば清瀬文部大臣が未来永劫に、この法律を作りこの法律の運営に当られるということでございますならば、多少問題の解決がつくけれども、いつ大臣がおかわりになるかわからない。そういたしますると、いろいろ法律に疑問を持つということは、私は将来いろんな問題を起す危険性があるということを考えていかなければならないというふうに考えます。そこで先般よりいろいろ傾向と申しますか、あるいは方向という問題が非常に論議されて参ったわけでございますが、私も今日はそういった意味から若干御質問申し上げまして、その後具体的な質問に進みたいというふうに考えるわけでございます。
そこで傾向という点につきまして論議を進めて参るわけでございますが、今日傾向の中でも一番私どもまた世論も問題といたしております点は、それはわかりやすい言葉で申し上げますならば、教育が昔の教育、軍国時代のような教育、あるいは逆コースと申しますか、そういった方向に引き戻されるのではないかという点、これが何と申しましても論議の焦点になったものと考えるわけでございます。そこで傾向でございますから、先ほどから申し上げますように、大臣としては大臣の御所信があると思いますけれども、しかしながら一方において、日本の権威ある学者の方々が非常にこういった傾向に対して心配をしておられる、疑問を持っている、こういった事実も私は否定することができないというふうに考えます。そういった立場から二、三の点について御質問申し上げたいと思います。
まず第一に、これは先般の委員会におきましてもたびたび問題となって参りました。それは紀元節の問題であったのでございます。ところが今度は高知県の同じ繁藤小学校におきまして、天長節ということがございました。この問題は、国の祝日に関します法律の中にも、天皇誕生日という規定がございますから、これは紀元節とはやや性格が異りますけれども、本質におきましては私は同様だと考えます。ところがこの問題につきまして、これは先般の委員会におきましても指摘されたのでございますが、昭和二十二年六月三日、文部省の第二百三十九号通牒によりまして、儀式に際してのいろいろな注意事項が通達されております。そういった問題から、このような行事について、大臣としてはそういったことをやることは差しつかえないと思うというような御答弁もありましたけれども、しかしながらやることがいいのか悪いのかということにつきましては、大臣の個人的な御所感はそうでございましても、今日の情勢におきましては、なおいろいろな問題を残しているものと考えております。そこで事教育でございますから、私はそういった疑念のある行事等につきましては、やはり遠慮すると申しますか、そういったことの方が適切ではなかろうかというふうに当時考えて参りました。もちろん将来国の祝日に関します法律が改正され、あるいは個人的な見解としてそういったことも差しつかえないというような大臣の御答弁もありましたけれども、その点に対して私も強い意見はなかったのでございますが、しかし事教育に関してでございますから、やはりそういった疑問のあるような行事は遠慮することがしかるべきではなかろうかという考え方を私当時強く持っておりました。私どもそういった考えを持ちました点は、何と申しても今日日本の教育者の中には、古い教育に引き戻そうというような考え方が力強くはびこっているのでなかろうかというふうな一つのおそれを持っておったわけでございます。ところが私の予想が当らなければ幸いであったのでございますけれども、不幸なことには、そういった問題を起しました小学校が再びこのような疑問のある行事を行うということを発表いたしております。しかもその内容につきまして、私ども詳しくは知りませんけれども、新聞等の報ずるところによりますと、大体戦前に行われました行事とほとんど変らないような行事であるというようなことが報道されて参っております。そういたしますと、私どもが一番心配いたしますのは、今度の教科書法にしてもそうでございますが、これは今後の日本の教育の内容なりあるいは方向を決定するきわめて重要な法律案でございます。そういった中で、こういった疑問のありますようなことが積極的に盛り込まれる、あるいはまた積極的に力強く推進されていくということになりますならば、むしろ偏向を阻止するというような意味で、今度の教科書法案が提案されておりますけれども、実質的にはかえってそれは偏向を促すというような結果になることを私どもは非常におそれるわけでございます。そこで、これは傾向という問題を論議として御質問申し上げておるわけでございます。しかしながら、今後私どもが教科書法案を審議して参ります場合に、そういう傾向という問題は、決して無視して参るわけには参らぬでございましょう。そこで重ねてでございますが、やることがいい悪いということは別といたしまして、今日の情勢のもとでは、国の祝日に関する法律が改正されるということになれば別でございますけれども、今日の法律のもとでは疑問がある。疑問があるようなことを憶面もなくどんどん学校の行事としてやっていく、あるいはそういった思想が教科書の中に入っていくということにつきまして、私は非常に疑問があるというふうに考えるわけでございます。その点に対しまして、大臣の御所感を承わっておきたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/27
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028・清瀬一郎
○清瀬国務大臣 教育または思想の傾向ということは、河野君御指摘の通り、非常に大切なことであります。一歩誤まれば、時勢の激するところ、とんでもないところへ行くのであります。私並びに私の属しておる政府は、決して戦前に復帰する軍国主義をやろうということは、ちっとも考えておりません。(「同感」と呼ぶ者あり)さればとて、今日世界の一部の国にありまする共産思想に走ることも、非常に警戒いたしておるのであります。偶然にも、総理大臣も私も、明治の末期、いわゆる自由主義の教えを受けておったのです。その当時は、まだ日本に世間で言う新思想というもの、社会思想が輸入されておりませんでした。そこで私どもは口先ではなく、性格的に、国の自由はほんとうに守っていきたい、こう思っております。はなはだ微力でありまするが、某某共産国、またはその衛星国にならわず、また戦前の軍国主義に陥らず、正しい自由主義で行こうということが、前の委員会並びにこの教科書法の裏になる精神であります。私一身のふつつかで、近時新聞等を見ると、いろいろ私の意にそむくことが書いてあります。いかにも反動思想のごとく書かれておりますけれども、一々弁明もいたしておりません。私の志は、やはり自由主義世界で日本を文化進展の方に持っていこう、こういう考えであります。
祝日のことは、天皇誕生日という名前の祝日、すなわち祝う日となっておるのであります。ほかのことと違って、やはり天皇は今でも国民結合の象徴であられます。詳しく言えば、皇位が国民結合の象徴である以上は、天皇のお誕生をお祝い申すということは、やはり日本国の生存を祝うのと同様の意味でありまして、心からうれしい日であると思ってお祝いするのは、いいことだ、しいて天皇の誕生を祝うなかれと言って言い回るということは、やはり一方の方に偏する。しかし祝うからといって、祝わぬ人について非難をするということもいけません。祝いたい人が旗を出して、日本ならば赤御飯をたいてお祝いをする、学校ならば一カ所に集まって君が代を歌ってお祝いをする、これは私は中正な道だろうと思います。学校で天皇の誕生を祝うななどといったようなことを文部大臣が指導することは、はなはだ当を得ません。そのかわりに、みんな祝え、めでたいと思っておらぬ人でも祝えというのは、昔の軍国主義であります。やはり祝日となっておる以上は、むろん休日であります。日曜とダブっておりますけれども……。教科には関係のないことでありますし、それから今地方分権で、地域社会の心持も察しなければなりませんからして、地方教育委員会の司意を得て、学校でお祝いなさるのであったならば、これは私はとめないつもりでおるのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/28
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029・河野正
○河野(正)委員 大臣の固い信念と申しますか、御所信と申しますか、そういった点は十分了解できるわけであります。これは保守党の方々は同感とおっしゃっておりますが、私もよくわかります。ところが問題となりますことは、私どもが一番心配いたしますことは、大臣のそういった底に流れる真意と申しますか、真意というものが理解されて、しかもそういった行事が行われるということになりますれば、これは論外でございますけれども、しかしながらこれは私も中正な立場で考えるのでございますけれども、たとえば小選挙区制の問題がございます。学者や評論家の方々は学理的に見て、理論的に見て、小選挙区制は正しい、そういった意見を表明された。ところがまことに残念でございますけれども、自民党がその学理的、理論的に賛成だという理論なり学説というものを利用して、そうして党利党略的な区割りを作られた。そのために今日では評論家の方々、学識経験のある方々は、非常な批判を持っておるということを私ども承わっております。それと同様に、大臣の真意は私はわかりますが、その底を流れる真意ではなくて、ただやってもよろしいというようなことだけを利用して、要するに反動的な教育者がそういった大臣の仰せられました表面の言葉だけを利用して、自分たちの思想の方向に導いていこうというふうな危険性の出てくることを私は非常におそれて、先ほどから御質問申し上げておるのであります。そこで大臣の真意はそのままそっくり通じまして、そうしてやられるということになれば別でございますが、どうも今日出て参っておるいろいろな現象を見ておりますと、何か大臣の仰せられました言葉が逆に利用される。小選挙区の例をたとえて申し上げますれば恐縮でございますけれども、大臣の個人的にはよろしい、そのことだけが利用されて悪用される、そういった危険性がありはしないかということを、先ほどから御指摘申し上げておるわけでございます。そういった立場から考えて参りますと、やはり大臣が個人的に今仰せられたことはわかりますけれども、しかしながらそういった表現の仕方というものが、末端に行けば、非常に悪用される危険性があるのだというふうなことも、十分今大臣はお考えになってそういったことをおっしゃっていただいておるのか、あるいはまあ自分としてすなおにそのまま表現されておるのか。ところが結果的におきましては、私先ほどから御指摘いたしますように、いろいろ問題を残すというふうな結果に陥っておると私ども考えております。そういった立場で御質問申し上げておりますので、そういった点を十分お聞きとりの上、重ねてでございますが、御所感を承わっておきたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/29
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030・清瀬一郎
○清瀬国務大臣 この委員会でかくのごとく言論自由の雰囲気で、私自由に答弁させてもらいまして、私の言った言葉は、その通り私は信じておるのです。ただ外界へ行くと、今日遺憾ながら人の言葉を悪用する者があることは、あなた御指摘の通りです。私もだいぶ悪用されておるのではないかと思って、別段腹は立てませんけれども、遺憾に思うておることも近時あるのです。御注意によりまして、なるべく自分を慎しみ、それから言葉は相手を見て言うということで、誤解を避けたいと思います。祭日の行事も、一部世間でいう右翼者流と行動をともにしてやるというようなことは、私はこの前の紀元節のときも避けております。そのくらいにいたしましても、世の中はさまざまでありますから、御注意によりまして十分戒心いたしたいと思っております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/30
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031・河野正
○河野(正)委員 ただいま大臣から率直な御答弁をいただきましたので、私どもある程度了解することにやぶさかでございません。大臣の御指摘になりましたように、たとえば天長節を祝う、これは国の祝日に関する法律でも規定されていることでございますから、これは法律の認めるところでもございますし、異論ございませんけれども、ただ私先ほどから申し上げますように、要するにこういった行事を通じて天皇制の強化をはかっていこうというような動きが、今日右翼団体その他を通じてあるということは、これは否定できぬと思います。ところがそういった天皇制を強化しようという人々の考えというものが、ほんとうに天皇を敬愛するというような考え方から出ておるかといいますと、必ずしも私はそうではなかろうと思う。いわゆる天皇制を強化することによって、自分たちがいろいろそれを利用しようというふうな考え方から、そういった動きが活発に起ってきておる事実を、私どもは見のがしてはならぬのでございます。そういった立場から一、二点御質問申し上げたいと思うのでございますが、これは先般いわゆる教育委員会法が問題となりました当時に御指摘申し上げようかと思っておったのでございますが、たとえば横須賀市におきまして、戦没者の慰霊祭が行われ、その慰霊祭におきまして、横須賀の市長が、海行かばという合唱を歌ってくれというようなことを頼んだというようなことが新聞にも報道されております。ところがこの海行かばという合唱は、大臣も御承知と思いますが、天皇のために死ぬということを強調した歌でございます。このことは、教育基本法の第一条の目的、あるいは学校教育法第十八条第二項の精神、そういったものに相反すると私は思うわけでございますけれども、先ほどから申し上げますように、そういった傾向、風潮というものが、非常に濃厚になって参っております。このことは、あるいは文部省に何か報告があったかどうかわかりませんが、これは地元におきましても非常に大きな問題となったように私ども承わっておるわけでございます。これは市長がいきなり教育者団体にそういったことを依頼したということは、今日の教育委員会を無視する行為でもございます。教育委員会を通じてそういった教育団体に依頼をするというようなことでございますならば、歌の内容は別といたしましても、ある程度納得がいくわけでございますけれども、教育委員会を無視して教育団体にそういった合唱を依頼し、しかも依頼した歌が海行かば水漬くかばねというような、天皇のために死ねというようなことを強調した歌を歌ったというようなこと、そういったことも、先ほどから申し上げますように、教育基本法の第一条の目的、あるいは学校教育法の第十八条二項の精神をじゅうりんするものと私ども考えておるのであります。これは単に教科書の問題のみならず、教育委員会法にも関連いたして参ります問題だと思うのでありますが、こういう具体的な事実が全国的にあちこち起ってきておるということは、否定することのできない事実だろうと考えておるわけでございます。こういうところに天皇制の問題が最近非常にクローズ・アップされてきた。しかもそれは単に天皇を敬愛するというような精神から生まれてきたというよりも、むしろ天皇制を強化することによってそれを利用していこうというふうな右翼的な考え方から生まれてきておるということを、私ども非常に心配するわけでございます。
そこで大臣にお尋ね申し上げたいと思うわけでございますが、今度参議院の内閣委員会におきまして、自民党では天皇について象徴という言葉を具体化するとか、あるいは天皇の国事行為の規定のあり方を明記するとかいうような答弁を自民党の方から発表されておるということを私ども承わっておるわけでありますが、この点につきまして、大臣もかつて憲法調査会法の主管大臣だったわけでございますけれども、このことは先ほどから私がいろいろ具体的に指摘申し上げましたように、非常に強く浮び上ってきた問題でありますから、そういった問題につきまして大臣が何か御所見を持っておられるならば、この際承わっておきたいと思うのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/31
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032・清瀬一郎
○清瀬国務大臣 この天皇の地位、それからそれを表現する言葉ということは、非常に重大な問題であるのであります。今参議院で御審議願っております憲法調査会ができましたら、それこそ全能力をあげて調査しなければならぬ問題と思います。私の今属しております党派は、まだ何もきめておりません。私が前に属しておりました改進党は、この問題を留保してほかの問題に移ったのであります。軽々にこれを筆にし、これを口にすることに適さぬ重大な問題と思います。
〔「本論、々々」と呼ぶ者あり〕発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/32
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033・河野正
○河野(正)委員 これは総論でありますから、しばらくお聞きを願いたいと思うのでありますが、いろいろそのような傾向が最近強力に爼上に上ってきたということは、私ども無視して参るわけには参りませんし、それは大臣も御答弁いただいておりますように、一歩誤まると今後日本の教育に非常に大きな問題を残してくるわけでございますので、この点につきましては、もし機会がありますならば、一つ委員長の方にお取り計らい願いまして、総理からもそういう意見の開陳を本委員会においてお願いいたしたいと思います。この点につきましては委員長によろしくお願い申し上げます。
続きまして教科書法の問題に入って参りたいと思いますが、先般の委員会におきまして具体的問題につきましては、私若干指摘して参りました。その後残っております具体的な問題につきましてさらに論議を続けて参りたいと思うのでありますが、まず第一は、今日までいろいろ論議されて参りましたけれども、今日出て参りました教科書法案で一番大きな心配と申しますか、われわれが一番大きな心配をいたしております点は、今日の大臣の答弁を聞いて参りましても、あるいはまた事務当局の答弁を聞いて参りましても、さようなことはないというような答弁でございましたけれども、しかしながら実際問題として私どもが一番心配いたしております点は、それは今日の教科書法案が可決される、その後に来たるものは教科書の国定化ではないか、その前段階として、一段階として、ワン・ステップとして今日の教科書法案が提案されたのではなかろうかというようなことが、私は今度の教科書法が問題となりましたおもな問題点ではなかろうかというように考えております。もちろん今日の段階におきましては、さようなお考えもなかろうし、またそのような御答弁もないと存じますけれども、一応この法案が通って、そして一定の経過をたどって参りますと、その後に来たるべきものが国定化、この点がやはり私は一番大きな問題点となっておるものと考えておるわけでございます。そこでそのような点はないと思いますけれども、自後の質問の関係もございますので、まずその点を一つ大臣からお答え願って、そして具体的な質問に入って参りたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/33
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034・清瀬一郎
○清瀬国務大臣 国定とする考えはございません。さきにも傾向のことについて申し上げましたが、われわれの世界観はやはり自由の競争を認めるという主義なんです。一定の国定化というのは、あるいは昔の軍国主義か、あるいは某国のような政治理想論ということになりますので、私ども国定は考えておりません。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/34
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035・河野正
○河野(正)委員 多分大臣もそのような御答弁をされると思いますし、またそのようなお考えであろうということも考えてもおるわけでございますけれども、今度の改正案を見て参りますと、行政上の立場から見て参りますれば、一面合理的な面も持っております。しかしながらこれを運用していきます場合に、あるいはそれが政治的に利用されるというふうなおそれがままあるのではなかろうかというふうな考え方が強く持たれるわけでございます。これは旧民主党が出しました「うれうべき教科書の問題」以来、そういったにおいを私どもひしひしと感じて参るわけでございます。と申しますのは、教科書を出版いたします業者にいたしましても、やはり出版いたします以上は、これを採択してもらわなければならぬ、その場合にいろいろと監督官庁の何といいますか、鼻息もうかがわなければならぬ、そういったことからだんだん教科書を執筆いたします学者と申しますか教育者と申しますか、そういった人々が自分の正しい信念に基いてなかなか執筆しにくい。なるほど行政上の点につきましては問題ないといたしましても、それを運用する面において、今日の大臣においてはそのようなことはないと思いますけれども、法律ができ産した以上はやはり次々の大臣がそれを運用して参ります。そういった場合にそれが政治的に利用される。そうしますと今日の清瀬大臣はそうではないということでございますけれども、もしあやまって私ども考えますような大臣を迎えるということになりますならば、そういった危険性も当然生まれて参るという私ども危惧を持つわけてございます。この点は、もちろん私どもは危惧を持ち、大臣は持たないということでございましょうけれども、しかしこれは私どもがこの法案を審議して参ります場合におきましては、やはり大きな心配点でございますので、その点につきまして大臣から御所感を伺いたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/35
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036・清瀬一郎
○清瀬国務大臣 この法案では、教科書の検定をする基準は大臣が独裁するんではなく、諮問委員会に諮問し、一定の基準が民主的にできます。またそれに当てはめて検定をする場合も、調査官が事務的に調査してそれを諮問委員会の議に付して決するのであります。それゆえに、あなたの御心配のようなことは決して起るまいと思っております。今日の議院内閣制をとった以上は、やはり責任は文部大臣が負わなければならない。あなた方のお考えになっている教科委員会がやるといっても、教科委員会の委員長か何かが、責任を負わなければ、責任を持った検定というものはできないのであります。これで決してファッショにおもむくとは私考えておりません。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/36
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037・河野正
○河野(正)委員 大臣の答弁をただいま承わったわけでございますけれども、なるほど検定審議会ができて、そういう機関が強化拡充される、まあその通りでございます。ただ心配になります点は、その委員は政党で構成いたします大臣の任命である。そういったことから具体的に申しまして、私どもは日教組ではございませんけれども、たとえば日教組に関係の深い、あるいは同調するような学者は敬遠するというふうな、——これはこの前具体的に大臣の個人的の考えをいろいろ伺いましたけれども、大臣はそのようなことはないと思いますけれども、不幸にして他の大臣によりましてはそのような処置が行われるかもしれない、というようなことは、私はやはりこの法案におきましても問題を残している、かように考えるわけであります。もちろん今日私は大臣に質問をし、大臣が答弁をせられたわけでございますから、主として清瀬文部大臣の御所感を承わるわけでございますから、どうもその点はしっくり参りませんけれども、しかし法律ができました以上は歴代の大臣がそれを運営される。そこでこれは清瀬大臣だけの考え方で私ども理解して参るわけには参りません。やはりどの大臣が出られても誤まりないように、そういった危惧が起ってこないような運営をされるような法律を作っておきたいというのが、私どもの考え方でございます。そこで大臣がそういったお考えを申される点もわれわれは十分わかります。わかりますが、しかしながら、法律というものは、二度作りますと歴代の大臣がそれを運用するものだ。そこでだれが大臣になりましても、そういった危険が生まれてこないような法律が私はやはり理想的だと思います。そういった点から考えてみますと、大臣からいろいろ御答弁がございますけれども、しかしこの検定審議会の委員は大臣が任命する。そこでややともすると片寄った任命が行われ、そのために教科書というものがだんだんゆがめられていくというような危険性はなしとはしないというふうに私は考えるわけでございます。そこで清瀬文部大臣としては、ないようでございますけれども、将来ともこの法律で誤まりないものであるかどうか、その点を一つ御披瀝願っておきたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/37
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038・清瀬一郎
○清瀬国務大臣 この検定審査委員会は非常に大切なものであり、わけても中正公平でなければなりません。だれが任に当ってもやはり公平な人事は国内で直ちにわかります。このぐらい骨を折って教科書法案を作りましても、私が不公平な審議会を作れば、もう百日の説法も何やらということで全くだめになるのであります。人間界のことは法規も法規でありますけれども、この無形の道義上の責任というものは重大でございます。不公平な選任はいたさないつもりであります。また過去を省みましても、戦後はやはり政党政治で相当激烈な政争もあったのであります。しかしながらこの審議会の委員がその渦中に巻き込まれて非常に不公平な審議をしたという非難は今までないのです。ただ非難は疎漏であったのではないかという非難があるだけでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/38
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039・河野正
○河野(正)委員 過去において、あるいはまた将来においての大臣の御所見を承わったわけでございますけれども、しかしそういったいろいろわれわれが心配いたしましたような点がないということを私は言えないと思うわけでございます。しかしながらそれは今日におきましては、私と大臣と問答するほかございませんので、それ以上のことは論議いたしましてもいたし方ないわけでございますから、さらに質問を続けて参りたいと思います。
それは今度の法案の中で問題となります点はいろいろございまするが、先日の委員会におきましても高津委員から指摘されておった点でございまするが、たとえば今度登録制が設けられることになりました。ところがその登録拒否の条件の一つといたしまして、発行者の事業能力及び信用状態、これが登録を拒否する場合の条件の一つとしてこの法案では盛り込まれております。そこで問題になりまするのは、事業能力及び信用状態の判断でございます。これを一歩誤まりますると、これは先般の委員会で高津委員もいろいろ心配されておりましたが、大企業に集中する——あるいは、陰でスキャンダルがあれば登録を取り消すというようなお話もございましたが、世の中からそういった悪弊を除くことはなかなか困難であります。今日政界の浄化ということが呼ばれておりますけれども、政界の汚職を一掃するということがなかなか困難でありますと同様に、これもなかなか困難であります。選挙におきましても、公明選挙というようなことが強調されておりますけれども、実質的に公明選挙を実行するということはなかなか困難でございます。それと同様に、この業者とのつながり、ことに不純なつながりというものを、現実におきまして一掃することはなかなか困難ではなかろうかと私は考えております。そういたしますと、問題になって参りまするのはこの登録拒否の条件の一つとしての発行者の事業能力及び信用状態の判断、この点につきましては非常に問題を残してくるというふうに考えるわけでございます。この点いかがでございますか、一つお伺いいたしたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/39
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040・緒方信一
○緒方政府委員 ただいまの点は、この法案の三十二条第二項をごらんいただきますとわかりますように、一号と二号とございますが、いずれの場合にも教科書発行審議会の議を経て登録の拒否をやる、こういうことになっておるわけでございます。登録審議会のことにつきましては、このあとの条文に詳しく出ておりますけれども、専門的な人々をもちましてこれを構成いたしまして、十分この審議によって決定をするということでございますので、文部大臣の独断的な判断でこれを行うということではございません。なお教科書の発行供給の事業の遂行には事業能力及び信用状態が著しく不適当であるという判断につきましては、これはいろいろ客観的な事実から判断しなければならぬと考えまするが、一応考えられますことは、事業能力の点から申しますと、資産の力、施設の状況、あるいはその発行者の人的組織その他の事業の組織、事業経営の経験、その他いろいろ客観的な資料に基きまして、ただいま申しましたように、発行審議会の議に慎重にかけまして、それに基きまして判断をして登録の可否を決する、かような仕組みにいたしておりますので、十分にこの目的を達成することができると思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/40
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041・河野正
○河野(正)委員 ただいま緒方局長の御答弁を承わって参りますと、審議会にも諮問するし、具体的にいろいろな基準によってそういった大企業に集中する、あるいは事業能力及び信用状態の適否について、あやまちがないような処理が可能であるというようなお話でございますけれども、しかしながら現実の上におきまして、私はこういう点はなかなか問題があろうというふうに考えております。言うはやすいけれども行うはかたしで、その事業能力及び信用状態の適否の判定と申しますか、これは私はなかなか困難な問題であるというふうに考えます。ことに非常に明確な案件でございますならば問題でございませんけれども、ボーダー・ラインと申しますか、まあこれはどうだろうかというふうな線上にたまたま上って参ります業者に対しては、もしこの法案の運用を一歩誤まりますと、非常に大きな問題を残して参るものと私は考えております。そこでこの点は先日も高津委員からいろいろ御指摘がありましたが、ややもするとやはり大企業に集中してしまって、小企業というものが圧迫されてしまう。そういたしますると、出版の機会均等という制度というものが骨抜きになってしまう、こういった点を私ども非常に心配するわけです。もう一面から見て参りますと、いろいろな不正行為があれば登録を取り消すということでありますけれども、陰ではやはり合法的にいろいろな取引を行う。ことにそういった合法的な陰のいろいろな運動というものが激烈になっていくという危険性を考えなければならぬと私は考えます。自分の企業がつぶれるか、つぶれないかということでございますから、自分の企業をつぶさないために、この際いろいろな陰の運動あるいは取引が熾烈に行われるということは、やはり常識的には当然考えられる問題だろうというふうに考えますが、この点いかがでございますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/41
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042・緒方信一
○緒方政府委員 御指摘のように、こういう制度の運用につきまして最も慎重であり公正でなければならぬのは当然だろうと存じます。従いましてただいま申し上げましたように、特に発行審議会というものを作りまして、そこで十分慎重に検討した結果決定するという仕組みにいたしておりますのも、そのゆえんにほかなりません。こういう登録制度につきましては、この法律で最初にこういう制度を作ったのではないのでありまして、従来の制度にもこういう前例はございました。それぞれ適切な運用がはかられておると存じます。事業遂行の資力、信用等から判断いたしまして、この登録を拒否するという制度はほかのいろいろな制度にもございます。特に教科書という非常に公共性の高いものを製造しあるいは供給する事業でございますから、特にここに登録の制度を作ったのでございまして、その意味におきまして、もちろん御指摘のように、その運用につきましては、十分慎重に公正を期さなければならぬことは当然でございますが、制度といたしましては十分にその目的を達成するように措置ができることと考えます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/42
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043・河野正
○河野(正)委員 その点は今後の運用の問題でございますから、私どもはいろいろ疑問なり心配を持っておりますけれども、また別の機会に譲ることといたしまして、さらに私質問を続けたいと思います。
それは承わるところによりますと、今度小学校、中学校等で使用いたします教科書の一ページ当りの単価が改正されまして、来年度から各教科書の定価というものが引き下げられる、安くなる。具体的にはこの改正で、父兄の一年間の負担は相当軽減されるというようなことを文部省も発表されておるようでございます。これについて、一ページ当りの単価が改正されまして安くなるということは、なかなかけっこうなことでございまして、これは世論にもこたえられる点でございます。しかしながら問題になりますのは、そういった一ページ当りの単価が切り下げられ安くなるということによって、教科書の質が低下するのではないかということは、私どもとしても十分考えていかなければならない問題でございます。この点につきまして引き下げられる根拠と申しますか理由と申しますか、それを明らかにしておいてもらいたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/43
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044・緒方信一
○緒方政府委員 三十二年度の教科書の定価認可基準の改訂をこのたびいたすことに相なったわけでございますが、従来使っておりました定価基準は昭和二十七年の告示で制定いたしまして、二十八年度からこれを適用して参ったものでございます。その後の実施の実態を調べてみますと、その基準までに実際の定価が至っていない、つまり現在発行されております教科書の定価が、その定価認可基準の百パーセントまでつけてないという実情が一つございます。それからもう一つは、若干営業費の面におきまして節約ができるじゃないかという見通しもございますので、それらを勘案いたしまして、このたび従来の定価認可基準に対して、小、中、高等学校平均いたしますと八・八六%ほどになりますけれども、引き下げをいたしたわけでございます。平均から申しますと、今のようなことに相なりまするが、小、中学校の方はこれを平均いたしますと大体一〇%、高等学校の方は六・三%ぐらいになります。これらのものを定価基準に対して引き下げをいたすわけでございます。従いまして現実の教科書の定価がこれだけ直ちに安くなるということには相なりませんけれども、一ページ当りの認可基準はこれだけ下げたものをきめたい、かように考えておる次第でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/44
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045・河野正
○河野(正)委員 今局長から具体的説明があったわけでございますが、私どもが知っております範囲におきましては、今日までの実績から申し上げますと、大体五・六%ぐらい安くなるというようなことでございます。ところがただいま局長の御答弁を承わって参りますと、小学校、中学校が一〇%、高等学校が六・三%、平均いたしまして八・八六%ということでございます。これは平均値でございますから、そのままを受け取るわけには参らぬとも存じますが、実績から申し上げますと五・六%程度安くなっておる。ところが平均は八・八六%程度安くなるということになりますと、大体三%前後の開きが出て参ります。そういたしますと、この辺に多少無理があるのじゃないかと私は思う。無理をあえて行いますならば、いろいろ弊害が起ってきやせぬかということを私どもは考えて参るわけでございます。三%前後のズレが出ておりますが、この点に無理がなかったかどうか、この辺の事情を御説明願いたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/45
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046・緒方信一
○緒方政府委員 ただいま御指摘のように実績との差と、それに加えまして若干の引き下げをいたすわけでございます。それはどういうことかと申しますと、私ども各教科書会社につきまして実態調査もいたしましたし、それから先般来衆議院におきまして、行政監察委員会の証人の喚問等におきましても、いろいろお調べになったのでございますが、その営業費のうちで特に宣伝費に関します費用のうち、たとえば駐在員を使って宣伝をするとか、あるいはまた献本をたくさんやるとか、これらの若干行き過ぎのきらいのある宣伝行為に要しまする経費というものが、その調べでは大体五%ぐらいあるのじゃないだろうかということに相なっております。従いましてそれを見合いましたものを平均いたしまして、ただいま申しましたように、全体といたしましては八・八六%を認可基準から引く、かようなことでございます。認可基準に対します実績の開きと、今申しました宣伝に要しまする経費のうちの一部分、これを加えましたものが平均で申しますと八%何がし、こういうことになっているわけでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/46
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047・河野正
○河野(正)委員 ただいまの答弁でそのような調査が行われた結果、三%のズレを解消していくということでございますならば、了承することにやぶさかでございません。今日父兄が一年間に負担いたします教科書代と申しますか書籍代は、大体小学校で六百十円、中学校で九百九十円というような話だそうでございます。先般衆議院を通過いたしました貧困児童に対しまする教科用図書の無償配付では、大体一人当り六百円ということで予算が計上されておったようでございますが、それはやはり安くなった小学校六百十円ということで、六百円の予算が計上されておったわけでございますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/47
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048・緒方信一
○緒方政府委員 この前御審議を願いました法律案の予算単価にいたしました六百円でございますが、これは三十年隻に採択を受けました教科書の実績に基きましていわゆる加重平均で出しました計数でございます。若干の端数の切り捨て、切り上げはあったかもわかりませんが、それが六百円ということでございます。従いまして今度引き下げましたものはそういうことではございませんで、三十年度の実績によって計算したものでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/48
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049・河野正
○河野(正)委員 そういたしますと一応本年度が六百円相当であるので、六百円ということで予算が計上されたというふうに理解してよろしゅうございますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/49
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050・緒方信一
○緒方政府委員 今申しましたのは、三十年度に使いました教科書の実績でございます。その実績は三十年度しかございませんので、それを基本にして予算を組んだわけでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/50
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051・河野正
○河野(正)委員 これは乏しい実例でございますから、全国的の例としては適切であるかどうかは疑問であると思いますが、今度私どものところでは小学校一年生に入りました。ところが書籍代が八百五十円でびっくりしたという話です。貧困児童につきましては大体六百円見当の無償給与が行われるということでございますが、私の方では貧困児童ではございません、これはほんの一例でございますから、果してそれが全国に当てはまるかどうかわかりませんけれども、もしそのような二百円もあるいは二百円以上もオーバーするということになりますと、勢い生活保護法の六条二項に該当するものが、予算上の関係で圧迫を受けてもらえなくなるというふうな現象が起ってきやせぬかということを、この前の法案審議の過程から私今おもむろに考えて見まして心胆ずるわけでございますが、そのような事態が生まれて参りませんか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/51
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052・緒方信一
○緒方政府委員 ただいま例におあげになりました八百円というのは、私はよくわかりませんけれども、御承知のように教科書は定価の高いものも安いものもいろいろございます。予算の算定基準として出しました単価は、一般の平均のものを、先ほど申しましたように実績によって計算したわけでございまして、それは六百円であります。あの法律で申しますと給与義務は市町村が負っているわけでございます。市町村で給与したものにつきましては国は予算の範囲内において補助をする建前でございますので、大体大百円あればそうひどく圧迫をするということはないと思いますけれども、そういうことがあった場合には、あの法律の建前から申しましても、市町村がそれに加えて給与してもらう、こういうことを私どもは期待をいたしておるわけでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/52
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053・河野正
○河野(正)委員 そういたしますと、今日の日本の国内の実情、たとえば平均して実際どれくらい要るかというような資料がございますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/53
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054・緒方信一
○緒方政府委員 平均して計算いたしましたものは、今お話ししておりますように六百円ということでございます。これは繰り返して申しますけれども、採択のしようによりまして、その学校が使用しております教科書が、みんな高いものばかりそろえるという場合には、おそらくさっきお話のように八百円ということもあるかもしれません。しかし平均値が六百円、かようなことであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/54
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055・河野正
○河野(正)委員 この点は私も一例しか知りませんから、全国的な例を知っているわけではございませんので、いろいろ論議して参るわけには参りません。その他二、三お尋ね申し上げたい点もございまするけれども、他の委員の御質問もあるようでございますから、本日はこれで一応留保いたしまして、私の質問を終りたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/55
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056・佐藤觀次郎
○佐藤委員長 辻原弘市君。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/56
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057・辻原弘市
○辻原委員 著作権の問題について最初に大臣にちょっとお伺いいたしておきますが、今提案されている著作権法の特例に関する法律案というのは、これは先般の臨時国会で締結せられた万国条約に基くものであるという趣旨でありますが、私は万国条約を通読いたしてみましたし、当時の審議過程、またこれの締結せられた経過等を考えてみますると、この趣旨は著作権というものについて、少くともそれぞれできるだけ自由な建前において、煩瑣な手続を排して万国それぞれの著作権をお互いに保障し合っていくという趣旨に基いて締結せられたものである、こう考えるのであります。その趣旨に基いて作られる特例法律案というものも、当然この万国条約の精神に立脚をして、その万国条約の取りきめている手続の範囲外と申しますか、その手続以上に煩瑣な手続を加えるというようなことをしないということが、まず法律の前提だと思うのであります。ところがこの法律を見ますると、大部分はこの万国条約の骨子となる点を国内法に引き写したということに尽きておるようでありますが、中に必ずしもそうではない新しい一つの条項が加わっていることを見受けるのであります。従いまして根本的問題として、著作権というものについてできるだけ煩瑣な手続を排し、いわゆる著作というものについての完全なる保障を与えていくという、そういう趣旨のもとにこの法律が作成せられたものであると思うのでありますけれども、その点大臣は強くこの万国条約の趣旨というものをお考えなさっていられるかどうか、この点について一応承わりたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/57
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058・清瀬一郎
○清瀬国務大臣 この著作権のみならず、すべて法律は簡単なほどいいのでございます。しかしながら御承知の通り明治三十年以来のわが国の著作権法は、あの通り著作だけで権利が保護された。ところが外国わけても米大陸では必ずしもそうではない。そこで二つ手続があるものを、これでは橋渡しするといっておりますが、橋渡しをするために最小限度の付加的規則がやはり要ったのであります。御趣意においては御質問の通りで、一番簡単な方法をとりたい、かように思っております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/58
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059・辻原弘市
○辻原委員 大臣は二つの、万国条約の橋渡しをするためにこの法律を作成したのだということであります。その趣旨であるといたしますと、当然この法律も万国条約の範囲外に出ていないというふうにわれわれとしては受け取らなければならぬと思うのであります。ところがこの法律の中で、先刻私が申し上げました条約の引き写しではない条項と申しますのは、やはり附則の項にある、任意登録ではありますけれども、登録をさせる条項が附則第三項において新しく加わっているという問題であります。この点については、少くとも万国条約の趣旨においては、こういった手続を新しい加盟国に対して要請をしておるものではないと思うのでありますが、特段こういう形のものを、加盟をしたということにおいて国内法で作っていかなければならぬ特別な理由というものを、これは大臣から承わっておきたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/59
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060・清瀬一郎
○清瀬国務大臣 条約によって登録をしろという要請はないのです。しかしながら著作者の権利の保護のためにこれが一番いい、かように思っております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/60
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061・辻原弘市
○辻原委員 著作権の保護のためにいいと言われるのでありますが、いかなる場合の保護に役立つのであるか、この点について承わりたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/61
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062・清瀬一郎
○清瀬国務大臣 これは後日争いが起った場合に、少くともこの日には現実に著作があったという証明を容易にするためであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/62
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063・辻原弘市
○辻原委員 大臣に対する御質問はそこまでにいたします。あとは多少こまかくなりますので、内藤政府委員が見えておりますから、その後の問題についてお伺いをいたします。
著作権の争いが起った場合に役立てるための登録をやらせるのだ、こういうことであります。ところが、質問を続けるために少し前提を置きますと、私も実は全くのしろうとでありますけれども、いろいろこの法律の審議について検討をいたしてみました。著作権というものは、万国どういう形において保護しておるかということについて、概略の知識を得ましたので、私のきわめてプアな知識から、それを前提にしてお尋ねをいたしたいと思うのであります。
従来はこの万国のとりきめがなかった。万国条約が締結されない以前は、日本の場合あるいはイギリス等の場合は、何ら制約を加えない無方式の形においてこの著作権というものが認められてきた。ところがアメリカその他米州においては必ずしもそうではなくして、登録制あるいは納本制というものを前提にしたところの、いわゆる方式主義というものをとっておった。この間アメリカのためには非常に有利であるけれども、無方式主義の国においては、必ずしもそれが有利ではない。相当これは煩瑣なことをアメリカ自体に要求される結果があるというので、そこでユネスコが生まれた機に、こういった問題を取り上げてその間を調整して、そしてきわめてニュートラルな万国条約というものが締結せられ、それにわが国初め十八カ国が加盟した、こういうのであります。従って今までは日本の著作権に対して、アメリカにおいてこれを認めさせようとする場合には、アメリカの国内法にやはりこれはよらなければならなかった。ところが万国条約ができたということは、これはそういったアメリカの国内法によらなくとも、日本の国内法が直ちにアメリカの保護を求める条件に当然なる。こういうことであります。ですから従来より手続においては非常に簡素になったということが言い得ると思う。具体的に言えば、条約で取りきめられているC記号を打ってさえおけば、これは加盟国いずれにおいても同等の保護を与えなければならない。こういうことになったというわけなんです。そうするとCを打つということが、著作権に対する保障であるわけなんです。それはいずれの国においても、加盟した限りにおいてはそれを守っていかなければならぬ、こういうことになっている。
そこから私の質問なんですが、大臣は今著作権の紛争が生じた場合に、登録させておるという証明書が、非常に有効に役立つのだという御説明がありました。こうたしか今おっしゃられたわけなのでありますが、その場合に、Cを打っておること自体においてすでに著作権が認められておるということになれば、それはいかなる場合の訴訟に役立つのかという点に不審が出てくる。もう少し言えば、著作権の存在そのものに対する訴訟というものは、Cを打ったことにおいて、これは起らないということが前提になっておる。そうすると、いわゆる著作権侵害という形の訴訟というものは、この場合Cを打っておる限りにおいてはなくなるということではないかどうか、私はなくなるのではないかと思う。なくなるのであれば何もあえて——これはまあ事の大小は別として、とにもかくにも登録をさせるというようなことは、これは善意であろうと悪意であろうといずれにしてみても、従来のやり方よりもやはり一歩、著作というものに対する行政機関の一つの干与でありますから、特別の理由がなければそういうことはやめた方がよいではないかということになる。だからそういった著作権侵害に関する訴訟なんというものが、起り得る可能性があるのかないのか、この点をお伺いします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/63
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064・内藤誉三郎
○内藤政府委員 これはCは著作権の発生の要件でございますから、相手方が著作権を認めないという著作権の侵害の問題は絶えず起きてくると思う。この場合には、条約に定めるところによって、アメリカの国内法が、国内法で訴訟の手続等はきめることになっておりますが、そうなりますと、アメリカの国内法の手続によって、日本が、訴訟になったら納本、登録をしなければならない。そのときにこの納本、登録の証明が役立つと、こういう意味でございます。ですから当然に著作権侵害ということはいかなる場合にもあり得ると思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/64
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065・辻原弘市
○辻原委員 紛争が起ったならば、納本、登録をしなければならない、これはわかるのです。これは紛争が起った場合においては、アメリカの国内法、著作権法に基いて、アメリカの国会図書館に納本、登録をして、第一登録の第一発行年月日のものを出していかなければ対抗手段にならないということはわかる。ところがその訴訟の場合というのだけれども、そういった著作権侵害に対する紛争というものは、このCを付さない、いわゆる万国条約がない場合においては起り得たかもわからない。万国条約はそういう著作権侵害が起らないために、保障するために、Cということを共通して認めておるわけです。だからその場合には私は侵害者、いわゆる著作権存在不存在に関する訴訟提起というものは起らないのじゃないかということを申し上げておる。起り得ますか。私は、大臣が法律家でいらっしゃるので、法律家の大臣から一つ聞きたいのですが、そういうことが起るなら、そういう万国条約というものは意味がないのです。起らないためにやったのですからね。それはどうなんですか。内藤さんの説明でその点ちょっとぴんとこない。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/65
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066・清瀬一郎
○清瀬国務大臣 著作権は一つの権利でありますから、それについて争いは起るのです。みんな善意の仏様なら起りませんけれども、同じような本は、おれが先に著作しておる、君の方は剽窃だといったような前後の争いが起ります。そこで一つの国の法律で図書館に納本して文部省に登録しますと、官庁の証明でありまするから、日本の国内で起った時分には、もう不動産の登記簿と一緒に、一発でそれでいいのです。アメリカの法廷は必ずしもわが国と同じ訴訟法をとっておりませんけれども、しかしながら日本で登録したという証明を外務省がしてくれるでしょう。それをつけて向うへ持っていけば、納本して登録しておるのですから、それより前のことはわからぬけれども、少くとも登録した時分には日本に発行しておったという証明ができるのです。アメリカの訴訟法と幾らか関係しますけれども、おそらくはもうそれで完全な証明と思われます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/66
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067・辻原弘市
○辻原委員 どうもはっきりわからないのですがね。私は訴訟争いというものが起らないということじゃないのです。いわゆる訴訟の対象となるべき、比較対照して法廷で相争わなければならないような事犯の関係というものは、その場合に著作権そのものの存在が不明であるとか、あるいはこれが認められておるのかいないのかといったような形の訴訟というものは、Cを付せられておる限りにおいては、それは起らないのじゃないか。後段の大臣が言われた期間の問題ですね。アメリカの国内法によれば、二十八年間ですか、こういうことになっておる。だからその期間について、一体いつからそのものが認められたかどうかということについての争いは起るかもしれない。しかし著作権そのものが侵害されたとか、どっちに著作権があるのかという争いは起ってこないのじゃないか。私は起らないようにこの万国条約というものを作っておるのじゃないかということを申し上げておるのです。その点どうでしょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/67
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068・清瀬一郎
○清瀬国務大臣 やってみますと、権利関係は実に多岐多様で、私どもやっても全く同一の訴訟というものは二度と起るものじゃないのです。あるいは相続のことで、おれが相続をしたとか、あるいはCはついておるけれども、おれのを剽窃して、こっちの方が先に出版しておることの、いろんな争いが国内にも起ります。国外にも起ります。その時分に政府のこしらえた登録役所にこれが出ておったということであったら、少くとも——その前は知りませんよ。しかしそのときにはもう日本国内にあったという証明ができるのです。その証明をしませんと、どっちが先に著作しておるのか、著作しておるのがいつだという争いをされると、アメリカあたりへ行って証人調べもできやしませんし、困るのです。アメリカ人に向って著作権侵害の訴えをした。なるほどCが行つているからこれはやったに相違なかろうけれども、日付を争うといったら向うは宣誓した証人でないと証明がとれませんから、官庁の証明が宣誓した証人ですから、日本の官庁に登録書というものができて、そこで登録したという証明があって、外務省にヴィザをやってつけたらそれでいけるだろう、こういうことなんです。それでも向うはなかなか形式主義ですから、すったもんだ言いますけれども、今考えることはこれが一番いいので、日本人の権利を保護するのには一番便法かと思っております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/68
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069・辻原弘市
○辻原委員 大臣の説明を承わりましても、結局問題の争いの焦点は、突き詰めていくと、この条項を作ったのは結局訴訟の場合にその対抗手段としての証明書が発行できるようにこの条項を入れたんだ。さらに突っ込んでいえば、私が先ほど申し上げた著作権そのものがCを付されておるにかかわらず、これが著作権があるとかないとかいったような訴訟ではなくして、主として、今大臣が御説明になったのは、いつからそれが効力を持ったかというその期限の問題、この争いに対して有効に役立つであろう、また役立たせるために作ったんだ、こういう趣旨のことを言われたのですね。そうすると、今大臣がそういう御説明をなさいましたので、日本の官庁が発行する証明書が、向うの法廷において——私は向うの法廷のことは全然わかりませんが、これは絶対無理だという形において、いわゆるその信憑性を証明するものたり得るのかどうか。なぜそういうお尋ねをするかというと、ここではこの法律によっても、もちろん全部に対して登録させるのではなくて、これは任意の登録である。しかも何を登録させるかと言えば、第一発行年月日を登録させる。しかもその登録せしめる第一発行年月日というものが、あくまでこれは推定であるということなんですね。そうするとこの推定である登録証明書というものを、そういう争いが起った場合にアメリカの法廷が有力なる証拠として役立てるかもわかりません。しかしそれは他のすべてに絶対優先をする絶対的な——絶対的という言葉はちょっといかがかと思いますけれども、非常に有力な証拠として、それに対応する他の手段というものはないんだという前提に立っておられるのか。それに比べる他の方法というものはほとんどないんだ、これが一番いいんだというような考え方に立っておられるのかどうか、そこの点をちょっと伺いたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/69
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070・清瀬一郎
○清瀬国務大臣 英米の訴訟法では、宣誓した証人が一番有力なんです。そこでアメリカの弁護士が、日本に登録書があるということを否定する、それからこの証明書が日本政府の出したものだということを否定する弁論をいたしますれば、日本の大使なり領事を証人に呼んで、日本にはこういう法律があって登録制度ができております、この証明の判は日本の文部省の判に相違ございませんという証言をすればもうそれでいけるのです。そのほかに方法はございません。けれどもたよりにするもとのものがなくて、空でそれを言うことは、領事でも大使でもできやしません。昔のことで、自分が役につく前のことですから。けれども日本語で書いてある登記簿みたいなのが出ているでしょう。これを英訳して、おそらくは外務省で真正なものだという証明のヴィザをつげて向うへ持っていくでしょう。そうすると向うの弁護士が、日本に登録書があるということを否定しますと、またこれが登録書の証明であることも否認しますと——向うはきっとそう言いますよ。その時分に向うにいる大使あるいは領事によって、その登録書が正しいのだ、その印が正しいのだという証明をすればそれでいけるのです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/70
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071・辻原弘市
○辻原委員 それは訴証の実際の形なんですが、大臣はそのほかにないと言われるのです。ところが実際の訴訟の場合、その登録証明書に対抗する手段というものは、これはアメリカの自国の中で、日本の著作権とアメリカの類似の著作権との争いが起きたということを仮定しますと、向うは手近にあるいろいろなものを証拠書類として対抗してくる。その場合には、かなりに同じような著作の問題の争いの焦点が、その月日の問題にきたとなると、これは本でありまするから、発行の奥付もあるし、また本そのものに対して客観的に、これがいつごろ発行されたものであるかという証明はできます。
〔佐藤委員長退席、山崎(始)委員長代理着席〕
そういうものと対抗的に争ってやったときに、それは民事の争いなんですから、できるだけ客観的な、第三者証明というものをどんどん集めてくる。これは本の古さもありますし、あるいは発行所において発行した記録、いろいろなものが集められ得ると思うのです。その場合において、一片の、日本の推定したる証明書というものが、それに対抗して必ず勝ち得るんだというような一つの見解がそこに生まれてくるのでしょうか。それはどうでしょう。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/71
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072・清瀬一郎
○清瀬国務大臣 訴訟のことをやっていると、商売のことになってしまっていけませんけれども、推定というのは、アメリカでプライマフェーシー・エヴィデンスと言っているのです。推定だけじゃいけないのです。そうして宣誓した証人が出て、これが本物だという証言をすれば、これはほんとうのエヴィデンスになるのです。だからアメリカへ行ったら——日本の法廷なら、不動産証明に登記簿を出すのと同じことですが、アメリカは外国なんですから、日本にこういう制度があることを否認し、その判を否認するということを言ってきますから、そこでだれかが宣誓して、日本にはこの制度がございます、この判は正しい判に相違ないものですと言ったら初めて、推定——プライマフェーシー・エヴィデンスがほんとうのエヴィデンスになるのです。しかし訴訟というものはいろいろなことで勝敗が決しますから、この点だけで言うのです。しかし今日本人の権利擁護として考えておくのにはこれが一番いいと思うのです。そのほかには何とも仕方がない。まさか日本のような独立国が、アメリカの領事へ登録するわけにもいかず、これが一番よかろうかと私も考えたのです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/72
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073・辻原弘市
○辻原委員 これが一番いいということ、これは一つの実際問題に関することですからここで論争しても始まらないと思うのですが、ただその場合に、今大臣が言われた推定ではなくして、領事なりだれかが証明があるということを宣誓して初めて有効というのです。しかし推定というのはそういうことがあっただろうという推定ではなしに、どんなものを推定しているかというと日時の推定なんです。発行年月日の推定なんです。だから発行年月日の推定は、宣誓をしても、その推定の時日ということはあくまで推定ではないかと私は思う。これはだれが宣誓しようが、多分そうであろうというように推定せられているという証言なんです。多分その時日であったろうというふうに、納本、登録されておるということの推定なんです。そういう一つの推定事項というものをもって、アメリカの法廷においては推定事項をもって判断を下されるような慣例法というものがあるのでしょうか。それはどうでしょう。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/73
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074・清瀬一郎
○清瀬国務大臣 書面だけでは今言った通り推定にとどまります。しかしながらその推定すべき書面を宣誓して証明すれば完全なる証拠となります。それからここにないので話を複雑にしますけれども、日本でほかの場合はこういうことをやっているのです。公証人のところに本を持って行って確定証明ということをやるのです。確定証明をもらえばそのときに本があったという推定になる。それと同じようなことをする。文部省が登録所を設けて、いついつかしたということになれば、その書面だけでその日にその本はあったという推定ができる。しかしアメリカの弁護士はなかなか形式主義でいきますから、一番初めに日本にそんなことがあるということを否定してかかります。その時分に今言った証拠方法で日本人の権利は保護できると思います。そうかといってこれがなかったら非常に困ります。たといCとつけておいても、この著作者はこれと違うのだとかなんとかいって非常に苦情を生ずるから、これだけのものをしておく方がいいと思うのです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/74
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075・辻原弘市
○辻原委員 前段の話はさておきまして、その場合予想される問題として、今大臣が答弁されたようなことが事実そういう形に効力を発揮してくるだろうということを前提にしますと、こういうことがまた懸念されるわけであります。これは強制登記じゃない、著作権などについて強制登録なんてさせることは絶対できない。だからここもせいぜい任意登録にとどめる。そういたしますと、争いが起った。登録をしたものについてはそういうことで有力に役立った。アメリカにおいても最初一つ二つの判決を下す場合には、第三者の証明その他のものをいろいろやって結論を下すでしょう。ところが幾つも同じような事案が起ったと仮定した場合に、あなた方のおっしゃる通りになったと仮定します。その証明書というものが非常に有効に役立った。そういたしますと、今度は登録しないで万国条約の範囲内において、いわゆるCを打ったものが争いの対象になってきた場合には、これは証明書がないのだから同じような争いにおいては、その登録してないものは負けなんだというような一つの判例を作っていかれる、アメリカによって判例を作られる危険が生じはしないか。そうなると任意登録ということで、著作権については同じような取扱いをしているなどと言いながら、結局登録しなければ損なんだよということをこの法律は暗示をして、事実においては任意登録だけれども、強制登録と同じような効力を発揮せしめることを期待しているのじゃないかと私は思うのですが、それほどうですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/75
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076・清瀬一郎
○清瀬国務大臣 強制登録といいましても、これに登録することを得というのですから、私はかりに任意登録と見ていいと思います。これでなければほかの方法で証明しなければならない。遠いアメリカに行って、何月何日にこの本ができておりましたなんていうことを日本から証人を連れて行って証明するということは非常にむずかしいから、アメリカで将来著作権を主張しようという人は、やはり登録される方が私はお得なんだろうと思います。決して強制するものではありません。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/76
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077・辻原弘市
○辻原委員 法律は強制しているのじゃないけれども、私の申し上げるのは、事実今大臣がおっしゃられるように、結局強制登録と同じような効果をこの法律によって発揮してくるのじゃないか。そういうことになれば建前はできるだけフリーな立場において著作権を保護するものだと言いつつも、やはり相当著作権というものに対する制約が加わってくるのじゃないかという点が一つ。問題はこういうように訴訟訴訟と展開していきますと、あたかも非常に訴訟案件が多いように思われると思いますが、私も実は知らない。そこで承わっておきたいのですが、今まで万国条約では日本は無方式主義でやっている。アメリカは方式主義で国内著作権でもって相当形式主義をとってきた。そうして各国から納本登録を強制している。こういうように非常に不利な状態に置かれたアメリカと日本あるいはアメリカとその他の国との間における紛争はどの程度にあったか。これは非常にわかりにくいと思いますが、少くとも日本人の著作に関する問題でどの程度のそういう紛争があったか、これを参考に一ぺん聞かしてもらいたい。その中のケースにおいて、今までの場合には著作権に関する直接の訴訟が多かったと思いますが、期限等の問題についての訴訟がそのうちにどの程度のパーセンテージを占めておったか、もし的確におわかりいただけなかったら概略でもいいから一つお知らせ願いたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/77
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078・内藤誉三郎
○内藤政府委員 従来はアメリカで著作権に関する場合には、納本登録という手続を踏まなければなりませんので、なかなか著作権の保護がむずかしかった。今度はお話のようにCで保護するようになったので、その点は非常に簡便になったのでありますが、やはり財産権でありますので、期間の点のみならず翻訳の無断出版とか相当問題があると思います。それがどの程度あるかということは、私の方も今後の予測になりますので……(辻原委員「予測ではない、今までどの程度あったか」と呼ぶ)今までとは非常に事情が違うのです。特に占領後は占領軍が来ておったので、相当日本の事情がアメリカに紹介されていて、その中には相当たくさん無断出版等があると思います。そういう事情については統計的に私の方もとっておりません。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/78
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079・辻原弘市
○辻原委員 これはにわかなことでありますから、統計の件数についてお答えになれないのもごもっともだと思いますが、しかしこのくらいの統計は準備された方がよろしかろうと思います。日本の著作権というものは、私の調べた範囲では、すでに五十年の歴史を持って無方式でもってやってきている。終戦以来は暫定協定その他平和条約によって内国民待遇を与えられて、その上に立って著作権が保護されてきたものと思います。占領当時あるいは独立後といえども、このアメリカとの関係において、その著作権の取扱いは戦前とは非常に異なってきた。だから著作権侵害に対する訴訟の内容、争いの内容といったようなものも相当私は違ってきていると思う。その場合にどういう傾向を持つものが何件ということは、こういった問題を審議するときには非常に重要ではないかと思います。これは一つ次会で、わかる範囲でけっこうですからお知らせ願いたい。非常にそういう訴訟案件が数が多いという場合においては、これまた何かの対抗手段をとらなければならぬという判断にもなりましょう。今までのケースにおいて僕は少しくは記憶しているのですが、占領当時においては件数が非常に多かった。それは多少アメリカの干渉等もあって、日本は不利益を与えられた。だからその場合においても、この程度の件数しかないのだから、今度は万国条約によって少くとも万国共通にCを持つものについてはこれを保障するのだという保障が与えられるということになれば、当然その件数は減ってこなければならぬというのが常識だと思う。それは将来の予測ですから皆無になるかならぬかという議論はできませんけれども、常識的に考えて非常に少い。しかも少い中で有効適切に役立つのは期限の問題についての争いだということになれば、これは一考を要するんじゃないか。それはあなたも御承知のように、また大臣も御承知のように、われわれの手元にも、この著作権協議会の方からこれに対する相当な御意見が出されておるわけであります。われわれもこの意見を詳細に聞きました。懸念されるところは、やはりこの条項にあるというのであります。従来の経験にかんがみて、実際上の取扱いにおいて何ら不便もないし、それから訴訟の場合においてもそういう懸念というものはほとんどと言ってもいいほどないという御意見、ですから私はほとんどないかどうかということも知りたいし、一体いかなる訴訟の場合において役立つかということも明瞭にしなければならぬと思います。ですからその点について今特にお伺いした。しかし統計をお持ちなさっておりませんから、その統計上から判断を導くということは無理であります。
そこでその問題はそれといたしまして、いま一つお伺いをいたしておきたいのは、先ほど大臣がおっしゃられたCを付している場合においても、それが相手国等によって必ずしもその著作権が保障されない場合があり得ると、こういう。しかもそれが訴訟の対象になるとおっしゃるわけなんですが、私はこれはCを付しているという点において実に明瞭な問題ですから、そういう場合においてはほとんどこれは訴訟において相争うという必要性を認めぬ、またそういうことを認めないからこそ、万国条約のCというものは、これは著作権については権威があるということを言い得るわけなんですが、どうもその点そういう万国条約がありながら、絶えず訴訟の対象になるというような御見解、そういう心配があるからその対抗手段を求めておかなければならぬのだという見解には、どうも私は納得がいきがたい。私は一般的に申し上げている。世の中にはいろいろがあがあ言う気違いもおりますから、そういう特異な場合も起ってくると思いますが、一般的、常識的にはそういうことは起り得ないのが通例ではないかと私は思う。これはどうでしょう。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/79
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080・内藤誉三郎
○内藤政府委員 これはCをつけたからとかどうとかいうことではなくて、現在のベルヌ条約の場合も著作権の無断使用という問題はしょっちゅうあるのですから、Cの問題とは関係ないと思います。それから現在、日米間はどうなっておるかというと、アメリカに行って納本、登録の手数料を払わなければ著作権が発生しない。それだからアメリカでは日本の著作物は保護されないといってもいいのですが、今度の場合はCをつけると権利が発生しますから、そこで権利保護の問題が起ってくるわけです。ですからこれは非常に違ってくると思います。訴訟の件数もふえてくると思います。たとえばアメリカが、日本のお茶の本にCを書いて出した、今はそれは無断に使って何でもないのですけれども、今度は著作権が発生するから、日本から言えば著作権侵害という問題が起ってくるわけです。そういう問題は非常に多く起ってくると思います。この点を一つ御了解願いたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/80
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081・辻原弘市
○辻原委員 それは私はちょっとおかしいと思うんだ。Cの問題でないと言うが、しかしCを付して、そのCの信憑性について論議をかわされるということになれば、Cの価値がない。今まではCがなかった、無報酬だった。著作権は事実存在するけれども、それを第三者的に証明する何ものもなかった。従って存在しているということを相互に認める。アメリカの場合においては、納本、登録さして初めてその著作権の存在を認めておる。ところが今度はCを打つということによって著作権そのものの発生と見ておるわけです。その発生と見ておるというのに対して、その事実がないという一つの訴訟がかりに起ったとしても、その発生の事実に照らしてそれは判定すべきである。第三者的にこのCはインチキじゃないかということが、これは時と場合によっては起りますけれども、一般的にはCがあってもそれは大した意味をなさないのだという前提になるならば、私は万国条約の意味がないように思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/81
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082・内藤誉三郎
○内藤政府委員 ちょっと誤解があるように思います。ベルヌ条約の場合には、ベルヌ体制は大体欧州関係です。この場合は無報酬でございますから、著作という事実に基いて著作権が発生する。従ってこれを使用すれば無断使用ということで、著作権侵害の問題が起ってくる。ところがアメリカの場合はよその著作権を保護しない。それは納本、登録手数料を払わなければ著作権が発生しない。だからアメリカでは今までよその国の著作権を十分保護していない、今度はCを書けば保護してくれる。Cを書けば著作権が発生するから、その場合に著作権侵害という問題が起きてくる、そういうふうに申し上げたのです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/82
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083・辻原弘市
○辻原委員 だからその場合に、著作権侵害の訴訟を提起しても、それはその相手の著作権の存在というものを否定するという訴訟は成り立たないでしょうということを私は申し上げている。私の言っている点はおわかりでしょう。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/83
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084・内藤誉三郎
○内藤政府委員 著作権が発生しているという事実は間違いないのですけれども、さっき大臣がおっしゃったように、自作ではないとか、いろいろな問題が訴訟になれば起きてくると思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/84
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085・辻原弘市
○辻原委員 自作ではない、これは外作であるとかいう訴訟は、著作権そのものとは関係のない訴訟になるのではないですか。Cとは関係のない訴訟になるわではないですか。Cを付されているそのものに危惧を持つということであるならば、それを証明する何ものもないじゃないか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/85
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086・内藤誉三郎
○内藤政府委員 Cによって著作権が発生するのだから、その存在そのものを否定することは私はないと思う。ただそれに関連した訴訟というものは当然起きるし、と同時に著作権の無断使用ということも起きてくると思う。アメリカのGIあたりが日本に来て木を買っていきます。そしてこれをどんどん翻訳して無断で使用する場合もあり得る。その場合、日本では著作権が発生しているから、正当な手数料を払えということは当然要求できると思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/86
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087・辻原弘市
○辻原委員 著作権が発生しているということば今あなたの御答弁によってはっきりしたわけです。この著作権がアメリカ側によって侵害されたという場合にこれを守る。そうするとこの著作権そのものに信憑性があるかどうかということは、すでにCによって証明されているわけです。だから問題となる点は、最初に私が申し上げた第一の発行年月日の期限の問題、いわゆる効力期限がどこまであるかという問題でしょう。そこの争いに尽きてくるのではありませんかというのです。そうではありませんか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/87
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088・清瀬一郎
○清瀬国務大臣 私が口を出してはなはだ悪いと思いますけれども、一言言わして下さい。著作物は発明などと違って、たくさんの文字からなっておりますから、全く同じものがあることはめったにありませんけれども、Cは自分でつけるのですから、同じ内容のものがアメリカでは昭和三十一年の五月一日に発行された、日本でもCをつけたのが四月二十九日に発行された。同じ内容のものが、非常に珍しいケースだけれども、あり得るのです。そうした場合には、いやあれは五月一日だと言うけれども、実は四月二十日に発行しているのだとアメリカ人は言うだろうし、わが方はそうじゃない、四月十八日だ、こういうふうなプライオリティの争いが起ります。そうすると先に著作したものがほんとうの著作者でしょう。どっちが先にやったのか。どっちか盗んだに相違ない。木など同じ物がきちっと二つできるはずはないのです。原稿を盗んでやるかどうかの場合ですけれども、そういうことがあり得るのです。その時分にいつ一体これを著作したかという前後の問題がやはり問題になると思う。それで日本で登録しておれば、これこの通り登録してあるじゃないか、ないものを日本の国会図書館にできるはずのものじゃなし、ないものを文部省が登録するはずもない、おれの方は確かに二十九日にやった、これ見ろ、こう言えます。だから、二つの著作、また三つの著作、または翻訳が、どっちが先だというプライオリティの争いをする時分にも役に立つと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/88
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089・辻原弘市
○辻原委員 その場合、証明書がある程度の効力を発生すると同じように、そういう一つの訴訟が提起された場合には、これはアメリカの国内法によって、その訴訟の対抗手段として登録の保護をしなければならぬということになってくる。だからその場合に、第三者証明をとりそろえて向うに提示することが、りっぱな対抗手段ではないかと思う。だからそれによってもこれは当然対抗できる。そういう手段があり得る。もう一つは、今大臣が言うように、一カ月以内において、この類似の、あるいは全く同一のものが偶然にあり得るかもしれない。そういうことについての著作権争いというものが生じた場合どうするか。今大臣のお話では、その場合に相争わなければならぬ、こう言うけれども、しかし私はその場合には、著作権そのものがどうだということの争い、まずそれが第一発から始められるのだろうと思うけれども、そのことよりも、その著作権、どちらがいつ発行されたか、そうしてこれが今であれば、Cを持っているかどうかということについては、これは日本であれば、アメリカに本を登録することによってそれはすぐ判定ができると思う。問題は、それに対抗するもう一つのものが同じような内容を持っているということを比較検討する場合に、その検討する一番中心の問題は、どちらかが外作であるわけですから、その外作であるかどうかということのいわゆる認証ですか、その信憑をそこで比較検討するということの争いになりはしないか、こう言うのです。もう一つの場合は、今度は全く外作ではない、偶然同じような内容を持ったものをまたきわめて同じような時期に出しているという場合は、これはその信憑性の問題じゃなくして、それはできたのだから、結局二つとも同じような一つの著作をしたのだからということにおいて、これは著作権が認められることになっているのじゃないかと思いますが、それはどうでしょう。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/89
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090・清瀬一郎
○清瀬国務大臣 著作権、どっちがほんとうに著作したかという事実の争いは、あなたのお説の通りですが、事実の争い以外にあと先の争いが起り得るのです。それはあなたも認められるだろうと思う。それからまた相続の場合でも、おやじが著作した前に生れたかあとに生まれたか。会社の合併等の場合でも、会社の持っておる著作権が合併の日以前にあったか、なかったかというふうなことで、あなたの御経験の通り、いろいろな形で著作権発生の口というものを証明する必要というものが起きてくるのです。実にこの世の中のことは千態万様で、その時分にこれがあれば私は一番容易だろうと思うのです。すべて私は突然の問題だから、適切な例をあげて考えておりませんけれども、さしあたりどっちもCは勝手につけられるのだから、アメリカでもCをつける、日本でもCをつける、どっちが先だということの争いが起きるのです。それからまた相続の場合でも、生れてからおやじが作ったかどうかといったようなことも起りましょうし、会社合併の場合も起りましょうから、やはり著作権発生の日というのはいろいろな形でわき上りますから、これだけのことをしておいて差し上げる方が、日本の著者にはいいだろう。しかしアメリカは主張せぬのだからそんなことは要らぬという人はやらぬでもいいのです。これはまあ親心という立法であります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/90
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091・辻原弘市
○辻原委員 だんだんの話で問題となります点は明らかになりました。結局突き詰めていけば、訴訟が起った場合に、期間の争い、いわゆる権利発生の月日の問題についての争いの際にこれが有効に役立つということの御見解なんですが、これは私が申し上げるというより、私はしろうとなんですから、実際おやりなさっている方々が、従来の経験に徴してみても、そういう事例というのは非常に少い。従ってそういう一つの法規がなくても、その紛争の場合には、第三者証明で十分対抗できておるのだ、また対抗できるのだ、こういうふうにおっしゃっている。大臣は、親心でそうすることが日本の著作者に対して一番権利保護ということになるだろうとおっしゃっているのですが、その点大臣のお手元にも行っているのじゃないかと思いますけれども、相当広範に著作に関係されている方々がそうでないという御意見を持っている。そこに、大臣の親心というものと、それを受ける著作者の側との間に、十分な意思の疎通というものがないのじゃないか、こういうようにわれわれは理解するわけなんです。これは少くとも重要な著作権の問題でありますし、著作権はあくまで著作者の自由性というものを保障する、そういう親切便宜な措置でなければならぬのが、必ずしもそうではないとおっしゃっている。そこにわれわれは、この法案の審議に当って非常に不可思議にも思うし、釈然としないものが残っておるわけです。この点については大臣はどうお考えになっておりますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/91
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092・清瀬一郎
○清瀬国務大臣 やはりやっておく方が日本の著作に対して親切だと思います。これかなかったら、おそらく日本の著作者は、Cをつけるほかに、公証人役場に持っていって確定日付でもとってくるだろうと思う。しかしこれも、役場が焼けたり、それからいろいろなことをして十分な効力を発生せぬですよ。しかもそれが二十年、三十年後になったら、やはりそれは文部省が証明するのが一番確実です。いやならやらぬでもいいのですから……。英語で書くとか、あるいは内容がアメリカ人が非常に好みそうだとかいったような著作をする時分には、一ぺん文部省においで下さい。それが一番いいのです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/92
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093・辻原弘市
○辻原委員 今妙なことを言いましたな。私がそういうことを言っているのじゃないのです。これは先ほどから、保護する手段としてこういう形でやっていくんだ、こういう御説明なんですが、その方法が非常に有効適切なものであるとするならば、もう一つ合点のいかぬのは、外国のことは外国のことで、日本の場合にはさらにそれよりも親切にしているのだとおっしゃれば、それも答弁でありますけれども、私の知るところでは、今度の万国著作権条約に加盟調印をされた十八カ国の中に、日本と同じようなこういう形の任意登録手続というものを国内法において制定をしているような例がないように思うのですが、その点は私の見た誤まりかもわかりませんので、他にも同じような例があるかどうか伺いたいのです。これはやはりどこの国でも心配があるだろうと思う。ひとり日本だけがその場合にそういう親切をするのだということだけでは、その点理解がいきかねますから、加盟国の状態について少しくお話を願いたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/93
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094・内藤誉三郎
○内藤政府委員 お尋ねの点は万国著作権条約の実施に伴う点でございますか、それとも登録の点だけでございますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/94
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095・辻原弘市
○辻原委員 登録の点だけです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/95
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096・内藤誉三郎
○内藤政府委員 登録の点については、各国いろいろ事情がございましょうと思いますが、まだ私ども各国の国内法は十分に承知してないのです。と申しますのは、この万国条約そのものが効力を発生したのは昨年の九月でございまして、ある国のものは参っておりますが、十八カ国全部については詳細に存じておりません。そこでこの運用につきましては、ことしの六月の十一口から約一週間ほど各国の政府間会議がございますので、そのときには各国の事情が詳細にわかると思うのでございます。ただこの点日本の場合は、イギリスやフランス、ドイツと違いまして、従来から非常に日米間の関係が事情が違っておりまして、特にイギリスや大陸関係のように簡単にはいかないと思うのです。これは大陸関係はもう非常にアメリカの著作になれておりますので、そういう点でお互いに著作権関係は相当連絡がよくとれておるようでございます。日本の場合には、先ほど申しましたようにほとんど手続が厳重なために、アメリカで保護されてなかったという実情もございますし、できるだけ保護を厚くすることが今後のためにいいのではないかと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/96
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097・辻原弘市
○辻原委員 ちょっとその点が私は答弁が解せないのですが、これは同じように無方式主義の国であれば、著作権の問題については、事犯が発生すれば同じようなケースにおいて発生してこなければならない、多少連絡がよいとか悪いということはあろうと思うけれども、しかしながら連絡のよい悪いにかかわらず、事件の発生ということについての懸念は、これは日本だって、イギリスだってやはりそう変りはないと思う。その場合に日本だけが特殊な関係ということ、これは日本とアメリカの平和条約ないしは行政協定、こういうものを意味するのだと思うけれども、その裏に非常にアメリカの形式主義、端的に言えば著作権に関する横暴というふうなものが非常に日本に重圧がかかっているというようなことなんですか。そういう意味ですか。ですから日本だけが特別にそのアメリカ国内による著作権の侵害というものが非常に大きい、だからほかの国がかりにそういうことをやらなくても、日本の場合にはとる必要がある、こういう意味なんですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/97
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098・内藤誉三郎
○内藤政府委員 欧米間の方は、今まで相当代理者とかいろいろな方法において、アメリカの著作物をカナダやイギリスで同時発行したり、あるいは逆にイギリス、カナダのものもアメリカで保護するような道が、従来から同文の国でございますから、相当緊密な保護の道があったと思うのです。こういう点で日本は日本語という特殊な立場もございますし、従来の平和条約の関係において十分な保護がされてなかった、このたびの万国条約によってCということで簡単に保護される道ができたため、相当事情が変って来ますので、特にアメリカに対しては、納本、登録ということをアメリカは自分の国で厳守しておりますので、日本がこれに加盟した場合に非常に不利な立場に立ってはならないと思うので、この登録を実施した方が私どもは適当である、かように考えます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/98
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099・辻原弘市
○辻原委員 まだ十分はっきりいたしませんが、時間もだいぶ経過いたしましたので、ただ私は先ほど申し上げた日本の著作権侵害に対する、これはアメリカだけでいいですから、アメリカにおける大体の傾向と件数、これを一つお示し願いたいということ。それからもう一つは、加盟十八カ国の動静がはっきりつかめない、こういうことでありますが、それも私は、そういう例があればその例を参酌いたしたいと思うのですけれども、それも今資料がないようでありますので、何とかもう少し、わかる点だけでけっこうですから、傾向のわかるものをお出し願いたいと思います。それをお願いいたしまして、なお私の方も大体の質問から一つ結論を見出したいと思います。以上であります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/99
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100・内藤誉三郎
○内藤政府委員 ただいま辻原委員のお話でアメリカの場合をとおっしゃいまずけれども、アメリカの場合には原則として著作権が発生していないのです。日本が向うへ行って納本、登録という手続をとったものは非常に少いと思うのです。ですからこの場合の侵害というものは、私はほとんどないのじゃなかろうかと思うのです。今後著作権が発生すれば相当起きてくると思うんです。今までなかったもの、著作権がほとんどないので、その場合の侵害を出せとおっしゃっても、非常に少いであろうと思うんです。その点は一つ御了解いただきたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/100
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101・山崎始男
○山崎(始)委員長代理 次に平田ヒデ君。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/101
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102・平田ヒデ
○平田委員 教科書制度のことについて大臣にお尋ねいたします。初め少し問題が大きゅうございますけれども、新教育の根本的なねらいは、教育の国家統制と画一性の排除にございました。これは申すまでもございませんけれども、この点についてまず大臣の御意見を一応お伺いいたしたいと存じます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/102
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103・清瀬一郎
○清瀬国務大臣 私は国家画一の教育をしようとは考えておりません。たびたび申しまする通り、教育は個性の発達でありまするから、必ずしも画一ということは考えておりませんけれども、しかしながら義務教育にあっては一定の水準は維持しなければならぬ、かように思っております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/103
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104・平田ヒデ
○平田委員 ただいま一定の水準ということでございますけれども、今度の検定のものさしになります検定基準とでもいうべきところに、全体の水準を高め、誤まった事実を記載したり、思想的な偏向のある教科書をなくして、全体の水準を高めるのが目的であると主張しておられますけれども、この全体の水準を高めるということについて伺いたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/104
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105・清瀬一郎
○清瀬国務大臣 それは、検定をいたしますのはたくさんの人がいたすのであります。ことに検定審査委員会の委員も数十人であります。そこで今でもあるのでありまするが、一定の基準というものはなければならぬのです。現在の基準は、教育基本法に書いてありまする七、八つの事柄を絶対の基準にし、そのほかにまた相対的基準というものをきめてやっております。そういうふうに、基準でありまするからむろん画一的の問題じゃございませんけれども、少くとも教育にはこれだけのものが必要だという最低限度の基準がある。その基準の上もっといいことはなんぼよくやってもいいのです。そういうものがありますることは画一教育をするということじゃございませんので、現在もその通りであります。それゆえに検定制度で数個の教科書ができて、そのいい悪いを検定しようというのでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/105
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106・平田ヒデ
○平田委員 今度の政府の案では、検定審議会の委員の任命のことについてでございますけれども、検定審議会の委員は全部大臣のお考え一つで任命されると思います。従って従来の任命の仕方から見ますと、どうも公正に行われないのではないかという疑いを実は持つわけでございます。それはこの前の教育委員会法の改正のときに、大いに論ぜられたいわゆる任命ということと関連いたしまして、お伺いをいたすわけでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/106
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107・清瀬一郎
○清瀬国務大臣 そのことは先刻も御質問がありましたが、公平に厳正にやりたいと思います。この通り骨を折って議案の御賛成を得ましても、一番初めの委員会委員の任命に不公平がありましたら、それこそ私の政治生命を無にするものであります。港で船を割るのたとえの通りであります。どの文部大臣も良心にかけて公平にやると思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/107
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108・平田ヒデ
○平田委員 「うれうべき教科書の問題」が起きましてから、もうすでにその影響が現われて、東大のある教授は、教科書出版者から執筆を断わられているというようなことを聞いております。弱い立場にあります発行業者にすれば、要するに監督官庁の意向を無視することができないのは当然でございまして、特にその権限が強められるということになりますと、この傾向は助長されるのではないかということを一応心配いたすわけなのでございますけれども、この点についてお伺いいたしたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/108
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109・清瀬一郎
○清瀬国務大臣 この法律ができましたら、今までより多数の委員も御就任になりまするし、文部省内においても、大臣の補助者として調査官も置きまするし、確かに教科書はよくならなければならぬと思います。「うれうべき教科書の問題」に書いてあるのは、今までの制度で粗漏であったというのです。ああいうものがあるからよくしようというのですから、そのところ御了解願います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/109
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110・平田ヒデ
○平田委員 今度の改正案で、常勤の調査員が四十五人新たに文部省内に置かれることになっております。これらの人々は、ほかの非常勤調査員と一緒に、検定を申請してきた教科書の検定審議のためのいわばお膳立てをするのでございましょうけれども、これらの人々はこれを専門に、しかもこれが文部省の中にあって検定を行うということが、今まで文部省の局外にあってやったというのとは大へん違うのでありまして、疑ってみますと、ここに大臣の御意思なり政府の考え方が織り込まれて、何かの指導的な監督というような立場に追い込まれていくのではないかということを考えられますけれども、この点はいかがでございましょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/110
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111・清瀬一郎
○清瀬国務大臣 さようなことにはいたさないつもりであります。従前と少し違うのは、従前には調査員というものは調査して、その評点によって、点数づけによって審議会でやっておったような扱いですけれども、今度は審議会の委員に、ほんとうに教科書を見てもらうつもりです。しかしながら教科書という本ですから、とても一人で目が通らぬところがあるからして、補助者として調査官を設けますけれども、そこは十分公平に厳密にやってみたい、こういう考えです。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/111
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112・平田ヒデ
○平田委員 この点につきまして、緒方局長さんからも御答弁願います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/112
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113・緒方信一
○緒方政府委員 ただいまの大臣のお答えで十分で、補足いたすところもございませんが、お話がございましたように何しろ非常に数多い教科書の申請を見るわけでございますから、内容に間違いがないようにしますためには、やはり専門の見る調査員を備えまして、十分に調査をいたしましてその結果を審議会に付議する、かようなことにいたしませんと十分なことはいかぬと思いますので、そういうようなことにいたしてあるわけでございます。ただしかしその予備的な調査としましては、従来のような調査員を若干存置をいたしまして、これにも働いてもらうことは考えられます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/113
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114・平田ヒデ
○平田委員 また大きな問題みたいになってしまいますけれども、今度の検定制度の実施の一つは、現行制度なんでございますけれども、やはりこの画一性の排除にあったと思うのでございますけれども、この新しい法案の内容をずっと見て参りますると、これは一言で申しますると、現行の検定制度に大きな制約を加えられるようになるというような感じを私強く持つのでございます。これは私だけではございませんで、新聞の論調などを見ましてもそういうことを申しておるのでございまして、これについてお伺いいたしたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/114
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115・清瀬一郎
○清瀬国務大臣 画一にして動かぬようにするなんという考えじゃないので、新聞がどう読んだか、私が国定教科書を作るなんという論文を書いた新聞があります。とんでもないことであります。たくさん自由に申請をしまして、それを検定するのです。そうして検定したものをまた地方の教育委員会で選択をするのであります。その選択も一県一つに限っておりませんので、郡市の限りおいて別々に教科書を採用するということもあるので、今度の案が画一教科書を作ろうというロシヤみたいなことをすることは全く思い違いです。そんなことは決してございませんから御安心願いたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/115
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116・平田ヒデ
○平田委員 私具体的な問題を一つ申し上げてみたいと思うのですが、これは大臣にも御批判をしていただきたいと思います。これは文部省初等科の国史でございますけれども、こう書いてある一節があるのでございますが、昔のでございます。大日本は神国であります。風は再び吹きすさび、さかまく波は幾千の敵艦をもみじんにくつがえしました。この大難をよく乗り越えることのできたのはひとえに神国のしからしめたところであります。それというのもすべてみいつにほかならなかったのであります。神の守りもこうした上下一体の国柄なればこそ、くしくも現われるのであります。こういったようなことが書かれておるのでございますけれども、これはすでに葬り去られたわけなのでございますが、これに対して偏向、傾向という問題が非常に出ておりますけれども、こうした戦前の教科書に対して、これは新しい教育制度を作るというときにやはり今までたどってきた教科書の段階というものをお知りにならなくちゃいけないので、こういうこともすでに御承知になっていることだろうと思いますので、大臣にお伺いいたしたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/116
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117・清瀬一郎
○清瀬国務大臣 今お読みになったように、大日本帝国は神国なりという、神里正統記のような、そうは私は考えておりません。先刻からお聞きの通り世評はどうでありましても、私は民主主義、中正、中立主義であります。一方のような戦前の天皇は神様だといったような考えは持っておりません。これは昭和二十六年一月一日天皇さん自身が、わしは神様じゃないのだ。国民と自分のつながりは敬愛と信頼によるのだということを仰せられ、それ以後このことはずっと日本を通じてよく徹底いたしております。今ごろ日本が神国なりということを言うのだったら、若干頭がどうかしている。そうは考えておりません。しかしながら、世間でいう進歩主義者、進歩学者のように、私は共産党のやり方はいいと思っておりません。やはり自由公正の空気のうちに子供を育てたい、こう考えておるのでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/117
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118・平田ヒデ
○平田委員 この教科書に載っておるようなこの通りのことではございませんけれども、私も共産党はきらいでございますが、最右翼と言われるような人たちの中に、今申し上げたようなことに似たような傾向がぼつぼつ現われておる点もあるのでございますけれども、これに対して大臣の御批判を承わりたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/118
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119・清瀬一郎
○清瀬国務大臣 もしわが国が神国であると信じ、天皇に対する服従を唯一の道徳と考えておる人がありましたら、私は会う機会があったら、そのしからざるゆえんを十分に説破してあげます。旧来私いろいろな人と交際しておりますが、昔の通りにそこまで考えておる人には近時出くわさないのです。しかしお説の通り日本で右翼というものがありますから、どうかして社会教育の力で、合理主義に、人間のあるべき姿、国家のあるべき姿をよく宣伝していきたい。今回の新生活運動もまた社会教育運動も公民館運動もそれに徹底しなければならぬと私は考えておるのでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/119
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120・平田ヒデ
○平田委員 教科書制度の問題は私は何よりも教育的な立場から考えられなければならないと思うのでございます。これは私のひがみかもしれませんけれども、何か政治の都合によって左右されつつある、教育の本質が見失われはしないかというふうに心配されるのでございます。これは私一人ではございませんので、国民の中にもそういう声が非常に大きいのでございまして、その点について御意見を承わりたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/120
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121・清瀬一郎
○清瀬国務大臣 私もいわゆる教育学者じゃございませんけれども、教育の第一の努めは子供の成長、すなわち心身ともに健全なる子供にし、その次には人格を養成してやることであります。人格といううちにはいろいろありますけれども、やはり人類としても、日本の国民としても健全な、英語でいえばインディグニティ、非難のない人にしてやろうというのが私は教育だと通俗に考えておるのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/121
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122・平田ヒデ
○平田委員 国の、国民の姿をありのまま私は生徒児童に知らせることが必要なのだ、そう思っているのでございますけれども、ここ一、二年教科書の検定に見られる一つの例をあけますと、「山びこ学校」の中の「母の死とその後」という作文が非常に暗過ぎるというので取り除かれたということを聞いております。ザ・ファミリー・オブ・マンでしたか、あの中の原爆の写真が大へん悲惨なので、天皇様にお見せするのは恐縮だといって隠してしまった。それに対して大臣はごらんに入れたらよかったのではないかということをおっしゃっておられまして、私はこの大臣のお考えには賛成でございます。この検定でただいまも申し上げたように取り除かれたことでございますね。「母の死とその後」という作文が削られた。それから中学の歴史の内村鑑三の業績が、これがまた最近の風潮によってというとちょっと言い過ぎかもしれませんけれども、同様に消されておるということでございます。これに対しては大臣と緒方局長さんとにお伺いいたしたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/122
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123・清瀬一郎
○清瀬国務大臣 ちょっとその削除のことはよく心得ておりませんから、緒方君に先に答弁してもらいまして、大体のことを私から申し上げます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/123
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124・緒方信一
○緒方政府委員 ただいまおあげになりました具体的な問題は、「山びこ学校」ともう一つあったようでございますが……。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/124
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125・平田ヒデ
○平田委員 「母の死とその後」というのが大へん暗いというので取り除かれたということでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/125
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126・緒方信一
○緒方政府委員 私も検定の一々の事項につきましては記憶いたしておりません。それはいつの検定でそういうふうになったかも私ここで記憶いたしませんが、しかし一般的に申しますと、これはやはり教科書でございますから、先ほど来お話が出ておりますように検定基準がございまして、そうして検定審議会によりましてその検定基準の各方面から総合的に判断をして、そうしてこれの合否を決定するわけであります。その際に、やはり子供に教える主たる教材として使う教科書としては、あまり暗過ぎるとかあるいは少し陰惨過ぎるというようなものは、これは当然削除される場合があり得ると思います。これは普通の一般の出版物とは違うのでございまして、特に義務教育におきます国民の育成のための教材として使われるものでございますから、これに適切なものでなければならぬというワクは当然かぶるわけであります。それがいわゆる検定でございまして、検定によって適当なものを使わせるということに相なりますので、私は御指摘になりました具体的なことは十分記憶いたしておりませんけれども、あるいはそういう検定もあり得るものと考えます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/126
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127・清瀬一郎
○清瀬国務大臣 ただいま緒方局長の申しました通りで、どういうわけで削除になったか、おそらくは検定基準というものに照らして審議会で相談の上じゃないかと存じます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/127
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128・河野正
○河野(正)委員 関連して。ただいま平田委員から、ザ・ファミリー・オブ・マンのお話が出たわけでございますが、この問題は私が先般の委員会においても取り上げましたので、このことについては論及いたしませんけれども、その後長崎に義宮様がおいでになりまして、その義宮様というのは御承知のように理学の研究をやっておられます科学者でございます。ところが長崎においでになりましていろいろ視察されたわけでございますが、長崎は御承知のように原子爆弾の被災者がたくさんおります。そういった原子爆弾の惨禍を再び招かないようにということで、被災者のケロイド、原子症でございますが、このケロイドの模型の展示の中の標本を除去いたしまして、せっかく義宮様が御参観になりましたけれども、ケロイドに対します七つの文献につきましてはついに目をおおうてしまったというようなことが出て参っておるわけでございます。そこでこれも教育の問題でありますから、大臣に一言お尋ね申し上げておきたいと思うのでありますが、学校教育法第十八条の二項におきましては「郷土及び国家の現状と伝統について、正しい理解に導き、進んで国際協調の精神を養うこと。」やはりこういった国の現状なりあるいは伝統というものを正しく導き、そしてひいては国際的な協調の精神を養っていかなければならないというようなことが、学校教育法の十八条二項には明記されております。これは学校教育法でございますから、ただいまのような実例というものは教科書そのものとは直接の関係はございませんけれども、しかしながら少くとも教科書の底を流れる精神というものにはそういった学校教育法の精神というものが十二分に盛り込まれていなければならないというように私ども考えております。そこで最近の風潮を見て参りますと、まことに残念でございますけれども、こういった学校教育法第十八条二項あたりの精神というものが次々にじゅうりんされておる、これは私ども中正な立場から見て参りましても、そういった考え方を強く持つわけでございます。そこでこの際、このことは教科書の底を流れる理念といたしましては、きわめて重要な問題でございまするから、この十八条二項の精神につきまして、若干大臣の御所感を承わっておきたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/128
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129・清瀬一郎
○清瀬国務大臣 十八条第二項ですね、二項のことは私賛成でございます。この通りあるべきものと思います。
義宮さんのことについては、具体的にどう長崎が扱ったか、そのことそれ自身を調べなければ何とも言を立てるわけには参りませんか、科学的に必要なこと、また歴史的に必要なこともごらん願う時と場合も実はあるのです。惨として目をおおう、見ちゃおれぬといったようなものを、楽しい日にお見せすることもどうかという御遠慮をしなければならぬこともあるのです。私も新聞で見ましたが、どういうことであったかよく了知しておりませんけれども、宮様にも原子爆弾の被害のことはよく御存じ願う方が、私はいいと思っております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/129
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130・河野正
○河野(正)委員 関連でございまするからくどくどしくは申し上げませんけれども、ただいまの義宮様の問題にいたしましても、義宮様がいよいよ九州を去られます場合に、九州における印象で一番強かったのは、やはり長崎における原子爆弾に関する資料だったというような談話を新聞に発表されております。そういたしますると、せっかくそういった強い印象を義宮さんに植えつけたにかかわらず、実質的に見せるべきものを見せなかったということは、私どもといたしましても非常に残念に感ずるわけでございます。
それと関連いたしまして、似たような問題でございますから、なお一点お尋ね申し上げたいと思いまする点は、大臣もしばしば今日まで、今日の教育基本法というものは賛成である、しかしながらいろいろ欠くる点があるので、そういった点は補足、充足していきたい、たとえば家庭の問題でございますか、あるいは国を愛する愛国の問題でございますか、そういった点を大臣は強調せられて参りました。もちろん大臣の御意見と申しますか、御趣旨がわからぬわけではございません。しかしながら問題となりまする点は、この十八条二項の精神を、これは賛成だということでございまするから、私どもも了解することにやぶさかでありませんけれども、この精神を十二分に御尊重願わないというと、たとえば二十一日でしたか、婦人の方々が家族制度復活反対というふうな行事を行なっておられたようでございますが、家庭の問題を極端に考えて参りますと、先ほども御指摘申し上げましたように、家族制度の復活というふうな弊害を生んで参りますし、また国を愛するという問題につきましても、これを一歩誤まりますと、またかつての侵略主義に帰るような事態も生ずる危険性というものが当然生まれて参ります。そこで今日まで大臣の御答弁を承わって参りまして、私ども大臣の心境がわからぬでもないのでございまするけれども、一歩誤まりますると、やはり憲法違反あるいはまた再び日本が侵略主義に陥っていくという危険性も多分に生まれて参ります。これは少くとも今日の清瀬文部大臣のもとにおきましては、そういった誤まりはないと確信いたしますけれども、しかしながら一たん教育基本法を改正していくということになりますと、その改悪を前提といたしまして、今後次々に出て参られます大臣がその教育基本法を運用されて参るわけでありますから、私はきわめてこの問題は重要だというふうに考えております。この点は今日までたびたび大臣からも御答弁をお願いいたしましたので、詳しい御答弁は要りませんが、たまたま学校教育法十八条二項の問題が出て参りましたので、あらためて簡単でけっこうでございますから、大臣の御所感を承わっておきたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/130
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131・清瀬一郎
○清瀬国務大臣 あなたの御引用の学校教育法は私は賛成なんです。ただおざなりじゃないのです。これには郷土及び国家の現状と伝統について正しい理解に立つべきである、やはり日本の伝統を重んじるということが書いてあります。一時明治末期よりしてわが国はある方向に走りましたけれども、これは真の伝統じゃございません。肇国以来の皇室は——武家の方では覇道をとりましたが、皇室の方の御伝統は王道であります。力でやるという政治ではなかったのです。しかるに一時明治以来あの通りになりましたが、わが国の正しき伝統を子供に知らせようということは、これは大賛成でございます。教育基本法も大体は賛成なんです。書いてあることに異存はありません。これができるときの速記録をずっと読みましたが、あのときすでに京都の佐々木博士が、これをずっと読んでも、国家観念というのはどこにあるのだという質問をしておるのです。それに対してそのときの文部大臣高橋君は、社会及び国家の一員としてということがある、これなんだ、これが愛国のもとだということを言ってその場をのがれておりますけれども、これは少し薄弱なんで、比べてみれば、学校教育法が国の現状と伝統を子供に教えるという方がいい、私はかように思っておるのです。率直に申し上げます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/131
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132・平田ヒデ
○平田委員 私は先ほど申し上げましたけれども、要するに子供たちに暗さから心の目をおおわせても、現実に子供たちはその中に生きておるのでございます。現在生活扶助を受けている子供だけでなくて、ボーダ・ライン層の子供たちが七十四万人もいるという実数が上っております。こういう大勢の子供たちがあるのでございまして、私はこれを教室の中で目をおおわせるだけでよろしいのかどうかということに不満を持っておるわけでございます。そうかといってそれをむき出しに洗いざらい出せというわけではございません。何がそこによい指導があるのではないかということも考えていただきたい。これはちょうど指導要領というものをお作りになられるので、その中にいろいろな基準があって、そこで何かあるのかもしれません。そこで審査員のお方がどうなさったのか、周囲の方がいろいろなさったのでしょうけれども、その点私不勉強でありますけれども、私は現実の姿を見せてもいいのではないか、そうしてそこにほんとうに教師の指導というものがあってしかるべきではないか、そう考えます。私はこれは完全にヒューマニスト的な考え方から申しますならば、そこにほんとうに人権というものを目ざめさせていくということが必要だと思います。これは決して偏向ではないと私は信じておるのでありますけれども、この点についてお伺いいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/132
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133・清瀬一郎
○清瀬国務大臣 お声が少し聞えなかった点もありますが、教科書として取り扱う場合に、教科書に書いてある素材ということも考えなければなりませんし、それを叙述する態度も考えなければなりませんし、子供はだんだん発達しておりまするから、年令ということも考えなければなりません。われわれが日常友だちと会って話をするのも、やはりその場面にぴったり合わなければならぬのでありまするから、教科書の編さん発行の態度というものも、先刻以来申し上げております通り、民主的中正な態度をとって、今御引用の学校教育法一条、二条等の精神によってやらなければならぬと思います。従って教科書もこれに即応すべきものとは考えております。
〔山崎(始)委員長代理退席、委員長着席〕発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/133
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134・平田ヒデ
○平田委員 まだお伺いしたいことがございますけれども、次会に私の質問を譲りまして、これで終らしていただきます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/134
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135・佐藤觀次郎
○佐藤委員長 高村坂彦君。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/135
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136・高村坂彦
○高村委員 私は総括質問がだいぶ進んだようでございますから、各条文について、若干の疑問としております点をお尋ねいたしてみたいと存じます。
まず策一条でございますが、これは先ほど平田委員からも御質問がございましたが、「水準の保持と向上を図る」という言葉がございますが、この「水準の保持と向上を図る」という中には、大臣の御答弁の中にもございましたように、極端な右に偏したもの、あるいは極端な左に偏したもの、これを是正せしめるということも入っておる、かように解釈してよろしゅうございましょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/136
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137・清瀬一郎
○清瀬国務大臣 その通りでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/137
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138・高村坂彦
○高村委員 第二条についてお尋ねいたしますが、ここに教科書という定義がございます。教科書は単なる教材の一種というふうに一応解されるようでございますが、この点は学校教育法の第二十一条の第一項によりますと、使用の義務があるということになっているのが違うだけで、ほかの教材と他の点では違っておらない。従って教科書を使っても、先生は自分の独自の考えで、内容はいかなる教育をしてもいい、かような考え方がなし得るのかどうか、この点を一つお尋ねいたしたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/138
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139・清瀬一郎
○清瀬国務大臣 そこにありまする通り、「教科の主たる材料」という、これが主眼であります。よく従前は、一定の組織、編成といったようなこともありまするが、もう少し広くして教科の主たる材料でありまするから、これだけは使っていただきたい。そのほかのものを使うなとはないのでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/139
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140・高村坂彦
○高村委員 それから第二条の一項の後段の方に、「又は文部省が著作の名義を有するもの」ということがございますが、寡聞にして私はどういうものがあるか存じません。これは局長からでよろしゅうございますが、どういうものがございますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/140
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141・緒方信一
○緒方政府委員 たとえば高等学校の職業課程の教科書のうちのあるもの、あるいは盲ろう関係の教科書等におきましては、これを民間の発行者の発行にまかせておきますと、需要の部数が非常に少いというような関係からいたしまして、これが円滑な発行ができませんので、文部省が著作をいたしましてこれを発行しておる現状でございます。そういう教科書につきまして、この文部省が教科書の発行の名義を有するもの、かように規定してあるわけでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/141
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142・高村坂彦
○高村委員 それでは第二項に、「この法律において「発行者」とは、教科書を発行することを業とする者」と書いてありますが、非常にいい原稿を手に入れて、これはぜひ一つ教科書として使わせたいという特異な人があって、一回それを発行したい、こういうふうな場合でも、発行者として認めてもいいのじゃないかと私は思いますが、ここに業とするということになりますと、商法にいわゆる商行為の上においての営業ということになって、継続して行うというふうにしか解されぬかと思いますが、その点はどうでございましょう。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/142
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143・緒方信一
○緒方政府委員 御指摘のように、この「業とする」という解釈は、通常の場合、反復継続して行うことを指しておるわけでございまして、一回きりで終るというようなものはここに含めてない趣旨でございます。ただしかしながら、反復継続して行うと申しましても、一回といたしましても、それが非常に大量なものを一回発行するという場合には、度数は一回でありましても、この「業とする者」の中に含めていいのじゃないかと、かように解釈いたしております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/143
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144・高村坂彦
○高村委員 第三条に「教科書の種目」という言葉がございますが、これは文部省令で教科ごとに、教授内容及び教授方法等の差異に応じて定めることに相なっております。これは現在定められたものがあると存じますけれども、この法律が通りますと、この種目は何か改正等をするおつもりでございますか、その点どうですか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/144
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145・緒方信一
○緒方政府委員 現在もございます。これは教科書の分類の単位をいうわけでございまして、例を申し上げますと、現在の種目として規定をいたしておりますものは、同じ小学校の国語の教科にいたしましても、国語、書き方、ローマ字等がございます。あるいはまた中学校の社会科の教科書について例を申しますと、これも地理的内容を主とするもの、歴史的内容を主とするもの、政治経済社会的内容を主とするもの、あるいは総合的のもの、こういうふうな、同じ教科の中にも、種目を分けて考えたわけでございまして、現在教科用図書の検定受理種目というのが告示をいたしまして出ておるわけでございますけれども、この法律が制定いたされました上は、文部省令を制定いたしまして、その中でさらに検討いたしまして、十分合理的なものを作っていきたい、かように考えておる次第であります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/145
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146・高村坂彦
○高村委員 文部省令で定めると規定してありますが、この文部省令を定める場合に、検定審議会の方に諮問するとか何とか、そういうお考えはございましょうか。あるいは従来の何で、文部省で随時御決定になるおつもりでございましょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/146
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147・緒方信一
○緒方政府委員 この法律の上におきましては、種目は文部大臣が文部省令できめるということに相なっておりまするが、そのほか検定審議会に対して、重要な事項については諮問ができますので、新しく省令等を作ります場合には、諮問をいたして作っていきたい、かように考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/147
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148・高村坂彦
○高村委員 第四条の規定についてですが、これはこの制度の根本になる問題でございます。教科書の検定は文部大臣が行うことに相なっております。ところが一説には、これは社会党の提出されました法案にもございますが、文部省の外局として、教科委員会といったような制度を設けて、教育の内容等に影響を与える文部行政、教育行政というものは、この別個の委員会でやりたい、こういう構想があるわけでございますが、これは一つの構想だと私は思います。従いましてこの「文部大臣が行う。」というのもいろいろ御研究に相なったことと思うのでございます。この点について、文部大臣が行う方が妥当であり、いいのだというお考えであろうと思うのでございますが、そのゆえんを大臣から簡潔にお答えをいただきたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/148
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149・清瀬一郎
○清瀬国務大臣 この第四条は後の第八条と牽連してごらんを願いたい。文部大臣は、「検定の申請に係る図書について、教科書検定審議会の議を経て、合格又は不合格の決定を」する。実質上は教科書検定審議会の議を経て、審議会でおきめになったものを認めるのでございます。しかしわが国の制度といたしましては、全国数千万の児童の教科書を検定することは大きな行政でございます。それを内閣を経て国会に責任を持たなければならない、その意味から検定の責任は文部大臣がとるということであります。実際は私が読んでやるわけではございません。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/149
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150・高村坂彦
○高村委員 第五条第二項に検定の基準のことが規定してございますが、現在の検定基準というものは、この法律が通りました場合には再検討されるのだと思いますが、現在の検定基準はいつ、どういった手続でできたものでございますか。もしおわかりでございましたら局長からお答えを願いたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/150
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151・緒方信一
○緒方政府委員 この新しい法案におきましては第五条でございますが、現在の検定基準ができましたのは昭和二十七年の十月に形式的な文部省の告示をして、告示でもってきめております。作りましたときは現在の検定審議会に諮問いたしまして、その意見を聞いてこれを作っておるのであります。これは各教科に分れまして検定基準をきめてあるわけでありまして、今申し上げましたように二十七年に作りました。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/151
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152・高村坂彦
○高村委員 第六条にこの検定を行う場合には手数料を取ることに相なっておるわけでありますが、私どもはこういった検定などというものは、手数料なんかを取るというケチなことはしない方がいいと思うのでございますが、大体手数料はどのくらい予定しておられますか、伺ってみたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/152
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153・緒方信一
○緒方政府委員 従来も検定手数料は徴収いたしておるわけでございますけれども、従来のきめ方は原稿一枚につきまして五十円、ただし一ページで五十円、その原稿が全体としまして一万円に満たないものは一万円にいたしております、今度の新しい制度ができました場合に、現在やっておりますものを基準にいたしましてさらに若干検討を加えていきたいと存じております。若干これは改訂をしていきたいと考えておりますけれども、まだ具体的に幾らということまではきめておりません。
なおちょっとついでで、はなはだ恐縮でございますが、現行の検定基準のことにつきましての御質問に私二十七年とお答えいたしましたが、最初作りましたのは二十三年であります。たびたび改正をいたしまして、二十七年に改正をいたしたのが現行の大部分でございますけれども、なお二十八年に一部改正をいたしてございます。学習指導要領等の改訂に応じましてときどき改訂をいたしますが、最初は二十三年でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/153
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154・高村坂彦
○高村委員 第七条で検定の拒否の規定をいたしておるのでございますが、これは過去におきましてそういうことを必要とする事例があったためにこういう規定を設けられたかと思いまするが、何か著しい事例がございましたらお示しを願いたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/154
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155・緒方信一
○緒方政府委員 特に具体的な事例としては、ちょっとここで申し上げる資料を持ち合せませんが、申請して参りました原稿に相当誤記や誤植があって、検定に非常に因るという事例は従来もしばしばございました。文部省で一応見ましてそれを注意をしまして、さらに書きかえて持ってきてもらって正式に検討するということが従来もございましたので、このたびはそういう手数を省きます意味も加えまして、七条のような明らかに客観的に誤記、誤植あるいは誤まった事実といったようなものがあります場合には、検定を行わないということにいたしたいと考えるわけであります。
さらに第二項の点につきましては、従来検定を受けておった教科書とほとんど同じような——ほとんど同じと申しますか、あるいはそれを若干改訂しましてさらに検定を申請してくる場合もございましたので、ある程度改訂後の検定を抑制していくというような意味もありまして第二項を作ったわけでございます。有効期間の残りの期間が二年をこえるもの、つまり四年たたないもの、こういうような前の検定を受けた教科書と内容が同一であり、あるいは著しく類似しているというものは検定を行わない、こういう制度を作りましたのが七条でございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/155
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156・高村坂彦
○高村委員 第八条の規定につきまして、第一項では、これはきわめて重要な規定でございますが、検定については必ず教科書検定審議会の議を経なければならぬことに相なっておるのでございますが、その第二項に、「文部大臣は、軽微な修正を行うことにより検定に合格する見込があると認められる図書については、検定の申請をした者にその旨を通知し、その修正を待って前項の決定をすることができる。」と書いてございます。これは軽微な修正を行うことによって検定に合格する見込みがあり、あるいはこれは軽微でないから見込みがない、こういうことを文部大臣が御決定、御認定になるわけでございますが、この場合には、こういった決定が一応されますと、それにある程度拘束をされて、その修正をさしたにかかわらずこれを不合格にするということはできないといったような拘束を受けることが起きはしないかと思いますが、こういう点はどういうふうに考えたらいいのでございましょうか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/156
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157・緒方信一
○緒方政府委員 第八条第二項の規定におきまして文部大臣がこういう認定をいたしました場合の問題でございますけれども、その認定につきましてはやはり審議会の議によってその認定をいたす、かようなことになるわけでございます。そういたしまして文部大臣が修正の指示をいたしまして、その通知をいたします、それに基いてさらに申請者の方からは検定の申請が出て参るわけでありまして、その場合にさらにまた検定審議会の議を経て最後の合否が決定される、こういうことに相なるわけであります。その手続の詳細なことにつきましては施行政令等に譲っていきたいと思いますけれども、その認定につきましては審議会の議にかける、かように考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/157
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158・高村坂彦
○高村委員 この点は規定の上からいえば私は非常に疑問があると思うのですが、ただいまの局長のような解釈は、必ずしもこの文面からは出てこないのではないかと思うのです。と申しますのは、第七条の第一項には、次の二つの場合においては教科書検定審議会に諮問して、一応門前払いができるということになっておる。この八条の二項の方では諮問してというようなことが書いてございませんから、あるいは意見を聞くということも書いてないから、文面からすれば文部大臣がその独自の考えで修正をするように申し入れることができるように考えられますが、今の解釈は間違いないのでございますか。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/158
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159・緒方信一
○緒方政府委員 第八条は、第一項によりまして、文部大臣は第七条で検定の拒否をいたしますものを除きまして審議会の議に付するわけでございます。その審議会の議に付しまして、その審議の過程におきまして軽微な修正を行うことによって検定に合格する見込みがある、こう認められました場合には、審議会の議によって文部大臣がそれを通知をいたす。第一項、第二項あわせまして審議会にまだかかっておって、それが途中で文部大臣の方に下って参りまして、文部省から文部大臣がこれを申請者に通知をする。そしてさらにその通知した通りの修正が出て参りますればそれをさらに審議会にかけて確かめましてその合否を決定していく、かような手続に相なると思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/159
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160・高村坂彦
○高村委員 私は文字の上からは若干疑問がございますが、まあそういう解釈ができぬこともないかと存じますので、この点はこれでやめたいと思いますが……。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/160
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161・佐藤觀次郎
○佐藤委員長 清瀬文部大臣が発言を求めておられますから許します。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/161
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162・清瀬一郎
○清瀬国務大臣 第十八条を見て下さい。諮問ということが書いてないのに申請をやるということは不つき合いだというのですが、法律がなくても議事その他検定審議会に必要な事項を政令で定める、それでおそらくは政令で軽微な修正をしたがよかろうということが出てきた時分には、当審議会は文部大臣にその旨の申し出をするというものが出てくるのであろうと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/162
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163・高村坂彦
○高村委員 大臣の今の御答弁で了承いたしました。
次は第九条でありますが、第九条の規定によりますと、「検定を行わない旨の決定又は不合格の決定を受けた者の請求があったときは、その者に決定の理由の要旨を記載した書面を交付しなければならない。」となっております。これは現在の検定の上におきましてはさような理由を通知をして交付をしておるのでございましょうか。また請求がなければ理由は知らさないというのはちょっと不親切なような気がいたしますが、いやしくも合格を期して出したものでございますから、やはりこうした請求がなくともその理由くらいは知らしてやった方が親切ではないかと思いますが、この点は実情がそれを期待したものが多いとかなんとかいろいろ事情があろうと思いますが、これまでの実情等から御見解を承わっておきたいと存じます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/163
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164・緒方信一
○緒方政府委員 従来におきましても実際に不合格になりましたものに対しましては、事実上の文部省の措置といたしまして口頭でその理由等は十分説明いたしております。このことは将来も行政運用といたしましては続けていきたいと存じますけれども、特に第九条を設けましたゆえんは、それらの人々で特に非常に不服であってこれを行政訴訟等をいたそうというような場合がありましょうから、そういう場合には特に、その要旨を記載した書面を交付する、こういう制度として書いたわけでございまして、従来もこれはやっておるわけであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/164
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165・高村坂彦
○高村委員 第十条は検定の有効期間を定めておるのでございますが、この六カ年とした根拠は何かあるのでございましょうか。まあ大体六カ年くらいでよかろうというのでございましょうか。何か基準となった理由をお示しいただけるならばお示しいただきたい。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/165
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166・緒方信一
○緒方政府委員 有効期間を設けましたゆえんは、一たび合格した教科書が無期限に使用されるということは、時日の経過によりましてその内容が適当でないものも当然出てくるわけでありますので、一定の有効期間を定める必要があるので作ったのでありますが、六年といたしました理由は小学校の課程が六年でございますので、一応この六年を基準にいたしたわけでございます。と申しますのは、その初めから使い始めたものが六カ年は同じ種類の教科書が継続して使えるということを一応の基準といたしたわけでございます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/166
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167・高村坂彦
○高村委員 次に十一条でございますが「文部大臣は、種目又は検定の基準の変更により、従前の種目又は検定の基準による教科書を使用することが適当でないと認めるときは、教科書検定審議会の議を経て、年度を定めて、その年度以降それらの教科書の合格の検定の効力を失わせることができる。」となっておる。そこで私はいやしくも教科の主題、主な教材となる教科書について、適当でないと認めたにかかわらず年度を定めてというようななまぬるいことではいかぬのじゃないか、もちろんこれは発行者等に不測の損失を与えるということを考えておられるのかと思いますが、これは教育の点から申しまして、こういう場合にはそれを補償するとか何とかいうことで、その方法は適当な手段をとりまして、適当でないと一応認定した以上はすみやかに変えさすことが必要ではないかと思いますが、この点については文部大臣の御見解を伺いたいと存じます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/167
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168・清瀬一郎
○清瀬国務大臣 それは局長から説明してもらいます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/168
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169・緒方信一
○緒方政府委員 御説のように種目あるいは基準の変更によりまして使用が適当でないと認めますものにつきましては、なるべくすみやかに効力を失わせることが必要かと存じます。しかしながらただいまお話がありましたように、業者側のこともあるいはあるかもしれませんが私ども「年度を定めて、」という規定をいたしましたのは、現に学校におきまして使用しておる場合、年度途中におきまして失効させてしまうということは、これは使う学校の側で非常な混乱が起ることも考えられますので、なるべくすみやかにはいたさなければなりませんけれども年度を定めてやる、かように規定いたしたわけでございます。実情に応じまして、あるいは適当でないと認めます理由のいろんな場合がございましょうが、その理由のいかんによりましてなるべくすみやかに直していかなければならぬと考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/169
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170・清瀬一郎
○清瀬国務大臣 今の通りでございます。なおあなたの頭にあること、私も同じことを思っておるのですが、間違ったことを生徒に教えてはいけませんから、そういう場合は次の条文でやるべきものであろうと思います。この間もビニールとビニロンと間違っておるという申告がありましたが、ビタミンB5の効用を間違っておる。ああいう間違ったものは即座にやる、こういうことであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/170
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171・高村坂彦
○高村委員 ただいま大臣の御答弁によってこれは円滑に運用ができると考えますので了承いたしました。
次は第十二条でございますが、これは先ほど申し上げたので大体了承したのでございますが、個々にも政令で定めるということがございまして、「次の各号に掲げる場合には、その発行する検定に合格した図書について、政令の定めるところにより、修正のため必要な措置をとらなければならない。」こうあるわけです。この場合はきわめて簡単な内容ではございますが、これも検定を受ける方からいえば相当重大なことでございますが、これは文部省令ではなしに特に政令ということになっておる。それでこの場合やはり検定審議会に諮問するとかなんとかいったような御構想がおありでございますか。あるいはもうこの点は簡単であるから、政府の意図で、審議機関等に諮問等はしないのであるというお考えでございましょうか。お考えを承わっておきたいと存じます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/171
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172・緒方信一
○緒方政府委員 この第十二条の規定は発行者にこの修正を義務づけた規定でございます。ただしかし発行者が勝手に修正できるということじゃ困りますので、ただいま御指摘のございましたように、政令をもちまして規定をいたしたのでございますが、その際これは今もお話のございましたようにきわめて客観的な事項でございまして、簡単な事実でございますので、これにつきましては特に審議会にかけませんで文部大臣の承認にかからせる、文部大臣の承認を得て修正をする、かようなことにいたしたいと考えております。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/172
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173・高村坂彦
○高村委員 だいぶ時間がたちましたのでこれでもう終りますが、この法案は文部大臣が中央教育審議会の答申によられましてお作りになったと承わっておるのでございますが、大体私も答申を読んでみますと、その答申を全面的に盛り込んでおられるようでございますけれども、若干の変更を加えておられる点もあるようでございますが、その中教書の答申を御変更になった個所がございましたらそれをお示しをいただき、かつその理由を簡単に伺いたいと存じます。これは大臣から御答弁をいただければけっこうと存じます。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/173
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174・清瀬一郎
○清瀬国務大臣 場所は局長が精査しておるようですから、場所を指摘して、もしその理由が納得がいきませんでしたら私がいたします。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/174
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175・緒方信一
○緒方政府委員 ただいまお示しのように教科書の法案につきましては中教審の答申を得まして、それに基きまして成案をいたして提案をいたした次第でございます。
大体中教審の答申に基いておりますが、答申と若干違っておりますおもな点は、一つは採択の点でございます。つまり公立の小中学校について採択をいたします場合に、中教審の答申によりますと、その採択の地域を「たとえば郡市単位等一定の地域にできるだけ少い種類の教科書を使用するようにすること。」こういう答申になっております。ここはただいま申しましたように、答申の精神といたしましては学校ごとの採択じゃなく、郡市一定の地域におきまして統一的な採択をするという精神が出ておるわけであります。この際にできるだけ少い種類の教科書ということが一つと、それから地域としましてはたとえば郡市単位等一定の地域において、こういうふうに相なっております。法案におきましてはこの地域の点は、郡市並びに郡市を合せた地域を基準とする地域において採択地区を設けるというのが一つでございます。ただ例外の場合には一県を一採択地区とすることもできる、かように相なっております。なおできるだけ少い種類の教科書と中教審の答申になっております点は、一採択地区におきましては学年ごとに、種目ごとに一つの種類の教科書というふうに法案にはいたしておるわけであります。これが第一点であります。
それから第二点といたしましては、発行供給の点につきまして中教審の答申には、特約供給所の選定につきまして答申が出ております。それはこういうことでございます。特約供給所は、毎年関係発行者及び大取次店が協議して選定するということが一つ、それから取次店つまり小売業でございますが、取次店は、毎年特約供給所が関係教育委員会の意見を聞いて選定するものとする、こういう答申がございます。法案におきましてはこの点を変更いたしまして、発行者が特約供給所を選定するということを法案には規定いたしておりません。発行者も特約供給所も登録制度にいたしまして、その登録を受けた発行者が任意に契約をしていく、かような制度にいたした点が一つでございます。この二点が大体大きな点でございますけれども、なおまた発行供給の面におきまして中教審の答申の中に、同一発行者の発行する同一種目の教科書の種類並びに教科書の改訂については一定の抑制の方途を講ずること、こういう答申がございますが、この後段の改訂の抑制につきましては、先ほど御質問がございました第七条の第二号で規定いたしております。けれども、その前段の同一発行者の発行する同一種目の教科書の種類の抑制ということにつきましては、いろいろその後検討いたしました結果、これは法案には規定をいたしておらないのでございます。
そのほか答申の中には、あるいは行政運用におきまして達成できるような事項につきましても御答申がございますので、法案の中に盛り込んでない点もございますけれども、今申しましたようなおもな点、大体精神はくんでおりますけれども、若干技術的に変えました以外は答申の線を十分尊重して成案をいたしておる次第であります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/175
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176・高村坂彦
○高村委員 ただいま大体その答申をそのまま採用されなかった点は明らかにされましたが、特にその中で第一にお述べになりました採択地域を変えた点は、これは相当論議があると思います。今朝来社会党の委員の諸君からも御質問、御意見があったようですが、これはそういうふうな地域に若干、拡大とはいかぬかもしれませんが、拡大し得るような弾力性を持たされた理由を簡単に一つお示しをいただきたいと思います。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/176
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177・清瀬一郎
○清瀬国務大臣 これは御議論が両方ともにあるのです。これはあまりに拡大すると広い範囲に一つの会社がやってしまって弊害があるというけさほど以来の御議論が一つと、しかしながら一方ではやはり教育水準を一つにして、学校職員の研究も広地域にしてやる。それから子供の学力差もなくする。打ちあけて言えば中学校の入学試験なんといっても、やはり相当広い通学区域の時分には、区域内の教科書が違っても非常に困る。だから広域にしますと採択または選択の目がよく届くだろう、そういうふうな議論がありまして、弊害の方は経済上または法律上の弊害だからして、これは厳重に取り締ることが可能だから、まあ教育は教育価値が第一だからというので、広げ得ることにしたのであります。それも絶対に広げるのではありません。やはり県の教育委員会の意見でかようになるので、それが中正を得たことであろう、こういうことでいたしたのであります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/177
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178・高村坂彦
○高村委員 本日ただいま御質問申し上げました中教審の答申を資料として御配付願いたいと思います。今日はこれで終ります。発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/178
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179・佐藤觀次郎
○佐藤委員長 それでは高村君の要求せられた資料をぜひお願いしたいと思います。
本日はこの程度にいたし、次会は明日午前十時より開会いたします。
これにて散会いたします。
午後五時三十二分散会発言のURL:https://kokkai.ndl.go.jp/simple/txt/102405077X03119560425/179
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